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第四十四帖 竹河
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44 TAKEKAHA (Ohoshima-bon)
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薫君の中将時代 十五歳から十九歳までの物語
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Tale of Kaoru's Chujo era, from the age of 15 to 19
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1 |
第一章 鬚黒一族の物語 玉鬘と姫君たち
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1 Tale of Higekuro's family Tamakazura and her daughters
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1.1 |
第一段 鬚黒没後の玉鬘と子女たち
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1-1 Tamakazura and her daughters after Higekuro's death
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1.1.1 |
これは、源氏の御族にも離れたまへりし、後の大殿わたりにありける悪御達の、落ちとまり残れるが、問はず語りしおきたるは、紫の ゆかりにも似ざめれど、かの女どもの言ひけるは、「 源氏の御末々に、ひがことどもの混じりて聞こゆるは、我よりも年の数積もり、ほけたりける人のひがことにや」などあやしがりける。いづれかはまことならむ。
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これは、源氏のご一族からも離れていらっしゃった、後の大殿あたりにいたおしゃべりな女房たちで、死なずに生き残った者が、問わず語りに話しておいたのは、紫の物語にも似ないようであるが、あの女どもが言ったことは、「源氏のご子孫について、間違った事柄が交じって伝えられているのは、自分よりも年輩で、耄碌した人のでたらめかしら」などと不審がったが、どちらが本当であろうか。
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ここに書くのは源氏の君一族とも離れた、最近に亡くなった関白太政大臣の家の話である。つまらぬ女房の生き残ったのが語って聞かせたのを書くのであるから、紫の筆の跡には遠いものになるであろう。またそうした女たちの一人が、光源氏の子孫と言われる人の中に、正当の子孫と、そうでないのとがあるように思われるのは、自分などよりももっと記憶の不確かな老人が語り伝えて来たことで、間違いがあるのではないかと不思議がって言ったこともあるのであるから、今書いていくことも皆真実のことでなかったかもしれないのである。
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Kore ha, Genzi no ohom-zou ni mo hanare tamahe ri si, Noti-no-Ohotono watari ni ari keru warugotati no, oti tomari nokore ru ga, tohazugatari si oki taru ha, Murasakinoyukari ni mo ni za' mere do, kano womna-domo no ihi keru ha, "Genzi no ohom-suwezuwe ni, higakoto-domo no maziri te kikoyuru ha, ware yori mo tosi no kazu tumori, hoke tari keru hito no higakoto ni ya?" nado ayasigari keru. Idure ka ha makoto nara m.
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1.1.2 |
尚侍の御腹に、故殿の御子は、男三人、女二人なむおはしけるを、さまざまにかしづきたてむことを思しおきてて、年月の過ぐるも心もとながりたまひしほどに、あへなく亡せたまひにしかば、夢のやうにて、 いつしかといそぎ思しし御宮仕へもおこたりぬ。
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尚侍のお生みになった、故殿のご子息女は、男三人、女二人がいらっしゃったが、それぞれに大切にお育てすることをお考えおきになっていて、年月がたつのも待ち遠しく思っていらっしゃったうちに、あっけなくお亡くなりになってしまったので、夢のようで、早く早くと急いで思っていらした宮仕えもたち消えになってしまった。
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玉鬘の尚侍の生んだ故人の関白の子は男三人と女二人であったが、どの子の未来も幸福にさせたい、どんなふうに、こんなふうにと空想を大臣は描いて、成長するのをもどかしいほどに思っているうちに、突然亡くなったので、遺族は夢のような気がして、大臣の志していた姫君を宮中へ入れることもそのままに捨てておくよりしかたがなかった。
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Naisi-no-Kami no ohom-hara ni, ko-Tono no ohom-ko ha, wotoko sam-nin, womna hutari nam ohasi keru wo, samazama ni kasiduki tate m koto wo obosi okite te, tosituki no suguru mo kokoromotonagari tamahi si hodo ni, ahenaku use tamahi ni sika ba, yume no yau nite, itusika to isogi obosi si ohom-Miyadukahe mo okotari nu.
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1.1.3 |
人の心、時にのみよるわざなりければ、さばかり勢ひいかめしくおはせし大臣の御名残、うちうちの御宝物、 領じたまふ所々のなど、その方の衰へはなけれど、おほかたのありさま引き変へたるやうに、殿のうちしめやかになりゆく。
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人の心は、時の権勢にばかりおもねるものだから、あれほど威勢よくいらした大臣の亡くなった後は、内々のお宝物、所領なさっている所々など、その方面の衰退はなかったが、大方の有様はうって変わったように、お邸の中はひっそりとなってゆく。
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世間の人は目の前の勢いにばかり寄ってゆくものであったから、強大な権力をふるっていた関白のあとも、財産、領地などは少なくならないが、出入りする人が見る見る減って、寂しく静かな家になった。
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Hito no kokoro, toki ni nomi yoru waza nari kere ba, sabakari ikihohi ikamesiku ohase si Otodo no ohom-nagori, utiuti no ohom-takaramono, rauzi tamahu tokorodokoro no nado, sono kata no otorohe ha nakere do, ohokata no arisama hikikahe taru yau ni, tono no uti simeyakani nari yuku.
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1.1.4 |
尚侍の君の御近きゆかり、そこらこそは世に広ごりたまへど、なかなかやむごとなき 御仲らひの、もとよりも親しからざりしに、故殿、情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性にて、 心おかれたまふこともありけるゆかりにや、 誰れにもえなつかしく聞こえ通ひたまはず。
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尚侍の君のご身辺の縁者は、大勢世の中に広がっていらっしゃったが、かえって高貴な方々のお間柄で、もともと親しくはなかったので、故殿の、人情味が少し欠け、好き嫌いがはげしくいらっしゃるご性質なので、けむたがられることもあったせいであろうか、誰とも親しく交際申し上げられないでいらっしゃる。
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玉鬘夫人の兄弟たちは広く栄えているのであるが、貴族たちの肉親どうしの愛は一般人よりもかえって薄いもので、大臣の生きている間さえもそう親密に往来をしなかった上に、大臣が少し思いやりのない、むら気な性質で恨みを買うこともしたためにか、遺族の力になろうとする人も格別ないのであった。
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Kam-no-Kimi no ohom-tikaki yukari, sokora koso ha yo ni hirogori tamahe do, nakanaka yamgotonaki ohom-nakarahi no, motoyori mo sitasikara zari si ni, ko-Tono, nasake sukosi okure, muramurasisa sugi tamahe ri keru go-honzyau nite, kokorooka re tamahu koto mo ari keru yukari ni ya, tare ni mo e natukasiku kikoye kayohi tamaha zu.
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1.1.5 |
六条院には、すべて、なほ昔に変らず数まへきこえたまひて、亡せたまひなむ後のことども、書きおきたまへる御処分の文どもにも、 中宮の御次に加へたてまつりたまへれば、 右の大殿などは、なかなかその心ありて、さるべき折々訪れきこえたまふ。
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六条院におかれては、総じて、やはり昔と変わらず娘分としてお扱い申されて、お亡くなりになった後のことも、お書き残しなさったご相続の文書などにも、中宮のお次にお加え申されていたので、右の大殿などは、かえってその気持ちがあって、しかるべき折々にはご訪問申される。
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六条院は初めと変わらず子の一人として尚侍を見ておいでになって、御遺言状の遺産の分配をお書きになったものにも、冷泉院の中宮の次へ尚侍をお加えになったために、夕霧の右大臣などはかえって兄弟の情をこの夫人に持っていて、何かの場合には援助することも忘れなかった。
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Rokudeu-no-Win ni ha, subete, naho mukasi ni kahara zu kazumahe kikoye tamahi te, use tamahi na m noti no koto-domo, kaki oki tamahe ru ohom-syobun no humi-domo ni mo, Tiuguu no ohom-tugi ni kuhahe tatematuri tamahe re ba, Migi-no-Ohotono nado ha, nakanaka sono kokoro ari te, sarubeki woriwori otodure kikoye tamahu.
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1.2 |
第二段 玉鬘の姫君たちへの縁談
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1-2 The offers of marriage to Tamakazura's daughters
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1.2.1 |
男君たちは、御元服などして、おのおのおとなびたまひにしかば、 殿のおはせでのち、心もとなくあはれなることもあれど、 おのづからなり出でたまひぬべかめり。「姫君たちをいかにもてなしたてまつらむ」と、思し乱る。
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男君たちは、ご元服などして、それぞれ成人なさったので、殿がお亡くなりになって後、不安で気の毒なこともあるが、自然と出世なさって行くようである。「姫君たちをどのようにお世話申し上げよう」と、お心を悩ましなさる。
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男の子たちは元服などもして、それぞれ一人並みになっていたから、父の勢力に引かれておれば思うようにゆくところがゆかぬもどかしさはあるといっても、自然に放任しておいても年々に出世はできるはずであった。姫君たちをどうさせればよいことかと尚侍は煩悶しているのである。
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WotokoGimi-tati ha, ohom-genpuku nado si te, onoono otonabi tamahi ni sika ba, Tono no ohase de noti, kokoromotonaku ahare naru koto mo are do, onodukara nariide tamahi nu beka' meri. "HimeGimi-tati wo ikani motenasi tatematura m?" to, obosi midaru.
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1.2.2 |
内裏にも、かならず宮仕への本意深きよしを、大臣の奏しおきたまひければ、 おとなびたまひぬらむ年月を 推し量らせたまひて、仰せ言絶えずあれど、 中宮の、いよいよ並びなくのみなりまさりたまふ御けはひにおされて、 皆人無徳にものしたまふめる末に参りて、 遥かに目を側められたてまつらむも ★わづらはしく、また人に劣り、数ならぬさまにて見む、はた、心尽くしなるべきを思ほしたゆたふ。
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帝におかれても、是非とも宮仕えの願いが深い旨を、大臣が奏上なさっていたので、成人なさったであろう年月を御推察あそばして、入内の仰せ言がしきりにあるが、中宮が、ますます並ぶ人のいないようになって行かれる御様子に圧倒されて、誰も彼も無用の人のようでいらっしゃる末席に入内して、遠くから睨まれ申すのも厄介で、また人より劣って、数にも入らない様子なのを世話するのも、はたまた、気苦労であろうことを思案なさっている。
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帝にも宮仕えを深く希望することを大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって入内の御催促が絶えずあるのであるが、中宮お一人にますます寵が集まって、他の後宮たちのみじめである中へ、おくれて上がって行ってねたまれることも苦しいことであろうと思われるし、また存在のわからぬ哀れな後宮に娘のなっていることも親として見るに堪えられないことであるからと思って、尚侍はお請けをするのに躊躇されるのであった。
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Uti ni mo, kanarazu Miyadukahe no ho'i hukaki yosi wo, Otodo no sousi oki tamahi kere ba, otonabi tamahi nu ram tosituki wo osihakara se tamahi te, ohosegoto taye zu are do, Tiuguu no, iyoiyo narabi naku nomi nari masari tamahu ohom-kehahi ni osa re te, minahito mutoku ni monosi tamahu meru suwe ni mawiri te, harukani me wo sobame rare tatematura m mo wadurahasiku, mata hito ni otori, kazu nara nu sama nite mi m, hata, kokorodukusi naru beki wo omohosi tayutahu.
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1.2.3 |
冷泉院よりは、いとねむごろに思しのたまはせて、 尚侍の君の、昔、本意なくて過ぐしたまうし辛さをさへ、とり返し恨みきこえたまうて、
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冷泉院から、たいそう御懇切に御所望あそばして、尚侍の君が、昔、念願叶わずに今までお過ごしになって来た辛さまでを、思い出してお恨み申し上げられて、
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冷泉院から御懇切に女御として院参をさせるようにとお望みになって、昔尚侍がお志を無視して大臣へ嫁いでしまったことまでもまた恨めしげに仰せられて、
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Reizei-Win yori ha, ito nemgoroni obosi notamaha se te, Kam-no-Kimi no, mukasi, ho'i naku te sugusi tamau si turasa wo sahe, torikahesi urami kikoye tamau te,
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1.2.4 |
「 今は、まいて さだ過ぎ、すさまじきありさまに思ひ捨てたまふとも、うしろやすき親になずらへて、譲りたまへ」
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「今はもう、いっそう年も取って、つまらない様子だとお思い捨てていらっしゃるとも、安心な親と思いなぞらえて、お譲りください」
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今ではいっそう年もとり、光の淡い身の上になっていて取柄はないでしょうが、安心のできる親代わりとして私にください。
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"Ima ha, maite sada sugi, susamaziki arisama ni omohi sute tamahu tomo, usiroyasuki oya ni nazurahe te, yuduri tamahe."
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1.2.5 |
と、いとまめやかに聞こえたまひければ、「 いかがはあるべきことならむ。みづからのいと口惜しき宿世にて、思ひの外に心づきなしと思されにしが、恥づかしうかたじけなきを、この世の末にや御覧じ直されまし」など定めかねたまふ。
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と、たいそう真面目に申し上げなさったので、「どうしたらよいことだろう。自分自身のまことに残念な運命で、思いの外に気にくわないとお思いあそばされたのが、恥ずかしく恐れ多いことだが、この晩年に御機嫌を直していただけようか」などと決心しかねていらっしゃる。
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お手紙にはこんなふうなお言葉もあるのであったから、これはどうであろう、自分が前生の宿縁で結婚をしたあとでお目にかかったのを飽きたらず思召したことが、恥ずかしくもったいないことだったのであるから、お詫びに代えようかなどとも思って、なお尚侍は迷っていた。
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to, ito mameyakani kikoye tamahi kere ba, "Ikagaha aru beki koto nara m. Midukara no ito kutiwosiki sukuse nite, omohi no hoka ni kokorodukinasi to obosa re ni si ga, hadukasiu katazikenaki wo, konoyo no suwe ni ya goranzi nahosa re masi." nado sadame kane tamahu.
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出典1 |
遥かに目を側められ |
已被楊妃遥側目 |
白氏文集巻三-「上陽白髪人」 |
1.2.2 |
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1.3 |
第三段 夕霧の息子蔵人少将の求婚
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1-3 An offer of marriage to Tamakazura's daughter by Yugiri's son
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1.3.1 |
容貌いとようおはする聞こえありて、心かけ申したまふ人多かり。右の大殿の蔵人少将とかいひしは、 三条殿の御腹にて、兄君たちよりも引き越し、いみじうかしづきたまひ、人柄もいとをかしかりし君、いとねむごろに申したまふ。
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器量がたいそう優れていらっしゃるという評判があって、思いをお寄せ申し上げる人びとが多かった。右の大殿の蔵人少将とか言った人は、三条殿がお生みになった方は、兄弟たちを越えて、たいそう大事になさり、人柄もとても素晴らしかった方なので、とても熱心に求婚なさる。
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美人であるという評判があって恋をする人たちも多かった。右大臣家の蔵人少将とか言われている子息は、三条の夫人の子で、近い兄たちよりも先に役も進み大事がられている子で、性質も善良なできのよい人が熱心な求婚者になっていた。
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Katati ito you ohasuru kikoye ari te, kokorokake mausi tamahu hito ohokari. Migi-no-Ohotono no Kuraudo-no-Seusyau to ka ihi si ha, Samdeu-dono no ohom-hara nite, SeutoGimi-tati yori mo, hikikosi, imiziu kasiduki tamahi, hitogara mo ito wokasikari si Kimi, ito nemgoro ni mausi tamahu.
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1.3.2 |
いづ方につけても、もて離れたまはぬ御仲らひなれば、この君たちの睦び参りたまひなどするは、気遠くもてなしたまはず。女房にも気近く馴れ寄りつつ、思ふことを語らふにも便りありて、夜昼、あたりさらぬ耳かしかましさを、うるさきものの、心苦しきに、 尚侍の殿も思したり。
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どちらの関係からしても、血縁の繋がっているお間柄なので、この君たちが慕ってお伺いなどなさる時は、よそよそしくお扱いなさらない。女房にも親しくなじんでは、意中を伝えるにも手立てがあって、昼夜、お側近くお耳に入れる騒がしさを、煩わしいながらも、お気の毒なので、尚侍の殿もお思いになっていた。
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父母のどちらから言っても近い間柄であったから、右大臣家の息子たちの遊びに来る時はあまり隔てのない取り扱いをこの家ではしているのであって、女房たちにも懇意な者ができ、意志を通じるのに便宜があるところから、夜昼この家に来ていて、うるさい気もしながら心苦しい求婚者とは尚侍も見ていた。
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Idu-kara ni tuke te mo, mote-hanare tamaha nu ohom-nakarahi nare ba, kono Kimi-tati no mutubi mawiri tamahi nado suru ha, kedohoku motenasi tamaha zu. Nyoubau ni mo ke-dikaku nare yori tutu, omohu koto wo katarahu ni mo tayori ari te, yoru hiru, atari sara nu mimi kasikamasisa wo, urusaki monono, kokorogurusiki ni, Kam-no-Tono mo obosi tari.
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1.3.3 |
母北の方の御文も、しばしばたてまつりたまひて、「 いと軽びたるほどにはべるめれど、思し許す方もや」となむ、大臣も聞こえたまひける。
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母北の方からのお手紙も、しばしば差し上げなさって、「とても軽い身分でございますが、お許しいただける点もございましょうか」と、大臣も申し上げなさるのだった。
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母の雲井の雁夫人からもそのことについての手紙も始終寄せられていた。 まだ軽い身分ですが、しかもお許しくださる御好意を、あるいはお持ちくださることかと思われます。 と夕霧の大臣からも言ってよこされた。
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Haha-Kitanokata no ohom-humi mo, sibasiba tatematuri tamahi te, "Ito karobi taru hodo ni haberu mere do, obosi yurusu kata mo ya." to nam, Otodo mo kikoye tamahi keru.
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1.3.4 |
姫君をば、さらにただのさまにも思しおきてたまはず、 中の君をなむ、 今すこし世の聞こえ軽々しからぬほどになずらひならば、さもや、と思しける。許したまはずは、盗みも取りつべく、むくつけきまで思へり。こよなきこととは思さねど、女方の心許したまはぬことの紛れあるは、音聞きもあはつけきわざなれば、聞こえつぐ人をも、「 あな、かしこ。過ち引き出づな」などのたまふに、 朽たされてなむ、わづらはしがりける。
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姫君を、まったく臣下に縁づけようとはなさらず、中の君を、もう少し世間の評判が軽くなくなったら、そうとも考えようか、とお思いでいらっしゃるのだった。お許しにならなかったら、盗み取ってしまおうと、気持ち悪いまで思っていた。不釣合な縁談だとはお思いにならないが、女のほうで承知しない間違いが起こるのは、世間に聞こえても軽率なことなので、取り次ぐ女房に対しても、「ゆめゆめ、間違いを起こすな」などとおっしゃるので、気がひけて、億劫がるのであった。
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玉鬘夫人は上の姫君をただの男とは決して結婚させまいと思っていた。次の姫君はもう少し少将の官位が進んだのちなら与えてもさしつかえがないかもしれぬと思っていた。少将は許しがなければ盗み取ろうとするまでに深い執着を持っているのである。もってのほかの縁と玉鬘夫人は思っているのではないが、女のほうで同意をせぬうちに暴力で結婚が遂行されることは、世間へ聞こえた時、こちらにも隙のあったことになってよろしくないと思って、蔵人少将の取り次ぎをする女房に、 「決して過失をあなたたちから起こしてはなりませんよ」 といましめているので、その女も恐れて手の出しようがないのである。
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HimeGimi wo ba, sarani tada no sama ni mo obosi okite tamaha zu, Naka-no-Kimi wo nam, ima sukosi yo no kikoye karogarosikara nu hodo ni nazurahi nara ba, samoya, to obosi keru. Yurusi tamaha zu ha, nusumi mo tori tu beku, mukutukeki made omohe ri. Koyonaki koto to ha obosa ne do, womnagata no kokoro yurusi tamaha nu koto no magire aru ha, otogiki mo ahatukeki waza nare ba, kikoye tugu hito wo mo, "Ana, kasiko! Ayamati hikiidu na." nado notamahu ni, kutasa re te nam, wadurahasigari keru.
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1.4 |
第四段 薫君、玉鬘邸に出入りす
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1-4 Kaoru visits frequentry to Tamakazura's residence
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1.4.1 |
六条院の御末に、 朱雀院の宮の御腹に生まれたまへりし君、冷泉院に、御子のやうに思しかしづく 四位侍従、そのころ十四、五ばかりにて、いときびはに幼かるべきほどよりは、心おきておとなおとなしく、めやすく、人にまさりたる生ひ先しるくものしたまふを、 尚侍の君は、婿にても見まほしく思したり。
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六条院のご晩年に、朱雀院の姫宮からお生まれになった君、冷泉院におかれて、お子様のように大切にされている四位の侍従は、そのころ十四、五歳ほどになって、とても幼い子供の年の割合には、心構えも大人のようで、好ましく、人より優れた将来性がはっきりお見えになるので、尚侍の君は、婿として世話したくお思いになっていた。
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六条院が晩年に朱雀院の姫宮にお生ませになった若君で、冷泉院が御子のように大事にあそばす四位の侍従は、そのころ十四、五で、まだ小さく、幼いはずであるが、年齢よりも大人びて感じのよい若公達になっていて、将来の有望なことが今から思われる風貌の備わった人であるのを、尚侍は婿にしてみたいように思っていた。
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Rokudeu-no-Win no ohom-suwe ni, Suzaku-Win no Miya no ohom-hara ni mumare tamahe ri si Kimi, Reizei-Win ni, miko no yau ni obosi kasiduku Siwi-no-Zizyuu, sonokoro zihu-si, go bakari nite, ito kibihani wosanakaru beki hodo yori ha, kokorookite otonaotonasiku, meyasuku, hito ni masari taru ohisaki siruku monosi tamahu wo, Kam-no-Kimi ha, muko nite mo mi mahosiku obosi tari.
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1.4.2 |
この殿は、かの 三条の宮といと近きほどなれば、さるべき折々の遊び所には、君達に引かれて見えたまふ時々あり。心にくき女のおはする所なれば、 若き男の心づかひせぬなう、 見えしらひさまよふ中に、容貌のよさは、この立ち去らぬ蔵人少将、なつかしく心恥づかしげに、なまめいたる方は、この四位侍従の御ありさまに、似る人ぞなかりける。
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この邸は、あの三条宮とたいそう近い距離なので、しかるべき折々の遊び所としては、公達に連れられてお見えになる時々がある。奥ゆかしい女君のいらっしゃる邸なので、若い男で気取らない者はなく、これ見よがしに振る舞っている中で、器量のよい人は、この立ち去らない蔵人少将、親しみやすく気恥ずかしくて、優美な点では、この四位侍従のご様子に、似る者はいなかった。
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この邸は女三の尼宮の三条のお邸に近かったから、源侍従は何かの時にはよくここの子息たちに誘われて遊びにも来るのであった。妙齢の女性のいる家であるから、出入りする若い男で、自身をよく見られたいと願わぬ人はないのであるが、容貌の美しいのは始終来る蔵人少将、感じのよい貴人らしい艶な姿のあることはこの四位の侍従に超えた人もなかった。
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Kono Tono ha, kano Samdeu-no-Miya to ito tikaki hodo nare ba, sarubeki woriwori no asobi dokoro ni ha, Kim-dati ni hika re te miye tamahu tokidoki ari. Kokoronikuki womna no ohasuru tokoro nare ba, wakaki wotoko no kokorodukahi se nu nau, miye sirahi samayohu naka ni, katati no yosa ha, kono tatisara nu Kuraudo-no-Seusyau, natukasiku kokorohadukasige ni, namameitaru kata ha, kono Siwi-no-Zizyuu no ohom-arisama ni, niru hito zo nakari keru.
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1.4.3 |
六条院の御けはひ近うと思ひなすが、心ことなるにやあらむ、世の中におのづから もてかしづかれたまへる人、 若き人びと、心ことにめであへり。尚侍の殿も、「 げにこそ、めやすけれ」などのたまひて、なつかしうもの聞こえたまひなどす。
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六条院の感じを引く方と思うのが、格別なのであろうか、世間から自然と大切にされていらっしゃる方、若い女房たちは、特に誉め合っていた。尚侍の殿も、「ほんとうに、感じのよい人だわ」などとおっしゃって、親しくお話し申し上げたりなさる。
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六条院の御子という思いなしがしからしめるのか、源侍従はほかからも特別なすぐれた存在として扱われている人である。若い女房たちはことさら大騒ぎしてこの人をほめたたえるのであった。尚侍も、「人が言うとおりだね、実際すばらしい公達ね」などと言っていて、自身が出て親しく話などもするのであった。
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Rokudeu-no-Win no ohom-kehahi tikau to omohi nasu ga, kokoro koto naru ni ya ara m, yononaka ni onodukara mote-kasiduka re tamahe ru hito, wakaki hitobito, kokorokoto ni mede ahe ri. Kam-no-Tono mo, "Geni koso, meyasukere." nado notamahi te, natukasiu mono kikoye tamahi nado su.
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1.4.4 |
「 院の御心ばへを思ひ出できこえて、慰む世なう、いみじうのみ思ほゆるを、その御形見にも、誰れをかは見たてまつらむ。右の大臣は、ことことしき御ほどにて、ついでなき対面もかたきを」
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「院のご性質をお思い出し申し上げて、慰められる時もなく、ひどく悲しくばかり思われるので、そのお形見として、どなたをお思い申し上げたらよいのでしょう。右の大臣は、重々しい方で、機会のない対面は難しいし」
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「院の御親切を思うと、お別れしてしまったことが、ひどい損失のような気がして、悲しくばかりなる私が、お形見と思ってお顔を見ることのできる方でも、右大臣はあまりにごりっぱな御身分で、何かの機会でもなければお逢いすることもできないのだから」
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"Win no ohom-kokorobahe wo omohi ide kikoye te, nagusamu yo nau, imiziu nomi omohoyuru wo, sono ohom-katami ni mo, tare wo kaha mi tatematura m. Migi-no-Otodo ha, kotokotosiki ohom-hodo nite, tuide naki taimen mo kataki wo."
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1.4.5 |
などのたまひて、 兄弟のつらに思ひきこえたまへれば、 かの君も、さるべき所に思ひて参りたまふ。世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをぞ、 ここかしこの若き人ども、口惜しうさうざうしきことに思ひて、言ひなやましける。
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などおっしゃって、姉弟のようにお思い申し上げていらっしゃるので、あの侍従君も、そのような所と思って参上なさる。世間によくある好色がましいところも見えず、とてもひどく落ち着いていらっしゃるので、あちらこちらの邸の若い女房たちは、残念に物足りなく思って、言葉をかけて困らせまるのであった。
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と言っていて、尚侍は源侍従を弟と思って親しみを持っているのであったから、その人も近い親戚の家としてここへ出てくるのである。若い人に共通した浮わついたことも言わず、落ち着いたふうを見せていることで、二人の姫君付きの女房は皆物足らぬように思って、いどみかかるふうな冗談もよく言いかけるのだった。
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nado notamahi te, harakara no tura ni omohi kikoye tamahe re ba, kano Kimi mo, sarubeki tokoro ni omohi te mawiri tamahu. Yo no tune no sukizukisisa mo miye zu, ito itau sidumari taru wo zo, kokokasiko no wakaki hito-domo, kutiwosiu sauzausiki koto ni omohi te, ihi nayamasi keru.
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Last updated 11/9/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 11/9/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 2/24/2002 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 11/09/2010 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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