第四十四帖 竹河


44 TAKEKAHA (Ohoshima-bon)


薫君の中将時代
十五歳から十九歳までの物語



Tale of Kaoru's Chujo era, from the age of 15 to 19

4
第四章 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語


4  Tale of Tamakazura  Tale of Tamakazura's daughters

4.1
第一段 正月、男踏歌、冷泉院に回る


4-1  Otokotoka comes around to Reizei-in at January 14

4.1.1  その年かへりて、 男踏歌せられけり。殿上の若人どもの中に、物の上手多かるころほひなり。その中にも、すぐれたるを選らせたまひて、この 四位の侍従、右の歌頭なり。かの蔵人少将、 楽人の数のうちにありけり
 その年が改まって、男踏歌が行われた。殿上の若人たちの中に、芸達者な者が多いころである。その中でも、優れた人をお選びあそばして、この四位侍従は、右の歌頭である。あの蔵人少将は、楽人の数の中にいた。
 翌年の正月には男踏歌おとことうかがあった。殿上の若い役人の中で音楽のたしなみのある人は多かったが、その中でもすぐれた者としての選にはいって薫の侍従は右の歌手のとうになった。あの蔵人くろうど少将は奏楽者の中にはいっていた。
  Sono tosi kaheri te, Wotoko-tahuka se rare keri. Tenzyau no Wakaudo-domo no naka ni, mono no zyauzu ohokaru korohohi nari. Sono naka ni mo, sugure taru wo era se tamahi te, kono Siwi-no-Zizyuu, migi no katou nari. Kano Kuraudo-no-Seusyau, gakunin no kazu no uti ni ari keri.
4.1.2  十四日の月のはなやかに曇りなきに、 御前より出でて、冷泉院に参る。女御も、 この御息所も上に御局して見たまふ。上達部、親王たち、ひき連れて参りたまふ。
 十四日の月が明るく雲がないので、御前を出発して、冷泉院に参る。女御も、この御息所も、院の御殿に上局を設けて御覧になる。上達部、親王たちが、連れ立って参上なさる。
 初春の十四日の明るい月夜に、踏歌の人たちは御所と冷泉れいぜい院へまいった。叔母おばの女御も新女御も見物席を賜わって見物した。親王がた、高官たちも同時に院へ伺候した。
  Zihuyu-ka no tuki no hanayakani kumori naki ni, omahe yori ide te, Reizei-win ni mawiru. Nyougo mo, kono Miyasumdokoro mo, uhe ni mi-tubone site mi tamahu. Kamdatime, Miko-tati, hikiture te mawiri tamahu.
4.1.3  「 右の大殿、致仕の大殿の族を離れて、きらきらしうきよげなる人はなき世なり」と見ゆ。内裏の御前よりも、この院をばいと恥づかしう、ことに思ひきこえて、「皆人用意を加ふる中にも、蔵人少将は、 見たまふらむかし」と思ひやりて、静心なし。
 「右の大殿と、致仕の大殿の一族とを除くと、端正で美しい人はいない世の中だ」と思われる。帝の御前よりも、この院をたいそう気の置ける、格別の所とお思い申し上げて、「すべての人が気をつかう中でも、蔵人少将は、御覧になっていらっしゃるだろう」と想像して、落ち着いていられない。
 源右大臣と、その舅家きゅうけの太政大臣の二系統の人たち以外にはなやかなきれいな人はないように見える夜である。宮中で行なった時よりも、院の御所の踏歌を晴れがましいことに思って、人々は細心な用意を見せて舞った。また奏し合った中でも蔵人少将は、新女御が見ておられるであろうと思って興奮をおさえることができないのである。
  "Migi-no-Ohotono, Tizi-no-Ohotono no zou wo hanare te, kirakirasiu kiyoge naru hito ha naki yo nari." to miyu. Uti no omahe yori mo, kono Win wo ba ito hadukasiu, kotoni omohi kikoye te, "Minahito youi wo kuhahuru naka ni mo, Kurahito-no-Seusyau ha, mi tamahu ram kasi." to omohiyari te, sidugokoro nasi.
4.1.4  匂ひもなく見苦しき綿花も、かざす人がらに見分かれて、様も声も、いとをかしくぞありける。「竹河」謡ひて、御階のもとに踏みよるほど、 過ぎにし夜のはかなかりし遊びも 思ひ出でられければ、ひがこともしつべくて涙ぐみけり。
 匂いもなく見苦しい綿花も、插頭す人によって見分けられて、態度も声も、実に美しかった。「竹河」を謡って、御階のもとに踏み寄る時、過ぎ去った夜のちょっとした遊びも思い出されたので、調子を間違いそうになって涙ぐむのであった。
 美しい物でもないこの夜の綿の花も、挿頭かざす若公達きんだちに引き立てられて見えた。姿も声も皆よかった。「竹河」を歌ってきざはしのもとへ歩み寄る時、少将の心にもまた去年の一月の夜の記憶がよみがえってきたために、粗相も起こしかねないほどの衝動を受けて涙ぐんでいた。
  Nihohi mo naku migurusiki watabana mo, kazasu hitogara ni miwaka re te, sama mo kowe mo, ito wokasiku zo ari keru. Takekaha utahi te, mi-hasi no moto ni humi yoru hodo, sugi ni si yo no hakanakari si asobi mo omohi ide rare kere ba, higakoto mo si tu beku te namidagumi keri.
4.1.5   后の宮の御方に参れば上もそなたに渡らせたまひて御覧ず。月は、 夜深くなるままに、昼よりもはしたなう澄み上りて、 いかに見たまふらむとのみおぼゆれば、踏む空もなうただよひありきて、盃も、 さして一人をのみとがめらるるは、面目なくなむ。
 后の宮の御方に参ると、上もそちらにおいであそばして御覧になる。月は、夜が更けて行くにつれて、昼よりきまりが悪いくらい澄み昇って、どのように御覧になっているだろうとばかり思われるので、踏む所も分からずふらふら歩いて、盃も、名指しで一人だけ責められるのは、面目ないことである。
 きさきの宮の御前で踏歌がさらにあるため、院もまたそちらへおいでになって御覧になるのであった。深更になるにしたがって澄み渡った月は昼より明るく照らすので、御簾みすの中からどう見られているかということに上気して、少将は院のお庭を歩くのでなく漂って行く気持ちでまいった。杯を受けて飲むことが少ないと言って、自身一人が責められることになるのも恥ずかしかった。
  Kisai-no-Miya no ohom-kata ni mawire ba, Uhe mo sonata ni watara se tamahi te goranzu. Tuki ha, yobukaku naru mama ni, hiru yori mo hasitanau sumi nobori te, ikani mi tamahu ram to nomi oboyure ba, humu sora mo nau tadayohi ariki te, sakaduki mo, sa si te hitori wo nomi togame raruru ha, meiboku naku nam.
注釈342男踏歌せられけり正月十四日、宮中で行われる。女踏歌は毎年行われたが、男踏歌は隔年または数年間を置いて行われた。4.1.1
注釈343四位の侍従薫。4.1.1
注釈344楽人の数のうちにありけり『完訳』は「音楽を奏する役、九人」と注す。4.1.1
注釈345御前より出でて冷泉院に参る踏歌のコースは宮中の清涼殿東庭から、院、中宮、春宮の順に回り、暁に宮中に帰って来る。4.1.2
注釈346この御息所も大君をいう。御子出産の妃をいう呼称。まだ御子は誕生していない。四月に女宮が生まれる。4.1.2
注釈347上に御局して見たまふ冷泉院御所の寝殿の一角に部屋を設けての意。4.1.2
注釈348右の大殿致仕の大殿の族を離れて夕霧と致仕大臣の一族(紅梅大納言他)以外は、の意。4.1.3
注釈349見たまふらむかし主語は大君。4.1.3
注釈350過ぎにし夜のはかなかりし遊びも昨年正月二十日過ぎの玉鬘邸の夜のこと。4.1.4
注釈351思ひ出でられければ主語は蔵人少将。4.1.4
注釈352后の宮の御方に参れば秋好中宮の御殿。冷泉院の中の御殿。4.1.5
注釈353上もそなたに渡らせたまひて御覧ず冷泉院も秋好中宮の御殿に移って一緒に御覧になる。4.1.5
注釈354夜深くなるままに大島本は「夜ふかく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「夜累ふかう」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.1.5
注釈355いかに見たまふらむとのみ蔵人少将は大君(御息所)がどのように見ているかと。4.1.5
注釈356さして一人をのみとがめらるるは名指しで一人だけ飲みぶりが悪いと責められる意。4.1.5
4.2
第二段 翌日、冷泉院、薫を召す


4-2  The next day, Reizei-in invites Kaoru to his palace

4.2.1  夜一夜、所々かきありきて、いと悩ましう苦しくて臥したるに、源侍従を、院より召したれば、「 あな、苦し。しばし休むべきに」とむつかりながら参りたまへり。 御前のことどもなど問はせたまふ
 一晩中、方々を歩いて、とても気分が苦しくて臥せっているところに、源侍従を、院から召されたので、「ああ、苦しい。もう暫く休みたいのに」と文句を言いながら参上なさった。宮中でのことなどをお尋ねあそばす。
 踏歌の人たちは夜通しあちらこちらとまわったために翌日は疲労して寝ていた。薫侍従に院からのお召があった。「苦しいことだ。しばらく休養したいのに」と言いながら伺候した。御所で踏歌を御覧になった様子などを院はお尋ねになるのであった。
  Yohitoyo, tokorodokoro kaki-ariki te, ito nayamasiu kurusiku te husi taru ni, Gen-Zizyuu wo, Win yori mesi tare ba, "Ana, kurusi! Sibasi yasumu beki ni." to mutukari nagara mawiri tamahe ri. Omahe no koto-domo nado toha se tamahu.
4.2.2  「 歌頭は、うち過ぐしたる人のさきざきするわざを、選ばれたるほど、心にくかりけり」
 「歌頭は、年配者がこれまでは勤めた役なのに、選ばれたことは、大したものだね」
 「歌頭かとうは今まで年長者がするものなのだが、それに選ばれるほど認められているのだと思って満足した」
  "Katou ha, uti-sugusi taru hito no sakizaki suru waza wo, eraba re taru hodo, kokoronikukari keri."
4.2.3  とて、 うつくしと思しためり。「 万春楽」を御口ずさみにしたまひつつ、御息所の御方に渡らせたまへば、 御供に参りたまふ物見に参りたる里人多くて、例よりははなやかに、けはひ今めかし。
 とおっしゃって、かわいいとお思いになっているようである。「万春楽」をお口ずさみなさりながら、御息所の御方にお渡りあそばすので、お供して参上なさる。見物に参った里方の人が多くて、いつもより華やかで、雰囲気が賑やかである。
 と仰せられてかわいく思召す御さまである。「万春楽ばんしゅんらく」(踏歌の地にく曲)の譜をお口にあそばしながら新女御の御殿へおいでになる院のお供を薫はした。前夜の見物に自邸のほうから来ていた人たちが多くて、平生よりも御簾の中のけはいがはなやかに感ぜられるのである。
  tote, utukusi to obosi ta' meri. Mansuraku wo ohom-kutizusami ni si tamahi tutu, Miyasumdokoro no ohom-kata ni watara se tamahe ba, ohom-tomo ni mawiri tamahu. Monomi ni mawiri taru satobito ohoku te, rei yori ha hanayaka ni, kehahi imamekasi.
4.2.4  渡殿の戸口にしばしゐて、声聞き知りたる人に、ものなどのたまふ。
 渡殿の戸口に暫く座って、声を聞き知っている女房に、お話などなさる。
 渡殿わたどのの口の所にしばらく薫はいて、声になじみのある女房らと話などをしていた。
  Watadono no toguti ni sibasi wi te, kowe kiki siri taru hito ni, mono nado notamahu.
4.2.5  「 一夜の月影は、はしたなかりしわざかな。蔵人少将の、月の光にかかやきたりしけしきも、桂の影に恥づるにはあらずやありけむ。 雲の上近くては、さしも見えざりき」
 「昨夜の月の光は、体裁の悪かったことだなあ。蔵人少将が、月の光に面映ゆく思っていた様子も、桂の影に恥ずかしがっていたのではなかろうか。雲の上近くでは、そんなには見えませんでした」
 「昨夜の月はあまりに明るくて困りましたよ。蔵人少将が輝くように見えましたね。御所のほうではそうでもありませんでしたが」
  "Hitoyo no tukikage ha, hasitanakari si waza kana! Kuraudo-no-Seusyau no, tuki no hikari ni kakayaki tari si kesiki mo, katura no kage ni haduru ni ha ara zu ya ari kem. Kumo no uhe tikaku te ha, sasimo miye zari ki."
4.2.6  など語りたまへば、人びとあはれと、聞くもあり。
 などとお話なさると、女房たちはお気の毒にと、聞く者もいる。
 などと言う薫の言葉を聞いて、心に哀れを覚えている女房もあった。
  nado katari tamahe ba, hitobito ahare to, kiku mo ari.
4.2.7  「 闇はあやなきを 月映えは今すこし心異なり、と定めきこえし」などすかして、内より、
 「闇でははっきりしませんが、月に照らされたお姿は、あなたのほうが素晴らしかった、とお噂しました」などとおだてて、内側から、
 夜のことでよくわかりませんでしたが、あなたがだれよりもごりっぱだったということは一致した評でございました」などと口上手じょうずなことも言って、また中から、
  "Yami ha ayanaki wo, tukibaye ha, ima sukosi kokoro koto nari, to sadame kikoye si." nado sukasi te, uti yori,
4.2.8  「 竹河のその夜のことは思ひ出づや
   しのぶばかりの節はなけれど
 「竹河を謡ったあの夜のことは覚えていらっしゃいますか
  思い出すほどの出来事はございませんが
  竹河のその夜のことは思ひいづや
  忍ぶばかりのふしはなけれど
    "Takekaha no sono yo no koto ha omohi idu ya
    sinobu bakari no husi ha nakere do
4.2.9  と言ふ。はかなきことなれど、涙ぐまるるも、「げに、いと浅くはおぼえぬことなりけり」と、 みづから思ひ知らる
 と言う。ちょっとしたことだが、涙ぐまれるのも、「なるほど、浅いご思慕ではなかったのだ」と、自分ながら分かって来る。
 だれかの言ったこの歌に、薫は涙ぐまれたことで、自分の心にも深くしみついている恋であることがわかった。
  to ihu. Hakanaki koto nare do, namidaguma ruru mo, "Geni, ito asaku ha oboye nu koto nari keri." to, midukara omohi sira ru.
4.2.10  「 流れての頼めむなしき竹河に
   世は憂きものと思ひ知りにき
 「今までの期待も空しいとことと分かって
  世の中は嫌なものだとつくづく思い知りました
  流れての頼みむなしき竹河に
  世はうきものと思ひ知りにき
    "Nagare te no tanome munasiki takekaha ni
    yo ha uki mono to omohi siri ni ki
4.2.11  ものあはれなるけしきを、人びとをかしがる。 さるは、おり立ちて 人のやうにもわびたまはざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。
 しんみりした様子を、女房たちは面白がる。とはいえ、態度に現して少将のようには泣き言はおっしゃらなかったが、人柄がそうは言ってもお気の毒に見えるのである。
 と答えて、物思いのふうの見えるのを女房たちはおかしがった。その人たちも薫は蔵人少将などのように露骨に恋は告げなかったが、心の中に思いを作っていたのであろうとあわれんではいたのである。
  Mono-ahare naru kesiki wo, hitobito wokasigaru. Saruha, oritati te hito no yau ni mo wabi tamaha zari sika do, hitozama no sasugani kokorogurusiu miyuru nari.
4.2.12  「 うち出で過ぐすこともこそはべれ。あな、かしこ」
 「おしゃべりし過ぎましては。では、失礼」
 「少しよけいなことまでも言ったようですが、他言をなさいませんように」
  "Uti-ide sugusu koto mo koso habere. Ana, kasiko."
4.2.13  とて、立つほどに、「 こなたに」と召し出づれば、はしたなき心地すれど、参りたまふ。
 と言って、立つところに、「こちらへ」とお召しがあったので、きまりの悪い思いがしたが、参上なさる。
 と言って、薫が立って行こうとする時に、
「こちらへ来るように」
 と、院の仰せが伝えられたので、晴れがましく思いながら新女御の座敷のほうへ薫はまいった。
  tote, tatu hodo ni, "Konata ni." to mesi idure ba, hasitanaki kokoti sure do, mawiri tamahu.
4.2.14  「 故六条院の、踏歌の朝に、 女楽にて遊びせられける、いとおもしろかりきと、右の大臣の語られし。何ごとも、かのわたりのさしつぎなるべき人、難くなりにける世なりや。 いと物の上手なる女さへ多く集まりて、いかにはかなきことも、をかしかりけむ」
 「故六条院が、踏歌の翌朝に、女方で管弦の遊びをなさったのは、とても素晴らしかったと、右大臣が話されました。どのようなことにつけても、あのような方の後継者が、いなくなってしまった時代だね。とても音楽の上手な女性までが大勢集まって、どんなにちょっとしたことでも、面白かったことであろう」
 「以前六条院で踏歌の翌朝に、婦人がたばかりの音楽の遊びがあったそうで、おもしろかったと右大臣が言っていた。何から言っても六条院がその周囲へお集めになったほどのすぐれた人が今は少なくなったようだ。音楽のよくできる婦人などもたくさん集まっていたのだからおもしろいことが多かったであろう」
  "Ko-Rokudeu-no-Win no, tahuka no asita ni, womnagaku nite asobi se rare keru, ito omosirokari ki to, Migi-no-Otodo no katara re si. Nanigoto mo, kano watari no sasitugi naru beki hito, kataku nari ni keru yo nari ya! Ito mono no zyauzu naru womna sahe ohoku atumari te, ikani hakanaki koto mo, wokasikari kem."
4.2.15  など思しやりて、 御琴ども調べさせたまひて、箏は御息所、琵琶は侍従に賜ふ。和琴を弾かせたまひて、「この殿」など遊びたまふ。御息所の御琴の音、まだ片なりなるところありしを、 いとよう教へないたてまつりたまひてけり。今めかしう爪音よくて、歌、曲のものなど、上手にいとよく弾きたまふ。 何ごとも、心もとなく、後れたることはものしたまはぬ人なめり
 などとご想像なさって、お琴類を調子を合わせあそばして、箏は御息所、琵琶は侍従にお与えになる。和琴をお弾きあそばして、「この殿」などを演奏なさる。御息所のお琴の音色は、まだ未熟なところがあったが、とてもよくお教え申し上げなさったのであった。華やかで爪音がよくて、歌謡の伴奏と、楽曲などを上手にたいそうよくお弾きになる。どのようなことも、心配で、至らないところはおありでない方のようである。
 などと、その時代を御追想になる院は、楽器の用意をおさせになって、新女御には十三げん、薫には琵琶びわをお与えになった。御自身は和琴をおきになりながら「この殿」などをお歌いあそばされた。新女御の琴は未熟らしい話もあったのであるが、今では傷のない芸にお手ずからお仕込みになったのである。はなやかできれいな音を出すことができ、歌もの、曲ものも上手じょうずに弾いた。
  nado obosi yari te, ohom-koto-domo sirabe sase tamahi te, sau ha Miyasumdokoro, biha ha Zizyuu ni tamahu. Wagon wo hika se tamahi te, Konotono nado asobi tamahu. Miyasumdokoro no ohom-koto no ne, mada katanari naru tokoro ari si wo, ito you wosihe nai tatematuri tamahi te keri. Imamekasiu tumaoto yoku te, uta, goku no mono nado, zyauzu ni ito yoku hiki tamahu. Nanigoto mo, kokoromotonaku, okure taru koto ha monosi tamaha nu hito na' meri.
4.2.16  容貌、はた、いと をかしかべしと、なほ心とまる 。かやうなる折多かれど、おのづから気遠からず、乱れたまふ方なく、なれなれしうなどは怨みかけねど、折々につけて、思ふ心の違へる嘆かしさをかすむるも、 いかが思しけむ、知らずかし
 器量は、もちろんまた、実に素晴らしいのだろうと、やはり心が惹かれる。このような機会は多いが、自然とうとうとしくなく、程度を越すことはなく、馴れ馴れしく恨み言を言わないが、折々にふれて、望みが叶わなかった残念さをほのめかすのも、どのようにお思いになったであろうか、よく分からない。
 何にもすぐれた素質を持っているらしい、容貌ようぼうも必ず美しいであろうと薫は心のかれるのを覚えた。こんなことがよくあって、新女御と薫の侍従は親しくなっていた。反感を引くようにまではうらみかけたりはしなかったが、何かのおりには失恋のなげきをかすめて言う薫を、女御のほうではどう思ったか知らない。
  Katati, hata, ito wokasika' besi to, naho kokoro tomaru. Kayau naru wori ohokare do, onodukara kedohokara zu, midare tamahu kata naku, narenaresiu nado ha urami kake ne do, woriwori ni tuke te, omohu kokoro no tagahe ru nagekasisa wo kasumuru mo, ikaga obosi kem, sira zu kasi.
注釈357あな苦ししばし休むべきに薫の詞。4.2.1
注釈358御前のことどもなど問はせたまふ主語は冷泉院。冷泉院が薫に。4.2.1
注釈359歌頭は以下「心にくかりけり」まで、冷泉院の詞。4.2.2
注釈360うつくしと思しためり推量の助動詞「めり」主観的推量のニュアンスは語り手の推測。4.2.3
注釈361万春楽を御口ずさみにしたまひつつ主語は冷泉院。4.2.3
注釈362御供に参りたまふ主語は薫。4.2.3
注釈363物見に参りたる里人多くて男踏歌見物に来た冷泉院の後宮の実家の人々。4.2.3
注釈364一夜の月影は以下「さしも見えざりき」まで、薫の詞。4.2.5
注釈365雲の上近くては宮中をさす。4.2.5
注釈366闇はあやなきを以下「定めきこえし」まで、女房の詞。『源氏釈』は「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(古今集春上、四一、凡河内躬恒)を指摘。4.2.7
注釈367今すこし蔵人少将に比較してあなた薫は、の意。4.2.7
注釈368竹河のその夜のことは思ひ出づや--しのぶばかりの節はなけれど女房から薫への贈歌。「夜」と「世」の掛詞。「竹」と「よ(節と節の間)」と「節」は縁語。4.2.8
注釈369みづから思ひ知らる主語は薫。4.2.9
注釈370流れての頼めむなしき竹河に--世は憂きものと思ひ知りにき薫の返歌。「竹河」の語句を用いて返す。「竹」と「よ(節と節の間)」と「節」は縁語。4.2.10
注釈371さるはおり立ちて『紹巴抄』は「双地」と指摘。『全集』は「語り手の薫評」と注す。4.2.11
注釈372人のやうにも蔵人少将のようには、の意。4.2.11
注釈373うち出で過ぐすことも以下「あなかしこ」まで、薫の詞。4.2.12
注釈374こなたに冷泉院の詞。使者が伝えたもの。4.2.13
注釈375故六条院の以下「をかしかりけむ」まで、冷泉院の詞。「初音」巻に見える男踏歌の後の管弦の遊びをいう。4.2.14
注釈376女楽にて大島本は「女かく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「女方にて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.2.14
注釈377いと物の上手なる女さへ多く集まりて六条院の女性をいう。4.2.14
注釈378御琴ども調べさせたまひて主語は冷泉院。「せたまふ」は最高敬語。4.2.15
注釈379いとよう教へないたてまつりたまひてけり主語は冷泉院。語り手の立ち入った批評的叙述ともまた薫の感想とも読める叙述。4.2.15
注釈380何ごとも心もとなく後れたることはものしたまはぬ人なめり語り手の批評。4.2.15
注釈381をかしかべしとなほ心とまる主語は薫。4.2.16
注釈382いかが思しけむ知らずかし『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「語り手の言葉をそのまま記す体」。『完訳』は「語り手の、薫の独自な内心に注目させる言辞」と注す。4.2.16
出典18 闇はあやなき 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる 古今集春上-四一 凡河内躬恒 4.2.7
校訂16 月映えは 月映えは--月はえ(え/+は) 4.2.7
校訂17 心とまる 心とまる--(/+心<朱>)とまる 4.2.16
4.3
第三段 四月、大君に女宮誕生


4-3  A baby girl is born to the eldest daughter in April

4.3.1   卯月に、女宮生まれたまひぬ。ことにけざやかなるものの、栄もなきやうなれど、 院の御けしきに従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養したまふ所々多かり。尚侍の君、つと抱き持ちてうつくしみたまふに、 疾う参りたまふべきよしのみあれば五十日のほどに参りたまひぬ
 四月に、女宮がお生まれになった。特別に目立ったことはないようであるが、院のお気持ちによって、右の大殿をはじめとして、御産養をなさる所々が多かった。尚侍の君が、ぴったりと抱いておかわいがりなさるので、早く参院なさるようにとばかりあるので、五十日のころに参院なさった。
 四月に院の第二皇女がお生まれになった。きわめてはなやかなことの現われてきたのではないが、院のお心持ちを尊重して、右大臣を初めとして産養うぶやしないを奉る人が多かった。尚侍はお抱きした手から離せぬようにお愛し申し上げていたが、院から早くまいるようにという御催促がしきりにあるので、五十日目ぐらいに、新女御は宮をおつれ申して院へまいった。
  Uduki ni, WomnaMiya mumare tamahi nu. Kotoni kezayaka naru mono no, haye mo naki yau nare do, Win no mi-kesiki ni sitagahi te, Migi-no-Ohotono yori hazime te, ohom-ubuyasinahi si tamahu tokorodokoro ohokari. Kam-no-Kimi, tuto idaki moti te utukusimi tamahu ni, tou mawiri tamahu beki yosi nomi are ba, ika no hodo ni mawiri tamahi nu.
4.3.2  女一の宮、一所おはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、 いといみじう思したり。いとどただこなたにのみおはします。女御方の人びと、「 いとかからでありぬべき世かな」と、ただならず言ひ思へり。
 女一宮が、お一方いらっしゃったが、実にひさしぶりでかわいらしくいらっしゃるので、たいそう嬉しくお思いであった。ますますただこちらにばかりおいであそばす。女御方の女房たちは、「ほんとにこんなでなくあってほしいことですわ」と、不満そうに言ったり思ったりしている。
 院はただお一人の内親王のほかには御子を持たせられなかったのであるから、珍しく美しい少皇女をお得になったことで非常な御満足をあそばされた。以前よりもいっそう御寵愛ちょうあいがまさって、院のこの御殿においでになることの多くなったのを、叔母おばの女御付きの女房たちなどは、こんな目にあわないではならなかったろうかなどと思ってねたんだ。
  Womna-ItinoMiya, hitotokoro ohasimasu ni, ito medurasiku utukusiu te ohasure ba, ito imiziu obosi tari. Itodo tada konata ni nomi ohasimasu. Nyougo-gata no hitobito, "Ito kakara de ari nu beki yo kana!" to, tada nara zu ihi omohe ri.
4.3.3  正身の御心どもは、ことに軽々しく背きたまふにはあらねど、さぶらふ人びとの中に、くせぐせしきことも出で来などしつつ、 かの中将の君の、さいへど人のこのかみにて、 のたまひしことかなひて、尚侍の君も、「 むげにかく言ひ言ひの果て いかならむ。人笑へに、はしたなうもやもてなされむ。上の御心ばへは浅からねど、 年経てさぶらひたまふ御方々、よろしからず思ひ放ちたまはば、苦しくもあるべきかな」と思ほすに、 内裏には、まことにものしと思しつつ、たびたび御けしきありと、人の告げ聞こゆれば、わづらはしくて、中の姫君を、 公ざまにて交じらはせたてまつらむことを思して、尚侍を譲りたまふ
 ご本人どうしのお気持ちは、特に軽々しくお背きになることはないが、伺候する女房の中に、意地悪な事も出て来たりして、あの中将の君が、そうは言っても兄で、おっしゃったことが実現して、尚侍の君も、「むやみにこのように言い言いして最後はどうなるのだろう。物笑いに、体裁の悪い扱いを受けるのではないだろうか。お上の御愛情は浅くはないが、長年仕えていらっしゃる御方々が、面白からずお見限りになったら、辛いことになるだろう」とお思いになると、帝におかせられては、ほんとうにけしからぬとお思いになり、再々御不満をお洩らしになると、人がお知らせ申すので、厄介に思って、中の君を、女官として宮仕えに差し上げることをお考えになって、尚侍をお譲りなさる。
 叔母とめいとの二人の女御にょごの間には嫉妬しっとも憎しみも見えないのであるが、双方の女房の中には争いを起こす者があったりして、中将が母に言ったことは、兄の直覚で真実を予言したものであったと思われた。尚侍ないしのかみも、こんな問題が続いて起こる果てはどうなることであろう、娘の立場が不利になっていくのは疑いないことである、院の御愛情は保てても、長く侍しておられる人たちから、不快な存在のように新女御が見られることになっては見苦しいと思っていた。
 みかども院へ姫君を奉ったことで御不快がっておいでになり、たびたびその仰せがあるということを告げる人があったために、尚侍は申しわけなく思って、二女を公式の女官にして宮中へ差し上げることにきめて、自身の尚侍の職を譲った。
  Sauzimi no mi-kokoro-domo ha, kotoni karugarusiku somuki tamahu ni ha ara ne do, saburahu hitobito no naka ni, kusegusesiki koto mo ideki nado si tutu, kano Tiuzyau-no-Kimi no, sa ihe do hito no konokami nite, notamahi si koto kanahi te, Kam-no-Kimi mo, "Mugeni kaku ihi ihi no hate ikanara m. Hitowarahe ni, hasitanau mo ya motenasa re m. Uhe no mi-kokorobahe ha asakara ne do, tosi he te saburahi tamahu ohom-katagata, yorosikara zu omohi hanati tamaha ba, kurusiku mo aru beki kana!" to omohosu ni, Uti ni ha, makoto ni monosi to obosi tutu, tabitabi mi-kesiki ari to, hito no tuge kikoyure ba, wadurahasiku te, Naka-no-Himegimi wo, ohoyakezama nite maziraha se tatematura m koto wo obosi te, Naisi-no-Kami wo yuduri tamahu.
4.3.4   朝廷、いと難うしたまふことなりければ、年ごろ、かう思しおきてしかど、え辞したまはざりしを、 故大臣の御心を思して、久しうなりにける 昔の例など引き出でて、そのことかなひたまひぬ。 この君の御宿世にて、年ごろ申したまひしは難きなりけり、と見えたり
 朝廷は、尚侍の交替をそう簡単にお認めなさらないことなので、長年、このようにお考えになっていたが、辞任することができなかったのを、故大臣のご遺志をお思いになって、遠くなってしまった昔の例などを引き合いに出して、そのことが実現なさった。この君のご運命で、長年申し上げなさっていたことは難しいことだったのだ、と思えた。
尚侍の辞任と新任命は官で重大なこととして取り扱われるのであったから、ずっと以前から玉鬘たまかずらには辞意があったのに許されなかったところへ、娘へ譲りたいと申し出たのを、帝は御伯父おじであった大臣の功労を思召す御心みこころから、古い昔に例のあったことをお思いになって、大臣の未亡人の願いをおれになり、故太政大臣のじょは新尚侍に任命された。これはこの人に定められてあった運命で、母の夫人の単独に辞職を申し出た時にはお許しがなかったのであろうと思われた。
  Ohoyake, ito katau si tamahu koto nari kere ba, tosigoro, kau obosi oki te sika do, e zisi tamaha zari si wo, ko-Otodo no mi-kokoro wo obosi te, hisasiu nari ni keru mukasi no rei nado hikiide te, sono koto kanahi tamahi nu. Kono Kimi no ohom-sukuse nite, tosigoro mausi tamahi si ha kataki nari keri, to miye tari.
注釈383卯月に女宮生まれたまひぬ御息所、女宮を出産。冷泉院の御子は弘徽殿女御の生んだ女一の宮がいるのみ。したがって、女二の宮の誕生となる。4.3.1
注釈384院の御けしきに従ひて院が喜ぶ気持ちによって、それを無視できない。4.3.1
注釈385疾う参りたまふべきよしのみあれば出産は里に下がって行われる。4.3.1
注釈386五十日のほどに参りたまひぬ生後五十日のお食初めの祝いがある。4.3.1
注釈387いといみじう思したりはなはだ嬉しい気持ち。4.3.2
注釈388いとかからでありぬべき世かな弘徽殿女御方の女房の詞。4.3.2
注釈389かの中将の君の左中将、御息所の兄。4.3.3
注釈390のたまひしことかなひて主語は左中将。弘徽殿方からよくない事が起こるだろうという予言。4.3.3
注釈391むげにかく言ひ言ひの果て以下「苦しくもあるべきかな」まで、玉鬘の心中。『異本紫明抄』は「世の中をかくいひいひのはてはいかにやいかにやならむとすらむ」(拾遺集雑上、五〇七、読人しらず)を指摘。4.3.3
注釈392年経てさぶらひたまふ御方々秋好中宮や弘徽殿女御ら。4.3.3
注釈393内裏にはまことにものしと帝。大君の参院を不快に思っていた。4.3.3
注釈394公ざまにて交じらはせたてまつらむことを思して、尚侍を譲りたまふ玉鬘は中君を一般の女官として帝に出仕させるべく、自らの尚侍の官職を譲ることを申し出る。4.3.3
注釈395朝廷いと難うしたまふことなりければ朝廷は尚侍辞任をそう簡単に許可しないのが普通なので、の意。4.3.4
注釈396故大臣の御心を思して主語は帝。鬚黒が娘を入内させたいと奏上していたこと。4.3.4
注釈397昔の例など引き出でて『集成』は「尚侍を母娘譲任の史上の例は現存文献の上に見出せない」と注す。4.3.4
注釈398この君の御宿世にて年ごろ申したまひしは難きなりけりと見えたり長年尚侍辞任を申し出ていたが、娘の中君が尚侍を譲り受けるべき宿縁にあって、それまで願いが叶わなかったように思えたという意。語り手の推測判断。4.3.4
出典19 言ひ言ひの果て 世の中をかく言ひ言ひの果て果てはいかにやいかになるらむとすらむ 拾遺集雑上-五〇七 読人しらず 4.3.3
4.4
第四段 玉鬘、夕霧へ手紙を贈る


4-4  Tamakazura sends a letter to Yugiri

4.4.1  「 かくて、心やすくて内裏住みもしたまへかし」と、思すにも、「 いとほしう、少将のことを、母北の方のわざとのたまひしものを。頼めきこえしやうにほのめかし聞こえしも、いかに思ひたまふらむ」と思し扱ふ。
 「こうして、気楽に宮中生活をなさってください」と、お思いになるが、「お気の毒に、少将のことを、母北の方がわざわざおっしゃったものを。お頼み申したようにほのめかしてくださったが、どのように思っていらっしゃるだろう」と気になさる。
 真実は後宮であって、尚侍の動かない地位だけは得ているのであるから、競争者の中に立つようなこともなくて、気楽に宮中におられることとして玉鬘夫人は安心したのであるが、少将のことを雲井くもいかり夫人から再度申し込んで来た以前のことに対して、自分はそれに代える優遇法を考えていると言ったのであったがどう思っているであろうと、そのことだけを気の済まぬことに思った。
  "Kakute, kokoroyasuku te Utizumi mo si tamahe kasi." to, obosu ni mo, "Itohosiu, Seusyau no koto wo, haha-Kitanokata no wazato notamahi si mono wo. Tanome kikoye si yau ni honomekasi kikoye si mo, ikani omohi tamahu ram?" to obosi atukahu.
4.4.2   弁の君して、心うつくしきやうに、大臣に聞こえたまふ
 弁の君を介して、他意のないように、大臣に申し上げなさる。
 二男の弁を使いにして玉鬘夫人は右大臣へ隔てのない相談をすることにした。
  Ben-no-Kimi site, kokoroutukusiki yau ni, Otodo ni kikoye tamahu.
4.4.3  「 内裏より、かかる仰せ言のあれば、さまざまに、 あながちなる交じらひの好みと、世の聞き耳もいかがと思ひたまへてなむ、わづらひぬる」
 「帝から、あのような仰せ言があるので、あれこれと、無理な宮仕えの好みだと、世間の人聞きもどのようなものかと存じられまして、困っております」
 宮中からこういう仰せがあるということを言って、「娘を宮仕えにばかり出したがると世間で言われるようなことがないかと、そんなことを私は心配しております」
  "Uti yori, kakaru ohosegoto no are ba, samazama ni, anagati naru mazirahi no konomi to, yo no kikimimi mo ikaga to omohi tamahe te nam, wadurahi nuru."
4.4.4  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
 と伝えさせると、
  to kikoye tamahe ba,
4.4.5  「 内裏の御けしきは、思しとがむるも、ことわりになむ承る。公事につけても、宮仕へしたまはぬは、さるまじきわざになむ。はや、思し立つべきになむ」
 「帝の御不興は、お咎めがあるのも、ごもっともなことと拝します。公事に関しても、宮仕えなさらないのは、よくないことです。早く、ご決心なさい」
 「おかみが不愉快に思召すのがお道理であるように私も承っております。それに公職におつきになったのですから、その点ででも宮中に出仕しないのは間違いです。早くお上げになるほうがいいと思います」
  "Uti no mi-kesiki ha, obosi togamuru mo, kotowari ni nam uketamaharu. Ohoyakegoto ni tuke te mo, Miyadukahe si tamaha nu ha, sarumaziki waza ni nam. Haya, obosi tatu beki ni nam."
4.4.6  と申したまへり。
 と申し上げなさった。
 という言葉で大臣は答えて来た。
  to mousi tamahe ri.
4.4.7  また、このたびは、 中宮の御けしき取りてぞ参りたまふ。「 大臣おはせましかば、おし消ちたまはざらまし」など、 あはれなることどもをなむ姉君は、容貌など名高う、をかしげなりと、聞こしめしおきたりけるを、引き変へたまへるを、なま心ゆかぬやうなれど、 これもいとらうらうじく、心にくくもてなしてさぶらひたまふ
 また、今度は、中宮の御機嫌伺いして参内する。「大臣が生きていらっしゃったならば、どなたもないがしろになさりはしないだろうに」などと、しみじみと悲しい思いをする。姉君は、器量なども評判高く、美しいとお聞きあそばしていらしたが、代わりなさったので、ご不満のようであるが、こちらもとても気が利いていて、奥ゆかしく振る舞って伺候なさっている。
 院の女御の場合のように、中宮の御了解を得ることに努めてから、玉鬘は二女を御所へ奉った。良人おっとの大臣が生きておれば、わが子は肩身狭くかくしてまでの宮仕えはせずともよかったはずであると夫人は物哀れな気持ちをまた得たのであった。姉君は有名な美人であることを帝もお知りあそばされていたのであったが、その人でない妹のまいったことで御満足はあそばされないようであったが、この人も洗練された貴女のふうのある人であった。
  Mata, konotabi ha, Tiuguu no mi-kesiki tori te zo mawiri tamahu. "Otodo ohase masika ba, osi-keti tamaha zara masi." nado, ahare naru koto-domo wo nam. AneGimi ha, katati nado nadakau, wokasige nari to, kikosimesi oki tari keru wo, hikikahe tamahe ru wo, nama kokoro yuka nu yau nare do, kore mo ito raurauziku, kokoronikuku motenasi te saburahi tamahu.
注釈399かくて心やすくて「かくて」以下「したまへかし」まで、玉鬘の思い。「かくて」は地の文とも心中文とも読める。4.4.1
注釈400いとほしう、少将のことを以下「いかに思ひたまふらむ」まで、玉鬘の心中。蔵人少将とその母雲居雁のことが気になる。4.4.1
注釈401弁の君して心うつくしきやうに大臣に聞こえたまふ玉鬘の二郎、右中弁を使いとして夕霧に他意ないことを申し上げる。4.4.2
注釈402内裏よりかかる仰せ言のあれば以下「わづらひぬる」まで、玉鬘から夕霧への文。4.4.3
注釈403あながちなる交じらひの好みと、世の聞き耳も『完訳』は「高望みして宮仕えをしたがると。予想される世間の悪評に先手を打つ形で、縁談を断ったと弁解」と注す。4.4.3
注釈404内裏の御けしきは以下「思し立つべきになむ」まで、夕霧の返書。4.4.5
注釈405中宮の御けしき取りてぞ参りたまふ明石中宮に御機嫌伺いの後に、中君参内。4.4.7
注釈406大臣おはせましかばおし消ちたまはざらまし玉鬘の心中。4.4.7
注釈407あはれなることどもをなむ下に「思しける」「思しのたまひける」などの語句が省略。4.4.7
注釈408姉君は容貌など名高うをかしげなりと聞こしめしおきたりけるを主語は帝。大君は美貌であるという評判を聞いていた。4.4.7
注釈409これもいとらうらうじく心にくくもてなしてさぶらひたまふ中君をいう。才気あり奥ゆかしく振る舞う。4.4.7
4.5
第五段 玉鬘、出家を断念


4-5  Tamakazura gives up to be a nun

4.5.1   前の尚侍の君、容貌を変へてむと思し立つを
 前尚侍の君は、出家しようと決意なさったが、
 前尚侍はこれが終わってのち尼になる考えを持っていたが、
  Saki-no-Kam-no-Kimi, katati wo kahe te m to obosi tatu wo,
4.5.2  「 かたがたに扱ひきこえたまふほどに、行なひも心あわたたしうこそ思されめ。今すこし、いづ方も心のどかに見たてまつりなしたまひて、もどかしきところなく、ひたみちに勤めたまへ」
 「それぞれにお世話申し上げなさっている時に、勤行も気忙しく思われなさることでしょう。もう少し、どちらの方も安心できる状態を拝見なさってから、誰にも非難されるところなく、一途に勤行なさい」
 「あちらもこちらもまだお世話をなさらなければならぬことが多いのですから、今日ではまだ仏勤めをなさいますのに十分の時間がなくて、尼におなりになったかいもなくなるでしょう。もうしばらくの間そのままで、どちらの姫君のことも、これで安心というところまで見きわめになってから、専念に道をお求めになるほうがいい」
  "Katagata ni atukahi kikoye tamahu hodo ni, okonahi mo kokoroawatatasiu koso obosa re me. Ima sukosi, idukata mo kokoro nodokani mi tatematuri nasi tamahi te, modokasiki tokoro naku, hitamitini tutome tamahe."
4.5.3  と、君たちの申したまへば、思しとどこほりて、 内裏には、時々忍びて参りたまふ折もあり。 院には、わづらはしき御心ばへのなほ絶えねば、さるべき折も、さらに参りたまはず。 いにしへを思ひ出でしが、さすがに、 かたじけなうおぼえしかしこまりに人の皆許さぬことに思へりしをも、知らず顔に思ひて 参らせたてまつりて、「みづからさへ、戯れにても、若々しきことの世に聞こえたらむこそ、いとまばゆく見苦しかるべけれ」と思せど、 さる罪によりと、はた、御息所にも明かしきこえたまはねば、「 われを、昔より故大臣は取り分きて思しかしづき尚侍の君は、若君を、桜の争ひ、はかなき折にも、心寄せたまひし名残に、思し落としけるよ」と、恨めしう思ひきこえたまひけり。院の上、はた、ましていみじうつらしとぞ思しのたまはせける。
 と、君たちが申し上げなさるので、思いお留まりなさって、宮中へは、時々こっそりと参内なさる時もある。院へは、厄介なお気持ちがなおも続いているので、参上なさるべき時にも、まったく参上なさらない。昔の事を思い出したが、そうは言っても、恐れ多く思われたお詫びに、誰も不賛成に思っていたことを、知らず顔に院に差し上げて、「自分自身までが、冗談にせよ、年がいもない浮名が世間に流れ出したら、とても目も当てられず恥ずかしいことだろう」とお思いになるが、そのような憚りがあるからとは、はたまた、御息所にも打ち明けて申し上げなさらないので、「わたしを、昔から、故大臣は特別にかわいがり、尚侍の君は、若君を、桜の木の争いや、ちょっとした時にも、味方なさった続きで、わたしをあまり思ってくださらないのだ」と、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。院の上は、院の上でまた、それ以上に辛いとお思いになりお口にお出しあそばすのであった。
 と子息たちが言うので、そのことも停滞した形であった。
 御所の娘のほうへは時々夫人が出かけて行って、二、三日とどまって世話をやいていもするのであったが、昔をお忘れきりにならぬお心の見える院の御所のほうへは、まいらねばならぬことがあっても夫人は行かないのであった。迷惑しながら、もったいなく心苦しく存じ上げた昔があるために、だれの反対をも無視して長女を院へ差し上げたが、自分の上にまで仮にもせよ浮いた名の伝えられることになっては、これほど恥ずかしいことはないのであるからと夫人は思っていても、そのことは新女御に言われぬことであったから、自分を昔から父は特別なもののように愛してくれて、母は桜の争いの時を初めとして、何によらず妹の肩を持つほうであったから、こんなふうに愛の厚薄をお見せになるのであると長女は恨めしがっていた。昔にかかわるお恨めしさのほうが深い院も、女御に御同情あそばして、母夫人を冷淡であると言っておいでになった。
  to, Kimi-tati no mausi tamahe ba, obosi todokohori te, Uti ni ha, tokidoki sinobi te mawiri tamahu wori mo ari. Win ni ha, wadurahasiki mi-kokorobahe no naho taye ne ba, sarubeki wori mo, sarani mawiri tamaha zu. Inisihe wo omohi ide si ga, sasugani, katazikenau oboye si kasikomari ni, hito no mina yurusa nu koto ni omohe ri si wo mo, sirazugaho ni omohi te mawira se tatematuri te, "Midukara sahe, tahabure ni te mo, wakawakasiki koto no yo ni kikoye tara m koso, ito mabayuku migurusikaru bekere." to obose do, saru tumi ni yori to, hata, Miyasumdokoro ni mo akasi kikoye tamaha ne ba, "Ware wo, mukasi yori, ko-Otodo ha toriwaki te obosi kasiduki, Kam-no-Kimi ha, WakaGimi wo, sakura no arasohi, hakanaki wori ni mo, kokoroyose tamahi si nagori ni, obosi otosi keru yo!" to, uramesiu omohi kikoye tamahi keri. Win-no-Uhe, hata, masite imiziu turasi to zo obosi notamaha se keru.
4.5.4  「 古めかしきあたりにさし放ちて。思ひ落とさるるも、ことわりなり」
 「年老いたわたしのところは放っておいて。軽くお思いなさるのも、無理のないことだ」
 「過去の人間の所へよこされたあなたが軽蔑けいべつされるのももっともだ」
  "Hurumekasiki atari ni sasi-hanati te. Omohi otosa ruru mo, kotowari nari."
4.5.5  と、うち語らひたまひて、 あはれにのみ思しまさる
 と、お語らいになって、いとしく思われる気持ちはますます深まる。
 などと仰せになって、そんなことによってもますますこの人をお愛しになった。
  to, uti-katarahi tamahi te, ahare ni nomi obosi masaru.
注釈410前の尚侍の君容貌を変へてむと思し立つを玉鬘出家を決意。尚侍の職を中君に譲ったので、「前の尚侍の君」と呼称される。4.5.1
注釈411かたがたに扱ひきこえたまふほどに以下「勤めたまへ」まで、「君たち」左中将・右中弁らの詞。「方々に」は大君・中君をさす。4.5.2
注釈412内裏には時々「院には」云々と並列構文。4.5.3
注釈413院にはわづらはしき御心ばへのなほ絶えねば冷泉院の玉鬘への執心が未だに絶えない。4.5.3
注釈414いにしへを思ひ出でしが以下、玉鬘と御息所の心中に密着した長い叙述になる。4.5.3
注釈415かたじけなうおぼえしかしこまりに在位中の冷泉院の意向に反して鬚黒の北の方となったこと。4.5.3
注釈416人の皆許さぬことに思へりしを左中将や右中弁らが大君の冷泉院への参院に対して反対していた。4.5.3
注釈417参らせたてまつりて大君を冷泉院へ参院させた。4.5.3
注釈418さる罪によりと大島本は「つ(つ&つ、つ=いイ)ミにより」とある。すなわち「「つ」の上に重ねて「つ」と書き、異本には「い」とあることを記す。『集成』『完本』は諸本と底本の異本に従って「忌(いみ)」と校訂する。『新大系』は底本の本行本文のままとする。4.5.3
注釈419われを昔より以下、御息所の心中に即した叙述となる。4.5.3
注釈420故大臣は取り分きて思しかしづき「尚侍の君は」云々の並列構文。父鬚黒は私大君をかわいがってくれた。4.5.3
注釈421尚侍の君は若君を母玉鬘は妹の中君を大事にした。4.5.3
注釈422古めかしき以下「ことわりなり」まで、冷泉院の御息所への詞。『集成』は「はなやかな宮中には時々参内して、と裏に皮肉をこめる」と注す。4.5.4
注釈423あはれにのみ思しまさる『完訳』は「大君がひがんでいるのを」と注す。4.5.5
4.6
第六段 大君、男御子を出産


4-6  A baby boy is born to the eldest daughter in after years

4.6.1   年ごろありて、また男御子産みたまひつ。そこらさぶらひたまふ御方々に、かかることなくて年ごろになりにけるを、 おろかならざりける御宿世など、世人おどろく。 帝は、まして限りなくめづらしと、この今宮をば思ひきこえたまへり。「 おりゐたまはぬ世ならましかば、いかにかひあらまし。今は何ごとも栄なき世を、いと口惜し」となむ思しける。
 数年たって、また男御子をお産みになった。大勢いらっしゃる御方々に、このようなことはなくて長年になったが、並々でなかったご宿世などを、世人は驚く。帝は、それ以上にこの上なくめでたいと、この今宮をお思い申し上げなさった。「退位なさらない時であったら、どんなにか意義のあることであったろうに。今では何事も見栄えがしない時なのを、まことに残念だ」とお思いになるのであった。
 次の年にはまた新女御が院の皇子をお生みした。院の多くの後宮の人たちにそうしたことは絶えてなかったのであるから、この宿命の現われに世人も驚かされた。院はまして限りもなく珍しく思召おぼしめしてこの若宮をお愛しになった。在位の時であったなら、どれほどこの宮の地位を光彩あるものになしえたかもしれぬ、もう今では過去へ退いた自分から生まれた一親王にこの宮はすぎないのが残念であるとも院は思召した。
  Tosigoro ari te, mata WotokoMiko umi tamahi tu. Sokora saburahi tamahu ohom-katagata ni, kakaru koto naku te tosigoro ni nari ni keru wo, oroka nara zari keru ohom-sukuse nado, yohito odoroku. Mikado ha, masite kagiri naku medurasi to, kono Ima-Miya wo ba omohi kikoye tamahe ri. "Oriwi tamaha nu yo nara masika ba, ikani kahi ara masi. Ima ha nanigoto mo haye naki yo wo, ito kutiwosi." to nam obosi keru.
4.6.2  女一の宮を、限りなきものに思ひきこえたまひしを、かくさまざまにうつくしくて、数添ひたまへれば、めづらかなる方にて、いとことにおぼいたるをなむ、女御も、「 あまりかうてはものしからむ」と、御心動きける。
 女一の宮を、この上なく大切にお思い申し上げていらっしゃったが、このようにそれぞれにかわいらしく、お子様がお加わりになったので、珍しく思われて、たいそう格別に寵愛なさるのを、女御も、「あまりにこういう有様では不愉快だろう」と、お心が穏やかでないのであった。
 女一にょいちみやを唯一の御子としてお愛しになった院が、こんなふうに新しい皇子、皇女の父におなりあそばされたことも、かねて思いがけぬことであった中にも、はじめてお得になった男宮をことさら院の御珍重あそばすようになったことで、女一の宮の母女御も、こんなにまで専寵せんちょうの人をおつくりにならないでもいいはずであると、院をお恨み申し上げるようになり、新女御をねたむようにもなった。
  Womna-ItinoMiya wo, kagirinaki mono ni omohi kikoye tamahi si wo, kaku samazama ni utukusiku te, kazu sohi tamahe re ba, meduraka naru kata nite, ito kotoni oboi taru wo nam, Nyougo mo, "Amari kau te ha monosikara m." to, mi-kokoro ugoki keru.
4.6.3  ことにふれて、やすからずくねくねしきこと出で来などして、おのづから御仲も 隔たるべかめり世のこととして、数ならぬ人の仲らひにも、 もとよりことわりえたる方にこそ、あいなきおほよその人も、心を寄するわざなめれば、院のうちの上下の人びと、 いとやむごとなくて、久しくなりたまへる御方に のみことわりて、 はかないことにも、 この方ざまを良からず取りなしなどするを、御兄の君たちも、
 何か事ある毎に、面白くない面倒な事態が出て来たりなどして、自然とお二方の仲も隔たったようである。世間の常として、身分の低い人の間でも、もともと本妻の地位にある方は、関係のない一般の人も、味方するもののようなので、院の内の身分の上下の女房たち、まことにれっきとした身分で、長年連れ添っていらっしゃる御方にばかり道理があるように言って、ちょっとしたことでも、この御方側を良くないように噂したりなどするのを、御兄君たちも、
 そうなってから新女御の立場はますます苦しくなり、双方の女房の間に苦い空気がかもされてゆけば、自然二人の女御の交情も隔たってゆく。世間のこととしても、人の新しい愛人に対するよりも、古い妻に同情は多く寄るものであるから、院に奉仕する上下の役人たちも、とうとい御地位にあらせられる后の宮、女一の宮の女御のほうに正しい道理のあるように見て、新女御のことは反感を持って何かと言い歩くというような状態になったのを、兄の公達らも、夫人に、
  Koto ni hure te, yasukara zu kunekunesiki koto ideki nado si te, onodukara ohom-naka mo hedataru beka' meri. Yo no koto to si te, kazu nara nu hito no nakarahi ni mo, motoyori kotowari e taru kata ni koso, ainaki ohoyoso no hito mo, kokoro wo yosuru waza na' mere ba, Win no uti no kami simo no hitobito, ito yamgotonaku te, hisasiku nari tamahe ru ohom-kata ni nomi kotowari te, hakanai koto ni mo, kono kata zama wo yokara zu torinasi nado suru wo, ohom-Seuto no Kimi-tati mo,
4.6.4  「 さればよ。悪しうやは聞こえおきける
 「それ見たことよ。間違ったことを申し上げたでしょうか」
 「だから私たちの申したことは間違っていなかったでしょう」
  "Sarebayo! Asiu yaha kikoye oki keru."
4.6.5  と、いとど申したまふ。 心やすからず、聞き苦しきままに
 と、ますますお責めになる。心穏やかならず、聞き苦しいままに、
 と言って責めた。夫人もまた世間のうわさと院の御所の空気に苦労ばかりがされて、
  to, itodo mausi tamahu. Kokoroyasukara zu, kikigurusiki mama ni,
4.6.6  「 かからで、のどやかにめやすくて世を過ぐす人も多かめりかし。 限りなき幸ひなくて、宮仕への筋は、思ひ寄るまじきわざなりけり」
 「このようにでなく、のんびりと無難に結婚生活を送る人も多いだろうに。この上ない幸運に恵まれないでは、宮仕えの事は、考えるべきことではなかったのだ」
 「かわいそうな女御さんほどに苦しまないでも幸福をやすやすと得ている人は世間に多いのだろうがね。条件のそろった幸運に恵まれている人でなければ宮仕えを考えてはならないことだよ」
  "Kakara de, nodoyaka ni meyasuku te yo wo sugusu hito mo ohoka' meri kasi. Kagirinaki saihahi naku te, miya-dukahe no sudi ha, omohiyoru maziki waza nari keri."
4.6.7  と、 大上は嘆きたまふ
 と、大上はお嘆きになる。
 と歎息たんそくしていた。
  to, Oho-Uhe ha nageki tamahu.
注釈424年ごろありて『完訳』は「年立では五年経過」と注す。4.6.1
注釈425おろかならざりける御宿世大君の宿縁。『集成』は「子供が生れるのは、前世からの深い宿縁によると考えられていた」と注す。4.6.1
注釈426帝はまして限りなくめづらしと冷泉院。院の帝、の意。今上帝は内裏(うち)と呼称している。4.6.1
注釈427おりゐたまはぬ世ならましかば以下「いと口惜し」まで、冷泉院の心中。4.6.1
注釈428あまりかうてはものしからむ弘徽殿女御の気持ち。4.6.2
注釈429隔たるべかめり語り手の推測。4.6.3
注釈430世のこととして『林逸抄』は「双紙也」と指摘。4.6.3
注釈431もとよりことわりえたる方にこそ『集成』は「もとからの妻だという言い分のある者の方に」。『完訳』は「本妻の地位にあたる人」と注す。4.6.3
注釈432いとやむごとなくて久しくなりたまへる御方に女一の宮の母弘徽殿女御。4.6.3
注釈433この方ざまを大島本は「この方さま」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御方」と「御」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。大君をさす。4.6.3
注釈434さればよ悪しうやは聞こえおきける大君の兄弟、左中将や右中弁らの玉鬘への詞。連語「やは」反語表現。4.6.4
注釈435心やすからず聞き苦しきままに主語は玉鬘。4.6.5
注釈436かからでのどやかに以下「思ひ寄るまじきわざなりけり」まで玉鬘の心中。4.6.6
注釈437限りなき幸ひなくて『集成』は「この上もなく幸運に恵まれた人でなくては」。『完訳』は「中宮・国母として最高の地位につくのでないと苦労するばかり」と訳す。4.6.6
注釈438大上は嘆きたまふ玉鬘。大君に男御子が誕生したことにより呼称が「大上」となる。4.6.7
校訂18 なりたまへる なりたまへる--なりたまへり(り/$る) 4.6.3
校訂19 はかないこと はかないこと--はかなひ(ひ/$い<朱>)こと 4.6.3
4.7
第七段 求婚者たちのその後


4-7  Proposals to Tamakazura's daughters in after days

4.7.1   聞こえし人びとの、めやすくなり上りつつさてもおはせましに、かたはならぬぞ あまたあるや。その中に、源侍従とて、いと若う、ひはづなりと見しは、宰相の中将にて、「 匂ふや、薫るや」と、聞きにくくめで騒がるなる、 げに、いと人柄重りかに心にくきを、やむごとなき親王たち、大臣の、御女を、心ざしありてのたまふなるなども、聞き入れずなどあるにつけて、「 そのかみは、若う心もとなきやうなりしかど、めやすくねびまさりぬべかめり」など、言ひおはさうず。
 求婚申し上げた人びとで、それぞれ立派に昇進して、結婚なさったしても、不似合いでない方は大勢いることよ。その中で、源侍従と言って、たいそう若く、ひ弱に見えた方は宰相中将になって、「匂うよ、薫よ」と、聞き苦しいほどもてはやされるが、なるほど、人柄も落ち着いて奥ゆかしいので、高貴な親王方、大臣が、娘を結婚させようとおっしゃるのなどにも、聞き入れないなどと聞くにつけても、「あの頃は、若く頼りないようであったが、立派に成人なさったようだ」などと、言っていらっしゃる。
 以前の求婚者で、順当に出世ができ、婿君であっても恥ずかしく思われない人が幾人もあった。その中でも源侍従と言われた最も若かった公子は参議中将になっていて、今では「においの人」「かおる人」と世間で騒ぐ一人になっていた。重々しく落ち着いた人格で、尊い親王がた、大臣家から令嬢との縁談を申し込まれても承知しないという取り沙汰ざたを聞いても、「以前はまだたよりない若い方だったが、りっぱになってゆかれるらしい」玉鬘たまかずら夫人は寂しそうに言っていた。
  Kikoye si hitobito no, meyasuku nari nobori tutu, satemo ohase masi ni, kataha nara nu zo amata aru ya! Sono naka ni, Gen-Zizyuu tote, ito wakau, hihadu nari to mi si ha, Saisyau-no-Tiuzyau nite, "Nihohu ya, kaworu ya!" to, kiki nikuku mede sawaga ru naru, geni, ito hitogara omorika ni kokoronikuki wo, yamgotonaki Miko-tati, Otodo no, ohom-Musume wo, kokorozasi ari te notamahu naru nado mo, kikiire zu nado aru ni tuke te, "Sonokami ha, wakau kokoromotonaki yau nari sika do, meyasuku nebi masari nu beka' meri." nado, ihi ohasauzu.
4.7.2  少将なりしも、三位中将とか言ひて、おぼえあり。
 少将であった方も、三位中将とか言って、評判が良い。
 蔵人くろうどの少将だった人も三位の中将とか言われて、もう相当な勢いを持っていた。
  Seusyau nari simo, Sammi-no-Tiuzyau to ka ihi te, oboye ari.
4.7.3  「 容貌さへ、あらまほしかりきや
 「器量まで、が立派だった」
 「あの方は風采ふうさいだっておよろしかったではありませんか」
  "Katati sahe, aramahosikari ki ya!"
4.7.4  など、なま心悪ろき仕うまつり人は、うち忍びつつ、
 などと、意地悪な女房たちは、こっそりと、
 などと言って、少し蓮葉はすはな性質の女房らは、
  nado, nama-kokorowaroki tukaumaturi-bito ha, uti-sinobi tutu,
4.7.5  「 うるさげなる御ありさまよりは
 「厄介な御様子の所に参るよりは」
 「今のうるさい御境遇よりはそのほうがよかったのですね」
  "Urusage naru ohom-arisama yori ha."
4.7.6  など言ふもありて、 いとほしうぞ見えし
 などと言う者もいて、お気の毒に見えた。
 とささやいたりしていた。
  nado ihu mo ari te, itohosiu zo miye si.
4.7.7   この中将は、なほ思ひそめし心絶えず、憂くもつらくも思ひつつ、 左大臣の御女を得たれど、をさをさ心もとめず、「 道の果てなる常陸帯の」と、手習にも言種にもするは、 いかに思ふやうのあるにかありけむ
 この中将は、依然として思い染めた気持ちがさめず、嫌で辛くも思いながら、左大臣の姫君を得たが、全然愛情を感じず、「道の果てなる常陸帯の」と、手習いにも口ぐせにもしているのは、どのように思ってのことであろうか。
 しかし今も玉鬘夫人の長女に好意を持つ者があった。この三位中将は初恋を忘れることができず、悲しくも、恨めしくも思って、左大臣家の令嬢と結婚をしたのであるが、妻に対する愛情が起こらないで「道のはてなる常陸ひたち帯」(かごとばかりもはんとぞ思ふ)などと、もう翌日はむだ書きに書いていたのは、まだ何を空想しているのかわからない。
  Kono Tiuzyau ha, naho omohi some si kokoro taye zu, uku mo turaku mo omohi tutu, Sa-Daizin no ohom-Musume wo e tare do, wosawosa kokoro mo tome zu, "Miti no hate naru Hitatiobi no." to, tenarahi ni mo kotogusa ni mo suru ha, ikani omohu yau no aru ni ka ari kem.
4.7.8  御息所、やすげなき世のむつかしさに、里がちになりたまひにけり。 尚侍の君、思ひしやうにはあらぬ御ありさまを、口惜しと思す内裏の君は、なかなか今めかしう心やすげにもてなして、世にもゆゑあり、心にくきおぼえにて、さぶらひたまふ。
 御息所は、気苦労の多い宮仕えの煩わしさに、里にいることが多くおなりになってしまった。尚侍の君は、思っていたようにならなかったご様子を、残念にお思いになる。内裏の君は、かえって派手に気楽に振る舞って、大変風雅に、奥ゆかしいとの評判を得て、宮仕えなさっている。
 院の新女御は人事関係の面倒さに自邸へ下がっていることが多くなった。母の夫人は娘のために描いた夢が破れてしまったことを残念がっていた。御所へ上がったほうの姫君はかえってはなやかに幸福な日を送っていて、世間からも聡明そうめいで趣味の高い後宮の人と認められていた。
  Miyasumdokoro, yasuge naki yo no mutukasisa ni, sato-gati ni nari tamahi ni keri. Kam-no-Kimi, omohi si yau ni ha ara nu ohom-arisama wo, kutiwosi to obosu. Uti-no-Kimi ha, nakanaka imamekasiu kokoroyasuge ni motenasi te, yo ni mo yuwe ari, kokoronikuki oboye nite, saburahi tamahu.
注釈439聞こえし人びとのめやすくなり上りつつ薫や蔵人少将ら、かつての求婚者。4.7.1
注釈440さてもおはせましに『集成』は「婿君になっていらしたとしても」。「まし」反実仮想の助動詞。4.7.1
注釈441あまたあるや間投助詞「や」詠嘆。語り手の口吻。4.7.1
注釈442匂ふや薫るやと「匂兵部卿、薫中将」と「匂宮」巻にあった。4.7.1
注釈443げにいと人柄「げに」は語り手の納得した気持ちの現れ。4.7.1
注釈444そのかみは以下「ねびまさりぬべかめり」まで、玉鬘の詞。4.7.1
注釈445容貌さへあらまほしかりきや女房の詞。4.7.3
注釈446うるさげなる御ありさまよりは女房の詞。冷泉院より三位中将のほうがよかったという意。4.7.5
注釈447いとほしうぞ見えし玉鬘の様子。『首書或抄』は「草子地也」と指摘。4.7.6
注釈448この中将はなほ思ひそめし心絶えず三位中将。大君を思う気持ちが今だに絶えない。4.7.7
注釈449左大臣の御女を得たれどこの左大臣は系図不詳。竹河左大臣。夕霧右大臣の上位者。4.7.7
注釈450道の果てなる常陸帯の三位中将の詞。『源氏釈』は「東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりもあひ見てしがな」(古今六帖五、帯)を指摘。4.7.7
注釈451いかに思ふやうのあるにかありけむ『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『完訳』は「語り手の評」と注す。4.7.7
注釈452尚侍の君思ひしやうにはあらぬ御ありさまを口惜しと思す玉鬘。『集成』は「「尚侍の君」と呼ぶのは、次に、現在の尚侍である中の君を「内裏の君」と呼ぶからであろう」と注す。4.7.8
注釈453内裏の君はなかなか今めかしう中君。尚侍。姉の御息所に比較して「なかなか」とある。4.7.8
出典20 道の果てなる常陸帯の 東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな 古今六帖五-三三六〇 4.7.7
Last updated 11/9/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/9/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 2/24/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月17日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月4日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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