第四十四帖 竹河


44 TAKEKAHA (Ohoshima-bon)


薫君の中将時代
十五歳から十九歳までの物語



Tale of Kaoru's Chujo era, from the age of 15 to 19

5
第五章 薫君の物語 人びとの昇進後の物語


5  Tale of Kaoru  Kaoru and the others' promotion

5.1
第一段 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上


5-1  Kaoru visits to Tamakazura's residence to greet on his promotion

5.1.1  左大臣亡せたまひて、 右は左に藤大納言、左大将かけたまへる右大臣になりたまふ。次々の人びとなり上がりて、 この薫中将は、中納言に三位の君は、宰相になりて、喜びしたまへる人びと、この御族より他に人なきころほひになむありける。
 左大臣がお亡くなりになって、右は左に、藤大納言は、左大将を兼官なさった右大臣におなりになる。順々下の人びとが昇進して、この薫中将は、中納言に、三位の君は宰相になって、ご昇進なさった方々は、これら一族以外に人もいないといった時勢であった。
 左大臣がくなったので、右が左に移って、按察使あぜち大納言で左大将にもなっていた玉鬘夫人の弟が右大臣に上った。それ以下の高官たちにも異動が及んで、薫中将は中納言になり、三位の中将は参議になった。幸運な人は前にも言った二つの系統のほかに見られない時代と思われた。
  Sa-Daizin use tamahi te, Migi ha Hidari ni, Tou-Dainagon, Sa-Daisyau kake tamahe ru U-Daizin ni nari tamahu. Tugitugi no hitobito nariagari te, kono Kaworu-Tiuzyau ha, Tiunagon ni, Sammi-no-Kimi ha, Saisyau ni nari te, yorokobi si tamahe ru hitobito, kono ohom-zou yori hoka ni hito naki korohohi ni nam ari keru.
5.1.2  中納言の御喜びに、前の 尚侍の君に参りたまへり。御前の庭にて拝したてまつりたまふ。尚侍の君対面したまひて、
 中納言の昇進のお礼参りに、前尚侍の君の所に参上なさった。御前の庭先で拝舞申し上げなさる。尚侍の君がお目にかかりなさって、
 源中納言は礼まわりに前尚侍の所へ来て、庭で拝礼をした。夫人は客を前に迎えて、
  Tiunagon no ohom-yorokobi ni, saki-no-Naisi-no-Kam-no-Kimi ni mawiri tamahe ri. Omahe no niha nite haisi tatematuri tamahu. Kam-no-Kimi taimen si tamahi te,
5.1.3  「 かく、いと草深くなりゆく 葎の門を、よきたまはぬ御心ばへにも、まづ 昔の御こと思ひ出でられてなむ」
 「このように、とても草深くなって行く葎の門を、お避けにならないお心使いに対して、まず昔の六条院の御事が思い出されまして」
 「こんなあばらになっていきます家を、お通り過ぎにならず、お寄りくださいます御好意を拝見いたしましても、六条院の皆御恩だと昔が思われてなりません」
  "Kaku, ito kusa hukaku nari yuku mugura no kado wo, yoki tamaha nu mi-kokorobahe ni mo, madu mukasi no ohom-koto omohi ide rare te nam."
5.1.4  など聞こえたまふ、御声、あてに愛敬づき、聞かまほしう今めきたり。「 古りがたくもおはするかな。かかれば、院の上は、怨みたまふ御心絶えぬぞかし。今つひに、ことひき出でたまひてむ」と思ふ。
 などと申し上げなさる、お声は、上品で愛嬌があって、耳に快く響く。「いつまでもお若くいらっしゃるな。これだから、院のお上はお恨みになるお心が褪せないのだ。そのうちきっと、事件をお起こしになるだろう」と思う。
 などと言っている声に愛嬌あいきょうがあって、はなやかに美しい顔も想像されるのであった。こんなふうでいられるから、院の陛下は今もこの人がお忘れになれないのであるとそのうち一つの事件をお引き起こしになる可能性もあることを薫は感じた。
  nado kikoye tamahu, ohom-kowe, ate ni aigyauduki, kika mahosiu imameki tari. "Huri gataku mo ohasuru kana! Kakareba, Win-no-Uhe ha, urami tamahu mi-kokoro taye nu zo kasi. Ima tuhini, koto hikiide tamahi te m." to omohu.
5.1.5  「 喜びなどは、心にはいとしも思うたまへねども、まづ 御覧ぜられにこそ参りはべれ。 よきぬなどのたまはするはおろかなる罪にうちかへさせたまふにや」と申したまふ。
 「喜びなどは、わたしはさほど嬉しく存じませんが、まず知って戴こうと参上したのでございます。避けないなどとおっしゃるのは、御無沙汰の罪を皮肉って言われたのでしょうか」とご挨拶申し上げなさる。
 「陞任しょうにんをたいした喜びとは思っておりませんが、この場合の御挨拶あいさつにはどこよりも先にと思って上がったのです。通り過ぎるなどというお言葉は平生の怠慢をおしかりになっておっしゃることですか」新中納言はこう言うのであった。
  "Yorokobi nado ha, kokoro ni ha ito simo omou tamahe ne domo, madu goranze rare ni koso mawiri habere. Yoki nu nado notamahasuru ha, oroka naru tumi ni uti-kahe sase tamahu ni ya." to mausi tamahu.
5.1.6  「 今日は、さだすぎにたる身の愁へなど、聞こゆべきついでにもあらずと、つつみはべれど、わざと立ち寄りたまはむことは難きを、対面なくて、はた、さすがにくだくだしきことになむ。
 「今日は、老人の繰り言などを、申し上げるべき時ではないと、気がとがめますが、わざわざお立ち寄りになることは難しいので、お会いしなくては、また、いくらなんでもごたごたした話ですから。
 「今日のようなおめでたい日に老人の繰り言などはお聞かせすべきでないと御遠慮はされますが、ただの日におたずねくださるお暇はおありにならないのですし、手紙に書いてあげますほどの筋道のあることではないのですから、聞いてくださいませ。
  "Kehu ha, sada sugi ni taru mi no urehe nado, kikoyu beki tuide ni mo ara zu to, tutumi habere do, waza to tatiyori tamaha m koto ha kataki wo, taimen naku te, hata, sasugani kudakudasiki koto ni nam.
5.1.7   院にさぶらはるるが、いといたう 世の中を思ひ乱れ中空なるやうにただよふを、女御を頼みきこえ、また后の宮の御方にも、さりとも思し許されなむと、思ひたまへ過ぐすに、いづ方にも、 なめげに心ゆかぬものに思されたなれば、いとかたはらいたくて、 宮たちは、さてさぶらひたまふ。この、いと交じらひにくげなるみづからは、 かくて心やすくだにながめ過ぐいたまへとて、まかでさせたるを、それにつけても、聞きにくくなむ。
 院に伺候しておられるのが、とてもひどく宮仕えのことを思い悩んで、宙に浮いたような恰好でうろうろしていますが、女御をご信頼申して、また后の宮の御方にも、そうは言ってもお許し戴けるだろうと、存じておりましたのに、どちらにも礼儀知らずで堪忍できない者とお思いなされたそうなので、とても具合が悪くて、宮たちは、そのまま残しておいでになる。この、とても生活しにくそうな本人は、こうしてせめて気楽にぼんやりとお過ごしなさいと思って、退出させたのですが、それに対しても聞きにくい噂です。
 院に侍しております人がね、苦しい立場に置かれまして煩悶はんもんをばかりしておりましてね。はじめは女一の宮の女御さんを力のように思っていましたし、后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが、今日はどちらも無礼な闖入者ちんにゅうしゃとしてお憎みあそばすようでしてね。困りましてね。宮様がただけは院へお置き申して、存在を皆様にきらわれる人だけを、せめてうちで気楽に暮らすようにと思いまして帰らせたのですが、それがまた悪評の種をくことになったらしゅうございます。
  Win ni saburaha ruru ga, ito itau yononaka wo omohi midare, nakazora naru yau ni tadayohu wo, Nyougo wo tanomi kikoye, mata Kisai-no-Miya no ohom-kata ni mo, saritomo obosi yurusa re na m to, omohi tamahe sugusu ni, idukata ni mo, namege ni kokoroyuka nu mono ni obosa re ta' nare ba, ito kataharaitaku te, Miya-tati ha, sate saburahi tamahu. Kono, ito mazirahi nikuge naru midukara ha, kakute kokoroyasuku dani nagame sugui tamahe tote, makade sase taru wo, sore ni tuke te mo, kikinikuku nam.
5.1.8  上にもよろしからず 思しのたまはすなる。ついであらば、ほのめかし奏したまへ。 とざまかうざまに、頼もしく思ひたまへて、出だし立てはべりしほどは、いづ方をも心やすく、うちとけ頼みきこえしかど、今は、かかること誤りに、 幼うおほけなかりけるみづからの心を、もどかしくなむ
 上様にもけしからぬとお思いになりお口になさるそうです。機会がありましたら、ちらっとよろしく申し上げてください。あちら様こちら様と、頼もしく存じて、出仕させました当座は、どちら様も安心して、信頼申し上げたが、今では、このような間違いに、子供っぽく大それた自分自身の考えを、恨んでおります」
 院も御機嫌きげんを悪くあそばしたようなお手紙をくださいますのですよ。機会がありましたら、あなたからこちらの気待ちをほのめかしてお取りなしくださいませ。離れようのない関係を双方にお持ちしているのですから、お上げしました初めは、どちらからも御好意を持っていただけるものと頼みにしたものですが、結果はこれでございますもの、私の考えが幼稚であったことばかりを後悔いたしております」
  Uhe ni mo yorosikara zu obosi notamaha su naru. Tuide ara ba, honomekasi sousi tamahe. Tozamakauzama ni, tanomosiku omohi tamahe te, idasi tate haberi si hodo ha, idukata wo mo kokoroyasuku, utitoke tanomi kikoye sika do, ima ha, kakaru koto ayamari ni, wosanau ohokenakari keru midukara no kokoro wo, modokasiku nam."
5.1.9   と、うち泣いたまふけしきなり
 と、涙ぐみなさる様子である。
 玉鬘たまかずら夫人は歎息たんそくをしていた。
  to, uti-nai tamahu kesiki nari.
注釈454右は左に夕霧は右大臣から左大臣に。『集成』は「ただし、後の宇治十帖を通じて、夕霧は右大臣のままである」と注す。5.1.1
注釈455藤大納言左大将かけたまへる右大臣になりたまふ紅梅大納言は左大将兼右大臣に。『集成』は「ただしこの人、後の宿木、東屋の巻には、按察使の大納言のままである」。『完訳』は「右の昇進人事のうち、夕霧左大臣と紅梅の右大臣は宇治十帖での官と符合しない」と注す。5.1.1
注釈456この薫中将は中納言に宰相中将の薫は中納言に。『集成』は「紅梅に「源中納言」とあり、椎本に中納言昇進のことが見える」と注す。5.1.1
注釈457三位の君は宰相になりて三位中将、もと蔵人少将であった人。薫の後任宰相中将となる。5.1.1
注釈458かくいと草深くなりゆく以下「思ひ出でられてなむ」まで、玉鬘の詞。5.1.3
注釈459葎の門を『集成』は「見捨てられた家という歌語的表現」と注す。5.1.3
注釈460昔の御こと『完訳』は「源氏生前の昔。源氏が自分を養女にしたから、薫も親しむ」と注す。5.1.3
注釈461古りがたくもおはするかな以下「引き出でたまひてむ」まで、薫の感想と思い。5.1.4
注釈462喜びなどは以下「うちかへさせたまふにや」まで、薫の玉鬘への詞。5.1.5
注釈463御覧ぜられにこそ敬語はあなた、玉鬘に御覧になっていただきたいために、の意。5.1.5
注釈464よきぬなどのたまはするは「避き」は上二段動詞、未然形。「ぬ」打消の助動詞。玉鬘の詞「葎の門をよきたまはぬ」を受ける。5.1.5
注釈465おろかなる罪にうちかへさせたまふにや『完訳』は「わざと反対のことを言われたのか。薫のまわりくどい応じ方」と注す。5.1.5
注釈466今日は以下「もどかしくなむ」まで、玉鬘の詞。5.1.6
注釈467院にさぶらはるるが大君をさす。5.1.7
注釈468世の中を思ひ乱れ冷泉院の後宮生活。5.1.7
注釈469中空なるやうにただよふを里がちな生活をいう。5.1.7
注釈470なめげに心ゆかぬものに大島本は「心ゆかぬ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ゆるさぬ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.1.7
注釈471宮たちはさてさぶらひたまふ女二の宮と男宮を冷泉院に残したまま里下がりしている意。5.1.7
注釈472かくて心やすくだにながめ過ぐいたまへ玉鬘の大君への助言。5.1.7
注釈473思しのたまはすなる「なる」伝聞推定の助動詞。5.1.8
注釈474とざまかうざまに中宮や弘徽殿女御に。5.1.8
注釈475幼うおほけなかりけるみづからの心をもどかしくなむ後見もなく娘を院に参院させ、このような事態が起こることを見通せなかった、幼稚で身分不相応な我が身であったと後悔。5.1.8
注釈476とうち泣いたまふけしきなり『完訳』は「簾越しに感取される」と注す。断定助動詞「なり」は登場人物薫と語り手の判断が一体化した表現。5.1.9
校訂20 尚侍の君 尚侍の君--ないし(し/+の<朱>)かんの君 5.1.2
5.2
第二段 薫、玉鬘と対面しての感想


5-2  Kaoru meets to Tamakazura

5.2.1  「 さらにかうまで思すまじきことになむ。かかる御交じらひのやすからぬことは、昔より、さることとなりはべりにけるを、位を去りて、静かにおはしまし、何ごともけざやかならぬ御ありさまとなりにたるに、誰れもうちとけたまへるやうなれど、おのおのうちうちは、 いかがいどましくも思すこともなからむ。
 「まったくそんなにまでお考えなることはありません。このような宮仕えの楽でないことは、昔から、そのようなことと決まっておりますが、位を去って、静かにお暮らしでいらっしゃり、どのようなことでも華やかでないご生活となってしまったので、皆が気を許し合っていらっしゃるようですが、それぞれ内心では、どんなに競争心をお持ちになることもないでしょうか。
 「そんなにまで御心配をなさることではないと思います。昔から後宮の人というものは皆そうしたものになっているのですからね、ただ今では御位みくらいをお去りになって無事閑散な御境遇でも、後宮にだけは平和の来ることはないのですから、
  "Sarani kau made obosu maziki koto ni nam. Kakaru ohom-mazirahi no yasukara nu koto ha, mukasi yori, saru koto to nari haberi ni keru wo, kurawi wo sari te, sidukani ohasimasi, nanigoto mo kezayaka nara nu ohom-arisama to nari ni taru ni, tare mo utitoke tamahe ru yau nare do, onoono utiuti ha, ikaga idomasiku mo obosu koto mo nakara m.
5.2.2  人は何の咎と見ぬことも、わが御身にとりては恨めしくなむ、あいなきことに 心動かいたまふこと、女御、后の常の御癖なるべし。さばかりの紛れもあらじものとてやは、思し立ちけむ。ただなだらかにもてなして、ご覧じ過ぐすべきことにはべるなり。 男の方にて、奏すべきことにもはべらぬことになむ
 他人は何の過失と思わないことでも、ご自身にとっては恨めしいものでして、つまらないことに心を動かしなさることは、女御や、后のいつものお癖でしょう。それくらいのいざこざもない起こらないものと思って、ご決心なさったのですか。ただ穏やかに振る舞って、お見過ごしなさることでございます。男の者が、申し上げるべきことではございません」
 第三者が見れば君寵くんちょうに変わりはないと見えることもその人自身にとっては些細ささいな差が生じるだけでも恨めしくなるものらしいですよ。つまらぬことに感情を動かすのが女御にょごきさきの通弊ですよ。それくらいの故障もないとお思いになって宮廷へお上げになったのですか。御認識不足だったのですね。ものを気におかけにならないで冷静にながめていらっしゃればいいのです。男が出て奏上するような問題ではありませんよ」
  Hito ha nani no toga to mi nu koto mo, waga ohom-mi ni tori te ha uramesiku nam, ainaki koto ni kokoro ugokai tamahu koto, Nyougo, Kisaki no tune no ohom-kuse naru besi. Sabakari no magire mo ara zi mono tote yaha, obosi tati kem. Tada nadaraka ni motenasi te, goranzi sugusu beki koto ni haberu nari. Wotoko no kata nite, sousu beki koto ni mo habera nu koto ni nam."
5.2.3  と、いとすくすくしう申したまへば、
 と、たいそうそっけなく申し上げなさるので、
 と遠慮なく薫が言うと、
  to, ito sukusukusiu mausi tamahe ba,
5.2.4  「 対面のついでに愁へきこえむと、待ちつけたてまつりたるかひなく、 あはの御ことわりや
 「お会いした時に愚痴をこぼそうと、お待ち申していた効もなく、あっさりしたご判断ですこと」
 「おいしたら聞いていただこうと思って、あなたをお待ちばかりしていましたのに、私をおたしなめにばかりなるそのあなたの理窟りくつも、私は表面しか御覧にならない理窟だと思いますよ」
  "Taimen no tuide ni urehe kikoye m to, matituke tatematuri taru kahinaku, aha no ohom-kotowari ya!"
5.2.5  と、うち笑ひておはする、人の親にて、はかばかしがりたまへるほどよりは、 いと若やかにおほどいたる心地す。「 御息所もかやうにぞおはすべかめる。 宇治の姫君の心とまりておぼゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし」と思ひゐたまへり。
 と、笑っていらっしゃる、人の親として、てきぱきと事を処理していらっしゃる割には、とても若くおっとりとした感じがする。「御息所も、このようなふうでいらっしゃるのだろう。宇治の姫君が心にとまって思われるのも、このような様子に興味惹かれるからだ」と思って座っていらっしゃった。
 こう言って玉鬘夫人は笑っていた。人の母らしく子のために気をもむらしい様子ではあるが、態度はいたって若々しく娘らしかった。新女御もこんな人なのであろう、宇治の姫君に心のかれるのも、こうした感じよさをその人も持っているからであると源中納言は思っていた。
  to, uti-warahi te ohasuru, hito no oya nite, hakabakasi-gari tamahe ru hodo yori ha, ito wakayaka ni ohodoi taru kokoti su. "Miyasumdokoro mo, kayau ni zo ohasu beka' meru. Udi no HimeGimi no kokoro tomari te oboyuru mo, kauzama naru kehahi no wokasiki zo kasi." to omohi wi tamahe ri.
5.2.6   尚侍も、このころまかでたまへり。 こなたかなた住みたまへるけはひをかしう、おほかたのどやかに、紛るることなき御ありさまどもの、 簾の内、心恥づかしうおぼゆれば、心づかひせられて、いとどもてしづめめやすきを、 大上は、「近うも見ましかば」と、うち思しけり。
 尚侍の君も、この頃退出なさっていた。こちらとあちらとに住んでいらっしゃる様子は素晴らしく、全体がのんびりと忙しさに、紛れることないご様子で、御簾の内側が、気恥ずかしく感じられるので、自然と気づかいがされて、ますます静かで感じが良いのを、大上は、「近くでお世話するのだったなら」と、お思いになるのであった。
 若い尚侍ないしのかみもこのごろは御所から帰って来ていた。そちらもあちらも姫君時代よりも全体の様子の重々しくなった、若い閑暇ひまの多い婦人の居所になっていることが思われ、御簾みすの中の目を晴れがましく覚えながらも、静かな落ち着きを見せている薫を、夫人は婿にしておいたならと思って見ていた。
  Naisi-no-Kami mo, konokoro makade tamahe ri. Konata kanata sumi tamahe ru kehahi wokasiu, ohokata nodoyakani, magiruru koto naki ohom-arisama-domo no, su no uti, kokorohadukasiu oboyure ba, kokorodukahi se rare te, itodo mote-sidume meyasuki wo, Oho-Uhe ha, "Tikau mo mi masika ba." to, uti-obosi keri.
注釈477さらにかうまで以下「はべらぬことになむ」まで、薫の詞。5.2.1
注釈478いかがいどましく「なからむ」に係る反語表現。5.2.1
注釈479心動かいたまふこと大島本は「心うこかひ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心を」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.2.2
注釈480男の方にて奏すべきことにもはべらぬことになむ『完訳』は「後宮の女たちの葛藤は、公的立場の男子官僚には関わらぬこととして、玉鬘の懇願を冷たく突き放す。薫らしい冷静な反応に注意」と注す。5.2.2
注釈481対面のついでに以下「御ことわりや」まで、玉鬘の詞。5.2.4
注釈482あはの御ことわりや『集成』は「「あは」は「淡し」の語幹。「ことわる」は、是非を判断する意」と注す。5.2.4
注釈483いと若やかにおほどいたる心地す『集成』は「大層若々しくおっとりとした感じがする。薫の印象」と注す。5.2.5
注釈484御息所も以下「をかしきぞかし」まで、薫の感想。5.2.5
注釈485かやうにぞ大君も母玉鬘同様に若々しく魅力的な女性だろうの意。5.2.5
注釈486宇治の姫君の心とまりておぼゆるも宇治八の宮の大君をさす。『完訳』は「紅梅巻末「八の宮の姫君」と同じく、やや唐突。構想・成立上の問題点とされる。女君たちを次々と連想する点が、薫らしい」と注す。5.2.5
注釈487尚侍も中君。5.2.6
注釈488こなたかなた住みたまへるけはひをかしう寝殿の東西の部屋に。参院・参内以前にも同様に住んでいた。5.2.6
注釈489簾の内心恥づかしうおぼゆれば心づかひせられて主語は薫。5.2.6
注釈490大上は近うも見ましかばと玉鬘。「ましかば」反実仮想。薫を婿として世話するのだったらと思う。5.2.6
5.3
第三段 右大臣家の大饗


5-3  There is a banquet on Udaijin's residence

5.3.1   大臣の殿は、ただこの殿の東なりけり大饗の垣下の君達など、あまた集ひたまふ。兵部卿宮、 左の大臣殿の賭弓の還立、相撲の饗応などには、おはしまししを思ひて、今日の光と請じたてまつりたまひけれど、おはしまさず。
 大臣殿は、ちょうどこちらの殿の東であった。大饗の垣下の公達などが、大勢参上なさる。兵部卿宮や、左の大臣殿の賭弓の還立や、相撲の饗応などには、いらっしゃったことを思って、今日の光を添えて戴きたいとご招待申し上げなさったが、いらっしゃらなかった。
 新右大臣の家はすぐ東隣であった。大臣の任官披露ひろうの大饗宴きょうえんに招かれた公達きんだちなどがそこにはおおぜい集まっていた。兵部卿ひょうぶきょうの宮は左大臣家の賭弓のりゆみの二次会、相撲の時の宴会などには出席されたことを思って、第一の貴賓として右大臣は御招待申し上げたのであったが、おいでにならなかった。
  Otodo no tono ha, tada kono Tono no himgasi nari keri. Daikyau no wega no Kimdati nado, amata tudohi tamahu. Hyaubukyau-no-Miya, Hidari-no-Otodo-dono no noriyumi no kaheridati, sumahi no aruzi nado ni ha, ohasimasi si wo omohi te, kehu no hikari to sauzi tatematuri tamahi kere do, ohasimasa zu.
5.3.2   心にくくもてかしづきたまふ姫君たちを、さるは、心ざしことに、いかで、と 思ひきこえたまふべかめれど、宮ぞ、いかなるにかあらむ、御心もとめたまはざりける。源中納言の、いとどあらまほしうねびととのひ、何ごとも後れたる方なくものしたまふを、 大臣も北の方も、目とどめたまひけり。
 奥ゆかしく大切にお世話なさっている姫君たちを、一方では、特に気を配って、何とか婿君に、と思い申し上げなさっているようであるが、宮は、どうしたことであろうか、お心を止めにならなかった。源中納言が、ますます理想的に成長して、どのような事にも劣ったことがなくいらっしゃるのを、大臣も北の方も、お目を止めていらっしゃった。
 大臣は秘蔵にしている二女のためにこの宮を婿に擬しているらしいのであるが、どうしたことか宮は御冷淡であった。来賓の中で源中納言の以前よりもいっそうりっぱな青年高官と見える欠点のない容姿に右大臣もその夫人も目をとめた。
  Kokoronikuku mote-kasiduki tamahu HimeGimi-tati wo, saruha, kokorozasi kotoni, ikade, to omohi kikoye tamahu beka' mere do, Miya zo, ikanaru ni ka ara m, mi-kokoro mo tome tamaha zari keru. Gen-Tiunagon no, itodo aramahosiu nebi totonohi, nanigoto mo okure taru kata naku monosi tamahu wo, Otodo mo Kitanokata mo, me todome tamahi keri.
5.3.3  隣のかくののしりて、行き違ふ車の音、先駆追ふ声々も、 昔のこと思ひ出でられて、この殿には、ものあはれにながめたまふ。
 隣でこのように大騒ぎして、行き交う車の音、前駆の声々も、昔の事が自然と思い出されて、こちらの殿では、しみじみと物思いなさっている。
 饗宴の張られる隣のにぎやかな物の気配けはい、行きちがう車の音、先払いの声々にも昔のことが思い出されて、故太政大臣家の人たちは物哀れな気持ちになっていた。
  Tonari no kaku nonosiri te, yukitigahu kuruma no oto, saki ohu kowegowe mo, mukasi no koto omohi ide rare te, kono Tono ni ha, mono ahareni nagame tamahu.
5.3.4  「 故宮亡せたまひて、ほどもなく、この大臣の 通ひたまひしほどを、いと あはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、 かくてものしたまふもさすがなる方にめやすかりけり。定めなの世や。 いづれにか寄るべき」などのたまふ。
 「故宮がお亡くなりになって、間もなく、この大臣がお通いになったことを、まことに軽薄なように世間の人は非難したというが、愛情も薄れずにこのように暮らしておいでなのも、やはり無難なことであった。無常の世の中よ。どちらが良いものでしょうか」などとおっしゃる。
 「兵部卿の宮がおかくれになって間もなく、今度の右大臣が通い始めたのを、軽佻けいちょうなことのように人は非難したものだけれど、愛情が長く変わらず夫婦にまでなったのは、一面から見て感心な人たちと言っていい。だから世の中のことは何を最上の幸福の道とはきめて言えないのだね」
 などと玉鬘たまかずら夫人は言っていた。
  "Ko-Miya use tamahi te, hodo mo naku, kono Otodo no kayohi tamahi si hodo wo, ito ahatukei yau ni, yohito ha modoku nari sika do, kakute monosi tamahu mo, sasuganaru kata ni meyasukari keri. Sadamena no yo ya! Idure ni ka yoru beki?" nado notamahu.
注釈491大臣の殿はただこの殿の東なりけり先に右大臣に昇進した紅梅大納言邸。もと致仕太政大臣の後継者(一男の柏木は死去)。玉鬘邸の東に位置する。5.3.1
注釈492大饗の垣下の君達などあまた集ひたまふ右大臣昇進の祝宴。5.3.1
注釈493左の大臣殿の賭弓の還立相撲の饗応などには夕霧。先の人事で左大臣に昇進。「賭弓の還立」は匂宮巻の「賭弓の帰饗」をさす。「相撲の饗応」は、七月の相撲の節会に催される。5.3.1
注釈494心にくくもてかしづきたまふ姫君たちを紅梅右大臣が大切に育てている姫君たち。中君と宮の御方。大君は春宮に入内。宮の御方は後の北の方真木柱の連れ子、蛍兵部卿宮との間の子。5.3.2
注釈495思ひきこえたまふべかめれど、宮ぞ、いかなるにかあらむ推量の助動詞「めり」は語り手の推量、「宮ぞいかなるにかあらむ」は挿入句、語り手の疑問提示。5.3.2
注釈496大臣も北の方も紅梅右大臣と北の方真木柱。5.3.2
注釈497昔のこと思ひ出でられて主語は玉鬘。夫鬚黒生前の頃の事が。5.3.3
注釈498故宮亡せたまひて以下「いづれにかよるべき」まで、玉鬘の詞。「故宮」は蛍兵部卿宮。蛍兵部卿宮が薨じて後、その北の方の真木柱のもとに紅梅大納言が通うようになり、やがて真木柱は紅梅大納言の今の北の方となった。蛍兵部卿宮はかつて玉鬘に懸想した人でもあった。5.3.4
注釈499通ひたまひしほどを大島本は「ほとを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことを」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.3.4
注釈500かくてものしたまふも大島本は「かくてものし給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひも消えずかくて」と「思ひも消えず」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.3.4
注釈501さすがなる方に大島本は「さすかなるかたに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「さすがさる方に」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。5.3.4
注釈502いづれにか寄るべき『集成』は「継子の真木柱の再婚生活の幸福、実子の御息所の苦労など、つい比較しての感慨」と注す。5.3.4
校訂21 あはつけいやう あはつけいやう--あい(い/$は<朱>)つけいやう 5.3.4
5.4
第四段 宰相中将、玉鬘邸を訪問


5-4  Saisho-chujo visits to Tamakazura's residence

5.4.1   左の大殿の宰相中将、大饗のまたの日、夕つけてここに参りたまへり。御息所、里におはすと思ふに、いとど心げさう添ひて、
 左の大殿の宰相中将は、大饗の翌日、夕方にこちらに参上なさった。御息所が、里にいらっしゃると思うと、ますます緊張して、
 左大臣の息子の参議中将が隣に大饗だいきょうのあった翌日の夕方ごろにこの家へたずねて来た。院の女御が家に帰っていることでいっそう美しく見える身の作りもして来たのである。
  Hidari-no-Ohotono no Saisyau-no-Tiuzyau, daikyau no mata no hi, yuhutuke te koko ni mawiri tamahe ri. Miyasumdokoro, sato ni ohasu to omohu ni, itodo kokorogesau sohi te,
5.4.2  「 朝廷のかずまへたまふ喜びなどは、何ともおぼえはべらず。私の思ふことかなはぬ嘆きのみ、年月に添へて、思うたまへはるけむ方なきこと」
 「朝廷が忘れずに加えてくださった昇進の喜びなどは、特に何とも思いません。私事で思い通りにならない嘆きばかりが、年月とともに積もり重なって、晴らしようもございません」
 「よい役人にしていただきましたことなどは何とも思われません。心に願ったことのかなわない悲しみは月がたてばたつほど積っていってどうしようもありません」
  "Ohoyake no kazumahe tamahu yorokobi nado ha, nani to mo oboye habera zu. Watakusi no omohu koto kanaha nu nageki nomi, tosituki ni sohe te, omou tamahe haruke m kata naki koto."
5.4.3  と、涙おしのごふも、ことさらめいたり。二十七、八のほどの、いと盛りに匂ひ、はなやかなる容貌したまへり。
 と、涙を拭うのも、わざとらしい。二十七、八歳のほどで、とても男盛りで、華やかな容貌をしていらっしゃった。
 と言いながら涙をぬぐう様子でややわざとらしい。二十七、八で、盛りの美貌びぼうを持つはなやかな人である。帰ったあとで、
  to, namida osi-nogohu mo, kotosaramei tari. Nizihu siti, hati no hodo no, ito sakari ni nihohi, hanayaka naru katati si tamahe ri.
5.4.4  「 見苦しの君たちの、世の中を心のままにおごりて、 官位をば何とも思はず、過ぐし いますがらふや故殿のおはせましかばここなる人びとも、かかるすさびごとにぞ、心は乱らまし」
 「困った息子たちの、世の中を思いのままになると思って、官位を何とも思わず、過ごしていらっしゃる。故殿が生きていらっしゃったら、自分の家の子供たちも、このようなのんきな遊び事に、心を奪われたでしょうに」
 「困った公達きんだちだね。何でも思いのままになるものと見ていて、官位の問題などは念頭に置いていないようだね。こちらの大臣がおかくれにならなければ、ここの若い人たちもあの人ら並みに、恋愛の遊戯を夢中になってしただろうにね」
  "Migurusi no Kimi-tati no, yononaka wo kokoro no mama ni ogori te, tukasa kurawi woba nani to mo omoha zu, sugusi imasugarahu ya! Ko-Tono no ohase masika ba, koko naru hitobito mo, kakaru susabi goto ni zo, kokoro ha midara masi."
5.4.5  とうち泣きたまふ。 右兵衛督、右大弁にて、皆非参議なるを、うれはしと思へり侍従と聞こゆめりしぞ、このころ、頭中将と聞こゆめる。年齢のほどは、かたはならねど、人に後ると嘆きたまへり。 宰相は、とかくつきづきしく
 とお泣きになる。右兵衛督や、右大弁になったが、皆非参議でいるのを嘆かわしいことと思っていた。侍従と言われていたらしい人は、この頃、頭中将と呼ばれているようである。年齢から言えば、不十分ではないが、人に後れたと嘆いていらっしゃった。宰相は、何やかやとうまいことを言って来て。
 と言って、玉鬘夫人は歎息たんそくをしていた。右兵衛督うひょうえのかみ、右大弁で参議にならないため太政官の政務に携わらないのを夫人はうれわしがっていた。侍従と言われていた末子はとうの中将になっていた。年齢からいってだれも官等の陞進しょうしんがおそいほうではないのであるが、人におくれると言ってなげいている。参議の職はいかにも若い高官らしく、ぐあいがいいのだけれど。
  to uti-naki tamahu. U-Hyauwe-no-Kami, U-Daiben nite, mina hisamgi naru wo, urehasi to omohe ri. Zizyuu to kikoyu meri si zo, konokoro, Tou-no-Tiuzyau to kikoyu meru. Tosi yohahi no hodo ha, kataha nara ne do, hito ni okuru to nageki tamahe ri. Saisyau ha, tokaku tukidukisiku.
注釈503左の大殿の宰相中将夕霧の子、元の蔵人少将。薫と同時に昇進。5.4.1
注釈504朝廷のかずまへたまふ以下「はるけむ方なきこと」まで宰相中将の詞。5.4.2
注釈505見苦しの君たちの以下「心は乱らまし」まで、玉鬘の詞。宰相中将の詞に対する批判。5.4.4
注釈506いますがらふや『集成』は「いますからふや」と清音。『完訳』は「いますがらふや」と濁音に読む。5.4.4
注釈507故殿のおはせましかば「心は乱らまし」に係る反実仮想の構文。5.4.4
注釈508ここなる人びとも我が子たちも。5.4.4
注釈509右兵衛督右大弁にて皆非参議なるをうれはしと思へりもと左中将は右兵衛督(従四位下相当官)に、またもと右中弁は右大弁(従四位上相当官)に、わずかずつ昇進、しかし参議にはなれない。かつての蔵人少将は宰相中将になり、四位侍従の薫は中納言に昇っている。『完訳』は「宰相中将が参議なのに、自分の子らが資格があっても参議になれないのを悲嘆」と注す。5.4.5
注釈510侍従と聞こゆめりしぞこのころ頭中将と聞こゆめる頭中将はエリートコースのポスト、従四位下相当官。二人の兄に比較して日の当たる官職。推量の助動詞「めり」。語り手の婉曲的推量のニュアンス。5.4.5
注釈511宰相はとかくつきづきしく宰相中将。『集成』は「玉鬘の姫君にかかわる貴公子として、薫よりはこの人を終始表面に立てた書き方」。『完訳』は「後続の物語があるような巻末形式である」と注す。5.4.5
校訂22 官位をば 官位をば--つかさくらいを(を/+は<朱>) 5.4.4
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月17日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月4日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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