第四十五帖 橋姫


45 HASIHIME (Meiyu-rinmo-bon)


薫君の宰相中将時代
二十二歳秋から十月までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from in fall to October in winter at the age of 22

1
第一章 宇治八の宮の物語 隠遁者八の宮


1  Tale of Hachi-no-miya  A recluse Imperial prince

1.1
第一段 八の宮の家系と家族


1-1  Hachi-no-miya's family and family line

1.1.1   そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり母方なども、やむごとなくものしたまひて筋異なるべきおぼえなどおはしけるを、時移りて、世の中にはしたなめられたまひける紛れに、なかなかいと名残なく、御後見などももの恨めしき心々にて、かたがたにつけて、 世を背き去りつつ、公私に拠り所なく、さし放たれたまへるやうなり。
 その頃、世間から忘れられていらっしゃった古宮がおいでになった。母の里方なども、立派な家柄でいらっしゃって、特別の地位につくべき評判などがおありであったが、時勢が変わって、世間から冷たく扱われなさった騷ぎに、かえってその声望も衰え、ご後見の人びとなども何となく恨めしい思いをして、それぞれの理由で、政界から退き去り退き去りして、公私ともに頼る人がなくなり、孤立していらっしゃるようである。
 そのころ世間から存在を無視されておいでになる古い親王がおいでになった。母方なども高い貴族で、みかどの御継嗣におなりになってもよい御資格の備わった方であったが、時代が移って、反対側へ政権の行ってしまうことになった変動のあとでは、まったく無勢力な方におなりになって、外戚がいせきの人たちも輝かしい未来の希望を失ったことに皆悲観をして、だれもいろいろな形でこの世から逃避をしてしまい、公にも私にもたよりのない孤立の宮でおありになるのである。
  Sonokoro, yo ni kazumahe rare tamaha nu huru-Miya ohasi keri. Hahakata nado mo, yamgotonaku monosi tamahi te, sudi koto naru beki oboye nado ohasikeru wo, toki uturi te, yononaka ni hasitaname rare tamahi keru magire ni, nakanaka ito nagori naku, ohom-usiromi nado mo mono uramesiki kokorogokoro nite, katagata ni tuke te, yo wo somuki sari tutu, ohoyake watakusi ni yoridokoro naku, sasi-hanata re tamahe ru yau nari.
1.1.2  北の方も、 昔の大臣の御女なりける、あはれに心細く、 親たちの思しおきてたりしさまなど思ひ出でたまふに、たとしへなきこと多かれど、 古き御契りの二つなきばかりを、憂き世の慰めにて、かたみにまたなく頼み交はしたまへり。
 北の方も、昔の大臣の姫君であったが、しみじみと心細く、両親がお考えになっていらっしゃっした事などを思い出しなさると、譬えようもない悲しいことが多いが、深いご親密な夫婦仲の又とないのだけを、憂世の慰めとして、お互いにこの上なく頼り合っていらっしゃった。
 夫人も昔の大臣の娘であったが、心細い逆境に置かれて、結婚の初めに親たちの描いていた夢を思い出してみると、あまりな距離のある今日の境遇が悲しみになることもあるが、唯一の妻として愛されていることに慰められていて、互いに信頼を持つ相愛の御夫妻ではあった。
  Kitanokata mo, mukasi no Otodo no ohom-musume nari keru, ahareni kokorobosoku, oya-tati no obosi oki te tari si sama nado omohi ide tamahu ni, tatosihenaki koto ohokare do, huruki ohom-tigiri no hutatu naki bakari wo, ukiyo no nagusame nite, katamini matanaku tanomi kahasi tamahe ri.
1.1.3   年ごろ経るに、御子ものしたまはで心もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる慰めに、「 いかで、をかしからむ稚児もがな」と、宮ぞ時々思しのたまひけるに、めづらしく、 女君のいとうつくしげなる、生まれたまへり
 幾年もたったのに、お子がお出来にならなくて気がかりだったので、所在ない寂しい慰めに、「何とかして、かわいらしい子が欲しいものだ」と、宮が時々お思いになりおっしゃっていたところ、珍しく、女君でとてもかわいらしい子がお生まれになった。
年月がたっても子をお持ちになることがなかったために、寂しい退屈をまぎらすような美しい子供がほしいと宮は時々お言いになるのであったが、思いがけぬころに一人の美しい女王にょおうが生まれた。
  Tosigoro huru ni, ohom-ko monosi tamaha de kokoromotonakari kere ba, sauzausiku turedure naru nagusame ni, "Ikade, wokasikara m tigo mo gana!" to, Miya zo tokidoki obosi notamahi keru ni, medurasiku, WomnaGimi no ito utukusige naru, mumare tamahe ri.
1.1.4  これを限りなくあはれと思ひかしづききこえたまふに、 さし続きけしきばみたまひて、「 このたびは男にても」など思したるに、同じさまにて、 平らかにはしたまひながら、いといたくわづらひて亡せたまひぬ。宮、あさましう思し惑ふ。
 この子をこの上なくかわいいと思って大切にお育て申していらっしゃったところに、また続いて妊娠なさって、「今度は男の子であって欲しい」などとお思いになったが、同じく女の子で、無事には出産なさったが、とてもひどく産後の肥立ちが悪くてお亡くなりになってしまった。宮は、驚き途方に暮れなさる。
 これを非常に愛してお育てになるうちに、また続いて夫人が妊娠した時に、今度は男であればよいとお望みになったにかかわらずまた姫君が生まれた。安産だったのであるが、産後に病をして夫人は死んだ。この悲しい事実の前に宮はなげきにおぼれておいでになった。
  Kore wo kagirinaku ahare to omohi kasiduki kikoye tamahu ni, sasituduki kesikibami tamahi te, "Kono tabi ha wotoko nite mo." nado obosi taru ni, onazi sama nite, tahirakani ha si tamahi nagara, ito itaku wadurahi te use tamahi nu. Miya, asamasiu obosi madohu.
注釈1そのころ世に数まへられたまはぬ古宮おはしけり『完訳』は「新たな物語の開始を告げる常套表現。前三帖とほぼ同時期」。『新大系』は「紅梅巻と同様の常套的な冒頭形式。漠然とした過去の設定で、新たな物語を開始させる」と注す。1.1.1
注釈2母方などもやむごとなくものしたまひて八宮の御母の里方。副助詞「など」は婉曲的ニュアンスを添える。1.1.1
注釈3筋異なるべきおぼえなど『集成』は「立太子の可能性があったことをいう」。『完訳』は「皇太子となり即位するにふさわしい親王と、世間から噂された」と注す。1.1.1
注釈4世を背き去りつつ公私に拠り所なく『完訳』は「官界からの引退や、出家遁世」と注す。1.1.1
注釈5昔の大臣の御女なりける連体中止法による挿入句。1.1.2
注釈6親たちの思しおきてたりしさまなど立后のこと。1.1.2
注釈7古き御契り明融臨模本は「ふる(る$か)き御ちきり」とある。すなわち「る」をミセケチにして「か」と訂正する。後人の訂正跡である。大島本は「ふるき御契」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「深き」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のまま「ふるき」とする。1.1.2
注釈8年ごろ経るに『完訳』は「年月の経過とともに、睦まじい夫婦仲だけでは満足できない」と注す。1.1.3
注釈9いかでをかしからむ稚児もがな八宮の心中。1.1.3
注釈10女君のいとうつくしげなる生まれたまへり格助詞「の」同格、「うつくしげなる」が主格。1.1.3
注釈11さし続きけしきばみ明融臨模本と大島本は「さしつゝきけしきはみ」とある。『完本』は諸本に従って「またさしつづき」と「また」を補訂する。『集成』(底本 明融臨模本)『新大系』(底本 大島本)のままとする。1.1.4
注釈12このたびは男にても八宮の思い。男子誕生を期待。1.1.4
注釈13平らかにはしたまひながらいといたくわづらひて亡せたまひぬ係助詞「は」連用修飾語「平らかに」に付いて無事出産を強調するニュアンスを添える。しかし産後の肥立ちが悪くて母親は亡くなる。1.1.4
1.2
第二段 八の宮と娘たちの生活


1-2  Hachi-no-miya and his daughters' life

1.2.1  「 あり経るにつけても、いとはしたなく、堪へがたきこと多かる世なれど、 見捨てがたくあはれなる人の御ありさま、心ざまにかけとどめらるる ほだしにてこそ、過ぐし来つれ、一人とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。 いはけなき人びとをも、一人はぐくみ立てむほど、限りある身にて、いとをこがましう、人悪ろかるべきこと
 「年月を過すにつけても、まことに暮らしにくく、堪え難いことが多い世の中だが、見捨てることのできないいとしい人たちのご様子、人柄に、心を引き止められて、過ごして来たのだが、独り残って、ますます味気ない感じがするな。幼い子供たちをも、独りで育てるには、身分格式のある身なので、まことに愚からしく、体裁の悪いことであろう」
 世の中にいればいるほど冷遇されて、堪えがたいことは多くても、捨てがたい優しい妻が自分の心を遁世とんせいの道へおもむかしめないほだしになって、今日までは僧にもならなかったのである、一人生き残って男やもめになったことは堪えがたいことではないが、小さい子供たちを男手で育ててゆくことも親王の体面としてよろしくないことであるから、
  "Ari huru ni tuke te mo, ito hasitanaku, tahe gataki koto ohokaru yo nare do, misute gataku ahare naru hito no ohom-arisama, kokorozama ni, kake todome raruru hodasi nite koso, sugusi ki ture, hitori tomari te, itodo susamaziku mo aru beki kana! Ihakenaki hitobito wo mo, hitori hagukumi tate m hodo, kagiri aru mi nite, ito wokogamasiu, hitowarokaru beki koto."
1.2.2  と思し立ちて、本意も遂げまほしうしたまひけれど、 見譲る方なくて残しとどめむを、いみじう思したゆたひつつ、年月も経れば、おのおの およすけまさりたまふさま、容貌の、うつくしうあらまほしきを、明け暮れの御慰めにて、 おのづから見過ぐしたまふ
 とご決心なさって、出家も遂げたくお思いになったが、見譲る人もなくて残して行くのを、ひどくおためらいになりながら、年月がたつと、それぞれ成長なさっていく様子、器量が、美しく素晴らしいので、朝夕のお慰めとして、いつしか年月をお過ごしになる。
 この際に入道しようとこうも宮は思召おぼしめしたのであるが、保護者もない二人の幼い姫君をお捨てになることを悲しく思召して、そのまま実行を延ばしておいでになるうちに年月がたち、それぞれ成長していく女王たちの美しい顔を御覧になるのを、毎日お慰めにして暮らしておいでになった。
  to obosi tati te, ho'i mo toge mahosiu si tamahi kere do, mi yuduru kata naku te nokosi todome m wo, imiziu obosi tayutahi tutu, tosituki mo hure ba, onoono oyosuke masari tamahu sama, katati no, utukusiu aramahosiki wo, akekure no ohom-nagusame nite, onodukara misugusi tamahu.
1.2.3  後に生まれたまひし君をば、さぶらふ人びとも、「 いでや、折ふし心憂く」など、 うちつぶやきつつ、心に入れても扱ひきこえざりけれど、 限りのさまにて、何ごとも思し分かざりしほどながら、これをいと心苦しと思ひて、
 後からお生まれになった姫君を、お仕えする女房たちも、「まあ、悪い時にお生まれになって」などと、ぶつぶつ呟いては、身を入れてお世話申し上げなかったが、臨終の床で、何お分りにならない時ながら、この子をとてもお気の毒にと思って、
 あとで生まれたほうの女王を侍女たちも、「この方のお産があって奥様がおくなりになったと思うと残念な気がして」こんなことを言って熱心に世話もしないのであったが、宮は終焉しゅうえんの床で、夫人がもう意識も朦朧もうろうになっていながら、生まれた姫君を気がかりに思うふうで、
  Noti ni mumare tamahi si Kimi wo ba, saburahu hitobito mo, "Ideya, worihusi kokorouku." nado, uti-tubuyaki tutu, kokoro ni ire te mo atukahi kikoye zari kere do, kagiri no sama nite, nanigoto mo obosi waka zari si hodo nagara, kore wo ito kokorogurusi to omohi te,
1.2.4  「 ただ、この君を形見に見たまひて、あはれと思せ」
 「ただ、この姫君をわたしの形見とお思いになって、かわいがってください」
 「私はもう生きられませんから、この子だけを形見だとお思いになって愛してやってください」
  "Tada, kono Kimi wo katami ni mi tamahi te, ahare to obose."
1.2.5  とばかり、ただ一言なむ、宮に聞こえ置きたまひければ、前の世の契りもつらき折ふしなれど、「 さるべきにこそはありけめと、今はと見えしまで、いとあはれと思ひて、うしろめたげにのたまひしを」と、思し出でつつ、この君をしも、いとかなしうしたてまつりたまふ。容貌なむまことに いとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。
 とだけ、わずか一言、宮にご遺言申し上げなさったので、前世からの約束も辛い時だが、「そうなるはずの運命だったのだろうと、ご臨終と見えた時まで、とてもかわいそうにと思って、気がかりにおっしゃったことよ」と、お思い出しになりながら、この姫君を特に、とてもかわいがり申し上げなさる。器量は本当にとてもかわいらしく、不吉なまで美しくいらっしゃった。
 と一言だけ言い置いたことをお思いになって、夫人の命の亡ぶ際にこの世へ出た子に対しては、その宿命が恨めしくお思いになるはずであるが、仏の思召しでこうなったのであろう、命の終わりにまでこの子をかわいく思い、自分に頼んで行ったのであるからとことさらこの女王を愛しておいでになった。端麗な容貌ようぼうで、普通の美にえた姫君であった。
  to bakari, tada hitokoto nam, Miya ni kikoye oki tamahi kere ba, sakinoyo no tigiri mo turaki worihusi nare do, "Sarubeki ni koso ha ari keme to, imaha to miye si made, ito ahare to omohi te, usirometage ni notamahi si wo." to, obosi ide tutu, kono Kimi wo simo, ito kanasiu si tatematuri tamahu. Katati nam makoto ni ito utukusiu, yuyusiki made monosi tamahi keru.
1.2.6   姫君は、心ばせ静かによしある方にて、見る目もてなしも、気高く心にくきさまぞしたまへる。 いたはしくやむごとなき筋はまさりて、いづれをも、さまざまに思ひかしづききこえたまへど、かなはぬこと多く、年月に添へて、 宮の内も寂しくのみなりまさる。
 姫君は、気立てはもの静かで優雅な方で、外見も態度も、気高く奥ゆかしい様子でいらっしゃる。大切にしたい高貴な血筋は勝っていて、姉妹どちらも、それぞれに大切にお育て申し上げなさるが、思い通りに行かないことが多く、年月とともに、宮邸の内も何となく段々と寂しくばかりなって行く。
 姉君は静かな貴女きじょらしいところが見えて、容貌にも身のとりなしにもすぐれた品のよさのある女王であった。宮がこの姫君をたいせつにあそばすお気持ちにはまた格別なものがあって、どちらも劣りまさりなくおかしずきになっていたが、お心にかなわぬことが多く、年月に添えて宮家の御財政は窮迫していった。
  HimeGimi ha, kokorobase sidukani yosi aru kata nite, mirume motenasi mo, kedakaku kokoronikuki sama zo si tamahe ru. Itahasiku yamgotonaki sudi ha masari te, idure wo mo, samazama ni omohi kasiduki kikoye tamahe do, kanaha nu koto ohoku, tosituki ni sohe te, Miya no uti mo sabisiku nomi nari masaru.
1.2.7  さぶらひし人も、たつきなき心地するに、え忍びあへず、次々に従ひてまかで散りつつ、若君の御乳母も、 さる騷ぎに、はかばかしき人をしも、選りあへたまはざりければ、 ほどにつけたる心浅さにて、幼きほどを見捨てたてまつりにければ、ただ宮ぞはぐくみたまふ。
 仕えていた女房も、頼りにならない気がするので、辛抱することができず、次々と辞めて去って行き、若君の御乳母も、あのような騒動に、しっかりした人を、選ぶことがお出来になれなかったので、身分相応の浅はかさで、幼い君をお見捨て申し上げてしまったので、ただ宮がお育てなさる。
女房たちも心細がって辛抱しんぼうができずに一人一人とおやしきから出て行った。夫人の死んだ際で、妹君の乳母めのとなどにも適当な人間をお選びになる余裕もなかったため、身分の低い乳母には低い節操よりなくて、まだ姫君の小さいうちにおやしきを出てしまった。それ以後は宮がお手ずから幼い女王の世話をあそばされた。
  Saburahi si hito mo, tatukinaki kokoti suru ni, e sinobi ahe zu, tugitugini sitagahi te makade tiri tutu, WakaGimi no ohom-menoto mo, saru sawagi ni, hakabakasiki hito wo simo, eri ahe tamaha zari kere ba, hodo ni tuke taru kokoro asasa nite, wosanaki hodo wo misute tatematuri ni kere ba, tada Miya zo hagukumi tamahu.
注釈14あり経るにつけても以下「人悪ろかるべきこと」まで、八宮の心中。『完訳』は「愛妻の突然の死に遭った驚きから、過往の人生をあらためて回顧」と注す。1.2.1
注釈15見捨てがたくあはれなる人の御ありさま心ざまに北の方をさす。見捨てて出家しがたい最愛の人北の方の様子人柄。1.2.1
注釈16かけとどめらるるほだし『全集』は「世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。1.2.1
注釈17いはけなき人びとをも一人はぐくみ立てむほど限りある身にていとをこがましう人悪ろかるべきこと『集成』は「「限りある身」は、皇族としての格式にしばられた身の上。こまごまと娘の世話を焼くのは、身分柄軽々しいことなのである」と注す。1.2.1
注釈18見譲る方なくて明融臨模本は「見ゆつる方なくて」とある。大島本は「みゆつるつる(つる$<朱>、#<墨>かた<朱>)なくて」とある。すなわち、「つる」を朱筆でミセケチにしさらに墨滅して朱筆で「かた」と訂正する。『完本』は諸本に従って「見ゆずる人なくて」と校訂する。『集成』『新大系』は明融臨模本と底本(大島本)の朱筆訂正に従う。1.2.2
注釈19およすけ『集成』は「およすけ」清音。『完訳』『新大系』は「およすげ」濁音。1.2.2
注釈20おのづから見過ぐしたまふ明融臨模本と大島本は「をのつからみすくし給」とある。『完本』は諸本に従って「おのづからぞ過ぐしたまふ」と校訂する。『集成』『新大系』は明融臨模本と底本(大島本)のままとする。1.2.2
注釈21いでや折ふし心憂く女房の詞。1.2.3
注釈22うちつぶやきつつ明融臨模本は「うちつふやきつゝ」とある。しかし大島本は「うちつふやきて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うちつぶやきて」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のまま「うちつぶやきて」とする。1.2.3
注釈23限りのさまにて北の方の臨終の際。1.2.3
注釈24ただこの君を明融臨模本と大島本は「たゝこのきみを」とある。『完本』は諸本に従って「この君をば」と「ば」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。以下「あはれと思せ」まで、北の方の詞。1.2.4
注釈25さるべきにこそ以下「のたまひしを」まで、八宮の心中。1.2.5
注釈26姫君は大君。1.2.6
注釈27いたはしくやむごとなき筋はまさりて大君が中君に勝る。1.2.6
注釈28宮の内も寂しく明融臨模本は「宮のうちもさひしく」とある。大島本は「宮のうちも(も$<朱>)さひしく」とある。すなわち「も」を朱筆でミセケチにする。『集成』は底本(明融臨模本)のまま。『完本』は諸本に従って「宮の内ものさびしく」と校訂する。『新大系』は底本の朱筆訂正に従って「宮のうちさびしく」と校訂する。1.2.6
注釈29さる騷ぎに北の方死去の騷ぎ。1.2.7
注釈30ほどにつけたる心浅さにて『集成』は「身分相応の思慮の浅さから」。『完訳』は「下臈の乳母ゆえの浅慮から」と注す。1.2.7
出典1 ほだしにて 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ 古今集雑下-九五五 物部吉名 1.2.1
校訂1 いとうつくしう いとうつくしう--(/+いとうつくしう) 1.2.5
1.3
第三段 八の宮の仏道精進の生活


1-3  Hachi-no-miya's religious life

1.3.1  さすがに、広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変はらで、いといたう荒れまさるを、つれづれと眺めたまふ。
 そうは言っても、広く優雅なお邸の、池、築山などの様子だけは昔と変わらないで、たいそうひどく荒れて行くのを、所在なく眺めていらっしゃる。
 さすがにお邸は広くてみごとなものであったが、池や山の形にだけ以前の面影を残して荒廃する庭を、つれづれな御生活の宮はよくながめておいでになった。
  Sasugani, hiroku omosiroki miya no, ike, yama nado no kesiki bakari mukasi ni kahara de, ito itau are masaru wo, turedure to nagame tamahu.
1.3.2   家司などもむねむねしき人もなきままに、草青やかに繁り、軒のしのぶぞ、所え顔に青みわたれる。 折々につけたる花紅葉の、色をも香をも、同じ心に見はやしたまひしに こそ、慰むことも多かりけれ、いとどしく寂しく、寄りつかむ方なきままに、持仏の御飾りばかりを、わざとせさせたまひて、明け暮れ行ひたまふ。
 家司なども、しっかりとした人もいないままに、草が青々と茂って、軒の忍草が、わがもの顔に一面に青みわたっている。四季折々の花や紅葉の、色や香を、同じ気持ちでご賞美なさったことで、慰められることも多かったが、ますます寂しく、頼みとする人もないままに、持仏のお飾りだけを、特別におさせになって、明け暮れお勤めなさる。
 家司けいしなどにも気のきいた者などはなくて、修繕を少しずつ加えるような方法もとらないから、雑草が高く伸び、軒の忍草しのぶが得意に青をひろげていた。その季節季節の草木も、同じ趣味のある夫人といっしょにおながめになることで昔はお心の慰めになったのであるが、孤独の今の宮のお目はそうした自然の色もただ寂しく親しめないものに見られて、持仏の装飾だけを特にごりっぱにおさせになり、毎日仏勤めばかりをしてお暮らしになった。
  Keisi nado mo, munemunesiki hito mo naki mama ni, kusa awoyaka ni sigeri, noki no sinobu zo, tokoroegaho ni awomi watare ru. Woriwori ni tuke taru hana momidi no, iro wo mo ka wo mo, onazi kokoro ni mi hayasi tamahi si ni koso, nagusamu koto mo ohokari kere, itodosiku sabisiku, yorituka m kata naki mama ni, dibutu no ohom-kazari bakari wo, wazato se sase tamahi te, akekure okonahi tamahu.
1.3.3  かかるほだしどもにかかづらふだに、思ひの外に口惜しう、「 わが心ながらもかなはざりける契り」とおぼゆるを、まいて、「 何にか、世の人めいて今さらに」とのみ、年月に添へて、世の中を思し離れつつ、心ばかりは聖になり果てたまひて、 故君の亡せたまひにしこなたは、例の人のさまなる心ばへなど、たはぶれにても思し出でたまはざりけり。
 このような足手まといたちにかかずらっているのでさえ、心外で残念で、「自分ながらも思うに任せない運命であった」と思われるが、まして、「どうして、世間の人並みに今更再婚などを」とばかり、年月とともに、世の中をお離れになり、心だけはすっかり聖におなりになって、故君がお亡くなりになって以後は、普通の人のような気持ちなどは、冗談にもお思い出しならなかった。
 子というきずなに引かれて出家のできぬことすら不幸な運命であると残念がられる宮でおありになったから、まして普通の人がするような再婚などを今さらしようとは思わぬ、とこういう気持ちは年月と共に加わり、それだけ世の中から遠のいておゆきになる宮であって、お心だけは僧と同じになっておいでになり、夫人の歿後ぼつごは異性をお求めになるようなお心は戯れにもお持ちになることはなかった。
  Kakaru hodasi-domo ni kakadurahu dani, omohi no hoka ni kutiwosiu, "Waga kokoro nagara mo kanaha zari keru tigiri." to oboyuru wo, maite, "Nani ni ka, yo no hito mei te imasara ni." to nomi, tosituki ni sohe te, yononaka wo obosi hanare tutu, kokoro bakari ha hiziri ni nari hate tamahi te, ko-Kimi no use tamahi ni si konata ha, rei no hito no sama naru kokorobahe nado, tahabure nite mo obosi ide tamaha zari keri.
1.3.4  「 などか、さしも。別るるほどの悲しびは、また世にたぐひなきやうにのみこそは、おぼゆべかめれど、あり経れば、さのみやは。なほ、 世人になずらふ御心づかひをしたまひて、いとかく見苦しく、たつきなき宮の内も、おのづからもてなさるるわざもや」
 「どうして、そんなにまで。死別の悲しみは、二つと世に例のないようにばかり、思われるようだが、時がたてば、そんなでばかりいられようか。やはり、普通の人と同じようなお心づかいをなさって、とてもこのような見苦しく、頼りない宮邸の内も、自然と整って行くこともあるかも知れません」
 「そんなにいつまでも夫人のことばかりを思っておいでにならないでもいいではないか。妻に死別した直後にはこれほど悲しいことはないと思うのが普通だろうが、時がたてばたったように心境の変化がなくてはならない。世間のだれもがするようにあとの夫人を選定されて、結婚をなすったら、宮家の心細い御経済も緩和されると思うが」
  "Nadoka, sasimo. Wakaruru hodo no kanasibi ha, mata yo ni taguhi naki yau ni nomi koso ha, oboyu beka' mere do, ari hure ba, sa nomi yaha! Naho, yohito ni nazurahu mi-kokorodukahi wo si tamahi te, ito kaku migurusiku, tatukinaki Miya no uti mo, onodukara motenasa ruru waza mo ya!"
1.3.5  と、人はもどききこえて、何くれと、 つきづきしく聞こえごつことも、類にふれて多かれど、聞こしめし入れざりけり。
 と、人は非難申し上げて、何やかやと、もっともらしく申し上げることも、縁故をたどって多かったが、お聞き入れにならなかった。
 こんなお陰口かげぐちも言いながら似合わしい第二の夫人のお取り持ちをしようとする人たちも相当多いのであるが、宮は耳をお傾けにならなかった。
  to, hito ha modoki kikoye te, nanikure to, tukidukisiku kikoyegotu koto mo, rui ni hure te ohokare do, kikosimesi ire zari keri.
1.3.6  御念誦のひまひまには、この君たちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、琴習はし、碁打ち、 偏つきなど、はかなき御遊びわざにつけても、心ばへどもを見たてまつりたまふに、姫君は、らうらうじく、深く重りかに見えたまふ。若君は、おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす。
 御念誦の合間合間には、この姫君たちを相手にし、だんだん成長なさると、琴を習わせ、碁を打ち、偏つぎなどの、とりとめない遊びにつけても、二人の気立てを拝見なさると、姫君は、才気があり、落ち着いて重々しくお見えになる。若君は、おっとりとかわいらしい様子をして、はにかんでいる様子に、とてもかわいらしく、それぞれでいらっしゃる。
 念誦ねんじゅをあそばすひまひまは姫君たちの相手におなりになって、もうだいぶ大きくなった二女王に琴の稽古けいこをおさせになったり、碁を打たせたり、詩の中の漢字の偏を付け比べる遊戯をおさせになったりしてごらんになるのであるが、第一女王は品よく奥深さのある容貌ようぼうを備え、第二の姫君はおおようで、可憐かれんな姿をして、そして内気に恥ずかしがるふうのあるのもとりどりの美しさであった。
  Ohom-nenzu no himahima ni ha, kono Kimitati wo moteasobi, yauyau oyosuke tamahe ba, koto narahasi, go uti, hentuki nado, hakanaki ohom-asobi waza ni tuke te mo, kokorobahe-domo wo mi tatematuri tamahu ni, HimeGimi ha, raurauziku, hukaku omorika ni miye tamahu. WakaGimi ha, ohodoka ni rautage naru sama si te, mono dutumi si taru kehahi ni, ito utukusiu, samazama ni ohasu.
注釈31家司なども『集成』は「親王、摂関、三位以上の家の家政を取り扱う事務官。四位五位の者から選ばれた」と注す。1.3.2
注釈32むねむねしき人もなきままに明融臨模本と大島本は「むね/\しき人もなきまゝに」とある。『完本』は諸本に従って「むねむねしき人もなかりければとり繕ふ人もなきままに」と「人もなかりければとり繕ふ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.3.2
注釈33折々につけたる花紅葉の色をも香をも同じ心に見はやしたまひしに『源氏釈』は「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(古今集春上、三八、紀友則)を指摘。1.3.2
注釈34わが心ながらもかなはざりける契り八の宮の心中。1.3.3
注釈35何にか、世の人めいて今さらに八の宮の心中。再婚をする気持ちはない、の意。1.3.3
注釈36故君の亡せたまひにしこなたは北の方の死去以来。1.3.3
注釈37などかさしも以下「わざもや」まで、世人の噂。1.3.4
注釈38世人になずらふ御心づかひ再婚をいう。1.3.4
注釈39つきづきしく聞こえごつことも類にふれて多かれど再婚を勧める者も多いが。『集成』は「縁故を通じて多かったが」。『完訳』は「縁故を頼って。零落したとはいえ高貴な八の宮との縁故を望む」と注す。1.3.5
注釈40偏つき『集成』は「偏つき」清音。『完訳』『新大系』は「偏つぎ」濁音。1.3.6
出典2 色をも香をも 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 古今集春上-三八 紀友則 1.3.2
1.4
第四段 ある春の日の生活


1-4  One day in the spring

1.4.1  春のうららかなる日影に、 池の水鳥どもの、羽うち交はしつつ、おのがじしさへづる声などを、常は、 はかなきことに見たまひしかども、つがひ離れぬをうらやましく眺めたまひて、 君たちに、御琴ども教へきこえたまふ。いとをかしげに、小さき御ほどに、とりどり掻き鳴らしたまふ物の音ども、 あはれにをかしく聞こゆれば、涙を浮けたまひて、
 春のうららかな日の光に、池の水鳥たちが、互いに羽を交わしながら、めいめいに囀っている声などを、いつもは、何でもないことと御覧になっていたが、つがいの離れずにいるのを羨ましく眺めなさって、姫君たちに、お琴類をお教え申し上げなさる。とてもかわいらしげで、小さいお年で、それぞれ掻き鳴らしなさる楽の音色は、しみじみとおもしろく聞こえるので、涙を浮かべなさって、
 春のうららかな日のもとで池の水鳥が羽を並べて游泳ゆうえいをしながらそれぞれにさえずる声なども、常は無関心に見もし、聞きもしておいでになる心に、ふとつがいの離れぬうらやましさをお感じさせる庭をながめながら、女王たちに宮は琴を教えておいでになった。小さい美しい恰好かっこうでそれぞれの楽器を熱心に鳴らす音もおもしろく聞かれるために、宮は涙を目にお浮かべになりながら、
  Haru no uraraka naru hikage ni, ike no midutori-domo no, hane uti-kahasi tutu, onogazisi saheduru kowe nado wo, tune ha, hakanaki koto ni mi tamahi sika domo, tugahi hanare nu wo urayamasiku nagame tamahi te, Kimitati ni, ohom-koto-domo wosihe kikoye tamahu. Ito wokasige ni, tihisaki ohom-hodo ni, toridori kaki-narasi tamahu mononone-domo, ahareni wokasiku kikoyure ba, namida wo uke tamahi te,
1.4.2  「 うち捨ててつがひ去りにし水鳥の
   仮のこの世にたちおくれけむ
 「見捨てて去って行ったつがいでいた水鳥の雁は
  はかないこの世に子供を残して行ったのだろうか
  「打ち捨ててつがひ去りにし水鳥の
  かりのこの世に立ちおくれけん
    "Uti-sute te tugahi sari ni si midutori no
    kari no konoyo ni tati okure kem
1.4.3   心尽くしなりや
 気苦労の絶えないことだ」
 悲しい運命を負っているものだ」
  Kokorodukusi nari ya!"
1.4.4  と、目おし拭ひたまふ。容貌いときよげにおはします宮なり。年ごろの御行ひにやせ細りたまひにたれど、さてしも、あてになまめきて、君たちをかしづきたまふ御心ばへに、直衣の萎えばめるを着たまひて、しどけなき御さま、いと恥づかしげなり。
 と、目を拭いなさる。容貌がとても美しくいらっしゃる宮である。長年のご勤行のために痩せ細りなさったが、それでも気品があって優美で、姫君たちをお世話なさるお気持ちから、直衣の柔らかくなったのをお召しになって、つくろわないご様子、とても恥ずかしくなるほど立派である。
 とお言いになり、その涙をおぬぐいになった。御容貌のお美しい親王である。長い精進の御生活にやせきっておいでになるが、そのためにまたいっそうえんなお姿にもお見えになった。姫君たちとおいでになる時は礼儀をおくずしにならずに、古くなった直衣のうしを上に着ておいでになる御様子も貴人らしかった。
  to, me osinogohi tamahu. Katati ito kiyogeni ohasimasu Miya nari. Tosigoro no ohom-okonahi ni yase hosori tamahi ni tare do, sate simo, ateni namameki te, Kimitati wo kasiduki tamahu mi-kokorobahe ni, nahosi no nayebame ru wo ki tamahi te, sidokenaki ohom-sama, ito hadukasige nari.
1.4.5  姫君、御硯をやをらひき寄せて、手習のやうに書き混ぜたまふを、
 姫君、お硯を静かに引き寄せて、手習いのように書き加えなさるのを、
 大姫君がすずりを静かに自身のほうへ引き寄せて、手習いのように硯石の上へ字を書いているのを、宮は御覧になって、
  HimeGimi, ohom-suzuri wo yawora hikiyose te, tenarahi no yau ni kaki maze tamahu wo,
1.4.6  「 これに書きたまへ。硯には書きつけざなり
 「これにお書きなさい。硯には書き付けるものでありません」
 「これにお書きなさい。硯へ字を書くものでありませんよ」
  "Kore ni kaki tamahe. Suzuri ni ha kaki tuke za' nari."
1.4.7  とて、紙たてまつりたまへば、恥ぢらひて書きたまふ。
 とおっしゃって、紙を差し上げなさると、恥じらってお書きになる。
 と、紙をお渡しになると、女王は恥ずかしそうに書く。
  tote, kami tatematuri tamahe ba, hadirahi te kaki tamahu.
1.4.8  「 いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも
   憂き水鳥の契りをぞ知る
 「どうしてこのように大きくなったのだろうと思うにも
  水鳥のような辛い運命が思い知られます
  いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも
  うき水鳥の契りをぞ知る
    "Ikade kaku sudati keru zo to omohu ni mo
    uki midutori no tigiri wo zo siru
1.4.9   よからねど、その折は、いとあはれなりけり。手は、 生ひ先見えて、まだよくも続けたまはぬほどなり。
 よい歌ではないが、その状況は、とてもしみじみと心打たれるのであった。筆跡は、将来性が見えるが、まだ上手にお書き綴りにならないお年である。
 よい歌ではないがその時は身にんで思われた。未来のあるいい字ではあるがまだよく続けては書けないのである。
  Yokara ne do, sono wori ha, ito ahare nari keri. Te ha, ohisaki miye te, mada yoku mo tuduke tamaha nu hodo nari.
1.4.10  「 若君も書きたまへ
 「若君もお書きなさい」
 「若君もお書きなさい」
  "WakaGimi mo kaki tamahe."
1.4.11  とあれば、今すこし幼げに、久しく書き出でたまへり。
 とおっしゃると、もう少し幼そうに、長くかかってお書きになった。
 とお言いになると、これはもう少し幼い字で、長くかかって書いた。
  to are ba, ima sukosi wosanage ni, hisasiku kaki ide tamahe ri.
1.4.12  「 泣く泣くも羽うち着する君なくは
   われぞ巣守になりは果てまし
 「泣きながらも羽を着せかけてくださるお父上がいらっしゃらなかったら
  わたしは大きくなることはできなかったでしょうに
  泣く泣くも羽うちする君なくば
  われぞ巣りになるべかりける
    "Nakunaku mo hane uti-ki suru kimi naku ha
    ware zo sumori ni nari ha hate masi
1.4.13  御衣どもなど萎えばみて、御前にまた人もなく、いと寂しくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものしたまふを、あはれに心苦しう、 いかが思さざらむ。経を片手に持たまひて、 かつ読みつつ唱歌をしたまふ
 お召し物など皺になって、御前に他に女房もなく、とても寂しく所在なさそうなので、それぞれたいそうかわいらしくいらっしゃるのを、不憫でいたわしいと、どうして思わないことがあろうか。お経を片手に持ちなさって、一方では読経しながら唱歌もなさる。
 もう着ふるした衣服を着ていて、この場に女房たちの侍しているのもない、可憐かれんな美しい姉妹きょうだいを寂しい家の中に御覧になる父宮が心苦しく思召さないわけもない。経巻を片手にお持ちになって御覧になり、宮は琴に合わせて歌をうたっておいでになった。
  Ohom-zo-domo nado nayebami te, omahe ni mata hito mo naku, ito sabisiku turedurege naru ni, samazama ito rautage nite monosi tamahu wo, ahareni kokorogurusiu, ikaga obosa zara m. Kyau wo katate ni mo' tamahi te, katu yomi tutu sauga wo si tamahu.
1.4.14  姫君に琵琶、 若君に箏の御琴、まだ幼けれど、常に合はせつつ習ひたまへば、聞きにくくもあらで、いとをかしく聞こゆ。
 姫君に琵琶、若君に箏のお琴を、まだ幼いけれど、いつも合奏しながらお習いになっているので、聞きにくいこともなく、たいそう美しく聞こえる。
 大姫君には琵琶びわ、中姫君(三女のなき時も次女は中姫と呼ぶ)には十三げんの琴をそれに合わせながら始終教えておいでになるために、おもしろく弾くようになっていた。
  HimeGimi ni biha, WakaGimi ni sau no ohom-koto, mada wosanakere do, tuneni ahase tutu narahi tamahe ba, kiki nikuku mo ara de, ito wokasiku kikoyu.
注釈41池の水鳥どもの羽うち交はしつつ『完訳』は「雌雄離れぬ習性の鴛鴦か」と注す。1.4.1
注釈42はかなきことに明融臨模本と大島本は「はかなきことに」とある。『完本』は諸本に従って「はかなきことと」と「校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.4.1
注釈43君たちに大君と中君の姉妹に。1.4.1
注釈44あはれにをかしく聞こゆれば『集成』は「いじらしくもおもしろく思われるので」。『完訳』は「しみじみとおもしろく聞えるので」と訳す。1.4.1
注釈45うち捨ててつがひ去りにし水鳥の--仮のこの世にたちおくれけむ八宮の詠歌。無常の世に母親に先立たれた娘たちの不幸をいう。「雁」「仮」の掛詞。「この世」の「こ」に「雁の子」の「子」を響かせる。1.4.2
注釈46心尽くしなりや歌に添えた詞。1.4.3
注釈47これに書きたまへ硯には書きつけざなり八宮の詞。姫君たちへの諭し。「ざなり」は「ざる」「なり」伝聞推定の助動詞。『河海抄』は「見る石のおもてに物は書かざりきふしのやうじはつかはざらめや」(出典未詳)を指摘。1.4.6
注釈48いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも--憂き水鳥の契りをぞ知る大君の唱和歌。「憂き水鳥」に「憂き身」を読み込む。父への感謝と我が身の不運を諦観。1.4.8
注釈49よからねど、その折は、いとあはれなりけり『明星抄』は「草子地此歌を評していへり」と指摘。1.4.9
注釈50若君も書きたまへ八宮の詞。1.4.10
注釈51泣く泣くも羽うち着する君なくは--われぞ巣守になりは果てまし明融臨模本と大島本は「なりはゝてまし」とある。『完本』は諸本に従って「なるべかりける」と「校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。中君の唱和歌。1.4.12
注釈52いかが思さざらむ語り手の感情移入の挿入句。『細流抄』は「草子の地をしはかりていへり」と指摘。1.4.13
注釈53かつ読みつつ唱歌をしたまふ明融臨模本と大島本は「さうかを」とある。『完本』は諸本に従って「唱歌も」と「校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。時には読経し、時には姫君たちのため楽譜を口ずさむ。1.4.13
注釈54若君に箏の御琴明融臨模本と大島本は「さうの御こと」とある。『完本』は諸本に従って「箏の御琴を」と「を」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.4.14
校訂2 生ひ先見えて 生ひ先見えて--おいさき見えておいさき見えて(おいさき見えて<後出>/$) 1.4.9
1.5
第五段 八の宮の半生と宇治へ移住


1-5  Hachi-no-miya's half life and moveing to Uji

1.5.1   父帝にも女御にも、疾く後れきこえたまひて、はかばかしき御後見の、取り立てたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひたまはず、 まいて、世の中に住みつく御心おきては、いかでかは知りたまはむ。高き人と聞こゆる中にも、あさましうあてにおほどかなる、 女のやうにおはすれば、古き世の御宝物、祖父大臣の御処分、何やかやと 尽きすまじかりけれど、行方もなくはかなく失せ果てて御調度などばかりなむ、わざとうるはしくて多かりける。
 父帝にも母女御にも、早く先立たれなさって、しっかりしたご後見人が、取り立てていらっしゃらなかったので、学問なども深くお習いになることができず、まして、世の中に生きていくお心構えは、どうしてご存知でいらっしゃったであろうか。身分の高い人と申す中でも、あきれるくらい上品でおっとりした、女性のようでいらっしゃるので、古い世からのご宝物や、祖父大臣のご遺産や、何やかやと尽きないほどあったが、行方もなくあっけなく無くなってしまって、ご調度類などだけが、特別にきちんとして多くあった。
 父帝にも母女御にも早くお死に別れになって、はかばかしい保護者をお持ちにならなんだために、宮は学問などを深くあそばす時がなかった。まして処世法などは知っておいでになるわけもない貴人と申してもまた驚くばかり上品で、おおような女のような弱い性質を備えておいでになって、父帝からお譲りになった御遺産とか、外戚がいせきの祖父である大臣の遺産とか、永久に減るものと思われない多くのものが、どこへだれが盗んで行ったか、なくなったかもしれぬことになってしまって、ただ室内の道具などにだけ華奢かしゃな品々が多く残っていた。
  Titi-Mikado ni mo Nyougo ni mo, toku okure kikoye tamahi te, hakabakasiki ohom-usiromi no, toritate taru ohase zari kere ba, zae nado hukaku mo e narahi tamaha zu, maite, yononaka ni sumituku mi-kokorookite ha, ikadekaha siri tamaha m. Takaki hito to kikoyuru naka ni mo, asamasiu ateni ohodoka naru, womna no yau ni ohasure ba, huruki yo no ohom-takaramono, Ohodi-Otodo no ohom-soubun, naniyakaya to tuki su mazikari kere do, yukuhe mo naku hakanaku use hate te, ohom-teudo nado bakari nam, wazato uruhasiku te ohokari keru.
1.5.2  参り訪らひきこえ、心寄せたてまつる人もなし。つれづれなるままに、 雅楽寮の物の師どもなどやうの、すぐれたるを召し寄せつつ、はかなき遊びに心を入れて、生ひ出でたまへれば、その方は、いとをかしうすぐれたまへり。
 参上してご機嫌伺いしたり、好意をお寄せ申し上げる人もいない。所在ないのにまかせて、雅楽寮の楽師などのような、優れた人を召し寄せ召し寄せなさっては、とりとめない音楽の遊びに心を入れて、成人なさったので、その方面では、たいそう素晴らしく優れていらっしゃった。
 伺候する者もなく、お力になって差し上げようとする人たちもない。御徒然なために雅楽寮の音楽専門家のうちのすぐれたのをお呼び寄せになり、芸事ばかりを熱心にお習いになって大人おとなにおなりになった方であるから、音楽にはひいでておいでになるのである。
  Mawiri toburahi kikoye, kokoroyose tatematuru hito mo nasi. Turedure naru mama ni, Utadukasa no mono no si-domo nado yau no, sugure taru wo mesiyose tutu, hakanaki asobi ni kokoro wo ire te, ohiide tamahe re ba, sono kata ha, ito wokasiu sugure tamahe ri.
1.5.3   源氏の大殿の御弟におはせしを、冷泉院の春宮におはしましし時、 朱雀院の大后の、横様に思し構へて、 この宮を、世の中に立ち継ぎたまふべくわが御時、もてかしづき たてまつりける騷ぎに、 あいなくあなたざまの御仲らひにはさし放たれたまひにければ、いよいよ かの御つぎつぎになり果てぬる世にて、え交じらひたまはず。また、この年ごろ、かかる聖になり果てて、今は限りと、よろづを思し捨てたり。
 源氏の大殿の御弟君でいらっしゃったが、冷泉院が春宮でいらっしゃった時に、朱雀院の大后が、あるまじき企みをご計画になって、この宮を、帝位をお継ぎになるように、ご威勢の盛んな時、ご支援申し上げなさった騒動で、つまらなく、あちら方とのお付き合いからは、遠ざけられておしまいになったので、ますますあちら方のご子孫の御世となってしまった世の中では、交際することもお出来になれない。また、ここ数年、このような聖にすっかりなってしまって、今はこれまでと、万事をお諦めになっていた。
 光源氏の弟宮の八の宮と呼ばれた方で、冷泉れいぜい院が東宮でおありになった時代に、朱雀すざく院の御母后が廃太子のことを計画されて、この八の宮をそれにお代えしようとされ、その方の派の人たちに利用をおされになったことがあるため、光源氏の派からは冷ややかにお扱われになり、それに続いてこの世は光源氏派だけの栄える世になって今日に及んでいるのであるから、八の宮は世の中と絶縁したふうにおなりになり、その上に不幸のために僧と同じような暮らしをあそばして、現世げんぜの夢は皆捨てておしまいになったのである。
  Genzi-no-Otodo no ohom-otouto ni ohase si wo, Reizei-Win no Touguu ni ohasi masi si toki, Suzyaku-Win no Oho-Gisaki no, yokosama ni obosi kamahe te, kono Miya wo, yononaka ni tatitugi tamahu beku, waga ohom-toki, mote-kasiduki tatematuri keru sawagi ni, ainaku, anata zama no ohom-nakarahi ni ha, sasihanata re tamahi ni kere ba, iyoiyo kano ohom-tugitugi ni nari hate nuru yo nite, e mazirahi tamaha zu. Mata, kono tosigoro, kakaru hiziri ni nari hate te, ima ha kagiri to, yorodu wo obosi sute tari.
1.5.4  かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。いとどしき世に、 あさましうあへなくて、移ろひ住みたまふべき所の、よろしきもなかりければ、 宇治といふ所に、よしある山里持たまへりけるに渡りたまふ。思ひ捨てたまへる世なれども、今はと住み離れなむを あはれに思さる
 こうしているうちに、お住まいになっていた宮邸が焼けてしまった。不幸続きの人生の上に、あきれるほどがっかりして、お移り住みなさるような適当な所が、適当な所もなかったので、宇治という所に、風情のある山荘をお持ちになっていたのでお移りになる。お捨てになった世の中だが、今は最後と住み離れることを悲しく思わずにはいらっしゃれない。
 そのうちに八の宮のおやしきは火事で焼亡してしまった。この災難のために京の中でほかにお住みになるほどの所も、適当な邸もおありにならなかったので、宇治によい山荘を持っておいでになったから、そこへ行って住まれることになった。世の中に執着はお持ちにならぬが、いよいよ京を離れておしまいになることは宮のお心に悲しかった。
  Kakaru hodo ni, sumi tamahu miya yake ni keri. Itodosiki yo ni, asamasiu ahenaku te, uturohi sumi tamahu beki tokoro no, yorosiki mo nakari kere ba, Udi to ihu tokoro ni, yosi aru yamazato mo' tamahe ri keru ni watari tamahu. Omohi-sute tamahe ru yo nare domo, ima ha to sumi hanare na m wo ahare ni obosa ru.
1.5.5  網代のけはひ近く、耳かしかましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、 いかがはせむ。花紅葉、水の流れにも、心をやる便によせて、いとどしく眺めたまふより他のことなし。かく 絶え籠もりぬる野山の末にも 、「 昔の人ものしたまはましかば」と、思ひきこえたまはぬ折なかりけり。
 網代の様子が近く、耳もとにうるさい川の辺りで、静かな思いに相応しくない点もあるが、どうすることもできない。花や紅葉や、川の流れにつけても、心を慰めるよすがとして、いよいよ物思いに耽るより他のことがない。こうして世間から隔絶して籠もってしまった野山の果てでも、「亡き北の方が生きていらっしゃったら」と、お思い申し上げなさらない時はなかった。
 網代あじろの漁をする場所に近い川のそばで、静かな山里の住居すまいをお求めになることには適せぬところもあるがしかたのない御事であった。町の中でなく山や水の景には恵まれた里であったから、それらをながめては寂しい物思いを多くお作りになる宮であった。こうした都に遠い田舎いなかへお移りになっても、妻がいたならばという歎きをあそばさない時とてはなかった。
  Aziro no kehahi tikaku, mimi kasikamasiki kaha no watari nite, siduka naru omohi ni kanaha nu kata mo are do, ikagaha se m. Hana momidi, midu no nagare ni mo, kokoro wo yaru tayori ni yose te, itodosiku nagame tamahu yori hoka no koto nasi. Kaku taye komori nuru noyama no suwe ni mo, "Mukasi no hito no monosi tamaha masika ba." to, omohi kikoye tamaha nu wori nakari keri.
1.5.6  「 見し人も宿も煙になりにしを
   何とてわが身消え残りけむ
 「北の方も邸も煙となってしまったが
  どうしてわが身だけがこの世に生き残っているのだろう
  見し人も宿も煙となりにしを
  などてわが身の消え残りけん
    "Mi si hito mo yado mo keburi ni nari ni si wo
    nani tote waga mi kiye nokori kem
1.5.7   生けるかひなくぞ、思し焦がるるや
 生きている効もないほど、恋い焦がれていらっしゃるよ。
 これではお生きがいもあるまいと思われるほど故人にこがれておいでになるのであった。
  Ike ru kahinaku zo, obosi kogaruru ya!
注釈55父帝にも女御にも疾く後れきこえたまひて八宮の父桐壺帝と母女御に先立たれた意。1.5.1
注釈56まいて世の中に住みつく御心おきてはいかでかは知りたまはむ語り手の感情移入の挿入句。1.5.1
注釈57女のやうに『完訳』は「権勢を争う世俗と関わらぬ態度」と注す。1.5.1
注釈58尽きすまじかりけれど、行方もなくはかなく失せ果てて『集成』は「無尽蔵と思われたのだけれども、どこへともなくいつのまにか皆無くなって」。『完訳』は「宮の無頓着な性格から、由緒ある名家の豊富な財宝も散逸する」と注す。1.5.1
注釈59御調度などばかりなむ『完訳』は「移動しにくいので家具類だけは残る」と注す。1.5.1
注釈60雅楽寮の物の師ども治部省所属の雅楽寮。歌師・舞師・笛師・唐楽師・高麗楽師・百済楽師・伎楽師・腰鼓師がいる。1.5.2
注釈61源氏の大殿の御弟におはせしを明融臨模本は「源氏のおとゝの御をとうとにおはせし(におはせし$八宮とそ聞えし)を」とある。すなわち、「におはせし」をミセケチにして「八宮とそ聞えし」と訂正する。後人の筆跡である。大島本は「源氏のおとゝの御おとうとにおハせしを」とある。『完本』は諸本に従って「源氏の大殿の御弟、八の宮とぞ聞こえしを」と校訂する。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。1.5.3
注釈62朱雀院の大后の朱雀院の母后弘徽殿大后。1.5.3
注釈63この宮を世の中に立ち継ぎたまふべく東宮(冷泉院)を廃して八の宮を新東宮に立たせようとしたこと。物語には語られていなかったが、「須磨」「明石」巻ころの事件と想像される。1.5.3
注釈64わが御時自分が権勢を振るっていた時、の意。1.5.3
注釈65たてまつりける明融臨模本と大島本は「たてまつりける」とある。『完本』は諸本に従って「たてまつりたまひける」と「たまひ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。1.5.3
注釈66あいなく『集成』は「「あいなく」は、もともと関係はないのに、担ぎ上げられたばかりに、という気持」と注す。1.5.3
注釈67あなたざまの御仲らひには源氏方をさす。1.5.3
注釈68さし放たれたまひにければ「れ」受身の助動詞。1.5.3
注釈69かの御つぎつぎになり果てぬる世にて冷泉帝の次には今上帝が即位。今上帝は朱雀院の御子であるが后に源氏の明石中宮が立ち、第一皇子の東宮が誕生している。1.5.3
注釈70あさましうあへなく『完訳』は「茫然として、力の抜ける感じ」と注す。1.5.4
注釈71宇治といふ所に『完訳』は「京都から半日行程。長谷寺参詣の経路。山紫水明の別荘地で、仏教的な聖地にもなりつつあった」と注す。1.5.4
注釈72あはれに思さる「る」自発の助動詞。1.5.4
注釈73いかがはせむ反語表現。語り手の感情移入がある。1.5.5
注釈74絶え籠もりぬる野山の末にも『全集』は「いづくにか世をば厭はむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ」(古今集雑下、九四七、素性法師)を指摘。1.5.5
注釈75昔の人ものしたまはましかば八宮の心中。「昔の人」は故北の方。「ましかば」反実仮想。1.5.5
注釈76見し人も宿も煙になりにしを--何とてわが身消え残りけむ八宮の独詠歌。「見し人」は北の方。「宿」は京の邸宅。1.5.6
注釈77生けるかひなくぞ思し焦がるるや『細流抄』は「草子地也」と注す。「焦がるる」は「煙」の縁語。1.5.7
出典3 野山の末 いづこにか世をば厭はむ心こそ野にも山にも惑ふべらなれ 古今集雑下-九四七 素性法師 1.5.5
Last updated 12/14/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/14/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月12日

Last updated 12/14/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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