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第四十五帖 橋姫
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45 HASIHIME (Meiyu-rinmo-bon)
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薫君の宰相中将時代 二十二歳秋から十月までの物語
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Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from in fall to October in winter at the age of 22
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2 |
第二章 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
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2 Tale of Hachi-no-miya Kaoru makes friend with Hachi-no-miya
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2.1 |
第一段 八の宮、阿闍梨に師事
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2-1 Hachi-no-miya has a bonze as his teacher
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2.1.1 |
いとど、 山重なれる御住み処に、尋ね参る人なし。あやしき下衆など、田舎びたる山賤どものみ、まれに馴れ参り仕うまつる。 峰の朝霧晴るる折なくて、明かし暮らしたまふ ★に、 この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり ★。
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ますます、山また山を隔てたお住まいに、訪問する人もいない。賤しい下衆など、田舎びた山住みの者たちだけが、まれに親しくお仕え申し上げる。峰の朝霧が晴れる時の間もなくて、明かし暮らしなさっているが、この宇治山に、聖めいた阿闍梨が住んでいた。
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京にお住いになった時すら来訪がなかったのであるから、山の重なった中へはるばるお訪ねする人などはない。朝立った霧が終日山を這っている日のような暗い気持ちで宮は暮らしておいでになったが、この宇治に聖僧として尊敬してよい阿闍梨が一人いた。
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Itodo, yama kasanare ru ohom-sumika ni, tadune mawiru hito nasi. Ayasiki gesu nado, winakabi taru yamagatu-domo nomi, mareni nare mawiri tukaumaturu. Mine no asagiri haruru wori naku te, akasi kurasi tamahu ni, kono Udiyama ni, hiziridati taru Azari sumi keri.
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2.1.2 |
才いとかしこくて、世のおぼえも軽からねど、をさをさ公事にも出で仕へず、籠もりゐたるに、この宮の、かく近きほどに住みたまひて、寂しき御さまに、 尊きわざをせさせたまひつつ、法文を読みならひたまへば、尊がりきこえて、常に参る。
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学問がたいそうできて、世人の評判も低くはなかったが、めったに朝廷の法要にも出仕せず、籠もっていたところに、この宮が、このように近い所にお住みになって、寂しいご様子で、尊い仏事をあそばしながら、経文を読み習っていらっしゃるので、尊敬申し上げて、常に参上する。
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仏道の学問の深くあることを世間からも認められていながら、宮廷の御用の時などにもなるべく出るのを避けて、宇治の自坊にばかりこもっているのであったが、八の宮が宇治の山荘へ移っておいでになって、孤独な生活をお始めになり、仏道を研究されようとして、宗教の書物を読んでおいでになるのを知って、ありがたいことに思い時々御訪問に来るのであった。
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Zae ito kasikoku te, yo no oboye mo karokara ne do, wosawosa ohoyakegoto ni mo ide tukahe zu, komori wi taru ni, kono Miya no, kaku tikaki hodo ni sumi tamahi te, sabisiki ohom-sama ni, tahutoki waza wo se sase tamahi tutu, hohumon wo yomi narahi tamahe ba, tahutogari kikoye te, tuneni mawiru.
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2.1.3 |
年ごろ学び知りたまへることどもの、深き心を解き聞かせたてまつり、いよいよこの世のいとかりそめに、あぢきなきことを申し知らすれば、
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長年学んでお知りになった事柄などで、深い意味をお説き申し上げて、ますますこの世が仮の世で、無意味なことをお教え申し上げるので、
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今まで独学的に読んでおいでになった書物に書かれたことの、深い意味と理解のしかたをお授けするようなことも阿闍梨はできた。この世はただかりそめのものであること、味気ない所であることをさらにこの僧からお教えられになって、
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Tosigoro manabi siri tamahe ru koto-domo no, hukaki kokoro wo toki kika se tatematuri, iyoiyo konoyo no ito karisome ni, adikinaki koto wo mausi sirasure ba,
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2.1.4 |
「 心ばかりは 蓮の上に思ひのぼり、濁りなき池にも住みぬべきを、いとかく幼き人びとを見捨てむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに 容貌をも変へぬ」
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「心だけは蓮の上に乗って、きっと濁りのない池にも住むだろうことを、とてもこのように小さい姫君たちを見捨てる気がかりさだけに、一途に僧形になることもできないのだ」
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「もう心だけは仏の御弟子に変わらないのですが、私には御承知のように年のゆかぬ子供がいることで、この世との縁を切りえずに僧にもなれない」
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"Kokoro bakari ha hatisu no uhe ni omohi nobori, nigori naki ike ni mo sumi nu beki wo, ito kaku wosanaki hitobito wo misutem usirometasa bakari ni nam, e hitamiti ni katati wo mo kahe nu."
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2.1.5 |
など、隔てなく物語したまふ。
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などと、隔意なくお話なさる。
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などと、お思いになることも隔てなく阿闍梨へ宮はお語りになるのだった。
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nado, hedate naku monogatari si tamahu.
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出典4 |
山重なれる御住み処 |
月読みの光に来ませ足引きの山重なりて遠からなくに |
古今六帖五-二八四一 |
2.1.1 |
出典5 |
峰の朝霧晴るる |
雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の中の憂さ |
古今集雑下-九三五 読人しらず |
2.1.1 |
出典6 |
宇治山 |
わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり |
古今集雑下-九八三 喜撰法師 |
2.1.1 |
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2.2 |
第二段 冷泉院にて阿闍梨と薫語る
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2-2 A bonze talks with Kaoru at Reizei-in
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2.2.1 |
この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。京に出でたるついでに参りて、 例の、さるべき文など御覧じて、問はせたまふこともあるついでに、
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この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して、御経などお教え申し上げる僧なのであった。京に出た折に参上して、いつものように、しかるべき教典などを御覧になって、ご下問あそばすことがある折に、
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この阿闍梨は冷泉院へもお出入りしていて、院へ経などをお教え申し上げる人であった。ある時京へ出たついでに宇治の阿闍梨は院の御所へまいったが、院は例のような仏書をお出しになって質問などをあそばした。その日に阿闍梨が、
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Kono Azari ha, Reizei-Win ni mo sitasiku saburahi te, ohom-kyau nado wosihe kikoyuru hito nari keri. Kyau ni ide taru tuide ni mawiri te, rei no, sarubeki humi nado goranzi te, toha se tamahu koto mo aru tuide ni,
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2.2.2 |
「 八の宮の、いとかしこく、内教の御才悟り深くものしたまひけるかな。 さるべきにて、生まれたまへる人にやものしたまふらむ。心深く思ひ澄ましたまへるほど、まことの聖のおきてになむ見えたまふ」と聞こゆ。
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「八の宮が、たいそうご聰明で、教典のご学問にも深く通じていらっしゃいますなあ。そのようになるはずの方として、お生まれになったのでいらっしゃる方なのでしょうか。お考えが深く悟り澄ましていらっしゃるほどは、本当の聖の心構えのようにお見えになります」と申し上げる。
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「八の宮様は御聡明で、宗教の学問はよほど深くおできになっております。仏様に何かのお考えがあってこの世へお出しになった方ではございますまいか。悟りきっておいでになる御心境はりっぱな高僧のようにもお見えになります」こんなお話をした。
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"Hati-no-Miya no, ito kasikoku, naikeu no ohom-zae satori hukaku monosi tamahi keru kana! Sarubeki nite, mumare tamahe ru hito ni ya monosi tamahu ram. Kokorohukaku omohi sumasi tamahe ru hodo, makoto no hiziri no okite ni nam miye tamahu." to kikoyu.
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2.2.3 |
「 いまだ容貌は変へたまはずや。俗聖とか、 この若き人びとの付けたなる、 あはれなることなり」などのたまはす。
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「まだ姿は変えていらっしゃらないのか。俗聖とか、ここの若い人達が名付けたというのは、殊勝なことだ」などと仰せになる。
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「まだ出家はされていないのか。『俗聖』などと若い者たちが名をつけているが、お気の毒な人だ」と院は言っておいでになった。
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"Imada katati ha kahe tamaha zu ya? Zokuhiziri to ka, kono wakaki hitobito no tuke ta' naru, ahare naru koto nari." nado notamahasu.
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2.2.4 |
宰相中将も、御前にさぶらひたまひて、「 われこそ、世の中をばいとすさまじう思ひ知りながら、行ひなど、人に目とどめらるばかりは勤めず、口惜しくて過ぐし来れ」 と、人知れず思ひつつ、「 俗ながら聖になりたまふ心のおきてやいかに」と、耳とどめて聞きたまふ。
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宰相中将も、御前に伺候なさって、「自分こそは、世の中を実に面白くなく悟っていながら、その行いなどを、人目につくほどは勤めず、残念に過ごして来てしまった」と、人知れず反省しながら、「在俗のまま聖におなりになる心構えとはどのようなものか」と、耳を止めてお聞きになる。
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薫の中将もこの時御前にいて、自分も人生をいとわしく思いながらまだ仏勤めもたいしてようせずに、怠りがちなのは遺憾であると心の中で思い、俗ながら高僧の精神で生きるのにはどんな心得がいるのであろうと、八の宮のお噂に耳をとめていた。
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Saisyau-no-Tiuzyau mo, omahe ni saburahi tamahi te, "Ware koso, yononaka woba ito susamaziu omohi siri nagara, okonahi nado, hito ni me todome raru bakari ha tutome zu, kutiwosiku te sugusi kure." to, hito sire zu omohi tutu, "Zoku nagara hiziri ni nari tamahu kokoro no okite ya ikani?" to, mimi todome te kiki tamahu.
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2.2.5 |
「 出家の心ざしは、もとより ものしたまへるを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦しき女子どもの御上を、え思ひ捨てぬとなむ、嘆きはべりたうぶ」と奏す。
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「出家の本願は、もともとお持ちでいらっしゃったが、つまらないことに心がにぶり、今となっては、お気の毒な姫君たちのお身の上を、お見捨てになることができないと、嘆いておられます」と奏す。
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「出家のお志は十分にお持ちになるのでございますが、最初は奥様へのお思いやりで躊躇なされましたし、今日になってはまた哀れな女王がたを残しておかれることで決断がつかないと御自身で仰せになります」阿闍梨はこう院へ申していた。
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"Suke no kokorozasi ha, motoyori monosi tamahe ru wo, hakanaki koto ni omohi todokohori, ima to nari te ha, kokorogurusiki womnago-domo no ohom-uhe wo, e omohi sute nu to nam, nageki haberi taubu." to sousu.
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2.2.6 |
さすがに、物の音めづる阿闍梨にて、
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そうは言っても、音楽は賞美する阿闍梨なので、
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優美なふうはないが、音楽だけは好きな阿闍梨が、
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Sasugani, mono no ne meduru Azari nite,
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2.2.7 |
「 げに、はた、この姫君たちの、琴弾き合はせて遊びたまへる、川波にきほひて聞こえはべるは、いとおもしろく、極楽思ひやられはべるや」
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「なるほど、また、この姫君たちが、琴を合奏なさって楽しんでいらっしゃるのが、川波と競って聞こえますのは、たいそう興趣あって、極楽もかくやと想像されますね」
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「八の宮の姫君がたが合奏をなさいます琴や琵琶の音が私の寺へ、宇治川の波音といっしょに聞こえてまいりますのが、非常にけっこうで、極楽の遊びが思われます」
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"Geni, hata, kono HimeGimi-tati no, koto hiki ahase te asobi tamahe ru, kahanami ni kihohi te kikoye haberu ha, ito omosiroku, Gokuraku omohiyara re haberu ya!"
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2.2.8 |
と、古体にめづれば、 帝ほほ笑みたまひて、
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と、古風に誉めるので、院の帝はほほ笑みなさって、
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こんな昔風なほめ方をするのに、院の帝は微笑をお見せになって、
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to, kotai ni medure ba, Mikado hohowemi tamahi te,
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2.2.9 |
「 さる聖のあたりに生ひ出でて、この世の方ざまは、たどたどしからむと推し量らるるを、をかしのことや。うしろめたく、思ひ捨てがたく、もてわづらひたまふらむを、 もし、しばしも後れむほどは、譲りやはしたまはぬ」
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「そのような聖の近くにお育ちになって、この世の方面のことは、暗かろうと想像されるが、興趣あることだね。気がかりで見捨てることができず、苦にしていらっしゃるだろうことが、もし、少しでも後に自分が生き残っているようであったら、後見役をお譲りなさらないだろうか」
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「そんな聖の家で育てられていては、そうした芸術的な趣味には欠けているかと想像もされるのに珍しいことだね。宮が気がかりにお思いになる人を、順序から言って私のほうがしばらくでも長くこの世におられるとすれば、私へ託してお置きにならないだろうか」
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"Saru hiziri no atari ni ohiide te, konoyo no katazama ha, tadotadosikara m to osihakara ruru wo, wokasi no koto ya! Usirometaku, omohi sute gataku, mote-wadurahi tamahu ram wo, mosi, sibasi mo okure m hodo ha, yuduri yaha si tamaha nu."
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2.2.10 |
などぞのたまはする。 この院の帝は、十の御子にぞおはしましける。朱雀院の、故六条院に預けきこえたまひし、入道宮の御例を 思ほし出でて、「 かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。
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などと仰せになる。この院の帝は、第十の皇子でいらっしゃるのであった。朱雀院が、故六条院にお預け申し上げなさった入道宮のご先例をお思い出しになって、「あの姫君たちを欲しいものだ。所在ない遊び相手として」などとお思いになるのであった。
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とも仰せられた。院の帝は十の宮でおありになった。朱雀院が晩年に六条院へお託しになった姫宮の例をお思いになって、その姫君たちを得たい、つれづれをあるいは慰められるかもしれないと思召すのである。
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nado zo notamaha suru. Kono Win-no-Mikado ha, zihu no miko ni zo ohasimasi keru. Suzyaku-Win no, ko-Rokudeu-no-Win ni aduke kikoye tamahi si, Nihudau-no-Miya no ohom-tamesi wo omohosi ide te, "Kano Kimi-tati wo gana! Turedure naru asobigataki ni." nado uti-obosi keri.
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2.3 |
第三段 阿闍梨、八の宮に薫を語る
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2-3 A bonze talks about Kaoru to Hachi-no-miya
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2.3.1 |
中将の君、 なかなか、親王の思ひ澄ましたまへらむ御心ばへを、「対面して、見たてまつらばや」と思ふ心ぞ深くなりぬる。さて阿闍梨の帰り入るにも、
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中将の君は、かえって、親王が悟り澄ましていらっしゃるお心づかいを、「お目にかかって、お伺いしたいものだ」と思う気持ちが深くなった。そうして阿闍梨が山に帰ていくときにも、
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年の若い薫中将はかえって姫君たちの話に好奇心などは動かされずに、八の宮の悟り澄ましておいでになる御心境ばかりが羨望されて、お目にかかりたいと深く思うのであった。阿闍梨が帰って行く時にも、
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Tiuzyau-no-Kimi, nakanaka, Miko no omohi-sumasi tamahe ra m mi-kokorobahe wo, "Taimen si te, mi tatematura baya!" to omohu kokoro zo hukaku nari nuru. Sate Azari no kaheri iru ni mo,
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2.3.2 |
「 かならず参りて、もの習ひきこゆべく、まづうちうちにも、けしき賜はりたまへ」
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「きっと参って、お教えて戴けるよう、まずは内々にでも、ご意向を伺ってください」
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「必ず宇治へ伺わせていただいて、宮のお教えを受けようと私は思いますから、あなたからまず内々思召しを伺っておいてください」
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"Kanarazu mawiri te, mono-narahi kikoyu beku, madu utiuti ni mo, kesiki tamahari tamahe."
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2.3.3 |
など語らひたまふ。
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などとお頼みになる。
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と薫は頼んだ。
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nado katarahi tamahu.
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2.3.4 |
帝の、御言伝てにて、「 あはれなる御住まひを、人伝てに聞くこと」など聞こえたまうて、
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院の帝が、御使者を介して、「お気の毒な御生活を、人伝てに聞きまして」など申し上げなさって、
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院の帝はお言葉で、「寂しいお住居の御様子を人づてで聞くことができました」とも宮へお伝えさせになった。また、
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Mikado no, ohom-kotodute nite, "Ahare naru ohom-sumahi wo, hitodute ni kiku koto." nado kikoye tamau te,
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2.3.5 |
「 世を厭ふ心は山にかよへども 八重立つ雲を君や隔つる」 |
「世を厭う気持ちは宇治山に通じておりますが 幾重にも雲であなたが隔てていらっしゃるのでしょうか」 |
世をいとふ心は山に通へども 八重立つ雲を君や隔つる
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"Yo wo itohu kokoro ha yama ni kayohe domo yahe tatu kumo wo kimi ya hedaturu |
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2.3.6 |
阿闍梨、この御使を先に立てて、かの宮に参りぬ。 なのめなる際の、さるべき人の使だにまれなる山蔭に、いとめづらしく、待ちよろこびたまうて、所につけたる肴などして、さる方にもてはやしたまふ。 御返し、
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阿闍梨は、この御使者を先に立てて、あちらの宮に参上した。並々の身分で、訪問してよい人の使いでさえまれな山蔭なので、実に珍しく、お待ち喜びになって、場所に相応しい御馳走などを用意して、山里らしい持てなしをなさる。お返事は、
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という御歌もお託しになった。阿闍梨は八の宮をお喜ばせするこのお役の誇りを先立てて山荘へまいった。普通の人から立てられる使いもまれな山蔭へ、院のお便りを持って阿闍梨が来たのであったから、宮は非常にうれしく思召して山里らしい酒肴もお出しになっておねぎらいになった。お返事、
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Azari, kono ohom-tukahi wo saki ni tate te, kano Miya ni mawiri nu. Nanome naru kiha no, sarubeki hito no tukahi dani mare naru yamakage ni, ito medurasiku, mati yorokobi tamau te, tokoro ni tuke taru sakana nado si te, saru kata ni motehayasi tamahu. Ohom-kahesi,
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2.3.7 |
「 あと絶えて心澄むとはなけれども 世を宇治山に宿をこそ借れ」 |
「世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが 世を辛いものと思い宇治山に暮らしております」 |
跡たえて心すむとはなけれども 世を宇治山に宿をこそ借れ
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"Ato taye te kokoro sumu to ha nakere domo yo wo Udiyama ni yado wo koso kare |
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2.3.8 |
聖の方をば卑下して聞こえなしたまへれば、「 なほ、世に恨み残りける」と、いとほしく御覧ず。
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仏道修業の方面については謙遜して申し上げなさっていたので、「やはり、この世に恨みが残っていたな」と、いたわしく御覧になる。
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宗教のことは卑下してお言いにならず、寂しい人間としての御近況をお報じになったために、院は宮がまだ不平をこの世に持っておいでになるものとして御同情をあそばされた。
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Hiziri no kata wo ba hige si te kikoye nasi tamahe re ba, "Naho, yo ni urami nokori keru." to, itohosiku goranzu.
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2.3.9 |
阿闍梨、 中将の、道心深げにものしたまふなど、語りきこえて、
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阿闍梨は、中将の君が、道心深くいらっしゃることなどを、お話し申し上げて、
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阿闍梨は薫中将が宗教的な人物であることなどをお話しして、
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Azari, Tiuzyau no, dausin kokorohukage ni monosi tamahu nado, katari kikoye te,
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2.3.10 |
「 法文などの心得まほしき心ざしなむ、いはけなかりし齢より深く思ひながら、えさらず世にあり経るほど、公私に暇なく明け暮らし、わざと閉ぢ籠もりて習ひ読み、おほかたはかばかしくもあらぬ身にしも、世の中を背き顔ならむも、憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、紛らはしくてなむ過ぐし来るを、いとありがたき御ありさまを承り伝へしより、かく心にかけてなむ、頼みきこえさする、など、ねむごろに申したまひし」など語りきこゆ。
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「経文などの真意を会得したい希望が、幼い時から深く思いながら、やむをえず世にあるうちに、公私に忙しく日を過ごし、わざわざ部屋に閉じ籠もって経を読み習い、だいたいが大して役にも立たない身として、世の中に背き顔をしているのも、遠慮することではないが、自然と修業も怠って、俗事に紛れて過ごして来たが、たいそうご立派なご様子を承ってから、このように心にかけて、お頼み申し上げるのです、などと、熱心に申し上げなさいました」などとお話し申し上げる。
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「仏道の学問を深くしたい望みを少年時代から持っているのでございますが、専念にそのほうを勉強いたしますことは、私ごとき頭脳のよろしくないものが、優越者か何かのようにこの世を見下すまちがった態度のように思われますのを、それ自体がまちがったことでしょうが、恐れておりまして、目だたせずしようといたしますために、怠ることにもなり、ほかのことに紛れるようになりいたしまして今日までまいったのですが、けっこうな御境地に達しておられますあなた様のことを承ったものですから、ぜひお教えを得たいと望まれてなりませんなどと丁寧なお言づてを受けてまいりました」などと語った。
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"Hohumon nado no kokoroe mahosiki kokorozasi nam, ihakenakari si yohahi yori hukaku omohi nagara, e sarazu yo ni ari huru hodo, ohoyake watakusi ni itoma naku akekurasi, wazato todikomori te narahi yomi, ohokata hakabakasiku mo ara nu mi ni simo, yononaka wo somuki gaho nara m mo, habakaru beki ni ara ne do, onodukara uti-tayumi, magirahasiku te nam sugusi kuru wo, ito arigataki ohom-arisama wo uketamahari tutahe si yori, kaku kokoro ni kake te nam, tanomi kikoye sasuru, nado, nemgoro ni mausi tamahi si." nado katari kikoyu.
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2.3.11 |
宮、
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宮は、
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宮は、
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Miya,
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2.3.12 |
「 世の中をかりそめのことと思ひ取り、厭はしき心のつきそむることも、 わが身に愁へある時、 なべての世も恨めしう思ひ知る初めありてなむ、道心も起こるわざなめるを、年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さはた、後の世をさへ、たどり知りたまふらむがありがたさ。
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「世の中を仮の世界と思い悟り、厭わしい心がつき始めたことも、自分自身に不幸がある時、大方の世も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こることのようですが、年若く、世の中も思い通りに行き、何事も満足しないことはないと思われる身分で、そのようにまた、来世までを、考えていらっしゃるのが立派です。
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「人生をかりそめと悟り、いとわしく思う心の起り始めるのも、その人自身に不幸のあった時とか、社会から冷遇されたとか、そんな動機によることですが、年がまだ若くて、思うことが何によらずできる身の上で、不満足などこの世になさそうな人が、そんなにまた後世のことを念頭に置いて研究して行こうとされるのは珍しいことですね。
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"Yononaka wo karisome no koto to omohi tori, itohasiki kokoro no tuki somuru koto mo, waga mi ni urehe aru toki, nabete no yo mo uramesiu omohi siru hazime ari te nam, dausin mo okoru waza na' meru wo, tosi wakaku, yononaka omohu ni kanahi, nanigoto mo aka nu koto ha ara zi to oboyuru mi no hodo ni, sa hata, noti no yo wo sahe, tadori siri tamahu ram ga arigatasa.
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2.3.13 |
ここには、さべきにや、ただ厭ひ離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで、過ぎぬべかめるを、来し方行く末、 さらに得たるところなく思ひ知らるるを、かへりては、心恥づかしげなる法の友にこそは、ものしたまふなれ」
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わたしは、そうなるべき運命なのか、ただ厭い離れよと、格別に仏などのお勧めになるような状態で、自然と、静かな思いが適って行きましたが、余命少ない気がするのに、ろくに悟りもしないで、過ぎてしまいそうなのを、過去も未来も、全然悟るところがなく思われるが、かえって、恥入るような仏法の友の方で、いらっしゃいますね」
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私などはどうした宿命だったのでしょうか、これでもこの世がいやにならぬか、これでも濁世を離れる気にならぬかと、仏がおためしになるような不幸を幾つも見たあとで、ようやく仏教の精神がわかってきたが、わかった時にはもう修行をする命が少なくなっていて、道の深奥を究めることは不可能とあきらめているのだから、年だけは若くても私の及ばない法の友かと思われる」
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Koko ni ha, sa' beki ni ya, tada itohi hanare yo to, kotosarani Hotoke nado no susume omomuke tamahu yau naru arisama nite, onodukara koso, siduka naru omohi kanahi yuke do, nokori sukunaki kokoti suru ni, hakabakasiku mo ara de, sugi nu beka' meru wo, kisikata yukusuwe, sarani e taru tokoro naku omohi sira ruru wo, kaheri te ha, kokorohadukasige naru nori no tomo ni koso ha, monosi tamahu nare."
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2.3.14 |
などのたまひて、かたみに御消息通ひ、 みづからも参うでたまふ。
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などおっしゃって、お互いにお手紙を交わし、自分自身でも参上なさる。
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とお言いになって、その後双方から手紙の書きかわされることになり、薫中将が自身でお訪ねして行くようになった。
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nado notamahi te, katamini ohom-seusoko kayohi, midukara mo maude tamahu.
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出典7 |
なべての世も恨めしう |
おほかたのわが身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな |
拾遺集恋五-九五三 紀貫之 |
2.3.12 |
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2.4 |
第四段 薫、八の宮と親交を結ぶ
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2-4 Kaoru makes friend with Hachi-no-miya
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2.4.1 |
げに、聞きしよりもあはれに、住まひたまへるさまよりはじめて、いと仮なる草の庵に、思ひなし、ことそぎたり。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべく、のどやかなるもあるを、いと荒ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、 夜など、心解けて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹き払ひたり。
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なるほど、聞いていたよりもいたわしく、お暮らしになっている様子をはじめとして、まことに仮の粗末な庵で、そう思うせいか、簡素に見えた。同じ山里と言っても、それなりに興味惹かれそうな、のんびりとしたところもあるのだが、実に荒々しい水の音、波の響きに、物思いを忘れたり、夜などは、気を許して夢をさえ見る間もなさそうに、風がものすごく吹き払っていた。
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阿闍梨から話に聞いて想像したよりも目に見ては寂しい八の宮の山荘であった。仮の庵という体裁で簡単にできているのである。山荘といっても風流な趣を尽くした贅沢なものもあるが、ここは荒い水音、波の響きの強さに、思っていることも心から消される気もされて、夜などは夢を見るだけの睡眠が続けられそうもない。素朴といえば素朴、すごいといえばすごい山荘である。
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Geni, kiki si yori mo ahareni, sumahi tamahe ru sama yori hazime te, ito kari naru kusa no ihori ni, omohinasi, kotosogi tari. Onaziki yamazato to ihe do, saru kata nite kokoro tomari nu beku, nodoyaka naru mo aru wo, ito aramasiki midu no oto, nami no hibiki ni, mono wasure uti si, yoru nado, kokoro toke te yume wo dani miru beki hodo mo nage ni, sugoku huki harahi tari.
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2.4.2 |
「 聖だちたる御ために、かかるしも こそ、心とまらぬもよほしならめ、女君たち、何心地して過ぐしたまふらむ。世の常の女しくなよびたる方は、遠くや」と推し量らるる御ありさまなり。
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「仏道修業者めいた人のためには、このようなことも、気にならないことなのであろうが、女君たちは、どのような気持ちで過ごしていらっしゃるのだろう。世間一般の女性らしく優しいところは、少ないのではなかろうか」と推量されるご様子である。
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僧のごとく悟っておいでになる宮のためにはこんな家においでになることは、人生を捨てやすくなることであろうが姫君たちはどんな気持ちで暮らしておいでになるであろう、世間の女に見るような柔らかな感じなどは失っておいでになるであろうとこんな観察も薫はされるのであった。
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"Hiziridati taru ohom-tame ni, kakaru simo koso, kokoro tomara nu moyohosi nara me, WomnaGimi-tati, nani gokoti si te sugusi tamahu ram? Yo no tune no womnasiku nayobi taru kata ha, tohoku ya?" to osihakara ruru ohom-arisama nari.
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2.4.3 |
仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞ おはすべかめる。 好き心あらむ人は、けしきばみ寄りて、人の御心ばへをも見まほしう、 さすがにいかがと、ゆかしうもある御けはひなり。
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仏間との間に、襖障子だけを隔てていらっしゃるようである。好色心ある人は、気のあるそぶりをして、姫君のお気持ちを見たく、やはりどのようなものかと、興味惹かれるご様子である。
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仏間になっている所とは襖子一重隔てた座敷に女王たちは住んでいるらしく思われた。異性に興味を持つ男であれば、交際をし始めて、どんな性質の人たちかとまず試みたいという気は起こすことであろうと思われる空気も山荘にはあった。
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Hotoke no ohom-hedate ni, sauzi bakari wo hedate te zo ohasu beka' meru. Sukigokoro ara m hito ha, kesikibami yori te, hito no ohom-kokorobahe wo mo mi mahosiu, sasugani ikaga to, yukasiu mo aru ohom-kehahi nari.
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2.4.4 |
されど、「 さる方を思ひ離るる願ひに、山深く尋ねきこえたる本意なく、好き好きしきなほざりごとをうち出であざればまむも、ことに違ひてや」など思ひ返して、宮の御ありさまのいとあはれなるを、ねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたび参りたまひつつ、 思ひしやうに、 優婆塞ながら行ふ山の深き心 ★、法文など、わざとさかしげにはあらで、 いとよくのたまひ知らす。
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けれども、「そのような方面を思い離れた願いで、山深くお尋ね申した目的もなく、好色がましいいいかげんなことを口に出してふざけるのも、主旨と違うのではないか」などと反省して、宮のご様子のまことにいたわしいのを、丁重にお見舞い申し上げなさり、度々参上しては、思っていたように、在俗のまま山に籠もり修業する深い意義、経文などを、特に賢ぶることなく、まことよくお聞かせになる。
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しかしそうした異性に心の動かされぬ人たるべく遠くに師とする方を尋ねて来ながら、普通の男らしく山荘の若い女性に誘惑を試みる言行があってはならないと薫は思い返して、宮のお気の毒な御生活を懇切に御補助することを心がけることにして、たびたび伺っては、かねて願ったように俗体で深く信仰の道にはいるその方法とか、あるいは経文の解釈とかを宮から伺おうとした。学問的ばかりでなく、柔らかに比喩をお用いになったりなどして、宮が説明あそばすことはよく薫の心にはいった。
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Saredo, "Saru kata wo omohi hanaruru negahi ni, yama hukaku tadune kikoye taru ho'i naku, sukizukisiki nahozarigoto wo utiide azarebama m mo, koto ni tagahi te ya?" nado omohikahesi te, Miya no ohom-arisama no ito ahare naru wo, nemgoroni toburahi kikoye tamahi, tabitabi mawiri tamahi tutu, omohi si yau ni, ubasoku nagara okonahu yama no hukaki kokoro, hohumon nado, wazato sakasige ni ha ara de, ito yoku notamahi sirasu.
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2.4.5 |
聖だつ人、才ある法師などは、世に多かれど、あまりこはごはしう、気遠げなる宿徳の僧都、僧正の際は、世に暇なくきすくにて、ものの心を問ひあらはさむも、 ことことしくおぼえたまふ。
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聖めいた人、学問のできる法師などは、世の中に多くいるが、あまりに堅苦しく、よそよそしい徳の高い僧都、僧正の身分は、世間的に忙しくそっけなくて、物事の道理を問いただすにも、仰々しく思われなさる。
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高僧と言われる人とか、学才のある僧とかは世間に多いがあまりに人間と離れ過ぎた感がして、きつい気のする有名な僧都とか、僧正とかいうような人は、また一方では多忙でもあるがために、無愛想なふうを見せて、質問したいことも躊躇されるものであるし、
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Hiziridatu hito, zae aru hohusi nado ha, yo ni ohokare do, amari kohagohasiu, kedohoge naru siutoku no Soudu, Souzyau no kiha ha, yo ni itoma naku kisuku nite, mono no kokoro wo tohi arahasa m mo, kotokotosiku oboye tamahu.
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2.4.6 |
また、 その人ならぬ仏の御弟子の、忌むことを保つばかりの尊さはあれど、けはひ卑しく言葉たみて、こちなげにもの馴れたる、いとものしくて、昼は、公事に暇なくなどしつつ、しめやかなる宵のほど、 気近き御枕上などに召し入れ語らひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、 いとあてに、心苦しきさまして、のたまひ出づる言の葉も、同じ仏の御教へをも、耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御悟りにはあらねど、 よき人は、ものの心を得たまふ方の、いとことにものしたまひければ、 やうやう見馴れたてまつりたまふたびごとに、 常に見たてまつらまほしうて、暇なくなどして ほど経る時は、恋しくおぼえたまふ。
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また、これといったこともない仏の弟子で、戒律を守っているだけの尊さはあるが、雰囲気が賤しく言葉がなまって、不作法に馴れ馴れしいのは、とても不愉快で、昼は、公事に忙しくなどしながら、ひっそりとした宵のころに、側近くの枕許などに召し入れてお話しなさるにつけても、まことにやはりむさ苦しい感じばかりがするが、たいそう気品高く、いたいたしい感じで、おっしゃる言葉も、同じ仏のお教えも、分りやすい譬えをまぜて、たいそうこの上なく深いお悟りというわけではないが、身分の高い方は、物事の道理を悟りなさる方法が、特別でいらっしゃったので、だんだんとお親しみ申し上げなさる度毎に、いつもお目にかかっていたく思って、忙しくなどして日を過ごしている時は、恋しく思われなさる。
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また人格は低くてただ僧になっているという点にだけ敬意も持てるような人で、下品な、言葉づかいも卑しいのが、玄人らしく馴れた調子で経文の説明を聞かせたりするのは反感が起こることでもあって、昼間は公務のために暇がない薫のような人は、静かな宵などに、寝室の近くへ招いて話し相手をさせる気になれないものであるが、気高い、優美な御風采の八の宮の、お言いになるのは同じ道の教えに引用される例なども、平生の生活によき感化をお与えになる親しみの多いものを混ぜたりあそばされることで効果が多いのである。最も深い悟りに達しておられるというのではないが、貴人は直覚でものを見ることが穎敏であるから、学問のある僧の知らぬことも体得しておいでになって、次第になじみの深くなるにしたがい、薫の思慕の情は加わるばかりで、始終お逢いしたくばかり思われ、公務の忙しいために長く山荘をお訪ねできない時などは恋しく宮をお思いした。
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Mata, sono hito nara nu Hotoke no ohom-desi no, imu koto wo tamotu bakari no tahutosa ha are do, kehahi iyasiku kotoba tami te, kotinage ni mononare taru, ito monosiku te, hiru ha, ohoyakegoto ni itoma naku nado si tutu, simeyaka naru yohi no hodo, kedikaki ohom-makuragami nado ni mesiire katarahi tamahu ni mo, ito sasugani mono-mutukasiu nado nomi aru wo, ito ateni, kokorogurusiki sama si te, notamahi iduru kotonoha mo, onazi Hotoke no ohom-wosihe wo mo, mimi tikaki tatohi ni hiki-maze, ito koyonaku hukaki ohom-satori ni ha ara ne do, yoki hito ha, mono no kokoro wo e tamahu kata no, ito koto ni monosi tamahi kere ba, yauyau minare tatematuri tamahu tabi goto ni, tuneni mi tatematura mahosiu te, itoma naku nado si te hodo huru toki ha, kohisiku oboye tamahu.
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2.4.7 |
この君の、かく尊がりきこえたまへれば、冷泉院よりも、常に御消息などありて、年ごろ、音にもをさをさ聞こえたまはず、 寂しげなりし御住み処、やうやう人目見る時々あり。折ふしに、訪らひきこえたまふこと、いかめしう、この君も、まづさるべきことにつけつつ、 をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、心寄せ仕うまつりたまふこと、 三年ばかりになりぬ。
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この君が、このように尊敬申し上げなさるので、冷泉院からも、常にお手紙などがあって、長年、噂にもまったくお聞きなされず、ひどく寂しそうであったお住まいに、だんだん来訪の人影を見る時々がある。何かの時に、お見舞い申し上げなさること、大したもので、この君も、まず適当なことにかこつけては、風流な面でも、経済的な面でも、好意をお寄せ申し上げなさること、三年ほどになった。
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薫がこんなふうに八の宮を尊敬するがために冷泉院からもよく御消息があって、長い間そうしたお使いの来ることもなく寂しくばかり見えた山荘に、京の人の影を見ることのあるようになった。そして院から御補助の金品を年に何度か御寄贈もされることになった。薫も何かの機会を見ては、風流な物をも、実用的な品をも贈ることを怠らなかった。こんなふうでもう三年ほどもたった。
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Kono Kimi no, kaku tahutogari kikoye tamahe re ba, Reizei-Win yori mo, tuneni ohom-seusoko nado ari te, tosigoro, oto ni mo wosawosa kikoye tamaha zu, sabisige nari si ohom-sumika, yauyau hitome miru tokidoki ari. Worihusi ni, toburahi kikoye tamahu koto, ikamesiu, kono Kimi mo, madu sarubeki koto ni tuke tutu, wokasiki yau ni mo, mameyaka naru sama ni mo, kokoroyose tukaumaturi tamahu koto, samnen bakari ni nari nu.
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出典8 |
優婆塞ながら行ふ山 |
優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば |
宇津保物語-嵯峨院二一二 |
2.4.4 |
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Last updated 12/14/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 12/14/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 3/10/2002 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 12/14/2010 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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