第四十五帖 橋姫


45 HASIHIME (Meiyu-rinmo-bon)


薫君の宰相中将時代
二十二歳秋から十月までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from in fall to October in winter at the age of 22

4
第四章 薫の物語 薫、出生の秘密を知る


4  Tale of Kaoru  Kaoru gets to know his secret birth

4.1
第一段 十月初旬、薫宇治へ赴く


4-1  Kaoru goes to Uji at the early in October

4.1.1   十月になりて、五、六日のほどに、宇治へ参うでたまふ
 十月になって、五、六日の間に、宇治へ参られる。
 十月になって五、六日ごろにかおるは宇治へ出かけた。
  Zihugwatu ni nari te, go, rokuniti no hodo ni, Udi he maude tamahu.
4.1.2  「 網代をこそ、このころは御覧ぜめ」と、聞こゆる人びとあれど、
 「網代を、この頃は御覧なさい」と、申し上げる人びとがいるが、
 「季節ですから網代あじろの漁をさせてごらんになるとおもしろうございます」と進言する従者もあったが、
  "Aziro wo koso, konokoro ha goranze me." to, kikoyuru hitobito are do,
4.1.3  「 何か、その蜉蝣に争ふ心にて、網代にも寄らむ」
 「どうして、その蜉蝣とはかなさを争うような身で、網代の側に行こうか」
 「そんなことはいやだ。こちらも氷魚ひおとか蜉蝣ひおむしとかに変わらないはかない人間だからね」
  "Nanika, sono hiwomusi ni arasohu kokoro nite, aziro ni mo yora m."
4.1.4  と、そぎ捨てたまひて、例の、いと忍びやかにて出で立ちたまふ。軽らかに網代車にて、かとりの直衣指貫縫はせて、ことさらび着たまへり。
 と、お省きなさって、例によって、たいそうひっそりと出立なさる。気軽に網代車で、かとりの直衣指貫を仕立てさせて、ことさらお召しになっていた。
 としりぞけて、多数の人はつれずに身軽に網代車に乗り、作らせてあった平絹の直衣のうし指貫さしぬきをわざわざ身につけて行った。
  to, sogi sute tamahi te, rei no, ito sinobiyaka nite idetati tamahu. Karorakani aziroguruma nite, katori no nahosi sasinuki nuha se te, kotosarabi ki tamahe ri.
4.1.5  宮、待ち喜びたまひて、所につけたる御饗応など、をかしうしなしたまふ。暮れぬれば、大殿油近くて、さきざき見さしたまへる 文どもの深きなど、阿闍梨も請じおろして、 義など言はせたまふ
 宮は、お待ち喜びになって、場所に相応しい饗応など、興趣深くなさる。日が暮れたので、大殿油を近くに寄せて、前々から読みかけていらした経文類の深い意味などを、阿闍梨も下山してもらい、釈義などを言わせなさる。
 宮は非常にお喜びになり、この土地特有な料理などを作らせておもてなしになった。日が暮れてからはを近くへお置きになり、薫といっしょに研究しておいでになった経文の解釈などについて阿闍梨あじゃりをも寺からお迎えになって意見をお言わせになったりもした。
  Miya, mati yorokobi tamahi te, tokoro ni tuke taru ohom-aruzi nado, wokasiu si nasi tamahu. Kure nure ba, ohotonabura tikaku te, sakizaki mi sasi tamahe ru humi-domo no hukaki nado, Azari mo sauzi orosi te, gi nado iha se tamahu.
4.1.6  うちもまどろまず、川風のいと荒らましきに、木の葉の散りかふ音、水の響きなど、 あはれも過ぎて、もの恐ろしく心細き所のさまなり
 少しもうとうととなさらずに、川風がたいそう荒々しいうえに、木の葉が散り交う音、水の響きなど、しみじみとした情感なども通り越して、何となく恐ろしく心細い場所の様子である。
 主客ともにねむることなしに夜通し宗教を談じているのであるが、荒く吹く河風かわかぜ、木の葉の散る音、水の響きなどは、身にしむという程度にはとどまらずに恐怖をさえも与える心細い山荘であった。
  Uti mo madoroma zu, kahakaze no ito aramasiki ni, konoha no tiri kahu oto, midu no hibiki nado, ahare mo sugi te, mono-osorosiku kokorobosoki tokoro no sama nari.
4.1.7  明け方近くなりぬらむと 思ふほどにありししののめ思ひ出でられて琴の音のあはれなることのついで作り出でて
 明け方近くになったろうと思う時に、先日の夜明けの様子が思い出されて、琴の音がしみじみと身にしみるという話のきっかけを作り出して、
 もう明け方に近いと思われる時刻になって、薫は前の月の霧の夜明けが思い出されるから、話を音楽に移して言った。
  Akegata tikaku nari nu ram to omohu hodo ni, ari si sinonome omohi ide rare te, koto no ne no ahare naru koto no tuide tukuri ide te,
4.1.8  「 さきのたびの霧に惑はされはべりし曙にいとめづらしき物の音、一声承りし残りなむ、なかなかにいといぶかしう、飽かず思うたまへらるる」など聞こえたまふ。
 「前回の、霧に迷わされた夜明けに、たいそう珍しい楽の音を、ちょっと拝聴した残りが、かえっていっそう聞きたく、物足りなく思っております」などと申し上げなさる。
 「先日霧の濃く降っておりました明け方に、珍しい楽音を、ただ一声と申すほど伺いまして、それきりおやめになって聞かせていただけませんでしたことが残念に思われてなりません」
  "Saki no tabi no, kiri ni madoha sare haberi si akebono ni, ito medurasiki mononone, hitokowe uketamahari si nokori nam, nakanaka ni ito ibukasiu, akazu omou tamahe raruru." nado kikoye tamahu.
4.1.9  「 色をも香をも思ひ捨ててし後、昔聞きしことも皆忘れてなむ」
 「美しい色や香も捨ててしまった後は、昔聞いたこともみな忘れてしまいました」
 「色も香も思わない人に私がなってからは音楽のことなどにもうとくなるばかりで皆忘れていますよ」
  "Iro wo mo ka wo mo omohi sute te si noti, mukasi kiki si koto mo mina wasure te nam."
4.1.10  とのたまへど、人召して、琴取り寄せて、
 とおっしゃるが、人を召して、琴を取り寄せて、
 宮はこうお言いになりながらも、侍に命じて琴をお取り寄せになった。
  to notamahe do, hito mesi te, koto toriyose te,
4.1.11  「 いとつきなくなりにたりや。しるべする物の音につけてなむ、思ひ出でらるべかりける」
 「まことに似合わなくなってしまった。先導してくれる音に付けて、思い出されようかしら」
 「こんなことをするのが不似合いになりましたよ。導いてくださるものがあると、それにひかれて忘れたものも思い出すでしょうから」
  "Ito tukinaku nari ni tari ya! Sirube suru mononone ni tuke te nam, omohi ide raru bekari keru."
4.1.12  とて、琵琶召して、客人にそそのかしたまふ。取りて調べたまふ。
 と言って、琵琶を召して、客人にお勧めなさる。手に取って調子を合わせなさる。
 と言って、琵琶をも薫のためにお出させになった。薫はちょっと手に取って、調べてみたが、
  tote, biha mesi te, marauto ni sosonokasi tamahu. Tori te sirabe tamahu.
4.1.13  「 さらに、ほのかに聞きはべりし同じものとも思うたまへられざりけり。御琴の響きからにやとこそ、思うたまへしか」
 「まったく、かすかに聞きましたものと同じ楽器とは思われません。お琴の響きからかと、存じられました」
 「ほのかに承った時のこれが楽器とは思われません。特別な琵琶であるように思いましたのは、やはり弾き手がお違いになるからでございました」
  "Sarani, honokani kiki haberi si onazi mono to mo omou tamahe rare zari keri. Ohom-koto no hibiki kara ni ya to koso, omou tamahe sika."
4.1.14  とて、心解けても掻きたてたまはず。
 と言って、気を許してお弾きにならない。
 と言って、熱心に弾こうとはしなかった。
  tote, kokorotoke te mo kaki tate tamaha zu.
4.1.15  「 いで、あな、さがなや。しか 御耳とまるばかりの手などは何処よりかここまでは伝はり来む。あるまじき御ことなり」
 「何と、まあ、口の悪い。そのようにお耳にとまるほどの弾き方などは、どこからここまで伝わって来ましょう。ありえない事です」
 「とんでもない誤解ですよ。あなたの耳にとまるような芸がどこからここへ伝わってくるものですか、誤解ですよ」
  "Ide, ana, sagana ya! Sika ohom-mimi tomaru bakari no te nado ha, iduko yori ka koko made ha tutahari ko m. Aru maziki ohom-koto nari."
4.1.16  とて、琴掻きならしたまへる、いとあはれに心すごし。かたへは、 峰の松風のもてはやすなるべし 。いとたどたどしげにおぼめきたまひて、 心ばへあり。手一つばかりにてやめたまひつ。
 と言って、琴を掻き鳴らしなさる、実にしみじみとぞっとする程である。一方では、峰の松風が引き立てるのであろう。たいそうおぼつかなく不確かなようにお弾きになって、趣きがある。曲目を一つだけでお止めになった。
 宮はこうお言いになりながら琴をお弾きになるのであったが、それは身にしむ音で、すごい感じがした。庭の松風の伴奏がしからしめるのかもしれない。忘れたというふうにあそばしながら一つの曲の一節だけを弾いて宮はおやめになった。
  tote, kin kaki-narasi tamahe ru, ito ahare ni kokorosugosi. Katahe ha, mine no matukaze no motehayasu naru besi. Ito tadotadosige ni obomeki tamahi te, kokorobahe ari. Te hitotu bakari nite yame tamahi tu.
注釈327十月になりて五六日のほどに宇治へ参うでたまふ十月は初冬である。しかし、実際の冬は立冬の日からである。薫は晩秋に宇治を訪問して以来の宇治行き。4.1.1
注釈328網代をこそこのころは御覧ぜめ供人の詞。4.1.2
注釈329何かその蜉蝣に争ふ心にて以下「網代にもよらむ」まで、薫の心中。『集成』は「(蜉蝣に)「氷魚(ひを)」を響かせ、「寄る」は、氷魚が網代に寄る意を下に含む」。『完訳』は「氷魚ではないが、蜉蝣とはかなさを争う心で網代見物でもあるまい」と注す。4.1.3
注釈330文どもの深きなど経文類の意味深い所。4.1.5
注釈331義など言はせたまふ『集成』は「解釈などおさせになる」。『完訳』は「講釈などおさせになる」と訳す。4.1.5
注釈332あはれも過ぎてもの恐ろしく心細き所のさまなり宇治の荒寥たる自然。貴族のもののあはれを超越。4.1.6
注釈333思ふほどに主語は薫。4.1.7
注釈334ありししののめ思ひ出でられて姫君たちが合奏していた場面。4.1.7
注釈335琴の音のあはれなることのついで作り出でて『集成』は「琴(きん)」、『完訳』は「琴(こと)」と振仮名付ける。三条西家本が「きむ」とある。他は漢字表記。八宮は琴の琴の名手であもある。4.1.7
注釈336さきのたびの明融臨模本と大島本は「さきのたひの」とある。『完本』は諸本に従って「前のたび」と「の」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。以下「思うたまへらるる」まで、薫の詞。4.1.8
注釈337霧に惑はされはべりし曙に前には「暁」「しののめ」などとあった。4.1.8
注釈338いとめづらしき物の音一声姫君たちの合奏を聴いたことをいう。4.1.8
注釈339色をも香をも以下「皆忘れてなむ」まで、八宮の返事。4.1.9
注釈340いとつきなく以下「べかりける」まで、八宮の詞。薫の後について弾こうの意。4.1.11
注釈341さらに以下「思うたまへしか」まで、薫の詞。副詞「さらに」は「思うたまへられざりけり」にかかる。『集成』は「先晩の琵琶の音をほめ、自らを卑下する言葉」と注す。琵琶は大君の弾く楽器。4.1.13
注釈342いであなさがなや以下「御ことなり」まで、八宮の詞。4.1.15
注釈343御耳とまるばかりの手などは「御耳」は薫の耳、「手」は娘たちの演奏技量。4.1.15
注釈344何処よりかここまでは伝はり来む反語表現。『集成』は「楽器の奏法は、高貴の人々からの伝承をよしとした。八の宮卑下の言葉」と注す。4.1.15
注釈345峰の松風のもてはやすなるべし『源氏釈』は「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を指摘。明融臨模本は「峰」に朱合点し付箋に指摘。この付箋は定家本を継承するものか。「なるべし」は語り手の推量。4.1.16
注釈346心ばへあり明融臨模本は「心はえあり(り$ル)」とある。すなわち「り」をミセケチにして「ル」と訂正する。後人の筆である。大島本は「心はえあり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心ばへある」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.1.16
出典15 峰の松風のもてはやす 琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ 拾遺集雑上-四五一 斎宮女御 4.1.16
4.2
第二段 薫、八の宮の娘たちの後見を承引


4-2  Kaoru promises to take care of Hachi-no-miya's daughters

4.2.1  「 このわたりに、おぼえなくて、折々ほのめく 箏の琴の音こそ、心得たるにや、と聞く折はべれど、 心とどめてなどもあらで、久しうなりにけりや心にまかせて、おのおの掻きならすべかめるは、川波ばかりや、打ち合はすらむ。 論なう、物の用にすばかりの拍子なども、とまらじとなむ、おぼえはべる」とて、「 掻き鳴らしたまへ
 「このあたりに、思いがけなく、時々かすかに弾く箏の琴の音は、会得しているのか、と聞くこともございますが、気をつけて聴くことなどもなく、久しくなってしまったな。気の向くままに、それぞれ掻き鳴らすらしいのは、川波だけが合奏するのでしょう。もちろん、きちんとした拍子なども、身についてない、と存じます」と言って、「お弾きなさい」
 「私の家では時々鳴ることのある十三絃はちょっとおもしろい手筋のように思われることもありますが、私が熱心に見てやらなくなってもう長くなりますからね。現在家の者の弾いているものは皆前の川の波音を標準にして稽古けいこをしているだけの我流の芸にすぎません。むろん普通の拍子には合わないものになっているのですよ」そのあとで、「そうの琴をお弾きなさい」
  "Kono watari ni, oboye naku te, woriwori honomeku saunokoto no ne koso, kokoro e taru ni ya, to kiku wori habere do, kokoro todome te nado mo ara de, hisasiu nari ni keri ya! Kokoro ni makase te, onoono kaki-narasu beka' meru ha, kahanami bakari ya, uti-ahasu ram. Ron nau, mono no you ni su bakari no hausi nado mo, tomara zi to nam, oboye haberu." tote, "Kaki-narasi tamahe."
4.2.2  と、あなたに聞こえたまへど、「思ひ寄らざりし 独り言を、聞きたまひけむ だにあるものを、いとかたはならむ」とひき入りつつ、皆聞きたまはず。たびたび そそのかしたまへどとかく聞こえすさびて、やみたまひぬめれば、いと口惜しうおぼゆ。
 と、あちらに向かって申し上げなさるが、「思いもかけなかった独り琴を、お聞きになった方さえあるのを、とても未熟だろう」と言って引き籠もっては、すっかりお聞きにならない。何度もお勧め申し上げなさるが、何かと言い逃れなさって、終わってしまったようなので、とても残念に思われる。
 と姫君の居間のほうへ言っておやりになったが、「何も知らずに弾いていたのを、聞かれただけでも恥ずかしいのに、公然とまずいものをお聞かせできるものでない」女王は二人とも弾くのをがえんじない。父宮はたびたび勧めにおやりになったが、何かと口実を作って断わり、弾こうと姫君たちのしないのを薫は残念に思った。
  to, anata ni kikoye tamahe do, "Omohiyora zari si hitorigoto wo, kiki tamahi kem dani aru mono wo, ito kataha nara m." to hikiiri tutu, mina kiki tamaha zu. Tabitabi sosonokasi tamahe do, tokaku kikoye susabi te, yami tamahi nu mere ba, ito kutiwosiu oboyu.
4.2.3  そのついでにも、 かくあやしう、世づかぬ思ひやりにて過ぐすありさまどもの、思ひのほかなることなど、恥づかしう思いたり。
 この機会にも、このように妙に、世間離れしたように思われて暮らしている様子が、不本意なことだと、恥ずかしくお思いになっていた。
 宮は片親でお育てになった姫君たちが素直にお言葉どおりのことをしないのを恥ずかしく思召すふうであった。
  Sono tuide ni mo, kaku ayasiu, yoduka nu omohiyari nite sugusu arisama-domo no, omohi no hoka naru koto nado, hadukasiu oboi tari.
4.2.4  「 人にだにいかで知らせじと、はぐくみ過ぐせど、今日明日とも知らぬ身の残り少なさに、さすがに、 行く末遠き人は、落ちあふれてさすらへむこと、これ のみこそ、げに、世を離れむ際のほだしなりけれ」
 「誰にも何とかして知らせまいと、育てて来たが、今日明日とも知れない寿命の残り少なさに、何といっても、将来長い二人が、落ちぶれて流浪すること、これだけが、なるほど、この世を離れる際の妨げです」
 「女の子供のいることをなるべく人に知らせたくないと思ってね、私はだれも頼まずに自分の手だけで教育もしてきたのですが、もういつどうなるかもしれぬ命になってみると、さすがにまだ若い者は将来どんなふうにおちぶれてしまうことかと、その気がかりだけがこの世を辞して行く際の道のさわりになる気がするのです」
  "Hito ni dani ikade sirase zi to, hagukumi suguse do, kehu asu to mo sira nu mi no nokori sukunasa ni, sasuga ni, yukusuwe tohoki hito ha, oti ahure te sasurahe m koto, kore nomi koso, geni, yo wo hanare m kiha no hodasi nari kere."
4.2.5  と、 うち語らひたまへば、心苦しう見たてまつりたまふ。
 と、お話しなさるので、おいたわしく拝見なさる。
 とお言いになるのに、薫は心苦しいことであると同情された。
  to, uti-katarahi tamahe ba, kokorogurusiu mi tatematuri tamahu.
4.2.6  「 わざとの御後見だち、はかばかしき筋にははべらずとも、うとうとしからず思しめされむとなむ思うたまふる。しばしもながらへはべらむ命のほどは、 一言も、かく うち出で聞こえさせてむさまを、 違へはべるまじくなむ
 「特別のお後見、はっきりした形ではございませんでも、他人行儀でなくお思いくださっていただきたく存じます。少しでも長く生きております間は、一言でも、このようにお引き受け申し上げた旨に、背きますまいと存じます」
 「表だちました責任者になりませんでも、私の力でお尽くしのできますことだけは私がいたしますから、御信用くだすっていいと存じております。しばらくでもあなた様よりあとに残って生きているといたしますれば、こうしたお言葉をいただきました以上、決してたがえることはいたしません」
  "Wazato no ohom-usiromidati, hakabakasiki sudi ni ha habera zu tomo, utoutosikara zu obosimesa re m to nam omou tamahuru. Sibasi mo nagarahe habera m inoti no hodo ha, hitokoto mo, kaku utiide kikoye sase te m sama wo, tagahe haberu maziku nam."
4.2.7  など申したまへば、「 いとうれしきこと」と、思しのたまふ。
 などと申し上げなさると、「とても嬉しいこと」と、お思いになりおっしゃる。
 薫がこう申し上げると、「非常にうれしいことです」と宮はお言いになった。
  nado mausi tamahe ba, "Ito uresiki koto." to, obosi notamahu.
注釈347このわたりに以下「おぼえはべる」まで、八宮の詞。4.2.1
注釈348箏の琴の音明融臨模本の表記は「生のこと」。『集成』は「箏(しやう)の琴」とルビ。『完訳』は「箏(さう)の琴」とルビ。中君の弾く楽器。4.2.1
注釈349心とどめてなどもあらで久しうなりにけりや『完訳』は「俗事を捨てた宮は、姫君の音楽教育にも熱心でないのだろう」と注す。4.2.1
注釈350心にまかせて、おのおの掻きならすべかめるは合奏ではなくそれぞれが勝手に思い思いに弾いている、という意。4.2.1
注釈351論なう物の用に「論なう」「用に」などの漢語表現を含む。4.2.1
注釈352掻き鳴らしたまへ八宮の詞。姫君たちに演奏を勧める。4.2.1
注釈353独り言を『完訳』は「独り琴を」と整定。誰かに聴かせる目的で弾いたのではない琴の意。4.2.2
注釈354だにあるものを『集成』は「「だにあるものを」の「だにあり」は、きまった語法で、「あり」は、下に「かたはなり」を代行する」と注す。4.2.2
注釈355そそのかしたまへど明融臨模本と大島本は「そゝのかし給へと」とある。『完本』は諸本に従って「そそのかしきこえたまへど」と「きこえ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。4.2.2
注釈356とかく聞こえすさびて明融臨模本「すさ(さ$ま)ひて」とある。すなわち「さ」をミセケチにして「ま」と訂正する。大島本は「すさひて」とある。『集成』『完本』は訂正以前本文に従う。『新大系』は底本のままとする。4.2.2
注釈357かくあやしう世づかぬ思ひやりにて過ぐすありさまどもの「思ひやり」は他者の目から想像される意。『集成』は「かように風変りの、山家育ちでさぞ気がきかぬ者のように人から思われて過す娘たちの境遇が」と訳す。4.2.3
注釈358人にだにいかで知らせじと以下「ほだしなりけれ」まで、八宮の詞。『集成』は「(娘がいることなど)世間の人にも知らすまいして、隠して育ててきましたが。まして夫を持たせることなど考えもしなかった、という含意」と注す。4.2.4
注釈359行く末遠き人は八宮の二人娘の将来。4.2.4
注釈360うち語らひたまへば『集成』は「胸の内をお話しになるので」と訳す。4.2.5
注釈361わざとの御後見だち、はかばかしき筋にははべらずとも明融臨模本と大島本は「すちには」とある。『完本』は諸本に従って「筋に」と「は」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。以下「違へはべるまじくなむ」まで、薫の詞。『集成』は「夫として面倒をみるのではなくても、の意」と注す。「わざとの御後見」と「はかばかしき筋」は並立の構文。同じことを言っている。4.2.6
注釈362一言も自分が約束した言葉さす。4.2.6
注釈363うち出で聞こえさせてむ「聞こえさす」は薫の八宮に対する敬語。4.2.6
注釈364違へはべるまじくなむ係助詞「なむ」の下に「思ひたまふる」等の語句が省略。4.2.6
注釈365いとうれしきこと八宮の詞。4.2.7
校訂12 のみこそ のみこそ--のみなん(なん/$)こそ 4.2.4
4.3
第三段 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く


4-3  Kaoru listens to the coninuance of Ben's talking

4.3.1  さて、暁方の、宮の御行ひしたまふほどに、 かの老い人召し出でて、会ひたまへり。
 そうして、払暁の、宮がご勤行をなさる時に、あの老女を召し出して、お会いになった。
 明け方のお勤めを仏前で宮のあそばされる間に、薫は先夜の老女に面会を求めた。
  Sate, akatukigata no, Miya no ohom-okonahi si tamahu hodo ni, kano Oyibito mesiide te, ahi tamahe ri.
4.3.2  姫君の御後見にて さぶらはせたまふ、弁の君とぞいひける。 年も六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなど聞こゆ。
 姫君のご後見として伺候させなさっている、弁の君と言った人である。年も六十に少し届かない年齢だが、優雅で教養ある感じがして、話など申し上げる。
 これは姫君方のお世話役を宮がおさせておいでになる女で、弁の君という名であった。年は六十に少し足らぬほどであるが、優雅なふうのある女で、品よく昔の話をしだした。
  HimeGimi no ohom-usiromi nite saburaha se tamahu, Ben-no-Kimi to zo ihi keru. Tosi mo rokuzihu ni sukosi tara nu hodo nare do, miyabika ni yuwe aru kehahi si te, mono nado kikoyu.
4.3.3  故権大納言の君の、世とともにものを思ひつつ、病づき、はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出でて、泣くこと限りなし。
 故大納言の君が、いつもずっと物思いに沈み、病気になって、お亡くなりになった様子を、お話し申し上げて泣く様子はこの上ない。
 柏木かしわぎが日夜煩悶はんもんを続けた果てに病を得て、死に至ったことを言って非常に弁は泣いた。
  Ko-Gon-no-Dainagon-no-Kimi no, yo to tomoni mono wo omohi tutu, yamahiduki, hakanaku nari tamahi ni si arisama wo, kikoye ide te, naku koto kagiri nasi.
4.3.4  「 げに、よその人の上と聞かむだに、あはれなるべき 古事どもを、まして、年ごろおぼつかなく、ゆかしう、 いかなりけむことの初めにかと、仏にも、このことをさだかに知らせたまへと、念じつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを、おぼえぬついでに聞きつけつらむ」と思すに、涙とどめがたかりけり。
 「なるほど、他人の身の上話として聞くのでさえ、しみじみとした昔話を、それ以上に、長年気がかりで、知りたく、どのようなことの始まりだったのかと、仏にも、このことをはっきりとお知らせ下さいと、祈って来た効があってか、このように夢のようなしみじみとした昔話を、思いがけない機会に聞き付けたのだろう」とお思いになると、涙を止めることができなかった。
 他人であっても同情の念の禁じられないことであろうと思われる昔話を、まして長年月の間、真実のことが知りたくて、自分が生まれてくるに至った初めを、仏を念じる時にも、まずこの真実を明らかに知らせたまえと祈った効験でか、こうして夢のように、偶然のめぐり合わせで肉身のことが聞かれたと思っている薫には涙がとめどもなく流れるのであった。
  "Geni, yoso no hito no uhe to kika m dani, ahare naru beki hurukoto-domo wo, masite, tosigoro obotukanaku, yukasiu, ikanari kem koto no hazime ni ka to, Hotoke ni mo, kono koto wo sadaka ni sira se tamahe to, nenzi turu sirusi ni ya, kaku yume no yau ni ahare naru mukasigatari wo, oboye nu tuide ni kiki tuke tu ram." to obosu ni, namida todome gatakari keri.
4.3.5  「 さても、かく、その世の心知りたる人も 残りたまへりけるを。めづらかにも恥づかしうもおぼゆることの筋に、 なほ、かく言ひ伝ふるたぐひや、またもあらむ。年ごろ、かけても聞き及ばざりける」とのたまへば、
 「それにしても、このように、その当時の事情を知っている人が生き残っていらっしゃったよ。驚きもし恥ずかしくも思われる話について、やはり、このように伝え知っている人が、他にもいるだろうか。長年、少しも聞き及ばなかったが」とおっしゃると、
 「それにしてもその昔の秘密を知っている人が残っておいでになって、驚くべく恥ずかしい話を私に聞かせてくださるのですが、ほかにもまだこのことを知っている人があるでしょうか。今日まで私はその秘密の片端すらも聞くことがありませんでしたが」と薫は言った。
  "Satemo, kaku, sono yo no kokoro siri taru hito mo nokori tamahe ri keru wo. Meduraka ni mo hadukasiu mo oboyuru koto no sudi ni, naho, kaku ihi tutahuru taguhi ya, mata mo ara m? Tosigoro, kakete mo kiki oyoba zari keru." to notamahe ba,
4.3.6  「 小侍従と弁と放ちて、また知る人はべらじ。一言にても、また異人に うちまねびはべらず。かくものはかなく、数ならぬ身のほどにはべれど、夜昼 かの御影に、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをも見たてまつりそめしに、 御心よりあまりて思しける時々ただ二人の中になむ、たまさかの御消息の通ひもはべりし。 かたはらいたければ、詳しく聞こえさせず。
 「小侍従と弁を除いて、他に知る人はございませんでしょう。一言でも、また他人には話しておりません。このように頼りなく、一人前でもない身分でございますが、昼も夜もあの方のお側に、お付き申し上げておりましたので、自然と事の経緯をも拝見致しましたので、お胸に納めかねていらっしゃった時々、ただ二人の間で、たまのお手紙のやりとりがございました。恐れ多いことですので、詳しくは存じ上げません。
 「小侍従と私のほかは決して知っている者はございません。また一言でも私から他人に話したこともございません。こんなつまらぬ女でございますが、夜昼おそばにお付きしていたものですから、殿様の御様子にに落ちぬところがありまして、私が真実のことをお悟りすることになりましてからは、お苦しみのお心に余りますような時々には、私から小侍従へ、小侍従から私と言うことにしまして、たまさかのお手紙をお取りかわしになりました。失礼になってはなりませんからくわしいことは申し上げません。
  "Ko-Zizyuu to Ben to hanati te, mata siru hito habera zi. Hitokoto nite mo, mata kotobito ni uti-manebi habera zu. Kaku mono-hakanaku, kazu nara nu mi no hodo ni habere do, yoru hiru kano ohom-kage ni, tuki tatematuri te haberi sika ba, onodukara mono no kesiki wo mo mi tatematuri some si ni, mi-kokoro yori amari te obosi keru tokidoki, tada hutari no naka ni nam, tamasaka no ohom-seusoko no kayohi mo haberi si. Kataharaitakere ba, kuhasiku kikoye sase zu.
4.3.7  今はのとぢめになりたまひて、いささかのたまひ置くことのはべりしを、 かかる身には、置き所なく、いぶせく思うたまへわたりつつ、いかにしてかは聞こしめし伝ふべきと、はかばかしからぬ念誦のついでにも、思うたまへつるを、 仏は世におはしましけり、となむ思うたまへ知りぬる。
 ご臨終におなりになって、わずかにご遺言がございましたが、このような身には、処置に窮しまして、気がかりに存じ続けながら、どのようにしてお伝え申し上げたらよいかと、おぼつかない念誦の折にも、祈っておりましたが、仏はこの世にいらっしゃったのだ、と存じられました。
 殿様の御容体が危篤になりましてから、私へほんの少しの御遺言があったのでございますが、私風情ふぜいではどうしてそれをあなた様にお伝え申し上げてよろしいか方法もつきませんで、仏に念誦ねんずをいたします時にも、そのことを心に持ってしておりましたために、あなた様にこのお話ができることになりまして、仏様の存在もまた明らかになりました。
  Imaha no todime ni nari tamahi te, isasaka notamahi oku koto no haberi si wo, kakaru mi ni ha, okidokoro naku, ibuseku omou tamahe watari tutu, ikani si te kaha kikosimesi tutahu beki to, hakabakasikara nu nenzu no tuide ni mo, omou tamahe turu wo, Hotoke ha yo ni ohasimasi keri, to nam omou tamahe siri nuru.
4.3.8   御覧ぜさすべき物もはべり今は、何かは、焼きも捨てはべりなむ。かく朝夕の消えを知らぬ身の、うち捨てはべりなば、 落ち散るやうもこそと、いとうしろめたく思うたまふれど、この宮わたりにも、時々、ほのめかせたまふを、 待ち出でたてまつりてしは、すこし頼もしく、かかる折もやと、念じはべりつる力出でまうで来てなむ。さらに、これは、この世のことにもはべらじ」
 御覧入れたい物がございます。もう必要がない、いっそ、焼き捨ててしまいましょうか。このように朝夕の露のようにいつ消えてしまうかも分からない身の上で、放っておきましたら、他人の目にも触れようかと、とても気がかりに存じておりましたが、この邸辺りにも、時々、お立ち寄りになるのを、お待ち申し上げるようになりましてからは、少し頼もしく、このような機会もあろうかと、祈っておりました効が出て参りました。まったく、これは、この世だけの事ではございません」
 お目にかける物もあるのでございます。お渡しいたすことができません以上はもう焼いてしまおうかとも存じました。危うい命の老人が持っていまして、歿後ぼつごに落ち散ることになってはならぬと気がかりにいたしながら、この宮へ時々あなた様が御訪問においでになることがあるようになりましてからは、これはよい機会が与えられるかもしれぬと頼もしくなりまして、今日きょうのようなおりの早く現われてまいりますようにと、念じておりました力はえらいものでございますね。人間がなしえたこととこれは思われません」
  Goranze sasu beki mono mo haberi. Ima ha, nanikaha, yaki mo sute haberi na m. Kaku asayuhu no kiye wo sira nu mi no, uti-sute haberi na ba, oti tiru yau mo koso to, ito usirometaku omou tamahure do, kono Miya watari ni mo, tokidoki, honomekase tamahu wo, mati ide tatematuri te si ha, sukosi tanomosiku, kakaru wori mo ya to, nenzi haberi turu tikara ide maude ki te nam. Sarani, kore ha, konoyo no koto ni mo habera zi."
4.3.9  と、泣く泣く、こまかに、生まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつ聞こゆ。
 と、泣く泣く、こまごまと、お生まれになった時の事も、よく思い出しながら申し上げる。
 弁は泣く泣く薫の生まれた時のこともよく覚えていて話して聞かせた。
  to, nakunaku, komakani, mumare tamahi keru hodo no koto mo, yoku oboye tutu kikoyu.
注釈366かの老い人弁の君をいう。4.3.1
注釈367さぶらはせたまふ、弁の君「させ」使役の助動詞。八宮が姫君の後見役に、の意。4.3.2
注釈368年も明融臨模本は「としも(も=は)」とある。すなわち「は」を傍記する。大島本は「年も」とある。『完本』は諸本と明融臨模本の傍記に従って「年は」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。4.3.2
注釈369げによその人の上と以下「聞きつけつらむ」まで、薫の心中。4.3.4
注釈370古事ども『集成』は「「古事」は、昔の出来事。柏木と女三の宮の、許されない恋愛事件」と注す。4.3.4
注釈371いかなりけむことの初めにかと『集成』は「一体事の起りはどうだったのかと」と訳す。4.3.4
注釈372さてもかく以下「及ばざりけるを」まで、薫の詞。4.3.5
注釈373残りたまへりけるを『集成』は「を」接続助詞の順接の意、読点で「まだいらしたのだから」。『完訳』は「を」間投助詞、詠歎の意、句点で「まだ残っていらしっしゃったのですね」と訳す。4.3.5
注釈374なほかく言ひ伝ふるたぐひやまたもあらむ『集成』は「自分や母宮のために、秘密の漏れるのを怖れる気持がある」と注す。4.3.5
注釈375小侍従と弁と放ちて以下「この世のことににもはべらじ」まで、弁の君の詞。小侍従とわたし弁意外には知る者はないという。4.3.6
注釈376うちまねびはべらず『集成』は「「まねぶ」は、自分の見聞きしたことを、ありのまま語ること」と注す。4.3.6
注釈377かの御影に故柏木衛門督をさす。4.3.6
注釈378御心よりあまりて思しける時々主語は柏木。4.3.6
注釈379ただ二人の中に小侍従とわたしの間で。敬語のないこことに注意。『集成』は「あえて核心に迫らず、綺麗ごとにとどめた言い方」と注す。4.3.6
注釈380かたはらいたければ『集成』は「失礼かと存じますので」。『完訳』は「畏れ多うございますので」と訳す。4.3.6
注釈381かかる身には置き所なくいぶせく思うたまへわたりつつ『集成』は「女房の身に余る遺言の重さ。薫出生の秘密である」と注す。4.3.7
注釈382仏は世におはしましけりと『完訳』は「薫との邂逅を仏の加護と思う」と注す。4.3.7
注釈383御覧ぜさすべき物もはべり薫に御覧になっていただきたいものがある、の意。推量の助動詞「べし」当然の意。4.3.8
注釈384今は何かは焼きも捨てはべりなむお話した上はこの手紙を持っている必要はない、それで、焼き捨ててしまおう、という意。4.3.8
注釈385落ち散るやうもこそと連語「もこそ」懸念を表す。4.3.8
注釈386待ち出でたてまつりてしは明融臨模本と大島本は「たてまつりてしは」とある。『完本』は諸本に従って「たてまつりてしかば」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。4.3.8
4.4
第四段 薫、父柏木の最期を聞く


4-4  Kaoru listens to the truth of his father's death

4.4.1  「 空しうなりたまひし騷ぎに母にはべりし人は、やがて病づきて、ほども経ず隠れはべりにしかば、いとど思うたまへしづみ、 藤衣たち重ね、悲しきことを思うたまへしほどに、年ごろ、 よからぬ人の心をつけたりけるが、人をはかりごちて、 西の海の果てまで取りもてまかりにしかば、 京のことさへ跡絶えて、 その人もかしこにて亡せはべりにし後、十年あまりにてなむ、あらぬ世の心地して、まかり上りたりしを、この宮は、父方につけて、童より参り通ふゆゑはべりしかば、 今はかう世に交じらふべきさまにもはべらぬを冷泉院の女御殿の御方などこそは、昔、聞き馴れたてまつりしわたりにて、参り寄るべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさし出ではべらで、 深山隠れの朽木になりにてはべるなり
 「お亡くなりになりました騷ぎで、母でございました者は、そのまま病気になって、まもなく亡くなってしまいましたので、ますますがっかり致し、喪服を重ね重ね着て、悲しい思いを致しておりましたところ、長年、大して身分の良くない男で思いを懸けておりました人が、わたしをだまして、西海の果てまで連れて行きましたので、京のことまでが分からなくなってしまって、その人もあちらで死んでしまいました後、十年余りたって、まるで別世界に来た心地で、上京致しましたが、こちらの宮は、父方の関係で、子供の時からお出入りした縁故がございましたので、今はこのように世間づきあいできる身分でもございませんが、冷泉院の女御様のお邸などは、昔、よくお噂をうかがっていた所で、参上すべく思いましたが、体裁悪く思われまして、参ることができず、深山奥深くの老木のようになってしまったのです。
 「大納言様がおかくれになりました悲しみで私の母も病気になりまして、その後しばらくしてくなりましたものですから、二つの喪服を重ねて着ねばならぬ私だったのでございます。そのうち長く私のことをかれこれと思っていた者がございまして、だましてつれ出されました果ては西海の端までもつれて行きましてね、京のことはいっさいわからない境遇に置かれていますうちに、その人もそこで亡くなりましてから、十年めほどの、違った世界の気がいたしますような京へ上ってまいったのでございますが、こちらの宮様は私の父方の縁故で童女時代に上がっていたことがあるものですから、もうはなやかな所へお勤めもできない姿になっております私は、冷泉れいぜい院の女御にょご様などの所へ、大納言様の続きでまいってもよろしかったのでございますが、それも恥ずかしくてできませんで、こうして山の中の朽ち木になっております。
  "Munasiu nari tamahi si sawagi ni, Haha ni haberi si hito ha, yagate yamahiduki te, hodo mo he zu kakure haberi ni sika ba, itodo omou tamahe sidumi, hudigoromo tati-kasane, kanasiki koto wo omou tamahe si hodo ni, tosigoro, yokara nu hito no kokoro wo tuke tari keru ga, hito wo hakarigoti te, nisi no umi no hate made torimote makari ni sika ba, kyau no koto sahe ato taye te, sono hito mo kasiko nite use haberi ni si noti, towotose amari nite nam, ara nu yo no kokoti si te, makari nobori tari si wo, kono Miya ha, titikata ni tuke te, waraha yori mawiri kayohu yuwe haberi sika ba, ima ha kau yo ni mazirahu beki sama ni mo habera nu wo, Reizei-Win no Nyougo-dono no Ohom-kata nado koso ha, mukasi, kiki nare tatematuri si watari nite, mawiri yoru beku haberi sika do, hasitanaku oboye haberi te, e sasiide habera de, mi-yamagakure no kutiki ni nari ni te haberu nari.
4.4.2  小侍従は、いつか亡せはべりにけむ。そのかみの、若盛りと見はべりし人は、数少なくなりはべりにける末の世に、多くの人に後るる命を、悲しく思ひたまへてこそ、 さすがにめぐらひはべれ
 小侍従は、いつか亡くなったのでございましょう。その昔の、若い盛りに見えました人は、数少なくなってしまった晩年に、たくさんの人に先立たれた運命を、悲しく存じられながら、それでもやはり生き永らえております」
 小侍従はいつごろ亡くなったのでございましょう。若盛りの人として記憶にございます人があらかた故人になっております世の中に、寂しい思いをいたしながら、さすがにまだ死なれずに私はおりました」
  Ko-Zizyuu ha, ituka use haberi ni kem. Sonokami no, wakazakari to mi haberi si hito ha, kazu sukunaku nari haberi ni keru suwenoyo ni, ohoku no hito ni okururu inoti wo, kanasiku omohi tamahe te koso, sasugani megurahi habere."
4.4.3  など聞こゆるほどに、例の、明け果てぬ。
 などと申し上げているうちに、いつものように、夜がすっかり明けた。
 弁が長話をしている間に、この前のように夜が明けはなれてしまった。
  nado kikoyuru hodo ni, rei no, ake hate nu.
4.4.4  「 よし、さらば、この昔物語は尽きすべくなむあらぬ。また、 人聞かぬ心やすき所にて聞こえむ。侍従といひし人は、 ほのかにおぼゆるは五つ、六つばかりなりしほどにや、にはかに胸を病みて亡せにきとなむ聞く。かかる対面なくは、 罪重き身にて過ぎぬべかりけること」などのたまふ。
 「もうよい、それでは、この昔語りは尽きないようだ。また、他人が聞いていない安心な所で聞こう。侍従と言った人は、かすかに覚えているのは、五、六歳の時であったろうか、急に胸を病んで亡くなったと聞いている。このような対面がなくては、罪障の重い身で終わるところであった」などとおっしゃる。
 「この昔話はいくら聞いても聞きたりないほど聞いていたく思うことですが、だれも聞かない所でまたよく話し合いましょう。侍従といった人は、ほのかな記憶によると、私の五、六歳の時ににわかに胸を苦しがりだして死んだと聞いたようですよ。あなたに逢うことができなかったら、私は肉親を肉親とも知らない罪の深い人間で一生を終わることでした」などと薫は言った。
  "Yosi, saraba, kono mukasimonogatari ha tukisu beku nam ara nu. Mata, hito kika nu kokoroyasuki tokoro nite kikoye m. Zizyuu to ihi si hito ha, honokani oboyuru ha, itutu, mutu bakari nari si hodo ni ya, nihaka ni mune wo yami te use ni ki to nam kiku. Kakaru taimen naku ha, tumi omoki mi nite sugi nu bekari keru koto." nado notamahu.
注釈387空しうなりたまひし騷ぎに以下「さすがにめぐらひはべれ」まで、弁の君の詞。4.4.1
注釈388母にはべりし人弁の母。柏木の乳母。4.4.1
注釈389藤衣たち重ね歌語的表現。「藤衣」は喪服、「衣」の縁語で「裁ち」「重ね」を用いる。「重ね」は柏木と母の死の両方を言ったもの。4.4.1
注釈390よからぬ人の心をつけたりけるが身分の高くない人でわたしに懸想していた者が、の意。4.4.1
注釈391西の海の果てまで西海道、九州の地。『集成』は「「果て」とあるので、薩摩の国(鹿児島県)であろう。国守は、正六位下相当。中国である」と注す。4.4.1
注釈392京のことさへ『完訳』は「柏木の遺児薫のことはもちろん、都の様子一般までも」と注す。4.4.1
注釈393その人もかしこにて亡せはべりにし弁の夫も九州の地で亡くなった。4.4.1
注釈394今はかう世に交じらふべきさまにもはべらぬを弁自身について謙遜していう。4.4.1
注釈395冷泉院の女御殿の御方弘徽殿の女御。『集成』は「柏木の姉」。『完訳』は「柏木の妹」と注す。4.4.1
注釈396深山隠れの朽木になりにてはべるなり『異本紫明抄』は「形こそ深山隠れの朽木なれ心は花になさばなりなむ」(古今集雑上、八七五、兼芸法師)「春秋にあへど匂ひもなきものは深山隠れの朽木なるらむ」(貫之集)を指摘。4.4.1
注釈397さすがにめぐらひはべれ『集成』は「それでもやはり生き永らえております」と訳す。4.4.2
注釈398よしさらばこの昔物語は以下「過ぎぬべかりけること」まで、薫の詞。4.4.4
注釈399人聞かぬ心やすき所にて聞こえむ主語は薫。「聞こゆ」は謙譲の気持ちを含む動詞。4.4.4
注釈400ほのかにおぼゆるは挿入句。4.4.4
注釈401五つ六つばかりなりしほどにや薫が五、六歳だったころ、の意。現在、二十二歳。4.4.4
注釈402罪重き身にて過ぎぬべかりけること『集成』は「仏教では、父母の恩を特に重んじ、実の父母を知らず、孝養を尽さないのを重い罪とした」と注す。4.4.4
出典16 深山隠れの朽木 形こそ深山隠れの朽ち木なれ心は花になさばなりなむ 古今集雑上-八七五 兼芸法師 4.4.1
4.5
第五段 薫、形見の手紙を得る


4-5  Kaoru gets his deceased father's letters

4.5.1  ささやかにおし巻き合はせたる反故どもの、黴臭きを袋に縫ひ入れたる、取り出でてたてまつる。
 小さく固く巻き合わせた反故類で、黴臭いのを袋に縫い込んであるのを、取り出して差し上げる。
 小さく巻き合わせた手紙の反古ほごかび臭いのを袋に縫い入れたものを弁は薫に渡した。
  Sasayakani osi-maki ahase taru hogu-domo no, kabi kusaki wo hukuro ni nuhi ire taru, toriide te tatematuru.
4.5.2  「 御前にて失はせたまへ。『 われ、なほ生くべくもあらずなりにたり』と のたまはせて、この御文を取り集めて、賜はせたりしかば、小侍従に、またあひ見はべらむついでに、 さだかに伝へ参らせむ、と思うたまへしを、やがて別れはべりにしも、私事には、飽かず悲しうなむ、思うたまふる」
 「あなた様のお手でご処分なさいませ。『わたしは、もう生きていられそうもなくなった』と仰せになって、このお手紙を取り集めて、お下げ渡しになったので、小侍従に、再びお会いしました機会に、確かに差し上げてもらおう、と存じておりましたのに、そのまま別れてしまいましたのも、私事ながら、いつまでも悲しく存じられます」
 「あなた様のお手で御処分くださいませ。もう自分は生きられなくなったと大納言様は仰せになりまして、このお手紙を集めて私へくださいましたから、私は小侍従に逢いました節に、そちら様へ届きますように、確かに手渡しをいたそうと思っておりましたのに、そのまま小侍従に逢われないでしまいましたことも、私情だけでなく、大納言のお心の通らなかったことになりますことで私は悲しんでおりました」
  "Omahe nite usinaha se tamahe. 'Ware, naho iku beku mo ara zu nari ni tari.' to notamaha se te, kono ohom-humi wo tori-atume te, tamahase tari sika ba, Ko-Zizyuu ni, mata ahi mi habera m tuide ni, sadakani tutahe mawira se m, to omou tamahe si wo, yagate wakare haberi ni si mo, watakusigoto ni ha, akazu kanasiu nam, omou tamahuru."
4.5.3  と聞こゆ。 つれなくて、これは隠いたまひつ。
 と申し上げる。さりげないふうに、これはお隠しになった。
 弁はこう言うのであった。薫はなにげなくその包をそでの中へしまった。
  to kikoyu. Turenaku te, kore ha kakui tamahi tu.
4.5.4  「 かやうの古人は、問はず語りにや、あやしきことの例に言ひ出づらむ」と苦しく思せど、「 かへすがへすも散らさぬよしを誓ひつるさもや」と、また思ひ乱れたまふ。
 「このような老人は、問わず語りにも、不思議な話の例として言い出すのだろう」とつらくお思いになるが、「繰り返し繰り返し、他言をしない旨を誓ったのを、信じてよいか」と、再び心が乱れなさる。
 こうした老人は問わず語りに、不思議な事件として自分の出生の初めを人にもらすことはなかったであろうかと、薫は苦しい気持ちも覚えるのであったが、かえすがえす秘密を厳守したことを言っているのであるから、それが真実であるかもしれぬと慰められないでもなかった。
  "Kayau no Hurubito ha, tohazugatari ni ya, ayasiki koto no tamesi ni ihiidu ram." to kurusiku obose do, "Kahesugahesu mo, tirasa nu yosi wo tikahi turu, samoya?" to, mata omohi midare tamahu.
4.5.5   御粥、強飯など参りたまふ。「 昨日は、暇日なりしを、今日は、内裏の御物忌も明きぬらむ。院の女一の宮、悩みたまふ御とぶらひに、かならず参るべければ、かたがた暇なくはべるを、またこのころ過ぐして、山の紅葉散らぬさきに参るべき」よし、 聞こえたまふ
 お粥や、強飯などをお召し上がりになる。「昨日は、休日であったが、今日は、内裏の御物忌も明けたろう。冷泉院の女一の宮が、御病気でいらっしゃるお見舞いに、必ず伺わなければならないので、あれこれ暇がございませんが、改めてこの時期を過ごして、山の紅葉が散らない前に参る」旨を、申し上げなさる。
 山荘の朝の食事にかゆ強飯こわめしなどが出された。昨日きのうは休暇が得られたのであるが、今日は陛下の御謹慎日も終わって、平常どおりに宮中の事務を執らねばならないことであろうし、また冷泉院の女一にょいちみやの御病気もお見舞い申し上げねばならぬことで、かたがた京へ帰らねばならぬ、近いうちにもう一度紅葉もみじの散らぬ先にお訪ねするということを、薫は宮へ取り次ぎをもって申し上げさせた。
  Ohom-kayu, kohaihi nado mawiri tamahu. "Kinohu ha, itomabi nari si wo, kehu ha, Uti no ohom-monoimi mo aki nu ram. Win no Womna-Iti-no-Miya, nayami tamahu ohom-toburahi ni, kanarazu mawiru bekere ba, katagata itoma naku haberu wo, mata konokoro sugusi te, yama no momidi tira nu saki ni mawiru beki" yosi, kikoye tamahu.
4.5.6  「 かく、しばしば立ち寄らせたまふ 光に、山の蔭も、すこしもの明らむる心地してなむ」
 「このように、しばしばお立ち寄り下さるお蔭で、山の隠居所も、少し明るくなった心地がします」
 「こんなふうにたびたびお訪ねくださる光栄を得て、山蔭やまかげの家も明るくなってきた気がします」
  "Kaku, sibasiba tatiyora se tamahu hikari ni, yama no kage mo, sukosi mono akiramuru kokoti si te nam."
4.5.7  など、よろこび聞こえたまふ。
 などと、お礼を申し上げなさる。
 と宮からの御挨拶あいさつも伝えられた。
  nado, yorokobi kikoye tamahu.
注釈403御前にて失はせたまへ以下「思うたまふる」まで、弁の君の詞。4.5.2
注釈404われなほ生くべくもあらずなりにたり柏木の詞。4.5.2
注釈405のたまはせて主語は柏木。4.5.2
注釈406さだかに伝へ参らせむと思うたまへしを『完訳』は「小侍従を介して女三の宮に。当初、女三の宮に渡すはずだった」と注す。4.5.2
注釈407つれなくて『完訳』は「薫はあえて平静に無表情を装う。「つれなし」は感動すべきことに感動しないこと」と注す。4.5.3
注釈408かやうの古人は以下「言ひ出づらむ」まで、薫の心内。4.5.4
注釈409かへすがへすも以下「さもや」まで、薫の心内。4.5.4
注釈410散らさぬよしを誓ひつる主語は弁の君。4.5.4
注釈411さもや薫の疑念。下に「ある」が省略。「さ」は弁の誓い。4.5.4
注釈412御粥強飯など参りたまふ主語は薫。「まゐる」は「食ふ」の尊敬語。4.5.5
注釈413昨日は以下「参るべき」まで、薫の詞。文末は地の文に流れる。途中に「はべる」という会話文または手紙文に使用される語法が見られる。4.5.5
注釈414聞こえたまふ薫が八宮に。4.5.5
注釈415かくしばしば立ち寄らせたまふ以下「心地してなむ」まで、八宮の詞。4.5.6
注釈416光に、山の蔭も、すこしもの明らむる心地して「光」「蔭」「明らむ」といった縁語表現を使用。4.5.6
4.6
第六段 薫、父柏木の遺文を読む


4-6  Kaoru reads his deceased father's letters

4.6.1  帰りたまひて、まづこの袋を見たまへば、唐の浮線綾を縫ひて、「 上」といふ文字を上に書きたり。細き組して、口の方を結ひ たるにかの御名の封つきたり 。開くるも恐ろしうおぼえたまふ。
 お帰りになって、さっそくこの袋を御覧になると、唐の浮線綾を縫って、「上」という文字を表に書いてあった。細い組紐で、口の方を結んである所に、あのお名前の封が付いていた。開けるのも恐ろしく思われなさる。
 薫は自邸に帰って、弁から得た袋をまず取り出してみるのであった。支那しなの浮き織りのあやでできた袋で、上という字が書かれてあった。細い組みひもで口を結んだ端を紙で封じてあるのへ、大納言の名が書かれてある。薫はあけるのも恐ろしい気がした。
  Kaheri tamahi te, madu kono hukuro wo mi tamahe ba, Kara no husenryau wo nuhi te, "Zyau" to ihu mozi wo uhe ni kaki tari. Hosoki kumi si te, kuti no kata wo yuhi taru ni, kano ohom-na no huu tuki tari. Akuru mo osorosiu oboye tamahu.
4.6.2   色々の紙にて、たまさかに通ひける 御文の返りこと、五つ、六つぞある。さては、 かの御手にて病は重く限りになりにたるに、またほのかにも聞こえむこと難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは添ひにたり、御容貌も変りておはしますらむが、さまざま悲しきことを、陸奥紙五、六枚に、 つぶつぶと、あやしき鳥の跡のやうに書きて、
 色とりどりの紙で、たまに通わしたお手紙の返事が、五、六通ある。それには、あの方のご筆跡で、病が重く臨終になったので、再び短いお便りを差し上げることも難しくなってしまったが、会いたいと思う気持ちが増して、お姿もお変わりになったというのが、それぞれに悲しいことを、陸奥国紙五、六枚に、ぽつりぽつりと、奇妙な鳥の足跡のように書いて、
 いろいろな紙に書かれて、たまさか来た女三の宮のお手紙が五、六通あった。そのほかには柏木かしわぎの手で、病はいよいよ重くなり、忍んでおいすることも困難になったこの時に、さらに見たい心のかれる珍しいことがそちらには添っている、あなたが尼におなりになったということもまた悲しく承っているというようなことを檀紙だんし五、六枚に一字ずつ鳥の足跡のように書きつけてあって、
  Iroiro no kami nite, tamasakani kayohi keru ohom-humi no kaherikoto, itutu, mutu zo aru. Sateha, kano ohom-te nite, yamahi ha omoku kagiri ni nari ni taru ni, mata honokani mo kikoye m koto kataku nari nuru wo, yukasiu omohu koto ha sohi ni tari, ohom-katati mo kahari te ohasimasu ram ga, samazama kanasiki koto wo, Mitinokunigami go, rokumai ni, tubutubu to, ayasiki tori no ato no yau ni kaki te,
4.6.3  「 目の前にこの世を背く君よりも
   よそに別るる魂ぞ悲しき
 「目の前にこの世をお背きになるあなたよりも
  お目にかかれずに死んで行くわたしの魂のほうが悲しいのです
  目の前にこの世をそむく君よりも
  よそに別るるたまぞ悲しき
    "Me no mahe ni konoyo wo somuku kimi yori mo
    yoso ni wakaruru tama zo kanasiki
4.6.4  また、端に、
 また、端のほうに、
 という歌もある。また奥に、
  Mata, hasi ni,
4.6.5  「 めづらしく聞きはべる 二葉のほどもうしろめたう思うたまふる方はなけれど
 「めでたく聞いております子供の事も、気がかりに存じられることはありませんが、
 珍しく承った芽ばえの二葉を、私風情ふぜいが関心を持つとは申されませんが、
  "Medurasiku kiki haberu hutaba no hodo mo, usirometau omou tamahuru kata ha nakere do,
4.6.6    命あらばそれとも見まし人知れぬ
   岩根にとめし松の生ひ末
  生きていられたら、それをわが子だと見ましょうが
  誰も知らない岩根に残した松の成長ぶりを
  命あらばそれとも見まし人知れず
  岩根にとめし松のひ末
    Inoti ara ba sore to mo mi masi hito sire nu
    ihane ni tome si matu no ohisuwe
4.6.7  書きさしたるやうに、いと乱りがはしうて、「 小侍従の君に」と上には書きつけたり。
 書きさしたように、たいそう乱れた書き方で、「小侍従の君に」と表には書き付けてあった。
 よく書き終えることもできなかったような乱れた文字でなった手紙であって、上には侍従の君へと書いてあった。
  Kaki sasi taru yau ni, ito midarigahasiu te, "Ko-Zizyuu-no-Kimi ni" to uhe ni ha kakituke tari.
4.6.8  紙魚といふ虫の棲み処になりて、古めきたる黴臭さながら、 跡は消えず、ただ今書きたらむにも違はぬ言の葉どもの、こまごまとさだかなるを見たまふに、「 げに、落ち散りたらましよ」と、 うしろめたう、いとほしきことどもなり
 紙魚という虫の棲み処になって、古くさく黴臭いけれど、筆跡は消えず、まるで今書いたものとも違わない言葉が、詳細で具体的に書いてあるのを御覧になると、「なるほど、人目に触れでもしたら大変だった」と、不安で、おいたわしい事どもなのである。
 しみの巣のようになっていて、古いかび臭い香もしながら字は明瞭めいりょうに残って、今書かれたとも思われる文章のこまごまと確かな筋の通っているのを読んで、実際これが散逸していたなら自分としては恥ずかしいことであるし、故人のためにも気の毒なことになるのであった、
  Simi to ihu musi no sumika ni nari te, hurumeki taru kabi kusasa nagara, ato ha kiye zu, tada ima kaki tara m ni mo tagaha nu kotonoha-domo no, komagoma to sadaka naru wo mi tamahu ni, "Geni, oti tiri tara masi yo." to, usirometau, itohosiki koto-domo nari.
4.6.9  「かかること、世にまたあらむや」と、心一つにいとどもの思はしさ添ひて、内裏へ参らむと思しつるも、出で立たれず。 宮の御前に参りたまへれば、いと何心もなく、若やかなるさましたまひて、経読みたまふを、 恥ぢらひて、もて隠したまへり。「 何かは知りにけりとも、知られたてまつらむ」など、心に籠めて、よろづに思ひゐたまへり。
 「このような事が、この世に二つとあるだろうか」と、胸一つにますます煩悶が広がって、内裏に参ろうとお思いになっていたが、お出かけになることができない。母宮の御前に参上なさると、まったく無心に、若々しいご様子で、読経していらっしゃったが、恥ずかしがって、身をお隠しになった。「どうして、秘密を知ってしまったと、お気づかせ申そう」などと、胸の中に秘めて、あれこれと考え込んでいらっしゃった。
 こんな苦しい思いを経験するものは自分以外にないであろうと思うと薫の心は限りもなく憂鬱ゆううつになって、宮中へ出ようとしていた考えも実行がものうくなった。母宮のお居間のほうへ行ってみると、無邪気な若々しい御様子で経を読んでおいでになったが、恥ずかしそうに経巻を隠しておしまいになった。今さら自分が秘密を知ったとはお知らせする必要もないことであると思って、薫は心一つにそのことを納めておくことにした。
  "Kakaru koto, yo ni mata ara m ya?" to, kokoro hitotu ni itodo mono omohasisa sohi te, Uti he mawira m to obosi turu mo, idetata re zu. Miya no omahe ni mawiri tamahe re ba, ito nanigokoro mo naku, wakayaka naru sama si tamahi te, kyau yomi tamahu wo, hadirahi te, mote-kakusi tamahe ri. "Nanikaha, siri ni keri to mo, sira re tatematura m." nado, kokoro ni kome te, yorodu ni omohi wi tamahe ri.
注釈417上といふ文字を上に書きたり『集成』は「「上」は、奉るの意。小侍従を介して、女三の宮にさし上げるつもりだったので、こう書いてある」と注す。4.6.1
注釈418かの御名の封つきたり『集成』は「かの人(柏木)の御名の封がついている。結び目に、草名(実名を崩し書きにした花押のようなものを書き、封印とする」と注す。4.6.1
注釈419色々の紙にて『集成』は「さまざまの色の紙で。鳥の子の薄様を、色々に染めたもので、恋文に用いる」と注す。4.6.2
注釈420御文の返りこと女三の宮からの返事。4.6.2
注釈421かの御手にて柏木の筆跡。薫の目を通して語る。4.6.2
注釈422病は重く以下「悲しきことを」まで、薫の文面の要約。4.6.2
注釈423つぶつぶと『集成』は「こまごまと」。『完訳』は「放ち書き。衰弱のために連綿体にならない」「ぽつりぽつりと」と注す。4.6.2
注釈424目の前にこの世を背く君よりも--よそに別るる魂ぞ悲しき薫から女三の宮への贈歌。『花鳥余情』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。出家しても生き残るあなたより死んでいくわたしのほうが悲しい、と訴える。4.6.3
注釈425めづらしく聞きはべる以下「松の生ひ末」まで、柏木の文。薫誕生を聞いて喜ぶ。4.6.5
注釈426二葉のほども薫を喩えていう。4.6.5
注釈427うしろめたう思うたまふる方はなけれど『集成』は「源氏の子として育つのだから安心、という」と注す。4.6.5
注釈428命あらばそれとも見まし人知れぬ--岩根にとめし松の生ひ末柏木の詠歌。薫を「岩根の松」に喩える。『完訳』は「「--ば--まし」の反実仮想で、生命尽きる無念さを慨嘆」と注す。源氏も薫を「岩根の松」に喩えた歌を詠んでいる(「柏木」第四章四段)。4.6.6
注釈429小侍従の君に明融臨模本と大島本は「こしゝうのきみ」とある。『完本』は諸本に従って「侍従の君」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。4.6.7
注釈430跡は消えず『異本紫明抄』は「書きつくる跡は千歳もありぬべし忘れや偲ぶ人のなからむ」(出典未詳)を指摘する。4.6.8
注釈431げに落ち散りたらましよ薫の感想。「げに」は弁の君の言葉に納得する気持ち。4.6.8
注釈432うしろめたういとほしきことどもなり柏木と女三の宮に対して。4.6.8
注釈433宮の御前に薫の母女三の宮の前に。4.6.9
注釈434恥ぢらひてもて隠したまへり主語は女三の宮。経文を隠した。『集成』は「当時、経文などを読むのは女らしくないこととされていたので、尼ながら恥じられるのであろう」。『完訳』は「わが子から悟りすました風姿と見られるのが、女の身として恥ずかしい。前の「若やかなる--」とともに、生身の女も感取されよう」と注す。4.6.9
注釈435何かは以下「知られたてまつらむ」まで、薫の心中。4.6.9
出典17 魂ぞ悲しき 声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき 古今集哀傷-八五八 読人しらず 4.6.3
校訂13 たるに たるに--たるを(を/$に) 4.6.1
校訂14 つき つき--つきつき(つき<後出>/$) 4.6.1
校訂15 知りにけり 知りにけり--しりにき(き/$けり) 4.6.9
Last updated 12/14/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/14/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月12日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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