第四十六帖 椎本


46 SIWIGAMOTO (Ohoshima-bon)


薫君の宰相中将時代
二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from February at the age of 23 to summer at the age of 24

3
第三章 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち


3  Take of sisters in Uji  Sisters of broken heart in late fall

3.1
第一段 九月、忌中の姫君たち


3-1  Sisters in mourning in September

3.1.1   明けぬ夜の心地ながら、九月にもなりぬ 。野山のけしき、まして 袖の時雨をもよほしがちに、ともすればあらそひ落つる木の葉の音も、水の響きも、 涙の滝も、一つもののやうに暮れ惑ひて 、「 かうては、いかでか、限りあらむ御命も、しばしめぐらいたまはむ」と、さぶらふ人びとは、心細く、いみじく 慰めきこえつつ
 夜の明けない心地のまま、九月になった。野山の様子、まして時雨が涙を誘いがちで、ややもすれば先を争って落ちる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝も、一緒のように分からなくなって、「こうしていては、どうして、定めのあるご寿命も、しばらくの間もお保ちになれようか」と、お仕えする女房たちは、心細く、ひどくお慰め申し上げ、お慰め申し上げしつつ。
 いつも夜のままのような暗い月日もたって九月になった。野山の色はまして人に涙を催させることが多く、争って落ちる木の葉の音、宇治川の響き、滝なす涙も皆一つのもののようになって、この女王たちをますます深い悲しみの谷へ追った。こんなふうでは、命は前生からきまったものとは言え、そのしばらくの間さえ堪えて生きがたいことにならぬかと女房たちは姫君らを思い、心細がっていろいろに慰めようとするのであった。
  Ake nu yo no kokoti nagara, Kugwati ni mo nari nu. Noyama no kesiki, masite sode no sigure wo moyohosi-gati ni, tomosureba arasohi oturu konoha no oto mo, midu no hibiki mo, namida no taki mo, hitotu mono no yau ni kure madohi te, "Kau te ha, ikadeka, kagiri ara m ohom-inoti mo, sibasi megurai tamaha m." to, saburahu hitobito ha, kokorobosoku, imiziku nagusame kikoye tutu.
3.1.2   ここにも念仏の僧さぶらひて、 おはしましし方は、仏を形見に見たてまつりつつ、時々参り仕うまつりし人びとの、御忌に籠もりたる限りは、あはれに行ひて過ぐす。
 こちらにも念仏の僧が伺候して、故宮のいらした部屋は、仏像を形見と拝し上げながら、時々参上してお仕えしていた者たちで、御忌に籠もっている人びとは皆、しみじみと勤行して過ごす。
 この山荘にも念仏をする僧が来ていて、宮のお住みになった座敷は安置された仏像をお形見と見ねばならぬ今となっては、そこに時々伺候した人たちが忌籠きごもりをして仏勤めをしていた。
  Koko ni mo nenbutu no sou saburahi te, ohasimasi si kata ha, Hotoke wo katami ni mi tatematuri tutu, tokidoki mawiri tukaumaturi si hitobito no, ohom-imi ni komori taru kagiri ha, ahareni okonahi te sugusu.
3.1.3   兵部卿宮よりも、たびたび弔らひきこえたまふ。さやうの御返りなど、聞こえむ心地もしたまはず。おぼつかなければ、「 中納言にはかうもあらざなるを、我をばなほ思ひ放ちたまへるなめり」と、恨めしく思す。 紅葉の盛りに、文など作らせたまはむとて出で立ちたまひしを、かく、このわたりの御逍遥、便なきころなれば、思しとまりて口惜しくなむ。
 兵部卿宮からも、度々ご弔問申し上げなさる。そのようなお返事など、差し上げる気もなさらない。何の返事もないので、「中納言にはこうではないだろうに、自分をやはり疎んじていらっしゃるらしい」と、恨めしくお思いになる。紅葉の盛りに、詩文などを作らせなさろうとして、お出かけになるご予定だったが、こうしたことになって、この近辺のご逍遥は、不都合な折なのでご中止なさって、残念に思っていらっしゃる。
 兵部卿ひょうぶきょうの宮からもたびたび慰問のお手紙が来た。このおりからそうした性質のおふみには返事を書こうとする気にもならず打ち捨ててあったから、中納言にはこんな態度をとらないはずであるのに、自分だけはいつまでもよそよそしく扱われると女王を恨めしがっておいでになった。紅葉もみじの季節に詩会を宇治でしようと匂宮におうみやはしておいでになったのであるが、恋しい人の所が喪の家になっている今はそのかいもないとおやめになったが、残念に思召した。
  Hyaubukyau-no-Miya yori mo, tabitabi toburahi kikoye tamahu. Sayau no ohom kaheri nado, kikoye m kokoti mo si tamaha zu. Obotukanakere ba, "Tiunagon ni ha kau mo ara za' naru wo, ware wo ba naho omohi hanati tamahe ru na' meri." to, uramesiku obosu. Momidi no sakari ni, humi nado tukura se tamaha m tote, idetati tamahi si wo, kaku, kono watari no ohom-seueu, binnaki koro nare ba, obosi tomari te kutiwosiku nam.
注釈216明けぬ夜の心地ながら九月にもなりぬ『河海抄』は「明けぬ夜の心地ながらにやみにしを朝倉といひし声は聞ききや」(後拾遺集雑四、一〇八二、読人しらず)。『休聞抄』は「人知れぬねやは絶えするほととぎすただ明けぬ夜の心地のみして」(清正集)を指摘。『集成』は「いつまでも明けない夜の中をさまようなような悲しみのうちに。歌の表現を借りたものであろう」。『完訳』は「深い悲しみを無明長夜の闇をさまよう気持とする」と注す。3.1.1
注釈217袖の時雨をもよほしがちに「袖の時雨」歌語的表現。『集成』は「姫君たちの涙をそそりがちで。折しも時雨(晩秋、初冬の景物)の候なので修飾的にいう」と注す。3.1.1
注釈218涙の滝も一つもののやうに暮れ惑ひて『河海抄』は「我が世をば今日か明日かに待つかひの涙の滝といづれ高けむ」(伊勢物語、八十七段)を指摘。3.1.1
注釈219かうてはいかでか以下「めぐらひたまはむ」まで、女房たちの思い。3.1.1
注釈220慰めきこえつつ大島本は「なくさめきこえつゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「慰めきこえつつ思ひまどふ」と「思ひまどふ」を補訂する。『新大系』は底本のままとし、読点で下文に続ける。3.1.1
注釈221ここにも山荘。山寺に対していう。3.1.2
注釈222おはしましし方は生前に八宮がいらっしゃった部屋。3.1.2
注釈223兵部卿宮よりも匂宮。中君と手紙の贈答をしている。3.1.3
注釈224中納言には以下「思ひ放ちたまへるなめり」まで、匂宮の心中の思い。3.1.3
注釈225紅葉の盛りに文など作らせたまはむとて前に「兵部卿宮もこの秋のほどに紅葉見におはしまさむと」(第二章三節)とあった。「文」は漢詩文をさす。「せ」使役の助動詞。文人官人たちを引き連れて行き、彼等に作らせるという趣向であろう。3.1.3
出典13 明けぬ夜の心地 明けぬ夜ながら心地ながらにやみにしをあさくらと言ひし声は聞ききや 後拾遺集雑四-一〇八一 読人しらず 3.1.1
出典14 涙の滝も 我が世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ 新古今集雑中-一六五一 在原行平 3.1.1
校訂14 出で立ちたまひし 出で立ちたまひし--いてたち(ち/+給)し 3.1.3
3.2
第二段 匂宮からの弔問の手紙


3-2  A letter comes from Nio-no-miya to sisters making a call to express Miya's condolence

3.2.1   御忌も果てぬ。限りあれば、涙も隙もやと 思しやりて、いと多く書き続けたまへり。時雨がちなる夕つ方、
 御忌中も終わった。限りがあるので、涙も絶え間があろうかとお思いやりになって、とてもたくさんお書き綴りなさった。時雨がちの夕方、
 八の宮の四十九日の忌も済んだ。時間は悲しみを緩和するはずであると宮は思召して、長い消息を宇治へお書きになった。時雨しぐれが時をおいて通って行くような日の夕方であった。
  Ohom-imi mo hate nu. Kagiri are ba, namida mo hima mo ya to obosi yari te, ito ohoku kaki tuduke tamahe ri. Siguregati naru yuhutukata,
3.2.2  「 牡鹿鳴く秋の山里いかならむ
   小萩が露のかかる夕暮
 「牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか
  小萩に露のかかる夕暮時は
  牡鹿をじか鳴く秋の山里いかならん
  小萩こはぎが露のかかる夕暮れ
    "Wozika naku aki no yamazato ika nara m
    kohagi ga tuyu no kakaru yuhugure
3.2.3   ただ今の空のけしき、思し知らぬ顔ならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。 枯れゆく野辺も、分きて眺めらるるころになむ
 ちょうど今の空の様子、ご存知ないふりをなさるのでしたら、あまりにひどいことでございます。枯れて行く野辺も、特別のものとして眺められるころでございます」
 こうした空模様の日に、恋する人はどんなに寂しい気持ちになっているかを思いやってくださらないのは冷淡にすぎます。枯れてゆく野の景色けしきも平気でながめておられぬ私です。
  Tada ima no sora no kesiki, obosi sira nu kaho nara m mo, amari kokorodukinaku koso aru bekere. Kare yuku nobe mo, waki te nagame raruru koro ni nam."
3.2.4  などあり。
 などとある。
 などという文字である。
  nado ari.
3.2.5  「 げに、いとあまり思ひ知らぬやうにて、 たびたびになりぬるを、なほ、聞こえたまへ」
 「おしっしゃるとおり、とても情け知らずの有様で、何度にもなってしまいましたから、やはり、差し上げなさい」
 「このお言葉のように、あまりに尊貴な方を無視する態度を取り続けてきたのですからね、何かあなたからお返事をお出しなさい」
  "Geni, ito amari omohisira nu yau nite, tabitabi ni nari nuru wo, naho, kikoye tamahe."
3.2.6  など、 中の宮を、例の、そそのかして、書かせたてまつりたまふ。
 などと、中の宮を、いつものように、催促してお書かせ申し上げなさる。
 と、大姫君は例のように中の君に勧めて書かせようとした。
  nado, Naka-no-Miya wo, rei no, sosonokasi te, kaka se tatematuri tamahu.
3.2.7  「 今日までながらへて、硯など近くひき寄せて見るべきものとやは思ひし。心憂くも過ぎにける日数かな」と思すに、またかきくもり、もの見えぬ心地したまへば、押しやりて、
 「今日まで生き永らえて、硯などを身近に引き寄せて使おうなどと思ったろうか。情けなくも過ぎてしまった日数だわ」とお思いになると、また涙に曇り、何も見えない気がなさるので、硯を押しやって、
 中の君は今日まで生きていてすずりなどを引き寄せてものを書くことがあろうなどとはあの際に思われなかったのである、情けなく、時というものがたってしまったではないかなどと思うと、また急に涙がわいて目がくらみ、何も見えなくなったので、硯は横へ押しやって、
  "Kehu made nagarahe te, suzuri nado tikaku hikiyose te miru beki mono to ya ha omohi si. Kokorouku mo sugi ni keru hikazu kana!" to obosu ni, mata kaki-kumori, mono miye nu kokoti si tamahe ba, osiyari te,
3.2.8  「 なほ、えこそ書きはべるまじけれ。やうやうかう起きゐられなどしはべるが、 げに、限りありけるにこそとおぼゆるも、疎ましう心憂くて」
 「やはり、書くことはできませんわ。だんだんこのように起きてはいられますが、なるほど、限りがあるのだわと思われますのも、疎ましく情けなくて」
 「やっぱり私は書けません。こんなふうに近ごろは起きてすわったりできるようになりましたことでも、悲しみの日も限りがあるというのはほんとうなのだろうかと思うと、自分がいやになるのですもの」
  "Naho, e koso kaki haberu mazikere. Yauyau kau okiwi rare nado si haberu ga, geni, kagiri ari keru ni koso to oboyuru mo, utomasiu kokorouku te."
3.2.9  と、 らうたげなるさまに泣きしをれておはするも、いと心苦し。
 と、可憐な様子で泣きしおれていらっしゃるのも、まことにいたいたしい。
 と可憐かれんな様子で言って、泣きしおれているのも、姉君の身には心苦しく思われることであった。
  to, rautage naru sama ni naki siwore te ohasuru mo, ito kokorogurusi.
3.2.10  夕暮のほどより来ける御使、宵すこし過ぎてぞ来たる。「 いかでか、帰り参らむ。今宵は旅寝して」と 言はせたまへど、「 立ち帰りこそ、参りなめ」と急げば、いとほしうて、我さかしう思ひしづめたまふにはあらねど、見わづらひたまひて、
 夕暮のころに出立したお使いが、宵が少し過ぎたころに着いた。「どうして、帰参することができましょう。今夜は泊まって行くように」と言わせなさるが、「すぐ引き返して、帰参します」と急ぐので、お気の毒で、自分は冷静に落ち着いていらっしゃるのではないが、見るに見かねなさって、
 夕方に来た使いが、「もう十時がだいぶ過ぎてまいりました。今夜のうちに帰れるでしょうか」と言っていると聞いて、今夜は泊まってゆくようにと言わせたが、「いえ、どうしても今晩のうちにお返事をお渡し申し上げませんでは」と急ぐのがかわいそうで、大姫君は自分は悲しみから超越しているというふうを見せるためでなく、ただ中の君が書きかねているのに同情して、
  Yuhugure no hodo yori ki keru ohom-tukahi, yohi sukosi sugi te zo ki taru. "Ikadeka, kaheri mawira m. Koyohi ha tabine si te." to iha se tamahe do, "Tatikaheri koso, mawiri na me." to isoge ba, itohosiu te, ware sakasiu omohi sidume tamahu ni ha ara ne do, mi wadurahi tamahi te,
3.2.11  「 涙のみ霧りふたがれる山里は
   籬に鹿ぞ諸声に鳴く
 「涙ばかりで霧に塞がっている山里は
  籬に鹿が声を揃えて鳴いております
  涙のみきりふさがれる山里は
  まがき鹿しかぞもろ声に鳴く
    "Namida nomi kiri hutagare ru yamazato ha
    magaki ni sika zo morogowe ni naku
3.2.12   黒き紙に、夜の墨つきもたどたどしければ、ひきつくろふところもなく、筆にまかせて、おし包みて出だしたまひつ。
 黒い紙に、夜のため墨つきもはっきりしないので、体裁を整えることもなく、筆に任せて書いて、そのまま包んでお渡しになった。
 という返事を、黒い紙の上の夜の墨の跡はよくも見分けられないのであるが、それを骨折ろうともせず、筆まかせに書いて包むとすぐに女房へ渡した。
  Kuroki kami ni, yoru no sumituki mo tadotadosikere ba, hikitukurohu tokoro mo naku, hude ni makase te, ositutumi te idasi tamahi tu.
注釈226御忌も果てぬ『集成』は「八の宮が亡くなったのは八月二十日だから、忌の三十日を過ぎて九月二十日過ぎの頃」。『完訳』は「三十日の忌を過ぎた九月二十日過ぎか。四十九日の忌とすれば十月初冬で、時期が合わない」と注す。3.2.1
注釈227思しやりて主語は匂宮。3.2.1
注釈228牡鹿鳴く秋の山里いかならむ--小萩が露のかかる夕暮匂宮から中君への贈歌。「小萩」は姫君を準え、「露」は涙を象徴。「かかる」は「露が懸かる」と「かかる夕暮」という掛詞表現。3.2.2
注釈229ただ今の空のけしき大島本は「空のけしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「空のけしきを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。以下「眺めらるるころになむ」まで、歌に添えた手紙文。3.2.3
注釈230枯れゆく野辺も分きて眺めらるるころになむ『全書』は「鹿の棲む尾上の萩の下葉より枯れ行く野辺も哀れとぞ見る」(新千載集秋下、五二六、具平親王)を指摘。3.2.3
注釈231げにいとあまり以下「聞こえたまへ」まで、大君の詞。中君に返事を書くように勧める。3.2.5
注釈232たびたびになりぬるを返事を怠ることが度重なった意。3.2.5
注釈233中の宮を中君のこと。『集成』は「この呼称はここが初出で、これ以後、この人は「中の宮」と呼ばれる」。『新大系』は「「中の宮」は、中君の、親王の娘であることを強調した呼称。八宮死去後のここが初出。これ以後、大君を「姫宮」と呼ぶのと応じあっている」と注す。当時、親王の娘「女王」を「宮」と呼称することもあった。3.2.6
注釈234今日までながらへて以下「日数かな」まで、中君の心中。3.2.7
注釈235なほえこそ以下「心憂くて」まで、中君の詞。3.2.8
注釈236げに限りありけるにこそと『完訳』は「以下、日数の経過が悲嘆を薄めるのを自覚し、父娘の情にも限界があるのかと、我ながら思う」と注す。3.2.8
注釈237らうたげなるさまに泣きしをれておはするも『集成』は「可憐な様子で泣き沈んでいらっしゃるのも」。『完訳』は「いかにも、痛々しく泣きくずれていらっしゃるのも」と訳す。3.2.9
注釈238いかでか帰り参らむ今宵は旅寝して大君の詞。反語表現。3.2.10
注釈239言はせたまへど「せ」使役の助動詞。大君が女房をして言わせる。3.2.10
注釈240立ち帰りこそ参りなめ使者の詞。3.2.10
注釈241涙のみ霧りふたがれる山里は--籬に鹿ぞ諸声に鳴く大君の代作歌。「山里」をそのまま、「牡鹿」を「鹿」と替えて返す。「鹿」を自分たちに譬え、「鳴く」は「泣く」を響かす。3.2.11
注釈242黒き紙に服喪中なので黒色を用いた。3.2.12
出典15 枯れゆく野辺 鹿の棲む尾の上の萩の下葉より枯れ行く野辺もあはれとぞ見る 新千載集秋下-五二六 具平親王 3.2.3
3.3
第三段 匂宮の使者、帰邸


3-3  A messenger from Nio-no-miya goes back to Kyoto

3.3.1  御使は、 木幡の山のほども、雨もよにいと恐ろしげなれど、 さやうのもの懼ぢすまじきをや選り出でたまひけむ、むつかしげなる 笹の隈を、駒ひきとどむるほどもなくうち早めて 、片時に参り着きぬ。御前にても、いたく濡れて参りたれば、禄賜ふ。
 お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが、そのような物怖じしないような者をお選びになったのであろうか、気味悪そうな笹の蔭を、馬を止める間もなく早めて、わずかの時間に参り着いた。宮の御前においても、ひどく濡れて参ったので、禄を賜る。
 お使いの男は木幡こはた山を通るのに、雨気の空でことに暗く恐ろしい道を、臆病おくびょうでない者が選ばれて来たのか、気味の悪い篠原ささはら道を馬もとめずに早打ちに走らせて一時間ほどで二条の院へ帰り着いた。御前へ召されて出た時もひどく服のれていたのを宮は御覧になって物を賜わった。
  Ohom-tukahi ha, Kohata-no-yama no hodo mo, amemoyo ni ito osorosige nare do, sayau no mono-odi su maziki wo ya eriide tamahi kem, mutukasige naru sasa no kuma wo, koma hiki todomuru hodo mo naku uti hayame te, katatoki ni mawiri tuki nu. Omahe nite mo, itaku nure te mawiri tare ba, roku tamahu.
3.3.2   さきざき御覧ぜしにはあらぬ手の、今すこしおとなびまさりて、よしづきたる書きざまなどを、「いづれか、いづれならむ」と、うちも置かず御覧じつつ、とみにも大殿籠もらねば、
 以前に見たのとは違った筆跡で、もう少し大人びていて、風情ある書き方などを、「どちららの姫君が書いたものだろうか」と、下にも置かず御覧になりながら、すぐにもお寝みにならないので、
 これまで書いて来た人の手でない字で、それよりは少し年上らしいところがあり、才識のある人らしい書きぶりなどを宮は御覧になって、しかしどちらが姉の女王か、中姫君なのかと熱心にながめ入っておいでになり、寝室へおはいりにならないで
  Sakizaki goranze si ni ha ara nu te no, ima sukosi otonabi masari te, yosiduki taru kakizama nado wo, "Idureka, idure nara m?" to, uti mo oka zu goranzi tutu, tomini mo ohotonogomora ne ba,
3.3.3  「 待つとて、起きおはしまし」
 「待つとおっしゃって、起きていらして」
 起きたままでいらせられる、
  "Matu tote, oki ohasimasi."
3.3.4  「また御覧ずるほどの久しきは、いかばかり御心にしむことならむ」
 「また御覧になることの長いことは、どれほどご執心なのでしょう」
 この時間の長さに、どれほどお心にしむお手紙なのであろう
  "Mata goranzuru hodo no hisasiki ha, ikabakari mi-kokoro ni simu koto nara m."
3.3.5  と、御前なる人びと、ささめき聞こえて、憎みきこゆ。 ねぶたければなめり
 と、御前に仕える女房たちは、ささやき申して、お妬み申し上げる。眠たいからなのであろう。
 などと女房たちはささやいて反感も持った。眠たかったからであろう。
  to, omahe naru hitobito, sasameki kikoye te, nikumi kikoyu. Nebutakere ba na' meri.
3.3.6  まだ朝霧深き朝に、いそぎ起きてたてまつりたまふ。
 まだ朝霧の深い明け方に、急いで起きて手紙を差し上げなさる。
 兵部卿の宮はまだ朝霧の濃く残っている刻にお起きになって、また宇治への消息をお書きになった。
  Mada asagiri hukaki asita ni, isogi oki te tatematuri tamahu.
3.3.7  「 朝霧に友まどはせる鹿の音を
   おほかたにやはあはれとも聞く
 「朝霧に友を見失った鹿の声を
  ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか
  朝霧に友惑はせる鹿の
  大方にやは哀れとも聞く
    "Asagiri ni tomo madohase ru sika no ne wo
    ohokata ni yaha ahare to mo kiku
3.3.8   諸声は劣るまじくこそ
 一緒に鳴く声には負けません」
 私の心から発するものは二つの鹿の声にも劣らぬ哀音です。
  Morogowe ha otoru maziku koso."
3.3.9  とあれど、「 あまり情けだたむもうるさし。 一所の御蔭に隠ろへたるを頼み所にてこそ、何ごとも心やすくて 過ごしつれ。心よりほかにながらへて、思はずなることの紛れ、つゆにてもあらば、 うしろめたげにのみ思しおくめりしなき 御魂にさへ、疵やつけたてまつらむ」と、なべていとつつましう恐ろしうて、聞こえたまはず。
 とあるが、「あまりに風情を知りすぎるようなのも厄介だ。お一方のお蔭に隠れていられたのを頼み所として、何事も安心して過ごしていた。思いもかけず長生きして、不本意な間違い事が、少しでも起こったら、気がかりでならないようにお考えであった亡きみ魂にまで、瑕をおつけ申すことになろう」と、何事にも引っ込み思案に恐れて、お返事申し上げなさらない。
 というのである。風流遊びに身を入れ過ぎるのも余所見よそみがよろしくない、父宮がついておいでになるというのを力にして、今まではそうした戯れに答えたりすることも安心してできたのであるが、孤児の境遇になって思わぬ過失を引き起こすようなことがあっては、ああして気がかりなふうに仰せられた自分たちのために、この世においでにならぬ御名にさえきずをおつけすることになってはならぬと、何事にも控え目になっている女王はどちらからも返事をしなかった。
  to are do, "Amari nasakedata m mo urusasi. Hitotokoro no ohom-kage ni kakurohe taru wo tanomidokoro nite koso, nanigoto mo kokoroyasuku te sugosi ture. Kokoro yori hoka ni nagarahe te, omoha zu naru koto no magire, tuyu nite mo ara ba, usirometage ni nomi obosi-oku meri si naki ohom-tama ni sahe, kizu ya tuke tatematura m." to, nabete ito tutumasiu osorosiu te, kikoye tamaha zu.
3.3.10   この宮などを軽らかにおしなべてのさまにも思ひきこえたまはず。なげの走り書いたまへる御筆づかひ言の葉も、をかしきさまになまめきたまへる御けはひを、あまたは 見知りたまはねど、見たまひながら、「 そのゆゑゆゑしく情けある方に、言をまぜきこえむも、 つきなき身のありさまどもなれば何か、ただ、かかる山伏だちて過ぐしてむ」と思す。
 この宮などを、軽薄な世間並の男性とはお思い申し上げていらっしゃらない。何でもない走り書きなさったご筆跡や言葉遣いも、風情があり優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存知でないが、御覧になりながら、「その嗜み深く風情あるお手紙に、お返事申し上げるのも、似合わしくない二人の身の上なので、いっそ、ただ、このような山里人めいて過ごそう」とお思いになる。
 この兵部卿の宮などは軽薄な求婚者と同じには女王たちも見ていなかった。ちょっとした走り書きの消息の文章にもお墨の跡にも美しいえんな趣の見えるのを、たくさんはそうした意味を扱った手紙を見てはいなかったが、これこそすぐれた男のふみというものであろうとは思いながらも、そうした尊貴な風流男につきあうことも、今の自分らに相応せぬことであるから、感情を傷つけることがあっても、世外の人のようにして超然としていようと姫君たちは思っていた。
  Kono Miya nado wo, karorakani osinabete no sama ni mo omohi kikoye tamaha zu. Nage no hasiri kai tamahe ru ohom-hudedukahi kotonoha mo, wokasiki sama ni namameki tamahe ru ohom-kehahi wo, amata ha misiri tamaha ne do, mi tamahi nagara, "Sono yuweyuwesiku nasake aru kata ni, koto wo maze kikoye m mo, tukinaki mi no arisama-domo nare ba, nanika, tada, kakaru yamabusidati te sugusi te m." to obosu.
注釈243さやうの以下「選り出でたまひけむ」まで、挿入句。過去推量の助動詞「けむ」は語り手の推量。3.3.1
注釈244笹の隈を駒ひきとどむるほどもなくうち早めて『源氏釈』は「笹の隈桧の隈川に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」(古今集、大歌所御歌、一〇八〇、神遊びの歌)を指摘。『弄花抄』は「山科の木幡の里に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば」(拾遺集雑恋、一二四三、読人しらず)を指摘。3.3.1
注釈245さきざき御覧ぜしにはあらぬ手の匂宮の目を通して語る。今までの文との筆跡の違いに気づく。3.3.2
注釈246待つとて以下「ことならむ」まで、女房の詞。3.3.3
注釈247ねぶたければなめり『一葉抄』は「草子詞也され事也」と指摘。語り手が女房たちの心中を推測した表現。3.3.5
注釈248朝霧に友まどはせる鹿の音を--おほかたにやはあはれとも聞く匂宮から中君への返歌。「霧」「鹿」の語句を用いて返す。『異本紫明抄』は「声立てて鳴きぞしぬべき秋霧に友惑はせる鹿にはあらねど」(後撰集秋下、三七二、紀友則)、『大系』は「夕されば佐保の河原の河霧に友惑はせる千鳥鳴くなり」(拾遺集冬、二三八、紀友則)を指摘。3.3.7
注釈249諸声は劣るまじくこそ大島本は「ましく」とある。『完本』は諸本に従って「まじう」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。歌に添えた言葉。前の歌の文句「諸声に鳴く」を受けて言ったもの。3.3.8
注釈250あまり情けだたむも以下「疵やつけたてまつらむ」まで、大君の心中。3.3.9
注釈251一所の御蔭に故父宮をさす。3.3.9
注釈252過ごしつれ大島本は「すこし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「過ぐし」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。3.3.9
注釈253うしろめたげにのみ思しおくめりし主語は父宮。3.3.9
注釈254この宮などを大島本は「この宮なとを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「この宮などをば」と「ば」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。3.3.10
注釈255軽らかにおしなべてのさまにも思ひきこえたまはず『完訳』は「世間並の軽薄なお方などとは。匂宮には好色の噂もあるが、姫君たちはまだそれを見聞していない」と注す。3.3.10
注釈256見知りたまはねど大島本は「見しり給ハねと(と+イこれこそハめてたきなめれと)」とある。すなわち、「これこそハめてたきなめれと」を異文として補入する。『集成』『完本』は諸本に従って「見知りたまはねど、これこそはめでたきなめれと」と「これこそはめでたきなめれと」を補訂する。『新大系』は底本の訂正以前のままとする。3.3.10
注釈257そのゆゑゆゑしく情けある方に匂宮をさす。3.3.10
注釈258つきなき身のありさまどもなれば自分たち姉妹の身の程を思う。3.3.10
注釈259何かただかかる山伏だちて過ぐしてむ大君の心中。3.3.10
出典16 木幡の山のほど 山科の木幡の里に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば 拾遺集雑恋-一二四三 柿本人麿 3.3.1
出典17 笹の隈を、駒ひきとどむる 笹の隈桧の隈川に駒止めてしばし水かへ影をだに見む 古今集神遊び-一〇八〇 ひるめのうた 3.3.1
出典18 朝霧に友まどはせる 声立てて鳴きぞしぬべき秋霧に友まどはせる鹿にはあらねども 後撰集秋下-三七二 紀友則 3.3.7
校訂16 御魂 御魂--御ため(め/$ま) 3.3.9
3.4
第四段 薫、宇治を訪問


3-4  Kaoru visits to Uji-residence

3.4.1  中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞こえたまへば、これよりも、いとけうとげにはあらず聞こえ通ひたまふ。御忌果てても、みづから参うでたまへり。 東の廂の下りたる方に やつれておはするに、近う立ち寄りたまひて、 古人召し出でたり。
 中納言殿へのお返事だけは、あちらからも誠意あるように手紙を差し上げなさるので、こちらからも、よそよそしくなくお返事申し上げなさる。ご忌中が終わっても、自分自身でお伺いなさった。東の廂の下がった所に喪服でいらっしゃるところに、近く立ち寄りなって、老女を召し出した。
 かおるからの手紙だけはあちらからもまじめに親切なことを多く書かれてくるのであったから、こちらからも冷淡なふうは見せず常に返事が出された。忌中が過ぎてから薫がたずねて来た。東の縁に沿った座敷を、父宮の服喪のために一段低くした所にこのごろはいる姫君たちの所へ来て、まず老いた弁を薫は呼び出した。
  Tiunagon-dono no ohom-kaheri bakari ha, kare yori mo mameyaka naru sama ni kikoye tamahe ba, kore yori mo, ito keutoge ni ha ara zu kikoye kayohi tamahu. Ohom-imi hate te mo, midukara maude tamahe ri. Himgasi no hisasi no kudari taru kata ni yature te ohasuru ni, tikau tatiyori tamahi te, Hurubito mesiide tari.
3.4.2  闇に惑ひたまへる御あたりに、いとまばゆく匂ひ満ちて入りおはしたれば、 かたはらいたうて、御いらへなどをだにえしたまはねば
 闇に閉ざされていらっしゃるお側近くに、たいそう眩しいばかりの美しさに満ちてお入りになったので、恥ずかしくなって、お返事などでさえもおできになれないので、
 悲しみに暗い日を送っている女王にょおうらに近く、まばゆい感じのするほどの芳香を放つ人が来たのであったから、きまり悪く姫君たちは思って、言いかけられることにも返辞ができないでいると、
  Yami ni madohi tamahe ru ohom-atari ni, ito mabayuku nihohi miti te iri ohasi tare ba, kataharaitau te, ohom-irahe nado wo dani e si tamaha ne ba,
3.4.3  「 かやうには、もてないたまはで、 昔の御心むけに従ひきこえたまはむさまならむこそ、聞こえ承るかひあるべけれ。なよびけしきばみたる振る舞ひをならひはべらねば、人伝てに聞こえはべるは、言の葉も続き はべらず
 「このようには、お扱い下さらないで、故宮のご意向にお従い申されるのが、お話を承る効があるというものです。風流に気取った振る舞いには馴れていませんので、人を介して申し上げますのは、言葉が続きません」
 「こんなふうな隔てがましい扱いはなさらないで、昔の宮様が私を御待遇くださいましたように心安くさせていただけばお見舞いにまいりがいもあるというものです。柔らかいふうに気どった若い人たちのするようなことは経験しないものですから、お取り次ぎを中にしてでは言葉も次々に出てまいりません」
  "Kayau ni ha, motenai tamaha de, mukasi no mi-kokoromuke ni sitagahi kikoye tamaha m sama nara m koso, kikoye uketamaharu kahi aru bekere. Nayobi kesikibami taru hurumahi wo narahi habera ne ba, hitodute ni kikoye haberu ha, kotonoha mo tuduki habera zu."
3.4.4  とあれば、
 と言うので、
 と薫は言った。
  to are ba,
3.4.5  「 あさましう、今までながらへはべるやうなれど、思ひさまさむ方なき夢にたどられはべりてなむ、心よりほかに空の光見はべらむもつつましうて、端近うもえみじろきはべらぬ」
 「思いのほかに、今日まで生き永らえておりますようですが、思い覚まそうにも覚ましようもない夢の中にいるように思われまして、心ならず空の光を見ますのも遠慮されて、端近くに出ることもできません」
 「どうしてそれで生きていたかと思われるような私たちで、生きてはおりましてもまだ悲しい夢に彷徨ほうこうしているばかりでございます。知らず知らず空の光を見るようになりますことも遠慮がされまして、外に近い所までは出られないのでございます」
  "Asamasiu, ima made nagarahe haberu yau nare do, omohi samasa m kata naki yume ni tadora re haberi te nam, kokoro yori hoka ni sora no hikari mi habera m mo tutumasiu te, hasi tikau mo e miziroki habera nu."
3.4.6  と聞こえたまへれば、
 と申し上げなさっているので、
 という姫君の挨拶あいさつが伝えられてきた。
  to kikoye tamahe re ba,
3.4.7  「 ことといへば、限りなき御心の深さになむ。月日の影は、御心もて晴れ晴れしくもて出でさせたまはばこそ、罪もはべらめ。行く方もなく、いぶせうおぼえはべり。また思さるらむは、しばしをも、あきらめ きこえまほしくなむ
 「おっしゃることといえば、この上ないご思慮の深さです。月日の光は、ご自身その気になって晴れ晴れしく振る舞いなさるならば、罪にもなりましょう。どうしてよいか分からず、気持ちが晴れません。またお悩みを、少しでも、お晴らし申し上げたく思います」
 「それを申せば限りもない御孝心を持たれますこととは深く存じております。日月の光のもとへ晴れ晴れしく御自身からお出ましになることこそはばかりがおありになるでしょうが、私としましてはまた宮様をお失いいたしましての悲しみをほかのだれに告げようもないことですし、あなた様がたのお歎きの慰みにもなることも申し上げたいものですから、しいて近くへお出ましを願っているわけです」
  "Koto to ihe ba, kagirinaki mi-kokoro no hukasa ni nam. Tukihi no kage ha, mi-kokoro mote harebaresiku mote ide sase tamaha ba koso, tumi mo habera me. Yukukata mo naku, ibuseu oboye haberi. Mata obosa ru ram ha, sibasi wo mo, akirame kikoye mahosiku nam."
3.4.8  と申したまへば、
 と申し上げなさると、
 こう薫が言うと、それを取り次いだ女房が、
  to mausi tamahe ba,
3.4.9  「 げに、こそ。いとたぐひなげなめる 御ありさまを慰めきこえたまふ御心ばへの浅からぬほど」など、 聞こえ知らす
 「ほんとうですこと。まことに例のないようなご愁傷を、お慰め申し上げなさるお気持ちも並一通りでないこと」などと、お諭し申し上げる。
 「あちらで仰せになりますとおりに、お悲しみにお沈みあそばすのをお慰めになりたいと思召す御好意をおくみになりませんでは」などと言葉を添えて姫君を動かそうとする。
  "Geni, koso. Ito taguhinage na' meru ohom-arisama wo, nagusame kikoye tamahu mi-kokorobahe no asakara nu hodo." nado, kikoye sirasu.
注釈260東の廂の下りたる方に寝殿の東廂の一段低くなった所。服喪中は一段低い所で過す。3.4.1
注釈261やつれておはするに姫君たちが質素な喪服姿でいる。3.4.1
注釈262古人弁の君。3.4.1
注釈263かたはらいたうて御いらへなどをだにえしたまはねば主語は姫君。3.4.2
注釈264かやうには以下「続きはべらず」まで、薫の詞。3.4.3
注釈265昔の御心むけに故宮のご意向。3.4.3
注釈266あさましう以下「みじろきはべらぬ」まで、大君の詞。3.4.5
注釈267ことといへば以下「あきらめ聞こえまほしくなむ」まで、薫の詞。3.4.7
注釈268きこえまほしくなむ係助詞「なむ」の下に「思ふ」などの語句が省略されている。3.4.7
注釈269げにこそ以下「浅からぬほど」まで、女房の詞。3.4.9
注釈270御ありさまを姫君たちの哀傷を。3.4.9
注釈271慰めきこえたまふ御心ばへの浅からぬほど薫が。3.4.9
注釈272聞こえ知らす大島本は「きこえしらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人々聞こえ知らす」と「人々」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。3.4.9
校訂17 はべらず はべらず--はへ(へ/+ら<朱>)す 3.4.3
3.5
第五段 薫、大君と和歌を詠み交す


3-5  Kaoru and Ohoi-kimi compose and exchange waka

3.5.1   御心地にも、さこそいへ、やうやう心しづまりて、よろづ思ひ知られたまへば、 昔ざまにても、かうまではるけき野辺を分け入りたまへる心ざしなども、 思ひ知りたまふべし、すこしゐざり寄りたまへり。
 お気持ちも、そうはいっても、だんだんと落ち着いて、いろいろと分別がおつきになったので、亡き父宮への厚志からも、こんなにまで遥か遠い野辺を分け入っていらしたご誠意なども、お分りになったのであろう、少しいざり寄りなさった。
 ああは言いながらも大姫君の心にもようやく悲しみの静まって来たこのごろになって、宮の御葬送以来薫の尽くしてくれたいろいろな親切がわかっているのであるから、き父宮への厚情からこんな辺鄙へんぴな土地へまで遺族をたずねてくれる志はうれしく思われて、少しいざって出た。
  Mi-kokoti ni mo, sakoso ihe, yauyau kokoro sidumari te, yorodu omohi sira re tamahe ba, mukasizama nite mo, kau made harukeki nobe wo wakeiri tamahe ru kokorozasi nado mo, omohi siri tamahu besi, sukosi wizari yori tamahe ri.
3.5.2   思すらむさま、また のたまひ契りしことなど、いとこまやかになつかしう言ひて、うたて 雄々しきけはひなどは見えたまはぬ人なれば、け疎くすずろはしくなどはあらねど、 知らぬ人にかく声を聞かせたてまつり、 すずろに頼み顔なることなどもありつる日ごろを思ひ続くるも、さすがに苦しうて、つつましけれど、ほのかに一言などいらへきこえたまふさまの、 げに、よろづ思ひほれたまへるけはひなれば、いとあはれと聞きたてまつりたまふ。
 お嘆きのご心中、またお約束なさったことなどを、たいそう親密に優しく言って、嫌な粗野な態度などはお現しにならない方なので、気味悪く居心地悪くなどはないが、関係ない人にこのように声をお聞かせ申し、何となく頼りにしていたことなどもあった日頃を思い出すのも、やはり辛くて、遠慮されるが、かすかに一言などお返事申し上げなさる様子が、なるほど、いろいろと悲しみにぼうっとした感じなので、まことにお気の毒にとお聞き申し上げなさる。
 薫は大姫君に持っている愛を語り、また宮が最後に御委託の言葉のあったのなどをこまごまとなつかしい調子で語っていて、荒く強いふうなどはない人であるからうとましい気などはしないのであるが、親兄弟でない人にこうして声を聞かせ、力にしてたよるように思われるふうになるのも、父君の御在世の時にはせずとよいことであったと思うと、大姫君はさすがに苦しい気がして恥ずかしく思われるのであったが、ほのかに一言くらいの返辞を時々する様子にも、悲しみに茫然ぼうぜんとなっているらしいことが思われるのに薫は同情していた。
  Obosu ram sama, mata notamahi tigiri si koto nado, ito komayakani natukasiu ihi te, utate wowosiki kehahi nado ha miye tamaha nu hito nare ba, keutoku suzurohasiku nado ha ara ne do, sira nu hito ni kaku kowe wo kika se tatematuri, suzuroni tanomigaho naru koto nado mo ari turu higoro wo omohi tudukuru mo, sasugani kurusiu te, tutumasikere do, honokani hitokoto nado irahe kikoye tamahu sama no, geni, yorodu omohihore tamahe ru kehahi nare ba, ito ahare to kiki tatematuri tamahu.
3.5.3  黒き几帳の透影の、いと心苦しげなるに、 ましておはすらむさまほの見し明けぐれなど思ひ出でられて
 黒い几帳の透影が、たいそういたいたしげなので、ましてどれほどのご悲嘆でいられるかと、かすかに御覧になった明け方などが思い出されて、
 御簾みすの向こうの黒い几帳きちょうき影が悲しく、その人の姿はまして寂しい喪の色に包まれていることであろうと思い、あの隙見すきみをした夜明けのことと思い比べられた。
  Kuroki kityau no sukikage no, ito kokorogurusige naru ni, masite ohasu ram sama, hono mi si akegure nado omohiide rare te,
3.5.4  「 色変はる浅茅を見ても墨染に
   やつるる袖を思ひこそやれ
 「色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に
  身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします
  色変はる浅茅あさぢを見ても墨染めに
  やつるるそでを思ひこそやれ
    "Iro kaharu asadi wo mi te mo sumizome ni
    yatururu sode wo omohi koso yare
3.5.5  と、独り言のやうにのたまへば、
 と、独り言のようにおっしゃると、
 これを独言ひとりごとのように言う薫であった。
  to, hitorigoto no yau ni notamahe ba,
3.5.6  「 色変はる袖をば露の宿りにて
   わが身ぞさらに置き所なき
 「喪服に色の変わった袖に露はおいていますが
  わが身はまったく置き所もありません
  色変はる袖をば露の宿りにて
  わが身ぞさらに置き所なき
    "Iro kaharu sode wo ba tuyu no yadori nite
    waga mi zo sarani okidokoro naki
3.5.7   はつるる糸は
 ほつれる糸は涙に」
 はずるる糸は(び人の涙の玉の緒とぞなりぬる)
  Hatururu ito ha."
3.5.8  と末は言ひ消ちて、いといみじく忍びがたきけはひにて 入りたまひぬなり
 と下は言いさして、たいそうひどく堪えがたい様子でお入りになってしまったようである。
 とだけ、あとの声は消えたまま非常に悲しくなったふうで奥へはいったことが感じられた。
  to suwe ha ihiketi te, ito imiziku sinobi gataki kehahi nite iri tamahi nu nari.
注釈273御心地にもさこそいへ『湖月抄』は「大君の心を草子地よりいへり」と指摘。3.5.1
注釈274昔ざまにても『集成』は「亡き父宮への交誼からであるにしても」。『完訳』は「薫の殊勝な厚志は姫君たちも分るはずと、語り手が推測」と注す。『岷江入楚』所引の三光院実枝説は「此段大君の心を察して草子地にかけるなり」と指摘。3.5.1
注釈275思ひ知りたまふべし推量の助動詞「べし」語り手が大君の心中を推量。3.5.1
注釈276思すらむさま大君の心中。3.5.2
注釈277のたまひ契りしこと故八宮が薫に約束したこと。3.5.2
注釈278雄々しきけはひ『完訳』は「女の気持を解せぬ粗野な態度」と注す。3.5.2
注釈279知らぬ人に『集成』は「親しくもない男に」。『完訳』は「他人であるお方に」と訳す。3.5.2
注釈280すずろに頼み顔なることなどもありつる日ごろを『集成』は「こんなことでいいのかと思いながらも(薫を)頼りにするような具合でもあったこの日頃を思い続けるにつけても。父宮亡きあと、薫の手紙には返事を出していたことをさすのであろう」。『完訳』は「なんとなく薫を頼りにしてきたところもある。昔のなりゆきから薫を頼っている負い目を思う」と注す。3.5.2
注釈281げに薫の、なるほど、という気持ち。3.5.2
注釈282ましておはすらむさま『集成』は「まして姫君たちご本人の喪服に身をやつしていられるであろうお姿(が思われ)」と注す。3.5.3
注釈283ほの見し明けぐれなど思ひ出でられて「橋姫」巻の垣間見の場面をさす(第三章三段)。3.5.3
注釈284色変はる浅茅を見ても墨染に--やつるる袖を思ひこそやれ薫の歌。3.5.4
注釈285色変はる袖をば露の宿りにて--わが身ぞさらに置き所なき大君の返歌。「色変はる」「袖」の語句を用いて返す。「露」「置く」縁語。3.5.6
注釈286はつるる糸は歌に添えた言葉。『源氏釈』は「藤衣はつるる糸は侘び人の涙の玉の緒とぞなりける」(古今集哀傷、八四一、壬生忠岑)を指摘。喪服を着て涙ながら暮らしている、意。3.5.7
注釈287入りたまひぬなり「なり」伝聞推定の助動詞。3.5.8
出典19 はつるる糸は 藤衣はつるる糸は侘び人の涙の玉の緒とぞなりける 古今集哀傷-一二九二 読人しらず 3.5.7
校訂18 思ひこそ 思ひこそ--思ひに(に/$こ<朱>)そ 3.5.4
3.6
第六段 薫、弁の君と語る


3-6  Kaoru talks with Ben

3.6.1  ひきとどめなどすべきほどにもあらねば、飽かずあはれにおぼゆ。老い人ぞ、 こよなき御代はりに出で来て昔今をかき集め、悲しき御物語ども聞こゆ。ありがたくあさましきことどもをも見たる人なりければ、かうあやしく衰へたる人とも思し捨てられず、いとなつかしう語らひたまふ。
 引き止めてよい場合でもないので、心残りにいたわしくお思いになる。老女が、とんでもないご代役に出て来て、昔や今のあれこれと、悲しいお話を申し上げる。世にも稀な驚くべきことの数々を見て来た人だったので、このようにみすぼらしく落ちぶれた人と見限らず、たいそう優しくお相手なさる。
 それをひきとめて話し続けうるほどの親しみは見せがたい薫は、身にしむ思いばかりをしていた。老いた弁が極端に変わった代理役に出て来て、古い昔のこと、最近に昔となった宮のことを混ぜていずれも悲しい思いを薫に与える話ばかりをした。自身にかかわる夢のような古い秘密に携わった女であったから、醜く衰えた女と毛ぎらいもせず薫は親しく向き合っているのであった。
  Hiki-todome nado su beki hodo ni mo ara ne ba, aka zu ahareni oboyu. Oyibito zo, koyonaki ohom-kahari ni ide ki te, mukasi ima wo kaki-atume, kanasiki ohom-monogatari-domo kikoyu. Arigataku asamasiki koto-domo wo mo mi taru hito nari kere ba, kau ayasiku otorohe taru hito to mo obosi sute rare zu, ito natukasiu katarahi tamahu.
3.6.2  「 いはけなかりしほどに故院に後れたてまつりて、いみじう悲しきものは世なりけりと、思ひ知りにしかば、人となりゆく齢に添へて、官位、世の中の匂ひも、何ともおぼえずなむ。
 「幼かったころに、故院に先立たれ申して、ひどく悲しい世の中だと、悟ってしまったので、成長して行く年齢とともに、官位や、世の中の栄花も、何とも思いません。
 「私は幼年時代に院とお別れした不幸な者で、悲しいものは人生だとその当時から身にしみ渡るほど思い続けているのですから、大人おとなになっていくにしたがって進んでいく官位や、世間から望みをかけられていることなどはうれしいこととも思われないのです。
  "Ihakenakari si hodo ni, ko-Win ni okure tatematuri te, imiziu kanasiki mono ha yo nari keri to, omohi siri ni sika ba, hito to nariyuku yohahi ni sohe te, tukasa kurawi, yononaka no nihohi mo, nani to mo oboye zu nam.
3.6.3  ただ、かう 静やかなる御住まひなどの心にかなひたまへりしを、かくはかなく見なしたてまつりなしつるに、いよいよいみじく、かりそめの世の思ひ知らるる心も、 もよほされにたれど心苦しうて、とまりたまへる御ことどもの、ほだしなど聞こえむは、かけかけしきやうなれど、ながらへても、 かの御言あやまたず、聞こえ 承らまほしさになむ
 ただ、このように静かなご生活などが、心にお適いになっていらっしゃったが、このようにあっけなく先立ち申されたので、ますますひどく、無常の世の中が思い知らされる心も、催されたが、おいたわしい境遇で、後に遺されたお二方の事が、妨げだなどと申し上げるようなのは、懸想めいたように聞こえますが、生き永らえても、あの遺言を違えずに、相談申し上げ承りたく思います。
 私の願うのはこうした静かな場所に閑居のできることでしたから、八の宮の御生活がしっくり私の理想に合ったように思って近づきたてまつったのですが、こんなふうに悲しく一生をお終わりになったので、また人生をいとわしいものに思うことが深くなったのです。しかしあとの御遺族のことなどを申し上げるのは失礼ですが、自分が生きていくのに努力してでも御遺言をまちがいなく遂行したい心に今はなっています。
  Tada, kau siduyaka naru ohom-sumahi nado no, kokoro ni kanahi tamahe ri si wo, kaku hakanaku minasi tatematuri nasi turu ni, iyoiyo imiziku, karisome no yo no omohi sira ruru kokoro mo, moyohosa re ni tare do, kokorogurusiu te, tomari tamahe ru ohom-koto-domo no, hodasi nado kikoye m ha, kakekakesiki yau nare do, nagarahe te mo, kano ohom-koto ayamata zu, kikoye uketamahara mahosisa ni nam.
3.6.4  さるは、 おぼえなき御古物語聞きしより、いとど世の中に跡とめむとも おぼえずなりにたりや
 実は、思いがけない昔話を聞いてからは、ますますこの世に跡を残そうなどとは思われなくなったのですよ」
 なぜ私が努力を要するかと言いますと、思いも寄らぬ昔話をあなたがお聞かせになったものですから、いっそうこの世に跡を残さない身になりたい欲求が大きくなったのです」
  Saruha, oboye naki ohom-hurumonogatari kiki si yori, itodo yononaka ni ato tome m to mo oboye zu nari ni tari ya!"
3.6.5  うち泣きつつのたまへば、この人はましていみじく泣きて、えも聞こえやらず。御けはひなどの、 ただそれかとおぼえたまふに、年ごろうち忘れたりつるいにしへの御ことをさへとり重ねて、聞こえやらむ方もなく、おぼほれゐたり。
 泣きながらおっしゃるので、この老女はそれ以上にひどく泣いて、何とも申し上げることができない。ご様子などが、まるであの方そっくりに思われなさるので、長年来忘れていた昔の事までを重ね合わせて、申し上げようもなく、涙にくれていた。
 と、薫の泣きながら言うのを聞いている弁はまして大泣きに泣いて、言葉も出しえないふうであった。薫の容姿には柏木かしわぎの再来かと思われる点があったから、年月のたつうちに思い紛れていた故主のことがまた新しい悲しみになってきて、弁は涙におぼれていた。
  Uti-naki tutu notamahe ba, kono hito ha masite imiziku naki te, e mo kikoye yara zu. Ohom-kehahi nado no, tada sore ka to oboye tamahu ni, tosigoro uti-wasure tari turu inisihe no ohom-koto wo sahe tori-kasane te, kikoye yara m kata mo naku, obohore wi tari.
3.6.6   この人は、かの大納言の御乳母子にて父は、この姫君たちの母北の方の、母方の叔父、左中弁にて亡せにけるが子なりけり。 年ごろ、遠き国にあくがれ 母君も亡せたまひてのちかの殿には疎くなりこの宮には、尋ね取りてあらせたまふなりけり人もいとやむごとなからず、宮仕へ馴れにたれど、心地なからぬものに宮も思して、姫君たちの御後見だつ人になしたまへるなりけり。
 この人は、あの大納言の御乳母子で、父親は、この姫君たちの母北の方の叔父で、左中弁で亡くなった人の子であった。長年、遠い国に流浪して、母君もお亡くなりになって後、あちらの殿には疎遠になり、この宮邸で、引き取っておいて下さったのであった。人柄も格別というわけでなく、宮仕え馴れもしていたが、気の利かない者でないと宮もお思いになって、姫君たちのご後見役のようになさっていたのであった。
 この女は柏木の大納言の乳母めのとの子であって、父はここの女王たちの母夫人の母方の叔父おじの左中弁で、亡くなった人だったのである。長い間田舎いなかに行っていて、宮の夫人もお亡くなりになったのち、昔の太政大臣家とは縁が薄くなってしまい、八の宮が夫人の縁でお呼び寄せになった人なのである。身分もたいした者でなく、奉公ずれのしたところもあるが、賢い女であるのを宮はお認めになって、姫君たちのお世話役にしてお置きになったのである。
  Kono hito ha, kano Dainagon no ohom-Menotogo nite, Titi ha, kono HimeGimi-tati no haha-Kitanokata no, hahagata no Wodi, Sa-Tiuben nite use ni keru ga ko nari keri. Tosigoro, tohoki kuni ni akugare, HahaGimi mo use tamahi te noti, kano Tono ni ha utoku nari, kono Miya ni ha, tadune tori te ara se tamahu nari keri. Hito mo ito yamgotonakara zu, miyadukahe nare ni tare do, kokoti nakara nu mono ni Miya mo obosi te, HimeGimi-tati no ohom-usiromidatu hito ni nasi tamahe ru nari keri.
3.6.7   昔の御ことは、年ごろかく朝夕に見たてまつり馴れ、心隔つる隈なく 思ひきこゆる君たちにも、一言うち出で聞こゆるついでなく、忍びこめたりけれど、中納言の君は、「 古人の問はず語り、皆、例のことなれば、おしなべてあはあはしうなどは言ひ広げずとも、 いと恥づかしげなめる御心どもには、聞きおきたまへらむかし」と 推し量らるるが、ねたくもいとほしくもおぼゆるにぞ、「 またもて離れてはやまじ」と、思ひ寄らるるつまにもなりぬべき
 昔の事は、長年このように朝夕に拝し馴れて、隔意なく全部思い申し上げる姫君たちにも、一言も申し上げたこともなく、隠して来たけれど、中納言の君は、「老人の問わず語りは、皆、通例のことなので、誰彼なく軽率に言いふらしたりしないにしても、まことに気のおける姫君たちは、ご存知でいらっしゃるだろう」と自然と推量されるのが、忌まわしいとも困った事とも思われるので、「また疎遠にしてはおけない」と、言い寄るきっかけにもなるのであろう。
 柏木の大納言と女三にょさんみやに関したことは、長い月日になじんで何の隠し事もたいていは持たぬ姫君たちにも今まで秘密を打ち明けて言ってはなかったのであるが、薫は、老人は問わず語りをするものになっているのであるから、普通の世間話のような誇張は混ぜて言わなかったまでも、あの貴女きじょらしい貴女の二人は知っているのであるかもしれぬと想像されるのが残念でもあり、また気の毒な者に自分を思わせていることがすまぬようにも思われたりもした。こんなことによっても女王の一人を自分は得ておかないではならぬという心を薫に持たせることになるかもしれない。
  Mukasi no ohom-koto ha, tosigoro kaku asayuhu ni mi tatematuri nare, kokoro hedaturu kuma naku omohi kikoyuru Kimi-tati ni mo, hitokoto uti-ide kikoyuru tuide naku, sinobi kome tari kere do, Tiunagon-no-Kimi ha, "Hurubito no tohazugatari, mina, rei no koto nare ba, osinabete ahaahasiu nado ha ihi hiroge zu tomo, ito hadukasige na' meru mi-kokoro-domo ni ha, kiki oki tamahe ram kasi." to osihakara ruru ga, netaku mo itohosiku mo oboyuru ni zo, "Mata mote hanare te ha yama zi." to, omohiyora ruru tuma ni mo nari nu beki.
注釈288こよなき御代はりに出で来て『集成』は「大君のとんでもない代役として」。『完訳』は「大君との交替を揶揄」と注す。語り手の感情移入による表現。3.6.1
注釈289昔今をかき集め悲しき御物語ども聞こゆ大島本は「きこゆ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「聞こゆる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。昔は柏木のこと、今は八宮のこと、をさす。3.6.1
注釈290いはけなかりしほどに以下「なりにたりや」まで、薫の詞。3.6.2
注釈291故院に後れたてまつりて六条院、源氏に。3.6.2
注釈292静やかなる御住まひなどの故八宮の生活をさす。敬語「御」がある。3.6.3
注釈293心にかなひたまへりしを主語は故八宮。3.6.3
注釈294もよほされにたれど出家を思わぬでもないが、の意。3.6.3
注釈295心苦しうて姫君たちがおいたわしい状態で。3.6.3
注釈296かの御言あやまたず八宮との生前の約束や遺言に違わず、の意。3.6.3
注釈297承らまほしさになむ係助詞「なむ」の下に「思ひはべる」などの語句が省略。3.6.3
注釈298おぼえなき御古物語聞きしより柏木と薫の出生に関する話。3.6.4
注釈299おぼえずなりにたりや大島本は「おほえすなりけたりや」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おぼえずなりにたりや」と」と「と」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。3.6.4
注釈300ただそれかとおぼえたまふに柏木そっくりに思われる。「たまふ」は薫に対してつけられた敬語。3.6.5
注釈301この人は、かの大納言の御乳母子にて以下、弁の素姓についての説明。
【かの大納言の御乳母子】-柏木の乳母子。
3.6.6
注釈302父は、この姫君たちの母北の方の、母方の叔父、左中弁にて亡せにけるが子弁の父親は姫君たちの故母北の方の叔父にあたる人で左中弁で亡くなった人。弁と姫君たちの母親は従姉妹どうし。弁にとって姫君たちは従姉妹の娘たち。弁の呼称は父左中弁に由来する。3.6.6
注釈303年ごろ遠き国にあくがれ「橋姫」巻に「西の海の果て」(西海道の薩摩国)まで流浪したとあった(第四章四段)。3.6.6
注釈304母君も亡せたまひてのち姫君たちの母北の方。敬語があるので、弁の母ではない。3.6.6
注釈305かの殿には疎くなり弁がかつて仕えていた故柏木の太政大臣家。3.6.6
注釈306この宮には尋ね取りてあらせたまふなりけり主語は八宮。八宮邸で引き取って。3.6.6
注釈307人もいとやむごとなからず『完訳』は「人柄も格別というわけでなく。八の宮の北の方の従姉妹という血筋のよさが消え失せたような感じ」と注す。3.6.6
注釈308昔の御ことは故柏木の事。3.6.7
注釈309古人の問はず語り以下「聞きおきたまへらむかし」まで、薫の心中の思い。姫君たちは自分の出生の秘密を知っているだろうと推測する。3.6.7
注釈310いと恥づかしげなめる御心ども姫君たちをさす。3.6.7
注釈311推し量らるるが「るる」自発の助動詞、格助詞「が」主格を表す。3.6.7
注釈312またもて離れてはやまじと思ひ寄らるるつまにもなりぬべき『集成』は「自分の出生の秘密を守るためという動機も、薫の姫君たちへの思わくの中にあることを説明する草子地」。『完訳』は「語り手の評。自分の出生の秘密を封じ込めるとして、姫君接近を合理化することにもなる」と注す。3.6.7
校訂19 承らまほしさ 承らまほしさ--うけたまはら(ら/+ま<朱>)ほしさ 3.6.3
校訂20 遠き国に 遠き国に--とをきくに(に/+に) 3.6.6
校訂21 思ひきこゆる 思ひきこゆる--*思きこゆ 3.6.7
3.7
第七段 薫、日暮れて帰京


3-7  Kaoru gets back to Kyoto in after sunset

3.7.1  今は旅寝もすずろなる心地して、帰りたまふにも、「 これや限りの」などのたまひしを 、「などか、さしもやは、とうち頼みて、また見たてまつらずなりにけむ、 秋やは変はれる。あまたの日数も隔てぬほどに、おはしにけむ方も知らず、 あへなきわざなりや。ことに例の人めいたる御しつらひなく、いと ことそぎたまふめりしかど、いとものきよげにかき払ひ、あたりをかしくもてないたまへりし御住まひも、大徳たち出で入り、 こなたかなたひき隔てつつ、御念誦の具どもなどぞ、変らぬさまなれど、『 仏は皆かの寺に移したてまつりてむとす』」と聞こゆるを、聞きたまふにも、 かかるさまの人影などさへ絶え果てむほど、とまりて思ひたまはむ 心地どもを汲みきこえたまふも、いと胸いたう思し続けらる。
 今は泊まるのも落ち着かない気がして、お帰りなさるにも、「これが最後か」などとおっしゃったが、「どうして、そのようなことがあろうか、と信頼して、再び拝しなくなった、秋は変わったろうか。多くの日数も経ていないのに、どこにいらしたのかも分からず、あっけないことだ。格別に普通の人のようなご装飾もなく、とても簡略になさっていたようだが、まことにどことなく清らかに手入れがしてあって、周囲が趣深くなさっていたお住まいも、大徳たちが出入りし、あちら側とこちら側と隔てなさって、御念誦の道具類なども変わらない様子であるが、『仏像は皆あちらのお寺にお移し申そうとする』」と申し上げるのを、お聞きなさるにつけても、このような様子の人影などまでが見えなくなってしまった時、後に残ってお悲しみになっているお二方の気持ちを推察申し上げなさるのも、まことに胸が痛く思い続けられずにはいらっしゃれない。
 女ばかりの家族の所へ泊まって行くこともやましい気がして、帰ろうとしながらも薫は、これが最終の会見になるかもしれぬと八の宮がお言いになった時、近い日のうちにそんなことになるはずもないという誤った自信を持って、それきりおたずねすることなしに宮をお失いした、それも秋の初めで、今もまだ秋ではないか、多くの日もたたぬうちに、どこの世界へお行きになったかもわからぬことになるとははかないことではないかと歎かれた。別段普通の貴人めいた装飾がしてあるのでもなく簡素にお住まいをしておいでになったが、いつもきよ掃除そうじの行き届いた山荘であったのに、荒法師たちが多く出入りして、ちょっとした隔ての物を立てて臨時の詰め所をあちこちに作っているような家に今はなっていた。念誦ねんずへやの飾りつけなどはもとのままであるが、仏像は向かいの山の寺のほうへ近日移されるはずであるということを聞いた薫は、こんな僧たちまでもいなくなったあとに残る女王たちの心は寂しいことであろうと思うと、胸さえも痛くなって、その人たちがあわれまれてならない。
  Ima ha tabine mo suzuro naru kokoti si te, kaheri tamahu ni mo, "Kore ya kagiri no." nado notamahi si wo, "Nadoka, sasimo yaha, to uti-tanomi te, mata mi tatematura zu nari ni kem, aki yaha kahare ru. Amata no hikazu mo hedate nu hodo ni, ohasi ni kem kata mo sira zu, ahenaki waza nari ya! Kotoni rei no hito mei taru ohom-siturahi naku, ito kotosogi tamahu meri sika do, ito mono-kiyoge ni kaki-harahi, atari wokasiku motenai tamahe ri si ohom-sumahi mo, Daitoko-tati ideiri, konatakanata hiki-hedate tutu, ohom-nenzu no gu-domo, nado zo, kahara nu sama nare do, 'Hotoke ha mina kano tera ni utusi tatematuri te m to su.' " to kikoyuru wo, kiki tamahu ni mo, kakaru sama no hitokage nado sahe taye hate m hodo, tomari te omohi tamaha m kokoti-domo wo kumi kikoye tamahu mo, ito mune itau obosi tuduke raru.
3.7.2  「 いたく暮れはべりぬ」と申せば、眺めさして立ちたまふに、雁鳴きて渡る。
 「たいそう暮れました」と申し上げるので、物思いを中断してお立ちなさると、雁が鳴いて飛んで渡って行く。
 「もう非常に暗い時刻になりました」と従者が告げて来たために、外をながめていた所から立ち上がった時にかりいて通った。
  "Itaku kure haberi nu." to mause ba, nagame sasi te tati tamahu ni, kari naki te wataru.
3.7.3  「 秋霧の晴れぬ雲居にいとどしく
   この世をかりと言ひ知らすらむ
 「秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう
  この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう
  秋霧の晴れぬ雲井にいとどしく
  この世をかりと言ひ知らすらん
    "Akigiri no hare nu kumowi ni itodosiku
    konoyo wo kari to ihi sirasu ram
3.7.4  薫の歌である。
注釈313これや限りのなどのたまひしを以下「移したてまつりてむとす」あたりまで、薫の心中と目に沿った叙述。『集成』は「この前後、山荘を去るに当っての薫の感慨をそのまま地の文として書く」と注す。故八宮と最後の対面の折の言葉をさす。『新釈』は「逢ふことはこれや限りの旅ならむ草の枕も霜枯れにけり」(新古今集恋三、一二〇九、馬内侍)を指摘。3.7.1
注釈314秋やは変はれる『完訳』は「八の宮と対面したのも八の宮の死に遭ったのも、同じ今年の秋ではないか。短日月の間に移り変る無常を詠嘆」と注す。3.7.1
注釈315あへなきわざなりや薫の感想。3.7.1
注釈316ことそぎたまふめりしかど推量の助動詞「めり」主観的推量の主体は薫。3.7.1
注釈317こなたかなたひき隔てつつ『完訳』は「姫君たちの住む東面と、宮の住んでいた西面」と注す。3.7.1
注釈318仏は皆かの寺に移したてまつりてむとす大徳たちの詞。3.7.1
注釈319かかるさまの人影など僧侶たちの姿。3.7.1
注釈320心地どもを接尾語「ども」複数を表す。大君と中君の気持ち。3.7.1
注釈321いたく暮れはべりぬ供人の詞。主人薫の帰京を促す。3.7.2
注釈322秋霧の晴れぬ雲居にいとどしく--この世をかりと言ひ知らすらむ薫の独詠歌。『河海抄』は「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」(古今集雑下、九三四、読人しらず)。『河海抄』は「行き帰りここもかしこも旅なれや来る秋ごとにかりかりと鳴く」(後撰集秋下、三六二、読人しらず)「ひたすらに我が思はなくに己さへかりかりとのみ鳴き渡るらむ」(後撰集秋下、三六四、読人しらず)。『源註拾遺』は「常ならぬ身を秋来れば白雲に飛ぶ鳥すらもかりとねをなく」(新撰万葉集、秋)を指摘。「雁」と「仮り」の掛詞。「雁」は鳴く音でもある。3.7.3
出典20 これや限りの 逢ふことはこれや限りのたびならむ草の枕も霜枯れにけり 新古今集恋三-一二〇九 馬内侍 3.7.1
出典21 秋霧の晴れぬ 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の中の憂さ 古今集雑下-九三五 読人しらず 3.7.3
3.8
第八段 姫君たちの傷心


3-8  Sisters of broken heart in late fall

3.8.1   兵部卿宮に対面したまふ時は、まづこの君たちの御ことを扱ひぐさにしたまふ。「 今はさりとも心やすきを」と思して、宮は、ねむごろに聞こえたまひけり。はかなき御返りも、聞こえにくくつつましき方に、女方は思いたり。
 兵部卿宮に対面なさる時は、まずこの姫君たちの御事を話題になさる。「今はそうはいっても気がねも要るまい」とお思いになって、宮は、熱心に手紙を差し上げなさるのであった。ちょっとしたお返事も、申し上げにくく気後れする方だと、女方はお思いになっていた。
 兵部卿ひょうぶきょうの宮に薫がおいする時にはいつも宇治の姫君たちが話題の中心になった。反対されるかもしれぬ父君の親王もおいでにならなくなって、結婚はただ女王の自由意志で決まるだけであると見ておいでになって、宮は引き続き誠意を書き送っておいでになった。女のほうではこの相手に対しては短いお返事も書きにくいように思っていた。
  Hyaubukyau-no-Miya ni taimen si tamahu toki ha, madu kono Kimi-tati no ohom-koto wo atukahigusa ni si tamahu. "Ima ha saritomo kokoroyasuki wo!" to obosi te, Miya ha, nemgoro ni kikoye tamahi keri. Hakanaki ohom-kaheri mo, kikoye nikuku tutumasiki kata ni, womnagata ha oboi tari.
3.8.2  「 世にいといたう好きたまへる御名のひろごりて、好ましく艶に思さるべかめるも、かういと埋づもれたる葎の下よりさし出でたらむ手つきも、 いかにうひうひしく、古めきたらむ」など思ひ屈したまへり。
 「世間にとてもたいそう風流でいらっしゃるお名前が広がって、好ましく優美にお思いなさるらしいが、このようにとても埋もれた葎の下のようなところから差し出すお返事を、まことに場違いな感じがして、古めかしいだろう」などとふさいでいらっしゃった。
 好色な風流男というお名がひろまっていて、好奇心からいいようにばかり想像をしておいでになる方へ、はなやかな世間とは没交渉のようなび居をするものが、出す返事などはどんなに時代おくれなものと見られるかしれぬとたんじているのであった。
  "Yo ni ito itau suki tamahe ru ohom-na no hirogori te, konomasiku en ni obosa ru beka' meru mo, kau ito udumore taru mugura no sita yori sasiide tara m tetuki mo, ikani uhiuhisiku, hurumeki tara m." nado omohi kut-si tamahe ri.
3.8.3  「 さても、あさましうて明け暮らさるるは、月日なりけり。 かく、頼みがたかりける御世を 昨日今日とは思はで、ただおほかた定めなきはかなさばかりを、明け暮れのことに聞き見しかど、 我も人も後れ先だつほどしもやは経む 、などうち思ひけるよ」
 「それにしても、思いのほかに過ぎ行くものは、月日ですわ。このように、頼りにしにくかったご寿命を、昨日今日とも思わず、ただ人生の大方の無常のはかなさばかりを、毎日のこととして見聞きしてきましたが、自分も父宮も後に遺されたり先立ったりすることに月日の隔たりがあろうか、などと思っていましたたよ」
 いつとなくたってしまうのは月日でないか、人生のはかなさもろさを知りながらも、自分らに悲しい日の近づいているものとも知らずに、ただ一般的に頼みがたいものは人生であるとしていて、親子三人が別々な時に死ぬるものともせず、滅ぶのはいっしょであるような妄想もうそうを持ち、
  "Satemo, asamasiu te ake kurasa ruru ha, tukihi nari keri. Kaku, tanomi gatakari keru mi-yo wo, kinohu kehu to ha omoha de, tada ohokata sadame naki hakanasa bakari wo, akekure no koto ni kiki mi sika do, ware mo hito mo okure sakidatu hodo simo yaha he m, nado uti-omohi keru yo!"
3.8.4  「来し方を思ひ続くるも、何の頼もしげなる世にもあらざりけれど、ただいつとなくのどやかに眺め過ぐし、もの恐ろしくつつましきこともなくて経つるものを、風の音も荒らかに、 例見ぬ人影も、うち連れ声づくれば、まづ胸つぶれて、もの恐ろしくわびしうおぼゆることさへ添ひにたるが、いみじう堪へがたきこと」
 「過去を思い続けても、何の頼りがいのありそうな世でもなかったが、ただいつのまにかのんびりと眺め過ごして来て、何の恐ろしい目にも気がねすることもなく過ごして来ましたが、風の音も荒々しく、いつもは見かけない人の姿が、連れ立って案内を乞うと、まっさきに胸がどきりとして、何となく恐ろしく侘しく思われることまでが加わったのが、ひどく堪え難いことですわ」
 それをまた慰めにもしていた過去を思ってみても幸福な世を自分らは持っていたのではないが、父君がおいでになるということによって、何とない安心が得られ、他からおどす者もない、他を恐れることもないとして生きていた、それが今日では風さえ荒い音をして吹けば心がおびえるし、平生見かけない人たちが幾人も門をはいって来て案内を求める声を聞けばはっと思わせられもするし、恐ろしく情けないことの多くなったのは堪えられぬことである
  "Kisikata wo omohi tudukuru mo, nani no tanomosige naru yo ni mo ara zari kere do, tada itu to naku nodoyakani nagame sugusi, mono osorosiku tutumasiki koto mo naku te he turu mono wo, kaze no ne mo ararakani, rei mi nu hitokage mo, uti-ture kowadukure ba, madu mune tubure te, mono osorosiku wabisiu oboyuru koto sahe sohi ni taru ga, imiziu tahe gataki koto."
3.8.5  と、二所うち語らひつつ、干す世もなくて過ぐしたまふに、年も暮れにけり。
 と、お二方で語り合いながら、涙の乾く間もなくて過ごしていらっしゃるうちに、年も暮れてしまった。
 と、涙の中で姉妹きょうだいが語り合っているうちにその年も暮れるのであった。
  to, hutatokoro uti-katarahi tutu, hosu yo mo naku te sugusi tamahu ni, tosi mo kure ni keri.
注釈323兵部卿宮に対面したまふ時は主語は薫。3.8.1
注釈324今はさりとも心やすきを匂宮の心中。八宮が亡くなった今となってはけむたい存在もいなくなって、の意。3.8.1
注釈325世にいといたう以下「古めきたらむ」まで、姫君たちの心中。特に大君。『完訳』は「好色と噂に聞える匂宮を敬遠したい」と注す。3.8.2
注釈326いかにうひうひしく古めきたらむ『集成』は「どんなに場違いな感じで、気の利かぬものだろう」。『完訳』は「どんなにか世なれず古めかしく見えることだろう」と訳す。3.8.2
注釈327さてもあさましうて以下「堪へがたきこと」まで、大君と中君の会話。3.8.3
注釈328かく頼みがたかりける御世を父宮の寿命。3.8.3
注釈329昨日今日とは思はで『河海抄』は「遂に行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(古今集哀傷、八六一、在原業平)を指摘。3.8.3
注釈330我も人も後れ先だつほどしもやは経む『源氏釈』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖一、雫)を指摘。『集成』は「父宮に先立たれて自分たちが生き永らえようなどとは思ってもみなかった、の意」と注す。3.8.3
注釈331例見ぬ人影もうち連れ声づくればまづ胸つぶれてもの恐ろしくわびしうおぼゆることさへ今までは応対に当たられていた父宮がいなくなったことを改めて思い知る。3.8.4
出典22 昨日今日とは思はで つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりけり 古今集哀傷-八六一 在原業平 3.8.3
出典23 後れ先だつ 末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ 古今六帖一-五九三 3.8.3
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/5/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月13日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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