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第五十二帖 蜻蛉
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52 KAGEROHU (Ohoshima-bon)
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薫君の大納言時代 二十七歳三月末頃から秋頃までの物語
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Tale of Kaoru's Dainagon era, from about the last in March to fall at the age of 27
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6 |
第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
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6 Tale of Kaoru Kaoru suffered a deep grief at fall
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6.1 |
第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙
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6-1 Onna-Ichi-no-miya sends a mail to her sister Onna-Ni-no-miya
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6.1.1 |
その後、 姫宮の御方より、二の宮に御消息ありけり。御手などの、いみじううつくしげなるを 見るにも、いとうれしく、「 かくてこそ、とく見るべかりけれ」と思す。
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その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった。ご筆跡などが、たいそうかわいらしそうなのを見るにつけ、実に嬉しく、「こうしてこそ、もっと早く見るべきであった」とお思いになる。
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それからまもなく一品の宮から女二の宮へお手紙が来た。御手跡のおみごとであるのを見ることのできたことが薫にはうれしくて、期待にはずれないごりっぱさである、もっと早くこれが拝見できる方法を講ずべきであったなどと思った。
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Sono noti, Hime-Miya no ohom-kata yori, Ni-no-Miya ni ohom-seusoko ari keri. Ohom-te nado no, imiziu utukusige naru wo miru ni mo, ito uresiku, "Kaku te koso, toku miru bekari kere." to obosu.
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6.1.2 |
あまたをかしき絵ども多く、大宮も たてまつらせたまへり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせたまふ。 芹川の大将の遠君の、女一の宮思ひかけたる秋の夕暮に、思ひわびて出でて行きたる画、をかしう描きたるを、いとよく思ひ寄せ らるかし。「 かばかり思し靡く人のあらましかば」と思ふ身ぞ口惜しき。
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たくさんの趣のある絵をたくさん、大宮も差し上げあそばした。大将殿は、それ以上に趣のある絵を集めて、差し上げなさる。芹川の大将が遠君の、女一の宮に懸想をしている秋の夕暮に、思いあまって出かけて行った絵が、趣深く描けているのを、とてもよくわが身に思い当たるのである。「あれほどまで思い靡いてくださる方があったら」と思うわが身が残念である。
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多くの美しい絵などを中宮からもお送りになった。お礼として薫からもそれにまさった絵を集めて差し上げることにした。小説の芹川の大将が女一の宮を恋して秋の日の夕方に思い侘びて家から出て行くところを描いた絵はよく自身の心持ちが写されているように思われる薫であった。その人のように成功すべき恋でないのが残念であった。
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Amata wokasiki we-domo ohoku, Oho-Miya mo tatematura se tamahe ri. Daisyau-dono, uti-masari te wokasiki-domo atume te, mawirase tamahu. Serikaha-no-Daisyau no TohoGimi no, Womna-Iti-no-Miya omohikake taru aki no yuhugure ni, omohiwabi te ide te iki taru kata, wokasiu kaki taru wo, ito yoku omohiyose raru kasi. "Kabakari obosi-nabiku hito no ara masika ba." to omohu mi zo kutiwosiki.
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6.1.3 |
「 荻の葉に露吹き結ぶ秋風も 夕べぞわきて身にはしみける」 |
「荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も 夕方には特に身にしみて感じられる」 |
荻の葉に露吹き結ぶ秋風も 夕べぞわきて身にはしみにける
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"Ogi no ha ni tuyu huki musubu akikaze mo yuhube zo wakite mi ni ha simi keru |
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6.1.4 |
と書きても添へまほしく思せど、
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と書き添えたく思うが、
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と書き添えたい気がするのであるが、
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to kaki te mo sohe mahosiku obose do,
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6.1.5 |
「 さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことも、えほのめかし出づまじ。かくよろづに何やかやと、ものを思ひの果ては、 昔の人のものしたまはましかば、いかにもいかにも他ざまに 心分けましや。
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「そのようなのを少しの様子にでも漏らしたら、とてもやっかいそうな世の中であるから、ちょっとしたことも、ちらっと出すことができない。このようにいろいろと何やかやと、憂愁を重ねた果てに思うことは、亡き大君が生きていらっしゃったら、どうして他の女に心を傾けたりしようか。
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そうしたことは気ぶりにも知れたならばどんなことの言われるかしれぬ世の中であるからと、思うことすらも洩らしがたい恋に心を悩ませ、はては宇治の大姫君さえ生きていてくれたならば、その人を妻とすることができていたのであれば、どんな人を見ても心の動揺することなどはなかったはずである。
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"Sayau naru tuyu bakari no kesiki nite mo mori tara ba, ito wadurahasige naru yo nare ba, hakanaki koto mo, e honomekasi idu mazi. Kaku yoroduni naniyakaya to, mono wo omohi no hate ha, mukasi no hito no monosi tamaha masika ba, ikanimo ikanimo hokazama ni kokoro wake masi ya.
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6.1.6 |
時の帝の御女を賜ふとも、 得たてまつらざらまし。 また、さ思ふ人ありと 聞こし召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心乱りたまひける 橋姫かな」
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今上の帝の内親王を賜うといっても、頂戴はしなかったろうに。また、そのように思う女がいるとお耳にあそばしながら、このようなことはなかったろうが、やはり情けなく、わたしの心を乱しなさった宇治の橋姫だなあ」
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現代の帝王の御女を賜わるといっても、自分はお受けをしなかったはずである、また自分がそれほど愛している妻があるとわかっておいでになって姫宮をお嫁がせになることもなかろう、何といっても自分の心の混乱し始めたのは宇治の橋姫のせいである
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Toki no Mikado no ohom-musume wo tamahu tomo, e tatematura zara masi. Mata, sa omohu hito ari to kikosimesi nagara ha, kakaru koto mo nakara masi wo, naho kokorouku, waga kokoro midari tamahi keru Hasihime kana!"
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6.1.7 |
と思ひあまりては、 また宮の上にとりかかりて、恋しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで悔しき。 これに思ひわびて、さしつぎには、 あさましくて亡せにし人の、いと心幼く、とどこほるところなかりける軽々しさをば思ひながら、さすがに いみじとものを、思ひ入りけむほど、 わがけしき例ならずと、心の鬼に嘆き沈みてゐたりけむありさまを、 聞きたまひしも思ひ出でられつつ、
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と思い余って、また宮の上に執着して、恋しく切なく、どうにもしようがないのを、馬鹿らしく思うまで悔しい。この方に思い悩んで、その次には、呆れた恰好で亡くなった人が、とても思慮浅く、思いとどまるところのなかった軽率さを思いながら、やはり大変なことになったと、思いつめていたほどを、わたしの態度がいつもと違っていると、良心の呵責に苛まれて嘆き沈んでいた様子を、お聞きになったことも思い出されて、
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と、こんなことを思ってゆくうちに薫の心はまた二条の院の女王の上に走って、恋しくも恨めしくもなり、取り返されぬ昔を愚かしいまでに残念に思った。もうどうすることもできないことなのであると、それを心に片づけたあとでは、また自殺をしてしまった浮舟が、思想的に幼稚でよこしまな情熱に逢ってたちまち動かされていった軽率さを認めながらも、さすがに煩悶を多くしていたこと、そのころに自分の気持ちの変わったことで、自責の念から歎きに沈んでいた様子を宇治で聞いて知ったことも思い出され、
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to omohi amari te ha, mata Miya-no-Uhe ni torikakari te, kohisiu mo turaku mo, warinaki koto zo, wokogamasiki made kuyasiki. Kore ni omohi wabi te, sasitugi ni ha, asamasiku te use ni si hito no, ito kokorowosanaku, todokohoru tokoro nakari keru karogarosisa wo ba omohi nagara, sasugani imizi to mono wo, omohiiri kem hodo, waga kesiki rei nara zu to, kokoro-no-oni ni nageki sidumi te wi tari kem arisama wo, kiki tamahi si mo omohiide rare tutu,
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6.1.8 |
「 重りかなる方ならで、ただ心やすくらうたき語らひ人にてあらせむ、と思ひしには、いとらうたかりし人を。 思ひもていけば、 宮をも思ひきこえじ。女をも憂しと思はじ。ただわがありさまの世づかぬおこたりぞ」
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「重々しい方としての扱いでなく、ただ気安くかわいらしい愛人としておこう、と思ったわりには、実にかわいらしい人であったよ。思い続けると、宮をお恨み申すまい。女をもひどいと思うまい。ただわが人生が世間ずれしていない失敗なのだ」
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妻というような厳粛な意味の相手ではなく、心安く可憐な愛人としておきたいと思うのにはふさわしくかわいい女性であったと考えられ、もう宮に不快の念を持つまい、女をも恨むまい、ただ自分の非常識から若い愛人をああした場所へ置き放しにしていたのがあやまちの原因だったのである
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"Omorika naru kata nara de, tada kokoroyasuku rautaki katarahibito nite ara se m, to omohi si ni ha, ito rautakari si hito wo. Omohi mote ike ba, Miya wo mo omohi kikoye zi. Womna wo mo usi to omoha zi. Tada waga arisama no yoduka nu okotari zo."
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6.1.9 |
など、眺め入りたまふ時々多かり。
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などと、物思いに耽りなさる時々が多かった。
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と、こんなふうに物思いの末にはあきらめをつけることにもなった。
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nado, nagame iri tamahu tokidoki ohokari.
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6.2 |
第二段 侍従、明石中宮に出仕す
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6-2 Jiju works under Akashi-Empress as a maid
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6.2.1 |
心のどかに、さまよくおはする人だに、かかる筋には、身も苦しきことおのづから混じるを、 宮は、まして 慰めかねつつ、 かの形見に、飽かぬ悲しさをものたまひ出づべき人さへなきを、 対の御方ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、 深くも見馴れたまはざりける、うちつけの睦びなれば、 いと深くしも、いかでかはあらむ。また、思すままに、「恋しや、 いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし 侍従をぞ、例の、迎へさせたまひける。
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悠長で、自制心が強くいらっしゃる人でさえ、このような方面には、身も苦しいことが自然と出て来るのを、宮は、彼以上に慰めかねながら、あの形見として、尽きない悲しみをおっしゃる相手さえいないが、対の御方だけは、「かわいそうに」などとおっしゃるが、深く親しんでいらっしゃらなかった、短い交際であったので、とても深くはどうしてお思いになろうか。また、お気持ちのままに、「恋しい、悲しい」などとおっしゃるのは、気がひけるので、あちらにいた侍従を、例によって、迎えさせなさった。
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静かな落ち着いた薫さえこんなふうに恋愛については身体にもさわるほどな苦しみも時には味わうのであるから、まして浮舟をお失いになった兵部卿の宮は心を慰めかねておいでになって、その人の形見の人として悲しみを語り合う人さえもおありでなく、対の夫人だけは哀れな人であったと言ってくれはするものの、姉妹として交わっていた期間はわずかなことであったから、深い悲しみは覚えているはずもない、また宮としては思召すままに恋しい悲しいとお言いになることも、夫人に向かってのことであるからお心のとがめられることであるために、あの山荘の侍従をお呼び寄せになった。
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Kokoronodoka ni, sama yoku ohasuru hito dani, kakaru sudi ni ha, mi mo kurusiki koto onodukara maziru wo, Miya ha, masite nagusame kane tutu, kano katami ni, aka nu kanasisa wo mo notamahi idu beki hito sahe naki wo, Tai-no-Ohomkata bakari koso ha, "Ahare" nado notamahe do, hukaku mo minare tamaha zari keru, utituke no mutubi nare ba, ito hukaku simo, ikadekaha ara m. Mata, obosu mama ni, "Kohisi ya, imizi ya!" nado notamaha m ni ha, kataharaitakere ba, kasiko ni ari si Zizyuu wo zo, rei no, mukahe sase tamahi keru.
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6.2.2 |
皆人どもは行き散りて、 乳母とこの人二人なむ、 取り分きて思したりしも忘れがたくて、 侍従はよそ人なれど、なほ語らひてあり経るに、 世づかぬ川の音も、うれしき瀬もやある、と頼みしほどこそ慰めけれ、心憂くいみじくもの恐ろしくのみおぼえて、 京になむ、あやしき所に、このころ来てゐたりける、 尋ねたまひて、
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皆女房たちは散り散りになって、乳母とこの人ら二人は、特別に目をかけてくださったのも忘れることができず、侍従は身内外の女房であるが、やはり話相手として暮らしていたが、どこにもないような川の音も、何か嬉しいこともあろうか、と期待していたうちは慰められたが、気持ち悪く大変に恐ろしくばかり思われて、京で、みすぼらしい所に、最近来ていたのを、捜し出しなさって、
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女房たちは皆ちりぢりに去ってしまったあとに、乳母と右近、侍従だけは故人が最も親しんだ人たちであったから、喪の家から離れず、一方は親子であって、侍従は関係のない間柄ではあるが、いっしょに山荘へ残って暮らしていたのであったが、荒々しい川音を聞くのも、そのうち京の邸へ姫君の迎えられて行く日を楽しみにして辛抱されたものの、情けなく、気味悪くばかり思われて、京のちょっとした知り合いの家へこのごろは侍従だけが移って来ていた。宮がお捜させになって
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Minahito-domo ha iki tiri te, Menoto to kono hito hutari nam, toriwaki te obosi tari si mo wasure gataku te, Zizyuu ha yosobito nare do, naho katarahi te ari huru ni, yoduka nu kaha no oto mo, uresiki se mo ya aru, to tanomi si hodo koso nagusame kere, kokorouku imiziku mono-osorosiku nomi oboye te, kyau ni nam, ayasiki tokoro ni, kono koro ki te wi tari keru, tadune tamahi te,
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6.2.3 |
「 かくてさぶらへ」
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「こうして仕えていなさい」
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このまま二条の院の女房になるように
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"Kaku te saburahe."
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6.2.4 |
とのたまへば、「 御心はさるものにて、人びとの言はむことも、 さる筋のこと混じりぬるあたりは、聞きにくきこともあらむ」と思へば、うけひききこえず。「 后の宮に参らむ」となむおもむけたれば、
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とおっしゃるが、「お心はお心としてありがたいが、女房たちが噂するのも、そのような方面のことが絡んでいるところでは、聞きにくいこともあろう」と思うと、お引き受け申さない。「后の宮にお仕えしたい」と希望したので、
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と仰せになるのであったが、夫人はともかくも、他の女房たちから浮舟の姫君と宮とのあるまじい情交の起こっていたことで何かと非難がましいことを言われるであろうことが思われお受けをしなかった。中宮の女房になってお仕えしたいとそれとなく内記に言ってもらうと、 |
to notamahe ba, "Mi-kokoro ha saru mono nite, hitobito no iha m koto mo, saru sudi no koto maziri nuru atari ha, kikinikuki koto mo ara m." to omohe ba, ukehiki kikoye zu. "Kisai-no-Miya ni mawira m." to nam omomuke tare ba,
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6.2.5 |
「 いとよかなり。さて人知れず思し使はむ」
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「とても結構なことだ。それでは内々に目をかけてやろう」
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「それはよい。そして自分が陰で勤めよくなるようにしてやろう」
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"Ito yoka nari. Sate hitosirezu obosi tukaha m."
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6.2.6 |
とのたまはせけり。 心細くよるべなきも慰むやとて、 知るたより求め参りぬ。「 きたなげなくてよろしき下臈なり」と許して、人もそしらず。大将殿も常に参りたまふを、見るたびごとに、もののみあはれなり。「いとやむごとなき ものの姫君のみ、参り集ひたる宮」と人も言ふを、やうやう目とどめて見れど、「 見たてまつりし人に似たるはなかりけり」と思ひありく。
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とおっしゃるのだった。心細く頼りとするところのないのも慰むことがあろうかと、縁故を求めて出仕した。「小ざっぱりとしたまあまあの下臈だ」と認めて、誰も非難しない。大将殿もいつも参上なさるのを、見るたびごとに、何となくしみじみとする。「とても高貴な大家の姫君ばかりが、大勢いらっしゃる宮邸だ」と女房が言うのを、だんだん目をとめて見るが、「やはりお仕えしていた方に似た美しい姫君はいないものだ」と思っている。
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と言う宮のお返辞であった。侍従は姫君を失った心細さも慰むかと思い、手蔓を求めて目的の宮仕えをする身になった。見た目のきれいな下級女房であると人も認めて、侍従は悪くも言われていなかった。大将もよくまいるのを蔭で見るたびに昔が思われる物哀れな心になった。貴族の姫君たちだけのお仕えしている場所だと聞いていて、そうした上の女房たちの顔をこのごろ皆見知るようになってから考えても、浮舟の姫君ほどの美貌の人はないようであった。
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to notamahase keri. Kokorobosoku yorube naki mo nagusamu ya tote, siru tayori motome mawiri nu. "Kitanage naku te yorosiki gerahu nari." to yurusi te, hito mo sosira zu. Daisyau-dono mo tuneni mawiri tamahu wo, miru tabi goto ni, mono nomi ahare nari. "Ito yamgotonaki mono no HimeGimi nomi, mawiri tudohi taru Miya." to hito mo ihu wo, yauyau me todome te mire do, "Mi tatematuri si hito ni ni taru ha nakari keri." to omohi ariku.
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6.3 |
第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う
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6-3 Niou-no-miya thinks that Miya-no-kimi seems to Ukifune
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6.3.1 |
この春亡せたまひぬる 式部卿宮の御女を、 継母の北の方、ことにあひ思はで、 兄の馬頭にて人柄もことなることなき、 心懸けたるを、 ▼ いとほしうなども思ひたらで、 さるべきさまになむ契る、と 聞こし召すたよりありて、
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今年の春お亡くなりになった式部卿宮の御娘を、継母の北の方が、特にかわいがらないで、その兄の右馬頭で人柄も格別なところもないのが、心を寄せているのを、不憫だとも思わずに縁づけている、とお耳にあそばしたことがあって、
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今年の春お薨れになった式部卿の宮の姫君を、継母の夫人が愛しないで、自身の兄の右馬頭で平凡な男が恋をしているのに、姫君をかわいそうとも思わずに与えようとしていることを中宮へある人から申し上げると、
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Kono haru use tamahi nuru Sikibukyau-no-Miya no ohom-musume wo, mamahaha no Kitanokata, koto ni ahi omoha de, seuto no Muma-no-Kami nite hitogara mo kotonaru koto naki, kokorokake taru wo, itohosiu nado mo omohi tara de, sarubeki sama ni nam tigiru, to kikosimesu tayori ari te,
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6.3.2 |
「いとほしう。父宮のいみじくかしづきたまひける女君を、いたづらなるやうにもてなさむこと」
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「お気の毒に。父宮がたいそう大切になさっていた女君を、つまらないものにしてしまおうとは」
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「気の毒な、宮様がたいへん大事になすった女王さんを、そんな廃り者にしてしまおうとするなどとは」
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"Itohosiu. Titi-Miya no imiziku kasiduki tamahi keru WomnaGimi wo, itadura naru yau ni motenasa m koto."
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6.3.3 |
などのたまはせければ、 いと心細くのみ思ひ嘆きたまふありさまにて、
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などと仰せになったので、ひどく心細くばかり思い嘆いていらっしゃる有様で、
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と憐んで仰せられた。 「たよりない心細い思いをしているあなたに
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nado notamahase kere ba, ito kokorobosoku nomi omohi nageki tamahu arisama nite,
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6.3.4 |
「 なつかしう、かく尋ねのたまはするを」
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「やさしく、このようにおっしゃってくださるものを」
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そうしたあたたかい同情を寄せてくださるのだから、中宮へお仕えしたら」
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"Natukasiu, kaku tadune notamaha suru wo!"
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6.3.5 |
など、御兄の侍従も言ひて、このころ 迎へ取らせたまひてけり。 姫宮の御具にて、いとこよなからぬ御ほどの人なれば、やむごとなく心ことにてさぶらひたまふ。 限りあれば、宮の君などうち言ひて、裳ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。
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などと、ご兄妹の侍従も言って、最近迎え取らせなさった。姫宮のお相手として、まことに最適のご身分の方なので、高い身分の方として特別の扱いで伺候なさる。決まりがあるので、宮の君などと呼ばれて、裳くらいはお付けになるのが、ひどくおいたわしいことであった。
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と、兄の侍従も宮仕えを勧めた女王を、このごろ中宮は手もとへ侍女にお迎えになった。女一の宮のお相手として置くのによい貴女と思召して、特別な御待遇を賜わって侍しているのであったが、お仕えする身であるかぎり、やはり宮の君などと言われ、唐衣までは着ぬが裳だけはつけて勤めているのは哀れなことであった。
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nado, ohom-Seuto no Zizyuu mo ihi te, konokoro mukahe tora se tamahi te keri. Hime-Miya no ohom-gu nite, ito koyonakara nu ohom-hodo no hito nare ba, yamgotonaku kokorokoto nite saburahi tamahu. Kagiri are ba, Miya-no-Kimi nado uti-ihi te, mo bakari hikikake tamahu zo, ito ahare nari keru.
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6.3.6 |
兵部卿宮、「 この君ばかりや、 恋しき人に思ひよそへつべきさましたらむ。 父親王は兄弟ぞかし」など、例の御心は、人を恋ひたまふにつけても、 人ゆかしき御癖やまで、いつしかと御心かけたまひてけり。
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兵部卿宮は、「この宮くらいは、恋しい人に思いよそえられる様子をしていようか。父親王は兄弟であった」などと、例のお心は、故人を恋い慕いなさるにつけても、女を見たがる癖がやまず、早く見たいとお心にかけていらした。
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兵部卿の宮は、この人だけは恋しい故人に似た顔をしているであろう。式部卿の宮と八の宮は御兄弟なのであるからなどと、例の多情なお心は、昔の人の恋しいために、新たな好奇心もお起こしになることがやまず、いつとなく宮の君を恋の対象としてお考えになるようになった。
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Hyaubukyau-no-Miya, "Kono Kimi bakari ya, kohisiki hito ni omohi yosohe tu beki sama si tara m. Titi-Miko ha harakara zo kasi." nado, rei no mi-kokoro ha, hito wo kohi tamahu ni tuke te mo, hito yukasiki ohom-kuse ya made, itusika to mi-kokorokake tamahi te keri.
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6.3.7 |
大将、「 もどかしきまでもあるわざかな。昨日今日といふばかり、春宮にやなど思し、我にも けしきばませたまひきかし。かくはかなき世の衰へを見るには、 水の底に身を沈めても、もどかしからぬわざにこそ」など思ひつつ、 人よりは心寄せきこえたまへり。
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大将は、「非難がましいことを言いたくなることだ。昨日今日という間に、春宮に差し上げようかなどとお思いになり、わたしにもそのようなご様子をほのめかされたのだ。このように無常な世の中の衰退を見ると、川の底に身を沈めても、非難されないことだ」などと思いながら、誰よりも同情をお寄せ申し上げなさった。
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人生は味気ないとこの女王についても薫は思うのであった。まだ昨今というほどのことではないか、東宮の後宮へお入れになろうと父宮がお思いになり、自分へも娶らせようとされた姫君である、栄えた人のたちまち衰えてゆくのを見ては、水へはいってしまった人はそれを見ぬだけ賢明であったかもしれぬなどと薫は思い、他の女房に対するよりもこの女王に好意を寄せていた。
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Daisyau, "Modokasiki made mo aru waza kana! Kinohu kehu to ihu bakari, Touguu ni ya nado obosi, ware ni mo kesikibama se tamahi ki kasi. Kaku hakanaki yo no otorohe wo miru ni ha, midu no soko ni mi wo sidume te mo, modokasikara nu waza ni koso." nado omohi tutu, hito yori ha kokoro yose kikoye tamahe ri.
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6.3.8 |
この院におはしますをば、内裏よりも広くおもしろく住みよきものにして、 常にしもさぶらはぬどもも、皆うちとけ住みつつ、はるばると多かる対ども、廊、渡殿に満ちたり。
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この院にいらっしゃるのを、内裏よりも広く興趣あって住みよい所として、いつもは伺候していない女房どもも、みな気を許して住みながら、広々とたくさんある対の屋や、渡廊や、渡殿などにいっぱいいる。
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六条院に中宮のおいでになることは、宮中のお住居よりも広く住みよくだれも思い、時々まいるだけで始終は侍していぬ人までも皆上がって来ていて、はるばると多く続いた対、廊、渡殿の座敷は女房で満ちていた。
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Kono Win ni ohasimasu wo ba, Uti yori mo hiroku omosiroku sumi yoki mono ni site, tuneni simo saburaha nu domo mo, mina utitoke sumi tutu, harubaru to ohokaru tai-domo, rau, watadono ni miti tari.
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6.3.9 |
左大臣殿、昔の御けはひにも劣らず、すべて限りもなく 営み仕うまつりたまふ。 いかめしうなりたる御族なれば、なかなかいにしへよりも、今めかしきことはまさりてさへなむありける。
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左大臣殿は、昔のご様子にも負けず、すべてこの上もなくお世話申し上げていらっしゃる。盛んになったご一族なので、かえって昔以上に、華やかな点ではまさるのであった。
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左大臣は父君の院の御在世当時にも劣らず中宮のためにあらゆる物をととのえて奉仕していた。末広がりになった一族であったから、かえって昔よりも六条院のはなやかさはまさってさえ見えた。
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Sa-Daizin-dono, mukasi no ohom-kehahi ni mo otora zu, subete kagiri mo naku itonami tukaumaturi tamahu. Ikamesiu nari taru ohom-zou nare ba, nakanaka inisihe yori mo, imamekasiki koto ha masari te sahe nam ari keru.
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6.3.10 |
この宮、 例の御心ならば、月ごろのほどに、いかなる好きごとどもを し出でたまはまし、こよなく静まりたまひて、 人目に「すこし生ひ直りたまふかな」と見ゆるを、 このころぞまた、宮の君に、本性現はれて、かかづらひありきたまひける。
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この宮は、いつものお心ならば、幾月かの間に、どのような好色事でもなさっていたところが、すっかり落ち着きなさって、傍目には「少しは大人びてお直りになったなあ」と見えるが、最近は再び、宮の君に、ご本性を現して、まつわりつきなさるのであった。
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兵部卿の宮が今までのようなふうでおありになれば、この集まった女性の中のある人々とこの幾月かのうちにはどんな問題を起こしておいでになるかもしれないのであるが、すっかりと冷静におなりになり、人から見れば少し性質がお変わりになったかと思われたのであるが、近ごろになってまた宮の君にお心を惹かれ、御本性どおりにつきまとっておいでになった。
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Kono Miya, rei no mi-kokoro nara ba, tukigoro no hodo ni, ikanaru sukigoto-domo wo siide tamaha masi, koyonaku sidumari tamahi te, hitome ni "Sukosi ohi nahori tamahu kana!" to miyuru wo, konokoro zo mata, Miya-no-Kimi ni, honzyau arahare te, kakadurahi ariki tamahi keru.
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6.4 |
第四段 侍従、薫と匂宮を覗く
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6-4 Jiju peeps Kaoru and Niou-no-miya
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6.4.1 |
涼しくなりぬとて、 宮、内裏に参らせたまひなむとすれば、
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涼しくなったといって、后宮は、内裏に帰参なさろうとするので、
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秋冷の日になって中宮は宮中へ帰ろうとあそばされるのであったが、
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Suzusiku nari nu tote, Miya, Uti ni mawirase tamahi na m to sure ba,
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6.4.2 |
「 秋の盛り、紅葉のころを見ざらむこそ」
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「秋の盛りは、紅葉の季節を見ないというのは」
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秋の盛りの紅葉の季にここで逢えないのは
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"Aki no sakari, momidi no koro wo mi zara m koso."
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6.4.3 |
など、若き人びとは口惜しがりて、皆参り集ひたるころなり。水に馴れ月をめでて、御遊び絶えず、常よりも今めかしければ、 この宮ぞ、 かかる筋はいとこよなくもてはやしたまふ。 朝夕目馴れても、なほ今見む初花のさましたまへるに、大将の君は、いとさしも入り立ちなどしたまはぬほどにて、恥づかしう心ゆるびなきものに、皆思ひたり。
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などと、若い女房たちは残念がって、みな参集している時である。池水に親しみ月を賞美して、管弦の遊びがひっきりなしに催され、いつもより華やかなので、この宮は、このような方面では実にこの上なく賞賛されなさる。朝夕に見慣れていても、やはり今初めて見た初花のようなお姿でしていらっしゃるが、大将の君は、あまりそれほど入り込んだりなさらないので、こちらが恥ずかしくなるような気のおける方だと、みな思っていた。
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残り惜しいことであると若い女房たちは言い、だれも皆実家にいず、このごろは六条院にまいっていた。水を愛し、月の景色を喜んで音楽の催しなども常にあった。兵部卿の宮は常よりもはなやかな六条院を愛して、この空気の中心のようになっておいでになるのである。朝夕にお顔を見ていながらも、いつも今咲きそめた花に逢う気のされる兵部卿の宮であった。薫はそれほど入り立っていないのであるために、若い中宮の女房たちは、この人が来れば緊張してしまうのであった。
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nado, wakaki hitobito ha kutiwosigari te, mina mawiri tudohi taru koro nari. Midu ni nare tuki wo mede te, ohom-asobi taye zu, tune yori mo imamekasikere ba, kono Miya zo, kakaru sudi ha ito koyonaku motehayasi tamahu. Asayuhu menare te mo, naho ima mi m hatuhana no sama si tamahe ru ni, Daisyau-no-Kimi ha, ito sasimo iritati nado si tamaha nu hodo nite, hadukasiu kokoro yurubi naki mono ni, mina omohi tari.
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6.4.4 |
例の、二所参りたまひて、御前におはするほどに、 かの侍従は、ものより覗きたてまつるに、
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いつもの、お二方が参上なさって、御前にいらっしゃる間に、あの侍従は、物蔭から覗いて拝すると、
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ちょうどこの二人の若い貴人の同時に中宮のお居間に来合わせている時であったが、宇治にいた侍従は物蔭からのぞいて、
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Rei no, hutatokoro mawiri tamahi te, omahe ni ohasuru hodo ni, kano Zizyuu ha, mono yori nozoki tatematuru ni,
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6.4.5 |
「 いづ方にもいづ方にもよりて、 めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞ おはせましかし。 あさましくはかなく、心憂かりける御心かな」
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「どちらの方なりとも縁付いて、幸運な運勢に思えたご様子で、この世に生きておいでだったらなあ。あきれるほどあっけなく情けなかったお心であったよ」
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どちらにもせよこのりっぱな方々の一人に愛されて生きておいでになればよかった。恵まれておいでになった幸運をわれから捨てておしまいになった姫君である
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"Idukata ni mo idukata ni mo yori te, medetaki ohom-sukuse miye taru sama nite, yo ni zo ohase masi kasi. Asamasiku hakanaku, kokoroukari keru mi-kokoro kana!"
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6.4.6 |
など、人には、 そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ。 宮は、内裏の御物語など、こまやかに 聞こえさせたまへば、 いま一所は立ち出でたまふ。「 見つけられたてまつらじ。しばし、 御果てをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ」と思へば、隠れぬ。
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などと、他人には、あの辺のことは少しも知っている顔をして言わないことなので、自分一人で尽きせず胸を痛めている。宮は、内裏のお話など、こまごまとお話申し上げあそばすので、もうお一方はお立ちになる。「見つけられ申すまい。もう暫くの間は、ご一周忌も待たないで薄情な人だ、と思われ申すまい」と思うって、隠れた。
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と思い、他の人には宇治の山荘のこと、薫の愛人であった姫君のことなどは知ったふうには言ってないことであったから心一つに残念がっていた。兵部卿の宮が御所のお話などを細かく母宮へしかかっておいでにもなったため、薫がお居間を出て行こうとするのを見、自分を見つけさすまい、一年の忌の来るのも済まさずに宇治を去ったのは故人へ情のないことであるとは思われたくないと思い、侍従はすぐに隠れてしまった。
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nado, hito ni ha, sono watari no koto, kakete sirigaho ni mo iha nu koto nare ba, kokoro hitotu ni akazu mune itaku omohu. Miya ha, Uti no ohom-monogatari nado, komayakani kikoyesase tamahe ba, ima hitotokoro ha tatiide tamahu. "Mituke rare tatematura zi. Sibasi, ohom-hate wo mo sugusa zu kokoro asasi, to miye tatematura zi." to omohe ba, kakure nu.
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6.5 |
第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う
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6-5 Kaoru and Ben-no-omoto compose and exchange waka
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6.5.1 |
東の渡殿に、開きあひたる戸口に、人びとあまたゐて、 物語などする所におはして、
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東の渡殿に、開いている戸口に、女房たちが大勢いて、話などをひっそりとしている所にいらして、
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東の廊の座敷のあいた戸口に女房たちがおおぜいいてひそひそと話などをしている所へ薫は行き、
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Himgasi no watadono ni, aki ahi taru toguti ni, hitobito amata wi te, monogatari nado suru tokoro ni ohasi te,
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6.5.2 |
「 なにがしをぞ、 女房は睦ましと思すべき。女だにかく心やすくはよもあらじかし。さすがに さるべからむこと、教へきこえぬべくもあり。やうやう見知りたまふべかめれば、いとなむうれしき」
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「わたしをこそ、女房は親しみやすくお思いになるべきではありませんか。女でさえこのように気のおけない人はいません。それでもためになることを、教えて上げられることもあります。だんだんとお分かりになりそうですから、とても嬉しいです」
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「私をあなたがたは親しい者として見てくださるでしょうか、女にだって私ほど安心してつきあえるものではありませんよ。それでも男ですから、あなたがたのまだ聞いていない新しい話も時にはお聞かせすることができるのですよ。おいおい私の存在価値がわかっていただけるだろうという自信がそれでもできましたからうれしく思っています」
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"Nanigasi wo zo, nyoubau ha mutumasi to obosu beki. Womna dani kaku kokoroyasuku ha yo mo ara zi kasi. Sasugani saru bekara m koto, wosihe kikoye nu beku mo ari. Yauyau misiri tamahu beka' mere ba, ito nam uresiki."
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6.5.3 |
とのたまへば、いといらへにくくのみ思ふ中に、 弁の御許とて、馴れたる大人、
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とおっしゃるので、とても答えにくくばかり思っている中で、弁のおもとといって、物馴れている年配の女房が、
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こんな戯れを言いかけた。だれも晴れがましく思い、返辞をしにくく思っている中に、弁の君という少し年輩の女が、
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to notamahe ba, ito irahe nikuku nomi omohu naka ni, Ben-no-Omoto tote, nare taru otona,
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6.5.4 |
「 そも睦ましく思ひきこゆべきゆゑなき人の、 恥ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。かならずそのゆゑ尋ねて、うちとけ御覧ぜらるるにしもはべらねど、かばかり 面無くつくりそめてける身に負はさざらむも、かたはらいたくてなむ」
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「そのようにも親しくすべき理由のない者こそ、気兼ねなく振る舞えるのではないでしょうか。物事はかえってそのようなものです。必ずしもその理由を知ったうえで、くつろいでお話申し上げるというのでもございませんが、あれほど厚かましさが身についているわたしが引き受けないのも、見ていられませんで」
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「お親しみくださる縁故のない者がかえって私のように恥じて引っ込んでいないことになります。ものは皆合理的にばかりなってゆくものではございませんですね。だれの家のだれの子でございますからと申しておつきあいを願うわけのものでもありませんけれど、羞恥心を取り忘れたようにお相手に出ました者はそれだけの御挨拶をいたしておきませんではと存じますから」
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"Somo mutumasiku omohi kikoyu beki yuwe naki hito no, hadi kikoye habera nu ni ya? Mono ha sa koso ha nakanaka haberu mere. Kanarazu sono yuwe tadune te, utitoke goranze raruru ni simo habera ne do, kabakari omonaku tukuri some te keru mi ni ohasa zara m mo, kataharaitaku te nam."
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6.5.5 |
と聞こゆれば、
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と申し上げると、
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と言った。
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to kikoyure ba,
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6.5.6 |
「 恥づべきゆゑあらじ、と思ひ定めたまひてけるこそ、口惜しけれ」
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「恥じる理由はあるまい、とお決めになっていらっしゃるのが、残念なことです」
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「羞恥心も何も用のない相手だと私の見られましたのは残念ですね」
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"Hadu beki yuwe ara zi, to omohi sadame tamahi te keru koso, kutiwosikere."
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6.5.7 |
など、のたまひつつ 見れば、唐衣は脱ぎすべし押しやり、うちとけて 手習しけるなるべし、硯の蓋に据ゑて、心もとなき 花の末手折りて、弄びけり、と見ゆ。 かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、押し開けたる戸の方に、紛らはしつつゐたる、頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて、
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などと、おっしゃりながら見ると、唐衣は脱いで押しやって、くつろいで手習いをしていたのであろう、硯の蓋の上に置いて、頼りなさそうな花の枝先を手折って、弄んでいた、と見える。ある者は几帳のある所にすべり隠れ、またある者は背を向けて、押し開けてある妻戸の方に、隠れながら座っている、その頭の恰好を、興趣あると一回り御覧になって、硯を引き寄せて、
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こんなことを薫は言いながら室の中を見ると、唐衣は肩からはずして横へ押しやり、くつろいだふうになって手習いなどを今までしていた人たちらしい。硯の蓋に短く摘んだ草花などが置かれてあるのはこの人らがもてあそんだものらしい。ある人は几帳の立ててある後ろへ隠れ、ある人は向こうを向き、ある者は押しあけられてある戸に姿の隠れるようにしてすわっているので、頭の形だけが美しく見えた。すべて感じよく思って薫は硯を引き寄せ、
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nado, notamahi tutu mire ba, karaginu ha nugi subesi osiyari, utitoke te tenarahi si keru naru besi, suzuri no huta ni suwe te, kokoromotonaki hana no suwe tawori te, moteasobi keri, to miyu. Katahe ha kityau no aru ni suberi kakure, aru ha uti-somuki, osiake taru to no kata ni, magirahasi tutu wi taru, kasiratuki-domo mo, wokasi to miwatasi tamahi te, suzuri hikiyose te,
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6.5.8 |
「 女郎花乱るる野辺に混じるとも 露のあだ名を我にかけめや ★ |
「女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも 露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか |
女郎花乱るる野べにまじるとも 露のあだ名をわれにかけめや
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"Wominahesi midaruru nobe ni maziru tomo tuyu no adana wo ware ni kake me ya |
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6.5.9 |
心やすくは思さで」
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どなたも気を許してくださらないので」
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こう書いて、「安心していらっしゃればいいのに」
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Kokoroyasuku ha obosa de."
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6.5.10 |
と、ただこの障子に うしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、
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と、ちょうどこの襖障子の後向きしていた女房にお見せになると、身動きもせずに、落ち着いて、すぐさま、
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と言い、すぐ近くの襖子のほうを向いている人に見せると、相手は身動きもせず、しかもおおように早く、
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to, tada kono sauzi ni usiro si taru hito ni mise tamahe ba, uti miziroki nado mo se zu, nodoyaka ni, ito toku,
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6.5.11 |
「 花といへば名こそあだなれ女郎花 なべての露に乱れやはする」 |
「花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが 女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません」 |
花といへば名こそあだなれをみなへし なべての露に乱れやはする
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"Hana to ihe ba na koso ada nare wominahesi nabete no tuyu ni midare ya ha suru |
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6.5.12 |
と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。 今参う上りける道に、塞げられてとどこほりゐたるなるべし、と見ゆ。弁の御許は、
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と書いた筆跡は、ほんの一首ながら、風情があって、だいたいに無難なので、誰なのだろう、とお思いになる。今参上した途中で、道をふさがれてとどまっていた者らしい、と思う。弁のおもとは、
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と書いた。手跡は、少ない文字であるが気品の見える感じよいものであるのを、薫は何という女房であろうと思って見ていた。今から中宮のお居間へこの戸口を通って行こうとして、薫の来たために出るにも出られずなった人らしく思われた。弁の君は、
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to kaki taru te, tada katasoba nare do, yosiduki te, ohokata meyasukere ba, tare nara m, to mi tamahu. Ima maunobori keru miti ni, hutage rare te todokohori wi taru naru besi, to miyu. Ben-no-Omoto ha,
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6.5.13 |
「 いとけざやかなる翁言、憎くはべり」とて、
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「まことにはっきりした老人めいたお言葉、憎うございます」と言って、
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「わざと老人じみたことをお言いになっては反感が起こるものですよ」と言い、
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"Ito kezayakanaru okinagoto, nikuku haberi." tote,
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6.5.14 |
「 旅寝してなほこころみよ女郎花 盛りの色に移り移らず |
「旅寝してひとつ試みて御覧なさい 女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか |
「旅寝してなほ試みよをみなへし 盛りの色に移り移らず
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"Tabine si te naho kokoromi yo wominahesi sakari no iro ni uturi utura zu |
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6.5.15 |
さて後、定めきこえさせむ」
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そうして後に、お決め申し上げましょう」
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そのあとであなたをどんな性質で、お堅いともそうでないとも、きめましょう」
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Sate noti, sadame kikoyesase m."
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6.5.16 |
と言へば、
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と言うので、
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とも言う。
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to ihe ba,
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6.5.17 |
「 宿貸さば一夜は寝なむおほかたの 花に移らぬ心なりとも」 |
「お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう そこらの花には心移さないわたしですが」 |
宿貸さば一夜は寝なんおほかたの 花に移らぬ心なりとも
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"Yado kasa ba hitoyo ha ne na m ohokata no hana ni utura nu kokoro nari tomo |
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6.5.18 |
とあれば、
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とあるので、
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薫が言ったのである。
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to are ba,
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6.5.19 |
「 何か、恥づかしめさせたまふ。おほかたの野辺のさかしらをこそ聞こえさすれ」
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「どうして、恥をおかかせなさいます。普通にいう野辺のしゃれを申し上げただけです」
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「私を侮辱あそばすのでございますね。自分のことではございませんよ。一般的に抗議を申し上げただけでございます」
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"Nanika, hadukasime sase tamahu? Ohokata no nobe no sakasira wo koso kikoyesasure."
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6.5.20 |
と言ふ。 はかなきことをただすこしのたまふも、人は残り 聞かまほしくのみ思ひきこえたり。
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と言う。とりとめのないことをほんのちょっとおっしゃっても、女房はその続きを聞きたくばかりお思い申し上げていた。
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と弁は言う。こんなふうに戯れ言も薫は長くは言っていないらしく見えるのを若い女房たちは飽き足らず思っていた。
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to ihu. Hakanaki koto wo tada sukosi notamahu mo, hito ha nokori kika mahosiku nomi omohi kikoye tari.
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6.5.21 |
「 心なし。道開けはべりなむよ。 分きても、かの御もの恥ぢのゆゑ、 かならずありぬべき折にぞあめる」
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「うっかりしていました。道を開けますよ。特に意識して、あちらで恥ずかしがっていらやる理由が、きっとありそうな折ですから」
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「思いやりのないことをしましたね。あなたの道をあけましょう。とりわけて私に顔をお見せにならない態度には理由のあることでしょう」
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"Kokoronasi. Miti ake haberi na m yo! Wakite mo, kano ohom-monohadi no yuwe, kanarazu ari nu beki wori ni zo a' meru."
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6.5.22 |
とて、立ち出でたまへば、「 おしなべてかく残りなからむ、と思ひやりたまふこそ心憂けれ」と思へる人もあり。
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と言って、お立ちになると、「だいたいこのような奥ゆかしいところがないだろう、とご想像なさるもがつらい」と思っている女房もいた。
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と言い、薫の立って行くのを見て、だれもが弁のようにはしゃぐ者のように思われぬかと気にする人もあった。
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tote, tatiide tamahe ba, "Osinabete kaku nokori nakara m, to omohiyari tamahu koso kokoroukere." to omohe ru hito mo ari.
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出典9 |
あだ名を |
女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ |
古今集秋上-二二九 小野美材 |
6.5.8 |
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6.6 |
第六段 薫、断腸の秋の思い
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6-6 Kaoru suffered a deep grief at fall
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6.6.1 |
東の高欄に押しかかりて、夕影になるままに、花の紐解く御前の草むらを見わたしたまふ。もののみあはれなるに、「 ▼ 中に就いて腸断ゆるは秋の天」といふことを、いと忍びやかに誦じつつゐたまへり。 ありつる衣の音なひ、しるきけはひして、母屋の御障子より通りて、 あなたに入るなり。宮の歩みおはして、
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東の高欄に寄り掛かって、夕日の影るにつれて、花が咲き乱れている御前の叢をお眺めやりになる。何となくしみじみと思われて、「中んづく腸の断ち切れる思いがするのは秋の空だ」という詩句を、たいそう密やかに朗誦しながら座っていらっしゃった。先程の衣ずれの音が、はっきり聞こえる感じがして、母屋の襖障子から通ってあちらに入って行くようである。宮が歩いていらして、
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東の高欄によりかかって、叢の中に夕明りを待って咲きそめる花のある植え込みを薫はながめていた。何も皆身にしむように思われる薫は、「就中断腸是秋天」と低い声で口ずさんでいた。先刻の人らしい衣擦れの音がして、中央の室から抜けてあちらへ行った。兵部卿の宮がそこへ歩いておいでになって、
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Himgasi no kauran ni osikakari te, yuhukage ni naru mama ni, hana no himo toku omahe no kusamura wo miwatasi tamahu. Mono nomi ahare naru ni, "Naka ni tuite harawata tayuru ha aki no ten" to ihu koto wo, ito sinobiyakani zuzi tutu wi tamahe ri. Ari turu kinu no otonahi, siruki kehahi si te, moya no mi-sauzi yori tohori te, anata ni iru nari. Miya no ayumi ohasi te,
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6.6.2 |
「 これよりあなたに参りつるは誰そ」
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「こちらからあちらへ参ったのは誰か」
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「ここから今あちらへ行ったのはだれか」
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"Kore yori anata ni mawiri turu ha taso?"
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6.6.3 |
と問ひたまへば、
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とお尋ねになると、
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と他の者に尋ねておいでになった。
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to tohi tamahe ba,
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6.6.4 |
「 かの御方の中将の君」
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「あちらの御方の中将の君です」
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「一品の宮様のほうの中将さんでございます」
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"Kano Ohom-Kata no Tiuzyau-no-Kimi."
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6.6.5 |
と 聞こゆなり。
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と申し上げるのである。
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と答える声も御簾の中でした。
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to kikoyu nari.
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6.6.6 |
「 なほ、あやしのわざや。誰れにかと、かりそめにもうち思ふ人に、やがてかくゆかしげなく聞こゆる名ざしよ」と、 いとほしく、 この宮には、皆目馴れてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜し。
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「やはり、けしからぬ振る舞いだ。誰だろうかと、ちょっとでも関心を持った人に、そのままこのように遠慮なく名前を教えてしまうとは」と、気の毒で、この宮に、皆が馴れ馴れしくお思い申し上げているようなのも残念だ。
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おもしろくないことである、だれであろうとかりそめにもせよ好奇心の起こった人が、すぐにだれそれであると名ざしをして聞かれるではないか、とその女がかわいそうに思われ、また兵部卿の宮には皆よくお馴れしていて、隠すところもなくなっているのがなんとなくうらやましい気もする薫であった。
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"Naho, ayasi no waza ya! Tare ni ka to, karisome ni mo uti-omohu hito ni, yagate kaku yukasige naku kikoyuru nazasi yo!" to, itohosiku, kono Miya ni ha, mina me nare te nomi oboye tatematuru beka' meru mo kutiwosi.
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6.6.7 |
「 おりたちてあながちなる御もてなしに、 女はさもこそ負けたてまつらめ。わが、さも口惜しう、 この御ゆかりには、ねたく心憂くのみあるかな。いかで、このわたりにも、めづらしからむ人の、 例の心入れて騷ぎたまはむを語らひ取りて、 わが思ひしやうに、やすからずとだにも思はせたてまつらむ。 まことに心ばせあらむ人は、わが方にぞ寄るべきや。されど難いものかな。人の心は」
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「無遠慮につっこんだお振る舞いに、女はきっとお負け申してしまおう。わたしは、まことに残念なことに、こちらのご一族には、悔しくも残念なことばかりだ。何とかして、ここの女房の中にでも、珍しいような女で、例によって熱心に夢中になっていらっしゃる女を口説き落として、自分が経験したように、穏やかならぬ気持ちを思わせ申し上げたい。ほんとうに物事の分かる女なら、わたしの方に寄って来るはずだ。けれども難しいことだな。人の心というものは」
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自由に接近してお行きになることができ、上手な技巧で誘惑をあそばされては女も負けることになるのであろう、自分にはそんなことができず、こちらの人たちとは、縁の遠いうとうとしいものになっているのが残念である。侍している人の中で、どうかして近ごろ兵部卿の宮がはげしく恋をしておいでになる人を自分のものにして、あの時に自分が苦しんだような思いを宮にもお味わわせしたい。聡明な女であれば自分のほうを愛するはずであるとは思われるが、こちらの考えどおりな心を持っているかどうかは頼みになるものでない
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"Oritati te anagati naru ohom-motenasi ni, womna ha sa mo koso make tatematura me. Waga, samo kutiwosiu, kono ohom-yukari ni ha, netaku kokorouku nomi aru kana! Ikade, kono watari ni mo, medurasikara m hito no, rei no kokoro ire te sawagi tamaha m wo katarahi tori te, waga omohi si yau ni, yasukara zu to dani mo omoha se tatematura m. Makotoni kokorobase ara m hito ha, waga kata ni zo yoru beki ya! Saredo katai mono kana! Hito no kokoro ha."
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6.6.8 |
と思ふにつけて、 対の御方の、 かの御ありさまをば、ふさはしからぬものに思ひきこえて、 いと便なき睦びになりゆくが、おほかたのおぼえをば、苦しと思ひながら、なほ さし放ちがたきものに思し知りたるぞ、ありがたくあはれなりける。
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と思うにつけても、対の御方の、あのお振る舞いを、身分にふさわしくないものとお思い申し上げて、まことに不都合な関係になって行くのが、その世間の評判をつらいと思いながらも、やはりすげなくはできない者とお分かりになってくださるのは、世にもまれな胸をうつことである。
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と思われるにつけても、二条の院の女王が、宮のああした御放縦な恋愛生活を飽き足らず見て、自分の愛を頼むようになり、それを恋にまでなってはならぬ、世間の批評がうるさいと思いながら友情だけはいつも捨てぬのは珍しく聡明な態度で、自分としてはうれしいかぎりである、
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to omohu ni tuke te, Tai-no-Ohomkata no, kano ohom-arisama wo ba, husahasikara nu mono ni omohi kikoye te, ito binnaki mutubi ni nariyuku ga, ohokata no oboye wo ba, kurusi to omohi nagara, naho sasihanati gataki mono ni obosisiri taru zo, arigataku ahare nari keru.
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6.6.9 |
「 さやうなる心ばせある人、 ここらの中にあらむや。 入りたちて深く見ねば知らぬぞかし。寝覚がちにつれづれなるを、すこしは好きもならはばや」
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「そのような気立ての方は、大勢の中にいようか。立ち入って深くは知らないので分からないことだ。寝覚めがちに所在ないのを、少しは好色も習ってみたいものだ」
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そんなすぐれた女性はこのおおぜいの若い女房たちの中に一人でもあるであろうか、深く接近して見ぬせいかないように思われる、物思いに寝ざめがちな慰めに恋愛の遊戯も少し習いたい
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"Sayau naru kokorobase aru hito, kokora no naka ni ara m ya? Iritati te hukaku mi ne ba sira nu zo kasi. Nezamegati ni turedure naru wo, sukosi ha suki mo naraha baya!"
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6.6.10 |
など思ふに、 今はなほつきなし。
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などと思うが、今はやはりふさわしくない。
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と思うが、もう今は似合わしくないと薫は思った。
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nado omohu ni, ima ha naho tuki nasi.
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出典10 |
中に就いて腸断ゆるは秋の天 |
大抵四時心惣苦 就中腸断是秋天<大抵四時心惣(て苦し 中に就いて腸(断ゆるは是れ秋の天> |
白氏文集巻十四-七九〇 暮立 |
6.6.1 |
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6.7 |
第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
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6-7 A dialogue between Kaoru and Chujo-no-omoto on Yusenkutsu
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6.7.1 |
例の、西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるも あやし。 姫宮、夜はあなたに渡らせたまひければ、 人びと月見るとて、この渡殿にうちとけて物語するほどなりけり。箏の琴いとなつかしう弾きすさむ爪音、をかしう聞こゆ。思ひかけぬに 寄りおはして、
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例によって、西の渡殿を、先日に真似て、わざわざいらっしゃったのも変なことだ。姫宮は、夜はあちらにお渡りあそばしたので、女房たちが月を見ようとして、この渡殿でくつろいで話をしているところであった。箏の琴がたいそうやさしく弾いている爪音が、興趣深く聞こえる。思いがけないところにお寄りになって、
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例の氷を割られた日の西の渡殿へ、その日のようにふらふらと薫が来てしまったのも不思議であった。姫宮は夜だけ母宮の御殿のほうへおいでになるため、もうお留守になっていて、女房たちだけで月を見ると言い、渡殿に打ち解けて集まっていた。十三絃()の琴を懐しい音()で弾()くのが聞こえた。人々の思いもよらぬこんな時に薫が出て来て、
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Rei no, nisi no watadono wo, arisi ni narahi te, wazato ohasi taru mo ayasi. Hime-Miya, yoru ha anata ni watara se tamahi kere ba, hitobito tuki miru tote, kono watadono ni utitoke te monogatari suru hodo nari keri. Sau-no-koto ito natukasiu hiki susamu tumaoto, wokasiu kikoyu. Omohikake nu ni yori ohasi te,
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6.7.2 |
「 など、かくねたまし顔にかき鳴らしたまふ ★」
|
「どうして、このように人を焦らすようにお弾きになるのですか」
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「なぜ人を懊悩()させるように琴など鳴らしていらっしゃるのですか。(遊仙窟()。耳聞猶気絶()、眼見若為憐())」
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"Nado, kaku netamasi-gaho ni kaki-narasi tamahu."
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6.7.3 |
とのたまふに、 皆おどろかるべけれど、すこし上げたる簾うち下ろしなどもせず、起き上がりて、
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とおっしゃると、皆驚いたにちがいないが、少し巻き上げた簾を下ろしなどもせず、起き上がって、
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こう言うのに驚いたはずであるが、少し上げた御簾()をおろしなどもせず、一人は身を起こして、
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to notamahu ni, mina odoroka ru bekere do, sukosi age taru sudare uti-orosi nado mo se zu, okiagari te,
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6.7.4 |
「 似るべき兄やは、はべるべき ★」
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「似ている兄様が、ございましょうか」
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「崔季珪()のようなお兄様がいらっしゃるかしら」
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"Niru beki konokami yaha, haberu beki."
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6.7.5 |
といらふる声、中将の御許とか言ひつるなりけり。
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と答える声は、中将のおもととか言った人であった。
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と言う。その声は中将の君といわれていた女であった。
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to irahuru kowe, Tiuzyau-no-Omoto to ka ihi turu nari keri.
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6.7.6 |
「 まろこそ、御母方の叔父なれ ★」
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「わたしこそが、御母方の叔父ですよ」
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「私は宮様の母方の叔父()なのですよ。(遊仙窟。容貌似舅潘安仁外甥()、気調如兄崔季珪小妹())」
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"Maro koso, ohom-hahagata no wodi nare."
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6.7.7 |
と、はかなきことをのたまひて、
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と、戯れをおっしゃって、
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こんな冗談()を言ったあとで、
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to, hakanaki koto wo notamahi te,
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6.7.8 |
「 例の、あなたにおはしますべかめりな。何わざをか、この 御里住みのほどにせさせたまふ」
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「いつものように、あちらにいらっしゃるようですね。どのようなことを、この里下がりのご生活の中でなさっておいでですか」
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「いつものように中宮様のほうへ行っておしまいになったのでしょうね、宮様はお里住まいの間は何をしていらっしゃるのですか」
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"Rei no, anata ni ohasimasu beka' meri na! Nani waza wo ka, kono ohom-satozumi no hodo ni se sase tamahu."
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6.7.9 |
など、 あぢきなく問ひたまふ。
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などと、つまらないことをお尋ねになる。
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思わずこんな問いを薫は発することになった。
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nado, adikinaku tohi tamahu.
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6.7.10 |
「 いづくにても、何事をかは。ただ、かやうにてこそは過ぐさせたまふめれ」
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「どちらにいらしても、同じことです。ただ、このような事をしてお過ごしでいらっしゃるようです」
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「どこにいらっしゃいましても、別にこれという変わったことはあそばしません。ただいつもこんなふうでお暮らしになっていらっしゃるばかり」
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"Iduku nite mo, nanigoto wo kaha. Tada, kayau nite koso ha sugusa se tamahu mere."
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6.7.11 |
と言ふに、「 をかしの御身のほどや、と思ふに、すずろなる嘆きの、うち忘れてしつるも、 あやしと思ひ寄る人もこそ」と紛らはしに、さし出でたる和琴を、たださながら掻き鳴らしたまふ。律の調べは、あやしく折にあふと 聞く声なれば、聞きにくくもあらねど、弾き果てたまはぬを、 なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり思ふ。
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と言うと、「結構なご身分の方だ、と思うと、わけもない溜息を、うっかりしてしまったのも、変だと思い寄る人があっては」と紛らわすために、差し出した和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。律の調べは、不思議と季節に合うと聞こえる音なので、聞き憎くもないが、最後までお弾きにならないのを、かえって気がもめると、熱心な人は、死ぬほど残念がる。
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聞いていて美しいお身の上であると思うことで知らず知らず歎息の声の洩()れて出たのを、怪しむ人があるかもしれぬと思う紛らわしに、女房たちが前へ出した和琴()を、調子もそのままでかき鳴らす薫であった。律の調べは秋の季によく合うと言われるものであったから、気も入れて弾かぬ琴の音であるが、みずから感じの悪いものとは思われぬものの、長くも弾いていなかったのを、熱心に聞きいっていた人たちはかえって残り多さも出て苦しんだ。
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to ihu ni, "Wokasi no ohom-mi no hodo ya, to omohu ni, suzuro naru nageki no, uti-wasure te si turu mo, ayasi to omohiyoru hito mo koso." to magirahasi ni, sasiide taru wagon wo, tada sanagara kaki-narasi tamahu. Riti no sirabe ha, ayasiku wori ni ahu to kiku kowe nare ba, kikinikuku mo ara ne do, hiki hate tamaha nu wo, nakanaka nari to, kokoro ire taru hito ha, kiye kaheri omohu.
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6.7.12 |
「 わが母宮も劣りたまふべき人かは。后腹と聞こゆばかりの 隔てこそあれ、 帝々の思しかしづきたるさま、異事ならざりけるを。なほ、この御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。 明石の浦は心にくかりける所かな」など思ひ続くることどもに、「 わが宿世は、いとやむごとなしかし。まして、並べて持ちたてまつらば」 と思ふぞ、いと難きや。
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「わたしの母宮もひけをおとりになる方だろうか。后腹と申し上げる程度の相違だが、それぞれの父帝が大切になさる様子に、違いはないのだ。がやはり、こちらのご様子は、たいそう格別な感じがするのが不思議なことだ。明石の浦は奥ゆかしい所だ」などと思い続けることの中で、「自分の宿世は、とてもこの上ないものであった。その上に、並べて頂戴したら」と思うのは、とても難しいことだ。
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自分の母宮もこの姫宮に劣る御身分ではない、ただ后腹というわずかな違いがあっただけで朱雀()院の帝()の御待遇も、当帝の一品()の宮を尊重あそばすのに変わりはなかったにもかかわらず、この宮をめぐる雰囲気()とそれとに違ったもののあるのは不思議である。明石()の女のもたらしたものはことごとく高華なものであったとこんなことを思う続きに薫は運命が自分を置いた所はすぐれた所であるに違いない、まして女二の宮とともに一品の宮までも妻に得ていたならばどれほど輝かしい運命であったであろうと思ったのは無理なことと言わねばならない。
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"Waga Haha-Miya mo otori tamahu beki hito kaha! Kisaibara to kikoyu bakari no hedate koso are, Mikado Mikado no obosi kasiduki taru sama, kotogoto nara zari keru wo. Naho, kono ohom-atari ha, ito kotonari keru koso ayasikere. Akasi no ura ha kokoronikukari keru tokoro kana!" nado omohi tudukuru koto-domo ni, "Waga sukuse ha, ito yamgotonasi kasi. Masite, narabe te moti tatematura ba." to omohu zo, ito kataki ya!
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出典11 |
ねたまし顔にかき鳴らし |
故故将繊手 時時小絃 耳聞猶気絶 眼見若為怜 |
遊仙窟 |
6.7.2 |
出典12 |
似るべき兄 |
気調如兄 崔季珪之小妹 |
遊仙窟 |
6.7.4 |
出典13 |
まろこそ、御母方の叔父 |
容貌似舅 潘安仁之外甥 |
遊仙窟 |
6.7.6 |
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6.8 |
第八段 薫、宮の君を訪ねる
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6-8 Kaoru visits Miya-no-kimi
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6.8.1 |
宮の君は、この西の対にぞ 御方したりける。若き人びとのけはひあまたして、月めであへり。
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宮の君は、こちらの西の対にお部屋を持っていた。若い女房たちが大勢いる様子で、月を賞美していた。
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宮の君はここの西の対の一所を自室に賜わって住んでいた。若い女房たちが何人もいる気配()がそこにして皆月夜の庭の景色()を見ていた。
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Miya-no-Kimi ha, kono nisi-no-tai ni zo ohom-kata si tari keru. Wakaki hitobito no kehahi amata site, tuki mede ahe ri.
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6.8.2 |
「 いで、あはれ、これもまた同じ人ぞかし」
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「まあ、お気の毒に、こちらも同じ皇族の方であるのに」
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そうであったあの人も浮舟らと同じ桐壺()の帝()の御孫であった
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"Ide, ahare, kore mo mata onazi hito zo kasi."
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6.8.3 |
と思ひ出できこえて、「 親王の、昔心寄せたまひしものを」と言ひなして、そなたへおはしぬ。童の、をかしき宿直姿にて、二、三人出でて歩きなどしけり。 見つけて入るさまども、かかやかし。 これぞ世の常と思ふ。
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とお思い出し申し上げて、「父親王が、生前に好意をお寄せになっていたものを」と口実にして、そちらにお出でになった。童女が、かわいらしい宿直姿で、二、三人出て来てあちこち歩いたりしていた。見つけて入る様子なども、恥ずかしそうだ。これが世間普通のことだと思う。
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と薫は思い出して、「式部卿の宮様に私を愛していただいたものなのだから」と独言()を言いその座敷の前へ行ってみた。美しい姿の童女が略服になって、二、三人縁側へ出ていたが、薫を見て晴れがましいというように中へ隠れてしまった。これが普通の所の情景であると今見て来た廊の座敷と比べて薫は思った。
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to omohiide kikoye te, "Miko no, mukasi kokoroyose tamahi si mono wo!" to ihinasi te, sonata he ohasi nu. Waraha no, wokasiki tonowisugata nite, ni, samnin ide te ariki nado si keri. Mituke te iru sama-domo, kakayakasi. Kore zo yo no tune to omohu.
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6.8.4 |
南面の隅の間に寄りて、うち声づくりたまへば、すこしおとなびたる人出で来たり。
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南面の隅の間に近寄って、ちょっと咳払いをなさると、少し大人めいた女房が出て来た。
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南の隅()の間のそばで咳()払いをすると、少し年のいったような女房が出て来た。
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Minami-omote no sumi no ma ni yori te, uti-kowadukuri tamahe ba, sukosi otonabi taru hito ideki tari.
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6.8.5 |
「 人知れぬ心寄せなど聞こえさせはべれば、なかなか、皆人聞こえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。まめやかになむ、 ▼ 言より外を 求められはべる」
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「人知れず好意をお寄せ申しておりますので、かえって、誰もが言い古るしてきたような言葉が、馴れない感じで、真似をしているようでございます。真面目に、言葉以外の表現を探さずにおられません」
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「人知れず好意を持っている者ですなどと申せば、それはだれも言うことだとお聞きになるでしょうし、またそうした若い人たちの口真似()をすることも私にはできません。それよりも言葉でない実質的な御用に立つことはないかと捜しております」
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"Hito sire nu kokoroyose nado kikoyesase habere ba, nakanaka, mina hito kikoyesase hurusi tu ram koto wo, uhiuhisiki sama nite, manebu yau ni nari haberi. Mameyakani nam, koto yori hoka wo motome rare haberu."
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6.8.6 |
とのたまへば、 君にも言ひ伝へず、さかしだちて、
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とおっしゃると、宮の君にも言い伝えず、利口ぶって、
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と言うと、その女は女王にも取り次がず、賢がって、
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to notamahe ba, Kimi ni mo ihi tutahe zu, sakasi-dati te,
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6.8.7 |
「 いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせたまへりしことなど、 思ひたまへ出でられてなむ。かくのみ、 折々聞こえさせたまふなり。御後言をも、 よろこびきこえたまふめる」
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「まことに思いもかけなかったご境遇につけても、故父宮がお考え申し上げていらっしゃった事などが、思い出されましてなりません。このように、折々にふれて申し上げてくださるという。蔭ながらのお言葉も、お礼申し上げていらっしゃるようです」
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「思いがけぬお身の上におなりあそばしましたことにつきましても、宮様がどんなにいろいろなお望みを姫君の将来にかけておいでになりましたかと思われまして、悲しゅうございます。いつも御親切に仰せくださいまして、お宮仕えにおいでになりました御非難のお言葉なども、ごもっともだと女王()様は言っておいでになることでございますよ」
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"Ito omohosi kake zari si ohom-arisama ni tuke te mo, ko-Miya no omohi kikoye sase tamahe ri si koto nado, omohi tamahe ide rare te nam. Kaku nomi, woriwori kikoye sase tamahu nari. Ohom-siriugoto wo mo, yorokobi kikoye tamahu meru."
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6.8.8 |
と言ふ。
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と言う。
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こんなことを言う。
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to ihu.
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出典14 |
言より外を |
思ふてふ言より外にまたもがな君一人をばわきて偲ばむ |
古今六帖五-二六四〇 |
6.8.5 |
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6.9 |
第九段 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
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6-9 Kaoru thinks about three sisters' fate who lived in Uji
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6.9.1 |
「 なみなみの人めきて、心地なのさまや」ともの憂ければ、
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「世間並の扱いのようで、失礼ではないか」と気が進まないので、
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並み並みの家の娘などのように聞こえることもはばからず言う女であるといやな気のした薫は、
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"Naminami no hitomeki te, kokotina' no sama ya!" to monoukere ba,
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6.9.2 |
「 もとより思し捨つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほし尋ねむなむうれしかるべき。疎々しう人伝てなどにてもてなさせたまはば、 えこそ」
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「もともと見捨てられない間柄としてよりも、今はそれ以上に、何か必要なことにつけても、お声をかけてくださったら嬉しく存じます。よそよそしく人を介してなどでしたら、とてもお伺いできません」
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「もとから血族であるためというようなことでなしに、好意を持つ男として、何かの御用をお命じくだすったらうれしいだろうと思います。うとうとしくお取り次ぎでお話などをしてくださるだけでは私も尽くしたいことがお尽くしできない」
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"Moto yori obosi sutu maziki sudi yori mo, ima ha masite, sarubeki koto ni tukete mo, omohosi tadune m nam uresikaru beki. Utoutosiu hitodute nado nite motenasa se tamaha ba, e koso."
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6.9.3 |
とのたまふに、「げに」と、思ひ騷ぎて、君をひきゆるがすめれば、
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とおっしゃるので、「おっしゃるとおりだ」と、あわてて気づいて、宮の君を揺さぶるらしいので、
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と言った。そうであったというふうに女房たちは思い、姫君を引き動かすばかりにしたはずであったから、
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to notamahu ni, "Geni." to, omohi sawagi te, Kimi wo hiki yurugasu mere ba,
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6.9.4 |
「 松も昔の とのみ ★、眺めらるるにも、も とよりなどのたまふ筋は、まめやかに 頼もしうこそは」
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「松も昔の知る人もいないとばかりに、つい物思いに沈んでしまいますにつけても、もとからの縁などとおっしゃる事は、ほんとうに頼もしく存じられます」
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「松も昔の(たれをかも知る人にせん高砂()の)と申すような孤立のたよりなさの思われます私を、血族の者とお認めくださいましておっしゃってくださいますあなたは頼もしい方に思われます」
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"Matu mo mukasi no to nomi, nagame raruru ni mo, motoyori nado notamahu sudi ha, mameyakani tanomosiu koso ha."
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6.9.5 |
と、人伝てともなく 言ひなしたまへる声、いと若やかに愛敬づき、やさしきところ添ひたり。「 ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、 ただ今は、いかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。「 容貌もいとなまめかしからむかし」と、見まほしきけはひのしたるを、「 この人ぞ、また例の、 かの御心乱るべきつまなめると、 をかしうも、ありがたの世や」と 思ひゐたまへり。
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と、人を介してというのでなくおっしゃる声、まことに若々しく愛嬌があって、やさしい感じが具わっていた。「ただ普通のこのような局住まいをする人と思へば、とても趣があるにちがいないが、ただ今では、どうしてほんのわずかでも、人に声を聞かせてよいという立場に馴れておしまいになったのだろう」と、何となく気になる。「容貌などもとても優美であろう」と、見たい感じがしているが、「この人は、また例によって、あの方のお心を掻き乱す種になるにちがいなかろうと、興味深くもあり、めったにいないものだ」とも思っていらっしゃった。
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取り次ぎの者に言うというふうにでもなしに、こういう声は若々しく愛嬌()があって優しい味があった。ただの女房としてであればよい感じに受け取れたであろうが、今の身になっては、すぐに人に逢ってこれだけの言葉もみずから発しなければならぬものと思うようになったかと考えるとこの人を飽き足らぬものに薫は思われた。容貌()も必ず艶()な人であろうと思い、見たい心も覚えたが、この人がまた宮のお心を乱す原因になることであろうと思われ、絶対の信用の持てない人は相手にしたくない気にもなった。
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to, hitodute to mo naku ihinasi tamahe ru kowe, ito wakayaka ni aigyauduki, yasasiki tokoro sohi tari. "Tada nabete no kakaru sumika no hito to omoha ba, ito wokasikaru beki wo, tadaiama ha, ikade kabakari mo, hito ni kowe kikasu beki mono to narahi tamahi kem." to, nama-usirometasi. "Katati mo ito namamekasikara m kasi." to, mi mahosiki kehahi no si taru wo, "Kono hito zo, mata rei no, kano mi-kokoro midaru beki tuma na' meru to, wokasiu mo, arigata no yo ya!" to omohi wi tamahe ri.
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6.9.6 |
「 これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。また、かばかりぞ多くはあるべき。あやしかりけることは、 さる聖の御あたりに、 山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。 この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」
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「この方こそは、貴いご身分の父宮が大切にお世話して成人させなさった姫君だ。また、この程度の女なら他にもそう多くいよう。不思議であったことは、あの聖の近辺に、宇治の山里に育った姫君たちで、難のある方はいなかったことだ。この、頼りないな、軽率だな、などと思われる女も、このようにちょっと会った感じでは、たいそう風情があったものだ」
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この人こそは最上の家庭に生まれ、大事がられて育った、典型的な姫君というのに不足のない人で、他に幾人()もない身の上だったのであるが、自分として頼もしい女性と思われぬのはどうしたことであろう、僧のような父宮に育てられ、都を離れた山里で大人()になった人が姉女王にもせよ中の君にもせよ、皆完全な貴女()になっていたではないか、このはかない性情の人、軽々しい人と今の心からは軽侮の念で見られる人も、こうしたわずかな接触で覚えさせた感じは悪いものでなかった、と薫は八の宮の姫君たちのことばかりがなつかしまれるのであった。
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"Kore koso ha, kagiri naki hito no kasiduki ohositate tamahe ru HimeGimi. Mata, kabakari zo ohoku ha aru beki. Ayasikari keru koto ha, saru hiziri no ohom-atari ni, yama no hutokoro yori ideki taru hitobito no, kataho naru ha nakari keru koso. Kono, hakanasi ya, karogarosi ya, nado omohinasu hito mo, kayau no uti-miru kesiki ha, imiziu koso wokasikari sika."
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6.9.7 |
と、何事につけても、ただ かの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。 あやしう、つらかりける契りどもを、つくづくと思ひ続け眺めたまふ夕暮、 蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、
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と、何事につけても、ただあのご一族の方をお思い出しなさるのであった。不思議と、またつらい縁であった一つ一つを、つくづくと思い出し物思いにふけっていらっしゃる夕暮に、蜻蛉が頼りなさそうに飛び交っているのを、
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宇治の姫君たちとはどれもこれも恨めしい結果に終わったのであったとつくづくと思い続けていた夕方に、はかない姿でかげろう蜻蛉()の飛びちがうのを見て、
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to, nanigoto ni tuke te mo, tada kano hitotu yukari wo zo omohiide tamahi keru. Ayasiu, turakari keru tigiri-domo wo, tukuduku to omohi-tuduke nagame tamahu yuhugure, kagerohu no mono-hakanage ni tobi tigahu wo,
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6.9.8 |
「 ありと見て手にはとられず見ればまた ★ 行方も知らず消えし蜻蛉 |
「そこにいると見ても、手には取ることのできない 見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ |
ありと見て手にはとられず見ればまた 行くへもしらず消えしかげろふ
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"Ari to mi te te ni ha tora re zu mire ba mata yukuhe mo sira zu kiye si kagerohu |
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6.9.9 |
あるか、なきかの」
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あるのか、ないのか」
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「あはれともうしともいはじかげろふのあるかなきかに消ゆる世なれば」
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Aru ka, naki ka no."
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6.9.10 |
と、 例の、独りごちたまふ、とかや。
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と、例によって、独り言をおっしゃった、とか。
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と例のように独言()を言っていた。
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to, rei no, hitorigoti tamahu, to ka ya!
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出典15 |
松も昔のと |
誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに |
古今集雑上-九〇九 藤原興風 |
6.9.4 |
出典16 |
ありと見て手にはとられず |
ありと見て頼むぞかたきかげろふのいつとも知らぬ身とは知る知る |
古今六帖一-八二五 |
6.9.8 |
手に取れどたえて取られぬかげろふの移ろひやすき君が心よ |
古今六帖一-八二八 |
出典17 |
あるか、なきかの |
たとへてもはかなきものはかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ |
源氏釈所引-出典未詳 |
6.9.9 |
世の中と思ひしものをかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ |
古今六帖一-八二〇 |
あはれとも憂しともいはじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば |
後撰集雑二-一一九一 読人しらず |
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Last updated 8/29/2011(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 8/29/2011(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 5/6/2002 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 8/29/2011 (ver.2-1) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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