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第五十四帖 夢浮橋
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54 YUME-NO-UKIHASI (Ohoshima-bon)
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薫君の大納言時代 二十八歳の夏の物語
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Tale of Kaoru's Dainagon era, in summer at the age of 28
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2 |
第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
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2 Tale of Ukifune Ukifune refused to meet her brother and to reply to Kaoru
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2.1 |
第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす
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2-1 Kaoru sends Ko-gimi to meet his sister Ukifune
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2.1.1 |
かの殿は、「この子をやがてやらむ」と思しけれど、人目多くて便なければ、殿に帰りたまひて、またの日、ことさらにぞ出だし立てたまふ。 睦ましく思す人の、ことことしからぬ二、三人、送りにて、昔も常に遣はしし 随身添へたまへり。人聞かぬ間に呼び寄せたまひて、
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あの殿は、「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが、人目が多くて不都合なので、殿にお帰りになって、翌日、特別に出発させなさる。親しくお思いになる人で、大した身分でない者を二、三人、付けて、昔もいつも使者としていた随身をお加えになった。人が聞いていない間にお呼び寄せになって、
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薫は常陸の子を帰途にすぐ小野の家へやろうと思ったのであるが、従えている人の多いために避けて邸へ帰り、翌朝になってから僧都の手紙を持たせてやることにして、きわめて親しく思う人で、おおぎょうにならぬもの二、三人だけを付け、昔も宇治の使いをよくさせた随身も添えてやるのであった。聞く人のない時に、その子を薫はそばへ呼んで、
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Kano Tono ha, "Kono ko wo yagate yara m." to obosi kere do, hitome ohoku te binnakere ba, tono ni kaheri tamahi te, matanohi, kotosarani zo idasi tate tamahu. Mutumasiku obosu hito no, kotokotosikara nu ni, samnin, okuri nite, mukasi mo tuneni tukahasi si zuizin sohe tamahe ri. Hito kika nu ma ni yobiyose tamahi te,
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2.1.2 |
「 あこが亡せにし姉の顔は、おぼゆや。今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いと確かにこそ、ものしたまふなれ。疎き人には聞かせじと思ふを、行きて尋ねよ。母に、いまだしきに言ふな。なかなか驚き騒がむほどに、 知るまじき人も知りなむ。その親の御思ひのいとほしさにこそ、かくも尋ぬれ」
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「そなたの亡くなった姉の顔は、覚えているか。今はこの世にいない人と諦めていたが、まことに確かに、生きていらっしゃると言うのだ。他人には聞かせまいと思うので、行って確かめよ。母にも、まだ言ってはならない。かえって驚いて大騒ぎするうちに、知ってはならない人まで知ってしまおう。その母親のお嘆きがおいたわしいので、このようにして確かめるのだ」
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「おまえの亡くなった姉様の顔は覚えているか、もう死んだ人だとあきらめていたのだが、確かに生きていられるのだよ。ほかの人たちには知らしたくないと思っているのだから、おまえが行って逢って来るがいい。母にはまだ今のうちは言わないほうがいい。驚いて大騒ぎをするだろうから、そんなことはかえって知らない人にまでいろいろなことを知らせてしまうことになるよ。母の悲しみを思って私はあの人を捜し出すのにこんなに骨を折っているのだ。ある時までは口外するな」
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"Ako ga use ni si imouto no kaho ha, oboyu ya? Ima ha yo ni naki hito to omohi hate ni si wo, ito tasikani koso, monosi tamahu nare. Utoki hito ni ha kika se zi to omohu wo, iki te tadune yo. Haha ni, imadasiki ni ihu na. Nakanaka odoroki sawaga m hodo ni, siru maziki hito mo siri na m. Sono oya no mi-omohi no itohosisa ni koso, kaku mo tadunure."
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2.1.3 |
と、まだきにいと口固めたまふを、幼き心地にも、 姉弟は多かれど、 この君の容貌をば、似るものなしと 思ひしみたりしに、亡せたまひにけりと聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、恥づかしと思ひて、
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と、今からもう厳重に口封じなさるのを、子供心にも、姉弟は多いが、この姉君の器量を、他に似る者がないと思い込んでいたので、お亡くなりになったと聞いて、とても悲しいと思い続けていたが、このようにおっしゃるので、嬉しさに涙が落ちるのを、恥ずかしいと思って、
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といましめるのを聞いて、子供心にも、兄弟は多いが上の姫君の美に及ぶ人はだれもないと思い込んでいたところが、死んでしまったと聞き非常に悲しいことであるといつもいつも思っているのに、こんなうれしい話を知ったのであるから感激して涙もこぼれてくるのを、恥ずかしいと思い、
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to, madaki ni ito kutigatame tamahu wo, wosanaki kokoti ni mo, harakara ha ohokare do, kono Kimi no katati wo ba, niru mono nasi to, omohisimi tari si ni, use tamahi ni keri to kiki te, ito kanasi to omohi wataru ni, kaku notamahe ba, uresiki ni mo namida no oturu wo, hadukasi to omohi te,
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2.1.4 |
「 を、を」
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「はい、はい」
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「はあい」
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"Wo, wo."
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2.1.5 |
と 荒らかに聞こえゐたり。
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とぶっきらぼうに申し上げた。
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と荒々しい声を出して紛らした。
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to ararakani kikoye wi tari.
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2.1.6 |
かしこには、まだつとめて、僧都の御もとより、
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あちらでは、まだ早朝に、僧都の御もとから、
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小野の家へはまだ早朝に僧都の所から、
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Kasiko ni ha, mada tutomete, Soudu no ohom-moto yori,
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2.1.7 |
「 昨夜、大将殿の御使にて、小君や参うでたまへりし。 ことの心承りしに、 あぢきなく、かへりて臆しはべりてなむ、と 姫君に聞こえたまへ。みづから聞こえさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし」
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「昨夜、大将殿のお使いで、小君が参られたでしょうか。事情をお聞き致しまして、困ったことで、かえって気後れしておりますと、姫君に申し上げてください。拙僧自身で申し上げなければならないことも多いが、今日明日が過ぎてから伺いましょう」
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昨夜大将のお使いで小君がおいでになりましたか。お家のことなどくわしいお話を伺って茫然となり、恐縮しておりますと姫君に申し上げてください。私自身がまいって申し上げたいこともたくさんあるのですが、今日明日を過ごしてから伺います。
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"Yobe, Daisyau-dono no ohom-tukahi nite, KoGimi ya maude tamahe ri si. Koto no kokoro uketamahari si ni, adikinaku, kaherite okusi haberi te nam, to HimeGimi ni kikoye tamahe. Midukara kikoyesasu beki koto mo ohokare do, kehu asu sugusi te saburahu besi."
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2.1.8 |
と書きたまへり。「 これは何ごとぞ」と尼君驚きて、 こなたへもて渡りて 見せたてまつりたまへば、 面うち赤みて、「 ものの聞こえのあるにや」と苦しう、「もの隠ししける」と 恨みられむを思ひ続くるに、いらへむ方なくてゐたまへるに、
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と書いていらっしゃった。「これはどうしたことか」と尼君は驚いて、こちらに持って来てお見せ申し上げなさると、顔が赤くなって、「世間に知られたのではないか」とつらく、「隠し事をしていた」と恨まれることを思い続けると、答えようもなくてじっとしていらっしゃると、
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こんな手紙が尼君へ来た。驚いて姫君の所へ持って来て見せるとその人は顔を赤くして、自分のことが明らかに知れてしまったのであろうか、物隠しをし続けたと尼君に恨まれてもしかたのない義理の立たぬことであると思うと、返辞のしようもなくそのまま黙っていると、
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to kaki tamahe ri. "Kore ha nanigoto zo?" to AmaGimi odoroki te, konata he mote watari te mise tatematuri tamahe ba, omote uti-akami te, "Mono no kikoye no aru ni ya?" to kurusiu, "Mono kakusi si keru." to urami rare m wo omohi tudukuru ni, irahe m kata naku te wi tamahe ru ni,
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2.1.9 |
「 なほ、のたまはせよ。心憂く思し隔つること」
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「やはり、おっしゃってください。情けなく他人行儀ですこと」
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「今でもいいのですから言ってください。恨めしいお心ですね、私に隔てをお持ちになって」
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"Naho, notamaha se yo. Kokorouku obosi hedaturu koto."
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2.1.10 |
と、いみじく恨みて、ことの心を知らねば、あわたたしきまで思ひたるほどに、
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と、ひどく恨んで、事情を知らないので、慌てるばかりの騷ぎのところに、
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と恨めしがるのであるが、何がどうであるかの理解はまだできないで、尼君はただわくわくとしているうちに、
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to, imiziku urami te, koto no kokoro wo sira ne ba, awatatasiki made omohi taru hodo ni,
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2.1.11 |
「 山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある」
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「山から、僧都のお手紙といって、参上した人が来ました」
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「山の僧都のお手紙を持っておいでになった方があります」
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"Yama yori, Soudu no ohom-seusoko nite, mawiri taru hito nam aru."
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2.1.12 |
と言ひ入れたり。
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と申し入れた。
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と女房がしらせに来た。
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to ihi ire tari.
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2.2 |
第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問
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2-2 Kogimi calls on the Ono villa to meet Ukifune
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2.2.1 |
あやしけれど、「 これこそは、さは、確かなる御消息ならめ」とて、
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不思議に思うが、「これこそは、それでは、確かなお手紙であろう」と思って、
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怪しく尼君は思うのであるが、今度のがものを分明にしてくれる兄の手紙であろう、使いでもあろうと思い、
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Ayasikere do, "Kore koso ha, saha, tasika naru ohom-seusoko nara me." tote,
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2.2.2 |
「 こなたに」
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「こちらに」
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「こちらへ」
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"Konata ni."
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2.2.3 |
と言はせたれば、いときよげにしなやかなる童の、えならず装束きたるぞ、歩み来たる。円座さし出でたれば、簾のもとについゐて、
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と言わせなさると、とても小ぎれいでしなやかな童で、何とも言えないような着飾った者が、歩いて来た。円座を差し出すと、簾の側にちょこんと座って、
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と言わせると、きれいなきゃしゃな姿で美装した童が縁を歩いて来た。円座を出すと、御簾の所へ膝をついて、
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to ihase tare ba, ito kiyogeni sinayaka naru waraha no, e nara zu sauzoki taru zo, ayumi ki taru. Warahuda sasi-ide tare ba, sudare no moto ni tui-wi te,
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2.2.4 |
「 かやうにては、さぶらふまじくこそは、僧都は、のたまひしか」
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「このような形では、お持てなしを受けることはないと、僧都は、おっしゃっていました」
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「こんなふうなお取り扱いは受けないでいいように僧都はおっしゃったのでしたが」
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"Kayau nite ha, saburahu maziku koso ha, Soudu ha, notamahi sika."
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2.2.5 |
と言へば、尼君ぞ、いらへなどしたまふ。文取り入れて見れば、
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と言うので、尼君が、お返事などなさる。手紙を中に受け取って見ると、
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その子はこう言った。尼君が自身で応接に出た。持参された僧都の手紙を受け取って見ると、
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to ihe ba, AmaGimi zo, irahe nado si tamahu. Humi tori ire te mire ba,
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2.2.6 |
「 入道の姫君の御方に、山より」
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「入道の姫君の御方へ、山から」
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入道の姫君の御方へ、山より
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"Nihudau-no-Himegimi no ohom-kata ni, yama yori."
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2.2.7 |
とて、 名書きたまへり。あらじなど、あらがふべきやうもなし。
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とあって、署名なさっていた。人違いだ、などと否定することもできない。
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として署名が正しくしてあった。まちがいではないかということもできぬ気がして姫君は奥のほうへ引っ込んで、
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tote, na kaki tamahe ri. Ara zi nado, aragahu beki yau mo nasi.
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2.2.8 |
いとはしたなくおぼえて、いよいよ引き入られて、人に顔も見合はせず。
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とても体裁悪く思えて、ますます後ずさりされて、誰にも顔を見せない。
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人に顔も見合わせない。平生も晴れ晴れしくふるまう人ではないが、こんなふうであるために、
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Ito hasitanaku oboye te, iyoiyo hikiira re te, hito ni kaho mo mi ahase zu.
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2.2.9 |
「 常にほこりかならずものしたまふ人柄なれど、いとうたて、心憂し」
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「いつも控え目でいらっしゃる人柄だが、とても嫌な、情ない方」
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「どうしたことでしょう」
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"Tuneni hokorika nara zu monosi tamahu hitogara nare do, ito utate, kokorousi."
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2.2.10 |
など言ひて、僧都の御文見れば、
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などと言って、僧都の手紙を見ると、
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などと言い、尼君が僧都の手紙を開いて読むと、
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nado ihi te, Soudu no ohom-humi mire ba,
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2.2.11 |
「 今朝、ここに大将殿のものしたまひて、 御ありさま尋ね問ひたまふに、初めよりありしやう詳しく聞こえはべりぬ。御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山賤の中に出家したまへること、 かへりては、仏の責め添ふべきことなるをなむ、承り驚きはべる。
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「今朝、こちらに大将殿がおいでになって、ご事情をお尋ねになるので、初めからの有様を詳しく申し上げてしまいました。ご愛情の深いお二方の仲を背きなさって、賤しい山家の中で出家なさったことは、かえって、仏のお叱りを受けるはずのことを、うかがって驚いています。
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今朝この寺へ右大将殿がおいでになりまして、あなたのことをお聞きになりましたため、初めからのことをくわしく皆お話しいたしました。深い相思の人をお置きになって、いやしい人たちの中にまじり、出家をされましたことは、かえって仏がお責めになるべきことであるのを、お話から承知し、驚いております。
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"Kesa, koko ni Daisyau-dono no monosi tamahi te, ohom-arisama tadune tohi tamahu ni, hazime yori ari si yau kuhasiku kikoye haberi nu. Ohom-kokorozasi hukakari keru ohom-naka wo somuki tamahi te, ayasiki yamagatu no naka ni suke si tamahe ru koto, kaheri te ha, Hotoke no seme sohu beki koto naru wo nam, uketamahari odoroki haberu.
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2.2.12 |
いかがはせむ。 もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて ★、 一日の出家の功徳は、はかりなきものなれば、 なほ頼ませたまへとなむ。ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつ、 この小君聞こえたまひてむ」
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しようがありません。もともとのご宿縁を間違いなさらず、愛執の罪をお晴らし申し上げなさって、一日の出家の功徳は、無量のものですから、やはりご期待なさいませと。詳細は、拙僧自身お目にかかって申し上げましょう。とりあえず、この小君が申し上げなさることでしょう」
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しかたのないことです。もとの夫婦の道へお帰りになって、一方が作る愛執の念を晴らさせておあげになり、なお一日の出家の功徳は無量とされているのですから、もとに帰られたあとも御仏をおたよりになされるがよろしいと私は申し上げます。いろいろのことはまた自身でまいって申し上げましょう。また十分ではなくてもこの小君が今日のことをあなたに通じてくださるかと思います。
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Ikagaha se m? Moto no ohom-tigiri ayamati tamaha de, aisihu no tumi wo harukasi kikoye tamahi te, hitohi no suke no kudoku ha, hakari naki mono nare ba, naho tanoma se tamahe to nam. Kotogotoni ha, midukara saburahi te mausi habera m. Katugatu, kono KoGimi kikoye tamahi te m."
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2.2.13 |
と書いたり。
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と書いてあった。
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to kai tari.
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2.3 |
第三段 浮舟、小君との面会を拒む
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2-3 Ukifune refused to meet her brother
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2.3.1 |
まがふべくもあらず、書き明らめたまへれど、異人は心も得ず。
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疑う余地もなく、はっきりお書きになっているが、他の人には事情が分からない。
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書面を見れば事が明瞭になるはずであっても、姫君のほかの人はまだわけがわからぬとばかり思っていた。
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Magahu beku mo ara zu, kaki akirame tamahe re do, kotohito ha kokoro mo e zu.
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2.3.2 |
「 この君は、誰れにかおはすらむ。なほ、いと心憂し。今さへ、かくあながちに隔てさせたまふ」
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「この君は、どなたでいらっしゃのだろう。やはり、とても情けない。今になってさえ、このようにひたすらお隠しになっている」
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「あの小君は何にあたる方ですか、恨めしい方、今になってもお隠しなさるのね」
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"Kono Kimi ha, tare ni ka ohasu ram? Naho, ito kokorousi. Ima sahe, kaku anagatini hedate sase tamahu."
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2.3.3 |
と 責められて、すこし外ざまに向きて見たまへば、この子は、 今はと世を思ひなりし夕暮れに、いと恋しと思ひし人なりけり。 同じ所にて見しほどは、いと性なく、あやにくにおごりて憎かりしかど、母のいとかなしくして、宇治にも時々率ておはせしかば、すこしおよすけしままに、 かたみに思へり。
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と責められて、少し外の方を向いて御覧になると、この子は、これが最期と思った夕暮れにも、とても恋しいと思った人なのであった。一緒の所に住んでいたときは、とても意地悪で、妙に生意気で憎らしかったが、母親がとてもかわいがって、宇治にも時々連れておいでになったので、少し大きくなってからは、お互いに仲好くしていた。
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と尼君に責められて、少し外のほうを向いて見ると、来た小君は自殺の決心をした夕べにも恋しく思われた弟であった。同じ家にいたころはまだわんぱくで、両親の愛におごっていて、憎らしいところもあったが、母が非常に愛していて、宇治へもときどきつれて来たので、そのうち少し大きくもなっていて双方で姉弟の愛を感じ合うようになっていた
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to seme rare te, sukosi tozama ni muki te mi tamahe ba, kono ko ha, ima ha to yo wo omohi nari si yuhugure ni, ito kohisi to omohi si hito nari keri. Onazi tokoro nite mi si hodo ha, ito saganaku, ayanikuni ogori te nikukari sika do, haha no ito kanasiku si te, Udi ni mo tokidoki wi te ohase sika ba, sukosi oyosuke si mama ni, katami ni omohe ri.
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2.3.4 |
童心を思ひ出づるにも、夢のやうなり。まづ、母のありさま、いと問はまほしく、「 異人びとの上は、おのづからやうやうと聞けど、親のおはすらむやうは、ほのかにもえ聞かずかし」と、なかなかこれを見るに、いと悲しくて、ほろほろと泣かれぬ。
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子供心を思い出すにつけても、夢のようである。真先に、母親の様子を、とても尋ねたく、「その他の人びとについては自然とだんだん聞くが、母親がどうしていらっしゃるかは、少しも聞くことができない」と、なまじこの子を見たばかりに、とても悲しくなって、ぽろぽろと涙がこぼれた。
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子であると思い出してさえ夢のようにばかり浮舟には思われた。何よりも母がどうしているかと聞きたく思われるのであった。他の人々のことは近ごろになってだれからともなく噂が耳にはいるのであったが、母の消息はほのかにすらも知ることができなかったと思うと、弟を見たことでいっそう悲しくなり、ほろほろ涙をこぼして姫君は泣いた。
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Warahagokoro wo omohi-iduru ni mo, yume no yau nari. Madu, haha no arisama, ito toha mahosiku, "Kotohitobito no uhe ha, onodukara yauyau to kike do, oya no ohasu ram yau ha, honokani mo e kika zu kasi." to, nakanaka kore wo miru ni, ito kanasiku te, horohoro to naka re nu.
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2.3.5 |
いとをかしげにて、 すこしうちおぼえたまへる心地もすれば、
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たいそう可憐で、少し似ていらっしゃるところがあるように思われるので、
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小君は美しくて少し似たところもあるように他人の目には思われるのであったから、
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Ito wokasige nite, sukosi uti-oboye tamahe ru kokoti mo sure ba,
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2.3.6 |
「 御兄弟にこそおはすめれ。聞こえまほしく思すこともあらむ。 内に入れたてまつらむ」
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「ご姉弟でいらっしゃるようだ。お話し申し上げたくお思いでいることもあろう。内にお入れ申そう」
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「御姉弟なのでしょう。お話ししたく思っていらっしゃることもあるでしょうから、座敷の中へお通ししましょう」
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"Ohom-harakara ni koso ohasu mere. Kikoye mahosiku obosu koto mo ara m. Uti ni ire tatematura m."
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2.3.7 |
と言ふを、「 何か、今は世にあるものとも思はざらむに、あやしきさまに面変りして、ふと見えむも恥づかし」と思へば、とばかりためらひて、
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と言うのを、「どうして、今はもう生きている者と思っていないのに、尼姿に身を変えて、急に会うのも気がひける」と思うと、しばらくためらって、
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と尼君が言う。それには及ばぬ、もう自分は死んだものとだれも思ってしまったのであろうのに、今さら尼という変わった姿になって、身内の者に逢うのは恥ずかしいと浮舟は思い、しばらく黙っていたあとで、
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to ihu wo, "Nanika, ima ha yo ni aru mono to mo omoha zara m ni, ayasiki sama ni omogahari si te, huto miye m mo hadukasi." to omohe ba, to bakari tamerahi te,
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2.3.8 |
「 げに、隔てありと、思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。 あさましかりけむありさまは、珍かなることと見たまひてけむを、うつし心も失せ、魂などいふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ。いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、我ながらさらにえ思ひ出でぬに、 紀伊守とかありし人の、世の物語すめりし中になむ、 見しあたりのことにやと、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。
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「おっしゃるとおり、隠し事があると、お思いになるのがつらくて、何も申すことができません。情けなかった姿は、珍しいことだと御覧になったでしょうが、正気も失い、魂などと申すものも、以前とは違ったものになってしまったのでしょうか。何ともかとも、過ぎ去った昔のことを、自分ながら全然思い出すことができないところに、紀伊守とかいった人が、世間話をした中で、知っていた方のことかと、わずかに思い出される気がしました。
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「身の上をくらましておきますために、いろいろなことを言うかとお思いになるのが恥ずかしくて、何もこれまでは申されなかったのですよ。想像もできませんような生きた屍になっておりました私を、御覧になったのはあなたですが、どんなに醜いことだったでしょう。私の無感覚で久しくおりましたうちに精神というものもどうなってしまったのですか、過去のことは自身のことでありながら思い出せないでいますうち、紀伊守とお言いになる人が世間話をしておいでになったうちに、私の身の上ではないかとほのかに記憶の呼び返されることがございました。
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"Geni, hedate ari to, obosi nasu ram ga kurusisa ni, mono mo iha re de nam. Asamasikari kem arisama ha, meduraka naru koto to mi tamahi te kem wo, utusigokoro mo use, tamasihi nado ihu ram mono mo, ara nu sama ni nari ni keru ni ya ara m? Ikanimo ikanimo, sugi ni si kata no koto wo, ware nagara sarani e omohiide nu ni, Kii-no-Kami to ka arisi hito no, yo no monogatari su meri si naka ni nam, mi si atari no koto ni ya to, honokani omohiide raruru koto aru kokoti se si.
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2.3.9 |
その後、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、 ただ一人ものしたまひし人の、 いかでとおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむと、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々はべるに、今日見れば、この童の顔は、小さくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでやみなむ、となむ思ひはべる。
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その後は、あれやこれやと考え続けましたが、いっこうにはっきりと思い出されませんが、ただ一人おいでになった方の、何とか幸福にと並々ならず思っていらしたような母親が、まだ生きておいでかと、そのことばかりが脳裏を離れず、悲しい時々がございますので、今日見ると、この童の顔は、小さい時に見たことのある気がするのにつけても、とても堪えがたい気がするが、今さら、このような人に、生きていると知られないで終わりたいと、存じております。
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それからのちにいろいろと考えてみましても、はかばかしく心によみがえってくる事実はないのですが、私のために一人の親であった母は今どうしておられるだろうとそればかりは始終思われて恋しくも悲しくもなるのでしたが、今日見ますと、この少年は小さい時に見た顔のように思われまして、それによって忍びがたい気持ちはしますが、そんな人たちにも私の生きていることは知られたくないと思いますから、逢わないことにしたいと思います。
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Sono noti, tozama kauzama ni omohi tudukure do, sarani hakabakasiku mo oboye nu ni, tada hitori monosi tamahi si hito no, ikade to oroka nara zu omohi ta' meri si wo, mada ya yo ni ohasu ram to, sore bakari nam kokoro ni hanare zu, kanasiki woriwori haberu ni, kehu mire ba, kono waraha no kaho ha, tihisaku te mi si kokoti suru ni mo, ito sinobi gatakere do, imasara ni, kakaru hito ni mo, ari to ha sira re de yami na m, to nam omohi haberu.
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2.3.10 |
かの人、もし世にものしたまはば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひはべる。 この僧都の、のたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひはべりつれ。かまへて、ひがことなりけりと聞こえなして、もて隠したまへ」
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あの母親が、もしこの世に生きておいででしたら、その方お一人だけには、お目にかかりたく存じております。この僧都が、おっしゃっている方などには、まったく知られ申すまいと、存じております。何とか工夫して、間違いであると申し上げて、隠してくださいませ」
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もし生きておりましたならば今申しました母にだけは逢いとうございます。僧都様が手紙にお書きになりました人などには断然私はいないことにしてしまいたいと思うのでございます。なんとか上手にお言いくだすって、まちがいだったというようにおっしゃって、お隠しくださいませ」
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Kano hito, mosi yo ni monosi tamaha ba, sore hitori ni nam, taimen se mahosiku omohi haberu. Kono Soudu no, notamahe ru hito nado ni ha, sarani sira re tatematura zi, to koso omohi haberi ture. Kamahe te, higakoto nari keri to kikoye nasi te, mote-kakusi tamahe."
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2.3.11 |
とのたまへば、
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とおっしゃるので、
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と浮舟の姫君は言った。
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to notamahe ba,
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2.3.12 |
「 いと難いことかな。僧都の御心は、聖といふなかにも、あまり隈なくものしたまへば、まさに残いては、聞こえたまひてむや。後に隠れあらじ。 なのめに軽々しき御ほどにもおはしまさず」
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「まことに難しいことですね。僧都のお考えは、聖と申すなかでも、あまりにに正直一途の方でいらっしゃいますから、まさに何も残さずに申し上げなさったことでしょう。後で分かってしまいましょう。いい加減な軽々しいご身分でもいらっしゃらないし」
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「むずかしいことだと思いますね。僧都さんの性質は僧というものはそんなものであるという以上に公明正大なのですからね、もう何の虚偽もまじらぬお話をお伝えしてしまいなすったでしょうよ。隠そうとしましてもほかからずんずん事実が証明されてゆきますよ。それに御身分が並み並みのお姫様ではいらっしゃらないのだし」
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"Ito katai koto kana! Soudu no mi-kokoro ha, hiziri to ihu naka ni mo, amari kumanaku monosi tamahe ba, masani nokoi te ha, kikoye tamahi te m ya? Noti ni kakure ara zi. Nanome ni karogarosiki ohom-hodo ni mo ohasimasa zu."
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2.3.13 |
など言ひ騷ぎて、
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などと言い騒いで、
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この尼君から聞き、姫君が女王様であったということにだれも興奮していて、
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nado ihi sawagi te,
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2.3.14 |
「 世に知らず心強くおはしますこそ」
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「見たこともないほど強情でいらっしゃること」
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「ひどく気のお強いことになりますから」
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"Yo ni sira zu kokoroduyoku ohasimasu koso."
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2.3.15 |
と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて 入れたり。
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と、皆で話し合って、母屋の際に几帳を立てて入れた。
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皆で言い合わせて浮舟のいる室との間に几帳を立てて少年を座敷に導いた。
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to, mina ihi ahase te, moya no kiha ni kityau tate te ire tari.
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2.4 |
第四段 小君、薫からの手紙を渡す
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2-4 Ko-gimi hands a Kaoru's mail to Ukifune
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2.4.1 |
この子も、 さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむもつつましけれど、
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この子も、そうは聞いていたが、子供なので、唐突に言葉かけるのも気がひけるが、
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この子も姉君は生きているのだと聞かされてきているが、姉弟らしくものを言いかけるのに羞恥も覚えて、
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Kono ko mo, saha kiki ture do, wosanakere ba, huto ihiyora m mo tutumasikere do,
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2.4.2 |
「 またはべる御文、いかでたてまつらむ。僧都の御しるべは、確かなるを、かくおぼつかなくはべるこそ」
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「もう一通ございますお手紙を、ぜひ差し上げたい。僧都のお導きは、確かなことでしたのに、このようにはっきりしませんとは」
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「もう一つ別なお手紙も持って来ているのですが、僧都のお言葉によってすべてが明らかになっていますのに、どうしてこんなに白々しくお扱いになりますか」
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"Mata haberu ohom-humi, ikade tatematura m? Soudu no ohom-sirube ha, tasika naru wo, kaku obotukanaku haberu koso."
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2.4.3 |
と、伏目にて言へば、
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と、伏目になって言うと、
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とだけ伏し目になって言った。
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to, husime nite ihe ba,
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2.4.4 |
「 そそや。あな、うつくし」
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「それそれ。まあ、かわいらしい」
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「まあ御覧なさい、かわいらしい方ね」
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"Soso ya! Ana, utukusi!"
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2.4.5 |
など言ひて、
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などと言って、
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などと尼君は女房に言い、
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nado ihi te,
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2.4.6 |
「 御文御覧ずべき人は、ここにものせさせたまふめり。見証の人なむ、いかなることにかと、心得がたくはべるを、なほのたまはせよ。幼き御ほどなれど、かかる御しるべに頼みきこえたまふやうもあらむ」
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「お手紙を御覧になるはずの人は、ここにいらっしゃるようです。はたの者は、どのようなことかと分からずにおりますが、さらにおっしゃってください。幼いご年齢ですが、このようなお使いをお任せになる理由もあるのでしょう」
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「お手紙を御覧になる方はここにいらっしゃるとまあ申してよいのですよ。こうしてあつかましく出ていますわれわれはまだ何がどうであったのかも理解できないでおります。だからあなたから私たちに話してください。お小さい方をこうしたお使いにお選びになりましたのにはわけもあることでしょう」
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"Ohom-humi goranzu beki hito ha, koko ni monose sase tamahu meri. Ke'sou no hito nam, ikanaru koto ni ka to, kokoroe gataku haberu wo, naho notamaha se yo. Wosanaki ohom-hodo nare do, kakaru ohom-sirube ni tanomi kikoye tamahu yau mo ara m."
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2.4.7 |
など言へど、
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などと言うので、
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と少年に言った。
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nado ihe do,
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2.4.8 |
「 思し隔てて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、 何事をか聞こえはべらむ。疎く思しなりにければ、聞こゆべきこともはべらず。ただ、この御文を、 人伝てならで奉れ、とてはべりつる、いかでたてまつらむ」
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「よそよそしくなさって、はっきりしないお持てなしをなさるのでは、何を申し上げられましょう。他人のようにお思いになっていたら、申し上げることもございません。ただ、このお手紙を、人を介してではなく差し上げなさい、とございましたので、ぜひとも差し上げたい」
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「知らない者のようにお扱いになる方の所ではお話のしようもありません。お愛しくださらなくなった私からはもう何も申し上げません。ただこのお手紙は人づてでなく差し上げるようにと仰せつけられて来たのですから、ぜひ手ずからお渡しさせてください」
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"Obosi hedate te, oboobosiku motenasa se tamahu ni ha, nanigoto wo ka kikoye habera m. Utoku obosi nari ni kere ba, kikoyu beki koto mo habera zu. Tada, kono ohom-humi wo, hitodute nara de tatemature, tote haberi turu, ikade tatematura m."
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2.4.9 |
と言へば、
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と言うと、
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こう小君が言うと、
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to ihe ba,
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2.4.10 |
「 いとことわりなり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心にこそ」
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「まことにごもっともです。やはり、とてもこのように情けなくいらっしゃらないで。いくら何でも気味悪いほどのお方ですこと」
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「もっともじゃありませんか、そんなに意地をかたく張るものではありませんよ。あなたは優しい方だのに、一方では手のつけられぬ方ですね」
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"Ito kotowari nari. Naho, ito kaku utate na ohase so. Sasugani mukutukeki mi-kokoro ni koso."
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2.4.11 |
と聞こえ動かして、 几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、異人には似ぬ 心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
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とお促し申して、几帳の側に押し寄せ申したので、人心地もなく座っていらっしゃるその感じは、他人ではない気がするので、すぐそこに近寄って差し上げた。
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と尼君は言い、いろいろに言葉を変えて勧め、几帳のきわへ押し寄せたのを知らず知らずそのままになってすわっている人の様子が、他人でないことは直感されるために、そこへ手紙を差し入れた。
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to kikoye ugokasi te, kityau no moto ni osiyose tatematuri tare ba, are ni mo ara de wi tamahe ru kehahi, kotohito ni ha ni nu kokoti sure ba, sokomoto ni yori te tatematuri tu.
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2.4.12 |
「 御返り疾く賜はりて、参りなむ ★」
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「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」
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「お返事を早くいただいて帰りたいと思います」
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"Ohom-kaheri toku tamahari te, mawiri na m."
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2.4.13 |
と、かく疎々しきを、心憂しと思ひて急ぐ。
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と、このようにすげない態度を、つらいと思って急ぐ。
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うといふうを見せられることが恨めしく、少年は急ぐように言う。
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to, kaku utoutosiki wo, kokorousi to omohi te isogu.
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2.4.14 |
尼君、御文ひき解きて、 見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかに見て、例の、 ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
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尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げる。以前と同じようなご筆跡で、紙の香なども、いつもの、世にないまで染み込んでいた。ちらっと見て、例によって、何にでも感心するでしゃばり者は、ほんとめったになく素晴らしいと思うであろう。
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尼君は大将の手紙を解いて姫君に見せるのであった。昔のままの手跡で、紙のにおいは並みはずれなまでに高い。ほのかにのぞき見をして風流好きな尼君は美しいものと思った。
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AmaGimi, ohom-humi hikitoki te, mise tatematuru. Arisi nagara no ohom-te nite, kami no ka nado, rei no, yoduka nu made simi tari. Honokani mi te, rei no, mono-mede no sasisugi-bito, ito arigataku wokasi to omohu besi.
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2.4.15 |
「 さらに聞こえむ方なく、 さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひ許しきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。まして、人目はいかに」
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「まったく申し上げようもなく、いろいろと罪障の深いお身の上を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして、驚きあきれたような当時の夢のような思い出話なりとも、せめてと、せかれる気持ちが、自分ながらもどかしく思われることです。まして、傍目にはどんなに見られることでしょうか」
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尼におなりになったという、なんとも言いようのない、私にとっては罪なお心も、僧都の高潔な心に逢って、私もお許しする気になって、そのことにはもう触れずに、過去のあの時の悲しみがどんなものであったかということだけでも話し合いたいとあせる心はわれながらもあき足らず見えます。まして他人の目にはどんなふうに映るでしょう。
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"Sarani kikoye m kata naku, samazama ni tumi omoki mi-kokoro wo ba, Soudu ni omohi yurusi kikoye te, ima ha ikade, asamasikari si yo no yumegatari wo dani, to isoga ruru kokoro no, ware nagara modokasiki ni nam. Masite, hitome ha ikani?"
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2.4.16 |
と、書きもやりたまはず。
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と、お心を書き尽くしきれない。
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と書きも終わっていないで次の歌がある。
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to, kaki mo yari tamaha zu.
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2.4.17 |
「 法の師と尋ぬる道をしるべにて 思はぬ山に踏み惑ふかな |
「仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに 思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ |
法の師を訪ぬる道をしるべにて 思はぬ山にふみまどふかな
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"Nori no si to tadunuru miti wo sirube nite omoha nu yama ni humi madohu kana |
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2.4.18 |
この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見る物にてなむ」
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この子は、お忘れになったでしょうか。わたしは、行方不明になったあなたのお形見として見ているのです」
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この人をお見忘れになったでしょうか。私は行くえを失った方の形見にそば近く置いて慰めにながめている少年です。
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Kono hito ha, mi ya wasure tamahi nu ram? Koko ni ha, yukuhe naki ohom-katami ni miru mono nite nam."
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2.4.19 |
など、こまやかなり。
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などと、とても愛情がこもっている。
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とも書かれてあった。
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nado, komayaka nari.
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2.5 |
第五段 浮舟、薫への返事を拒む
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2-5 Ukifune refused to reply to Kaoru
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2.5.1 |
かくつぶつぶと書きたまへるさまの、紛らはさむ方なきに、さりとて、 その人にもあらぬさまを、思ひの外に見つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとど晴れ晴れしからぬ心は、言ひやるべき方もなし。
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このようにこまごまとお書きになっている様子が、紛れようもないので、そうかといって、昔の自分とも違う姿を、意外にも見つけられ申したときの、体裁の悪さなどを思い乱れて、今まで以上に晴れ晴れしくない気持ちは、何ともいいようがない。
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こう詳細に知って書いてある人に存在の紛らしようもない自分ではないか、そうかといってその人にも、願わぬことにもかかわらず変わった姿を見つけられた時の恥ずかしさはどうであろうと浮舟は煩悶して、もともと弱々しい性質のこの人はなすことも知らないふうになっていた。
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Kaku tubutubu to kaki tamahe ru sama no, magirahasa m kata naki ni, saritote, sono hito ni mo ara nu sama wo, omohi no hoka ni mituke rare kikoye tara m hodo no, hasitanasa nado wo, omohi midare te, itodo harebaresikara nu kokoro ha, ihiyaru beki kata mo nasi.
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2.5.2 |
さすがにうち泣きて、ひれ臥したまへれば、「 いと世づかぬ御ありさまかな」と、 見わづらひぬ。
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そうはいってもふと涙がこぼれて、臥せりなさったので、「まことに世間知らずのなさりようだ」と、扱いかねた。
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さすがに泣いてひれ伏したままになっているのを、「あまりに並みをはずれた御様子ね」と言い、尼君は困っていた。
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Sasugani uti-naki te, hirehusi tamahe re ba, "Ito yoduka nu ohom-arisama kana!" to, mi wadurahi nu.
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2.5.3 |
「 いかが聞こえむ」
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「どのように申し上げましょう」
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どうお返事を言えばいいのか
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"Ikaga kikoye m?"
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2.5.4 |
など 責められて、
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などと責められて、
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と責められて、
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nado seme rare te,
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2.5.5 |
「 心地のかき乱るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞こえむ。昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。すこし静まりてや、この御文なども、見知らるることもあらむ。今日は、なほ 持て参りたまひね。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」
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「気分がとても苦しゅうございますのを、おさまりましてから、やがて差し上げましょう。昔のことを思い出しても、まったく思い当たることがなく、不思議で、どのような夢であったのかとばかり、分かりません。少し気分が静まったら、このお手紙なども、分かるようなこともありましょうか。今日は、やはりお持ち帰りください。人違いであったら、とても体裁悪いでしょうから」
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「今は心がかき乱されています。少し冷静になりましてから返事をいたしましょう。昔のことを思い出しましても少しもお話しするようなことは見いだせません。ですから落ち着きましたらこのお手紙の心のわかることがあるかもしれません。今日はこのまま持ってお帰しください。ひょっといただく人が違っていたりしては片腹痛いではございませんか」
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"Kokoti no kaki-midaru yau ni si haberu hodo, tamerahi te, ima kikoye m. Mukasi no koto omohiidure do, sarani oboyuru koto naku, ayasiu, ikanari keru yume ni ka to nomi, kokoro mo e zu nam. Sukosi sidumari te ya, kono ohom-humi nado mo, mi sira ruru koto mo ara m. Kehu ha, naho mote mawiri tamahi ne. Tokorotagahe ni mo ara m ni, ito kataharaitakaru besi."
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2.5.6 |
とて、 広げながら、尼君にさしやりたまへれば、
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と言って、広げたまま、尼君にお渡しになったので、
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と姫君は言い、手紙は拡げたままで尼君のほうへ押しやった。
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tote, hiroge nagara, AmaGimi ni sasiyari tamahe re ba,
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2.5.7 |
「 いと見苦しき御ことかな。あまりけしからぬは、 見たてまつる人も、罪さりどころなかるべし」
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「とても見苦しいなさりようですこと。あまり不作法なのは、世話している者どもも、咎を免れないことでしょう」
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「それでは困るではありませんか。あまりに失礼な態度をお見せになるのでは、そばにいる人も申しわけがありません」
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"Ito migurusiki ohom-koto kana! Amari kesikara nu ha, mi tatematuru hito mo, tumi sari dokoro nakaru besi."
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2.5.8 |
など言ひ騒ぐも、うたて聞きにくくおぼゆれば、顔も引き入れて臥したまへり。
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などと言って騒ぐのも、嫌で聞いていられなく思われるので、顔を引き入れてお臥せりになった。
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多くの言葉でこんなことの言われるのも不快で、顔までも上に着た物の中へ引き入れて浮舟は寝ていた。
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nado ihi sawagu mo, utate kiki nikuku oboyure ba, kaho mo hikiire te husi tamahe ri.
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2.5.9 |
主人ぞ、この君に物語すこし聞こえて、
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主人の尼が、この君にお話を少し申し上げて、
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主人の尼君は少年の話し相手に出て、
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Aruzi zo, kono Kimi ni monogatari sukosi kikoye te,
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2.5.10 |
「 もののけにやおはすらむ。例のさまに見えたまふ折なく、悩みわたりたまひて、御容貌も異になりたまへるを、 尋ねきこえたまふ人あらば、 いとわづらはしかるべきこと、と見たてまつり嘆きはべりしも、しるく、かくいとあはれに、心苦しき御ことどもはべりけるを、今なむ、いとかたじけなく思ひはべる。
|
「物の怪のせいでしょうか。いつもの様子にお見えになる時もなく、ずっと患っていらっしゃって、お姿も尼姿におなりになったが、お探し申し上げなさる方がいたら、とても厄介なことになりましょうことよと、拝見し嘆いておりましたのも、その通りに、このようにまことにおいたわしく、胸打つご事情がございましたのを、今は、まことに恐れ多く存じております。
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「物怪の仕業でしょうね。普通のふうにお見えになる時もなくて始終御病気続きでね。それで落飾もなすったのを、御縁のある方が訪ねておいでになった時に、これでは申しわけがないとそばにいて気をもんでおりましたとおりに、大将さんの奥様でおありになったのでございますってね。それをはじめて承知いたしまして、なんともお詫びのしかたもないように思います。
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"Mononoke ni ya ohasu ram? Rei no sama ni miye tamahu wori naku, nayami watari tamahi te, ohom-katati mo koto ni nari tamahe ru wo, tadune kikoye tamahu hito ara ba, ito wadurahasikaru beki koto, to mi tatematuri nageki haberi si mo, siruku, kaku ito ahareni, kokorogurusiki ohom-koto-domo haberi keru wo, ima nam, ito katazikenaku omohi haberu.
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2.5.11 |
日ごろも、うちはへ悩ませたまふめるを、いとど かかることどもに思し乱るるにや、常よりもものおぼえさせたまはぬさまにてなむ」
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常日頃も、ずっとご病気がちでいらしたようなのを、ますますこのようなお手紙にお思い乱れなさったのか、いつも以上に分別がなくおいでです」
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ずっと御気分は晴れ晴れしくないのですが、思いがけぬ御消息のございましたことでまたお心も乱れるのでしょう。平生以上に今日はお気むずかしくなっていらっしゃるようですよ」
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Higoro mo, utihahe nayama se tamahu meru wo, itodo kakaru koto-domo ni obosi midaruru ni ya, tune yori mo mono oboye sase tamaha nu sama nite nam."
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2.5.12 |
と聞こゆ。
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と申し上げる。
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などと語っていた。
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to kikoyu.
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2.6 |
第六段 小君、空しく帰り来る
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2-6 Ko-gimi came back to no purpose
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2.6.1 |
所につけてをかしき饗応などしたれど、幼き心地は、そこはかとなくあわてたる心地して、
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山里らしい趣のある饗応などをしたが、子供心には、どことなくいたたまれないような気がして、
|
山里相応な饗応をするのであったが、少年の心は落ち着かぬらしかった。
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Tokoro ni tuke te wokasiki aruzi nado si tare do, wosanaki kokoti ha, sokohakatonaku awate taru kokoti si te,
|
|
2.6.2 |
「 わざと奉れさせたまへるしるしに、何事をかは聞こえさせむとすらむ。ただ一言をのたまはせよかし」
|
「わざわざお遣わしあそばされたそのしるしに、何とお返事申し上げたらよいのでしょう。ただ一言でもおっしゃってください」
|
「私がお使いに選ばれて来ましたことに対しても何かひと言だけは言ってくださいませんか」
|
"Wazato tatemature sase tamahe ru sirusi ni, nanigoto wo kaha kikoyesase m to su ram? Tada hitokoto wo notamahase yo kasi."
|
|
2.6.3 |
など言へば、
|
などと言うと、
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nado ihe ba,
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2.6.4 |
「 げに」
|
「ほんとうですこと」
|
「ほんとうに」
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"Geni."
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2.6.5 |
など言ひて、かくなむ、と移し語れど、ものものたまはねば、かひなくて、
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などと言って、これこれです、とそのまま伝えるが、何もおっしゃらないので、しかたなくて、
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と言い、それを伝えたが、姫君はものも言われないふうであるのに、尼君は失望して、
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nado ihi te, kaku nam, to utusi katare do, mono mo notamaha ne ba, kahinaku te,
|
|
2.6.6 |
「 ただ、かく、おぼつかなき御ありさまを聞こえさせたまふべきなめり。 雲の遥かに隔たらぬほどにも ★はべるめるを、山風吹くとも、またもかならず立ち寄らせたまひなむかし」
|
「ただ、あのように、はっきりしないご様子を申し上げなさるのがよいのでしょう。雲が遥かに遠く隔たった場所でもないようでございますので、山の風が吹いても、またきっとお立ち寄りなさいまし」
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「ただこんなようにたよりないふうでおいでになったと御報告をなさるほかはありますまい。はるかに雲が隔てるというほどの山でもないのですから、山風は吹きましてもまた必ずお立ち寄りくださるでしょう」
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"Tada, kaku, obotukanaki ohom-arisama wo kikoyesase tamahu beki na' meri. Kumo no harukani hedatara nu hodo ni mo haberu meru wo, yamakaze huku tomo, mata mo kanara zu tatiyora se tamahi na m kasi."
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|
2.6.7 |
と言へば、 すずろにゐ暮らさむもあやしかるべければ、帰りなむとす。人知れずゆかしき御ありさまをも、え見ずなりぬるを、おぼつかなく口惜しくて、心ゆかずながら参りぬ。
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と言うので、用もないのに日暮れまでいるのも妙な具合なので、帰ろうとする。心ひそかにお会いしたいご様子なのに、会うこともできずに終わったのを、気がかりで残念で、不満足のまま帰参した。
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と小君に言った。期待もなしに長くとどまっていることもよろしくないと思って少年は去ろうとした。恋しい姿の姉に再会する喜びを心にいだいて来たのであったから、落胆して大将邸へまいった。
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to ihe ba, suzuroni wi kurasa m mo ayasikaru bekere ba, kaheri na m to su. Hitosirezu yukasiki ohom-arisama wo mo, e mi zu nari nuru wo, obotukanaku kutiwosiku te, kokoroyuka zu nagara mawiri nu.
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|
2.6.8 |
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、「 なかなかなり」と、思すことさまざまにて、「 人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、 とぞ本にはべめる。
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早く早くとお待ちになっていたが、このようにはっきりしないまま帰って来たので、期待が外れて、「かえって遣らないほうがましだった」と、お思いになることがいろいろで、「誰かが隠し置いているのであろうか」と、ご自分の想像の限りを尽くして、放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。
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大将は少年の帰りを今か今かと思って待っていたのであったが、こうした要領を得ないふうで帰って来たのに失望し、その人のために持つ悲しみはかえって深められた気がして、いろいろなことも想像されるのであった。だれかがひそかに恋人として置いてあるのではあるまいかなどと、あのころ恨めしいあまりに軽蔑してもみた人であったから、その習慣で自身でもよけいなことを思うとまで思われた。
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Itusika to mati ohasuru ni, kaku tadotadosiku te kaheri ki tare ba, susamaziku, "Nakanaka nari." to, obosu koto samazama nite, "Hito no kakusi suwe taru ni ya ara m?" to, wa ga mi-kokoro no omohiyora nu kumanaku, otosi oki tamahe ri si narahi ni, to zo hon ni habe' meru.
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出典1 |
雲の遥かに |
逢ふことは雲居遥かに鳴る神の音に聞きつつ恋ひわたるかな |
古今集恋一-四八二 紀貫之 |
2.6.6 |
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Last updated 9/29/2011(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 9/29/2011(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 5/19/2002 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 9/29/2011 (ver.2-1) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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