設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第二十九帖 行幸 光る源氏の太政大臣時代三十六歳十二月から三十七歳二月までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 |
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第一段 大原野行幸 |
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1.1.1 | かく かの |
このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。 あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。 |
源氏は |
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1.1.2 | その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。 卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。 桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。 |
この十二月に |
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1.1.3 | 行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。 左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。 麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。 |
行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬 |
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1.1.4 | 雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。 親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。 近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。 |
時々少しずつの雪が空から散って |
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1.1.5 | 素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。 舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。 |
女の目には平生見 |
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第二段 玉鬘、行幸を見物 |
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1.2.1 | 西の対の姫君もお出かけになった。 大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。 |
六条院の |
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1.2.2 | わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。 たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。 |
玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、 |
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1.2.3 | まして、 |
ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。 源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。 |
きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちが |
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1.2.4 | さは、かかる あてなる |
そうしてみると、 このような方はいらっしゃりにくいのであった。身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻 |
でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。 |
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1.2.5 | 兵部卿宮もいらっしゃる。 右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。 色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。 どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。 とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。 |
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1.2.6 | 大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。 |
源氏はこのごろ玉鬘に宮仕えを勧めているのであった。今までは自発的にお勤めを始めるのでもなしにやむをえずに御所の人々の中に混じって新しい苦労を買うようなことはと躊躇する玉鬘であったが、後宮の一人でなく公式の高等女官になって陛下へお仕えするのはよいことであるかもしれないと思うようになった。 |
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第三段 行幸、大原野に到着 |
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1.3.1 | かうて、 |
こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。 今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。 |
大原野で |
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1.3.2 | 蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。 仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。 |
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1.3.3 | 「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように 古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに」 |
雪深きをしほの山に立つ雉子の 古き跡をも |
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1.3.4 | 太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。 大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。 |
御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、 |
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1.3.5 | 「小塩山に深雪が積もった松原に 今日ほどの盛儀は先例がないでしょう」 |
今日ばかりなる跡やなからん |
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1.3.6 | と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。 |
という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。 |
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第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める |
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1.4.1 | またの |
翌日、大臣は、西の対に、 |
その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。 |
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1.4.2 | 「昨日、主上は拝見なさいましたか。 あの件は、その気におなりになりましたか」 |
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1.4.3 | と申し上げなさった。 白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、 |
白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、 |
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1.4.4 | 「あいなのことや」 |
「いやなことを」 |
「ひどいことを」 |
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1.4.5 | とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。 お返事には、 |
と |
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1.4.6 | 「 |
「昨日は、 |
昨日は、 |
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1.4.7 | 雪が散らついて朝の間の行幸では はっきりと日の光は見えませんでした |
うちきらし朝曇りせしみゆきには さやかに空の光やは見し |
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1.4.8 | はっきりしない御ことばかりで」 |
何が何でございますやら私などには。 |
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1.4.9 | とあるのを、紫の上も御覧になる。 |
と書いて来た返事を紫の |
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1.4.10 | 「ささのことをそそのかししかど、 かの |
「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。 あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。 若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」 |
「 |
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1.4.11 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と源氏が言うと、 |
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1.4.12 | 「あら、嫌ですわ。 いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」 |
「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」 |
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1.4.13 | とて、 |
と言って、お笑いになる。 |
と女王は笑った。 |
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1.4.14 | 「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」 |
「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」 |
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1.4.15 | などのたまうて、また |
などとおっしゃって、改めてお返事に、 |
などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。 |
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1.4.16 | 「日の光は曇りなく輝いていましたのに どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう |
あかねさす光は空に曇らぬを などてみゆきに目をきらしけん |
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1.4.17 | やはり、ご決心なさい」 |
ぜひ決心をなさるように。 |
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1.4.18 | など、 |
などと、ひっきりなしにお勧めになる。 |
こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。 |
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第五段 玉鬘、裳着の準備 |
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1.5.1 | 「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。 「年が明けて、二月に」とお考えになる。 |
ともかくも |
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1.5.2 | 「 なほなほしき |
「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。 並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。 同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」 |
女は世間から有名な人にされていても、まだ姫君である間は必ずしも親の姓氏を明らかに掲げている必要もないから、今までは |
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1.5.3 | などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。 |
と源氏は決めて、 |
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1.5.4 | 中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。 |
中将も夜昼三条の宮へ行って付ききりのようにして御 |
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1.5.5 | 「世の中も、まことに無常なものだ。 大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。 生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」 |
宮がもしお |
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1.5.6 | と |
とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。 |
と源氏は決心して、三条の宮をお見舞いしがてらにお |
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第二章 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る |
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第一段 源氏、三条宮を訪問 |
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2.1.1 | 今は以前にもまして、目立たないようになさったが、行幸に負けないほど厳めしく立派で、ますます光輝くばかりのお顔立ちなどが、この世では見られないほどの感じがして、素晴らしいと拝見なさるにつけては、ますますご気分の悪さも、取り除かれたような気持ちがして、起きて座わりになった。 御脇息に寄りかかりなさって、弱々しそうであるが、お話などはたいそうよく申し上げなさる。 |
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2.1.2 | 「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの |
「お悪くはいらっしゃいませんのに、某の朝臣が気を動転させて、仰々しくお嘆き申しているようでしたので、どのようにいらっしゃるのかと、ご心配申し上げておりました。 宮中などにも、特別な場合でない限りは参内せず、朝廷に仕える人らしくもなく籠もっておりますので、何事も不慣れで大儀に思っております。 年齢など、わたし以上の人で、腰が辛抱できないほど曲がっても動き回る例は、昔も今もございますようですが、妙に愚かしい性分の上に、物臭になったのでございましょう」 |
「そうお悪くはなかったのでございますね。中将がひどく御心配申し上げてお話をいたすものですから、どんなふうでいらっしゃるのかとお案じいたしておりました。御所などへも特別なことのない限りは出ませんで、朝廷の人のようでもなく引きこもっておりまして、自然思いましてもすぐに物事を実行する力もなくなりまして失礼をいたしました。年齢などは私よりもずっと上の人がひどく腰をかがめながらもお役を勤めているのが、昔も今もあるでしょうが、私は生理的にも精神的にも弱者ですから、 |
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2.1.3 | など |
などと申し上げなさる。 |
などと源氏は言っていた。 |
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2.1.4 | 「 さべき |
「年老いたための病気と存じながら、ここ数か月になってしまいましたが、今年になってからは、望みも少なそうに思われますので、もう一度、このようにお目にかかりお話し申し上げることもないのではなかろうかと、心細く存じておりましたが、今日は、再びもう少し寿命も延びたような気が致します。 今はもう惜しむほどの年ではございません。 親しい人たちにも先立たれ、年老いて生き残っている例を、他人の身の上として、とても見苦しいと見ておりましたので、後世への出立の準備が、気になっておりますが、この中将が、とても真心こめて不思議なほどよくお世話し、心配してくださるのを見ましては、あれこれと心を引き留められて、今まで生き延びております」 |
「年のせいだと思いましてね。幾月かの間は |
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2.1.5 | と、ただ |
と、ただお泣きになるばかりで、お声が震えているのも、ばかばかしく思うが、無理のないことなので、まことにお気の毒なことである。 |
初めから終わりまで泣いてお言いになるそのお |
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第二段 源氏と大宮との対話 |
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2.2.1 | お話など、昔のこと今のことなどあれこれととりまぜて申し上げなさる折に、 |
昔の話も出、現在のことも語っていたついでに源氏は言った。 |
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2.2.2 | 「 いかで |
「内大臣は、日を置かず参上なさることは多いでしょうから、このような機会にお目にかかれたら、どんなに嬉しいことでしょう。 ぜひともお知らせ申し上げたいと思うことがございますが、しかるべき機会がなくては、お目にかかることも難しいので、気になっています」 |
「内大臣は毎日おいでになるでしょうが、私の伺っておりますうちにもしおいでになることがあればお目にかかれて結構だと思います。ぜひお話ししておきたいこともあるのですが、何かの機会がなくてはそれもできませんで、まだそのままになっております」 |
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2.2.3 | と |
と申し上げなさる。 |
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2.2.4 | 「公務が忙しいのでしょうか、孝心が深くないのでしょうか、それほど見舞いにも参りません。 おっしゃりたいことは、どのようなことでしょうか。 中将が恨めしく思っていることもございますが、『初めのことは知らないが、今となって二人を引き離そうとしたところで、いったん立った噂は、取り消せるものではなし、ばかげたようで、かえって世間の人も噂するというものを』などと言いましたが、一度言い出しことは、昔から後に引かない性格ですから、分かってくれないように見受けられます」 |
「お |
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2.2.5 | と、この |
と、この中将のこととお思いになっておっしゃるので、にっこりなさって、 |
大宮が中将のことであろうとお解しになって、こうお言いになるのを聞いて、源氏は笑いながら、 |
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2.2.6 | 「今さら言ってもしかたのないことと、お許しになることもあろうかと聞きまして、わたくしまでがそれとなく口添え申したようなことがありましたが、たいそう厳しくお諌めになる旨を拝見しまして後は、どうしてそんなにまで口出しを致したのだろうかと、体裁悪く後悔致しております。 |
「今さらしかたのないこととして許しておやりになるかと思いまして、私からもそれとなく希望を述べたこともあるのですが、断然お引き分けになろうとするお考えらしいのを見まして、なぜ口出しをしたかときまり悪く後悔をしておりました。 |
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2.2.7 | よろづのことにつけて、 いとほしう |
万事につけて、清めということがございますので、何とかして、元通りにきれいさっぱり水に流してくださらないことがあろうかとは存じながら、このように残念ながら濁り淀んでしまった末には、いくら待ち受けても深く澄むような水というものは出て来にくいものなのでしょう。 何事につけても、後になるほど、悪くなって行き易いもののようでございます。 お気の毒なことと存じます」 |
まあ何事にも清めということがございますから、噂などは大臣の意志で消滅させようとすればできるかもしれぬとは見ていますが事実であったことをきれいに忘れさせることはむずかしいでしょうね。すべて親から子と次第に人間の価値は落ちていきまして、子は親ほどだれからも尊敬されず、愛されもしないのであろうと中将を哀れに思っております」 |
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2.2.8 | など |
などと申し上げて、 |
などと言ったあとで源氏は本問題の説明をするのであった。 |
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第三段 源氏、大宮に玉鬘を語る |
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2.3.1 | 「さるは、かの |
「実は、あの方がお世話なさるはずの人を、思い違いがございまして、思いがけず捜し出しましたが、その時は、そうした間違いだとも言ってくれなかったものでしたから、しいて事情を詮索することもしませんで、ただそのような子どもが少ないので、口実であっても、何かまうものかと大目に見まして、少しも親身な世話もしませんで、年月が過ぎましたが、どのようにしてお聞きあそばしたのでしょうか、帝から仰せになることがございました。 |
「大臣にお話ししたいと思いますことは、大臣の肉身の人を、少し |
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2.3.2 | 尚侍として、宮仕えする者がいなくては、あの役所の仕事は取り締まれず、女官なども公務を勤めるのに頼り所がなく、事務が滞るようであったが、現在、帝付きの老齢の典侍二人や、また他に適当な人々が、それぞれに申し出ているが、立派な人をお選びあそばそうとするのに、その適任者がいない。 |
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2.3.3 | なほ、 したたかにかしこきかたの |
やはり、家柄も高く、世間の評判も軽くはなく、家の生活の心配のない人が、昔からなってきている。 仕事ができて賢い人という点での選考ならば、そういった人でなくとも、長年の功労によって昇任する例もあるが、それに当たる者もいないとなると、せめて世間一般の評判によってでもお選びあそばそうと、内々に仰せられましたが、似つかわしくないことだと、どうしてお思いになるでしょう。 |
たいてい貴族の娘の声望のある者で、家庭のことに携わらないでいい人というのが昔から標準になっているのですから、欠点のない完全な資格はなくても、下の役から勤め上げた年功者の登用される場合はあっても、ただ今の典侍にまだそれだけ力がないとすれば、家柄その他の点で他から選ばなければならないことになるから出仕をさせるようにというお言葉だったのです。私の家の子が相応しないこととも思うわけのものでございませんから、私も宮中の仰せをお受けしようという気になったのでございます。 |
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2.3.4 | 宮仕えというものは、帝の恩顧を期待して、身分の高い者も低い者も出仕するというのが、理想が高いというものです。 一般職の役職に就いて、そうした所の役所を取り仕切り、公事に関する事務を処理するようなことは、何でもない、重々しくないように思われていますが、どうしてまたそのようなことがありましょうか。 ただ、自分自身の心がけ次第で、万事決まるようでございましょうというふうに、気持ちが傾いてきましたところです。 |
宮仕えというものは適任者であると認められれば役の不足などは考えるべきことではありません。後宮ではなしに宮中の一課をお預かりしていろいろな事務も見なければならないことは女の最高の理想でないように思う人はあっても、私はそうとも思っておりません。仕事は何であってもその人格によってその職がよくも見え、悪くも見えるのであると、私がそんな気になりました時に、 |
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2.3.5 | ついでなくては やがてかかることなむと、あらはし |
年齢を尋ねましたところ、あの大臣がお引き取りになるはずの人であることが分かりましたので、どうしたらよいことかと、はっきりとご相談申し上げたいと存じております。 何かの機会がなくてはお目にかかることもございません。 すぐにこれこれしかじかのことをと、打ち明けて申し上げるべく手立てを考えて、お手紙を差し上げたのですが、ご病気のことを口実にして、億劫がって辞退なさいました。 |
娘の年齢のことを聞きましたことから、これは私の子でなくてあの方のだということがわかったのです。なおお目にかかりましてその点なども |
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2.3.6 | なるほど、時期も悪いと思い止まっていたのですが、ご病気もよろしくいらっしゃるようですから、やはり、このように考え出しました機会にと存じております。 そのようにお伝え下さいませ」 |
それは実際御遠慮申すべきだと思いますものの、こんなふうにおよろしいところを拝見できたのですから、やはり計画どおりに祝いの式をさせたいと思うのです。内大臣にもやはりその節御足労を願いたいと思うのですが、あなた様からいくぶんそのこともおにおわしになったお手紙をお出しくださいませんか」 |
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2.3.7 | と |
と申し上げなさる。 宮、 |
と源氏は言うのであった。 |
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2.3.8 | 「いかに、いかに、はべりけることにか。 かしこには、さまざまにかかる この |
「それは、それは、一体どうしたことでございましょうか。 あちらでは、いろいろとこのような名乗って出て来る人を、かまわずに迎え取っているようですが、どのような考えで、このように間違えて申し出たのでしょう。 近年になってから、お噂を伺って、お子になったのでしょうか」 |
「まあそれは思いがけないことでございますね。内大臣の所ではそうした名のりをして来る者は片端から拾うようにしてよく世話をしているようですがね、どうしてあなたの所へ引き取られようとしたのでしょう。前から何かのお話を聞いていて出て来た人なのですか」 |
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2.3.9 | と、 |
と、お尋ねなさるので、 |
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2.3.10 | 「さるやうはべることなり。 くだくだしき |
「それにはそれなりの訳がございますのです。 詳しい事情は、あの大臣も自然とお分かりになるでしょう。 ごたごたした身分の女との間によくあるような話ですから、事情を明かしても、喧しく人が噂するでしょうから、中将の朝臣にさえ、まだ事情を知らせておりません。 人にはお漏らしになりませんように」 |
「そうなっていく訳がある人なのです。くわしいことは内大臣のほうがよくおわかりになるくらいでしょう。凡俗の中の出来事のようで、明らかにすればますます人が |
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2.3.11 | と、 |
と、お口止め申し上げなさる。 |
と源氏は注意した。 |
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第四段 大宮、内大臣を招く |
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2.4.1 | 内大臣、このように三条宮に太政大臣がお越しになっていらっしゃる由、お聞きになって、 |
内大臣のほうでも源氏が三条の宮へ御訪問したことを聞いて、 |
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2.4.2 | 「どんなに人少なの状態で、威勢の盛んな御方をお迎え申されているのだろう。 御前駆どもを接待し、お座席を、整える女房も、きっと気の利いた者はいないだろう。 中将は、お供をなさっていることだろう」 |
「簡単な生活をしていらっしゃる所では太政大臣の御待遇にお困りになるだろう。前駆の人たちを |
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2.4.3 | などと、驚きなさって、ご子息の公達や、親しく出入りしているしかるべき廷臣たちを、差し向けなさる。 |
すぐに子息たちそのほかの殿上役人たちをやるのであった。 |
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2.4.4 | 「御果物や、御酒など、しかるべく差し上げよ。 自分自身も参上しなければならないが、かえって大騷ぎになるだろう」 |
「お菓子とか、酒とか、よいようにして差し上げるがいい。私も行くべきだがかえってたいそうになるだろうから」 |
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2.4.5 | などのたまふほどに、 |
などとおっしゃているところに、大宮のお手紙がある。 |
などと言っている時に大宮のお手紙が届いたのである。 |
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2.4.6 | 「 |
「六条の大臣がお見舞いにいらっしゃっているが、人少なな感じが致しますので、人目も体裁も悪く、もったいなくもあるので、仰々しくこのように申し上げたようにではなく、お越しになりませんか。 お目にかかって申し上げたいそうなこともあるそうです」 |
六条の大臣が見舞いに来てくだすったのですが、こちらは人が少なくてお恥ずかしくもあり、失礼でもありますから、私がわざとお知らせしたというふうでなしに来てくださいませんか。あなたとお |
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2.4.7 | と |
と、お申し上げなさった。 |
と書かれてあった。 |
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2.4.8 | 「 この つれなくて |
「どのようなことだろうか。 この姫君のおんこと、中将の苦情だろうか」とお考えめぐらしになって、「宮もこのように余命少なげで、このことをしきりにおっしゃり、大臣も穏やかに一言口に出して訴えておっしゃるなるば、とやかく反対申すことはしまい。 平気な顔をして深く思い悩んでいないのを見るのは面白くないし、適当な機会があったら、相手のお言葉に従った顔をして二人の仲を許そう」とお考えになる。 |
何であろう、 |
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2.4.9 | 「 「されど、 |
「お二人が心を合わせておっしゃろうとすることだな」とお思いになると、「ますます反対のしようのないことだが、また、どうしてすぐに承知する必要があろうか」と躊躇されるのは、じつによからぬあいにくなご性分である。 「しかし、宮がこのようにおっしゃり、大臣も会おうとお待ちになっているとか、どちらに対しても恐れ多い。 参上してからご意向に従おう」 |
そしてそれは大宮と源氏が合議されてのことであるに違いないと気のついた大臣は、それであればいっそう否みようのないことであると思われるが、必ずしもそうでないと思った。こうした時にちょっと反抗的な気持ちの起こるのが内大臣の性格であった。しかし宮もお手紙をおつかわしになり、源氏の大臣も待っておいでになるらしいから伺わないでは双方へ失礼である。 |
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2.4.10 | など |
などとお考え直して、ご装束を特に気をつけ整えなさって、御前駆なども仰々しくなくしてお出かけになる。 |
ともかくもその場になって判断をすることにしようと思って、内大臣は身なりを特に整えて前駆などはわざと簡単にして三条の宮へはいった。 |
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第五段 内大臣、三条宮邸に参上 |
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2.5.1 | ご子息方をたいそう大勢引き連れてお入りになる様子、堂々として頼もしげである。 背丈も高くていらっしゃるうえに、肉づきも釣り合って、たいそう落ち着いて威厳があり、お顔つき、歩き方、大臣というに十分でいらっしゃる。 |
子息たちをおおぜい引きつれている大臣は、重々しくも頼もしい人に見えた。背の高さに相応して |
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2.5.2 | 葡萄染の御指貫、桜の下襲、たいそう長く裾を引いて、ゆったりとことさらに振る舞っていらっしゃるのは、ああ何とご立派なとお見えになるが、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣を重ねて、くつろいだ皇子らしい姿が、ますます喩えようもない。 一段と光輝いていらっしゃるが、このようにきちんと衣装を整えていらっしゃるご様子には、比べものにならないお姿であった。 |
紅紫の |
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2.5.3 | おのづから、わざともなきに、おぼえ |
ご子息たちは次々と、まことに美しいご兄弟で、集まっていらっしゃる。 藤大納言、春宮大夫などと、今では申す方のご子息方も、みな大きくなってお供していらっしゃる。 自然と、特別ではないが、評判が高く身分の高い殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将、少将、弁官など、人柄が派手で立派な、十何人が集まっていらっしゃるので、堂々としていて、それ以下の普通の人も多くいるので、杯が何回も回り、みな酔ってしまって、それぞれがこのように幸福が誰よりも勝れていらっしゃるご境遇を話題にしていた。 |
おおぜいの子息たちがそれぞれりっぱになっていた。 |
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第六段 源氏、内大臣と対面 |
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2.6.1 | 大臣も、ひさしぶりのご対面に、昔のことを自然と思い出されて、離れていてこそ、ちょっとしたことにつけても、競争心も起きるようだが、向かい合ってお話し申し上げなさると、お互いにたいそうしみじみとしたことの数々が思い出されなさって、いつもの、心の隔てなく、昔や今のことがらや、長年のお話しに、日が暮れて行く。 お杯などお勧め申し上げなさる。 |
源氏と内大臣は珍しい会合に昔のことが思い出されて古いころからの話がかわされた。世間で別々に立っている時には競争心というようなものも双方の心に芽ぐむのであるが、一堂に集まってみれば友情のよみがえるのを覚えるばかりであった。隔てのない会話の進んでいく間に日が暮れていった。杯がなお人々の間に勧められた。 |
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2.6.2 | 「お見舞いに伺わなくてはいけないことでしたが、お呼びがないので遠慮致しておりまして。 お越しを承りながら参りませんでしたら、お叱り事が増えたことでしょうが」 |
「伺わないでは済まないのでございますが、今日来いというようなお召しがないものですから、失礼しておりまして、お |
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2.6.3 | と |
とお申し上げになると、 |
と内大臣は言った。 |
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2.6.4 | 「お叱りは、こちらの方です。 お怒りだと思うことがたくさんございます」 |
「お叱りは私が受けなければならないと思っていることがたくさんあります」 |
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2.6.5 | などと、意味ありげにおっしゃると、あの姫君のことだろうかとお思いになって、厄介なことだと、恐縮した態度でいらっしゃる。 |
と意味ありげに源氏の言うのを、先刻から考えていた問題であろうと大臣はとって、ただかしこまっていた。 |
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2.6.6 | 「 |
「昔から、公私の事柄につけて、心に隔てなく、大小のことを申し上げたり承ったりして、羽翼を並べるようにして、朝廷の御補佐も致そうと存じておりましたが、年月がたちまして、その当時考えておりました気持ちと違うようなこと、時々出て来ましたが、内々の私事でしかありません。 |
「昔から公人としても私人としてもあなたとほど親しくした人は私にありません。 |
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2.6.7 | おほかたの |
それ以外のことでは、まったく変わるところはありません。 特に何ということもなく年をとって行くにつれて、昔のことが懐しくなったのに、お目にかかることもほとんどなくなって行くばかりですので、身分柄きまりがあって、威儀あるお振る舞いをしなければとは存じながらも、親しい間柄では、そのご威勢もお控え下さって、お訪ね下さったらよいのにと、恨めしく思うことが度々ございます」 |
しかしそれは区々たることですよ。だいたいの精神は少しも昔と変わっていないのですよ。いつの間にかとった |
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2.6.8 | と |
とお申し上げなさると、 |
と源氏が言った。 |
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2.6.9 | 「いにしへは、げに |
「昔は、おっしゃる通りしげしげお会いして、何とも失礼なまでにいつもご一緒申して、心に隔てることなくお付き合いいただきましたが、朝廷にお仕えした当初は、あなたと羽翼を並べる一人とは思いもよりませんで、嬉しいお引き立てをば、大したこともない身の上で、このような地位に昇りまして、朝廷にお仕え致しますことに合わせても、有り難いと存じませぬのではありませんが、年をとりますと、おっしゃる通りつい怠慢になることばかりが、多くございました」 |
「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましては |
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2.6.10 | などかしこまり |
などと、お詫びを申し上げなさる。 |
などと大臣は敬意を表しながら言っていた。 |
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2.6.11 | その機会に、ちらと姫君のことをおっしゃったのであった。 内大臣、 |
この話の続きに源氏は |
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2.6.12 | 「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち |
「まことに感慨深く、またとなく珍しいことでございますね」と、何よりも先お泣きになって、「その当時からどうしてしまったのだろうと捜しておりましたことは、何の機会でございましたでしょうか、悲しさに我慢できず、お話しお耳に入れましたような気が致します。 今このように、少しは一人前にもなりまして、つまらない子供たちが、それぞれの縁故を頼ってうろうろ致しておりますのを、体裁が悪く、みっともないと思っておりますにつけても、またそれはそれとして、数々いる子供の中では、不憫だと思われる時々につけても、真っ先に思い出されるのです」 |
「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」と大臣はひとしきり泣いた。「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと |
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2.6.13 | とのたまふついでに、かのいにしへの |
とおっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の物語の時に、さまざまに語った体験談の結論をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、すっかり打ち解けられた。 |
この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の |
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第七段 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去 |
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2.7.1 | 夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる。 |
深更になってからいよいよ二人の大臣は別れて帰ることになった。 |
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2.7.2 | 「このように参上してご一緒しては、まったく、古くなってしまった昔の事が、自然と思い出されて、懐しい気持ちが抑えきれずに、帰る気も致しません」 |
「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」 |
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2.7.3 | とおっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらない六条殿も、酔い泣きなのか、涙をお流しになる。 宮は宮で言うまでもなく、姫君のお身の上をお思い出しになって、昔に優るご立派な様子、ご威勢を拝見なさると、悲しみが尽きないで、涙をとどめることができず、しおしおとお泣きになる尼姿は、なるほど格別な風情であった。 |
と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮は |
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2.7.4 | かかるついでなれど、 ひとふし |
このようなよい機会であるが、中将のおんことは、お口に出さずに終わってしまった。 一ふし思いやりがないとお思いであったので、口に出すことも体裁悪くお考えやめになり、あの内大臣はまた内大臣で、お言葉もないのに出過ぎることができずに、そうはいうものの胸の晴れない気持ちがなさるのであった。 |
源氏はこうした会見にも中将のことは言い出さなかった。好意の欠けた処置であると感じた事柄であったから、自身が口を出すことは見苦しいと思ったのであった。大臣のほうでは源氏から何とも言わぬ問題について進んで口を切ることもできなかったのである。その問題が未解決で終わったことは愉快でもなかった。 |
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2.7.5 | 「今夜もお供致すべきでございますが、急なことでお騒がせしてもいかがかと存じます。 今日のお礼は、日を改めて参上致します」 |
「今晩お |
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2.7.6 | と |
とお申し上げなさると、 |
と大臣が言うのを聞いて、 |
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2.7.7 | 「それでは、こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので、きっと申し上げた日をお間違えにならず、お出で下さるように」とのこと、お約束なさる。 |
それでは宮の御病気もおよろしいように拝見するから、きっと申し上げた祝いの日に御足労を煩わしたいということを源氏は頼んで約束ができた。 |
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2.7.8 | お二人方のご機嫌も良くて、それぞれがお帰りになる物音、たいそう盛大である。 ご子息たちのお供の人々は、 |
非常に |
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2.7.9 | 「何があったのだろうか。 久し振りのご対面で、たいそうご機嫌が良くなったのは」 |
内大臣の供をして来た |
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2.7.10 | 「また、どのようなご譲与があったのだろうか」 |
何かあったのではないかなどという |
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2.7.11 | など、ひが |
などと、勘違いをして、このようなこととは思いもかけなかったのであった。 |
玉鬘のことであろうなどとはだれも考えられなかったのである。 |
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第三章 玉鬘の物語 裳着の物語 |
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第一段 内大臣、源氏の意向に従う |
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3.1.1 | 内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、 |
内大臣は源氏の話を聞いた瞬間から娘が見たくてならなかった。 |
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3.1.2 | 「ふと、しか やむごとなき |
「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。 捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。 れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」 |
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3.1.3 | と |
とお思いになるのは、残念だけれども、 |
少し遺憾な気も内大臣はするのであったが、 |
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3.1.4 | 「それを ことさらにも、かの |
「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。 こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。 宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」 |
自分の娘を源氏の妻に進めることは不名誉なことであるはずもない、宮仕えをさせると源氏が言い出すことになれば |
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3.1.5 | と、よろづに |
と、いろいろとお考えになるのであった。 |
と、こんなことをいろいろと大臣は思った。 |
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3.1.6 | このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。 十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。 近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、 |
これは二月の初めのことである。十六日からは彼岸になって、その日は吉日でもあったから、この近くにこれ以上の日がないとも |
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3.1.7 | 「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」 |
源氏のあたたかい親切は、親であってもこれほどの愛は持ってくれないであろう |
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3.1.8 | と |
とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。 |
と玉鬘にはうれしく思われたが、しかも実父に逢う日の来たことを何物にも代えられないように喜んだ。 |
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3.1.9 | かくて |
こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。 |
その後に源氏は中将へもほんとうのことを話して聞かせた。 |
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3.1.10 | 「妙なことばかりだ。 知ってみればもっともなことだ」 |
不思議なことであると思ったが、中将にはもっともだ |
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3.1.11 | と、 されど、「あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり」と、 |
と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。 けれども、「あってはならないこと、筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。 |
と合点されることもあった。失恋した |
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第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀 |
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3.2.1 | かくてその |
こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。 御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、 |
十六日の朝に三条の宮からそっと使いが来て、裳着の姫君への贈り物の |
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3.2.2 | 「 あはれにうけたまはり、あきらめたる |
「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。 しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。 あなたのお気持ち次第で。 |
手紙を私がおあげするのも不吉にお思いにならぬかと思い、遠慮をしたほうがよろしいとは考えるのですが、 |
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3.2.3 | どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって 切っても切れない孫に当たる方なのですね」 |
ふたかたに言ひもてゆけば わがみはなれぬかけごなりけり |
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3.2.4 | と、いと |
と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、 |
と老人の |
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3.2.5 | 「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。 昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。 たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」 |
「昔風なお手紙だけれど、お気の毒ですよ。このお字ね。昔は |
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3.2.6 | など、うち |
などと、繰り返し御覧になって、 |
と言って、何度も源氏は読み返しながら、 |
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3.2.7 | 「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。 三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」 |
「よくもこんなに玉櫛笥にとらわれた歌が |
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3.2.8 | と、 |
と、 |
そっと源氏は笑っていた。 |
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第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々 |
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3.3.1 | 中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。 |
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3.3.2 | ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。 |
六条院の諸夫人も皆それぞれの好みで姫君の |
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3.3.3 | 殊勝なお心掛けである。 青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。 |
愚かしい親切である。 |
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3.3.4 | お手紙には、 |
手紙には、 |
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3.3.5 | 「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。 これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」 |
ご存じになるはずもない私ですから、お恥ずかしいのですが、こうしたおめでたいことは傍観していられない気になりました。つまらない物ですが女房にでもお与えください。 |
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3.3.6 | と、おっとり書いてある。 殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。 |
とおおように書かれてあった。源氏はそれの来ているのを見て気まずく思って例のよけいなことをする人だと顔が赤くなった。 |
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3.3.7 | 「あやしき かくものづつみしたる さすがに はしたなく |
「妙に昔気質の人だ。 ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。 やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。 きまり悪く思うでしょう。 父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」 |
「これは前代の遺物のような人ですよ。こんなみじめな人は引き込んだままにしているほうがいいのに、おりおりこうして恥をかきに来られるのだ」と言って、また、「しかし返事はしておあげなさい。侮辱されたと思うでしょう。親王さんが御秘蔵になすったお嬢さんだと思うと、 |
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3.3.8 | と |
と申し上げなさる。 御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。 |
とも言うのであった。小袿の袖の所にいつも変わらぬ末摘花の歌が置いてあった。 |
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3.3.9 | 「わたし自身が恨めしく思われます あなたのお側にいつもいることができないと思いますと」 |
わが身こそうらみられけれ 君が |
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3.3.10 | ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。 大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、 |
字は昔もまずい人であったが、小さく縮かんだものになって、紙へ強く押しつけるように書かれてあるのであった。源氏は不快ではあったが、また |
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3.3.11 | 「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。 まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」 |
「どんな |
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3.3.12 | と、いとほしがりたまふ。 |
と、お気の毒にお思いになる。 |
とおかしがっていた。 |
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3.3.13 | 「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」 |
「この返事は忙しくても私がする」 |
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3.3.14 | とのたまひて、 |
とおっしゃって、 |
と源氏は言って、 |
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3.3.15 | 「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」 |
不思議な、常人の思い寄らないようなことはやはりなさらないでもいいことだったのですよ。 |
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3.3.16 | と、 |
と、憎らしさのあまりにお書きになって、 |
と反感を見せて書いた。また、 |
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3.3.17 | 「唐衣、 また唐衣、唐衣いつもいつも唐衣とお |
からごろもまた唐衣からごろも 返す返すも唐衣なる |
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3.3.18 | とて、 |
と書いて、 |
と書いて、まじめ顔で、 |
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3.3.19 | 「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」 |
「あの人が好きな言葉なのですから、こう作ったのです」 |
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3.3.20 | とて、 |
と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、 |
こんなことを言って玉鬘に見せた。姫君は |
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3.3.21 | 「まあ、お気の毒なこと。 からかったように見えますわ」 |
「お気の毒でございます。 |
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3.3.22 | と、気の毒がりなさる。 つまらない話が多かったことよ。 |
と困ったように言っていた。こんな戯れも源氏はするのである。 |
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第四段 内大臣、腰結に役を勤める |
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3.4.1 | 内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。 |
内大臣は重々しくふるまうのが好きで、裳着の |
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3.4.2 | 裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。 「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。 |
行き届いた上にも行き届かせての祝い日の設けが六条院にできていた。よくよくの好意がなければこれほどまでにできるものではないと内大臣はありがたくも思いながらまた風変わりなことに出あっている気もした。 |
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3.4.3 | 亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。 慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。 御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。 |
夜の十時に式場へ案内されたのである。形式どおりの事のほかに、特にこの座敷における内大臣の席に華美な設けがされてあって、数々の |
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3.4.4 | たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。 |
よく見たいと大臣は思いながらも式場でのことで、単に |
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3.4.5 | 主人の大臣、 |
源氏が、 |
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3.4.6 | 「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。 事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」 |
「今日はまだ歴史を外部に知らせないことでございますから、普通の作法におとめください」 |
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3.4.7 | と |
とお申し上げなさる。 |
と注意した。 |
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3.4.8 | 「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」 |
「実際何とも申し上げようがありません」 |
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3.4.9 | お杯をお口になさる時、 |
杯の進められた時に、また内大臣は、 |
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3.4.10 | 「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」 |
「無限の感謝を受けていただかなければなりません。しかしながらまた今日までお知らせくださいませんでした恨めしさがそれに添うのもやむをえないこととお許しください」 |
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3.4.11 | と |
と申し上げなさる。 |
と言った。 |
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3.4.12 | 「恨めしいことですよ。玉裳を着る 今日まで隠れていた人の心が」 |
うらめしや沖つ |
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3.4.13 | と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。 姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、 |
こう言う大臣に悲しいふうがあった。 |
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3.4.14 | 「寄る辺がないので、 このようなわたしの所に身を寄せて誰にも捜してもら |
「 海人も尋ねぬ |
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3.4.15 | 何とも無体なだしぬけのお言葉です」 |
御無理なお恨みです」 |
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3.4.16 | と |
と、お答え申し上げなさると、 |
代わってこう言った。 |
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3.4.17 | 「まことにごもっともです」 |
「もっともです」 |
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3.4.18 | と、 |
と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。 |
と内大臣は苦笑するほかはなかった。こうして裳着の式は終わったのである。 |
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第五段 祝賀者、多数参上 |
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3.5.1 | 親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。 思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。 |
親王がた以下の来賓も多かったから、求婚者たちも多く混じっているわけで、大臣が |
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3.5.2 | あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。 密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。 弁の君は、 |
内大臣の子息の |
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3.5.3 | 「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。 中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」 |
「求婚者になろうとして、もう一歩を踏み出さなかったのだから自分はよかった」と兄にささやいた。「太政大臣はこんな趣味がおありになるのだろうか。中宮と同じようにお扱いになる気だろうか」 |
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3.5.4 | など、おのおの |
などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、 |
とまた一人が言ったりしていることも源氏には想像されなくもなかったが、内大臣に、 |
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3.5.5 | 「なほ、しばしは |
「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。 何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」 |
「当分はこのことを慎重にしていたいと思います。世間の批難などの集まってこないようにしたいと思うのです。普通の人なら何でもないことでしょうが、あなたのほうでも私のほうでもいろいろに言い騒がれることは迷惑することですから、いつとなく事実として人が信じるようになるのがいいでしょう」 |
|||||||||||||||||||||
3.5.6 | と |
と申し上げなさると、 |
と言っていた。 |
|||||||||||||||||||||
3.5.7 | 「ただあなた様のなされように従いましょう。 こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」 |
「あなたの御意志に従います。こんなにまで御実子のように愛してくださいましたことも前生に深い因縁のあることだろうと思います」 |
||||||||||||||||||||||
3.5.8 | と |
とお答えなさる。 |
||||||||||||||||||||||
3.5.9 | 御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。 大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。 |
腰結い役への贈り物、引き出物、 |
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3.5.10 | 兵部卿宮は、 |
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3.5.11 | 「 |
「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」 |
もう成年式も済んだ以上、何も結婚を延ばす理由はないとお言いになって、 |
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3.5.12 | と、おりたち |
と、身を入れてお願い申し上げなさるが、 |
熱心に源氏の同意をお求めになるのであったが、 |
|||||||||||||||||||||
3.5.13 | 「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」 |
「陛下から宮仕えにお召しになったのを、一度御辞退申し上げたあとで、また仰せがありますから、ともかくも |
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3.5.14 | とぞ |
とお返事申し上げなさった。 |
と源氏は |
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3.5.15 | 父内大臣は、 |
父の大臣は |
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3.5.16 | 「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。 少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」 |
ほのかに見た |
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3.5.17 | など、なかなか |
などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。 |
などと思って、まだ見なかった日よりもいっそう恋しがっていた。 |
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3.5.18 | 今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。 弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。 |
今になってはじめて夢占いの言葉が事実に合ったことも思われたのである。最愛の娘である |
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第六段 近江の君、玉鬘を羨む |
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3.6.1 | 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。 自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、 |
世間でしばらくこのことを風評させまいと両家の人々は注意していたのであるが、口さがないのは世間で、いつとなく評判にしてしまったのを、例の |
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3.6.2 | 「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。 まあ、おめでたいこと。 どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。 聞けば、その人も賤しいお生まれですね」 |
「殿様はまたお嬢様を発見なすったのですってね。しあわせね、両方のお |
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3.6.3 | と、あふなげにのたまへば、 |
と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。 中将が、 |
と露骨なことを言うのを、女御は片腹痛く思って何とも言わない。中将が、 |
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3.6.4 | 「そのように、 大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを 、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさ |
「大事がられる訳があるから大事がられるのでしょう。いったいあなたはだれから聞いてそんなことを不謹慎に言うのですか。おしゃべりな女房が聞いてしまうじゃありませんか」 |
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3.6.5 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と言った。 |
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3.6.6 | 「あなかま。 |
「おだまり。 すっかり聞いております。 尚侍になるのだそうですね。 宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。 女御様がひどくていらっしゃるのです」 |
「あなたは黙っていらっしゃい。私は皆知っています。その人は |
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3.6.7 | と、 |
と、恨み言をいうので、みなにやにやして、 |
と令嬢は恨むのである。 |
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3.6.8 | 「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」 |
「尚侍が欠員になれば僕たちがそれになりたいと思っているのに。ひどいね、この人がなりたがるなんて」 |
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3.6.9 | などのたまふに、 |
などとおっしゃるので、腹を立てて、 |
と兄たちがからかって言うと、腹をたてて、 |
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3.6.10 | 「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。 中将の君はひどくていらっしゃる。 自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。 普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。 ああ、恐い。 ああ、恐い」 |
「りっぱな兄弟がたの中へ、つまらない妹などははいって来るものじゃない。中将さんは薄情です。よけいなことをして私を |
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3.6.11 | と、 |
と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。 憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。 |
次第にあとへ |
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3.6.12 | 中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。 少将は、 |
中将はこんなことを見ても自身の失敗が恥ずかしくてまじめに黙っていた。弁の少将が、 |
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3.6.13 | 「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。 お気持ちをお鎮めになって下さい。 固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」 |
「そんなふうにあなたは論理を立てることができる人なのですから、女御さんも尊重なさるでしょうよ。心を静めてじっと念じていれば、岩だって |
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3.6.14 | と、ほほ |
と、にやにやして言っていらっしゃる。 中将も、 |
と微笑しながら言っていた。中将は、 |
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3.6.15 | 「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」 |
「腹をたててあなたが |
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3.6.16 | とて、 |
と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、 |
と言って立って行った。令嬢はほろほろと涙をこぼしながら泣いていた。 |
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3.6.17 | 「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」 |
「あの方たちはあんなに薄情なことをお言いになるのですが、あなただけは私を愛してくださいますから、私はよく御用をしてあげます」 |
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3.6.18 | とて、いとかやすく、いそしく、 |
と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、 |
と言って、小まめに |
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3.6.19 | 「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」 |
「尚侍に私を推薦してください」 |
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3.6.20 | とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。 |
と令嬢は女御を責めるのであった。どんな気持ちでそればかりを望むのであろうと女御はあきれて何とも言うことができない。 |
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第七段 内大臣、近江の君を愚弄 |
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3.7.1 | 内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、 |
この話を内大臣が聞いて、おもしろそうに笑いながら、女御の所へ来ていた時に、 |
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3.7.2 | 「どこですか、 これ、近江の |
「どこにいるかね、 |
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3.7.3 | と |
とお呼びになると、 |
と呼んだ。 |
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3.7.4 | 「を」 |
「はあい」 |
「はい」 |
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3.7.5 | と、とてもはっきりと答えて、出て来た。 |
高く返辞をして近江の君は出て来た。 |
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3.7.6 | 「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。 尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」 |
「あなたはよく精勤するね、役人にいいだろうね。尚侍にあんたがなりたいということをなぜ早く私に言わなかったのかね」 |
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3.7.7 | と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと |
と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、 |
大臣はまじめ顔に言うのである。近江の君は喜んだ。 |
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3.7.8 | 「さも、 |
「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」 |
「そう申し上げたかったのでございますが、女御さんのほうから間接にお聞きくださるでしょうと御信頼しきっていたのですが、おなりになる人が別においでになることを承りまして、私は夢の中だけで金持ちになっていたという気がいたしましてね、胸の上に手を置いて |
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3.7.9 | と |
とお答えなさる。 その弁舌はまことにはきはきしたものである。 笑ってしまいそうになるのを堪えて、 |
とても早口にべらべらと言う。大臣はふき出してしまいそうになるのをみずからおさえて、 |
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3.7.10 | 「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。 そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。 太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。 今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。 長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。 主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」 |
「つまり遠慮深い癖が |
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3.7.11 | などと、たいそううまくおだましになる。 人の親らしくない、見苦しいことであるよ。 |
とからかっていた。親がすべきことではないが。 |
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3.7.12 | 「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。 表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」 |
「和歌はどうやらこうやら作りますが、長い自身の推薦文のようなものは、お父様から書いてお出しくださいましたほうがと思います。二人でお願いする形になって、お父様のお |
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3.7.13 | とて、 もの |
と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。 御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。 おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。 女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。 殿も、 |
両手を |
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3.7.14 | 「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」 |
「気分の悪い時には近江の君と |
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3.7.15 | とて、ただ |
と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、 |
とこんなことを言って笑いぐさにしているのであるが、世間の人は |
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3.7.16 | 「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」 |
内大臣が恥ずかしさをごまかす意味でそんな態度もとるのである |
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3.7.17 | など、さまざま |
などと、いろいろと言うのであった。 |
と言っていた。 |
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