設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第五十四帖 夢浮橋 薫君の大納言時代二十八歳の夏の物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く |
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第一段 薫、横川に出向く |
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1.1.1 | 比叡山においでになって、いつもおさせになるように、お経や仏像などをご供養させになる。 翌日は、横川においでになったので、僧都は恐縮してご挨拶申し上げなさる。 |
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1.1.2 | 何年も、ご祈祷などお頼みなさっていたが、特別に親密ということはなかったが、先般、一品の宮のご不快の折に伺候なさっていたときに、「格別すぐれた効験がおありであった」と御覧になってから、この上なく尊敬なさって、もう少し深いご縁をお結びになったので、「重々しくおいでになる殿が、このようにわざわざ訪ねていらしたこと」と、大仰にお持てなし申し上げなさる。 お話など、親密になさっているので、御湯漬などを差し上げなさる。 |
これまでからも |
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1.1.3 | すこし |
少し人びとが静かになったので、 |
あたりのやや静かになったころ、 |
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1.1.4 | 「小野の辺りに、お持ちの家はございませんか」 |
「小野の辺にお知り合いの所がありますか」 |
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1.1.5 | と、 |
と、お尋ねになると、 |
と薫は尋ねた。 |
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1.1.6 | 「さようでございます。 ひどくみすぼらしい家です。 拙僧の母親の老尼がおりますが、京にしっかりした家もございませんうえに、こうして籠もっております間は、夜中、暁でも、お見舞いしよう、と存じております」 |
「そうです。それは古くなった家なのでございます。私に |
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1.1.7 | など |
などと申し上げなさる。 |
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1.1.8 | 「その近辺には、つい最近まで、人が多く住んでおりましたが、今では、たいそうひっそりとなって行くようですね」 |
「あの辺は近年まで住宅も相応にあったそうですが、このごろは家が少なくなったそうですね」 |
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1.1.9 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、もう少し近寄って、小声で、 |
と言ったあとで、薫は座を進めて低い声になり、 |
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1.1.10 | 「いと まだ |
「まことにとりとめのない気のする話ですが、また一方、お尋ね申し上げるにつけては、どのようなことでかと、合点が行かず思われなさるでしょうが、どちらにしても、遠慮されますが、あの山里に、世話しなければならない人が隠れていますように聞きましたが。 はっきりと確かめてからなら、どのような様子で、などとお漏らし申し上げましょう、などと考えておりますうちに、お弟子になって、戒律などをお授けになった、と聞きましたのは、本当ですか。 まだ年齢も若く、親などもいた人なので、わたしが死なせてしまったように、恨み言を申す人がおりますので」 |
「確かなこととも思われませんし、またあなたへお尋ねしましては、なぜ私がそれを深く知ろうとするのかと不思議にお思いになるであろうしとはばかられるのですが、その山里のお |
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1.1.11 | などのたまふ。 |
などとおっしゃる。 |
と薫は言った。 |
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第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る |
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1.2.1 | 僧都は、「やはりそうであったか。 普通の女とは見えなかった様子であった。 このようにまでおっしゃるのは、並々にはお思いでいらっしゃらなかった人なのであろう」と思うと、「法師の役目とは言いながらも、考えもなく、すぐに尼姿いしてしまったことよ」と、胸がどきりとして、お答え申し上げることに思案なさる。 |
僧都は予期のとおりあの人はただの家の娘ではなかった。 |
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1.2.2 | 「確かなことを聞いていらっしゃるのだろう。 これほどご承知で、お尋ねなさるのに、隠しきれるものでない。 なまじ無理に隠そうとするのも、つまらないことであろう」などと、しばらく考えを決めて、 |
事実をもう皆知っておられるらしい、これだけのことがすでにわかっている上で、探りにかかられては何も何も暴露してしまうはずである、隠してはかえって迷惑が起こるであろうという結論を僧都は得て、 |
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1.2.3 | 「どのようなことでございましょうか。 ここ何か月か、内々に不審に存じておりました女のお身の上のことでしょうか」と言って、 |
「どういうことでこんなことが起こりましたかと、昨年来不思議にばかり思われていました方のことかと思われます」と言い、 |
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1.2.4 | 「かしこにはべる |
「あちらにおります尼たちが、初瀬に祈願がございまして、参詣して帰って来た道中で、宇治院という所に泊まりましたところ、母親の尼の疲労が急に起こって、ひどく患っているという報せを、人が報告して来たので、下山して出向きましたところに、さっそく不思議なことが」 |
「小野の母と妹の尼が |
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1.2.5 | とささめきて、 |
と声をひそめて、 |
と言いだしまして、 |
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1.2.6 | 「 この |
「母親が今にも死にそうなのは差し置いて、介抱して心配しておりました。 この人も、お亡くなりになったような様子ながら、やはり息はしていらっしゃいましたので、昔物語に、霊殿に置いておいた人の話を思い出して、そのようなことであろうかと、珍しがりまして、弟子の僧の中で効験のある者どもを呼び寄せては、交替で加持させたりしました。 |
母の |
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1.2.7 | なにがしは、 ことの |
拙僧は、惜しむほどの年齢ではないが、母親が旅の途上で病気が重いのを助けて、念仏を一心不乱にしようと、仏にお祈り申しておりましたときなので、その人の様子、詳しくは拝見せずにおりました。 事情を推察しますに、天狗や木霊などのようなものが、誑かしてお連れ申したのか、と理解しておりました。 |
私は、惜しむべき |
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1.2.8 | 助けて、京にお連れ申して後も、三か月間は死んだ人のようでいらっしゃいましたが、拙僧の妹で、故衛門督の北の方でございました者が、尼になっておりますのが、一人持っていた女の子を亡くして後、月日はたくさん過ぎましたが、悲しみを忘れず嘆いておりましたところ、同じ年くらいに見える人で、このように器量もとても端整で美しい方を発見申して、観音が授けてくださったと喜んで、この人をお死なせ申すまいと、一生懸命になりまして、泣きながら熱心に救ってほしいと懇願申されたので。 |
助けて京へ伴って来ましたあとも三月くらいは死んだ人と変わらぬようだったのですが、以前の |
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1.2.9 | 後に、あの坂本に拙僧自身で下山して行きまして、護身などを修法いたしましたところ、だんだんと生き返って普通にお戻りになりましたが、『やはり、このとり憑いた物の怪が、身から離れないような気がする。 この悪霊の妨げから逃れて、来世を祈りたい』などと、悲しそうにおっしゃることがございましたので、法師の勤めとしては、お勧め申すべきことと存じまして、本当に出家させ申し上げてしまったのでございます。 |
私も |
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1.2.10 | さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。 |
まったく、お世話なさるはずの方とは、どうして何もなしに分かりましょう。 珍しい事の様子ですので、世間話の種にもなりそうですが、噂になって、厄介なことになってはいけないと、この老女どもがあれこれ申して、この何か月間は、黙っておりました」 |
あなたに御関係のある方などとは、空では悟りようもありませんでした。不思議な出来事なのですから、人にも話せば捜しておいでになる方の注意を引くことになったかもしれないのでしたが、世間に聞こえては煩わしいことになるであろうと申して、妹の尼はそれをとめましたので、長く秘密にいたしてまいったのでございます」 |
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1.2.11 | と |
と申し上げなさると、 |
こう物語った。 |
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第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼 |
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1.3.1 | 「さてこそあなれ」と、ほの |
「そうであったのか」と、ちらっと聞いて、ここまで尋ね出しなさったことではあるが、「てっきり死んだ人として思い諦めていた人だが、それでは、本当は生きていたのだ」とお思いになる、その気持ちは、夢のような気がしてあきれるほどのことなので、抑えることもできずに涙ぐまれなさったのを、僧都が立派な態度なので、「こんな気弱い態度を見せてよいものか」と反省して、さりげなく振る舞いなさるが、「このようにお愛しになっていたのを、この世では死んだ人と同然にしてしまったことよ」と、過ったことをした気がして、罪障深いので、 |
いよいよ事実であったのかと薫は、小宰相から少し聞いた話から山へまで遠く僧都を尋ねて来たのではあるが、全然死んだと思っていた人が、確かにこの世に存在していたのかという驚きをまたも覚えて、夢の中の気持ちがし、心の打たれたことによって涙ぐまれるのを、高僧を前に置いてこんな弱さを見せるものでないと反省され、冷静なふうを作っていたが僧都には、薫の感じていることがわかり、これほどにも愛していた人を、生きていても死んだのと同じような尼の身に自分はしてしまったと過失をした気になり、罪を作ったという自責も覚えて、 |
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1.3.2 | 「悪霊にとり憑かれていらしたのも、そうなるはずの前世からの因縁なのです。 思うに、高貴な家柄の姫君でいらしたのでしょうが、どのような過ちによって、このようにまで身を落としなさったのだろうか」 |
「悪いものに |
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1.3.3 | と、 |
と、お尋ね申し上げなさると、 |
と僧都は問うてみた。 |
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1.3.4 | 「なま ここにも、もとよりわざと ものはかなくて |
「皇族の末裔と申す血筋であったでしょうか。 わたしも、初めから特別に正妻にと考えた人ではございません。 ちょっとしたことでお世話し始めるようになりましたが、また一方で、このようにまで落ちぶれる身分の方とは存じませんでした。 珍しく、跡形もなく消えてしまったので、身を投げたのかなどと、いろいろとはっきりしないことが多くて、確実なことは、聞くことができませんでした。 |
「王族の端とまあいうほどの人です。私も妻として結婚をしたのではありません。あることが動機になって恋愛がそこへまで進んでしまった間柄でした。がしかし、そんなにまで人の好意にすがって養われねばならぬような待遇を私はしていたのではありませんのに、不思議に跡かたもなくなってしまったものですから、身を投げたかなどと、それによってまたいろいろな想像もしていたわけです。 |
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1.3.5 | 罪障を軽くしていらっしゃるならば、とても良いことだと安心して、わたし自身は存じましたが、その母親に当たる人が、ひどく慕って悲しんでいるというを、このように聞き出したと、知らせてやりたく存じますが、何か月も隠していらっしゃったご趣旨に背くようで、何となく騒々しくなりましょうか。 親子の間の恩愛は絶ち切れず、悲しみを堪えることができずに、きっと尋ねて来ますでしょう」 |
罪の軽くなる御処置をお取りくだすったのですから、安心のできたことと私は思うのですが、母親である人が非常に恋しがり悲しがっておりますから、それだけには知らせてもやりたく思いますものの、その結果長く隠しておいでになりました尼様の御本意に違い、断ち切れぬ親子の情で訪ねて行ったりすることになるかもしれぬと思われます」 |
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1.3.6 | などとおっしゃって、そうして、 |
などと薫は言ったあとで、 |
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1.3.7 | 「まことに不都合な案内役とはお思いになりましょうが、あの坂本に下山なさってください。 このように聞いて、いい加減に知らないふりのできるとは存じません人ですので、夢のようなことも、せめて今なりと話し合おう、と存じております」 |
「御迷惑なことと思いますが、その坂本までいっしょにお下りくださいませんでしょうか。細かい事実を承ることができましたあとで、なおそのまま捨てておいてよい人では初めからなかったのですから、夢のようなことを、この話を承った時を機としても話し合いたいと私は思うのです」 |
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1.3.8 | とのたまふけしき、いとあはれと |
とおっしゃる様子が、実にしみじみとお思いになっているので、 |
こう言う様子に、その人を深く思うことのうかがわれるため、 |
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1.3.9 | 「尼姿になり、出家をしたと思っていても、髪や鬢を剃った法師でさえ、けしからぬ欲望に消えない者もいるという。 まして、女人の身ではどのようなものであろうか。 お気の毒にも、罪障を作ることになりはしないだろうか」 |
出家 |
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1.3.10 | と、あぢきなく |
と、つまらないことを引き受けたものだと心が乱れた。 |
自分は携わってしまったと僧都は |
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1.3.11 | 「下山することは、今日明日は差し支えがあります。 来月になって、お手紙を差し上げましょう」 |
「下山しますことは今日明日さしつかえます。日が変わりましたらまいりまして、あちらからお手紙をお差し上げになるように計らいましょう」 |
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1.3.12 | と いと |
と申し上げなさる。 まことに頼りないが、「ぜひ、ぜひ」と、急に焦れったく思うのも、みっともないので、「それでは」と言って、お帰りになる。 |
こう答えた。薫はたよりない気もするのであったが、ぜひなどとしいることは、にわかにあせりだしたことに見られて恥ずかしいと思い、それではと言って帰ろうとした。 |
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第四段 僧都、浮舟への手紙を書く |
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1.4.1 | あのご姉弟の童を、お供として連れておいでになっていた。 他の兄弟たちよりは、器量も小ざっぱりとしているのを、呼び出しなさって、 |
姫君の異父弟は供の中にいた。他の兄弟よりも美しいその子を大将は近くへ呼んで、 |
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1.4.2 | 「この子が、あの女人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。 お手紙をちょっとお書きください。 誰それとはなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」 |
「これがその人と近い身内の者です。この少年をせめて使いに出しましょう、短いお手紙を一つお書きください。私とは初めからお言いにならずに、だれか尋ね求めている人があるということをお書きください」 |
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1.4.3 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と薫が言うと、 |
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1.4.4 | 「拙僧が、この案内役になって、きっと罪障を負いましょう。 事情は、詳しく申し上げました。 今は、ご自身でお立ち寄りあそばして、なさるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」 |
「そのお手引きをいたすことで私は必ず罪に |
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1.4.5 | と |
と申し上げなさると、にっこりして、 |
僧都はこう言うのであった。薫は笑って、 |
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1.4.6 | 「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。 わたしは、在俗の姿で、今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。 |
「あなたの罪になるようなお手引きを願ったと取っておいでになるのは誤解ですよ。私は今日まで俗の姿でおりますだけでも怪しいほど信仰を深く持つ男です。 |
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1.4.7 | 幼い時から、出家を願う気持ちは強くございましたが、母三条宮が、心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、世俗にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごして来て、また断れない事も、次々と多く加わって来て、過ごしておりますが、公私ともに、止むを得ない事情によって、こうしていますが、それ以外のところでは、仏がお制止になる方面のことを、少しでもお聞き及びになるようなことは、何とか守り抜こう、身を慎んで、心中では聖に負けません。 |
少年の時代から遁世の志を持っているのですが、三条の宮様がお一人きりで、私のような者一人をたよりに思召すのが断ち切れぬ |
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1.4.8 | まして、いとはかなきことにつけてしも、 さらにあるまじきことにはべり。 ただ、いとほしき |
ましてや、ちょっとしたことで、重い罪障を負うようなことは、どうして考えましょうか。 まったく有りえないことでございます。 お疑いなさいますな。 ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというほどで、きっと嬉しく気が休まりましょう」 |
ましてそれは不善のはなはだしいものですから、どうして道にはいった人を誘惑したりすることをしましょう。お信じください。ただ逢いまして気の毒な母親の話などをよくしてやりますことができれば私の心が楽になることと思うからです」 |
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1.4.9 | など、 |
などと、昔から深かった道心をお話しなさる。 |
と、昔から仏の教えを奉じることの深さを |
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1.4.10 | 僧都も、なるほどと、うなずいて、 |
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1.4.11 | 「いとど |
「ますます尊いことだ」 |
尊い心がけである |
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1.4.12 | など |
などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、 |
ことをほめなどするうちに日も暮れたため、 |
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1.4.13 | 「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」 |
中宿りに小野へ寄ることはふさわしい道順であると薫は思ったが、突然に行くのはやはりよろしくなかろう |
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1.4.14 | と、 |
と、思いあぐねてお帰りになるときに、この姉弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。 |
と考え、帰ることにきめた時、この |
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1.4.15 | 「この子に託して、とりあえずほのめかしてください」 |
「この少年に持たせてやります手紙に彼女の昔の知人のことをほのめかしておいてください」 |
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1.4.16 | と |
と申し上げなさると、手紙を書いてお与えなさる。 |
と薫が言ったので、僧都はさっそく手紙を書いた。 |
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1.4.17 | 「 |
「時々は山においでになって遊んで行きなさいね」と「いわれのないことのようには思われないわけもありのです」 |
「ときどきは山へも登って来て遊んで行きなさい。私にあなたは縁がないのでもないからね」 |
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1.4.18 | と、お話しなさる。 この子は理解できないが、手紙を受け取ってお供して出る。 坂本になると、ご前駆の人びとが少し離れ離れになって、「目立たないように」とおっしゃる。 |
などとも言った。少年は縁のあるという理由がわからないのであるが、手紙を受け取ってすぐに供の中へまじった。坂本へ近くなった所で、「前駆の者は列を分かれ分かれにして声も低くして行くように」と大将は注意した。 |
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第五段 浮舟、薫らの帰りを見る |
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1.5.1 | 小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって、気の紛れることなく、遣水の螢だけを、昔が偲ばれる慰めとして眺めていらっしゃると、いつものように、遥か遠くに谷の見やられる軒端から、前駆が格別の先払いして、たいそうたくさん灯している火の、あわただしい光が見えるといって、尼君たちも端に出て座っていた。 |
小野では深く |
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1.5.2 | 「どなたがおいでになるのだろう。 ご前駆などもとても大勢に見える」 |
「どなたがお通りになるのでしょう。前駆の人がたくさんなように見えますね。 |
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1.5.3 | 「昼、あちらに引干しを差し上げた返事に、『大将殿がいらして、ご饗応の事が急になったので、ちょうどよい時であった』と、言ったが」 |
昼間 |
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1.5.4 | 「大将殿とは、今上の女二の宮の夫君のことでいらっしゃろうか」 |
「大将さんというのは今の |
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1.5.5 | などと言うのも、とてもこの世から隔絶して、田舎じみたことよ。 ほんとうにそうであろうか。 時々、このような山路を分けていらしたとき、とてもはっきりしていた随身の声も、ふと中に混じって聞こえる。 |
などと言っているのも、世間に通じない |
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1.5.6 | 月日の過ぎ行くままに、昔のことがこのように忘れられないでいるのも、「今さらどうなることでもない」と嫌な気持ちになるので、阿弥陀仏に思いを紛らわして、ますます無口になっていた。 横川に行き来する人だけが、この近辺では身近な人なのであった。 |
月日が過ぎれば過ぎるほど昔を恋しく思ったりすることは何にもならぬむだなことであると情けなく姫君は思い、 |
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第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない |
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第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす |
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2.1.1 | かの |
あの殿は、「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが、人目が多くて不都合なので、殿にお帰りになって、翌日、特別に出発させなさる。 親しくお思いになる人で、大した身分でない者を二、三人、付けて、昔もいつも使者としていた随身をお加えになった。 人が聞いていない間にお呼び寄せになって、 |
薫は常陸の子を帰途にすぐ小野の家へやろうと思ったのであるが、従えている人の多いために避けて |
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2.1.2 | 「あこが なかなか その |
「そなたの亡くなった姉の顔は、覚えているか。 今はこの世にいない人と諦めていたが、まことに確かに、生きていらっしゃると言うのだ。 他人には聞かせまいと思うので、行って確かめよ。 母にも、まだ言ってはならない。 かえって驚いて大騒ぎするうちに、知ってはならない人まで知ってしまおう。 その母親のお嘆きがおいたわしいので、このようにして確かめるのだ」 |
「おまえの亡くなった姉様の顔は覚えているか、もう死んだ人だとあきらめていたのだが、確かに生きていられるのだよ。ほかの人たちには知らしたくないと思っているのだから、おまえが行って逢って来るがいい。母にはまだ今のうちは言わないほうがいい。驚いて大騒ぎをするだろうから、そんなことはかえって知らない人にまでいろいろなことを知らせてしまうことになるよ。母の悲しみを思って私はあの人を捜し出すのにこんなに骨を折っているのだ。ある時までは口外するな」 |
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2.1.3 | と、今からもう厳重に口封じなさるのを、子供心にも、姉弟は多いが、この姉君の器量を、他に似る者がないと思い込んでいたので、お亡くなりになったと聞いて、とても悲しいと思い続けていたが、このようにおっしゃるので、嬉しさに涙が落ちるのを、恥ずかしいと思って、 |
といましめるのを聞いて、子供心にも、兄弟は多いが上の姫君の美に及ぶ人はだれもないと思い込んでいたところが、死んでしまったと聞き非常に悲しいことであるといつもいつも思っているのに、こんなうれしい話を知ったのであるから感激して涙もこぼれてくるのを、恥ずかしいと思い、 |
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2.1.4 | 「を、を」 |
「はい、はい」 |
「はあい」 |
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2.1.5 | とぶっきらぼうに申し上げた。 |
と荒々しい声を出して紛らした。 |
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2.1.6 | かしこには、まだつとめて、 |
あちらでは、まだ早朝に、僧都の御もとから、 |
小野の家へはまだ早朝に僧都の所から、 |
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2.1.7 | 「昨夜、大将殿のお使いで、小君が参られたでしょうか。 事情をお聞き致しまして、困ったことで、かえって気後れしておりますと、姫君に申し上げてください。 拙僧自身で申し上げなければならないことも多いが、今日明日が過ぎてから伺いましょう」 |
昨夜大将のお使いで |
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2.1.8 | と 「これは |
と書いていらっしゃった。 「これはどうしたことか」と尼君は驚いて、こちらに持って来てお見せ申し上げなさると、顔が赤くなって、「世間に知られたのではないか」とつらく、「隠し事をしていた」と恨まれることを思い続けると、答えようもなくてじっとしていらっしゃると、 |
こんな手紙が尼君へ来た。驚いて姫君の所へ持って来て見せるとその人は顔を赤くして、自分のことが明らかに知れてしまったのであろうか、物隠しをし続けたと尼君に恨まれてもしかたのない義理の立たぬことであると思うと、返辞のしようもなくそのまま黙っていると、 |
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2.1.9 | 「やはり、おっしゃってください。 情けなく他人行儀ですこと」 |
「今でもいいのですから言ってください。恨めしいお心ですね、私に隔てをお持ちになって」 |
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2.1.10 | と、いみじく |
と、ひどく恨んで、事情を知らないので、慌てるばかりの騷ぎのところに、 |
と恨めしがるのであるが、何がどうであるかの理解はまだできないで、尼君はただわくわくとしているうちに、 |
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2.1.11 | 「山から、僧都のお手紙といって、参上した人が来ました」 |
「山の僧都のお手紙を持っておいでになった方があります」 |
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2.1.12 | と申し入れた。 |
と女房がしらせに来た。 |
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第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問 |
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2.2.1 | 不思議に思うが、「これこそは、それでは、確かなお手紙であろう」と思って、 |
怪しく尼君は思うのであるが、今度のがものを分明にしてくれる兄の手紙であろう、使いでもあろうと思い、 |
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2.2.2 | 「こなたに」 |
「こちらに」 |
「こちらへ」 |
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2.2.3 | と |
と言わせなさると、とても小ぎれいでしなやかな童で、何とも言えないような着飾った者が、歩いて来た。 円座を差し出すと、簾の側にちょこんと座って、 |
と言わせると、きれいなきゃしゃな姿で美装した |
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2.2.4 | 「このような形では、お持てなしを受けることはないと、僧都は、おっしゃっていました」 |
「こんなふうなお取り扱いは受けないでいいように僧都はおっしゃったのでしたが」 |
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2.2.5 | と |
と言うので、尼君が、お返事などなさる。 手紙を中に受け取って見ると、 |
その子はこう言った。尼君が自身で応接に出た。持参された僧都の手紙を受け取って見ると、 |
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2.2.6 | 「入道の姫君の御方へ、山から」 |
入道の姫君の御方へ、山より |
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2.2.7 | とあって、 署名なさっていた。人違いだ、などと否定す |
として署名が正しくしてあった。まちがいではないかということもできぬ気がして姫君は奥のほうへ引っ込んで、 |
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2.2.8 | いとはしたなくおぼえて、いよいよ |
とても体裁悪く思えて、ますます後ずさりされて、誰にも顔を見せない。 |
人に顔も見合わせない。平生も晴れ晴れしくふるまう人ではないが、こんなふうであるために、 |
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2.2.9 | 「いつも控え目でいらっしゃる人柄だが、とても嫌な、情ない方」 |
「どうしたことでしょう」 |
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2.2.10 | など |
などと言って、僧都の手紙を見ると、 |
などと言い、尼君が僧都の手紙を開いて読むと、 |
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2.2.11 | 「 |
「今朝、こちらに大将殿がおいでになって、ご事情をお尋ねになるので、初めからの有様を詳しく申し上げてしまいました。 ご愛情の深いお二方の仲を背きなさって、賤しい山家の中で出家なさったことは、かえって、仏のお叱りを受けるはずのことを、うかがって驚いています。 |
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2.2.12 | いかがはせむ。 もとの ことごとには、みづからさぶらひて かつがつ、この |
しようがありません。 もともとのご宿縁を間違いなさらず、愛執の罪をお晴らし申し上げなさって、一日の出家の功徳は、無量のものですから、やはりご期待なさいませと。 詳細は、拙僧自身お目にかかって申し上げましょう。 とりあえず、この小君が申し上げなさることでしょう」 |
しかたのないことです。もとの夫婦の道へお帰りになって、一方が作る愛執の念を晴らさせておあげになり、なお一日の出家の功徳は無量とされているのですから、もとに帰られたあとも御仏をおたよりになされるがよろしいと私は申し上げます。いろいろのことはまた自身でまいって申し上げましょう。また十分ではなくてもこの小君が今日のことをあなたに通じてくださるかと思います。 |
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2.2.13 | と |
と書いてあった。 |
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第三段 浮舟、小君との面会を拒む |
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2.3.1 | まがふべくもあらず、 |
疑う余地もなく、はっきりお書きになっているが、他の人には事情が分からない。 |
書面を見れば事が |
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2.3.2 | 「この君は、どなたでいらっしゃのだろう。 やはり、とても情けない。 今になってさえ、このようにひたすらお隠しになっている」 |
「あの小君は何にあたる方ですか、恨めしい方、今になってもお隠しなさるのね」 |
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2.3.3 | と |
と責められて、少し外の方を向いて御覧になると、この子は、これが最期と思った夕暮れにも、とても恋しいと思った人なのであった。 一緒の所に住んでいたときは、とても意地悪で、妙に生意気で憎らしかったが、母親がとてもかわいがって、宇治にも時々連れておいでになったので、少し大きくなってからは、お互いに仲好くしていた。 |
と尼君に責められて、少し外のほうを向いて見ると、来た小君は自殺の決心をした夕べにも恋しく思われた弟であった。同じ家にいたころはまだわんぱくで、両親の愛におごっていて、憎らしいところもあったが、母が非常に愛していて、宇治へもときどきつれて来たので、そのうち少し大きくもなっていて双方で |
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2.3.4 | まづ、 |
子供心を思い出すにつけても、夢のようである。 真先に、母親の様子を、とても尋ねたく、「その他の人びとについては自然とだんだん聞くが、母親がどうしていらっしゃるかは、少しも聞くことができない」と、なまじこの子を見たばかりに、とても悲しくなって、ぽろぽろと涙がこぼれた。 |
子であると思い出してさえ夢のようにばかり浮舟には思われた。何よりも母がどうしているかと聞きたく思われるのであった。他の人々のことは近ごろになってだれからともなく |
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2.3.5 | たいそう可憐で、少し似ていらっしゃるところがあるように思われるので、 |
小君は美しくて少し似たところもあるように他人の目には思われるのであったから、 |
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2.3.6 | 「ご姉弟でいらっしゃるようだ。 お話し申し上げたくお思いでいることもあろう。 内にお入れ申そう」 |
「御 |
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2.3.7 | と言うのを、「どうして、今はもう生きている者と思っていないのに、尼姿に身を変えて、急に会うのも気がひける」と思うと、しばらくためらって、 |
と尼君が言う。それには及ばぬ、もう自分は死んだものとだれも思ってしまったのであろうのに、今さら尼という変わった姿になって、身内の者に逢うのは恥ずかしいと浮舟は思い、しばらく黙っていたあとで、 |
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2.3.8 | 「げに、 あさましかりけむありさまは、 いかにもいかにも、 |
「おっしゃるとおり、隠し事があると、お思いになるのがつらくて、何も申すことができません。 情けなかった姿は、珍しいことだと御覧になったでしょうが、正気も失い、魂などと申すものも、以前とは違ったものになってしまったのでしょうか。 何ともかとも、過ぎ去った昔のことを、自分ながら全然思い出すことができないところに、紀伊守とかいった人が、世間話をした中で、知っていた方のことかと、わずかに思い出される気がしました。 |
「身の上をくらましておきますために、いろいろなことを言うかとお思いになるのが恥ずかしくて、何もこれまでは申されなかったのですよ。想像もできませんような生きた |
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2.3.9 | その |
その後は、あれやこれやと考え続けましたが、いっこうにはっきりと思い出されませんが、ただ一人おいでになった方の、何とか幸福にと並々ならず思っていらしたような母親が、まだ生きておいでかと、そのことばかりが脳裏を離れず、悲しい時々がございますので、今日見ると、この童の顔は、小さい時に見たことのある気がするのにつけても、とても堪えがたい気がするが、今さら、このような人に、生きていると知られないで終わりたいと、存じております。 |
それからのちにいろいろと考えてみましても、はかばかしく心によみがえってくる事実はないのですが、私のために一人の親であった母は今どうしておられるだろうとそればかりは始終思われて恋しくも悲しくもなるのでしたが、今日見ますと、この少年は小さい時に見た顔のように思われまして、それによって忍びがたい気持ちはしますが、そんな人たちにも私の生きていることは知られたくないと思いますから、逢わないことにしたいと思います。 |
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2.3.10 | あの母親が、もしこの世に生きておいででしたら、その方お一人だけには、お目にかかりたく存じております。 この僧都が、おっしゃっている方などには、まったく知られ申すまいと、存じております。 何とか工夫して、間違いであると申し上げて、隠してくださいませ」 |
もし生きておりましたならば今申しました母にだけは逢いとうございます。 |
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2.3.11 | とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
と浮舟の姫君は言った。 |
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2.3.12 | 「まことに難しいことですね。 僧都のお考えは、聖と申すなかでも、あまりにに正直一途の方でいらっしゃいますから、まさに何も残さずに申し上げなさったことでしょう。 後で分かってしまいましょう。 いい加減な軽々しいご身分でもいらっしゃらないし」 |
「むずかしいことだと思いますね。僧都さんの性質は僧というものはそんなものであるという以上に公明正大なのですからね、もう何の虚偽もまじらぬお話をお伝えしてしまいなすったでしょうよ。隠そうとしましてもほかからずんずん事実が証明されてゆきますよ。それに御身分が並み並みのお姫様ではいらっしゃらないのだし」 |
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2.3.13 | など |
などと言い騒いで、 |
この尼君から聞き、姫君が |
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2.3.14 | 「見たこともないほど強情でいらっしゃること」 |
「ひどく気のお強いことになりますから」 |
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2.3.15 | と、皆で話し合って、母屋の際に几帳を立てて入れた。 |
皆で言い合わせて浮舟のいる |
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第四段 小君、薫からの手紙を渡す |
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2.4.1 | この子も、そうは聞いていたが、子供なので、唐突に言葉かけるのも気がひけるが、 |
この子も姉君は生きているのだと聞かされてきているが、姉弟らしくものを言いかけるのに |
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2.4.2 | 「もう一通ございますお手紙を、ぜひ差し上げたい。 僧都のお導きは、確かなことでしたのに、このようにはっきりしませんとは」 |
「もう一つ別なお手紙も持って来ているのですが、僧都のお言葉によってすべてが明らかになっていますのに、どうしてこんなに白々しくお扱いになりますか」 |
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2.4.3 | と、 |
と、伏目になって言うと、 |
とだけ伏し目になって言った。 |
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2.4.4 | 「それそれ。 まあ、かわいらしい」 |
「まあ御覧なさい、かわいらしい方ね」 |
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2.4.5 | など |
などと言って、 |
などと尼君は女房に言い、 |
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2.4.6 | 「お手紙を御覧になるはずの人は、ここにいらっしゃるようです。 はたの者は、どのようなことかと分からずにおりますが、さらにおっしゃってください。 幼いご年齢ですが、このようなお使いをお任せになる理由もあるのでしょう」 |
「お手紙を御覧になる方はここにいらっしゃるとまあ申してよいのですよ。こうしてあつかましく出ていますわれわれはまだ何がどうであったのかも理解できないでおります。だからあなたから私たちに話してください。お小さい方をこうしたお使いにお選びになりましたのにはわけもあることでしょう」 |
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2.4.7 | など |
などと言うので、 |
と少年に言った。 |
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2.4.8 | 「よそよそしくなさって、はっきりしないお持てなしをなさるのでは、何を申し上げられましょう。 他人のようにお思いになっていたら、申し上げることもございません。 ただ、このお手紙を、人を介してではなく差し上げなさい、とございましたので、ぜひとも差し上げたい」 |
「知らない者のようにお扱いになる方の所ではお話のしようもありません。お愛しくださらなくなった私からはもう何も申し上げません。ただこのお手紙は人づてでなく差し上げるようにと仰せつけられて来たのですから、ぜひ手ずからお渡しさせてください」 |
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2.4.9 | と |
と言うと、 |
こう小君が言うと、 |
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2.4.10 | 「まことにごもっともです。 やはり、とてもこのように情けなくいらっしゃらないで。 いくら何でも気味悪いほどのお方ですこと」 |
「もっともじゃありませんか、そんなに意地をかたく張るものではありませんよ。あなたは優しい方だのに、一方では手のつけられぬ方ですね」 |
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2.4.11 | とお促し申して、几帳の側に押し寄せ申したので、人心地もなく座っていらっしゃるその感じは、他人ではない気がするので、すぐそこに近寄って差し上げた。 |
と尼君は言い、いろいろに言葉を変えて勧め、几帳のきわへ押し寄せたのを知らず知らずそのままになってすわっている人の様子が、他人でないことは直感されるために、そこへ手紙を差し入れた。 |
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2.4.12 | 「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」 |
「お返事を早くいただいて帰りたいと思います」 |
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2.4.13 | と、かく |
と、このようにすげない態度を、つらいと思って急ぐ。 |
うといふうを見せられることが恨めしく、少年は急ぐように言う。 |
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2.4.14 | 尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げる。 以前と同じようなご筆跡で、紙の香なども、いつもの、世にないまで染み込んでいた。 ちらっと見て、例によって、何にでも感心するでしゃばり者は、ほんとめったになく素晴らしいと思うであろう。 |
尼君は大将の手紙を解いて姫君に見せるのであった。昔のままの手跡で、紙のにおいは並みはずれなまでに高い。ほのかにのぞき見をして風流好きな尼君は美しいものと思った。 |
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2.4.15 | 「まったく申し上げようもなく、いろいろと罪障の深いお身の上を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして、驚きあきれたような当時の夢のような思い出話なりとも、せめてと、せかれる気持ちが、自分ながらもどかしく思われることです。 まして、傍目にはどんなに見られることでしょうか」 |
尼におなりになったという、なんとも言いようのない、私にとっては罪なお心も、僧都の高潔な心に逢って、私もお許しする気になって、そのことにはもう触れずに、過去のあの時の悲しみがどんなものであったかということだけでも話し合いたいとあせる心はわれながらもあき足らず見えます。まして他人の目にはどんなふうに映るでしょう。 |
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2.4.16 | と、 |
と、お心を書き尽くしきれない。 |
と書きも終わっていないで次の歌がある。 |
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2.4.17 | 「仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに 思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ |
思はぬ山にふみまどふかな |
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2.4.18 | この子は、お忘れになったでしょうか。 わたしは、行方不明になったあなたのお形見として見ているのです」 |
この人をお見忘れになったでしょうか。私は行くえを失った方の形見にそば近く置いて慰めにながめている少年です。 |
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2.4.19 | など、こまやかなり。 |
などと、とても愛情がこもっている。 |
とも書かれてあった。 |
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第五段 浮舟、薫への返事を拒む |
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2.5.1 | かくつぶつぶと |
このようにこまごまとお書きになっている様子が、紛れようもないので、そうかといって、昔の自分とも違う姿を、意外にも見つけられ申したときの、体裁の悪さなどを思い乱れて、今まで以上に晴れ晴れしくない気持ちは、何ともいいようがない。 |
こう詳細に知って書いてある人に存在の紛らしようもない自分ではないか、そうかといってその人にも、願わぬことにもかかわらず変わった姿を見つけられた時の恥ずかしさはどうであろうと |
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2.5.2 | そうはいってもふと涙がこぼれて、臥せりなさったので、「まことに世間知らずのなさりようだ」と、扱いかねた。 |
さすがに泣いてひれ伏したままになっているのを、「あまりに並みをはずれた御様子ね」と言い、尼君は困っていた。 |
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2.5.3 | 「いかが |
「どのように申し上げましょう」 |
どうお返事を言えばいいのか |
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2.5.4 | など |
などと責められて、 |
と責められて、 |
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2.5.5 | 「 すこし |
「気分がとても苦しゅうございますのを、おさまりましてから、やがて差し上げましょう。 昔のことを思い出しても、まったく思い当たることがなく、不思議で、どのような夢であったのかとばかり、分かりません。 少し気分が静まったら、このお手紙なども、分かるようなこともありましょうか。 今日は、やはりお持ち帰りください。 人違いであったら、とても体裁悪いでしょうから」 |
「今は心がかき乱されています。少し冷静になりましてから返事をいたしましょう。昔のことを思い出しましても少しもお話しするようなことは見いだせません。ですから落ち着きましたらこのお手紙の心のわかることがあるかもしれません。今日はこのまま持ってお帰しください。ひょっといただく人が違っていたりしては片腹痛いではございませんか」 |
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2.5.6 | と言って、広げたまま、尼君にお渡しになったので、 |
と姫君は言い、手紙は |
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2.5.7 | 「とても見苦しいなさりようですこと。 あまり不作法なのは、世話している者どもも、咎を免れないことでしょう」 |
「それでは困るではありませんか。あまりに失礼な態度をお見せになるのでは、そばにいる人も申しわけがありません」 |
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2.5.8 | など |
などと言って騒ぐのも、嫌で聞いていられなく思われるので、顔を引き入れてお臥せりになった。 |
多くの言葉でこんなことの言われるのも不快で、顔までも上に着た物の中へ引き入れて浮舟は寝ていた。 |
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2.5.9 | 主人の尼が、この君にお話を少し申し上げて、 |
主人の尼君は少年の話し相手に出て、 |
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2.5.10 | 「もののけにやおはすらむ。 |
「物の怪のせいでしょうか。 いつもの様子にお見えになる時もなく、ずっと患っていらっしゃって、お姿も尼姿におなりになったが、お探し申し上げなさる方がいたら、とても厄介なことになりましょうことよと、拝見し嘆いておりましたのも、その通りに、このようにまことにおいたわしく、胸打つご事情がございましたのを、今は、まことに恐れ多く存じております。 |
「 |
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2.5.11 | 常日頃も、ずっとご病気がちでいらしたようなのを、ますますこのようなお手紙にお思い乱れなさったのか、いつも以上に分別がなくおいでです」 |
ずっと御気分は晴れ晴れしくないのですが、思いがけぬ御消息のございましたことでまたお心も乱れるのでしょう。平生以上に今日はお気むずかしくなっていらっしゃるようですよ」 |
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2.5.12 | と |
と申し上げる。 |
などと語っていた。 |
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第六段 小君、空しく帰り来る |
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2.6.1 | 山里らしい趣のある饗応などをしたが、子供心には、どことなくいたたまれないような気がして、 |
山里相応な |
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2.6.2 | 「わざわざお遣わしあそばされたそのしるしに、何とお返事申し上げたらよいのでしょう。 ただ一言でもおっしゃってください」 |
「私がお使いに選ばれて来ましたことに対しても何かひと言だけは言ってくださいませんか」 |
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2.6.3 | など |
などと言うと、 |
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2.6.4 | 「げに」 |
「ほんとうですこと」 |
「ほんとうに」 |
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2.6.5 | など |
などと言って、これこれです、とそのまま伝えるが、何もおっしゃらないので、しかたなくて、 |
と言い、それを伝えたが、姫君はものも言われないふうであるのに、尼君は失望して、 |
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2.6.6 | 「ただ、あのように、はっきりしないご様子を申し上げなさるのがよいのでしょう。 雲が遥かに遠く隔たった場所でもないようでございますので、山の風が吹いても、またきっとお立ち寄りなさいまし」 |
「ただこんなようにたよりないふうでおいでになったと御報告をなさるほかはありますまい。はるかに雲が隔てるというほどの山でもないのですから、山風は吹きましてもまた必ずお立ち寄りくださるでしょう」 |
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2.6.7 | と言うので、用もないのに日暮れまでいるのも妙な具合なので、帰ろうとする。 心ひそかにお会いしたいご様子なのに、会うこともできずに終わったのを、気がかりで残念で、不満足のまま帰参した。 |
と |
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2.6.8 | いつしかと |
早く早くとお待ちになっていたが、このようにはっきりしないまま帰って来たので、期待が外れて、「かえって遣らないほうがましだった」と、お思いになることがいろいろで、「誰かが隠し置いているのであろうか」と、ご自分の想像の限りを尽くして、放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。 |
大将は少年の帰りを今か今かと思って待っていたのであったが、こうした要領を得ないふうで帰って来たのに失望し、その人のために持つ悲しみはかえって深められた気がして、いろいろなことも想像されるのであった。だれかがひそかに恋人として置いてあるのではあるまいかなどと、あのころ恨めしいあまりに |
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