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04夕顔
0416240第一章 夕顔の物語 夏の物語
041.16341第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う
041.1.16442 六条(ろくでう)わたりの御忍(おほんしの)(あり)きのころ、内裏(うち)よりまかでたまふ中宿(なかやどり)に、大弐(だいに)乳母(めのと)のいたくわづらひて(あま)になりにける、とぶらはむとて、五条(ごでう)なる家尋(いへたづ)ねておはしたり。 ろくでうわたりのおほんしのありきのころ、うちよりまかでたまふなかやどりに、だいにめのとのいたくわづらひてあまになりにける、とぶらはんとて、ごでうなるいへたづねておはしたり。
041.1.26543 御車入(みくるまい)るべき(かど)()したりければ、(ひと)して惟光召(これみつめ)させて、()たせたまひけるほど、むつかしげなる大路(おほぢ)のさまを()わたしたまへるに、この(いへ)のかたはらに、桧垣(ひがき)といふもの(あたら)しうして、(かみ)半蔀四五間(はじとみしごけん)ばかり()げわたして、(すだれ)などもいと(しろ)(すず)しげなるに、をかしき(ひたひ)つきの透影(すきかげ)、あまた()えて(のぞ)く。 みくるまいるべきかどしたりければ、ひとしてこれみつめさせて、たせたまひけるほど、むつかしげなるおほぢのさまをわたしたまへるに、このいへのかたはらに、ひがきといふものあたらしうして、かみはじとみしごけんばかりげわたして、すだれなどもいとしろすずしげなるに、をかしきひたひつきのすきかげ、あまたえてのぞく。
041.1.36644 ()ちさまよふらむ(しも)方思(かたおも)ひやるに、あながちに丈高(たけたか)心地(ここち)ぞする。いかなる(もの)(つど)へるならむと、やうかはりて(おぼ)さる。 ちさまよふらんしもかたおもひやるに、あながちにたけたかここちぞする。いかなるものつどへるならんと、やうかはりておぼさる。
041.1.46745 御車(みくるま)もいたくやつしたまへり、前駆(さき)()はせたまはず、()れとか()らむとうちとけたまひて、すこしさし(のぞ)きたまへれば、(かど)(しとみ)のやうなる、()()げたる、見入(みい)れのほどなく、ものはかなき()まひを、あはれに、「何処(いづこ)かさして」と(おも)ほしなせば、(たま)(うてな)(おな)じことなり。 みくるまもいたくやつしたまへり、さきはせたまはず、れとからんとうちとけたまひて、すこしさしのぞきたまへれば、かどしとみのやうなる、げたる、みいれのほどなく、ものはかなきまひを、あはれに、"いづこかさして。"とおもほしなせば、たまうてなおなじことなり。
041.1.56846 切懸(きりかけ)だつ(もの)に、いと(あを)やかなる(かづら)心地(ここち)よげに()ひかかれるに、(しろ)(はな)ぞ、おのれひとり()みの眉開(まゆひら)けたる。 きりかけだつものに、いとあをやかなるかづらここちよげにひかかれるに、しろはなぞ、おのれひとりみのまゆひらけたる。
041.1.66948 遠方人(おちかたびと)にもの(まう)す」 "おちかたびとにものまうす。"
041.1.77049 (ひと)りごちたまふを、御隋身(みずいじん)ついゐて、 ひとりごちたまふを、みずいじんついゐて、
041.1.87150 「かの(しろ)()けるをなむ、夕顔(ゆふがほ)(まう)しはべる。(はな)()(ひと)めきて、かうあやしき垣根(かきね)になむ()きはべりける」 "かのしろけるをなん、ゆふがほまうしはべる。はなひとめきて、かうあやしきかきねになんきはべりける。"
041.1.97251 (まう)す。げにいと小家(こいへ)がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ(のき)のつまなどに()ひまつはれたるを、 まうす。げにいとこいへがちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬのきのつまなどにひまつはれたるを、
041.1.107352 口惜(くちを)しの(はな)(ちぎ)りや。一房折(ひとふさを)りて(まゐ)れ」 "くちをしのはなちぎりや。ひとふさをりてまゐれ。"
041.1.117453 とのたまへば、この()()げたる(かど)()りて()る。 とのたまへば、このげたるかどりてる。
041.1.127554 さすがに、されたる遣戸口(やりどぐち)に、()なる生絹(すずし)単袴(ひとへばかま)(なが)()なしたる(わらは)の、をかしげなる()()て、うち(まね)く。(しろ)(あふぎ)のいたうこがしたるを、 さすがに、されたるやりどぐちに、なるすずしひとへばかまながなしたるわらはの、をかしげなるて、うちまねく。しろあふぎのいたうこがしたるを、
041.1.137655 「これに()きて(まゐ)らせよ。(えだ)(なさ)けなげなめる(はな)を」 "これにきてまゐらせよ。えだなさけなげなめるはなを。"
041.1.147756 とて()らせたれば、門開(かどあ)けて惟光朝臣出(これみつのあそんい)()たるして、(たてまつ)らす。 とてらせたれば、かどあけてこれみつのあそんいたるして、たてまつらす。
041.1.157857 (かぎ)()きまどはしはべりて、いと不便(ふびん)なるわざなりや。もののあやめ()たまへ()くべき(ひと)もはべらぬわたりなれど、らうがはしき大路(おほぢ)()ちおはしまして」とかしこまり(まう)す。 "かぎきまどはしはべりて、いとふびんなるわざなりや。もののあやめたまへくべきひともはべらぬわたりなれど、らうがはしきおほぢちおはしまして。"とかしこまりまうす。
041.1.167958 ()()れて、()りたまふ。惟光(これみつ)(あに)阿闍梨(あざり)婿(むこ)三河守(みかはのかみ)(むすめ)など、(わた)(つど)ひたるほどに、かくおはしましたる(よろこ)びを、またなきことにかしこまる。 れて、りたまふ。これみつあにあざりむこみかはのかみむすめなど、わたつどひたるほどに、かくおはしましたるよろこびを、またなきことにかしこまる。
041.1.178059 尼君(あまぎみ)()()がりて、 あまぎみがりて、
041.1.188160 ()しげなき()なれど、()てがたく(おも)うたまへつることは、ただ、かく御前(おまへ)にさぶらひ、御覧(ごらん)ぜらるることの(かは)りはべりなむことを口惜(くちを)しく(おも)ひたまへ、たゆたひしかど、()むことのしるしによみがへりてなむ、かく(わた)りおはしますを、()たまへはべりぬれば、(いま)なむ阿弥陀仏(あみだぶつ)御光(おほんひかり)も、心清(こころきよ)()たれはべるべき」 "しげなきなれど、てがたくおもうたまへつることは、ただ、かくおまへにさぶらひ、ごらんぜらるることのかはりはべりなんことをくちをしくおもひたまへ、たゆたひしかど、むことのしるしによみがへりてなん、かくわたりおはしますを、たまへはべりぬれば、いまなんあみだぶつおほんひかりも、こころきよたれはべるべき。"
041.1.198261 など()こえて、(よわ)げに()く。 などこえて、よわげにく。
041.1.208362 ()ごろ、おこたりがたくものせらるるを、(やす)からず(なげ)きわたりつるに、かく、()(はな)るるさまにものしたまへば、いとあはれに口惜(くちを)しうなむ。命長(いのちなが)くて、なほ位高(くらゐたか)くなど()なしたまへ。さてこそ、九品(ここのしな)(かみ)にも、(さは)りなく()まれたまはめ。この()にすこし(うら)(のこ)るは、()ろきわざとなむ()く」など、(なみだ)ぐみてのたまふ。 "ごろ、おこたりがたくものせらるるを、やすからずなげきわたりつるに、かく、はなるるさまにものしたまへば、いとあはれにくちをしうなん。いのちながくて、なほくらゐたかくなどなしたまへ。さてこそ、ここのしなかみにも、さはりなくまれたまはめ。このにすこしうらのこるは、ろきわざとなんく。"など、なみだぐみてのたまふ。
041.1.218463 かたほなるをだに、乳母(めのと)やうの(おも)ふべき(ひと)は、あさましうまほに()なすものを、まして、いと面立(おもだ)たしう、なづさひ(つか)うまつりけむ()も、いたはしうかたじけなく(おも)ほゆべかめれば、すずろに(なみだ)がちなり。 かたほなるをだに、めのとやうのおもふべきひとは、あさましうまほになすものを、まして、いとおもだたしう、なづさひつかうまつりけんも、いたはしうかたじけなくおもほゆべかめれば、すずろになみだがちなり。
041.1.228564 ()どもは、いと見苦(みぐる)しと(おも)ひて、「(そむ)きぬる()()りがたきやうに、みづからひそみ御覧(ごらん)ぜられたまふ」と、つきしろひ()くはす。 どもは、いとみぐるしとおもひて、"そむきぬるりがたきやうに、みづからひそみごらんぜられたまふ。"と、つきしろひくはす。
041.1.238665 (きみ)は、いとあはれと(おも)ほして、 きみは、いとあはれとおもほして、
041.1.248766 「いはけなかりけるほどに、(おも)ふべき(ひと)びとのうち()ててものしたまひにけるなごり、(はぐく)(ひと)あまたあるやうなりしかど、(した)しく(おも)(むつ)ぶる(すぢ)は、またなくなむ(おも)ほえし。(ひと)となりて(のち)は、(かぎ)りあれば、朝夕(あさゆふ)にしもえ()たてまつらず、(こころ)のままに(とぶ)らひ(まう)づることはなけれど、なほ(ひさ)しう対面(たいめん)せぬ(とき)は、心細(こころぼそ)くおぼゆるを、『さらぬ(わか)れはなくもがな』」 "いはけなかりけるほどに、おもふべきひとびとのうちててものしたまひにけるなごり、はぐくひとあまたあるやうなりしかど、したしくおもむつぶるすぢは、またなくなんおもほえし。ひととなりてのちは、かぎりあれば、あさゆふにしもえたてまつらず、こころのままにとぶらひまうづることはなけれど、なほひさしうたいめんせぬときは、こころぼそくおぼゆるを、'さらぬわかれはなくもがな。'"
041.1.258867 となむ、こまやかに(かた)らひたまひて、おし(のご)ひたまへる(そで)のにほひも、いと所狭(ところせ)きまで(かを)()ちたるに、げに、よに(おも)へば、おしなべたらぬ(ひと)御宿世(みすくせ)ぞかしと、尼君(あまぎみ)をもどかしと()つる()ども、(みな)うちしほたれけり。 となん、こまやかにかたらひたまひて、おしのごひたまへるそでのにほひも、いとところせきまでかをちたるに、げに、よにおもへば、おしなべたらぬひとみすくせぞかしと、あまぎみをもどかしとつるども、みなうちしほたれけり。
041.1.268968 修法(すほふ)など、またまた(はじ)むべきことなど(おき)てのたまはせて、()でたまふとて、惟光(これみつ)紙燭召(しそくめ)して、ありつる扇御覧(あふぎごらん)ずれば、もて()らしたる(うつ)()、いと()(ふか)うなつかしくて、をかしうすさみ()きたり。 すほふなど、またまたはじむべきことなどおきてのたまはせて、でたまふとて、これみつしそくめして、ありつるあふぎごらんずれば、もてらしたるうつ、いとふかうなつかしくて、をかしうすさみきたり。
041.1.279069 (こころ)あてにそれかとぞ()白露(しらつゆ)の<BR/>(ひかり)そへたる夕顔(ゆふがほ)(はな) "〔こころあてにそれかとぞしらつゆの<BR/>ひかりそへたるゆふがほはな〕"
041.1.289171 そこはかとなく()(まぎ)らはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと(おも)ひのほかに、をかしうおぼえたまふ。惟光(これみつ)に、 そこはかとなくまぎらはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いとおもひのほかに、をかしうおぼえたまふ。これみつに、
041.1.299272 「この西(にし)なる(いへ)何人(なにびと)()むぞ。()()きたりや」 "このにしなるいへなにびとむぞ。きたりや。"
041.1.309373 とのたまへば、(れい)のうるさき御心(みこころ)とは(おも)へども、えさは(まう)さで、 とのたまへば、れいのうるさきみこころとはおもへども、えさはまうさで、
041.1.319474 「この()六日(ろくにち)ここにはべれど、病者(ばうざ)のことを(おも)うたまへ(あつか)ひはべるほどに、(となり)のことはえ()きはべらず」 "このろくにちここにはべれど、ばうざのことをおもうたまへあつかひはべるほどに、となりのことはえきはべらず。"
041.1.329575 など、はしたなやかに()こゆれば、 など、はしたなやかにこゆれば、
041.1.339676 (にく)しとこそ(おも)ひたれな。されど、この(あふぎ)の、(たづ)ぬべきゆゑありて()ゆるを。なほ、このわたりの心知(こころし)れらむ(もの)()して()へ」 "にくしとこそおもひたれな。されど、このあふぎの、たづぬべきゆゑありてゆるを。なほ、このわたりのこころしれらんものしてへ。"
041.1.349777 とのたまへば、()りて、この宿守(やどもり)なる(をのこ)()びて()()く。 とのたまへば、りて、このやどもりなるをのこびてく。
041.1.359878 揚名介(やうめいのすけ)なる(ひと)(いへ)になむはべりける。(をとこ)田舎(ゐなか)にまかりて、()なむ(わか)事好(ことこの)みて、はらからなど宮仕人(みやづかへびと)にて来通(きかよ)ふ、と(まう)す。(くは)しきことは、下人(しもびと)のえ()りはべらぬにやあらむ」と()こゆ。 "やうめいのすけなるひといへになんはべりける。をとこゐなかにまかりて、なんわかことこのみて、はらからなどみやづかへびとにてきかよふ、とまうす。くはしきことは、しもびとのえりはべらぬにやあらん。"とこゆ。
041.1.369979 「さらば、その宮仕人(みやづかへびと)ななり。したり(がほ)にもの()れて()へるかな」と、「めざましかるべき(きは)にやあらむ」と(おぼ)せど、さして()こえかかれる(こころ)の、(にく)からず()ぐしがたきぞ、(れい)の、この(かた)には(おも)からぬ御心(みこころ)なめるかし。御畳紙(おほんたたうがみ)にいたうあらぬさまに()()へたまひて、 "さらば、そのみやづかへびとななり。したりがほにものれてへるかな。"と、"めざましかるべききはにやあらん"とおぼせど、さしてこえかかれるこころの、にくからずぐしがたきぞ、れいの、このかたにはおもからぬみこころなめるかし。おほんたたうがみにいたうあらぬさまにへたまひて、
041.1.3710080 ()りてこそそれかとも()めたそかれに<BR/>ほのぼの()つる(はな)夕顔(ゆふがほ) "〔りてこそそれかともめたそかれに<BR/>ほのぼのつるはなゆふがほ〕"
041.1.3810181 ありつる御随身(みずいじん)して(つか)はす。 ありつるみずいじんしてつかはす。
041.1.3910282 まだ()(おほん)さまなりけれど、いとしるく(おも)ひあてられたまへる御側目(おほんそばめ)見過(みす)ぐさで、さしおどろかしけるを、(いら)へたまはでほど()ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに()こえむ」など()ひしろふべかめれど、めざましと(おも)ひて、随身(ずいじん)(まゐ)りぬ。 まだおほんさまなりけれど、いとしるくおもひあてられたまへるおほんそばめみすぐさで、さしおどろかしけるを、いらへたまはでほどければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、"いかにこえん。"などひしろふべかめれど、めざましとおもひて、ずいじんまゐりぬ。
041.1.4010383 御前駆(おほんさき)松明(まつ)ほのかにて、いと(しの)びて()でたまふ。半蔀(はじとみ)()ろしてけり。隙々(ひまひま)より()ゆる()(ひかり)(ほたる)よりけにほのかにあはれなり。 おほんさきまつほのかにて、いとしのびてでたまふ。はじとみろしてけり。ひまひまよりゆるひかりほたるよりけにほのかにあはれなり。
041.1.4110484 御心(みこころ)ざしの(ところ)には、木立前栽(こだちせんさい)など、なべての(ところ)()ず、いとのどかに(こころ)にくく()みなしたまへり。うちとけぬ(おほん)ありさまなどの、気色(けしき)ことなるに、ありつる垣根思(かきねおも)ほし()でらるべくもあらずかし。 みこころざしのところには、こだちせんさいなど、なべてのところず、いとのどかにこころにくくみなしたまへり。うちとけぬおほんありさまなどの、けしきことなるに、ありつるかきねおもほしでらるべくもあらずかし。
041.1.4210585 翌朝(つとめて)、すこし寝過(ねす)ぐしたまひて、()さし()づるほどに()でたまふ。朝明(あさけ)姿(すがた)は、げに(ひと)のめできこえむも、ことわりなる(おほん)さまなりけり。 つとめて、すこしねすぐしたまひて、さしづるほどにでたまふ。あさけすがたは、げにひとのめできこえんも、ことわりなるおほんさまなりけり。
041.1.4310686 今日(けふ)もこの(しとみ)前渡(まへわた)りしたまふ。()(かた)()ぎたまひけむわたりなれど、ただはかなき(ひと)ふしに御心(みこころ)とまりて、「いかなる(ひと)()()ならむ」とは、()()御目(おほんめ)とまりたまひけり。 けふもこのしとみまへわたりしたまふ。かたぎたまひけんわたりなれど、ただはかなきひとふしにみこころとまりて、"いかなるひとならん。"とは、おほんめとまりたまひけり。
041.210787第二段 数日後、夕顔の宿の報告
041.2.110888 惟光(これみつ)日頃(ひごろ)ありて(まゐ)れり。 これみつひごろありてまゐれり。
041.2.210989 「わづらひはべる(ひと)、なほ(よわ)げにはべれば、とかく()たまへあつかひてなむ」 "わづらひはべるひと、なほよわげにはべれば、とかくたまへあつかひてなん。"
041.2.311090 など、()こえて、(ちか)(まゐ)()りて()こゆ。 など、こえて、ちかまゐりてこゆ。
041.2.411191 (おほ)せられしのちなむ、(となり)のこと()りてはべる(もの)()びて()はせはべりしかど、はかばかしくも(まう)しはべらず。『いと(しの)びて、五月(さつき)のころほひよりものしたまふ(ひと)なむあるべけれど、その(ひと)とは、さらに(いへ)(うち)(ひと)にだに()らせず』となむ(まう)す。 "おほせられしのちなん、となりのことりてはべるものびてはせはべりしかど、はかばかしくもまうしはべらず。'いとしのびて、さつきのころほひよりものしたまふひとなんあるべけれど、そのひととは、さらにいへうちひとにだにらせず'となんまうす。
041.2.511292 時々(ときどき)中垣(なかがき)のかいま()しはべるに、げに(わか)(をんな)どもの透影見(すきかげみ)えはべり。(しびら)だつもの、かことばかり()きかけて、かしづく(ひと)はべるなめり。 ときどきなかがきのかいましはべるに、げにわかをんなどものすきかげみえはべり。しびらだつもの、かことばかりきかけて、かしづくひとはべるなめり。
041.2.611393 昨日(きのふ)夕日(ゆふひ)のなごりなくさし()りてはべりしに、文書(ふみか)くとてゐてはべりし(ひと)の、(かほ)こそいとよくはべりしか。もの(おも)へるけはひして、ある(ひと)びとも(しの)びてうち()くさまなどなむ、しるく()えはべる」 きのふゆふひのなごりなくさしりてはべりしに、ふみかくとてゐてはべりしひとの、かほこそいとよくはべりしか。ものおもへるけはひして、あるひとびともしのびてうちくさまなどなん、しるくえはべる。"
041.2.711494 ()こゆ。(きみ)うち()みたまひて、「()らばや」と(おも)ほしたり。 こゆ。きみうちみたまひて、"らばや"とおもほしたり。
041.2.811595 おぼえこそ(おも)かるべき御身(おほんみ)のほどなれど、(おほん)よはひのほど、(ひと)のなびきめできこえたるさまなど(おも)ふには、()きたまはざらむも、(なさ)けなくさうざうしかるべしかし、(ひと)のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、と(おも)ひをり。 おぼえこそおもかるべきおほんみのほどなれど、おほんよはひのほど、ひとのなびきめできこえたるさまなどおもふには、きたまはざらんも、なさけなくさうざうしかるべしかし、ひとのうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、とおもひをり。
041.2.911696 「もし、()たまへ()ることもやはべると、はかなきついで(つく)()でて、消息(せうそこ)など(つか)はしたりき。()()れたる()して、(くち)とく(かへ)(ごと)などしはべりき。いと口惜(くちを)しうはあらぬ若人(わかうど)どもなむはべるめる」 "もし、たまへることもやはべると、はかなきついでつくでて、せうそこなどつかはしたりき。れたるして、くちとくかへごとなどしはべりき。いとくちをしうはあらぬわかうどどもなんはべるめる。"
041.2.1011797 ()こゆれば、 こゆれば、
041.2.1111898 「なほ()()れ。(たづ)()らでは、さうざうしかりなむ」とのたまふ。 "なほれ。たづらでは、さうざうしかりなん。"とのたまふ。
041.2.1211999 かの、(しも)(しも)と、(ひと)(おも)()てし()まひなれど、その(なか)にも、(おも)ひのほかに口惜(くちを)しからぬを()つけたらばと、めづらしく(おも)ほすなりけり。 かの、しもしもと、ひとおもてしまひなれど、そのなかにも、おもひのほかにくちをしからぬをつけたらばと、めづらしくおもほすなりけり。
042120100第二章 空蝉の物語
042.1121101第一段 空蝉の夫、伊予国から上京す
042.1.1122102 さて、かの空蝉(うつせみ)のあさましくつれなきを、この()(ひと)には(たが)ひて(おぼ)すに、おいらかならましかば、心苦(こころぐる)しき(あやま)ちにてもやみぬべきを、いとねたく、()けてやみなむを、(こころ)にかからぬ(をり)なし。かやうの並々(なみなみ)までは(おも)ほしかからざりつるを、ありし「雨夜(あまよ)品定(しなさだ)め」の(のち)、いぶかしく(おも)ほしなる品々(しなじな)あるに、いとど(くま)なくなりぬる御心(みこころ)なめりかし。 さて、かのうつせみのあさましくつれなきを、このひとにはたがひておぼすに、おいらかならましかば、こころぐるしきあやまちにてもやみぬべきを、いとねたく、けてやみなんを、こころにかからぬをりなし。かやうのなみなみまではおもほしかからざりつるを、ありし"あまよしなさだめ"ののち、いぶかしくおもほしなるしなじなあるに、いとどくまなくなりぬるみこころなめりかし。
042.1.2123103 うらもなく()ちきこえ(がほ)なる(かた)方人(かたびと)を、あはれと(おぼ)さぬにしもあらねど、つれなくて()きゐたらむことの()づかしければ、「まづ、こなたの心見果(こころみは)てて」と(おぼ)すほどに、伊予介上(いよのすけのぼ)りぬ。 うらもなくちきこえがほなるかたかたびとを、あはれとおぼさぬにしもあらねど、つれなくてきゐたらんことのづかしければ、"まづ、こなたのこころみはてて"とおぼすほどに、いよのすけのぼりぬ。
042.1.3124104 まづ(いそ)(まゐ)れり。舟路(ふなみち)のしわざとて、すこし(くろ)みやつれたる旅姿(たびすがた)、いとふつつかに(こころ)づきなし。されど、(ひと)もいやしからぬ(すぢ)に、容貌(かたち)などねびたれど、きよげにて、ただならず、気色(けしき)よしづきてなどぞありける。 まづいそまゐれり。ふなみちのしわざとて、すこしくろみやつれたるたびすがた、いとふつつかにこころづきなし。されど、ひともいやしからぬすぢに、かたちなどねびたれど、きよげにて、ただならず、けしきよしづきてなどぞありける。
042.1.4125105 (くに)物語(ものがたり)など(まう)すに、「湯桁(ゆげた)はいくつ」と、()はまほしく(おぼ)せど、あいなくまばゆくて、御心(みこころ)のうちに(おぼ)()づることもさまざまなり。 くにものがたりなどまうすに、"ゆげたはいくつ。"と、はまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、みこころのうちにおぼづることもさまざまなり。
042.1.5126106 「ものまめやかなる大人(おとな)を、かく(おも)ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。げに、これぞ、なのめならぬ(かた)はなべかりける」と、馬頭(むまのかみ)(いさ)(おぼ)()でて、いとほしきに、「つれなき(こころ)はねたけれど、(ひと)のためは、あはれ」と(おぼ)しなさる。 "ものまめやかなるおとなを、かくおもふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。げに、これぞ、なのめならぬかたはなべかりける。"と、むまのかみいさおぼでて、いとほしきに、"つれなきこころはねたけれど、ひとのためは、あはれ。"とおぼしなさる。
042.1.6127107 (むすめ)をばさるべき(ひと)(あづ)けて、(きた)(かた)をば()(くだ)りぬべし」と、()きたまふに、ひとかたならず(こころ)あわたたしくて、「今一度(いまひとたび)はえあるまじきことにや」と、小君(こぎみ)(かた)らひたまへど、(ひと)(こころ)(あは)せたらむことにてだに、(かろ)らかにえしも(まぎ)れたまふまじきを、まして、()げなきことに(おも)ひて、(いま)さらに見苦(みぐる)しかるべし、と(おも)(はな)れたり。 "むすめをばさるべきひとあづけて、きたかたをばくだりぬべし。"と、きたまふに、ひとかたならずこころあわたたしくて、"いまひとたびはえあるまじきことにや。"と、こぎみかたらひたまへど、ひとこころあはせたらんことにてだに、かろらかにえしもまぎれたまふまじきを、まして、げなきことにおもひて、いまさらにみぐるしかるべし、とおもはなれたり。
042.1.7128108 さすがに、()えて(おも)ほし(わす)れなむことも、いと()ふかひなく、()かるべきことに(おも)ひて、さるべき折々(をりをり)御答(おほんいら)へなど、なつかしく()こえつつ、なげの(ふで)づかひにつけたる(こと)()、あやしくらうたげに、()とまるべきふし(くは)へなどして、あはれと(おぼ)しぬべき(ひと)のけはひなれば、つれなくねたきものの、(わす)れがたきに(おぼ)す。 さすがに、えておもほしわすれなんことも、いとふかひなく、かるべきことにおもひて、さるべきをりをりおほんいらへなど、なつかしくこえつつ、なげのふでづかひにつけたること、あやしくらうたげに、とまるべきふしくはへなどして、あはれとおぼしぬべきひとのけはひなれば、つれなくねたきものの、わすれがたきにおぼす。
042.1.8129109 いま一方(ひとかた)は、主強(ぬしつよ)くなるとも、(かは)らずうちとけぬべく()えしさまなるを(たの)みて、とかく()きたまへど、御心(みこころ)(うご)かずぞありける。 いまひとかたは、ぬしつよくなるとも、かはらずうちとけぬべくえしさまなるをたのみて、とかくきたまへど、みこころうごかずぞありける。
043130110第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語
043.1131111第一段 霧深き朝帰りの物語
043.1.1132112 (あき)にもなりぬ。(ひと)やりならず、(こころ)づくしに(おぼ)(みだ)るることどもありて、大殿(おほとの)には、()間置(まお)きつつ、(うら)めしくのみ(おも)()こえたまへり。 あきにもなりぬ。ひとやりならず、こころづくしにおぼみだるることどもありて、おほとのには、まおきつつ、うらめしくのみおもこえたまへり。
043.1.2133113 六条(ろくでう)わたりにも、とけがたかりし御気色(みけしき)をおもむけ()こえたまひて(のち)、ひき(かへ)し、なのめならむはいとほしかし。されど、よそなりし御心惑(みこころまど)ひのやうに、あながちなる(こと)はなきも、いかなることにかと()えたり。 ろくでうわたりにも、とけがたかりしみけしきをおもむけこえたまひてのち、ひきかへし、なのめならんはいとほしかし。されど、よそなりしみこころまどひのやうに、あながちなることはなきも、いかなることにかとえたり。
043.1.3134114 (をんな)は、いとものをあまりなるまで、(おぼ)ししめたる御心(みこころ)ざまにて、(よはひ)のほども()げなく、(ひと)()()かむに、いとどかくつらき御夜(おほんよ)がれの寝覚(ねざ)寝覚(ねざ)め、(おぼ)ししをるること、いとさまざまなり。 をんなは、いとものをあまりなるまで、おぼししめたるみこころざまにて、よはひのほどもげなく、ひとかんに、いとどかくつらきおほんよがれのねざねざめ、おぼししをるること、いとさまざまなり。
043.1.4135115 (きり)のいと(ふか)(あした)、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色(けしき)に、うち(なげ)きつつ()でたまふを、中将(ちゅうじゃう)のおもと、御格子一間上(みかうしひとまあ)げて、()たてまつり(おく)りたまへ、とおぼしく、御几帳引(みきちゃうひ)きやりたれば、御頭(みぐし)もたげて見出(みい)だしたまへり。 きりのいとふかあした、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなるけしきに、うちなげきつつでたまふを、ちゅうじゃうのおもと、みかうしひとまあげて、たてまつりおくりたまへ、とおぼしく、みきちゃうひきやりたれば、みぐしもたげてみいだしたまへり。
043.1.5136117 前栽(せんさい)色々乱(いろいろみだ)れたるを、()ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。(らう)(かた)へおはするに、中将(ちゅうじゃう)(きみ)御供(おほんとも)(まゐ)る。紫苑色(しをにろ)(をり)にあひたる、(うすもの)()(あざ)やかに()()ひたる(こし)つき、たをやかになまめきたり。 せんさいいろいろみだれたるを、ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。らうかたへおはするに、ちゅうじゃうきみおほんともまゐる。しをにろをりにあひたる、うすものあざやかにひたるこしつき、たをやかになまめきたり。
043.1.6137118 見返(みかへ)りたまひて、(すみ)()高欄(かうらん)に、しばし、ひき()ゑたまへり。うちとけたらぬもてなし、(かみ)()がりば、めざましくも、と()たまふ。 みかへりたまひて、すみかうらんに、しばし、ひきゑたまへり。うちとけたらぬもてなし、かみがりば、めざましくも、とたまふ。
043.1.7138119 ()(はな)(うつ)るてふ()はつつめども<BR/>()らで()()今朝(けさ)朝顔(あさがほ) "〔はなうつるてふはつつめども<BR/>らでけさあさがほ
043.1.8139120 いかがすべき」 いかがすべき。"
043.1.9140121 とて、()をとらへたまへれば、いと()れてとく、 とて、をとらへたまへれば、いとれてとく、
043.1.10141122 朝霧(あさぎり)()()()たぬ気色(けしき)にて<BR/>(はな)(こころ)()めぬとぞ()る」 "〔あさぎりたぬけしきにて<BR/>はなこころめぬとぞる〕
043.1.11142123 と、おほやけごとにぞ()こえなす。 と、おほやけごとにぞこえなす。
043.1.12143124 をかしげなる侍童(さぶらひわらは)の、姿(すがた)このましう、ことさらめきたる、指貫(さしぬき)(すそ)(つゆ)けげに、(はな)(なか)(まじ)りて、朝顔折(あさがほを)りて(まゐ)るほどなど、()()かまほしげなり。 をかしげなるさぶらひわらはの、すがたこのましう、ことさらめきたる、さしぬきすそつゆけげに、はななかまじりて、あさがほをりてまゐるほどなど、かまほしげなり。
043.1.13144125 大方(おほかた)に、うち()たてまつる(ひと)だに、(こころ)とめたてまつらぬはなし。(もの)(なさ)()らぬ(やま)がつも、(はな)(かげ)には、なほやすらはまほしきにや、この御光(おほんひかり)()たてまつるあたりは、ほどほどにつけて、()がかなしと(おも)(むすめ)を、(つか)うまつらせばやと(ねが)ひ、もしは、口惜(くちを)しからずと(おも)(いもうと)など()たる(ひと)は、(いや)しきにても、なほ、この(おほん)あたりにさぶらはせむと、(おも)()らぬはなかりけり。 おほかたに、うちたてまつるひとだに、こころとめたてまつらぬはなし。ものなさらぬやまがつも、はなかげには、なほやすらはまほしきにや、このおほんひかりたてまつるあたりは、ほどほどにつけて、がかなしとおもむすめを、つかうまつらせばやとねがひ、もしは、くちをしからずとおもいもうとなどたるひとは、いやしきにても、なほ、このおほんあたりにさぶらはせんと、おもらぬはなかりけり。
043.1.14145126 まして、さりぬべきついでの御言(おほんこと)()も、なつかしき御気色(みけしき)()たてまつる(ひと)の、すこし(もの)心思(こころおも)()るは、いかがはおろかに(おも)ひきこえむ。()()れうちとけてしもおはせぬを、(こころ)もとなきことに(おも)ふべかめり。 まして、さりぬべきついでのおほんことも、なつかしきみけしきたてまつるひとの、すこしものこころおもるは、いかがはおろかにおもひきこえん。れうちとけてしもおはせぬを、こころもとなきことにおもふべかめり。
044146127第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
044.1147128第一段 源氏、夕顔の宿に忍び通う
044.1.1148129 まことや、かの惟光(これみつ)(あづ)かりのかいま()は、いとよく案内見(あないみ)とりて(まう)す。 まことや、かのこれみつあづかりのかいまは、いとよくあないみとりてまうす。
044.1.2149130 「その(ひと)とは、さらにえ(おも)ひえはべらず。(ひと)にいみじく(かく)(しの)ぶる気色(けしき)になむ()えはべるを、つれづれなるままに、(みなみ)半蔀(はじとみ)ある長屋(ながや)にわたり()つつ、(くるま)(おと)すれば、(わか)(もの)どもの(のぞ)きなどすべかめるに、この(しゅう)とおぼしきも、はひわたる(とき)はべかめる。容貌(かたち)なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。 "そのひととは、さらにえおもひえはべらず。ひとにいみじくかくしのぶるけしきになんえはべるを、つれづれなるままに、みなみはじとみあるながやにわたりつつ、くるまおとすれば、わかものどもののぞきなどすべかめるに、このしゅうとおぼしきも、はひわたるときはべかめる。かたちなん、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。
044.1.3150131 一日(ひとひ)前駆追(さきお)ひて(わた)(くるま)のはべりしを、(のぞ)きて、童女(わらはべ)(いそ)ぎて、『右近(うこん)(きみ)こそ、まづ物見(ものみ)たまへ。中将殿(ちゅうじゃうどの)こそ、これより(わた)りたまひぬれ』と()へば、また、よろしき大人出(おとない)()て、『あなかま』と、()かくものから、『いかでさは()るぞ、いで、()む』とて、はひ(わた)る。 ひとひさきおひてわたくるまのはべりしを、のぞきて、わらはべいそぎて、'うこんきみこそ、まづものみたまへ。ちゅうじゃうどのこそ、これよりわたりたまひぬれ。'とへば、また、よろしきおとないて、'あなかま。'と、かくものから、'いかでさはるぞ。いで、ん。'とて、はひわたる。
044.1.4151132 打橋(うちはし)だつものを(みち)にてなむ(かよ)ひはべる。(いそ)()るものは、(きぬ)(すそ)(もの)()きかけて、よろぼひ(たふ)れて、(はし)よりも()ちぬべければ、『いで、この葛城(かづらき)(かみ)こそ、さがしうしおきたれ』と、むつかりて、物覗(もののぞ)きの(こころ)()めぬめりき。 うちはしだつものをみちにてなんかよひはべる。いそるものは、きぬすそものきかけて、よろぼひたふれて、はしよりもちぬべければ、'いで、このかづらきかみこそ、さがしうしおきたれ。'と、むつかりて、もののぞきのこころめぬめりき。
044.1.5152133 (きみ)は、御直衣姿(おほんなほしすがた)にて、御随身(みずいじん)どももありし。なにがし、くれがし』と(かず)へしは、頭中将(とうのちゅうじゃう)随身(ずいじん)、その小舎人童(こどねりわらは)をなむ、しるしに()ひはべりし」など()こゆれば、 'きみは、おほんなほしすがたにて、みずいじんどももありし。なにがし、くれがし。'とかずへしは、とうのちゅうじゃうずいじん、そのこどねりわらはをなん、しるしにひはべりし。"などこゆれば、
044.1.6153134 「たしかにその(くるま)をぞ()まし」 "たしかにそのくるまをぞまし。"
044.1.7154135 とのたまひて、「もし、かのあはれに(わす)れざりし(ひと)にや」と、(おも)ほしよるも、いと()らまほしげなる御気色(みけしき)()て、 とのたまひて、"もし、かのあはれにわすれざりしひとにや。"と、おもほしよるも、いとらまほしげなるみけしきて、
044.1.8155136 (わたくし)懸想(けさう)もいとよくしおきて、案内(あない)(のこ)るところなく()たまへおきながら、ただ、()れどちと()らせて、(もの)など()(わか)きおもとのはべるを、そらおぼれしてなむ、(かく)れまかり(あり)く。いとよく(かく)したりと(おも)ひて、(ちひ)さき()どもなどのはべるが言誤(ことあやま)りしつべきも、()(まぎ)らはして、また(ひと)なきさまを()ひてつくりはべる」など、(かた)りて(わら)ふ。 "わたくしけさうもいとよくしおきて、あないのこるところなくたまへおきながら、ただ、れどちとらせて、ものなどわかきおもとのはべるを、そらおぼれしてなん、かくれまかりありく。いとよくかくしたりとおもひて、ちひさきどもなどのはべるがことあやまりしつべきも、まぎらはして、またひとなきさまをひてつくりはべる。"など、かたりてわらふ。
044.1.9156137 尼君(あまぎみ)(とぶら)ひにものせむついでに、かいま()せさせよ」とのたまひけり。 "あまぎみとぶらひにものせんついでに、かいませさせよ。"とのたまひけり。
044.1.10157138 かりにても、宿(やど)れる(すま)ひのほどを(おも)ふに、「これこそ、かの(ひと)(さだ)め、あなづりし(しも)(しな)ならめ。その(なか)に、(おも)ひの(ほか)にをかしきこともあらば」など、(おぼ)すなりけり。 かりにても、やどれるすまひのほどをおもふに、"これこそ、かのひとさだめ、あなづりししもしなならめ。そのなかに、おもひのほかにをかしきこともあらば。"など、おぼすなりけり。
044.1.11158139 惟光(これみつ)、いささかのことも御心(みこころ)(たが)はじと(おも)ふに、おのれも(くま)なき()(ごころ)にて、いみじくたばかりまどひ(あり)きつつ、しひておはしまさせ()めてけり。このほどのこと、くだくだしければ、(れい)のもらしつ。 これみつ、いささかのこともみこころたがはじとおもふに、おのれもくまなきごころにて、いみじくたばかりまどひありきつつ、しひておはしまさせめてけり。このほどのこと、くだくだしければ、れいのもらしつ。
044.1.12159140 (をんな)、さしてその(ひと)(たづ)()でたまはねば、(われ)()のりをしたまはで、いとわりなくやつれたまひつつ、(れい)ならず()()ちありきたまふは、おろかに(おぼ)されぬなるべし、と()れば、()(むま)をばたてまつりて、御供(おほんとも)(はし)りありく。 をんな、さしてそのひとたづでたまはねば、われのりをしたまはで、いとわりなくやつれたまひつつ、れいならずちありきたまふは、おろかにおぼされぬなるべし、とれば、むまをばたてまつりて、おほんともはしりありく。
044.1.13160141 懸想人(けさうびと)のいとものげなき(あし)もとを、()つけられてはべらむ(とき)、からくもあるべきかな」とわぶれど、(ひと)()らせたまはぬままに、かの夕顔(ゆふがほ)のしるべせし随身(ずいじん)ばかり、さては、(かほ)むげに()るまじき童一人(わらはひとり)ばかりぞ、()ておはしける。「もし(おも)ひよる気色(けしき)もや」とて、(となり)中宿(なかやどり)をだにしたまはず。 "けさうびとのいとものげなきあしもとを、つけられてはべらんとき、からくもあるべきかな。"とわぶれど、ひとらせたまはぬままに、かのゆふがほのしるべせしずいじんばかり、さては、かほむげにるまじきわらはひとりばかりぞ、ておはしける。"もしおもひよるけしきもや。"とて、となりなかやどりをだにしたまはず。
044.1.14161142 (をんな)も、いとあやしく心得(こころえ)心地(ここち)のみして、御使(おほんつかひ)(ひと)()へ、(あかつき)(みち)をうかがはせ、御在処見(おほんありかみ)せむと(たづ)ぬれど、そこはかとなくまどはしつつ、さすがに、あはれに()ではえあるまじく、この(ひと)御心(みこころ)にかかりたれば、便(びん)なく軽々(かろがろ)しきことと、(おも)ほし(かへ)しわびつつ、いとしばしばおはします。 をんなも、いとあやしくこころえここちのみして、おほんつかひひとへ、あかつきみちをうかがはせ、おほんありかみせんとたづぬれど、そこはかとなくまどはしつつ、さすがに、あはれにではえあるまじく、このひとみこころにかかりたれば、びんなくかろがろしきことと、おもほしかへしわびつつ、いとしばしばおはします。
044.1.15162143 かかる(すぢ)は、まめ(びと)(みだ)るる(をり)もあるを、いとめやすくしづめたまひて、(ひと)のとがめきこゆべき()()ひはしたまはざりつるを、あやしきまで、今朝(けさ)のほど、昼間(ひるま)(へだ)ても、おぼつかなくなど、(おも)ひわづらはれたまへば、かつは、いともの(ぐる)ほしく、さまで(こころ)とどむべきことのさまにもあらずと、いみじく(おも)ひさましたまふに、(ひと)のけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、もの(ふか)(おも)(かた)はおくれて、ひたぶるに(わか)びたるものから、()をまだ()らぬにもあらず。いとやむごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまる(こころ)ぞ、と(かへ)(がへ)(おぼ)す。 かかるすぢは、まめびとみだるるをりもあるを、いとめやすくしづめたまひて、ひとのとがめきこゆべきひはしたまはざりつるを、あやしきまで、けさのほど、ひるまへだても、おぼつかなくなど、おもひわづらはれたまへば、かつは、いとものぐるほしく、さまでこころとどむべきことのさまにもあらずと、いみじくおもひさましたまふに、ひとのけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、ものふかおもかたはおくれて、ひたぶるにわかびたるものから、をまだらぬにもあらず。いとやんごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまるこころぞ、とかへがへおぼす。
044.1.16163144 いとことさらめきて、御装束(おほんさうぞく)をもやつれたる(かり)御衣(おほんぞ)をたてまつり、さまを()へ、(かほ)をもほの()せたまはず、夜深(よぶか)きほどに、(ひと)をしづめて()()りなどしたまへば、(むかし)ありけむものの変化(へんげ)めきて、うたて(おも)(なげ)かるれど、(ひと)(おほん)けはひ、はた、()さぐりもしるべきわざなりければ、「()ればかりにかはあらむ。なほこの()(もの)のし()でつるわざなめり」と、大夫(たいふ)(うたが)ひながら、せめてつれなく()らず(がほ)にて、かけて(おも)ひよらぬさまに、たゆまずあざれありけば、いかなることにかと心得(こころえ)がたく、女方(をんながた)もあやしうやう(たが)ひたるもの(おも)ひをなむしける。 いとことさらめきて、おほんさうぞくをもやつれたるかりおほんぞをたてまつり、さまをへ、かほをもほのせたまはず、よぶかきほどに、ひとをしづめてりなどしたまへば、むかしありけんもののへんげめきて、うたておもなげかるれど、ひとおほんけはひ、はた、さぐりもしるべきわざなりければ、"ればかりにかはあらん。なほこのもののしでつるわざなめり。"と、たいふうたがひながら、せめてつれなくらずがほにて、かけておもひよらぬさまに、たゆまずあざれありけば、いかなることにかとこころえがたく、をんながたもあやしうやうたがひたるものおもひをなんしける。
044.2164145第二段 八月十五夜の逢瀬
044.2.1165146 (きみ)も、「かくうらなくたゆめてはひ(かく)れなば、いづこをはかりとか、(われ)(たづ)ねむ。かりそめの(かく)()と、はた()ゆめれば、いづ(かた)にもいづ(かた)にも、(うつ)ろひゆかむ()を、いつとも()らじ」と(おぼ)すに、()ひまどはして、なのめに(おも)ひなしつべくは、ただかばかりのすさびにても()ぎぬべきことを、さらにさて()ぐしてむと(おぼ)されず。 きみも、"かくうらなくたゆめてはひかくれなば、いづこをはかりとか、われたづねん。かりそめのかくと、はたゆめれば、いづかたにもいづかたにも、うつろひゆかんを、いつともらじ。"とおぼすに、ひまどはして、なのめにおもひなしつべくは、ただかばかりのすさびにてもぎぬべきことを、さらにさてぐしてんとおぼされず。
044.2.2166147 人目(ひとめ)(おぼ)して、(へだ)ておきたまふ()()ななどは、いと(しの)びがたく、(くる)しきまでおぼえたまへば、「なほ()れとなくて二条院(にでうのゐん)(むか)へてむ。もし()こえありて便(びん)なかるべきことなりとも、さるべきにこそは。()(こころ)ながら、いとかく(ひと)にしむことはなきを、いかなる(ちぎ)りにかはありけむ」など(おも)ほしよる。 ひとめおぼして、へだておきたまふななどは、いとしのびがたく、くるしきまでおぼえたまへば、"なほれとなくてにでうのゐんむかへてん。もしこえありてびんなかるべきことなりとも、さるべきにこそは。こころながら、いとかくひとにしむことはなきを、いかなるちぎりにかはありけん。"などおもほしよる。
044.2.3167148 「いざ、いと心安(こころやす)(ところ)にて、のどかに()こえむ」 "いざ、いとこころやすところにて、のどかにこえん。"
044.2.4168149 など、(かた)らひたまへば、 など、かたらひたまへば、
044.2.5169150 「なほ、あやしう。かくのたまへど、()づかぬ(おほん)もてなしなれば、もの(おそ)ろしくこそあれ」 "なほ、あやしう。かくのたまへど、づかぬおほんもてなしなれば、ものおそろしくこそあれ。"
044.2.6170151 と、いと(わか)びて()へば、「げに」と、ほほ()まれたまひて、 と、いとわかびてへば、"げに"と、ほほまれたまひて、
044.2.7171152 「げに、いづれか(きつね)なるらむな。ただはかられたまへかし」 "げに、いづれかきつねなるらんな。ただはかられたまへかし。"
044.2.8172153 と、なつかしげにのたまへば、(をんな)もいみじくなびきて、さもありぬべく(おも)ひたり。「()になく、かたはなることなりとも、ひたぶるに(したが)(こころ)は、いとあはれげなる(ひと)」と()たまふに、なほ、かの頭中将(とうのちゅうじゃう)常夏疑(とこなつうたが)はしく、(かた)りし(こころ)ざま、まづ(おも)()でられたまへど、「(しの)ぶるやうこそは」と、あながちにも()()でたまはず。 と、なつかしげにのたまへば、をんなもいみじくなびきて、さもありぬべくおもひたり。"になく、かたはなることなりとも、ひたぶるにしたがこころは、いとあはれげなるひと"とたまふに、なほ、かのとうのちゅうじゃうとこなつうたがはしく、かたりしこころざま、まづおもでられたまへど、"しのぶるやうこそは"と、あながちにもでたまはず。
044.2.9173154 気色(けしき)ばみて、ふと(そむ)(かく)るべき(こころ)ざまなどはなければ、「かれがれにとだえ()かむ(をり)こそは、さやうに(おも)(かは)ることもあらめ、(こころ)ながらも、すこし(うつ)ろふことあらむこそあはれなるべけれ」とさへ、(おぼ)しけり。 けしきばみて、ふとそむかくるべきこころざまなどはなければ、"かれがれにとだえかんをりこそは、さやうにおもかはることもあらめ、こころながらも、すこしうつろふことあらんこそあはれなるべけれ。"とさへ、おぼしけり。
044.2.10174155 八月十五夜(はちがちじふごや)(くま)なき月影(つきかげ)隙多(ひまおほ)かる板屋(いたや)(のこ)りなく()()て、見慣(みな)らひたまはぬ()まひのさまも(めづら)しきに、暁近(あかつきちか)くなりにけるなるべし、(となり)家々(いへいへ)、あやしき(しづ)()声々(こゑごゑ)目覚(めさ)まして、 はちがちじふごやくまなきつきかげひまおほかるいたやのこりなくて、みならひたまはぬまひのさまもめづらしきに、あかつきちかくなりにけるなるべし、となりいへいへ、あやしきしづこゑごゑめさまして、
044.2.11175156 「あはれ、いと(さむ)しや」 "あはれ、いとさむしや。"
044.2.12176157 今年(ことし)こそ、なりはひにも(たの)むところすくなく、田舎(ゐなか)(かよ)ひも(おも)ひかけねば、いと心細(こころぼそ)けれ。北殿(きたどの)こそ、()きたまふや」 "ことしこそ、なりはひにもたのむところすくなく、ゐなかかよひもおもひかけねば、いとこころぼそけれ。きたどのこそ、きたまふや。"
044.2.13177158 など、()()はすも()こゆ。 など、はすもこゆ。
044.2.14178159 いとあはれなるおのがじしの(いとな)みに()()でて、そそめき(さわ)ぐもほどなきを、(をんな)いと()づかしく(おも)ひたり。 いとあはれなるおのがじしのいとなみにでて、そそめきさわぐもほどなきを、をんないとづかしくおもひたり。
044.2.15179160 (えん)だち気色(けしき)ばまむ(ひと)は、()えも()りぬべき()まひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきも()きもかたはらいたきことも、(おも)()れたるさまならで、()がもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしき(となり)用意(ようい)なさを、いかなる(こと)とも()()りたるさまならねば、なかなか、()ぢかかやかむよりは、罪許(つみゆる)されてぞ()えける。 えんだちけしきばまんひとは、えもりぬべきまひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきもきもかたはらいたきことも、おもれたるさまならで、がもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしきとなりよういなさを、いかなることともりたるさまならねば、なかなか、ぢかかやかんよりは、つみゆるされてぞえける。
044.2.16180161 ごほごほと()(かみ)よりもおどろおどろしく、()(とどろ)かす唐臼(からうす)(おと)枕上(まくらがみ)とおぼゆる。「あな、(みみ)かしかまし」と、これにぞ(おぼ)さるる。(なに)(ひび)きとも()()れたまはず、いとあやしうめざましき(おと)なひとのみ()きたまふ。くだくだしきことのみ(おほ)かり。 ごほごほとかみよりもおどろおどろしく、とどろかすからうすおとまくらがみとおぼゆる。"あな、みみかしかまし。"と、これにぞおぼさるる。なにひびきともれたまはず、いとあやしうめざましきおとなひとのみきたまふ。くだくだしきことのみおほかり。
044.2.17181162 白妙(しろたへ)(ころも)うつ(きぬた)(おと)も、かすかにこなたかなた()きわたされ、空飛(そらと)(かり)(こゑ)()(あつ)めて、(しの)びがたきこと(おほ)かり。端近(はしちか)御座所(おましどころ)なりければ、遣戸(やりど)()()けて、もろともに見出(みい)だしたまふ。ほどなき(には)に、されたる呉竹(くれたけ)前栽(せんさい)(つゆ)は、なほかかる(ところ)(おな)じごときらめきたり。(むし)声々乱(こゑごゑみだ)りがはしく、(かべ)のなかの蟋蟀(きりぎりす)だに間遠(まどほ)()()らひたまへる御耳(おほんみみ)に、さし()てたるやうに()(みだ)るるを、なかなかさまかへて(おぼ)さるるも、御心(みこころ)ざし(ひと)つの(あさ)からぬに、よろづの罪許(つみゆる)さるるなめりかし。 しろたへころもうつきぬたおとも、かすかにこなたかなたきわたされ、そらとかりこゑあつめて、しのびがたきことおほかり。はしちかおましどころなりければ、やりどけて、もろともにみいだしたまふ。ほどなきにはに、されたるくれたけせんさいつゆは、なほかかるところおなじごときらめきたり。むしこゑごゑみだりがはしく、かべのなかのきりぎりすだにまどほらひたまへるおほんみみに、さしてたるやうにみだるるを、なかなかさまかへておぼさるるも、みこころざしひとつのあさからぬに、よろづのつみゆるさるるなめりかし。
044.2.18182164 (しろ)(あはせ)薄色(うすいろ)のなよよかなるを(かさ)ねて、はなやかならぬ姿(すがた)、いとらうたげにあえかなる心地(ここち)して、そこと()()ててすぐれたることもなけれど、(ほそ)やかにたをたをとして、ものうち()ひたるけはひ、「あな、心苦(こころぐる)し」と、ただいとらうたく()ゆ。(こころ)ばみたる(かた)をすこし()へたらば、と()たまひながら、なほうちとけて()まほしく(おぼ)さるれば、 しろあはせうすいろのなよよかなるをかさねて、はなやかならぬすがた、いとらうたげにあえかなるここちして、そことててすぐれたることもなけれど、ほそやかにたをたをとして、ものうちひたるけはひ、"あな、こころぐるし。"と、ただいとらうたくゆ。こころばみたるかたをすこしへたらば、とたまひながら、なほうちとけてまほしくおぼさるれば、
044.2.19183165 「いざ、ただこのわたり(ちか)(ところ)に、心安(こころやす)くて()かさむ。かくてのみは、いと(くる)しかりけり」とのたまへば、 "いざ、ただこのわたりちかところに、こころやすくてかさん。かくてのみは、いとくるしかりけり。"とのたまへば、
044.2.20184166 「いかでか。にはかならむ」 "いかでか。にはかならん。"
044.2.21185167 と、いとおいらかに()ひてゐたり。この()のみならぬ(ちぎ)りなどまで(たの)めたまふに、うちとくる(こころ)ばへなど、あやしくやう()はりて、世馴(よな)れたる(ひと)ともおぼえねば、(ひと)(おも)はむ(ところ)もえ(はばか)りたまはで、右近(うこん)()()でて、随身(ずいじん)()させたまひて、御車引(みくるまひ)()れさせたまふ。このある(ひと)びとも、かかる御心(みこころ)ざしのおろかならぬを見知(みし)れば、おぼめかしながら、(たの)みかけきこえたり。 と、いとおいらかにひてゐたり。こののみならぬちぎりなどまでたのめたまふに、うちとくるこころばへなど、あやしくやうはりて、よなれたるひとともおぼえねば、ひとおもはんところもえはばかりたまはで、うこんでて、ずいじんさせたまひて、みくるまひれさせたまふ。このあるひとびとも、かかるみこころざしのおろかならぬをみしれば、おぼめかしながら、たのみかけきこえたり。
044.2.22186168 ()(がた)(ちか)うなりにけり。(とり)(こゑ)などは()こえで、御嶽精進(みたけさうじ)にやあらむ、ただ(おきな)びたる(こゑ)にぬかづくぞ()こゆる。()()のけはひ、()へがたげに(おこな)ふ。いとあはれに、「(あした)(つゆ)(こと)ならぬ()を、(なに)(むさぼ)()(いの)りにか」と、()きたまふ。「南無当来導師(なんたうらいだうし)」とぞ(おが)むなる。 がたちかうなりにけり。とりこゑなどはこえで、みたけさうじにやあらん、ただおきなびたるこゑにぬかづくぞこゆる。のけはひ、へがたげにおこなふ。いとあはれに、"あしたつゆことならぬを、なにむさぼいのりにか"と、きたまふ。"なんたうらいだうし"とぞおがむなる。
044.2.23187169 「かれ、()きたまへ。この()とのみは(おも)はざりけり」と、あはれがりたまひて、 "かれ、きたまへ。このとのみはおもはざりけり。"と、あはれがりたまひて、
044.2.24188170 優婆塞(うばそく)(おこな)(みち)をしるべにて<BR/>()()(ふか)(ちぎ)(たが)ふな」 "〔うばそくおこなみちをしるべにて<BR/>ふかちぎたがふな〕
044.2.25189171 長生殿(ちゃうせいでん)(ふる)(ためし)はゆゆしくて、(はね)(かは)さむとは()きかへて、弥勒(みろく)()をかねたまふ。()(さき)御頼(おほんたの)め、いとこちたし。 ちゃうせいでんふるためしはゆゆしくて、はねかはさんとはきかへて、みろくをかねたまふ。さきおほんたのめ、いとこちたし。
044.2.26190172 (さき)()(ちぎ)()らるる()()さに<BR/>()(すゑ)かねて(たの)みがたさよ」 "〔さきちぎらるるさに<BR/>すゑかねてたのみがたさよ〕
044.2.27191173 かやうの(すぢ)なども、さるは、(こころ)もとなかめり。 かやうのすぢなども、さるは、こころもとなかめり。
044.3192174第三段 なにがしの院に移る
044.3.1193175 いさよふ(つき)に、ゆくりなくあくがれむことを、(をんな)(おも)ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隠(くもがく)れて、()()(そら)いとをかし。はしたなきほどにならぬ(さき)にと、(れい)(いそ)()でたまひて、(かろ)らかにうち()せたまへれば、右近(うこん)()りぬる。 いさよふつきに、ゆくりなくあくがれんことを、をんなおもひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかにくもがくれて、そらいとをかし。はしたなきほどにならぬさきにと、れいいそでたまひて、かろらかにうちせたまへれば、うこんりぬる。
044.3.2194176 そのわたり(ちか)きなにがしの(ゐん)におはしまし()きて、(あづか)()()づるほど、()れたる(かど)(しの)草茂(ぐさしげ)りて見上(みあ)げられたる、たとしへなく木暗(こぐら)し。(きり)(ふか)く、(つゆ)けきに、(すだれ)をさへ()げたまへれば、御袖(おほんそで)もいたく()れにけり。 そのわたりちかきなにがしのゐんにおはしましきて、あづかづるほど、れたるかどしのぐさしげりてみあげられたる、たとしへなくこぐらし。きりふかく、つゆけきに、すだれをさへげたまへれば、おほんそでもいたくれにけり。
044.3.3195177 「まだかやうなることを()らはざりつるを、心尽(こころづ)くしなることにもありけるかな。 "まだかやうなることをらはざりつるを、こころづくしなることにもありけるかな。
044.3.4196178 いにしへもかくやは(ひと)(まど)ひけむ<BR/>()がまだ()らぬしののめの(みち) いにしへもかくやはひとまどひけん<BR/>がまだらぬしののめのみち
044.3.5197179 ()らひたまへりや」 らひたまへりや。"
044.3.6198180 とのたまふ。(をんな)()ぢらひて、 とのたまふ。をんなぢらひて、
044.3.7199181 (やま)()(こころ)()らで()(つき)は<BR/>うはの(そら)にて(かげ)()えなむ "〔やまこころらでつきは<BR/>うはのそらにてかげえなん
044.3.8200182 心細(こころぼそ)く」 こころぼそく。"
044.3.9201183 とて、もの(おそ)ろしうすごげに(おも)ひたれば、「かのさし(つど)ひたる()まひの()らひならむ」と、をかしく(おぼ)す。 とて、ものおそろしうすごげにおもひたれば、"かのさしつどひたるまひのらひならん"と、をかしくおぼす。
044.3.10202184 御車入(みくるまい)れさせて、西(にし)(たい)御座(おまし)などよそふほど、高欄(かうらん)御車(みくるま)ひきかけて()ちたまへり。右近(うこん)(えん)なる心地(ここち)して、()(かた)のことなども、人知(ひとし)れず(おも)()でけり。(あづか)りいみじく経営(けいめい)しありく気色(けしき)に、この(おほん)ありさま()りはてぬ。 みくるまいれさせて、にしたいおましなどよそふほど、かうらんみくるまひきかけてちたまへり。うこんえんなるここちして、かたのことなども、ひとしれずおもでけり。あづかりいみじくけいめいしありくけしきに、このおほんありさまりはてぬ。
044.3.11203185 ほのぼのと物見(ものみ)ゆるほどに、()りたまひぬめり。かりそめなれど、(きよ)げにしつらひたり。 ほのぼのとものみゆるほどに、りたまひぬめり。かりそめなれど、きよげにしつらひたり。
044.3.12204186 御供(おほんとも)(ひと)もさぶらはざりけり。不便(ふびん)なるわざかな」とて、むつましき下家司(しもげいし)にて、殿(との)にも(つか)うまつる(もの)なりければ、(まゐ)りよりて、「さるべき人召(ひとめ)すべきにや」など、(まう)さすれど、 "おほんともひともさぶらはざりけり。ふびんなるわざかな。"とて、むつましきしもげいしにて、とのにもつかうまつるものなりければ、まゐりよりて、"さるべきひとめすべきにや。"など、まうさすれど、
044.3.13205187 「ことさらに人来(ひとく)まじき(かく)家求(がもと)めたるなり。さらに(こころ)よりほかに()らすな」と(くち)がためさせたまふ。 "ことさらにひとくまじきかくがもとめたるなり。さらにこころよりほかにらすな。"とくちがためさせたまふ。
044.3.14206188 御粥(おほんかゆ)など(いそ)(まゐ)らせたれど、()()(おほん)まかなひうち()はず。まだ()らぬことなる御旅寝(おほんたびね)に、「息長川(おきながかは)」と(ちぎ)りたまふことよりほかのことなし。 おほんかゆなどいそまゐらせたれど、おほんまかなひうちはず。まだらぬことなるおほんたびねに、"おきながかは"とちぎりたまふことよりほかのことなし。
044.3.15207189 ()たくるほどに()きたまひて、格子手(かうして)づから()げたまふ。いといたく()れて、人目(ひとめ)もなくはるばると見渡(みわた)されて、木立(こだち)いとうとましくものふりたり。け(ぢか)草木(くさき)などは、ことに見所(みどころ)なく、みな(あき)()らにて、(いけ)水草(みくさ)(うづ)もれたれば、いとけうとげになりにける(ところ)かな。別納(べちなふ)(かた)にぞ、曹司(ざうし)などして、人住(ひとす)むべかめれど、こなたは(はな)れたり。 たくるほどにきたまひて、かうしてづからげたまふ。いといたくれて、ひとめもなくはるばるとみわたされて、こだちいとうとましくものふりたり。けぢかくさきなどは、ことにみどころなく、みなあきらにて、いけみくさうづもれたれば、いとけうとげになりにけるところかな。べちなふかたにぞ、ざうしなどして、ひとすむべかめれど、こなたははなれたり。
044.3.16208190 「けうとくもなりにける(ところ)かな。さりとも、(おに)なども(われ)をば見許(みゆる)してむ」とのたまふ。 "けうとくもなりにけるところかな。さりとも、おになどもわれをばみゆるしてん。"とのたまふ。
044.3.17209191 (かほ)はなほ(かく)したまへれど、(をんな)のいとつらしと(おも)へれば、「げに、かばかりにて(へだ)てあらむも、ことのさまに(たが)ひたり」と(おぼ)して、 かほはなほかくしたまへれど、をんなのいとつらしとおもへれば、"げに、かばかりにてへだてあらんも、ことのさまにたがひたり"とおぼして、
044.3.18210192 夕露(ゆふつゆ)(ひも)とく(はな)玉鉾(たまぼこ)の<BR/>たよりに()えし()にこそありけれ "〔ゆふつゆひもとくはなたまぼこの<BR/>たよりにえしにこそありけれ
044.3.19211193 (つゆ)(ひかり)やいかに」 つゆひかりやいかに。"
044.3.20212194 とのたまへば、後目(しりめ)()おこせて、 とのたまへば、しりめおこせて、
044.3.21213195 (ひかり)ありと()夕顔(ゆふがほ)のうは(つゆ)は<BR/>たそかれ(どき)のそら()なりけり」 "〔ひかりありとゆふがほのうはつゆは<BR/>たそかれどきのそらなりけり〕
044.3.22214196 とほのかに()ふ。をかしと(おぼ)しなす。げに、うちとけたまへるさま、()になく、(ところ)から、まいてゆゆしきまで()えたまふ。 とほのかにふ。をかしとおぼしなす。げに、うちとけたまへるさま、になく、ところから、まいてゆゆしきまでえたまふ。
044.3.23215197 ()きせず(へだ)てたまへるつらさに、あらはさじと(おも)ひつるものを。(いま)だに()のりしたまへ。いとむくつけし」 "きせずへだてたまへるつらさに、あらはさじとおもひつるものを。いまだにのりしたまへ。いとむくつけし。"
044.3.24216198 とのたまへど、「海人(あま)()なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。 とのたまへど、"あまなれば。"とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。
044.3.25217199 「よし、これも(われ)からなめり」と、(うら)みかつは(かた)らひ、()らしたまふ。 "よし、これもわれからなめり。"と、うらみかつはかたらひ、らしたまふ。
044.3.26218200 惟光(これみつ)(たづ)ねきこえて、(おほん)くだものなど(まゐ)らす。右近(うこん)()はむこと、さすがにいとほしければ、(ちか)くもえさぶらひ()らず。「かくまでたどり(あり)きたまふ、をかしう、さもありぬべきありさまにこそは」と()(はか)るにも、「()がいとよく(おも)()りぬべかりしことを、(ゆづ)りきこえて、(こころ)ひろさよ」など、めざましう(おも)ひをる。 これみつたづねきこえて、おほんくだものなどまゐらす。うこんはんこと、さすがにいとほしければ、ちかくもえさぶらひらず。"かくまでたどりありきたまふ、をかしう、さもありぬべきありさまにこそは。"とはかるにも、"がいとよくおもりぬべかりしことを、ゆづりきこえて、こころひろさよ。"など、めざましうおもひをる。
044.3.27219201 たとしへなく(しづ)かなる(ゆふ)べの(そら)(なが)めたまひて、(おく)(かた)(くら)うものむつかしと、(をんな)(おも)ひたれば、(はし)(すだれ)()げて、()()したまへり。夕映(ゆふば)えを見交(みか)はして、(をんな)も、かかるありさまを、(おも)ひのほかにあやしき心地(ここち)はしながら、よろづの(なげ)(わす)れて、すこしうちとけゆく気色(けしき)、いとらうたし。つと(おほん)かたはらに()()らして、(もの)をいと(おそ)ろしと(おも)ひたるさま、(わか)心苦(こころぐる)し。格子(かうし)とく()ろしたまひて、大殿油参(おほとなぶらまゐ)らせて、「名残(なご)りなくなりにたる(おほん)ありさまにて、なほ(こころ)のうちの(へだ)(のこ)したまへるなむつらき」と、(うら)みたまふ。 たとしへなくしづかなるゆふべのそらながめたまひて、おくかたくらうものむつかしと、をんなおもひたれば、はしすだれげて、したまへり。ゆふばえをみかはして、をんなも、かかるありさまを、おもひのほかにあやしきここちはしながら、よろづのなげわすれて、すこしうちとけゆくけしき、いとらうたし。つとおほんかたはらにらして、ものをいとおそろしとおもひたるさま、わかこころぐるし。かうしとくろしたまひて、おほとなぶらまゐらせて、"なごりなくなりにたるおほんありさまにて、なほこころのうちのへだのこしたまへるなんつらき。"と、うらみたまふ。
044.3.28220202 内裏(うち)に、いかに(もと)めさせたまふらむを、いづこに(たづ)ぬらむ」と、(おぼ)しやりて、かつは、「あやしの(こころ)や。六条(ろくでう)わたりにも、いかに(おも)(みだ)れたまふらむ。(うら)みられむに、(くる)しう、ことわりなり」と、いとほしき(すぢ)は、まづ(おも)ひきこえたまふ。何心(なにごころ)もなきさしむかひを、あはれと(おぼ)すままに、「あまり心深(こころふか)く、()(ひと)(くる)しき(おほん)ありさまを、すこし()()てばや」と、(おも)(くら)べられたまひける。 "うちに、いかにもとめさせたまふらんを、いづこにたづぬらん。"と、おぼしやりて、かつは、"あやしのこころや。ろくでうわたりにも、いかにおもみだれたまふらん。うらみられんに、くるしう、ことわりなり。"と、いとほしきすぢは、まづおもひきこえたまふ。なにごころもなきさしむかひを、あはれとおぼすままに、"あまりこころふかく、ひとくるしきおほんありさまを、すこしてばや"と、おもくらべられたまひける。
044.4221203第四段 夜半、もののけ現われる
044.4.1222204 宵過(よひす)ぐるほど、すこし寝入(ねい)りたまへるに、御枕上(おほんまくらがみ)に、いとをかしげなる(をんな)ゐて、 よひすぐるほど、すこしねいりたまへるに、おほんまくらがみに、いとをかしげなるをんなゐて、
044.4.2223205 (おの)がいとめでたしと()たてまつるをば、(たづ)(おも)ほさで、かく、ことなることなき(ひと)()ておはして、(とき)めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」 "おのがいとめでたしとたてまつるをば、たづおもほさで、かく、ことなることなきひとておはして、ときめかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ。"
044.4.3224206 とて、この(おほん)かたはらの(ひと)をかき()こさむとす、と()たまふ。 とて、このおほんかたはらのひとをかきこさんとす、とたまふ。
044.4.4225207 (もの)(おそ)はるる心地(ここち)して、おどろきたまへれば、()()えにけり。うたて(おぼ)さるれば、太刀(たち)()()きて、うち()きたまひて、右近(うこん)()こしたまふ。これも(おそ)ろしと(おも)ひたるさまにて、(まゐ)()れり。 ものおそはるるここちして、おどろきたまへれば、えにけり。うたておぼさるれば、たちきて、うちきたまひて、うこんこしたまふ。これもおそろしとおもひたるさまにて、まゐれり。
044.4.5226208 渡殿(わたどの)なる宿直人起(とのゐびとお)こして、『紙燭(しそく)さして(まゐ)れ』と()へ」とのたまへば、 "わたどのなるとのゐびとおこして、'しそくさしてまゐれ。'とへ。"とのたまへば、
044.4.6227209 「いかでかまからむ。(くら)うて」と()へば、 "いかでかまからん。くらうて。"とへば、
044.4.7228210 「あな、若々(わかわか)し」と、うち(わら)ひたまひて、()をたたきたまへば、山彦(やまびこ)(こた)ふる(こゑ)、いとうとまし。(ひと)()きつけで(まゐ)らぬに、この女君(をんなぎみ)、いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと(おも)へり。(あせ)もしとどになりて、(われ)かの気色(けしき)なり。 "あな、わかわかし。"と、うちわらひたまひて、をたたきたまへば、やまびここたふるこゑ、いとうとまし。ひときつけでまゐらぬに、このをんなぎみ、いみじくわななきまどひて、いかさまにせんとおもへり。あせもしとどになりて、われかのけしきなり。
044.4.8229211 物怖(ものお)ぢをなむわりなくせさせたまふ本性(ほんじゃう)にて、いかに(おぼ)さるるにか」と、右近(うこん)()こゆ。「いとか(よわ)くて、(ひる)(そら)をのみ()つるものを、いとほし」と(おぼ)して、 "ものおぢをなんわりなくせさせたまふほんじゃうにて、いかにおぼさるるにか"と、うこんこゆ。"いとかよわくて、ひるそらをのみつるものを、いとほし。"とおぼして、
044.4.9230212 (われ)(ひと)()こさむ。()たたけば、山彦(やまびこ)(こた)ふる、いとうるさし。ここに、しばし、(ちか)く」 "われひとこさん。たたけば、やまびここたふる、いとうるさし。ここに、しばし、ちかく。"
044.4.10231213 とて、右近(うこん)()()せたまひて、西(にし)妻戸(つまど)()でて、()()()けたまへれば、渡殿(わたどの)()()えにけり。 とて、うこんせたまひて、にしつまどでて、けたまへれば、わたどのえにけり。
044.4.11232214 (かぜ)すこしうち()きたるに、(ひと)(すく)なくて、さぶらふ(かぎ)りみな()たり。この(ゐん)(あづか)りの()、むつましく使(つか)ひたまふ(わか)(をのこ)、また上童一人(うへわらはひとり)(れい)随身(ずいじん)ばかりぞありける。()せば、御答(おほんこた)へして()きたれば、 かぜすこしうちきたるに、ひとすくなくて、さぶらふかぎりみなたり。このゐんあづかりの、むつましくつかひたまふわかをのこ、またうへわらはひとりれいずいじんばかりぞありける。せば、おほんこたへしてきたれば、
044.4.12233215 紙燭(しそく)さして(まゐ)れ。『随身(ずいじん)も、弦打(つるうち)して、()えず(こわ)づくれ』と(おほ)せよ。人離(ひとはな)れたる(ところ)に、(こころ)とけて()ぬるものか。惟光朝臣(これみつのあそん)()たりつらむは」と、()はせたまへば、 "しそくさしてまゐれ。'ずいじんも、つるうちして、えずこわづくれ'とおほせよ。ひとはなれたるところに、こころとけてぬるものか。これみつのあそんたりつらんは。"と、はせたまへば、
044.4.13234216 「さぶらひつれど、(おほ)(ごと)もなし。(あかつき)御迎(おほんむか)へに(まゐ)るべきよし(まう)してなむ、まかではべりぬる」と()こゆ。この、かう(まう)(もの)は、滝口(たきぐち)なりければ、弓弦(ゆづる)いとつきづきしくうち()らして、「()あやふし」と()()ふ、(あづか)りが曹司(ざうし)(かた)()ぬなり。内裏(うち)(おぼ)しやりて、「名対面(なだいめん)()ぎぬらむ、滝口(たきぐち)宿直奏(とのゐまう)し、(いま)こそ」と、()(はか)りたまふは、まだ、いたう()けぬにこそは。 "さぶらひつれど、おほごともなし。あかつきおほんむかへにまゐるべきよしまうしてなん、まかではべりぬる。"とこゆ。この、かうまうものは、たきぐちなりければ、ゆづるいとつきづきしくうちらして、"あやふし"とふ、あづかりがざうしかたぬなり。うちおぼしやりて、"なだいめんぎぬらん、たきぐちとのゐまうし、いまこそ。"と、はかりたまふは、まだ、いたうけぬにこそは。
044.4.14235217 (かへ)()りて、(さぐ)りたまへば、女君(をんなぎみ)はさながら()して、右近(うこん)はかたはらにうつぶし()したり。 かへりて、さぐりたまへば、をんなぎみはさながらして、うこんはかたはらにうつぶししたり。
044.4.15236218 「こはなぞ。あな、もの(ぐる)ほしの物怖(ものお)ぢや。()れたる(ところ)は、(きつね)などやうのものの、(ひと)(おび)やかさむとて、け(おそ)ろしう(おも)はするならむ。まろあれば、さやうのものには(おど)されじ」とて、()()こしたまふ。 "こはなぞ。あな、ものぐるほしのものおぢや。れたるところは、きつねなどやうのものの、ひとおびやかさんとて、けおそろしうおもはするならん。まろあれば、さやうのものにはおどされじ。"とて、こしたまふ。
044.4.16237219 「いとうたて、(みだ)心地(ごこち)()しうはべれば、うつぶし()してはべるや。御前(おまへ)にこそわりなく(おぼ)さるらめ」と()へば、 "いとうたて、みだごこちしうはべれば、うつぶししてはべるや。おまへにこそわりなくおぼさるらめ。"とへば、
044.4.17238220 「そよ。などかうは」とて、かい(さぐ)りたまふに、(いき)もせず。()(うご)かしたまへど、なよなよとして、(われ)にもあらぬさまなれば、「いといたく(わか)びたる(ひと)にて、(もの)にけどられぬるなめり」と、せむかたなき心地(ここち)したまふ。 "そよ。などかうは。"とて、かいさぐりたまふに、いきもせず。うごかしたまへど、なよなよとして、われにもあらぬさまなれば、"いといたくわかびたるひとにて、ものにけどられぬるなめり。"と、せんかたなきここちしたまふ。
044.4.18239221 紙燭持(しそくも)(まゐ)れり。右近(うこん)(うご)くべきさまにもあらねば、(ちか)御几帳(みきちゃう)()()せて、 しそくもまゐれり。うこんうごくべきさまにもあらねば、ちかみきちゃうせて、
044.4.19240222 「なほ()(まゐ)れ」 "なほまゐれ。"
044.4.20241223 とのたまふ。(れい)ならぬことにて、御前近(おまへちか)くもえ(まゐ)らぬ、つつましさに、長押(なげし)にもえ(のぼ)らず。 とのたまふ。れいならぬことにて、おまへちかくもえまゐらぬ、つつましさに、なげしにもえのぼらず。
044.4.21242225 「なほ()()や、(ところ)(したが)ひてこそ」 "なほや。ところしたがひてこそ。"
044.4.22243226 とて、()()せて()たまへば、ただこの枕上(まくらがみ)に、(ゆめ)()えつる容貌(かたち)したる(をんな)面影(おもかげ)()えて、ふと()()せぬ。 とて、せてたまへば、ただこのまくらがみに、ゆめえつるかたちしたるをんなおもかげえて、ふとせぬ。
044.4.23244227 (むかし)物語(ものがたり)などにこそ、かかることは()け」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「この(ひと)いかになりぬるぞ」と(おも)ほす心騒(こころさわ)ぎに、()(うへ)()られたまはず、()()して、「やや」と、おどろかしたまへど、ただ()えに()()りて、(いき)()()()てにけり。()はむかたなし。(たの)もしく、いかにと()()れたまふべき(ひと)もなし。法師(ほふし)などをこそは、かかる(かた)(たの)もしきものには(おぼ)すべけれど。さこそ(つよ)がりたまへど、(わか)御心(みこころ)にて、いふかひなくなりぬるを()たまふに、やるかたなくて、つと(いだ)きて、 "むかしものがたりなどにこそ、かかることはけ。"と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、"このひといかになりぬるぞ。"とおもほすこころさわぎに、うへられたまはず、して、"やや。"と、おどろかしたまへど、ただえにりて、いきてにけり。はんかたなし。たのもしく、いかにとれたまふべきひともなし。ほふしなどをこそは、かかるかたたのもしきものにはおぼすべけれど。さこそつよがりたまへど、わかみこころにて、いふかひなくなりぬるをたまふに、やるかたなくて、つといだきて、
044.4.24245228 「あが(きみ)()()でたまへ。いといみじき()()せたまひそ」 "あがきみでたまへ。いといみじきせたまひそ。"
044.4.25246229 とのたまへど、()()りにたれば、けはひものうとくなりゆく。 とのたまへど、りにたれば、けはひものうとくなりゆく。
044.4.26247230 右近(うこん)は、ただ「あな、むつかし」と(おも)ひける心地(ここち)みな()めて、()(まど)ふさまいといみじ。 うこんは、ただ"あな、むつかし"とおもひけるここちみなめて、まどふさまいといみじ。
044.4.27248231 南殿(なでん)(おに)の、なにがしの大臣脅(おとどおび)やかしけるたとひを(おぼ)()でて、心強(こころづよ)く、 なでんおにの、なにがしのおとどおびやかしけるたとひをおぼでて、こころづよく、
044.4.28249232 「さりとも、いたづらになり()てたまはじ。(よる)(こゑ)はおどろおどろし。あなかま」 "さりとも、いたづらになりてたまはじ。よるこゑはおどろおどろし。あなかま。"
044.4.29250233 (いさ)めたまひて、いとあわたたしきに、あきれたる心地(ここち)したまふ。 いさめたまひて、いとあわたたしきに、あきれたるここちしたまふ。
044.4.30251234 この(をとこ)()して、 このをとこして、
044.4.31252235 「ここに、いとあやしう、(もの)(おそ)はれたる(ひと)のなやましげなるを、ただ(いま)惟光朝臣(これみつのあそん)宿(やど)(ところ)にまかりて、(いそ)(まゐ)るべきよし()へ、と(おほ)せよ。なにがし阿闍梨(あざり)、そこにものするほどならば、ここに()べきよし、(しの)びて()へ。かの尼君(あまぎみ)などの()かむに、おどろおどろしく()ふな。かかる(あり)(ゆる)さぬ(ひと)なり」 "ここに、いとあやしう、ものおそはれたるひとのなやましげなるを、ただいまこれみつのあそんやどところにまかりて、いそまゐるべきよしへ、とおほせよ。なにがしあざり、そこにものするほどならば、ここにべきよし、しのびてへ。かのあまぎみなどのかんに、おどろおどろしくふな。かかるありゆるさぬひとなり。"
044.4.32253236 など、(もの)のたまふやうなれど、胸塞(むねふた)がりて、この(ひと)(むな)しくしなしてむことのいみじく(おぼ)さるるに()へて、大方(おほかた)のむくむくしさ、たとへむ(かた)なし。 など、もののたまふやうなれど、むねふたがりて、このひとむなしくしなしてんことのいみじくおぼさるるにへて、おほかたのむくむくしさ、たとへんかたなし。
044.4.33254237 夜中(よなか)()ぎにけむかし、(かぜ)のやや荒々(あらあら)しう()きたるは。まして、(まつ)(ひび)き、木深(こぶか)()こえて、気色(けしき)ある(とり)のから(ごゑ)()きたるも、「(ふくろふ)」はこれにやとおぼゆ。うち(おも)ひめぐらすに、こなたかなた、けどほく(うと)ましきに、人声(ひとごゑ)はせず、「などて、かくはかなき宿(やど)りは()りつるぞ」と、(くや)しさもやらむ(かた)なし。 よなかぎにけんかし、かぜのややあらあらしうきたるは。まして、まつひびき、こぶかこえて、けしきあるとりのからごゑきたるも、"ふくろふ"はこれにやとおぼゆ。うちおもひめぐらすに、こなたかなた、けどほくうとましきに、ひとごゑはせず、"などて、かくはかなきやどりはりつるぞ。"と、くやしさもやらんかたなし。
044.4.34255238 右近(うこん)は、(もの)もおぼえず、(きみ)につと()ひたてまつりて、わななき()ぬべし。「また、これもいかならむ」と、(こころ)そらにて(とら)へたまへり。我一人(われひとり)さかしき(ひと)にて、(おぼ)しやる(かた)ぞなきや。 うこんは、ものもおぼえず、きみにつとひたてまつりて、わななきぬべし。"また、これもいかならん。"と、こころそらにてとらへたまへり。われひとりさかしきひとにて、おぼしやるかたぞなきや。
044.4.35256239 ()はほのかにまたたきて、母屋(もや)(きは)()てたる屏風(びゃうぶ)(かみ)、ここかしこの隈々(くまぐま)しくおぼえたまふに、(もの)足音(あしおと)、ひしひしと()()らしつつ、(うし)ろより()()心地(ここち)す。「惟光(これみつ)、とく(まゐ)らなむ」と(おぼ)す。ありか(さだ)めぬ(もの)にて、ここかしこ(たづ)ねけるほどに、()()くるほどの(ひさ)しさは、千夜(ちよ)()ぐさむ心地(ここち)したまふ。 はほのかにまたたきて、もやきはてたるびゃうぶかみ、ここかしこのくまぐましくおぼえたまふに、ものあしおと、ひしひしとらしつつ、うしろよりここちす。"これみつ、とくまゐらなん。"とおぼす。ありかさだめぬものにて、ここかしこたづねけるほどに、くるほどのひさしさは、ちよぐさんここちしたまふ。
044.4.36257240 からうして、(とり)(こゑ)はるかに()こゆるに、「(いのち)をかけて、(なに)(ちぎ)りに、かかる()()るらむ。()(こころ)ながら、かかる(すぢ)に、おほけなくあるまじき(こころ)(むく)いに、かく、()方行(かたゆ)(さき)(ためし)となりぬべきことはあるなめり。(しの)ぶとも、()にあること(かく)れなくて、内裏(うち)()こし()さむをはじめて、(ひと)(おも)()はむこと、よからぬ(わらは)べの(くち)ずさびになるべきなめり。ありありて、をこがましき()をとるべきかな」と、(おぼ)しめぐらす。 からうして、とりこゑはるかにこゆるに、"いのちをかけて、なにちぎりに、かかるるらん。こころながら、かかるすぢに、おほけなくあるまじきこころむくいに、かく、かたゆさきためしとなりぬべきことはあるなめり。しのぶとも、にあることかくれなくて、うちこしさんをはじめて、ひとおもはんこと、よからぬわらはべのくちずさびになるべきなめり。ありありて、をこがましきをとるべきかな。"と、おぼしめぐらす。
044.5258241第五段 源氏、二条院に帰る
044.5.1259242 からうして、惟光朝臣参(これみつのあそんまゐ)れり。夜中(よなか)(あかつき)といはず、御心(みこころ)(したが)へる(もの)の、今宵(こよひ)しもさぶらはで、()しにさへおこたりつるを、(にく)しと(おぼ)すものから、()()れて、のたまひ()でむことのあへなきに、ふとも物言(ものい)はれたまはず。右近(うこん)大夫(たいふ)のけはひ()くに、(はじ)めよりのこと、うち(おも)()でられて()くを、(きみ)もえ()へたまはで、我一人(われひとり)さかしがり(いだ)()たまへりけるに、この(ひと)(いき)をのべたまひてぞ、(かな)しきことも(おぼ)されける、とばかり、いといたく、えもとどめず()きたまふ。 からうして、これみつのあそんまゐれり。よなかあかつきといはず、みこころしたがへるものの、こよひしもさぶらはで、しにさへおこたりつるを、にくしとおぼすものから、れて、のたまひでんことのあへなきに、ふともものいはれたまはず。うこんたいふのけはひくに、はじめよりのこと、うちおもでられてくを、きみもえへたまはで、われひとりさかしがりいだたまへりけるに、このひといきをのべたまひてぞ、かなしきこともおぼされける、とばかり、いといたく、えもとどめずきたまふ。
044.5.2260243 ややためらひて、「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと()ふにもあまりてなむある。かかるとみの(こと)には、誦経(ずきゃう)などをこそはすなれとて、その(こと)どももせさせむ。(がん)なども()てさせむとて、阿闍梨(あざり)ものせよ、と()ひつるは」とのたまふに、 ややためらひて、"ここに、いとあやしきことのあるを、あさましとふにもあまりてなんある。かかるとみのことには、ずきゃうなどをこそはすなれとて、そのことどももせさせん。がんなどもてさせんとて、あざりものせよ、とひつるは。"とのたまふに、
044.5.3261244 昨日(きのふ)(やま)へまかり(のぼ)りにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、(れい)ならず御心地(みここち)ものせさせたまふことやはべりつらむ」 "きのふやまへまかりのぼりにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、れいならずみここちものせさせたまふことやはべりつらん。"
044.5.4262245 「さることもなかりつ」とて、()きたまふさま、いとをかしげにらうたく、()たてまつる(ひと)もいと(かな)しくて、おのれもよよと()きぬ。 "さることもなかりつ。"とて、きたまふさま、いとをかしげにらうたく、たてまつるひともいとかなしくて、おのれもよよときぬ。
044.5.5263246 さいへど、(とし)うちねび、()(なか)のとあることと、しほじみぬる(ひと)こそ、もののをりふしは(たの)もしかりけれ、いづれもいづれも(わか)きどちにて、()はむ(かた)もなけれど、 さいへど、としうちねび、なかのとあることと、しほじみぬるひとこそ、もののをりふしはたのもしかりけれ、いづれもいづれもわかきどちにて、はんかたもなけれど、
044.5.6264247 「この院守(ゐんもり)などに()かせむことは、いと便(びん)なかるべし。この人一人(ひとひとり)こそ(むつま)しくもあらめ、おのづから物言(ものい)()らしつべき眷属(けんぞく)()ちまじりたらむ。まづ、この(ゐん)()でおはしましね」と()ふ。 "このゐんもりなどにかせんことは、いとびんなかるべし。このひとひとりこそむつましくもあらめ、おのづからものいらしつべきけんぞくちまじりたらん。まづ、このゐんでおはしましね。"とふ。
044.5.7265248 「さて、これより人少(ひとずく)ななる(ところ)はいかでかあらむ」とのたまふ。 "さて、これよりひとずくななるところはいかでかあらん。"とのたまふ。
044.5.8266249 「げに、さぞはべらむ。かの故里(ふるさと)は、女房(にょうばう)などの、(かな)しびに()へず、()(まど)ひはべらむに、(となり)しげく、とがむる里人多(さとびとおほ)くはべらむに、おのづから()こえはべらむを、山寺(やまでら)こそ、なほかやうのこと、おのづから()きまじり、物紛(ものまぎ)るることはべらめ」と、(おも)ひまはして、 "げに、さぞはべらん。かのふるさとは、にょうばうなどの、かなしびにへず、まどひはべらんに、となりしげく、とがむるさとびとおほくはべらんに、おのづからこえはべらんを、やまでらこそ、なほかやうのこと、おのづからきまじり、ものまぎるることはべらめ。"と、おもひまはして、
044.5.9267250 (むかし)()たまへし女房(にょうばう)の、(あま)にてはべる東山(ひんがしやま)(あたり)に、(うつ)したてまつらむ。惟光(これみつ)(ちち)朝臣(あそん)乳母(めのと)にはべりし(もの)の、みづはぐみて()みはべるなり。(あた)りは、(ひと)しげきやうにはべれど、いとかごかにはべり」 "むかしたまへしにょうばうの、あまにてはべるひんがしやまあたりに、うつしたてまつらん。これみつちちあそんめのとにはべりしものの、みづはぐみてみはべるなり。あたりは、ひとしげきやうにはべれど、いとかごかにはべり。"
044.5.10268251 ()こえて、()けはなるるほどの(まぎ)れに、御車寄(みくるまよ)す。 こえて、けはなるるほどのまぎれに、みくるまよす。
044.5.11269252 この(ひと)をえ(いだ)きたまふまじければ、上蓆(うはむしろ)におしくくみて、惟光乗(これみつの)せたてまつる。いとささやかにて、(うと)ましげもなく、らうたげなり。したたかにしもえせねば、(かみ)はこぼれ()でたるも、()くれ(まど)ひて、あさましう(かな)し、と(おぼ)せば、なり()てむさまを()むと(おぼ)せど、 このひとをえいだきたまふまじければ、うはむしろにおしくくみて、これみつのせたてまつる。いとささやかにて、うとましげもなく、らうたげなり。したたかにしもえせねば、かみはこぼれでたるも、くれまどひて、あさましうかなし、とおぼせば、なりてんさまをんとおぼせど、
044.5.12270253 「はや、御馬(おほんむま)にて、二条院(にでうのゐん)へおはしまさむ。人騒(ひとさわ)がしくなりはべらぬほどに」 "はや、おほんむまにて、にでうのゐんへおはしまさん。ひとさわがしくなりはべらぬほどに。"
044.5.13271254 とて、右近(うこん)()へて()すれば、徒歩(かち)より、(きみ)(むま)はたてまつりて、くくり()()げなどして、かつは、いとあやしく、おぼえぬ(おく)りなれど、御気色(みけしき)のいみじきを()たてまつれば、()()てて()くに、(きみ)(もの)もおぼえたまはず、(われ)かのさまにて、おはし()きたり。 とて、うこんへてすれば、かちより、きみむまはたてまつりて、くくりげなどして、かつは、いとあやしく、おぼえぬおくりなれど、みけしきのいみじきをたてまつれば、ててくに、きみものもおぼえたまはず、われかのさまにて、おはしきたり。
044.5.14272255 (ひと)びと、「いづこより、おはしますにか。なやましげに()えさせたまふ」など()へど、御帳(みちゃう)(うち)()りたまひて、(むね)をおさへて(おも)ふに、いといみじければ、「などて、()()ひて()かざりつらむ。()(かへ)りたらむ(とき)、いかなる心地(ここち)せむ。見捨(みす)てて()きあかれにけりと、つらくや(おも)はむ」と、心惑(こころまど)ひのなかにも、(おも)ほすに、御胸(おほんむね)せきあぐる心地(ここち)したまふ。御頭(みぐし)(いた)く、()(あつ)心地(ここち)して、いと(くる)しく、(まど)はれたまへば、「かくはかなくて、(われ)もいたづらになりぬるなめり」と(おぼ)す。 ひとびと、"いづこより、おはしますにか。なやましげにえさせたまふ。"などへど、みちゃううちりたまひて、むねをおさへておもふに、いといみじければ、"などて、ひてかざりつらん。かへりたらんとき、いかなるここちせん。みすててきあかれにけりと、つらくやおもはん。"と、こころまどひのなかにも、おもほすに、おほんむねせきあぐるここちしたまふ。みぐしいたく、あつここちして、いとくるしく、まどはれたまへば、"かくはかなくて、われもいたづらになりぬるなめり。"とおぼす。
044.5.15273256 日高(ひたか)くなれど、()()がりたまはねば、(ひと)びとあやしがりて、御粥(おほんかゆ)などそそのかしきこゆれど、(くる)しくて、いと心細(こころぼそ)(おぼ)さるるに、内裏(うち)より御使(おほんつかひ)あり。昨日(きのふ)、え(たづ)()でたてまつらざりしより、おぼつかながらせたまふ。大殿(おほとの)君達参(きんだちまゐ)りたまへど、頭中将(とうのちゅうじゃう)ばかりを、「()ちながら、こなたに()りたまへ」とのたまひて、御簾(みす)(うち)ながらのたまふ。 ひたかくなれど、がりたまはねば、ひとびとあやしがりて、おほんかゆなどそそのかしきこゆれど、くるしくて、いとこころぼそおぼさるるに、うちよりおほんつかひあり。きのふ、えたづでたてまつらざりしより、おぼつかながらせたまふ。おほとのきんだちまゐりたまへど、とうのちゅうじゃうばかりを、"ちながら、こなたにりたまへ。"とのたまひて、みすうちながらのたまふ。
044.5.16274257 乳母(めのと)にてはべる(もの)の、この五月(ごがち)のころほひより、(おも)くわづらひはべりしが、頭剃(かしらそ)()むこと()けなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろ、またおこりて、(よわ)くなむなりにたる、『今一度(いまひとたび)、とぶらひ()よ』と(まう)したりしかば、いときなきよりなづさひし(もの)の、(いま)はのきざみに、つらしとや(おも)はむ、と(おも)うたまへてまかれりしに、 "めのとにてはべるものの、このごがちのころほひより、おもくわづらひはべりしが、かしらそむことけなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろ、またおこりて、よわくなんなりにたる、'いまひとたび、とぶらひよ。'とまうしたりしかば、いときなきよりなづさひしものの、いまはのきざみに、つらしとやおもはん、とおもうたまへてまかれりしに、
044.5.17275258 その(いへ)なりける下人(しもびと)の、(やまひ)しけるが、にはかに()であへで()くなりにけるを、()(はばか)りて、()()らしてなむ()()ではべりけるを、()きつけはべりしかば、神事(かんわざ)なるころ、いと不便(ふびん)なること、と(おも)うたまへかしこまりて、え(まゐ)らぬなり。この(あかつき)より、しはぶき()みにやはべらむ、(かしら)いと(いた)くて(くる)しくはべれば、いと無礼(むらい)にて()こゆること」 そのいへなりけるしもびとの、やまひしけるが、にはかにであへでくなりにけるを、はばかりて、らしてなんではべりけるを、きつけはべりしかば、かんわざなるころ、いとふびんなること、とおもうたまへかしこまりて、えまゐらぬなり。このあかつきより、しはぶきみにやはべらん、かしらいといたくてくるしくはべれば、いとむらいにてこゆること。"
044.5.18276259 などのたまふ。中将(ちゅうじゃう) などのたまふ。ちゅうじゃう
044.5.19277260 「さらば、さるよしをこそ(そう)しはべらめ。昨夜(よべ)も、御遊(おほんあそ)びに、かしこく(もと)めたてまつらせたまひて、御気色悪(みけしきあ)しくはべりき」と()こえたまひて、()(かへ)り、「いかなる()()れにかからせたまふぞや。()べやらせたまふことこそ、まことと(おも)うたまへられね」 "さらば、さるよしをこそそうしはべらめ。よべも、おほんあそびに、かしこくもとめたてまつらせたまひて、みけしきあしくはべりき。"とこえたまひて、かへり、"いかなるれにかからせたまふぞや。べやらせたまふことこそ、まこととおもうたまへられね。"
044.5.20278261 ()ふに、(むね)つぶれたまひて、 ふに、むねつぶれたまひて、
044.5.21279262 「かく、こまかにはあらで、ただ、おぼえぬ(けが)らひに()れたるよしを、(そう)したまへ。いとこそたいだいしくはべれ」 "かく、こまかにはあらで、ただ、おぼえぬけがらひにれたるよしを、そうしたまへ。いとこそたいだいしくはべれ。"
044.5.22280263 と、つれなくのたまへど、(こころ)のうちには、()ふかひなく(かな)しきことを(おぼ)すに、御心地(みここち)(なや)ましければ、(ひと)()見合(みあは)せたまはず。蔵人弁(くらうどのべん)()()せて、まめやかにかかるよしを(そう)せさせたまふ。大殿(おほとの)などにも、かかることありて、え(まゐ)らぬ御消息(おほんせうそこ)など()こえたまふ。 と、つれなくのたまへど、こころのうちには、ふかひなくかなしきことをおぼすに、みここちなやましければ、ひとみあはせたまはず。くらうどのべんせて、まめやかにかかるよしをそうせさせたまふ。おほとのなどにも、かかることありて、えまゐらぬおほんせうそこなどこえたまふ。
044.6281264第六段 十七日夜、夕顔の葬送
044.6.1282265 日暮(ひく)れて、惟光参(これみつまゐ)れり。かかる(けが)らひありとのたまひて、(まゐ)(ひと)びとも、皆立(みなた)ちながらまかづれば、(ひと)しげからず。()()せて、 ひくれて、これみつまゐれり。かかるけがらひありとのたまひて、まゐひとびとも、みなたちながらまかづれば、ひとしげからず。せて、
044.6.2283266 「いかにぞ。(いま)はと見果(みは)てつや」 "いかにぞ。いまはとみはてつや。"
044.6.3284267 とのたまふままに、(そで)御顔(おほんかほ)()しあてて()きたまふ。惟光(これみつ)()()く、 とのたまふままに、そでおほんかほしあててきたまふ。これみつく、
044.6.4285268 (いま)(かぎ)りにこそはものしたまふめれ。長々(ながなが)()もりはべらむも便(びん)なきを、明日(あす)なむ、()よろしくはべれば、とかくの(こと)、いと(たふと)老僧(らうそう)の、あひ()りてはべるに、()(かた)らひつけはべりぬる」と()こゆ。 "いまかぎりにこそはものしたまふめれ。ながながもりはべらんもびんなきを、あすなん、よろしくはべれば、とかくのこと、いとたふとらうそうの、あひりてはべるに、かたらひつけはべりぬる。"とこゆ。
044.6.5286269 ()ひたりつる(をんな)はいかに」とのたまへば、 "ひたりつるをんなはいかに。"とのたまへば、
044.6.6287270 「それなむ、また、え()くまじくはべるめる。(われ)(おく)れじと(まど)ひはべりて、今朝(けさ)(たに)()()りぬとなむ()たまへつる。『かの故里人(ふるさとびと)()げやらむ』と(まう)せど、『しばし、(おも)ひしづめよ、と。ことのさま(おも)ひめぐらして』となむ、こしらへおきはべりつる」 "それなん、また、えくまじくはべるめる。われおくれじとまどひはべりて、けさたにりぬとなんたまへつる。'かのふるさとびとげやらん。'とまうせど、'しばし、おもひしづめよ、と。ことのさまおもひめぐらして。'となん、こしらへおきはべりつる。"
044.6.7288271 と、(かた)りきこゆるままに、いといみじと(おぼ)して、 と、かたりきこゆるままに、いといみじとおぼして、
044.6.8289272 (われ)も、いと心地悩(ここちなや)ましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」とのたまふ。 "われも、いとここちなやましく、いかなるべきにかとなんおぼゆる。"とのたまふ。
044.6.9290273 (なに)か、さらに(おも)ほしものせさせたまふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。(ひと)にも()らさじと(おも)うたまふれば、惟光(これみつ)おり()ちて、よろづはものしはべる」など(まう)す。 "なにか、さらにおもほしものせさせたまふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。ひとにもらさじとおもうたまふれば、これみつおりちて、よろづはものしはべる。"などまうす。
044.6.10291274 「さかし。さ皆思(みなおも)ひなせど、()かびたる(こころ)のすさびに、(ひと)をいたづらになしつるかごと()ひぬべきが、いとからきなり。少将(せうしゃう)命婦(みゃうぶ)などにも()かすな。尼君(あまぎみ)ましてかやうのことなど、(いさ)めらるるを、心恥(こころは)づかしくなむおぼゆべき」と、(くち)かためたまふ。 "さかし。さみなおもひなせど、かびたるこころのすさびに、ひとをいたづらになしつるかごとひぬべきが、いとからきなり。せうしゃうみゃうぶなどにもかすな。あまぎみましてかやうのことなど、いさめらるるを、こころはづかしくなんおぼゆべき。"と、くちかためたまふ。
044.6.11292275 「さらぬ法師(ほふし)ばらなどにも、(みな)()ひなすさま(こと)にはべる」 "さらぬほふしばらなどにも、みなひなすさまことにはべる。"
044.6.12293276 ()こゆるにぞ、かかりたまへる。 こゆるにぞ、かかりたまへる。
044.6.13294277 ほの()女房(にょうばう)など、「あやしく、(なに)ごとならむ、(けが)らひのよしのたまひて、内裏(うち)にも(まゐ)りたまはず、また、かくささめき(なげ)きたまふ」と、ほのぼのあやしがる。 ほのにょうばうなど、"あやしく、なにごとならん、けがらひのよしのたまひて、うちにもまゐりたまはず、また、かくささめきなげきたまふ。"と、ほのぼのあやしがる。
044.6.14295278 「さらに(こと)なくしなせ」と、そのほどの作法(さほふ)のたまへど、 "さらにことなくしなせ。"と、そのほどのさほふのたまへど、
044.6.15296279 (なに)か、ことことしくすべきにもはべらず」 "なにか、ことことしくすべきにもはべらず。"
044.6.16297280 とて()つが、いと(かな)しく(おぼ)さるれば、 とてつが、いとかなしくおぼさるれば、
044.6.17298281 便(びん)なしと(おも)ふべけれど、今一度(いまひとたび)、かの亡骸(なきがら)()ざらむが、いといぶせかるべきを、(むま)にてものせむ」 "びんなしとおもふべけれど、いまひとたび、かのなきがらざらんが、いといぶせかるべきを、むまにてものせん。"
044.6.18299282 とのたまふを、いとたいだいしきこととは(おも)へど、 とのたまふを、いとたいだいしきこととはおもへど、
044.6.19300283 「さ(おぼ)されむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜更(よふ)けぬ(さき)(かへ)らせおはしませ」 "さおぼされんは、いかがせん。はや、おはしまして、よふけぬさきかへらせおはしませ。"
044.6.20301284 (まう)せば、このごろの(おほん)やつれにまうけたまへる、(かり)御装束着替(おほんさうぞくきか)へなどして()でたまふ。 まうせば、このごろのおほんやつれにまうけたまへる、かりおほんさうぞくきかへなどしてでたまふ。
044.6.21302285 御心地(みここち)かきくらし、いみじく()へがたければ、かくあやしき(みち)()()ちても、(あやふ)かりし物懲(ものご)りに、いかにせむと(おぼ)しわづらへど、なほ(かな)しさのやる(かた)なく、「ただ(いま)(から)()では、またいつの()にかありし容貌(かたち)をも()む」と、(おぼ)(ねん)じて、(れい)大夫(たいふ)随身(ずいじん)()して()でたまふ。 みここちかきくらし、いみじくへがたければ、かくあやしきみちちても、あやふかりしものごりに、いかにせんとおぼしわづらへど、なほかなしさのやるかたなく、"ただいまからでは、またいつのにかありしかたちをもん。"と、おぼねんじて、れいたいふずいじんしてでたまふ。
044.6.22303286 道遠(みちとほ)くおぼゆ。十七日(じふしちにち)(つき)さし()でて、河原(かはら)のほど、御前駆(おほんさき)()もほのかなるに、鳥辺野(とりべの)(かた)など()やりたるほどなど、ものむつかしきも、(なに)ともおぼえたまはず、かき(みだ)心地(ここち)したまひて、おはし()きぬ。 みちとほくおぼゆ。じふしちにちつきさしでて、かはらのほど、おほんさきもほのかなるに、とりべのかたなどやりたるほどなど、ものむつかしきも、なにともおぼえたまはず、かきみだここちしたまひて、おはしきぬ。
044.6.23304287 (あた)りさへすごきに、板屋(いたや)のかたはらに堂建(だうた)てて(おこな)へる(あま)()まひ、いとあはれなり。御燈明(みあかし)(かげ)、ほのかに()きて()ゆ。その()には、女一人泣(をんなひとりな)(こゑ)のみして、()(かた)に、法師(ほふし)ばら()三人物語(さんにんものがたり)しつつ、わざとの声立(こゑた)てぬ念仏(ねんぶつ)ぞする。寺々(てらでら)初夜(そや)も、みな(おこな)()てて、いとしめやかなり。清水(きよみづ)(かた)ぞ、光多(ひかりおほ)()え、(ひと)のけはひもしげかりける。この尼君(あまぎみ)()なる大徳(だいとこ)声尊(こゑたふと)くて、(きゃう)うち()みたるに、(なみだ)(のこ)りなく(おぼ)さる。 あたりさへすごきに、いたやのかたはらにだうたてておこなへるあままひ、いとあはれなり。みあかしかげ、ほのかにきてゆ。そのには、をんなひとりなこゑのみして、かたに、ほふしばらさんにんものがたりしつつ、わざとのこゑたてぬねんぶつぞする。てらでらそやも、みなおこなてて、いとしめやかなり。きよみづかたぞ、ひかりおほえ、ひとのけはひもしげかりける。このあまぎみなるだいとここゑたふとくて、きゃううちみたるに、なみだのこりなくおぼさる。
044.6.24305288 ()りたまへれば、火取(ひと)(そむ)けて、右近(うこん)屏風隔(びゃうぶへだ)てて()したり。いかにわびしからむと、()たまふ。(おそ)ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか(かは)りたるところなし。()をとらへて、 りたまへれば、ひとそむけて、うこんびゃうぶへだててしたり。いかにわびしからんと、たまふ。おそろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささかかはりたるところなし。をとらへて、
044.6.25306289 (われ)に、今一度(いまひとたび)(こゑ)をだに()かせたまへ。いかなる(むかし)(ちぎ)りにかありけむ、しばしのほどに、(こころ)()くしてあはれに(おも)ほえしを、うち()てて、(まど)はしたまふが、いみじきこと」 "われに、いまひとたびこゑをだにかせたまへ。いかなるむかしちぎりにかありけん、しばしのほどに、こころくしてあはれにおもほえしを、うちてて、まどはしたまふが、いみじきこと。"
044.6.26307290 と、(こゑ)()しまず、()きたまふこと、(かぎ)りなし。 と、こゑしまず、きたまふこと、かぎりなし。
044.6.27308292 大徳(だいとこ)たちも、(たれ)とは()らぬに、あやしと(おも)ひて、(みな)涙落(なみだお)としけり。 だいとこたちも、たれとはらぬに、あやしとおもひて、みななみだおとしけり。
044.6.28309293 右近(うこん)を、「いざ、二条(にでう)へ」とのたまへど、 うこんを、"いざ、にでうへ。"とのたまへど、
044.6.29310294 (とし)ごろ、(をさな)くはべりしより、片時(かたとき)たち(はな)れたてまつらず、()れきこえつる(ひと)に、にはかに(わか)れたてまつりて、いづこにか(かへ)りはべらむ。いかになりたまひにきとか、(ひと)にも()ひはべらむ。(かな)しきことをばさるものにて、(ひと)()(さわ)がれはべらむが、いみじきこと」と()ひて、()(まど)ひて、「(けぶり)にたぐひて、(した)(まゐ)りなむ」と()ふ。 "としごろ、をさなくはべりしより、かたときたちはなれたてまつらず、れきこえつるひとに、にはかにわかれたてまつりて、いづこにかかへりはべらん。いかになりたまひにきとか、ひとにもひはべらん。かなしきことをばさるものにて、ひとさわがれはべらんが、いみじきこと。"とひて、まどひて、"けぶりにたぐひて、したまゐりなん。"とふ。
044.6.30311295 道理(ことわり)なれど、さなむ()(なか)はある。(わか)れと()ふもの、(かな)しからぬはなし。とあるもかかるも、(おな)(いのち)(かぎ)りあるものになむある。(おも)(なぐさ)めて、(われ)(たの)め」と、のたまひこしらへて、「かく()()()こそは、()きとまるまじき心地(ここち)すれ」 "ことわりなれど、さなんなかはある。わかれとふもの、かなしからぬはなし。とあるもかかるも、おないのちかぎりあるものになんある。おもなぐさめて、われたのめ。"と、のたまひこしらへて、"かくこそは、きとまるまじきここちすれ。"
044.6.31312296 とのたまふも、(たの)もしげなしや。 とのたまふも、たのもしげなしや。
044.6.32313297 惟光(これみつ)、「()は、()(がた)になりはべりぬらむ。はや(かへ)らせたまひなむ」 これみつ、"は、がたになりはべりぬらん。はやかへらせたまひなん。"
044.6.33314298 ()こゆれば、(かへ)りみのみせられて、(むね)もつと(ふた)がりて()でたまふ。 こゆれば、かへりみのみせられて、むねもつとふたがりてでたまふ。
044.6.34315299 (みち)いと(つゆ)けきに、いとどしき朝霧(あさぎり)に、いづこともなく(まど)心地(ここち)したまふ。ありしながらうち()したりつるさま、うち()はしたまへりしが、()御紅(おほんくれなゐ)御衣(おほんぞ)()られたりつるなど、いかなりけむ(ちぎ)りにかと(みち)すがら(おぼ)さる。御馬(おほんむま)にも、はかばかしく()りたまふまじき(おほん)さまなれば、また、惟光添(これみつそ)(たす)けておはしまさするに、(つつみ)のほどにて、御馬(おほんむま)よりすべり()りて、いみじく御心地惑(みここちまど)ひければ、 みちいとつゆけきに、いとどしきあさぎりに、いづこともなくまどここちしたまふ。ありしながらうちしたりつるさま、うちはしたまへりしが、おほんくれなゐおほんぞられたりつるなど、いかなりけんちぎりにかとみちすがらおぼさる。おほんむまにも、はかばかしくりたまふまじきおほんさまなれば、また、これみつそたすけておはしまさするに、つつみのほどにて、おほんむまよりすべりりて、いみじくみここちまどひければ、
044.6.35316300 「かかる(みち)(そら)にて、はふれぬべきにやあらむ。さらに、え()()くまじき心地(ここち)なむする」 "かかるみちそらにて、はふれぬべきにやあらん。さらに、えくまじきここちなんする。"
044.6.36317301 とのたまふに、惟光心地惑(これみつここちまど)ひて、「()がはかばかしくは、さのたまふとも、かかる(みち)()()でたてまつるべきかは」と(おも)ふに、いと(こころ)あわたたしければ、(かは)(みづ)()(あら)ひて、清水(きよみづ)観音(かんおん)(ねん)じたてまつりても、すべなく(おも)(まど)ふ。 とのたまふに、これみつここちまどひて、"がはかばかしくは、さのたまふとも、かかるみちでたてまつるべきかは。"とおもふに、いとこころあわたたしければ、かはみづあらひて、きよみづかんおんねんじたてまつりても、すべなくおもまどふ。
044.6.37318302 (きみ)も、しひて御心(みこころ)()こして、(こころ)のうちに(ほとけ)(ねん)じたまひて、また、とかく(たす)けられたまひてなむ、二条院(にでうのゐん)(かへ)りたまひける。 きみも、しひてみこころこして、こころのうちにほとけねんじたまひて、また、とかくたすけられたまひてなん、にでうのゐんかへりたまひける。
044.6.38319303 あやしう夜深(よぶか)御歩(おほんあり)きを、(ひと)びと、「見苦(みぐる)しきわざかな。このごろ、(れい)よりも静心(しづごころ)なき御忍(おほんしの)(あり)きの、しきるなかにも、昨日(きのふ)御気色(みけしき)の、いと(なや)ましう(おぼ)したりしに。いかでかく、たどり(あり)きたまふらむ」と、(なげ)きあへり。 あやしうよぶかおほんありきを、ひとびと、"みぐるしきわざかな。このごろ、れいよりもしづごころなきおほんしのありきの、しきるなかにも、きのふみけしきの、いとなやましうおぼしたりしに。いかでかく、たどりありきたまふらん。"と、なげきあへり。
044.6.39320304 まことに、()したまひぬるままに、いといたく(くる)しがりたまひて、()三日(さんにち)になりぬるに、むげに(よわ)るやうにしたまふ。内裏(うち)にも、()こしめし、(なげ)くこと(かぎ)りなし。御祈(おほんいの)り、方々(かたがた)(ひま)なくののしる。(まつり)(はらへ)修法(すほふ)など、()()くすべくもあらず。()にたぐひなくゆゆしき(おほん)ありさまなれば、()(なが)くおはしますまじきにやと、(あめ)(した)(ひと)(さわ)ぎなり。 まことに、したまひぬるままに、いといたくくるしがりたまひて、さんにちになりぬるに、むげによわるやうにしたまふ。うちにも、こしめし、なげくことかぎりなし。おほんいのり、かたがたひまなくののしる。まつりはらへすほふなど、くすべくもあらず。にたぐひなくゆゆしきおほんありさまなれば、ながくおはしますまじきにやと、あめしたひとさわぎなり。
044.6.40321305 (くる)しき御心地(みここち)にも、かの右近(うこん)()()せて、(つぼね)など(ちか)くたまひて、さぶらはせたまふ。惟光(これみつ)心地(ここち)(さわ)(まど)へど、(おも)ひのどめて、この(ひと)のたづきなしと(おも)ひたるを、もてなし(たす)けつつさぶらはす。 くるしきみここちにも、かのうこんせて、つぼねなどちかくたまひて、さぶらはせたまふ。これみつここちさわまどへど、おもひのどめて、このひとのたづきなしとおもひたるを、もてなしたすけつつさぶらはす。
044.6.41322306 (きみ)は、いささか(ひま)ありて(おぼ)さるる(とき)は、()()でて使(つか)ひなどすれば、ほどなく()じらひつきたり。(ぶく)、いと(くろ)くして、容貌(かたち)などよからねど、かたはに見苦(みぐる)しからぬ若人(わかうど)なり。 きみは、いささかひまありておぼさるるときは、でてつかひなどすれば、ほどなくじらひつきたり。ぶく、いとくろくして、かたちなどよからねど、かたはにみぐるしからぬわかうどなり。
044.6.42323307 「あやしう(みじ)かかりける御契(おほんちぎ)りにひかされて、(われ)()にえあるまじきなめり。(とし)ごろの(たの)(うしな)ひて、心細(こころぼそ)(おも)ふらむ(なぐさ)めにも、もしながらへば、よろづに(はぐく)まむとこそ(おも)ひしか、ほどなくまたたち()ひぬべきが、口惜(くちを)しくもあるべきかな」 "あやしうみじかかりけるおほんちぎりにひかされて、われにえあるまじきなめり。としごろのたのうしなひて、こころぼそおもふらんなぐさめにも、もしながらへば、よろづにはぐくまんとこそおもひしか、ほどなくまたたちひぬべきが、くちをしくもあるべきかな。"
044.6.43324308 と、(しの)びやかにのたまひて、(よわ)げに()きたまへば、()ふかひなきことをばおきて、「いみじく()し」と(おも)ひきこゆ。 と、しのびやかにのたまひて、よわげにきたまへば、ふかひなきことをばおきて、"いみじくし"とおもひきこゆ。
044.6.44325309 殿(との)のうちの(ひと)(あし)(そら)にて(おも)(まど)ふ。内裏(うち)より、御使(おほんつかひ)(あめ)(あし)よりもけにしげし。(おぼ)(なげ)きおはしますを()きたまふに、いとかたじけなくて、せめて(つよ)(おぼ)しなる。大殿(おほとの)経営(けいめい)したまひて、大臣(おとど)日々(ひび)(わた)りたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、二十余日(にじふよにち)、いと(おも)くわづらひたまひつれど、ことなる名残(なごり)のこらず、おこたるさまに()えたまふ。 とののうちのひとあしそらにておもまどふ。うちより、おほんつかひあめあしよりもけにしげし。おぼなげきおはしますをきたまふに、いとかたじけなくて、せめてつよおぼしなる。おほとのけいめいしたまひて、おとどひびわたりたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、にじふよにち、いとおもくわづらひたまひつれど、ことなるなごりのこらず、おこたるさまにえたまふ。
044.6.45326310 (けが)らひ()みたまひしも、(ひと)つに()ちぬる()なれば、おぼつかながらせたまふ御心(みこころ)、わりなくて、内裏(うち)御宿直所(おほんとのゐどころ)(まゐ)りたまひなどす。大殿(おほとの)()御車(みくるま)にて(むか)へたてまつりたまひて、御物忌(おほんものいみ)なにやと、むつかしう(つつし)ませたてまつりたまふ。(われ)にもあらず、あらぬ()によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。 けがらひみたまひしも、ひとつにちぬるなれば、おぼつかながらせたまふみこころ、わりなくて、うちおほんとのゐどころまゐりたまひなどす。おほとのみくるまにてむかへたてまつりたまひて、おほんものいみなにやと、むつかしうつつしませたてまつりたまふ。われにもあらず、あらぬによみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。
044.7327311第七段 忌み明ける
044.7.1328312 九月二十日(くがちはつか)のほどにぞ、おこたり()てたまひて、いといたく面痩(おもや)せたまへれど、なかなか、いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみ()きたまふ。()たてまつりとがむる(ひと)もありて、「御物(おほんもの)()なめり」など()ふもあり。 くがちはつかのほどにぞ、おこたりてたまひて、いといたくおもやせたまへれど、なかなか、いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみきたまふ。たてまつりとがむるひともありて、"おほんものなめり"などふもあり。
044.7.2329313 右近(うこん)()()でて、のどやかなる夕暮(ゆふぐれ)に、物語(ものがたり)などしたまひて、 うこんでて、のどやかなるゆふぐれに、ものがたりなどしたまひて、
044.7.3330314 「なほ、いとなむあやしき。などてその(ひと)()られじとは、(かく)いたまへりしぞ。まことに海人(あま)()なりとも、さばかりに(おも)ふを()らで、(へだ)てたまひしかばなむ、つらかりし」とのたまへば、 "なほ、いとなんあやしき。などてそのひとられじとは、かくいたまへりしぞ。まことにあまなりとも、さばかりにおもふをらで、へだてたまひしかばなん、つらかりし。"とのたまへば、
044.7.4331315 「などてか、(ふか)(かく)しきこえたまふことははべらむ。いつのほどにてかは、(なに)ならぬ御名(おほんな)のりを()こえたまはむ。(はじ)めより、あやしうおぼえぬさまなりし(おほん)ことなれば、『(うつつ)ともおぼえずなむある』とのたまひて、『御名隠(おほんながく)しも、さばかりにこそは』と()こえたまひながら、『なほざりにこそ(まぎ)らはしたまふらめ』となむ、()きことに(おぼ)したりし」と()こゆれば、 "などてか、ふかかくしきこえたまふことははべらん。いつのほどにてかは、なにならぬおほんなのりをこえたまはん。はじめより、あやしうおぼえぬさまなりしおほんことなれば、'うつつともおぼえずなんある'とのたまひて、'おほんながくしも、さばかりにこそは。'とこえたまひながら、'なほざりにこそまぎらはしたまふらめ。'となん、きことにおぼしたりし。"とこゆれば、
044.7.5332316 「あいなかりける心比(こころくら)べどもかな。(われ)は、しか(へだ)つる(こころ)もなかりき。ただ、かやうに(ひと)(ゆる)されぬ()()ひをなむ、まだ()らはぬことなる。内裏(うち)(いさ)めのたまはするをはじめ、つつむこと(おほ)かる()にて、はかなく(ひと)にたはぶれごとを()ふも、所狭(ところせ)う、()りなしうるさき()のありさまになむあるを、はかなかりし(ゆふ)べより、あやしう(こころ)にかかりて、あながちに()たてまつりしも、かかるべき(ちぎ)りこそはものしたまひけめと(おも)ふも、あはれになむ。またうち(かへ)し、つらうおぼゆる。 "あいなかりけるこころくらべどもかな。われは、しかへだつるこころもなかりき。ただ、かやうにひとゆるされぬひをなん、まだらはぬことなる。うちいさめのたまはするをはじめ、つつむことおほかるにて、はかなくひとにたはぶれごとをふも、ところせう、りなしうるさきのありさまになんあるを、はかなかりしゆふべより、あやしうこころにかかりて、あながちにたてまつりしも、かかるべきちぎりこそはものしたまひけめとおもふも、あはれになん。またうちかへし、つらうおぼゆる。
044.7.6333317 かう(なが)かるまじきにては、など、さしも(こころ)()みて、あはれとおぼえたまひけむ。なほ(くは)しく(かた)れ。(いま)は、(なに)ごとを(かく)すべきぞ。七日七日(なぬかなぬか)仏描(ほとけか)かせても、()(ため)とか、(こころ)のうちにも(おも)はむ」とのたまへば、 かうながかるまじきにては、など、さしもこころみて、あはれとおぼえたまひけん。なほくはしくかたれ。いまは、なにごとをかくすべきぞ。なぬかなぬかほとけかかせても、ためとか、こころのうちにもおもはん。"とのたまへば、
044.7.7334318 (なに)か、(へだ)てきこえさせはべらむ。(みづか)ら、(しの)()ぐしたまひしことを、()(おほん)うしろに、(くち)さがなくやは、と(おも)うたまふばかりになむ。 "なにか、へだてきこえさせはべらん。みづから、しのぐしたまひしことを、おほんうしろに、くちさがなくやは、とおもうたまふばかりになん。
044.7.8335319 (おや)たちは、はや()せたまひにき。三位中将(さんゐのちゅうじゃう)となむ()こえし。いとらうたきものに(おも)ひきこえたまへりしかど、()()のほどの(こころ)もとなさを(おぼ)すめりしに、(いのち)さへ()へたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭中将(とうのちゅうじゃう)なむ、まだ少将(せうしゃう)にものしたまひし(とき)見初(みそ)めたてまつらせたまひて、三年(みとせ)ばかりは、(こころざし)あるさまに(かよ)ひたまひしを、 おやたちは、はやせたまひにき。さんゐのちゅうじゃうとなんこえし。いとらうたきものにおもひきこえたまへりしかど、のほどのこころもとなさをおぼすめりしに、いのちさへへたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、とうのちゅうじゃうなん、まだせうしゃうにものしたまひしときみそめたてまつらせたまひて、みとせばかりは、こころざしあるさまにかよひたまひしを、
044.7.9336320 去年(こぞ)(あき)ごろ、かの(みぎ)大殿(おほとの)より、いと(おそ)ろしきことの()こえ()()しに、物怖(ものを)ぢをわりなくしたまひし御心(みこころ)に、せむかたなく(おぼ)()ぢて、西(にし)(きゃう)に、御乳母住(おほんめのとす)みはべる(ところ)になむ、はひ(かく)れたまへりし。それもいと見苦(みぐる)しきに、()みわびたまひて、山里(やまざと)(うつ)ろひなむと(おぼ)したりしを、今年(ことし)よりは(ふた)がりける(かた)にはべりければ、(たが)ふとて、あやしき(ところ)にものしたまひしを、()あらはされたてまつりぬることと、(おぼ)(なげ)くめりし。 こぞあきごろ、かのみぎおほとのより、いとおそろしきことのこえしに、ものをぢをわりなくしたまひしみこころに、せんかたなくおぼぢて、にしきゃうに、おほんめのとすみはべるところになん、はひかくれたまへりし。それもいとみぐるしきに、みわびたまひて、やまざとうつろひなんとおぼしたりしを、ことしよりはふたがりけるかたにはべりければ、たがふとて、あやしきところにものしたまひしを、あらはされたてまつりぬることと、おぼなげくめりし。
044.7.10337321 ()(ひと)()ず、ものづつみをしたまひて(ひと)物思(ものおも)気色(けしき)()えむを、()づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、御覧(ごらん)ぜられたてまつりたまふめりしか」 ひとず、ものづつみをしたまひてひとものおもけしきえんを、づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、ごらんぜられたてまつりたまふめりしか。"
044.7.11338322 と、(かた)()づるに、「さればよ」と、(おぼ)しあはせて、いよいよあはれまさりぬ。 と、かたづるに、"さればよ"と、おぼしあはせて、いよいよあはれまさりぬ。
044.7.12339323 (をさな)人惑(ひとまど)はしたりと、中将(ちゅうじゃう)(うれ)へしは、さる(ひと)や」と()ひたまふ。 "をさなひとまどはしたりと、ちゅうじゃううれへしは、さるひとや。"とひたまふ。
044.7.13340324 「しか。一昨年(をととし)(はる)ぞ、ものしたまへりし。(をんな)にて、いとらうたげになむ」と(かた)る。 "しか。をととしはるぞ、ものしたまへりし。をんなにて、いとらうたげになん。"とかたる。
044.7.14341325 「さて、いづこにぞ。(ひと)にさとは()らせで、(われ)()させよ。あとはかなく、いみじと(おも)御形見(おほんかたみ)に、いとうれしかるべくなむ」とのたまふ。「かの中将(ちゅうじゃう)にも(つた)ふべけれど、()ふかひなきかこと()ひなむ。とざまかうざまにつけて、(はぐく)まむに(とが)あるまじきを。そのあらむ乳母(めのと)などにも、ことざまに()ひなして、ものせよかし」など(かた)らひたまふ。 "さて、いづこにぞ。ひとにさとはらせで、われさせよ。あとはかなく、いみじとおもおほんかたみに、いとうれしかるべくなん。"とのたまふ。"かのちゅうじゃうにもつたふべけれど、ふかひなきかことひなん。とざまかうざまにつけて、はぐくまんにとがあるまじきを。そのあらんめのとなどにも、ことざまにひなして、ものせよかし。"などかたらひたまふ。
044.7.15342326 「さらば、いとうれしくなむはべるべき。かの西(にし)(きゃう)にて()()でたまはむは、心苦(こころぐる)しくなむ。はかばかしく(あつか)(ひと)なしとて、かしこに」など()こゆ。 "さらば、いとうれしくなんはべるべき。かのにしきゃうにてでたまはんは、こころぐるしくなん。はかばかしくあつかひとなしとて、かしこに。"などこゆ。
044.7.16343327 夕暮(ゆふぐれ)(しづ)かなるに、(そら)気色(けしき)いとあはれに、御前(おまへ)前栽枯(せんさいか)()れに、(むし)()()きかれて、紅葉(もみぢ)のやうやう(いろ)づくほど、()()きたるやうにおもしろきを()わたして、(こころ)よりほかにをかしき()じらひかなと、かの夕顔(ゆふがほ)宿(やど)りを(おも)()づるも()づかし。(たけ)(なか)家鳩(いへばと)といふ(とり)の、ふつつかに()くを()きたまひて、かのありし(ゐん)にこの(とり)()きしを、いと(おそ)ろしと(おも)ひたりしさまの、面影(おもかげ)にらうたく(おぼ)()でらるれば、 ゆふぐれしづかなるに、そらけしきいとあはれに、おまへせんさいかれに、むしきかれて、もみぢのやうやういろづくほど、きたるやうにおもしろきをわたして、こころよりほかにをかしきじらひかなと、かのゆふがほやどりをおもづるもづかし。たけなかいへばとといふとりの、ふつつかにくをきたまひて、かのありしゐんにこのとりきしを、いとおそろしとおもひたりしさまの、おもかげにらうたくおぼでらるれば、
044.7.17344328 (とし)はいくつにかものしたまひし。あやしく()(ひと)()ず、あえかに()えたまひしも、かく(なが)かるまじくてなりけり」とのたまふ。 "としはいくつにかものしたまひし。あやしくひとず、あえかにえたまひしも、かくながかるまじくてなりけり。"とのたまふ。
044.7.18345329 十九(じふく)にやなりたまひけむ。右近(うこん)は、()くなりにける御乳母(おほんめのと)()()きてはべりければ、三位(さんゐ)(きみ)のらうたがりたまひて、かの(おほん)あたり()らず、()ほしたてたまひしを(おも)ひたまへ()づれば、いかでか()にはべらむずらむ。 "じふくにやなりたまひけん。うこんは、くなりにけるおほんめのときてはべりければ、さんゐきみのらうたがりたまひて、かのおほんあたりらず、ほしたてたまひしをおもひたまへづれば、いかでかにはべらんずらん。
044.7.19346330 いとしも(ひと)にと、(くや)しくなむ。ものはかなげにものしたまひし(ひと)御心(みこころ)を、(たの)もしき(ひと)にて、(とし)ごろならひはべりけること」と()こゆ。 いとしもひとにと、くやしくなん。ものはかなげにものしたまひしひとみこころを、たのもしきひとにて、としごろならひはべりけること。"とこゆ。
044.7.20347331 「はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこく(ひと)になびかぬ、いと(こころ)づきなきわざなり。(みづか)らはかばかしくすくよかならぬ(こころ)ならひに、(をんな)はただやはらかに、とりはづして(ひと)(あざむ)かれぬべきが、さすがにものづつみし、()(ひと)(こころ)には(したが)はむなむ、あはれにて、()(こころ)のままにとり(なほ)して()むに、なつかしくおぼゆべき」などのたまへば、 "はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこくひとになびかぬ、いとこころづきなきわざなり。みづからはかばかしくすくよかならぬこころならひに、をんなはただやはらかに、とりはづしてひとあざむかれぬべきが、さすがにものづつみし、ひとこころにはしたがはんなん、あはれにて、こころのままにとりなほしてんに、なつかしくおぼゆべき。"などのたまへば、
044.7.21348332 「この(かた)御好(おほんこの)みには、もて(はな)れたまはざりけり、と(おも)ひたまふるにも、口惜(くちを)しくはべるわざかな」とて()く。 "このかたおほんこのみには、もてはなれたまはざりけり、とおもひたまふるにも、くちをしくはべるわざかな。"とてく。
044.7.22349334 (そら)のうち(くも)りて、風冷(かぜひや)やかなるに、いといたく(なが)めたまひて、 そらのうちくもりて、かぜひややかなるに、いといたくながめたまひて、
044.7.23350335 ()(ひと)(けぶり)(くも)(なが)むれば<BR/>(ゆふ)べの(そら)もむつましきかな」 "〔ひとけぶりくもながむれば<BR/>ゆふべのそらもむつましきかな〕
044.7.24351336 (ひと)りごちたまへど、えさし(いら)へも()こえず。かやうにて、おはせましかば、と(おも)ふにも、胸塞(むねふた)がりておぼゆ。(みみ)かしかましかりし(きぬた)(おと)を、(おぼ)()づるさへ(こひ)しくて、「(まさ)(なが)()」とうち(ずん)じて、()したまへり。 ひとりごちたまへど、えさしいらへもこえず。かやうにて、おはせましかば、とおもふにも、むねふたがりておぼゆ。みみかしかましかりしきぬたおとを、おぼづるさへこひしくて、"まさなが"とうちずんじて、したまへり。
045352337第五章 空蝉の物語(2)
045.1353338第一段 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答
045.1.1354339 かの、伊予(いよ)(いへ)小君(こぎみ)(まゐ)(をり)あれど、ことにありしやうなる言伝(ことづ)てもしたまはねば、()しと(おぼ)()てにけるを、いとほしと(おも)ふに、かくわづらひたまふを()きて、さすがにうち(なげ)きけり。(とほ)(くだ)りなどするを、さすがに心細(こころぼそ)ければ、(おぼ)(わす)れぬるかと、(こころ)みに、 かの、いよいへこぎみまゐをりあれど、ことにありしやうなることづてもしたまはねば、しとおぼてにけるを、いとほしとおもふに、かくわづらひたまふをきて、さすがにうちなげきけり。とほくだりなどするを、さすがにこころぼそければ、おぼわすれぬるかと、こころみに、
045.1.2355340 (うけたまは)り、(なや)むを、(こと)()でては、えこそ、 "うけたまはり、なやむを、ことでては、えこそ、
045.1.3356341 ()はぬをもなどかと()はでほどふるに<BR/>いかばかりかは(おも)(みだ)るる はぬをもなどかとはでほどふるに<BR/>いかばかりかはおもみだるる
045.1.4357342 益田(ますだ)』はまことになむ」 'ますだ'はまことになん。"
045.1.5358343 ()こえたり。めづらしきに、これもあはれ(わす)れたまはず。 こえたり。めづらしきに、これもあはれわすれたまはず。
045.1.6359344 ()けるかひなきや、()()はましことにか。 "けるかひなきや、はましことにか。
045.1.7360345 空蝉(うつせみ)()()きものと()りにしを<BR/>また(こと)()にかかる(いのち) うつせみきものとりにしを<BR/>またことにかかるいのち
045.1.8361346 はかなしや」 はかなしや。"
045.1.9362347 と、御手(おほんて)もうちわななかるるに、(みだ)()きたまへる、いとどうつくしげなり。なほ、かのもぬけを(わす)れたまはぬを、いとほしうもをかしうも(おも)ひけり。 と、おほんてもうちわななかるるに、みだきたまへる、いとどうつくしげなり。なほ、かのもぬけをわすれたまはぬを、いとほしうもをかしうもおもひけり。
045.1.10363348 かやうに(にく)からずは、()こえ()はせど、け(ぢか)くとは(おも)ひよらず、さすがに、()ふかひなからずは()えたてまつりてやみなむ、と(おも)ふなりけり。 かやうににくからずは、こえはせど、けぢかくとはおもひよらず、さすがに、ふかひなからずはえたてまつりてやみなん、とおもふなりけり。
045.1.11364349 かの(かた)(かた)は、蔵人少将(くらうどのせうしゃう)をなむ(かよ)はす、と()きたまふ。「あやしや。いかに(おも)ふらむ」と、少将(せうしゃう)(こころ)のうちもいとほしく、また、かの(ひと)気色(けしき)もゆかしければ、小君(こぎみ)して、「()(かへ)(おも)(こころ)は、()りたまへりや」と()(つか)はす。 かのかたかたは、くらうどのせうしゃうをなんかよはす、ときたまふ。"あやしや。いかにおもふらん。"と、せうしゃうこころのうちもいとほしく、また、かのひとけしきもゆかしければ、こぎみして、"かへおもこころは、りたまへりや。"とつかはす。
045.1.12365350 「ほのかにも軒端(のきば)(をぎ)(むす)ばずは<BR/>(つゆ)のかことを(なに)にかけまし」 "〔ほのかにものきばをぎむすばずは<BR/>つゆのかことをなににかけまし〕
045.1.13366351 (たか)やかなる(をぎ)()けて、「(しの)びて」とのたまへれど、「()(あやま)ちて、少将(せうしゃう)()つけて、(われ)なりけりと(おも)ひあはせば、さりとも、(つみ)ゆるしてむ」と(おも)ふ、御心(みこころ)おごりぞ、あいなかりける。 たかやかなるをぎけて、"しのびて"とのたまへれど、"あやまちて、せうしゃうつけて、われなりけりとおもひあはせば、さりとも、つみゆるしてん"とおもふ、みこころおごりぞ、あいなかりける。
045.1.14367352 少将(せうしゃう)のなき(をり)()すれば、心憂(こころう)しと(おも)へど、かく(おぼ)()でたるも、さすがにて、御返(おほんかへ)り、(くち)ときばかりをかことにて()らす。 せうしゃうのなきをりすれば、こころうしとおもへど、かくおぼでたるも、さすがにて、おほんかへり、くちときばかりをかことにてらす。
045.1.15368353 「ほのめかす(かぜ)につけても下荻(したをぎ)の<BR/>(なか)ばは(しも)にむすぼほれつつ」 "〔ほのめかすかぜにつけてもしたをぎの<BR/>なかばはしもにむすぼほれつつ〕
045.1.16369354 ()()しげなるを、(まぎ)らはしさればみて()いたるさま、(しな)なし。火影(ほかげ)()(かほ)(おぼ)()でらる。「うちとけで(むか)ひゐたる(ひと)は、え(うと)()つまじきさまもしたりしかな。(なに)(こころ)ばせありげもなく、さうどき(ほこ)りたりしよ」と(おぼ)()づるに、(にく)からず。なほ「こりずまに、またもあだ名立(なた)ちぬべき」御心(みこころ)のすさびなめり。 しげなるを、まぎらはしさればみていたるさま、しななし。ほかげかほおぼでらる。"うちとけでむかひゐたるひとは、えうとつまじきさまもしたりしかな。なにこころばせありげもなく、さうどきほこりたりしよ。"とおぼづるに、にくからず。なほ"こりずまに、またもあだなたちぬべき"みこころのすさびなめり。
046370355第六章 夕顔の物語(3)
046.1371356第一段 四十九日忌の法要
046.1.1372357 かの(ひと)四十九日(なななぬか)(しの)びて比叡(ひえ)法華堂(ほけだう)にて、(こと)そがず、装束(さうぞく)よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経(ずきゃう)などせさせたまひぬ。(きゃう)(ほとけ)(かざ)りまでおろかならず、惟光(これみつ)(あに)阿闍梨(あざり)、いと(たふと)(ひと)にて、()なうしけり。 かのひとなななぬかしのびてひえほけだうにて、ことそがず、さうぞくよりはじめて、さるべきものども、こまかに、ずきゃうなどせさせたまひぬ。きゃうほとけかざりまでおろかならず、これみつあにあざり、いとたふとひとにて、なうしけり。
046.1.2373358 御書(おほんふみ)()にて、(むつま)しく(おぼ)文章博士召(もんじゃうはかせめ)して、願文作(がんもんつく)らせたまふ。その(ひと)となくて、あはれと(おも)ひし(ひと)のはかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏(あみだぶつ)(ゆづ)りきこゆるよし、あはれげに()()でたまへれば、 おほんふみにて、むつましくおぼもんじゃうはかせめして、がんもんつくらせたまふ。そのひととなくて、あはれとおもひしひとのはかなきさまになりにたるを、あみだぶつゆづりきこゆるよし、あはれげにでたまへれば、
046.1.3374359 「ただかくながら、(くは)ふべきことはべらざめり」と(まう)す。 "ただかくながら、くはふべきことはべらざめり。"とまうす。
046.1.4375360 (しの)びたまへど、御涙(おほんなみだ)もこぼれて、いみじく(おぼ)したれば、 しのびたまへど、おほんなみだもこぼれて、いみじくおぼしたれば、
046.1.5376361 何人(なにびと)ならむ。その(ひと)()こえもなくて、かう(おぼ)(なげ)かすばかりなりけむ宿世(すくせ)(たか)さ」 "なにびとならん。そのひとこえもなくて、かうおぼなげかすばかりなりけんすくせたかさ。"
046.1.6377362 ()ひけり。(しの)びて調(てう)ぜさせたまへりける装束(さうぞく)(はかま)()()せさせたまひて、 ひけり。しのびててうぜさせたまへりけるさうぞくはかませさせたまひて、
046.1.7378363 ()()くも今日(けふ)()()下紐(したひも)を<BR/>いづれの()にかとけて()るべき」 "〔くもけふしたひもを<BR/>いづれのにかとけてるべき〕
046.1.8379364 「このほどまでは(ただよ)ふなるを、いづれの(みち)(さだ)まりて(おもむ)くらむ」と(おも)ほしやりつつ、念誦(ねんず)をいとあはれにしたまふ。頭中将(とうのちゅうじゃう)()たまふにも、あいなく胸騒(むねさわ)ぎて、かの撫子(なでしこ)()()つありさま、()かせまほしけれど、かことに()ぢて、うち()でたまはず。 "このほどまではただよふなるを、いづれのみちさだまりておもむくらん。"とおもほしやりつつ、ねんずをいとあはれにしたまふ。とうのちゅうじゃうたまふにも、あいなくむねさわぎて、かのなでしこつありさま、かせまほしけれど、かことにぢて、うちでたまはず。
046.1.9380365 かの夕顔(ゆふがほ)宿(やど)りには、いづ(かた)にと(おも)(まど)へど、そのままにえ(たづ)ねきこえず。右近(うこん)だに(おとづ)れねば、あやしと(おも)(なげ)きあへり。(たし)かならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、惟光(これみつ)をかこちけれど、いとかけ(はな)れ、気色(けしき)なく()ひなして、なほ(おな)じごと()(あり)きければ、いとど(ゆめ)心地(ここち)して、「もし、受領(ずりゃう)()どもの()()きしきが、(とう)(きみ)()ぢきこえて、やがて、()(くだ)りにけるにや」とぞ、(おも)()りける。 かのゆふがほやどりには、いづかたにとおもまどへど、そのままにえたづねきこえず。うこんだにおとづれねば、あやしとおもなげきあへり。たしかならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、これみつをかこちけれど、いとかけはなれ、けしきなくひなして、なほおなじごとありきければ、いとどゆめここちして、"もし、ずりゃうどものきしきが、とうきみぢきこえて、やがて、くだりにけるにや。"とぞ、おもりける。
046.1.10381366 この家主人(いへあるじ)ぞ、西(にし)(きゃう)乳母(めのと)(むすめ)なりける。三人(みたり)その()はありて、右近(うこん)他人(ことびと)なりければ、「(おも)(へだ)てて、(おほん)ありさまを()かせぬなりけり」と、()()ひけり。右近(うこん)はた、かしかましく()(さわ)がむを(おも)ひて、(きみ)(いま)さらに()らさじと(しの)びたまへば、若君(わかぎみ)(うへ)をだにえ()かず、あさましく行方(ゆくへ)なくて()ぎゆく。 このいへあるじぞ、にしきゃうめのとむすめなりける。みたりそのはありて、うこんことびとなりければ、"おもへだてて、おほんありさまをかせぬなりけり。"と、ひけり。うこんはた、かしかましくさわがんをおもひて、きみいまさらにらさじとしのびたまへば、わかぎみうへをだにえかず、あさましくゆくへなくてぎゆく。
046.1.11382367 (きみ)は、「(ゆめ)をだに()ばや」と、(おぼ)しわたるに、この法事(ほふじ)したまひて、またの()、ほのかに、かのありし(ゐん)ながら、()ひたりし(をんな)のさまも(おな)じやうにて()えければ、「()れたりし(ところ)()みけむ(もの)の、(われ)見入(みい)れけむたよりに、かくなりぬること」と、(おぼ)()づるにもゆゆしくなむ。 きみは、"ゆめをだにばや。"と、おぼしわたるに、このほふじしたまひて、またの、ほのかに、かのありしゐんながら、ひたりしをんなのさまもおなじやうにてえければ、"れたりしところみけんものの、われみいれけんたよりに、かくなりぬること。"と、おぼづるにもゆゆしくなん。
047383368第七章 空蝉の物語(3)
047.1384369第一段 空蝉、伊予国に下る
047.1.1385370 伊予介(いよのすけ)神無月(かんなづき)朔日(ついたち)ごろに(くだ)る。女房(にょうばう)(くだ)らむにとて、たむけ(こころ)ことにせさせたまふ。また、内々(うちうち)にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる(くし)扇多(あふぎおほ)くして、(ぬさ)などわざとがましくて、かの小袿(こうちき)(つか)はす。 いよのすけかんなづきついたちごろにくだる。にょうばうくだらんにとて、たむけこころことにせさせたまふ。また、うちうちにもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなるくしあふぎおほくして、ぬさなどわざとがましくて、かのこうちきつかはす。
047.1.2386371 ()ふまでの形見(かたみ)ばかりと()しほどに<BR/>ひたすら(そで)()ちにけるかな」 "〔ふまでのかたみばかりとしほどに<BR/>ひたすらそでちにけるかな〕
047.1.3387372 こまかなることどもあれど、うるさければ()かず。 こまかなることどもあれど、うるさければかず。
047.1.4388373 御使(おほんつかひ)(かへ)りにけれど、小君(こぎみ)して、小袿(こうちき)御返(おほんかへ)りばかりは()こえさせたり。 おほんつかひかへりにけれど、こぎみして、こうちきおほんかへりばかりはこえさせたり。
047.1.5389374 (せみ)()もたちかへてける夏衣(なつごろも)<BR/>かへすを()てもねは()かれけり」 "〔せみもたちかへてけるなつごろも<BR/>かへすをてもねはかれけり〕
047.1.6390375 (おも)へど、あやしう(ひと)()心強(こころづよ)さにても、ふり(はな)れぬるかな」と(おも)(つづ)けたまふ。今日(けふ)冬立(ふゆた)()なりけるも、しるく、うちしぐれて、(そら)気色(けしき)いとあはれなり。(なが)()らしたまひて、 "おもへど、あやしうひとこころづよさにても、ふりはなれぬるかな。"とおもつづけたまふ。けふふゆたなりけるも、しるく、うちしぐれて、そらけしきいとあはれなり。ながらしたまひて、
047.1.7391376 ()ぎにしも今日別(けふわか)るるも二道(ふたみち)に<BR/>()方知(かたし)らぬ(あき)(くれ)かな」 "〔ぎにしもけふわかるるもふたみちに<BR/>かたしらぬあきくれかな〕
047.1.8392377 なほ、かく人知(ひとし)れぬことは(くる)しかりけりと、(おぼ)()りぬらむかし。かやうのくだくだしきことは、あながちに(かく)ろへ(しの)びたまひしもいとほしくて、みな()らしとどめたるを、「など、(みかど)御子(みこ)ならむからに、()(ひと)さへ、かたほならずものほめがちなる」と、(つく)りごとめきてとりなす(ひと)ものしたまひければなむ。あまりもの()ひさがなき(つみ)、さりどころなく。 なほ、かくひとしれぬことはくるしかりけりと、おぼりぬらんかし。かやうのくだくだしきことは、あながちにかくろへしのびたまひしもいとほしくて、みならしとどめたるを、"など、みかどみこならんからに、ひとさへ、かたほならずものほめがちなる。"と、つくりごとめきてとりなすひとものしたまひければなん。あまりものひさがなきつみ、さりどころなく。