帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
05 | 若紫 |
05 | 1 | 65 | 37 | 第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語 |
05 | 1.1 | 66 | 38 | 第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く |
05 | 1.1.1 | 67 | 39 |
瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、 |
わらはやみにわづらひたまひて、よろづにまじなひかぢなどまゐらせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、あるひと、 |
05 | 1.1.2 | 68 | 40 |
「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」 |
"きたやまになん、なにがしでらといふところに、かしこきおこなひびとはべる。こぞのなつもよにおこりて、ひとびとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつるときはうたてはべるを、とくこそこころみさせたまはめ。" |
05 | 1.1.3 | 69 | 41 |
など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。 |
などきこゆれば、めしにつかはしたるに、"おいかがまりて、むろのとにもまかでず。"とまうしたれば、"いかがはせん。いとしのびてものせん。"とのたまひて、おほんともにむつましきし、ごにんばかりして、まだあかつきにおはす。 |
05 | 1.1.4 | 70 | 42 |
やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひたまはず、所狭き御身にて、めづらしう思されけり。 |
ややふかういるところなりけり。やよひのつごもりなれば、きゃうのはなさかりはみなすぎにけり。やまのさくらはまださかりにて、いりもておはするままに、かすみのたたずまひもをかしうみゆれば、かかるありさまもならひたまはず、ところせきおほんみにて、めづらしうおぼされけり。 |
05 | 1.1.5 | 71 | 43 |
寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き巖屋の中にぞ、聖入りゐたりける。登りたまひて、誰とも知らせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるき御さまなれば、 |
てらのさまもいとあはれなり。みねたかく、ふかきいはやのなかにぞ、ひじりいりゐたりける。のぼりたまひて、たれともしらせたまはず、いといたうやつれたまへれど、しるきおほんさまなれば、 |
05 | 1.1.6 | 72 | 45 |
「あな、かしこや。一日、召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世のことを思ひたまへねば、験方の行ひも捨て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ」 |
"あな、かしこや。ひとひ、めしはべりしにやおはしますらん。いまは、このよのことをおもひたまへねば、げんがたのおこなひもすてわすれてはべるを、いかで、かうおはしましつらん。" |
05 | 1.1.7 | 73 | 46 |
と、おどろき騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる。いと尊き大徳なりけり。さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし上がりぬ。 |
と、おどろきさわぎ、うちゑみつつみたてまつる。いとたふときだいとこなりけり。さるべきものつくりて、すかせたてまつり、かぢなどまゐるほど、ひたかくさしあがりぬ。 |
05 | 1.2 | 74 | 47 | 第二段 山の景色や地方の話に気を紛らす |
05 | 1.2.1 | 75 | 48 |
すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、 |
すこしたちいでつつみわたしたまへば、たかきところにて、ここかしこ、そうばうどもあらはにみおろさるる、ただこのつづらをりのしもに、おなじこしばなれど、うるはしくしわたして、きよげなるや、らうなどつづけて、こだちいとよしあるは、 |
05 | 1.2.2 | 76 | 49 |
「何人の住むにか」 |
"なにびとのすむにか。" |
05 | 1.2.3 | 77 | 50 |
と問ひたまへば、御供なる人、 |
ととひたまへば、おほんともなるひと、 |
05 | 1.2.4 | 78 | 51 |
「これなむ、なにがし僧都の、二年籠もりはべる方にはべるなる」 |
"これなん、なにがしそうづの、ふたとせこもりはべるかたにはべるなる。" |
05 | 1.2.5 | 79 | 52 |
「心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などのたまふ。 |
"こころはづかしきひとすむなるところにこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。ききもこそすれ。"などのたまふ。 |
05 | 1.2.6 | 80 | 53 |
清げなる童などあまた出で来て、閼伽たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。 |
きよげなるわらはなどあまたいできて、あかたてまつり、はなをりなどするもあらはにみゆ。 |
05 | 1.2.7 | 81 | 54 |
「かしこに、女こそありけれ」 |
"かしこに、をんなこそありけれ。" |
05 | 1.2.8 | 82 | 55 |
「僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを」 |
"そうづは、よも、さやうには、すゑたまはじを。" |
05 | 1.2.9 | 83 | 56 |
「いかなる人ならむ」 |
"いかなるひとならん。" |
05 | 1.2.10 | 84 | 57 |
と口々言ふ。下りて覗くもあり。 |
とくちぐちいふ。おりてのぞくもあり。 |
05 | 1.2.11 | 85 | 58 |
「をかしげなる女子ども、若き人、童女なむ見ゆる」と言ふ。 |
"をかしげなるをんなごども、わかきひと、わらはべなんみゆる。"といふ。 |
05 | 1.2.12 | 86 | 59 |
君は、行ひしたまひつつ、日たくるままに、いかならむと思したるを、 |
きみは、おこなひしたまひつつ、ひたくるままに、いかならんとおぼしたるを、 |
05 | 1.2.13 | 87 | 60 |
「とかう紛らはさせたまひて、思し入れぬなむ、よくはべる」 |
"とかうまぎらはさせたまひて、おぼしいれぬなん、よくはべる。" |
05 | 1.2.14 | 88 | 61 |
と聞こゆれば、後への山に立ち出でて、京の方を見たまふ。はるかに霞みわたりて、四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど、 |
ときこゆれば、しりへのやまにたちいでて、きゃうのかたをみたまふ。はるかにかすみわたりて、よものこずゑそこはかとなうけぶりわたれるほど、 |
05 | 1.2.15 | 89 | 62 |
「絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」とのたまへば、 |
"ゑにいとよくもにたるかな。かかるところにすむひと、こころにおもひのこすことはあらじかし。"とのたまへば、 |
05 | 1.2.16 | 90 | 63 |
「これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。富士の山、なにがしの嶽」 |
"これは、いとあさくはべり。ひとのくになどにはべるうみ、やまのありさまなどをごらんぜさせてはべらば、いかに、おほんゑいみじうまさらせたまはん。ふじのやま、なにがしのたけ。" |
05 | 1.2.17 | 91 | 64 |
など、語りきこゆるもあり。また西国のおもしろき浦々、磯の上を言ひ続くるもありて、よろづに紛らはしきこゆ。 |
など、かたりきこゆるもあり。またにしくにのおもしろきうらうら、いそのうへをいひつづくるもありて、よろづにまぎらはしきこゆ。 |
05 | 1.2.18 | 92 | 65 |
「近き所には、播磨の明石の浦こそ、なほことにはべれ。何の至り深き隈はなけれど、ただ、海の面を見わたしたるほどなむ、あやしく異所に似ず、ゆほびかなる所にはべる。 |
"ちかきところには、はりまのあかしのうらこそ、なほことにはべれ。なにのいたりふかきくまはなけれど、ただ、うみのおもてをみわたしたるほどなん、あやしくことどころににず、ゆほびかなるところにはべる。 |
05 | 1.2.19 | 93 | 66 |
かの国の前の守、新発意の、女かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交じらひもせず、近衛の中将を捨てて、申し賜はれりける司なれど、 |
かのくにのさきのかみ、しぼちの、むすめかしづきたるいへ、いといたしかし。だいじんののちにて、いでたちもすべかりけるひとの、よのひがものにて、まじらひもせず、このゑのちゅうじゃうをすてて、まうしたまはれりけるつかさなれど、 |
05 | 1.2.20 | 94 | 67 |
かの国の人にもすこしあなづられて、『何の面目にてか、また都にも帰らむ』と言ひて、頭も下ろしはべりにけるを、すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づらに出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国のうちに、さも、人の籠もりゐぬべき所々はありながら、深き里は、人離れ心すごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむはべる。 |
かのくにのひとにもすこしあなづられて、'なにのめいぼくにてか、またみやこにもかへらん'といひて、かしらもおろしはべりにけるを、すこしおくまりたるやまずみもせで、さるうみづらにいでゐたる、ひがひがしきやうなれど、げに、かのくにのうちに、さも、ひとのこもりゐぬべきところどころはありながら、ふかきさとは、ひとばなれこころすごく、わかきさいしのおもひわびぬべきにより、かつはこころをやれるすまひになんはべる。 |
05 | 1.2.21 | 95 | 68 |
先つころ、まかり下りてはべりしついでに、ありさま見たまへに寄りてはべりしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこらはるかに、いかめしう占めて造れるさま、さは言へど、国の司にてし置きけることなれば、残りの齢ゆたかに経べき心構へも、二なくしたりけり。後の世の勤めも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける」と申せば、 |
さいつころ、まかりくだりてはべりしついでに、ありさまみたまへによりてはべりしかば、きゃうにてこそところえぬやうなりけれ、そこらはるかに、いかめしうしめてつくれるさま、さはいへど、くにのつかさにてしおきけることなれば、のこりのよはひゆたかにふべきこころがまへも、になくしたりけり。のちのよのつとめも、いとよくして、なかなかほふしまさりしたるひとになんはべりける。"とまうせば、 |
05 | 1.2.22 | 96 | 69 |
「さて、その女は」と、問ひたまふ。 |
"さて、そのむすめは。"と、とひたまふ。 |
05 | 1.2.23 | 97 | 70 |
「けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。 |
"けしうはあらず、かたち、こころばせなどはべるなり。だいだいのくにのつかさなど、よういことにして、さるこころばへみすなれど、さらにうけひかず。 |
05 | 1.2.24 | 98 | 71 |
『我が身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね』と、常に遺言しおきてはべるなる」 |
'わがみのかくいたづらにしづめるだにあるを、このひとひとりにこそあれ、おもふさまことなり。もしわれにおくれてそのこころざしとげず、このおもひおきつるすくせたがはば、うみにいりね。'と、つねにゆいごんしおきてはべるなる。" |
05 | 1.2.25 | 99 | 72 |
と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。人びと、 |
ときこゆれば、きみもをかしとききたまふ。ひとびと、 |
05 | 1.2.26 | 100 | 73 |
「海龍王の后になるべきいつき女ななり」 |
"かいりゅわうのきさきになるべきいつきむすめななり。" |
05 | 1.2.27 | 101 | 74 |
「心高さ苦しや」とて笑ふ。 |
"こころたかさくるしや。"とてわらふ。 |
05 | 1.2.28 | 102 | 75 |
かく言ふは、播磨守の子の、蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり。 |
かくいふは、はりまのかみのこの、くらうどより、ことし、かうぶりえたるなりけり。 |
05 | 1.2.29 | 103 | 76 |
「いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし」 |
"いとすきたるものなれば、かのにふだうのゆいごんやぶりつべきこころはあらんかし。" |
05 | 1.2.30 | 104 | 77 |
「さて、たたずみ寄るならむ」 |
"さて、たたずみよるならん。" |
05 | 1.2.31 | 105 | 78 |
と言ひあへり。 |
といひあへり。 |
05 | 1.2.32 | 106 | 79 |
「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひ出でて、古めいたる親にのみ従ひたらむは」 |
"いで、さいふとも、いなかびたらん。をさなくよりさるところにおひいでて、ふるめいたるおやにのみしたがひたらんは。" |
05 | 1.2.33 | 107 | 80 |
「母こそゆゑあるべけれ。よき若人、童など、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ」 |
"ははこそゆゑあるべけれ。よきわかうど、わらはなど、みやこのやんごとなきところどころより、るいにふれてたづねとりて、まばゆくこそもてなすなれ。" |
05 | 1.2.34 | 108 | 81 |
「情けなき人なりて行かば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」 |
"なさけなきひとなりてゆかば、さてこころやすくてしも、えおきたらじをや。" |
05 | 1.2.35 | 109 | 82 |
など言ふもあり。君、 |
などいふもあり。きみ、 |
05 | 1.2.36 | 110 | 83 |
「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底の「みるめ」も、ものむつかしう」 |
"なにごころありて、うみのそこまでふかうおもひいるらん。そこの'みるめ'も、ものむつかしう。" |
05 | 1.2.37 | 111 | 84 |
などのたまひて、ただならず思したり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見たてまつる。 |
などのたまひて、ただならずおぼしたり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたることこのみたまふみこころなれば、おほんみみとどまらんをや、とみたてまつる。 |
05 | 1.2.38 | 112 | 85 |
「暮れかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせたまひなむ」 |
"くれかかりぬれど、おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。はやかへらせたまひなん。" |
05 | 1.2.39 | 113 | 86 |
とあるを、大徳、 |
とあるを、だいとこ、 |
05 | 1.2.40 | 114 | 87 |
「御もののけなど、加はれるさまにおはしましけるを、今宵は、なほ静かに加持など参りて、出でさせたまへ」と申す。 |
"おほんもののけなど、くははれるさまにおはしましけるを、こよひは、なほしづかにかぢなどまゐりて、いでさせたまへ。"とまうす。 |
05 | 1.2.41 | 115 | 88 |
「さもあること」と、皆人申す。君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、さすがにをかしくて、 |
"さもあること"と、みなひとまうす。きみも、かかるたびねもならひたまはねば、さすがにをかしくて、 |
05 | 1.2.42 | 116 | 89 |
「さらば暁に」とのたまふ。 |
"さらばあかつきに。"とのたまふ。 |
05 | 1.3 | 117 | 90 | 第三段 源氏、若紫の君を発見す |
05 | 1.3.1 | 118 | 91 |
人なくて、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。人びとは帰したまひて、惟光朝臣と覗きたまへば、ただこの西面にしも、仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。簾すこし上げて、花たてまつるめり。中の柱に寄りゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。 |
ひとなくて、つれづれなれば、ゆふぐれのいたうかすみたるにまぎれて、かのこしばがきのほどにたちいでたまふ。ひとびとはかへしたまひて、これみつのあそんとのぞきたまへば、ただこのにしおもてにしも、ほとけすゑたてまつりておこなふ、あまなりけり。すだれすこしあげて、はなたてまつるめり。なかのはしらによりゐて、けふそくのうへにきゃうをおきて、いとなやましげによみゐたるあまぎみ、ただびととみえず。しじふよばかりにて、いとしろうあてに、やせたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、かみのうつくしげにそがれたるすゑも、なかなかながきよりもこよなういまめかしきものかなと、あはれにみたまふ。 |
05 | 1.3.2 | 119 | 92 |
清げなる大人二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。 |
きよげなるおとなふたりばかり、さてはわらはべぞいでいりあそぶ。なかにとをばかりやあらんとみえて、しろききぬ、やまぶきなどのなえたるきて、はしりきたるをんなご、あまたみえつるこどもににるべうもあらず、いみじくおひさきみえて、うつくしげなるかたちなり。かみはあふぎをひろげたるやうにゆらゆらとして、かほはいとあかくすりなしてたてり。 |
05 | 1.3.3 | 120 | 94 |
「何ごとぞや。童女と腹立ちたまへるか」 |
"なにごとぞや。わらはべとはらだちたまへるか。" |
05 | 1.3.4 | 121 | 95 |
とて、尼君の見上げたるに、すこしおぼえたるところあれば、「子なめり」と見たまふ。 |
とて、あまぎみのみあげたるに、すこしおぼえたるところあれば、"こなめり。"とみたまふ。 |
05 | 1.3.5 | 122 | 96 |
「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを」 |
"すずめのこをいぬきがにがしつる。ふせごのうちにこめたりつるものを。" |
05 | 1.3.6 | 123 | 97 |
とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、 |
とて、いとくちをしとおもへり。このゐたるおとな、 |
05 | 1.3.7 | 124 | 98 |
「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」 |
"れいの、こころなしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いとこころづきなけれ。いづかたへかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。からすなどもこそみつくれ。" |
05 | 1.3.8 | 125 | 99 |
とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見なるべし。 |
とて、たちてゆく。かみゆるるかにいとながく、めやすきひとなめり。せうなごんのめのととこそひといふめるは、このこのうしろみなるべし。 |
05 | 1.3.9 | 126 | 100 |
尼君、 |
あまぎみ、 |
05 | 1.3.10 | 127 | 101 |
「いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのが、かく、今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることぞと、常に聞こゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついゐたり。 |
"いで、あなをさなや。いふかひなうものしたまふかな。おのが、かく、けふあすにおぼゆるいのちをば、なにともおぼしたらで、すずめしたひたまふほどよ。つみうることぞと、つねにきこゆるを、こころうく。"とて、"こちや。"といへば、ついゐたり。 |
05 | 1.3.11 | 128 | 102 |
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。「ねびゆかむさまゆかしき人かな」と、目とまりたまふ。さるは、「限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり」と、思ふにも涙ぞ落つる。 |
つらつきいとらうたげにて、まゆのわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたるひたひつき、かんざし、いみじううつくし。"ねびゆかんさまゆかしきひとかな。"と、めとまりたまふ。さるは、"かぎりなうこころをつくしきこゆるひとに、いとようにたてまつれるが、まもらるるなりけり"と、おもふにもなみだぞおつる。 |
05 | 1.3.12 | 129 | 103 |
尼君、髪をかき撫でつつ、 |
あまぎみ、かみをかきなでつつ、 |
05 | 1.3.13 | 130 | 104 |
「梳ることをうるさがりたまへど、をかしの御髪や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし。ただ今、おのれ見捨てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」 |
"けづることをうるさがりたまへど、をかしのみぐしや。いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬひともあるものを。こひめぎみは、とをばかりにてとのにおくれたまひしほど、いみじうものはおもひしりたまへりしぞかし。ただいま、おのれみすてたてまつらば、いかでよにおはせんとすらん。" |
05 | 1.3.14 | 131 | 105 |
とて、いみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。 |
とて、いみじくなくをみたまふも、すずろにかなし。をさなごこちにも、さすがにうちまもりて、ふしめになりてうつぶしたるに、こぼれかかりたるかみ、つやつやとめでたうみゆ。 |
05 | 1.3.15 | 132 | 106 |
「生ひ立たむありかも知らぬ若草を<BR/>おくらす露ぞ消えむそらなき」 |
"〔おひたたんありかもしらぬわかくさを<BR/>おくらすつゆぞきえんそらなき〕 |
05 | 1.3.16 | 133 | 107 |
またゐたる大人、「げに」と、うち泣きて、 |
またゐたるおとな、"げに"と、うちなきて、 |
05 | 1.3.17 | 134 | 108 |
「初草の生ひ行く末も知らぬまに<BR/>いかでか露の消えむとすらむ」 |
"〔はつくさのおひゆくすゑもしらぬまに<BR/>いかでかつゆのきえんとすらん〕 |
05 | 1.3.18 | 135 | 109 |
と聞こゆるほどに、僧都、あなたより来て、 |
ときこゆるほどに、そうづ、あなたよりきて、 |
05 | 1.3.19 | 136 | 110 |
「こなたはあらはにやはべらむ。今日しも、端におはしましけるかな。この上の聖の方に、源氏の中将の瘧病まじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ、聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ、知りはべらで、ここにはべりながら、御とぶらひにもまでざりける」とのたまへば、 |
"こなたはあらはにやはべらん。けふしも、はしにおはしましけるかな。このかみのひじりのかたに、げんじのちゅうじゃうのわらはやみまじなひにものしたまひけるを、ただいまなん、ききつけはべる。いみじうしのびたまひければ、しりはべらで、ここにはべりながら、おほんとぶらひにもまでざりける。"とのたまへば、 |
05 | 1.3.20 | 137 | 111 |
「あないみじや。いとあやしきさまを、人や見つらむ」とて、簾下ろしつ。 |
"あないみじや。いとあやしきさまを、ひとやみつらん。"とて、すだれおろしつ。 |
05 | 1.3.21 | 138 | 112 |
「この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。いで、御消息聞こえむ」 |
"このよに、ののしりたまふひかるげんじ、かかるついでにみたてまつりたまはんや。よをすてたるほふしのここちにも、いみじうよのうれへわすれ、よはひのぶるひとのおほんありさまなり。いで、おほんせうそこきこえん。" |
05 | 1.3.22 | 139 | 113 |
とて、立つ音すれば、帰りたまひぬ。 |
とて、たつおとすれば、かへりたまひぬ。 |
05 | 1.4 | 140 | 114 | 第四段 若紫の君の素性を聞く |
05 | 1.4.1 | 141 | 115 |
「あはれなる人を見つるかな。かかれば、この好き者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ」と、をかしう思す。「さても、いとうつくしかりつる児かな。何人ならむ。かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。 |
"あはれなるひとをみつるかな。かかれば、このすきものどもは、かかるありきをのみして、よくさるまじきひとをもみつくるなりけり。たまさかにたちいづるだに、かくおもひのほかなることをみるよ。"と、をかしうおぼす。"さても、いとうつくしかりつるちごかな。なにびとならん。かのひとのおほんかはりに、あけくれのなぐさめにもみばや。"とおもふこころ、ふかうつきぬ。 |
05 | 1.4.2 | 142 | 116 |
うち臥したまへるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。ほどなき所なれば、君もやがて聞きたまふ。 |
うちふしたまへるに、そうづのみでし、これみつをよびいでさす。ほどなきところなれば、きみもやがてききたまふ。 |
05 | 1.4.3 | 143 | 117 |
「過りおはしましけるよし、ただ今なむ、人申すに、おどろきながら、さぶらべきを、なにがしこの寺に籠もりはべりとは、しろしめしながら、忍びさせたまへるを、憂はしく思ひたまへてなむ。草の御むしろも、この坊にこそ設けはべるべけれ。いと本意なきこと」と申したまへり。 |
"よきりおはしましけるよし、ただいまなん、ひとまうすに、おどろきながら、さぶらべきを、なにがしこのてらにこもりはべりとは、しろしめしながら、しのびさせたまへるを、うれはしくおもひたまへてなん。くさのおほんむしろも、このばうにこそまうけはべるべけれ。いとほいなきこと。"とまうしたまへり。 |
05 | 1.4.4 | 144 | 118 |
「いぬる十余日のほどより、瘧病にわづらひはべるを、度重なりて堪へがたくはべれば、人の教へのまま、にはかに尋ね入りはべりつれど、かやうなる人の験あらはさぬ時、はしたなかるべきも、ただなるよりは、いとほしう思ひたまへつつみてなむ、いたう忍びはべりつる。今、そなたにも」とのたまへり。 |
"いぬるじふよにちのほどより、わらはやみにわづらひはべるを、たびかさなりてたへがたくはべれば、ひとのをしへのまま、にはかにたづねいりはべりつれど、かやうなるひとのしるしあらはさぬとき、はしたなかるべきも、ただなるよりは、いとほしうおもひたまへつつみてなん、いたうしのびはべりつる。いま、そなたにも。"とのたまへり。 |
05 | 1.4.5 | 145 | 119 |
すなはち、僧都参りたまへり。法師なれど、いと心恥づかしく人柄もやむごとなく、世に思はれたまへる人なれば、軽々しき御ありさまを、はしたなう思す。かく籠もれるほどの御物語など聞こえたまひて、「同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れも御覧ぜさせむ」と、せちに聞こえたまへば、かの、まだ見ぬ人びとにことことしう言ひ聞かせつるを、つつましう思せど、あはれなりつるありさまもいぶかしくて、おはしぬ。 |
すなはち、そうづまゐりたまへり。ほふしなれど、いとこころはづかしくひとがらもやんごとなく、よにおもはれたまへるひとなれば、かるがるしきおほんありさまを、はしたなうおぼす。かくこもれるほどのおほんものがたりなどきこえたまひて、"おなじしばのいほりなれど、すこしすずしきみづのながれもごらんぜさせん。"と、せちにきこえたまへば、かの、まだみぬひとびとにことことしういひきかせつるを、つつましうおぼせど、あはれなりつるありさまもいぶかしくて、おはしぬ。 |
05 | 1.4.6 | 146 | 120 |
げに、いと心ことによしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり。月もなきころなれば、遣水に篝火ともし、灯籠なども参りたり。南面いと清げにしつらひたまへり。そらだきもの、いと心にくく薫り出で、名香の香など匂ひみちたるに、君の御追風いとことなれば、内の人びとも心づかひすべかめり。 |
げに、いとこころことによしありて、おなじきくさをもうゑなしたまへり。つきもなきころなれば、やりみづにかがりびともし、とうろなどもまゐりたり。みなみおもていときよげにしつらひたまへり。そらだきもの、いとこころにくくかをりいで、みゃうがうのかなどにほひみちたるに、きみのおほんおひかぜいとことなれば、うちのひとびともこころづかひすべかめり。 |
05 | 1.4.7 | 147 | 121 |
僧都、世の常なき御物語、後世のことなど聞こえ知らせたまふ。我が罪のほど恐ろしう、「あぢきなきことに心をしめて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり。まして後の世のいみじかるべき」。思し続けて、かうやうなる住まひもせまほしうおぼえたまふものから、昼の面影心にかかりて恋しければ、 |
そうづ、よのつねなきおほんものがたり、のちせのことなどきこえしらせたまふ。わがつみのほどおそろしう、"あぢきなきことにこころをしめて、いけるかぎりこれをおもひなやむべきなめり。ましてのちのよのいみじかるべき。"おぼしつづけて、かうやうなるすまひもせまほしうおぼえたまふものから、ひるのおもかげこころにかかりてこひしければ、 |
05 | 1.4.8 | 148 | 122 |
「ここにものしたまふは、誰れにか。尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな。今日なむ思ひあはせつる」 |
"ここにものしたまふは、たれにか。たづねきこえまほしきゆめをみたまへしかな。けふなんおもひあはせつる。" |
05 | 1.4.9 | 149 | 123 |
と聞こえたまへば、うち笑ひて、 |
ときこえたまへば、うちわらひて、 |
05 | 1.4.10 | 150 | 124 |
「うちつけなる御夢語りにぞはべるなる。尋ねさせたまひても、御心劣りせさせたまひぬべし。故按察使大納言は、世になくて久しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが妹にはべる。かの按察使かくれて後、世を背きてはべるが、このごろ、わづらふことはべるにより、かく京にもまかでねば、頼もし所に籠もりてものしはべるなり」と聞こえたまふ。 |
"うちつけなるおほんゆめがたりにぞはべるなる。たづねさせたまひても、みこころおとりせさせたまひぬべし。こあぜちのだいなごんは、よになくてひさしくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし。そのきたのかたなん、なにがしがいもうとにはべる。かのあぜちかくれてのち、よをそむきてはべるが、このごろ、わづらふことはべるにより、かくきゃうにもまかでねば、たのもしどころにこもりてものしはべるなり。"ときこえたまふ。 |
05 | 1.4.11 | 151 | 125 |
「かの大納言の御女、ものしたまふと聞きたまへしは。好き好きしき方にはあらで、まめやかに聞こゆるなり」と、推し当てにのたまへば、 |
"かのだいなごんのみむすめ、ものしたまふとききたまへしは。すきずきしきかたにはあらで、まめやかにきこゆるなり。"と、おしあてにのたまへば、 |
05 | 1.4.12 | 152 | 126 |
「女ただ一人はべりし。亡せて、この十余年にやなりはべりぬらむ。故大納言、内裏にたてまつらむなど、かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、過ぎはべりにしかば、ただこの尼君一人もてあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ、忍びて語らひつきたまへりけるを、本の北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れ物を思ひてなむ、亡くなりはべりにし。物思ひに病づくものと、目に近く見たまへし」 |
"むすめただひとりはべりし。うせて、このじふよねんにやなりはべりぬらん。こだいなごん、うちにたてまつらんなど、かしこういつきはべりしを、そのほいのごとくもものしはべらで、すぎはべりにしかば、ただこのあまぎみひとりもてあつかひはべりしほどに、いかなるひとのしわざにか、ひゃうぶきゃうのみやなん、しのびてかたらひつきたまへりけるを、もとのきたのかた、やんごとなくなどして、やすからぬことおほくて、あけくれものをおもひてなん、なくなりはべりにし。ものおもひにやまひづくものと、めにちかくみたまへし。" |
05 | 1.4.13 | 153 | 127 |
など申したまふ。「さらば、その子なりけり」と思しあはせつ。「親王の御筋にて、かの人にもかよひきこえたるにや」と、いとどあはれに見まほし。「人のほどもあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へ生ほし立てて見ばや」と思す。 |
などまうしたまふ。"さらば、そのこなりけり"とおぼしあはせつ。"みこのおほんすぢにて、かのひとにもかよひきこえたるにや。"と、いとどあはれにみまほし。"ひとのほどもあてにをかしう、なかなかのさかしらごころなく、うちかたらひて、こころのままにをしへおほしたててみばや。"とおぼす。 |
05 | 1.4.14 | 154 | 128 |
「いとあはれにものしたまふことかな。それは、とどめたまふ形見もなきか」 |
"いとあはれにものしたまふことかな。それは、とどめたまふかたみもなきか。" |
05 | 1.4.15 | 155 | 129 |
と、幼かりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひたまへば、 |
と、をさなかりつるゆくへの、なほたしかにしらまほしくて、とひたまへば、 |
05 | 1.4.16 | 156 | 130 |
「亡くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。それも、女にてぞ。それにつけて物思ひのもよほしになむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる」と聞こえたまふ。 |
"なくなりはべりしほどにこそ、はべりしか。それも、をんなにてぞ。それにつけてものおもひのもよほしになん、よはひのすゑにおもひたまへなげきはべるめる。"ときこえたまふ。 |
05 | 1.4.17 | 157 | 131 |
「さればよ」と思さる。 |
"さればよ。"とおぼさる。 |
05 | 1.4.18 | 158 | 132 |
「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心の染まぬにやあらむ、独り住みにてのみなむ。まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、 |
"あやしきことなれど、をさなきおほんうしろみにおぼすべく、きこえたまひてんや。おもふこころありて、ゆきかかづらふかたもはべりながら、よにこころのしまぬにやあらん、ひとりずみにてのみなん。まだにげなきほどとつねのひとにおぼしなずらへて、はしたなくや。"などのたまへば、 |
05 | 1.4.19 | 159 | 133 |
「いとうれしかるべき仰せ言なるを、まだむげにいはきなきほどにはべるめれば、たはぶれにても、御覧じがたくや。そもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、詳しくはえとり申さず、かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ」 |
"いとうれしかるべきおほせごとなるを、まだむげにいはきなきほどにはべるめれば、たはぶれにても、ごらんじがたくや。そもそも、にょにんは、ひとにもてなされておとなにもなりたまふものなれば、くはしくはえとりまうさず、かのおばにかたらひはべりてきこえさせん。" |
05 | 1.4.20 | 160 | 134 |
と、すくよかに言ひて、ものごはきさましたまへれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえたまはず。 |
と、すくよかにいひて、ものごはきさましたまへれば、わかきみこころにはづかしくて、えよくもきこえたまはず。 |
05 | 1.4.21 | 161 | 135 |
「阿弥陀仏ものしたまふ堂に、することはべるころになむ。初夜、いまだ勤めはべらず。過ぐしてさぶらはむ」とて、上りたまひぬ。 |
"あみだぶつものしたまふだうに、することはべるころになん。そや、いまだつとめはべらず。すぐしてさぶらはん。"とて、のぼりたまひぬ。 |
05 | 1.4.22 | 162 | 136 |
君は、心地もいと悩ましきに、雨すこしうちそそき、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所からものあはれなり。まして、思しめぐらすこと多くて、まどろませたまはず。 |
きみは、ここちもいとなやましきに、あめすこしうちそそき、やまかぜひややかにふきたるに、たきのよどみもまさりて、おとたかうきこゆ。すこしねぶたげなるどきゃうのたえだえすごくきこゆるなど、すずろなるひとも、ところからものあはれなり。まして、おぼしめぐらすことおほくて、まどろませたまはず。 |
05 | 1.4.23 | 163 | 137 |
初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息に引き鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなりと聞きたまひて、ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこし引き開けて、扇を鳴らしたまへば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あなり。すこし退きて、 |
そやといひしかども、よるもいたうふけにけり。うちにも、ひとのねぬけはひしるくて、いとしのびたれど、ずずのけふそくにひきならさるるおとほのきこえ、なつかしううちそよめくおとなひ、あてはかなりとききたまひて、ほどもなくちかければ、とにたてわたしたるびゃうぶのなかを、すこしひきあけて、あふぎをならしたまへば、おぼえなきここちすべかめれど、ききしらぬやうにやとて、ゐざりいづるひとあなり。すこししぞきて、 |
05 | 1.4.24 | 164 | 139 |
「あやし、ひが耳にや」とたどるを、聞きたまひて、 |
"あやし、ひがみみにや。"とたどるを、ききたまひて、 |
05 | 1.4.25 | 165 | 140 |
「仏の御しるべは、暗きに入りても、さらに違ふまじかなるものを」 |
"ほとけのおほんしるべは、くらきにいりても、さらにたがふまじかなるものを。" |
05 | 1.4.26 | 166 | 141 |
とのたまふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひも、恥づかしけれど、 |
とのたまふおほんこゑの、いとわかうあてなるに、うちいでんこわづかひも、はづかしけれど、 |
05 | 1.4.27 | 167 | 142 |
「いかなる方の、御しるべにか。おぼつかなく」と聞こゆ。 |
"いかなるかたの、おほんしるべにか。おぼつかなく。"ときこゆ。 |
05 | 1.4.28 | 168 | 143 |
「げに、うちつけなりとおぼめきたまはむも、道理なれど、 |
"げに、うちつけなりとおぼめきたまはんも、ことわりなれど、 |
05 | 1.4.29 | 169 | 144 |
初草の若葉の上を見つるより<BR/>旅寝の袖も露ぞ乾かぬ |
はつくさのわかばのうへをみつるより<BR/>たびねのそでもつゆぞかはかぬ |
05 | 1.4.30 | 170 | 145 |
と聞こえたまひてむや」とのたまふ。 |
ときこえたまひてんや。"とのたまふ。 |
05 | 1.4.31 | 171 | 146 |
「さらに、かやうの御消息、うけたまはりわくべき人もものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを。誰れにかは」と聞こゆ。 |
"さらに、かやうのおほんせうそこ、うけたまはりわくべきひともものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを。たれにかは。"ときこゆ。 |
05 | 1.4.32 | 172 | 147 |
「おのづからさるやうありて聞こゆるならむと思ひなしたまへかし」 |
"おのづからさるやうありてきこゆるならんとおもひなしたまへかし。" |
05 | 1.4.33 | 173 | 148 |
とのたまへば、入りて聞こゆ。 |
とのたまへば、いりてきこゆ。 |
05 | 1.4.34 | 174 | 149 |
「あな、今めかし。この君や、世づいたるほどにおはするとぞ、思すらむ。さるにては、かの『若草』を、いかで聞いたまへることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなれば、情けなしとて、 |
"あな、いまめかし。このきみや、よづいたるほどにおはするとぞ、おぼすらん。さるにては、かの'わかくさ'を、いかできいたまへることぞ。"と、さまざまあやしきに、こころみだれて、ひさしうなれば、なさけなしとて、 |
05 | 1.4.35 | 175 | 150 |
「枕結ふ今宵ばかりの露けさを<BR/>深山の苔に比べざらなむ |
"〔まくらゆふこよひばかりのつゆけさを<BR/>みやまのこけにくらべざらなん |
05 | 1.4.36 | 176 | 151 |
乾がたうはべるものを」と聞こえたまふ。 |
ひがたうはべるものを。"ときこえたまふ。 |
05 | 1.4.37 | 177 | 152 |
「かうやうのついでなる御消息は、まださらに聞こえ知らず、ならはぬことになむ。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう聞こえさすべきことなむ」と聞こえたまへれば、尼君、 |
"かうやうのついでなるおほんせうそこは、まださらにきこえしらず、ならはぬことになん。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしうきこえさすべきことなん。"ときこえたまへれば、あまぎみ、 |
05 | 1.4.38 | 178 | 153 |
「ひがこと聞きたまへるならむ。いとむつかしき御けはひに、何ごとをかは答へきこえむ」とのたまへば、 |
"ひがことききたまへるならん。いとむつかしきおほんけはひに、なにごとをかはいらへきこえん。"とのたまへば、 |
05 | 1.4.39 | 179 | 154 |
「はしたなうもこそ思せ」と人びと聞こゆ。 |
"はしたなうもこそおぼせ。"とひとびときこゆ。 |
05 | 1.4.40 | 180 | 155 |
「げに、若やかなる人こそうたてもあらめ、まめやかにのたまふ、かたじけなし」 |
"げに、わかやかなるひとこそうたてもあらめ、まめやかにのたまふ、かたじけなし。" |
05 | 1.4.41 | 181 | 156 |
とて、ゐざり寄りたまへり。 |
とて、ゐざりよりたまへり。 |
05 | 1.4.42 | 182 | 157 |
「うちつけに、あさはかなりと、御覧ぜられぬべきついでなれど、心にはさもおぼえはべらねば。仏はおのづから」 |
"うちつけに、あさはかなりと、ごらんぜられぬべきついでなれど、こころにはさもおぼえはべらねば。ほとけはおのづから。" |
05 | 1.4.43 | 183 | 158 |
とて、おとなおとなしう、恥づかしげなるにつつまれて、とみにもえうち出でたまはず。 |
とて、おとなおとなしう、はづかしげなるにつつまれて、とみにもえうちいでたまはず。 |
05 | 1.4.44 | 184 | 159 |
「げに、思ひたまへ寄りがたきついでに、かくまでのたまはせ、聞こえさするも、いかが」とのたまふ。 |
"げに、おもひたまへよりがたきついでに、かくまでのたまはせ、きこえさするも、いかが。"とのたまふ。 |
05 | 1.4.45 | 185 | 160 |
「あはれにうけたまはる御ありさまを、かの過ぎたまひにけむ御かはりに、思しないてむや。言ふかひなきほどの齢にて、むつましかるべき人にも立ち後れはべりにければ、あやしう浮きたるやうにて、年月をこそ重ねはべれ。同じさまにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへと、いと聞こえまほしきを、かかる折はべりがたくてなむ、思されむところをも憚らず、うち出ではべりぬる」と聞こえたまへば、 |
"あはれにうけたまはるおほんありさまを、かのすぎたまひにけんおほんかはりに、おぼしないてんや。いふかひなきほどのよはひにて、むつましかるべきひとにもたちおくれはべりにければ、あやしううきたるやうにて、としつきをこそかさねはべれ。おなじさまにものしたまふなるを、たぐひになさせたまへと、いときこえまほしきを、かかるをりはべりがたくてなん、おぼされんところをもはばからず、うちいではべりぬる。"ときこえたまへば、 |
05 | 1.4.46 | 186 | 161 |
「いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも、聞こしめしひがめたることなどやはべらむと、つつましうなむ。あやしき身一つを頼もし人にする人なむはべれど、いとまだ言ふかひなきほどにて、御覧じ許さるる方もはべりがたげなれば、えなむうけたまはりとどめられざりける」とのたまふ。 |
"いとうれしうおもひたまへぬべきおほんことながらも、きこしめしひがめたることなどやはべらんと、つつましうなん。あやしきみひとつをたのもしびとにするひとなんはべれど、いとまだいふかひなきほどにて、ごらんじゆるさるるかたもはべりがたげなれば、えなんうけたまはりとどめられざりける。"とのたまふ。 |
05 | 1.4.47 | 187 | 162 |
「みな、おぼつかなからずうけたまはるものを、所狭う思し憚らで、思ひたまへ寄るさまことなる心のほどを、御覧ぜよ」 |
"みな、おぼつかなからずうけたまはるものを、ところせうおぼしはばからで、おもひたまへよるさまことなるこころのほどを、ごらんぜよ。" |
05 | 1.4.48 | 188 | 163 |
と聞こえたまへど、いと似げなきことを、さも知らでのたまふ、と思して、心解けたる御答へもなし。僧都おはしぬれば、 |
ときこえたまへど、いとにげなきことを、さもしらでのたまふ、とおぼして、こころとけたるおほんいらへもなし。そうづおはしぬれば、 |
05 | 1.4.49 | 189 | 164 |
「よし、かう聞こえそめはべりぬれば、いと頼もしうなむ」とて、おし立てたまひつ。 |
"よし、かうきこえそめはべりぬれば、いとたのもしうなん。"とて、おしたてたまひつ。 |
05 | 1.4.50 | 190 | 165 |
暁方になりにければ、法華三昧行ふ堂の懺法の声、山おろしにつきて聞こえくる、いと尊く、滝の音に響きあひたり。 |
あかつきがたになりにければ、ほけざんまいおこなふだうのせんぼふのこゑ、やまおろしにつきてきこえくる、いとたふとく、たきのおとにひびきあひたり。 |
05 | 1.4.51 | 191 | 166 |
「吹きまよふ深山おろしに夢さめて<BR/>涙もよほす滝の音かな」 |
"〔ふきまよふみやまおろしにゆめさめて<BR/>なみだもよほすたきのおとかな〕 |
05 | 1.4.52 | 192 | 167 |
「さしぐみに袖ぬらしける山水に<BR/>澄める心は騒ぎやはする |
"〔さしぐみにそでぬらしけるやまみづに<BR/>すめるこころはさわぎやはする |
05 | 1.4.53 | 193 | 168 |
耳馴れはべりにけりや」と聞こえたまふ。 |
みみなれはべりにけりや。"ときこえたまふ。 |
05 | 1.5 | 194 | 169 | 第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京 |
05 | 1.5.1 | 195 | 170 |
明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、めづらしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。 |
あけゆくそらは、いといたうかすみて、やまのとりどもそこはかとなうさへづりあひたり。なもしらぬきくさのはなどもも、いろいろにちりまじり、にしきをしけるとみゆるに、しかのたたずみありくも、めづらしくみたまふに、なやましさもまぎれはてぬ。 |
05 | 1.5.2 | 196 | 171 |
聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼誦みたり。 |
ひじり、うごきもえせねど、とかうしてごしんまゐらせたまふ。かれたるこゑの、いといたうすきひがめるも、あはれにくうづきて、だらによみたり。 |
05 | 1.5.3 | 197 | 172 |
御迎への人びと参りて、おこたりたまへる喜び聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり。僧都、世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。 |
おほんむかへのひとびとまゐりて、おこたりたまへるよろこびきこえ、うちよりもおほんとぶらひあり。そうづ、よにみえぬさまのおほんくだもの、なにくれと、たにのそこまでほりいで、いとなみきこえたまふ。 |
05 | 1.5.4 | 198 | 173 |
「今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。なかなかにも思ひたまへらるべきかな」 |
"ことしばかりのちかひふかうはべりて、おほんおくりにもえまゐりはべるまじきこと。なかなかにもおもひたまへらるべきかな。" |
05 | 1.5.5 | 199 | 174 |
など聞こえたまひて、大御酒参りたまふ。 |
などきこえたまひて、おほみきまゐりたまふ。 |
05 | 1.5.6 | 200 | 175 |
「山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりもおぼつかながらせたまへるも、かしこければなむ。今、この花の折過ぐさず参り来む。 |
"やまみづにこころとまりはべりぬれど、うちよりもおぼつかながらせたまへるも、かしこければなん。いま、このはなのをりすぐさずまゐりこん。 |
05 | 1.5.7 | 201 | 176 |
宮人に行きて語らむ山桜<BR/>風よりさきに来ても見るべく」 |
みやびとにゆきてかたらんやまざくら<BR/>かぜよりさきにきてもみるべく〕 |
05 | 1.5.8 | 202 | 177 |
とのたまふ御もてなし、声づかひさへ、目もあやなるに、 |
とのたまふおほんもてなし、こわづかひさへ、めもあやなるに、 |
05 | 1.5.9 | 203 | 178 |
「優曇華の花待ち得たる心地して<BR/>深山桜に目こそ移らね」 |
"〔うどんげのはなまちえたるここちして<BR/>みやまざくらにめこそうつらね〕 |
05 | 1.5.10 | 204 | 179 |
と聞こえたまへば、ほほゑみて、「時ありて、一度開くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。 |
ときこえたまへば、ほほゑみて、"ときありて、ひとたびひらくなるは、かたかなるものを。"とのたまふ。 |
05 | 1.5.11 | 205 | 180 |
聖、御土器賜はりて、 |
ひじり、おほんかはらけたまはりて、 |
05 | 1.5.12 | 206 | 181 |
「奥山の松のとぼそをまれに開けて<BR/>まだ見ぬ花の顔を見るかな」 |
"〔おくやまのまつのとぼそをまれにあけて<BR/>まだみぬはなのかほをみるかな〕 |
05 | 1.5.13 | 207 | 183 |
と、うち泣きて見たてまつる。聖、御まもりに、独鈷たてまつる。見たまひて、僧都、聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、やがてその国より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に付けて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。 |
と、うちなきてみたてまつる。ひじり、おほんまもりに、とこたてまつる。みたまひて、そうづ、さうとくたいしのくだらよりえたまへりけるこんがうじのずずの、たまのさうぞくしたる、やがてそのくによりいれたるはこの、からめいたるを、すきたるふくろにいれて、ごえふのえでにつけて、こんるりのつぼどもに、おほんくすりどもいれて、ふぢ、さくらなどにつけて、ところにつけたるおほんおくりものども、ささげたてまつりたまふ。 |
05 | 1.5.14 | 208 | 184 |
君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして出でたまふ。 |
きみ、ひじりよりはじめ、どきゃうしつるほふしのふせども、まうけのものども、さまざまにとりにつかはしたりければ、そのわたりのやまがつまで、さるべきものどもたまひ、みずきゃうなどしていでたまふ。 |
05 | 1.5.15 | 209 | 185 |
内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねびきこえたまへど、 |
うちにそうづいりたまひて、かのきこえたまひしこと、まねびきこえたまへど、 |
05 | 1.5.16 | 210 | 186 |
「ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。もし、御志あらば、いま四、五年を過ぐしてこそは、ともかくも」とのたまへば、「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なしと思す。 |
"ともかくも、ただいまは、きこえんかたなし。もし、みこころざしあらば、いまよとせ、いつとせをすぐしてこそは、ともかくも"とのたまへば、"さなん。"とおなじさまにのみあるを、ほいなしとおぼす。 |
05 | 1.5.17 | 211 | 187 |
御消息、僧都のもとなる小さき童して、 |
おほんせうそこ、そうづのもとなるちひさきわらはして、 |
05 | 1.5.18 | 212 | 188 |
「夕まぐれほのかに花の色を見て<BR/>今朝は霞の立ちぞわづらふ」 |
"〔ゆふまぐれほのかにはなのいろをみて<BR/>けさはかすみのたちぞわづらふ〕 |
05 | 1.5.19 | 213 | 189 |
御返し、 |
おほんかへし、 |
05 | 1.5.20 | 214 | 190 |
「まことにや花のあたりは立ち憂きと<BR/>霞むる空の気色をも見む」 |
"〔まことにやはなのあたりはたちうきと<BR/>かすむるそらのけしきをもみん〕 |
05 | 1.5.21 | 215 | 191 |
と、よしある手の、いとあてなるを、うち捨て書いたまへり。 |
と、よしあるての、いとあてなるを、うちすてかいたまへり。 |
05 | 1.5.22 | 216 | 192 |
御車にたてまつるほど、大殿より、「いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎への人びと、君達などあまた参りたまへり。頭中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひきこえて、 |
みくるまにたてまつるほど、おほいどのより、"いづちともなくて、おはしましにけること。"とて、おほんむかへのひとびと、きみたちなどあまたまゐりたまへり。とうのちゅうじゃう、さちゅうべん、さらぬきみたちもしたひきこえて、 |
05 | 1.5.23 | 217 | 193 |
「かうやうの御供には、仕うまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましく、おくらさせたまへること」と恨みきこえて、「いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、立ち帰りはべらむは、飽かぬわざかな」とのたまふ。 |
"かうやうのおほんともには、つかうまつりはべらん、とおもひたまふるを、あさましく、おくらさせたまへること。"とうらみきこえて、"いといみじきはなのかげに、しばしもやすらはず、たちかへりはべらんは、あかぬわざかな。"とのたまふ。 |
05 | 1.5.24 | 218 | 194 |
岩隠れの苔の上に並みゐて、土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と歌ふ。人よりは異なる君達を、源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ、何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥吹く随身、笙の笛持たせたる好き者などあり。 |
いはがくれのこけのうへになみゐて、かはらけまゐる。おちくるみづのさまなど、ゆゑあるたきのもとなり。とうのちゅうじゃう、ふところなりけるふえとりいでて、ふきすましたり。べんのきみ、あふぎはかなううちならして、"とよらのてらの、にしなるや"とうたふ。ひとよりはことなるきみたちを、げんじのきみ、いといたううちなやみて、いはによりゐたまへるは、たぐひなくゆゆしきおほんありさまにぞ、なにごとにもめうつるまじかりける。れいの、ひちりきふくずいじん、しゃうのふえもたせたるすきものなどあり。 |
05 | 1.5.25 | 219 | 195 |
僧都、琴をみづから持て参りて、 |
そうづ、きんをみづからもてまゐりて、 |
05 | 1.5.26 | 220 | 196 |
「これ、ただ御手一つあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかしはべらむ」 |
"これ、ただおほんてひとつあそばして、おなじうは、やまのとりもおどろかしはべらん。" |
05 | 1.5.27 | 221 | 197 |
と切に聞こえたまへば、 |
とせちにきこえたまへば、 |
05 | 1.5.28 | 222 | 198 |
「乱り心地、いと堪へがたきものを」と聞こえたまへど、けに憎からずかき鳴らして、皆立ちたまひぬ。 |
"みだりごこち、いとたへがたきものを。"ときこえたまへど、けににくからずかきならして、みなたちたまひぬ。 |
05 | 1.5.29 | 223 | 199 |
飽かず口惜しと、言ふかひなき法師、童べも、涙を落としあへり。まして、内には、年老いたる尼君たちなど、まださらにかかる人の御ありさまを見ざりつれば、「この世のものともおぼえたまはず」と聞こえあへり。僧都も、 |
あかずくちをしと、いふかひなきほふし、わらはべも、なみだをおとしあへり。まして、うちには、としおいたるあまぎみたちなど、まださらにかかるひとのおほんありさまをみざりつれば、"このよのものともおぼえたまはず。"ときこえあへり。そうづも、 |
05 | 1.5.30 | 224 | 200 |
「あはれ、何の契りにて、かかる御さまながら、いとむつかしき日本の末の世に生まれたまへらむと見るに、いとなむ悲しき」とて、目おしのごひたまふ。 |
"あはれ、なにのちぎりにて、かかるおほんさまながら、いとむつかしきひのもとのすゑのよにむまれたまへらんとみるに、いとなんかなしき。"とて、めおしのごひたまふ。 |
05 | 1.5.31 | 225 | 201 |
この若君、幼な心地に、「めでたき人かな」と見たまひて、 |
このわかぎみ、をさなごこちに、"めでたきひとかな。"とみたまひて、 |
05 | 1.5.32 | 226 | 202 |
「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな」などのたまふ。 |
"みやのおほんありさまよりも、まさりたまへるかな。"などのたまふ。 |
05 | 1.5.33 | 227 | 203 |
「さらば、かの人の御子になりておはしませよ」 |
"さらば、かのひとのみこになりておはしませよ。" |
05 | 1.5.34 | 228 | 204 |
と聞こゆれば、うちうなづきて、「いとようありなむ」と思したり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、「源氏の君」と作り出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ。 |
ときこゆれば、うちうなづきて、"いとようありなん。"とおぼしたり。ひひなあそびにも、ゑかいたまふにも、"げんじのきみ"とつくりいでて、きよらなるきぬきせ、かしづきたまふ。 |
05 | 1.6 | 229 | 205 | 第六段 内裏と左大臣邸に参る |
05 | 1.6.1 | 230 | 206 |
君は、まづ内裏に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。「いといたう衰へにけり」とて、ゆゆしと思し召したり。聖の尊かりけることなど、問はせたまふ。詳しく奏したまへば、 |
きみは、まづうちにまゐりたまひて、ひごろのおほんものがたりなどきこえたまふ。"いといたうおとろへにけり。"とて、ゆゆしとおぼしめしたり。ひじりのたふとかりけることなど、とはせたまふ。くはしくそうしたまへば、 |
05 | 1.6.2 | 231 | 207 |
「阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ。行ひの労は積もりて、朝廷にしろしめされざりけること」と、尊がりのたまはせけり。 |
"あざりなどにもなるべきものにこそあなれ。おこなひのらうはつもりて、おほやけにしろしめされざりけること。"と、たふとがりのたまはせけり。 |
05 | 1.6.3 | 232 | 208 |
大殿、参りあひたまひて、 |
おほいどの、まゐりあひたまひて、 |
05 | 1.6.4 | 233 | 209 |
「御迎へにもと思ひたまへつれど、忍びたる御歩きに、いかがと思ひ憚りてなむ。のどやかに一、二日うち休みたまへ」とて、「やがて、御送り仕うまつらむ」と申したまへば、さしも思さねど、引かされてまかでたまふ。 |
"おほんむかへにもとおもひたまへつれど、しのびたるおほんありきに、いかがとおもひはばかりてなん。のどやかにいち、ににちうちやすみたまへ。"とて、"やがて、おほんおくりつかうまつらん。"とまうしたまへば、さしもおぼさねど、ひかされてまかでたまふ。 |
05 | 1.6.5 | 234 | 210 |
我が御車に乗せたてまつりたまうて、自らは引き入りてたてまつれり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。 |
わがみくるまにのせたてまつりたまうて、みづからはひきいりてたてまつれり。もてかしづききこえたまへるみこころばへのあはれなるをぞ、さすがにこころぐるしくおぼしける。 |
05 | 1.6.6 | 235 | 211 |
殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉の台に磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。 |
とのにも、おはしますらんとこころづかひしたまひて、ひさしくみたまはぬほど、いとどたまのうてなにみがきしつらひ、よろづをととのへたまへり。 |
05 | 1.6.7 | 236 | 212 |
女君、例の、はひ隠れて、とみにも出でたまはぬを、大臣、切に聞こえたまひて、からうして渡りたまへり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、し据ゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、思ふこともうちかすめ、山道の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ、世には心も解けず、うとく恥づかしきものに思して、年のかさなるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに、 |
をんなぎみ、れいの、はひかくれて、とみにもいでたまはぬを、おとど、せちにきこえたまひて、からうしてわたりたまへり。ただゑにかきたるもののひめぎみのやうに、しすゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、おもふこともうちかすめ、やまみちのものがたりをもきこえん、いふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ、よにはこころもとけず、うとくはづかしきものにおぼして、としのかさなるにそへて、みこころのへだてもまさるを、いとくるしく、おもはずに、 |
05 | 1.6.8 | 237 | 213 |
「時々は、世の常なる御気色を見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに、問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」 |
"ときどきは、よのつねなるみけしきをみばや。たへがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに、とひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう。" |
05 | 1.6.9 | 238 | 214 |
と聞こえたまふ。からうして、 |
ときこえたまふ。からうして、 |
05 | 1.6.10 | 239 | 215 |
「問はぬは、つらきものにやあらむ」 |
"とはぬは、つらきものにやあらん。" |
05 | 1.6.11 | 240 | 216 |
と、後目に見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌なり。 |
と、しりめにみおこせたまへるまみ、いとはづかしげに、けだかううつくしげなるおほんかたちなり。 |
05 | 1.6.12 | 241 | 217 |
「まれまれは、あさましの御ことや。訪はぬ、など言ふ際は、異にこそはべるなれ。心憂くものたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし、思し直る折もやと、とざまかうさまに試みきこゆるほど、いとど思ほし疎むなめりかし。よしや、命だに」 |
"まれまれは、あさましのおほんことや。とはぬ、などいふきはは、ことにこそはべるなれ。こころうくものたまひなすかな。よとともにはしたなきおほんもてなしを、もし、おぼしなほるをりもやと、とざまかうさまにこころみきこゆるほど、いとどおもほしうとむなめりかし。よしや、いのちだに。" |
05 | 1.6.13 | 242 | 218 |
とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず、聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり。 |
とて、よるのおましにいりたまひぬ。をんなぎみ、ふともいりたまはず、きこえわづらひたまひて、うちなげきてふしたまへるも、なまこころづきなきにやあらん、ねぶたげにもてなして、とかうよをおぼしみだるることおほかり。 |
05 | 1.6.14 | 243 | 219 |
この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、「似げないほどと思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄りがたきことにもあるかな。いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿宮は、いとあてになまめいたまへれど、匂ひやかになどもあらぬを、いかで、かの一族におぼえたまふらむ。ひとつ后腹なればにや」など思す。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、深うおぼゆ。 |
このわかくさのおひいでんほどのなほゆかしきを、"にげないほどとおもへりしも、ことわりぞかし。いひよりがたきことにもあるかな。いかにかまへて、ただこころやすくむかへとりて、あけくれのなぐさめにみん。ひゃうぶきゃうのみやは、いとあてになまめいたまへれど、にほひやかになどもあらぬを、いかで、かのひとぞうにおぼえたまふらん。ひとつきさきばらなればにや。"などおぼす。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、ふかうおぼゆ。 |
05 | 1.7 | 244 | 220 | 第七段 北山へ手紙を贈る |
05 | 1.7.1 | 245 | 221 |
またの日、御文たてまつれたまへり。僧都にもほのめかしたまふべし。尼上には、 |
またのひ、おほんふみたてまつれたまへり。そうづにもほのめかしたまふべし。あまうへには、 |
05 | 1.7.2 | 246 | 222 |
「もて離れたりし御気色のつつましさに、思ひたまふるさまをも、えあらはし果てはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば、いかにうれしう」 |
"もてはなれたりしみけしきのつつましさに、おもひたまふるさまをも、えあらはしはてはべらずなりにしをなん。かばかりきこゆるにても、おしなべたらぬこころざしのほどをごらんじしらば、いかにうれしう。" |
05 | 1.7.3 | 247 | 223 |
などあり。中に、小さく引き結びて、 |
などあり。なかに、ちひさくひきむすびて、 |
05 | 1.7.4 | 248 | 224 |
「面影は身をも離れず山桜<BR/>心の限りとめて来しかど |
"〔おもかげはみをもはなれずやまざくら<BR/>こころのかぎりとめてこしかど |
05 | 1.7.5 | 249 | 225 |
夜の間の風も、うしろめたくなむ」 |
よのまのかぜも、うしろめたくなん。" |
05 | 1.7.6 | 250 | 226 |
とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包みたまへるさまも、さだすぎたる御目どもには、目もあやにこのましう見ゆ。 |
とあり。おほんてなどはさるものにて、ただはかなうおしつつみたまへるさまも、さだすぎたるおほんめどもには、めもあやにこのましうみゆ。 |
05 | 1.7.7 | 251 | 227 |
「あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ」と、思しわづらふ。 |
"あな、かたはらいたや。いかがきこえん。"と、おぼしわづらふ。 |
05 | 1.7.8 | 252 | 228 |
「ゆくての御ことは、なほざりにも思ひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、聞こえさせむかたなくなむ。まだ「難波津」をだに、はかばかしう続けはべらざめれば、かひなくなむ。さても、 |
"ゆくてのおほんことは、なほざりにもおもひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、きこえさせんかたなくなん。まだ'なにはづ'をだに、はかばかしうつづけはべらざめれば、かひなくなん。さても、 |
05 | 1.7.9 | 253 | 229 |
嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を<BR/>心とめけるほどのはかなさ |
あらしふくをのへのさくらちらぬまを<BR/>こころとめけるほどのはかなさ |
05 | 1.7.10 | 254 | 230 |
いとどうしろめたう」 |
いとどうしろめたう。" |
05 | 1.7.11 | 255 | 231 |
とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二、三日ありて、惟光をぞたてまつれたまふ。 |
とあり。そうづのおほんかへりもおなじさまなれば、くちをしくて、に、さんにちありて、これみつをぞたてまつれたまふ。 |
05 | 1.7.12 | 256 | 232 |
「少納言の乳母と言ふ人あべし。尋ねて、詳しう語らへ」などのたまひ知らす。「さも、かからぬ隈なき御心かな。さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。 |
"せうなごんのめのとといふひとあべし。たづねて、くはしうかたらへ。"などのたまひしらす。"さも、かからぬくまなきみこころかな。さばかりいはけなげなりしけはひを。"と、まほならねども、みしほどをおもひやるもをかし。 |
05 | 1.7.13 | 257 | 233 |
わざと、かう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえたまふ。少納言に消息して会ひたり。詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、「いとわりなき御ほどを、いかに思すにか」と、ゆゆしうなむ、誰も誰も思しける。 |
わざと、かうおほんふみあるを、そうづもかしこまりきこえたまふ。せうなごんにせうそこしてあひたり。くはしく、おぼしのたまふさま、おほかたのおほんありさまなどかたる。ことばおほかるひとにて、つきづきしういひつづくれど、"いとわりなきおほんほどを、いかにおぼすにか。"と、ゆゆしうなん、たれもたれもおぼしける。 |
05 | 1.7.14 | 258 | 234 |
御文にも、いとねむごろに書いたまひて、例の、中に、「かの御放ち書きなむ、なほ見たまへまほしき」とて、 |
おほんふみにも、いとねんごろにかいたまひて、れいの、なかに、"かのおほんはなちがきなん、なほみたまへまほしき。"とて、 |
05 | 1.7.15 | 259 | 235 |
「あさか山浅くも人を思はぬに<BR/>など山の井のかけ離るらむ」 |
"〔あさかやまあさくもひとをおもはぬに<BR/>などやまのゐのかけはなるらん〕 |
05 | 1.7.16 | 260 | 236 |
御返し、 |
おほんかへし、 |
05 | 1.7.17 | 261 | 237 |
「汲み初めてくやしと聞きし山の井の<BR/>浅きながらや影を見るべき」 |
"〔くみそめてくやしとききしやまのゐの<BR/>あさきながらやかげをみるべき〕 |
05 | 1.7.18 | 262 | 238 |
惟光も同じことを聞こゆ。 |
これみつもおなじことをきこゆ。 |
05 | 1.7.19 | 263 | 239 |
「このわづらひたまふことよろしくは、このごろ過ぐして、京の殿に渡りたまひてなむ、聞こえさすべき」とあるを、心もとなう思す。 |
"このわづらひたまふことよろしくは、このごろすぐして、きゃうのとのにわたりたまひてなん、きこえさすべき。"とあるを、こころもとなうおぼす。 |
05 | 2 | 264 | 240 | 第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語 |
05 | 2.1 | 265 | 241 | 第一段 夏四月の短夜の密通事件 |
05 | 2.1.1 | 266 | 242 |
藤壺の宮、悩みたまふことありて、まかでたまへり。上の、おぼつかながり、嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、何処にも何処にも、まうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれと眺め暮らして、暮るれば、王命婦を責め歩きたまふ。 |
ふぢつぼのみや、なやみたまふことありて、まかでたまへり。うへの、おぼつかながり、なげききこえたまふみけしきも、いといとほしうみたてまつりながら、かかるをりだにと、こころもあくがれまどひて、いづくにもいづくにも、まうでたまはず、うちにてもさとにても、ひるはつれづれとながめくらして、くるれば、わうみゃうぶをせめありきたまふ。 |
05 | 2.1.2 | 267 | 243 |
いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞ、わびしきや。 |
いかがたばかりけん、いとわりなくてみたてまつるほどさへ、うつつとはおぼえぬぞ、わびしきや。 |
05 | 2.1.3 | 268 | 244 |
宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、「などか、なのめなることだにうち交じりたまはざりけむ」と、つらうさへぞ思さるる。 |
みやも、あさましかりしをおぼしいづるだに、よととものおほんものおもひなるを、さてだにやみなんとふかうおぼしたるに、いとうくて、いみじきみけしきなるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、こころふかうはづかしげなるおほんもてなしなどの、なほひとににさせたまはぬを、"などか、なのめなることだにうちまじりたまはざりけん。"と、つらうさへぞおぼさるる。 |
05 | 2.1.4 | 269 | 245 |
何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ。くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましう、なかなかなり。 |
なにごとをかはきこえつくしたまはん。くらぶのやまにやどりもとらまほしげなれど、あやにくなるみじかよにて、あさましう、なかなかなり。 |
05 | 2.1.5 | 270 | 247 |
「見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに<BR/>やがて紛るる我が身ともがな」 |
"〔みてもまたあふよまれなるゆめのうちに<BR/>やがてまぎるるわがみともがな〕 |
05 | 2.1.6 | 271 | 248 |
と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、 |
と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、 |
05 | 2.1.7 | 272 | 249 |
「世語りに人や伝へむたぐひなく<BR/>憂き身を覚めぬ夢になしても」 |
"〔よがたりにひとやつたへんたぐひなく<BR/>うきみをさめぬゆめになしても〕 |
05 | 2.1.8 | 273 | 250 |
思し乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集め持て来たる。 |
おぼしみだれたるさまも、いとことわりにかたじけなし。みゃうぶのきみぞ、おほんなほしなどは、かきあつめもてきたる。 |
05 | 2.1.9 | 274 | 251 |
殿におはして、泣き寝に臥し暮らしたまひつ。御文なども、例の、御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、つらういみじう思しほれて、内裏へも参らで、二、三日籠もりおはすれば、また、「いかなるにか」と、御心動かせたまふべかめるも、恐ろしうのみおぼえたまふ。 |
とのにおはして、なきねにふしくらしたまひつ。おほんふみなども、れいの、ごらんじいれぬよしのみあれば、つねのことながらも、つらういみじうおぼしほれて、うちへもまゐらで、に、さんにちこもりおはすれば、また、"いかなるにか。"と、みこころうごかせたまふべかめるも、おそろしうのみおぼえたまふ。 |
05 | 2.2 | 275 | 252 | 第二段 妊娠三月となる |
05 | 2.2.1 | 276 | 253 |
宮も、なほいと心憂き身なりけりと、思し嘆くに、悩ましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使、しきれど、思しも立たず。 |
みやも、なほいとこころうきみなりけりと、おぼしなげくに、なやましさもまさりたまひて、とくまゐりたまふべきおほんつかひ、しきれど、おぼしもたたず。 |
05 | 2.2.2 | 277 | 254 |
まことに、御心地、例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心憂く、「いかならむ」とのみ思し乱る。 |
まことに、みここち、れいのやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、ひとしれずおぼすこともありければ、こころうく、"いかならん。"とのみおぼしみだる。 |
05 | 2.2.3 | 278 | 255 |
暑きほどは、いとど起きも上がりたまはず。三月になりたまへば、いとしるきほどにて、人びと見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世のほど、心憂し。人は思ひ寄らぬことなれば、「この月まで、奏せさせたまはざりけること」と、驚ききこゆ。我が御心一つには、しるう思しわくこともありけり。 |
あつきほどは、いとどおきもあがりたまはず。みつきになりたまへば、いとしるきほどにて、ひとびとみたてまつりとがむるに、あさましきおほんすくせのほど、こころうし。ひとはおもひよらぬことなれば、"このつきまで、そうせさせたまはざりけること。"と、おどろききこゆ。わがみこころひとつには、しるうおぼしわくこともありけり。 |
05 | 2.2.4 | 279 | 256 |
御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をもしるく見たてまつり知れる、御乳母子の弁、命婦などぞ、あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、なほ逃れがたかりける御宿世をぞ、命婦はあさましと思ふ。 |
おほんゆどのなどにもしたしうつかうまつりて、なにごとのみけしきをもしるくみたてまつりしれる、おほんめのとごのべん、みゃうぶなどぞ、あやしとおもへど、かたみにいひあはすべきにあらねば、なほのがれがたかりけるおほんすくせをぞ、みゃうぶはあさましとおもふ。 |
05 | 2.2.5 | 280 | 257 |
内裏には、御物の怪の紛れにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。見る人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなう思されて、御使などのひまなきも、そら恐ろしう、ものを思すこと、ひまなし。 |
うちには、おほんもののけのまぎれにて、とみにけしきなうおはしましけるやうにぞそうしけんかし。みるひともさのみおもひけり。いとどあはれにかぎりなうおぼされて、おほんつかひなどのひまなきも、そらおそろしう、ものをおぼすこと、ひまなし。 |
05 | 2.2.6 | 281 | 258 |
中将の君も、おどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて、合はする者を召して、問はせたまへば、及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり。 |
ちゅうじょうのきみも、おどろおどろしうさまことなるゆめをみたまひて、あはするものをめして、とはせたまへば、およびなうおぼしもかけぬすぢのことをあはせけり。 |
05 | 2.2.7 | 282 | 259 |
「その中に、違ひ目ありて、慎しませたまふべきことなむはべる」 |
"そのなかに、たがひめありて、つつしませたまふべきことなんはべる。" |
05 | 2.2.8 | 283 | 260 |
と言ふに、わづらはしくおぼえて、 |
といふに、わづらはしくおぼえて、 |
05 | 2.2.9 | 284 | 261 |
「みづからの夢にはあらず、人の御ことを語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」 |
"みづからのゆめにはあらず、ひとのおほんことをかたるなり。このゆめあふまで、またひとにまねぶな。" |
05 | 2.2.10 | 285 | 262 |
とのたまひて、心のうちには、「いかなることならむ」と思しわたるに、この女宮の御こと聞きたまひて、「もしさるやうもや」と、思し合はせたまふに、いとどしくいみじき言の葉尽くしきこえたまへど、命婦も思ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべきかたなし。はかなき一行の御返りのたまさかなりしも、絶え果てにたり。 |
とのたまひて、こころのうちには、"いかなることならん。"とおぼしわたるに、このをんなみやのおほんことききたまひて、"もしさるやうもや。"と、おぼしあはせたまふに、いとどしくいみじきことのはつくしきこえたまへど、みゃうぶもおもふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべきかたなし。はかなきひとくだりのおほんかへりのたまさかなりしも、たえはてにたり。 |
05 | 2.3 | 286 | 263 | 第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る |
05 | 2.3.1 | 287 | 264 |
七月になりてぞ参りたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ、面痩せたまへる、はた、げに似るものなくめでたし。 |
ふづきになりてぞまゐりたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしきおほんおもひのほどかぎりなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ、おもやせたまへる、はた、げににるものなくめでたし。 |
05 | 2.3.2 | 288 | 265 |
例の、明け暮れ、こなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、御琴、笛など、さまざまに仕うまつらせたまふ。いみじうつつみたまへど、忍びがたき気色の漏り出づる折々、宮も、さすがなる事どもを多く思し続けけり。 |
れいの、あけくれ、こなたにのみおはしまして、おほんあそびもやうやうをかしきそらなれば、げんじのきみもいとまなくめしまつはしつつ、おほんこと、ふえなど、さまざまにつかうまつらせたまふ。いみじうつつみたまへど、しのびがたきけしきのもりいづるをりをり、みやも、さすがなることどもをおほくおぼしつづけけり。 |
05 | 3 | 289 | 266 | 第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語 |
05 | 3.1 | 290 | 267 | 第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る |
05 | 3.1.1 | 291 | 268 |
かの山寺の人は、よろしくなりて出でたまひにけり。京の御住処尋ねて、時々の御消息などあり。同じさまにのみあるも道理なるうちに、この月ごろは、ありしにまさる物思ひに、異事なくて過ぎゆく。 |
かのやまでらのひとは、よろしくなりていでたまひにけり。きゃうのおほんすみかたづねて、ときどきのおほんせうそこなどあり。おなじさまにのみあるもことわりなるうちに、このつきごろは、ありしにまさるものおもひに、ことごとなくてすぎゆく。 |
05 | 3.1.2 | 292 | 269 |
秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所にからうして思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく。おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこしほど遠き心地するに、荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり。例の御供に離れぬ惟光なむ、 |
あきのすゑつかた、いとものこころぼそくてなげきたまふ。つきのをかしきよ、しのびたるところにからうしておもひたちたまへるを、しぐれめいてうちそそく。おはするところはろくでうきゃうごくわたりにて、うちよりなれば、すこしほどとほきここちするに、あれたるいへのこだちいとものふりてこぐらくみえたるあり。れいのおほんともにはなれぬこれみつなん、 |
05 | 3.1.3 | 293 | 270 |
「故按察使大納言の家にはべりて、もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、何ごともおぼえず、となむ申してはべりし」と聞こゆれば、 |
"こあぜちのだいなごんのいへにはべりて、もののたよりにとぶらひてはべりしかば、かのあまうへ、いたうよわりたまひにたれば、なにごともおぼえず、となんまうしてはべりし。"ときこゆれば、 |
05 | 3.1.4 | 294 | 271 |
「あはれのことや。とぶらふべかりけるを。などか、さなむとものせざりし。入りて消息せよ」 |
"あはれのことや。とぶらふべかりけるを。などか、さなんとものせざりし。いりてせうそこせよ。" |
05 | 3.1.5 | 295 | 272 |
とのたまへば、人入れて案内せさす。わざとかう立ち寄りたまへることと言はせたれば、入りて、 |
とのたまへば、ひといれてあないせさす。わざとかうたちよりたまへることといはせたれば、いりて、 |
05 | 3.1.6 | 296 | 273 |
「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、 |
"かくおほんとぶらひになんおはしましたる。"といふに、おどろきて、 |
05 | 3.1.7 | 297 | 274 |
「いとかたはらいたきことかな。この日ごろ、むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば、御対面などもあるまじ」 |
"いとかたはらいたきことかな。このひごろ、むげにいとたのもしげなくならせたまひにたれば、おほんたいめんなどもあるまじ。" |
05 | 3.1.8 | 298 | 275 |
と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、南の廂ひきつくろひて、入れたてまつる。 |
といへども、かへしたてまつらんはかしこしとて、みなみのひさしひきつくろひて、いれたてまつる。 |
05 | 3.1.9 | 299 | 276 |
「いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて。ゆくりなう、もの深き御座所になむ」 |
"いとむつかしげにはべれど、かしこまりをだにとて。ゆくりなう、ものふかきおましどころになん。" |
05 | 3.1.10 | 300 | 277 |
と聞こゆ。げにかかる所は、例に違ひて思さる。 |
ときこゆ。げにかかるところは、れいにたがひておぼさる。 |
05 | 3.1.11 | 301 | 278 |
「常に思ひたまへ立ちながら、かひなきさまにのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなむ。悩ませたまふこと、重くとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ」など聞こえたまふ。 |
"つねにおもひたまへたちながら、かひなきさまにのみもてなさせたまふに、つつまれはべりてなん。なやませたまふこと、おもくとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ。"などきこえたまふ。 |
05 | 3.1.12 | 302 | 279 |
「乱り心地は、いつともなくのみはべるが、限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。のたまはすることの筋、たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば、かくわりなき齢過ぎはべりて、かならず数まへさせたまへ。いみじう心細げに見たまへ置くなむ、願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき」など聞こえたまへり。 |
"みだりごこちは、いつともなくのみはべるが、かぎりのさまになりはべりて、いとかたじけなく、たちよらせたまへるに、みづからきこえさせぬこと。のたまはすることのすぢ、たまさかにもおぼしめしかはらぬやうはべらば、かくわりなきよはひすぎはべりて、かならずかずまへさせたまへ。いみじうこころぼそげにみたまへおくなん、ねがひはべるみちのほだしにおもひたまへられぬべき。"などきこえたまへり。 |
05 | 3.1.13 | 303 | 280 |
いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、 |
いとちかければ、こころぼそげなるおほんこゑたえだえきこえて、 |
05 | 3.1.14 | 304 | 281 |
「いと、かたじけなきわざにもはべるかな。この君だに、かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかば」 |
"いと、かたじけなきわざにもはべるかな。このきみだに、かしこまりもきこえたまつべきほどならましかば。" |
05 | 3.1.15 | 305 | 282 |
とのたまふ。あはれに聞きたまひて、 |
とのたまふ。あはれにききたまひて、 |
05 | 3.1.16 | 306 | 283 |
「何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ。いかなる契りにか、見たてまつりそめしより、あはれに思ひきこゆるも、あやしきまで、この世のことにはおぼえはべらぬ」などのたまひて、「かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで」とのたまへば、 |
"なにか、あさうおもひたまへんことゆゑ、かうすきずきしきさまをみえたてまつらん。いかなるちぎりにか、みたてまつりそめしより、あはれにおもひきこゆるも、あやしきまで、このよのことにはおぼえはべらぬ。"などのたまひて、"かひなきここちのみしはべるを、かのいはけなうものしたまふおほんひとこゑ、いかで。"とのたまへば、 |
05 | 3.1.17 | 307 | 285 |
「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」 |
"いでや、よろづおぼししらぬさまに、おほとのごもりいりて。" |
05 | 3.1.18 | 308 | 286 |
など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、 |
などきこゆるをりしも、あなたよりくるおとして、 |
05 | 3.1.19 | 309 | 287 |
「上こそ、この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ」 |
"うへこそ、このてらにありしげんじのきみこそおはしたなれ。などみたまはぬ。" |
05 | 3.1.20 | 310 | 288 |
とのたまふを、人びと、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。 |
とのたまふを、ひとびと、いとかたはらいたしとおもひて、"あなかま。"ときこゆ。 |
05 | 3.1.21 | 311 | 289 |
「いさ、『見しかば心地の悪しさなぐさみき』とのたまひしかばぞかし」 |
"いさ、'みしかばここちのあしさなぐさみき。'とのたまひしかばぞかし。" |
05 | 3.1.22 | 312 | 290 |
と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。 |
と、かしこきこときこえたりとおぼしてのたまふ。 |
05 | 3.1.23 | 313 | 291 |
いとをかしと聞いたまへど、人びとの苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて、帰りたまひぬ。「げに、言ふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」と思す。 |
いとをかしときいたまへど、ひとびとのくるしとおもひたれば、きかぬやうにて、まめやかなるおほんとぶらひをきこえおきたまひて、かへりたまひぬ。"げに、いふかひなのけはひや。さりとも、いとようをしへてん。"とおぼす。 |
05 | 3.1.24 | 314 | 292 |
またの日も、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ。例の、小さくて、 |
またのひも、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ。れいの、ちひさくて、 |
05 | 3.1.25 | 315 | 293 |
「いはけなき鶴の一声聞きしより<BR/>葦間になづむ舟ぞえならぬ |
"〔いはけなきたづのひとこゑききしより<BR/>あしまになづむふねぞえならぬ |
05 | 3.1.26 | 316 | 294 |
同じ人にや」 |
おなじひとにや。" |
05 | 3.1.27 | 317 | 295 |
と、ことさら幼く書きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本に」と、人びと聞こゆ。少納言ぞ聞こえたる。 |
と、ことさらをさなくかきなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、"やがておほんてほんに"と、ひとびときこゆ。せうなごんぞきこえたる。 |
05 | 3.1.28 | 318 | 296 |
「問はせたまへるは、今日をも過ぐしがたげなるさまにて、山寺にまかりわたるほどにて。かう問はせたまへるかしこまりは、この世ならでも聞こえさせむ」 |
"とはせたまへるは、けふをもすぐしがたげなるさまにて、やまでらにまかりわたるほどにて。かうとはせたまへるかしこまりは、このよならでもきこえさせん。" |
05 | 3.1.29 | 319 | 297 |
とあり。いとあはれと思す。 |
とあり。いとあはれとおぼす。 |
05 | 3.1.30 | 320 | 298 |
秋の夕べは、まして、心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむと、さすがにあやふし。 |
あきのゆふべは、まして、こころのいとまなくおぼしみだるるひとのおほんあたりにこころをかけて、あながちなるゆかりもたづねまほしきこころもまさりたまふなるべし。"きえんそらなき"とありしゆふべおぼしいでられて、こひしくも、また、みばおとりやせんと、さすがにあやふし。 |
05 | 3.1.31 | 321 | 299 |
「手に摘みていつしかも見む紫の<BR/>根にかよひける野辺の若草」 |
"〔てにつみていつしかもみんむらさきの<BR/>ねにかよひけるのべのわかくさ〕" |
05 | 3.2 | 322 | 300 | 第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々 |
05 | 3.2.1 | 323 | 301 |
十月に朱雀院の行幸あるべし。舞人など、やむごとなき家の子ども、上達部、殿上人どもなども、その方につきづきしきは、みな選らせたまへれば、親王達、大臣よりはじめて、とりどりの才ども習ひたまふ、いとまなし。 |
かんなづきにすじゃくゐんのぎゃうがうあるべし。まひびとなど、やんごとなきいへのこども、かんだちめ、てんじゃうびとどもなども、そのかたにつきづきしきは、みなえらせたまへれば、みこたち、だいじんよりはじめて、とりどりのざえどもならひたまふ、いとまなし。 |
05 | 3.2.2 | 324 | 302 |
山里人にも、久しく訪れたまはざりけるを、思し出でて、ふりはへ遣はしたりければ、僧都の返り事のみあり。 |
やまざとびとにも、ひさしくおとづれたまはざりけるを、おぼしいでて、ふりはへつかはしたりければ、そうづのかへりごとのみあり。 |
05 | 3.2.3 | 325 | 303 |
「立ちぬる月の二十日のほどになむ、つひに空しく見たまへなして、世間の道理なれど、悲しび思ひたまふる」 |
"たちぬるつきのはつかのほどになん、つひにむなしくみたまへなして、せけんのだうりなれど、かなしびおもひたまふる。" |
05 | 3.2.4 | 326 | 304 |
などあるを見たまふに、世の中のはかなさもあはれに、「うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼きほどに、恋ひやすらむ。故御息所に後れたてまつりし」など、はかばかしからねど、思ひ出でて、浅からずとぶらひたまへり。少納言、ゆゑなからず御返りなど聞こえたり。 |
などあるをみたまふに、よのなかのはかなさもあはれに、"うしろめたげにおもへりしひともいかならん。をさなきほどに、こひやすらん。こみやすんどころにおくれたてまつりし。"など、はかばかしからねど、おもひいでて、あさからずとぶらひたまへり。せうなごん、ゆゑなからずおほんかへりなどきこえたり。 |
05 | 3.2.5 | 327 | 305 |
忌みなど過ぎて京の殿になど聞きたまへば、ほど経て、みづから、のどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人恐ろしからむと見ゆ。例の所に入れたてまつりて、少納言、御ありさまなど、うち泣きつつ聞こえ続くるに、あいなう、御袖もただならず。 |
いみなどすぎてきゃうのとのになどききたまへば、ほどへて、みづから、のどかなるよおはしたり。いとすごげにあれたるところの、ひとずくななるに、いかにをさなきひとおそろしからんとみゆ。れいのところにいれたてまつりて、せうなごん、おほんありさまなど、うちなきつつきこえつづくるに、あいなう、おほんそでもただならず。 |
05 | 3.2.6 | 328 | 306 |
「宮に渡したてまつらむとはべるめるを、『故姫君の、いと情けなく憂きものに思ひきこえたまへりしに、いとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知りたまはず、中空なる御ほどにて、あまたものしたまふなる中の、あなづらはしき人にてや交じりたまはむ』など、過ぎたまひぬるも、世とともに思し嘆きつること、しるきこと多くはべるに、かくかたじけなきなげの御言の葉は、後の御心もたどりきこえさせず、いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら、すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年よりも若びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と聞こゆ。 |
"みやにわたしたてまつらんとはべるめるを、'こひめぎみの、いとなさけなくうきものにおもひきこえたまへりしに、いとむげにちごならぬよはひの、まだはかばかしうひとのおもむけをもみしりたまはず、なかぞらなるおほんほどにて、あまたものしたまふなるなかの、あなづらはしきひとにてやまじりたまはん。'など、すぎたまひぬるも、よとともにおぼしなげきつること、しるきことおほくはべるに、かくかたじけなきなげのおほんことのはは、のちのみこころもたどりきこえさせず、いとうれしうおもひたまへられぬべきをりふしにはべりながら、すこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、おほんとしよりもわかびてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる。"ときこゆ。 |
05 | 3.2.7 | 329 | 307 |
「何か、かう繰り返し聞こえ知らする心のほどを、つつみたまふらむ。その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになむ、心ながら思ひ知られける。なほ、人伝てならで、聞こえ知らせばや。 |
"なにか、かうくりかへしきこえしらするこころのほどを、つつみたまふらん。そのいふかひなきみこころのありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、ちぎりことになん、こころながらおもひしられける。なほ、ひとづてならで、きこえしらせばや。 |
05 | 3.2.8 | 330 | 308 |
あしわかの浦にみるめはかたくとも<BR/>こは立ちながらかへる波かは |
あしわかのうらにみるめはかたくとも<BR/>こはたちながらかへるなみかは |
05 | 3.2.9 | 331 | 309 |
めざましからむ」とのたまへば、 |
めざましからん。"とのたまへば、 |
05 | 3.2.10 | 332 | 310 |
「げにこそ、いとかしこけれ」とて、 |
"げにこそ、いとかしこけれ。"とて、 |
05 | 3.2.11 | 333 | 311 |
「寄る波の心も知らでわかの浦に<BR/>玉藻なびかむほどぞ浮きたる |
"〔よるなみのこころもしらでわかのうらに<BR/>たまもなびかんほどぞうきたる |
05 | 3.2.12 | 334 | 312 |
わりなきこと」 |
わりなきこと。" |
05 | 3.2.13 | 335 | 313 |
と聞こゆるさまの馴れたるに、すこし罪ゆるされたまふ。「なぞ越えざらむ」と、うち誦じたまへるを、身にしみて若き人びと思へり。 |
ときこゆるさまのなれたるに、すこしつみゆるされたまふ。"なぞこえざらん〕と、うちずじたまへるを、みにしみてわかきひとびとおもへり。 |
05 | 3.2.14 | 336 | 314 |
君は、上を恋ひきこえたまひて泣き臥したまへるに、御遊びがたきどもの、 |
きみは、うへをこひきこえたまひてなきふしたまへるに、おほんあそびがたきどもの、 |
05 | 3.2.15 | 337 | 315 |
「直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」 |
"なほしきたるひとのおはする、みやのおはしますなめり。" |
05 | 3.2.16 | 338 | 316 |
と聞こゆれば、起き出でたまひて、 |
ときこゆれば、おきいでたまひて、 |
05 | 3.2.17 | 339 | 317 |
「少納言よ。直衣着たりつらむは、いづら。宮のおはするか」 |
"せうなごんよ。なほしきたりつらんは、いづら。みやのおはするか。" |
05 | 3.2.18 | 340 | 318 |
とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。 |
とて、よりおはしたるおほんこゑ、いとらうたし。 |
05 | 3.2.19 | 341 | 319 |
「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」 |
"みやにはあらねど、またおぼしはなつべうもあらず。こち。" |
05 | 3.2.20 | 342 | 320 |
とのたまふを、恥づかしかりし人と、さすがに聞きなして、悪しう言ひてけりと思して、乳母にさし寄りて、 |
とのたまふを、はづかしかりしひとと、さすがにききなして、あしういひてけりとおぼして、めのとにさしよりて、 |
05 | 3.2.21 | 343 | 321 |
「いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、 |
"いざかし、ねぶたきに。"とのたまへば、 |
05 | 3.2.22 | 344 | 322 |
「今さらに、など忍びたまふらむ。この膝の上に大殿籠もれよ。今すこし寄りたまへ」 |
"いまさらに、などしのびたまふらん。このひざのうへにおほとのごもれよ。いますこしよりたまへ。" |
05 | 3.2.23 | 345 | 323 |
とのたまへば、乳母の、 |
とのたまへば、めのとの、 |
05 | 3.2.24 | 346 | 324 |
「さればこそ。かう世づかぬ御ほどにてなむ」 |
"さればこそ。かうよづかぬおほんほどにてなん。" |
05 | 3.2.25 | 347 | 325 |
とて、押し寄せたてまつりたれば、何心もなくゐたまへるに、手をさし入れて探りたまへれば、なよらかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへたまへれば、うたて例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて、 |
とて、おしよせたてまつりたれば、なにごころもなくゐたまへるに、てをさしいれてさぐりたまへれば、なよらかなるおほんぞに、かみはつやつやとかかりて、すゑのふさやかにさぐりつけられたる、いとうつくしうおもひやらる。てをとらへたまへれば、うたてれいならぬひとの、かくちかづきたまへるは、おそろしうて、 |
05 | 3.2.26 | 348 | 326 |
「寝なむ、と言ふものを」 |
"ねなん、といふものを。" |
05 | 3.2.27 | 349 | 327 |
とて、強ひて引き入りたまふにつきてすべり入りて、 |
とて、しひてひきいりたまふにつきてすべりいりて、 |
05 | 3.2.28 | 350 | 328 |
「今は、まろぞ思ふべき人。な疎みたまひそ」 |
"いまは、まろぞおもふべきひと。なうとみたまひそ。" |
05 | 3.2.29 | 351 | 329 |
とのたまふ。乳母、 |
とのたまふ。めのと、 |
05 | 3.2.30 | 352 | 330 |
「いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。聞こえさせ知らせたまふとも、さらに何のしるしもはべらじものを」とて、苦しげに思ひたれば、 |
"いで、あなうたてや。ゆゆしうもはべるかな。きこえさせしらせたまふとも、さらになにのしるしもはべらじものを。"とて、くるしげにおもひたれば、 |
05 | 3.2.31 | 353 | 331 |
「さりとも、かかる御ほどをいかがはあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしのほどを見果てたまへ」とのたまふ。 |
"さりとも、かかるおほんほどをいかがはあらん。なほ、ただよにしらぬこころざしのほどをみはてたまへ。"とのたまふ。 |
05 | 3.2.32 | 354 | 332 |
霰降り荒れて、すごき夜のさまなり。 |
あられふりあれて、すごきよのさまなり。 |
05 | 3.2.33 | 355 | 333 |
「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐしたまふらむ」 |
"いかで、かうひとずくなにこころぼそうて、すぐしたまふらん。" |
05 | 3.2.34 | 356 | 334 |
と、うち泣いたまひて、いと見棄てがたきほどなれば、 |
と、うちないたまひて、いとみすてがたきほどなれば、 |
05 | 3.2.35 | 357 | 335 |
「御格子参りね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人にてはべらむ。人びと、近うさぶらはれよかし」 |
"みかうしまゐりね。ものおそろしきよのさまなめるを、とのゐびとにてはべらん。ひとびと、ちかうさぶらはれよかし。" |
05 | 3.2.36 | 358 | 336 |
とて、いと馴れ顔に御帳のうちに入りたまへば、あやしう思ひのほかにもと、あきれて、誰も誰もゐたり。乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば、うち嘆きつつゐたり。 |
とて、いとなれがほにみちゃうのうちにいりたまへば、あやしうおもひのほかにもと、あきれて、たれもたれもゐたり。めのとは、うしろめたなうわりなしとおもへど、あらましうきこえさわぐべきならねば、うちなげきつつゐたり。 |
05 | 3.2.37 | 359 | 337 |
若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたくおぼえて、単衣ばかりを押しくくみて、わが御心地も、かつはうたておぼえたまへど、あはれにうち語らひたまひて、 |
わかぎみは、いとおそろしう、いかならんとわななかれて、いとうつくしきおほんはだつきも、そぞろさむげにおぼしたるを、らうたくおぼえて、ひとへばかりをおしくくみて、わがみここちも、かつはうたておぼえたまへど、あはれにうちかたらひたまひて、 |
05 | 3.2.38 | 360 | 338 |
「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」 |
"いざ、たまへよ。をかしきゑなどおほく、ひひなあそびなどするところに。" |
05 | 3.2.39 | 361 | 339 |
と、心につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、幼き心地にも、いといたう怖ぢず、さすがに、むつかしう寝も入らずおぼえて、身じろき臥したまへり。 |
と、こころにつくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを、をさなきここちにも、いといたうおぢず、さすがに、むつかしうねもいらずおぼえて、みじろきふしたまへり。 |
05 | 3.2.40 | 362 | 340 |
夜一夜、風吹き荒るるに、 |
よひとよ、かぜふきあるるに、 |
05 | 3.2.41 | 363 | 341 |
「げに、かう、おはせざらましかば、いかに心細からまし」 |
"げに、かう、おはせざらましかば、いかにこころぼそからまし。" |
05 | 3.2.42 | 364 | 342 |
「同じくは、よろしきほどにおはしまさましかば」 |
"おなじくは、よろしきほどにおはしまさましかば。" |
05 | 3.2.43 | 365 | 343 |
とささめきあへり。乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風すこし吹きやみたるに、夜深う出でたまふも、ことあり顔なりや。 |
とささめきあへり。めのとは、うしろめたさに、いとちかうさぶらふ。かぜすこしふきやみたるに、よぶかういでたまふも、ことありがほなりや。 |
05 | 3.2.44 | 366 | 344 |
「いとあはれに見たてまつる御ありさまを、今はまして、片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れ眺めはべる所に渡したてまつらむ。かくてのみは、いかが。もの怖ぢしたまはざりけり」とのたまへば、 |
"いとあはれにみたてまつるおほんありさまを、いまはまして、かたときのまもおぼつかなかるべし。あけくれながめはべるところにわたしたてまつらん。かくてのみは、いかが。ものおぢしたまはざりけり。"とのたまへば、 |
05 | 3.2.45 | 367 | 345 |
「宮も御迎へになど聞こえのたまふめれど、この御四十九日過ぐしてや、など思うたまふる」と聞こゆれば、 |
"みやもおほんむかへになどきこえのたまふめれど、このおほんなななぬかすぐしてや。などおもうたまふる。"ときこゆれば、 |
05 | 3.2.46 | 368 | 346 |
「頼もしき筋ながらも、よそよそにてならひたまへるは、同じうこそ疎うおぼえたまはめ。今より見たてまつれど、浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ」 |
"たのもしきすぢながらも、よそよそにてならひたまへるは、おなじうこそうとうおぼえたまはめ。いまよりみたてまつれど、あさからぬこころざしはまさりぬべくなん。" |
05 | 3.2.47 | 369 | 347 |
とて、かい撫でつつ、かへりみがちにて出でたまひぬ。 |
とて、かいなでつつ、かへりみがちにていでたまひぬ。 |
05 | 3.2.48 | 370 | 348 |
いみじう霧りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひたまふ所の道なりけるを思し出でて、門うちたたかせたまへど、聞きつくる人なし。かひなくて、御供に声ある人して歌はせたまふ。 |
いみじうきりわたれるそらもただならぬに、しもはいとしろうおきて、まことのけさうもをかしかりぬべきに、さうざうしうおもひおはす。いとしのびてかよひたまふところのみちなりけるをおぼしいでて、かどうちたたかせたまへど、ききつくるひとなし。かひなくて、おほんともにこゑあるひとしてうたはせたまふ。 |
05 | 3.2.49 | 371 | 350 |
「朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも<BR/>行き過ぎがたき妹が門かな」 |
"〔あさぼらけきりたつそらのまよひにも<BR/>ゆきすぎがたきいもがかどかな〕 |
05 | 3.2.50 | 372 | 351 |
と、二返りばかり歌ひたるに、よしある下仕ひを出だして、 |
と、ふたかへりばかりうたひたるに、よしあるしもづかひをいだして、 |
05 | 3.2.51 | 373 | 352 |
「立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは<BR/>草のとざしにさはりしもせじ」 |
"〔たちとまりきりのまがきのすぎうくは<BR/>くさのとざしにさはりしもせじ〕 |
05 | 3.2.52 | 374 | 353 |
と言ひかけて、入りぬ。また人も出で来ねば、帰るも情けなけれど、明けゆく空もはしたなくて殿へおはしぬ。 |
といひかけて、いりぬ。またひともいでこねば、かへるもなさけなけれど、あけゆくそらもはしたなくてとのへおはしぬ。 |
05 | 3.2.53 | 375 | 354 |
をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥したまへり。日高う大殿籠もり起きて、文やりたまふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐたまへり。をかしき絵などをやりたまふ。 |
をかしかりつるひとのなごりこひしく、ひとりゑみしつつふしたまへり。ひたかうおほとのごもりおきて、ふみやりたまふに、かくべきことばもれいならねば、ふでうちおきつつすさびゐたまへり。をかしきゑなどをやりたまふ。 |
05 | 3.2.54 | 376 | 355 |
かしこには、今日しも、宮わたりたまへり。年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なに久しければ、見わたしたまひて、 |
かしこには、けふしも、みやわたりたまへり。としごろよりもこよなうあれまさり、ひろうものふりたるところの、いとどひとずくなにひさしければ、みわたしたまひて、 |
05 | 3.2.55 | 377 | 356 |
「かかる所には、いかでか、しばしも幼き人の過ぐしたまはむ。なほ、かしこに渡したてまつりてむ。何の所狭きほどにもあらず。乳母は、曹司などしてさぶらひなむ。君は、若き人びとあれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」などのたまふ。 |
"かかるところには、いかでか、しばしもをさなきひとのすぐしたまはん。なほ、かしこにわたしたてまつりてん。なにのところせきほどにもあらず。めのとは、ざうしなどしてさぶらひなん。きみは、わかきひとびとあれば、もろともにあそびて、いとようものしたまひなん。"などのたまふ。 |
05 | 3.2.56 | 378 | 357 |
近う呼び寄せたてまつりたまへるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」と、心苦しげに思いたり。 |
ちかうよびよせたてまつりたまへるに、かのおほんうつりがの、いみじうえんにしみかへらせたまへれば、"をかしのおほんにほひや。おほんぞはいとなえて。"と、こころぐるしげにおぼいたり。 |
05 | 3.2.57 | 379 | 358 |
「年ごろも、あつしくさだ過ぎたまへる人に添ひたまへるよ、かしこにわたりて見ならしたまへなど、ものせしを、あやしう疎みたまひて、人も心置くめりしを、かかる折にしもものしたまはむも、心苦しう」などのたまへば、 |
"としごろも、あつしくさだすぎたまへるひとにそひたまへるよ、かしこにわたりてみならしたまへなど、ものせしを、あやしううとみたまひて、ひともこころおくめりしを、かかるをりにしもものしたまはんも、こころぐるしう。"などのたまへば、 |
05 | 3.2.58 | 380 | 359 |
「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。すこしものの心思し知りなむにわたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と聞こゆ。 |
"なにかは。こころぼそくとも、しばしはかくておはしましなん。すこしもののこころおぼししりなんにわたらせたまはんこそ、よくははべるべけれ。"ときこゆ。 |
05 | 3.2.59 | 381 | 360 |
「夜昼恋ひきこえたまふに、はかなきものもきこしめさず」 |
"よるひるこひきこえたまふに、はかなきものもきこしめさず。" |
05 | 3.2.60 | 382 | 361 |
とて、げにいといたう面痩せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ。 |
とて、げにいといたうおもやせたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなかみえたまふ。 |
05 | 3.2.61 | 383 | 362 |
「何か、さしも思す。今は世に亡き人の御ことはかひなし。おのれあれば」 |
"なにか、さしもおぼす。いまはよになきひとのおほんことはかひなし。おのれあれば。" |
05 | 3.2.62 | 384 | 363 |
など語らひきこえたまひて、暮るれば帰らせたまふを、いと心細しと思いて泣いたまへば、宮うち泣きたまひて、 |
などかたらひきこえたまひて、くるればかへらせたまふを、いとこころぼそしとおぼいてないたまへば、みやうちなきたまひて、 |
05 | 3.2.63 | 385 | 364 |
「いとかう思ひな入りたまひそ。今日明日、渡したてまつらむ」など、返す返すこしらへおきて、出でたまひぬ。 |
"いとかうおもひないりたまひそ。けふあす、わたしたてまつらん。"など、かへすがへすこしらへおきて、いでたまひぬ。 |
05 | 3.2.64 | 386 | 365 |
なごりも慰めがたう泣きゐたまへり。行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて、今は亡き人となりたまひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊びたまはず、昼はさても紛らはしたまふを、夕暮となれば、いみじく屈したまへば、かくてはいかでか過ごしたまはむと、慰めわびて、乳母も泣きあへり。 |
なごりもなぐさめがたうなきゐたまへり。ゆくさきのみのあらんことなどまでもおぼししらず、ただとしごろたちはなるるをりなうまつはしならひて、いまはなきひととなりたまひにける、とおぼすがいみじきに、をさなきみここちなれど、むねつとふたがりて、れいのやうにもあそびたまはず、ひるはさてもまぎらはしたまふを、ゆふぐれとなれば、いみじくくしたまへば、かくてはいかでかすごしたまはんと、なぐさめわびて、めのともなきあへり。 |
05 | 3.2.65 | 387 | 366 |
君の御もとよりは、惟光をたてまつれたまへり。 |
きみのおほんもとよりは、これみつをたてまつれたまへり。 |
05 | 3.2.66 | 388 | 367 |
「参り来べきを、内裏より召あればなむ。心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく」とて、宿直人たてまつれたまへり。 |
"まゐりくべきを、うちよりめしあればなん。こころぐるしうみたてまつりしも、しづごころなく。"とて、とのゐびとたてまつれたまへり。 |
05 | 3.2.67 | 389 | 368 |
「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ」 |
"あぢきなうもあるかな。たはぶれにても、もののはじめにこのおほんことよ。" |
05 | 3.2.68 | 390 | 369 |
「宮聞こし召しつけば、さぶらふ人びとのおろかなるにぞさいなまむ」 |
"みやきこしめしつけば、さぶらふひとびとのおろかなるにぞさいなまん。" |
05 | 3.2.69 | 391 | 370 |
「あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち出できこえさせたまふな」 |
"あなかしこ。もののついでに、いはけなくうちいできこえさせたまふな。" |
05 | 3.2.70 | 392 | 371 |
など言ふも、それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや。 |
などいふも、それをばなにともおぼしたらぬぞ、あさましきや。 |
05 | 3.2.71 | 393 | 372 |
少納言は、惟光にあはれなる物語どもして、 |
せうなごんは、これみつにあはれなるものがたりどもして、 |
05 | 3.2.72 | 394 | 373 |
「あり経て後や、さるべき御宿世、逃れきこえたまはぬやうもあらむ。ただ今は、かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを、あやしう思しのたまはするも、いかなる御心にか、思ひ寄るかたなう乱れはべる。今日も、宮渡らせたまひて、『うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる」 |
"ありへてのちや、さるべきおほんすくせ、のがれきこえたまはぬやうもあらん。ただいまは、かけてもいとにげなきおほんこととみたてまつるを、あやしうおぼしのたまはするも、いかなるみこころにか、おもひよるかたなうみだれはべる。けふも、みやわたらせたまひて、'うしろやすくつかうまつれ。こころをさなくもてなしきこゆな。'とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかるおほんすきごともおもひいでられはべりつる。" |
05 | 3.2.73 | 395 | 374 |
など言ひて、「この人もことあり顔にや思はむ」など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。大夫も、「いかなることにかあらむ」と、心得がたう思ふ。 |
などいひて、"このひともことありがほにやおもはん。"など、あいなければ、いたうなげかしげにもいひなさず。たいふも、"いかなることにかあらん。"と、こころえがたうおもふ。 |
05 | 3.2.74 | 396 | 375 |
参りて、ありさまなど聞こえければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひたまはむも、さすがにすずろなる心地して、「軽々しうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ」など、つつましければ、「ただ迎へてむ」と思す。 |
まゐりて、ありさまなどきこえければ、あはれにおぼしやらるれど、さてかよひたまはんも、さすがにすずろなるここちして、"かるがるしうもてひがめたると、ひともやもりきかん。"など、つつましければ、"ただむかへてん。"とおぼす。 |
05 | 3.2.75 | 397 | 376 |
御文はたびたびたてまつれたまふ。暮るれば、例の大夫をぞたてまつれたまふ。「障はる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。 |
おほんふみはたびたびたてまつれたまふ。くるれば、れいのたいふをぞたてまつれたまふ。"さはることどものありて、えまゐりこぬを、おろかにや。"などあり。 |
05 | 3.2.76 | 398 | 377 |
「宮より、明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば、心あわたたしくてなむ。年ごろの蓬生を離れなむも、さすがに心細く、さぶらふ人びとも思ひ乱れて」 |
"みやより、あすにはかにおほんむかへにとのたまはせたりつれば、こころあわたたしくてなん。としごろのよもぎふをかれなんも、さすがにこころぼそく、さぶらふひとびともおもひみだれて。" |
05 | 3.2.77 | 399 | 378 |
と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず、もの縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。 |
と、ことずくなにいひて、をさをさあへしらはず、ものぬひいとなむけはひなどしるければ、まゐりぬ。 |
05 | 3.3 | 400 | 379 | 第三段 源氏、紫の君を盗み取る |
05 | 3.3.1 | 401 | 380 |
君は大殿におはしけるに、例の、女君とみにも対面したまはず。ものむつかしくおぼえたまひて、あづまをすががきて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさびゐたまへり。 |
きみはおほいどのにおはしけるに、れいの、をんなぎみとみにもたいめんしたまはず。ものむつかしくおぼえたまひて、あづまをすががきて、"ひたちにはたをこそつくれ〕といふうたを、こゑはいとなまめきて、すさびゐたまへり。 |
05 | 3.3.2 | 402 | 381 |
参りたれば、召し寄せてありさま問ひたまふ。しかしかなど聞こゆれば、口惜しう思して、「かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、好き好きしかるべし。幼き人を盗み出でたりと、もどきおひなむ。そのさきに、しばし、人にも口固めて、渡してむ」と思して、 |
まゐりたれば、めしよせてありさまとひたまふ。しかしかなどきこゆれば、くちをしうおぼして、"かのみやにわたりなば、わざとむかへいでんも、すきずきしかるべし。をさなきひとをぬすみいでたりと、もどきおひなん。そのさきに、しばし、ひとにもくちかためて、わたしてん。"とおぼして、 |
05 | 3.3.3 | 403 | 382 |
「暁かしこにものせむ。車の装束さながら。随身一人二人仰せおきたれ」とのたまふ。うけたまはりて立ちぬ。 |
"あかつきかしこにものせん。くるまのさうぞくさながら。ずいじんひとりふたりおほせおきたれ。"とのたまふ。うけたまはりてたちぬ。 |
05 | 3.3.4 | 404 | 383 |
君、「いかにせまし。聞こえありて好きがましきやうなるべきこと。人のほどだにものを思ひ知り、女の心交はしけることと推し測られぬべくは、世の常なり。父宮の尋ね出でたまへらむも、はしたなう、すずろなるべきを」と、思し乱るれど、さて外してむはいと口惜しかべければ、まだ夜深う出でたまふ。 |
きみ、"いかにせまし。きこえありてすきがましきやうなるべきこと。ひとのほどだにものをおもひしり、をんなのこころかはしけることとおしはかられぬべくは、よのつねなり。ちちみやのたづねいでたまへらんも、はしたなう、すずろなるべきを。"と、おぼしみだるれど、さてはづしてんはいとくちをしかべければ、まだよぶかういでたまふ。 |
05 | 3.3.5 | 405 | 384 |
女君、例のしぶしぶに、心もとけずものしたまふ。 |
をんなぎみ、れいのしぶしぶに、こころもとけずものしたまふ。 |
05 | 3.3.6 | 406 | 385 |
「かしこに、いとせちに見るべきことのはべるを思ひたまへ出でて、立ちかへり参り来なむ」とて、出でたまへば、さぶらふ人びとも知らざりけり。わが御方にて、御直衣などはたてまつる。惟光ばかりを馬に乗せておはしぬ。 |
"かしこに、いとせちにみるべきことのはべるをおもひたまへいでて、たちかへりまゐりきなん。"とて、いでたまへば、さぶらふひとびともしらざりけり。わがおほんかたにて、おほんなほしなどはたてまつる。これみつばかりをむまにのせておはしぬ。 |
05 | 3.3.7 | 407 | 386 |
門うちたたかせたまへば、心知らぬ者の開けたるに、御車をやをら引き入れさせて、大夫、妻戸を鳴らして、しはぶけば、少納言聞き知りて、出で来たり。 |
かどうちたたかせたまへば、こころしらぬもののあけたるに、みくるまをやをらひきいれさせて、たいふ、つまどをならして、しはぶけば、せうなごんききしりて、いできたり。 |
05 | 3.3.8 | 408 | 387 |
「ここに、おはします」と言へば、 |
"ここに、おはします。"といへば、 |
05 | 3.3.9 | 409 | 388 |
「幼き人は、御殿籠もりてなむ。などか、いと夜深うは出でさせたまへる」と、もののたよりと思ひて言ふ。 |
"をさなきひとは、おほんとのごもりてなん。などか、いとよぶかうはいでさせたまへる。"と、もののたよりとおもひていふ。 |
05 | 3.3.10 | 410 | 389 |
「宮へ渡らせたまふべかなるを、そのさきに聞こえ置かむとてなむ」とのたまへば、 |
"みやへわたらせたまふべかなるを、そのさきにきこえおかんとてなん。"とのたまへば、 |
05 | 3.3.11 | 411 | 390 |
「何ごとにかはべらむ。いかにはかばかしき御答へ聞こえさせたまはむ」 |
"なにごとにかはべらん。いかにはかばかしきおほんいらへきこえさせたまはん。" |
05 | 3.3.12 | 412 | 391 |
とて、うち笑ひてゐたり。君、入りたまへば、いとかたはらいたく、 |
とて、うちわらひてゐたり。きみ、いりたまへば、いとかたはらいたく、 |
05 | 3.3.13 | 413 | 392 |
「うちとけて、あやしき古人どものはべるに」と聞こえさす。 |
"うちとけて、あやしきふるびとどものはべるに。"ときこえさす。 |
05 | 3.3.14 | 414 | 393 |
「まだ、おどろいたまはじな。いで、御目覚ましきこえむ。かかる朝霧を知らでは、寝るものか」 |
"まだ、おどろいたまはじな。いで、おほんめさましきこえん。かかるあさぎりをしらでは、ぬるものか。" |
05 | 3.3.15 | 415 | 394 |
とて、入りたまへば、「や」とも、え聞こえず。 |
とて、いりたまへば、"や。"とも、えきこえず。 |
05 | 3.3.16 | 416 | 395 |
君は何心もなく寝たまへるを、抱きおどろかしたまふに、おどろきて、宮の御迎へにおはしたると、寝おびれて思したり。 |
きみはなにごころもなくねたまへるを、いだきおどろかしたまふに、おどろきて、みやのおほんむかへにおはしたると、ねおびれておぼしたり。 |
05 | 3.3.17 | 417 | 396 |
御髪かき繕ひなどしたまひて、 |
みぐしかきつくろひなどしたまひて、 |
05 | 3.3.18 | 418 | 397 |
「いざ、たまへ。宮の御使にて参り来つるぞ」 |
"いざ、たまへ。みやのおほんつかひにてまゐりきつるぞ。" |
05 | 3.3.19 | 419 | 398 |
とのたまふに、「あらざりけり」と、あきれて、恐ろしと思ひたれば、 |
とのたまふに、"あらざりけり。"と、あきれて、おそろしとおもひたれば、 |
05 | 3.3.20 | 420 | 399 |
「あな、心憂。まろも同じ人ぞ」 |
"あな、こころう。まろもおなじひとぞ。" |
05 | 3.3.21 | 421 | 400 |
とて、かき抱きて出でたまへば、大輔、少納言など、「こは、いかに」と聞こゆ。 |
とて、かきいだきていでたまへば、たいふ、せうなごんなど、"こは、いかに。"ときこゆ。 |
05 | 3.3.22 | 422 | 401 |
「ここには、常にもえ参らぬがおぼつかなければ、心やすき所にと聞こえしを、心憂く、渡りたまへるなれば、まして聞こえがたかべければ。人一人参られよかし」 |
"ここには、つねにもえまゐらぬがおぼつかなければ、こころやすきところにときこえしを、こころうく、わたりたまへるなれば、ましてきこえがたかべければ。ひとひとりまゐられよかし。" |
05 | 3.3.23 | 423 | 402 |
とのたまへば、心あわたたしくて、 |
とのたまへば、こころあわたたしくて、 |
05 | 3.3.24 | 424 | 403 |
「今日は、いと便なくなむはべるべき。宮の渡らせたまはむには、いかさまにか聞こえやらむ。おのづから、ほど経て、さるべきにおはしまさば、ともかうもはべりなむを、いと思ひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふ人びと苦しうはべるべし」と聞こゆれば、 |
"けふは、いとびんなくなんはべるべき。みやのわたらせたまはんには、いかさまにかきこえやらん。おのづから、ほどへて、さるべきにおはしまさば、ともかうもはべりなんを、いとおもひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふひとびとくるしうはべるべし。"ときこゆれば、 |
05 | 3.3.25 | 425 | 404 |
「よし、後にも人は参りなむ」とて、御車寄せさせたまへば、あさましう、いかさまにと思ひあへり。 |
"よし、のちにもひとはまゐりなん。"とて、みくるまよせさせたまへば、あさましう、いかさまにとおもひあへり。 |
05 | 3.3.26 | 426 | 405 |
若君も、あやしと思して泣いたまふ。少納言、とどめきこえむかたなければ、昨夜縫ひし御衣どもひきさげて、自らもよろしき衣着かへて、乗りぬ。 |
わかぎみも、あやしとおぼしてないたまふ。せうなごん、とどめきこえんかたなければ、よべぬひしおほんぞどもひきさげて、みづからもよろしききぬきかへて、のりぬ。 |
05 | 3.3.27 | 427 | 406 |
二条院は近ければ、まだ明うもならぬほどにおはして、西の対に御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。 |
にでうのゐんはちかければ、まだあかうもならぬほどにおはして、にしのたいにみくるまよせておりたまふ。わかぎみをば、いとかろらかにかきいだきておろしたまふ。 |
05 | 3.3.28 | 428 | 407 |
少納言、 |
せうなごん、 |
05 | 3.3.29 | 429 | 408 |
「なほ、いと夢の心地しはべるを、いかにしはべるべきことにか」と、やすらへば、 |
"なほ、いとゆめのここちしはべるを、いかにしはべるべきことにか。"と、やすらへば、 |
05 | 3.3.30 | 430 | 409 |
「そは、心ななり。御自ら渡したてまつりつれば、帰りなむとあらば、送りせむかし」 |
"そは、こころななり。おほんみづからわたしたてまつりつれば、かへりなんとあらば、おくりせんかし。" |
05 | 3.3.31 | 431 | 410 |
とのたまふに、笑ひて下りぬ。にはかに、あさましう、胸も静かならず。「宮の思しのたまはむこと、いかになり果てたまふべき御ありさまにか、とてもかくても、頼もしき人びとに後れたまへるがいみじさ」と思ふに、涙の止まらぬを、さすがにゆゆしければ、念じゐたり。 |
とのたまふに、わらひておりぬ。にはかに、あさましう、むねもしづかならず。"みやのおぼしのたまはんこと、いかになりはてたまふべきおほんありさまにか、とてもかくても、たのもしきひとびとにおくれたまへるがいみじさ。"とおもふに、なみだのとまらぬを、さすがにゆゆしければ、ねんじゐたり。 |
05 | 3.3.32 | 432 | 411 |
こなたは住みたまはぬ対なれば、御帳などもなかりけり。惟光召して、御帳、御屏風など、あたりあたり仕立てさせたまふ。御几帳の帷子引き下ろし、御座などただひき繕ふばかりにてあれば、東の対に、御宿直物召しに遣はして、大殿籠もりぬ。 |
こなたはすみたまはぬたいなれば、みちゃうなどもなかりけり。これみつめして、みちゃう、みびゃうぶなど、あたりあたりしたてさせたまふ。みきちゃうのかたびらひきおろし、おましなどただひきつくろふばかりにてあれば、ひんがしのたいに、おほんとのゐものめしにつかはして、おほとのごもりぬ。 |
05 | 3.3.33 | 433 | 412 |
若君は、いとむくつけく、いかにすることならむと、ふるはれたまへど、さすがに声立ててもえ泣きたまはず。 |
わかぎみは、いとむくつけく、いかにすることならんと、ふるはれたまへど、さすがにこゑたててもえなきたまはず。 |
05 | 3.3.34 | 434 | 413 |
「少納言がもとに寝む」 |
"せうなごんがもとにねん。" |
05 | 3.3.35 | 435 | 414 |
とのたまふ声、いと若し。 |
とのたまふこゑ、いとわかし。 |
05 | 3.3.36 | 436 | 415 |
「今は、さは大殿籠もるまじきぞよ」 |
"いまは、さはおほとのごもるまじきぞよ。" |
05 | 3.3.37 | 437 | 416 |
と教へきこえたまへば、いとわびしくて泣き臥したまへり。乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず起きゐたり。 |
とをしへきこえたまへば、いとわびしくてなきふしたまへり。めのとはうちもふされず、ものもおぼえずおきゐたり。 |
05 | 3.3.38 | 438 | 417 |
明けゆくままに、見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、かかやく心地するに、はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。け疎き客人などの参る折節の方なりければ、男どもぞ御簾の外にありける。 |
あけゆくままに、みわたせば、おとどのつくりざま、しつらひざま、さらにもいはず、にはのすなごもたまをかさねたらんやうにみえて、かかやくここちするに、はしたなくおもひゐたれど、こなたにはをんななどもさぶらはざりけり。けうときまらうとなどのまゐるをりふしのかたなりければ、をとこどもぞみすのとにありける。 |
05 | 3.3.39 | 439 | 418 |
かく、人迎へたまへりと、聞く人、「誰れならむ。おぼろけにはあらじ」と、ささめく。御手水、御粥など、こなたに参る。日高う寝起きたまひて、 |
かく、ひとむかへたまへりと、きくひと、"たれならん。おぼろけにはあらじ。"と、ささめく。みてうづ、おほんかゆなど、こなたにまゐる。ひたかうねおきたまひて、 |
05 | 3.3.40 | 440 | 419 |
「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは迎へさせたまはめ」 |
"ひとなくて、あしかめるを、さるべきひとびと、ゆふづけてこそはむかへさせたまはめ。" |
05 | 3.3.41 | 441 | 420 |
とのたまひて、対に童女召しにつかはす。「小さき限り、ことさらに参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。 |
とのたまひて、たいにわらはべめしにつかはす。"ちひさきかぎり、ことさらにまゐれ。"とありければ、いとをかしげにて、よたりまゐりたり。 |
05 | 3.3.42 | 442 | 421 |
君は御衣にまとはれて臥したまへるを、せめて起こして、 |
きみはおほんぞにまとはれてふしたまへるを、せめておこして、 |
05 | 3.3.43 | 443 | 422 |
「かう、心憂くなおはせそ。すずろなる人は、かうはありなむや。女は心柔らかなるなむよき」 |
"かう、こころうくなおはせそ。すずろなるひとは、かうはありなんや。をんなはこころやはらかなるなんよき。" |
05 | 3.3.44 | 444 | 423 |
など、今より教へきこえたまふ。 |
など、いまよりをしへきこえたまふ。 |
05 | 3.3.45 | 445 | 424 |
御容貌は、さし離れて見しよりも、清らにて、なつかしううち語らひつつ、をかしき絵、遊びものども取りに遣はして、見せたてまつり、御心につくことどもをしたまふ。 |
おほんかたちは、さしはなれてみしよりも、きよらにて、なつかしううちかたらひつつ、をかしきゑ、あそびものどもとりにつかはして、みせたてまつり、みこころにつくことどもをしたまふ。 |
05 | 3.3.46 | 446 | 425 |
やうやう起きゐて見たまふに、鈍色のこまやかなるが、うち萎えたるどもを着て、何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。 |
やうやうおきゐてみたまふに、にびいろのこまやかなるが、うちなえたるどもをきて、なにごころなくうちゑみなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、われもうちゑまれてみたまふ。 |
05 | 3.3.47 | 447 | 426 |
東の対に渡りたまへるに、立ち出でて、庭の木立、池の方など覗きたまへば、霜枯れの前栽、絵に描けるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位、五位こきまぜに、隙なう出で入りつつ、「げに、をかしき所かな」と思す。御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、慰めておはするもはかなしや。 |
ひんがしのたいにわたりたまへるに、たちいでて、にはのこだち、いけのかたなどのぞきたまへば、しもがれのせんさい、ゑにかけるやうにおもしろくて、みもしらぬしゐ、ごゐこきまぜに、ひまなういでいりつつ、"げに、をかしきところかな。"とおぼす。みびゃうぶどもなど、いとをかしきゑをみつつ、なぐさめておはするもはかなしや。 |
05 | 3.3.48 | 448 | 427 |
君は、二、三日、内裏へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて本にと思すにや、手習、絵などさまざまに書きつつ、見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげに書き集めたまへり。「武蔵野と言へばかこたれぬ」と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、いとことなるを取りて見ゐたまへり。すこし小さくて、 |
きみは、に、さんにち、うちへもまゐりたまはで、このひとをなつけかたらひきこえたまふ。やがてほんにとおぼすにや、てならひ、ゑなどさまざまにかきつつ、みせたてまつりたまふ。いみじうをかしげにかきあつめたまへり。"むさしのといへばかこたれぬ〕と、むらさきのかみにかいたまへるすみつきの、いとことなるをとりてみゐたまへり。すこしちひさくて、 |
05 | 3.3.49 | 449 | 428 |
「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の<BR/>露分けわぶる草のゆかりを」 |
"〔ねはみねどあはれとぞおもふむさしのの<BR/>つゆわけわぶるくさのゆかりを〕 |
05 | 3.3.50 | 450 | 429 |
とあり。 |
とあり。 |
05 | 3.3.51 | 451 | 430 |
「いで、君も書いたまへ」とあれば、 |
"いで、きみもかいたまへ。"とあれば、 |
05 | 3.3.52 | 452 | 431 |
「まだ、ようは書かず」 |
"まだ、ようはかかず。" |
05 | 3.3.53 | 453 | 433 |
とて、見上げたまへるが、何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、 |
とて、みあげたまへるが、なにごころなくうつくしげなれば、うちほほゑみて、 |
05 | 3.3.54 | 454 | 434 |
「よからねど、むげに書かぬこそ悪ろけれ。教へきこえむかし」 |
"よからねど、むげにかかぬこそわろけれ。をしへきこえんかし。" |
05 | 3.3.55 | 455 | 435 |
とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながらあやしと思す。「書きそこなひつ」と恥ぢて隠したまふを、せめて見たまへば、 |
とのたまへば、うちそばみてかいたまふてつき、ふでとりたまへるさまのをさなげなるも、らうたうのみおぼゆれば、こころながらあやしとおぼす。"かきそこなひつ。"とはぢてかくしたまふを、せめてみたまへば、 |
05 | 3.3.56 | 456 | 436 |
「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな<BR/>いかなる草のゆかりなるらむ」 |
"〔かこつべきゆゑをしらねばおぼつかな<BR/>いかなるくさのゆかりなるらん〕 |
05 | 3.3.57 | 457 | 437 |
と、いと若けれど、生ひ先見えて、ふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。「今めかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむ」と見たまふ。 |
と、いとわかけれど、おひさきみえて、ふくよかにかいたまへり。こあまぎみのにぞにたりける。"いまめかしきてほんならはば、いとようかいたまひてん。"とみたまふ。 |
05 | 3.3.58 | 458 | 438 |
雛など、わざと屋ども作り続けて、もろともに遊びつつ、こよなきもの思ひの紛らはしなり。 |
ひひななど、わざとやどもつくりつづけて、もろともにあそびつつ、こよなきものおもひのまぎらはしなり。 |
05 | 3.3.59 | 459 | 439 |
かのとまりにし人びと、宮渡りたまひて、尋ねきこえたまひけるに、聞こえやる方なくてぞ、わびあへりける。「しばし、人に知らせじ」と君ものたまひ、少納言も思ふことなれば、せちに口固めやりたり。ただ、「行方も知らず、少納言が率て隠しきこえたる」とのみ聞こえさするに、宮も言ふかひなう思して、「故尼君も、かしこに渡りたまはむことを、いとものしと思したりしことなれば、乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで、心にまかせ、率てはふらかしつるなめり」と、泣く泣く帰りたまひぬ。「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」とのたまふも、わづらはしく。僧都の御もとにも、尋ねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌など、恋しく悲しと思す。 |
かのとまりにしひとびと、みやわたりたまひて、たづねきこえたまひけるに、きこえやるかたなくてぞ、わびあへりける。"しばし、ひとにしらせじ。"ときみものたまひ、せうなごんもおもふことなれば、せちにくちかためやりたり。ただ、"ゆくへもしらず、せうなごんがゐてかくしきこえたる。"とのみきこえさするに、みやもいふかひなうおぼして、"こあまぎみも、かしこにわたりたまはんことを、いとものしとおぼしたりしことなれば、めのとの、いとさしすぐしたるこころばせのあまり、おいらかにわたさんを、びんなし、などはいはで、こころにまかせ、ゐてはふらかしつるなめり。"と、なくなくかへりたまひぬ。"もし、ききいでたてまつらば、つげよ。"とのたまふも、わづらはしく。そうづのおほんもとにも、たづねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりしおほんかたちなど、こひしくかなしとおぼす。 |
05 | 3.3.60 | 460 | 440 |
北の方も、母君を憎しと思ひきこえたまひける心も失せて、わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、口惜しう思しけり。 |
きたのかたも、ははぎみをにくしとおもひきこえたまひけるこころもうせて、わがこころにまかせつべうおぼしけるにたがひぬるは、くちをしうおぼしけり。 |
05 | 3.3.61 | 461 | 441 |
やうやう人参り集りぬ。御遊びがたきの童女、児ども、いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば、思ふことなくて遊びあへり。 |
やうやうひとまゐりあつまりぬ。おほんあそびがたきのわらはべ、ちごども、いとめづらかにいまめかしきおほんありさまどもなれば、おもふことなくてあそびあへり。 |
05 | 3.3.62 | 462 | 442 |
君は、男君のおはせずなどして、さうざうしき夕暮などばかりぞ、尼君を恋ひきこえたまひて、うち泣きなどしたまへど、宮をばことに思ひ出できこえたまはず。もとより見ならひきこえたまはでならひたまへれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはしきこえたまふ。ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。 |
きみは、をとこぎみのおはせずなどして、さうざうしきゆふぐれなどばかりぞ、あまぎみをこひきこえたまひて、うちなきなどしたまへど、みやをばことにおもひいできこえたまはず。もとよりみならひきこえたまはでならひたまへれば、いまはただこののちのおやを、いみじうむつびまつはしきこえたまふ。ものよりおはすれば、まづいでむかひて、あはれにうちかたらひ、おほんふところにいりゐて、いささかうとくはづかしともおもひたらず。さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。 |
05 | 3.3.63 | 463 | 443 |
さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。女などはた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、思ほいためり。 |
さかしらごころあり、なにくれとむつかしきすぢになりぬれば、わがここちもすこしたがふふしもいでくやと、こころおかれ、ひともうらみがちに、おもひのほかのこと、おのづからいでくるを、いとをかしきもてあそびなり。むすめなどはた、かばかりになれば、こころやすくうちふるまひ、へだてなきさまにふしおきなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、おもほいためり。 |