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06末摘花
0614430第一章 末摘花の物語
061.14531第一段 亡き夕顔追慕
061.1.14632 (おも)へどもなほ()かざりし夕顔(ゆふがほ)(つゆ)(おく)れし心地(ここち)を、年月経(としつきふ)れど、(おぼ)(わす)れず、ここもかしこも、うちとけぬ(かぎ)りの、気色(けしき)ばみ心深(こころふか)きかたの(おほん)いどましさに、け(ぢか)くうちとけたりしあはれに、()るものなう(こひ)しく(おも)ほえたまふ。 おもへどもなほかざりしゆふがほつゆおくれしここちを、としつきふれど、おぼわすれず、ここもかしこも、うちとけぬかぎりの、けしきばみこころふかきかたのおほんいどましさに、けぢかくうちとけたりしあはれに、るものなうこひしくおもほえたまふ。
061.1.24733 いかで、ことことしきおぼえはなく、いとらうたげならむ(ひと)の、つつましきことなからむ、()つけてしがなと、こりずまに(おぼ)しわたれば、すこしゆゑづきて()こゆるわたりは、御耳(おほんみみ)とどめたまはぬ(くま)なきに、さてもやと、(おぼ)()るばかりのけはひあるあたりにこそ、一行(ひとくだり)をもほのめかしたまふめるに、なびききこえずもて(はな)れたるは、をさをさあるまじきぞ、いと目馴(めな)れたるや。 いかで、ことことしきおぼえはなく、いとらうたげならんひとの、つつましきことなからん、つけてしがなと、こりずまにおぼしわたれば、すこしゆゑづきてこゆるわたりは、おほんみみとどめたまはぬくまなきに、さてもやと、おぼるばかりのけはひあるあたりにこそ、ひとくだりをもほのめかしたまふめるに、なびききこえずもてはなれたるは、をさをさあるまじきぞ、いとめなれたるや。
061.1.34834 つれなう心強(こころづよ)きは、たとしへなう(なさ)けおくるるまめやかさなど、あまりもののほど()らぬやうに、さてしも()ぐしはてず、名残(なごり)なくくづほれて、なほなほしき(かた)(さだ)まりなどするもあれば、のたまひさしつるも(おほ)かりける。 つれなうこころづよきは、たとしへなうなさけおくるるまめやかさなど、あまりもののほどらぬやうに、さてしもぐしはてず、なごりなくくづほれて、なほなほしきかたさだまりなどするもあれば、のたまひさしつるもおほかりける。
061.1.44935 かの空蝉(うつせみ)を、ものの折々(をりをり)には、ねたう(おぼ)()づ。(をぎ)()も、さりぬべき(かぜ)のたよりある(とき)は、おどろかしたまふ(をり)もあるべし。火影(ほかげ)(みだ)れたりしさまは、またさやうにても()まほしく(おぼ)す。おほかた、名残(なごり)なきもの(わす)れをぞ、えしたまはざりける。 かのうつせみを、もののをりをりには、ねたうおぼづ。をぎも、さりぬべきかぜのたよりあるときは、おどろかしたまふをりもあるべし。ほかげみだれたりしさまは、またさやうにてもまほしくおぼす。おほかた、なごりなきものわすれをぞ、えしたまはざりける。
061.25036第二段 故常陸宮の姫君の噂
061.2.15137 左衛門(さゑもん)乳母(めのと)とて、大弐(だいに)のさしつぎに(おぼ)いたるが(むすめ)大輔(たいふ)命婦(みゃうぶ)とて、内裏(うち)にさぶらふ、わかむどほりの兵部大輔(ひゃうぶのたいふ)なる(むすめ)なりけり。いといたう色好(いろこの)める若人(わかうど)にてありけるを、(きみ)()使(つか)ひなどしたまふ。()筑前守(はちくぜんのかみ)()にて、(くだ)りにければ、父君(ちちぎみ)のもとを(さと)にて()(かよ)ふ。 さゑもんめのととて、だいにのさしつぎにおぼいたるがむすめたいふみゃうぶとて、うちにさぶらふ、わかんどほりのひゃうぶのたいふなるむすめなりけり。いといたういろこのめるわかうどにてありけるを、きみつかひなどしたまふ。はちくぜんのかみにて、くだりにければ、ちちぎみのもとをさとにてかよふ。
061.2.25238 故常陸親王(こひたちのみこ)の、(すゑ)にまうけていみじうかなしうかしづきたまひし御女(おほんむすめ)心細(こころぼそ)くて(のこ)りゐたるを、もののついでに(かた)りきこえければ、あはれのことやとて、御心(みこころ)とどめて()()きたまふ。 こひたちのみこの、すゑにまうけていみじうかなしうかしづきたまひしおほんむすめこころぼそくてのこりゐたるを、もののついでにかたりきこえければ、あはれのことやとて、みこころとどめてきたまふ。
061.2.35339 (こころ)ばへ容貌(かたち)など、(ふか)(かた)はえ()りはべらず。かいひそめ、人疎(ひとうと)うもてなしたまへば、さべき(よひ)など、物越(ものご)しにてぞ、(かた)らひはべる。(きん)をぞなつかしき(かた)らひ(びと)(おも)へる」と()こゆれば、 "こころばへかたちなど、ふかかたはえりはべらず。かいひそめ、ひとうとうもてなしたまへば、さべきよひなど、ものごしにてぞ、かたらひはべる。きんをぞなつかしきかたらひびとおもへる。"とこゆれば、
061.2.45440 ()つの(とも)にて、今一種(いまひとくさ)やうたてあらむ」とて、「(われ)()かせよ。父親王(ちちみこ)の、さやうの(かた)にいとよしづきてものしたまうければ、おしなべての()にはあらじ、となむ(おも)ふ」とのたまへば、 "つのともにて、いまひとくさやうたてあらん。"とて、"われかせよ。ちちみこの、さやうのかたにいとよしづきてものしたまうければ、おしなべてのにはあらじ、となんおもふ。"とのたまへば、
061.2.55541 「さやうに()こし()すばかりにはあらずやはべらむ」 "さやうにこしすばかりにはあらずやはべらん。"
061.2.65642 ()へど、御心(みこころ)とまるばかり()こえなすを、 へど、みこころとまるばかりこえなすを、
061.2.75743 「いたうけしきばましや。このころのおぼろ月夜(づきよ)(しの)びてものせむ。まかでよ」 "いたうけしきばましや。このころのおぼろづきよしのびてものせん。まかでよ。"
061.2.85844 とのたまへば、わづらはしと(おも)へど、内裏(うち)わたりものどやかなる(はる)のつれづれにまかでぬ。 とのたまへば、わづらはしとおもへど、うちわたりものどやかなるはるのつれづれにまかでぬ。
061.2.95945 (ちち)大輔(たいふ)(きみ)(ほか)にぞ()みける。ここには時々(ときどき)(かよ)ひける。命婦(みゃうぶ)は、継母(ままはは)のあたりは()みもつかず、姫君(ひめぎみ)(おほん)あたりをむつびて、ここには()るなりけり。 ちちたいふきみほかにぞみける。ここにはときどきかよひける。みゃうぶは、ままははのあたりはみもつかず、ひめぎみおほんあたりをむつびて、ここにはるなりけり。
061.36046第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く
061.3.16147 のたまひしもしるく、十六夜(いざよひ)(つき)をかしきほどにおはしたり。 のたまひしもしるく、いざよひつきをかしきほどにおはしたり。
061.3.26248 「いと、かたはらいたきわざかな。ものの音澄(ねす)むべき()のさまにもはべらざめるに」と()こゆれど、 "いと、かたはらいたきわざかな。もののねすむべきのさまにもはべらざめるに。"とこゆれど、
061.3.36349 「なほ、あなたにわたりて、ただ一声(ひとこゑ)も、もよほしきこえよ。むなしくて(かへ)らむが、ねたかるべきを」 "なほ、あなたにわたりて、ただひとこゑも、もよほしきこえよ。むなしくてかへらんが、ねたかるべきを。"
061.3.46450 とのたまへば、うちとけたる()()()ゑたてまつりて、うしろめたうかたじけなしと(おも)へど、寝殿(しんでん)(まゐ)りたれば、まだ格子(かうし)もさながら、(むめ)()をかしきを見出(みい)だしてものしたまふ。よき(をり)かな、と(おも)ひて、 とのたまへば、うちとけたるゑたてまつりて、うしろめたうかたじけなしとおもへど、しんでんまゐりたれば、まだかうしもさながら、むめをかしきをみいだしてものしたまふ。よきをりかな、とおもひて、
061.3.56552 御琴(おほんこと)()、いかにまさりはべらむと、(おも)ひたまへらるる()のけしきに、(さそ)はれはべりてなむ。(こころ)あわたたしき()()りに、えうけたまはらぬこそ口惜(くちを)しけれ」と()へば、 "おほんこと、いかにまさりはべらんと、おもひたまへらるるのけしきに、さそはれはべりてなん。こころあわたたしきりに、えうけたまはらぬこそくちをしけれ。"とへば、
061.3.66653 ()()(ひと)こそあなれ。百敷(ももしき)()()(ひと)()くばかりやは」 "ひとこそあなれ。ももしきひとくばかりやは。"
061.3.76754 とて、()()するも、あいなう、いかが()きたまはむと、(むね)つぶる。 とて、するも、あいなう、いかがきたまはんと、むねつぶる。
061.3.86855 ほのかに()()らしたまふ、をかしう()こゆ。(なに)ばかり(ふか)()ならねど、ものの()がらの(すぢ)ことなるものなれば、()きにくくも(おぼ)されず。 ほのかにらしたまふ、をかしうこゆ。なにばかりふかならねど、もののがらのすぢことなるものなれば、きにくくもおぼされず。
061.3.96956 「いといたう()れわたりて(さび)しき(ところ)に、さばかりの(ひと)の、(ふる)めかしう、ところせく、かしづき()ゑたりけむ名残(なごり)なく、いかに(おも)ほし(のこ)すことなからむ。かやうの(ところ)にこそは、昔物語(むかしものがたり)にもあはれなることどもありけれ」など(おも)(つづ)けても、ものや()()らまし、と(おぼ)せど、うちつけにや(おぼ)さむと、心恥(こころは)づかしくて、やすらひたまふ。 "いといたうれわたりてさびしきところに、さばかりのひとの、ふるめかしう、ところせく、かしづきゑたりけんなごりなく、いかにおもほしのこすことなからん。かやうのところにこそは、むかしものがたりにもあはれなることどもありけれ。"などおもつづけても、ものやらまし、とおぼせど、うちつけにやおぼさんと、こころはづかしくて、やすらひたまふ。
061.3.107057 命婦(みゃうぶ)、かどある(もの)にて、いたう(みみ)ならさせたてまつらじ、と(おも)ひければ、 みゃうぶ、かどあるものにて、いたうみみならさせたてまつらじ、とおもひければ、
061.3.117158 (くも)りがちにはべるめり。客人(まらうと)()むとはべりつる、いとひ(がほ)にもこそ。いま(こころ)のどかにを。御格子参(みかうしまゐ)りなむ」 "くもりがちにはべるめり。まらうとんとはべりつる、いとひがほにもこそ。いまこころのどかにを。みかうしまゐりなん。"
061.3.127259 とて、いたうもそそのかさで(かへ)りたれば、 とて、いたうもそそのかさでかへりたれば、
061.3.137360 「なかなかなるほどにても()みぬるかな。もの()()くほどにもあらで、ねたう」 "なかなかなるほどにてもみぬるかな。ものくほどにもあらで、ねたう。"
061.3.147461 とのたまふけしき、をかしと(おぼ)したり。 とのたまふけしき、をかしとおぼしたり。
061.3.157562 (おな)じくは、け(ぢか)きほどの()()きせさせよ」 "おなじくは、けぢかきほどのきせさせよ。"
061.3.167663 とのたまへど、「(こころ)にくくて」と(おも)へば、 とのたまへど、"こころにくくて"とおもへば、
061.3.177764 「いでや、いとかすかなるありさまに(おも)()えて、心苦(こころぐる)しげにものしたまふめるを、うしろめたきさまにや」 "いでや。いとかすかなるありさまにおもえて、こころぐるしげにものしたまふめるを、うしろめたきさまにや。"
061.3.187865 ()へば、「げに、さもあること。にはかに(われ)(ひと)もうちとけて(かた)らふべき(ひと)(きは)は、(きは)とこそあれ」など、あはれに(おぼ)さるる(ひと)(おほん)ほどなれば、 へば、"げに、さもあること。にはかにわれひともうちとけてかたらふべきひときはは、きはとこそあれ。"など、あはれにおぼさるるひとおほんほどなれば、
061.3.197966 「なほ、さやうのけしきをほのめかせ」と、(かた)らひたまふ。 "なほ、さやうのけしきをほのめかせ。"と、かたらひたまふ。
061.3.208067 また(ちぎ)りたまへる(かた)やあらむ、いと(しの)びて(かへ)りたまふ。 またちぎりたまへるかたやあらん、いとしのびてかへりたまふ。
061.3.218168 主上(うへ)の、まめにおはしますと、もてなやみきこえさせたまふこそ、をかしう(おも)うたまへらるる折々(をりをり)はべれ。かやうの(おほん)やつれ姿(すがた)を、いかでかは御覧(ごらん)じつけむ」 "うへの、まめにおはしますと、もてなやみきこえさせたまふこそ、をかしうおもうたまへらるるをりをりはべれ。かやうのおほんやつれすがたを、いかでかはごらんじつけん。"
061.3.228269 ()こゆれば、たち(かへ)り、うち(わら)ひて、 こゆれば、たちかへり、うちわらひて、
061.3.238370 異人(ことびと)()はむやうに、(とが)なあらはされそ。これをあだあだしきふるまひと()はば、(をんな)のありさま(くる)しからむ」 "ことびとはんやうに、とがなあらはされそ。これをあだあだしきふるまひとはば、をんなのありさまくるしからん。"
061.3.248471 とのたまへば、「あまり(いろ)めいたりと(おぼ)して、折々(をりをり)かうのたまふを、()づかし」と(おも)ひて、ものも()はず。 とのたまへば、"あまりいろめいたりとおぼして、をりをりかうのたまふを、づかし。"とおもひて、ものもはず。
061.3.258572 寝殿(しんでん)(かた)に、(ひと)のけはひ()くやうもやと(おぼ)して、やをら()退()きたまふ。透垣(すいがい)のただすこし()(のこ)りたる(かく)れの(かた)に、()()りたまふに、もとより()てる(をとこ)ありけり。「()れならむ。(こころ)かけたる()(もの)ありけり」と(おぼ)して、(かげ)につきて()(かく)れたまへば、頭中将(とうのちゅうじゃう)なりけり。 しんでんかたに、ひとのけはひくやうもやとおぼして、やをらきたまふ。すいがいのただすこしのこりたるかくれのかたに、りたまふに、もとよりてるをとこありけり。"れならん。こころかけたるものありけり。"とおぼして、かげにつきてかくれたまへば、とうのちゅうじゃうなりけり。
061.3.268674 この(ゆふ)(かた)内裏(うち)よりもろともにまかでたまひける、やがて大殿(おほいどの)にも()らず、二条院(にでうのゐん)にもあらで、()(わか)れたまひけるを、いづちならむと、ただならで、(われ)()(かた)あれど、(あと)につきてうかがひけり。あやしき(むま)に、狩衣姿(かりぎぬすがた)のないがしろにて()ければ、え()りたまはぬに、さすがに、かう異方(ことかた)()りたまひぬれば、(こころ)()(おも)ひけるほどに、ものの()()きついて()てるに、(かへ)りや()でたまふと、下待(したま)つなりけり。 このゆふかたうちよりもろともにまかでたまひける、やがておほいどのにもらず、にでうのゐんにもあらで、わかれたまひけるを、いづちならんと、ただならで、われかたあれど、あとにつきてうかがひけり。あやしきむまに、かりぎぬすがたのないがしろにてければ、えりたまはぬに、さすがに、かうことかたりたまひぬれば、こころおもひけるほどに、もののきついててるに、かへりやでたまふと、したまつなりけり。
061.3.278775 (きみ)は、(たれ)ともえ見分(みわ)きたまはで、(われ)()られじと、()(あし)(あゆ)みたまふに、ふと()りて、 きみは、たれともえみわきたまはで、われられじと、あしあゆみたまふに、ふとりて、
061.3.288876 「ふり()てさせたまへるつらさに、御送(おほんおく)(つか)うまつりつるは。 "ふりてさせたまへるつらさに、おほんおくつかうまつりつるは。
061.3.298977 もろともに大内山(おほうちやま)()でつれど<BR/>()方見(かたみ)せぬいさよひの(つき) もろともにおほうちやまでつれど<BR/>かたみせぬいさよひのつき〕"
061.3.309078 (うら)むるもねたけれど、この(きみ)()たまふ、すこしをかしうなりぬ。 うらむるもねたけれど、このきみたまふ、すこしをかしうなりぬ。
061.3.319179 (ひと)(おも)ひよらぬことよ」と(にく)(にく)む、 "ひとおもひよらぬことよ。"とにくにくむ、
061.3.329280 (さと)わかぬかげをば()れどゆく(つき)の<BR/>いるさの(やま)()れか(たづ)ぬる」 "〔さとわかぬかげをばれどゆくつきの<BR/>いるさのやまれかたづぬる〕
061.3.339381 「かう(した)ひありかば、いかにせさせたまはむ」と()こえたまふ。 "かうしたひありかば、いかにせさせたまはん。"とこえたまふ。
061.3.349482 「まことは、かやうの御歩(おほんあり)きには、随身(ずいじん)からこそはかばかしきこともあるべけれ。(おく)らさせたまはでこそあらめ。やつれたる御歩(おほんあり)きは、軽々(かるがる)しき(こと)()()なむ」 "まことは、かやうのおほんありきには、ずいじんからこそはかばかしきこともあるべけれ。おくらさせたまはでこそあらめ。やつれたるおほんありきは、かるがるしきことなん。"
061.3.359583 と、おし(かへ)しいさめたてまつる。かうのみ()つけらるるを、ねたしと(おぼ)せど、かの撫子(なでしこ)はえ(たづ)()らぬを、(おも)(こう)に、御心(みこころ)のうちに(おぼ)()づ。 と、おしかへしいさめたてまつる。かうのみつけらるるを、ねたしとおぼせど、かのなでしこはえたづらぬを、おもこうに、みこころのうちにおぼづ。
061.49684第四段 頭中将とともに左大臣邸へ行く
061.4.19785 おのおの(ちぎ)れる(かた)にも、あまえて、え()(わか)れたまはず、(ひと)(くるま)()りて、(つき)のをかしきほどに雲隠(くもがく)れたる(みち)のほど、笛吹(ふえふ)(あは)せて大殿(おほいどの)におはしぬ。 おのおのちぎれるかたにも、あまえて、えわかれたまはず、ひとくるまりて、つきのをかしきほどにくもがくれたるみちのほど、ふえふあはせておほいどのにおはしぬ。
061.4.29886 前駆(さき)なども()はせたまはず、(しの)()りて、人見(ひとみ)(らう)御直衣(おほんなほし)ども()して、着替(きか)へたまふ。つれなう、今来(いまく)るやうにて、御笛(おほんふえ)ども()きすさびておはすれば、大臣(おとど)(れい)()()ぐしたまはで、高麗笛取(こまぶえと)()でたまへり。いと上手(じゃうず)におはすれば、いとおもしろう()きたまふ。御琴召(おほんことめ)して、(うち)にも、この(かた)心得(こころえ)たる(ひと)びとに()かせたまふ。 さきなどもはせたまはず、しのりて、ひとみらうおほんなほしどもして、きかへたまふ。つれなう、いまくるやうにて、おほんふえどもきすさびておはすれば、おとどれいぐしたまはで、こまぶえとでたまへり。いとじゃうずにおはすれば、いとおもしろうきたまふ。おほんことめして、うちにも、このかたこころえたるひとびとにかせたまふ。
061.4.39987 中務(なかつかさ)(きみ)、わざと琵琶(びは)()けど、(とう)君心(きみこころ)かけたるをもて(はな)れて、ただこのたまさかなる()けしきのなつかしきをば、え(そむ)ききこえぬに、おのづから(かく)れなくて、大宮(おほみや)などもよろしからず(おぼ)しなりたれば、もの(おも)はしく、はしたなき心地(ここち)して、すさまじげに()()したり。()えて()たてまつらぬ(ところ)に、かけ(はな)れなむも、さすがに心細(こころぼそ)(おも)(みだ)れたり。 なかつかさきみ、わざとびはけど、とうきみこころかけたるをもてはなれて、ただこのたまさかなるけしきのなつかしきをば、えそむききこえぬに、おのづからかくれなくて、おほみやなどもよろしからずおぼしなりたれば、ものおもはしく、はしたなきここちして、すさまじげにしたり。えてたてまつらぬところに、かけはなれなんも、さすがにこころぼそおもみだれたり。
061.4.410088 (きみ)たちは、ありつる(きん)()(おぼ)()でて、あはれげなりつる()まひのさまなども、やう()へてをかしう(おも)ひつづけ、「あらましごとに、いとをかしうらうたき(ひと)の、さて年月(としつき)(かさ)ねゐたらむ(とき)()そめて、いみじう心苦(こころぐる)しくは、(ひと)にももて(さわ)がるばかりや、わが(こころ)もさま()しからむ」などさへ、中将(ちゅうじゃう)(おも)ひけり。この(きみ)のかう気色(けしき)ばみありきたまふを、「まさに、さては、()ぐしたまひてむや」と、なまねたう(あや)ふがりけり。 きみたちは、ありつるきんおぼでて、あはれげなりつるまひのさまなども、やうへてをかしうおもひつづけ、"あらましごとに、いとをかしうらうたきひとの、さてとしつきかさねゐたらんときそめて、いみじうこころぐるしくは、ひとにももてさわがるばかりや、わがこころもさましからん。"などさへ、ちゅうじゃうおもひけり。このきみのかうけしきばみありきたまふを、"まさに、さては、ぐしたまひてんや。"と、なまねたうあやふがりけり。
061.4.510189 その(のち)、こなたかなたより、(ふみ)などやりたまふべし。いづれも(かへ)事見(ごとみ)えず、おぼつかなく(こころ)やましきに、「あまりうたてもあるかな。さやうなる()まひする(ひと)は、もの(おも)()りたるけしき、はかなき木草(きくさ)(そら)のけしきにつけても、とりなしなどして、(こころ)ばせ()(はか)らるる折々(をりをり)あらむこそあはれなるべけれ、(おも)しとても、いとかうあまり()もれたらむは、(こころ)づきなく、(わる)びたり」と、中将(ちゅうじゃう)は、まいて心焦(こころい)られしけり。(れい)の、(へだ)てきこえたまはぬ(こころ)にて、 そののち、こなたかなたより、ふみなどやりたまふべし。いづれもかへごとみえず、おぼつかなくこころやましきに、"あまりうたてもあるかな。さやうなるまひするひとは、ものおもりたるけしき、はかなききくさそらのけしきにつけても、とりなしなどして、こころばせはからるるをりをりあらんこそあはれなるべけれ、おもしとても、いとかうあまりもれたらんは、こころづきなく、わるびたり。"と、ちゅうじゃうは、まいてこころいられしけり。れいの、へだてきこえたまはぬこころにて、
061.4.610290 「しかしかの(かへ)(ごと)()たまふや。(こころ)みにかすめたりしこそ、はしたなくて()みにしか」 "しかしかのかへごとたまふや。こころみにかすめたりしこそ、はしたなくてみにしか。"
061.4.710391 と、(うれ)ふれば、「さればよ、()()りにけるをや」と、ほほ()まれて、 と、うれふれば、"さればよ、りにけるをや。"と、ほほまれて、
061.4.810492 「いさ、()むとしも(おも)はねばにや、()るとしもなし」 "いさ、んとしもおもはねばにや、るとしもなし。"
061.4.910593 と、(いら)へたまふを、「(ひと)わきしける」と(おも)ふに、いとねたし。 と、いらへたまふを、"ひとわきしける"とおもふに、いとねたし。
061.4.1010694 (きみ)は、(ふか)うしも(おも)はぬことの、かう(なさ)けなきを、すさまじく(おも)ひなりたまひにしかど、かうこの中将(ちゅうじゃう)()ひありきけるを、「言多(ことおほ)()ひなれたらむ(かた)にぞ(なび)かむかし。したり(がほ)にて、もとのことを(おも)(はな)ちたらむけしきこそ、(うれ)はしかるべけれ」と(おぼ)して、命婦(みゃうぶ)をまめやかに(かた)らひたまふ。 きみは、ふかうしもおもはぬことの、かうなさけなきを、すさまじくおもひなりたまひにしかど、かうこのちゅうじゃうひありきけるを、"ことおほひなれたらんかたにぞなびかんかし。したりがほにて、もとのことをおもはなちたらんけしきこそ、うれはしかるべけれ。"とおぼして、みゃうぶをまめやかにかたらひたまふ。
061.4.1110795 「おぼつかなく、もて(はな)れたる()けしきなむ、いと心憂(こころう)き。()()きしき(かた)(うたが)()せたまふにこそあらめ。さりとも、(みじか)(こころ)ばへつかはぬものを。(ひと)(こころ)ののどやかなることなくて、(おも)はずにのみあるになむ、おのづからわがあやまちにもなりぬべき。(こころ)のどかにて、(おや)はらからのもてあつかひ(うら)むるもなう、(こころ)やすからむ(ひと)は、なかなかなむらうたかるべきを」とのたまへば、 "おぼつかなく、もてはなれたるけしきなん、いとこころうき。きしきかたうたがせたまふにこそあらめ。さりとも、みじかこころばへつかはぬものを。ひとこころののどやかなることなくて、おもはずにのみあるになん、おのづからわがあやまちにもなりぬべき。こころのどかにて、おやはらからのもてあつかひうらむるもなう、こころやすからんひとは、なかなかなんらうたかるべきを。"とのたまへば、
061.4.1210896 「いでや、さやうにをかしき(かた)御笠宿(おほんかさやど)りには、えしもやと、つきなげにこそ()えはべれ。ひとへにものづつみし、ひき()りたる(かた)はしも、ありがたうものしたまふ(ひと)になむ」 "いでや。さやうにをかしきかたおほんかさやどりには、えしもやと、つきなげにこそえはべれ。ひとへにものづつみし、ひきりたるかたはしも、ありがたうものしたまふひとになん。"
061.4.1310997 と、()るありさま(かた)りきこゆ。「らうらうじう、かどめきたる(こころ)はなきなめり。いと()めかしうおほどかならむこそ、らうたくはあるべけれ」と(おぼ)(わす)れず、のたまふ。 と、るありさまかたりきこゆ。"らうらうじう、かどめきたるこころはなきなめり。いとめかしうおほどかならんこそ、らうたくはあるべけれ。"とおぼわすれず、のたまふ。
061.4.1411098 瘧病(わらはや)みにわづらひたまひ、人知(ひとし)れぬもの(おも)ひの(まぎ)れも、御心(みこころ)のいとまなきやうにて、春夏過(はるなつす)ぎぬ。 わらはやみにわづらひたまひ、ひとしれぬものおもひのまぎれも、みこころのいとまなきやうにて、はるなつすぎぬ。
061.511199第五段 秋八月二十日過ぎ常陸宮の姫君と逢う
061.5.1112100 (あき)のころほひ、(しづ)かに(おぼ)しつづけて、かの(きぬた)(おと)(みみ)につきて()きにくかりしさへ、(こひ)しう(おぼ)()でらるるままに、常陸宮(ひたちのみや)にはしばしば()こえたまへど、なほおぼつかなうのみあれば、()づかず、(こころ)やましう、()けては()まじの御心(みこころ)さへ()ひて、命婦(みゃうぶ)()めたまふ。 あきのころほひ、しづかにおぼしつづけて、かのきぬたおとみみにつきてきにくかりしさへ、こひしうおぼでらるるままに、ひたちのみやにはしばしばこえたまへど、なほおぼつかなうのみあれば、づかず、こころやましう、けてはまじのみこころさへひて、みゃうぶめたまふ。
061.5.2113101 「いかなるやうぞ。いとかかる(こと)こそ、まだ()らね」 "いかなるやうぞ。いとかかることこそ、まだらね。"
061.5.3114102 と、いとものしと(おも)ひてのたまへば、いとほしと(おも)ひて、 と、いとものしとおもひてのたまへば、いとほしとおもひて、
061.5.4115103 「もて(はな)れて、()げなき御事(おほんこと)とも、おもむけはべらず。ただ、おほかたの(おほん)ものづつみのわりなきに、()をえさし()でたまはぬとなむ()たまふる」と()こゆれば、 "もてはなれて、げなきおほんこととも、おもむけはべらず。ただ、おほかたのおほんものづつみのわりなきに、をえさしでたまはぬとなんたまふる。"とこゆれば、
061.5.5116104 「それこそは()づかぬ(こと)なれ。物思(ものおも)()るまじきほど、(ひと)()をえ(こころ)にまかせぬほどこそ、ことわりなれ、何事(なにごと)(おも)ひしづまりたまへらむ、と(おも)ふこそ。そこはかとなく、つれづれに心細(こころぼそ)うのみおぼゆるを、(おな)(こころ)(いら)へたまはむは、(ねが)ひかなふ心地(ここち)なむすべき。(なに)やかやと、()づける(すぢ)ならで、その()れたる簀子(すのこ)にたたずままほしきなり。いとうたて心得(こころえ)心地(ここち)するを、かの御許(おほんゆる)しなくとも、たばかれかし。心苛(こころい)られし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」 "それこそはづかぬことなれ。ものおもるまじきほど、ひとをえこころにまかせぬほどこそ、ことわりなれ、なにごとおもひしづまりたまへらん、とおもふこそ。そこはかとなく、つれづれにこころぼそうのみおぼゆるを、おなこころいらへたまはんは、ねがひかなふここちなんすべき。なにやかやと、づけるすぢならで、そのれたるすのこにたたずままほしきなり。いとうたてこころえここちするを、かのおほんゆるしなくとも、たばかれかし。こころいられし、うたてあるもてなしには、よもあらじ。"
061.5.6117105 など、(かた)らひたまふ。 など、かたらひたまふ。
061.5.7118106 なほ()にある(ひと)のありさまを、おほかたなるやうにて()(あつ)め、(みみ)とどめたまふ(くせ)のつきたまへるを、さうざうしき宵居(よひゐ)など、はかなきついでに、さる(ひと)こそとばかり()こえ()でたりしに、かくわざとがましうのたまひわたれば、「なまわづらはしく、女君(をんなぎみ)(おほん)ありさまも、()づかはしく、よしめきなどもあらぬを、なかなかなる(みちび)きに、いとほしき(こと)()えむなむ」と(おも)ひけれど、(きみ)のかうまめやかにのたまふに、「()()れざらむも、ひがひがしかるべし。父親王(ちちみこ)おはしける(をり)にだに、()りにたるあたりとて、おとなひきこゆる(ひと)もなかりけるを、まして、(いま)浅茅分(あさぢわ)くる(ひと)跡絶(あとた)えたるに」。 なほにあるひとのありさまを、おほかたなるやうにてあつめ、みみとどめたまふくせのつきたまへるを、さうざうしきよひゐなど、はかなきついでに、さるひとこそとばかりこえでたりしに、かくわざとがましうのたまひわたれば、"なまわづらはしく、をんなぎみおほんありさまも、づかはしく、よしめきなどもあらぬを、なかなかなるみちびきに、いとほしきことえんなん。"とおもひけれど、きみのかうまめやかにのたまふに、"れざらんも、ひがひがしかるべし。ちちみこおはしけるをりにだに、りにたるあたりとて、おとなひきこゆるひともなかりけるを、まして、いまあさぢわくるひとあとたえたるに。"
061.5.8119107 かく()にめづらしき(おほん)けはひの、()りにほひくるをば、なま(をんな)ばらなども()()げて、「なほ()こえたまへ」と、そそのかしたてまつれど、あさましうものづつみしたまふ(こころ)にて、ひたぶるに()()れたまはぬなりけり。 かくにめづらしきおほんけはひの、りにほひくるをば、なまをんなばらなどもげて、"なほこえたまへ"と、そそのかしたてまつれど、あさましうものづつみしたまふこころにて、ひたぶるにれたまはぬなりけり。
061.5.9120108 命婦(みゃうぶ)は、「さらば、さりぬべからむ(をり)に、物越(ものご)しに()こえたまはむほど、御心(みこころ)につかずは、さても()みねかし。また、さるべきにて、(かり)にもおはし(かよ)はむを、とがめたまふべき(ひと)なし」など、あだめきたるはやり(ごころ)はうち(おも)ひて、父君(ちちぎみ)にも、かかる(こと)なども()はざりけり。 みゃうぶは、"さらば、さりぬべからんをりに、ものごしにこえたまはんほど、みこころにつかずは、さてもみねかし。また、さるべきにて、かりにもおはしかよはんを、とがめたまふべきひとなし。"など、あだめきたるはやりごころはうちおもひて、ちちぎみにも、かかることなどもはざりけり。
061.5.10121109 八月二十余日(はちがちにじふよにち)宵過(よひす)ぐるまで()たるる(つき)(こころ)もとなきに、(ほし)(ひかり)ばかりさやけく、(まつ)梢吹(こずゑふ)(かぜ)音心細(おとこころぼそ)くて、いにしへの事語(ことかた)()でて、うち()きなどしたまふ。「いとよき(をり)かな」と(おも)ひて、御消息(おほんせうそこ)()こえつらむ、(れい)のいと(しの)びておはしたり。 はちがちにじふよにちよひすぐるまでたるるつきこころもとなきに、ほしひかりばかりさやけく、まつこずゑふかぜおとこころぼそくて、いにしへのことかたでて、うちきなどしたまふ。"いとよきをりかな。"とおもひて、おほんせうそここえつらん、れいのいとしのびておはしたり。
061.5.11122110 (つき)やうやう()でて、()れたる(まがき)のほどうとましくうち(なが)めたまふに、(きん)そそのかされて、ほのかにかき()らしたまふほど、けしうはあらず。「すこし、け(ぢか)(いま)めきたる()をつけばや」とぞ、(みだ)れたる(こころ)には、(こころ)もとなく(おも)ひゐたる。人目(ひとめ)しなき(ところ)なれば、(こころ)やすく()りたまふ。命婦(みゃうぶ)()ばせたまふ。(いま)しもおどろき(がほ)に、 つきやうやうでて、れたるまがきのほどうとましくうちながめたまふに、きんそそのかされて、ほのかにかきらしたまふほど、けしうはあらず。"すこし、けぢかいまめきたるをつけばや。"とぞ、みだれたるこころには、こころもとなくおもひゐたる。ひとめしなきところなれば、こころやすくりたまふ。みゃうぶばせたまふ。いましもおどろきがほに、
061.5.12123111 「いとかたはらいたきわざかな。しかしかこそ、おはしましたなれ。(つね)に、かう(うら)みきこえたまふを、(こころ)にかなはぬ(よし)をのみ、いなびきこえはべれば、『みづからことわりも()こえ()らせむ』と、のたまひわたるなり。いかが()こえ(かへ)さむ。なみなみのたはやすき(おほん)ふるまひならねば、心苦(こころぐる)しきを。物越(ものご)しにて、()こえたまはむこと、()こしめせ」 "いとかたはらいたきわざかな。しかしかこそ、おはしましたなれ。つねに、かううらみきこえたまふを、こころにかなはぬよしをのみ、いなびきこえはべれば、'みづからことわりもこえらせん。'と、のたまひわたるなり。いかがこえかへさん。なみなみのたはやすきおほんふるまひならねば、こころぐるしきを。ものごしにて、こえたまはんこと、こしめせ。"
061.5.13124112 ()へば、いと()づかしと(おも)ひて、 へば、いとづかしとおもひて、
061.5.14125113 (ひと)にもの()こえむやうも()らぬを」 "ひとにものこえんやうもらぬを。"
061.5.15126114 とて、(おく)ざまへゐざり()りたまふさま、いとうひうひしげなり。うち(わら)ひて、 とて、おくざまへゐざりりたまふさま、いとうひうひしげなり。うちわらひて、
061.5.16127115 「いと若々(わかわか)しうおはしますこそ、心苦(こころぐる)しけれ。(かぎ)りなき(ひと)も、(おや)などおはしてあつかひ後見(うしろみ)きこえたまふほどこそ、(わか)びたまふもことわりなれ、かばかり心細(こころぼそ)(おほん)ありさまに、なほ()()きせず(おぼ)(はばか)るは、つきなうこそ」と(をし)へきこゆ。 "いとわかわかしうおはしますこそ、こころぐるしけれ。かぎりなきひとも、おやなどおはしてあつかひうしろみきこえたまふほどこそ、わかびたまふもことわりなれ、かばかりこころぼそおほんありさまに、なほきせずおぼはばかるは、つきなうこそ。"とをしへきこゆ。
061.5.17128116 さすがに、(ひと)()ふことは(つよ)うもいなびぬ御心(みこころ)にて、 さすがに、ひとふことはつようもいなびぬみこころにて、
061.5.18129117 (いら)へきこえで、ただ()け、とあらば。格子(かうし)など()してはありなむ」とのたまふ。 "いらへきこえで、ただけ、とあらば。かうしなどしてはありなん。"とのたまふ。
061.5.19130118 簀子(すのこ)などは便(びん)なうはべりなむ。おしたちて、あはあはしき御心(みこころ)などは、よも」 "すのこなどはびんなうはべりなん。おしたちて、あはあはしきみこころなどは、よも。"
061.5.20131119 など、いとよく()ひなして、二間(ふたま)(きは)なる障子(さうじ)()づからいと(つよ)()して、御茵(おほんしとね)うち()きひきつくろふ。 など、いとよくひなして、ふたまきはなるさうじづからいとつよして、おほんしとねうちきひきつくろふ。
061.5.21132120 いとつつましげに(おぼ)したれど、かやうの(ひと)にもの()ふらむ(こころ)ばへなども、(ゆめ)()りたまはざりければ、命婦(みゃうぶ)のかう()ふを、あるやうこそはと(おも)ひてものしたまふ。乳母(めのと)だつ()(びと)などは、曹司(ざうし)()()して、(ゆふ)まどひしたるほどなり。(わか)(ひと)()三人(さんにん)あるは、()にめでられたまふ(おほん)ありさまを、ゆかしきものに(おも)ひきこえて、(こころ)げさうしあへり。よろしき御衣(おほんぞ)たてまつり()へ、つくろひきこゆれば、正身(さうじみ)は、(なに)(こころ)げさうもなくておはす。 いとつつましげにおぼしたれど、かやうのひとにものふらんこころばへなども、ゆめりたまはざりければ、みゃうぶのかうふを、あるやうこそはとおもひてものしたまふ。めのとだつびとなどは、ざうしして、ゆふまどひしたるほどなり。わかひとさんにんあるは、にめでられたまふおほんありさまを、ゆかしきものにおもひきこえて、こころげさうしあへり。よろしきおほんぞたてまつりへ、つくろひきこゆれば、さうじみは、なにこころげさうもなくておはす。
061.5.22133121 (をとこ)は、いと()きせぬ(おほん)さまを、うち(しの)用意(ようい)したまへる(おほん)けはひ、いみじうなまめきて、「見知(みし)らむ(ひと)にこそ()せめ、()えあるまじきわたりを、あな、いとほし」と、命婦(みゃうぶ)(おも)へど、ただおほどかにものしたまふをぞ、「うしろやすう、さし()ぎたることは()えたてまつりたまはじ」と(おも)ひける。「わが(つね)()められたてまつる(つみ)さりごとに、心苦(こころぐる)しき(ひと)(おほん)もの(おも)ひや()でこむ」など、やすからず(おも)ひゐたり。 をとこは、いときせぬおほんさまを、うちしのよういしたまへるおほんけはひ、いみじうなまめきて、"みしらんひとにこそせめ、えあるまじきわたりを、あな、いとほし。"と、みゃうぶおもへど、ただおほどかにものしたまふをぞ、"うしろやすう、さしぎたることはえたてまつりたまはじ。"とおもひける。"わがつねめられたてまつるつみさりごとに、こころぐるしきひとおほんものおもひやでこん。"など、やすからずおもひゐたり。
061.5.23134122 (きみ)は、(ひと)(おほん)ほどを(おぼ)せば、「されくつがへる今様(いまやう)のよしばみよりは、こよなう(おく)ゆかしう」と(おぼ)さるるに、いたうそそのかされて、ゐざり()りたまへるけはひ、(しの)びやかに、衣被(えひ)()いとなつかしう(かを)()でて、おほどかなるを、「さればよ」と(おぼ)す。(とし)ごろ(おも)ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして(ちか)御答(おほんいら)へは()えてなし。「わりなのわざや」と、うち(なげ)きたまふ。 きみは、ひとおほんほどをおぼせば、"されくつがへるいまやうのよしばみよりは、こよなうおくゆかしう。"とおぼさるるに、いたうそそのかされて、ゐざりりたまへるけはひ、しのびやかに、えひいとなつかしうかをでて、おほどかなるを、"さればよ"とおぼす。としごろおもひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、ましてちかおほんいらへはえてなし。"わりなのわざや。"と、うちなげきたまふ。
061.5.24135123 「いくそたび(きみ)がしじまにまけぬらむ<BR/>ものな()ひそと()はぬ(たの)みに "〔いくそたびきみがしじまにまけぬらん<BR/>ものなひそとはぬたのみに
061.5.25136124 のたまひも()ててよかし。(たま)だすき(くる)し」 のたまひもててよかし。たまだすきくるし。"
061.5.26137125 とのたまふ。女君(をんなぎみ)御乳母子(おほんめのとご)侍従(じじゅう)とて、はやりかなる若人(わかうど)、「いと(こころ)もとなう、かたはらいたし」と(おも)ひて、さし()りて、()こゆ。 とのたまふ。をんなぎみおほんめのとごじじゅうとて、はやりかなるわかうど、"いとこころもとなう、かたはらいたし。"とおもひて、さしりて、こゆ。
061.5.27138126 (かね)つきてとぢめむことはさすがにて<BR/>(こた)へまうきぞかつはあやなき」 "〔かねつきてとぢめんことはさすがにて<BR/>こたへまうきぞかつはあやなき〕
061.5.28139127 いと(わか)びたる(こゑ)の、ことに(おも)りかならぬを、人伝(ひとづ)てにはあらぬやうに()こえなせば、「ほどよりはあまえて」と()きたまへど、 いとわかびたるこゑの、ことにおもりかならぬを、ひとづてにはあらぬやうにこえなせば、"ほどよりはあまえて"ときたまへど、
061.5.29140128 「めづらしきが、なかなか(くち)ふたがるわざかな "めづらしきが、なかなかくちふたがるわざかな
061.5.30141129 ()はぬをも()ふにまさると()りながら<BR/>おしこめたるは(くる)しかりけり」 はぬをもふにまさるとりながら<BR/>おしこめたるはくるしかりけり〕
061.5.31142130 (なに)やかやと、はかなきことなれど、をかしきさまにも、まめやかにものたまへど、(なに)のかひなし。 なにやかやと、はかなきことなれど、をかしきさまにも、まめやかにものたまへど、なにのかひなし。
061.5.32143131 「いとかかるも、さまかはり、(おも)(かた)ことにものしたまふ(ひと)にや」と、ねたくて、やをら()()けて()りたまひにけり。 "いとかかるも、さまかはり、おもかたことにものしたまふひとにや。"と、ねたくて、やをらけてりたまひにけり。
061.5.33144132 命婦(みゃうぶ)、「あな、うたて。たゆめたまへる」と、いとほしければ、()らず(がほ)にて、わが(かた)()にけり。この若人(わかうど)ども、はた、()にたぐひなき(おほん)ありさまの音聞(おとぎ)きに、(つみ)ゆるしきこえて、おどろおどろしうも(なげ)かれず、ただ、(おも)ひもよらずにはかにて、さる御心(みこころ)もなきをぞ、(おも)ひける。 みゃうぶ、"あな、うたて。たゆめたまへる。"と、いとほしければ、らずがほにて、わがかたにけり。このわかうどども、はた、にたぐひなきおほんありさまのおとぎきに、つみゆるしきこえて、おどろおどろしうもなげかれず、ただ、おもひもよらずにはかにて、さるみこころもなきをぞ、おもひける。
061.5.34145133 正身(さうじみ)は、ただ(われ)にもあらず、()づかしくつつましきよりほかのことまたなければ、「(いま)はかかるぞあはれなるかし、まだ世馴(よな)れぬ(ひと)、うちかしづかれたる」と、()ゆるしたまふものから、心得(こころえ)ず、なまいとほしとおぼゆる(おほん)さまなり。(なに)ごとにつけてかは御心(みこころ)のとまらむ、うちうめかれて、夜深(よぶか)()でたまひぬ。 さうじみは、ただわれにもあらず、づかしくつつましきよりほかのことまたなければ、"いまはかかるぞあはれなるかし、まだよなれぬひと、うちかしづかれたる。"と、ゆるしたまふものから、こころえず、なまいとほしとおぼゆるおほんさまなり。なにごとにつけてかはみこころのとまらん、うちうめかれて、よぶかでたまひぬ。
061.5.35146134 命婦(みゃうぶ)は、「いかならむ」と、目覚(めさ)めて、()()せりけれど、「()(がほ)ならじ」とて、「御送(おほんおく)りに」とも、(こわ)づくらず。(きみ)も、やをら(しの)びて()でたまひにけり。 みゃうぶは、"いかならん。"と、めさめて、せりけれど、"がほならじ"とて、"おほんおくりに"とも、こわづくらず。きみも、やをらしのびてでたまひにけり。
061.6147135第六段 その後、訪問なく秋が過ぎる
061.6.1148136 二条院(にでうのゐん)におはして、うち()したまひても、「なほ(おも)ふにかなひがたき()にこそ」と、(おぼ)しつづけて、(かる)らかならぬ(ひと)(おほん)ほどを、心苦(こころぐる)しとぞ(おぼ)しける。(おも)(みだ)れておはするに、頭中将(とうのちゅうじゃう)おはして、 にでうのゐんにおはして、うちしたまひても、"なほおもふにかなひがたきにこそ。"と、おぼしつづけて、かるらかならぬひとおほんほどを、こころぐるしとぞおぼしける。おもみだれておはするに、とうのちゅうじゃうおはして、
061.6.2149137 「こよなき御朝寝(おほんあさい)かな。ゆゑあらむかしとこそ、(おも)ひたまへらるれ」 "こよなきおほんあさいかな。ゆゑあらんかしとこそ、おもひたまへらるれ。"
061.6.3150138 ()へば、()()がりたまひて、 へば、がりたまひて、
061.6.4151139 (こころ)やすき(ひと)()(とこ)にて、ゆるびにけりや。内裏(うち)よりか」 "こころやすきひととこにて、ゆるびにけりや。うちよりか。"
061.6.5152140 とのたまへば、 とのたまへば、
061.6.6153141 「しか。まかではべるままなり。朱雀院(すざくゐん)行幸(ぎゃうがう)今日(けふ)なむ、楽人(がくにん)舞人定(まひびとさだ)めらるべきよし、昨夜(よべ)うけたまはりしを、大臣(おとど)にも(つた)(まう)さむとてなむ、まかではべる。やがて(かへ)(まゐ)りぬべうはべり」 "しか。まかではべるままなり。すざくゐんぎゃうがうけふなん、がくにんまひびとさだめらるべきよし、よべうけたまはりしを、おとどにもつたまうさんとてなん、まかではべる。やがてかへまゐりぬべうはべり。"
061.6.7154142 と、いそがしげなれば、 と、いそがしげなれば、
061.6.8155143 「さらば、もろともに」 "さらば、もろともに。"
061.6.9156144 とて、御粥(おほんかゆ)強飯召(こはいひめ)して、客人(まらうと)にも(まゐ)りたまひて、()(つづ)けたれど、(ひと)つにたてまつりて、 とて、おほんかゆこはいひめして、まらうとにもまゐりたまひて、つづけたれど、ひとつにたてまつりて、
061.6.10157145 「なほ、いとねぶたげなり」 "なほ、いとねぶたげなり。"
061.6.11158146 と、とがめ()でつつ、 と、とがめでつつ、
061.6.12159147 (かく)いたまふこと(おほ)かり」 "かくいたまふことおほかり。"
061.6.13160148 とぞ、(うら)みきこえたまふ。 とぞ、うらみきこえたまふ。
061.6.14161149 (こと)ども(おほ)(さだ)めらるる()にて、内裏(うち)にさぶらひ()らしたまひつ。 ことどもおほさだめらるるにて、うちにさぶらひらしたまひつ。
061.6.15162150 かしこには、(ふみ)をだにと、いとほしく(おぼ)()でて、(ゆふ)(かた)ぞありける。雨降(あめふ)()でて、ところせくもあるに、笠宿(かさやど)りせむと、はた、(おぼ)されずやありけむ。かしこには、()つほど()ぎて、命婦(みゃうぶ)も、「いといとほしき(おほん)さまかな」と、心憂(こころう)(おも)ひけり。正身(さうじみ)は、御心(みこころ)のうちに()づかしう(おも)ひたまひて、今朝(けさ)御文(おほんふみ)()れぬれど、なかなか、(とが)とも(おも)ひわきたまはざりけり。 かしこには、ふみをだにと、いとほしくおぼでて、ゆふかたぞありける。あめふでて、ところせくもあるに、かさやどりせんと、はた、おぼされずやありけん。かしこには、つほどぎて、みゃうぶも、"いといとほしきおほんさまかな。"と、こころうおもひけり。さうじみは、みこころのうちにづかしうおもひたまひて、けさおほんふみれぬれど、なかなか、とがともおもひわきたまはざりけり。
061.6.16163151 夕霧(ゆふぎり)()るるけしきもまだ()ぬに<BR/>いぶせさそふる(よひ)(あめ)かな "〔ゆふぎりるるけしきもまだぬに<BR/>いぶせさそふるよひあめかな
061.6.17164152 雲間待(くもまま)()でむほど、いかに(こころ)もとなう」 くもままでんほど、いかにこころもとなう。"
061.6.18165153 とあり。おはしますまじき()けしきを、(ひと)びと(むね)つぶれて(おも)へど、 とあり。おはしますまじきけしきを、ひとびとむねつぶれておもへど、
061.6.19166154 「なほ、()こえさせたまへ」 "なほ、こえさせたまへ。"
061.6.20167155 と、そそのかしあへれど、いとど(おも)(みだ)れたまへるほどにて、え(かた)のやうにも(つづ)けたまはねば、「夜更(よふ)けぬ」とて、侍従(じじゅう)ぞ、(れい)(をし)へきこゆる。 と、そそのかしあへれど、いとどおもみだれたまへるほどにて、えかたのやうにもつづけたまはねば、"よふけぬ。"とて、じじゅうぞ、れいをしへきこゆる。
061.6.21168156 ()れぬ()月待(つきま)(さと)(おも)ひやれ<BR/>(おな)(こころ)(なが)めせずとも」 "〔れぬつきまさとおもひやれ<BR/>おなこころながめせずとも〕
061.6.22169157 口々(くちぐち)()められて、(むらさき)(かみ)の、年経(としへ)にければ(はひ)おくれ(ふる)めいたるに、()はさすがに文字強(もじつよ)う、(なか)さだの(すぢ)にて、上下等(かみしもひと)しく()いたまへり。()るかひなううち()きたまふ。 くちぐちめられて、むらさきかみの、としへにければはひおくれふるめいたるに、はさすがにもじつよう、なかさだのすぢにて、かみしもひとしくいたまへり。るかひなううちきたまふ。
061.6.23170158 いかに(おも)ふらむと(おも)ひやるも、(やす)からず。 いかにおもふらんとおもひやるも、やすからず。
061.6.24171159 「かかることを、(くや)しなどは()ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。(われ)は、さりとも、心長(こころなが)見果(みは)ててむ」と、(おぼ)しなす御心(みこころ)()らねば、かしこにはいみじうぞ(なげ)いたまひける。 "かかることを、くやしなどはふにやあらん。さりとていかがはせん。われは、さりとも、こころながみはててん。"と、おぼしなすみこころらねば、かしこにはいみじうぞなげいたまひける。
061.6.25172160 大臣(おとど)(よる)()りてまかでたまふに、()かれたてまつりて、大殿(おほいどの)におはしましぬ。行幸(ぎゃうがう)のことを(きょう)ありと(おも)ほして、(きみ)たち(あつま)りて、のたまひ、おのおの(まひ)ども(なら)ひたまふを、そのころのことにて()ぎゆく。 おとどよるりてまかでたまふに、かれたてまつりて、おほいどのにおはしましぬ。ぎゃうがうのことをきょうありとおもほして、きみたちあつまりて、のたまひ、おのおのまひどもならひたまふを、そのころのことにてぎゆく。
061.6.26173161 ものの()ども、(つね)よりも(みみ)かしかましくて、かたがたいどみつつ、(れい)御遊(おほんあそ)びならず、大篳篥(おほひちりき)尺八(さくはち)(ふえ)などの大声(おほごゑ)()()げつつ、太鼓(たいこ)をさへ高欄(かうらん)のもとにまろばし()せて、()づからうち()らし、(あそ)びおはさうず。 もののども、つねよりもみみかしかましくて、かたがたいどみつつ、れいおほんあそびならず、おほひちりきさくはちふえなどのおほごゑげつつ、たいこをさへかうらんのもとにまろばしせて、づからうちらし、あそびおはさうず。
061.6.27174163 (おほん)いとまなきやうにて、せちに(おぼ)(ところ)ばかりにこそ、(ぬす)まはれたまへれ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、秋暮(あきく)()てぬ。なほ(たの)()しかひなくて()ぎゆく。 おほんいとまなきやうにて、せちにおぼところばかりにこそ、ぬすまはれたまへれ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、あきくてぬ。なほたのしかひなくてぎゆく。
061.7175164第七段 冬の雪の激しく降る日に訪問
061.7.1176165 行幸近(ぎゃうがうちか)くなりて、試楽(しがく)などののしるころぞ、命婦(みゃうぶ)(まゐ)れる。 ぎゃうがうちかくなりて、しがくなどののしるころぞ、みゃうぶまゐれる。
061.7.2177166 「いかにぞ」など、()ひたまひて、いとほしとは(おぼ)したり。ありさま()こえて、 "いかにぞ。"など、ひたまひて、いとほしとはおぼしたり。ありさまこえて、
061.7.3178167 「いとかう、もて(はな)れたる御心(みこころ)ばへは、()たまふる(ひと)さへ、心苦(こころぐる)しく」 "いとかう、もてはなれたるみこころばへは、たまふるひとさへ、こころぐるしく。"
061.7.4179168 など、()きぬばかり(おも)へり。「(こころ)にくくもてなして()みなむと(おも)へりしことを、くたいてける、(こころ)もなくこの(ひと)(おも)ふらむ」をさへ(おぼ)す。正身(さうじみ)の、ものは()はで、(おぼ)しうづもれたまふらむさま、(おも)ひやりたまふも、いとほしければ、 など、きぬばかりおもへり。"こころにくくもてなしてみなんとおもへりしことを、くたいてける、こころもなくこのひとおもふらん。"をさへおぼす。さうじみの、ものははで、おぼしうづもれたまふらんさま、おもひやりたまふも、いとほしければ、
061.7.5180169 「いとまなきほどぞや。わりなし」と、うち(なげ)いたまひて、「もの(おも)()らぬやうなる(こころ)ざまを、()らさむと(おも)ふぞかし」 "いとまなきほどぞや。わりなし。"と、うちなげいたまひて、"ものおもらぬやうなるこころざまを、らさんとおもふぞかし。"
061.7.6181170 と、ほほ()みたまへる、(わか)ううつくしげなれば、(われ)もうち()まるる心地(ここち)して、「わりなの、(ひと)(うら)みられたまふ御齢(おほんよはひ)や。(おも)ひやり(すく)なう、御心(みこころ)のままならむも、ことわり」と(おも)ふ。 と、ほほみたまへる、わかううつくしげなれば、われもうちまるるここちして、"わりなの、ひとうらみられたまふおほんよはひや。おもひやりすくなう、みこころのままならんも、ことわり。"とおもふ。
061.7.7182171 この(おほん)いそぎのほど()ぐしてぞ、時々(ときどき)おはしける。 このおほんいそぎのほどぐしてぞ、ときどきおはしける。
061.7.8183172 かの(むらさき)のゆかり、(たづ)ねとりたまひて、そのうつくしみに心入(こころい)りたまひて、六条(ろくでう)わたりにだに、()れまさりたまふめれば、まして()れたる宿(やど)は、あはれに(おぼ)しおこたらずながら、もの()きぞ、わりなかりけると、ところせき(おほん)もの()ぢを()あらはさむの御心(みこころ)も、ことになうて()ぎゆくを、またうちかへし、「()まさりするやうもありかし。()さぐりのたどたどしきに、あやしう、心得(こころえ)ぬこともあるにや。()てしがな」と(おも)ほせど、けざやかにとりなさむもまばゆし。うちとけたる宵居(よひゐ)のほど、やをら()りたまひて、格子(かうし)のはさまより()たまひけり。 かのむらさきのゆかり、たづねとりたまひて、そのうつくしみにこころいりたまひて、ろくでうわたりにだに、れまさりたまふめれば、ましてれたるやどは、あはれにおぼしおこたらずながら、ものきぞ、わりなかりけると、ところせきおほんものぢをあらはさんのみこころも、ことになうてぎゆくを、またうちかへし、"まさりするやうもありかし。さぐりのたどたどしきに、あやしう、こころえぬこともあるにや。てしがな。"とおもほせど、けざやかにとりなさんもまばゆし。うちとけたるよひゐのほど、やをらりたまひて、かうしのはさまよりたまひけり。
061.7.9184173 されど、みづからは()えたまふべくもあらず。几帳(きちゃう)など、いたく(そこ)なはれたるものから、年経(としへ)にける()ちど()はらず、おしやりなど(みだ)れねば、(こころ)もとなくて、御達四(ごたちし)五人(ごにん)ゐたり。御台(みだい)秘色(ひそく)やうの唐土(もろこし)のものなれど、人悪(ひとわ)ろきに、(なに)のくさはひもなくあはれげなる、まかでて(ひと)びと()ふ。 されど、みづからはえたまふべくもあらず。きちゃうなど、いたくそこなはれたるものから、としへにけるちどはらず、おしやりなどみだれねば、こころもとなくて、ごたちしごにんゐたり。みだいひそくやうのもろこしのものなれど、ひとわろきに、なにのくさはひもなくあはれげなる、まかでてひとびとふ。
061.7.10185174 (すみ)()ばかりにぞ、いと(さむ)げなる(をんな)ばら、(しろ)(きぬ)のいひしらず(すす)けたるに、きたなげなる褶引(しびらひ)()ひつけたる(こし)つき、かたくなしげなり。さすがに(くし)おし()れて()したる(ひたひ)つき、内教坊(ないけうばう)内侍所(ないしどころ)のほどに、かかる(もの)どもあるはやと、をかし。かけても、(ひと)のあたりに(ちか)うふるまふ(もの)とも()りたまはざりけり。 すみばかりにぞ、いとさむげなるをんなばら、しろきぬのいひしらずすすけたるに、きたなげなるしびらひひつけたるこしつき、かたくなしげなり。さすがにくしおしれてしたるひたひつき、ないけうばうないしどころのほどに、かかるものどもあるはやと、をかし。かけても、ひとのあたりにちかうふるまふものともりたまはざりけり。
061.7.11186175 「あはれ、さも(さむ)(とし)かな。命長(いのちなが)ければ、かかる()にもあふものなりけり」 "あはれ。さもさむとしかな。いのちながければ、かかるにもあふものなりけり。"
061.7.12187176 とて、うち()くもあり。 とて、うちくもあり。
061.7.13188177 故宮(こみや)おはしましし()を、などてからしと(おも)ひけむ。かく(たの)みなくても()ぐるものなりけり」 "こみやおはしまししを、などてからしとおもひけん。かくたのみなくてもぐるものなりけり。"
061.7.14189178 とて、()()ちぬべくふるふもあり。 とて、ちぬべくふるふもあり。
061.7.15190179 さまざまに人悪(ひとわ)ろきことどもを、(うれ)へあへるを()きたまふも、かたはらいたければ、たちのきて、ただ(いま)おはするやうにて、うちたたきたまふ。 さまざまにひとわろきことどもを、うれへあへるをきたまふも、かたはらいたければ、たちのきて、ただいまおはするやうにて、うちたたきたまふ。
061.7.16191180 「そそや」など()ひて、()とり(なほ)し、格子放(かうしはな)ちて()れたてまつる。 "そそや。"などひて、とりなほし、かうしはなちてれたてまつる。
061.7.17192181 侍従(じじゅう)は、斎院(さいゐん)(まゐ)(かよ)若人(わかうど)にて、この(ごろ)はなかりけり。いよいよあやしうひなびたる(かぎ)りにて、()ならはぬ心地(ここち)ぞする。 じじゅうは、さいゐんまゐかよわかうどにて、このごろはなかりけり。いよいよあやしうひなびたるかぎりにて、ならはぬここちぞする。
061.7.18193182 いとど、(うれ)ふなりつる(ゆき)、かきたれいみじう()りけり。(そら)気色(けしき)はげしう、風吹(かぜふ)()れて、大殿油消(おほとなぶらき)えにけるを、ともしつくる(ひと)もなし。かの、ものに(おそ)はれし折思(をりおぼ)()でられて、()れたるさまは(おと)らざめるを、ほどの(せば)う、人気(ひとけ)のすこしあるなどに(なぐさ)めたれど、すごう、うたていざとき心地(ここち)する(よる)のさまなり。 いとど、うれふなりつるゆき、かきたれいみじうりけり。そらけしきはげしう、かぜふれて、おほとなぶらきえにけるを、ともしつくるひともなし。かの、ものにおそはれしをりおぼでられて、れたるさまはおとらざめるを、ほどのせばう、ひとけのすこしあるなどになぐさめたれど、すごう、うたていざときここちするよるのさまなり。
061.7.19194183 をかしうもあはれにも、やうかへて、(こころ)とまりぬべきありさまを、いと(うも)れすくよかにて、(なに)()えなきをぞ、口惜(くちを)しう(おぼ)す。 をかしうもあはれにも、やうかへて、こころとまりぬべきありさまを、いとうもれすくよかにて、なにえなきをぞ、くちをしうおぼす。
061.8195184第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る
061.8.1196185 からうして()けぬるけしきなれば、格子手(かうして)づから()げたまひて、(まへ)前栽(せんさい)(ゆき)()たまふ。()みあけたる(あと)もなく、はるばると()れわたりて、いみじう(さび)しげなるに、ふり()でて()かむこともあはれにて、 からうしてけぬるけしきなれば、かうしてづからげたまひて、まへせんさいゆきたまふ。みあけたるあともなく、はるばるとれわたりて、いみじうさびしげなるに、ふりでてかんこともあはれにて、
061.8.2197186 「をかしきほどの(そら)()たまへ。()きせぬ御心(みこころ)(へだ)てこそ、わりなけれ」 "をかしきほどのそらたまへ。きせぬみこころへだてこそ、わりなけれ。"
061.8.3198187 と、(うら)みきこえたまふ。まだほの(くら)けれど、(ゆき)(ひかり)にいとどきよらに(わか)()えたまふを、()(びと)ども()みさかえて()たてまつる。 と、うらみきこえたまふ。まだほのくらけれど、ゆきひかりにいとどきよらにわかえたまふを、びとどもみさかえてたてまつる。
061.8.4199188 「はや()でさせたまへ。あぢきなし。(こころ)うつくしきこそ」 "はやでさせたまへ。あぢきなし。こころうつくしきこそ。"
061.8.5200189 など(をし)へきこゆれば、さすがに、(ひと)()こゆることをえいなびたまはぬ御心(みこころ)にて、とかう()きつくろひて、ゐざり()でたまへり。 などをしへきこゆれば、さすがに、ひとこゆることをえいなびたまはぬみこころにて、とかうきつくろひて、ゐざりでたまへり。
061.8.6201190 ()ぬやうにて、()(かた)(なが)めたまへれど、後目(しりめ)はただならず。「いかにぞ、うちとけまさりの、いささかもあらばうれしからむ」と(おぼ)すも、あながちなる御心(みこころ)なりや。 ぬやうにて、かたながめたまへれど、しりめはただならず。"いかにぞ、うちとけまさりの、いささかもあらばうれしからん。"とおぼすも、あながちなるみこころなりや。
061.8.7202191 まづ、居丈(ゐだけ)(たか)く、を背長(せなが)()えたまふに、「さればよ」と、(むね)つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと()ゆるものは、(はな)なりけり。ふと()ぞとまる。普賢菩薩(ふげんぼさつ)乗物(のりもの)とおぼゆ。あさましう(たか)うのびらかに、(さき)(かた)すこし()りて(いろ)づきたること、ことのほかにうたてあり。(いろ)雪恥(ゆきは)づかしく(しろ)うて真青(さあを)に、(ひたひ)つきこよなうはれたるに、なほ(しも)がちなる(おも)やうは、おほかたおどろおどろしう(なが)きなるべし。()せたまへること、いとほしげにさらぼひて、(かた)のほどなどは、いたげなるまで(きぬ)(うへ)まで()ゆ。「(なに)(のこ)りなう()あらはしつらむ」と(おも)ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うち()やられたまふ。 まづ、ゐだけたかく、をせながえたまふに、"さればよ。"と、むねつぶれぬ。うちつぎて、あなかたはとゆるものは、はななりけり。ふとぞとまる。ふげんぼさつのりものとおぼゆ。あさましうたかうのびらかに、さきかたすこしりていろづきたること、ことのほかにうたてあり。いろゆきはづかしくしろうてさあをに、ひたひつきこよなうはれたるに、なほしもがちなるおもやうは、おほかたおどろおどろしうながきなるべし。せたまへること、いとほしげにさらぼひて、かたのほどなどは、いたげなるまできぬうへまでゆ。"なにのこりなうあらはしつらん。"とおもふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うちやられたまふ。
061.8.8203192 (かしら)つき、(かみ)のかかりはしも、うつくしげにめでたしと(おも)ひきこゆる(ひと)びとにも、をさをさ(おと)るまじう、(うちき)(すそ)にたまりて()かれたるほど、一尺(いちさく)ばかりあまりたらむと()ゆ。()たまへるものどもをさへ()ひたつるも、もの()ひさがなきやうなれど、昔物語(むかしものがたり)にも、(ひと)御装束(おほんさうぞく)をこそまづ()ひためれ。 かしらつき、かみのかかりはしも、うつくしげにめでたしとおもひきこゆるひとびとにも、をさをさおとるまじう、うちきすそにたまりてかれたるほど、いちさくばかりあまりたらんとゆ。たまへるものどもをさへひたつるも、ものひさがなきやうなれど、むかしものがたりにも、ひとおほんさうぞくをこそまづひためれ。
061.8.9204193 (ゆる)(いろ)のわりなう上白(うはじら)みたる一襲(ひとかさね)、なごりなう(くろ)袿重(うちきかさ)ねて、表着(うはぎ)には黒貂(ふるき)皮衣(かはぎぬ)、いときよらに(かう)ばしきを()たまへり。古代(こたい)のゆゑづきたる御装束(おほんさうぞく)なれど、なほ(わか)やかなる(をんな)(おほん)よそひには、()げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、この(かは)なうて、はた、(さむ)からましと()ゆる御顔(おほんかほ)ざまなるを、心苦(こころぐる)しと()たまふ。 ゆるいろのわりなううはじらみたるひとかさね、なごりなうくろうちきかさねて、うはぎにはふるきかはぎぬ、いときよらにかうばしきをたまへり。こたいのゆゑづきたるおほんさうぞくなれど、なほわかやかなるをんなおほんよそひには、げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、このかはなうて、はた、さむからましとゆるおほんかほざまなるを、こころぐるしとたまふ。
061.8.10205194 (なに)ごとも()はれたまはず、(われ)さへ口閉(くちと)ぢたる心地(ここち)したまへど、(れい)のしじまも(こころ)みむと、とかう()こえたまふに、いたう()ぢらひて、(くち)おほひしたまへるさへ、ひなび(ふる)めかしう、ことことしく、儀式官(ぎしきかん)()()でたる(ひぢ)もちおぼえて、さすがにうち()みたまへるけしき、はしたなうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど(いそ)()でたまふ。 なにごともはれたまはず、われさへくちとぢたるここちしたまへど、れいのしじまもこころみんと、とかうこえたまふに、いたうぢらひて、くちおほひしたまへるさへ、ひなびふるめかしう、ことことしく、ぎしきかんでたるひぢもちおぼえて、さすがにうちみたまへるけしき、はしたなうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとどいそでたまふ。
061.8.11206195 (たの)もしき(ひと)なき(おほん)ありさまを、()そめたる(ひと)には、(うと)からず(おも)ひむつびたまはむこそ、本意(ほい)ある心地(ここち)すべけれ。ゆるしなき()けしきなれば、つらう」など、ことつけて、 "たのもしきひとなきおほんありさまを、そめたるひとには、うとからずおもひむつびたまはんこそ、ほいあるここちすべけれ。ゆるしなきけしきなれば、つらう。"など、ことつけて、
061.8.12207196 朝日(あさひ)さす(のき)垂氷(たるひ)()けながら<BR/>などかつららの(むす)ぼほるらむ」 "〔あさひさすのきたるひけながら<BR/>などかつららのむすぼほるらん〕
061.8.13208197 とのたまへど、ただ「むむ」とうち(わら)ひて、いと口重(くちおも)げなるもいとほしければ、()でたまひぬ。 とのたまへど、ただ"むむ。"とうちわらひて、いとくちおもげなるもいとほしければ、でたまひぬ。
061.8.14209198 御車寄(みくるまよ)せたる中門(ちゅうもん)の、いといたうゆがみよろぼひて、夜目(よめ)にこそ、しるきながらもよろづ(かく)ろへたること(おほ)かりけれ、いとあはれにさびしく()れまどへるに、(まつ)(ゆき)のみ(あたた)かげに()()める、山里(やまざと)心地(ここち)して、ものあはれなるを、「かの(ひと)びとの()ひし(むぐら)(かど)は、かうやうなる(ところ)なりけむかし。げに、心苦(こころぐる)しくらうたげならむ(ひと)をここに()ゑて、うしろめたう(こひ)しと(おも)はばや。あるまじきもの(おも)ひは、それに(まぎ)れなむかし」と、「(おも)ふやうなる()みかに()はぬ(おほん)ありさまは、()るべきかたなし」と(おも)ひながら、「(われ)ならぬ(ひと)は、まして見忍(みしの)びてむや。わがかうて見馴(みな)れけるは、故親王(こみこ)のうしろめたしとたぐへ()きたまひけむ(たましひ)のしるべなめり」とぞ(おぼ)さるる。 みくるまよせたるちゅうもんの、いといたうゆがみよろぼひて、よめにこそ、しるきながらもよろづかくろへたることおほかりけれ、いとあはれにさびしくれまどへるに、まつゆきのみあたたかげにめる、やまざとここちして、ものあはれなるを、"かのひとびとのひしむぐらかどは、かうやうなるところなりけんかし。げに、こころぐるしくらうたげならんひとをここにゑて、うしろめたうこひしとおもはばや。あるまじきものおもひは、それにまぎれなんかし。"と、"おもふやうなるみかにはぬおほんありさまは、るべきかたなし。"とおもひながら、"われならぬひとは、ましてみしのびてんや。わがかうてみなれけるは、こみこのうしろめたしとたぐへきたまひけんたましひのしるべなめり。"とぞおぼさるる。
061.8.15210199 (たちばな)()(うづ)もれたる、御随身召(みずいじんめ)して(はら)はせたまふ。うらやみ(がほ)に、(まつ)()のおのれ()きかへりて、さとこぼるる(ゆき)も、「()()(すゑ)の」と()ゆるなどを、「いと(ふか)からずとも、なだらかなるほどにあひしらはむ(ひと)もがな」と()たまふ。 たちばなうづもれたる、みずいじんめしてはらはせたまふ。うらやみがほに、まつのおのれきかへりて、さとこぼるるゆきも、"すゑの"とゆるなどを、"いとふかからずとも、なだらかなるほどにあひしらはんひともがな。"とたまふ。
061.8.16211201 御車出(みくるまい)づべき(かど)は、まだ()けざりければ、(かぎ)(あづ)かり(たづ)()でたれば、(おきな)のいといみじきぞ()()たる。(むすめ)にや、(むまご)にや、はしたなる(おほ)きさの(をんな)の、(きぬ)(ゆき)にあひて(すす)けまどひ、(さむ)しと(おも)へるけしき、(ふか)うて、あやしきものに()をただほのかに()れて(そで)ぐくみに()たり。(おきな)(かど)をえ()けやらねば、()りてひき(たす)くる、いとかたくななり。御供(おほんとも)(ひと)()りてぞ()けつる。 みくるまいづべきかどは、まだけざりければ、かぎあづかりたづでたれば、おきなのいといみじきぞたる。むすめにや、むまごにや、はしたなるおほきさのをんなの、きぬゆきにあひてすすけまどひ、さむしとおもへるけしき、ふかうて、あやしきものにをただほのかにれてそでぐくみにたり。おきなかどをえけやらねば、りてひきたすくる、いとかたくななり。おほんともひとりてぞけつる。
061.8.17212202 ()りにける(かしら)(ゆき)()(ひと)も<BR/>(おと)らず()らす(あさ)(そで)かな "〔りにけるかしらゆきひとも<BR/>おとらずらすあさそでかな
061.8.18213203 (わか)(もの)形蔽(かたちかく)れず』」 'わかものかたちかくれず'"
061.8.19214204 とうち(じゅ)じたまひても、(はな)(いろ)()でて、いと(さむ)しと()えつる御面影(おほんおもかげ)、ふと(おも)()でられて、ほほ()まれたまふ。「頭中将(とうのちゅうじゃう)に、これを()せたらむ(とき)、いかなることをよそへ()はむ、(つね)にうかがひ()れば、今見(いまみ)つけられなむ」と、(すべ)なう(おぼ)す。 とうちじゅじたまひても、はないろでて、いとさむしとえつるおほんおもかげ、ふとおもでられて、ほほまれたまふ。"とうのちゅうじゃうに、これをせたらんとき、いかなることをよそへはん、つねにうかがひれば、いまみつけられなん。"と、すべなうおぼす。
061.8.20215205 ()(つね)なるほどの、(こと)なることなさならば、(おも)()てても()みぬべきを、さだかに()たまひて(のち)は、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなるさまに、(つね)(おとづ)れたまふ。 つねなるほどの、ことなることなさならば、おもててもみぬべきを、さだかにたまひてのちは、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなるさまに、つねおとづれたまふ。
061.8.21216206 黒貂(ふるき)(かは)ならぬ、(きぬ)(あや)綿(わた)など、()(びと)どもの()るべきもののたぐひ、かの(おきな)のためまで、上下思(かみしもおぼ)しやりてたてまつりたまふ。かやうのまめやかごとも()づかしげならぬを、(こころ)やすく、「さる(かた)後見(うしろみ)にて(はぐく)まむ」と(おも)ほしとりて、さまことに、さならぬうちとけわざもしたまひけり。 ふるきかはならぬ、きぬあやわたなど、びとどものるべきもののたぐひ、かのおきなのためまで、かみしもおぼしやりてたてまつりたまふ。かやうのまめやかごともづかしげならぬを、こころやすく、"さるかたうしろみにてはぐくまん。"とおもほしとりて、さまことに、さならぬうちとけわざもしたまひけり。
061.8.22217207 「かの空蝉(うつせみ)の、うちとけたりし(よひ)側目(そばめ)には、いと()ろかりし容貌(かたち)ざまなれど、もてなしに(かく)されて、口惜(くちを)しうはあらざりきかし。(おと)るべきほどの(ひと)なりやは。げに(しな)にもよらぬわざなりけり。(こころ)ばせのなだらかに、ねたげなりしを、()けて()みにしかな」と、ものの(をり)ごとには(おぼ)()づ。 "かのうつせみの、うちとけたりしよひそばめには、いとろかりしかたちざまなれど、もてなしにかくされて、くちをしうはあらざりきかし。おとるべきほどのひとなりやは。げにしなにもよらぬわざなりけり。こころばせのなだらかに、ねたげなりしを、けてみにしかな。"と、もののをりごとにはおぼづ。
061.9218208第九段 歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる
061.9.1219209 (とし)()れぬ。内裏(うち)宿直所(とのゐどころ)におはしますに、大輔(たいふ)命婦参(みゃうぶまゐ)れり。御梳櫛(みけづりぐし)などには、懸想(けさう)だつ(すぢ)なく、(こころ)やすきものの、さすがにのたまひたはぶれなどして、使(つか)ひならしたまへれば、()しなき(とき)も、()こゆべき(こと)ある(をり)は、()(のぼ)りけり。 としれぬ。うちとのゐどころにおはしますに、たいふみゃうぶまゐれり。みけづりぐしなどには、けさうだつすぢなく、こころやすきものの、さすがにのたまひたはぶれなどして、つかひならしたまへれば、しなきときも、こゆべきことあるをりは、のぼりけり。
061.9.2220210 「あやしきことのはべるを、()こえさせざらむもひがひがしう、(おも)ひたまへわづらひて」 "あやしきことのはべるを、こえさせざらんもひがひがしう、おもひたまへわづらひて。"
061.9.3221211 と、ほほ()みて()こえやらぬを、 と、ほほみてこえやらぬを、
061.9.4222212 (なに)ざまのことぞ。(われ)にはつつむことあらじと、なむ(おも)ふ」とのたまへば、 "なにざまのことぞ。われにはつつむことあらじと、なんおもふ。"とのたまへば、
061.9.5223213 「いかがは。みづからの(うれ)へは、かしこくとも、まづこそは。これは、いと()こえさせにくくなむ」 "いかがは。みづからのうれへは、かしこくとも、まづこそは。これは、いとこえさせにくくなん。"
061.9.6224214 と、いたう言籠(ことこ)めたれば、 と、いたうことこめたれば、
061.9.7225215 (れい)の、(えん)なる」と(にく)みたまふ。 "れいの、えんなる。"とにくみたまふ。
061.9.8226216 「かの(みや)よりはべる御文(おほんふみ)」とて、()()でたり。 "かのみやよりはべるおほんふみ。"とて、でたり。
061.9.9227217 「まして、これは()(かく)すべきことかは」 "まして、これはかくすべきことかは。"
061.9.10228218 とて、()りたまふも、(むね)つぶる。 とて、りたまふも、むねつぶる。
061.9.11229219 陸奥紙(みちのくにがみ)厚肥(あつご)えたるに、(にほ)ひばかりは(ふか)うしめたまへり。いとよう()きおほせたり。(うた)も、 みちのくにがみあつごえたるに、にほひばかりはふかうしめたまへり。いとようきおほせたり。うたも、
061.9.12230220 唐衣君(からころもきみ)(こころ)のつらければ<BR/>(たもと)はかくぞそぼちつつのみ」 "〔からころもきみこころのつらければ<BR/>たもとはかくぞそぼちつつのみ〕
061.9.13231221 心得(こころえ)ずうちかたぶきたまへるに、(つつ)みに、衣筥(ころもばこ)(おも)りかに古代(こたい)なるうち()きて、おし()でたり。 こころえずうちかたぶきたまへるに、つつみに、ころもばこおもりかにこたいなるうちきて、おしでたり。
061.9.14232222 「これを、いかでかは、かたはらいたく(おも)ひたまへざらむ。されど、朔日(ついたち)(おほん)よそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうはえ(かへ)しはべらず。ひとり()()めはべらむも、(ひと)御心違(みこころたが)ひはべるべければ、御覧(ごらん)ぜさせてこそは」と()こゆれば、 "これを、いかでかは、かたはらいたくおもひたまへざらん。されど、ついたちおほんよそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうはえかへしはべらず。ひとりめはべらんも、ひとみこころたがひはべるべければ、ごらんぜさせてこそは。"とこゆれば、
061.9.15233223 ()()められなむは、からかりなまし。(そで)まきほさむ(ひと)もなき()にいとうれしき(こころ)ざしにこそは」 "められなんは、からかりなまし。そでまきほさんひともなきにいとうれしきこころざしにこそは。"
061.9.16234224 とのたまひて、ことにもの()はれたまはず。「さても、あさましの(くち)つきや。これこそは()づからの(おほん)ことの(かぎ)りなめれ。侍従(じじゅう)こそとり(なほ)すべかめれ。また、(ふで)のしりとる博士(はかせ)ぞなかべき」と、()ふかひなく(おぼ)す。(こころ)()くして()()でたまひつらむほどを(おぼ)すに、 とのたまひて、ことにものはれたまはず。"さても、あさましのくちつきや。これこそはづからのおほんことのかぎりなめれ。じじゅうこそとりなほすべかめれ。また、ふでのしりとるはかせぞなかべき。"と、ふかひなくおぼす。こころくしてでたまひつらんほどをおぼすに、
061.9.17235225 「いともかしこき(かた)とは、これをも()ふべかりけり」 "いともかしこきかたとは、これをもふべかりけり。"
061.9.18236226 と、ほほ()みて()たまふを、命婦(みゃうぶ)面赤(おもてあか)みて()たてまつる。 と、ほほみてたまふを、みゃうぶおもてあかみてたてまつる。
061.9.19237227 今様色(いまやういろ)の、えゆるすまじく(つや)なう(ふる)めきたる直衣(なほし)の、裏表(うらうへ)ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ()えたる。「あさまし」と(おぼ)すに、この(ふみ)をひろげながら、(はし)手習(てなら)ひすさびたまふを、側目(そばめ)()れば、 いまやういろの、えゆるすまじくつやなうふるめきたるなほしの、うらうへひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞえたる。"あさまし"とおぼすに、このふみをひろげながら、はしてならひすさびたまふを、そばめれば、
061.9.20238229 「なつかしき(いろ)ともなしに(なに)にこの<BR/>すゑつむ(はな)(そで)()れけむ "〔なつかしきいろともなしになににこの<BR/>すゑつむはなそでれけん
061.9.21239230 色濃(いろこ)(はな)()しかども」 いろこはなしかども。"
061.9.22240231 など、()きけがしたまふ。(はな)のとがめを、なほあるやうあらむと、(おも)()はする折々(をりをり)の、月影(つきかげ)などを、いとほしきものから、をかしう(おも)ひなりぬ。 など、きけがしたまふ。はなのとがめを、なほあるやうあらんと、おもはするをりをりの、つきかげなどを、いとほしきものから、をかしうおもひなりぬ。
061.9.23241232 (くれなゐ)のひと花衣(はなごろも)うすくとも<BR/>ひたすら(くた)()をし()てずは "〔くれなゐのひとはなごろもうすくとも<BR/>ひたすらくたをしてずは
061.9.24242233 心苦(こころぐる)しの()や」 こころぐるしのや。"
061.9.25243234 と、いといたう()れてひとりごつを、よきにはあらねど、「かうやうのかいなでにだにあらましかば」と、(かへ)(がへ)口惜(くちを)し。(ひと)のほどの心苦(こころぐる)しきに、()()ちなむはさすがなり。(ひと)びと(まゐ)れば、 と、いといたうれてひとりごつを、よきにはあらねど、"かうやうのかいなでにだにあらましかば。"と、かへがへくちをし。ひとのほどのこころぐるしきに、ちなんはさすがなり。ひとびとまゐれば、
061.9.26244235 ()(かく)さむや。かかるわざは(ひと)のするものにやあらむ」 "かくさんや。かかるわざはひとのするものにやあらん。"
061.9.27245236 と、うちうめきたまふ。「(なに)御覧(ごらん)ぜさせつらむ。(われ)さへ(こころ)なきやうに」と、いと()づかしくて、やをら()りぬ。 と、うちうめきたまふ。"なにごらんぜさせつらん。われさへこころなきやうに。"と、いとづかしくて、やをらりぬ。
061.9.28246237 またの()(うへ)にさぶらへば、台盤所(だいばんどころ)にさしのぞきたまひて、 またのうへにさぶらへば、だいばんどころにさしのぞきたまひて、
061.9.29247238 「くはや。昨日(きのふ)(かへ)(ごと)。あやしく(こころ)ばみ()ぐさるる」 "くはや。きのふかへごと。あやしくこころばみぐさるる。"
061.9.30248239 とて、()げたまへり。女房(にょうばう)たち、(なに)ごとならむと、ゆかしがる。 とて、げたまへり。にょうばうたち、なにごとならんと、ゆかしがる。
061.9.31249240 「ただ(むめ)(はな)(いろ)のごと、三笠(みかさ)(やま)のをとめをば()てて」 "ただむめはないろのごと、みかさやまのをとめをばてて。"
061.9.32250241 と、(うた)ひすさびて()でたまひぬるを、命婦(みゃうぶ)は「いとをかし」と(おも)ふ。心知(こころし)らぬ(ひと)びとは、 と、うたひすさびてでたまひぬるを、みゃうぶは"いとをかし"とおもふ。こころしらぬひとびとは、
061.9.33251242 「なぞ、(おほん)ひとりゑみは」と、とがめあへり。 "なぞ。おほんひとりゑみは。"と、とがめあへり。
061.9.34252243 「あらず。(さむ)霜朝(しもあさ)に、掻練好(かいねりこの)める(はな)(いろ)あひや()えつらむ。(おほん)つづしり(うた)のいとほしき」と()へば、 "あらず。さむしもあさに、かいねりこのめるはないろあひやえつらん。おほんつづしりうたのいとほしき。"とへば、
061.9.35253244 「あながちなる(おほん)ことかな。このなかには、にほへる(はな)もなかめり」 "あながちなるおほんことかな。このなかには、にほへるはなもなかめり。"
061.9.36254245 左近(さこん)命婦(みゃうぶ)肥後(ひご)采女(うねべ)()じらひつらむ」 "さこんみゃうぶひごうねべじらひつらん。"
061.9.37255246 など、(こころ)()()ひしろふ。 など、こころひしろふ。
061.9.38256247 御返(おほんかへ)りたてまつりたれば、(みや)には、女房(にょうばう)つどひて、()めでけり。 おほんかへりたてまつりたれば、みやには、にょうばうつどひて、めでけり。
061.9.39257248 ()はぬ()をへだつるなかの衣手(ころもで)に<BR/>(かさ)ねていとど()もし()よとや」 "〔はぬをへだつるなかのころもでに<BR/>かさねていとどもしよとや〕
061.9.40258249 (しろ)(かみ)に、()()いたまへるしもぞ、なかなかをかしげなる。 しろかみに、いたまへるしもぞ、なかなかをかしげなる。
061.9.41259250 晦日(つごもり)()(ゆふ)(かた)、かの御衣筥(おほんころもばこ)に、「御料(ごれう)」とて、(ひと)のたてまつれる御衣一領(おほんぞひとくだり)葡萄染(えびぞめ)織物(おりもの)御衣(おほんぞ)、また山吹(やまぶき)(なに)ぞ、いろいろ()えて、命婦(みゃうぶ)ぞたてまつりたる。「ありし(いろ)あひを()ろしとや()たまひけむ」と(おも)()らるれど、「かれはた、(くれなゐ)重々(おもおも)しかりしをや。さりとも()えじ」と、ねび(びと)どもは(さだ)むる。 つごもりゆふかた、かのおほんころもばこに、"ごれう"とて、ひとのたてまつれるおほんぞひとくだりえびぞめおりものおほんぞ、またやまぶきなにぞ、いろいろえて、みゃうぶぞたてまつりたる。"ありしいろあひをろしとやたまひけん。"とおもらるれど、"かれはた、くれなゐおもおもしかりしをや。さりともえじ。"と、ねびびとどもはさだむる。
061.9.42260251 御歌(おほんうた)も、これよりのは、道理聞(ことわりき)こえて、したたかにこそあれ」 "おほんうたも、これよりのは、ことわりきこえて、したたかにこそあれ。"
061.9.43261252 御返(おほんかへ)りは、ただをかしき(かた)にこそ」 "おほんかへりは、ただをかしきかたにこそ。"
061.9.44262253 など、口々(くちぐち)()ふ。姫君(ひめぎみ)も、おぼろけならでし()でたまひつるわざなれば、ものに()きつけて()きたまへりけり。 など、くちぐちふ。ひめぎみも、おぼろけならでしでたまひつるわざなれば、ものにきつけてきたまへりけり。
061.10263254第十段 正月七日夜常陸宮邸に泊まる
061.10.1264255 朔日(ついたち)のほど()ぎて、今年(ことし)男踏歌(をとこだふか)あるべければ、(れい)の、所々遊(ところどころあそ)びののしりたまふに、もの(さわ)がしけれど、(さび)しき(ところ)のあはれに(おぼ)しやらるれば、七日(なぬか)()節会果(せちゑは)てて、(よる)()りて、御前(ごぜん)よりまかでたまひけるを、御宿直所(おほんとのゐどころ)にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更(よふ)かしておはしたり。 ついたちのほどぎて、ことしをとこだふかあるべければ、れいの、ところどころあそびののしりたまふに、ものさわがしけれど、さびしきところのあはれにおぼしやらるれば、なぬかせちゑはてて、よるりて、ごぜんよりまかでたまひけるを、おほんとのゐどころにやがてとまりたまひぬるやうにて、よふかしておはしたり。
061.10.2265256 (れい)のありさまよりは、けはひうちそよめき、()づいたり。(きみ)も、すこしたをやぎたまへるけしきもてつけたまへり。「いかにぞ、(あらた)めてひき()へたらむ(とき)」とぞ、(おぼ)しつづけらるる。 れいのありさまよりは、けはひうちそよめき、づいたり。きみも、すこしたをやぎたまへるけしきもてつけたまへり。"いかにぞ。あらためてひきへたらんとき。"とぞ、おぼしつづけらるる。
061.10.3266257 ()さし()づるほどに、やすらひなして、()でたまふ。(ひんがし)妻戸(つまど)、おし()けたれば、(むか)ひたる(らう)の、(うへ)もなくあばれたれば、()(あし)、ほどなくさし()りて、(ゆき)すこし()りたる(ひかり)に、いとけざやかに見入(みい)れらる。 さしづるほどに、やすらひなして、でたまふ。ひんがしつまど、おしけたれば、むかひたるらうの、うへもなくあばれたれば、あし、ほどなくさしりて、ゆきすこしりたるひかりに、いとけざやかにみいれらる。
061.10.4267258 御直衣(おほんなほし)などたてまつるを見出(みい)だして、すこしさし()でて、かたはら()したまへる(かしら)つき、こぼれ()でたるほど、いとめでたし。「()ひなほりを見出(みい)でたらむ(とき)」と(おぼ)されて、格子引(かうしひ)()げたまへり。 おほんなほしなどたてまつるをみいだして、すこしさしでて、かたはらしたまへるかしらつき、こぼれでたるほど、いとめでたし。"ひなほりをみいでたらんとき。"とおぼされて、かうしひげたまへり。
061.10.5268259 いとほしかりしもの()りに、()げも()てたまはで、脇息(けふそく)をおし()せて、うちかけて、御鬢(おほんびん)ぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなう(ふる)めきたる鏡台(きゃうだい)の、唐櫛笥(からくしげ)掻上(かかげ)(はこ)など、()()でたり。さすがに、(をとこ)御具(おほんぐ)さへほのぼのあるを、されてをかしと()たまふ。 いとほしかりしものりに、げもてたまはで、けふそくをおしせて、うちかけて、おほんびんぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなうふるめきたるきゃうだいの、からくしげかかげはこなど、でたり。さすがに、をとこおほんぐさへほのぼのあるを、されてをかしとたまふ。
061.10.6269260 (をんな)御装束(おほんさうぞく)、「今日(けふ)()づきたり」と()ゆるは、ありし(はこ)心葉(こころば)を、さながらなりけり。さも(おぼ)しよらず、(きょう)ある(もん)つきてしるき表着(うはぎ)ばかりぞ、あやしと(おぼ)しける。 をんなおほんさうぞく、"けふづきたり。"とゆるは、ありしはここころばを、さながらなりけり。さもおぼしよらず、きょうあるもんつきてしるきうはぎばかりぞ、あやしとおぼしける。
061.10.7270261 今年(ことし)だに、(こゑ)すこし()かせたまへかし。()たるるものはさし()かれて、()けしきの(あらた)まらむなむゆかしき」とのたまへば、 "ことしだに、こゑすこしかせたまへかし。たるるものはさしかれて、けしきのあらたまらんなんゆかしき。"とのたまへば、
061.10.8271262 「さへづる(はる)は」 "さへづるはるは。"
061.10.9272263 と、からうしてわななかし()でたり。 と、からうしてわななかしでたり。
061.10.10273264 「さりや。年経(としへ)ぬるしるしよ」と、うち(わら)ひたまひて、「(ゆめ)かとぞ()る」 "さりや。としへぬるしるしよ。"と、うちわらひたまひて、"ゆめかとぞる。"
061.10.11274265 と、うち()じて()でたまふを、見送(みおく)りて()()したまへり。(くち)おほひの側目(そばめ)より、なほ、かの末摘花(すゑつむはな)、いとにほひやかにさし()でたり。見苦(みぐる)しのわざやと(おぼ)さる。 と、うちじてでたまふを、みおくりてしたまへり。くちおほひのそばめより、なほ、かのすゑつむはな、いとにほひやかにさしでたり。みぐるしのわざやとおぼさる。
062275266第二章 若紫の物語
062.1276267第一段 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる
062.1.1277268 二条院(にでうのゐん)におはしたれば、(むらさき)(きみ)、いともうつくしき片生(かたお)ひにて、「(くれなゐ)はかうなつかしきもありけり」と()ゆるに、無紋(むもん)(さくら)細長(ほそなが)、なよらかに()なして、何心(なにごころ)もなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。古代(こたい)祖母君(おばぎみ)(おほん)なごりにて、歯黒(はぐろ)めもまだしかりけるを、ひきつくろはせたまへれば、(まゆ)のけざやかになりたるも、うつくしうきよらなり。「(こころ)から、などか、かう()()()あつかふらむ。かく心苦(こころぐる)しきものをも()てゐたらで」と、(おぼ)しつつ、(れい)の、もろともに雛遊(ひひなあそ)びしたまふ。 にでうのゐんにおはしたれば、むらさききみ、いともうつくしきかたおひにて、"くれなゐはかうなつかしきもありけり。"とゆるに、むもんさくらほそなが、なよらかになして、なにごころもなくてものしたまふさま、いみじうらうたし。こたいおばぎみおほんなごりにて、はぐろめもまだしかりけるを、ひきつくろはせたまへれば、まゆのけざやかになりたるも、うつくしうきよらなり。"こころから、などか、かうあつかふらん。かくこころぐるしきものをもてゐたらで。"と、おぼしつつ、れいの、もろともにひひなあそびしたまふ。
062.1.2278269 ()など()きて、(いろ)どりたまふ。よろづにをかしうすさび()らしたまひけり。(われ)()()へたまふ。(かみ)いと(なが)(をんな)()きたまひて、(はな)(べに)をつけて()たまふに、(かた)()きても()()きさましたり。わが御影(みかげ)鏡台(きゃうだい)にうつれるが、いときよらなるを()たまひて、()づからこの赤鼻(あかはは)()きつけ、にほはして()たまふに、かくよき(かほ)だに、さてまじれらむは見苦(みぐる)しかるべかりけり。姫君(ひめぎみ)()て、いみじく(わら)ひたまふ。 などきて、いろどりたまふ。よろづにをかしうすさびらしたまひけり。われへたまふ。かみいとながをんなきたまひて、はなべにをつけてたまふに、かたきてもきさましたり。わがみかげきゃうだいにうつれるが、いときよらなるをたまひて、づからこのあかははきつけ、にほはしてたまふに、かくよきかほだに、さてまじれらんはみぐるしかるべかりけり。ひめぎみて、いみじくわらひたまふ。
062.1.3279270 「まろが、かくかたはになりなむ(とき)、いかならむ」とのたまへば、 "まろが、かくかたはになりなんとき、いかならん。"とのたまへば、
062.1.4280271 「うたてこそあらめ」 "うたてこそあらめ。"
062.1.5281272 とて、さもや()みつかむと、あやふく(おも)ひたまへり。そら()ごひをして、 とて、さもやみつかんと、あやふくおもひたまへり。そらごひをして、
062.1.6282273 「さらにこそ、(しろ)まね。(よう)なきすさびわざなりや。内裏(うち)にいかにのたまはむとすらむ」 "さらにこそ、しろまね。ようなきすさびわざなりや。うちにいかにのたまはんとすらん。"
062.1.7283274 と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしと(おぼ)して、()りて、()ごひたまへば、 と、いとまめやかにのたまふを、いといとほしとおぼして、りて、ごひたまへば、
062.1.8284275 平中(へいちゅう)がやうに(いろ)どり()へたまふな。(あか)からむはあへなむ」 "へいちゅうがやうにいろどりへたまふな。あかからんはあへなん。"
062.1.9285276 と、(たはぶ)れたまふさま、いとをかしき妹背(いもせ)()えたまへり。 と、たはぶれたまふさま、いとをかしきいもせえたまへり。
062.1.10286277 ()のいとうららかなるに、いつしかと(かす)みわたれる(こずゑ)どもの、(こころ)もとなきなかにも、(むめ)はけしきばみ、ほほ()みわたれる、とりわきて()ゆ。階隠(はしかくし)のもとの紅梅(こうばい)、いととく()(はな)にて、(いろ)づきにけり。 のいとうららかなるに、いつしかとかすみわたれるこずゑどもの、こころもとなきなかにも、むめはけしきばみ、ほほみわたれる、とりわきてゆ。はしかくしのもとのこうばい、いととくはなにて、いろづきにけり。
062.1.11287278 (くれなゐ)(はな)ぞあやなくうとまるる<BR/>(むめ)()()はなつかしけれど "〔くれなゐはなぞあやなくうとまるる<BR/>むめはなつかしけれど
062.1.12288279 いでや」 いでや。"
062.1.13289280 と、あいなくうちうめかれたまふ。 と、あいなくうちうめかれたまふ。
062.1.14290281 かかる(ひと)びとの末々(すゑずゑ)、いかなりけむ。 かかるひとびとのすゑずゑ、いかなりけん。