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21乙女
2119872第一章 朝顔姫君の物語 藤壺代償の恋の諦め
211.19973第一段 故藤壺の一周忌明ける
211.1.110074 年変(としか)はりて、(みや)御果(おほんは)ても()ぎぬれば、()中色改(なかいろあらた)まりて、更衣(ころもがへ)のほどなども(いま)めかしきを、まして(まつり)のころは、おほかたの(そら)のけしき心地(ここち)よげなるに、前斎院(さきのさいゐん)はつれづれと(なが)めたまふを、(まへ)なる(かつら)下風(したかぜ)、なつかしきにつけても、(わか)(ひと)びとは(おも)()づることどもあるに、大殿(おほとの)より、 としかはりて、みやおほんはてもぎぬれば、なかいろあらたまりて、ころもがへのほどなどもいまめかしきを、ましてまつりのころは、おほかたのそらのけしきここちよげなるに、さきのさいゐんはつれづれとながめたまふを、まへなるかつらしたかぜ、なつかしきにつけても、わかひとびとはおもづることどもあるに、おほとのより、
211.1.210175 御禊(みそぎ)()は、いかにのどやかに(おぼ)さるらむ」 "みそぎは、いかにのどやかにおぼさるらん。"
211.1.310276 と、(とぶ)らひきこえさせたまへり。 と、とぶらひきこえさせたまへり。
211.1.410377 今日(けふ)は、 "けふは、
211.1.510478 かけきやは川瀬(かはせ)(なみ)もたちかへり<BR/>(きみ)(みそぎ)(ふぢ)のやつれを」 かけきやはかはせなみもたちかへり<BR/>きみみそぎふぢのやつれを〕
211.1.610579 (むらさき)(かみ)立文(たてぶみ)すくよかにて、(ふぢ)(はな)につけたまへり。(をり)のあはれなれば、御返(おほんかへ)りあり。 むらさきかみたてぶみすくよかにて、ふぢはなにつけたまへり。をりのあはれなれば、おほんかへりあり。
211.1.710680 藤衣着(ふぢごろもき)しは昨日(きのふ)(おも)ふまに<BR/>今日(けふ)(みそぎ)()にかはる() "〔ふぢごろもきしはきのふおもふまに<BR/>けふみそぎにかはる
211.1.810781 はかなく」 はかなく。"
211.1.910882 とばかりあるを、(れい)の、御目止(おほんめと)めたまひて()おはす。 とばかりあるを、れいの、おほんめとめたまひておはす。
211.1.1010983 御服直(おほんぶくなほ)しのほどなどにも、宣旨(せんじ)のもとに、所狭(ところせ)きまで、(おぼ)しやれることどもあるを、(ゐん)見苦(みぐる)しきことに(おぼ)しのたまへど、 おほんぶくなほしのほどなどにも、せんじのもとに、ところせきまで、おぼしやれることどもあるを、ゐんみぐるしきことにおぼしのたまへど、
211.1.1111084 「をかしやかに、けしきばめる御文(おほんふみ)などのあらばこそ、とかくも()こえ(かへ)さめ、(とし)ごろも、おほやけざまの折々(をりをり)御訪(おほんとぶ)らひなどは()こえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがは()こえも(まぎ)らはすべからむ」 "をかしやかに、けしきばめるおほんふみなどのあらばこそ、とかくもこえかへさめ、としごろも、おほやけざまのをりをりおほんとぶらひなどはこえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがはこえもまぎらはすべからん。"
211.1.1211185 と、もてわづらふべし。 と、もてわづらふべし。
211.211286第二段 源氏、朝顔姫君を諦める
211.2.111387 女五(をんなご)(みや)御方(おほんかた)にも、かやうに折過(をりす)ぐさず()こえたまへば、いとあはれに、 をんなごみやおほんかたにも、かやうにをりすぐさずこえたまへば、いとあはれに、
211.2.211488 「この(きみ)の、昨日今日(きのふけふ)稚児(ちご)(おも)ひしを、かくおとなびて、(とぶ)らひたまふこと。容貌(かたち)のいともきよらなるに()へて、(こころ)さへこそ(ひと)にはことに()()でたまへれ」 "このきみの、きのふけふちごおもひしを、かくおとなびて、とぶらひたまふこと。かたちのいともきよらなるにへて、こころさへこそひとにはことにでたまへれ。"
211.2.311589 と、ほめきこえたまふを、(わか)(ひと)びとは(わら)ひきこゆ。 と、ほめきこえたまふを、わかひとびとはわらひきこゆ。
211.2.411690 こなたにも対面(たいめん)したまふ(をり)は、 こなたにもたいめんしたまふをりは、
211.2.511791 「この大臣(おとど)の、かくいとねむごろに()こえたまふめるを、(なに)か、今始(いまはじ)めたる御心(みこころ)ざしにもあらず。故宮(こみや)も、筋異(すぢこと)になりたまひて、え()たてまつりたまはぬ(なげ)きをしたまひては、(おも)()ちしことをあながちにもて(はな)れたまひしことなど、のたまひ()でつつ、(くや)しげにこそ(おぼ)したりし折々(をりをり)ありしか。 "このおとどの、かくいとねんごろにこえたまふめるを、なにか、いまはじめたるみこころざしにもあらず。こみやも、すぢことになりたまひて、えたてまつりたまはぬなげきをしたまひては、おもちしことをあながちにもてはなれたまひしことなど、のたまひでつつ、くやしげにこそおぼしたりしをりをりありしか。
211.2.611892 されど、故大殿(こおほとの)姫君(ひめぎみ)ものせられし(かぎ)りは、(さん)(みや)(おも)ひたまはむことのいとほしさに、とかく言添(ことそ)へきこゆることもなかりしなり。(いま)は、そのやむごとなくえさらぬ(すぢ)にてものせられし(ひと)さへ、()くなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましも()しかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに()こえたまふも、さるべきにもあらむとなむ(おも)ひはべる」 されど、こおほとのひめぎみものせられしかぎりは、さんみやおもひたまはんことのいとほしさに、とかくことそへきこゆることもなかりしなり。いまは、そのやんごとなくえさらぬすぢにてものせられしひとさへ、くなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましもしかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねんごろにこえたまふも、さるべきにもあらんとなんおもひはべる。"
211.2.711993 など、いと古代(こたい)()こえたまふを、(こころ)づきなしと(おぼ)して、 など、いとこたいこえたまふを、こころづきなしとおぼして、
211.2.812094 故宮(こみや)にも、しか(こころ)ごはきものに(おも)はれたてまつりて()ぎはべりにしを、(いま)さらに、また()になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」 "こみやにも、しかこころごはきものにおもはれたてまつりてぎはべりにしを、いまさらに、またになびきはべらんも、いとつきなきことになん。"
211.2.912195 ()こえたまひて、()づかしげなる()けしきなれば、しひてもえ()こえおもむけたまはず。 こえたまひて、づかしげなるけしきなれば、しひてもえこえおもむけたまはず。
211.2.1012296 宮人(みやびと)も、上下(かみしも)、みな(こころ)かけきこえたれば、()(なか)いとうしろめたくのみ(おぼ)さるれど、かの(おほん)みづからは、わが(こころ)()くし、あはれを()えきこえて、(ひと)()けしきのうちもゆるばむほどをこそ()ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心破(みこころやぶ)りきこえむなどは、(おぼ)さざるべし。 みやびとも、かみしも、みなこころかけきこえたれば、なかいとうしろめたくのみおぼさるれど、かのおほんみづからは、わがこころくし、あはれをえきこえて、ひとけしきのうちもゆるばんほどをこそちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、みこころやぶりきこえんなどは、おぼさざるべし。
21212397第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語
212.112498第一段 子息夕霧の元服と教育論
212.1.112599 大殿腹(おほとのばら)若君(わかぎみ)御元服(おほんげんぷく)のこと、(おぼ)しいそぐを、二条(にでう)(ゐん)にてと(おぼ)せど、大宮(おほみや)のいとゆかしげに(おぼ)したるもことわりに心苦(こころぐる)しければ、なほやがてかの殿(との)にてせさせたてまつりたまふ。 おほとのばらわかぎみおほんげんぷくのこと、おぼしいそぐを、にでうゐんにてとおぼせど、おほみやのいとゆかしげにおぼしたるもことわりにこころぐるしければ、なほやがてかのとのにてせさせたてまつりたまふ。
212.1.2126100 右大将(うだいしゃう)をはじめきこえて、御伯父(おほんをぢ)殿(との)ばら、みな上達部(かんだちめ)のやむごとなき(おほん)おぼえことにてのみものしたまへば、主人方(あるじがた)にも、(われ)(われ)もと、さるべきことどもは、とりどりに(つか)うまつりたまふ。おほかた()ゆすりて、所狭(ところせ)(おほん)いそぎの(いきほひ)なり。 うだいしゃうをはじめきこえて、おほんをぢとのばら、みなかんだちめのやんごとなきおほんおぼえことにてのみものしたまへば、あるじがたにも、われわれもと、さるべきことどもは、とりどりにつかうまつりたまふ。おほかたゆすりて、ところせおほんいそぎのいきほひなり。
212.1.3127101 四位(しゐ)になしてむと(おぼ)し、世人(よひと)も、さぞあらむと(おも)へるを、 しゐになしてんとおぼし、よひとも、さぞあらんとおもへるを、
212.1.4128102 「まだいときびはなるほどを、わが(こころ)にまかせたる()にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴(めな)れたることなり」 "まだいときびはなるほどを、わがこころにまかせたるにて、しかゆくりなからんも、なかなかめなれたることなり。"
212.1.5129103 (おぼ)しとどめつ。 おぼしとどめつ。
212.1.6130104 浅葱(あさぎ)にて殿上(てんじゃう)(かへ)りたまふを、大宮(おほみや)は、()かずあさましきことと(おぼ)したるぞ、ことわりにいとほしかりける。 あさぎにててんじゃうかへりたまふを、おほみやは、かずあさましきこととおぼしたるぞ、ことわりにいとほしかりける。
212.1.7131105 御対面(おほんたいめん)ありて、このこと()こえたまふに、 おほんたいめんありて、このことこえたまふに、
212.1.8132106 「ただ(いま)、かうあながちにしも、まだきに()いつかすまじうはべれど、(おも)ふやうはべりて、大学(だいがく)(みち)にしばし(なら)はさむの本意(ほい)はべるにより、今二(いまに)三年(さんねん)をいたづらの(とし)(おも)ひなして、おのづから朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつりぬべきほどにならば、(いま)(ひと)となりはべりなむ。 "ただいま、かうあながちにしも、まだきにいつかすまじうはべれど、おもふやうはべりて、だいがくみちにしばしならはさんのほいはべるにより、いまにさんねんをいたづらのとしおもひなして、おのづからおほやけにもつかうまつりぬべきほどにならば、いまひととなりはべりなん。
212.1.9133107 みづからは、九重(ここのへ)のうちに()()ではべりて、()(なか)のありさまも()りはべらず、夜昼(よるひる)御前(おまへ)にさぶらひて、わづかになむはかなき(ふみ)なども(なら)ひはべりし。ただ、かしこき御手(おほんて)より(つた)へはべりしだに、(なに)ごとも(ひろ)(こころ)()らぬほどは、(ふみ)(ざえ)をまねぶにも、琴笛(ことふえ)調(しら)べにも、音耐(ねた)へず、(およ)ばぬところの(おほ)くなむはべりける。 みづからは、ここのへのうちにではべりて、なかのありさまもりはべらず、よるひるおまへにさぶらひて、わづかになんはかなきふみなどもならひはべりし。ただ、かしこきおほんてよりつたへはべりしだに、なにごともひろこころらぬほどは、ふみざえをまねぶにも、ことふえしらべにも、ねたへず、およばぬところのおほくなんはべりける。
212.1.10134108 はかなき(おや)に、かしこき()のまさる(ためし)は、いとかたきことになむはべれば、まして、次々伝(つぎつぎつた)はりつつ、(へだ)たりゆかむほどの()(さき)、いとうしろめたなきによりなむ、(おも)ひたまへおきてはべる。 はかなきおやに、かしこきのまさるためしは、いとかたきことになんはべれば、まして、つぎつぎつたはりつつ、へだたりゆかんほどのさき、いとうしろめたなきによりなん、おもひたまへおきてはべる。
212.1.11135109 (たか)(いへ)()として、官位爵位心(つかさかうぶりこころ)にかなひ、()中盛(なかさか)りにおごりならひぬれば、学問(がくもん)などに()(くる)しめむことは、いと(とほ)くなむおぼゆべかめる。(たはぶ)(あそ)びを(この)みて、(こころ)のままなる官爵(かんさく)(のぼ)りぬれば、(とき)(したが)世人(よひと)の、(した)には(はな)まじろきをしつつ、追従(ついしょう)し、けしきとりつつ(したが)ふほどは、おのづから(ひと)とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移(ときうつ)り、さるべき(ひと)()ちおくれて、世衰(よおとろ)ふる(すゑ)には、(ひと)(かる)めあなづらるるに、()るところなきことになむはべる。 たかいへとして、つかさかうぶりこころにかなひ、なかさかりにおごりならひぬれば、がくもんなどにくるしめんことは、いととほくなんおぼゆべかめる。たはぶあそびをこのみて、こころのままなるかんさくのぼりぬれば、ときしたがよひとの、したにははなまじろきをしつつ、ついしょうし、けしきとりつつしたがふほどは、おのづからひととおぼえて、やんごとなきやうなれど、ときうつり、さるべきひとちおくれて、よおとろふるすゑには、ひとかるめあなづらるるに、るところなきことになんはべる。
212.1.12136110 なほ、(ざえ)をもととしてこそ、大和魂(やまとだましひ)()(もち)ゐらるる(かた)(つよ)うはべらめ。さしあたりては、(こころ)もとなきやうにはべれども、つひの()重鎮(おもし)となるべき(こころ)おきてを(なら)ひなば、はべらずなりなむ(のち)も、うしろやすかるべきによりなむ。ただ(いま)は、はかばかしからずながらも、かくて(はぐく)みはべらば、せまりたる大学(だいがく)(しゅう)とて、(わら)ひあなづる(ひと)もよもはべらじと(おも)うたまふる」 なほ、ざえをもととしてこそ、やまとだましひもちゐらるるかたつようはべらめ。さしあたりては、こころもとなきやうにはべれども、つひのおもしとなるべきこころおきてをならひなば、はべらずなりなんのちも、うしろやすかるべきによりなん。ただいまは、はかばかしからずながらも、かくてはぐくみはべらば、せまりたるだいがくしゅうとて、わらひあなづるひともよもはべらじとおもうたまふる。"
212.1.13137111 など、()こえ()らせたまへば、うち(なげ)きたまひて、 など、こえらせたまへば、うちなげきたまひて、
212.1.14138112 「げに、かくも(おぼ)()るべかりけることを。この大将(だいしゃう)なども、あまり()(たが)へたる(おほん)ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地(をさなごこち)にも、いと口惜(くちを)しく、大将(だいしゃう)左衛門(さゑもん)(かみ)()どもなどを、(われ)よりは下臈(げらう)(おも)ひおとしたりしだに、(みな)おのおの加階(かかい)(のぼ)りつつ、およすげあへるに、浅葱(あさぎ)をいとからしと(おも)はれたるに、心苦(こころぐる)しくはべるなり」 "げに、かくもおぼるべかりけることを。このだいしゃうなども、あまりたがへたるおほんことなりと、かたぶけはべるめるを、このをさなごこちにも、いとくちをしく、だいしゃうさゑもんかみどもなどを、われよりはげらうおもひおとしたりしだに、みなおのおのかかいのぼりつつ、およすげあへるに、あさぎをいとからしとおもはれたるに、こころぐるしくはべるなり。"
212.1.15139113 ()こえたまへば、うち(わら)ひたまひて、 こえたまへば、うちわらひたまひて、
212.1.16140114 「いとおよすげても(うら)みはべるななりな。いとはかなしや。この(ひと)のほどよ」 "いとおよすげてもうらみはべるななりな。いとはかなしや。このひとのほどよ。"
212.1.17141115 とて、いとうつくしと(おぼ)したり。 とて、いとうつくしとおぼしたり。
212.1.18142116 学問(がくもん)などして、すこしものの心得(こころえ)はべらば、その(うら)みはおのづから()けはべりなむ」 "がくもんなどして、すこしもののこころえはべらば、そのうらみはおのづからけはべりなん。"
212.1.19143117 ()こえたまふ。 こえたまふ。
212.2144118第二段 大学寮入学の準備
212.2.1145119 (あざな)つくることは、(ひんがし)(ゐん)にてしたまふ。(ひんがし)(たい)をしつらはれたり。上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)(めづら)しくいぶかしきことにして、(われ)(われ)もと(つど)(まゐ)りたまへり。博士(はかせ)どももなかなか(おく)しぬべし。 あざなつくることは、ひんがしゐんにてしたまふ。ひんがしたいをしつらはれたり。かんだちめてんじゃうびとめづらしくいぶかしきことにして、われわれもとつどまゐりたまへり。はかせどももなかなかおくしぬべし。
212.2.2146120 (はばか)るところなく、(れい)あらむにまかせて、なだむることなく、(きび)しう(おこ)なへ」 "はばかるところなく、れいあらんにまかせて、なだむることなく、きびしうおこなへ。"
212.2.3147121 (おほ)せたまへば、しひてつれなく(おも)ひなして、(いへ)より(ほか)(もと)めたる装束(さうぞく)どもの、うちあはず、かたくなしき姿(すがた)などをも(はぢ)なく、(おも)もち、(こわ)づかひ、むべむべしくもてなしつつ、()()(なら)びたる作法(さほふ)よりはじめ、()()らぬさまどもなり。 おほせたまへば、しひてつれなくおもひなして、いへよりほかもとめたるさうぞくどもの、うちあはず、かたくなしきすがたなどをもはぢなく、おももち、こわづかひ、むべむべしくもてなしつつ、ならびたるさほふよりはじめ、らぬさまどもなり。
212.2.4148122 (わか)君達(きんだち)は、え()へずほほ()まれぬ。さるは、もの(わら)ひなどすまじく、()ぐしつつ(しづ)まれる(かぎ)りをと、()()だして、瓶子(へいじ)なども()らせたまへるに、筋異(すぢこと)なりけるまじらひにて、右大将(うだいしゃう)民部卿(みんぶきゃう)などの、おほなおほな土器(かはらけ)とりたまへるを、あさましく(とが)()でつつおろす。 わかきんだちは、えへずほほまれぬ。さるは、ものわらひなどすまじく、ぐしつつしづまれるかぎりをと、だして、へいじなどもらせたまへるに、すぢことなりけるまじらひにて、うだいしゃうみんぶきゃうなどの、おほなおほなかはらけとりたまへるを、あさましくとがでつつおろす。
212.2.5149123 「おほし、垣下(かいもと)あるじ、はなはだ非常(ひじゃう)にはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしを()らずしてや、朝廷(おほやけ)には(つか)うまつりたうぶ。はなはだをこなり」 "おほし、かいもとあるじ、はなはだひじゃうにはべりたうぶ。かくばかりのしるしとあるなにがしをらずしてや、おほやけにはつかうまつりたうぶ。はなはだをこなり。"
212.2.6150124 など()ふに、(ひと)びと(みな)ほころびて(わら)ひぬれば、また、 などふに、ひとびとみなほころびてわらひぬれば、また、
212.2.7151125 ()(たか)し。()()まむ。はなはだ非常(ひじゃう)なり。()()きて()ちたうびなむ」 "たかし。まん。はなはだひじゃうなり。きてちたうびなん。"
212.2.8152126 など、おどし()ふも、いとをかし。 など、おどしふも、いとをかし。
212.2.9153127 ()ならひたまはぬ(ひと)びとは、(めづら)しく(きょう)ありと(おも)ひ、この(みち)より()()ちたまへる上達部(かんだちめ)などは、したり(がほ)にうちほほ()みなどしつつ、かかる(かた)ざまを(おぼ)(この)みて、(こころ)ざしたまふがめでたきことと、いとど(かぎ)りなく(おも)ひきこえたまへり。 ならひたまはぬひとびとは、めづらしくきょうありとおもひ、このみちよりちたまへるかんだちめなどは、したりがほにうちほほみなどしつつ、かかるかたざまをおぼこのみて、こころざしたまふがめでたきことと、いとどかぎりなくおもひきこえたまへり。
212.2.10154128 いささかもの()ふをも(せい)す。無礼(なめ)げなりとても(とが)む。かしかましうののしりをる(かほ)どもも、(よる)()りては、なかなか(いま)すこし掲焉(けちえん)なる火影(ほかげ)に、猿楽(さるがう)がましくわびしげに、人悪(ひとわる)げなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。 いささかものふをもせいす。なめげなりとてもとがむ。かしかましうののしりをるかほどもも、よるりては、なかなかいますこしけちえんなるほかげに、さるがうがましくわびしげに、ひとわるげなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。
212.2.11155129 大臣(おとど)は、 おとどは、
212.2.12156130 「いとあざれ、かたくななる()にて、けうさうしまどはかされなむ」 "いとあざれ、かたくななるにて、けうさうしまどはかされなん。"
212.2.13157131 とのたまひて、御簾(みす)のうちに(かく)れてぞ御覧(ごらん)じける。 とのたまひて、みすのうちにかくれてぞごらんじける。
212.2.14158132 数定(かずさだ)まれる()()きあまりて、(かへ)りまかづる大学(だいがく)(しゅう)どもあるを()こしめして、釣殿(つりどの)(かた)()しとどめて、ことに(もの)など(たま)はせけり。 かずさだまれるきあまりて、かへりまかづるだいがくしゅうどもあるをこしめして、つりどのかたしとどめて、ことにものなどたまはせけり。
212.3159133第三段 響宴と詩作の会
212.3.1160134 事果(ことは)ててまかづる博士(はかせ)才人(さいじん)ども()して、またまた詩文作(ふみつく)らせたまふ。上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)も、さるべき(かぎ)りをば、(みな)とどめさぶらはせたまふ。博士(はかせ)(ひと)びとは、四韻(しゐん)、ただの(ひと)は、大臣(おとど)をはじめたてまつりて、絶句作(ぜくつく)りたまふ。(きょう)ある(だい)文字選(もじえ)りて、文章博士(もんじゃうのはかせ)たてまつる。(みじか)きころの(よる)なれば、()()ててぞ(かう)ずる。左中弁(さちゅうべん)講師仕(かうじつか)うまつる。容貌(かたち)いときよげなる(ひと)の、(こわ)づかひものものしく、(かん)さびて()()げたるほど、おもしろし。おぼえ(こころ)ことなる博士(はかせ)なりけり。 ことはててまかづるはかせさいじんどもして、またまたふみつくらせたまふ。かんだちめてんじゃうびとも、さるべきかぎりをば、みなとどめさぶらはせたまふ。はかせひとびとは、しゐん、ただのひとは、おとどをはじめたてまつりて、ぜくつくりたまふ。きょうあるだいもじえりて、もんじゃうのはかせたてまつる。みじかきころのよるなれば、ててぞかうずる。さちゅうべんかうじつかうまつる。かたちいときよげなるひとの、こわづかひものものしく、かんさびてげたるほど、おもしろし。おぼえこころことなるはかせなりけり。
212.3.2161136 かかる(たか)(いへ)()まれたまひて、世界(せかい)栄花(えいが)にのみ(たはぶ)れたまふべき御身(おほんみ)をもちて、(まど)(ほたる)をむつび、(えだ)(ゆき)()らしたまふ(こころ)ざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、心々(こころごころ)(つく)(あつ)めたる()ごとにおもしろく、「唐土(もろこし)にも()(わた)(つた)へまほしげなる()詩文(ふみ)どもなり」となむ、そのころ()にめでゆすりける。 かかるたかいへまれたまひて、せかいえいがにのみたはぶれたまふべきおほんみをもちて、まどほたるをむつび、えだゆきらしたまふこころざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、こころごころつくあつめたるごとにおもしろく、"もろこしにもわたつたへまほしげなるふみどもなり。"となん、そのころにめでゆすりける。
212.3.3162137 大臣(おとど)(おほん)はさらなり。(おや)めきあはれなることさへすぐれたるを、(なみだ)おとして()(さわ)ぎしかど、(をんな)のえ()らぬことまねぶは(にく)きことをと、うたてあれば()らしつ。 おとどおほんはさらなり。おやめきあはれなることさへすぐれたるを、なみだおとしてさわぎしかど、をんなのえらぬことまねぶはにくきことをと、うたてあればらしつ。
212.4163138第四段 夕霧の勉学生活
212.4.1164139 うち(つづ)き、入学(にふがく)といふことせさせたまひて、やがて、この(ゐん)のうちに御曹司作(みざうしつく)りて、まめやかに才深(ざえふか)()(あづ)けきこえたまひてぞ、学問(がくもん)せさせたてまつりたまひける。 うちつづき、にふがくといふことせさせたまひて、やがて、このゐんのうちにみざうしつくりて、まめやかにざえふかあづけきこえたまひてぞ、がくもんせさせたてまつりたまひける。
212.4.2165140 大宮(おほみや)(おほん)もとにも、をさをさ()うでたまはず。夜昼(よるひる)うつくしみて、なほ稚児(ちご)のやうにのみもてなしきこえたまへれば、かしこにては、えもの(なら)ひたまはじとて、(しづ)かなる(ところ)()めたてまつりたまへるなりけり。 おほみやおほんもとにも、をさをさうでたまはず。よるひるうつくしみて、なほちごのやうにのみもてなしきこえたまへれば、かしこにては、えものならひたまはじとて、しづかなるところめたてまつりたまへるなりけり。
212.4.3166141 一月(ひとつき)三度(みたび)ばかりを(まゐ)りたまへ」 "ひとつきみたびばかりをまゐりたまへ。"
212.4.4167142 とぞ、(ゆる)しきこえたまひける。 とぞ、ゆるしきこえたまひける。
212.4.5168143 つと()もりゐたまひて、いぶせきままに、殿(との)を、 つともりゐたまひて、いぶせきままに、とのを、
212.4.6169144 「つらくもおはしますかな。かく(くる)しからでも、(たか)(くらゐ)(のぼ)り、()(もち)ゐらるる(ひと)はなくやはある」 "つらくもおはしますかな。かくくるしからでも、たかくらゐのぼり、もちゐらるるひとはなくやはある。"
212.4.7170145 (おも)ひきこえたまへど、おほかたの(ひと)がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく(ねん)じて、 おもひきこえたまへど、おほかたのひとがら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよくねんじて、
212.4.8171146 「いかでさるべき(ふみ)どもとく()()てて、()じらひもし、()にも()でたらむ」 "いかでさるべきふみどもとくてて、じらひもし、にもでたらん。"
212.4.9172147 (おも)ひて、ただ(よつき)五月(いつつき)のうちに、『史記(しき)』などいふ(ふみ)()()てたまひてけり。 おもひて、ただよつきいつつきのうちに、〔しき〕などいふふみてたまひてけり。
212.5173148第五段 大学寮試験の予備試験
212.5.1174149 (いま)寮試受(れうしう)けさせむとて、まづ()御前(おまへ)にて(こころ)みさせたまふ。 いまれうしうけさせんとて、まづおまへにてこころみさせたまふ。
212.5.2175150 (れい)の、大将(だいしゃう)左大弁(さだいべん)式部大輔(しきぶのたいふ)左中弁(さちゅうべん)などばかりして、御師(おほんし)大内記(だいないき)()して、『史記(しき)』の(かた)巻々(まきまき)寮試受(れうしう)けむに、博士(はかせ)のかへさふべきふしぶしを()()でて、(ひと)わたり()ませたてまつりたまふに、(いた)らぬ()もなく、かたがたに(かよ)はし()みたまへるさま、(つま)じるし(のこ)らず、あさましきまでありがたければ、 れいの、だいしゃうさだいべんしきぶのたいふさちゅうべんなどばかりして、おほんしだいないきして、〔しき〕のかたまきまきれうしうけんに、はかせのかへさふべきふしぶしをでて、ひとわたりませたてまつりたまふに、いたらぬもなく、かたがたにかよはしみたまへるさま、つまじるしのこらず、あさましきまでありがたければ、
212.5.3176151 「さるべきにこそおはしけれ」 "さるべきにこそおはしけれ。"
212.5.4177152 と、(たれ)(たれ)も、涙落(なみだお)としたまふ。大将(だいしゃう)は、まして、 と、たれたれも、なみだおとしたまふ。だいしゃうは、まして、
212.5.5178153 故大臣(こおとど)おはせましかば」 "こおとどおはせましかば。"
212.5.6179154 と、()こえ()でて()きたまふ。殿(との)も、え心強(こころづよ)うもてなしたまはず、 と、こえでてきたまふ。とのも、えこころづようもてなしたまはず、
212.5.7180155 (ひと)のうへにて、かたくななりと見聞(みき)きはべりしを、()のおとなぶるに、(おや)()ちかはり()れゆくことは、いくばくならぬ(よはひ)ながら、かかる()にこそはべりけれ」 "ひとのうへにて、かたくななりとみききはべりしを、のおとなぶるに、おやちかはりれゆくことは、いくばくならぬよはひながら、かかるにこそはべりけれ。"
212.5.8181156 などのたまひて、おし(のご)ひたまふを()御師(おほんし)心地(ここち)、うれしく面目(めいぼく)ありと(おも)へり。 などのたまひて、おしのごひたまふをおほんしここち、うれしくめいぼくありとおもへり。
212.5.9182157 大将(だいしゃう)(さかづき)さしたまへば、いたう()()れてをる(かほ)つき、いと()()せなり。 だいしゃうさかづきさしたまへば、いたうれてをるかほつき、いとせなり。
212.5.10183158 ()のひがものにて、(ざえ)のほどよりは(もち)ゐられず、すげなくて身貧(みまづ)しくなむありけるを、御覧(ごらん)()るところありて、かくとりわき()()せたるなりけり。 のひがものにて、ざえのほどよりはもちゐられず、すげなくてみまづしくなんありけるを、ごらんるところありて、かくとりわきせたるなりけり。
212.5.11184159 ()(あま)るまで御顧(おほんかへり)みを(たま)はりて、この(きみ)御徳(おほんとく)に、たちまちに()()へたると(おも)へば、まして()(さき)は、(なら)(ひと)なきおぼえにぞあらむかし。 あまるまでおほんかへりみをたまはりて、このきみおほんとくに、たちまちにへたるとおもへば、ましてさきは、ならひとなきおぼえにぞあらんかし。
212.6185160第六段 試験の当日
212.6.1186161 大学(だいがく)(まゐ)りたまふ()は、寮門(れうもん)に、上達部(かんだちめ)御車(みくるま)ども数知(かずし)らず(つど)ひたり。おほかた()(のこ)りたるあらじと()えたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ()りたまへる冠者(かんじゃ)(きみ)(おほん)さま、げに、かかる()じらひには()へず、あてにうつくしげなり。 だいがくまゐりたまふは、れうもんに、かんだちめみくるまどもかずしらずつどひたり。おほかたのこりたるあらじとえたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれりたまへるかんじゃきみおほんさま、げに、かかるじらひにはへず、あてにうつくしげなり。
212.6.2187162 (れい)の、あやしき(もの)どもの()ちまじりつつ()ゐたる()(すゑ)をからしと(おぼ)すぞ、いとことわりなるや。 れいの、あやしきものどものちまじりつつゐたるすゑをからしとおぼすぞ、いとことわりなるや。
212.6.3188163 ここにてもまた、おろしののしる(もの)どもありて、めざましけれど、すこしも(おく)せず()()てたまひつ。 ここにてもまた、おろしののしるものどもありて、めざましけれど、すこしもおくせずてたまひつ。
212.6.4189164 (むかし)おぼえて大学(だいがく)(さか)ゆるころなれば、上中下(かみなかしも)(ひと)(われ)(われ)もと、この(みち)(こころざ)(あつま)れば、いよいよ、()(なか)に、(ざえ)ありはかばかしき人多(ひとおほ)くなむありける。文人擬生(もんにんぎさう)などいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう()てたまへれば、ひとへに(こころ)()れて、()弟子(でし)も、いとど(はげ)みましたまふ。 むかしおぼえてだいがくさかゆるころなれば、かみなかしもひとわれわれもと、このみちこころざあつまれば、いよいよ、なかに、ざえありはかばかしきひとおほくなんありける。もんにんぎさうなどいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしうてたまへれば、ひとへにこころれて、でしも、いとどはげみましたまふ。
212.6.5190165 殿(との)にも、文作(ふみつく)りしげく、博士(はかせ)才人(さいじん)ども所得(ところえ)たり。すべて(なに)ごとにつけても、道々(みちみち)(ひと)(ざえ)のほど(あら)はるる()になむありける。 とのにも、ふみつくりしげく、はかせさいじんどもところえたり。すべてなにごとにつけても、みちみちひとざえのほどあらはるるになんありける。
213191166第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語
213.1192167第一段 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任
213.1.1193168 かくて、(きさき)ゐたまふべきを、 かくて、きさきゐたまふべきを、
213.1.2194169 斎宮女御(さいぐうのにょうご)をこそは、母宮(ははみや)も、後見(うしろみ)(ゆづ)りきこえたまひしかば」 "さいぐうのにょうごをこそは、ははみやも、うしろみゆづりきこえたまひしかば。"
213.1.3195170 と、大臣(おとど)もことづけたまふ。源氏(げんじ)のうちしきり(きさき)にゐたまはむこと、()人許(ひとゆる)しきこえず。 と、おとどもことづけたまふ。げんじのうちしきりきさきにゐたまはんこと、ひとゆるしきこえず。
213.1.4196171 弘徽殿(こうきでん)の、まづ(ひと)より(さき)(まゐ)りたまひにしもいかが」 "こうきでんの、まづひとよりさきまゐりたまひにしもいかが。"
213.1.5197172 など、うちうちに、こなたかなたに心寄(こころよ)せきこゆる(ひと)びと、おぼつかながりきこゆ。 など、うちうちに、こなたかなたにこころよせきこゆるひとびと、おぼつかながりきこゆ。
213.1.6198173 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)()こえしは、(いま)式部卿(しきぶきゃう)にて、この御時(おほんとき)にはましてやむごとなき(おほん)おぼえにておはする、御女(おほんむすめ)本意(ほい)ありて(まゐ)りたまへり。(おな)じごと、王女御(わうのにょうご)にてさぶらひたまふを、 ひゃうぶきゃうのみやこえしは、いましきぶきゃうにて、このおほんときにはましてやんごとなきおほんおぼえにておはする、おほんむすめほいありてまゐりたまへり。おなじごと、わうのにょうごにてさぶらひたまふを、
213.1.7199174 (おな)じくは、御母方(おほんははがた)にて(した)しくおはすべきにこそは、母后(ははぎさき)のおはしまさぬ御代(おほんか)はりの後見(うしろみ)に」 "おなじくは、おほんははがたにてしたしくおはすべきにこそは、ははぎさきのおはしまさぬおほんかはりのうしろみに。"
213.1.8200175 とことよせて、()つかはしかるべく、とりどりに(おぼ)(あらそ)ひたれど、なほ梅壺(むめつぼ)ゐたまひぬ。御幸(おほんさいは)ひの、かく()きかへすぐれたまへりけるを、()(ひと)おどろききこゆ。 とことよせて、つかはしかるべく、とりどりにおぼあらそひたれど、なほむめつぼゐたまひぬ。おほんさいはひの、かくきかへすぐれたまへりけるを、ひとおどろききこゆ。
213.1.9201176 大臣(おとど)太政大臣(だいじゃうだいじん)()がりたまひて、大将(だいしゃう)内大臣(ないだいじん)になりたまひぬ。()(なか)のことども(まつ)りごちたまふべく(ゆづ)りきこえたまふ。(ひと)がら、いとすくよかに、きらきらしくて、(こころ)もちゐなどもかしこくものしたまふ。学問(がくもん)()ててしたまひければ、韻塞(ゐんふたぎ)には()けたまひしかど、公事(おほやけごと)にかしこくなむ。 おとどだいじゃうだいじんがりたまひて、だいしゃうないだいじんになりたまひぬ。なかのことどもまつりごちたまふべくゆづりきこえたまふ。ひとがら、いとすくよかに、きらきらしくて、こころもちゐなどもかしこくものしたまふ。がくもんててしたまひければ、ゐんふたぎにはけたまひしかど、おほやけごとにかしこくなん。
213.1.10202177 腹々(はらばら)御子(おほんこ)ども十余人(じふよにん)、おとなびつつものしたまふも、次々(つぎつぎ)になり()でつつ、(おと)らず(さか)えたる御家(おほんいへ)のうちなり。(をんな)は、女御(にょうご)今一所(いまひとところ)なむおはしける。わかむどほり(ばら)にて、あてなる(すぢ)(おと)るまじけれど、その母君(ははぎみ)按察使大納言(あぜちのだいなごん)(きた)(かた)になりて、さしむかへる()どもの数多(かずおほ)くなりて、「それに()ぜて(のち)(おや)(ゆづ)らむ、いとあいなし」とて、とり(はな)ちきこえたまひて、大宮(おほみや)にぞ(あづ)けきこえたまへりける。女御(にょうご)にはこよなく(おも)ひおとしきこえたまひつれど、(ひと)がら、容貌(かたち)など、いとうつくしくぞおはしける。 はらばらおほんこどもじふよにん、おとなびつつものしたまふも、つぎつぎになりでつつ、おとらずさかえたるおほんいへのうちなり。をんなは、にょうごいまひとところなんおはしける。わかんどほりばらにて、あてなるすぢおとるまじけれど、そのははぎみあぜちのだいなごんきたかたになりて、さしむかへるどものかずおほくなりて、"それにぜてのちおやゆづらん、いとあいなし。"とて、とりはなちきこえたまひて、おほみやにぞあづけきこえたまへりける。にょうごにはこよなくおもひおとしきこえたまひつれど、ひとがら、かたちなど、いとうつくしくぞおはしける。
213.2203178第二段 夕霧と雲居雁の幼恋
213.2.1204179 冠者(かんざ)(きみ)(ひと)つにて()()でたまひしかど、おのおの(とを)(あま)りたまひて(のち)は、御方(おほんかた)ことにて、 かんざきみひとつにてでたまひしかど、おのおのとをあまりたまひてのちは、おほんかたことにて、
213.2.2205180 「むつましき(ひと)なれど、男子(をのこご)にはうちとくまじきものなり」 "むつましきひとなれど、をのこごにはうちとくまじきものなり。"
213.2.3206181 と、父大臣聞(ちちおとどき)こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地(をさなごこち)(おも)ふことなきにしもあらねば、はかなき花紅葉(はなもみぢ)につけても、雛遊(ひひなあそ)びの追従(ついしょう)をも、ねむごろにまつはれありきて、(こころ)ざしを()えきこえたまへば、いみじう(おも)()はして、けざやかには(いま)()ぢきこえたまはず。 と、ちちおとどきこえたまひて、けどほくなりにたるを、をさなごこちおもふことなきにしもあらねば、はかなきはなもみぢにつけても、ひひなあそびのついしょうをも、ねんごろにまつはれありきて、こころざしをえきこえたまへば、いみじうおもはして、けざやかにはいまぢきこえたまはず。
213.2.4207182 御後見(おほんうしろみ)どもも、 おほんうしろみどもも、
213.2.5208183 (なに)かは、(わか)御心(みこころ)どちなれば、(とし)ごろ()ならひたまへる(おほん)あはひを、にはかにも、いかがはもて(はな)れはしたなめはきこえむ」 "なにかは、わかみこころどちなれば、としごろならひたまへるおほんあはひを、にはかにも、いかがはもてはなれはしたなめはきこえん。"
213.2.6209184 ()るに、女君(をんなぎみ)こそ何心(なにごころ)なくおはすれど、(をとこ)は、さこそものげなきほどと()きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲(おほんなか)らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心(しづこころ)なく(おも)ふべき。 るに、をんなぎみこそなにごころなくおはすれど、をとこは、さこそものげなきほどときこゆれ、おほけなく、いかなるおほんなからひにかありけん、よそよそになりては、これをぞしづこころなくおもふべき。
213.2.7210185 まだ片生(かたお)ひなる()()(さき)うつくしきにて、()()はしたまへる(ふみ)どもの、心幼(こころをさな)くて、おのづから()()(をり)あるを、御方(おほんかた)(ひと)びとは、ほのぼの()れるもありけれど、「(なに)かは、かくこそ」と、(たれ)にも()こえむ。見隠(みかく)しつつあるなるべし。 まだかたおひなるさきうつくしきにて、はしたまへるふみどもの、こころをさなくて、おのづからをりあるを、おほんかたひとびとは、ほのぼのれるもありけれど、"なにかは、かくこそ。"と、たれにもこえん。みかくしつつあるなるべし。
213.3211186第三段 内大臣、大宮邸に参上
213.3.1212187 所々(ところどころ)大饗(だいきゃう)どもも()てて、()(なか)(おほん)いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨(しぐれ)うちして、(おぎ)上風(うはかぜ)もただならぬ夕暮(ゆふぐれ)に、大宮(おほみや)御方(おほんかた)に、内大臣参(うちのおとどまゐ)りたまひて、姫君渡(ひめぎみわた)しきこえたまひて、御琴(おほんこと)など()かせたてまつりたまふ。(みや)は、よろづのものの上手(じゃうず)におはすれば、いづれも(つた)へたてまつりたまふ。 ところどころだいきゃうどももてて、なかおほんいそぎもなく、のどやかになりぬるころ、しぐれうちして、おぎうはかぜもただならぬゆふぐれに、おほみやおほんかたに、うちのおとどまゐりたまひて、ひめぎみわたしきこえたまひて、おほんことなどかせたてまつりたまふ。みやは、よろづのもののじゃうずにおはすれば、いづれもつたへたてまつりたまふ。
213.3.2213188 琵琶(びは)こそ、(をんな)のしたるに(にく)きやうなれど、らうらうじきものにはべれ。(いま)()にまことしう(つた)へたる(ひと)、をさをさはべらずなりにたり。(なに)親王(みこ)、くれの源氏(げんじ) "びはこそ、をんなのしたるににくきやうなれど、らうらうじきものにはべれ。いまにまことしうつたへたるひと、をさをさはべらずなりにたり。なにみこ、くれのげんじ。"
213.3.3214189 など(かぞ)へたまひて、 などかぞへたまひて、
213.3.4215190 (をんな)(なか)には、太政大臣(おほきおとど)の、山里(やまざと)()()きたまへる(ひと)こそ、いと上手(じゃうず)()きはべれ。(もの)上手(じゃうず)(のち)にはべれど、(すゑ)になりて、山賤(やまがつ)にて年経(としへ)たる(ひと)の、いかでさしも()きすぐれけむ。かの大臣(おとど)、いと(こころ)ことにこそ(おも)ひてのたまふ折々(をりをり)はべれ。こと(ごと)よりは、(あそ)びの(かた)(ざえ)はなほ(ひろ)()はせ、かれこれに(かよ)はしはべるこそ、かしこけれ、(ひと)(ごと)にて、上手(じゃうず)となりけむこそ、(めづら)しきことなれ」 "をんななかには、おほきおとどの、やまざときたまへるひとこそ、いとじゃうずきはべれ。ものじゃうずのちにはべれど、すゑになりて、やまがつにてとしへたるひとの、いかでさしもきすぐれけん。かのおとど、いとこころことにこそおもひてのたまふをりをりはべれ。ことごとよりは、あそびのかたざえはなほひろはせ、かれこれにかよはしはべるこそ、かしこけれ、ひとごとにて、じゃうずとなりけんこそ、めづらしきことなれ。"
213.3.5216191 などのたまひて、(みや)にそそのかしきこえたまへば、 などのたまひて、みやにそそのかしきこえたまへば、
213.3.6217192 (ぢう)さすことうひうひしくなりにけりや」 "ぢうさすことうひうひしくなりにけりや。"
213.3.7218193 とのたまへど、おもしろう()きたまふ。 とのたまへど、おもしろうきたまふ。
213.3.8219194 (さいは)ひにうち()へて、なほあやしうめでたかりける(ひと)なりや。()いの()に、()たまへらぬ女子(をんなご)をまうけさせたてまつりて、()()へてもやつしゐたらず、やむごとなきに(ゆづ)れる(こころ)おきて、こともなかるべき(ひと)なりとぞ()きはべる」 "さいはひにうちへて、なほあやしうめでたかりけるひとなりや。いのに、たまへらぬをんなごをまうけさせたてまつりて、へてもやつしゐたらず、やんごとなきにゆづれるこころおきて、こともなかるべきひとなりとぞきはべる。"
213.3.9220195 など、かつ御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふ。 など、かつおほんものがたりきこえたまふ。
213.4221196第四段 弘徽殿女御の失意
213.4.1222197 (をんな)はただ(こころ)ばせよりこそ、()(もち)ゐらるるものにはべりけれ」 "をんなはただこころばせよりこそ、もちゐらるるものにはべりけれ。"
213.4.2223198 など、(ひと)(うへ)のたまひ()でて、 など、ひとうへのたまひでて、
213.4.3224199 女御(にょうご)を、けしうはあらず、(なに)ごとも(ひと)(おと)りては()()でずかしと(おも)ひたまへしかど、(おも)はぬ(ひと)におされぬる宿世(すくせ)になむ、()(おも)ひのほかなるものと(おも)ひはべりぬる。この(きみ)をだに、いかで(おも)ふさまに()なしはべらむ。春宮(とうぐう)御元服(おほんげんぷく)、ただ(いま)のことになりぬるをと、人知(ひとし)れず(おも)うたまへ(こころ)ざしたるを、かういふ(さいは)(びと)(はら)(きさき)がねこそ、また()()ぎぬれ。()()でたまへらむに、ましてきしろふ(ひと)ありがたくや」 "にょうごを、けしうはあらず、なにごともひとおとりてはでずかしとおもひたまへしかど、おもはぬひとにおされぬるすくせになん、おもひのほかなるものとおもひはべりぬる。このきみをだに、いかでおもふさまになしはべらん。とうぐうおほんげんぷく、ただいまのことになりぬるをと、ひとしれずおもうたまへこころざしたるを、かういふさいはびとはらきさきがねこそ、またぎぬれ。でたまへらんに、ましてきしろふひとありがたくや。"
213.4.4225200 とうち(なげ)きたまへば、 とうちなげきたまへば、
213.4.5226201 「などか、さしもあらむ。この(いへ)にさる(すぢ)人出(ひとい)でものしたまはで()むやうあらじと、故大臣(こおとど)(おも)ひたまひて、女御(にょご)(おほん)ことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし」 "などか、さしもあらん。このいへにさるすぢひといでものしたまはでむやうあらじと、こおとどおもひたまひて、にょごおほんことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし。"
213.4.6227202 など、この(おほん)ことにてぞ、太政大臣(おほきおとど)をも(うら)めしげに(おも)ひきこえたまへる。 など、このおほんことにてぞ、おほきおとどをもうらめしげにおもひきこえたまへる。
213.4.7228203 姫君(ひめぎみ)(おほん)さまの、いときびはにうつくしうて、(しゃう)御琴弾(おほんことひ)きたまふを、御髪(みぐし)のさがり、(かん)ざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、()ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由(とりゆ)()つき、いみじう(つく)りたる(もの)心地(ここち)するを、(みや)(かぎ)りなくかなしと(おぼ)したり。()きあはせなど()きすさびたまひて、()しやりたまひつ。 ひめぎみおほんさまの、いときびはにうつくしうて、しゃうおほんことひきたまふを、みぐしのさがり、かんざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、とりゆつき、いみじうつくりたるものここちするを、みやかぎりなくかなしとおぼしたり。きあはせなどきすさびたまひて、しやりたまひつ。
213.5229204第五段 夕霧、内大臣と対面
213.5.1230205 大臣(おとど)和琴(わごん)ひき()せたまひて、(りち)調(しら)べのなかなか(いま)めきたるを、さる上手(じゃうず)(みだ)れて()()きたまへる、いとおもしろし。御前(おまへ)(こずゑ)ほろほろと(のこ)らぬに、()御達(ごたち)など、ここかしこの御几帳(みきちゃう)のうしろに、かしらを(つど)へたり。 おとどわごんひきせたまひて、りちしらべのなかなかいまめきたるを、さるじゃうずみだれてきたまへる、いとおもしろし。おまへこずゑほろほろとのこらぬに、ごたちなど、ここかしこのみきちゃうのうしろに、かしらをつどへたり。
213.5.2231206 (かぜ)力蓋(ちからけだ)(すくな)し」 "かぜちからけだすくなし"
213.5.3232207 と、うち()じたまひて、 と、うちじたまひて、
213.5.4233208 (きん)(かん)ならねど、あやしくものあはれなる(ゆふ)べかな。なほ、あそばさむや」 "きんかんならねど、あやしくものあはれなるゆふべかな。なほ、あそばさんや。"
213.5.5234209 とて、「秋風楽(しうふうらく)」に()きあはせて、唱歌(さうが)したまへる(こゑ)、いとおもしろければ、(みな)さまざま、大臣(おとど)をもいとうつくしと(おも)ひきこえたまふに、いとど()へむとにやあらむ、冠者(かんざ)君参(きみまゐ)りたまへり。 とて、〔しうふうらく〕にきあはせて、さうがしたまへるこゑ、いとおもしろければ、みなさまざま、おとどをもいとうつくしとおもひきこえたまふに、いとどへんとにやあらん、かんざきみまゐりたまへり。
213.5.6235210 「こなたに」とて、御几帳隔(みきちゃうへだ)てて()れたてまつりたまへり。 "こなたに。"とて、みきちゃうへだててれたてまつりたまへり。
213.5.7236211 「をさをさ対面(たいめん)もえ(たま)はらぬかな。などかく、この御学問(がくもん)のあながちならむ。(ざえ)のほどよりあまり()ぎぬるもあぢきなきわざと、大臣(おとど)(おぼ)()れることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらむとは(おも)ひたまへながら、かう()もりおはすることなむ、心苦(こころぐる)しうはべる」 "をさをさたいめんもえたまはらぬかな。などかく、このがくもんのあながちならん。ざえのほどよりあまりぎぬるもあぢきなきわざと、おとどおぼれることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらんとはおもひたまへながら、かうもりおはすることなん、こころぐるしうはべる。"
213.5.8237212 ()こえたまひて、 こえたまひて、
213.5.9238213 時々(ときどき)は、ことわざしたまへ。(ふゑ)()にも古事(ふること)は、(つた)はるものなり」 "ときどきは、ことわざしたまへ。ふゑにもふることは、つたはるものなり。"
213.5.10239214 とて、御笛(おほんふゑ)たてまつりたまふ。 とて、おほんふゑたてまつりたまふ。
213.5.11240215 いと(わか)うをかしげなる()()きたてて、いみじうおもしろければ、御琴(おほんこと)どもをばしばし(とど)めて、大臣(おとど)拍子(はうし)おどろおどろしからずうち()らしたまひて、 いとわかうをかしげなるきたてて、いみじうおもしろければ、おほんことどもをばしばしとどめて、おとどはうしおどろおどろしからずうちらしたまひて、
213.5.12241216 (はぎ)花摺(はなず)り」 "はぎはなずり"
213.5.13242217 など(うた)ひたまふ。 などうたひたまふ。
213.5.14243218 大殿(おほとの)も、かやうの御遊(おほんあそ)びに心止(こころとど)めたまひて、いそがしき御政事(おほんまつりごと)どもをば(のが)れたまふなりけり。げに、あぢきなき()に、(こころ)のゆくわざをしてこそ、()ぐしはべりなまほしけれ」 "おほとのも、かやうのおほんあそびにこころとどめたまひて、いそがしきおほんまつりごとどもをばのがれたまふなりけり。げに、あぢきなきに、こころのゆくわざをしてこそ、ぐしはべりなまほしけれ。"
213.5.15244219 などのたまひて、御土器参(おほんかはらけまゐ)りたまふに、(くら)うなれば、御殿油参(おほんとなぶらまゐ)り、御湯漬(おほんゆづけ)、くだものなど、(たれ)(たれ)もきこしめす。 などのたまひて、おほんかはらけまゐりたまふに、くらうなれば、おほんとなぶらまゐり、おほんゆづけ、くだものなど、たれたれもきこしめす。
213.5.16245220 姫君(ひめぎみ)はあなたに(わた)したてまつりたまひつ。しひて気遠(けどほ)くもてなしたまひ、「御琴(おほんこと)()ばかりをも()かせたてまつらじ」と、(いま)はこよなく(へだ)てきこえたまふを、 ひめぎみはあなたにわたしたてまつりたまひつ。しひてけどほくもてなしたまひ、"おほんことばかりをもかせたてまつらじ。"と、いまはこよなくへだてきこえたまふを、
213.5.17246221 「いとほしきことありぬべき()なるこそ」 "いとほしきことありぬべきなるこそ。"
213.5.18247222 と、(ちか)(つか)うまつる大宮(おほみや)御方(おほんかた)のねび(びと)ども、ささめきけり。 と、ちかつかうまつるおほみやおほんかたのねびびとども、ささめきけり。
213.6248223第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く
213.6.1249224 大臣出(おとどい)でたまひぬるやうにて、(しの)びて(ひと)にもののたまふとて()ちたまへりけるを、やをらかい(ほそ)りて()でたまふ(みち)に、かかるささめき(ごと)をするに、あやしうなりたまひて、御耳(おほんみみ)とどめたまへば、わが(おほん)うへをぞ()ふ。 おとどいでたまひぬるやうにて、しのびてひとにもののたまふとてちたまへりけるを、やをらかいほそりてでたまふみちに、かかるささめきごとをするに、あやしうなりたまひて、おほんみみとどめたまへば、わがおほんうへをぞふ。
213.6.2250225 「かしこがりたまへど、(ひと)(おや)よ。おのづから、おれたることこそ()()べかめれ」 "かしこがりたまへど、ひとおやよ。おのづから、おれたることこそべかめれ。"
213.6.3251226 ()()るといふは、虚言(そらごと)なめり」 "るといふは、そらごとなめり。"
213.6.4252227 などぞ、つきしろふ。 などぞ、つきしろふ。
213.6.5253228 「あさましくもあるかな。さればよ。(おも)()らぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。()()きものにもありけるかな」 "あさましくもあるかな。さればよ。おもらぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。きものにもありけるかな。"
213.6.6254229 と、けしきをつぶつぶと心得(こころえ)たまへど、(おと)もせで()でたまひぬ。 と、けしきをつぶつぶとこころえたまへど、おともせででたまひぬ。
213.6.7255230 御前駆追(おほんさきお)(こゑ)のいかめしきにぞ、 おほんさきおこゑのいかめしきにぞ、
213.6.8256231 殿(との)は、(いま)こそ()でさせたまひけれ」 "とのは、いまこそでさせたまひけれ。"
213.6.9257232 「いづれの(くま)におはしましつらむ」 "いづれのくまにおはしましつらん。"
213.6.10258233 (いま)さへかかるあだけこそ」 "いまさへかかるあだけこそ。"
213.6.11259234 ()ひあへり。ささめき(ごと)(ひと)びとは、 ひあへり。ささめきごとひとびとは、
213.6.12260235 「いとかうばしき()のうちそよめき()でつるは、冠者(かんざ)(きみ)のおはしつるとこそ(おも)ひつれ」 "いとかうばしきのうちそよめきでつるは、かんざきみのおはしつるとこそおもひつれ。"
213.6.13261236 「あな、むくつけや。しりう(ごと)や、ほの()こしめしつらむ。わづらはしき御心(みこころ)を」 "あな、むくつけや。しりうごとや、ほのこしめしつらん。わづらはしきみこころを。"
213.6.14262237 と、わびあへり。 と、わびあへり。
213.6.15263238 殿(との)は、(みち)すがら(おぼ)すに、 とのは、みちすがらおぼすに、
213.6.16264239 「いと口惜(くちを)しく()しきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、世人(よひと)(おも)()ふべきこと。大臣(おとど)の、しひて女御(にょうご)をおし(しづ)めたまふもつらきに、わくらばに、(ひと)にまさることもやとこそ(おも)ひつれ、ねたくもあるかな」 "いとくちをしくしきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、よひとおもふべきこと。おとどの、しひてにょうごをおししづめたまふもつらきに、わくらばに、ひとにまさることもやとこそおもひつれ、ねたくもあるかな。"
213.6.17265240 (おぼ)す。殿(との)御仲(おほんなか)の、おほかたには(むかし)(いま)もいとよくおはしながら、かやうの(かた)にては、(いど)みきこえたまひし名残(なごり)(おぼ)()でて、心憂(こころう)ければ、寝覚(ねざめ)がちにて()かしたまふ。 おぼす。とのおほんなかの、おほかたにはむかしいまもいとよくおはしながら、かやうのかたにては、いどみきこえたまひしなごりおぼでて、こころうければ、ねざめがちにてかしたまふ。
213.6.18266241 大宮(おほみや)をも、さやうのけしきには御覧(ごらん)ずらむものを、()になくかなしくしたまふ御孫(おほんむまご)にて、まかせて()たまふならむ」 "おほみやをも、さやうのけしきにはごらんずらんものを、になくかなしくしたまふおほんむまごにて、まかせてたまふならん。"
213.6.19267242 と、(ひと)びとの()ひしけしきを、ねたしと(おぼ)すに、御心動(みこころうご)きて、すこし男々(をを)しくあざやぎたる御心(みこころ)には、(しづ)めがたし。 と、ひとびとのひしけしきを、ねたしとおぼすに、みこころうごきて、すこしををしくあざやぎたるみこころには、しづめがたし。
214268243第四章 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語
214.1269244第一段 内大臣、母大宮の養育を恨む
214.1.1270245 二日(ふつか)ばかりありて、(まゐ)りたまへり。しきりに(まゐ)りたまふ(とき)は、大宮(おほみや)もいと御心(みこころ)ゆき、うれしきものに(おぼ)いたり。御尼額(おほんあまびたひ)ひきつくろひ、うるはしき御小袿(おほんこうちき)などたてまつり()へて、()ながら()づかしげにおはする御人(おほんひと)ざまなれば、まほならずぞ()えたてまつりたまふ。 ふつかばかりありて、まゐりたまへり。しきりにまゐりたまふときは、おほみやもいとみこころゆき、うれしきものにおぼいたり。おほんあまびたひひきつくろひ、うるはしきおほんこうちきなどたてまつりへて、ながらづかしげにおはするおほんひとざまなれば、まほならずぞえたてまつりたまふ。
214.1.2271246 大臣御(おとどみ)けしき()しくて、 おとどみけしきしくて、
214.1.3272247 「ここにさぶらふもはしたなく、(ひと)びといかに()はべらむと、心置(こころお)かれにたり。はかばかしき()にはべらねど、()にはべらむ(かぎ)り、御目離(おほんめか)れず御覧(ごらん)ぜられ、おぼつかなき(へだ)てなくとこそ(おも)ひたまふれ。 "ここにさぶらふもはしたなく、ひとびといかにはべらんと、こころおかれにたり。はかばかしきにはべらねど、にはべらんかぎり、おほんめかれずごらんぜられ、おぼつかなきへだてなくとこそおもひたまふれ。
214.1.4273248 よからぬもののうへにて、(うら)めしと(おも)ひきこえさせつべきことの()でまうで()たるを、かうも(おも)うたまへじとかつは(おも)ひたまふれど、なほ(しづ)めがたくおぼえはべりてなむ」 よからぬもののうへにて、うらめしとおもひきこえさせつべきことのでまうでたるを、かうもおもうたまへじとかつはおもひたまふれど、なほしづめがたくおぼえはべりてなん。"
214.1.5274249 と、(なみだ)おし(のご)ひたまふに、(みや)化粧(けさう)じたまへる御顔(おほんかほ)色違(いろたが)ひて、御目(おほんめ)(おほ)きになりぬ。 と、なみだおしのごひたまふに、みやけさうじたまへるおほんかほいろたがひて、おほんめおほきになりぬ。
214.1.6275250 「いかやうなることにてか、(いま)さらの(よはひ)(すゑ)に、心置(こころお)きては(おぼ)さるらむ」 "いかやうなることにてか、いまさらのよはひすゑに、こころおきてはおぼさるらん。"
214.1.7276251 ()こえたまふも、さすがにいとほしけれど、 こえたまふも、さすがにいとほしけれど、
214.1.8277252 (たの)もしき御蔭(おほんかげ)に、(をさな)(もの)をたてまつりおきて、みづからをばなかなか(をさな)くより()たまへもつかず、まづ()(ちか)きが、()じらひなどはかばかしからぬを、()たまへ(なげ)きいとなみつつ、さりとも(ひと)となさせたまひてむと(たの)みわたりはべりつるに、(おも)はずなることのはべりければ、いと口惜(くちを)しうなむ。 "たのもしきおほんかげに、をさなものをたてまつりおきて、みづからをばなかなかをさなくよりたまへもつかず、まづちかきが、じらひなどはかばかしからぬを、たまへなげきいとなみつつ、さりともひととなさせたまひてんとたのみわたりはべりつるに、おもはずなることのはべりければ、いとくちをしうなん。
214.1.9278253 まことに(あめ)下並(したなら)(ひと)なき有職(いうそく)にはものせらるめれど、(した)しきほどにかかるは、(ひと)()(おも)ふところも、あはつけきやうになむ、(なに)ばかりのほどにもあらぬ(なか)らひにだにしはべるを、かの(ひと)(おほん)ためにも、いとかたはなることなり。さし(はな)れ、きらきらしうめづらしげあるあたりに、(いま)めかしうもてなさるるこそ、をかしけれ。ゆかりむつび、ねぢけがましきさまにて、大臣(おとど)()(おぼ)すところはべりなむ。 まことにあめしたならひとなきいうそくにはものせらるめれど、したしきほどにかかるは、ひとおもふところも、あはつけきやうになん、なにばかりのほどにもあらぬなからひにだにしはべるを、かのひとおほんためにも、いとかたはなることなり。さしはなれ、きらきらしうめづらしげあるあたりに、いまめかしうもてなさるるこそ、をかしけれ。ゆかりむつび、ねぢけがましきさまにて、おとどおぼすところはべりなん。
214.1.10279254 さるにても、かかることなむと、()らせたまひて、ことさらにもてなし、すこしゆかしげあることをまぜてこそはべらめ。(をさな)(ひと)びとの(こころ)にまかせて御覧(ごらん)(はな)ちけるを、心憂(こころう)(おも)うたまふ」 さるにても、かかることなんと、らせたまひて、ことさらにもてなし、すこしゆかしげあることをまぜてこそはべらめ。をさなひとびとのこころにまかせてごらんはなちけるを、こころうおもうたまふ。"
214.1.11280255 など()こえたまふに、(ゆめ)にも()りたまはぬことなれば、あさましう(おぼ)して、 などこえたまふに、ゆめにもりたまはぬことなれば、あさましうおぼして、
214.1.12281256 「げに、かうのたまふもことわりなれど、かけてもこの(ひと)びとの(した)(こころ)なむ()りはべらざりける。げに、いと口惜(くちを)しきことは、ここにこそまして(なげ)くべくはべれ。もろともに(つみ)をおほせたまふは、(うら)めしきことになむ。 "げに、かうのたまふもことわりなれど、かけてもこのひとびとのしたこころなんりはべらざりける。げに、いとくちをしきことは、ここにこそましてなげくべくはべれ。もろともにつみをおほせたまふは、うらめしきことになん。
214.1.13282257 ()たてまつりしより、(こころ)ことに(おも)ひはべりて、そこに(おぼ)しいたらぬことをも、すぐれたるさまにもてなさむとこそ、人知(ひとし)れず(おも)ひはべれ。ものげなきほどを、(こころ)(やみ)(まど)ひて、(いそ)ぎものせむとは(おも)()らぬことになむ。 たてまつりしより、こころことにおもひはべりて、そこにおぼしいたらぬことをも、すぐれたるさまにもてなさんとこそ、ひとしれずおもひはべれ。ものげなきほどを、こころやみまどひて、いそぎものせんとはおもらぬことになん。
214.1.14283258 さても、(たれ)かはかかることは()こえけむ。よからぬ()(ひと)(こと)につきて、きはだけく(おぼ)しのたまふも、あぢきなく、むなしきことにて、(ひと)御名(おほんな)(けが)れむ」 さても、たれかはかかることはこえけん。よからぬひとことにつきて、きはだけくおぼしのたまふも、あぢきなく、むなしきことにて、ひとおほんなけがれん。"
214.1.15284259 とのたまへば、 とのたまへば、
214.1.16285260 (なに)の、()きたることにかはべらむ。さぶらふめる(ひと)びとも、かつは(みな)もどき(わら)ふべかめるものを、いと口惜(くちを)しく、やすからず(おも)うたまへらるるや」 "なにの、きたることにかはべらん。さぶらふめるひとびとも、かつはみなもどきわらふべかめるものを、いとくちをしく、やすからずおもうたまへらるるや。"
214.1.17286261 とて、()ちたまひぬ。 とて、ちたまひぬ。
214.1.18287262 心知(こころし)れるどちは、いみじういとほしく(おも)ふ。一夜(ひとよ)のしりう(ごと)(ひと)びとは、まして心地(ここち)(たが)ひて、「(なに)にかかる睦物語(むつものがたり)をしけむ」と、(おも)(なげ)きあへり。 こころしれるどちは、いみじういとほしくおもふ。ひとよのしりうごとひとびとは、ましてここちたがひて、"なににかかるむつものがたりをしけん。"と、おもなげきあへり。
214.2288263第二段 内大臣、乳母らを非難する
214.2.1289264 姫君(ひめぎみ)は、何心(なにごころ)もなくておはするに、さしのぞきたまへれば、いとらうたげなる(おほん)さまを、あはれに()たてまつりたまふ。 ひめぎみは、なにごころもなくておはするに、さしのぞきたまへれば、いとらうたげなるおほんさまを、あはれにたてまつりたまふ。
214.2.2290265 (わか)(ひと)といひながら、心幼(こころをさな)くものしたまひけるを()らで、いとかく(ひと)なみなみに(おも)ひける(われ)こそ、まさりてはかなかりけれ」 "わかひとといひながら、こころをさなくものしたまひけるをらで、いとかくひとなみなみにおもひけるわれこそ、まさりてはかなかりけれ。"
214.2.3291266 とて、御乳母(おほんめのと)どもをさいなみたまふに、()こえむ(かた)なし。 とて、おほんめのとどもをさいなみたまふに、こえんかたなし。
214.2.4292267 「かやうのことは、(かぎ)りなき(みかど)(おほん)いつき(むすめ)も、おのづから(あやま)(ためし)昔物語(むかしものがたり)にもあめれど、けしきを()(つた)ふる(ひと)、さるべき(ひま)にてこそあらめ」 "かやうのことは、かぎりなきみかどおほんいつきむすめも、おのづからあやまためしむかしものがたりにもあめれど、けしきをつたふるひと、さるべきひまにてこそあらめ。"
214.2.5293268 「これは、()()()ちまじりたまひて(とし)ごろおはしましつるを、(なに)かは、いはけなき(おほん)ほどを、(みや)(おほん)もてなしよりさし()ぐしても、(へだ)てきこえさせむと、うちとけて()ぐしきこえつるを、一昨年(をととし)ばかりよりは、けざやかなる(おほん)もてなしになりにてはべるめるに、(わか)(ひと)とても、うち(まぎ)ればみ、いかにぞや、()づきたる(ひと)もおはすべかめるを、(ゆめ)(みだ)れたるところおはしまさざめれば、さらに(おも)()らざりけること」 "これは、ちまじりたまひてとしごろおはしましつるを、なにかは、いはけなきおほんほどを、みやおほんもてなしよりさしぐしても、へだてきこえさせんと、うちとけてぐしきこえつるを、をととしばかりよりは、けざやかなるおほんもてなしになりにてはべるめるに、わかひととても、うちまぎればみ、いかにぞや、づきたるひともおはすべかめるを、ゆめみだれたるところおはしまさざめれば、さらにおもらざりけること。"
214.2.6294269 と、おのがどち(なげ)く。 と、おのがどちなげく。
214.2.7295270 「よし、しばし、かかること()らさじ。(かく)れあるまじきことなれど、(こころ)をやりて、あらぬこととだに()ひなされよ。(いま)かしこに(わた)したてまつりてむ。(みや)御心(みこころ)のいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも、(おも)はれざりけむ」 "よし、しばし、かかることらさじ。かくれあるまじきことなれど、こころをやりて、あらぬこととだにひなされよ。いまかしこにわたしたてまつりてん。みやみこころのいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも、おもはれざりけん。"
214.2.8296271 とのたまへば、「いとほしきなかにも、うれしくのたまふ」と(おも)ひて、 とのたまへば、"いとほしきなかにも、うれしくのたまふ。"とおもひて、
214.2.9297272 「あな、いみじや。大納言殿(だいなごんどの)()きたまはむことをさへ(おも)ひはべれば、めでたきにても、ただ(うど)(すぢ)は、(なに)のめづらしさにか(おも)ひたまへかけむ」 "あな、いみじや。だいなごんどのきたまはんことをさへおもひはべれば、めでたきにても、ただうどすぢは、なにのめづらしさにかおもひたまへかけん。"
214.2.10298273 ()こゆ。 こゆ。
214.2.11299274 姫君(ひめぎみ)は、いと(をさな)げなる(おほん)さまにて、よろづに(まう)したまへども、かひあるべきにもあらねば、うち()きたまひて、 ひめぎみは、いとをさなげなるおほんさまにて、よろづにまうしたまへども、かひあるべきにもあらねば、うちきたまひて、
214.2.12300275 「いかにしてか、いたづらになりたまふまじきわざはすべからむ」 "いかにしてか、いたづらになりたまふまじきわざはすべからん。"
214.2.13301276 と、(しの)びてさるべきどちのたまひて、大宮(おほみや)をのみぞ(うら)みきこえたまふ。 と、しのびてさるべきどちのたまひて、おほみやをのみぞうらみきこえたまふ。
214.3302277第三段 大宮、内大臣を恨む
214.3.1303278 (みや)は、いといとほしと(おぼ)すなかにも、男君(をとこぎみ)(おほん)かなしさはすぐれたまふにやあらむ、かかる(こころ)のありけるも、うつくしう(おぼ)さるるに、(なさ)けなく、こよなきことのやうに(おぼ)しのたまへるを、 みやは、いといとほしとおぼすなかにも、をとこぎみおほんかなしさはすぐれたまふにやあらん、かかるこころのありけるも、うつくしうおぼさるるに、なさけなく、こよなきことのやうにおぼしのたまへるを、
214.3.2304279 「などかさしもあるべき。もとよりいたう(おも)ひつきたまふことなくて、かくまでかしづかむとも(おぼ)()たざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、春宮(とうぐう)(おほん)ことをも(おぼ)しかけためれ。とりはづして、ただ(うど)宿世(すくせ)あらば、この(きみ)よりほかにまさるべき(ひと)やはある。容貌(かたち)、ありさまよりはじめて、(ひと)しき(ひと)のあるべきかは。これより(およ)びなからむ(きは)にもとこそ(おも)へ」 "などかさしもあるべき。もとよりいたうおもひつきたまふことなくて、かくまでかしづかんともおぼたざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、とうぐうおほんことをもおぼしかけためれ。とりはづして、ただうどすくせあらば、このきみよりほかにまさるべきひとやはある。かたち、ありさまよりはじめて、ひとしきひとのあるべきかは。これよりおよびなからんきはにもとこそおもへ。"
214.3.3305280 と、わが(こころ)ざしのまさればにや、大臣(おとど)(うら)めしう(おも)ひきこえたまふ。御心(みこころ)のうちを()せたてまつりたらば、ましていかに(うら)みきこえたまはむ。 と、わがこころざしのまさればにや、おとどうらめしうおもひきこえたまふ。みこころのうちをせたてまつりたらば、ましていかにうらみきこえたまはん。
214.4306281第四段 大宮、夕霧に忠告
214.4.1307282 かく(さわ)がるらむとも()らで、冠者(かんざ)君参(きみまゐ)りたまへり。一夜(ひとよ)人目(ひとめ)しげうて、(おも)ふことをもえ()こえずなりにしかば、(つね)よりもあはれにおぼえたまひければ、(ゆふ)(かた)おはしたるなるべし。 かくさわがるらんともらで、かんざきみまゐりたまへり。ひとよひとめしげうて、おもふことをもえこえずなりにしかば、つねよりもあはれにおぼえたまひければ、ゆふかたおはしたるなるべし。
214.4.2308283 (みや)(れい)是非知(ぜひし)らず、うち()みて()ちよろこびきこえたまふを、まめだちて物語(ものがたり)など()こえたまふついでに、 みやれいぜひしらず、うちみてちよろこびきこえたまふを、まめだちてものがたりなどこえたまふついでに、
214.4.3309284 (おほん)ことにより、内大臣(うちのおとど)(ゑん)じてものしたまひにしかば、いとなむいとほしき。ゆかしげなきことをしも(おも)ひそめたまひて、(ひと)にもの(おも)はせたまひつべきが心苦(こころぐる)しきこと。かうも()こえじと(おも)へど、さる(こころ)()りたまはでやと(おも)へばなむ」 "おほんことにより、うちのおとどゑんじてものしたまひにしかば、いとなんいとほしき。ゆかしげなきことをしもおもひそめたまひて、ひとにものおもはせたまひつべきがこころぐるしきこと。かうもこえじとおもへど、さるこころりたまはでやとおもへばなん。"
214.4.4310285 ()こえたまへば、(こころ)にかかれることの(すぢ)なれば、ふと(おも)()りぬ。面赤(おもてあか)みて、 こえたまへば、こころにかかれることのすぢなれば、ふとおもりぬ。おもてあかみて、
214.4.5311286 (なに)ごとにかはべらむ。(しづ)かなる(ところ)()もりはべりにしのち、ともかくも(ひと)()じる(をり)なければ、(うら)みたまふべきことはべらじとなむ(おも)ひたまふる」 "なにごとにかはべらん。しづかなるところもりはべりにしのち、ともかくもひとじるをりなければ、うらみたまふべきことはべらじとなんおもひたまふる。"
214.4.6312287 とて、いと()づかしと(おも)へるけしきを、あはれに心苦(こころぐる)しうて、 とて、いとづかしとおもへるけしきを、あはれにこころぐるしうて、
214.4.7313288 「よし。(いま)よりだに用意(ようい)したまへ」 "よし。いまよりだによういしたまへ。"
214.4.8314289 とばかりにて、異事(ことごと)()ひなしたまうつ。 とばかりにて、ことごとひなしたまうつ。
215315290第五章 夕霧の物語 幼恋の物語
215.1316291第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶
215.1.1317292 「いとど(ふみ)なども(かよ)はむことのかたきなめり」と(おも)ふに、いと(なげ)かしう、物参(ものまゐ)りなどしたまへど、さらに(まゐ)らで、()たまひぬるやうなれど、(こころ)(そら)にて、人静(ひとしづ)まるほどに、中障子(なかさうじ)()けど、(れい)はことに()(かた)めなどもせぬを、つと()して、(ひと)(おと)もせず。いと心細(こころぼそ)くおぼえて、障子(さうじ)()りかかりてゐたまへるに、女君(をんなぎみ)()()まして、(かぜ)(おと)(たけ)()ちとられて、うちそよめくに、(かり)()きわたる(こゑ)の、ほのかに()こゆるに、(をさな)心地(ここち)にも、とかく(おぼ)(みだ)るるにや、 "いとどふみなどもかよはんことのかたきなめり。"とおもふに、いとなげかしう、ものまゐりなどしたまへど、さらにまゐらで、たまひぬるやうなれど、こころそらにて、ひとしづまるほどに、なかさうじけど、れいはことにかためなどもせぬを、つとして、ひとおともせず。いとこころぼそくおぼえて、さうじりかかりてゐたまへるに、をんなぎみまして、かぜおとたけちとられて、うちそよめくに、かりきわたるこゑの、ほのかにこゆるに、をさなここちにも、とかくおぼみだるるにや、
215.1.2318293 雲居(くもゐ)(かり)もわがごとや」 "くもゐかりもわがごとや。"
215.1.3319294 と、(ひと)りごちたまふけはひ、(わか)うらうたげなり。 と、ひとりごちたまふけはひ、わかうらうたげなり。
215.1.4320295 いみじう(こころ)もとなければ、 いみじうこころもとなければ、
215.1.5321296 「これ、()けさせたまへ。小侍従(こじじゅう)やさぶらふ」 "これ、けさせたまへ。こじじゅうやさぶらふ。"
215.1.6322297 とのたまへど、(おと)もせず。御乳母子(おほんめのとご)なりけり。(ひと)(ごと)()きたまひけるも()づかしうて、あいなく御顔(おほんかほ)()()れたまへど、あはれは()らぬにしもあらぬぞ(にく)きや。乳母(めのと)たちなど(ちか)()して、うちみじろくも(くる)しければ、かたみに(おと)もせず。 とのたまへど、おともせず。おほんめのとごなりけり。ひとごときたまひけるもづかしうて、あいなくおほんかほれたまへど、あはれはらぬにしもあらぬぞにくきや。めのとたちなどちかして、うちみじろくもくるしければ、かたみにおともせず。
215.1.7323298 「さ夜中(よなか)友呼(ともよ)びわたる(かり)()に<BR/>うたて()()(おぎ)上風(うはかぜ) "〔さよなかともよびわたるかりに<BR/>うたておぎうはかぜ〕"
215.1.8324299 ()にしみけるかな」と(おも)(つづ)けて、(みや)御前(おまへ)(かへ)りて(なげ)きがちなるも、「御目覚(おほんめさ)めてや()かせたまふらむ」とつつましく、みじろき()したまへり。 "にしみけるかな。"とおもつづけて、みやおまへかへりてなげきがちなるも、"おほんめさめてやかせたまふらん。"とつつましく、みじろきしたまへり。
215.1.9325300 あいなくもの()づかしうて、わが御方(おほんかた)にとく()でて、御文書(おほんふみか)きたまへれど、小侍従(こじじゅう)もえ()ひたまはず、かの御方(おほんかた)ざまにもえ()かず、(むね)つぶれておぼえたまふ。 あいなくものづかしうて、わがおほんかたにとくでて、おほんふみかきたまへれど、こじじゅうもえひたまはず、かのおほんかたざまにもえかず、むねつぶれておぼえたまふ。
215.1.10326301 (をんな)はた、(さわ)がれたまひしことのみ()づかしうて、「わが()やいかがあらむ、(ひと)やいかが(おも)はむ」とも(ふか)(おぼ)()れず、をかしうらうたげにて、うち(かた)らふさまなどを、(うと)ましとも(おも)(はな)れたまはざりけり。 をんなはた、さわがれたまひしことのみづかしうて、"わがやいかがあらん。ひとやいかがおもはん。"ともふかおぼれず、をかしうらうたげにて、うちかたらふさまなどを、うとましともおもはなれたまはざりけり。
215.1.11327302 また、かう(さわ)がるべきこととも(おぼ)さざりけるを、御後見(おほんうしろみ)どももいみじうあはめきこゆれば、え(こと)(かよ)はしたまはず。おとなびたる(ひと)や、さるべき(ひま)をも(つく)()づらむ、男君(をとこぎみ)も、(いま)すこしものはかなき(とし)のほどにて、ただいと口惜(くちを)しとのみ(おも)ふ。 また、かうさわがるべきことともおぼさざりけるを、おほんうしろみどももいみじうあはめきこゆれば、えことかよはしたまはず。おとなびたるひとや、さるべきひまをもつくづらん、をとこぎみも、いますこしものはかなきとしのほどにて、ただいとくちをしとのみおもふ。
215.2328303第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる
215.2.1329304 大臣(おとど)は、そのままに(まゐ)りたまはず、(みや)をいとつらしと(おも)ひきこえたまふ。(きた)(かた)には、かかることなむと、けしきも()せたてまつりたまはず、ただおほかた、いとむつかしき()けしきにて、 おとどは、そのままにまゐりたまはず、みやをいとつらしとおもひきこえたまふ。きたかたには、かかることなんと、けしきもせたてまつりたまはず、ただおほかた、いとむつかしきけしきにて、
215.2.2330305 中宮(ちゅうぐう)のよそほひことにて(まゐ)りたまへるに、女御(にょうご)()中思(なかおも)ひしめりてものしたまふを、心苦(こころぐる)しう(むね)いたきに、まかでさせたてまつりて、(こころ)やすくうち(やす)ませたてまつらむ。さすがに、主上(うへ)につとさぶらはせたまひて、夜昼(よるひる)おはしますめれば、ある(ひと)びとも(こころ)ゆるびせず、(くる)しうのみわぶめるに」 "ちゅうぐうのよそほひことにてまゐりたまへるに、にょうごなかおもひしめりてものしたまふを、こころぐるしうむねいたきに、まかでさせたてまつりて、こころやすくうちやすませたてまつらん。さすがに、うへにつとさぶらはせたまひて、よるひるおはしますめれば、あるひとびともこころゆるびせず、くるしうのみわぶめるに。"
215.2.3331306 とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御暇(おほんいとま)(ゆる)されがたきを、うちむつかりたまて、主上(うへ)はしぶしぶに(おぼ)()したるを、しひて御迎(おほんむか)へしたまふ。 とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。おほんいとまゆるされがたきを、うちむつかりたまて、うへはしぶしぶにおぼしたるを、しひておほんむかへしたまふ。
215.2.4332307 「つれづれに(おぼ)されむを、姫君渡(ひめぎみわた)して、もろともに(あそ)びなどしたまへ。(みや)(あづ)けたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたる人立(ひとた)ちまじりて、おのづから気近(けぢか)きも、あいなきほどになりにたればなむ」 "つれづれにおぼされんを、ひめぎみわたして、もろともにあそびなどしたまへ。みやあづけたてまつりたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよすけたるひとたちまじりて、おのづからけぢかきも、あいなきほどになりにたればなん。"
215.2.5333308 ()こえたまひて、にはかに(わた)しきこえたまふ。 こえたまひて、にはかにわたしきこえたまふ。
215.2.6334309 (みや)、いとあへなしと(おぼ)して、 みや、いとあへなしとおぼして、
215.2.7335310 「ひとりものせられし女亡(むすめな)くなりたまひてのち、いとさうざうしく心細(こころぼそ)かりしに、うれしうこの(きみ)()て、()ける(かぎ)りのかしづきものと(おも)ひて、()()れにつけて、()いのむつかしさも(なぐさ)めむとこそ(おも)ひつれ、(おも)ひのほかに(へだ)てありて(おぼ)しなすも、つらく」 "ひとりものせられしむすめなくなりたまひてのち、いとさうざうしくこころぼそかりしに、うれしうこのきみて、けるかぎりのかしづきものとおもひて、れにつけて、いのむつかしさもなぐさめんとこそおもひつれ、おもひのほかにへだてありておぼしなすも、つらく。"
215.2.8336311 など()こえたまへば、うちかしこまりて、 などこえたまへば、うちかしこまりて、
215.2.9337312 (こころ)()かず(おも)うたまへらるることは、しかなむ(おも)うたまへらるるとばかり()こえさせしになむ。(ふか)(へだ)(おも)ひたまふることは、いかでかはべらむ。 "こころかずおもうたまへらるることは、しかなんおもうたまへらるるとばかりこえさせしになん。ふかへだおもひたまふることは、いかでかはべらん。
215.2.10338313 内裏(うち)にさぶらふが、()中恨(なかうら)めしげにて、このころまかでてはべるに、いとつれづれに(おも)ひて()しはべれば、心苦(こころぐる)しう()たまふるを、もろともに(あそ)びわざをもして(なぐさ)めよと(おも)うたまへてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「(はぐく)み、(ひと)となさせたまへるを、おろかにはよも(おも)ひきこえさせじ」 うちにさぶらふが、なかうらめしげにて、このころまかでてはべるに、いとつれづれにおもひてしはべれば、こころぐるしうたまふるを、もろともにあそびわざをもしてなぐさめよとおもうたまへてなん、あからさまにものしはべる。"とて、"はぐくみ、ひととなさせたまへるを、おろかにはよもおもひきこえさせじ。"
215.2.11339314 (まう)したまへば、かう(おぼ)()ちにたれば、(とど)めきこえさせたまふとも、(おぼ)(かへ)すべき御心(みこころ)ならぬに、いと()かず口惜(くちを)しう(おぼ)されて、 まうしたまへば、かうおぼちにたれば、とどめきこえさせたまふとも、おぼかへすべきみこころならぬに、いとかずくちをしうおぼされて、
215.2.12340315 (ひと)(こころ)こそ()きものはあれ。とかく(をさな)(こころ)どもにも、われに(へだ)てて(うと)ましかりけることよ。また、さもこそあらめ、大臣(おとど)の、ものの(こころ)(ふか)()りたまひながら、われを(ゑん)じて、かく()(わた)したまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」 "ひとこころこそきものはあれ。とかくをさなこころどもにも、われにへだててうとましかりけることよ。また、さもこそあらめ、おとどの、もののこころふかりたまひながら、われをゑんじて、かくわたしたまふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ。"
215.2.13341316 と、うち()きつつのたまふ。 と、うちきつつのたまふ。
215.3342317第三段 夕霧、大宮邸に参上
215.3.1343318 (をり)しも冠者(かんざ)君参(きみまゐ)りたまへり。「もしいささかの(ひま)もや」と、このころはしげうほのめきたまふなりけり。内大臣(うちのおとど)御車(みくるま)のあれば、(こころ)(おに)にはしたなくて、やをら(かく)れて、わが御方(おほんかた)()りゐたまへり。 をりしもかんざきみまゐりたまへり。"もしいささかのひまもや。"と、このころはしげうほのめきたまふなりけり。うちのおとどみくるまのあれば、こころおににはしたなくて、やをらかくれて、わがおほんかたりゐたまへり。
215.3.2344319 内大殿(うちのおほとの)君達(きんだち)左少将(させうしゃう)少納言(せうなごん)兵衛佐(ひゃうゑのすけ)侍従(じじゅう)大夫(たいふ)などいふも、(みな)ここには(まゐ)(つど)ひたれど、御簾(みす)(うち)(ゆる)したまはず。 うちのおほとのきんだちさせうしゃうせうなごんひゃうゑのすけじじゅうたいふなどいふも、みなここにはまゐつどひたれど、みすうちゆるしたまはず。
215.3.3345320 左兵衛督(さひゃうゑのかみ)権中納言(ごんちゅうなごん)なども、異御腹(ことおほんはら)なれど、故殿(ことの)(おほん)もてなしのままに、(いま)(まゐ)(つか)うまつりたまふことねむごろなれば、その御子(おほんこ)どももさまざま(まゐ)りたまへど、この(きみ)()るにほひなく()ゆ。 さひゃうゑのかみごんちゅうなごんなども、ことおほんはらなれど、ことのおほんもてなしのままに、いままゐつかうまつりたまふことねんごろなれば、そのおほんこどももさまざままゐりたまへど、このきみるにほひなくゆ。
215.3.4346321 大宮(おほみや)御心(みこころ)ざしも、なずらひなく(おぼ)したるを、ただこの姫君(ひめぎみ)をぞ、気近(けぢか)うらうたきものと(おぼ)しかしづきて、(おほん)かたはらさけず、うつくしきものに(おぼ)したりつるを、かくて(わた)りたまひなむが、いとさうざうしきことを(おぼ)す。 おほみやみこころざしも、なずらひなくおぼしたるを、ただこのひめぎみをぞ、けぢかうらうたきものとおぼしかしづきて、おほんかたはらさけず、うつくしきものにおぼしたりつるを、かくてわたりたまひなんが、いとさうざうしきことをおぼす。
215.3.5347322 殿(との)は、 とのは、
215.3.6348323 (いま)のほどに、内裏(うち)(まゐ)りはべりて、(ゆふ)方迎(かたむか)へに(まゐ)りはべらむ」 "いまのほどに、うちまゐりはべりて、ゆふかたむかへにまゐりはべらん。"
215.3.7349324 とて、()でたまひぬ。 とて、でたまひぬ。
215.3.8350325 「いふかひなきことを、なだらかに()ひなして、さてもやあらまし」と(おぼ)せど、なほ、いと(こころ)やましければ、「(ひと)(おほん)ほどのすこしものものしくなりなむに、かたはならず()なして、そのほど、(こころ)ざしの(ふか)(あさ)さのおもむきをも見定(みさだ)めて、(ゆる)すとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ。(せい)(いさ)むとも、一所(ひとところ)にては、(をさな)(こころ)のままに、見苦(みぐる)しうこそあらめ。(みや)も、よもあながちに(せい)したまふことあらじ」 "いふかひなきことを、なだらかにひなして、さてもやあらまし。"とおぼせど、なほ、いとこころやましければ、"ひとおほんほどのすこしものものしくなりなんに、かたはならずなして、そのほど、こころざしのふかあささのおもむきをもみさだめて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ。せいいさむとも、ひとところにては、をさなこころのままに、みぐるしうこそあらめ。みやも、よもあながちにせいしたまふことあらじ。"
215.3.9351326 (おぼ)せば、女御(にょうご)(おほん)つれづれにことつけて、ここにもかしこにもおいらかに()ひなして、(わた)したまふなりけり。 おぼせば、にょうごおほんつれづれにことつけて、ここにもかしこにもおいらかにひなして、わたしたまふなりけり。
215.4352327第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬
215.4.1353328 (みや)御文(おほんふみ)にて、 みやおほんふみにて、
215.4.2354329 大臣(おとど)こそ、(うら)みもしたまはめ、(きみ)は、さりとも(こころ)ざしのほども()りたまふらむ。(わた)りて()えたまへ」 "おとどこそ、うらみもしたまはめ、きみは、さりともこころざしのほどもりたまふらん。わたりてえたまへ。"
215.4.3355330 ()こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて(わた)りたまへり。十四(じふし)になむおはしける。かたなりに()えたまへど、いと()めかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。 こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひてわたりたまへり。じふしになんおはしける。かたなりにえたまへど、いとめかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。
215.4.4356331 「かたはらさけたてまつらず、()()れのもてあそびものに(おも)ひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。(のこ)りすくなき(よはひ)のほどにて、(おほん)ありさまを見果(みは)つまじきことと、(いのち)をこそ(おも)ひつれ、(いま)さらに見捨(みす)てて(うつ)ろひたまふや、いづちならむと(おも)へば、いとこそあはれなれ」 "かたはらさけたてまつらず、れのもてあそびものにおもひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。のこりすくなきよはひのほどにて、おほんありさまをみはつまじきことと、いのちをこそおもひつれ、いまさらにみすててうつろひたまふや、いづちならんとおもへば、いとこそあはれなれ。"
215.4.5357332 とて()きたまふ。姫君(へめぎみ)は、()づかしきことを(おぼ)せば、(かほ)ももたげたまはで、ただ()きにのみ()きたまふ。男君(をとこぎみ)御乳母(おほんめのと)宰相(さいしゃう)君出(きみい)()て、 とてきたまふ。へめぎみは、づかしきことをおぼせば、かほももたげたまはで、ただきにのみきたまふ。をとこぎみおほんめのとさいしゃうきみいて、
215.4.6358333 (おな)(きみ)とこそ(たの)みきこえさせつれ、口惜(くちを)しくかく(わた)らせたまふこと。殿(との)はことざまに(おぼ)しなることおはしますとも、さやうに(おぼ)しなびかせたまふな」 "おなきみとこそたのみきこえさせつれ、くちをしくかくわたらせたまふこと。とのはことざまにおぼしなることおはしますとも、さやうにおぼしなびかせたまふな。"
215.4.7359334 など、ささめき()こゆれば、いよいよ()づかしと(おぼ)して、(もの)ものたまはず。 など、ささめきこゆれば、いよいよづかしとおぼして、ものものたまはず。
215.4.8360335 「いで、むつかしきことな()こえられそ。(ひと)御宿世宿世(おほんすくせすくせ)、いと(さだ)めがたく」 "いで、むつかしきことなこえられそ。ひとおほんすくせすくせ、いとさだめがたく。"
215.4.9361336 とのたまふ。 とのたまふ。
215.4.10362337 「いでや、ものげなしとあなづりきこえさせたまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わが君人(きみひと)(おと)りきこえさせたまふと、()こしめし()はせよ」 "いでや。ものげなしとあなづりきこえさせたまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わがきみひとおとりきこえさせたまふと、こしめしはせよ。"
215.4.11363338 と、なま(こころ)やましきままに()ふ。 と、なまこころやましきままにふ。
215.4.12364339 冠者(かんざ)(きみ)(もの)のうしろに()りゐて()たまふに、(ひと)(とが)めむも、よろしき(とき)こそ(くる)しかりけれ、いと心細(こころぼそ)くて、(なみだ)おし(のご)ひつつおはするけしきを、御乳母(おほんめのと)、いと心苦(こころぐる)しう()て、(みや)にとかく()こえたばかりて、(ゆふ)まぐれの(ひと)のまよひに、対面(たいめん)せさせたまへり。 かんざきみもののうしろにりゐてたまふに、ひととがめんも、よろしきときこそくるしかりけれ、いとこころぼそくて、なみだおしのごひつつおはするけしきを、おほんめのと、いとこころぐるしうて、みやにとかくこえたばかりて、ゆふまぐれのひとのまよひに、たいめんせさせたまへり。
215.4.13365340 かたみにもの()づかしく(むね)つぶれて、(もの)()はで()きたまふ。 かたみにものづかしくむねつぶれて、ものはできたまふ。
215.4.14366341 大臣(おとど)御心(みこころ)のいとつらければ、さはれ、(おも)ひやみなむと(おも)へど、(こひ)しうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし(ひま)ありぬべかりつる()ごろ、よそに(へだ)てつらむ」 "おとどみこころのいとつらければ、さはれ、おもひやみなんとおもへど、こひしうおはせんこそわりなかるべけれ。などて、すこしひまありぬべかりつるごろ、よそにへだてつらん。"
215.4.15367342 とのたまふさまも、いと(わか)うあはれげなれば、 とのたまふさまも、いとわかうあはれげなれば、
215.4.16368343 「まろも、さこそはあらめ」 "まろも、さこそはあらめ。"
215.4.17369344 とのたまふ。 とのたまふ。
215.4.18370345 (こひ)しとは(おぼ)しなむや」 "こひしとはおぼしなんや。"
215.4.19371346 とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、(をさな)げなり。 とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、をさなげなり。
215.5372347第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む
215.5.1373348 御殿油参(おほんとなぶらまゐ)り、殿(との)まかでたまふけはひ、こちたく()ひののしる御前駆(おほんさき)(こゑ)に、(ひと)びと、 おほんとなぶらまゐり、とのまかでたまふけはひ、こちたくひののしるおほんさきこゑに、ひとびと、
215.5.2374349 「そそや」 "そそや。"
215.5.3375350 など()(さわ)げば、いと(おそ)ろしと(おぼ)してわななきたまふ。さも(さわ)がればと、ひたぶる(こころ)に、(ゆる)しきこえたまはず。御乳母参(おほんめのとまゐ)りてもとめたてまつるに、けしきを()て、 などさわげば、いとおそろしとおぼしてわななきたまふ。さもさわがればと、ひたぶるこころに、ゆるしきこえたまはず。おほんめのとまゐりてもとめたてまつるに、けしきをて、
215.5.4376351 「あな、(こころ)づきなや。げに、宮知(みやし)らせたまはぬことにはあらざりけり」 "あな、こころづきなや。げに、みやしらせたまはぬことにはあらざりけり。"
215.5.5377352 (おも)ふに、いとつらく、 おもふに、いとつらく、
215.5.6378353 「いでや、()かりける()かな。殿(との)(おぼ)しのたまふことは、さらにも()こえず、大納言殿(だいなごんどの)にもいかに()かせたまはむ。めでたくとも、もののはじめの六位宿世(ろくゐすくせ)よ」 "いでや、かりけるかな。とのおぼしのたまふことは、さらにもこえず、だいなごんどのにもいかにかせたまはん。めでたくとも、もののはじめのろくゐすくせよ。"
215.5.7379354 と、つぶやくもほの()こゆ。ただこの屏風(びゃうぶ)のうしろに(たづ)()て、(なげ)くなりけり。 と、つぶやくもほのこゆ。ただこのびゃうぶのうしろにたづて、なげくなりけり。
215.5.8380355 男君(をとこぎみ)、「(われ)をば(くらゐ)なしとて、はしたなむるなりけり」と(おぼ)すに、()中恨(なかうら)めしければ、あはれもすこしさむる心地(ここち)して、めざまし。 をとこぎみ、"われをばくらゐなしとて、はしたなむるなりけり。"とおぼすに、なかうらめしければ、あはれもすこしさむるここちして、めざまし。
215.5.9381356 「かれ()きたまへ。 "かれきたまへ。
215.5.10382357 くれなゐの(なみだ)(ふか)(そで)(いろ)を<BR/>浅緑(あさみどり)にや()ひしをるべき くれなゐのなみだふかそでいろを<BR/>あさみどりにやひしをるべき
215.5.11383358 ()づかし」 づかし。"
215.5.12384359 とのたまへば、 とのたまへば、
215.5.13385360 「いろいろに()()きほどの()らるるは<BR/>いかに()めける(なか)(ころも)ぞ」 "〔いろいろにきほどのらるるは<BR/>いかにめけるなかころもぞ〕
215.5.14386361 と、(もの)のたまひ()てぬに、殿入(とのい)りたまへば、わりなくて(わた)りたまひぬ。 と、もののたまひてぬに、とのいりたまへば、わりなくてわたりたまひぬ。
215.5.15387362 男君(をとこぎみ)は、()ちとまりたる心地(ここち)も、いと人悪(ひとわる)く、(むね)ふたがりて、わが御方(おほんかた)()したまひぬ。 をとこぎみは、ちとまりたるここちも、いとひとわるく、むねふたがりて、わがおほんかたしたまひぬ。
215.5.16388363 御車三(おほんくるまみ)つばかりにて、(しの)びやかに(いそ)()でたまふけはひを()くも、静心(しづごころ)なければ、(みや)御前(おまへ)より、「(まゐ)りたまへ」とあれど、()たるやうにて(うご)きもしたまはず。 おほんくるまみつばかりにて、しのびやかにいそでたまふけはひをくも、しづごころなければ、みやおまへより、"まゐりたまへ。"とあれど、たるやうにてうごきもしたまはず。
215.5.17389364 (なみだ)のみ()まらねば、(なげ)きあかして、(しも)のいと(しろ)きに(いそ)()でたまふ。うちはれたるまみも、(ひと)()えむが()づかしきに、(みや)はた、()しまつはすべかめれば、(こころ)やすき(ところ)にとて、(いそ)()でたまふなりけり。 なみだのみまらねば、なげきあかして、しものいとしろきにいそでたまふ。うちはれたるまみも、ひとえんがづかしきに、みやはた、しまつはすべかめれば、こころやすきところにとて、いそでたまふなりけり。
215.5.18390365 (みち)のほど、(ひと)やりならず、心細(こころぼそ)(おも)(つづ)くるに、(そら)のけしきもいたう(くも)りて、まだ(くら)かりけり。 みちのほど、ひとやりならず、こころぼそおもつづくるに、そらのけしきもいたうくもりて、まだくらかりけり。
215.5.19391366 霜氷(しもこほり)うたてむすべる()けぐれの<BR/>(そら)かきくらし()(なみだ)かな」 "〔しもこほりうたてむすべるけぐれの<BR/>そらかきくらしなみだかな〕
216392367第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋
216.1393368第一段 惟光の娘、五節舞姫となる
216.1.1394369 大殿(おほとの)には、今年(ことし)五節(ごせち)たてまつりたまふ。(なに)ばかりの(おほん)いそぎならねど、童女(わらはべ)装束(さうぞく)など、(ちか)うなりぬとて、(いそ)ぎせさせたまふ。 おほとのには、ことしごせちたてまつりたまふ。なにばかりのおほんいそぎならねど、わらはべさうぞくなど、ちかうなりぬとて、いそぎせさせたまふ。
216.1.2395370 (ひんがし)(ゐん)には、(まゐ)りの()(ひと)びとの装束(さうぞく)せさせたまふ。殿(との)には、おほかたのことども、中宮(ちゅうぐう)よりも、(わらは)下仕(しもづか)への(れう)など、えならでたてまつれたまへり。 ひんがしゐんには、まゐりのひとびとのさうぞくせさせたまふ。とのには、おほかたのことども、ちゅうぐうよりも、わらはしもづかへのれうなど、えならでたてまつれたまへり。
216.1.3396371 ()ぎにし(とし)五節(ごせち)など()まれりしが、さうざうしかりし()もり()()へ、上人(うへびと)心地(ここち)も、(つね)よりもはなやかに(おも)ふべかめる(とし)なれば、所々挑(ところどころいど)みて、いといみじくよろづを()くしたまふ()こえあり。 ぎにしとしごせちなどまれりしが、さうざうしかりしもりへ、うへびとここちも、つねよりもはなやかにおもふべかめるとしなれば、ところどころいどみて、いといみじくよろづをくしたまふこえあり。
216.1.4397372 按察使大納言(あぜちのだいなごん)左衛門督(さゑもんのかみ)(うへ)五節(ごせち)には、良清(よしきよ)(いま)近江守(あふみのかみ)にて左中弁(さちゅうべん)なるなむ、たてまつりける。皆止(みなとど)めさせたまひて、宮仕(みやづか)へすべく、(おほ)(ごと)ことなる(とし)なれば、(むすめ)をおのおのたてまつりたまふ。 あぜちのだいなごんさゑもんのかみうへごせちには、よしきよいまあふみのかみにてさちゅうべんなるなん、たてまつりける。みなとどめさせたまひて、みやづかへすべく、おほごとことなるとしなれば、むすめをおのおのたてまつりたまふ。
216.1.5398373 殿(との)舞姫(まひひめ)は、惟光朝臣(これみつのあそん)の、津守(つのかみ)にて左京大夫(さきゃうのだいぶ)かけたるが(むすめ)容貌(かたち)などいとをかしげなる()こえあるを()す。からいことに(おも)ひたれど、 とのまひひめは、これみつのあそんの、つのかみにてさきゃうのだいぶかけたるがむすめかたちなどいとをかしげなるこえあるをす。からいことにおもひたれど、
216.1.6399374 大納言(だいなごん)の、外腹(ほかばら)(むすめ)をたてまつらるなるに、朝臣(あそん)のいつき女出(むすめい)だし()てたらむ、(なに)(はぢ)かあるべき」 "だいなごんの、ほかばらむすめをたてまつらるなるに、あそんのいつきむすめいだしてたらん、なにはぢかあるべき。"
216.1.7400375 (さいな)めば、わびて、(おな)じくは宮仕(みやづか)へやがてせさすべく(おも)ひおきてたり。 さいなめば、わびて、おなじくはみやづかへやがてせさすべくおもひおきてたり。
216.1.8401376 舞習(まひなら)はしなどは、(さと)にていとよう仕立(した)てて、かしづきなど、(した)しう()()ふべきは、いみじう()(ととの)へて、その()(ゆふ)つけて(まゐ)らせたり。 まひならはしなどは、さとにていとようしたてて、かしづきなど、したしうふべきは、いみじうととのへて、そのゆふつけてまゐらせたり。
216.1.9402377 殿(との)にも、御方々(おほんかたがた)童女(わらはべ)下仕(しもづか)へのすぐれたるをと、御覧(ごらん)(くら)べ、()()でらるる心地(ここち)どもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。 とのにも、おほんかたがたわらはべしもづかへのすぐれたるをと、ごらんくらべ、でらるるここちどもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。
216.1.10403378 御前(おまへ)()して御覧(ごらん)ぜむうちならしに、御前(おまへ)(わた)らせてと(さだ)めたまふ。()つべうもあらず、とりどりなる童女(わらはべ)様体(やうだい)容貌(かたち)(おぼ)しわづらひて、 おまへしてごらんぜんうちならしに、おまへわたらせてとさだめたまふ。つべうもあらず、とりどりなるわらはべやうだいかたちおぼしわづらひて、
216.1.11404379 今一所(いまひとところ)(れう)を、これよりたてまつらばや」 "いまひとところれうを、これよりたてまつらばや。"
216.1.12405380 など(わら)ひたまふ。ただもてなし用意(ようい)によりてぞ(えら)びに()りける。 などわらひたまふ。ただもてなしよういによりてぞえらびにりける。
216.2406381第二段 夕霧、五節舞姫を恋慕
216.2.1407382 大学(だいがく)(きみ)(むね)のみふたがりて、(もの)なども見入(みい)れられず、(くん)じいたくて、(ふみ)()まで(なが)()したまへるを、(こころ)もや(なぐさ)むと()()でて、(まぎ)れありきたまふ。 だいがくきみむねのみふたがりて、ものなどもみいれられず、くんじいたくて、ふみまでながしたまへるを、こころもやなぐさむとでて、まぎれありきたまふ。
216.2.2408383 さま、容貌(かたち)はめでたくをかしげにて、(しづ)やかになまめいたまへれば、(わか)女房(にょうばう)などは、いとをかしと()たてまつる。 さま、かたちはめでたくをかしげにて、しづやかになまめいたまへれば、わかにょうばうなどは、いとをかしとたてまつる。
216.2.3409384 (うへ)御方(おほんかた)には、御簾(みす)(まへ)にだに、もの(ちか)うももてなしたまはず。わが御心(みこころ)ならひ、いかに(おぼ)すにかありけむ、疎々(うとうと)しければ、御達(ごたち)なども気遠(けどほ)きを、今日(けふ)はものの(まぎ)れに、()()ちたまへるなめり。 うへおほんかたには、みすまへにだに、ものちかうももてなしたまはず。わがみこころならひ、いかにおぼすにかありけん、うとうとしければ、ごたちなどもけどほきを、けふはもののまぎれに、ちたまへるなめり。
216.2.4410386 舞姫(まひひめ)かしづき()ろして、妻戸(つまど)()屏風(びゃうぶ)など()てて、かりそめのしつらひなるに、やをら()りてのぞきたまへば、(なや)ましげにて()()したり。 まひひめかしづきろして、つまどびゃうぶなどてて、かりそめのしつらひなるに、やをらりてのぞきたまへば、なやましげにてしたり。
216.2.5411387 ただ、かの(ひと)(おほん)ほどと()えて、(いま)すこしそびやかに、様体(やうだい)などのことさらび、をかしきところはまさりてさへ()ゆ。(くら)ければ、こまかには()えねど、ほどのいとよく(おも)()でらるるさまに、心移(こころうつ)るとはなけれど、ただにもあらで、(きぬ)(すそ)()()らいたまふに、何心(なにごころ)もなく、あやしと(おも)ふに、 ただ、かのひとおほんほどとえて、いますこしそびやかに、やうだいなどのことさらび、をかしきところはまさりてさへゆ。くらければ、こまかにはえねど、ほどのいとよくおもでらるるさまに、こころうつるとはなけれど、ただにもあらで、きぬすそらいたまふに、なにごころもなく、あやしとおもふに、
216.2.6412388 (あめ)にます豊岡姫(とよをかひめ)宮人(みやびと)も<BR/>わが(こころ)ざすしめを(わす)るな "〔あめにますとよをかひめみやびとも<BR/>わがこころざすしめをわするな
216.2.7413389 乙女子(をとめご)袖振(そでふ)(やま)瑞垣(みづがき)の」 をとめごそでふやまみづがきの。"
216.2.8414390 とのたまふぞ、うちつけなりける。 とのたまふぞ、うちつけなりける。
216.2.9415391 (わか)うをかしき(こゑ)なれど、(たれ)ともえ(おも)ひたどられず、なまむつかしきに、化粧(けさう)()ふとて、(さわ)ぎつる後見(うしろみ)ども、(ちか)()りて人騒(ひとさわ)がしうなれば、いと口惜(くちを)しうて、()()りたまひぬ。 わかうをかしきこゑなれど、たれともえおもひたどられず、なまむつかしきに、けさうふとて、さわぎつるうしろみども、ちかりてひとさわがしうなれば、いとくちをしうて、りたまひぬ。
216.3416392第三段 宮中における五節の儀
216.3.1417393 浅葱(あさぎ)(こころ)やましければ、内裏(うち)(まゐ)ることもせず、もの()がりたまふを、五節(ごせち)にことつけて、直衣(なほし)など、さま()はれる色聴(いろゆる)されて(まゐ)りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。(みかど)よりはじめたてまつりて、(おぼ)したるさまなべてならず、()にめづらしき(おほん)おぼえなり。 あさぎこころやましければ、うちまゐることもせず、ものがりたまふを、ごせちにことつけて、なほしなど、さまはれるいろゆるされてまゐりたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。みかどよりはじめたてまつりて、おぼしたるさまなべてならず、にめづらしきおほんおぼえなり。
216.3.2418394 五節(ごせち)(まゐ)儀式(ぎしき)は、いづれともなく、心々(こころごころ)()なくしたまへるを、「舞姫(まひひめ)容貌(かたち)大殿(おほとの)大納言(だいなごん)とはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿(おほとの)のには、え(およ)ぶまじかりけり。 ごせちまゐぎしきは、いづれともなく、こころごころなくしたまへるを、"まひひめかたちおほとのだいなごんとはすぐれたり。"とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほおほとののには、えおよぶまじかりけり。
216.3.3419395 ものきよげに(いま)めきて、そのものとも()ゆまじう仕立(した)てたる様体(やうだい)などの、ありがたうをかしげなるを、かう()めらるるなめり。(れい)舞姫(まひひめ)どもよりは、(みな)すこしおとなびつつ、げに(こころ)ことなる(とし)なり。 ものきよげにいまめきて、そのものともゆまじうしたてたるやうだいなどの、ありがたうをかしげなるを、かうめらるるなめり。れいまひひめどもよりは、みなすこしおとなびつつ、げにこころことなるとしなり。
216.3.4420396 殿参(とのまゐ)りたまひて御覧(ごらん)ずるに、昔御目(むかしおほんめ)とまりたまひし少女(をとめ)姿思(すがたおぼ)()づ。(たつ)()(くれ)(かた)つかはす。御文(おほんふみ)のうち(おも)ひやるべし。 とのまゐりたまひてごらんずるに、むかしおほんめとまりたまひしをとめすがたおぼづ。たつくれかたつかはす。おほんふみのうちおもひやるべし。
216.3.5421397 乙女子(をとめご)(かみ)さびぬらし(あま)(そで)<BR/>(ふる)()(とも)よはひ()ぬれば」 "〔をとめごかみさびぬらしあまそで<BR/>ふるともよはひぬれば〕
216.3.6422398 年月(としつき)()もりを(かぞ)へて、うち(おぼ)しけるままのあはれを、え(しの)びたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。 としつきもりをかぞへて、うちおぼしけるままのあはれを、えしのびたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。
216.3.7423399 「かけて()へば今日(けふ)のこととぞ(おも)ほゆる<BR/>日蔭(ひかげ)(しも)(そで)にとけしも」 "〔かけてへばけふのこととぞおもほゆる<BR/>ひかげしもそでにとけしも〕
216.3.8424400 青摺(あをず)りの(かみ)よくとりあへて、(まぎ)らはし()いたる、濃墨(こずみ)薄墨(うすずみ)(さう)がちにうち()(みだ)れたるも、(ひと)のほどにつけてはをかしと御覧(ごらん)ず。 あをずりのかみよくとりあへて、まぎらはしいたる、こずみうすずみさうがちにうちみだれたるも、ひとのほどにつけてはをかしとごらんず。
216.3.9425401 冠者(かんざ)(きみ)も、(ひと)()とまるにつけても、人知(ひとし)れず(おも)ひありきたまへど、あたり(ちか)くだに()せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの(こころ)には、(なげ)かしうてやみぬ。容貌(かたち)はしも、いと(こころ)につきて、つらき(ひと)(なぐさ)めにも、()るわざしてむやと(おも)ふ。 かんざきみも、ひととまるにつけても、ひとしれずおもひありきたまへど、あたりちかくだにせず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどのこころには、なげかしうてやみぬ。かたちはしも、いとこころにつきて、つらきひとなぐさめにも、るわざしてんやとおもふ。
216.4426402第四段 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す
216.4.1427403 やがて(みな)とめさせたまひて、宮仕(みやづか)へすべき()けしきありけれど、このたびはまかでさせて、近江(あふみ)のは辛崎(からさき)(はら)へ、()(かみ)難波(なには)と、(いど)みてまかでぬ。大納言(だいなごん)もことさらに(まゐ)らすべきよし(そう)せさせたまふ。左衛門督(さゑもんのかみ)、その(ひと)ならぬをたてまつりて、(とが)めありけれど、それもとどめさせたまふ。 やがてみなとめさせたまひて、みやづかへすべきけしきありけれど、このたびはまかでさせて、あふみのはからさきはらへ、かみなにはと、いどみてまかでぬ。だいなごんもことさらにまゐらすべきよしそうせさせたまふ。さゑもんのかみ、そのひとならぬをたてまつりて、とがめありけれど、それもとどめさせたまふ。
216.4.2428404 ()(かみ)は、「典侍(ないしのすけ)あきたるに」と(まう)させたれば、「さもや(いたは)らまし」と大殿(おほとの)(おぼ)いたるを、かの(ひと)()きたまひて、いと口惜(くちを)しと(おも)ふ。 かみは、"ないしのすけあきたるに。"とまうさせたれば、"さもやいたはらまし。"とおほとのおぼいたるを、かのひときたまひて、いとくちをしとおもふ。
216.4.3429405 「わが(とし)のほど、(くらゐ)など、かくものげなからずは、()()てましものを。(おも)(こころ)ありとだに()られでやみなむこと」 "わがとしのほど、くらゐなど、かくものげなからずは、てましものを。おもこころありとだにられでやみなんこと。"
216.4.4430406 と、わざとのことにはあらねど、うち()へて(なみだ)ぐまるる折々(をりをり)あり。 と、わざとのことにはあらねど、うちへてなみだぐまるるをりをりあり。
216.4.5431407 兄弟(せうと)童殿上(わらはてんじゃう)する、(つね)にこの(きみ)(まゐ)(つか)うまつるを、(れい)よりもなつかしう(かた)らひたまひて、 せうとわらはてんじゃうする、つねにこのきみまゐつかうまつるを、れいよりもなつかしうかたらひたまひて、
216.4.6432408 五節(ごせち)はいつか内裏(うち)(まゐ)る」 "ごせちはいつかうちまゐる。"
216.4.7433409 ()ひたまふ。 ひたまふ。
216.4.8434410 今年(ことし)とこそは()きはべれ」 "ことしとこそはきはべれ。"
216.4.9435411 ()こゆ。 こゆ。
216.4.10436412 (かほ)のいとよかりしかば、すずろにこそ(こひ)しけれ。ましが(つね)()るらむも(うらや)ましきを、また()せてむや」 "かほのいとよかりしかば、すずろにこそこひしけれ。ましがつねるらんもうらやましきを、またせてんや。"
216.4.11437413 とのたまへば、 とのたまへば、
216.4.12438414 「いかでかさははべらむ。(こころ)にまかせてもえ()はべらず。男兄弟(をのこはらから)とて、(ちか)くも()せはべらねば、まして、いかでか君達(きんだち)には御覧(ごらん)ぜさせむ」 "いかでかさははべらん。こころにまかせてもえはべらず。をのこはらからとて、ちかくもせはべらねば、まして、いかでかきんだちにはごらんぜさせん。"
216.4.13439415 ()こゆ。 こゆ。
216.4.14440416 「さらば、(ふみ)をだに」 "さらば、ふみをだに。"
216.4.15441417 とて(たま)へり。「先々(さきざき)かやうのことは()ふものを」と(くる)しけれど、せめて(たま)へば、いとほしうて()()ぬ。 とてたまへり。"さきざきかやうのことはふものを。"とくるしけれど、せめてたまへば、いとほしうてぬ。
216.4.16442418 (とし)のほどよりは、されてやありけむ、をかしと()けり。(みどり)薄様(うすやう)の、(この)ましき(かさ)ねなるに、()はまだいと(わか)けれど、()先見(さきみ)えて、いとをかしげに、 としのほどよりは、されてやありけん、をかしとけり。みどりうすやうの、このましきかさねなるに、はまだいとわかけれど、さきみえて、いとをかしげに、
216.4.17443419 日影(ひかげ)にもしるかりけめや少女子(をとめご)が<BR/>(あま)羽袖(はそで)にかけし(こころ)は」 "〔ひかげにもしるかりけめやをとめごが<BR/>あまはそでにかけしこころは〕
216.4.18444420 二人見(ふたりみ)るほどに、父主(ちちぬし)ふと()()たり。(おそ)ろしうあきれて、え()(かく)さず。 ふたりみるほどに、ちちぬしふとたり。おそろしうあきれて、えかくさず。
216.4.19445421 「なぞの(ふみ)ぞ」 "なぞのふみぞ。"
216.4.20446422 とて()るに、面赤(おもてあか)みてゐたり。 とてるに、おもてあかみてゐたり。
216.4.21447423 「よからぬわざしけり」 "よからぬわざしけり。"
216.4.22448424 (にく)めば、せうと()げて()くを、()()せて、 にくめば、せうとげてくを、せて、
216.4.23449425 ()がぞ」 "がぞ。"
216.4.24450426 ()へば、 へば、
216.4.25451427 殿(との)冠者(かんざ)(きみ)の、しかしかのたまうて(たま)へる」 "とのかんざきみの、しかしかのたまうてたまへる。"
216.4.26452428 ()へば、名残(なごり)なくうち()みて、 へば、なごりなくうちみて、
216.4.27453429 「いかにうつくしき(きみ)(おほん)され(ごころ)なり。きむぢらは、(おな)(とし)なれど、いふかひなくはかなかめりかし」 "いかにうつくしききみおほんされごころなり。きんぢらは、おなとしなれど、いふかひなくはかなかめりかし。"
216.4.28454430 など()めて、母君(ははぎみ)にも()す。 などめて、ははぎみにもす。
216.4.29455431 「この君達(きんだち)の、すこし人数(ひとかず)(おぼ)しぬべからましかば、宮仕(みやづか)へよりは、たてまつりてまし。殿(との)御心(みこころ)おきて()るに、()そめたまひてむ(ひと)を、御心(みこころ)とは(わす)れたまふまじきとこそ、いと(たの)もしけれ。明石(あかし)入道(にふだう)(ためし)にやならまし」 "このきんだちの、すこしひとかずおぼしぬべからましかば、みやづかへよりは、たてまつりてまし。とのみこころおきてるに、そめたまひてんひとを、みこころとはわすれたまふまじきとこそ、いとたのもしけれ。あかしにふだうためしにやならまし。"
216.4.30456432 など()へど、皆急(みないそ)()ちにたり。 などへど、みないそちにたり。
216.5457433第五段 花散里、夕霧の母代となる
216.5.1458434 かの(ひと)は、(ふみ)をだにえやりたまはず、()ちまさる(かた)のことし(こころ)にかかりて、ほど()るままに、わりなく(こひ)しき面影(おもかげ)にまたあひ()でやと(おも)ふよりほかのことなし。(みや)(おほん)もとへ、あいなく心憂(こころう)くて(まゐ)りたまはず。おはせしかた、(とし)ごろ(あそ)()れし(ところ)のみ、(おも)()でらるることまされば、(さと)さへ()くおぼえたまひつつ、また()もりゐたまへり。 かのひとは、ふみをだにえやりたまはず、ちまさるかたのことしこころにかかりて、ほどるままに、わりなくこひしきおもかげにまたあひでやとおもふよりほかのことなし。みやおほんもとへ、あいなくこころうくてまゐりたまはず。おはせしかた、としごろあそれしところのみ、おもでらるることまされば、さとさへくおぼえたまひつつ、またもりゐたまへり。
216.5.2459435 殿(との)は、この西(にし)(たい)にぞ、()こえ(あづ)けたてまつりたまひける。 とのは、このにしたいにぞ、こえあづけたてまつりたまひける。
216.5.3460436 大宮(おほみや)御世(みよ)(のこ)(すく)なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく(をさな)きほどより()ならして、後見(うしろみ)おぼせ」 "おほみやみよのこすくなげなるを、おはせずなりなんのちも、かくをさなきほどよりならして、うしろみおぼせ。"
216.5.4461437 ()こえたまへば、ただのたまふままの御心(みこころ)にて、なつかしうあはれに(おも)(あつか)ひたてまつりたまふ。 こえたまへば、ただのたまふままのみこころにて、なつかしうあはれにおもあつかひたてまつりたまふ。
216.5.5462438 ほのかになど()たてまつるにも、 ほのかになどたてまつるにも、
216.5.6463439 容貌(かたち)のまほならずもおはしけるかな。かかる(ひと)をも、(ひと)(おも)()てたまはざりけり」など、「わが、あながちに、つらき(ひと)御容貌(おほんかたち)(こころ)にかけて(こひ)しと(おも)ふもあぢきなしや。(こころ)ばへのかやうにやはらかならむ(ひと)をこそあひ(おも)はめ」 "かたちのまほならずもおはしけるかな。かかるひとをも、ひとおもてたまはざりけり。"など、"わが、あながちに、つらきひとおほんかたちこころにかけてこひしとおもふもあぢきなしや。こころばへのかやうにやはらかならんひとをこそあひおもはめ。"
216.5.7464440 (おも)ふ。また、 おもふ。また、
216.5.8465441 (むか)ひて()るかひなからむもいとほしげなり。かくて年経(としへ)たまひにけれど、殿(との)の、さやうなる御容貌(おほんかたち)御心(みこころ)()たまうて、浜木綿(はまゆふ)ばかりの(へだ)てさし(かく)しつつ、(なに)くれともてなし(まぎ)らはしたまふめるも、むべなりけり」 "むかひてるかひなからんもいとほしげなり。かくてとしへたまひにけれど、とのの、さやうなるおほんかたちみこころたまうて、はまゆふばかりのへだてさしかくしつつ、なにくれともてなしまぎらはしたまふめるも、むべなりけり。"
216.5.9466442 (おも)(こころ)のうちぞ、()づかしかりける。 おもこころのうちぞ、づかしかりける。
216.5.10467443 大宮(おほみや)容貌(かたち)ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、(ひと)容貌(かたち)よきものとのみ目馴(めな)れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌(おほんかたち)の、ややさだ()ぎたる心地(ここち)して、()()せに御髪少(みぐしすく)ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。 おほみやかたちことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、ひとかたちよきものとのみめなれたまへるを、もとよりすぐれざりけるおほんかたちの、ややさだぎたるここちして、せにみぐしすくななるなどが、かくそしらはしきなりけり。
216.6468444第六段 歳末、夕霧の衣装を準備
216.6.1469445 (とし)(くれ)には、睦月(むつき)御装束(おほんさうぞく)など、(みや)はただ、この君一所(きみひとところ)(おほん)ことを、まじることなういそぎたまふ。あまた(くだり)、いときよらに仕立(した)てたまへるを()るも、もの()くのみおぼゆれば、 としくれには、むつきおほんさうぞくなど、みやはただ、このきみひとところおほんことを、まじることなういそぎたまふ。あまたくだり、いときよらにしたてたまへるをるも、ものくのみおぼゆれば、
216.6.2470446 朔日(ついたち)などには、かならずしも内裏(うち)(まゐ)るまじう(おも)ひたまふるに、(なに)にかくいそがせたまふらむ」 "ついたちなどには、かならずしもうちまゐるまじうおもひたまふるに、なににかくいそがせたまふらん。"
216.6.3471447 ()こえたまへば、 こえたまへば、
216.6.4472448 「などてか、さもあらむ。()いくづほれたらむ(ひと)のやうにものたまふかな」 "などてか、さもあらん。いくづほれたらんひとのやうにものたまふかな。"
216.6.5473449 とのたまへば、 とのたまへば、
216.6.6474450 ()いねど、くづほれたる心地(ここち)ぞするや」 "いねど、くづほれたるここちぞするや。"
216.6.7475451 (ひと)りごちて、うち(なみだ)ぐみてゐたまへり。 ひとりごちて、うちなみだぐみてゐたまへり。
216.6.8476452 「かのことを(おも)ふならむ」と、いと心苦(こころぐる)しうて、(みや)もうちひそみたまひぬ。 "かのことをおもふならん。"と、いとこころぐるしうて、みやもうちひそみたまひぬ。
216.6.9477453 (をとこ)は、口惜(くちを)しき(きは)(ひと)だに、(こころ)(たか)うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。(なに)とか、かう(なが)めがちに(おも)()れたまふべき。ゆゆしう」 "をとこは、くちをしききはひとだに、こころたかうこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。なにとか、かうながめがちにおもれたまふべき。ゆゆしう。"
216.6.10478454 とのたまふも、 とのたまふも、
216.6.11479455 (なに)かは。六位(ろくゐ)など(ひと)のあなづりはべるめれば、しばしのこととは(おも)うたまふれど、内裏(うち)(まゐ)るももの()くてなむ。故大臣(こおとど)おはしまさましかば、(たはぶ)れにても、(ひと)にはあなづられはべらざらまし。もの(へだ)てぬ(おや)におはすれど、いとけけしうさし(はな)ちて(おぼ)いたれば、おはしますあたりに、たやすくも(まゐ)()れはべらず。(ひんがし)(ゐん)にてのみなむ、御前近(おまへちか)くはべる。(たい)御方(おほんかた)こそ、あはれにものしたまへ、親今一所(おやいまひとところ)おはしまさましかば、(なに)ごとを(おも)ひはべらまし」 "なにかは。ろくゐなどひとのあなづりはべるめれば、しばしのこととはおもうたまふれど、うちまゐるもものくてなん。こおとどおはしまさましかば、たはぶれにても、ひとにはあなづられはべらざらまし。ものへだてぬおやにおはすれど、いとけけしうさしはなちておぼいたれば、おはしますあたりに、たやすくもまゐれはべらず。ひんがしゐんにてのみなん、おまへちかくはべる。たいおほんかたこそ、あはれにものしたまへ、おやいまひとところおはしまさましかば、なにごとをおもひはべらまし。"
216.6.12480456 とて、(なみだ)()つるを(まぎ)らはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、(みや)は、いとどほろほろと()きたまひて、 とて、なみだつるをまぎらはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、みやは、いとどほろほろときたまひて、
216.6.13481457 (はは)にも(おく)るる(ひと)は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世宿世(すくせすくせ)に、(ひと)()りたちぬれば、おろかに(おも)ふもなきわざなるを、(おも)()れぬさまにてものしたまへ。故大臣(こおとど)(いま)しばしだにものしたまへかし。(かぎ)りなき(かげ)には、(おな)じことと(たの)みきこゆれど、(おも)ふにかなはぬことの(おほ)かるかな。内大臣(うちのおとど)(こころ)ばへも、なべての(ひと)にはあらずと、世人(よひと)もめで()ふなれど、(むかし)()はることのみまさりゆくに、命長(いのちなが)さも(うら)めしきに、()先遠(さきとほ)(ひと)さへ、かくいささかにても、()(おも)ひしめりたまへれば、いとなむよろづ(うら)めしき()なる」 "ははにもおくるるひとは、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづからすくせすくせに、ひとりたちぬれば、おろかにおもふもなきわざなるを、おもれぬさまにてものしたまへ。こおとどいましばしだにものしたまへかし。かぎりなきかげには、おなじこととたのみきこゆれど、おもふにかなはぬことのおほかるかな。うちのおとどこころばへも、なべてのひとにはあらずと、よひともめでふなれど、むかしはることのみまさりゆくに、いのちながさもうらめしきに、さきとほひとさへ、かくいささかにても、おもひしめりたまへれば、いとなんよろづうらめしきなる。"
216.6.14482458 とて、()きおはします。 とて、きおはします。
217483459第七章 光る源氏の物語 六条院造営
217.1484460第一段 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸
217.1.1485461 朔日(ついたち)にも、大殿(おほとの)(おほん)ありきしなければ、のどやかにておはします。良房(よしふさ)大臣(おとど)()こえける、いにしへの(れい)になずらへて、白馬(あをむま)ひき、節会(せちゑ)()内裏(うち)儀式(ぎしき)をうつして、(むかし)(ためし)よりも事添(ことそ)へて、いつかしき(おほん)ありさまなり。 ついたちにも、おほとのおほんありきしなければ、のどやかにておはします。よしふさおとどこえける、いにしへのれいになずらへて、あをむまひき、せちゑうちぎしきをうつして、むかしためしよりもことそへて、いつかしきおほんありさまなり。
217.1.2486462 如月(きさらぎ)二十日(はつか)あまり、朱雀院(すざくゐん)行幸(ぎゃうがう)あり。花盛(はなざか)りはまだしきほどなれど、弥生(やよひ)故宮(こみや)御忌月(おほんきづき)なり。とく(ひら)けたる(さくら)(いろ)もいとおもしろければ、(ゐん)にも御用意(おほんようい)ことにつくろひ(みが)かせたまひ、行幸(ぎゃうがう)(つか)うまつりたまふ上達部(かんだちめ)親王(みこ)たちよりはじめ、(こころ)づかひしたまへり。 きさらぎはつかあまり、すざくゐんぎゃうがうあり。はなざかりはまだしきほどなれど、やよひこみやおほんきづきなり。とくひらけたるさくらいろもいとおもしろければ、ゐんにもおほんよういことにつくろひみがかせたまひ、ぎゃうがうつかうまつりたまふかんだちめみこたちよりはじめ、こころづかひしたまへり。
217.1.3487463 (ひと)びとみな、青色(あをいろ)に、桜襲(さくらがさね)()たまふ。(みかど)は、赤色(あかいろ)御衣(おほんぞ)たてまつれり。()しありて、太政大臣参(おほきおとどまゐ)りたまふ。おなじ赤色(あかいろ)()たまへれば、いよいよひとつものとかかやきて()えまがはせたまふ。(ひと)びとの装束(さうぞく)用意(ようい)(つね)にことなり。(ゐん)も、いときよらにねびまさらせたまひて、(おほん)さまの用意(ようい)、なまめきたる(かた)(すす)ませたまへり。 ひとびとみな、あをいろに、さくらがさねたまふ。みかどは、あかいろおほんぞたてまつれり。しありて、おほきおとどまゐりたまふ。おなじあかいろたまへれば、いよいよひとつものとかかやきてえまがはせたまふ。ひとびとのさうぞくよういつねにことなり。ゐんも、いときよらにねびまさらせたまひて、おほんさまのようい、なまめきたるかたすすませたまへり。
217.1.4488464 今日(けふ)は、わざとの文人(もんにん)()さず、ただその(ざえ)かしこしと()こえたる学生十人(がくしゃうじふにん)()す。式部(しきぶ)(つかさ)(こころ)みの(だい)をなずらへて、御題賜(おほんだいたま)ふ。大殿(おほとの)太郎君(たろうぎみ)(こころ)みたまふべきなめり。(おく)だかき(もの)どもは、ものもおぼえず、(つな)がぬ(ふね)()りて(いけ)(はな)()でて、いと(すべ)なげなり。 けふは、わざとのもんにんさず、ただそのざえかしこしとこえたるがくしゃうじふにんす。しきぶつかさこころみのだいをなずらへて、おほんだいたまふ。おほとのたろうぎみこころみたまふべきなめり。おくだかきものどもは、ものもおぼえず、つながぬふねりていけはなでて、いとすべなげなり。
217.1.5489465 ()やうやうくだりて、(がく)(ふね)ども()ぎまひて、調子(てうし)ども(そう)するほどの、山風(やまかぜ)(ひび)きおもしろく()きあはせたるに、冠者(かんざ)(きみ)は、 やうやうくだりて、がくふねどもぎまひて、てうしどもそうするほどの、やまかぜひびきおもしろくきあはせたるに、かんざきみは、
217.1.6490466 「かう(くる)しき(みち)ならでも()じらひ(あそ)びぬべきものを」 "かうくるしきみちならでもじらひあそびぬべきものを。"
217.1.7491467 と、()中恨(なかうら)めしうおぼえたまひけり。 と、なかうらめしうおぼえたまひけり。
217.1.8492468 春鴬囀(しゅん)(あうでんま)ふほどに、(むかし)(はな)(えん)のほど(おぼ)()でて、(ゐん)(みかど)も、 しゅん'あうでんまふほどに、むかしはなえんのほどおぼでて、ゐんみかども、
217.1.9493469 「また、さばかりのこと()てむや」 "また、さばかりのことてんや。"
217.1.10494470 とのたまはするにつけて、その()のことあはれに(おぼ)(つづ)けらる。()()つるほどに、大臣(おとど)(ゐん)御土器参(おほんかはらけまゐ)りたまふ。 とのたまはするにつけて、そののことあはれにおぼつづけらる。つるほどに、おとどゐんおほんかはらけまゐりたまふ。
217.1.11495471 (うぐひす)のさへづる(こゑ)(むかし)にて<BR/>(むつ)れし(はな)(かげ)()はれる」 "〔うぐひすのさへづるこゑむかしにて<BR/>むつれしはなかげはれる〕
217.1.12496472 (ゐん)(うへ) ゐんうへ
217.1.13497473 九重(ここのへ)霞隔(かすみへだ)つるすみかにも<BR/>(はる)()げくる(うぐひす)(こゑ) "〔ここのへかすみへだつるすみかにも<BR/>はるげくるうぐひすこゑ〕"
217.1.14498474 (そち)(みや)()こえし、(いま)兵部卿(ひゃうぶきゃう)にて、(いま)(うへ)御土器参(おほんかはらけまゐ)りたまふ。 そちみやこえし、いまひゃうぶきゃうにて、いまうへおほんかはらけまゐりたまふ。
217.1.15499475 「いにしへを()(つた)へたる笛竹(ふえたけ)に<BR/>さへづる(とり)()さへ()はらぬ」 "〔いにしへをつたへたるふえたけに<BR/>さへづるとりさへはらぬ〕
217.1.16500476 あざやかに(そう)しなしたまへる、用意(ようい)ことにめでたし。()らせたまひて、 あざやかにそうしなしたまへる、よういことにめでたし。らせたまひて、
217.1.17501477 (うぐひす)(むかし)()ひてさへづるは<BR/>木伝(こづた)(はな)(いろ)やあせたる」 "〔うぐひすむかしひてさへづるは<BR/>こづたはないろやあせたる〕
217.1.18502478 とのたまはする(おほん)ありさま、こよなくゆゑゆゑしくおはします。これは御私(おほんわたくし)ざまに、うちうちのことなれば、あまたにも(なが)れずやなりにけむ、また()(おと)してけるにやあらむ。 とのたまはするおほんありさま、こよなくゆゑゆゑしくおはします。これはおほんわたくしざまに、うちうちのことなれば、あまたにもながれずやなりにけん、またおとしてけるにやあらん。
217.1.19503479 楽所遠(がくそとほ)くておぼつかなければ、御前(おまへ)御琴(おほんこと)ども()す。兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)琵琶(びは)内大臣(うちのおとど)和琴(わごん)(しゃう)御琴(おほんこと)(ゐん)御前(おまへ)(まゐ)りて、(きん)は、(れい)太政大臣(おほきおとど)(たま)はりたまふ。せめきこえたまふ。さるいみじき上手(じゃうず)のすぐれたる御手(おほんて)づかひどもの、()くしたまへる()は、たとへむかたなし。唱歌(さうが)殿上人(てんじゃうびと)あまたさぶらふ。「安名尊(あなたふと)(あそ)びて、(つぎ)に「桜人(さくらびと)」。(つき)おぼろにさし()でてをかしきほどに、中島(なかじま)のわたりに、ここかしこ篝火(かがりび)ども(とも)して、大御遊(おほみあそ)びはやみぬ。 がくそとほくておぼつかなければ、おまへおほんことどもす。ひゃうぶきゃうのみやびはうちのおとどわごんしゃうおほんことゐんおまへまゐりて、きんは、れいおほきおとどたまはりたまふ。せめきこえたまふ。さるいみじきじゃうずのすぐれたるおほんてづかひどもの、くしたまへるは、たとへんかたなし。さうがてんじゃうびとあまたさぶらふ。〔あなたふとあそびて、つぎに〔さくらびと〕。つきおぼろにさしでてをかしきほどに、なかじまのわたりに、ここかしこかがりびどもともして、おほみあそびはやみぬ。
217.2504480第二段 弘徽殿大后を見舞う
217.2.1505481 夜更(よふ)けぬれど、かかるついでに、大后(おほきさい)(みや)おはします(かた)を、よきて(とぶ)らひきこえさせたまはざらむも、(なさ)けなければ、(かへ)さに(わた)らせたまふ。大臣(おとど)もろともにさぶらひたまふ。 よふけぬれど、かかるついでに、おほきさいみやおはしますかたを、よきてとぶらひきこえさせたまはざらんも、なさけなければ、かへさにわたらせたまふ。おとどもろともにさぶらひたまふ。
217.2.2506482 后待(きさきま)(よろこ)びたまひて、御対面(おほんたいめん)あり。いといたうさだ()ぎたまひにける(おほん)けはひにも、故宮(こみや)(おも)()できこえたまひて、「かく(なが)くおはしますたぐひもおはしけるものを」と、口惜(くちを)しう(おも)ほす。 きさきまよろこびたまひて、おほんたいめんあり。いといたうさだぎたまひにけるおほんけはひにも、こみやおもできこえたまひて、"かくながくおはしますたぐひもおはしけるものを。"と、くちをしうおもほす。
217.2.3507483 (いま)はかく()りぬる(よはひ)に、よろづのこと(わす)られはべりにけるを、いとかたじけなく(わた)りおはしまいたるになむ、さらに(むかし)御世(みよ)のこと(おも)()でられはべる」 "いまはかくりぬるよはひに、よろづのことわすられはべりにけるを、いとかたじけなくわたりおはしまいたるになん、さらにむかしみよのことおもでられはべる。"
217.2.4508484 と、うち()きたまふ。 と、うちきたまふ。
217.2.5509485 「さるべき御蔭(おほんかげ)どもに(おく)れはべりてのち、(はる)のけぢめも(おも)うたまへわかれぬを、今日(けふ)なむ(なぐさ)めはべりぬる。またまたも」 "さるべきおほんかげどもにおくれはべりてのち、はるのけぢめもおもうたまへわかれぬを、けふなんなぐさめはべりぬる。またまたも。"
217.2.6510486 ()こえたまふ。大臣(おとど)もさるべきさまに()こえて、 こえたまふ。おとどもさるべきさまにこえて、
217.2.7511487 「ことさらにさぶらひてなむ」 "ことさらにさぶらひてなん。"
217.2.8512488 ()こえたまふ。のどやかならで(かへ)らせたまふ(ひび)きにも、(きさき)は、なほ(むね)うち(さわ)ぎて、 こえたまふ。のどやかならでかへらせたまふひびきにも、きさきは、なほむねうちさわぎて、
217.2.9513489 「いかに(おぼ)()づらむ。()をたもちたまふべき御宿世(おほんすくせ)は、()たれぬものにこそ」 "いかにおぼづらん。をたもちたまふべきおほんすくせは、たれぬものにこそ。"
217.2.10514490 と、いにしへを()(おぼ)す。 と、いにしへをおぼす。
217.2.11515491 尚侍(ないしのかん)(きみ)も、のどやかに(おぼ)()づるに、あはれなること(おほ)かり。(いま)もさるべき(をり)(かぜ)のつてにもほのめききこえたまふこと()えざるべし。 ないしのかんきみも、のどやかにおぼづるに、あはれなることおほかり。いまもさるべきをりかぜのつてにもほのめききこえたまふことえざるべし。
217.2.12516492 (きさき)は、朝廷(おほやけ)(そう)せさせたまふことある時々(ときどき)ぞ、(おほん)たうばりの年官年爵(つかさかうぶり)(なに)くれのことに()れつつ、御心(みこころ)にかなはぬ(とき)ぞ、「命長(いのちなが)くてかかる()(すゑ)()ること」と、()(かへ)さまほしう、よろづ(おぼ)しむつかりける。 きさきは、おほやけそうせさせたまふことあるときどきぞ、おほんたうばりのつかさかうぶりなにくれのことにれつつ、みこころにかなはぬときぞ、"いのちながくてかかるすゑること。"と、かへさまほしう、よろづおぼしむつかりける。
217.2.13517493 ()いもておはするままに、さがなさもまさりて、(ゐん)もくらべ(くる)しう、たとへがたくぞ(おも)ひきこえたまひける。 いもておはするままに、さがなさもまさりて、ゐんもくらべくるしう、たとへがたくぞおもひきこえたまひける。
217.2.14518494 かくて、大学(だいがく)(きみ)、その()(ふみ)うつくしう(つく)りたまひて、進士(しんじ)になりたまひぬ。年積(としつ)もれるかしこき(もの)どもを()らばせたまひしかど、及第(きふだい)(ひと)、わづかに三人(さんにん)なむありける。 かくて、だいがくきみ、そのふみうつくしうつくりたまひて、しんじになりたまひぬ。としつもれるかしこきものどもをらばせたまひしかど、きふだいひと、わづかにさんにんなんありける。
217.2.15519495 (あき)司召(つかさめし)に、かうぶり()て、侍従(じじゅう)になりたまひぬ。かの(ひと)(おほん)こと、(わす)るる()なけれど、大臣(おとど)(せち)にまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなども対面(たいめん)したまはず。御消息(おほんせうそこ)ばかり、さりぬべきたよりに()こえたまひて、かたみに心苦(こころぐる)しき御仲(おほんなか)なり。 あきつかさめしに、かうぶりて、じじゅうになりたまひぬ。かのひとおほんこと、わするるなけれど、おとどせちにまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなどもたいめんしたまはず。おほんせうそこばかり、さりぬべきたよりにこえたまひて、かたみにこころぐるしきおほんなかなり。
217.3520496第三段 源氏、六条院造営を企図す
217.3.1521497 大殿(おほとの)(しづ)かなる御住(おほんす)まひを、(おな)じくは(ひろ)()どころありて、ここかしこにておぼつかなき山里人(やまざとびと)などをも、(つど)()ませむの御心(みこころ)にて、六条京極(ろくでうきゃうごく)のわたりに、中宮(ちゅうぐう)御古(おほんふる)(みや)のほとりを、四町(よまち)をこめて(つく)らせたまふ。 おほとのしづかなるおほんすまひを、おなじくはひろどころありて、ここかしこにておぼつかなきやまざとびとなどをも、つどませんのみこころにて、ろくでうきゃうごくのわたりに、ちゅうぐうおほんふるみやのほとりを、よまちをこめてつくらせたまふ。
217.3.2522498 式部卿宮(しきぶきゃうのみや)()けむ(とし)五十(ごじふ)になりたまひける御賀(おほんが)のこと、(たい)上思(うへおぼ)しまうくるに、大臣(おとど)も、「げに、()ぐしがたきことどもなり」と(おぼ)して、「さやうの(おほん)いそぎも、(おな)じくめづらしからむ御家居(おほんいへゐ)にて」と、いそがせたまふ。 しきぶきゃうのみやけんとしごじふになりたまひけるおほんがのこと、たいうへおぼしまうくるに、おとども、"げに、ぐしがたきことどもなり。"とおぼして、"さやうのおほんいそぎも、おなじくめづらしからんおほんいへゐにて。"と、いそがせたまふ。
217.3.3523499 年返(としかへ)りて、ましてこの(おほん)いそぎのこと、(おほん)としみのこと、楽人(がくにん)舞人(まひびと)(さだ)めなどを、御心(みこころ)()れていとなみたまふ。(きゃう)(ほとけ)法事(ほふじ)()装束(さうぞく)(ろく)などをなむ、(うへ)はいそがせたまひける。 としかへりて、ましてこのおほんいそぎのこと、おほんとしみのこと、がくにんまひびとさだめなどを、みこころれていとなみたまふ。きゃうほとけほふじさうぞくろくなどをなん、うへはいそがせたまひける。
217.3.4524500 (ひんがし)(ゐん)に、()けてしたまふことどもあり。(おほん)なからひ、ましていとみやびかに()こえ()はしてなむ、()ぐしたまひける。 ひんがしゐんに、けてしたまふことどもあり。おほんなからひ、ましていとみやびかにこえはしてなん、ぐしたまひける。
217.3.5525501 ()中響(なかひび)きゆすれる(おほん)いそぎなるを、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)にも()こしめして、 なかひびきゆすれるおほんいそぎなるを、しきぶきゃうのみやにもこしめして、
217.3.6526502 (とし)ごろ、()(なか)にはあまねき御心(みこころ)なれど、このわたりをばあやにくに(なさ)けなく、(こと)()れてはしたなめ、宮人(みやびと)をも御用意(おほんようい)なく、(うれ)はしきことのみ(おほ)かるに、つらしと(おも)()きたまふことこそはありけめ」 "としごろ、なかにはあまねきみこころなれど、このわたりをばあやにくになさけなく、ことれてはしたなめ、みやびとをもおほんよういなく、うれはしきことのみおほかるに、つらしとおもきたまふことこそはありけめ。"
217.3.7527503 と、いとほしくもからくも(おぼ)しけるを、かくあまたかかづらひたまへる(ひと)びと(おほ)かるなかに、()りわきたる御思(おほんおも)ひすぐれて、()(こころ)にくくめでたきことに、(おも)ひかしづかれたまへる御宿世(おほんすくせ)をぞ、わが(いへ)まではにほひ()ねど、面目(めいぼく)(おぼ)すに、また、 と、いとほしくもからくもおぼしけるを、かくあまたかかづらひたまへるひとびとおほかるなかに、りわきたるおほんおもひすぐれて、こころにくくめでたきことに、おもひかしづかれたまへるおほんすくせをぞ、わがいへまではにほひねど、めいぼくおぼすに、また、
217.3.8528504 「かくこの()にあまるまで、(ひび)かし(いとな)みたまふは、おぼえぬ(よはひ)(すゑ)(さか)えにもあるべきかな」 "かくこのにあまるまで、ひびかしいとなみたまふは、おぼえぬよはひすゑさかえにもあるべきかな。"
217.3.9529505 (よろこ)びたまふを、(きた)(かた)は、「(こころ)ゆかず、ものし」とのみ(おぼ)したり。女御(にょうご)(おほん)まじらひのほどなどにも、大臣(おとど)御用意(おほんようい)なきやうなるを、いよいよ(うら)めしと(おも)ひしみたまへるなるべし。 よろこびたまふを、きたかたは、"こころゆかず、ものし。"とのみおぼしたり。にょうごおほんまじらひのほどなどにも、おとどおほんよういなきやうなるを、いよいようらめしとおもひしみたまへるなるべし。
217.4530506第四段 秋八月に六条院完成
217.4.1531507 八月(はづき)にぞ、六条院造(ろくでうのゐんつく)()てて(わた)りたまふ。未申(ひつじさる)(まち)は、中宮(ちゅうぐう)御古宮(おほんふるみや)なれば、やがておはしますべし。辰巳(たつみ)は、殿(との)のおはすべき(まち)なり。丑寅(うしとら)は、(ひんがし)(ゐん)()みたまふ(たい)御方(おほんかた)戌亥(いぬゐ)(まち)は、明石(あかし)御方(おほんかた)(おぼ)しおきてさせたまへり。もとありける池山(いけやま)をも、便(びん)なき(ところ)なるをば(くづ)()へて、(みづ)(おもむ)き、(やま)のおきてを(あらた)めて、さまざまに、御方々(おほんかたがた)御願(おほんねが)ひの(こころ)ばへを(つく)らせたまへり。 はづきにぞ、ろくでうのゐんつくててわたりたまふ。ひつじさるまちは、ちゅうぐうおほんふるみやなれば、やがておはしますべし。たつみは、とののおはすべきまちなり。うしとらは、ひんがしゐんみたまふたいおほんかたいぬゐまちは、あかしおほんかたおぼしおきてさせたまへり。もとありけるいけやまをも、びんなきところなるをばくづへて、みづおもむき、やまのおきてをあらためて、さまざまに、おほんかたがたおほんねがひのこころばへをつくらせたまへり。
217.4.2532509 (みなみ)(ひんがし)は、山高(やまたか)く、(はる)(はな)()(かず)()くして()ゑ、(いけ)のさまおもしろくすぐれて、御前近(おまへちか)前栽(せんさい)五葉(ごえふ)紅梅(こうばい)(さくら)(ふぢ)山吹(やまぶき)岩躑躅(いはつつぢ)などやうの、(はる)のもてあそびをわざとは()ゑで、(あき)前栽(せんさい)をば、むらむらほのかに()ぜたり。 みなみひんがしは、やまたかく、はるはなかずくしてゑ、いけのさまおもしろくすぐれて、おまへちかせんさいごえふこうばいさくらふぢやまぶきいはつつぢなどやうの、はるのもてあそびをわざとはゑで、あきせんさいをば、むらむらほのかにぜたり。
217.4.3533511 中宮(ちゅうぐう)御町(おほんまち)をば、もとの(やま)に、紅葉(もみぢ)色濃(いろこ)かるべき植木(うゑき)どもを()へて、(いづみ)水遠(みづとほ)()ましやり、(みづ)(おと)まさるべき巌立(いはほた)(くは)へ、滝落(たきお)として、(あき)()をはるかに(つく)りたる、そのころにあひて、(さか)りに()(みだ)れたり。嵯峨(さが)大堰(おほゐ)のわたりの野山(のやま)無徳(むとく)にけおされたる(あき)なり。 ちゅうぐうおほんまちをば、もとのやまに、もみぢいろこかるべきうゑきどもをへて、いづみみづとほましやり、みづおとまさるべきいはほたくはへ、たきおとして、あきをはるかにつくりたる、そのころにあひて、さかりにみだれたり。さがおほゐのわたりののやまむとくにけおされたるあきなり。
217.4.4534513 (きた)(ひんがし)は、(すず)しげなる(いづみ)ありて、(なつ)(かげ)によれり。前近(まへちか)前栽(せんさい)呉竹(くれたけ)下風涼(したかぜすず)しかるべく、木高(こだか)(もり)のやうなる()ども木深(こぶか)くおもしろく、山里(やまざと)めきて、()(はな)垣根(かきね)ことさらにしわたして、(むかし)おぼゆる花橘(はなたちばな)撫子(なでしこ)薔薇(さうび)苦丹(くたに)などやうの(はな)草々(くさぐさ)()ゑて、春秋(はるあき)木草(きくさ)、そのなかにうち()ぜたり。東面(ひんがしおもて)は、()けて馬場(むまば)御殿作(おとどつく)り、埒結(らちゆ)ひて、五月(さつき)御遊(おほんあそ)(どころ)にて、(みづ)のほとりに菖蒲植(さうぶう)(しげ)らせて、()かひに御厩(おほんむまや)して、()になき上馬(じゃうめ)どもをととのへ()てさせたまへり。 きたひんがしは、すずしげなるいづみありて、なつかげによれり。まへちかせんさいくれたけしたかぜすずしかるべく、こだかもりのやうなるどもこぶかくおもしろく、やまざとめきて、はなかきねことさらにしわたして、むかしおぼゆるはなたちばななでしこさうびくたになどやうのはなくさぐさゑて、はるあききくさ、そのなかにうちぜたり。ひんがしおもては、けてむまばおとどつくり、らちゆひて、さつきおほんあそどころにて、みづのほとりにさうぶうしげらせて、かひにおほんむまやして、になきじゃうめどもをととのへてさせたまへり。
217.4.5535515 西(にし)(まち)は、北面築(きたおもてつ)()けて、御倉町(みくらまち)なり。(へだ)ての(かき)(まつ)木茂(きしげ)く、(ゆき)をもてあそばむたよりによせたり。(ふゆ)のはじめの(あさ)(しも)むすぶべき(きく)(まがき)、われは(がほ)なる柞原(ははそはら)、をさをさ()()らぬ深山木(みやまぎ)どもの、木深(こぶか)きなどを(うつ)()ゑたり。 にしまちは、きたおもてつけて、みくらまちなり。へだてのかきまつきしげく、ゆきをもてあそばんたよりによせたり。ふゆのはじめのあさしもむすぶべききくまがき、われはがほなるははそはら、をさをさらぬみやまぎどもの、こぶかきなどをうつゑたり。
217.5536516第五段 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる
217.5.1537517 彼岸(ひがん)のころほひ(わた)りたまふ。ひとたびにと(さだ)めさせたまひしかど、(さわ)がしきやうなりとて、中宮(ちゅうぐう)はすこし()べさせたまふ。(れい)のおいらかにけしきばまぬ花散里(はなちるさと)ぞ、その()()ひて(うつ)ろひたまふ。 ひがんのころほひわたりたまふ。ひとたびにとさだめさせたまひしかど、さわがしきやうなりとて、ちゅうぐうはすこしべさせたまふ。れいのおいらかにけしきばまぬはなちるさとぞ、そのひてうつろひたまふ。
217.5.2538518 (はる)(おほん)しつらひは、このころに()はねど、いと(こころ)ことなり。御車十五(おほんくるまじふご)御前四位五位(ごぜんしゐごゐ)がちにて、六位殿上人(ろくゐてんじゃうびと)などは、さるべき(かぎ)りを()らせたまへり。こちたきほどにはあらず、()のそしりもやと(はぶ)きたまへれば、何事(なにごと)もおどろおどろしういかめしきことはなし。 はるおほんしつらひは、このころにはねど、いとこころことなり。おほんくるまじふごごぜんしゐごゐがちにて、ろくゐてんじゃうびとなどは、さるべきかぎりをらせたまへり。こちたきほどにはあらず、のそしりもやとはぶきたまへれば、なにごともおどろおどろしういかめしきことはなし。
217.5.3539519 今一方(いまひとかた)()けしきも、をさをさ()としたまはで、侍従君添(じじゅうのきみそ)ひて、そなたはもてかしづきたまへば、げにかうもあるべきことなりけりと()えたり。 いまひとかたけしきも、をさをさとしたまはで、じじゅうのきみそひて、そなたはもてかしづきたまへば、げにかうもあるべきことなりけりとえたり。
217.5.4540520 女房(にょうばう)曹司町(ぞうしまち)ども、()()てのこまけぞ、おほかたのことよりもめでたかりける。 にょうばうぞうしまちども、てのこまけぞ、おほかたのことよりもめでたかりける。
217.5.5541521 (いつか)六日過(むいかす)ぎて、中宮(ちゅうぐう)まかでさせたまふ。この()けしきはた、さは()へど、いと所狭(ところせ)し。御幸(おほんさいは)ひのすぐれたまへりけるをばさるものにて、(おほん)ありさまの(こころ)にくく(おも)りかにおはしませば、()(おも)(おも)はれたまへること、すぐれてなむおはしましける。 いつかむいかすぎて、ちゅうぐうまかでさせたまふ。このけしきはた、さはへど、いとところせし。おほんさいはひのすぐれたまへりけるをばさるものにて、おほんありさまのこころにくくおもりかにおはしませば、おもおもはれたまへること、すぐれてなんおはしましける。
217.5.6542522 この町々(まちまち)(なか)(へだ)てには、(へい)ども(らう)などを、とかく()(かよ)はして、気近(けぢか)くをかしきあはひにしなしたまへり。 このまちまちなかへだてには、へいどもらうなどを、とかくかよはして、けぢかくをかしきあはひにしなしたまへり。
217.6543523第六段 九月、中宮と紫の上和歌を贈答
217.6.1544524 長月(ながつき)になれば、紅葉(もみぢ)むらむら(いろ)づきて、(みや)御前(おまへ)えも()はずおもしろし。(かぜ)うち()きたる夕暮(ゆふぐれ)に、御箱(おほんはこ)(ふた)に、色々(いろいろ)花紅葉(はなもみぢ)をこき()ぜて、こなたにたてまつらせたまへり。 ながつきになれば、もみぢむらむらいろづきて、みやおまへえもはずおもしろし。かぜうちきたるゆふぐれに、おほんはこふたに、いろいろはなもみぢをこきぜて、こなたにたてまつらせたまへり。
217.6.2545525 (おほ)きやかなる童女(わらは)の、()(あこめ)紫苑(しをん)織物重(おりものかさ)ねて、赤朽葉(あかくちば)(うすもの)汗衫(かざみ)、いといたうなれて、(らう)渡殿(わたどの)反橋(そりはし)(わた)りて(まゐ)る。うるはしき儀式(ぎしき)なれど、童女(わらは)のをかしきをなむ、え(おぼ)()てざりける。さる(ところ)にさぶらひなれたれば、もてなし、ありさま、(ほか)のには()ず、このましうをかし。御消息(おほんせうそこ)には、 おほきやかなるわらはの、あこめしをんおりものかさねて、あかくちばうすものかざみ、いといたうなれて、らうわたどのそりはしわたりてまゐる。うるはしきぎしきなれど、わらはのをかしきをなん、えおぼてざりける。さるところにさぶらひなれたれば、もてなし、ありさま、ほかのにはず、このましうをかし。おほんせうそこには、
217.6.3546526 (こころ)から(はる)まつ(その)はわが宿(やど)の<BR/>紅葉(もみぢ)(かぜ)のつてにだに()よ」 "〔こころからはるまつそのはわがやどの<BR/>もみぢかぜのつてにだによ〕
217.6.4547527 (わか)(ひと)びと、御使(おほんつかひ)もてはやすさまどもをかし。 わかひとびと、おほんつかひもてはやすさまどもをかし。
217.6.5548528 御返(おほんかへ)りは、この御箱(おほんはこ)(ふた)苔敷(こけし)き、(いはほ)などの(こころ)ばへして、五葉(ごえふ)(えだ)に、 おほんかへりは、このおほんはこふたこけしき、いはほなどのこころばへして、ごえふえだに、
217.6.6549529 (かぜ)()紅葉(もみぢ)(かろ)(はる)(いろ)を<BR/>岩根(いはね)(まつ)にかけてこそ()め」 "〔かぜもみぢかろはるいろを<BR/>いはねまつにかけてこそめ〕
217.6.7550530 この岩根(いはね)(まつ)も、こまかに()れば、えならぬ(つく)りごとどもなりけり。とりあへず(おも)()りたまひつるゆゑゆゑしさなどを、をかしく御覧(ごらん)ず。御前(おまへ)なる(ひと)びともめであへり。大臣(おとど) このいはねまつも、こまかにれば、えならぬつくりごとどもなりけり。とりあへずおもりたまひつるゆゑゆゑしさなどを、をかしくごらんず。おまへなるひとびともめであへり。おとど
217.6.8551531 「この紅葉(もみぢ)御消息(おほんせうそこ)、いとねたげなめり。(はる)花盛(はなざか)りに、この御応(おほんいら)へは()こえたまへ。このころ紅葉(もみぢ)()(くた)さむは、龍田姫(たつたひめ)(おも)はむこともあるを、さし退(しぞ)きて、(はな)(かげ)()(かく)れてこそ、(つよ)きことは()()め」 "このもみぢおほんせうそこ、いとねたげなめり。はるはなざかりに、このおほんいらへはこえたまへ。このころもみぢくたさんは、たつたひめおもはんこともあるを、さししぞきて、はなかげかくれてこそ、つよきことはめ。"
217.6.9552532 ()こえたまふも、いと(わか)やかに()きせぬ(おほん)ありさまの()どころ(おほ)かるに、いとど(おも)ふやうなる御住(おほんす)まひにて、()こえ(かよ)はしたまふ。 こえたまふも、いとわかやかにきせぬおほんありさまのどころおほかるに、いとどおもふやうなるおほんすまひにて、こえかよはしたまふ。
217.6.10553533 大堰(おほゐ)御方(おほんかた)は、「かう方々(かたがた)御移(おほんうつ)ろひ(さだ)まりて、(かず)ならぬ(ひと)は、いつとなく(まぎ)らはさむ」と(おぼ)して、神無月(かんなづき)になむ(わた)りたまひける。(おほん)しつらひ、ことのありさま(おと)らずして、(わた)したてまつりたまふ。姫君(ひめぎみ)(おほん)ためを(おぼ)せば、おほかたの作法(さほふ)も、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。 おほゐおほんかたは、"かうかたがたおほんうつろひさだまりて、かずならぬひとは、いつとなくまぎらはさん。"とおぼして、かんなづきになんわたりたまひける。おほんしつらひ、ことのありさまおとらずして、わたしたてまつりたまふ。ひめぎみおほんためをおぼせば、おほかたのさほふも、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。