帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
30 | 藤袴 |
30 | 1 | 64 | 35 | 第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係 |
30 | 1.1 | 65 | 36 | 第一段 玉鬘、内侍出仕前の不安 |
30 | 1.1.1 | 66 | 37 |
尚侍の御宮仕へのことを、誰れも誰れもそそのかしたまふも、 |
ないしのかみのおほんみやづかへのことを、たれもたれもそそのかしたまふも、 |
30 | 1.1.2 | 67 | 38 |
「いかならむ。親と思ひきこゆる人の御心だに、うちとくまじき世なりければ、ましてさやうの交じらひにつけて、心よりほかに便なきこともあらば、中宮も女御も、方がたにつけて心おきたまはば、はしたなからむに、わが身はかくはかなきさまにて、いづ方にも深く思ひとどめられたてまつれるほどもなく、浅きおぼえにて、ただならず思ひ言ひ、いかで人笑へなるさまに見聞きなさむと、うけひたまふ人びとも多く、とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべき」を、もの思し知るまじきほどにしあらねば、さまざまに思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。 |
"いかならん。おやとおもひきこゆるひとのみこころだに、うちとくまじきよなりければ、ましてさやうのまじらひにつけて、こころよりほかにびんなきこともあらば、ちゅうぐうもにょうごも、かたがたにつけてこころおきたまはば、はしたなからんに、わがみはかくはかなきさまにて、いづかたにもふかくおもひとどめられたてまつれるほどもなく、あさきおぼえにて、ただならずおもひいひ、いかでひとわらへなるさまにみききなさんと、うけひたまふひとびともおほく、とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべき"を、ものおぼししるまじきほどにしあらねば、さまざまにおもほしみだれ、ひとしれずものなげかし。 |
30 | 1.1.3 | 68 | 39 |
「さりとて、かかるありさまも悪しきことはなけれど、この大臣の御心ばへの、むつかしく心づきなきも、いかなるついでにかは、もて離れて、人の推し量るべかめる筋を、心きよくもあり果つべき。 |
"さりとて、かかるありさまもあしきことはなけれど、このおとどのみこころばへの、むつかしくこころづきなきも、いかなるついでにかは、もてはなれて、ひとのおしはかるべかめるすぢを、こころきよくもありはつべき。 |
30 | 1.1.4 | 69 | 40 |
まことの父大臣も、この殿の思さむところ、憚りたまひて、うけばりてとり放ち、けざやぎたまふべきことにもあらねば、なほとてもかくても、見苦しう、かけかけしきありさまにて、心を悩まし、人にもて騒がるべき身なめり」 |
まことのちちおとども、このとののおぼさんところ、はばかりたまひて、うけばりてとりはなち、けざやぎたまふべきことにもあらねば、なほとてもかくても、みぐるしう、かけかけしきありさまにて、こころをなやまし、ひとにもてさわがるべきみなめり。" |
30 | 1.1.5 | 70 | 41 |
と、なかなかこの親尋ねきこえたまひて後は、ことに憚りたまふけしきもなき大臣の君の御もてなしを取り加へつつ、人知れずなむ嘆かしかりける。 |
と、なかなかこのおやたづねきこえたまひてのちは、ことにはばかりたまふけしきもなきおとどのきみのおほんもてなしをとりくはへつつ、ひとしれずなんなげかしかりける。 |
30 | 1.1.6 | 71 | 42 |
思ふことを、まほならずとも、片端にてもうちかすめつべき女親もおはせず、いづ方もいづ方も、いと恥づかしげに、いとうるはしき御さまどもには、何ごとをかは、さなむ、かくなむとも聞こえ分きたまはむ。世の人に似ぬ身のありさまを、うち眺めつつ、夕暮の空のあはれげなるけしきを、端近うて見出だしたまへるさま、いとをかし。 |
おもふことを、まほならずとも、かたはしにてもうちかすめつべきをんなおやもおはせず、いづかたもいづかたも、いとはづかしげに、いとうるはしきおほんさまどもには、なにごとをかは、さなん、かくなんともきこえわきたまはん。よのひとににぬみのありさまを、うちながめつつ、ゆふぐれのそらのあはれげなるけしきを、はしちかうてみいだしたまへるさま、いとをかし。 |
30 | 1.2 | 72 | 43 | 第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問 |
30 | 1.2.1 | 73 | 44 |
薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれて、例に変はりたる色あひにしも、容貌はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前なる人びとは、うち笑みて見たてまつるに、宰相中将、同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。 |
うすきにびいろのおほんぞ、なつかしきほどにやつれて、れいにかはりたるいろあひにしも、かたちはいとはなやかにもてはやされておはするを、おまへなるひとびとは、うちゑみてみたてまつるに、さいしゃうのちゅうじゃう、おなじいろの、いますこしこまやかなるなほしすがたにて、えいまきたまへるすがたしも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。 |
30 | 1.2.2 | 74 | 45 |
初めより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、もて離れて疎々しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に几帳添へたる御対面は、人伝てならでありけり。殿の御消息にて、内裏より仰せ言あるさま、やがてこの君のうけたまはりたまへるなりけり。 |
はじめより、ものまめやかにこころよせきこえたまへば、もてはなれてうとうとしきさまには、もてなしたまはざりしならひに、いま、あらざりけりとて、こよなくかはらんもうたてあれば、なほみすにきちゃうそへたるおほんたいめんは、ひとづてならでありけり。とののおほんせうそこにて、うちよりおほせごとあるさま、やがてこのきみのうけたまはりたまへるなりけり。 |
30 | 1.2.3 | 75 | 46 |
御返り、おほどかなるものから、いとめやすく聞こえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かの野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋に思ひし、聞き明らめて後は、なほもあらぬ心地添ひて、 |
おほんかへり、おほどかなるものから、いとめやすくきこえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かののわきのあしたのおほんあさがほは、こころにかかりてこひしきを、うたてあるすぢにおもひし、ききあきらめてのちは、なほもあらぬここちそひて、 |
30 | 1.2.4 | 76 | 47 |
「この宮仕ひを、おほかたにしも思し放たじかし。さばかり見所ある御あはひどもにて、をかしきさまなることのわづらはしき、はた、かならず出で来なむかし」 |
"このみやづかひを、おほかたにしもおぼしはなたじかし。さばかりみどころあるおほんあはひどもにて、をかしきさまなることのわづらはしき、はた、かならずいできなんかし。" |
30 | 1.2.5 | 77 | 48 |
と思ふに、ただならず、胸ふたがる心地すれど、つれなくすくよかにて、 |
とおもふに、ただならず、むねふたがるここちすれど、つれなくすくよかにて、 |
30 | 1.2.6 | 78 | 49 |
「人に聞かすまじとはべりつることを聞こえさせむに、いかがはべるべき」 |
"ひとにきかすまじとはべりつることをきこえさせんに、いかがはべるべき。" |
30 | 1.2.7 | 79 | 50 |
とけしき立てば、近くさぶらふ人も、すこし退きつつ、御几帳のうしろなどにそばみあへり。 |
とけしきだてば、ちかくさぶらふひとも、すこししりぞきつつ、みきちゃうのうしろなどにそばみあへり。 |
30 | 1.3 | 80 | 51 | 第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る |
30 | 1.3.1 | 81 | 52 |
そら消息をつきづきしくとり続けて、こまやかに聞こえたまふ。主上の御けしきのただならぬ筋を、さる御心したまへ、などやうの筋なり。いらへたまはむ言もなくて、ただうち嘆きたまへるほど、忍びやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえ忍ぶまじく、 |
そらせうそこをつきづきしくとりつづけて、こまやかにきこえたまふ。うへのみけしきのただならぬすぢを、さるみこころしたまへ、などやうのすぢなり。いらへたまはんこともなくて、ただうちなげきたまへるほど、しのびやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえしのぶまじく、 |
30 | 1.3.2 | 82 | 53 |
「御服も、この月には脱がせたまふべきを、日ついでなむ吉ろしからざりける。十三日に、河原へ出でさせたまふべきよしのたまはせつ。なにがしも御供にさぶらふべくなむ思ひたまふる」 |
"おほんぶくも、このつきにはぬがせたまふべきを、ひついでなんよろしからざりける。じふさんにちに、かはらへいでさせたまふべきよしのたまはせつ。なにがしもおほんともにさぶらふべくなんおもひたまふる。" |
30 | 1.3.3 | 83 | 54 |
と聞こえたまへば、 |
ときこえたまへば、 |
30 | 1.3.4 | 84 | 55 |
「たぐひたまはむもことことしきやうにやはべらむ。忍びやかにてこそよくはべらめ」 |
"たぐひたまはんもことことしきやうにやはべらん。しのびやかにてこそよくはべらめ。" |
30 | 1.3.5 | 85 | 56 |
とのたまふ。この御服なんどの詳しきさまを、人にあまねく知らせじとおもむけたまへるけしき、いと労あり。中将も、 |
とのたまふ。このおほんぶくなんどのくはしきさまを、ひとにあまねくしらせじとおもむけたまへるけしき、いとらうあり。ちゅうじゃうも、 |
30 | 1.3.6 | 86 | 57 |
「漏らさじと、つつませたまふらむこそ、心憂けれ。忍びがたく思ひたまへらるる形見なれば、脱ぎ捨てはべらむことも、いともの憂くはべるものを。さても、あやしうもて離れぬことの、また心得がたきにこそはべれ。この御あらはし衣の色なくは、えこそ思ひたまへ分くまじかりけれ」 |
"もらさじと、つつませたまふらんこそ、こころうけれ。しのびがたくおもひたまへらるるかたみなれば、ぬぎすてはべらんことも、いとものうくはべるものを。さても、あやしうもてはなれぬことの、またこころえがたきにこそはべれ。このおほんあらはしごろものいろなくは、えこそおもひたまへわくまじかりけれ。" |
30 | 1.3.7 | 87 | 58 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
30 | 1.3.8 | 88 | 59 |
「何ごとも思ひ分かぬ心には、ましてともかくも思ひたまへたどられはべらねど、かかる色こそ、あやしくものあはれなるわざにはべりけれ」 |
"なにごともおもひわかぬこころには、ましてともかくもおもひたまへたどられはべらねど、かかるいろこそ、あやしくものあはれなるわざにはべりけれ。" |
30 | 1.3.9 | 89 | 60 |
とて、例よりもしめりたる御けしき、いとらうたげにをかし。 |
とて、れいよりもしめりたるみけしき、いとらうたげにをかし。 |
30 | 1.4 | 90 | 61 | 第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す |
30 | 1.4.1 | 91 | 62 |
かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、 |
かかるついでにとやおもひよりけん、らにのはなのいとおもしろきをもたまへりけるを、みすのつまよりさしいれて、 |
30 | 1.4.2 | 92 | 64 |
「これも御覧ずべきゆゑはありけり」 |
"これもごらんずべきゆゑはありけり。" |
30 | 1.4.3 | 93 | 65 |
とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。 |
とて、とみにもゆるさでもたまへれば、うつたへにおもひよらでとりたまふおほんそでを、ひきうごかしたり。 |
30 | 1.4.4 | 94 | 66 |
「同じ野の露にやつるる藤袴<BR/>あはれはかけよかことばかりも」 |
"〔おなじののつゆにやつるるふぢばかま<BR/>あはれはかけよかことばかりも〕 |
30 | 1.4.5 | 95 | 67 |
「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、 |
〔みちのはてなる〕とかや、いとこころづきなくうたてなりぬれど、みしらぬさまに、やをらひきいりて、 |
30 | 1.4.6 | 96 | 68 |
「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば<BR/>薄紫やかことならまし |
"〔たづぬるにはるけきのべのつゆならば<BR/>うすむらさきやかことならまし |
30 | 1.4.7 | 97 | 69 |
かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」 |
かやうにてきこゆるより、ふかきゆゑはいかが。" |
30 | 1.4.8 | 98 | 70 |
とのたまへば、すこしうち笑ひて、 |
とのたまへば、すこしうちわらひて、 |
30 | 1.4.9 | 99 | 71 |
「浅きも深きも、思し分く方ははべりなむと思ひたまふる。まめやかには、いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心のうちを、いかでかしろしめさるべき。なかなか思し疎まむがわびしさに、いみじく籠めはべるを、今はた同じと、思ひたまへわびてなむ。 |
"あさきもふかきも、おぼしわくかたははべりなんとおもひたまふる。まめやかには、いとかたじけなきすぢをおもひしりながら、えしづめはべらぬこころのうちを、いかでかしろしめさるべき。なかなかおぼしうとまんがわびしさに、いみじくこめはべるを、いまはたおなじと、おもひたまへわびてなん。 |
30 | 1.4.10 | 100 | 72 |
頭中将のけしきは御覧じ知りきや。人の上に、なんど思ひはべりけむ。身にてこそ、いとをこがましく、かつは思ひたまへ知られけれ。なかなか、かの君は思ひさまして、つひに、御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたるけしきなど見はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」 |
とうのちゅうじゃうのけしきはごらんじしりきや。ひとのうへに、なんどおもひはべりけん。みにてこそ、いとをこがましく、かつはおもひたまへしられけれ。なかなか、かのきみはおもひさまして、つひに、おほんあたりはなるまじきたのみに、おもひなぐさめたるけしきなどみはべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだにおぼしおけよ。" |
30 | 1.4.11 | 101 | 73 |
など、こまかに聞こえ知らせたまふこと多かれど、かたはらいたければ書かぬなり。 |
など、こまかにきこえしらせたまふことおほかれど、かたはらいたければかかぬなり。 |
30 | 1.4.12 | 102 | 74 |
尚侍の君、やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、 |
かんのきみ、やうやうひきいりつつ、むつかしとおぼしたれば、 |
30 | 1.4.13 | 103 | 75 |
「心憂き御けしきかな。過ちすまじき心のほどは、おのづから御覧じ知らるるやうもはべらむものを」 |
"こころうきみけしきかな。あやまちすまじきこころのほどは、おのづからごらんじしらるるやうもはべらんものを。" |
30 | 1.4.14 | 104 | 76 |
とて、かかるついでに、今すこし漏らさまほしけれど、 |
とて、かかるついでに、いますこしもらさまほしけれど、 |
30 | 1.4.15 | 105 | 77 |
「あやしくなやましくなむ」 |
"あやしくなやましくなん。" |
30 | 1.4.16 | 106 | 78 |
とて、入り果てたまひぬれば、いといたくうち嘆きて立ちたまひぬ。 |
とて、いりはてたまひぬれば、いといたくうちなげきてたちたまひぬ。 |
30 | 1.5 | 107 | 79 | 第五段 夕霧、源氏に復命 |
30 | 1.5.1 | 108 | 80 |
「なかなかにもうち出でてけるかな」と、口惜しきにつけても、かの、今すこし身にしみておぼえし御けはひを、かばかりの物越しにても、「ほのかに御声をだに、いかならむついでにか聞かむ」と、やすからず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、御返りなど聞こえたまふ。 |
"なかなかにもうちいでてけるかな。"と、くちをしきにつけても、かの、いますこしみにしみておぼえしおほんけはひを、かばかりのものごしにても、"ほのかにおほんこゑをだに、いかならんついでにかきかん。"と、やすからずおもひつつ、おまへにまゐりたまへれば、いでたまひて、おほんかへりなどきこえたまふ。 |
30 | 1.5.2 | 109 | 81 |
「この宮仕へを、しぶげにこそ思ひたまへれ。宮などの、練じたまへる人にて、いと心深きあはれを尽くし、言ひ悩ましたまふになむ、心やしみたまふらむと思ふになむ、心苦しき。 |
"このみやづかへを、しぶげにこそおもひたまへれ。みやなどの、れんじたまへるひとにて、いとこころふかきあはれをつくし、いひなやましたまふになん、こころやしみたまふらんとおもふになん、こころぐるしき。 |
30 | 1.5.3 | 110 | 82 |
されど、大原野の行幸に、主上を見たてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、と思ひたまへりき。若き人は、ほのかにも見たてまつりて、えしも宮仕への筋もて離れじ。さ思ひてなむ、このこともかくものせし」 |
されど、おほはらののみゆきに、うへをみたてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、とおもひたまへりき。わかきひとは、ほのかにもみたてまつりて、えしもみやづかへのすぢもてはなれじ。さおもひてなん、このこともかくものせし。" |
30 | 1.5.4 | 111 | 83 |
などのたまへば、 |
などのたまへば、 |
30 | 1.5.5 | 112 | 84 |
「さても、人ざまは、いづ方につけてかは、たぐひてものしたまふらむ。中宮、かく並びなき筋にておはしまし、また、弘徽殿、やむごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじき御思ひありとも、立ち並びたまふこと、かたくこそはべらめ。 |
"さても、ひとざまは、いづかたにつけてかは、たぐひてものしたまふらん。ちゅうぐう、かくならびなきすぢにておはしまし、また、こうきでん、やんごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじきおほんおもひありとも、たちならびたまふこと、かたくこそはべらめ。 |
30 | 1.5.6 | 113 | 85 |
宮は、いとねむごろに思したなるを、わざと、さる筋の御宮仕へにもあらぬものから、ひき違へたらむさまに御心おきたまはむも、さる御仲らひにては、いといとほしくなむ聞きたまふる」 |
みやは、いとねんごろにおぼしたなるを、わざと、さるすぢのおほんみやづかへにもあらぬものから、ひきたがへたらんさまにみこころおきたまはんも、さるおほんなからひにては、いといとほしくなんききたまふる。" |
30 | 1.5.7 | 114 | 86 |
と、おとなおとなしく申したまふ。 |
と、おとなおとなしくまうしたまふ。 |
30 | 1.6 | 115 | 87 | 第六段 源氏の考え方 |
30 | 1.6.1 | 116 | 88 |
「かたしや。わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ、我をこそ恨むなれ。すべて、かかることの心苦しさを見過ぐさで、あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわざなりけり。かの母君の、あはれに言ひおきしことの忘れざりしかば、心細き山里になど聞きしを、かの大臣、はた、聞き入れたまふべくもあらずと愁へしに、いとほしくて、かく渡しはじめたるなり。ここにかくものめかすとて、かの大臣も人めかいたまふなめり」 |
"かたしや。わがこころひとつなるひとのうへにもあらぬを、だいしゃうさへ、われをこそうらむなれ。すべて、かかることのこころぐるしさをみすぐさで、あやなきひとのうらみおふ、かへりてはかるがるしきわざなりけり。かのははぎみの、あはれにいひおきしことのわすれざりしかば、こころぼそきやまざとになどききしを、かのおとど、はた、ききいれたまふべくもあらずとうれへしに、いとほしくて、かくわたしはじめたるなり。ここにかくものめかすとて、かのおとどもひとめかいたまふなめり。" |
30 | 1.6.2 | 117 | 89 |
と、つきづきしくのたまひなす。 |
と、つきづきしくのたまひなす。 |
30 | 1.6.3 | 118 | 90 |
「人柄は、宮の御人にていとよかるべし。今めかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、過ちすまじくなどして、あはひはめやすからむ。さてまた、宮仕へにも、いとよく足らひたらむかし。容貌よく、らうらうじきものの、公事などにもおぼめかしからず、はかばかしくて、主上の常に願はせたまふ御心には、違ふまじ」 |
"ひとがらは、みやのおほんひとにていとよかるべし。いまめかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、あやまちすまじくなどして、あはひはめやすからん。さてまた、みやづかへにも、いとよくたらひたらんかし。かたちよく、らうらうじきものの、おほやけごとなどにもおぼめかしからず、はかばかしくて、うへのつねにねがはせたまふみこころには、たがふまじ。" |
30 | 1.6.4 | 119 | 91 |
などのたまふけしきの見まほしければ、 |
などのたまふけしきのみまほしければ、 |
30 | 1.6.5 | 120 | 92 |
「年ごろかくて育みきこえたまひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣も、さやうになむおもむけて、大将の、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、応へける」 |
"としごろかくてはぐくみきこえたまひけるみこころざしを、ひがざまにこそひとはまうすなれ。かのおとども、さやうになんおもむけて、だいしゃうの、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、いらへける。" |
30 | 1.6.6 | 121 | 93 |
と聞こえたまへば、うち笑ひて、 |
ときこえたまへば、うちわらひて、 |
30 | 1.6.7 | 122 | 94 |
「かたがたいと似げなきことかな。なほ、宮仕へをも、御心許して、かくなむと思されむさまにぞ従ふべき。女は三つに従ふものにこそあなれど、ついでを違へて、おのが心にまかせむことは、あるまじきことなり」 |
"かたがたいとにげなきことかな。なほ、みやづかへをも、みこころゆるして、かくなんとおぼされんさまにぞしたがふべき。をんなはみつにしたがふものにこそあなれど、ついでをたがへて、おのがこころにまかせんことは、あるまじきことなり。" |
30 | 1.6.8 | 123 | 95 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
30 | 1.7 | 124 | 96 | 第七段 玉鬘の出仕を十月と決定 |
30 | 1.7.1 | 125 | 97 |
「うちうちにも、やむごとなきこれかれ、年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕への筋に、領ぜむと思しおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、よろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」 |
"うちうちにも、やんごとなきこれかれ、としごろをへてものしたまへば、えそのすぢのひとかずにはものしたまはで、すてがてらにかくゆづりつけ、おほぞうのみやづかへのすぢに、らうぜんとおぼしおきつる、いとかしこくかどあることなりとなん、よろこびまうされけると、たしかにひとのかたりまうしはべりしなり。" |
30 | 1.7.2 | 126 | 98 |
と、いとうるはしきさまに語り申したまへば、「げに、さは思ひたまふらむかし」と思すに、いとほしくて、 |
と、いとうるはしきさまにかたりまうしたまへば、"げに、さはおもひたまふらんかし。"とおぼすに、いとほしくて、 |
30 | 1.7.3 | 127 | 99 |
「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈なしや」 |
"いとまがまがしきすぢにもおもひよりたまひけるかな。いたりふかきみこころならひならんかし。いまおのづから、いづかたにつけても、あらはなることありなん。おもひくまなしや。" |
30 | 1.7.4 | 128 | 100 |
と笑ひたまふ。御けしきはけざやかなれど、なほ、疑ひは置かる。大臣も、 |
とわらひたまふ。みけしきはけざやかなれど、なほ、うたがひはおかる。おとども、 |
30 | 1.7.5 | 129 | 101 |
「さりや。かく人の推し量る、案に落つることもあらましかば、いと口惜しくねぢけたらまし。かの大臣に、いかで、かく心清きさまを知らせたてまつらむ」 |
"さりや。かくひとのおしはかる、あんにおつることもあらましかば、いとくちをしくねぢけたらまし。かのおとどに、いかで、かくこころぎよきさまをしらせたてまつらん。" |
30 | 1.7.6 | 130 | 102 |
と思すにぞ、「げに、宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかな」と、むくつけく思さる。 |
とおぼすにぞ、"げに、みやづかへのすぢにて、けざやかなるまじくまぎれたるおぼえを、かしこくもおもひよりたまひけるかな。"と、むくつけくおぼさる。 |
30 | 1.7.7 | 131 | 103 |
かくて御服など脱ぎたまひて、 |
かくておほんぶくなどぬぎたまひて、 |
30 | 1.7.8 | 132 | 104 |
「月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし。十月ばかりに」 |
"つきたたば、なほまゐりたまはんこといみあるべし。かんなづきばかりに。" |
30 | 1.7.9 | 133 | 105 |
と思しのたまふを、内裏にも心もとなく聞こし召し、聞こえたまふ人びとは、誰も誰も、いと口惜しくて、この御参りの先にと、心寄せのよすがよすがに責めわびたまへど、 |
とおぼしのたまふを、うちにもこころもとなくきこしめし、きこえたまふひとびとは、たれもたれも、いとくちをしくて、このおほんまゐりのさきにと、こころよせのよすがよすがにせめわびたまへど、 |
30 | 1.7.10 | 134 | 106 |
「吉野の滝を堰かむよりも難きことなれば、いとわりなし」 |
"よしののたきをせかんよりもかたきことなれば、いとわりなし。" |
30 | 1.7.11 | 135 | 107 |
と、おのおの応ふ。 |
と、おのおのいらふ。 |
30 | 1.7.12 | 136 | 108 |
中将も、なかなかなることをうち出でて、「いかに思すらむ」と苦しきままに、駆けりありきて、いとねむごろに、おほかたの御後見を思ひあつかひたるさまにて、追従しありきたまふ。たはやすく、軽らかにうち出でては聞こえかかりたまはず、めやすくもてしづめたまへり。 |
ちゅうじゃうも、なかなかなることをうちいでて、"いかにおぼすらん。"とくるしきままに、かけりありきて、いとねんごろに、おほかたのおほんうしろみをおもひあつかひたるさまにて、ついせうしありきたまふ。たはやすく、かるらかにうちいでてはきこえかかりたまはず、めやすくもてしづめたまへり。 |
30 | 2 | 137 | 109 | 第二章 玉鬘の物語 玉鬘と柏木との新関係 |
30 | 2.1 | 138 | 110 | 第一段 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問 |
30 | 2.1.1 | 139 | 111 |
まことの御はらからの君たちは、え寄り来ず、「宮仕へのほどの御後見を」と、おのおの心もとなくぞ思ひける。 |
まことのおほんはらからのきみたちは、えよりこず、"みやづかへのほどのおほんうしろみを。"と、おのおのこころもとなくぞおもひける。 |
30 | 2.1.2 | 140 | 112 |
頭中将、心を尽くしわびしことは、かき絶えにたるを、「うちつけなりける御心かな」と、人びとはをかしがるに、殿の御使にておはしたり。なほもて出でず、忍びやかに御消息なども聞こえ交はしたまひければ、月の明かき夜、桂の蔭に隠れてものしたまへり。見聞き入るべくもあらざりしを、名残なく南の御簾の前に据ゑたてまつる。 |
とうのちゅうじゃう、こころをつくしわびしことは、かきたえにたるを、"うちつけなりけるみこころかな。"と、ひとびとはをかしがるに、とののおほんつかひにておはしたり。なほもていでず、しのびやかにおほんせうそこなどもきこえかはしたまひければ、つきのあかきよ、かつらのかげにかくれてものしたまへり。みききいるべくもあらざりしを、なごりなくみなみのみすのまへにすゑたてまつる。 |
30 | 2.1.3 | 141 | 113 |
みづから聞こえたまはむことはしも、なほつつましければ、宰相の君して応へ聞こえたまふ。 |
みづからきこえたまはんことはしも、なほつつましければ、さいしゃうのきみしていらへきこえたまふ。 |
30 | 2.1.4 | 142 | 114 |
「なにがしらを選びてたてまつりたまへるは、人伝てならぬ御消息にこそはべらめ。かくもの遠くては、いかが聞こえさすべからむ。みづからこそ、数にもはべらねど、絶えぬたとひもはべなるは。いかにぞや、古代のことなれど、頼もしくぞ思ひたまへける」 |
"なにがしらをえらびてたてまつりたまへるは、ひとづてならぬおほんせうそこにこそはべらめ。かくものとほくては、いかがきこえさすべからん。みづからこそ、かずにもはべらねど、たえぬたとひもはべなるは。いかにぞや、こたいのことなれど、たのもしくぞおもひたまへける。" |
30 | 2.1.5 | 143 | 115 |
とて、ものしと思ひたまへり。 |
とて、ものしとおもひたまへり。 |
30 | 2.1.6 | 144 | 116 |
「げに、年ごろの積もりも取り添へて、聞こえまほしけれど、日ごろあやしく悩ましくはべれば、起き上がりなどもえしはべらでなむ。かくまでとがめたまふも、なかなか疎々しき心地なむしはべりける」 |
"げに、としごろのつもりもとりそへて、きこえまほしけれど、ひごろあやしくなやましくはべれば、おきあがりなどもえしはべらでなん。かくまでとがめたまふも、なかなかうとうとしきここちなんしはべりける。" |
30 | 2.1.7 | 145 | 117 |
と、いとまめだちて聞こえ出だしたまへり。 |
と、いとまめだちてきこえいだしたまへり。 |
30 | 2.1.8 | 146 | 118 |
「悩ましく思さるらむ御几帳のもとをば、許させたまふまじくや。よしよし。げに、聞こえさするも、心地なかりけり」 |
"なやましくおぼさるらんみきちゃうのもとをば、ゆるさせたまふまじくや。よしよし。げに、きこえさするも、ここちなかりけり。" |
30 | 2.1.9 | 147 | 119 |
とて、大臣の御消息ども忍びやかに聞こえたまふ用意など、人には劣りたまはず、いとめやすし。 |
とて、おとどのおほんせうそこどもしのびやかにきこえたまふよういなど、ひとにはおとりたまはず、いとめやすし。 |
30 | 2.2 | 148 | 120 | 第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す |
30 | 2.2.1 | 149 | 121 |
「参りたまはむほどの案内、詳しきさまもえ聞かぬを、うちうちにのたまはむなむよからむ。何ごとも人目に憚りて、え参り来ず、聞こえぬことをなむ、なかなかいぶせく思したる」 |
"まゐりたまはんほどのあない、くはしきさまもえきかぬを、うちうちにのたまはんなんよからん。なにごともひとめにはばかりて、えまゐりこず、きこえぬことをなん、なかなかいぶせくおぼしたる。" |
30 | 2.2.2 | 150 | 122 |
など、語りきこえたまふついでに、 |
など、かたりきこえたまふついでに、 |
30 | 2.2.3 | 151 | 123 |
「いでや、をこがましきことも、えぞ聞こえさせぬや。いづ方につけても、あはれをば御覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひはべるかな。まづは、今宵などの御もてなしよ。北面だつ方に召し入れて、君達こそめざましくも思し召さめ、下仕へなどやうの人びととだに、うち語らはばや。またかかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしき世なりかし」 |
"いでや、をこがましきことも、えぞきこえさせぬや。いづかたにつけても、あはれをばごらんじすぐすべくやはありけると、いよいようらめしさもそひはべるかな。まづは、こよひなどのおほんもてなしよ。きたおもてだつかたにめしいれて、きんだちこそめざましくもおぼしめさめ、しもづかへなどやうのひとびととだに、うちかたらはばや。またかかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしきよなりかし。" |
30 | 2.2.4 | 152 | 124 |
と、うち傾きつつ、恨み続けたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。 |
と、うちかたぶきつつ、うらみつづけたるもをかしければ、かくなんときこゆ。 |
30 | 2.2.5 | 153 | 125 |
「げに、人聞きを、うちつけなるやうにやと憚りはべるほどに、年ごろの埋れいたさをも、あきらめはべらぬは、いとなかなかなること多くなむ」 |
"げに、ひとぎきを、うちつけなるやうにやとはばかりはべるほどに、としごろのむもれいたさをも、あきらめはべらぬは、いとなかなかなることおほくなん。" |
30 | 2.2.6 | 154 | 126 |
と、ただすくよかに聞こえなしたまふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。 |
と、ただすくよかにきこえなしたまふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。 |
30 | 2.2.7 | 155 | 127 |
「妹背山深き道をば尋ねずて<BR/>緒絶の橋に踏み迷ひける |
"〔いもせやまふかきみちをばたづねずて<BR/>をだえのはしにふみまよひける |
30 | 2.2.8 | 156 | 128 |
よ」 |
よ。" |
30 | 2.2.9 | 157 | 129 |
と恨むるも、人やりならず。 |
とうらむるも、ひとやりならず。 |
30 | 2.2.10 | 158 | 130 |
「惑ひける道をば知らず妹背山<BR/>たどたどしくぞ誰も踏み見し」 |
"〔まどひけるみちをばしらずいもせやま<BR/>たどたどしくぞたれもふみみし〕 |
30 | 2.2.11 | 159 | 131 |
「いづ方のゆゑとなむ、え思し分かざめりし。何ごとも、わりなきまで、おほかたの世を憚らせたまふめれば、え聞こえさせたまはぬになむ。おのづからかくのみもはべらじ」 |
"いづかたのゆゑとなん、えおぼしわかざめりし。なにごとも、わりなきまで、おほかたのよをはばからせたまふめれば、えきこえさせたまはぬになん。おのづからかくのみもはべらじ。" |
30 | 2.2.12 | 160 | 132 |
と聞こゆるも、さることなれば、 |
ときこゆるも、さることなれば、 |
30 | 2.2.13 | 161 | 133 |
「よし、長居しはべらむも、すさまじきほどなり。やうやう労積もりてこそは、かことをも」 |
"よし、ながゐしはべらんも、すさまじきほどなり。やうやうらうつもりてこそは、かことをも。" |
30 | 2.2.14 | 162 | 134 |
とて、立ちたまふ。 |
とて、たちたまふ。 |
30 | 2.2.15 | 163 | 135 |
月隈なくさし上がりて、空のけしきも艶なるに、いとあてやかにきよげなる容貌して、御直衣の姿、好ましくはなやかにて、いとをかし。 |
つきくまなくさしあがりて、そらのけしきもえんなるに、いとあてやかにきよげなるかたちして、おほんなほしのすがた、このましくはなやかにて、いとをかし。 |
30 | 2.2.16 | 164 | 136 |
宰相中将のけはひありさまには、え並びたまはねど、これもをかしかめるは、「いかでかかる御仲らひなりけむ」と、若き人びとは、例の、さるまじきことをも取り立ててめであへり。 |
さいしゃうのちゅうじゃうのけはひありさまには、えならびたまはねど、これもをかしかめるは、"いかでかかるおほんなからひなりけん。"と、わかきひとびとは、れいの、さるまじきことをもとりたててめであへり。 |
30 | 3 | 165 | 137 | 第三章 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将 |
30 | 3.1 | 166 | 138 | 第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る |
30 | 3.1.1 | 167 | 139 |
大将は、この中将は同じ右の次将なれば、常に呼び取りつつ、ねむごろに語らひ、大臣にも申させたまひけり。人柄もいとよく、朝廷の御後見となるべかめる下形なるを、「などかはあらむ」と思しながら、「かの大臣のかくしたまへることを、いかがは聞こえ返すべからむ。さるやうあることにこそ」と、心得たまへる筋さへあれば、任せきこえたまへり。 |
だいしゃうは、このちゅうじゃうはおなじみぎのすけなれば、つねによびとりつつ、ねんごろにかたらひ、おとどにもまうさせたまひけり。ひとがらもいとよく、おほやけのおほんうしろみとなるべかめるしたかたなるを、"などかはあらん。"とおぼしながら、"かのおとどのかくしたまへることを、いかがはきこえかへすべからん。さるやうあることにこそ。"と、こころえたまへるすぢさへあれば、まかせきこえたまへり。 |
30 | 3.1.2 | 168 | 140 |
この大将は、春宮の女御の御はらからにぞおはしける。大臣たちをおきたてまつりて、さしつぎの御おぼえ、いとやむごとなき君なり。年三十二三のほどにものしたまふ。 |
このだいしゃうは、とうぐうのにょうごのおほんはらからにぞおはしける。おとどたちをおきたてまつりて、さしつぎのおほんおぼえ、いとやんごとなききみなり。としさんじふにさんのほどにものしたまふ。 |
30 | 3.1.3 | 169 | 141 |
北の方は、紫の上の御姉ぞかし。式部卿宮の御大君よ。年のほど三つ四つがこのかみは、ことなるかたはにもあらぬを、人柄やいかがおはしけむ、「嫗」とつけて心にも入れず、いかで背きなむと思へり。 |
きたのかたは、むらさきのうへのおほんあねぞかし。しきぶきゃうのみやのおほんおほいきみよ。としのほどみつよつがこのかみは、ことなるかたはにもあらぬを、ひとがらやいかがおはしけん、"おうな"とつけてこころにもいれず、いかでそむきなんとおもへり。 |
30 | 3.1.4 | 170 | 142 |
その筋により、六条の大臣は、大将の御ことは、「似げなくいとほしからむ」と思したるなめり。色めかしくうち乱れたるところなきさまながら、いみじくぞ心を尽くしありきたまひける。 |
そのすぢにより、ろくでうのおとどは、だいしゃうのおほんことは、"にげなくいとほしからん。"とおぼしたるなめり。いろめかしくうちみだれたるところなきさまながら、いみじくぞこころをつくしありきたまひける。 |
30 | 3.1.5 | 171 | 143 |
「かの大臣も、もて離れても思したらざなり。女は、宮仕へをもの憂げに思いたなり」と、うちうちのけしきも、さる詳しきたよりあれば、漏り聞きて、 |
"かのおとども、もてはなれてもおぼしたらざなり。をんなは、みやづかへをものうげにおぼいたなり。"と、うちうちのけしきも、さるくはしきたよりあれば、もりききて、 |
30 | 3.1.6 | 172 | 144 |
「ただ大殿の御おもむけの異なるにこそはあなれ。まことの親の御心だに違はずは」 |
"ただおほとののおほんおもむけのことなるにこそはあなれ。まことのおやのみこころだにたがはずは。" |
30 | 3.1.7 | 173 | 145 |
と、この弁の御許にも責ためたまふ。 |
と、このべんのおもとにもせためたまふ。 |
30 | 3.2 | 174 | 146 | 第二段 九月、多数の恋文が集まる |
30 | 3.2.1 | 175 | 147 |
九月にもなりぬ。初霜むすぼほれ、艶なる朝に、例の、とりどりなる御後見どもの、引きそばみつつ持て参る御文どもを、見たまふこともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。大将殿のには、 |
ながつきにもなりぬ。はつしもむすぼほれ、えんなるあしたに、れいの、とりどりなるおほんうしろみどもの、ひきそばみつつもてまゐるおほんふみどもを、みたまふこともなくて、よみきこゆるばかりをききたまふ。だいしゃうどののには、 |
30 | 3.2.2 | 176 | 149 |
「なほ頼み来しも、過ぎゆく空のけしきこそ、心尽くしに、 |
"なほたのみこしも、すぎゆくそらのけしきこそ、こころづくしに、 |
30 | 3.2.3 | 177 | 150 |
数ならば厭ひもせまし長月に<BR/>命をかくるほどぞはかなき」 |
かずならばいとひもせましながつきに<BR/>いのちをかくるほどぞはかなき〕 |
30 | 3.2.4 | 178 | 151 |
「月たたば」とある定めを、いとよく聞きたまふなめり。 |
"つきたたば。"とあるさだめを、いとよくききたまふなめり。 |
30 | 3.2.5 | 179 | 152 |
兵部卿宮は、 |
ひゃうぶきゃうのみやは、 |
30 | 3.2.6 | 180 | 153 |
「いふかひなき世は、聞こえむ方なきを、 |
"いふかひなきよは、きこえんかたなきを、 |
30 | 3.2.7 | 181 | 154 |
朝日さす光を見ても玉笹の<BR/>葉分けの霜を消たずもあらなむ |
あさひさすひかりをみてもたまざさの<BR/>はわけのしもをけたずもあらなん |
30 | 3.2.8 | 182 | 155 |
思しだに知らば、慰む方もありぬべくなむ」 |
おぼしだにしらば、なぐさむかたもありぬべくなん。" |
30 | 3.2.9 | 183 | 156 |
とて、いとかしけたる下折れの霜も落とさず持て参れる御使さへぞ、うちあひたるや。 |
とて、いとかしけたるしたをれのしももおとさずもてまゐれるおほんつかひさへぞ、うちあひたるや。 |
30 | 3.2.10 | 184 | 157 |
式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御はらからぞかし。親しく参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。いと多く怨み続けて、 |
しきぶきゃうのみやのさひゃうゑのかみは、とののうへのおほんはらからぞかし。したしくまゐりなどしたまふきみなれば、おのづからいとよくもののあないもききて、いみじくぞおもひわびける。いとおほくうらみつづけて、 |
30 | 3.2.11 | 185 | 158 |
「忘れなむと思ふもものの悲しきを<BR/>いかさまにしていかさまにせむ」 |
"〔わすれなんとおもふももののかなしきを<BR/>いかさまにしていかさまにせん〕 |
30 | 3.2.12 | 186 | 159 |
紙の色、墨つき、しめたる匂ひも、さまざまなるを、人びとも皆、 |
かみのいろ、すみつき、しめたるにほひも、さまざまなるを、ひとびともみな、 |
30 | 3.2.13 | 187 | 160 |
「思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ」 |
"おぼしたえぬべかめるこそ、さうざうしけれ。" |
30 | 3.2.14 | 188 | 161 |
など言ふ。 |
などいふ。 |
30 | 3.2.15 | 189 | 162 |
宮の御返りをぞ、いかが思すらむ、ただいささかにて、 |
みやのおほんかへりをぞ、いかがおぼすらん、ただいささかにて、 |
30 | 3.2.16 | 190 | 163 |
「心もて光に向かふ葵だに<BR/>朝おく霜をおのれやは消つ」 |
"〔こころもてひかりにむかふあふひだに<BR/>あさおくしもをおのれやはけつ〕 |
30 | 3.2.17 | 191 | 164 |
とほのかなるを、いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。 |
とほのかなるを、いとめづらしとみたまふに、みづからはあはれをしりぬべきみけしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。 |
30 | 3.2.18 | 192 | 165 |
かやうに何となけれど、さまざまなる人びとの、御わびごとも多かり。 |
かやうになにとなけれど、さまざまなるひとびとの、おほんわびごともおほかり。 |
30 | 3.2.19 | 193 | 166 |
女の御心ばへは、この君をなむ本にすべきと、大臣たち定めきこえたまひけりとや。 |
をんなのみこころばへは、このきみをなんもとにすべきと、おとどたちさだめきこえたまひけりとや。 |