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40御法
4016138第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語
401.16239第一段 紫の上、出家を願うが許されず
401.1.16340 (むらさき)(うへ)、いたうわづらひたまひし御心地(みここち)(のち)、いと(あつ)しくなりたまひて、そこはかとなく(なや)みわたりたまふこと(ひさ)しくなりぬ。 むらさきうへ、いたうわづらひたまひしみここちのち、いとあつしくなりたまひて、そこはかとなくなやみわたりたまふことひさしくなりぬ。
401.1.26441 いとおどろおどろしうはあらねど、年月重(としつきかさ)なれば、(たの)もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、(ゐん)(おも)ほし(なげ)くこと、(かぎ)りなし。しばしにても(おく)れきこえたまはむことをば、いみじかるべく(おぼ)し、みづからの御心地(みここち)には、この()()かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身(おほんみ)なれば、あながちにかけとどめまほしき御命(おほんいのち)とも(おぼ)されぬを、(とし)ごろの御契(おほんちぎ)りかけ(はな)れ、(おも)(なげ)かせたてまつらむことのみぞ、人知(ひとし)れぬ御心(みこころ)のうちにも、ものあはれに(おぼ)されける。(のち)()のためにと、(たふと)きことどもを(おほ)くせさせたまひつつ、「いかでなほ本意(ほい)あるさまになりて、しばしもかかづらはむ(いのち)のほどは、(おこな)ひを(まぎ)れなく」と、たゆみなく(おぼ)しのたまへど、さらに(ゆる)しきこえたまはず。 いとおどろおどろしうはあらねど、としつきかさなれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、ゐんおもほしなげくこと、かぎりなし。しばしにてもおくれきこえたまはんことをば、いみじかるべくおぼし、みづからのみここちには、このかぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬおほんみなれば、あながちにかけとどめまほしきおほんいのちともおぼされぬを、としごろのおほんちぎりかけはなれ、おもなげかせたてまつらんことのみぞ、ひとしれぬみこころのうちにも、ものあはれにおぼされける。のちのためにと、たふときことどもをおほくせさせたまひつつ、"いかでなほほいあるさまになりて、しばしもかかづらはんいのちのほどは、おこなひをまぎれなく"と、たゆみなくおぼしのたまへど、さらにゆるしきこえたまはず。
401.1.36542 さるは、わが御心(みこころ)にも、しか(おぼ)しそめたる(すぢ)なれば、かくねむごろに(おも)ひたまへるついでにもよほされて、(おな)(みち)にも()りなむと(おぼ)せど、一度(ひとたび)(いへ)()でたまひなば、(かり)にもこの()(かへり)みむとは(おぼ)しおきてず、(のち)()には、(おな)(はちす)()をも()けむと、(ちぎ)()はしきこえたまひて、(たの)みをかけたまふ御仲(おほんなか)なれど、ここながら(つと)めたまはむほどは、(おな)(やま)なりとも、(みね)(へだ)てて、あひ()たてまつらぬ()()にかけ(はな)れなむことをのみ(おぼ)しまうけたるに、かくいと(たの)もしげなきさまに(なや)(あつ)いたまへば、いと心苦(こころぐる)しき(おほん)ありさまを、(いま)はと()(はな)れむきざみには()てがたく、なかなか、山水(やまみづ)()処濁(かにご)りぬべく、(おぼ)しとどこほるほどに、ただうちあさへたる、(おも)ひのままの道心起(だうしんお)こす(ひと)びとには、こよなう(おく)れたまひぬべかめり。 さるは、わがみこころにも、しかおぼしそめたるすぢなれば、かくねんごろにおもひたまへるついでにもよほされて、おなみちにもりなんとおぼせど、ひとたびいへでたまひなば、かりにもこのかへりみんとはおぼしおきてず、のちには、おなはちすをもけんと、ちぎはしきこえたまひて、たのみをかけたまふおほんなかなれど、ここながらつとめたまはんほどは、おなやまなりとも、みねへだてて、あひたてまつらぬにかけはなれなんことをのみおぼしまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまになやあついたまへば、いとこころぐるしきおほんありさまを、いまはとはなれんきざみにはてがたく、なかなか、やまみづかにごりぬべく、おぼしとどこほるほどに、ただうちあさへたる、おもひのままのだうしんおこすひとびとには、こよなうおくれたまひぬべかめり。
401.1.46643 御許(おほんゆる)しなくて、心一(こころひと)つに(おぼ)()たむも、さま()しく本意(ほい)なきやうなれば、このことによりてぞ、女君(おんなぎみ)は、(うら)めしく(おも)ひきこえたまひける。わが御身(おほんみ)をも、罪軽(つみかろ)かるまじきにやと、うしろめたく(おぼ)されけり。 おほんゆるしなくて、こころひとつにおぼたんも、さましくほいなきやうなれば、このことによりてぞ、おんなぎみは、うらめしくおもひきこえたまひける。わがおほんみをも、つみかろかるまじきにやと、うしろめたくおぼされけり。
401.26744第二段 二条院の法華経供養
401.2.16845 (とし)ごろ、(わたくし)御願(おほんがん)にて()かせたてまつりたまひける『法華経(ほけきゃう)千部(せんぶ)、いそぎて供養(くやう)じたまふ。わが御殿(おほんとの)(おぼ)二条院(にでうのゐん)にてぞしたまひける。七僧(しちそう)法服(ほふぶく)など、品々賜(しなじなたま)はす。(もの)(いろ)()()よりはじめて、きよらなること、(かぎ)りなし。おほかた(なに)ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。 としごろ、わたくしおほんがんにてかせたてまつりたまひける"ほけきゃう"せんぶ、いそぎてくやうじたまふ。わがおほんとのおぼにでうのゐんにてぞしたまひける。しちそうほふぶくなど、しなじなたまはす。ものいろよりはじめて、きよらなること、かぎりなし。おほかたなにごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
401.2.26946 ことことしきさまにも()こえたまはざりければ、(くは)しきことどもも()らせたまはざりけるに、(をんな)(おほん)おきてにてはいたり(ふか)く、(ほとけ)(みち)にさへ(かよ)ひたまひける御心(みこころ)のほどなどを、(ゐん)はいと(かぎ)りなしと()たてまつりたまひて、ただおほかたの(おほん)しつらひ、(なに)かのことばかりをなむ、(いとな)ませたまひける。楽人(がくにん)舞人(まひびと)などのことは、大将(だいしゃう)(きみ)()()きて(つか)うまつりたまふ。 ことことしきさまにもこえたまはざりければ、くはしきことどももらせたまはざりけるに、をんなおほんおきてにてはいたりふかく、ほとけみちにさへかよひたまひけるみこころのほどなどを、ゐんはいとかぎりなしとたてまつりたまひて、ただおほかたのおほんしつらひ、なにかのことばかりをなん、いとなませたまひける。がくにんまひびとなどのことは、だいしゃうきみきてつかうまつりたまふ。
401.2.37047 内裏(うち)春宮(とうぐう)(きさい)(みや)たちをはじめたてまつりて、御方々(おほんかたがた)、ここかしこに御誦経(みずきゃう)捧物(ほうもち)などばかりのことをうちしたまふだに所狭(ところせ)きに、まして、そのころ、この(おほん)いそぎを(つか)うまつらぬ(ところ)なければ、いとこちたきことどもあり。「いつのほどに、いとかくいろいろ(おぼ)しまうけけむ。げに、石上(いそ)世々経(かみのよよへ)たる御願(おほんがん)にや」とぞ()えたる。 うちとうぐうきさいみやたちをはじめたてまつりて、おほんかたがた、ここかしこにみずきゃうほうもちなどばかりのことをうちしたまふだにところせきに、まして、そのころ、このおほんいそぎをつかうまつらぬところなければ、いとこちたきことどもあり。"いつのほどに、いとかくいろいろおぼしまうけけん。げに、いそかみのよよへたるおほんがんにや。"とぞえたる。
401.2.47148 花散里(はなちるさと)()こえし御方(おほんかた)明石(あかし)なども(わた)りたまへり。南東(みなみひんがし)()()けておはします。寝殿(しんでん)西(にし)塗籠(ぬりごめ)なりけり。(きた)(ひさし)に、方々(かたがた)御局(みつぼね)どもは、障子(さうじ)ばかりを(へだ)てつつしたり。 はなちるさとこえしおほんかたあかしなどもわたりたまへり。みなみひんがしけておはします。しんでんにしぬりごめなりけり。きたひさしに、かたがたみつぼねどもは、さうじばかりをへだてつつしたり。
401.37249第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答
401.3.17351 三月(さんがつ)十日(とをか)なれば、花盛(はなざか)りにて、(そら)のけしきなども、うららかにものおもしろく、(ほとけ)のおはすなる(ところ)のありさま、(とほ)からず(おも)ひやられて、ことなり。(ふか)(こころ)もなき(ひと)さへ、(つみ)(うしな)ひつべし。(たきぎ)こる讃嘆(さんたん)(こゑ)も、そこら(つど)ひたる(ひび)き、おどろおどろしきを、うち(やす)みて(しづ)まりたるほどだにあはれに(おぼ)さるるを、まして、このころとなりては、(なに)ごとにつけても、心細(こころぼそ)くのみ(おぼ)()る。明石(あかし)御方(おほんかた)に、(さん)(みや)して、()こえたまへる。 さんがつとをかなれば、はなざかりにて、そらのけしきなども、うららかにものおもしろく、ほとけのおはすなるところのありさま、とほからずおもひやられて、ことなり。ふかこころもなきひとさへ、つみうしなひつべし。たきぎこるさんたんこゑも、そこらつどひたるひびき、おどろおどろしきを、うちやすみてしづまりたるほどだにあはれにおぼさるるを、まして、このころとなりては、なにごとにつけても、こころぼそくのみおぼる。あかしおほんかたに、さんみやして、こえたまへる。
401.3.27452 ()しからぬこの()ながらもかぎりとて<BR/>薪尽(たきぎつ)きなむことの(かな)しさ」 "〔しからぬこのながらもかぎりとて<BR/>たきぎつきなんことのかなしさ〕
401.3.37553 御返(おほんかへ)り、心細(こころぼそ)(すぢ)は、(のち)()こえも心後(こころおく)れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。 おほんかへり、こころぼそすぢは、のちこえもこころおくれたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。
401.3.47654 (たきぎ)こる(おも)ひは今日(けふ)(はじ)めにて<BR/>この()(ねが)(のり)ぞはるけき」 "〔たきぎこるおもひはけふはじめにて<BR/>このねがのりぞはるけき〕
401.3.57755 ()もすがら、(たふと)きことにうち()はせたる(つづみ)(こゑ)()えずおもしろし。ほのぼのと()けゆく(あさ)ぼらけ、(かすみ)()より()えたる(はな)色々(いろいろ)、なほ(はる)(こころ)とまりぬべく(にほ)ひわたりて、百千鳥(ももちどり)のさへづりも、(ふえ)()(おと)らぬ心地(ここち)して、もののあはれもおもしろさも(のこ)らぬほどに、陵王(りゃうわう)()手急(てきふ)になるほどの(すゑ)(かた)(がく)、はなやかににぎははしく()こゆるに、皆人(みなびと)()ぎかけたるものの色々(いろいろ)なども、もののをりからにをかしうのみ()ゆ。 もすがら、たふときことにうちはせたるつづみこゑえずおもしろし。ほのぼのとけゆくあさぼらけ、かすみよりえたるはないろいろ、なほはるこころとまりぬべくにほひわたりて、ももちどりのさへづりも、ふえおとらぬここちして、もののあはれもおもしろさものこらぬほどに、りゃうわうてきふになるほどのすゑかたがく、はなやかににぎははしくこゆるに、みなびとぎかけたるもののいろいろなども、もののをりからにをかしうのみゆ。
401.3.67856 親王(みこ)たち、上達部(かんだちめ)(なか)にも、ものの上手(じゃうず)ども、手残(てのこ)さず(あそ)びたまふ。上下心地(かみしもここち)よげに、(きょう)あるけしきどもなるを()たまふにも、(のこ)(すく)なしと()(おぼ)したる御心(みこころ)のうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ。 みこたち、かんだちめなかにも、もののじゃうずども、てのこさずあそびたまふ。かみしもここちよげに、きょうあるけしきどもなるをたまふにも、のこすくなしとおぼしたるみこころのうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ。
401.47957第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答
401.4.18058 昨日(きのふ)(れい)ならず()きゐたまへりし名残(なごり)にや、いと(くる)しうして()したまへり。(とし)ごろ、かかるものの(をり)ごとに、(まゐ)(つど)(あそ)びたまふ(ひと)びとの御容貌(おほんかたち)ありさまの、おのがじし(ざえ)ども、琴笛(ことふえ)()をも、今日(けふ)見聞(みき)きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ(おぼ)さるれば、さしも()とまるまじき(ひと)(かほ)どもも、あはれに()えわたされたまふ。 きのふれいならずきゐたまへりしなごりにや、いとくるしうしてしたまへり。としごろ、かかるもののをりごとに、まゐつどあそびたまふひとびとのおほんかたちありさまの、おのがじしざえども、ことふえをも、けふみききたまふべきとぢめなるらん、とのみおぼさるれば、さしもとまるまじきひとかほどもも、あはれにえわたされたまふ。
401.4.28159 まして、夏冬(なつふゆ)(とき)につけたる(あそ)(たはぶ)れにも、なま(いど)ましき(した)(こころ)は、おのづから()ちまじりもすらめど、さすがに(なさ)けを()はしたまふ方々(かたがた)は、()れも(ひさ)しくとまるべき()にはあらざなれど、まづ我一人行方知(われひとりゆくへし)らずなりなむを(おぼ)(つづ)くる、いみじうあはれなり。 まして、なつふゆときにつけたるあそたはぶれにも、なまいどましきしたこころは、おのづからちまじりもすらめど、さすがになさけをはしたまふかたがたは、れもひさしくとまるべきにはあらざなれど、まづわれひとりゆくへしらずなりなんをおぼつづくる、いみじうあはれなり。
401.4.38260 こと()てて、おのがじし(かへ)りたまひなむとするも、(とほ)(わか)れめきて()しまる。花散里(はなちるさと)御方(おほんかた)に、 ことてて、おのがじしかへりたまひなんとするも、とほわかれめきてしまる。はなちるさとおほんかたに、
401.4.48361 ()えぬべき御法(みのり)ながらぞ(たの)まるる<BR/>世々(よよ)にと(むす)(なか)(ちぎ)りを」 "〔えぬべきみのりながらぞたのまるる<BR/>よよにとむすなかちぎりを〕
401.4.58462 御返(おほんかへ)り、 おほんかへり、
401.4.68563 (むす)びおく(ちぎ)りは()えじおほかたの<BR/>(のこ)りすくなき御法(みのり)なりとも」 "〔むすびおくちぎりはえじおほかたの<BR/>のこりすくなきみのりなりとも〕
401.4.78664 やがて、このついでに、不断(ふだん)読経(どきゃう)懺法(せんぼふ)など、たゆみなく、(たふと)きことどもせさせたまふ。御修法(みすほふ)は、ことなるしるしも()えでほども()ぬれば、(れい)のことになりて、うちはへさるべき所々(ところどころ)寺々(てらでら)にてぞせさせたまひける。 やがて、このついでに、ふだんどきゃうせんぼふなど、たゆみなく、たふときことどもせさせたまふ。みすほふは、ことなるしるしもえでほどもぬれば、れいのことになりて、うちはへさるべきところどころてらでらにてぞせさせたまひける。
401.58765第五段 紫の上、明石中宮と対面
401.5.18866 (なつ)になりては、(れい)(あつし)さにさへ、いとど()()りたまひぬべき折々多(をりをりおほ)かり。そのことと、おどろおどろしからぬ御心地(みここち)なれど、ただいと(よわ)きさまになりたまへば、むつかしげに所狭(ところせ)(なや)みたまふこともなし。さぶらふ(ひと)びとも、いかにおはしまさむとするにか、と(おも)ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう(かな)しき(おほん)ありさまと()たてまつる。 なつになりては、れいあつしさにさへ、いとどりたまひぬべきをりをりおほかり。そのことと、おどろおどろしからぬみここちなれど、ただいとよわきさまになりたまへば、むつかしげにところせなやみたまふこともなし。さぶらふひとびとも、いかにおはしまさんとするにか、とおもひよるにも、まづかきくらし、あたらしうかなしきおほんありさまとたてまつる。
401.5.28967 かくのみおはすれば、中宮(ちゅうぐう)、この(ゐん)にまかでさせたまふ。(ひんがし)(たい)におはしますべければ、こなたにはた()ちきこえたまふ。儀式(ぎしき)など、(れい)(かは)らねど、この()のありさまを見果(みは)てずなりぬるなどのみ(おぼ)せば、よろづにつけてものあはれなり。名対面(なだいめん)()きたまふにも、その(ひと)、かの(ひと)など、(みみ)とどめて()かれたまふ。上達部(かんだちめ)など、いと(おほ)(つか)うまつりたまへり。 かくのみおはすれば、ちゅうぐう、このゐんにまかでさせたまふ。ひんがしたいにおはしますべければ、こなたにはたちきこえたまふ。ぎしきなど、れいかはらねど、こののありさまをみはてずなりぬるなどのみおぼせば、よろづにつけてものあはれなり。なだいめんきたまふにも、そのひと、かのひとなど、みみとどめてかれたまふ。かんだちめなど、いとおほつかうまつりたまへり。
401.5.39068 (ひさ)しき御対面(おほんたいめん)のとだえを、めづらしく(おぼ)して、御物語(おほんものがたり)こまやかに()こえたまふ。院入(ゐんい)りたまひて、 ひさしきおほんたいめんのとだえを、めづらしくおぼして、おほんものがたりこまやかにこえたまふ。ゐんいりたまひて、
401.5.49169 今宵(こよひ)は、巣離(すばな)れたる心地(ここち)して、無徳(むとく)なりや。まかりて(やす)みはべらむ」 "こよひは、すばなれたるここちして、むとくなりや。まかりてやすみはべらん。"
401.5.59270 とて、(わた)りたまひぬ。()きゐたまへるを、いとうれしと(おぼ)したるも、いとはかなきほどの御慰(おほんなぐさ)めなり。 とて、わたりたまひぬ。きゐたまへるを、いとうれしとおぼしたるも、いとはかなきほどのおほんなぐさめなり。
401.5.69371 方々(かたがた)におはしましては、あなたに(わた)らせたまはむもかたじけなし。(まゐ)らむこと、はたわりなくなりにてはべれば」 "かたがたにおはしましては、あなたにわたらせたまはんもかたじけなし。まゐらんこと、はたわりなくなりにてはべれば。"
401.5.79472 とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石(あかし)御方(おほんかた)(わた)りたまひて、心深(こころぶか)げにしづまりたる御物語(おほんものがたり)ども()こえ()はしたまふ。 とて、しばらくはこなたにおはすれば、あかしおほんかたわたりたまひて、こころぶかげにしづまりたるおほんものがたりどもこえはしたまふ。
401.69573第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉
401.6.19674 (うへ)は、御心(みこころ)のうちに(おぼ)しめぐらすこと(おほ)かれど、さかしげに、()からむ(のち)などのたまひ()づることもなし。ただなべての()(つね)なきありさまを、おほどかに言少(ことすく)ななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、(こと)()でたらむよりもあはれに、もの心細(こころぼそ)()けしきは、しるう()えける。(みや)たちを()たてまつりたまうても、 うへは、みこころのうちにおぼしめぐらすことおほかれど、さかしげに、からんのちなどのたまひづることもなし。ただなべてのつねなきありさまを、おほどかにことすくななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、ことでたらんよりもあはれに、ものこころぼそけしきは、しるうえける。みやたちをたてまつりたまうても、
401.6.29775 「おのおのの御行(おほんゆ)(すゑ)を、ゆかしく(おも)ひきこえけるこそ、かくはかなかりける()()しむ(こころ)のまじりけるにや」 "おのおののおほんゆすゑを、ゆかしくおもひきこえけるこそ、かくはかなかりけるしむこころのまじりけるにや。"
401.6.39876 とて、(なみだ)ぐみたまへる御顔(おほんかほ)(にほ)ひ、いみじうをかしげなり。「などかうのみ(おぼ)したらむ」と(おぼ)すに、中宮(ちゅうぐう)、うち()きたまひぬ。ゆゆしげになどは()こえなしたまはず、もののついでなどにぞ、(とし)ごろ(つか)うまつり()れたる(ひと)びとの、ことなるよるべなういとほしげなる、この(ひと)、かの(ひと) とて、なみだぐみたまへるおほんかほにほひ、いみじうをかしげなり。"などかうのみおぼしたらん。"とおぼすに、ちゅうぐう、うちきたまひぬ。ゆゆしげになどはこえなしたまはず、もののついでなどにぞ、としごろつかうまつりれたるひとびとの、ことなるよるべなういとほしげなる、このひと、かのひと
401.6.49977 「はべらずなりなむ(のち)に、御心(みこころ)とどめて、(たづ)(おも)ほせ」 "はべらずなりなんのちに、みこころとどめて、たづおもほせ。"
401.6.510078 などばかり()こえたまひける。御読経(みどきゃう)などによりてぞ、(れい)のわが御方(おほんかた)(わた)りたまふ。 などばかりこえたまひける。みどきゃうなどによりてぞ、れいのわがおほんかたわたりたまふ。
401.6.610179 (さん)(みや)は、あまたの御中(おほんなか)に、いとをかしげにて(あり)きたまふを、御心地(みここち)(ひま)には、(まへ)()ゑたてまつりたまひて、(ひと)()かぬ()に、 さんみやは、あまたのおほんなかに、いとをかしげにてありきたまふを、みここちひまには、まへゑたてまつりたまひて、ひとかぬに、
401.6.710280 「まろがはべらざらむに、(おぼ)()でなむや」 "まろがはべらざらんに、おぼでなんや。"
401.6.810381 ()こえたまへば、 こえたまへば、
401.6.910482 「いと(こひ)しかりなむ。まろは、内裏(うち)(うへ)よりも(みや)よりも、(ばば)をこそまさりて(おも)ひきこゆれば、おはせずは、心地(ここち)むつかしかりなむ」 "いとこひしかりなん。まろは、うちうへよりもみやよりも、ばばをこそまさりておもひきこゆれば、おはせずは、ここちむつかしかりなん。"
401.6.1010583 とて、()おしすりて(まぎ)らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ()みながら(なみだ)()ちぬ。 とて、おしすりてまぎらはしたまへるさま、をかしければ、ほほみながらなみだちぬ。
401.6.1110684 大人(おとな)になりたまひなば、ここに()みたまひて、この(たい)(まへ)なる紅梅(こうばい)(さくら)とは、(はな)折々(をりをり)に、(こころ)とどめてもて(あそ)びたまへ。さるべからむ(をり)は、(ほとけ)にもたてまつりたまへ」 "おとなになりたまひなば、ここにみたまひて、このたいまへなるこうばいさくらとは、はなをりをりに、こころとどめてもてあそびたまへ。さるべからんをりは、ほとけにもたてまつりたまへ。"
401.6.1210785 ()こえたまへば、うちうなづきて、御顔(おほんかほ)をまもりて、(なみだ)()つべかめれば、()ちておはしぬ。()()きて()ほしたてまつりたまへれば、この(みや)姫宮(ひめみや)とをぞ、()さしきこえたまはむこと、口惜(くちを)しくあはれに(おぼ)されける。 こえたまへば、うちうなづきて、おほんかほをまもりて、なみだつべかめれば、ちておはしぬ。きてほしたてまつりたまへれば、このみやひめみやとをぞ、さしきこえたまはんこと、くちをしくあはれにおぼされける。
40210886第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
402.110987第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける
402.1.111088 秋待(あきま)ちつけて、()(なか)すこし(すず)しくなりては、御心地(みここち)もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。さるは、()にしむばかり(おぼ)さるべき秋風(あきかぜ)ならねど、(つゆ)けき(をり)がちにて()ぐしたまふ。 あきまちつけて、なかすこしすずしくなりては、みここちもいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。さるは、にしむばかりおぼさるべきあきかぜならねど、つゆけきをりがちにてぐしたまふ。
402.1.211189 中宮(ちゅうぐう)は、(まゐ)りたまひなむとするを、(いま)しばしは御覧(ごらん)ぜよとも、()こえまほしう(おぼ)せども、さかしきやうにもあり、内裏(うち)御使(おほんつかひ)(ひま)なきもわづらはしければ、さも()こえたまはぬに、あなたにもえ(わた)りたまはねば、(みや)(わた)りたまひける。 ちゅうぐうは、まゐりたまひなんとするを、いましばしはごらんぜよとも、こえまほしうおぼせども、さかしきやうにもあり、うちおほんつかひひまなきもわづらはしければ、さもこえたまはぬに、あなたにもえわたりたまはねば、みやわたりたまひける。
402.1.311290 かたはらいたけれど、げに()たてまつらぬもかひなしとて、こなたに(おほん)しつらひをことにせさせたまふ。「こよなう()(ほそ)りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの(かぎ)りなさもまさりてめでたかりけれ」と、()(かた)あまり(にほ)(おほ)く、あざあざとおはせし(さか)りは、なかなかこの()(はな)(かを)りにもよそへられたまひしを、(かぎ)りもなくらうたげにをかしげなる(おほん)さまにて、いとかりそめに()(おも)ひたまへるけしき、()るものなく心苦(こころぐる)しく、すずろにもの(がな)し。 かたはらいたけれど、げにたてまつらぬもかひなしとて、こなたにおほんしつらひをことにせさせたまふ。"こよなうほそりたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことのかぎりなさもまさりてめでたかりけれ。"と、かたあまりにほおほく、あざあざとおはせしさかりは、なかなかこのはなかをりにもよそへられたまひしを、かぎりもなくらうたげにをかしげなるおほんさまにて、いとかりそめにおもひたまへるけしき、るものなくこころぐるしく、すずろにものがなし。
402.211391第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す
402.2.111492 (かぜ)すごく()()でたる夕暮(ゆふぐれ)に、前栽見(せんさいみ)たまふとて、脇息(けふそく)()りゐたまへるを、院渡(ゐんわた)りて()たてまつりたまひて、 かぜすごくでたるゆふぐれに、せんさいみたまふとて、けふそくりゐたまへるを、ゐんわたりてたてまつりたまひて、
402.2.211593 今日(けふ)は、いとよく()きゐたまふめるは。この御前(おまへ)にては、こよなく御心(みこころ)もはればれしげなめりかし」 "けふは、いとよくきゐたまふめるは。このおまへにては、こよなくみこころもはればれしげなめりかし。"
402.2.311694 ()こえたまふ。かばかりの(ひま)あるをも、いとうれしと(おも)ひきこえたまへる()けしきを()たまふも、心苦(こころぐる)しく、「つひに、いかに(おぼ)(さわ)がむ」と(おも)ふに、あはれなれば、 こえたまふ。かばかりのひまあるをも、いとうれしとおもひきこえたまへるけしきをたまふも、こころぐるしく、"つひに、いかにおぼさわがん。"とおもふに、あはれなれば、
402.2.411795 「おくと()るほどぞはかなきともすれば<BR/>(かぜ)(みだ)るる(はぎ)のうは(つゆ) "〔おくとるほどぞはかなきともすれば<BR/>かぜみだるるはぎのうはつゆ〕"
402.2.511896 げにぞ、()れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる(をり)さへ(しの)びがたきを、見出(みい)だしたまひても、 げにぞ、れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたるをりさへしのびがたきを、みいだしたまひても、
402.2.611997 「ややもせば()えをあらそふ(つゆ)()に<BR/>(おく)(さき)だつほど()ずもがな」 "〔ややもせばえをあらそふつゆに<BR/>おくさきだつほどずもがな〕
402.2.712098 とて、御涙(おほんなみだ)(はら)ひあへたまはず。(みや) とて、おほんなみだはらひあへたまはず。みや
402.2.812199 秋風(あきかぜ)にしばしとまらぬ(つゆ)()を<BR/>()れか草葉(くさば)のうへとのみ()む」 "〔あきかぜにしばしとまらぬつゆを<BR/>れかくさばのうへとのみん〕
402.2.9122100 ()こえ()はしたまふ御容貌(おほんかたち)ども、あらまほしく、()るかひあるにつけても、「かくて千年(ちとせ)()ぐすわざもがな」と(おぼ)さるれど、(こころ)にかなはぬことなれば、かけとめむ(かた)なきぞ(かな)しかりける。 こえはしたまふおほんかたちども、あらまほしく、るかひあるにつけても、"かくてちとせぐすわざもがな"とおぼさるれど、こころにかなはぬことなれば、かけとめんかたなきぞかなしかりける。
402.2.10123101 (いま)(わた)らせたまひね。(みだ)心地(ごこち)いと(くる)しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと()ひながら、いとなめげにはべりや」 "いまわたらせたまひね。みだごこちいとくるしくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどとひながら、いとなめげにはべりや。"
402.2.11124102 とて、御几帳引(みきちゃうひ)()せて()したまへるさまの、(つね)よりもいと(たの)もしげなく()えたまへば、 とて、みきちゃうひせてしたまへるさまの、つねよりもいとたのもしげなくえたまへば、
402.2.12125103 「いかに(おぼ)さるるにか」 "いかにおぼさるるにか。"
402.2.13126104 とて、(みや)は、御手(おほんて)をとらへたてまつりて、()()()たてまつりたまふに、まことに()えゆく(つゆ)心地(ここち)して、(かぎ)りに()えたまへば、御誦経(みずきゃう)使(つか)ひども、(かず)()らず()(さわ)ぎたり。(さき)ざきも、かくて()()でたまふ(をり)にならひたまひて、(おほん)もののけと(うたが)ひたまひて、夜一夜(よひとよ)さまざまのことをし()くさせたまへど、かひもなく、()()つるほどに()()てたまひぬ。 とて、みやは、おほんてをとらへたてまつりて、たてまつりたまふに、まことにえゆくつゆここちして、かぎりにえたまへば、みずきゃうつかひども、かずらずさわぎたり。さきざきも、かくてでたまふをりにならひたまひて、おほんもののけとうたがひたまひて、よひとよさまざまのことをしくさせたまへど、かひもなく、つるほどにてたまひぬ。
402.3127105第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る
402.3.1128106 (みや)も、(かへ)りたまはで、かくて()たてまつりたまへるを、(かぎ)りなく(おぼ)す。()れも()れも、ことわりの(わか)れにて、たぐひあることとも(おぼ)されず、めづらかにいみじく、()けぐれの(ゆめ)(まど)ひたまふほど、さらなりや。 みやも、かへりたまはで、かくてたてまつりたまへるを、かぎりなくおぼす。れもれも、ことわりのわかれにて、たぐひあることともおぼされず、めづらかにいみじく、けぐれのゆめまどひたまふほど、さらなりや。
402.3.2129107 さかしき(ひと)おはせざりけり。さぶらふ女房(にょうばう)なども、ある(かぎ)り、さらにものおぼえたるなし。(ゐん)は、まして(おぼ)(しづ)めむ(かた)なければ、大将(だいしゃう)君近(きみちか)(まゐ)りたまへるを、御几帳(みきちゃう)のもとに()()せたてまつりたまひて、 さかしきひとおはせざりけり。さぶらふにょうばうなども、あるかぎり、さらにものおぼえたるなし。ゐんは、ましておぼしづめんかたなければ、だいしゃうきみちかまゐりたまへるを、みきちゃうのもとにせたてまつりたまひて、
402.3.3130108 「かく(いま)(かぎ)りのさまなめるを、(とし)ごろの本意(ほい)ありて(おも)ひつること、かかるきざみに、その(おも)(たが)へてやみなむがいといとほしき。御加持(おほんかぢ)にさぶらふ大徳(だいとこ)たち、読経(どきゃう)(そう)なども、皆声(みなこゑ)やめて()でぬなるを、さりとも、()ちとまりてものすべきもあらむ。この()にはむなしき心地(ここち)するを、(ほとけ)(おほん)しるし、(いま)はかの(くら)(みち)のとぶらひにだに(たの)(まを)すべきを、(かしら)おろすべきよしものしたまへ。さるべき(そう)()れかとまりたる」 "かくいまかぎりのさまなめるを、としごろのほいありておもひつること、かかるきざみに、そのおもたがへてやみなんがいといとほしき。おほんかぢにさぶらふだいとこたち、どきゃうそうなども、みなこゑやめてでぬなるを、さりとも、ちとまりてものすべきもあらん。このにはむなしきここちするを、ほとけおほんしるし、いまはかのくらみちのとぶらひにだにたのまをすべきを、かしらおろすべきよしものしたまへ。さるべきそうれかとまりたる。"
402.3.4131109 などのたまふ()けしき、心強(こころづよ)(おぼ)しなすべかめれど、御顔(おほんかほ)(いろ)もあらぬさまに、いみじく()へかね、御涙(おほんなみだ)のとまらぬを、ことわりに(かな)しく()たてまつりたまふ。 などのたまふけしき、こころづよおぼしなすべかめれど、おほんかほいろもあらぬさまに、いみじくへかね、おほんなみだのとまらぬを、ことわりにかなしくたてまつりたまふ。
402.3.5132110 (おほん)もののけなどの、これも、(ひと)御心乱(みこころみだ)らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。さらば、とてもかくても、御本意(おほんほい)のことは、よろしきことにはべなり。一日一夜忌(いちにちいちやい)むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなり()てさせたまひて、(のち)御髪(みぐし)ばかりをやつさせたまひても、(こと)なるかの()御光(おほんひかり)ともならせたまはざらむものから、()(まへ)(かな)しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ」 "おほんもののけなどの、これも、ひとみこころみだらんとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらん。さらば、とてもかくても、おほんほいのことは、よろしきことにはべなり。いちにちいちやいむことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなりてさせたまひて、のちみぐしばかりをやつさせたまひても、ことなるかのおほんひかりともならせたまはざらんものから、まへかなしびのみまさるやうにて、いかがはべるべからん。"
402.3.6133111 (まを)したまひて、御忌(おほんいみ)()もりさぶらふべき(こころ)ざしありてまかでぬ(そう)、その(ひと)、かの(ひと)など()して、さるべきことども、この(きみ)(おこ)なひたまふ。 まをしたまひて、おほんいみもりさぶらふべきこころざしありてまかでぬそう、そのひと、かのひとなどして、さるべきことども、このきみおこなひたまふ。
402.4134112第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る
402.4.1135113 (とし)ごろ、(なに)やかやと、おほけなき(こころ)はなかりしかど、「いかならむ()に、ありしばかりも()たてまつらむ。ほのかにも御声(おほんこゑ)をだに()かぬこと」など、(こころ)にも(はな)れず(おも)ひわたりつるものを、「(こゑ)はつひに()かせたまはずなりぬるにこそはあめれ、むなしき御骸(おほんから)にても、今一度見(いまひとたびみ)たてまつらむの(こころ)ざしかなふべき(をり)は、ただ(いま)よりほかにいかでかあらむ」と(おも)ふに、つつみもあへず()かれて、女房(にょうばう)の、ある(かぎ)(さわ)(まど)ふを、 としごろ、なにやかやと、おほけなきこころはなかりしかど、"いかならんに、ありしばかりもたてまつらん。ほのかにもおほんこゑをだにかぬこと。"など、こころにもはなれずおもひわたりつるものを、"こゑはつひにかせたまはずなりぬるにこそはあめれ、むなしきおほんからにても、いまひとたびみたてまつらんのこころざしかなふべきをりは、ただいまよりほかにいかでかあらん。"とおもふに、つつみもあへずかれて、にょうばうの、あるかぎさわまどふを、
402.4.2136114 「あなかま、しばし」 "あなかま。しばし。"
402.4.3137115 と、しづめ(がほ)にて、御几帳(みきちゃう)(かたびら)を、もののたまふ(まぎ)れに、()()げて()たまへば、ほのぼのと()けゆく(ひかり)もおぼつかなければ、大殿油(おほとなぶら)(ちか)くかかげて()たてまつりたまふに、()かずうつくしげに、めでたうきよらに()ゆる御顔(おほんかほ)のあたらしさに、この(きみ)のかくのぞきたまふを()()るも、あながちに(かく)さむの御心(みこころ)(おぼ)されぬなめり。 と、しづめがほにて、みきちゃうかたびらを、もののたまふまぎれに、げてたまへば、ほのぼのとけゆくひかりもおぼつかなければ、おほとなぶらちかくかかげてたてまつりたまふに、かずうつくしげに、めでたうきよらにゆるおほんかほのあたらしさに、このきみのかくのぞきたまふをるも、あながちにかくさんのみこころおぼされぬなめり。
402.4.4138116 「かく(なに)ごともまだ(かは)らぬけしきながら、(かぎ)りのさまはしるかりけるこそ」 "かくなにごともまだかはらぬけしきながら、かぎりのさまはしるかりけるこそ。"
402.4.5139117 とて、御袖(おほんそで)(かほ)におしあてたまへるほど、大将(だいしゃう)(きみ)も、(なみだ)にくれて、()()えたまはぬを、しひてしぼり()けて()たてまつるに、なかなか()かず(かな)しきことたぐひなきに、まことに心惑(こころまど)ひもしぬべし。御髪(みぐし)のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、(つゆ)ばかり(みだ)れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ(かぎ)りなき。 とて、おほんそでかほにおしあてたまへるほど、だいしゃうきみも、なみだにくれて、えたまはぬを、しひてしぼりけてたてまつるに、なかなかかずかなしきことたぐひなきに、まことにこころまどひもしぬべし。みぐしのただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、つゆばかりみだれたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞかぎりなき。
402.4.6140119 ()のいと()かきに、御色(おほんいろ)はいと(しろ)(ひか)るやうにて、とかくうち(まぎ)らはすこと、ありしうつつの(おほん)もてなしよりも、いふかひなきさまにて、何心(なにごころ)なくて()したまへる(おほん)ありさまの、()かぬ(ところ)なしと()はむもさらなりや。なのめにだにあらず、たぐひなきを()たてまつるに、「()()(たましひ)の、やがてこの御骸(おほんから)にとまらなむ」と(おも)ほゆるも、わりなきことなりや。 のいとかきに、おほんいろはいとしろひかるやうにて、とかくうちまぎらはすこと、ありしうつつのおほんもてなしよりも、いふかひなきさまにて、なにごころなくてしたまへるおほんありさまの、かぬところなしとはんもさらなりや。なのめにだにあらず、たぐひなきをたてまつるに、"たましひの、やがてこのおほんからにとまらなん。"とおもほゆるも、わりなきことなりや。
402.5141120第五段 紫の上の葬儀
402.5.1142121 (つか)うまつり()れたる女房(にょうばう)などの、ものおぼゆるもなければ、(ゐん)ぞ、(なに)ごとも(おぼ)しわかれず(おぼ)さるる御心地(みここち)を、あながちに(しづ)めたまひて、(かぎ)りの(おほん)ことどもしたまふ。いにしへも、(かな)しと(おぼ)すこともあまた()たまひし御身(おほんみ)なれど、いとかうおり()ちてはまだ()りたまはざりけることを、すべて()方行(かたゆ)(さき)、たぐひなき心地(ここち)したまふ。 つかうまつりれたるにょうばうなどの、ものおぼゆるもなければ、ゐんぞ、なにごともおぼしわかれずおぼさるるみここちを、あながちにしづめたまひて、かぎりのおほんことどもしたまふ。いにしへも、かなしとおぼすこともあまたたまひしおほんみなれど、いとかうおりちてはまだりたまはざりけることを、すべてかたゆさき、たぐひなきここちしたまふ。
402.5.2143122 やがて、その()、とかく(をさ)めたてまつる。(かぎ)りありけることなれば、(から)()つつもえ()ぐしたまふまじかりけるぞ、心憂(こころう)()(なか)なりける。はるばると(ひろ)()の、(ところ)もなく()()みて、(かぎ)りなくいかめしき作法(さほふ)なれど、いとはかなき(けぶり)にて、はかなく(のぼ)りたまひぬるも、(れい)のことなれど、あへなくいみじ。 やがて、その、とかくをさめたてまつる。かぎりありけることなれば、からつつもえぐしたまふまじかりけるぞ、こころうなかなりける。はるばるとひろの、ところもなくみて、かぎりなくいかめしきさほふなれど、いとはかなきけぶりにて、はかなくのぼりたまひぬるも、れいのことなれど、あへなくいみじ。
402.5.3144123 (そら)(あゆ)心地(ここち)して、(ひと)にかかりてぞおはしましけるを、()たてまつる(ひと)も、「さばかりいつかしき御身(おほんみ)を」と、ものの心知(こころし)らぬ下衆(げす)さへ、()かぬなかりけり。御送(おほんおく)りの女房(にょうばう)は、まして夢路(ゆめぢ)(まど)心地(ここち)して、(くるま)よりもまろび()ちぬべきをぞ、もてあつかひける。 そらあゆここちして、ひとにかかりてぞおはしましけるを、たてまつるひとも、"さばかりいつかしきおほんみを。"と、もののこころしらぬげすさへ、かぬなかりけり。おほんおくりのにょうばうは、ましてゆめぢまどここちして、くるまよりもまろびちぬべきをぞ、もてあつかひける。
402.5.4145124 (むかし)大将(だいしゃう)(きみ)御母君亡(おほんははぎみう)せたまへりし(とき)(あかつき)(おも)()づるにも、かれは、なほもののおぼえけるにや、(つき)(かほ)(あき)らかにおぼえしを、今宵(こよひ)はただくれ(まど)ひたまへり。 むかしだいしゃうきみおほんははぎみうせたまへりしときあかつきおもづるにも、かれは、なほもののおぼえけるにや、つきかほあきらかにおぼえしを、こよひはただくれまどひたまへり。
402.5.5146125 十四日(じふよ)(ちにう)せたまひて、これは十五日(じふごにち)(あかつき)なりけり。()はいとはなやかにさし()がりて、野辺(のべ)(つゆ)(かく)れたる(くま)なくて、()中思(なかおぼ)(つづ)くるに、いとど(いと)はしくいみじければ、「(おく)るとても、幾世(いくよ)かは()べき。かかる(かな)しさの(まぎ)れに、(むかし)よりの御本意(おほんほい)()げてまほしく」(おも)ほせど、心弱(こころよわ)(のち)のそしりを(おぼ)せば、「このほどを()ぐさむ」としたまふに、(むね)のせきあぐるぞ()へがたかりける。 じふよちにうせたまひて、これはじふごにちあかつきなりけり。はいとはなやかにさしがりて、のべつゆかくれたるくまなくて、なかおぼつづくるに、いとどいとはしくいみじければ、"おくるとても、いくよかはべき。かかるかなしさのまぎれに、むかしよりのおほんほいげてまほしく"おもほせど、こころよわのちのそしりをおぼせば、"このほどをぐさん"としたまふに、むねのせきあぐるぞへがたかりける。
403147126第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち
403.1148127第一段 源氏の悲嘆と弔問客
403.1.1149128 大将(だいしゃう)(きみ)も、御忌(おほんいみ)()もりたまひて、あからさまにもまかでたまはず、()()(ちか)くさぶらひて、心苦(こころぐる)しくいみじき()けしきを、ことわりに(かな)しく()たてまつりたまひて、よろづに(なぐさ)めきこえたまふ。 だいしゃうきみも、おほんいみもりたまひて、あからさまにもまかでたまはず、ちかくさぶらひて、こころぐるしくいみじきけしきを、ことわりにかなしくたてまつりたまひて、よろづになぐさめきこえたまふ。
403.1.2150129 風野分(かぜのわき)だちて()夕暮(ゆふぐれ)に、(むかし)のこと(おぼ)()でて、「ほのかに()たてまつりしものを」と、(こひ)しくおぼえたまふに、また「(かぎ)りのほどの(ゆめ)心地(ここち)せし」など、人知(ひとし)れず(おも)(つづ)けたまふに、()へがたく(かな)しければ、人目(ひとめ)にはさしも()えじ、とつつみて、 かぜのわきだちてゆふぐれに、むかしのことおぼでて、"ほのかにたてまつりしものを"と、こひしくおぼえたまふに、また"かぎりのほどのゆめここちせし"など、ひとしれずおもつづけたまふに、へがたくかなしければ、ひとめにはさしもえじ、とつつみて、
403.1.3151130 阿弥陀仏(あみだぶつ)阿弥陀仏(あみだぶつ) "あみだぶつあみだぶつ。"
403.1.4152131 ()きたまふ数珠(ずず)(かず)(まぎ)らはしてぞ、(なみだ)(たま)をばもて()ちたまひける。 きたまふずずかずまぎらはしてぞ、なみだたまをばもてちたまひける。
403.1.5153132 「いにしへの(あき)(ゆふ)べの(こひ)しきに<BR/>(いま)はと()えし()けぐれの(ゆめ) "〔いにしへのあきゆふべのこひしきに<BR/>いまはとえしけぐれのゆめ〕"
403.1.6154133 ぞ、名残(なごり)さへ()かりける。やむごとなき(そう)どもさぶらはせたまひて、(さだ)まりたる念仏(ねんぶつ)をばさるものにて、法華経(ほけきゃう)など()ぜさせたまふ。かたがたいとあはれなり。 ぞ、なごりさへかりける。やんごとなきそうどもさぶらはせたまひて、さだまりたるねんぶつをばさるものにて、ほけきゃうなどぜさせたまふ。かたがたいとあはれなり。
403.1.7155134 ()しても()きても(なみだ)()()なく、()りふたがりて()かし()らしたまふ。いにしへより御身(おほんみ)のありさま(おぼ)(つづ)くるに、 してもきてもなみだなく、りふたがりてかしらしたまふ。いにしへよりおほんみのありさまおぼつづくるに、
403.1.8156135 (かがみ)()ゆる(かげ)をはじめて、(ひと)には(こと)なりける()ながら、いはけなきほどより、(かな)しく(つね)なき()(おも)()るべく、(ほとけ)などのすすめたまひける()を、心強(こころづよ)()ぐして、つひに()方行(かたゆ)(さき)(ためし)あらじとおぼゆる(かな)しさを()つるかな。(いま)は、この()にうしろめたきこと(のこ)らずなりぬ。ひたみちに(おこな)ひにおもむきなむに、(さは)(どころ)あるまじきを、いとかく(をさ)めむ(かた)なき心惑(こころまど)ひにては、(ねが)はむ(みち)にも()りがたくや」 "かがみゆるかげをはじめて、ひとにはことなりけるながら、いはけなきほどより、かなしくつねなきおもるべく、ほとけなどのすすめたまひけるを、こころづよぐして、つひにかたゆさきためしあらじとおぼゆるかなしさをつるかな。いまは、このにうしろめたきことのこらずなりぬ。ひたみちにおこなひにおもむきなんに、さはどころあるまじきを、いとかくをさめんかたなきこころまどひにては、ねがはんみちにもりがたくや。"
403.1.9157136 と、ややましきを、 と、ややましきを、
403.1.10158137 「この(おも)ひすこしなのめに、(わす)れさせたまへ」 "このおもひすこしなのめに、わすれさせたまへ。"
403.1.11159138 と、阿弥陀仏(あみだぶつ)(ねん)じたてまつりたまふ。 と、あみだぶつねんじたてまつりたまふ。
403.2160139第二段 帝,致仕大臣の弔問
403.2.1161140 所々(ところどころ)(おほん)とぶらひ、内裏(うち)をはじめたてまつりて、(れい)作法(さほふ)ばかりにはあらず、いとしげく()こえたまふ。(おぼ)しめしたる(こころ)のほどには、さらに(なに)ごとも()にも(みみ)にもとまらず、(こころ)にかかりたまふこと、あるまじけれど、「(ひと)にほけほけしきさまに()えじ。(いま)さらにわが()(すゑ)に、かたくなしく心弱(こころよわ)(まど)ひにて、()(なか)をなむ(そむ)きにける」と、(なが)れとどまらむ()(おぼ)しつつむになむ、()(こころ)にまかせぬ(なげ)きをさへうち()へたまひける。 ところどころおほんとぶらひ、うちをはじめたてまつりて、れいさほふばかりにはあらず、いとしげくこえたまふ。おぼしめしたるこころのほどには、さらになにごともにもみみにもとまらず、こころにかかりたまふこと、あるまじけれど、"ひとにほけほけしきさまにえじ。いまさらにわがすゑに、かたくなしくこころよわまどひにて、なかをなんそむきにける。"と、ながれとどまらんおぼしつつむになん、こころにまかせぬなげきをさへうちへたまひける。
403.2.2162141 致仕(ちじ)大臣(おとど)、あはれをも折過(をりす)ぐしたまはぬ御心(みこころ)にて、かく()にたぐひなくものしたまふ(ひと)の、はかなく()せたまひぬることを、口惜(くちを)しくあはれに(おぼ)して、いとしばしば()ひきこえたまふ。 ちじおとど、あはれをもをりすぐしたまはぬみこころにて、かくにたぐひなくものしたまふひとの、はかなくせたまひぬることを、くちをしくあはれにおぼして、いとしばしばひきこえたまふ。
403.2.3163142 (むかし)大将(だいしゃう)御母亡(おほんははう)せたまへりしも、このころのことぞかし」と(おぼ)()づるに、いともの(かな)しく、 "むかしだいしゃうおほんははうせたまへりしも、このころのことぞかし。"とおぼづるに、いとものかなしく、
403.2.4164143 「その(をり)、かの御身(おほんみ)()しみきこえたまひし(ひと)の、(おほ)くも()せたまひにけるかな。(おく)(さき)だつほどなき()なりけりや」 "そのをり、かのおほんみしみきこえたまひしひとの、おほくもせたまひにけるかな。おくさきだつほどなきなりけりや。"
403.2.5165144 など、しめやかなる夕暮(ゆふぐれ)にながめたまふ。(そら)のけしきもただならねば、御子(おほんこ)蔵人少将(くらうどのせうしゃう)してたてまつりたまふ。あはれなることなど、こまやかに()こえたまひて、(はし)に、 など、しめやかなるゆふぐれにながめたまふ。そらのけしきもただならねば、おほんこくらうどのせうしゃうしてたてまつりたまふ。あはれなることなど、こまやかにこえたまひて、はしに、
403.2.6166145 「いにしへの(あき)さへ(いま)心地(ここち)して<BR/>()れにし(そで)(つゆ)ぞおきそふ」 "〔いにしへのあきさへいまここちして<BR/>れにしそでつゆぞおきそふ〕
403.2.7167146 御返(おほんかへ)し、 おほんかへし、
403.2.8168147 (つゆ)けさは昔今(むかしいま)ともおもほえず<BR/>おほかた(あき)()こそつらけれ」 "〔つゆけさはむかしいまともおもほえず<BR/>おほかたあきこそつらけれ〕
403.2.9169148 もののみ(かな)しき御心(みこころ)のままならば、()ちとりたまひては、心弱(こころよわ)くもと、()とどめたまひつべき大臣(おとど)御心(みこころ)ざまなれば、めやすきほどにと、 もののみかなしきみこころのままならば、ちとりたまひては、こころよわくもと、とどめたまひつべきおとどみこころざまなれば、めやすきほどにと、
403.2.10170149 「たびたびのなほざりならぬ(おほん)とぶらひの(かさ)なりぬること」 "たびたびのなほざりならぬおほんとぶらひのかさなりぬること。"
403.2.11171150 (よろこ)びきこえたまふ。 よろこびきこえたまふ。
403.2.12172151 薄墨(うすずみ)」とのたまひしよりは、(いま)すこしこまやかにてたてまつれり。()(なか)(さいは)ひありめでたき(ひと)も、あいなうおほかたの()(そね)まれ、よきにつけても、(こころ)(かぎ)りおごりて、(ひと)のため(くる)しき(ひと)もあるを、あやしきまで、すずろなる(ひと)にも()けられ、はかなくし()でたまふことも、(なに)ごとにつけても、()にほめられ、(こころ)にくく、(をり)ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし(ひと)御心(みこころ)ばへなりかし。 "うすずみ"とのたまひしよりは、いますこしこまやかにてたてまつれり。なかさいはひありめでたきひとも、あいなうおほかたのそねまれ、よきにつけても、こころかぎりおごりて、ひとのためくるしきひともあるを、あやしきまで、すずろなるひとにもけられ、はかなくしでたまふことも、なにごとにつけても、にほめられ、こころにくく、をりふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりしひとみこころばへなりかし。
403.2.13173152 さしもあるまじきおほよその(ひと)さへ、そのころは、(かぜ)音虫(おとむし)(こゑ)につけつつ、涙落(なみだお)とさぬはなし。まして、ほのかにも()たてまつりし(ひと)の、(おも)(なぐさ)むべき()なし。(とし)ごろ(むつ)ましく(つか)うまつり()れつる(ひと)びと、しばしも(のこ)れる(いのち)(うら)めしきことを(なげ)きつつ、(あま)になり、この()のほかの山住(やまず)みなどに(おも)()つもありけり。 さしもあるまじきおほよそのひとさへ、そのころは、かぜおとむしこゑにつけつつ、なみだおとさぬはなし。まして、ほのかにもたてまつりしひとの、おもなぐさむべきなし。としごろむつましくつかうまつりれつるひとびと、しばしものこれるいのちうらめしきことをなげきつつ、あまになり、こののほかのやまずみなどにおもつもありけり。
403.3174153第三段 秋好中宮の弔問
403.3.1175154 冷泉院(れいぜいゐん)(きさい)(みや)よりも、あはれなる御消息絶(おほんせうそこた)えず、()きせぬことども()こえたまひて、 れいぜいゐんきさいみやよりも、あはれなるおほんせうそこたえず、きせぬことどもこえたまひて、
403.3.2176155 ()()つる野辺(のべ)()しとや()(ひと)の<BR/>(あき)(こころ)をとどめざりけむ "〔つるのべしとやひとの<BR/>あきこころをとどめざりけん
403.3.3177156 (いま)なむことわり()られはべりぬる」 いまなんことわりられはべりぬる。"
403.3.4178157 とありけるを、ものおぼえぬ御心(みこころ)にも、うち(かへ)し、()きがたく()たまふ。「いふかひあり、をかしからむ(かた)(なぐさ)めには、この(みや)ばかりこそおはしけれ」と、いささかのもの(まぎ)るるやうに(おぼ)(つづ)くるにも、(なみだ)のこぼるるを、(そで)(いとま)なく、え()きやりたまはず。 とありけるを、ものおぼえぬみこころにも、うちかへし、きがたくたまふ。"いふかひあり、をかしからんかたなぐさめには、このみやばかりこそおはしけれ。"と、いささかのものまぎるるやうにおぼつづくるにも、なみだのこぼるるを、そでいとまなく、えきやりたまはず。
403.3.5179158 (のぼ)りにし雲居(くもゐ)ながらもかへり()よ<BR/>われ()きはてぬ(つね)ならぬ()に」 "〔のぼりにしくもゐながらもかへりよ<BR/>われきはてぬつねならぬに〕
403.3.6180159 おし(つつ)みたまひても、とばかり、うち(なが)めておはす。 おしつつみたまひても、とばかり、うちながめておはす。
403.3.7181160 すくよかにも(おぼ)されず、われながら、ことのほかにほれぼれしく(おぼ)()らるること(おほ)かる、(まぎ)らはしに、女方(をんながた)にぞおはします。 すくよかにもおぼされず、われながら、ことのほかにほれぼれしくおぼらるることおほかる、まぎらはしに、をんながたにぞおはします。
403.3.8182161 (ほとけ)御前(おまへ)(ひと)しげからずもてなして、のどやかに(おこ)なひたまふ。千年(ちとせ)をももろともにと(おぼ)ししかど、(かぎ)りある(わか)れぞいと口惜(くちを)しきわざなりける。(いま)は、(はちす)(つゆ)異事(ことごと)(まぎ)るまじく、(のち)()をと、ひたみちに(おぼ)()つこと、たゆみなし。されど、人聞(ひとぎ)きを(はばか)りたまふなむ、あぢきなかりける。 ほとけおまへひとしげからずもてなして、のどやかにおこなひたまふ。ちとせをももろともにとおぼししかど、かぎりあるわかれぞいとくちをしきわざなりける。いまは、はちすつゆことごとまぎるまじく、のちをと、ひたみちにおぼつこと、たゆみなし。されど、ひとぎきをはばかりたまふなん、あぢきなかりける。
403.3.9183162 (おほん)わざのことども、はかばかしくのたまひおきつることどもなかりければ、大将(だいしゃう)(きみ)なむ、とりもちて(つか)うまつりたまひける。今日(けふ)やとのみ、わが()(こころ)づかひせられたまふ折多(をりおほ)かるを、はかなくて、()もりにけるも、(ゆめ)心地(ここち)のみす。中宮(ちゅうぐう)なども、(おぼ)(わす)るる(とき)()なく、()ひきこえたまふ。 おほんわざのことども、はかばかしくのたまひおきつることどもなかりければ、だいしゃうきみなん、とりもちてつかうまつりたまひける。けふやとのみ、わがこころづかひせられたまふをりおほかるを、はかなくて、もりにけるも、ゆめここちのみす。ちゅうぐうなども、おぼわするるときなく、ひきこえたまふ。