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49宿木
49112899第一章 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話
491.1129100第一段 藤壺女御と女二の宮
491.1.1130101 そのころ、藤壺(ふぢつぼ)()こゆるは、故左大臣殿(こさだいじんどの)女御(にょうご)になむおはしける。まだ春宮(とうぐう)()こえさせし(とき)(ひと)より(さき)(まゐ)りたまひにしかば、(むつ)ましくあはれなる(かた)御思(おほんおも)ひは、ことにものしたまふめれど、そのしるしと()ゆるふしもなくて年経(としへ)たまふに、中宮(ちうぐう)には、(みや)たちさへあまた、ここら大人(おとな)びたまふめるに、さやうのこともすくなくて、ただ女宮一所(をんなみやひとところ)をぞ()ちたてまつりたまへりける。 そのころ、ふぢつぼこゆるは、こさだいじんどのにょうごになんおはしける。まだとうぐうこえさせしときひとよりさきまゐりたまひにしかば、むつましくあはれなるかたおほんおもひは、ことにものしたまふめれど、そのしるしとゆるふしもなくてとしへたまふに、ちうぐうには、みやたちさへあまた、ここらおとなびたまふめるに、さやうのこともすくなくて、ただをんなみやひとところをぞちたてまつりたまへりける。
491.1.2131102 わがいと口惜(くちを)しく、(ひと)におされたてまつりぬる宿世(すくせ)(なげ)かしくおぼゆる()はりに、「この(みや)をだに、いかで()(すゑ)(こころ)(なぐさ)むばかりにて()たてまつらむ」と、かしづききこえたまふことおろかならず。御容貌(おほんかたち)もいとをかしくおはすれば、(みかど)もらうたきものに(おも)ひきこえさせたまへり。 わがいとくちをしく、ひとにおされたてまつりぬるすくせなげかしくおぼゆるはりに、"このみやをだに、いかですゑこころなぐさむばかりにてたてまつらん。"と、かしづききこえたまふことおろかならず。おほんかたちもいとをかしくおはすれば、みかどもらうたきものにおもひきこえさせたまへり。
491.1.3132103 女一(をんないち)(みや)を、()にたぐひなきものにかしづききこえさせたまふに、おほかたの()のおぼえこそ(およ)ぶべうもあらね、うちうちの(おほん)ありさまは、をさをさ(おと)らず。父大臣(ちちおとど)御勢(おほんいきほ)ひ、(いかめ)しかりし名残(なごり)、いたく(おとろ)へねば、ことに(こころ)もとなきことなどなくて、さぶらふ(ひと)びとのなり姿(すがた)よりはじめ、たゆみなく、時々(ときどき)につけつつ、調(ととの)(この)み、(いま)めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなしたまへり。 をんないちみやを、にたぐひなきものにかしづききこえさせたまふに、おほかたののおぼえこそおよぶべうもあらね、うちうちのおほんありさまは、をさをさおとらず。ちちおとどおほんいきほひ、いかめしかりしなごり、いたくおとろへねば、ことにこころもとなきことなどなくて、さぶらふひとびとのなりすがたよりはじめ、たゆみなく、ときどきにつけつつ、ととのこのみ、いまめかしくゆゑゆゑしきさまにもてなしたまへり。
491.2133104第二段 藤壺女御の死去と女二の宮の将来
491.2.1134105 十四(じふし)になりたまふ(とし)御裳着(おほんもき)せたてまつりたまはむとて、(はる)よりうち(はじ)めて、異事(ことこと)なく(おぼ)(いそ)ぎて、何事(なにごと)もなべてならぬさまにと(おぼ)しまうく。 じふしになりたまふとしおほんもきせたてまつりたまはんとて、はるよりうちはじめて、ことことなくおぼいそぎて、なにごともなべてならぬさまにとおぼしまうく。
491.2.2135106 いにしへより(つた)はりたりける宝物(たからもの)ども、この(をり)にこそはと、(さが)()でつつ、いみじく(いとな)みたまふに、女御(にょうご)(なつ)ごろ、もののけにわづらひたまひて、いとはかなく()せたまひぬ。()ふかひなく口惜(くちを)しきことを、内裏(うち)にも(おぼ)(なげ)く。 いにしへよりつたはりたりけるたからものども、このをりにこそはと、さがでつつ、いみじくいとなみたまふに、にょうごなつごろ、もののけにわづらひたまひて、いとはかなくせたまひぬ。ふかひなくくちをしきことを、うちにもおぼなげく。
491.2.3136107 (こころ)ばへ(なさ)(なさ)けしく、なつかしきところおはしつる御方(おほんかた)なれば、殿上人(てんじゃうびと)どもも、「こよなくさうざうしかるべきわざかな」と、()しみきこゆ。おほかたさるまじき(きは)女官(にょうかん)などまで、しのびきこえぬはなし。 こころばへなさなさけしく、なつかしきところおはしつるおほんかたなれば、てんじゃうびとどもも、"こよなくさうざうしかるべきわざかな。"と、しみきこゆ。おほかたさるまじききはにょうかんなどまで、しのびきこえぬはなし。
491.2.4137108 (みや)は、まして(わか)御心地(みここち)に、心細(こころぼそ)(かな)しく(おぼ)()りたるを、()こし()して、心苦(こころぐる)しくあはれに(おぼ)()さるれば、御四十九日過(おほんしじふくにちす)ぐるままに、(しの)びて(まゐ)らせたてまつらせたまへり。日々(ひび)に、(わた)らせたまひつつ()たてまつらせたまふ。 みやは、ましてわかみここちに、こころぼそかなしくおぼりたるを、こしして、こころぐるしくあはれにおぼさるれば、おほんしじふくにちすぐるままに、しのびてまゐらせたてまつらせたまへり。ひびに、わたらせたまひつつたてまつらせたまふ。
491.2.5138109 (くろ)御衣(おほんぞ)にやつれておはするさま、いとどらうたげにあてなるけしきまさりたまへり。(こころ)ざまもいとよく大人(おとな)びたまひて、母女御(ははにょうご)よりも(いま)すこしづしやかに、(おも)りかなるところはまさりたまへるを、うしろやすくは()たてまつらせたまへど、まことには、御母方(おほんははかた)とても、後見(うしろみ)(たの)ませたまふべき、叔父(をぢ)などやうのはかばかしき(ひと)もなし。わづかに大蔵卿(おほくらきゃう)修理大夫(すりのかみ)などいふは、女御(にょうご)にも異腹(ことばら)なりける。 くろおほんぞにやつれておはするさま、いとどらうたげにあてなるけしきまさりたまへり。こころざまもいとよくおとなびたまひて、ははにょうごよりもいますこしづしやかに、おもりかなるところはまさりたまへるを、うしろやすくはたてまつらせたまへど、まことには、おほんははかたとても、うしろみたのませたまふべき、をぢなどやうのはかばかしきひともなし。わづかにおほくらきゃうすりのかみなどいふは、にょうごにもことばらなりける。
491.2.6139110 ことに()のおぼえ(おも)りかにもあらず、やむごとなからぬ(ひと)びとを(たの)もし(びと)にておはせむに、「(をんな)心苦(こころぐる)しきこと(おほ)かりぬべきこそいとほしけれ」など、御心一(みこころひと)つなるやうに(おぼ)(あつか)ふも、やすからざりけり。 ことにのおぼえおもりかにもあらず、やんごとなからぬひとびとをたのもしびとにておはせんに、"をんなこころぐるしきことおほかりぬべきこそいとほしけれ。"など、みこころひとつなるやうにおぼあつかふも、やすからざりけり。
491.3140111第三段 帝,女二の宮を薫に降嫁させようと考える
491.3.1141112 御前(おまへ)菊移(きくうつ)ろひ()てて(さか)りなるころ、(そら)のけしきのあはれにうちしぐるるにも、まづこの御方(おほんかた)(わた)らせたまひて、(むかし)のことなど()こえさせたまふに、(おほん)いらへなども、おほどかなるものから、いはけなからずうち()こえさせたまふを、うつくしく(おも)ひきこえさせたまふ。 おまへきくうつろひててさかりなるころ、そらのけしきのあはれにうちしぐるるにも、まづこのおほんかたわたらせたまひて、むかしのことなどこえさせたまふに、おほんいらへなども、おほどかなるものから、いはけなからずうちこえさせたまふを、うつくしくおもひきこえさせたまふ。
491.3.2142113 かやうなる(おほん)さまを見知(みし)りぬべからむ(ひと)の、もてはやしきこえむも、などかはあらむ、朱雀院(すざくゐん)姫宮(ひめみや)を、六条(ろくでう)(ゐん)(ゆづ)りきこえたまひし(をり)(さだ)めどもなど、(おぼ)()()づるに、 かやうなるおほんさまをみしりぬべからんひとの、もてはやしきこえんも、などかはあらん、すざくゐんひめみやを、ろくでうゐんゆづりきこえたまひしをりさだめどもなど、おぼづるに、
491.3.3143114 「しばしは、いでや、()かずもあるかな。さらでもおはしなまし、と()こゆることどもありしかど、源中納言(げんちうなごん)の、(ひと)よりことなるありさまにて、かくよろづを後見(うしろみ)たてまつるにこそ、そのかみの(おほん)おぼえ(おとろ)へず、やむごとなきさまにてはながらへたまふめれ。さらずは、御心(みこころ)より(ほか)なる(こと)どもも()()て、おのづから(ひと)(かる)められたまふこともやあらまし」 "しばしは、いでや、かずもあるかな。さらでもおはしなまし、とこゆることどもありしかど、げんちうなごんの、ひとよりことなるありさまにて、かくよろづをうしろみたてまつるにこそ、そのかみのおほんおぼえおとろへず、やんごとなきさまにてはながらへたまふめれ。さらずは、みこころよりほかなることどももて、おのづからひとかるめられたまふこともやあらまし。"
491.3.4144115 など(おぼ)(つづ)けて、「ともかくも、御覧(ごらん)ずる()にや(おも)(さだ)めまし」と(おぼ)()るには、やがて、そのついでのままに、この中納言(ちうなごん)より(ほか)に、よろしかるべき(ひと)、またなかりけり。 などおぼつづけて、"ともかくも、ごらんずるにやおもさだめまし。"とおぼるには、やがて、そのついでのままに、このちうなごんよりほかに、よろしかるべきひと、またなかりけり。
491.3.5145116 (みや)たちの(おほん)かたはらにさし(なら)べたらむに、何事(なにごと)もめざましくはあらじを。もとより(おも)人持(ひとも)たりて、()きにくきことうちまずまじくはた、あめるを、つひにはさやうのことなくてしもえあらじ。さらぬ(さき)に、さもやほのめかしてまし」 "みやたちのおほんかたはらにさしならべたらんに、なにごともめざましくはあらじを。もとよりおもひともたりて、きにくきことうちまずまじくはた、あめるを、つひにはさやうのことなくてしもえあらじ。さらぬさきに、さもやほのめかしてまし。"
491.3.6146117 など、折々思(をりをりおぼ)()しけり。 など、をりをりおぼしけり。
491.4147118第四段 帝,女二の宮や薫と碁を打つ
491.4.1148119 御碁(おほんご)など()たせたまふ。()れゆくままに、時雨(しぐれ)をかしきほどに、(はな)(いろ)夕映(ゆふば)えしたるを御覧(ごらん)じて、人召(ひとめ)して、 おほんごなどたせたまふ。れゆくままに、しぐれをかしきほどに、はないろゆふばえしたるをごらんじて、ひとめして、
491.4.2149120 「ただ(いま)殿上(てんじゃう)には()()れか」 "ただいまてんじゃうにはれか。"
491.4.3150121 ()はせたまふに、 はせたまふに、
491.4.4151122 中務親王(なかつかさのみこ)上野親王(かんづけのみこ)中納言源朝臣(ちうなごんみなもとのあそん)さぶらふ」 "なかつかさのみこかんづけのみこちうなごんみなもとのあそんさぶらふ。"
491.4.5152123 (そう)す。 そうす。
491.4.6153124 中納言朝臣(ちうなごんのあそん)こなたへ」 "ちうなごんのあそんこなたへ。"
491.4.7154125 (おほ)(ごと)ありて(まゐ)りたまへり。げに、かく()()きて()()づるもかひありて、(とほ)くより(かを)れる(にほ)ひよりはじめ、(ひと)(こと)なるさましたまへり。 おほごとありてまゐりたまへり。げに、かくきてづるもかひありて、とほくよりかをれるにほひよりはじめ、ひとことなるさましたまへり。
491.4.8155126 今日(けふ)時雨(しぐれ)(つね)よりことにのどかなるを、(あそ)びなどすさまじき(かた)にて、いとつれづれなるを、いたづらに()(おく)(たはぶ)れにて、これなむよかるべき」 "けふしぐれつねよりことにのどかなるを、あそびなどすさまじきかたにて、いとつれづれなるを、いたづらにおくたはぶれにて、これなんよかるべき。"
491.4.9156127 とて、碁盤召(ごばんめ)()でて、御碁(おほんご)(かたき)()()す。いつもかやうに、気近(けぢか)くならしまつはしたまふにならひにたれば、「さにこそは」と(おも)ふに、 とて、ごばんめでて、おほんごかたきす。いつもかやうに、けぢかくならしまつはしたまふにならひにたれば、"さにこそは。"とおもふに、
491.4.10157128 ()賭物(のりもの)はありぬべけれど、軽々(かるがる)しくはえ(わた)すまじきを、(なに)をかは」 "のりものはありぬべけれど、かるがるしくはえわたすまじきを、なにをかは。"
491.4.11158129 などのたまはする()けしき、いかが()ゆらむ、いとど(こころ)づかひしてさぶらひたまふ。 などのたまはするけしき、いかがゆらん、いとどこころづかひしてさぶらひたまふ。
491.4.12159130 さて、()たせたまふに、三番(さんばん)数一(かずひと)()けさせたまひぬ。 さて、たせたまふに、さんばんかずひとけさせたまひぬ。
491.4.13160131 「ねたきわざかな」とて、「まづ、今日(けふ)は、この花一枝許(はなひとえだゆる)す」 "ねたきわざかな。"とて、"まづ、けふは、このはなひとえだゆるす。"
491.4.14161133 とのたまはすれば、(おほん)いらへ()こえさせで、()りておもしろき(えだ)()りて(まゐ)りたまへり。 とのたまはすれば、おほんいらへこえさせで、りておもしろきえだりてまゐりたまへり。
491.4.15162134 ()(つね)垣根(かきね)(にほ)(はな)ならば<BR/>(こころ)のままに()りて()ましを」 "〔つねかきねにほはなならば<BR/>こころのままにりてましを〕
491.4.16163135 (そう)したまへる、用意(ようい)あさからず()ゆ。 そうしたまへる、よういあさからずゆ。
491.4.17164136 (しも)にあへず()れにし(その)(きく)なれど<BR/>(のこ)りの(いろ)はあせずもあるかな」 "〔しもにあへずれにしそのきくなれど<BR/>のこりのいろはあせずもあるかな〕
491.4.18165137 とのたまはす。 とのたまはす。
491.4.19166138 かやうに、折々(をりをり)ほのめかさせたまふ()けしきを、人伝(ひとづ)てならず(うけたまは)りながら、(れい)(こころ)(くせ)なれば、(いそ)がしくしもおぼえず。 かやうに、をりをりほのめかさせたまふけしきを、ひとづてならずうけたまはりながら、れいこころくせなれば、いそがしくしもおぼえず。
491.4.20167139 「いでや、本意(ほい)にもあらず。さまざまにいとほしき(ひと)びとの(おほん)ことどもをも、よく()()ぐしつつ年経(としへ)ぬるを、(いま)さらに(ひじり)のものの、()(かへ)()でむ心地(ここち)すべきこと」 "いでや、ほいにもあらず。さまざまにいとほしきひとびとのおほんことどもをも、よくぐしつつとしへぬるを、いまさらにひじりのものの、かへでんここちすべきこと。"
491.4.21168140 (おも)ふも、かつはあやしや。 おもふも、かつはあやしや。
491.4.22169141 「ことさらに(こころ)()くす(ひと)だにこそあなれ」とは(おも)ひながら、「后腹(きさきばら)におはせばしも」とおぼゆる(こころ)(うち)ぞ、あまりおほけなかりける。 "ことさらにこころくすひとだにこそあなれ。"とはおもひながら、"きさきばらにおはせばしも。"とおぼゆるこころうちぞ、あまりおほけなかりける。
491.5170142第五段 夕霧、匂宮を六の君の婿にと願う
491.5.1171143 かかることを、(みぎ)大殿(おほいどの)ほの()きたまひて、 かかることを、みぎおほいどのほのきたまひて、
491.5.2172144 (ろく)(きみ)は、さりともこの(きみ)にこそは。しぶしぶなりとも、まめやかに(うら)()らば、つひには、えいなび()てじ」 "ろくきみは、さりともこのきみにこそは。しぶしぶなりとも、まめやかにうららば、つひには、えいなびてじ。"
491.5.3173145 (おぼ)しつるを、「(おも)ひの(ほか)のこと()()ぬべかなり」と、ねたく(おぼ)されければ、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)はた、わざとにはあらねど、折々(をりをり)につけつつ、をかしきさまに()こえたまふことなど()えざりければ、 おぼしつるを、"おもひのほかのことぬべかなり。"と、ねたくおぼされければ、ひゃうぶきゃうのみやはた、わざとにはあらねど、をりをりにつけつつ、をかしきさまにこえたまふことなどえざりければ、
491.5.4174146 「さはれ、なほざりの()きにはありとも、さるべきにて、御心(みこころ)とまるやうもなどかなからむ。水漏(みづも)るまじく(おも)(さだ)めむとても、なほなほしき(きは)(くだ)らむはた、いと人悪(ひとわ)ろく、()かぬ心地(ここち)すべし」 "さはれ、なほざりのきにはありとも、さるべきにて、みこころとまるやうもなどかなからん。みづもるまじくおもさだめんとても、なほなほしききはくだらんはた、いとひとわろく、かぬここちすべし。"
491.5.5175147 など(おぼ)しなりにたり。 などおぼしなりにたり。
491.5.6176148 女子(をんなご)うしろめたげなる()(すゑ)にて、(みかど)だに婿求(むこもと)めたまふ()に、まして、ただ(うど)(さか)()ぎむもあいなし」 "をんなごうしろめたげなるすゑにて、みかどだにむこもとめたまふに、まして、ただうどさかぎんもあいなし。"
491.5.7177149 など、(そし)らはしげにのたまひて、中宮(ちうぐう)をもまめやかに(うら)(まう)したまふこと、たび(かさ)なれば、()こし()しわづらひて、 など、そしらはしげにのたまひて、ちうぐうをもまめやかにうらまうしたまふこと、たびかさなれば、こししわづらひて、
491.5.8178150 「いとほしく、かくおほなおほな(おも)(こころ)ざして年経(としへ)たまひぬるを、あやにくに(のが)れきこえたまはむも、(なさ)けなきやうならむ。親王(みこ)たちは、御後見(おほんうしろみ)からこそ、ともかくもあれ。 "いとほしく、かくおほなおほなおもこころざしてとしへたまひぬるを、あやにくにのがれきこえたまはんも、なさけなきやうならん。みこたちは、おほんうしろみからこそ、ともかくもあれ。
491.5.9179151 主上(うへ)の、御代(みよ)(すゑ)になり()くとのみ(おぼ)しのたまふめるを、ただ(うど)こそ、ひと(こと)(さだ)まりぬれば、また(こころ)()けむことも(かた)げなめれ。それだに、かの大臣(おとど)のまめだちながら、こなたかなた(うらや)みなくもてなしてものしたまはずやはある。まして、これは、(おも)ひおきてきこゆることも(かな)はば、あまたもさぶらはむになどかあらむ」 うへの、みよすゑになりくとのみおぼしのたまふめるを、ただうどこそ、ひとことさだまりぬれば、またこころけんこともかたげなめれ。それだに、かのおとどのまめだちながら、こなたかなたうらやみなくもてなしてものしたまはずやはある。まして、これは、おもひおきてきこゆることもかなはば、あまたもさぶらはんになどかあらん。"
491.5.10180152 など、(れい)ならず言続(ことつづ)けて、あるべかしく()こえさせたまふを、 など、れいならずことつづけて、あるべかしくこえさせたまふを、
491.5.11181153 「わが御心(みこころ)にも、もとよりもて(はな)れて、はた、(おぼ)さぬことなれば、あながちには、などてかはあるまじきさまにも()こえさせたまはむ。ただ、いとことうるはしげなるあたりにとり()められて、(こころ)やすくならひたまへるありさまの所狭(ところせ)からむことを、なま(くる)しく(おぼ)すにもの()きなれど、げに、この大臣(おとど)に、あまり(ゑん)ぜられ()てむもあいなからむ」 "わがみこころにも、もとよりもてはなれて、はた、おぼさぬことなれば、あながちには、などてかはあるまじきさまにもこえさせたまはん。ただ、いとことうるはしげなるあたりにとりめられて、こころやすくならひたまへるありさまのところせからんことを、なまくるしくおぼすにものきなれど、げに、このおとどに、あまりゑんぜられてんもあいなからん。"
491.5.12182154 など、やうやう(おぼ)(よわ)りにたるべし。あだなる御心(みこころ)なれば、かの按察使大納言(あぜちのだいなごん)の、紅梅(こうばい)御方(おほんかた)をも、なほ(おぼ)()えず、花紅葉(はなもみぢ)につけてもののたまひわたりつつ、いづれをもゆかしくは(おぼ)しけり。されど、その(とし)()はりぬ。 など、やうやうおぼよわりにたるべし。あだなるみこころなれば、かのあぜちのだいなごんの、こうばいおほんかたをも、なほおぼえず、はなもみぢにつけてもののたまひわたりつつ、いづれをもゆかしくはおぼしけり。されど、そのとしはりぬ。
492183155第二章 中君の物語 中君の不安な思いと薫の同情
492.1184156第一段 匂宮の婚約と中君の不安な心境
492.1.1185157 女二(をんなに)(みや)も、御服果(おほんぶくは)てぬれば、「いとど何事(なにごと)にか(はばか)りたまはむ。さも()こえ()でば」と(おぼ)()したる()けしきなど、()げきこゆる(ひと)びともあるを、「あまり()らず(がほ)ならむも、ひがひがしうなめげなり」と(おぼ)()こして、ほのめかしまゐらせたまふ折々(をりをり)もあるに、「はしたなきやうは、などてかはあらむ。そのほどに(おぼ)(さだ)めたなり」と()てにも()く、みづから()けしきをも()れど、(こころ)(うち)には、なほ()かず()ぎたまひにし(ひと)(かな)しさのみ、(わす)るべき()なくおぼゆれば、「うたて、かく(ちぎ)(ふか)くものしたまひける(ひと)の、などてかは、さすがに(うと)くては()ぎにけむ」と心得(こころえ)がたく(おも)()でらる。 をんなにみやも、おほんぶくはてぬれば、"いとどなにごとにかはばかりたまはん。さもこえでば。"とおぼしたるけしきなど、げきこゆるひとびともあるを、"あまりらずがほならんも、ひがひがしうなめげなり。"とおぼこして、ほのめかしまゐらせたまふをりをりもあるに、"はしたなきやうは、などてかはあらん。そのほどにおぼさだめたなり。"とてにもく、みづからけしきをもれど、こころうちには、なほかずぎたまひにしひとかなしさのみ、わするべきなくおぼゆれば、"うたて、かくちぎふかくものしたまひけるひとの、などてかは、さすがにうとくてはぎにけん。"とこころえがたくおもでらる。
492.1.2186158 口惜(くちを)しき(しな)なりとも、かの(おほん)ありさまにすこしもおぼえたらむ(ひと)は、(こころ)もとまりなむかし。(むかし)ありけむ(かう)(けぶり)につけてだに、今一度見(いまひとたびみ)たてまつるものにもがな」とのみおぼえて、やむごとなき(かた)ざまに、いつしかなど(いそ)(こころ)もなし。 "くちをしきしななりとも、かのおほんありさまにすこしもおぼえたらんひとは、こころもとまりなんかし。むかしありけんかうけぶりにつけてだに、いまひとたびみたてまつるものにもがな。"とのみおぼえて、やんごとなきかたざまに、いつしかなどいそこころもなし。
492.1.3187159 (みぎ)大殿(おほいどの)には(いそ)ぎたちて、「八月(はちがち)ばかりに」と()こえたまひけり。二条院(にでうのゐん)(たい)御方(おほんかた)には、()きたまふに、 みぎおほいどのにはいそぎたちて、"はちがちばかりに。"とこえたまひけり。にでうのゐんたいおほんかたには、きたまふに、
492.1.4188160 「さればよ。いかでかは、(かず)ならぬありさまなめれば、かならず人笑(ひとわら)へに()きこと()()むものぞ、とは(おも)(おも)()ごしつる()ぞかし。あだなる御心(みこころ)()きわたりしを、(たの)もしげなく(おも)ひながら、()(ちか)くては、ことにつらげなること()えず、あはれに(ふか)(ちぎ)りをのみしたまへるを、にはかに()はりたまはむほど、いかがはやすき心地(ここち)はすべからむ。ただ(うど)(なか)らひなどのやうに、いとしも名残(なごり)なくなどはあらずとも、いかにやすげなきこと(おほ)からむ。なほ、いと()()なめれば、つひには、山住(やまず)みに(かへ)るべきなめり」 "さればよ。いかでかは、かずならぬありさまなめれば、かならずひとわらへにきことんものぞ、とはおもおもごしつるぞかし。あだなるみこころきわたりしを、たのもしげなくおもひながら、ちかくては、ことにつらげなることえず、あはれにふかちぎりをのみしたまへるを、にはかにはりたまはんほど、いかがはやすきここちはすべからん。ただうどなからひなどのやうに、いとしもなごりなくなどはあらずとも、いかにやすげなきことおほからん。なほ、いとなめれば、つひには、やまずみにかへるべきなめり。"
492.1.5189161 (おぼ)すにも、「やがて跡絶(あとた)えなましよりは、山賤(やまがつ)()(おも)はむも人笑(ひとわら)へなりかし。(かへ)(がへ)すも、(みや)ののたまひおきしことに(たが)ひて、(くさ)のもとを()れにける心軽(こころかる)さ」を、()づかしくもつらくも(おも)()りたまふ。 おぼすにも、"やがてあとたえなましよりは、やまがつおもはんもひとわらへなりかし。かへがへすも、みやののたまひおきしことにたがひて、くさのもとをれにけるこころかるさ。"を、づかしくもつらくもおもりたまふ。
492.1.6190162 故姫君(こひめぎみ)の、いとしどけなげに、ものはかなきさまにのみ、何事(なにごと)(おぼ)しのたまひしかど、(こころ)(そこ)のづしやかなるところは、こよなくもおはしけるかな。中納言(ちうなごん)(きみ)の、(いま)(わす)るべき()なく(なげ)きわたりたまふめれど、もし()におはせましかば、またかやうに(おぼ)すことはありもやせまし。 "こひめぎみの、いとしどけなげに、ものはかなきさまにのみ、なにごとおぼしのたまひしかど、こころそこのづしやかなるところは、こよなくもおはしけるかな。ちうなごんきみの、いまわするべきなくなげきわたりたまふめれど、もしにおはせましかば、またかやうにおぼすことはありもやせまし。
492.1.7191163 それを、いと(ふか)く、いかでさはあらじ、と(おも)()りたまひて、とざまかうざまに、もて(はな)れむことを(おぼ)して、容貌(かたち)をも()へてむとしたまひしぞかし。かならずさるさまにてぞおはせまし。 それを、いとふかく、いかでさはあらじ、とおもりたまひて、とざまかうざまに、もてはなれんことをおぼして、かたちをもへてんとしたまひしぞかし。かならずさるさまにてぞおはせまし。
492.1.8192164 今思(いまおも)ふに、いかに(おも)りかなる御心(みこころ)おきてならまし。()御影(おほんかげ)どもも、(われ)をばいかにこよなきあはつけさと()たまふらむ」 いまおもふに、いかにおもりかなるみこころおきてならまし。おほんかげどもも、われをばいかにこよなきあはつけさとたまふらん。"
492.1.9193165 ()づかしく(かな)しく(おぼ)せど、「(なに)かは、かひなきものから、かかるけしきをも()えたてまつらむ」と(しの)(かへ)して、()きも()れぬさまにて()ぐしたまふ。 づかしくかなしくおぼせど、"なにかは、かひなきものから、かかるけしきをもえたてまつらん。"としのかへして、きもれぬさまにてぐしたまふ。
492.2194166第二段 中君、匂宮の子を懐妊
492.2.1195167 (みや)は、(つね)よりもあはれになつかしく、()()(かた)らひ(ちぎ)りつつ、この()ならず、(なが)きことをのみぞ(たの)みきこえたまふ。 みやは、つねよりもあはれになつかしく、かたらひちぎりつつ、このならず、ながきことをのみぞたのみきこえたまふ。
492.2.2196168 さるは、この五月(さつき)ばかりより、(れい)ならぬさまに(なや)ましくしたまふこともありけり。こちたく(くる)しがりなどはしたまはねど、(つね)よりももの(まゐ)ることいとどなく、()してのみおはするを、まださやうなる(ひと)のありさま、よくも見知(みし)りたまはねば、「ただ(あつ)きころなれば、かくおはするなめり」とぞ(おぼ)したる。 さるは、このさつきばかりより、れいならぬさまになやましくしたまふこともありけり。こちたくくるしがりなどはしたまはねど、つねよりもものまゐることいとどなく、してのみおはするを、まださやうなるひとのありさま、よくもみしりたまはねば、"ただあつきころなれば、かくおはするなめり。"とぞおぼしたる。
492.2.3197169 さすがにあやしと(おぼ)しとがむることもありて、「もし、いかなるぞ。さる(ひと)こそ、かやうには(なや)むなれ」など、のたまふ(をり)もあれど、いと()づかしくしたまひて、さりげなくのみもてなしたまへるを、さし()()こえ()づる(ひと)もなければ、たしかにもえ()りたまはず。 さすがにあやしとおぼしとがむることもありて、"もし、いかなるぞ。さるひとこそ、かやうにはなやむなれ。"など、のたまふをりもあれど、いとづかしくしたまひて、さりげなくのみもてなしたまへるを、さしこえづるひともなければ、たしかにもえりたまはず。
492.2.4198170 八月(はちがち)になりぬれば、その()など、(ほか)よりぞ(つた)()きたまふ。(みや)は、(へだ)てむことにはあらねど、()()でむほど心苦(こころくる)しくいとほしく(おぼ)されて、さものたまはぬを、女君(をんなぎみ)は、それさへ心憂(こころう)くおぼえたまふ。(しの)びたることにもあらず、()(なか)なべて()りたることを、そのほどなどだにのたまはぬことと、いかが(うら)めしからざらむ。 はちがちになりぬれば、そのなど、ほかよりぞつたきたまふ。みやは、へだてんことにはあらねど、でんほどこころくるしくいとほしくおぼされて、さものたまはぬを、をんなぎみは、それさへこころうくおぼえたまふ。しのびたることにもあらず、なかなべてりたることを、そのほどなどだにのたまはぬことと、いかがうらめしからざらん。
492.2.5199171 かく(わた)りたまひにし(のち)は、ことなることなければ、内裏(うち)(まゐ)りたまひても、夜泊(よるとま)ることはことにしたまはず、ここかしこの御夜離(おほんよが)れなどもなかりつるを、にはかにいかに(おも)ひたまはむと、心苦(こころぐる)しき(まぎ)らはしに、このころは、時々御宿直(ときどきおほんとのゐ)とて(まゐ)りなどしたまひつつ、かねてよりならはしきこえたまふをも、ただつらき(かた)にのみぞ(おも)ひおかれたまふべき。 かくわたりたまひにしのちは、ことなることなければ、うちまゐりたまひても、よるとまることはことにしたまはず、ここかしこのおほんよがれなどもなかりつるを、にはかにいかにおもひたまはんと、こころぐるしきまぎらはしに、このころは、ときどきおほんとのゐとてまゐりなどしたまひつつ、かねてよりならはしきこえたまふをも、ただつらきかたにのみぞおもひおかれたまふべき。
492.3200172第三段 薫、中君に同情しつつ恋慕す
492.3.1201173 中納言殿(ちうなごんどの)も、「いといとほしきわざかな」と()きたまふ。「花心(はなごころ)におはする(みや)なれば、あはれとは(おぼ)すとも、(いま)めかしき(かた)にかならず御心移(みこころうつ)ろひなむかし。女方(をんながた)も、いとしたたかなるわたりにて、ゆるびなく()こえまつはしたまはば、(つき)ごろも、さもならひたまはで、()夜多(よおほ)()ごしたまはむこそ、あはれなるべけれ」 ちうなごんどのも、"いといとほしきわざかな。"ときたまふ。"はなごころにおはするみやなれば、あはれとはおぼすとも、いまめかしきかたにかならずみこころうつろひなんかし。をんながたも、いとしたたかなるわたりにて、ゆるびなくこえまつはしたまはば、つきごろも、さもならひたまはで、よおほごしたまはんこそ、あはれなるべけれ。"
492.3.2202174 など(おも)()るにつけても、 などおもるにつけても、
492.3.3203175 「あいなしや、わが(こころ)よ。(なに)しに(ゆづ)りきこえけむ。(むかし)(ひと)(こころ)をしめてし(のち)、おほかたの()をも(おも)(はな)れて()()てたりし(かた)(こころ)(にご)りそめにしかば、ただかの(おほん)ことをのみ、とざまかうざまには(おも)ひながら、さすがに(ひと)心許(こころゆる)されであらむことは、(はじ)めより(おも)ひし本意(ほい)なかるべし」 "あいなしや、わがこころよ。なにしにゆづりきこえけん。むかしひとこころをしめてしのち、おほかたのをもおもはなれててたりしかたこころにごりそめにしかば、ただかのおほんことをのみ、とざまかうざまにはおもひながら、さすがにひとこころゆるされであらんことは、はじめよりおもひしほいなかるべし。"
492.3.4204176 (はばか)りつつ、「ただいかにして、すこしもあはれと(おも)はれて、うちとけたまへらむけしきをも()む」と、()(さき)のあらましごとのみ(おも)(つづ)けしに、(ひと)(おな)(こころ)にもあらずもてなして、さすがに、一方(ひとかた)にもえさし(はな)つまじく(おも)ひたまへる(なぐさ)めに、(おな)()ぞと()ひなして、本意(ほい)ならぬ(かた)におもむけたまひしが、ねたく(うら)めしかりしかば、「まづ、その(こころ)おきてを(たが)へむとて、(いそ)ぎせしわざぞかし」など、あながちに女々(めめ)しくものぐるほしく()(あり)き、たばかりきこえしほど(おも)()づるも、「いとけしからざりける(こころ)かな」と、(かへ)(がへ)すぞ(くや)しき。 はばかりつつ、"ただいかにして、すこしもあはれとおもはれて、うちとけたまへらんけしきをもん。"と、さきのあらましごとのみおもつづけしに、ひとおなこころにもあらずもてなして、さすがに、ひとかたにもえさしはなつまじくおもひたまへるなぐさめに、おなぞとひなして、ほいならぬかたにおもむけたまひしが、ねたくうらめしかりしかば、"まづ、そのこころおきてをたがへんとて、いそぎせしわざぞかし。"など、あながちにめめしくものぐるほしくありき、たばかりきこえしほどおもづるも、"いとけしからざりけるこころかな。"と、かへがへすぞくやしき。
492.3.5205177 (みや)も、さりとも、そのほどのありさま(おも)()でたまはば、わが()かむところをもすこしは(はばか)りたまはじや」と(おも)ふに、「いでや、(いま)は、その(をり)のことなど、かけてものたまひ()でざめりかし。なほ、あだなる(かた)(すす)み、(うつ)りやすなる(ひと)は、(をんな)のためのみにもあらず、(たの)もしげなく軽々(かるがる)しき(こと)もありぬべきなめりかし」 "みやも、さりとも、そのほどのありさまおもでたまはば、わがかんところをもすこしははばかりたまはじや。"とおもふに、"いでや、いまは、そのをりのことなど、かけてものたまひでざめりかし。なほ、あだなるかたすすみ、うつりやすなるひとは、をんなのためのみにもあらず、たのもしげなくかるがるしきこともありぬべきなめりかし。"
492.3.6206178 など、(にく)(おも)ひきこえたまふ。わがまことにあまり一方(ひとかた)にしみたる(こころ)ならひに、(ひと)はいとこよなくもどかしく()ゆるなるべし。 など、にくおもひきこえたまふ。わがまことにあまりひとかたにしみたるこころならひに、ひとはいとこよなくもどかしくゆるなるべし。
492.4207179第四段 薫、亡き大君を追憶す
492.4.1208180 「かの(ひと)をむなしく()なしきこえたまうてし(のち)(おも)ふには、(みかど)御女(おほんむすめ)(たま)はむと(おも)ほしおきつるも、うれしくもあらず、この(きみ)()ましかばとおぼゆる(こころ)の、月日(つきひ)()へてまさるも、ただ、かの(おほん)ゆかりと(おも)ふに、(おも)(はな)れがたきぞかし。 "かのひとをむなしくなしきこえたまうてしのちおもふには、みかどおほんむすめたまはんとおもほしおきつるも、うれしくもあらず、このきみましかばとおぼゆるこころの、つきひへてまさるも、ただ、かのおほんゆかりとおもふに、おもはなれがたきぞかし。
492.4.2209181 はらからといふ(なか)にも、(かぎ)りなく(おも)()はしたまへりしものを、(いま)はとなりたまひにし()てにも、『とまらむ(ひと)(おな)じごとと(おも)へ』とて、『よろづは(おも)はずなることもなし。ただかの(おも)ひおきてしさまを(たが)へたまへるのみなむ、口惜(くちを)しう(うら)めしきふしにて、この()には(のこ)るべき』とのたまひしものを、天翔(あまかけ)りても、かやうなるにつけては、いとどつらしとや()たまふらむ」 はらからといふなかにも、かぎりなくおもはしたまへりしものを、いまはとなりたまひにしてにも、'とまらんひとおなじごととおもへ。'とて、'よろづはおもはずなることもなし。ただかのおもひおきてしさまをたがへたまへるのみなん、くちをしううらめしきふしにて、このにはのこるべき。'とのたまひしものを、あまかけりても、かやうなるにつけては、いとどつらしとやたまふらん。"
492.4.3210182 など、つくづくと(ひと)やりならぬ(ひと)()したまふ()()なは、はかなき(かぜ)(おと)にも()のみ()めつつ、()方行(かたゆ)(さき)(ひと)(うへ)さへ、あぢきなき()(おも)ひめぐらしたまふ。 など、つくづくとひとやりならぬひとしたまふなは、はかなきかぜおとにものみめつつ、かたゆさきひとうへさへ、あぢきなきおもひめぐらしたまふ。
492.4.4211183 なげのすさびにものをも()()れ、気近(けぢか)使(つか)ひならしたまふ(ひと)びとの(なか)には、おのづから(にく)からず(おぼ)さるるもありぬべけれど、まことには(こころ)とまるもなきこそ、さはやかなれ。 なげのすさびにものをもれ、けぢかつかひならしたまふひとびとのなかには、おのづからにくからずおぼさるるもありぬべけれど、まことにはこころとまるもなきこそ、さはやかなれ。
492.4.5212184 さるは、かの(きみ)たちのほどに(おと)るまじき(きは)(ひと)びとも、時世(ときよ)にしたがひつつ(おとろ)へて、心細(こころぼそ)げなる()まひするなどを、(たづ)()りつつあらせなど、いと(おほ)かれど、「(いま)はと()(のが)(そむ)(はな)れむ(とき)、この(ひと)こそと、()()てて、(こころ)とまるほだしになるばかりなることはなくて()ぐしてむ」と(おも)心深(こころふか)かりしを、「いと、さも()ろく、わが(こころ)ながら、ねぢけてもあるかな」 さるは、かのきみたちのほどにおとるまじききはひとびとも、ときよにしたがひつつおとろへて、こころぼそげなるまひするなどを、たづりつつあらせなど、いとおほかれど、"いまはとのがそむはなれんとき、このひとこそと、てて、こころとまるほだしになるばかりなることはなくてぐしてん。"とおもこころふかかりしを、"いと、さもろく、わがこころながら、ねぢけてもあるかな。"
492.4.6213185 など、(つね)よりも、やがてまどろまず()かしたまへる(あした)に、(きり)(まがき)より、(はな)色々(いろいろ)おもしろく()えわたれる(なか)に、朝顔(あさがほ)のはかなげにて()じりたるを、なほことに()とまる心地(ここち)したまふ。「()くる間咲(まさ)きて」とか、(つね)なき()にもなずらふるが、心苦(こころぐる)しきなめりかし。 など、つねよりも、やがてまどろまずかしたまへるあしたに、きりまがきより、はないろいろおもしろくえわたれるなかに、あさがほのはかなげにてじりたるを、なほことにとまるここちしたまふ。"くるまさきて〕とか、つねなきにもなずらふるが、こころぐるしきなめりかし。
492.4.7214186 格子(かうし)()げながら、いとかりそめにうち()しつつのみ()かしたまへば、この(はな)(ひら)くるほどをも、ただ一人(ひとり)のみ()たまひける。 かうしげながら、いとかりそめにうちしつつのみかしたまへば、このはなひらくるほどをも、ただひとりのみたまひける。
492.5215187第五段 薫、二条院の中君を訪問
492.5.1216188 人召(ひとめ)して、 ひとめして、
492.5.2217189 (きた)(ゐん)(まゐ)らむに、ことことしからぬ(くるま)さし()でさせよ」 "きたゐんまゐらんに、ことことしからぬくるまさしでさせよ。"
492.5.3218190 とのたまへば、 とのたまへば、
492.5.4219191 (みや)は、昨日(きのふ)より内裏(うち)になむおはしますなる。昨夜(よべ)御車率(みくるまゐ)(かへ)りはべりにき」 "みやは、きのふよりうちになんおはしますなる。よべみくるまゐかへりはべりにき。"
492.5.5220192 (まう)す。 まうす。
492.5.6221193 「さはれ、かの(たい)御方(おほんかた)(なや)みたまふなる、(とぶ)らひきこえむ。今日(けふ)内裏(うち)(まゐ)るべき()なれば、()たけぬさきに」 "さはれ、かのたいおほんかたなやみたまふなる、とぶらひきこえん。けふうちまゐるべきなれば、たけぬさきに。"
492.5.7222194 とのたまひて、御装束(おほんさうぞく)したまふ。()でたまふままに、()りて(はな)(なか)()じりたまへるさま、ことさらに(えん)だち(いろ)めきてももてなしたまはねど、あやしく、ただうち()るになまめかしく()づかしげにて、いみじくけしきだつ色好(いろごの)みどもになずらふべくもあらず、おのづからをかしくぞ()えたまひける。朝顔引(あさがほひ)()せたまへる、(つゆ)いたくこぼる。 とのたまひて、おほんさうぞくしたまふ。でたまふままに、りてはななかじりたまへるさま、ことさらにえんだちいろめきてももてなしたまはねど、あやしく、ただうちるになまめかしくづかしげにて、いみじくけしきだついろごのみどもになずらふべくもあらず、おのづからをかしくぞえたまひける。あさがほひせたまへる、つゆいたくこぼる。
492.5.8223195 今朝(けさ)()(いろ)にや()でむ()(つゆ)の<BR/>()えぬにかかる(はな)()() "〔けさいろにやでんつゆの<BR/>えぬにかかるはな
492.5.9224196 はかな」 はかな。"
492.5.10225197 (ひと)りごちて、()りて()たまへり。女郎花(をみなへし)をば、見過(みす)ぎてぞ()でたまひぬる。 ひとりごちて、りてたまへり。をみなへしをば、みすぎてぞでたまひぬる。
492.5.11226198 ()(はな)るるままに、霧立(きりた)(みだ)(そら)をかしきに、 はなるるままに、きりたみだそらをかしきに、
492.5.12227199 (をんな)どちは、しどけなく朝寝(あさい)したまへらむかし。格子妻戸(かうしつまど)うちたたき(こわ)づくらむこそ、うひうひしかるべけれ。(あさ)まだきまだき()にけり」 "をんなどちは、しどけなくあさいしたまへらんかし。かうしつまどうちたたきこわづくらんこそ、うひうひしかるべけれ。あさまだきまだきにけり。"
492.5.13228200 (おも)ひながら、人召(ひとめ)して、中門(ちうもん)()きたるより()せたまへば、 おもひながら、ひとめして、ちうもんきたるよりせたまへば、
492.5.14229201 御格子(みかうし)ども(まゐ)りてはべるべし。女房(にょうばう)(おほん)けはひもしはべりつ」 "みかうしどもまゐりてはべるべし。にょうばうおほんけはひもしはべりつ。"
492.5.15230202 (まう)せば、()りて、(きり)(まぎ)れにさまよく(あゆ)()りたまへるを、「(みや)(しの)びたる(ところ)より(かへ)りたまへるにや」と()るに、(つゆ)にうちしめりたまへる(かを)り、(れい)の、いとさまことに(にほ)()れば、 まうせば、りて、きりまぎれにさまよくあゆりたまへるを、"みやしのびたるところよりかへりたまへるにや。"とるに、つゆにうちしめりたまへるかをり、れいの、いとさまことににほれば、
492.5.16231203 「なほ、めざましくはおはすかし。(こころ)をあまりをさめたまへるぞ(にく)き」 "なほ、めざましくはおはすかし。こころをあまりをさめたまへるぞにくき。"
492.5.17232204 など、あいなく、(わか)(ひと)びとは、()こえあへり。 など、あいなく、わかひとびとは、こえあへり。
492.5.18233205 おどろき(がほ)にはあらず、よきほどにうちそよめきて、御茵(おほんしとね)さし()でなどするさまも、いとめやすし。 おどろきがほにはあらず、よきほどにうちそよめきて、おほんしとねさしでなどするさまも、いとめやすし。
492.5.19234206 「これにさぶらへと(ゆる)させたまふほどは、(ひと)びとしき心地(ここち)すれど、なほかかる御簾(みす)(まへ)にさし(はな)たせたまへるうれはしさになむ、しばしばもえさぶらはぬ」 "これにさぶらへとゆるさせたまふほどは、ひとびとしきここちすれど、なほかかるみすまへにさしはなたせたまへるうれはしさになん、しばしばもえさぶらはぬ。"
492.5.20235207 とのたまへば、 とのたまへば、
492.5.21236208 「さらば、いかがはべるべからむ」 "さらば、いかがはべるべからん。"
492.5.22237209 など()こゆ。 などこゆ。
492.5.23238210 北面(きたおもて)などやうの(かく)れぞかし。かかる古人(ふるびと)などのさぶらはむにことわりなる(やす)(どころ)は。それも、また、ただ御心(みこころ)なれば、(うれ)へきこゆべきにもあらず」 "きたおもてなどやうのかくれぞかし。かかるふるびとなどのさぶらはんにことわりなるやすどころは。それも、また、ただみこころなれば、うれへきこゆべきにもあらず。"
492.5.24239211 とて、長押(なげし)()りかかりておはすれば、(れい)の、(ひと)びと、 とて、なげしりかかりておはすれば、れいの、ひとびと、
492.5.25240212 「なほ、あしこもとに」 "なほ、あしこもとに。"
492.5.26241213 など、そそのかしきこゆ。 など、そそのかしきこゆ。
492.6242214第六段 薫、中君と語らう
492.6.1243215 もとよりも、けはひはやりかに男々(をを)しくなどはものしたまはぬ人柄(ひとがら)なるを、いよいよしめやかにもてなしをさめたまへれば、(いま)は、みづから()こえたまふことも、やうやううたてつつましかりし(かた)、すこしづつ(うす)らぎて、面馴(おもな)れたまひにたり。 もとよりも、けはひはやりかにををしくなどはものしたまはぬひとがらなるを、いよいよしめやかにもてなしをさめたまへれば、いまは、みづからこえたまふことも、やうやううたてつつましかりしかた、すこしづつうすらぎて、おもなれたまひにたり。
492.6.2244216 (なや)ましく(おぼ)さるらむさまも、「いかなれば」など()ひきこえたまへど、はかばかしくもいらへきこえたまはず、(つね)よりもしめりたまへるけしきの心苦(こころぐる)しきも、あはれにおぼえたまひて、こまやかに、()(なか)のあるべきやうなどを、はらからやうの(もの)のあらましやうに、(をし)(なぐさ)めきこえたまふ。 なやましくおぼさるらんさまも、"いかなれば。"などひきこえたまへど、はかばかしくもいらへきこえたまはず、つねよりもしめりたまへるけしきのこころぐるしきも、あはれにおぼえたまひて、こまやかに、なかのあるべきやうなどを、はらからやうのもののあらましやうに、をしなぐさめきこえたまふ。
492.6.3245217 (こゑ)なども、わざと()たまへりともおぼえざりしかど、あやしきまでただそれとのみおぼゆるに、人目見苦(ひとめみぐる)しかるまじくは、(すだれ)もひき()げてさし()かひきこえまほしく、うち(なや)みたまへらむ容貌(かたち)ゆかしくおぼえたまふも、「なほ、()(なか)にもの(おも)はぬ(ひと)は、えあるまじきわざにやあらむ」とぞ(おも)()られたまふ。 こゑなども、わざとたまへりともおぼえざりしかど、あやしきまでただそれとのみおぼゆるに、ひとめみぐるしかるまじくは、すだれもひきげてさしかひきこえまほしく、うちなやみたまへらんかたちゆかしくおぼえたまふも、"なほ、なかにものおもはぬひとは、えあるまじきわざにやあらん。"とぞおもられたまふ。
492.6.4246218 (ひと)びとしくきらきらしき(かた)にははべらずとも、(こころ)(おも)ふことあり、(なげ)かしく()をもて(なや)むさまになどはなくて()ぐしつべきこの()と、みづから(おも)ひたまへし、(こころ)から、(かな)しきことも、をこがましく(くや)しきもの(おも)ひをも、かたがたにやすからず(おも)ひはべるこそ、いとあいなけれ。官位(つかさくらゐ)などいひて、大事(だいじ)にすめる、ことわりの(うれ)へにつけて(なげ)(おも)(ひと)よりも、これや、(いま)すこし(つみ)(ふか)さはまさるらむ」 "ひとびとしくきらきらしきかたにははべらずとも、こころおもふことあり、なげかしくをもてなやむさまになどはなくてぐしつべきこのと、みづからおもひたまへし、こころから、かなしきことも、をこがましくくやしきものおもひをも、かたがたにやすからずおもひはべるこそ、いとあいなけれ。つかさくらゐなどいひて、だいじにすめる、ことわりのうれへにつけてなげおもひとよりも、これや、いますこしつみふかさはまさるらん。"
492.6.5247220 など()ひつつ、()りたまへる(はな)を、(あふぎ)にうち()きて()ゐたまへるに、やうやう(あか)みもて()くも、なかなか(いろ)のあはひをかしく()ゆれば、やをらさし()れて、 などひつつ、りたまへるはなを、あふぎにうちきてゐたまへるに、やうやうあかみもてくも、なかなかいろのあはひをかしくゆれば、やをらさしれて、
492.6.6248221 「よそへてぞ()るべかりける白露(しらつゆ)の<BR/>(ちぎ)りかおきし朝顔(あさがほ)(はな) "〔よそへてぞるべかりけるしらつゆの<BR/>ちぎりかおきしあさがほはな〕"
492.6.7249222 ことさらびてしももてなさぬに、「露落(つゆお)とさで()たまへりけるよ」と、をかしく()ゆるに、()きながら()るるけしきなれば、 ことさらびてしももてなさぬに、"つゆおとさでたまへりけるよ。"と、をかしくゆるに、きながらるるけしきなれば、
492.6.8250223 ()えぬまに()れぬる(はな)のはかなさに<BR/>おくるる(つゆ)はなほぞまされる "〔えぬまにれぬるはなのはかなさに<BR/>おくるるつゆはなほぞまされる
492.6.9251224 (なに)にかかれる」 なににかかれる。"
492.6.10252225 と、いと(しの)びて(こと)(つづ)かず、つつましげに()()ちたまへるほど、「なほ、いとよく()たまへるものかな」と(おも)ふにも、まづぞ(かな)しき。 と、いとしのびてことつづかず、つつましげにちたまへるほど、"なほ、いとよくたまへるものかな。"とおもふにも、まづぞかなしき。
492.7253226第七段 薫、源氏の死を語り、亡き大君を追憶
492.7.1254227 (あき)(そら)は、(いま)すこし(なが)めのみまさりはべり。つれづれの(まぎ)らはしにもと(おも)ひて、(さい)つころ、宇治(うぢ)にものしてはべりき。(には)(まがき)もまことにいとど()()ててはべりしに、()へがたきこと(おほ)くなむ。 "あきそらは、いますこしながめのみまさりはべり。つれづれのまぎらはしにもとおもひて、さいつころ、うぢにものしてはべりき。にはまがきもまことにいとどててはべりしに、へがたきことおほくなん。
492.7.2255228 故院(こゐん)()せたまひて(のち)()三年(さんねん)ばかりの(すゑ)に、()(そむ)きたまひし嵯峨(さが)(ゐん)にも、六条(ろくでう)(ゐん)にも、さしのぞく(ひと)の、(こころ)をさめむ(かた)なくなむはべりける。木草(きくさ)(いろ)につけても、(なみだ)にくれてのみなむ(かへ)りはべりける。かの(おほん)あたりの(ひと)は、上下心浅(かみしもこころあさ)(ひと)なくこそはべりけれ。 こゐんせたまひてのちさんねんばかりのすゑに、そむきたまひしさがゐんにも、ろくでうゐんにも、さしのぞくひとの、こころをさめんかたなくなんはべりける。きくさいろにつけても、なみだにくれてのみなんかへりはべりける。かのおほんあたりのひとは、かみしもこころあさひとなくこそはべりけれ。
492.7.3256229 方々集(かたがたつど)ひものせられける(ひと)びとも、皆所々(みなところどころ)あかれ()りつつ、おのおの(おも)(はな)るる()まひをしたまふめりしに、はかなきほどの女房(にょうばう)などはた、まして(こころ)をさめむ(かた)なくおぼえけるままに、ものおぼえぬ(こころ)にまかせつつ、山林(やまはやし)()()じり、すずろなる田舎人(ゐなかびと)になりなど、あはれに(まど)()るこそ(おほ)くはべりけれ。 かたがたつどひものせられけるひとびとも、みなところどころあかれりつつ、おのおのおもはなるるまひをしたまふめりしに、はかなきほどのにょうばうなどはた、ましてこころをさめんかたなくおぼえけるままに、ものおぼえぬこころにまかせつつ、やまはやしじり、すずろなるゐなかびとになりなど、あはれにまどるこそおほくはべりけれ。
492.7.4257230 さて、なかなか皆荒(みなあ)らし()て、(わす)草生(ぐさお)ほして(のち)なむ、この(みぎ)大臣(おとど)(わた)()み、(みや)たちなども方々(かたがた)ものしたまへば、(むかし)(かへ)りたるやうにはべめる。さる()に、たぐひなき(かな)しさと()たまへしことも、年月経(としつきふ)れば、(おも)()ます(をり)()()るにこそは、と()はべるに、げに、(かぎ)りあるわざなりけり、となむ()えはべる。 さて、なかなかみなあらして、わすぐさおほしてのちなん、このみぎおとどわたみ、みやたちなどもかたがたものしたまへば、むかしかへりたるやうにはべめる。さるに、たぐひなきかなしさとたまへしことも、としつきふれば、おもますをりるにこそは、とはべるに、げに、かぎりあるわざなりけり、となんえはべる。
492.7.5258231 かくは()こえさせながらも、かのいにしへの(かな)しさは、まだいはけなくもはべりけるほどにて、いとさしもしまぬにやはべりけむ。なほ、この(ちか)(ゆめ)こそ、()ますべき(かた)なく(おも)ひたまへらるるは、(おな)じこと、()(つね)なき(かな)しびなれど、罪深(つみふか)(かた)はまさりてはべるにやと、それさへなむ心憂(こころう)くはべる」 かくはこえさせながらも、かのいにしへのかなしさは、まだいはけなくもはべりけるほどにて、いとさしもしまぬにやはべりけん。なほ、このちかゆめこそ、ますべきかたなくおもひたまへらるるは、おなじこと、つねなきかなしびなれど、つみふかかたはまさりてはべるにやと、それさへなんこころうくはべる。"
492.7.6259232 とて、()きたまへるほど、いと心深(こころふか)げなり。 とて、きたまへるほど、いとこころふかげなり。
492.7.7260233 (むかし)(ひと)を、いとしも(おも)ひきこえざらむ(ひと)だに、この(ひと)(おも)ひたまへるけしきを()むには、すずろにただにもあるまじきを、まして、(われ)もものを心細(こころぼそ)(おも)(みだ)れたまふにつけては、いとど(つね)よりも、面影(おもかげ)(こひ)しく(かな)しく(おも)ひきこえたまふ(こころ)なれば、(いま)すこしもよほされて、ものもえ()こえたまはず、ためらひかねたまへるけはひを、かたみにいとあはれと(おも)()はしたまふ。 むかしひとを、いとしもおもひきこえざらんひとだに、このひとおもひたまへるけしきをんには、すずろにただにもあるまじきを、まして、われもものをこころぼそおもみだれたまふにつけては、いとどつねよりも、おもかげこひしくかなしくおもひきこえたまふこころなれば、いますこしもよほされて、ものもえこえたまはず、ためらひかねたまへるけはひを、かたみにいとあはれとおもはしたまふ。
492.8261234第八段 薫と中君の故里の宇治を思う
492.8.1262235 ()()きよりはなど、(ひと)()ひしをも、さやうに(おも)(くら)ぶる(こころ)もことになくて、(とし)ごろは()ぐしはべりしを、(いま)なむ、なほいかで(しづ)かなるさまにても()ぐさまほしく(おも)うたまふるを、さすがに(こころ)にもかなはざめれば、(べん)(あま)こそうらやましくはべれ。 "きよりはなど、ひとひしをも、さやうにおもくらぶるこころもことになくて、としごろはぐしはべりしを、いまなん、なほいかでしづかなるさまにてもぐさまほしくおもうたまふるを、さすがにこころにもかなはざめれば、べんあまこそうらやましくはべれ。
492.8.2263236 この二十日(はつか)あまりのほどは、かの(ちか)(てら)(かね)(こゑ)()きわたさまほしくおぼえはべるを、(しの)びて(わた)させたまひてむや、と()こえさせばやとなむ(おも)ひはべりつる」 このはつかあまりのほどは、かのちかてらかねこゑきわたさまほしくおぼえはべるを、しのびてわたさせたまひてんや、とこえさせばやとなんおもひはべりつる。"
492.8.3264237 とのたまへば、 とのたまへば、
492.8.4265238 ()らさじと(おぼ)すとも、いかでかは。(こころ)やすき(をのこ)だに、()()のほど(あら)ましき山道(やまみち)にはべれば、(おも)ひつつなむ月日(つきひ)(へだ)たりはべる。故宮(こみや)御忌日(おほんきにち)は、かの阿闍梨(あざり)に、さるべきことども皆言(みない)ひおきはべりにき。かしこは、なほ(たふと)(かた)(おぼ)(ゆづ)りてよ。時々見(ときどきみ)たまふるにつけては、心惑(こころまど)ひの()えせぬもあいなきに、罪失(つみうしな)ふさまになしてばや、となむ(おも)ひたまふるを、またいかが(おぼ)しおきつらむ。 "らさじとおぼすとも、いかでかは。こころやすきをのこだに、のほどあらましきやまみちにはべれば、おもひつつなんつきひへだたりはべる。こみやおほんきにちは、かのあざりに、さるべきことどもみないひおきはべりにき。かしこは、なほたふとかたおぼゆづりてよ。ときどきみたまふるにつけては、こころまどひのえせぬもあいなきに、つみうしなふさまになしてばや、となんおもひたまふるを、またいかがおぼしおきつらん。
492.8.5266239 ともかくも(さだ)めさせたまはむに(したが)ひてこそは、とてなむ。あるべからむやうにのたまはせよかし。何事(なにごと)(うと)からず(うけたまは)らむのみこそ、本意(ほい)のかなふにてははべらめ」 ともかくもさだめさせたまはんにしたがひてこそは、とてなん。あるべからんやうにのたまはせよかし。なにごとうとからずうけたまはらんのみこそ、ほいのかなふにてははべらめ。"
492.8.6267240 など、まめだちたることどもを()こえたまふ。経仏(きゃうほとけ)など、この(うへ)供養(くやう)じたまふべきなめり。かやうなるついでにことづけて、やをら()もりゐなばや、などおもむけたまへるけしきなれば、 など、まめだちたることどもをこえたまふ。きゃうほとけなど、このうへくやうじたまふべきなめり。かやうなるついでにことづけて、やをらもりゐなばや、などおもむけたまへるけしきなれば、
492.8.7268241 「いとあるまじきことなり。なほ、何事(なにごと)(こころ)のどかに(おぼ)しなせ」 "いとあるまじきことなり。なほ、なにごとこころのどかにおぼしなせ。"
492.8.8269242 (をし)へきこえたまふ。 をしへきこえたまふ。
492.9270243第九段 薫、二条院を退出して帰宅
492.9.1271244 ()さし()がりて、(ひと)びと(まゐ)(あつ)まりなどすれば、あまり長居(ながゐ)もことあり(がほ)ならむによりて、()でたまひなむとて、 さしがりて、ひとびとまゐあつまりなどすれば、あまりながゐもことありがほならんによりて、でたまひなんとて、
492.9.2272245 「いづこにても、御簾(みす)()にはならひはべらねば、はしたなき心地(ここち)しはべりてなむ。(いま)また、かやうにもさぶらはむ」 "いづこにても、みすにはならひはべらねば、はしたなきここちしはべりてなん。いままた、かやうにもさぶらはん。"
492.9.3273246 とて()ちたまひぬ。「(みや)の、などかなき(をり)には()つらむ」と(おも)ひたまひぬべき御心(みこころ)なるもわづらはしくて、(さぶらひ)別当(べったう)なる、右京大夫召(うきゃうのかみめ)して、 とてちたまひぬ。"みやの、などかなきをりにはつらん。"とおもひたまひぬべきみこころなるもわづらはしくて、さぶらひべったうなる、うきゃうのかみめして、
492.9.4274247 昨夜(よべ)まかでさせたまひぬと(うけたまは)りて(まゐ)りつるを、まだしかりければ口惜(くちを)しきを。内裏(うち)にや(まゐ)るべき」 "よべまかでさせたまひぬとうけたまはりてまゐりつるを、まだしかりければくちをしきを。うちにやまゐるべき。"
492.9.5275248 とのたまへば、 とのたまへば、
492.9.6276249 今日(けふ)は、まかでさせたまひなむ」 "けふは、まかでさせたまひなん。"
492.9.7277250 (まう)せば、 まうせば、
492.9.8278251 「さらば、(ゆふ)(かた)も」 "さらば、ゆふかたも。"
492.9.9279252 とて、()でたまひぬ。 とて、でたまひぬ。
492.9.10280253 なほ、この(おほん)けはひありさまを()きたまふたびごとに、などて(むかし)(ひと)御心(みこころ)おきてをもて(たが)へて、(おも)(くま)なかりけむと、()ゆる(こころ)のみまさりて、(こころ)にかかりたるもむつかしく、「なぞや、(ひと)やりならぬ(こころ)ならむ」と(おも)(かへ)したまふ。そのままにまだ精進(さうじん)にて、いとどただ(おこ)なひをのみしたまひつつ、()かし()らしたまふ。 なほ、このおほんけはひありさまをきたまふたびごとに、などてむかしひとみこころおきてをもてたがへて、おもくまなかりけんと、ゆるこころのみまさりて、こころにかかりたるもむつかしく、"なぞや、ひとやりならぬこころならん。"とおもかへしたまふ。そのままにまださうじんにて、いとどただおこなひをのみしたまひつつ、かしらしたまふ。
492.9.11281254 母宮(ははみや)の、なほいとも(わか)くおほどきて、しどけなき御心(みこころ)にも、かかる()けしきを、いとあやふくゆゆしと(おぼ)して、 ははみやの、なほいともわかくおほどきて、しどけなきみこころにも、かかるけしきを、いとあやふくゆゆしとおぼして、
492.9.12282255 幾世(いくよ)しもあらじを、()たてまつらむほどは、なほかひあるさまにて()えたまへ。()(なか)(おも)()てたまはむをも、かかる容貌(かたち)にては、さまたげきこゆべきにもあらぬを、この()()ふかひなき心地(ここち)すべき心惑(こころまど)ひに、いとど(つみ)()むとおぼゆる」 "いくよしもあらじを、たてまつらんほどは、なほかひあるさまにてえたまへ。なかおもてたまはんをも、かかるかたちにては、さまたげきこゆべきにもあらぬを、このふかひなきここちすべきこころまどひに、いとどつみんとおぼゆる。"
492.9.13283256 とのたまふが、かたじけなくいとほしくて、よろづを(おも)()ちつつ、御前(おまへ)にてはもの(おも)ひなきさまを(つく)りたまふ。 とのたまふが、かたじけなくいとほしくて、よろづをおもちつつ、おまへにてはものおもひなきさまをつくりたまふ。
493284257第三章 中君の物語 匂宮と六の君の婚儀
493.1285258第一段 匂宮と六の君の婚儀
493.1.1286259 (みぎ)大殿(おほいどの)には、六条院(ろくでうのゐん)(ひんがし)御殿磨(おとどみが)きしつらひて、(かぎ)りなくよろづを(ととの)へて()ちきこえたまふに、十六日(いさよひ)(つき)やうやうさし()がるまで(こころ)もとなければ、いとしも御心(みこころ)()らぬことにて、いかならむと、やすからず(おも)ほして、案内(あない)したまへば、 みぎおほいどのには、ろくでうのゐんひんがしおとどみがきしつらひて、かぎりなくよろづをととのへてちきこえたまふに、いさよひつきやうやうさしがるまでこころもとなければ、いとしもみこころらぬことにて、いかならんと、やすからずおもほして、あないしたまへば、
493.1.2287260 「この(ゆふ)(かた)内裏(うち)より()でたまひて、二条院(にでうのゐん)になむおはしますなる」 "このゆふかたうちよりでたまひて、にでうのゐんになんおはしますなる。"
493.1.3288261 と、人申(ひとまう)す。(おぼ)人持(ひとも)たまへればと、(こころ)やましけれど、今宵過(こよひす)ぎむも人笑(ひとわら)へなるべければ、御子(みこ)頭中将(とうのちうじゃう)して()こえたまへり。 と、ひとまうす。おぼひともたまへればと、こころやましけれど、こよひすぎんもひとわらへなるべければ、みことうのちうじゃうしてこえたまへり。
493.1.4289262 大空(おほぞら)(つき)だに宿(やど)るわが宿(やど)に<BR/>()宵過(よひす)ぎて()えぬ(きみ)かな」 "〔おほぞらつきだにやどるわがやどに<BR/>よひすぎてえぬきみかな〕
493.1.5290263 (みや)は、「なかなか(いま)なむとも()えじ、心苦(こころぐる)し」と(おぼ)して、内裏(うち)におはしけるを、御文聞(おほんふみき)こえたまへりけり。御返(おほんかへ)りやいかがありけむ、なほいとあはれに(おぼ)されければ、(しの)びて(わた)りたまへりけるなりけり。らうたげなるありさまを、見捨(みす)てて()づべき心地(ここち)もせず、いとほしければ、よろづに(ちぎ)(なぐさ)めて、もろともに(つき)(なが)めておはするほどなりけり。 みやは、"なかなかいまなんともえじ、こころぐるし。"とおぼして、うちにおはしけるを、おほんふみきこえたまへりけり。おほんかへりやいかがありけん、なほいとあはれにおぼされければ、しのびてわたりたまへりけるなりけり。らうたげなるありさまを、みすててづべきここちもせず、いとほしければ、よろづにちぎなぐさめて、もろともにつきながめておはするほどなりけり。
493.1.6291264 女君(をんなぎみ)は、()ごろもよろづに(おも)ふこと(おほ)かれど、いかでけしきに()ださじと(ねん)(かへ)しつつ、つれなく()ましたまふことなれば、ことに()きもとどめぬさまに、おほどかにもてなしておはするけしき、いとあはれなり。 をんなぎみは、ごろもよろづにおもふことおほかれど、いかでけしきにださじとねんかへしつつ、つれなくましたまふことなれば、ことにきもとどめぬさまに、おほどかにもてなしておはするけしき、いとあはれなり。
493.1.7292265 中将(ちうじゃう)(まゐ)りたまへるを()きたまひて、さすがにかれもいとほしければ、()でたまはむとて、 ちうじゃうまゐりたまへるをきたまひて、さすがにかれもいとほしければ、でたまはんとて、
493.1.8293266 (いま)、いと()(まゐ)()む。一人月(ひとりつき)()たまひそ。(こころ)そらなればいと(くる)しき」 "いま、いとまゐん。ひとりつきたまひそ。こころそらなればいとくるしき。"
493.1.9294267 ()こえおきたまひて、なほかたはらいたければ、(かく)れの(かた)より寝殿(しんでん)(わた)りたまふ、(おほん)うしろでを見送(みおく)るに、ともかくも(おも)はねど、ただ(まくら)()きぬべき心地(ここち)すれば、「心憂(こころう)きものは(ひと)(こころ)なりけり」と、(われ)ながら(おも)()らる。 こえおきたまひて、なほかたはらいたければ、かくれのかたよりしんでんわたりたまふ、おほんうしろでをみおくるに、ともかくもおもはねど、ただまくらきぬべきここちすれば、"こころうきものはひとこころなりけり。"と、われながらおもらる。
493.2295268第二段 中君の不安な心境
493.2.1296269 (をさな)きほどより心細(こころぼそ)くあはれなる()どもにて、()(なか)(おも)ひとどめたるさまにもおはせざりし人一所(ひとひとところ)(たの)みきこえさせて、さる山里(やまざと)年経(としへ)しかど、いつとなくつれづれにすごくありながら、いとかく(こころ)にしみて()()きものとも(おも)はざりしに、うち(つづ)きあさましき(おほん)ことどもを(おも)ひしほどは、()にまたとまりて片時経(かたときふ)べくもおぼえず、(こひ)しく(かな)しきことのたぐひあらじと(おも)ひしを、命長(いのちなが)くて(いま)までもながらふれば、(ひと)(おも)ひたりしほどよりは、(ひと)にもなるやうなるありさまを、(なが)かるべきこととは(おも)はねど、()(かぎ)りは(にく)げなき御心(みこころ)ばへもてなしなるに、やうやう(おも)ふこと(うす)らぎてありつるを、この(をり)ふしの()()さはた、()はむ(かた)なく、(かぎ)りとおぼゆるわざなりけり。 "をさなきほどよりこころぼそくあはれなるどもにて、なかおもひとどめたるさまにもおはせざりしひとひとところたのみきこえさせて、さるやまざととしへしかど、いつとなくつれづれにすごくありながら、いとかくこころにしみてきものともおもはざりしに、うちつづきあさましきおほんことどもをおもひしほどは、にまたとまりてかたときふべくもおぼえず、こひしくかなしきことのたぐひあらじとおもひしを、いのちながくていままでもながらふれば、ひとおもひたりしほどよりは、ひとにもなるやうなるありさまを、ながかるべきこととはおもはねど、かぎりはにくげなきみこころばへもてなしなるに、やうやうおもふことうすらぎてありつるを、このをりふしのさはた、はんかたなく、かぎりとおぼゆるわざなりけり。
493.2.2297270 ひたすら()になくなりたまひにし(ひと)びとよりは、さりともこれは、時々(ときどき)もなどかは、とも(おも)ふべきを、今宵(こよひ)かく見捨(みす)てて()でたまふつらさ、()方行(かたゆ)(さき)(みな)かき(みだ)心細(こころぼそ)くいみじきが、わが(こころ)ながら(おも)ひやる(かた)なく、心憂(こころう)くもあるかな。おのづからながらへば」 ひたすらになくなりたまひにしひとびとよりは、さりともこれは、ときどきもなどかは、ともおもふべきを、こよひかくみすててでたまふつらさ、かたゆさきみなかきみだこころぼそくいみじきが、わがこころながらおもひやるかたなく、こころうくもあるかな。おのづからながらへば。"
493.2.3298272 など(なぐさ)めむことを(おも)ふに、さらに姨捨山(をばすてやま)月澄(つきす)(のぼ)りて、夜更(よふ)くるままによろづ(おも)(みだ)れたまふ。松風(まつかぜ)()()(おと)も、(あら)ましかりし(やま)おろしに(おも)(くら)ぶれば、いとのどかになつかしく、めやすき御住(おほんす)まひなれど、今宵(こよひ)はさもおぼえず、(しひ)()(おと)には(おと)りて(おも)ほゆ。 などなぐさめんことをおもふに、さらにをばすてやまつきすのぼりて、よふくるままによろづおもみだれたまふ。まつかぜおとも、あらましかりしやまおろしにおもくらぶれば、いとのどかになつかしく、めやすきおほんすまひなれど、こよひはさもおぼえず、しひおとにはおとりておもほゆ。
493.2.4299273 山里(やまざと)(まつ)(かげ)にもかくばかり<BR/>()にしむ(あき)(かぜ)はなかりき」 "〔やまざとまつかげにもかくばかり<BR/>にしむあきかぜはなかりき〕
493.2.5300274 ()方忘(かたわす)れにけるにやあらむ。 かたわすれにけるにやあらん。
493.2.6301275 ()(びと)どもなど、 びとどもなど、
493.2.7302276 (いま)は、()らせたまひね。月見(つきみ)るは()みはべるものを。あさましく、はかなき(おほん)くだものをだに御覧(ごらん)()れねば、いかにならせたまはむ」と。「あな、見苦(みぐる)しや。ゆゆしう(おも)()でらるることもはべるを、いとこそわりなく」 "いまは、らせたまひね。つきみるはみはべるものを。あさましく、はかなきおほんくだものをだにごらんれねば、いかにならせたまはん。"と、"あな、みぐるしや。ゆゆしうおもでらるることもはべるを、いとこそわりなく。"
493.2.8303277 とうち(なげ)きて、 とうちなげきて、
493.2.9304278 「いで、この(おほん)ことよ。さりとも、かうておろかには、よもなり()てさせたまはじ。さいへど、もとの(こころ)ざし(ふか)(おも)ひそめつる(なか)は、名残(なごり)なからぬものぞ」 "いで、このおほんことよ。さりとも、かうておろかには、よもなりてさせたまはじ。さいへど、もとのこころざしふかおもひそめつるなかは、なごりなからぬものぞ。"
493.2.10305279 など()ひあへるも、さまざまに()きにくく、「(いま)は、いかにもいかにもかけて()はざらなむ、ただにこそ()め」と(おぼ)さるるは、(ひと)には()はせじ、我一人怨(われひとりうら)みきこえむとにやあらむ。「いでや、中納言殿(ちうなごんどの)の、さばかりあはれなる御心深(みこころふか)さを」など、そのかみの(ひと)びとは()ひあはせて、「(ひと)御宿世(おほんすくせ)のあやしかりけることよ」と()ひあへり。 などひあへるも、さまざまにきにくく、"いまは、いかにもいかにもかけてはざらなん、ただにこそめ。"とおぼさるるは、ひとにははせじ、われひとりうらみきこえんとにやあらん。"いでや、ちうなごんどのの、さばかりあはれなるみこころふかさを。"など、そのかみのひとびとはひあはせて、"ひとおほんすくせのあやしかりけることよ。"とひあへり。
493.3306280第三段 匂宮、六の君に後朝の文を書く
493.3.1307281 (みや)は、いと心苦(こころぐる)しく(おぼ)しながら、(いま)めかしき御心(みこころ)は、いかでめでたきさまに()(おも)はれむと、心懸想(こころげさう)して、えならず()きしめたまへる(おほん)けはひ、()はむ(かた)なし。()ちつけきこえたまへる(ところ)のありさまも、いとをかしかりけり。(ひと)のほど、ささやかにあえかになどはあらで、よきほどになりあひたる心地(ここち)したまへるを、 みやは、いとこころぐるしくおぼしながら、いまめかしきみこころは、いかでめでたきさまにおもはれんと、こころげさうして、えならずきしめたまへるおほんけはひ、はんかたなし。ちつけきこえたまへるところのありさまも、いとをかしかりけり。ひとのほど、ささやかにあえかになどはあらで、よきほどになりあひたるここちしたまへるを、
493.3.2308282 「いかならむ。ものものしくあざやぎて、(こころ)ばへもたをやかなる(かた)はなく、ものほこりかになどやあらむ。さらばこそ、うたてあるべけれ」 "いかならん。ものものしくあざやぎて、こころばへもたをやかなるかたはなく、ものほこりかになどやあらん。さらばこそ、うたてあるべけれ。"
493.3.3309283 などは(おぼ)せど、さやなる(おほん)けはひにはあらぬにや、御心(みこころ)ざしおろかなるべくも(おぼ)されざりけり。(あき)()なれど、()けにしかばにや、ほどなく()けぬ。 などはおぼせど、さやなるおほんけはひにはあらぬにや、みこころざしおろかなるべくもおぼされざりけり。あきなれど、けにしかばにや、ほどなくけぬ。
493.3.4310284 (かへ)りたまひても、(たい)へはふともえ(わた)りたまはず、しばし大殿籠(おほとのご)もりて、()きてぞ御文書(おほんふみか)きたまふ。 かへりたまひても、たいへはふともえわたりたまはず、しばしおほとのごもりて、きてぞおほんふみかきたまふ。
493.3.5311285 ()けしきけしうはあらぬなめり」 "けしきけしうはあらぬなめり。"
493.3.6312286 と、御前(おまへ)なる(ひと)びとつきじろふ。 と、おまへなるひとびとつきじろふ。
493.3.7313287 (たい)御方(おほんかた)こそ心苦(こころぐる)しけれ。天下(てんげ)にあまねき御心(みこころ)なりとも、おのづからけおさるることもありなむかし」 "たいおほんかたこそこころぐるしけれ。てんげにあまねきみこころなりとも、おのづからけおさるることもありなんかし。"
493.3.8314288 など、ただにしもあらず、皆馴(みなな)(つか)うまつりたる(ひと)びとなれば、やすからずうち()ふどももありて、すべて、なほねたげなるわざにぞありける。「御返(おほんかへ)りも、こなたにてこそは」と(おぼ)せど、「()のほどおぼつかなさも、(つね)(へだ)てよりはいかが」と、心苦(こころくる)しければ、(いそ)(わた)りたまふ。 など、ただにしもあらず、みななつかうまつりたるひとびとなれば、やすからずうちふどももありて、すべて、なほねたげなるわざにぞありける。"おほんかへりも、こなたにてこそは。"とおぼせど、"のほどおぼつかなさも、つねへだてよりはいかが。"と、こころくるしければ、いそわたりたまふ。
493.3.9315289 ()くたれの御容貌(おほんかたち)、いとめでたく見所(みどころ)ありて、()りたまへるに、()したるもうたてあれば、すこし()()がりておはするに、うち(あか)みたまへる(かほ)(にほ)ひなど、今朝(けさ)しもことにをかしげさまさりて()えたまふに、あいなく(なみだ)ぐまれて、しばしうちまもりきこえたまふを、()づかしく(おぼ)してうつ()したまへる、(かみ)のかかり、(かん)ざしなど、なほいとありがたげなり。 くたれのおほんかたち、いとめでたくみどころありて、りたまへるに、したるもうたてあれば、すこしがりておはするに、うちあかみたまへるかほにほひなど、けさしもことにをかしげさまさりてえたまふに、あいなくなみだぐまれて、しばしうちまもりきこえたまふを、づかしくおぼしてうつしたまへる、かみのかかり、かんざしなど、なほいとありがたげなり。
493.3.10316290 (みや)も、なまはしたなきに、こまやかなることなどは、ふともえ()()でたまはぬ面隠(おもがく)しにや、 みやも、なまはしたなきに、こまやかなることなどは、ふともえでたまはぬおもがくしにや、
493.3.11317291 「などかくのみ(なや)ましげなる()けしきならむ。(あつ)きほどのこととか、のたまひしかば、いつしかと(すず)しきほど()()でたるも、なほはればれしからぬは、見苦(みぐる)しきわざかな。さまざまにせさすることも、あやしく(しるし)なき心地(ここち)こそすれ。さはありとも、修法(すほふ)はまた()べてこそはよからめ。(しるし)あらむ(そう)もがな。なにがし僧都(そうづ)をぞ、夜居(よゐ)にさぶらはすべかりける」 "などかくのみなやましげなるけしきならん。あつきほどのこととか、のたまひしかば、いつしかとすずしきほどでたるも、なほはればれしからぬは、みぐるしきわざかな。さまざまにせさすることも、あやしくしるしなきここちこそすれ。さはありとも、すほふはまたべてこそはよからめ。しるしあらんそうもがな。なにがしそうづをぞ、よゐにさぶらはすべかりける。"
493.3.12318292 など、やうなるまめごとをのたまへば、かかる(かた)にも(こと)よきは、(こころ)づきなくおぼえたまへど、むげにいらへきこえざらむも(れい)ならねば、 など、やうなるまめごとをのたまへば、かかるかたにもことよきは、こころづきなくおぼえたまへど、むげにいらへきこえざらんもれいならねば、
493.3.13319293 (むかし)も、(ひと)()ぬありさまにて、かやうなる(をり)はありしかど、おのづからいとよくおこたるものを」 "むかしも、ひとぬありさまにて、かやうなるをりはありしかど、おのづからいとよくおこたるものを。"
493.3.14320294 とのたまへば、 とのたまへば、
493.3.15321295 「いとよくこそ、さはやかなれ」 "いとよくこそ、さはやかなれ。"
493.3.16322296 とうち(わら)ひて、「なつかしく愛敬(あいぎゃう)づきたる(かた)は、これに(なら)(ひと)はあらじかし」とは(おも)ひながら、なほまた、とくゆかしき(かた)心焦(こころい)られも()()ひたまへるは、御心(みこころ)ざしおろかにもあらぬなめりかし。 とうちわらひて、"なつかしくあいぎゃうづきたるかたは、これにならひとはあらじかし。"とはおもひながら、なほまた、とくゆかしきかたこころいられもひたまへるは、みこころざしおろかにもあらぬなめりかし。
493.4323297第四段 匂宮、中君を慰める
493.4.1324298 されど、()たまふほどは()はるけぢめもなきにや、(のち)()まで(ちか)(たの)めたまふことどもの()きせぬを()くにつけても、げに、この()(みじ)かめる命待(いのちま)()も、つらき御心(みこころ)()えぬべければ、「(のち)(ちぎ)りや(たが)はぬこともあらむ」と(おも)ふにこそ、なほこりずまに、またも(たの)まれぬべけれとて、いみじく(ねん)ずべかめれど、え(しの)びあへぬにや、今日(けふ)()きたまひぬ。 されど、たまふほどははるけぢめもなきにや、のちまでちかたのめたまふことどものきせぬをくにつけても、げに、このみじかめるいのちまも、つらきみこころえぬべければ、"のちちぎりやたがはぬこともあらん。"とおもふにこそ、なほこりずまに、またもたのまれぬべけれとて、いみじくねんずべかめれど、えしのびあへぬにや、けふきたまひぬ。
493.4.2325299 ()ごろも、「いかでかう(おも)ひけりと()えたてまつらじ」と、よろづに(まぎ)らはしつるを、さまざまに(おも)(あつ)むることし(おほ)かれば、さのみもえもて(かく)されぬにや、こぼれそめては、えとみにもためらはぬを、いと()づかしくわびしと(おも)ひて、いたく(そむ)きたまへば、しひてひき()けたまひつつ、 ごろも、"いかでかうおもひけりとえたてまつらじ。"と、よろづにまぎらはしつるを、さまざまにおもあつむることしおほかれば、さのみもえもてかくされぬにや、こぼれそめては、えとみにもためらはぬを、いとづかしくわびしとおもひて、いたくそむきたまへば、しひてひきけたまひつつ、
493.4.3326300 ()こゆるままに、あはれなる(おほん)ありさまと()つるを、なほ(へだ)てたる御心(みこころ)こそありけれな。さらずは、()のほどに(おぼ)()はりにたるか」 "こゆるままに、あはれなるおほんありさまとつるを、なほへだてたるみこころこそありけれな。さらずは、のほどにおぼはりにたるか。"
493.4.4327301 とて、わが御袖(おほんそで)して(なみだ)(のぐ)ひたまへば、 とて、わがおほんそでしてなみだのぐひたまへば、
493.4.5328302 ()()心変(こころが)はりこそ、のたまふにつけて、()(はか)られはべりぬれ」 "こころがはりこそ、のたまふにつけて、はかられはべりぬれ。"
493.4.6329303 とて、すこしほほ()みぬ。 とて、すこしほほみぬ。
493.4.7330304 「げに、あが(きみ)や、(をさ)なの(おほん)もの()ひやな。されどまことには、(こころ)(くま)のなければ、いと(こころ)やすし。いみじくことわりして()こゆとも、いとしるかるべきわざぞ。むげに()のことわりを()りたまはぬこそ、らうたきものからわりなけれ。よし、わが()になしても(おも)ひめぐらしたまへ。()(こころ)ともせぬありさまなり。もし、(おも)ふやうなる()もあらば、(ひと)にまさりける(こころ)ざしのほど、()らせたてまつるべきひとふしなむある。たはやすく言出(ことい)づべきことにもあらねば、(いのち)のみこそ」 "げに、あがきみや、をさなのおほんものひやな。されどまことには、こころくまのなければ、いとこころやすし。いみじくことわりしてこゆとも、いとしるかるべきわざぞ。むげにのことわりをりたまはぬこそ、らうたきものからわりなけれ。よし、わがになしてもおもひめぐらしたまへ。こころともせぬありさまなり。もし、おもふやうなるもあらば、ひとにまさりけるこころざしのほど、らせたてまつるべきひとふしなんある。たはやすくこといづべきことにもあらねば、いのちのみこそ。"
493.4.8331305 などのたまふほどに、かしこにたてまつれたまへる御使(おほんつかひ)、いたく()()ぎにければ、すこし(はばか)るべきことども(わす)れて、けざやかにこの南面(みなみおもて)(まゐ)れり。 などのたまふほどに、かしこにたてまつれたまへるおほんつかひ、いたくぎにければ、すこしはばかるべきことどもわすれて、けざやかにこのみなみおもてまゐれり。
493.5332306第五段 後朝の使者と中君の諦観
493.5.1333307 海人(あま)()るめづらしき玉藻(たまも)にかづき(うづ)もれたるを、「さなめり」と、(ひと)びと()る。いつのほどに(いそ)()きたまへらむと()るも、やすからずはありけむかし。(みや)も、あながちに(かく)すべきにはあらねど、さしぐみはなほいとほしきを、すこしの用意(ようい)はあれかしと、かたはらいたけれど、(いま)はかひなければ、女房(にょうばう)して御文(おほんふみ)とり()れさせたまふ。 あまるめづらしきたまもにかづきうづもれたるを、"さなめり。"と、ひとびとる。いつのほどにいそきたまへらんとるも、やすからずはありけんかし。みやも、あながちにかくすべきにはあらねど、さしぐみはなほいとほしきを、すこしのよういはあれかしと、かたはらいたけれど、いまはかひなければ、にょうばうしておほんふみとりれさせたまふ。
493.5.2334308 (おな)じくは、(へだ)てなきさまにもてなし()ててむ」と(おも)ほして、ひき()けたまへるに、「継母(ままはは)(みや)御手(おほんて)なめり」と()ゆれば、(いま)すこし(こころ)やすくて、うち()きたまへり。宣旨書(せんじが)きにても、うしろめたのわざや。 "おなじくは、へだてなきさまにもてなしててん。"とおもほして、ひきけたまへるに、"ままははみやおほんてなめり。"とゆれば、いますこしこころやすくて、うちきたまへり。せんじがきにても、うしろめたのわざや。
493.5.3335309 「さかしらは、かたはらいたさに、そそのかしはべれど、いと(なや)ましげにてなむ。 "さかしらは、かたはらいたさに、そそのかしはべれど、いとなやましげにてなん。
493.5.4336310 女郎花(をみなへし)しをれぞまさる朝露(あさつゆ)の<BR/>いかに()きける名残(なごり)なるらむ」 をみなへししをれぞまさるあさつゆの<BR/>いかにきけるなごりなるらん〕
493.5.5337311 あてやかにをかしく()きたまへり。 あてやかにをかしくきたまへり。
493.5.6338312 「かことがましげなるもわづらはしや。まことは、(こころ)やすくてしばしはあらむと(おも)()を、(おも)ひの(ほか)にもあるかな」 "かことがましげなるもわづらはしや。まことは、こころやすくてしばしはあらんとおもを、おもひのほかにもあるかな。"
493.5.7339313 などはのたまへど、 などはのたまへど、
493.5.8340314 「また(ふた)つとなくて、さるべきものに(おも)ひならひたるただ(うど)(なか)こそ、かやうなることの(うら)めしさなども、()人苦(ひとくる)しくはあれ、(おも)へばこれはいと(かた)し。つひにかかるべき(おほん)ことなり。(みや)たちと()こゆるなかにも、(すぢ)ことに世人思(よひとおも)ひきこえたれば、幾人(いくたり)幾人(いくたり)()たまはむことも、もどきあるまじければ、(ひと)も、この御方(おほんかた)いとほしなども(おも)ひたらぬなるべし。かばかりものものしくかしづき()ゑたまひて、心苦(こころぐる)しき(かた)、おろかならず(おぼ)したるをぞ、(さいは)ひおはしける」 "またふたつとなくて、さるべきものにおもひならひたるただうどなかこそ、かやうなることのうらめしさなども、ひとくるしくはあれ、おもへばこれはいとかたし。つひにかかるべきおほんことなり。みやたちとこゆるなかにも、すぢことによひとおもひきこえたれば、いくたりいくたりたまはんことも、もどきあるまじければ、ひとも、このおほんかたいとほしなどもおもひたらぬなるべし。かばかりものものしくかしづきゑたまひて、こころぐるしきかた、おろかならずおぼしたるをぞ、さいはひおはしける。"
493.5.9341315 ()こゆめる。みづからの(こころ)にも、あまりにならはしたまうて、にはかにはしたなかるべきが(なげ)かしきなめり。 こゆめる。みづからのこころにも、あまりにならはしたまうて、にはかにはしたなかるべきがなげかしきなめり。
493.5.10342316 「かかる(みち)を、いかなれば(あさ)からず(ひと)(おも)ふらむと、昔物語(むかしものがたり)などを()るにも、(ひと)(うへ)にても、あやしく()(おも)ひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり」 "かかるみちを、いかなればあさからずひとおもふらんと、むかしものがたりなどをるにも、ひとうへにても、あやしくおもひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり。"
493.5.11343317 と、わが()になりてぞ、(なに)ごとも(おも)()られたまひける。 と、わがになりてぞ、なにごともおもられたまひける。
493.6344318第六段 匂宮と六の君の結婚第二夜
493.6.1345319 (みや)は、(つね)よりもあはれに、うちとけたるさまにもてなしたまひて、 みやは、つねよりもあはれに、うちとけたるさまにもてなしたまひて、
493.6.2346320 「むげにもの(まゐ)らざなるこそ、いと()しけれ」 "むげにものまゐらざなるこそ、いとしけれ。"
493.6.3347321 とて、よしある(おほん)くだもの()()せ、また、さるべき人召(ひとめ)して、ことさらに調(てう)ぜさせなどしつつ、そそのかしきこえたまへど、いとはるかにのみ(おぼ)したれば、「見苦(みぐる)しきわざかな」と(なげ)ききこえたまふに、()れぬれば、(ゆふ)(かた)寝殿(しんでん)(わた)りたまひぬ。 とて、よしあるおほんくだものせ、また、さるべきひとめして、ことさらにてうぜさせなどしつつ、そそのかしきこえたまへど、いとはるかにのみおぼしたれば、"みぐるしきわざかな。"となげききこえたまふに、れぬれば、ゆふかたしんでんわたりたまひぬ。
493.6.4348322 風涼(かぜすず)しく、おほかたの(そら)をかしきころなるに、(いま)めかしきにすすみたまへる御心(みこころ)なれば、いとどしく(えん)なるに、もの(おも)はしき(ひと)御心(みこころ)のうちは、よろづに(しの)びがたきことのみぞ(おほ)かりける。ひぐらしの()(こゑ)に、(やま)(かげ)のみ(こひ)しくて、 かぜすずしく、おほかたのそらをかしきころなるに、いまめかしきにすすみたまへるみこころなれば、いとどしくえんなるに、ものおもはしきひとみこころのうちは、よろづにしのびがたきことのみぞおほかりける。ひぐらしのこゑに、やまかげのみこひしくて、
493.6.5349323 「おほかたに()かましものをひぐらしの<BR/>声恨(こゑうら)めしき(あき)(くれ)かな」 "〔おほかたにかましものをひぐらしの<BR/>こゑうらめしきあきくれかな〕
493.6.6350324 今宵(こよひ)はまだ()けぬに()でたまふなり。御前駆(おほんさき)(こゑ)(とほ)くなるままに、海人(あま)(つり)すばかりになるも、「(われ)ながら(にく)(こころ)かな」と、(おも)(おも)()()したまへり。はじめよりもの(おも)はせたまひしありさまなどを(おも)()づるも、(うと)ましきまでおぼゆ。 こよひはまだけぬにでたまふなり。おほんさきこゑとほくなるままに、あまつりすばかりになるも、"われながらにくこころかな。"と、おもおもしたまへり。はじめよりものおもはせたまひしありさまなどをおもづるも、うとましきまでおぼゆ。
493.6.7351325 「この(なや)ましきことも、いかならむとすらむ。いみじく命短(いのちみじか)(ぞう)なれば、かやうならむついでにもやと、はかなくなりなむとすらむ」 "このなやましきことも、いかならんとすらん。いみじくいのちみじかぞうなれば、かやうならんついでにもやと、はかなくなりなんとすらん。"
493.6.8352326 (おも)ふには、「()しからねど、(かな)しくもあり、またいと罪深(つみふか)くもあなるものを」など、まどろまれぬままに(おも)()かしたまふ。 おもふには、"しからねど、かなしくもあり、またいとつみふかくもあなるものを。"など、まどろまれぬままにおもかしたまふ。
493.7353327第七段 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴
493.7.1354328 その()は、(きさい)宮悩(みやなや)ましげにおはしますとて、(たれ)(たれ)も、(まゐ)りたまへれど、御風邪(おほんかぜ)におはしましければ、ことなることもおはしまさずとて、大臣(おとど)(ひる)まかでたまひにけり。中納言(ちうなごん)君誘(きみさそ)ひきこえたまひて、(ひと)御車(くるま)にてぞ()でたまひにける。 そのは、きさいみやなやましげにおはしますとて、たれたれも、まゐりたまへれど、おほんかぜにおはしましければ、ことなることもおはしまさずとて、おとどひるまかでたまひにけり。ちうなごんきみさそひきこえたまひて、ひとくるまにてぞでたまひにける。
493.7.2355329 今宵(こよひ)儀式(ぎしき)、いかならむ。きよらを()くさむ」と(おぼ)すべかめれど、(かぎ)りあらむかし。この(きみ)も、心恥(こころは)づかしけれど、(した)しき(かた)のおぼえは、わが(かた)ざまにまたさるべき(ひと)もおはせず、ものの(はえ)にせむに、(こころ)ことにおはする(ひと)なればなめりかし。(れい)ならずいそがしく()でたまひて、(ひと)(うへ)()なしたるを口惜(くちを)しとも(おも)ひたらず、(なに)やかやともろ(ごころ)(あつか)ひたまへるを、大臣(おとど)は、人知(ひとし)れずなまねたしと(おぼ)しけり。 "こよひぎしき、いかならん。きよらをくさん。"とおぼすべかめれど、かぎりあらんかし。このきみも、こころはづかしけれど、したしきかたのおぼえは、わがかたざまにまたさるべきひともおはせず、もののはえにせんに、こころことにおはするひとなればなめりかし。れいならずいそがしくでたまひて、ひとうへなしたるをくちをしともおもひたらず、なにやかやともろごころあつかひたまへるを、おとどは、ひとしれずなまねたしとおぼしけり。
493.7.3356330 (よひ)すこし()ぐるほどにおはしましたり。寝殿(しんでん)(みなみ)(ひさし)(ひんがし)()りて御座参(おましまゐ)れり。御台八(みだいや)つ、(れい)御皿(おほんさら)など、うるはしげにきよらにて、また、(ちひ)さき台二(だいふた)つに、花足(けそく)御皿(さら)なども、(いま)めかしくせさせたまひて、餅参(もちひまゐ)らせたまへり。めづらしからぬこと()きおくこそ(にく)けれ。 よひすこしぐるほどにおはしましたり。しんでんみなみひさしひんがしりておましまゐれり。みだいやつ、れいおほんさらなど、うるはしげにきよらにて、また、ちひさきだいふたつに、けそくさらなども、いまめかしくせさせたまひて、もちひまゐらせたまへり。めづらしからぬこときおくこそにくけれ。
493.7.4357331 大臣渡(おとどわた)りたまひて、「()いたう()けぬ」と、女房(にょうばう)してそそのかし(まう)したまへど、いとあざれて、とみにも()でたまはず。(きた)(かた)(おほん)はらからの左衛門督(さゑもんのかみ)藤宰相(とうさいしゃう)などばかりものしたまふ。 おとどわたりたまひて、"いたうけぬ。"と、にょうばうしてそそのかしまうしたまへど、いとあざれて、とみにもでたまはず。きたかたおほんはらからのさゑもんのかみとうさいしゃうなどばかりものしたまふ。
493.7.5358333 からうして()でたまへる(おほん)さま、いと()るかひある心地(ここち)す。主人(あるじ)頭中将(とうのちうじゃう)(さかづき)ささげて御台参(みだいまゐ)る。次々(つぎつぎ)御土器(おほんかはらけ)二度(ふたたび)三度参(みたびまゐ)りたまふ。中納言(ちうなごん)のいたく(すす)めたまへるに、(みや)すこしほほ()みたまへり。 からうしてでたまへるおほんさま、いとるかひあるここちす。あるじとうのちうじゃうさかづきささげてみだいまゐる。つぎつぎおほんかはらけふたたびみたびまゐりたまふ。ちうなごんのいたくすすめたまへるに、みやすこしほほみたまへり。
493.7.6359334 「わづらはしきわたりを」 "わづらはしきわたりを。"
493.7.7360335 と、ふさはしからず(おも)ひて()ひしを、(おぼ)()づるなめり。されど、見知(みし)らぬやうにて、いとまめなり。 と、ふさはしからずおもひてひしを、おぼづるなめり。されど、みしらぬやうにて、いとまめなり。
493.7.8361336 (ひんがし)(たい)()でたまひて、御供(おほんとも)(ひと)びともてはやしたまふ。おぼえある殿上人(てんじゃうびと)どもいと(おほ)かり。 ひんがしたいでたまひて、おほんともひとびともてはやしたまふ。おぼえあるてんじゃうびとどもいとおほかり。
493.7.9362337 四位六人(しゐろくにん)は、(をんな)装束(さうぞく)細長添(ほそながそ)へて、五位十人(ごゐじふにん)は、三重襲(みへがさね)唐衣(からぎぬ)()(こし)(みな)けぢめあるべし。六位四人(ろくゐよにん)は、(あや)細長(ほそなが)(はかま)など。かつは、(かぎ)りあることを()かず(おぼ)しければ、ものの(いろ)、しざまなどをぞ、きよらを()くしたまへりける。 しゐろくにんは、をんなさうぞくほそながそへて、ごゐじふにんは、みへがさねからぎぬこしみなけぢめあるべし。ろくゐよにんは、あやほそながはかまなど。かつは、かぎりあることをかずおぼしければ、もののいろ、しざまなどをぞ、きよらをくしたまへりける。
493.7.10363338 召次(めしつぎ)舎人(とねり)などの(なか)には、(みだ)りがはしきまでいかめしくなむありける。げに、かくにぎははしくはなやかなることは、()るかひあれば、物語(ものがたり)などに、まづ()ひたてたるにやあらむ。されど、(くは)しくはえぞ(かぞ)()てざりけるとや。 めしつぎとねりなどのなかには、みだりがはしきまでいかめしくなんありける。げに、かくにぎははしくはなやかなることは、るかひあれば、ものがたりなどに、まづひたてたるにやあらん。されど、くはしくはえぞかぞてざりけるとや。
494364339第四章 薫の物語 中君に同情しながら恋慕の情高まる
494.1365340第一段 薫、匂宮の結婚につけわが身を顧みる
494.1.1366341 中納言殿(ちうなごんどの)御前(ごぜん)(なか)に、なまおぼえあざやかならぬや、(くら)(まぎ)れに()ちまじりたりけむ、(かへ)りてうち(なげ)きて、 ちうなごんどのごぜんなかに、なまおぼえあざやかならぬや、くらまぎれにちまじりたりけん、かへりてうちなげきて、
494.1.2367342 「わが殿(との)の、などかおいらかに、この殿(との)御婿(おほんむこ)にうちならせたまふまじき。あぢきなき御独(おほんひと)()みなりや」 "わがとのの、などかおいらかに、このとのおほんむこにうちならせたまふまじき。あぢきなきおほんひとみなりや。"
494.1.3368343 と、中門(ちうもん)のもとにてつぶやきけるを()きつけたまひて、をかしとなむ(おぼ)しける。()()けてねぶたきに、かのもてかしづかれつる(ひと)びとは、心地(ここち)よげに()(みだ)れて()()しぬらむかしと、うらやましきなめりかし。 と、ちうもんのもとにてつぶやきけるをきつけたまひて、をかしとなんおぼしける。けてねぶたきに、かのもてかしづかれつるひとびとは、ここちよげにみだれてしぬらんかしと、うらやましきなめりかし。
494.1.4369344 (きみ)は、()りて()したまひて、 きみは、りてしたまひて、
494.1.5370345 「はしたなげなるわざかな。ことことしげなるさましたる(おや)()でゐて、(はな)れぬなからひなれど、これかれ、火明(ひあか)くかかげて、(すす)めきこゆる(さかづき)などを、いとめやすくもてなしたまふめりつるかな」 "はしたなげなるわざかな。ことことしげなるさましたるおやでゐて、はなれぬなからひなれど、これかれ、ひあかくかかげて、すすめきこゆるさかづきなどを、いとめやすくもてなしたまふめりつるかな。"
494.1.6371346 と、(みや)(おほん)ありさまを、めやすく(おも)()でたてまつりたまふ。 と、みやおほんありさまを、めやすくおもでたてまつりたまふ。
494.1.7372347 「げに、(われ)にても、よしと(おも)女子持(をんなごも)たらましかば、この(みや)をおきたてまつりて、内裏(うち)にだにえ(まゐ)らせざらまし」と(おも)ふに、「()れも()れも、(みや)にたてまつらむと(こころ)ざしたまへる(むすめ)は、なほ源中納言(げんちうなごん)にこそと、とりどりに()ひならふなるこそ、わがおぼえの口惜(くちを)しくはあらぬなめりな。さるは、いとあまり()づかず、(ふる)めきたるものを」など、(こころ)おごりせらる。 "げに、われにても、よしとおもをんなごもたらましかば、このみやをおきたてまつりて、うちにだにえまゐらせざらまし。"とおもふに、"れもれも、みやにたてまつらんとこころざしたまへるむすめは、なほげんちうなごんにこそと、とりどりにひならふなるこそ、わがおぼえのくちをしくはあらぬなめりな。さるは、いとあまりづかず、ふるめきたるものを。"など、こころおごりせらる。
494.1.8373348 内裏(うち)()けしきあること、まことに(おぼ)したたむに、かくのみもの()くおぼえば、いかがすべからむ。おもだたしきことにはありとも、いかがはあらむ。いかにぞ、故君(こきみ)にいとよく()たまへらむ(とき)に、うれしからむかし」と(おも)()らるるは、さすがにもて(はな)るまじき(こころ)なめりかし。 "うちけしきあること、まことにおぼしたたんに、かくのみものくおぼえば、いかがすべからん。おもだたしきことにはありとも、いかがはあらん。いかにぞ、こきみにいとよくたまへらんときに、うれしからんかし。"とおもらるるは、さすがにもてはなるまじきこころなめりかし。
494.2374349第二段 薫と按察使の君、匂宮と六の君
494.2.1375350 (れい)の、寝覚(ねざめ)がちなるつれづれなれば、按察使(あぜち)(きみ)とて、(ひと)よりはすこし(おも)ひましたまへるが(つぼね)におはして、その()()かしたまひつ。()()ぎたらむを、(ひと)(とが)むべきにもあらぬに、(くる)しげに(いそ)()きたまふを、ただならず(おも)ふべかめり。 れいの、ねざめがちなるつれづれなれば、あぜちきみとて、ひとよりはすこしおもひましたまへるがつぼねにおはして、そのかしたまひつ。ぎたらんを、ひととがむべきにもあらぬに、くるしげにいそきたまふを、ただならずおもふべかめり。
494.2.2376351 「うち(わた)()(ゆる)しなき関川(せきかは)を<BR/>みなれそめけむ()こそ()しけれ」 "〔うちわたゆるしなきせきかはを<BR/>みなれそめけんこそしけれ〕
494.2.3377352 いとほしければ、 いとほしければ、
494.2.4378353 (ふか)からず(うへ)()ゆれど関川(せきかは)の<BR/>(した)(かよ)ひは()ゆるものかは」 "〔ふかからずうへゆれどせきかはの<BR/>したかよひはゆるものかは〕
494.2.5379355 (ふか)しと、のたまはむにてだに(たの)もしげなきを、この(うへ)(あさ)さは、いとど(こころ)やましくおぼゆらむかし。妻戸押(つまどお)()けて、 ふかしと、のたまはんにてだにたのもしげなきを、このうへあささは、いとどこころやましくおぼゆらんかし。つまどおけて、
494.2.6380356 「まことは、この空見(そらみ)たまへ。いかでかこれを()らず(がほ)にては()かさむとよ。(えん)なる(ひと)まねにてはあらで、いとど()かしがたくなり()く、()()なの寝覚(ねざめ)には、この()かの()までなむ(おも)ひやられて、あはれなる」 "まことは、このそらみたまへ。いかでかこれをらずがほにてはかさんとよ。えんなるひとまねにてはあらで、いとどかしがたくなりく、なのねざめには、このかのまでなんおもひやられて、あはれなる。"
494.2.7381357 など、()(まぎ)らはしてぞ()でたまふ。ことにをかしきことの(かず)()くさねど、さまのなまめかしき()なしにやあらむ、(なさ)けなくなどは(ひと)(おも)はれたまはず。かりそめの(たはぶ)(ごと)をも()ひそめたまへる(ひと)の、気近(けぢか)くて()たてまつらばや、とのみ(おも)ひきこゆるにや、あながちに、()(そむ)きたまへる(みや)御方(おほんかた)に、(えん)(たづ)ねつつ(まゐ)(あつ)まりてさぶらふも、あはれなること、ほどほどにつけつつ(おほ)かるべし。 など、まぎらはしてぞでたまふ。ことにをかしきことのかずくさねど、さまのなまめかしきなしにやあらん、なさけなくなどはひとおもはれたまはず。かりそめのたはぶごとをもひそめたまへるひとの、けぢかくてたてまつらばや、とのみおもひきこゆるにや、あながちに、そむきたまへるみやおほんかたに、えんたづねつつまゐあつまりてさぶらふも、あはれなること、ほどほどにつけつつおほかるべし。
494.2.8382358 (みや)は、女君(をんなぎみ)(おほん)ありさま、昼見(ひるみ)きこえたまふに、いとど御心(みこころ)ざしまさりけり。おほきさよきほどなる(ひと)の、様体(やうだい)いときよげにて、(かみ)のさがりば、(かしら)つきなどぞ、ものよりことに、あなめでた、と()えたまひける。(いろ)あひあまりなるまで(にほ)ひて、ものものしく気高(けだか)(かほ)の、まみいと()づかしげにらうらうじく、すべて(なに)ごとも()らひて、容貌(かたち)よき(ひと)()はむに、()かぬところなし。 みやは、をんなぎみおほんありさま、ひるみきこえたまふに、いとどみこころざしまさりけり。おほきさよきほどなるひとの、やうだいいときよげにて、かみのさがりば、かしらつきなどぞ、ものよりことに、あなめでた、とえたまひける。いろあひあまりなるまでにほひて、ものものしくけだかかほの、まみいとづかしげにらうらうじく、すべてなにごともらひて、かたちよきひとはんに、かぬところなし。
494.2.9383359 二十(にじふ)(ひと)(ふた)つぞ(あま)りたまへりける。いはけなきほどならねば、(かた)なりに()かぬところなく、あざやかに、(さか)りの(はな)()えたまへり。(かぎ)りなくもてかしづきたまへるに、かたほならず。げに、(おや)にては、(こころ)(まど)はしたまひつべかりけり。 にじふひとふたつぞあまりたまへりける。いはけなきほどならねば、かたなりにかぬところなく、あざやかに、さかりのはなえたまへり。かぎりなくもてかしづきたまへるに、かたほならず。げに、おやにては、こころまどはしたまひつべかりけり。
494.2.10384360 ただ、やはらかに愛敬(あいぎゃう)づきらうたきことぞ、かの(たい)御方(おほんかた)はまづ(おも)ほし()でられける。もののたまふいらへなども、()ぢらひたれど、また、あまりおぼつかなくはあらず、すべていと見所多(みどころおほ)く、かどかどしげなり。 ただ、やはらかにあいぎゃうづきらうたきことぞ、かのたいおほんかたはまづおもほしでられける。もののたまふいらへなども、ぢらひたれど、また、あまりおぼつかなくはあらず、すべていとみどころおほく、かどかどしげなり。
494.2.11385361 よき若人(わかうど)ども三十人(さんじふにん)ばかり、童六人(わらはろくにん)、かたほなるなく、装束(さうぞく)なども、(れい)のうるはしきことは、目馴(めな)れて(おぼ)さるべかめれば、()(たが)へ、心得(こころえ)ぬまでぞ(この)みそしたまへる。三条殿腹(さんでうどのばら)大君(おほいきみ)を、春宮(とうぐう)(まゐ)らせたまへるよりも、この(おほん)ことをば、ことに(おも)ひおきてきこえたまへるも、(みや)(おほん)おぼえありさまからなめり。 よきわかうどどもさんじふにんばかり、わらはろくにん、かたほなるなく、さうぞくなども、れいのうるはしきことは、めなれておぼさるべかめれば、たがへ、こころえぬまでぞこのみそしたまへる。さんでうどのばらおほいきみを、とうぐうまゐらせたまへるよりも、このおほんことをば、ことにおもひおきてきこえたまへるも、みやおほんおぼえありさまからなめり。
494.3386362第三段 中君と薫、手紙を書き交す
494.3.1387363 かくて(のち)二条院(にでうのゐん)に、え(こころ)やすく(わた)りたまはず。(かる)らかなる御身(おほんみ)ならねば、(おぼ)すままに、(ひる)のほどなどもえ()でたまはねば、やがて(おな)(みなみ)(まち)に、(とし)ごろありしやうにおはしまして、()るれば、また、え()()きても(わた)りたまはずなどして、()(どほ)なる折々(をりをり)あるを、 かくてのちにでうのゐんに、えこころやすくわたりたまはず。かるらかなるおほんみならねば、おぼすままに、ひるのほどなどもえでたまはねば、やがておなみなみまちに、としごろありしやうにおはしまして、るれば、また、えきてもわたりたまはずなどして、どほなるをりをりあるを、
494.3.2388364 「かからむとすることとは(おも)ひしかど、さしあたりては、いとかくやは名残(なごり)なかるべき。げに、(こころ)あらむ(ひと)は、(かず)ならぬ()()らで、()じらふべき()にもあらざりけり」 "かからんとすることとはおもひしかど、さしあたりては、いとかくやはなごりなかるべき。げに、こころあらんひとは、かずならぬらで、じらふべきにもあらざりけり。"
494.3.3389365 と、(かへ)(がへ)すも山路分(やまぢわ)()でけむほど、うつつともおぼえず(くや)しく(かな)しければ、 と、かへがへすもやまぢわでけんほど、うつつともおぼえずくやしくかなしければ、
494.3.4390366 「なほ、いかで(しの)びて(わた)りなむ。むげに(そむ)くさまにはあらずとも、しばし(こころ)をも(なぐさ)めばや。(にく)げにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ」 "なほ、いかでしのびてわたりなん。むげにそむくさまにはあらずとも、しばしこころをもなぐさめばや。にくげにもてなしなどせばこそ、うたてもあらめ。"
494.3.5391367 など、心一(こころひと)つに(おも)ひあまりて、()づかしけれど、中納言殿(ちうなごんどの)(ふみ)たてまつれたまふ。 など、こころひとつにおもひあまりて、づかしけれど、ちうなごんどのふみたてまつれたまふ。
494.3.6392368 一日(ひとひ)(おほん)ことをば、阿闍梨(あざり)(つた)へたりしに、(くは)しく()きはべりにき。かかる御心(みこころ)名残(なごり)なからましかば、いかにいとほしくと(おも)ひたまへらるるにも、おろかならずのみなむ。さりぬべくは、みづからも」 "ひとひおほんことをば、あざりつたへたりしに、くはしくきはべりにき。かかるみこころなごりなからましかば、いかにいとほしくとおもひたまへらるるにも、おろかならずのみなん。さりぬべくは、みづからも。"
494.3.7393369 ()こえたまへり。 こえたまへり。
494.3.8394370 陸奥紙(みちのくにがみ)に、ひきつくろはずまめだち()きたまへるしも、いとをかしげなり。(みや)御忌日(おほんきにち)に、(れい)のことどもいと(たふと)くせさせたまへりけるを、(よろこ)びたまへるさまの、おどろおどろしくはあらねど、げに、(おも)()りたまへるなめりかし。(れい)は、これよりたてまつる御返(おほんかへ)りをだに、つつましげに(おも)ほして、はかばかしくも(つづ)けたまはぬを、「みづから」とさへのたまへるが、めづらしくうれしきに、(こころ)ときめきもしぬべし。 みちのくにがみに、ひきつくろはずまめだちきたまへるしも、いとをかしげなり。みやおほんきにちに、れいのことどもいとたふとくせさせたまへりけるを、よろこびたまへるさまの、おどろおどろしくはあらねど、げに、おもりたまへるなめりかし。れいは、これよりたてまつるおほんかへりをだに、つつましげにおもほして、はかばかしくもつづけたまはぬを、"みづから"とさへのたまへるが、めづらしくうれしきに、こころときめきもしぬべし。
494.3.9395371 (みや)(いま)めかしく(この)みたちたまへるほどにて、(おぼ)しおこたりけるも、げに心苦(こころぐる)しく()(はか)らるれば、いとあはれにて、をかしやかなることもなき御文(おほんふみ)を、うちも()かず、ひき(かへ)しひき(かへ)()ゐたまへり。御返(おほんかへ)りは、 みやいまめかしくこのみたちたまへるほどにて、おぼしおこたりけるも、げにこころぐるしくはからるれば、いとあはれにて、をかしやかなることもなきおほんふみを、うちもかず、ひきかへしひきかへゐたまへり。おほんかへりは、
494.3.10396372 (うけたまは)りぬ。一日(ひとひ)は、(ひじり)だちたるさまにて、ことさらに(しの)びはべしも、さ(おも)ひたまふるやうはべるころほひにてなむ。名残(なごり)とのたまはせたるこそ、すこし(あさ)くなりにたるやうにと、(うら)めしく(おも)うたまへらるれ。よろづはさぶらひてなむ。あなかしこ」 "うけたまはりぬ。ひとひは、ひじりだちたるさまにて、ことさらにしのびはべしも、さおもひたまふるやうはべるころほひにてなん。なごりとのたまはせたるこそ、すこしあさくなりにたるやうにと、うらめしくおもうたまへらるれ。よろづはさぶらひてなん。あなかしこ。"
494.3.11397373 と、すくよかに、(しろ)色紙(しきし)のこはごはしきにてあり。 と、すくよかに、しろしきしのこはごはしきにてあり。
494.4398374第四段 薫、中君を訪問して慰める
494.4.1399375 さて、またの()(ゆふ)(かた)(わた)りたまへる。人知(ひとし)れず(おも)(こころ)()ひたれば、あいなく(こころ)づかひいたくせられて、なよよかなる御衣(おほんぞ)どもを、いとど(にほ)はし()へたまへるは、あまりおどろおどろしきまであるに、丁子染(ちゃうじぞめ)(あふぎ)の、もてならしたまへる(うつ)()などさへ、(たと)へむ(かた)なくめでたし。 さて、またのゆふかたわたりたまへる。ひとしれずおもこころひたれば、あいなくこころづかひいたくせられて、なよよかなるおほんぞどもを、いとどにほはしへたまへるは、あまりおどろおどろしきまであるに、ちゃうじぞめあふぎの、もてならしたまへるうつなどさへ、たとへんかたなくめでたし。
494.4.2400376 女君(をんなぎみ)も、あやしかりし()のことなど、(おも)()でたまふ折々(をりをり)なきにしもあらねば、まめやかにあはれなる御心(みこころ)ばへの、(ひと)()ずものしたまふを()るにつけても、「さてあらましを」とばかりは(おも)ひやしたまふらむ。 をんなぎみも、あやしかりしのことなど、おもでたまふをりをりなきにしもあらねば、まめやかにあはれなるみこころばへの、ひとずものしたまふをるにつけても、"さてあらましを。"とばかりはおもひやしたまふらん。
494.4.3401377 いはけなきほどにしおはせねば、(うら)めしき(ひと)(おほん)ありさまを(おも)(くら)ぶるには、何事(なにごと)もいとどこよなく(おも)()られたまふにや、(つね)(へだ)(おほ)かるもいとほしく、「もの(おも)()らぬさまに(おも)ひたまふらむ」など(おも)ひたまひて、今日(けふ)は、御簾(みす)(うち)()れたてまつりたまひて、母屋(もや)(すだれ)几帳添(きちゃうそ)へて、(われ)はすこしひき()りて対面(たいめん)したまへり。 いはけなきほどにしおはせねば、うらめしきひとおほんありさまをおもくらぶるには、なにごともいとどこよなくおもられたまふにや、つねへだおほかるもいとほしく、"ものおもらぬさまにおもひたまふらん。"などおもひたまひて、けふは、みすうちれたてまつりたまひて、もやすだれきちゃうそへて、われはすこしひきりてたいめんしたまへり。
494.4.4402378 「わざと()しとはべらざりしかど、(れい)ならず(ゆる)させたまへりし(よろこ)びに、すなはちも(まゐ)らまほしくはべりしを、宮渡(みやわた)らせたまふと(うけたまは)りしかば、折悪(をりあ)しくやはとて、今日(けふ)になしはべりにける。さるは、(とし)ごろの(こころ)のしるしもやうやうあらはれはべるにや、(へだ)てすこし(うす)らぎはべりにける御簾(みす)(うち)よ。めづらしくはべるわざかな」 "わざとしとはべらざりしかど、れいならずゆるさせたまへりしよろこびに、すなはちもまゐらまほしくはべりしを、みやわたらせたまふとうけたまはりしかば、をりあしくやはとて、けふになしはべりにける。さるは、としごろのこころのしるしもやうやうあらはれはべるにや、へだてすこしうすらぎはべりにけるみすうちよ。めづらしくはべるわざかな。"
494.4.5403379 とのたまふに、なほいと()づかしく、()()でむ言葉(ことば)もなき心地(ここち)すれど、 とのたまふに、なほいとづかしく、でんことばもなきここちすれど、
494.4.6404380 一日(ひとひ)、うれしく()きはべりし(こころ)(うち)を、(れい)の、ただ(むす)ぼほれながら()ぐしはべりなば、(おも)()片端(かたはし)をだに、いかでかはと、口惜(くちを)しさに」 "ひとひ、うれしくきはべりしこころうちを、れいの、ただむすぼほれながらぐしはべりなば、おもかたはしをだに、いかでかはと、くちをしさに。"
494.4.7405381 と、いとつつましげにのたまふが、いたくしぞきて、()()えほのかに()こゆれば、(こころ)もとなくて、 と、いとつつましげにのたまふが、いたくしぞきて、えほのかにこゆれば、こころもとなくて、
494.4.8406382 「いと(とほ)くもはべるかな。まめやかに()こえさせ、(うけたまは)らまほしき()御物語(おほんものがたり)もはべるものを」 "いととほくもはべるかな。まめやかにこえさせ、うけたまはらまほしきおほんものがたりもはべるものを。"
494.4.9407383 とのたまへば、げに、と(おぼ)して、すこしみじろき()りたまふけはひを()きたまふにも、ふと(むね)うちつぶるれど、さりげなくいとど(しづ)めたるさまして、(みや)御心(みこころ)ばへ、(おも)はずに(あさ)うおはしけりとおぼしく、かつは()ひも(うと)め、また(なぐさ)めも、かたがたにしづしづと()こえたまひつつおはす。 とのたまへば、げに、とおぼして、すこしみじろきりたまふけはひをきたまふにも、ふとむねうちつぶるれど、さりげなくいとどしづめたるさまして、みやみこころばへ、おもはずにあさうおはしけりとおぼしく、かつはひもうとめ、またなぐさめも、かたがたにしづしづとこえたまひつつおはす。
494.5408384第五段 中君、薫に宇治への同行を願う
494.5.1409385 女君(をんなぎみ)は、(ひと)御恨(おほんうら)めしさなどは、うち()(かた)らひきこえたまふべきことにもあらねば、ただ、()やは()きなどやうに(おも)はせて、言少(ことずく)なに(まぎ)らはしつつ、山里(やまざと)にあからさまに(わた)したまへとおぼしく、いとねむごろに(おも)ひてのたまふ。 をんなぎみは、ひとおほんうらめしさなどは、うちかたらひきこえたまふべきことにもあらねば、ただ、やはきなどやうにおもはせて、ことずくなにまぎらはしつつ、やまざとにあからさまにわたしたまへとおぼしく、いとねんごろにおもひてのたまふ。
494.5.2410386 「それはしも、心一(こころひと)つにまかせては、え(つか)うまつるまじきことにはべり。なほ、(みや)にただ(こころ)うつくしく()こえさせたまひて、かの()けしきに(したが)ひてなむよくはべるべき。さらずは、すこしも(たが)()ありて、心軽(こころかろ)くもなど(おぼ)しものせむに、いと()しくはべりなむ。さだにあるまじくは、(みち)のほども御送(おほんおく)(むか)へも、おりたちて(つか)うまつらむに、(なに)(はばか)りかははべらむ。うしろやすく(ひと)()(こころ)のほどは、(みや)皆知(みなし)らせたまへり」 "それはしも、こころひとつにまかせては、えつかうまつるまじきことにはべり。なほ、みやにただこころうつくしくこえさせたまひて、かのけしきにしたがひてなんよくはべるべき。さらずは、すこしもたがありて、こころかろくもなどおぼしものせんに、いとしくはべりなん。さだにあるまじくは、みちのほどもおほんおくむかへも、おりたちてつかうまつらんに、なにはばかりかははべらん。うしろやすくひとこころのほどは、みやみなしらせたまへり。"
494.5.3411387 などは()ひながら、折々(をりをり)は、()ぎにし(かた)(くや)しさを(わす)るる(をり)なく、ものにもがなやと、()(かへ)さまほしきと、ほのめかしつつ、やうやう(くら)くなりゆくまでおはするに、いとうるさくおぼえて、 などはひながら、をりをりは、ぎにしかたくやしさをわするるをりなく、ものにもがなやと、かへさまほしきと、ほのめかしつつ、やうやうくらくなりゆくまでおはするに、いとうるさくおぼえて、
494.5.4412388 「さらば、心地(ここち)(なや)ましくのみはべるを、また、よろしく(おも)ひたまへられむほどに、何事(なにごと)も」 "さらば、ここちなやましくのみはべるを、また、よろしくおもひたまへられんほどに、なにごとも。"
494.5.5413389 とて、()りたまひぬるけしきなるが、いと口惜(くちを)しければ、 とて、りたまひぬるけしきなるが、いとくちをしければ、
494.5.6414390 「さても、いつばかり(おぼ)()つべきにか。いとしげくはべし(みち)(くさ)も、すこしうち(はら)はせはべらむかし」 "さても、いつばかりおぼつべきにか。いとしげくはべしみちくさも、すこしうちはらはせはべらんかし。"
494.5.7415391 と、(こころ)とりに()こえたまへば、しばし()りさして、 と、こころとりにこえたまへば、しばしりさして、
494.5.8416392 「この(つき)()ぎぬめれば、朔日(ついたち)のほどにも、とこそは(おも)ひはべれ。ただ、いと(しの)びてこそよからめ。(なに)か、()(ゆる)しなどことことしく」 "このつきぎぬめれば、ついたちのほどにも、とこそはおもひはべれ。ただ、いとしのびてこそよからめ。なにか、ゆるしなどことことしく。"
494.5.9417393 とのたまふ(こゑ)の、「いみじくらうたげなるかな」と、(つね)よりも昔思(むかしおも)()でらるるに、えつつみあへで、()りゐたまへる(はしら)もとの(すだれ)(した)より、やをらおよびて、御袖(おほんそで)をとらへつ。 とのたまふこゑの、"いみじくらうたげなるかな。"と、つねよりもむかしおもでらるるに、えつつみあへで、りゐたまへるはしらもとのすだれしたより、やをらおよびて、おほんそでをとらへつ。
494.6418394第六段 薫、中君に迫る
494.6.1419395 (をんな)、「さりや、あな心憂(こころう)」と(おも)ふに、何事(なにごと)かは()はれむ、ものも()はで、いとど()()りたまへば、それにつきていと()(がほ)に、(なか)らは(うち)()りて()()したまへり。 をんな、"さりや、あなこころう。"とおもふに、なにごとかははれん、ものもはで、いとどりたまへば、それにつきていとがほに、なからはうちりてしたまへり。
494.6.2420396 「あらずや。(しの)びてはよかるべく(おぼ)すこともありけるがうれしきは、ひが(みみ)か、()こえさせむとぞ。疎々(うとうと)しく(おぼ)すべきにもあらぬを、心憂(こころう)のけしきや」 "あらずや。しのびてはよかるべくおぼすこともありけるがうれしきは、ひがみみか、こえさせんとぞ。うとうとしくおぼすべきにもあらぬを、こころうのけしきや。"
494.6.3421397 (うら)みたまへば、いらへすべき心地(ここち)もせず、(おも)はずに(にく)(おも)ひなりぬるを、せめて(おも)ひしづめて、 うらみたまへば、いらへすべきここちもせず、おもはずににくおもひなりぬるを、せめておもひしづめて、
494.6.4422398 (おも)ひの(ほか)なりける御心(みこころ)のほどかな。(ひと)(おも)ふらむことよ。あさまし」 "おもひのほかなりけるみこころのほどかな。ひとおもふらんことよ。あさまし。"
494.6.5423399 とあはめて、()きぬべきけしきなる、すこしはことわりなれば、いとほしけれど、 とあはめて、きぬべきけしきなる、すこしはことわりなれば、いとほしけれど、
494.6.6424400 「これは(とが)あるばかりのことかは。かばかりの対面(たいめん)は、いにしへをも(おぼ)()でよかし。()ぎにし(ひと)御許(おほんゆる)しもありしものを。いとこよなく(おぼ)しけるこそ、なかなかうたてあれ。()()きしくめざましき(こころ)はあらじと、(こころ)やすく(おも)ほせ」 "これはとがあるばかりのことかは。かばかりのたいめんは、いにしへをもおぼでよかし。ぎにしひとおほんゆるしもありしものを。いとこよなくおぼしけるこそ、なかなかうたてあれ。きしくめざましきこころはあらじと、こころやすくおもほせ。"
494.6.7425401 とて、いとのどやかにはもてなしたまへれど、(つき)ごろ(くや)しと(おも)ひわたる(こころ)のうちの、(くる)しきまでなりゆくさまを、つくづくと()(つづ)けたまひて、(ゆる)すべきけしきにもあらぬに、せむかたなく、いみじとも()(つね)なり。なかなか、むげに心知(こころし)らざらむ(ひと)よりも、()づかしく(こころ)づきなくて、()きたまひぬるを、 とて、いとのどやかにはもてなしたまへれど、つきごろくやしとおもひわたるこころのうちの、くるしきまでなりゆくさまを、つくづくとつづけたまひて、ゆるすべきけしきにもあらぬに、せんかたなく、いみじともつねなり。なかなか、むげにこころしらざらんひとよりも、づかしくこころづきなくて、きたまひぬるを、
494.6.8426402 「こは、なぞ。あな、若々(わかわか)し」 "こは、なぞ。あな、わかわかし。"
494.6.9427403 とは()ひながら、()()らずらうたげに、心苦(こころぐる)しきものから、用意深(よういふか)()づかしげなるけはひなどの、()しほどよりも、こよなくねびまさりたまひにけるなどを()るに、「(こころ)からよそ(びと)にしなして、かくやすからずものを(おも)ふこと」と(くや)しきにも、またげに()()かれけり。 とはひながら、らずらうたげに、こころぐるしきものから、よういふかづかしげなるけはひなどの、しほどよりも、こよなくねびまさりたまひにけるなどをるに、"こころからよそびとにしなして、かくやすからずものをおもふこと。"とくやしきにも、またげにかれけり。
494.7428404第七段 薫、自制して退出する
494.7.1429405 (ちか)くさぶらふ女房二人(にょうばうふたり)ばかりあれど、すずろなる(をとこ)のうち()()たるならばこそは、こはいかなることぞとも、(まゐ)()らめ、(うと)からず()こえ()はしたまふ御仲(おほんなか)らひなめれば、さるやうこそはあらめと(おも)ふに、かたはらいたければ、()らず(がほ)にてやをらしぞきぬるに、いとほしきや。 ちかくさぶらふにょうばうふたりばかりあれど、すずろなるをとこのうちたるならばこそは、こはいかなることぞとも、まゐらめ、うとからずこえはしたまふおほんなからひなめれば、さるやうこそはあらめとおもふに、かたはらいたければ、らずがほにてやをらしぞきぬるに、いとほしきや。
494.7.2430406 男君(をとこぎみ)は、いにしへを()ゆる(こころ)(しの)びがたさなども、いと(しづ)めがたかりぬべかめれど、(むかし)だにありがたかりし(こころ)用意(ようい)なれば、なほいと(おも)ひのままにももてなしきこえたまはざりけり。かやうの(すぢ)は、こまかにもえなむまねび(つづ)けざりける。かひなきものから、人目(ひとめ)のあいなきを(おも)へば、よろづに(おも)(かへ)して()でたまひぬ。 をとこぎみは、いにしへをゆるこころしのびがたさなども、いとしづめがたかりぬべかめれど、むかしだにありがたかりしこころよういなれば、なほいとおもひのままにももてなしきこえたまはざりけり。かやうのすぢは、こまかにもえなんまねびつづけざりける。かひなきものから、ひとめのあいなきをおもへば、よろづにおもかへしてでたまひぬ。
494.7.3431407 まだ(よひ)(おも)ひつれど、暁近(あかつきちか)うなりにけるを、()とがむる(ひと)もやあらむと、わづらはしきも、(をんな)(おほん)ためのいとほしきぞかし。 まだよひおもひつれど、あかつきちかうなりにけるを、とがむるひともやあらんと、わづらはしきも、をんなおほんためのいとほしきぞかし。
494.7.4432408 (なや)ましげに()きわたる御心地(みここち)は、ことわりなりけり。いと()づかしと(おぼ)したりつる(こし)のしるしに、(おほ)くは心苦(こころぐる)しくおぼえてやみぬるかな。(れい)のをこがましの(こころ)や」と(おも)へど、「(なさ)けなからむことは、なほいと本意(ほい)なかるべし。また、たちまちのわが(こころ)(みだ)れにまかせて、あながちなる(こころ)をつかひて(のち)(こころ)やすくしもはあらざらむものから、わりなく(しの)びありかむほども心尽(こころづ)くしに、(をんな)のかたがた(おぼ)(みだ)れむことよ」 "なやましげにきわたるみここちは、ことわりなりけり。いとづかしとおぼしたりつるこしのしるしに、おほくはこころぐるしくおぼえてやみぬるかな。れいのをこがましのこころや。"とおもへど、"なさけなからんことは、なほいとほいなかるべし。また、たちまちのわがこころみだれにまかせて、あながちなるこころをつかひてのちこころやすくしもはあらざらんものから、わりなくしのびありかんほどもこころづくしに、をんなのかたがたおぼみだれんことよ。"
494.7.5433409 など、さかしく(おも)ふにせかれず、(いま)()(こひ)しきぞわりなかりける。さらに()ではえあるまじくおぼえたまふも、(かへ)(がへ)すあやにくなる(こころ)なりや。 など、さかしくおもふにせかれず、いまこひしきぞわりなかりける。さらにではえあるまじくおぼえたまふも、かへがへすあやにくなるこころなりや。
495434410第五章 中君の物語 中君、薫の後見に感謝しつつも苦悩す
495.1435411第一段 翌朝、薫、中君に手紙を書く
495.1.1436412 (むかし)よりはすこし(ほそ)やぎて、あてにらうたかりつるけはひなどは、()(はな)れたりともおぼえず、()()ひたる心地(ここち)して、さらに異事(ことごと)もおぼえずなりにたり。 むかしよりはすこしほそやぎて、あてにらうたかりつるけはひなどは、はなれたりともおぼえず、ひたるここちして、さらにことごともおぼえずなりにたり。
495.1.2437413 宇治(うぢ)にいと(わた)らまほしげに(おぼ)いためるを、さもや、(わた)しきこえてまし」など(おも)へど、「まさに(みや)(ゆる)したまひてむや。さりとて、(しの)びてはた、いと便(びん)なからむ。いかさまにしてかは、人目見苦(ひとめみぐる)しからで、(おも)(こころ)のゆくべき」と、(こころ)もあくがれて(なが)()したまへり。 "うぢにいとわたらまほしげにおぼいためるを、さもや、わたしきこえてまし。"などおもへど、"まさにみやゆるしたまひてんや。さりとて、しのびてはた、いとびんなからん。いかさまにしてかは、ひとめみぐるしからで、おもこころのゆくべき。"と、こころもあくがれてながしたまへり。
495.1.3438414 まだいと(ふか)(あした)御文(おほんふみ)あり。(れい)の、うはべはけざやかなる立文(たてぶみ)にて、 まだいとふかあしたおほんふみあり。れいの、うはべはけざやかなるたてぶみにて、
495.1.4439415 「いたづらに()けつる(みち)(つゆ)しげみ<BR/>(むかし)おぼゆる(あき)(そら)かな "〔いたづらにけつるみちつゆしげみ<BR/>むかしおぼゆるあきそらかな
495.1.5440416 ()けしきの心憂(こころう)さは、ことわり()らぬつらさのみなむ。()こえさせむ(かた)なく」 けしきのこころうさは、ことわりらぬつらさのみなん。こえさせんかたなく。"
495.1.6441417 とあり。御返(おほんかへ)しなからむも、(ひと)の、(れい)ならずと()とがむべきを、いと(くる)しければ、 とあり。おほんかへしなからんも、ひとの、れいならずととがむべきを、いとくるしければ、
495.1.7442418 (うけたまは)りぬ。いと(なや)ましくて、え()こえさせず」 "うけたまはりぬ。いとなやましくて、えこえさせず。"
495.1.8443419 とばかり()きつけたまへるを、「あまり言少(ことずく)ななるかな」とさうざうしくて、をかしかりつる(おほん)けはひのみ(こひ)しく(おも)()でらる。 とばかりきつけたまへるを、"あまりことずくななるかな。"とさうざうしくて、をかしかりつるおほんけはひのみこひしくおもでらる。
495.1.9444420 すこし()(なか)をも()りたまへるけにや、さばかりあさましくわりなしとは(おも)ひたまへりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらで、いとらうらうじく()づかしげなるけしきも()ひて、さすがになつかしく()ひこしらへなどして、()だしたまへるほどの(こころ)ばへなどを(おも)()づるも、ねたく(かな)しく、さまざまに(こころ)にかかりて、わびしくおぼゆ。何事(なにごと)も、いにしへにはいと(おほ)くまさりて(おも)()でらる。 すこしなかをもりたまへるけにや、さばかりあさましくわりなしとはおもひたまへりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらで、いとらうらうじくづかしげなるけしきもひて、さすがになつかしくひこしらへなどして、だしたまへるほどのこころばへなどをおもづるも、ねたくかなしく、さまざまにこころにかかりて、わびしくおぼゆ。なにごとも、いにしへにはいとおほくまさりておもでらる。
495.1.10445421 (なに)かは。この宮離(みやか)()てたまひなば、(われ)(たの)もし(びと)にしたまふべきにこそはあめれ。さても、あらはれて(こころ)やすきさまにえあらじを、(しの)びつつまた(おも)ひます(ひと)なき、(こころ)のとまりにてこそはあらめ」 "なにかは。このみやかてたまひなば、われたのもしびとにしたまふべきにこそはあめれ。さても、あらはれてこころやすきさまにえあらじを、しのびつつまたおもひますひとなき、こころのとまりにてこそはあらめ。"
495.1.11446422 など、ただこの(こと)のみ、つとおぼゆるぞ、けしからぬ(こころ)なるや。さばかり心深(こころふか)げにさかしがりたまへど、(をとこ)といふものの心憂(こころう)かりけることよ。()(ひと)御悲(おほんかな)しさは、()ふかひなきことにて、いとかく(くる)しきまではなかりけり。これは、よろづにぞ(おも)ひめぐらされたまひける。 など、ただこのことのみ、つとおぼゆるぞ、けしからぬこころなるや。さばかりこころふかげにさかしがりたまへど、をとこといふもののこころうかりけることよ。ひとおほんかなしさは、ふかひなきことにて、いとかくくるしきまではなかりけり。これは、よろづにぞおもひめぐらされたまひける。
495.1.12447423 今日(けふ)は、宮渡(みやわた)らせたまひぬ」 "けふは、みやわたらせたまひぬ。"
495.1.13448424 など、(ひと)()ふを()くにも、後見(うしろみ)(こころ)()せて、(むね)うちつぶれて、いとうらやましくおぼゆ。 など、ひとふをくにも、うしろみこころせて、むねうちつぶれて、いとうらやましくおぼゆ。
495.2449425第二段 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く
495.2.1450426 (みや)は、()ごろになりにけるは、わが(こころ)さへ(うら)めしく(おぼ)されて、にはかに(わた)りたまへるなりけり。 みやは、ごろになりにけるは、わがこころさへうらめしくおぼされて、にはかにわたりたまへるなりけり。
495.2.2451427 (なに)かは、心隔(こころへだ)てたるさまにも()えたてまつらじ。山里(やまざと)にと(おも)()つにも、(たの)もし(びと)(おも)(ひと)も、(うと)ましき心添(こころそ)ひたまへりけり」 "なにかは、こころへだてたるさまにもえたてまつらじ。やまざとにとおもつにも、たのもしびとおもひとも、うとましきこころそひたまへりけり。"
495.2.3452428 ()たまふに、()(なか)いと所狭(ところせ)(おも)ひなられて、「なほいと()()なりけり」と、「ただ()えせぬほどは、あるにまかせて、おいらかならむ」と(おも)()てて、いとらうたげに、うつくしきさまにもてなしてゐたまへれば、いとどあはれにうれしく(おぼ)されて、()ごろのおこたりなど、(かぎ)りなくのたまふ。 たまふに、なかいとところせおもひなられて、"なほいとなりけり。"と、"ただえせぬほどは、あるにまかせて、おいらかならん。"とおもてて、いとらうたげに、うつくしきさまにもてなしてゐたまへれば、いとどあはれにうれしくおぼされて、ごろのおこたりなど、かぎりなくのたまふ。
495.2.4453429 御腹(おほんはら)もすこしふくらかになりにたるに、かの()ぢたまふしるしの(おび)()()はれたるほどなど、いとあはれに、まだかかる(ひと)(ちか)くても()たまはざりければ、めづらしくさへ(おぼ)したり。うちとけぬ(ところ)にならひたまひて、よろづのこと、(こころ)やすくなつかしく(おぼ)さるるままに、おろかならぬ(こと)どもを、()きせず(ちぎ)りのたまふを()くにつけても、かくのみ(こと)よきわざにやあらむと、あながちなりつる(ひと)()けしきも(おも)()でられて、(とし)ごろあはれなる(こころ)ばへなどは(おも)ひわたりつれど、かかる(かた)ざまにては、あれをもあるまじきことと(おも)ふにぞ、この御行(おほんゆ)(さき)(たの)めは、いでや、と(おも)ひながらも、すこし(みみ)とまりける。 おほんはらもすこしふくらかになりにたるに、かのぢたまふしるしのおびはれたるほどなど、いとあはれに、まだかかるひとちかくてもたまはざりければ、めづらしくさへおぼしたり。うちとけぬところにならひたまひて、よろづのこと、こころやすくなつかしくおぼさるるままに、おろかならぬことどもを、きせずちぎりのたまふをくにつけても、かくのみことよきわざにやあらんと、あながちなりつるひとけしきもおもでられて、としごろあはれなるこころばへなどはおもひわたりつれど、かかるかたざまにては、あれをもあるまじきこととおもふにぞ、このおほんゆさきたのめは、いでや、とおもひながらも、すこしみみとまりける。
495.2.5454430 「さても、あさましくたゆめたゆめて、()()たりしほどよ。(むかし)(ひと)(うと)くて()ぎにしことなど(かた)りたまひし(こころ)ばへは、げにありがたかりけりと、なほうちとくべくはた、あらざりけりかし」 "さても、あさましくたゆめたゆめて、たりしほどよ。むかしひとうとくてぎにしことなどかたりたまひしこころばへは、げにありがたかりけりと、なほうちとくべくはた、あらざりけりかし。"
495.2.6455431 など、いよいよ(こころ)づかひせらるるにも、(ひさ)しくとだえたまはむことは、いともの(おそ)ろしかるべくおぼえたまへば、(こと)()でては()はねど、()ぎぬる(かた)よりは、すこしまつはしざまにもてなしたまへるを、(みや)はいとど(かぎ)りなくあはれと(おも)ほしたるに、かの(ひと)御移(おほんうつ)()の、いと(ふか)くしみたまへるが、()(つね)(かう)()()()きしめたるにも()ず、しるき(にほ)ひなるを、その(みち)(ひと)にしおはすれば、あやしととがめ()でたまひて、いかなりしことぞと、けしきとりたまふに、ことのほかにもて(はな)れぬことにしあれば、()はむ(かた)なくわりなくて、いと(くる)しと(おぼ)したるを、 など、いよいよこころづかひせらるるにも、ひさしくとだえたまはんことは、いとものおそろしかるべくおぼえたまへば、ことでてははねど、ぎぬるかたよりは、すこしまつはしざまにもてなしたまへるを、みやはいとどかぎりなくあはれとおもほしたるに、かのひとおほんうつの、いとふかくしみたまへるが、つねかうきしめたるにもず、しるきにほひなるを、そのみちひとにしおはすれば、あやしととがめでたまひて、いかなりしことぞと、けしきとりたまふに、ことのほかにもてはなれぬことにしあれば、はんかたなくわりなくて、いとくるしとおぼしたるを、
495.2.7456432 「さればよ。かならずさることはありなむ。よも、ただには(おも)はじ、と(おも)ひわたることぞかし」 "さればよ。かならずさることはありなん。よも、ただにはおもはじ、とおもひわたることぞかし。"
495.2.8457433 御心騷(みこころさわ)ぎけり。さるは、単衣(ひとへ)御衣(おほんぞ)なども、()()へたまひてけれど、あやしく(こころ)より(ほか)にぞ()にしみにける。 みこころさわぎけり。さるは、ひとへおほんぞなども、へたまひてけれど、あやしくこころよりほかにぞにしみにける。
495.2.9458434 「かばかりにては、(のこ)りありてしもあらじ」 "かばかりにては、のこりありてしもあらじ。"
495.2.10459435 と、よろづに()きにくくのたまひ(つづ)くるに、心憂(こころう)くて、()()(どころ)なき。 と、よろづにきにくくのたまひつづくるに、こころうくて、どころなき。
495.2.11460436 (おも)ひきこゆるさまことなるものを、(われ)こそ(さき)になど、かやうにうち(そむ)(きは)はことにこそあれ。また御心(みこころ)おきたまふばかりのほどやは()ぬる。(おも)ひの(ほか)()かりける御心(みこころ)かな」 "おもひきこゆるさまことなるものを、われこそさきになど、かやうにうちそむきははことにこそあれ。またみこころおきたまふばかりのほどやはぬる。おもひのほかかりけるみこころかな。"
495.2.12461437 と、すべてまねぶべくもあらず、いとほしげに()こえたまへど、ともかくもいらへたまはぬさへ、いとねたくて、 と、すべてまねぶべくもあらず、いとほしげにこえたまへど、ともかくもいらへたまはぬさへ、いとねたくて、
495.2.13462438 「また(ひと)()れける(そで)(うつ)()を<BR/>わが()にしめて(うら)みつるかな」 "〔またひとれけるそでうつを<BR/>わがにしめてうらみつるかな〕
495.2.14463439 (をんな)は、あさましくのたまひ(つづ)くるに、()ふべき(かた)もなきを、いかがは、とて、 をんなは、あさましくのたまひつづくるに、ふべきかたもなきを、いかがは、とて、
495.2.15464440 「みなれぬる(なか)(ころも)(たの)めしを<BR/>かばかりにてやかけ(はな)れなむ」 "〔みなれぬるなかころもたのめしを<BR/>かばかりにてやかけはなれなん〕
495.2.16465441 とて、うち()きたまへるけしきの、(かぎ)りなくあはれなるを()るにも、「かかればぞかし」と、いと(こころ)やましくて、(われ)もほろほろとこぼしたまふぞ、(いろ)めかしき御心(みこころ)なるや。まことにいみじき(あやま)ちありとも、ひたぶるにはえぞ(うと)()つまじく、らうたげに心苦(こころぐる)しきさまのしたまへれば、えも(うら)()てたまはず、のたまひさしつつ、かつはこしらへきこえたまふ。 とて、うちきたまへるけしきの、かぎりなくあはれなるをるにも、"かかればぞかし。"と、いとこころやましくて、われもほろほろとこぼしたまふぞ、いろめかしきみこころなるや。まことにいみじきあやまちありとも、ひたぶるにはえぞうとつまじく、らうたげにこころぐるしきさまのしたまへれば、えもうらてたまはず、のたまひさしつつ、かつはこしらへきこえたまふ。
495.3466442第三段 匂宮、中君の素晴しさを改めて認識
495.3.1467443 またの()も、(こころ)のどかに大殿籠(おほとのご)もり()きて、御手水(おほんてうづ)御粥(おほんかゆ)などもこなたに(まゐ)らす。(おほん)しつらひなども、さばかりかかやくばかり、高麗(こま)唐土(もろこし)錦綾(にしきあや)()(かさ)ねたる目移(めうつ)しには、()(つね)にうち()れたる心地(ここち)して、(ひと)びとの姿(すがた)も、()えばみたるうち()じりなどして、いと(しづ)かに()まはさる。 またのも、こころのどかにおほとのごもりきて、おほんてうづおほんかゆなどもこなたにまゐらす。おほんしつらひなども、さばかりかかやくばかり、こまもろこしにしきあやかさねたるめうつしには、つねにうちれたるここちして、ひとびとのすがたも、えばみたるうちじりなどして、いとしづかにまはさる。
495.3.2468444 (きみ)は、なよよかなる薄色(うすいろ)どもに、撫子(なでしこ)細長重(ほそながかさ)ねて、うち(みだ)れたまへる(おほん)さまの、何事(なにごと)もいとうるはしく、ことことしきまで(さか)りなる(ひと)御匂(おほんにほ)ひ、(なに)くれに(おも)(くら)ぶれど、気劣(けおと)りてもおぼえず、なつかしくをかしきも、(こころ)ざしのおろかならぬに(はぢ)なきなめりかし。まろにうつくしく()えたりし(ひと)の、すこし(ほそ)やぎたるに、(いろ)はいよいよ(しろ)くなりて、あてにをかしげなり。 きみは、なよよかなるうすいろどもに、なでしこほそながかさねて、うちみだれたまへるおほんさまの、なにごともいとうるはしく、ことことしきまでさかりなるひとおほんにほひ、なにくれにおもくらぶれど、けおとりてもおぼえず、なつかしくをかしきも、こころざしのおろかならぬにはぢなきなめりかし。まろにうつくしくえたりしひとの、すこしほそやぎたるに、いろはいよいよしろくなりて、あてにをかしげなり。
495.3.3469445 かかる御移(おほんうつ)()などのいちじるからぬ(をり)だに、愛敬(あいぎゃう)づきらうたきところなどの、なほ(ひと)には(おほ)くまさりて(おぼ)さるるままには、 かかるおほんうつなどのいちじるからぬをりだに、あいぎゃうづきらうたきところなどの、なほひとにはおほくまさりておぼさるるままには、
495.3.4470446 「これをはらからなどにはあらぬ(ひと)の、気近(けぢか)()ひかよひて、(こと)()れつつ、おのづから(こゑ)けはひをも()見馴(みな)れむは、いかでかただにも(おも)はむ。かならずしか(おぼ)しぬべきことなるを」 "これをはらからなどにはあらぬひとの、けぢかひかよひて、ことれつつ、おのづからこゑけはひをもみなれんは、いかでかただにもおもはん。かならずしかおぼしぬべきことなるを。"
495.3.5471447 と、わがいと(くま)なき御心(みこころ)ならひに(おぼ)()らるれば、(つね)(こころ)をかけて、「しるきさまなる(ふみ)などやある」と、(ちか)御厨子(みづし)小唐櫃(からびつ)などやうのものをも、さりげなくて(さが)したまへど、さるものもなし。ただ、いとすくよかに言少(ことすく)なにて、なほなほしきなどぞ、わざともなけれど、ものにとりまぜなどしてもあるを、「あやし。なほ、いとかうのみはあらじかし」と(うたが)はるるに、いとど今日(けふ)はやすからず(おぼ)さるる、ことわりなりかし。 と、わがいとくまなきみこころならひにおぼらるれば、つねこころをかけて、"しるきさまなるふみなどやある。"と、ちかみづしからびつなどやうのものをも、さりげなくてさがしたまへど、さるものもなし。ただ、いとすくよかにことすくなにて、なほなほしきなどぞ、わざともなけれど、ものにとりまぜなどしてもあるを、"あやし。なほ、いとかうのみはあらじかし。"とうたがはるるに、いとどけふはやすからずおぼさるる、ことわりなりかし。
495.3.6472448 「かの(ひと)のけしきも、(こころ)あらむ(をんな)の、あはれと(おも)ひぬべきを、などてかは、ことの(ほか)にはさし(はな)たむ。いとよきあはひなれば、かたみにぞ(おも)()はすらむかし」 "かのひとのけしきも、こころあらんをんなの、あはれとおもひぬべきを、などてかは、ことのほかにはさしはなたん。いとよきあはひなれば、かたみにぞおもはすらんかし。"
495.3.7473449 (おも)ひやるぞ、わびしく腹立(はらだ)たしくねたかりける。なほ、いとやすからざりければ、その()もえ()でたまはず。六条院(ろくづのゐん)には、御文(おほんふみ)をぞ二度三度(ふたたびみたび)たてまつりたまふを、 おもひやるぞ、わびしくはらだたしくねたかりける。なほ、いとやすからざりければ、そのもえでたまはず。ろくづのゐんには、おほんふみをぞふたたびみたびたてまつりたまふを、
495.3.8474450 「いつのほどに()もる御言(おほんこと)()ならむ」 "いつのほどにもるおほんことならん。"
495.3.9475451 とつぶやく()(びと)どもあり。 とつぶやくびとどもあり。
495.4476452第四段 薫、中君に衣料を贈る
495.4.1477453 中納言(ちうなごん)(きみ)は、かく(みや)()もりおはするを()くにしも、(こころ)やましくおぼゆれど、 ちうなごんきみは、かくみやもりおはするをくにしも、こころやましくおぼゆれど、
495.4.2478454 「わりなしや。これはわが(こころ)のをこがましく()しきぞかし。うしろやすくと(おも)ひそめてしあたりのことを、かくは(おも)ふべしや」 "わりなしや。これはわがこころのをこがましくしきぞかし。うしろやすくとおもひそめてしあたりのことを、かくはおもふべしや。"
495.4.3479455 と、しひてぞ(おも)(かへ)して、「さはいへど、え(おぼ)()てざめりかし」と、うれしくもあり、「(ひと)びとのけはひなどの、なつかしきほどに()えばみためりしを」と(おも)ひやりたまひて、母宮(ははみや)御方(おほんかた)(まゐ)りたまひて、 と、しひてぞおもかへして、"さはいへど、えおぼてざめりかし。"と、うれしくもあり、"ひとびとのけはひなどの、なつかしきほどにえばみためりしを。"とおもひやりたまひて、ははみやおほんかたまゐりたまひて、
495.4.4480456 「よろしきまうけのものどもやさぶらふ。使(つか)ふべきこと」 "よろしきまうけのものどもやさぶらふ。つかふべきこと。"
495.4.5481457 など(まう)したまへば、 などまうしたまへば、
495.4.6482458 (れい)の、()たむ(つき)法事(ほふじ)(れう)に、(しろ)きものどもやあらむ。()めたるなどは、(いま)はわざともしおかぬを、(いそ)ぎてこそせさせめ」 "れいの、たんつきほふじれうに、しろきものどもやあらん。めたるなどは、いまはわざともしおかぬを、いそぎてこそせさせめ。"
495.4.7483459 とのたまへば、 とのたまへば、
495.4.8484460 (なに)か。ことことしき(よう)にもはべらず。さぶらはむにしたがひて」 "なにか。ことことしきようにもはべらず。さぶらはんにしたがひて。"
495.4.9485461 とて、御匣殿(みくしげどの)などに()はせたまひて、(をんな)装束(さうぞく)どもあまた(くだり)に、細長(ほそなが)どもも、ただあるにしたがひて、ただなる絹綾(きぬあや)などとり()したまふ。みづからの御料(ごれう)(おぼ)しきには、わが御料(ごれう)にありける(くれなゐ)擣目(うちめ)なべてならぬに、(しろ)(あや)どもなど、あまた(かさ)ねたまへるに、(はかま)()はなかりけるに、いかにしたりけるにか、(こし)(ひと)つあるを、()(むす)(くは)へて、 とて、みくしげどのなどにはせたまひて、をんなさうぞくどもあまたくだりに、ほそながどもも、ただあるにしたがひて、ただなるきぬあやなどとりしたまふ。みづからのごれうおぼしきには、わがごれうにありけるくれなゐうちめなべてならぬに、しろあやどもなど、あまたかさねたまへるに、はかまはなかりけるに、いかにしたりけるにか、こしひとつあるを、むすくはへて、
495.4.10486462 (むす)びける(ちぎ)りことなる下紐(したひも)を<BR/>ただ一筋(ひとすぢ)(うら)みやはする」 "〔むすびけるちぎりことなるしたひもを<BR/>ただひとすぢうらみやはする〕
495.4.11487463 大輔(たいふ)(きみ)とて、大人(おとな)しき(ひと)の、(むつ)ましげなるにつかはす。 たいふきみとて、おとなしきひとの、むつましげなるにつかはす。
495.4.12488464 「とりあへぬさまの見苦(みぐる)しきを、つきづきしくもて(かく)して」 "とりあへぬさまのみぐるしきを、つきづきしくもてかくして。"
495.4.13489465 などのたまひて、御料(ごれう)のは、しのびやかなれど、(はこ)にて(つつ)みも(こと)なり。御覧(ごらん)ぜさせねど、さきざきも、かやうなる御心(みこころ)しらひは、(つね)のことにて目馴(めな)れにたれば、けしきばみ(かへ)しなど、ひこしろふべきにもあらねば、いかがとも(おも)ひわづらはで、(ひと)びとにとり()らしなどしたれば、おのおのさし()ひなどす。 などのたまひて、ごれうのは、しのびやかなれど、はこにてつつみもことなり。ごらんぜさせねど、さきざきも、かやうなるみこころしらひは、つねのことにてめなれにたれば、けしきばみかへしなど、ひこしろふべきにもあらねば、いかがともおもひわづらはで、ひとびとにとりらしなどしたれば、おのおのさしひなどす。
495.4.14490466 (わか)(ひと)びとの、御前近(おまへちか)(つか)うまつるなどをぞ、()()きては(つくろ)ひたつべき。下仕(しもづか)へどもの、いたく()えばみたりつる姿(すがた)どもなどに、(しろ)(あはせ)などにて、掲焉(けちえん)ならぬぞなかなかめやすかりける。 わかひとびとの、おまへちかつかうまつるなどをぞ、きてはつくろひたつべき。しもづかへどもの、いたくえばみたりつるすがたどもなどに、しろあはせなどにて、けちえんならぬぞなかなかめやすかりける。
495.5491467第五段 薫、中君をよく後見す
495.5.1492468 (たれ)かは、何事(なにごと)をも後見(うしろみ)かしづききこゆる(ひと)のあらむ。(みや)は、おろかならぬ御心(みこころ)ざしのほどにて、「よろづをいかで」と(おぼ)しおきてたれど、こまかなるうちうちのことまでは、いかがは(おぼ)()らむ。(かぎ)りもなく(ひと)にのみかしづかれてならはせたまへれば、()(なか)うちあはずさびしきこと、いかなるものとも()りたまはぬ、ことわりなり。 たれかは、なにごとをもうしろみかしづききこゆるひとのあらん。みやは、おろかならぬみこころざしのほどにて、"よろづをいかで。"とおぼしおきてたれど、こまかなるうちうちのことまでは、いかがはおぼらん。かぎりもなくひとにのみかしづかれてならはせたまへれば、なかうちあはずさびしきこと、いかなるものともりたまはぬ、ことわりなり。
495.5.2493469 (えん)にそぞろ(さむ)く、(はな)(つゆ)をもてあそびて()()ぐすべきものと(おぼ)したるほどよりは、(おぼ)(ひと)のためなれば、おのづから折節(をりふし)につけつつ、まめやかなることまでも(あつか)()らせたまふこそ、ありがたくめづらかなることなめれば、「いでや」など、(そし)らはしげに()こゆる御乳母(おほんめのと)などもありけり。 えんにそぞろさむく、はなつゆをもてあそびてぐすべきものとおぼしたるほどよりは、おぼひとのためなれば、おのづからをりふしにつけつつ、まめやかなることまでもあつからせたまふこそ、ありがたくめづらかなることなめれば、"いでや。"など、そしらはしげにこゆるおほんめのとなどもありけり。
495.5.3494470 (わらは)べなどの、なりあざやかならぬ、折々(をりをり)うち()じりなどしたるをも、女君(をんなぎみ)は、いと()づかしく、「なかなかなる()まひにもあるかな」など、人知(ひとし)れずは(おぼ)すことなきにしもあらぬに、ましてこのころは、()(ひび)きたる(おほん)ありさまのはなやかさに、かつは、「(みや)のうちの(ひと)見思(みおも)はむことも、(ひと)げなきこと」と、(おぼ)(みだ)るることも()ひて(なげ)かしきを、中納言(ちうなごん)(きみ)は、いとよく()(はか)りきこえたまへば、(うと)からむあたりには、見苦(みぐる)しくくだくだしかりぬべき(こころ)しらひのさまも、あなづるとはなけれど、「(なに)かは、ことことしくしたて(がほ)ならむも、なかなかおぼえなく()とがむる(ひと)やあらむ」と、(おぼ)すなりけり。 わらはべなどの、なりあざやかならぬ、をりをりうちじりなどしたるをも、をんなぎみは、いとづかしく、"なかなかなるまひにもあるかな。"など、ひとしれずはおぼすことなきにしもあらぬに、ましてこのころは、ひびきたるおほんありさまのはなやかさに、かつは、"みやのうちのひとみおもはんことも、ひとげなきこと。"と、おぼみだるることもひてなげかしきを、ちうなごんきみは、いとよくはかりきこえたまへば、うとからんあたりには、みぐるしくくだくだしかりぬべきこころしらひのさまも、あなづるとはなけれど、"なにかは、ことことしくしたてがほならんも、なかなかおぼえなくとがむるひとやあらん。"と、おぼすなりけり。
495.5.4495471 (いま)ぞまた、(れい)のめやすきさまなるものどもなどせさせたまひて、御小袿織(おほんこうちきお)らせ、(あや)料賜(れうたま)はせなどしたまひける。この(きみ)しもぞ、(みや)(もおと)りきこえたまはず、さま(こと)にかしづきたてられて、かたはなるまで(こころ)おごりもし、()(おも)()まして、あてなる(こころ)ばへはこよなけれど、故親王(こみこ)御山住(みやまず)みを()そめたまひしよりぞ、「さびしき(ところ)のあはれさはさま(こと)なりけり」と、心苦(こころぐる)しく(おぼ)されて、なべての()をも(おも)ひめぐらし、(ふか)(なさ)けをもならひたまひにける。いとほしの(ひと)ならはしや、とぞ。 いまぞまた、れいのめやすきさまなるものどもなどせさせたまひて、おほんこうちきおらせ、あやれうたまはせなどしたまひける。このきみしもぞ、みやもおとりきこえたまはず、さまことにかしづきたてられて、かたはなるまでこころおごりもし、おもまして、あてなるこころばへはこよなけれど、こみこみやまずみをそめたまひしよりぞ、"さびしきところのあはれさはさまことなりけり。"と、こころぐるしくおぼされて、なべてのをもおもひめぐらし、ふかなさけをもならひたまひにける。いとほしのひとならはしや、とぞ。
495.6496472第六段 薫と中君の、それぞれの苦悩
495.6.1497473 「かくて、なほ、いかでうしろやすく大人(おとな)しき(ひと)にてやみなむ」と(おも)ふにも、したがはず、(こころ)にかかりて(くる)しければ、御文(おほんふみ)などを、ありしよりはこまやかにて、ともすれば、(しの)びあまりたるけしき()せつつ()こえたまふを、女君(をんなぎみ)、いとわびしきこと()ひたる()(おぼ)(なげ)かる。 "かくて、なほ、いかでうしろやすくおとなしきひとにてやみなん。"とおもふにも、したがはず、こころにかかりてくるしければ、おほんふみなどを、ありしよりはこまやかにて、ともすれば、しのびあまりたるけしきせつつこえたまふを、をんなぎみ、いとわびしきことひたるおぼなげかる。
495.6.2498474 「ひとへに()らぬ(ひと)なれば、あなものぐるほしと、はしたなめさし(はな)たむにもやすかるべきを、(むかし)よりさま(こと)なる(たの)もし(びと)にならひ()て、(いま)さらに仲悪(なかあ)しくならむも、なかなか人目悪(ひとめあ)しかるべし。さすがに、あさはかにもあらぬ御心(みこころ)ばへありさまの、あはれを()らぬにはあらず。さりとて、心交(こころか)はし(がほ)にあひしらはむもいとつつましく、いかがはすべからむ」 "ひとへにらぬひとなれば、あなものぐるほしと、はしたなめさしはなたんにもやすかるべきを、むかしよりさまことなるたのもしびとにならひて、いまさらになかあしくならんも、なかなかひとめあしかるべし。さすがに、あさはかにもあらぬみこころばへありさまの、あはれをらぬにはあらず。さりとて、こころかはしがほにあひしらはんもいとつつましく、いかがはすべからん。"
495.6.3499475 と、よろづに(おも)(みだ)れたまふ。 と、よろづにおもみだれたまふ。
495.6.4500476 さぶらふ(ひと)びとも、すこしものの()ふかひありぬべく(わか)やかなるは、(みな)あたらし、見馴(みな)れたるとては、かの山里(やまざと)古女(ふるをんな)ばらなり。(おも)(こころ)をも、(おな)(こころ)になつかしく()ひあはすべき(ひと)のなきままには、故姫君(こひめぎみ)(おも)()できこえたまはぬ(をり)なし。 さぶらふひとびとも、すこしもののふかひありぬべくわかやかなるは、みなあたらし、みなれたるとては、かのやまざとふるをんなばらなり。おもこころをも、おなこころになつかしくひあはすべきひとのなきままには、こひめぎみおもできこえたまはぬをりなし。
495.6.5501477 「おはせましかば、この(ひと)もかかる(こころ)()へたまはましや」 "おはせましかば、このひともかかるこころへたまはましや。"
495.6.6502478 と、いと(かな)しく、(みや)のつらくなりたまはむ(なげ)きよりも、このこといと(くる)しくおぼゆ。 と、いとかなしく、みやのつらくなりたまはんなげきよりも、このこといとくるしくおぼゆ。
496503479第六章 薫の物語 中君から異母妹の浮舟の存在を聞く
496.1504480第一段 薫、二条院の中君を訪問
496.1.1505481 男君(をとこぎみ)も、しひて(おも)ひわびて、(れい)の、しめやかなる(ゆふ)(かた)おはしたり。やがて(はし)御茵(おほんしとね)さし()でさせたまひて、「いと(なや)ましきほどにてなむ、え()こえさせぬ」と、(ひと)して()こえ()だしたまへるを()くに、いみじくつらくて、涙落(なみだお)ちぬべきを、人目(ひとめ)につつめば、しひて(まぎ)らはして、 をとこぎみも、しひておもひわびて、れいの、しめやかなるゆふかたおはしたり。やがてはしおほんしとねさしでさせたまひて、"いとなやましきほどにてなん、えこえさせぬ。"と、ひとしてこえだしたまへるをくに、いみじくつらくて、なみだおちぬべきを、ひとめにつつめば、しひてまぎらはして、
496.1.2506482 (なや)ませたまふ(をり)は、()らぬ(そう)なども(ちか)(まゐ)()るを。医師(くすし)などの(つら)にても、御簾(みす)(うち)にはさぶらふまじくやは。かく人伝(ひとづ)てなる御消息(おほんせうそこ)なむ、かひなき心地(ここち)する」 "なやませたまふをりは、らぬそうなどもちかまゐるを。くすしなどのつらにても、みすうちにはさぶらふまじくやは。かくひとづてなるおほんせうそこなん、かひなきここちする。"
496.1.3507483 とのたまひて、いとものしげなる()けしきなるを、一夜(ひとよ)もののけしき()(ひと)びと、 とのたまひて、いとものしげなるけしきなるを、ひとよもののけしきひとびと、
496.1.4508484 「げに、いと見苦(みぐる)しくはべるめり」 "げに、いとみぐるしくはべるめり。"
496.1.5509485 とて、母屋(もや)御簾(みす)うち()ろして、夜居(よゐ)(そう)()()れたてまつるを、女君(をんなぎみ)、まことに心地(ここち)もいと(くる)しけれど、(ひと)のかく()ふに、掲焉(けちえん)にならむも、またいかが、とつつましければ、もの()ながらすこしゐざり()でて、対面(たいめん)したまへり。 とて、もやみすうちろして、よゐそうれたてまつるを、をんなぎみ、まことにここちもいとくるしけれど、ひとのかくふに、けちえんにならんも、またいかが、とつつましければ、ものながらすこしゐざりでて、たいめんしたまへり。
496.1.6510486 いとほのかに、時々(ときどき)もののたまふ(おほん)けはひの、昔人(むかしびと)(なや)みそめたまへりしころ、まづ(おも)()でらるるも、ゆゆしく(かな)しくて、かきくらす心地(ここち)したまへば、とみにものも()はれず、ためらひてぞ()こえたまふ。 いとほのかに、ときどきもののたまふおほんけはひの、むかしびとなやみそめたまへりしころ、まづおもでらるるも、ゆゆしくかなしくて、かきくらすここちしたまへば、とみにものもはれず、ためらひてぞこえたまふ。
496.1.7511487 こよなく(おく)まりたまへるもいとつらくて、()(した)より几帳(きちゃう)をすこしおし()れて、(れい)の、なれなれしげに(ちか)づき()りたまふが、いと(くる)しければ、わりなしと(おぼ)して、少将(せうしゃう)といひし(ひと)(ちか)()()せて、 こよなくおくまりたまへるもいとつらくて、したよりきちゃうをすこしおしれて、れいの、なれなれしげにちかづきりたまふが、いとくるしければ、わりなしとおぼして、せうしゃうといひしひとちかせて、
496.1.8512488 (むね)なむ(いた)き。しばしおさへて」 "むねなんいたき。しばしおさへて。"
496.1.9513489 とのたまふを()きて、 とのたまふをきて、
496.1.10514490 (むね)はおさへたるは、いと(くる)しくはべるものを」 "むねはおさへたるは、いとくるしくはべるものを。"
496.1.11515491 とうち(なげ)きて、ゐ(なほ)りたまふほども、げにぞ(した)やすからぬ。 とうちなげきて、ゐなほりたまふほども、げにぞしたやすからぬ。
496.1.12516492 「いかなれば、かくしも(つね)(なや)ましくは(おぼ)さるらむ。(ひと)()ひはべりしかば、しばしこそ心地(ここち)()しかなれ、さてまた、よろしき(をり)あり、などこそ(をし)へはべしか。あまり若々(わかわか)しくもてなさせたまふなめり」 "いかなれば、かくしもつねなやましくはおぼさるらん。ひとひはべりしかば、しばしこそここちしかなれ、さてまた、よろしきをりあり、などこそをしへはべしか。あまりわかわかしくもてなさせたまふなめり。"
496.1.13517493 とのたまふに、いと()づかしくて、 とのたまふに、いとづかしくて、
496.1.14518494 (むね)は、いつともなくかくこそははべれ。(むかし)(ひと)もさこそはものしたまひしか。(なが)かるまじき(ひと)のするわざとか、(ひと)()ひはべるめる」 "むねは、いつともなくかくこそははべれ。むかしひともさこそはものしたまひしか。ながかるまじきひとのするわざとか、ひとひはべるめる。"
496.1.15519495 とぞのたまふ。「げに、(たれ)千年(ちとせ)(まつ)ならぬ()を」と(おも)ふには、いと心苦(こころぐる)しくあはれなれば、この()()せたる(ひと)()かむもつつまれず、かたはらいたき(すぢ)のことをこそ()りとどむれ、(むかし)より(おも)ひきこえしさまなどを、かの御耳一(おほんみみひと)つには心得(こころえ)させながら、(ひと)はかたはにも()くまじきさまに、さまよくめやすくぞ()ひなしたまふを、「げに、ありがたき御心(みこころ)ばへにも」と()きゐたりけり。 とぞのたまふ。"げに、たれちとせまつならぬを。"とおもふには、いとこころぐるしくあはれなれば、このせたるひとかんもつつまれず、かたはらいたきすぢのことをこそりとどむれ、むかしよりおもひきこえしさまなどを、かのおほんみみひとつにはこころえさせながら、ひとはかたはにもくまじきさまに、さまよくめやすくぞひなしたまふを、"げに、ありがたきみこころばへにも。"ときゐたりけり。
496.2520496第二段 薫、亡き大君追慕の情を訴える
496.2.1521497 何事(なにごと)につけても、故君(こぎみ)御事(おほんこと)をぞ()きせず(おも)ひたまへる。 なにごとにつけても、こぎみおほんことをぞきせずおもひたまへる。
496.2.2522498 「いはけなかりしほどより、()(なか)(おも)(はな)れてやみぬべき(こころ)づかひをのみならひはべしに、さるべきにやはべりけむ、(うと)きものからおろかならず(おも)ひそめきこえはべりしひとふしに、かの本意(ほい)聖心(ひじりごころ)は、さすがに(たが)ひやしにけむ。 "いはけなかりしほどより、なかおもはなれてやみぬべきこころづかひをのみならひはべしに、さるべきにやはべりけん、うときものからおろかならずおもひそめきこえはべりしひとふしに、かのほいひじりごころは、さすがにたがひやしにけん。
496.2.3523499 (なぐさ)めばかりに、ここにもかしこにも()きかかづらひて、(ひと)のありさまを()むにつけて、(まぎ)るることもやあらむなど、(おも)()折々(をりをり)はべれど、さらに(ほか)ざまにはなびくべくもはべらざりけり。 なぐさめばかりに、ここにもかしこにもきかかづらひて、ひとのありさまをんにつけて、まぎるることもやあらんなど、おもをりをりはべれど、さらにほかざまにはなびくべくもはべらざりけり。
496.2.4524500 よろづに(おも)ひたまへわびては、(こころ)()(かた)(つよ)からぬわざなりければ、()きがましきやうに(おぼ)さるらむと、()づかしけれど、あるまじき(こころ)の、かけてもあるべくはこそめざましからめ、ただかばかりのほどにて、時々思(ときどきおも)ふことをも()こえさせ(うけたまは)りなどして、(へだ)てなくのたまひかよはむを、()れかはとがめ()づべき。()(ひと)()(こころ)のほどは、皆人(みなひと)にもどかるまじくはべるを、なほうしろやすく(おぼ)したれ」 よろづにおもひたまへわびては、こころかたつよからぬわざなりければ、きがましきやうにおぼさるらんと、づかしけれど、あるまじきこころの、かけてもあるべくはこそめざましからめ、ただかばかりのほどにて、ときどきおもふことをもこえさせうけたまはりなどして、へだてなくのたまひかよはんを、れかはとがめづべき。ひとこころのほどは、みなひとにもどかるまじくはべるを、なほうしろやすくおぼしたれ。"
496.2.5525501 など、(うら)()きみ()こえたまふ。 など、うらきみこえたまふ。
496.2.6526502 「うしろめたく(おも)ひきこえば、かくあやしと(ひと)見思(みおも)ひぬべきまでは()こえはべるべくや。(とし)ごろ、こなたかなたにつけつつ、見知(みし)ることどものはべりしかばこそ、さま(こと)なる(たの)もし(びと)にて、(いま)はこれよりなどおどろかしきこゆれ」 "うしろめたくおもひきこえば、かくあやしとひとみおもひぬべきまではこえはべるべくや。としごろ、こなたかなたにつけつつ、みしることどものはべりしかばこそ、さまことなるたのもしびとにて、いまはこれよりなどおどろかしきこゆれ。"
496.2.7527503 とのたまへば、 とのたまへば、
496.2.8528504 「さやうなる(をり)もおぼえはべらぬものを、いとかしこきことに(おぼ)しおきてのたまはするや。この御山里出(おほんやまざとい)()(いそ)ぎに、からうして()使(つか)はせたまふべき。それもげに、御覧(ごらん)()(かた)ありてこそはと、おろかにやは(おも)ひはべる」 "さやうなるをりもおぼえはべらぬものを、いとかしこきことにおぼしおきてのたまはするや。このおほんやまざといいそぎに、からうしてつかはせたまふべき。それもげに、ごらんかたありてこそはと、おろかにやはおもひはべる。"
496.2.9529505 などのたまひて、なほいともの(うら)めしげなれど、()(ひと)あれば、(おも)ふままにもいかでかは(つづ)けたまはむ。 などのたまひて、なほいとものうらめしげなれど、ひとあれば、おもふままにもいかでかはつづけたまはん。
496.3530506第三段 薫、故大君に似た人形を望む
496.3.1531507 ()(かた)(なが)()だしたれば、やうやう(くら)くなりにたるに、(むし)(こゑ)ばかり(まぎ)れなくて、(やま)方小暗(かたをぐら)く、(なに)のあやめも()えぬに、いとしめやかなるさまして()りゐたまへるも、わづらはしとのみ(うち)には(おぼ)さる。 かたながだしたれば、やうやうくらくなりにたるに、むしこゑばかりまぎれなくて、やまかたをぐらく、なにのあやめもえぬに、いとしめやかなるさましてりゐたまへるも、わづらはしとのみうちにはおぼさる。
496.3.2532508 (かぎ)りだにある」 "かぎりだにある。"
496.3.3533509 など、(しの)びやかにうち()じて、 など、しのびやかにうちじて、
496.3.4534510 (おも)うたまへわびにてはべり。音無(おとなし)里求(さともと)めまほしきを、かの山里(やまざと)のわたりに、わざと(てら)などはなくとも、(むかし)おぼゆる人形(ひとがた)をも(つく)り、()にも()きとりて、(おこ)なひはべらむとなむ、(おも)うたまへなりにたる」 "おもうたまへわびにてはべり。おとなしさともとめまほしきを、かのやまざとのわたりに、わざとてらなどはなくとも、むかしおぼゆるひとがたをもつくり、にもきとりて、おこなひはべらんとなん、おもうたまへなりにたる。"
496.3.5535511 とのたまへば、 とのたまへば、
496.3.6536512 「あはれなる御願(おほんねが)ひに、またうたて御手洗川近(みたらしがはちか)心地(ここち)する人形(ひとがた)こそ、(おも)ひやりいとほしくはべれ。黄金求(こがねもと)むる絵師(ゑし)もこそなど、うしろめたくぞはべるや」 "あはれなるおほんねがひに、またうたてみたらしがはちかここちするひとがたこそ、おもひやりいとほしくはべれ。こがねもとむるゑしもこそなど、うしろめたくぞはべるや。"
496.3.7537513 とのたまへば、 とのたまへば、
496.3.8538514 「そよ。その(たくみ)絵師(ゑし)も、いかでか(こころ)には(かな)ふべきわざならむ。(ちか)()花降(はなふ)らせたる(たくみ)もはべりけるを、さやうならむ変化(へんげ)(ひと)もがな」 "そよ。そのたくみゑしも、いかでかこころにはかなふべきわざならん。ちかはなふらせたるたくみもはべりけるを、さやうならんへんげひともがな。"
496.3.9539515 と、とざまかうざまに(わす)れむ(かた)なきよしを、(なげ)きたまふけしきの、心深(こころぶか)げなるもいとほしくて、(いま)すこし(ちか)くすべり()りて、 と、とざまかうざまにわすれんかたなきよしを、なげきたまふけしきの、こころぶかげなるもいとほしくて、いますこしちかくすべりりて、
496.3.10540516 人形(ひとがた)のついでに、いとあやしく(おも)()るまじきことをこそ、(おも)()ではべれ」 "ひとがたのついでに、いとあやしくおもるまじきことをこそ、おもではべれ。"
496.3.11541517 とのたまふけはひの、すこしなつかしきも、いとうれしくあはれにて、 とのたまふけはひの、すこしなつかしきも、いとうれしくあはれにて、
496.3.12542518 (なに)ごとにか」 "なにごとにか。"
496.3.13543519 ()ふままに、几帳(きちゃう)(した)より()(とら)ふれば、いとうるさく(おも)ひならるれど、「いかさまにして、かかる(こころ)をやめて、なだらかにあらむ」と(おも)へば、この(ちか)(ひと)(おも)はむことのあいなくて、さりげなくもてなしたまへり。 ふままに、きちゃうしたよりとらふれば、いとうるさくおもひならるれど、"いかさまにして、かかるこころをやめて、なだらかにあらん。"とおもへば、このちかひとおもはんことのあいなくて、さりげなくもてなしたまへり。
496.4544520第四段 中君、異母妹の浮舟を語る
496.4.1545521 (とし)ごろは、()にやあらむとも()らざりつる(ひと)の、この(なつ)ごろ、(とほ)(ところ)よりものして(たづ)()でたりしを、(うと)くは(おも)ふまじけれど、またうちつけに、さしも(なに)かは(むつ)(おも)はむ、と(おも)ひはべりしを、さいつころ()たりしこそ、あやしきまで、昔人(むかしびと)(おほん)けはひにかよひたりしかば、あはれにおぼえなりにしか。 "としごろは、にやあらんともらざりつるひとの、このなつごろ、とほところよりものしてたづでたりしを、うとくはおもふまじけれど、またうちつけに、さしもなにかはむつおもはん、とおもひはべりしを、さいつころたりしこそ、あやしきまで、むかしびとおほんけはひにかよひたりしかば、あはれにおぼえなりにしか。
496.4.2546522 形見(かたみ)など、かう(おぼ)しのたまふめるは、なかなか何事(なにごと)も、あさましくもて(はな)れたりとなむ、()(ひと)びとも()ひはべりしを、いとさしもあるまじき(ひと)の、いかでかは、さはありけむ」 かたみなど、かうおぼしのたまふめるは、なかなかなにごとも、あさましくもてはなれたりとなん、ひとびともひはべりしを、いとさしもあるまじきひとの、いかでかは、さはありけん。"
496.4.3547523 とのたまふを、夢語(ゆめがた)りか、とまで()く。 とのたまふを、ゆめがたりか、とまでく。
496.4.4548524 「さるべきゆゑあればこそは、さやうにも(むつ)びきこえらるらめ。などか(いま)まで、かくもかすめさせたまはざらむ」 "さるべきゆゑあればこそは、さやうにもむつびきこえらるらめ。などかいままで、かくもかすめさせたまはざらん。"
496.4.5549525 とのたまへば、 とのたまへば、
496.4.6550526 「いさや、そのゆゑも、いかなりけむこととも(おも)()かれはべらず。ものはかなきありさまどもにて、()()ちとまりさすらへむとすらむこと、とのみ、うしろめたげに(おぼ)したりしことどもを、ただ一人(ひとり)かき(あつ)めて(おも)()られはべるに、またあいなきことをさへうち()へて、(ひと)()(つた)へむこそ、いといとほしかるべけれ」 "いさや、そのゆゑも、いかなりけんことともおもかれはべらず。ものはかなきありさまどもにて、ちとまりさすらへんとすらんこと、とのみ、うしろめたげにおぼしたりしことどもを、ただひとりかきあつめておもられはべるに、またあいなきことをさへうちへて、ひとつたへんこそ、いといとほしかるべけれ。"
496.4.7551527 とのたまふけしき()るに、「(みや)(しの)びてものなどのたまひけむ(ひと)の、忍草摘(しのぶぐさつ)みおきたりけるなるべし」と見知(みし)りぬ。 とのたまふけしきるに、"みやしのびてものなどのたまひけんひとの、しのぶぐさつみおきたりけるなるべし。"とみしりぬ。
496.4.8552528 ()たりとのたまふゆかりに(みみ)とまりて、 たりとのたまふゆかりにみみとまりて、
496.4.9553529 「かばかりにては。(おな)じくは()()てさせたまうてよ」 "かばかりにては。おなじくはてさせたまうてよ。"
496.4.10554530 と、いぶかしがりたまへど、さすがにかたはらいたくて、えこまかにも()こえたまはず。 と、いぶかしがりたまへど、さすがにかたはらいたくて、えこまかにもこえたまはず。
496.4.11555531 (たづ)ねむと(おぼ)(こころ)あらば、そのわたりとは()こえつべけれど、(くは)しくしもえ()らずや。また、あまり()はば、心劣(こころおと)りもしぬべきことになむ」 "たづねんとおぼこころあらば、そのわたりとはこえつべけれど、くはしくしもえらずや。また、あまりはば、こころおとりもしぬべきことになん。"
496.4.12556532 とのたまへば、 とのたまへば、
496.4.13557533 ()を、海中(うみなか)にも、(たま)のありか(たづ)ねには、(こころ)(かぎ)(すす)みぬべきを、いとさまで(おも)ふべきにはあらざなれど、いとかく(なぐさ)めむ(かた)なきよりはと、(おも)()りはべる人形(ひとがた)(ねが)ひばかりには、などかは、山里(やまざと)本尊(ほんぞん)にも(おも)ひはべらざらむ。なほ、(たし)かにのたまはせよ」 "を、うみなかにも、たまのありかたづねには、こころかぎすすみぬべきを、いとさまでおもふべきにはあらざなれど、いとかくなぐさめんかたなきよりはと、おもりはべるひとがたねがひばかりには、などかは、やまざとほんぞんにもおもひはべらざらん。なほ、たしかにのたまはせよ。"
496.4.14558534 と、うちつけに()めきこえたまふ。 と、うちつけにめきこえたまふ。
496.4.15559535 「いさや、いにしへの(おほん)ゆるしもなかりしことを、かくまで()らしきこゆるも、いと口軽(くちかる)けれど、変化(へんげ)工求(たくみもと)めたまふいとほしさにこそ、かくも」とて、「いと(とほ)(ところ)(とし)ごろ()にけるを、(はは)なる(ひと)のうれはしきことに(おも)ひて、あながちに(たづ)()りしを、はしたなくもえいらへではべりしに、ものしたりしなり。ほのかなりしかばにや、何事(なにごと)(おも)ひしほどよりは見苦(みぐる)しからずなむ()えし。これをいかさまにもてなさむ、と(なげ)くめりしに、(ほとけ)にならむは、いとこよなきことにこそはあらめ、さまではいかでかは」 "いさや、いにしへのおほんゆるしもなかりしことを、かくまでらしきこゆるも、いとくちかるけれど、へんげたくみもとめたまふいとほしさにこそ、かくも。"とて、"いととほところとしごろにけるを、ははなるひとのうれはしきことにおもひて、あながちにたづりしを、はしたなくもえいらへではべりしに、ものしたりしなり。ほのかなりしかばにや、なにごとおもひしほどよりはみぐるしからずなんえし。これをいかさまにもてなさん、となげくめりしに、ほとけにならんは、いとこよなきことにこそはあらめ、さまではいかでかは。"
496.4.16560536 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
496.5561537第五段 薫、なお中君を恋慕す
496.5.1562538 「さりげなくて、かくうるさき(こころ)をいかで()(はな)つわざもがな、と(おも)ひたまへる」と()るはつらけれど、さすがにあはれなり。「あるまじきこととは(ふか)(おも)ひたまへるものから、顕証(けせう)にはしたなきさまには、えもてなしたまはぬも、見知(みし)りたまへるにこそは」と(おも)(こころ)ときめきに、()もいたく()けゆくを、(うち)には人目(ひとめ)いとかたはらいたくおぼえたまひて、うちたゆめて()りたまひぬれば、男君(をとこぎみ)、ことわりとは(かへ)(がへ)(おも)へど、なほいと(うら)めしく口惜(くちを)しきに、(おも)(しづ)めむ(かた)もなき心地(ここち)して、(なみだ)のこぼるるも人悪(ひとわ)ろければ、よろづに(おも)(みだ)るれど、ひたぶるにあさはかならむもてなしはた、なほいとうたて、わがためもあいなかるべければ、(ねん)(かへ)して、(つね)よりも(なげ)きがちにて()でたまひぬ。 "さりげなくて、かくうるさきこころをいかではなつわざもがな、とおもひたまへる。"とるはつらけれど、さすがにあはれなり。"あるまじきこととはふかおもひたまへるものから、けせうにはしたなきさまには、えもてなしたまはぬも、みしりたまへるにこそは。"とおもこころときめきに、もいたくけゆくを、うちにはひとめいとかたはらいたくおぼえたまひて、うちたゆめてりたまひぬれば、をとこぎみ、ことわりとはかへがへおもへど、なほいとうらめしくくちをしきに、おもしづめんかたもなきここちして、なみだのこぼるるもひとわろければ、よろづにおもみだるれど、ひたぶるにあさはかならんもてなしはた、なほいとうたて、わがためもあいなかるべければ、ねんかへして、つねよりもなげきがちにてでたまひぬ。
496.5.2563539 「かくのみ(おも)ひては、いかがすべからむ。(くる)しくもあるべきかな。いかにしてかは、おほかたの()にはもどきあるまじきさまにて、さすがに(おも)(こころ)(かな)ふわざをすべからむ」 "かくのみおもひては、いかがすべからん。くるしくもあるべきかな。いかにしてかは、おほかたのにはもどきあるまじきさまにて、さすがにおもこころかなふわざをすべからん。"
496.5.3564540 など、おりたちて(れん)じたる(こころ)ならねばにや、わがため(ひと)のためも、(こころ)やすかるまじきことを、わりなく(おぼ)()かすに、「()たりとのたまひつる(ひと)も、いかでかは(まこと)かとは()るべき。さばかりの(きは)なれば、(おも)()らむに、(かた)くはあらずとも、(ひと)本意(ほい)にもあらずは、うるさくこそあるべけれ」など、なほそなたざまには(こころ)()たず。 など、おりたちてれんじたるこころならねばにや、わがためひとのためも、こころやすかるまじきことを、わりなくおぼかすに、"たりとのたまひつるひとも、いかでかはまことかとはるべき。さばかりのきはなれば、おもらんに、かたくはあらずとも、ひとほいにもあらずは、うるさくこそあるべけれ。"など、なほそなたざまにはこころたず。
497565541第七章 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く
497.1566542第一段 九月二十日過ぎ、薫、宇治を訪れる
497.1.1567543 宇治(うぢ)(みや)(ひさ)しく()たまはぬ(とき)は、いとど昔遠(むかしとほ)くなる心地(ここち)して、すずろに心細(こころぼそ)ければ、九月二十余日(くがちにじふよにち)ばかりにおはしたり。 うぢみやひさしくたまはぬときは、いとどむかしとほくなるここちして、すずろにこころぼそければ、くがちにじふよにちばかりにおはしたり。
497.1.2568544 いとどしく(かぜ)のみ()(はら)ひて、(こころ)すごく(あら)ましげなる(みづ)(おと)のみ宿守(やどもり)にて、人影(ひとかげ)もことに()えず。()るには、まづかきくらし、(かな)しきことぞ(かぎ)りなき。(べん)尼召(あまめ)()でたれば、障子口(さうじぐち)に、青鈍(あをにび)几帳(きちゃう)さし()でて(まゐ)れり。 いとどしくかぜのみはらひて、こころすごくあらましげなるみづおとのみやどもりにて、ひとかげもことにえず。るには、まづかきくらし、かなしきことぞかぎりなき。べんあまめでたれば、さうじぐちに、あをにびきちゃうさしでてまゐれり。
497.1.3569545 「いとかしこけれど、ましていと(おそ)ろしげにはべれば、つつましくてなむ」 "いとかしこけれど、ましていとおそろしげにはべれば、つつましくてなん。"
497.1.4570546 と、まほには()()ず。 と、まほにはず。
497.1.5571547 「いかに(なが)めたまふらむと(おも)ひやるに、(おな)(こころ)なる(ひと)もなき物語(ものがたり)()こえむとてなむ。はかなくも()もる年月(としつき)かな」 "いかにながめたまふらんとおもひやるに、おなこころなるひともなきものがたりこえんとてなん。はかなくももるとしつきかな。"
497.1.6572548 とて、(なみだ)一目浮(ひとめう)けておはするに、()(びと)はいとどさらにせきあへず。 とて、なみだひとめうけておはするに、びとはいとどさらにせきあへず。
497.1.7573549 (ひと)(うへ)にて、あいなくものを(おぼ)すめりしころの(そら)ぞかし、と(おも)ひたまへ()づるに、いつとはべらぬなるにも、(あき)(かぜ)()にしみてつらくおぼえはべりて、げにかの(なげ)かせたまふめりしもしるき()(なか)(おほん)ありさまを、ほのかに(うけたまは)るも、さまざまになむ」 "ひとうへにて、あいなくものをおぼすめりしころのそらぞかし、とおもひたまへづるに、いつとはべらぬなるにも、あきかぜにしみてつらくおぼえはべりて、げにかのなげかせたまふめりしもしるきなかおほんありさまを、ほのかにうけたまはるも、さまざまになん。"
497.1.8574550 ()こゆれば、 こゆれば、
497.1.9575551 「とあることもかかることも、ながらふれば、(なほ)るやうもあるを、あぢきなく(おぼ)ししみけむこそ、わが(あやま)ちのやうに、なほ(かな)しけれ。このころの(おほん)ありさまは、(なに)か、それこそ()(つね)なれ。されど、うしろめたげには()えきこえざめり。()ひても()ひても、むなしき(そら)(のぼ)りぬる(けぶり)のみこそ、(たれ)(のが)れぬことながら、(おく)(さき)だつほどは、なほいと()ふかひなかりけり」 "とあることもかかることも、ながらふれば、なほるやうもあるを、あぢきなくおぼししみけんこそ、わがあやまちのやうに、なほかなしけれ。このころのおほんありさまは、なにか、それこそつねなれ。されど、うしろめたげにはえきこえざめり。ひてもひても、むなしきそらのぼりぬるけぶりのみこそ、たれのがれぬことながら、おくさきだつほどは、なほいとふかひなかりけり。"
497.1.10576552 とても、また()きたまひぬ。 とても、またきたまひぬ。
497.2577553第二段 薫、宇治の阿闍梨と面談す
497.2.1578554 阿闍梨召(あざりめ)して、(れい)の、かの忌日(きにち)経仏(きゃうほとけ)などのことのたまふ。 あざりめして、れいの、かのきにちきゃうほとけなどのことのたまふ。
497.2.2579555 「さて、ここに時々(ときどき)ものするにつけても、かひなきことのやすからずおぼゆるが、いと(やく)なきを、この寝殿(しんでん)こぼちて、かの山寺(やまでら)のかたはらに堂建(だうた)てむ、となむ(おも)ふを、(おな)じくは()(はじ)めてむ」 "さて、ここにときどきものするにつけても、かひなきことのやすからずおぼゆるが、いとやくなきを、このしんでんこぼちて、かのやまでらのかたはらにだうたてん、となんおもふを、おなじくははじめてん。"
497.2.3580556 とのたまひて、(だう)いくつ、(らう)ども、僧房(そうばう)など、あるべきことども、()()でのたまはせさせたまふを、 とのたまひて、だういくつ、らうども、そうばうなど、あるべきことども、でのたまはせさせたまふを、
497.2.4581557 「いと(たふと)きこと」 "いとたふときこと。"
497.2.5582558 ()こえ()らす。 こえらす。
497.2.6583559 (むかし)(ひと)の、ゆゑある御住(おほんす)まひに()(つく)りたまひけむ(ところ)を、ひきこぼたむ、(なさ)けなきやうなれど、その御心(みこころ)ざしも功徳(くどく)(かた)には(すす)みぬべく(おぼ)しけむを、とまりたまはむ(ひと)びと(おぼ)しやりて、えさはおきてたまはざりけるにや。 "むかしひとの、ゆゑあるおほんすまひにつくりたまひけんところを、ひきこぼたん、なさけなきやうなれど、そのみこころざしもくどくかたにはすすみぬべくおぼしけんを、とまりたまはんひとびとおぼしやりて、えさはおきてたまはざりけるにや。
497.2.7584560 (いま)は、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(きた)(かた)こそは、()りたまふべければ、かの(みや)御料(ごれう)とも()ひつべくなりにたり。されば、ここながら(てら)になさむことは、便(びん)なかるべし。(こころ)にまかせてさもえせじ。(ところ)のさまもあまり(かは)づら(ちか)く、顕証(けせう)にもあれば、なほ寝殿(しんでん)(うしな)ひて、(こと)ざまにも(つく)()へむの(こころ)にてなむ」 いまは、ひゃうぶきゃうのみやきたかたこそは、りたまふべければ、かのみやごれうともひつべくなりにたり。されば、ここながらてらになさんことは、びんなかるべし。こころにまかせてさもえせじ。ところのさまもあまりかはづらちかく、けせうにもあれば、なほしんでんうしなひて、ことざまにもつくへんのこころにてなん。"
497.2.8585561 とのたまへば、 とのたまへば、
497.2.9586562 「とざまかうざまに、いともかしこく(たふと)御心(みこころ)なり。(むかし)(わか)れを(かな)しびて、(かばね)(つつ)みてあまたの年首(としくび)()けてはべりける(ひと)も、(ほとけ)御方便(おほんはうべん)にてなむ、かの(かばね)(ふくろ)()てて、つひに(ひじり)(みち)にも()りはべりにける。この寝殿(しんでん)御覧(ごらん)ずるにつけて、御心動(みこころうご)きおはしますらむ、(ひと)つにはたいだいしきことなり。また、(のち)()(すす)めともなるべきことにはべりけり。(いそ)(つか)うまつるべし。(こよみ)博士(はかせ)はからひ(まう)してはべらむ()(うけたまは)りて、もののゆゑ()りたらむ(たくみ)(ふたり)三人(みたり)(たま)はりて、こまかなることどもは、(ほとけ)御教(おほんをし)へのままに(つか)うまつらせはべらむ」 "とざまかうざまに、いともかしこくたふとみこころなり。むかしわかれをかなしびて、かばねつつみてあまたのとしくびけてはべりけるひとも、ほとけおほんはうべんにてなん、かのかばねふくろてて、つひにひじりみちにもりはべりにける。このしんでんごらんずるにつけて、みこころうごきおはしますらん、ひとつにはたいだいしきことなり。また、のちすすめともなるべきことにはべりけり。いそつかうまつるべし。こよみはかせはからひまうしてはべらんうけたまはりて、もののゆゑりたらんたくみふたりみたりたまはりて、こまかなることどもは、ほとけおほんをしへのままにつかうまつらせはべらん。"
497.2.10587563 (まう)す。とかくのたまひ(さだ)めて、御荘(みさう)(ひと)ども()して、このほどのことども、阿闍梨(あざり)()はむままにすべきよしなど(おほ)せたまふ。はかなく()れぬれば、その()はとどまりたまひぬ。 まうす。とかくのたまひさだめて、みさうひとどもして、このほどのことども、あざりはんままにすべきよしなどおほせたまふ。はかなくれぬれば、そのはとどまりたまひぬ。
497.3588564第三段 薫、弁の尼と語る
497.3.1589565 「このたびばかりこそ()め」と(おぼ)して、()ちめぐりつつ()たまへば、(ほとけ)(みな)かの(てら)(うつ)してければ、尼君(あまぎみ)(おこ)なひの()のみあり。いとはかなげに()まひたるを、あはれに、「いかにして()ぐすらむ」と()たまふ。 "このたびばかりこそめ。"とおぼして、ちめぐりつつたまへば、ほとけみなかのてらうつしてければ、あまぎみおこなひののみあり。いとはかなげにまひたるを、あはれに、"いかにしてぐすらん。"とたまふ。
497.3.2590566 「この寝殿(しんでん)は、()へて(つく)るべきやうあり。(つく)()でむほどは、かの(らう)にものしたまへ。(きゃう)(みや)にとり(わた)さるべきものなどあらば、(さう)人召(ひとめ)して、あるべからむやうにものしたまへ」 "このしんでんは、へてつくるべきやうあり。つくでんほどは、かのらうにものしたまへ。きゃうみやにとりわたさるべきものなどあらば、さうひとめして、あるべからんやうにものしたまへ。"
497.3.3591567 など、まめやかなることどもを(かた)らひたまふ。(ほか)にては、かばかりにさだ()ぎなむ(ひと)を、(なに)かと見入(みい)れたまふべきにもあらねど、(よる)(ちか)()せて、昔物語(むかしものがたり)などせさせたまふ。故権大納言(こごんだいなごん)(きみ)(おほん)ありさまも、()(ひと)なきに(こころ)やすくて、いとこまやかに()こゆ。 など、まめやかなることどもをかたらひたまふ。ほかにては、かばかりにさだぎなんひとを、なにかとみいれたまふべきにもあらねど、よるちかせて、むかしものがたりなどせさせたまふ。こごんだいなごんきみおほんありさまも、ひとなきにこころやすくて、いとこまやかにこゆ。
497.3.4592568 (いま)はとなりたまひしほどに、めづらしくおはしますらむ(おほん)ありさまを、いぶかしきものに(おも)ひきこえさせたまふめりし()けしきなどの(おも)ひたまへ()でらるるに、かく(おも)ひかけはべらぬ()(すゑ)に、かくて()たてまつりはべるなむ、かの御世(みよ)(むつ)ましく(つか)うまつりおきし(しるし)のおのづからはべりけると、うれしくも(かな)しくも(おも)ひたまへられはべる。心憂(こころう)(いのち)のほどにて、さまざまのことを()たまへ()ぐし、(おも)ひたまへ()りはべるなむ、いと()づかしく心憂(こころう)くはべる。 "いまはとなりたまひしほどに、めづらしくおはしますらんおほんありさまを、いぶかしきものにおもひきこえさせたまふめりしけしきなどのおもひたまへでらるるに、かくおもひかけはべらぬすゑに、かくてたてまつりはべるなん、かのみよむつましくつかうまつりおきししるしのおのづからはべりけると、うれしくもかなしくもおもひたまへられはべる。こころういのちのほどにて、さまざまのことをたまへぐし、おもひたまへりはべるなん、いとづかしくこころうくはべる。
497.3.5593569 (みや)よりも、時々(ときどき)(まゐ)りて()たてまつれ、おぼつかなく()()もり()てぬるは、こよなく(おも)(へだ)てけるなめりなど、のたまはする折々(をりをり)はべれど、ゆゆしき()にてなむ、阿弥陀仏(あみだぶつ)より(ほか)には、()たてまつらまほしき(ひと)もなくなりてはべる」 みやよりも、ときどきまゐりてたてまつれ、おぼつかなくもりてぬるは、こよなくおもへだてけるなめりなど、のたまはするをりをりはべれど、ゆゆしきにてなん、あみだぶつよりほかには、たてまつらまほしきひともなくなりてはべる。"
497.3.6594570 など()こゆ。故姫君(こひめぎみ)(おほん)ことども、はた()きせず、(とし)ごろの(おほん)ありさまなど(かた)りて、(なに)折何(をりなに)とのたまひし、花紅葉(はなもみぢ)(いろ)()ても、はかなく()みたまひける歌語(うたがた)りなどを、つきなからず、うちわななきたれど、こめかしく言少(ことずく)ななるものから、をかしかりける(ひと)御心(みこころ)ばへかなとのみ、いとど()()へたまふ。 などこゆ。こひめぎみおほんことども、はたきせず、としごろのおほんありさまなどかたりて、なにをりなにとのたまひし、はなもみぢいろても、はかなくみたまひけるうたがたりなどを、つきなからず、うちわななきたれど、こめかしくことずくななるものから、をかしかりけるひとみこころばへかなとのみ、いとどへたまふ。
497.3.7595571 (みや)御方(おほんかた)は、(いま)すこし(いま)めかしきものから、心許(こころゆる)さざらむ(ひと)のためには、はしたなくもてなしたまひつべくこそものしたまふめるを、(われ)にはいと心深(こころぶか)(なさ)(なさ)けしとは()えて、いかで()ごしてむ、とこそ(おも)ひたまへれ」 "みやおほんかたは、いますこしいまめかしきものから、こころゆるさざらんひとのためには、はしたなくもてなしたまひつべくこそものしたまふめるを、われにはいとこころぶかなさなさけしとはえて、いかでごしてん、とこそおもひたまへれ。"
497.3.8596572 など、(こころ)のうちに(おも)(くら)べたまふ。 など、こころのうちにおもくらべたまふ。
497.4597573第四段 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる
497.4.1598574 さて、もののついでに、かの形代(かたしろ)のことを()()でたまへり。 さて、もののついでに、かのかたしろのことをでたまへり。
497.4.2599575 (きゃう)に、このころ、はべらむとはえ()りはべらず。人伝(ひとづ)てに(うけたまは)りしことの(すぢ)ななり。故宮(こみや)の、まだかかる山里住(やまざとず)みもしたまはず、故北(こきた)(かた)()せたまへりけるほど(ちか)かりけるころ、中将(ちうじゃう)(きみ)とてさぶらひける上臈(じゃうらふ)の、(こころ)ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと(しの)びて、はかなきほどにもののたまはせける、()(ひと)もはべらざりけるに、女子(をんなご)をなむ()みてはべりけるを、さもやあらむ、と(おぼ)すことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに(おぼ)しなりて、またとも御覧(ごらん)()るることもなかりけり。 "きゃうに、このころ、はべらんとはえりはべらず。ひとづてにうけたまはりしことのすぢななり。こみやの、まだかかるやまざとずみもしたまはず、こきたかたせたまへりけるほどちかかりけるころ、ちうじゃうきみとてさぶらひけるじゃうらふの、こころばせなどもけしうはあらざりけるを、いとしのびて、はかなきほどにもののたまはせける、ひともはべらざりけるに、をんなごをなんみてはべりけるを、さもやあらん、とおぼすことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうにおぼしなりて、またともごらんるることもなかりけり。
497.4.3600576 あいなくそのことに(おぼ)()りて、やがておほかた(ひじり)にならせたまひにけるを、はしたなく(おも)ひて、えさぶらはずなりにけるが、陸奥国(みちのくに)(かみ)()になりたりけるを、一年上(ひととせのぼ)りて、その君平(きみたひ)らかにものしたまふよし、このわたりにもほのめかし(まう)したりけるを、()こしめしつけて、さらにかかる消息(せうそこ)あるべきことにもあらずと、のたまはせ(はな)ちければ、かひなくてなむ(なげ)きはべりける。 あいなくそのことにおぼりて、やがておほかたひじりにならせたまひにけるを、はしたなくおもひて、えさぶらはずなりにけるが、みちのくにかみになりたりけるを、ひととせのぼりて、そのきみたひらかにものしたまふよし、このわたりにもほのめかしまうしたりけるを、こしめしつけて、さらにかかるせうそこあるべきことにもあらずと、のたまはせはなちければ、かひなくてなんなげきはべりける。
497.4.4601577 さてまた、常陸(ひたち)になりて(くだ)りはべりにけるが、この(とし)ごろ、(おと)にも()こえたまはざりつるが、この春上(はるのぼ)りて、かの(みや)には(たづ)(まゐ)りたりけるとなむ、ほのかに()きはべりし。 さてまた、ひたちになりてくだりはべりにけるが、このとしごろ、おとにもこえたまはざりつるが、このはるのぼりて、かのみやにはたづまゐりたりけるとなん、ほのかにきはべりし。
497.4.5602578 かの(きみ)(とし)は、二十(はたち)ばかりになりたまひぬらむかし。いとうつくしく()()でたまふがかなしきなどこそ、(なか)ごろは、(ふみ)にさへ()(つづ)けてはべめりしか」 かのきみとしは、はたちばかりになりたまひぬらんかし。いとうつくしくでたまふがかなしきなどこそ、なかごろは、ふみにさへつづけてはべめりしか。"
497.4.6603579 ()こゆ。 こゆ。
497.4.7604580 (くは)しく()きあきらめたまひて、「さらば、まことにてもあらむかし。()ばや」と(おも)心出(こころい)()ぬ。 くはしくきあきらめたまひて、"さらば、まことにてもあらんかし。ばや。"とおもこころいぬ。
497.4.8605581 (むかし)(おほん)けはひに、かけても()れたらむ(ひと)は、()らぬ(くに)までも(たづ)()らまほしき(こころ)あるを、(かず)まへたまはざりけれど、(ちか)(ひと)にこそはあなれ。わざとはなくとも、このわたりにおとなふ(をり)あらむついでに、かくなむ()ひし、と(つた)へたまへ」 "むかしおほんけはひに、かけてもれたらんひとは、らぬくにまでもたづらまほしきこころあるを、かずまへたまはざりけれど、ちかひとにこそはあなれ。わざとはなくとも、このわたりにおとなふをりあらんついでに、かくなんひし、とつたへたまへ。"
497.4.9606582 などばかりのたまひおく。 などばかりのたまひおく。
497.4.10607583 母君(ははぎみ)は、故北(こきた)(かた)御姪(おほんめひ)なり。(べん)(はな)れぬ(なか)らひにはべるべきを、そのかみは他々(ほかほか)にはべりて、(くは)しくも()たまへ()れざりき。 "ははぎみは、こきたかたおほんめひなり。べんはなれぬなからひにはべるべきを、そのかみはほかほかにはべりて、くはしくもたまへれざりき。
497.4.11608584 さいつころ、(きゃう)より、大輔(たいふ)がもとより(まう)したりしは、かの(きみ)なむ、いかでかの御墓(みはか)にだに(まゐ)らむと、のたまふなる、さる(こころ)せよ、などはべりしかど、まだここに、さしはへてはおとなはずはべめり。(いま)、さらば、さやのついでに、かかる(おほ)せなど(つた)へはべらむ」 さいつころ、きゃうより、たいふがもとよりまうしたりしは、かのきみなん、いかでかのみはかにだにまゐらんと、のたまふなる、さるこころせよ、などはべりしかど、まだここに、さしはへてはおとなはずはべめり。いま、さらば、さやのついでに、かかるおほせなどつたへはべらん。"
497.4.12609585 ()こゆ。 こゆ。
497.5610586第五段 薫、二条院の中君に宇治訪問の報告
497.5.1611587 ()けぬれば(かへ)りたまはむとて、昨夜(よべ)(おく)れて()(まゐ)れる絹綿(きぬわた)などやうのもの、阿闍梨(あざり)(おく)らせたまふ。尼君(あまぎみ)にも(たま)ふ。法師(ほふし)ばら、尼君(あまぎみ)下衆(げす)どもの(れう)にとて、(ぬの)などいふものをさへ、()して()ぶ。心細(こころぼそ)()まひなれど、かかる御訪(おほんとぶ)らひたゆまざりければ、()のほどにはめやすく、しめやかにてなむ(おこ)なひける。 けぬればかへりたまはんとて、よべおくれてまゐれるきぬわたなどやうのもの、あざりおくらせたまふ。あまぎみにもたまふ。ほふしばら、あまぎみげすどものれうにとて、ぬのなどいふものをさへ、してぶ。こころぼそまひなれど、かかるおほんとぶらひたゆまざりければ、のほどにはめやすく、しめやかにてなんおこなひける。
497.5.2612589 木枯(こがら)しの()へがたきまで()きとほしたるに、(のこ)(こずゑ)もなく()()きたる紅葉(もみぢ)を、()()けける(あと)()えぬを見渡(みわた)して、とみにもえ()でたまはず。いとけしきある深山木(みやまぎ)宿(やど)りたる(つた)(いろ)ぞまだ(のこ)りたる。こだになどすこし()()らせたまひて、(みや)へと(おぼ)しくて、()たせたまふ。 こがらしのへがたきまできとほしたるに、のここずゑもなくきたるもみぢを、けけるあとえぬをみわたして、とみにもえでたまはず。いとけしきあるみやまぎやどりたるつたいろぞまだのこりたる。こだになどすこしらせたまひて、みやへとおぼしくて、たせたまふ。
497.5.3613590 宿(やど)()(おも)()でずは()のもとの<BR/>旅寝(たびね)もいかにさびしからまし」 "〔やどおもでずはのもとの<BR/>たびねもいかにさびしからまし〕
497.5.4614591 (ひと)りごちたまふを()きて、尼君(あまぎみ) ひとりごちたまふをきて、あまぎみ
497.5.5615592 ()()つる朽木(くちき)のもとを宿(やど)りきと<BR/>(おも)ひおきけるほどの(かな)しさ」 "〔つるくちきのもとをやどりきと<BR/>おもひおきけるほどのかなしさ〕
497.5.6616593 あくまで(ふる)めきたれど、ゆゑなくはあらぬをぞ、いささかの(なぐさ)めには(おぼ)しける。 あくまでふるめきたれど、ゆゑなくはあらぬをぞ、いささかのなぐさめにはおぼしける。
497.5.7617594 (みや)紅葉(もみぢ)たてまつれたまへれば、男宮(をとこみや)おはしましけるほどなりけり。 みやもみぢたてまつれたまへれば、をとこみやおはしましけるほどなりけり。
497.5.8618595 (みなみ)(みや)より」 "みなみみやより。"
497.5.9619596 とて、何心(なにごころ)もなく()(まゐ)りたるを、女君(をんなぎみ)、「(れい)のむつかしきこともこそ」と(くる)しく(おぼ)せど、()(かく)さむやは。(みや) とて、なにごころもなくまゐりたるを、をんなぎみ、"れいのむつかしきこともこそ。"とくるしくおぼせど、かくさんやは。みや
497.5.10620597 「をかしき(つた)かな」 "をかしきつたかな。"
497.5.11621598 と、ただならずのたまひて、()()せて()たまふ。御文(おほんふみ)には、 と、ただならずのたまひて、せてたまふ。おほんふみには、
497.5.12622599 ()ごろ、何事(なにごと)かおはしますらむ。山里(やまざと)にものしはべりて、いとど(みね)朝霧(あさぎり)(まど)ひはべりつる御物語(おほんものがたり)も、みづからなむ。かしこの寝殿(しんでん)(だう)になすべきこと、阿闍梨(あざり)()ひつけはべりにき。御許(おほんゆる)しはべりてこそは、(ほか)(うつ)すこともものしはべらめ。(べん)(あま)に、さるべき(おほ)(ごと)はつかはせ」 "ごろ、なにごとかおはしますらん。やまざとにものしはべりて、いとどみねあさぎりまどひはべりつるおほんものがたりも、みづからなん。かしこのしんでんだうになすべきこと、あざりひつけはべりにき。おほんゆるしはべりてこそは、ほかうつすこともものしはべらめ。べんあまに、さるべきおほごとはつかはせ。"
497.5.13623600 などぞある。 などぞある。
497.5.14624601 「よくも、つれなく()きたまへる(ふみ)かな。まろありとぞ()きつらむ」 "よくも、つれなくきたまへるふみかな。まろありとぞきつらん。"
497.5.15625602 とのたまふも、すこしは、げにさやありつらむ。女君(をんなぎみ)は、ことなきをうれしと(おも)ひたまふに、あながちにかくのたまふを、わりなしと(おぼ)して、うち(ゑん)じてゐたまへる(おほん)さま、よろづの罪許(つみゆる)しつべくをかし。 とのたまふも、すこしは、げにさやありつらん。をんなぎみは、ことなきをうれしとおもひたまふに、あながちにかくのたまふを、わりなしとおぼして、うちゑんじてゐたまへるおほんさま、よろづのつみゆるしつべくをかし。
497.5.16626603 (かへ)事書(ごとか)きたまへ。()じや」 "かへごとかきたまへ。じや。"
497.5.17627604 とて、(ほか)ざまに()きたまへり。あまえて()かざらむもあやしければ、 とて、ほかざまにきたまへり。あまえてかざらんもあやしければ、
497.5.18628605 山里(やまざと)(おほん)ありきのうらやましくもはべるかな。かしこは、げにさやにてこそよく、と(おも)ひたまへしを、ことさらにまた(いはほ)中求(なかもと)めむよりは、()らし()つまじく(おも)ひはべるを、いかにもさるべきさまになさせたまはば、おろかならずなむ」 "やまざとおほんありきのうらやましくもはべるかな。かしこは、げにさやにてこそよく、とおもひたまへしを、ことさらにまたいはほなかもとめんよりは、らしつまじくおもひはべるを、いかにもさるべきさまになさせたまはば、おろかならずなん。"
497.5.19629606 ()こえたまふ。「かく(にく)きけしきもなき御睦(おほんむつ)びなめり」と()たまひながら、わが御心(みこころ)ならひに、ただならじと(おぼ)すが、やすからぬなるべし。 こえたまふ。"かくにくきけしきもなきおほんむつびなめり。"とたまひながら、わがみこころならひに、ただならじとおぼすが、やすからぬなるべし。
497.6630607第六段 匂宮、中君の前で琵琶を弾く
497.6.1631608 ()()れなる前栽(せんさい)(なか)に、尾花(をばな)の、ものよりことにて()をさし()(まね)くがをかしく()ゆるに、まだ()()でさしたるも、(つゆ)(つらぬ)きとむる(たま)()、はかなげにうちなびきたるなど、(れい)のことなれど、夕風(ゆふかぜ)なほあはれなるころなりかし。 れなるせんさいなかに、をばなの、ものよりことにてをさしまねくがをかしくゆるに、まだでさしたるも、つゆつらぬきとむるたま、はかなげにうちなびきたるなど、れいのことなれど、ゆふかぜなほあはれなるころなりかし。
497.6.2632609 ()()でぬもの(おも)ふらし篠薄(しのすすき)<BR/>(まね)(たもと)(つゆ)しげくして」 "〔でぬものおもふらししのすすき<BR/>まねたもとつゆしげくして〕
497.6.3633610 なつかしきほどの御衣(おほんぞ)どもに、直衣(なほし)ばかり()たまひて、琵琶(びわ)()きゐたまへり。黄鐘調(わうしきでう)()()はせを、いとあはれに()きなしたまへば、女君(をんなぎみ)(こころ)()りたまへることにて、もの(ゑん)じもえし()てたまはず、(ちひ)さき御几帳(みきちゃう)のつまより、脇息(けふそく)()りかかりて、ほのかにさし()でたまへる、いと()まほしくらうたげなり。 なつかしきほどのおほんぞどもに、なほしばかりたまひて、びわきゐたまへり。わうしきでうはせを、いとあはれにきなしたまへば、をんなぎみこころりたまへることにて、ものゑんじもえしてたまはず、ちひさきみきちゃうのつまより、けふそくりかかりて、ほのかにさしでたまへる、いとまほしくらうたげなり。
497.6.4634611 秋果(あきは)つる野辺(のべ)のけしきも篠薄(しのすすき)<BR/>ほのめく(かぜ)につけてこそ() "〔あきはつるのべのけしきもしのすすき<BR/>ほのめくかぜにつけてこそ
497.6.5635612 わが身一(みひと)つの」 わがみひとつの。"
497.6.6636613 とて(なみだ)ぐまるるが、さすがに()づかしければ、(あふぎ)(まぎ)らはしておはする御心(みこころ)(うち)も、らうたく()(はか)らるれど、「かかるにこそ、(ひと)もえ(おも)(はな)たざらめ」と、(うたが)はしきがただならで、(うら)めしきなめり。 とてなみだぐまるるが、さすがにづかしければ、あふぎまぎらはしておはするみこころうちも、らうたくはからるれど、"かかるにこそ、ひともえおもはなたざらめ。"と、うたがはしきがただならで、うらめしきなめり。
497.6.7637614 (きく)の、まだよく(うつ)ろひ()てで、わざとつくろひたてさせたまへるは、なかなか(おそ)きに、いかなる一本(ひともと)にかあらむ、いと見所(みどころ)ありて(うつ)ろひたるを、()()きて()らせたまひて、 きくの、まだよくうつろひてで、わざとつくろひたてさせたまへるは、なかなかおそきに、いかなるひともとにかあらん、いとみどころありてうつろひたるを、きてらせたまひて、
497.6.8638615 (はな)(なか)(ひとへ)に」 "〔はななかひとへに〕
497.6.9639616 ()じたまひて、 じたまひて、
497.6.10640617 「なにがしの皇子(みこ)の、(はな)めでたる(ゆふ)べぞかし。いにしへ、天人(てんにん)(かけ)りて、琵琶(びわ)手教(てをし)へけるは。何事(なにごと)(あさ)くなりにたる()は、もの()しや」 "なにがしのみこの、はなめでたるゆふべぞかし。いにしへ、てんにんかけりて、びわてをしへけるは。なにごとあさくなりにたるは、ものしや。"
497.6.11641618 とて、御琴(おほんこと)さし()きたまふを、口惜(くちを)しと(おぼ)して、 とて、おほんことさしきたまふを、くちをしとおぼして、
497.6.12642619 (こころ)こそ(あさ)くもあらめ、(むかし)(つた)へたらむことさへは、などてかさしも」 "こころこそあさくもあらめ、むかしつたへたらんことさへは、などてかさしも。"
497.6.13643620 とて、おぼつかなき()などをゆかしげに(おぼ)したれば、 とて、おぼつかなきなどをゆかしげにおぼしたれば、
497.6.14644621 「さらば、(ひと)(ごと)はさうざうしきに、さしいらへしたまへかし」 "さらば、ひとごとはさうざうしきに、さしいらへしたまへかし。"
497.6.15645622 とて、人召(ひとめ)して、(さう)御琴(おほんこと)とり()せさせて、()かせたてまつりたまへど、 とて、ひとめして、さうおほんこととりせさせて、かせたてまつりたまへど、
497.6.16646623 (むかし)こそ、まねぶ(ひと)もものしたまひしか、はかばかしく()きもとめずなりにしものを」 "むかしこそ、まねぶひともものしたまひしか、はかばかしくきもとめずなりにしものを。"
497.6.17647624 と、つつましげにて()()れたまはねば、 と、つつましげにてれたまはねば、
497.6.18648625 「かばかりのことも、(へだ)てたまへるこそ心憂(こころう)けれ。このころ、()るわたり、まだいと心解(こころと)くべきほどにもあらねど、かたなりなる初事(うひごと)をも(かく)さずこそあれ。すべて(をんな)は、やはらかに(こころ)うつくしきなむよきこととこそ、その中納言(ちうなごん)(さだ)むめりしか。かの(きみ)に、はた、かくもつつみたまはじ。こよなき御仲(おほんなか)なめれば」 "かばかりのことも、へだてたまへるこそこころうけれ。このころ、るわたり、まだいとこころとくべきほどにもあらねど、かたなりなるうひごとをもかくさずこそあれ。すべてをんなは、やはらかにこころうつくしきなんよきこととこそ、そのちうなごんさだむめりしか。かのきみに、はた、かくもつつみたまはじ。こよなきおほんなかなめれば。"
497.6.19649626 など、まめやかに(うら)みられてぞ、うち(なげ)きてすこし調(しら)べたまふ。ゆるびたりければ、盤渉調(ばんしきでう)()はせたまふ。()()はせなど、爪音(つまおと)けをかしげに()こゆ。「伊勢(いせ)(うみ)(うた)ひたまふ御声(おほんこゑ)のあてにをかしきを、女房(にょうばう)も、(もの)のうしろに(ちか)づき(まゐ)りて、()(ひろ)ごりてゐたり。 など、まめやかにうらみられてぞ、うちなげきてすこししらべたまふ。ゆるびたりければ、ばんしきでうはせたまふ。はせなど、つまおとけをかしげにこゆ。〔いせうみうたひたまふおほんこゑのあてにをかしきを、にょうばうも、もののうしろにちかづきまゐりて、ひろごりてゐたり。
497.6.20650627 二心(ふたごころ)おはしますはつらけれど、それもことわりなれば、なほわが御前(おまへ)をば、(さいは)(びと)とこそは(まう)さめ。かかる(おほん)ありさまに()じらひたまふべくもあらざりし(ところ)御住(おほんす)まひを、また(かへ)りなまほしげに(おぼ)して、のたまはするこそ、いと心憂(こころう)けれ」 "ふたごころおはしますはつらけれど、それもことわりなれば、なほわがおまへをば、さいはびととこそはまうさめ。かかるおほんありさまにじらひたまふべくもあらざりしところおほんすまひを、またかへりなまほしげにおぼして、のたまはするこそ、いとこころうけれ。"
497.6.21651628 など、ただ()ひに()へば、(わか)(ひと)びとは、 など、ただひにへば、わかひとびとは、
497.6.22652629 「あなかまや」 "あなかまや。"
497.6.23653630 など(せい)す。 などせいす。
497.7654631第七段 夕霧、匂宮を強引に六条院へ迎え取る
497.7.1655632 御琴(おほんこと)ども(をし)へたてまつりなどして、(みか)四日籠(よかこ)もりおはして、御物忌(おほんものいみ)などことつけたまふを、かの殿(との)には(うら)めしく(おぼ)して、大臣(おとど)内裏(うち)より()でたまひけるままに、ここに(まゐ)りたまへれば、(みや) おほんことどもをしへたてまつりなどして、みかよかこもりおはして、おほんものいみなどことつけたまふを、かのとのにはうらめしくおぼして、おとどうちよりでたまひけるままに、ここにまゐりたまへれば、みや
497.7.2656633 「ことことしげなるさまして、(なに)しにいましつるぞとよ」 "ことことしげなるさまして、なにしにいましつるぞとよ。"
497.7.3657634 と、むつかりたまへど、あなたに(わた)りたまひて、対面(たいめん)したまふ。 と、むつかりたまへど、あなたにわたりたまひて、たいめんしたまふ。
497.7.4658635 「ことなることなきほどは、この(ゐん)()(ひさ)しくなりはべるも、あはれにこそ」 "ことなることなきほどは、このゐんひさしくなりはべるも、あはれにこそ。"
497.7.5659636 など、(むかし)御物語(おほんものがたり)どもすこし()こえたまひて、やがて()()れきこえたまひて()でたまひぬ。御子(みこ)どもの殿(との)ばら、さらぬ上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)なども、いと(おほ)くひき(つづ)きたまへる(いきほ)ひ、こちたきを()るに、(なら)ぶべくもあらぬぞ、()しいたかりける。(ひと)びと(のぞ)きて()たてまつりて、 など、むかしおほんものがたりどもすこしこえたまひて、やがてれきこえたまひてでたまひぬ。みこどものとのばら、さらぬかんだちめてんじゃうびとなども、いとおほくひきつづきたまへるいきほひ、こちたきをるに、ならぶべくもあらぬぞ、しいたかりける。ひとびとのぞきてたてまつりて、
497.7.6660637 「さもきよらにおはしける大臣(おとど)かな。さばかり、いづれとなく、(わか)(さか)りにてきよげにおはさうずる御子(みこ)どもの、()たまふべきもなかりけり。あな、めでたや」 "さもきよらにおはしけるおとどかな。さばかり、いづれとなく、わかさかりにてきよげにおはさうずるみこどもの、たまふべきもなかりけり。あな、めでたや。"
497.7.7661638 ()ふもあり。また、 ふもあり。また、
497.7.8662639 「さばかりやむごとなげなる(おほん)さまにて、わざと(むか)へに(まゐ)りたまへるこそ(にく)けれ。やすげなの()(なか)や」 "さばかりやんごとなげなるおほんさまにて、わざとむかへにまゐりたまへるこそにくけれ。やすげなのなかや。"
497.7.9663640 など、うち(なげ)くもあるべし。(おほん)みづからも、()(かた)(おも)()づるよりはじめ、かのはなやかなる御仲(おほんなか)らひに()ちまじるべくもあらず、かすかなる()のおぼえをと、いよいよ心細(こころぼそ)ければ、「なほ(こころ)やすく()もりゐなむのみこそ()やすからめ」など、いとどおぼえたまふ。はかなくて(とし)()れぬ。 など、うちなげくもあるべし。おほんみづからも、かたおもづるよりはじめ、かのはなやかなるおほんなからひにちまじるべくもあらず、かすかなるのおぼえをと、いよいよこころぼそければ、"なほこころやすくもりゐなんのみこそやすからめ。"など、いとどおぼえたまふ。はかなくてとしれぬ。
498664641第八章 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁
498.1665642第一段 新年、薫権大納言兼右大将に昇進
498.1.1666643 正月晦日方(しゃうがちつごもりがた)より、(れい)ならぬさまに(なや)みたまふを、(みや)、まだ御覧(ごらん)()らぬことにて、いかならむと、(おぼ)(なげ)きて、御修法(みすほふ)など、所々(ところどころ)にてあまたせさせたまふに、またまた(はじ)()へさせたまふ。いといたくわづらひたまへば、(きさい)(みや)よりも御訪(おほんとぶ)らひあり。 しゃうがちつごもりがたより、れいならぬさまになやみたまふを、みや、まだごらんらぬことにて、いかならんと、おぼなげきて、みすほふなど、ところどころにてあまたせさせたまふに、またまたはじへさせたまふ。いといたくわづらひたまへば、きさいみやよりもおほんとぶらひあり。
498.1.2667644 かくて三年(みとせ)になりぬれど、一所(ひとところ)御心(みこころ)ざしこそおろかならね、おほかたの()には、ものものしくももてなしきこえたまはざりつるを、この(をり)ぞ、いづこにもいづこにも()こしめしおどろきて、御訪(おほんと)ぶらひども()こえたまひける。 かくてみとせになりぬれど、ひとところみこころざしこそおろかならね、おほかたのには、ものものしくももてなしきこえたまはざりつるを、このをりぞ、いづこにもいづこにもこしめしおどろきて、おほんとぶらひどもこえたまひける。
498.1.3668645 中納言(ちうなごん)(きみ)は、(みや)(おぼ)(さわ)ぐに(おと)らず、いかにおはせむと(なげ)きて、心苦(こころぐる)しくうしろめたく(おぼ)さるれど、(かぎ)りある御訪(おほんとぶ)らひばかりこそあれ、あまりもえ()うでたまはで、(しの)びてぞ御祈(おほんいの)りなどもせさせたまひける。 ちうなごんきみは、みやおぼさわぐにおとらず、いかにおはせんとなげきて、こころぐるしくうしろめたくおぼさるれど、かぎりあるおほんとぶらひばかりこそあれ、あまりもえうでたまはで、しのびてぞおほんいのりなどもせさせたまひける。
498.1.4669646 さるは、女二(をんなに)(みや)御裳着(おほんもぎ)、ただこのころになりて、()中響(なかひび)きいとなみののしる。よろづのこと、(みかど)御心一(みこころひと)つなるやうに(おぼ)(いそ)げば、御後見(おほんうしろみ)なきしもぞ、なかなかめでたげに()えける。 さるは、をんなにみやおほんもぎ、ただこのころになりて、なかひびきいとなみののしる。よろづのこと、みかどみこころひとつなるやうにおぼいそげば、おほんうしろみなきしもぞ、なかなかめでたげにえける。
498.1.5670647 女御(にょうご)のしおきたまへることをばさるものにて、作物所(つくもどころ)、さるべき受領(ずりゃう)どもなど、とりどりに(つか)うまつることども、いと(かぎ)りなしや。 にょうごのしおきたまへることをばさるものにて、つくもどころ、さるべきずりゃうどもなど、とりどりにつかうまつることども、いとかぎりなしや。
498.1.6671648 やがてそのほどに、(まゐ)りそめたまふべきやうにありければ、男方(をとこがた)(こころ)づかひしたまふころなれど、(れい)のことなれば、そなたざまには(こころ)()らで、この御事(おほんこと)のみいとほしく(なげ)かる。 やがてそのほどに、まゐりそめたまふべきやうにありければ、をとこがたこころづかひしたまふころなれど、れいのことなれば、そなたざまにはこころらで、このおほんことのみいとほしくなげかる。
498.1.7672649 如月(きさらぎ)朔日(ついたち)ごろに、直物(なほしもの)とかいふことに、権大納言(ごんだいなごん)になりたまひて、右大将(うだいしゃう)かけたまひつ。(みぎ)大殿(おほいどの)(ひだり)にておはしけるが、()したまへる(ところ)なりけり。 きさらぎついたちごろに、なほしものとかいふことに、ごんだいなごんになりたまひて、うだいしゃうかけたまひつ。みぎおほいどのひだりにておはしけるが、したまへるところなりけり。
498.1.8673650 (よろこ)びに所々(ところどころ)ありきたまひて、この(みや)にも(まゐ)りたまへり。いと(くる)しくしたまへば、こなたにおはしますほどなりければ、やがて(まゐ)りたまへり。(そう)などさぶらひて便(びん)なき(かた)に、とおどろきたまひて、あざやかなる御直衣(おほんなほし)御下襲(おほんしたがさね)などたてまつり、ひきつくろひたまひて、()りて(たふ)(はい)したまふ(おほん)さまどもとりどりにいとめでたく、 よろこびにところどころありきたまひて、このみやにもまゐりたまへり。いとくるしくしたまへば、こなたにおはしますほどなりければ、やがてまゐりたまへり。そうなどさぶらひてびんなきかたに、とおどろきたまひて、あざやかなるおほんなほしおほんしたがさねなどたてまつり、ひきつくろひたまひて、りてたふはいしたまふおほんさまどもとりどりにいとめでたく、
498.1.9674651 「やがて、(つかさ)禄賜(ろくたま)(あるじ)(ところ)に」 "やがて、つかさろくたまあるじところに。"
498.1.10675652 と、(さう)じたてまつりたまふを、(なや)みたまふ(ひと)によりてぞ、(おぼ)したゆたひたまふめる。右大臣殿(うだいじんどの)のしたまひけるままにとて、六条(ろくでう)(ゐん)にてなむありける。 と、さうじたてまつりたまふを、なやみたまふひとによりてぞ、おぼしたゆたひたまふめる。うだいじんどののしたまひけるままにとて、ろくでうゐんにてなんありける。
498.1.11676653 垣下(ゑんが)親王(みこ)たち上達部(かんだちめ)大饗(だいきゃう)(おと)らず、あまり(さわ)がしきまでなむ(つど)ひたまひける。この(みや)(わた)りたまひて、静心(しづこころ)なければ、まだ事果(ことは)てぬに(いそ)(かへ)りたまひぬるを、大殿(おほとの)御方(おほんかた)には、 ゑんがみこたちかんだちめだいきゃうおとらず、あまりさわがしきまでなんつどひたまひける。このみやわたりたまひて、しづこころなければ、まだことはてぬにいそかへりたまひぬるを、おほとのおほんかたには、
498.1.12677654 「いと()かずめざまし」 "いとかずめざまし。"
498.1.13678655 とのたまふ。(おと)るべくもあらぬ(おほん)ほどなるを、ただ(いま)のおぼえのはなやかさに(おぼ)しおごりて、おしたちもてなしたまへるなめりかし。 とのたまふ。おとるべくもあらぬおほんほどなるを、ただいまのおぼえのはなやかさにおぼしおごりて、おしたちもてなしたまへるなめりかし。
498.2679656第二段 中君に男子誕生
498.2.1680657 からうして、その(あかつき)(をとこ)にて()まれたまへるを、(みや)もいとかひありてうれしく(おぼ)したり。大将殿(だいしゃうどの)も、(よろこ)びに()へて、うれしく(おぼ)す。昨夜(よべ)おはしましたりしかしこまりに、やがて、この御喜(おほんよろこ)びもうち()へて、()ちながら(まゐ)りたまへり。かく()もりおはしませば、(まゐ)りたまはぬ(ひと)なし。 からうして、そのあかつきをとこにてまれたまへるを、みやもいとかひありてうれしくおぼしたり。だいしゃうどのも、よろこびにへて、うれしくおぼす。よべおはしましたりしかしこまりに、やがて、このおほんよろこびもうちへて、ちながらまゐりたまへり。かくもりおはしませば、まゐりたまはぬひとなし。
498.2.2681658 御産養(おほんうぶやしなひ)三日(みか)は、(れい)のただ(みや)御私事(おほんわたくしごと)にて、五日(いつか)()大将殿(だいしゃうどの)より屯食五十具(とんじきごじふぐ)碁手(ごて)(ぜに)椀飯(わうばん)などは、()(つね)のやうにて、子持(こも)ちの御前(おまへ)衝重三十(ついがさねさんじふ)稚児(ちご)御衣五重襲(おほんぞいつへがさね)にて、御襁褓(おほんむつき)などぞ、ことことしからず、(しの)びやかにしなしたまへれど、こまかに()れば、わざと目馴(めな)れぬ(こころ)ばへなど()えける。 おほんうぶやしなひみかは、れいのただみやおほんわたくしごとにて、いつかだいしゃうどのよりとんじきごじふぐごてぜにわうばんなどは、つねのやうにて、こもちのおまへついがさねさんじふちごおほんぞいつへがさねにて、おほんむつきなどぞ、ことことしからず、しのびやかにしなしたまへれど、こまかにれば、わざとめなれぬこころばへなどえける。
498.2.3682660 (みや)御前(おまへ)にも浅香(せんかう)折敷(をしき)高坏(たかつき)どもにて、粉熟参(ふずくまゐ)らせたまへり。女房(にょうばう)御前(おまへ)には、衝重(ついがさね)をばさるものにて、桧破籠三十(ひわりごさんじふ)、さまざまし()くしたることどもあり。人目(ひとめ)にことことしくは、ことさらにしなしたまはず。 みやおまへにもせんかうをしきたかつきどもにて、ふずくまゐらせたまへり。にょうばうおまへには、ついがさねをばさるものにて、ひわりごさんじふ、さまざましくしたることどもあり。ひとめにことことしくは、ことさらにしなしたまはず。
498.2.4683661 七日(しちにち)()は、(きさい)(みや)御産養(おほんうぶやしなひ)なれば、(まゐ)りたまふ(ひと)びといと(おほ)かり。(みや)大夫(だいぶ)をはじめて、殿上人(てんじゃうびと)上達部(かんだちめ)数知(かずし)らず(まゐ)りたまへり。内裏(うち)にも()こし()して、 しちにちは、きさいみやおほんうぶやしなひなれば、まゐりたまふひとびといとおほかり。みやだいぶをはじめて、てんじゃうびとかんだちめかずしらずまゐりたまへり。うちにもこしして、
498.2.5684662 (みや)のはじめて大人(おとな)びたまふなるには、いかでか」 "みやのはじめておとなびたまふなるには、いかでか。"
498.2.6685663 とのたまはせて、御佩刀奉(みはかしたてまつ)らせたまへり。 とのたまはせて、みはかしたてまつらせたまへり。
498.2.7686664 九日(ここぬか)も、大殿(おほいどの)より(つか)うまつらせたまへり。よろしからず(おぼ)すあたりなれど、(みや)(おぼ)さむところあれば、御子(みこ)公達(きんだち)など(まゐ)りたまひて、すべていと(おも)ふことなげにめでたければ、(おほん)みづからも、(つき)ごろもの(おも)はしく心地(ここち)(なや)ましきにつけても、心細(こころぼそ)(おぼ)したりつるに、かくおもだたしく(いま)めかしきことどもの(おほ)かれば、すこし(なや)みもやしたまふらむ。 ここぬかも、おほいどのよりつかうまつらせたまへり。よろしからずおぼすあたりなれど、みやおぼさんところあれば、みこきんだちなどまゐりたまひて、すべていとおもふことなげにめでたければ、おほんみづからも、つきごろものおもはしくここちなやましきにつけても、こころぼそおぼしたりつるに、かくおもだたしくいまめかしきことどものおほかれば、すこしなやみもやしたまふらん。
498.2.8687665 大将殿(だいしゃうどの)は、「かくさへ大人(おとな)()てたまふめれば、いとどわが(かた)ざまは気遠(けどほ)くやならむ。また、(みや)御心(みこころ)ざしもいとおろかならじ」と(おも)ふは口惜(くちを)しけれど、また、(はじ)めよりの(こころ)おきてを(おも)ふには、いとうれしくもあり。 だいしゃうどのは、"かくさへおとなてたまふめれば、いとどわがかたざまはけどほくやならん。また、みやみこころざしもいとおろかならじ。"とおもふはくちをしけれど、また、はじめよりのこころおきてをおもふには、いとうれしくもあり。
498.3688666第三段 二月二十日過ぎ、女二の宮、薫に降嫁す
498.3.1689667 かくて、その(つき)二十日(はつか)あまりにぞ、藤壺(ふぢつぼ)(みや)御裳着(おほんもぎ)(こと)ありて、またの()なむ、大将参(だいしゃうまゐ)りたまひける。()のことは(しの)びたるさまなり。(あめ)下響(したひび)きていつくしう()えつる(おほん)かしづきに、ただ(うど)()したてまつりたまふぞ、なほ()かず心苦(こころぐる)しく()ゆる。 かくて、そのつきはつかあまりにぞ、ふぢつぼみやおほんもぎことありて、またのなん、だいしゃうまゐりたまひける。のことはしのびたるさまなり。あめしたひびきていつくしうえつるおほんかしづきに、ただうどしたてまつりたまふぞ、なほかずこころぐるしくゆる。
498.3.2690668 「さる御許(おほんゆる)しはありながらも、ただ(いま)、かく(いそ)がせたまふまじきことぞかし」 "さるおほんゆるしはありながらも、ただいま、かくいそがせたまふまじきことぞかし。"
498.3.3691669 と、そしらはしげに(おも)ひのたまふ(ひと)もありけれど、(おぼ)()ちぬること、すがすがしくおはします御心(みこころ)にて、()(かた)ためしなきまで、(おな)じくはもてなさむと、(おぼ)しおきつるなめり。(みかど)御婿(おほんむこ)になる(ひと)は、(むかし)(いま)(おほ)かれど、かく(さか)りの御世(みよ)に、ただ(うど)のやうに、婿取(むこど)(いそ)がせたまへるたぐひは、すくなくやありけむ。(みぎ)大臣(おとど)も、 と、そしらはしげにおもひのたまふひともありけれど、おぼちぬること、すがすがしくおはしますみこころにて、かたためしなきまで、おなじくはもてなさんと、おぼしおきつるなめり。みかどおほんむこになるひとは、むかしいまおほかれど、かくさかりのみよに、ただうどのやうに、むこどいそがせたまへるたぐひは、すくなくやありけん。みぎおとども、
498.3.4692670 「めづらしかりける(ひと)(おほん)おぼえ、宿世(すくせ)なり。故院(こゐん)だに、朱雀院(すざくゐん)御末(おほんすゑ)にならせたまひて、(いま)はとやつしたまひし(きは)にこそ、かの母宮(ははみや)()たてまつりたまひしか。(われ)はまして、(ひと)(ゆる)さぬものを(ひろ)ひたりしや」 "めづらしかりけるひとおほんおぼえ、すくせなり。こゐんだに、すざくゐんおほんすゑにならせたまひて、いまはとやつしたまひしきはにこそ、かのははみやたてまつりたまひしか。われはまして、ひとゆるさぬものをひろひたりしや。"
498.3.5693671 とのたまひ()づれば、(みや)は、げにと(おぼ)すに、()づかしくて(おほん)いらへもえしたまはず。 とのたまひづれば、みやは、げにとおぼすに、づかしくておほんいらへもえしたまはず。
498.3.6694672 三日(みか)()は、大蔵卿(おほくらきゃう)よりはじめて、かの御方(おほんかた)心寄(こころよ)せになさせたまへる(ひと)びと、家司(けいし)(おほ)言賜(ごとたま)ひて、(しの)びやかなれど、かの御前(ごぜん)随身(ずいじん)車副(くるまぞひ)舎人(とねり)まで禄賜(ろくたま)はす。そのほどの(こと)どもは、私事(わたくしごと)のやうにぞありける。 みかは、おほくらきゃうよりはじめて、かのおほんかたこころよせになさせたまへるひとびと、けいしおほごとたまひて、しのびやかなれど、かのごぜんずいじんくるまぞひとねりまでろくたまはす。そのほどのことどもは、わたくしごとのやうにぞありける。
498.3.7695673 かくて(のち)は、(しの)(しの)びに(まゐ)りたまふ。(こころ)(うち)には、なほ(わす)れがたきいにしへざまのみおぼえて、(ひる)(さと)()()(なが)()らして、()るれば(こころ)より(ほか)(いそ)(まゐ)りたまふをも、ならはぬ心地(ここち)に、いともの()(くる)しくて、「まかでさせたてまつらむ」とぞ(おぼ)しおきてける。 かくてのちは、しのしのびにまゐりたまふ。こころうちには、なほわすれがたきいにしへざまのみおぼえて、ひるさとながらして、るればこころよりほかいそまゐりたまふをも、ならはぬここちに、いとものくるしくて、"まかでさせたてまつらん。"とぞおぼしおきてける。
498.3.8696674 母宮(ははみや)は、いとうれしきことに(おぼ)したり。おはします寝殿譲(しんでんゆづ)りきこゆべくのたまへど、 ははみやは、いとうれしきことにおぼしたり。おはしますしんでんゆづりきこゆべくのたまへど、
498.3.9697675 「いとかたじけなからむ」 "いとかたじけなからん。"
498.3.10698676 とて、御念誦堂(おほんねんずだう)のあはひに、(らう)(つづ)けて(つく)らせたまふ。西面(にしおもて)(うつ)ろひたまふべきなめり。(ひんがし)(たい)どもなども、()けて(のち)、うるはしく(あたら)しくあらまほしきを、いよいよ(みが)()へつつ、こまかにしつらはせたまふ。 とて、おほんねんずだうのあはひに、らうつづけてつくらせたまふ。にしおもてうつろひたまふべきなめり。ひんがしたいどもなども、けてのち、うるはしくあたらしくあらまほしきを、いよいよみがへつつ、こまかにしつらはせたまふ。
498.3.11699677 かかる御心(みこころ)づかひを、内裏(うち)にも()かせたまひて、ほどなくうちとけ(うつ)ろひたまはむを、いかがと(おぼ)したり。(みかど)()こゆれど、(こころ)(やみ)(おな)じごとなむおはしましける。 かかるみこころづかひを、うちにもかせたまひて、ほどなくうちとけうつろひたまはんを、いかがとおぼしたり。みかどこゆれど、こころやみおなじごとなんおはしましける。
498.3.12700678 母宮(ははみや)(おほん)もとに、御使(おほんつかひ)ありける御文(おほんふみ)にも、ただこのことをなむ()こえさせたまひける。故朱雀院(こすざくゐん)の、()()きて、この尼宮(あまみや)御事(おほんこと)をば()こえ()かせたまひしかば、かく()(そむ)きたまへれど、(おとろ)へず、何事(なにごと)(もと)のままにて、(そう)せさせたまふことなどは、かならず()こしめし()れ、御用意深(おほんよういふか)かりけり。 ははみやおほんもとに、おほんつかひありけるおほんふみにも、ただこのことをなんこえさせたまひける。こすざくゐんの、きて、このあまみやおほんことをばこえかせたまひしかば、かくそむきたまへれど、おとろへず、なにごともとのままにて、そうせさせたまふことなどは、かならずこしめしれ、おほんよういふかかりけり。
498.3.13701679 かく、やむごとなき御心(みこころ)どもに、かたみに(かぎ)りもなくもてかしづき(さわ)がれたまふおもだたしさも、いかなるにかあらむ、(こころ)(うち)にはことにうれしくもおぼえず、なほ、ともすればうち(なが)めつつ、宇治(うぢ)寺造(てらつく)ることを(いそ)がせたまふ。 かく、やんごとなきみこころどもに、かたみにかぎりもなくもてかしづきさわがれたまふおもだたしさも、いかなるにかあらん、こころうちにはことにうれしくもおぼえず、なほ、ともすればうちながめつつ、うぢてらつくることをいそがせたまふ。
498.4702680第四段 中君の男御子、五十日の祝い
498.4.1703681 (みや)若君(わかぎみ)五十日(いか)になりたまふ日数(ひかぞ)()りて、その(もちひ)(いそ)ぎを(こころ)()れて、籠物(こもの)桧破籠(ひわりご)などまで見入(みい)れたまひつつ、()(つね)のなべてにはあらずと(おぼ)(こころ)ざして、(ぢん)紫檀(したん)(しろかね)黄金(こがね)など、道々(みちみち)細工(さいく)どもいと(おほ)()しさぶらはせたまへば、我劣(われおと)らじと、さまざまのことどもをし()づめり。 みやわかぎみいかになりたまふひかぞりて、そのもちひいそぎをこころれて、こものひわりごなどまでみいれたまひつつ、つねのなべてにはあらずとおぼこころざして、ぢんしたんしろかねこがねなど、みちみちさいくどもいとおほしさぶらはせたまへば、われおとらじと、さまざまのことどもをしづめり。
498.4.2704682 みづからも、(れい)の、(みや)のおはしまさぬ(ひま)におはしたり。(こころ)のなしにやあらむ、(いま)すこし重々(おもおも)しくやむごとなげなるけしきさへ()ひにけりと()ゆ。「(いま)は、さりとも、むつかしかりしすずろごとなどは(まぎ)れたまひにたらむ」と(おも)ふに、(こころ)やすくて、対面(たいめん)したまへり。されど、ありしながらのけしきに、まづ(なみだ)ぐみて、 みづからも、れいの、みやのおはしまさぬひまにおはしたり。こころのなしにやあらん、いますこしおもおもしくやんごとなげなるけしきさへひにけりとゆ。"いまは、さりとも、むつかしかりしすずろごとなどはまぎれたまひにたらん。"とおもふに、こころやすくて、たいめんしたまへり。されど、ありしながらのけしきに、まづなみだぐみて、
498.4.3705683 (こころ)にもあらぬまじらひ、いと(おも)ひの(ほか)なるものにこそと、()(おも)ひたまへ(みだ)るることなむ、まさりにたる」 "こころにもあらぬまじらひ、いとおもひのほかなるものにこそと、おもひたまへみだるることなん、まさりにたる。"
498.4.4706684 と、あいだちなくぞ(うれ)へたまふ。 と、あいだちなくぞうれへたまふ。
498.4.5707685 「いとあさましき(おほん)ことかな。(ひと)もこそおのづからほのかにも()()きはべれ」 "いとあさましきおほんことかな。ひともこそおのづからほのかにもきはべれ。"
498.4.6708686 などはのたまへど、かばかりめでたげなることどもにも(なぐさ)まず、「(わす)れがたく(おも)ひたまふらむ心深(こころふか)さよ」とあはれに(おも)ひきこえたまふに、おろかにもあらず(おも)()られたまふ。「おはせましかば」と、口惜(くちを)しく(おも)()できこえたまへど、「それも、わがありさまのやうに、うらやみなく()(うら)むべかりけるかし。何事(なにごと)(かず)ならでは、()(ひと)めかしきこともあるまじかりけり」とおぼゆるにぞ、いとど、かの、うちとけ()てでやみなむと(おも)ひたまへりし(こころ)おきては、なほ、いと重々(おもおも)しく(おも)()でられたまふ。 などはのたまへど、かばかりめでたげなることどもにもなぐさまず、"わすれがたくおもひたまふらんこころふかさよ。"とあはれにおもひきこえたまふに、おろかにもあらずおもられたまふ。"おはせましかば。"と、くちをしくおもできこえたまへど、"それも、わがありさまのやうに、うらやみなくうらむべかりけるかし。なにごとかずならでは、ひとめかしきこともあるまじかりけり。"とおぼゆるにぞ、いとど、かの、うちとけてでやみなんとおもひたまへりしこころおきては、なほ、いとおもおもしくおもでられたまふ。
498.5709687第五段 薫、中君の若君を見る
498.5.1710688 若君(わかぎみ)(せち)にゆかしがりきこえたまへば、()づかしけれど、「(なに)かは(へだ)(がほ)にもあらむ、わりなきこと(ひと)つにつけて(うら)みらるるよりほかには、いかでこの(ひと)御心(みこころ)(たが)はじ」と(おも)へば、みづからはともかくもいらへきこえたまはで、乳母(めのと)してさし()でさせたまへり。 わかぎみせちにゆかしがりきこえたまへば、づかしけれど、"なにかはへだがほにもあらん、わりなきことひとつにつけてうらみらるるよりほかには、いかでこのひとみこころたがはじ。"とおもへば、みづからはともかくもいらへきこえたまはで、めのとしてさしでさせたまへり。
498.5.2711689 さらなることなれば、(にく)げならむやは。ゆゆしきまで(しろ)くうつくしくて、たかやかに物語(ものがたり)し、うち(わら)ひなどしたまふ(かほ)()るに、わがものにて()まほしくうらやましきも、()(おも)(はな)れがたくなりぬるにやあらむ。されど、「()ふかひなくなりたまひにし(ひと)の、()(つね)のありさまにて、かやうならむ(ひと)をもとどめ()きたまへらましかば」とのみおぼえて、このころおもだたしげなる(おほん)あたりに、いつしかなどは(おも)()られぬこそ、あまりすべなき(きみ)御心(みこころ)なめれ。かく女々(めめ)しくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。 さらなることなれば、にくげならんやは。ゆゆしきまでしろくうつくしくて、たかやかにものがたりし、うちわらひなどしたまふかほるに、わがものにてまほしくうらやましきも、おもはなれがたくなりぬるにやあらん。されど、"ふかひなくなりたまひにしひとの、つねのありさまにて、かやうならんひとをもとどめきたまへらましかば。"とのみおぼえて、このころおもだたしげなるおほんあたりに、いつしかなどはおもられぬこそ、あまりすべなききみみこころなめれ。かくめめしくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。
498.5.3712690 しか()ろびかたほならむ(ひと)を、(みかど)()()(せち)(ちか)づけて、(むつ)びたまふべきにもあらじものを、「まことしき(かた)ざまの御心(みこころ)おきてなどこそは、めやすくものしたまひけめ」とぞ()(はか)るべき。 しかろびかたほならんひとを、みかどせちちかづけて、むつびたまふべきにもあらじものを、"まことしきかたざまのみこころおきてなどこそは、めやすくものしたまひけめ。"とぞはかるべき。
498.5.4713691 げに、いとかく(をさな)きほどを()せたまへるもあはれなれば、(れい)よりは物語(ものがたり)などこまやかに()こえたまふほどに、()れぬれば、(こころ)やすく(よる)をだに()かすまじきを、(くる)しうおぼゆれば、(なげ)(なげ)()でたまひぬ。 げに、いとかくをさなきほどをせたまへるもあはれなれば、れいよりはものがたりなどこまやかにこえたまふほどに、れぬれば、こころやすくよるをだにかすまじきを、くるしうおぼゆれば、なげなげでたまひぬ。
498.5.5714692 「をかしの(ひと)御匂(おほんにほ)ひや。()りつれば、とかや()ふやうに、(うぐひす)(たづ)()ぬべかめり」 "をかしのひとおほんにほひや。りつれば、とかやふやうに、うぐひすたづぬべかめり。"
498.5.6715693 など、わづらはしがる(わか)(ひと)もあり。 など、わづらはしがるわかひともあり。
498.6716694第六段 藤壺にて藤の花の宴催される
498.6.1717695 (なつ)にならば、三条(さんでう)宮塞(みやふた)がる(かた)になりぬべし」と(さだ)めて、四月朔日(うづきついたち)ごろ、節分(せちぶん)とかいふこと、まだしき(さき)(わた)したてまつりたまふ。 "なつにならば、さんでうみやふたがるかたになりぬべし。"とさだめて、うづきついたちごろ、せちぶんとかいふこと、まだしきさきわたしたてまつりたまふ。
498.6.2718696 明日(あす)とての()藤壺(ふぢつぼ)主上渡(うへわた)らせたまひて、(ふぢ)(はな)(えん)せさせたまふ。(みなみ)(ひさし)御簾上(みすあ)げて、椅子立(いした)てたり。(おほやけ)わざにて、主人(あるじ)(みや)(つか)うまつりたまふにはあらず。上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)(きゃう)など、内蔵寮(くらづかさ)より(つか)うまつれり。 あすとてのふぢつぼうへわたらせたまひて、ふぢはなえんせさせたまふ。みなみひさしみすあげて、いしたてたり。おほやけわざにて、あるじみやつかうまつりたまふにはあらず。かんだちめてんじゃうびときゃうなど、くらづかさよりつかうまつれり。
498.6.3719697 (みぎ)大臣(おとど)按察使大納言(あぜちのだいなごん)藤中納言(とうちうなごん)左兵衛督(さひゃうゑのかみ)親王(みこ)たちは、(さん)(みや)常陸宮(ひたちのみや)などさぶらひたまふ。(みなみ)(には)(ふぢ)(はな)のもとに、殿上人(てんじゃうびと)()はしたり。後涼殿(こうらうでん)(ひんがし)に、楽所(がくそ)(ひと)びと()して、()()くほどに、双調(そうでう)()きて、(うへ)御遊(おほんあそ)びに、(みや)御方(おほんかた)より、御琴(おほんこと)ども(ふえ)など()ださせたまへば、大臣(おとど)をはじめたてまつりて、御前(おまへ)()りつつ(まゐ)りたまふ。 みぎおとどあぜちのだいなごんとうちうなごんさひゃうゑのかみみこたちは、さんみやひたちのみやなどさぶらひたまふ。みなみにはふぢはなのもとに、てんじゃうびとはしたり。こうらうでんひんがしに、がくそひとびとして、くほどに、そうでうきて、うへおほんあそびに、みやおほんかたより、おほんことどもふえなどださせたまへば、おとどをはじめたてまつりて、おまへりつつまゐりたまふ。
498.6.4720698 故六条(ころくでう)(ゐん)御手(おほんて)づから()きたまひて、入道(にふだう)(みや)にたてまつらせたまひし(きん)譜二巻(ふふたまき)五葉(ごえふ)(えだ)()けたるを、大臣取(おとどと)りたまひて(そう)したまふ。 ころくでうゐんおほんてづからきたまひて、にふだうみやにたてまつらせたまひしきんふふたまきごえふえだけたるを、おとどとりたまひてそうしたまふ。
498.6.5721699 次々(つぎつぎ)に、(さう)御琴(おほんこと)琵琶(びわ)和琴(わごん)など、朱雀院(すじゃくゐん)(もの)どもなりけり。(ふえ)は、かの(ゆめ)(つた)へしいにしへの形見(かたみ)のを、「またなき(もの)()なり」と()でさせたまひければ、「この(をり)のきよらより、またはいつかは()()えしきついでのあらむ」と(おぼ)して、()()でたまへるなめり。 つぎつぎに、さうおほんことびわわごんなど、すじゃくゐんものどもなりけり。ふえは、かのゆめつたへしいにしへのかたみのを、"またなきものなり。"とでさせたまひければ、"このをりのきよらより、またはいつかはえしきついでのあらん。"とおぼして、でたまへるなめり。
498.6.6722700 大臣和琴(おとどわごん)(さん)宮琵琶(みやびわ)など、とりどりに(たま)ふ。大将(だいしゃう)御笛(おほんふえ)は、今日(けふ)ぞ、()になき()(かぎ)りは()()てたまひける。殿上人(てんじゃうびと)(なか)にも、唱歌(しゃうが)につきなからぬどもは、()()でて、おもしろく(あそ)ぶ。 おとどわごんさんみやびわなど、とりどりにたまふ。だいしゃうおほんふえは、けふぞ、になきかぎりはてたまひける。てんじゃうびとなかにも、しゃうがにつきなからぬどもは、でて、おもしろくあそぶ。
498.6.7723701 (みや)御方(おほんかた)より、粉熟参(ふずくまゐ)らせたまへり。(ぢん)折敷四(をしきよ)つ、紫檀(したん)高坏(たかつき)(ふぢ)村濃(むらご)打敷(うちしき)に、折枝縫(をりえだぬ)ひたり。(しろかね)様器(やうき)瑠璃(るり)御盃(おほんさかづき)瓶子(へいし)紺瑠璃(こんるり)なり。兵衛督(ひゃうゑのかみ)(おほん)まかなひ(つか)うまつりたまふ。 みやおほんかたより、ふずくまゐらせたまへり。ぢんをしきよつ、したんたかつきふぢむらごうちしきに、をりえだぬひたり。しろかねやうきるりおほんさかづきへいしこんるりなり。ひゃうゑのかみおほんまかなひつかうまつりたまふ。
498.6.8724702 御盃参(おほんさかづきまゐ)りたまふに、大臣(おとど)、しきりては便(びん)なかるべし、(みや)たちの御中(おほんなか)にはた、さるべきもおはせねば、大将(だいしゃう)(ゆづ)りきこえたまふを、(はばか)(まう)したまへど、()けしきもいかがありけむ、御盃(おほんさかづき)ささげて、「をし」とのたまへる(こわ)づかひもてなしさへ、(れい)公事(おほやけごと)なれど、(ひと)()()ゆるも、今日(けふ)はいとど()なしさへ()ふにやあらむ。さし(かへ)(たま)はりて、()りて舞踏(ぶたふ)したまへるほど、いとたぐひなし。 おほんさかづきまゐりたまふに、おとど、しきりてはびんなかるべし、みやたちのおほんなかにはた、さるべきもおはせねば、だいしゃうゆづりきこえたまふを、はばかまうしたまへど、けしきもいかがありけん、おほんさかづきささげて、"をし。"とのたまへるこわづかひもてなしさへ、れいおほやけごとなれど、ひとゆるも、けふはいとどなしさへふにやあらん。さしかへたまはりて、りてぶたふしたまへるほど、いとたぐひなし。
498.6.9725703 上臈(じゃうらふ)親王(みこ)たち、大臣(だいじん)などの(たま)はりたまふだにめでたきことなるを、これはまして御婿(おほんむこ)にてもてはやされたてまつりたまへる、(おほん)おぼえ、おろかならずめづらしきに、(かぎ)りあれば、(くだ)りたる()(かへ)()きたまへるほど、心苦(こころぐる)しきまでぞ()えける。 じゃうらふみこたち、だいじんなどのたまはりたまふだにめでたきことなるを、これはましておほんむこにてもてはやされたてまつりたまへる、おほんおぼえ、おろかならずめづらしきに、かぎりあれば、くだりたるかへきたまへるほど、こころぐるしきまでぞえける。
498.7726704第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す
498.7.1727705 按察使大納言(あぜちのだいなごん)は、「(われ)こそかかる()()むと(おも)ひしか、ねたのわざや」と(おも)ひたまへり。この(みや)御母女御(おほんははにょうご)をぞ、(むかし)(こころ)かけきこえたまへりけるを、(まゐ)りたまひて(のち)も、なほ(おも)(はな)れぬさまに()こえ(かよ)ひたまひて、()ては(みや)()たてまつらむの(こころ)つきたりければ、御後見望(おほんうしろみのぞ)むけしきも()らし(まう)しけれど、()こし()しだに(つた)へずなりにければ、いと(こころ)やましと(おも)ひて、 あぜちのだいなごんは、"われこそかかるんとおもひしか、ねたのわざや。"とおもひたまへり。このみやおほんははにょうごをぞ、むかしこころかけきこえたまへりけるを、まゐりたまひてのちも、なほおもはなれぬさまにこえかよひたまひて、てはみやたてまつらんのこころつきたりければ、おほんうしろみのぞむけしきもらしまうしけれど、こししだにつたへずなりにければ、いとこころやましとおもひて、
498.7.2728706 人柄(ひとがら)は、げに(ちぎ)りことなめれど、なぞ、(とき)(みかど)のことことしきまで婿(むこ)かしづきたまふべき。またあらじかし。九重(ここのへ)のうちに、おはします殿近(とのちか)きほどにて、ただ(うど)のうちとけ(とぶ)らひて、()ては(えん)(なに)やともて(さわ)がるることは」 "ひとがらは、げにちぎりことなめれど、なぞ、ときみかどのことことしきまでむこかしづきたまふべき。またあらじかし。ここのへのうちに、おはしますとのちかきほどにて、ただうどのうちとけとぶらひて、てはえんなにやともてさわがるることは。"
498.7.3729707 など、いみじく(そし)りつぶやき(まう)したまひけれど、さすがゆかしければ、(まゐ)りて、(こころ)(うち)にぞ腹立(はらだ)ちゐたまへりける。 など、いみじくそしりつぶやきまうしたまひけれど、さすがゆかしければ、まゐりて、こころうちにぞはらだちゐたまへりける。
498.7.4730709 紙燭(しそく)さして(うた)どもたてまつる。文台(ぶんだい)のもとに()りつつ()くほどのけしきは、おのおのしたり(がほ)なりけれど、(れい)の、「いかにあやしげに(ふる)めきたりけむ」と(おも)ひやれば、あながちに(みな)もたづね()かず。(かみ)(まち)も、上臈(じゃうらふ)とて、御口(おほんくち)つきどもは、(こと)なること()えざめれど、しるしばかりとて、(ひと)つ、(ふた)つぞ()()きたりし。これは、大将(だいしゃう)(きみ)の、()りて(おほん)かざし()りて(まゐ)りたまへりけるとか。 しそくさしてうたどもたてまつる。ぶんだいのもとにりつつくほどのけしきは、おのおのしたりがほなりけれど、れいの、"いかにあやしげにふるめきたりけん。"とおもひやれば、あながちにみなもたづねかず。かみまちも、じゃうらふとて、おほんくちつきどもは、ことなることえざめれど、しるしばかりとて、ひとつ、ふたつぞきたりし。これは、だいしゃうきみの、りておほんかざしりてまゐりたまへりけるとか。
498.7.5731710 「すべらきのかざしに()ると(ふぢ)(はな)<BR/>(およ)ばぬ(えだ)(そで)かけてけり」 "〔すべらきのかざしにるとふぢはな<BR/>およばぬえだそでかけてけり〕
498.7.6732711 うけばりたるぞ、(にく)きや。 うけばりたるぞ、にくきや。
498.7.7733712 「よろづ()をかけて(にほ)はむ(はな)なれば<BR/>今日(けふ)をも()かぬ(いろ)とこそ()れ」 "〔よろづをかけてにほはんはななれば<BR/>けふをもかぬいろとこそれ〕
498.7.8734713 (きみ)がため()れるかざしは(むらさき)の<BR/>(くも)(おと)らぬ(はな)のけしきか」 "〔きみがためれるかざしはむらさきの<BR/>くもおとらぬはなのけしきか〕
498.7.9735714 ()(つね)(いろ)とも()えず雲居(くもゐ)まで<BR/>たち(のぼ)りたる藤波(ふぢなみ)(はな) "〔つねいろともえずくもゐまで<BR/>たちのぼりたるふぢなみはな〕"
498.7.10736715 「これやこの腹立(はらだ)大納言(だいなごん)のなりけむ」と()ゆれ。かたへは、ひがことにもやありけむ。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし。 "これやこのはらだだいなごんのなりけん。"とゆれ。かたへは、ひがことにもやありけん。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし。
498.7.11737716 夜更(よふ)くるままに、御遊(おほんあそ)びいとおもしろし。大将(だいしゃう)(きみ)、「安名尊(あなたふと)(うた)ひたまへる(こゑ)ぞ、(かぎ)りなくめでたかりける。按察使(あぜち)も、(むかし)すぐれたまへりし御声(おほんこゑ)名残(なごり)なれば、(いま)もいとものものしくて、うち()はせたまへり。(みぎ)大殿(おほとの)御七郎(おほんしちろう)(わらは)にて(さう)笛吹(ふえふ)く。いとうつくしかりければ、御衣賜(おほんぞたま)はす。大臣下(おとどお)りて舞踏(ぶたふ)したまふ。 よふくるままに、おほんあそびいとおもしろし。だいしゃうきみ、〔あなたふとうたひたまへるこゑぞ、かぎりなくめでたかりける。あぜちも、むかしすぐれたまへりしおほんこゑなごりなれば、いまもいとものものしくて、うちはせたまへり。みぎおほとのおほんしちろうわらはにてさうふえふく。いとうつくしかりければ、おほんぞたまはす。おとどおりてぶたふしたまふ。
498.7.12738717 暁近(あかつきちか)うなりてぞ(かへ)らせたまひける。(ろく)ども、上達部(かんだちめ)親王(みこ)たちには、主上(うへ)より(たま)はす。殿上人(てんじゃうびと)楽所(がくそ)(ひと)びとには、(みや)御方(おほんかた)より品々(しなじな)(たま)ひけり。 あかつきちかうなりてぞかへらせたまひける。ろくども、かんだちめみこたちには、うへよりたまはす。てんじゃうびとがくそひとびとには、みやおほんかたよりしなじなたまひけり。
498.7.13739718 その()ふさりなむ、(みや)まかでさせたてまつりたまひける。儀式(ぎしき)いと(こころ)ことなり。主上(うへ)女房(にょうばう)さながら御送(おほんおく)(つか)うまつらせたまひける。(ひさし)御車(おほんくるま)にて、(ひさし)なき糸毛三(いとげみ)つ、黄金(こがね)づくり()つ、ただの檳榔毛二十(びらうげにじふ)網代二(あじろふた)つ、(わらは)下仕(しもづか)八人(はちにん)づつさぶらふに、また御迎(おほんむか)への出車(いだしぐるま)どもに、本所(ほんじょ)(ひと)びと()せてなむありける。御送(おほんおく)りの上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)六位(ろくゐ)など、()(かぎ)りなききよらを()くさせたまへり。 そのふさりなん、みやまかでさせたてまつりたまひける。ぎしきいとこころことなり。うへにょうばうさながらおほんおくつかうまつらせたまひける。ひさしおほんくるまにて、ひさしなきいとげみつ、こがねづくりつ、ただのびらうげにじふあじろふたつ、わらはしもづかはちにんづつさぶらふに、またおほんむかへのいだしぐるまどもに、ほんじょひとびとせてなんありける。おほんおくりのかんだちめてんじゃうびとろくゐなど、かぎりなききよらをくさせたまへり。
498.7.14740719 かくて、(こころ)やすくうちとけて()たてまつりたまふに、いとをかしげにおはす。ささやかにしめやかにて、ここはと()ゆるところなくおはすれば、「宿世(すくせ)のほど口惜(くちを)しからざりけり」と、(こころ)おごりせらるるものから、()ぎにし(かた)(わす)らればこそはあらめ、なほ(まぎ)るる(をり)なく、もののみ(こひ)しくおぼゆれば、 かくて、こころやすくうちとけてたてまつりたまふに、いとをかしげにおはす。ささやかにしめやかにて、ここはとゆるところなくおはすれば、"すくせのほどくちをしからざりけり。"と、こころおごりせらるるものから、ぎにしかたわすらればこそはあらめ、なほまぎるるをりなく、もののみこひしくおぼゆれば、
498.7.15741720 「この()にては(なぐさ)めかねつべきわざなめり。(ほとけ)になりてこそは、あやしくつらかりける(ちぎ)りのほどを、(なに)(むく)いと(あきら)めて(おも)(はな)れめ」 "このにてはなぐさめかねつべきわざなめり。ほとけになりてこそは、あやしくつらかりけるちぎりのほどを、なにむくいとあきらめておもはなれめ。"
498.7.16742721 (おも)ひつつ、(てら)(いそ)ぎにのみ(こころ)()れたまへり。 おもひつつ、てらいそぎにのみこころれたまへり。
499743722第九章 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う
499.1744723第一段 四月二十日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅
499.1.1745724 賀茂(かも)(まつり)など、(さわ)がしきほど()ぐして、二十日(はつか)あまりのほどに、(れい)の、宇治(うぢ)へおはしたり。 かもまつりなど、さわがしきほどぐして、はつかあまりのほどに、れいの、うぢへおはしたり。
499.1.2746725 (つく)らせたまふ御堂見(みだうみ)たまひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて、(れい)の、朽木(くちき)のもとを()たまへ()ぎむが、なほあはれなれば、そなたざまにおはするに、女車(をんなぐるま)のことことしきさまにはあらぬ(ひと)つ、()らましき東男(あづまをとこ)の、(こし)物負(ものお)へる、あまた()して、下人(しもびと)数多(かずおほ)(たの)もしげなるけしきにて、(はし)より今渡(いまわた)()()ゆ。 つくらせたまふみだうみたまひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて、れいの、くちきのもとをたまへぎんが、なほあはれなれば、そなたざまにおはするに、をんなぐるまのことことしきさまにはあらぬひとつ、らましきあづまをとこの、こしものおへる、あまたして、しもびとかずおほたのもしげなるけしきにて、はしよりいまわたゆ。
499.1.3747727 田舎(ゐなか)びたる(もの)かな」と()たまひつつ、殿(との)はまづ()りたまひて、御前(ごぜん)どもは、まだ()(さわ)ぎたるほどに、「この(くるま)もこの(みや)をさして()るなりけり」と()ゆ。御随身(みずいじん)どもも、かやかやと()ふを(せい)したまひて、 "ゐなかびたるものかな。"とたまひつつ、とのはまづりたまひて、ごぜんどもは、まださわぎたるほどに、"このくるまもこのみやをさしてるなりけり。"とゆ。みずいじんどもも、かやかやとふをせいしたまひて、
499.1.4748728 何人(なにびと)ぞ」 "なにびとぞ。"
499.1.5749729 ()はせたまへば、(こゑ)うちゆがみたる(もの) はせたまへば、こゑうちゆがみたるもの
499.1.6750730 常陸(ひたち)前司殿(ぜんじどの)姫君(ひめぎみ)の、初瀬(はつせ)御寺(みてら)(まう)でて(もど)りたまへるなり。(はじ)めもここになむ宿(やど)りたまへし」 "ひたちぜんじどのひめぎみの、はつせみてらまうでてもどりたまへるなり。はじめもここになんやどりたまへし。"
499.1.7751731 (まう)すに、 まうすに、
499.1.8752732 「おいや、()きし(ひと)ななり」 "おいや。きしひとななり。"
499.1.9753733 (おぼ)()でて、(ひと)びとを異方(ばことかた)(かく)したまひて、 おぼでて、ひとびとをばことかたかくしたまひて、
499.1.10754734 「はや、御車入(みくるまい)れよ。ここに、また人宿(ひとやど)りたまへど、北面(きたおもて)になむ」 "はや、みくるまいれよ。ここに、またひとやどりたまへど、きたおもてになん。"
499.1.11755735 ()はせたまふ。 はせたまふ。
499.1.12756736 御供(おほんとも)(ひと)も、皆狩衣姿(みなかりぎぬすがた)にて、ことことしからぬ姿(すがた)どもなれど、なほけはひやしるからむ、わづらはしげに(おも)ひて、(むま)ども()きさけなどしつつ、かしこまりつつぞをる。(くるま)()れて、(らう)西(にし)のつまにぞ()する。この寝殿(しんでん)はまだあらはにて、(すだれ)もかけず。()ろし()めたる(なか)二間(ふたま)()(へだ)てたる障子(さうじ)(あな)より(のぞ)きたまふ。 おほんともひとも、みなかりぎぬすがたにて、ことことしからぬすがたどもなれど、なほけはひやしるからん、わづらはしげにおもひて、むまどもきさけなどしつつ、かしこまりつつぞをる。くるまれて、らうにしのつまにぞする。このしんでんはまだあらはにて、すだれもかけず。ろしめたるなかふたまへだてたるさうじあなよりのぞきたまふ。
499.1.13757737 御衣(おほんぞ)()れば、()ぎおきて、直衣指貫(なほしさしぬき)(かぎ)りを()てぞおはする。とみにも()りで、尼君(あまぎみ)消息(せうそこ)して、かくやむごとなげなる(ひと)のおはするを、「()れぞ」など案内(あない)するなるべし。(きみ)は、(くるま)をそれと()きたまひつるより、 おほんぞれば、ぎおきて、なほしさしぬきかぎりをてぞおはする。とみにもりで、あまぎみせうそこして、かくやんごとなげなるひとのおはするを、"れぞ。"などあないするなるべし。きみは、くるまをそれときたまひつるより、
499.1.14758738 「ゆめ、その(ひと)にまろありとのたまふな」 "ゆめ、そのひとにまろありとのたまふな。"
499.1.15759739 と、まづ(くち)かためさせたまひてければ、(みな)心得(こころえ)て、 と、まづくちかためさせたまひてければ、みなこころえて、
499.1.16760740 (はや)()りさせたまへ。客人(まらうと)はものしたまへど、異方(ことかた)になむ」 "はやりさせたまへ。まらうとはものしたまへど、ことかたになん。"
499.1.17761741 ()()だしたり。 だしたり。
499.2762742第二段 薫、浮舟を垣間見る
499.2.1763743 (わか)(ひと)のある、まづ()りて、(すだれ)うち()ぐめり。御前(ごぜん)のさまよりは、このおもと()れてめやすし。また、大人(おとな)びたる(ひと)いま一人降(ひとりお)りて、「(はや)う」と()ふに、 わかひとのある、まづりて、すだれうちぐめり。ごぜんのさまよりは、このおもとれてめやすし。また、おとなびたるひといまひとりおりて、"はやう。"とふに、
499.2.2764744 「あやしくあらはなる心地(ここち)こそすれ」 "あやしくあらはなるここちこそすれ。"
499.2.3765745 ()(こゑ)、ほのかなれどあてやかに()こゆ。 こゑ、ほのかなれどあてやかにこゆ。
499.2.4766746 (れい)御事(おほんこと)。こなたは、さきざきも()ろし()めてのみこそははべれ。さては、またいづこのあらはなるべきぞ」 "れいおほんこと。こなたは、さきざきもろしめてのみこそははべれ。さては、またいづこのあらはなるべきぞ。"
499.2.5767747 と、(こころ)をやりて()ふ。つつましげに()るるを()れば、まづ、(かしら)つき、様体(やうだい)(ほそ)やかにあてなるほどは、いとよくもの(おも)()でられぬべし。扇子(あふぎ)をつとさし(かく)したれば、(かほ)()えぬほど(こころ)もとなくて、(むね)うちつぶれつつ()たまふ。 と、こころをやりてふ。つつましげにるるをれば、まづ、かしらつき、やうだいほそやかにあてなるほどは、いとよくものおもでられぬべし。あふぎをつとさしかくしたれば、かほえぬほどこころもとなくて、むねうちつぶれつつたまふ。
499.2.6768748 (くるま)(たか)く、()るる(ところ)(くだ)りたるを、この(ひと)びとはやすらかに()りなしつれど、いと(くる)しげにややみて、ひさしく()りて、ゐざり()る。()(うちき)に、撫子(なでしこ)とおぼしき細長(ほそなが)若苗色(わかなへいろ)小袿着(こうちきき)たり。 くるまたかく、るるところくだりたるを、このひとびとはやすらかにりなしつれど、いとくるしげにややみて、ひさしくりて、ゐざりる。うちきに、なでしことおぼしきほそながわかなへいろこうちききたり。
499.2.7769749 四尺(ししゃく)屏風(びゃうぶ)を、この障子(さうじ)()へて()てたるが、(かみ)より()ゆる(あな)なれば、(のこ)るところなし。こなたをばうしろめたげに(おも)ひて、あなたざまに()きてぞ、()()しぬる。 ししゃくびゃうぶを、このさうじへててたるが、かみよりゆるあななれば、のこるところなし。こなたをばうしろめたげにおもひて、あなたざまにきてぞ、しぬる。
499.2.8770750 「さも、(くる)しげに(おぼ)したりつるかな。泉川(いづみがは)舟渡(ふなわた)りも、まことに、今日(けふ)はいと(おそ)ろしくこそありつれ。この如月(きさらぎ)には、(みづ)のすくなかりしかばよかりしなりけり」 "さも、くるしげにおぼしたりつるかな。いづみがはふなわたりも、まことに、けふはいとおそろしくこそありつれ。このきさらぎには、みづのすくなかりしかばよかりしなりけり。"
499.2.9771751 「いでや、(あり)くは、東路思(あづまぢおも)へば、いづこか(おそ)ろしからむ」 "いでや、ありくは、あづまぢおもへば、いづこかおそろしからん。"
499.2.10772752 など、二人(ふたり)して(くる)しとも(おも)ひたらず()ひゐたるに、(しゅう)(おと)もせでひれ()したり。(かひな)をさし()でたるが、まろらかにをかしげなるほども、常陸殿(ひたちどの)などいふべくは()えず、まことにあてなり。 など、ふたりしてくるしともおもひたらずひゐたるに、しゅうおともせでひれしたり。かひなをさしでたるが、まろらかにをかしげなるほども、ひたちどのなどいふべくはえず、まことにあてなり。
499.2.11773753 やうやう腰痛(こしいた)きまで()ちすくみたまへど、(ひと)のけはひせじとて、なほ(うご)かで()たまふに、(わか)(ひと) やうやうこしいたきまでちすくみたまへど、ひとのけはひせじとて、なほうごかでたまふに、わかひと
499.2.12774754 「あな、(かう)ばしや。いみじき(かう)()こそすれ。尼君(あまぎみ)()きたまふにやあらむ」 "あな、かうばしや。いみじきかうこそすれ。あまぎみきたまふにやあらん。"
499.2.13775755 ()(びと) びと
499.2.14776756 「まことにあなめでたの(もの)()や。京人(きゃうびと)は、なほいとこそ(みや)びかに(いま)めかしけれ。天下(てんか)にいみじきことと(おぼ)したりしかど、(あづま)にてかかる薫物(たきもの)()は、え()はせ()でたまはざりきかし。この尼君(あまぎみ)は、()まひかくかすかにおはすれど、装束(さうぞく)のあらまほしく、鈍色青色(にびいろあをいろ)といへど、いときよらにぞあるや」 "まことにあなめでたのものや。きゃうびとは、なほいとこそみやびかにいまめかしけれ。てんかにいみじきこととおぼしたりしかど、あづまにてかかるたきものは、えはせでたまはざりきかし。このあまぎみは、まひかくかすかにおはすれど、さうぞくのあらまほしく、にびいろあをいろといへど、いときよらにぞあるや。"
499.2.15777757 など、ほめゐたり。あなたの簀子(すのこ)より童来(わらはき)て、 など、ほめゐたり。あなたのすのこよりわらはきて、
499.2.16778758 御湯(おほんゆ)など(まゐ)らせたまへ」 "おほんゆなどまゐらせたまへ。"
499.2.17779759 とて、折敷(をしき)どもも()(つづ)きてさし()る。果物取(くだものと)()せなどして、 とて、をしきどももつづきてさしる。くだものとせなどして、
499.2.18780760 「ものけたまはる。これ」 "ものけたまはる。これ。"
499.2.19781761 など()こせど、()きねば、二人(ふたり)して、(くり)やなどやうのものにや、ほろほろと()ふも、()()らぬ心地(ここち)には、かたはらいたくてしぞきたまへど、またゆかしくなりつつ、なほ()()()()()たまふ。 などこせど、きねば、ふたりして、くりやなどやうのものにや、ほろほろとふも、らぬここちには、かたはらいたくてしぞきたまへど、またゆかしくなりつつ、なほたまふ。
499.2.20782762 これよりまさる(きは)(ひと)びとを、(きさい)(みや)をはじめて、ここかしこに、容貌(かたち)よきも(こころ)あてなるも、ここら()くまで見集(みあつ)めたまへど、おぼろけならでは、()(こころ)もとまらず、あまり(ひと)にもどかるるまでものしたまふ心地(ここち)に、ただ(いま)は、(なに)ばかりすぐれて()ゆることもなき(ひと)なれど、かく()()りがたく、あながちにゆかしきも、いとあやしき(こころ)なり。 これよりまさるきはひとびとを、きさいみやをはじめて、ここかしこに、かたちよきもこころあてなるも、ここらくまでみあつめたまへど、おぼろけならでは、こころもとまらず、あまりひとにもどかるるまでものしたまふここちに、ただいまは、なにばかりすぐれてゆることもなきひとなれど、かくりがたく、あながちにゆかしきも、いとあやしきこころなり。
499.3783763第三段 浮舟、弁の尼と対面
499.3.1784764 尼君(あまぎみ)は、この殿(との)御方(おほんかた)にも、御消息聞(おほんせうそこき)こえ()だしたりけれど、 あまぎみは、このとのおほんかたにも、おほんせうそこきこえだしたりけれど、
499.3.2785765 御心地悩(みここちなや)ましとて、(いま)のほどうちやすませたまへるなり」 "みここちなやましとて、いまのほどうちやすませたまへるなり。"
499.3.3786766 と、御供(おほんとも)(ひと)びと(こころ)しらひて()ひたりければ、「この(きみ)(たづ)ねまほしげにのたまひしかば、かかるついでにもの()()れむと(おも)ほすによりて、日暮(ひく)らしたまふにや」と(おも)ひて、かく(のぞ)きたまふらむとは()らず。 と、おほんともひとびとこころしらひてひたりければ、"このきみたづねまほしげにのたまひしかば、かかるついでにものれんとおもほすによりて、ひくらしたまふにや。"とおもひて、かくのぞきたまふらんとはらず。
499.3.4787767 (れい)の、御荘(みさう)(あづか)りどもの(まゐ)れる、破籠(わりご)(なに)やと、こなたにも()れたるを、東人(あづまびと)どもにも()はせなど、(こと)ども(おこ)なひおきて、うち化粧(けさう)じて、客人(まらうと)(かた)()たり。ほめつる装束(さうぞく)、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。 れいの、みさうあづかりどものまゐれる、わりごなにやと、こなたにもれたるを、あづまびとどもにもはせなど、ことどもおこなひおきて、うちけさうじて、まらうとかたたり。ほめつるさうぞく、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。
499.3.5788768 昨日(きのふ)おはし()きなむと()ちきこえさせしを、などか、今日(けふ)()たけては」 "きのふおはしきなんとちきこえさせしを、などか、けふたけては。"
499.3.6789769 ()ふめれば、この()(びと) ふめれば、このびと
499.3.7790770 「いとあやしく(くる)しげにのみせさせたまへば、昨日(きのふ)はこの泉川(いづみがは)のわたりにて、今朝(けさし)無期(むご)御心地(みここち)ためらひてなむ」 "いとあやしくくるしげにのみせさせたまへば、きのふはこのいづみがはのわたりにて、けさしむごみここちためらひてなん。"
499.3.8791771 といらひて、()こせば、(いま)()きゐたる。尼君(あまぎみ)()ぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく()ゆ。まことにいとよしあるまみのほど、(かん)ざしのわたり、かれをも、(くは)しくつくづくとしも()たまはざりし御顔(おほんかほ)なれど、これを()るにつけて、ただそれと(おも)()でらるるに、(れい)の、涙落(なみだお)ちぬ。 といらひて、こせば、いまきゐたる。あまぎみぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよくゆ。まことにいとよしあるまみのほど、かんざしのわたり、かれをも、くはしくつくづくとしもたまはざりしおほんかほなれど、これをるにつけて、ただそれとおもでらるるに、れいの、なみだおちぬ。
499.3.9792772 尼君(あまぎみ)のいらへうちする(こゑ)、けはひ、(みや)御方(おほんかた)にもいとよく()たりと()こゆ。 あまぎみのいらへうちするこゑ、けはひ、みやおほんかたにもいとよくたりとこゆ。
499.3.10793773 「あはれなりける(ひと)かな。かかりけるものを、(いま)まで(たづ)ねも()らで()ぐしけることよ。これより口惜(くちを)しからむ(きは)(しな)ならむゆかりなどにてだに、かばかりかよひきこえたらむ(ひと)()ては、おろかに(おも)ふまじき心地(ここち)するに、まして、これは、()られたてまつらざりけれど、まことに故宮(こみや)御子(みこ)にこそはありけれ」 "あはれなりけるひとかな。かかりけるものを、いままでたづねもらでぐしけることよ。これよりくちをしからんきはしなならんゆかりなどにてだに、かばかりかよひきこえたらんひとては、おろかにおもふまじきここちするに、まして、これは、られたてまつらざりけれど、まことにこみやみこにこそはありけれ。"
499.3.11794774 ()なしたまひては、(かぎ)りなくあはれにうれしくおぼえたまふ。「ただ(いま)も、はひ()りて、()(なか)におはしけるものを」と()(なぐさ)めまほし。蓬莱(ほうらい)まで(たづ)ねて、(かんざし)(かぎ)りを(つた)へて()たまひけむ(みかど)は、なほ、いぶせかりけむ。「これは異人(ことびと)なれど、(なぐさ)(どころ)ありぬべきさまなり」とおぼゆるは、この(ひと)(ちぎ)りのおはしけるにやあらむ。 なしたまひては、かぎりなくあはれにうれしくおぼえたまふ。"ただいまも、はひりて、なかにおはしけるものを。"となぐさめまほし。ほうらいまでたづねて、かんざしかぎりをつたへてたまひけんみかどは、なほ、いぶせかりけん。"これはことびとなれど、なぐさどころありぬべきさまなり。"とおぼゆるは、このひとちぎりのおはしけるにやあらん。
499.3.12795775 尼君(あまぎみ)は、物語(ものがたり)すこしして、とく()りぬ。(ひと)のとがめつる(かを)りを、「(ちか)(のぞ)きたまふなめり」と心得(こころえ)てければ、うちとけごとも(かた)らはずなりぬるなるべし。 あまぎみは、ものがたりすこしして、とくりぬ。ひとのとがめつるかをりを、"ちかのぞきたまふなめり。"とこころえてければ、うちとけごともかたらはずなりぬるなるべし。
499.4796776第四段 薫、弁の尼に仲立を依頼
499.4.1797777 日暮(ひく)れもていけば、(きみ)もやをら()でて、御衣(おほんぞ)など()たまひてぞ、例召(れいめ)()づる障子(さうじ)(くち)に、尼君呼(あまぎみよ)びて、ありさまなど()ひたまふ。 ひくれもていけば、きみもやをらでて、おほんぞなどたまひてぞ、れいめづるさうじくちに、あまぎみよびて、ありさまなどひたまふ。
499.4.2798778 (をり)しもうれしく()()ひたるを。いかにぞ、かの()こえしことは」 "をりしもうれしくひたるを。いかにぞ、かのこえしことは。"
499.4.3799779 とのたまへば、 とのたまへば、
499.4.4800780 「しか、(おほ)(ごと)はべりし(のち)は、さるべきついではべらば、と()ちはべりしに、去年(こぞ)()ぎて、この二月(にがち)になむ、初瀬詣(はつせまう)でのたよりに対面(たいめん)してはべりし。 "しか、おほごとはべりしのちは、さるべきついではべらば、とちはべりしに、こぞぎて、このにがちになん、はつせまうでのたよりにたいめんしてはべりし。
499.4.5801781 かの母君(ははぎみ)に、(おぼ)()したるさまは、ほのめかしはべりしかば、いとかたはらいたく、かたじけなき(おほん)よそへにこそははべるなれ、などなむはべりしかど、そのころほひは、のどやかにもおはしまさずと(うけたまは)りし、折便(をりびん)なく(おも)ひたまへつつみて、かくなむ、とも()こえさせはべらざりしを、またこの(つき)にも(まう)でて、今日帰(けふかへ)りたまふなめり。 かのははぎみに、おぼしたるさまは、ほのめかしはべりしかば、いとかたはらいたく、かたじけなきおほんよそへにこそははべるなれ、などなんはべりしかど、そのころほひは、のどやかにもおはしまさずとうけたまはりし、をりびんなくおもひたまへつつみて、かくなん、ともこえさせはべらざりしを、またこのつきにもまうでて、けふかへりたまふなめり。
499.4.6802782 ()(かへ)りの中宿(なかやど)りには、かく(むつ)びらるるも、ただ()ぎにし(おほん)けはひを(たづ)ねきこゆるゆゑになむはべめる。かの母君(ははぎみ)も、(さは)ることありて、このたびは、(ひと)りものしたまふめれば、かくおはしますとも、(なに)かは、ものしはべらむとて」 かへりのなかやどりには、かくむつびらるるも、ただぎにしおほんけはひをたづねきこゆるゆゑになんはべめる。かのははぎみも、さはることありて、このたびは、ひとりものしたまふめれば、かくおはしますとも、なにかは、ものしはべらんとて。"
499.4.7803783 ()こゆ。 こゆ。
499.4.8804784 田舎(ゐなか)びたる(ひと)どもに、(しの)びやつれたるありきも()えじとて、口固(くちがた)めつれど、いかがあらむ。下衆(げす)どもは(かく)れあらじかし。さて、いかがすべき。(ひと)りものすらむこそ、なかなか(こころ)やすかなれ。かく(ちぎ)(ふか)くてなむ、(まゐ)()あひたる、と(つた)へたまへかし」 "ゐなかびたるひとどもに、しのびやつれたるありきもえじとて、くちがためつれど、いかがあらん。げすどもはかくれあらじかし。さて、いかがすべき。ひとりものすらんこそ、なかなかこころやすかなれ。かくちぎふかくてなん、まゐあひたる、とつたへたまへかし。"
499.4.9805785 とのたまへば、 とのたまへば、
499.4.10806786 「うちつけに、いつのほどなる御契(おほんちぎ)りにかは」 "うちつけに、いつのほどなるおほんちぎりにかは。"
499.4.11807787 と、うち(わら)ひて、 と、うちわらひて、
499.4.12808788 「さらば、しか(つた)へはべらむ」 "さらば、しかつたへはべらん。"
499.4.13809789 とて、()るに、 とて、るに、
499.4.14810790 貌鳥(かほどり)(こゑ)()きしにかよふやと<BR/>(しげ)みを()けて今日(けふ)(たづ)ぬる」 "〔かほどりこゑきしにかよふやと<BR/>しげみをけてけふたづぬる〕
499.4.15811791 ただ(くち)ずさみのやうにのたまふを、()りて(かた)りけり。 ただくちずさみのやうにのたまふを、りてかたりけり。