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51浮舟
51112586第一章 匂宮の物語 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を聞き知る
511.112687第一段 匂宮、浮舟を追想し、中君を恨む
511.1.112788 (みや)、なほ、かのほのかなりし(ゆふ)べを(おぼ)(わす)るる()なし。「ことことしきほどにはあるまじげなりしを、人柄(ひとがら)のまめやかにをかしうもありしかな」と、いとあだなる御心(みこころ)は、「口惜(くちを)しくてやみにしこと」と、ねたう(おぼ)さるるままに、女君(をんなぎみ)をも、 みや、なほ、かのほのかなりしゆふべをおぼわするるなし。"ことことしきほどにはあるまじげなりしを、ひとがらのまめやかにをかしうもありしかな。"と、いとあだなるみこころは、"くちをしくてやみにしこと。"と、ねたうおぼさるるままに、をんなぎみをも、
511.1.212889 「かう、はかなきことゆゑ、あながちに、かかる(すぢ)のもの(にく)みしたまひけり。(おも)はずに心憂(こころう)し」 "かう、はかなきことゆゑ、あながちに、かかるすぢのものにくみしたまひけり。おもはずにこころうし。"
511.1.312990 と、()づかしめ(うら)みきこえたまふ折々(をりをり)は、いと(くる)しうて、「ありのままにや()こえてまし」と(おぼ)せど、 と、づかしめうらみきこえたまふをりをりは、いとくるしうて、"ありのままにやこえてまし。"とおぼせど、
511.1.413091 「やむごとなきさまにはもてなしたまはざなれど、(あさ)はかならぬ(かた)に、(こころ)とどめて(ひと)(かく)()きたまへる(ひと)を、物言(ものい)ひさがなく()こえ()でたらむにも、さて()()ぐしたまふべき御心(みこころ)ざまにもあらざめり。 "やんごとなきさまにはもてなしたまはざなれど、あさはかならぬかたに、こころとどめてひとかくきたまへるひとを、ものいひさがなくこえでたらんにも、さてぐしたまふべきみこころざまにもあらざめり。
511.1.513192 さぶらふ(ひと)(なか)にも、はかなうものをものたまひ()れむと(おぼ)()ちぬる(かぎ)りは、あるまじき(さと)まで(たづ)ねさせたまふ(おほん)さまよからぬ御本性(ごほんじゃう)なるに、さばかり月日(つきひ)()て、(おぼ)ししむめるあたりは、ましてかならず見苦(みぐる)しきこと()()でたまひてむ。(ほか)より(つた)()きたまはむはいかがはせむ。 さぶらふひとなかにも、はかなうものをものたまひれんとおぼちぬるかぎりは、あるまじきさとまでたづねさせたまふおほんさまよからぬごほんじゃうなるに、さばかりつきひて、おぼししむめるあたりは、ましてかならずみぐるしきことでたまひてん。ほかよりつたきたまはんはいかがはせん。
511.1.613293 いづ(かた)ざまにもいとほしくこそはありとも、(ふせ)ぐべき(ひと)御心(みこころ)ありさまならねば、よその(ひと)よりは()きにくくなどばかりぞおぼゆべき。とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ」 いづかたざまにもいとほしくこそはありとも、ふせぐべきひとみこころありさまならねば、よそのひとよりはきにくくなどばかりぞおぼゆべき。とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ。"
511.1.713394 (おも)(かへ)したまひつつ、いとほしながらえ()こえ()でたまはず、(こと)ざまにつきづきしくは、え()ひなしたまはねば、おしこめてもの(ゑん)じしたる、()(つね)(ひと)になりてぞおはしける。 おもかへしたまひつつ、いとほしながらえこえでたまはず、ことざまにつきづきしくは、えひなしたまはねば、おしこめてものゑんじしたる、つねひとになりてぞおはしける。
511.213495第二段 薫、浮舟を宇治に放置
511.2.113596 かの(ひと)は、たとしへなくのどかに(おぼ)しおきてて、「()(どほ)なりと(おも)ふらむ」と、心苦(こころぐる)しうのみ(おも)ひやりたまひながら、所狭(ところせ)()のほどを、さるべきついでなくて、かやしく(かよ)ひたまふべき(みち)ならねば、(かみ)のいさむるよりもわりなし。されど、 かのひとは、たとしへなくのどかにおぼしおきてて、"どほなりとおもふらん。"と、こころぐるしうのみおもひやりたまひながら、ところせのほどを、さるべきついでなくて、かやしくかよひたまふべきみちならねば、かみのいさむるよりもわりなし。されど、
511.2.213697 (いま)いとよくもてなさむ、とす。山里(やまざと)(なぐさ)めと(おも)ひおきてし(こころ)あるを、すこし日数(ひかず)()ぬべきことども(つく)()でて、のどやかに()きても()む。さて、しばしは(ひと)()るまじき()(どころ)して、やうやうさる(かた)に、かの(こころ)をものどめおき、わがためにも、(ひと)のもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。 "いまいとよくもてなさん、とす。やまざとなぐさめとおもひおきてしこころあるを、すこしひかずぬべきことどもつくでて、のどやかにきてもん。さて、しばしはひとるまじきどころして、やうやうさるかたに、かのこころをものどめおき、わがためにも、ひとのもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。
511.2.313798 にはかに、何人(なにびと)ぞ、いつより、など()きとがめられむも、もの(さわ)がしく、(はじ)めの(こころ)(たが)ふべし。また、(みや)御方(おほんかた)()(おぼ)さむことも、もとの(ところ)際々(きはぎは)しう()(はな)れ、(むかし)(わす)(がほ)ならむ、いと本意(ほい)なし」 にはかに、なにびとぞ、いつより、などきとがめられんも、ものさわがしく、はじめのこころたがふべし。また、みやおほんかたおぼさんことも、もとのところきはぎはしうはなれ、むかしわすがほならん、いとほいなし。"
511.2.413899 など(おぼ)(しづ)むるも、(れい)の、のどけさ()ぎたる(こころ)からなるべし。(わた)すべきところ(おぼ)しまうけて、(しの)びてぞ(つく)らせたまひける。 などおぼしづむるも、れいの、のどけさぎたるこころからなるべし。わたすべきところおぼしまうけて、しのびてぞつくらせたまひける。
511.3139100第三段 薫と中君の仲
511.3.1140101 すこしいとまなきやうにもなりたまひにたれど、(みや)御方(おほんかた)には、なほたゆみなく心寄(こころよ)(つか)うまつりたまふこと(おな)じやうなり。()たてまつる(ひと)もあやしきまで(おも)へれど、()(なか)をやうやう(おぼ)()り、(ひと)のありさまを見聞(みき)きたまふままに、「これこそはまことに(むかし)(わす)れぬ心長(こころなが)さの、名残(なごり)さへ(あさ)からぬためしなめれ」と、あはれも(すく)なからず。 すこしいとまなきやうにもなりたまひにたれど、みやおほんかたには、なほたゆみなくこころよつかうまつりたまふことおなじやうなり。たてまつるひともあやしきまでおもへれど、なかをやうやうおぼり、ひとのありさまをみききたまふままに、"これこそはまことにむかしわすれぬこころながさの、なごりさへあさからぬためしなめれ。"と、あはれもすくなからず。
511.3.2141102 ねびまさりたまふままに、人柄(ひとがら)もおぼえも、さま(こと)にものしたまへば、(みや)御心(みこころ)のあまり(たの)もしげなき時々(ときどき)は、 ねびまさりたまふままに、ひとがらもおぼえも、さまことにものしたまへば、みやみこころのあまりたのもしげなきときどきは、
511.3.3142103 (おも)はずなりける宿世(すくせ)かな。故姫君(こひめぎみ)(おぼ)しおきてしままにもあらで、かくもの(おも)はしかるべき(かた)にしもかかりそめけむよ」 "おもはずなりけるすくせかな。こひめぎみおぼしおきてしままにもあらで、かくものおもはしかるべきかたにしもかかりそめけんよ。"
511.3.4143104 (おぼ)折々多(をりをりおほ)くなむ。されど、対面(たいめん)したまふことは(かた)し。 おぼをりをりおほくなん。されど、たいめんしたまふことはかたし。
511.3.5144105 年月(としつき)もあまり(むかし)(へだ)てゆき、うちうちの御心(みこころ)(ふか)()らぬ(ひと)は、なほなほしきただ(うど)こそ、さばかりのゆかり(たづ)ねたる(むつ)びをも(わす)れぬに、つきづきしけれ、なかなか、かう(かぎ)りあるほどに、(れい)(たが)ひたるありさまも、つつましければ、(みや)()えず(おぼ)(うたが)ひたるも、いよいよ(くる)しう(おぼ)(はばか)りたまひつつ、おのづから(うと)きさまになりゆくを、さりとても()えず、(おな)(こころ)()はりたまはぬなりけり。 としつきもあまりむかしへだてゆき、うちうちのみこころふからぬひとは、なほなほしきただうどこそ、さばかりのゆかりたづねたるむつびをもわすれぬに、つきづきしけれ、なかなか、かうかぎりあるほどに、れいたがひたるありさまも、つつましければ、みやえずおぼうたがひたるも、いよいよくるしうおぼはばかりたまひつつ、おのづからうときさまになりゆくを、さりとてもえず、おなこころはりたまはぬなりけり。
511.3.6145106 (みや)も、あだなる御本性(ごほんじゃう)こそ、()まうきふしも()じれ、若君(わかぎみ)のいとうつくしうおよすけたまふままに、「(ほか)にはかかる(ひと)()()まじきにや」と、やむごとなきものに(おぼ)して、うちとけなつかしき(かた)には、(ひと)にまさりてもてなしたまへば、ありしよりはすこしもの(おも)(しづ)まりて()ぐしたまふ。 みやも、あだなるごほんじゃうこそ、まうきふしもじれ、わかぎみのいとうつくしうおよすけたまふままに、"ほかにはかかるひとまじきにや。"と、やんごとなきものにおぼして、うちとけなつかしきかたには、ひとにまさりてもてなしたまへば、ありしよりはすこしものおもしづまりてぐしたまふ。
511.4146107第四段 正月、宇治から京の中君への文
511.4.1147108 睦月(むつき)朔日過(ついたちす)ぎたるころ(わた)りたまひて、若君(わかぎみ)(とし)まさりたまへるを、もて(あそ)びうつくしみたまふ(ひる)(かた)(ちひ)さき(わらは)(みどり)薄様(うすやう)なる(つつ)(ぶみ)(おほ)きやかなるに、(ちひ)さき鬚籠(ひげこ)小松(こまつ)につけたる、また、すくすくしき立文(たてぶみ)とり()へて、(あう)なく(はし)(まゐ)る。女君(をんなぎみ)にたてまつれば、(みや) むつきついたちすぎたるころわたりたまひて、わかぎみとしまさりたまへるを、もてあそびうつくしみたまふひるかたちひさきわらはみどりうすやうなるつつぶみおほきやかなるに、ちひさきひげここまつにつけたる、また、すくすくしきたてぶみとりへて、あうなくはしまゐる。をんなぎみにたてまつれば、みや
511.4.2148109 「それは、いづくよりぞ」 "それは、いづくよりぞ。"
511.4.3149110 とのたまふ。 とのたまふ。
511.4.4150111 宇治(うぢ)より大輔(たいふ)のおとどにとて、もてわづらひはべりつるを、(れい)の、御前(おまへ)にてぞ御覧(ごらん)ぜむとて、()りはべりぬる」 "うぢよりたいふのおとどにとて、もてわづらひはべりつるを、れいの、おまへにてぞごらんぜんとて、りはべりぬる。"
511.4.5151112 ()ふも、いとあわたたしきけしきにて、 ふも、いとあわたたしきけしきにて、
511.4.6152113 「この()は、(かね)(つく)りて(いろ)どりたる()なりけり。(まつ)もいとよう()(つく)りたる(えだ)ぞとよ」 "このは、かねつくりていろどりたるなりけり。まつもいとようつくりたるえだぞとよ。"
511.4.7153114 と、()みて()(つづ)くれば、(みや)(わら)ひたまひて、 と、みてつづくれば、みやわらひたまひて、
511.4.8154115 「いで、(われ)ももてはやしてむ」 "いで、われももてはやしてん。"
511.4.9155116 ()すを、女君(をんなぎみ)、いとかたはらいたく(おぼ)して、 すを、をんなぎみ、いとかたはらいたくおぼして、
511.4.10156117 (ふみ)は、大輔(たいふ)がりやれ」 "ふみは、たいふがりやれ。"
511.4.11157118 とのたまふ。御顔(おほんかほ)(あか)みたれば、(みや)、「大将(だいしゃう)のさりげなくしなしたる(ふみ)にや、宇治(うぢ)()のりもつきづきし」と(おぼ)()りて、この(ふみ)()りたまひつ。 とのたまふ。おほんかほあかみたれば、みや、"だいしゃうのさりげなくしなしたるふみにや、うぢのりもつきづきし。"とおぼりて、このふみりたまひつ。
511.4.12158119 さすがに、「それならむ(とき)に」と(おぼ)すに、いとまばゆければ、 さすがに、"それならんときに。"とおぼすに、いとまばゆければ、
511.4.13159120 ()けて()むよ。(ゑん)じやしたまはむとする」 "けてんよ。ゑんじやしたまはんとする。"
511.4.14160121 とのたまへば、 とのたまへば、
511.4.15161122 見苦(みぐる)しう。(なに)かは、その(をんな)どちのなかに()(かよ)はしたらむうちとけ(ぶみ)をば、御覧(ごらん)ぜむ」 "みぐるしう。なにかは、そのをんなどちのなかにかよはしたらんうちとけぶみをば、ごらんぜん。"
511.4.16162123 とのたまふが、(さわ)がぬけしきなれば、 とのたまふが、さわがぬけしきなれば、
511.4.17163124 「さは、()むよ。(をんな)文書(ふみが)きは、いかがある」 "さは、んよ。をんなふみがきは、いかがある。"
511.4.18164125 とて()けたまへれば、いと(わか)やかなる()にて、 とてけたまへれば、いとわかやかなるにて、
511.4.19165126 「おぼつかなくて、(とし)()れはべりにける。山里(やまざと)のいぶせさこそ、(みね)(かすみ)()()なくて」 "おぼつかなくて、としれはべりにける。やまざとのいぶせさこそ、みねかすみなくて。"
511.4.20166127 とて、(はし)に、 とて、はしに、
511.4.21167128 「これも若宮(わかみや)御前(ごぜん)に。あやしうはべるめれど」 "これもわかみやごぜんに。あやしうはべるめれど。"
511.4.22168129 ()きたり。 きたり。
511.5169130第五段 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す
511.5.1170131 ことにらうらうじきふしも()えねど、おぼえなき、御目立(おほんめた)てて、この立文(たてぶみ)()たまへば、げに(をんな)()にて、 ことにらうらうじきふしもえねど、おぼえなき、おほんめたてて、このたてぶみたまへば、げにをんなにて、
511.5.2171132 年改(としあらた)まりて、(なに)ごとかさぶらふ。御私(おほんわたくし)にも、いかにたのしき(おほん)よろこび(おほ)くはべらむ。 "としあらたまりて、なにごとかさぶらふ。おほんわたくしにも、いかにたのしきおほんよろこびおほくはべらん。
511.5.3172133 ここには、いとめでたき御住(おほんす)まひの心深(こころふか)さを、なほ、ふさはしからず()たてまつる。かくてのみ、つくづくと(なが)めさせたまふよりは、時々(ときどき)(わた)(まゐ)らせたまひて、御心(みこころ)(なぐさ)めさせたまへ、と(おも)ひはべるに、つつましく(おそ)ろしきものに(おぼ)しとりてなむ、もの()きことに(なげ)かせたまふめる。 ここには、いとめでたきおほんすまひのこころふかさを、なほ、ふさはしからずたてまつる。かくてのみ、つくづくとながめさせたまふよりは、ときどきわたまゐらせたまひて、みこころなぐさめさせたまへ、とおもひはべるに、つつましくおそろしきものにおぼしとりてなん、ものきことになげかせたまふめる。
511.5.4173135 若宮(わかみや)御前(おまへ)にとて、卯槌(うづち)まゐらせたまふ。(おほ)御前(おまへ)御覧(ごらん)ぜざらむほどに、御覧(ごらん)ぜさせたまへ、とてなむ」 わかみやおまへにとて、うづちまゐらせたまふ。おほおまへごらんぜざらんほどに、ごらんぜさせたまへ、とてなん。"
511.5.5174136 と、こまごまと言忌(こといみ)もえしあへず、もの(なげ)かしげなるさまのかたくなしげなるも、うち(かへ)しうち(かへ)し、あやしと御覧(ごらん)じて、 と、こまごまとこといみもえしあへず、ものなげかしげなるさまのかたくなしげなるも、うちかへしうちかへし、あやしとごらんじて、
511.5.6175137 (いま)は、のたまへかし。()がぞ」 "いまは、のたまへかし。がぞ。"
511.5.7176138 とのたまへば、 とのたまへば、
511.5.8177139 (むかし)、かの山里(やまざと)にありける(ひと)(むすめ)の、さるやうありて、このころかしこにあるとなむ()きはべりし」 "むかし、かのやまざとにありけるひとむすめの、さるやうありて、このころかしこにあるとなんきはべりし。"
511.5.9178140 ()こえたまへば、おしなべて(つか)うまつるとは()えぬ文書(ふみが)きを心得(こころえ)たまふに、かのわづらはしきことあるに(おぼ)()はせつ。 こえたまへば、おしなべてつかうまつるとはえぬふみがきをこころえたまふに、かのわづらはしきことあるにおぼはせつ。
511.5.10179141 卯槌(うづち)をかしう、つれづれなりける(ひと)のしわざと()えたり。またぶりに、山橘作(やまたちばなつく)りて、(つらぬ)()へたる(えだ)に、 うづちをかしう、つれづれなりけるひとのしわざとえたり。またぶりに、やまたちばなつくりて、つらぬへたるえだに、
511.5.11180142 「まだ()りぬ(もの)にはあれど(きみ)がため<BR/>(ふか)(こころ)()つと()らなむ」 "〔まだりぬものにはあれどきみがため<BR/>ふかこころつとらなん〕
511.5.12181143 と、ことなることなきを、「かの(おも)ひわたる(ひと)のにや」と(おぼ)()りぬるに、御目(おほんめ)とまりて、 と、ことなることなきを、"かのおもひわたるひとのにや。"とおぼりぬるに、おほんめとまりて、
511.5.13182144 (かへ)(ごと)したまへ。(なさ)けなし。(かく)いたまふべき(ふみ)にもあらざめるを。など、()けしきの()しき。まかりなむよ」 "かへごとしたまへ。なさけなし。かくいたまふべきふみにもあらざめるを。など、けしきのしき。まかりなんよ。"
511.5.14183145 とて、()ちたまひぬ。女君(をんなぎみ)少将(せうしゃう)などして、 とて、ちたまひぬ。をんなぎみせうしゃうなどして、
511.5.15184146 「いとほしくもありつるかな。(をさな)(ひと)()りつらむを、(ひと)はいかで()ざりつるぞ」 "いとほしくもありつるかな。をさなひとりつらんを、ひとはいかでざりつるぞ。"
511.5.16185147 など、(しの)びてのたまふ。 など、しのびてのたまふ。
511.5.17186148 ()たまへましかば、いかでかは、(まゐ)らせまし。すべて、この()心地(ここち)なうさし()ぐしてはべり。()先見(さきみ)えて、(ひと)は、おほどかなるこそをかしけれ」 "たまへましかば、いかでかは、まゐらせまし。すべて、このここちなうさしぐしてはべり。さきみえて、ひとは、おほどかなるこそをかしけれ。"
511.5.18187149 など(にく)めば、 などにくめば、
511.5.19188150 「あなかま。(をさな)(ひと)、な腹立(はらた)てそ」 "あなかま。をさなひと、なはらたてそ。"
511.5.20189151 とのたまふ。去年(こぞ)(ふゆ)(ひと)(まゐ)らせたる(わらは)の、(かほ)はいとうつくしかりければ、(みや)もいとらうたくしたまふなりけり。 とのたまふ。こぞふゆひとまゐらせたるわらはの、かほはいとうつくしかりければ、みやもいとらうたくしたまふなりけり。
511.6190152第六段 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る
511.6.1191153 わが御方(おほんかた)におはしまして、 わがおほんかたにおはしまして、
511.6.2192154 「あやしうもあるかな。宇治(うぢ)大将(だいしゃう)(かよ)ひたまふことは、(とし)ごろ()えずと()くなかにも、(しの)びて夜泊(よるとま)りたまふ(とき)もあり、と(ひと)()ひしを、いとあまりなる(ひと)形見(かたみ)とて、さるまじき(ところ)旅寝(たびね)したまふらむこと、と(おも)ひつるは、かやうの人隠(ひとかく)()きたまへるなるべし」 "あやしうもあるかな。うぢだいしゃうかよひたまふことは、としごろえずとくなかにも、しのびてよるとまりたまふときもあり、とひとひしを、いとあまりなるひとかたみとて、さるまじきところたびねしたまふらんこと、とおもひつるは、かやうのひとかくきたまへるなるべし。"
511.6.3193155 (おぼ)()ることもありて、御書(おほんふみ)のことにつけて使(つか)ひたまふ大内記(だいないき)なる(ひと)の、かの殿(との)(した)しきたよりあるを(おぼ)()でて、御前(おまへ)()す。(まゐ)れり。 おぼることもありて、おほんふみのことにつけてつかひたまふだいないきなるひとの、かのとのしたしきたよりあるをおぼでて、おまへす。まゐれり。
511.6.4194156 韻塞(ゐんふたぎ)すべきに、(しふ)ども()()でて、こなたなる厨子(づし)()むべきこと」 "ゐんふたぎすべきに、しふどもでて、こなたなるづしむべきこと。"
511.6.5195157 などのたまはせて、 などのたまはせて、
511.6.6196158 右大将(うだいしゃう)宇治(うぢ)へいますること、なほ()()てずや。(てら)をこそ、いとかしこく(つく)りたなれ。いかでか()るべき」 "うだいしゃううぢへいますること、なほてずや。てらをこそ、いとかしこくつくりたなれ。いかでかるべき。"
511.6.7197159 とのたまへば、 とのたまへば、
511.6.8198160 (てら)いとかしこく、いかめしく(つく)られて、不断(ふだん)三昧堂(さんまいだう)など、いと(たふと)くおきてられたり、となむ()きたまふる。(かよ)ひたまふことは、去年(こぞ)(あき)ごろよりは、ありしよりも、しばしばものしたまふなり。 "てらいとかしこく、いかめしくつくられて、ふだんさんまいだうなど、いとたふとくおきてられたり、となんきたまふる。かよひたまふことは、こぞあきごろよりは、ありしよりも、しばしばものしたまふなり。
511.6.9199161 (しも)(ひと)びとの(しの)びて(まう)ししは、『(をんな)をなむ(かく)()ゑさせたまへる、けしうはあらず(おぼ)(ひと)なるべし。あのわたりに(らう)じたまふ所々(ところどころ)(ひと)皆仰(みなおほ)せにて(まゐ)(つか)うまつる。宿直(とのゐ)にさし()てなどしつつ、(きゃう)よりもいと(しの)びて、さるべきことなど()はせたまふ。いかなる(さいは)(びと)の、さすがに心細(こころぼそ)くてゐたまへるならむ』となむ、ただこの師走(しはす)のころほひ(まう)す、と()きたまへし」 しもひとびとのしのびてまうししは、'をんなをなんかくゑさせたまへる、けしうはあらずおぼひとなるべし。あのわたりにらうじたまふところどころひとみなおほせにてまゐつかうまつる。とのゐにさしてなどしつつ、きゃうよりもいとしのびて、さるべきことなどはせたまふ。いかなるさいはびとの、さすがにこころぼそくてゐたまへるならん。'となん、ただこのしはすのころほひまうす、ときたまへし。"
511.6.10200162 ()こゆ。 こゆ。
511.7201163第七段 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ
511.7.1202164 「いとうれしくも()きつるかな」と(おも)ほして、 "いとうれしくもきつるかな。"とおもほして、
511.7.2203165 「たしかにその(ひと)とは、()はずや。かしこにもとよりある(あま)ぞ、(とぶ)らひたまふと()きし」 "たしかにそのひととは、はずや。かしこにもとよりあるあまぞ、とぶらひたまふときし。"
511.7.3204166 (あま)は、(らう)になむ()みはべるなる。この(ひと)は、今建(いまた)てられたるになむ、きたなげなき女房(にょうばう)などもあまたして、口惜(くちを)しからぬけはひにてゐてはべる」 "あまは、らうになんみはべるなる。このひとは、いまたてられたるになん、きたなげなきにょうばうなどもあまたして、くちをしからぬけはひにてゐてはべる。"
511.7.4205167 ()こゆ。 こゆ。
511.7.5206168 「をかしきことかな。何心(なにごころ)ありて、いかなる(ひと)をかは、さて()ゑたまひつらむ。なほ、いとけしきありて、なべての(ひと)()御心(みこころ)なりや。 "をかしきことかな。なにごころありて、いかなるひとをかは、さてゑたまひつらん。なほ、いとけしきありて、なべてのひとみこころなりや。
511.7.6207169 (みぎ)大臣(おとど)など、『この(ひと)のあまりに道心(だうしん)(すす)みて、山寺(やまでら)に、(よる)さへともすれば(とま)りたまふなる、軽々(かろがろ)し』ともどきたまふと()きしを、げに、などかさしも(ほとけ)(みち)には(しの)びありくらむ。なほ、かの故里(ふるさと)(こころ)をとどめたると()きし、かかることこそはありけれ。 みぎおとどなど、'このひとのあまりにだうしんすすみて、やまでらに、よるさへともすればとまりたまふなる、かろがろし。'ともどきたまふときしを、げに、などかさしもほとけみちにはしのびありくらん。なほ、かのふるさとこころをとどめたるときし、かかることこそはありけれ。
511.7.7208170 いづら、(ひと)よりはまめなるとさかしがる(ひと)しも、ことに(ひと)(おも)ひいたるまじき(くま)ある(かま)へよ」 いづら、ひとよりはまめなるとさかしがるひとしも、ことにひとおもひいたるまじきくまあるかまへよ。"
511.7.8209171 とのたまひて、いとをかしと(おぼ)いたり。この(ひと)は、かの殿(との)にいと(むつ)ましく(つか)うまつる家司(けいし)婿(むこ)になむありければ、(かく)したまふことも()くなるべし。 とのたまひて、いとをかしとおぼいたり。このひとは、かのとのにいとむつましくつかうまつるけいしむこになんありければ、かくしたまふこともくなるべし。
511.7.9210172 御心(みこころ)(うち)には、「いかにして、この(ひと)を、()(ひと)かとも見定(みさだ)めむ。かの(きみ)の、さばかりにて()ゑたるは、なべてのよろし(びと)にはあらじ。このわたりには、いかで(うと)からぬにかはあらむ。(こころ)()はして(かく)したまへりけるも、いとねたう」おぼゆ。 みこころうちには、"いかにして、このひとを、ひとかともみさだめん。かのきみの、さばかりにてゑたるは、なべてのよろしびとにはあらじ。このわたりには、いかでうとからぬにかはあらん。こころはしてかくしたまへりけるも、いとねたう"おぼゆ。
512211173第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
512.1212174第一段 匂宮、宇治行きを大内記に相談
512.1.1213175 ただそのことを、このころは(おぼ)ししみたり。賭弓(のりゆみ)内宴(ないえん)など()ぐして、(こころ)のどかなるに、司召(つかさめし)など()ひて、(ひと)心尽(こころつ)くすめる(かた)は、(なに)とも(おぼ)さねば、宇治(うぢ)(しの)びておはしまさむことをのみ(おぼ)しめぐらす。この内記(ないき)は、(のぞ)むことありて、夜昼(よるひる)、いかで御心(みこころ)()らむと(おも)ふころ、(れい)よりはなつかしう()使(つか)ひて、 ただそのことを、このころはおぼししみたり。のりゆみないえんなどぐして、こころのどかなるに、つかさめしなどひて、ひとこころつくすめるかたは、なにともおぼさねば、うぢしのびておはしまさんことをのみおぼしめぐらす。このないきは、のぞむことありて、よるひる、いかでみこころらんとおもふころ、れいよりはなつかしうつかひて、
512.1.2214176 「いと(かた)きことなりとも、わが()はむことは、たばかりてむや」 "いとかたきことなりとも、わがはんことは、たばかりてんや。"
512.1.3215177 などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。 などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。
512.1.4216178 「いと便(びん)なきことなれど、かの宇治(うぢ)()むらむ(ひと)は、はやうほのかに()(ひと)の、行方(ゆくへ)()らずなりにしが、大将(だいしゃう)(たづ)()られにける、と()きあはすることこそあれ。たしかには()るべきやうもなきを、ただ、ものより(のぞ)きなどして、それかあらぬかと見定(みさだ)めむ、となむ(おも)ふ。いささか(ひと)()るまじき(かま)へは、いかがすべき」 "いとびんなきことなれど、かのうぢむらんひとは、はやうほのかにひとの、ゆくへらずなりにしが、だいしゃうたづられにける、ときあはすることこそあれ。たしかにはるべきやうもなきを、ただ、ものよりのぞきなどして、それかあらぬかとみさだめん、となんおもふ。いささかひとるまじきかまへは、いかがすべき。"
512.1.5217179 とのたまへば、「あな、わづらはし」と(おも)へど、 とのたまへば、"あな、わづらはし。"とおもへど、
512.1.6218180 「おはしまさむことは、いと(あら)山越(やまご)えになむはべれど、ことにほど(とほ)くはさぶらはずなむ。(ゆふ)方出(かたい)でさせおはしまして、亥子(ゐね)(とき)にはおはしまし()きなむ。さて、(あかつき)にこそは(かへ)らせたまはめ。(ひと)()りはべらむことは、ただ御供(おほんとも)にさぶらひはべらむこそは。それも、(ふか)(こころ)はいかでか()りはべらむ」 "おはしまさんことは、いとあらやまごえになんはべれど、ことにほどとほくはさぶらはずなん。ゆふかたいでさせおはしまして、ゐねときにはおはしましきなん。さて、あかつきにこそはかへらせたまはめ。ひとりはべらんことは、ただおほんともにさぶらひはべらんこそは。それも、ふかこころはいかでかりはべらん。"
512.1.7219181 (まう)す。 まうす。
512.1.8220182 「さかし。(むかし)も、一度二度(ひとたびふたたび)(かよ)ひし(みち)なり。軽々(かろがろ)しきもどき()ひぬべきが、ものの()こえのつつましきなり」 "さかし。むかしも、ひとたびふたたびかよひしみちなり。かろがろしきもどきひぬべきが、もののこえのつつましきなり。"
512.1.9221183 とて、(かへ)(がへ)すあるまじきことに、わが御心(みこころ)にも(おぼ)せど、かうまでうち()でたまへれば、え(おも)ひとどめたまはず。 とて、かへがへすあるまじきことに、わがみこころにもおぼせど、かうまでうちでたまへれば、えおもひとどめたまはず。
512.2222184第二段 宮、馬で宇治へ赴く
512.2.1223185 御供(おほんとも)に、(むかし)もかしこの案内知(あないし)れりし(もの)()三人(さんにん)、この内記(ないき)、さては御乳母子(おほんめのとご)蔵人(くらうど)よりかうぶり()たる(わか)(ひと)(むつ)ましき(かぎ)りを()りたまひて、「大将(だいしゃう)今日明日(けふあす)よにおはせじ」など、内記(ないき)によく案内聞(あないき)きたまひて、()()ちたまふにつけても、いにしへを(おぼ)()づ。 おほんともに、むかしもかしこのあないしれりしものさんにん、このないき、さてはおほんめのとごくらうどよりかうぶりたるわかひとむつましきかぎりをりたまひて、"だいしゃうけふあすよにおはせじ。"など、ないきによくあないききたまひて、ちたまふにつけても、いにしへをおぼづ。
512.2.2224186 「あやしきまで(こころ)()はせつつ()てありきし(ひと)のために、うしろめたきわざにもあるかな」と、(おぼ)()づることもさまざまなるに、(きゃう)のうちだに、むげに人知(ひとし)らぬ(おほん)ありきは、さはいへど、えしたまはぬ御身(おほんみ)にしも、あやしきさまのやつれ姿(すがた)して、御馬(おほんむま)にておはする心地(ここち)も、もの(おそ)ろしくややましけれど、もののゆかしき(かた)(すす)みたる御心(みこころ)なれば、山深(やまふか)うなるままに、「いつしか、いかならむ、()あはすることもなくて(かへ)らむこそ、さうざうしくあやしかるべけれ」と(おぼ)すに、(こころ)(さわ)ぎたまふ。 "あやしきまでこころはせつつてありきしひとのために、うしろめたきわざにもあるかな。"と、おぼづることもさまざまなるに、きゃうのうちだに、むげにひとしらぬおほんありきは、さはいへど、えしたまはぬおほんみにしも、あやしきさまのやつれすがたして、おほんむまにておはするここちも、ものおそろしくややましけれど、もののゆかしきかたすすみたるみこころなれば、やまふかうなるままに、"いつしか、いかならん、あはすることもなくてかへらんこそ、さうざうしくあやしかるべけれ。"とおぼすに、こころさわぎたまふ。
512.2.3225187 法性寺(ほふさうじ)のほどまでは御車(みくるま)にて、それよりぞ御馬(おほんむま)にはたてまつりける。(いそ)ぎて、宵過(よひす)ぐるほどにおはしましぬ。内記(ないき)案内(あない)よく()れるかの殿(との)(ひと)()()きたりければ、宿直人(とのゐびと)ある(かた)には()らで、葦垣(あしがき)()めたる西表(にしおもて)を、やをらすこしこぼちて()りぬ。 ほふさうじのほどまではみくるまにて、それよりぞおほんむまにはたてまつりける。いそぎて、よひすぐるほどにおはしましぬ。ないきあないよくれるかのとのひときたりければ、とのゐびとあるかたにはらで、あしがきめたるにしおもてを、やをらすこしこぼちてりぬ。
512.2.4226188 (われ)もさすがにまだ()御住(おほんす)まひなれば、たどたどしけれど、(ひと)しげうなどしあらねば、寝殿(しんでん)南表(みなみおもて)にぞ、()ほの(ぐら)()えて、そよそよとする(おと)する。(まゐ)りて、 われもさすがにまだおほんすまひなれば、たどたどしけれど、ひとしげうなどしあらねば、しんでんみなみおもてにぞ、ほのぐらえて、そよそよとするおとする。まゐりて、
512.2.5227189 「まだ、(ひと)()きてはべるべし。ただ、これよりおはしまさむ」 "まだ、ひときてはべるべし。ただ、これよりおはしまさん。"
512.2.6228190 と、しるべして()れたてまつる。 と、しるべしてれたてまつる。
512.3229191第三段 匂宮、浮舟とその女房らを覗き見る
512.3.1230192 やをら(のぼ)りて、格子(かうし)(ひま)あるを()つけて()りたまふに、伊予簾(いよす)はさらさらと()るもつつまし。(あたら)しうきよげに(つく)りたれど、さすがに粗々(あらあら)しくて(ひま)ありけるを、()れかは()()むとも、うちとけて、(あな)()たがず、几帳(きちゃう)帷子(かたびら)うちかけておしやりたり。 やをらのぼりて、かうしひまあるをつけてりたまふに、いよすはさらさらとるもつつまし。あたらしうきよげにつくりたれど、さすがにあらあらしくてひまありけるを、れかはんとも、うちとけて、あなたがず、きちゃうかたびらうちかけておしやりたり。
512.3.2231193 火明(ひあか)(とも)して、もの()(ひと)(さん)四人居(よにんゐ)たり。(わらは)のをかしげなる、(いと)をぞ()る。これが(かほ)、まづかの火影(ほかげ)()たまひしそれなり。うちつけ()かと、なほ(うたが)はしきに、右近(うこん)()のりし(わか)(ひと)もあり。(きみ)は、(かひな)(まくら)にて、()(なが)めたるまみ、(かみ)のこぼれかかりたる(ひたひ)つき、いとあてやかになまめきて、(たい)御方(おほんかた)にいとようおぼえたり。 ひあかともして、ものひとさんよにんゐたり。わらはのをかしげなる、いとをぞる。これがかほ、まづかのほかげたまひしそれなり。うちつけかと、なほうたがはしきに、うこんのりしわかひともあり。きみは、かひなまくらにて、ながめたるまみ、かみのこぼれかかりたるひたひつき、いとあてやかになまめきて、たいおほんかたにいとようおぼえたり。
512.3.3232195 この右近(うこん)物折(ものを)るとて、 このうこんものをるとて、
512.3.4233196 「かくて(わた)らせたまひなば、とみにしもえ(かへ)(わた)らせたまはじを、殿(との)は、『この司召(つかさめし)のほど()ぎて、朔日(ついたち)ころにはかならずおはしましなむ』と、昨日(きのふ)御使(おほんつかひ)(まう)しけり。御文(おほんふみ)には、いかが()こえさせたまへりけむ」 "かくてわたらせたまひなば、とみにしもえかへわたらせたまはじを、とのは、'このつかさめしのほどぎて、ついたちころにはかならずおはしましなん。'と、きのふおほんつかひまうしけり。おほんふみには、いかがこえさせたまへりけん。"
512.3.5234197 ()へど、いらへもせず、いともの(おも)ひたるけしきなり。 へど、いらへもせず、いとものおもひたるけしきなり。
512.3.6235198 (をり)しも、はひ(かく)れさせたまへるやうならむが、見苦(みぐる)しさ」 "をりしも、はひかくれさせたまへるやうならんが、みぐるしさ。"
512.3.7236199 ()へば、(むか)ひたる(ひと) へば、むかひたるひと
512.3.8237200 「それは、かくなむ(わた)りぬると、御消息聞(おほんせうそこき)こえさせたまへらむこそよからめ。軽々(かろがろ)しう、いかでかは、(おと)なくては、はひ(かく)れさせたまはむ。御物詣(おほんものまう)での(のち)は、やがて(わた)りおはしましねかし。かくて心細(こころぼそ)きやうなれど、(こころ)にまかせてやすらかなる御住(おほんす)まひにならひて、なかなか旅心地(たびごこち)すべしや」 "それは、かくなんわたりぬると、おほんせうそこきこえさせたまへらんこそよからめ。かろがろしう、いかでかは、おとなくては、はひかくれさせたまはん。おほんものまうでののちは、やがてわたりおはしましねかし。かくてこころぼそきやうなれど、こころにまかせてやすらかなるおほんすまひにならひて、なかなかたびごこちすべしや。"
512.3.9238201 など()ふ。またあるは、 などふ。またあるは、
512.3.10239202 「なほ、しばし、かくて()ちきこえさせたまはむぞ、のどやかにさまよかるべき。(きゃう)へなど(むか)へたてまつらせたまへらむ(のち)、おだしくて(おや)にも()えたてまつらせたまへかし。このおとどの、いと(きふ)にものしたまひて、にはかにかう()こえなしたまふなめりかし。(むかし)(いま)も、もの(ねん)じしてのどかなる(ひと)こそ、(さいは)ひは見果(みは)てたまふなれ」 "なほ、しばし、かくてちきこえさせたまはんぞ、のどやかにさまよかるべき。きゃうへなどむかへたてまつらせたまへらんのち、おだしくておやにもえたてまつらせたまへかし。このおとどの、いときふにものしたまひて、にはかにかうこえなしたまふなめりかし。むかしいまも、ものねんじしてのどかなるひとこそ、さいはひはみはてたまふなれ。"
512.3.11240203 など()ふなり。右近(うこん) などふなり。うこん
512.3.12241204 「などて、この乳母(まま)をとどめたてまつらずなりにけむ。()いぬる(ひと)は、むつかしき(こころ)のあるにこそ」 "などて、このままをとどめたてまつらずなりにけん。いぬるひとは、むつかしきこころのあるにこそ。"
512.3.13242205 (にく)むは、乳母(めのと)やうの(ひと)をそしるなめり。「げに、(にく)(もの)ありかし」と(おぼ)()づるも、(ゆめ)心地(ここち)ぞする。かたはらいたきまで、うちとけたることどもを()ひて、 にくむは、めのとやうのひとをそしるなめり。"げに、にくものありかし。"とおぼづるも、ゆめここちぞする。かたはらいたきまで、うちとけたることどもをひて、
512.3.14243206 (みや)(うへ)こそ、いとめでたき御幸(おほんさいは)ひなれ。(みぎ)大殿(おほとの)の、さばかりめでたき御勢(おほんいきほ)ひにて、いかめしうののしりたまふなれど、若君生(わかぎみむま)れたまひて(のち)は、こよなくぞおはしますなる。かかるさかしら(びと)どものおはせで、御心(みこころ)のどかに、かしこうもてなしておはしますにこそはあめれ」 "みやうへこそ、いとめでたきおほんさいはひなれ。みぎおほとのの、さばかりめでたきおほんいきほひにて、いかめしうののしりたまふなれど、わかぎみむまれたまひてのちは、こよなくぞおはしますなる。かかるさかしらびとどものおはせで、みこころのどかに、かしこうもてなしておはしますにこそはあめれ。"
512.3.15244207 ()ふ。 ふ。
512.3.16245208 殿(との)だに、まめやかに(おも)ひきこえたまふこと()はらずは、(おと)りきこえたまふべきことかは」 "とのだに、まめやかにおもひきこえたまふことはらずは、おとりきこえたまふべきことかは。"
512.3.17246209 ()ふを、(きみ)、すこし()()がりて、 ふを、きみ、すこしがりて、
512.3.18247210 「いと()きにくきこと。よその(ひと)にこそ、(おと)らじともいかにとも(おも)はめ、かの(おほん)ことなかけても()ひそ。()()こゆるやうもあらば、かたはらいたからむ」 "いときにくきこと。よそのひとにこそ、おとらじともいかにともおもはめ、かのおほんことなかけてもひそ。こゆるやうもあらば、かたはらいたからん。"
512.3.19248211 など()ふ。 などふ。
512.4249212第四段 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
512.4.1250213 (なに)ばかりの親族(しぞく)にかはあらむ。いとよくも()かよひたるけはひかな」と(おも)(くら)ぶるに、「心恥(こころは)づかしげにてあてなるところは、かれはいとこよなし。これはただらうたげにこまかなるところぞいとをかしき」。よろしう、なりあはぬところを()つけたらむにてだに、さばかりゆかしと(おぼ)ししめたる(ひと)を、それと()て、さてやみたまふべき御心(みこころ)ならねば、まして(くま)もなく()たまふに、「いかでかこれをわがものにはなすべき」と、(こころ)(そら)になりたまひて、なほまもりたまへば、右近(うこん) "なにばかりのしぞくにかはあらん。いとよくもかよひたるけはひかな。"とおもくらぶるに、"こころはづかしげにてあてなるところは、かれはいとこよなし。これはただらうたげにこまかなるところぞいとをかしき。"よろしう、なりあはぬところをつけたらんにてだに、さばかりゆかしとおぼししめたるひとを、それとて、さてやみたまふべきみこころならねば、ましてくまもなくたまふに、"いかでかこれをわがものにはなすべき。"と、こころそらになりたまひて、なほまもりたまへば、うこん
512.4.2251214 「いとねぶたし。昨夜(よべ)もすずろに()()かしてき。明朝(つとめて)のほどにも、これは()ひてむ。(いそ)がせたまふとも、御車(みくるま)()たけてぞあらむ」 "いとねぶたし。よべもすずろにかしてき。つとめてのほどにも、これはひてん。いそがせたまふとも、みくるまたけてぞあらん。"
512.4.3252215 ()ひて、しさしたるものどもとり()して、几帳(きちゃう)にうち()けなどしつつ、うたた()のさまに()()しぬ。(きみ)もすこし(おく)()りて()す。右近(うこん)北表(きたおもて)()きて、しばしありてぞ()たる。(きみ)のあと(ちか)()しぬ。 ひて、しさしたるものどもとりして、きちゃうにうちけなどしつつ、うたたのさまにしぬ。きみもすこしおくりてす。うこんきたおもてきて、しばしありてぞたる。きみのあとちかしぬ。
512.4.4253216 ねぶたしと(おも)ひければ、いととう寝入(ねい)りぬるけしきを()たまひて、またせむやうもなければ、(しの)びやかにこの格子(かうし)をたたきたまふ。右近聞(うこんき)きつけて、 ねぶたしとおもひければ、いととうねいりぬるけしきをたまひて、またせんやうもなければ、しのびやかにこのかうしをたたきたまふ。うこんききつけて、
512.4.5254217 ()そ」 "そ。"
512.4.6255218 ()ふ。(こわ)づくりたまへば、あてなるしはぶきと()()りて、「殿(との)のおはしたるにや」と(おも)ひて、()きて()でたり。 ふ。こわづくりたまへば、あてなるしはぶきとりて、"とののおはしたるにや。"とおもひて、きてでたり。
512.4.7256219 「まづ、これ()けよ」 "まづ、これけよ。"
512.4.8257220 とのたまへば、 とのたまへば、
512.4.9258221 「あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。()はいたう()けはべりぬらむものを」 "あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。はいたうけはべりぬらんものを。"
512.4.10259222 ()ふ。 ふ。
512.4.11260223 「ものへ(わた)りたまふべかなりと、仲信(なかのぶ)()ひつれば、(おどろ)かれつるままに()()ちて。いとこそわりなかりつれ。まづ()けよ」 "ものへわたりたまふべかなりと、なかのぶひつれば、おどろかれつるままにちて。いとこそわりなかりつれ。まづけよ。"
512.4.12261224 とのたまふ(こゑ)、いとようまねび()せたまひて、(しの)びたれば、(おも)ひも()らず、かい(はな)つ。 とのたまふこゑ、いとようまねびせたまひて、しのびたれば、おもひもらず、かいはなつ。
512.4.13262225 (みち)にて、いとわりなく(おそ)ろしきことのありつれば、あやしき姿(すがた)になりてなむ。火暗(ひくら)うなせ」 "みちにて、いとわりなくおそろしきことのありつれば、あやしきすがたになりてなん。ひくらうなせ。"
512.4.14263226 とのたまへば、 とのたまへば、
512.4.15264227 「あな、いみじ」 "あな、いみじ。"
512.4.16265228 とあわてまどひて、()()りやりつ。 とあわてまどひて、りやりつ。
512.4.17266229 (われ)(ひと)()すなよ。()たりとて、人驚(ひとおどろ)かすな」 "われひとすなよ。たりとて、ひとおどろかすな。"
512.4.18267230 と、いとらうらうじき御心(みこころ)にて、もとよりもほのかに()たる御声(おほんこゑ)を、ただかの(おほん)けはひにまねびて()りたまふ。「ゆゆしきことのさまとのたまひつる、いかなる御姿(おほんすがた)ならむ」といとほしくて、(われ)(かく)ろへて()たてまつる。 と、いとらうらうじきみこころにて、もとよりもほのかにたるおほんこゑを、ただかのおほんけはひにまねびてりたまふ。"ゆゆしきことのさまとのたまひつる、いかなるおほんすがたならん。"といとほしくて、われかくろへてたてまつる。
512.4.19268231 いと(ほそ)やかになよなよと装束(さうぞ)きて、()()うばしきことも(おと)らず。(ちか)()りて、御衣(おほんぞ)ども()ぎ、()(がほ)にうち()したまへれば、 いとほそやかになよなよとさうぞきて、うばしきこともおとらず。ちかりて、おほんぞどもぎ、がほにうちしたまへれば、
512.4.20269232 (れい)御座(おまし)にこそ」 "れいおましにこそ。"
512.4.21270233 など()へど、ものものたまはず。御衾参(おほんふすままゐ)りて、()つる(ひと)びと()こして、すこし退(しぞ)きて皆寝(みなね)ぬ。御供(おほんとも)(ひと)など、(れい)の、ここには()らぬならひにて、 などへど、ものものたまはず。おほんふすままゐりて、つるひとびとこして、すこししぞきてみなねぬ。おほんともひとなど、れいの、ここにはらぬならひにて、
512.4.22271234 「あはれなる、()のおはしましざまかな」 "あはれなる、のおはしましざまかな。"
512.4.23272235 「かかる(おほん)ありさまを、御覧(ごらん)()らぬよ」 "かかるおほんありさまを、ごらんらぬよ。"
512.4.24273236 など、さかしらがる(ひと)もあれど、 など、さかしらがるひともあれど、
512.4.25274237 「あなかま、たまへ。夜声(よごゑ)は、ささめくしもぞ、かしかましき」 "あなかま、たまへ。よごゑは、ささめくしもぞ、かしかましき。"
512.4.26275238 など()ひつつ()ぬ。 などひつつぬ。
512.4.27276239 女君(をんなぎみ)は、「あらぬ(ひと)なりけり」と(おも)ふに、あさましういみじけれど、(こゑ)をだにせさせたまはず。いとつつましかりし(ところ)にてだに、わりなかりし御心(みこころ)なれば、ひたぶるにあさまし。(はじ)めよりあらぬ(ひと)()りたらば、いかがいふかひもあるべきを、(ゆめ)心地(ここち)するに、やうやう、その(をり)のつらかりし、年月(としつき)ごろ(おも)ひわたるさまのたまふに、この(みや)()りぬ。 をんなぎみは、"あらぬひとなりけり。"とおもふに、あさましういみじけれど、こゑをだにせさせたまはず。いとつつましかりしところにてだに、わりなかりしみこころなれば、ひたぶるにあさまし。はじめよりあらぬひとりたらば、いかがいふかひもあるべきを、ゆめここちするに、やうやう、そのをりのつらかりし、としつきごろおもひわたるさまのたまふに、このみやりぬ。
512.4.28277240 いよいよ()づかしく、かの(うへ)(おほん)ことなど(おも)ふに、またたけきことなければ、(かぎ)りなう()く。(みや)も、なかなかにて、たはやすく()()ざらむことなどを(おぼ)すに、()きたまふ。 いよいよづかしく、かのうへおほんことなどおもふに、またたけきことなければ、かぎりなうく。みやも、なかなかにて、たはやすくざらんことなどをおぼすに、きたまふ。
512.5278241第五段 翌朝、匂宮、京へ帰らず居座る
512.5.1279242 ()は、ただ()けに()く。御供(おほんとも)人来(ひとき)(こわ)づくる。右近聞(うこんき)きて(まゐ)れり。()でたまはむ心地(ここち)もなく、()かずあはれなるに、またおはしまさむことも(かた)ければ、「(きゃう)には(もと)(さわ)がるとも、今日(けふ)ばかりはかくてあらむ。何事(なにごと)()ける(かぎ)りのためこそあれ」。ただ今出(いまい)でおはしまさむは、まことに()ぬべく(おぼ)さるれば、この右近(うこん)()()せて、 は、ただけにく。おほんともひときこわづくる。うこんききてまゐれり。でたまはんここちもなく、かずあはれなるに、またおはしまさんこともかたければ、"きゃうにはもとさわがるとも、けふばかりはかくてあらん。なにごとけるかぎりのためこそあれ。"ただいまいでおはしまさんは、まことにぬべくおぼさるれば、このうこんせて、
512.5.2280243 「いと心地(ここち)なしと(おも)はれぬべけれど、今日(けふ)はえ()づまじうなむある。(をのこ)どもは、このわたり(ちか)からむ(ところ)に、よく(かく)ろへてさぶらへ。時方(ときかた)は、(きゃう)へものして、『山寺(やまでら)(しの)びてなむ』とつきづきしからむさまに、いらへなどせよ」 "いとここちなしとおもはれぬべけれど、けふはえづまじうなんある。をのこどもは、このわたりちかからんところに、よくかくろへてさぶらへ。ときかたは、きゃうへものして、'やまでらしのびてなん。'とつきづきしからんさまに、いらへなどせよ。"
512.5.3281244 とのたまふに、いとあさましくあきれて、(こころ)もなかりける()(あやま)ちを(おも)ふに、心地(ここち)(まど)ひぬべきを、(おも)(しづ)めて、 とのたまふに、いとあさましくあきれて、こころもなかりけるあやまちをおもふに、ここちまどひぬべきを、おもしづめて、
512.5.4282245 (いま)は、よろづにおぼほれ(さわ)ぐとも、かひあらじものから、なめげなり。あやしかりし(をり)に、いと(ふか)(おぼ)()れたりしも、かう(のが)れざりける御宿世(おほんすくせ)にこそありけれ。(ひと)のしたるわざかは」 "いまは、よろづにおぼほれさわぐとも、かひあらじものから、なめげなり。あやしかりしをりに、いとふかおぼれたりしも、かうのがれざりけるおほんすくせにこそありけれ。ひとのしたるわざかは。"
512.5.5283246 (おも)(なぐさ)めて、 おもなぐさめて、
512.5.6284247 今日(けふ)御迎(おほんむか)へにとはべりしを、いかにせさせたまはむとする(おほん)ことにか。かう(のが)れきこえさせたまふまじかりける御宿世(おほんすくせ)は、いと()こえさせはべらむ(かた)なし。(をり)こそいとわりなくはべれ。なほ、今日(けふ)()でおはしまして、御心(みこころ)ざしはべらば、のどかにも」 "けふおほんむかへにとはべりしを、いかにせさせたまはんとするおほんことにか。かうのがれきこえさせたまふまじかりけるおほんすくせは、いとこえさせはべらんかたなし。をりこそいとわりなくはべれ。なほ、けふでおはしまして、みこころざしはべらば、のどかにも。"
512.5.7285248 ()こゆ。「およすけても()ふかな」と(おぼ)して、 こゆ。"およすけてもふかな。"とおぼして、
512.5.8286249 (われ)は、(つき)ごろ(おも)ひつるに、ほれ()てにければ、(ひと)のもどかむも()はむも()られず、ひたぶるに(おも)ひなりにたり。すこしも()のことを(おも)(はば)からむ(ひと)の、かかるありきは(おも)()ちなむや。御返(おほんかへ)りには、『今日(けふ)物忌(ものいみ)』など()へかし。(ひと)()らるまじきことを、()がためにも(おも)へかし。異事(ことごと)はかひなし」 "われは、つきごろおもひつるに、ほれてにければ、ひとのもどかんもはんもられず、ひたぶるにおもひなりにたり。すこしものことをおもはばからんひとの、かかるありきはおもちなんや。おほんかへりには、'けふものいみ。'などへかし。ひとらるまじきことを、がためにもおもへかし。ことごとはかひなし。"
512.5.9287250 とのたまひて、この(ひと)の、()()らずあはれに(おぼ)さるるままに、よろづのそしりも(わす)れたまひぬべし。 とのたまひて、このひとの、らずあはれにおぼさるるままに、よろづのそしりもわすれたまひぬべし。
512.6288251第六段 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す
512.6.1289252 右近出(うこんい)でて、このおとなふ(ひと)に、 うこんいでて、このおとなふひとに、
512.6.2290253 「かくなむのたまはするを、なほ、いとかたはならむ、とを(まう)させたまへ。あさましうめづらかなる(おほん)ありさまは、さ(おぼ)しめすとも、かかる御供人(おほんともひと)どもの御心(みこころ)にこそあらめ。いかで、かう心幼(こころをさな)うは()てたてまつりたまふこそ。なめげなることを()こえさする山賤(やまがつ)などもはべらましかば、いかならまし」 "かくなんのたまはするを、なほ、いとかたはならん、とをまうさせたまへ。あさましうめづらかなるおほんありさまは、さおぼしめすとも、かかるおほんともひとどものみこころにこそあらめ。いかで、かうこころをさなうはてたてまつりたまふこそ。なめげなることをこえさするやまがつなどもはべらましかば、いかならまし。"
512.6.3291254 ()ふ。内記(ないき)は、「げに、いとわづらはしくもあるかな」と(おも)()てり。 ふ。ないきは、"げに、いとわづらはしくもあるかな。"とおもてり。
512.6.4292255 時方(ときかた)(おほ)せらるるは、()れにか。さなむ」 "ときかたおほせらるるは、れにか。さなん。"
512.6.5293256 (つた)ふ。(わら)ひて、 つたふ。わらひて、
512.6.6294257 (かうが)へたまふことどもの(おそ)ろしければ、さらずとも()げてまかでぬべし。まめやかには、おろかならぬ()けしきを()たてまつれば、()れも()れも、()()ててなむ。よしよし、宿直人(とのゐびと)も、皆起(みなお)きぬなり」 "かうがへたまふことどものおそろしければ、さらずともげてまかでぬべし。まめやかには、おろかならぬけしきをたてまつれば、れもれも、ててなん。よしよし、とのゐびとも、みなおきぬなり。"
512.6.7295258 とて(いそ)()でぬ。 とていそでぬ。
512.6.8296259 右近(うこん)、「(ひと)()らすまじうは、いかがはたばかるべき」とわりなうおぼゆ。(ひと)びと()きぬるに、 うこん、"ひとらすまじうは、いかがはたばかるべき。"とわりなうおぼゆ。ひとびときぬるに、
512.6.9297260 殿(との)は、さるやうありて、いみじう(しの)びさせたまふけしき()たてまつれば、(みち)にていみじきことのありけるなめり。御衣(おほんぞ)どもなど、()さり(しの)びて()(まゐ)るべくなむ、(おほ)せられつる」 "とのは、さるやうありて、いみじうしのびさせたまふけしきたてまつれば、みちにていみじきことのありけるなめり。おほんぞどもなど、さりしのびてまゐるべくなん、おほせられつる。"
512.6.10298261 など()ふ。御達(ごたち) などふ。ごたち
512.6.11299262 「あな、むくつけや。木幡山(こはたやま)は、いと(おそ)ろしかなる(やま)ぞかし。(れい)の、御前駆(おほんさき)()はせたまはず、やつれておはしましけむに、あな、いみじや」 "あな、むくつけや。こはたやまは、いとおそろしかなるやまぞかし。れいの、おほんさきはせたまはず、やつれておはしましけんに、あな、いみじや。"
512.6.12300263 ()へば、 へば、
512.6.13301264 「あなかま、あなかま。下衆(げす)などの、ちりばかりも()きたらむに、いといみじからむ」 "あなかま、あなかま。げすなどの、ちりばかりもきたらんに、いといみじからん。"
512.6.14302265 ()ひゐたる、心地恐(ここちおそ)ろし。あやにくに、殿(との)御使(おほんつかひ)のあらむ(とき)、いかに()はむと、 ひゐたる、ここちおそろし。あやにくに、とのおほんつかひのあらんとき、いかにはんと、
512.6.15303266 初瀬(はつせ)観音(かのん)今日事(けふこと)なくて()らしたまへ」 "はつせかのんけふことなくてらしたまへ。"
512.6.16304267 と、大願(たいがん)をぞ()てける。 と、たいがんをぞてける。
512.6.17305268 石山(いしやま)今日詣(けふまう)でさせむとて、母君(ははぎみ)(むか)ふるなりけり。この(ひと)びともみな精進(さうじん)し、きよまはりてあるに、 いしやまけふまうでさせんとて、ははぎみむかふるなりけり。このひとびともみなさうじんし、きよまはりてあるに、
512.6.18306269 「さらば、今日(けふ)は、え(わた)らせたまふまじきなめり。いと口惜(くちを)しきこと」 "さらば、けふは、えわたらせたまふまじきなめり。いとくちをしきこと。"
512.6.19307270 ()ふ。 ふ。
512.7308271第七段 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる
512.7.1309272 日高(ひたか)くなれば、格子(かうし)など()げて、右近(うこん)(ちか)くて(つか)うまつりける。母屋(もや)(すだれ)皆下(みなお)ろしわたして、「物忌(ものいみ)」など()かせて()けたり。母君(ははぎみ)もやみづからおはするとて、「夢見騒(ゆめみさわ)がしかりつ」と()ひなすなりけり。御手水(みてうづ)など(まゐ)りたるさまは、(れい)のやうなれど、まかなひめざましう(おぼ)されて、 ひたかくなれば、かうしなどげて、うこんちかくてつかうまつりける。もやすだれみなおろしわたして、"ものいみ"などかせてけたり。ははぎみもやみづからおはするとて、"ゆめみさわがしかりつ。"とひなすなりけり。みてうづなどまゐりたるさまは、れいのやうなれど、まかなひめざましうおぼされて、
512.7.2310273 「そこに(あら)はせたまはば」 "そこにあらはせたまはば。"
512.7.3311274 とのたまふ。(をんな)、いとさまよう(こころ)にくき(ひと)()ならひたるに、(とき)()()ざらむに()ぬべしと(おぼ)()がるる(ひと)を、「(こころ)ざし(ふか)しとは、かかるを()ふにやあらむ」と(おも)()らるるにも、「あやしかりける()かな。()れも、ものの()こえあらば、いかに(おぼ)さむ」と、まづかの(うへ)御心(みこころ)(おも)()できこゆれど、 とのたまふ。をんな、いとさまようこころにくきひとならひたるに、ときざらんにぬべしとおぼがるるひとを、"こころざしふかしとは、かかるをふにやあらん。"とおもらるるにも、"あやしかりけるかな。れも、もののこえあらば、いかにおぼさん。"と、まづかのうへみこころおもできこゆれど、
512.7.4312275 ()らぬを、(かへ)(がへ)すいと心憂(こころう)し。なほ、あらむままにのたまへ。いみじき下衆(げす)といふとも、いよいよなむあはれなるべき」 "らぬを、かへがへすいとこころうし。なほ、あらんままにのたまへ。いみじきげすといふとも、いよいよなんあはれなるべき。"
512.7.5313276 と、わりなう()ひたまへど、その(おほん)いらへは()えてせず。異事(ことごと)は、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いと(かぎ)りなうらうたしとのみ()たまふ。 と、わりなうひたまへど、そのおほんいらへはえてせず。ことごとは、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いとかぎりなうらうたしとのみたまふ。
512.7.6314277 日高(ひたか)くなるほどに、(むか)への人来(ひとき)たり。車二(くるまふた)つ、(むま)なる(ひと)びとの、(れい)の、(あら)らかなる(しち)八人(はちにん)(をのこ)ども(おほ)く、(れい)の、品々(しなじな)しからぬけはひ、さへづりつつ()()たれば、(ひと)びとかたはらいたがりつつ、 ひたかくなるほどに、むかへのひときたり。くるまふたつ、むまなるひとびとの、れいの、あららかなるしちはちにんをのこどもおほく、れいの、しなじなしからぬけはひ、さへづりつつたれば、ひとびとかたはらいたがりつつ、
512.7.7315278 「あなたに(かく)れよ」 "あなたにかくれよ。"
512.7.8316279 ()はせなどす。右近(うこん)、「いかにせむ。殿(との)なむおはする、と()ひたらむに、(きゃう)にさばかりの(ひと)のおはし、おはせず、おのづから()きかよひて、(かく)れなきこともこそあれ」と(おも)ひて、この(ひと)びとにも、ことに()()はせず、(かへ)事書(ごとか)く。 はせなどす。うこん、"いかにせん。とのなんおはする、とひたらんに、きゃうにさばかりのひとのおはし、おはせず、おのづからきかよひて、かくれなきこともこそあれ。"とおもひて、このひとびとにも、ことにはせず、かへごとかく。
512.7.9317280 昨夜(よべ)より(けが)れさせたまひて、いと口惜(くちを)しきことを(おぼ)(なげ)くめりしに、今宵(こよひ)夢見騒(ゆめみさわ)がしく()えさせたまひつれば、今日(けふ)ばかり(つつし)ませたまへとてなむ、物忌(ものいみ)にてはべる。(かへ)(がへ)す、口惜(くちを)しく、ものの(さまた)げのやうに()たてまつりはべる」 "よべよりけがれさせたまひて、いとくちをしきことをおぼなげくめりしに、こよひゆめみさわがしくえさせたまひつれば、けふばかりつつしませたまへとてなん、ものいみにてはべる。かへがへす、くちをしく、もののさまたげのやうにたてまつりはべる。"
512.7.10318281 ()きて、(ひと)びとに(もの)など()はせてやりつ。尼君(あまぎみ)にも、 きて、ひとびとにものなどはせてやりつ。あまぎみにも、
512.7.11319282 今日(けふ)物忌(ものいみ)にて、(わた)りたまはぬ」 "けふものいみにて、わたりたまはぬ。"
512.7.12320283 ()はせたり。 はせたり。
512.8321284第八段 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす
512.8.1322285 (れい)()らしがたくのみ、(かす)める山際(やまぎは)(なが)めわびたまふに、()()くはわびしくのみ(おぼ)()らるる(ひと)()かれたてまつりて、いとはかなう()れぬ。(まぎ)るることなくのどけき(はる)()に、()れども()れども()かず、そのことぞとおぼゆる(くま)なく、愛敬(あいぎゃう)づきなつかしくをかしげなり。 れいらしがたくのみ、かすめるやまぎはながめわびたまふに、くはわびしくのみおぼらるるひとかれたてまつりて、いとはかなうれぬ。まぎるることなくのどけきはるに、れどもれどもかず、そのことぞとおぼゆるくまなく、あいぎゃうづきなつかしくをかしげなり。
512.8.2323286 さるは、かの(たい)御方(おほんかた)には似劣(におと)りなり。大殿(おほとの)(きみ)(さか)りに(にほ)ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの(ひと)を、たぐひなう(おぼ)さるるほどなれば、「また()らずをかし」とのみ()たまふ。 さるは、かのたいおほんかたにはにおとりなり。おほとのきみさかりににほひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどのひとを、たぐひなうおぼさるるほどなれば、"またらずをかし。"とのみたまふ。
512.8.3324287 (をんな)はまた、大将殿(だいしゃうどの)を、いときよげに、またかかる(ひと)あらむやと()しかど、「こまやかに(にほ)ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と()る。 をんなはまた、だいしゃうどのを、いときよげに、またかかるひとあらんやとしかど、"こまやかににほひきよらなることは、こよなくおはしけり。"とる。
512.8.4325289 (すずり)ひき()せて、手習(てならひ)などしたまふ。いとをかしげに()きすさび、()などを見所多(みどころおほ)()きたまへれば、(わか)心地(ここち)には、(おも)ひも(うつ)りぬべし。 すずりひきせて、てならひなどしたまふ。いとをかしげにきすさび、などをみどころおほきたまへれば、わかここちには、おもひもうつりぬべし。
512.8.5326290 (こころ)より(ほか)に、え()ざらむほどは、これを()たまへよ」 "こころよりほかに、えざらんほどは、これをたまへよ。"
512.8.6327291 とて、いとをかしげなる男女(をとこをんな)、もろともに()()したる(かた)()きたまひて、 とて、いとをかしげなるをとこをんな、もろともにしたるかたきたまひて、
512.8.7328292 (つね)にかくてあらばや」 "つねにかくてあらばや。"
512.8.8329293 などのたまふも、涙落(なみだお)ちぬ。 などのたまふも、なみだおちぬ。
512.8.9330294 (なが)()(たの)めてもなほ(かな)しきは<BR/>ただ明日知(あすし)らぬ(いのち)なりけり "〔ながたのめてもなほかなしきは<BR/>ただあすしらぬいのちなりけり
512.8.10331295 いとかう(おも)ふこそ、ゆゆしけれ。(こころ)()をもさらにえまかせず、よろづにたばからむほど、まことに()ぬべくなむおぼゆる。つらかりし(おほん)ありさまを、なかなか(なに)(たづ)()でけむ」 いとかうおもふこそ、ゆゆしけれ。こころをもさらにえまかせず、よろづにたばからんほど、まことにぬべくなんおぼゆる。つらかりしおほんありさまを、なかなかなにたづでけん。"
512.8.11332296 などのたまふ。(をんな)()らしたまへる(ふで)()りて、 などのたまふ。をんならしたまへるふでりて、
512.8.12333297 (こころ)をば(なげ)かざらまし(いのち)のみ<BR/>(さだ)めなき()(おも)はましかば」 "〔こころをばなげかざらましいのちのみ<BR/>さだめなきおもはましかば〕
512.8.13334298 とあるを、「()はらむをば(うら)めしう(おも)ふべかりけり」と()たまふにも、いとらうたし。 とあるを、"はらんをばうらめしうおもふべかりけり。"とたまふにも、いとらうたし。
512.8.14335299 「いかなる(ひと)心変(こころが)はりを()ならひて」 "いかなるひとこころがはりをならひて。"
512.8.15336300 など、ほほ()みて、大将(だいしゃう)のここに(わた)(はじ)めたまひけむほどを、(かへ)(がへ)すゆかしがりたまひて、()ひたまふを、(くる)しがりて、 など、ほほみて、だいしゃうのここにわたはじめたまひけんほどを、かへがへすゆかしがりたまひて、ひたまふを、くるしがりて、
512.8.16337301 「え()はぬことを、かうのたまふこそ」 "えはぬことを、かうのたまふこそ。"
512.8.17338302 と、うち(ゑん)じたるさまも、(わか)びたり。おのづからそれは()()でてむ、と(おぼ)すものから、()はせまほしきぞわりなきや。 と、うちゑんじたるさまも、わかびたり。おのづからそれはでてん、とおぼすものから、はせまほしきぞわりなきや。
512.9339303第九段 翌朝、匂宮、京へ帰る
512.9.1340304 ()さり、(きゃう)(つか)はしつる大夫参(たいふまゐ)りて、右近(うこん)()ひたり。 さり、きゃうつかはしつるたいふまゐりて、うこんひたり。
512.9.2341305 (きさい)(みや)よりも御使参(おほんつかひまゐ)りて、(みぎ)大殿(おほとの)もむつかりきこえさせたまひて、『(ひと)()られさせたまはぬ(おほん)ありきは、いと軽々(かろがろ)しく、なめげなることもあるを、すべて、内裏(うち)などに()こし()さむことも、()のためなむいとからき』といみじく(まう)させたまひけり。東山(ひんがしやま)聖御覧(ひじりごらん)じにとなむ、(ひと)にはものしはべりつる」 "きさいみやよりもおほんつかひまゐりて、みぎおほとのもむつかりきこえさせたまひて、'ひとられさせたまはぬおほんありきは、いとかろがろしく、なめげなることもあるを、すべて、うちなどにこしさんことも、のためなんいとからき'といみじくまうさせたまひけり。ひんがしやまひじりごらんじにとなん、ひとにはものしはべりつる。"
512.9.3342306 など(かた)りて、 などかたりて、
512.9.4343307 (をんな)こそ罪深(つみふか)うおはするものはあれ。すずろなる眷属(けんぞく)(ひと)をさへ(まど)はしたまひて、虚言(そらごと)をさへせさせたまふよ」 "をんなこそつみふかうおはするものはあれ。すずろなるけんぞくひとをさへまどはしたまひて、そらごとをさへせさせたまふよ。"
512.9.5344308 ()へば、 へば、
512.9.6345309 (ひじり)()をさへつけきこえさせたまひてければ、いとよし。(わたくし)(つみ)も、それにて(ほろ)ぼしたまふらむ。まことに、いとあやしき御心(みこころ)の、げに、いかでならはせたまひけむ。かねてかうおはしますべしと(うけたまは)らましにも、いとかたじけなければ、たばかりきこえさせてましものを。(あう)なき(おほん)ありきにこそは」 "ひじりをさへつけきこえさせたまひてければ、いとよし。わたくしつみも、それにてほろぼしたまふらん。まことに、いとあやしきみこころの、げに、いかでならはせたまひけん。かねてかうおはしますべしとうけたまはらましにも、いとかたじけなければ、たばかりきこえさせてましものを。あうなきおほんありきにこそは。"
512.9.7346310 と、(あつか)ひきこゆ。 と、あつかひきこゆ。
512.9.8347311 (まゐ)りて、「さなむ」とまねびきこゆれば、「げに、いかならむ」と、(おぼ)しやるに、 まゐりて、"さなん。"とまねびきこゆれば、"げに、いかならん。"と、おぼしやるに、
512.9.9348312 所狭(ところせ)()こそわびしけれ。(かろ)らかなるほどの殿上人(てんじゃうびと)などにて、しばしあらばや。いかがすべき。かうつつむべき人目(ひとめ)も、え(はばか)りあふまじくなむ。 "ところせこそわびしけれ。かろらかなるほどのてんじゃうびとなどにて、しばしあらばや。いかがすべき。かうつつむべきひとめも、えはばかりあふまじくなん。
512.9.10349313 大将(だいしゃう)もいかに(おも)はむとすらむ。さるべきほどとは()ひながら、あやしきまで、(むかし)より(むつ)ましき(なか)に、かかる(こころ)(へだ)ての()られたらむ(とき)()づかしう、またいかにぞや。 だいしゃうもいかにおもはんとすらん。さるべきほどとはひながら、あやしきまで、むかしよりむつましきなかに、かかるこころへだてのられたらんときづかしう、またいかにぞや。
512.9.11350314 ()のたとひに()ふこともあれば、()(どほ)なるわがおこたりをも()らず、(うら)みられたまはむをさへなむ(おも)ふ。(ゆめ)にも(ひと)()られたまふまじきさまにて、ここならぬ(ところ)()(はな)れたてまつらむ」 のたとひにふこともあれば、どほなるわがおこたりをもらず、うらみられたまはんをさへなんおもふ。ゆめにもひとられたまふまじきさまにて、ここならぬところはなれたてまつらん。"
512.9.12351315 とぞのたまふ。今日(けふ)さへかくて()もりゐたまふべきならねば、()でたまひなむとするにも、(そで)(なか)にぞ(とど)めたまひつらむかし。 とぞのたまふ。けふさへかくてもりゐたまふべきならねば、でたまひなんとするにも、そでなかにぞとどめたまひつらんかし。
512.9.13352316 ()()てぬ(さき)にと、(ひと)びとしはぶき(おどろ)かしきこゆ。妻戸(つまど)にもろともに()ておはして、え()でやりたまはず。 てぬさきにと、ひとびとしはぶきおどろかしきこゆ。つまどにもろともにておはして、えでやりたまはず。
512.9.14353317 ()()らず(まど)ふべきかな(さき)()つ<BR/>(なみだ)(みち)をかきくらしつつ」 "〔らずまどふべきかなさきつ<BR/>なみだみちをかきくらしつつ〕
512.9.15354318 (をんな)も、(かぎ)りなくあはれと(おも)ひけり。 をんなも、かぎりなくあはれとおもひけり。
512.9.16355319 (なみだ)をもほどなき(そで)にせきかねて<BR/>いかに(わか)れをとどむべき()ぞ」 "〔なみだをもほどなきそでにせきかねて<BR/>いかにわかれをとどむべきぞ〕
512.9.17356321 (かぜ)(おと)もいと(あら)ましく、霜深(しもふか)(あかつき)に、おのが衣々(きぬぎぬ)(ひや)やかになりたる心地(ここち)して、御馬(おほんむま)()りたまふほど、()(かへ)すやうにあさましけれど、御供(おほんとも)(ひと)びと、「いと(たわぶ)れにくし」と(おも)ひて、ただ(いそ)がしに(いそ)がし()づれば、(われ)にもあらで()でたまひぬ。 かぜおともいとあらましく、しもふかあかつきに、おのがきぬぎぬひややかになりたるここちして、おほんむまりたまふほど、かへすやうにあさましけれど、おほんともひとびと、"いとたわぶれにくし。"とおもひて、ただいそがしにいそがしづれば、われにもあらででたまひぬ。
512.9.18357322 この五位二人(ごゐふたり)なむ、御馬(おほんむま)(くち)にはさぶらひける。さかしき山越(やまご)()でてぞ、おのおの(むま)には()る。みぎはの(こほり)()みならす(むま)足音(あしおと)さへ、心細(こころぼそ)くもの(がな)し。(むかし)もこの(みち)にのみこそは、かかる山踏(やまぶ)みはしたまひしかば、「あやしかりける(さと)(ちぎ)りかな」と(おぼ)す。 このごゐふたりなん、おほんむまくちにはさぶらひける。さかしきやまごでてぞ、おのおのむまにはる。みぎはのこほりみならすむまあしおとさへ、こころぼそくものがなし。むかしもこのみちにのみこそは、かかるやまぶみはしたまひしかば、"あやしかりけるさとちぎりかな。"とおぼす。
513358323第三章 浮舟と薫の物語 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す
513.1359324第一段 匂宮、二条院に帰邸し、中君を責める
513.1.1360325 二条(にでう)(ゐん)におはしまし()きて、女君(をんなぎみ)のいと心憂(こころう)かりし(おほん)もの(かく)しもつらければ、(こころ)やすき(かた)大殿籠(おほとのご)もりぬるに、()られたまはず、いと(さび)しきに、もの(おも)ひまされば、心弱(こころよわ)(たい)(わた)りたまひぬ。 にでうゐんにおはしましきて、をんなぎみのいとこころうかりしおほんものかくしもつらければ、こころやすきかたおほとのごもりぬるに、られたまはず、いとさびしきに、ものおもひまされば、こころよわたいわたりたまひぬ。
513.1.2361326 何心(なにごころ)もなく、いときよげにておはす。「めづらしくをかしと()たまひし(ひと)よりも、またこれはなほありがたきさまはしたまへりかし」と()たまふものから、いとよく()たるを(おも)()でたまふも、胸塞(むねふた)がれば、いたくもの(おぼ)したるさまにて、御帳(みちゃう)()りて大殿籠(おほとのご)もる。女君(をんなぎみ)()()りきこえたまひて、 なにごころもなく、いときよげにておはす。"めづらしくをかしとたまひしひとよりも、またこれはなほありがたきさまはしたまへりかし。"とたまふものから、いとよくたるをおもでたまふも、むねふたがれば、いたくものおぼしたるさまにて、みちゃうりておほとのごもる。をんなぎみりきこえたまひて、
513.1.3362327 心地(ここち)こそいと()しけれ。いかならむとするにかと、心細(こころぼそ)くなむある。まろは、いみじくあはれと見置(みお)いたてまつるとも、(おほん)ありさまはいととく()はりなむかし。(ひと)本意(ほい)は、かならずかなふなれば」 "ここちこそいとしけれ。いかならんとするにかと、こころぼそくなんある。まろは、いみじくあはれとみおいたてまつるとも、おほんありさまはいととくはりなんかし。ひとほいは、かならずかなふなれば。"
513.1.4363328 とのたまふ。「けしからぬことをも、まめやかにさへのたまふかな」と(おも)ひて、 とのたまふ。"けしからぬことをも、まめやかにさへのたまふかな。"とおもひて、
513.1.5364329 「かう()きにくきことの()りて()こえたらば、いかやうに()こえなしたるにかと、(ひと)(おも)()りたまはむこそ、あさましけれ。心憂(こころう)()には、すずろなることもいと(くる)しく」 "かうきにくきことのりてこえたらば、いかやうにこえなしたるにかと、ひとおもりたまはんこそ、あさましけれ。こころうには、すずろなることもいとくるしく。"
513.1.6365330 とて、(そむ)きたまへり。(みや)も、まめだちたまひて、 とて、そむきたまへり。みやも、まめだちたまひて、
513.1.7366331 「まことにつらしと(おも)ひきこゆることもあらむは、いかが(おぼ)さるべき。まろは、(おほん)ためにおろかなる(ひと)かは。(ひと)も、ありがたしなど、とがむるまでこそあれ。(ひと)にはこよなう(おも)()としたまふべかめり。()れもさべきにこそはと、ことわらるるを、(へだ)てたまふ御心(みこころ)(ふか)きなむ、いと心憂(こころう)き」 "まことにつらしとおもひきこゆることもあらんは、いかがおぼさるべき。まろは、おほんためにおろかなるひとかは。ひとも、ありがたしなど、とがむるまでこそあれ。ひとにはこよなうおもとしたまふべかめり。れもさべきにこそはと、ことわらるるを、へだてたまふみこころふかきなん、いとこころうき。"
513.1.8367332 とのたまふにも、「宿世(すくせ)のおろかならで、(たづ)()りたるぞかし」と(おぼ)()づるに、(なみだ)ぐまれぬ。まめやかなるを、「いとほしう、いかやうなることを()きたまへるならむ」と(おどろ)かるるに、いらへきこえたまはむ(こと)もなし。 とのたまふにも、"すくせのおろかならで、たづりたるぞかし。"とおぼづるに、なみだぐまれぬ。まめやかなるを、"いとほしう、いかやうなることをきたまへるならん。"とおどろかるるに、いらへきこえたまはんこともなし。
513.1.9368333 「ものはかなきさまにて()そめたまひしに、(なに)ごとをも(かろ)らかに()(はか)りたまふにこそはあらめ。すずろなる(ひと)をしるべにて、その心寄(こころよ)せを(おも)()(はじ)めなどしたる(あやま)ちばかりに、おぼえ(おと)()にこそ」と(おぼ)(つづ)くるも、よろづ(かな)しくて、いとどらうたげなる(おほん)けはひなり。 "ものはかなきさまにてそめたまひしに、なにごとをもかろらかにはかりたまふにこそはあらめ。すずろなるひとをしるべにて、そのこころよせをおもはじめなどしたるあやまちばかりに、おぼえおとにこそ。"とおぼつづくるも、よろづかなしくて、いとどらうたげなるおほんけはひなり。
513.1.10369334 「かの人見(ひとみ)つけたることは、しばし()らせたてまつらじ」と(おぼ)せば、「(こと)ざまに(おも)はせて(うら)みたまふを、ただこの大将(だいしゃう)(おほん)ことをまめまめしくのたまふ」と(おぼ)すに、「(ひと)虚言(そらごと)をたしかなるやうに()こえたらむ」など(おぼ)す。ありやなしやを()かぬ()は、()えたてまつらむも()づかし。 "かのひとみつけたることは、しばしらせたてまつらじ。"とおぼせば、"ことざまにおもはせてうらみたまふを、ただこのだいしゃうおほんことをまめまめしくのたまふ。"とおぼすに、"ひとそらごとをたしかなるやうにこえたらん。"などおぼす。ありやなしやをかぬは、えたてまつらんもづかし。
513.2370335第二段 明石中宮からと薫の見舞い
513.2.1371336 内裏(うち)より大宮(おほみや)御文(おほんふみ)あるに、(おどろ)きたまひて、なほ心解(こころと)けぬ()けしきにて、あなたに(わた)りたまひぬ。 うちよりおほみやおほんふみあるに、おどろきたまひて、なほこころとけぬけしきにて、あなたにわたりたまひぬ。
513.2.2372337 昨日(きのふ)のおぼつかなさを。(なや)ましく(おぼ)されたなる、よろしくは(まゐ)りたまへ。(ひさ)しうもなりにけるを」 "きのふのおぼつかなさを。なやましくおぼされたなる、よろしくはまゐりたまへ。ひさしうもなりにけるを。"
513.2.3373338 などやうに()こえたまへれば、(さわ)がれたてまつらむも(くる)しけれど、まことに御心地(みここち)(たが)ひたるやうにて、その()(まゐ)りたまはず。上達部(かんだちめ)など、あまた(まゐ)りたまへど、御簾(みす)(うち)にて()らしたまふ。 などやうにこえたまへれば、さわがれたてまつらんもくるしけれど、まことにみここちたがひたるやうにて、そのまゐりたまはず。かんだちめなど、あまたまゐりたまへど、みすうちにてらしたまふ。
513.2.4374339 (ゆふ)(かた)右大将参(うだいしゃうまゐ)りたまへり。 ゆふかたうだいしゃうまゐりたまへり。
513.2.5375340 「こなたにを」 "こなたにを。"
513.2.6376341 とて、うちとけながら対面(たいめん)したまへり。 とて、うちとけながらたいめんしたまへり。
513.2.7377342 (なや)ましげにおはします、とはべりつれば、(みや)にもいとおぼつかなく(おぼ)()してなむ。いかやうなる御悩(おほんなや)みにか」 "なやましげにおはします、とはべりつれば、みやにもいとおぼつかなくおぼしてなん。いかやうなるおほんなやみにか。"
513.2.8378343 ()こえたまふ。()るからに、御心騷(みこころさわ)ぎのいとどまされば、言少(ことずく)なにて、「(ひじり)だつと()ひながら、こよなかりける山伏心(やまぶしごころ)かな。さばかりあはれなる(ひと)を、さて()きて、(こころ)のどかに月日(つきひ)()ちわびさすらむよ」と(おぼ)す。 こえたまふ。るからに、みこころさわぎのいとどまされば、ことずくなにて、"ひじりだつとひながら、こよなかりけるやまぶしごころかな。さばかりあはれなるひとを、さてきて、こころのどかにつきひちわびさすらんよ。"とおぼす。
513.2.9379344 (れい)は、さしもあらぬことのついでにだに、(われ)はまめ(びと)ともてなし()のりたまふを、ねたがりたまひて、よろづにのたまひ(やぶ)るを、かかること見表(みあら)はいたるを、いかにのたまはまし。されど、さやうの(たはぶ)(ごと)もかけたまはず、いと(くる)しげに()えたまへば、 れいは、さしもあらぬことのついでにだに、われはまめびとともてなしのりたまふを、ねたがりたまひて、よろづにのたまひやぶるを、かかることみあらはいたるを、いかにのたまはまし。されど、さやうのたはぶごともかけたまはず、いとくるしげにえたまへば、
513.2.10380345 不便(ふびん)なるわざかな。おどろおどろしからぬ御心地(みここち)の、さすがに日数経(ひかずふ)るは、いと()しきわざにはべり。御風邪(おほんかぜ)よくつくろはせたまへ」 "ふびんなるわざかな。おどろおどろしからぬみここちの、さすがにひかずふるは、いとしきわざにはべり。おほんかぜよくつくろはせたまへ。"
513.2.11381346 など、まめやかに()こえおきて()でたまひぬ。「()づかしげなる(ひと)なりかし。わがありさまを、いかに(おも)(くら)べけむ」など、さまざまなることにつけつつも、ただこの(ひと)を、(とき)間忘(まわす)れず(おぼ)()づ。 など、まめやかにこえおきてでたまひぬ。"づかしげなるひとなりかし。わがありさまを、いかにおもくらべけん。"など、さまざまなることにつけつつも、ただこのひとを、ときまわすれずおぼづ。
513.2.12382347 かしこには、石山(いしやま)()まりて、いとつれづれなり。御文(おほんふみ)には、いといみじきことを()(あつ)めたまひて(つか)はす。それだに(こころ)やすからず、「時方(ときかた)」と()しし大夫(たいふ)従者(ずさ)の、(こころ)()らぬしてなむやりける。 かしこには、いしやままりて、いとつれづれなり。おほんふみには、いといみじきことをあつめたまひてつかはす。それだにこころやすからず、"ときかた"とししたいふずさの、こころらぬしてなんやりける。
513.2.13383348 右近(うこん)(ふる)()れりける(ひと)の、殿(との)御供(おほんとも)にて(たづ)()でたる、さらがへりてねむごろがる」 "うこんふるれりけるひとの、とのおほんともにてたづでたる、さらがへりてねんごろがる。"
513.2.14384349 と、友達(ともだち)には()()かせたり。よろづ右近(うこん)ぞ、虚言(そらごと)しならひける。 と、ともだちにはかせたり。よろづうこんぞ、そらごとしならひける。
513.3385350第三段 二月上旬、薫、宇治へ行く
513.3.1386351 (つき)もたちぬ。かう(おぼ)()らるれど、おはしますことはいとわりなし。「かうのみものを(おも)はば、さらにえながらふまじき()なめり」と、心細(こころぼそ)さを()へて(なげ)きたまふ。 つきもたちぬ。かうおぼらるれど、おはしますことはいとわりなし。"かうのみものをおもはば、さらにえながらふまじきなめり。"と、こころぼそさをへてなげきたまふ。
513.3.2387352 大将殿(だいしゃうどの)、すこしのどかになりぬるころ、(れい)の、(しの)びておはしたり。(てら)(ほとけ)など(おが)みたまふ。御誦経(みずきゃう)せさせたまふ(そう)に、物賜(ものたま)ひなどして、(ゆふ)(かた)、ここには(しの)びたれど、これはわりなくもやつしたまはず。烏帽子直衣(えぼうしなほし)姿(すがた)、いとあらまほしくきよげにて、(あゆ)()りたまふより、()づかしげに、用意(ようい)ことなり。 だいしゃうどの、すこしのどかになりぬるころ、れいの、しのびておはしたり。てらほとけなどおがみたまふ。みずきゃうせさせたまふそうに、ものたまひなどして、ゆふかた、ここにはしのびたれど、これはわりなくもやつしたまはず。えぼうしなほしすがた、いとあらまほしくきよげにて、あゆりたまふより、づかしげに、よういことなり。
513.3.3388353 (をんな)、いかで()えたてまつらむとすらむと、(そら)さへ()づかしく(おそ)ろしきに、あながちなりし(ひと)(おほん)ありさま、うち(おも)()でらるるに、また、この(ひと)()えたてまつらむを(おも)ひやるなむ、いみじう心憂(こころう)き。 をんな、いかでえたてまつらんとすらんと、そらさへづかしくおそろしきに、あながちなりしひとおほんありさま、うちおもでらるるに、また、このひとえたてまつらんをおもひやるなん、いみじうこころうき。
513.3.4389354 「『われは(とし)ごろ()(ひと)をも、皆思(みなおも)()はりぬべき心地(ここち)なむする』とのたまひしを、げに、そののち御心地苦(みここちくる)しとて、いづくにもいづくにも、(れい)(おほん)ありさまならで、御修法(みすほふ)など(さわ)ぐなるを()くに、また、いかに()きて(おぼ)さむ」と(おも)ふもいと(くる)し。 "'われはとしごろひとをも、みなおもはりぬべきここちなんする。'とのたまひしを、げに、そののちみここちくるしとて、いづくにもいづくにも、れいおほんありさまならで、みすほふなどさわぐなるをくに、また、いかにきておぼさん。"とおもふもいとくるし。
513.3.5390355 この(ひと)はた、いとけはひことに、心深(こころふか)く、なまめかしきさまして、(ひさ)しかりつるほどのおこたりなどのたまふも、言多(ことおほ)からず、(こひ)(かな)しとおり()たねど、(つね)にあひ()(こひ)(くる)しさを、さまよきほどにうちのたまへる、いみじく()ふにはまさりて、いとあはれと(ひと)(おも)ひぬべきさまをしめたまへる人柄(ひとがら)なり。(えん)なる(かた)はさるものにて、()末長(すゑなが)(ひと)(たの)みぬべき(こころ)ばへなど、こよなくまさりたまへり。 このひとはた、いとけはひことに、こころふかく、なまめかしきさまして、ひさしかりつるほどのおこたりなどのたまふも、ことおほからず、こひかなしとおりたねど、つねにあひこひくるしさを、さまよきほどにうちのたまへる、いみじくふにはまさりて、いとあはれとひとおもひぬべきさまをしめたまへるひとがらなり。えんなるかたはさるものにて、すゑながひとたのみぬべきこころばへなど、こよなくまさりたまへり。
513.3.6391356 (おも)はずなるさまの(こころ)ばへなど、()()かせたらむ(とき)も、なのめならずいみじくこそあべけれ。あやしううつし(ごころ)もなう(おぼ)()らるる(ひと)を、あはれと(おも)ふも、それはいとあるまじく(かろ)きことぞかし。この(ひと)()しと(おも)はれて、(わす)れたまひなむ」心細(こころぼそ)さは、いと(ふか)うしみにければ、(おも)(みだ)れたるけしきを、「(つき)ごろに、こよなうものの心知(こころし)り、ねびまさりにけり。つれづれなる()()のほどに、(おも)(のこ)すことはあらじかし」と()たまふも、心苦(こころぐる)しければ、(つね)よりも(こころ)とどめて(かた)らひたまふ。 "おもはずなるさまのこころばへなど、かせたらんときも、なのめならずいみじくこそあべけれ。あやしううつしごころもなうおぼらるるひとを、あはれとおもふも、それはいとあるまじくかろきことぞかし。このひとしとおもはれて、わすれたまひなん。"こころぼそさは、いとふかうしみにければ、おもみだれたるけしきを、"つきごろに、こよなうもののこころしり、ねびまさりにけり。つれづれなるのほどに、おものこすことはあらじかし。"とたまふも、こころぐるしければ、つねよりもこころとどめてかたらひたまふ。
513.4392357第四段 薫と浮舟、それぞれの思い
513.4.1393358 (つく)らする(ところ)、やうやうよろしうしなしてけり。一日(ひとひ)なむ、()しかば、ここよりは気近(けぢか)(みづ)に、(はな)()たまひつべし。三条(さんでう)(みや)(ちか)きほどなり。()()れおぼつかなき(へだ)ても、おのづからあるまじきを、この(はる)のほどに、さりぬべくは(わた)してむ」 "つくらするところ、やうやうよろしうしなしてけり。ひとひなん、しかば、ここよりはけぢかみづに、はなたまひつべし。さんでうみやちかきほどなり。れおぼつかなきへだても、おのづからあるまじきを、このはるのほどに、さりぬべくはわたしてん。"
513.4.2394359 (おも)ひてのたまふも、「かの(ひと)の、のどかなるべき所思(ところおも)ひまうけたりと、昨日(きのふ)ものたまへりしを、かかることも()らで、さ(おぼ)すらむよ」と、あはれながらも、「そなたになびくべきにはあらずかし」と(おも)ふからに、ありし(おほん)さまの、面影(おもかげ)におぼゆれば、「(われ)ながらも、うたて心憂(こころう)()や」と、(おも)(つづ)けて()きぬ。 おもひてのたまふも、"かのひとの、のどかなるべきところおもひまうけたりと、きのふものたまへりしを、かかることもらで、さおぼすらんよ。"と、あはれながらも、"そなたになびくべきにはあらずかし。"とおもふからに、ありしおほんさまの、おもかげにおぼゆれば、"われながらも、うたてこころうや。"と、おもつづけてきぬ。
513.4.3395360 御心(みこころ)ばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。(ひと)のいかに()こえ()らせたることかある。すこしもおろかならむ(こころ)ざしにては、かうまで(まゐ)()べき()のほど、(みち)のありさまにもあらぬを」 "みこころばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。ひとのいかにこえらせたることかある。すこしもおろかならんこころざしにては、かうまでまゐべきのほど、みちのありさまにもあらぬを。"
513.4.4396361 など、朔日(ついたち)ごろの夕月夜(ゆふづくよ)に、すこし端近(はしちか)()して(なが)()だしたまへり。(をとこ)は、()ぎにし(かた)のあはれをも(おぼ)()で、(をんな)は、(いま)より()ひたる()()さを(なげ)(くは)へて、かたみにもの(おも)はし。 など、ついたちごろのゆふづくよに、すこしはしちかしてながだしたまへり。をとこは、ぎにしかたのあはれをもおぼで、をんなは、いまよりひたるさをなげくはへて、かたみにものおもはし。
513.5397362第五段 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す
513.5.1398363 (やま)(かた)霞隔(かすみへだ)てて、(さむ)洲崎(すさき)()てる(かささぎ)姿(すがた)も、(ところ)からはいとをかしう()ゆるに、宇治橋(うぢばし)のはるばると()わたさるるに、柴積(しばつ)(ぶね)所々(ところどころ)()きちがひたるなど、(ほか)にて目馴(めな)れぬことどものみとり(あつ)めたる(ところ)なれば、()たまふたびごとに、なほそのかみのことのただ(いま)心地(ここち)して、いとかからぬ(ひと)見交(みか)はしたらむだに、めづらしき(なか)のあはれ(おほ)かるべきほどなり。 やまかたかすみへだてて、さむすさきてるかささぎすがたも、ところからはいとをかしうゆるに、うぢばしのはるばるとわたさるるに、しばつぶねところどころきちがひたるなど、ほかにてめなれぬことどものみとりあつめたるところなれば、たまふたびごとに、なほそのかみのことのただいまここちして、いとかからぬひとみかはしたらんだに、めづらしきなかのあはれおほかるべきほどなり。
513.5.2399365 まいて、(こひ)しき(ひと)によそへられたるもこよなからず、やうやうものの心知(こころし)り、都馴(みやこな)れゆくありさまのをかしきも、こよなく()まさりしたる心地(ここち)したまふに、(をんな)は、かき(あつ)めたる(こころ)のうちに、(もよほ)さるる(なみだ)、ともすれば()でたつを、(なぐさ)めかねたまひつつ、 まいて、こひしきひとによそへられたるもこよなからず、やうやうもののこころしり、みやこなれゆくありさまのをかしきも、こよなくまさりしたるここちしたまふに、をんなは、かきあつめたるこころのうちに、もよほさるるなみだ、ともすればでたつを、なぐさめかねたまひつつ、
513.5.3400366 宇治橋(うぢばし)(なが)(ちぎ)りは()ちせじを<BR/>(あや)ぶむ(かた)心騒(こころさわ)ぐな "〔うぢばしながちぎりはちせじを<BR/>あやぶむかたこころさわぐな
513.5.4401367 今見(いまみ)たまひてむ」 いまみたまひてん。"
513.5.5402368 とのたまふ。 とのたまふ。
513.5.6403369 ()()のみ()には(あや)ふき宇治橋(うぢばし)を<BR/>()ちせぬものとなほ(たの)めとや」 "〔のみにはあやふきうぢばしを<BR/>ちせぬものとなほたのめとや〕
513.5.7404370 さきざきよりもいと見捨(みす)てがたく、しばしも()ちとまらまほしく(おぼ)さるれど、(ひと)のもの()ひのやすからぬに、「(いま)さらなり。(こころ)やすきさまにてこそ」など(おぼ)しなして、(あかつき)(かへ)りたまひぬ。「いとようもおとなびたりつるかな」と、心苦(こころぐる)しく(おぼ)()づること、ありしにまさりけり。 さきざきよりもいとみすてがたく、しばしもちとまらまほしくおぼさるれど、ひとのものひのやすからぬに、"いまさらなり。こころやすきさまにてこそ。"などおぼしなして、あかつきかへりたまひぬ。"いとようもおとなびたりつるかな。"と、こころぐるしくおぼづること、ありしにまさりけり。
514405371第四章 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す
514.1406372第一段 二月十日、宮中の詩会催される
514.1.1407373 如月(きさらぎ)十日(とをか)のほどに、内裏(うち)文作(ふみつく)らせたまふとて、この(みや)大将(だいしゃう)(まゐ)りあひたまへり。(をり)()ひたる(もの)調(しら)べどもに、(みや)御声(おほんこゑ)はいとめでたくて、「(むめ)()」など(うた)ひたまふ。(なに)ごとも(ひと)よりはこよなうまさりたまへる(おほん)さまにて、すずろなること(おぼ)()らるるのみなむ、罪深(つみふか)かりける。 きさらぎとをかのほどに、うちふみつくらせたまふとて、このみやだいしゃうまゐりあひたまへり。をりひたるものしらべどもに、みやおほんこゑはいとめでたくて、〔むめ〕などうたひたまふ。なにごともひとよりはこよなうまさりたまへるおほんさまにて、すずろなることおぼらるるのみなん、つみふかかりける。
514.1.2408374 (ゆき)にはかに()(みだ)れ、(かぜ)など(はげ)しければ、御遊(おほんあそ)びとくやみぬ。この(みや)御宿直所(おほんとのゐどころ)に、(ひと)びと(まゐ)りたまふ。もの(まゐ)りなどして、うち(やす)みたまへり。 ゆきにはかにみだれ、かぜなどはげしければ、おほんあそびとくやみぬ。このみやおほんとのゐどころに、ひとびとまゐりたまふ。ものまゐりなどして、うちやすみたまへり。
514.1.3409375 大将(だいしゃう)(ひと)にもののたまはむとて、すこし端近(はしちか)()でたまへるに、(ゆき)のやうやう()もるが、(ほし)(ひかり)におぼおぼしきを、「(やみ)はあやなし」とおぼゆる(にほ)ひありさまにて、 だいしゃうひとにもののたまはんとて、すこしはしちかでたまへるに、ゆきのやうやうもるが、ほしひかりにおぼおぼしきを、"やみはあやなし〕とおぼゆるにほひありさまにて、
514.1.4410376 衣片敷(ころもかたし)今宵(こよひ)もや」 "〔ころもかたしこよひもや〕
514.1.5411377 と、うち()じたまへるも、はかなきことを(くち)ずさびにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき()へる(ひと)ざまにて、いともの(ふか)げなり。 と、うちじたまへるも、はかなきことをくちずさびにのたまへるも、あやしくあはれなるけしきへるひとざまにて、いとものふかげなり。
514.1.6412378 (こと)しもこそあれ、(みや)()たるやうにて、御心騒(みこころさわ)ぐ。 ことしもこそあれ、みやたるやうにて、みこころさわぐ。
514.1.7413379 「おろかには(おも)はぬなめりかし。片敷(かたし)(そで)を、(われ)のみ(おも)ひやる心地(ここち)しつるを、(おな)(こころ)なるもあはれなり。(わび)しくもあるかな。かばかりなる(もと)(ひと)をおきて、()(かた)にまさる(おも)ひは、いかでつくべきぞ」 "おろかにはおもはぬなめりかし。かたしそでを、われのみおもひやるここちしつるを、おなこころなるもあはれなり。わびしくもあるかな。かばかりなるもとひとをおきて、かたにまさるおもひは、いかでつくべきぞ。"
514.1.8414380 とねたう(おぼ)さる。 とねたうおぼさる。
514.1.9415381 明朝(つとめて)(ゆき)のいと(たか)()もりたるに、(ふみ)たてまつりたまはむとて、御前(おまへ)(まゐ)りたまへる御容貌(おほんかたち)、このころいみじく(さか)りにきよげなり。かの(きみ)(おな)じほどにて、今二(いまふた)つ、()つまさるけぢめにや、すこしねびまさるけしき用意(ようい)などぞ、ことさらにも(つく)りたらむ、あてなる(をとこ)(ほん)にしつべくものしたまふ。「(みかど)御婿(おほんむこ)にて()かぬことなし」とぞ、世人(よひと)もことわりける。(ざえ)なども、おほやけおほやけしき(かた)も、(おく)れずぞおはすべき。 つとめてゆきのいとたかもりたるに、ふみたてまつりたまはんとて、おまへまゐりたまへるおほんかたち、このころいみじくさかりにきよげなり。かのきみおなじほどにて、いまふたつ、つまさるけぢめにや、すこしねびまさるけしきよういなどぞ、ことさらにもつくりたらん、あてなるをとこほんにしつべくものしたまふ。"みかどおほんむこにてかぬことなし。"とぞ、よひともことわりける。ざえなども、おほやけおほやけしきかたも、おくれずぞおはすべき。
514.1.10416382 文講(ふみかう)()てて、皆人(みなひと)まかでたまふ。(みや)御文(おほんふみ)を、「すぐれたり」と()じののしれど、(なに)とも()()れたまはず、「いかなる心地(ここち)にて、かかることをもし()づらむ」と、そらにのみ(おも)ほしほれたり。 ふみかうてて、みなひとまかでたまふ。みやおほんふみを、"すぐれたり。"とじののしれど、なにともれたまはず、"いかなるここちにて、かかることをもしづらん。"と、そらにのみおもほしほれたり。
514.2417383第二段 匂宮、雪の山道の宇治へ行く
514.2.1418384 かの(ひと)()けしきにも、いとど(おどろ)かれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。(きゃう)には、友待(ともま)つばかり()(のこ)りたる(ゆき)山深(やまふか)()るままに、やや()(うづ)みたり。 かのひとけしきにも、いとどおどろかれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。きゃうには、ともまつばかりのこりたるゆきやまふかるままに、ややうづみたり。
514.2.2419385 (つね)よりもわりなきまれの細道(ほそみち)()けたまふほど、御供(おほんとも)(ひと)も、()きぬばかり(おそ)ろしう、わづらはしきことをさへ(おも)ふ。しるべの内記(ないき)は、式部少輔(しきぶのせふ)なむ()けたりける。いづ(かた)もいづ(かた)も、ことことしかるべき(つかさ)ながら、いとつきづきしく、()()げなどしたる姿(すがた)もをかしかりけり。 つねよりもわりなきまれのほそみちけたまふほど、おほんともひとも、きぬばかりおそろしう、わづらはしきことをさへおもふ。しるべのないきは、しきぶのせふなんけたりける。いづかたもいづかたも、ことことしかるべきつかさながら、いとつきづきしく、げなどしたるすがたもをかしかりけり。
514.2.3420386 かしこには、おはせむとありつれど、「かかる(ゆき)には」とうちとけたるに、夜更(よふ)けて右近(うこん)消息(せうそこ)したり。「あさましう、あはれ」と、(きみ)(おも)へり。右近(うこん)は、「いかになり()てたまふべき(おほん)ありさまにか」と、かつは(くる)しけれど、今宵(こよひ)はつつましさも(わす)れぬべし。()(かへ)さむ(かた)もなければ、(おな)じやうに(むつ)ましくおぼいたる(わか)(ひと)の、(こころ)ざまも(あう)なからぬを(かた)らひて、 かしこには、おはせんとありつれど、"かかるゆきには。"とうちとけたるに、よふけてうこんせうそこしたり。"あさましう、あはれ。"と、きみおもへり。うこんは、"いかになりてたまふべきおほんありさまにか。"と、かつはくるしけれど、こよひはつつましさもわすれぬべし。かへさんかたもなければ、おなじやうにむつましくおぼいたるわかひとの、こころざまもあうなからぬをかたらひて、
514.2.4421387 「いみじくわりなきこと。(おな)(こころ)に、もて(かく)したまへ」 "いみじくわりなきこと。おなこころに、もてかくしたまへ。"
514.2.5422388 ()ひてけり。もろともに()れたてまつる。(みち)のほどに()れたまへる()の、所狭(ところせ)(にほ)ふも、もてわづらひぬべけれど、かの(ひと)(おほん)けはひに()せてなむ、もて(まぎ)らはしける。 ひてけり。もろともにれたてまつる。みちのほどにれたまへるの、ところせにほふも、もてわづらひぬべけれど、かのひとおほんけはひにせてなん、もてまぎらはしける。
514.3423389第三段 宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す
514.3.1424390 ()のほどにて()(かへ)りたまはむも、なかなかなべければ、ここの人目(ひとめ)もいとつつましさに、時方(ときかた)にたばからせたまひて、「(かは)より遠方(をち)なる(ひと)(いへ)()ておはせむ」と(かま)へたりければ、先立(さきだ)てて(つか)はしたりける、夜更(よふ)くるほどに(まゐ)れり。 のほどにてかへりたまはんも、なかなかなべければ、ここのひとめもいとつつましさに、ときかたにたばからせたまひて、"かはよりをちなるひといへておはせん。"とかまへたりければ、さきだててつかはしたりける、よふくるほどにまゐれり。
514.3.2425391 「いとよく用意(ようい)してさぶらふ」 "いとよくよういしてさぶらふ。"
514.3.3426392 (まう)さす。「こは、いかにしたまふことにか」と、右近(うこん)もいと(こころ)あわたたしければ、()おびれて()きたる心地(ここち)も、わななかれて、あやし。(わらは)べの雪遊(ゆきあそ)びしたるけはひのやうにぞ、(ふる)()がりにける。 まうさす。"こは、いかにしたまふことにか。"と、うこんもいとこころあわたたしければ、おびれてきたるここちも、わななかれて、あやし。わらはべのゆきあそびしたるけはひのやうにぞ、ふるがりにける。
514.3.4427393 「いかでか」 "いかでか。"
514.3.5428394 なども()ひあへさせたまはず、かき(いだ)きて()でたまひぬ。右近(うこん)はこの後見(うしろみ)にとまりて、侍従(じじゅう)をぞたてまつる。 などもひあへさせたまはず、かきいだきてでたまひぬ。うこんはこのうしろみにとまりて、じじゅうをぞたてまつる。
514.3.6429396 いとはかなげなるものと、()()見出(みい)だす(ちひ)さき(ふね)()りたまひて、さし(わた)りたまふほど、(はる)かならむ(きし)にしも()(はな)れたらむやうに心細(こころぼそ)くおぼえて、つとつきて(いだ)かれたるも、いとらうたしと(おぼ)す。 いとはかなげなるものと、みいだすちひさきふねりたまひて、さしわたりたまふほど、はるかならんきしにしもはなれたらんやうにこころぼそくおぼえて、つとつきていだかれたるも、いとらうたしとおぼす。
514.3.7430397 有明(ありあけ)月澄(つきす)(のぼ)りて、(みづ)(おもて)(くも)りなきに、 ありあけつきすのぼりて、みづおもてくもりなきに、
514.3.8431398 「これなむ、(たちばな)小島(こじま) "これなん、たちばなこじま。"
514.3.9432399 (まう)して、御舟(おほんふね)しばしさしとどめたるを()たまへば、(おほ)きやかなる(いは)のさまして、されたる常磐木(ときはぎ)蔭茂(かげしげ)れり。 まうして、おほんふねしばしさしとどめたるをたまへば、おほきやかなるいはのさまして、されたるときはぎかげしげれり。
514.3.10433400 「かれ()たまへ。いとはかなけれど、千年(ちとせ)()べき(みどり)(ふか)さを」 "かれたまへ。いとはかなけれど、ちとせべきみどりふかさを。"
514.3.11434401 とのたまひて、 とのたまひて、
514.3.12435402 年経(としふ)とも()はらむものか(たちばな)の<BR/>小島(こじま)(さき)(ちぎ)(こころ)は」 "〔としふともはらんものかたちばなの<BR/>こじまさきちぎこころは〕
514.3.13436403 (をんな)も、めづらしからむ(みち)のやうにおぼえて、 をんなも、めづらしからんみちのやうにおぼえて、
514.3.14437404 (たちばな)小島(こじま)(いろ)()はらじを<BR/>この浮舟(うきふね)行方知(ゆくへし)られぬ」 "〔たちばなこじまいろはらじを<BR/>このうきふねゆくへしられぬ〕
514.3.15438405 (をり)から、(ひと)のさまに、をかしくのみ何事(なにごと)(おぼ)しなす。 をりから、ひとのさまに、をかしくのみなにごとおぼしなす。
514.3.16439406 かの(きし)にさし()きて()りたまふに、(ひと)(いだ)かせたまはむは、いと心苦(くる)しければ、(いだ)きたまひて、(たす)けられつつ()りたまふを、いと見苦(みぐる)しく、「何人(なにびと)を、かくもて(さわ)ぎたまふらむ」と()たてまつる。時方(ときかた)叔父(をぢ)因幡守(いなばのかみ)なるが(らう)ずる(さう)に、はかなう(つく)りたる(いへ)なりけり。 かのきしにさしきてりたまふに、ひといだかせたまはんは、いとくるしければ、いだきたまひて、たすけられつつりたまふを、いとみぐるしく、"なにびとを、かくもてさわぎたまふらん。"とたてまつる。ときかたをぢいなばのかみなるがらうずるさうに、はかなうつくりたるいへなりけり。
514.3.17440407 まだいと粗々(あらあら)しきに、網代屏風(あじろびゃうぶ)など、御覧(ごらん)じも()らぬしつらひにて、(かぜ)もことに(さは)らず、(かき)のもとに(ゆき)むら()えつつ、(いま)もかき(くも)りて()る。 まだいとあらあらしきに、あじろびゃうぶなど、ごらんじもらぬしつらひにて、かぜもことにさはらず、かきのもとにゆきむらえつつ、いまもかきくもりてる。
514.4441408第四段 匂宮、浮舟に心奪われる
514.4.1442409 ()さし()でて、(のき)垂氷(たるひ)(ひか)りあひたるに、(ひと)御容貌(おほんかたち)もまさる心地(ここち)す。(みや)も、所狭(ところせ)(みち)のほどに、(かる)らかなるべきほどの御衣(おほんぞ)どもなり。(をんな)も、()ぎすべさせたまひてしかば、(ほそ)やかなる姿(すがた)つき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、「いと()づかしく、まばゆきまできよらなる(ひと)にさしむかひたるよ」と(おも)へど、(まぎ)れむ(かた)もなし。 さしでて、のきたるひひかりあひたるに、ひとおほんかたちもまさるここちす。みやも、ところせみちのほどに、かるらかなるべきほどのおほんぞどもなり。をんなも、ぎすべさせたまひてしかば、ほそやかなるすがたつき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、"いとづかしく、まばゆきまできよらなるひとにさしむかひたるよ。"とおもへど、まぎれんかたもなし。
514.4.2443410 なつかしきほどなる(しろ)(かぎ)りを(いつ)つばかり、袖口(そでぐち)(すそ)のほどまでなまめかしく、色々(いろいろ)にあまた(かさ)ねたらむよりも、をかしう()なしたり。(つね)()たまふ(ひと)とても、かくまでうちとけたる姿(すがた)などは()ならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしう(おぼ)されける。 なつかしきほどなるしろかぎりをいつつばかり、そでぐちすそのほどまでなまめかしく、いろいろにあまたかさねたらんよりも、をかしうなしたり。つねたまふひととても、かくまでうちとけたるすがたなどはならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしうおぼされける。
514.4.3444411 侍従(じじゅう)も、いとめやすき若人(わかうど)なりけり。「これさへ、かかるを(のこ)りなう()るよ」と、女君(をんなぎみ)は、いみじと(おも)ふ。(みや)も、 じじゅうも、いとめやすきわかうどなりけり。"これさへ、かかるをのこりなうるよ。"と、をんなぎみは、いみじとおもふ。みやも、
514.4.4445412 「これはまた()そ。わが名漏(なも)らすなよ」 "これはまたそ。わがなもらすなよ。"
514.4.5446413 (くち)がためたまふを、「いとめでたし」と(おも)ひきこえたり。ここの宿守(やどもり)にて()みける(もの)時方(ときかた)(しゅう)(おも)ひてかしづきありけば、このおはします遣戸(やりど)(へだ)てて、所得顔(ところえがほ)()たり。(こゑ)ひきしじめ、かしこまりて物語(ものがたり)しをるを、いらへもえせず、をかしと(おも)ひけり。 くちがためたまふを、"いとめでたし。"とおもひきこえたり。ここのやどもりにてみけるものときかたしゅうおもひてかしづきありけば、このおはしますやりどへだてて、ところえがほたり。こゑひきしじめ、かしこまりてものがたりしをるを、いらへもえせず、をかしとおもひけり。
514.4.6447414 「いと(おそ)ろしく(うらな)ひたる物忌(ものいみ)により、(きゃう)(うち)をさへ()りて(つつし)むなり。(ほか)(ひと)()すな」 "いとおそろしくうらなひたるものいみにより、きゃううちをさへりてつつしむなり。ほかひとすな。"
514.4.7448415 ()ひたり。 ひたり。
514.5449416第五段 匂宮、浮舟と一日を過ごす
514.5.1450417 人目(ひとめ)()えて、(こころ)やすく(かた)らひ()らしたまふ。「かの(ひと)のものしたまへりけむに、かくて()えてむかし」と、(おぼ)しやりて、いみじく(うら)みたまふ。()(みや)をいとやむごとなくて、()ちたてまつりたまへるありさまなども(かた)りたまふ。かの(みみ)とどめたまひし一言(ひとこと)は、のたまひ()でぬぞ(にく)きや。 ひとめえて、こころやすくかたらひらしたまふ。"かのひとのものしたまへりけんに、かくてえてんかし。"と、おぼしやりて、いみじくうらみたまふ。みやをいとやんごとなくて、ちたてまつりたまへるありさまなどもかたりたまふ。かのみみとどめたまひしひとことは、のたまひでぬぞにくきや。
514.5.2451418 時方(ときかた)御手水(みてうづ)(おほん)くだものなど、()()ぎて(まゐ)るを御覧(ごらん)じて、 ときかたみてうづおほんくだものなど、ぎてまゐるをごらんじて、
514.5.3452419 「いみじくかしづかるめる客人(まらうと)(ぬし)、さてな()えそや」 "いみじくかしづかるめるまらうとぬし、さてなえそや。"
514.5.4453420 (いまし)めたまふ。侍従(じじゅう)(いろ)めかしき若人(わかうど)心地(ここち)に、いとをかしと(おも)ひて、この大夫(たいふ)とぞ物語(ものがたり)して()らしける。 いましめたまふ。じじゅういろめかしきわかうどここちに、いとをかしとおもひて、このたいふとぞものがたりしてらしける。
514.5.5454421 (ゆき)()()もれるに、かのわが()(かた)()やりたまへれば、(かすみ)()()えに(こずゑ)ばかり()ゆ。(やま)(かがみ)()けたるやうに、きらきらと夕日(ゆふひ)(かかや)きたるに、昨夜(よべ)()()(みち)のわりなさなど、あはれ(おほ)()へて(かた)りたまふ。 ゆきもれるに、かのわがかたやりたまへれば、かすみえにこずゑばかりゆ。やまかがみけたるやうに、きらきらとゆふひかかやきたるに、よべみちのわりなさなど、あはれおほへてかたりたまふ。
514.5.6455422 (みね)(ゆき)みぎはの氷踏(こほりふ)()けて<BR/>(きみ)にぞ(まど)(みち)(まど)はず "〔みねゆきみぎはのこほりふけて<BR/>きみにぞまどみちまどはず
514.5.7456423 木幡(こはた)(さと)(むま)はあれど」 こはたさとむまはあれど。"
514.5.8457424 など、あやしき硯召(すずりめ)()でて、手習(てなら)ひたまふ。 など、あやしきすずりめでて、てならひたまふ。
514.5.9458425 ()(みだ)れみぎはに(こほ)(ゆき)よりも<BR/>中空(なかぞら)にてぞ(われ)()ぬべき」 "〔みだれみぎはにこほゆきよりも<BR/>なかぞらにてぞわれぬべき〕
514.5.10459426 ()()ちたり。この「中空(なかぞら)」をとがめたまふ。「げに、(にく)くも()きてけるかな」と、()づかしくて()(やぶ)りつ。さらでだに()るかひある(おほん)ありさまを、いよいよあはれにいみじと、(ひと)(こころ)にしめられむと、()くしたまふ(こと)()、けしき、()はむ(かた)なし。 ちたり。この"なかぞら"をとがめたまふ。"げに、にくくもきてけるかな。"と、づかしくてやぶりつ。さらでだにるかひあるおほんありさまを、いよいよあはれにいみじと、ひとこころにしめられんと、くしたまふこと、けしき、はんかたなし。
514.6460427第六段 匂宮、京へ帰り立つ
514.6.1461428 御物忌(おほんものいみ)二日(ふつか)とたばかりたまへれば、(こころ)のどかなるままに、かたみにあはれとのみ、(ふか)(おぼ)しまさる。右近(うこん)は、よろづに(れい)の、()(まぎ)らはして、御衣(おほんぞ)などたてまつりたり。今日(けふ)は、(みだ)れたる(かみ)すこし(けづ)らせて、()(きぬ)紅梅(こうばい)織物(おりもの)など、あはひをかしく着替(きが)へてゐたまへり。侍従(じじゅう)も、あやしき褶着(しびらき)たりしを、あざやぎたれば、その()()りたまひて、(きみ)()せたまひて、御手水参(みてうづまゐ)らせたまふ。 おほんものいみふつかとたばかりたまへれば、こころのどかなるままに、かたみにあはれとのみ、ふかおぼしまさる。うこんは、よろづにれいの、まぎらはして、おほんぞなどたてまつりたり。けふは、みだれたるかみすこしけづらせて、きぬこうばいおりものなど、あはひをかしくきがへてゐたまへり。じじゅうも、あやしきしびらきたりしを、あざやぎたれば、そのりたまひて、きみせたまひて、みてうづまゐらせたまふ。
514.6.2462429 姫宮(ひめみや)にこれをたてまつりたらば、いみじきものにしたまひてむかし。いとやむごとなき(きは)人多(ひとおほ)かれど、かばかりのさましたるは(かた)くや」 "ひめみやにこれをたてまつりたらば、いみじきものにしたまひてんかし。いとやんごとなききはひとおほかれど、かばかりのさましたるはかたくや。"
514.6.3463430 ()たまふ。かたはなるまで(あそ)(たはぶ)れつつ()らしたまふ。(しの)びて()(かく)してむことを、(かへ)(がへ)すのたまふ。「そのほど、かの(ひと)()えたらば」と、いみじきことどもを(ちか)はせたまへば、「いとわりなきこと」と(おも)ひて、いらへもやらず、(なみだ)さへ()つるけしき、「さらに()(まへ)にだに(おも)(うつ)らぬなめり」と胸痛(むねいた)(おぼ)さる。(うら)みても()きても、よろづのたまひ()かして、夜深(よふか)()(かへ)りたまふ。(れい)の、(いだ)きたまふ。 たまふ。かたはなるまであそたはぶれつつらしたまふ。しのびてかくしてんことを、かへがへすのたまふ。"そのほど、かのひとえたらば。"と、いみじきことどもをちかはせたまへば、"いとわりなきこと。"とおもひて、いらへもやらず、なみださへつるけしき、"さらにまへにだにおもうつらぬなめり。"とむねいたおぼさる。うらみてもきても、よろづのたまひかして、よふかかへりたまふ。れいの、いだきたまふ。
514.6.4464431 「いみじく(おぼ)すめる(ひと)は、かうは、よもあらじよ。見知(みし)りたまひたりや」 "いみじくおぼすめるひとは、かうは、よもあらじよ。みしりたまひたりや。"
514.6.5465432 とのたまへば、げに、と(おも)ひて、うなづきて()たる、いとらうたげなり。右近(うこん)妻戸放(つまどはな)ちて()れたてまつる。やがて、これより(わか)れて()でたまふも、()かずいみじと(おぼ)さる。 とのたまへば、げに、とおもひて、うなづきてたる、いとらうたげなり。うこんつまどはなちてれたてまつる。やがて、これよりわかれてでたまふも、かずいみじとおぼさる。
514.7466433第七段 匂宮、二条院に帰邸後、病に臥す
514.7.1467434 かやうの(かへ)さは、なほ二条(にでう)にぞおはします。いと(なや)ましうしたまひて、(もの)など()えてきこしめさず、()()(あを)()せたまひ、()けしきも()はるを、内裏(うち)にもいづくにも、(おも)ほし(なげ)くに、いとどもの(さわ)がしくて、御文(おほんふみ)だにこまかには()きたまはず。 かやうのかへさは、なほにでうにぞおはします。いとなやましうしたまひて、ものなどえてきこしめさず、あをせたまひ、けしきもはるを、うちにもいづくにも、おもほしなげくに、いとどものさわがしくて、おほんふみだにこまかにはきたまはず。
514.7.2468435 かしこにも、かのさかしき乳母(めのと)(むすめ)子産(こう)(ところ)()でたりける、(かへ)()にければ、(こころ)やすくもえ()ず。かくあやしき()まひを、ただかの殿(との)のもてなしたまはむさまをゆかしく()つことにて、母君(ははぎみ)(おも)(なぐさ)めたるに、(しの)びたるさまながらも、(ちか)(わた)してむことを(おぼ)しなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことに(おも)ひて、やうやう人求(ひともと)め、(わらは)のめやすきなど(むか)へておこせたまふ。 かしこにも、かのさかしきめのとむすめこうところでたりける、かへにければ、こころやすくもえず。かくあやしきまひを、ただかのとののもてなしたまはんさまをゆかしくつことにて、ははぎみおもなぐさめたるに、しのびたるさまながらも、ちかわたしてんことをおぼしなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことにおもひて、やうやうひともとめ、わらはのめやすきなどむかへておこせたまふ。
514.7.3469436 わが(こころ)にも、「それこそは、あるべきことに、(はじ)めより()ちわたれ」とは(おも)ひながら、あながちなる(ひと)(おほん)ことを(おも)()づるに、(うら)みたまひしさま、のたまひしことども、面影(おもかげ)につと()ひて、いささかまどろめば、(ゆめ)()えたまひつつ、いとうたてあるまでおぼゆ。 わがこころにも、"それこそは、あるべきことに、はじめよりちわたれ。"とはおもひながら、あながちなるひとおほんことをおもづるに、うらみたまひしさま、のたまひしことども、おもかげにつとひて、いささかまどろめば、ゆめえたまひつつ、いとうたてあるまでおぼゆ。
515470437第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
515.1471438第一段 春雨の続く頃、匂宮から手紙が届く
515.1.1472439 雨降(あめふ)()まで、()ごろ(おほ)くなるころ、いとど山路思(やまぢおぼ)()えて、わりなく(おぼ)されければ、「(おや)のかふこは所狭(ところせ)きものにこそ」と(おぼ)すもかたじけなし。()きせぬことども()きたまひて、 あめふまで、ごろおほくなるころ、いとどやまぢおぼえて、わりなくおぼされければ、"おやのかふこはところせきものにこそ。"とおぼすもかたじけなし。きせぬことどもきたまひて、
515.1.2473440 (なが)めやるそなたの(くも)()えぬまで<BR/>(そら)さへ()るるころのわびしさ」 "〔ながめやるそなたのくもえぬまで<BR/>そらさへるるころのわびしさ〕
515.1.3474441 (ふで)にまかせて()(みだ)りたまへるしも、見所(みどころ)あり、をかしげなり。ことにいと(おも)くなどはあらぬ(わか)心地(ここち)に、 ふでにまかせてみだりたまへるしも、みどころあり、をかしげなり。ことにいとおもくなどはあらぬわかここちに、
515.1.4475442 「いとかかる(こころ)(おも)ひもまさりぬべけれど、(はじ)めより(ちぎ)りたまひしさまも、さすがに、かれは、なほいともの(ふか)う、人柄(ひとがら)のめでたきなども、()(なか)()りにし(はじ)めなればにや、かかる()きこと()きつけて、(おも)(うと)みたまひなむ()には、いかでかあらむ。 "いとかかるこころおもひもまさりぬべけれど、はじめよりちぎりたまひしさまも、さすがに、かれは、なほいとものふかう、ひとがらのめでたきなども、なかりにしはじめなればにや、かかるきこときつけて、おもうとみたまひなんには、いかでかあらん。
515.1.5476443 いつしかと(おも)(まど)(おや)にも、(おも)はずに、(こころ)づきなしとこそは、もてわづらはれめ。かく心焦(こころい)られしたまふ(ひと)、はた、いとあだなる御心本性(みこころほんじゃう)とのみ()きしかば、かかるほどこそあらめ、またかうながらも、(きゃう)にも(かく)()ゑたまひ、ながらへても(おぼ)(かず)まへむにつけては、かの(うへ)(おぼ)さむこと。よろづ(かく)れなき()なりければ、あやしかりし夕暮(ゆふぐれ)のしるべばかりにだに、かう(たづ)()でたまふめり。 いつしかとおもまどおやにも、おもはずに、こころづきなしとこそは、もてわづらはれめ。かくこころいられしたまふひと、はた、いとあだなるみこころほんじゃうとのみきしかば、かかるほどこそあらめ、またかうながらも、きゃうにもかくゑたまひ、ながらへてもおぼかずまへんにつけては、かのうへおぼさんこと。よろづかくれなきなりければ、あやしかりしゆふぐれのしるべばかりにだに、かうたづでたまふめり。
515.1.6477444 まして、わがありさまのともかくもあらむを、()きたまはぬやうはありなむや」 まして、わがありさまのともかくもあらんを、きたまはぬやうはありなんや。"
515.1.7478445 (おも)ひたどるに、「わが(こころ)も、きずありて、かの(ひと)(うと)まれたてまつらむ、なほいみじかるべし」と(おも)(みだ)るる(をり)しも、かの殿(との)より御使(おほんつかひ)あり。 おもひたどるに、"わがこころも、きずありて、かのひとうとまれたてまつらん、なほいみじかるべし。"とおもみだるるをりしも、かのとのよりおほんつかひあり。
515.2479446第二段 その同じ頃、薫からも手紙が届く
515.2.1480447 これかれと()るもいとうたてあれば、なほ言多(ことおほ)かりつるを()つつ、()したまへれば、侍従(じじゅう)右近(うこん)見合(みあ)はせて、 これかれとるもいとうたてあれば、なほことおほかりつるをつつ、したまへれば、じじゅううこんみあはせて、
515.2.2481448 「なほ、(うつ)りにけり」 "なほ、うつりにけり。"
515.2.3482449 など、()はぬやうにて()ふ。 など、はぬやうにてふ。
515.2.4483450 「ことわりぞかし。殿(との)御容貌(おほんかたち)を、たぐひおはしまさじと()しかど、この(おほん)ありさまはいみじかりけり。うち(みだ)れたまへる愛敬(あいぎゃう)よ。まろならば、かばかりの御思(おほんおも)ひを()()る、えかくてあらじ。(きさい)(みや)にも(まゐ)りて、(つね)()たてまつりてむ」 "ことわりぞかし。とのおほんかたちを、たぐひおはしまさじとしかど、このおほんありさまはいみじかりけり。うちみだれたまへるあいぎゃうよ。まろならば、かばかりのおほんおもひをる、えかくてあらじ。きさいみやにもまゐりて、つねたてまつりてん。"
515.2.5484451 ()ふ。右近(うこん) ふ。うこん
515.2.6485452 「うしろめたの御心(みこころ)のほどや。殿(との)(おほん)ありさまにまさりたまふ(ひと)は、()れかあらむ。容貌(かたち)などは()らず、御心(みこころ)ばへけはひなどよ。なほ、この(おほん)ことは、いと見苦(みぐる)しきわざかな。いかがならせたまはむとすらむ」 "うしろめたのみこころのほどや。とのおほんありさまにまさりたまふひとは、れかあらん。かたちなどはらず、みこころばへけはひなどよ。なほ、このおほんことは、いとみぐるしきわざかな。いかがならせたまはんとすらん。"
515.2.7486453 と、二人(ふたり)して(かた)らふ。心一(こころひと)つに(おも)ひしよりは、虚言(そらごと)もたより()()にけり。 と、ふたりしてかたらふ。こころひとつにおもひしよりは、そらごともたよりにけり。
515.2.8487454 (のち)御文(おほんふみ)には、 のちおほんふみには、
515.2.9488455 (おも)ひながら()ごろになること。時々(ときどき)は、それよりも(おどろ)かいたまはむこそ、(おも)ふさまならめ。おろかなるにやは」 "おもひながらごろになること。ときどきは、それよりもおどろかいたまはんこそ、おもふさまならめ。おろかなるにやは。"
515.2.10489456 など、端書(はしが)きに、 など、はしがきに、
515.2.11490457 (みづ)まさる遠方(をち)里人(さとびと)いかならむ<BR/>()れぬ長雨(ながめ)にかき()らすころ "〔みづまさるをちさとびといかならん<BR/>れぬながめにかきらすころ
515.2.12491458 (つね)よりも、(おも)ひやりきこゆることまさりてなむ」 つねよりも、おもひやりきこゆることまさりてなん。"
515.2.13492459 と、(しろ)色紙(しきし)にて立文(たてぶみ)なり。御手(おほんて)もこまかにをかしげならねど、()きざまゆゑゆゑしく()ゆ。(みや)は、いと(おほ)かるを、(ちひ)さく(むす)びなしたまへる、さまざまをかし。 と、しろしきしにてたてぶみなり。おほんてもこまかにをかしげならねど、きざまゆゑゆゑしくゆ。みやは、いとおほかるを、ちひさくむすびなしたまへる、さまざまをかし。
515.2.14493460 「まづ、かれを、人見(ひとみ)ぬほどに」 "まづ、かれを、ひとみぬほどに。"
515.2.15494461 ()こゆ。 こゆ。
515.2.16495462 今日(けふ)は、え()こゆまじ」 "けふは、えこゆまじ。"
515.2.17496463 ()ぢらひて、手習(てならひ)に、 ぢらひて、てならひに、
515.2.18497464 (さと)()をわが()()れば山城(やましろ)の<BR/>宇治(うぢ)のわたりぞいとど()()き」 "〔さとをわがればやましろの<BR/>うぢのわたりぞいとどき〕
515.2.19498465 (みや)()きたまへりし()を、時々見(ときどきみ)()かれけり。「ながらへてあるまじきことぞ」と、とざまかうざまに(おも)ひなせど、(ほか)()()もりてやみなむは、いとあはれにおぼゆべし。 みやきたまへりしを、ときどきみかれけり。"ながらへてあるまじきことぞ。"と、とざまかうざまにおもひなせど、ほかもりてやみなんは、いとあはれにおぼゆべし。
515.2.20499466 「かき()らし()れせぬ(みね)雨雲(あまぐも)に<BR/>()きて()をふる()をもなさばや "〔かきらしれせぬみねあまぐもに<BR/>きてをふるをもなさばや
515.2.21500467 ()じりなば」 じりなば。"
515.2.22501468 ()こえたるを、(みや)は、よよと()かれたまふ。「さりとも、(こひ)しと(おも)ふらむかし」と(おぼ)しやるにも、もの(おも)ひてゐたらむさまのみ面影(おもかげ)()えたまふ。 こえたるを、みやは、よよとかれたまふ。"さりとも、こひしとおもふらんかし。"とおぼしやるにも、ものおもひてゐたらんさまのみおもかげえたまふ。
515.2.23502469 まめ(びと)は、のどかに()たまひつつ、「あはれ、いかに(なが)むらむ」と(おも)ひやりて、いと(こひ)し。 まめびとは、のどかにたまひつつ、"あはれ、いかにながむらん。"とおもひやりて、いとこひし。
515.2.24503470 「つれづれと()()(あめ)小止(をや)まねば<BR/>(そで)さへいとどみかさまさりて」 "〔つれづれとあめをやまねば<BR/>そでさへいとどみかさまさりて〕
515.2.25504471 とあるを、うちも()かず()たまふ。 とあるを、うちもかずたまふ。
515.3505472第三段 匂宮、薫の浮舟を新築邸に移すことを知る
515.3.1506473 女宮(をんなみや)物語(ものがたり)など()こえたまひてのついでに、 をんなみやものがたりなどこえたまひてのついでに、
515.3.2507474 「なめしともや(おぼ)さむと、つつましながら、さすがに年経(としへ)ぬる(ひと)のはべるを、あやしき(ところ)()()きて、いみじくもの(おも)ふなるが心苦(こころぐる)しさに、(ちか)()()せて、と(おも)ひはべる。(むかし)より(こと)やうなる(こころ)ばへはべりし()にて、()(なか)を、すべて(れい)(ひと)ならで()ぐしてむと(おも)ひはべりしを、かく()たてまつるにつけて、ひたぶるにも()てがたければ、ありと(ひと)にも()らせざりし(ひと)(うへ)さへ、心苦(こころぐる)しう、罪得(つみえ)ぬべき心地(ここち)してなむ」 "なめしともやおぼさんと、つつましながら、さすがにとしへぬるひとのはべるを、あやしきところきて、いみじくものおもふなるがこころぐるしさに、ちかせて、とおもひはべる。むかしよりことやうなるこころばへはべりしにて、なかを、すべてれいひとならでぐしてんとおもひはべりしを、かくたてまつるにつけて、ひたぶるにもてがたければ、ありとひとにもらせざりしひとうへさへ、こころぐるしう、つみえぬべきここちしてなん。"
515.3.3508475 と、()こえたまへば、 と、こえたまへば、
515.3.4509476 「いかなることに心置(こころお)くものとも()らぬを」 "いかなることにこころおくものともらぬを。"
515.3.5510477 と、いらへたまふ。 と、いらへたまふ。
515.3.6511478 内裏(うち)になど、()しざまに()こし()さする(ひと)やはべらむ。()(ひと)のもの()ひぞ、いとあぢきなくけしからずはべるや。されど、それは、さばかりの(かず)にだにはべるまじ」 "うちになど、しざまにこしさするひとやはべらん。ひとのものひぞ、いとあぢきなくけしからずはべるや。されど、それは、さばかりのかずにだにはべるまじ。"
515.3.7512479 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
515.3.8513480 (つく)りたる(ところ)(わた)してむ」と(おぼ)()つに、「かかる(れう)なりけり」など、はなやかに()ひなす(ひと)やあらむなど、(くる)しければ、いと(しの)びて、障子張(さうじは)らすべきことなど、(ひと)しもこそあれ、この内記(ないき)()(ひと)(おや)大蔵大輔(おほくらのたいふ)なるものに、(むつ)ましく(こころ)やすきままに、のたまひつけたりければ、()きつぎて、(みや)には(かく)れなく()こえけり。 "つくりたるところわたしてん。"とおぼつに、"かかるれうなりけり。"など、はなやかにひなすひとやあらんなど、くるしければ、いとしのびて、さうじはらすべきことなど、ひとしもこそあれ、このないきひとおやおほくらのたいふなるものに、むつましくこころやすきままに、のたまひつけたりければ、きつぎて、みやにはかくれなくこえけり。
515.3.9514481 絵師(ゑし)どもなども、御随身(みずいじん)どもの(なか)にある、(むつ)ましき殿人(とのびと)などを()りて、さすがにわざとなむせさせたまふ」 "ゑしどもなども、みずいじんどものなかにある、むつましきとのびとなどをりて、さすがにわざとなんせさせたまふ。"
515.3.10515482 (まう)すに、いとど(おぼ)(さわ)ぎて、わが御乳母(おほんめのと)の、(とほ)受領(ずらう)()にて(くだ)(いへ)(しも)(かた)にあるを、 まうすに、いとどおぼさわぎて、わがおほんめのとの、とほずらうにてくだいへしもかたにあるを、
515.3.11516483 「いと(しの)びたる(ひと)、しばし(かく)いたらむ」 "いとしのびたるひと、しばしかくいたらん。"
515.3.12517484 と、(かた)らひたまひければ、「いかなる(ひと)にかは」と(おも)へど、大事(だいじ)(おぼ)したるに、かたじけなければ、「さらば」と()こえけり。これをまうけたまひて、すこし御心(みこころ)のどめたまふ。この(つき)晦日方(つごもりがた)に、(くだ)るべければ、「やがてその日渡(ひわた)さむ」と(おぼ)(かま)ふ。 と、かたらひたまひければ、"いかなるひとにかは。"とおもへど、だいじおぼしたるに、かたじけなければ、"さらば。"とこえけり。これをまうけたまひて、すこしみこころのどめたまふ。このつきつごもりがたに、くだるべければ、"やがてそのひわたさん。"とおぼかまふ。
515.3.13518485 「かくなむ(おも)ふ。ゆめゆめ」 "かくなんおもふ。ゆめゆめ。"
515.3.14519486 ()ひやりたまひつつ、おはしまさむことは、いとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母(めのと)のいとさかしければ、(かた)かるべきよしを()こゆ。 ひやりたまひつつ、おはしまさんことは、いとわりなくあるうちにも、ここにも、めのとのいとさかしければ、かたかるべきよしをこゆ。
515.4520487第四段 浮舟の母、京から宇治に来る
515.4.1521488 大将殿(だいしゃうどの)は、卯月(うづき)十日(とをか)となむ(さだ)めたまへりける。「(さそ)(みづ)あらば」とは(おも)はず、いとあやしく、「いかにしなすべき()にかあらむ」と()きたる心地(ここち)のみすれば、「(はは)(おほん)もとにしばし(わた)りて、(おも)ひめぐらすほどあらむ」と(おぼ)せど、少将(せうしゃう)()子産(こう)むべきほど(ちか)くなりぬとて、修法(すほふ)読経(どきゃう)など、(ひま)なく(さわ)げば、石山(いしやま)にもえ()()つまじ、(はは)ぞこち(わた)りたまへる。乳母出(めのとい)()て、 だいしゃうどのは、うづきとをかとなんさだめたまへりける。"さそみづあらば。"とはおもはず、いとあやしく、"いかにしなすべきにかあらん。"ときたるここちのみすれば、"ははおほんもとにしばしわたりて、おもひめぐらすほどあらん。"とおぼせど、せうしゃうこうむべきほどちかくなりぬとて、すほふどきゃうなど、ひまなくさわげば、いしやまにもえつまじ、ははぞこちわたりたまへる。めのといて、
515.4.2522489 殿(との)より、(ひと)びとの装束(さうぞく)なども、こまかに(おぼ)しやりてなむ。いかできよげに(なに)ごとも、と(おも)うたまふれど、乳母(まま)心一(こころひと)つには、あやしくのみぞし()ではべらむかし」 "とのより、ひとびとのさうぞくなども、こまかにおぼしやりてなん。いかできよげになにごとも、とおもうたまふれど、ままこころひとつには、あやしくのみぞしではべらんかし。"
515.4.3523490 など()(さわ)ぐが、心地(ここち)よげなるを()たまふにも、(きみ)は、 などさわぐが、ここちよげなるをたまふにも、きみは、
515.4.4524491 「けしからぬことどもの()()て、人笑(ひとわら)へならば、()れも()れもいかに(おも)はむ。あやにくにのたまふ(ひと)、はた、八重立(やへた)(やま)()もるとも、かならず(たづ)ねて、(われ)(ひと)もいたづらになりぬべし。なほ、(こころ)やすく(かく)れなむことを(おも)へと、今日(けふ)ものたまへるを、いかにせむ」 "けしからぬことどものて、ひとわらへならば、れもれもいかにおもはん。あやにくにのたまふひと、はた、やへたやまもるとも、かならずたづねて、われひともいたづらになりぬべし。なほ、こころやすくかくれなんことをおもへと、けふものたまへるを、いかにせん。"
515.4.5525492 と、心地悪(ここちあ)しくて()したまへり。 と、ここちあしくてしたまへり。
515.4.6526493 「などか、かく(れい)ならず、いたく(あを)()せたまへる」 "などか、かくれいならず、いたくあをせたまへる。"
515.4.7527494 (おどろ)きたまふ。 おどろきたまふ。
515.4.8528495 ()ごろあやしくのみなむ。はかなきものも()こしめさず、(なや)ましげにせさせたまふ」 "ごろあやしくのみなん。はかなきものもこしめさず、なやましげにせさせたまふ。"
515.4.9529496 ()へば、「あやしきことかな。もののけなどにやあらむ」と、 へば、"あやしきことかな。もののけなどにやあらん。"と、
515.4.10530497 「いかなる御心地(みここち)ぞと(おも)へど、石山停(いしやまと)まりたまひにきかし」 "いかなるみここちぞとおもへど、いしやまとまりたまひにきかし。"
515.4.11531498 ()ふも、かたはらいたければ、伏目(ふしめ)なり。 ふも、かたはらいたければ、ふしめなり。
515.5532499第五段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う
515.5.1533500 ()れて(つき)いと()かし。有明(ありあけ)(そら)(おも)()づる、「(なみだ)のいと()めがたきは、いとけしからぬ(こころ)かな」と(おも)ふ。母君(ははぎみ)昔物語(むかしものがち)などして、あなたの尼君呼(あまぎみよ)()でて、故姫君(こひめぎみ)(おほん)ありさま、心深(こころふか)くおはして、さるべきことも(おぼ)()れたりしほどに、()()()()()りたまひにしことなど(かた)る。 れてつきいとかし。ありあけそらおもづる、"なみだのいとめがたきは、いとけしからぬこころかな。"とおもふ。ははぎみむかしものがちなどして、あなたのあまぎみよでて、こひめぎみおほんありさま、こころふかくおはして、さるべきこともおぼれたりしほどに、りたまひにしことなどかたる。
515.5.2534501 「おはしまさましかば、(みや)(うへ)などのやうに、()こえ(かよ)ひたまひて、心細(こころぼそ)かりし(おほん)ありさまどもの、いとこよなき御幸(おほんさいは)ひにぞはべらましかし」 "おはしまさましかば、みやうへなどのやうに、こえかよひたまひて、こころぼそかりしおほんありさまどもの、いとこよなきおほんさいはひにぞはべらましかし。"
515.5.3535502 ()ふにも、「わが(むすめ)異人(ことびと)かは。(おも)ふやうなる宿世(すくせ)のおはし()てば、(おと)らじを」など(おも)(つづ)けて、 ふにも、"わがむすめことびとかは。おもふやうなるすくせのおはしてば、おとらじを。"などおもつづけて、
515.5.4536503 ()とともに、この(きみ)につけては、ものをのみ(おも)(みだ)れしけしきの、すこしうちゆるびて、かくて(わた)りたまひぬべかめれば、ここに(まゐ)()ること、かならずしもことさらには、え(おも)()ちはべらじ。かかる対面(たいめん)折々(をりをり)に、(むかし)のことも、(こころ)のどかに()こえ(うけたまは)らまほしけれ」 "とともに、このきみにつけては、ものをのみおもみだれしけしきの、すこしうちゆるびて、かくてわたりたまひぬべかめれば、ここにまゐること、かならずしもことさらには、えおもちはべらじ。かかるたいめんをりをりに、むかしのことも、こころのどかにこえうけたまはらまほしけれ。"
515.5.5537504 など(かた)らふ。 などかたらふ。
515.5.6538505 「ゆゆしき()とのみ(おも)うたまへしみにしかば、こまやかに()えたてまつり()こえさせむも、(なに)かは、つつましくて()ぐしはべりつるを、うち()てて、(わた)らせたまひなば、いと心細(こころぼそ)くなむはべるべけれど、かかる御住(おほんす)まひは、(こころ)もとなくのみ()たてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。()()らず重々(おもおも)しくおはしますべかめる殿(との)(おほん)ありさまにて、かく(たづ)ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじと()こえおきはべりにし、()きたることにやは、はべりける」 "ゆゆしきとのみおもうたまへしみにしかば、こまやかにえたてまつりこえさせんも、なにかは、つつましくてぐしはべりつるを、うちてて、わたらせたまひなば、いとこころぼそくなんはべるべけれど、かかるおほんすまひは、こころもとなくのみたてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。らずおもおもしくおはしますべかめるとのおほんありさまにて、かくたづねきこえさせたまひしも、おぼろけならじとこえおきはべりにし、きたることにやは、はべりける。"
515.5.7539506 など()ふ。 などふ。
515.5.8540507 (のち)()らねど、ただ(いま)は、かく(おぼ)(はな)れぬさまにのたまふにつけても、ただ(おほん)しるべをなむ(おも)()できこゆる。(みや)(うへ)の、かたじけなくあはれに(おぼ)したりしも、つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、中空(なかぞら)所狭(ところせ)御身(おほんみ)なり、と(おも)(なげ)きはべりて」 "のちらねど、ただいまは、かくおぼはなれぬさまにのたまふにつけても、ただおほんしるべをなんおもできこゆる。みやうへの、かたじけなくあはれにおぼしたりしも、つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、なかぞらところせおほんみなり、とおもなげきはべりて。"
515.5.9541508 ()ふ。尼君(あまぎみ)うち(わら)ひて、 ふ。あまぎみうちわらひて、
515.5.10542509 「この(みや)の、いと(さわ)がしきまで(いろ)におはしますなれば、(こころ)ばせあらむ(わか)(ひと)、さぶらひにくげになむ。おほかたは、いとめでたき(おほん)ありさまなれど、さる(すぢ)のことにて、(うへ)のなめしと(おぼ)さむなむわりなきと、大輔(たいふ)(むすめ)(かた)りはべりし」 "このみやの、いとさわがしきまでいろにおはしますなれば、こころばせあらんわかひと、さぶらひにくげになん。おほかたは、いとめでたきおほんありさまなれど、さるすぢのことにて、うへのなめしとおぼさんなんわりなきと、たいふむすめかたりはべりし。"
515.5.11543510 ()ふにも、「さりや、まして」と、(きみ)()()したまへり。 ふにも、"さりや、まして。"と、きみしたまへり。
515.6544511第六段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う
515.6.1545512 「あな、むくつけや。(みかど)御女(おほんむすめ)()ちたてまつりたまへる(ひと)なれど、よそよそにて、()しくも()くもあらむは、いかがはせむと、おほけなく(おも)ひなしはべる。よからぬことをひき()でたまへらましかば、すべて()には(かな)しくいみじと(おも)ひきこゆとも、また()たてまつらざらまし」 "あな、むくつけや。みかどおほんむすめちたてまつりたまへるひとなれど、よそよそにて、しくもくもあらんは、いかがはせんと、おほけなくおもひなしはべる。よからぬことをひきでたまへらましかば、すべてにはかなしくいみじとおもひきこゆとも、またたてまつらざらまし。"
515.6.2546513 など、()()はすことどもに、いとど心肝(こころぎも)もつぶれぬ。「なほ、わが()(うしな)ひてばや。つひに()きにくきことは()()なむ」と(おも)(つづ)くるに、この(みづ)(おと)(おそ)ろしげに(ひび)きて()くを、 など、はすことどもに、いとどこころぎももつぶれぬ。"なほ、わがうしなひてばや。つひにきにくきことはなん。"とおもつづくるに、このみづおとおそろしげにひびきてくを、
515.6.3547514 「かからぬ(なが)れもありかし。()()(あら)ましき(ところ)に、年月(としつき)()ぐしたまふを、あはれと(おぼ)しぬべきわざになむ」 "かからぬながれもありかし。あらましきところに、としつきぐしたまふを、あはれとおぼしぬべきわざになん。"
515.6.4548515 など、母君(ははぎみ)したり(がほ)()ひゐたり。(むかし)よりこの(かは)(はや)(おそ)ろしきことを()ひて、 など、ははぎみしたりがほひゐたり。むかしよりこのかははやおそろしきことをひて、
515.6.5549516 (さい)つころ渡守(わたしもり)(まご)(わらは)(さを)さし(はづ)して()()りはべりにける。すべていたづらになる人多(ひとおほ)かる(みづ)にはべり」 "さいつころわたしもりまごわらはさをさしはづしてりはべりにける。すべていたづらになるひとおほかるみづにはべり。"
515.6.6550517 と、(ひと)びとも()ひあへり。(きみ)は、 と、ひとびともひあへり。きみは、
515.6.7551518 「さても、わが身行方(みゆくへ)()らずなりなば、()れも()れも、あへなくいみじと、しばしこそ(おも)うたまはめ。ながらへて人笑(ひとわら)へに()きこともあらむは、いつかそのもの(おも)ひの()えむとする」 "さても、わがみゆくへらずなりなば、れもれも、あへなくいみじと、しばしこそおもうたまはめ。ながらへてひとわらへにきこともあらんは、いつかそのものおもひのえんとする。"
515.6.8552519 と、(おも)ひかくるには、(さは)りどころもあるまじく、さはやかによろづ(おも)ひなさるれど、うち(かへ)しいと(かな)し。(おや)のよろづに(おも)()ふありさまを、()たるやうにてつくづくと(おも)(みだ)る。 と、おもひかくるには、さはりどころもあるまじく、さはやかによろづおもひなさるれど、うちかへしいとかなし。おやのよろづにおもふありさまを、たるやうにてつくづくとおもみだる。
515.7553520第七段 浮舟の母、帰京す
515.7.1554521 (なや)ましげにて()せたまへるを、乳母(めのと)にも()ひて、 なやましげにてせたまへるを、めのとにもひて、
515.7.2555522 「さるべき御祈(おほんいの)りなどせさせたまへ。祭祓(まつりはらへ)などもすべきやう」 "さるべきおほんいのりなどせさせたまへ。まつりはらへなどもすべきやう。"
515.7.3556523 など()ふ。御手洗川(みたらしがは)(みそぎ)せまほしげなるを、かくも()らでよろづに()(さわ)ぐ。 などふ。みたらしがはみそぎせまほしげなるを、かくもらでよろづにさわぐ。
515.7.4557524 人少(ひとずく)ななめり。よくさるべからむあたりを(たづ)ねて。今参(いままゐ)りはとどめたまへ。やむごとなき御仲(おほんなか)らひは、正身(さうじみ)こそ、何事(なにごと)もおいらかに(おぼ)さめ、()からぬ(なか)となりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。(かく)(ひそ)めて、さる(こころ)したまへ」 "ひとずくななめり。よくさるべからんあたりをたづねて。いままゐりはとどめたまへ。やんごとなきおほんなからひは、さうじみこそ、なにごともおいらかにおぼさめ、からぬなかとなりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。かくひそめて、さるこころしたまへ。"
515.7.5558525 など、(おも)ひいたらぬことなく()ひおきて、 など、おもひいたらぬことなくひおきて、
515.7.6559526 「かしこにわづらひはべる(ひと)も、おぼつかなし」 "かしこにわづらひはべるひとも、おぼつかなし。"
515.7.7560527 とて(かへ)るを、いともの(おも)はしく、よろづ心細(こころぼそ)ければ、「またあひ()でもこそ、ともかくもなれ」と(おも)へば、 とてかへるを、いとものおもはしく、よろづこころぼそければ、"またあひでもこそ、ともかくもなれ。"とおもへば、
515.7.8561528 心地(ここち)()しくはべるにも、()たてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしも(まゐ)()まほしくこそ」 "ここちしくはべるにも、たてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしもまゐまほしくこそ。"
515.7.9562529 (した)ふ。 したふ。
515.7.10563530 「さなむ(おも)ひはべれど、かしこもいともの(さわ)がしくはべり。この(ひと)びとも、はかなきことなどえしやるまじく、(せば)くなどはべればなむ。武生(たけふ)国府(こふ)(うつ)ろひたまふとも、(しの)びては(まゐ)()なむを。なほなほしき()のほどは、かかる(おほん)ためこそ、いとほしくはべれ」 "さなんおもひはべれど、かしこもいとものさわがしくはべり。このひとびとも、はかなきことなどえしやるまじく、せばくなどはべればなん。たけふこふうつろひたまふとも、しのびてはまゐなんを。なほなほしきのほどは、かかるおほんためこそ、いとほしくはべれ。"
515.7.11564531 など、うち()きつつのたまふ。 など、うちきつつのたまふ。
516565532第六章 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う
516.1566533第一段 薫と匂宮の使者同士出くわす
516.1.1567534 殿(との)御文(おほんふみ)今日(けふ)もあり。(なや)ましと()こえたりしを、「いかが」と、(とぶ)らひたまへり。 とのおほんふみけふもあり。なやましとこえたりしを、"いかが。"と、とぶらひたまへり。
516.1.2568535 「みづからと(おも)ひはべるを、わりなき(さは)(おほ)くてなむ。このほどの()らしがたさこそ、なかなか(くる)しく」 "みづからとおもひはべるを、わりなきさはおほくてなん。このほどのらしがたさこそ、なかなかくるしく。"
516.1.3569536 などあり。(みや)は、昨日(きのふ)御返(おほんかへ)りもなかりしを、 などあり。みやは、きのふおほんかへりもなかりしを、
516.1.4570537 「いかに(おぼ)しただよふぞ。(かぜ)のなびかむ(かた)もうしろめたくなむ。いとどほれまさりて(なが)めはべる」 "いかにおぼしただよふぞ。かぜのなびかんかたもうしろめたくなん。いとどほれまさりてながめはべる。"
516.1.5571538 など、これは(おほ)()きたまへり。 など、これはおほきたまへり。
516.1.6572539 雨降(あめふ)りし()来合(きあ)ひたりし御使(おほんつかひ)どもぞ、今日(けふ)()たりける。殿(との)御随身(みずいじん)、かの少輔(せう)(いへ)にて時々見(ときどきみ)(をのこ)なれば、 あめふりしきあひたりしおほんつかひどもぞ、けふたりける。とのみずいじん、かのせういへにてときどきみをのこなれば、
516.1.7573541 真人(まうと)は、(なに)しに、ここにはたびたびは(まゐ)るぞ」 "まうとは、なにしに、ここにはたびたびはまゐるぞ。"
516.1.8574542 ()ふ。 ふ。
516.1.9575543 (わたくし)(とぶ)らふべき(ひと)のもとに()うで()るなり」 "わたくしとぶらふべきひとのもとにうでるなり。"
516.1.10576544 ()ふ。 ふ。
516.1.11577545 (わたくし)(ひと)にや、(えん)なる(ふみ)はさし()らする、けしきある真人(まうと)かな。もの(かく)しはなぞ」 "わたくしひとにや、えんなるふみはさしらする、けしきあるまうとかな。ものかくしはなぞ。"
516.1.12578546 ()ふ。 ふ。
516.1.13579547 「まことは、この(かん)(きみ)の、御文(おほんふみ)女房(にょうばう)にたてまつりたまふ」 "まことは、このかんきみの、おほんふみにょうばうにたてまつりたまふ。"
516.1.14580548 ()へば、言違(ことたが)ひつつあやしと(おも)へど、ここにて(さだ)()はむも(こと)やうなべければ、おのおの(まゐ)りぬ。 へば、ことたがひつつあやしとおもへど、ここにてさだはんもことやうなべければ、おのおのまゐりぬ。
516.2581549第二段 薫、匂宮が女からの文を読んでいるのを見る
516.2.1582550 かどかどしき(もの)にて、(とも)にある(わらは)を、 かどかどしきものにて、ともにあるわらはを、
516.2.2583551 「この(をのこ)に、さりげなくて()つけよ。左衛門大夫(さゑもんのたいふ)(いへ)にや()る」 "このをのこに、さりげなくてつけよ。さゑもんのたいふいへにやる。"
516.2.3584552 ()せければ、 せければ、
516.2.4585553 (みや)(まゐ)りて、式部少輔(しきぶのせう)になむ、御文(おほんふみ)()らせはべりつる」 "みやまゐりて、しきぶのせうになん、おほんふみらせはべりつる。"
516.2.5586554 ()ふ。さまで(たづ)ねむものとも、(おと)りの下衆(げす)(おも)はず、ことの(こころ)をも(ふか)()らざりければ、舎人(とねり)(ひと)見現(みあらは)されにけむぞ、口惜(くちを)しきや。 ふ。さまでたづねんものとも、おとりのげすおもはず、ことのこころをもふからざりければ、とねりひとみあらはされにけんぞ、くちをしきや。
516.2.6587555 殿(との)(まゐ)りて、今出(いまい)でたまはむとするほどに、御文(おほんふみ)たてまつらす。直衣(なほし)にて、六条(ろくでう)(ゐん)(きさい)(みや)()でさせたまへるころなれば、(まゐ)りたまふなりければ、ことことしく、御前(ごぜん)などあまたもなし。御文参(おほんふみまゐ)らする(ひと)に、 とのまゐりて、いまいでたまはんとするほどに、おほんふみたてまつらす。なほしにて、ろくでうゐんきさいみやでさせたまへるころなれば、まゐりたまふなりければ、ことことしく、ごぜんなどあまたもなし。おほんふみまゐらするひとに、
516.2.7588556 「あやしきことのはべりつる。()たまへ(さだ)めむとて、(いま)までさぶらひつる」 "あやしきことのはべりつる。たまへさだめんとて、いままでさぶらひつる。"
516.2.8589557 ()ふを、ほの()きたまひて、(あゆ)()でたまふままに、 ふを、ほのきたまひて、あゆでたまふままに、
516.2.9590558 (なに)ごとぞ」 "なにごとぞ。"
516.2.10591559 ()ひたまふ。この(ひと)()かむもつつましと(おも)ひて、かしこまりてをり。殿(との)もしか見知(みし)りたまひて、()でたまひぬ。 ひたまふ。このひとかんもつつましとおもひて、かしこまりてをり。とのもしかみしりたまひて、でたまひぬ。
516.2.11592560 (みや)(れい)ならず(なや)ましげにおはすとて、(みや)たちも皆参(みなまゐ)りたまへり。上達部(かんだちめ)など(おほ)(まゐ)(つど)ひて、(さわ)がしけれど、ことなることもおはしまさず。 みやれいならずなやましげにおはすとて、みやたちもみなまゐりたまへり。かんだちめなどおほまゐつどひて、さわがしけれど、ことなることもおはしまさず。
516.2.12593561 かの内記(ないき)は、政官(じゃうがん)なれば、(おく)れてぞ(まゐ)れる。この御文(おほんふみ)もたてまつるを、(みや)台盤所(だいばんどころ)におはしまして、戸口(とぐち)()()せて()りたまふを、大将(だいしゃう)御前(おまへ)(かた)より()()でたまふ、側目(そばめ)見通(みとほ)したまひて、「せちにも(おぼ)すべかめる(ふみ)のけしきかな」と、をかしさに()ちとまりたまへり。 かのないきは、じゃうがんなれば、おくれてぞまゐれる。このおほんふみもたてまつるを、みやだいばんどころにおはしまして、とぐちせてりたまふを、だいしゃうおまへかたよりでたまふ、そばめみとほしたまひて、"せちにもおぼすべかめるふみのけしきかな。"と、をかしさにちとまりたまへり。
516.2.13594562 ()()けて()たまふ、(くれなゐ)薄様(うすやう)に、こまやかに()きたるべし」と()ゆ。(ふみ)心入(こころい)れて、とみにも()きたまはぬに、大臣(おとど)()ちて()ざまにおはすれば、この(きみ)は、障子(さうじ)より()でたまふとて、「大臣出(おとどい)でたまふ」と、うちしはぶきて、(おどろ)かいたてまつりたまふ。 "けてたまふ、くれなゐうすやうに、こまやかにきたるべし。"とゆ。ふみこころいれて、とみにもきたまはぬに、おとどちてざまにおはすれば、このきみは、さうじよりでたまふとて、"おとどいでたまふ。"と、うちしはぶきて、おどろかいたてまつりたまふ。
516.2.14595563 ひき(かく)したまへるにぞ、大臣(おとど)さし(のぞ)きたまへる。(おどろ)きて御紐(おほんひも)さしたまふ。殿(との)つい()たまひて、 ひきかくしたまへるにぞ、おとどさしのぞきたまへる。おどろきておほんひもさしたまふ。とのついたまひて、
516.2.15596564 「まかではべりぬべし。御邪気(おほんじゃけ)(ひさ)しくおこらせたまはざりつるを、(おそ)ろしきわざなりや。(やま)座主(ざす)、ただ今請(いまさう)じに(つか)はさむ」 "まかではべりぬべし。おほんじゃけひさしくおこらせたまはざりつるを、おそろしきわざなりや。やまざす、ただいまさうじにつかはさん。"
516.2.16597565 と、(いそ)がしげにて()ちたまひぬ。 と、いそがしげにてちたまひぬ。
516.3598566第三段 薫、随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる
516.3.1599567 夜更(よふ)けて、皆出(みない)でたまひぬ。大臣(おとど)は、(みや)(さき)()てたてまつりたまひて、あまたの御子(おほんこ)どもの上達部(かんだちめ)(きみ)たちをひき(つづ)けて、あなたに(わた)りたまひぬ。この殿(との)(おく)れて()でたまふ。 よふけて、みないでたまひぬ。おとどは、みやさきてたてまつりたまひて、あまたのおほんこどものかんだちめきみたちをひきつづけて、あなたにわたりたまひぬ。このとのおくれてでたまふ。
516.3.2600568 随身(ずいじん)けしきばみつる、あやしと(おぼ)しければ、御前(ごぜん)など()りて火灯(ひとも)すほどに、随身召(ずいじんめ)()す。 ずいじんけしきばみつる、あやしとおぼしければ、ごぜんなどりてひともすほどに、ずいじんめす。
516.3.3601569 (まう)しつるは、(なに)ごとぞ」 "まうしつるは、なにごとぞ。"
516.3.4602570 ()ひたまふ。 ひたまふ。
516.3.5603571 今朝(けさ)、かの宇治(うぢ)に、出雲権守時方朝臣(いづものごんのかみときかたのあそん)のもとにはべる(をとこ)の、(むらさき)薄様(うすやう)にて、(さくら)につけたる(ふみ)を、西(にし)妻戸(つまど)()りて、女房(にょうばう)()らせはべりつる。()たまへつけて、しかしか()ひはべりつれば、言違(ことたが)へつつ、虚言(そらごと)のやうに(まう)しはべりつるを、いかに(まう)すぞ、とて、(わらは)べして()せはべりつれば、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(まゐ)りはべりて、式部少輔道定朝臣(しきぶのせうみちさだのあそん)になむ、その(かへ)(ごと)()らせはべりける」 "けさ、かのうぢに、いづものごんのかみときかたのあそんのもとにはべるをとこの、むらさきうすやうにて、さくらにつけたるふみを、にしつまどりて、にょうばうらせはべりつる。たまへつけて、しかしかひはべりつれば、ことたがへつつ、そらごとのやうにまうしはべりつるを、いかにまうすぞ、とて、わらはべしてせはべりつれば、ひゃうぶきゃうのみやまゐりはべりて、しきぶのせうみちさだのあそんになん、そのかへごとらせはべりける。"
516.3.6604572 (まう)す。(きみ)、あやしと(おぼ)して、 まうす。きみ、あやしとおぼして、
516.3.7605573 「その(かへ)(ごと)は、いかやうにしてか、()だしつる」 "そのかへごとは、いかやうにしてか、だしつる。"
516.3.8606574 「それは()たまへず。異方(ことかた)より()だしはべりにける。下人(しもびと)(まう)しはべりつるは、(あか)色紙(しきし)の、いときよらなる、となむ(まう)しはべりつる」 "それはたまへず。ことかたよりだしはべりにける。しもびとまうしはべりつるは、あかしきしの、いときよらなる、となんまうしはべりつる。"
516.3.9607575 ()こゆ。(おぼ)()はするに、(たが)ふことなし。さまで()せつらむを、かどかどしと(おぼ)せど、(ひと)びと(ちか)ければ、(くは)しくものたまはず。 こゆ。おぼはするに、たがふことなし。さまでせつらんを、かどかどしとおぼせど、ひとびとちかければ、くはしくものたまはず。
516.4608576第四段 薫、帰邸の道中、思い乱れる
516.4.1609577 (みち)すがら、「なほ、いと(おそ)ろしく、(くま)なくおはする(みや)なりや。いかなりけむついでに、さる(ひと)ありと()きたまひけむ。いかで()()りたまひけむ。田舎(ゐなか)びたるあたりにて、かうやうの(すぢ)(まぎ)れは、えしもあらじ、と(おも)ひけるこそ(をさな)けれ。さても、()らぬあたりにこそ、さる()きごとをものたまはめ、(むかし)より(へだ)てなくて、あやしきまでしるべして、()てありきたてまつりし()にしも、うしろめたく(おぼ)()るべしや」 みちすがら、"なほ、いとおそろしく、くまなくおはするみやなりや。いかなりけんついでに、さるひとありときたまひけん。いかでりたまひけん。ゐなかびたるあたりにて、かうやうのすぢまぎれは、えしもあらじ、とおもひけるこそをさなけれ。さても、らぬあたりにこそ、さるきごとをものたまはめ、むかしよりへだてなくて、あやしきまでしるべして、てありきたてまつりしにしも、うしろめたくおぼるべしや。"
516.4.2610578 (おも)ふに、いと(こころ)づきなし。 おもふに、いとこころづきなし。
516.4.3611579 (たい)御方(おほんかた)(おほん)ことを、いみじく(おも)ひつつ、(とし)ごろ()ぐすは、わが(こころ)(おも)さ、こよなかりけり。さるは、それは、今初(いまはじ)めてさま()しかるべきほどにもあらず。もとよりのたよりにもよれるを、ただ(こころ)のうちの(くま)あらむが、わがためも(くる)しかるべきによりこそ、(おも)(はばか)るもをこなるわざなりけれ。 "たいおほんかたおほんことを、いみじくおもひつつ、としごろぐすは、わがこころおもさ、こよなかりけり。さるは、それは、いまはじめてさましかるべきほどにもあらず。もとよりのたよりにもよれるを、ただこころのうちのくまあらんが、わがためもくるしかるべきによりこそ、おもはばかるもをこなるわざなりけれ。
516.4.4612580 このころかく(なや)ましくしたまひて、(れい)よりも(ひと)しげき(まぎ)れに、いかではるばると()きやりたまふらむ。おはしやそめにけむ。いと(はる)かなる懸想(けさう)(みち)なりや。あやしくて、おはし所尋(どころたづ)ねられたまふ()もあり、と()こえきかし。さやうのことに(おぼ)(みだ)れて、そこはかとなく(なや)みたまふなるべし。(むかし)(おぼ)()づるにも、えおはせざりしほどの(なげ)き、いといとほしげなりきかし」 このころかくなやましくしたまひて、れいよりもひとしげきまぎれに、いかではるばるときやりたまふらん。おはしやそめにけん。いとはるかなるけさうみちなりや。あやしくて、おはしどころたづねられたまふもあり、とこえきかし。さやうのことにおぼみだれて、そこはかとなくなやみたまふなるべし。むかしおぼづるにも、えおはせざりしほどのなげき、いといとほしげなりきかし。"
516.4.5613581 と、つくづくと(おも)ふに、(をんな)のいたくもの(おも)ひたるさまなりしも、片端心得(かたはしこころえ)そめたまひては、よろづ(おぼ)()はするに、いと()し。 と、つくづくとおもふに、をんなのいたくものおもひたるさまなりしも、かたはしこころえそめたまひては、よろづおぼはするに、いとし。
516.4.6614582 「ありがたきものは、(ひと)(こころ)にもあるかな。らうたげにおほどかなりとは()えながら、(いろ)めきたる(かた)()ひたる(ひと)ぞかし。この(みや)御具(おほんぐ)にては、いとよきあはひなり」 "ありがたきものは、ひとこころにもあるかな。らうたげにおほどかなりとはえながら、いろめきたるかたひたるひとぞかし。このみやおほんぐにては、いとよきあはひなり。"
516.4.7615583 (おも)ひも(ゆづ)りつべく、退()心地(ここち)したまへど、 おもひもゆづりつべく、ここちしたまへど、
516.4.8616584 「やむごとなく(おも)ひそめ(はじ)めし(ひと)ならばこそあらめ、なほさるものにて()きたらむ。(いま)はとて()ざらむ、はた、(こひ)しかるべし」 "やんごとなくおもひそめはじめしひとならばこそあらめ、なほさるものにてきたらん。いまはとてざらん、はた、こひしかるべし。"
516.4.9617585 人悪(ひとわ)ろく、いろいろ(こころ)(うち)(おぼ)す。 ひとわろく、いろいろこころうちおぼす。
516.5618586第五段 薫、宇治へ随身を遣わす
516.5.1619587 (われ)、すさまじく(おも)ひなりて、()()きたらば、かならず、かの(みや)()()りたまひてむ。(ひと)のため、(のち)のいとほしさをも、ことにたどりたまふまじ。さやうに(おぼ)(ひと)こそ、一品宮(いっぽんのみや)御方(おほんかた)(ひと)()三人参(さんにんまゐ)らせたまひたなれ。さて、()()ちたらむを見聞(みき)かむ、いとほしく」 "われ、すさまじくおもひなりて、きたらば、かならず、かのみやりたまひてん。ひとのため、のちのいとほしさをも、ことにたどりたまふまじ。さやうにおぼひとこそ、いっぽんのみやおほんかたひとさんにんまゐらせたまひたなれ。さて、ちたらんをみきかん、いとほしく。"
516.5.2620588 など、なほ()てがたく、けしき()まほしくて、御文遣(おほんふみつか)はす。(れい)随身召(ずいじんめ)して、御手(おほんて)づから人間(ひとま)()()せたり。 など、なほてがたく、けしきまほしくて、おほんふみつかはす。れいずいじんめして、おほんてづからひとませたり。
516.5.3621589 道定朝臣(みちさだのあそん)は、なほ仲信(なかのぶ)(いへ)にや(かよ)ふ」 "みちさだのあそんは、なほなかのぶいへにやかよふ。"
516.5.4622590 「さなむはべる」と(まう)す。 "さなんはべる。"とまうす。
516.5.5623591 宇治(うぢ)へは、(つね)にやこのありけむ(をのこ)()るらむ。かすかにて()たる(ひと)なれば、道定(みちさだ)(おも)ひかくらむかし」 "うぢへは、つねにやこのありけんをのこるらん。かすかにてたるひとなれば、みちさだおもひかくらんかし。"
516.5.6624592 と、うちうめきたまひて、 と、うちうめきたまひて、
516.5.7625593 (ひと)()えでをまかれ。をこなり」 "ひとえでをまかれ。をこなり。"
516.5.8626594 とのたまふ。かしこまりて、少輔(せうふ)(つね)にこの殿(との)(おほん)こと案内(あない)し、かしこのこと()ひしも(おも)ひあはすれど、もの()れてえ(まう)()でず。(きみ)も、「下衆(げす)(くは)しくは()らせじ」と(おぼ)せば、()はせたまはず。 とのたまふ。かしこまりて、せうふつねにこのとのおほんことあないし、かしこのことひしもおもひあはすれど、ものれてえまうでず。きみも、"げすくはしくはらせじ。"とおぼせば、はせたまはず。
516.5.9627595 かしこには、御使(おほんつかひ)(れい)よりしげきにつけても、もの(おも)ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。 かしこには、おほんつかひれいよりしげきにつけても、ものおもふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。
516.5.10628596 波越(なみこ)ゆるころとも()らず(すゑ)(まつ)<BR/>()つらむとのみ(おも)ひけるかな "〔なみこゆるころともらずすゑまつ<BR/>つらんとのみおもひけるかな
516.5.11629597 (ひと)(わら)はせたまふな」 ひとわらはせたまふな。"
516.5.12630598 とあるを、いとあやしと(おも)ふに、(むね)ふたがりぬ。御返(おほんかへ)(ごと)心得顔(こころえがほ)()こえむもいとつつまし、ひがことにてあらむもあやしければ、御文(おほんふみ)はもとのやうにして、 とあるを、いとあやしとおもふに、むねふたがりぬ。おほんかへごとこころえがほこえんもいとつつまし、ひがことにてあらんもあやしければ、おほんふみはもとのやうにして、
516.5.13631599 所違(ところたが)へのやうに()えはべればなむ。あやしく(なや)ましくて、何事(なにごと)も」 "ところたがへのやうにえはべればなん。あやしくなやましくて、なにごとも。"
516.5.14632600 ()()へてたてまつれつ。()たまひて、 へてたてまつれつ。たまひて、
516.5.15633601 「さすがに、いたくもしたるかな。かけて()およばぬ(こころ)ばへよ」 "さすがに、いたくもしたるかな。かけておよばぬこころばへよ。"
516.5.16634602 とほほ()まれたまふも、(にく)しとは、え(おぼ)()てぬなめり。 とほほまれたまふも、にくしとは、えおぼてぬなめり。
516.6635603第六段 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る
516.6.1636604 まほならねど、ほのめかしたまへるけしきを、かしこにはいとど(おも)()ふ。「つひにわが()は、けしからずあやしくなりぬべきなめり」と、いとど(おも)ふところに、右近来(うこんき)て、 まほならねど、ほのめかしたまへるけしきを、かしこにはいとどおもふ。"つひにわがは、けしからずあやしくなりぬべきなめり。"と、いとどおもふところに、うこんきて、
516.6.2637605 殿(との)御文(おほんふみ)は、などて(かへ)したてまつらせたまひつるぞ。ゆゆしく、()みはべるなるものを」 "とのおほんふみは、などてかへしたてまつらせたまひつるぞ。ゆゆしく、みはべるなるものを。"
516.6.3638606 「ひがことのあるやうに()えつれば、所違(ところたが)へかとて」 "ひがことのあるやうにえつれば、ところたがへかとて。"
516.6.4639607 とのたまふ。あやしと()ければ、(みち)にて()けて()けるなりけり。よからずの右近(うこん)がさまやな。()つとは()はで、 とのたまふ。あやしとければ、みちにてけてけるなりけり。よからずのうこんがさまやな。つとははで、
516.6.5640608 「あな、いとほし。(くる)しき(おほん)ことどもにこそはべれ。殿(との)はもののけしき御覧(ごらん)じたるべし」 "あな、いとほし。くるしきおほんことどもにこそはべれ。とのはもののけしきごらんじたるべし。"
516.6.6641609 ()ふに、(おもて)さと(あか)みて、ものものたまはず。文見(ふみみ)つらむと(おも)はねば、「(こと)ざまにて、かの()けしき()(ひと)(かた)りたるにこそは」と(おも)ふに、 ふに、おもてさとあかみて、ものものたまはず。ふみみつらんとおもはねば、"ことざまにて、かのけしきひとかたりたるにこそは。"とおもふに、
516.6.7642610 ()れか、さ()ふぞ」 "れか、さふぞ。"
516.6.8643611 などもえ()ひたまはず。この(ひと)びとの見思(みおも)ふらむことも、いみじく()づかし。わが(こころ)もてありそめしことならねども、「心憂(こころう)宿世(すくせ)かな」と(おも)()りて()たるに、侍従(じじゅう)二人(ふたり)して、 などもえひたまはず。このひとびとのみおもふらんことも、いみじくづかし。わがこころもてありそめしことならねども、"こころうすくせかな。"とおもりてたるに、じじゅうふたりして、
516.6.9644612 右近(うこん)(あね)の、常陸(ひたち)にて、人二人見(ひとふたりみ)はべりしを、ほどほどにつけては、ただかくぞかし。これもかれも(おと)らぬ(こころ)ざしにて、(おも)(まど)ひてはべりしほどに、(をんな)は、(いま)(かた)にいますこし心寄(ここよ)せまさりてぞはべりける。それに(ねた)みて、つひに(いま)のをば(ころ)してしぞかし。 "うこんあねの、ひたちにて、ひとふたりみはべりしを、ほどほどにつけては、ただかくぞかし。これもかれもおとらぬこころざしにて、おもまどひてはべりしほどに、をんなは、いまかたにいますこしここよせまさりてぞはべりける。それにねたみて、つひにいまのをばころしてしぞかし。
516.6.10645613 さて(われ)()みはべらずなりにき。(くに)にも、いみじきあたら兵一人失(つはものひとりうしな)ひつ。また、この(あやま)ちたるも、よき郎等(らうどう)なれど、かかる(あやま)ちしたる(もの)を、いかでかは使(つか)はむ、とて、(くに)(うち)をも()(はら)はれ、すべて(をんな)のたいだいしきぞとて、(たち)(うち)にも()いたまへらざりしかば、(あづま)(ひと)になりて、乳母(まま)も、(いま)()()きはべるは、罪深(つみふか)くこそ()たまふれ。 さてわれみはべらずなりにき。くににも、いみじきあたらつはものひとりうしなひつ。また、このあやまちたるも、よきらうどうなれど、かかるあやまちしたるものを、いかでかはつかはん、とて、くにうちをもはらはれ、すべてをんなのたいだいしきぞとて、たちうちにもいたまへらざりしかば、あづまひとになりて、ままも、いまきはべるは、つみふかくこそたまふれ。
516.6.11646614 ゆゆしきついでのやうにはべれど、(かみ)(しも)も、かかる(すぢ)のことは、(おぼ)(みだ)るるは、いと()しきわざなり。御命(おほんいのち)まだにはあらずとも、(ひと)(おほん)ほどほどにつけてはべることなり。()ぬるにまさる(はぢ)なることも、よき(ひと)御身(おほんみ)には、なかなかはべるなり。一方(ひとかた)(おぼ)(さだ)めてよ。 ゆゆしきついでのやうにはべれど、かみしもも、かかるすぢのことは、おぼみだるるは、いとしきわざなり。おほんいのちまだにはあらずとも、ひとおほんほどほどにつけてはべることなり。ぬるにまさるはぢなることも、よきひとおほんみには、なかなかはべるなり。ひとかたおぼさだめてよ。
516.6.12647615 (みや)御心(みこころ)ざしまさりて、まめやかにだに()こえさせたまはば、そなたざまにもなびかせたまひて、ものないたく(なげ)かせたまひそ。()(おとろ)へさせたまふもいと(やく)なし。さばかり(うへ)(おも)ひいたづききこえさせたまふものを、乳母(まま)がこの(おほん)いそぎに(こころ)()れて、(まど)ひゐてはべるにつけても、それよりこなたに、と()こえさせたまふ(おほん)ことこそ、いと(くる)しく、いとほしけれ」 みやみこころざしまさりて、まめやかにだにこえさせたまはば、そなたざまにもなびかせたまひて、ものないたくなげかせたまひそ。おとろへさせたまふもいとやくなし。さばかりうへおもひいたづききこえさせたまふものを、ままがこのおほんいそぎにこころれて、まどひゐてはべるにつけても、それよりこなたに、とこえさせたまふおほんことこそ、いとくるしく、いとほしけれ。"
516.6.13648616 ()ふに、いま一人(ひとり) ふに、いまひとり
516.6.14649617 「うたて、(おそ)ろしきまでな()こえさせたまひそ。(なに)ごとも御宿世(おほんすくせ)にこそあらめ。ただ御心(みこころ)のうちに、すこし(おぼ)しなびかむ(かた)を、さるべきに(おぼ)しならせたまへ。いでや、いとかたじけなく、いみじき()けしきなりしかば、(ひと)のかく(おぼ)しいそぐめりし(かた)にも御心(みこころ)()らず。しばしは(かく)ろへても、御思(おほんおも)ひのまさらせたまはむに()らせたまひね、とぞ(おも)ひえはべる」 "うたて、おそろしきまでなこえさせたまひそ。なにごともおほんすくせにこそあらめ。ただみこころのうちに、すこしおぼしなびかんかたを、さるべきにおぼしならせたまへ。いでや、いとかたじけなく、いみじきけしきなりしかば、ひとのかくおぼしいそぐめりしかたにもみこころらず。しばしはかくろへても、おほんおもひのまさらせたまはんにらせたまひね、とぞおもひえはべる。"
516.6.15650618 と、(みや)をいみじくめできこゆる(こころ)なれば、ひたみちに()ふ。 と、みやをいみじくめできこゆるこころなれば、ひたみちにふ。
516.7651619第七段 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う
516.7.1652620 「いさや。右近(うこん)は、とてもかくても、(こと)なく()ぐさせたまへと、初瀬(はつせ)石山(いしやま)などに(がん)をなむ()てはべる。この大将殿(だいしゃうどの)御荘(みさう)(ひと)びとといふ(もの)は、いみじき無道(ぶたう)(もの)どもにて、一類(ひとるい)この(さと)()ちてはべるなり。おほかた、この山城(やましろ)大和(やまと)に、殿(との)(りゃう)じたまふ所々(ところどころ)(ひと)なむ、(みな)この内舎人(うどねり)といふ(もの)のゆかりかけつつはべるなる。 "いさや。うこんは、とてもかくても、ことなくぐさせたまへと、はつせいしやまなどにがんをなんてはべる。このだいしゃうどのみさうひとびとといふものは、いみじきぶたうものどもにて、ひとるいこのさとちてはべるなり。おほかた、このやましろやまとに、とのりゃうじたまふところどころひとなん、みなこのうどねりといふもののゆかりかけつつはべるなる。
516.7.2653621 それが婿(むこ)右近大夫(うこんのたいふ)といふ(もの)(もと)として、よろづのことをおきて(おほ)せられたるななり。よき(ひと)御仲(おほんなか)どちは、(なさ)けなきことし()でよ、と(おぼ)さずとも、ものの心得(こころえ)田舎人(ゐなかびと)どもの、宿直人(とのゐびと)にて(かは)(がは)りさぶらへば、おのが(ばん)(あた)りて、いささかなることもあらせじなど、(あやま)ちもしはべりなむ。 それがむこうこんのたいふといふものもととして、よろづのことをおきておほせられたるななり。よきひとおほんなかどちは、なさけなきことしでよ、とおぼさずとも、もののこころえゐなかびとどもの、とのゐびとにてかはがはりさぶらへば、おのがばんあたりて、いささかなることもあらせじなど、あやまちもしはべりなん。
516.7.3654622 ありし()(おほん)ありきは、いとこそむくつけく(おも)うたまへられしか。(みや)は、わりなくつつませたまふとて、御供(おほんとも)(ひと)()ておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さる(もの)()つけたてまつりたらむは、いといみじくなむ」 ありしおほんありきは、いとこそむくつけくおもうたまへられしか。みやは、わりなくつつませたまふとて、おほんともひとておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さるものつけたてまつりたらんは、いといみじくなん。"
516.7.4655623 と、()(つづ)くるを、(きみ)、「なほ、(われ)を、(みや)心寄(こころよ)せたてまつりたると(おも)ひて、この(ひと)びとの()ふ。いと()づかしく、心地(ここち)にはいづれとも(おも)はず。ただ(ゆめ)のやうにあきれて、いみじく()られたまふをば、などかくしも、とばかり(おも)へど、(たの)みきこえて(とし)ごろになりぬる(ひと)を、(いま)はともて(はな)れむと(おも)はぬによりこそ、かくいみじとものも(おも)(みだ)るれ。げに、よからぬことも()()たらむ(とき)」と、つくづくと(おも)ひゐたり。 と、つづくるを、きみ、"なほ、われを、みやこころよせたてまつりたるとおもひて、このひとびとのふ。いとづかしく、ここちにはいづれともおもはず。ただゆめのやうにあきれて、いみじくられたまふをば、などかくしも、とばかりおもへど、たのみきこえてとしごろになりぬるひとを、いまはともてはなれんとおもはぬによりこそ、かくいみじとものもおもみだるれ。げに、よからぬこともたらんとき。"と、つくづくとおもひゐたり。
516.7.5656624 「まろは、いかで()なばや。()づかず心憂(こころう)かりける()かな。かく、()きことあるためしは、下衆(げす)などの(なか)にだに(おほ)くやはあなる」 "まろは、いかでなばや。づかずこころうかりけるかな。かく、きことあるためしは、げすなどのなかにだにおほくやはあなる。"
516.7.6657625 とて、うつぶし()したまへば、 とて、うつぶししたまへば、
516.7.7658626 「かくな(おぼ)()しそ。やすらかに(おぼ)しなせ、とてこそ()こえさせはべれ。(おぼ)しぬべきことをも、さらぬ(かほ)にのみ、のどかに()えさせたまへるを、この御事(おほんこと)ののち、いみじく心焦(こころい)られをせさせたまへば、いとあやしくなむ()たてまつる」 "かくなおぼしそ。やすらかにおぼしなせ、とてこそこえさせはべれ。おぼしぬべきことをも、さらぬかほにのみ、のどかにえさせたまへるを、このおほんことののち、いみじくこころいられをせさせたまへば、いとあやしくなんたてまつる。"
516.7.8659627 と、心知(こころし)りたる(かぎ)りは、(みな)かく(おも)(みだ)(さわ)ぐに、乳母(めのと)、おのが(こころ)をやりて、物染(ものぞ)めいとなみゐたり。今参(いままゐ)(わらは)などのめやすきを()()りつつ、 と、こころしりたるかぎりは、みなかくおもみださわぐに、めのと、おのがこころをやりて、ものぞめいとなみゐたり。いままゐわらはなどのめやすきをりつつ、
516.7.9660628 「かかる人御覧(ひとごらん)ぜよ。あやしくてのみ()させたまへるは、もののけなどの、(さまた)げきこえさせむとするにこそ」と(なげ)く。 "かかるひとごらんぜよ。あやしくてのみさせたまへるは、もののけなどの、さまたげきこえさせんとするにこそ。"となげく。
517661629第七章 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す
517.1662630第一段 内舎人、薫の伝言を右近に伝える
517.1.1663631 殿(との)よりは、かのありし(かへ)(ごと)をだにのたまはで、()ごろ()ぬ。この(おど)しし内舎人(うどねり)といふ(もの)()たる。げに、いと荒々(あらあら)しく、ふつつかなるさましたる(おきな)の、(こゑ)かれ、さすがにけしきある、 とのよりは、かのありしかへごとをだにのたまはで、ごろぬ。このおどししうどねりといふものたる。げに、いとあらあらしく、ふつつかなるさましたるおきなの、こゑかれ、さすがにけしきある、
517.1.2664632 女房(にょうばう)に、ものとり(まう)さむ」 "にょうばうに、ものとりまうさん。"
517.1.3665633 ()はせたれば、右近(うこん)しも()ひたり。 はせたれば、うこんしもひたり。
517.1.4666634 殿(との)()しはべりしかば、今朝参(けさまゐ)りはべりて、ただ(いま)なむ、まかり(かへ)りはんべりつる。雑事(ざふじ)ども(おほ)せられつるついでに、かくておはしますほどに、夜中(よなか)(あかつき)のことも、なにがしらかくてさぶらふ、と(おも)ほして、宿直人(とのゐびと)わざとさしたてまつらせたまふこともなきを、このころ()こしめせば、 "とのしはべりしかば、けさまゐりはべりて、ただいまなん、まかりかへりはんべりつる。ざふじどもおほせられつるついでに、かくておはしますほどに、よなかあかつきのことも、なにがしらかくてさぶらふ、とおもほして、とのゐびとわざとさしたてまつらせたまふこともなきを、このころこしめせば、
517.1.5667635 女房(にょうばう)(おほん)もとに、()らぬ(ところ)人通(ひとかよ)ふやうになむ()こし()すことある。たいだいしきことなり。宿直(とのゐ)にさぶらふ(もの)どもは、その案内聞(あないき)きたらむ。()らでは、いかがさぶらふべき』 'にょうばうおほんもとに、らぬところひとかよふやうになんこしすことある。たいだいしきことなり。とのゐにさぶらふものどもは、そのあないききたらん。らでは、いかがさぶらふべき。'
517.1.6668636 ()はせたまひつるに、(うけたまは)らぬことなれば、 はせたまひつるに、うけたまはらぬことなれば、
517.1.7669637 『なにがしは()病重(やまひおも)くはべりて、宿直仕(とのゐつか)うまつることは、(つき)ごろおこたりてはべれば、案内(あない)もえ()りはんべらず。さるべき(をのこ)どもは、解怠(けたい)なく(もよほ)しさぶらはせはべるを、さのごとき非常(ひじゃう)のことのさぶらはむをば、いかでか(うけたまは)らぬやうははべらむ』 'なにがしはやまひおもくはべりて、とのゐつかうまつることは、つきごろおこたりてはべれば、あないもえりはんべらず。さるべきをのこどもは、けたいなくもよほしさぶらはせはべるを、さのごときひじゃうのことのさぶらはんをば、いかでかうけたまはらぬやうははべらん。'
517.1.8670638 となむ(まう)させはべりつる。用意(ようい)してさぶらへ。便(びん)なきこともあらば、(おも)勘当(かんだう)せしめたまふべきよしなむ、(おほ)(ごと)はべりつれば、いかなる(おほ)(ごと)にかと、(おそ)(まう)しはんべる」 となんまうさせはべりつる。よういしてさぶらへ。びんなきこともあらば、おもかんだうせしめたまふべきよしなん、おほごとはべりつれば、いかなるおほごとにかと、おそまうしはんべる。"
517.1.9671639 ()ふを()くに、(ふくろふ)()かむよりも、いともの(おそ)ろし。いらへもやらで、 ふをくに、ふくろふかんよりも、いとものおそろし。いらへもやらで、
517.1.10672640 「さりや。()こえさせしに(たが)はぬことどもを()こしめせ。もののけしき御覧(ごらん)じたるなめり。御消息(おほんせうそこ)もはべらぬよ」 "さりや。こえさせしにたがはぬことどもをこしめせ。もののけしきごらんじたるなめり。おほんせうそこもはべらぬよ。"
517.1.11673641 (なげ)く。乳母(めのと)は、ほのうち()きて、 なげく。めのとは、ほのうちきて、
517.1.12674642 「いとうれしく(おほ)せられたり。盗人多(ぬすびとおほ)かんなるわたりに、宿直人(とのゐびと)(はじ)めのやうにもあらず。(みな)()()はりぞと()ひつつ、あやしき下衆(げす)をのみ(まゐ)らすれば、夜行(やぎゃう)をだにえせぬに」と(よろこ)ぶ。 "いとうれしくおほせられたり。ぬすびとおほかんなるわたりに、とのゐびとはじめのやうにもあらず。みなはりぞとひつつ、あやしきげすをのみまゐらすれば、やぎゃうをだにえせぬに。"とよろこぶ。
517.2675643第二段 浮舟、死を決意して、文を処分す
517.2.1676644 (きみ)は、「げに、ただ(いま)いと()しくなりぬべき()なめり」と(おぼ)すに、(みや)よりは、 きみは、"げに、ただいまいとしくなりぬべきなめり。"とおぼすに、みやよりは、
517.2.2677645 「いかに、いかに」 "いかに、いかに。"
517.2.3678646 と、(こけ)(みだ)るるわりなさをのたまふ、いとわづらはしくてなむ。 と、こけみだるるわりなさをのたまふ、いとわづらはしくてなん。
517.2.4679647 「とてもかくても、一方一方(ひとかたひとかた)につけて、いとうたてあることは()()なむ。わが身一(みひと)つの()くなりなむのみこそめやすからめ。(むかし)は、懸想(けさう)する(ひと)のありさまの、いづれとなきに(おも)ひわづらひてだにこそ、()()ぐるためしもありけれ。ながらへば、かならず()きこと()えぬべき()の、()くならむは、なにか()しかるべき。(おや)もしばしこそ(なげ)(まど)ひたまはめ、あまたの()ども(あつか)ひに、おのづから忘草摘(わすれぐさつ)みてむ。ありながらもてそこなひ、人笑(ひとわら)へなるさまにてさすらへむは、まさるもの(おも)ひなるべし」 "とてもかくても、ひとかたひとかたにつけて、いとうたてあることはなん。わがみひとつのくなりなんのみこそめやすからめ。むかしは、けさうするひとのありさまの、いづれとなきにおもひわづらひてだにこそ、ぐるためしもありけれ。ながらへば、かならずきことえぬべきの、くならんは、なにかしかるべき。おやもしばしこそなげまどひたまはめ、あまたのどもあつかひに、おのづからわすれぐさつみてん。ありながらもてそこなひ、ひとわらへなるさまにてさすらへんは、まさるものおもひなるべし。"
517.2.5680648 など(おも)ひなる。()めきおほどかに、たをたをと()ゆれど、気高(けだか)()のありさまをも()(かた)すくなくて、(おぼ)()てたる(ひと)にしあれば、すこしおずかるべきことを、(おも)()るなりけむかし。 などおもひなる。めきおほどかに、たをたをとゆれど、けだかのありさまをもかたすくなくて、おぼてたるひとにしあれば、すこしおずかるべきことを、おもるなりけんかし。
517.2.6681649 むつかしき反故(ほぐ)など()りて、おどろおどろしく一度(ひとたび)にもしたためず、灯台(とうだい)()()き、(みづ)()()れさせなど、やうやう(うしな)ふ。心知(こころし)らぬ御達(ごたち)は、「ものへ(わた)りたまふべければ、つれづれなる月日(つきひ)()て、はかなくし(あつ)めたまへる手習(てならひ)などを、()りたまふなめり」と(おも)ふ。侍従(じじゅう)などぞ、()つくる(とき)は、 むつかしきほぐなどりて、おどろおどろしくひとたびにもしたためず、とうだいき、みづれさせなど、やうやううしなふ。こころしらぬごたちは、"ものへわたりたまふべければ、つれづれなるつきひて、はかなくしあつめたまへるてならひなどを、りたまふなめり。"とおもふ。じじゅうなどぞ、つくるときは、
517.2.7682650 「など、かくはせさせたまふ。あはれなる御仲(おほんなか)に、(こころ)とどめて()()はしたまへる(ふみ)は、(ひと)にこそ()せさせたまはざらめ、ものの(そこ)()かせたまひて御覧(ごらん)ずるなむ、ほどほどにつけては、いとあはれにはべる。さばかりめでたき御紙使(おほんかみつか)ひ、かたじけなき御言(おほんこと)()()くさせたまへるを、かくのみ()らせたまふ、(なさ)けなきこと」 "など、かくはせさせたまふ。あはれなるおほんなかに、こころとどめてはしたまへるふみは、ひとにこそせさせたまはざらめ、もののそこかせたまひてごらんずるなん、ほどほどにつけては、いとあはれにはべる。さばかりめでたきおほんかみつかひ、かたじけなきおほんことくさせたまへるを、かくのみらせたまふ、なさけなきこと。"
517.2.8683651 ()ふ。 ふ。
517.2.9684652 (なに)か。むつかしく。(なが)かるまじき()にこそあめれ。()ちとどまりて、(ひと)(おほん)ためもいとほしからむ。さかしらにこれを()りおきけるよなど、()()きたまはむこそ、()づかしけれ」 "なにか。むつかしく。ながかるまじきにこそあめれ。ちとどまりて、ひとおほんためもいとほしからん。さかしらにこれをりおきけるよなど、きたまはんこそ、づかしけれ。"
517.2.10685653 などのたまふ。心細(こころぼそ)きことを(おも)ひもてゆくには、またえ(おも)()つまじきわざなりけり。(おや)をおきて()くなる(ひと)は、いと罪深(つみふか)かなるものをなど、さすがに、ほの()きたることをも(おも)ふ。 などのたまふ。こころぼそきことをおもひもてゆくには、またえおもつまじきわざなりけり。おやをおきてくなるひとは、いとつみふかかなるものをなど、さすがに、ほのきたることをもおもふ。
517.3686654第三段 三月二十日過ぎ、浮舟、匂宮を思い泣く
517.3.1687655 二十日(はつか)あまりにもなりぬ。かの家主(いへあるじ)二十八日(にじふはちにち)(くだ)るべし。(みや)は、 はつかあまりにもなりぬ。かのいへあるじにじふはちにちくだるべし。みやは、
517.3.2688656 「その()かならず(むか)へむ。下人(しもびと)などに、よくけしき()ゆまじき(こころ)づかひしたまへ。こなたざまよりは、ゆめにも()こえあるまじ。(うたが)ひたまふな」 "そのかならずむかへん。しもびとなどに、よくけしきゆまじきこころづかひしたまへ。こなたざまよりは、ゆめにもこえあるまじ。うたがひたまふな。"
517.3.3689657 などのたまふ。「さて、あるまじきさまにておはしたらむに、今一度(いまひとたび)ものをもえ()こえず、おぼつかなくて(かへ)したてまつらむことよ。また、(とき)()にても、いかでかここには()せたてまつらむとする。かひなく(うら)みて(かへ)りたまはむ」さまなどを(おも)ひやるに、(れい)の、面影離(おもかげはな)れず、()へず(かな)しくて、この御文(おほんふみ)(かほ)におし()てて、しばしはつつめども、いといみじく()きたまふ。 などのたまふ。"さて、あるまじきさまにておはしたらんに、いまひとたびものをもえこえず、おぼつかなくてかへしたてまつらんことよ。また、ときにても、いかでかここにはせたてまつらんとする。かひなくうらみてかへりたまはん。"さまなどをおもひやるに、れいの、おもかげはなれず、へずかなしくて、このおほんふみかほにおしてて、しばしはつつめども、いといみじくきたまふ。
517.3.4690658 右近(うこん) うこん
517.3.5691659 「あが(きみ)、かかる()けしき、つひに人見(ひとみ)たてまつりつべし。やうやう、あやしなど(おも)(ひと)はべるべかめり。かうかかづらひ(おも)ほさで、さるべきさまに()こえさせたまひてよ。右近(うこん)はべらば、おほけなきこともたばかり()だしはべらば、かばかり(ちひ)さき御身一(おほんみひと)つは、(そら)より()てたてまつらせたまひなむ」 "あがきみ、かかるけしき、つひにひとみたてまつりつべし。やうやう、あやしなどおもひとはべるべかめり。かうかかづらひおもほさで、さるべきさまにこえさせたまひてよ。うこんはべらば、おほけなきこともたばかりだしはべらば、かばかりちひさきおほんみひとつは、そらよりてたてまつらせたまひなん。"
517.3.6692660 ()ふ。とばかりためらひて、 ふ。とばかりためらひて、
517.3.7693661 「かくのみ()ふこそ、いと心憂(こころう)けれ。さもありぬべきこと、と(おも)ひかけばこそあらめ、あるまじきこと、と皆思(みなおも)ひとるに、わりなく、かくのみ(たの)みたるやうにのたまへば、いかなることをし()でたまはむとするにかなど、(おも)ふにつけて、()のいと心憂(こころう)きなり」 "かくのみふこそ、いとこころうけれ。さもありぬべきこと、とおもひかけばこそあらめ、あるまじきこと、とみなおもひとるに、わりなく、かくのみたのみたるやうにのたまへば、いかなることをしでたまはんとするにかなど、おもふにつけて、のいとこころうきなり。"
517.3.8694662 とて、(かへ)(ごと)()こえたまはずなりぬ。 とて、かへごとこえたまはずなりぬ。
517.4695663第四段 匂宮、宇治へ行く
517.4.1696664 (みや)、「かくのみ、なほ()()くけしきもなくて、(かへ)(ごと)さへ()()えになるは、かの(ひと)の、あるべきさまに()ひしたためて、すこし(こころ)やすかるべき(かた)(おも)(さだ)まりぬるなめり。ことわり」と(おぼ)すものから、いと口惜(くちを)しくねたく、 みや、"かくのみ、なほくけしきもなくて、かへごとさへえになるは、かのひとの、あるべきさまにひしたためて、すこしこころやすかるべきかたおもさだまりぬるなめり。ことわり。"とおぼすものから、いとくちをしくねたく、
517.4.2697665 「さりとも、(われ)をばあはれと(おも)ひたりしものを。あひ()ぬとだえに、(ひと)びとの()()らする(かた)()るならむかし」 "さりとも、われをばあはれとおもひたりしものを。あひぬとだえに、ひとびとのらするかたるならんかし。"
517.4.3698666 など(なが)めたまふに、()(かた)しらず、むなしき(そら)()ちぬる心地(ここち)したまへば、(れい)の、いみじく(おぼ)()ちておはしましぬ。 などながめたまふに、かたしらず、むなしきそらちぬるここちしたまへば、れいの、いみじくおぼちておはしましぬ。
517.4.4699667 葦垣(あしがき)(かた)()るに、(れい)ならず、 あしがきかたるに、れいならず、
517.4.5700668 「あれは、()そ」 "あれは、そ。"
517.4.6701669 ()声々(こゑごゑ)、いざとげなり。()退()きて、心知(こころし)りの(をのこ)()れたれば、それをさへ()ふ。前々(さきざき)のけはひにも()ず。わづらはしくて、 こゑごゑ、いざとげなり。きて、こころしりのをのこれたれば、それをさへふ。さきざきのけはひにもず。わづらはしくて、
517.4.7702670 (きゃう)よりとみの御文(おほんふみ)あるなり」 "きゃうよりとみのおほんふみあるなり。"
517.4.8703671 ()ふ。右近(うこん)徒者(ずしゃ)()()びて()ひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。 ふ。うこんずしゃびてひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。
517.4.9704672 「さらに、今宵(こよひ)不用(ふよう)なり。いみじくかたじけなきこと」 "さらに、こよひふようなり。いみじくかたじけなきこと。"
517.4.10705673 ()はせたり。(みや)、「など、かくもて(はな)るらむ」と(おぼ)すに、わりなくて、 はせたり。みや、"など、かくもてはなるらん。"とおぼすに、わりなくて、
517.4.11706674 「まづ、時方入(ときかたい)りて、侍従(じじゅう)()ひて、さるべきさまにたばかれ」 "まづ、ときかたいりて、じじゅうひて、さるべきさまにたばかれ。"
517.4.12707675 とて(つか)はす。かどかどしき(ひと)にて、とかく()(かま)へて、(たづ)ねて()ひたり。 とてつかはす。かどかどしきひとにて、とかくかまへて、たづねてひたり。
517.4.13708676 「いかなるにかあらむ。かの殿(との)ののたまはすることありとて、宿直(とのゐ)にある(もの)どもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。御前(おまへ)にも、ものをのみいみじく(おぼ)しためるは、かかる(おほん)ことのかたじけなきを、(おぼ)(みだ)るるにこそ、と心苦(こころぐる)しくなむ()たてまつる。さらに、今宵(こよひ)は。(ひと)けしき()はべりなば、なかなかにいと()しかりなむ。やがて、さも御心(みこころ)づかひせさせたまひつべからむ()、ここにも人知(ひとし)れず(おも)(かま)へてなむ、()こえさすべかめる」 "いかなるにかあらん。かのとのののたまはすることありとて、とのゐにあるものどもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。おまへにも、ものをのみいみじくおぼしためるは、かかるおほんことのかたじけなきを、おぼみだるるにこそ、とこころぐるしくなんたてまつる。さらに、こよひは。ひとけしきはべりなば、なかなかにいとしかりなん。やがて、さもみこころづかひせさせたまひつべからん、ここにもひとしれずおもかまへてなん、こえさすべかめる。"
517.4.14709677 乳母(めのと)のいざときことなども(かた)る。大夫(たいふ) めのとのいざときことなどもかたる。たいふ
517.4.15710678 「おはします(みち)のおぼろけならず、あながちなる()けしきに、あへなく()こえさせむなむ、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともに(くは)しく()こえさせたまへ」といざなふ。 "おはしますみちのおぼろけならず、あながちなるけしきに、あへなくこえさせんなん、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともにくはしくこえさせたまへ。"といざなふ。
517.4.16711679 「いとわりなからむ」 "いとわりなからん。"
517.4.17712680 ()ひしろふほどに、()もいたく()けゆく。 ひしろふほどに、もいたくけゆく。
517.5713681第五段 匂宮、浮舟に逢えず帰京す
517.5.1714682 (みや)は、御馬(おほんむま)にてすこし(とほ)()ちたまへるに、(さと)びたる(こゑ)したる(いぬ)どもの()()てののしるも、いと(おそ)ろしく、人少(ひとずく)なに、いとあやしき(おほん)ありきなれば、「すずろならむものの(はし)()()たらむも、いかさまに」と、さぶらふ(かぎ)(こころ)をぞ(まど)はしける。 みやは、おほんむまにてすこしとほちたまへるに、さとびたるこゑしたるいぬどものてののしるも、いとおそろしく、ひとずくなに、いとあやしきおほんありきなれば、"すずろならんもののはしたらんも、いかさまに。"と、さぶらふかぎこころをぞまどはしける。
517.5.2715684 「なほ、とくとく(まゐ)りなむ」 "なほ、とくとくまゐりなん。"
517.5.3716685 ()(さわ)がして、この侍従(じじゅう)()(まゐ)る。髪脇(かみわき)より()()して、様体(やうだい)いとをかしき(ひと)なり。(むま)()せむとすれど、さらに()かねば、(きぬ)(すそ)をとりて、()()ひて()く。わが(くつ)()かせて、みづからは、(とも)なる(ひと)のあやしき(もの)()きたり。 さわがして、このじじゅうまゐる。かみわきよりして、やうだいいとをかしきひとなり。むませんとすれど、さらにかねば、きぬすそをとりて、ひてく。わがくつかせて、みづからは、ともなるひとのあやしきものきたり。
517.5.4717686 (まゐ)りて、「かくなむ」と()こゆれば、(かた)らひたまふべきやうだになければ、山賤(やまがつ)垣根(かきね)のおどろ(むぐら)(かげ)に、障泥(あふり)といふものを()きて()ろしたてまつる。わが御心地(みここち)にも、「あやしきありさまかな。かかる(みち)にそこなはれて、はかばかしくは、えあるまじき()なめり」と、(おぼ)(つづ)くるに、()きたまふこと(かぎ)りなし。 まゐりて、"かくなん。"とこゆれば、かたらひたまふべきやうだになければ、やまがつかきねのおどろむぐらかげに、あふりといふものをきてろしたてまつる。わがみここちにも、"あやしきありさまかな。かかるみちにそこなはれて、はかばかしくは、えあるまじきなめり。"と、おぼつづくるに、きたまふことかぎりなし。
517.5.5718687 心弱(こころよわ)(ひと)は、ましていといみじく(かな)しと()たてまつる。いみじき(あた)(おに)につくりたりとも、おろかに見捨(みす)つまじき(ひと)(おほん)ありさまなり。ためらひたまひて、 こころよわひとは、ましていといみじくかなしとたてまつる。いみじきあたおににつくりたりとも、おろかにみすつまじきひとおほんありさまなり。ためらひたまひて、
517.5.6719688 「ただ一言(ひとこと)もえ()こえさすまじきか。いかなれば、(いま)さらにかかるぞ。なほ、(ひと)びとの()ひなしたるやうあるべし」 "ただひとこともえこえさすまじきか。いかなれば、いまさらにかかるぞ。なほ、ひとびとのひなしたるやうあるべし。"
517.5.7720689 とのたまふ。ありさま(くは)しく()こえて、 とのたまふ。ありさまくはしくこえて、
517.5.8721690 「やがて、さ(おぼ)()さむ()を、かねては()るまじきさまに、たばからせたまへ。かくかたじけなきことどもを()たてまつりはべれば、()()てても(おも)うたまへたばかりはべらむ」 "やがて、さおぼさんを、かねてはるまじきさまに、たばからせたまへ。かくかたじけなきことどもをたてまつりはべれば、ててもおもうたまへたばかりはべらん。"
517.5.9722691 ()こゆ。(われ)人目(ひとめ)をいみじく(おぼ)せば、一方(ひとかた)(うら)みたまはむやうもなし。 こゆ。われひとめをいみじくおぼせば、ひとかたうらみたまはんやうもなし。
517.5.10723692 ()はいたく()けゆくに、このもの(とが)めする(いぬ)声絶(こゑた)えず、(ひと)びと()ひさけなどするに、弓引(ゆみひ)()らし、あやしき(をのこ)どもの(こゑ)どもして、 はいたくけゆくに、このものとがめするいぬこゑたえず、ひとびとひさけなどするに、ゆみひらし、あやしきをのこどものこゑどもして、
517.5.11724693 火危(ひあや)ふし」 "ひあやふし。"
517.5.12725694 など()ふも、いと(こころ)あわたたしければ、(かへ)りたまふほど、()へばさらなり。 などふも、いとこころあわたたしければ、かへりたまふほど、へばさらなり。
517.5.13726695 「いづくにか()をば()てむと白雲(しらくも)の<BR/>かからぬ(やま)()()くぞ() "〔いづくにかをばてんとしらくもの<BR/>かからぬやまくぞ
517.5.14727696 さらば、はや」 さらば、はや。"
517.5.15728697 とて、この(ひと)(かへ)したまふ。()けしきなまめかしくあはれに、夜深(よぶか)(つゆ)にしめりたる御香(おほんか)()うばしさなど、たとへむ(かた)なし。()()くぞ(かへ)()たる。 とて、このひとかへしたまふ。けしきなまめかしくあはれに、よぶかつゆにしめりたるおほんかうばしさなど、たとへんかたなし。くぞかへたる。
517.6729698第六段 浮舟の今生の思い
517.6.1730699 右近(うこん)は、()()りつるよし()ひゐたるに、(きみ)は、いよいよ(おも)(みだ)るること(おほ)くて()したまへるに、()()て、ありつるさま(かた)るに、いらへもせねど、(まくら)のやうやう()きぬるを、かつはいかに()るらむ、とつつまし。明朝(つとめて)も、あやしからむまみを(おも)へば、無期(むご)()したり。ものはかなげに(おび)などして経読(きゃうよ)む。「(おや)(さき)だちなむ罪失(つみうしな)ひたまへ」とのみ(おも)ふ。 うこんは、りつるよしひゐたるに、きみは、いよいよおもみだるることおほくてしたまへるに、て、ありつるさまかたるに、いらへもせねど、まくらのやうやうきぬるを、かつはいかにるらん、とつつまし。つとめても、あやしからんまみをおもへば、むごしたり。ものはかなげにおびなどしてきゃうよむ。"おやさきだちなんつみうしなひたまへ。"とのみおもふ。
517.6.2731700 ありし()()()でて()て、()きたまひし()つき、(かほ)(にほ)ひなどの、()かひきこえたらむやうにおぼゆれば、昨夜(よべ)一言(ひとこと)をだに()こえずなりにしは、なほ(いま)ひとへまさりて、いみじと(おも)ふ。「かの、(こころ)のどかなるさまにて()む、と()末遠(すゑとほ)かるべきことをのたまひわたる(ひと)も、いかが(おぼ)さむ」といとほし。 ありしでてて、きたまひしつき、かほにほひなどの、かひきこえたらんやうにおぼゆれば、よべひとことをだにこえずなりにしは、なほいまひとへまさりて、いみじとおもふ。"かの、こころのどかなるさまにてん、とすゑとほかるべきことをのたまひわたるひとも、いかがおぼさん。"といとほし。
517.6.3732701 ()きさまに()ひなす(ひと)もあらむこそ、(おも)ひやり()づかしけれど、「心浅(こころあさ)く、けしからず人笑(ひとわら)へならむを、()かれたてまつらむよりは」など(おも)(つづ)けて、 きさまにひなすひともあらんこそ、おもひやりづかしけれど、"こころあさく、けしからずひとわらへならんを、かれたてまつらんよりは。"などおもつづけて、
517.6.4733702 (なげ)きわび()をば()つとも()(かげ)に<BR/>()名流(ななが)さむことをこそ(おも)へ」 "〔なげきわびをばつともかげに<BR/>なながさんことをこそおもへ〕
517.6.5734703 (おや)もいと(こひ)しく、(れい)は、ことに(おも)()でぬ弟妹(はらから)(みにく)やかなるも、(こひ)し。(みや)(うへ)(おも)()できこゆるにも、すべて今一度(いまひとたび)ゆかしき人多(ひとおほ)かり。(ひと)(みな)、おのおの物染(ものぞ)めいそぎ、(なに)やかやと()へど、(みみ)にも()らず、(よる)となれば、(ひと)()つけられず、()でて()くべき(かた)(おも)ひまうけつつ、()られぬままに、心地(ここち)()しく、皆違(みなたが)ひにたり。()けたてば、(かは)(かた)()やりつつ、(ひつじ)(あゆ)みよりもほどなき心地(ここち)す。 おやもいとこひしく、れいは、ことにおもでぬはらからみにくやかなるも、こひし。みやうへおもできこゆるにも、すべていまひとたびゆかしきひとおほかり。ひとみな、おのおのものぞめいそぎ、なにやかやとへど、みみにもらず、よるとなれば、ひとつけられず、でてくべきかたおもひまうけつつ、られぬままに、ここちしく、みなたがひにたり。けたてば、かはかたやりつつ、ひつじあゆみよりもほどなきここちす。
517.7735704第七段 京から母の手紙が届く
517.7.1736705 (みや)は、いみじきことどもをのたまへり。(いま)さらに、(ひと)()むと(おも)へば、この御返(おほんかへ)(ごと)をだに、(おも)ふままにも()かず。 みやは、いみじきことどもをのたまへり。いまさらに、ひとんとおもへば、このおほんかへごとをだに、おもふままにもかず。
517.7.2737706 「からをだに()()(なか)にとどめずは<BR/>いづこをはかと(きみ)(うら)みむ」 "〔からをだになかにとどめずは<BR/>いづこをはかときみうらみん〕
517.7.3738707 とのみ()きて()だしつ。「かの殿(との)にも、(いま)はのけしき()せたてまつらまほしけれど、所々(ところどころ)()きおきて、(はな)れぬ御仲(おほんなか)なれば、つひに()きあはせたまはむこと、いと()かるべし。すべて、いかになりけむと、()れにもおぼつかなくてやみなむ」と(おも)(かへ)す。 とのみきてだしつ。"かのとのにも、いまはのけしきせたてまつらまほしけれど、ところどころきおきて、はなれぬおほんなかなれば、つひにきあはせたまはんこと、いとかるべし。すべて、いかになりけんと、れにもおぼつかなくてやみなん。"とおもかへす。
517.7.4739708 (きゃう)より、(はは)御文持(おほんふみも)()たり。 きゃうより、ははおほんふみもたり。
517.7.5740709 ()ぬる()(ゆめ)に、いと(さわ)がしくて()えたまひつれば、誦経所々(ずきゃうところどころ)せさせなどしはべるを、やがて、その(ゆめ)(のち)()られざりつるけにや、ただ(いま)昼寝(ひるね)してはべる(ゆめ)に、(ひと)()むといふことなむ、()えたまひつれば、(おどろ)きながらたてまつる。よく(つつし)ませたまへ。 "ぬるゆめに、いとさわがしくてえたまひつれば、ずきゃうところどころせさせなどしはべるを、やがて、そのゆめのちられざりつるけにや、ただいまひるねしてはべるゆめに、ひとむといふことなん、えたまひつれば、おどろきながらたてまつる。よくつつしませたまへ。
517.7.6741710 人離(ひとはな)れたる御住(おほんす)まひにて、時々立(ときどきた)()らせたまふ(ひと)(おほん)ゆかりもいと(おそ)ろしく、(なや)ましげにものせさせたまふ(をり)しも、(ゆめ)のかかるを、よろづになむ(おも)うたまふる。 ひとはなれたるおほんすまひにて、ときどきたらせたまふひとおほんゆかりもいとおそろしく、なやましげにものせさせたまふをりしも、ゆめのかかるを、よろづになんおもうたまふる。
517.7.7742711 (まゐ)()まほしきを、少将(せうしゃう)(かた)の、なほ、いと(こころ)もとなげに、もののけだちて(なや)みはべれば、片時(かたとき)()()ること、といみじく()はれはべりてなむ。その(ちか)(てら)にも御誦経(みずきゃう)せさせたまへ」 まゐまほしきを、せうしゃうかたの、なほ、いとこころもとなげに、もののけだちてなやみはべれば、かたときること、といみじくはれはべりてなん。そのちかてらにもみずきゃうせさせたまへ。"
517.7.8743712 とて、その(れう)(もの)(ふみ)など()()へて、()()たり。(かぎ)りと(おも)(いのち)のほどを()らで、かく()(つづ)けたまへるも、いと(かな)しと(おも)ふ。 とて、そのれうものふみなどへて、たり。かぎりとおもいのちのほどをらで、かくつづけたまへるも、いとかなしとおもふ。
517.8744713第八段 浮舟、母への告別の和歌を詠み残す
517.8.1745714 (てら)人遣(ひとや)りたるほど、(かへ)事書(ごとか)く。()はまほしきこと(おほ)かれど、つつましくて、ただ、 てらひとやりたるほど、かへごとかく。はまほしきことおほかれど、つつましくて、ただ、
517.8.2746715 (のち)にまたあひ()むことを(おも)はなむ<BR/>この()(ゆめ)心惑(こころまど)はで」 "〔のちにまたあひんことをおもはなん<BR/>このゆめこころまどはで〕
517.8.3747716 誦経(ずきゃう)(かね)(かぜ)につけて()こえ()るを、つくづくと()()したまふ。 ずきゃうかねかぜにつけてこえるを、つくづくとしたまふ。
517.8.4748717 (かね)(おと)()ゆる(ひび)きに()()へて<BR/>わが世尽(よつ)きぬと(きみ)(つた)へよ」 "〔かねおとゆるひびきにへて<BR/>わがよつきぬときみつたへよ〕
517.8.5749718 巻数持(かんずも)()たるに()きつけて、 かんずもたるにきつけて、
517.8.6750719 今宵(こよひ)は、え(かへ)るまじ」 "こよひは、えかへるまじ。"
517.8.7751720 ()へば、(もの)(えだ)()ひつけて()きつ。乳母(めのと) へば、ものえだひつけてきつ。めのと
517.8.8752721 「あやしく、(こころ)ばしりのするかな。(ゆめ)(さわ)がし、とのたまはせたりつ。宿直人(とのゐびと)、よくさぶらへ」 "あやしく、こころばしりのするかな。ゆめさわがし、とのたまはせたりつ。とのゐびと、よくさぶらへ。"
517.8.9753722 ()はするを、(くる)しと()()したまへり。 はするを、くるしとしたまへり。
517.8.10754723 物聞(ものき)こし()さぬ、いとあやし。御湯漬(おほんゆづ)け」 "ものきこしさぬ、いとあやし。おほんゆづけ。"
517.8.11755724 などよろづに()ふを、「さかしがるめれど、いと(みにく)()いなりて、(われ)なくは、いづくにかあらむ」と(おも)ひやりたまふも、いとあはれなり。「()(なか)にえあり()つまじきさまを、ほのめかして()はむ」など(おぼ)すに、まづ(おどろ)かされて(さき)だつ(なみだ)を、つつみたまひて、ものも()はれず。右近(うこん)、ほど(ちか)()すとて、 などよろづにふを、"さかしがるめれど、いとみにくいなりて、われなくは、いづくにかあらん。"とおもひやりたまふも、いとあはれなり。"なかにえありつまじきさまを、ほのめかしてはん。"などおぼすに、まづおどろかされてさきだつなみだを、つつみたまひて、ものもはれず。うこん、ほどちかすとて、
517.8.12756725 「かくのみものを(おも)ほせば、もの(おも)(ひと)(たましひ)は、あくがるなるものなれば、(ゆめ)(さわ)がしきならむかし。いづ(かた)(おぼ)(さだ)まりて、いかにもいかにも、おはしまさなむ」 "かくのみものをおもほせば、ものおもひとたましひは、あくがるなるものなれば、ゆめさわがしきならんかし。いづかたおぼさだまりて、いかにもいかにも、おはしまさなん。"
517.8.13757726 とうち(なげ)く。()えたる(きぬ)(かほ)におしあてて、()したまへり、となむ。 とうちなげく。えたるきぬかほにおしあてて、したまへり、となん。