帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
51 | 浮舟 |
51 | 1 | 125 | 86 | 第一章 匂宮の物語 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を聞き知る |
51 | 1.1 | 126 | 87 | 第一段 匂宮、浮舟を追想し、中君を恨む |
51 | 1.1.1 | 127 | 88 |
宮、なほ、かのほのかなりし夕べを思し忘るる世なし。「ことことしきほどにはあるまじげなりしを、人柄のまめやかにをかしうもありしかな」と、いとあだなる御心は、「口惜しくてやみにしこと」と、ねたう思さるるままに、女君をも、 |
みや、なほ、かのほのかなりしゆふべをおぼしわするるよなし。"ことことしきほどにはあるまじげなりしを、ひとがらのまめやかにをかしうもありしかな。"と、いとあだなるみこころは、"くちをしくてやみにしこと。"と、ねたうおぼさるるままに、をんなぎみをも、 |
51 | 1.1.2 | 128 | 89 |
「かう、はかなきことゆゑ、あながちに、かかる筋のもの憎みしたまひけり。思はずに心憂し」 |
"かう、はかなきことゆゑ、あながちに、かかるすぢのものにくみしたまひけり。おもはずにこころうし。" |
51 | 1.1.3 | 129 | 90 |
と、恥づかしめ怨みきこえたまふ折々は、いと苦しうて、「ありのままにや聞こえてまし」と思せど、 |
と、はづかしめうらみきこえたまふをりをりは、いとくるしうて、"ありのままにやきこえてまし。"とおぼせど、 |
51 | 1.1.4 | 130 | 91 |
「やむごとなきさまにはもてなしたまはざなれど、浅はかならぬ方に、心とどめて人の隠し置きたまへる人を、物言ひさがなく聞こえ出でたらむにも、さて聞き過ぐしたまふべき御心ざまにもあらざめり。 |
"やんごとなきさまにはもてなしたまはざなれど、あさはかならぬかたに、こころとどめてひとのかくしおきたまへるひとを、ものいひさがなくきこえいでたらんにも、さてききすぐしたまふべきみこころざまにもあらざめり。 |
51 | 1.1.5 | 131 | 92 |
さぶらふ人の中にも、はかなうものをものたまひ触れむと思し立ちぬる限りは、あるまじき里まで尋ねさせたまふ御さまよからぬ御本性なるに、さばかり月日を経て、思ししむめるあたりは、ましてかならず見苦しきこと取り出でたまひてむ。他より伝へ聞きたまはむはいかがはせむ。 |
さぶらふひとのなかにも、はかなうものをものたまひふれんとおぼしたちぬるかぎりは、あるまじきさとまでたづねさせたまふおほんさまよからぬごほんじゃうなるに、さばかりつきひをへて、おぼししむめるあたりは、ましてかならずみぐるしきこととりいでたまひてん。ほかよりつたへききたまはんはいかがはせん。 |
51 | 1.1.6 | 132 | 93 |
いづ方ざまにもいとほしくこそはありとも、防ぐべき人の御心ありさまならねば、よその人よりは聞きにくくなどばかりぞおぼゆべき。とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ」 |
いづかたざまにもいとほしくこそはありとも、ふせぐべきひとのみこころありさまならねば、よそのひとよりはききにくくなどばかりぞおぼゆべき。とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ。" |
51 | 1.1.7 | 133 | 94 |
と思ひ返したまひつつ、いとほしながらえ聞こえ出でたまはず、異ざまにつきづきしくは、え言ひなしたまはねば、おしこめてもの怨じしたる、世の常の人になりてぞおはしける。 |
とおもひかへしたまひつつ、いとほしながらえきこえいでたまはず、ことざまにつきづきしくは、えいひなしたまはねば、おしこめてものゑんじしたる、よのつねのひとになりてぞおはしける。 |
51 | 1.2 | 134 | 95 | 第二段 薫、浮舟を宇治に放置 |
51 | 1.2.1 | 135 | 96 |
かの人は、たとしへなくのどかに思しおきてて、「待ち遠なりと思ふらむ」と、心苦しうのみ思ひやりたまひながら、所狭き身のほどを、さるべきついでなくて、かやしく通ひたまふべき道ならねば、神のいさむるよりもわりなし。されど、 |
かのひとは、たとしへなくのどかにおぼしおきてて、"まちどほなりとおもふらん。"と、こころぐるしうのみおもひやりたまひながら、ところせきみのほどを、さるべきついでなくて、かやしくかよひたまふべきみちならねば、かみのいさむるよりもわりなし。されど、 |
51 | 1.2.2 | 136 | 97 |
「今いとよくもてなさむ、とす。山里の慰めと思ひおきてし心あるを、すこし日数も経ぬべきことども作り出でて、のどやかに行きても見む。さて、しばしは人の知るまじき住み所して、やうやうさる方に、かの心をものどめおき、わがためにも、人のもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。 |
"いまいとよくもてなさん、とす。やまざとのなぐさめとおもひおきてしこころあるを、すこしひかずもへぬべきことどもつくりいでて、のどやかにゆきてもみん。さて、しばしはひとのしるまじきすみどころして、やうやうさるかたに、かのこころをものどめおき、わがためにも、ひとのもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。 |
51 | 1.2.3 | 137 | 98 |
にはかに、何人ぞ、いつより、など聞きとがめられむも、もの騒がしく、初めの心に違ふべし。また、宮の御方の聞き思さむことも、もとの所を際々しう率て離れ、昔を忘れ顔ならむ、いと本意なし」 |
にはかに、なにびとぞ、いつより、などききとがめられんも、ものさわがしく、はじめのこころにたがふべし。また、みやのおほんかたのききおぼさんことも、もとのところをきはぎはしうゐてはなれ、むかしをわすれがほならん、いとほいなし。" |
51 | 1.2.4 | 138 | 99 |
など思し静むるも、例の、のどけさ過ぎたる心からなるべし。渡すべきところ思しまうけて、忍びてぞ造らせたまひける。 |
などおぼししづむるも、れいの、のどけさすぎたるこころからなるべし。わたすべきところおぼしまうけて、しのびてぞつくらせたまひける。 |
51 | 1.3 | 139 | 100 | 第三段 薫と中君の仲 |
51 | 1.3.1 | 140 | 101 |
すこしいとまなきやうにもなりたまひにたれど、宮の御方には、なほたゆみなく心寄せ仕うまつりたまふこと同じやうなり。見たてまつる人もあやしきまで思へれど、世の中をやうやう思し知り、人のありさまを見聞きたまふままに、「これこそはまことに昔を忘れぬ心長さの、名残さへ浅からぬためしなめれ」と、あはれも少なからず。 |
すこしいとまなきやうにもなりたまひにたれど、みやのおほんかたには、なほたゆみなくこころよせつかうまつりたまふことおなじやうなり。みたてまつるひともあやしきまでおもへれど、よのなかをやうやうおぼししり、ひとのありさまをみききたまふままに、"これこそはまことにむかしをわすれぬこころながさの、なごりさへあさからぬためしなめれ。"と、あはれもすくなからず。 |
51 | 1.3.2 | 141 | 102 |
ねびまさりたまふままに、人柄もおぼえも、さま殊にものしたまへば、宮の御心のあまり頼もしげなき時々は、 |
ねびまさりたまふままに、ひとがらもおぼえも、さまことにものしたまへば、みやのみこころのあまりたのもしげなきときどきは、 |
51 | 1.3.3 | 142 | 103 |
「思はずなりける宿世かな。故姫君の思しおきてしままにもあらで、かくもの思はしかるべき方にしもかかりそめけむよ」 |
"おもはずなりけるすくせかな。こひめぎみのおぼしおきてしままにもあらで、かくものおもはしかるべきかたにしもかかりそめけんよ。" |
51 | 1.3.4 | 143 | 104 |
と思す折々多くなむ。されど、対面したまふことは難し。 |
とおぼすをりをりおほくなん。されど、たいめんしたまふことはかたし。 |
51 | 1.3.5 | 144 | 105 |
年月もあまり昔を隔てゆき、うちうちの御心を深う知らぬ人は、なほなほしきただ人こそ、さばかりのゆかり尋ねたる睦びをも忘れぬに、つきづきしけれ、なかなか、かう限りあるほどに、例に違ひたるありさまも、つつましければ、宮の絶えず思し疑ひたるも、いよいよ苦しう思し憚りたまひつつ、おのづから疎きさまになりゆくを、さりとても絶えず、同じ心の変はりたまはぬなりけり。 |
としつきもあまりむかしをへだてゆき、うちうちのみこころをふかうしらぬひとは、なほなほしきただうどこそ、さばかりのゆかりたづねたるむつびをもわすれぬに、つきづきしけれ、なかなか、かうかぎりあるほどに、れいにたがひたるありさまも、つつましければ、みやのたえずおぼしうたがひたるも、いよいよくるしうおぼしはばかりたまひつつ、おのづからうときさまになりゆくを、さりとてもたえず、おなじこころのかはりたまはぬなりけり。 |
51 | 1.3.6 | 145 | 106 |
宮も、あだなる御本性こそ、見まうきふしも混じれ、若君のいとうつくしうおよすけたまふままに、「他にはかかる人も出で来まじきにや」と、やむごとなきものに思して、うちとけなつかしき方には、人にまさりてもてなしたまへば、ありしよりはすこしもの思ひ静まりて過ぐしたまふ。 |
みやも、あだなるごほんじゃうこそ、みまうきふしもまじれ、わかぎみのいとうつくしうおよすけたまふままに、"ほかにはかかるひともいでくまじきにや。"と、やんごとなきものにおぼして、うちとけなつかしきかたには、ひとにまさりてもてなしたまへば、ありしよりはすこしものおもひしづまりてすぐしたまふ。 |
51 | 1.4 | 146 | 107 | 第四段 正月、宇治から京の中君への文 |
51 | 1.4.1 | 147 | 108 |
睦月の朔日過ぎたるころ渡りたまひて、若君の年まさりたまへるを、もて遊びうつくしみたまふ昼つ方、小さき童、緑の薄様なる包み文の大きやかなるに、小さき鬚籠を小松につけたる、また、すくすくしき立文とり添へて、奥なく走り参る。女君にたてまつれば、宮、 |
むつきのついたちすぎたるころわたりたまひて、わかぎみのとしまさりたまへるを、もてあそびうつくしみたまふひるつかた、ちひさきわらは、みどりのうすやうなるつつみぶみのおほきやかなるに、ちひさきひげこをこまつにつけたる、また、すくすくしきたてぶみとりそへて、あうなくはしりまゐる。をんなぎみにたてまつれば、みや、 |
51 | 1.4.2 | 148 | 109 |
「それは、いづくよりぞ」 |
"それは、いづくよりぞ。" |
51 | 1.4.3 | 149 | 110 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
51 | 1.4.4 | 150 | 111 |
「宇治より大輔のおとどにとて、もてわづらひはべりつるを、例の、御前にてぞ御覧ぜむとて、取りはべりぬる」 |
"うぢよりたいふのおとどにとて、もてわづらひはべりつるを、れいの、おまへにてぞごらんぜんとて、とりはべりぬる。" |
51 | 1.4.5 | 151 | 112 |
と言ふも、いとあわたたしきけしきにて、 |
といふも、いとあわたたしきけしきにて、 |
51 | 1.4.6 | 152 | 113 |
「この籠は、金を作りて色どりたる籠なりけり。松もいとよう似て作りたる枝ぞとよ」 |
"このこは、かねをつくりていろどりたるこなりけり。まつもいとようにてつくりたるえだぞとよ。" |
51 | 1.4.7 | 153 | 114 |
と、笑みて言ひ続くれば、宮も笑ひたまひて、 |
と、ゑみていひつづくれば、みやもわらひたまひて、 |
51 | 1.4.8 | 154 | 115 |
「いで、我ももてはやしてむ」 |
"いで、われももてはやしてん。" |
51 | 1.4.9 | 155 | 116 |
と召すを、女君、いとかたはらいたく思して、 |
とめすを、をんなぎみ、いとかたはらいたくおぼして、 |
51 | 1.4.10 | 156 | 117 |
「文は、大輔がりやれ」 |
"ふみは、たいふがりやれ。" |
51 | 1.4.11 | 157 | 118 |
とのたまふ。御顔の赤みたれば、宮、「大将のさりげなくしなしたる文にや、宇治の名のりもつきづきし」と思し寄りて、この文を取りたまひつ。 |
とのたまふ。おほんかほのあかみたれば、みや、"だいしゃうのさりげなくしなしたるふみにや、うぢのなのりもつきづきし。"とおぼしよりて、このふみをとりたまひつ。 |
51 | 1.4.12 | 158 | 119 |
さすがに、「それならむ時に」と思すに、いとまばゆければ、 |
さすがに、"それならんときに。"とおぼすに、いとまばゆければ、 |
51 | 1.4.13 | 159 | 120 |
「開けて見むよ。怨じやしたまはむとする」 |
"あけてみんよ。ゑんじやしたまはんとする。" |
51 | 1.4.14 | 160 | 121 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
51 | 1.4.15 | 161 | 122 |
「見苦しう。何かは、その女どちのなかに書き通はしたらむうちとけ文をば、御覧ぜむ」 |
"みぐるしう。なにかは、そのをんなどちのなかにかきかよはしたらんうちとけぶみをば、ごらんぜん。" |
51 | 1.4.16 | 162 | 123 |
とのたまふが、騒がぬけしきなれば、 |
とのたまふが、さわがぬけしきなれば、 |
51 | 1.4.17 | 163 | 124 |
「さは、見むよ。女の文書きは、いかがある」 |
"さは、みんよ。をんなのふみがきは、いかがある。" |
51 | 1.4.18 | 164 | 125 |
とて開けたまへれば、いと若やかなる手にて、 |
とてあけたまへれば、いとわかやかなるてにて、 |
51 | 1.4.19 | 165 | 126 |
「おぼつかなくて、年も暮れはべりにける。山里のいぶせさこそ、峰の霞も絶え間なくて」 |
"おぼつかなくて、としもくれはべりにける。やまざとのいぶせさこそ、みねのかすみもたえまなくて。" |
51 | 1.4.20 | 166 | 127 |
とて、端に、 |
とて、はしに、 |
51 | 1.4.21 | 167 | 128 |
「これも若宮の御前に。あやしうはべるめれど」 |
"これもわかみやのごぜんに。あやしうはべるめれど。" |
51 | 1.4.22 | 168 | 129 |
と書きたり。 |
とかきたり。 |
51 | 1.5 | 169 | 130 | 第五段 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す |
51 | 1.5.1 | 170 | 131 |
ことにらうらうじきふしも見えねど、おぼえなき、御目立てて、この立文を見たまへば、げに女の手にて、 |
ことにらうらうじきふしもみえねど、おぼえなき、おほんめたてて、このたてぶみをみたまへば、げにをんなのてにて、 |
51 | 1.5.2 | 171 | 132 |
「年改まりて、何ごとかさぶらふ。御私にも、いかにたのしき御よろこび多くはべらむ。 |
"としあらたまりて、なにごとかさぶらふ。おほんわたくしにも、いかにたのしきおほんよろこびおほくはべらん。 |
51 | 1.5.3 | 172 | 133 |
ここには、いとめでたき御住まひの心深さを、なほ、ふさはしからず見たてまつる。かくてのみ、つくづくと眺めさせたまふよりは、時々は渡り参らせたまひて、御心も慰めさせたまへ、と思ひはべるに、つつましく恐ろしきものに思しとりてなむ、もの憂きことに嘆かせたまふめる。 |
ここには、いとめでたきおほんすまひのこころふかさを、なほ、ふさはしからずみたてまつる。かくてのみ、つくづくとながめさせたまふよりは、ときどきはわたりまゐらせたまひて、みこころもなぐさめさせたまへ、とおもひはべるに、つつましくおそろしきものにおぼしとりてなん、ものうきことになげかせたまふめる。 |
51 | 1.5.4 | 173 | 135 |
若宮の御前にとて、卯槌まゐらせたまふ。大き御前の御覧ぜざらむほどに、御覧ぜさせたまへ、とてなむ」 |
わかみやのおまへにとて、うづちまゐらせたまふ。おほきおまへのごらんぜざらんほどに、ごらんぜさせたまへ、とてなん。" |
51 | 1.5.5 | 174 | 136 |
と、こまごまと言忌もえしあへず、もの嘆かしげなるさまのかたくなしげなるも、うち返しうち返し、あやしと御覧じて、 |
と、こまごまとこといみもえしあへず、ものなげかしげなるさまのかたくなしげなるも、うちかへしうちかへし、あやしとごらんじて、 |
51 | 1.5.6 | 175 | 137 |
「今は、のたまへかし。誰がぞ」 |
"いまは、のたまへかし。たがぞ。" |
51 | 1.5.7 | 176 | 138 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
51 | 1.5.8 | 177 | 139 |
「昔、かの山里にありける人の娘の、さるやうありて、このころかしこにあるとなむ聞きはべりし」 |
"むかし、かのやまざとにありけるひとのむすめの、さるやうありて、このころかしこにあるとなんききはべりし。" |
51 | 1.5.9 | 178 | 140 |
と聞こえたまへば、おしなべて仕うまつるとは見えぬ文書きを心得たまふに、かのわづらはしきことあるに思し合はせつ。 |
ときこえたまへば、おしなべてつかうまつるとはみえぬふみがきをこころえたまふに、かのわづらはしきことあるにおぼしあはせつ。 |
51 | 1.5.10 | 179 | 141 |
卯槌をかしう、つれづれなりける人のしわざと見えたり。またぶりに、山橘作りて、貫き添へたる枝に、 |
うづちをかしう、つれづれなりけるひとのしわざとみえたり。またぶりに、やまたちばなつくりて、つらぬきそへたるえだに、 |
51 | 1.5.11 | 180 | 142 |
「まだ古りぬ物にはあれど君がため<BR/>深き心に待つと知らなむ」 |
"〔まだふりぬものにはあれどきみがため<BR/>ふかきこころにまつとしらなん〕 |
51 | 1.5.12 | 181 | 143 |
と、ことなることなきを、「かの思ひわたる人のにや」と思し寄りぬるに、御目とまりて、 |
と、ことなることなきを、"かのおもひわたるひとのにや。"とおぼしよりぬるに、おほんめとまりて、 |
51 | 1.5.13 | 182 | 144 |
「返り事したまへ。情けなし。隠いたまふべき文にもあらざめるを。など、御けしきの悪しき。まかりなむよ」 |
"かへりごとしたまへ。なさけなし。かくいたまふべきふみにもあらざめるを。など、みけしきのあしき。まかりなんよ。" |
51 | 1.5.14 | 183 | 145 |
とて、立ちたまひぬ。女君、少将などして、 |
とて、たちたまひぬ。をんなぎみ、せうしゃうなどして、 |
51 | 1.5.15 | 184 | 146 |
「いとほしくもありつるかな。幼き人の取りつらむを、人はいかで見ざりつるぞ」 |
"いとほしくもありつるかな。をさなきひとのとりつらんを、ひとはいかでみざりつるぞ。" |
51 | 1.5.16 | 185 | 147 |
など、忍びてのたまふ。 |
など、しのびてのたまふ。 |
51 | 1.5.17 | 186 | 148 |
「見たまへましかば、いかでかは、参らせまし。すべて、この子は心地なうさし過ぐしてはべり。生ひ先見えて、人は、おほどかなるこそをかしけれ」 |
"みたまへましかば、いかでかは、まゐらせまし。すべて、このこはここちなうさしすぐしてはべり。おひさきみえて、ひとは、おほどかなるこそをかしけれ。" |
51 | 1.5.18 | 187 | 149 |
など憎めば、 |
などにくめば、 |
51 | 1.5.19 | 188 | 150 |
「あなかま。幼き人、な腹立てそ」 |
"あなかま。をさなきひと、なはらたてそ。" |
51 | 1.5.20 | 189 | 151 |
とのたまふ。去年の冬、人の参らせたる童の、顔はいとうつくしかりければ、宮もいとらうたくしたまふなりけり。 |
とのたまふ。こぞのふゆ、ひとのまゐらせたるわらはの、かほはいとうつくしかりければ、みやもいとらうたくしたまふなりけり。 |
51 | 1.6 | 190 | 152 | 第六段 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る |
51 | 1.6.1 | 191 | 153 |
わが御方におはしまして、 |
わがおほんかたにおはしまして、 |
51 | 1.6.2 | 192 | 154 |
「あやしうもあるかな。宇治に大将の通ひたまふことは、年ごろ絶えずと聞くなかにも、忍びて夜泊りたまふ時もあり、と人の言ひしを、いとあまりなる人の形見とて、さるまじき所に旅寝したまふらむこと、と思ひつるは、かやうの人隠し置きたまへるなるべし」 |
"あやしうもあるかな。うぢにだいしゃうのかよひたまふことは、としごろたえずときくなかにも、しのびてよるとまりたまふときもあり、とひとのいひしを、いとあまりなるひとのかたみとて、さるまじきところにたびねしたまふらんこと、とおもひつるは、かやうのひとかくしおきたまへるなるべし。" |
51 | 1.6.3 | 193 | 155 |
と思し得ることもありて、御書のことにつけて使ひたまふ大内記なる人の、かの殿に親しきたよりあるを思し出でて、御前に召す。参れり。 |
とおぼしうることもありて、おほんふみのことにつけてつかひたまふだいないきなるひとの、かのとのにしたしきたよりあるをおぼしいでて、おまへにめす。まゐれり。 |
51 | 1.6.4 | 194 | 156 |
「韻塞すべきに、集ども選り出でて、こなたなる厨子に積むべきこと」 |
"ゐんふたぎすべきに、しふどもえりいでて、こなたなるづしにつむべきこと。" |
51 | 1.6.5 | 195 | 157 |
などのたまはせて、 |
などのたまはせて、 |
51 | 1.6.6 | 196 | 158 |
「右大将の宇治へいますること、なほ絶え果てずや。寺をこそ、いとかしこく造りたなれ。いかでか見るべき」 |
"うだいしゃうのうぢへいますること、なほたえはてずや。てらをこそ、いとかしこくつくりたなれ。いかでかみるべき。" |
51 | 1.6.7 | 197 | 159 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
51 | 1.6.8 | 198 | 160 |
「寺いとかしこく、いかめしく造られて、不断の三昧堂など、いと尊くおきてられたり、となむ聞きたまふる。通ひたまふことは、去年の秋ごろよりは、ありしよりも、しばしばものしたまふなり。 |
"てらいとかしこく、いかめしくつくられて、ふだんのさんまいだうなど、いとたふとくおきてられたり、となんききたまふる。かよひたまふことは、こぞのあきごろよりは、ありしよりも、しばしばものしたまふなり。 |
51 | 1.6.9 | 199 | 161 |
下の人びとの忍びて申ししは、『女をなむ隠し据ゑさせたまへる、けしうはあらず思す人なるべし。あのわたりに領じたまふ所々の人、皆仰せにて参り仕うまつる。宿直にさし当てなどしつつ、京よりもいと忍びて、さるべきことなど問はせたまふ。いかなる幸ひ人の、さすがに心細くてゐたまへるならむ』となむ、ただこの師走のころほひ申す、と聞きたまへし」 |
しものひとびとのしのびてまうししは、'をんなをなんかくしすゑさせたまへる、けしうはあらずおぼすひとなるべし。あのわたりにらうじたまふところどころのひと、みなおほせにてまゐりつかうまつる。とのゐにさしあてなどしつつ、きゃうよりもいとしのびて、さるべきことなどとはせたまふ。いかなるさいはひびとの、さすがにこころぼそくてゐたまへるならん。'となん、ただこのしはすのころほひまうす、とききたまへし。" |
51 | 1.6.10 | 200 | 162 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
51 | 1.7 | 201 | 163 | 第七段 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ |
51 | 1.7.1 | 202 | 164 |
「いとうれしくも聞きつるかな」と思ほして、 |
"いとうれしくもききつるかな。"とおもほして、 |
51 | 1.7.2 | 203 | 165 |
「たしかにその人とは、言はずや。かしこにもとよりある尼ぞ、訪らひたまふと聞きし」 |
"たしかにそのひととは、いはずや。かしこにもとよりあるあまぞ、とぶらひたまふとききし。" |
51 | 1.7.3 | 204 | 166 |
「尼は、廊になむ住みはべるなる。この人は、今建てられたるになむ、きたなげなき女房などもあまたして、口惜しからぬけはひにてゐてはべる」 |
"あまは、らうになんすみはべるなる。このひとは、いまたてられたるになん、きたなげなきにょうばうなどもあまたして、くちをしからぬけはひにてゐてはべる。" |
51 | 1.7.4 | 205 | 167 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
51 | 1.7.5 | 206 | 168 |
「をかしきことかな。何心ありて、いかなる人をかは、さて据ゑたまひつらむ。なほ、いとけしきありて、なべての人に似ぬ御心なりや。 |
"をかしきことかな。なにごころありて、いかなるひとをかは、さてすゑたまひつらん。なほ、いとけしきありて、なべてのひとににぬみこころなりや。 |
51 | 1.7.6 | 207 | 169 |
右の大臣など、『この人のあまりに道心に進みて、山寺に、夜さへともすれば泊りたまふなる、軽々し』ともどきたまふと聞きしを、げに、などかさしも仏の道には忍びありくらむ。なほ、かの故里に心をとどめたると聞きし、かかることこそはありけれ。 |
みぎのおとどなど、'このひとのあまりにだうしんにすすみて、やまでらに、よるさへともすればとまりたまふなる、かろがろし。'ともどきたまふとききしを、げに、などかさしもほとけのみちにはしのびありくらん。なほ、かのふるさとにこころをとどめたるとききし、かかることこそはありけれ。 |
51 | 1.7.7 | 208 | 170 |
いづら、人よりはまめなるとさかしがる人しも、ことに人の思ひいたるまじき隈ある構へよ」 |
いづら、ひとよりはまめなるとさかしがるひとしも、ことにひとのおもひいたるまじきくまあるかまへよ。" |
51 | 1.7.8 | 209 | 171 |
とのたまひて、いとをかしと思いたり。この人は、かの殿にいと睦ましく仕うまつる家司の婿になむありければ、隠したまふことも聞くなるべし。 |
とのたまひて、いとをかしとおぼいたり。このひとは、かのとのにいとむつましくつかうまつるけいしのむこになんありければ、かくしたまふこともきくなるべし。 |
51 | 1.7.9 | 210 | 172 |
御心の内には、「いかにして、この人を、見し人かとも見定めむ。かの君の、さばかりにて据ゑたるは、なべてのよろし人にはあらじ。このわたりには、いかで疎からぬにかはあらむ。心を交はして隠したまへりけるも、いとねたう」おぼゆ。 |
みこころのうちには、"いかにして、このひとを、みしひとかともみさだめん。かのきみの、さばかりにてすゑたるは、なべてのよろしびとにはあらじ。このわたりには、いかでうとからぬにかはあらん。こころをかはしてかくしたまへりけるも、いとねたう"おぼゆ。 |
51 | 2 | 211 | 173 | 第二章 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む |
51 | 2.1 | 212 | 174 | 第一段 匂宮、宇治行きを大内記に相談 |
51 | 2.1.1 | 213 | 175 |
ただそのことを、このころは思ししみたり。賭弓、内宴など過ぐして、心のどかなるに、司召など言ひて、人の心尽くすめる方は、何とも思さねば、宇治へ忍びておはしまさむことをのみ思しめぐらす。この内記は、望むことありて、夜昼、いかで御心に入らむと思ふころ、例よりはなつかしう召し使ひて、 |
ただそのことを、このころはおぼししみたり。のりゆみ、ないえんなどすぐして、こころのどかなるに、つかさめしなどいひて、ひとのこころつくすめるかたは、なにともおぼさねば、うぢへしのびておはしまさんことをのみおぼしめぐらす。このないきは、のぞむことありて、よるひる、いかでみこころにいらんとおもふころ、れいよりはなつかしうめしつかひて、 |
51 | 2.1.2 | 214 | 176 |
「いと難きことなりとも、わが言はむことは、たばかりてむや」 |
"いとかたきことなりとも、わがいはんことは、たばかりてんや。" |
51 | 2.1.3 | 215 | 177 |
などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。 |
などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。 |
51 | 2.1.4 | 216 | 178 |
「いと便なきことなれど、かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の、行方も知らずなりにしが、大将に尋ね取られにける、と聞きあはすることこそあれ。たしかには知るべきやうもなきを、ただ、ものより覗きなどして、それかあらぬかと見定めむ、となむ思ふ。いささか人に知るまじき構へは、いかがすべき」 |
"いとびんなきことなれど、かのうぢにすむらんひとは、はやうほのかにみしひとの、ゆくへもしらずなりにしが、だいしゃうにたづねとられにける、とききあはすることこそあれ。たしかにはしるべきやうもなきを、ただ、ものよりのぞきなどして、それかあらぬかとみさだめん、となんおもふ。いささかひとにしるまじきかまへは、いかがすべき。" |
51 | 2.1.5 | 217 | 179 |
とのたまへば、「あな、わづらはし」と思へど、 |
とのたまへば、"あな、わづらはし。"とおもへど、 |
51 | 2.1.6 | 218 | 180 |
「おはしまさむことは、いと荒き山越えになむはべれど、ことにほど遠くはさぶらはずなむ。夕つ方出でさせおはしまして、亥子の時にはおはしまし着きなむ。さて、暁にこそは帰らせたまはめ。人の知りはべらむことは、ただ御供にさぶらひはべらむこそは。それも、深き心はいかでか知りはべらむ」 |
"おはしまさんことは、いとあらきやまごえになんはべれど、ことにほどとほくはさぶらはずなん。ゆふつかたいでさせおはしまして、ゐねのときにはおはしましつきなん。さて、あかつきにこそはかへらせたまはめ。ひとのしりはべらんことは、ただおほんともにさぶらひはべらんこそは。それも、ふかきこころはいかでかしりはべらん。" |
51 | 2.1.7 | 219 | 181 |
と申す。 |
とまうす。 |
51 | 2.1.8 | 220 | 182 |
「さかし。昔も、一度二度、通ひし道なり。軽々しきもどき負ひぬべきが、ものの聞こえのつつましきなり」 |
"さかし。むかしも、ひとたびふたたび、かよひしみちなり。かろがろしきもどきおひぬべきが、もののきこえのつつましきなり。" |
51 | 2.1.9 | 221 | 183 |
とて、返す返すあるまじきことに、わが御心にも思せど、かうまでうち出でたまへれば、え思ひとどめたまはず。 |
とて、かへすがへすあるまじきことに、わがみこころにもおぼせど、かうまでうちいでたまへれば、えおもひとどめたまはず。 |
51 | 2.2 | 222 | 184 | 第二段 宮、馬で宇治へ赴く |
51 | 2.2.1 | 223 | 185 |
御供に、昔もかしこの案内知れりし者、二、三人、この内記、さては御乳母子の蔵人よりかうぶり得たる若き人、睦ましき限りを選りたまひて、「大将、今日明日よにおはせじ」など、内記によく案内聞きたまひて、出で立ちたまふにつけても、いにしへを思し出づ。 |
おほんともに、むかしもかしこのあないしれりしもの、に、さんにん、このないき、さてはおほんめのとごのくらうどよりかうぶりえたるわかきひと、むつましきかぎりをえりたまひて、"だいしゃう、けふあすよにおはせじ。"など、ないきによくあないききたまひて、いでたちたまふにつけても、いにしへをおぼしいづ。 |
51 | 2.2.2 | 224 | 186 |
「あやしきまで心を合はせつつ率てありきし人のために、うしろめたきわざにもあるかな」と、思し出づることもさまざまなるに、京のうちだに、むげに人知らぬ御ありきは、さはいへど、えしたまはぬ御身にしも、あやしきさまのやつれ姿して、御馬にておはする心地も、もの恐ろしくややましけれど、もののゆかしき方は進みたる御心なれば、山深うなるままに、「いつしか、いかならむ、見あはすることもなくて帰らむこそ、さうざうしくあやしかるべけれ」と思すに、心も騷ぎたまふ。 |
"あやしきまでこころをあはせつつゐてありきしひとのために、うしろめたきわざにもあるかな。"と、おぼしいづることもさまざまなるに、きゃうのうちだに、むげにひとしらぬおほんありきは、さはいへど、えしたまはぬおほんみにしも、あやしきさまのやつれすがたして、おほんむまにておはするここちも、ものおそろしくややましけれど、もののゆかしきかたはすすみたるみこころなれば、やまふかうなるままに、"いつしか、いかならん、みあはすることもなくてかへらんこそ、さうざうしくあやしかるべけれ。"とおぼすに、こころもさわぎたまふ。 |
51 | 2.2.3 | 225 | 187 |
法性寺のほどまでは御車にて、それよりぞ御馬にはたてまつりける。急ぎて、宵過ぐるほどにおはしましぬ。内記、案内よく知れるかの殿の人に問ひ聞きたりければ、宿直人ある方には寄らで、葦垣し籠めたる西表を、やをらすこしこぼちて入りぬ。 |
ほふさうじのほどまではみくるまにて、それよりぞおほんむまにはたてまつりける。いそぎて、よひすぐるほどにおはしましぬ。ないき、あないよくしれるかのとののひとにとひききたりければ、とのゐびとあるかたにはよらで、あしがきしこめたるにしおもてを、やをらすこしこぼちていりぬ。 |
51 | 2.2.4 | 226 | 188 |
我もさすがにまだ見ぬ御住まひなれば、たどたどしけれど、人しげうなどしあらねば、寝殿の南表にぞ、火ほの暗う見えて、そよそよとする音する。参りて、 |
われもさすがにまだみぬおほんすまひなれば、たどたどしけれど、ひとしげうなどしあらねば、しんでんのみなみおもてにぞ、ひほのぐらうみえて、そよそよとするおとする。まゐりて、 |
51 | 2.2.5 | 227 | 189 |
「まだ、人は起きてはべるべし。ただ、これよりおはしまさむ」 |
"まだ、ひとはおきてはべるべし。ただ、これよりおはしまさん。" |
51 | 2.2.6 | 228 | 190 |
と、しるべして入れたてまつる。 |
と、しるべしていれたてまつる。 |
51 | 2.3 | 229 | 191 | 第三段 匂宮、浮舟とその女房らを覗き見る |
51 | 2.3.1 | 230 | 192 |
やをら昇りて、格子の隙あるを見つけて寄りたまふに、伊予簾はさらさらと鳴るもつつまし。新しうきよげに造りたれど、さすがに粗々しくて隙ありけるを、誰れかは来て見むとも、うちとけて、穴も塞たがず、几帳の帷子うちかけておしやりたり。 |
やをらのぼりて、かうしのひまあるをみつけてよりたまふに、いよすはさらさらとなるもつつまし。あたらしうきよげにつくりたれど、さすがにあらあらしくてひまありけるを、たれかはきてみんとも、うちとけて、あなもふたがず、きちゃうのかたびらうちかけておしやりたり。 |
51 | 2.3.2 | 231 | 193 |
火明う灯して、もの縫ふ人、三、四人居たり。童のをかしげなる、糸をぞ縒る。これが顔、まづかの火影に見たまひしそれなり。うちつけ目かと、なほ疑はしきに、右近と名のりし若き人もあり。君は、腕を枕にて、火を眺めたるまみ、髪のこぼれかかりたる額つき、いとあてやかになまめきて、対の御方にいとようおぼえたり。 |
ひあかうともして、ものぬふひと、さん、よにんゐたり。わらはのをかしげなる、いとをぞよる。これがかほ、まづかのほかげにみたまひしそれなり。うちつけめかと、なほうたがはしきに、うこんとなのりしわかきひともあり。きみは、かひなをまくらにて、ひをながめたるまみ、かみのこぼれかかりたるひたひつき、いとあてやかになまめきて、たいのおほんかたにいとようおぼえたり。 |
51 | 2.3.3 | 232 | 195 |
この右近、物折るとて、 |
このうこん、ものをるとて、 |
51 | 2.3.4 | 233 | 196 |
「かくて渡らせたまひなば、とみにしもえ帰り渡らせたまはじを、殿は、『この司召のほど過ぎて、朔日ころにはかならずおはしましなむ』と、昨日の御使も申しけり。御文には、いかが聞こえさせたまへりけむ」 |
"かくてわたらせたまひなば、とみにしもえかへりわたらせたまはじを、とのは、'このつかさめしのほどすぎて、ついたちころにはかならずおはしましなん。'と、きのふのおほんつかひもまうしけり。おほんふみには、いかがきこえさせたまへりけん。" |
51 | 2.3.5 | 234 | 197 |
と言へど、いらへもせず、いともの思ひたるけしきなり。 |
といへど、いらへもせず、いとものおもひたるけしきなり。 |
51 | 2.3.6 | 235 | 198 |
「折しも、はひ隠れさせたまへるやうならむが、見苦しさ」 |
"をりしも、はひかくれさせたまへるやうならんが、みぐるしさ。" |
51 | 2.3.7 | 236 | 199 |
と言へば、向ひたる人、 |
といへば、むかひたるひと、 |
51 | 2.3.8 | 237 | 200 |
「それは、かくなむ渡りぬると、御消息聞こえさせたまへらむこそよからめ。軽々しう、いかでかは、音なくては、はひ隠れさせたまはむ。御物詣での後は、やがて渡りおはしましねかし。かくて心細きやうなれど、心にまかせてやすらかなる御住まひにならひて、なかなか旅心地すべしや」 |
"それは、かくなんわたりぬると、おほんせうそこきこえさせたまへらんこそよからめ。かろがろしう、いかでかは、おとなくては、はひかくれさせたまはん。おほんものまうでののちは、やがてわたりおはしましねかし。かくてこころぼそきやうなれど、こころにまかせてやすらかなるおほんすまひにならひて、なかなかたびごこちすべしや。" |
51 | 2.3.9 | 238 | 201 |
など言ふ。またあるは、 |
などいふ。またあるは、 |
51 | 2.3.10 | 239 | 202 |
「なほ、しばし、かくて待ちきこえさせたまはむぞ、のどやかにさまよかるべき。京へなど迎へたてまつらせたまへらむ後、おだしくて親にも見えたてまつらせたまへかし。このおとどの、いと急にものしたまひて、にはかにかう聞こえなしたまふなめりかし。昔も今も、もの念じしてのどかなる人こそ、幸ひは見果てたまふなれ」 |
"なほ、しばし、かくてまちきこえさせたまはんぞ、のどやかにさまよかるべき。きゃうへなどむかへたてまつらせたまへらんのち、おだしくておやにもみえたてまつらせたまへかし。このおとどの、いときふにものしたまひて、にはかにかうきこえなしたまふなめりかし。むかしもいまも、ものねんじしてのどかなるひとこそ、さいはひはみはてたまふなれ。" |
51 | 2.3.11 | 240 | 203 |
など言ふなり。右近、 |
などいふなり。うこん、 |
51 | 2.3.12 | 241 | 204 |
「などて、この乳母をとどめたてまつらずなりにけむ。老いぬる人は、むつかしき心のあるにこそ」 |
"などて、このままをとどめたてまつらずなりにけん。おいぬるひとは、むつかしきこころのあるにこそ。" |
51 | 2.3.13 | 242 | 205 |
と憎むは、乳母やうの人をそしるなめり。「げに、憎き者ありかし」と思し出づるも、夢の心地ぞする。かたはらいたきまで、うちとけたることどもを言ひて、 |
とにくむは、めのとやうのひとをそしるなめり。"げに、にくきものありかし。"とおぼしいづるも、ゆめのここちぞする。かたはらいたきまで、うちとけたることどもをいひて、 |
51 | 2.3.14 | 243 | 206 |
「宮の上こそ、いとめでたき御幸ひなれ。右の大殿の、さばかりめでたき御勢ひにて、いかめしうののしりたまふなれど、若君生れたまひて後は、こよなくぞおはしますなる。かかるさかしら人どものおはせで、御心のどかに、かしこうもてなしておはしますにこそはあめれ」 |
"みやのうへこそ、いとめでたきおほんさいはひなれ。みぎのおほとのの、さばかりめでたきおほんいきほひにて、いかめしうののしりたまふなれど、わかぎみむまれたまひてのちは、こよなくぞおはしますなる。かかるさかしらびとどものおはせで、みこころのどかに、かしこうもてなしておはしますにこそはあめれ。" |
51 | 2.3.15 | 244 | 207 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 2.3.16 | 245 | 208 |
「殿だに、まめやかに思ひきこえたまふこと変はらずは、劣りきこえたまふべきことかは」 |
"とのだに、まめやかにおもひきこえたまふことかはらずは、おとりきこえたまふべきことかは。" |
51 | 2.3.17 | 246 | 209 |
と言ふを、君、すこし起き上がりて、 |
といふを、きみ、すこしおきあがりて、 |
51 | 2.3.18 | 247 | 210 |
「いと聞きにくきこと。よその人にこそ、劣らじともいかにとも思はめ、かの御ことなかけても言ひそ。漏り聞こゆるやうもあらば、かたはらいたからむ」 |
"いとききにくきこと。よそのひとにこそ、おとらじともいかにともおもはめ、かのおほんことなかけてもいひそ。もりきこゆるやうもあらば、かたはらいたからん。" |
51 | 2.3.19 | 248 | 211 |
など言ふ。 |
などいふ。 |
51 | 2.4 | 249 | 212 | 第四段 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む |
51 | 2.4.1 | 250 | 213 |
「何ばかりの親族にかはあらむ。いとよくも似かよひたるけはひかな」と思ひ比ぶるに、「心恥づかしげにてあてなるところは、かれはいとこよなし。これはただらうたげにこまかなるところぞいとをかしき」。よろしう、なりあはぬところを見つけたらむにてだに、さばかりゆかしと思ししめたる人を、それと見て、さてやみたまふべき御心ならねば、まして隈もなく見たまふに、「いかでかこれをわがものにはなすべき」と、心も空になりたまひて、なほまもりたまへば、右近、 |
"なにばかりのしぞくにかはあらん。いとよくもにかよひたるけはひかな。"とおもひくらぶるに、"こころはづかしげにてあてなるところは、かれはいとこよなし。これはただらうたげにこまかなるところぞいとをかしき。"よろしう、なりあはぬところをみつけたらんにてだに、さばかりゆかしとおぼししめたるひとを、それとみて、さてやみたまふべきみこころならねば、ましてくまもなくみたまふに、"いかでかこれをわがものにはなすべき。"と、こころもそらになりたまひて、なほまもりたまへば、うこん、 |
51 | 2.4.2 | 251 | 214 |
「いとねぶたし。昨夜もすずろに起き明かしてき。明朝のほどにも、これは縫ひてむ。急がせたまふとも、御車は日たけてぞあらむ」 |
"いとねぶたし。よべもすずろにおきあかしてき。つとめてのほどにも、これはぬひてん。いそがせたまふとも、みくるまはひたけてぞあらん。" |
51 | 2.4.3 | 252 | 215 |
と言ひて、しさしたるものどもとり具して、几帳にうち掛けなどしつつ、うたた寝のさまに寄り臥しぬ。君もすこし奥に入りて臥す。右近は北表に行きて、しばしありてぞ来たる。君のあと近く臥しぬ。 |
といひて、しさしたるものどもとりぐして、きちゃうにうちかけなどしつつ、うたたねのさまによりふしぬ。きみもすこしおくにいりてふす。うこんはきたおもてにゆきて、しばしありてぞきたる。きみのあとちかくふしぬ。 |
51 | 2.4.4 | 253 | 216 |
ねぶたしと思ひければ、いととう寝入りぬるけしきを見たまひて、またせむやうもなければ、忍びやかにこの格子をたたきたまふ。右近聞きつけて、 |
ねぶたしとおもひければ、いととうねいりぬるけしきをみたまひて、またせんやうもなければ、しのびやかにこのかうしをたたきたまふ。うこんききつけて、 |
51 | 2.4.5 | 254 | 217 |
「誰そ」 |
"たそ。" |
51 | 2.4.6 | 255 | 218 |
と言ふ。声づくりたまへば、あてなるしはぶきと聞き知りて、「殿のおはしたるにや」と思ひて、起きて出でたり。 |
といふ。こわづくりたまへば、あてなるしはぶきとききしりて、"とののおはしたるにや。"とおもひて、おきていでたり。 |
51 | 2.4.7 | 256 | 219 |
「まづ、これ開けよ」 |
"まづ、これあけよ。" |
51 | 2.4.8 | 257 | 220 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
51 | 2.4.9 | 258 | 221 |
「あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。夜はいたう更けはべりぬらむものを」 |
"あやしう。おぼえなきほどにもはべるかな。よはいたうふけはべりぬらんものを。" |
51 | 2.4.10 | 259 | 222 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 2.4.11 | 260 | 223 |
「ものへ渡りたまふべかなりと、仲信が言ひつれば、驚かれつるままに出で立ちて。いとこそわりなかりつれ。まづ開けよ」 |
"ものへわたりたまふべかなりと、なかのぶがいひつれば、おどろかれつるままにいでたちて。いとこそわりなかりつれ。まづあけよ。" |
51 | 2.4.12 | 261 | 224 |
とのたまふ声、いとようまねび似せたまひて、忍びたれば、思ひも寄らず、かい放つ。 |
とのたまふこゑ、いとようまねびにせたまひて、しのびたれば、おもひもよらず、かいはなつ。 |
51 | 2.4.13 | 262 | 225 |
「道にて、いとわりなく恐ろしきことのありつれば、あやしき姿になりてなむ。火暗うなせ」 |
"みちにて、いとわりなくおそろしきことのありつれば、あやしきすがたになりてなん。ひくらうなせ。" |
51 | 2.4.14 | 263 | 226 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
51 | 2.4.15 | 264 | 227 |
「あな、いみじ」 |
"あな、いみじ。" |
51 | 2.4.16 | 265 | 228 |
とあわてまどひて、火は取りやりつ。 |
とあわてまどひて、ひはとりやりつ。 |
51 | 2.4.17 | 266 | 229 |
「我、人に見すなよ。来たりとて、人驚かすな」 |
"われ、ひとにみすなよ。きたりとて、ひとおどろかすな。" |
51 | 2.4.18 | 267 | 230 |
と、いとらうらうじき御心にて、もとよりもほのかに似たる御声を、ただかの御けはひにまねびて入りたまふ。「ゆゆしきことのさまとのたまひつる、いかなる御姿ならむ」といとほしくて、我も隠ろへて見たてまつる。 |
と、いとらうらうじきみこころにて、もとよりもほのかににたるおほんこゑを、ただかのおほんけはひにまねびていりたまふ。"ゆゆしきことのさまとのたまひつる、いかなるおほんすがたならん。"といとほしくて、われもかくろへてみたてまつる。 |
51 | 2.4.19 | 268 | 231 |
いと細やかになよなよと装束きて、香の香うばしきことも劣らず。近う寄りて、御衣ども脱ぎ、馴れ顔にうち臥したまへれば、 |
いとほそやかになよなよとさうぞきて、かのかうばしきこともおとらず。ちかうよりて、おほんぞどもぬぎ、なれがほにうちふしたまへれば、 |
51 | 2.4.20 | 269 | 232 |
「例の御座にこそ」 |
"れいのおましにこそ。" |
51 | 2.4.21 | 270 | 233 |
など言へど、ものものたまはず。御衾参りて、寝つる人びと起こして、すこし退きて皆寝ぬ。御供の人など、例の、ここには知らぬならひにて、 |
などいへど、ものものたまはず。おほんふすままゐりて、ねつるひとびとおこして、すこししぞきてみなねぬ。おほんとものひとなど、れいの、ここにはしらぬならひにて、 |
51 | 2.4.22 | 271 | 234 |
「あはれなる、夜のおはしましざまかな」 |
"あはれなる、よのおはしましざまかな。" |
51 | 2.4.23 | 272 | 235 |
「かかる御ありさまを、御覧じ知らぬよ」 |
"かかるおほんありさまを、ごらんじしらぬよ。" |
51 | 2.4.24 | 273 | 236 |
など、さかしらがる人もあれど、 |
など、さかしらがるひともあれど、 |
51 | 2.4.25 | 274 | 237 |
「あなかま、たまへ。夜声は、ささめくしもぞ、かしかましき」 |
"あなかま、たまへ。よごゑは、ささめくしもぞ、かしかましき。" |
51 | 2.4.26 | 275 | 238 |
など言ひつつ寝ぬ。 |
などいひつつねぬ。 |
51 | 2.4.27 | 276 | 239 |
女君は、「あらぬ人なりけり」と思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず。いとつつましかりし所にてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし。初めよりあらぬ人と知りたらば、いかがいふかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやう、その折のつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ。 |
をんなぎみは、"あらぬひとなりけり。"とおもふに、あさましういみじけれど、こゑをだにせさせたまはず。いとつつましかりしところにてだに、わりなかりしみこころなれば、ひたぶるにあさまし。はじめよりあらぬひととしりたらば、いかがいふかひもあるべきを、ゆめのここちするに、やうやう、そのをりのつらかりし、としつきごろおもひわたるさまのたまふに、このみやとしりぬ。 |
51 | 2.4.28 | 277 | 240 |
いよいよ恥づかしく、かの上の御ことなど思ふに、またたけきことなければ、限りなう泣く。宮も、なかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに、泣きたまふ。 |
いよいよはづかしく、かのうへのおほんことなどおもふに、またたけきことなければ、かぎりなうなく。みやも、なかなかにて、たはやすくあひみざらんことなどをおぼすに、なきたまふ。 |
51 | 2.5 | 278 | 241 | 第五段 翌朝、匂宮、京へ帰らず居座る |
51 | 2.5.1 | 279 | 242 |
夜は、ただ明けに明く。御供の人来て声づくる。右近聞きて参れり。出でたまはむ心地もなく、飽かずあはれなるに、またおはしまさむことも難ければ、「京には求め騒がるとも、今日ばかりはかくてあらむ。何事も生ける限りのためこそあれ」。ただ今出でおはしまさむは、まことに死ぬべく思さるれば、この右近を召し寄せて、 |
よは、ただあけにあく。おほんとものひときてこわづくる。うこんききてまゐれり。いでたまはんここちもなく、あかずあはれなるに、またおはしまさんこともかたければ、"きゃうにはもとめさわがるとも、けふばかりはかくてあらん。なにごともいけるかぎりのためこそあれ。"ただいまいでおはしまさんは、まことにしぬべくおぼさるれば、このうこんをめしよせて、 |
51 | 2.5.2 | 280 | 243 |
「いと心地なしと思はれぬべけれど、今日はえ出づまじうなむある。男どもは、このわたり近からむ所に、よく隠ろへてさぶらへ。時方は、京へものして、『山寺に忍びてなむ』とつきづきしからむさまに、いらへなどせよ」 |
"いとここちなしとおもはれぬべけれど、けふはえいづまじうなんある。をのこどもは、このわたりちかからんところに、よくかくろへてさぶらへ。ときかたは、きゃうへものして、'やまでらにしのびてなん。'とつきづきしからんさまに、いらへなどせよ。" |
51 | 2.5.3 | 281 | 244 |
とのたまふに、いとあさましくあきれて、心もなかりける夜の過ちを思ふに、心地も惑ひぬべきを、思ひ静めて、 |
とのたまふに、いとあさましくあきれて、こころもなかりけるよのあやまちをおもふに、ここちもまどひぬべきを、おもひしづめて、 |
51 | 2.5.4 | 282 | 245 |
「今は、よろづにおぼほれ騒ぐとも、かひあらじものから、なめげなり。あやしかりし折に、いと深う思し入れたりしも、かう逃れざりける御宿世にこそありけれ。人のしたるわざかは」 |
"いまは、よろづにおぼほれさわぐとも、かひあらじものから、なめげなり。あやしかりしをりに、いとふかうおぼしいれたりしも、かうのがれざりけるおほんすくせにこそありけれ。ひとのしたるわざかは。" |
51 | 2.5.5 | 283 | 246 |
と思ひ慰めて、 |
とおもひなぐさめて、 |
51 | 2.5.6 | 284 | 247 |
「今日、御迎へにとはべりしを、いかにせさせたまはむとする御ことにか。かう逃れきこえさせたまふまじかりける御宿世は、いと聞こえさせはべらむ方なし。折こそいとわりなくはべれ。なほ、今日は出でおはしまして、御心ざしはべらば、のどかにも」 |
"けふ、おほんむかへにとはべりしを、いかにせさせたまはんとするおほんことにか。かうのがれきこえさせたまふまじかりけるおほんすくせは、いときこえさせはべらんかたなし。をりこそいとわりなくはべれ。なほ、けふはいでおはしまして、みこころざしはべらば、のどかにも。" |
51 | 2.5.7 | 285 | 248 |
と聞こゆ。「およすけても言ふかな」と思して、 |
ときこゆ。"およすけてもいふかな。"とおぼして、 |
51 | 2.5.8 | 286 | 249 |
「我は、月ごろ思ひつるに、ほれ果てにければ、人のもどかむも言はむも知られず、ひたぶるに思ひなりにたり。すこしも身のことを思ひ憚からむ人の、かかるありきは思ひ立ちなむや。御返りには、『今日は物忌』など言へかし。人に知らるまじきことを、誰がためにも思へかし。異事はかひなし」 |
"われは、つきごろおもひつるに、ほれはてにければ、ひとのもどかんもいはんもしられず、ひたぶるにおもひなりにたり。すこしもみのことをおもひはばからんひとの、かかるありきはおもひたちなんや。おほんかへりには、'けふはものいみ。'などいへかし。ひとにしらるまじきことを、たがためにもおもへかし。ことごとはかひなし。" |
51 | 2.5.9 | 287 | 250 |
とのたまひて、この人の、世に知らずあはれに思さるるままに、よろづのそしりも忘れたまひぬべし。 |
とのたまひて、このひとの、よにしらずあはれにおぼさるるままに、よろづのそしりもわすれたまひぬべし。 |
51 | 2.6 | 288 | 251 | 第六段 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す |
51 | 2.6.1 | 289 | 252 |
右近出でて、このおとなふ人に、 |
うこんいでて、このおとなふひとに、 |
51 | 2.6.2 | 290 | 253 |
「かくなむのたまはするを、なほ、いとかたはならむ、とを申させたまへ。あさましうめづらかなる御ありさまは、さ思しめすとも、かかる御供人どもの御心にこそあらめ。いかで、かう心幼うは率てたてまつりたまふこそ。なめげなることを聞こえさする山賤などもはべらましかば、いかならまし」 |
"かくなんのたまはするを、なほ、いとかたはならん、とをまうさせたまへ。あさましうめづらかなるおほんありさまは、さおぼしめすとも、かかるおほんともひとどものみこころにこそあらめ。いかで、かうこころをさなうはゐてたてまつりたまふこそ。なめげなることをきこえさするやまがつなどもはべらましかば、いかならまし。" |
51 | 2.6.3 | 291 | 254 |
と言ふ。内記は、「げに、いとわづらはしくもあるかな」と思ひ立てり。 |
といふ。ないきは、"げに、いとわづらはしくもあるかな。"とおもひたてり。 |
51 | 2.6.4 | 292 | 255 |
「時方と仰せらるるは、誰れにか。さなむ」 |
"ときかたとおほせらるるは、たれにか。さなん。" |
51 | 2.6.5 | 293 | 256 |
と伝ふ。笑ひて、 |
とつたふ。わらひて、 |
51 | 2.6.6 | 294 | 257 |
「勘へたまふことどもの恐ろしければ、さらずとも逃げてまかでぬべし。まめやかには、おろかならぬ御けしきを見たてまつれば、誰れも誰れも、身を捨ててなむ。よしよし、宿直人も、皆起きぬなり」 |
"かうがへたまふことどものおそろしければ、さらずともにげてまかでぬべし。まめやかには、おろかならぬみけしきをみたてまつれば、たれもたれも、みをすててなん。よしよし、とのゐびとも、みなおきぬなり。" |
51 | 2.6.7 | 295 | 258 |
とて急ぎ出でぬ。 |
とていそぎいでぬ。 |
51 | 2.6.8 | 296 | 259 |
右近、「人に知らすまじうは、いかがはたばかるべき」とわりなうおぼゆ。人びと起きぬるに、 |
うこん、"ひとにしらすまじうは、いかがはたばかるべき。"とわりなうおぼゆ。ひとびとおきぬるに、 |
51 | 2.6.9 | 297 | 260 |
「殿は、さるやうありて、いみじう忍びさせたまふけしき見たてまつれば、道にていみじきことのありけるなめり。御衣どもなど、夜さり忍びて持て参るべくなむ、仰せられつる」 |
"とのは、さるやうありて、いみじうしのびさせたまふけしきみたてまつれば、みちにていみじきことのありけるなめり。おほんぞどもなど、よさりしのびてもてまゐるべくなん、おほせられつる。" |
51 | 2.6.10 | 298 | 261 |
など言ふ。御達、 |
などいふ。ごたち、 |
51 | 2.6.11 | 299 | 262 |
「あな、むくつけや。木幡山は、いと恐ろしかなる山ぞかし。例の、御前駆も追はせたまはず、やつれておはしましけむに、あな、いみじや」 |
"あな、むくつけや。こはたやまは、いとおそろしかなるやまぞかし。れいの、おほんさきもおはせたまはず、やつれておはしましけんに、あな、いみじや。" |
51 | 2.6.12 | 300 | 263 |
と言へば、 |
といへば、 |
51 | 2.6.13 | 301 | 264 |
「あなかま、あなかま。下衆などの、ちりばかりも聞きたらむに、いといみじからむ」 |
"あなかま、あなかま。げすなどの、ちりばかりもききたらんに、いといみじからん。" |
51 | 2.6.14 | 302 | 265 |
と言ひゐたる、心地恐ろし。あやにくに、殿の御使のあらむ時、いかに言はむと、 |
といひゐたる、ここちおそろし。あやにくに、とののおほんつかひのあらんとき、いかにいはんと、 |
51 | 2.6.15 | 303 | 266 |
「初瀬の観音、今日事なくて暮らしたまへ」 |
"はつせのかのん、けふことなくてくらしたまへ。" |
51 | 2.6.16 | 304 | 267 |
と、大願をぞ立てける。 |
と、たいがんをぞたてける。 |
51 | 2.6.17 | 305 | 268 |
石山に今日詣でさせむとて、母君の迎ふるなりけり。この人びともみな精進し、きよまはりてあるに、 |
いしやまにけふまうでさせんとて、ははぎみのむかふるなりけり。このひとびともみなさうじんし、きよまはりてあるに、 |
51 | 2.6.18 | 306 | 269 |
「さらば、今日は、え渡らせたまふまじきなめり。いと口惜しきこと」 |
"さらば、けふは、えわたらせたまふまじきなめり。いとくちをしきこと。" |
51 | 2.6.19 | 307 | 270 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 2.7 | 308 | 271 | 第七段 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる |
51 | 2.7.1 | 309 | 272 |
日高くなれば、格子など上げて、右近ぞ近くて仕うまつりける。母屋の簾は皆下ろしわたして、「物忌」など書かせて付けたり。母君もやみづからおはするとて、「夢見騒がしかりつ」と言ひなすなりけり。御手水など参りたるさまは、例のやうなれど、まかなひめざましう思されて、 |
ひたかくなれば、かうしなどあげて、うこんぞちかくてつかうまつりける。もやのすだれはみなおろしわたして、"ものいみ"などかかせてつけたり。ははぎみもやみづからおはするとて、"ゆめみさわがしかりつ。"といひなすなりけり。みてうづなどまゐりたるさまは、れいのやうなれど、まかなひめざましうおぼされて、 |
51 | 2.7.2 | 310 | 273 |
「そこに洗はせたまはば」 |
"そこにあらはせたまはば。" |
51 | 2.7.3 | 311 | 274 |
とのたまふ。女、いとさまよう心にくき人を見ならひたるに、時の間も見ざらむに死ぬべしと思し焦がるる人を、「心ざし深しとは、かかるを言ふにやあらむ」と思ひ知らるるにも、「あやしかりける身かな。誰れも、ものの聞こえあらば、いかに思さむ」と、まづかの上の御心を思ひ出できこゆれど、 |
とのたまふ。をんな、いとさまようこころにくきひとをみならひたるに、ときのまもみざらんにしぬべしとおぼしこがるるひとを、"こころざしふかしとは、かかるをいふにやあらん。"とおもひしらるるにも、"あやしかりけるみかな。たれも、もののきこえあらば、いかにおぼさん。"と、まづかのうへのみこころをおもひいできこゆれど、 |
51 | 2.7.4 | 312 | 275 |
「知らぬを、返す返すいと心憂し。なほ、あらむままにのたまへ。いみじき下衆といふとも、いよいよなむあはれなるべき」 |
"しらぬを、かへすがへすいとこころうし。なほ、あらんままにのたまへ。いみじきげすといふとも、いよいよなんあはれなるべき。" |
51 | 2.7.5 | 313 | 276 |
と、わりなう問ひたまへど、その御いらへは絶えてせず。異事は、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いと限りなうらうたしとのみ見たまふ。 |
と、わりなうとひたまへど、そのおほんいらへはたえてせず。ことごとは、いとをかしくけぢかきさまにいらへきこえなどして、なびきたるを、いとかぎりなうらうたしとのみみたまふ。 |
51 | 2.7.6 | 314 | 277 |
日高くなるほどに、迎への人来たり。車二つ、馬なる人びとの、例の、荒らかなる七、八人。男ども多く、例の、品々しからぬけはひ、さへづりつつ入り来たれば、人びとかたはらいたがりつつ、 |
ひたかくなるほどに、むかへのひときたり。くるまふたつ、むまなるひとびとの、れいの、あららかなるしち、はちにん。をのこどもおほく、れいの、しなじなしからぬけはひ、さへづりつついりきたれば、ひとびとかたはらいたがりつつ、 |
51 | 2.7.7 | 315 | 278 |
「あなたに隠れよ」 |
"あなたにかくれよ。" |
51 | 2.7.8 | 316 | 279 |
と言はせなどす。右近、「いかにせむ。殿なむおはする、と言ひたらむに、京にさばかりの人のおはし、おはせず、おのづから聞きかよひて、隠れなきこともこそあれ」と思ひて、この人びとにも、ことに言ひ合はせず、返り事書く。 |
といはせなどす。うこん、"いかにせん。とのなんおはする、といひたらんに、きゃうにさばかりのひとのおはし、おはせず、おのづからききかよひて、かくれなきこともこそあれ。"とおもひて、このひとびとにも、ことにいひあはせず、かへりごとかく。 |
51 | 2.7.9 | 317 | 280 |
「昨夜より穢れさせたまひて、いと口惜しきことを思し嘆くめりしに、今宵、夢見騒がしく見えさせたまひつれば、今日ばかり慎ませたまへとてなむ、物忌にてはべる。返す返す、口惜しく、ものの妨げのやうに見たてまつりはべる」 |
"よべよりけがれさせたまひて、いとくちをしきことをおぼしなげくめりしに、こよひ、ゆめみさわがしくみえさせたまひつれば、けふばかりつつしませたまへとてなん、ものいみにてはべる。かへすがへす、くちをしく、もののさまたげのやうにみたてまつりはべる。" |
51 | 2.7.10 | 318 | 281 |
と書きて、人びとに物など食はせてやりつ。尼君にも、 |
とかきて、ひとびとにものなどくはせてやりつ。あまぎみにも、 |
51 | 2.7.11 | 319 | 282 |
「今日は物忌にて、渡りたまはぬ」 |
"けふはものいみにて、わたりたまはぬ。" |
51 | 2.7.12 | 320 | 283 |
と言はせたり。 |
といはせたり。 |
51 | 2.8 | 321 | 284 | 第八段 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす |
51 | 2.8.1 | 322 | 285 |
例は暮らしがたくのみ、霞める山際を眺めわびたまふに、暮れ行くはわびしくのみ思し焦らるる人に惹かれたてまつりて、いとはかなう暮れぬ。紛るることなくのどけき春の日に、見れども見れども飽かず、そのことぞとおぼゆる隈なく、愛敬づきなつかしくをかしげなり。 |
れいはくらしがたくのみ、かすめるやまぎはをながめわびたまふに、くれゆくはわびしくのみおぼしいらるるひとにひかれたてまつりて、いとはかなうくれぬ。まぎるることなくのどけきはるのひに、みれどもみれどもあかず、そのことぞとおぼゆるくまなく、あいぎゃうづきなつかしくをかしげなり。 |
51 | 2.8.2 | 323 | 286 |
さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君の盛りに匂ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、「また知らずをかし」とのみ見たまふ。 |
さるは、かのたいのおほんかたにはにおとりなり。おほとののきみのさかりににほひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどのひとを、たぐひなうおぼさるるほどなれば、"またしらずをかし。"とのみみたまふ。 |
51 | 2.8.3 | 324 | 287 |
女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、「こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と見る。 |
をんなはまた、だいしゃうどのを、いときよげに、またかかるひとあらんやとみしかど、"こまやかににほひきよらなることは、こよなくおはしけり。"とみる。 |
51 | 2.8.4 | 325 | 289 |
硯ひき寄せて、手習などしたまふ。いとをかしげに書きすさび、絵などを見所多く描きたまへれば、若き心地には、思ひも移りぬべし。 |
すずりひきよせて、てならひなどしたまふ。いとをかしげにかきすさび、ゑなどをみどころおほくかきたまへれば、わかきここちには、おもひもうつりぬべし。 |
51 | 2.8.5 | 326 | 290 |
「心より外に、え見ざらむほどは、これを見たまへよ」 |
"こころよりほかに、えみざらんほどは、これをみたまへよ。" |
51 | 2.8.6 | 327 | 291 |
とて、いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画を描きたまひて、 |
とて、いとをかしげなるをとこをんな、もろともにそひふしたるかたをかきたまひて、 |
51 | 2.8.7 | 328 | 292 |
「常にかくてあらばや」 |
"つねにかくてあらばや。" |
51 | 2.8.8 | 329 | 293 |
などのたまふも、涙落ちぬ。 |
などのたまふも、なみだおちぬ。 |
51 | 2.8.9 | 330 | 294 |
「長き世を頼めてもなほ悲しきは<BR/>ただ明日知らぬ命なりけり |
"〔ながきよをたのめてもなほかなしきは<BR/>ただあすしらぬいのちなりけり |
51 | 2.8.10 | 331 | 295 |
いとかう思ふこそ、ゆゆしけれ。心に身をもさらにえまかせず、よろづにたばからむほど、まことに死ぬべくなむおぼゆる。つらかりし御ありさまを、なかなか何に尋ね出でけむ」 |
いとかうおもふこそ、ゆゆしけれ。こころにみをもさらにえまかせず、よろづにたばからんほど、まことにしぬべくなんおぼゆる。つらかりしおほんありさまを、なかなかなににたづねいでけん。" |
51 | 2.8.11 | 332 | 296 |
などのたまふ。女、濡らしたまへる筆を取りて、 |
などのたまふ。をんな、ぬらしたまへるふでをとりて、 |
51 | 2.8.12 | 333 | 297 |
「心をば嘆かざらまし命のみ<BR/>定めなき世と思はましかば」 |
"〔こころをばなげかざらましいのちのみ<BR/>さだめなきよとおもはましかば〕 |
51 | 2.8.13 | 334 | 298 |
とあるを、「変はらむをば恨めしう思ふべかりけり」と見たまふにも、いとらうたし。 |
とあるを、"かはらんをばうらめしうおもふべかりけり。"とみたまふにも、いとらうたし。 |
51 | 2.8.14 | 335 | 299 |
「いかなる人の心変はりを見ならひて」 |
"いかなるひとのこころがはりをみならひて。" |
51 | 2.8.15 | 336 | 300 |
など、ほほ笑みて、大将のここに渡し初めたまひけむほどを、返す返すゆかしがりたまひて、問ひたまふを、苦しがりて、 |
など、ほほゑみて、だいしゃうのここにわたしはじめたまひけんほどを、かへすがへすゆかしがりたまひて、とひたまふを、くるしがりて、 |
51 | 2.8.16 | 337 | 301 |
「え言はぬことを、かうのたまふこそ」 |
"えいはぬことを、かうのたまふこそ。" |
51 | 2.8.17 | 338 | 302 |
と、うち怨じたるさまも、若びたり。おのづからそれは聞き出でてむ、と思すものから、言はせまほしきぞわりなきや。 |
と、うちゑんじたるさまも、わかびたり。おのづからそれはききいでてん、とおぼすものから、いはせまほしきぞわりなきや。 |
51 | 2.9 | 339 | 303 | 第九段 翌朝、匂宮、京へ帰る |
51 | 2.9.1 | 340 | 304 |
夜さり、京へ遣はしつる大夫参りて、右近に会ひたり。 |
よさり、きゃうへつかはしつるたいふまゐりて、うこんにあひたり。 |
51 | 2.9.2 | 341 | 305 |
「后の宮よりも御使参りて、右の大殿もむつかりきこえさせたまひて、『人に知られさせたまはぬ御ありきは、いと軽々しく、なめげなることもあるを、すべて、内裏などに聞こし召さむことも、身のためなむいとからき』といみじく申させたまひけり。東山に聖御覧じにとなむ、人にはものしはべりつる」 |
"きさいのみやよりもおほんつかひまゐりて、みぎのおほとのもむつかりきこえさせたまひて、'ひとにしられさせたまはぬおほんありきは、いとかろがろしく、なめげなることもあるを、すべて、うちなどにきこしめさんことも、みのためなんいとからき'といみじくまうさせたまひけり。ひんがしやまにひじりごらんじにとなん、ひとにはものしはべりつる。" |
51 | 2.9.3 | 342 | 306 |
など語りて、 |
などかたりて、 |
51 | 2.9.4 | 343 | 307 |
「女こそ罪深うおはするものはあれ。すずろなる眷属の人をさへ惑はしたまひて、虚言をさへせさせたまふよ」 |
"をんなこそつみふかうおはするものはあれ。すずろなるけんぞくのひとをさへまどはしたまひて、そらごとをさへせさせたまふよ。" |
51 | 2.9.5 | 344 | 308 |
と言へば、 |
といへば、 |
51 | 2.9.6 | 345 | 309 |
「聖の名をさへつけきこえさせたまひてければ、いとよし。私の罪も、それにて滅ぼしたまふらむ。まことに、いとあやしき御心の、げに、いかでならはせたまひけむ。かねてかうおはしますべしと承らましにも、いとかたじけなければ、たばかりきこえさせてましものを。奥なき御ありきにこそは」 |
"ひじりのなをさへつけきこえさせたまひてければ、いとよし。わたくしのつみも、それにてほろぼしたまふらん。まことに、いとあやしきみこころの、げに、いかでならはせたまひけん。かねてかうおはしますべしとうけたまはらましにも、いとかたじけなければ、たばかりきこえさせてましものを。あうなきおほんありきにこそは。" |
51 | 2.9.7 | 346 | 310 |
と、扱ひきこゆ。 |
と、あつかひきこゆ。 |
51 | 2.9.8 | 347 | 311 |
参りて、「さなむ」とまねびきこゆれば、「げに、いかならむ」と、思しやるに、 |
まゐりて、"さなん。"とまねびきこゆれば、"げに、いかならん。"と、おぼしやるに、 |
51 | 2.9.9 | 348 | 312 |
「所狭き身こそわびしけれ。軽らかなるほどの殿上人などにて、しばしあらばや。いかがすべき。かうつつむべき人目も、え憚りあふまじくなむ。 |
"ところせきみこそわびしけれ。かろらかなるほどのてんじゃうびとなどにて、しばしあらばや。いかがすべき。かうつつむべきひとめも、えはばかりあふまじくなん。 |
51 | 2.9.10 | 349 | 313 |
大将もいかに思はむとすらむ。さるべきほどとは言ひながら、あやしきまで、昔より睦ましき仲に、かかる心の隔ての知られたらむ時、恥づかしう、またいかにぞや。 |
だいしゃうもいかにおもはんとすらん。さるべきほどとはいひながら、あやしきまで、むかしよりむつましきなかに、かかるこころのへだてのしられたらんとき、はづかしう、またいかにぞや。 |
51 | 2.9.11 | 350 | 314 |
世のたとひに言ふこともあれば、待ち遠なるわがおこたりをも知らず、怨みられたまはむをさへなむ思ふ。夢にも人に知られたまふまじきさまにて、ここならぬ所に率て離れたてまつらむ」 |
よのたとひにいふこともあれば、まちどほなるわがおこたりをもしらず、うらみられたまはんをさへなんおもふ。ゆめにもひとにしられたまふまじきさまにて、ここならぬところにゐてはなれたてまつらん。" |
51 | 2.9.12 | 351 | 315 |
とぞのたまふ。今日さへかくて籠もりゐたまふべきならねば、出でたまひなむとするにも、袖の中にぞ留めたまひつらむかし。 |
とぞのたまふ。けふさへかくてこもりゐたまふべきならねば、いでたまひなんとするにも、そでのなかにぞとどめたまひつらんかし。 |
51 | 2.9.13 | 352 | 316 |
明け果てぬ前にと、人びとしはぶき驚かしきこゆ。妻戸にもろともに率ておはして、え出でやりたまはず。 |
あけはてぬさきにと、ひとびとしはぶきおどろかしきこゆ。つまどにもろともにゐておはして、えいでやりたまはず。 |
51 | 2.9.14 | 353 | 317 |
「世に知らず惑ふべきかな先に立つ<BR/>涙も道をかきくらしつつ」 |
"〔よにしらずまどふべきかなさきにたつ<BR/>なみだもみちをかきくらしつつ〕 |
51 | 2.9.15 | 354 | 318 |
女も、限りなくあはれと思ひけり。 |
をんなも、かぎりなくあはれとおもひけり。 |
51 | 2.9.16 | 355 | 319 |
「涙をもほどなき袖にせきかねて<BR/>いかに別れをとどむべき身ぞ」 |
"〔なみだをもほどなきそでにせきかねて<BR/>いかにわかれをとどむべきみぞ〕 |
51 | 2.9.17 | 356 | 321 |
風の音もいと荒ましく、霜深き暁に、おのが衣々も冷やかになりたる心地して、御馬に乗りたまふほど、引き返すやうにあさましけれど、御供の人びと、「いと戯れにくし」と思ひて、ただ急がしに急がし出づれば、我にもあらで出でたまひぬ。 |
かぜのおともいとあらましく、しもふかきあかつきに、おのがきぬぎぬもひややかになりたるここちして、おほんむまにのりたまふほど、ひきかへすやうにあさましけれど、おほんとものひとびと、"いとたわぶれにくし。"とおもひて、ただいそがしにいそがしいづれば、われにもあらでいでたまひぬ。 |
51 | 2.9.18 | 357 | 322 |
この五位二人なむ、御馬の口にはさぶらひける。さかしき山越え出でてぞ、おのおの馬には乗る。みぎはの氷を踏みならす馬の足音さへ、心細くもの悲し。昔もこの道にのみこそは、かかる山踏みはしたまひしかば、「あやしかりける里の契りかな」と思す。 |
このごゐふたりなん、おほんむまのくちにはさぶらひける。さかしきやまごえいでてぞ、おのおのむまにはのる。みぎはのこほりをふみならすむまのあしおとさへ、こころぼそくものがなし。むかしもこのみちにのみこそは、かかるやまぶみはしたまひしかば、"あやしかりけるさとのちぎりかな。"とおぼす。 |
51 | 3 | 358 | 323 | 第三章 浮舟と薫の物語 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す |
51 | 3.1 | 359 | 324 | 第一段 匂宮、二条院に帰邸し、中君を責める |
51 | 3.1.1 | 360 | 325 |
二条の院におはしまし着きて、女君のいと心憂かりし御もの隠しもつらければ、心やすき方に大殿籠もりぬるに、寝られたまはず、いと寂しきに、もの思ひまされば、心弱く対に渡りたまひぬ。 |
にでうのゐんにおはしましつきて、をんなぎみのいとこころうかりしおほんものかくしもつらければ、こころやすきかたにおほとのごもりぬるに、ねられたまはず、いとさびしきに、ものおもひまされば、こころよわくたいにわたりたまひぬ。 |
51 | 3.1.2 | 361 | 326 |
何心もなく、いときよげにておはす。「めづらしくをかしと見たまひし人よりも、またこれはなほありがたきさまはしたまへりかし」と見たまふものから、いとよく似たるを思ひ出でたまふも、胸塞がれば、いたくもの思したるさまにて、御帳に入りて大殿籠もる。女君も率て入りきこえたまひて、 |
なにごころもなく、いときよげにておはす。"めづらしくをかしとみたまひしひとよりも、またこれはなほありがたきさまはしたまへりかし。"とみたまふものから、いとよくにたるをおもひいでたまふも、むねふたがれば、いたくものおぼしたるさまにて、みちゃうにいりておほとのごもる。をんなぎみもゐていりきこえたまひて、 |
51 | 3.1.3 | 362 | 327 |
「心地こそいと悪しけれ。いかならむとするにかと、心細くなむある。まろは、いみじくあはれと見置いたてまつるとも、御ありさまはいととく変はりなむかし。人の本意は、かならずかなふなれば」 |
"ここちこそいとあしけれ。いかならんとするにかと、こころぼそくなんある。まろは、いみじくあはれとみおいたてまつるとも、おほんありさまはいととくかはりなんかし。ひとのほいは、かならずかなふなれば。" |
51 | 3.1.4 | 363 | 328 |
とのたまふ。「けしからぬことをも、まめやかにさへのたまふかな」と思ひて、 |
とのたまふ。"けしからぬことをも、まめやかにさへのたまふかな。"とおもひて、 |
51 | 3.1.5 | 364 | 329 |
「かう聞きにくきことの漏りて聞こえたらば、いかやうに聞こえなしたるにかと、人も思ひ寄りたまはむこそ、あさましけれ。心憂き身には、すずろなることもいと苦しく」 |
"かうききにくきことのもりてきこえたらば、いかやうにきこえなしたるにかと、ひともおもひよりたまはんこそ、あさましけれ。こころうきみには、すずろなることもいとくるしく。" |
51 | 3.1.6 | 365 | 330 |
とて、背きたまへり。宮も、まめだちたまひて、 |
とて、そむきたまへり。みやも、まめだちたまひて、 |
51 | 3.1.7 | 366 | 331 |
「まことにつらしと思ひきこゆることもあらむは、いかが思さるべき。まろは、御ためにおろかなる人かは。人も、ありがたしなど、とがむるまでこそあれ。人にはこよなう思ひ落としたまふべかめり。誰れもさべきにこそはと、ことわらるるを、隔てたまふ御心の深きなむ、いと心憂き」 |
"まことにつらしとおもひきこゆることもあらんは、いかがおぼさるべき。まろは、おほんためにおろかなるひとかは。ひとも、ありがたしなど、とがむるまでこそあれ。ひとにはこよなうおもひおとしたまふべかめり。たれもさべきにこそはと、ことわらるるを、へだてたまふみこころのふかきなん、いとこころうき。" |
51 | 3.1.8 | 367 | 332 |
とのたまふにも、「宿世のおろかならで、尋ね寄りたるぞかし」と思し出づるに、涙ぐまれぬ。まめやかなるを、「いとほしう、いかやうなることを聞きたまへるならむ」と驚かるるに、いらへきこえたまはむ言もなし。 |
とのたまふにも、"すくせのおろかならで、たづねよりたるぞかし。"とおぼしいづるに、なみだぐまれぬ。まめやかなるを、"いとほしう、いかやうなることをききたまへるならん。"とおどろかるるに、いらへきこえたまはんこともなし。 |
51 | 3.1.9 | 368 | 333 |
「ものはかなきさまにて見そめたまひしに、何ごとをも軽らかに推し量りたまふにこそはあらめ。すずろなる人をしるべにて、その心寄せを思ひ知り始めなどしたる過ちばかりに、おぼえ劣る身にこそ」と思し続くるも、よろづ悲しくて、いとどらうたげなる御けはひなり。 |
"ものはかなきさまにてみそめたまひしに、なにごとをもかろらかにおしはかりたまふにこそはあらめ。すずろなるひとをしるべにて、そのこころよせをおもひしりはじめなどしたるあやまちばかりに、おぼえおとるみにこそ。"とおぼしつづくるも、よろづかなしくて、いとどらうたげなるおほんけはひなり。 |
51 | 3.1.10 | 369 | 334 |
「かの人見つけたることは、しばし知らせたてまつらじ」と思せば、「異ざまに思はせて怨みたまふを、ただこの大将の御ことをまめまめしくのたまふ」と思すに、「人や虚言をたしかなるやうに聞こえたらむ」など思す。ありやなしやを聞かぬ間は、見えたてまつらむも恥づかし。 |
"かのひとみつけたることは、しばししらせたてまつらじ。"とおぼせば、"ことざまにおもはせてうらみたまふを、ただこのだいしゃうのおほんことをまめまめしくのたまふ。"とおぼすに、"ひとやそらごとをたしかなるやうにきこえたらん。"などおぼす。ありやなしやをきかぬまは、みえたてまつらんもはづかし。 |
51 | 3.2 | 370 | 335 | 第二段 明石中宮からと薫の見舞い |
51 | 3.2.1 | 371 | 336 |
内裏より大宮の御文あるに、驚きたまひて、なほ心解けぬ御けしきにて、あなたに渡りたまひぬ。 |
うちよりおほみやのおほんふみあるに、おどろきたまひて、なほこころとけぬみけしきにて、あなたにわたりたまひぬ。 |
51 | 3.2.2 | 372 | 337 |
「昨日のおぼつかなさを。悩ましく思されたなる、よろしくは参りたまへ。久しうもなりにけるを」 |
"きのふのおぼつかなさを。なやましくおぼされたなる、よろしくはまゐりたまへ。ひさしうもなりにけるを。" |
51 | 3.2.3 | 373 | 338 |
などやうに聞こえたまへれば、騒がれたてまつらむも苦しけれど、まことに御心地も違ひたるやうにて、その日は参りたまはず。上達部など、あまた参りたまへど、御簾の内にて暮らしたまふ。 |
などやうにきこえたまへれば、さわがれたてまつらんもくるしけれど、まことにみここちもたがひたるやうにて、そのひはまゐりたまはず。かんだちめなど、あまたまゐりたまへど、みすのうちにてくらしたまふ。 |
51 | 3.2.4 | 374 | 339 |
夕つ方、右大将参りたまへり。 |
ゆふつかた、うだいしゃうまゐりたまへり。 |
51 | 3.2.5 | 375 | 340 |
「こなたにを」 |
"こなたにを。" |
51 | 3.2.6 | 376 | 341 |
とて、うちとけながら対面したまへり。 |
とて、うちとけながらたいめんしたまへり。 |
51 | 3.2.7 | 377 | 342 |
「悩ましげにおはします、とはべりつれば、宮にもいとおぼつかなく思し召してなむ。いかやうなる御悩みにか」 |
"なやましげにおはします、とはべりつれば、みやにもいとおぼつかなくおぼしめしてなん。いかやうなるおほんなやみにか。" |
51 | 3.2.8 | 378 | 343 |
と聞こえたまふ。見るからに、御心騷ぎのいとどまされば、言少なにて、「聖だつと言ひながら、こよなかりける山伏心かな。さばかりあはれなる人を、さて置きて、心のどかに月日を待ちわびさすらむよ」と思す。 |
ときこえたまふ。みるからに、みこころさわぎのいとどまされば、ことずくなにて、"ひじりだつといひながら、こよなかりけるやまぶしごころかな。さばかりあはれなるひとを、さておきて、こころのどかにつきひをまちわびさすらんよ。"とおぼす。 |
51 | 3.2.9 | 379 | 344 |
例は、さしもあらぬことのついでにだに、我はまめ人ともてなし名のりたまふを、ねたがりたまひて、よろづにのたまひ破るを、かかること見表はいたるを、いかにのたまはまし。されど、さやうの戯れ事もかけたまはず、いと苦しげに見えたまへば、 |
れいは、さしもあらぬことのついでにだに、われはまめびとともてなしなのりたまふを、ねたがりたまひて、よろづにのたまひやぶるを、かかることみあらはいたるを、いかにのたまはまし。されど、さやうのたはぶれごともかけたまはず、いとくるしげにみえたまへば、 |
51 | 3.2.10 | 380 | 345 |
「不便なるわざかな。おどろおどろしからぬ御心地の、さすがに日数経るは、いと悪しきわざにはべり。御風邪よくつくろはせたまへ」 |
"ふびんなるわざかな。おどろおどろしからぬみここちの、さすがにひかずふるは、いとあしきわざにはべり。おほんかぜよくつくろはせたまへ。" |
51 | 3.2.11 | 381 | 346 |
など、まめやかに聞こえおきて出でたまひぬ。「恥づかしげなる人なりかし。わがありさまを、いかに思ひ比べけむ」など、さまざまなることにつけつつも、ただこの人を、時の間忘れず思し出づ。 |
など、まめやかにきこえおきていでたまひぬ。"はづかしげなるひとなりかし。わがありさまを、いかにおもひくらべけん。"など、さまざまなることにつけつつも、ただこのひとを、ときのまわすれずおぼしいづ。 |
51 | 3.2.12 | 382 | 347 |
かしこには、石山も停まりて、いとつれづれなり。御文には、いといみじきことを書き集めたまひて遣はす。それだに心やすからず、「時方」と召しし大夫の従者の、心も知らぬしてなむやりける。 |
かしこには、いしやまもとまりて、いとつれづれなり。おほんふみには、いといみじきことをかきあつめたまひてつかはす。それだにこころやすからず、"ときかた"とめししたいふのずさの、こころもしらぬしてなんやりける。 |
51 | 3.2.13 | 383 | 348 |
「右近が古く知れりける人の、殿の御供にて尋ね出でたる、さらがへりてねむごろがる」 |
"うこんがふるくしれりけるひとの、とののおほんともにてたづねいでたる、さらがへりてねんごろがる。" |
51 | 3.2.14 | 384 | 349 |
と、友達には言ひ聞かせたり。よろづ右近ぞ、虚言しならひける。 |
と、ともだちにはいひきかせたり。よろづうこんぞ、そらごとしならひける。 |
51 | 3.3 | 385 | 350 | 第三段 二月上旬、薫、宇治へ行く |
51 | 3.3.1 | 386 | 351 |
月もたちぬ。かう思し知らるれど、おはしますことはいとわりなし。「かうのみものを思はば、さらにえながらふまじき身なめり」と、心細さを添へて嘆きたまふ。 |
つきもたちぬ。かうおぼししらるれど、おはしますことはいとわりなし。"かうのみものをおもはば、さらにえながらふまじきみなめり。"と、こころぼそさをそへてなげきたまふ。 |
51 | 3.3.2 | 387 | 352 |
大将殿、すこしのどかになりぬるころ、例の、忍びておはしたり。寺に仏など拝みたまふ。御誦経せさせたまふ僧に、物賜ひなどして、夕つ方、ここには忍びたれど、これはわりなくもやつしたまはず。烏帽子直衣の姿、いとあらまほしくきよげにて、歩み入りたまふより、恥づかしげに、用意ことなり。 |
だいしゃうどの、すこしのどかになりぬるころ、れいの、しのびておはしたり。てらにほとけなどおがみたまふ。みずきゃうせさせたまふそうに、ものたまひなどして、ゆふつかた、ここにはしのびたれど、これはわりなくもやつしたまはず。えぼうしなほしのすがた、いとあらまほしくきよげにて、あゆみいりたまふより、はづかしげに、よういことなり。 |
51 | 3.3.3 | 388 | 353 |
女、いかで見えたてまつらむとすらむと、空さへ恥づかしく恐ろしきに、あながちなりし人の御ありさま、うち思ひ出でらるるに、また、この人に見えたてまつらむを思ひやるなむ、いみじう心憂き。 |
をんな、いかでみえたてまつらんとすらんと、そらさへはづかしくおそろしきに、あながちなりしひとのおほんありさま、うちおもひいでらるるに、また、このひとにみえたてまつらんをおもひやるなん、いみじうこころうき。 |
51 | 3.3.4 | 389 | 354 |
「『われは年ごろ見る人をも、皆思ひ変はりぬべき心地なむする』とのたまひしを、げに、そののち御心地苦しとて、いづくにもいづくにも、例の御ありさまならで、御修法など騒ぐなるを聞くに、また、いかに聞きて思さむ」と思ふもいと苦し。 |
"'われはとしごろみるひとをも、みなおもひかはりぬべきここちなんする。'とのたまひしを、げに、そののちみここちくるしとて、いづくにもいづくにも、れいのおほんありさまならで、みすほふなどさわぐなるをきくに、また、いかにききておぼさん。"とおもふもいとくるし。 |
51 | 3.3.5 | 390 | 355 |
この人はた、いとけはひことに、心深く、なまめかしきさまして、久しかりつるほどのおこたりなどのたまふも、言多からず、恋し愛しとおり立たねど、常にあひ見ぬ恋の苦しさを、さまよきほどにうちのたまへる、いみじく言ふにはまさりて、いとあはれと人の思ひぬべきさまをしめたまへる人柄なり。艶なる方はさるものにて、行く末長く人の頼みぬべき心ばへなど、こよなくまさりたまへり。 |
このひとはた、いとけはひことに、こころふかく、なまめかしきさまして、ひさしかりつるほどのおこたりなどのたまふも、ことおほからず、こひしかなしとおりたたねど、つねにあひみぬこひのくるしさを、さまよきほどにうちのたまへる、いみじくいふにはまさりて、いとあはれとひとのおもひぬべきさまをしめたまへるひとがらなり。えんなるかたはさるものにて、ゆくすゑながくひとのたのみぬべきこころばへなど、こよなくまさりたまへり。 |
51 | 3.3.6 | 391 | 356 |
「思はずなるさまの心ばへなど、漏り聞かせたらむ時も、なのめならずいみじくこそあべけれ。あやしううつし心もなう思し焦らるる人を、あはれと思ふも、それはいとあるまじく軽きことぞかし。この人に憂しと思はれて、忘れたまひなむ」心細さは、いと深うしみにければ、思ひ乱れたるけしきを、「月ごろに、こよなうものの心知り、ねびまさりにけり。つれづれなる住み処のほどに、思ひ残すことはあらじかし」と見たまふも、心苦しければ、常よりも心とどめて語らひたまふ。 |
"おもはずなるさまのこころばへなど、もりきかせたらんときも、なのめならずいみじくこそあべけれ。あやしううつしごころもなうおぼしいらるるひとを、あはれとおもふも、それはいとあるまじくかろきことぞかし。このひとにうしとおもはれて、わすれたまひなん。"こころぼそさは、いとふかうしみにければ、おもひみだれたるけしきを、"つきごろに、こよなうもののこころしり、ねびまさりにけり。つれづれなるすみかのほどに、おもひのこすことはあらじかし。"とみたまふも、こころぐるしければ、つねよりもこころとどめてかたらひたまふ。 |
51 | 3.4 | 392 | 357 | 第四段 薫と浮舟、それぞれの思い |
51 | 3.4.1 | 393 | 358 |
「造らする所、やうやうよろしうしなしてけり。一日なむ、見しかば、ここよりは気近き水に、花も見たまひつべし。三条の宮も近きほどなり。明け暮れおぼつかなき隔ても、おのづからあるまじきを、この春のほどに、さりぬべくは渡してむ」 |
"つくらするところ、やうやうよろしうしなしてけり。ひとひなん、みしかば、ここよりはけぢかきみづに、はなもみたまひつべし。さんでうのみやもちかきほどなり。あけくれおぼつかなきへだても、おのづからあるまじきを、このはるのほどに、さりぬべくはわたしてん。" |
51 | 3.4.2 | 394 | 359 |
と思ひてのたまふも、「かの人の、のどかなるべき所思ひまうけたりと、昨日ものたまへりしを、かかることも知らで、さ思すらむよ」と、あはれながらも、「そなたになびくべきにはあらずかし」と思ふからに、ありし御さまの、面影におぼゆれば、「我ながらも、うたて心憂の身や」と、思ひ続けて泣きぬ。 |
とおもひてのたまふも、"かのひとの、のどかなるべきところおもひまうけたりと、きのふものたまへりしを、かかることもしらで、さおぼすらんよ。"と、あはれながらも、"そなたになびくべきにはあらずかし。"とおもふからに、ありしおほんさまの、おもかげにおぼゆれば、"われながらも、うたてこころうのみや。"と、おもひつづけてなきぬ。 |
51 | 3.4.3 | 395 | 360 |
「御心ばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。人のいかに聞こえ知らせたることかある。すこしもおろかならむ心ざしにては、かうまで参り来べき身のほど、道のありさまにもあらぬを」 |
"みこころばへの、かからでおいらかなりしこそ、のどかにうれしかりしか。ひとのいかにきこえしらせたることかある。すこしもおろかならんこころざしにては、かうまでまゐりくべきみのほど、みちのありさまにもあらぬを。" |
51 | 3.4.4 | 396 | 361 |
など、朔日ごろの夕月夜に、すこし端近く臥して眺め出だしたまへり。男は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身の憂さを嘆き加へて、かたみにもの思はし。 |
など、ついたちごろのゆふづくよに、すこしはしちかくふしてながめいだしたまへり。をとこは、すぎにしかたのあはれをもおぼしいで、をんなは、いまよりそひたるみのうさをなげきくはへて、かたみにものおもはし。 |
51 | 3.5 | 397 | 362 | 第五段 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す |
51 | 3.5.1 | 398 | 363 |
山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、柴積み舟の所々に行きちがひたるなど、他にて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、見たまふたびごとに、なほそのかみのことのただ今の心地して、いとかからぬ人を見交はしたらむだに、めづらしき仲のあはれ多かるべきほどなり。 |
やまのかたはかすみへだてて、さむきすさきにたてるかささぎのすがたも、ところからはいとをかしうみゆるに、うぢばしのはるばるとみわたさるるに、しばつみぶねのところどころにゆきちがひたるなど、ほかにてめなれぬことどものみとりあつめたるところなれば、みたまふたびごとに、なほそのかみのことのただいまのここちして、いとかからぬひとをみかはしたらんだに、めづらしきなかのあはれおほかるべきほどなり。 |
51 | 3.5.2 | 399 | 365 |
まいて、恋しき人によそへられたるもこよなからず、やうやうものの心知り、都馴れゆくありさまのをかしきも、こよなく見まさりしたる心地したまふに、女は、かき集めたる心のうちに、催さるる涙、ともすれば出でたつを、慰めかねたまひつつ、 |
まいて、こひしきひとによそへられたるもこよなからず、やうやうもののこころしり、みやこなれゆくありさまのをかしきも、こよなくみまさりしたるここちしたまふに、をんなは、かきあつめたるこころのうちに、もよほさるるなみだ、ともすればいでたつを、なぐさめかねたまひつつ、 |
51 | 3.5.3 | 400 | 366 |
「宇治橋の長き契りは朽ちせじを<BR/>危ぶむ方に心騒ぐな |
"〔うぢばしのながきちぎりはくちせじを<BR/>あやぶむかたにこころさわぐな |
51 | 3.5.4 | 401 | 367 |
今見たまひてむ」 |
いまみたまひてん。" |
51 | 3.5.5 | 402 | 368 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
51 | 3.5.6 | 403 | 369 |
「絶え間のみ世には危ふき宇治橋を<BR/>朽ちせぬものとなほ頼めとや」 |
"〔たえまのみよにはあやふきうぢばしを<BR/>くちせぬものとなほたのめとや〕 |
51 | 3.5.7 | 404 | 370 |
さきざきよりもいと見捨てがたく、しばしも立ちとまらまほしく思さるれど、人のもの言ひのやすからぬに、「今さらなり。心やすきさまにてこそ」など思しなして、暁に帰りたまひぬ。「いとようもおとなびたりつるかな」と、心苦しく思し出づること、ありしにまさりけり。 |
さきざきよりもいとみすてがたく、しばしもたちとまらまほしくおぼさるれど、ひとのものいひのやすからぬに、"いまさらなり。こころやすきさまにてこそ。"などおぼしなして、あかつきにかへりたまひぬ。"いとようもおとなびたりつるかな。"と、こころぐるしくおぼしいづること、ありしにまさりけり。 |
51 | 4 | 405 | 371 | 第四章 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す |
51 | 4.1 | 406 | 372 | 第一段 二月十日、宮中の詩会催される |
51 | 4.1.1 | 407 | 373 |
如月の十日のほどに、内裏に文作らせたまふとて、この宮も大将も参りあひたまへり。折に合ひたる物の調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、「梅が枝」など謡ひたまふ。何ごとも人よりはこよなうまさりたまへる御さまにて、すずろなること思し焦らるるのみなむ、罪深かりける。 |
きさらぎのとをかのほどに、うちにふみつくらせたまふとて、このみやもだいしゃうもまゐりあひたまへり。をりにあひたるもののしらべどもに、みやのおほんこゑはいとめでたくて、〔むめがえ〕などうたひたまふ。なにごともひとよりはこよなうまさりたまへるおほんさまにて、すずろなることおぼしいらるるのみなん、つみふかかりける。 |
51 | 4.1.2 | 408 | 374 |
雪にはかに降り乱れ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。この宮の御宿直所に、人びと参りたまふ。もの参りなどして、うち休みたまへり。 |
ゆきにはかにふりみだれ、かぜなどはげしければ、おほんあそびとくやみぬ。このみやのおほんとのゐどころに、ひとびとまゐりたまふ。ものまゐりなどして、うちやすみたまへり。 |
51 | 4.1.3 | 409 | 375 |
大将、人にもののたまはむとて、すこし端近く出でたまへるに、雪のやうやう積もるが、星の光におぼおぼしきを、「闇はあやなし」とおぼゆる匂ひありさまにて、 |
だいしゃう、ひとにもののたまはんとて、すこしはしちかくいでたまへるに、ゆきのやうやうつもるが、ほしのひかりにおぼおぼしきを、"やみはあやなし〕とおぼゆるにほひありさまにて、 |
51 | 4.1.4 | 410 | 376 |
「衣片敷き今宵もや」 |
"〔ころもかたしきこよひもや〕 |
51 | 4.1.5 | 411 | 377 |
と、うち誦じたまへるも、はかなきことを口ずさびにのたまへるも、あやしくあはれなるけしき添へる人ざまにて、いともの深げなり。 |
と、うちずじたまへるも、はかなきことをくちずさびにのたまへるも、あやしくあはれなるけしきそへるひとざまにて、いとものふかげなり。 |
51 | 4.1.6 | 412 | 378 |
言しもこそあれ、宮は寝たるやうにて、御心騒ぐ。 |
ことしもこそあれ、みやはねたるやうにて、みこころさわぐ。 |
51 | 4.1.7 | 413 | 379 |
「おろかには思はぬなめりかし。片敷く袖を、我のみ思ひやる心地しつるを、同じ心なるもあはれなり。侘しくもあるかな。かばかりなる本つ人をおきて、我が方にまさる思ひは、いかでつくべきぞ」 |
"おろかにはおもはぬなめりかし。かたしくそでを、われのみおもひやるここちしつるを、おなじこころなるもあはれなり。わびしくもあるかな。かばかりなるもとつひとをおきて、わがかたにまさるおもひは、いかでつくべきぞ。" |
51 | 4.1.8 | 414 | 380 |
とねたう思さる。 |
とねたうおぼさる。 |
51 | 4.1.9 | 415 | 381 |
明朝、雪のいと高う積もりたるに、文たてまつりたまはむとて、御前に参りたまへる御容貌、このころいみじく盛りにきよげなり。かの君も同じほどにて、今二つ、三つまさるけぢめにや、すこしねびまさるけしき用意などぞ、ことさらにも作りたらむ、あてなる男の本にしつべくものしたまふ。「帝の御婿にて飽かぬことなし」とぞ、世人もことわりける。才なども、おほやけおほやけしき方も、後れずぞおはすべき。 |
つとめて、ゆきのいとたかうつもりたるに、ふみたてまつりたまはんとて、おまへにまゐりたまへるおほんかたち、このころいみじくさかりにきよげなり。かのきみもおなじほどにて、いまふたつ、みつまさるけぢめにや、すこしねびまさるけしきよういなどぞ、ことさらにもつくりたらん、あてなるをとこのほんにしつべくものしたまふ。"みかどのおほんむこにてあかぬことなし。"とぞ、よひともことわりける。ざえなども、おほやけおほやけしきかたも、おくれずぞおはすべき。 |
51 | 4.1.10 | 416 | 382 |
文講じ果てて、皆人まかでたまふ。宮の御文を、「すぐれたり」と誦じののしれど、何とも聞き入れたまはず、「いかなる心地にて、かかることをもし出づらむ」と、そらにのみ思ほしほれたり。 |
ふみかうじはてて、みなひとまかでたまふ。みやのおほんふみを、"すぐれたり。"とずじののしれど、なにともききいれたまはず、"いかなるここちにて、かかることをもしいづらん。"と、そらにのみおもほしほれたり。 |
51 | 4.2 | 417 | 383 | 第二段 匂宮、雪の山道の宇治へ行く |
51 | 4.2.1 | 418 | 384 |
かの人の御けしきにも、いとど驚かれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。京には、友待つばかり消え残りたる雪、山深く入るままに、やや降り埋みたり。 |
かのひとのみけしきにも、いとどおどろかれたまひければ、あさましうたばかりておはしましたり。きゃうには、ともまつばかりきえのこりたるゆき、やまふかくいるままに、ややふりうづみたり。 |
51 | 4.2.2 | 419 | 385 |
常よりもわりなきまれの細道を分けたまふほど、御供の人も、泣きぬばかり恐ろしう、わづらはしきことをさへ思ふ。しるべの内記は、式部少輔なむ掛けたりける。いづ方もいづ方も、ことことしかるべき官ながら、いとつきづきしく、引き上げなどしたる姿もをかしかりけり。 |
つねよりもわりなきまれのほそみちをわけたまふほど、おほんとものひとも、なきぬばかりおそろしう、わづらはしきことをさへおもふ。しるべのないきは、しきぶのせふなんかけたりける。いづかたもいづかたも、ことことしかるべきつかさながら、いとつきづきしく、ひきあげなどしたるすがたもをかしかりけり。 |
51 | 4.2.3 | 420 | 386 |
かしこには、おはせむとありつれど、「かかる雪には」とうちとけたるに、夜更けて右近に消息したり。「あさましう、あはれ」と、君も思へり。右近は、「いかになり果てたまふべき御ありさまにか」と、かつは苦しけれど、今宵はつつましさも忘れぬべし。言ひ返さむ方もなければ、同じやうに睦ましくおぼいたる若き人の、心ざまも奥なからぬを語らひて、 |
かしこには、おはせんとありつれど、"かかるゆきには。"とうちとけたるに、よふけてうこんにせうそこしたり。"あさましう、あはれ。"と、きみもおもへり。うこんは、"いかになりはてたまふべきおほんありさまにか。"と、かつはくるしけれど、こよひはつつましさもわすれぬべし。いひかへさんかたもなければ、おなじやうにむつましくおぼいたるわかきひとの、こころざまもあうなからぬをかたらひて、 |
51 | 4.2.4 | 421 | 387 |
「いみじくわりなきこと。同じ心に、もて隠したまへ」 |
"いみじくわりなきこと。おなじこころに、もてかくしたまへ。" |
51 | 4.2.5 | 422 | 388 |
と言ひてけり。もろともに入れたてまつる。道のほどに濡れたまへる香の、所狭う匂ふも、もてわづらひぬべけれど、かの人の御けはひに似せてなむ、もて紛らはしける。 |
といひてけり。もろともにいれたてまつる。みちのほどにぬれたまへるかの、ところせうにほふも、もてわづらひぬべけれど、かのひとのおほんけはひににせてなん、もてまぎらはしける。 |
51 | 4.3 | 423 | 389 | 第三段 宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す |
51 | 4.3.1 | 424 | 390 |
夜のほどにて立ち帰りたまはむも、なかなかなべければ、ここの人目もいとつつましさに、時方にたばからせたまひて、「川より遠方なる人の家に率ておはせむ」と構へたりければ、先立てて遣はしたりける、夜更くるほどに参れり。 |
よのほどにてたちかへりたまはんも、なかなかなべければ、ここのひとめもいとつつましさに、ときかたにたばからせたまひて、"かはよりをちなるひとのいへにゐておはせん。"とかまへたりければ、さきだててつかはしたりける、よふくるほどにまゐれり。 |
51 | 4.3.2 | 425 | 391 |
「いとよく用意してさぶらふ」 |
"いとよくよういしてさぶらふ。" |
51 | 4.3.3 | 426 | 392 |
と申さす。「こは、いかにしたまふことにか」と、右近もいと心あわたたしければ、寝おびれて起きたる心地も、わななかれて、あやし。童べの雪遊びしたるけはひのやうにぞ、震ひ上がりにける。 |
とまうさす。"こは、いかにしたまふことにか。"と、うこんもいとこころあわたたしければ、ねおびれておきたるここちも、わななかれて、あやし。わらはべのゆきあそびしたるけはひのやうにぞ、ふるひあがりにける。 |
51 | 4.3.4 | 427 | 393 |
「いかでか」 |
"いかでか。" |
51 | 4.3.5 | 428 | 394 |
なども言ひあへさせたまはず、かき抱きて出でたまひぬ。右近はこの後見にとまりて、侍従をぞたてまつる。 |
などもいひあへさせたまはず、かきいだきていでたまひぬ。うこんはこのうしろみにとまりて、じじゅうをぞたてまつる。 |
51 | 4.3.6 | 429 | 396 |
いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だす小さき舟に乗りたまひて、さし渡りたまふほど、遥かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心細くおぼえて、つとつきて抱かれたるも、いとらうたしと思す。 |
いとはかなげなるものと、あけくれみいだすちひさきふねにのりたまひて、さしわたりたまふほど、はるかならんきしにしもこぎはなれたらんやうにこころぼそくおぼえて、つとつきていだかれたるも、いとらうたしとおぼす。 |
51 | 4.3.7 | 430 | 397 |
有明の月澄み昇りて、水の面も曇りなきに、 |
ありあけのつきすみのぼりて、みづのおもてもくもりなきに、 |
51 | 4.3.8 | 431 | 398 |
「これなむ、橘の小島」 |
"これなん、たちばなのこじま。" |
51 | 4.3.9 | 432 | 399 |
と申して、御舟しばしさしとどめたるを見たまへば、大きやかなる岩のさまして、されたる常磐木の蔭茂れり。 |
とまうして、おほんふねしばしさしとどめたるをみたまへば、おほきやかなるいはのさまして、されたるときはぎのかげしげれり。 |
51 | 4.3.10 | 433 | 400 |
「かれ見たまへ。いとはかなけれど、千年も経べき緑の深さを」 |
"かれみたまへ。いとはかなけれど、ちとせもふべきみどりのふかさを。" |
51 | 4.3.11 | 434 | 401 |
とのたまひて、 |
とのたまひて、 |
51 | 4.3.12 | 435 | 402 |
「年経とも変はらむものか橘の<BR/>小島の崎に契る心は」 |
"〔としふともかはらんものかたちばなの<BR/>こじまのさきにちぎるこころは〕 |
51 | 4.3.13 | 436 | 403 |
女も、めづらしからむ道のやうにおぼえて、 |
をんなも、めづらしからんみちのやうにおぼえて、 |
51 | 4.3.14 | 437 | 404 |
「橘の小島の色は変はらじを<BR/>この浮舟ぞ行方知られぬ」 |
"〔たちばなのこじまのいろはかはらじを<BR/>このうきふねぞゆくへしられぬ〕 |
51 | 4.3.15 | 438 | 405 |
折から、人のさまに、をかしくのみ何事も思しなす。 |
をりから、ひとのさまに、をかしくのみなにごともおぼしなす。 |
51 | 4.3.16 | 439 | 406 |
かの岸にさし着きて降りたまふに、人に抱かせたまはむは、いと心苦しければ、抱きたまひて、助けられつつ入りたまふを、いと見苦しく、「何人を、かくもて騷ぎたまふらむ」と見たてまつる。時方が叔父の因幡守なるが領ずる荘に、はかなう造りたる家なりけり。 |
かのきしにさしつきておりたまふに、ひとにいだかせたまはんは、いとくるしければ、いだきたまひて、たすけられつついりたまふを、いとみぐるしく、"なにびとを、かくもてさわぎたまふらん。"とみたてまつる。ときかたがをぢのいなばのかみなるがらうずるさうに、はかなうつくりたるいへなりけり。 |
51 | 4.3.17 | 440 | 407 |
まだいと粗々しきに、網代屏風など、御覧じも知らぬしつらひにて、風もことに障らず、垣のもとに雪むら消えつつ、今もかき曇りて降る。 |
まだいとあらあらしきに、あじろびゃうぶなど、ごらんじもしらぬしつらひにて、かぜもことにさはらず、かきのもとにゆきむらぎえつつ、いまもかきくもりてふる。 |
51 | 4.4 | 441 | 408 | 第四段 匂宮、浮舟に心奪われる |
51 | 4.4.1 | 442 | 409 |
日さし出でて、軒の垂氷の光りあひたるに、人の御容貌もまさる心地す。宮も、所狭き道のほどに、軽らかなるべきほどの御衣どもなり。女も、脱ぎすべさせたまひてしかば、細やかなる姿つき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、「いと恥づかしく、まばゆきまできよらなる人にさしむかひたるよ」と思へど、紛れむ方もなし。 |
ひさしいでて、のきのたるひのひかりあひたるに、ひとのおほんかたちもまさるここちす。みやも、ところせきみちのほどに、かるらかなるべきほどのおほんぞどもなり。をんなも、ぬぎすべさせたまひてしかば、ほそやかなるすがたつき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなくうちとけたるさまを、"いとはづかしく、まばゆきまできよらなるひとにさしむかひたるよ。"とおもへど、まぎれんかたもなし。 |
51 | 4.4.2 | 443 | 410 |
なつかしきほどなる白き限りを五つばかり、袖口、裾のほどまでなまめかしく、色々にあまた重ねたらむよりも、をかしう着なしたり。常に見たまふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは見ならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしう思されける。 |
なつかしきほどなるしろきかぎりをいつつばかり、そでぐち、すそのほどまでなまめかしく、いろいろにあまたかさねたらんよりも、をかしうきなしたり。つねにみたまふひととても、かくまでうちとけたるすがたなどはみならひたまはぬを、かかるさへぞ、なほめづらかにをかしうおぼされける。 |
51 | 4.4.3 | 444 | 411 |
侍従も、いとめやすき若人なりけり。「これさへ、かかるを残りなう見るよ」と、女君は、いみじと思ふ。宮も、 |
じじゅうも、いとめやすきわかうどなりけり。"これさへ、かかるをのこりなうみるよ。"と、をんなぎみは、いみじとおもふ。みやも、 |
51 | 4.4.4 | 445 | 412 |
「これはまた誰そ。わが名漏らすなよ」 |
"これはまたたそ。わがなもらすなよ。" |
51 | 4.4.5 | 446 | 413 |
と口がためたまふを、「いとめでたし」と思ひきこえたり。ここの宿守にて住みける者、時方を主と思ひてかしづきありけば、このおはします遣戸を隔てて、所得顔に居たり。声ひきしじめ、かしこまりて物語しをるを、いらへもえせず、をかしと思ひけり。 |
とくちがためたまふを、"いとめでたし。"とおもひきこえたり。ここのやどもりにてすみけるもの、ときかたをしゅうとおもひてかしづきありけば、このおはしますやりどをへだてて、ところえがほにゐたり。こゑひきしじめ、かしこまりてものがたりしをるを、いらへもえせず、をかしとおもひけり。 |
51 | 4.4.6 | 447 | 414 |
「いと恐ろしく占ひたる物忌により、京の内をさへ去りて慎むなり。他の人、寄すな」 |
"いとおそろしくうらなひたるものいみにより、きゃうのうちをさへさりてつつしむなり。ほかのひと、よすな。" |
51 | 4.4.7 | 448 | 415 |
と言ひたり。 |
といひたり。 |
51 | 4.5 | 449 | 416 | 第五段 匂宮、浮舟と一日を過ごす |
51 | 4.5.1 | 450 | 417 |
人目も絶えて、心やすく語らひ暮らしたまふ。「かの人のものしたまへりけむに、かくて見えてむかし」と、思しやりて、いみじく怨みたまふ。二の宮をいとやむごとなくて、持ちたてまつりたまへるありさまなども語りたまふ。かの耳とどめたまひし一言は、のたまひ出でぬぞ憎きや。 |
ひとめもたえて、こころやすくかたらひくらしたまふ。"かのひとのものしたまへりけんに、かくてみえてんかし。"と、おぼしやりて、いみじくうらみたまふ。にのみやをいとやんごとなくて、もちたてまつりたまへるありさまなどもかたりたまふ。かのみみとどめたまひしひとことは、のたまひいでぬぞにくきや。 |
51 | 4.5.2 | 451 | 418 |
時方、御手水、御くだものなど、取り次ぎて参るを御覧じて、 |
ときかた、みてうづ、おほんくだものなど、とりつぎてまゐるをごらんじて、 |
51 | 4.5.3 | 452 | 419 |
「いみじくかしづかるめる客人の主、さてな見えそや」 |
"いみじくかしづかるめるまらうとのぬし、さてなみえそや。" |
51 | 4.5.4 | 453 | 420 |
と戒めたまふ。侍従、色めかしき若人の心地に、いとをかしと思ひて、この大夫とぞ物語して暮らしける。 |
といましめたまふ。じじゅう、いろめかしきわかうどのここちに、いとをかしとおもひて、このたいふとぞものがたりしてくらしける。 |
51 | 4.5.5 | 454 | 421 |
雪の降り積もれるに、かのわが住む方を見やりたまへれば、霞の絶え絶えに梢ばかり見ゆ。山は鏡を懸けたるやうに、きらきらと夕日に輝きたるに、昨夜、分け来し道のわりなさなど、あはれ多う添へて語りたまふ。 |
ゆきのふりつもれるに、かのわがすむかたをみやりたまへれば、かすみのたえだえにこずゑばかりみゆ。やまはかがみをかけたるやうに、きらきらとゆふひにかかやきたるに、よべ、わけこしみちのわりなさなど、あはれおほうそへてかたりたまふ。 |
51 | 4.5.6 | 455 | 422 |
「峰の雪みぎはの氷踏み分けて<BR/>君にぞ惑ふ道は惑はず |
"〔みねのゆきみぎはのこほりふみわけて<BR/>きみにぞまどふみちはまどはず |
51 | 4.5.7 | 456 | 423 |
木幡の里に馬はあれど」 |
こはたのさとにむまはあれど。" |
51 | 4.5.8 | 457 | 424 |
など、あやしき硯召し出でて、手習ひたまふ。 |
など、あやしきすずりめしいでて、てならひたまふ。 |
51 | 4.5.9 | 458 | 425 |
「降り乱れみぎはに凍る雪よりも<BR/>中空にてぞ我は消ぬべき」 |
"〔ふりみだれみぎはにこほるゆきよりも<BR/>なかぞらにてぞわれはけぬべき〕 |
51 | 4.5.10 | 459 | 426 |
と書き消ちたり。この「中空」をとがめたまふ。「げに、憎くも書きてけるかな」と、恥づかしくて引き破りつ。さらでだに見るかひある御ありさまを、いよいよあはれにいみじと、人の心にしめられむと、尽くしたまふ言の葉、けしき、言はむ方なし。 |
とかきけちたり。この"なかぞら"をとがめたまふ。"げに、にくくもかきてけるかな。"と、はづかしくてひきやぶりつ。さらでだにみるかひあるおほんありさまを、いよいよあはれにいみじと、ひとのこころにしめられんと、つくしたまふことのは、けしき、いはんかたなし。 |
51 | 4.6 | 460 | 427 | 第六段 匂宮、京へ帰り立つ |
51 | 4.6.1 | 461 | 428 |
御物忌、二日とたばかりたまへれば、心のどかなるままに、かたみにあはれとのみ、深く思しまさる。右近は、よろづに例の、言ひ紛らはして、御衣などたてまつりたり。今日は、乱れたる髪すこし削らせて、濃き衣に紅梅の織物など、あはひをかしく着替へてゐたまへり。侍従も、あやしき褶着たりしを、あざやぎたれば、その裳を取りたまひて、君に着せたまひて、御手水参らせたまふ。 |
おほんものいみ、ふつかとたばかりたまへれば、こころのどかなるままに、かたみにあはれとのみ、ふかくおぼしまさる。うこんは、よろづにれいの、いひまぎらはして、おほんぞなどたてまつりたり。けふは、みだれたるかみすこしけづらせて、こききぬにこうばいのおりものなど、あはひをかしくきがへてゐたまへり。じじゅうも、あやしきしびらきたりしを、あざやぎたれば、そのもをとりたまひて、きみにきせたまひて、みてうづまゐらせたまふ。 |
51 | 4.6.2 | 462 | 429 |
「姫宮にこれをたてまつりたらば、いみじきものにしたまひてむかし。いとやむごとなき際の人多かれど、かばかりのさましたるは難くや」 |
"ひめみやにこれをたてまつりたらば、いみじきものにしたまひてんかし。いとやんごとなききはのひとおほかれど、かばかりのさましたるはかたくや。" |
51 | 4.6.3 | 463 | 430 |
と見たまふ。かたはなるまで遊び戯れつつ暮らしたまふ。忍びて率て隠してむことを、返す返すのたまふ。「そのほど、かの人に見えたらば」と、いみじきことどもを誓はせたまへば、「いとわりなきこと」と思ひて、いらへもやらず、涙さへ落つるけしき、「さらに目の前にだに思ひ移らぬなめり」と胸痛う思さる。怨みても泣きても、よろづのたまひ明かして、夜深く率て帰りたまふ。例の、抱きたまふ。 |
とみたまふ。かたはなるまであそびたはぶれつつくらしたまふ。しのびてゐてかくしてんことを、かへすがへすのたまふ。"そのほど、かのひとにみえたらば。"と、いみじきことどもをちかはせたまへば、"いとわりなきこと。"とおもひて、いらへもやらず、なみださへおつるけしき、"さらにめのまへにだにおもひうつらぬなめり。"とむねいたうおぼさる。うらみてもなきても、よろづのたまひあかして、よふかくゐてかへりたまふ。れいの、いだきたまふ。 |
51 | 4.6.4 | 464 | 431 |
「いみじく思すめる人は、かうは、よもあらじよ。見知りたまひたりや」 |
"いみじくおぼすめるひとは、かうは、よもあらじよ。みしりたまひたりや。" |
51 | 4.6.5 | 465 | 432 |
とのたまへば、げに、と思ひて、うなづきて居たる、いとらうたげなり。右近、妻戸放ちて入れたてまつる。やがて、これより別れて出でたまふも、飽かずいみじと思さる。 |
とのたまへば、げに、とおもひて、うなづきてゐたる、いとらうたげなり。うこん、つまどはなちていれたてまつる。やがて、これよりわかれていでたまふも、あかずいみじとおぼさる。 |
51 | 4.7 | 466 | 433 | 第七段 匂宮、二条院に帰邸後、病に臥す |
51 | 4.7.1 | 467 | 434 |
かやうの帰さは、なほ二条にぞおはします。いと悩ましうしたまひて、物など絶えてきこしめさず、日を経て青み痩せたまひ、御けしきも変はるを、内裏にもいづくにも、思ほし嘆くに、いとどもの騒がしくて、御文だにこまかには書きたまはず。 |
かやうのかへさは、なほにでうにぞおはします。いとなやましうしたまひて、ものなどたえてきこしめさず、ひをへてあをみやせたまひ、みけしきもかはるを、うちにもいづくにも、おもほしなげくに、いとどものさわがしくて、おほんふみだにこまかにはかきたまはず。 |
51 | 4.7.2 | 468 | 435 |
かしこにも、かのさかしき乳母、娘の子産む所に出でたりける、帰り来にければ、心やすくもえ見ず。かくあやしき住まひを、ただかの殿のもてなしたまはむさまをゆかしく待つことにて、母君も思ひ慰めたるに、忍びたるさまながらも、近く渡してむことを思しなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことに思ひて、やうやう人求め、童のめやすきなど迎へておこせたまふ。 |
かしこにも、かのさかしきめのと、むすめのこうむところにいでたりける、かへりきにければ、こころやすくもえみず。かくあやしきすまひを、ただかのとののもてなしたまはんさまをゆかしくまつことにて、ははぎみもおもひなぐさめたるに、しのびたるさまながらも、ちかくわたしてんことをおぼしなりにければ、いとめやすくうれしかるべきことにおもひて、やうやうひともとめ、わらはのめやすきなどむかへておこせたまふ。 |
51 | 4.7.3 | 469 | 436 |
わが心にも、「それこそは、あるべきことに、初めより待ちわたれ」とは思ひながら、あながちなる人の御ことを思ひ出づるに、怨みたまひしさま、のたまひしことども、面影につと添ひて、いささかまどろめば、夢に見えたまひつつ、いとうたてあるまでおぼゆ。 |
わがこころにも、"それこそは、あるべきことに、はじめよりまちわたれ。"とはおもひながら、あながちなるひとのおほんことをおもひいづるに、うらみたまひしさま、のたまひしことども、おもかげにつとそひて、いささかまどろめば、ゆめにみえたまひつつ、いとうたてあるまでおぼゆ。 |
51 | 5 | 470 | 437 | 第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う |
51 | 5.1 | 471 | 438 | 第一段 春雨の続く頃、匂宮から手紙が届く |
51 | 5.1.1 | 472 | 439 |
雨降り止まで、日ごろ多くなるころ、いとど山路思し絶えて、わりなく思されければ、「親のかふこは所狭きものにこそ」と思すもかたじけなし。尽きせぬことども書きたまひて、 |
あめふりやまで、ひごろおほくなるころ、いとどやまぢおぼしたえて、わりなくおぼされければ、"おやのかふこはところせきものにこそ。"とおぼすもかたじけなし。つきせぬことどもかきたまひて、 |
51 | 5.1.2 | 473 | 440 |
「眺めやるそなたの雲も見えぬまで<BR/>空さへ暮るるころのわびしさ」 |
"〔ながめやるそなたのくももみえぬまで<BR/>そらさへくるるころのわびしさ〕 |
51 | 5.1.3 | 474 | 441 |
筆にまかせて書き乱りたまへるしも、見所あり、をかしげなり。ことにいと重くなどはあらぬ若き心地に、 |
ふでにまかせてかきみだりたまへるしも、みどころあり、をかしげなり。ことにいとおもくなどはあらぬわかきここちに、 |
51 | 5.1.4 | 475 | 442 |
「いとかかる心を思ひもまさりぬべけれど、初めより契りたまひしさまも、さすがに、かれは、なほいともの深う、人柄のめでたきなども、世の中を知りにし初めなればにや、かかる憂きこと聞きつけて、思ひ疎みたまひなむ世には、いかでかあらむ。 |
"いとかかるこころをおもひもまさりぬべけれど、はじめよりちぎりたまひしさまも、さすがに、かれは、なほいとものふかう、ひとがらのめでたきなども、よのなかをしりにしはじめなればにや、かかるうきことききつけて、おもひうとみたまひなんよには、いかでかあらん。 |
51 | 5.1.5 | 476 | 443 |
いつしかと思ひ惑ふ親にも、思はずに、心づきなしとこそは、もてわづらはれめ。かく心焦られしたまふ人、はた、いとあだなる御心本性とのみ聞きしかば、かかるほどこそあらめ、またかうながらも、京にも隠し据ゑたまひ、ながらへても思し数まへむにつけては、かの上の思さむこと。よろづ隠れなき世なりければ、あやしかりし夕暮のしるべばかりにだに、かう尋ね出でたまふめり。 |
いつしかとおもひまどふおやにも、おもはずに、こころづきなしとこそは、もてわづらはれめ。かくこころいられしたまふひと、はた、いとあだなるみこころほんじゃうとのみききしかば、かかるほどこそあらめ、またかうながらも、きゃうにもかくしすゑたまひ、ながらへてもおぼしかずまへんにつけては、かのうへのおぼさんこと。よろづかくれなきよなりければ、あやしかりしゆふぐれのしるべばかりにだに、かうたづねいでたまふめり。 |
51 | 5.1.6 | 477 | 444 |
まして、わがありさまのともかくもあらむを、聞きたまはぬやうはありなむや」 |
まして、わがありさまのともかくもあらんを、ききたまはぬやうはありなんや。" |
51 | 5.1.7 | 478 | 445 |
と思ひたどるに、「わが心も、きずありて、かの人に疎まれたてまつらむ、なほいみじかるべし」と思ひ乱るる折しも、かの殿より御使あり。 |
とおもひたどるに、"わがこころも、きずありて、かのひとにうとまれたてまつらん、なほいみじかるべし。"とおもひみだるるをりしも、かのとのよりおほんつかひあり。 |
51 | 5.2 | 479 | 446 | 第二段 その同じ頃、薫からも手紙が届く |
51 | 5.2.1 | 480 | 447 |
これかれと見るもいとうたてあれば、なほ言多かりつるを見つつ、臥したまへれば、侍従、右近、見合はせて、 |
これかれとみるもいとうたてあれば、なほことおほかりつるをみつつ、ふしたまへれば、じじゅう、うこん、みあはせて、 |
51 | 5.2.2 | 481 | 448 |
「なほ、移りにけり」 |
"なほ、うつりにけり。" |
51 | 5.2.3 | 482 | 449 |
など、言はぬやうにて言ふ。 |
など、いはぬやうにていふ。 |
51 | 5.2.4 | 483 | 450 |
「ことわりぞかし。殿の御容貌を、たぐひおはしまさじと見しかど、この御ありさまはいみじかりけり。うち乱れたまへる愛敬よ。まろならば、かばかりの御思ひを見る見る、えかくてあらじ。后の宮にも参りて、常に見たてまつりてむ」 |
"ことわりぞかし。とののおほんかたちを、たぐひおはしまさじとみしかど、このおほんありさまはいみじかりけり。うちみだれたまへるあいぎゃうよ。まろならば、かばかりのおほんおもひをみるみる、えかくてあらじ。きさいのみやにもまゐりて、つねにみたてまつりてん。" |
51 | 5.2.5 | 484 | 451 |
と言ふ。右近、 |
といふ。うこん、 |
51 | 5.2.6 | 485 | 452 |
「うしろめたの御心のほどや。殿の御ありさまにまさりたまふ人は、誰れかあらむ。容貌などは知らず、御心ばへけはひなどよ。なほ、この御ことは、いと見苦しきわざかな。いかがならせたまはむとすらむ」 |
"うしろめたのみこころのほどや。とののおほんありさまにまさりたまふひとは、たれかあらん。かたちなどはしらず、みこころばへけはひなどよ。なほ、このおほんことは、いとみぐるしきわざかな。いかがならせたまはんとすらん。" |
51 | 5.2.7 | 486 | 453 |
と、二人して語らふ。心一つに思ひしよりは、虚言もたより出で来にけり。 |
と、ふたりしてかたらふ。こころひとつにおもひしよりは、そらごともたよりいできにけり。 |
51 | 5.2.8 | 487 | 454 |
後の御文には、 |
のちのおほんふみには、 |
51 | 5.2.9 | 488 | 455 |
「思ひながら日ごろになること。時々は、それよりも驚かいたまはむこそ、思ふさまならめ。おろかなるにやは」 |
"おもひながらひごろになること。ときどきは、それよりもおどろかいたまはんこそ、おもふさまならめ。おろかなるにやは。" |
51 | 5.2.10 | 489 | 456 |
など、端書きに、 |
など、はしがきに、 |
51 | 5.2.11 | 490 | 457 |
「水まさる遠方の里人いかならむ<BR/>晴れぬ長雨にかき暮らすころ |
"〔みづまさるをちのさとびといかならん<BR/>はれぬながめにかきくらすころ |
51 | 5.2.12 | 491 | 458 |
常よりも、思ひやりきこゆることまさりてなむ」 |
つねよりも、おもひやりきこゆることまさりてなん。" |
51 | 5.2.13 | 492 | 459 |
と、白き色紙にて立文なり。御手もこまかにをかしげならねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ。宮は、いと多かるを、小さく結びなしたまへる、さまざまをかし。 |
と、しろきしきしにてたてぶみなり。おほんてもこまかにをかしげならねど、かきざまゆゑゆゑしくみゆ。みやは、いとおほかるを、ちひさくむすびなしたまへる、さまざまをかし。 |
51 | 5.2.14 | 493 | 460 |
「まづ、かれを、人見ぬほどに」 |
"まづ、かれを、ひとみぬほどに。" |
51 | 5.2.15 | 494 | 461 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
51 | 5.2.16 | 495 | 462 |
「今日は、え聞こゆまじ」 |
"けふは、えきこゆまじ。" |
51 | 5.2.17 | 496 | 463 |
と恥ぢらひて、手習に、 |
とはぢらひて、てならひに、 |
51 | 5.2.18 | 497 | 464 |
「里の名をわが身に知れば山城の<BR/>宇治のわたりぞいとど住み憂き」 |
"〔さとのなをわがみにしればやましろの<BR/>うぢのわたりぞいとどすみうき〕 |
51 | 5.2.19 | 498 | 465 |
宮の描きたまへりし絵を、時々見て泣かれけり。「ながらへてあるまじきことぞ」と、とざまかうざまに思ひなせど、他に絶え籠もりてやみなむは、いとあはれにおぼゆべし。 |
みやのかきたまへりしゑを、ときどきみてなかれけり。"ながらへてあるまじきことぞ。"と、とざまかうざまにおもひなせど、ほかにたえこもりてやみなんは、いとあはれにおぼゆべし。 |
51 | 5.2.20 | 499 | 466 |
「かき暮らし晴れせぬ峰の雨雲に<BR/>浮きて世をふる身をもなさばや |
"〔かきくらしはれせぬみねのあまぐもに<BR/>うきてよをふるみをもなさばや |
51 | 5.2.21 | 500 | 467 |
混じりなば」 |
まじりなば。" |
51 | 5.2.22 | 501 | 468 |
と聞こえたるを、宮は、よよと泣かれたまふ。「さりとも、恋しと思ふらむかし」と思しやるにも、もの思ひてゐたらむさまのみ面影に見えたまふ。 |
ときこえたるを、みやは、よよとなかれたまふ。"さりとも、こひしとおもふらんかし。"とおぼしやるにも、ものおもひてゐたらんさまのみおもかげにみえたまふ。 |
51 | 5.2.23 | 502 | 469 |
まめ人は、のどかに見たまひつつ、「あはれ、いかに眺むらむ」と思ひやりて、いと恋し。 |
まめびとは、のどかにみたまひつつ、"あはれ、いかにながむらん。"とおもひやりて、いとこひし。 |
51 | 5.2.24 | 503 | 470 |
「つれづれと身を知る雨の小止まねば<BR/>袖さへいとどみかさまさりて」 |
"〔つれづれとみをしるあめのをやまねば<BR/>そでさへいとどみかさまさりて〕 |
51 | 5.2.25 | 504 | 471 |
とあるを、うちも置かず見たまふ。 |
とあるを、うちもおかずみたまふ。 |
51 | 5.3 | 505 | 472 | 第三段 匂宮、薫の浮舟を新築邸に移すことを知る |
51 | 5.3.1 | 506 | 473 |
女宮に物語など聞こえたまひてのついでに、 |
をんなみやにものがたりなどきこえたまひてのついでに、 |
51 | 5.3.2 | 507 | 474 |
「なめしともや思さむと、つつましながら、さすがに年経ぬる人のはべるを、あやしき所に捨て置きて、いみじくもの思ふなるが心苦しさに、近う呼び寄せて、と思ひはべる。昔より異やうなる心ばへはべりし身にて、世の中を、すべて例の人ならで過ぐしてむと思ひはべりしを、かく見たてまつるにつけて、ひたぶるにも捨てがたければ、ありと人にも知らせざりし人の上さへ、心苦しう、罪得ぬべき心地してなむ」 |
"なめしともやおぼさんと、つつましながら、さすがにとしへぬるひとのはべるを、あやしきところにすておきて、いみじくものおもふなるがこころぐるしさに、ちかうよびよせて、とおもひはべる。むかしよりことやうなるこころばへはべりしみにて、よのなかを、すべてれいのひとならですぐしてんとおもひはべりしを、かくみたてまつるにつけて、ひたぶるにもすてがたければ、ありとひとにもしらせざりしひとのうへさへ、こころぐるしう、つみえぬべきここちしてなん。" |
51 | 5.3.3 | 508 | 475 |
と、聞こえたまへば、 |
と、きこえたまへば、 |
51 | 5.3.4 | 509 | 476 |
「いかなることに心置くものとも知らぬを」 |
"いかなることにこころおくものともしらぬを。" |
51 | 5.3.5 | 510 | 477 |
と、いらへたまふ。 |
と、いらへたまふ。 |
51 | 5.3.6 | 511 | 478 |
「内裏になど、悪しざまに聞こし召さする人やはべらむ。世の人のもの言ひぞ、いとあぢきなくけしからずはべるや。されど、それは、さばかりの数にだにはべるまじ」 |
"うちになど、あしざまにきこしめさするひとやはべらん。よのひとのものいひぞ、いとあぢきなくけしからずはべるや。されど、それは、さばかりのかずにだにはべるまじ。" |
51 | 5.3.7 | 512 | 479 |
など聞こえたまふ。 |
などきこえたまふ。 |
51 | 5.3.8 | 513 | 480 |
「造りたる所に渡してむ」と思し立つに、「かかる料なりけり」など、はなやかに言ひなす人やあらむなど、苦しければ、いと忍びて、障子張らすべきことなど、人しもこそあれ、この内記が知る人の親、大蔵大輔なるものに、睦ましく心やすきままに、のたまひつけたりければ、聞きつぎて、宮には隠れなく聞こえけり。 |
"つくりたるところにわたしてん。"とおぼしたつに、"かかるれうなりけり。"など、はなやかにいひなすひとやあらんなど、くるしければ、いとしのびて、さうじはらすべきことなど、ひとしもこそあれ、このないきがしるひとのおや、おほくらのたいふなるものに、むつましくこころやすきままに、のたまひつけたりければ、ききつぎて、みやにはかくれなくきこえけり。 |
51 | 5.3.9 | 514 | 481 |
「絵師どもなども、御随身どもの中にある、睦ましき殿人などを選りて、さすがにわざとなむせさせたまふ」 |
"ゑしどもなども、みずいじんどものなかにある、むつましきとのびとなどをえりて、さすがにわざとなんせさせたまふ。" |
51 | 5.3.10 | 515 | 482 |
と申すに、いとど思し騷ぎて、わが御乳母の、遠き受領の妻にて下る家、下つ方にあるを、 |
とまうすに、いとどおぼしさわぎて、わがおほんめのとの、とほきずらうのめにてくだるいへ、しもつかたにあるを、 |
51 | 5.3.11 | 516 | 483 |
「いと忍びたる人、しばし隠いたらむ」 |
"いとしのびたるひと、しばしかくいたらん。" |
51 | 5.3.12 | 517 | 484 |
と、語らひたまひければ、「いかなる人にかは」と思へど、大事と思したるに、かたじけなければ、「さらば」と聞こえけり。これをまうけたまひて、すこし御心のどめたまふ。この月の晦日方に、下るべければ、「やがてその日渡さむ」と思し構ふ。 |
と、かたらひたまひければ、"いかなるひとにかは。"とおもへど、だいじとおぼしたるに、かたじけなければ、"さらば。"ときこえけり。これをまうけたまひて、すこしみこころのどめたまふ。このつきのつごもりがたに、くだるべければ、"やがてそのひわたさん。"とおぼしかまふ。 |
51 | 5.3.13 | 518 | 485 |
「かくなむ思ふ。ゆめゆめ」 |
"かくなんおもふ。ゆめゆめ。" |
51 | 5.3.14 | 519 | 486 |
と言ひやりたまひつつ、おはしまさむことは、いとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母のいとさかしければ、難かるべきよしを聞こゆ。 |
といひやりたまひつつ、おはしまさんことは、いとわりなくあるうちにも、ここにも、めのとのいとさかしければ、かたかるべきよしをきこゆ。 |
51 | 5.4 | 520 | 487 | 第四段 浮舟の母、京から宇治に来る |
51 | 5.4.1 | 521 | 488 |
大将殿は、卯月の十日となむ定めたまへりける。「誘ふ水あらば」とは思はず、いとあやしく、「いかにしなすべき身にかあらむ」と浮きたる心地のみすれば、「母の御もとにしばし渡りて、思ひめぐらすほどあらむ」と思せど、少将の妻、子産むべきほど近くなりぬとて、修法、読経など、隙なく騒げば、石山にもえ出で立つまじ、母ぞこち渡りたまへる。乳母出で来て、 |
だいしゃうどのは、うづきのとをかとなんさだめたまへりける。"さそふみづあらば。"とはおもはず、いとあやしく、"いかにしなすべきみにかあらん。"とうきたるここちのみすれば、"ははのおほんもとにしばしわたりて、おもひめぐらすほどあらん。"とおぼせど、せうしゃうのめ、こうむべきほどちかくなりぬとて、すほふ、どきゃうなど、ひまなくさわげば、いしやまにもえいでたつまじ、ははぞこちわたりたまへる。めのといできて、 |
51 | 5.4.2 | 522 | 489 |
「殿より、人びとの装束なども、こまかに思しやりてなむ。いかできよげに何ごとも、と思うたまふれど、乳母が心一つには、あやしくのみぞし出ではべらむかし」 |
"とのより、ひとびとのさうぞくなども、こまかにおぼしやりてなん。いかできよげになにごとも、とおもうたまふれど、ままがこころひとつには、あやしくのみぞしいではべらんかし。" |
51 | 5.4.3 | 523 | 490 |
など言ひ騒ぐが、心地よげなるを見たまふにも、君は、 |
などいひさわぐが、ここちよげなるをみたまふにも、きみは、 |
51 | 5.4.4 | 524 | 491 |
「けしからぬことどもの出で来て、人笑へならば、誰れも誰れもいかに思はむ。あやにくにのたまふ人、はた、八重立つ山に籠もるとも、かならず尋ねて、我も人もいたづらになりぬべし。なほ、心やすく隠れなむことを思へと、今日ものたまへるを、いかにせむ」 |
"けしからぬことどものいできて、ひとわらへならば、たれもたれもいかにおもはん。あやにくにのたまふひと、はた、やへたつやまにこもるとも、かならずたづねて、われもひともいたづらになりぬべし。なほ、こころやすくかくれなんことをおもへと、けふものたまへるを、いかにせん。" |
51 | 5.4.5 | 525 | 492 |
と、心地悪しくて臥したまへり。 |
と、ここちあしくてふしたまへり。 |
51 | 5.4.6 | 526 | 493 |
「などか、かく例ならず、いたく青み痩せたまへる」 |
"などか、かくれいならず、いたくあをみさせたまへる。" |
51 | 5.4.7 | 527 | 494 |
と驚きたまふ。 |
とおどろきたまふ。 |
51 | 5.4.8 | 528 | 495 |
「日ごろあやしくのみなむ。はかなきものも聞こしめさず、悩ましげにせさせたまふ」 |
"ひごろあやしくのみなん。はかなきものもきこしめさず、なやましげにせさせたまふ。" |
51 | 5.4.9 | 529 | 496 |
と言へば、「あやしきことかな。もののけなどにやあらむ」と、 |
といへば、"あやしきことかな。もののけなどにやあらん。"と、 |
51 | 5.4.10 | 530 | 497 |
「いかなる御心地ぞと思へど、石山停まりたまひにきかし」 |
"いかなるみここちぞとおもへど、いしやまとまりたまひにきかし。" |
51 | 5.4.11 | 531 | 498 |
と言ふも、かたはらいたければ、伏目なり。 |
といふも、かたはらいたければ、ふしめなり。 |
51 | 5.5 | 532 | 499 | 第五段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う |
51 | 5.5.1 | 533 | 500 |
暮れて月いと明かし。有明の空を思ひ出づる、「涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かな」と思ふ。母君、昔物語などして、あなたの尼君呼び出でて、故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。 |
くれてつきいとあかし。ありあけのそらをおもひいづる、"なみだのいととめがたきは、いとけしからぬこころかな。"とおもふ。ははぎみ、むかしものがちなどして、あなたのあまぎみよびいでて、こひめぎみのおほんありさま、こころふかくおはして、さるべきこともおぼしいれたりしほどに、めにみすみすきえいりたまひにしことなどかたる。 |
51 | 5.5.2 | 534 | 501 |
「おはしまさましかば、宮の上などのやうに、聞こえ通ひたまひて、心細かりし御ありさまどもの、いとこよなき御幸ひにぞはべらましかし」 |
"おはしまさましかば、みやのうへなどのやうに、きこえかよひたまひて、こころぼそかりしおほんありさまどもの、いとこよなきおほんさいはひにぞはべらましかし。" |
51 | 5.5.3 | 535 | 502 |
と言ふにも、「わが娘は異人かは。思ふやうなる宿世のおはし果てば、劣らじを」など思ひ続けて、 |
といふにも、"わがむすめはことびとかは。おもふやうなるすくせのおはしはてば、おとらじを。"などおもひつづけて、 |
51 | 5.5.4 | 536 | 503 |
「世とともに、この君につけては、ものをのみ思ひ乱れしけしきの、すこしうちゆるびて、かくて渡りたまひぬべかめれば、ここに参り来ること、かならずしもことさらには、え思ひ立ちはべらじ。かかる対面の折々に、昔のことも、心のどかに聞こえ承らまほしけれ」 |
"よとともに、このきみにつけては、ものをのみおもひみだれしけしきの、すこしうちゆるびて、かくてわたりたまひぬべかめれば、ここにまゐりくること、かならずしもことさらには、えおもひたちはべらじ。かかるたいめんのをりをりに、むかしのことも、こころのどかにきこえうけたまはらまほしけれ。" |
51 | 5.5.5 | 537 | 504 |
など語らふ。 |
などかたらふ。 |
51 | 5.5.6 | 538 | 505 |
「ゆゆしき身とのみ思うたまへしみにしかば、こまやかに見えたてまつり聞こえさせむも、何かは、つつましくて過ぐしはべりつるを、うち捨てて、渡らせたまひなば、いと心細くなむはべるべけれど、かかる御住まひは、心もとなくのみ見たてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、かく尋ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじと聞こえおきはべりにし、浮きたることにやは、はべりける」 |
"ゆゆしきみとのみおもうたまへしみにしかば、こまやかにみえたてまつりきこえさせんも、なにかは、つつましくてすぐしはべりつるを、うちすてて、わたらせたまひなば、いとこころぼそくなんはべるべけれど、かかるおほんすまひは、こころもとなくのみみたてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。よにしらずおもおもしくおはしますべかめるとののおほんありさまにて、かくたづねきこえさせたまひしも、おぼろけならじときこえおきはべりにし、うきたることにやは、はべりける。" |
51 | 5.5.7 | 539 | 506 |
など言ふ。 |
などいふ。 |
51 | 5.5.8 | 540 | 507 |
「後は知らねど、ただ今は、かく思し離れぬさまにのたまふにつけても、ただ御しるべをなむ思ひ出できこゆる。宮の上の、かたじけなくあはれに思したりしも、つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、中空に所狭き御身なり、と思ひ嘆きはべりて」 |
"のちはしらねど、ただいまは、かくおぼしはなれぬさまにのたまふにつけても、ただおほんしるべをなんおもひいできこゆる。みやのうへの、かたじけなくあはれにおぼしたりしも、つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、なかぞらにところせきおほんみなり、とおもひなげきはべりて。" |
51 | 5.5.9 | 541 | 508 |
と言ふ。尼君うち笑ひて、 |
といふ。あまぎみうちわらひて、 |
51 | 5.5.10 | 542 | 509 |
「この宮の、いと騒がしきまで色におはしますなれば、心ばせあらむ若き人、さぶらひにくげになむ。おほかたは、いとめでたき御ありさまなれど、さる筋のことにて、上のなめしと思さむなむわりなきと、大輔が娘の語りはべりし」 |
"このみやの、いとさわがしきまでいろにおはしますなれば、こころばせあらんわかきひと、さぶらひにくげになん。おほかたは、いとめでたきおほんありさまなれど、さるすぢのことにて、うへのなめしとおぼさんなんわりなきと、たいふがむすめのかたりはべりし。" |
51 | 5.5.11 | 543 | 510 |
と言ふにも、「さりや、まして」と、君は聞き臥したまへり。 |
といふにも、"さりや、まして。"と、きみはききふしたまへり。 |
51 | 5.6 | 544 | 511 | 第六段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う |
51 | 5.6.1 | 545 | 512 |
「あな、むくつけや。帝の御女を持ちたてまつりたまへる人なれど、よそよそにて、悪しくも善くもあらむは、いかがはせむと、おほけなく思ひなしはべる。よからぬことをひき出でたまへらましかば、すべて身には悲しくいみじと思ひきこゆとも、また見たてまつらざらまし」 |
"あな、むくつけや。みかどのおほんむすめをもちたてまつりたまへるひとなれど、よそよそにて、あしくもよくもあらんは、いかがはせんと、おほけなくおもひなしはべる。よからぬことをひきいでたまへらましかば、すべてみにはかなしくいみじとおもひきこゆとも、またみたてまつらざらまし。" |
51 | 5.6.2 | 546 | 513 |
など、言ひ交はすことどもに、いとど心肝もつぶれぬ。「なほ、わが身を失ひてばや。つひに聞きにくきことは出で来なむ」と思ひ続くるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを、 |
など、いひかはすことどもに、いとどこころぎももつぶれぬ。"なほ、わがみをうしなひてばや。つひにききにくきことはいできなん。"とおもひつづくるに、このみづのおとのおそろしげにひびきてゆくを、 |
51 | 5.6.3 | 547 | 514 |
「かからぬ流れもありかし。世に似ず荒ましき所に、年月を過ぐしたまふを、あはれと思しぬべきわざになむ」 |
"かからぬながれもありかし。よににずあらましきところに、としつきをすぐしたまふを、あはれとおぼしぬべきわざになん。" |
51 | 5.6.4 | 548 | 515 |
など、母君したり顔に言ひゐたり。昔よりこの川の早く恐ろしきことを言ひて、 |
など、ははぎみしたりがほにいひゐたり。むかしよりこのかはのはやくおそろしきことをいひて、 |
51 | 5.6.5 | 549 | 516 |
「先つころ渡守が孫の童、棹さし外して落ち入りはべりにける。すべていたづらになる人多かる水にはべり」 |
"さいつころわたしもりがまごのわらは、さをさしはづしておちいりはべりにける。すべていたづらになるひとおほかるみづにはべり。" |
51 | 5.6.6 | 550 | 517 |
と、人びとも言ひあへり。君は、 |
と、ひとびともいひあへり。きみは、 |
51 | 5.6.7 | 551 | 518 |
「さても、わが身行方も知らずなりなば、誰れも誰れも、あへなくいみじと、しばしこそ思うたまはめ。ながらへて人笑へに憂きこともあらむは、いつかそのもの思ひの絶えむとする」 |
"さても、わがみゆくへもしらずなりなば、たれもたれも、あへなくいみじと、しばしこそおもうたまはめ。ながらへてひとわらへにうきこともあらんは、いつかそのものおもひのたえんとする。" |
51 | 5.6.8 | 552 | 519 |
と、思ひかくるには、障りどころもあるまじく、さはやかによろづ思ひなさるれど、うち返しいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、寝たるやうにてつくづくと思ひ乱る。 |
と、おもひかくるには、さはりどころもあるまじく、さはやかによろづおもひなさるれど、うちかへしいとかなし。おやのよろづにおもひいふありさまを、ねたるやうにてつくづくとおもひみだる。 |
51 | 5.7 | 553 | 520 | 第七段 浮舟の母、帰京す |
51 | 5.7.1 | 554 | 521 |
悩ましげにて痩せたまへるを、乳母にも言ひて、 |
なやましげにてやせたまへるを、めのとにもいひて、 |
51 | 5.7.2 | 555 | 522 |
「さるべき御祈りなどせさせたまへ。祭祓などもすべきやう」 |
"さるべきおほんいのりなどせさせたまへ。まつりはらへなどもすべきやう。" |
51 | 5.7.3 | 556 | 523 |
など言ふ。御手洗川に禊せまほしげなるを、かくも知らでよろづに言ひ騒ぐ。 |
などいふ。みたらしがはにみそぎせまほしげなるを、かくもしらでよろづにいひさわぐ。 |
51 | 5.7.4 | 557 | 524 |
「人少ななめり。よくさるべからむあたりを訪ねて。今参りはとどめたまへ。やむごとなき御仲らひは、正身こそ、何事もおいらかに思さめ、好からぬ仲となりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。隠し密めて、さる心したまへ」 |
"ひとずくななめり。よくさるべからんあたりをたづねて。いままゐりはとどめたまへ。やんごとなきおほんなからひは、さうじみこそ、なにごともおいらかにおぼさめ、よからぬなかとなりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。かくしひそめて、さるこころしたまへ。" |
51 | 5.7.5 | 558 | 525 |
など、思ひいたらぬことなく言ひおきて、 |
など、おもひいたらぬことなくいひおきて、 |
51 | 5.7.6 | 559 | 526 |
「かしこにわづらひはべる人も、おぼつかなし」 |
"かしこにわづらひはべるひとも、おぼつかなし。" |
51 | 5.7.7 | 560 | 527 |
とて帰るを、いともの思はしく、よろづ心細ければ、「またあひ見でもこそ、ともかくもなれ」と思へば、 |
とてかへるを、いとものおもはしく、よろづこころぼそければ、"またあひみでもこそ、ともかくもなれ。"とおもへば、 |
51 | 5.7.8 | 561 | 528 |
「心地の悪しくはべるにも、見たてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしも参り来まほしくこそ」 |
"ここちのあしくはべるにも、みたてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしもまゐりこまほしくこそ。" |
51 | 5.7.9 | 562 | 529 |
と慕ふ。 |
としたふ。 |
51 | 5.7.10 | 563 | 530 |
「さなむ思ひはべれど、かしこもいともの騒がしくはべり。この人びとも、はかなきことなどえしやるまじく、狭くなどはべればなむ。武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを。なほなほしき身のほどは、かかる御ためこそ、いとほしくはべれ」 |
"さなんおもひはべれど、かしこもいとものさわがしくはべり。このひとびとも、はかなきことなどえしやるまじく、せばくなどはべればなん。たけふのこふにうつろひたまふとも、しのびてはまゐりきなんを。なほなほしきみのほどは、かかるおほんためこそ、いとほしくはべれ。" |
51 | 5.7.11 | 564 | 531 |
など、うち泣きつつのたまふ。 |
など、うちなきつつのたまふ。 |
51 | 6 | 565 | 532 | 第六章 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う |
51 | 6.1 | 566 | 533 | 第一段 薫と匂宮の使者同士出くわす |
51 | 6.1.1 | 567 | 534 |
殿の御文は今日もあり。悩ましと聞こえたりしを、「いかが」と、訪らひたまへり。 |
とののおほんふみはけふもあり。なやましときこえたりしを、"いかが。"と、とぶらひたまへり。 |
51 | 6.1.2 | 568 | 535 |
「みづからと思ひはべるを、わりなき障り多くてなむ。このほどの暮らしがたさこそ、なかなか苦しく」 |
"みづからとおもひはべるを、わりなきさはりおほくてなん。このほどのくらしがたさこそ、なかなかくるしく。" |
51 | 6.1.3 | 569 | 536 |
などあり。宮は、昨日の御返りもなかりしを、 |
などあり。みやは、きのふのおほんかへりもなかりしを、 |
51 | 6.1.4 | 570 | 537 |
「いかに思しただよふぞ。風のなびかむ方もうしろめたくなむ。いとどほれまさりて眺めはべる」 |
"いかにおぼしただよふぞ。かぜのなびかんかたもうしろめたくなん。いとどほれまさりてながめはべる。" |
51 | 6.1.5 | 571 | 538 |
など、これは多く書きたまへり。 |
など、これはおほくかきたまへり。 |
51 | 6.1.6 | 572 | 539 |
雨降りし日、来合ひたりし御使どもぞ、今日も来たりける。殿の御随身、かの少輔が家にて時々見る男なれば、 |
あめふりしひ、きあひたりしおほんつかひどもぞ、けふもきたりける。とののみずいじん、かのせうがいへにてときどきみるをのこなれば、 |
51 | 6.1.7 | 573 | 541 |
「真人は、何しに、ここにはたびたびは参るぞ」 |
"まうとは、なにしに、ここにはたびたびはまゐるぞ。" |
51 | 6.1.8 | 574 | 542 |
と問ふ。 |
ととふ。 |
51 | 6.1.9 | 575 | 543 |
「私に訪らふべき人のもとに参うで来るなり」 |
"わたくしにとぶらふべきひとのもとにまうでくるなり。" |
51 | 6.1.10 | 576 | 544 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 6.1.11 | 577 | 545 |
「私の人にや、艶なる文はさし取らする、けしきある真人かな。もの隠しはなぞ」 |
"わたくしのひとにや、えんなるふみはさしとらする、けしきあるまうとかな。ものかくしはなぞ。" |
51 | 6.1.12 | 578 | 546 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 6.1.13 | 579 | 547 |
「まことは、この守の君の、御文、女房にたてまつりたまふ」 |
"まことは、このかんのきみの、おほんふみ、にょうばうにたてまつりたまふ。" |
51 | 6.1.14 | 580 | 548 |
と言へば、言違ひつつあやしと思へど、ここにて定め言はむも異やうなべければ、おのおの参りぬ。 |
といへば、ことたがひつつあやしとおもへど、ここにてさだめいはんもことやうなべければ、おのおのまゐりぬ。 |
51 | 6.2 | 581 | 549 | 第二段 薫、匂宮が女からの文を読んでいるのを見る |
51 | 6.2.1 | 582 | 550 |
かどかどしき者にて、供にある童を、 |
かどかどしきものにて、ともにあるわらはを、 |
51 | 6.2.2 | 583 | 551 |
「この男に、さりげなくて目つけよ。左衛門大夫の家にや入る」 |
"このをのこに、さりげなくてめつけよ。さゑもんのたいふのいへにやいる。" |
51 | 6.2.3 | 584 | 552 |
と見せければ、 |
とみせければ、 |
51 | 6.2.4 | 585 | 553 |
「宮に参りて、式部少輔になむ、御文は取らせはべりつる」 |
"みやにまゐりて、しきぶのせうになん、おほんふみはとらせはべりつる。" |
51 | 6.2.5 | 586 | 554 |
と言ふ。さまで尋ねむものとも、劣りの下衆は思はず、ことの心をも深う知らざりければ、舎人の人に見現されにけむぞ、口惜しきや。 |
といふ。さまでたづねんものとも、おとりのげすはおもはず、ことのこころをもふかうしらざりければ、とねりのひとにみあらはされにけんぞ、くちをしきや。 |
51 | 6.2.6 | 587 | 555 |
殿に参りて、今出でたまはむとするほどに、御文たてまつらす。直衣にて、六条の院、后の宮の出でさせたまへるころなれば、参りたまふなりければ、ことことしく、御前などあまたもなし。御文参らする人に、 |
とのにまゐりて、いまいでたまはんとするほどに、おほんふみたてまつらす。なほしにて、ろくでうのゐん、きさいのみやのいでさせたまへるころなれば、まゐりたまふなりければ、ことことしく、ごぜんなどあまたもなし。おほんふみまゐらするひとに、 |
51 | 6.2.7 | 588 | 556 |
「あやしきことのはべりつる。見たまへ定めむとて、今までさぶらひつる」 |
"あやしきことのはべりつる。みたまへさだめんとて、いままでさぶらひつる。" |
51 | 6.2.8 | 589 | 557 |
と言ふを、ほの聞きたまひて、歩み出でたまふままに、 |
といふを、ほのききたまひて、あゆみいでたまふままに、 |
51 | 6.2.9 | 590 | 558 |
「何ごとぞ」 |
"なにごとぞ。" |
51 | 6.2.10 | 591 | 559 |
と問ひたまふ。この人の聞かむもつつましと思ひて、かしこまりてをり。殿もしか見知りたまひて、出でたまひぬ。 |
ととひたまふ。このひとのきかんもつつましとおもひて、かしこまりてをり。とのもしかみしりたまひて、いでたまひぬ。 |
51 | 6.2.11 | 592 | 560 |
宮、例ならず悩ましげにおはすとて、宮たちも皆参りたまへり。上達部など多く参り集ひて、騒がしけれど、ことなることもおはしまさず。 |
みや、れいならずなやましげにおはすとて、みやたちもみなまゐりたまへり。かんだちめなどおほくまゐりつどひて、さわがしけれど、ことなることもおはしまさず。 |
51 | 6.2.12 | 593 | 561 |
かの内記は、政官なれば、遅れてぞ参れる。この御文もたてまつるを、宮、台盤所におはしまして、戸口に召し寄せて取りたまふを、大将、御前の方より立ち出でたまふ、側目に見通したまひて、「せちにも思すべかめる文のけしきかな」と、をかしさに立ちとまりたまへり。 |
かのないきは、じゃうがんなれば、おくれてぞまゐれる。このおほんふみもたてまつるを、みや、だいばんどころにおはしまして、とぐちにめしよせてとりたまふを、だいしゃう、おまへのかたよりたちいでたまふ、そばめにみとほしたまひて、"せちにもおぼすべかめるふみのけしきかな。"と、をかしさにたちとまりたまへり。 |
51 | 6.2.13 | 594 | 562 |
「引き開けて見たまふ、紅の薄様に、こまやかに書きたるべし」と見ゆ。文に心入れて、とみにも向きたまはぬに、大臣も立ちて外ざまにおはすれば、この君は、障子より出でたまふとて、「大臣出でたまふ」と、うちしはぶきて、驚かいたてまつりたまふ。 |
"ひきあけてみたまふ、くれなゐのうすやうに、こまやかにかきたるべし。"とみゆ。ふみにこころいれて、とみにもむきたまはぬに、おとどもたちてとざまにおはすれば、このきみは、さうじよりいでたまふとて、"おとどいでたまふ。"と、うちしはぶきて、おどろかいたてまつりたまふ。 |
51 | 6.2.14 | 595 | 563 |
ひき隠したまへるにぞ、大臣さし覗きたまへる。驚きて御紐さしたまふ。殿つい居たまひて、 |
ひきかくしたまへるにぞ、おとどさしのぞきたまへる。おどろきておほんひもさしたまふ。とのついゐたまひて、 |
51 | 6.2.15 | 596 | 564 |
「まかではべりぬべし。御邪気の久しくおこらせたまはざりつるを、恐ろしきわざなりや。山の座主、ただ今請じに遣はさむ」 |
"まかではべりぬべし。おほんじゃけのひさしくおこらせたまはざりつるを、おそろしきわざなりや。やまのざす、ただいまさうじにつかはさん。" |
51 | 6.2.16 | 597 | 565 |
と、急がしげにて立ちたまひぬ。 |
と、いそがしげにてたちたまひぬ。 |
51 | 6.3 | 598 | 566 | 第三段 薫、随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる |
51 | 6.3.1 | 599 | 567 |
夜更けて、皆出でたまひぬ。大臣は、宮を先に立てたてまつりたまひて、あまたの御子どもの上達部、君たちをひき続けて、あなたに渡りたまひぬ。この殿は遅れて出でたまふ。 |
よふけて、みないでたまひぬ。おとどは、みやをさきにたてたてまつりたまひて、あまたのおほんこどものかんだちめ、きみたちをひきつづけて、あなたにわたりたまひぬ。このとのはおくれていでたまふ。 |
51 | 6.3.2 | 600 | 568 |
随身けしきばみつる、あやしと思しければ、御前など下りて火灯すほどに、随身召し寄す。 |
ずいじんけしきばみつる、あやしとおぼしければ、ごぜんなどおりてひともすほどに、ずいじんめしよす。 |
51 | 6.3.3 | 601 | 569 |
「申しつるは、何ごとぞ」 |
"まうしつるは、なにごとぞ。" |
51 | 6.3.4 | 602 | 570 |
と問ひたまふ。 |
ととひたまふ。 |
51 | 6.3.5 | 603 | 571 |
「今朝、かの宇治に、出雲権守時方朝臣のもとにはべる男の、紫の薄様にて、桜につけたる文を、西の妻戸に寄りて、女房に取らせはべりつる。見たまへつけて、しかしか問ひはべりつれば、言違へつつ、虚言のやうに申しはべりつるを、いかに申すぞ、とて、童べして見せはべりつれば、兵部卿宮に参りはべりて、式部少輔道定朝臣になむ、その返り事は取らせはべりける」 |
"けさ、かのうぢに、いづものごんのかみときかたのあそんのもとにはべるをとこの、むらさきのうすやうにて、さくらにつけたるふみを、にしのつまどによりて、にょうばうにとらせはべりつる。みたまへつけて、しかしかとひはべりつれば、ことたがへつつ、そらごとのやうにまうしはべりつるを、いかにまうすぞ、とて、わらはべしてみせはべりつれば、ひゃうぶきゃうのみやにまゐりはべりて、しきぶのせうみちさだのあそんになん、そのかへりごとはとらせはべりける。" |
51 | 6.3.6 | 604 | 572 |
と申す。君、あやしと思して、 |
とまうす。きみ、あやしとおぼして、 |
51 | 6.3.7 | 605 | 573 |
「その返り事は、いかやうにしてか、出だしつる」 |
"そのかへりごとは、いかやうにしてか、いだしつる。" |
51 | 6.3.8 | 606 | 574 |
「それは見たまへず。異方より出だしはべりにける。下人の申しはべりつるは、赤き色紙の、いときよらなる、となむ申しはべりつる」 |
"それはみたまへず。ことかたよりいだしはべりにける。しもびとのまうしはべりつるは、あかきしきしの、いときよらなる、となんまうしはべりつる。" |
51 | 6.3.9 | 607 | 575 |
と聞こゆ。思し合はするに、違ふことなし。さまで見せつらむを、かどかどしと思せど、人びと近ければ、詳しくものたまはず。 |
ときこゆ。おぼしあはするに、たがふことなし。さまでみせつらんを、かどかどしとおぼせど、ひとびとちかければ、くはしくものたまはず。 |
51 | 6.4 | 608 | 576 | 第四段 薫、帰邸の道中、思い乱れる |
51 | 6.4.1 | 609 | 577 |
道すがら、「なほ、いと恐ろしく、隈なくおはする宮なりや。いかなりけむついでに、さる人ありと聞きたまひけむ。いかで言ひ寄りたまひけむ。田舎びたるあたりにて、かうやうの筋の紛れは、えしもあらじ、と思ひけるこそ幼けれ。さても、知らぬあたりにこそ、さる好きごとをものたまはめ、昔より隔てなくて、あやしきまでしるべして、率てありきたてまつりし身にしも、うしろめたく思し寄るべしや」 |
みちすがら、"なほ、いとおそろしく、くまなくおはするみやなりや。いかなりけんついでに、さるひとありとききたまひけん。いかでいひよりたまひけん。ゐなかびたるあたりにて、かうやうのすぢのまぎれは、えしもあらじ、とおもひけるこそをさなけれ。さても、しらぬあたりにこそ、さるすきごとをものたまはめ、むかしよりへだてなくて、あやしきまでしるべして、ゐてありきたてまつりしみにしも、うしろめたくおぼしよるべしや。" |
51 | 6.4.2 | 610 | 578 |
と思ふに、いと心づきなし。 |
とおもふに、いとこころづきなし。 |
51 | 6.4.3 | 611 | 579 |
「対の御方の御ことを、いみじく思ひつつ、年ごろ過ぐすは、わが心の重さ、こよなかりけり。さるは、それは、今初めてさま悪しかるべきほどにもあらず。もとよりのたよりにもよれるを、ただ心のうちの隈あらむが、わがためも苦しかるべきによりこそ、思ひ憚るもをこなるわざなりけれ。 |
"たいのおほんかたのおほんことを、いみじくおもひつつ、としごろすぐすは、わがこころのおもさ、こよなかりけり。さるは、それは、いまはじめてさまあしかるべきほどにもあらず。もとよりのたよりにもよれるを、ただこころのうちのくまあらんが、わがためもくるしかるべきによりこそ、おもひはばかるもをこなるわざなりけれ。 |
51 | 6.4.4 | 612 | 580 |
このころかく悩ましくしたまひて、例よりも人しげき紛れに、いかではるばると書きやりたまふらむ。おはしやそめにけむ。いと遥かなる懸想の道なりや。あやしくて、おはし所尋ねられたまふ日もあり、と聞こえきかし。さやうのことに思し乱れて、そこはかとなく悩みたまふなるべし。昔を思し出づるにも、えおはせざりしほどの嘆き、いといとほしげなりきかし」 |
このころかくなやましくしたまひて、れいよりもひとしげきまぎれに、いかではるばるとかきやりたまふらん。おはしやそめにけん。いとはるかなるけさうのみちなりや。あやしくて、おはしどころたづねられたまふひもあり、ときこえきかし。さやうのことにおぼしみだれて、そこはかとなくなやみたまふなるべし。むかしをおぼしいづるにも、えおはせざりしほどのなげき、いといとほしげなりきかし。" |
51 | 6.4.5 | 613 | 581 |
と、つくづくと思ふに、女のいたくもの思ひたるさまなりしも、片端心得そめたまひては、よろづ思し合はするに、いと憂し。 |
と、つくづくとおもふに、をんなのいたくものおもひたるさまなりしも、かたはしこころえそめたまひては、よろづおぼしあはするに、いとうし。 |
51 | 6.4.6 | 614 | 582 |
「ありがたきものは、人の心にもあるかな。らうたげにおほどかなりとは見えながら、色めきたる方は添ひたる人ぞかし。この宮の御具にては、いとよきあはひなり」 |
"ありがたきものは、ひとのこころにもあるかな。らうたげにおほどかなりとはみえながら、いろめきたるかたはそひたるひとぞかし。このみやのおほんぐにては、いとよきあはひなり。" |
51 | 6.4.7 | 615 | 583 |
と思ひも譲りつべく、退く心地したまへど、 |
とおもひもゆづりつべく、のくここちしたまへど、 |
51 | 6.4.8 | 616 | 584 |
「やむごとなく思ひそめ始めし人ならばこそあらめ、なほさるものにて置きたらむ。今はとて見ざらむ、はた、恋しかるべし」 |
"やんごとなくおもひそめはじめしひとならばこそあらめ、なほさるものにておきたらん。いまはとてみざらん、はた、こひしかるべし。" |
51 | 6.4.9 | 617 | 585 |
と人悪ろく、いろいろ心の内に思す。 |
とひとわろく、いろいろこころのうちにおぼす。 |
51 | 6.5 | 618 | 586 | 第五段 薫、宇治へ随身を遣わす |
51 | 6.5.1 | 619 | 587 |
「我、すさまじく思ひなりて、捨て置きたらば、かならず、かの宮、呼び取りたまひてむ。人のため、後のいとほしさをも、ことにたどりたまふまじ。さやうに思す人こそ、一品宮の御方に人、二、三人参らせたまひたなれ。さて、出で立ちたらむを見聞かむ、いとほしく」 |
"われ、すさまじくおもひなりて、すておきたらば、かならず、かのみや、よびとりたまひてん。ひとのため、のちのいとほしさをも、ことにたどりたまふまじ。さやうにおぼすひとこそ、いっぽんのみやのおほんかたにひと、に、さんにんまゐらせたまひたなれ。さて、いでたちたらんをみきかん、いとほしく。" |
51 | 6.5.2 | 620 | 588 |
など、なほ捨てがたく、けしき見まほしくて、御文遣はす。例の随身召して、御手づから人間に召し寄せたり。 |
など、なほすてがたく、けしきみまほしくて、おほんふみつかはす。れいのずいじんめして、おほんてづからひとまにめしよせたり。 |
51 | 6.5.3 | 621 | 589 |
「道定朝臣は、なほ仲信が家にや通ふ」 |
"みちさだのあそんは、なほなかのぶがいへにやかよふ。" |
51 | 6.5.4 | 622 | 590 |
「さなむはべる」と申す。 |
"さなんはべる。"とまうす。 |
51 | 6.5.5 | 623 | 591 |
「宇治へは、常にやこのありけむ男は遣るらむ。かすかにて居たる人なれば、道定も思ひかくらむかし」 |
"うぢへは、つねにやこのありけんをのこはやるらん。かすかにてゐたるひとなれば、みちさだもおもひかくらんかし。" |
51 | 6.5.6 | 624 | 592 |
と、うちうめきたまひて、 |
と、うちうめきたまひて、 |
51 | 6.5.7 | 625 | 593 |
「人に見えでをまかれ。をこなり」 |
"ひとにみえでをまかれ。をこなり。" |
51 | 6.5.8 | 626 | 594 |
とのたまふ。かしこまりて、少輔が常にこの殿の御こと案内し、かしこのこと問ひしも思ひあはすれど、もの馴れてえ申し出でず。君も、「下衆に詳しくは知らせじ」と思せば、問はせたまはず。 |
とのたまふ。かしこまりて、せうふがつねにこのとののおほんことあないし、かしこのこととひしもおもひあはすれど、ものなれてえまうしいでず。きみも、"げすにくはしくはしらせじ。"とおぼせば、とはせたまはず。 |
51 | 6.5.9 | 627 | 595 |
かしこには、御使の例よりしげきにつけても、もの思ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。 |
かしこには、おほんつかひのれいよりしげきにつけても、ものおもふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。 |
51 | 6.5.10 | 628 | 596 |
「波越ゆるころとも知らず末の松<BR/>待つらむとのみ思ひけるかな |
"〔なみこゆるころともしらずすゑのまつ<BR/>まつらんとのみおもひけるかな |
51 | 6.5.11 | 629 | 597 |
人に笑はせたまふな」 |
ひとにわらはせたまふな。" |
51 | 6.5.12 | 630 | 598 |
とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ。御返り事を心得顔に聞こえむもいとつつまし、ひがことにてあらむもあやしければ、御文はもとのやうにして、 |
とあるを、いとあやしとおもふに、むねふたがりぬ。おほんかへりごとをこころえがほにきこえんもいとつつまし、ひがことにてあらんもあやしければ、おほんふみはもとのやうにして、 |
51 | 6.5.13 | 631 | 599 |
「所違へのやうに見えはべればなむ。あやしく悩ましくて、何事も」 |
"ところたがへのやうにみえはべればなん。あやしくなやましくて、なにごとも。" |
51 | 6.5.14 | 632 | 600 |
と書き添へてたてまつれつ。見たまひて、 |
とかきそへてたてまつれつ。みたまひて、 |
51 | 6.5.15 | 633 | 601 |
「さすがに、いたくもしたるかな。かけて見およばぬ心ばへよ」 |
"さすがに、いたくもしたるかな。かけてみおよばぬこころばへよ。" |
51 | 6.5.16 | 634 | 602 |
とほほ笑まれたまふも、憎しとは、え思し果てぬなめり。 |
とほほゑまれたまふも、にくしとは、えおぼしはてぬなめり。 |
51 | 6.6 | 635 | 603 | 第六段 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る |
51 | 6.6.1 | 636 | 604 |
まほならねど、ほのめかしたまへるけしきを、かしこにはいとど思ひ添ふ。「つひにわが身は、けしからずあやしくなりぬべきなめり」と、いとど思ふところに、右近来て、 |
まほならねど、ほのめかしたまへるけしきを、かしこにはいとどおもひそふ。"つひにわがみは、けしからずあやしくなりぬべきなめり。"と、いとどおもふところに、うこんきて、 |
51 | 6.6.2 | 637 | 605 |
「殿の御文は、などて返したてまつらせたまひつるぞ。ゆゆしく、忌みはべるなるものを」 |
"とののおほんふみは、などてかへしたてまつらせたまひつるぞ。ゆゆしく、いみはべるなるものを。" |
51 | 6.6.3 | 638 | 606 |
「ひがことのあるやうに見えつれば、所違へかとて」 |
"ひがことのあるやうにみえつれば、ところたがへかとて。" |
51 | 6.6.4 | 639 | 607 |
とのたまふ。あやしと見ければ、道にて開けて見けるなりけり。よからずの右近がさまやな。見つとは言はで、 |
とのたまふ。あやしとみければ、みちにてあけてみけるなりけり。よからずのうこんがさまやな。みつとはいはで、 |
51 | 6.6.5 | 640 | 608 |
「あな、いとほし。苦しき御ことどもにこそはべれ。殿はもののけしき御覧じたるべし」 |
"あな、いとほし。くるしきおほんことどもにこそはべれ。とのはもののけしきごらんじたるべし。" |
51 | 6.6.6 | 641 | 609 |
と言ふに、面さと赤みて、ものものたまはず。文見つらむと思はねば、「異ざまにて、かの御けしき見る人の語りたるにこそは」と思ふに、 |
といふに、おもてさとあかみて、ものものたまはず。ふみみつらんとおもはねば、"ことざまにて、かのみけしきみるひとのかたりたるにこそは。"とおもふに、 |
51 | 6.6.7 | 642 | 610 |
「誰れか、さ言ふぞ」 |
"たれか、さいふぞ。" |
51 | 6.6.8 | 643 | 611 |
などもえ問ひたまはず。この人びとの見思ふらむことも、いみじく恥づかし。わが心もてありそめしことならねども、「心憂き宿世かな」と思ひ入りて寝たるに、侍従と二人して、 |
などもえとひたまはず。このひとびとのみおもふらんことも、いみじくはづかし。わがこころもてありそめしことならねども、"こころうきすくせかな。"とおもひいりてねたるに、じじゅうとふたりして、 |
51 | 6.6.9 | 644 | 612 |
「右近が姉の、常陸にて、人二人見はべりしを、ほどほどにつけては、ただかくぞかし。これもかれも劣らぬ心ざしにて、思ひ惑ひてはべりしほどに、女は、今の方にいますこし心寄せまさりてぞはべりける。それに妬みて、つひに今のをば殺してしぞかし。 |
"うこんがあねの、ひたちにて、ひとふたりみはべりしを、ほどほどにつけては、ただかくぞかし。これもかれもおとらぬこころざしにて、おもひまどひてはべりしほどに、をんなは、いまのかたにいますこしここよせまさりてぞはべりける。それにねたみて、つひにいまのをばころしてしぞかし。 |
51 | 6.6.10 | 645 | 613 |
さて我も住みはべらずなりにき。国にも、いみじきあたら兵一人失ひつ。また、この過ちたるも、よき郎等なれど、かかる過ちしたる者を、いかでかは使はむ、とて、国の内をも追ひ払はれ、すべて女のたいだいしきぞとて、館の内にも置いたまへらざりしかば、東の人になりて、乳母も、今に恋ひ泣きはべるは、罪深くこそ見たまふれ。 |
さてわれもすみはべらずなりにき。くににも、いみじきあたらつはものひとりうしなひつ。また、このあやまちたるも、よきらうどうなれど、かかるあやまちしたるものを、いかでかはつかはん、とて、くにのうちをもおひはらはれ、すべてをんなのたいだいしきぞとて、たちのうちにもおいたまへらざりしかば、あづまのひとになりて、ままも、いまにこひなきはべるは、つみふかくこそみたまふれ。 |
51 | 6.6.11 | 646 | 614 |
ゆゆしきついでのやうにはべれど、上も下も、かかる筋のことは、思し乱るるは、いと悪しきわざなり。御命まだにはあらずとも、人の御ほどほどにつけてはべることなり。死ぬるにまさる恥なることも、よき人の御身には、なかなかはべるなり。一方に思し定めてよ。 |
ゆゆしきついでのやうにはべれど、かみもしもも、かかるすぢのことは、おぼしみだるるは、いとあしきわざなり。おほんいのちまだにはあらずとも、ひとのおほんほどほどにつけてはべることなり。しぬるにまさるはぢなることも、よきひとのおほんみには、なかなかはべるなり。ひとかたにおぼしさだめてよ。 |
51 | 6.6.12 | 647 | 615 |
宮も御心ざしまさりて、まめやかにだに聞こえさせたまはば、そなたざまにもなびかせたまひて、ものないたく嘆かせたまひそ。痩せ衰へさせたまふもいと益なし。さばかり上の思ひいたづききこえさせたまふものを、乳母がこの御いそぎに心を入れて、惑ひゐてはべるにつけても、それよりこなたに、と聞こえさせたまふ御ことこそ、いと苦しく、いとほしけれ」 |
みやもみこころざしまさりて、まめやかにだにきこえさせたまはば、そなたざまにもなびかせたまひて、ものないたくなげかせたまひそ。やせおとろへさせたまふもいとやくなし。さばかりうへのおもひいたづききこえさせたまふものを、ままがこのおほんいそぎにこころをいれて、まどひゐてはべるにつけても、それよりこなたに、ときこえさせたまふおほんことこそ、いとくるしく、いとほしけれ。" |
51 | 6.6.13 | 648 | 616 |
と言ふに、いま一人、 |
といふに、いまひとり、 |
51 | 6.6.14 | 649 | 617 |
「うたて、恐ろしきまでな聞こえさせたまひそ。何ごとも御宿世にこそあらめ。ただ御心のうちに、すこし思しなびかむ方を、さるべきに思しならせたまへ。いでや、いとかたじけなく、いみじき御けしきなりしかば、人のかく思しいそぐめりし方にも御心も寄らず。しばしは隠ろへても、御思ひのまさらせたまはむに寄らせたまひね、とぞ思ひえはべる」 |
"うたて、おそろしきまでなきこえさせたまひそ。なにごともおほんすくせにこそあらめ。ただみこころのうちに、すこしおぼしなびかんかたを、さるべきにおぼしならせたまへ。いでや、いとかたじけなく、いみじきみけしきなりしかば、ひとのかくおぼしいそぐめりしかたにもみこころもよらず。しばしはかくろへても、おほんおもひのまさらせたまはんによらせたまひね、とぞおもひえはべる。" |
51 | 6.6.15 | 650 | 618 |
と、宮をいみじくめできこゆる心なれば、ひたみちに言ふ。 |
と、みやをいみじくめできこゆるこころなれば、ひたみちにいふ。 |
51 | 6.7 | 651 | 619 | 第七段 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う |
51 | 6.7.1 | 652 | 620 |
「いさや。右近は、とてもかくても、事なく過ぐさせたまへと、初瀬、石山などに願をなむ立てはべる。この大将殿の御荘の人びとといふ者は、いみじき無道の者どもにて、一類この里に満ちてはべるなり。おほかた、この山城、大和に、殿の領じたまふ所々の人なむ、皆この内舎人といふ者のゆかりかけつつはべるなる。 |
"いさや。うこんは、とてもかくても、ことなくすぐさせたまへと、はつせ、いしやまなどにがんをなんたてはべる。このだいしゃうどののみさうのひとびとといふものは、いみじきぶたうのものどもにて、ひとるいこのさとにみちてはべるなり。おほかた、このやましろ、やまとに、とののりゃうじたまふところどころのひとなん、みなこのうどねりといふもののゆかりかけつつはべるなる。 |
51 | 6.7.2 | 653 | 621 |
それが婿の右近大夫といふ者を元として、よろづのことをおきて仰せられたるななり。よき人の御仲どちは、情けなきことし出でよ、と思さずとも、ものの心得ぬ田舎人どもの、宿直人にて替り替りさぶらへば、おのが番に当りて、いささかなることもあらせじなど、過ちもしはべりなむ。 |
それがむこのうこんのたいふといふものをもととして、よろづのことをおきておほせられたるななり。よきひとのおほんなかどちは、なさけなきことしいでよ、とおぼさずとも、もののこころえぬゐなかびとどもの、とのゐびとにてかはりがはりさぶらへば、おのがばんにあたりて、いささかなることもあらせじなど、あやまちもしはべりなん。 |
51 | 6.7.3 | 654 | 622 |
ありし夜の御ありきは、いとこそむくつけく思うたまへられしか。宮は、わりなくつつませたまふとて、御供の人も率ておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さる者の見つけたてまつりたらむは、いといみじくなむ」 |
ありしよのおほんありきは、いとこそむくつけくおもうたまへられしか。みやは、わりなくつつませたまふとて、おほんとものひともゐておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さるもののみつけたてまつりたらんは、いといみじくなん。" |
51 | 6.7.4 | 655 | 623 |
と、言ひ続くるを、君、「なほ、我を、宮に心寄せたてまつりたると思ひて、この人びとの言ふ。いと恥づかしく、心地にはいづれとも思はず。ただ夢のやうにあきれて、いみじく焦られたまふをば、などかくしも、とばかり思へど、頼みきこえて年ごろになりぬる人を、今はともて離れむと思はぬによりこそ、かくいみじとものも思ひ乱るれ。げに、よからぬことも出で来たらむ時」と、つくづくと思ひゐたり。 |
と、いひつづくるを、きみ、"なほ、われを、みやにこころよせたてまつりたるとおもひて、このひとびとのいふ。いとはづかしく、ここちにはいづれともおもはず。ただゆめのやうにあきれて、いみじくいられたまふをば、などかくしも、とばかりおもへど、たのみきこえてとしごろになりぬるひとを、いまはともてはなれんとおもはぬによりこそ、かくいみじとものもおもひみだるれ。げに、よからぬこともいできたらんとき。"と、つくづくとおもひゐたり。 |
51 | 6.7.5 | 656 | 624 |
「まろは、いかで死なばや。世づかず心憂かりける身かな。かく、憂きことあるためしは、下衆などの中にだに多くやはあなる」 |
"まろは、いかでしなばや。よづかずこころうかりけるみかな。かく、うきことあるためしは、げすなどのなかにだにおほくやはあなる。" |
51 | 6.7.6 | 657 | 625 |
とて、うつぶし臥したまへば、 |
とて、うつぶしふしたまへば、 |
51 | 6.7.7 | 658 | 626 |
「かくな思し召しそ。やすらかに思しなせ、とてこそ聞こえさせはべれ。思しぬべきことをも、さらぬ顔にのみ、のどかに見えさせたまへるを、この御事ののち、いみじく心焦られをせさせたまへば、いとあやしくなむ見たてまつる」 |
"かくなおぼしめしそ。やすらかにおぼしなせ、とてこそきこえさせはべれ。おぼしぬべきことをも、さらぬかほにのみ、のどかにみえさせたまへるを、このおほんことののち、いみじくこころいられをせさせたまへば、いとあやしくなんみたてまつる。" |
51 | 6.7.8 | 659 | 627 |
と、心知りたる限りは、皆かく思ひ乱れ騒ぐに、乳母、おのが心をやりて、物染めいとなみゐたり。今参り童などのめやすきを呼び取りつつ、 |
と、こころしりたるかぎりは、みなかくおもひみだれさわぐに、めのと、おのがこころをやりて、ものぞめいとなみゐたり。いままゐりわらはなどのめやすきをよびとりつつ、 |
51 | 6.7.9 | 660 | 628 |
「かかる人御覧ぜよ。あやしくてのみ臥させたまへるは、もののけなどの、妨げきこえさせむとするにこそ」と嘆く。 |
"かかるひとごらんぜよ。あやしくてのみふさせたまへるは、もののけなどの、さまたげきこえさせんとするにこそ。"となげく。 |
51 | 7 | 661 | 629 | 第七章 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す |
51 | 7.1 | 662 | 630 | 第一段 内舎人、薫の伝言を右近に伝える |
51 | 7.1.1 | 663 | 631 |
殿よりは、かのありし返り事をだにのたまはで、日ごろ経ぬ。この脅しし内舎人といふ者ぞ来たる。げに、いと荒々しく、ふつつかなるさましたる翁の、声かれ、さすがにけしきある、 |
とのよりは、かのありしかへりごとをだにのたまはで、ひごろへぬ。このおどししうどねりといふものぞきたる。げに、いとあらあらしく、ふつつかなるさましたるおきなの、こゑかれ、さすがにけしきある、 |
51 | 7.1.2 | 664 | 632 |
「女房に、ものとり申さむ」 |
"にょうばうに、ものとりまうさん。" |
51 | 7.1.3 | 665 | 633 |
と言はせたれば、右近しも会ひたり。 |
といはせたれば、うこんしもあひたり。 |
51 | 7.1.4 | 666 | 634 |
「殿に召しはべりしかば、今朝参りはべりて、ただ今なむ、まかり帰りはんべりつる。雑事ども仰せられつるついでに、かくておはしますほどに、夜中、暁のことも、なにがしらかくてさぶらふ、と思ほして、宿直人わざとさしたてまつらせたまふこともなきを、このころ聞こしめせば、 |
"とのにめしはべりしかば、けさまゐりはべりて、ただいまなん、まかりかへりはんべりつる。ざふじどもおほせられつるついでに、かくておはしますほどに、よなか、あかつきのことも、なにがしらかくてさぶらふ、とおもほして、とのゐびとわざとさしたてまつらせたまふこともなきを、このころきこしめせば、 |
51 | 7.1.5 | 667 | 635 |
『女房の御もとに、知らぬ所の人通ふやうになむ聞こし召すことある。たいだいしきことなり。宿直にさぶらふ者どもは、その案内聞きたらむ。知らでは、いかがさぶらふべき』 |
'にょうばうのおほんもとに、しらぬところのひとかよふやうになんきこしめすことある。たいだいしきことなり。とのゐにさぶらふものどもは、そのあないききたらん。しらでは、いかがさぶらふべき。' |
51 | 7.1.6 | 668 | 636 |
と問はせたまひつるに、承らぬことなれば、 |
ととはせたまひつるに、うけたまはらぬことなれば、 |
51 | 7.1.7 | 669 | 637 |
『なにがしは身の病重くはべりて、宿直仕うまつることは、月ごろおこたりてはべれば、案内もえ知りはんべらず。さるべき男どもは、解怠なく催しさぶらはせはべるを、さのごとき非常のことのさぶらはむをば、いかでか承らぬやうははべらむ』 |
'なにがしはみのやまひおもくはべりて、とのゐつかうまつることは、つきごろおこたりてはべれば、あないもえしりはんべらず。さるべきをのこどもは、けたいなくもよほしさぶらはせはべるを、さのごときひじゃうのことのさぶらはんをば、いかでかうけたまはらぬやうははべらん。' |
51 | 7.1.8 | 670 | 638 |
となむ申させはべりつる。用意してさぶらへ。便なきこともあらば、重く勘当せしめたまふべきよしなむ、仰せ言はべりつれば、いかなる仰せ言にかと、恐れ申しはんべる」 |
となんまうさせはべりつる。よういしてさぶらへ。びんなきこともあらば、おもくかんだうせしめたまふべきよしなん、おほせごとはべりつれば、いかなるおほせごとにかと、おそれまうしはんべる。" |
51 | 7.1.9 | 671 | 639 |
と言ふを聞くに、梟の鳴かむよりも、いともの恐ろし。いらへもやらで、 |
といふをきくに、ふくろふのなかんよりも、いとものおそろし。いらへもやらで、 |
51 | 7.1.10 | 672 | 640 |
「さりや。聞こえさせしに違はぬことどもを聞こしめせ。もののけしき御覧じたるなめり。御消息もはべらぬよ」 |
"さりや。きこえさせしにたがはぬことどもをきこしめせ。もののけしきごらんじたるなめり。おほんせうそこもはべらぬよ。" |
51 | 7.1.11 | 673 | 641 |
と嘆く。乳母は、ほのうち聞きて、 |
となげく。めのとは、ほのうちききて、 |
51 | 7.1.12 | 674 | 642 |
「いとうれしく仰せられたり。盗人多かんなるわたりに、宿直人も初めのやうにもあらず。皆、身の代はりぞと言ひつつ、あやしき下衆をのみ参らすれば、夜行をだにえせぬに」と喜ぶ。 |
"いとうれしくおほせられたり。ぬすびとおほかんなるわたりに、とのゐびともはじめのやうにもあらず。みな、みのかはりぞといひつつ、あやしきげすをのみまゐらすれば、やぎゃうをだにえせぬに。"とよろこぶ。 |
51 | 7.2 | 675 | 643 | 第二段 浮舟、死を決意して、文を処分す |
51 | 7.2.1 | 676 | 644 |
君は、「げに、ただ今いと悪しくなりぬべき身なめり」と思すに、宮よりは、 |
きみは、"げに、ただいまいとあしくなりぬべきみなめり。"とおぼすに、みやよりは、 |
51 | 7.2.2 | 677 | 645 |
「いかに、いかに」 |
"いかに、いかに。" |
51 | 7.2.3 | 678 | 646 |
と、苔の乱るるわりなさをのたまふ、いとわづらはしくてなむ。 |
と、こけのみだるるわりなさをのたまふ、いとわづらはしくてなん。 |
51 | 7.2.4 | 679 | 647 |
「とてもかくても、一方一方につけて、いとうたてあることは出で来なむ。わが身一つの亡くなりなむのみこそめやすからめ。昔は、懸想する人のありさまの、いづれとなきに思ひわづらひてだにこそ、身を投ぐるためしもありけれ。ながらへば、かならず憂きこと見えぬべき身の、亡くならむは、なにか惜しかるべき。親もしばしこそ嘆き惑ひたまはめ、あまたの子ども扱ひに、おのづから忘草摘みてむ。ありながらもてそこなひ、人笑へなるさまにてさすらへむは、まさるもの思ひなるべし」 |
"とてもかくても、ひとかたひとかたにつけて、いとうたてあることはいできなん。わがみひとつのなくなりなんのみこそめやすからめ。むかしは、けさうするひとのありさまの、いづれとなきにおもひわづらひてだにこそ、みをなぐるためしもありけれ。ながらへば、かならずうきことみえぬべきみの、なくならんは、なにかをしかるべき。おやもしばしこそなげきまどひたまはめ、あまたのこどもあつかひに、おのづからわすれぐさつみてん。ありながらもてそこなひ、ひとわらへなるさまにてさすらへんは、まさるものおもひなるべし。" |
51 | 7.2.5 | 680 | 648 |
など思ひなる。児めきおほどかに、たをたをと見ゆれど、気高う世のありさまをも知る方すくなくて、思し立てたる人にしあれば、すこしおずかるべきことを、思ひ寄るなりけむかし。 |
などおもひなる。こめきおほどかに、たをたをとみゆれど、けだかうよのありさまをもしるかたすくなくて、おぼしたてたるひとにしあれば、すこしおずかるべきことを、おもひよるなりけんかし。 |
51 | 7.2.6 | 681 | 649 |
むつかしき反故など破りて、おどろおどろしく一度にもしたためず、灯台の火に焼き、水に投げ入れさせなど、やうやう失ふ。心知らぬ御達は、「ものへ渡りたまふべければ、つれづれなる月日を経て、はかなくし集めたまへる手習などを、破りたまふなめり」と思ふ。侍従などぞ、見つくる時は、 |
むつかしきほぐなどやりて、おどろおどろしくひとたびにもしたためず、とうだいのひにやき、みづになげいれさせなど、やうやううしなふ。こころしらぬごたちは、"ものへわたりたまふべければ、つれづれなるつきひをへて、はかなくしあつめたまへるてならひなどを、やりたまふなめり。"とおもふ。じじゅうなどぞ、みつくるときは、 |
51 | 7.2.7 | 682 | 650 |
「など、かくはせさせたまふ。あはれなる御仲に、心とどめて書き交はしたまへる文は、人にこそ見せさせたまはざらめ、ものの底に置かせたまひて御覧ずるなむ、ほどほどにつけては、いとあはれにはべる。さばかりめでたき御紙使ひ、かたじけなき御言の葉を尽くさせたまへるを、かくのみ破らせたまふ、情けなきこと」 |
"など、かくはせさせたまふ。あはれなるおほんなかに、こころとどめてかきかはしたまへるふみは、ひとにこそみせさせたまはざらめ、もののそこにおかせたまひてごらんずるなん、ほどほどにつけては、いとあはれにはべる。さばかりめでたきおほんかみつかひ、かたじけなきおほんことのはをつくさせたまへるを、かくのみやらせたまふ、なさけなきこと。" |
51 | 7.2.8 | 683 | 651 |
と言ふ。 |
といふ。 |
51 | 7.2.9 | 684 | 652 |
「何か。むつかしく。長かるまじき身にこそあめれ。落ちとどまりて、人の御ためもいとほしからむ。さかしらにこれを取りおきけるよなど、漏り聞きたまはむこそ、恥づかしけれ」 |
"なにか。むつかしく。ながかるまじきみにこそあめれ。おちとどまりて、ひとのおほんためもいとほしからん。さかしらにこれをとりおきけるよなど、もりききたまはんこそ、はづかしけれ。" |
51 | 7.2.10 | 685 | 653 |
などのたまふ。心細きことを思ひもてゆくには、またえ思ひ立つまじきわざなりけり。親をおきて亡くなる人は、いと罪深かなるものをなど、さすがに、ほの聞きたることをも思ふ。 |
などのたまふ。こころぼそきことをおもひもてゆくには、またえおもひたつまじきわざなりけり。おやをおきてなくなるひとは、いとつみふかかなるものをなど、さすがに、ほのききたることをもおもふ。 |
51 | 7.3 | 686 | 654 | 第三段 三月二十日過ぎ、浮舟、匂宮を思い泣く |
51 | 7.3.1 | 687 | 655 |
二十日あまりにもなりぬ。かの家主、二十八日に下るべし。宮は、 |
はつかあまりにもなりぬ。かのいへあるじ、にじふはちにちにくだるべし。みやは、 |
51 | 7.3.2 | 688 | 656 |
「その夜かならず迎へむ。下人などに、よくけしき見ゆまじき心づかひしたまへ。こなたざまよりは、ゆめにも聞こえあるまじ。疑ひたまふな」 |
"そのよかならずむかへん。しもびとなどに、よくけしきみゆまじきこころづかひしたまへ。こなたざまよりは、ゆめにもきこえあるまじ。うたがひたまふな。" |
51 | 7.3.3 | 689 | 657 |
などのたまふ。「さて、あるまじきさまにておはしたらむに、今一度ものをもえ聞こえず、おぼつかなくて返したてまつらむことよ。また、時の間にても、いかでかここには寄せたてまつらむとする。かひなく怨みて帰りたまはむ」さまなどを思ひやるに、例の、面影離れず、堪へず悲しくて、この御文を顔におし当てて、しばしはつつめども、いといみじく泣きたまふ。 |
などのたまふ。"さて、あるまじきさまにておはしたらんに、いまひとたびものをもえきこえず、おぼつかなくてかへしたてまつらんことよ。また、ときのまにても、いかでかここにはよせたてまつらんとする。かひなくうらみてかへりたまはん。"さまなどをおもひやるに、れいの、おもかげはなれず、たへずかなしくて、このおほんふみをかほにおしあてて、しばしはつつめども、いといみじくなきたまふ。 |
51 | 7.3.4 | 690 | 658 |
右近、 |
うこん、 |
51 | 7.3.5 | 691 | 659 |
「あが君、かかる御けしき、つひに人見たてまつりつべし。やうやう、あやしなど思ふ人はべるべかめり。かうかかづらひ思ほさで、さるべきさまに聞こえさせたまひてよ。右近はべらば、おほけなきこともたばかり出だしはべらば、かばかり小さき御身一つは、空より率てたてまつらせたまひなむ」 |
"あがきみ、かかるみけしき、つひにひとみたてまつりつべし。やうやう、あやしなどおもふひとはべるべかめり。かうかかづらひおもほさで、さるべきさまにきこえさせたまひてよ。うこんはべらば、おほけなきこともたばかりいだしはべらば、かばかりちひさきおほんみひとつは、そらよりゐてたてまつらせたまひなん。" |
51 | 7.3.6 | 692 | 660 |
と言ふ。とばかりためらひて、 |
といふ。とばかりためらひて、 |
51 | 7.3.7 | 693 | 661 |
「かくのみ言ふこそ、いと心憂けれ。さもありぬべきこと、と思ひかけばこそあらめ、あるまじきこと、と皆思ひとるに、わりなく、かくのみ頼みたるやうにのたまへば、いかなることをし出でたまはむとするにかなど、思ふにつけて、身のいと心憂きなり」 |
"かくのみいふこそ、いとこころうけれ。さもありぬべきこと、とおもひかけばこそあらめ、あるまじきこと、とみなおもひとるに、わりなく、かくのみたのみたるやうにのたまへば、いかなることをしいでたまはんとするにかなど、おもふにつけて、みのいとこころうきなり。" |
51 | 7.3.8 | 694 | 662 |
とて、返り事も聞こえたまはずなりぬ。 |
とて、かへりごともきこえたまはずなりぬ。 |
51 | 7.4 | 695 | 663 | 第四段 匂宮、宇治へ行く |
51 | 7.4.1 | 696 | 664 |
宮、「かくのみ、なほ受け引くけしきもなくて、返り事さへ絶え絶えになるは、かの人の、あるべきさまに言ひしたためて、すこし心やすかるべき方に思ひ定まりぬるなめり。ことわり」と思すものから、いと口惜しくねたく、 |
みや、"かくのみ、なほうけひくけしきもなくて、かへりごとさへたえだえになるは、かのひとの、あるべきさまにいひしたためて、すこしこころやすかるべきかたにおもひさだまりぬるなめり。ことわり。"とおぼすものから、いとくちをしくねたく、 |
51 | 7.4.2 | 697 | 665 |
「さりとも、我をばあはれと思ひたりしものを。あひ見ぬとだえに、人びとの言ひ知らする方に寄るならむかし」 |
"さりとも、われをばあはれとおもひたりしものを。あひみぬとだえに、ひとびとのいひしらするかたによるならんかし。" |
51 | 7.4.3 | 698 | 666 |
など眺めたまふに、行く方しらず、むなしき空に満ちぬる心地したまへば、例の、いみじく思し立ちておはしましぬ。 |
などながめたまふに、ゆくかたしらず、むなしきそらにみちぬるここちしたまへば、れいの、いみじくおぼしたちておはしましぬ。 |
51 | 7.4.4 | 699 | 667 |
葦垣の方を見るに、例ならず、 |
あしがきのかたをみるに、れいならず、 |
51 | 7.4.5 | 700 | 668 |
「あれは、誰そ」 |
"あれは、たそ。" |
51 | 7.4.6 | 701 | 669 |
と言ふ声々、いざとげなり。立ち退きて、心知りの男を入れたれば、それをさへ問ふ。前々のけはひにも似ず。わづらはしくて、 |
といふこゑごゑ、いざとげなり。たちのきて、こころしりのをのこをいれたれば、それをさへとふ。さきざきのけはひにもにず。わづらはしくて、 |
51 | 7.4.7 | 702 | 670 |
「京よりとみの御文あるなり」 |
"きゃうよりとみのおほんふみあるなり。" |
51 | 7.4.8 | 703 | 671 |
と言ふ。右近は徒者の名を呼びて会ひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。 |
といふ。うこんはずしゃのなをよびてあひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。 |
51 | 7.4.9 | 704 | 672 |
「さらに、今宵は不用なり。いみじくかたじけなきこと」 |
"さらに、こよひはふようなり。いみじくかたじけなきこと。" |
51 | 7.4.10 | 705 | 673 |
と言はせたり。宮、「など、かくもて離るらむ」と思すに、わりなくて、 |
といはせたり。みや、"など、かくもてはなるらん。"とおぼすに、わりなくて、 |
51 | 7.4.11 | 706 | 674 |
「まづ、時方入りて、侍従に会ひて、さるべきさまにたばかれ」 |
"まづ、ときかたいりて、じじゅうにあひて、さるべきさまにたばかれ。" |
51 | 7.4.12 | 707 | 675 |
とて遣はす。かどかどしき人にて、とかく言ひ構へて、訪ねて会ひたり。 |
とてつかはす。かどかどしきひとにて、とかくいひかまへて、たづねてあひたり。 |
51 | 7.4.13 | 708 | 676 |
「いかなるにかあらむ。かの殿ののたまはすることありとて、宿直にある者どもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。御前にも、ものをのみいみじく思しためるは、かかる御ことのかたじけなきを、思し乱るるにこそ、と心苦しくなむ見たてまつる。さらに、今宵は。人けしき見はべりなば、なかなかにいと悪しかりなむ。やがて、さも御心づかひせさせたまひつべからむ夜、ここにも人知れず思ひ構へてなむ、聞こえさすべかめる」 |
"いかなるにかあらん。かのとのののたまはすることありとて、とのゐにあるものどもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。おまへにも、ものをのみいみじくおぼしためるは、かかるおほんことのかたじけなきを、おぼしみだるるにこそ、とこころぐるしくなんみたてまつる。さらに、こよひは。ひとけしきみはべりなば、なかなかにいとあしかりなん。やがて、さもみこころづかひせさせたまひつべからんよ、ここにもひとしれずおもひかまへてなん、きこえさすべかめる。" |
51 | 7.4.14 | 709 | 677 |
乳母のいざときことなども語る。大夫、 |
めのとのいざときことなどもかたる。たいふ、 |
51 | 7.4.15 | 710 | 678 |
「おはします道のおぼろけならず、あながちなる御けしきに、あへなく聞こえさせむなむ、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともに詳しく聞こえさせたまへ」といざなふ。 |
"おはしますみちのおぼろけならず、あながちなるみけしきに、あへなくきこえさせんなん、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともにくはしくきこえさせたまへ。"といざなふ。 |
51 | 7.4.16 | 711 | 679 |
「いとわりなからむ」 |
"いとわりなからん。" |
51 | 7.4.17 | 712 | 680 |
と言ひしろふほどに、夜もいたく更けゆく。 |
といひしろふほどに、よもいたくふけゆく。 |
51 | 7.5 | 713 | 681 | 第五段 匂宮、浮舟に逢えず帰京す |
51 | 7.5.1 | 714 | 682 |
宮は、御馬にてすこし遠く立ちたまへるに、里びたる声したる犬どもの出で来てののしるも、いと恐ろしく、人少なに、いとあやしき御ありきなれば、「すずろならむものの走り出で来たらむも、いかさまに」と、さぶらふ限り心をぞ惑はしける。 |
みやは、おほんむまにてすこしとほくたちたまへるに、さとびたるこゑしたるいぬどものいできてののしるも、いとおそろしく、ひとずくなに、いとあやしきおほんありきなれば、"すずろならんもののはしりいできたらんも、いかさまに。"と、さぶらふかぎりこころをぞまどはしける。 |
51 | 7.5.2 | 715 | 684 |
「なほ、とくとく参りなむ」 |
"なほ、とくとくまゐりなん。" |
51 | 7.5.3 | 716 | 685 |
と言ひ騒がして、この侍従を率て参る。髪脇より掻い越して、様体いとをかしき人なり。馬に乗せむとすれど、さらに聞かねば、衣の裾をとりて、立ち添ひて行く。わが沓を履かせて、みづからは、供なる人のあやしき物を履きたり。 |
といひさわがして、このじじゅうをゐてまゐる。かみわきよりかいこして、やうだいいとをかしきひとなり。むまにのせんとすれど、さらにきかねば、きぬのすそをとりて、たちそひてゆく。わがくつをはかせて、みづからは、ともなるひとのあやしきものをはきたり。 |
51 | 7.5.4 | 717 | 686 |
参りて、「かくなむ」と聞こゆれば、語らひたまふべきやうだになければ、山賤の垣根のおどろ葎の蔭に、障泥といふものを敷きて降ろしたてまつる。わが御心地にも、「あやしきありさまかな。かかる道にそこなはれて、はかばかしくは、えあるまじき身なめり」と、思し続くるに、泣きたまふこと限りなし。 |
まゐりて、"かくなん。"ときこゆれば、かたらひたまふべきやうだになければ、やまがつのかきねのおどろむぐらのかげに、あふりといふものをしきておろしたてまつる。わがみここちにも、"あやしきありさまかな。かかるみちにそこなはれて、はかばかしくは、えあるまじきみなめり。"と、おぼしつづくるに、なきたまふことかぎりなし。 |
51 | 7.5.5 | 718 | 687 |
心弱き人は、ましていといみじく悲しと見たてまつる。いみじき仇を鬼につくりたりとも、おろかに見捨つまじき人の御ありさまなり。ためらひたまひて、 |
こころよわきひとは、ましていといみじくかなしとみたてまつる。いみじきあたをおににつくりたりとも、おろかにみすつまじきひとのおほんありさまなり。ためらひたまひて、 |
51 | 7.5.6 | 719 | 688 |
「ただ一言もえ聞こえさすまじきか。いかなれば、今さらにかかるぞ。なほ、人びとの言ひなしたるやうあるべし」 |
"ただひとこともえきこえさすまじきか。いかなれば、いまさらにかかるぞ。なほ、ひとびとのいひなしたるやうあるべし。" |
51 | 7.5.7 | 720 | 689 |
とのたまふ。ありさま詳しく聞こえて、 |
とのたまふ。ありさまくはしくきこえて、 |
51 | 7.5.8 | 721 | 690 |
「やがて、さ思し召さむ日を、かねては散るまじきさまに、たばからせたまへ。かくかたじけなきことどもを見たてまつりはべれば、身を捨てても思うたまへたばかりはべらむ」 |
"やがて、さおぼしめさんひを、かねてはちるまじきさまに、たばからせたまへ。かくかたじけなきことどもをみたてまつりはべれば、みをすててもおもうたまへたばかりはべらん。" |
51 | 7.5.9 | 722 | 691 |
と聞こゆ。我も人目をいみじく思せば、一方に怨みたまはむやうもなし。 |
ときこゆ。われもひとめをいみじくおぼせば、ひとかたにうらみたまはんやうもなし。 |
51 | 7.5.10 | 723 | 692 |
夜はいたく更けゆくに、このもの咎めする犬の声絶えず、人びと追ひさけなどするに、弓引き鳴らし、あやしき男どもの声どもして、 |
よはいたくふけゆくに、このものとがめするいぬのこゑたえず、ひとびとおひさけなどするに、ゆみひきならし、あやしきをのこどものこゑどもして、 |
51 | 7.5.11 | 724 | 693 |
「火危ふし」 |
"ひあやふし。" |
51 | 7.5.12 | 725 | 694 |
など言ふも、いと心あわたたしければ、帰りたまふほど、言へばさらなり。 |
などいふも、いとこころあわたたしければ、かへりたまふほど、いへばさらなり。 |
51 | 7.5.13 | 726 | 695 |
「いづくにか身をば捨てむと白雲の<BR/>かからぬ山も泣く泣くぞ行く |
"〔いづくにかみをばすてんとしらくもの<BR/>かからぬやまもなくなくぞゆく |
51 | 7.5.14 | 727 | 696 |
さらば、はや」 |
さらば、はや。" |
51 | 7.5.15 | 728 | 697 |
とて、この人を帰したまふ。御けしきなまめかしくあはれに、夜深き露にしめりたる御香の香うばしさなど、たとへむ方なし。泣く泣くぞ帰り来たる。 |
とて、このひとをかへしたまふ。みけしきなまめかしくあはれに、よぶかきつゆにしめりたるおほんかのかうばしさなど、たとへんかたなし。なくなくぞかへりきたる。 |
51 | 7.6 | 729 | 698 | 第六段 浮舟の今生の思い |
51 | 7.6.1 | 730 | 699 |
右近は、言ひ切りつるよし言ひゐたるに、君は、いよいよ思ひ乱るること多くて臥したまへるに、入り来て、ありつるさま語るに、いらへもせねど、枕のやうやう浮きぬるを、かつはいかに見るらむ、とつつまし。明朝も、あやしからむまみを思へば、無期に臥したり。ものはかなげに帯などして経読む。「親に先だちなむ罪失ひたまへ」とのみ思ふ。 |
うこんは、いひきりつるよしいひゐたるに、きみは、いよいよおもひみだるることおほくてふしたまへるに、いりきて、ありつるさまかたるに、いらへもせねど、まくらのやうやううきぬるを、かつはいかにみるらん、とつつまし。つとめても、あやしからんまみをおもへば、むごにふしたり。ものはかなげにおびなどしてきゃうよむ。"おやにさきだちなんつみうしなひたまへ。"とのみおもふ。 |
51 | 7.6.2 | 731 | 700 |
ありし絵を取り出でて見て、描きたまひし手つき、顔の匂ひなどの、向かひきこえたらむやうにおぼゆれば、昨夜、一言をだに聞こえずなりにしは、なほ今ひとへまさりて、いみじと思ふ。「かの、心のどかなるさまにて見む、と行く末遠かるべきことをのたまひわたる人も、いかが思さむ」といとほし。 |
ありしゑをとりいでてみて、かきたまひしてつき、かほのにほひなどの、むかひきこえたらんやうにおぼゆれば、よべ、ひとことをだにきこえずなりにしは、なほいまひとへまさりて、いみじとおもふ。"かの、こころのどかなるさまにてみん、とゆくすゑとほかるべきことをのたまひわたるひとも、いかがおぼさん。"といとほし。 |
51 | 7.6.3 | 732 | 701 |
憂きさまに言ひなす人もあらむこそ、思ひやり恥づかしけれど、「心浅く、けしからず人笑へならむを、聞かれたてまつらむよりは」など思ひ続けて、 |
うきさまにいひなすひともあらんこそ、おもひやりはづかしけれど、"こころあさく、けしからずひとわらへならんを、きかれたてまつらんよりは。"などおもひつづけて、 |
51 | 7.6.4 | 733 | 702 |
「嘆きわび身をば捨つとも亡き影に<BR/>憂き名流さむことをこそ思へ」 |
"〔なげきわびみをばすつともなきかげに<BR/>うきなながさんことをこそおもへ〕 |
51 | 7.6.5 | 734 | 703 |
親もいと恋しく、例は、ことに思ひ出でぬ弟妹の醜やかなるも、恋し。宮の上を思ひ出できこゆるにも、すべて今一度ゆかしき人多かり。人は皆、おのおの物染めいそぎ、何やかやと言へど、耳にも入らず、夜となれば、人に見つけられず、出でて行くべき方を思ひまうけつつ、寝られぬままに、心地も悪しく、皆違ひにたり。明けたてば、川の方を見やりつつ、羊の歩みよりもほどなき心地す。 |
おやもいとこひしく、れいは、ことにおもひいでぬはらからのみにくやかなるも、こひし。みやのうへをおもひいできこゆるにも、すべていまひとたびゆかしきひとおほかり。ひとはみな、おのおのものぞめいそぎ、なにやかやといへど、みみにもいらず、よるとなれば、ひとにみつけられず、いでてゆくべきかたをおもひまうけつつ、ねられぬままに、ここちもあしく、みなたがひにたり。あけたてば、かはのかたをみやりつつ、ひつじのあゆみよりもほどなきここちす。 |
51 | 7.7 | 735 | 704 | 第七段 京から母の手紙が届く |
51 | 7.7.1 | 736 | 705 |
宮は、いみじきことどもをのたまへり。今さらに、人や見むと思へば、この御返り事をだに、思ふままにも書かず。 |
みやは、いみじきことどもをのたまへり。いまさらに、ひとやみんとおもへば、このおほんかへりごとをだに、おもふままにもかかず。 |
51 | 7.7.2 | 737 | 706 |
「からをだに憂き世の中にとどめずは<BR/>いづこをはかと君も恨みむ」 |
"〔からをだにうきよのなかにとどめずは<BR/>いづこをはかときみもうらみん〕 |
51 | 7.7.3 | 738 | 707 |
とのみ書きて出だしつ。「かの殿にも、今はのけしき見せたてまつらまほしけれど、所々に書きおきて、離れぬ御仲なれば、つひに聞きあはせたまはむこと、いと憂かるべし。すべて、いかになりけむと、誰れにもおぼつかなくてやみなむ」と思ひ返す。 |
とのみかきていだしつ。"かのとのにも、いまはのけしきみせたてまつらまほしけれど、ところどころにかきおきて、はなれぬおほんなかなれば、つひにききあはせたまはんこと、いとうかるべし。すべて、いかになりけんと、たれにもおぼつかなくてやみなん。"とおもひかへす。 |
51 | 7.7.4 | 739 | 708 |
京より、母の御文持て来たり。 |
きゃうより、ははのおほんふみもてきたり。 |
51 | 7.7.5 | 740 | 709 |
「寝ぬる夜の夢に、いと騒がしくて見えたまひつれば、誦経所々せさせなどしはべるを、やがて、その夢の後、寝られざりつるけにや、ただ今、昼寝してはべる夢に、人の忌むといふことなむ、見えたまひつれば、驚きながらたてまつる。よく慎ませたまへ。 |
"ねぬるよのゆめに、いとさわがしくてみえたまひつれば、ずきゃうところどころせさせなどしはべるを、やがて、そのゆめののち、ねられざりつるけにや、ただいま、ひるねしてはべるゆめに、ひとのいむといふことなん、みえたまひつれば、おどろきながらたてまつる。よくつつしませたまへ。 |
51 | 7.7.6 | 741 | 710 |
人離れたる御住まひにて、時々立ち寄らせたまふ人の御ゆかりもいと恐ろしく、悩ましげにものせさせたまふ折しも、夢のかかるを、よろづになむ思うたまふる。 |
ひとはなれたるおほんすまひにて、ときどきたちよらせたまふひとのおほんゆかりもいとおそろしく、なやましげにものせさせたまふをりしも、ゆめのかかるを、よろづになんおもうたまふる。 |
51 | 7.7.7 | 742 | 711 |
参り来まほしきを、少将の方の、なほ、いと心もとなげに、もののけだちて悩みはべれば、片時も立ち去ること、といみじく言はれはべりてなむ。その近き寺にも御誦経せさせたまへ」 |
まゐりこまほしきを、せうしゃうのかたの、なほ、いとこころもとなげに、もののけだちてなやみはべれば、かたときもたちさること、といみじくいはれはべりてなん。そのちかきてらにもみずきゃうせさせたまへ。" |
51 | 7.7.8 | 743 | 712 |
とて、その料の物、文など書き添へて、持て来たり。限りと思ふ命のほどを知らで、かく言ひ続けたまへるも、いと悲しと思ふ。 |
とて、そのれうのもの、ふみなどかきそへて、もてきたり。かぎりとおもふいのちのほどをしらで、かくいひつづけたまへるも、いとかなしとおもふ。 |
51 | 7.8 | 744 | 713 | 第八段 浮舟、母への告別の和歌を詠み残す |
51 | 7.8.1 | 745 | 714 |
寺へ人遣りたるほど、返り事書く。言はまほしきこと多かれど、つつましくて、ただ、 |
てらへひとやりたるほど、かへりごとかく。いはまほしきことおほかれど、つつましくて、ただ、 |
51 | 7.8.2 | 746 | 715 |
「後にまたあひ見むことを思はなむ<BR/>この世の夢に心惑はで」 |
"〔のちにまたあひみんことをおもはなん<BR/>このよのゆめにこころまどはで〕 |
51 | 7.8.3 | 747 | 716 |
誦経の鐘の風につけて聞こえ来るを、つくづくと聞き臥したまふ。 |
ずきゃうのかねのかぜにつけてきこえくるを、つくづくとききふしたまふ。 |
51 | 7.8.4 | 748 | 717 |
「鐘の音の絶ゆる響きに音を添へて<BR/>わが世尽きぬと君に伝へよ」 |
"〔かねのおとのたゆるひびきにねをそへて<BR/>わがよつきぬときみにつたへよ〕 |
51 | 7.8.5 | 749 | 718 |
巻数持て来たるに書きつけて、 |
かんずもてきたるにかきつけて、 |
51 | 7.8.6 | 750 | 719 |
「今宵は、え帰るまじ」 |
"こよひは、えかへるまじ。" |
51 | 7.8.7 | 751 | 720 |
と言へば、物の枝に結ひつけて置きつ。乳母、 |
といへば、もののえだにゆひつけておきつ。めのと、 |
51 | 7.8.8 | 752 | 721 |
「あやしく、心ばしりのするかな。夢も騒がし、とのたまはせたりつ。宿直人、よくさぶらへ」 |
"あやしく、こころばしりのするかな。ゆめもさわがし、とのたまはせたりつ。とのゐびと、よくさぶらへ。" |
51 | 7.8.9 | 753 | 722 |
と言はするを、苦しと聞き臥したまへり。 |
といはするを、くるしとききふしたまへり。 |
51 | 7.8.10 | 754 | 723 |
「物聞こし召さぬ、いとあやし。御湯漬け」 |
"ものきこしめさぬ、いとあやし。おほんゆづけ。" |
51 | 7.8.11 | 755 | 724 |
などよろづに言ふを、「さかしがるめれど、いと醜く老いなりて、我なくは、いづくにかあらむ」と思ひやりたまふも、いとあはれなり。「世の中にえあり果つまじきさまを、ほのめかして言はむ」など思すに、まづ驚かされて先だつ涙を、つつみたまひて、ものも言はれず。右近、ほど近く臥すとて、 |
などよろづにいふを、"さかしがるめれど、いとみにくくおいなりて、われなくは、いづくにかあらん。"とおもひやりたまふも、いとあはれなり。"よのなかにえありはつまじきさまを、ほのめかしていはん。"などおぼすに、まづおどろかされてさきだつなみだを、つつみたまひて、ものもいはれず。うこん、ほどちかくふすとて、 |
51 | 7.8.12 | 756 | 725 |
「かくのみものを思ほせば、もの思ふ人の魂は、あくがるなるものなれば、夢も騒がしきならむかし。いづ方と思し定まりて、いかにもいかにも、おはしまさなむ」 |
"かくのみものをおもほせば、ものおもふひとのたましひは、あくがるなるものなれば、ゆめもさわがしきならんかし。いづかたとおぼしさだまりて、いかにもいかにも、おはしまさなん。" |
51 | 7.8.13 | 757 | 726 |
とうち嘆く。萎えたる衣を顔におしあてて、臥したまへり、となむ。 |
とうちなげく。なえたるきぬをかほにおしあてて、ふしたまへり、となん。 |