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52蜻蛉
52111675第一章 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転
521.111776第一段 宇治の浮舟失踪
521.1.111877 かしこには、(ひと)びと、おはせぬを(もと)(さわ)げど、かひなし。物語(ものがたり)姫君(ひめぎみ)の、(ひと)(ぬす)まれたらむ明日(あした)のやうなれば、(くは)しくも()(つづ)けず。(きゃう)より、ありし使(つかひ)(かへ)らずなりにしかば、おぼつかなしとて、また(ひと)おこせたり。 かしこには、ひとびと、おはせぬをもとさわげど、かひなし。ものがたりひめぎみの、ひとぬすまれたらんあしたのやうなれば、くはしくもつづけず。きゃうより、ありしつかひかへらずなりにしかば、おぼつかなしとて、またひとおこせたり。
521.1.211978 「まだ、(とり)()くになむ、()だし()てさせたまへる」 "まだ、とりくになん、だしてさせたまへる。"
521.1.312079 使(つかひ)()ふに、いかに()こえむと、乳母(めのと)よりはじめて、あわて(まど)ふこと(かぎ)りなし。(おも)ひやる(かた)なくて、ただ(さわ)()へるを、かの心知(こころし)れるどちなむ、いみじくものを(おも)ひたまへりしさまを(おも)()づるに、「()()げたまへるか」とは(おも)()りける。 つかひふに、いかにこえんと、めのとよりはじめて、あわてまどふことかぎりなし。おもひやるかたなくて、たださわへるを、かのこころしれるどちなん、いみじくものをおもひたまへりしさまをおもづるに、"げたまへるか。"とはおもりける。
521.1.412180 ()()くこの(ふみ)()けたれば、 くこのふみけたれば、
521.1.512281 「いとおぼつかなさに、まどろまれはべらぬけにや、今宵(こよひ)(ゆめ)にだにうちとけても()えず。(もの)(おそ)はれつつ、心地(ここち)(れい)ならずうたてはべるを。なほいと(おそ)ろしく、ものへ(わた)らせたまはむことは(ちか)くなれど、そのほど、ここに(むか)へたてまつりてむ。今日(けふ)雨降(あめふ)りはべりぬべければ」 "いとおぼつかなさに、まどろまれはべらぬけにや、こよひゆめにだにうちとけてもえず。ものおそはれつつ、ここちれいならずうたてはべるを。なほいとおそろしく、ものへわたらせたまはんことはちかくなれど、そのほど、ここにむかへたてまつりてん。けふあめふりはべりぬべければ。"
521.1.612382 などあり。昨夜(よべ)御返(おほんかへ)りをも()けて()て、右近(うこん)いみじう()く。 などあり。よべおほんかへりをもけてて、うこんいみじうく。
521.1.712483 「さればよ。心細(こころぼそ)きことは()こえたまひけり。(われ)に、などかいささかのたまふことのなかりけむ。(をさな)かりしほどより、つゆ心置(こころお)かれたてまつることなく、(ちり)ばかり(へだ)てなくてならひたるに、(いま)(かぎ)りの(みち)にしも、(われ)(おく)らかし、けしきをだに()せたまはざりけるがつらきこと」 "さればよ。こころぼそきことはこえたまひけり。われに、などかいささかのたまふことのなかりけん。をさなかりしほどより、つゆこころおかれたてまつることなく、ちりばかりへだてなくてならひたるに、いまかぎりのみちにしも、われおくらかし、けしきをだにせたまはざりけるがつらきこと。"
521.1.812584 (おも)ふに、足摺(あしず)りといふことをして()くさま、(わか)()どものやうなり。いみじく(おぼ)したる()けしきは、()たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、(おぼ)()らむものとは()えざりつる(ひと)御心(みこころ)ざまを、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。 おもふに、あしずりといふことをしてくさま、わかどものやうなり。いみじくおぼしたるけしきは、たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、おぼらんものとはえざりつるひとみこころざまを、"なほ、いかにしつることにか。"とおぼつかなくいみじ。
521.1.912685 乳母(めのと)は、なかなかものもおぼえで、ただ、「いかさまにせむ。いかさまにせむ」とぞ()はれける。 めのとは、なかなかものもおぼえで、ただ、"いかさまにせん。いかさまにせん。"とぞはれける。
521.212786第二段 匂宮から宇治へ使者派遣
521.2.112887 (みや)にも、いと(れい)ならぬけしきありし御返(おほんかへ)り、「いかに(おも)ふならむ。(われ)を、さすがにあひ(おも)ひたるさまながら、あだなる(こころ)なりとのみ、(ふか)(うたが)ひたれば、(ほか)()(かく)れむとにやあらむ」と(おぼ)(さわ)ぎ、御使(おほんつかひ)あり。 みやにも、いとれいならぬけしきありしおほんかへり、"いかにおもふならん。われを、さすがにあひおもひたるさまながら、あだなるこころなりとのみ、ふかうたがひたれば、ほかかくれんとにやあらん。"とおぼさわぎ、おほんつかひあり。
521.2.212988 ある(かぎ)()(まど)ふほどに()て、御文(おほんふみ)もえたてまつらず。 あるかぎまどふほどにて、おほんふみもえたてまつらず。
521.2.313089 「いかなるぞ」 "いかなるぞ。"
521.2.413190 下衆女(げすをんな)()へば、 げすをんなへば、
521.2.513291 (うへ)の、今宵(こよひ)、にはかに()せたまひにければ、ものもおぼえたまはず。(たの)もしき(ひと)もおはしまさぬ(をり)なれば、さぶらひたまふ(ひと)びとは、ただものに()たりてなむ(まど)ひたまふ」 "うへの、こよひ、にはかにせたまひにければ、ものもおぼえたまはず。たのもしきひともおはしまさぬをりなれば、さぶらひたまふひとびとは、ただものにたりてなんまどひたまふ。"
521.2.613392 ()ふ。(こころ)(ふか)()らぬ(をのこ)にて、(くは)しう()はで(まゐ)りぬ。 ふ。こころふからぬをのこにて、くはしうはでまゐりぬ。
521.2.713493 「かくなむ」と(まう)させたるに、(ゆめ)とおぼえて、 "かくなん。"とまうさせたるに、ゆめとおぼえて、
521.2.813594 「いとあやし。いたくわづらふとも()かず。()ごろ、(なや)ましとのみありしかど、昨日(きのふ)(かへ)(ごと)はさりげもなくて、(つね)よりもをかしげなりしものを」 "いとあやし。いたくわづらふともかず。ごろ、なやましとのみありしかど、きのふかへごとはさりげもなくて、つねよりもをかしげなりしものを。"
521.2.913695 と、(おぼ)しやる(かた)なければ、 と、おぼしやるかたなければ、
521.2.1013796 時方(ときかた)()きてけしき()、たしかなること()()け」 "ときかたきてけしき、たしかなることけ。"
521.2.1113897 とのたまへば、 とのたまへば、
521.2.1213998 「かの大将殿(だいしゃうどの)、いかなることか、()きたまふことはべりけむ、宿直(とのゐ)する(もの)おろかなり、など(いまし)(おほ)せらるるとて、下人(しもびと)のまかり()づるをも、()とがめ()ひはべるなれば、ことづくることなくて、時方(ときかた)まかりたらむを、ものの()こえはべらば、(おぼ)()はすることなどやはべらむ。さて、にはかに(ひと)()せたまへらむ(ところ)は、(ろん)なう(さわ)がしう、(ひと)しげくはべらむを」と()こゆ。 "かのだいしゃうどの、いかなることか、きたまふことはべりけん、とのゐするものおろかなり、などいましおほせらるるとて、しもびとのまかりづるをも、とがめひはべるなれば、ことづくることなくて、ときかたまかりたらんを、もののこえはべらば、おぼはすることなどやはべらん。さて、にはかにひとせたまへらんところは、ろんなうさわがしう、ひとしげくはべらんを。"とこゆ。
521.2.1314099 「さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。なほ、とかくさるべきさまに(かま)へて、(れい)の、心知(こころし)れる侍従(じじう)などに()ひて、いかなることをかく()ふぞ、と案内(あない)せよ。下衆(げす)はひがことも()ふなり」 "さりとては、いとおぼつかなくてやあらん。なほ、とかくさるべきさまにかまへて、れいの、こころしれるじじうなどにひて、いかなることをかくふぞ、とあないせよ。げすはひがこともふなり。"
521.2.14141100 とのたまへば、いとほしき()けしきもかたじけなくて、(ゆふ)方行(かたゆ)く。 とのたまへば、いとほしきけしきもかたじけなくて、ゆふかたゆく。
521.3142101第三段 時方、宇治に到着
521.3.1143102 かやすき(ひと)は、()()()きぬ。雨少(あめすこ)()()みたれど、わりなき(みち)にやつれて、下衆(げす)のさまにて()たれば、人多(ひとおほ)()(さわ)ぎて、 かやすきひとは、きぬ。あめすこみたれど、わりなきみちにやつれて、げすのさまにてたれば、ひとおほさわぎて、
521.3.2144103 今宵(こよひ)、やがてをさめたてまつるなり」 "こよひ、やがてをさめたてまつるなり。"
521.3.3145104 など()ふを()心地(ここち)も、あさましくおぼゆ。右近(うこん)消息(せうそこ)したれども、え()はず、 などふをここちも、あさましくおぼゆ。うこんせうそこしたれども、えはず、
521.3.4146105 「ただ(いま)、ものおぼえず。()()がらむ心地(ここち)もせでなむ。さるは、今宵(こよひ)ばかりこそ、かくも()()りたまはめ、え()こえぬこと」 "ただいま、ものおぼえず。がらんここちもせでなん。さるは、こよひばかりこそ、かくもりたまはめ、えこえぬこと。"
521.3.5147106 ()はせたり。 はせたり。
521.3.6148107 「さりとて、かくおぼつかなくては、いかが(かへ)(まゐ)りはべらむ。今一所(いまひとところ)だに」 "さりとて、かくおぼつかなくては、いかがかへまゐりはべらん。いまひとところだに。"
521.3.7149108 (せち)()ひたれば、侍従(じじゅう)()ひたりける。 せちひたれば、じじゅうひたりける。
521.3.8150109 「いとあさまし。(おぼ)しもあへぬさまにて()せたまひにたれば、いみじと()ふにも()かず、(ゆめ)のやうにて、(たれ)(たれ)(まど)ひはべるよしを(まう)させたまへ。すこしも心地(ここち)のどめはべりてなむ、()ごろも、もの(おぼ)したりつるさま、一夜(ひとよ)、いと心苦(こころぐる)しと(おも)ひきこえさせたまへりしありさまなども、()こえさせはべるべき。この(けが)らひなど、(ひと)()みはべるほど()ぐして、今一度立(いまひとたびた)()りたまへ」 "いとあさまし。おぼしもあへぬさまにてせたまひにたれば、いみじとふにもかず、ゆめのやうにて、たれたれまどひはべるよしをまうさせたまへ。すこしもここちのどめはべりてなん、ごろも、ものおぼしたりつるさま、ひとよ、いとこころぐるしとおもひきこえさせたまへりしありさまなども、こえさせはべるべき。このけがらひなど、ひとみはべるほどぐして、いまひとたびたりたまへ。"
521.3.9151110 ()ひて、()くこといといみじ。 ひて、くこといといみじ。
521.4152111第四段 乳母、悲嘆に暮れる
521.4.1153112 (うち)にも()声々(こゑごゑ)のみして、乳母(めのと)なるべし、 うちにもこゑごゑのみして、めのとなるべし、
521.4.2154113 「あが(きみ)や、いづ(かた)にかおはしましぬる。(かへ)りたまへ。むなしき(から)をだに()たてまつらぬが、かひなく(かな)しくもあるかな。()()()たてまつりても()かずおぼえたまひ、いつしかかひある(おほん)さまを()たてまつらむと、朝夕(あしたゆふべ)(たの)みきこえつるにこそ、(いのち)()びはべりつれ。うち()てたまひて、かく行方(ゆくへ)()らせたまはぬこと。 "あがきみや、いづかたにかおはしましぬる。かへりたまへ。むなしきからをだにたてまつらぬが、かひなくかなしくもあるかな。たてまつりてもかずおぼえたまひ、いつしかかひあるおほんさまをたてまつらんと、あしたゆふべたのみきこえつるにこそ、いのちびはべりつれ。うちてたまひて、かくゆくへらせたまはぬこと。
521.4.3155114 鬼神(おにがみ)も、あが(きみ)をばえ(りゃう)じたてまつらじ。(ひと)のいみじく()しむ(ひと)をば、帝釈(たいしゃく)(かへ)したまふなり。あが(きみ)()りたてまつりたらむ、(ひと)にまれ(おに)にまれ、(かへ)したてまつれ。()御骸(おほんから)をも()たてまつらむ」 おにがみも、あがきみをばえりゃうじたてまつらじ。ひとのいみじくしむひとをば、たいしゃくかへしたまふなり。あがきみりたてまつりたらん、ひとにまれおににまれ、かへしたてまつれ。おほんからをもたてまつらん。"
521.4.4156115 ()(つづ)くるが、心得(こころえ)ぬことども()じるを、あやしと(おも)ひて、 つづくるが、こころえぬことどもじるを、あやしとおもひて、
521.4.5157116 「なほ、のたまへ。もし、(ひと)(かく)しきこえたまへるか。たしかに()こし()さむと、御身(おほんみ)()はりに()だし()てさせたまへる御使(おほんつかひ)なり。(いま)は、とてもかくてもかひなきことなれど、(のち)にも()こし()()はすることのはべらむに、(たが)ふこと()じらば、(まゐ)りたらむ御使(おほんつかひ)(つみ)なるべし。 "なほ、のたまへ。もし、ひとかくしきこえたまへるか。たしかにこしさんと、おほんみはりにだしてさせたまへるおほんつかひなり。いまは、とてもかくてもかひなきことなれど、のちにもこしはすることのはべらんに、たがふことじらば、まゐりたらんおほんつかひつみなるべし。
521.4.6158117 また、さりともと(たの)ませたまひて、『(きみ)たちに対面(たいめん)せよ』と(おほ)せられつる御心(みこころ)ばへも、かたじけなしとは(おぼ)されずや。(をんな)(みち)(まど)ひたまふことは、(ひと)朝廷(みかど)にも、(ふる)(ためし)どもありけれど、またかかること、この()にはあらじ、となむ()たてまつる」 また、さりともとたのませたまひて、'きみたちにたいめんせよ。'とおほせられつるみこころばへも、かたじけなしとはおぼされずや。をんなみちまどひたまふことは、ひとみかどにも、ふるためしどもありけれど、またかかること、このにはあらじ、となんたてまつる。"
521.4.7159118 ()ふに、「げに、いとあはれなる御使(おほんつかひ)にこそあれ。(かく)すとすとも、かくて(れい)ならぬことのさま、おのづから()こえなむ」と(おも)ひて、 ふに、"げに、いとあはれなるおほんつかひにこそあれ。かくすとすとも、かくてれいならぬことのさま、おのづからこえなん。"とおもひて、
521.4.8160119 「などか、いささかにても、(ひと)(かく)いたてまつりたまふらむ、と(おも)()るべきことあらむには、かくしもある(かぎ)(まど)ひはべらむ。()ごろ、いといみじくものを(おぼ)()るめりしかば、かの殿(との)の、わづらはしげに、ほのめかし()こえたまふことなどもありき。 "などか、いささかにても、ひとかくいたてまつりたまふらん、とおもるべきことあらんには、かくしもあるかぎまどひはべらん。ごろ、いといみじくものをおぼるめりしかば、かのとのの、わづらはしげに、ほのめかしこえたまふことなどもありき。
521.4.9161120 御母(おほんはは)にものしたまふ(ひと)も、かくののしる乳母(めのと)なども、(はじ)めより()りそめたりし(かた)(わた)りたまはむ、となむいそぎ()ちて、この(おほん)ことをば、人知(ひとし)れぬさまにのみ、かたじけなくあはれと(おも)ひきこえさせたまへりしに、御心乱(みこころみだ)れけるなるべし。あさましう、(こころ)()()くなしたまへるやうなれば、かく(こころ)(まど)ひに、ひがひがしく()(つづ)けらるるなめり」 おほんははにものしたまふひとも、かくののしるめのとなども、はじめよりりそめたりしかたわたりたまはん、となんいそぎちて、このおほんことをば、ひとしれぬさまにのみ、かたじけなくあはれとおもひきこえさせたまへりしに、みこころみだれけるなるべし。あさましう、こころくなしたまへるやうなれば、かくこころまどひに、ひがひがしくつづけらるるなめり。"
521.4.10162122 と、さすがに、まほならずほのめかす。心得(こころえ)がたくおぼえて、 と、さすがに、まほならずほのめかす。こころえがたくおぼえて、
521.4.11163123 「さらば、のどかに(まゐ)らむ。()ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。(いま)(おほん)みづからもおはしましなむ」 "さらば、のどかにまゐらん。ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。いまおほんみづからもおはしましなん。"
521.4.12164124 ()へば、 へば、
521.4.13165125 「あな、かたじけな。(いま)さら、(ひと)()りきこえさせむも、()(おほん)ためは、なかなかめでたき御宿世見(おほんすくせみ)ゆべきことなれど、(しの)びたまひしことなれば、また()らさせたまはで、()ませたまはむなむ、御心(みこころ)ざしにはべるべき」 "あな、かたじけな。いまさら、ひとりきこえさせんも、おほんためは、なかなかめでたきおほんすくせみゆべきことなれど、しのびたまひしことなれば、またらさせたまはで、ませたまはんなん、みこころざしにはべるべき。"
521.4.14166126 ここには、かく()づかず()せたまへるよしを、(ひと)()かせじと、よろづに(まぎ)らはすを、「自然(じねん)にことどものけしきもこそ()ゆれ」と(おも)へば、かくそそのかしやりつ。 ここには、かくづかずせたまへるよしを、ひとかせじと、よろづにまぎらはすを、"じねんにことどものけしきもこそゆれ。"とおもへば、かくそそのかしやりつ。
521.5167127第五段 浮舟の母、宇治に到着
521.5.1168128 (あめ)のいみじかりつる(まぎ)れに、母君(ははぎみ)(わた)りたまへり。さらに()はむ(かた)もなく、 あめのいみじかりつるまぎれに、ははぎみわたりたまへり。さらにはんかたもなく、
521.5.2169129 ()(まへ)()くなしたらむ(かな)しさは、いみじうとも、()(つね)にて、たぐひあることなり。これは、いかにしつることぞ」 "まへくなしたらんかなしさは、いみじうとも、つねにて、たぐひあることなり。これは、いかにしつることぞ。"
521.5.3170130 (まど)ふ。かかることどもの(まぎ)れありて、いみじうもの(おも)ひたまふらむとも()らねば、()()げたまへらむとも(おも)ひも()らず、 まどふ。かかることどものまぎれありて、いみじうものおもひたまふらんともらねば、げたまへらんともおもひもらず、
521.5.4171131 (おに)()ひつらむ。(きつね)めくものや()りもて()ぬらむ。いと昔物語(むかしものがたり)のあやしきもののことのたとひにか、さやうなることも()ふなりし」 "おにひつらん。きつねめくものやりもてぬらん。いとむかしものがたりのあやしきもののことのたとひにか、さやうなることもふなりし。"
521.5.5172132 (おも)()づ。 おもづ。
521.5.6173133 「さては、かの(おそ)ろしと(おも)ひきこゆるあたりに、(こころ)など()しき御乳母(おほんめのと)やうの(もの)や、かう(むか)へたまふべしと()きて、めざましがりて、たばかりたる(ひと)もやあらむ」 "さては、かのおそろしとおもひきこゆるあたりに、こころなどしきおほんめのとやうのものや、かうむかへたまふべしときて、めざましがりて、たばかりたるひともやあらん。"
521.5.7174134 と、下衆(げす)などを(うたが)ひ、 と、げすなどをうたがひ、
521.5.8175135 今参(いままゐ)りの、心知(こころし)らぬやある」 "いままゐりの、こころしらぬやある。"
521.5.9176136 ()へば、 へば、
521.5.10177137 「いと世離(よばな)れたりとて、ありならはぬ(ひと)は、ここにてはかなきこともえせず、(いま)とく(まゐ)らむ、と()ひてなむ、(みな)、そのいそぐべきものどもなど()()しつつ、(かへ)()ではべりにし」 "いとよばなれたりとて、ありならはぬひとは、ここにてはかなきこともえせず、いまとくまゐらん、とひてなん、みな、そのいそぐべきものどもなどしつつ、かへではべりにし。"
521.5.11178138 とて、もとよりある(ひと)だに、(かた)へはなくて、いと人少(ひとずく)ななる(をり)になむありける。 とて、もとよりあるひとだに、かたへはなくて、いとひとずくななるをりになんありける。
521.6179139第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む
521.6.1180140 侍従(じじゅう)などこそ、()ごろの()けしき(おも)()で、「()(うしな)ひてばや」など、()()りたまひし折々(をりをり)のありさま、()()きたまへる(ふみ)をも()るに、「()(かげ)に」と()きすさびたまへるものの、(すずり)(した)にありけるを()つけて、(かは)(かた)()やりつつ、(ひび)きののしる(みづ)(おと)()くにも、(うと)ましく(かな)しと(おも)ひつつ、 じじゅうなどこそ、ごろのけしきおもで、"うしなひてばや。"など、りたまひしをりをりのありさま、きたまへるふみをもるに、"かげに。"ときすさびたまへるものの、すずりしたにありけるをつけて、かはかたやりつつ、ひびきののしるみづおとくにも、うとましくかなしとおもひつつ、
521.6.2181141 「さて、()せたまひけむ(ひと)を、とかく()(さわ)ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる(かた)になりたまひにけむ、と(おぼ)(うたが)はむも、いとほしきこと」 "さて、せたまひけんひとを、とかくさわぎて、いづくにもいづくにも、いかなるかたになりたまひにけん、とおぼうたがはんも、いとほしきこと。"
521.6.3182142 ()()はせて、 はせて、
521.6.4183143 (しの)びたる(こと)とても、御心(みこころ)より()こりてありしことならず。(おや)にて、()(のち)()きたまへりとも、いとやさしきほどならぬを、ありのままに()こえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへ、かたがた(おも)(まど)ひたまふさまは、すこし(あき)らめさせたてまつらむ。()くなりたまへる(ひと)とても、(から)()きてもて(あつか)ふこそ、()(つね)なれ、()づかぬけしきにて()ごろも()ば、さらに(かく)れあらじ。なほ、()こえて、(いま)()()こえをだにつくろはむ」 "しのびたることとても、みこころよりこりてありしことならず。おやにて、のちきたまへりとも、いとやさしきほどならぬを、ありのままにこえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへ、かたがたおもまどひたまふさまは、すこしあきらめさせたてまつらん。くなりたまへるひととても、からきてもてあつかふこそ、つねなれ、づかぬけしきにてごろもば、さらにかくれあらじ。なほ、こえて、いまこえをだにつくろはん。"
521.6.5184144 (かた)らひて、(しの)びてありしさまを()こゆるに、()(ひと)()()り、え()ひやらず、()心地(ここち)(まど)ひつつ、「さは、このいと(あら)ましと(おも)(かは)に、(なが)()せたまひにけり」と(おも)ふに、いとど(われ)()()りぬべき心地(ここち)して、 かたらひて、しのびてありしさまをこゆるに、ひとり、えひやらず、ここちまどひつつ、"さは、このいとあらましとおもかはに、ながせたまひにけり。"とおもふに、いとどわれりぬべきここちして、
521.6.6185145 「おはしましにけむ(かた)(たづ)ねて、(から)をだにはかばかしくをさめむ」 "おはしましにけんかたたづねて、からをだにはかばかしくをさめん。"
521.6.7186146 とのたまへど、 とのたまへど、
521.6.8187147 「さらに(なに)のかひはべらじ。行方(ゆくへ)()らぬ大海(おほうみ)(はら)にこそおはしましにけめ。さるものから、(ひと)()(つた)へむことは、いと()きにくし」 "さらになにのかひはべらじ。ゆくへらぬおほうみはらにこそおはしましにけめ。さるものから、ひとつたへんことは、いときにくし。"
521.6.9188148 ()こゆれば、とざまかくざまに(おも)ふに、(むね)のせきのぼる心地(ここち)して、いかにもいかにもすべき(かた)もおぼえたまはぬを、この(ひと)びと二人(ふたり)して、車寄(くるまよ)せさせて、御座(おまし)ども、気近(けぢか)使(つか)ひたまひし御調度(みてうど)ども、(みな)ながら()()きたまへる御衾(おほんふすま)などやうのものを()()れて、乳母子(めのとご)大徳(だいとく)、それが叔父(をぢ)阿闍梨(あざり)、その弟子(でし)(むつ)ましきなど、もとより()りたる老法師(おいほふし)など、御忌(おほんいみ)()もるべき(かぎ)りして、(ひと)()くなりたるけはひにまねびて、()だし()つるを、乳母(めのと)母君(ははぎみ)は、いといみじくゆゆしと()しまろぶ。 こゆれば、とざまかくざまにおもふに、むねのせきのぼるここちして、いかにもいかにもすべきかたもおぼえたまはぬを、このひとびとふたりして、くるまよせさせて、おましども、けぢかつかひたまひしみてうどども、みなながらきたまへるおほんふすまなどやうのものをれて、めのとごだいとく、それがをぢあざり、そのでしむつましきなど、もとよりりたるおいほふしなど、おほんいみもるべきかぎりして、ひとくなりたるけはひにまねびて、だしつるを、めのとははぎみは、いといみじくゆゆしとしまろぶ。
521.7189149第七段 侍従ら真相を隠す
521.7.1190150 大夫(たいふ)内舎人(うどねり)など、(おど)しきこえし(もの)どもも(まゐ)りて、 たいふうどねりなど、おどしきこえしものどももまゐりて、
521.7.2191151 御葬送(おほんさうそう)(こと)は、殿(との)(こと)のよしも(まう)させたまひて、日定(ひさだ)められ、いかめしうこそ(つか)うまつらめ」 "おほんさうそうことは、とのことのよしもまうさせたまひて、ひさだめられ、いかめしうこそつかうまつらめ。"
521.7.3192152 など()ひけれど、 などひけれど、
521.7.4193153 「ことさら、今宵過(こよひす)ぐすまじ。いと(しの)びてと(おも)ふやうあればなむ」 "ことさら、こよひすぐすまじ。いとしのびてとおもふやうあればなん。"
521.7.5194154 とて、この(くるま)を、()かひの(やま)(まへ)なる(はら)にやりて、(ひと)(ちか)うも()せず、この案内知(あないし)りたる法師(ほふし)(かぎ)りして()かす。いとはかなくて、(けぶり)()てぬ。田舎人(ゐなかびと)どもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、言忌(ことい)みなど(ふか)くするものなりければ、 とて、このくるまを、かひのやままへなるはらにやりて、ひとちかうもせず、このあないしりたるほふしかぎりしてかす。いとはかなくて、けぶりてぬ。ゐなかびとどもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、こといみなどふかくするものなりければ、
521.7.6195155 「いとあやしう。(れい)作法(さほふ)など、あることども()らず、下衆下衆(げすげす)しく、あへなくてせられぬることかな」 "いとあやしう。れいさほふなど、あることどもらず、げすげすしく、あへなくてせられぬることかな。"
521.7.7196156 (そし)りければ、 そしりければ、
521.7.8197157 (かた)へおはする(ひと)は、ことさらにかくなむ、(きゃう)(ひと)はしたまふ」 "かたへおはするひとは、ことさらにかくなん、きゃうひとはしたまふ。"
521.7.9198158 などぞ、さまざまになむやすからず()ひける。 などぞ、さまざまになんやすからずひける。
521.7.10199159 「かかる(ひと)どもの()(おも)ふことだに(つつ)ましきを、まして、ものの()こえ(かく)れなき()(なか)に、大将殿(だいしゃうどの)わたりに、(から)もなく()せたまひにけり、と()かせたまはば、かならず(おも)ほし(うたが)ふこともあらむを、(みや)はた、(おな)御仲(おほんなか)らひにて、さる(ひと)のおはしおはせず、しばしこそ(しの)ぶとも(おぼ)さめ、つひには(かく)れあらじ。 "かかるひとどものおもふことだにつつましきを、まして、もののこえかくれなきなかに、だいしゃうどのわたりに、からもなくせたまひにけり、とかせたまはば、かならずおもほしうたがふこともあらんを、みやはた、おなおほんなからひにて、さるひとのおはしおはせず、しばしこそしのぶともおぼさめ、つひにはかくれあらじ。
521.7.11200160 また、(さだ)めて(みや)をしも(うたが)ひきこえたまはじ。いかなる(ひと)()(かく)しけむなどぞ、(おぼ)()せむかし。()きたまひての御宿世(おほんすくせ)は、いと気高(けだか)くおはせし(ひと)の、げに()(かげ)に、いみじきことをや(うたが)はれたまはむ」 また、さだめてみやをしもうたがひきこえたまはじ。いかなるひとかくしけんなどぞ、おぼせんかし。きたまひてのおほんすくせは、いとけだかくおはせしひとの、げにかげに、いみじきことをやうたがはれたまはん。"
521.7.12201161 (おも)へば、ここの(うち)なる下人(しもびと)どもにも、今朝(けさ)のあわたたしかりつる(まど)ひに、「けしきも見聞(みき)きつるには(くち)かため、案内知(あないし)らぬには()かせじ」などぞたばかりける。 おもへば、ここのうちなるしもびとどもにも、けさのあわたたしかりつるまどひに、"けしきもみききつるにはくちかため、あないしらぬにはかせじ。"などぞたばかりける。
521.7.13202162 「ながらへては、(たれ)にも、(しづ)やかに、ありしさまをも()こえてむ。ただ(いま)は、(かな)しさ()めぬべきこと、ふと人伝(ひとづ)てに()こし()さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし」 "ながらへては、たれにも、しづやかに、ありしさまをもこえてん。ただいまは、かなしさめぬべきこと、ふとひとづてにこしさんは、なほいといとほしかるべきことなるべし。"
521.7.14203163 と、この人二人(ひとふたり)ぞ、(ふか)(こころ)鬼添(おにそ)ひたれば、もて(かく)しける。 と、このひとふたりぞ、ふかこころおにそひたれば、もてかくしける。
522204164第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮
522.1205165第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す
522.1.1206166 大将殿(だいしゃうどの)は、入道(にふだう)(みや)(なや)みたまひければ、石山(いしやま)()もりたまひて、(さわ)ぎたまふころなりけり。さて、いとどかしこをおぼつかなう(おぼ)しけれど、はかばかしう、「さなむ」と()(ひと)はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使(おほんつかひ)のなきを、人目(ひとめ)心憂(こころう)しと(おも)ふに、御荘(みさう)(ひと)なむ(まゐ)りて、「しかしか」と(まう)させければ、あさましき心地(ここち)したまひて、御使(おほんつかひ)、そのまたの()、まだつとめて(まゐ)りたり。 だいしゃうどのは、にふだうみやなやみたまひければ、いしやまもりたまひて、さわぎたまふころなりけり。さて、いとどかしこをおぼつかなうおぼしけれど、はかばかしう、"さなん。"とひとはなかりければ、かかるいみじきことにも、まづおほんつかひのなきを、ひとめこころうしとおもふに、みさうひとなんまゐりて、"しかしか。"とまうさせければ、あさましきここちしたまひて、おほんつかひ、そのまたの、まだつとめてまゐりたり。
522.1.2207167 「いみじきことは、()くままにみづからもすべきに、かく(なや)みたまふ(おほん)ことにより、(つつし)みて、かかる(ところ)()(かぎ)りて()もりたればなむ。昨夜(よべ)のことは、などか、ここに消息(せうそこ)して、()()べてもさることはするものを、いと(かろ)らかなるさまにて、(いそ)ぎせられにける。とてもかくても、(おな)()ふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山賤(やまがつ)(そし)りをさへ()ふなむ、ここのためもからき」 "いみじきことは、くままにみづからもすべきに、かくなやみたまふおほんことにより、つつしみて、かかるところかぎりてもりたればなん。よべのことは、などか、ここにせうそこして、べてもさることはするものを、いとかろらかなるさまにて、いそぎせられにける。とてもかくても、おなふかひなさなれど、とぢめのことをしも、やまがつそしりをさへふなん、ここのためもからき。"
522.1.3208168 など、かの(むつ)ましき大蔵大輔(おほくらのたいふ)してのたまへり。御使(おほんつかひ)()たるにつけても、いとどいみじきに、()こえむ(かた)なきことどもなれば、ただ(なみだ)におぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。 など、かのむつましきおほくらのたいふしてのたまへり。おほんつかひたるにつけても、いとどいみじきに、こえんかたなきことどもなれば、ただなみだにおぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。
522.2209169第二段 薫の後悔
522.2.1210170 殿(との)は、なほ、いとあへなくいみじと()きたまふにも、 とのは、なほ、いとあへなくいみじときたまふにも、
522.2.2211171 心憂(こころう)かりける(ところ)かな。(おに)などや()むらむ。などて、(いま)までさる(ところ)()ゑたりつらむ。(おも)はずなる(すぢ)(まぎ)れあるやうなりしも、かく(はな)()きたるに、(こころ)やすくて、(ひと)()(をか)したまふなりけむかし」 "こころうかりけるところかな。おになどやむらん。などて、いままでさるところゑたりつらん。おもはずなるすぢまぎれあるやうなりしも、かくはなきたるに、こころやすくて、ひとをかしたまふなりけんかし。"
522.2.3212172 (おも)ふにも、わがたゆく()づかぬ(こころ)のみ(くや)しく、御胸痛(おほんむねいた)くおぼえたまふ。(なや)ませたまふあたりに、かかること(おぼ)(みだ)るるもうたてあれば、(きゃう)におはしぬ。 おもふにも、わがたゆくづかぬこころのみくやしく、おほんむねいたくおぼえたまふ。なやませたまふあたりに、かかることおぼみだるるもうたてあれば、きゃうにおはしぬ。
522.2.4213173 (みや)御方(おほんかた)にも(わた)りたまはず、 みやおほんかたにもわたりたまはず、
522.2.5214174 「ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことを(ちか)()きつれば、(こころ)(みだ)れはべるほども()()ましうて」 "ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことをちかきつれば、こころみだれはべるほどもましうて。"
522.2.6215175 など()こえたまひて、()きせずはかなくいみじき()(なげ)きたまふ。ありしさま容貌(かたち)、いと愛敬(あいぎゃう)づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく(こひ)しく(かな)しければ、 などこえたまひて、きせずはかなくいみじきなげきたまふ。ありしさまかたち、いとあいぎゃうづき、をかしかりしけはひなどの、いみじくこひしくかなしければ、
522.2.7216176 「うつつの()には、などかくしも(おも)()れず、のどかにて()ぐしけむ。ただ(いま)は、さらに(おも)(しづ)めむ(かた)なきままに、(くや)しきことの数知(かずし)らず。かかることの(すぢ)につけて、いみじうものすべき宿世(すくせ)なりけり。さま(こと)(こころ)ざしたりし()の、(おも)ひの(ほか)に、かく(れい)(ひと)にてながらふるを、(ほとけ)などの(にく)しと()たまふにや。(ひと)(こころ)()こさせむとて、(ほとけ)のしたまふ方便(はうべん)は、慈悲(じひ)をも(かく)して、かやうにこそはあなれ」 "うつつのには、などかくしもおもれず、のどかにてぐしけん。ただいまは、さらにおもしづめんかたなきままに、くやしきことのかずしらず。かかることのすぢにつけて、いみじうものすべきすくせなりけり。さまことこころざしたりしの、おもひのほかに、かくれいひとにてながらふるを、ほとけなどのにくしとたまふにや。ひとこころこさせんとて、ほとけのしたまふはうべんは、じひをもかくして、かやうにこそはあなれ。"
522.2.8217177 (おも)(つづ)けたまひつつ、(おこな)ひをのみしたまふ。 おもつづけたまひつつ、おこなひをのみしたまふ。
522.3218178第三段 匂宮悲しみに籠もる
522.3.1219179 かの(みや)はた、まして、()三日(さんにち)はものもおぼえたまはず、うつし(ごころ)もなきさまにて、「いかなる(おほん)もののけならむ」など(さわ)ぐに、やうやう涙尽(なみだつ)くしたまひて、(おぼ)(しづ)まるにしもぞ、ありしさまは(こひ)しういみじく(おも)()でられたまひける。(ひと)には、ただ御病(おほんやまひ)(おも)きさまをのみ()せて、「かくすぞろなるいやめのけしき()らせじ」と、かしこくもて(かく)すと(おぼ)しけれど、おのづからいとしるかりければ、 かのみやはた、まして、さんにちはものもおぼえたまはず、うつしごころもなきさまにて、"いかなるおほんもののけならん。"などさわぐに、やうやうなみだつくしたまひて、おぼしづまるにしもぞ、ありしさまはこひしういみじくおもでられたまひける。ひとには、ただおほんやまひおもきさまをのみせて、"かくすぞろなるいやめのけしきらせじ。"と、かしこくもてかくすとおぼしけれど、おのづからいとしるかりければ、
522.3.2220180 「いかなることにかく(おぼ)(まど)ひ、御命(おほんいのち)(あや)ふきまで(しづ)みたまふらむ」 "いかなることにかくおぼまどひ、おほんいのちあやふきまでしづみたまふらん。"
522.3.3221181 と、()(ひと)もありければ、かの殿(との)にも、いとよくこの()けしきを()きたまふに、「さればよ。なほ、よその文通(ふみかよ)はしのみにはあらぬなりけり。()たまひては、かならずさ(おぼ)しぬべかりし(ひと)ぞかし。ながらへましかば、ただなるよりぞ、わがためにをこなることも()()なまし」と(おぼ)すになむ、()がるる(むね)もすこし()むる心地(ここち)したまひける。 と、ひともありければ、かのとのにも、いとよくこのけしきをきたまふに、"さればよ。なほ、よそのふみかよはしのみにはあらぬなりけり。たまひては、かならずさおぼしぬべかりしひとぞかし。ながらへましかば、ただなるよりぞ、わがためにをこなることもなまし。"とおぼすになん、がるるむねもすこしむるここちしたまひける。
522.4222182第四段 薫、匂宮を訪問
522.4.1223183 (みや)御訪(おほんとぶ)らひに、日々(ひび)(まゐ)りたまはぬ(ひと)なく、()(さわ)ぎとなれるころ、「ことことしき(きは)ならぬ(おも)ひに()もりゐて、(まゐ)らざらむもひがみたるべし」と(おぼ)して(まゐ)りたまふ。 みやおほんとぶらひに、ひびまゐりたまはぬひとなく、さわぎとなれるころ、"ことことしききはならぬおもひにもりゐて、まゐらざらんもひがみたるべし。"とおぼしてまゐりたまふ。
522.4.2224184 そのころ、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)()こゆるも()せたまひにければ、御叔父(おほんをぢ)(ぶく)にて薄鈍(うすにび)なるも、(こころ)のうちにあはれに(おも)ひよそへられて、つきづきしく()ゆ。すこし面痩(おもや)せて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。(ひと)びとまかり()でて、しめやかなる夕暮(ゆふぐれ)なり。 そのころ、しきぶきゃうのみやこゆるもせたまひにければ、おほんをぢぶくにてうすにびなるも、こころのうちにあはれにおもひよそへられて、つきづきしくゆ。すこしおもやせて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。ひとびとまかりでて、しめやかなるゆふぐれなり。
522.4.3225185 (みや)()(しづ)みてはなき御心地(みここち)なれば、(うと)(ひと)にこそ()ひたまはね、御簾(みす)(うち)にも例入(れいい)りたまふ(ひと)には、対面(たいめん)したまはずもあらず。()えたまはむもあいなくつつまし。()たまふにつけても、いとど(なみだ)のまづせきがたさを(おぼ)せど、(おも)(しづ)めて、 みやしづみてはなきみここちなれば、うとひとにこそひたまはね、みすうちにもれいいりたまふひとには、たいめんしたまはずもあらず。えたまはんもあいなくつつまし。たまふにつけても、いとどなみだのまづせきがたさをおぼせど、おもしづめて、
522.4.4226186 「おどろおどろしき心地(ここち)にもはべらぬを、皆人(みなひと)(つつし)むべき(やまひ)のさまなり、とのみものすれば、内裏(うち)にも(みや)にも(おぼ)(さわ)ぐがいと(くる)しく、げに、()(なか)(つね)なきをも、心細(こころぼそ)(おも)ひはべる」 "おどろおどろしきここちにもはべらぬを、みなひとつつしむべきやまひのさまなり、とのみものすれば、うちにもみやにもおぼさわぐがいとくるしく、げに、なかつねなきをも、こころぼそおもひはべる。"
522.4.5227187 とのたまひて、おし(のご)(まぎ)らはしたまふと(おぼ)(なみだ)の、やがてとどこほらずふり()つれば、いとはしたなけれど、「かならずしもいかでか心得(こころえ)む。ただめめしく心弱(こころよわ)きとや()ゆらむ」と(おぼ)すも、「さりや。ただこのことをのみ(おぼ)すなりけり。いつよりなりけむ。(われ)をいかにをかしと、もの(わら)ひしたまふ心地(ここち)に、(つき)ごろ(おぼ)しわたりつらむ」 とのたまひて、おしのごまぎらはしたまふとおぼなみだの、やがてとどこほらずふりつれば、いとはしたなけれど、"かならずしもいかでかこころえん。ただめめしくこころよわきとやゆらん。"とおぼすも、"さりや。ただこのことをのみおぼすなりけり。いつよりなりけん。われをいかにをかしと、ものわらひしたまふここちに、つきごろおぼしわたりつらん。"
522.4.6228188 (おも)ふに、この(きみ)は、(かな)しさは(わす)れたまへるを、 おもふに、このきみは、かなしさはわすれたまへるを、
522.4.7229189 「こよなくも、おろかなるかな。ものの(せち)におぼゆる(とき)は、いとかからぬことにつけてだに、空飛(そらと)(とり)()(わた)るにも、もよほされてこそ(かな)しけれ。わがかくすぞろに心弱(こころよわ)きにつけても、もし心得(こころえ)たらむに、さ()ふばかり、もののあはれも()らぬ(ひと)にもあらず。()(なか)(つね)なきこと()しみて(おも)へる(ひと)しもつれなき」 "こよなくも、おろかなるかな。もののせちにおぼゆるときは、いとかからぬことにつけてだに、そらととりわたるにも、もよほされてこそかなしけれ。わがかくすぞろにこころよわきにつけても、もしこころえたらんに、さふばかり、もののあはれもらぬひとにもあらず。なかつねなきことしみておもへるひとしもつれなき。"
522.4.8230190 と、うらやましくも(こころ)にくくも(おぼ)さるるものから、真木柱(まきばしら)はあはれなり。これに()かひたらむさまも(おぼ)しやるに、「形見(かたみ)ぞかし」とも、うちまもりたまふ。 と、うらやましくもこころにくくもおぼさるるものから、まきばしらはあはれなり。これにかひたらんさまもおぼしやるに、"かたみぞかし。"とも、うちまもりたまふ。
522.5231191第五段 薫、匂宮と語り合う
522.5.1232192 やうやう()物語聞(ものがたりき)こえたまふに、「いと()めてしもはあらじ」と(おぼ)して、 やうやうものがたりきこえたまふに、"いとめてしもはあらじ。"とおぼして、
522.5.2233193 (むかし)より、(こころ)()めてしばしも()こえさせぬこと(のこ)しはべる(かぎ)りは、いといぶせくのみ(おも)ひたまへられしを、(いま)は、なかなか上臈(じゃうらふ)になりにてはべり。まして、御暇(おほんいとま)なき(おほん)ありさまにて、(こころ)のどかにおはします(をり)もはべらねば、宿直(とのゐ)などに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくて()ぐしはべるをなむ。 "むかしより、こころめてしばしもこえさせぬことのこしはべるかぎりは、いといぶせくのみおもひたまへられしを、いまは、なかなかじゃうらふになりにてはべり。まして、おほんいとまなきおほんありさまにて、こころのどかにおはしますをりもはべらねば、とのゐなどに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくてぐしはべるをなん。
522.5.3234194 (むかし)御覧(ごらん)ぜし山里(やまざと)に、はかなくて()せはべりにし(ひと)の、(おな)じゆかりなる(ひと)、おぼえぬ(ところ)にはべりと()きつけはべりて、時々(ときどき)さて()つべくや、と(おも)ひたまへしに、あいなく(ひと)(そし)りもはべりぬべかりし(をり)なりしかば、このあやしき(ところ)()きてはべりしを、をさをさまかりて()ることもなく、また、かれも、なにがし一人(ひとり)をあひ(たの)(こころ)もことになくてやありけむ、とは()たまひつれど、やむごとなくものものしき(すぢ)(おも)ひたまへばこそあらめ、()るにはた、ことなる(とが)もはべらずなどして、(こころ)やすくらうたしと(おも)ひたまへつる(ひと)の、いとはかなくて()くなりはべりにける。なべて()のありさまを(おも)ひたまへ(つづ)けはべるに、(かな)しくなむ。()こし()すやうもはべらむかし」 むかしごらんぜしやまざとに、はかなくてせはべりにしひとの、おなじゆかりなるひと、おぼえぬところにはべりときつけはべりて、ときどきさてつべくや、とおもひたまへしに、あいなくひとそしりもはべりぬべかりしをりなりしかば、このあやしきところきてはべりしを、をさをさまかりてることもなく、また、かれも、なにがしひとりをあひたのこころもことになくてやありけん、とはたまひつれど、やんごとなくものものしきすぢおもひたまへばこそあらめ、るにはた、ことなるとがもはべらずなどして、こころやすくらうたしとおもひたまへつるひとの、いとはかなくてくなりはべりにける。なべてのありさまをおもひたまへつづけはべるに、かなしくなん。こしすやうもはべらんかし。"
522.5.4235195 とて、(いま)()きたまふ。 とて、いまきたまふ。
522.5.5236196 これも、「いとかうは()えたてまつらじ。をこなり」と(おも)ひつれど、こぼれそめてはいと()めがたし。けしきのいささか(みだ)(がほ)なるを、「あやしく、いとほし」と(おぼ)せど、つれなくて、 これも、"いとかうはえたてまつらじ。をこなり。"とおもひつれど、こぼれそめてはいとめがたし。けしきのいささかみだがほなるを、"あやしく、いとほし。"とおぼせど、つれなくて、
522.5.6237197 「いとあはれなることにこそ。昨日(きのふ)ほのかに()きはべりき。いかにとも()こゆべく(おも)ひはべりながら、わざと(ひと)()かせたまはぬこと、と()きはべりしかばなむ」 "いとあはれなることにこそ。きのふほのかにきはべりき。いかにともこゆべくおもひはべりながら、わざとひとかせたまはぬこと、ときはべりしかばなん。"
522.5.7238198 と、つれなくのたまへど、いと()へがたければ、言少(ことずく)なにておはします。 と、つれなくのたまへど、いとへがたければ、ことずくなにておはします。
522.5.8239199 「さる(かた)にても御覧(ごらん)ぜさせばや、と(おも)ひたまへりし(ひと)になむ。おのづからさもやはべりけむ、(みや)にも(まゐ)(かよ)ふべきゆゑはべりしかば」 "さるかたにてもごらんぜさせばや、とおもひたまへりしひとになん。おのづからさもやはべりけん、みやにもまゐかよふべきゆゑはべりしかば。"
522.5.9240200 など、すこしづつけしきばみて、 など、すこしづつけしきばみて、
522.5.10241201 御心地例(みここちれい)ならぬほどは、すぞろなる()のこと()こし()()れ、御耳(おほんみみ)おどろくも、あいなきことになむ。よく(つつし)ませおはしませ」 "みここちれいならぬほどは、すぞろなるのことこしれ、おほんみみおどろくも、あいなきことになん。よくつつしませおはしませ。"
522.5.11242202 など、()こえ()きて、()でたまひぬ。 など、こえきて、でたまひぬ。
522.6243203第六段 人は非情の者に非ず
522.6.1244204 「いみじくも(おぼ)したりつるかな。いとはかなかりけれど、さすがに(たか)(ひと)宿世(すくせ)なりけり。当時(たうじ)(みかど)(きさき)の、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王(みこ)顔容貌(かほかたち)よりはじめて、ただ(いま)()にはたぐひおはせざめり。()たまふ(ひと)とても、なのめならず、さまざまにつけて、(かぎ)りなき(ひと)をおきて、これに御心(みこころ)()くし、()人立(ひとた)(さわ)ぎて、修法(すほふ)読経(どきゃう)(まつり)(はらへ)と、道々(みちみち)(さわ)ぐは、この(ひと)(おぼ)すゆかりの、御心地(みここち)のあやまりにこそはありけれ。 "いみじくもおぼしたりつるかな。いとはかなかりけれど、さすがにたかひとすくせなりけり。たうじみかどきさきの、さばかりかしづきたてまつりたまふみこかほかたちよりはじめて、ただいまにはたぐひおはせざめり。たまふひととても、なのめならず、さまざまにつけて、かぎりなきひとをおきて、これにみこころくし、ひとたさわぎて、すほふどきゃうまつりはらへと、みちみちさわぐは、このひとおぼすゆかりの、みここちのあやまりにこそはありけれ。
522.6.2245205 (われ)も、かばかりの()にて、(とき)(みかど)御女(おほんむすめ)()ちたてまつりながら、この(ひと)のらうたくおぼゆる(かた)は、(おと)りやはしつる。まして、(いま)はとおぼゆるには、(こころ)をのどめむ(かた)なくもあるかな。さるは、をこなり、かからじ」 われも、かばかりのにて、ときみかどおほんむすめちたてまつりながら、このひとのらうたくおぼゆるかたは、おとりやはしつる。まして、いまはとおぼゆるには、こころをのどめんかたなくもあるかな。さるは、をこなり、かからじ。"
522.6.3246206 (おも)(しの)ぶれど、さまざまに(おも)(みだ)れて、 おもしのぶれど、さまざまにおもみだれて、
522.6.4247207 人木石(ひとぼくせき)(あら)ざれば皆情(みななさ)けあり」 "ひとぼくせきあらざればみななさけあり。"
522.6.5248208 と、うち()じて()したまへり。 と、うちじてしたまへり。
522.6.6249209 (のち)のしたためなども、いとはかなくしてけるを、「(みや)にもいかが()きたまふらむ」と、いとほしくあへなく、「(はは)のなほなほしくて、兄弟(はらから)あるはなど、さやうの(ひと)()ふことあんなるを(おも)ひて、こと()ぐなりけむかし」など、(こころ)づきなく(おぼ)す。 のちのしたためなども、いとはかなくしてけるを、"みやにもいかがきたまふらん。"と、いとほしくあへなく、"ははのなほなほしくて、はらからあるはなど、さやうのひとふことあんなるをおもひて、ことぐなりけんかし。"など、こころづきなくおぼす。
522.6.7250210 おぼつかなさも(かぎ)りなきを、ありけむさまもみづから()かまほしと(おぼ)せど、「長籠(ながご)もりしたまはむも便(びん)なし。()きと()きて()(かへ)らむも心苦(こころぐる)し」など、(おぼ)しわづらふ。 おぼつかなさもかぎりなきを、ありけんさまもみづからかまほしとおぼせど、"ながごもりしたまはんもびんなし。きときてかへらんもこころぐるし。"など、おぼしわづらふ。
523251211第三章 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う
523.1252212第一段 四月、薫と匂宮、和歌を贈答
523.1.1253213 (つき)たちて、「今日(けふ)(わた)らまし」と(おぼ)()でたまふ()夕暮(ゆふぐれ)、いとものあはれなり。御前近(おまへちか)(たちばな)()のなつかしきに、ほととぎすの二声(ふたこゑ)ばかり()きて(わた)る。「宿(やど)(かよ)はば」と(ひと)りごちたまふも()かねば、(きた)(みや)に、ここに(わた)りたまふ()なりければ、(たちばな)()らせて()こえたまふ。 つきたちて、"けふわたらまし。"とおぼでたまふゆふぐれ、いとものあはれなり。おまへちかたちばなのなつかしきに、ほととぎすのふたこゑばかりきてわたる。"やどかよはば。"とひとりごちたまふもかねば、きたみやに、ここにわたりたまふなりければ、たちばならせてこえたまふ。
523.1.2254215 (しの)()(きみ)()くらむかひもなき<BR/>死出(しで)田長(たをさ)心通(こころかよ)はば」 "〔しのきみくらんかひもなき<BR/>しでたをさこころかよはば〕
523.1.3255216 (みや)は、女君(をんなぎみ)(おほん)さまのいとよく()たるを、あはれと(おぼ)して、二所眺(ふたところなが)めたまふ(をり)なりけり。「けしきある(ふみ)かな」と()たまひて、 みやは、をんなぎみおほんさまのいとよくたるを、あはれとおぼして、ふたところながめたまふをりなりけり。"けしきあるふみかな。"とたまひて、
523.1.4256217 (たちばな)(かを)るあたりはほととぎす<BR/>(こころ)してこそ()くべかりけれ "〔たちばなかをるあたりはほととぎす<BR/>こころしてこそくべかりけれ
523.1.5257218 わづらはし」 わづらはし。"
523.1.6258219 ()きたまふ。 きたまふ。
523.1.7259220 女君(をんなぎみ)、このことのけしきは、皆見知(みなみし)りたまひてけり。「あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけて心深(こころふか)きなかに、我一人(われひとり)もの(おも)()らねば、(いま)までながらふるにや。それもいつまで」と心細(こころぼそ)(おぼ)す。(みや)も、(かく)れなきものから、(へだ)てたまふもいと心苦(こころぐる)しければ、ありしさまなど、すこしはとり(なほ)しつつ(かた)りきこえたまふ。 をんなぎみ、このことのけしきは、みなみしりたまひてけり。"あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけてこころふかきなかに、われひとりものおもらねば、いままでながらふるにや。それもいつまで。"とこころぼそおぼす。みやも、かくれなきものから、へだてたまふもいとこころぐるしければ、ありしさまなど、すこしはとりなほしつつかたりきこえたまふ。
523.1.8260221 (かく)したまひしがつらかりし」 "かくしたまひしがつらかりし。"
523.1.9261222 など、()きみ(わら)ひみ()こえたまふにも、異人(ことびと)よりは(むつ)ましくあはれなり。ことことしくうるはしくて、(れい)ならぬ(おほん)ことのさまも、おどろき(まど)ひたまふ(ところ)にては、御訪(おほんとぶ)らひの(ひと)しげく、父大臣(ちちおとど)(せうと)(きみ)たち(ひま)なきも、いとうるさきに、ここはいと(こころ)やすくて、なつかしくぞ(おぼ)されける。 など、きみわらひみこえたまふにも、ことびとよりはむつましくあはれなり。ことことしくうるはしくて、れいならぬおほんことのさまも、おどろきまどひたまふところにては、おほんとぶらひのひとしげく、ちちおとどせうときみたちひまなきも、いとうるさきに、ここはいとこころやすくて、なつかしくぞおぼされける。
523.2262223第二段 匂宮、右近を迎えに時方派遣
523.2.1263224 いと(ゆめ)のやうにのみ、なほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、(れい)(ひと)びと()して、右近(うこん)(むか)へに(つか)はす。母君(ははぎみ)も、さらにこの(みづ)(おと)けはひを()くに、(われ)もまろび()りぬべく、(かな)しく心憂(こころう)きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて(かへ)りたまひにけり。 いとゆめのやうにのみ、なほ、"いかで、いとにはかなりけることにかは。"とのみいぶせければ、れいひとびとして、うこんむかへにつかはす。ははぎみも、さらにこのみづおとけはひをくに、われもまろびりぬべく、かなしくこころうきことのどまるべくもあらねば、いとわびしうてかへりたまひにけり。
523.2.2264225 念仏(ねんぶつ)(そう)どもを(たの)もしき(もの)にて、いとかすかなるに()()たれば、ことことしく、にはかに()ちめぐりし宿直人(とのゐびと)どもも、()とがめず。「あやにくに、(かぎ)りのたびしも()れたてまつらずなりにしよ」と、(おも)()づるもいとほし。 ねんぶつそうどもをたのもしきものにて、いとかすかなるにたれば、ことことしく、にはかにちめぐりしとのゐびとどもも、とがめず。"あやにくに、かぎりのたびしもれたてまつらずなりにしよ。"と、おもづるもいとほし。
523.2.3265226 「さるまじきことを(おも)ほし()がるること」と、見苦(みぐる)しく()たてまつれど、ここに()ては、おはしましし()()なのありさま、(いだ)かれたてまつりたまひて、(ふね)()りたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどを(おも)()づるに、心強(こころづよ)(ひと)なくあはれなり。右近会(うこんあ)ひて、いみじう()くもことわりなり。 "さるまじきことをおもほしがるること。"と、みぐるしくたてまつれど、ここにては、おはしまししなのありさま、いだかれたてまつりたまひて、ふねりたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどをおもづるに、こころづよひとなくあはれなり。うこんあひて、いみじうくもことわりなり。
523.2.4266227 「かくのたまはせて、御使(おほんつかひ)になむ(まゐ)りつる」 "かくのたまはせて、おほんつかひになんまゐりつる。"
523.2.5267228 ()へば、 へば、
523.2.6268229 (いま)さらに、(ひと)もあやしと()(おも)はむも(つつ)ましく、(まゐ)りても、はかばかしく()こし()(あき)らむばかり、もの()こえさすべき心地(ここち)もしはべらず。この御忌果(おほんいみは)てて、あからさまにもなむ、と(ひと)()ひなさむも、すこし()つかはしかりぬべきほどになしてこそ、(こころ)より(ほか)(いのち)はべらば、いささか(おも)(しづ)まらむ(をり)になむ、(おほ)(ごと)なくとも(まゐ)りて、げにいと(ゆめ)のやうなりしことどもも、(かた)りきこえまほしき」 "いまさらに、ひともあやしとおもはんもつつましく、まゐりても、はかばかしくこしあきらむばかり、ものこえさすべきここちもしはべらず。このおほんいみはてて、あからさまにもなん、とひとひなさんも、すこしつかはしかりぬべきほどになしてこそ、こころよりほかいのちはべらば、いささかおもしづまらんをりになん、おほごとなくともまゐりて、げにいとゆめのやうなりしことどもも、かたりきこえまほしき。"
523.2.7269230 ()ひて、今日(けふ)(うご)くべくもあらず。 ひて、けふうごくべくもあらず。
523.3270231第三段 時方、侍従と語る
523.3.1271232 大夫(たいふ)()きて、 たいふきて、
523.3.2272233 「さらに、この御仲(おほんなか)のこと、こまかに()りきこえさせはべらず。(もの)心知(こころし)りはべらずながら、たぐひなき御心(みこころ)ざしを()たてまつりはべりしかば、(きみ)たちをも、(なに)かは(いそ)ぎてしも()こえ(うけたまは)らむ。つひには(つか)うまつるべきあたりにこそ、と(おも)ひたまへしを、()ふかひなく(かな)しき(おほん)ことの(のち)は、(わたくし)御心(みこころ)ざしも、なかなか(ふか)さまさりてなむ」 "さらに、このおほんなかのこと、こまかにりきこえさせはべらず。ものこころしりはべらずながら、たぐひなきみこころざしをたてまつりはべりしかば、きみたちをも、なにかはいそぎてしもこえうけたまはらん。つひにはつかうまつるべきあたりにこそ、とおもひたまへしを、ふかひなくかなしきおほんことののちは、わたくしみこころざしも、なかなかふかさまさりてなん。"
523.3.3273234 (かた)らふ。 かたらふ。
523.3.4274235 「わざと御車(みくるま)など(おぼ)しめぐらして、(たてまつ)れたまへるを、(むな)しくては、いといとほしうなむ。今一所(いまひとところ)にても(まゐ)りたまへ」 "わざとみくるまなどおぼしめぐらして、たてまつれたまへるを、むなしくては、いといとほしうなん。いまひとところにてもまゐりたまへ。"
523.3.5275236 ()へば、侍従(じじゅう)君呼(きみよ)()でて、 へば、じじゅうきみよでて、
523.3.6276237 「さは、(まゐ)りたまへ」 "さは、まゐりたまへ。"
523.3.7277238 ()へば、 へば、
523.3.8278239 「まして何事(なにごと)をかは()こえさせむ。さても、なほ、この御忌(おほんいみ)のほどにはいかでか。()ませたまはぬか」 "ましてなにごとをかはこえさせん。さても、なほ、このおほんいみのほどにはいかでか。ませたまはぬか。"
523.3.9279240 ()へば、 へば、
523.3.10280241 (なや)ませたまふ御響(おほんひび)きに、さまざまの御慎(おほんつつし)みどもはべめれど、()みあへさせたまふまじき()けしきになむ。また、かく(ふか)御契(おほんちぎ)りにては、()もらせたまひてもこそおはしまさめ。(のこ)りの()いくばくならず。なほ一所参(ひとところまゐ)りたまへ」 "なやませたまふおほんひびきに、さまざまのおほんつつしみどもはべめれど、みあへさせたまふまじきけしきになん。また、かくふかおほんちぎりにては、もらせたまひてもこそおはしまさめ。のこりのいくばくならず。なほひとところまゐりたまへ。"
523.3.11281242 ()むれば、侍従(じじゅう)ぞ、ありし(おほん)さまもいと(こひ)しう(おも)ひきこゆるに、「いかならむ()にかは()たてまつらむ、かかる(をり)に」と(おも)ひなして(まゐ)りける。 むれば、じじゅうぞ、ありしおほんさまもいとこひしうおもひきこゆるに、"いかならんにかはたてまつらん、かかるをりに。"とおもひなしてまゐりける。
523.4282243第四段 侍従、京の匂宮邸へ
523.4.1283244 (くろ)(きぬ)ども()て、()きつくろひたる容貌(かたち)もいときよげなり。()は、ただ今我(いまわれ)より(うへ)なる(ひと)なきにうちたゆみて、(いろ)()へざりければ、薄色(うすいろ)なるを()たせて(まゐ)る。 くろきぬどもて、きつくろひたるかたちもいときよげなり。は、ただいまわれよりうへなるひとなきにうちたゆみて、いろへざりければ、うすいろなるをたせてまゐる。
523.4.2284245 「おはせましかば、この(みち)にぞ(しの)びて()でたまはまし。人知(ひとし)れず心寄(こころよ)せきこえしものを」など(おも)ふにもあはれなり。(みち)すがら()()くなむ()ける。 "おはせましかば、このみちにぞしのびてでたまはまし。ひとしれずこころよせきこえしものを。"などおもふにもあはれなり。みちすがらくなんける。
523.4.3285246 (みや)は、この人参(ひとまゐ)れり、と()こし()すもあはれなり。女君(をんなぎみ)には、あまりうたてあれば、()こえたまはず。寝殿(しんでん)におはしまして、渡殿(わたどの)()ろしたまへり。ありけむさまなど(くは)しう()はせたまふに、()ごろ(おぼ)(なげ)きしさま、その夜泣(よな)きたまひしさま、 みやは、このひとまゐれり、とこしすもあはれなり。をんなぎみには、あまりうたてあれば、こえたまはず。しんでんにおはしまして、わたどのろしたまへり。ありけんさまなどくはしうはせたまふに、ごろおぼなげきしさま、そのよなきたまひしさま、
523.4.4286247 「あやしきまで言少(ことずく)なに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじと(おぼ)すことをも、(ひと)にうち()でたまふことは(かた)く、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひ()くこともはべらず。(ゆめ)にも、かく心強(こころづよ)きさまに(おぼ)しかくらむとは、(おも)ひたまへずなむはべりし」 "あやしきまでことずくなに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじとおぼすことをも、ひとにうちでたまふことはかたく、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひくこともはべらず。ゆめにも、かくこころづよきさまにおぼしかくらんとは、おもひたまへずなんはべりし。"
523.4.5287248 など、(くは)しう()こゆれば、ましていといみじう、「さるべきにても、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを(おも)()ちて、さる(みづ)(おぼ)れけむ」と(おぼ)しやるに、「これを()つけて()きとめたらましかば」と、()きかへる心地(ここち)したまへど、かひなし。 など、くはしうこゆれば、ましていといみじう、"さるべきにても、ともかくもあらましよりも、いかばかりものをおもちて、さるみづおぼれけん。"とおぼしやるに、"これをつけてきとめたらましかば。"と、きかへるここちしたまへど、かひなし。
523.4.6288249 御文(おほんふみ)()(うしな)ひたまひしなどに、などて()()てはべらざりけむ」 "おほんふみうしなひたまひしなどに、などててはべらざりけん。"
523.4.7289250 など、夜一夜語(よひとよかた)らひたまふに、()こえ()かす。かの巻数(かんず)()きつけたまへりし、母君(ははぎみ)(かへ)(ごと)などを()こゆ。 など、よひとよかたらひたまふに、こえかす。かのかんずきつけたまへりし、ははぎみかへごとなどをこゆ。
523.5290251第五段 侍従、宇治へ帰る
523.5.1291252 (なに)ばかりのものとも御覧(ごらん)ぜざりし(ひと)も、(むつ)ましくあはれに(おぼ)さるれば、 なにばかりのものともごらんぜざりしひとも、むつましくあはれにおぼさるれば、
523.5.2292253 「わがもとにあれかし。あなたももて(はな)るべくやは」 "わがもとにあれかし。あなたももてはなるべくやは。"
523.5.3293254 とのたまへば、 とのたまへば、
523.5.4294255 「さて、さぶらはむにつけても、もののみ(かな)しからむを(おも)ひたまへれば、(いま)この御果(おほんは)てなど()ぐして」 "さて、さぶらはんにつけても、もののみかなしからんをおもひたまへれば、いまこのおほんはてなどぐして。"
523.5.5295256 ()こゆ。「またも(まゐ)れ」など、この(ひと)をさへ、()かず(おぼ)す。 こゆ。"またもまゐれ。"など、このひとをさへ、かずおぼす。
523.5.6296257 暁帰(あかつきかへ)るに、かの御料(ごれう)にとてまうけさせたまひける(くし)筥一具(はこひとよろひ)衣筥一具(ころもばこひとよろひ)贈物(おくりもの)にせさせたまふ。さまざまにせさせたまふことは(おほ)かりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこの(ひと)(おほ)せたるほどなりけり。 あかつきかへるに、かのごれうにとてまうけさせたまひけるくしはこひとよろひころもばこひとよろひおくりものにせさせたまふ。さまざまにせさせたまふことはおほかりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこのひとおほせたるほどなりけり。
523.5.7297258 「なに(ごころ)もなく(まゐ)りて、かかることどものあるを、(ひと)はいかが()む。すずろにむつかしきわざかな」 "なにごころもなくまゐりて、かかることどものあるを、ひとはいかがん。すずろにむつかしきわざかな。"
523.5.8298259 (おも)ひわぶれど、いかがは()こえ(かへ)さむ。 おもひわぶれど、いかがはこえかへさん。
523.5.9299260 右近(うこん)二人(ふたり)(しの)びて()つつ、つれづれなるままに、こまかに(いま)めかしうし(あつ)めたることどもを()ても、いみじう()く。装束(さうぞく)もいとうるはしうし(あつ)めたるものどもなれば、 うこんふたりしのびてつつ、つれづれなるままに、こまかにいまめかしうしあつめたることどもをても、いみじうく。さうぞくもいとうるはしうしあつめたるものどもなれば、
523.5.10300261 「かかる御服(おほんぶく)に、これをばいかでか(かく)さむ」 "かかるおほんぶくに、これをばいかでかかくさん。"
523.5.11301262 など、もてわづらひける。 など、もてわづらひける。
524302263第四章 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む
524.1303264第一段 薫、宇治を訪問
524.1.1304265 大将殿(だいしゃうどの)も、なほ、いとおぼつかなきに、(おぼ)(あま)りておはしたり。(みち)のほどより、(むかし)(こと)どもかき(あつ)めつつ、 だいしゃうどのも、なほ、いとおぼつかなきに、おぼあまりておはしたり。みちのほどより、むかしことどもかきあつめつつ、
524.1.2305266 「いかなる(ちぎ)りにて、この父親王(ちちみこ)(おほん)もとに()そめけむ。かかる(おも)ひかけぬ()てまで(おも)ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ(おも)ふよ。いと(たふと)くおはせしあたりに、(ほとけ)をしるべにて、(のち)()をのみ(ちぎ)りしに、(こころ)きたなき(すゑ)(たが)ひめに、(おも)()らするなめり」 "いかなるちぎりにて、このちちみこおほんもとにそめけん。かかるおもひかけぬてまでおもひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみおもふよ。いとたふとくおはせしあたりに、ほとけをしるべにて、のちをのみちぎりしに、こころきたなきすゑたがひめに、おもらするなめり。"
524.1.3306267 とぞおぼゆる。右近召(うこんめ)()でて、 とぞおぼゆる。うこんめでて、
524.1.4307268 「ありけむさまもはかばかしう()かず、なほ、()きせずあさましう、はかなければ、(いみ)(のこ)りもすくなくなりぬ。()ぐして、と(おも)ひつれど、(しづ)めあへずものしつるなり。いかなる心地(ここち)にてか、はかなくなりたまひにし」 "ありけんさまもはかばかしうかず、なほ、きせずあさましう、はかなければ、いみのこりもすくなくなりぬ。ぐして、とおもひつれど、しづめあへずものしつるなり。いかなるここちにてか、はかなくなりたまひにし。"
524.1.5308269 ()ひたまふに、「尼君(あまぎみ)なども、けしきは()てければ、つひに()きあはせたまはむを、なかなか(かく)しても、こと(たが)ひて()こえむに、そこなはれぬべし。あやしきことの(すぢ)にこそ、虚言(そらごと)(おも)ひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなる()けしきにさし()かひきこえては、かねて、と()はむ、かく()はむと、まうけし言葉(ことば)をも(わす)れ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもを()こえつ。 ひたまふに、"あまぎみなども、けしきはてければ、つひにきあはせたまはんを、なかなかかくしても、ことたがひてこえんに、そこなはれぬべし。あやしきことのすぢにこそ、そらごとおもひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなるけしきにさしかひきこえては、かねて、とはん、かくはんと、まうけしことばをもわすれ、わづらはしう。"おぼえければ、ありしさまのことどもをこえつ。
524.2309270第二段 薫、真相を聞きただす
524.2.1310271 あさましう、(おぼ)しかけぬ(すぢ)なるに、(もの)もとばかりのたまはず。 あさましう、おぼしかけぬすぢなるに、ものもとばかりのたまはず。
524.2.2311272 「さらにあらじとおぼゆるかな。なべての(ひと)(おも)()ふことをも、こよなく言少(ことずく)なに、おほどかなりし(ひと)は、いかでかさるおどろおどろしきことは(おも)()つべきぞ。いかなるさまに、この(ひと)びと、もてなして()ふにか」 "さらにあらじとおぼゆるかな。なべてのひとおもふことをも、こよなくことずくなに、おほどかなりしひとは、いかでかさるおどろおどろしきことはおもつべきぞ。いかなるさまに、このひとびと、もてなしてふにか。"
524.2.3312273 御心(みこころ)(みだ)れまさりたまへど、「(みや)(おぼ)(なげ)きたるけしき、いとしるし、(こと)のありさまも、しかつれなしづくりたらむけはひは、おのづから()えぬべきを、かくおはしましたるにつけても、(かな)しくいみじきことを、上下(かみしも)人集(ひとつど)ひて()(さわ)ぐを」と、()きたまへば、 みこころみだれまさりたまへど、"みやおぼなげきたるけしき、いとしるし、ことのありさまも、しかつれなしづくりたらんけはひは、おのづからえぬべきを、かくおはしましたるにつけても、かなしくいみじきことを、かみしもひとつどひてさわぐを。"と、きたまへば、
524.2.4313274 御供(おほんとも)()して()せたる(ひと)やある。なほ、ありけむさまをたしかに()へ。(われ)をおろかに(おも)ひて(そむ)きたまふことは、よもあらじとなむ(おも)ふ。いかやうなる、たちまちに、()()らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。(われ)なむえ(しん)ずまじき」 "おほんともしてせたるひとやある。なほ、ありけんさまをたしかにへ。われをおろかにおもひてそむきたまふことは、よもあらじとなんおもふ。いかやうなる、たちまちに、らぬことありてか、さるわざはしたまはん。われなんえしんずまじき。"
524.2.5314275 とのたまへば、「いとどしく、さればよ」とわづらはしくて、 とのたまへば、"いとどしく、さればよ。"とわづらはしくて、
524.2.6315276 「おのづから()こし()しけむ。もとより(おぼ)すさまならで()()でたまへりし(ひと)の、世離(よばな)れたる御住(おほんす)まひの(のち)は、いつとなくものをのみ(おぼ)すめりしかど、たまさかにもかく(わた)りおはしますを、()ちきこえさせたまふに、もとよりの御身(おほんみ)(なげ)きをさへ(なぐさ)めたまひつつ、(こころ)のどかなるさまにて、時々(ときどき)()たてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、(こと)()でてはのたまはねど、(おぼ)しわたるめりしを、その御本意(おほんほい)かなふべきさまに(うけたまは)ることどもはべりしに、かくてさぶらふ(ひと)どもも、うれしきことに(おも)ひたまへいそぎ、かの筑波山(つくばやま)も、からうして(こころ)ゆきたるけしきにて、(わた)らせたまはむことをいとなみ(おも)ひたまへしに、心得(こころえ)御消息(おほんせうそこ)はべりけるに、この宿直仕(とのゐつか)うまつる(もの)どもも、女房(にょうばう)たちらうがはしかなり、など、(いまし)(おほ)せらるることなど(まう)して、ものの心得(こころえ)荒々(あらあら)しきは田舎人(ゐなかびと)どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、その(のち)(ひさ)しう御消息(おほんせうそこ)などもはべらざりしに、心憂(こころう)()なりとのみ、いはけなかりしほどより(おも)()るを、人数(ひとかず)にいかで()なさむとのみ、よろづに(おも)(あつか)ひたまふ母君(ははぎみ)の、なかなかなることの、人笑(ひとわら)はれになりては、いかに(おも)(なげ)かむ、などおもむけてなむ、(つね)(なげ)きたまひし。 "おのづからこししけん。もとよりおぼすさまならででたまへりしひとの、よばなれたるおほんすまひののちは、いつとなくものをのみおぼすめりしかど、たまさかにもかくわたりおはしますを、ちきこえさせたまふに、もとよりのおほんみなげきをさへなぐさめたまひつつ、こころのどかなるさまにて、ときどきたてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、ことでてはのたまはねど、おぼしわたるめりしを、そのおほんほいかなふべきさまにうけたまはることどもはべりしに、かくてさぶらふひとどもも、うれしきことにおもひたまへいそぎ、かのつくばやまも、からうしてこころゆきたるけしきにて、わたらせたまはんことをいとなみおもひたまへしに、こころえおほんせうそこはべりけるに、このとのゐつかうまつるものどもも、にょうばうたちらうがはしかなり、など、いましおほせらるることなどまうして、もののこころえあらあらしきはゐなかびとどもの、あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、そののちひさしうおほんせうそこなどもはべらざりしに、こころうなりとのみ、いはけなかりしほどよりおもるを、ひとかずにいかでなさんとのみ、よろづにおもあつかひたまふははぎみの、なかなかなることの、ひとわらはれになりては、いかにおもなげかん、などおもむけてなん、つねなげきたまひし。
524.2.7316277 その(すぢ)よりほかに、何事(なにごと)をかと、(おも)ひたまへ()るに、()へはべらずなむ。(おに)などの(かく)しきこゆとも、いささか(のこ)(ところ)もはべるなるものを」 そのすぢよりほかに、なにごとをかと、おもひたまへるに、へはべらずなん。おになどのかくしきこゆとも、いささかのこところもはべるなるものを。"
524.2.8317278 とて、()くさまもいみじければ、「いかなることにか」と(まぎ)れつる御心(みこころ)()せて、せきあへたまはず。 とて、くさまもいみじければ、"いかなることにか。"とまぎれつるみこころせて、せきあへたまはず。
524.3318279第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る
524.3.1319280 (われ)(こころ)()をもまかせず、顕証(けんしょう)なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと(おも)(をり)も、今近(いまちか)くて、(ひと)心置(こころお)くまじく、()やすきさまにもてなして、()末長(すゑなが)くを、と(おも)ひのどめつつ()ぐしつるを、おろかに()なしたまひつらむこそ、なかなか()くる(かた)ありける、とおぼゆれ。 "われこころをもまかせず、けんしょうなるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしとおもをりも、いまちかくて、ひとこころおくまじく、やすきさまにもてなして、すゑながくを、とおもひのどめつつぐしつるを、おろかになしたまひつらんこそ、なかなかくるかたありける、とおぼゆれ。
524.3.2320281 (いま)は、かくだに()はじと(おも)へど、また(ひと)()かばこそあらめ。(みや)(おほん)ことよ。いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、いとかたはに、(ひと)(こころ)(まど)はしたまふ(みや)なれば、(つね)にあひ()たてまつらぬ(なげ)きに、()をも(うしな)ひたまへる、となむ(おも)ふ。なほ、()へ。(われ)には、さらにな(かく)しそ」 いまは、かくだにはじとおもへど、またひとかばこそあらめ。みやおほんことよ。いつよりありそめけん。さやうなるにつけてや、いとかたはに、ひとこころまどはしたまふみやなれば、つねにあひたてまつらぬなげきに、をもうしなひたまへる、となんおもふ。なほ、へ。われには、さらになかくしそ。"
524.3.3321282 とのたまへば、「たしかにこそは()きたまひてけれ」と、いといとほしくて、 とのたまへば、"たしかにこそはきたまひてけれ。"と、いといとほしくて、
524.3.4322283 「いと心憂(こころう)きことを()こし()しけるにこそははべるなれ。右近(うこん)もさぶらはぬ(をり)ははべらぬものを」 "いとこころうきことをこししけるにこそははべるなれ。うこんもさぶらはぬをりははべらぬものを。"
524.3.5323284 (なが)めやすらひて、 ながめやすらひて、
524.3.6324285 「おのづから()こし()しけむ。この(みや)(うへ)御方(おほんかた)に、(しの)びて(わた)らせたまへりしを、あさましく(おも)ひかけぬほどに、()りおはしたりしかど、いみじきことを()こえさせはべりて、()でさせたまひにき。それに()ぢたまひて、かのあやしくはべりし(ところ)には(わた)らせたまへりしなり。 "おのづからこししけん。このみやうへおほんかたに、しのびてわたらせたまへりしを、あさましくおもひかけぬほどに、りおはしたりしかど、いみじきことをこえさせはべりて、でさせたまひにき。それにぢたまひて、かのあやしくはべりしところにはわたらせたまへりしなり。
524.3.7325286 その(のち)(おと)にも()こえじ、と(おぼ)してやみにしを、いかでか()かせたまひけむ。ただ、この如月(きさらぎ)ばかりより、(おとづ)れきこえたまふべし。御文(おほんふみ)は、いとたびたびはべりしかど、御覧(ごらん)()るることもはべらざりき。いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、右近(うこん)など()こえさせしかば、一度二度(ひとたびふたたび)()こえさせたまひけむ。それより(ほか)のことは()たまへず」 そののちおとにもこえじ、とおぼしてやみにしを、いかでかかせたまひけん。ただ、このきさらぎばかりより、おとづれきこえたまふべし。おほんふみは、いとたびたびはべりしかど、ごらんるることもはべらざりき。いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、うこんなどこえさせしかば、ひとたびふたたびこえさせたまひけん。それよりほかのことはたまへず。"
524.3.8326287 ()こえさす。 こえさす。
524.3.9327288 「かうぞ()はむかし。しひて()はむもいとほしく」て、つくづくとうち(なが)めつつ、 "かうぞはんかし。しひてはんもいとほしく。"て、つくづくとうちながめつつ、
524.3.10328289 (みや)をめづらしくあはれと(おも)ひきこえても、わが(かた)をさすがにおろかに(おも)はざりけるほどに、いと(あき)らむるところなく、はかなげなりし(こころ)にて、この(みづ)(ちか)きをたよりにて、(おも)()るなりけむかし。わがここにさし(はな)()ゑざらましかば、いみじく()()()とも、いかでか、かならず(ふか)(たに)をも(もと)()でまし」 "みやをめづらしくあはれとおもひきこえても、わがかたをさすがにおろかにおもはざりけるほどに、いとあきらむるところなく、はかなげなりしこころにて、このみづちかきをたよりにて、おもるなりけんかし。わがここにさしはなゑざらましかば、いみじくとも、いかでか、かならずふかたにをももとでまし。"
524.3.11329290 と、「いみじう()(みづ)(ちぎ)りかな」と、この(かは)(うと)ましう(おぼ)さるること、いと(ふか)し。(とし)ごろ、あはれと(おも)ひそめたりし(かた)にて、(あら)山路(やまぢ)()(かへ)りしも、(いま)は、また心憂(こころう)くて、この(さと)()をだにえ()くまじき心地(ここち)したまふ。 と、"いみじうみづちぎりかな。"と、このかはうとましうおぼさるること、いとふかし。としごろ、あはれとおもひそめたりしかたにて、あらやまぢかへりしも、いまは、またこころうくて、このさとをだにえくまじきここちしたまふ。
524.4330291第四段 薫、宇治の過去を追懐す
524.4.1331292 (みや)(うへ)の、のたまひ(はじ)めし、人形(ひとかた)とつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わが(あやま)ちに(うしな)ひつる(ひと)なり」と(おも)ひもてゆくには、「(はは)のなほ(かろ)びたるほどにて、(のち)後見(うしろみ)もいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と(こころ)ゆかず(おも)ひつるを、(くは)しう()きたまふになむ、 "みやうへの、のたまひはじめし、ひとかたとつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わがあやまちにうしなひつるひとなり。"とおもひもてゆくには、"ははのなほかろびたるほどにて、のちうしろみもいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり。"とこころゆかずおもひつるを、くはしうきたまふになん、
524.4.2332293 「いかに(おも)ふらむ。さばかりの(ひと)()にては、いとめでたかりし(ひと)を、(しの)びたることはかならずしもえ()らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ(おも)ふなるらむかし」 "いかにおもふらん。さばかりのひとにては、いとめでたかりしひとを、しのびたることはかならずしもえらで、わがゆかりにいかなることのありけるならん、とぞおもふなるらんかし。"
524.4.3333294 など、よろづにいとほしく(おぼ)す。(けが)らひといふことはあるまじけれど、御供(おほんとも)人目(ひとめ)もあれば、(のぼ)りたまはで、御車(みくるま)(しぢ)()して、妻戸(つまど)(まへ)にぞゐたまひけるも、見苦(みぐる)しければ、いと(しげ)()(した)に、(こけ)御座(おまし)にて、とばかり()たまへり。「(いま)はここを()()むことも心憂(こころう)かるべし」とのみ、()めぐらしたまひて、 など、よろづにいとほしくおぼす。けがらひといふことはあるまじけれど、おほんともひとめもあれば、のぼりたまはで、みくるましぢして、つまどまへにぞゐたまひけるも、みぐるしければ、いとしげしたに、こけおましにて、とばかりたまへり。"いまはここをんこともこころうかるべし。"とのみ、めぐらしたまひて、
524.4.4334296 (われ)もまた()古里(ふるさと)()れはてば<BR/>()宿(やど)()(かげ)をしのばむ」 "〔われもまたふるさとれはてば<BR/>やどかげをしのばん〕
524.4.5335297 阿闍梨(あじゃり)(いま)律師(りし)なりけり。()して、この法事(ほふじ)のことおきてさせたまふ。念仏僧(ねんぶつそう)数添(かずそ)へなどせさせたまふ。「(つみ)いと(ふか)かなるわざ」と(おぼ)せば、(かろ)むべきことをぞすべき、七日七日(なぬかなぬか)経仏供養(きゃうほとけくやう)ずべきよしなど、こまかにのたまひて、いと(くら)うなりぬるに(かへ)りたまふも、「あらましかば、今宵帰(こよひかへ)らましやは」とのみなむ。 あじゃりいまりしなりけり。して、このほふじのことおきてさせたまふ。ねんぶつそうかずそへなどせさせたまふ。"つみいとふかかなるわざ。"とおぼせば、かろむべきことをぞすべき、なぬかなぬかきゃうほとけくやうずべきよしなど、こまかにのたまひて、いとくらうなりぬるにかへりたまふも、"あらましかば、こよひかへらましやは。"とのみなん。
524.4.6336298 尼君(あまぎみ)消息(せうそこ)せさせたまへれど、 あまぎみせうそこせさせたまへれど、
524.4.7337299 「いともいともゆゆしき()をのみ(おも)ひたまへ(しづ)みて、いとどものも(おも)ひたまへられず、ほれはべりてなむ、うつぶし()してはべる」 "いともいともゆゆしきをのみおもひたまへしづみて、いとどものもおもひたまへられず、ほれはべりてなん、うつぶししてはべる。"
524.4.8338300 ()こえて、()()ねば、しひても()()りたまはず。 こえて、ねば、しひてもりたまはず。
524.4.9339301 (みち)すがら、とく(むか)()りたまはずなりにけること(くや)しう、(みづ)(おと)()こゆる(かぎ)りは、(こころ)のみ(さわ)ぎたまひて、「(から)をだに(たづ)ねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなるさまにて、いづれの(そこ)のうつせに()じりけむ」など、やる(かた)なく(おぼ)す。 みちすがら、とくむかりたまはずなりにけることくやしう、みづおとこゆるかぎりは、こころのみさわぎたまひて、"からをだにたづねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなるさまにて、いづれのそこのうつせにじりけん。"など、やるかたなくおぼす。
524.5340302第五段 薫、浮舟の母に手紙す
524.5.1341303 かの母君(ははぎみ)は、(きゃう)子産(こう)むべき(むすめ)のことにより、(つつし)(さわ)げば、(れい)(いへ)にもえ()かず、すずろなる旅居(たびゐ)のみして、(おも)(なぐさ)(をり)もなきに、「また、これもいかならむ」と(おも)へど、(たひ)らかに()みてけり。ゆゆしければ、え()らず、(のこ)りの(ひと)びとの(うへ)もおぼえず、ほれ(まど)ひて()ぐすに、大将殿(だいしゃうどの)より御使忍(おほんつかひしの)びてあり。ものおぼえぬ心地(ここち)にも、いとうれしくあはれなり。 かのははぎみは、きゃうこうむべきむすめのことにより、つつしさわげば、れいいへにもえかず、すずろなるたびゐのみして、おもなぐさをりもなきに、"また、これもいかならん。"とおもへど、たひらかにみてけり。ゆゆしければ、えらず、のこりのひとびとのうへもおぼえず、ほれまどひてぐすに、だいしゃうどのよりおほんつかひしのびてあり。ものおぼえぬここちにも、いとうれしくあはれなり。
524.5.2342304 「あさましきことは、まづ()こえむと(おも)ひたまへしを、(こころ)ものどまらず、()もくらき心地(ここち)して、まいていかなる(やみ)にか(まど)はれたまふらむと、そのほどを()ぐしつるに、はかなくて()ごろも()にけることをなむ。()(つね)なさも、いとど(おも)ひのどめむ(かた)なくのみはべるを、(おも)ひの(ほか)にもながらへば、()ぎにし名残(なごり)とは、かならずさるべきことにも(たづ)ねたまへ」 "あさましきことは、まづこえんとおもひたまへしを、こころものどまらず、もくらきここちして、まいていかなるやみにかまどはれたまふらんと、そのほどをぐしつるに、はかなくてごろもにけることをなん。つねなさも、いとどおもひのどめんかたなくのみはべるを、おもひのほかにもながらへば、ぎにしなごりとは、かならずさるべきことにもたづねたまへ。"
524.5.3343305 など、こまかに()きたまひて、御使(おほんつかひ)には、かの大蔵大輔(おほくらのちふ)をぞ(たま)へりける。 など、こまかにきたまひて、おほんつかひには、かのおほくらのちふをぞたまへりける。
524.5.4344306 (こころ)のどかによろづを(おも)ひつつ、(とし)ごろにさへなりにけるほど、かならずしも(こころ)ざしあるやうには()たまはざりけむ。されど、(いま)より(のち)(なに)ごとにつけても、かならず(わす)れきこえじ。また、さやうにを人知(ひとし)れず(おも)()きたまへ。(をさな)(ひと)どももあなるを、朝廷(おほやけ)(つか)うまつらむにも、かならず後見思(うしろみおも)ふべくなむ」 "こころのどかによろづをおもひつつ、としごろにさへなりにけるほど、かならずしもこころざしあるやうにはたまはざりけん。されど、いまよりのちなにごとにつけても、かならずわすれきこえじ。また、さやうにをひとしれずおもきたまへ。をさなひとどももあなるを、おほやけつかうまつらんにも、かならずうしろみおもふべくなん。"
524.5.5345307 など、言葉(ことば)にものたまへり。 など、ことばにものたまへり。
524.6346308第六段 浮舟の母からの返書
524.6.1347309 いたくしも()むまじき(けが)らひなれば、「(ふか)うしも()れはべらず」など()ひなして、せめて()()ゑたり。御返(おほんかへ)り、()()()く。 いたくしもむまじきけがらひなれば、"ふかうしもれはべらず。"などひなして、せめてゑたり。おほんかへり、く。
524.6.2348310 「いみじきことに()なれはべらぬ(いのち)を、心憂(こころう)(おも)うたまへ(なげ)きはべるに、かかる(おほ)言見(ごとみ)はべるべかりけるにや、となむ。 "いみじきことになれはべらぬいのちを、こころうおもうたまへなげきはべるに、かかるおほごとみはべるべかりけるにや、となん。
524.6.3349311 (とし)ごろは、心細(こころぼそ)きありさまを()たまへながら、それは(かず)ならぬ()のおこたりに(おも)ひたまへなしつつ、かたじけなき御一言(おほんひとこと)を、()末長(すゑなが)(たの)みきこえはべりしに、いふかひなく()たまへ()てては、(さと)(ちぎ)りもいと心憂(こころう)(かな)しくなむ。 としごろは、こころぼそきありさまをたまへながら、それはかずならぬのおこたりにおもひたまへなしつつ、かたじけなきおほんひとことを、すゑながたのみきこえはべりしに、いふかひなくたまへてては、さとちぎりもいとこころうかなしくなん。
524.6.4350312 さまざまにうれしき(おほ)(ごと)に、命延(いのちの)びはべりて、(いま)しばしながらへはべらば、なほ、(たの)みきこえはべるべきにこそ、と(おも)ひたまふるにつけても、()(まへ)(なみだ)にくれて、え()こえさせやらずなむ」 さまざまにうれしきおほごとに、いのちのびはべりて、いましばしながらへはべらば、なほ、たのみきこえはべるべきにこそ、とおもひたまふるにつけても、まへなみだにくれて、えこえさせやらずなん。"
524.6.5351313 など()きたり。御使(おほんつかひ)に、なべての(ろく)などは見苦(みぐる)しきほどなり。()かぬ心地(ここち)もすべければ、かの(きみ)にたてまつらむと(こころ)ざして()たりける、よき班犀(はんさい)(おび)太刀(たち)のをかしきなど、(ふくろ)()れて、(くるま)()るほど、 などきたり。おほんつかひに、なべてのろくなどはみぐるしきほどなり。かぬここちもすべければ、かのきみにたてまつらんとこころざしてたりける、よきはんさいおびたちのをかしきなど、ふくろれて、くるまるほど、
524.6.6352314 「これは(むかし)(ひと)御心(みこころ)ざしなり」 "これはむかしひとみこころざしなり。"
524.6.7353315 とて、(おく)らせてけり。 とて、おくらせてけり。
524.6.8354316 殿(との)御覧(ごらん)ぜさすれば、 とのごらんぜさすれば、
524.6.9355317 「いとすぞろなるわざかな」 "いとすぞろなるわざかな。"
524.6.10356318 とのたまふ。言葉(ことば)には、 とのたまふ。ことばには、
524.6.11357319 「みづから()ひはべりたうびて、いみじく()()くよろづのことのたまひて、(をさな)(もの)どものことまで(おほ)せられたるが、いともかしこきに、また(かず)ならぬほどは、なかなかいと()づかしう、(ひと)(なに)ゆゑなどは()らせはべらで、あやしきさまどもをも皆参(みなまゐ)らせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」 "みづからひはべりたうびて、いみじくくよろづのことのたまひて、をさなものどものことまでおほせられたるが、いともかしこきに、またかずならぬほどは、なかなかいとづかしう、ひとなにゆゑなどはらせはべらで、あやしきさまどもをもみなまゐらせはべりて、さぶらはせん、となんものしはべりつる。"
524.6.12358320 ()こゆ。 こゆ。
524.6.13359321 「げに、ことなることなきゆかり(むつ)びにぞあるべけれど、(みかど)にも、さばかりの(ひと)(むすめ)たてまつらずやはある。それに、さるべきにて、(とき)めかし(おぼ)さむは、(ひと)(そし)るべきことかは。ただ(うど)、はた、あやしき(をんな)()()りにたるなどを()ちゐるたぐひ(おほ)かり。 "げに、ことなることなきゆかりむつびにぞあるべけれど、みかどにも、さばかりのひとむすめたてまつらずやはある。それに、さるべきにて、ときめかしおぼさんは、ひとそしるべきことかは。ただうど、はた、あやしきをんなりにたるなどをちゐるたぐひおほかり。
524.6.14360322 かの(かみ)(むすめ)なりけりと、(ひと)()ひなさむにも、わがもてなしの、それに(けが)るべくありそめたらばこそあらめ、一人(ひとり)()をいたづらになして(おも)ふらむ(おや)(こころ)に、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、と(おも)()るばかり、用意(ようい)はかならず()すべきこと」と(おぼ)す。 かのかみむすめなりけりと、ひとひなさんにも、わがもてなしの、それにけがるべくありそめたらばこそあらめ、ひとりをいたづらになしておもふらんおやこころに、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、とおもるばかり、よういはかならずすべきこと。"とおぼす。
524.7361323第七段 常陸介、浮舟の死を悼む
524.7.1362324 かしこには、常陸守(ひたちのかみ)()ちながら()て、「(をり)しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立(はらだ)つ。(とし)ごろ、いづくになむおはするなど、ありのままにも()らせざりければ、「はかなきさまにておはすらむ」と(おも)()ひけるを、「(きゃう)になど(むか)へたまひて(のち)面目(めんぼく)ありて、など()らせむ」と(おも)ひけるほどに、かかれば、(いま)(かく)さむもあいなくて、ありしさま()()(かた)る。 かしこには、ひたちのかみちながらて、"をりしも、かくてゐたまへることなん。"とはらだつ。としごろ、いづくになんおはするなど、ありのままにもらせざりければ、"はかなきさまにておはすらん。"とおもひけるを、"きゃうになどむかへたまひてのちめんぼくありて、などらせん。"とおもひけるほどに、かかれば、いまかくさんもあいなくて、ありしさまかたる。
524.7.2363325 大将殿(だいしゃうどの)御文(おほんふみ)もとり()でて()すれば、よき(ひと)かしこくして、(ひな)び、ものめでする(ひと)にて、おどろき(おく)して、うち(かへ)しうち(かへ)し、 だいしゃうどのおほんふみもとりでてすれば、よきひとかしこくして、ひなび、ものめでするひとにて、おどろきおくして、うちかへしうちかへし、
524.7.3364326 「いとめでたき御幸(おほんさいは)ひを()てて()せたまひにける(ひと)かな。おのれも殿人(とのびと)にて、(まゐ)(つか)うまつれども、(ちか)()使(つか)ふこともなく、いと気高(けだか)(おも)はする殿(との)なり。(わか)(もの)どものこと(おほ)せられたるは、(たの)もしきことになむ」 "いとめでたきおほんさいはひをててせたまひにけるひとかな。おのれもとのびとにて、まゐつかうまつれども、ちかつかふこともなく、いとけだかおもはするとのなり。わかものどものことおほせられたるは、たのもしきことになん。"
524.7.4365327 など、(よろこ)ぶを()るにも、「まして、おはせましかば」と(おも)ふに、()しまろびて()かる。 など、よろこぶをるにも、"まして、おはせましかば。"とおもふに、しまろびてかる。
524.7.5366328 (かみ)(いま)なむうち()きける。さるは、おはせし()には、なかなか、かかるたぐひの(ひと)しも、(たづ)ねたまふべきにしもあらずかし。「わが(あやま)ちにて(うしな)ひつるもいとほし。(なぐさ)めむ」と(おぼ)すよりなむ、「(ひと)(そし)り、ねむごろに(たづ)ねじ」と(おぼ)しける。 かみいまなんうちきける。さるは、おはせしには、なかなか、かかるたぐひのひとしも、たづねたまふべきにしもあらずかし。"わがあやまちにてうしなひつるもいとほし。なぐさめん。"とおぼすよりなん、"ひとそしり、ねんごろにたづねじ。"とおぼしける。
524.8367329第八段 浮舟四十九日忌の法事
524.8.1368330 四十九日(しじふくにち)のわざなどせさせたまふにも、「いかなりけむことにかは」と(おぼ)せば、とてもかくても罪得(つみう)まじきことなれば、いと(しの)びて、かの律師(りし)(てら)にてせさせたまひける。六十僧(ろくじふそう)布施(ふせ)など、(おほ)きにおきてられたり。母君(ははぎみ)()ゐて、(こと)ども()へたり。 しじふくにちのわざなどせさせたまふにも、"いかなりけんことにかは。"とおぼせば、とてもかくてもつみうまじきことなれば、いとしのびて、かのりしてらにてせさせたまひける。ろくじふそうふせなど、おほきにおきてられたり。ははぎみゐて、ことどもへたり。
524.8.2369331 (みや)よりは、右近(うこん)がもとに、白銀(しろかね)(つぼ)黄金入(こがねい)れて(たま)へり。人見(ひとみ)とがむばかり(おほ)きなるわざは、えしたまはず、右近(うこん)(こころ)ざしにてしたりければ、心知(こころし)らぬ(ひと)は、「いかで、かくなむ」など()ひける。殿(との)(ひと)ども、(むつ)ましき(かぎ)りあまた(たま)へり。 みやよりは、うこんがもとに、しろかねつぼこがねいれてたまへり。ひとみとがむばかりおほきなるわざは、えしたまはず、うこんこころざしにてしたりければ、こころしらぬひとは、"いかで、かくなん。"などひける。とのひとども、むつましきかぎりあまたたまへり。
524.8.3370332 「あやしく。(おと)もせざりつる(ひと)()てを、かく(あつか)はせたまふ。()れならむ」 "あやしく。おともせざりつるひとてを、かくあつかはせたまふ。れならん。"
524.8.4371333 と、(いま)おどろく(ひと)のみ(おほ)かるに、常陸守来(ひたちのかみき)て、主人(あるじ)がり()るなむ、あやしと(ひと)びと()ける。少将(せうしゃう)子産(こう)ませて、いかめしきことせさせむとまどひ、(いへ)(うち)になきものはすくなく、唐土新羅(もろこししらぎ)(かざ)りをもしつべきに、(かぎ)りあれば、いとあやしかりけり。この御法事(おほんほふじ)の、(しの)びたるやうに(おぼ)したれど、けはひこよなきを()るに、「()きたらましかば、わが()(なら)ぶべくもあらぬ(ひと)御宿世(おほんすくせ)なりけり」と(おも)ふ。 と、いまおどろくひとのみおほかるに、ひたちのかみきて、あるじがりるなん、あやしとひとびとける。せうしゃうこうませて、いかめしきことせさせんとまどひ、いへうちになきものはすくなく、もろこししらぎかざりをもしつべきに、かぎりあれば、いとあやしかりけり。このおほんほふじの、しのびたるやうにおぼしたれど、けはひこよなきをるに、"きたらましかば、わがならぶべくもあらぬひとおほんすくせなりけり。"とおもふ。
524.8.5372334 (みや)(うへ)誦経(ずきゃう)したまひ、七僧(しちそう)(まへ)のことせさせたまひけり。(いま)なむ、「かかる人持(ひとも)たまへりけり」と、(みかど)までも()こし()して、おろかにもあらざりける(ひと)を、(みや)にかしこまりきこえて、(かく)()きたまひたりける、いとほしと(おぼ)しける。 みやうへずきゃうしたまひ、しちそうまへのことせさせたまひけり。いまなん、"かかるひともたまへりけり。"と、みかどまでもこしして、おろかにもあらざりけるひとを、みやにかしこまりきこえて、かくきたまひたりける、いとほしとおぼしける。
524.8.6373335 二人(ふたり)(ひと)御心(みこころ)のうち、()りず(かな)しく、あやにくなりし御思(おほんおも)ひの(さか)りにかき()えては、いといみじければ、あだなる御心(みこころ)は、(なぐさ)むやなど、こころみたまふこともやうやうありけり。 ふたりひとみこころのうち、りずかなしく、あやにくなりしおほんおもひのさかりにかきえては、いといみじければ、あだなるみこころは、なぐさむやなど、こころみたまふこともやうやうありけり。
524.8.7374336 かの殿(との)は、かくとりもちて、(なに)やかやと(おぼ)して、(のこ)りの(ひと)(はぐく)ませたまひても、なほ、いふかひなきことを、(わす)れがたく(おぼ)す。 かのとのは、かくとりもちて、なにやかやとおぼして、のこりのひとはぐくませたまひても、なほ、いふかひなきことを、わすれがたくおぼす。
525375337第五章 薫の物語 明石中宮の女宮たち
525.1376338第一段 薫と小宰相の君の関係
525.1.1377339 (きさき)(みや)の、御軽服(おほんきゃうぶく)のほどは、なほかくておはしますに、()(みや)なむ式部卿(しきぶきゃう)になりたまひにける。重々(おもおも)しうて、(つね)にしも(まゐ)りたまはず。この(みや)は、さうざうしくものあはれなるままに、一品(いっぽん)(みや)御方(おほんかた)(なぐさ)(どころ)にしたまふ。よき(ひと)容貌(かたち)をも、えまほに()たまはぬ、(のこ)(おほ)かり。 きさきみやの、おほんきゃうぶくのほどは、なほかくておはしますに、みやなんしきぶきゃうになりたまひにける。おもおもしうて、つねにしもまゐりたまはず。このみやは、さうざうしくものあはれなるままに、いっぽんみやおほんかたなぐさどころにしたまふ。よきひとかたちをも、えまほにたまはぬ、のこおほかり。
525.1.2378340 大将殿(だいしゃうどの)の、からうして、いと(しの)びて(かた)らはせたまふ小宰相(こさいしゃう)(きみ)といふ(ひと)の、容貌(かたち)などもきよげなり、(こころ)ばせある(かた)(ひと)(おぼ)されたり。(おな)(こと)()きならす、爪音(つまおと)撥音(ばちおと)も、(ひと)にはまさり、(ふみ)()き、ものうち()ひたるも、よしあるふしをなむ()へたりける。 だいしゃうどのの、からうして、いとしのびてかたらはせたまふこさいしゃうきみといふひとの、かたちなどもきよげなり、こころばせあるかたひとおぼされたり。おなこときならす、つまおとばちおとも、ひとにはまさり、ふみき、ものうちひたるも、よしあるふしをなんへたりける。
525.1.3379341 この(みや)も、(とし)ごろ、いといたきものにしたまひて、(れい)の、()(やぶ)りたまへど、「などか、さしもめづらしげなくはあらむ」と、心強(こころづよ)くねたきさまなるを、まめ(びと)は、「すこし(ひと)よりことなり」と(おぼ)すになむありける。かくもの(おぼ)したるも見知(みし)りければ、(しの)びあまりて()こえたり。 このみやも、としごろ、いといたきものにしたまひて、れいの、やぶりたまへど、"などか、さしもめづらしげなくはあらん。"と、こころづよくねたきさまなるを、まめびとは、"すこしひとよりことなり。"とおぼすになんありける。かくものおぼしたるもみしりければ、しのびあまりてこえたり。
525.1.4380342 「あはれ()(こころ)(ひと)におくれねど<BR/>(かず)ならぬ()()えつつぞ() "〔あはれこころひとにおくれねど<BR/>かずならぬえつつぞ
525.1.5381343 ()へたらば」 へたらば。"
525.1.6382344 と、ゆゑある(かみ)()きたり。ものあはれなる夕暮(ゆふぐれ)、しめやかなるほどを、いとよく()(はか)りて()ひたるも、(にく)からず。 と、ゆゑあるかみきたり。ものあはれなるゆふぐれ、しめやかなるほどを、いとよくはかりてひたるも、にくからず。
525.1.7383345 (つね)なしとここら()()()()だに<BR/>(ひと)()るまで(なげ)きやはする "〔つねなしとここらだに<BR/>ひとるまでなげきやはする
525.1.8384346 このよろこび、あはれなりし(をり)からも、いとどなむ」 このよろこび、あはれなりしをりからも、いとどなん。"
525.1.9385347 など()ひに()()りたまへり。いと()づかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、人柄(ひとがら)もやむごとなきに、いとものはかなき()まひなりかし。(つぼね)などいひて、(せば)くほどなき遣戸口(やりどぐち)()りゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれど、さすがにあまり卑下(ひげ)してもあらで、いとよきほどにものなども()こゆ。 などひにりたまへり。いとづかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、ひとがらもやんごとなきに、いとものはかなきまひなりかし。つぼねなどいひて、せばくほどなきやりどぐちりゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれど、さすがにあまりひげしてもあらで、いとよきほどにものなどもこゆ。
525.1.10386348 ()(ひと)よりも、これは(こころ)にくきけ()ひてもあるかな。などて、かく()()ちけむ。さるものにて、(われ)()いたらましものを」 "ひとよりも、これはこころにくきけひてもあるかな。などて、かくちけん。さるものにて、われいたらましものを。"
525.1.11387349 (おぼ)す。人知(ひとし)れぬ(すぢ)は、かけても()せたまはず。 おぼす。ひとしれぬすぢは、かけてもせたまはず。
525.2388350第二段 六条院の法華八講
525.2.1389351 (はちす)(はな)(さか)りに、御八講(みはかう)せらる。六条(ろくでう)(ゐん)(おほん)ため、(むらさき)(うへ)など、皆思(みなおぼ)()けつつ、御経仏(おほんきゃうほとけ)など供養(くやう)ぜさせたまひて、いかめしく、(たふと)くなむありける。五巻(ごかん)()などは、いみじき見物(みもの)なりければ、こなたかなた、女房(にょうばう)につきて(まゐ)りて、物見(ものみ)人多(ひとおほ)かりけり。 はちすはなさかりに、みはかうせらる。ろくでうゐんおほんため、むらさきうへなど、みなおぼけつつ、おほんきゃうほとけなどくやうぜさせたまひて、いかめしく、たふとくなんありける。ごかんなどは、いみじきみものなりければ、こなたかなた、にょうばうにつきてまゐりて、ものみひとおほかりけり。
525.2.2390352 五日(いつか)といふ朝座(あさざ)()てて、御堂(みだう)(かざ)()りさけ、(おほん)しつらひ(あらた)むるに、(きた)(ひさし)も、障子(さうじ)ども(はな)ちたりしかば、皆入(みない)()ちてつくろふほど、西(にし)渡殿(わたどの)姫宮(ひめみや)おはしましけり。もの()(こう)じて、女房(にょうばう)もおのおの(つぼね)にありつつ、御前(おまへ)はいと人少(ひとずく)ななる夕暮(ゆふぐれ)に、大将殿(だいしゃうどの)直衣着替(なほしきか)へて、今日(けふ)まかづる(そう)(なか)に、かならずのたまふべきことあるにより、釣殿(つりどの)(かた)におはしたるに、(みな)まかでぬれば、(いけ)(かた)(すず)みたまひて、人少(ひとずく)ななるに、かくいふ宰相(さいしゃう)(きみ)など、かりそめに几帳(きちゃう)などばかり()てて、うちやすむ上局(うへつぼね)にしたり。 いつかといふあさざてて、みだうかざりさけ、おほんしつらひあらたむるに、きたひさしも、さうじどもはなちたりしかば、みないちてつくろふほど、にしわたどのひめみやおはしましけり。ものこうじて、にょうばうもおのおのつぼねにありつつ、おまへはいとひとずくななるゆふぐれに、だいしゃうどのなほしきかへて、けふまかづるそうなかに、かならずのたまふべきことあるにより、つりどのかたにおはしたるに、みなまかでぬれば、いけかたすずみたまひて、ひとずくななるに、かくいふさいしゃうきみなど、かりそめにきちゃうなどばかりてて、うちやすむうへつぼねにしたり。
525.2.3391353 「ここにやあらむ、(ひと)(きぬ)(おと)す」と(おぼ)して、馬道(めだう)(かた)障子(さうじ)(ほそ)()きたるより、やをら()たまへば、(れい)さやうの(ひと)のゐたるけはひには()ず、()()れしくしつらひたれば、なかなか、几帳(きちゃう)どもの()(ちが)へたるあはひより見通(みとほ)されて、あらはなり。 "ここにやあらん、ひときぬおとす。"とおぼして、めだうかたさうじほそきたるより、やをらたまへば、れいさやうのひとのゐたるけはひにはず、れしくしつらひたれば、なかなか、きちゃうどものちがへたるあはひよりみとほされて、あらはなり。
525.2.4392355 ()をものの(ふた)()きて()るとて、もて(さわ)(ひと)びと、大人三人(おとなみたり)ばかり、(わらは)()たり。唐衣(からぎぬ)汗衫(かざみ)()ず、(みな)うちとけたれば、御前(おまへ)とは()たまはぬに、(しろ)薄物(うすもの)御衣着替(おほんぞきか)へたまへる(ひと)の、()()()ちながら、かく(あらそ)ふを、すこし()みたまへる御顔(おほんかほ)()はむ(かた)なくうつくしげなり。 をもののふたきてるとて、もてさわひとびと、おとなみたりばかり、わらはたり。からぎぬかざみず、みなうちとけたれば、おまへとはたまはぬに、しろうすものおほんぞきかへたまへるひとの、ちながら、かくあらそふを、すこしみたまへるおほんかほはんかたなくうつくしげなり。
525.2.5393356 いと(あつ)さの()へがたき()なれば、こちたき御髪(みぐし)の、(くる)しう(おぼ)さるるにやあらむ、すこしこなたに(なび)かして()かれたるほど、たとへむものなし。「ここらよき(ひと)見集(みあつ)むれど、()るべくもあらざりけり」とおぼゆ。御前(おまへ)なる(ひと)は、まことに(つち)などの心地(ここち)ぞするを、(おも)(しづ)めて()れば、()なる生絹(すずし)単衣(ひとへ)薄色(うすいろ)なる裳着(もき)たる(ひと)の、(あふぎ)うち使(つか)ひたるなど、「用意(ようい)あらむはや」と、ふと()えて、 いとあつさのへがたきなれば、こちたきみぐしの、くるしうおぼさるるにやあらん、すこしこなたになびかしてかれたるほど、たとへんものなし。"ここらよきひとみあつむれど、るべくもあらざりけり。"とおぼゆ。おまへなるひとは、まことにつちなどのここちぞするを、おもしづめてれば、なるすずしひとへうすいろなるもきたるひとの、あふぎうちつかひたるなど、"よういあらんはや。"と、ふとえて、
525.2.6394357 「なかなか、もの(あつか)ひに、いと(くる)しげなり。ただ、さながら()たまへかし」 "なかなか、ものあつかひに、いとくるしげなり。ただ、さながらたまへかし。"
525.2.7395358 とて、(わら)ひたるまみ、愛敬(あいぎゃう)づきたり。声聞(こゑき)くにぞ、この(こころ)ざしの(ひと)とは()りぬる。 とて、わらひたるまみ、あいぎゃうづきたり。こゑきくにぞ、このこころざしのひととはりぬる。
525.3396359第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ
525.3.1397360 心強(こころづよ)()りて、()ごとに()たり。(かしら)にうち()き、(むね)にさし()てなど、さま()しうする(ひと)もあるべし。異人(ことびと)は、(かみ)につつみて、御前(おまへ)にもかくて(まゐ)らせたれど、いとうつくしき御手(みて)をさしやりたまひて、(のご)はせたまふ。 こころづよりて、ごとにたり。かしらにうちき、むねにさしてなど、さましうするひともあるべし。ことびとは、かみにつつみて、おまへにもかくてまゐらせたれど、いとうつくしきみてをさしやりたまひて、のごはせたまふ。
525.3.2398361 「いな、()たらじ。(しづく)むつかし」 "いな、たらじ。しづくむつかし。"
525.3.3399362 とのたまふ御声(おほんこゑ)、いとほのかに()くも、(かぎ)りもなくうれし。「まだいと(ちひ)さくおはしまししほどに、(われ)も、ものの(こころ)()らで()たてまつりし(とき)、めでたの稚児(ちご)(おほん)さまや、と()たてまつりし。その(のち)、たえてこの(おほん)けはひをだに()かざりつるものを、いかなる神仏(かみほとけ)の、かかる折見(をりみ)せたまへるならむ。(れい)の、やすからずもの(おも)はせむとするにやあらむ」 とのたまふおほんこゑ、いとほのかにくも、かぎりもなくうれし。"まだいとちひさくおはしまししほどに、われも、もののこころらでたてまつりしとき、めでたのちごおほんさまや、とたてまつりし。そののち、たえてこのおほんけはひをだにかざりつるものを、いかなるかみほとけの、かかるをりみせたまへるならん。れいの、やすからずものおもはせんとするにやあらん。"
525.3.4400363 と、かつは静心(しづこころ)なくて、まもり()ちたるほどに、こなたの(たい)北面(きたおもて)()みける下臈女房(げらふにょうばう)の、この障子(さうじ)は、とみのことにて、()けながら()りにけるを(おも)()でて、「(ひと)もこそ()つけて(さわ)がるれ」と(おも)ひければ、(まど)()る。 と、かつはしづこころなくて、まもりちたるほどに、こなたのたいきたおもてみけるげらふにょうばうの、このさうじは、とみのことにて、けながらりにけるをおもでて、"ひともこそつけてさわがるれ。"とおもひければ、まどる。
525.3.5401364 この直衣姿(なほしすがた)()つくるに、「(たれ)ならむ」と心騷(こころさわ)ぎて、おのがさま()えむことも()らず、簀子(すのこ)よりただ()()れば、ふと()()りて、「()れとも()えじ。()()きしきやうなり」と(おも)ひて(かく)れたまひぬ。 このなほしすがたつくるに、"たれならん。"とこころさわぎて、おのがさまえんこともらず、すのこよりただれば、ふとりて、"れともえじ。きしきやうなり。"とおもひてかくれたまひぬ。
525.3.6402365 この御許(おもと)は、 このおもとは、
525.3.7403366 「いみじきわざかな。御几帳(みきちゃう)をさへあらはに()きなしてけるよ。(みぎ)大殿(おほとの)(きみ)たちならむ。(うと)(ひと)、はた、ここまで()べきにもあらず。ものの()こえあらば、()れか障子(さうじ)()けたりしと、かならず()()なむ。単衣(ひとへ)(はかま)も、生絹(すずし)なめりと()えつる(ひと)御姿(おほんすがた)なれば、え(ひと)()きつけたまはぬならむかし」 "いみじきわざかな。みきちゃうをさへあらはにきなしてけるよ。みぎおほとのきみたちならん。うとひと、はた、ここまでべきにもあらず。もののこえあらば、れかさうじけたりしと、かならずなん。ひとへはかまも、すずしなめりとえつるひとおほんすがたなれば、えひときつけたまはぬならんかし。"
525.3.8404367 (おも)(こう)じてをり。 おもこうじてをり。
525.3.9405368 かの(ひと)は、「やうやう(ひじり)になりし(こころ)を、ひとふし(たが)へそめて、さまざまなるもの(おも)(ひと)ともなるかな。そのかみ()(そむ)きなましかば、(いま)(ふか)(やま)()()てて、かく心乱(こころみだ)れましやは」など(おぼ)(つづ)くるも、やすからず。「などて、(とし)ごろ、()たてまつらばやと(おも)ひつらむ。なかなか(くる)しう、かひなかるべきわざにこそ」と(おも)ふ。 かのひとは、"やうやうひじりになりしこころを、ひとふしたがへそめて、さまざまなるものおもひとともなるかな。そのかみそむきなましかば、いまふかやまてて、かくこころみだれましやは。"などおぼつづくるも、やすからず。"などて、としごろ、たてまつらばやとおもひつらん。なかなかくるしう、かひなかるべきわざにこそ。"とおもふ。
525.4406369第四段 薫と女二宮との夫婦仲
525.4.1407370 つとめて、()きたまへる女宮(をんなみや)御容貌(おほんかたち)、「いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」と()えながら、「さらに()たまはずこそありけれ。あさましきまであてに、えも()はざりし(おほん)さまかな。かたへは(おも)ひなしか、(をり)からか」と(おぼ)して、 つとめて、きたまへるをんなみやおほんかたち、"いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは。"とえながら、"さらにたまはずこそありけれ。あさましきまであてに、えもはざりしおほんさまかな。かたへはおもひなしか、をりからか。"とおぼして、
525.4.2408371 「いと(あつ)しや。これより(うす)御衣奉(おほんぞたてまつ)れ。(をんな)は、(れい)ならぬ物着(ものき)たるこそ、時々(ときどき)につけてをかしけれ」とて、「あなたに(まゐ)りて、大弐(だいに)に、薄物(うすもの)単衣(ひとへ)御衣(おほんぞ)()ひて(まゐ)れと()へ」 "いとあつしや。これよりうすおほんぞたてまつれ。をんなは、れいならぬものきたるこそ、ときどきにつけてをかしけれ。"とて、"あなたにまゐりて、だいにに、うすものひとへおほんぞひてまゐれとへ。"
525.4.3409372 とのたまふ。御前(おまへ)なる(ひと)は、「この御容貌(おほんかたち)のいみじき(さか)りにおはしますを、もてはやしきこえたまふ」とをかしう(おも)へり。 とのたまふ。おまへなるひとは、"このおほんかたちのいみじきさかりにおはしますを、もてはやしきこえたまふ。"とをかしうおもへり。
525.4.4410373 (れい)の、念誦(ねんず)したまふわが御方(おほんかた)におはしましなどして、(ひる)方渡(かたわた)りたまへれば、のたまひつる御衣(おほんぞ)御几帳(みきちゃう)にうち()けたり。 れいの、ねんずしたまふわがおほんかたにおはしましなどして、ひるかたわたりたまへれば、のたまひつるおほんぞみきちゃうにうちけたり。
525.4.5411374 「なぞ、こは(たてまつ)らぬ。人多(ひとおほ)()(とき)なむ、()きたる物着(ものき)るは、ばうぞくにおぼゆる。ただ(いま)はあへはべりなむ」 "なぞ、こはたてまつらぬ。ひとおほときなん、きたるものきるは、ばうぞくにおぼゆる。ただいまはあへはべりなん。"
525.4.6412375 とて、()づから()(たてまつ)りたまふ。御袴(おほんはかま)昨日(きのふ)(おな)(くれなゐ)なり。御髪(みぐし)(おほ)さ、(すそ)などは(おと)りたまはねど、なほさまざまなるにや、()るべくもあらず。氷召(ひめ)して、(ひと)びとに()らせたまふ。()りて(ひと)(たてまつ)りなどしたまふ、(こころ)のうちもをかし。 とて、づからたてまつりたまふ。おほんはかまきのふおなくれなゐなり。みぐしおほさ、すそなどはおとりたまはねど、なほさまざまなるにや、るべくもあらず。ひめして、ひとびとにらせたまふ。りてひとたてまつりなどしたまふ、こころのうちもをかし。
525.4.7413376 ()()きて、(こひ)しき人見(ひとみ)(ひと)は、なくやはありける。ましてこれは、(なぐさ)めむに()げなからぬ(おほん)ほどぞかしと(おも)へど、昨日(きのふ)かやうにて、我混(われま)じりゐ、(こころ)にまかせて()たてまつらましかば」とおぼゆるに、(こころ)にもあらずうち(なげ)かれぬ。 "きて、こひしきひとみひとは、なくやはありける。ましてこれは、なぐさめんにげなからぬおほんほどぞかしとおもへど、きのふかやうにて、われまじりゐ、こころにまかせてたてまつらましかば。"とおぼゆるに、こころにもあらずうちなげかれぬ。
525.4.8414377 一品(いっぽん)(みや)に、御文(おほんふみ)(たてまつ)りたまふや」 "いっぽんみやに、おほんふみたてまつりたまふや。"
525.4.9415378 ()こえたまへば、 こえたまへば、
525.4.10416379 内裏(うち)にありし(とき)主上(うへ)の、さのたまひしかば()こえしかど、(ひさ)しうさもあらず」 "うちにありしときうへの、さのたまひしかばこえしかど、ひさしうさもあらず。"
525.4.11417380 とのたまふ。 とのたまふ。
525.4.12418381 「ただ(うど)にならせたまひにたりとて、かれよりも()こえさせたまはぬにこそは、心憂(こころう)かなれ。(いま)大宮(おほみや)御前(おまへ)にて、(うら)みきこえさせたまふ、と(けい)せむ」 "ただうどにならせたまひにたりとて、かれよりもこえさせたまはぬにこそは、こころうかなれ。いまおほみやおまへにて、うらみきこえさせたまふ、とけいせん。"
525.4.13419382 とのたまふ。 とのたまふ。
525.4.14420383 「いかが(うら)みきこえむ。うたて」 "いかがうらみきこえん。うたて。"
525.4.15421384 とのたまへば、 とのたまへば、
525.4.16422385 下衆(げす)になりにたりとて、(おぼ)()とすなめり、と()れば、おどろかしきこえぬ、とこそは()こえめ」 "げすになりにたりとて、おぼとすなめり、とれば、おどろかしきこえぬ、とこそはこえめ。"
525.4.17423386 とのたまふ。 とのたまふ。
525.5424387第五段 薫、明石中宮に対面
525.5.1425388 その()()らして、またの(あした)大宮(おほみや)(まゐ)りたまふ。(れい)の、(みや)もおはしけり。丁子(ちゃうじ)(ふか)()めたる薄物(うすもの)単衣(ひとへ)を、こまやかなる直衣(なほし)()たまへる、いとこのましげなる(をんな)御身(おほんみ)なりのめでたかりしにも(おと)らず、(しろ)くきよらにて、なほありしよりは面痩(おもや)せたまへる、いと()るかひあり。 そのらして、またのあしたおほみやまゐりたまふ。れいの、みやもおはしけり。ちゃうじふかめたるうすものひとへを、こまやかなるなほしたまへる、いとこのましげなるをんなおほんみなりのめでたかりしにもおとらず、しろくきよらにて、なほありしよりはおもやせたまへる、いとるかひあり。
525.5.2426389 おぼえたまへりと()るにも、まづ(こひ)しきを、いとあるまじきこと、と(しづ)むるぞ、ただなりしよりは(くる)しき。()をいと(おほ)()たせて(まゐ)りたまへりける、女房(にょうばう)して、あなたに(まゐ)らせたまひて、(わた)らせたまひぬ。 おぼえたまへりとるにも、まづこひしきを、いとあるまじきこと、としづむるぞ、ただなりしよりはくるしき。をいとおほたせてまゐりたまへりける、にょうばうして、あなたにまゐらせたまひて、わたらせたまひぬ。
525.5.3427390 大将(だいしゃう)(ちか)(まゐ)()りたまひて、御八講(みはかう)(たふと)くはべりしこと、いにしへの(おほん)こと、すこし()こえつつ、(のこ)りたる絵見(ゑみ)たまふついでに、 だいしゃうちかまゐりたまひて、みはかうたふとくはべりしこと、いにしへのおほんこと、すこしこえつつ、のこりたるゑみたまふついでに、
525.5.4428391 「この(さと)にものしたまふ皇女(みこ)の、(くも)上離(うへはな)れて、(おも)()したまへるこそ、いとほしう()たまふれ。姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)より、御消息(おほんせうそこ)もはべらぬを、かく品定(しなさだ)まりたまへるに、(おぼ)()てさせたまへるやうに(おも)ひて、(こころ)ゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの、時々(ときどき)ものせさせたまはなむ。なにがしがおろして()てまからむ。はた、()るかひもはべらじかし」 "このさとにものしたまふみこの、くもうへはなれて、おもしたまへるこそ、いとほしうたまふれ。ひめみやおほんかたより、おほんせうそこもはべらぬを、かくしなさだまりたまへるに、おぼてさせたまへるやうにおもひて、こころゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの、ときどきものせさせたまはなん。なにがしがおろしててまからん。はた、るかひもはべらじかし。"
525.5.5429392 とのたまへば、 とのたまへば、
525.5.6430393 「あやしく。などてか()てきこえたまはむ。内裏(うち)にては、(ちか)かりしにつきて、時々(ときどき)()こえたまふめりしを、所々(ところどころ)になりたまひし(をり)に、とだえたまへるにこそあらめ。(いま)、そそのかしきこえむ。それよりもなどかは」 "あやしく。などてかてきこえたまはん。うちにては、ちかかりしにつきて、ときどきこえたまふめりしを、ところどころになりたまひしをりに、とだえたまへるにこそあらめ。いま、そそのかしきこえん。それよりもなどかは。"
525.5.7431394 ()こえたまふ。 こえたまふ。
525.5.8432395 「かれよりは、いかでかは。もとより(かず)まへさせたまはざらむをも、かく(した)しくてさぶらふべきゆかりに()せて、(おぼ)()(かず)まへさせたまはむをこそ、うれしくははべるべけれ。まして、さも()こえ()れたまひにけむを、今捨(います)てさせたまはむは、からきことにはべり」 "かれよりは、いかでかは。もとよりかずまへさせたまはざらんをも、かくしたしくてさぶらふべきゆかりにせて、おぼかずまへさせたまはんをこそ、うれしくははべるべけれ。まして、さもこえれたまひにけんを、いますてさせたまはんは、からきことにはべり。"
525.5.9433396 (けい)せさせたまふを、「()きばみたるけしきあるか」とは(おぼ)しかけざりけり。 けいせさせたまふを、"きばみたるけしきあるか。"とはおぼしかけざりけり。
525.5.10434397 ()()でて、「一夜(ひとよ)(こころ)ざしの(ひと)()はむ。ありし渡殿(わたどの)(なぐさ)めに()むかし」と(おぼ)して、御前(おまへ)(あゆ)(わた)りて、西(にし)ざまにおはするを、御簾(みす)(うち)(ひと)(こころ)ことに用意(ようい)す。げに、いと(さま)よく(かぎ)りなきもてなしにて、渡殿(わたどの)(かた)は、(ひだり)大殿(おほとの)(きみ)たちなど()て、物言(ものい)ふけはひすれば、妻戸(つまど)(まへ)()たまひて、 でて、"ひとよこころざしのひとはん。ありしわたどのなぐさめにんかし。"とおぼして、おまへあゆわたりて、にしざまにおはするを、みすうちひとこころことによういす。げに、いとさまよくかぎりなきもてなしにて、わたどのかたは、ひだりおほとのきみたちなどて、ものいふけはひすれば、つまどまへたまひて、
525.5.11435398 「おほかたには(まゐ)りながら、この御方(おほんかた)見参(げんざん)()ることの、(かた)くはべれば、いとおぼえなく、(おきな)()てにたる心地(ここち)しはべるを、(いま)よりは、と(おも)()こしはべりてなむ。ありつかず、(わか)(ひと)どもぞ(おも)ふらむかし」 "おほかたにはまゐりながら、このおほんかたげんざんることの、かたくはべれば、いとおぼえなく、おきなてにたるここちしはべるを、いまよりは、とおもこしはべりてなん。ありつかず、わかひとどもぞおもふらんかし。"
525.5.12436399 と、(をひ)(きみ)たちの(かた)()やりたまふ。 と、をひきみたちのかたやりたまふ。
525.5.13437400 (いま)よりならはせたまふこそ、げに(わか)くならせたまふならめ」 "いまよりならはせたまふこそ、げにわかくならせたまふならめ。"
525.5.14438401 など、はかなきことを()(ひと)びとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしき御方(おほんかた)のありさまにぞある。そのこととなけれど、()(なか)物語(ものがたり)などしつつ、しめやかに、(れい)よりは()たまへり。 など、はかなきことをひとびとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしきおほんかたのありさまにぞある。そのこととなけれど、なかものがたりなどしつつ、しめやかに、れいよりはたまへり。
525.6439402第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く
525.6.1440403 姫宮(ひめみや)は、あなたに(わた)らせたまひにけり。大宮(おほみや) ひめみやは、あなたにわたらせたまひにけり。おほみや
525.6.2441404 大将(だいしゃう)のそなたに(まゐ)りつるは」 "だいしゃうのそなたにまゐりつるは。"
525.6.3442405 ()ひたまふ。御供(おほんとも)(まゐ)りたる大納言(だいなごん)(きみ) ひたまふ。おほんともまゐりたるだいなごんきみ
525.6.4443406 小宰相(こさいしゃう)(きみ)に、もののたまはむとにこそは、はべめりつれ」 "こさいしゃうきみに、もののたまはんとにこそは、はべめりつれ。"
525.6.5444407 ()こゆるに、 こゆるに、
525.6.6445408 (れい)、まめ(びと)の、さすがに(ひと)(こころ)とどめて物語(ものがたり)するこそ、心地(ここち)おくれたらむ(ひと)(くる)しけれ。(こころ)のほども()ゆらむかし。小宰相(こさいしゃう)などは、いとうしろやすし」 "れい、まめびとの、さすがにひとこころとどめてものがたりするこそ、ここちおくれたらんひとくるしけれ。こころのほどもゆらんかし。こさいしゃうなどは、いとうしろやすし。"
525.6.7446409 とのたまひて、御姉弟(おほんはらから)なれど、この(きみ)をば、なほ()づかしく、「(ひと)用意(ようい)なくて()えざらむかし」と(おぼ)いたり。 とのたまひて、おほんはらからなれど、このきみをば、なほづかしく、"ひとよういなくてえざらんかし。"とおぼいたり。
525.6.8447410 (ひと)よりは心寄(こころよ)せたまひて、(つぼね)などに()()りたまふべし。物語(ものがたり)こまやかにしたまひて、夜更(よふ)けて()でたまふ折々(をりをり)もはべれど、(れい)目馴(めな)れたる(すぢ)にははべらぬにや。(みや)をこそ、いと(なさ)けなくおはしますと(おも)ひて、(おほん)いらへをだに()こえずはべるめれ。かたじけなきこと」 "ひとよりはこころよせたまひて、つぼねなどにりたまふべし。ものがたりこまやかにしたまひて、よふけてでたまふをりをりもはべれど、れいめなれたるすぢにははべらぬにや。みやをこそ、いとなさけなくおはしますとおもひて、おほんいらへをだにこえずはべるめれ。かたじけなきこと。"
525.6.9448411 ()ひて(わら)へば、(みや)(わら)はせたまひて、 ひてわらへば、みやわらはせたまひて、
525.6.10449412 「いと見苦(みぐる)しき(おほん)さまを、(おも)()るこそをかしけれ。いかで、かかる御癖(おほんくせ)やめたてまつらむ。()づかしや、この(ひと)びとも」 "いとみぐるしきおほんさまを、おもるこそをかしけれ。いかで、かかるおほんくせやめたてまつらん。づかしや、このひとびとも。"
525.6.11450413 とのたまふ。 とのたまふ。
525.7451414第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る
525.7.1452415 「いとあやしきことをこそ()きはべりしか。この大将(だいしゃう)()くなしたまひてし(ひと)は、(みや)御二条(おほんにでう)(きた)(かた)(おほん)おとうとなりけり。異腹(ことばら)なるべし。常陸(ひたち)(さき)(かみ)なにがしが()は、叔母(をば)とも(はは)とも()ひはべるなるは、いかなるにか。その女君(をんなぎみ)に、(みや)こそ、いと(しの)びておはしましけれ。 "いとあやしきことをこそきはべりしか。このだいしゃうくなしたまひてしひとは、みやおほんにでうきたかたおほんおとうとなりけり。ことばらなるべし。ひたちさきかみなにがしがは、をばともははともひはべるなるは、いかなるにか。そのをんなぎみに、みやこそ、いとしのびておはしましけれ。
525.7.2453416 大将殿(だいしゃうどの)()きつけたまひたりけむ。にはかに(むか)へたまはむとて、(まも)目添(めそ)へなど、ことことしくしたまひけるほどに、(みや)も、いと(しの)びておはしましながら、え()らせたまはず、あやしきさまに、御馬(おほんむま)ながら()たせたまひつつぞ、(かへ)らせたまひける。 だいしゃうどのきつけたまひたりけん。にはかにむかへたまはんとて、まもめそへなど、ことことしくしたまひけるほどに、みやも、いとしのびておはしましながら、えらせたまはず、あやしきさまに、おほんむまながらたせたまひつつぞ、かへらせたまひける。
525.7.3454417 (をんな)も、(みや)(おも)ひきこえさせけるにや、にはかに()()せにけるを、身投(みな)げたるなめりとてこそ、乳母(めのと)などやうの(ひと)どもは、()(まど)ひはべりけれ」 をんなも、みやおもひきこえさせけるにや、にはかにせにけるを、みなげたるなめりとてこそ、めのとなどやうのひとどもは、まどひはべりけれ。"
525.7.4455418 ()こゆ。(みや)も、「いとあさまし」と(おぼ)して、 こゆ。みやも、"いとあさまし。"とおぼして、
525.7.5456419 ()れか、さることは()ふとよ。いとほしく心憂(こころう)きことかな。さばかりめづらかならむことは、おのづから()こえありぬべきを。大将(だいしゃう)もさやうには()はで、()(なか)のはかなくいみじきこと、かく宇治(うぢ)(みや)(ぞう)の、命短(いのちみじか)かりけることをこそ、いみじう(かな)しと(おも)ひてのたまひしか」 "れか、さることはふとよ。いとほしくこころうきことかな。さばかりめづらかならんことは、おのづからこえありぬべきを。だいしゃうもさやうにははで、なかのはかなくいみじきこと、かくうぢみやぞうの、いのちみじかかりけることをこそ、いみじうかなしとおもひてのたまひしか。"
525.7.6457420 とのたまふ。 とのたまふ。
525.7.7458421 「いさや、下衆(げす)は、たしかならぬことをも()ひはべるものを、と(おも)ひはべれど、かしこにはべりける下童(しもわらは)の、ただこのころ、宰相(さいしゃう)(さと)()でまうできて、たしかなるやうにこそ()ひはべりけれ。かくあやしうて()せたまへること、(ひと)()かせじ。おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじく(かく)しけることどもとて。さて、(くは)しくは()かせたてまつらぬにやありけむ」 "いさや、げすは、たしかならぬことをもひはべるものを、とおもひはべれど、かしこにはべりけるしもわらはの、ただこのころ、さいしゃうさとでまうできて、たしかなるやうにこそひはべりけれ。かくあやしうてせたまへること、ひとかせじ。おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじくかくしけることどもとて。さて、くはしくはかせたてまつらぬにやありけん。"
525.7.8459422 ()こゆれば、 こゆれば、
525.7.9460423 「さらに、かかること、またまねぶな、と()はせよ。かかる(すぢ)に、御身(おほんみ)をももてそこなひ、(ひと)(かる)(こころ)づきなきものに(おも)はれぬべきなめり」 "さらに、かかること、またまねぶな、とはせよ。かかるすぢに、おほんみをももてそこなひ、ひとかるこころづきなきものにおもはれぬべきなめり。"
525.7.10461424 といみじう(おぼ)いたり。 といみじうおぼいたり。
526462425第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
526.1463426第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙
526.1.1464427 その(のち)姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)より、()(みや)御消息(おほんせうそこ)ありけり。御手(おほんて)などの、いみじううつくしげなるを()るにも、いとうれしく、「かくてこそ、とく()るべかりけれ」と(おぼ)す。 そののちひめみやおほんかたより、みやおほんせうそこありけり。おほんてなどの、いみじううつくしげなるをるにも、いとうれしく、"かくてこそ、とくるべかりけれ。"とおぼす。
526.1.2465428 あまたをかしき()ども(おほ)く、大宮(おほみや)もたてまつらせたまへり。大将殿(だいしゃうどの)、うちまさりてをかしきども(あつ)めて、(まゐ)らせたまふ。芹川(せりかは)大将(だいしゃう)遠君(とほぎみ)の、女一(をんないち)宮思(みやおも)ひかけたる(あき)夕暮(ゆふぐれ)に、(おも)ひわびて()でて()きたる(かた)、をかしう()きたるを、いとよく(おも)()せらるかし。「かばかり(おぼ)(なび)(ひと)のあらましかば」と(おも)()口惜(くちを)しき。 あまたをかしきどもおほく、おほみやもたてまつらせたまへり。だいしゃうどの、うちまさりてをかしきどもあつめて、まゐらせたまふ。せりかはだいしゃうとほぎみの、をんないちみやおもひかけたるあきゆふぐれに、おもひわびてでてきたるかた、をかしうきたるを、いとよくおもせらるかし。"かばかりおぼなびひとのあらましかば。"とおもくちをしき。
526.1.3466429 (おぎ)()露吹(つゆふ)(むす)秋風(あきかぜ)も<BR/>(ゆふ)べぞわきて()にはしみける」 "〔おぎつゆふむすあきかぜも<BR/>ゆふべぞわきてにはしみける〕
526.1.4467430 ()きても()へまほしく(おぼ)せど、 きてもへまほしくおぼせど、
526.1.5468431 「さやうなるつゆばかりのけしきにても()りたらば、いとわづらはしげなる()なれば、はかなきことも、えほのめかし()づまじ。かくよろづに(なに)やかやと、ものを(おも)ひの()ては、(むかし)(ひと)のものしたまはましかば、いかにもいかにも(ほか)ざまに心分(こころわ)けましや。 "さやうなるつゆばかりのけしきにてもりたらば、いとわづらはしげなるなれば、はかなきことも、えほのめかしづまじ。かくよろづになにやかやと、ものをおもひのては、むかしひとのものしたまはましかば、いかにもいかにもほかざまにこころわけましや。
526.1.6469432 (とき)(みかど)御女(おほんむすめ)(たま)ふとも、()たてまつらざらまし。また、さ(おも)(ひと)ありと()こし()しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂(こころう)く、わが心乱(こころみだ)りたまひける橋姫(はしひめ)かな」 ときみかどおほんむすめたまふとも、たてまつらざらまし。また、さおもひとありとこししながらは、かかることもなからましを、なほこころうく、わがこころみだりたまひけるはしひめかな。"
526.1.7470433 (おも)ひあまりては、また(みや)(うへ)にとりかかりて、(こひ)しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで(くや)しき。これに(おも)ひわびて、さしつぎには、あさましくて()せにし(ひと)の、いと心幼(こころをさな)く、とどこほるところなかりける軽々(かろがろ)しさをば(おも)ひながら、さすがにいみじとものを、(おも)()りけむほど、わがけしき(れい)ならずと、(こころ)(おに)(なげ)(しづ)みてゐたりけむありさまを、()きたまひしも(おも)()でられつつ、 おもひあまりては、またみやうへにとりかかりて、こひしうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまでくやしき。これにおもひわびて、さしつぎには、あさましくてせにしひとの、いとこころをさなく、とどこほるところなかりけるかろがろしさをばおもひながら、さすがにいみじとものを、おもりけんほど、わがけしきれいならずと、こころおになげしづみてゐたりけんありさまを、きたまひしもおもでられつつ、
526.1.8471434 (おも)りかなる(かた)ならで、ただ(こころ)やすくらうたき(かた)らひ(びと)にてあらせむ、と(おも)ひしには、いとらうたかりし(ひと)を。(おも)ひもていけば、(みや)をも(おも)ひきこえじ。(をんな)をも()しと(おも)はじ。ただわがありさまの()づかぬおこたりぞ」 "おもりかなるかたならで、ただこころやすくらうたきかたらひびとにてあらせん、とおもひしには、いとらうたかりしひとを。おもひもていけば、みやをもおもひきこえじ。をんなをもしとおもはじ。ただわがありさまのづかぬおこたりぞ。"
526.1.9472435 など、(なが)()りたまふ時々多(ときどきおほ)かり。 など、ながりたまふときどきおほかり。
526.2473436第二段 侍従、明石中宮に出仕す
526.2.1474437 (こころ)のどかに、さまよくおはする(ひと)だに、かかる(すぢ)には、()(くる)しきことおのづから()じるを、(みや)は、まして(なぐさ)めかねつつ、かの形見(かたみ)に、()かぬ(かな)しさをものたまひ()づべき(ひと)さへなきを、(たい)御方(おほんかた)ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、(ふか)くも見馴(みな)れたまはざりける、うちつけの(むつ)びなれば、いと(ふか)くしも、いかでかはあらむ。また、(おぼ)すままに、「(こひ)しや、いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従(じじゅう)をぞ、(れい)の、(むか)へさせたまひける。 こころのどかに、さまよくおはするひとだに、かかるすぢには、くるしきことおのづからじるを、みやは、ましてなぐさめかねつつ、かのかたみに、かぬかなしさをものたまひづべきひとさへなきを、たいおほんかたばかりこそは、"あはれ"などのたまへど、ふかくもみなれたまはざりける、うちつけのむつびなれば、いとふかくしも、いかでかはあらん。また、おぼすままに、"こひしや、いみじや。"などのたまはんには、かたはらいたければ、かしこにありしじじゅうをぞ、れいの、むかへさせたまひける。
526.2.2475438 皆人(みなひと)どもは()()りて、乳母(めのと)とこの人二人(ひとふたり)なむ、()()きて(おぼ)したりしも(わす)れがたくて、侍従(じじゅう)はよそ(びと)なれど、なほ(かた)らひてあり()るに、()づかぬ(かは)(おと)も、うれしき()もやある、と(たの)みしほどこそ(なぐさ)めけれ、心憂(こころう)くいみじくもの(おそ)ろしくのみおぼえて、(きゃう)になむ、あやしき(ところ)に、このころ()てゐたりける、(たづ)ねたまひて、 みなひとどもはりて、めのととこのひとふたりなん、きておぼしたりしもわすれがたくて、じじゅうはよそびとなれど、なほかたらひてありるに、づかぬかはおとも、うれしきもやある、とたのみしほどこそなぐさめけれ、こころうくいみじくものおそろしくのみおぼえて、きゃうになん、あやしきところに、このころてゐたりける、たづねたまひて、
526.2.3476439 「かくてさぶらへ」 "かくてさぶらへ。"
526.2.4477440 とのたまへば、「御心(みこころ)はさるものにて、(ひと)びとの()はむことも、さる(すぢ)のこと()じりぬるあたりは、()きにくきこともあらむ」と(おも)へば、うけひききこえず。「(きさい)(みや)(まゐ)らむ」となむおもむけたれば、 とのたまへば、"みこころはさるものにて、ひとびとのはんことも、さるすぢのことじりぬるあたりは、きにくきこともあらん。"とおもへば、うけひききこえず。"きさいみやまゐらん。"となんおもむけたれば、
526.2.5478441 「いとよかなり。さて人知(ひとし)れず(おぼ)使(つか)はむ」 "いとよかなり。さてひとしれずおぼつかはん。"
526.2.6479442 とのたまはせけり。心細(こころぼそ)くよるべなきも(なぐさ)むやとて、()るたより(もと)(まゐ)りぬ。「きたなげなくてよろしき下臈(げらふ)なり」と(ゆる)して、(ひと)もそしらず。大将殿(だいしゃうどの)(つね)(まゐ)りたまふを、()るたびごとに、もののみあはれなり。「いとやむごとなきものの姫君(ひめぎみ)のみ、(まゐ)(つど)ひたる(みや)」と(ひと)()ふを、やうやう()とどめて()れど、「()たてまつりし(ひと)()たるはなかりけり」と(おも)ひありく。 とのたまはせけり。こころぼそくよるべなきもなぐさむやとて、るたよりもとまゐりぬ。"きたなげなくてよろしきげらふなり。"とゆるして、ひともそしらず。だいしゃうどのつねまゐりたまふを、るたびごとに、もののみあはれなり。"いとやんごとなきもののひめぎみのみ、まゐつどひたるみや。"とひとふを、やうやうとどめてれど、"たてまつりしひとたるはなかりけり。"とおもひありく。
526.3480443第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う
526.3.1481444 この春亡(はるう)せたまひぬる式部卿宮(しきぶきゃうのみや)御女(おほんむすめ)を、継母(ままはは)(きた)(かた)、ことにあひ(おも)はで、(せうと)馬頭(むまのかみ)にて人柄(ひとがら)もことなることなき、心懸(こころか)けたるを、いとほしうなども(おも)ひたらで、さるべきさまになむ(ちぎ)る、と()こし()すたよりありて、 このはるうせたまひぬるしきぶきゃうのみやおほんむすめを、ままははきたかた、ことにあひおもはで、せうとむまのかみにてひとがらもことなることなき、こころかけたるを、いとほしうなどもおもひたらで、さるべきさまになんちぎる、とこしすたよりありて、
526.3.2482445 「いとほしう。父宮(ちちみや)のいみじくかしづきたまひける女君(をんなぎみ)を、いたづらなるやうにもてなさむこと」 "いとほしう。ちちみやのいみじくかしづきたまひけるをんなぎみを、いたづらなるやうにもてなさんこと。"
526.3.3483446 などのたまはせければ、いと心細(こころぼそ)くのみ(おも)(なげ)きたまふありさまにて、 などのたまはせければ、いとこころぼそくのみおもなげきたまふありさまにて、
526.3.4484447 「なつかしう、かく(たづ)ねのたまはするを」 "なつかしう、かくたづねのたまはするを。"
526.3.5485448 など、御兄(おほんせうと)侍従(じじゅう)()ひて、このころ(むか)()らせたまひてけり。姫宮(ひめみや)御具(おほんぐ)にて、いとこよなからぬ(おほん)ほどの(ひと)なれば、やむごとなく(こころ)ことにてさぶらひたまふ。(かぎ)りあれば、(みや)(きみ)などうち()ひて、()ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。 など、おほんせうとじじゅうひて、このころむからせたまひてけり。ひめみやおほんぐにて、いとこよなからぬおほんほどのひとなれば、やんごとなくこころことにてさぶらひたまふ。かぎりあれば、みやきみなどうちひて、ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。
526.3.6486449 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)、「この(きみ)ばかりや、(こひ)しき(ひと)(おも)ひよそへつべきさましたらむ。父親王(ちちみこ)兄弟(はらから)ぞかし」など、(れい)御心(みこころ)は、(ひと)()ひたまふにつけても、(ひと)ゆかしき御癖(おほんくせ)やまで、いつしかと御心(みこころ)かけたまひてけり。 ひゃうぶきゃうのみや、"このきみばかりや、こひしきひとおもひよそへつべきさましたらん。ちちみこはらからぞかし。"など、れいみこころは、ひとひたまふにつけても、ひとゆかしきおほんくせやまで、いつしかとみこころかけたまひてけり。
526.3.7487450 大将(だいしゃう)、「もどかしきまでもあるわざかな。昨日今日(きのふけふ)といふばかり、春宮(とうぐう)にやなど(おぼ)し、(われ)にもけしきばませたまひきかし。かくはかなき()(おとろ)へを()るには、(みづ)(そこ)()(しづ)めても、もどかしからぬわざにこそ」など(おも)ひつつ、(ひと)よりは心寄(こころよ)せきこえたまへり。 だいしゃう、"もどかしきまでもあるわざかな。きのふけふといふばかり、とうぐうにやなどおぼし、われにもけしきばませたまひきかし。かくはかなきおとろへをるには、みづそこしづめても、もどかしからぬわざにこそ。"などおもひつつ、ひとよりはこころよせきこえたまへり。
526.3.8488451 この(ゐん)におはしますをば、内裏(うち)よりも(ひろ)くおもしろく()みよきものにして、(つね)にしもさぶらはぬどもも、(みな)うちとけ()みつつ、はるばると(おほ)かる(たい)ども、(らう)渡殿(わたどの)()ちたり。 このゐんにおはしますをば、うちよりもひろくおもしろくみよきものにして、つねにしもさぶらはぬどもも、みなうちとけみつつ、はるばるとおほかるたいども、らうわたどのちたり。
526.3.9489452 左大臣殿(さだいじんどの)(むかし)(おほん)けはひにも(おと)らず、すべて(かぎ)りもなく(いとな)(つか)うまつりたまふ。いかめしうなりたる御族(おほんぞう)なれば、なかなかいにしへよりも、(いま)めかしきことはまさりてさへなむありける。 さだいじんどのむかしおほんけはひにもおとらず、すべてかぎりもなくいとなつかうまつりたまふ。いかめしうなりたるおほんぞうなれば、なかなかいにしへよりも、いまめかしきことはまさりてさへなんありける。
526.3.10490453 この(みや)(れい)御心(みこころ)ならば、(つき)ごろのほどに、いかなる()きごとどもをし()でたまはまし、こよなく(しづ)まりたまひて、人目(ひとめ)に「すこし()(なほ)りたまふかな」と()ゆるを、このころぞまた、(みや)(きみ)に、本性現(ほんじゃうあら)はれて、かかづらひありきたまひける。 このみやれいみこころならば、つきごろのほどに、いかなるきごとどもをしでたまはまし、こよなくしづまりたまひて、ひとめに"すこしなほりたまふかな。"とゆるを、このころぞまた、みやきみに、ほんじゃうあらはれて、かかづらひありきたまひける。
526.4491454第四段 侍従、薫と匂宮を覗く
526.4.1492455 (すず)しくなりぬとて、(みや)内裏(うち)(まゐ)らせたまひなむとすれば、 すずしくなりぬとて、みやうちまゐらせたまひなんとすれば、
526.4.2493456 (あき)(さか)り、紅葉(もみぢ)のころを()ざらむこそ」 "あきさかり、もみぢのころをざらんこそ。"
526.4.3494457 など、(わか)(ひと)びとは口惜(くちを)しがりて、皆参(みなまゐ)(つど)ひたるころなり。(みづ)()(つき)をめでて、御遊(おほんあそ)()えず、(つね)よりも(いま)めかしければ、この(みや)ぞ、かかる(すぢ)はいとこよなくもてはやしたまふ。朝夕目馴(あさゆふめな)れても、なほ今見(いまみ)初花(はつはな)のさましたまへるに、大将(だいしゃう)(きみ)は、いとさしも()()ちなどしたまはぬほどにて、()づかしう(こころ)ゆるびなきものに、皆思(みなおも)ひたり。 など、わかひとびとはくちをしがりて、みなまゐつどひたるころなり。みづつきをめでて、おほんあそえず、つねよりもいまめかしければ、このみやぞ、かかるすぢはいとこよなくもてはやしたまふ。あさゆふめなれても、なほいまみはつはなのさましたまへるに、だいしゃうきみは、いとさしもちなどしたまはぬほどにて、づかしうこころゆるびなきものに、みなおもひたり。
526.4.4495458 (れい)の、二所参(ふたところまゐ)りたまひて、御前(おまへ)におはするほどに、かの侍従(じじゅう)は、ものより(のぞ)きたてまつるに、 れいの、ふたところまゐりたまひて、おまへにおはするほどに、かのじじゅうは、ものよりのぞきたてまつるに、
526.4.5496459 「いづ(かた)にもいづ(かた)にもよりて、めでたき御宿世見(おほんすくせみ)えたるさまにて、()にぞおはせましかし。あさましくはかなく、心憂(こころう)かりける御心(みこころ)かな」 "いづかたにもいづかたにもよりて、めでたきおほんすくせみえたるさまにて、にぞおはせましかし。あさましくはかなく、こころうかりけるみこころかな。"
526.4.6497460 など、(ひと)には、そのわたりのこと、かけて()(がほ)にも()はぬことなれば、心一(こころひと)つに()かず(むね)いたく(おも)ふ。(みや)は、内裏(うち)御物語(おほんものがたり)など、こまやかに()こえさせたまへば、いま一所(ひとところ)()()でたまふ。「()つけられたてまつらじ。しばし、御果(おほんは)てをも()ぐさず心浅(こころあさ)し、と()えたてまつらじ」と(おも)へば、(かく)れぬ。 など、ひとには、そのわたりのこと、かけてがほにもはぬことなれば、こころひとつにかずむねいたくおもふ。みやは、うちおほんものがたりなど、こまやかにこえさせたまへば、いまひとところでたまふ。"つけられたてまつらじ。しばし、おほんはてをもぐさずこころあさし、とえたてまつらじ。"とおもへば、かくれぬ。
526.5498461第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う
526.5.1499462 (ひんがし)渡殿(わたどの)に、()きあひたる戸口(とぐち)に、(ひと)びとあまたゐて、物語(ものがたり)などする(ところ)におはして、 ひんがしわたどのに、きあひたるとぐちに、ひとびとあまたゐて、ものがたりなどするところにおはして、
526.5.2500463 「なにがしをぞ、女房(にょうばう)(むつ)ましと(おぼ)すべき。(をんな)だにかく(こころ)やすくはよもあらじかし。さすがにさるべからむこと、(をし)へきこえぬべくもあり。やうやう見知(みし)りたまふべかめれば、いとなむうれしき」 "なにがしをぞ、にょうばうむつましとおぼすべき。をんなだにかくこころやすくはよもあらじかし。さすがにさるべからんこと、をしへきこえぬべくもあり。やうやうみしりたまふべかめれば、いとなんうれしき。"
526.5.3501464 とのたまへば、いといらへにくくのみ(おも)(なか)に、(べん)御許(おもと)とて、()れたる大人(おとな) とのたまへば、いといらへにくくのみおもなかに、べんおもととて、れたるおとな
526.5.4502465 「そも(むつ)ましく(おも)ひきこゆべきゆゑなき(ひと)の、()ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。かならずそのゆゑ(たづ)ねて、うちとけ御覧(ごらん)ぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無(おもな)くつくりそめてける()()はさざらむも、かたはらいたくてなむ」 "そもむつましくおもひきこゆべきゆゑなきひとの、ぢきこえはべらぬにや。ものはさこそはなかなかはべるめれ。かならずそのゆゑたづねて、うちとけごらんぜらるるにしもはべらねど、かばかりおもなくつくりそめてけるはさざらんも、かたはらいたくてなん。"
526.5.5503466 ()こゆれば、 こゆれば、
526.5.6504467 ()づべきゆゑあらじ、と(おも)(さだ)めたまひてけるこそ、口惜(くちを)しけれ」 "づべきゆゑあらじ、とおもさだめたまひてけるこそ、くちをしけれ。"
526.5.7505468 など、のたまひつつ()れば、唐衣(からぎぬ)()ぎすべし()しやり、うちとけて手習(てならひ)しけるなるべし、(すずり)(ふた)()ゑて、(こころ)もとなき(はな)末手折(すゑたを)りて、(もてあそ)びけり、と()ゆ。かたへは几帳(きちゃう)のあるにすべり(かく)れ、あるはうち(そむ)き、()()けたる()(かた)に、(まぎ)らはしつつゐたる、(かしら)つきどもも、をかしと()わたしたまひて、(すずり)ひき()せて、 など、のたまひつつれば、からぎぬぎすべししやり、うちとけててならひしけるなるべし、すずりふたゑて、こころもとなきはなすゑたをりて、もてあそびけり、とゆ。かたへはきちゃうのあるにすべりかくれ、あるはうちそむき、けたるかたに、まぎらはしつつゐたる、かしらつきどもも、をかしとわたしたまひて、すずりひきせて、
526.5.8506470 女郎花乱(をみなへしみだ)るる野辺(のべ)()じるとも<BR/>(つゆ)のあだ()(われ)にかけめや "〔をみなへしみだるるのべじるとも<BR/>つゆのあだわれにかけめや
526.5.9507471 (こころ)やすくは(おぼ)さで」 こころやすくはおぼさで。"
526.5.10508472 と、ただこの障子(さうじ)にうしろしたる(ひと)()せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、 と、ただこのさうじにうしろしたるひとせたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、
526.5.11509473 (はな)といへば()こそあだなれ女郎花(をみなへし)<BR/>なべての(つゆ)(みだ)れやはする」 "〔はなといへばこそあだなれをみなへし<BR/>なべてのつゆみだれやはする〕
526.5.12510474 ()きたる()、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、(たれ)ならむ、と()たまふ。今参(いまま)(のぼ)りける(みち)に、(ふた)げられてとどこほりゐたるなるべし、と()ゆ。(べん)御許(おもと)は、 きたる、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、たれならん、とたまふ。いままのぼりけるみちに、ふたげられてとどこほりゐたるなるべし、とゆ。べんおもとは、
526.5.13511475 「いとけざやかなる翁言(おきなごと)(にく)くはべり」とて、 "いとけざやかなるおきなごとにくくはべり。"とて、
526.5.14512476 旅寝(たびね)してなほこころみよ女郎花(をみなへし)<BR/>(さか)りの(いろ)(うつ)(うつ)らず "〔たびねしてなほこころみよをみなへし<BR/>さかりのいろうつうつらず
526.5.15513477 さて(のち)(さだ)めきこえさせむ」 さてのちさだめきこえさせん。"
526.5.16514478 ()へば、 へば、
526.5.17515479 宿貸(やどか)さば一夜(ひとよ)()なむおほかたの<BR/>(はな)(うつ)らぬ(こころ)なりとも」 "〔やどかさばひとよなんおほかたの<BR/>はなうつらぬこころなりとも〕
526.5.18516480 とあれば、 とあれば、
526.5.19517481 (なに)か、()づかしめさせたまふ。おほかたの野辺(のべ)のさかしらをこそ()こえさすれ」 "なにか、づかしめさせたまふ。おほかたののべのさかしらをこそこえさすれ。"
526.5.20518482 ()ふ。はかなきことをただすこしのたまふも、(ひと)(のこ)()かまほしくのみ(おも)ひきこえたり。 ふ。はかなきことをただすこしのたまふも、ひとのこかまほしくのみおもひきこえたり。
526.5.21519483 (こころ)なし。道開(みちあ)けはべりなむよ。()きても、かの(おほん)もの()ぢのゆゑ、かならずありぬべき(をり)にぞあめる」 "こころなし。みちあけはべりなんよ。きても、かのおほんものぢのゆゑ、かならずありぬべきをりにぞあめる。"
526.5.22520484 とて、()()でたまへば、「おしなべてかく(のこ)りなからむ、と(おも)ひやりたまふこそ心憂(こころう)けれ」と(おも)へる(ひと)もあり。 とて、でたまへば、"おしなべてかくのこりなからん、とおもひやりたまふこそこころうけれ。"とおもへるひともあり。
526.6521485第六段 薫、断腸の秋の思い
526.6.1522486 (ひんがし)高欄(かうらん)()しかかりて、夕影(ゆふかげ)になるままに、(はな)紐解(ひもと)御前(おまへ)(くさ)むらを()わたしたまふ。もののみあはれなるに、「(なか)()いて腸断(はらわたた)ゆるは(あき)(てん)」といふことを、いと(しの)びやかに()じつつゐたまへり。ありつる(きぬ)(おと)なひ、しるきけはひして、母屋(もや)御障子(みさうじ)より(とほ)りて、あなたに()るなり。(みや)(あゆ)みおはして、 ひんがしかうらんしかかりて、ゆふかげになるままに、はなひもとおまへくさむらをわたしたまふ。もののみあはれなるに、"なかいてはらわたたゆるはあきてん"といふことを、いとしのびやかにじつつゐたまへり。ありつるきぬおとなひ、しるきけはひして、もやみさうじよりとほりて、あなたにるなり。みやあゆみおはして、
526.6.2523487 「これよりあなたに(まゐ)りつるは()そ」 "これよりあなたにまゐりつるはそ。"
526.6.3524488 ()ひたまへば、 ひたまへば、
526.6.4525489 「かの御方(おほんかた)中将(ちうじゃう)(きみ) "かのおほんかたちうじゃうきみ。"
526.6.5526490 ()こゆなり。 こゆなり。
526.6.6527491 「なほ、あやしのわざや。()れにかと、かりそめにもうち(おも)(ひと)に、やがてかくゆかしげなく()こゆる()ざしよ」と、いとほしく、この(みや)には、皆目馴(みなめな)れてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜(くちを)し。 "なほ、あやしのわざや。れにかと、かりそめにもうちおもひとに、やがてかくゆかしげなくこゆるざしよ。"と、いとほしく、このみやには、みなめなれてのみおぼえたてまつるべかめるもくちをし。
526.6.7528492 「おりたちてあながちなる(おほん)もてなしに、(をんな)はさもこそ()けたてまつらめ。わが、さも口惜(くちを)しう、この(おほん)ゆかりには、ねたく心憂(こころう)くのみあるかな。いかで、このわたりにも、めづらしからむ(ひと)の、(れい)心入(こころい)れて(さわ)ぎたまはむを(かた)らひ()りて、わが(おも)ひしやうに、やすからずとだにも(おも)はせたてまつらむ。まことに(こころ)ばせあらむ(ひと)は、わが(かた)にぞ()るべきや。されど(かた)いものかな。(ひと)(こころ)は」 "おりたちてあながちなるおほんもてなしに、をんなはさもこそけたてまつらめ。わが、さもくちをしう、このおほんゆかりには、ねたくこころうくのみあるかな。いかで、このわたりにも、めづらしからんひとの、れいこころいれてさわぎたまはんをかたらひりて、わがおもひしやうに、やすからずとだにもおもはせたてまつらん。まことにこころばせあらんひとは、わがかたにぞるべきや。されどかたいものかな。ひとこころは。"
526.6.8529493 (おも)ふにつけて、(たい)御方(おほんかた)の、かの(おほん)ありさまをば、ふさはしからぬものに(おも)ひきこえて、いと便(びん)なき(むつ)びになりゆくが、おほかたのおぼえをば、(くる)しと(おも)ひながら、なほさし(はな)ちがたきものに(おぼ)()りたるぞ、ありがたくあはれなりける。 おもふにつけて、たいおほんかたの、かのおほんありさまをば、ふさはしからぬものにおもひきこえて、いとびんなきむつびになりゆくが、おほかたのおぼえをば、くるしとおもひながら、なほさしはなちがたきものにおぼりたるぞ、ありがたくあはれなりける。
526.6.9530494 「さやうなる(こころ)ばせある(ひと)、ここらの(なか)にあらむや。()りたちて(ふか)()ねば()らぬぞかし。寝覚(ねざめ)がちにつれづれなるを、すこしは()きもならはばや」 "さやうなるこころばせあるひと、ここらのなかにあらんや。りたちてふかねばらぬぞかし。ねざめがちにつれづれなるを、すこしはきもならはばや。"
526.6.10531495 など(おも)ふに、(いま)はなほつきなし。 などおもふに、いまはなほつきなし。
526.7532496第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
526.7.1533497 (れい)の、西(にし)渡殿(わたどの)を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。姫宮(ひめみや)(よる)はあなたに(わた)らせたまひければ、(ひと)びと月見(つきみ)るとて、この渡殿(わたどの)にうちとけて物語(ものがたり)するほどなりけり。(さう)(こと)いとなつかしう()きすさむ爪音(つまおと)、をかしう()こゆ。(おも)ひかけぬに()りおはして、 れいの、にしわたどのを、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。ひめみやよるはあなたにわたらせたまひければ、ひとびとつきみるとて、このわたどのにうちとけてものがたりするほどなりけり。さうこといとなつかしうきすさむつまおと、をかしうこゆ。おもひかけぬにりおはして、
526.7.2534498 「など、かくねたまし(がほ)にかき()らしたまふ」 "など、かくねたましがほにかきらしたまふ。"
526.7.3535499 とのたまふに、(みな)おどろかるべけれど、すこし()げたる(すだれ)うち()ろしなどもせず、()()がりて、 とのたまふに、みなおどろかるべけれど、すこしげたるすだれうちろしなどもせず、がりて、
526.7.4536500 ()るべき(このかみ)やは、はべるべき」 "るべきこのかみやは、はべるべき。"
526.7.5537501 といらふる(こゑ)中将(ちうじゃう)御許(おもと)とか()ひつるなりけり。 といらふるこゑちうじゃうおもととかひつるなりけり。
526.7.6538502 「まろこそ、御母方(おほんははがた)叔父(をぢ)なれ」 "まろこそ、おほんははがたをぢなれ。"
526.7.7539503 と、はかなきことをのたまひて、 と、はかなきことをのたまひて、
526.7.8540504 (れい)の、あなたにおはしますべかめりな。(なに)わざをか、この御里住(おほんさとず)みのほどにせさせたまふ」 "れいの、あなたにおはしますべかめりな。なにわざをか、このおほんさとずみのほどにせさせたまふ。"
526.7.9541505 など、あぢきなく()ひたまふ。 など、あぢきなくひたまふ。
526.7.10542506 「いづくにても、何事(なにごと)をかは。ただ、かやうにてこそは()ぐさせたまふめれ」 "いづくにても、なにごとをかは。ただ、かやうにてこそはぐさせたまふめれ。"
526.7.11543507 ()ふに、「をかしの御身(おほんみ)のほどや、と(おも)ふに、すずろなる(なげ)きの、うち(わす)れてしつるも、あやしと(おも)()(ひと)もこそ」と(まぎ)らはしに、さし()でたる和琴(わごん)を、たださながら()()らしたまふ。(りち)調(しら)べは、あやしく(をり)にあふと()(こゑ)なれば、()きにくくもあらねど、()()てたまはぬを、なかなかなりと、心入(こころい)れたる(ひと)は、()えかへり(おも)ふ。 ふに、"をかしのおほんみのほどや、とおもふに、すずろなるなげきの、うちわすれてしつるも、あやしとおもひともこそ。"とまぎらはしに、さしでたるわごんを、たださながららしたまふ。りちしらべは、あやしくをりにあふとこゑなれば、きにくくもあらねど、てたまはぬを、なかなかなりと、こころいれたるひとは、えかへりおもふ。
526.7.12544508 「わが母宮(ははみや)(おと)りたまふべき(ひと)かは。后腹(きさいばら)()こゆばかりの(へだ)てこそあれ、帝々(みかどみかど)(おぼ)しかしづきたるさま、異事(ことごと)ならざりけるを。なほ、この(おほん)あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。明石(あかし)(うら)(こころ)にくかりける(ところ)かな」など(おも)(つづ)くることどもに、「わが宿世(すくせ)は、いとやむごとなしかし。まして、(なら)べて()ちたてまつらば」と(おも)ふぞ、いと(かた)きや。 "わがははみやおとりたまふべきひとかは。きさいばらこゆばかりのへだてこそあれ、みかどみかどおぼしかしづきたるさま、ことごとならざりけるを。なほ、このおほんあたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。あかしうらこころにくかりけるところかな。"などおもつづくることどもに、"わがすくせは、いとやんごとなしかし。まして、ならべてちたてまつらば。"とおもふぞ、いとかたきや。
526.8545509第八段 薫、宮の君を訪ねる
526.8.1546510 (みや)(きみ)は、この西(にし)(たい)にぞ御方(おほんかた)したりける。(わか)(ひと)びとのけはひあまたして、(つき)めであへり。 みやきみは、このにしたいにぞおほんかたしたりける。わかひとびとのけはひあまたして、つきめであへり。
526.8.2547511 「いで、あはれ、これもまた(おな)(ひと)ぞかし」 "いで、あはれ、これもまたおなひとぞかし。"
526.8.3548512 (おも)()できこえて、「親王(みこ)の、昔心寄(むかしこころよ)せたまひしものを」と()ひなして、そなたへおはしぬ。(わらは)の、をかしき宿直姿(とのゐすがた)にて、()三人出(さんにんい)でて(あり)きなどしけり。()つけて()るさまども、かかやかし。これぞ()(つね)(おも)ふ。 おもできこえて、"みこの、むかしこころよせたまひしものを。"とひなして、そなたへおはしぬ。わらはの、をかしきとのゐすがたにて、さんにんいでてありきなどしけり。つけてるさまども、かかやかし。これぞつねおもふ。
526.8.4549513 南面(みなみおもて)(すみ)()()りて、うち(こわ)づくりたまへば、すこしおとなびたる人出(ひとい)()たり。 みなみおもてすみりて、うちこわづくりたまへば、すこしおとなびたるひといたり。
526.8.5550514 人知(ひとし)れぬ心寄(こころよ)せなど()こえさせはべれば、なかなか、皆人聞(みなひとき)こえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。まめやかになむ、(こと)より(ほか)(もと)められはべる」 "ひとしれぬこころよせなどこえさせはべれば、なかなか、みなひときこえさせふるしつらんことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。まめやかになん、ことよりほかもとめられはべる。"
526.8.6551515 とのたまへば、(きみ)にも()(つた)へず、さかしだちて、 とのたまへば、きみにもつたへず、さかしだちて、
526.8.7552516 「いと(おも)ほしかけざりし(おほん)ありさまにつけても、故宮(こみや)(おも)ひきこえさせたまへりしことなど、(おも)ひたまへ()でられてなむ。かくのみ、折々聞(をりをりき)こえさせたまふなり。御後言(おほんしりうごと)をも、よろこびきこえたまふめる」 "いとおもほしかけざりしおほんありさまにつけても、こみやおもひきこえさせたまへりしことなど、おもひたまへでられてなん。かくのみ、をりをりきこえさせたまふなり。おほんしりうごとをも、よろこびきこえたまふめる。"
526.8.8553517 ()ふ。 ふ。
526.9554518第九段 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
526.9.1555519 「なみなみの(ひと)めきて、心地(ここち)なのさまや」ともの()ければ、 "なみなみのひとめきて、ここちなのさまや。"とものければ、
526.9.2556520 「もとより(おぼ)()つまじき(すぢ)よりも、(いま)はまして、さるべきことにつけても、(おも)ほし(たづ)ねむなむうれしかるべき。疎々(うとうと)しう人伝(ひとづ)てなどにてもてなさせたまはば、えこそ」 "もとよりおぼつまじきすぢよりも、いまはまして、さるべきことにつけても、おもほしたづねんなんうれしかるべき。うとうとしうひとづてなどにてもてなさせたまはば、えこそ。"
526.9.3557521 とのたまふに、「げに」と、(おも)(さわ)ぎて、(きみ)をひきゆるがすめれば、 とのたまふに、"げに。"と、おもさわぎて、きみをひきゆるがすめれば、
526.9.4558522 (まつ)(むかし)のとのみ、(なが)めらるるにも、もとよりなどのたまふ(すぢ)は、まめやかに(たの)もしうこそは」 "まつむかしのとのみ、ながめらるるにも、もとよりなどのたまふすぢは、まめやかにたのもしうこそは。"
526.9.5559523 と、人伝(ひとづ)てともなく()ひなしたまへる(こゑ)、いと(わか)やかに愛敬(あいぎゃう)づき、やさしきところ()ひたり。「ただなべてのかかる住処(すみか)(ひと)(おも)はば、いとをかしかるべきを、ただ(いあま)は、いかでかばかりも、(ひと)声聞(こゑき)かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。「容貌(かたち)もいとなまめかしからむかし」と、()まほしきけはひのしたるを、「この(ひと)ぞ、また(れい)の、かの御心乱(みこころみだ)るべきつまなめると、をかしうも、ありがたの()や」と(おも)ひゐたまへり。 と、ひとづてともなくひなしたまへるこゑ、いとわかやかにあいぎゃうづき、やさしきところひたり。"ただなべてのかかるすみかひとおもはば、いとをかしかるべきを、ただいあまは、いかでかばかりも、ひとこゑきかすべきものとならひたまひけん。"と、なまうしろめたし。"かたちもいとなまめかしからんかし。"と、まほしきけはひのしたるを、"このひとぞ、またれいの、かのみこころみだるべきつまなめると、をかしうも、ありがたのや。"とおもひゐたまへり。
526.9.6560524 「これこそは、(かぎ)りなき(ひと)のかしづき()ほしたてたまへる姫君(ひめぎみ)。また、かばかりぞ(おほ)くはあるべき。あやしかりけることは、さる(ひじり)(おほん)あたりに、(やま)のふところより()()たる(ひと)びとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、軽々(かろがろ)しや、など(おも)ひなす(ひと)も、かやうのうち()るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」 "これこそは、かぎりなきひとのかしづきほしたてたまへるひめぎみ。また、かばかりぞおほくはあるべき。あやしかりけることは、さるひじりおほんあたりに、やまのふところよりたるひとびとの、かたほなるはなかりけるこそ。この、はかなしや、かろがろしや、などおもひなすひとも、かやうのうちるけしきは、いみじうこそをかしかりしか。"
526.9.7561526 と、何事(なにごと)につけても、ただかの(ひと)つゆかりをぞ(おも)()でたまひける。あやしう、つらかりける(ちぎ)りどもを、つくづくと(おも)(つづ)(なが)めたまふ夕暮(ゆふぐれ)蜻蛉(かげろふ)のものはかなげに()びちがふを、 と、なにごとにつけても、ただかのひとつゆかりをぞおもでたまひける。あやしう、つらかりけるちぎりどもを、つくづくとおもつづながめたまふゆふぐれかげろふのものはかなげにびちがふを、
526.9.8562527 「ありと()()にはとられず()ればまた<BR/>行方(ゆくへ)()らず()えし蜻蛉(かげろふ) "〔ありとにはとられずればまた<BR/>ゆくへらずえしかげろふ
526.9.9563528 あるか、なきかの」 あるか、なきかの。"
526.9.10564529 と、(れい)の、(ひと)りごちたまふ、とかや。 と、れいの、ひとりごちたまふ、とかや。