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53手習
53111780第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる
531.111881第一段 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病
531.1.111982 そのころ、横川(よかは)に、なにがし僧都(そうづ)とか()ひて、いと(たふと)人住(ひとす)みけり。八十余(やそぢあま)りの(はは)五十(いそぢ)ばかりの(いもうと)ありけり。(ふる)(がん)ありて、初瀬(はつせ)(まう)でたりけり。 そのころ、よかはに、なにがしそうづとかひて、いとたふとひとすみけり。やそぢあまりのははいそぢばかりのいもうとありけり。ふるがんありて、はつせまうでたりけり。
531.1.212083 (むつ)ましうやむごとなく(おも)弟子(でし)阿闍梨(あざり)()へて、仏経供養(ほとけきゃうくやう)ずること(おこな)ひけり。(こと)ども(おほ)くして(かへ)(みち)に、奈良坂(ならさか)()山越(やまこ)えけるほどより、この(はは)尼君(あまぎみ)心地悪(ここちあ)しうしければ、「かくては、いかでか(のこ)りの(みち)をもおはし()かむ」ともて(さわ)ぎて、宇治(うぢ)のわたりに()りたりける(ひと)(いへ)ありけるに、とどめて、今日(けふ)ばかり(やす)めたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川(よかは)消息(せうそこ)したり。 むつましうやんごとなくおもでしあざりへて、ほとけきゃうくやうずることおこなひけり。ことどもおほくしてかへみちに、ならさかやまこえけるほどより、このははあまぎみここちあしうしければ、"かくては、いかでかのこりのみちをもおはしかん。"ともてさわぎて、うぢのわたりにりたりけるひといへありけるに、とどめて、けふばかりやすめたてまつるに、なほいたうわづらへば、よかはせうそこしたり。
531.1.312184 山籠(やまご)もりの本意深(ほいふか)く、今年(ことし)()でじと(おも)ひけれど、「(かぎ)りのさまなる(おや)の、(みち)(そら)にて()くやならむ」と(おどろ)きて、(いそ)ぎものしたまへり。()しむべくもあらぬ(ひと)ざまを、みづからも、弟子(でし)(なか)にも(げん)あるして、加持(かぢ)(さわ)ぐを、家主人聞(いへあるじき)きて、 やまごもりのほいふかく、ことしでじとおもひけれど、"かぎりのさまなるおやの、みちそらにてくやならん。"とおどろきて、いそぎものしたまへり。しむべくもあらぬひとざまを、みづからも、でしなかにもげんあるして、かぢさわぐを、いへあるじききて、
531.1.412285 御獄精進(みたけさうじ)しけるを、いたう()いたまへる(ひと)の、(おも)(なや)みたまふは、いかが」 "みたけさうじしけるを、いたういたまへるひとの、おもなやみたまふは、いかが。"
531.1.512386 とうしろめたげに(おも)ひて()ひければ、さも()ふべきことぞ、いとほしう(おも)ひて、いと(せば)くむつかしうもあれば、やうやう()てたてまつるべきに、中神塞(なかがみふた)がりて、例住(れいす)みたまふ(かた)()むべかりければ、「故朱雀院(こすざくゐん)御領(ごりゃう)にて、宇治(うぢ)(ゐん)()ひし(ところ)、このわたりならむ」と(おも)()でて、院守(ゐんもり)僧都知(そうづし)りたまへりければ、「(ひとひ)二日宿(ふつかやど)らむ」と()ひにやりたまへりければ、 とうしろめたげにおもひてひければ、さもふべきことぞ、いとほしうおもひて、いとせばくむつかしうもあれば、やうやうてたてまつるべきに、なかがみふたがりて、れいすみたまふかたむべかりければ、"こすざくゐんごりゃうにて、うぢゐんひしところ、このわたりならん。"とおもでて、ゐんもりそうづしりたまへりければ、"ひとひふつかやどらん。"とひにやりたまへりければ、
531.1.612487 初瀬(はつせ)になむ、昨日皆詣(きのふみなまゐ)りにける」 "はつせになん、きのふみなまゐりにける。"
531.1.712588 とて、いとあやしき宿守(やどもり)(おきな)()びて()()たり。 とて、いとあやしきやどもりおきなびてたり。
531.1.812689 「おはしまさば、はや。いたづらなる(ゐん)寝殿(しんでん)にこそはべるめれ。物詣(ものまう)での(ひと)は、(つね)にぞ宿(やど)りたまふ」 "おはしまさば、はや。いたづらなるゐんしんでんにこそはべるめれ。ものまうでのひとは、つねにぞやどりたまふ。"
531.1.912790 ()へば、 へば、
531.1.1012891 「いとよかなり。公所(おほやけどころ)なれど、(ひと)もなく(こころ)やすきを」 "いとよかなり。おほやけどころなれど、ひともなくこころやすきを。"
531.1.1112992 とて、()せにやりたまふ。この(おきな)(れい)もかく宿(やど)(ひと)()ならひたりければ、おろそかなるしつらひなどして()たり。 とて、せにやりたまふ。このおきなれいもかくやどひとならひたりければ、おろそかなるしつらひなどしてたり。
531.213093第二段 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う
531.2.113194 まづ、僧都渡(そうづわた)りたまふ。「いといたく()れて、(おそ)ろしげなる(ところ)かな」と()たまふ。 まづ、そうづわたりたまふ。"いといたくれて、おそろしげなるところかな。"とたまふ。
531.2.213295 大徳(だいとこ)たち、経読(きゃうよ)め」 "だいとこたち、きゃうよめ。"
531.2.313396 などのたまふ。この初瀬(はつせ)()ひたりし阿闍梨(あじゃり)(おな)じやうなる、何事(なにごと)のあるにか、つきづきしきほどの下臈法師(げらふほふし)に、()ともさせて、(ひと)()らぬうしろの(かた)()きたり。(もり)かと()ゆる()(した)を、「(うと)ましげのわたりや」と見入(みい)れたるに、(しろ)(もの)(ひろ)ごりたるぞ()ゆる。 などのたまふ。このはつせひたりしあじゃりおなじやうなる、なにごとのあるにか、つきづきしきほどのげらふほふしに、ともさせて、ひとらぬうしろのかたきたり。もりかとゆるしたを、"うとましげのわたりや。"とみいれたるに、しろものひろごりたるぞゆる。
531.2.413497 「かれは、(なに)ぞ」 "かれは、なにぞ。"
531.2.513598 と、()()まりて、()(あか)くなして()れば、(もの)()たる姿(すがた)なり。 と、まりて、あかくなしてれば、ものたるすがたなり。
531.2.613699 (きつね)変化(へんげ)したる。(にく)し。見現(みあら)はさむ」 "きつねへんげしたる。にくし。みあらはさん。"
531.2.7137100 とて、一人(ひとり)(いま)すこし(あゆ)()る。今一人(いまひとり)は、 とて、ひとりいますこしあゆる。いまひとりは、
531.2.8138101 「あな、(よう)な。よからぬ(もの)ならむ」 "あな、ような。よからぬものならん。"
531.2.9139102 ()ひて、さやうの物退(ものしりぞ)くべき(いん)(つく)りつつ、さすがになほまもる。(かしら)(かみ)あらば(ふと)りぬべき心地(ここち)するに、この()ともしたる大徳(だいとこ)(はばか)りもなく、(あう)なきさまにて、(ちか)()りてそのさまを()れば、(かみ)(なが)くつやつやとして、(おほ)きなる()のいと荒々(あらあら)しきに()りゐて、いみじう()く。 ひて、さやうのものしりぞくべきいんつくりつつ、さすがになほまもる。かしらかみあらばふとりぬべきここちするに、このともしたるだいとこはばかりもなく、あうなきさまにて、ちかりてそのさまをれば、かみながくつやつやとして、おほきなるのいとあらあらしきにりゐて、いみじうく。
531.2.10140103 (めづら)しきことにもはべるかな。僧都(そうづ)御坊(ごばう)御覧(ごらん)ぜさせたてまつらばや」 "めづらしきことにもはべるかな。そうづごばうごらんぜさせたてまつらばや。"
531.2.11141104 ()へば、 へば、
531.2.12142105 「げに、(あや)しき(こと)なり」 "げに、あやしきことなり。"
531.2.13143106 とて、一人(ひとり)はまうでて、「かかることなむ」と(まう)す。 とて、ひとりはまうでて、"かかることなん。"とまうす。
531.2.14144107 (きつね)(ひと)変化(へんげ)するとは(むかし)より()けど、まだ()ぬものなり」 "きつねひとへんげするとはむかしよりけど、まだぬものなり。"
531.2.15145108 とて、わざと()りておはす。 とて、わざとりておはす。
531.2.16146109 かの(わた)りたまはむとすることによりて、下衆(げす)ども、(みな)はかばかしきは、御厨子所(みづしどころ)など、あるべかしきことどもを、かかるわたりには(いそ)ぐものなりければ、ゐ(しづ)まりなどしたるに、ただ()五人(ごにん)して、ここなる(もの)()るに、()はることもなし。 かのわたりたまはんとすることによりて、げすども、みなはかばかしきは、みづしどころなど、あるべかしきことどもを、かかるわたりにはいそぐものなりければ、ゐしづまりなどしたるに、ただごにんして、ここなるものるに、はることもなし。
531.2.17147110 あやしうて、(とき)(うつ)るまで()る。「()()()()てなむ。(ひと)(なに)ぞと、見現(みあら)はさむ」と、(こころ)にさるべき真言(しんごん)()み、(いん)(つく)りて(こころ)みるに、しるくや(おも)ふらむ、 あやしうて、ときうつるまでる。"てなん。ひとなにぞと、みあらはさん。"と、こころにさるべきしんごんみ、いんつくりてこころみるに、しるくやおもふらん、
531.2.18148111 「これは、(ひと)なり。さらに非常(ひざう)のけしからぬ(もの)にあらず。()りて()へ。()くなりたる(ひと)にはあらぬにこそあめれ。もし()にたりける(ひと)()てたりけるが、(よみがへ)りたるか」 "これは、ひとなり。さらにひざうのけしからぬものにあらず。りてへ。くなりたるひとにはあらぬにこそあめれ。もしにたりけるひとてたりけるが、よみがへりたるか。"
531.2.19149112 ()ふ。 ふ。
531.2.20150113 (なに)の、さる(ひと)をか、この(ゐん)(うち)()てはべらむ。たとひ、(まこと)(ひと)なりとも、(きつね)木霊(こだま)やうの(もの)の、(あざむ)きて()りもて()たるにこそはべらめと、不便(ふびん)にもはべりけるかな。(けが)らひあるべき(ところ)にこそはべめれ」 "なにの、さるひとをか、このゐんうちてはべらん。たとひ、まことひとなりとも、きつねこだまやうのものの、あざむきてりもてたるにこそはべらめと、ふびんにもはべりけるかな。けがらひあるべきところにこそはべめれ。"
531.2.21151114 ()ひて、ありつる宿守(やどもり)(をのこ)()ぶ。山彦(やまびこ)(こた)ふるも、いと(おそ)ろし。 ひて、ありつるやどもりをのこぶ。やまびここたふるも、いとおそろし。
531.3152115第三段 若い女であることを確認し、救出する
531.3.1153116 (あや)しのさまに、(ひたひ)おし()げて()()たり。 あやしのさまに、ひたひおしげてたり。
531.3.2154117 「ここには、(わか)(をんな)などや()みたまふ。かかることなむある」 "ここには、わかをんななどやみたまふ。かかることなんある。"
531.3.3155118 とて()すれば、 とてすれば、
531.3.4156119 (きつね)(つか)うまつるなり。この()のもとになむ、時々妖(ときどきあや)しきわざなむしはべる。一昨年(をととし)(あき)も、ここにはべる(ひと)()の、(ふた)つばかりにはべしを、()りてまうで()たりしかど、見驚(みおどろ)かずはべりき」 "きつねつかうまつるなり。こののもとになん、ときどきあやしきわざなんしはべる。をととしあきも、ここにはべるひとの、ふたつばかりにはべしを、りてまうでたりしかど、みおどろかずはべりき。"
531.3.5157120 「さて、その稚児(ちご)()にやしにし」 "さて、そのちごにやしにし。"
531.3.6158121 ()へば、 へば、
531.3.7159122 ()きてはべり。(きつね)は、さこそは(ひと)(おびや)かせど、ことにもあらぬ(やつ) "きてはべり。きつねは、さこそはひとおびやかせど、ことにもあらぬやつ。"
531.3.8160123 ()ふさま、いと()れたり。かの夜深(よぶか)(まゐ)りものの(ところ)に、(こころ)()せたるなるべし。僧都(そうづ) ふさま、いとれたり。かのよぶかまゐりもののところに、こころせたるなるべし。そうづ
531.3.9161124 「さらば、さやうの(もの)のしたるわざか。なほ、よく()よ」 "さらば、さやうのもののしたるわざか。なほ、よくよ。"
531.3.10162125 とて、このもの()ぢせぬ法師(ほふし)()せたれば、 とて、このものぢせぬほふしせたれば、
531.3.11163127 (おに)(かみ)(きつね)木霊(こだま)か。かばかりの(あめ)(した)験者(げんざ)のおはしますには、え(かく)れたてまつらじ。()のりたまへ。()のりたまへ」 "おにかみきつねこだまか。かばかりのあめしたげんざのおはしますには、えかくれたてまつらじ。のりたまへ。のりたまへ。"
531.3.12164128 と、(きぬ)()りて()けば、(かほ)をひき()れていよいよ()く。 と、きぬりてけば、かほをひきれていよいよく。
531.3.13165129 「いで、あな、さがなの木霊(こだま)(おに)や。まさに(かく)れなむや」 "いで、あな、さがなのこだまおにや。まさにかくれなんや。"
531.3.14166130 ()ひつつ、(かほ)()むとするに、「(むかし)ありけむ()(はな)もなかりける女鬼(めおに)にやあらむ」と、むくつけきを、(たの)もしういかきさまを(ひと)()せむと(おも)ひて、(きぬ)()()がせむとすれば、うつ()して声立(こゑた)つばかり()く。 ひつつ、かほんとするに、"むかしありけんはなもなかりけるめおににやあらん。"と、むくつけきを、たのもしういかきさまをひとせんとおもひて、きぬがせんとすれば、うつしてこゑたつばかりく。
531.3.15167131 (なに)にまれ、かく(あや)しきこと、なべて、()にあらじ」 "なににまれ、かくあやしきこと、なべて、にあらじ。"
531.3.16168132 とて、見果(みは)てむと(おも)ふに、 とて、みはてんとおもふに、
531.3.17169133 (あめ)いたく()りぬべし。かくて()いたらば、()()てはべりぬべし。(かき)(もと)にこそ()ださめ」 "あめいたくりぬべし。かくていたらば、てはべりぬべし。かきもとにこそださめ。"
531.3.18170134 ()ふ。僧都(そうづ) ふ。そうづ
531.3.19171135 「まことの(ひと)(かたち)なり。その命絶(いのちた)えぬを()()()てむこと、いといみじきことなり。(いけ)(およ)(いを)(やま)()鹿(しか)をだに、(ひと)(とら)へられて()なむとするを()て、(たす)けざらむは、いと(かな)しかるべし。(ひと)命久(いのちひさ)しかるまじきものなれど、(のこ)りの(いのち)(ひとひ)二日(ふつか)をも()しまずはあるべからず。(おに)にも(かみ)にも、(りゃう)ぜられ、(ひと)()はれ、(ひと)(はか)りごたれても、これ横様(よこざま)()にをすべきものにこそあんめれ、(ほとけ)のかならず(すく)ひたまふべき(きは)なり。 "まことのひとかたちなり。そのいのちたえぬをてんこと、いといみじきことなり。いけおよいをやましかをだに、ひととらへられてなんとするをて、たすけざらんは、いとかなしかるべし。ひといのちひさしかるまじきものなれど、のこりのいのちひとひふつかをもしまずはあるべからず。おににもかみにも、りゃうぜられ、ひとはれ、ひとはかりごたれても、これよこざまにをすべきものにこそあんめれ、ほとけのかならずすくひたまふべききはなり。
531.3.20172136 なほ、(こころ)みに、しばし()()ませなどして、(たす)(こころ)みむ。つひに、()なば、()(かぎ)りにあらず」 なほ、こころみに、しばしませなどして、たすこころみん。つひに、なば、かぎりにあらず。"
531.3.21173137 とのたまひて、この大徳(だいとこ)して(いだ)()れさせたまふを、弟子(でし)ども、 とのたまひて、このだいとこしていだれさせたまふを、でしども、
531.3.22174138 「たいだいしきわざかな。いたうわづらひたまふ(ひと)(おほん)あたりに、よからぬ(もの)()()れて、(けが)らひかならず()()なむとす」 "たいだいしきわざかな。いたうわづらひたまふひとおほんあたりに、よからぬものれて、けがらひかならずなんとす。"
531.3.23175139 と、もどくもあり。また、 と、もどくもあり。また、
531.3.24176140 (もの)変化(へんげ)にもあれ、()()()す、()ける(ひと)を、かかる(あめ)にうち(うしな)はせむは、いみじきことなれば」 "ものへんげにもあれ、す、けるひとを、かかるあめにうちうしなはせんは、いみじきことなれば。"
531.3.25177141 など、心々(こころごころ)()ふ。下衆(げす)などは、いと(さわ)がしく、(もの)をうたて()ひなすものなれば、人騒(ひとさわ)がしからぬ(かく)れの(かた)になむ()せたりける。 など、こころごころふ。げすなどは、いとさわがしく、ものをうたてひなすものなれば、ひとさわがしからぬかくれのかたになんせたりける。
531.4178142第四段 妹尼、若い女を介抱す
531.4.1179143 御車寄(みくるまよ)せて()りたまふほど、いたう(くる)しがりたまふとて、ののしる。すこし(しづ)まりて、僧都(そうづ) みくるまよせてりたまふほど、いたうくるしがりたまふとて、ののしる。すこししづまりて、そうづ
531.4.2180144 「ありつる(ひと)、いかがなりぬる」 "ありつるひと、いかがなりぬる。"
531.4.3181145 ()ひたまふ。 ひたまふ。
531.4.4182146 「なよなよとしてもの()はず、(いき)もしはべらず。(なに)か、(もの)にけどられにける(ひと)にこそ」 "なよなよとしてものはず、いきもしはべらず。なにか、ものにけどられにけるひとにこそ。"
531.4.5183147 ()ふを、(いもうと)尼君聞(あまぎみき)きたまひて、 ふを、いもうとあまぎみききたまひて、
531.4.6184148 何事(なにごと)ぞ」 "なにごとぞ。"
531.4.7185149 ()ふ。 ふ。
531.4.8186150 「しかしかのことなむ、六十(ろくじふ)(あま)(とし)(めづら)かなるものを()たまへつる」 "しかしかのことなん、ろくじふあまとしめづらかなるものをたまへつる。"
531.4.9187151 とのたまふ。うち()くままに、 とのたまふ。うちくままに、
531.4.10188152 「おのが(てら)にて()(ゆめ)ありき。いかやうなる(ひと)ぞ。まづそのさま()む」 "おのがてらにてゆめありき。いかやうなるひとぞ。まづそのさまん。"
531.4.11189153 ()きてのたまふ。 きてのたまふ。
531.4.12190154 「ただこの(ひんがし)遣戸(やりど)になむはべる。はや御覧(ごらん)ぜよ」 "ただこのひんがしやりどになんはべる。はやごらんぜよ。"
531.4.13191155 ()へば、(いそ)()きて()るに、(ひと)()りつかでぞ、()()きたりける。いと(わか)ううつくしげなる(をんな)の、(しろ)(あや)衣一襲(きぬひとかさね)(くれなゐ)(はかま)()たる。()はいみじう()うばしくて、あてなるけはひ(かぎ)りなし。 へば、いそきてるに、ひとりつかでぞ、きたりける。いとわかううつくしげなるをんなの、しろあやきぬひとかさねくれなゐはかまたる。はいみじううばしくて、あてなるけはひかぎりなし。
531.4.14192156 「ただ、わが()(かな)しむ(むすめ)の、(かへ)りおはしたるなめり」 "ただ、わがかなしむむすめの、かへりおはしたるなめり。"
531.4.15193157 とて、()()御達(ごたち)()だして、(いだ)()れさす。いかなりつらむとも、ありさま()(ひと)は、(おそ)ろしがらで(いだ)()れつ。()けるやうにもあらで、さすがに()をほのかに見開(みあ)けたるに、 とて、ごたちだして、いだれさす。いかなりつらんとも、ありさまひとは、おそろしがらでいだれつ。けるやうにもあらで、さすがにをほのかにみあけたるに、
531.4.16194158 「もののたまへや。いかなる(ひと)か、かくては、ものしたまへる」 "もののたまへや。いかなるひとか、かくては、ものしたまへる。"
531.4.17195159 ()へど、ものおぼえぬさまなり。湯取(ゆと)りて、()づからすくひ()れなどするに、ただ(よわ)りに()()るやうなりければ、 へど、ものおぼえぬさまなり。ゆとりて、づからすくひれなどするに、ただよわりにるやうなりければ、
531.4.18196160 「なかなかいみじきわざかな」とて、「この人亡(ひとな)くなりぬべし。加持(かぢ)したまへ」 "なかなかいみじきわざかな。"とて、"このひとなくなりぬべし。かぢしたまへ。"
531.4.19197161 と、験者(げんざ)阿闍梨(あざり)()ふ。 と、げんざあざりふ。
531.4.20198162 「さればこそ。あやしき(おほん)もの(あつか)ひ」 "さればこそ。あやしきおほんものあつかひ。"
531.4.21199163 とは()へど、(かみ)などのために経読(きゃうよ)みつつ(いの)る。 とはへど、かみなどのためにきゃうよみつついのる。
531.5200164第五段 若い女生き返るが、死を望む
531.5.1201165 僧都(そうづ)もさしのぞきて、 そうづもさしのぞきて、
531.5.2202166 「いかにぞ。(なに)のしわざぞと、よく調(てう)じて()へ」 "いかにぞ。なにのしわざぞと、よくてうじてへ。"
531.5.3203167 とのたまへど、いと(よわ)げに()えもていくやうなれば、 とのたまへど、いとよわげにえもていくやうなれば、
531.5.4204168 「え()きはべらじ。すぞろなる(けが)らひに()もりて、わづらふべきこと」 "えきはべらじ。すぞろなるけがらひにもりて、わづらふべきこと。"
531.5.5205169 「さすがに、いとやむごとなき(ひと)にこそはべるめれ。()()つとも、ただにやは()てさせたまはむ。見苦(みぐる)しきわざかな」 "さすがに、いとやんごとなきひとにこそはべるめれ。つとも、ただにやはてさせたまはん。みぐるしきわざかな。"
531.5.6206170 ()ひあへり。 ひあへり。
531.5.7207171 「あなかま。(ひと)()かすな。わづらはしきこともぞある」 "あなかま。ひとかすな。わづらはしきこともぞある。"
531.5.8208172 など口固(くちがた)めつつ、尼君(あまぎみ)は、(おや)のわづらひたまふよりも、この(ひと)()()てて()まほしう()しみて、うちつけに()ひゐたり。()らぬ(ひと)なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、()(かぎ)(あつか)(さわ)ぎけり。さすがに、時々(ときどき)目見開(めみあ)けなどしつつ、(なみだ)()きせず(なが)るるを、 などくちがためつつ、あまぎみは、おやのわづらひたまふよりも、このひとててまほしうしみて、うちつけにひゐたり。らぬひとなれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、かぎあつかさわぎけり。さすがに、ときどきめみあけなどしつつ、なみだきせずながるるを、
531.5.9209173 「あな、心憂(こころう)や。いみじく(かな)しと(おも)(ひと)()はりに、(ほとけ)(みちび)きたまへると(おも)ひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをや(おも)はむ。さるべき(ちぎ)りにてこそ、かく()たてまつらめ。なほ、いささかもののたまへ」 "あな、こころうや。いみじくかなしとおもひとはりに、ほとけみちびきたまへるとおもひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをやおもはん。さるべきちぎりにてこそ、かくたてまつらめ。なほ、いささかもののたまへ。"
531.5.10210174 ()(つづ)くれど、からうして、 つづくれど、からうして、
531.5.11211175 ()()でたりとも、あやしき不用(ふよう)(ひと)なり。(ひと)()せで、(よる)この(かは)()とし()れたまひてよ」 "でたりとも、あやしきふようひとなり。ひとせで、よるこのかはとしれたまひてよ。"
531.5.12212176 と、(いき)(した)()ふ。 と、いきしたふ。
531.5.13213177 「まれまれ(もの)のたまふをうれしと(おも)ふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さる(ところ)にはおはしつるぞ」 "まれまれもののたまふをうれしとおもふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さるところにはおはしつるぞ。"
531.5.14214178 ()へども、(もの)()はずなりぬ。「()にもし(きず)などやあらむ」とて()れど、ここはと()ゆるところなくうつくしければ、あさましく(かな)しく、「まことに、(ひと)心惑(こころまど)はさむとて()()たる(かり)のものにや」と(うたが)ふ。 へども、ものはずなりぬ。"にもしきずなどやあらん。"とてれど、ここはとゆるところなくうつくしければ、あさましくかなしく、"まことに、ひとこころまどはさんとてたるかりのものにや。"とうたがふ。
531.6215179第六段 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る
531.6.1216180 二日(ふつか)ばかり()もりゐて、二人(ふたり)(ひと)(いの)加持(かぢ)する声絶(こゑた)えず、あやしきことを(おも)(さわ)ぐ。そのわたりの下衆(げす)などの、僧都(そうづ)(つか)まつりける、かくておはしますなりとて、とぶらひ()()るも、物語(ものがたり)などして()ふを()けば、 ふつかばかりもりゐて、ふたりひといのかぢするこゑたえず、あやしきことをおもさわぐ。そのわたりのげすなどの、そうづつかまつりける、かくておはしますなりとて、とぶらひるも、ものがたりなどしてふをけば、
531.6.2217181 故八(こはち)(みや)御女(おほんむすめ)右大将殿(うだいしゃうどの)(かよ)ひたまひし、ことに(なや)みたまふこともなくて、にはかに(かく)れたまへりとて、(さわ)ぎはべる。その御葬送(おほんさうそう)雑事(ざふじ)ども(つか)うまつりはべりとて、昨日(きのふ)はえ(まゐ)りはべらざりし」 "こはちみやおほんむすめうだいしゃうどのかよひたまひし、ことになやみたまふこともなくて、にはかにかくれたまへりとて、さわぎはべる。そのおほんさうそうざふじどもつかうまつりはべりとて、きのふはえまゐりはべらざりし。"
531.6.3218182 ()ふ。「さやうの(ひと)(たましひ)を、(おに)()りもて()たるにや」と(おも)ふにも、かつ()()る、「あるものともおぼえず、(あや)ふく(おそ)ろし」と(おぼ)す。(ひと)びと、 ふ。"さやうのひとたましひを、おにりもてたるにや。"とおもふにも、かつる、"あるものともおぼえず、あやふくおそろし。"とおぼす。ひとびと、
531.6.4219183 昨夜見(よべみ)やられし()は、しかことことしきけしきも()えざりしを」 "よべみやられしは、しかことことしきけしきもえざりしを。"
531.6.5220184 ()ふ。 ふ。
531.6.6221185 「ことさら事削(ことそ)ぎて、いかめしうもはべらざりし」 "ことさらことそぎて、いかめしうもはべらざりし。"
531.6.7222186 ()ふ。(けが)らひたる(ひと)とて、()ちながら()(かへ)しつ。 ふ。けがらひたるひととて、ちながらかへしつ。
531.6.8223187 大将殿(だいしゃうどの)は、(みや)御女持(おほんむすめも)ちたまへりしは、()せたまひて、(とし)ごろになりぬるものを、()れを()ふにかあらむ。姫宮(ひめみや)をおきたてまつりたまひて、よに異心(ことごころ)おはせじ」 "だいしゃうどのは、みやおほんむすめもちたまへりしは、せたまひて、としごろになりぬるものを、れをふにかあらん。ひめみやをおきたてまつりたまひて、よにことごころおはせじ。"
531.6.9224188 など()ふ。 などふ。
531.7225189第七段 尼君ら一行、小野に帰る
531.7.1226190 尼君(あまぎみ)よろしくなりたまひぬ。(かた)()きぬれば、「かくうたてある(ところ)(ひさ)しうおはせむも便(びん)なし」とて(かへ)る。 あまぎみよろしくなりたまひぬ。かたきぬれば、"かくうたてあるところひさしうおはせんもびんなし。"とてかへる。
531.7.2227191 「この(ひと)は、なほいと(よわ)げなり。(みち)のほどもいかがものしたまはむと、心苦(こころぐる)しきこと」 "このひとは、なほいとよわげなり。みちのほどもいかがものしたまはんと、こころぐるしきこと。"
531.7.3228192 ()()へり。車二(くるまふた)つして、()人乗(びとの)りたまへるには、(つか)うまつる尼二人(あまふたり)(つぎ)のにはこの(ひと)()せて、かたはらにいま一人乗(ひとりの)()ひて、(みち)すがら()きもやらず、車止(くるまと)めて湯参(ゆまゐ)りなどしたまふ。 へり。くるまふたつして、びとのりたまへるには、つかうまつるあまふたりつぎのにはこのひとせて、かたはらにいまひとりのひて、みちすがらきもやらず、くるまとめてゆまゐりなどしたまふ。
531.7.4229193 比叡坂本(ひえさかもと)に、小野(をの)といふ(ところ)にぞ()みたまひける。そこにおはし()くほど、いと(とほ)し。 ひえさかもとに、をのといふところにぞみたまひける。そこにおはしくほど、いととほし。
531.7.5230194 中宿(なかやど)りを(まう)くべかりける」 "なかやどりをまうくべかりける。"
531.7.6231195 など()ひて、夜更(よふ)けておはし()きぬ。 などひて、よふけておはしきぬ。
531.7.7232196 僧都(そうづ)は、(おや)(あつか)ひ、(むすめ)尼君(あまぎみ)は、この()らぬ(ひと)をはぐくみて、皆抱(みないだ)()ろしつつ(やす)む。()いの(やまひ)のいつともなきが、(くる)しと(おも)ひたまへし遠道(とほみち)名残(なごり)こそ、しばしわづらひたまひけれ、やうやうよろしうなりたまひにければ、僧都(そうづ)(のぼ)りたまひぬ。 そうづは、おやあつかひ、むすめあまぎみは、このらぬひとをはぐくみて、みないだろしつつやすむ。いのやまひのいつともなきが、くるしとおもひたまへしとほみちなごりこそ、しばしわづらひたまひけれ、やうやうよろしうなりたまひにければ、そうづのぼりたまひぬ。
531.7.8233197 「かかる(ひと)なむ()()たる」など、法師(ほふし)のあたりにはよからぬことなれば、()ざりし(ひと)にはまねばず。尼君(あまぎみ)も、皆口固(みなくちがた)めさせつつ、「もし(たづ)()(ひと)もやある」と(おも)ふも、静心(しづごころ)なし。「いかで、さる田舎人(ゐなかびと)()むあたりに、かかる人落(ひとお)ちあふれけむ。物詣(ものまう)でなどしたりける(ひと)の、心地(ここち)などわづらひけむを、継母(ままはは)などやうの(ひと)の、たばかりて()かせたるにや」などぞ(おも)()りける。 "かかるひとなんたる。"など、ほふしのあたりにはよからぬことなれば、ざりしひとにはまねばず。あまぎみも、みなくちがためさせつつ、"もしたづひともやある。"とおもふも、しづごころなし。"いかで、さるゐなかびとむあたりに、かかるひとおちあふれけん。ものまうでなどしたりけるひとの、ここちなどわづらひけんを、ままははなどやうのひとの、たばかりてかせたるにや。"などぞおもりける。
531.7.9234198 (かは)(なが)してよ」と()ひし一言(ひとこと)より(ほか)に、ものもさらにのたまはねば、いとおぼつかなく(おも)ひて、「いつしか(ひと)にもなしてみむ」と(おも)ふに、つくづくとして()()がる()もなく、いとあやしうのみものしたまへば、「つひに()くまじき(ひと)にや」と(おも)ひながら、うち()てむもいとほしういみじ。夢語(ゆめがた)りもし()でて、(はじ)めより(いの)らせし阿闍梨(あじゃり)にも、(しの)びやかに芥子焼(けしや)くことせさせたまふ。 "かはながしてよ。"とひしひとことよりほかに、ものもさらにのたまはねば、いとおぼつかなくおもひて、"いつしかひとにもなしてみん。"とおもふに、つくづくとしてがるもなく、いとあやしうのみものしたまへば、"つひにくまじきひとにや。"とおもひながら、うちてんもいとほしういみじ。ゆめがたりもしでて、はじめよりいのらせしあじゃりにも、しのびやかにけしやくことせさせたまふ。
532235199第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活
532.1236200第一段 僧都、小野山荘へ下山
532.1.1237201 うちはへかく(あつか)ふほどに、()五月(ごがち)()ぎぬ。いとわびしうかひなきことを(おも)ひわびて、僧都(そうづ)(おほん)もとに、 うちはへかくあつかふほどに、ごがちぎぬ。いとわびしうかひなきことをおもひわびて、そうづおほんもとに、
532.1.2238202 「なほ()りたまへ。この(ひと)(たす)けたまへ。さすがに今日(けふ)までもあるは、()ぬまじかりける(ひと)を、()きしみ(りゃう)じたるものの、()らぬにこそあめれ。あが(ほとけ)(きゃう)()でたまはばこそはあらめ、ここまではあへなむ」 "なほりたまへ。このひとたすけたまへ。さすがにけふまでもあるは、ぬまじかりけるひとを、きしみりゃうじたるものの、らぬにこそあめれ。あがほとけきゃうでたまはばこそはあらめ、ここまではあへなん。"
532.1.3239203 など、いみじきことを()(つづ)けて、(たてまつ)りたまへれば、 など、いみじきことをつづけて、たてまつりたまへれば、
532.1.4240204 「いとあやしきことかな。かくまでもありける(ひと)(いのち)を、やがてとり()ててましかば。さるべき(ちぎ)りありてこそは、(われ)しも()つけけめ。(こころ)みに(たす)()てむかし。それに(とど)まらずは、業尽(ごうつ)きにけりと(おも)はむ」 "いとあやしきことかな。かくまでもありけるひといのちを、やがてとりててましかば。さるべきちぎりありてこそは、われしもつけけめ。こころみにたすてんかし。それにとどまらずは、ごうつきにけりとおもはん。"
532.1.5241205 とて、()りたまひけり。 とて、りたまひけり。
532.1.6242206 よろこび(をが)みて、(つき)ごろのありさまを(かた)る。 よろこびをがみて、つきごろのありさまをかたる。
532.1.7243207 「かく(ひさ)しうわづらふ(ひと)は、むつかしきこと、おのづからあるべきを、いささか(おとろ)へず、いときよげに、ねぢけたるところなくのみものしたまひて、(かぎ)りと()えながらも、かくて()きたるわざなりけり」 "かくひさしうわづらふひとは、むつかしきこと、おのづからあるべきを、いささかおとろへず、いときよげに、ねぢけたるところなくのみものしたまひて、かぎりとえながらも、かくてきたるわざなりけり。"
532.1.8244208 など、おほなおほな()()くのたまへば、 など、おほなおほなくのたまへば、
532.1.9245209 ()つけしより、(めづら)かなる(ひと)のみありさまかな。いで」 "つけしより、めづらかなるひとのみありさまかな。いで。"
532.1.10246210 とて、さしのぞきて()たまひて、 とて、さしのぞきてたまひて、
532.1.11247211 「げに、いと警策(きゃうざく)なりける(ひと)御容面(おほんようめい)かな。功徳(くどく)(むく)いにこそ、かかる容貌(かたち)にも()()でたまひけめ。いかなる(たが)ひめにて、(そこな)はれたまひけむ。もし、さにや、と()()はせらるることもなしや」 "げに、いときゃうざくなりけるひとおほんようめいかな。くどくむくいにこそ、かかるかたちにもでたまひけめ。いかなるたがひめにて、そこなはれたまひけん。もし、さにや、とはせらるることもなしや。"
532.1.12248212 ()ひたまふ。 ひたまふ。
532.1.13249213 「さらに()こゆることもなし。(なに)か、初瀬(はつせ)観音(かのん)(たま)へる(ひと)なり」 "さらにこゆることもなし。なにか、はつせかのんたまへるひとなり。"
532.1.14250214 とのたまへば、 とのたまへば、
532.1.15251215 (なに)か。それ(えん)(したが)ひてこそ(みちび)きたまはめ。(たね)なきことはいかでか」 "なにか。それえんしたがひてこそみちびきたまはめ。たねなきことはいかでか。"
532.1.16252216 など、のたまふが、あやしがりたまひて、修法始(すほふはじ)めたり。 など、のたまふが、あやしがりたまひて、すほふはじめたり。
532.2253217第二段 もののけ出現
532.2.1254218 朝廷(おほやけ)()しにだに(したが)はず、(ふか)()もりたる(やま)()でたまひて、すぞろにかかる(ひと)のためになむ(おこな)(さわ)ぎたまふと、ものの()こえあらむ、いと()きにくかるべし」と(おぼ)し、弟子(でし)どもも()ひて、「(ひと)()かせじ」と(かく)す。僧都(そうづ) "おほやけしにだにしたがはず、ふかもりたるやまでたまひて、すぞろにかかるひとのためになんおこなさわぎたまふと、もののこえあらん、いときにくかるべし。"とおぼし、でしどももひて、"ひとかせじ。"とかくす。そうづ
532.2.2255219 「いで、あなかま。大徳(だいとこ)たち。われ無慚(むざん)法師(ほふし)にて、()むことの(なか)に、(やぶ)(かい)(おほ)からめど、(をんな)(すぢ)につけて、まだ(そし)りとらず、(あやま)つことなし。六十(ろくじふ)(あま)りて、(いま)さらに(ひと)のもどき()はむは、さるべきにこそはあらめ」 "いで、あなかま。だいとこたち。われむざんほふしにて、むことのなかに、やぶかいおほからめど、をんなすぢにつけて、まだそしりとらず、あやまつことなし。ろくじふあまりて、いまさらにひとのもどきはんは、さるべきにこそはあらめ。"
532.2.3256220 とのたまへば、 とのたまへば、
532.2.4257221 「よからぬ(ひと)の、ものを便(びん)なく()ひなしはべる(とき)には、仏法(ぶっぽふ)(きず)となりはべることなり」 "よからぬひとの、ものをびんなくひなしはべるときには、ぶっぽふきずとなりはべることなり。"
532.2.5258222 と、(こころ)よからず(おも)ひて()ふ。 と、こころよからずおもひてふ。
532.2.6259223 「この修法(すほふ)のほどにしるし()えずは」 "このすほふのほどにしるしえずは。"
532.2.7260224 と、いみじきことどもを(ちか)ひたまひて、夜一夜加持(よひとよかぢ)したまへる(あかつき)に、(ひと)()(うつ)して、「(なに)やうのもの、かく(ひと)(まど)はしたるぞ」と、ありさまばかり()はせまほしうて、弟子(でし)阿闍梨(あじゃり)、とりどりに加持(かぢ)したまふ。(つき)ごろ、いささかも(あら)はれざりつるもののけ、調(てう)ぜられて、 と、いみじきことどもをちかひたまひて、よひとよかぢしたまへるあかつきに、ひとうつして、"なにやうのもの、かくひとまどはしたるぞ。"と、ありさまばかりはせまほしうて、でしあじゃり、とりどりにかぢしたまふ。つきごろ、いささかもあらはれざりつるもののけ、てうぜられて、
532.2.8261225 「おのれは、ここまで()うで()て、かく調(てう)ぜられたてまつるべき()にもあらず。(むかし)(おこな)ひせし法師(ほふし)の、いささかなる()(うら)みをとどめて、(ただよ)ひありきしほどに、よき(をんな)のあまた()みたまひし(ところ)()みつきて、かたへは(うしな)ひてしに、この(ひと)は、(こころ)()(うら)みたまひて、(われ)いかで()なむ、と()ふことを、夜昼(よるひる)のたまひしにたよりを()て、いと(くら)()(ひと)りものしたまひしを()りてしなり。されど、観音(かのん)とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都(そうづ)()けたてまつりぬ。(いま)は、まかりなむ」 "おのれは、ここまでうでて、かくてうぜられたてまつるべきにもあらず。むかしおこなひせしほふしの、いささかなるうらみをとどめて、ただよひありきしほどに、よきをんなのあまたみたまひしところみつきて、かたへはうしなひてしに、このひとは、こころうらみたまひて、われいかでなん、とふことを、よるひるのたまひしにたよりをて、いとくらひとりものしたまひしをりてしなり。されど、かのんとざまかうざまにはぐくみたまひければ、このそうづけたてまつりぬ。いまは、まかりなん。"
532.2.9262226 とののしる。 とののしる。
532.2.10263227 「かく()ふは、(なに)ぞ」 "かくふは、なにぞ。"
532.2.11264228 ()へば、()きたる(ひと)、ものはかなきけにや、はかばかしうも()はず。 へば、きたるひと、ものはかなきけにや、はかばかしうもはず。
532.3265229第三段 浮舟、意識を回復
532.3.1266230 正身(さうじみ)心地(ここち)はさはやかに、いささかものおぼえて見回(みまは)したれば、一人見(ひとりみ)(ひと)(かほ)はなくて、(みな)老法師(おいほふし)、ゆがみ(おとろ)へたる(もの)のみ(おほ)かれば、()らぬ(くに)()にける心地(ここち)して、いと(かな)し。 さうじみここちはさはやかに、いささかものおぼえてみまはしたれば、ひとりみひとかほはなくて、みなおいほふし、ゆがみおとろへたるもののみおほかれば、らぬくににけるここちして、いとかなし。
532.3.2267231 ありし()のこと(おも)()づれど、()みけむ(ところ)()れと()ひし(ひと)とだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、 ありしのことおもづれど、みけんところれとひしひととだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、
532.3.3268232 (われ)は、(かぎ)りとて()()げし(ひと)ぞかし。いづくに()にたるにか」とせめて(おも)()づれば、 "われは、かぎりとてげしひとぞかし。いづくににたるにか。"とせめておもづれば、
532.3.4269233 「いといみじと、ものを(おも)(なげ)きて、皆人(みなひと)()たりしに、妻戸(つまど)(はな)ちて()でたりしに、(かぜ)(はげ)しう、川波(かはなみ)(あら)()こえしを、(ひと)りもの(おそ)ろしかりしかば、()方行(かたゆ)(さき)もおぼえで、簀子(すのこ)(はし)(あし)をさし()ろしながら、()くべき(かた)(まど)はれて、(かへ)()らむも中空(なかぞら)にて、心強(こころづよ)くこの()()せなむと(おも)()ちしを、『をこがましうて(ひと)()つけられむよりは、(おに)(なに)()(うしな)へ』と()ひつつ、つくづくと()たりしを、いときよげなる(をとこ)()()て、『いざ、たまへ。おのがもとへ』と()ひて、(いだ)心地(ここち)のせしを、(みや)()こえし(ひと)のしたまふ、とおぼえしほどより、心地惑(ここちまど)ひにけるなめり。()らぬ(ところ)()()きて、この(をとこ)()()せぬ、と()しを、つひにかく本意(ほい)のこともせずなりぬる、と(おも)ひつつ、いみじう()く、と(おも)ひしほどに、その(のち)のことは()えて、いかにもいかにもおぼえず。 "いといみじと、ものをおもなげきて、みなひとたりしに、つまどはなちてでたりしに、かぜはげしう、かはなみあらこえしを、ひとりものおそろしかりしかば、かたゆさきもおぼえで、すのこはしあしをさしろしながら、くべきかたまどはれて、かへらんもなかぞらにて、こころづよくこのせなんとおもちしを、'をこがましうてひとつけられんよりは、おになにうしなへ。'とひつつ、つくづくとたりしを、いときよげなるをとこて、'いざ、たまへ。おのがもとへ。'とひて、いだここちのせしを、みやこえしひとのしたまふ、とおぼえしほどより、ここちまどひにけるなめり。らぬところきて、このをとこせぬ、としを、つひにかくほいのこともせずなりぬる、とおもひつつ、いみじうく、とおもひしほどに、そののちのことはえて、いかにもいかにもおぼえず。
532.3.5270234 (ひと)()ふを()けば、(おほ)くの()ごろも()にけり。いかに()きさまを、()らぬ(ひと)(あつか)はれ()えつらむ、と()づかしう、つひにかくて()(かへ)りぬるか」 ひとふをけば、おほくのごろもにけり。いかにきさまを、らぬひとあつかはれえつらん、とづかしう、つひにかくてかへりぬるか。"
532.3.6271235 (おも)ふも口惜(くちを)しければ、いみじうおぼえて、なかなか、(しづ)みたまひつる()ごろは、うつし(ごころ)もなきさまにて、ものいささか(まゐ)(こと)もありつるを、つゆばかりの()をだに(まゐ)らず。 おもふもくちをしければ、いみじうおぼえて、なかなか、しづみたまひつるごろは、うつしごころもなきさまにて、ものいささかまゐこともありつるを、つゆばかりのをだにまゐらず。
532.4272236第四段 浮舟、五戒を受く
532.4.1273237 「いかなれば、かく(たの)もしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどしたまへることは()めたまひて、さはやかに()えたまへば、うれしう(おも)ひきこゆるを」 "いかなれば、かくたのもしげなくのみはおはするぞ。うちはへぬるみなどしたまへることはめたまひて、さはやかにえたまへば、うれしうおもひきこゆるを。"
532.4.2274238 と、()()く、たゆむ(をり)なく()ひゐて(あつか)ひきこえたまふ。ある(ひと)びとも、あたらしき(おほん)さま容貌(かたち)()れば、(こころ)()くしてぞ()しみまもりける。(こころ)には、「なほいかで()なむ」とぞ(おも)ひわたりたまへど、さばかりにて、()()まりたる(ひと)(いのち)なれば、いと執念(しふね)くて、やうやう(かしら)もたげたまへば、もの(まゐ)りなどしたまふにぞ、なかなか面痩(おもや)せもていく。いつしかとうれしう(おも)ひきこゆるに、 と、く、たゆむをりなくひゐてあつかひきこえたまふ。あるひとびとも、あたらしきおほんさまかたちれば、こころくしてぞしみまもりける。こころには、"なほいかでなん。"とぞおもひわたりたまへど、さばかりにて、まりたるひといのちなれば、いとしふねくて、やうやうかしらもたげたまへば、ものまゐりなどしたまふにぞ、なかなかおもやせもていく。いつしかとうれしうおもひきこゆるに、
532.4.3275239 (あま)になしたまひてよ。さてのみなむ()くやうもあるべき」 "あまになしたまひてよ。さてのみなんくやうもあるべき。"
532.4.4276240 とのたまへば、 とのたまへば、
532.4.5277241 「いとほしげなる(おほん)さまを。いかでか、さはなしたてまつらむ」 "いとほしげなるおほんさまを。いかでか、さはなしたてまつらん。"
532.4.6278242 とて、ただ(いただき)ばかりを()ぎ、五戒(ごかい)ばかりを()けさせたてまつる。(こころ)もとなけれど、もとよりおれおれしき(ひと)(こころ)にて、えさかしく()ひてものたまはず。僧都(そうづ)は、 とて、ただいただきばかりをぎ、ごかいばかりをけさせたてまつる。こころもとなけれど、もとよりおれおれしきひとこころにて、えさかしくひてものたまはず。そうづは、
532.4.7279243 (いま)は、かばかりにて、いたはり()めたてまつりたまへ」 "いまは、かばかりにて、いたはりめたてまつりたまへ。"
532.4.8280244 ()()きて、(のぼ)りたまひぬ。 きて、のぼりたまひぬ。
532.5281245第五段 浮舟、素性を隠す
532.5.1282246 (ゆめ)のやうなる(ひと)()たてまつるかな」と尼君(あまぎみ)(よろこ)びて、せめて()こし()ゑつつ、御髪手(みぐして)づから(けづ)りたまふ。さばかりあさましう、ひき()ひてうちやりたりつれど、いたうも(みだ)れず、()()てたれば、つやつやとけうらなり。一年足(ひととせた)らぬ九十九髪多(つくもがみおほ)かる(ところ)にて、()もあやに、いみじき天人(てんにん)天降(あまくだ)れるを()たらむやうに(おも)ふも、(あや)ふき心地(ここち)すれど、 "ゆめのやうなるひとたてまつるかな。"とあまぎみよろこびて、せめてこしゑつつ、みぐしてづからけづりたまふ。さばかりあさましう、ひきひてうちやりたりつれど、いたうもみだれず、てたれば、つやつやとけうらなり。ひととせたらぬつくもがみおほかるところにて、もあやに、いみじきてんにんあまくだれるをたらんやうにおもふも、あやふきここちすれど、
532.5.2283247 「などか、いと心憂(こころう)く、かばかりいみじく(おも)ひきこゆるに、御心(みこころ)()てては()えたまふ。いづくに()れと()こえし(ひと)の、さる(ところ)にはいかでおはせしぞ」 "などか、いとこころうく、かばかりいみじくおもひきこゆるに、みこころててはえたまふ。いづくにれとこえしひとの、さるところにはいかでおはせしぞ。"
532.5.3284248 と、せめて()ふを、いと()づかしと(おも)ひて、 と、せめてふを、いとづかしとおもひて、
532.5.4285249 「あやしかりしほどに、皆忘(みなわす)れたるにやあらむ、ありけむさまなどもさらにおぼえはべらず。ただ、ほのかに(おも)()づることとては、ただ、いかでこの()にあらじと(おも)ひつつ、夕暮(ゆふぐれ)ごとに端近(はしちか)くて(なが)めしほどに、前近(まへちか)(おほ)きなる()のありし(した)より、(ひと)()()て、()()心地(ここち)なむせし。それより(ほか)のことは、(われ)ながら、()れともえ(おも)()でられはべらず」 "あやしかりしほどに、みなわすれたるにやあらん、ありけんさまなどもさらにおぼえはべらず。ただ、ほのかにおもづることとては、ただ、いかでこのにあらじとおもひつつ、ゆふぐれごとにはしちかくてながめしほどに、まへちかおほきなるのありししたより、ひとて、ここちなんせし。それよりほかのことは、われながら、れともえおもでられはべらず。"
532.5.5286250 と、いとらうたげに()ひなして、 と、いとらうたげにひなして、
532.5.6287251 ()(なか)に、なほありけりと、いかで(ひと)()られじ。()きつくる(ひと)もあらば、いといみじくこそ」 "なかに、なほありけりと、いかでひとられじ。きつくるひともあらば、いといみじくこそ。"
532.5.7288252 とて()いたまふ。あまり()ふをば、(くる)しと(おぼ)したれば、え()はず。かぐや(ひめ)()つけたりけむ竹取(たけとり)(おきな)よりも、(めづら)しき心地(ここち)するに、「いかなるものの(ひま)()()せむとすらむ」と、静心(しづごころ)なくぞ(おぼ)しける。 とていたまふ。あまりふをば、くるしとおぼしたれば、えはず。かぐやひめつけたりけんたけとりおきなよりも、めづらしきここちするに、"いかなるもののひませんとすらん。"と、しづごころなくぞおぼしける。
532.6289253第六段 小野山荘の風情
532.6.1290254 この主人(あるじ)もあてなる(ひと)なりけり。(むすめ)尼君(あまぎみ)は、上達部(かんだちめ)(きた)(かた)にてありけるが、その人亡(ひとな)くなりたまひてのち、(むすめ)ただ一人(ひとり)をいみじくかしづきて、よき君達(きんだち)婿(むこ)にして(おも)(あつか)ひけるを、その(むすめ)(きみ)()くなりにければ、心憂(こころう)し、いみじ、と(おも)()りて、(かたち)をも()へ、かかる山里(やまざと)には()(はじ)めたりけるなり。 このあるじもあてなるひとなりけり。むすめあまぎみは、かんだちめきたかたにてありけるが、そのひとなくなりたまひてのち、むすめただひとりをいみじくかしづきて、よききんだちむこにしておもあつかひけるを、そのむすめきみくなりにければ、こころうし、いみじ、とおもりて、かたちをもへ、かかるやまざとにははじめたりけるなり。
532.6.2291255 ()とともに()ひわたる(ひと)形見(かたみ)にも、(おも)ひよそへつべからむ(ひと)をだに見出(みい)でてしがな」、つれづれも心細(こころぼそ)きままに(おも)(なげ)きけるを、かく、おぼえぬ(ひと)の、容貌(かたち)けはひもまさりざまなるを()たれば、うつつのことともおぼえず、あやしき心地(ここち)しながら、うれしと(おも)ふ。ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。 "とともにひわたるひとかたみにも、おもひよそへつべからんひとをだにみいでてしがな。"、つれづれもこころぼそきままにおもなげきけるを、かく、おぼえぬひとの、かたちけはひもまさりざまなるをたれば、うつつのことともおぼえず、あやしきここちしながら、うれしとおもふ。ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。
532.6.3292257 (むかし)山里(やまざと)よりは、(みづ)(おと)もなごやかなり。(つく)りざま、ゆゑある(ところ)木立(こだち)おもしろく、前栽(せんさい)もをかしく、ゆゑを()くしたり。(あき)になりゆけば、(そら)のけしきもあはれなり。門田(かどた)稲刈(いねか)るとて、(ところ)につけたるものまねびしつつ、(わか)(をんな)どもは、(うた)うたひ(きょう)じあへり。引板(ひた)ひき()らす(おと)もをかしく、()東路(あづまぢ)のことなども(おも)()でられて。 むかしやまざとよりは、みづおともなごやかなり。つくりざま、ゆゑあるところこだちおもしろく、せんさいもをかしく、ゆゑをくしたり。あきになりゆけば、そらのけしきもあはれなり。かどたいねかるとて、ところにつけたるものまねびしつつ、わかをんなどもは、うたうたひきょうじあへり。ひたひきらすおともをかしく、あづまぢのことなどもおもでられて。
532.6.4293258 かの夕霧(ゆふぎり)御息所(みやすんどころ)のおはせし山里(やまざと)よりは、(いま)すこし()りて、(やま)(かた)かけたる(いへ)なれば、松蔭茂(まつかげしげ)く、(かぜ)(おと)もいと心細(こころぼそ)きに、つれづれに(おこな)ひをのみしつつ、いつとなくしめやかなり。 かのゆふぎりみやすんどころのおはせしやまざとよりは、いますこしりて、やまかたかけたるいへなれば、まつかげしげく、かぜおともいとこころぼそきに、つれづれにおこなひをのみしつつ、いつとなくしめやかなり。
532.7294259第七段 浮舟、手習して述懐
532.7.1295260 尼君(あまぎみ)ぞ、(つき)など(あか)()は、(きん)など()きたまふ。少将(せうしゃう)尼君(あまぎみ)などいふ(ひと)は、琵琶弾(びはひ)きなどしつつ(あそ)ぶ。 あまぎみぞ、つきなどあかは、きんなどきたまふ。せうしゃうあまぎみなどいふひとは、びはひきなどしつつあそぶ。
532.7.2296261 「かかるわざはしたまふや。つれづれなるに」 "かかるわざはしたまふや。つれづれなるに。"
532.7.3297262 など()ふ。(むかし)も、あやしかりける()にて、(こころ)のどかに、「さやうのことすべきほどもなかりしかば、いささかをかしきさまならずも()()でにけるかな」と、かくさだ()ぎにける(ひと)の、(こころ)をやるめる折々(をりをり)につけては、(おも)()づるを、「あさましくものはかなかりける」と、(われ)ながら口惜(くちを)しければ、手習(てならひ)に、 などふ。むかしも、あやしかりけるにて、こころのどかに、"さやうのことすべきほどもなかりしかば、いささかをかしきさまならずもでにけるかな。"と、かくさだぎにけるひとの、こころをやるめるをりをりにつけては、おもづるを、"あさましくものはかなかりける。"と、われながらくちをしければ、てならひに、
532.7.4298263 ()()げし(なみだ)(かは)(はや)()を<BR/>しがらみかけて()れか(とど)めし」 "〔げしなみだかははやを<BR/>しがらみかけてれかとどめし〕
532.7.5299264 (おも)ひの(ほか)心憂(こころう)ければ、()(すゑ)もうしろめたく、(うと)ましきまで(おも)ひやらる。 おもひのほかこころうければ、すゑもうしろめたく、うとましきまでおもひやらる。
532.7.6300265 (つき)()かき()()な、()(びと)どもは(えん)歌詠(うたよ)み、いにしへ(おも)()でつつ、さまざま物語(ものがたり)などするに、いらふべきかたもなければ、つくづくとうち(なが)めて、 つきかきな、びとどもはえんうたよみ、いにしへおもでつつ、さまざまものがたりなどするに、いらふべきかたもなければ、つくづくとうちながめて、
532.7.7301266 (われ)かくて()()(なか)にめぐるとも<BR/>()れかは()らむ(つき)(みやこ)に」 "〔われかくてなかにめぐるとも<BR/>れかはらんつきみやこに〕
532.7.8302267 (いま)(かぎ)りと(おも)ひしほどは、(こひ)しき人多(ひとおほ)かりしかど、こと(ひと)びとはさしも(おも)()でられず、ただ、 いまかぎりとおもひしほどは、こひしきひとおほかりしかど、ことひとびとはさしもおもでられず、ただ、
532.7.9303268 (おや)いかに(まど)ひたまひけむ。乳母(めのと)、よろづに、いかで(ひと)なみなみになさむと(おも)()られしを、いかにあへなき心地(ここち)しけむ。いづくにあらむ。(われ)()にあるものとはいかでか()らむ」 "おやいかにまどひたまひけん。めのと、よろづに、いかでひとなみなみになさんとおもられしを、いかにあへなきここちしけん。いづくにあらん。われにあるものとはいかでからん。"
532.7.10304269 (おな)(こころ)なる(ひと)もなかりしままに、よろづ(へだ)つることなく(かた)らひ見馴(みな)れたりし右近(うこん)なども、折々(をりをり)(おも)()でらる。 おなこころなるひともなかりしままに、よろづへだつることなくかたらひみなれたりしうこんなども、をりをりおもでらる。
532.8305270第八段 浮舟の日常生活
532.8.1306271 (わか)(ひと)の、かかる山里(やまざと)に、(いま)はと(おも)()()もるは、(かた)きわざなりければ、ただいたく年経(としへ)にける(あま)(しち)八人(はちにん)ぞ、(つね)(ひと)にてはありける。それらが娘孫(むすめまご)やうの(もの)ども、(きゃう)宮仕(みやづか)へするも、(こと)ざまにてあるも、時々(ときどき)来通(きかよ)ひける。 わかひとの、かかるやまざとに、いまはとおももるは、かたきわざなりければ、ただいたくとしへにけるあましちはちにんぞ、つねひとにてはありける。それらがむすめまごやうのものども、きゃうみやづかへするも、ことざまにてあるも、ときどききかよひける。
532.8.2307272 「かやうの(ひと)につけて、()しわたりに()(かよ)ひ、おのづから、()にありけりと()れにも()れにも()かれたてまつらむこと、いみじく()づかしかるべし。いかなるさまにてさすらへけむ」 "かやうのひとにつけて、しわたりにかよひ、おのづから、にありけりとれにもれにもかれたてまつらんこと、いみじくづかしかるべし。いかなるさまにてさすらへけん。"
532.8.3308273 など、(おも)ひやり()づかずあやしかるべきを(おも)へば、かかる(ひと)びとに、かけても()えず。ただ侍従(じじゅう)、こもきとて、尼君(あまぎみ)のわが(ひと)にしたりける二人(ふたり)をのみぞ、この御方(おほんかた)()()けたりける。みめも(こころ)ざまも、昔見(むかしみ)都鳥(みやこどり)()たるはなし。何事(なにごと)につけても、「()(なか)にあらぬ(ところ)はこれにや」とぞ、かつは(おも)ひなされける。 など、おもひやりづかずあやしかるべきをおもへば、かかるひとびとに、かけてもえず。ただじじゅう、こもきとて、あまぎみのわがひとにしたりけるふたりをのみぞ、このおほんかたけたりける。みめもこころざまも、むかしみみやこどりたるはなし。なにごとにつけても、"なかにあらぬところはこれにや。"とぞ、かつはおもひなされける。
532.8.4309274 かくのみ、(ひと)()られじと(しの)びたまへば、「まことにわづらはしかるべきゆゑある(ひと)にもものしたまふらむ」とて、(くは)しきこと、ある(ひと)びとにも()らせず。 かくのみ、ひとられじとしのびたまへば、"まことにわづらはしかるべきゆゑあるひとにもものしたまふらん。"とて、くはしきこと、あるひとびとにもらせず。
533310275第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
533.1311276第一段 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問
533.1.1312277 尼君(あまぎみ)(むかし)婿(むこ)(きみ)(いま)中将(ちうじゃう)にてものしたまひける、(おとうと)禅師(ぜんじ)(きみ)僧都(そうづ)(おほん)もとにものしたまひける、山籠(やまご)もりしたるを(とぶ)らひに、兄弟(はらから)(きみ)たち(つね)(のぼ)りけり。 あまぎみむかしむこきみいまちうじゃうにてものしたまひける、おとうとぜんじきみそうづおほんもとにものしたまひける、やまごもりしたるをとぶらひに、はらからきみたちつねのぼりけり。
533.1.2313278 横川(よかは)(かよ)(みち)のたよりに()せて、中将(ちうじゃう)ここにおはしたり。前駆(さき)うち()ひて、あてやかなる(をとこ)()()るを見出(みい)だして、(しの)びやかにおはせし(ひと)(おほん)さまけはひぞ、さやかに(おも)()でらるる。 よかはかよみちのたよりにせて、ちうじゃうここにおはしたり。さきうちひて、あてやかなるをとこるをみいだして、しのびやかにおはせしひとおほんさまけはひぞ、さやかにおもでらるる。
533.1.3314279 これもいと心細(こころぼそ)()まひのつれづれなれど、()みつきたる(ひと)びとは、ものきよげにをかしうしなして、(かき)ほに()ゑたる撫子(なでしこ)もおもしろく、女郎花(をみなへし)桔梗(ききゃう)など()(はじ)めたるに、色々(いろいろ)狩衣姿(かりぎぬすがた)(をのこ)どもの(わか)きあまたして、(きみ)(おな)装束(さうぞく)にて、南面(みなみおもて)()()ゑたれば、うち(なが)めてゐたり。年二十七(としにじふしち)(はち)のほどにて、ねびととのひ、心地(ここち)なからぬさまもてつけたり。 これもいとこころぼそまひのつれづれなれど、みつきたるひとびとは、ものきよげにをかしうしなして、かきほにゑたるなでしこもおもしろく、をみなへしききゃうなどはじめたるに、いろいろかりぎぬすがたをのこどものわかきあまたして、きみおなさうぞくにて、みなみおもてゑたれば、うちながめてゐたり。としにじふしちはちのほどにて、ねびととのひ、ここちなからぬさまもてつけたり。
533.1.4315280 尼君(あまぎみ)障子口(さうじぐち)几帳立(きちゃうた)てて、対面(たいめん)したまふ。まづうち()きて、 あまぎみさうじぐちきちゃうたてて、たいめんしたまふ。まづうちきて、
533.1.5316281 (とし)ごろの()もるには、()ぎにし(かた)いとど気遠(けどほ)くのみなむはべるを、山里(やまざと)(ひかり)になほ()ちきこえさすることの、うち(わす)れず()みはべらぬを、かつはあやしく(おも)ひたまふる」 "としごろのもるには、ぎにしかたいとどけどほくのみなんはべるを、やまざとひかりになほちきこえさすることの、うちわすれずみはべらぬを、かつはあやしくおもひたまふる。"
533.1.6317282 とのたまへば、 とのたまへば、
533.1.7318283 (こころ)のうちあはれに、()ぎにし(かた)のことども、(おも)ひたまへられぬ(をり)なきを、あながちに()(はな)(がほ)なる(おほん)ありさまに、おこたりつつなむ。山籠(やまご)もりもうらやましう、(つね)()()ちはべるを、(おな)じくはなど、(した)ひまとはさるる(ひと)びとに、(さまた)げらるるやうにはべりてなむ。今日(けふ)は、(みな)はぶき()ててものしたまへる」 "こころのうちあはれに、ぎにしかたのことども、おもひたまへられぬをりなきを、あながちにはながほなるおほんありさまに、おこたりつつなん。やまごもりもうらやましう、つねちはべるを、おなじくはなど、したひまとはさるるひとびとに、さまたげらるるやうにはべりてなん。けふは、みなはぶきててものしたまへる。"
533.1.8319284 とのたまふ。 とのたまふ。
533.1.9320285 山籠(やまご)もりの(おほん)うらやみは、なかなか今様(いまよう)だちたる(おほん)ものまねびになむ。(むかし)(おぼ)(わす)れぬ御心(みこころ)ばへも、()(なび)かせたまはざりけると、おろかならず(おも)ひたまへらるる折多(をりおほ)く」 "やまごもりのおほんうらやみは、なかなかいまようだちたるおほんものまねびになん。むかしおぼわすれぬみこころばへも、なびかせたまはざりけると、おろかならずおもひたまへらるるをりおほく。"
533.1.10321286 など()ふ。 などふ。
533.2322287第二段 浮舟の思い
533.2.1323288 (ひと)びとに水飯(すいはん)などやうの物食(ものく)はせ、(きみ)にも(はす)()などやうのもの()だしたれば、()れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地(ここち)して、村雨(むらさめ)()()づるに()められて、物語(ものがたり)しめやかにしたまふ。 ひとびとにすいはんなどやうのものくはせ、きみにもはすなどやうのものだしたれば、れにしあたりにて、さやうのこともつつみなきここちして、むらさめづるにめられて、ものがたりしめやかにしたまふ。
533.2.2324289 ()ふかひなくなりにし(ひと)よりも、この(きみ)御心(みこころ)ばへなどの、いと(おも)ふやうなりしを、よそのものに(おも)ひなしたるなむ、いと(かな)しき。など、(わす)形見(がたみ)をだに(とど)めたまはずなりにけむ」 "ふかひなくなりにしひとよりも、このきみみこころばへなどの、いとおもふやうなりしを、よそのものにおもひなしたるなん、いとかなしき。など、わすがたみをだにとどめたまはずなりにけん。"
533.2.3325290 と、()(しの)(こころ)なりければ、たまさかにかくものしたまへるにつけても、(めづら)しくあはれにおぼゆべかめる()はず(がた)りもし()でつべし。 と、しのこころなりければ、たまさかにかくものしたまへるにつけても、めづらしくあはれにおぼゆべかめるはずがたりもしでつべし。
533.2.4326291 姫君(ひめぎみ)は、(われ)(われ)と、(おも)()づる方多(かたおほ)くて、(なが)()だしたまへるさま、いとうつくし。(しろ)単衣(ひとへ)の、いと(なさ)けなくあざやぎたるに、(はかま)桧皮色(ひはだいろ)にならひたるにや、(ひかり)()えず(くろ)きを()せたてまつりたれば、「かかることどもも、()しには()はりてあやしうもあるかな」と(おも)ひつつ、こはごはしういららぎたるものども()たまへるしも、いとをかしき姿(すがた)なり。御前(おまへ)なる(ひと)びと、 ひめぎみは、われわれと、おもづるかたおほくて、ながだしたまへるさま、いとうつくし。しろひとへの、いとなさけなくあざやぎたるに、はかまひはだいろにならひたるにや、ひかりえずくろきをせたてまつりたれば、"かかることどもも、しにははりてあやしうもあるかな。"とおもひつつ、こはごはしういららぎたるものどもたまへるしも、いとをかしきすがたなり。おまへなるひとびと、
533.2.5327292 故姫君(こひめぎみ)のおはしたる心地(ここち)のみしはべりつるに、中将殿(ちうじゃうどの)をさへ()たてまつれば、いとあはれにこそ。(おな)じくは、(むかし)のさまにておはしまさせばや。いとよき(おほん)あはひならむかし」 "こひめぎみのおはしたるここちのみしはべりつるに、ちうじゃうどのをさへたてまつれば、いとあはれにこそ。おなじくは、むかしのさまにておはしまさせばや。いとよきおほんあはひならんかし。"
533.2.6328293 ()()へるを、 へるを、
533.2.7329294 「あな、いみじや。()にありて、いかにもいかにも、(ひと)()えむこそ。それにつけてぞ(むかし)のこと(おも)()でらるべき。さやうの(すぢ)は、(おも)()えて(わす)れなむ」と(おも)ふ。 "あな、いみじや。にありて、いかにもいかにも、ひとえんこそ。それにつけてぞむかしのことおもでらるべき。さやうのすぢは、おもえてわすれなん。"とおもふ。
533.3330295第三段 中将、浮舟を垣間見る
533.3.1331296 尼君入(あまぎみい)りたまへる()に、客人(まらうと)(あめ)のけしきを()わづらひて、少将(せうしゃう)()ひし(ひと)(こゑ)()()りて、()()せたまへり。 あまぎみいりたまへるに、まらうとあめのけしきをわづらひて、せうしゃうひしひとこゑりて、せたまへり。
533.3.2332297 昔見(むかしみ)(ひと)びとは、(みな)ここにものせらるらむや、と(おも)ひながらも、かう(まゐ)()ることも(かた)くなりにたるを、心浅(こころあさ)きにや、()れも()れも()なしたまふらむ」 "むかしみひとびとは、みなここにものせらるらんや、とおもひながらも、かうまゐることもかたくなりにたるを、こころあさきにや、れもれもなしたまふらん。"
533.3.3333298 などのたまふ。(つか)うまつり()れにし(ひと)にて、あはれなりし(むかし)のことどもも(おも)()でたるついでに、 などのたまふ。つかうまつりれにしひとにて、あはれなりしむかしのことどももおもでたるついでに、
533.3.4334299 「かの(らう)のつま()りつるほど、(かぜ)(さわ)がしかりつる(まぎ)れに、(すだれ)(ひま)より、なべてのさまにはあるまじかりつる(ひと)の、うち()(がみ)()えつるは、()(そむ)きたまへるあたりに、()れぞとなむ()おどろかれつる」 "かのらうのつまりつるほど、かぜさわがしかりつるまぎれに、すだれひまより、なべてのさまにはあるまじかりつるひとの、うちがみえつるは、そむきたまへるあたりに、れぞとなんおどろかれつる。"
533.3.5335300 とのたまふ。「姫君(ひめぎみ)()()でたまへるうしろでを、()たまへりけるなめり」と(おも)()でて、「ましてこまかに()せたらば、心止(こころと)まりたまひなむかし。昔人(むかしびと)は、いとこよなう(おと)りたまへりしをだに、まだ(わす)れがたくしたまふめるを」と、心一(こころひと)つに(おも)ひて、 とのたまふ。"ひめぎみでたまへるうしろでを、たまへりけるなめり。"とおもでて、"ましてこまかにせたらば、こころとまりたまひなんかし。むかしびとは、いとこよなうおとりたまへりしをだに、まだわすれがたくしたまふめるを。"と、こころひとつにおもひて、
533.3.6336301 ()ぎにし(おほん)ことを(わす)れがたく、(なぐさ)めかねたまふめりしほどに、おぼえぬ(ひと)()たてまつりたまひて、()()れの見物(みもの)(おも)ひきこえたまふめるを、うちとけたまへる(おほん)ありさまを、いかで御覧(ごらん)じつらむ」 "ぎにしおほんことをわすれがたく、なぐさめかねたまふめりしほどに、おぼえぬひとたてまつりたまひて、れのみものおもひきこえたまふめるを、うちとけたまへるおほんありさまを、いかでごらんじつらん。"
533.3.7337302 ()ふ。「かかることこそはありけれ」とをかしくて、「何人(なにびと)ならむ。げに、いとをかしかりつ」と、ほのかなりつるを、なかなか(おも)()づ。こまかに()へど、そのままにも()はず、 ふ。"かかることこそはありけれ。"とをかしくて、"なにびとならん。げに、いとをかしかりつ。"と、ほのかなりつるを、なかなかおもづ。こまかにへど、そのままにもはず、
533.3.8338303 「おのづから()こし()してむ」 "おのづからこししてん。"
533.3.9339304 とのみ()へば、うちつけに()(たづ)ねむも、さま()しき心地(ここち)して、 とのみへば、うちつけにたづねんも、さましきここちして、
533.3.10340305 (あめ)()みぬ。()()れぬべし」 "あめみぬ。れぬべし。"
533.3.11341306 ()ふにそそのかされて、()でたまふ。 ふにそそのかされて、でたまふ。
533.4342307第四段 中将、横川の僧都と語る
533.4.1343308 前近(まへちか)女郎花(をみなへし)()りて、「何匂(なににほ)ふらむ」と(くち)ずさびて、(ひと)りごち()てり。 まへちかをみなへしりて、"なににほふらん。"とくちずさびて、ひとりごちてり。
533.4.2344309 (ひと)のもの()ひを、さすがに(おぼ)しとがむるこそ」 "ひとのものひを、さすがにおぼしとがむるこそ。"
533.4.3345310 など、古代(こたい)(ひと)どもは、ものめでをしあへり。 など、こたいひとどもは、ものめでをしあへり。
533.4.4346311 「いときよげに、あらまほしくもねびまさりたまひにけるかな。(おな)じくは、(むかし)のやうにても()たてまつらばや」とて、 "いときよげに、あらまほしくもねびまさりたまひにけるかな。おなじくは、むかしのやうにてもたてまつらばや。"とて、
533.4.5347312 藤中納言(とうちうなごん)(おほん)あたりには、()えず(かよ)ひたまふやうなれど、(こころ)(とど)めたまはず、(おや)殿(との)がちになむものしたまふ、とこそ()ふなれ」 "とうちうなごんおほんあたりには、えずかよひたまふやうなれど、こころとどめたまはず、おやとのがちになんものしたまふ、とこそふなれ。"
533.4.6348313 と、尼君(あまぎみ)ものたまひて、 と、あまぎみものたまひて、
533.4.7349314 心憂(こころう)く、ものをのみ(おぼ)(へだ)てたるなむ、いとつらき。(いま)は、なほ、さるべきなめりと(おぼ)しなして、()()れしくもてなしたまへ。この五年(いつとせ)六年(むとせ)(とき)()(わす)れず、(こひ)しく(かな)しと(おも)ひつる(ひと)(うへ)も、かく()たてまつりて(のち)よりは、こよなく(おも)(わす)られにてはべる。(おも)ひきこえたまふべき(ひと)びと()におはすとも、(いま)()()きものにこそ、やうやう(おぼ)しなりぬらめ。よろづのこと、さし()たりたるやうには、えしもあらぬわざになむ」 "こころうく、ものをのみおぼへだてたるなん、いとつらき。いまは、なほ、さるべきなめりとおぼしなして、れしくもてなしたまへ。このいつとせむとせときわすれず、こひしくかなしとおもひつるひとうへも、かくたてまつりてのちよりは、こよなくおもわすられにてはべる。おもひきこえたまふべきひとびとにおはすとも、いまきものにこそ、やうやうおぼしなりぬらめ。よろづのこと、さしたりたるやうには、えしもあらぬわざになん。"
533.4.8350315 ()ふにつけても、いとど(なみだ)ぐみて、 ふにつけても、いとどなみだぐみて、
533.4.9351316 (へだ)てきこゆる(こころ)は、はべらねど、あやしくて()(かへ)りけるほどに、よろづのこと(ゆめ)()にたどられて。あらぬ()(むま)れたらむ(ひと)は、かかる心地(ここち)やすらむ、とおぼえはべれば、(いま)は、()るべき人世(ひとよ)にあらむとも(おも)()でず。ひたみちにこそ、(むつ)ましく(おも)ひきこゆれ」 "へだてきこゆるこころは、はべらねど、あやしくてかへりけるほどに、よろづのことゆめにたどられて。あらぬむまれたらんひとは、かかるここちやすらん、とおぼえはべれば、いまは、るべきひとよにあらんともおもでず。ひたみちにこそ、むつましくおもひきこゆれ。"
533.4.10352317 とのたまふさまも、げに、何心(なにごころ)なくうつくしく、うち()みてぞまもりゐたまへる。 とのたまふさまも、げに、なにごころなくうつくしく、うちみてぞまもりゐたまへる。
533.4.11353318 中将(ちうじゃう)は、(やま)におはし()きて、僧都(そうづ)(めづら)しがりて、()(なか)物語(ものがたり)したまふ。その()(とま)りて、声尊(こゑたふと)(ひと)(きゃう)など()ませて、夜一夜(よひとよ)(あそ)びたまふ。禅師(ぜんじ)(きみ)、こまかなる物語(ものがたり)などするついでに、 ちうじゃうは、やまにおはしきて、そうづめづらしがりて、なかものがたりしたまふ。そのとまりて、こゑたふとひときゃうなどませて、よひとよあそびたまふ。ぜんじきみ、こまかなるものがたりなどするついでに、
533.4.12354319 小野(をの)()()りて、ものあはれにもありしかな。()()てたれど、なほさばかりの(こころ)ばせある(ひと)は、(かた)うこそ」 "をのりて、ものあはれにもありしかな。てたれど、なほさばかりのこころばせあるひとは、かたうこそ。"
533.4.13355320 などあるついでに、 などあるついでに、
533.4.14356321 (かぜ)()()けたりつる(ひま)より、(かみ)いと(なが)くをかしげなる(ひと)こそ()えつれ。あらはなりとや(おも)ひつらむ、()ちてあなたに()りつるうしろで、なべての(ひと)とは()えざりつ。さやうの(ところ)に、よき(をんな)()きたるまじきものにこそあめれ。()()()るものは法師(ほふし)なり。おのづから目馴(めな)れておぼゆらむ。不便(ふびん)なることぞかし」 "かぜけたりつるひまより、かみいとながくをかしげなるひとこそえつれ。あらはなりとやおもひつらん、ちてあなたにりつるうしろで、なべてのひととはえざりつ。さやうのところに、よきをんなきたるまじきものにこそあめれ。るものはほふしなり。おのづからめなれておぼゆらん。ふびんなることぞかし。"
533.4.15357322 とのたまふ。禅師(ぜんじ)(きみ) とのたまふ。ぜんじきみ
533.4.16358323 「この(はる)初瀬(はつせ)(まう)でて、あやしくて見出(みい)でたる(ひと)となむ、()きはべりし」 "このはるはつせまうでて、あやしくてみいでたるひととなん、きはべりし。"
533.4.17359324 とて、()ぬことなれば、こまかには()はず。 とて、ぬことなれば、こまかにははず。
533.4.18360325 「あはれなりけることかな。いかなる(ひと)にかあらむ。()(なか)()しとてぞ、さる(ところ)には(かく)れゐけむかし。昔物語(むかしものがたり)心地(ここち)もするかな」 "あはれなりけることかな。いかなるひとにかあらん。なかしとてぞ、さるところにはかくれゐけんかし。むかしものがたりここちもするかな。"
533.4.19361326 とのたまふ。 とのたまふ。
533.5362327第五段 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る
533.5.1363328 またの()(かへ)りたまふにも、「()ぎがたくなむ」とておはしたり。さるべき(こころ)づかひしたりければ、昔思(むかしおも)()でたる(おほん)まかなひの少将(せうしゃう)(あま)なども、袖口(そでぐち)さま(こと)なれども、をかし。いとどいや()に、尼君(あまぎみ)はものしたまふ。物語(ものがたり)のついでに、 またのかへりたまふにも、"ぎがたくなん。"とておはしたり。さるべきこころづかひしたりければ、むかしおもでたるおほんまかなひのせうしゃうあまなども、そでぐちさまことなれども、をかし。いとどいやに、あまぎみはものしたまふ。ものがたりのついでに、
533.5.2364329 (しの)びたるさまにものしたまふらむは、()れにか」 "しのびたるさまにものしたまふらんは、れにか。"
533.5.3365330 ()ひたまふ。わづらはしけれど、ほのかにも()つけてけるを、(かく)(がほ)ならむもあやしとて、 ひたまふ。わづらはしけれど、ほのかにもつけてけるを、かくがほならんもあやしとて、
533.5.4366331 (わす)れわびはべりて、いとど罪深(つみふか)うのみおぼえはべりつる(なぐさ)めに、この(つき)ごろ()たまふる(ひと)になむ。いかなるにか、いともの(おも)ひしげきさまにて、()にありと(ひと)()られむことを、(くる)しげに(おも)ひてものせらるれば、かかる(たに)(そこ)には()れかは(たづ)()かむ、と(おも)ひつつはべるを、いかでかは()きあらはさせたまへらむ」 "わすれわびはべりて、いとどつみふかうのみおぼえはべりつるなぐさめに、このつきごろたまふるひとになん。いかなるにか、いとものおもひしげきさまにて、にありとひとられんことを、くるしげにおもひてものせらるれば、かかるたにそこにはれかはたづかん、とおもひつつはべるを、いかでかはきあらはさせたまへらん。"
533.5.5367332 といらふ。 といらふ。
533.5.6368333 「うちつけ(ごころ)ありて(まゐ)()むにだに、山深(やまふか)(みち)のかことは()こえつべし。まして、(おぼ)しよそふらむ(かた)につけては、ことことに(へだ)てたまふまじきことにこそは。いかなる(すぢ)()(うら)みたまふ(ひと)にか。(なぐさ)めきこえばや」 "うちつけごころありてまゐんにだに、やまふかみちのかことはこえつべし。まして、おぼしよそふらんかたにつけては、ことことにへだてたまふまじきことにこそは。いかなるすぢうらみたまふひとにか。なぐさめきこえばや。"
533.5.7369334 など、ゆかしげにのたまふ。 など、ゆかしげにのたまふ。
533.5.8370335 ()でたまふとて、畳紙(たたうがみ)に、 でたまふとて、たたうがみに、
533.5.9371336 「あだし()(かぜ)になびくな女郎花(をみなへし)<BR/>(われ)しめ()はむ道遠(みちとほ)くとも」 "〔あだしかぜになびくなをみなへし<BR/>われしめはんみちとほくとも〕
533.5.10372337 ()きて、少将(せうしゃう)(あま)して()れたり。尼君(あまぎみ)()たまひて、 きて、せうしゃうあましてれたり。あまぎみたまひて、
533.5.11373338 「この御返(おほんかへ)()かせたまへ。いと(こころ)にくきけつきたまへる(ひと)なれば、うしろめたくもあらじ」 "このおほんかへかせたまへ。いとこころにくきけつきたまへるひとなれば、うしろめたくもあらじ。"
533.5.12374339 とそそのかせば、 とそそのかせば、
533.5.13375340 「いとあやしき()をば、いかでか」 "いとあやしきをば、いかでか。"
533.5.14376341 とて、さらに()きたまはねば、 とて、さらにきたまはねば、
533.5.15377342 「はしたなきことなり」 "はしたなきことなり。"
533.5.16378343 とて、尼君(あまぎみ) とて、あまぎみ
533.5.17379344 ()こえさせつるやうに、()づかず、(ひと)()(ひと)にてなむ。 "こえさせつるやうに、づかず、ひとひとにてなん。
533.5.18380345 (うつ)()ゑて(おも)(みだ)れぬ女郎花(をみなへし)<BR/>()()(そむ)(くさ)(いほり)に」 うつゑておもみだれぬをみなへし<BR/>そむくさいほりに〕
533.5.19381346 とあり。「こたみは、さもありぬべし」と、(おも)(ゆる)して(かへ)りぬ。 とあり。"こたみは、さもありぬべし。"と、おもゆるしてかへりぬ。
533.6382347第六段 中将、三度山荘を訪問
533.6.1383348 (ふみ)などわざとやらむは、さすがにうひうひしう、ほのかに()しさまは(わす)れず、もの(おも)ふらむ(すぢ)(なに)ごとと()らねど、あはれなれば、八月十余日(はちがちじふよにち)のほどに、小鷹狩(こたかがり)のついでにおはしたり。(れい)の、尼呼(あまよ)()でて、 ふみなどわざとやらんは、さすがにうひうひしう、ほのかにしさまはわすれず、ものおもふらんすぢなにごととらねど、あはれなれば、はちがちじふよにちのほどに、こたかがりのついでにおはしたり。れいの、あまよでて、
533.6.2384350 一目見(ひとめみ)しより、静心(しづごころ)なくてなむ」 "ひとめみしより、しづごころなくてなん。"
533.6.3385351 とのたまへり。いらへたまふべくもあらねば、尼君(あまぎみ) とのたまへり。いらへたまふべくもあらねば、あまぎみ
533.6.4386352 待乳(まつち)(やま)、となむ()たまふる」 "まつちやま、となんたまふる。"
533.6.5387353 ()()だしたまふ。対面(たいめん)したまへるにも、 だしたまふ。たいめんしたまへるにも、
533.6.6388354 心苦(こころぐる)しきさまにてものしたまふと()きはべりし(ひと)御上(おほんうへ)なむ、(のこ)りゆかしくはべりつる。何事(なにごと)(こころ)にかなはぬ心地(ここち)のみしはべれば、山住(やまず)みもしはべらまほしき(こころ)ありながら、(ゆる)いたまふまじき(ひと)びとに(おも)(さは)りてなむ()ぐしはべる。()心地(ここち)よげなる(ひと)(うへ)は、かく(くん)じたる(ひと)(こころ)からにや、ふさはしからずなむ。もの(おも)ひたまふらむ(ひと)に、(おも)ふことを()こえばや」 "こころぐるしきさまにてものしたまふときはべりしひとおほんうへなん、のこりゆかしくはべりつる。なにごとこころにかなはぬここちのみしはべれば、やまずみもしはべらまほしきこころありながら、ゆるいたまふまじきひとびとにおもさはりてなんぐしはべる。ここちよげなるひとうへは、かくくんじたるひとこころからにや、ふさはしからずなん。ものおもひたまふらんひとに、おもふことをこえばや。"
533.6.7389355 など、いと(こころ)とどめたるさまに(かた)らひたまふ。 など、いとこころとどめたるさまにかたらひたまふ。
533.6.8390356 心地(ここち)よげならぬ御願(おほんねが)ひは、()こえ()はしたまはむに、つきなからぬさまになむ()えはべれど、(れい)(ひと)にてはあらじと、いとうたたあるまで()(うら)みたまふめれば。(のこ)りすくなき(よはひ)どもだに、(いま)はと(そむ)きはべる(とき)は、いともの心細(こころぼそ)くおぼえはべりしものを。()をこめたる(さか)りには、つひにいかがとなむ、()たまへはべる」 "ここちよげならぬおほんねがひは、こえはしたまはんに、つきなからぬさまになんえはべれど、れいひとにてはあらじと、いとうたたあるまでうらみたまふめれば。のこりすくなきよはひどもだに、いまはとそむきはべるときは、いとものこころぼそくおぼえはべりしものを。をこめたるさかりには、つひにいかがとなん、たまへはべる。"
533.6.9391357 と、(おや)がりて()ふ。()りても、 と、おやがりてふ。りても、
533.6.10392358 (なさ)けなし。なほ、いささかにても()こえたまへ。かかる御住(おほんす)まひは、すずろなることも、あはれ()るこそ()(つね)のことなれ」 "なさけなし。なほ、いささかにてもこえたまへ。かかるおほんすまひは、すずろなることも、あはれるこそつねのことなれ。"
533.6.11393359 など、こしらへても()へど、 など、こしらへてもへど、
533.6.12394360 (ひと)にもの()こゆらむ(かた)()らず、何事(なにごと)もいふかひなくのみこそ」 "ひとにものこゆらんかたらず、なにごともいふかひなくのみこそ。"
533.6.13395361 と、いとつれなくて()したまへり。 と、いとつれなくてしたまへり。
533.6.14396362 客人(まらうと)は、 まらうとは、
533.6.15397363 「いづら。あな、心憂(こころう)(あき)(ちぎ)れるは、すかしたまふにこそありけれ」 "いづら。あな、こころうあきちぎれるは、すかしたまふにこそありけれ。"
533.6.16398364 など、(うら)みつつ、 など、うらみつつ、
533.6.17399365 松虫(まつむし)(こゑ)(たづ)ねて()つれども<BR/>また萩原(はぎはら)(つゆ)(まど)ひぬ」 "〔まつむしこゑたづねてつれども<BR/>またはぎはらつゆまどひぬ〕
533.6.18400366 「あな、いとほし。これをだに」 "あな、いとほし。これをだに。"
533.6.19401367 など()むれば、さやうに()づいたらむこと()()でむもいと心憂(こころう)く、また、()ひそめては、かやうの折々(をりをり)()められむも、むつかしうおぼゆれば、いらへをだにしたまはねば、あまりいふかひなく(おも)ひあへり。尼君(あまぎみ)(はや)うは(いま)めきたる(ひと)にぞありける名残(なごり)なるべし。 などむれば、さやうにづいたらんことでんもいとこころうく、また、ひそめては、かやうのをりをりめられんも、むつかしうおぼゆれば、いらへをだにしたまはねば、あまりいふかひなくおもひあへり。あまぎみはやうはいまめきたるひとにぞありけるなごりなるべし。
533.6.20402368 (あき)()露分(つゆわ)()たる狩衣(かりごろも)<BR/>葎茂(むぐらしげ)れる宿(やど)にかこつな "〔あきつゆわたるかりごろも<BR/>むぐらしげれるやどにかこつな
533.6.21403369 となむ、わづらはしがりきこえたまふめる」 となん、わづらはしがりきこえたまふめる。"
533.6.22404370 ()ふを、(うち)にも、なほ「かく(こころ)より(ほか)()にありと()られ(はじ)むるを、いと(くる)し」と(おぼ)(こころ)のうちをば()らで、男君(をとこぎみ)をも()かず(おも)()でつつ、()ひわたる(ひと)びとなれば、 ふを、うちにも、なほ"かくこころよりほかにありとられはじむるを、いとくるし。"とおぼこころのうちをばらで、をとこぎみをもかずおもでつつ、ひわたるひとびとなれば、
533.6.23405371 「かく、はかなきついでにも、うち(かた)らひきこえたまはむに、(こころ)より(ほか)に、よにうしろめたくは()えたまはぬものを。()(つね)なる(すぢ)には(おぼ)しかけずとも、(なさ)けなからぬほどに、(おほん)いらへばかりは()こえたまへかし」 "かく、はかなきついでにも、うちかたらひきこえたまはんに、こころよりほかに、よにうしろめたくはえたまはぬものを。つねなるすぢにはおぼしかけずとも、なさけなからぬほどに、おほんいらへばかりはこえたまへかし。"
533.6.24406372 など、ひき(うご)かしつべく()ふ。 など、ひきうごかしつべくふ。
533.7407373第七段 尼君、中将を引き留める
533.7.1408374 さすがに、かかる古代(こたい)(こころ)どもにはありつかず、(いま)めきつつ、腰折(こしを)歌好(うたこの)ましげに、(わか)やぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。 さすがに、かかるこたいこころどもにはありつかず、いまめきつつ、こしをうたこのましげに、わかやぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。
533.7.2409375 (かぎ)りなく()()なりけり、と見果(みは)ててし(いのち)さへ、あさましう(なが)くて、いかなるさまにさすらふべきならむ。ひたぶるに()(もの)(ひと)見聞(みき)()てられてもやみなばや」 "かぎりなくなりけり、とみはててしいのちさへ、あさましうながくて、いかなるさまにさすらふべきならん。ひたぶるにものひとみきてられてもやみなばや。"
533.7.3410376 (おも)()したまへるに、中将(ちうじゃう)は、おほかたもの(おも)はしきことのあるにや。いといたううち(なげ)き、(しの)びやかに(ふえ)()()らして、 おもしたまへるに、ちうじゃうは、おほかたものおもはしきことのあるにや。いといたううちなげき、しのびやかにふえらして、
533.7.4411377 鹿(しか)()()に」 "しかに。"
533.7.5412378 など(ひと)りごつけはひ、まことに心地(ここち)なくはあるまじ。 などひとりごつけはひ、まことにここちなくはあるまじ。
533.7.6413379 ()ぎにし(かた)(おも)()でらるるにも、なかなか心尽(こころづ)くしに、(いま)はじめてあはれと(おぼ)すべき(ひと)はた、(かた)げなれば、()えぬ山路(やまぢ)にもえ(おも)ひなすまじうなむ」 "ぎにしかたおもでらるるにも、なかなかこころづくしに、いまはじめてあはれとおぼすべきひとはた、かたげなれば、えぬやまぢにもえおもひなすまじうなん。"
533.7.7414380 と、(うら)めしげにて()でなむとするに、尼君(あまぎみ) と、うらめしげにてでなんとするに、あまぎみ
533.7.8415381 「など、あたら()御覧(ごらん)じさしつる」 "など、あたらごらんじさしつる。"
533.7.9416382 とて、ゐざり()でたまへり。 とて、ゐざりでたまへり。
533.7.10417383 (なに)か。遠方(をち)なる(さと)も、(こころ)みはべれば」 "なにか。をちなるさとも、こころみはべれば。"
533.7.11418384 など()ひすさみて、「いたう()きがましからむも、さすがに便(びん)なし。いとほのかに()えしさまの、目止(めと)まりしばかり、つれづれなる心慰(こころなぐさ)めに(おも)()づるを、あまりもて(はな)れ、奥深(おくぶか)なるけはひも(ところ)のさまにあはずすさまじ」と(おも)へば、(かへ)りなむとするを、(ふえ)()さへ()かず、いとどおぼえて、 などひすさみて、"いたうきがましからんも、さすがにびんなし。いとほのかにえしさまの、めとまりしばかり、つれづれなるこころなぐさめにおもづるを、あまりもてはなれ、おくぶかなるけはひもところのさまにあはずすさまじ。"とおもへば、かへりなんとするを、ふえさへかず、いとどおぼえて、
533.7.12419385 (ふか)()(つき)をあはれと()(ひと)や<BR/>(やま)端近(はちか)宿(やど)(とま)らぬ」 "〔ふかつきをあはれとひとや<BR/>やまはちかやどとまらぬ〕
533.7.13420386 と、なまかたはなることを、 と、なまかたはなることを、
533.7.14421387 「かくなむ、()こえたまふ」 "かくなん、こえたまふ。"
533.7.15422388 ()ふに、(こころ)ときめきして、 ふに、こころときめきして、
533.7.16423389 (やま)()()るまで(つき)(なが)()む<BR/>(ねや)板間(いたま)もしるしありやと」 "〔やまるまでつきながん<BR/>ねやいたまもしるしありやと〕
533.7.17424390 など()ふに、この大尼君(おほあまぎみ)(ふえ)()をほのかに()きつけたりければ、さすがにめでて()()たり。 などふに、このおほあまぎみふえをほのかにきつけたりければ、さすがにめでてたり。
533.7.18425391 ここかしこうちしはぶき、あさましきわななき(ごゑ)にて、なかなか(むかし)のことなどもかけて()はず。()れとも(おも)()かぬなるべし。 ここかしこうちしはぶき、あさましきわななきごゑにて、なかなかむかしのことなどもかけてはず。れともおもかぬなるべし。
533.7.19426392 「いで、その(きん)琴弾(ことひ)きたまへ。横笛(よこぶえ)は、(つき)にはいとをかしきものぞかし。いづら、御達(ごたち)(こと)とりて(まゐ)れ」 "いで、そのきんことひきたまへ。よこぶえは、つきにはいとをかしきものぞかし。いづら、ごたちこととりてまゐれ。"
533.7.20427393 ()ふに、それなめりと、()(はか)りに()けど、「いかなる(ところ)に、かかる(ひと)、いかで()もりゐたらむ。(さだ)めなき()ぞ」、これにつけてあはれなる。盤渉調(ばんしきでう)をいとをかしう()きて、 ふに、それなめりと、はかりにけど、"いかなるところに、かかるひと、いかでもりゐたらん。さだめなきぞ"、これにつけてあはれなる。ばんしきでうをいとをかしうきて、
533.7.21428394 「いづら、さらば」 "いづら、さらば。"
533.7.22429395 とのたまふ。 とのたまふ。
533.7.23430396 娘尼君(むすめあまぎみ)、これもよきほどの()(もの)にて、 むすめあまぎみ、これもよきほどのものにて、
533.7.24431397 昔聞(むかしき)きはべりしよりも、こよなくおぼえはべるは、山風(やまかぜ)をのみ()()れはべりにける(みみ)からにや」とて、「いでや、これもひがことになりてはべらむ」 "むかしききはべりしよりも、こよなくおぼえはべるは、やまかぜをのみれはべりにけるみみからにや。"とて、"いでや、これもひがことになりてはべらん。"
533.7.25432398 ()ひながら()く。今様(いまやう)は、をさをさなべての(ひと)の、(いま)(この)まずなりゆくものなれば、なかなか(めづら)しくあはれに()こゆ。松風(まつかぜ)もいとよくもてはやす。()きて()はせたる(ふえ)()に、(つき)もかよひて()める心地(ここち)すれば、いよいよめでられて、宵惑(よひまど)ひもせず、()()たり。 ひながらく。いまやうは、をさをさなべてのひとの、いまこのまずなりゆくものなれば、なかなかめづらしくあはれにこゆ。まつかぜもいとよくもてはやす。きてはせたるふえに、つきもかよひてめるここちすれば、いよいよめでられて、よひまどひもせず、たり。
533.8433399第八段 母尼君、琴を弾く
533.8.1434400 (をんな)は、(むかし)は、東琴(あづまごと)をこそは、こともなく()きはべりしかど、(いま)()には、()はりにたるにやあらむ。この僧都(そうづ)の、『()きにくし。念仏(ねんぶつ)より(ほか)のあだわざなせそ』とはしたなめられしかば、(なに)かは、とて()きはべらぬなり。さるは、いとよく()(こと)もはべり」 "をんなは、むかしは、あづまごとをこそは、こともなくきはべりしかど、いまには、はりにたるにやあらん。このそうづの、'きにくし。ねんぶつよりほかのあだわざなせそ。'とはしたなめられしかば、なにかは、とてきはべらぬなり。さるは、いとよくこともはべり。"
533.8.2435401 ()(つづ)けて、いと()かまほしと(おも)ひたれば、いと(しの)びやかにうち(わら)ひて、 つづけて、いとかまほしとおもひたれば、いとしのびやかにうちわらひて、
533.8.3436402 「いとあやしきことをも(せい)しきこえたまひける僧都(そうづ)かな。極楽(ごくらく)といふなる(ところ)には、菩薩(ぼさつ)なども(みな)かかることをして、天人(てんにん)なども()(あそ)ぶこそ(たふと)かなれ。(おこな)(まぎ)れ、罪得(つみう)べきことかは。今宵聞(こよひき)きはべらばや」 "いとあやしきことをもせいしきこえたまひけるそうづかな。ごくらくといふなるところには、ぼさつなどもみなかかることをして、てんにんなどもあそぶこそたふとかなれ。おこなまぎれ、つみうべきことかは。こよひききはべらばや。"
533.8.4437403 とすかせば、「いとよし」と(おも)ひて、 とすかせば、"いとよし。"とおもひて、
533.8.5438404 「いで、主殿(とのもり)のくそ、東取(あづまと)りて」 "いで、とのもりのくそ、あづまとりて。"
533.8.6439405 ()ふにも、しはぶきは()えず。(ひと)びとは、見苦(みぐる)しと(おも)へど、僧都(そうづ)をさへ、(うら)めしげにうれへて()()かすれば、いとほしくてまかせたり。()()せて、ただ(いま)(ふえ)()をも(たづ)ねず、ただおのが(こころ)をやりて、(あづま)調(しら)べを(つま)さはやかに調(しら)ぶ。皆異(みなこと)ものは(こゑ)()めつるを、「これをのみめでたる」と(おも)ひて、 ふにも、しはぶきはえず。ひとびとは、みぐるしとおもへど、そうづをさへ、うらめしげにうれへてかすれば、いとほしくてまかせたり。せて、ただいまふえをもたづねず、ただおのがこころをやりて、あづましらべをつまさはやかにしらぶ。みなことものはこゑめつるを、"これをのみめでたる。"とおもひて、
533.8.7440406 「たけふ、ちちりちちり、たりたむな」 "たけふ、ちちりちちり、たりたんな"
533.8.8441407 など、()(かへ)し、はやりかに()きたる、言葉(ことば)ども、わりなく(ふる)めきたり。 など、かへし、はやりかにきたる、ことばども、わりなくふるめきたり。
533.8.9442408 「いとをかしう、(いま)()()こえぬ言葉(ことば)こそは、()きたまひけれ」 "いとをかしう、いまこえぬことばこそは、きたまひけれ。"
533.8.10443409 ()むれば、(みみ)ほのぼのしく、かたはらなる(ひと)()()きて、 むれば、みみほのぼのしく、かたはらなるひときて、
533.8.11444410 今様(いまやう)(わか)(ひと)は、かやうなることをぞ(この)まれざりける。ここに(つき)ごろものしたまふめる姫君(ひめぎみ)容貌(かたち)いとけうらにものしたまふめれど、もはら、かやうなるあだわざなどしたまはず、(うも)れてなむ、ものしたまふめる」 "いまやうわかひとは、かやうなることをぞこのまれざりける。ここにつきごろものしたまふめるひめぎみかたちいとけうらにものしたまふめれど、もはら、かやうなるあだわざなどしたまはず、うもれてなん、ものしたまふめる。"
533.8.12445411 と、(われ)かしこにうちあざ(わら)ひて(かた)るを、尼君(あまぎみ)などは、かたはらいたしと(おぼ)す。 と、われかしこにうちあざわらひてかたるを、あまぎみなどは、かたはらいたしとおぼす。
533.9446412第九段 翌朝、中将から和歌が贈られる
533.9.1447413 これに事皆醒(ことみなさ)めて、(かへ)りたまふほども、(やま)おろし()きて、()こえ()(ふえ)()、いとをかしう()こえて、()()かしたる翌朝(つとめて) これにことみなさめて、かへりたまふほども、やまおろしきて、こえふえ、いとをかしうこえて、かしたるつとめて
533.9.2448414 昨夜(よべ)は、かたがた心乱(こころみだ)れはべりしかば、(いそ)ぎまかではべりし。 "よべは、かたがたこころみだれはべりしかば、いそぎまかではべりし。
533.9.3449415 (わす)られぬ(むかし)のことも笛竹(ふえたけ)の<BR/>つらきふしにも()()かれける わすられぬむかしのこともふえたけの<BR/>つらきふしにもかれける
533.9.4450416 なほ、すこし(おぼ)()るばかり(をし)へなさせたまへ。(しの)ばれぬべくは、()()きしきまでも、(なに)かは」 なほ、すこしおぼるばかりをしへなさせたまへ。しのばれぬべくは、きしきまでも、なにかは。"
533.9.5451417 とあるを、いとどわびたるは、(なみだ)とどめがたげなるけしきにて、()きたまふ。 とあるを、いとどわびたるは、なみだとどめがたげなるけしきにて、きたまふ。
533.9.6452418 (ふえ)()(むかし)のことも(しの)ばれて<BR/>(かへ)りしほども(そで)()れにし "〔ふえむかしのこともしのばれて<BR/>かへりしほどもそでれにし
533.9.7453419 あやしう、もの(おも)()らぬにや、とまで()はべるありさまは、()(びと)()はず(がた)りに、()こし()しけむかし」 あやしう、ものおもらぬにや、とまではべるありさまは、びとはずがたりに、こししけんかし。"
533.9.8454420 とあり。(めづら)しからぬも見所(みどころ)なき心地(ここち)して、うち()かれけむ。 とあり。めづらしからぬもみどころなきここちして、うちかれけん。
533.9.9455421 (をぎ)()(おと)らぬほどほどに(おとづ)れわたる、「いとむつかしうもあるかな。(ひと)(こころ)はあながちなるものなりけり」と見知(みし)りにし折々(をりをり)も、やうやう(おも)()づるままに、 をぎおとらぬほどほどにおとづれわたる、"いとむつかしうもあるかな。ひとこころはあながちなるものなりけり。"とみしりにしをりをりも、やうやうおもづるままに、
533.9.10456422 「なほ、かかる(すぢ)のこと、(ひと)にも(おも)(はな)たすべきさまに、()くなしたまひてよ」 "なほ、かかるすぢのこと、ひとにもおもはなたすべきさまに、くなしたまひてよ。"
533.9.11457423 とて、経習(きゃうなら)ひて()みたまふ。(こころ)(うち)にも(ねん)じたまへり。かくよろづにつけて()(なか)(おも)()つれば、「(わか)(ひと)とてをかしやかなることもことになく、(むす)ぼほれたる本性(ほんじゃう)なめり」と(おも)ふ。容貌(かたち)()るかひあり、うつくしきに、よろづの咎見許(とがみゆる)して、()()れの見物(みもの)にしたり。すこしうち(わら)ひたまふ(をり)は、(めづら)しくめでたきものに(おも)へり。 とて、きゃうならひてみたまふ。こころうちにもねんじたまへり。かくよろづにつけてなかおもつれば、"わかひととてをかしやかなることもことになく、むすぼほれたるほんじゃうなめり。"とおもふ。かたちるかひあり、うつくしきに、よろづのとがみゆるして、れのみものにしたり。すこしうちわらひたまふをりは、めづらしくめでたきものにおもへり。
534458424第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す
534.1459425第一段 九月、尼君、再度初瀬に詣でる
534.1.1460426 九月(くがち)になりて、この尼君(あまぎみ)初瀬(はつせ)(まう)づ。(とし)ごろいと心細(こころぼそ)()に、(こひ)しき(ひと)(うへ)(おも)ひやまれざりしを、かくあらぬ(ひと)ともおぼえたまはぬ(なぐさ)めを()たれば、観音(かのん)御験(おほんしるし)うれしとて、(かへ)(まう)しだちて、(まう)でたまふなりけり。 くがちになりて、このあまぎみはつせまうづ。としごろいとこころぼそに、こひしきひとうへおもひやまれざりしを、かくあらぬひとともおぼえたまはぬなぐさめをたれば、かのんおほんしるしうれしとて、かへまうしだちて、まうでたまふなりけり。
534.1.2461427 「いざ、たまへ。(ひと)やは()らむとする。(おな)(ほとけ)なれど、さやうの(ところ)(おこな)ひたるなむ、(しるし)ありてよき例多(ためしおほ)かる」 "いざ、たまへ。ひとやはらんとする。おなほとけなれど、さやうのところおこなひたるなん、しるしありてよきためしおほかる。"
534.1.3462428 ()ひて、そそのかしたつれど、「(むかし)母君(ははぎみ)乳母(めのと)などの、かやうに()()らせつつ、たびたび(まう)でさせしを、かひなきにこそあめれ。(いのち)さへ(こころ)にかなはず、たぐひなきいみじきめを()るは」と、いと心憂(こころう)きうちにも、「()らぬ(ひと)()して、さる(みち)のありきをしたらむよ」と、そら(おそ)ろしくおぼゆ。 ひて、そそのかしたつれど、"むかしははぎみめのとなどの、かやうにらせつつ、たびたびまうでさせしを、かひなきにこそあめれ。いのちさへこころにかなはず、たぐひなきいみじきめをるは。"と、いとこころうきうちにも、"らぬひとして、さるみちのありきをしたらんよ。"と、そらおそろしくおぼゆ。
534.1.4463429 (こころ)ごはきさまには()ひもなさで、 こころごはきさまにはひもなさで、
534.1.5464430 心地(ここち)のいと()しうのみはべれば、さやうならむ(みち)のほどにもいかがなど、つつましうなむ」 "ここちのいとしうのみはべれば、さやうならんみちのほどにもいかがなど、つつましうなん。"
534.1.6465431 とのたまふ。「物懼(ものお)ぢはさもしたまふべき(ひと)ぞかし」と(おも)ひて、しひても(いざな)はず。 とのたまふ。"ものおぢはさもしたまふべきひとぞかし。"とおもひて、しひてもいざなはず。
534.1.7466432 「はかなくて()古川(ふるかは)()()には<BR/>(たづ)ねも()かじ二本(ふたもと)(すぎ) "〔はかなくてふるかはには<BR/>たづねもかじふたもとすぎ〕"
534.1.8467433 手習(てならひ)()じりたるを、尼君見(あまぎみみ)つけて、 てならひじりたるを、あまぎみみつけて、
534.1.9468434 二本(ふたもと)は、またも()ひきこえむと(おも)ひたまふ(ひと)あるべし」 "ふたもとは、またもひきこえんとおもひたまふひとあるべし。"
534.1.10469435 と、(たはぶ)れごとを()()てたるに、(むね)つぶれて、面赤(おもてあか)めたまへる、いと愛敬(あいぎゃう)づきうつくしげなり。 と、たはぶれごとをてたるに、むねつぶれて、おもてあかめたまへる、いとあいぎゃうづきうつくしげなり。
534.1.11470436 古川(ふるかは)(すぎ)のもとだち()らねども<BR/>()ぎにし(ひと)によそへてぞ()る」 "〔ふるかはすぎのもとだちらねども<BR/>ぎにしひとによそへてぞる〕
534.1.12471437 ことなることなきいらへを口疾(くちと)()ふ。(しの)びて、と()へど、皆人慕(みなひとした)ひつつ、ここには人少(ひとずく)なにておはせむを心苦(こころぐる)しがりて、(こころ)ばせある少将(せうしゃう)(あま)左衛門(さゑもん)とてある大人(おとな)しき(ひと)(わらは)ばかりぞ(とど)めたりける。 ことなることなきいらへをくちとふ。しのびて、とへど、みなひとしたひつつ、ここにはひとずくなにておはせんをこころぐるしがりて、こころばせあるせうしゃうあまさゑもんとてあるおとなしきひとわらはばかりぞとどめたりける。
534.2472438第二段 浮舟、少将の尼と碁を打つ
534.2.1473439 皆出(みない)()ちけるを(なが)()でて、あさましきことを(おも)ひながらも、「(いま)はいかがせむ」と、「(たの)もし(びと)(おも)人一人(ひとひとり)ものしたまはぬは、心細(こころぼそ)くもあるかな」と、いとつれづれなるに、中将(ちうじゃう)御文(おほんふみ)あり。 みないちけるをながでて、あさましきことをおもひながらも、"いまはいかがせん。"と、"たのもしびとおもひとひとりものしたまはぬは、こころぼそくもあるかな。"と、いとつれづれなるに、ちうじゃうおほんふみあり。
534.2.2474440 御覧(ごらん)ぜよ」と()へど、()きも()れたまはず。いとど(ひと)()えず、つれづれと()方行(かたゆ)(さき)(おも)(くん)じたまふ。 "ごらんぜよ。"とへど、きもれたまはず。いとどひとえず、つれづれとかたゆさきおもくんじたまふ。
534.2.3475441 (くる)しきまでも(なが)めさせたまふかな。御碁(おほんご)()たせたまへ」 "くるしきまでもながめさせたまふかな。おほんごたせたまへ。"
534.2.4476442 ()ふ。 ふ。
534.2.5477443 「いとあやしうこそはありしか」 "いとあやしうこそはありしか。"
534.2.6478444 とはのたまへど、()たむと(おぼ)したれば、盤取(ばんと)りにやりて、(われ)はと(おも)ひて(せん)ぜさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直(てなほ)して()つ。 とはのたまへど、たんとおぼしたれば、ばんとりにやりて、われはとおもひてせんぜさせたてまつりたるに、いとこよなければ、またてなほしてつ。
534.2.7479445 尼上疾(あまうへと)(かへ)らせたまはなむ。この御碁見(おほんごみ)せたてまつらむ。かの御碁(おほんご)ぞ、いと(つよ)かりし。僧都(そうづ)(きみ)(はや)うよりいみじう(この)ませたまひて、けしうはあらずと(おぼ)したりしを、いと棋聖大徳(きせいだいとこ)になりて、『さし()でてこそ()たざらめ、御碁(おほんご)には()けじかし』と()こえたまひしに、つひに僧都(そうづ)なむ(ふた)()けたまひし。棋聖(きせい)()には(まさ)らせたまふべきなめり。あな、いみじ」 "あまうへとかへらせたまはなん。このおほんごみせたてまつらん。かのおほんごぞ、いとつよかりし。そうづきみはやうよりいみじうこのませたまひて、けしうはあらずとおぼしたりしを、いときせいだいとこになりて、'さしでてこそたざらめ、おほんごにはけじかし。'とこえたまひしに、つひにそうづなんふたけたまひし。きせいにはまさらせたまふべきなめり。あな、いみじ。"
534.2.8480446 (きょう)ずれば、さだ()ぎたる尼額(あまびたひ)()つかぬに、もの(ごの)みするに、「むつかしきこともしそめてけるかな」と(おも)ひて、「心地悪(ここちあ)し」とて()したまひぬ。 きょうずれば、さだぎたるあまびたひつかぬに、ものごのみするに、"むつかしきこともしそめてけるかな。"とおもひて、"ここちあし。"とてしたまひぬ。
534.2.9481447 時々(ときどき)()()れしうもてなしておはしませ。あたら御身(おほんみ)を。いみじう(しづ)みてもてなさせたまふこそ口惜(くちを)しう、(たま)(きじ)あらむ心地(ここち)しはべれ」 "ときどきれしうもてなしておはしませ。あたらおほんみを。いみじうしづみてもてなさせたまふこそくちをしう、たまきじあらんここちしはべれ。"
534.2.10482448 ()ふ。夕暮(ゆふぐれ)(かぜ)(おと)もあはれなるに、(おも)()づることも(おほ)くて、 ふ。ゆふぐれかぜおともあはれなるに、おもづることもおほくて、
534.2.11483449 (こころ)には(あき)(ゆふ)べを()かねども<BR/>(なが)むる(そで)(つゆ)(みだ)るる」 "〔こころにはあきゆふべをかねども<BR/>ながむるそでつゆみだるる〕
534.3484450第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む
534.3.1485451 (つき)さし()でてをかしきほどに、昼文(ひるふみ)ありつる中将(ちうじゃう)おはしたり。「あな、うたて。こは、なにぞ」とおぼえたまへば、奥深(おくふか)()りたまふを、 つきさしでてをかしきほどに、ひるふみありつるちうじゃうおはしたり。"あな、うたて。こは、なにぞ。"とおぼえたまへば、おくふかりたまふを、
534.3.2486453 「さも、あまりにもおはしますものかな。御心(みこころ)ざしのほども、あはれまさる(をり)にこそはべるめれ。ほのかにも、()こえたまはむことも()かせたまへ。しみつかむことのやうに(おぼ)()したるこそ」 "さも、あまりにもおはしますものかな。みこころざしのほども、あはれまさるをりにこそはべるめれ。ほのかにも、こえたまはんこともかせたまへ。しみつかんことのやうにおぼしたるこそ。"
534.3.3487454 など()ふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしを()へど、(ひる)使(つかひ)の、一所(ひとところ)など()()きたるなるべし、いと言多(ことおほ)(うら)みて、 などふに、いとはしたなくおぼゆ。おはせぬよしをへど、ひるつかひの、ひとところなどきたるなるべし、いとことおほうらみて、
534.3.4488455 御声(おほんこゑ)()きはべらじ。ただ、気近(けぢか)くて()こえむことを、()きにくしともいかにとも、(おぼ)しことわれ」 "おほんこゑきはべらじ。ただ、けぢかくてこえんことを、きにくしともいかにとも、おぼしことわれ。"
534.3.5489456 と、よろづに()ひわびて、 と、よろづにひわびて、
534.3.6490457 「いと心憂(こころう)く。(ところ)につけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは」 "いとこころうく。ところにつけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは。"
534.3.7491458 など、あはめつつ、 など、あはめつつ、
534.3.8492459 山里(やまざと)(あき)夜深(よぶか)きあはれをも<BR/>もの(おも)(ひと)(おも)ひこそ() "〔やまざとあきよぶかきあはれをも<BR/>ものおもひとおもひこそ
534.3.9493460 おのづから御心(みこころ)(かよ)ひぬべきを」 おのづからみこころかよひぬべきを。"
534.3.10494461 などあれば、 などあれば、
534.3.11495462 尼君(あまぎみ)おはせで、(まぎ)らはしきこゆべき(ひと)もはべらず。いと()づかぬやうならむ」 "あまぎみおはせで、まぎらはしきこゆべきひともはべらず。いとづかぬやうならん。"
534.3.12496463 ()むれば、 むれば、
534.3.13497464 ()きものと(おも)ひも()らで()ぐす()を<BR/>もの(おも)(ひと)(ひと)()りけり」 "〔きものとおもひもらでぐすを<BR/>ものおもひとひとりけり〕
534.3.14498465 わざといらへともなきを、()きて(つた)へきこゆれば、いとあはれと(おも)ひて、 わざといらへともなきを、きてつたへきこゆれば、いとあはれとおもひて、
534.3.15499466 「なほ、ただいささか()でたまへ、と()こえ(うご)かせ」 "なほ、ただいささかでたまへ、とこえうごかせ。"
534.3.16500467 と、この(ひと)びとをわりなきまで(うら)みたまふ。 と、このひとびとをわりなきまでうらみたまふ。
534.3.17501468 「あやしきまで、つれなくぞ()えたまふや」 "あやしきまで、つれなくぞえたまふや。"
534.3.18502469 とて、()りて()れば、(れい)はかりそめにもさしのぞきたまはぬ()(びと)御方(おほんかた)()りたまひにけり。あさましう(おも)ひて、「かくなむ」と()こゆれば、 とて、りてれば、れいはかりそめにもさしのぞきたまはぬびとおほんかたりたまひにけり。あさましうおもひて、"かくなん。"とこゆれば、
534.3.19503470 「かかる(ところ)(なが)めたまふらむ(こころ)(うち)のあはれに、おほかたのありさまなども、(なさ)けなかるまじき(ひと)の、いとあまり(おも)()らぬ(ひと)よりも、けにもてなしたまふめるこそ。それ物懲(ものご)りしたまへるか。なほ、いかなるさまに()(うら)みて、いつまでおはすべき(ひと)ぞ」 "かかるところながめたまふらんこころうちのあはれに、おほかたのありさまなども、なさけなかるまじきひとの、いとあまりおもらぬひとよりも、けにもてなしたまふめるこそ。それものごりしたまへるか。なほ、いかなるさまにうらみて、いつまでおはすべきひとぞ。"
534.3.20504471 など、ありさま()ひて、いとゆかしげにのみ(おぼ)いたれど、こまかなることは、いかでかは()()かせむ。ただ、 など、ありさまひて、いとゆかしげにのみおぼいたれど、こまかなることは、いかでかはかせん。ただ、
534.3.21505472 ()りきこえたまふべき(ひと)の、(とし)ごろは、疎々(うとうと)しきやうにて()ぐしたまひしを、初瀬(はつせ)(まう)であひたまひて、(たづ)ねきこえたまひつる」 "りきこえたまふべきひとの、としごろは、うとうとしきやうにてぐしたまひしを、はつせまうであひたまひて、たづねきこえたまひつる。"
534.3.22506473 とぞ()ふ。 とぞふ。
534.4507474第四段 老尼君たちのいびき
534.4.1508475 姫君(ひめぎみ)は、「いとむつかし」とのみ()()(びと)のあたりにうつぶし()して、()()られず。宵惑(よひまど)ひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、(まへ)にも、うちすがひたる(あま)ども二人(ふたり)して、(おと)らじといびき()はせたり。いと(おそ)ろしう、「今宵(こよひ)、この(ひと)びとにや()はれなむ」と(おも)ふも、()しからぬ()なれど、(れい)心弱(こころよわ)さは、(ひと)橋危(ばしあや)ふがりて(かへ)()たりけむ(もの)のやうに、わびしくおぼゆ。 ひめぎみは、"いとむつかし。"とのみびとのあたりにうつぶしして、られず。よひまどひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、まへにも、うちすがひたるあまどもふたりして、おとらじといびきはせたり。いとおそろしう、"こよひ、このひとびとにやはれなん。"とおもふも、しからぬなれど、れいこころよわさは、ひとばしあやふがりてかへたりけんもののやうに、わびしくおぼゆ。
534.4.2509476 こもき、(とも)()ておはしつれど、(いろ)めきて、このめづらしき(をとこ)(えん)だちゐたる(かた)(かへ)()にけり。「(いま)()る、(いま)()る」と()ちゐたまへれど、いとはかなき(たの)もし(びと)なりや。中将(ちうじゃう)()ひわづらひて(かへ)りにければ、 こもき、ともておはしつれど、いろめきて、このめづらしきをとこえんだちゐたるかたかへにけり。"いまる、いまる。"とちゐたまへれど、いとはかなきたのもしびとなりや。ちうじゃうひわづらひてかへりにければ、
534.4.3510477 「いと(なさ)けなく、(むも)れてもおはしますかな。あたら御容貌(おほんかたち)を」 "いとなさけなく、むもれてもおはしますかな。あたらおほんかたちを。"
534.4.4511478 などそしりて、皆一所(みなひとところ)()ぬ。 などそしりて、みなひとところぬ。
534.4.5512479 夜中(よなか)ばかりにやなりぬらむ」と(おも)ふほどに、尼君(あまぎみ)しはぶきおぼほれて()きにたり。火影(ほかげ)に、(かしら)つきはいと(しろ)きに、(くろ)きものをかづきて、この(きみ)()したまへる、あやしがりて、(いたち)とかいふなるものが、さるわざする、(ひたひ)()()てて、 "よなかばかりにやなりぬらん。"とおもふほどに、あまぎみしはぶきおぼほれてきにたり。ほかげに、かしらつきはいとしろきに、くろきものをかづきて、このきみしたまへる、あやしがりて、いたちとかいふなるものが、さるわざする、ひたひてて、
534.4.6513480 「あやし。これは、()れぞ」 "あやし。これは、れぞ。"
534.4.7514481 と、執念(しふね)げなる(こゑ)にて()おこせたる、さらに、「ただ今食(いまく)ひてむとする」とぞおぼゆる。(おに)()りもて()けむほどは、(もの)のおぼえざりければ、なかなか(こころ)やすし。「いかさまにせむ」とおぼゆるむつかしさにも、「いみじきさまにて()(かへ)り、(ひと)になりて、またありしいろいろの()きことを(おも)(みだ)れ、むつかしとも(おそ)ろしとも、ものを(おも)ふよ。()なましかば、これよりも(おそ)ろしげなる(もの)(なか)にこそはあらましか」と(おも)ひやらる。 と、しふねげなるこゑにておこせたる、さらに、"ただいまくひてんとする。"とぞおぼゆる。おにりもてけんほどは、もののおぼえざりければ、なかなかこころやすし。"いかさまにせん。"とおぼゆるむつかしさにも、"いみじきさまにてかへり、ひとになりて、またありしいろいろのきことをおもみだれ、むつかしともおそろしとも、ものをおもふよ。なましかば、これよりもおそろしげなるものなかにこそはあらましか。"とおもひやらる。
534.5515482第五段 浮舟、悲運のわが身を思う
534.5.1516483 (むかし)よりのことを、まどろまれぬままに、(つね)よりも(おも)(つづ)くるに、 むかしよりのことを、まどろまれぬままに、つねよりもおもつづくるに、
534.5.2517484 「いと心憂(こころう)く、(おや)()こえけむ(ひと)御容貌(おほんかたち)()たてまつらず、(はる)かなる(あづま)(かへ)(がへ)年月(としつき)をゆきて、たまさかに(たづ)()りて、うれし(たの)もしと(おも)ひきこえし姉妹(はらから)(おほん)あたりをも、(おも)はずにて()()ぎ、さる(かた)(おも)(さだ)めたまひし(ひと)につけて、やうやう()()さをも(なぐさ)めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる()(おも)ひもてゆけば、(みや)を、すこしもあはれと(おも)ひきこえけむ(こころ)ぞ、いとけしからぬ。ただ、この(ひと)(おほん)ゆかりにさすらへぬるぞ」 "いとこころうく、おやこえけんひとおほんかたちたてまつらず、はるかなるあづまかへがへとしつきをゆきて、たまさかにたづりて、うれしたのもしとおもひきこえしはらからおほんあたりをも、おもはずにてぎ、さるかたおもさだめたまひしひとにつけて、やうやうさをもなぐさめつべききはめに、あさましうもてそこなひたるおもひもてゆけば、みやを、すこしもあはれとおもひきこえけんこころぞ、いとけしからぬ。ただ、このひとおほんゆかりにさすらへぬるぞ。"
534.5.3518485 (おも)へば、「小島(こじま)(いろ)をためしに(ちぎ)りたまひしを、などてをかしと(おも)ひきこえけむ」と、こよなく()きにたる心地(ここち)す。(はじ)めより、(うす)きながらものどやかにものしたまひし(ひと)は、この(をり)かの(をり)など、(おも)()づるぞこよなかりける。「かくてこそありけれ」と、()きつけられたてまつらむ()づかしさは、(ひと)よりまさりぬべし。さすがに、「この()には、ありし(おほん)さまを、よそながらだにいつか()むずる、とうち(おも)ふ、なほ、()ろの(こころ)や。かくだに(おも)はじ」など、心一(こころひと)つをかへさふ。 おもへば、"こじまいろをためしにちぎりたまひしを、などてをかしとおもひきこえけん。"と、こよなくきにたるここちす。はじめより、うすきながらものどやかにものしたまひしひとは、このをりかのをりなど、おもづるぞこよなかりける。"かくてこそありけれ。"と、きつけられたてまつらんづかしさは、ひとよりまさりぬべし。さすがに、"このには、ありしおほんさまを、よそながらだにいつかんずる、とうちおもふ、なほ、ろのこころや。かくだにおもはじ。"など、こころひとつをかへさふ。
534.5.4519486 からうして(とり)()くを()きて、いとうれし。「(はは)御声(おほんこゑ)()きたらむは、ましていかならむ」と(おも)()かして、心地(ここち)もいと()し。(とも)にて(わた)るべき(ひと)もとみに()ねば、なほ()したまへるに、いびきの(ひと)は、いと()()きて、(かゆ)などむつかしきことどもをもてはやして、 からうしてとりくをきて、いとうれし。"ははおほんこゑきたらんは、ましていかならん。"とおもかして、ここちもいとし。ともにてわたるべきひともとみにねば、なほしたまへるに、いびきのひとは、いときて、かゆなどむつかしきことどもをもてはやして、
534.5.5520487 御前(おまへ)に、()()こし()せ」 "おまへに、こしせ。"
534.5.6521488 など()()()へど、まかなひもいとど(こころ)づきなく、うたて見知(みし)らぬ心地(ここち)して、 などへど、まかなひもいとどこころづきなく、うたてみしらぬここちして、
534.5.7522489 (なや)ましくなむ」 "なやましくなん。"
534.5.8523490 と、ことなしびたまふを、しひて()ふもいとこちなし。 と、ことなしびたまふを、しひてふもいとこちなし。
534.6524491第六段 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る
534.6.1525492 下衆下衆(げすげす)しき法師(ほふし)ばらなどあまた()て、 げすげすしきほふしばらなどあまたて、
534.6.2526493 僧都(そうづ)今日下(けふお)りさせたまふべし」 "そうづけふおりさせたまふべし。"
534.6.3527494 「などにはかには」 "などにはかには。"
534.6.4528495 ()ふなれば、 ふなれば、
534.6.5529496 一品(いっぽん)(みや)の、(おほん)もののけに(なや)ませたまひける、(やま)座主(ざす)御修法仕(みすほふつかう)まつらせたまへど、なほ、僧都参(そうづまゐ)らせたまはでは(しるし)なしとて、昨日(きのふ)二度(ふたたび)なむ()しはべりし。右大臣殿(うだいじんどの)四位少将(しゐのせうしゃう)昨夜(よべ)夜更(よふ)けてなむ(のぼ)りおはしまして、(きさい)(みや)御文(おほんふみ)などはべりければ、()りさせたまふなり」 "いっぽんみやの、おほんもののけになやませたまひける、やまざすみすほふつかうまつらせたまへど、なほ、そうづまゐらせたまはではしるしなしとて、きのふふたたびなんしはべりし。うだいじんどのしゐのせうしゃうよべよふけてなんのぼりおはしまして、きさいみやおほんふみなどはべりければ、りさせたまふなり。"
534.6.6530497 など、いとはなやかに()ひなす。「()づかしうとも、()ひて、(あま)になしたまひてよ、と()はむ。さかしら人少(びとすく)なくて、よき(をり)にこそ」と(おも)へば、()きて、 など、いとはなやかにひなす。"づかしうとも、ひて、あまになしたまひてよ、とはん。さかしらびとすくなくて、よきをりにこそ。"とおもへば、きて、
534.6.7531498 心地(ここち)のいと()しうのみはべるを、僧都(そうづ)()りさせたまへらむに、()むこと()けはべらむとなむ(おも)ひはべるを、さやうに()こえたまへ」 "ここちのいとしうのみはべるを、そうづりさせたまへらんに、むことけはべらんとなんおもひはべるを、さやうにこえたまへ。"
534.6.8532499 (かた)らひたまへば、ほけほけしう、うちうなづく。 かたらひたまへば、ほけほけしう、うちうなづく。
534.6.9533500 (れい)(かた)におはして、(かみ)尼君(あまぎみ)のみ(けづ)りたまふを、異人(ことびと)手触(てふ)れさせむもうたておぼゆるに、()づからはた、えせぬことなれば、ただすこし()(くだ)して、(おや)今一度(いまひとたび)かうながらのさまを()えずなりなむこそ、(ひと)やりならず、いと(かな)しけれ。いたうわづらひしけにや、(かみ)もすこし()(ほそ)りたる心地(ここち)すれど、(なに)ばかりも(おとろ)へず、いと(おほ)くて、六尺(ろくしゃく)ばかりなる(すゑ)などぞ、いとうつくしかりける。(すぢ)なども、いとこまかにうつくしげなり。 れいかたにおはして、かみあまぎみのみけづりたまふを、ことびとてふれさせんもうたておぼゆるに、づからはた、えせぬことなれば、ただすこしくだして、おやいまひとたびかうながらのさまをえずなりなんこそ、ひとやりならず、いとかなしけれ。いたうわづらひしけにや、かみもすこしほそりたるここちすれど、なにばかりもおとろへず、いとおほくて、ろくしゃくばかりなるすゑなどぞ、いとうつくしかりける。すぢなども、いとこまかにうつくしげなり。
534.6.10534501 「かかれとてしも」 "かかれとてしも。"
534.6.11535502 と、(ひと)りごちゐたまへり。 と、ひとりごちゐたまへり。
534.6.12536503 ()(かた)に、僧都(そうづ)ものしたまへり。南面払(みなみおもてはら)ひしつらひて、まろなる(かしら)つき、()きちがひ(さわ)ぎたるも、(れい)()はりて、いと(おそ)ろしき心地(ここち)す。(はは)御方(おほんかた)(まゐ)りたまひて、 かたに、そうづものしたまへり。みなみおもてはらひしつらひて、まろなるかしらつき、きちがひさわぎたるも、れいはりて、いとおそろしきここちす。ははおほんかたまゐりたまひて、
534.6.13537504 「いかにぞ、(つき)ごろは」 "いかにぞ、つきごろは。"
534.6.14538505 など()ふ。 などふ。
534.6.15539506 (ひんがし)御方(おほんかた)物詣(ものまう)でしたまひにきとか。このおはせし(ひと)は、なほものしたまふや」 "ひんがしおほんかたものまうでしたまひにきとか。このおはせしひとは、なほものしたまふや。"
534.6.16540507 など()ひたまふ。 などひたまふ。
534.6.17541508 「しか。ここにとまりてなむ。心地悪(ここちあ)しとこそものしたまひて、()むこと()けたてまつらむ、とのたまひつる」 "しか。ここにとまりてなん。ここちあしとこそものしたまひて、むことけたてまつらん、とのたまひつる。"
534.6.18542509 (かた)る。 かたる。
534.7543510第七段 浮舟、僧都に出家を懇願
534.7.1544511 ()ちてこなたにいまして、「ここにや、おはします」とて、几帳(きちゃう)のもとについゐたまへば、つつましけれど、ゐざり()りて、いらへしたまふ。 ちてこなたにいまして、"ここにや、おはします。"とて、きちゃうのもとについゐたまへば、つつましけれど、ゐざりりて、いらへしたまふ。
534.7.2545512 不意(ふい)にて()たてまつりそめてしも、さるべき(むかし)(ちぎ)りありけるにこそ、と(おも)ひたまへて。御祈(おほんいの)りなども、ねむごろに(つか)うまつりしを、法師(ほふし)は、そのこととなくて、御文聞(おほんふみき)こえ()けたまはむも便(びん)なければ、自然(じねん)になむおろかなるやうになりはべりぬる。いとあやしきさまに、()(そむ)きたまへる(ひと)(おほん)あたり、いかでおはしますらむ」 "ふいにてたてまつりそめてしも、さるべきむかしちぎりありけるにこそ、とおもひたまへて。おほんいのりなども、ねんごろにつかうまつりしを、ほふしは、そのこととなくて、おほんふみきこえけたまはんもびんなければ、じねんになんおろかなるやうになりはべりぬる。いとあやしきさまに、そむきたまへるひとおほんあたり、いかでおはしますらん。"
534.7.3546513 とのたまふ。 とのたまふ。
534.7.4547514 ()(なか)にはべらじと(おも)()ちはべりし()の、いとあやしくて(いま)まではべりつるを、心憂(こころう)しと(おも)ひはべるものから、よろづにせさせたまひける御心(みこころ)ばへをなむ、いふかひなき心地(ここち)にも、(おも)ひたまへ()らるるを、なほ、()づかずのみ、つひにえ()まるまじく(おも)ひたまへらるるを、(あま)になさせたまひてよ。()(なか)にはべるとも、(れい)(ひと)にてながらふべくもはべらぬ()になむ」 "なかにはべらじとおもちはべりしの、いとあやしくていままではべりつるを、こころうしとおもひはべるものから、よろづにせさせたまひけるみこころばへをなん、いふかひなきここちにも、おもひたまへらるるを、なほ、づかずのみ、つひにえまるまじくおもひたまへらるるを、あまになさせたまひてよ。なかにはべるとも、れいひとにてながらふべくもはべらぬになん。"
534.7.5548515 ()こえたまふ。 こえたまふ。
534.7.6549516 「まだ、いと()先遠(さきとほ)げなる(おほん)ほどに、いかでかひたみちにしかば、(おぼ)()たむ。かへりて(つみ)あることなり。(おも)()ちて、(こころ)()こしたまふほどは(つよ)(おぼ)せど、年月経(としつきふ)れば、(をんな)御身()といふもの、いとたいだいしきものになむ」 "まだ、いとさきとほげなるおほんほどに、いかでかひたみちにしかば、おぼたん。かへりてつみあることなり。おもちて、こころこしたまふほどはつよおぼせど、としつきふれば、をんなといふもの、いとたいだいしきものになん。"
534.7.7550517 とのたまへば、 とのたまへば、
534.7.8551518 (をさな)くはべりしほどより、ものをのみ(おも)ふべきありさまにて、(おや)なども、(あま)になしてや()まし、などなむ(おも)ひのたまひし。まして、すこしもの(おも)()りて(のち)は、(れい)(ひと)ざまならで、(のち)()をだに、と(おも)心深(こころふか)かりしを、()くなるべきほどのやうやう(ちか)くなりはべるにや、心地(ここち)のいと(よわ)くのみなりはべるを、なほ、いかで」 "をさなくはべりしほどより、ものをのみおもふべきありさまにて、おやなども、あまになしてやまし、などなんおもひのたまひし。まして、すこしものおもりてのちは、れいひとざまならで、のちをだに、とおもこころふかかりしを、くなるべきほどのやうやうちかくなりはべるにや、ここちのいとよわくのみなりはべるを、なほ、いかで。"
534.7.9552519 とて、うち()きつつのたまふ。 とて、うちきつつのたまふ。
534.8553520第八段 浮舟、出家す
534.8.1554521 「あやしく、かかる容貌(かたち)ありさまを、などて()をいとはしく(おも)ひはじめたまひけむ。もののけもさこそ()ふなりしか」と(おも)()はするに、「さるやうこそはあらめ。(いま)までも()きたるべき(ひと)かは。()しきものの()つけそめたるに、いと(おそ)ろしく(あや)ふきことなり」と(おぼ)して、 "あやしく、かかるかたちありさまを、などてをいとはしくおもひはじめたまひけん。もののけもさこそふなりしか。"とおもはするに、"さるやうこそはあらめ。いままでもきたるべきひとかは。しきもののつけそめたるに、いとおそろしくあやふきことなり。"とおぼして、
534.8.2555522 「とまれ、かくまれ、(おぼ)()ちてのたまふを、三宝(さんぽう)のいとかしこく()めたまふことなり。法師(ほふし)にて()こえ(かへ)すべきことにあらず。御忌(おほんい)むことは、いとやすく(さず)けたてまつるべきを、(きふ)なることにまかんでたれば、今宵(こよひ)、かの(みや)(まゐ)るべくはべり。明日(あす)よりや、御修法始(みすほふはじ)まるべくはべらむ。七日果(なぬかは)ててまかでむに、(つか)まつらむ」 "とまれ、かくまれ、おぼちてのたまふを、さんぽうのいとかしこくめたまふことなり。ほふしにてこえかへすべきことにあらず。おほんいむことは、いとやすくさずけたてまつるべきを、きふなることにまかんでたれば、こよひ、かのみやまゐるべくはべり。あすよりや、みすほふはじまるべくはべらん。なぬかはててまかでんに、つかまつらん。"
534.8.3556523 とのたまへば、「かの尼君(あまぎみ)おはしなば、かならず()(さまた)げてむ」と、いと口惜(くちを)しくて、 とのたまへば、"かのあまぎみおはしなば、かならずさまたげてん。"と、いとくちをしくて、
534.8.4557524 (みだ)心地(ごこち)()しかりしほどに()たるやうにて、いと(くる)しうはべれば、(おも)くならば、()むことかひなくやはべらむ。なほ、今日(けふ)はうれしき(をり)とこそ(おも)ひはべれ」 "みだごこちしかりしほどにたるやうにて、いとくるしうはべれば、おもくならば、むことかひなくやはべらん。なほ、けふはうれしきをりとこそおもひはべれ。"
534.8.5558525 とて、いみじう()きたまへば、聖心(ひじりごころ)にいといとほしく(おも)ひて、 とて、いみじうきたまへば、ひじりごころにいといとほしくおもひて、
534.8.6559526 ()()けはべりぬらむ。(やま)より()りはべること、(むかし)はことともおぼえたまはざりしを、(とし)()ふるままには、()へがたくはべりければ、うち(やす)みて内裏(うち)には(まゐ)らむ、と(おも)ひはべるを、しか(おぼ)(いそ)ぐことなれば、今日仕(けふつか)うまつりてむ」 "けはべりぬらん。やまよりりはべること、むかしはことともおぼえたまはざりしを、としふるままには、へがたくはべりければ、うちやすみてうちにはまゐらん、とおもひはべるを、しかおぼいそぐことなれば、けふつかうまつりてん。"
534.8.7560527 とのたまふに、いとうれしくなりぬ。 とのたまふに、いとうれしくなりぬ。
534.8.8561528 鋏取(はさみと)りて、(くし)(はこ)(ふた)さし()でたれば、 はさみとりて、くしはこふたさしでたれば、
534.8.9562529 「いづら、大徳(だいとこ)たち。ここに」 "いづら、だいとこたち。ここに。"
534.8.10563530 ()ぶ。(はじ)()つけたてまつりし二人(ふたり)ながら(とも)にありければ、()()れて、 ぶ。はじつけたてまつりしふたりながらともにありければ、れて、
534.8.11564531 御髪下(みぐしお)ろしたてまつれ」 "みぐしおろしたてまつれ。"
534.8.12565532 ()ふ。げに、いみじかりし(ひと)(おほん)ありさまなれば、「うつし(びと)にては、()におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨(あざり)もことわりに(おも)ふに、几帳(きちゃう)帷子(かたびら)のほころびより、御髪(おほんかみ)をかき()だしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし、(はさみ)をもてやすらひける。 ふ。げに、いみじかりしひとおほんありさまなれば、"うつしびとにては、におはせんもうたてこそあらめ。"と、このあざりもことわりにおもふに、きちゃうかたびらのほころびより、おほんかみをかきだしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになん、しばし、はさみをもてやすらひける。
535566533第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語
535.1567534第一段 少将の尼、浮舟の出家に気も動転
535.1.1568535 かかるほど、少将(せうしゃう)(あま)は、(せうと)阿闍梨(あじゃり)()たるに()ひて、(しも)にゐたり。左衛門(さゑもん)は、この(わたくし)()りたる(ひと)にあひしらふとて、かかる(ところ)にとりては、(みな)とりどりに、心寄(こころよ)せの(ひと)びとめづらしうて()()たるに、はかなきことしける、見入(みい)れなどしけるほどに、こもき一人(ひとり)して、「かかることなむ」と少将(せうしゃう)(あま)()げたりければ、(まど)ひて()()るに、わが御上(おほんうへ)(きぬ)袈裟(けさ)などを、ことさらばかりとて()せたてまつりて、 かかるほど、せうしゃうあまは、せうとあじゃりたるにひて、しもにゐたり。さゑもんは、このわたくしりたるひとにあひしらふとて、かかるところにとりては、みなとりどりに、こころよせのひとびとめづらしうてたるに、はかなきことしける、みいれなどしけるほどに、こもきひとりして、"かかることなん。"とせうしゃうあまげたりければ、まどひてるに、わがおほんうへきぬけさなどを、ことさらばかりとてせたてまつりて、
535.1.2569537 (おや)御方拝(おほんかたをが)みたてまつりたまへ」 "おやおほんかたをがみたてまつりたまへ。"
535.1.3570538 ()ふに、いづ(かた)とも()らぬほどなむ、え(しの)びあへたまはで、()きたまひにける。 ふに、いづかたともらぬほどなん、えしのびあへたまはで、きたまひにける。
535.1.4571539 「あな、あさましや。など、かく(あう)なきわざはせさせたまふ。(うへ)(かへ)りおはしては、いかなることをのたまはせむ」 "あな、あさましや。など、かくあうなきわざはせさせたまふ。うへかへりおはしては、いかなることをのたまはせん。"
535.1.5572540 ()へど、かばかりにしそめつるを、()(みだ)るもものしと(おも)ひて、僧都諌(そうづいさ)めたまへば、()りてもえ(さまた)げず。 へど、かばかりにしそめつるを、みだるもものしとおもひて、そうづいさめたまへば、りてもえさまたげず。
535.1.6573541 流転三界中(るてんさんがいちう) "るてんさんがいちう。"
535.1.7574542 など()ふにも、「()()ててしものを」と(おも)()づるも、さすがなりけり。御髪(みぐし)()ぎわづらひて、 などふにも、"ててしものを。"とおもづるも、さすがなりけり。みぐしぎわづらひて、
535.1.8575543 「のどやかに、尼君(あまぎみ)たちして、(なほ)させたまへ」 "のどやかに、あまぎみたちして、なほさせたまへ。"
535.1.9576544 ()ふ。(ひたひ)僧都(そうづ)()ぎたまふ。 ふ。ひたひそうづぎたまふ。
535.1.10577545 「かかる御容貌(おほんかたち)やつしたまひて、()いたまふな」 "かかるおほんかたちやつしたまひて、いたまふな。"
535.1.11578546 など、(たふと)きことども()()かせたまふ。「とみにせさすべくもあらず、皆言(みない)()らせたまへることを、うれしくもしつるかな」と、これのみぞ(ほとけ)()けるしるしありてとおぼえたまひける。 など、たふときことどもかせたまふ。"とみにせさすべくもあらず、みないらせたまへることを、うれしくもしつるかな。"と、これのみぞほとけけるしるしありてとおぼえたまひける。
535.2579547第二段 浮舟、手習に心を託す
535.2.1580548 皆人(みなひと)びと()(しづ)まりぬ。(よる)(かぜ)(おと)に、この(ひと)びとは、 みなひとびとしづまりぬ。よるかぜおとに、このひとびとは、
535.2.2581549 心細(こころぼそ)御住(おほんす)まひも、しばしのことぞ。(いま)いとめでたくなりたまひなむ、と(たの)みきこえつる御身(おほんみ)を、かくしなさせたまひて、(のこ)(おほ)かる御世(みよ)(すゑ)を、いかにせさせたまはむとするぞ。()(おとろ)へたる(ひと)だに、(いま)(かぎ)りと(おも)()てられて、いと(かな)しきわざにはべる」 "こころぼそおほんすまひも、しばしのことぞ。いまいとめでたくなりたまひなん、とたのみきこえつるおほんみを、かくしなさせたまひて、のこおほかるみよすゑを、いかにせさせたまはんとするぞ。おとろへたるひとだに、いまかぎりとおもてられて、いとかなしきわざにはべる。"
535.2.3582550 ()()らすれど、「なほ、ただ(いま)は、(こころ)やすくうれし。()()べきものとは、(おも)ひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ」と、(むね)のあきたる心地(ここち)ぞしたまひける。 らすれど、"なほ、ただいまは、こころやすくうれし。べきものとは、おもひかけずなりぬるこそは、いとめでたきことなれ。"と、むねのあきたるここちぞしたまひける。
535.2.4583551 翌朝(つとめて)は、さすがに(ひと)(ゆる)さぬことなれば、()はりたらむさま()えむもいと()づかしく、(かみ)(すそ)の、にはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ()がれたるを、「むつかしきことども()はで、つくろはむ(ひと)もがな」と、何事(なにごと)につけても、つつましくて、(くら)うしなしておはす。(おも)ふことを(ひと)()(つづ)けむ(こと)()は、もとよりだにはかばかしからぬ()を、まいてなつかしうことわるべき(ひと)さへなければ、ただ(すずり)()かひて、(おも)ひあまる(をり)には、手習(てならひ)をのみ、たけきこととは、()きつけたまふ。 つとめては、さすがにひとゆるさぬことなれば、はりたらんさまえんもいとづかしく、かみすその、にはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへがれたるを、"むつかしきことどもはで、つくろはんひともがな。"と、なにごとにつけても、つつましくて、くらうしなしておはす。おもふことをひとつづけんことは、もとよりだにはかばかしからぬを、まいてなつかしうことわるべきひとさへなければ、ただすずりかひて、おもひあまるをりには、てならひをのみ、たけきこととは、きつけたまふ。
535.2.5584552 「なきものに()をも(ひと)をも(おも)ひつつ<BR/>()ててし()をぞさらに()てつる "〔なきものにをもひとをもおもひつつ<BR/>ててしをぞさらにてつる
535.2.6585553 (いま)は、かくて(かぎ)りつるぞかし」 いまは、かくてかぎりつるぞかし。"
535.2.7586554 ()きても、なほ、みづからいとあはれと()たまふ。 きても、なほ、みづからいとあはれとたまふ。
535.2.8587555 (かぎ)りぞと(おも)ひなりにし()(なか)を<BR/>(かへ)(がへ)すも(そむ)きぬるかな」 "〔かぎりぞとおもひなりにしなかを<BR/>かへがへすもそむきぬるかな〕
535.3588556第三段 中将からの和歌に返歌す
535.3.1589557 (おな)(すぢ)のことを、とかく()きすさびゐたまへるに、中将(ちうじゃう)御文(おほんふみ)あり。もの(さわ)がしう(あき)れたる心地(ここち)しあへるほどにて、「かかること」など()ひてけり。いとあへなしと(おも)ひて、 おなすぢのことを、とかくきすさびゐたまへるに、ちうじゃうおほんふみあり。ものさわがしうあきれたるここちしあへるほどにて、"かかること"などひてけり。いとあへなしとおもひて、
535.3.2590558 「かかる(こころ)(ふか)くありける(ひと)なりければ、はかなきいらへをもしそめじと、(おも)(はな)るるなりけり。さてもあへなきわざかな。いとをかしく()えし(かみ)のほどを、たしかに()せよと、一夜(ひとよ)(かた)らひしかば、さるべからむ(をり)に、と()ひしものを」 "かかるこころふかくありけるひとなりければ、はかなきいらへをもしそめじと、おもはなるるなりけり。さてもあへなきわざかな。いとをかしくえしかみのほどを、たしかにせよと、ひとよかたらひしかば、さるべからんをりに、とひしものを。"
535.3.3591559 と、いと口惜(くちを)しうて、()(かへ)り、 と、いとくちをしうて、かへり、
535.3.4592560 ()こえむ(かた)なきは、 "こえんかたなきは、
535.3.5593561 岸遠(きしとほ)()(はな)るらむ海人舟(あまぶね)に<BR/>()(おく)れじと(いそ)がるるかな」 きしとほはなるらんあまぶねに<BR/>おくれじといそがるるかな〕
535.3.6594562 (れい)ならず()りて()たまふ。もののあはれなる(をり)に、(いま)はと(おも)ふもあはれなるものから、いかが(おぼ)さるらむ、いとはかなきものの(はし)に、 れいならずりてたまふ。もののあはれなるをりに、いまはとおもふもあはれなるものから、いかがおぼさるらん、いとはかなきもののはしに、
535.3.7595563 (こころ)こそ()()(きし)(はな)るれど<BR/>行方(ゆくへ)()らぬ海人(あま)浮木(うきぎ)を」 "〔こころこそきしはなるれど<BR/>ゆくへらぬあまうきぎを〕
535.3.8596564 と、(れい)の、手習(てならひ)にしたまへるを、(つつ)みてたてまつる。 と、れいの、てならひにしたまへるを、つつみてたてまつる。
535.3.9597565 ()(うつ)してだにこそ」 "うつしてだにこそ。"
535.3.10598566 とのたまへど、 とのたまへど、
535.3.11599567 「なかなか()きそこなひはべりなむ」 "なかなかきそこなひはべりなん。"
535.3.12600568 とてやりつ。めづらしきにも、()(かた)なく(かな)しうなむおぼえける。 とてやりつ。めづらしきにも、かたなくかなしうなんおぼえける。
535.3.13601569 物詣(ものまう)での人帰(ひとかへ)りたまひて、(おも)(さわ)ぎたまふこと、(かぎ)りなし。 ものまうでのひとかへりたまひて、おもさわぎたまふこと、かぎりなし。
535.3.14602570 「かかる()にては、(すす)めきこえむこそは、と(おも)ひなしはべれど、(のこ)(おほ)かる御身(おほんみ)を、いかで()たまはむとすらむ。おのれは、()にはべらむこと、今日(けふ)明日(あす)とも()りがたきに、いかでうしろやすく()たてまつらむと、よろづに(おも)ひたまへてこそ、(ほとけ)にも(いの)りきこえつれ」 "かかるにては、すすめきこえんこそは、とおもひなしはべれど、のこおほかるおほんみを、いかでたまはんとすらん。おのれは、にはべらんこと、けふあすともりがたきに、いかでうしろやすくたてまつらんと、よろづにおもひたまへてこそ、ほとけにもいのりきこえつれ。"
535.3.15603571 と、()しまろびつつ、いといみじげに(おも)ひたまへるに、まことの(おや)の、やがて(から)もなきものと、(おも)(まど)ひたまひけむほど()(はから)るるぞ、まづいと(かな)しかりける。(れい)の、いらへもせで(そむ)きゐたまへるさま、いと(わか)くうつくしげなれば、「いとものはかなくぞおはしける御心(みこころ)なれ」と、()()御衣(おほんぞ)のことなど(いそ)ぎたまふ。 と、しまろびつつ、いといみじげにおもひたまへるに、まことのおやの、やがてからもなきものと、おもまどひたまひけんほどはからるるぞ、まづいとかなしかりける。れいの、いらへもせでそむきゐたまへるさま、いとわかくうつくしげなれば、"いとものはかなくぞおはしけるみこころなれ。"と、おほんぞのことなどいそぎたまふ。
535.3.16604572 鈍色(にびいろ)手馴(てな)れにしことなれば、小袿(こうちき)袈裟(けさ)などしたり。ある(ひと)びとも、かかる(いろ)()()せたてまつるにつけても、「いとおぼえず、うれしき山里(やまざと)(ひかり)と、()()()たてまつりつるものを、口惜(くちを)しきわざかな」 にびいろてなれにしことなれば、こうちきけさなどしたり。あるひとびとも、かかるいろせたてまつるにつけても、"いとおぼえず、うれしきやまざとひかりと、たてまつりつるものを、くちをしきわざかな。"
535.3.17605573 と、あたらしがりつつ、僧都(そうづ)(うら)(そし)りけり。 と、あたらしがりつつ、そうづうらそしりけり。
535.4606574第四段 僧都、女一宮に伺候
535.4.1607575 一品(いっぽん)(みや)御悩(おほんなや)み、げに、かの弟子(でし)()ひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこたらせたまひにければ、いよいよいと(たふと)きものに()ひののしる。名残(なごり)(おそ)ろしとて、御修法延(みすほふの)べさせたまへば、とみにもえ(かへ)()らでさぶらひたまふに、(あめ)など()りてしめやかなる()()して、夜居(よゐ)にさぶらはせたまふ。 いっぽんみやおほんなやみ、げに、かのでしひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこたらせたまひにければ、いよいよいとたふときものにひののしる。なごりおそろしとて、みすほふのべさせたまへば、とみにもえかへらでさぶらひたまふに、あめなどりてしめやかなるして、よゐにさぶらはせたまふ。
535.4.2608576 ()ごろいたうさぶらひ(ごう)じたる(ひと)は、皆休(みなやす)みなどして、御前(おまへ)人少(ひとずく)なにて、(ちか)()きたる人少(ひとすく)なき(をり)に、(おな)御帳(みちゃう)におはしまして、 ごろいたうさぶらひごうじたるひとは、みなやすみなどして、おまへひとずくなにて、ちかきたるひとすくなきをりに、おなみちゃうにおはしまして、
535.4.3609577 (むかし)より(たの)ませたまふなかにも、このたびなむ、いよいよ、(のち)()もかくこそはと、(たの)もしきことまさりぬる」 "むかしよりたのませたまふなかにも、このたびなん、いよいよ、のちもかくこそはと、たのもしきことまさりぬる。"
535.4.4610578 などのたまはす。 などのたまはす。
535.4.5611579 ()(なか)(ひさ)しうはべるまじきさまに、(ほとけ)なども(をし)へたまへることどもはべるうちに、今年(ことし)来年(らいねん)()ぐしがたきやうになむはべれば、(ほとけ)(まぎ)れなく(ねん)じつとめはべらむとて、(ふか)()もりはべるを、かかる(おほ)(ごと)にて、まかり()ではべりにし」 "なかひさしうはべるまじきさまに、ほとけなどもをしへたまへることどもはべるうちに、ことしらいねんぐしがたきやうになんはべれば、ほとけまぎれなくねんじつとめはべらんとて、ふかもりはべるを、かかるおほごとにて、まかりではべりにし。"
535.4.6612580 など(けい)したまふ。 などけいしたまふ。
535.5613581第五段 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る
535.5.1614582 (おほん)もののけの執念(しふね)きことを、さまざまに()のるが(おそ)ろしきことなどのたまふついでに、 おほんもののけのしふねきことを、さまざまにのるがおそろしきことなどのたまふついでに、
535.5.2615583 「いとあやしう、希有(けう)のことをなむ()たまへし。この三月(さんがち)に、年老(としお)いてはべる(はは)の、(がん)ありて初瀬(はつせ)(まう)でてはべりし、(かへ)さの中宿(なかやど)りに、宇治(うぢ)(ゐん)()ひはべる(ところ)にまかり宿(やど)りしを、かくのごと、人住(ひとす)まで年経(としへ)ぬる(おほ)きなる(ところ)は、よからぬものかならず(かよ)()みて、(おも)病者(びゃうじゃ)のため()しきことども、と(おも)ひたまへしも、しるく」 "いとあやしう、けうのことをなんたまへし。このさんがちに、としおいてはべるははの、がんありてはつせまうでてはべりし、かへさのなかやどりに、うぢゐんひはべるところにまかりやどりしを、かくのごと、ひとすまでとしへぬるおほきなるところは、よからぬものかならずかよみて、おもびゃうじゃのためしきことども、とおもひたまへしも、しるく。"
535.5.3616584 とて、かの()つけたりしことどもを(かた)りきこえたまふ。 とて、かのつけたりしことどもをかたりきこえたまふ。
535.5.4617585 「げに、いとめづらかなることかな」 "げに、いとめづらかなることかな。"
535.5.5618586 とて、(ちか)くさぶらふ(ひと)びと皆寝入(みなねい)りたるを、(おそ)ろしく(おぼ)されて、おどろかさせたまふ。大将(だいしゃう)(かた)らひたまふ宰相(さいしゃう)(きみ)しも、このことを()きけり。おどろかさせたまふ(ひと)びとは、(なに)とも()かず。僧都(そうづ)()ぢさせたまへる()けしきを、「(こころ)もなきこと(けい)してけり」と(おも)ひて、(くは)しくもそのほどのことをば()ひさしつ。 とて、ちかくさぶらふひとびとみなねいりたるを、おそろしくおぼされて、おどろかさせたまふ。だいしゃうかたらひたまふさいしゃうきみしも、このことをきけり。おどろかさせたまふひとびとは、なにともかず。そうづぢさせたまへるけしきを、"こころもなきことけいしてけり。"とおもひて、くはしくもそのほどのことをばひさしつ。
535.5.6619587 「その女人(にょにん)、このたびまかり()ではべりつるたよりに、小野(をの)にはべりつる(あま)どもあひ()ひはべらむとて、まかり()りたりしに、()()く、出家(しゅっけ)(こころざ)(ふか)きよし、ねむごろに(かた)らひはべりしかば、頭下(かしらお)ろしはべりにき。 "そのにょにん、このたびまかりではべりつるたよりに、をのにはべりつるあまどもあひひはべらんとて、まかりりたりしに、く、しゅっけこころざふかきよし、ねんごろにかたらひはべりしかば、かしらおろしはべりにき。
535.5.7620588 なにがしが(いもうと)故衛門督(こゑもんのかみ)()にはべりし(あま)なむ、()せにし女子(をんなご)(かは)りにと、(おも)(よろこ)びはべりて、随分(ずいぶん)(いたは)りかしづきはべりけるを、かくなりたれば、(うら)みはべるなり。げにぞ、容貌(かたち)はいとうるはしくけうらにて、(おこな)ひやつれむもいとほしげになむはべりし。何人(なにびと)にかはべりけむ」 なにがしがいもうとこゑもんのかみにはべりしあまなん、せにしをんなごかはりにと、おもよろこびはべりて、ずいぶんいたはりかしづきはべりけるを、かくなりたれば、うらみはべるなり。げにぞ、かたちはいとうるはしくけうらにて、おこなひやつれんもいとほしげになんはべりし。なにびとにかはべりけん。"
535.5.8621589 と、ものよく()僧都(そうづ)にて、(かた)(つづ)(まう)したまへば、 と、ものよくそうづにて、かたつづまうしたまへば、
535.5.9622590 「いかで、さる(ところ)に、よき(ひと)をしも()りもて()きけむ。さりとも、(いま)()られぬらむ」 "いかで、さるところに、よきひとをしもりもてきけん。さりとも、いまられぬらん。"
535.5.10623591 など、この宰相(さいしゃう)(きみ)()ふ。 など、このさいしゃうきみふ。
535.5.11624592 ()らず。さもや、(かた)らひたまふらむ。まことにやむごとなき(ひと)ならば、(なに)か、(かく)れもはべらじをや。田舎人(ゐなかびと)(むすめ)も、さるさましたるこそははべらめ。(りゅう)(なか)より、仏生(ほとけむ)まれたまはずはこそはべらめ。ただ(うど)にては、いと罪軽(つみかろ)きさまの(ひと)になむはべりける」 "らず。さもや、かたらひたまふらん。まことにやんごとなきひとならば、なにか、かくれもはべらじをや。ゐなかびとむすめも、さるさましたるこそははべらめ。りゅうなかより、ほとけむまれたまはずはこそはべらめ。ただうどにては、いとつみかろきさまのひとになんはべりける。"
535.5.12625593 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
535.5.13626594 そのころ、かのわたりに()()せにけむ(ひと)(おぼ)()づ。この御前(おまへ)なる(ひと)も、(あね)(きみ)(つた)へに、あやしくて()せたる(ひと)とは()きおきたれば、「それにやあらむ」とは(おも)ひけれど、(さだ)めなきことなり。僧都(そうづ)も、 そのころ、かのわたりにせにけんひとおぼづ。このおまへなるひとも、あねきみつたへに、あやしくてせたるひととはきおきたれば、"それにやあらん。"とはおもひけれど、さだめなきことなり。そうづも、
535.5.14627595 「かかる(ひと)()にあるものとも()られじと、よくもあらぬ(かたき)だちたる(ひと)もあるやうにおもむけて、(かく)(しの)びはべるを、(こと)のさまのあやしければ、(けい)しはべるなり」 "かかるひとにあるものともられじと、よくもあらぬかたきだちたるひともあるやうにおもむけて、かくしのびはべるを、ことのさまのあやしければ、けいしはべるなり。"
535.5.15628596 と、なま(かく)すけしきなれば、(ひと)にも(かた)らず。(みや)は、 と、なまかくすけしきなれば、ひとにもかたらず。みやは、
535.5.16629597 「それにもこそあれ。大将(だいしゃう)()かせばや」 "それにもこそあれ。だいしゃうかせばや。"
535.5.17630598 と、この(ひと)にぞのたまはすれど、いづ(かた)にも(かく)すべきことを、(さだ)めてさならむとも()らずながら、()づかしげなる(ひと)に、うち()でのたまはせむもつつましく(おぼ)して、やみにけり。 と、このひとにぞのたまはすれど、いづかたにもかくすべきことを、さだめてさならんともらずながら、づかしげなるひとに、うちでのたまはせんもつつましくおぼして、やみにけり。
535.6631599第六段 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る
535.6.1632600 姫宮(ひめみや)おこたり()てさせたまひて、僧都(そうづ)(のぼ)りぬ。かしこに()りたまへれば、いみじう(うら)みて、 ひめみやおこたりてさせたまひて、そうづのぼりぬ。かしこにりたまへれば、いみじううらみて、
535.6.2633601 「なかなか、かかる(おほん)ありさまにて、(つみ)()ぬべきことを、のたまひもあはせずなりにけることをなむ、いとあやしき」 "なかなか、かかるおほんありさまにて、つみぬべきことを、のたまひもあはせずなりにけることをなん、いとあやしき。"
535.6.3634602 などのたまへど、かひもなし。 などのたまへど、かひもなし。
535.6.4635603 (いま)は、ただ御行(おほんおこな)ひをしたまへ。()いたる、(わか)き、(さだ)めなき()なり。はかなきものに(おぼ)しとりたるも、ことわりなる御身(おほんみ)をや」 "いまは、ただおほんおこなひをしたまへ。いたる、わかき、さだめなきなり。はかなきものにおぼしとりたるも、ことわりなるおほんみをや。"
535.6.5636604 とのたまふにも、いと()づかしうなむおぼえける。 とのたまふにも、いとづかしうなんおぼえける。
535.6.6637605 御法服新(おほんほふぶくあたら)しくしたまへ」 "おほんほふぶくあたらしくしたまへ。"
535.6.7638606 とて、(あや)(うすもの)(きぬ)などいふもの、たてまつりおきたまふ。 とて、あやうすものきぬなどいふもの、たてまつりおきたまふ。
535.6.8639607 「なにがしがはべらむ(かぎ)りは、(つか)うまつりなむ。なにか(おぼ)しわづらふべき。(つね)()()()でて、世間(せけん)栄華(えいが)(ねが)ひまつはるる(かぎ)りなむ、所狭(ところせ)()てがたく、(われ)(ひと)(おぼ)すべかめることなめる。かかる(はやし)(なか)(おこな)(つと)めたまはむ()は、何事(なにごと)かは(うら)めしくも()づかしくも(おぼ)すべき。このあらむ(いのち)は、()(うす)きがごとし」 "なにがしがはべらんかぎりは、つかうまつりなん。なにかおぼしわづらふべき。つねでて、せけんえいがねがひまつはるるかぎりなん、ところせてがたく、われひとおぼすべかめることなめる。かかるはやしなかおこなつとめたまはんは、なにごとかはうらめしくもづかしくもおぼすべき。このあらんいのちは、うすきがごとし。"
535.6.9640608 ()()らせて、 らせて、
535.6.10641609 松門(せうもん)暁到(あかつきいた)りて月徘徊(つきはいかい)す」 "せうもんあかつきいたりてつきはいかいす。"
535.6.11642610 と、法師(ほふし)なれど、いとよしよししく()づかしげなるさまにてのたまふことどもを、「(おも)ふやうにも()()かせたまふかな」と()きゐたり。 と、ほふしなれど、いとよしよししくづかしげなるさまにてのたまふことどもを、"おもふやうにもかせたまふかな。"ときゐたり。
535.7643611第七段 中将、小野山荘に来訪
535.7.1644612 今日(けふ)は、ひねもすに()(かぜ)(おと)もいと心細(こころぼそ)きに、おはしたる(ひと)も、 けふは、ひねもすにかぜおともいとこころぼそきに、おはしたるひとも、
535.7.2645613 「あはれ、山伏(やまぶし)は、かかる()にぞ、()()かるなるかし」 "あはれ、やまぶしは、かかるにぞ、かるなるかし。"
535.7.3646614 ()ふを()きて、「(われ)(いま)山伏(やまぶし)ぞかし。ことわりに()まらぬ(なみだ)なりけり」と(おも)ひつつ、(はし)(かた)()()でて()れば、(はる)かなる軒端(のきば)より、狩衣姿色々(かりぎぬすがたいろいろ)()()じりて()ゆ。(やま)(のぼ)(ひと)なりとても、こなたの(みち)には、(かよ)(ひと)もいとたまさかなり。黒谷(くろたに)とかいふ(かた)よりありく法師(ほふし)(あと)のみ、まれまれは()ゆるを、(れい)姿見(すがたみ)つけたるは、あいなくめづらしきに、この(うら)みわびし中将(ちうじゃう)なりけり。 ふをきて、"われいまやまぶしぞかし。ことわりにまらぬなみだなりけり。"とおもひつつ、はしかたでてれば、はるかなるのきばより、かりぎぬすがたいろいろじりてゆ。やまのぼひとなりとても、こなたのみちには、かよひともいとたまさかなり。くろたにとかいふかたよりありくほふしあとのみ、まれまれはゆるを、れいすがたみつけたるは、あいなくめづらしきに、このうらみわびしちうじゃうなりけり。
535.7.4647615 かひなきことも()はむとてものしたりけるを、紅葉(もみぢ)のいとおもしろく、(ほか)(くれなゐ)()めましたる色々(いろいろ)なれば、()()るよりぞものあはれなりける。「ここに、いと心地(ここち)よげなる(ひと)()つけたらば、あやしくぞおぼゆべき」など(おも)ひて、 かひなきこともはんとてものしたりけるを、もみぢのいとおもしろく、ほかくれなゐめましたるいろいろなれば、るよりぞものあはれなりける。"ここに、いとここちよげなるひとつけたらば、あやしくぞおぼゆべき。"などおもひて、
535.7.5648616 (いとま)ありて、つれづれなる心地(ここち)しはべるに、紅葉(もみぢ)もいかにと(おも)ひたまへてなむ。なほ、()(かへ)りて旅寝(たびね)もしつべき()(もと)にこそ」 "いとまありて、つれづれなるここちしはべるに、もみぢもいかにとおもひたまへてなん。なほ、かへりてたびねもしつべきもとにこそ。"
535.7.6649617 とて、見出(みい)だしたまへり。尼君(あまぎみ)(れい)の、(なみだ)もろにて、 とて、みいだしたまへり。あまぎみれいの、なみだもろにて、
535.7.7650618 木枯(こが)らしの()きにし(やま)(ふもと)には<BR/>()(かく)すべき(かげ)だにぞなき」 "〔こがらしのきにしやまふもとには<BR/>かくすべきかげだにぞなき〕
535.7.8651619 とのたまへば、 とのたまへば、
535.7.9652620 ()(ひと)もあらじと(おも)山里(やまざと)の<BR/>(こずゑ)()つつなほぞ()()き」 "〔ひともあらじとおもやまざとの<BR/>こずゑつつなほぞき〕
535.7.10653621 ()ふかひなき(ひと)(おほん)ことを、なほ()きせずのたまひて、 ふかひなきひとおほんことを、なほきせずのたまひて、
535.7.11654622 「さま()はりたまへらむさまを、いささか()せよ」 "さまはりたまへらんさまを、いささかせよ。"
535.7.12655623 と、少将(せうしゃう)(あま)にのたまふ。 と、せうしゃうあまにのたまふ。
535.7.13656624 「それをだに、(ちぎ)りししるしにせよ」 "それをだに、ちぎりししるしにせよ。"
535.7.14657625 ()めたまへば、()りて()るに、ことさら(ひと)にも()せまほしきさましてぞおはする。(うす)鈍色(にびいろ)(あや)(なか)萱草(かんざう)など、()みたる(いろ)()て、いとささやかに、様体(やうだい)をかしく、(いま)めきたる容貌(かたち)に、(かみ)五重(いつへ)(あふぎ)(ひろ)げたるやうに、こちたき(すゑ)つきなり。 めたまへば、りてるに、ことさらひとにもせまほしきさましてぞおはする。うすにびいろあやなかかんざうなど、みたるいろて、いとささやかに、やうだいをかしく、いまめきたるかたちに、かみいつへあふぎひろげたるやうに、こちたきすゑつきなり。
535.7.15658626 こまかにうつくしき面様(おもやう)の、化粧(けさう)をいみじくしたらむやうに、(あか)(にほ)ひたり。(おこな)ひなどをしたまふも、なほ数珠(ずず)(ちか)几帳(きちゃう)にうち()けて、(きゃう)(こころ)()れて()みたまへるさま、()にも()かまほし。 こまかにうつくしきおもやうの、けさうをいみじくしたらんやうに、あかにほひたり。おこなひなどをしたまふも、なほずずちかきちゃうにうちけて、きゃうこころれてみたまへるさま、にもかまほし。
535.7.16659627 うち()るごとに(なみだ)()めがたき心地(ここち)するを、「まいて(こころ)かけたまはむ(をとこ)は、いかに()たてまつりたまはむ」と(おも)ひて、さるべき(をり)にやありけむ、障子(さうじ)掛金(かけがね)のもとに()きたる(あな)(をし)へて、(まぎ)るべき几帳(きちゃう)など()しやりたり。 うちるごとになみだめがたきここちするを、"まいてこころかけたまはんをとこは、いかにたてまつりたまはん。"とおもひて、さるべきをりにやありけん、さうじかけがねのもとにきたるあなをしへて、まぎるべききちゃうなどしやりたり。
535.7.17660628 「いとかくは(おも)はずこそありしか。いみじく(おも)ふさまなりける(ひと)を」と、()がしたらむ(あやま)ちのやうに、()しく(くや)しう(かな)しければ、つつみもあへず、もの(ぐる)はしきまで、けはひも()こえぬべければ、退()きぬ。 "いとかくはおもはずこそありしか。いみじくおもふさまなりけるひとを。"と、がしたらんあやまちのやうに、しくくやしうかなしければ、つつみもあへず、ものぐるはしきまで、けはひもこえぬべければ、きぬ。
535.8661629第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る
535.8.1662630 「かばかりのさましたる(ひと)(うしな)ひて、(たづ)ねぬ(ひと)ありけむや。また、その(ひと)かの(ひと)(むすめ)なむ、行方(ゆくへ)()らず(かく)れにたる、もしはもの(えん)じして、()(そむ)きにけるなど、おのづから(かく)れなかるべきを」など、あやしう(かへ)(がへ)(おも)ふ。 "かばかりのさましたるひとうしなひて、たづねぬひとありけんや。また、そのひとかのひとむすめなん、ゆくへらずかくれにたる、もしはものえんじして、そむきにけるなど、おのづからかくれなかるべきを。"など、あやしうかへがへおもふ。
535.8.2663631 (あま)なりとも、かかるさましたらむ(ひと)はうたてもおぼえじ」など、「なかなか見所(みどころ)まさりて心苦(こころぐる)しかるべきを、(しの)びたるさまに、なほ(かた)らひとりてむ」と(おも)へば、まめやかに(かた)らふ。 "あまなりとも、かかるさましたらんひとはうたてもおぼえじ。"など、"なかなかみどころまさりてこころぐるしかるべきを、しのびたるさまに、なほかたらひとりてん。"とおもへば、まめやかにかたらふ。
535.8.3664632 ()(つね)のさまには(おぼ)(はばか)ることもありけむを、かかるさまになりたまひにたるなむ、(こころ)やすう()こえつべくはべる。さやうに(をし)へきこえたまへ。()(かた)(わす)れがたくて、かやうに(まゐ)()るに、また、今一(いまひと)(こころ)ざしを()へてこそ」 "つねのさまにはおぼはばかることもありけんを、かかるさまになりたまひにたるなん、こころやすうこえつべくはべる。さやうにをしへきこえたまへ。かたわすれがたくて、かやうにまゐるに、また、いまひとこころざしをへてこそ。"
535.8.4665633 などのたまふ。 などのたまふ。
535.8.5666634 「いと()末心細(すゑこころぼそ)く、うしろめたきありさまにはべるに、まめやかなるさまに(おぼ)(わす)れず()はせたまはむ、いとうれしうこそ、(おも)ひたまへおかめ。はべらざらむ(のち)なむ、あはれに(おも)ひたまへらるべき」 "いとすゑこころぼそく、うしろめたきありさまにはべるに、まめやかなるさまにおぼわすれずはせたまはん、いとうれしうこそ、おもひたまへおかめ。はべらざらんのちなん、あはれにおもひたまへらるべき。"
535.8.6667635 とて、()きたまふに、「この尼君(あまぎみ)(はな)れぬ(ひと)なるべし。()れならむ」と心得(こころえ)がたし。 とて、きたまふに、"このあまぎみはなれぬひとなるべし。れならん。"とこころえがたし。
535.8.7668636 ()(すゑ)御後見(おほんうしろみ)は、(いのち)()りがたく(たの)もしげなき()なれど、さ()こえそめはべるなれば、さらに()はりはべらじ。(たづ)ねきこえたまふべき(ひと)は、まことにものしたまはぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、(はばか)るべきことにははべらねど、なほ(へだ)てある心地(ここち)しはべるべき」 "すゑおほんうしろみは、いのちりがたくたのもしげなきなれど、さこえそめはべるなれば、さらにはりはべらじ。たづねきこえたまふべきひとは、まことにものしたまはぬか。さやうのことのおぼつかなきになん、はばかるべきことにははべらねど、なほへだてあるここちしはべるべき。"
535.8.8669637 とのたまへば、 とのたまへば、
535.8.9670638 (ひと)()らるべきさまにて、()()たまはば、さもや(たづ)()づる(ひと)もはべらむ。(いま)は、かかる(かた)に、(おも)ひきりつるありさまになむ。(こころ)のおもむけも、さのみ()えはべりつるを」 "ひとらるべきさまにて、たまはば、さもやたづづるひともはべらん。いまは、かかるかたに、おもひきりつるありさまになん。こころのおもむけも、さのみえはべりつるを。"
535.8.10671639 など(かた)らひたまふ。 などかたらひたまふ。
535.8.11672640 こなたにも消息(せうそこ)したまへり。 こなたにもせうそこしたまへり。
535.8.12673641 「おほかたの()(そむ)きける(きみ)なれど<BR/>(いと)ふによせて()こそつらけれ」 "〔おほかたのそむきけるきみなれど<BR/>いとふによせてこそつらけれ〕
535.8.13674642 ねむごろに(ふか)()こえたまふことなど、()(つた)ふ。 ねんごろにふかこえたまふことなど、つたふ。
535.8.14675643 兄妹(はらから)(おぼ)しなせ。はかなき()物語(ものがたり)なども()こえて、(なぐさ)めむ」 "はらからおぼしなせ。はかなきものがたりなどもこえて、なぐさめん。"
535.8.15676644 など()(つづ)く。 などつづく。
535.8.16677645 心深(こころふか)からむ御物語(おほんものがたり)など、()()くべくもあらぬこそ口惜(くちを)しけれ」 "こころふかからんおほんものがたりなど、くべくもあらぬこそくちをしけれ。"
535.8.17678646 といらへて、この(いと)ふにつけたるいらへはしたまはず。「(おも)ひよらずあさましきこともありし()なれば、いとうとまし。すべて朽木(くちき)などのやうにて、(ひと)見捨(みす)てられて()みなむ」ともてなしたまふ。 といらへて、このいとふにつけたるいらへはしたまはず。"おもひよらずあさましきこともありしなれば、いとうとまし。すべてくちきなどのやうにて、ひとみすてられてみなん。"ともてなしたまふ。
535.8.18679647 されば、(つき)ごろたゆみなく(むす)ぼほれ、ものをのみ(おぼ)したりしも、この本意(ほい)のことしたまひてより、(のち)すこし()()れしうなりて、尼君(あまぎみ)とはかなく(たはぶ)れもし()はし、碁打(ごう)ちなどしてぞ、()かし()らしたまふ。(おこな)ひもいとよくして、法華経(ほけきゃう)はさらなり。異法文(ことほふもん)なども、いと(おほ)()みたまふ。雪深(ゆきふか)()()み、人目絶(ひとめた)えたるころぞ、げに(おも)ひやる(かた)なかりける。 されば、つきごろたゆみなくむすぼほれ、ものをのみおぼしたりしも、このほいのことしたまひてより、のちすこしれしうなりて、あまぎみとはかなくたはぶれもしはし、ごうちなどしてぞ、かしらしたまふ。おこなひもいとよくして、ほけきゃうはさらなり。ことほふもんなども、いとおほみたまふ。ゆきふかみ、ひとめたえたるころぞ、げにおもひやるかたなかりける。
536680648第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る
536.1681649第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す
536.1.1682650 (とし)(かへ)りぬ。(はる)のしるしも()えず、(こほ)りわたれる(みづ)(おと)せぬさへ心細(こころぼそ)くて、「(きみ)にぞ(まど)ふ」とのたまひし(ひと)は、心憂(こころう)しと(おも)()てにたれど、なほその(をり)などのことは(わす)れず。 としかへりぬ。はるのしるしもえず、こほりわたれるみづおとせぬさへこころぼそくて、"きみにぞまどふ"とのたまひしひとは、こころうしとおもてにたれど、なほそのをりなどのことはわすれず。
536.1.2683651 「かきくらす野山(のやま)(ゆき)(なが)めても<BR/>()りにしことぞ今日(けふ)(かな)しき」 "〔かきくらすのやまゆきながめても<BR/>りにしことぞけふかなしき〕
536.1.3684652 など、(れい)の、(なぐさ)めの手習(てならひ)を、(おこな)ひの(ひま)にはしたまふ。「我世(われよ)になくて年隔(としへだ)たりぬるを、(おも)()づる(ひと)もあらむかし」など、(おも)()づる(とき)(おほ)かり。若菜(わかな)をおろそかなる()()れて、(ひと)()()たりけるを、尼君見(あまぎみみ)て、 など、れいの、なぐさめのてならひを、おこなひのひまにはしたまふ。"われよになくてとしへだたりぬるを、おもづるひともあらんかし。"など、おもづるときおほかり。わかなをおろそかなるれて、ひとたりけるを、あまぎみみて、
536.1.4685653 山里(やまざと)雪間(ゆきま)若菜摘(わかなつ)みはやし<BR/>なほ()(さき)(たの)まるるかな」 "〔やまざとゆきまわかなつみはやし<BR/>なほさきたのまるるかな〕
536.1.5686654 とて、こなたにたてまつれたまへりければ、 とて、こなたにたてまつれたまへりければ、
536.1.6687655 雪深(ゆきふか)野辺(のべ)若菜(わかな)(いま)よりは<BR/>(きみ)がためにぞ(とし)()むべき」 "〔ゆきふかのべわかないまよりは<BR/>きみがためにぞとしむべき〕
536.1.7688656 とあるを、「さぞ(おぼ)すらむ」とあはれなるにも、「()るかひあるべき(おほん)さまと(おも)はましかば」と、まめやかにうち()いたまふ。 とあるを、"さぞおぼすらん。"とあはれなるにも。"るかひあるべきおほんさまとおもはましかば。"と、まめやかにうちいたまふ。
536.1.8689658 (ねや)のつま(ちか)紅梅(こうばい)(いろ)()()はらぬを、「(はる)(むかし)の」と、異花(ことはな)よりもこれに心寄(こころよ)せのあるは、()かざりし(にほ)ひのしみにけるにや。後夜(ごや)閼伽奉(あかたてまつ)らせたまふ。下臈(げらふ)(あま)のすこし(わか)きがある、()()でて花折(はなを)らすれば、かことがましく()るに、いとど(にほ)()れば、 ねやのつまちかこうばいいろはらぬを、"はるむかしの"と、ことはなよりもこれにこころよせのあるは、かざりしにほひのしみにけるにや。ごやあかたてまつらせたまふ。げらふあまのすこしわかきがある、でてはなをらすれば、かことがましくるに、いとどにほれば、
536.1.9690659 袖触(そでふ)れし(ひと)こそ()えね(はな)()の<BR/>それかと(にほ)(はる)のあけぼの」 "〔そでふれしひとこそえねはなの<BR/>それかとにほはるのあけぼの〕
536.2691660第二段 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪
536.2.1692661 大尼君(おほあまぎみ)(むまご)紀伊守(きいのかみ)なりける、このころ(のぼ)りて()たり。三十(さんじふ)ばかりにて、容貌(かたち)きよげに(ほこ)りかなるさましたり。 おほあまぎみむまごきいのかみなりける、このころのぼりてたり。さんじふばかりにて、かたちきよげにほこりかなるさましたり。
536.2.2693662 (なに)ごとか、去年(こぞ)一昨年(おととし) "なにごとか、こぞおととし。"
536.2.3694663 など()ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに()て、 などふに、ほけほけしきさまなれば、こなたにて、
536.2.4695664 「いとこよなくこそ、ひがみたまひにけれ。あはれにもはべるかな。(のこ)りなき(おほん)さまを、()たてまつること(かた)くて、(とほ)きほどに年月(としつき)()ぐしはべるよ。(おや)たちものしたまはで(のち)は、一所(ひとところ)をこそ、御代(おほんか)はりに(おも)ひきこえはべりつれ。常陸(ひたち)(きた)(かた)は、(おとづ)れきこえたまふや」 "いとこよなくこそ、ひがみたまひにけれ。あはれにもはべるかな。のこりなきおほんさまを、たてまつることかたくて、とほきほどにとしつきぐしはべるよ。おやたちものしたまはでのちは、ひとところをこそ、おほんかはりにおもひきこえはべりつれ。ひたちきたかたは、おとづれきこえたまふや。"
536.2.5696665 ()ふは、いもうとなるべし。 ふは、いもうとなるべし。
536.2.6697666 年月(としつき)()へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸(ひたち)は、(ひさ)しう(おとづ)れきこえたまはざめり。え()ちつけたまふまじきさまになむ()えたまふ」 "としつきへては、つれづれにあはれなることのみまさりてなん。ひたちは、ひさしうおとづれきこえたまはざめり。えちつけたまふまじきさまになんえたまふ。"
536.2.7698667 とのたまふに、「わが(おや)()」と、あいなく耳止(みみと)まれるに、また()ふやう、 とのたまふに、"わがおや。"と、あいなくみみとまれるに、またふやう、
536.2.8699668 「まかり(のぼ)りて()ごろになりはべりぬるを、公事(おほやけごと)のいとしげく、むつかしうのみはべるにかかづらひてなむ。昨日(きのふ)もさぶらはむと(おも)ひたまへしを、右大将殿(うだいしゃうどの)宇治(うぢ)におはせし御供(おほんとも)(つか)うまつりて、故八(こはち)(みや)()みたまひし(ところ)におはして、日暮(ひく)らしたまひし。 "まかりのぼりてごろになりはべりぬるを、おほやけごとのいとしげく、むつかしうのみはべるにかかづらひてなん。きのふもさぶらはんとおもひたまへしを、うだいしゃうどのうぢにおはせしおほんともつかうまつりて、こはちみやみたまひしところにおはして、ひくらしたまひし。
536.2.9700669 故宮(こみや)御女(おほんむすめ)(かよ)ひたまひしを、まづ一所(ひとところ)一年亡(ひととせう)せたまひにき。その(おほん)おとうと、また(しの)びて()ゑたてまつりたまへりけるを、去年(こぞ)(はる)また()せたまひにければ、その御果(おほんは)てのわざせさせたまはむこと、かの(てら)律師(りし)になむ、さるべきことのたまはせて、なにがしも、かの(をんな)装束一領(さうぞくひとくだり)調(てう)じはべるべきを、せさせたまひてむや。()らすべきものは、(いそ)ぎせさせはべりなむ」 こみやおほんむすめかよひたまひしを、まづひとところひととせうせたまひにき。そのおほんおとうと、またしのびてゑたてまつりたまへりけるを、こぞはるまたせたまひにければ、そのおほんはてのわざせさせたまはんこと、かのてらりしになん、さるべきことのたまはせて、なにがしも、かのをんなさうぞくひとくだりてうじはべるべきを、せさせたまひてんや。らすべきものは、いそぎせさせはべりなん。"
536.2.10701670 ()ふを()くに、いかでかあはれならざらむ。「(ひと)やあやしと()む」とつつましうて、(おく)(むか)ひてゐたまへり。尼君(あまぎみ) ふをくに、いかでかあはれならざらん。"ひとやあやしとん。"とつつましうて、おくむかひてゐたまへり。あまぎみ
536.2.11702671 「かの(ひじり)親王(みこ)御女(おほんむすめ)は、二人(ふたり)()きしを、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(きた)(かた)は、いづれぞ」 "かのひじりみこおほんむすめは、ふたりきしを、ひゃうぶきゃうのみやきたかたは、いづれぞ。"
536.2.12703672 とのたまへば、 とのたまへば、
536.2.13704673 「この大将殿(だいしゃうどの)御後(おほんのち)のは、(おと)(ばら)なるべし。ことことしうももてなしたまはざりけるを、いみじう(かな)しびたまふなり。(はじ)めのはた、いみじかりき。ほとほと出家(すけ)もしたまひつべかりきかし」 "このだいしゃうどのおほんのちのは、おとばらなるべし。ことことしうももてなしたまはざりけるを、いみじうかなしびたまふなり。はじめのはた、いみじかりき。ほとほとすけもしたまひつべかりきかし。"
536.2.14705674 など(かた)る。 などかたる。
536.3706675第三段 浮舟、薫の噂など漏れ聞く
536.3.1707676 「かのわたりの(した)しき(ひと)なりけり」と()るにも、さすが(おそ)ろし。 "かのわたりのしたしきひとなりけり。"とるにも、さすがおそろし。
536.3.2708677 「あやしく、やうのものと、かしこにてしも()せたまひけること。昨日(きのふ)も、いと不便(ふびん)にはべりしかな。川近(かはちか)(ところ)にて、(みづ)をのぞきたまひて、いみじう()きたまひき。(うへ)にのぼりたまひて、(はしら)()きつけたまひし、 "あやしく、やうのものと、かしこにてしもせたまひけること。きのふも、いとふびんにはべりしかな。かはちかところにて、みづをのぞきたまひて、いみじうきたまひき。うへにのぼりたまひて、はしらきつけたまひし、
536.3.3709678 ()(ひと)(かげ)()まらぬ(みづ)(うへ)に<BR/>()()(なみだ)いとどせきあへず ひとかげまらぬみづうへに<BR/>なみだいとどせきあへず
536.3.4710679 となむはべりし。(こと)(あら)はしてのたまふことは(すく)なけれど、ただ、けしきには、いとあはれなる(おほん)さまになむ()えたまひし。(をんな)は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。(わか)くはべりし(とき)より、(いう)におはしますと()たてまつりしみにしかば、()(なか)(いち)(ところ)も、(なに)とも(おも)ひはべらず、ただ、この殿(との)(たの)みきこえてなむ、()ぐしはべりぬる」 となんはべりし。ことあらはしてのたまふことはすくなけれど、ただ、けしきには、いとあはれなるおほんさまになんえたまひし。をんなは、いみじくめでたてまつりぬべくなん。わかくはべりしときより、いうにおはしますとたてまつりしみにしかば、なかいちところも、なにともおもひはべらず、ただ、このとのたのみきこえてなん、ぐしはべりぬる。"
536.3.5711680 (かた)るに、「ことに(ふか)(こころ)もなげなるかやうの(ひと)だに、(おほん)ありさまは見知(みし)りにけり」と(おも)ふ。尼君(あまぎみ) かたるに、"ことにふかこころもなげなるかやうのひとだに、おほんありさまはみしりにけり。"とおもふ。あまぎみ
536.3.6712681 光君(ひかるきみ)()こえけむ故院(こゐん)(おほん)ありさまには、(なら)びたまはじとおぼゆるを、ただ(いま)()に、この御族(おほんぞう)ぞめでられたまふなる。(みぎ)大殿(おほとの)と」 "ひかるきみこえけんこゐんおほんありさまには、ならびたまはじとおぼゆるを、ただいまに、このおほんぞうぞめでられたまふなる。みぎおほとのと。"
536.3.7713682 とのたまへば、 とのたまへば、
536.3.8714683 「それは、容貌(かたち)もいとうるはしうけうらに、宿徳(すうとく)にて、(きは)ことなるさまぞしたまへる。兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)ぞ、いといみじうおはするや。(をんな)にて()(つか)うまつらばや、となむおぼえはべる」 "それは、かたちもいとうるはしうけうらに、すうとくにて、きはことなるさまぞしたまへる。ひゃうぶきゃうのみやぞ、いといみじうおはするや。をんなにてつかうまつらばや、となんおぼえはべる。"
536.3.9715684 など、(をし)へたらむやうに()(つづ)く。あはれにもをかしくも()くに、()(うへ)もこの()のことともおぼえず。とどこほることなく(かた)りおきて()でぬ。 など、をしへたらんやうにつづく。あはれにもをかしくもくに、うへもこののことともおぼえず。とどこほることなくかたりおきてでぬ。
536.4716685第四段 浮舟、尼君と語り交す
536.4.1717686 (わす)れたまはぬにこそは」とあはれに(おも)ふにも、いとど母君(ははぎみ)御心(みこころ)のうち()(はか)らるれど、なかなか()ふかひなきさまを()()こえたてまつらむは、なほつつましくぞありける。かの(ひと)()ひつけしことどもを、()(いそ)ぐを()るにつけても、あやしうめづらかなる心地(ここち)すれど、かけても()()でられず。()()ひなどするを、 "わすれたまはぬにこそは。"とあはれにおもふにも、いとどははぎみみこころのうちはからるれど、なかなかふかひなきさまをこえたてまつらんは、なほつつましくぞありける。かのひとひつけしことどもを、いそぐをるにつけても、あやしうめづらかなるここちすれど、かけてもでられず。ひなどするを、
536.4.2718687 「これ御覧(ごらん)()れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば」 "これごらんれよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば。"
536.4.3719688 とて、小袿(こうちき)単衣(ひとへ)たてまつるを、うたておぼゆれば、「心地悪(ここちあ)し」とて、()()れず()したまへり。尼君(あまぎみ)(いそ)ぐことをうち()てて、「いかが(おぼ)さるる」など(おも)(みだ)れたまふ。(くれなゐ)(さくら)織物(おりもの)袿重(うちきかさ)ねて、 とて、こうちきひとへたてまつるを、うたておぼゆれば、"ここちあし。"とて、れずしたまへり。あまぎみいそぐことをうちてて、"いかがおぼさるる。"などおもみだれたまふ。くれなゐさくらおりものうちきかさねて、
536.4.4720689 御前(おまへ)には、かかるをこそ(たてまつ)らすべけれ。あさましき墨染(すみぞめ)なりや」 "おまへには、かかるをこそたてまつらすべけれ。あさましきすみぞめなりや。"
536.4.5721690 ()(ひと)あり。 ひとあり。
536.4.6722691 尼衣変(あまごろもか)はれる()にやありし()の<BR/>形見(かたみ)(そで)をかけて(しの)ばむ」 "〔あまごろもかはれるにやありしの<BR/>かたみそでをかけてしのばん〕
536.4.7723692 ()きて、「いとほしく、()くもなりなむ(のち)に、(もの)(かく)れなき()なりければ、()きあはせなどして、(うと)ましきまでに(かく)しけるなどや(おも)はむ」など、さまざま(おも)ひつつ、 きて、"いとほしく、くもなりなんのちに、ものかくれなきなりければ、きあはせなどして、うとましきまでにかくしけるなどやおもはん。"など、さまざまおもひつつ、
536.4.8724693 ()ぎにし(かた)のことは、()えて(わす)れはべりにしを、かやうなることを(おぼ)(いそ)ぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ」 "ぎにしかたのことは、えてわすれはべりにしを、かやうなることをおぼいそぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ。"
536.4.9725694 とおほどかにのたまふ。 とおほどかにのたまふ。
536.4.10726695 「さりとも、(おぼ)()づることは(おほ)からむを、()きせず(へだ)てたまふこそ心憂(こころう)けれ。()には、かかる()(つね)(いろ)あひなど、(ひさ)しく(わす)れにければ、なほなほしくはべるにつけても、(むかし)(ひと)あらましかば、など(おも)()ではべる。しか(あつか)ひきこえたまひけむ(ひと)()におはすらむ。やがて、()くなして()はべりしだに、なほいづこにあらむ、そことだに(たづ)()かまほしくおぼえはべるを、行方知(ゆくへし)らで、(おも)ひきこえたまふ(ひと)びとはべるらむかし」 "さりとも、おぼづることはおほからんを、きせずへだてたまふこそこころうけれ。には、かかるつねいろあひなど、ひさしくわすれにければ、なほなほしくはべるにつけても、むかしひとあらましかば、などおもではべる。しかあつかひきこえたまひけんひとにおはすらん。やがて、くなしてはべりしだに、なほいづこにあらん、そことだにたづかまほしくおぼえはべるを、ゆくへしらで、おもひきこえたまふひとびとはべるらんかし。"
536.4.11727696 とのたまへば、 とのたまへば、
536.4.12728697 ()しほどまでは、一人(ひとり)はものしたまひき。この(つき)ごろ()せやしたまひぬらむ」 "しほどまでは、ひとりはものしたまひき。このつきごろせやしたまひぬらん。"
536.4.13729698 とて、(なみだ)()つるを(まぎ)らはして、 とて、なみだつるをまぎらはして、
536.4.14730699 「なかなか(おも)()づるにつけて、うたてはべればこそ、え()こえ()でね。(へだ)ては(なに)ごとにか(のこ)しはべらむ」 "なかなかおもづるにつけて、うたてはべればこそ、えこえでね。へだてはなにごとにかのこしはべらん。"
536.4.15731700 と、言少(ことずく)なにのたまひなしつ。 と、ことずくなにのたまひなしつ。
536.5732701第五段 薫、明石中宮のもとに参上
536.5.1733702 大将(だいしゃう)は、この()てのわざなどせさせたまひて、「はかなくて、()みぬるかな」とあはれに(おぼ)す。かの常陸(ひたち)()どもは、かうぶりしたりしは、蔵人(くらうど)になして、わが御司(おほんつかさ)将監(ぞう)になしなど、(いたは)りたまひけり。「(わらは)なるが、(なか)にきよげなるをば、(ちか)使(つか)()らさむ」とぞ(おぼ)したりける。 だいしゃうは、このてのわざなどせさせたまひて、"はかなくて、みぬるかな。"とあはれにおぼす。かのひたちどもは、かうぶりしたりしは、くらうどになして、わがおほんつかさぞうになしなど、いたはりたまひけり。"わらはなるが、なかにきよげなるをば、ちかつからさん。"とぞおぼしたりける。
536.5.2734703 (あめ)など()りてしめやかなる(よる)(きさい)(みや)(まゐ)りたまへり。御前(おまへ)のどやかなる()にて、御物語(おほんものがたり)など()こえたまふついでに、 あめなどりてしめやかなるよるきさいみやまゐりたまへり。おまへのどやかなるにて、おほんものがたりなどこえたまふついでに、
536.5.3735704 「あやしき山里(やまざと)に、(とし)ごろまかり(かよ)()たまへしを、(ひと)(そし)りはべりしも、さるべきにこそはあらめ。()れも(こころ)()(かた)のことは、さなむある、と(おも)ひたまへなしつつ、なほ時々見(ときどきみ)たまへしを、(ところ)のさがにやと、心憂(こころう)(おも)ひたまへなりにし(のち)は、(みち)(はる)けき心地(ここち)しはべりて、(ひさ)しうものしはべらぬを、(さい)つころ、もののたよりにまかりて、はかなき()のありさまとり(かさ)ねて(おも)ひたまへしに、ことさら道心起(だうしんお)こすべく(つく)りおきたりける、(ひじり)住処(すみか)となむおぼえはべりし」 "あやしきやまざとに、としごろまかりかよたまへしを、ひとそしりはべりしも、さるべきにこそはあらめ。れもこころかたのことは、さなんある、とおもひたまへなしつつ、なほときどきみたまへしを、ところのさがにやと、こころうおもひたまへなりにしのちは、みちはるけきここちしはべりて、ひさしうものしはべらぬを、さいつころ、もののたよりにまかりて、はかなきのありさまとりかさねておもひたまへしに、ことさらだうしんおこすべくつくりおきたりける、ひじりすみかとなんおぼえはべりし。"
536.5.4736705 (けい)したまふに、かのこと(おぼ)()でて、いといとほしければ、 けいしたまふに、かのことおぼでて、いといとほしければ、
536.5.5737706 「そこには、(おそ)ろしき(もの)()むらむ。いかやうにてか、かの(ひと)()くなりにし」 "そこには、おそろしきものむらん。いかやうにてか、かのひとくなりにし。"
536.5.6738707 ()はせたまふを、「なほ、(つづ)きを(おぼ)()(かた)」と(おも)ひて、 はせたまふを、"なほ、つづきをおぼかた。"とおもひて、
536.5.7739708 「さもはべらむ。さやうの人離(ひとはな)れたる(ところ)は、よからぬものなむかならず()みつきはべるを。()せはべりにしさまもなむ、いとあやしくはべる」 "さもはべらん。さやうのひとはなれたるところは、よからぬものなんかならずみつきはべるを。せはべりにしさまもなん、いとあやしくはべる。"
536.5.8740709 とて、(くは)しくは()こえたまはず。「なほ、かく(しの)ぶる(すぢ)を、()きあらはしけり」と(おも)ひたまはむが、いとほしく(おぼ)され、(みや)の、ものをのみ(おぼ)して、そのころは(やまひ)になりたまひしを、(おぼ)()はするにも、さすがに心苦(こころぐる)しうて、「かたがたに口入(くちい)れにくき(ひと)(うへ)」と(おぼ)(とど)めつ。 とて、くはしくはこえたまはず。"なほ、かくしのぶるすぢを、きあらはしけり。"とおもひたまはんが、いとほしくおぼされ、みやの、ものをのみおぼして、そのころはやまひになりたまひしを、おぼはするにも、さすがにこころぐるしうて、"かたがたにくちいれにくきひとうへ。"とおぼとどめつ。
536.5.9741710 小宰相(こさいしゃう)に、(しの)びて、 こさいしゃうに、しのびて、
536.5.10742711 大将(だいしゃう)、かの(ひと)のことを、いとあはれと(おも)ひてのたまひしに、いとほしうて、うち()でつべかりしかど、それにもあらざらむものゆゑと、つつましうてなむ。(きみ)ぞ、ことごと()()はせける。かたはならむことはとり(かく)して、さることなむありけると、おほかたの物語(ものがたり)のついでに、僧都(そうづ)()ひしことを(かた)れ」 "だいしゃう、かのひとのことを、いとあはれとおもひてのたまひしに、いとほしうて、うちでつべかりしかど、それにもあらざらんものゆゑと、つつましうてなん。きみぞ、ことごとはせける。かたはならんことはとりかくして、さることなんありけると、おほかたのものがたりのついでに、そうづひしことをかたれ。"
536.5.11743712 とのたまはす。 とのたまはす。
536.5.12744713 御前(おまへ)にだにつつませたまはむことを、まして、異人(ことびと)はいかでか」 "おまへにだにつつませたまはんことを、まして、ことびとはいかでか。"
536.5.13745714 ()こえさすれど、 こえさすれど、
536.5.14746715 「さまざまなることにこそ。また、まろはいとほしきことぞあるや」 "さまざまなることにこそ。また、まろはいとほしきことぞあるや。"
536.5.15747716 とのたまはするも、心得(こころえ)て、をかしと()たてまつる。 とのたまはするも、こころえて、をかしとたてまつる。
536.6748717第六段 小宰相、薫に僧都の話を語る
536.6.1749718 ()()りて物語(ものがたり)などしたまふついでに、()()でたり。(めづら)かにあやしと、いかでか(おどろ)かれたまはざらむ。「(みや)()はせたまひしも、かかることを、ほの(おぼ)()りてなりけり。などか、のたまはせ()つまじき」とつらけれど、 りてものがたりなどしたまふついでに、でたり。めづらかにあやしと、いかでかおどろかれたまはざらん。"みやはせたまひしも、かかることを、ほのおぼりてなりけり。などか、のたまはせつまじき。"とつらけれど、
536.6.2750719 (われ)もまた(はじ)めよりありしさまのこと()こえそめざりしかば、()きて(のち)も、なほをこがましき心地(ここち)して、(ひと)にすべて()らさぬを、なかなか(ほか)には()こゆることもあらむかし。うつつの(ひと)びとのなかに(しの)ぶることだに、(かく)れある()(なか)かは」 "われもまたはじめよりありしさまのことこえそめざりしかば、きてのちも、なほをこがましきここちして、ひとにすべてらさぬを、なかなかほかにはこゆることもあらんかし。うつつのひとびとのなかにしのぶることだに、かくれあるなかかは。"
536.6.3751720 など(おも)()りて、「この(ひと)にも、さなむありし」など、()かしたまはむことは、なほ口重(くちおも)心地(ここち)して、 などおもりて、"このひとにも、さなんありし。"など、かしたまはんことは、なほくちおもここちして、
536.6.4752721 「なほ、あやしと(おも)ひし(ひと)のことに、()てもありける(ひと)のありさまかな。さて、その(ひと)は、なほあらむや」 "なほ、あやしとおもひしひとのことに、てもありけるひとのありさまかな。さて、そのひとは、なほあらんや。"
536.6.5753722 とのたまへば、 とのたまへば、
536.6.6754723 「かの僧都(そうづ)(やま)より()でし()なむ、(あま)になしつる。いみじうわづらひしほどにも、()人惜(ひとを)しみてせさせざりしを、正身(さうじみ)本意深(ほいふか)きよしを()ひてなりぬる、とこそはべるなりしか」 "かのそうづやまよりでしなん、あまになしつる。いみじうわづらひしほどにも、ひとをしみてせさせざりしを、さうじみほいふかきよしをひてなりぬる、とこそはべるなりしか。"
536.6.7755724 ()ふ。(ところ)()はらず、そのころのありさまと(おも)ひあはするに、(たが)ふふしなければ、 ふ。ところはらず、そのころのありさまとおもひあはするに、たがふふしなければ、
536.6.8756725 「まことにそれと(たづ)()でたらむ、いとあさましき心地(ここち)もすべきかな。いかでかは、たしかに()くべき。()()ちて(たづ)ねありかむも、かたくなしなどや人言(ひとい)ひなさむ。また、かの(みや)()きつけたまへらむには、かならず(おぼ)()でて、(おも)()りにけむ(みち)(さまた)げたまひてむかし。 "まことにそれとたづでたらん、いとあさましきここちもすべきかな。いかでかは、たしかにくべき。ちてたづねありかんも、かたくなしなどやひといひなさん。また、かのみやきつけたまへらんには、かならずおぼでて、おもりにけんみちさまたげたまひてんかし。
536.6.9757726 さて、『さなのたまひそ』など、()こえおきたまひければや、(われ)には、さることなむ()きしと、さる(めづら)しきことを()こし()しながら、のたまはせぬにやありけむ。(みや)もかかづらひたまふにては、いみじうあはれと(おも)ひながらも、さらに、やがて()せにしものと(おも)ひなしてを()みなむ。 さて、'さなのたまひそ。'など、こえおきたまひければや、われには、さることなんきしと、さるめづらしきことをこししながら、のたまはせぬにやありけん。みやもかかづらひたまふにては、いみじうあはれとおもひながらも、さらに、やがてせにしものとおもひなしてをみなん。
536.6.10758727 うつし(びと)になりて、(すゑ)()には、()なる(いづみ)のほとりばかりを、おのづから(かた)らひ()(かぜ)(まぎ)れもありなむ。()がものに()(かへ)()むの心地(ここち)、また使(つか)はじ」 うつしびとになりて、すゑには、なるいづみのほとりばかりを、おのづからかたらひかぜまぎれもありなん。がものにかへんのここち、またつかはじ。"
536.6.11759728 など(おも)(みだ)れて、「なほ、のたまはずやあらむ」とおぼゆれど、()けしきのゆかしければ、大宮(おほみや)に、さるべきついで(つく)()だしてぞ、(けい)したまふ。 などおもみだれて、"なほ、のたまはずやあらん。"とおぼゆれど、けしきのゆかしければ、おほみやに、さるべきついでつくだしてぞ、けいしたまふ。
536.7760729第七段 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く
536.7.1761730 「あさましうて、(うしな)ひはべりぬと(おも)ひたまへし(ひと)()()ちあぶれてあるやうに、(ひと)のまねびはべりしかな。いかでか、さることははべらむ、と(おも)ひたまふれど、(こころ)とおどろおどろしう、もて(はな)るることははべらずや、と(おも)ひわたりはべる(ひと)のありさまにはべれば、(ひと)(かた)りはべしやうにては、さるやうもやはべらむと、()つかはしく(おも)ひたまへらるる」 "あさましうて、うしなひはべりぬとおもひたまへしひとちあぶれてあるやうに、ひとのまねびはべりしかな。いかでか、さることははべらん、とおもひたまふれど、こころとおどろおどろしう、もてはなるることははべらずや、とおもひわたりはべるひとのありさまにはべれば、ひとかたりはべしやうにては、さるやうもやはべらんと、つかはしくおもひたまへらるる。"
536.7.2762731 とて、(いま)すこし()こえ()でたまふ。(みや)(おほん)ことを、いと()づかしげに、さすがに(うら)みたるさまには()ひなしたまはで、 とて、いますこしこえでたまふ。みやおほんことを、いとづかしげに、さすがにうらみたるさまにはひなしたまはで、
536.7.3763732 「かのこと、またさなむと()きつけたまへらば、かたくなに()()きしうも(おぼ)されぬべし。さらに、さてありけりとも、()らず(がほ)にて()ぐしはべりなむ」 "かのこと、またさなんときつけたまへらば、かたくなにきしうもおぼされぬべし。さらに、さてありけりとも、らずがほにてぐしはべりなん。"
536.7.4764733 (けい)したまへば、 けいしたまへば、
536.7.5765734 僧都(そうづ)(かた)りしに、いともの(おそ)ろしかりし()のことにて、(みみ)(とど)めざりしことにこそ。(みや)は、いかでか()きたまはむ。()こえむ(かた)なかりける御心(みこころ)のほどかな、と()けば、まして()きつけたまはむこそ、いと(くる)しかるべけれ。かかる(すぢ)につけて、いと(かろ)()きものにのみ、()()られたまひぬめれば、心憂(こころう)く」 "そうづかたりしに、いとものおそろしかりしのことにて、みみとどめざりしことにこそ。みやは、いかでかきたまはん。こえんかたなかりけるみこころのほどかな、とけば、ましてきつけたまはんこそ、いとくるしかるべけれ。かかるすぢにつけて、いとかろきものにのみ、られたまひぬめれば、こころうく。"
536.7.6766735 などのたまはす。「いと(おも)御心(みこころ)なれば、かならずしも、うちとけ世語(よがた)りにても、(ひと)(しの)びて(けい)しけむことを、()らさせたまはじ」など(おぼ)す。 などのたまはす。"いとおもみこころなれば、かならずしも、うちとけよがたりにても、ひとしのびてけいしけんことを、らさせたまはじ。"などおぼす。
536.7.7767736 ()むらむ山里(やまざと)はいづこにかはあらむ。いかにして、さま()しからず(たづ)()らむ。僧都(そうづ)()ひてこそは、たしかなるありさまも()()はせなどして、ともかくも()ふべかめれ」など、ただ、このことを()()(おぼ)す。 "むらんやまざとはいづこにかはあらん。いかにして、さましからずたづらん。そうづひてこそは、たしかなるありさまもはせなどして、ともかくもふべかめれ。"など、ただ、このことをおぼす。
536.7.8768737 (つき)ごとの八日(やうか)は、かならず(たふと)きわざせさせたまへば、薬師仏(やくしぼとけ)()せたてまつるにもてなしたまへるたよりに、中堂(ちうだう)に、時々参(ときどきまゐ)りたまひけり。それよりやがて横川(よかは)におはせむと(おぼ)して、かのせうとの(わらは)なる、()ておはす。「その(ひと)びとには、とみに()らせじ。ありさまにぞ(したが)はむ」と(おぼ)せど、うち()(ゆめ)心地(ここち)にも、あはれをも(くは)へむとにやありけむ。さすがに、「その(ひと)とは()つけながら、あやしきさまに、形異(かたちこと)なる(ひと)(なか)にて、()きことを()きつけたらむこそ、いみじかるべけれ」と、よろづに(みち)すがら(おぼ)(みだ)れけるにや。 つきごとのやうかは、かならずたふときわざせさせたまへば、やくしぼとけせたてまつるにもてなしたまへるたよりに、ちうだうに、ときどきまゐりたまひけり。それよりやがてよかはにおはせんとおぼして、かのせうとのわらはなる、ておはす。"そのひとびとには、とみにらせじ。ありさまにぞしたがはん。"とおぼせど、うちゆめここちにも、あはれをもくはへんとにやありけん。さすがに、"そのひととはつけながら、あやしきさまに、かたちことなるひとなかにて、きことをきつけたらんこそ、いみじかるべけれ。"と、よろづにみちすがらおぼみだれけるにや。