光る源氏の内大臣時代三十一歳冬十二月から三十二歳秋までの物語
第一章 明石の物語 母子の雪の別れ
[第二段 尼君、姫君を養女に出すことを勧める]
尼君、思慮の深い人なので、
「つまりません。お目にかかれないことは、とても胸の痛いことにちがいありませんが、結局は、姫君の御ためによいことだろうことを考えなさい。浅いお考えでおっしゃることではあるまい。ただご信頼申し上げて、お渡し申されよ。母方の身分によって、帝の御子もそれぞれに差がおありになるようです。この大臣の君が、世に二人といない素晴らしいご様子でありながら、朝廷にお仕えなさっているのは、故大納言が、いま一段劣っていらっしゃって、更衣腹と言われなさった、その違いなのでいらっしゃるようです。ましてや、臣下の場合では、比較することもできません。また、親王方、大臣の御腹といっても、やはり正妻の劣っているところよりは、世間も軽視し、父親のご待遇も、同等にできないものなのです。まして、この姫君は、身分の高い女君方にこのような姫君が、お生まれになったら、すっかり忘れ去られてしまうでしょう。身分相応につけ、父親にひとかどに大切にされた人こそは、そのまま軽んぜられないもととなるのです。御袴着の祝いも、どんなに一生懸命におこなっても、このような人里離れた所では、何の見栄えがありましょう。ただお任せ申し上げなさって、そのおもてなしくださるご様子を、見ていらっしゃい」
と教える。
賢い人の将来の予想などにも、また占わせたりなどをしても、やはり「お移りになった方が良いでしょう」とばかり言うので、気が弱くなってきた。
殿も、そのようにお思いになりながら、悲しむ人の気の毒さに、無理におっしゃることもできないで、
「袴着のお祝いは、どのようにか」
とおっしゃるお返事に、
「何事につけても、ふがいないわたくしのもとにお置き申しては、お言葉どおり将来もおかわいそうに思われますが、またご一緒させていただいても、どんなにもの笑いになりましょうやら」
と申し上げたので、ますますお気の毒にお思いになる。
吉日などをお選びになって、ひっそりと、しかるべき事がらをお決めになって準備させなさる。手放し申すことは、やはりとてもつらく思われるが、「姫君のご将来のために良いことを第一に」と我慢する。
「乳母とも離れてしまうこと。朝な夕なの物思い、所在ない時を話相手にして、つね日頃慰めてきたのに、ますます頼りとするものがなくなることまで加わって、どんなにか悲しい思いをせねばならないこと」と、女君も泣く。
乳母も、
「そうなるはずの宿縁だったのでしょうか、思いがけないことで、お目にかかるようになって、長い間のお心配りが、忘れがたくきっと恋しく思われなさいましょうが、ふっつり縁が切れることは決してありますまい。行く末はと期待しながら、しばらくの間であっても、別れ別れになって、思いもかけないご奉公をしますのが、不安でございましょうねえ」
などと、泣き泣き日を過ごしているうちに、十二月にもなってしまった。
[第三段 明石と乳母、和歌を唱和]
雪、霰の日が多く、心細い気持ちもいっそうつのって、「不思議と何かにつけ、物思いがされるわが身だわ」と、悲しんで、いつもよりもこの姫君を撫でたり身なりを繕ったりしながら見ていた。
雪が空を暗くして降り積もった翌朝、過ぎ去った日々のことや将来のこと、何もかもお考え続けて、いつもは特に端近な所に出ていることなどはしないのだが、汀の氷などを眺めやって、白い衣の柔らかいのを幾重にも重ね着て、物思いに沈んでいる容姿、頭の恰好、後ろ姿などは、「どんなに高貴なお方と申し上げても、こんなではいらっしゃろう」と女房たちも見る。落ちる涙をかき払って、
「このような日は、今にもましてどんなにか心淋しいことでしょう」と、痛々しげに嘆いて、
「雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも
どうか手紙だけはください、跡の絶えないように」
とおっしゃると、乳母、泣いて、
「雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って
心の通う手紙を絶やすことは決してしません」
と言って慰める。
[第四段 明石の母子の雪の別れ]
この雪が少し解けてお越しになった。いつもはお待ち申し上げているのに、きっとそうであろうと思われるために、胸がどきりとして、誰のせいでもない、自分の身分低いせいだと思わずにはいられない。
「自分の一存によるのだわ。お断り申し上げたら無理はなさるまい。つまらないことを」と思わずにはいられないが、「軽率なようなことだわ」と、無理に思い返す。
とてもかわいらしくて、前に座っていらっしゃるのを御覧になると、
「おろそかには思えない宿縁の人だなあ」
とお思いになる。今年の春からのばしている御髪、尼削ぎ程度になって、ゆらゆらとしてみごとで、顔の表情、目もとのほんのりとした美しさなど、いまさら言うまでもない。他人の養女にして遠くから眺める母親の心惑いを推量なさると、まことに気の毒なので、繰り返して安心するように言って夜を明かす。
「いいえ。取るに足りない身分でないようにお持てなしさえいただけしましたら」
と申し上げるものの、堪え切れずにほろっと泣く様子、気の毒である。
姫君は、無邪気に、お車に乗ることをお急ぎになる。寄せてある所に、母君自身抱いて出ていらっしゃった。片言で、声はとてもかわいらしくて、袖をつかまえて、「お乗りなさい」と引っ張るのも、ひどく堪らなく悲しくて、
「幼い姫君にお別れしていつになったら
立派に成長した姿を見ることができるのでしょう」
最後まで言い切れず、ひどく泣くので、
「無理もない。ああ、気の毒な」とお思いになって、
「生まれてきた因縁も深いのだから
いづれ一緒に暮らせるようになりましょう
安心なさい」
と、慰めなさる。そうなることとは思って気持ちを落ち着けるが、とても堪えきれないのであった。乳母の少将と言った、気品のある女房だけが、御佩刀、天児のような物を持って乗る。お供の車には見苦しくない若い女房、童女などを乗せて、お見送りに行かせた。
道中、後に残った人の気の毒さを、「どんなにつらかろう。罪を得ることだろうか」とお思いになる。
[第五段 姫君、二条院へ到着]
暗くなってお着きになって、お車を寄せるや、華やかな感じ格別なので、田舎暮らしに慣れた人々の心地には、「さぞや、きまりの悪い奉公をすることになろうか」と思ったが、西面の部屋を特別に用意させなさって、数々の小さいお道具類をかわいらしげに準備させておありになった。乳母の部屋には、西の渡殿の北側に当たる所を用意させておありになった。
若君は、途中でお眠りになってしまっていた。抱きおろされても、泣いたりなどなさらない。こちらでお菓子をお召し上がりなどなさるが、だんだんと見回して、母君が見えないのを探して、いじらしげにべそかいていらっしゃるので、乳母をお呼び出しになって、慰めたり気を紛らわしてさし上げなさる。
「山里の所在なさは、以前にもましてどんなにであろうか」とお思いやりになると気の毒であるが、朝な夕なにお思いどおりにお世話しいしい、それを御覧になるのは、満足のいく心地がなさるだろう。
「どうしてなのか、世間が非難する欠点のない子は、こちらにはお生まれにならないで」
と、残念にお思いになる。
しばらくの間は、女房たちを探して泣いたりなどなさったが、だいたいが素直でかわいらしい性質なので、上にたいそうよく懐いてお慕いになるので、「とてもかわいらしい子を得た」とお思いになった。余念もなく抱いたり、あやしなさったりして、乳母も、自然とお側近くにお仕えするように慣れてしまった。また、身分の高い人で乳の出る人を、加えてお仕えなさる。
御袴着のお祝いは、どれほども特別にご準備なさることもないが、その儀式は格別である。お飾り付けは、雛遊びを思わせる感じでかわいらしく見える。参上なさったお客たち、常日頃からも来客で賑わっているので、特に目立つこともなかった。ただ、姫君が襷を掛けていらっしゃる胸元が、かわいらしさが加わってお見えになった。
[第六段 歳末の大堰の明石]
大堰では、いつまでも恋しく思われるにつけ、わが身のつたなさを嘆き加えていた。そうは言ったものの、尼君もひとしお涙もろくなっているが、このように大切にされていらっしゃるのを聞くのは嬉しかった。いったい、どんなことを、なまじお見舞い申し上げなされようか、ただ、お付きの人々に、乳母をはじめとして、非常に立派な色合いの装束を思い立って、準備してお贈り申し上げなさるのであった。
「訪れが間遠になるのも、ますます、思ったとおりだ」と思うだろうと、気の毒なので、年の内にこっそりとおいでになった。
ますます寂しい生活で、朝な夕なのお世話する相手にさえお別れ申して、寂しい思いをしていることが気の毒なので、お手紙なども絶え間なくお遣わしになる。
女君も、今では特にお恨み申し上げなさらず、かわいらしい姫君に免じて大目に見てさし上げていらっしゃった。
[第二段 源氏、大堰山荘訪問を思いつく]
山里の寂しさを絶えず心配なさっているので、公私に忙しい時期を過ごして、お出かけになろうとして、いつもより特別にお粧いなさって、桜のお直衣に、何ともいえない素晴らしい御衣を重ねて、香をたきしめ、身繕いなさって、お出かけのご挨拶をなさる様子、隈なく射し込んでいる夕日に、ますます美しくお見えになるのを、女君、おだやかならぬ気持ちでお見送り申し上げなさる。
姫君は、あどけなく御指貫の裾にまつわりついて、お慕い申し上げなさるうちに、御簾の外にまで出てしまいそうなので、立ちどまって、とてもかわいいとお思いになった。なだめすかして、「明日帰って来ましょう」と口ずさんでお出になると、渡殿の戸口に待ちかまえさせて、中将の君をして、申し上げさせなさった。
「あなたをお引き止めするあちらの方がいらっしゃらないのなら
明日帰ってくるあなたと思ってお待ちいたしましょうが」
たいそうもの慣れて申し上げるので、いかにもにっこりと微笑んで、
「ちょっと行ってみて明日にはすぐに帰ってこよう
かえってあちらが機嫌を悪くしようとも」
何ともわからないではしゃぎまわっていらっしゃる姫を、上はかわいらしいと御覧になるので、あちらの人の不愉快さも、すっかり大目に見る気になっていらっしゃった。
「どう思っているだろうか。自分だって、とても恋しく思わずにはいられないなのに」
と、じっと見守りながら、ふところに入れて、かわいらしいお乳房をお含ませながら、あやしていらっしゃるご様子、どこから見ても素晴らしい。お側に仕える女房たちは、
「どうしてかしら。同じお生まれになるなら」
「ほんとうにね」
などと、話し合っていた。
[第三段 源氏、大堰山荘から嵯峨野の御堂、桂院に回る]
あちらでは、まことのんびりと、風雅な嗜みのある感じに暮らしていて、邸の有様も、普通とは違って珍しいうえに、本人の態度などは、会うたびごとに、高貴な方々にひどく見劣りする差は見られず、容貌や、心ばせも申し分なく成長していく。
「ただ、普通の評判で目立たないなら、そのような例はいないでもないと思ってもよいのだが、世にもまれな偏屈者だという父親の評判など、それが困ったものだ。人柄などは、十分であるが」
などとお思いになる。
ほんのわずかの逢瀬で、物足りないくらいだからであろうか、あわただしくお帰りになるのも気の毒なので、「夢の中の浮橋か」とばかり、ついお嘆きになられて、箏の琴があるのを引き寄せて、あの明石で、夜更けての音色も、いつもどおりに自然と思い出されるので、琵琶を是非にとお勧めになると、少し掻き合わせたのが、「どうして、これほど上手に何でもお弾きになれたのだろう」と思わずにはいらっしゃれない。若君の御事など、こまごまとお話しになってお過ごしになる。
ここは、このような山里であるが、このようにお泊まりになる時々があるので、ちょっとした果物や、強飯ぐらいはお召し上がりになる時もある。近くの御寺、桂殿などにお出かけになるふうに装い装いして、一途にのめり込みなさらないが、また一方、まことにはっきりと中途半端な普通の相手としてはお扱いなさらないなどは、愛情も格別深く見えるようである。
女も、このようなお心をお知り申し上げて、出過ぎているとお思いになるようなことはせず、また、ひどく低姿勢になることなどもせず、お心づもりに背くこともなく、たいそう無難な態度でいたのであった。
並々でない高貴な婦人方の所でさえ、これほど気をお許しになることもなく、礼儀正しいお振る舞いであることを、聞いていたので、
「近い所で一緒にいたら、かえってますます目慣れて、人から軽蔑されることなどもあろう。時たまでも、このようにわざわざお越しくださるほうが、たいした気持ちがする」
と思うのであろう。
明石でも、ああは言ったが、このお心づもりや、様子を知りたくて、気がかりでないように、使者を行き来させて、胸をどきりとさせることもあったり、また、面目に思うことも多くあったりするのであった。
[第二段 藤壷入道宮の病臥]
入道后の宮は、春の初めころからずっとお悩みになって、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。院に御死別申し上げられたころは、とても幼くて、深くもお悲しみにはならなかったが、たいそうお嘆きの御様子なので、宮もとても悲しく思わずにはいらっしゃれない。
「今年は、必ずや逃れることのできない年回りと思っておりましたが、それほどひどい気分ではございませんでしたので、寿命を知っている顔をしますようなのも、人もいやに思い、わざとらしいと思うだろうと遠慮して、功徳の事なども、特に平素よりも取り立てて致しませんでした。
参内して、ゆっくりと昔のお話でもなどと思っておりながら、気分のすっきりした時が少なうございまして、残念にも、鬱々として過ごしてしまいましたこと」
と、たいそう弱々しくお申し上げなさる。
三十七歳でいらっしゃるのであった。けれども、とてもお若く盛りでいらっしゃるご様子を、惜しく悲しく拝し上げあそばす。
「お慎みあそばさねばならないお年回りであるが、気分もすぐれず、何か月かをお過ごしになることでさえ、嘆き悲しんでおりましたのに、ご精進などをも、いつもより特別になさらなかったことよ」
と、ひどく悲しくお思いであった。つい最近に、気づいて、いろいろなご祈祷をおさせあそばす。今までは、いつものご病気とばかり油断していたのだが、源氏の大臣も深くご心配になっていた。一定のきまりがあるので、間もなくお帰りあそばすのも、悲しいことが多かった。
宮は、ひどく苦しくて、はきはきとお話し申し上げることができない。ご心中思い続けなさるに、「高い宿縁、この世の繁栄も並ぶ人がなく、心の中に物足りなく思うことも人一倍多い身であった」と思わずにはいらっしゃれない。主上が、夢の中にも、こうした事情を御存じあそばされないのを、それでもはやりお気の毒に拝し上げなさって、この事だけを、気がかりで心の晴れないこととして、死後にも思い続けそうな気がなさるのであった。
[第三段 藤壷入道宮の崩御]
大臣は、朝廷の立場からしても、こうした高貴な方々ばかりが、引き続いてお亡くなりになることをお嘆きになる。人には知られない思慕は、それはまた、限りないほどで、ご祈祷などお気づきにならないことはない。長年思い絶っていたことさえ、もう一度申し上げられなくなってしまったのが、ひどく残念に思われなさるので、近くの御几帳の側に寄って、ご容態など、しかるべき女房たちにお尋ねになると、親しい女房だけがお付きしていて詳しく申し上げる。
「この数か月ずっとご気分がすぐれずにいらっしゃいましたのに、お勤めを少しの間も怠らずになさいました疲労も積もって、ますますひどくご衰弱あそばしたところに、最近になっては、柑子などにさえ、お口にあそばされなくなりましたので、ご回復の希望もなくなっておしまいになりましたことです」
と言って、泣き嘆き悲しんでいる女房たちが多かった。
「故院のご遺言どおりに、帝のご後見をなさること、長年存じておりますことは多かったのですが、何かの機会に、そのお礼の気持ちが並大抵でないことを、ちらっと知っていただこうとばかり、気長に待っておりましたが、今は悲しく残念に思われまして」
と、かすかに仰せになるのも、ほのかに聞こえるので、お返事も十分に申し上げられず、お泣きになる様子、実においたわしい。「どうしてこうも気が弱い状態で」と、人目を憚ってお気を取り直しなさるが、昔からのご様子を、世間一般から見ても、もったいなく惜しいご様子のお方を、思いどおりにならないことなので、お引き止め申すすべもなく、何とも言いようもなく悲しいこと限りない。
「取るに足りないわが身ですが、昔から、ご後見申し上げねばならないことは、気のつく限り、一生懸命に存じておりましたが、太政大臣がお亡くなりになったことだけでも、この世の、無常迅速が存じられてなりませんのに、さらにまた、このようにいらっしゃいますと、何から何まで心が乱れまして、生きていることも、残り少ない気が致します」
などとお申し上げになっているうちに、燈火などが消えるようにしてお隠れになってしまったので、何とも言いようがなくお悲しい別れを嘆きになる。
[第四段 源氏、藤壷を哀悼]
恐れ多い身分のお方と申し上げた中でも、ご性質などが、世の中の例としても広く慈悲深くいらっしゃって、権勢を笠に着て、人々が迷惑することを自然と行ないがちなのだが、少しもそのような道理に外れた事はなく、人々が奉仕することも、世の苦しみとなるはずのことは、お止めになる。
功徳の方面でも、人の勧めに従いなさって、荘厳に珍しいくらい立派になさる人なども、昔の聖代には皆あったのだが、この后宮は、そのようなこともなく、ただもとからの財産、頂戴なさるはずの年官、年爵、御封のしかるべき収入だけで、ほんとうに真心のこもった供養の最善をしておかれになったので、物のわけも分からない山伏などまでが惜しみ申し上げる。
ご葬送の時にも、世を挙げての騷ぎで、悲しいと思わない人はいない。殿上人など、すべて黒一色の喪服で、何の華やかさもない晩春である。二条院のお庭先の桜を御覧になるにつけても、花の宴の時などをお思い出しになる。「今年ぐらいは」と独り口ずさみなさって、他人が変に思うに違いないので、御念誦堂にお籠もりなさって、一日中泣き暮らしなさる。夕日が明るく射して、山際の梢がくっきりと見えるところに、雲が薄くたなびいているのが、鈍色なのを、何ごともお目に止まらないころなのだが、たいそう悲しく思わずにはいらっしゃれない。
「入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は
悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか」
誰も聞いていない所なので、かいがない。
[第二段 冷泉帝、出生の秘密を知る]
帝は、「何事だろう。この世に執着の残るよう思うことがあるのだろうか。法師は、聖僧といっても、道に外れた嫉妬心が深くて、困ったものだから」とお思いになって、
「幼かった時から、隔てなく思っていたのに、そなたには、そのように隠してこられたことがあったとは、つらく思いますぞ」
と仰せになると、
「ああ恐れ多い。少しも、仏の禁じて秘密になさる真言の深い道でさえ、隠しとどめることなくご伝授申し上げております。まして、心に隠していることは、何がございましょうか。
これは、過去来世にわたる重大事でございますが、お隠れあそばしました院、后の宮、現在政治をお執りになっている大臣の御ために、すべて、かえってよくないこととして漏れ出すことがありはしまいか。このような老法師の身には、たとい災いがありましょうとも、何の悔いもありません。仏天のお告げがあることによって申し上げるのでございます。
わが君がご胎内にいらっしゃった時から、故宮には深くご悲嘆なられることがあって、ご祈祷をおさせになる仔細がございました。詳しいことは法師の心には理解できません。思いがけない事件が起こって、大臣が無実の罪に当たりなさった時、ますます恐ろしくお思いあそばされて、重ねてご祈祷を承りましたが、大臣もご理解あそばして、またさらにご祈祷を仰せつけになって、御即位あそばした時までお勤め申した事がございました。
その承りましたご祈祷の内容は」
と言って、詳しく奏上するのをお聞きあそばすと、驚くほどめったにないことで、恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心がお乱れになった。
しばらくの間、返事もないので、僧都、「進んで奏上したのを不都合にお思いになったのだろうか」と、困ったことに思って、静かに恐縮して退出するのを、お呼び止めになって、
「知らずに過ぎてしまったならば、来世までも罪があるに違いなかったことを、今まで隠しておられたのを、かえって安心のならない人だと思った。またこの事を知っていて誰かに漏らすような人はいるだろうか」
と仰せになる。
「いえまったく、拙僧と王命婦以外の人は、この事の様子を知っている者はございません。それだから、実に恐ろしいのでございます。天変地異がしきりに現れ、世の中が平穏でないのは、このせいです。御幼少で、物の道理を御分別おできになれなかった間はよろしうございましたが、だんだんと御年齢が加わっていらっしゃいまして、何事も御分別あそばせるころになったので、咎を示すのです。万事、親の御代より始まるもののようでございます。何の罪とも御存知あそばさないのが恐ろしいので、忘れ去ろうとしていたことを、あえて申し上げた次第です」
と、泣く泣く申し上げるうちに、夜がすっかり明けてしまったので、退出した。
主上は、夢のような心地で重大な事をお聞きあそばして、さまざまにお思い乱れなさる。
「故院の御為にもお気がとがめ、大臣がこのように臣下として朝廷に仕えていらっしゃるのも、もったいないこと」
あれこれと御煩悶なさって、日が高くなるまでお出ましにならないので、「これこれしかじかである」とお聞きになって、大臣も驚いて参内なさったのを、お目にかかりあそばすにつけても、ますます堪えがたくお思いになって、お涙がこぼれあそばしたのを、
「おおかた故母宮の御事を、涙の乾く間もなくお悲しみになっているころだからなのだろう」
と拝し上げなさる。
[第三段 帝、譲位の考えを漏らす]
その日、式部卿の親王がお亡くなりになった旨を奏上するので、ますます世の中の穏やかならざることをお嘆きになった。このような状況なので、大臣は里にもご退出になることができず、付ききりでいらっしゃる。
しんみりとしたお話のついでに、
「わが寿命は終わってしまうのであろうか、何となく心細くいつもと違った心地がします上に、世の中もこのように穏やかでないので、万事落ち着かない気がします。故宮がご心配なさるからと思って、帝位のことも遠慮しておりましたが、今では安楽な状態で世を過ごしたく思っています」
と御相談申し上げなさる。
「まったくとんでもないお考えです。世の中が静かでないことは、必ずしも政道が真っ直ぐ、また曲がっていることによるのではございません。すぐれた世でも、よくないことどもはございました。聖の帝の御世にも、横ざまの乱れが出てきたこと、唐土にもございました。わが国でもそうでございます。まして、当然の年齢の方々が寿命の至るのも、お嘆きになることではございません」
などと、なにかにつけたくさんのことがらを申し上げなさる。その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。
いつもより黒いお召し物で、喪に服していらっしゃるご容貌、違うところがない。主上も、いく年もお鏡を御覧になるにつけ、お気づきなっていることであるが、お聞きあそばしたことの後は、またしげしげとお顔を御覧になりながら、格別にいっそうしみじみとお思いなされるので、「何とかして、このことをちらっと申し上げたい」とお思いになるが、何といってもやはり、きまりが悪くお思いになるに違いないことなので、お若い心地から遠慮されて、すぐにお話申し上げられないあいだは、世間一般の話をいつもより特に親密にお話し申し上げあそばす。
慇懃にかしこまっていらっしゃるご態度で、とても御様子が違っているのを、すぐれた人のお眼には、妙だと拝し上げなさったが、とてもこのように、はっきりとお聞きあそばしたとはお思いもよりなさらなかったのであった。
[第四段 帝、源氏への譲位を思う]
主上は、王命婦に詳しいことは、お尋ねになりたくお思いになったが、
「今さら、そのようにお隠しになっていらっしゃったことを知ってしまったと、あの人にも思われまい。ただ、大臣に何とかそれとなくお尋ね申し上げて、昔にもこのような例はあったろうかと聞いてみたい」
とお思いになるが、まったくその機会もないので、ますます御学問をあそばしては、さまざまの書籍を御覧になるのだが、
「唐土には、公然となったのもまた内密のも、血統の乱れている例がとても多くあった。日本には、まったく御覧になっても見つからない。たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか。一世の源氏、また納言、大臣となって後に、さらに親王にもなり、皇位にもおつきになったのも、多数の例があったのであった。人柄のすぐれたことにかこつけて、そのようにお譲り申し上げようか」
などと、いろいろお考えになったのであった。
[第五段 源氏、帝の意向を峻絶]
秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを、内々にお定め申しなさる機会に、帝が、かねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたので、大臣、とても目も上げられず、恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことである趣旨のご辞退を申し上げなさる。
「故院のお志、多数の親王たちの中で、特別に御寵愛くださりながら、御位をお譲りあそばすことをお考えあそばしませんでした。どうして、その御遺志に背いて、及びもつかない位につけましょうか。ただ、もとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もりましょうと存じております」
と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。
太政大臣におなりになるよう決定があるが、今しばらく、とお考えになるところがあって、ただ位階が一つ昇進して、牛車を聴されて、参内や退出をなさるのを、帝、もの足りなく、もったいないこととお思い申し上げなさって、やはり親王におなりになるよう仰せになるが、
「政治のご後見をおできになる人がいない。権中納言が、大納言になって右大将を兼任していらっしゃるが、もう一段昇進したならば、何ごとも譲ろう。その後に、どうなるにせよ、静かに暮らそう」
とお思いになっていた。さらにあれこれ、お考えめぐらすと、
「故后宮のためにも気の毒であり、また主上のこのようにお悩みでいらっしゃるのを拝し上げなさるにも恐れ多くて、誰がこのようなことを洩らしお耳に入れ申したのだろうか」
と、不思議に思わずにはいらっしゃれない。
王命婦は、御匣殿が替わったところに移って、お部屋を賜って出仕していた。大臣、お目にかかりなさって、
「このことを、もしや、何かの機会に、少しでも洩らしお耳に入れ申されたことはありましたか」
とお尋ねになるが、
「けっして。少しでも帝のお耳に入りますことを、大変だと思し召しで、しかしまた一方では、罪を得ることではないかと、主上の御身の上を、やはりお案じあそばして嘆いていらっしゃいました」
と申し上げるにつけても、並々ならず思慮深い方でいらっしゃったご様子などを、限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる。
[第二段 源氏、女御と往時を語る]
御几帳だけを隔てて、ご自身でお話し申し上げなさる。
「どの前栽もすっかり咲きほころびましたね。まことにおもしろくない年ですが、得意そうに時節を心得顔に咲いているのが、胸打たれますね」
と言って、柱に寄りかかっていらっしゃる夕映えのお姿、たいそう見事である。昔のお話、あの野宮をさまよった朝の話などを、お話し申し上げなさる。まことにしみじみとお思いになった。
宮も、「こうだから」とであろうか、少しお泣きになる様子、とても可憐な感じで、ちょっとお身じろぎなさる気配も、驚くほど柔らかく優美でいらっしゃるようだ。「拝見しないのは、まことに残念だ」と、胸がどきどきするのは、困ったことであるよ。
「過ぎ去った昔、特に思い悩むようなこともなくて過せたはずでございました時分にも、やはり性分で、好色沙汰に関しては、物思いも絶えずございましたなあ。よくない恋愛事の中で、気の毒なことをしたことが多数ありました中で、最後まで心も打ち解けず、思いも晴れずに終わったことが、二つあります。
一つは、あなたのお亡くなりになった母君の御ことですよ。驚くほど物を思いつめてお亡くなりになってしまったことが、生涯の嘆きの種と存じられましたが、このようにお世話申して、親しくしていただけるのを、せめて罪滅ぼしのように存じておりますが、燃えた煙が、解けぬままになってしまわれたのだろうとは、やはり気がかりに存じられてなりません」
とおっしゃって、もう一つは話されずに終わった。
「ひところ、身を沈めておりましたとき、あれこれと考えておりましたことは、少しづつ叶ってきました。東の院にいる人が、頼りない境遇で、ずっと気の毒に思っておりましたのも、安心できる状態になっております。気立てがよいところなど、わたしも相手もよく理解し合っていて、とてもさっぱりとしたものです。
このように帰って来て、朝廷のご後見致します喜びなどは、それほど心に深く思いませんが、このような好色めいた心は、鎮めがたくばかりおりますが、並々ならぬ我慢を重ねたご後見とは、ご存知でいらっしゃいましょうか。せめて同情するとだけでもおっしゃっていただけなければ、どんなにか張り合いのないことでしょう」
とおっしゃるので、困ってしまって、お返事もないので、
「やはり、そうですか。ああ情けない」
と言って、他の話題に転じて紛らしておしまいになった。
「今では、何とか心安らかに、生きている間は心残りがないように、来世のためのお勤めを思う存分に、籠もって過ごしたいと思っておりますが、この世の思い出にできることがございませんのが、何といっても残念なことでございます。きっと、幼い姫君がおりますが、将来が待ち遠しいことですよ、恐れ多いことですが、何といっても、この家を繁栄させなさって、わたしが亡くなりました後も、お見捨てなさらないでください」
などと申し上げなさる。
お返事は、とてもおっとりとした様子で、やっと一言ほどわずかにおっしゃる感じ、たいそう優しそうなのに聞き入って、しんみりと日が暮れるまでいらっしゃる。
[第三段 女御に春秋の好みを問う]
「頼もしい方面の望みはそれとして、一年の間の移り変わる四季折々の花や紅葉、空の様子につけても、心のゆく楽しみをしてみたいものですね。春の花の林や、秋の野の盛りについて、それぞれに論争しておりましたが、その季節の、まことにそのとおりと納得できるようなはっきりとした判断はないようでございます。
唐土では、春の花の錦に匹敵するものはないと言っているようでございます。和歌では、秋のしみじみとした情緒を格別にすぐれたものとしています。どちらも季節折々につけて見ておりますと、目移りして、花や鳥の色彩や音色の美しさを判別することができません。
狭い邸の中だけでも、その季節の情趣が分かる程度に、春の花の木を一面に植え、秋の草をも移植して、つまらない野辺の虫たちを棲ませて、皆様にも御覧に入れようと存じておりますが、どちらをお好きでしょうか」
と申し上げなさると、とてもお答え申しにくいこととお思いになるが、まるっきり何ともお答え申し上げなさらないのも具合が悪いので、
「まして、どうして優劣を弁えることができましょうか。おっしゃるとおり、どちらも素晴らしいですが、いつとても恋しくないことはない中で、不思議にと聞いた秋の夕べが、はかなくお亡くなりになった露の縁につけて、自然と好ましく存じられます」
と、とりつくろわないようにおっしゃって言いさしなさるのが、実にかわいらしいので、堪えることがおできになれず、
「あなたもそれでは情趣を交わしてください、誰にも知られず
自分ひとりでしみじみと身にしみて感じている秋の夕風ですから
我慢できないことも度々ございますよ」
と申し上げなさると、「どのようなお返事ができよう、分かりません」とお思いのご様子である。この機会に、抑えきれずに、お恨み申し上げなさることがあるにちがいない。
もう少しで、間違いもしでかしなさるところであるが、とてもいやだとお思いでいるのも、もっともなので、またご自分でも「若々しく良くないことだ」とお思い返しなさって、お嘆きになっていらっしゃる様子が、思慮深く優美なのも、気にくわなくお思いになった。
少しずつ奥の方へお入りになって行く様子なので、
「驚くほどお嫌いになるのですね。ほんとうに情愛の深い人は、このようにはしないものと言います。よし、今からは、お憎みにならないでください。つらいことでしょう」
とおっしゃって、お渡りになった。
しっとりとした香が残っているのまでが、不愉快にお思いになる。女房たち、御格子などを下ろして、
「この御褥の移り香は、何とも言えないですね」
「どうしてこう、何から何まで柳の枝に花を咲かせたようなご様子なのでしょう」
「気味が悪いまでに」
とお噂申し上げていた。
[第四段 源氏、紫の君と語らう]
西の対にお渡りになって、すぐにもお入りにならず、たいそう物思いに耽って、端近くに横におなりになった。燈籠を遠くに掛けて、近くに女房たちを伺候させなさって、話などをさせになる。
「このように無理な恋に胸がいっぱいになる癖が、いまも残っていたことよ」
と、自分自身反省せずにはいらっしゃれない。
「これはまことに相応しくないことだ。恐ろしく罪深いことは多くあったろうが、昔の好色は、思慮の浅いころの過ちであったから、仏や神もお許しになったことだろう」と、心をお鎮めになるにつけても、「やはり、この恋の道は、危なげなく思慮深さが増してきたものだな」
とお思い知られなさる。
女御は、秋の情趣を知っているようにお答え申し上げたのも、「悔しく恥ずかしい」と、独り心の中でくよくよなさって、悩ましそうにさえなさっているのを、実にさっぱりと何くわぬ顔で、いつもよりも親らしく振る舞っていらっしゃる。
女君に、
「女御が、秋に心を寄せていらっしゃるのも感心されますし、あなたが、春の曙に心を寄せていらっしゃるのももっともです。季節折々に咲く木や草の花を鑑賞しがてら、あなたのお気に入るような催し事などをしてみたいものだと、公私ともに忙しい身には相応しくないが、何とかして望みを遂げたいものですと、ただ、あなたにとって寂しくないだろうかと思うのが、気の毒なのです」
などと親密にお話申し上げになる。
[第五段 源氏、大堰の明石を訪う]
「山里の人も、どうしているだろうか」などと、絶えず案じていらっしゃるが、窮屈さばかりが増していくお身の上で、お出かけになること、まことにむずかしい。
「夫婦仲をつまらなくつらいと思っている様子だが、どうしてそのように考える必要があろう。気安く出て来て、並々の生活はするまいと思っている」が、「思い上がった考えだ」とはお思いになる一方で、不憫に思って、いつもの、不断の御念仏にかこつけて、お出向きになった。
住み馴れていくにしたがって、とてももの寂しい場所の様子なので、たいして深い事情がない人でさえ、きっと悲哀を増すであろう。まして、お逢い申し上げるにつけても、つらかった宿縁の、とはいえ、浅くないのを思うと、かえって慰めがたい様子なので、なだめかねなさる。
たいそう茂った木立の間から、いくつもの篝火の光が、遣水の上を飛び交う螢のように見えるのも趣深く感じられる。
「このような生活に馴れていなかったら、さぞ珍しく思えたでしょうに」
とおっしゃると、
「あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは
わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか
間違われそうでございます」
と申し上げると、
「わたしの深い気持ちを御存知ないからでしょうか
今でも篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのでしょう
誰が憂きものと、させたでしょう」
と、逆にお恨みになっていらっしゃる。
だいたいに自然と物静かな思いにおなりの時候なので、尊い仏事にご熱心になって、いつもよりは長くご滞在になったのであろうか、少し物思いも慰められたろう、と言うことである。
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本文
ローマ字版
注釈
大島本
自筆本奥入