薫君の宰相中将時代二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語
第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る
[第二段 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す]
土地に相応しい、ご設営などを興趣深く整えて、碁、双六、弾棊の盤類などを取り出して、思い思いに遊びに一日をお過ごしなさる。宮は、お馴れにならない御遠出に、疲れをお感じになって、ここに泊まろうとのお考えが強いので、ちょっとご休憩なさって、夕方は、お琴などを取り寄せてお遊びになる。
例によって、このような世間離れした所は、水の音も引立て役となって、楽の音色もひときわ澄む気がして、あの聖の宮にも、ただ棹一さしで漕ぎ渡れる距離なので、追い風に乗って来る響きをお聞きになると、昔の事が自然と思い出されて、
「笛がたいそう美しく聞こえてくるなあ。誰であろう。昔の六条院のお笛の音を聞いたのは、それは実に興趣深げな愛嬌ある音色にお吹きになったものだ。これは澄み上って、大げさな感じが加わっているのは、致仕の大臣のご一族の笛の音に似ているな」などと、独り言をおっしゃる。
「ああ、何と昔になってしまったことよ。このような遊びもしないで、生きているともいえない状態で過ごしてきた年月が、それでも多く積もったとは、ふがいないことよ」
などとおっしゃる折にも、姫君たちのご様子がもったいなく、「このような山中に引き止めたままにはしたくないものだ」とついお思い続けになられる。「宰相の君が、同じことなら近い縁者としたい方だが、そのようには考えるわけには行かないようだ。まして近頃の思慮の浅いような人を、どうして考えられようか」などとお考え悩まれ、所在なく物思いに耽っていらっしゃる所は、春の夜もたいへん長く感じられるが、打ち興じていらっしゃる旅寝の宿は、酔いの紛れにとても早く夜が明けてしまう気がして、物足りなく帰ることを、宮はお思いになる。
はるばると霞わたっている空に、散る桜があると思うと今咲き始めるのなどもあり、色とりどりに見渡されるところに、川沿いの柳が風に起き臥し靡いて水に映っている影などが、並々ならず美しいので、見慣れない方は、たいそう珍しく見捨てがたいとお思いになる。
宰相は、「このような機会を逃さず、あの宮に伺いたい」とお思いになるが、「大勢の人目を避けて独り舟を漕ぎ出しなさるのも軽率ではないか」と躊躇していらっしゃるところに、あちらからお手紙がある。
「山風に乗って霞を吹き分ける笛の音は聞こえますが
隔てて見えますそちらの白波です」
草仮名でたいそう美しくお書きなっていた。宮、「ご関心の所からの」と御覧になると、たいそう興味深くお思いになって、「このお返事はわたしがしよう」と言って、
「そちらとこちらの汀に波は隔てていても
やはり吹き通いなさい宇治の川風よ」
[第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る]
中将はお伺いなさる。遊びに夢中になっている公達を誘って、棹さしてお渡りになるとき、「酣酔楽」を合奏して、水に臨んだ廊に造りつけてある階段の趣向などは、その方面ではたいそう風流で、由緒ある宮邸なので、人びとは気をつけて舟からお下りになる。
ここはまた、趣が違って、山里めいた網代屏風などで、格別に簡略にして、風雅なお部屋のしつらいを、そのような気持ちで掃除し、たいそう心づかいして整えていらっしゃった。昔の、楽の音などまことにまたとない弦楽器類を、特別に用意したようにではなく、次々と弾き出しなさって、壱越調に変えて、「桜人」を演奏なさる。
主人の宮の、お琴をこのような機会にと、人びとはお思いになるが、箏の琴を、さりげなく、時々掻き鳴らしなさる。耳馴れないせいであろうか、「たいそう趣深く素晴らしい」と若い人たちは感じ入っていた。
土地柄に相応しい饗応を、たいそう風流になさって、はたから想像していた以上に、かすかに皇族の血筋を引くといった素性卑しからぬ人びとが大勢、王族で、四位の年とった人たちなどが、このように大勢客人が見える時にはと、以前からご同情申し上げていたせいか、適当な方々が皆参上し合って、瓶子を取る人もこざっぱりしていて、それはそれとして古風で、風雅にお持てなしなさった。客人たちは、宮の姫君たちが住んでいらっしゃるご様子、想像しながら、関心を持つ人もいるであろう。
[第四段 匂宮と中の君、和歌を詠み交す]
あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも、窮屈にお思いであるが、せめてこのような機会にでもと、たまらなくお思いになって、美しい花の枝を折らせなさって、お供に控えている殿上童でかわいい子を使いにして差し上げなさる。
「山桜が美しく咲いている辺りにやって来て
同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです
野が睦まじいので」
とでもあったのであろうか。「お返事は、とてもできない」などと、差し上げにくく当惑していらっしゃる。
「このような時のお返事は、特別なふうに考えて、時間をかけ過ぎるのも、かえって憎らしいことでございます」
などと、老女房たちが申し上げるので、中の君にお書かせ申し上げなさる。
「插頭の花を手折るついでに、山里の家は
通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう
わざわざ野を分けてまでもありますまい」
と、たいそう美しく、上手にお書きになっていた。
なるほど、川風も隔て心をおかずに吹き通う楽の音を、面白く合奏なさる。お迎えに、藤大納言が、勅命によって参上なさった。人びとが大勢参集して、何かと騒がしくして先を争ってお帰りになる。若い人たちは、物足りなく、ついつい後を振り返ってばかりいた。宮は、「また何かの機会に」とお思いになる。
花盛りで、四方の霞も眺めやる見所があるので、漢詩や和歌も、作品が多く作られたが、わずらわしいので詳しく尋ねもしないのである。
何かと騒々しくて、思うようにも意を尽くして言いやることもできずじまいだったことを、残念に宮はお思いになって、手引なしでもお手紙は常にあるのだった。宮も、
「やはり、お返事は差し上げなさい。ことさら懸想文のようには扱うまい。かえって心をときめかさせることになってしまいましょう。たいそう好色の親王なので、このような姫がいる、とお聞きになると、放っておけないと思うだけの戯れ事なのでしょう」
と、お促しなさる時々、中の君がお返事申し上げなさる。姫君は、このようなことは、冗談事にもご関心のないご思慮深さである。
いつとなく心細いご様子で、春の日長の所在なさは、ますます過ごしがたく物思いに耽っていらっしゃる。ご成長なさったご容姿器量も、ますます優れ、申し分なく美しいのにつけても、かえっておいたわしく、「不器量であったら、もったいなく、惜しいなどの思いは少なかったろうに」などと、明け暮れお悩みになる。
姉君は二十五歳、中の君は二十三歳におなりであった。
[第五段 八の宮、娘たちへの心配]
宮は、重く身を慎むべきお年なのであった。何となく心細くお思いになって、ご勤行を例年よりも弛みなくなさる。この世に執着なさっていないので、死出の旅立ちの用意ばかりをお考えなので、極楽往生も間違いないお方だが、ただこの姫君たちの事に、たいそうお気の毒で、この上ない道心の強さだが、「かならず、今が最期とお見捨てなさる時のお気持ちは、きっと乱れるだろう」と、拝する女房もご推察申し上げるが、お思いの通りではなくても、並に、それでも人聞きの悪くなく、世間から認めてもらえる身分の人で、真実に後見申し上げよう、などと、思ってくれる方がいたら、知らぬ顔をして黙認しよう、一人一人が人並みに結婚する縁があったら、その人に譲って安心もできようが、そこまで深い心で言い寄る人はいない。
時たまちょっとしたきっかけで、懸想めいたことを言う人は、まだ年若い人の遊び心で、物詣での中宿りや、その往来の慰み事に、それらしいことを言っても、やはり、このように落ちぶれた様子などを想像して、軽んじて扱うのは、心外なので、なおざりの返事をさえおさせにならない。三の宮は、やはりお会いしないではいられないとのお思いが深いのであった。前世からの約束事でいらしたのであろうか。
[第二段 薫、八の宮と昔語りをする]
まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので、念誦をたいそうしみじみと唱えなさって、昔話をなさる。
「最近の世の中は、どのようになったのでしょうか。宮中などでは、このような秋の月の夜に、御前での管弦の御遊の時に伺候する人達の中で、楽器の名人と思われる人びとばかりが、それぞれ得意の楽器を合奏しあった調子などは、仰々しいのよりも、嗜みがあると評判の女御、更衣の御局々が、それぞれは張り合っていて、表面的な付き合いはしているようで、夜更けたころの辺りが静まった時分に、悩み深い風情に掻き調べ、かすかに流れ出た楽の音色などが、聞きどころのあるのが多かったな。
何事につけても、女性というのは、慰み事の相手にちょうどよく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種であるのでしょう。それだから、罪が深いのでしょうか。子を思う道の闇を思いやるにも、男の子は、それほども親の心を乱さないであろうか。女の子は、運命があって、何とも言いようがないと諦めてしまうような場合でも、やはり、とても気にかかるもののようです」
などと、一般論としておっしゃるが、どうしてそのようにお思いにならないことがあろうか、おいたわしく推察される宮のご心中である。
「すべて、ほんとうに、先程申し上げましたようにすべてこの世の事は執着を捨ててしまったせいでしょうか、自分自身のことは、どのようなこととも深く分かりませんが、なるほどつまらないことですが、音楽を愛する心だけは、捨てることができません。賢く修業する迦葉も、そうですから、立って舞ったのでございましょう」
などと申し上げて、名残惜しく聞いたお琴の音を、切にご希望なさるので、親しくなるきっかけにでもとお思いになってか、ご自身はあちらにお入りになって、切にお勧め申し上げなさる。箏の琴を、とてもかすかに掻き鳴らしてお止めになった。常にもまして人の気配もなくひっそりとして、しみじみとした空の様子、場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて興趣深く思われるが、気を許してどうして合奏なさろうか。
「自然とこれくらい引き合わせた後は、若い者同士にお任せ申そう」
と言って、宮は仏の御前にお入りになった。
「わたしが亡くなって草の庵が荒れてしまっても
この一言の約束だけは守ってくれようと存じます
このようにお目にかかることも今回が最後になるだろうと、何となく心細いのに堪えかねて、愚かなことを多くも言ってしまったな」
と言って、お泣きになる。客人は、
「どのような世になりましても訪れなくなることはありません
この末長く約束を結びました草の庵には
相撲など、公務に忙しいころが過ぎましたら、伺いましょう」
などと申し上げなさる。
[第三段 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京]
こちらで、あの問わず語りの老女を召し出して、残りの多い話などをおさせになる。入方の月が、すっかり明るく差し込んで、透影が優美なので、姫君たちも奥まった所にいらっしゃる。世の常の懸想人のようではなく、思慮深くお話を静かに申し上げていらっしゃるので、しかるべきお返事などを申し上げなさる。
「三の宮が、たいそうご執心でいられる」と、心中には思い出しながら、「自分ながら、やはり普通の人とは違っているぞ。あれほど宮ご自身がお許しになることを、それほどにも急ぐ気にもなれないことよ。が、結婚など思いもよらないことだとは、さすがに思われない。このようにして言葉を交わし、季節折々の花や紅葉につけて、感情や情趣を通じ合うのに、憎からず感じられる方でいらっしゃるので、自分と縁がなく、他人と結婚なさるのは」、やはり残念なことだろうと、自分のもののような気がするのであった。
まだ夜明けに間のあるうちにお帰りになった。心細く先も長くなさそうにお思いになったご様子を、お思い出し申し上げながら、「忙しい時期を過ごしてから伺おう」とお思いになる。兵部卿宮も、今年の秋のころに紅葉を見にいらっしゃりたいと、適当な機会をお考えになる。
お手紙は、絶えず差し上げなさる。女は、本気でお考えになっているのだろうとはお思いでないので、厄介にも思わず、何気ない態度で、時々ご文通なさる。
[第四段 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る]
秋が深まって行くにつれて、宮は、ひどく何となく心細くお感じになったので、「いつものように、静かな場所で、念仏を専心に行おう」とお思いになって、姫君たちにもしかるべきことを申し上げなさる。
「この世の習いとして、永遠の別れは避けられないもののようだが、気の慰まるようなことがあれば、悲しさも薄らぐもののようです。また後事を託せる人もなく、心細いご様子の二人を、うち捨てて行くことがまことに辛い。
けれども、その程度のことで妨げられて、無明長夜の闇にまで迷うのは無益なことだ。一方でお世話して来た今でさえ執着を断ち切っていたのだから、亡くなった後のことは、知ることはできないものであるが、私一人だけのためでなく、お亡くなりになった母君の面目をもつぶさぬよう、軽率な考えをなさいますな。
しっかりと頼りになる人以外には、相手の言葉に従って、この山里を離れなさるな。ただ、このように世間の人と違った運命の身とお思いになって、ここで一生を終わるのだとお悟りなさい。一途にその気になれば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのである。まして、女性は、女らしくひっそりと閉じ籠もって、ひどくみっともない、世間からの非難を受けないのがよいでしょう」
などとおっしゃる。どうなるかの将来の身の上のありようまでは、お考えも及ばず、ただ、「どのようにして、先立たれ申して後は、この世に片時も生きていられようか」とお思いになると、このように心細い状態を前もっておっしゃるので、何とも言いようもないお二方の嘆きである。心の中でこそ執着をお捨てになっていらしたようであるが、明け暮れお側に馴れ親しみなさって、急に別れなさるのは、冷淡な心からではないが、なるほど恨めしいに違いないご様子だったのである。
明日、ご入山なさるという日は、いつもと違って、あちらこちらと、邸内を歩きなさって御覧になる。たいそう頼りなく、仮の宿としてお過ごしになったお住まいの様子を、「亡くなった後、どのようにして、若い姫君たちが絶え籠もってお過ごしになれようか」と、涙ぐみながら念誦なさる様子は、たいそう清らかである。
年配の女房たちを召し出して、
「心配のないようにお仕えしなさい。何事も、もともと気がねなく暮らして、世間に噂にならないような身分の人は、子孫の零落することもよくあることで、目立ちもしないようだ。このような身分になると、世間の人は何とも思わないだろうが、みじめな有様で流浪するのは、至尊の血筋に生まれた宿縁に対して不面目で、心苦しいことが、多いだろう。物寂しく心細い世の中を送ることは、世の常である。
生まれた家の格式、しきたり通りに身を処するというのが、人聞きにも、自分の気持ちとしても、間違いのないように思われるだろう。贅沢な人並みの生活をしようと望んでも、その思う通りにならない時勢であったら、決して決して軽々しく、良くない男をお取り持ち申すな」
などとおっしゃる。
まだ夜の明けないうちにお出になろうとして、こちらにお渡りになって、
「留守の間、心細くお嘆きなさるな。気持ちだけは明るく持って音楽の遊びなどはなさい。何事も思うに適わない世の中だ。深刻に思い詰めなさるな」
などと、振り返りながらお出になった。お二方は、ますます心細く物思いに閉ざされて、寝ても起きても語り合いながら、
「どちらか一方がいなくなったら、どのようにして暮らしていけましょうか」
「今は、将来もはっきりしないこの世で、もし別れるようなことがあったら」
などと、泣いたり笑ったりしながら、冗談も真実も、同じ気持ちで慰め合いながらお過ごしになる。
[第五段 八月二十日、八の宮、山寺で死去]
あの勤行なさる念仏三昧は、今日終わることだろうと、今か今かとお待ち申し上げていらっしゃる夕暮に、使者が参って、
「今朝から、気分が悪くなって、参ることができない。風邪かと思って、あれこれと手当てしているところです。それにしても、いつもよりお目にかかりたいのだが」
と申し上げなさっていた。胸がどきりとして、どのようなことでかとお嘆きになり、御法衣類に綿を厚くして、急いで準備させなさって、お届け申し上げなさる。二、三日良くおなりにならない。「どのようですか、どのようですか」と、使者を差し向けなさるが、
「特にひどく悪いというのではない。どことなく苦しいのです。もう少し良くなっら、じきに、我慢してでも帰ろう」
などと、口上で申し上げなさる。阿闍梨がぴったりと付き添ってお世話申し上げているのであった。
「ちょっとしたご病気と見えるが、最期でいらっしゃるかも知れない。姫君たちのご将来の事は、何のお嘆きになることがありましょうか。人は皆、それぞれ運命というものは別々なので、ご心配なさっても何にもなりません」
と、ますます出離なさらねばならないことを申し上げ知らせながら、「いまさら下山なさいますな」と、ご忠告申し上げるのであった。
八月二十日のころであった。ただでさえ空の様子のひときわ物悲しいころ、姫君たちは、朝夕の、霧の晴間もなく、お嘆きになりながら物思いに沈んでいらっしゃる。有明の月がたいそう明るく差し出して、川の表面もはっきりと澄んでいるのを、そちらの蔀を上げさせて、お覗きになっていらっしゃると、鐘の音がかすかに響いて来て、「夜が明けたようだ」と申し上げるころに、人びとが来て、
「この夜半頃に、お亡くなりになりました」
と泣く泣く申し上げる。心に懸けて、どうしていられるかと絶えずご心配申し上げていらっしゃったが、突然お聞きになって、驚いて真暗な気持ちになって、ますますこのようなことには、涙もどこに行っておしまいになったのであろうか、ただうつ伏していらっしゃった。
悲しい死別といっても、目の当たりに立ち会ってはっきり見届けるのが、世の常のことであるが、どのような最期であったのかの心残りも添わって、お嘆きになることは、もっともなことである。片時の間でも、先立たれ申しては、この世に生きていられようとは考えていらっしゃらなかったお二方なので、是非とも後を追いたいと泣き沈んでいらっしゃるが、寿命の定まった運命のある死出の旅路だったので、何の効もない。
[第六段 阿闍梨による法事と薫の弔問]
阿闍梨は、長年お約束なさっていたことに従って、後のご法事も万事にお世話致す。
「亡き人におなりになってしまわれたというお姿ご様子だけでも、もう一度拝見したい」
とお考えになりおっしゃるが、
「いまさら、どうしてそのような必要がございましょうか。この日頃も、お会いしてはならないとお諭し申し上げていたので、今はそれ以上に、お互いにご執心なさってはいけないとのお心構えを、お知りになるべきです」
とだけ申し上げる。山籠もりしていらっしゃった時のご様子をお聞きになるにつけても、阿闍梨のあまりに悟り澄ました聖心を、憎く辛いとお思いになるのであった。
出家のご本願は、昔から深くいらっしゃったが、このように見譲る人もない姫君たちのご将来の見捨てがたいことを、生きている間は明け暮れ離れずに面倒を見て上げるのを、本当に侘しい暮らしの慰めとも、お思いになって離れがたく過ごしていらしたのだが、限りある運命の道には、先立ちなさる心配も後を慕いなさるお心も、思うにまかせないことであった。
中納言殿におかれては、お耳になさって、まことにあっけなく残念に、もう一度、ゆっくりとお話申し上げたいことがたくさん残っている気がして、人の世の無常が思い続けられて、ひどくお泣きになる。「再びお目にかかることは難しいだろうか」などとおっしゃっていたが、やはりいつものお心にも、朝夕の隔ても当てにならない世のはかなさを、誰よりも殊にお感じになっていたので、耳馴れて、昨日今日とは思わなかったが、繰り返し繰り返し諦め切れず悲しくお思いなさる。
阿闍梨のもとにも、姫君たちのご弔問も、心をこめて差し上げなさる。このようなご弔問など、また他に誰も訪れる人さえいないご様子なのは、悲しみにくれている姫君たちにも、年来のご厚誼のありがたかったことをお分かりになる。
「世間普通の死別でさえ、その当座は、比類なく悲しいようにばかり、誰でも悲しみにくれるようなのに、まして気を慰めようもないお身の上では、どのようにお悲しみになっていられるだろう」と想像なさりながら、後のご法事など、しなければならないことを想像して、阿闍梨にも挨拶なさる。こちらにも、老女たちにかこつけて、御誦経などのことをご配慮なさる。
[第二段 匂宮からの弔問の手紙]
御忌中も終わった。限りがあるので、涙も絶え間があろうかとお思いやりになって、とてもたくさんお書き綴りなさった。時雨がちの夕方、
「牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか
小萩に露のかかる夕暮時は
ちょうど今の空の様子、ご存知ないふりをなさるのでしたら、あまりにひどいことでございます。枯れて行く野辺も、特別のものとして眺められるころでございます」
などとある。
「おしっしゃるとおり、とても情け知らずの有様で、何度にもなってしまいましたから、やはり、差し上げなさい」
などと、中の宮を、いつものように、催促してお書かせ申し上げなさる。
「今日まで生き永らえて、硯などを身近に引き寄せて使おうなどと思ったろうか。情けなくも過ぎてしまった日数だわ」とお思いになると、また涙に曇り、何も見えない気がなさるので、硯を押しやって、
「やはり、書くことはできませんわ。だんだんこのように起きてはいられますが、なるほど、限りがあるのだわと思われますのも、疎ましく情けなくて」
と、可憐な様子で泣きしおれていらっしゃるのも、まことにいたいたしい。
夕暮のころに出立したお使いが、宵が少し過ぎたころに着いた。「どうして、帰参することができましょう。今夜は泊まって行くように」と言わせなさるが、「すぐ引き返して、帰参します」と急ぐので、お気の毒で、自分は冷静に落ち着いていらっしゃるのではないが、見るに見かねなさって、
「涙ばかりで霧に塞がっている山里は
籬に鹿が声を揃えて鳴いております」
黒い紙に、夜のため墨つきもはっきりしないので、体裁を整えることもなく、筆に任せて書いて、そのまま包んでお渡しになった。
[第三段 匂宮の使者、帰邸]
お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが、そのような物怖じしないような者をお選びになったのであろうか、気味悪そうな笹の蔭を、馬を止める間もなく早めて、わずかの時間に参り着いた。宮の御前においても、ひどく濡れて参ったので、禄を賜る。
以前に見たのとは違った筆跡で、もう少し大人びていて、風情ある書き方などを、「どちららの姫君が書いたものだろうか」と、下にも置かず御覧になりながら、すぐにもお寝みにならないので、
「待つとおっしゃって、起きていらして」
「また御覧になることの長いことは、どれほどご執心なのでしょう」
と、御前に仕える女房たちは、ささやき申して、お妬み申し上げる。眠たいからなのであろう。
まだ朝霧の深い明け方に、急いで起きて手紙を差し上げなさる。
「朝霧に友を見失った鹿の声を
ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか
一緒に鳴く声には負けません」
とあるが、「あまりに風情を知りすぎるようなのも厄介だ。お一方のお蔭に隠れていられたのを頼み所として、何事も安心して過ごしていた。思いもかけず長生きして、不本意な間違い事が、少しでも起こったら、気がかりでならないようにお考えであった亡きみ魂にまで、瑕をおつけ申すことになろう」と、何事にも引っ込み思案に恐れて、お返事申し上げなさらない。
この宮などを、軽薄な世間並の男性とはお思い申し上げていらっしゃらない。何でもない走り書きなさったご筆跡や言葉遣いも、風情があり優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存知でないが、御覧になりながら、「その嗜み深く風情あるお手紙に、お返事申し上げるのも、似合わしくない二人の身の上なので、いっそ、ただ、このような山里人めいて過ごそう」とお思いになる。
[第四段 薫、宇治を訪問]
中納言殿へのお返事だけは、あちらからも誠意あるように手紙を差し上げなさるので、こちらからも、よそよそしくなくお返事申し上げなさる。ご忌中が終わっても、自分自身でお伺いなさった。東の廂の下がった所に喪服でいらっしゃるところに、近く立ち寄りなって、老女を召し出した。
闇に閉ざされていらっしゃるお側近くに、たいそう眩しいばかりの美しさに満ちてお入りになったので、恥ずかしくなって、お返事などでさえもおできになれないので、
「このようには、お扱い下さらないで、故宮のご意向にお従い申されるのが、お話を承る効があるというものです。風流に気取った振る舞いには馴れていませんので、人を介して申し上げますのは、言葉が続きません」
と言うので、
「思いのほかに、今日まで生き永らえておりますようですが、思い覚まそうにも覚ましようもない夢の中にいるように思われまして、心ならず空の光を見ますのも遠慮されて、端近くに出ることもできません」
と申し上げなさっているので、
「おっしゃることといえば、この上ないご思慮の深さです。月日の光は、ご自身その気になって晴れ晴れしく振る舞いなさるならば、罪にもなりましょう。どうしてよいか分からず、気持ちが晴れません。またお悩みを、少しでも、お晴らし申し上げたく思います」
と申し上げなさると、
「ほんとうですこと。まことに例のないようなご愁傷を、お慰め申し上げなさるお気持ちも並一通りでないこと」などと、お諭し申し上げる。
[第五段 薫、大君と和歌を詠み交す]
お気持ちも、そうはいっても、だんだんと落ち着いて、いろいろと分別がおつきになったので、亡き父宮への厚志からも、こんなにまで遥か遠い野辺を分け入っていらしたご誠意なども、お分りになったのであろう、少しいざり寄りなさった。
お嘆きのご心中、またお約束なさったことなどを、たいそう親密に優しく言って、嫌な粗野な態度などはお現しにならない方なので、気味悪く居心地悪くなどはないが、関係ない人にこのように声をお聞かせ申し、何となく頼りにしていたことなどもあった日頃を思い出すのも、やはり辛くて、遠慮されるが、かすかに一言などお返事申し上げなさる様子が、なるほど、いろいろと悲しみにぼうっとした感じなので、まことにお気の毒にとお聞き申し上げなさる。
黒い几帳の透影が、たいそういたいたしげなので、ましてどれほどのご悲嘆でいられるかと、かすかに御覧になった明け方などが思い出されて、
「色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に
身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします」
と、独り言のようにおっしゃると、
「喪服に色の変わった袖に露はおいていますが
わが身はまったく置き所もありません
ほつれる糸は涙に」
と下は言いさして、たいそうひどく堪えがたい様子でお入りになってしまったようである。
[第六段 薫、弁の君と語る]
引き止めてよい場合でもないので、心残りにいたわしくお思いになる。老女が、とんでもないご代役に出て来て、昔や今のあれこれと、悲しいお話を申し上げる。世にも稀な驚くべきことの数々を見て来た人だったので、このようにみすぼらしく落ちぶれた人と見限らず、たいそう優しくお相手なさる。
「幼かったころに、故院に先立たれ申して、ひどく悲しい世の中だと、悟ってしまったので、成長して行く年齢とともに、官位や、世の中の栄花も、何とも思いません。
ただ、このように静かなご生活などが、心にお適いになっていらっしゃったが、このようにあっけなく先立ち申されたので、ますますひどく、無常の世の中が思い知らされる心も、催されたが、おいたわしい境遇で、後に遺されたお二方の事が、妨げだなどと申し上げるようなのは、懸想めいたように聞こえますが、生き永らえても、あの遺言を違えずに、相談申し上げ承りたく思います。
実は、思いがけない昔話を聞いてからは、ますますこの世に跡を残そうなどとは思われなくなったのですよ」
泣きながらおっしゃるので、この老女はそれ以上にひどく泣いて、何とも申し上げることができない。ご様子などが、まるであの方そっくりに思われなさるので、長年来忘れていた昔の事までを重ね合わせて、申し上げようもなく、涙にくれていた。
この人は、あの大納言の御乳母子で、父親は、この姫君たちの母北の方の叔父で、左中弁で亡くなった人の子であった。長年、遠い国に流浪して、母君もお亡くなりになって後、あちらの殿には疎遠になり、この宮邸で、引き取っておいて下さったのであった。人柄も格別というわけでなく、宮仕え馴れもしていたが、気の利かない者でないと宮もお思いになって、姫君たちのご後見役のようになさっていたのであった。
昔の事は、長年このように朝夕に拝し馴れて、隔意なく全部思い申し上げる姫君たちにも、一言も申し上げたこともなく、隠して来たけれど、中納言の君は、「老人の問わず語りは、皆、通例のことなので、誰彼なく軽率に言いふらしたりしないにしても、まことに気のおける姫君たちは、ご存知でいらっしゃるだろう」と自然と推量されるのが、忌まわしいとも困った事とも思われるので、「また疎遠にしてはおけない」と、言い寄るきっかけにもなるのであろう。
[第七段 薫、日暮れて帰京]
今は泊まるのも落ち着かない気がして、お帰りなさるにも、「これが最後か」などとおっしゃったが、「どうして、そのようなことがあろうか、と信頼して、再び拝しなくなった、秋は変わったろうか。多くの日数も経ていないのに、どこにいらしたのかも分からず、あっけないことだ。格別に普通の人のようなご装飾もなく、とても簡略になさっていたようだが、まことにどことなく清らかに手入れがしてあって、周囲が趣深くなさっていたお住まいも、大徳たちが出入りし、あちら側とこちら側と隔てなさって、御念誦の道具類なども変わらない様子であるが、『仏像は皆あちらのお寺にお移し申そうとする』」と申し上げるのを、お聞きなさるにつけても、このような様子の人影などまでが見えなくなってしまった時、後に残ってお悲しみになっているお二方の気持ちを推察申し上げなさるのも、まことに胸が痛く思い続けられずにはいらっしゃれない。
「たいそう暮れました」と申し上げるので、物思いを中断してお立ちなさると、雁が鳴いて飛んで渡って行く。
「秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう
この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう」
[第八段 姫君たちの傷心]
兵部卿宮に対面なさる時は、まずこの姫君たちの御事を話題になさる。「今はそうはいっても気がねも要るまい」とお思いになって、宮は、熱心に手紙を差し上げなさるのであった。ちょっとしたお返事も、申し上げにくく気後れする方だと、女方はお思いになっていた。
「世間にとてもたいそう風流でいらっしゃるお名前が広がって、好ましく優美にお思いなさるらしいが、このようにとても埋もれた葎の下のようなところから差し出すお返事を、まことに場違いな感じがして、古めかしいだろう」などとふさいでいらっしゃった。
「それにしても、思いのほかに過ぎ行くものは、月日ですわ。このように、頼りにしにくかったご寿命を、昨日今日とも思わず、ただ人生の大方の無常のはかなさばかりを、毎日のこととして見聞きしてきましたが、自分も父宮も後に遺されたり先立ったりすることに月日の隔たりがあろうか、などと思っていましたたよ」
「過去を思い続けても、何の頼りがいのありそうな世でもなかったが、ただいつのまにかのんびりと眺め過ごして来て、何の恐ろしい目にも気がねすることもなく過ごして来ましたが、風の音も荒々しく、いつもは見かけない人の姿が、連れ立って案内を乞うと、まっさきに胸がどきりとして、何となく恐ろしく侘しく思われることまでが加わったのが、ひどく堪え難いことですわ」
と、お二方で語り合いながら、涙の乾く間もなくて過ごしていらっしゃるうちに、年も暮れてしまった。
[第二段 薫、歳末に宇治を訪問]
中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになっていらっしゃった。雪もたいそう多い上に、普通の身分の人でさえ見えなくなってしまったので、並々ならぬ立派な姿をして、気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅からず思い知られなさるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
服喪者用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮がお待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、気の引けることとばかりお思いになっていたが、好意を無にするように思っていらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
気を許すというのではないが、以前よりは少し言葉数多く、ものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、恋心に変わってまう男女の仲なのだな」と思っていらっしゃった。
[第三段 薫、匂宮について語る]
「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね。しみじみとしたご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでに、ちらっとお洩らし申し上げたことがあったのでしょうか。またとてもよく気の回るお方で、推量なさったのでしょうか、わたしに、うまく申し上げてくれるようにと頼むのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役は、きっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、なにも、そのようにおあしらい申し上げなさいますな。
好色でいらっしゃるように、人はお噂申し上げているようですが、心の奥は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。軽い冗談などをおっしゃる女たちで、軽はずみに靡きやすいという人などを、珍しくない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。どのようなことも成り行きにまかせて、我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どうなるもこうなるも適当に我慢し、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものだ、などと諦めるようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。
壊れ始めては、龍田川が濁る名を汚し、言いようもなくすっかり破綻してしまうようなことなども、あるようです。心から深く愛着を覚えていらっしゃるらしいご性分にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく、始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
誰も存じ上げていないことを、とてもよく存じておりますから、もし似つかわしく、ご縁をとお考になったら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りを致しましょう。京と宇治との間を奔走して、脚の痛くなるまで尽力しましょう」
と、実に真面目に、おっしゃり続けなさるので、ご自身のことはお考えにもならず、「妹君の親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
「何と申し上げてよいものでしょうか。いかにもご執着のようにおっしゃり続けるので、かえってどのようにお答えしてよいか存じません」
と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。
[第四段 薫と大君、和歌を詠み交す]
「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも存じません。それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいは、ご理解下さる姉君としてのお考えでいらっしゃって下さい。あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようでございます。わずかに文をお取り交わしなさることもございましたが、さあ、それも他人にはどちらかと判断申し上げにくいことです。お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」
とお尋ね申し上げるので、「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったことよ。何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
「雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に
誰も踏み分けて訪れる人はございません」
と書いて、差し出しなさると、
「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
「氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
そうなったら、わたしが訪ねた効も、あるというものでしょう」
と申し上げなさると、意外な懸想に、嫌な気がして、特にお答えなさらない。きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように、優美にも振る舞わずに、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推察されなさるご様子の方である。
こうあってこそは、理想的だと、期待する気持ちに違わない気がなさる。何かにつけて、懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。
[第五段 薫、人びとを励まして帰京]
「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます」
と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。ただ山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もなくございますのを、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでございましょう」
などとおっしゃるのにつけても、「とてもおめでたいことだわ」と、小耳にはさんで、ほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」とお思いでいらっしゃった。
御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも、肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが、気にくわないが、「頼りない家来だな」と御覧になって、召し出した。
「どうだね。お亡くなりになってからは、心細いだろうな」
などとお尋ねになる。べそをかきながら、弱そうに泣く。
「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしてまいりましたので、今はもう、野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」
と申し上げて、ますますみっともない様子である。
生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけが花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
「立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
空しい床になってしまったな」
といって、柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
日が暮れてしまったので、近い所々に、御荘園などに仕えている人びとに、み秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎びた人びとは、大勢引き連れて参ったのを、「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。
[第二段 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答]
花盛りのころ、宮は、「かざし」の和歌を思い出して、その時お供でご一緒した公達なども、
「実に趣のあった親王のお住まいを、再び見ないことになりました」
などと、世の中一般のはかなさを口々に申し上げるので、たいそう興味深くお思いになるのであった。
「この前は、事のついでに眺めたあなたの桜を
今年の春は霞を隔てず手折ってかざしたい」
と、気持ちのままおっしゃるのであった。「とんでもないことだわ」と御覧になりながら、とても所在ない折なので、素晴らしいお手紙の、表面だけでも無にすまいと思って、
「どこと尋ねて手折るのでしょう
墨染に霞み籠めているわたしの桜を」
やはり、このように突き放して、素っ気ないお気持ちばかりが見えるので、ほんとうに恨めしいとお思い続けていらっしゃる。
[第三段 その後の匂宮と薫]
お胸に抑えきれなくなって、ただ中納言を、あれやこれやとお責め申し上げなさるので、おもしろいと思いながら、いかにも誰憚らない後見役の顔をしてお返事申し上げて、好色っぽいお心が表れたりする時々には、
「どうしてか、このようなお心では」
など、お咎め申し上げなさるので、宮もお気をつけなさるのであろう。
「気に入った相手が、まだ見つからない間のことです」とおっしゃる。
大殿の六の君をお気にかけないことは、何となく恨めしそうに、大臣もお思いになっているのであった。けれど、
「珍しくない間柄の仲でも、大臣が仰々しく厄介で、どのような浮気事でも咎められそうなのがうっとうしくて」
と、内々ではおっしゃって、嫌がっていらっしゃる。
その年、三条宮が焼けて、入道宮も、六条院にお移りになり、何かと騒々しい事に紛れて、宇治の辺りを久しくご訪問申し上げなさらない。生真面目な方のご性格には、また普通の人と違っていたので、たいそうのんびりと、「自分の物と期待しながらも、女の心が打ち解けないうちは、不謹慎な無体な振る舞いはしまい」と思いながら、「故宮とのお約束を忘れていないことを、深く知っていただきたい」とお思いになっている。
[第四段 夏、薫、宇治を訪問]
その年は、例年よりも暑さを人がこぼすので、「川辺が涼しいだろうよ」と思い出して、急に参上なさった。朝の涼しいうちにご出発になったので、折悪く差し込んでくる日の光も眩しくて、宮が生前おいでになった西の廂の間に、宿直人を召し出してお控えになる。
そちらの母屋の仏像の御前に、姫君たちがいらっしゃったが、近すぎないようにと、ご自分のお部屋にお渡りになるご様子、音を立てないようにしていたが、自然と、お動きになるのが近くに聞こえたので、じっとしていられず、こちらに通じている障子の端の方に、掛金がしてある所に、穴が少し開いているのを見知っていたので、外に立ててある屏風を押しやって御覧になる。
こちらに几帳を立て添えてある、「ああ、残念な」と思って、引き返す、ちょうどその時、風が簾をたいそう高く吹き上げるようなので、
「丸見えになったら大変です。その御几帳を押し出して」
という女房がいるようである。愚かなことをするようだが、嬉しくて御覧になると、高いのも低いのも、几帳を二間の簾の方に押し寄せて、この障子の正面の、開いている障子から、あちらに行こうとしているところなのであった。
[第五段 障子の向こう側の様子]
まず、一人が立って出て来て、几帳から覗いて、このお供の人びとが、あちこち行ったり来たりして、涼んでいるのを御覧になるのであった。濃い鈍色の単衣に、萱草の袴が引き立っていて、かえって様子が違って華やかであると見えるのは、着ていらっしゃる人のせいのようである。
帯を形ばかり懸けて、数珠を隠して持っていらっしゃった。たいそうすらりとした、姿態の美しい人で、髪が、袿に少し足りないぐらいだろうと見えて、末まで一筋の乱れもなく、つやつやとたくさんあって、可憐な風情である。横顔などは、実にかわいらしげに見えて、色つやがよく、物やわらかにおっとりした感じは、女一の宮も、このようにいらっしゃるだろうと、ちらっと拝見したことも思い比べられて、嘆息を漏らされる。
もう一人がいざり出て、「あの障子は、丸見えではないかしら」と、こちらを御覧になっている心づかいは、気を許さない様子で、嗜みがあると思われる。頭の恰好や、髪の具合は、前の人よりもう少し上品で優美さが勝っている。
「あちらに屏風を添えて立ててございました。すぐにも、お覗きなさるまい」
と、若い女房たちは、何気なしに言う者もいる。
「大変なことですよ」
と言って、不安そうにいざってお入りなるとき、気高く奥ゆかしい感じが加わって見える。黒い袷を一襲、同じような色合いを着ていらっしゃるが、これはやさしく優美で、しみじみと、おいたわしく思われる。
髪は、さっぱりした程度に抜け落ちているのであろう、末の方が少し細くなって、見事な色とでも言うのか、翡翠のようなとても美しそうで、より糸を垂らしたようである。紫の紙に書いてあるお経を片手に持っていらっしゃる手つきが、前の人よりほっそりとして、痩せ過ぎているのであろう。立っていた姫君も、障子口に座って、何であろうか、こちらを見て笑っていらっしゃるのが、とても愛嬌がある。
源氏物語の世界ヘ
本文
ローマ字版
注釈
大島本
自筆本奥入