設定 番号 本文 渋谷栄一訳 与謝野晶子訳 注釈 挿絵 ルビ 罫線 登場人物 帖見出し 章見出し 段見出し 列見出し
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この帖の主な登場人物
登場人物 読み 呼称 備考
光る源氏 ひかるげんじ
十八歳から十九歳;参議兼近衛中将
紫の上 むらさきのうえ 紫のゆかり
紫の君
姫君
兵部卿宮の娘;藤壺宮の姪
末摘花 すえつむはな 御女
姫君
常陸宮
女君
常陸親王の一人娘
頭中将 とうのちゅうじょう 頭の君
中将

葵の上の兄


第五帖 若紫

光る源氏の十八歳春三月晦日から冬十月までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳
注釈

第一章 紫上の物語 若紫の君登場、三月晦日から初夏四月までの物語


第一段 三月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く

1.1.1
瘧病(わらはやみ)にわづらひたまひてよろづにまじなひ加持(かぢ)など(まゐ)らせたまへどしるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある(ひと)
瘧病みに罹りなさって、いろいろと呪術や加持などして差し上げさせなさるが、効果がなくて、何度も発作がお起こりになったので、ある人が、
源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、 【瘧病にわづらひたまひて】- 大島本「わらハやミに・わ(わ+つ<朱>)らひ給て」とある。今から見れば明らかな「つ」の脱字であるが、大島本「若紫」にはもう1例「わらハやみにわ(わ+つ<朱墨>)らひ侍る越」(12丁表2行)と「つ」の脱字がある。大島本「若紫」の親本には「わらひたまひて」とあったものか。それを忠実に書写しながらも「つ」の誤脱と考えて朱筆で後から補入したものであろう。大島本「若紫」の親本の性格と朱筆訂正を考える上で重要な事例となる。主語は源氏。以下、途中会話文を挿入して、「まだ暁におはす」まで、くどくどと経緯を述べた冒頭文である。空蝉や夕顔と会った翌年の春三月晦。
【参らせたまへど】- 「参ら」未然形(して差し上げる、謙譲の意を含む動詞)、使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形。受手(源氏)尊敬で、おさせなさるが、の意になる。
【ある人】- 以下会話文が挿入され、「など聞こゆれば」に係る。
1.1.2
北山(きたやま)になむ、なにがし(でら)といふ(ところ)かしこき(おこな)(びと)はべる。
去年(こぞ)(なつ)()におこりて、(ひと)びとまじなひわづらひしをやがてとどむるたぐひ、あまたはべりき
ししこらかしつる(とき)うたてはべるをとくこそ(こころ)みさせたまはめ
「北山に、某寺という所に、すぐれた行者がございます。
去年の夏も世間に流行して、人々がまじないあぐねたのを、たちどころに治した例が、多数ございました。
こじらせてしまうと厄介でございますから、早くお試しあそばすとよいでしょう」
「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」 【北山になむ、なにがし寺といふ所に】- 以下「試みさせたまはめ」まで、「ある人」の言葉。実際は「何々寺」と実名を言ったものを、語り手がおぼめかして表現したもの。古来鞍馬寺や何々寺かとモデルが詮索されてきたが、漠然と北山方面にある行者が住んでいる寺というぐらいの意。わざと読む人それぞれが勝手にイメージしたり想定したりするように配慮した語り方。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結びの法則。
【まじなひわづらひしを】- 過去の助動詞「し」連体形は「ある人」の身近な体験を語るニュアンス。
【あまたはべりき】- 過去の助動詞「き」終止形も同じく身近な体験を語るニュアンス。
【うたてはべるを】- 丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」順接、原因理由を表す。やっかいでございますから。
【とくこそ試みさせたまはめ】- 係助詞「こそ」は推量の助動詞「め」已然形、適当の意に係る、係結びの法則。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。会話文中の用例。
1.1.3
など()こゆれば、()しに(つか)はしたるに()いかがまりて、(むろ)()にもまかでず」と(まう)したればいかがはせむ。
いと(しの)びてものせむ」とのたまひて、御供(おほんとも)にむつましき()五人(ごにん)ばかりして、まだ(あかつき)におはす。
などと申し上げるので、呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」と申したので、「しかたない。
ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。
こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。
 「老体になっておりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」
 僧の返辞はこんなだった。
 「それではしかたがない、そっと微行で行ってみよう」
 こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京を立って出かけたのである。
【召しに遣はしたるに】- 主語は源氏にもどる。源氏が「かしこき行ひ人」を。完了の助動詞「たる」連体形+接続助詞「に」弱い順接。--すると。
【老いかがまりて、室の外にもまかでず】- 「かしこき行ひ人」の言葉を、使者が伝える。 【まかでず】-「まかづ」は「出る」の謙譲語。外出いたしません、というニュアンス。
【申したれば】- 主語は使者。完了の助動詞「たれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。この段は「たり」(完了の助動詞)を基調にして語られる。
【いかがはせむ。いと忍びてものせむ】- 源氏の詞。「ものせむ」は、行こう、の意。
1.1.4 やや山深く入った所なのであった。
三月の晦日なので、京の花盛りはみな過ぎてしまっていた。
山の桜はまだ盛りで、入って行かれるにつれて、霞のかかった景色も趣深く見えるので、このような山歩きもご経験なく、窮屈なご身分なので、珍しく思われなさるのであった。
郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りで、山路を進んで行くにしたがって渓々をこめた霞にも都の霞にない美があった。窮屈な境遇の源氏はこうした山歩きの経験がなくて、何事も皆珍しくおもしろく思われた。 【やや深う入る所なりけり】- 場面は北山に変わる。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。一転して簡潔な文章で情景描写も鮮明な表現へと変わる。
【三月のつごもりなれば】- 季節が語られる。三月晦、晩春の山景。
【京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて】- 「京の花」と「山の桜」とが対比された対句じたての文。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形。『異本紫明抄』は引歌として、「里はみな散り果てにしを足引の山の桜はまだ盛りなりけり」(玉葉集春下 二二七 躬恒)を指摘する。
【入りもておはするままに】- 主語は源氏。「おはす」は「行く」の尊敬語。
【霞のたたずまひ】- 春の景物として霞が描かれる。
【をかしう見ゆれば】- 「をかしう見ゆれば」は「めづらしう思されけり」に続く。「かかるありさまも」から「御身にて」までは、源氏の体験や日常の生活状況を説明した挿入句。
【所狭き御身にて】- 断定の助動詞「に」連用形。
【めづらしう思されけり】- 「思さ」未然形は「思ふ」の尊敬表現。自発の助動詞「れ」連用形。過去の助動詞「けり」終止形。
1.1.5
(てら)のさまもいとあはれなり。
峰高(みねたか)く、(ふか)巖屋(いはや)(なか)にぞ聖入(ひじりい)りゐたりける
(のぼ)りたまひて、(たれ)とも()らせたまはずいといたうやつれたまへれど、しるき(おほん)さまなれば、
寺の有様も実にしんみりと趣深い。
峰高く、深い岩屋の中に、聖は入っているのだった。
お登りになって、誰ともお知らせなさらず、とてもひどく粗末な身なりをしていらっしゃるが、はっきり誰それと分かるご風采なので、
修験僧の寺は身にしむような清さがあって、高い峰を負った巌窟の中に聖人ははいっていた。
 源氏は自身のだれであるかを言わず、服装をはじめ思い切って簡単にして来ているのであるが、迎えた僧は言った。
【巖屋の中にぞ】- 大島本は「いは(は+屋)の中にそ」とあり、墨筆による「屋」の補入がある。『大成』は「やハ補入シテミセケチニセリ」と注す。確かにDVD-ROMでその箇所を拡大して見れば「屋」の文字上に朱色が確認できる。指摘どおりミセケチであれば後に削除したとなろう。またあるいは最初朱書したのを再度重ねて「屋」と墨書したものであっても補入の意義は変わらない。御物本と横山本は「いはのなかにそ」とある。
【聖入りゐたりける】- 大島本は「ゐ」と表記する。完了の助動詞「たり」連用形。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「ぞ」の係結びの法則。強調を表す。聖は岩屋の中に座っていたのであった、というニュアンス。源氏たち一行が見た描写。
【登りたまひて、誰とも知らせたまはず】- 主語は源氏。
1.1.6
あな、かしこや
一日(ひとひ)()しはべりしにやおはしますらむ
(いま)は、この()のことを(おも)ひたまへねば験方(げんがた)(おこな)ひも()(わす)れてはべるをいかで、かうおはしましつらむ
「ああ、恐れ多いことよ。
先日、お召しになった方でいらっしゃいましょうか。
今は、現世のことを考えておりませんので、修験の方法も忘れておりますのに、どうして、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
「あ、もったいない、先日お召しになりました方様でいらっしゃいましょう。もう私はこの世界のことは考えないものですから、修験の術も忘れておりますのに、どうしてまあわざわざおいでくだすったのでしょう」 【あな、かしこや】- 以下「おはしましつらむ」まで、聖の詞。
【召しはべりしにやおはしますらむ】- 「召しはべりし方にや」の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意、推量の助動詞「らむ」連体形に係る、係結びの法則。「おはします」は「おはす」よりさらに高い敬語表現。源氏の姿を眼前にしながら「らむ」(視界外推量)というのは、心理的距離感を表す。
【思ひたまへねば】- 謙譲の補助動詞「たまへ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【捨て忘れてはべるを】- 丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」逆接。
【いかで、かうおはしましつらむ】- 「おはします」は「おはす」より高い敬語表現。完了の助動詞「つ」終止形。推量の助動詞「らむ」連体形(原因推量)は、上に副詞「いかで」疑問の意があるので。
1.1.7
と、おどろき(さわ)ぎ、うち()みつつ()たてまつる
いと(たふと)大徳(だいとこ)なりけり
さるべきもの(つく)りて、すかせたてまつり加持(かぢ)など(まゐ)るほど、日高(ひたか)くさし()がりぬ。
と、驚き慌てて、にっこりしながら拝する。
まことに立派な大徳なのであった。
しかるべき薬を作って、お呑ませ申し、加持などして差し上げるうちに、日が高くなった。
驚きながらも笑を含んで源氏を見ていた。非常に偉い僧なのである。源氏を形どった物を作って、瘧病をそれに移す祈祷をした。加持などをしている時分にはもう日が高く上っていた。 【うち笑みつつ見たてまつる】- 主語は聖。源氏の姿を。
【いと尊き大徳なりけり】- 『首書源氏物語』は「地」といわゆる「草子地」であると指摘。『評釈』も「男君の美を認める目は持ち続けたこの老僧に、作者は、読者とともに讃辞を呈している」と注す。
【すかせたてまつり】- 『古典セレクション』は諸本に従って「すかせたてまつる」と終止形に改める。『集成』『新大系』は底本のまま。

第二段 山の景色や地方の話に気を紛らす

1.2.1
すこし()()でつつ見渡(みわた)したまへば、(たか)(ところ)にて、ここかしこ、僧坊(そうばう)どもあらはに()おろさるるただこのつづら(をり)(しも)(おな)小柴(こしば)なれど、うるはしくし(わた)して(きよ)げなる()(らう)など(つづ)けて、木立(こだち)いとよしあるは、
少し外に出て見渡しなさると、高い所なので、あちこちに、僧坊どもがはっきりと見下ろされる、ちょうどこのつづら折の道の下に、同じような小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、廊などを建て続けて、木立がとても風情あるのは、
源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所であったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋状になった路のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣ではあるが、目だってきれいに廻らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝った一構えがあった。 【すこし立ち出でつつ】- 主語は源氏。「つつ」は単に前件を後件につなぐ接続助詞。以下、再び長文が続く。ここは源氏一行の視点を通して語る。あたかもカメラの眼が移動しながら流れていくような描写である。
【見おろさるる】- 語り手と源氏の目とが一体化した表現。可能の助動詞「るる」連体形。
【ただこのつづら折の下に】- 以下「何人の住むにか」までを源氏の詞とみる説もある。
【うるはしくし渡して】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うるわしう」とウ音便形に改める。『新大系』は底本のまま。
1.2.2 「どのような人が住んでいるのか」
「あれはだれの住んでいる所なのかね」 【何人の住むにか】- 源氏の詞。しかし、前の文章との関係から、源氏の詞を間接話法的に要約したものか。直接話法ならば、「ただこのつづら折の下に」からを源氏の詞とすべきだが、やや冗長で、語り手の説明的な感じが交じる。いずれにしても、地の文と会話文とが融合したような文章が続き、最後にはっきりと会話文的な文があるというもの。地の文がだんだんとせりあがっていき、ついに本人の詞となるという表現法。「住む」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問の意。
1.2.3
()ひたまへば、御供(おほんとも)なる(ひと)
とお尋ねになると、お供である人が、
と源氏が問うた。 【御供なる人】- 断定の助動詞「なる」連体形。「御供人」といわず「御供なる人」とわざわざもってまわった言い方をしている。
1.2.4 「これが、某僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
「これが、某僧都がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」 【これなむ、なにがし僧都の】- 以下「方にはべるなる」まで、供人の返事。榊原家本と池田本は「なにかしのそうつ」とある。実際には実名を答えているのであるが、語り手がそれを「なにがし」と言い換えた。係助詞「なむ」は「なる」連体形に係る、係結びの法則。
【二年】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「この二年」と改める。『新大系』は底本のままとする。
【籠もりはべる方にはべるなる】- 前者の「はべる」は丁寧の補助動詞、連体形。後者の「はべる」は丁寧の動詞、連体形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。
1.2.5
心恥(こころは)づかしき(ひとす)むなる(ところ)にこそあなれ
あやしうも、あまりやつしけるかな。
()きもこそすれ」などのたまふ。
「気おくれするほど立派な人が住んでいるという所だな。
何とも、あまりに粗末な身なりであったなあ。
聞きつけたら困るな」などとおっしゃる。
「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」
 などと、源氏は言った。
【心恥づかしき人】- 以下「聞きもこそすれ」まで、源氏の詞。「心恥づかし」はこちらが気おくれするほど相手が立派だ、の意。
【住むなる所にこそあなれ】- マ四動詞「住む」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。「あなれ」の「あ」はラ変動詞「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。
【聞きもこそすれ】- 連語「もこそ」(助詞「も」+係助詞「こそ」)懸念を表す。聞き付けられたら大変だ、困ったな、というニュアンス。サ変動詞「すれ」已然形。係結びの法則。
1.2.6
(きよ)げなる(わらは)などあまた()()て、閼伽(あか)たてまつり、花折(はなを)りなどするもあらはに()ゆ。
美しそうな童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどするのも、はっきりと見える。
美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。
1.2.7 「あそこに、女がいるぞ」
「あすこの家に女がおりますよ。 【かしこに、女こそありけれ】- 以下「いかなる人ならむ」まで、供人たちの詞。係助詞「こそ」、過去の助動詞「けれ」已然形、詠嘆の意、係結び。山奥の僧坊に女人がいることに対する驚きのニュアンスを表す。
1.2.8 「僧都は、まさか、そのようには、囲って置かれまいに」
あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、 【僧都は、よも、さやうには、据ゑたまはじを】- 副詞「よも」下に打消推量の語を伴って、まさか--まい、の意を表す。断定の助動詞「に」連用形。ワ下二動詞「据ゑ」連用形。尊敬の補助動詞「たまは」未然形。打消推量の助動詞「じ」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。
1.2.9 「どのような女だろう」
いったい何者でしょう」 【いかなる人ならむ】- 断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
1.2.10
口々言(くちぐちい)ふ。
()りて(のぞ)くもあり。
と口々に言う。
下りて覗く者もいる。
こんなことを従者が言った。崖を少しおりて行ってのぞく人もある。
1.2.11
をかしげなる女子(をんなご)ども、(わか)(ひと)童女(わらはべ)なむ()ゆる」と()ふ。
「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が見える」と言う。
美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。 【をかしげなる】- 以下「なむ見ゆる」まで、供人の詞。間接話法的にその要旨を述べたものか。『集成』は括弧を付けない。
【童女なむ見ゆる】- 係助詞「なむ」--ヤ下二動詞「見ゆる」連体形、係結びの法則。
1.2.12 源氏の君は、勤行なさりながら、日盛りになるにつれて、どうだろうかとご心配なさるのを、
源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら昼になるともう発作が起こるころであるがと不安だった。 【行ひしたまひつつ】- 接続助詞「つつ」動作の並行を表す。--しながらの意。「いかならむと思したるを」に続く。
【日たくるままに】- 前に「日高くさし上がりぬ」とあった。時間の推移を表す。
【いかならむと思したるを】- 完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。接続助詞「を」弱い順接。
1.2.13 「何かとお紛らわしあそばして、お気になさらないのが、よろしうございます」
「気をお紛らしになって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」 【とかう紛らはさせたまひて】- 以下「なむよくはべる」まで、供人の詞。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。二重敬語、会話文中の使用。
【思し入れぬなむ】- 打消の助動詞「ぬ」連体形。係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結び。
1.2.14
()こゆれば(しり)への(やま)()()でて、(きゃう)(かた)()たまふ。
はるかに(かす)みわたりて四方(よも)(こずゑ)そこはかとなう(けぶ)りわたれるほど、
と申し上げるので、後方の山に立ち出でて、京の方角を御覧になる。
遠くまで霞がかかっていて、四方の梢がどことなく霞んで見える具合、
などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと遠くまで霞んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。 【と聞こゆれば】- ヤ下二「聞こゆれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--ので。
【はるかに霞みわたりて】- 以下「あらじかし」までを、源氏の詞とみる説(待井『文法全解』)もある。地の文から会話文(源氏の発言)へと移っていく文章である。
1.2.15
()にいとよくも()たるかな
かかる(ところ)()(ひと)(こころ)(おも)(のこ)すことはあらじかし」とのたまへば、
「絵にとてもよく似ているなあ。
このような所に住む人は、心に思い残すことはないだろうよ」とおっしゃると、
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢い感情などは起こしようがないだろう」
 と源氏が言うと、
【絵にいとよくも似たるかな】- 以下「あらじかし」まで源氏の、源氏の詞。『古典セレクション』『新大系』はここから詞とする。一方『集成』は「かかる所に住む人」以下を源氏の詞とし、「絵にいとよくも似たるかな」は地の文と解し「「かな」は、普通地の文には使われないが、ここは、見渡している源氏の気持をそのまま地の文としたものであろう」と注す。この絵は大和絵。神護寺蔵山水屏風などが参考になる。
【あらじかし】- ラ変「あら」未然形+打消推量の助動詞「じ」終止形+終助詞「かし」念押し、を表す。
1.2.16
これは、いと(あさ)くはべり
(ひと)(くに)などにはべる(うみ)(やま)のありさまなどを御覧(ごらん)ぜさせてはべらばいかに、御絵(おほんゑ)いみじうまさらせたまはむ。
富士(ふじ)(やま)なにがしの(たけ)
「これは、まことに平凡でございます。
地方などにございます海、山の景色などを御覧に入れましたならば、どんなにか、お絵も素晴らしくご上達あそばしましょう。
富士の山、何々の嶽」
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」 【これは、いと浅くはべり】- 以下「なにがしの嶽」まで、供人の詞。
【御覧ぜさせてはべらば】- 使役の助動詞「させ」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。人をして(誰かが)源氏に(それらの景色を)御覧に入れさせましたならば、の意。
【富士の山、なにがしの嶽】- 「なにがしの嶽」は、古来浅間山かとされる。とすると、いずれも当時は噴煙を上げていた活火山である。
1.2.17
など、(かた)りきこゆるもあり。
また西国(にしくに)のおもしろき浦々(うらうら)(いそ)(うへ)()(つづ)くるもありて、よろづに(まぎ)らはしきこゆ
などと、お話し申し上げる者もいる。
また、西国の美しい浦々や、海岸辺りについて話し続ける者もいて、何かとお気を紛らし申し上げる。
こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。 【西国】- 底本の大島本には仮名表記で「にしくに」とある。
【紛らはしきこゆ】- 主語は供人。謙譲の補助動詞「きこゆ」終止形。
1.2.18
(ちか)(ところ)には播磨(はりま)明石(あかし)(うら)こそ、なほことにはべれ
(なに)(いた)(ふか)(くま)はなけれど、ただ、(うみ)(おもて)()わたしたるほどなむ、あやしく異所(ことどころ)()ず、ゆほびかなる(ところ)にはべる。
「近い所では、播磨国の明石の浦が、やはり格別でございます。
どこといって奥深い趣はないが、ただ、海の方を見渡しているところが、不思議と他の海岸とは違って、ゆったりと広々した所でございます。
「近い所では播磨の明石の浦がよろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海のほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。 【近き所には】- 以下「人になむはべりける」まで、供人の詞。その内容から良清と呼ばれる人。
【明石の浦こそ、なほことにはべれ】- 係助詞「こそ」--「はべれ」已然形、係結びの法則。強調の意。副詞「なほ」やはり。『古典セレクション』は「もともと名所だが、やはり格別で」と注す。「明石」は播磨国の歌枕。「あまさかる鄙(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ」(万葉集巻三)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集、羇旅)などが有名。
1.2.19
かの(くに)(さき)(かみ)新発意(しぼち)の、(むすめ)かしづきたる(いへ)いといたしかし。
大臣(だいじん)(のち)にて()()ちもすべかりける(ひと)()のひがものにて、()じらひもせず、近衛(このゑ)中将(ちゅうじゃう)()てて、(まう)(たま)はれりける(つかさ)なれど
あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。
大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、
前播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の交際なんかをもきらって近衛の中将を捨てて自分から願って出てなった播磨守なんですが、 【女かしづきたる家】- 完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。娘を大切に育てているの意。娘の年齢に問題があるが、良清が求婚した経緯から、過去から今現在に続く話と解す。後に明石の御方と呼ばれる人。
【大臣の後にて】- 後に、源氏の祖父按察使大納言(母桐壺更衣の父親)の兄に当たる人であることが「明石」巻で判明する。しかし、この巻でその構想があれば、源氏の縁者にあたる人の噂を以下に語るように何の考慮せずに語ったろうか、不審。
【出で立ちもすべかりける人の】- サ変「す」終止形+推量の助動詞「べかり」連用形、可能+過去の助動詞「ける」連体形、格助詞「の」主格を表す。できたはずの人がの意。「世のひがものにて」を挿入句として、以下の文の総主語のような形になっている。いかにも会話文的表現である。
【近衛の中将】- 従四位下相当の官職。若い貴公子の京官(太政官)出世コース。一方、播磨守は従五位上相当の地方官(受領)。ただし、大国であり、物質的利益には大変に恵まれた国。実益は大いに期待できる。
【申し賜はれりける司なれど】- 主語は「かの国の前の守」。「申し」連用形、謙譲語、「賜はれ」已然形、謙譲語、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。自分から申し出て頂戴した官職であるが、の意。
1.2.20
かの(くに)(ひと)にもすこしあなづられて(なに)面目(めいぼく)にてか、また(みやこ)にも(かへ)らむ』と()ひて、(かしら)()ろしはべりにけるをすこし(おく)まりたる山住(やまず)みもせで、さる(うみ)づらに()でゐたるひがひがしきやうなれど、げに、かの(くに)のうちに、さも(ひと)()もりゐぬべき所々(ところどころ)はありながら(ふか)(さと)は、人離(ひとばな)(こころ)すごく、(わか)妻子(さいし)(おも)ひわびぬべきによりかつは(こころ)をやれる()まひになむはべる。
あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ているのは、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、深い山里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。
国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては京へ帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。そんな意味でずいぶん賛沢に住居なども作ってございます。 【かの国の人にもすこしあなづられて】- 係助詞「も」同類を表す。都の人のみならず明石の住人からも。受身の助動詞「られ」連用形。
【何の面目にてか、また都にも帰らむ】- 前播磨守の詞を引用。「何の--か--帰らむ」は反語表現。再び都には帰れないの意。
【頭も下ろしはべりにけるを】- 丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。髪を下ろしてしまった、すなわち出家してしまった、のでございますが、の意。
【さる海づらに出でゐたる】- 完了の助動詞「たる」連体形。上文を受け、それは、と下文に続ける。
【げに】- 語り手の入道の出家生活に納得する気持ち。
【さも】- 「さ」は「すこし奥まりたる山住み」をさす。
【籠もりゐぬべき所々はありながら】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。籠もってしまうに相応しい所々はのニュアンス。
【思ひわびぬべきにより】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。格助詞「に」起点を表す、ラ四「より」連用形。きっと心細がるにちがいないことによって、の意。
1.2.21
(さい)つころ、まかり(くだ)りてはべりしついでに、ありさま()たまへに()りてはべりしかば(きゃう)にてこそ所得(ところえ)ぬやうなりけれ、そこらはるかにいかめしう()めて(つく)れるさま、さは()へど(くに)(つかさ)にてし()きけることなれば、(のこ)りの(よはひ)ゆたかに()べき心構(こころがま)へも、()なくしたりけり。
(のち)()(つと)めも、いとよくして、なかなか法師(ほふし)まさりしたる(ひと)になむはべりける」と(まう)せば、
最近、下向いたしました機会に、様子を拝見するために立ち寄ってみましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、はなはだ広々と、豪勢に占有して造っている様子は、そうは言っても、国司として造っておいたことなので、余生を豊かに過ごせる準備も、またとなくしているのでした。
後世の勤行も、まことによく勤めて、かえって出家して人品が上がった人でございました」と申し上げると、
先日父の所へまいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、生涯の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから真価が現われた人のように見受けます」 【見たまへに寄りてはべりしかば】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、格助詞「に」動作の目的を表す。拝見するためにの意。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」--したところ、--であった、という構文。
【京にてこそ】- 係助詞「こそ」は「やうなりけれ」已然形に係るが、係結びの逆接用法で、下文に続く。
【そこらはるかに】- 『新大系』は「見渡す限りいっぱい大規模に土地を所有して造営しているさまは、の意。長者屋敷の感じがある」と注す。
【さは言へど】- 「さ」は「かの国の人にもすこしあなづられ」をさす。
1.2.22
さて、その(むすめ)」と、()ひたまふ。
「ところで、その娘は」と、お尋ねになる。
「その娘というのはどんな娘」 【さて、その女は】- 源氏の問い。接続詞「さて」話題転換を表す。
1.2.23 「悪くはありません、器量や、気立てなども結構だということでございます。
代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。
「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。 【けしうはあらず】- 以下「遺言しおきてはべるなる」まで、良清の答え。
【容貌、心ばせなどはべるなり】- 「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。『例解古語辞典』ではこの例文をあげて「明石の入道という人物の娘の話を、光源氏に、家来が申しあげていることば。娘の容貌などが「けしうはあらず」とか、父入道が「遺言しおきて侍る」とかいうことは、直接知っていることではなくて、女房などからの話などで得ているものだということが、それぞれ「なり」「なる」を添えるということで明らかにされている。話し手はこれで責任のがれにもなるわけである。もし、「けしうはあらず侍り」とか、「遺言しおきて侍る」とか言えば、ことばの上では、直接知っている事がらと理解され、その言に責任をおわされてもやむをえないはずのところ」と解説する。「容貌心ばせなどけしうはあらずはべるなり」の倒置表現。
【代々の国の司など】- 明石入道が国司を辞して後、播磨国の国司が二、三代交替する。国司の任期は四年だが必ずしも任期満了とは限らない。
【さる心ばへ見すなれど】- 「さる心ばへ」とは求婚の意志をいう。伝聞推定の助動詞「なれ」已然形。
【さらにうけひかず】- 副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して、全然承知しないの意。
1.2.24
()()かくいたづらに(しづ)めるだにあるをこの(ひと)ひとりにこそあれ(おも)ふさまことなり
もし(われ)(おく)れてその(こころざし)とげず、この(おも)ひおきつる宿世違(すくせたが)はば、(うみ)()りね』と、(つね)遺言(ゆいごん)しおきてはべるなる
『自分の身がこのようにむなしく落ちぶれているのさえ無念なのに、この娘一人だけだが、特別に考えているのだ。
もし、わたしに先立たれて、その素志を遂げられず、わたしの願っていた運命と違ったならば、海に入ってしまえ』と、いつも遺言をしているそうでございます」
自分の一生は不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言をしているそうです」 【我が身の】- 以下「海に入りね」まで、前国司の詞を引用。
【かくいたづらに沈めるだにあるを】- 連語「だにある」は副助詞「だに」+ラ変「ある」連体形の形。「ある」の前に無念であるなど語が省略されている形。落ちぶれているのさえ無念であるのに、の意。『新大系』は「明石巻、さらには若菜巻で明かされる大きな構想が早くもここにあるらしい」と指摘。しかし、それにしては明石の君の年齢や明石の入道の系譜などの点で不自然さがある。
【この人ひとりにこそあれ】- 前の副助詞「だに」を受けて、「まして」の気持ちが加わる。「この人」は娘をさす。子供はこの娘一人だの意。期待するところの大きさをいう。『集成』『新大系』はこの文を、前後読点で、はさみ込まれた挿入句のごとく解す。『完訳』は前後句点で、独立した一文と解すが、『古典セレクション』では読点に改める。
【思ふさまことなり】- 断定の助動詞「なり」終止形。
【宿世違はば、海に入りね】- 「違は」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。完了の助動詞「ね」命令形。
【しおきてはべるなる】- 丁寧の補助動詞「はべる」連体形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なる」連体形。連体中止法、余情表現。まだ話の続きがあるというニュアンス。
1.2.25
()こゆれば、(きみ)もをかしと()きたまふ。
(ひと)びと、
と申し上げると、源氏の君もおもしろい話だとお聞きになる。
供人たちは、
源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。
1.2.26 「きっと海龍王の后になる大切な娘なのだろう」
「竜宮の王様のお后になるんだね。 【海龍王の后になるべきいつき女ななり】- 供人の詞。海龍王の后とは、からかった表現。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形(ラ変型活用)+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。大切な娘なのでしょうの意。
1.2.27
心高(こころたか)(くる)しや」とて(わら)ふ。
「気位いの高いことも、
自尊心の強いったらないね。困り者だ」
 などと冷評する者があって人々は笑っていた。
【心高さ苦しや】- 「人びと」とあるので、別人の詞とみる。「苦しや」について『集成』と『古典セレクション』は「つらいものよ」と解す。『新大系』は「厄介なことよ」と解す。
1.2.28 このように話すのは、播磨守の子で、六位蔵人から、今年、五位に叙された者なのであった。
話をした良清は現在の播磨守の息子で、さきには六位の蔵人をしていたが、位が一階上がって役から離れた男である。ほかの者は、 【かく言ふは、播磨守の子の、蔵人より、今年、かうぶり得たるなりけり】- 「須磨」巻で良清という名であることがわかる。六位蔵人から従五位下に叙された。『湖月抄』は「草子地」と注す。
1.2.29
いと()きたる(もの)なればかの入道(にふだう)遺言(ゆいごんやぶ)りつべき(こころ)はあらむかし
「大変な好色者だから、あの入道の遺言をきっと破ってしまおうという気なのだろうよ」
「好色な男なのだから、その入道の遺言を破りうる自信を持っているのだろう。 【いと好きたる者なれば】- 以下「さてたたずみ寄るならむ」まで、供人たちの詞。断定の助動詞「なれ」+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。--なので。--だから。
【破りつべき心はあらむかし】- 連語「つべき」(完了の助動詞「つ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意)確実な推量を表す。きっと--するにちがいない。ラ変「あら」未然形+推量の助動詞「む」終止形+終助詞「かし」念押し。
1.2.30 「それで、うろうろしているのだろう」
それでよく訪問に行ったりするのだよ」 【さて、たたずみ寄るならむ】- 接続詞「さて」それで。「たたずみ寄る」連体形+断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。それで、うろうろしているのであろう。
1.2.31
()ひあへり。
と言い合っている。
とも言っていた。
1.2.32
いで、さ()ふとも田舎(いなか)びたらむ
(をさな)くよりさる(ところ)()()でて、(ふる)めいたる(おや)にのみ(したが)ひたらむは
「いやもう、そうは言っても、田舎びているだろう。
幼い時からそのような所に成長して、古めかしい親にばかり教育されていたのでは」
「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、やはり田舎者らしかろうよ。小さい時からそんな所に育つし、頑固な親に教育されているのだから」 【いで、さ言ふとも】- 以下「従ひたらむは」まで、供人の詞。『集成』は「いでや、さいふとも」と本文を改め、『古典セレクション』は「いで、なにしに。さいふとも」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。感動詞「いで」さあ、いやもう。
【田舎びたらむ】- バ上二「田舎び」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。
【親にのみ従ひたらむは】- 副助詞「のみ」限定・強調、完了の助動詞「たら」未然形+推量の助動詞「む」連体形+終助詞「は」詠嘆の意、また「従ひたらむは、田舎びたらむ」という倒置法による係助詞「は」とも解せる。
1.2.33
(はは)こそゆゑあるべけれ
よき若人(わかうど)(わらは)など、(みやこ)のやむごとなき所々(ところどころ)より、(るい)にふれて(たづ)ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ
「母親はきっと由緒ある家の出なのだろう。
美しい若い女房や、童女など、都の高貴な家々から、縁故を頼って探し集めて、眩しく育てているそうだ」
こんなことも言う。
 「しかし母親はりっぽなのだろう。若い女房や童女など、京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、たいそうなことを娘のためにしているらしいから、
【母こそゆゑあるべけれ】- 以下「もてなすなれ」まで、良清の詞。係助詞「こそ」、ラ変「ある」連体形+推量の助動詞「べけれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【まばゆくこそもてなすなれ】- 係助詞「こそ」、「もてなす」終止形+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
1.2.34 「心ない人が国司になって赴任して行ったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは」
それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」 【情けなき人なりて行かば】- 御物本は「人に(に-補入)なりて(て-ミセケチ)ゆかは」、横山本、榊原家本、三条西家本は「人になりてゆかは」、池田本は「人になりて(て-ミセケチ)ゆかは」、肖柏本は「人に成ゆかは」とある。河内本も七毫源氏と鳳来寺本は「人になりゆかは」、高松宮家本と尾州家本は「人になりてゆかは」、河内本の大島本は「人なりてゆかは」とある。『集成』は「人になりてゆかば」に本文を改め、「娘が風情のない人間に育っていったなら」と解し、同じ供人の詞とする。『古典セレクション』『新大系』は「人なりてゆかば」で、「心ない人が国司になって赴任したら」と解す。
【え置きたらじをや】- 副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。
1.2.35
など()ふもあり。
(きみ)
などと言う者もいる。
源氏の君は、
だれかが言う。源氏は、
1.2.36 「どのような考えがあって、海の底まで深く思い込んでいるのだろうか。
海底の「海松布」も何となく見苦しい」
「なぜお后にしなければならないのだろうね。それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」 【何心ありて】- 以下「ものむつかしう」まで、源氏の詞。
【海の底まで深う思ひ入るらむ】- 「深う」連用形「く」のウ音便形。ラ四「入る」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、原因推量の意。なぜ--なのだろうか。
【底の「みるめ】- 「みるめ」に「見る目」と「海松布」を掛ける。ちゃかした言い方。
1.2.37
などのたまひて、ただならず(おぼ)したり。
かやうにてもなべてならず、もてひがみたること(この)みたまふ御心(みこころ)なれば御耳(おほんみみ)とどまらむをや()たてまつる。
などとおっしゃって、少なからず関心をお持ちになっている。
このような話でも、普通以上に、一風変わったことをお好みになるご性格なので、お耳を傾けられるのだろう、と拝見する。
などと言いながらも、好奇心が動かないようでもなさそうである。平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司たちは源氏の心持ちをそう観察していた。 【かやうにても】- 以下「とどまらむをや」まで、供人の心中。
【もてひがみたること好みたまふ御心なれば】- 『古典セレクション』は「風変りを好む性癖があるとして、語り手が源氏の関心を強調する」と注す。
【御耳とどまらむをや】- 推量の助動詞「む」終止形+連語「をや」(間投助詞「を」詠嘆+間投助詞「や」詠嘆)強い感動を表す。
1.2.38 「暮れかけてきましたが、ご発作がおこりあそばさなくなったようでございます。
早くお帰りあそばされのがよいでしょう」
「もう暮れに近うなっておりますが、今日は御病気が起こらないで済むのでございましょう。もう京へお帰りになりましたら」 【暮れかかりぬれど】- 以下「帰らせたまひなむ」まで、供人の詞。完了の助動詞「ぬれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ】- 「せたまは」は尊敬の助動詞「せ」連用形+「尊敬の補助動詞「たまは」未然形の最高敬語、会話文中の使用。打消の助動詞「ず」連用形。ラ四「なり」連用形、完了の助動詞「ぬる」連体形、格助詞「に」動作の帰着を表す。係助詞「こそ」、係助詞「は」、「あめれ」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の意、係結びの法則。強調のニュアンス。
【はや帰らせたまひなむ】- 副詞「はや」。「たまひ」は尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。「なむ」は完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形、適当の意。
1.2.39 と言うのを、大徳は、
と従者は言ったが、寺では聖人が、 【とあるを、大徳】- ラ変「ある」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
1.2.40
(おほん)もののけなど(くは)はれるさまにおはしましけるを、今宵(こよひ)は、なほ(しづ)かに加持(かぢ)など(まゐ)りて、()でさせたまへ」と(まう)す。
「おん物の怪などが、憑いている様子でいらっしゃいましたが、今夜は、やはり静かに加持などをなさって、お帰りあそばされませ」と申し上げる。
「もう一晩静かに私に加持をおさせになってからお帰りになるのがよろしゅうございます」
 と言った。
【御もののけなど】- 以下「いでさせたまへ」まで、行者(大徳)の詞。
【加持など参りて、出でさせたまへ】- 「参り」は尊敬語。加持などを奉仕させる、加持などなさる。「させたまへ」は尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。
1.2.41
さもあること」と、皆人申(みなひとまう)す。
(きみ)も、かかる旅寝(たびね)()らひたまはねばさすがにをかしくて、
「それも、もっともなこと」と、供人皆が申し上げる。
源氏の君も、このような旅寝もご経験ないことなので、何と言っても興味があって、
だれも皆この説に賛成した。源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、 【さもあること】- 供人の詞。
【慣らひたまはねば】- 尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
1.2.42
さらば(あかつき)」とのたまふ。
「それでは、早朝に」とおっしゃる。
「では帰りは明日に延ばそう」
 こう言っていた。
【さらば暁に】- 源氏の詞。以下に「帰らむ」などの語句が省略。行者や供人の言葉に同意する。「さらば」接続詞、それならばの意。

第三段 源氏、若紫の君を発見す

1.3.1
(ひと)なくてつれづれなれば、夕暮(ゆふぐれ)のいたう(かす)みたるに(まぎ)れて、かの小柴垣(こしばがき)のほどに()()でたまふ。
(ひと)びとは(かへ)したまひて惟光朝臣(これみつのあそん)(のぞ)きたまへば、ただこの西面(にしおもて)にしも仏据(ほとけす)ゑたてまつりて(おこな)ふ、(あま)なりけり
(すだれ)すこし()げて、(はな)たてまつるめり
(なか)(はしら)()りゐて、脇息(けふそく)(うへ)(きゃう)()きて、いとなやましげに()みゐたる尼君(あまぎみ)ただ(びと)()えず。
四十余(しじふよ)ばかりにて、いと(しろ)うあてに、()せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、(かみ)のうつくしげにそがれたる(すゑ)も、なかなか(なが)きよりもこよなう(いま)めかしきものかなと、あはれに()たまふ
人もいなくて、何もすることがないので、夕暮のたいそう霞わたっているのに紛れて、あの小柴垣の付近にお立ち出でになる。
供人はお帰しになって、惟光朝臣とお覗きになると、ちょうどこの西面に、仏を安置申して勤行している、それは尼なのであった。
簾を少し上げて、花を供えているようである。
中の柱に寄り掛かって座って、脇息の上にお経を置いて、とても大儀そうに読経している尼君は、普通の人とは見えない。
四十過ぎくらいで、とても色白で上品で、痩せてはいるが、頬はふっくらとして、目もとのぐあいや、髪がきれいに切り揃えられている端も、かえって長いのよりも、この上なく新鮮な感じだなあ、と感心して御覧になる。
山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、夕方になって、この山が淡霞に包まれてしまった時刻に、午前にながめた小柴垣の所へまで源氏は行って見た。ほかの従者は寺へ帰して惟光だけを供につれて、その山荘をのぞくとこの垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に持仏を置いてお勤めをする尼がいた。簾を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。室の中央の柱に近くすわって、脇息の上に経巻を置いて、病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。四十ぐらいで、色は非常に白くて上品に痩せてはいるが頬のあたりはふっくりとして、目つきの美しいのとともに、短く切り捨ててある髪の裾のそろったのが、かえって長い髪よりも艶なものであるという感じを与えた。 【人なくて】- 大島本と伏見天皇本は「人なくて」とある。他の青表紙本諸本は「日もいとなかきに」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「日もいと長きに」と本文を改める。『新大系』は「人なくて」のまま、「相手になる人もなくて」と注す。
【かの小柴垣のほどに】- 前に「同じ小柴なれどうるはしくし渡して」とあったのをさす。『集成』『古典セレクション』は「かの小柴垣のもとに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。
【人びとは帰したまひて】- 供人を京に帰す。
【惟光朝臣と】- 榊原家本、池田本、三条西家本は「これみつはかり御ともにて」とある。河内本も「惟光はかり御ともにて」とある。源氏の乳母子。「夕顔」巻に初出。
【ただこの西面にしも】- 以下、源氏の目を通して語られる叙述。
【仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり】- 『集成』『古典セレクション』は「持仏すゑたてまつりて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。「行ふ」連体形は、間合いを置いて下文に続く。それは、--なのであったという構文。断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。源氏の目を通して語られた描写。驚きの気持ち。敬語が省略され臨場感がある。『首書源氏物語』所引或抄は「地よりことはりたる也」と注す。『完訳』は「源氏の視覚にもとづく推量。「けり」「めり」「見えず」は源氏の視線にそう表現。「あはれに見たまふ」などは語り手を通した表現。両様の視点の重層によって、かいま見の奥行が深められる」と注す。
【花たてまつるめり】- 推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。源氏の主観的推量のニュアンス。
【と、あはれに見たまふ】- 源氏の視点から語り手の視点に戻る。
1.3.2
(きよ)げなる大人二人(おとなふたり)ばかり、さては童女(わらはべ)()()(あそ)
(なか)(とを)ばかりやあらむと()えて(しろ)(きぬ)山吹(やまぶき)などの()えたる()て、(はし)()たる女子(をんなご)あまた()えつる()どもに()るべうもあらず、いみじく()ひさき()えて、うつくしげなる容貌(かたち)なり。
(かみ)(あふぎ)(ひろ)げたるやうにゆらゆらとして、(かほ)はいと(あか)くすりなして()てり。
小綺麗な女房二人ほど、他には童女が出たり入ったりして遊んでいる。
その中に、十歳くらいかと見えて、白い袿の上に、山吹襲などの、糊気の落ちた表着を着て、駆けてきた女の子は、大勢見えた子供とは比べものにならず、たいそう将来性が見えて、かわいらしげな顔かたちである。
髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔はとても赤く手でこすって立っている。
きれいな中年の女房が二人いて、そのほかにこの座敷を出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。その中に十歳ぐらいに見えて、白の上に淡黄の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂れ髪の裾が扇をひろげたようにたくさんでゆらゆらとしていた。顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。尼さんの横へ来て立つと、 【清げなる大人】- 以下、再び源氏の目を通して語られる描写。
【さては童女ぞ出で入り遊ぶ】- 接続詞「さては」そして、その他には。係助詞「ぞ」「遊ぶ」連体形、係結びの法則。
【中に十ばかりやあらむと見えて】- 後の紫の上の初登場。
【萎えたる】- 『集成』は「なれたる」と本文を改め「糊気の落ちた表着を着て。ふだん着の感じである」と注し、『完訳』は「萎えたる」とし「「萎ゆ」は糊気が落ちる意」と注す。
1.3.3
(なに)ごとぞや
童女(わらはべ)腹立(はらだ)ちたまへるか」
「どうしたの。
童女とけんかをなさったのですか」
「どうしたの、童女たちのことで憤っているの」 【何ごとぞや】- 以下「腹立ちたまへるか」まで、尼君の詞。
1.3.4
とて、尼君(あまぎみ)見上(みあ)げたるにすこしおぼえたるところあれば、()なめり」と()たまふ。
と言って、尼君が見上げた顔に、少し似ているところがあるので、「その子どもなのだろう」と御覧になる。
こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、この人の子なのであろうと源氏は思った。 【とて、尼君の見上げたるに】- 尼君が紫の君を見上げる。紫の君は立っているので、座っている尼君よりも背が高い。格助詞「に」対象を示す。見上げた顔に、少女の顔が少し似ている、という文意。
【子なめり】- 「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。源氏の推測である。
1.3.5 「雀の子を、
犬君が逃がし
「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」 【雀の子を】- 以下「籠めたりつるものを」まで、紫の君の詞。
【犬君が逃がしつる】- 童女の名。完了の助動詞「つる」連体形、連体中止法。余意余情表現。
【籠めたりつるものを】- 完了の助動詞「たり」連用形、存続の意+完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。ずっと閉じ籠めておいたのになあ、の意。
1.3.6
とて、いと口惜(くちを)しと(おも)へり。
このゐたる大人(おとな)
と言って、とても残念がっている。
ここに座っていた女房が、
たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、 【このゐたる大人】- 少納言の乳母。後から名が明かされる。
1.3.7 「いつもの、うっかり者が、このようなことをして、責められるとは、ほんと困ったことね。
どこへ飛んで行ってしまいましたか。
とてもかわいらしく、だんだんなってきましたものを。
烏などが見つけたら大変だわ」
「またいつもの粗相やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」 【例の、心なしの】- 以下「見つくれ」まで、少納言乳母の詞。格助詞「の」主格を表す。
【さいなまるるこそ、いと心づきなけれ】- 受身の助動詞「るる」連体形。係助詞「こそ」「心づきなけれ」已然形、係結びの法則。
【いづ方へかまかりぬる】- 係助詞「か」疑問、完了の助動詞「ぬる」連体形、係結びの法則。
【いとをかしう、やうやうなりつるものを】- 「やうやういとをかしうなりつるものを」という文を「いとをかしう」を強調した倒置表現。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意+終助詞「ものを」。
【烏などもこそ見つくれ】- 係助詞「も」+係助詞「こそ」--カ下二「見つくれ」已然形、危惧の念を表す。烏などが見つけたら大変だ。
1.3.8 と言って、立って行く。
髪はゆったりととても長く、見苦しくない女のようである。
少納言の乳母と皆が呼んでいるらしい人は、この子のご後見役なのだろう。
と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言の乳母と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。 【めやすき人なめり】- 源氏の視覚を通じて語る描写。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」主観的推量を表す。
【少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見なるべし】- 源氏の推量。物語には語られていないが、周囲の人たちがこの人を少納言の乳母と呼んでいるのを源氏は耳にしていて、今眼前の人をその人かと判断した。係助詞「こそ」は結びの流れ。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「べし」終止形は、源氏の推測。なお大島本のみ「とこそ」とある。『集成』『古典セレクション』共に諸本に従って「とぞ」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
1.3.9
尼君(あまぎみ)
尼君が、
1.3.10
いで、あな(をさな)
()ふかひなうものしたまふかな。
おのが、かく今日明日(けふあす)におぼゆる(いのち)をば、(なに)とも(おぼ)したらで、雀慕(すずめした)ひたまふほどよ。
罪得(つみう)ることぞと(つね)()こゆるを、心憂(こころう)」とて、こちや」と()へば、ついゐたり
「何とまあ、
幼いことよ。聞き分けもなくいらっし
ゃることね。わたしが、このように、今日明日にも思われる寿命を、何ともお考えにならず、雀を追いかけていらっし
ゃることよ。罪を得ることですよと、いつも申し上げていますのに、情けなく」と言って、「こちらへ、いらっしゃい」と言うと、ちょこ
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日明日かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
 と尼君は言って、また、
 「ここへ」
 と言うと美しい子は下へすわった。
【いで、あな幼や】- 以下「心憂く」まで、尼君の詞。感動詞「いで」何とまあ。形容詞「幼し」の語幹+間投助詞「や」詠嘆の意。
【おのが、かく】- 『新大系』は「重々しい尼君らしい言い方。夕顔巻に出てきた物の怪が「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで」と言うのと似るところがある言いざまである」と注す。
【罪得ることぞと】- 生き物を捕えることは仏教の教えからは罪に当る。
【常に聞こゆるを、心憂く】- 接続助詞「を」逆接で続ける。--なのに、残念なことです。
【こちや】- 尼君の詞。間投助詞「や」詠嘆。
【ついゐたり】- 主語は紫の君。完了の助動詞「たり」終止形。膝をついて座った、の意。
1.3.11
つらつきいとらうたげにて、(まゆ)のわたりうちけぶりいはけなくかいやりたる(ひたひ)つき、(かん)ざし、いみじううつくし。
ねびゆかむさまゆかしき(ひと)かな」と、()とまりたまふ。
さるは、「(かぎ)りなう(こころ)()くしきこゆる(ひと)いとよう()たてまつれるが、まもらるるなりけり」と、(おも)ふにも(なみだ)()つる
顔つきがとてもかわいらしげで、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく掻き上げた額つきや、髪の生え際は、大変にかわいらしい。
「成長して行くさまが楽しみな人だなあ」と、お目がとまりなさる。
それと言うのも、「限りなく心を尽くし申し上げている方に、とてもよく似ているので、目が引きつけられるのだ」と、思うにつけても涙が落ちる。
顔つきが非常にかわいくて、眉のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壼の宮によく似ているからであると気がついた刹那にも、その人への思慕の涙が熱く頬を伝わった。 【眉のわたりうちけぶり】- 成人女性の引き眉ではなくまだ剃り落してない眉毛の様。
【ねびゆかむさまゆかしき人かな】- 源氏の感想。
【さるは】- 接続詞「さるは」下の文や句が補足的説明をする。それと言うのも。語り手の、その実は、という文脈。少女の将来像を想像すると、それが自然と藤壺の姿に重なってくるという意識の流れ。地の文からスライドして源氏の心内に立ち入った語り口。
【限りなう心を尽くしきこゆる人に】- 藤壺をさす。以下、源氏の心内。
【まもらるる】- 大島本のみ「まもらる」とある。断定の助動詞「なり」連用形が下接するので、「まもらるる」と連体形に本文を改める。ラ四「まもら」未然形+自発の助動詞「るる」連体形。過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。自らそうだったからなのだなあと気づくニュアンス。
【思ふにも涙ぞ落つる】- 係助詞「も」強調のニュアンス。係助詞「ぞ」--タ上二「落つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。
1.3.12
尼君(あまぎみ)(かみ)をかき()でつつ、
尼君が、髪をかき撫でながら、
尼君は女の子の髪をなでながら、
1.3.13
(けづ)ることをうるさがりたまへどをかしの御髪(みぐし)や。
いとはかなうものしたまふこそ、あはれにうしろめたけれ。
かばかりになれば、いとかからぬ(ひと)もあるものを。
故姫君(こひめぎみ)(とを)ばかりにて殿(との)(おく)れたまひしほどいみじうものは(おも)()りたまへりしぞかし。
ただ(いま)おのれ見捨(みす)てたてまつらばいかで()におはせむとすらむ
「梳くことをお嫌がりになるが、美しい御髪ですね。
とても子供っぽくいらっしゃることが、かわいそうで心配です。
これくらいの年になれば、とてもこんなでない人もありますものを。
亡くなった母君は、十歳程で父殿に先立たれなさった時、たいそう物事の意味は弁えていらっしゃいましたよ。
この今、わたしがお残し申して逝ってしまったら、どのように過ごして行かれるおつもりなのでしょう」
「梳かせるのもうるさがるけれどよい髪だね。あなたがこんなふうにあまり子供らしいことで私は心配している。あなたの年になればもうこんなふうでない人もあるのに、亡くなったお姫さんは十二でお父様に別れたのだけれど、もうその時には悲しみも何もよくわかる人になっていましたよ。私が死んでしまったあとであなたはどうなるのだろう」 【梳ることをうるさがりたまへど】- 以下「おはせむとすらむ」まで、尼君の詞。
【故姫君は】- 自分の娘でありまた幼い紫の君の母君をさしていう。当時は自分の娘に対しても「君」「たまふ」などと敬語を使う。
【十ばかりにて】- 榊原家本、肖柏本、三条西家本と書陵部本は「十二にて」とある。池田本は「十二(二、ミセケチ、はかりト訂正)にて」とある。御物本と横山本が大島本と同文。河内本も「とをはかりにて」とある。
【殿に後れたまひしほど】- 尼君の夫。故姫君の父親。紫の君の祖父。
【おのれ見捨てたてまつらば】- 謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形+接続助詞「ば」仮定条件を表す。
【いかで世におはせむとすらむ】- サ変「おはせ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志の意。サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量を表す。
1.3.14
とて、いみじく()くを()たまふも、すずろに(かな)
幼心地(をさなごこち)にも、さすがにうちまもりて、伏目(ふしめ)になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる(かみ)つやつやとめでたう()ゆ。
と言って、たいそう泣くのを御覧になると、何とも言えず悲しい。
子供心にも、やはりじっと見つめて、伏し目になってうつむいているところに、こぼれかかった髪が、つやつやとして素晴らしく見える。
あまりに泣くので隙見をしている源氏までも悲しくなった。子供心にもさすがにじっとしばらく尼君の顔をながめ入って、それからうつむいた。その時に額からこぼれかかった髪がつやつやと美しく見えた。 【見たまふも、すずろに悲し】- 視点が源氏に戻り、源氏の心内を語る。
【うつぶしたるに、こぼれかかりたる髪】- 完了の助動詞「たる」連体形+格助詞「に」場所を表す。
1.3.15 「これからどこでどう育って行くのかも分からない若草のようなあなたを
残してゆく露のようにはかないわたしは死ぬに死ねない思いです」
生ひ立たんありかも知らぬ若草を
おくらす露ぞ消えんそらなき
【生ひ立たむありかも知らぬ若草を--おくらす露ぞ消えむそらなき】- 尼君の歌。「若草」は少女を、「露」は自分をそれぞれ喩える。それぞれ歌語。「若草」には「若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに」(万葉集巻十)「うら若みねよげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」(伊勢物語・四十九段)等の若い女性、乙女のイメージがある。「露」には「濡れてほす山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ」(古今集秋下・素性法師)「侘びわたる我が身は露と同じくは君が垣根の草に消えなむ」(後撰集恋一)等のはかない寿命というイメージがある。また「草」と「露」と「おく」は縁語。少女の将来が不安で死ぬに死ねないの意。
1.3.16
またゐたる大人(おとな)「げに」と、うち()きて、
もう一人の座っている女房が、「本当に」と、涙ぐんで、
一人の中年の女房が感動したふうで泣きながら、
1.3.17 「初草のように若い姫君のご成長も御覧にならないうちに
どうして尼君様は先立たれるようなことをお考えになるのでしょう」
初草の生ひ行く末も知らぬまに
いかでか露の消えんとすらん
【初草の生ひ行く末も知らぬまに--いかでか露の消えむとすらむ】- 女房の返歌。「若草」を「初草」と変え、「生ふ」「露」「消ゆ」の語を受けて応じる。「初草」は姫君を、「露」は尼君を喩える。ともに歌語。「初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな」(伊勢物語・四十九段)、若い女性の意。連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)--サ変「す」終止形+推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量の意。反語表現。長生きあそばしませ、の意。
1.3.18
()こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより()て、
と申し上げているところに、僧都が、あちらから来て、
と言った。この時に僧都が向こうの座敷のほうから来た。
1.3.19
こなたはあらはにやはべらむ
今日(けふ)しも、(はし)におはしましけるかな。
この(かみ)(ひじり)(かた)に、源氏(げんじ)中将(ちゅうじゃう)瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ(いま)なむ、()きつけはべる
いみじう(しの)びたまひければ、()りはべらで、ここにはべりながら、(おほん)とぶらひにもまでざりける」とのたまへば、
「ここは人目につくのではないでしょうか。
今日に限って、端近にいらっしゃいますね。
この上の聖の坊に、源氏中将が瘧病のまじないにいらっしゃったのを、たった今、聞きつけました。
ひどくお忍びでいらっしゃったので、知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも上がりませんでした」とおっしゃると、
「この座敷はあまり開けひろげ過ぎています。今日に限ってこんなに端のほうにおいでになったのですね。山の上の聖人の所へ源氏の中将が瘧病のまじないにおいでになったという話を私は今はじめて聞いたのです。ずいぶん微行でいらっしゃったので私は知らないで、同じ山にいながら今まで伺侯もしませんでした」
 と僧都は言った。
【こなたはあらはにやはべらむ】- 以下「までざりける」まで、僧都の詞。係助詞「や」、丁寧の補助動詞「はべら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【源氏の中将の】- 僧都は「源氏の中将」「光る源氏」と呼称する。
【ただ今なむ、聞きつけはべる】- 係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係結びの法則。
【までざりける】- 「まで」はダ下二「まうで」未然形の縮。他の青表紙諸本は「まうて」とある。『古典セレクション』は「まうで」と改める。『集成』『新大系』は底本のまま。
1.3.20
あないみじや
いとあやしきさまを、(ひと)()つらむ」とて、簾下(すだれお)ろしつ。
「まあ大変。
とても見苦しい様子を、誰か見たでしょうかしら」と言って、簾を下ろしてしまった。
「たいへん、こんな所をだれか御一行の人がのぞいたかもしれない」
 尼君のこう言うのが聞こえて御簾はおろされた。
【あないみじや】- 以下「人や見つらむ」まで、尼君の詞。
【人や見つらむ】- 係助詞「や」疑問、マ上一「見」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。係結びの法則。
1.3.21
この()ののしりたまふ(ひか)源氏(げんじ)かかるついでに()たてまつりたまはむや
()()てたる法師(ほふし)心地(ここち)にも、いみじう()(うれ)(わす)れ、齢延(よはひの)ぶる(ひと)(おほん)ありさまなり。
いで、御消息聞(おほんせうそこき)こえむ」
「世間で、大評判でいらっしゃる光源氏を、この機会に拝見なさいませんか。
俗世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世俗の憂えを忘れ、寿命が延びるご様子の方です。
どれ、ご挨拶を申し上げよう」
「世間で評判の源氏の君のお顔を、こんな機会に見せていただいたらどうですか、人間生活と絶縁している私らのような僧でも、あの方のお顔を拝見すると、世の中の歎かわしいことなどは皆忘れることができて、長生きのできる気のするほどの美貌ですよ。私はこれからまず手紙で御挨拶をすることにしましょう」 【この世に】- 以下「聞こえむ」まで、僧都の詞。
【見たてまつりたまはむや】- 謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、源氏に対する敬語表現。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、尼君に対する敬語表現。推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意。終助詞「や」疑問。拝見なさいませんかの意。
【世の憂へ忘れ、齢延ぶる人】- 源氏のすぐれた魅力の一つ。その姿を拝見すると、世の物思いは消え寿命も延びる気持ちになる。あたかも仏様のような人柄。
1.3.22 と言って、立ち上がる音がするので、お帰りになった。
僧都がこの座敷を出て行く気配がするので源氏も山上の寺へ帰った。 【とて、立つ音すれば、帰りたまひぬ】- 僧都の立ち上がる音がするので、源氏は庵室にお戻りになった、の意。

第四段 若紫の君の素性を聞く

1.4.1
あはれなる(ひと)()つるかな。
かかれば、この()(もの)どもは、かかる(あり)きをのみして、よくさるまじき(ひと)をも()つくるなりけり。
たまさかに()()づるだにかく(おも)ひのほかなることを()るよ」と、をかしう(おぼ)す。
さても、いとうつくしかりつる(ちご)かな。
何人(なにびと)ならむ。
かの(ひと)御代(おほんか)はりに()()れの(なぐさ)めにも()ばや」と(おも)(こころ)(ふか)うつきぬ。
「しみじみと心惹かれる人を見たなあ。
これだから、この好色な連中は、このような忍び歩きばかりをして、よく意外な人を見つけるのだな。
まれに外出しただけでも、このように思いがけないことに出会うことよ」と、興味深くお思いになる。
「それにしても、
とてもかわいかった少女
であるよ。どのような人であろう。あのお方の代わりとして、毎日の慰めに見たいもの
源氏は思った。自分は可憐な人を発見することができた、だから自分といっしょに来ている若い連中は旅というものをしたがるのである、そこで意外な収穫を得るのだ、たまさかに京を出て来ただけでもこんな思いがけないことがあると、それで源氏はうれしかった。それにしても美しい子である、どんな身分の人なのであろう、あの子を手もとに迎えて逢いがたい人の恋しさが慰められるものならぜひそうしたいと源氏は深く思ったのである。 【あはれなる人を】- 以下「思ひのほかなることを見るよ」まで、源氏の心内。
【さるまじき人】- 普通なら見つけられないような人、すなわち意外な人。
【たまさかに立ち出づるだに】- 副助詞「だに」最小限を表す。--だけでも。
【さても】- 以下「慰めにも見ばや」まで、再び源氏の心内。
【かの人の御代はりに】- 藤壺宮をさす。
【明け暮れの慰めにも見ばや】- 「明け暮れ」は毎日の意。「慰め」は気持ちを紛らしたり慰めたりする意だが、藤壺に対する思いが叶えられない代償行為として。「見ばや」は結婚する、一緒に暮らす意。
1.4.2
うち()したまへるに僧都(そうづ)御弟子(みでし)惟光(これみつ)()()でさす
ほどなき(ところ)なれば、(きみ)もやがて()きたまふ。
横になっていらっしゃると、僧都のお弟子が、惟光を呼び出させる。
狭い所なので、源氏の君もそのままお聞きになる。
寺で皆が寝床についていると、僧都の弟子が訪問して来て、惟光に逢いたいと申し入れた。狭い場所であったから惟光へ言う事が源氏にもよく聞こえた。 【うち臥したまへるに】- 源氏が庵室で横になっていらっしゃると。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、接続助詞「に」順接。
【惟光を呼び出でさす】- 使役の助動詞「さす」終止形。惟光を呼び出させる意。
1.4.3 「お立ち寄りあそばしていらっしゃることを、たった今、人が申したので、聞いてすぐに、ご挨拶に伺うべきところを、拙僧がこの寺におりますことを、ご存知でいらっしゃりながらも、お忍びでいらしていることを、お恨みに存じまして。
旅のお宿も、拙僧の坊でお支度致しますべきでしたのに。
残念至極です」と申し上げなさった。
「手前どもの坊の奥の寺へおいでになりましたことを人が申しますのでただ今承知いたしました。すぐに伺うべきでございますが、私がこの山におりますことを御承知のあなた様が素通りをあそばしたのは、何かお気に入らないことがあるかと御遠慮をする心もございます。御宿泊の設けも行き届きませんでも当坊でさせていただきたいものでございます」
と言うのが使いの伝える僧都の挨拶だった。
【過りおはしましけるよし】- 以下「いと本意なきこと」まで、僧都の詞。「過り」は、古くは「よきり」と清音、室町以後「よぎり」と濁音化する。平安末期の『名義抄』には「過、ヨキル」、室町時代の『和玉篇』では「過、ヨギル」とある。『完古典セレクション』『新大系』は「よきり」と清音のルビを付ける。
【ただ今なむ、人申すに】- 係助詞「なむ」は「申す」に係るが、接続助詞「に」が続き、結びの流れとなっている。
【おどろきながら、さぶらべきを】- 主語は自分。僧都。接続助詞「ながら」一つの動作と同時に他の動作を行うことを表す。接続助詞「を」逆接。気がつくと同時にさっそく伺うべきところを。
【しろしめしながら、忍びさせたまへるを】- 主語は源氏。御存知でいらっしゃりながら。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語。完了の助動詞「る」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
【憂はしく思ひたまへてなむ】- 主語は僧都に変わる。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、接続助詞「て」、係助詞「なむ」、結びの省略。お恨みに存じまして。下に、今まで控えておりましたの意をこめる。
【草の御むしろも】- お宿泊の御座所を、という意を、旅にかけて風流にかつ謙虚に申し出たもの。
【この坊にこそ設けはべるべけれ】- 係助詞「こそ」--推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意。係結びの法則。こちらで御準備いたすべきでした。実際は、しなかったの意。
【申したまへり】- 「申し」(「言う」の謙譲語、源氏に対する敬意)連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、僧都に対する敬意、完了の助動詞「り」終止形。敬語が付いていることによって、僧都の伝言という趣。
1.4.4
いぬる十余日(じふよにち)のほどより瘧病(わらはやみ)にわづらひはべるを度重(たびかさ)なりて()へがたくはべれば、(ひと)(をし)へのままにはかに(たづ)()りはべりつれど、かやうなる(ひと)(しるし)あらはさぬ(とき)はしたなかるべきも、ただなるよりはいとほしう(おも)ひたまへつつみてなむ、いたう(しの)びはべりつる。
(いま)そなたにも」とのたまへり。
「去る十何日のころから、瘧病を患っていますが、度重なって我慢できませんので、人の勧めに従って、急遽訪ねて参りましたが、このような方が効験を現さない時は、世間体の悪いことになるにちがいないのも、普通の人の場合以上に、お気の毒と遠慮致しまして、ごく内密に参ったのです。
今、そちらへも」とおっしゃった。
「今月の十幾日ごろから私は瘧病にかかっておりましたが、たびたびの発作で堪えられなくなりまして、人の勧めどおりに山へ参ってみましたが、もし効験が見えませんでした時には一人の僧の不名誉になることですから、隠れて来ておりました。そちらへも後刻伺うつもりです」
 と源氏は惟光に言わせた。
【いぬる十余日のほどより】- 以下「今そなたにも」まで、源氏が惟光をして言わせた詞。あたかも直接話法のような表現(「はべり」「たまへ」、丁寧の補助動詞、謙譲の補助動詞)であるが、伝言である。
【瘧病にわづらひはべるを】- 接続助詞「を」弱い順接。
【堪へがたく】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「堪えがたう」と改める。『新大系』は底本のまま。
【人の教へのまま】- 。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人の教へのままに」と改める。『新大系』は底本のまま。
【かやうなる人】- 源氏に験方の行をした聖をさす。
【ただなるよりは】- 普通の行者。
1.4.5
すなはち、僧都参(そうづまゐ)りたまへり。
法師(ほふし)なれど、いと心恥(こころは)づかしく人柄(ひとがら)もやむごとなく、()(おも)はれたまへる(ひと)なれば軽々(かるがる)しき(おほん)ありさまを、はしたなう(おぼ)
かく()もれるほどの御物語(おほんものがたり)など()こえたまひて、(おな)(しば)(いほり)なれどすこし(すず)しき(みづ)(なが)れも御覧(ごらん)ぜさせむ」と、せちに()こえたまへば、かの、まだ()(ひと)びとことことしう()()かせつるを、つつましう(おぼ)せどあはれなりつるありさまもいぶかしくて、おはしぬ。
折り返し、僧都が参上なさった。
法師であるが、とても気がおけて人品も重々しく、世間からもご信頼されていらっしゃる方なので、軽々しいお姿を、きまり悪くお思いになる。
このように籠っている間のお話などを申し上げなさって、「同じ草庵ですが、少し涼しい遣水の流れも御覧に入れましょう」と、熱心にお勧め申し上げなさるので、あの、まだ自分を見ていない人々に大げさに吹聴していたのを、気恥ずかしくお思いになるが、かわいらしかった有様も気になって、おいでになった。
それから間もなく僧都が訪問して来た。尊敬される人格者で、僧ではあるが貴族出のこの人に軽い旅装で逢うことを源氏はきまり悪く思った。二年越しの山籠りの生活を僧都は語ってから、
 「僧の家というものはどうせ皆寂しい貧弱なものですが、ここよりは少しきれいな水の流れなども庭にはできておりますから、お目にかけたいと思うのです」
 僧都は源氏の来宿を乞うてやまなかった。源氏を知らないあの女の人たちにたいそうな顔の吹聴などをされていたことを思うと、しりごみもされるのであるが、心を惹いた少女のことも詳しく知りたいと思って源氏は僧都の坊へ移って行った。
【世に思はれたまへる人なれば】- 受身の助動詞「れ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形、存続の意。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【軽々しき御ありさまを、はしたなう思す】- 主語は源氏。
【同じ柴の庵なれど】- 以下「御覧ぜさせむ」まで、僧都の詞。「柴の庵」は、自分の庵を謙って言った表現。
【御覧ぜさせむ】- サ変「御覧ぜ」未然形+使役の助動詞「させ」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志を表す。
【かの、まだ見ぬ人びと】- まだ源氏の姿を見てない尼君や女房たちの意。
【ことことしう】- 『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「ことごとしう」と濁音に読む。
【言ひ聞かせつるを、つつましう思せど】- 完了の助動詞「つる」連体形+格助詞「を」目的格を表す。「思せ」已然形(「思ふ」の尊敬語)+接続助詞「ど」逆接を表す。
1.4.6
げに、いと(こころ)ことによしありて、(おな)木草(きくさ)をも()ゑなしたまへり
(つき)もなきころなれば遣水(やりみづ)篝火(かがりび)ともし、灯籠(とうろ)なども(まゐ)りたり。
南面(みなみおもて)いと(きよ)げにしつらひたまへり。
そらだきもの、いと(こころ)にくく(かを)()で、名香(みゃうがう)()など(にほ)ひみちたるに、(きみ)御追風(おほんおひかぜ)いとことなれば、(うち)(ひと)びとも(こころ)づかひすべかめり
なるほど、とても格別に風流を凝らして、同じ木や草を植えていらっしゃった。
月もないころなので、遣水に篝火を照らし、灯籠などにも火を灯してある。
南面はとてもこざっぱりと整えていらっしゃる。
空薫物が、たいそう奥ゆかしく薫って来て、名香の香などが、匂い満ちているところに、源氏の君のおん追い風がとても格別なので、奥の人々も気を使っている様子である。
主人の言葉どおりに庭の作り一つをいってもここは優美な山荘であった、月はないころであったから、流れのほとりに篝を焚かせ、燈籠を吊らせなどしてある。南向きの室を美しく装飾して源氏の寝室ができていた。奥の座敷から洩れてくる薫香のにおいと仏前に焚かれる名香の香が入り混じって漂っている山荘に、新しく源氏の追い風が加わったこの夜を女たちも晴れがましく思った。 【いと心ことによしありて、同じ木草をも植ゑなしたまへり】- 語順転換がある。「同じ木草をも心ことによしありて植ゑなしたまへり」が普通の語順。「心ことによしありて」を強調した表現である。
【月もなきころなれば】- 前に「三月の晦なれば」とあった。旧暦では月のないころである。
【灯籠なども】- 大島本「とゝ(ゝ$う<朱>)ろなとも」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「灯籠などにも」と「に」を補う。『新大系』は底本のまま。
【いと心にくく】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心にくく」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま。
【心づかひすべかめり】- サ変「す」終止形+「べかめり」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量の意。語り手の推量。
1.4.7
僧都(そうづ)()(つね)なき御物語(おほんものがたり)後世(のちせ)のことなど()こえ()らせたまふ。
()(つみ)のほど(おそ)ろしう、あぢきなきことに(こころ)をしめて、()ける(かぎ)りこれを(おも)(なや)むべきなめり
まして(のち)()いみじかるべき」。
(おぼ)(つづ)けて、かうやうなる()まひもせまほしうおぼえたまふものから(ひる)面影心(おもかげこころ)にかかりて(こひ)しければ、
僧都は、この世の無常のお話や、来世の話などを説いてお聞かせ申し上げなさる。
ご自分の罪障の深さが恐ろしく、「どうにもならないことに心を奪われて、一生涯このことを思い悩み続けなければならないようだ。
まして来世は大変なことになるにちがいない」。
お考え続けて、このような出家生活もしたく思われる一方では、昼間の面影が心にかかって恋しいので、
僧都は人世の無常さと来世の頼もしさを源氏に説いて聞かせた。源氏は自身の罪の恐ろしさが自覚され、来世で受ける罰の大きさを思うと、そうした常ない人生から遠ざかったこんな生活に自分もはいってしまいたいなどと思いながらも、夕方に見た小さい貴女が心にかかって恋しい源氏であった。 【後世のこと】- 大島本「のち世の事」と表記する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「後の世のこと」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「のち世のこと」とする。
【我が罪のほど】- 以下「いみじかるへきこと」まで、源氏の心内を間接的に叙述。「我が罪」とは、継母である藤壺の宮を恋慕することをさす。
【あぢきなきことに心をしめて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり】- 「あぢきなきこと」とは継母の藤壺恋慕の不可能な恋。愛執の罪。源氏は「生ける限りこれを思ひ悩む」「べき」(推量の助動詞)「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)と自制自覚する。
【いみじかるべき】- 推量の助動詞「べき」連体形の下に、御物本は「ことゝ」があり、横山本は「を」を補入。河内本は「ことゝ」とある。「こと」は「を」に誤写される可能性もある。大島本等はナシ。源氏の心内文が地の文に融合して続く。『古典セレクション』は「源氏の心内語。その末尾が切れ目なく地の文に続く」と注す。『源氏物語』には心内文が自然と地の文に変化したり、逆に地の文が競り上がって心内文になっていく叙述法がある。そうした表現世界として鑑賞すべき。
【かうやうなる住まひ】- 物思いを断ち切った出家生活、草庵生活。
【おぼえたまふものから】- 逆接の接続助詞「ものから」によって、源氏の心の両面を語る叙述。この語句によって理不尽複雑な人間心理を語り、この物語に深みを出すことに成功。
1.4.8 「ここにおいでの方は、どなたですか。
お尋ね申したい夢を拝見しましたよ。
今日、
「ここへ来ていらっしゃるのはどなたなんですか、その方たちと自分とが因縁のあるというような夢を私は前に見たのですが、なんだか今日こちらへ伺って謎の糸口を得た気がします」 【ここにものしたまふは、誰れにか】- 以下「思ひあはせつる」まで、源氏の問い。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問。下に「おはする」などの語が省略。夢の話は源氏の虚偽であろう。
【尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな】- 謙譲の補助動詞「きこえ」未然形。マ上一「見」連用形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形+終助詞「かな」詠嘆。
【今日なむ思ひあはせつる】- 係助詞「なむ」--完了の助動詞「つる」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。
1.4.9
()こえたまへば、うち(わら)ひて、
と申し上げなさると、にっこり笑って、
と源氏が言うと、
1.4.10
うちつけなる御夢語(おほんゆめがた)りにぞはべるなる
(たづ)ねさせたまひても御心劣(みこころおと)りせさせたまひぬべし
故按察使大納言(こあぜちのだいなごん)は、()になくて(ひさ)しくなりはべりぬれば、えしろしめさじかし
その(きた)(かた)なむ、なにがしが(いもうと)にはべる。
かの按察使(あぜち)かくれて(のち)()(そむ)きてはべるがこのごろわづらふことはべるにより、かく(きゃう)にもまかでねば(たの)もし(どころ)()もりてものしはべるなり」と()こえたまふ。
「唐突な夢のお話というものでございますな。
お知りあそばされたても、きっとがっかりあそばされることでございましょう。
故按察使大納言は、亡くなってから久しくなりましたので、ご存知ありますまい。
その北の方が拙僧の妹でございます。
あの按察使が亡くなって後、出家しておりますのが、最近、患うことがございましたので、こうして京にも行かずにおりますので、頼り所として籠っているのでございます」とお申し上げになる。
「突然な夢のお話ですね。それがだれであるかをお聞きになっても興がおさめになるだけでございましょう。前の按察使大納言はもうずっと早く亡くなったのでございますからご存じはありますまい。その夫人が私の姉です。未亡人になってから尼になりまして、それがこのごろ病気なものですから、私が山にこもったきりになっているので心細がってこちらへ来ているのです」
 僧都の答えはこうだった。
【うちつけなる御夢語りにぞはべるなる】- 以下「ものしはべるなり」まで、僧都の返事。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「ぞ」、丁寧の動詞「はべる」連体形+断定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。
【尋ねさせたまひても】- 尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語。接続助詞「て」+係助詞「も」含みをもたせて表現を和らげる。逆接的文脈となる。
【御心劣りせさせたまひぬべし】- サ変「せ」未然形+尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べし」終止形。
【えしろしめさじかし】- 副詞「え」は打消推量の助動詞「じ」終止形と呼応して不可能の意を表す。「しろしめす」は「知る」の尊敬語。
【世を背きてはべるが】- この「が」は格助詞とも接続助詞とも解せる。
【このごろ】- 『集成』は「このころ」と清音、『古典セレクション』『新大系』は「このごろ」と濁音で読む。『岩波古語辞典』には「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代にはコノゴロ」とあり、『名義抄』に「今来・比日・今属、コノゴロ」とあるのを典拠とする。
【かく京にもまかでねば】- 主語は僧都。期限を限って山籠もりしている最中。
1.4.11
かの大納言(だいなごん)御女(みむすめ)ものしたまふと()きたまへしは
()()きしき(かた)にはあらで、まめやかに()こゆるなり」と、()()てにのたまへば、
「あの大納言のご息女が、おいでになると伺っておりましたのは。
好色めいた気持ちからではなく、真面目に申し上げるのです」と当て推量におっしゃると、
「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、それはどうなすったのですか。私は好色から伺うのじゃありません、まじめにお尋ね申し上げるのです」
 少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、
【かの大納言の御女】- 以下「聞こゆるなり」まで、源氏の問い。「御女」は大島本「ミむすめ」と仮名表記する。
【聞きたまへしは】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+過去の助動詞「し」連体形。下に「方はこの姫君か」という内容が省略。『古典セレクション』は「源氏は例の少女を、尼君の娘であると思っているから、このように聞き尋ねる」と注す。
1.4.12
(むすめ)ただ一人(ひとり)はべりし
()せて、この十余年(じふよねん)にやなりはべりぬらむ
故大納言(こだいなごん)内裏(うち)にたてまつらむなど、かしこういつきはべりしを、その本意(ほい)のごとくもものしはべらで、()ぎはべりにしかばただこの尼君一人(あまぎみひとり)もてあつかひはべりしほどに、いかなる(ひと)のしわざにか、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)なむ(しの)びて(かた)らひつきたまへりけるを、(もと)(きた)(かた)やむごとなくなどして、(やす)からぬこと(おほ)くて、()()(もの)(おも)ひてなむ、()くなりはべりにし
物思(ものおも)ひに(やまひ)づくものと、()(ちか)()たまへし
「娘がただ一人おりました。
亡くなって、ここ十何年になりましょうか。
故大納言は、入内させようなどと、大変大切に育てていましたが、その本願のようにもなりませず、亡くなってしまいましたので、ただこの尼君が一人で苦労して育てておりましたうちに、誰が手引をしたものか、兵部卿宮がこっそり通って来られるようになったのですが、本妻の北の方が、ご身分の高い人であったりして、気苦労が多くて、明け暮れ物思いに悩んで、亡くなってしまいました。
物思いから病気になるものだと、目の当たりに拝見致しました次第です」
「ただ一人娘がございました。亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、大納言は宮中へ入れたいように申して、非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、未亡人が一人で育てていますうちに、だれがお手引きをしたのか兵部卿の宮が通っていらっしゃるようになりまして、それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、やかましくお言いになって、私の姪はそんなことからいろいろ苦労が多くて、物思いばかりをしたあげく亡くなりました。物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」 【女ただ一人はべりし】- 以下「近く見たまへし」まで、僧都の返事。過去助動詞「し」連体形、連体形止めで文をいったん中止して、かつ、「その者が」の意をこめて、下文の主語となってつながる構文。話者の口調をよく表している。
【この十余年にやなりはべりぬらむ】- 断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問。完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「らむ」視界外推量。
【過ぎはべりにしかば】- 丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。亡くなってしまいましたので。
【兵部卿宮なむ】- 藤壺の宮の兄。「桐壺」巻に初出。係助詞「なむ」は「語らひつきたまへりける」に係るが、下に接続助詞「を」弱い逆接が続き、結びの流れとなっている。
【なむ、亡くなりはべりにし】- 係助詞「なむ」--過去の助動詞「し」連体形、係結びの法則。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形。
【目に近く見たまへし】- 過去の助動詞「し」連体形、連体中止法。下に体言または感動を表す終助詞「かな」などを言いさした余韻を残した言い方。
1.4.13
など(まう)したまふ。
さらば、その()なりけり」と(おぼ)しあはせつ。
親王(みこ)御筋(おほんすぢ)にてかの(ひと)にもかよひきこえたるにや」と、いとどあはれに()まほし
(ひと)のほどもあてにをかしう、なかなかのさかしら(ごころ)なく、うち(かた)らひて、(こころ)のままに(をし)()ほし()てて()ばや」と(おぼ)す。
などとお申し上げなさる。
「それでは、その人の子であったのだ」とご理解なさった。
「親王のお血筋なので、あのお方にもお似通い申しているのであろうか」と、ますます心惹かれて世話をしたい。
「人柄も上品でかわいらしくて、なまじの小ざかしいところもなく、一緒に暮らして、自分の理想通りに育ててみたいものだなあ」とお思いになる。
などと僧都は語った。それではあの少女は昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと源氏は悟ったのである。藤壼の宮の兄君の子であるがためにその人に似ているのであろうと思うといっそう心の惹かれるのを覚えた。身分のきわめてよいのがうれしい、愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、無邪気な子供を、自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。 【さらば、その子なりけり】- 源氏の心内。断定の助動詞「なり」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。尼君の孫娘、兵部卿宮の娘で藤壺の宮には姪に当たる女の子と感動をもって理解。
【親王の御筋にて】- 以下「かよひきこえたるにや」まで、源氏の心内。「かの人」は藤壺の宮をさす。
【見まほし】- 「見る」は異性を世話する、結婚する意。マ上一「見」未然形+希望の助動詞「まほし」終止形。養女としたいまたは妻としたいの意。
【人のほども】- 以下「うち語らひて心のままに教へ生ほし立てて見ばや」まで、源氏の心内。マ上一「見」未然形+終助詞「ばや」願望を表す。地の文が自然と心中文に移っていく。
1.4.14
いとあはれにものしたまふことかな。
それは、とどめたまふ形見(かたみ)もなきか」
「とてもお気の毒なことでいらっしゃいますね。
その方には、
「お気の毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」 【いとあはれに】- 以下「形見もなきか」まで、源氏の問い。兵部卿宮が尼君の娘に通うようになったことまではわかった。しかし、昼間見た少女がその子どもなのか否かまではまだ聞いていない。そこで確認のために尋ねる。
1.4.15
と、(をさな)かりつる行方(ゆくへ)の、なほ(たし)かに()らまほしくて、()ひたまへば、
と、幼なかった子の将来が、もっとはっきりと知りたくて、お尋ねになると、
なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
1.4.16
()くなりはべりしほどにこそ、はべりしか。
それも、(をんな)にてぞ
それにつけて物思(ものおも)ひのもよほしになむ、(よはひ)(すゑ)(おも)ひたまへ(なげ)きはべるめる」と()こえたまふ。
「亡くなりますころに、生まれました。
それも、女の子で。
それにつけても心配の種として、余命少ない年に思い悩んでおりますようでございます」と申し上げなさる。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」 【亡くなりはべりしほどに】- 以下「嘆きはべるめる」まで、僧都の返事。「し」「しか」共に過去の助動詞。「はべりしか」の「はべり」は生まれるの意、死ぬと同時に生まれたというニュアンス。出産後まもなく亡くなったの意。
【女にてぞ】- 係助詞「ぞ」、下に「ものせ」「し」連体形などの語句が省略。
【なむ、齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる】- 係助詞「なむ」--推量の助動詞「める」連体形、主観的推量の意、係結びの法則。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、丁寧の補助動詞「はべる」連体形。『古典セレクション』は「謙譲の「たまふ」が、第三者の尼君の動作につけて用いられているのは、僧都が尼君の立場に身をおいて代弁しているから」と注す。
1.4.17
さればよ」と(おぼ)さる。
「やはりそうであったか」とお思いになる。
聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。 【さればよ】- 源氏の心内。予想が適中したときに用いる。後見人のない女の子の不幸なことを思う。
1.4.18
あやしきことなれど(をさな)御後見(おほんうしろみ)(おぼ)すべく、()こえたまひてむや
(おも)(こころ)ありて()きかかづらふ(かた)もはべりながら、()(こころ)()まぬにやあらむ、(ひと)()みにてのみなむ。
まだ()げなきほどと(つね)(ひと)(おぼ)しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、
「変な話ですが、その少女のご後見とお思い下さるよう、お話し申し上げていただけませんか。
考えるところがあって、通い関わっています所もありますが、本当にしっくりいかないのでしょうか、独り暮らしばかりしています。
まだ不似合いな年頃だと世間並の男同様にお考えになっては、体裁が悪い」などとおっしゃると、
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召すでしょうか」
 と源氏は言った。
【あやしきことなれど】- 以下「はしたなくや」まで、源氏の詞。「幼き御後見に思すべく」とは、養女とする、または妻とする、ということを意味する。
【聞こえたまひてむや】- 僧都に尼君への伝言を依頼する。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、完了の助動詞「て」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意、係助詞「や」疑問の意。あなたから尼君にお話し申し上げてくださいませんか。
【思ふ心ありて】- 「独り住みにてのみなむ」に係る。途中「行きかかづらふ方もはべりながら世に心の染まぬにやあらむ」は挿入句。妻(左大臣家の娘の葵の上)はいるが、意に添わない、の意。
【まだ似げなきほどと】- 女の子の年齢(十歳くらい)が結婚にはまだ早すぎる意。
【はしたなくや】- 主語は自分、源氏をさす。結婚するにはまだ幼い十歳くらいの女の子を迎え取るなど、中途半端なことであろうか、そうではない、親代りになるつもりだ、という決意。『岩波古語辞典』は「ナシは甚だしいの意。落度や失礼・欠点などがあって無作法・ぶしつけであるの意。その結果、体裁がわるくて引込みがつかない状態。また、まともな愛想や情が欠けている意」と解説する。『評釈』は「いても立ってもいられない、穴があったら入りたい、という気持」と注す。
1.4.19 「たいそう嬉しいはずの仰せ言ですが、まだいっこうに幼い年頃のようでございますので、ご冗談にも、お世話なさるのは難しいのでは。
もっとも、女性というものは、人に世話されて一人前にもおなりになるものですから、詳しくは申し上げられませんが、あの祖母に相談しまして、お返事申し上げさせましょう」
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」 【いとうれしかるべき仰せ言なるを】- 以下「聞こえさせむ」まで、僧都の返事。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。断定の助動詞「ねる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【いはきなき】- 大島本「いはきなき」とあり。他の青表紙諸本「いはけなき」とある。多くの校訂本は「いはけなき」とするが、『新大系』は「いはきなき」のままとする。
【御覧じがたくや】- 接尾語ク型「がたく」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」(連体形)などの語句が省略。
【そもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば】- 大島本「そも/\女人は」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そもそも女は」と「人」を削除する。『新大系』は底本のままとする。女性は男性(父親または夫)に世話されて一人前の人(女)となる、という当時の考えを引く。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【詳しくはえとり申さず】- 副詞「え」打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。わたしは僧侶の手前男女関係の事柄には立ち入ることはできないが、という意。挿入句。
【かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ】- 「祖母(おば)」は「おほば」の約。使役の助動詞「させ」未然形、推量の助動詞「む」終止形。祖母からお返事をさせましょう、の意。
1.4.20
と、すくよかに()ひてものごはきさましたまへれば(わか)御心(みこころ)()づかしくて、えよくも()こえたまはず。
と、無愛想に言って、こわごわとした感じでいらっしゃるので、若いお心では恥ずかしくて、上手にお話し申し上げられない。
こんなふうにてきぱき言う人が僧形の厳めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。 【すくよかに言ひて】- 僧侶らしい振る舞い。
【ものごはきさましたまへれば】- 『集成』は「取りつく島もないご様子なので」と解し、『古典セレクション』は「堅苦しい様子をしておられるので」と解す。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「れ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。
1.4.21 「阿弥陀仏のおいでになるお堂で、勤行のございます時刻です。
初夜のお勤めを、まだ致しておりません。
済ませて参りましょう」と言って、お上りになった。
「阿弥陀様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
 こう言って僧都は御堂のほうへ行った。
【阿弥陀仏ものしたまふ堂に】- 以下「過ぐしてさぶらはむ」まで、僧都の詞。中座する挨拶。
【することはべるころになむ】- 係助詞「なむ」下に「なりぬ」(連体形)などの語句が省略、係結びの結びの省略。
【初夜、いまだ勤めはべらず】- 「初夜」の勤行は、午後六時頃から十時頃までに行う勤行。
1.4.22
(きみ)は、心地(ここち)もいと(なや)ましきに(あめ)すこしうちそそき山風(やまかぜ)ひややかに()きたるに(たき)のよどみもまさりて音高(おとたか)()こゆ。
すこしねぶたげなる読経(どきゃう)()()えすごく()こゆるなど、すずろなる(ひと)も、(ところ)からものあはれなり
まして(おぼ)しめぐらすこと(おほ)くて、まどろませたまはず
源氏の君は、気分もとても悩ましいところに、雨が少し降りそそいで、山風が冷やかに吹いてきて、滝壺の水嵩も増して、音が大きく聞こえる。
少し眠そうな読経が途絶え途絶えにぞっとするように聞こえるなども、何でもない人も、場所柄しんみりとした気持ちになる。
まして、いろいろとお考えになることが多くて、お眠りになれない。
病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。 【君は、心地もいと悩ましきに】- 係助詞「は」題目を提示。源氏の君はどうかといえば、のニュアンス。格助詞「に」時間を表す。
【雨すこしうちそそき】- 時は弥生の晦、月のないころ、しかも雨が降り出した夜。外は漆黒の闇。外の滝の音に混じって室内のかすかな物音が源氏の耳に入ってくる。 【そそき】-清音。『岩波古語辞典』に「江戸時代初期頃からソソギと濁音化した」という。
【山風ひややかに吹きたるに】- 格助詞「に」時間を表す。
【滝のよどみもまさりて】- 『河海抄』は「滝つ瀬の中にも淀はありてふをなど我が恋の淵瀬ともなき」(古今集、恋一、四九三 読人しらず)を指摘する。『完訳』も引歌として引用する。
【所からものあはれなり】- 「所から」は『易林本節用集』に「所柄 トコロカラ」とあり、『日葡辞書』には「トコロカラ トコロガラ」の両方がある。なお『古典セレクション』はこの句、読点。「神妙な思いにもなるが、まして君は」と文を続けて訳す。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読んでいる。
【まして】- 以下、主語は源氏。
【まどろませたまはず】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、二重敬語。他の青表紙諸本「まとろまれ給はす」。『集成』『古典セレクション』は「まどろまれたまはず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。
1.4.23
初夜(そや)()ひしかども(よる)もいたう()けにけり。
(うち)にも、(ひと)()ぬけはひしるくて、いと(しの)びたれど、数珠(ずず)脇息(けふそく)()()らさるる(おと)ほの()こえ、なつかしううちそよめく(おと)なひ、あてはかなりと()きたまひて、ほどもなく(ちか)ければ、()()てわたしたる屏風(びゃうぶ)(なか)を、すこし()()けて、(あふぎ)()らしたまへばおぼえなき心地(ここち)すべかめれど()()らぬやうにやとて、ゐざり()づる(ひと)あなり
すこし退(しぞ)きて
初夜と言ったが、夜もたいそう更けてしまった。
奥でも、人々の寝ていない様子がよく分かって、とても密かにしているが、数珠の脇息に触れて鳴る音がかすかに聞こえ、ものやさしくそよめく衣ずれの音を、上品だとお聞きになって、広くなく近いので、外側に立てめぐらしてある屏風の中を、少し引き開けて、扇を打ち鳴らしなさると、意外な気がするようだが、聞こえないふりもできようかということで、いざり出て来る人がいるようだ。
少し後戻りして、
初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠が脇息に触れて鳴る音などがして、女の起居の衣摺れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
 源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行寄って来た。襖子から少し遠いところで、
【初夜と言ひしかども】- 先程、僧都が「初夜」と言ったがの意。
【人の寝ぬけはひ】- ナ下二「寝」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。まだ寝ていない様子。なお「ぬ」が完了の助動詞ならば、「けはひ」(名詞)の前は連体形「ぬる」となる。
【扇を鳴らしたまへば】- 主語は源氏。人を呼ぶ合図。
【おぼえなき心地すべかめれど】- 主語は奥の女房。「べかめれ」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推量の助動詞「めれ」已然形、視界内推量。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。
【聞き知らぬやうにや】- 打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、下に「ものせむ」などの語句が省略。反語表現。知らないふりはできない、の意。語り手が奥の女房の気持ちを推測した挿入句的表現。
【ゐざり出づる人あなり】- 「あなり」はラ変「ある」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記+推定の助動詞「なり」終止形。源氏側からの推量。語り手と源氏の気持ちが一体化している表現。
【すこし退きて】- 主語は奥の女房。出てきた女房が誰も見えないので戻ろうとしたところ。
1.4.24
あやし、ひが(みみ)にや」とたどるを、()きたまひて、
「おかしいわ、聞き違いかしら」と不審がっているのを、お聞きになって、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
 と一言うのを聞いて、源氏が、
【あやし、ひが耳にや】- 女房の詞。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」などの語句が省略。
1.4.25 「仏のお導きは、暗い中に入っても、決して間違うはずはありませんが」
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」 【仏の御しるべは】- 以下「なるものを」まで、源氏の詞。
【暗きに入りても】- 『源氏釈』は『法華経』の「従冥入於冥、永不聞仏名(冥きより冥きに入りて、永く仏名を聞かざりしなり)」(化城喩品)を指摘する。『古典セレクション』は「案内を頼む女房を釈尊に見立てる」と注す。
【さらに違ふまじかなるものを】- 副詞「さらに」は打消推量の助動詞「まじか」と呼応して、決して--ない、全然--ない、の意を表す。「まじかなる」は打消推量の助動詞「まじかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+断定の助動詞「なる」連体形。接続助詞「ものを」逆接の意。下文を言いさした余意・余情表現。
1.4.26
とのたまふ御声(おほんこゑ)の、いと(わか)うあてなるに、うち()でむ(こわ)づかひも、()づかしけれど、
とおっしゃるお声が、とても若く上品なので、お返事する声づかいも、気がひけるが、
という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
1.4.27
いかなる(かた)の、(おほん)しるべにか
おぼつかなく」と()こゆ。
「どのお方への、ご案内でしょうか。
分かりかねますが」と申し上げる。
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
 と言った。
【いかなる方の、御しるべにか】- 大島本「いかなるかたのをん(をん$御<朱>)しるへにか」とある。『集成』は「どういうご案内をいたせばよろしいものやら」と解し、『古典セレクション』は「どちらへのご案内でございましょう」と解す。いずれも諸本に従って「御しるべにかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。「いかなる方」は方角や手立ての意、「しるべ」は案内や手引の意。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「か」疑問の意。下に「はべらむ」などの語句が省略。
1.4.28
げに、うちつけなりとおぼめきたまはむも道理(ことわり)なれど、
「なるほど、唐突なことだとご不審になるのも、ごもっともですが、
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、 【げに、うちつけなりと】- 以下「と聞こえたまひてむや」まで、源氏の詞と和歌。
【おぼめきたまはむも】- 尊敬の補助動詞「たまは」未然形+推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。
1.4.29 初草のごときうら若き少女を見てからは
わたしの旅寝の袖は恋しさの涙の露ですっかり濡れております
初草の若葉の上を見つるより
旅寝の袖も露ぞ乾かぬ
【初草の若葉の上を見つるより--旅寝の袖も露ぞ乾かぬ】- 源氏の贈歌。「初草の若葉の上」は少女の身の上、後の紫の上をさす。「旅寝の袖」は自分を喩える。「初草」「若」「露」は、先の尼君と女房の贈答歌の語句を引用したもの。「つゆ」は「露」と副詞「つゆ」、打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して、まったく--ない、の意の掛詞。
1.4.30 と申し上げて下さいませんか」とおっしゃる。
と申し上げてくださいませんか」 【と聞こえたまひてむや】- 歌に添えた源氏の詞。「てむ」は完了の助動詞「て」未然形+推量の助動詞「む」終止形の連語。終助詞「や」疑問、強い希望を述べたニュアンス。
1.4.31
さらに、かやうの御消息(おほんせうそこ)うけたまはりわくべき(ひと)もものしたまはぬさまは、しろしめしたりげなるを
()れにかは」と()こゆ。
「まったく、このようなお言葉を、頂戴して分かるはずの人もいらっしゃらない有様は、ご存知でいらっしゃりそうなのに。
どなたに」と申し上げる。
「そのようなお言葉を頂戴あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」 【さらに、かやうの】- 以下「誰れにかは」まで、女房の詞。副詞「さらに」は「ものしたまはぬ」に係り、全然--ない、の意を表す。
【しろしめしたりげなるを】- 「しろしめしたりげ」は「しろしめし」連用形(「知る」の尊敬語)+完了の助動詞「たり」終止形+接尾語「げ」。断定の助動詞「なる」連体形+間投助詞「を」詠嘆。
【誰れにかは】- 係助詞「か」疑問+係助詞「は」。下に「とりつがむ」などの語句が省略。どなたに取り次いだらよろしいのでしょうか、の意。
1.4.32
おのづからさるやうありて()こゆるならむと(おも)ひなしたまへかし」
「自然と、
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」 【おのづから】- 以下「思ひなしたまへかし」まで、源氏の詞。
【聞こゆるならむと】- 断定の助動詞「なら」未然形+推量の助動詞「む」終止形。
1.4.33
とのたまへば、()りて()こゆ
とおっしゃるので、奥に行って申し上げる。
源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。 【入りて聞こゆ】- 女房が奥の尼君に伝える。
1.4.34
あな、(いま)めかし
この(きみ)()づいたるほどにおはするとぞ、(おぼ)すらむ
さるにては、かの『若草(わかくさ)』を、いかで()いたまへることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱(こころみだ)れて、(ひさ)しうなれば、(なさ)けなしとて、
「まあ、華やいだことを。
この姫君を、年頃でいらっしゃると、お思いなのだろうか。
それにしては、あの『若草を』と詠んだのを、どうしてご存知でいらっしゃることか」と、あれこれと不思議なので、困惑して、遅くなっては、失礼になると思って、
まあ艶な方らしい御挨拶である、女王さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、 【あな、今めかし】- 以下「聞いたまへることぞ」まで、『集成』は「以下、尼君の心中である」と解し、『古典セレクション』は「」で括るが、心内とも詞とも注してない。「今めかし」について『集成』は「源氏の大胆さに驚く気持」と注し、『古典セレクション』は「隅におけない」と訳す。「今めかし」とは当世風なの意だが、ここは源氏の大胆な態度が今風だという意。尼君の価値観や時代差を窺わせる評言。
【この君や】- 係助詞「や」疑問、「おはする」連体形に係る、係結びの法則。
【とぞ、思すらむ】- 係助詞「ぞ」、推量の助動詞「らむ」連体形、係結びの法則。
1.4.35 「今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって
深山に住むわたしたちのことを引き合いに出さないでくださいまし
「枕結ふ今宵ばかりの露けさを
深山の苔にくらべざらなん
【枕結ふ今宵ばかりの露けさを--深山の苔に比べざらなむ】- 尼君の返歌。「枕結ふ」は源氏の旅寝をさし、「深山の苔」は自分をさしていう。源氏の上句の恋の心を無視し、下句の「露」だけを受けて応える。打消の助動詞「ざら」未然形+終助詞「なむ」相手に対する願望。あなたの今夜だけの寂しさとわたしどもの寂しさを同じようにお考えにならないで下さい。『花鳥余情』は「奥山の苔の衣に比べ見よいづれか露の置きはまさると」(多武峯少将物語)を指摘し、『古典セレクション』でも引歌として指摘する。
1.4.36
()がたうはべるものを」と()こえたまふ。
乾きそうにございませんのに」とご返歌申し上げなさる。
とてもかわく間などはございませんのに」
 と返辞をさせた。
【乾がたうはべるものを】- 歌に添えた詞。『細流抄』は「夕さればいとど干難き我が袖に秋の露さへ置き添はりつつ」(古今集 恋一 五四五 読人しらず)を指摘、『古典セレクション』も引歌として指摘する。返歌のあとに古歌の文句を添えるのは教養ある人。終助詞「ものを」詠嘆の気持ち。
1.4.37
かうやうのついでなる御消息(おほんせうそこ)は、まださらに()こえ()らず、ならはぬことになむ
かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう()こえさすべきことなむ」と()こえたまへれば、尼君(あまぎみ)
「このような機会のご挨拶は、まだまったく致したことがなく、初めてのことです。
恐縮ですが、このような機会に、真面目にお話させていただきたいことがあります」と申し上げなさると、尼君、
「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
 と源氏が言う。
【かうやうのついでなる】- 以下「聞こえさすべきことなむ」まで、源氏の詞。なお大島本は「つゐてなる」とあるが、他の青表紙諸本の多くは「つて」とある。『集成』は明融本に従って「人伝(ひとづて)なる」は校訂し、『古典セレクション』も「伝(つて)なる」と校訂するが、『新大系』は底本のままとする。
【ならはぬことになむ】- 係助詞「なむ」。下に「はべる」連体形などの語が省略。
1.4.38 「聞き違いをなさっていらっしゃるのでしょう。
まことに厄介なお方に、どのようなことをお返事申せましょう」とおっしゃると、
「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
 尼君はこう言っていた。
【ひがこと聞きたまへるならむ】- 以下「答へきこえむ」まで、尼君の詞。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形。
【むつかしき】- 大島本は「むつかしき」とある。その他の青表紙諸本は「はつかしき」とある。『評釈』『集成』『古典セレクション』等は「はづかしき」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【何ごとをかは答へきこえむ】- 連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)推量の助動詞「む」連体形、反語表現の構文。どうお答えしてよいかわからない、の意。
1.4.39
はしたなうもこそ(おぼ)」と(ひと)びと()こゆ。
「きまりの悪い思いをおさせになってはいけません」と女房たちが申す。
「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
 と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
【はしたなうもこそ思せ】- 女房の詞。連語「もこそ」(係助詞「も」+係助詞「こそ」)「思せ」已然形、係結びの法則。懸念・危惧を表す。尼君に応対することを勧める。
1.4.40 「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目におっしゃっているのは、恐れ多い」
「そうだね、若い人こそ困るだろうが私など、まあよい。丁寧に言っていらっしゃるのだから」 【げに、若やかなる人こそ】- 以下「かたじけなし」まで、尼君の詞。
【うたてもあらめ】- 係助詞「こそ」の係結び「あらめ」已然形。『集成』は読点。『古典セレクション』は句点。あなたがた若い人が応対するのは嫌でしょうが、年老いたわたしなら構わないでしょう、の気持ち。下文が省略。
【まめやかにのたまふ、かたじけなし】- 源氏が真剣におっしゃているのは畏れ多い、応対しなければ、の気持ち。
1.4.41 と言って、いざり寄りなさった。
尼君は出て行った。 【ゐざり寄りたまへり】- 几帳のもとにいざり寄りなさった、の意。
1.4.42 「突然で、軽薄な振る舞いと、きっとお思いになられるにちがいないような機会ですが、わたし自身にはそのように思われませんので。
仏はもとよりお見通しでいらっしゃいましょう」
「出来心的な軽率な相談を持ちかける者だとお思いになるのがかえって当然なような、こんな時に申し上げるのは私のために不利なんですが、誠意をもってお話しいたそうとしておりますことは仏様がご存じでしょう」 【うちつけに】- 以下「仏はおのづから」まで、源氏の詞。
【御覧ぜられぬべきついでなれど】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。
【心にはさもおぼえはべらねば】- 丁寧の補助動詞「はべら」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【仏はおのづから】- 下に「見知りたまひぬらむ」などの語句が省略された形。
1.4.43 と言ったが、落ち着いていて、気の置ける様子に気後れして、すぐにはお切り出しになれない。
と源氏は言ったが、相当な年配の貴女が静かに前にいることを思うと急に希望の件が持ち出されないのである。 【とて】- と言ったが、と言ってはみたものののニュアンス。『完訳』は「と言いさして」と訳す。
【おとなおとなしう】- 尼君の態度。
【つつまれて】- 遠慮されて。主語は源氏。
【とみにもえうち出でたまはず】- 主語は源氏。副詞「え」は打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。この後、少し間合いがあって、尼君の方から切り出す。
1.4.44 「おっしゃるとおり、思い寄りも致しませぬ機会に、こうまでおっしゃっていただいたり、お話させていただけますのも、どうして浅い縁と申せましょう」とおっしゃる。
「思いがけぬ所で、お泊まり合わせになりました。あなた様から御相談を承りますのを前生に根を置いていないこととどうして思えましょう」
 と尼君は言った。
【げに、思ひたまへ寄り】- 以下「聞こえさするもいかが」まで、尼君の詞。
【のたまはせ、聞こえさするも】- 「のたまはせ」の主語は源氏、「聞こえさする」の主語は尼君。それぞれ「言ふ」の最も高い敬語表現、「言ふ」の最も謙った謙譲表現。
【いかが】- 榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本は「あさくはいかゝ」とある。横山本は「あさくは」を補入する。御物本と書陵部本が大島本と同文。「あさくは思はむ」(反語表現)などの語句が省略されている。『集成』は「浅くはいかが」と本文を改める。『古典セレクション』は「いかが」のままとし「浅くはいかが思ひたまへむ」ぐらいの意と注す。
1.4.45
あはれにうけたまはる(おほん)ありさまをかの()ぎたまひにけむ(おほん)かはりに(おぼ)しないてむや
()ふかひなきほどの(よはひ)にて、むつましかるべき(ひと)にも()(おく)れはべりにければあやしう()きたるやうにて、年月(としつき)をこそ(かさ)ねはべれ
(おな)じさまにものしたまふなるをたぐひになさせたまへといと()こえまほしきをかかる(をり)はべりがたくてなむ、(おぼ)されむところをも(はばか)らず、うち()ではべりぬる」と()こえたまへば、
「お気の毒な身の上と承りましたご境遇を、あのお亡くなりになった方のお代わりと、わたしをお思いになって下さいませんか。
わたしも幼いころに、かわいがってくれるはずの母親に先立たれましたので、妙に頼りない有様で、年月を送っております。
同じような境遇でいらっしゃるというので、お仲間にしていただきたいと、心から申し上げたいのですが、このような機会がめったにございませんので、どうお思いになられるかもかまわずに、申し出たのでございます」と申し上げなさると、
「お母様をお亡くしになりましたお気の毒な女王さんを、お母様の代わりとして私へお預けくださいませんでしょうか。私も早く母や祖母に別れたものですから、私もじっと落ち着いた気持ちもなく今日に至りました。女王さんも同じような御境遇なんですから、私たちが将来結婚することを今から許して置いていただきたいと、私はこんなことを前から御相談したかったので、今は悪くおとりになるかもしれない時である、折りがよろしくないと思いながら申し上げてみます」 【あはれにうけたまはる御ありさまを】- 以下「うち出ではべりぬる」まで、源氏の詞。格助詞「を」目的格を表す。「思しないて」の下に「譲りたまひて」などの語句が省略され、文脈のねじれとなっている。『古典セレクション』は「「御ありさまなるを」の意」と注し「を」接続助詞「身の上なのですから」と順接の原因理由を表す文脈に解す。
【かの過ぎたまひにけむ御かはりに】- 少女の亡き母親の代りに。過去推量の助動詞「けむ」連体形の下に「人の」などの語句が省略。母親代りの後見を申し出る。
【思しないてむや】- 「思しない」の「い」は「し」のイ音便化。完了の助動詞「て」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形+係助詞「や」疑問。相手の意向を問う。
【言ふかひなきほどの齢】- 源氏自身の体験をいう。三歳の時に母親に死別。
【立ち後れはべりにければ】- 丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けれ」已全然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。先立たれてしまったので、というニュアンス。
【年月をこそ重ねはべれ】- 係助詞「こそ」、丁寧の補助動詞「はべれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。
【同じさまにものしたまふなるを】- 尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、伝聞推定の助動詞「なる」連体形、接続助詞「を」順接、原因理由を表す。いらっしゃるというので、の意。
【たぐひになさせたまへと】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、二重敬語。会話文中での用法。
【いと聞こえまほしきを】- 接続助詞「を」逆接を表す。
1.4.46 「とても嬉しく存じられるはずのお言葉ですが、お聞き違えていらっしゃることがございませんでしょうかと、憚られるのです。
年寄一人を頼りにしている孫がございますが、とてもまだ幼い年頃で、大目に見てもらえるところもございませんようなので、お承りおくこともできないのでございます」とおっしゃる。
「それは非常にうれしいお話でございますが、何か話をまちがえて聞いておいでになるのではないかと思いますと、どうお返辞を申し上げてよいかに迷います。私のような者一人をたよりにしております子供が一人おりますが、まだごく幼稚なもので、どんなに寛大なお心ででも、将来の奥様にお擬しになることは無理でございますから、私のほうで御相談に乗せていただきようもございません」
 と尼君は言うのである。
【いとうれしう思ひたまへぬべき御ことながらも】- 以下「とどめられざりける」まで、尼君の返答。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、陶然の意。接続助詞「ながら」逆接を表す。係助詞「も」表現を和らげるニュアンスを添える。
【つつましうなむ】- 係助詞「なむ」。下に「思ふたまふる」などの語句が省略。
【あやしき身一つを頼もし人にする人】- 「あやしき身一つ」は尼君、自ら謙った表現。「頼もし人にする人」は孫の姫君、紫の君。
【御覧じ許さるる方もはべりがたげなれば】- 「御覧じ」の主体は源氏。受身の助動詞「るる」連体形。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。あなた様から大目に見てもらえるところもございませんようなので。 【はべりがたげなれば】-大島本「侍りかたけなれハ」とある。御物本は「侍かたな〔な-補入〕けれは」、横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は書陵部本は「侍りかたけれは」。肖柏本が大島本と同文。『集成』『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は「はべりがたければ」と本文を改める。
【えなむうけたまはりとどめられざりける】- 副詞「え」は打消の助動詞「ざり」連用形と呼応して不可能の意を表す。係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。可能の助動詞「られ」未然形。
1.4.47
みな、おぼつかなからずうけたまはるものを所狭(ところせ)(おぼ)(はばか)らで、(おも)ひたまへ()るさまことなる(こころ)のほどを、御覧(ごらん)ぜよ」
「みな、はっきりと承知致しておりますから、窮屈にご遠慮なさらず、深く思っております格別な心のほどを、御覧下さいませ」
「私は何もかも存じております。そんな年齢の差などはお考えにならずに、私がどれほどそうなるのを望むかという熱心の度を御覧ください」 【みな、おぼつかなからず】- 以下「御覧ぜよ」まで、源氏の詞。
【うけたまはるものを】- 接続助詞「ものを」順接、原因理由を表す。ので、のだから。
【思ひたまへ寄るさま】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。
1.4.48
()こえたまへど、いと()げなきことを、さも()らでのたまふ(おぼ)して、心解(こころと)けたる御答(おほんいら)へもなし。
僧都(そうづ)おはしぬれば、
と申し上げなさるが、まだとても不似合いなことを、そうとも知らないでおっしゃる、とお思いになって、打ち解けたご返事もない。
僧都がお戻りになったので、
源氏がこんなに言っても、尼君のほうでは女王の幼齢なことを知らないでいるのだと思う先入見があって源氏の希望を問題にしようとはしない。僧都が源氏の部屋のほうへ来るらしいのを機会に、 【いと似げなきことを、さも知らでのたまふ】- 尼君の心中。源氏の申し出について。連語「さも」(「さ」+係助詞「も」)そのようにも。
1.4.49
よし、かう()こえそめはべりぬれば、いと(たの)もしうなむ」とて、おし()てたまひつ
「それでは、このように申し上げましたので、心丈夫です」と言って、屏風をお閉てになった。
「まあよろしいです。御相談にもう取りかかったのですから、私は実現を期します」
 と言って、源氏は屏風をもとのように直して去った。
【よし】- 以下「頼もしうなむ」まで、源氏の詞。
【おし立てたまひつ】- 「おし立て」は、「外に立てわたしたる屏風少し引き開けて」を受ける。屏風を閉めた。
1.4.50
暁方(あかつきがた)になりにければ法華三昧行(ほけざんまいおこな)(だう)懺法(せんぼふ)(こゑ)(やま)おろしにつきて()こえくるいと(たふと)く、(たき)(おと)(ひび)きあひたり。
暁方になったので、法華三昧を勤めるお堂の懺法の声が、山下ろしの風に乗って聞こえて来るのが、とても尊く、滝の音に響き合っていた。
もう明け方になっていた。法華の三昧を行なう堂の尊い懺法の声が山おろしの音に混じり、滝がそれらと和する響きを作っているのである。 【暁方になりにければ】- 時刻の推移を表す。
【聞こえくる】- 「来る」(連体形)、文の連体中止であるとともに、以下の文の主語ともなる。余情を湛えて次に係ってゆく構文。
1.4.51 「深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて
感涙を催す滝の音であることよ」
吹き迷ふ深山おろしに夢さめて
涙催す滝の音かな
これは源氏の作。
【吹きまよふ深山おろしに夢さめて--涙もよほす滝の音かな】- 源氏の歌。「深山」は前の尼君の「深山の苔」とあったのを踏まえる。迷いの夢から覚める気持ちがする。『古典セレクション』は「「夢」に、煩悩の意をも含める。暁方の懺法の声をのせた音響に、紫の上への執心の浄化される思いを詠んだ歌」と注す。
1.4.52 「不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に
心を澄まして住んでいるわたしは驚きません
「さしぐみに袖濡らしける山水に
すめる心は騒ぎやはする
【さしぐみに袖ぬらしける山水に--澄める心は騒ぎやはする】- 僧都の返歌。「さしぐみ」は不意にの意と、涙が「さし汲み」の意を響かせる。「すめる」は「住める」と「澄める」の両意を掛ける。「汲み」「濡らし」「山水」「澄める」は縁語。連語「やは」(係助詞「や」+係助詞「は」)反語、サ変「する」連体形、係結びの法則。『異本紫明抄』は「古の野中の清水見るからにさしぐむものは涙なりけり」(後撰集 恋四 八一四 読人しらず)を指摘するが、『完訳』は「昔より山水にこそ袖ひづれ君がぬるらむ露はものかは」(多武峯少将物語)を引歌として指摘する。
1.4.53
耳馴(みみな)れはべりにけりや」と()こえたまふ。
耳慣れてしまったからでしょうか」と申し上げなさる。
もう馴れ切ったものですよ」
 と僧都は答えた。
【耳馴れはべりにけりや】- 僧都の歌に添えた詞。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ける」連体形、間投助詞「や」詠嘆の意。

第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京

1.5.1
()けゆく(そら)いといたう(かす)みて、(やま)(とり)どもそこはかとなうさへづりあひたり。
()()らぬ木草(きくさ)(はな)どももいろいろに()りまじり、(にしき)()けると()ゆるに鹿(しか)のたたずみ(あり)くも、めづらしく()たまふに(なや)ましさも(まぎ)()てぬ。
明けて行く空は、とてもたいそう霞んで、山の鳥どもがどこかしことなく囀り合っている。
名も知らない木や草の花々が、色とりどりに散り混じり、錦を敷いたと見える所に、鹿があちこちと立ち止まったり歩いたりしているのも、珍しく御覧になると、気分の悪いのもすっかり忘れてしまった。
夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼くとなしに多く聞こえてきた。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。こんな深山の錦の上へ鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。 【明けゆく空は】- 夜の明けていく様子と源氏の心が晴れやかになっていくのが象徴的に重なって描かれている景情一致の表現。
【そこはかとなう】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「そこはかとなく」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【木草の花どもも】- 大島本「はなとも・ゝ」とある。・(朱点)は後のものである。踊り字(ゝ)と読める文字が存在する。『集成』『古典セレクション』『新大系』は「ゝ」を無視して「木草の花ども」と校訂する。
【錦を敷けると見ゆるに】- 格助詞「に」場所を表す。「見ゆる」と「に」の間に「所」などの語が省略。
【めづらしく見たまふに】- 接続助詞「に」順接を表す。御覧になると、の意。
1.5.2
(ひじり)(うご)きもえせねどとかうして護身参(ごしんまゐ)らせたまふ。
かれたる(こゑ)いといたうすきひがめるも、あはれに(くう)づきて、陀羅尼誦(だらによ)みたり。
聖は、身動きも不自由だが、やっとのことで護身法をして差し上げなさる。
しわがれた声で、とてもひどく歯の間から洩れて聞きにくいのも、しみじみと年功を積んだようで、陀羅尼を誦していた。
聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。嗄々な所々が消えるような声で経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼である。 【動きもえせねど】- 副詞「え」、打消の助動詞「ね」已然形と呼応して不可能の意を表す。
【かれたる声の】- 格助詞「の」同格を表す。しわがれた声で、の意。
1.5.3
御迎(おほんむか)への(ひと)びと(まゐ)りておこたりたまへる(よろこ)()こえ、内裏(うち)よりも(おほん)とぶらひあり。
僧都(そうづ)()()えぬさまの(おほん)くだもの、(なに)くれと、(たに)(そこ)まで()()で、いとなみきこえたまふ。
お迎えの人々が参って、ご回復されたお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。
僧都は、見慣れないような果物を、あれこれと、谷の底から採ってきては、ご接待申し上げなさる。
京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々作らせ、渓間へまでも珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応に骨を折った。 【御迎への人びと参りて】- 源氏邸の家臣たち。
【世に見えぬ】- 大島本「世にみえぬ」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「見えぬ」と「世に」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。
1.5.4
今年(ことし)ばかりの(ちか)(ふか)うはべりて、御送(おほんおく)りにもえ(まゐ)りはべるまじきこと。
なかなかにも(おも)ひたまへらるべきかな
「今年いっぱいの誓いが固うございまして、お見送りに参上できませぬ次第。
かえって残念に存じられてなりません」
「まだ今年じゅうは山籠りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」 【今年ばかりの誓ひ】- 以下「思ひたまへらるべきかな」まで、僧都の詞。前に「某僧都のこの二年籠りはべるかたに」とあった。とすると、もう一年、すなわち、千日籠もりの修業である。
【なかなかにも思ひたまへらるべきかな】- 『集成』は「かえって執心が残りそうにおもわれることでございます」と解し、『完訳』は「なまじ源氏と会ったために、かえって別れがたくつらい気持」と注し、「かえってお名残り惜しゅう存ぜられるしだいでございます」と解す。「たまへ」(下二段、謙譲の補助動詞)「らる」(自発の助動詞)「べき」(推量の助動詞)「かな」(詠嘆の終助詞)。
1.5.5
など()こえたまひて、大御酒参(おほみきまゐ)りたまふ
などと申し上げなさって、お酒を差し上げなさる。
などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。 【大御酒参りたまふ】- 「大御酒」(接頭語「大御」)は神や天皇・主君に差し上げる酒。
1.5.6 「山や谷川に心惹かれましたが、帝にご心配あそばされますのも、恐れ多いことですので。
そのうち、この花の時期を過ごさずに参りましょう。
「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、 【山水に】- 以下「来ても見るべく」まで、源氏の詞と歌。
【心とまりはべりぬれど】- 丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ぬれ」已全然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【内裏よりもおぼつかながらせたまへるも】- 「内裏」は帝をさす。格助詞「より」起点を表す。係助詞「も」同類を表す。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、最高敬語。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「内裏より」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。
【かしこければなむ】- 係助詞「なむ」の下に「まからむ」連体形などの語句が省略。帰らねばなりません、の意が省略。
【今、この花の折過ぐさず参り来む】- 辞去の挨拶。改めてお礼に参りましょうという意であるが、本人自身がではなく使者が代わって参上することであろう。
1.5.7 大宮人に帰って話して聞かせましょう、
この山桜の美しいことを風の吹き散ら
宮人に行きて語らん山ざくら
風よりさきに来ても見るべく」
【宮人に行きて語らむ山桜--風よりさきに来ても見るべく】- 源氏の贈歌。当山の桜の美しさを讃えて、もう一度訪れたいという当地を讃える挨拶の歌。
1.5.8 とおっしゃる態度や、声づかいまでが、眩しいくらい立派なので、
歌の発声も態度もみごとな源氏であった、僧都が、 【とのたまふ御もてなし】- 以下、源氏の様子。
【声づかひさへ、目もあやなるに】- 副助詞「さへ」添加の意。断定の動詞「なる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
1.5.9 「三千年に一度咲くという優曇華の花の
咲くのにめぐり逢ったような気がして深山桜には目も移りません」
優曇華の花まち得たるここちして
深山桜に目こそ移らね
【優曇華の花待ち得たる心地して--深山桜に目こそ移らね】- 僧都の唱和歌。源氏の和歌中より「山桜」の語句を用いて返す。いえ、あなたさまは山桜ではなく優曇華の花のように美しいという挨拶の歌。係助詞「こそ」、打消の助動詞「ね」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
1.5.10
()こえたまへば、ほほゑみて、(とき)ありて一度開(ひとたびひら)くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。
と申し上げなさると、君は微笑みなさって、「その時節に至って、一度咲くという花は、難しいといいますのに」とおっしゃる。
と言うと源氏は微笑しながら、
 「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。私とは違います」
 と言っていた。
【時ありて】- 以下「かたかなるものを」まで、源氏の詞。『集成』『完訳』共に『法華経』「方便品」の「かくの如きの妙法は諸仏如来の、時に乃ち之を説きたまふこと、優曇鉢華の時に一たび現るるが如きのみ」を踏まえた当意即妙の返答と指摘する。『集成』は「時あって一度咲くというその花は、めったに出会えぬということですのに」、『完訳』は「時あって、ただ一度咲くと言いますが、それはめったにないことだそうですのに」と、「なる」を共に伝聞推定の助動詞と解す。
【かたかなるものを】- 「かたか」は形容詞「かたかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「ものを」逆接を表す。難しいというのに。
1.5.11 聖は、お杯を頂戴して、
巌窟の聖人は酒杯を得て、 【聖、御土器賜はりて】- 聖が源氏から素焼きの盃に酒をいただく、意。上位の者から下位の者へと順に流れていく。
1.5.12 「奥山の松の扉を珍しく開けましたところ
まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました」
奥山の松の戸ぼそを稀に開けて
まだ見ぬ花の顔を見るかな
【奥山の松のとぼそをまれに開けて--まだ見ぬ花の顔を見るかな】- 聖の唱和歌。源氏の和歌中の言葉「山」「見る」、僧都の和歌中の言葉「花」を引用して詠む。聖も僧都同様に源氏を讃美する。
1.5.13
と、うち()きて()たてまつる。
(ひじり)(おほん)まもりに、独鈷(とこ)たてまつる
()たまひて、僧都(そうづ)聖徳太子(さうとくたいし)百済(くだら)より()たまへりける金剛子(こんがうじ)数珠(ずず)(たま)装束(さうぞく)したる、やがてその(くに)より()れたる(はこ)(から)めいたるを、()きたる(ふくろ)()れて、五葉(ごえふ)(えで)()けて紺瑠璃(こんるり)(つぼ)どもに、御薬(おほんくすり)ども()れて、(ふぢ)(さくら)などに()けて、(ところ)につけたる御贈物(おほんおくりもの)ども、ささげたてまつりたまふ。
と、ちょっと感涙に咽んで君を拝し上げる。
聖は、ご守護に、独鈷を差し上げる。
それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子の数珠で、玉の飾りが付いているのを、そのままその国から入れてあった箱で、唐風なのを、透かし編みの袋に入れて、五葉の松の枝に付けて、紺瑠璃の壺々に、お薬類を入れて、藤や桜などに付けて、場所柄に相応しいお贈物類を、捧げて差し上げなさる。
と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護る法のこめられてある独鈷を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済の国からお得になった金剛子の数珠に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、紺瑠璃などの宝石の壼へ薬を詰めた幾個かを藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。 【御まもりに、独鈷たてまつる】- 「独鈷」は真言密教で用いる煩悩を払い悟りを求める仏具。
【聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の】- 「聖徳太子の」の「の」は格助詞、主格を表し、「数珠の」の「の」は格助詞、同格を表す。『岩波古語辞典』に「室町時代までクタラと清音か」とあり、図書寮本「類聚名義抄」に「百済瑟、久太良古度」とあり明確に清点があるという。なお、書陵部本は「くたらく」とある。御物本も書陵部本同様に「くたらく」とあり後出の「く」をミセケチにする。一方、横山本は「くたらく」と後出の「く」を補入、榊原家本、池田本、三条西家本は「ふたらく」とある。
【やがてその国より入れたる筥の】- 「筥の」の「の」は格助詞、同格を表す。
【五葉の枝に付けて】- 「藤、桜などに付けて」と共に贈り物を時節や場所柄に応じて植物の枝に結んで贈る。
1.5.14
(きみ)(ひじり)よりはじめ読経(どきゃう)しつる法師(ほふし)布施(ふせ)ども、まうけの(もの)ども、さまざまに()りにつかはしたりければそのわたりの(やま)がつまで、さるべき(もの)ども(たま)ひ、御誦経(みずきゃう)などして()でたまふ
源氏の君は、聖をはじめとして、読経した法師へのお布施類、用意の品々を、いろいろと京へ取りにやっていたので、その近辺の樵人にまで、相応の品物をお与えになり、御誦経の布施をしてお出になる。
源氏は巌窟の聖人をはじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。なお僧都の堂で誦経をしてもらうための寄進もして、 【聖よりはじめ】- 格助詞「より」起点を表す。
【法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ】- 語られてはいないが、源氏は昨日京に帰した供人に迎えに来るときに、お礼のお布施の品々を持参するよう申し伝えていた。『古典セレクション』は「さまざまに取り遣はしたりければ」としている。
【出でたまふ】- いったん「出でたまふ」といってからその間の内容を後から詳しく語る。
1.5.15
(うち)僧都入(そうづい)りたまひて、かの()こえたまひしことまねびきこえたまへど
室内に僧都はお入りになって、あの君が申し上げなさったことを、そのままお伝え申し上げなさるが、
山を源氏の立って行く前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、 【かの聞こえたまひしこと】- 源氏が僧都に少女を後見したいと言ったこと。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。
【まねびきこえたまへど】- 謙譲の補助動詞「聞こえ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。僧都がそっくりそのまま尼君に申し上げなさるが。
1.5.16
ともかくもただ(いま)は、()こえむかたなし。
もし、御志(みこころざし)あらば、いま(よとせ)五年(いつとせ)()ぐしてこそはともかくも」とのたまへば、さなむ」と(おな)じさまにのみあるを、本意(ほい)なしと(おぼ)
「何ともこうとも、今すぐには、お返事申し上げようがありません。
もし、君にお気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、ともかくも」とおっしゃると、「しかじか」と同じようにばかりあるので、つまらないとお思いになる。
「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもしありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」
 と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎いた。
【ともかくも】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ともかうも」とウ音便形表記。『新大系』は底本のまま。以下「ともかくも」まで、尼君の詞。兄の僧都に対して言った詞。
【いま四、五年を過ぐしてこそは】- 大島本「四五年」と表記。尼君の詞中の語句なので、「よとせ、いつとせ」と読んでおく。係助詞「こそ」、「ともかくも」の下に「考えめ」已然形などの語句が省略。
【さなむ】- 尼君の詞を源氏に伝言。語り手がそれを省略して「さなむ」と表現したもの。係助詞「なむ」、下に「はべりき」連体形などの語句が省略。
【本意なしと思す】- 『集成』は「がっかりなさる」と解し、『完訳』は「はがゆい気持」と解す。
1.5.17 お手紙は、僧都のもとに仕える小さい童にことづけて、
手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。 【御消息、僧都のもとなる小さき童して】- 源氏から尼君への手紙。
1.5.18 「昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので
今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします」
夕まぐれほのかに花の色を見て
今朝は霞の立ちぞわづらふ
【夕まぐれほのかに花の色を見て--今朝は霞の立ちぞわづらふ】- 源氏の贈歌。「黄昏 ユフマクレ」(名義抄)「ユウマグレ [Yumagure] 夕暮れと着あるいは夜の初め」(日葡辞書)「花の色」は少女を喩える。「霞」「立ち」は縁語。「立ちぞわづらふ」は「霞立つ」を響かす。
1.5.19 お返事、
という歌である。返歌は、 【御返し】- 「御」は客体の源氏に対する敬語表現。
1.5.20 「本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか
そのようなことをおっしゃるお気持ちを見たいものです」
まことにや花のほとりは立ち憂きと
霞むる空のけしきをも見ん
【まことにや花のあたりは立ち憂きと--霞むる空の気色をも見む】- 尼君の返歌。「花」「霞」「立つ」の語句を用いて返す。「花」に孫娘を、「霞むる空」に源氏を喩える。なお下二段「霞むる」連体形の用例は中古では珍しい。下二段の「かすむ」は「掠むる」なので(「帚木」に用例がある)、源氏が少女を奪おうとする、の意が響かされている。源氏の真意を確かめたいという返歌。
1.5.21
と、よしある()いとあてなるをうち()()いたまへり。
と、教養ある筆跡で、とても上品であるのを、無造作にお書きになっている。
こうだった。貴女らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。 【と、よしある手の】- 格助詞「の」同格を表す。
【いとあてなるを】- 『集成』『古典セレクション』は「気品のある文字を」と格助詞「を」目的格で訳す。接続助詞「を」逆接、とても上品であるが、とも訳せよう。
1.5.22
御車(みくるま)にたてまつるほど大殿(おほいどの)より、いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎(おほんむか)への(ひと)びと、君達(きみたち)などあまた(まゐ)りたまへり。
頭中将(とうのちゅうじゃう)左中弁(さちゅうべん)さらぬ君達(きみたち)(した)ひきこえて、
お車にお乗りになるころに、左大臣邸から、「どちらへ行くともおっしゃらなくて、お出かけあそばしてしまったこと」と言って、お迎えの供人、ご子息たちなどが大勢参上なさった。
頭中将、左中弁、その他のご子息もお慕い申して、
ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将、左中弁またそのほかの公達もいっしょに来たのである。 【御車にたてまつるほど】- 「たてまつる」は「乗る」の尊敬表現。主語は源氏。
【いづちともなくて、おはしましにけること】- 左大臣の詞を迎えの人々が言上した間接話法的詞。「おはします」は「おはす」よりさらに一段高い尊敬語。
【頭中将、左中弁】- 頭中将は「桐壺」巻に蔵人少将として初出、「帚木」巻に頭中将、「夕顔」巻に三位中将。左中弁は「夕顔」巻に蔵人弁として初出。頭中将の異母の弟。
1.5.23
かうやうの御供(おほんとも)には(つか)うまつりはべらむ、(おも)ひたまふるをあさましく、おくらさせたまへること」と(うら)みきこえて、いといみじき(はな)(かげ)しばしもやすらはず、()(かへ)りはべらむは()かぬわざかな」とのたまふ。
「このようなお供には、お仕え申しましょうと、存じておりますのに、あまりにも、お置き去りあそばして」とお怨み申して、「とても美しい桜の花の下に、しばしの間も足を止めずに、引き返しますのは、もの足りない気がしますね」とおっしゃる。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
 などと恨んで、
 「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
 とも言っていた。
【かうやうの御供には】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御供は」と「に」を削除する。『新大系』は底本のままとする。以下「させたまへること」まで、迎えの公達の詞。
【と思ひたまふるを】- 謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【おくらさせたまへること】- 大島本「おくらせ」の「ら」と「せ」の間に朱筆で「さ」を補入。なお「後る」は自ラ下二段動詞であって、四段動詞ではない。その他動詞形は「後(おく)らす」(他サ四)「後(おく)らかす」(他サ四)である。よって「後らさ」未然形+尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「る」連体形。
【いといみじき花の蔭に】- 以下「飽かぬわざかな」まで、迎えの公達の詞。「花の蔭」は歌語。桜の花の咲いている木の蔭。『新大系』は「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花の蔭かは」(古今集・春下・素性)を参考として指摘。他に「春来れば木隠れ多き夕月夜おぼつかなしも花蔭にして」(後撰集・春中・読人しらず)などがある。
【立ち帰りはべらむは】- 丁寧の補助動詞「はべら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、仮定の意を表す。
1.5.24
岩隠(いはがく)れの(こけ)(うへ)()みゐて、土器参(かはらけまゐ)
()()(みづ)のさまなど、ゆゑある(たき)のもとなり。
頭中将(とうのちゅうじゃう)(ふところ)なりける笛取(ふえと)()でて、()きすましたり。
(べん)(きみ)(あふぎ)はかなううち()らして、豊浦(とよら)(てら)の、西(にし)なるや」と(うた)ふ。
(ひと)よりは(こと)なる君達(きみたち)源氏(げんじ)(きみ)いといたううち(なや)みて、(いは)()りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき(おほん)ありさまにぞ(なに)ごとにも目移(めうつ)るまじかりける。
(れい)の、篳篥吹(ひちりきふ)随身(ずいじん)(しゃう)笛持(ふえも)たせたる()(もの)などあり。
岩蔭の苔の上に並び座って、お酒を召し上がる。
落ちて来る水の様子など、風情のある滝のほとりである。
頭中将は、懐にしていた横笛を取り出して、吹き澄ましている。
弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。
普通の人よりは優れた公達であるが、源氏の君の、とても苦しそうにして、岩に寄り掛かっておいでになるのは、またとなく不吉なまでに美しいご様子に、他の何人にも目移りしそうにないのであった。
いつものように、篳篥を吹く随身、笙の笛を持たせている風流人などもいる。
岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子をとって、「葛城の寺の前なるや、豊浦の寺の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。 【土器参る】- 「参る」は「呑む」の尊敬語。
【豊浦の寺の、西なるや】- 催馬楽「葛城」の一節。「葛城(かづらき)の 寺の前なるや 豊浦(とよら)の寺の 西なるや 榎(え)の葉井に 白璧(しらたま)沈(しづ)くや 真白璧沈くや おおしとと おしとど しかしては 国ぞ栄えむや 我家(わいへ)らぞ 富せむや おおしとと としとんど おおしとんど としとんど」。源氏の資質を讃美した。
【人よりは異なる君達を】- 接続助詞「を」逆接を表す。この二人は普通の公達以上に優れた方であるが、それでも源氏の君の素晴しさには、という文脈。
【源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐたまへる】- 国宝『源氏物語絵巻』「若紫」断簡(東京国立博物館蔵)に描かれている。
【たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ】- この世にまたとなく不吉なまでに美しいお姿なのでの意。
1.5.25
僧都(そうづ)(きん)をみづから()(まゐ)りて
僧都は、七絃琴を自分で持って参って、
僧都が自身で琴(七絃の唐風の楽器)を運んで来て、 【琴】- 大島本「きむ」とある。七絃琴をさす。
【持て参りて】- 「持て」は「持ちて」の約。
1.5.26
これ、ただ御手一(おほんてひと)あそばして、(おな)じうは、(やま)(とり)もおどろかしはべらむ」
「これで、ちょっとひと弾きあそばして、同じことなら、山の鳥をも驚かしてやりましょう」
「これをただちょっとだけでもお弾きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」 【これ、ただ御手一つ】- 以下「おどろかしはべらん」まで、僧都の詞。
1.5.27 と熱心にご所望申し上げなさるので、
こう熱望するので、 【と切に聞こえたまへば】- 「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。
1.5.28 「気分が悪いので、とてもできませんのに」とお答え申されるが、ことに無愛想にはならない程度に琴を掻き鳴らして、一行はお立ちになった。
「私はまだ病気に疲れていますが」
 と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。
【乱り心地、いと堪へがたきものを】- 源氏の詞。「乱り心地」の下に格助詞「に」などの語が省略。接続助詞「ものを」逆接の意を表す。
【けに憎からず】- 大島本は「けにゝ(ゝ+く<朱>)からす」とある。『集成』『古典セレクション』共に「けにくからず」と本文を改める。『新大系』は「げににくからず」と整定する。
【皆立ちたまひぬ】- 一行は北山を出発なさった。
1.5.29
()かず口惜(くちを)しと()ふかひなき法師(ほふし)(わらは)べも、(なみだ)()としあへり。
まして、(うち)には、年老(としお)いたる尼君(あまぎみ)たちなど、まださらにかかる(ひと)(おほん)ありさまを()ざりつれば、この()のものともおぼえたまはず」と()こえあへり。
僧都(そうづ)も、
名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や、童子も、涙を落とし合っていた。
彼ら以上に、室内では、年老いた尼君たちなどは、まだこのようにお美しい方の姿を見たことがなかったので、「この世の人とは思われなさらない」とお噂申し上げ合っていた。
僧都も、
名残惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、 【飽かず口惜しと】- 以下、場面変わって残った人々の様子を語る。
【この世のものともおぼえたまはず】- 尼君たちの噂の詞。「たまふ」(四段尊敬の補助動詞)は、源氏に対する敬語表現。思われなさらないの意。仏菩薩の化身かと思う、という意。
1.5.30
あはれ、(なに)(ちぎ)りにてかかる(おほん)さまながらいとむつかしき日本(ひのもと)(すゑ)()()まれたまへらむと()るに、いとなむ(かな)しき」とて、()おしのごひたまふ。
「ああ、どのような因縁で、このような美しいお姿でもって、まことにむさ苦しい日本国の末世にお生まれになったのであろうと思うと、まことに悲しい」と言って、目を押し拭いなさる。
「何の約束事でこんな未世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
 と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。
【あはれ、何の契りにて】- 以下「悲しき」まで、僧都の源氏賛嘆の詞。
【かかる御さまながら】- 接続助詞「ながら」連用修飾をする。そのままで、の意。
【生まれたまへらむと】- 尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「ら」未然形+推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
1.5.31
この若君(わかぎみ)(をさ)心地(ごこち)に、「めでたき(ひと)かな」と()たまひて、
この若君は、子供心に、「素晴らしい人だわ」と御覧になって、
兵部卿の宮の姫君は子供心に美しい人であると思って、 【この若君】- 紫の君をさす。
1.5.32
(みや)(おほん)ありさまよりもまさりたまへるかな」などのたまふ。
「父宮のお姿よりも、優れていらっしゃいますわ」などとおっしゃる。
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
 などとほめていた。
【宮の御ありさまよりも】- 以下「まさりたまへるかな」まで、紫の君の詞。宮は父兵部卿宮をさす。紫の君は「宮」とだけいうが、それで当事者には、父宮をさすことが分かる。
1.5.33 「それでは、あの方のお子様におなりあそばせな」
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」 【さらば、かの人の】- 以下「おはしませよ」まで、女房の詞。接続詞「さらば」それでは。「かの人」は源氏をさす。
【なりておはしませよ】- 接続助詞「て」順接、「おはしませ」命令形+終助詞「よ」強調のニュアンス。
1.5.34
()こゆれば、うちうなづきて、いとようありなむ」と(おぼ)したり。
雛遊(ひひなあそ)びにも、絵描(ゑか)いたまふにも、源氏(げんじ)(きみ)」と(つく)()でて、きよらなる衣着(きぬき)せ、かしづきたまふ。
と申し上げると、こっくりと頷いて、「とてもすてきなことだわ」とお思いになっている。
お人形遊びにも、お絵描きなさるにも、「源氏の君」と作り出して、美しい衣装を着せ、お世話なさる。
と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。 【いとようありなむ】- 紫の君の心中。「よう」は形容詞「よく」連用形のウ音便形。ラ変「あり」連用形+完了の助動詞「な」未然形+推量の助動詞「む」終止形。

第六段 内裏と左大臣邸に参る

1.6.1
(きみ)は、まづ内裏(うち)(まゐ)りたまひて()ごろの御物語(おほんものがたり)など()こえたまふ。
いといたう(おとろ)へにけり」とて、ゆゆしと(おぼ)()したり
(ひじり)(たふと)かりけることなど、()はせたまふ
(くは)しく(そう)したまへば、
源氏の君は、まず内裏に参内なさって、ここ数日来のお話などを申し上げなさる。
「とてもひどくお痩せになってしまったものよ」とおっしゃって、ご心配あそばした。
聖の霊験あらたかであったことなどを、お尋ねあそばす。
詳しく奏上なさると、
帰京した源氏はすぐに宮中へ上がって、病中の話をいろいろと申し上げた。ずいぶん痩せてしまったと仰せられて帝はそれをお気におかけあそばされた。聖人の尊敬すべき祈祷カなどについての御下問もあったのである。詳しく申し上げると、 【君は、まづ内裏に参りたまひて】- 段落変わって、京に帰ってからの物語。
【いといたう衰へにけり】- 桐壺帝の詞。「いたう」は形容詞「いたく」連用形のウ音便形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。
【ゆゆしと思し召したり】- 「思し召し」は「思ふ」の最高敬語。
【問はせたまふ】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。
1.6.2 「阿闍梨などにも任ぜられてもよい人であったのだな。
修行の功績は大きいのに、朝廷からご存知になられなかったことよ」と、尊重なさりたく仰せられるのであった。
「阿闍梨にもなっていいだけの資格がありそうだね。名誉を求めないで修行一方で来た人なんだろう。それで一般人に知られなかったのだ」
 と敬意を表しておいでになった。
【阿闍梨などにも】- 以下「しろしめされざりけること」まで、帝の詞。
【なるべき者にこそあなれ】- 推量の助動詞「べき」連体形、適当の意。断定の助動詞「に」連用形、係り助詞「こそ」。「あなれ」は「あるなれ」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【行ひの労は積もりて】- 接続助詞「て」逆接の意。
【朝廷にしろしめされざりけること】- 「しろしめさ」未然形は「知る」の最高敬語。受身の助動詞「れ」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。
【尊がりのたまはせけり】- 「のたまはせ」連用形は「言ふ」の最高敬語。
1.6.3 大殿が、参内なさっておられて、
左大臣も御所に来合わせていて、 【大殿、参りあひたまひて】- 左大臣がちょうど出仕していて来合わせなさっての意。
1.6.4 「お迎えにもと存じましたが、お忍びの外出なので、どんなものかと遠慮して。
のんびりと、一、二日、お休みなさい」と言って、「このまま、お供申しましょう」と申し上げなさるので、そうしたいとはお思いにならないが、連れられて退出なさる。
「私もお迎えに参りたく思ったのですが、御微行の時にはかえって御迷惑かとも思いまして違慮をしました。しかしまだ一日二日は静かにお休みになるほうがよろしいでしょう」
 と言って、また、
 「ここからのお送りは私がいたしましょう」
 とも言ったので、その家へ行きたい気もなかったが、やむをえず源氏は同道して行くことにした。
【御迎へにもと】- 以下「うち休みたまへ」まで、左大臣の詞。源氏の来訪を勧める。
【思ひたまへつれど】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+完了の助動詞「つれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【忍びたる御歩きに】- 格助詞「に」事の起こるもとを示す。によって、の意。
【いかがと思ひ憚りてなむ】- 係助詞「なむ」、下に「はべり」+過去の助動詞「き」連体形などの語句が省略。
【一、二日】- 大島本に「一二日」と漢字表記である。いま「いち、ににち」と字音で読んでおく。和読み「ひとひ、ふつか」。
【やがて、御送り仕うまつらむ】- 左大臣の詞。ラ四動詞「仕うまつら」未然形+推量の助動詞「む」終止形、意志。
【さしも思さねど】- 主語は源氏。副詞「さしも」。「思さ」未然形+打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ど」確定逆接。
【引かされてまかでたまふ】- ラ下二動詞「引かされ」連用形+接続助詞「て」。
1.6.5 ご自分のお車にお乗せ申し上げなさって、自分は遠慮してお乗りになる。
大切にお世話申し上げなさるお気持ちの有り難いことを、やはり胸のつまる思いがなさるのであった。
自分の車へ乗せて大臣自身はからだを小さくして乗って行ったのである。娘のかわいさからこれほどまでに誠意を見せた待遇を自分にしてくれるのだと思うと、大臣の親心なるものに源氏は感動せずにはいられなかった。 【我が御車に乗せたてまつりたまうて】- 左大臣は源氏を。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、尊敬の補助動詞「たまう」は「たまひ」連用形のウ音便形、接続助詞「て」。
【自らは引き入りてたてまつれり】- 男性の場合、牛車の最上席は前方右側である。第二席がその向かいの左側、第三席は左側後ろ、第四席は右側後ろ席となる。時計の反対回り。女性の場合は、前方左側の席が最上席で、反対の時計回りの順。男女相乗りの場合は前方右側が男性、左側が女性となる。ラ四「たてまつれ」已然形(「乗る」の尊敬語)+完了の助動詞「り」終止形。
【さすがに】- やはりの意。『完訳』は「葵の上には気がすすまないが、それでも左大臣に対しては」と解す。
【心苦しく思しける】- 胸のつまる思い、気の毒なの意。『古典セレクション』は「おいたわしくお思いになるのだった」と訳す。
1.6.6
殿(との)にも、おはしますらむと(こころ)づかひしたまひて(ひさ)しく()たまはぬほどいとど(たま)(うてな)(みが)きしつらひ、よろづをととのへたまへり。
大殿邸でも、おいであそばすだろうとご用意なさって、久しくお見えにならなかった間に、ますます玉の台のように磨き上げ飾り立て、用意万端ご準備なさっていた。
こちらへ退出して来ることを予期した用意が左大臣家にできていた。しばらく行って見なかった源氏の目に美しいこの家がさらに磨き上げられた気もした。 【おはしますらむと心づかひしたまひて】- 「おはします」終止形は最高敬語。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。尊敬の助動詞「たまひ」連用形+接続助詞「て」。
【久しく見たまはぬほど】- 主語は源氏。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「久しう」とウ音便形に改める。『』は底本のまま。
1.6.7 女君は、例によって、物蔭に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないのを、父大臣が、強くご催促申し上げなさって、やっと出ていらっしゃった。
まるで絵に描いた姫君のように、座らされて、ちょっと身体をお動かしになることも難しく、きちんと行儀よく座っていらっしゃるので、心の中の思いを話したり、北山行きの話をもお聞かせたりするにも、話のしがいがあって、興味をもってお返事をなさって下さろうものなら、情愛もわこうが、少しも打ち解けず、源氏の君をよそよそしく気づまりな相手だとお思いになって、年月を重ねるにつれて、お気持ちの隔たりが増さるのを、とても辛く、心外なので、
源氏の夫人は例のとおりにほかの座敷へはいってしまって出て来ようとしない。大臣がいろいろとなだめてやっと源氏と同席させた。絵にかいた何かの姫君というようにきれいに飾り立てられていて、身動きすることも自由でないようにきちんとした妻であったから、源氏は、山の二日の話をするとすればすぐに同感を表してくれるような人であれば情味が覚えられるであろう、いつまでも他人に対する羞恥と同じものを見せて、同棲の歳月は重なってもこの傾向がますます目だってくるばかりであると思うと苦しくて、 【女君、例の、はひ隠れて】- 正妻の葵の上。「例の」とあるように習慣化している。
【とみにも出でたまはぬを】- 係助詞「も」強調のニュアンス。格助詞「を」目的格を表す。
【からうして】- 『集成』『新大系』は「からうして」と清音、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音で読む。『岩波古語辞典』は「古くは清音か」といい、語源と『日葡辞書』の用例を典拠にあげる。
【渡りたまへり】- 主語は葵の上。大殿邸の源氏の部屋に葵の上のほうが出て来たという意。『完訳』は「女君の部屋から源氏の前へ」と解す。
【ただ絵に描きたるものの姫君のやうに】- 当時の物語絵の中の姫君のように美しく着飾られているがじっとしていて動かない。
【し据ゑられて】- ワ下二動詞「し据ゑ」未然形+受身の助動詞「られ」連用形、接続助詞「て」。
【思ふこともうちかすめ】- 以下「御心の隔てもまさるを」まで、源氏の心中と地の文とが融合したような叙述である。その長文が源氏の屈曲した心の綾を表現する。「思ふこともうちかすめ」と「山道の物語をも聞こえむ」は並列の構文。
【言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ】- 挿入句。係助詞「こそ」推量の助動詞「め」已然形、係結びの法則、逆接用法で下文に続く。
【世には心も解けず】- 『古典セレクション』「「世には」は強調の語法。じつにまあ、ことのほかに、の意」と注す。副詞「世に」実に。
【うとく恥づかしきものに思して】- 主語は葵の上。
【年のかさなるに添へて】- 源氏と葵の上の結婚は「桐壺」巻の源氏十二歳の元服の夜であった。当「若紫」巻は、新年立によれば、源氏十八歳。六年の歳月が流れる。
【いと苦しく、思はずに】- 主語は源氏。「思はずに」は連語「思はず」連用形、意外だの意+断定の助動詞「に」連用形。いわゆる形容動詞「思はずなり」の連用形。
1.6.8
時々(ときどき)()(つね)なる御気色(みけしき)()ばや
()へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに()ひたまはぬこそめづらしからぬことなれど、なほうらめしう
「時々は、世間並みの妻らしいご様子を見たいですね。
私がひどく苦しんでおりました時にも、せめてどうですかとだけでも、お見舞い下さらないのは、今に始まったことではありませんが、やはり残念で」
「時々は普通の夫婦らしくしてください。ずいぶん病気で苦しんだのですから、どうだったかというぐらいは問うてくだすっていいのに、あなたは問わない。今はじめてのことではないが私としては恨めしいことですよ」 【時々は】- 以下「めづらしう」まで、源氏の詞。
【世の常なる御気色を見ばや】- 「世」は夫婦仲。終助詞「ばや」話者の願望を表す。
【いかがとだに】- 副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。
【問ひたまはぬこそ】- 御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「とはせ給はぬこそ」という二重敬語表現。横山本は「とうたまはぬこそ」、肖柏本は「とふらひ給はぬこそ」とある。書陵部本が大島本と同文。河内本は「とはせ給はぬも」とある。『集成』は「とはせ給はぬこそ」と本文を改める。『古典セレクション』『新大系』は底本のままとする。係助詞「こそ」は断定の助動詞「なれ」已然形に係るが、下に接続助詞「ど」逆接が続いたために、結びの流れとなっている。
【なほうらめしう】- 「うらめしく」のウ音便形。言いさした形で余意余情表現。
1.6.9
()こえたまふ。
からうして、
と申し上げなさる。
ようやくのことで、
と言った。
1.6.10 「『尋ねないのは、辛いものなの』でしょうか」
「問われないのは恨めしいものでしょうか」 【問はぬは、つらきものにやあらむ】- 葵の上の詞。『源氏釈』は「君をいかで思はむ人に忘らせてとはぬはつらきものとしらせむ」(源氏釈所引、出典未詳)を指摘。その他「とはぬはつらきもの」という句を含む和歌として、「忘れねと言ひしにかなふ君なれど問はぬはつらきものにぞありける」(後撰集 恋五 九二八 本院のくら)、「言も尽きほどはなけれど片時も問はぬはつらきものにぞありける」(古今六帖五)などもある。尋ねないというのは本当に辛いことなのでしょうか、もしそうなら、訪ねてくださらないわたしの辛い気持ちもお分かりでしょう、と「問ふ(見舞う)」を「訪ふ」の意に変えて切り返した。『古典セレクション』は「心を開いて素直に源氏を待ち迎えることのできない葵の上は、かろうじて古歌によりつつ恨みを述べる」と注す。
1.6.11
と、後目(しりめ)()おこせたまへるまみ、いと()づかしげに気高(けだか)ううつくしげなる御容貌(おほんかたち)なり。
と、流し目に御覧になっている目もとは、とても気後れがしそうで、気品高く美しそうなご容貌である。
こう言って横に源氏のほうを見た目つきは恥ずかしそうで、そして気高い美が顔に備わっていた。 【いと恥づかしげに】- 『集成』は「近づきがたい感じ」と解す。
1.6.12
まれまれはあさましの(おほん)ことや。
()はぬ、など()(きは)(こと)にこそはべるなれ
心憂(こころう)くものたまひなすかな。
()とともにはしたなき(おほん)もてなしを、もし、(おぼ)(なほ)(をり)もやと、とざまかうさまに(こころ)みきこゆるほど、いとど(おも)ほし(うと)むなめりかし
よしや、(いのち)だに
「たまさかにおっしゃるかと思えば、心外なお言葉ですね。
訪ねない、などという間柄は、他人が使う言葉でございましょう。
嫌なふうにおっしゃいますね。
いつまでたっても変わらない体裁の悪い思いをさせるお振る舞いを、もしや、お考え直しになるときもあろうかと、あれやこれやとお試し申しているうちに、ますますお疎んじなられたようですね。
仕方ない、
「たまに言ってくださることがそれだ。情けないじゃありませんか。訪うて行かぬなどという間柄は、私たちのような神聖な夫婦の間柄とは違うのですよ。そんなことといっしょにして言うものじゃありません。時がたてばたつほどあなたは私を露骨に軽蔑するようになるから、こうすればあなたの心持ちが直るか、そうしたら効果があるだろうかと私はいろんな試みをしているのですよ。そうすればするほどあなたはよそよそしくなる。まあいい。長い命さえあればよくわかってもらえるでしょう」 【まれまれは】- 以下「よしや命だに」まで、源氏の詞。「まれまれは」は、たまさかにおっしゃるかと思えばの意。
【訪はぬ、など言ふ際は】- 葵の上の「問はぬはつらき」を受けて切り返す。『古典セレクション』は「「問はぬはつらき」などという言葉は、忍んで通う程度の関係ならともかく、世間公認の夫婦である源氏と葵の上との仲で言うべきことではない、といなした」と注す。
【異にこそはべるなれ】- 「異」は他の夫婦。係助詞「こそ」、丁寧語「はべる」連体形、断定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
【はしたなき御もてなし】- 『集成』は「取り付く島もないお仕打ち」と解す。
【とざまかうさまに】- 「左之右之、トザマカウサマ、自由自在義也(文明本節用集)」(岩波古語辞典)。
【いとど思ほし疎むなめりかし】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思し」と校訂。『新大系』は底本のまま。「思ほし」のまま。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量、終助詞「かし」念押し。
【よしや、命だに】- 『奥入』は「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集 離別 三八七 しろめ)を指摘する。生きているうちにいつか直る時があろうの意。『集成』は「引歌があろうが、明らかでない」と注す。『完訳』は「やや不審」という。
1.6.13
とて、(よる)御座(おまし)()りたまひぬ。
女君(をんなぎみ)ふとも()りたまはず、()こえわづらひたまひて、うち(なげ)きて()したまへるもなま(こころ)づきなきにやあらむねぶたげにもてなしてとかう()(おぼ)(みだ)るること(おほ)かり。
と言って、夜のご寝所にお入りになった。
女君は、すぐにもお入りにならず、お誘い申しあぐねなさって、溜息をつきながら横になっているものの、何となくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれやと夫婦仲を思い悩まれることが多かった。
と言って源氏は寝室のほうへはいったが、夫人はそのままもとの座にいた。就寝を促してみても聞かぬ人を置いて、歎息をしながら源氏は枕についていたというのも、夫人を動かすことにそう骨を折る気にはなれなかったのかもしれない。ただくたびれて眠いというふうを見せながらもいろいろな物思いをしていた。 【聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも】- 主語は源氏。『集成』は「〔源氏は〕誘いあぐねなさって」「よこになられたが」と解すが、『古典セレクション』は「「聞こえ…臥したまへるも」は、葵の上の動作と解す」と注し、「申し上げる言葉もさがしあぐねられて、ため息をついて横におなりになるが」と訳す。
【なま心づきなきにやあらむ】- 語り手が源氏の心情を想像した挿入句。『休聞抄』に「双也」とあり草子地と指摘。
【ねぶたげにもてなして】- 『古典セレクション』は「源氏の、葵の上を避ける態度」と注す。
1.6.14
この若草(わかくさ)()()でむほどのなほゆかしきを()げないほどと(おも)へりしも道理(ことわり)ぞかし。
()()りがたきことにもあるかな。
いかにかまへて、ただ(こころ)やすく(むか)()りて、()()れの(なぐさ)めに()む。
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)は、いとあてになまめいたまへれど、(にほ)ひやかになどもあらぬをいかで、かの一族(ひとぞう)おぼえたまふらむ
ひとつ后腹(きさきばら)なればにや」など(おぼ)す。
ゆかりいとむつましきに、いかでかと、(ふか)うおぼゆ。
この若草の君が成長していく間がやはり気にかかるので、「まだ相応しくない年頃と思っているのも、もっともである。
申し込みにくいものだなあ。
何とか手段を講じて、ほんの気楽に迎え取って、毎日の慰めとして一緒に暮らしたい。
父兵部卿宮は、とても上品で優美でいらっしゃるが、つややかなお美しさはないのに、どうして、あの一族に似ていらっしゃるのだろう。
父宮が同じお后様からお生まれになったからだろうか」などとお考えになる。
血縁がとても親しく感じられて、何とかしてと、深く思われる。
若草と祖母に歌われていた兵部卿の宮の小王女の登場する未来の舞台がしきりに思われる。年の不つりあいから先方の人たちが自分の提議を問題にしようとしなかったのも道理である。先方がそうでは積極的には出られない。しかし何らかの手段で自邸へ入れて、あの愛らしい人を物思いの慰めにながめていたい。兵部卿の宮は上品な艶なお顔ではあるがはなやかな美しさなどはおありにならないのに、どうして叔母君にそっくりなように見えたのだろう、宮と藤壷の宮とは同じお后からお生まれになったからであろうか、などと考えるだけでもその子と恋人との縁故の深さがうれしくて、ぜひとも自分の希望は実現させないではならないものであると源氏は思った。 【この若草の】- 『集成』は「以下、源氏の心中」と解す。「この若草」という呼び方は源氏の心中に即したような表現。『完訳』は「似げないほど」以下「ひとつ后腹なればにや」までを源氏の心中と解す。【この】-横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は「かの」とある。御物本と肖柏本、書陵部本が大島本と同文。河内本は「かの」とある。
【なほゆかしきを】- 接続助詞「を」順接、原因理由を表す。ので。
【似げないほどと思へりしも】- 主語は尼君。尼君の態度に対して特に敬語を使っていない。
【匂ひやかになどもあらぬを】- 接続助詞「を」逆接を表す。
【かの一族】- 先帝の一族。具体的には叔母の藤壺宮。大島本「ひとそう」と訓読した仮名表記。
【おぼえたまふらむ】- 主語は紫の上。「おぼえ」は、似る意。
【ひとつ后腹なればにや】- 主語は兵部卿宮。断定の助動詞「なれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。断定の助動詞「に」連用形+係助詞「や」疑問を表す。

第七段 北山へ手紙を贈る

1.7.1 翌日、お手紙を差し上げなさった。
僧都にもそれとなくお書きになったのであろう。
尼上には、
源氏は翌日北山へ手紙を送った。僧都へ書いたものにも女王の問題をほのめかして置かれたに違いない。尼君のには、 【またの日】- 北山から帰っての翌日。
【御文たてまつれたまへり】- 他下二「たてまつれ」連用形。人をして手紙を差し上げ、の意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形。
【僧都にもほのめかしたまふべし】- 推量の助動詞「べし」終止形、語り手の想像。
1.7.2 「取り合って下さらなかったご様子に気がひけますので、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになりましたことを。
これほどに申し上げておりますことにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことでしょうか」
問題にしてくださいませんでしたあなた様に気おくれがいたしまして、思っておりますこともことごとくは言葉に現わせませんでした。こう申しますだけでも並み並みでない執心のほどをおくみ取りくださいましたらうれしいでしょう。 【もて離れたりし】- 以下「いかにうれしう」まで、源氏の手紙文。相手の態度に対して特に敬語を付けていない。
【思ひたまふるさまをも】- 主語は源氏。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形。
【えあらはし果てはべらずなりにしをなむ】- 副詞「え」は打消の助動詞「ず」連用形と呼応して不可能の意を表す。丁寧の補助動詞「はべら」未然形、手紙文中の用例。官僚の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+格助詞「を」目的格+係助詞「なむ」。下に「口惜しう思ひ給ふる」などの語句が省略。言いさした形で、余意余情表現。
【おしなべたらぬ志のほどを】- バ下二「おしなべ」連用形+完了の助動詞「たら」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。並々ならない、の意。
【御覧じ知らば】- 「知ら」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【いかにうれしう】- 「うれしう」連用中止法。下に「思はむ」などの語句が省略。
1.7.3
などあり。
(なか)に、(ちひ)さく()(むす)びて
などと書いてある。
中に、小さく結んで、
などと書いてあった。別に小さく結んだ手紙が入れてあって、 【小さく引き結びて】- 尼君への正式な立て文の書状の中に結び文を鋏み込んだもの。結び文は恋文の形式。少女宛てなので小さく結んだ。
1.7.4 「あなたの山桜のように美しい面影はわたしの身から離れません
心のすべてをそちらに置いて来たのですが
「面かげは身をも離れず山ざくら、
心の限りとめてこしかど
【面影は身をも離れず山桜--心の限りとめて来しかど】- 源氏の贈歌。「面影」は少女の面影、「山桜」に喩える。「とめて」は「止めて」の意。大島本は仮名表記「こしかと」。カ変「来(こ)」未然形+過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接。過去の助動詞「き」は本来連用形に続くが、カ変「来」の場合、「し」連体形及び「しか」已然形は「こし」「こしか」、「きし」「きしか」と、未然形「こ」と連用形「き」の両方に続く。中世になると「こし」「こしか」が普通となる。
1.7.5 夜間に吹く風が、心配に思われまして」
どんな風が私の忘れることのできない花を吹くかもしれないと思うと気がかりです」 【夜の間の風も、うしろめたくなむ】- 和歌に添えた言葉。『異本紫明抄』は「朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風の後めたさに」(拾遺集 春 二九 元良親王)を指摘。『古典セレクション』は「山桜にたとえられる紫の上が今にもどこかへ引き取られはせぬかと危惧する気持」と注す。
1.7.6
とあり。
御手(おほんて)などはさるものにて、ただはかなうおし(つつ)みたまへるさまも、さだすぎたる御目(おほんめ)どもには、()もあやにこのましう()ゆ。
と書いてある。
ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。
内容はこうだった。源氏の字を美しく思ったことは別として、老人たちは手紙の包み方などにさえ感心していた。、 【さだ】- 大島本は「また」とある。大島本の独自異文。変体仮名の字母「左」と「万」の類似から生じた誤写であろう。諸本によって改める。
1.7.7
あな、かたはらいたや。
いかが()こえむ」と、(おぼ)しわづらふ。
「まあ、困ったこと。
どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。
困ってしまう。こんな問題はどうお返事すればいいことかと尼君は当惑していた。 【あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ】- 尼君の心中。「かたはらいた」は形容詞「かたはらいたし」の語幹。間投助詞「や」詠嘆。推量の助動詞「む」連体形。
1.7.8 「行きがかりのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのに、お返事の申し上げようがなくて。
まだ「難波津」をさえ、ちゃんと書き続けませんようなので、お話になりません。
それにしても、
あの時のお話は遠い未来のことでございましたから、ただ今何とも申し上げませんでもと存じておりましたのに、またお手紙で仰せになりましたので恐縮いたしております。まだ手習いの難波津の歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ、それにいたしましても、 【ゆくての御ことは】- 以下「うしろめたう」まで、尼君の返書。「ゆくて」は行きががりの意。
【思ひたまへなされしを】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、自発の助動詞「れ」連用形、過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
【まだ「難波津」をだに】- 『紫明抄』は「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」(古今集仮名序)を指摘。初心者の手習い歌である。副助詞「だに」最小限を表す。
【はかばかしう続けはべらざめれば】- 仮名文字を連綿体で書くこと。「ざめれ」は「打消の助動詞「ざる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【かひなくなむ】- 係助詞「なむ」、下に「はべる」連体形などの語が省略。
【さても】- 連語(副詞「さて」+係助詞「も」)そんな状態でもやはり。
1.7.9 激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に
その散る前にお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます
嵐吹く尾上のさくら散らぬ間を、
心とめけるほどのはかなさ
【嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を--心とめけるほどのはかなさ】- 尼君の返歌。源氏の歌に添えた「夜の間の風」を「嵐吹く」と受け、また「山桜」を「尾の上の桜」と受けて応える。束の間の心寄せではないかとして切り返す。
1.7.10 ますます気がかりでございまして」
こちらこそたよりない気がいたします。
というのが尼君からの返事である。
【いとどうしろめたう」--とあり】- 【いとどうしろめたう】-歌に添えた言葉。源氏が気掛かりに思う以上にこちらは一層心配だ、の意。形容詞「うしろめたう」連用形、ウ音便形。連用中止法。言い切らない余意余情表現。
1.7.11
とあり
僧都(そうづ)御返(おほんかへ)りも(おな)じさまなれば、口惜(くちを)しくて、()三日(さんにち)ありて惟光(これみつ)をぞたてまつれたまふ
とある。
僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日たって、惟光を差し向けなさる。
僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光を北山へやろうとした。 【二、三日ありて】- 大島本は漢字表記で「二三日」とある。字音で「にさむにち」と読んでおく。
【惟光をぞたてまつれたまふ】- 係助詞「ぞ」は尊敬の補助動詞「たまふ」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンス。下二「たてまつれ」連用形、使者を差し上げる、意。
1.7.12
少納言(せうなごん)乳母(めのと)()(ひと)あべし
(たづ)ねて、(くは)しう(かた)らへ」などのたまひ()らす。
さも、かからぬ(くま)なき御心(みこころ)かな。
さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、()しほどを(おも)ひやるもをかし。
「少納言の乳母という人がいるはずだ。
その人を尋ねて、詳しく相談せよ」などとお言い含めなさる。
「何とも、
どのようなことにもご関心を寄せられる好き心だなあ。あれほど子供じみた様子であった様子なのに」と、はっきりとで
「少納言の乳母という人がいるはずだから、その人に逢って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
 などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見をした時のことを思ってみたりもしていた。
【少納言の乳母】- 以下「詳しう語らへ」まで、源氏の詞。前に「少納言の乳母とぞ人いふめるはこの子の後見なるべし」とあった。
【と言ふ人あべし】- 「あべし」はラ変「ある」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「べし」終止形。
【さも、かからぬ隈なき】- 以下「いはけなげなかりしけはひを」まで、惟光の心中。副詞「さも」まったく、いかにも。「かから」未然形は「関る・係る・懸る・掛る」の意+打消の助動詞「ぬ」連体形。抜け目ない。
【さばかりいはけなげなりしけはひを】- 副詞「さばかり」。過去の助動詞「し」連体形。接続助詞「を」逆接を表す。あれほど幼げな様子だったのに。
1.7.13
わざと、かう御文(おほんふみ)あるを僧都(そうづ)もかしこまり()こえたまふ。
少納言(せうなごん)消息(せうそこ)して()ひたり。
(くは)しく、(おぼ)しのたまふさま、おほかたの(おほん)ありさまなど(かた)
言葉多(ことばおほ)かる(ひと)にてつきづきしう()(つづ)くれど、いとわりなき(おほん)ほどを、いかに(おぼ)すにか」と、ゆゆしうなむ、(たれ)(たれ)(おぼ)しける
わざわざ、このようにお手紙があるので、僧都も恐縮の由申し上げなさる。
少納言の乳母に申し入れて面会した。
詳しく、お考えになっておっしゃったご様子や、日頃のご様子などを話す。
多弁な人なので、もっともらしくいろいろ話し続けるが、「とても無理なお年なのに、どのようにお考えなのか」と、大変心配なことと、どなたもどなたもお思いになるのであった。
今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。 【かう御文あるを】- 接続助詞「を」順接を表す。お手紙があったので。
【詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る】- 主語は惟光。「詳しく」は「語る」に掛かる。「思しのたまふさま」と「おほかたの御ありさま」は並列の構文。
【言葉多かる人にて】- 惟光の人柄。『集成』は「多弁な人物で」と解し、『完訳』は「口の達者な男」と解す。
【いとわりなき御ほどを、いかに思すにか】- 尼君と僧都の心中。源氏の心を思う。
【誰も誰も思しける】- 「誰も誰も」は「思す」という敬語表現なので、僧都と尼上のこと。過去の助動詞「ける」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。
1.7.14
御文(おほんふみ)にも、いとねむごろに()いたまひて、(れい)の、(なか)に、かの御放(おほんはな)()なむ、なほ()たまへまほしき」とて、
お手紙にも、とても心こめてお書きになって、例によって、その中に、「あの一字一字のお書きなのを、やはり拝見したいのです」とあって、
手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
 一つずつ離してお書きになる姫君のお字をぜひ私に見せていただきたい。
 ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、
【かの御放ち書き】- 尼君の返書に「まだ「難波津」をだにはかばかしう続けはべらざめれば」とあったのを受ける。
【なほ見たまへまほしき】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、希望の助動詞「まほしき」連体形、係助詞「なむ」の係結びの法則。
1.7.15 「浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに
どうしてわたしからかけ離れていらっしゃるのでしょう」
浅香山浅くも人を思はぬに、
など山の井のかけ離るらん
【あさか山浅くも人を思はぬに--など山の井のかけ離るらむ】- 源氏の贈歌。『紫明抄』は「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」(古今集仮名序)を指摘。尼君の「難波津」に寄せて、和歌の手習い歌である「浅香山」の歌を踏まえた歌を贈った。「かけ離る」は「影離る」との掛詞。当時は濁音表記がないので文字表記だけから見れば共に「かけはなれ」となる。
1.7.16
御返(おほんかへ)し、
お返事、
この歌が書いてある。返事、
1.7.17 「うっかり薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました山の井のような
浅いお心のままどうして孫娘を御覧に入れられましょう」
汲み初めてくやしと聞きし山の井の、
浅きながらや影を見すべき
尼君が書いたのである。、
【汲み初めてくやしと聞きし山の井の--浅きながらや影を見るべき】- 尼君の返歌。『異本紫明抄』は「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」(古今六帖二 山の井)を指摘。係助詞「や」、推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則。反語表現。「影」は孫娘をさす。孫娘をお見せすることができましょうか、いえできませんの意。
1.7.18
惟光(これみつ)(おな)じことを()こゆ。
惟光も同じ意味のご報告を申し上げる。
惟光が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
1.7.19
このわづらひたまふことよろしくはこのごろ()ぐして、(きゃう)殿(との)(わた)りたまひてなむ、()こえさすべきとあるを、(こころ)もとなう(おぼ)
「このご病気が多少回復したら、しばらく過ごして、京のお邸にお帰りになってから、改めてお返事申し上げましょう」とあるのを、待ち遠しくお思いになる。
「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
 と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。
【このわづらひたまふことよろしくは】- 以下「聞こえさすべき」まで、少納言の乳母の詞。「この」は尼君をさす。「よろしく」未然形+接続助詞「は」、順接の仮定条件を表す。多少よくなったら。
【このごろ】- 『古典セレクション』は「このごろ」と濁音に読む。『集成』『新大系』は清音に読んでいる。「今来・比日・今属、コノゴロ」(名義抄)。「奈良時代にはコノコロと清音。平安時代以後コノゴロ」(岩波古語辞典)。
【聞こえさすべき】- 「聞こえさす」終止形は「言ふ」の最も丁重な謙譲語。推量の助動詞「べき」連体形、係助詞「なむ」と係結びの法則。
【とあるを、心もとなう思す】- 助詞「を」について、『今泉忠義訳』は「と少納言からの口上なので」と接続助詞、順接の意に、『古典セレクション』は「少納言の乳母の返事があるのを」と格助詞、目的格の意に、それぞれ訳す。

第二章 藤壺の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語


第一段 夏四月の短夜の密通事件

2.1.1
藤壺(ふぢつぼ)(みや)(なや)みたまふことありてまかでたまへり
(うへ)の、おぼつかながり、(なげ)ききこえたまふ御気色(みけしき)も、いといとほしう()たてまつりながらかかる(をり)だにと(こころ)もあくがれ(まど)ひて、何処(いづく)にも何処(いづく)にも、まうでたまはず、内裏(うち)にても(さと)にても、(ひる)つれづれと(なが)()らして、()るれば、王命婦(わうみゃうぶ)()(あり)きたまふ。
藤壺の宮に、ご不例の事があって、ご退出された。
主上が、お気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしく拝見しながらも、せめてこのような機会にもと、魂も浮かれ出て、どこにもかしこにもお出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦にあれこれとおせがみになる。
藤壼の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝が日々恋しく思召す御様子に源氏は同情しながらも、稀にしかないお実家住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。 【藤壺の宮、悩みたまふことありて】- 物語は変わって、藤壺の物語。源氏、北山帰京の後、季節は夏四月。源氏と藤壺のスリリングな逢瀬が夏の季節の短夜を背景にして語られる。
【まかでたまへり】- 後の「賢木」巻に三条宮邸と知られる。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「り」完了の意。
【いといとほしう見たてまつりながら】- 主語は源氏。父帝に対する気持ち。
【かかる折だにと】- 副助詞「だに」最小限の願望。せめてこのような機会にでもと。
【つれづれと】- 御物本は「つく(く$れ)つく(く$れ)と」。榊原家本、池田本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「つくつくと」とある。横山本は大島本と同文。河内本は「つくつくと」とある。
【王命婦】- 藤壺の宮付きの女房。その呼称によって皇族出身の命婦と知られる。
2.1.2
いかがたばかりけむいとわりなくて()たてまつるほどさへ、(うつつ)とはおぼえぬぞ、わびしきや
どのように手引したのだろうか、とても無理してお逢い申している間さえ、現実とは思われないのは、辛いことであるよ。
王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。 【いかがたばかりけむ】- 語り手の挿入句。『休聞抄』は「双書様のならひ也」と指摘。『完訳』は「語り手の言葉。「いかがたばかりけむ」で、その経過の詳細を省き、一挙に密会場面へと展開」と指摘する。過去推量の助動詞「けむ」連体形。
【わびしきや】- 間投助詞「や」詠嘆。語り手の感想を交えた叙述。萩原広道『評釈』は「源氏の心を評じたる也」と指摘。『集成』は「たまさかの、はかない逢瀬を悲しむ源氏の気持」と解し、『完訳』は「予想外の事態に処しかねる気持」と解す。この逢瀬が夢ではなく現実であるにもかかわらず、それが現実のことと思えない、つらさ。
2.1.3 宮も、思いもしなかった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰などが、やはり普通の女人とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらなかったのだろう」と、辛くまでお思いになられる。
宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。 【宮も、あさましかりしを思し出づるだに】- 「あさましかり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、格助詞「を」目的格、「思し出づる」連体形、副助詞「だに」最小限。源氏と藤壺宮の逢瀬が過去にも一度あったという叙述のしかたである。
【さてだにやみなむと】- 藤壺の心中。副助詞「だに」最小限。完了の助動詞「な」未然形、確述の意+推量の助動詞「む」終止形、意志。せめてそれきりだけで終わりにしたい、の意。
【深う思したるに】- 主語は藤壺。接続助詞「に」逆接を表す。
【いと憂くて】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心憂くて」と「心」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は「この「心憂し」は「憂し」とほぼ同意。「憂し」は、自分自身のせいでつらく思う意で、自らの運命を痛恨する気持。藤壺は、源氏との関係を避けがたい宿運として嘆く」と注す。
【いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに】- 藤壺の心中叙述から源氏の見た藤壺像へと文章は変化し移ってゆく。
【さりとてうちとけず】- すっかり馴れ馴れしくはならないのは、高貴な貴族にとって品位を保つ上で大切なこと。
【なほ人に似させたまはぬを】- 副詞「なほ」。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形、最高敬語。打消の助動詞「ぬ」連体形+格助詞「を」目的格を表す。
【などか】- 以下「たまはざりけむ」まで、源氏の心中。
【なのめなることだに】- 「なのめ」は普通、平凡の意。副助詞「だに」最小限を表す。
【つらうさへぞ思さるる】- 副助詞「さへ」添加を表す。係助詞「ぞ」、自発の助動詞「るる」連体形、係結びの法則。
2.1.4 どのようなことをお話し申し上げきれようか。
鞍馬の山に泊まりたいところだが、あいにくの短夜なので、情けなく、かえって辛い逢瀬である。
源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。 【何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ】- 以下、語り手の評言。『集成』は句点にして、文を完結する。連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)、推量の助動詞「む」連体形。反語表現の構文。
【くらぶの山に】- 歌語「暗部山」。「鞍馬山」のこと。「比ぶ」「暗し」のイメージを内包する語句。ここは後者の意。『源氏釈』は「墨染の鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななむ」(後撰集 恋四 八三三 平中興が女)を指摘。「秋の夜の月の光し明かければ暗部の山も越えぬべらなり」(古今集・秋上・元方)。『集成』『完訳』は、歌枕として指摘する。
【あやにくなる】- 語り手の感情を交えた表現。
【短夜にて】- 夏四月頃の短夜。
【あさましう、なかなかなり】- 「あさまし」は、あきれて情けない意。副詞「なかなか」かえって--しない方がましなくらいである、の意。
2.1.5 「お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので
夢の中にそのまま消えてしまいとうございます」
見てもまた逢ふ夜稀なる夢の中に
やがてまぎるるわが身ともがな
【見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに--やがて紛るる我が身ともがな】- 源氏の贈歌。夢が実現する意味の「合ふ世」と男女の「逢ふ世」の掛詞。「見る」「あふ」「夢」は縁語。夢の中にこのまま紛れ込んでしまいたいの意。「夢」の贈答歌について、『完訳』は「『伊勢物語』六十九段の投影」と指摘する。小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(古今集 恋歌二 五五二)歌他の「夢」と「現」の文学伝統が通底している。連語「ともがな」(格助詞「と」+終助詞「もがな」)願望を表す。
2.1.6 と、涙にひどくむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、
涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、 【むせかへりたまふさまも】- 源氏の振るまい。『古典セレクション』「「かへる」は動作状態の反復、転じて窮まったさまを表す」と注す。涙にひどくむせぶ。
【さすがにいみじければ】- 藤壺の源氏を拒絶しきれない心情。
2.1.7 「世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか、
この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても
世語りに人やつたへん類ひなく
憂き身をさめぬ夢になしても
とお言いになった。
【世語りに人や伝へむたぐひなく--憂き身を覚めぬ夢になしても】- 藤壺の返歌。源氏の「夢」「身」の語句を用いて返す。『新大系』「藤壺の返しは世間の目への恐れを全面に立てつつも、歌の贈答を成立させることによって深くも源氏の無謀な恋情を受け入れている」と注す。係助詞「や」、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
2.1.8
(おぼ)(みだ)れたるさまもいと道理(ことわり)にかたじけなし。
命婦(みゃうぶ)(きみ)ぞ、御直衣(おほんなほし)などは、かき(あつ)()()たる
お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。
命婦の君が、お直衣などは、取り集めて持って来た。
宮が煩悶しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。 【思し乱れたるさまも】- 以下、語り手の感想を交えた評言。敬語が付かない。
【かき集め持て来たる】- 『集成』は「悲しみに茫然として帰ろうとしない源氏に、脱ぎ捨てておいた直衣などをかき集めて持って来て、帰り支度をうながすのである」と解す。部屋の中での出来事とする。
2.1.9
殿(との)におはして()()()()らしたまひつ。
御文(おほんふみ)なども(れい)の、御覧(ごらん)()れぬよしのみあれば(つね)のことながらも、つらういみじう(おぼ)しほれて、内裏(うち)へも(まゐ)らで、()三日(さんにちこ)もりおはすれば、また、「いかなるにか」と御心動(みこころうご)かせたまふべかめるも(おそ)ろしうのみおぼえたまふ
お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。
お手紙なども、例によって、御覧にならない旨ばかりなので、いつものことながらも、全く茫然自失とされて、内裏にも参内せず、二、三日閉じ籠もっていらっしゃるので、また、「どうかしたのだろうか」と、ご心配あそばされているらしいのも、恐ろしいばかりに思われなさる。
源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。 【殿におはして】- 二条院。主語は源氏。
【御文なども】- 源氏から藤壺への後朝の手紙。
【例の、御覧じ入れぬよしのみあれば】- 例の」は「御覧じ入れぬ」を修飾。『古典セレクション』は「藤壺は源氏の消息を受け付けない。「例の」とあり、それが習慣化している」と注す。王命婦から源氏へ、藤壺は源氏の手紙を御覧になりません、という返事の意。
【二、三日】- 大島本は漢字表記で「二三日」とある。今字音で「にさむにち」と読んでおく。
【また、「いかなるにか」と】- 前にわらわ病みを心配。
【御心動かせたまふべかめるも】- 主語は帝。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。「べかめる」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「める」連体形、主観的推量、係助詞「も」。きっと御心配あそばすにちがいないらしいにつけてもというニュアンス。
【恐ろしうのみおぼえたまふ】- 源氏の心理。『集成』は「罪深いことだ」と解す。『完訳』は「帝の自分へのいたわりにつけても、源氏は犯した罪を恐れる」と解す。源氏は再犯である。

第二段 妊娠三月となる

2.2.1
(みや)も、なほいと心憂(こころう)()なりけりと、(おぼ)(なげ)くに、(なや)ましさもまさりたまひて、とく(まゐ)りたまふべき御使(おほんつかひ)しきれど、(おぼ)しも()たず
藤壺宮も、やはり実に情けないわが身であったと、お嘆きになると、ご気分の悪さもお加わりになって、早く参内なさるようにとの御勅使が、しきりにあるが、ご決心もつかない。
宮も御自身の運命をお歎きになって煩悶が続き、そのために御病気の経過もよろしくないのである。宮中のお使いが始終来て御所へお帰りになることを促されるのであったが、なお宮は里居を続けておいでになった。 【とく参りたまふべき御使】- 桐壺帝から藤壺へ内裏に帰参するようにとの勅使。
【思しも立たず】- 主語は藤壺。係助詞「も」強調のニュアンス。
2.2.2
まことに、御心地(みここち)(れい)のやうにもおはしまさぬはいかなるにかと、人知(ひとし)れず(おぼ)すこともありければ、心憂(こころう)く、「いかならむ」とのみ(おぼ)(みだ)る。
本当に、ご気分が、普段のようにおいであそばさないのは、どうしたことかと、密かにお思い当たることもあったので、情けなく、「どうなることだろうか」とばかりお悩みになる。
宮は実際おからだが悩ましくて、しかもその悩ましさの中に生理的な現象らしいものもあるのを、宮御自身だけには思いあたることがないのではなかった。情けなくて、これで自分は子を産むのであろうかと煩悶をしておいでになった。 【御心地、例のやうにもおはしまさぬは】- 妊娠二、三か月の悪阻の徴候。
【人知れず思すこと】- 源氏との逢瀬。
2.2.3 暑いころは、ますます起き上がりもなさらない。
三か月におなりになると、とてもよく分かるようになって、女房たちもそれとお気付き申すにつけ、思いもかけないご宿縁のほどが、恨めしい。
他の人たちは、思いもよらないことなので、「この月まで、ご奏上あそばされなかったこと」と、意外なことにお思い申し上げる。
ご自身一人には、はっきりとお分かりになる節もあるのであったのだ。
まして夏の暑い間は起き上がることもできずにお寝みになったきりだった。御妊娠が三月であるから女房たちも気がついてきたようである。宿命の恐ろしさを宮はお思いになっても、人は知らぬことであったから、こんなに月が重なるまで御内奏もあそばされなかったと皆驚いてささやき合った。 【暑きほどは】- 夏六月ころの気候。
【三月になりたまへば】- 妊娠して三か月。源氏との密通事件は四月の短夜、今は、夏の最も暑い六月。密通・妊娠という主題が夏の暑苦しさを季節的背景としてかたられていく。この物語の主題と季節との類同的発想の一つ。
【人びと見たてまつりとがむるに】- 注目する、不審がる、の意。女房たちは事の真実を知らないから、非難する、という意ではない。接続助詞「に」順接を表す。
【あさましき御宿世のほど、心憂し】- 「心憂し」とは、語り手と登場人物藤壺の心が一体化したような表現。敬語が付かない。『新大系』「子種をさずかることは前世からの宿縁によるという考え方」と注す。
【この月まで、奏せさせたまはざりけること】- 女房たちの詞。どうして今までめでたいことを隠していたのかという驚き。「奏す」は帝に申し上げる意。尊敬の助動詞「させ」未然形+尊敬の補助動詞「たまは」未然形+打消の助動詞「ざり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形。
【我が御心一つには、しるう思しわくこともありけり】- 源氏の子をみごもったという事をさす。王命婦を除く他の女房たちは知らない。「ありけり」というように、語り手は、読者の前に秘話を語る。
2.2.4
御湯殿(おほんゆどの)などにも(した)しう(つか)うまつりて、何事(なにごと)御気色(みけしき)をもしるく()たてまつり()れる、御乳母子(おほんめのとご)(べん)命婦(みゃうぶ)などぞ、あやしと(おも)へど、かたみに()ひあはすべきにあらねば、なほ(のが)れがたかりける御宿世(おほんすくせ)をぞ命婦(みゃうぶ)はあさましと(おも)ふ。
お湯殿などにも身近にお仕え申し上げて、どのようなご様子もはっきり存じ上げている、おん乳母子の弁や、命婦などは、変だと思うが、お互いに口にすべきことではないので、やはり逃れられなかったご運命を、命婦は驚きあきれたことと思う。
宮の御入浴のお世話などもきまってしていた宮の乳母の娘である弁とか、王命婦とかだけは不思議に思うことはあっても、この二人の間でさえ話し合うべき問題ではなかった。命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というもののカに驚いていたのである。 【御湯殿】- 当時は入浴法は沐浴である。日光田母沢御用邸記念公園の御湯殿を見ることができる。
【御乳母子の弁、命婦】- 藤壺の乳母子の弁と王命婦。下文に「命婦は」とあり、弁はともかくも、源氏の手引きをした命婦は運命を感じ取っている、という叙述。
【なほ逃れがたかりける御宿世をぞ】- 地の文であるが、「なほ」には王命婦の感想が交えられた表現である。
2.2.5
内裏(うち)には御物(おほんもの)()(まぎ)れにて、とみに気色(けしき)なうおはしましけるやうに(そう)しけむかし
()(ひと)さのみ(おも)ひけり。
いとどあはれに(かぎ)りなう(おぼ)されて、御使(おほんつかひ)などのひまなきも、そら(おそ)ろしうものを(おぼ)すこと、ひまなし。
帝に対しては、おん物の怪のせいで、すぐには兆候がなくあそばしたように奏上したのであろう。
周囲の人もそうとばかり思っていた。
ますますこの上なく愛しくお思いあそばして、御勅使などがひっきりなしにあるにつけても、空恐ろしく、物思いの休まる時もない。
宮中へは御病気やら物怪やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。 【内裏には】- 以下「奏しけむかし」まで、語り手の推測として語る。『休聞抄』は「双也」と注し、『評釈』は「奏上の言葉をこの物語の語り手(作者)は知っているのではない、という気持」と注す。
【おはしましけるやうに】- 主語は藤壺。
【奏しけむかし】- 過去推量の助動詞「けむ」終止形+終助詞「かし」念押し。奏上したのであろうよの意。『集成』は「奏上したらしかった」と解し、『完訳』は「奏上したようである」と解す。
【見る人も】- 御物本、横山本、肖柏本は「みな人も」とある。榊原家本、池田本、三条西家本は大島本と同文。『新大系』「判断する人、占いを見る人のたぐいか」と注す。
【いとどあはれに】- 主語は帝。寵妃の藤壺が懐妊したことを喜ぶ気持ち。
【そら恐ろしう】- 主語は藤壺。
2.2.6 源氏中将の君も、ただごとではない異様な夢を御覧になって、夢解きをする者を呼んで、ご質問させなさると、及びもつかない思いもかけない方面のことを判断したのであった。
煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、 【中将の君も】- 源氏をさす。官職名で呼ぶ。公人としてのニュアンスをこめる。
【おどろおどろしうさま異なる夢】- 通常の夢とは違った異様な夢、霊夢。予言的な意味のある夢。
【合はする者】- 夢占いをする者。
【問はせたまへば】- 使役の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。夢占いをして占わせなさると。
【及びなう思しもかけぬ筋のこと】- 実に尊い子を授かるだろう、という内容か。当時の感覚でいえば、神の子の異常出生か将来に帝となる子ということだろう。『集成』は「源氏が天子の父となるであろうということ」と注す。『古典セレクション』も同じ。『真大系』「分に過ぎたるお思い寄りもせぬ方面の内容を合せたことだ。謎として読者に与えられる」と注す。
2.2.7 「その中に、順調に行かないところがあって、お身を慎みあそばさななければならないことがございます」
「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」 【その中に、違ひ目ありて、慎しませたまふべきことなむはべる】- 夢解の詞。その夢を見た人の運勢の中には一時順調に行かないことがあるという意。のちに源氏の須磨明石流離となって現実化する。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。しなければならない。係助詞「なむ」、「はべる」連体形、係結びの法則。
2.2.8
()ふにわづらはしくおぼえて、
と言うので、面倒に思われて、
と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。 【と言ふに】- 接続助詞「に」順接の意。
2.2.9 「自分の夢ではない、他の方の夢を申すのだ。
この夢が現実となるまで、誰にも話してはならぬ」
「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」 【みづからの夢にはあらず】- 以下「人にまねぶな」まで、源氏の詞。源氏は他人の夢の話だと言いながら、一方で夢占の者に他言を制す。
【人の御ことを】- 敬語「御」が付いているので帝を想定した発言。
【また人にまねぶな】- 副詞「また」は他にの意。「なねぶ」は見聞きしたことを他人に言う意。
2.2.10
とのたまひて、(こころ)のうちには、「いかなることならむ」と(おぼ)しわたるに、この女宮(をんなみや)(おほん)こと()きたまひて、もしさるやうもや」と、(おぼ)()はせたまふに、いとどしくいみじき(こと)葉尽(はつ)くしきこえたまへど、命婦(みゃうぶ)(おも)ふに、いとむくつけう、わづらはしさまさりて、さらにたばかるべきかたなし
はかなき一行(ひとくだり)御返(おほんかへ)りのたまさかなりしも、()()てにたり
とおっしゃって、心中では、「どのようなことなのだろう」とお考えめぐらしていると、この女宮のご懐妊のことをお聞きになって、「あの夢はもしやそのようなことか」と、お思い合わせになると、ますます熱心に言葉のあらん限りを尽くして申し上げなさるが、命婦も考えると、まことに恐ろしく、難儀な気持ちが増してきて、まったく逢瀬を手立てする方法がない。
ほんの一行のお返事がまれにはあったのも、すっかり絶えはててしまった。
とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壼の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮して、以前にもまして言葉を尽くして逢瀬を望むことになったが、王命婦も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。 【この女宮の御こと】- 藤壺の宮の御懐妊の事をさしていう。
【もしさるやうもや】- 『集成』は「もしや自分のお子ではないか」と解す。『完訳』は「もしかするとあの夢はこういうわけがあってのことでもあろうか」と解す。
【さらにたばかるべきかたなし】- 副詞「さらに」、形容詞「なし」と呼応して、全然ない、意。
【たまさかなりしも、絶え果てにたり】- 断定の助動詞「なり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」、完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たり」終止形。

第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る

2.3.1
七月(ふづき)になりて(まゐ)りたまひける。
めづらしうあはれにていとどしき御思(おほんおも)ひのほど(かぎ)りなし。
すこしふくらかになりたまひてうちなやみ、面痩(おもや)せたまへる、はた、げに()るものなくめでたし
七月になって宮は参内なさった。
珍しい事で感動深くて、以前にも増す御寵愛ぶりはこの上もない。
少しふっくらとおなりになって、ちょっと悩ましげに、面痩せしていらっしゃるのは、それはそれでまた、なるほど比類なく素晴らしい。
初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壼の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹がふっくりとなって悪阻の悩みに顔の少しお痩せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。 【七月になりて】- 季節は初秋七月に移る。大島本は漢字表記で「七月」とあり、行間注記には「フツキ」と振り仮名がある。
【めづらしうあはれにて】- 「めづらし」には四か月ぶりの参内と御懐妊の事の両方の気持ちがある。
【すこしふくらかになりたまひて】- 藤壺の妊娠の具合をさしていう。接続助詞「て」弱い逆接的接続。
【はた、げに似るものなくめでたし】- 副詞「はた」ある一面を認めながらそれとはべつの一面について述べる。副詞「げに」帝の御寵愛が深いのももっともだという、語り手の感情移入表現。
2.3.2 例によって、明け暮れ、帝はこちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、お琴や、笛など、いろいろと君にご下命あそばす。
つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、藤壺宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。
以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壼にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁わしさをお覚えになった。 【例の、明け暮れ、こなたにのみおはしまして】- 以下、主語は帝。「こなた」は藤壺の局である藤壺すなわち飛香舎または清涼殿の藤壺の上局。
【源氏の君も暇なく召しまつはしつつ】- 係助詞「も」同類を表す。藤壺の他に源氏も。接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。
【いみじうつつみたまへど、忍びがたき気色の漏り出づる折々】- 源氏の藤壺思慕の態度。時々は外に現れることがあったと語る。「桐壺」巻に「琴笛の音に聞こえ通ひ」とあった。
【宮も、さすがなる事どもを多く思し続けけり】- 藤壺の悩む態度。『完訳』は「「さすがに」は、源氏への感情を抑えようにも抑え切れない気持」と指摘。物語には帝について何とも語られていないが、やがて二人の関係を知って行くのではなかろうか。それが自然なふうに布石されているように思われる。

第三章 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語


第一段 紫の君、六条京極の邸に戻る

3.1.1
かの山寺(やまでら)(ひと)は、よろしくなりて()でたまひにけり
(きゃう)御住処尋(おほんすみかたづ)ねて、時々(ときどき)御消息(おほんせうそこ)などあり。
(おな)じさまにのみあるも道理(ことわり)なるうちに、この(つき)ごろは、ありしにまさる物思(ものおも)ひに異事(ことごと)なくて()ぎゆく。
あの山寺の人は、少しよくなってお出になられたのであった。
京のお住まいを尋ねて、時々お手紙などがある。
同じような返事ばかりであるのももっともであるが、ここ何か月は、以前にも増す物思いによって、他の事を思う間もなくて過ぎて行く。
北山へ養生に行っていた按察使大納言の未亡人は病が快くなって京へ帰って来ていた。源氏は惟光などに京の家を訪ねさせて時々手紙などを送っていた。先方の態度は春も今も変わったところがないのである。それも道理に思えることであったし、またこの数月間というものは、過去の幾年間にもまさった恋の煩悶が源氏にあって、ほかのことは何一つ熱心にしようとは思われないのでもあったりして、より以上積極性を帯びていくようでもなかった。 【かの山寺の人は、よろしくなりて】- 北山の尼君をさす。やや話題から遠く離れた感じを与える紹介の仕方である。物語は再び紫の上の物語に転じる。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「よろしう」とウ音便形にする。『新大系』は底本のまま。
【出でたまひにけり】- 完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けり」終止形。その間に山から京の邸に帰って来ていたのであったというニュアンス。
【この月ごろは、ありしにまさる物思ひに】- 藤壺の宮との事件以後の悩みをさす。
【異事なくて】- 他の事を省みる間もなくての意。
3.1.2
(あき)(すゑ)(かた)いともの心細(こころぼそ)くて(なげ)きたまふ
(つき)のをかしき()(しの)びたる(ところ)からうして(おも)()ちたまへるを時雨(しぐれ)めいてうちそそく。
おはする(ところ)六条京極(ろくでうきゃうごく)わたりにて内裏(うち)よりなれば、すこしほど(とほ)心地(ここち)するに()れたる(いへ)木立(こだち)いともの()りて木暗(こぐら)()えたるあり
(れい)御供(おほんとも)(はな)れぬ惟光(これみつ)なむ、
秋の終わりころ、とても物寂しくお嘆きになる。
月の美しい夜に、お忍びの家にやっとのことでお思い立ちになると、時雨めいてさっと降る。
おいでになる先は六条京極辺りで、内裏からなので、少し遠い感じがしていると、荒れた邸で木立がとても年代を経て鬱蒼と見えるのがある。
いつものお供を欠かさない惟光が、
秋の末になって、恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が出かけようとするとさっと時雨がした。源氏の行く所は六条の京極辺であったから、御所から出て来たのではやや遠い気がする。荒れた家の庭の木立ちが大家らしく深いその土塀の外を通る時に、例の傍去らずの惟光が言った。 【秋の末つ方】- 季節は晩秋に移る。藤壺の物語は夏から初秋そして中秋まで語られていた。
【いともの心細くて嘆きたまふ】- 主語は源氏。
【からうして思ひ立ちたまへるを】- 接続助詞「を」弱い逆接。やっとのことで思い立って出掛けたのに、あいにく時雨が降ってきて、というニュアンス。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読む。
【おはする所は六条京極わたりにて】- 「夕顔」巻に「六条わたりの御忍びありきのころ」とあった。六条の貴婦人のもと。
【すこしほど遠き心地するに】- 接続助詞「に」弱い順接。--していると。
【荒れたる家の】- 格助詞「の」同格を表す。荒れた邸で。
【木暗く見えたるあり】- 大島本「こくらく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「木暗う」とウ音便形に改める。『新大系』は底本のまま。
3.1.3
故按察使大納言(こあぜちのだいなごん)(いへ)にはべりてもののたよりにとぶらひてはべりしかばかの尼上(あまうへ)いたう(よわ)りたまひにたれば、(なに)ごともおぼえず、となむ(まう)してはべりし」と()こゆれば、
「故按察大納言の家でございまして、ちょっとしたついでに立ち寄りましたところ、あの尼上は、ひどくご衰弱されていらっしゃるので、どうして良いか分からないでいる、と申しておりました」と申し上げると、
「これが前の按察使大納言の家でございます。先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、あの尼さんからは、病気に弱ってしまっていまして、何も考えられませんという挨拶がありました」 【故按察使大納言の家にはべりて】- 以下「となむ申してはべりし」まで、惟光の詞。 【はべりて】-御物本、横山本、榊原家本、池田本、三条西家本、書陵部本は「侍り一日」とある。肖柏本は「侍る」とある。河内本は「はへる一日」とある。『集成』『古典セレクション』は「はべり。一日」と本文を改める。『新大系』は大島本のまま「侍りて」とする。
【とぶらひて】- 御物本は「〔せうなこん-補入〕とふらひて」、榊原家本は「少納言とふらひて」とある。
【はべりしかば】- 丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。ある事態を契機として、たまたま以下の事態が起きたことに気付いたことを表す。--したところ。
【かの尼上】- 惟光は詞文の中では、敬意をもって「尼上」と呼称する。
【となむ申してはべりし】- 主語は少納言の乳母。惟光が要約した間接話法的表現であろう。係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係結びの法則。
3.1.4 「お気の毒なことよ。
お見舞いすべきであったのに。
どうして、そうと教えなかったのか。
入って行って、
「気の毒だね。見舞いに行くのだった。なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」 【あはれのことや】- 以下「消息せよ」まで、源氏の詞。間投助詞「や」詠嘆の意。
【とぶらふべかりけるを】- ハ四「とぶらふ」終止形、推量の助動詞「べかり」連用形、当然の意、過去の助動詞「ける」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。お見舞いをすべきであったのに。
【などか、さなむとものせざりし】- 連語「などか」(副詞「など」+係助詞「か」疑問)、過去の助動詞「し」連体形に係る。副詞「さ」は惟光の詞を受ける。係助詞「なむ」の下に「はべる」連体形などの語が省略。サ変「ものせ」未然形、は「言ふ」「告ぐ」などの代動詞。打消の助動詞「ざり」連用形、過去の助動詞「し」連体形。
3.1.5 とおっしゃるので、惟光は供人を入れて案内を乞わせる。
わざわざこのようにお立ち寄りになった旨を言わせたので、入って行って、
源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。この訪問が目的で来たと最初言わせたので、そのあとでまた惟光がはいって行って、 【とのたまへば、人入れて案内せさす】- ハ四「のたまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。源氏がおっしゃるので。以下の主語は惟光。「人」は供人。使役の助動詞「さす」終止形。
【わざとかう立ち寄りたまへること】- 間接話法であろう。わざわざとは、虚偽である。
3.1.6
かく(おほん)とぶらひになむおはしましたる」と()ふに、おどろきて、
「このようにお見舞いにいらっしゃいました」と言うと、驚いて、
「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」
 と言った。大納言家では驚いた。
【かく御とぶらひになむおはしましたる】- 惟光から源氏の伝言を託された供人の挨拶詞。「かく」は「わざと」の内容を要約したもの。係助詞「なむ」、完了の助動詞「たる」連体形、係結びの法則、強調のニュアンス。
3.1.7
いとかたはらいたきことかな。
この()ごろ、むげにいと(たの)もしげなくならせたまひにたれば御対面(おほんたいめん)などもあるまじ」
「とても困ったことですわ。
ここ数日、ひどくご衰弱あそばされましたので、お目にかかることなどはとてもできそうにありません」
「困りましたね。近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、お逢いにはなれないでしょうが、 【いとかたはらいたきこと】- 以下「御対面などもあるまじ」まで、女房の詞。
【ならせたまひにたれば】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、会話文中の用例。完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。
3.1.8
()へども、(かへ)したてまつらむはかしこしとて、(みなみ)(ひさし)ひきつくろひて()れたてまつる。
とは言っても、お帰し申すのも恐れ多いということで、南の廂の間を片づけて、お入れ申し上げる。
お断わりするのはもったいないことですから」
 などと女房は言って、南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。
【南の廂ひきつくろひて】- 寝殿の南の廂の間。正客を迎え入れる場所。
3.1.9 「たいそうむさ苦しい所でございますが、せめてお礼だけでもとのことで。
何の用意もなく、鬱陶しいご座所で恐縮です」
「見苦しい所でございますが、せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、思召しでもございませんでしょうが、こんな部屋などにお通しいたしまして」 【いとむつかしげにはべれど】- 以下「御座所になむ」まで、女房の詞。この場面、『集成』は「ぶしつけに、こうした奥まったうっとうしい御座所にご案内申し上げまして(恐縮でございます)。尼君の病床のある対の屋などに迎えたからこう言ったのであろう。普通は寝殿の南面に招じる」と注す。『完訳』は「正客を迎える寝殿南面の廂の間。尼君はその奥の母屋に病臥」「薄暗くうっとうしい雰囲気の意か。病人のいる古家の気分をいい、奥まった場所の意ではない」と注す。
【ゆくりなう】- 『集成』は「ぶしつけに」と解し、『完訳』は「思いがけぬご訪問で」と解す。
【もの深き御座所になむ】- 大島本は仮名表記で「おまし所」とある。係助詞「なむ」の下に「はべる」連体形などの語が省略。『古典セレクション』は「実際には源氏の御座所は建物の外側に近い廂の間だから、「もの深き」と矛盾し、古来不審とされてきた。ここでは、源氏のいる位置そのものはなく、気分的に薄暗くうっとうしい雰囲気をさすものとみておく。木立も鬱蒼とした古家で、しかも病人が近くに臥している」と注す。
3.1.10 と申し上げる。
なるほどこのような所は、普通とは違っているとお思いになる。
という挨拶を家の者がした。そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。 【げにかかる所は、例に違ひて思さる】- 『集成』の説のように対の屋の部屋に招じ入れられたのであれば、そうとも一応理解されるが、源氏のような高貴な身分の人がこのようなもの古りた邸に病気の老女を見舞うなどという経験のないことをいうのであろう。
3.1.11
(つね)(おも)ひたまへ()ちながらかひなきさまにのみもてなさせたまふにつつまれはべりてなむ
(なや)ませたまふこと、(おも)くとも、うけたまはらざりけるおぼつかなさ」など()こえたまふ。
「常にお見舞いにと存じながら、すげないお返事ばかりあそばされますので、遠慮いたされまして。
ご病気でいらっしゃること、重いこととも、存じませんでしたもどかしさを」などと申し上げなさる。
「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、私のお願いをとっぴなものか何かのようにこちらではお扱いになるので、きまりが悪かったのです。それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」
 と源氏が言った。
【常に思ひたまへ立ちながら】- 以下「おぼつかなさ」まで、源氏の詞。謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。
【もてなさせたまふに】- 尊敬の助動詞「せ」+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、二重敬語。会話文中での用例。下にも「悩ませたまふ」とある。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【つつまれはべりてなむ】- 自発の助動詞「れ」連用形。係助詞「なむ」、下に「参らざりし」などの語句が省略。
【おぼつかなさ】- 体言止め、詠嘆の気持ちを表す。「おぼつかなきことよ」に同じ。
3.1.12
(みだ)心地(ごこち)いつともなくのみはべるが、(かぎ)りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、()()らせたまへるに、みづから()こえさせぬこと
のたまはすることの(すぢ)たまさかにも(おぼ)()()はらぬやうはべらば、かくわりなき齢過(よはひす)ぎはべりて、かならず(かず)まへさせたまへ
いみじう心細(こころぼそ)げに()たまへ()くなむ、(ねが)ひはべる(みち)のほだしに(おも)ひたまへられぬべきなど()こえたまへり
「気分のすぐれませんことは、いつも変わらずでございますが、いよいよの際となりまして、まことにもったいなくも、お立ち寄りいただきましたのに、自分自身でお礼申し上げられませんこと。
仰せられますお話の旨は、万一にもお気持ちが変わらないようでしたら、このような頑是ない時期が過ぎましてから、きっとお目をかけて下さいませ。
ひどく頼りない身の上のまま残して逝きますのが、願っております仏道の妨げに存ぜずにはいられません」などと、申し上げなさった。
「私は病気であることが今では普通なようになっております、しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、かたじけないお見舞いを受けました喜びを自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、もう少し年のゆきました時にお願いいたします。一人ぼっちになりますあの子に残る心が、私の参ります道の障りになることかと思われます」 【乱り心地は】- 以下「思ひたまへられぬべき」まで、尼君の詞。実際はそれを取り次ぎの女房が言う。『完訳』は「以下、取次の女房による伝言」と注す。
【みづから聞こえさせぬこと】- 直接申し上げられないこと。この言葉によって女房を介しての詞とわかる。
【のたまはすることの筋】- 「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえたまひてむや」(第一章第四段 「若紫の君の素性を聞く」)など、源氏が紫の君を引き取りたいという意向。
【かならず数まへさせたまへ】- 尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形。「数まふ」は人並み(皇族の一人)として扱う意だが、ここは孫女を源氏に託すと許した言葉。
【願ひはべる道のほだしに】- 『古典セレクション』は「本願である極楽往生を遂げるための支障。当時、親子夫婦など人間的な絆が往生の最大の支障と考えられていた」と注す。
【思ひたまへられぬべき】- 謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、係助詞「なむ」の係結び。強調のニュアンス。
【など聞こえたまへり】- 実際には女房が言っているのではあるが、尼君の伝言なので敬語が付く。
3.1.13
いと(ちか)ければ心細(こころぼそ)げなる御声絶(おほんこゑた)()()こえて、
すぐに近いところなので、不安そうなお声が途切れ途切れに聞こえて、
取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。 【いと近ければ】- 尼君の病床が源氏の御座所から近くにある。
3.1.14 「まことに、
もったいないことでございます。せめてこの姫君が、お礼申し上げなされるお
「失礼なことでございます。孫がせめてお礼を申し上げる年になっておればよろしいのでございますのに」 【いと、かたじけなき】- 以下「ほどならましかば」まで、尼君の詞。これは「いと近ければ心細げなる御声絶え絶え聞こえて」とあるので、直接に言ったものか。
【この君だに】- 副助詞「だに」最小限の希望。
【聞こえたまつべき】- 大島本「きこえたまつへき」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「聞こえたまひつべき」と「ひ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のまま。
【ほどならましかば】- 仮想の助動詞「ましか」未然形+接続助詞「ば」、反実仮想の構文。下に「よからまし」などの語句が省略されている。
3.1.15
とのたまふ。
あはれに()きたまひて、
とおっしゃる。
しみじみとお聞きになって、
とも言う。源氏は哀れに思って聞いていた。
3.1.16
(なに)か、(あさ)(おも)ひたまへむことゆゑかう()()きしきさまを()えたてまつらむ。
いかなる(ちぎ)りにか、()たてまつりそめしより、あはれに(おも)ひきこゆるも、あやしきまで、この()のことにはおぼえはべらぬ」などのたまひて、かひなき心地(ここち)のみしはべるをかのいはけなうものしたまふ御一声(おほんひとこゑ)いかで」とのたまへば、
「どうして、浅く思っております気持ちから、このような好色めいた態度をお見せ申し上げましょうか。
どのような前世からの因縁によってか、初めてお目にかかった時から、愛しくお思い申しているのも、不思議なまでに、この世の縁だけとは思われません」などとおっしゃって、「いつも甲斐ない思いばかりしていますので、あのかわいらしくいらっしゃるお一声を、ぜひとも」とおっしゃると、
「今さらそんな御挨拶はなさらないでください。通り一遍な考えでしたなら、風変わりな酔狂者と誤解されるのも溝わずに、こんな御相談は続けません。どんな前生の因縁でしょうか、女王さんをちよっとお見かけいたしました時から、女王さんのことをどうしても忘れられないようなことになりましたのも不思議なほどで、どうしてもこの世界だけのことでない、約束事としか思われません」
 などと源氏は言って、また、
 「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」
 と望んだ。
【何か、浅う思ひたまへむことゆゑ】- 以下「おぼえはべらぬ」まで、源氏の詞。連語「なにか」(代名詞「なに」+係助詞「か」疑問)、「見えたてまつらむ」(連体形)に係る。反語表現の構文。どうして--お目にかけられましょうか、しません。「浅う」は連用形「く」のウ音便形。謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、推量の助動詞「む」婉曲の意。
【この世のことにはおぼえはべらぬ】- 『古典セレクション』は「現世だけの縁ではないとする。前の「契り」に照応」と注す。『集成』は「この世だけのご縁とは思われません」と訳す。すなわち、現世だけの縁とは思われない、来世までの縁、夫婦二世の縁と思われるの意。夫婦となるべく運命づけられていることをいう。
【かひなき心地のみしはべるを】- 以下「御一声いかで」まで、引続いて源氏の詞。サ変「し」連用形、丁寧の補助動詞「はべる」連体形+接続助詞「を」順接、原因理由を表す。
【いかで】- 副詞「いかで」、下に「聞かばや」などの願望の語句が省略。
3.1.17
いでや、よろづ(おぼ)()らぬさまに、大殿籠(おほとのご)もり()りて
「いやはや、何もご存知ないさまで、ぐっすりお眠りになっていらっしゃって」
「それは姫君は何もご存じなしに、もうお寝みになっていまして」 【いでや】- 以下「大殿籠もり入りて」まで、女房の詞。感動詞「いでや」いやはや、いやもう。
【大殿籠もり入りて】- 「大殿籠もり入り」で一語。「寝入る」の尊敬表現。下に「おはします」などの語が省略。
3.1.18 などと申し上げている、ちょうどその時、あちらの方からやって来る足音がして、
女房がこんなふうに言っている時に、向こうからこの隣室へ来る足音がして、 【など聞こゆる折しも】- 女房が源氏に申し上げている折しも。連語「しも(副助詞「し」+係助詞「も」)強調を表す。
【あなたより来る音して】- 紫の君が。対の屋からであろうか。
3.1.19 「祖母上さま、先日の寺にいらした源氏の君さまがいらしているそうですね。
どうしてお会いさらないの」
「お祖母様、あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。なぜ御覧にならないの」 【上こそ】- 以下「など見たまはぬ」まで、紫の君の詞。「上」は祖母の尼君をさす。接尾語「こそ」呼び掛けに用いる。対等以下の人に用いるのが普通。また子供などがそれに無頓着に用いる。
【この寺にありし】- 「この」は以前に話題になった物事をさす語。今の「あの」「その」に当たる。
【源氏の君こそ】- 紫の君にとっての源氏の呼称。前にも「源氏の君と作り出でて」とあった。接尾語「こそ」呼び掛けを表す。
【おはしたなれ】- 「たなれ」は完了の助動詞「たる」の連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形「た」+伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係助詞「こそ」の係結びの法則。おいでになっているそうですね、の意。
【など見たまはぬ】- 副詞「など」疑問の意。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消の助動詞「ぬ」連体形。どうしてお会いなさらないの。
3.1.20
とのたまふを(ひと)びと、いとかたはらいたしと(おも)ひて、あなかま」と()こゆ。
とおっしゃるのを、女房たちは、とても具合悪く思って、「お静かに」と制止申し上げる。
と女王は言った。女房たちは困ってしまった。
 「静かにあそばせよ」
 と言っていた。
【とのたまふを】- 「を」について、『今泉忠義訳』は「とおっしゃるので」と接続助詞、順接として訳し、『古典セレクション』は「とおっしゃるのを」と格助詞、目的格として訳す。
【あなかま】- 連語「あなかま」。感動詞「あな」+形容詞「かまし」または「かまびすし」の語幹「かま」の形。制止する際に用いる語句。
3.1.21 「あら、だって、
「でも源氏の君を見たので病気がよくなったと言っていらしたからよ」 【いさ、『見しかば心地の悪しさなぐさみき】- 以下「のたまひしかばぞかし」まで、紫の君の詞。僧都の言葉に「この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり」(第一章三段)とあった。尼君も同じようなことを言ったのだろう。感動詞「いさ」、ここは相手の発言に賛成しがたく、軽く否定した返答の言葉。 【見しかば心地の悪しさなぐさみき】-マ上一「見」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。見たのでの意。『今泉忠義訳』『古典セレクション』等「見たら」と訳すが、仮定条件ではない。過去の助動詞「き」終止形、自己の体験。
【とのたまひしかばぞかし】- 「のたまひ」(連用形)は「言ふ」の尊敬表現。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。終助詞「かし」念押し。おっしゃったからですよ。
3.1.22
と、かしこきこと()こえたり(おぼ)してのたまふ。
と、利口なことを申し上げたとお思いになっておっしゃる。
自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。 【聞こえたり】- 大島本は「きこえたり」とある。その他の青表紙諸本は「きゝえたり」とある。『集成』『古典セレクション』共に「聞きえたり」と本文を改める。
3.1.23
いとをかしと()いたまへど、(ひと)びとの(くる)しと(おも)ひたれば、()かぬやうにて、まめやかなる(おほん)とぶらひを()こえ()きたまひて、(かへ)りたまひぬ。
げに、()ふかひなのけはひや。
さりとも、いとよう(をし)へてむ」と(おぼ)す。
とてもおもしろいとお聞きになるが、女房たちが困っているので、聞かないようにして、行き届いたお見舞いを申し上げおかれて、お帰りになった。
「なるほど、まるで子供っぽいご様子だ。
けれども、よく教育しよう」とお思いになる。
源氏はおもしろく思って聞いていたが、女房たちの困りきったふうが気の毒になって、聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。 【げに、言ふかひなの】- 以下「教へてむ」まで、源氏の心中。「言ふかひな」は形容詞「言ふかひなし」の語幹。
【さりとも、いとよう教へてむ】- 接続詞「さりとも」逆接。下二「教へ」連用形、完了の助動詞「て」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、意志。よく教育しよう。
3.1.24 翌日も、とても誠実なお見舞いを差し上げなさる。
いつものように、小さく結んで、
翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。例のように小さくしたほうの手紙には、 【またの日も、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ】- 翌日。この「とぶらひ」はお見舞いの手紙で、源氏本人は出向いてはいない。
3.1.25 「かわいい鶴の一声を聞いてから
葦の間を行き悩む舟はただならぬ思いをしています
いはけなき鶴の一声聞きしより
葦間になづむ船ぞえならぬ
【いはけなき鶴の一声聞きしより--葦間になづむ舟ぞえならぬ】- 源氏の贈歌。「鶴の一声」は紫の上の昨日の声をさす。「たづ」は「つる(鶴)」の歌語。「舟」は源氏を喩える。「え」は副詞「え」と「江」の掛詞。「鶴」「葦間」「舟」「江」は縁語。『奥入』は「みなと入りの葦わけ小舟障り多みわが思ふ人に逢はぬころかな」(拾遺集 恋四 八五三 人麿)を指摘、『集成』も引歌として指摘する。
3.1.26 同じ人を慕い続けるだけなのでしょうか」
いつまでも一人の人を対象にして考えているのですよ。 【同じ人にや】- 和歌に添えた引歌の文句。『源氏釈』は「堀江漕ぐ棚なし小舟漕ぎ返り同じ人にや恋ひわたりなむ」(古今集 恋四 七三二 読人しらず)を指摘。「恋ひわたりなむ」に主旨がある。係助詞「や」疑問、「推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
3.1.27
と、ことさら(をさな)()きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、「やがて御手本(おほんてほん)に」と、(ひと)びと()こゆ。
少納言(せうなごん)()こえたる
と、殊更にかわいらしくお書きになっているのも、たいそう見事なので、「そのままお手本に」と、女房たちは申し上げる。
少納言がお返事申し上げた。
わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字もみごとなものであったから、そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。 【少納言ぞ聞こえたる】- 尼君に代わって少納言が返事申し上げる。係助詞「ぞ」、完了の助動詞「たる」連体形、係結びの法則。尼君に代わって少納言がという強調のニュアンス。
3.1.28
()はせたまへるは今日(けふ)をも()ぐしがたげなるさまにて、山寺(やまでら)にまかりわたるほどにて
かう()はせたまへるかしこまりは、この()ならでも()こえさせむ
「お見舞いいただきました方は、今日一日も危いような状態なので、山寺に移るところでして。
このよう緩お見舞いいただきましたお礼は、あの世からでもお返事をさせていただきましょう」
お見舞いくださいました本人は、今日も危いようでございまして、ただ今から皆で山の寺へ 移ってまいるところでございます。
 かたじけないお見舞いのお礼はこの世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。
【問はせたまへるは】- 以下「聞こえさせむ」まで、少納言の返信。「たまへる」と「は」の間に「方」が省略。
【山寺にまかりわたるほどにて】- 北山の僧坊。尼君の死期の近いことをいう。
【この世ならでも聞こえさせむ】- 「聞こえさせ」未然形は「言ふ」最も丁重な謙譲表現。推量の助動詞「む」終止形。尼君の立場になって返事を結んでいる。
3.1.29
とあり。
いとあはれと(おぼ)す。
とある。
とてもお気の毒とお思いになる。
というのである。
3.1.30
(あき)(ゆふ)べは、まして、(こころ)のいとまなく(おぼ)(みだ)るる(ひと)(おほん)あたり(こころ)をかけて、あながちなるゆかりも(たづ)ねまほしき(こころ)もまさりたまふなるべし
()えむ(そら)なき」とありし(ゆふ)(おぼ)()でられて、(こひ)しくも、また、()(おと)りやせむと、さすがにあやふし
秋の夕暮れは、常にも増して、心の休まる間もなく恋い焦がれている人のことに思いが集中して、無理にでもそのゆかりの人を尋ね取りたい気持ちもお募りなさるのであろう。
尼君が「死にきれない」と詠んだ夕暮れを自然とお思い出しになられて、恋しく思っても、また、実際に逢ってみたら見劣りがしないだろうかと、やはり不安である。
秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが濃くなっていくばかりの源氏であった。「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が思い出されて恋しいとともに、引き取って幻滅を感じるのではないかと危ぶむ心も源氏にはあった。 【思し乱るる人の御あたり】- 藤壺の宮をさす。
【ゆかりも尋ねまほしき】- 紫の君をさす。「ゆかり」は縁。藤壺の姪にあたる。
【心もまさりたまふなるべし】- 大島本「心もまさり給ふなるへし」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「心まさり」と「も」を削除する。『集成』『新大系』は底本のまま。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「べし」終止形は語り手の推測。『完訳』は読点で文を続けて読む。
【消えむ空なき】- 前出の尼君の「生ひ立たむ」歌の一節。
【恋しくも、また、見ば劣りやせむ】- 源氏の心中。マ上一「見」未然形+接続助詞「ば」、順接の仮定条件を表す。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【さすがにあやふし】- 語り手の評言。源氏の気持ちを忖度してみせる。
3.1.31 「手に摘んで早く見たいものだ
紫草にゆかりのある野辺の若草を」
手に摘みていつしかも見ん紫の
根に通ひける野辺の若草
このころの源氏の歌である。
【手に摘みていつしかも見む紫の--根にかよひける野辺の若草】- 源氏の独詠歌。「紫」は紫草。その根を染料とした。藤壺の宮をさし、「根に通ふ」はその姪に当たることを言い、「若草」は紫の君をさす。『河海抄』は「紫のひともとゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ見る」(古今集 雑歌上 八六七 読人しらず)を指摘。

第二段 尼君死去し寂寥と孤独の日々

3.2.1
十月(かんなづき)朱雀院(すじゃくゐん)行幸(ぎゃうがう)あるべし
舞人(まひびと)など、やむごとなき(いへ)()ども、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)どもなども、その(かた)につきづきしきは、みな()らせたまへれば親王達(みこたち)大臣(だいじん)よりはじめて、とりどりの(ざえ)ども(なら)ひたまふ、いとまなし。
神無月に朱雀院への行幸が予定されている。
舞人などを、高貴な家柄の子弟や、上達部、殿上人たちなどの、その方面で適当な人々は、皆お選びあそばされたので、親王たちや、大臣をはじめとして、それぞれ伎芸を練習をなさり、暇がない。
この十月の朱雀院へ行幸があるはずだった。その日の舞楽には貴族の子息たち、高官、殿上役人などの中の優秀な人が舞い人に選ばれていて、親王方、大臣をはじめとして音楽の素養の深い人はそのために新しい稽古を始めていた。それで源氏の君も多忙であった。 【十月に朱雀院の行幸あるべし】- 桐壺帝の朱雀院行幸は「末摘花」「紅葉賀」両巻にも語られる。推量の助動詞「べし」は予定であるの意。
【みな選らせたまへれば】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語。帝主導による朱雀院行幸の準備である。完了の助動詞「れ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
3.2.2
山里人(やまざとびと)にも、(ひさ)しく(おとづ)れたまはざりけるを、(おぼ)()でて、ふりはへ(つか)はしたりければ僧都(そうづ)(かへ)(ごと)のみあり。
山里の人にも、久しくご無沙汰なさっていたのを、お思い出しになって、わざわざお遣わしになったところ、僧都の返事だけがある。
北山の寺へも久しく見舞わなかったことを思って、ある日わざわざ使いを立てた。山からは僧都の返事だけが来た。 【山里人にも、久しく】- 北山の尼君。『古典セレクション』は諸本に従って「久しう」とウ音便形に改める。『集成』『新大系』は底本のまま。
【ふりはへ遣はしたりければ】- 副詞「ふりはへ」わざわざ。完了の助動詞「たり」連用形、過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、--したところ。
3.2.3 「先月の二十日ごろに、とうとう臨終をお見届けいたしまして、人の世の宿命だが、悲しく存じられます」
先月の二十日にとうとう姉は亡くなりまして、これが人生の掟であるのを承知しながらも悲しんでおります。 【立ちぬる月の二十日のほどになむ】- 以下「悲しび思ひたまふる」まで、僧都の返信。九月二十日ころに尼君死去。係助詞「なむ」は「たまふる」に係る。
【世間の道理】- 「世間」「道理」、僧侶の漢語仏語を多用した物の言い方。
【悲しび思ひたまふる】- 語誌的には「悲しぶ」から「悲しむ」に変化していき、源氏物語には両方見られる。「悲しぶ」はやや古風で男性的な物の言い方。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、係助詞「なむ」の係結び。
3.2.4
などあるを()たまふに、()(なか)のはかなさもあはれに、うしろめたげに(おも)へりし(ひと)もいかならむ。
(をさな)きほどに、()ひやすらむ。
故御息所(こみやすんどころ)(おく)れたてまつりし」など、はかばかしからねど、(おも)()でて、(あさ)からずとぶらひたまへり。
少納言(せうなごん)ゆゑなからず御返(おほんかへ)りなど()こえたり。
などとあるのを御覧になると、世の中の無常をしみじみと思われて、「心配していた人もどうしているだろう。
子供心にも、尼君を恋い慕っているだろうか。
わたしも亡き母御息所に先立たれた頃には」などと、はっきりとではないが、思い出して、丁重にお弔いなさった。
少納言の乳母が、心得のある返礼などを申し上げた。
源氏は今さらのように人間の生命の脆さが思われた。尼君が気がかりでならなかったらしい小女王はどうしているだろう。小さいのであるから、祖母をどんなに恋しがってばかりいることであろうと想像しながらも、自身の小さくて母に別れた悲哀も確かに覚えないなりに思われるのであった。源氏からは丁寧な弔慰品が山へ贈られたのである。
 そんな場合にはいつも少納言が行き届いた返事を書いて来た。
【うしろめたげに思へりし人】- 以下「後れたてまつりし」まで、源氏の心中。「うしろめたげに思へりし」の主語は尼君。「人」は孫娘の紫の君。
【故御息所に後れたてまつりし】- 以下、わが身の上を引き比べて思う。「故御息所」は母桐壺更衣をさす。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験。下に「ほど」云々の内容が省略。
3.2.5
()みなど()ぎて(きゃう)殿(との)など()きたまへば、ほど()て、みづから、のどかなる()おはしたり。
いとすごげに()れたる(ところ)の、人少(ひとずく)ななるにいかに(をさな)人恐(ひとおそ)ろしからむ()ゆ。
(れい)(ところ)()れたてまつりて少納言(せうなごん)(おほん)ありさまなど、うち()きつつ()こえ(つづ)くるに、あいなう御袖(おほんそで)もただならず。
忌みなどが明けて京の邸に戻られたなどとお聞きになったので、暫くしてから、ご自身で、お暇な夜にお出かけになった。
まことにぞっとするくらい荒れた所で、人気も少ないので、どんなに小さい子には怖いことだろうと思われる。
いつもの所にお通し申して、少納言が、ご臨終の有様などを、泣きながらお話申し上げると、他人事ながら、お袖も涙でつい濡れる。
尼君の葬式のあとのことが済んで、一家は京の邸へ帰って来ているということであったから、それから少しあとに源氏は自身で訪問した。凄いように荒れた邸に小人数で暮らしているのであったから、小さい人などは怖しい気がすることであろうと思われた。以前の座敷へ迎えて少納言が泣きながら哀れな若草を語った。源氏も涙のこぼれるのを覚えた。 【忌みなど過ぎて】- 『集成』は「期間は三十日であるから、十月の二十日頃忌みが終わったものと見られる」と注し、『新大系』も『ここは三十日間であろう」と注す。『古典セレクション』は「『拾芥抄』服忌部によれば、母方の祖父母死亡の際、二十日間忌み、三月間喪服を着る。ここは前者の二十日間をいう」と注す。
【京の殿に】- 京極の邸に。下に戻ったという内容が省略。
【荒れたる所の、人少ななるに】- 格助詞「の」同格を表す。--で。断定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。--ので。
【いかに幼き人恐ろしからむ】- 源氏の心中。
【例の所に入れたてまつりて】- 寝殿の南廂の間。前回尼君を見舞った折の御座所。
【あいなう】- 他人事ながら。語り手の感情移入の語。源氏の気持ちに沿った表現。
3.2.6
(みや)(わた)したてまつらむとはべるめるを故姫君(こひめぎみ)いと(なさ)けなく()きものに(おも)ひきこえたまへりしにいとむげに(ちご)ならぬ(よはひ)まだはかばかしう(ひと)のおもむけをも見知(みし)りたまはず、中空(なかぞら)なる(おほん)ほどにて、あまたものしたまふなる(なか)あなづらはしき(ひと)にてや()じりたまはむ』など、()ぎたまひぬるも()とともに(おぼ)(なげ)きつることしるきこと(おほ)くはべるに、かくかたじけなきなげの御言(おほんこと)()(のち)御心(みこころ)もたどりきこえさせず、いとうれしう(おも)ひたまへられぬべき折節(をりふし)にはべりながらすこしもなぞらひなるさまにもものしたまはず、御年(おほんとし)よりも(わか)びてならひたまへれば、いとかたはらいたくはべる」と()こゆ。
「父兵部卿宮邸にお引き取り申し上げようとの事でございますようですが、『亡き姫君が、北の方をとても情愛のない嫌な人とお思い申していらしたのに、まったく子供というほどでもないお年で、まだしっかりと人の意向を聞き分けることもおできになれず、中途半端なお年頃で、大勢いらっしゃるという中で、軽んじられてお過ごしになるのではないか』などと、お亡くなりになった尼上も、始終ご心配されていらしたこと、明白なことが多くございましたので、このようにもったいないかりそめのお言葉は、後々のご配慮までもご推察申さずに、とても嬉しく存ぜずにはいられない時ではございますが、全く相応しい年頃でいらっしゃらないし、お年のわりには幼くていらっしゃいますので、とても見ていられない状態でございます」と申し上げる。
「宮様のお邸へおつれになることになっておりますが、お母様の御生前にいろんな冷酷なことをなさいました奥さまがいらっしゃるのでございますから、それがいっそずっとお小さいとか、また何でもおわかりになる年ごろになっていらっしゃるとかすればいいのでございますが、中途半端なお年で、おおぜいお子様のいらっしゃる中で軽い者にお扱われになることになってはと、尼君も始終それを苦労になさいましたが、宮様のお内のことを聞きますと、まったく取り越し苦労でなさそうなんでございますから、あなた様のお気まぐれからおっしゃってくださいますことも、遠い将来にまでにはたとえどうなりますにしましても、お救いの手に違いないと私どもは思われますが、奥様になどとは想像も許されませんようなお子様らしさでございまして、普通のあの年ごろよりももっともっと赤様なのでございます」
 と少納言が言った。
【宮に渡したてまつらむとはべるめるを】- 以下「かたはらいたくはべる」まで、少納言の詞。「宮」は紫の君の父兵部卿宮邸。推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量接続助詞「を」逆接。
【故姫君の】- 紫の君の母君をさす。以下「交じりたまはむ」まで、生前の尼君の言葉を引用。
【思ひきこえたまへりしに】- 紫の君の母親が兵部卿宮の北の方を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、母親の北の方に対する敬意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、話者祖母の紫の君の母親に対する敬意。完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「し」連体形、祖母の自己の体験。接続助詞「に」逆接。
【いとむげに児ならぬ齢の】- 格助詞「の」同格を表す。
【まだはかばかしう】- 『集成』は「まだ」と濁音で、『古典セレクション』『新大系』は「また」と清音で読む。副詞「まだ」は「見知りたまはず」に係る。
【あまたものしたまふなる中の】- 北の方に大勢の子供がいる。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形、格助詞「の」同格を表す。
【あなづらはしき人にてや交じりたまはむ】- 断定の助動詞「に」連用形、接続助詞「て」、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形に係る、係り結び。
【過ぎたまひぬるも】- 尼君の亡くなったことをさしていう。完了の助動詞「ぬる」連体形と係助詞「も」の間に「方」などの語が省略。
【嘆きつること】- 大島本は「なけきつること」とある。その他の青表紙諸本は「なけきつるも」とある。『集成』『古典セレクション』共に「嘆きつるも」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
【かくかたじけなきなげの御言の葉は】- 「なげの」はかりそめの、口先だけの、の意。「かたじけなき」とはいいながらもまだ源氏の言葉を信じ切っていない。
【いとうれしう思ひたまへられぬべき折節にはべりながら】- 尼君が亡くなった矢先のことなので。謙譲の補助動詞「たまへ」未然形、自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「べき」連体形、強調の意。
【なぞらひ】- 大島本は「なそらひ」とある。横山本は「なすらへ」、その他の青表紙諸本は「なすらひ」とある。『集成』『古典セレクション』は「なずらひ」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。
3.2.7
(なに)、かう()(かへ)()こえ()らする(こころ)のほどを、つつみたまふらむ。
その()ふかひなき御心(みこころ)のありさまのあはれにゆかしうおぼえたまふも(ちぎ)りことになむ、(こころ)ながら(おも)()られける
なほ、人伝(ひとづ)てならで、()こえ()らせばや。
「どうして、このように繰り返して申し上げている気持ちを、気兼ねなさるのでしょう。
その、幼いお考えの様子がかわいく愛しく思われなさるのも、宿縁が特別なものと、わたしの心には自然と思われてくるのです。
やはり、人を介してではなく、直接お伝え申し上げたい。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか、私が繰り返し繰り返しこれまで申し上げてあることをなぜ無視しようとなさるのですか。その幼稚な方を私が好きでたまらないのは、こればかりは前生の縁に違いないと、それを私が客観的に見ても思われます。許してくだすって、この心持ちを直接女王さんに話させてくださいませんか。 【何か】- 以下「めざましからむ」まで、源氏の詞。「何か」は「つつみたまふらむ」に係る。反語表現の構文。どうして気兼ねなさるのか、なさる必要はありません。
【御心のありさまの】- 大島本は「御心のありさまの」とある。その他の青表紙諸本は「御ありさまの」とある。『集成』『古典セレクション』は「御ありさまの」と本文を改める。『新大系』は底本のままとする。「ありさまの」の格助詞「の」動作の対象を表す。
【ゆかしうおぼえたまふも】- 尊敬の補助動詞「たまふ」は客体の紫の君に対する敬意。
【心ながら思ひ知られける】- 自分の心には自然と。自発の助動詞「れ」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意、「なむ」の係り結び。
3.2.8 若君にお目にかかることは難しかろうとも
和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません
あしわかの浦にみるめは難くとも
こは立ちながら帰る波かは
【あしわかの浦にみるめはかたくとも--こは立ちながらかへる波かは】- 源氏の贈歌。『奥入』は「あしわかの浦に来寄する白波の知らじな君は我は言ふとも」(古今六帖五 言ひ始む)を指摘。『集成』も引歌として指摘する。「わか」は「葦若」と「和歌の浦」の掛詞。紫の君を譬える。「見る目」と「海松布」の掛詞。「立ち」「帰る」は「波」の縁語。「波」は源氏自身を譬える。「かは」は反語。わたしはこのままでは帰らないの意。
3.2.9
めざましからむ」とのたまへば、
失礼でしょう」とおっしゃると、
私をお見くびりになってはいけません」
 源氏がこう言うと、
【めざましからむ】- 歌に添えた言葉。『集成』は「失礼になろう。このまま帰すのはひどかろう」というニュアンスで解し、『完訳』は「このまま帰るのは不本意」というニュアンスで解す。やや脅迫めいた物言いである。
3.2.10 「なるほど、恐れ多いこと」と言って、
「それはもうほんとうにもったいなく思っているのでございます。 【げにこそ、いとかしこけれ】- 少納言の詞。副詞「げに」は源氏の「めざましからむ」という言葉を受けて、おっしゃるとおり、の意。係助詞「こそ」、「かしこけれ」已然形、係結びの法則。強調のニュアンス。
3.2.11 「和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻のように
相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです
寄る波の心も知らで和歌の浦に
玉藻なびかんほどぞ浮きたる
【寄る波の心も知らでわかの浦に--玉藻なびかむほどぞ浮きたる】- 少納言の返歌。「寄る波」に源氏を譬え、「玉藻」に紫の君を喩える。「波」「靡く」「浮く」「藻」は縁語。不安ですと言いながら、やはり従う気持ちを表出する。なお、大島本は「なひかぬ」(否定表現)とある。その他の諸本は「なひかん」とある。打消の助動詞「ぬ」では下の「浮きたる」とつじつまが合わない。『新大系』も「なびかん」と校訂。諸本に従って「なびかむ」と本文を改める。
3.2.12 困りますこと」
このことだけは御信用ができませんけれど」 【わりなきこと】- 歌に添えた言葉。
3.2.13
()こゆるさまの()れたるに、すこし(つみ)ゆるされたまふ
なぞ()えざらむ」と、うち()じたまへるを、()にしみて(わか)(ひと)びと(おも)へり。
と申し上げる態度がもの馴れているので、すこし大目に見る気になられる。
「どうして逢わずにいられようか」と、口ずさみなさるのを、ぞくぞくして若い女房たちは感じ入っていた。
物馴れた少納言の応接のしように、源氏は何を言われても不快には思われなかった。「年を経てなど越えざらん逢坂の関」という古歌を口ずさんでいる源氏の美音に若い女房たちは酔ったような気持ちになっていた。 【すこし罪ゆるされたまふ】- 自発の助動詞「れ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。
【なぞ越えざらむ】- 大島本「なそこえさらん」とある。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「なそこひさらん」、横山本は「なそこひ(ひ=え)さらん」とあり、肖柏本と書陵部本は大島本と同文。河内本では尾州家本、大島本、鳳来寺本は「なそこひさらん」、七毫源氏は「こなそひ(ひ=え)さらむ」、高松宮家本は「なそこえさらん」とある。変体仮名の「江」と「比」のくずし字体の類似から生じた誤写である。定家本では「越ゆ」(ヤ行下二)の連用形は「江」で表記されるので、それから生じたものである。「人知れぬ身は急げども年を経てなど越えがたき逢坂の関」(後撰集 恋三 七三一 伊尹朝臣)の文句を変えて口ずさんだもの。反語表現。『古典セレクション』は「なぞ恋ひざらん」と本文を改めながら、訳文では「「なぞ越えざらむ」とお口ずさみになるのを」と訳している。『集成』『新大系』は底本のままである。
3.2.14
(きみ)は、(うへ)()ひきこえたまひて()()したまへるに、御遊(おほんあそ)びがたきどもの、
姫君は、祖母上をお慕い申されて泣き臥していらっしゃったが、お遊び相手たちが、
女王は今夜もまた祖母を恋しがって泣いていた時に、遊び相手の童女が、 【君は、上を恋ひきこえたまひて】- 紫の君は祖母上を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。
3.2.15 「直衣を着ている方がいらっしゃってるのは、父宮さまがおいであそばしたのらしいわ」
一直衣を着た方が来ていらっしゃいますよ。宮様が来ていらっしゃるのでしょう」 【直衣着たる人の】- 以下「なめり」まで、童女の詞。
【宮のおはしますなめり】- 「おはします」連体形。「な」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量。
3.2.16
()こゆれば、()()でたまひて、
と申し上げると、起き出しなさって、
と言ったので、起きて来て、
3.2.17
少納言(せうなごん)
直衣着(なほしき)たりつらむはいづら。
(みや)のおはするか」
「少納言や。
直衣を着ているという方は、どちら。
父宮がいらしたの」
「少納言、直衣着た方どちら、宮様なの」 【少納言よ】- 以下「おはするか」まで、紫の君の詞。紫の君は「おはす」という。童女たちの物言いと区別されている。間投助詞「よ」呼び掛けに用いる。
【直衣着たりつらむは】- 完了の助動詞「たり」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、係助詞「は」。「らむ」と「は」の間に「人」などの語が省略。
3.2.18
とて、()りおはしたる御声(おほんこゑ)いとらうたし
と言って、近づいて来るお声が、とてもかわいらしい。
こう言いながら乳母のそばへ寄って来た声がかわいかった。 【いとらうたし】- 源氏と語り手が一体化した表現。
3.2.19
(みや)にはあらねどまた(おぼ)(はな)つべうもあらず。
こち」
「宮さまではありませんが、必ずしも関係ない人ではありません。
こちらへ」
これは父宮ではなかったが、やはり深い愛を小女王に持つ源氏であったから、心がときめいた。
 「こちらへいらっしゃい」
【宮にはあらねど】- 以下「こち」まで、源氏の詞。
3.2.20
とのたまふを()づかしかりし(ひと)と、さすがに()きなして、()しう()ひてけりと(おぼ)して、乳母(めのと)にさし()りて、
とおっしゃると、あの素晴らしかった方だと、子供心にも聞き分けて、まずいことを言ってしまったとお思いになって、乳母の側に寄って、
と言ったので、父宮でなく源氏の君であることを知った女王は、さすがにうっかりとしたことを言ってしまったと思うふうで、乳母のそばへ寄って、 【とのたまふを】- 「を」について、『今泉忠義訳』は「おつしやると」と接続助詞に訳し、『古典セレクション』は「おっしゃるのを」と格助詞、目的格に訳す。
【恥づかしかりし人】- 紫の君の心中。源氏をさしていう。
3.2.21
いざかし、ねぶたきに」とのたまへば、
「ねえ、行きましょうよ。眠いから」とおっしゃるので、
「さあ行こう。私は眠いのだもの」
 と言う。
【いざかし、ねぶたきに】- 紫の上の詞。連語「いざかし」(感動詞「いざ」+終助詞「かし」)相手を促す意。さあ、--しよう。形ク「ねぶたき」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
3.2.22
(いま)さらになど(しの)びたまふらむ
この(ひざ)(うへ)大殿籠(おほとのご)もれよ。
(いま)すこし()りたまへ」
「今さら、どうして逃げ隠れなさるのでしょう。
わたしの膝の上でお寝みなさいませ。
もう少し近くへいらっしゃい」
「もうあなたは私に御遠慮などしないでもいいんですよ。私の膝の上へお寝みなさい」 【今さらに】- 以下「すこし寄りたまへ」まで、源氏の詞。
【など忍びたまふらむ】- 副詞「など」、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量。どうして逃げ隠れなさるのでしょう、そうする必要はありませんよ。
3.2.23
とのたまへば、乳母(めのと)の、
とおっしゃると、乳母が、
と源氏が言った。
3.2.24
さればこそ
かう()づかぬ(おほん)ほどにてなむ
「これですから。
このようにまだ頑是ないお年頃でして」
「お話しいたしましたとおりでございましょう。こんな赤様なのでございます」 【さればこそ】- 以下「ほどにてなむ」まで、少納言の乳母の詞。係助詞「こそ」の下に「きこえさせしか」などの語句が省略。
【御ほどにてなむ】- 係助詞「なむ」の下に「おはします」などの語が省略。
3.2.25 と言って、押しやり申したところ、無心にお座りになったので、お手を差し入れてお探りになると、柔らかなお召物の上に、髪がつやつやと掛かって、末の方までふさふさしているのが、とてもかわいらしく想像される。
お手を捉えなさると、気味の悪いよその人が、このように近くにいらっしゃるのは、恐ろしくなって、
乳母に源氏のほうへ押し寄せられて、女王はそのまま無心にすわっていた。源氏が御簾の下から手を入れて探ってみると柔らかい着物の上に、ふさふさとかかった端の厚い髪が手に触れて美しさが思いやられるのである。手をとらえると、父宮でもない男性の近づいてきたことが恐ろしくて、 【押し寄せたてまつりたれば】- 少納言が紫の君を源氏の側近くへ。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、完了の助動詞「たれ」已然形;接続助詞「ば」順接、--したところ。
【何心もなくゐたまへるに】- 主語は紫の君。母屋の御簾または几帳の内側に座った様子である。
【手をさし入れて探りたまへれば】- 主語は源氏。御簾または几帳などの下から手をさし入れて探った様子である。
【なよらかなる御衣に】- 大島本「なよらかなる」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なよよかなる」と校訂し、『新大系』は「なよらかなる」と校訂する。糊けの落ちて柔らかくなった様子。「ら」と「ゝ」の字体の近さから生じた異文である。「艶 ナヨヨカナリ」(名義抄)。「なよらか」という語も存在する。
【探りつけられたる】- 大島本は「さくりつけられたる」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「探りつけられたるほど」と「ほど」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【やらる】- 大島本は「やらるる」とある。肖柏本が「やらるる」、他の青表紙諸本は「やらる」とある。諸本に従って「やらる」(「思ひやら」+自発の助動詞「る」終止形)と本文を改める。
【うたて例ならぬ人の、かく近づきたまへるは、恐ろしうて】- 他人がこのように接近し手を握るなどということは深窓に育った姫君には経験のないことなので、気味悪く恐ろしくも思う。
3.2.26 「寝よう、と言っているのに」
「私、眠いと言っているのに」 【寝なむ、と言ふものを】- 紫の上の詞。下二段「寝(ね)」連用形。完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形、意志。接続助詞「もの」逆接を表す。
3.2.27
とて、()ひて()()りたまふにつきてすべり()りて、
と言って、無理に奥に入って行きなさるのに後から付いて御簾の中にすべり入って、
と言って手を引き入れようとするのについて源氏は御簾の中へはいって来た。
3.2.28
(いま)まろぞ(おも)ふべき(ひと)
(うと)みたまひそ
「今は、わたしが世話して上げる人ですよ。
お嫌いにならないでね」
「もう私だけがあなたを愛する人なんですよ。私をお憎みになってはいけない」 【今は】- 以下「な疎みたまひそ」まで、源氏の詞。
【まろぞ】- 「まろ」は親しい者どうしの間で使う一人称。男女共使用。親しみをこめていう。係助詞「ぞ」、「人」の下に「なる」(連体形)などの語が省略。
【な疎みたまひそ】- 副詞「な」--終助詞「そ」禁止の構文を作る。
3.2.29
とのたまふ。
乳母(めのと)
とおっしゃる。
乳母が、
源氏はこう言っている。少納言が、
3.2.30
いで、あなうたてや
ゆゆしうもはべるかな。
()こえさせ()らせたまふともさらに(なに)のしるしもはべらじものを」とて、(くる)しげに(おも)ひたれば、
「あら、まあ嫌でございますわ。
あまりのなさりようでございますわ。
いくらお話申し上げあそばしても、何の甲斐もございませんでしょうに」といって、つらそうに困っているので、
「よろしくございません。たいへんでございます。お話しになりましても何の効果もございませんでしょうのに」
 と困ったように言う。
【いで、あなうたてや】- 以下「はべらじものを」まで、少納言の乳母の詞。感動詞「いで」打消しの気持ち。感動詞「あな」。「うたて」は形容詞「うたてし」の語幹、間投助詞「や」。
【聞こえさせ知らせたまふとも】- 姫君にあなたさま(源氏)が。「聞こえさせ」は「聞こゆ」より丁重な謙譲語。姫君を敬う。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語は源氏の動作に対する敬語。接続助詞「とも」逆接を表す。
【さらに何のしるしもはべらじものを】- 副詞「さらに」打消推量の助動詞「じ」と呼応して全然--ないでしょう、の意を表す。接続助詞「ものを」逆接を表す。
3.2.31
さりともかかる(おほん)ほどをいかがはあらむ
なほ、ただ()()らぬ(こころ)ざしのほどを見果(みは)てたまへ」とのたまふ。
「いくらなんでも、このようなお年の方をどうしようか。
やはり、ただ世間にないほどのわたしの愛情をお見届けください」とおっしゃる。
「いくら何でも私はこの小さい女王さんを情人にしようとはしない。まあ私がどれほど誠実であるかを御覧なさい」 【さりとも】- 以下「見果てたまへ」まで、源氏の詞。接続詞「さりとも」は前文を認めながらもなお別の事態を望む気持ちで文を続ける。たとえそうであったとしても。
【いかがはあらむ】- 反語表現の構文。何としようか、どうすることもない。
【見果てたまへ】- 源氏が少納言の乳母に対して言った言葉。尊敬の補助動詞「たまへ」が使われている。
3.2.32 霰が降り荒れて、恐ろしい夜の様子である。
外には霙が降っていて凄い夜である。 【霰降り荒れて、すごき夜のさまなり】- 季節は初冬の十月末方、霰が降り荒れる。霰は雪より非情のものとして描かれる。『完訳』は「夜の外界の点描から邸内の人々の心細さに移る」と注す。
3.2.33
いかで、かう人少(ひとずく)なに心細(こころぼそ)うて、()ぐしたまふらむ」
「どうして、このような少人数な所で頼りなく過ごしていらっしゃれようか」
「こんなに小人数でこの寂しい邸にどうして、住めるのですか」 【いかで、かう】- 以下「過ぐしたまふらむ」まで、源氏の心中。「いかで」は、理由と方法の両方の疑問の意がある。どうして、どのようにして。『集成』『新大系』は「どうして、こんな小人数で、頼りなくお暮らしになっているのか」と疑問の意に解し、『古典セレクション』『評釈』は「幼い方が、こんなに小人数で心細くてて、どうしてお過ごしになれるものか」と反語の意に解す。
3.2.34
と、うち()いたまひて、いと見棄(みす)てがたきほどなれば
と思うと、ついお泣きになって、とても見捨てては帰りにくい有様なので、
と言って源氏は泣いていた。捨てて帰って行けない気がするのであった。 【いと見棄てがたきほどなれば】- このまま見捨てて帰るのが気の毒な様子。
3.2.35
御格子参(みかうしまゐ)りね
もの(おそ)ろしき()のさまなめるを宿直人(とのゐびと)にてはべらむ。
(ひと)びと、(ちか)うさぶらはれよかし
「御格子を下ろしなさい。
何となく恐そうな夜の感じのようですから、宿直人となってお勤めしましょう。
女房たち、近くに参りなさい」
「もう戸をおろしておしまいなさい。こわいような夜だから、私が宿直の男になりましょう。女房方は皆女王さんの室へ来ていらっしゃい」 【御格子参りね】- 以下「さぶらはれよかし」まで、源氏の詞。「参る」は上げる、下ろす、の両方に用いる。ここは後者の意。完了の助動詞「ね」命令形。
【夜のさまなめるを】- 「なめる」は断定の助動詞「なる」の連体形「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「める」連体形、視界内推量、接続助詞「を」順接、原因理由を表して下文に続ける。
【人びと、近うさぶらはれよかし】- 「人々」は女房たち。尊敬の助動詞「れよ」命令形、終助詞「かし」念押し。前に少納言の乳母に対しては尊敬の補助動詞「たまふ」が使われていたが、たの女房たちに対しては、やや軽い尊敬の助動詞「る」が使い分けられている。
3.2.36
とて、いと()(がほ)御帳(みちゃう)のうちに()りたまへば、あやしう(おも)ひのほかにもと、あきれて、(たれ)(たれ)もゐたり。
乳母(めのと)は、うしろめたなうわりなしと(おも)へど、(あら)ましう()こえ(さわ)ぐべきならねばうち(なげ)きつつゐたり。
と言って、とても物馴れた態度で御帳の内側にお入りになるので、奇妙な思いも寄らないことをと、あっけにとられて、一同茫然としている。
乳母は、心配で困ったことだと思うが、事を荒立て申すべき場合でないので、嘆息しながら見守っていた。
と言って、馴れたことのように女王さんを帳台の中へ抱いてはいった。だれもだれも意外なことにあきれていた。乳母は心配をしながらも普通の闖入者を扱うようにはできぬ相手に歎息をしながら控えていた。 【御帳のうちに】- 紫の君の寝室が正式の御帳台であるかどうかは不明。国宝『源氏物語絵巻』に描かれている「柏木」第一段の女三宮の寝室は御帳台で、浜床が見える。それに対して「柏木」第二段の柏木が病臥している部屋や「横笛」の夕霧夫妻の寝室は回りに御帳と御簾を垂らした厚床畳の寝室である。
【あやしう思ひのほかにも】- 女房の心中。少女と添い寝する源氏を、奇妙に思う。
【荒ましう聞こえ騒ぐべきならねば】- 大島本「きこえさハくへきならねハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞こえ騒ぐべきほどならねば」と「ほど」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
3.2.37
若君(わかぎみ)いと(おそ)ろしう、いかならむとわななかれていとうつくしき御肌(おほんはだ)つきも、そぞろ(さむ)げに(おぼ)したるを、らうたくおぼえて、単衣(ひとへ)ばかりを()しくくみてわが御心地(みここち)も、かつはうたておぼえたまへど、あはれにうち(かた)らひたまひて、
若君は、とても恐ろしく、どうなるのだろうと自然と震えて、とてもかわいらしいお肌も、ぞくぞくと粟立つ感じがなさるのを、源氏の君はいじらしく思われて、肌着だけで包み込んで、ご自分ながらも、一方では変なお気持ちがなさるが、しみじみとお話なさって、
小女王は恐ろしがってどうするのかと慄えているので肌も毛穴が立っている。かわいく思う源氏はささやかな異性を単衣に巻きくるんで、それだけを隔てに寄り添っていた。この所作がわれながら是認しがたいものとは思いながらも愛情をこめていろいろと話していた。 【若君は】- 紫の君。以下、地の文に源氏の視点と心中がない交ぜになった叙述。
【いかならむとわななかれて】- 自発の助動詞「れ」連用形。どうなるのだろうとぶるぶると震えずにはいられないで。
【単衣ばかりを押しくくみて】- 『集成』は「単(肌着)だけで(若君の身体を)包みこんで」と解す。
【かつは】- もう一方ではの意。源氏の意識の両面を語り、人間性の思考と行動の不可解さに深みや奥行きを与えている。
3.2.38
いざ、たまへよ
をかしき()など(おほ)く、雛遊(ひひなあそ)びなどする(ところ)に」
「さあ、いらっしゃいよ。
美しい絵などが多く、お人形遊びなどする所に」
「ねえ、いらっしゃいよ、おもしろい絵がたくさんある家で、お雛様遊びなんかのよくできる私の家へね」 【いざ、たまへよ】- 以下「などする所に」まで源氏の詞。紫の上を自邸に二条院へ誘う。「たまへ」は「来たまへ」の意。倒置表現。
3.2.39
と、(こころ)につくべきことをのたまふけはひの、いとなつかしきを(をさな)心地(ここち)にも、いといたう()ぢず、さすがにむつかしう()()らずおぼえて、()じろき()したまへり。
と、気に入りそうなことをおっしゃる様子が、とても優しいので、子供心にも、そう大して物怖じせず、とは言っても、気味悪くて眠れなく思われて、もじもじして横になっていらっしゃった。
こんなふうに小さい人の気に入るような話をしてくれる源氏の柔らかい調子に、姫君は恐ろしさから次第に解放されていった。しかし不気味であることは忘れずに、眠り入ることはなくて身じろぎしながら寝ていた。 【いとなつかしきを】- 「を」について、『今泉忠義訳』では「いかにもおやさしく感じられるので」と接続助詞に訳し、『古典セレクション』では「ほんとに優しそうなのを」と格助詞、目的格の意で訳す。
【さすがに】- 「かつは」と同様に、紫の君の気持ちの両面を語り、人間性の複雑さに奥行きと幅を与えている。
3.2.40 一晩中、風が吹き荒れているので、
この晩は夜通し風が吹き荒れていた。 【夜一夜、風吹き荒るるに】- 『完訳』は「荒寥の外界の点描によって邸内の人の心を照らし出す」と注す。心象風景となっている。前には「霰降り荒れてすごき夜のさまなり」とあった。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
3.2.41
げに、かうおはせざらましかば、いかに心細(こころぼそ)からまし」
「ほんとうに、このように、お越し下さらなかったら、どんなに心細かったことでしょう」
「ほんとうにお客様がお泊まりにならなかったらどんなに私たちは心細かったでしょう。 【げに、かう】- 以下「心細からまし」まで、女房の詞。「げに」について『古典セレクション』は「他の女房の言葉を受けるか」と注す。仮想の助動詞「ましか」已然形+接続助詞「ば」--「まし」終止形、反実仮想の構文。
3.2.42
(おな)じくはよろしきほどにおはしまさましかば」
「同じことなら、お似合いの年でおいであそばしたら」
同じことなら女王様がほんとうの御結婚のできるお年であればね」 【同じくは】- 以下「おはしまさましかば」まで、別の女房の詞。「ましかば」の下に「うれしからまし」などの語句が省略。
3.2.43
とささめきあへり。
乳母(めのと)は、うしろめたさに、いと(ちか)うさぶらふ。
(かぜ)すこし()きやみたるに、夜深(よぶか)()でたまふもことあり(がほ)なりや
とささやき合っている。
少納言の乳母は、心配で、すぐ近くに控えている。
風が少し吹き止んだので、夜の深いうちにお帰りになるのも、いかにもわけありそうな朝帰りであるよ。
などと女房たちはささやいていた。心配でならない乳母は帳台の近くに侍していた。風の少し吹きやんだ時はまだ暗かったが、帰る源氏はほんとうの恋人のもとを別れて行く情景に似ていた。 【夜深う出でたまふも】- 「夜深し」は朝からみて、まだ夜が深い。「夜更け」は夕方からみて夜が更けていく、意。
【ことあり顔なりや】- 『集成』は「草子地」と指摘。『湖月抄』は「風すこし」以下を「草子地也」と指摘。『完訳』は「夜明け直前に帰る後朝の風情から、あたかも逢瀬を遂げたかのようだとする語り手の評言」と指摘する。断定の助動詞「なり」終止形、間投助詞「や」詠嘆は、語り手の口吻を表す。
3.2.44
いとあはれに()たてまつる(おほん)ありさまを、(いま)はまして、片時(かたとき)()もおぼつかなかるべし。
()()(なが)めはべる(ところ)(わた)したてまつらむ。
かくてのみは、いかが
もの()ぢしたまはざりけり」とのたまへば、
「とてもお気の毒にお見受け致しましたご様子を、今では以前にもまして、片時の間も見なくては気がかりでならないでしょう。
毎日物思いをして暮らしている所にお迎え申し上げましょう。
こうしてばかりいては、どんなものでしょうか。
姫君はお恐がりにはならなかった」とおっしゃると、
「かわいそうな女王さんとこんなに親しくなってしまった以上、私はしばらくの間もこんな家へ置いておくことは気がかりでたまらない。私の始終住んでいる家へお移ししよう。こんな寂しい生活をばかりしていらっしゃっては女王さんが神経衰弱におなりになるから」
 と源氏が言った。
【いとあはれに】- 以下「もの怖ぢしたまはざりけり」まで、源氏の詞。
【明け暮れ眺めはべる所に】- 源氏の自邸二条院。
【かくてのみは、いかが】- 副詞「いかが」。下に「過ごされむ」などの語句が省略。反語表現。どうして過ごされましょう、できないでしょう。
3.2.45
(みや)御迎(おほんむか)へになど()こえのたまふめれど、この御四十九日過(おほんなななぬかす)ぐしてや、など(おも)うたまふる」と()こゆれば、
「父宮もお迎えになどと申していらっしゃるようですが、故尼君の四十九日忌が過ぎてからか、などと存じます」と申し上げると、
「宮様もそんなにおっしゃいますが、あちらへおいでになることも、四十九日が済んでからがよろしかろうと存じております」 【宮も御迎へに】- 以下「思うたまふる」まで、少納言の乳母の詞。父兵部卿宮。
【この御四十九日過ぐして】- 尼君の逝去は八月二十日。その四十九日忌は、十一月九日頃となる。
【思うたまふる】- 大島本「思ふ給ふる」とある。「思ふ」の「ふ」は「思ひ」のウ音便化「う」を「ふ」と誤表記した形。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたまふる」と校訂する。『新大系』は底本のまま。謙譲の補助動詞「たまふる」連体形、連体中止法。言い切らない余意余情表現。
3.2.46
(たの)もしき(すぢ)ながらも、よそよそにてならひたまへるは、(おな)じうこそ(うと)うおぼえたまはめ。
(いま)より()たてまつれど、(あさ)からぬ(こころ)ざしはまさりぬべくなむ
「頼りになる血筋ではあるが、ずっと別々に暮らして来られた方は、他人同様に疎々しくお思いでしょう。
今夜初めてお会いしたが、わたしの深い愛情は父宮様以上でしょう」
「お父様のお邸ではあっても、小さい時から別の所でお育ちになったのだから、私に対するお気持ちと親密さはそう違わないでしょう。今からいっしょにいることが将来の障りになるようなことは断じてない。私の愛が根底の深いものになるだけだと思う」 【頼もしき筋ながら】- 以下「まさりぬべくなむ」まで、源氏の詞。
【浅からぬ心ざしはまさりぬべくなむ】- わたしの愛情は実の父以上だ、の意。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べく」連用形、係助詞「なむ」、下に「ある」などの語が省略。
3.2.47
とて、かい()でつつかへりみがちにて()でたまひぬ。
と言って、かき撫でかき撫でして、後髪を引かれる思いでお出になった。
と女王の髪を撫でながら源氏は言って顧みながら去った。 【かい撫でつつ】- 接続助詞「つつ」動作の反復継続を表す。
3.2.48
いみじう()りわたれる(そら)もただならぬに、(しも)はいと(しろ)うおきてまことの懸想(けさう)もをかしかりぬべきにさうざうしう(おも)ひおはす。
いと(しの)びて(かよ)ひたまふ(ところ)(みち)なりけるを(おぼ)()でて、(かど)うちたたかせたまへど、()きつくる(ひと)なし。
かひなくて、御供(おほんとも)(こゑ)ある(ひと)して(うた)はせたまふ。
ひどく霧の立ちこめた空もいつもとは違った風情であるうえに、霜は真白に置いて、実際の恋であったら興趣あるはずなのに、何か物足りなく思っていらっしゃる。
たいそう忍んでお通いになる方への道筋であったのをお思い出しになって、門を叩かせなさるが、聞きつける人がいない。
しかたなくて、お供の中で声の良い者に歌わせなさる。
深く霧に曇った空も艶であって、大地には霜が白かった。ほんとうの恋の忍び歩きにも適した朝の風景であると思うと、源氏は少し物足りなかった。近ごろ隠れて通っている人の家が途中にあるのを思い出して、その門をたたかせたが内へは聞こえないらしい。しかたがなくて供の中から声のいい男を選んで歌わせた。 【いみじう霧りわたれる空もただならぬに、霜はいと白うおきて】- 初冬の朝の様子。接続助詞「に」添加の意を表す。--の上に。
【まことの懸想もをかしかりぬべきに】- 係助詞「も」仮定の意を表す。語り手の感情移入された評言である。少女の紫の君の家からの朝帰り、これが成人女性の家からの朝帰りであったら、というニュアンス。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【いと忍びて通ひたまふ所の道】- 『集成』は「誰か不明である。前に出た「六条京極わたり」の女性らしくもあるが、位置関係からいうと逆の位置のように読める」と解し、『完訳』でも「誰であるか不明」と注す。『新大系』は「先に「忍びたる所」とあったのとは別の女」と注す。
3.2.49 「曙に霧が立ちこめた空模様につけても
素通りし難い貴女の家の前ですね」
朝ぼらけ霧立つ空の迷ひにも
行き過ぎがたき妹が門かな
【朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも--行き過ぎがたき妹が門かな】- 源氏の贈歌。素通りしにくいあなたの家の前だ、ちょっと寄らせてくださいの意。『細流抄』は「妹(いも)が門(かど) 夫(せな)が門 行き過ぎかねて や 我が行かば 肱笠(ひぢがさ)の 肱笠の 雨もや降らなむ しでたをさ 雨やどり 笠やどり 宿りてまからむ しでたをさ」(催馬楽、妹が門)を指摘。
3.2.50
と、二返(ふたかへ)りばかり(うた)ひたるによしある下仕(しもづか)ひを()だして、
と、二返ほど歌わせたところ、心得ある下仕え人を出して、
二度繰り返させたのである。気のきいたふうをした下仕えの女中を出して、 【二返りばかり歌ひたるに】- 接続助詞「に」順接で下文に続ける。--したところ。
3.2.51 「霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば
生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに」
立ちとまり霧の籬の過ぎうくば
草の戸ざしに障りしもせじ
【立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは--草のとざしにさはりしもせじ】- 女の返歌。『新大系』は『立ち止まって、霧がとざす垣根が通り過ぎにくいというぐらいなら、草が覆う門に邪魔されはするまい。はいろうと思うならはいれるではないか、はいるつもりがないくせに、と言い返す女歌」と注す。「草のとざし」は歌語。「秋の夜の草のとざしのわびしきは明くれどあけぬものにぞありける」(後撰集 恋四 九〇〇 兼輔朝臣)「言ふからに辛さぞまさる秋の夜の草のとざしに障るべしやは」(同 九〇一 読人しらず)の贈答歌による。
3.2.52
()ひかけて、()りぬ。
また(ひと)()()ねば(かへ)るも(なさ)けなけれど、()けゆく(そら)もはしたなくて殿(との)へおはしぬ。
と詠みかけて、入ってしまった。
他に誰も出て来ないので、帰るのも風情がないが、空が明るくなって行くのも体裁が悪いので邸へお帰りになった。
と言わせた。女はすぐに門へはいってしまった。それきりだれも出て来ないので、帰ってしまうのも冷淡な気がしたが、夜がどんどん明けてきそうで、きまりの悪さに二条の院へ車を進めさせた。 【また人も出で来ねば】- 副詞「また」他に、再び、の意。「出(い)で来(こ)」未然形、打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」然接の確定条件を表す。もう誰も出て来ないので。
3.2.53
をかしかりつる(ひと)のなごり(こひ)しく、(ひと)()みしつつ()したまへり。
日高(ひたか)大殿籠(おほとのご)もり()きて、(ふみ)やりたまふに()くべき言葉(ことば)(れい)ならねば、(ふで)うち()きつつすさびゐたまへり
をかしき()などをやりたまふ。
かわいらしかった方の面影が恋しく、独り微笑みながら臥せっていらっしゃった。
日が高くなってからお起きになって、手紙を書いておやりになる時、書くはずの言葉も普通と違うので、筆を書いては置き書いては置きと、気の向くままにお書きになっている。
美しい絵などをお届けなさる。
かわいかった小女王を思い出して、源氏は独り笑みをしながら又寝をした。朝おそくなって起きた源氏は手紙をやろうとしたが、書く文章も普通の恋人扱いにはされないので、筆を休め休め考えて書いた。よい絵なども贈った。 【をかしかりつる人】- 少女紫の君。
【文やりたまふに】- 後朝(きぬぎぬ)の文。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【筆うち置きつつすさびゐたまへり】- 接続助詞「つつ」動作の反復を表す。『古典セレクション』は「この「すさび」は、心がすすんで熱中する意」と注す。
3.2.54
かしこには今日(けふ)しも(みや)わたりたまへり。
(とし)ごろよりもこよなう()れまさり、(ひろ)うもの()りたる(ところ)の、いとど人少(ひとずく)なに(ひさ)しければ()わたしたまひて
あちらでは、ちょうど今日、父宮がおいでになった。
数年来以上にすっかり荒れ行き、広く古めかしくなった邸が、ますます人数が少なくなって月日を経ているので、ずっと御覧になって、
今日は按察使大納言家へ兵部卿の宮が来ておいでになった。以前よりもずっと邸が荒れて、広くて古い家に小人数でいる寂しさが宮のお心を動かした。 【かしこには】- 紫の君の六条京極邸。
【今日しも】- 源氏が朝帰りして後朝の文を送った、その日。
【年ごろよりも】- 以下、兵部卿宮の目を通して語られる。
【久しければ】- 大島本は「ひさしけれは」とある。その他の青表紙諸本は「さひしけれは」とある。『集成』『古典セレクション』は「さびしければ」と本文を改める。
【見わたしたまひて】- 主語は兵部卿宮。
3.2.55 「このような所には、どうして、少しの間でも幼い子供がお過しになれよう。
やはり、あちらにお引き取り申し上げよう。
けっして窮屈な所ではない。
乳母には、部屋をもらって仕えればよい。
姫君は、若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても仲良くやって行けよう」などとおっしゃる。
「こんな所にしばらくでも小さい人がいられるものではない。やはり私の邸のほうへつれて行こう。たいしたむずかしい所ではないのだよ。乳母は部屋をもらって住んでいればいいし、女王は何人も若い子がいるからいっしょに遊んでいれば非常にいいと思う」
 などとお言いになった。
【かかる所には】- 以下「ものしたまひなむ」まで、兵部卿宮の詞。姫君と乳母たちを本邸に引き取ることを言う。
【いかでか、しばしも幼き人の過ぐしたまはむ】- 連語「いかでか」は「過ぐしたまはむ」に係る、反語表現の構文。どうしてお過ごしになれよう、できまい。
【かしこに渡したてまつりてむ】- 兵部卿宮邸。謙譲の補助動詞「たてまつり」(連用形)は紫の君を敬った表現。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志。きっと--しよう。
【曹司などしてさぶらひなむ】- 部屋を決めて。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、適当・勧誘。お仕えするのがよかろう。
【若き人びとあれば】- 大島本「わかき人/\あれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「若き人々などあれば」と「など」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【いとようものしたまひなむ】- 完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、推量。
3.2.56 近くにお呼び寄せになると、あの源氏の君のおん移り香が、たいそうよい匂いに深く染み着いていらっしゃるので、「いい匂いだ。
お召し物はすっかりくたびれているが」と、お気の毒にお思いになった。
そばへお呼びになった小女王の着物には源氏の衣服の匂いが深く沁んでいた。
 「いい匂いだね。げれど着物は古くなっているね」
 心苦しく思召す様子だった。
【近う呼び寄せたてまつりたまへるに】- 紫の君を。謙譲の補助動詞「たてまつり」(連用形)は紫の君を敬った表現。尊敬の補助動詞「たまへ」(已然形)は兵部卿宮を敬った表現。完了の助動詞「る」連体形、接続助詞「に」順接、--したところ。
【かの御移り香の】- 源氏の移り香。
【染みかへらせたまへれば】- 大島本「しみかへらせ給へれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「染みかへりたまへれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。補助動詞「--かへる」は程度のはなはだしいさまを表す。尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「れ」已然形、存続+接続助詞「ば」順接、原因理由を表し、下文に続ける。
【をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて】- 宮の心中とも詞ともとれる文。『集成』『古典セレクション』は詞と解す。接続助詞「て」逆接。
3.2.57
(とし)ごろもあつしくさだ()ぎたまへる(ひと)()ひたまへるよかしこにわたりて()ならしたまへなど、ものせしを、あやしう(うと)みたまひて(ひと)心置(こころお)くめりしをかかる(をり)にしもものしたまはむも、心苦(こころぐる)しう」などのたまへば、
「これまでは、病気がちのお年寄と一緒においでになったことよ、あちらに引っ越してお馴染みなさいなどと、言っていましたが、変にお疎んじなさって、妻もおもしろからぬようでいたが、このような時に移って来られるのも、おかわいそうに」などとおっしゃると、
「今までからも病身な年寄りとばかりいっしょにいるから、時々は邸のほうへよこして、母と子の情合いのできるようにするほうがよいと私は言ったのだけれど、絶対的にお祖母さんはそれをおさせにならなかったから、邸のほうでも反感を起こしていた。そしてついにその人が亡くなったからといってつれて行くのは済まないような気もする」
 と宮がお言いになる。
【年ごろも】- 以下「心苦しう」まで、兵部卿宮の詞。
【あつしくさだ過ぎたまへる人に】- 尼君をさしていう。
【添ひたまへるよ】- 間投助詞「よ」詠嘆。他の青表紙諸本この語が無い。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「添ひたまへる」と「よ」を削除する。『新大系』は底本のまま。
【あやしう疎みたまひて】- 主語は亡くなった尼君。
【人も心置くめりしを】- 北の方をさしていう。推量の助動詞「めり」連用形、視界内推量の意。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験のニュアンス。接続助詞「を」逆接で下文に続ける。
3.2.58
(なに)かは
心細(こころぼそ)くとも、しばしはかくておはしましなむ
すこしものの心思(こころおぼ)()りなむにわたらせたまはむこそ、よくははべるべけれ」と()こゆ。
「いえどう致しまして。
心細くても、今暫くはこうしておいであそばしましょう。
もう少し物の道理がお分かりになりましたら、お移りあそばされることが良うございましょう」と申し上げる。
「そんなに早くあそばす必要はございませんでしょう。お心細くても当分はこうしていらっしゃいますほうがよろしゅうございましょう。少し物の理解がおできになるお年ごろになりましてからおつれなさいますほうがよろしいかと存じます」
 少納言はこう答えていた。
【何かは】- 以下「よくははべるべけれ」まで、少納言の乳母の詞。反語表現、下に「渡らせたまはむ」などの語句が省略。どうして、お移りなさいましょうか、移りません、の意。
【おはしましなむ】- 「おはします」は最も高い尊敬表現。姫君に対して使っている。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、強調のニュアンス。
【こそ、よくははべるべけれ】- 係り助詞「こそ」、推量の助動詞「べけれ」已然形、係結びの法則。
3.2.59
夜昼恋(よるひるこ)ひきこえたまふにはかなきものもきこしめさず」
「夜昼となくお慕い申し上げなさって、ちょっとした物もお召し上がりになりません」
「夜も昼もお祖母様が恋しくて泣いてばかりいらっしゃいまして、召し上がり物なども少のうございます」 【夜昼恋ひきこえたまふに】- 以下「きこしめさず」まで、少納言の乳母の詞。紫の君が故尼君を。接続助詞「に」順接、原因理由を表して下文に続ける。
3.2.60
とて、げにいといたう面痩(おもや)せたまへれど、いとあてにうつくしく、なかなか()えたまふ
と申して、なるほど、とてもひどく面痩せなさっているが、まことに上品でかわいらしく、かえって美しくお見えになる。
とも歎いていた。実際姫君は痩せてしまったが、上品な美しさがかえって添ったかのように見える。 【げに】- なるほど、という同意は語り手の感情移入の語。
【いとあてにうつくしく、なかなか見えたまふ】- 副詞「なかなか」は語順倒置、「なかなかいとあてにうつくしく見えたまふ」。
3.2.61
(なに)か、さしも(おぼ)す。
(いま)()()(ひと)(おほん)ことはかひなし。
おのれあれば
「どうして、そんなにお悲しみなさる。
今はもうこの世にいない方のことは、
しかたがありません。わたし
「なぜそんなにお祖母様のことばかりをあなたはお思いになるの、亡くなった人はしかたがないんですよ。お父様がおればいいのだよ」 【何か、さしも】- 以下「おのれあれば」まで、兵部卿宮の詞。宮は自分のことを「おのれ」(己)という。源氏は先に「今はまろぞ思ふべき人」と言った。「まろ」は親しみをこめた言い方、「おのれ」は卑下した言い方、ややよそよそしい言い方、というニュアンスの相違。
【おのれあれば】- 下に「思しわづらふな」「心頼もしからむ」などの語句が省略。
3.2.62
など(かた)らひきこえたまひて、()るれば(かへ)らせたまふをいと心細(こころぼそ)しと(おぼ)いて()いたまへば(みや)うち()きたまひて、
などとやさしくお話申し上げなさって、日が暮れるとお帰りあそばすのを、とても心細いとお思いになってお泣きになると、宮ももらい泣きなさって、
と宮は言っておいでになった。日が暮れるとお帰りになるのを見て、心細がって姫君が泣くと、宮もお泣きになって、 【暮るれば帰らせたまふを】- 主語は兵部卿宮、尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、二重敬語。地の文における宮に対する使用。昨日の源氏の泊った態度と対照的に語られる。最高敬語はむしろ皮肉またはよそよそしい態度の表出。「を」について、『今泉忠義訳』は接続助詞とし「帰ろうとなさるので」、『古典セレクション』は格助詞とし「お帰りになるのを」と訳す。
【いと心細しと思いて泣いたまへば】- 主語は紫の君。挿入句。
3.2.63
いとかう(おも)ひな()りたまひそ
今日明日(けふあす)(わた)したてまつらむ」など、(かへ)(がへ)すこしらへおきて、()でたまひぬ。
「けっして、
そんなにご心配なさるな。今日明日のうちに、お移し申そう」などと、繰り返しなだめす
「なんでもそんなに悲しがってはしかたがない。今日明日にでもお父様の所へ来られるようにしよう」
 などと、いろいろになだめて宮はお帰りになった。
【いとかう】- 以下「渡したてまつらむ」まで、兵部卿宮の詞。
【思ひな入りたまひそ】- 「思ひ入る」の間に副詞「な」が介入、終助詞「そ」禁止を表す。
3.2.64
なごりも(なぐさ)めがたう()きゐたまへり
()(さき)()のあらむことなどまでも(おぼ)()らず、ただ(とし)ごろ()(はな)るる(をり)なうまつはしならひて(いま)()(ひと)となりたまひにける、(おぼ)すがいみじきに、(をさな)御心地(みここち)なれど、(むね)つとふたがりて、(れい)のやうにも(あそ)びたまはず、(ひる)はさても(まぎ)らはしたまふを、夕暮(ゆふぐれ)となれば、いみじく()したまへば、かくてはいかでか()ごしたまはむと、(なぐさ)めわびて、乳母(めのと)()きあへり。
その後の寂しさも慰めようがなく泣き沈んでいらっしゃった。
将来の身の上のことなどはお分りにならず、ただ長年離れることなく一緒にいて、今はお亡くなりになってしまったと、お思いになるのが悲しくて、子供心であるが、胸がいっぱいにふさがって、いつものようにもお遊びはなさらず、昼間はどうにかお紛らわしになるが、夕暮時になると、ひどくおふさぎこみなさるので、これではどのようにお過ごしになられようかと、慰めあぐねて、乳母たちも一緒に泣いていた。
母も祖母も失った女の将来の心細さなどを女王は思うのでなく、ただ小さい時から片時の間も離れず付き添っていた祖母が死んだと思うことだけが非常に悲しいのである。子供ながらも悲しみが胸をふさいでいる気がして遊び相手はいても遊ぼうとしなかった。それでも昼間は何かと紛れているのであったが、夕方ごろからめいりこんでしまう。こんなことで小さいおからだがどうなるかと思って、乳母も毎日泣いていた。 【なごりも慰めがたう泣きゐたまへり】- 主語は紫の君。以下、父兵部卿宮が帰って後の紫の君の幼さと孤児を強調した叙述。
【立ち離るる折なうまつはしならひて】- 「まつはしならひて」の主語について、『今泉忠義訳』では紫の君が「片時も離れず付き纏ふことにしていたのに」と訳し、『古典セレクション』では「尼君がいつもずっとおそばにおいてくださったのに」と訳す。
【かくてはいかでか過ごしたまはむ】- 大島本「すこし給はむ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「過ぐしたまはむ」と校訂する。『新大系』は底本のまま。乳母の心中。主語は紫の上。副詞「いかで」+係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び、反語表現の構文。
3.2.65
(きみ)(おほん)もとよりは、惟光(これみつ)たてまつれたまへり
源氏の君のお邸からは、惟光をお差し向けなさった。
その日源氏の所からは惟光をよこした。 【たてまつれたまへり】- 「たてまつれ」ラ下二の謙譲の動詞、連用形。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形。
3.2.66
(まゐ)()べきを内裏(うち)より(めし)あればなむ
心苦(こころぐる)しう()たてまつりしもしづ(ごころ)なく」とて、宿直人(とのゐびと)たてまつれたまへり。
「私自身参るべきところ、帝からお召しがありまして。
お気の毒に拝見致しましたのにつけても、気がかりで」と伝えて、宿直人を差し向けなさった。
伺うはずですが宮中からお召しがあるので失礼します。おかわいそうに拝見した女王さんのことが気になってなりません。
 源氏からの挨拶はこれで惟光が代わりの宿直をするわけである。
【参り来べきを】- 以下「しづ心なく」まで、源氏の伝言。主語は源氏。接続助詞「を」逆接で下文に続ける。
【内裏より召あればなむ】- 係助詞「なむ」の下に「え参らぬ」などの語句が省略。
【心苦しう見たてまつりしも】- 過去の助動詞「し」連体形、係助詞「も」強調の意。
3.2.67
あぢきなうもあるかな
(たはぶ)れにても、もののはじめにこの(おほん)ことよ」
「情けないことですわ。
ご冗談にも結婚の最初からして、このようなお事とは」
「困ってしまう。将来だれかと御結婚をなさらなければならない女王様を、これではもう源氏の君が奥様になすったような形をお取りになるのですもの。 【あぢきなうもあるかな】- 以下「きこえさせたまふな」まで、『集成』は少納言の乳母の詞と解し、『完訳』は他の女房の詞と解す。全般は他の女房の物の言い方であるが、最後の紫の上に忠告するあたりは乳母の物の言い方のような感じがする。一人の詞と解さず、複数の詞と解すべきか。
【もののはじめ】- 「もの」は結婚をさす。成婚の当初からの意。
3.2.68
宮聞(みやき)こし()しつけば、さぶらふ(ひと)びとのおろかなるにぞさいなまむ
「宮さまがお耳にされたら、お仕えする者の落度として叱られましょう」
宮様がお聞きになったら私たちの責任だと言っておしかりになるでしょう」 【さいなまむ】- 大島本と池田本は「さいなむ」とある。主語は兵部卿宮。御物本は「さいなみ給はん」とあり敬語が付く。榊原家本と肖柏本は「さいなまれん」とあり、受身の助動詞があって、主語は女房たちとなる。横山本と書陵部本「さいなま(+れ)」、三条西家本も「さいなま(+れ)む」と「れ」を補入。
3.2.69
「あなかしこ、もののついでに、いはけなくうち()できこえさせたまふな
「ああ、大変だわ。何かのついでに、父宮にうっかりお口にあそばされますな」
「ねえ女王様、お気をおつけになって、源氏の君のことは宮様がいらっしゃいました時にうっかり言っておしまいにならないようになさいませね」 【うち出できこえさせたまふな】- 紫の君に対して言った詞。「きこえさせ」(「きこゆ」よりさらに謙った謙譲語、宮を敬った表現)、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、紫の上に対する敬語、終助詞「な」禁止。
3.2.70 などと言うにつけても、そのことを何ともお分りでいらっしゃらないのは、困ったことであるよ。
と少納言が言っても、小女王は、それが何のためにそうしなければならないかがわからないのである。 【それをば何とも思したらぬぞ、あさましきや】- 「それ」は少納言の乳母の忠告をさす。語り手の紫の君に対する評言。『湖月抄』は「紫のさまを草子地に云也」と注す。『完訳』も「語り手の評」と注す。『集成』は「張り合いのないことである」と解す。
3.2.71
少納言(せうなごん)は、惟光(これみつ)あはれなる物語(ものがたり)どもして
少納言の乳母は、惟光に気の毒な身の上話をいろいろとして、
少納言は惟光の所へ来て、身にしむ話をした。 【あはれなる物語どもして】- 「ども」とあるので、いろいろと話したニュアンス。
3.2.72
あり()(のち)さるべき御宿世(おほんすくせ)(のが)れきこえたまはぬやうもあらむ
ただ(いま)は、かけてもいと()げなき(おほん)ことと()たてまつるを、あやしう(おぼ)しのたまはするも、いかなる御心(みこころ)にか、(おも)()るかたなう(みだ)れはべる。
今日(けふ)も、宮渡(みやわた)らせたまひてうしろやすく(つか)うまつれ。
心幼(こころをさな)くもてなしきこゆな』とのたまはせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御好(おほんす)(ごと)(おも)()でられはべりつる
「これから先いつか、ご一緒になるようなご縁から、お逃れ申されなさらいものかも知れません。
ただ今は、まったく不釣り合いなお話と拝察致しておりますが、不思議にご熱心に思ってくださり、またおっしゃってくださいますのを、どのようなお気持ちからかと、判断つかないで悩んでおります。
今日も、宮さまがお越しあそばして、『安心の行くように仕えなさい。
うっかりしたことは致すな』と仰せられたのも、とても厄介で、なんでもなかった時より、このような好色めいたことも改めて気になるのでございました」
「将来あるいはそうおなりあそばす運命かもしれませんが、ただ今のところはどうしてもこれは不つりあいなお間柄だと私らは存じますのに、御熱心に御縁組のことをおっしゃるのですもの、御酔興か何かと私どもは思うばかりでございます。今日も宮様がおいでになりまして、女の子だからよく気をつけてお守りをせい、うっかり油断をしていてはいけないなどとおっしゃいました時は、私ども何だか平気でいられなく思われました。昨晩のことなんか思い出すものですから」 【あり経て後や】- 以下「思ひ出でられはべりつる」まで、少納言の乳母の詞。係助詞「や」疑問の意、「あらむ」(連体形)に係る、係結びの法則。
【さるべき御宿世】- 前世からの御縁、すなわち結婚。
【逃れきこえたまはぬやうもあらむ】- 謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、紫の君を謙らせて源氏を敬う、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、紫の君に対する敬意。打消の助動詞「ぬ」連体形。推量の助動詞「む」連体形、係助詞「や」の係り結び。
【宮渡らせたまひて】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、二重敬語、会話文中の用例。
【うしろやすく】- 以下「きこゆな」まで、兵部卿宮の詞を引用。横山本と肖柏本は「うしろやすう」とある。
【心幼くもてなしきこゆな】- 幼稚な考え、あさはkな考え、の意。
【思ひ出でられはべりつる】- 自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「つる」連体形、確述。連体中止法。思わずにはいられないという気持ちと余情または含みを残した言い方。
3.2.73
など()ひて、この(ひと)ことあり(がほ)にや(おも)はむ」など、あいなければいたう(なげ)かしげにも()ひなさず。
大夫(たいふ)「いかなることにかあらむ」と、心得(こころえ)がたう(おも)ふ。
などと言って、「この人も何か特別の関係があったように思うだろうか」など思われるのも、不本意なので、ひどく悲しんでいるようには言わない。
惟光大夫も、「どのような事なのだろう」と、ふに落ちなく思う。
などと言いながらも、あまりに歎いて見せては姫君の処女であることをこの人に疑わせることになると用心もしていた。惟光もどんな関係なのかわからない気がした。 【この人も】- 以下「思はむ」まで、乳母の心中。「この人」は惟光をさす。「ことあり顔」は、源氏と紫の君の特別の関係、すなわち夫婦関係をさす。
【あいなければ】- 乳母は、源氏が来ないのを気にしているが、それを惟光に察せられたくないでいる。『完訳』は「局外者の惟光からあれこれ忖度されるのは不本意、の気持」と注す。
【大夫も】- 惟光をさす。源氏の使者としての一個人というより、「大夫」という公人かつ身分ある(五位)一人格者としてのニュアンスを強調した表現。
3.2.74
(まゐ)りて、ありさまなど()こえければあはれに(おぼ)しやらるれどさて(かよ)ひたまはむも、さすがにすずろなる心地(ここち)して、軽々(かるがる)しうもてひがめたると、(ひと)もや()()かむ」など、つつましければ、ただ(むか)へてむ」と(おぼ)す。
帰参して、様子などをご報告すると、しみじみと思いをお馳せになるが、先夜のようにお通いなさるのも、やはり似合わしくない気持ちがして、「軽率な風変わりなことをしていると、世間の人が聞き知るかも知れない」などと、遠慮されるので、「いっそ迎えてしまおう」とお考えになる。
帰って惟光が報告した話から、源氏はいろいろとその家のことが哀れに思いやられてならないのであったが、形式的には良人らしく一泊したあとであるから、続いて通って行かねばならぬが、それはさすがに躊躇された。酔興な結婚をしたように世間が批評しそうな点もあるので、心がおけて行けないのである。二条の院へ迎えるのが良策であると源氏は思った。 【参りて、ありさまなど聞こえければ】- 惟光が二条院に帰参して源氏に報告申し上げると。
【あはれに思しやらるれど】- 以下、主語は源氏。自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ど」逆接で下文に続ける。
【すずろなる心地】- 『集成』は「どうかと思われて」と解し、『完訳』は「行き過ぎという感じ」と解す。
【軽々しう】- 以下「漏り聞かむ」まで、源氏の心中。
【人もや漏り聞かむ】- 係助詞「も」仮定のニュアンス、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び。
【ただ迎へてむ】- 完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形。いっそ迎えてしまおう、という強いニュアンスを表す。
3.2.75
御文(おほんふみ)はたびたびたてまつれたまふ。
()るれば、(れい)大夫(たいふ)をぞたてまつれたまふ
()はる(こと)どものありて、(まゐ)()ぬを、おろかにや」などあり。
お手紙は頻繁に差し上げなさる。
暮れると、いつものように惟光大夫をお差し向けなさる。
「差し障りがあって参れませんのを、不熱心なとでも」などと、伝言がある。
手紙は始終送った。日が暮れると惟光を見舞いに出した。
 やむをえぬ用事があって出かけられないのを、私の不誠実さからだとお思いにならぬかと不安です。
 などという手紙が書かれてくる。
【例の大夫をぞたてまつれたまふ】- 「例の」とあるように惟光がその任に当たっている。係助詞「ぞ」--尊敬の助動詞「たまふ」連体形、係結びの法則、強調のニュアンス。
【障はる事どもの】- 以下「おろかにや」まで、源氏の伝言。『集成』と『新大系』は「源氏の手紙の文面」と解す。「おろかにや」の下に「思さむ」などの語句が省略。
3.2.76
(みや)より明日(あす)にはかに御迎(おほんむか)へにとのたまはせたりつれば、(こころ)あわたたしくてなむ
(とし)ごろの蓬生(よもぎふ)()れなむもさすがに心細(こころぼそ)さぶらふ(ひと)びとも(おも)(みだ)れて
「宮さまから、明日急にお迎えに参ると仰せがありましたので、気ぜわしくて。
長年住みなれた蓬生の宿を離れますのも、何と言っても心細く、お仕えする女房たちも思い乱れております」
「宮様のほうから、にわかに明日迎えに行くと言っておよこしになりましたので、取り込んでおります。長い馴染の古いお邸を離れますのも心細い気のすることと私どもめいめい申し合っております」 【宮より】- 以下「思ひ乱れて」まで、少納言の乳母の詞。
【心あわたたしくてなむ】- 係助詞「なむ」の下には「はべる」(連体形)などの語が省略。「アワタタシイ」(日葡辞書)。
【蓬生を離れなむも】- 歌語「蓬生」は自邸を謙って言った表現。「荒れたる宿をばよもぎふといふ」(能因歌枕)。「かれ」は「離れ」と「枯れ」との掛詞、「蓬生」と「枯れ」は縁語。完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」連体形、強調のニュアンス。
【さすがに心細く】- 大島本「心ほそく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心細う」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【思ひ乱れて】- 接続助詞「て」の下には「はべる」(連体中止法)などの語が省略。
3.2.77
と、言少(ことずく)なに()ひて、をさをさあへしらはずもの()ひいとなむけはひなどしるければ(まゐ)りぬ。
と、言葉数少なに言って、ろくにお相手もせずに、繕い物をする様子がはっきり分かるので、帰参した。
と言葉数も少なく言って、大納言家の女房たちは今日はゆっくりと話し相手になっていなかった。忙しそうに物を縫ったり、何かを仕度したりする様子がよくわかるので、惟光は帰って行った。 【をさをさあへしらはず】- 少納言の乳母が惟光大夫を。
【もの縫ひいとなむけはひなどしるければ】- 引越しの際の常套場面。国宝『源氏物語絵巻』「早蕨」参照。

第三段 源氏、紫の君を盗み取る

3.3.1
(きみ)大殿(おほいどの)におはしけるに(れい)の、女君(をんなぎみ)とみにも対面(たいめん)したまはず。
ものむつかしくおぼえたまひてあづまをすががきて常陸(ひたち)には()をこそ(つく)」といふ(うた)を、(こゑ)はいとなまめきて、すさびゐたまへり。
源氏の君は左大臣邸においでになったが、例によって、女君はすぐにはお会いなさらない。
君は何となくおもしろくなくお思いになって、和琴を即興に掻き鳴らして、「常陸では田を作っているが」という歌を、声はとても優艶に、口ずさんでおいでになる。
源氏は左大臣家へ行っていたが、例の夫人は急に出て来て逢おうともしなかったのである。面倒な気がして、源氏は東琴(和琴に同じ)を手すさびに弾いて、「常陸には田をこそ作れ、仇心かぬとや君が山を越え、野を越え雨夜来ませる」という田舎めいた歌詞を、優美な声で歌っていた。 【君は大殿におはしけるに】- 源氏が左大臣邸に。接続助詞「に」逆接で下文に続ける。
【ものむつかしくおぼえたまひて】- 主語は源氏。
【あづまを】- 東琴の略、すなわち和琴をさす。
【すががきて】- 主語は源氏。軽い即興的な奏法。
【常陸には田をこそ作れ】- 源氏の口ずさみ。「風俗歌」の「常陸」の一節。「常陸にも 田をこそ作れ あだ心 や かぬとや君が 山を越え 雨夜来ませる」。本来、女性側から歌う内容であるが、源氏がこう歌ったのは皮肉なあてこすり。『古典セレクション』は「相手になってくれない葵の上への不満をかこつ」と注す。
3.3.2
(まゐ)りたれば、()()せてありさま()ひたまふ。
しかしかなど()こゆれば、口惜(くちを)しう(おぼ)して、かの(みや)(わた)りなばわざと(むか)()でむも、()()きしかるべし。
(をさな)(ひと)(ぬす)()でたりと、もどきおひなむ
そのさきに、しばし、(ひと)にも口固(くちかた)めて、(わた)してむ」と(おぼ)して、
参上したので、呼び寄せて様子をお尋ねになる。
「これこれしかじかです」と申し上げるので、残念にお思いになって、「あの宮邸に移ってしまったら、わざわざ迎え取ることも好色めいたことであろう。
子供を盗み出したと、きっと非難されるだろう。
その前に、暫くの間、女房の口を封じさせて、連れて来てしまおう」とお考えになって、
惟光が来たというので、源氏は居間へ呼んで様子を聞こうとした。惟光によって、女王が兵部卿の宮邸へ移転する前夜であることを源氏は聞いた。源氏は残念な気がした。宮邸へ移ったあとで、そういう幼い人に結婚を申し込むということも物好きに思われることだろう。小さい人を一人盗んで行ったという批難を受けるほうがまだよい。確かに秘密の保ち得られる手段を取って二条の院へつれて来ようと源氏は決心した。 【しかしかなど】- 清音「しかしか」(日本書紀・用明即位前紀、ロドリゲス大文典)、江戸時代以降「しかじか」と濁音化する。明日、兵部卿宮が紫の上を迎え取りに来る、ということ。大島本と横山本、肖柏本は「なと」。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本、書陵部は「なんと」とある。『古典セレクション』は「しかじか」と濁音に読み、「なんと」と本文を改める。『集成』『古典セレクション』は清音に読み、底本のままとする。
【かの宮に渡りなば】- 以下「渡してむ」まで、源氏の心中。完了の助動詞「な」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【もどきおひなむ】- 完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、きっと--となろう、自然的事態の強調ニュアンス。
【渡してむ】- 完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、きっと--してしまおう、人為的事態の強調のニュアンス。
3.3.3
(あかつき)かしこにものせむ。
(くるま)装束(さうぞく)さながら。
随身一人二人(ずいじんひとりふたりおほ)せおきたれ」とのたまふ。
うけたまはりて()ちぬ。
「早朝にあちらに行こう。
車の準備はそのままに。
随身を一、二名を申し付けておけ」とおっしゃる。
承知して下がった。
「明日夜明けにあすこへ行ってみよう。ここへ来た車をそのままにして置かせて、随身を一人か二人仕度させておくようにしてくれ」
 という命令を受けて惟光は立った。
【暁かしこに】- 以下「仰せおきたれ」まで、源氏の詞。
【仰せおきたれ】- 『古典セレクション』は「「おきたれ」は「おきてあれ」。「おき(掟)つ」は、計画をたてる意」と注す。
3.3.4
(きみ)いかにせまし
()こえありて()きがましきやうなるべきこと。
(ひと)のほどだにものを(おも)()(をんな)心交(こころか)はしけることと()(はか)られぬべくは()(つね)なり。
父宮(ちちみや)(たづ)()でたまへらむもはしたなう、すずろなるべきを」と、(おぼ)(みだ)るれど、さて(はづ)してむはいと口惜(くちを)しかべければまだ夜深(よぶか)()でたまふ。
源氏の君は、「どうしようか。
噂が広がって好色めいたことになりそうな事よ。
せめて相手の年齢だけでも物の分別ができ、女が情を通じてのことだと想像されるようなのは、世間一般にもある事だ。
もし父宮がお探し出された場合も、体裁が悪く、格好もつかないことになるだろうから」と、お悩みになるが、この機会を逃したら大変後悔することになるにちがいないので、まだ夜の深いうちにお出になる。
源氏はそののちもいろいろと思い悩んでいた。人の娘を盗み出した噂の立てられる不名誉も、もう少しあの人が大人で思い合った仲であればその犠牲も自分は払ってよいわけであるが、これはそうでもないのである。父宮に取りもどされる時の不体裁も考えてみる必要があると思ったが、その機会をはずすことはどうしても惜しいことであると考えて、翌朝は明け切らぬ間に出かけることにした。 【いかにせまし】- 以下「すずろなるべきを」まで、源氏の心中。仮想の助動詞「まし」連体形。
【人のほどだにものを思ひ知り】- 副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。
【女の心交はしけることと推し測られぬべくは】- 女が合意の上で引き取られることになった、と推測されるようなのは。
【尋ね出でたまへらむも】- 尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「ら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意、係助詞「も」。
【すずろなるべきを】- 『集成』は「言いわけも立たないことだと」、『古典セレクション』は「格好のつかないことになるだろう」と訳す。接続助詞「を」順接、原因理由を表す。きっと--になるだろうから。下に「いかにせむ」などの語句が省略。
【いと口惜しかべければ】- 「かべけれ」は「かるべけれ」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意、接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
3.3.5
女君(をんなぎみ)(れい)のしぶしぶに、(こころ)もとけずものしたまふ。
女君は、いつものように気が進まない様子で、かしこまった感じでいらっしゃる。
夫人は昨夜の気持ちのままでまだ打ち解けてはいなかった。 【心もとけず】- 『集成』は「ご機嫌もよろしくない」、『完訳』は「不機嫌な御面持でいらっしゃる」と解す。
3.3.6 「あちらに、どうしても処理しなければならない事がございますのを思い出しまして、すぐに戻って来ます」と言って、お出になるので、お側の女房たちも知らないのであった。
ご自分のお部屋の方で、お直衣などはお召しになる。
惟光だけを馬に乗せてお出になった。
「一条の院にぜひしなければならないことのあったのを私は思い出したから出かけます。用を済ませたらまた来ることにしましょう」
 と源氏は不機嫌な妻に告げて、寝室をそっと出たので、女房たちも知らなかった。自身の部屋になっているほうで直衣などは着た。馬に乗せた惟光だけを付き添いにして源氏は大納言家へ来た。
【かしこに】- 以下「参り来なむ」まで、源氏の詞。「かしこ」は本邸の二条院をさしていう。
【思ひたまへ出でて】- 大島本「おもひ給へいてゝ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたまへ出でてなむ」と「なむ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【立ちかへり参り来なむ】- カ変「来(き)」連用形、完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志。きっと帰ってまいりましょう。
【わが御方にて】- 源氏は左大臣邸でも私的な部屋がある。
【御直衣などはたてまつる】- 「たてまつる」は「着る」の尊敬語。
【惟光ばかりを馬に乗せておはしぬ】- 源氏は牛車で。副助詞「ばかり」限定。
3.3.7
(かど)うちたたかせたまへば心知(こころし)らぬ(もの)()けたるに、御車(みくるま)をやをら()()れさせて、大夫(たいふ)妻戸(つまど)()らして、しはぶけば少納言聞(せうなごんき)()りて、()()たり。
門を打ち叩かせなさると、何も事情を知らない者が開けたので、お車を静かに引き入れさせて、惟光大夫が、妻戸を叩いて、合図の咳払いをすると、少納言の乳母が察して、出て来た。
門をたたくと何の気なしに下男が門をあけた。車を静かに中へ引き込ませて、源氏の伴った惟光が妻戸をたたいて、しわぶきをすると、少納言が聞きつけて出て来た。 【門うちたたかせたまへば】- 六条京極の紫の君邸の表門。使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、接続助詞「ば」順接、源氏が惟光をして門を叩かせなさると。
【妻戸を鳴らして、しはぶけば】- 来訪を告げる合図。
3.3.8
ここに、おはします」と()へば、
「ここに、おいでになっています」と言うと、
「来ていらっしゃるのです」
 と言うと、
【ここに、おはします】- 惟光の詞。来意を告げる挨拶詞。
3.3.9 「若君は、お寝みになっております。
どうして、こんな暗いうちにお出あそばしたのでしょうか」と、どこかからの帰りがけと思って言う。
「女王様はやすんでいらっしゃいます。どちらから、どうしてこんなにお早く」
 と少納言が言う。源氏が人の所へ通って行った帰途だと解釈しているのである。
【幼き人は】- 以下「出でさせたまへる」まで、少納言の乳母の詞。
【御殿籠もりてなむ】- 接続助詞「て」、係助詞「なむ」、下に「おはします」(連体形)などの語が省略。
【などか、いと夜深うは出でさせたまへる】- 連語「などか」(副詞「など」+係助詞『か」)は、「出でさせたまへる」(尊敬の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、二重敬語、完了の助動詞「る」連体形)に係る、係結びの法則。
【もののたよりと思ひて】- どこかの女の家からの帰りがけと思って、の意。
3.3.10 「宮邸へお移りあそばすそうですが、その前にお話し申し上げておきたいと思って参りました」とおっしゃると、
「宮様のほうへいらっしゃるそうですから、その前にちょっと一言お話をしておきたいと思って」
 と源氏が言った。
【宮へ渡らせたまふべかなるを】- 以下「聞こえ置かむとてなむ」まで、源氏の詞。「べかなる」は「べかるなる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。「せたまふ」二重敬語。伝聞の助動詞「なる」連体形。
【聞こえ置かむとてなむ】- 係助詞「なむ」の下に「参りぬ」などの語句が省略。
3.3.11 「どのようなことでございましょうか。
どんなにしっかりしたお返事ができましょう」
「どんなことでございましょう。まあどんなに確かなお返辞がおできになりますことやら」 【何ごとにか】- 以下「聞こえさたまはむ」まで、少納言の乳母の詞。
【いかにはかばかしき御答へ聞こえさせたまはむ】- 主語は姫君、紫の君が。「きこえさせ」(「きこゆ」よりさらに丁重な謙譲語)、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、推量の助動詞「む」連体形。反語表現の構文だが、表の意だけで言ったもの。よって、冗談なので「とて、うち笑ひてゐたり」とある。『集成』は「どんなにか、はきはきしたお返事を申し上げなさることでしょう。源氏の意図を察せず、のんきに冗談を言っている」、『古典セレクション』も「紫の上がさぞはきはきと応答するだろうと、わざと戯れて言った」と注す。
3.3.12 と言って、微笑んでいた。
源氏の君が、お入りになると、とても困って、
少納言は笑っていた。源氏が室内へはいって行こうとするので、この人は当惑したらしい。 【うち笑ひてゐたり】- 主語は少納言乳母。苦笑い。
【君、入りたまへば】- 源氏が紫の君の寝所に。
3.3.13 「気を許して、見苦しい年寄たちが寝ておりますので」とお制し申し上げる。
「不行儀に女房たちがやすんでおりまして」 【うちとけて】- 以下「はべるに」まで、乳母の詞。
【古人どものはべるに】- 接続助詞「に」順接、原因理由を表す。下に「おそれおほし」などの語句が省略。
【聞こえさす】- 「言ふ」の最も丁重な謙譲語。
3.3.14
まだ、おどろいたまはじな
いで、御目覚(おほんめさ)ましきこえむ。
かかる朝霧(あさぎり)()らでは、()るものか
「まだ、お目覚めではありますまいね。
どれ、お目をお覚まし申しましょう。
このような素晴らしい朝霧を知らないで、寝ていてよいものですか」
「まだ女王さんはお目ざめになっていないのでしょうね。私がお起こししましょう。もう朝霧がいっぱい降る時刻だのに、寝ているというのは」 【まだ、おどろいたまはじな】- 以下「寝るものか」まで、源氏の詞。尊敬の補助動詞「たまは」未然形、打消推量の助動詞「じ」終止形、終助詞「な」詠嘆。
【寝るものか】- 連語「ものか」意外なことに対して驚きを表す。
3.3.15
とて、()りたまへば、や」とも、()こえず
とおっしゃって、ご寝所にお入りになるので、「もし」とも、お止めできない。
と言いながら寝室へはいる源氏を少納言は止めることもできなかった。 【や」とも、え聞こえず】- 少納言乳母が源氏を。
3.3.16
(きみ)何心(なにごころ)もなく()たまへるを(いだ)きおどろかしたまふに、おどろきて、(みや)御迎(おほんむか)へにおはしたると、()おびれて(おぼ)したり。
紫の君は何も知らないで寝ていらっしゃったが、源氏の君が抱いてお起こしなさるので、目を覚まして、父宮がお迎えにいらっしゃったと、寝惚けてお思いになった。
源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと、まだまったくさめない心では思っていた。 【君は何心もなく寝たまへるを】- 紫の君は無心に眠っていらっしゃったが。「君」は紫の君。接続助詞「を」逆接で文を続ける。「君は」の下に読点を付けて、「抱きおどろかしたまふ」に係ると見れば、源氏をさすことになる。その際に「を」は格助詞、目的格、紫の君を、の文意になる。『古典セレクション』は「君」を源氏とする。
【宮の御迎へにおはしたる】- 紫の君の心。
3.3.17 お髪を掻き繕いなどなさって、
髪を撫でて直したりして、 【御髪かき繕ひなどしたまひて】- 主語は源氏。
3.3.18
いざ、たまへ
(みや)御使(おほんつかひ)にて(まゐ)()つるぞ」
「さあ、いらっしゃい。
父宮さまのお使いとして参ったのですよ」
「さあ、いらっしゃい。宮様のお使いになって私が来たのですよ」 【いざ、たまへ】- 以下「参り来つるぞ」まで、源氏の詞。虚言。係助詞「ぞ」を「にて」の下に置けば「参り来つる」(連体形)係結び。強調の意がよくわかる。
3.3.19
とのたまふに、あらざりけり」と、あきれて、(おそ)ろしと(おも)ひたれば、
とおっしゃる声に、「違う人であったわ」と、びっくりして、恐いと思っているので、
と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、恐ろしく思うふうに見えた。 【あらざりけり】- 過去の助動詞「けり」終止形、今気がついた驚きを表す。
3.3.20 「ああ、情けない。
わたしも同じ人ですよ」
「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。鬼などであるものですか」 【あな、心憂。まろも同じ人ぞ】- 源氏の詞。「心憂」は「心憂し」の語幹。
3.3.21
とて、かき(いだ)きて()でたまへば、大輔(たいふ)少納言(せうなごん)など、こは、いかに」と()こゆ。
と言って、抱いてお出なさるので、大輔や少納言の乳母などは、「これは、どうなさいますか」と申し上げる。
源氏の君が姫君をかかえて出て来た。少納言と、惟光と、外の女房とが、
 「あ、どうなさいます」
 と同時に言った。
【大輔】- 大島本は「たいふ」と表記する。『集成』は「大輔」の字をあて、女房名と解す。『新大系』も「「たいふ」は大輔という名の侍女かもしれない」と注す。『古典セレクション』は「惟光。「たいふ」に「大輔」をあてて、女房の一人とみる説もある」と注す。惟光は源氏と行動を共にしているのだから、少納言乳母と同じ発言はしないだろう。
【こは、いかに】- 大輔と少納言の乳母の詞。
3.3.22
ここには(つね)にもえ(まゐ)らぬがおぼつかなければ、(こころ)やすき(ところ)にと()こえしを心憂(こころう)く、(わた)りたまへるなればまして()こえがたかべければ
人一人参(ひとひとりまゐ)られよかし」
「ここには、常に参れないのが気がかりなので、気楽な所にと申し上げたが、残念なことに、宮邸にお移りになるそうなので、ますますお話し申し上げにくくなるだろうから。
誰か一人付いて参られよ」
「ここへは始終来られないから、気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、それには同意をなさらないで、ほかへお移りになることになったから、そちらへおいでになってはいろいろ面倒だから、それでなのだ。だれか一人ついておいでなさい」 【ここには】- 以下「人一人参られよかし」まで、源氏の詞。
【心やすき所にと聞こえしを】- 前出「いざ給へよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」をさす。
【心憂く、渡りたまへるなれば】- 大島本「心うくわたり給へるなれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心憂く渡りたまふべかなれば」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。紫の君が父兵部卿宮邸に。伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【聞こえがたかべければ】- 接続助詞「ば」順接の確定条件。下に「渡したてまつらむ」などの語句が省略。
3.3.23
とのたまへば、(こころ)あわたたしくて
とおっしゃるので、気がせかれて、
こう源氏の言うのを聞いて少納言はあわててしまった。 【心あわたたしくて】- 主語は乳母。
3.3.24
今日(けふ)いと便(びん)なくなむはべるべき
(みや)(わた)らせたまはむにはいかさまにか()こえやらむ。
おのづから、ほど()て、さるべきにおはしまさばともかうもはべりなむを、いと(おも)ひやりなきほどのことにはべれば、さぶらふ(ひと)びと(くる)しうはべるべし」と()こゆれば、
「今日は、まことに都合が悪うございましょう。
宮さまがお越しあそばした時には、どのようにお答え申し上げましょう。
自然と、年月をへて、そうなられるご縁でいらっしゃれば、ともかくなられましょうが、何とも考える暇もない急な事でございますので、お仕えする者どももきっと困りましょう」と申し上げると、
「今日では非常に困るかと思います。宮様がお迎えにおいでになりました節、何とも申し上げようがないではございませんか。ある時間がたちましてから、ごいっしょにおなりになる御縁があるものでございましたら自然にそうなることでございましょう。まだあまりに御幼少でいらっしゃいますから。ただ今そんなことは皆の者の責任になることでございますから」
 と言うと、
【今日は】- 以下「苦しうはべるべし」まで、少納言の乳母の詞。
【いと便なくなむはべるべき】- 係助詞「なむ」、推量の助動詞「べき」連体形、係結びの法則。
【宮の渡らせたまはむには】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」未然形、二重敬語。推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。
【さるべきにおはしまさば】- 大島本は「さ(さ+る)へきにおハしまさハ」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「さべきに」と校訂する。『集成』『新大系』は「さるべきに」とする。
【いと思ひやりなきほどの】- 「思ひやり」は、思いをはせること、考えおよぼすこと。あれこれ考える間もない。
3.3.25
よし、(のち)にも(ひと)(まゐ)りなむ」とて、御車寄(みくるまよ)せさせたまへば、あさましう、いかさまにと(おも)ひあへり。
「よし、後からでも女房たちは参ればよかろう」と言って、お車を寄せさせなさるので、驚きあきれて、どうしたらよいものかと困り合っていた。
「じゃいい。今すぐについて来られないのなら、人はあとで来るがよい」
 こんなふうに言って源氏は車を前へ寄せさせた。
【よし、後にも人は参りなむ】- 源氏の詞。完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、適当・勧誘の意。
3.3.26
若君(わかぎみ)も、あやしと(おぼ)して()いたまふ。
少納言(せうなごん)とどめきこえむかたなければ、昨夜縫(よべぬ)ひし御衣(おほんぞ)どもひきさげて、(みづか)らもよろしき衣着(きぬき)かへて、()りぬ。
若君も、変な事だとお思いになってお泣きになる。
少納言の乳母は、お止め申し上げるすべもないので、昨夜縫ったご衣装類をひっさげて、自分も適当な着物に着替えて、車に乗った。
姫君も怪しくなって泣き出した。少納言は止めようがないので、昨夜縫った女王の着物を手にさげて、自身も着がえをしてから車に乗った。
3.3.27
二条院(にでうのゐん)(ちか)ければ、まだ(あか)うもならぬほどにおはして、西(にし)(たい)御車寄(みくるまよ)せて()りたまふ。
若君(わかぎみ)をば、いと(かろ)らかにかき(いだ)きて()ろしたまふ
二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対にお車を寄せてお下りになる。
若君を、とても軽々と抱いてお下ろしになる。
二条の院は近かったから、まだ明るくならないうちに着いて、西の対に車を寄せて降りた。源氏は姫君を軽そうに抱いて降ろした。 【西の対に御車寄せて】- 二条院の寝殿は空けてある。東の対は源氏の居室、西の対を紫の君の居室にあてる。
【かき抱きて下ろしたまふ】- 源氏が紫の君を。
3.3.28
少納言(せうなごん)
少納言の乳母が、
3.3.29 「やはり、まるで夢のような心地がしますが、どういたしましたらよいことなのでしょうか」と、ためらっているので、
「夢のような気でここまでは参りましたが、私はどうしたら」
 少納言は下車するのを躊躇した。
【なほ、いと夢の心地しはべるを】- 以下「しはべるべきことにか」まで、乳母の詞。主語は乳母。接続助詞「を」逆接で続ける。わたしはどういたしましたらよい事なのでしょうかの意。
【いかにしはべるべきことにか」と、やすらへば】- 紫の君と共に二条院まで来たが、それは見送りのためで到着後は帰るべきか、とどまるべきか。主人の紫の君だけでなく源氏の意向も聞かなければならない。
3.3.30 「それは
あなたの考え次第でしょう。ご本人はお移し申し上げてしまったのだから、帰ろうと思
「どうでもいいよ。もう女王さんがこちらへ来てしまったのだから、君だけ帰りたければ送らせよう」 【そは、心ななり】- 以下「送りせむかし」まで、源氏の詞。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらにむ表記形、伝聞推定の助動詞「なり」終止形。『完訳』は「源氏のやや居直った発言」と注す。
【御自ら渡したてまつりつれば】- 「御自ら」は紫の君をさす。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、完了の助動詞「つれ」已然形、接続助詞「ば」順接の確定条件、原因理由を表す。
【帰りなむとあらば】- 完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、意志
3.3.31
とのたまふに、(わら)ひて()りぬ。
にはかに、あさましう、(むね)(しづ)かならず。
(みや)(おぼ)しのたまはむこと、いかになり()てたまふべき(おほん)ありさまにか、とてもかくても、(たの)もしき(ひと)びとに(おく)れたまへるがいみじさ」と(おも)ふに、(なみだ)()まらぬを、さすがにゆゆしければ(ねん)じゐたり。
とおっしゃるので、苦笑して下りた。
急な事で、驚きあきれて、心臓がどきどきする。
「宮さまがお叱りになられることや、どうおなりになる姫君のお身の上だろうか、とにもかくにも、身内の方々に先立たれたことが本当にお気の毒」と思うと、涙が止まらないのを、何と言っても不吉なので、じっと堪えていた。
源氏が強かった。しかたなしに少納言も降りてしまった。このにわかの変動に先刻から胸が鳴り続けているのである。宮が自分をどうお責めになるだろうと思うことも苦労の一つであった。それにしても姫君はどうなっておしまいになる運命なのであろうと思って、ともかくも母や祖母に早くお別れになるような方は紛れもない不幸な方であることがわかると思うと、涙がとめどなく流れそうであったが、しかもこれが姫君の婚家へお移りになる第一日であると思うと、縁起悪く泣くことは遠慮しなくてはならないと努めていた。 【笑ひて】- 肖柏本と書陵部本は「わりなくて」。三条西家本は「わらひ(らひ=りなく)て」。その他の青表紙諸本は大島本と同文。河内本は「わりなくて」とある。『集成』は「わりなくて」を採る。『完訳』は「わらひて」を採り、「苦笑して。以下、意外な事態に困惑する少納言の心中を叙述」と注す。
【宮の】- 以下「いみじさ」まで、少納言の乳母の心中。
【いかになり果てたまふべき】- 紫の上が。
【さすがにゆゆしければ】- 新しい生活の出発にさいして、涙は縁起でもないとする考え。
3.3.32
こなたは()みたまはぬ(たい)なれば、御帳(みちゃう)などもなかりけり。
惟光召(これみつめ)して、御帳(みちゃう)御屏風(みびゃうぶ)など、あたりあたり仕立(した)てさせたまふ
御几帳(みきちゃう)帷子引(かたびらひ)()ろし、御座(おまし)などただひき(つくろ)ふばかりにてあれば、(ひんがし)(たい)に、御宿直物召(おほんとのゐものめ)しに(つか)はして、大殿籠(おほとのご)もりぬ
こちらはご使用にならない対の屋なので、御帳などもないのであった。
惟光を呼んで、御帳や、御屏風など、ここかしこに整えさせなさる。
御几帳の帷子を引き下ろし、ご座所など、ちょっと整えるだけで使えるので、東の対にお寝具類などを取り寄せに人をやって、お寝みになった。
ここは平生あまり使われない御殿であったから帳台なども置かれてなかった。源氏は惟光を呼んで帳台、屏風などをその場所場所に据えさせた。これまで上へあげて掛けてあった几帳の垂れ絹はおろせばいいだけであったし、畳の座なども少し置き直すだけで済んだのである。東の対へ夜着類を取りにやって寝た。 【あたりあたり仕立てさせたまふ】- 使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏が惟光をして準備させなさる。
【御宿直物召しに遣はして、大殿籠もりぬ】- 源氏の寝具類か。源氏は紫の君とお寝みになった。
3.3.33
若君(わかぎみ)は、いとむくつけくいかにすることならむと、ふるはれたまへどさすがに声立(こゑた)ててもえ()きたまはず。
若君は、とても気味悪くて、どうなさる気だろうと、ぶるぶると震えずにはいらっしゃれないが、やはり声を出してお泣きになれない。
姫君は恐ろしがって、自分をどうするのだろうと思うと慄えが出るのであったが、さすがに声を立てて泣くことはしなかった。 【いとむくつけく】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「むくつけう」とウ音便形に校訂する。『新大系』は底本のまま。
【ふるはれたまへど】- 自発の助動詞「れ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形。
3.3.34 「少納言の乳母の所で寝たい」
「少納言の所で私は寝るのよ」 【少納言がもとに寝む】- 紫の君の詞。推量の助動詞「む」終止形、意志。
3.3.35
とのたまふ(こゑ)いと(わか)
とおっしゃる声は、まことに幼稚である。
子供らしい声で言う。 【いと若し】- 語り手の紫の君に対して幼いとする評言。
3.3.36 「今からは、もうそのようにお寝みになるものではありませんよ」
「もうあなたは乳母などと寝るものではありませんよ」 【今は、さは大殿籠もるまじきぞよ】- 源氏の詞。「さ」は乳母と一緒に寝ることをさす。打消推量の助動詞「まじき」連体形、係助詞「ぞ」、間投助詞「よ」詠嘆、呼び掛け。
3.3.37
(をし)へきこえたまへば、いとわびしくて()()したまへり。
乳母(めのと)はうちも()されずものもおぼえず()きゐたり。
とお教え申し上げなさると、とても悲しくて泣きながら横におなりになった。
少納言の乳母は横になる気もせず、何も考えられず起きていた。
と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。 【乳母はうちも臥されず】- 可能の助動詞「れ」未然形。
3.3.38
()けゆくままに()わたせば御殿(おとど)(つく)りざま、しつらひざま、さらにも()はず、(には)砂子(すなご)(たま)(かさ)ねたらむやうに()えて、かかやく心地(ここち)するにはしたなく(おも)ひゐたれど、こなたには(をんな)などもさぶらはざりけり。
(うと)客人(まらうと)などの(まゐ)折節(をりふし)(かた)なりければ、(をとこ)どもぞ御簾(みす)()にありける。
夜が明けて行くにつれて、見渡すと、御殿の造りざまや、調度類の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような感じなので、きまり悪い感じでいたが、こちらの対には女房なども控えていないのであった。
たまのお客などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えているのであった。
明けてゆく朝の光を見渡すと、建物や室内の装飾はいうまでもなくりっぱで、庭の敷き砂なども玉を重ねたもののように美しかった。少納言は自身が貧弱に思われてきまりが悪かったが、この御殿には女房がいなかった。あまり親しくない客などを迎えるだけの座敷になっていたから、男の侍だけが縁の外で用を聞くだけだった。 【明けゆくままに】- 翌朝となる。季節は初冬、冴えわたった朝の風景である。
【見わたせば】- 少納言の乳母の視点から語られる。
【かかやく心地するに】- 「かかやく」の第二音節は近世前期まで清音。
【はしたなく】- 『集成』は「(今までわびしい暮しに馴れてきたみすぼらしい自分など)場違いだときまり悪い思いでいたが」と解し、『完訳』は「邸にふさわしい女房も大勢いるかと恥ずかしい」と解す。
3.3.39
かく、人迎(ひとむか)へたまへりと、()(ひと)()れならむ。
おぼろけにはあらじ」と、ささめく。
御手水(みてうづ)御粥(おほんかゆ)など、こなたに(まゐ)る。
日高(ひたか)寝起(ねお)きたまひて
このように、女をお迎えになったと、聞いた人は、「誰であろうか。
並大抵の人ではあるまい」と、ひそひそ噂する。
御手水や、お粥などを、こちらの対に持って上がる。
日が高くなってお起きになって、
そうした人たちは新たに源氏が迎え入れた女性のあるのを聞いて、
 「だれだろう、よほどお好きな方なんだろう」
 などとささやいていた。源氏の洗面の水も、朝の食事もこちらへ運ばれた。遅くなってから起きて、源氏は少納言に、
【聞く人】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ほの聞く人」と「ほの」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【誰れならむ。おぼろけにはあらじ】- 西の対の家来たちのひそひそ声。
【日高う寝起きたまひて】- 時刻は日が高くなるころ、主語は源氏。
3.3.40
(ひと)なくて()しかめるをさるべき(ひと)びと、(ゆふ)づけてこそは(むか)へさせたまはめ
「女房がいなくて、不便であろうから、しかるべき人々を、夕方になってから、お迎えなさるとよいだろう」
「女房たちがいないでは不自由だろうから、あちらにいた何人かを夕方ごろに迎えにやればいい」 【人なくて】- 以下「迎へさせたまはめ」まで、源氏の詞。少納言の乳母に言った詞であろう。
【悪しかめるを】- 「悪しかるめる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「める」連体形、視界内推量。
【迎へさせたまはめ】- 使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまは」未然形、推量の助動詞「め」適当の意。あなたが女房たちを迎えさせなさるがよかろう。
3.3.41
とのたまひて、(たい)童女召(わらはべめ)しにつかはす。
(ちひ)さき(かぎ)り、ことさらに(まゐ)」とありければ、いとをかしげにて、四人参(よたりまゐ)りたり。
とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人をやる。
「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とてもかわいらしい格好して、四人が参った。
と言って、それから特に小さい者だけが来るようにと東の対のほうへ童女を呼びにやった。しばらくして愛らしい姿の子が四人来た。 【小さき限り、ことさらに参れ】- 源氏の詞。語り手がその要旨を言った間接的な詞であろう。源氏のもとに仕えている女童。
3.3.42
(きみ)御衣(おほんぞ)にまとはれて()したまへるを、せめて()こして、
紫の君はお召物にくるまって臥せっていらっしゃったのを、無理に起こして、
女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを源氏は無理に起こして、
3.3.43
かう、心憂(こころう)くなおはせそ
すずろなる(ひと)は、かうはありなむや
(をんな)心柔(こころやは)らかなるなむよき」
「こんなふうに、
お嫌がりなさいますな。いい加減な男は、このよう
に親切にしましょう
「私に意地悪をしてはいけませんよ。薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」 【かう、心憂くなおはせそ】- 以下「心は柔らかなるなむよき」まで、源氏の詞。源氏にとって「心憂く」であり、「おはす」の主語は紫の君。「な(副詞)---そ(終助詞)」の禁止の構文。
【かうはありなむや】- 完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」終止形、係助詞「や」疑問の意。反語表現の構文。こんなに親切になさいましょうか、しませんよ。『集成』は「こんなに親切にするものですか」と解す。
3.3.44
など、(いま)より(をし)へきこえたまふ。
などと、今からお教え申し上げなさる。
もうこんなふうに教え始めた。
3.3.45
御容貌(おほんかたち)は、さし(はな)れて()しよりも、(きよ)らにてなつかしううち(かた)らひつつ、をかしき()(あそ)びものども()りに(つか)はして()せたてまつり、御心(みこころ)につくことどもをしたまふ。
ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しくお話をなさりながら、興趣ある絵や、遊び道具類を取りにやって、お見せ申し上げ、お気に入ることどもをなさる。
姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。気に入るような話をしたり、おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを東の対へ取りにやるとかして、源氏は女王の機嫌を直させるのに骨を折った。 【清らにて】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いみじうきよらにて」と「いみじう」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【取りに遣はして】- 東の対の源氏の居室に。
3.3.46
やうやう()きゐて()たまふに鈍色(にびいろ)のこまやかなるがうち()えたるどもを()て、何心(なにごころ)なくうち()みなどしてゐたまへるが、いとうつくしきに、(われ)もうち()まれて()たまふ
だんだん起き出して座って御覧になるが、鈍色の色濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったのを着て、無心に微笑んでいらっしゃるのが、とてもかわいらしいので、ご自身もつい微笑んで御覧になる。
やっと起きて喪服のやや濃い鼠の服の着古して柔らかになったのを着た姫君の顔に笑みが浮かぶようになると、源氏の顔にも自然笑みが上った。 【やうやう起きゐて見たまふに】- 主語は紫の君。しかし、以下の文章の視点は源氏に移っている。
【鈍色のこまやかなるが】- 外祖母の服喪は三か月。喪服の色。格助詞「が」同格を表す。「鈍色のこまやかなる」と「うち萎えたるども」が同じものをさし、共に「着て」に係る。「やむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」(桐壺)と同例。
【我もうち笑まれて見たまふ】- 「我」は源氏をさす。自発の助動詞「れ」連用形。
3.3.47
(ひんがし)(たい)(わた)りたまへるに、()()でて(には)木立(こだち)(いけ)(かた)など(のぞ)きたまへば、霜枯(しもが)れの前栽(せんさい)()()けるやうにおもしろくて、()()らぬ四位(しゐ)五位(ごゐ)こきまぜに(ひま)なう()()りつつげに、をかしき(ところ)かな」と(おぼ)す。
御屏風(みびゃうぶ)どもなど、いとをかしき()()つつ、(なぐさ)めておはするもはかなしや
東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立や、池の方などを、お覗きになると、霜枯れの前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位や五位の人々の服装が色とりどりに入り乱れて、ひっきりなしに出入りしていて、「なるほど、素晴らしい所だわ」と、お思いになる。
御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ては、機嫌を良くしていらっしゃるのも、あどけないことよ。
源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、木立ちの美しい築山や池のほうなどを御簾の中からのぞくと、ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みが描いた絵のようによくて、平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。源氏が言っていたようにほんとうにここはよい家であると女王は思った。屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。 【立ち出でて】- 主語は紫の君。
【四位、五位こきまぜに】- 四位は黒色の袍、五位は赤色の袍を着る。
【隙なう出で入りつつ】- 接続助詞「つつ」動作の反復を表す。下文の「いとをかしき絵を見つつ」も同じ用法。
【げに、をかしき所かな】- 紫の君の心中。「げに」は源氏が言っていたとおりの意。
【はかなしや】- 語り手の紫の上に対する評言。『首書源氏物語』所引「或抄」に「地よりいへり」と注す。『集成』は「何といっても子供のことではある。草子地」、『完訳』は「悲しみや不安を早くも紛らわす無心な姿への、語り手の評言」と注す。
3.3.48
(きみ)は、()三日(さんにち)内裏(うち)へも(まゐ)りたまはで、この(ひと)をなつけ(かた)らひきこえたまふ。
やがて(ほん)にと(おぼ)すにや手習(てならひ)()などさまざまに()きつつ()せたてまつりたまふ。
いみじうをかしげに()(あつ)めたまへり。
武蔵野(むさしの)()へばかこたれぬ」と、(むらさき)(かみ)()いたまへる(すみ)つきの、いとことなるを()りて()ゐたまへり
すこし(ちひ)さくて、
源氏の君は、二、三日、宮中へも参内なさらず、この人を手懐けようとお相手申し上げなさる。
そのまま手本にとのお考えか、手習いや、お絵描きなど、いろいろと書いては描いては、御覧に入れなさる。
とても素晴らしくお書き集めになった。
「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別なのを取って御覧になっていらっしゃった。
少し小さくて、
源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。手本帳に綴じさせるつもりの字や絵をいろいろに書いて見せたりしていた。皆美しかった。「知らねどもむさし野と云へばかこたれぬよしやさこそは紫の故」という歌の紫の紙に書かれたことによくできた一枚を手に持って姫君はながめていた。また少し小さい字で、 【やがて本にと思すにや】- 「に」(断定の助動詞)「や」(疑問の間投助詞)、そのまま手本にとお考えでかの意か。語り手の想像を介入させた挿入文。
【さまざまに書きつつ】- 接続助詞「つつ」動作の繰り返し。
【武蔵野と言へばかこたれぬ】- 『源氏釈』は「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」(古今六帖第五 紫)を指摘。その第四句の文句。『集成』はさらに「紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ思ふ」(古今集 雑上 八六七 読人しらず)をも引歌として指摘する。自発の助動詞「れ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。藤壺のゆかりの人だと思うと懐かしく思われてしまうの意。しかし、紫の君はこのような事情とは知らない。
【取りて見ゐたまへり】- 主語は紫の君。
3.3.49 「まだ一緒に寝てはみませんが愛しく思われます
武蔵野の露に難儀する紫のゆかりのあなたを」
ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野の
露分けわぶる草のゆかりを
【ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の--露分けわぶる草のゆかりを】- 源氏の贈歌。「ね」は「根」と「寝」の掛詞。「根」「野」「露」「草」は縁語。「露分けわぶる草」は藤壺の意を込めている。
3.3.50
とあり。
とある。
とも書いてある。
3.3.51 「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
「あなたも書いてごらんなさい」
 と源氏が言うと、
【いで、君も書いたまへ】- 源氏の詞。源氏の紫の君に対する二人称は「君」。
3.3.52 「まだ、うまく書けません」
「まだよくは書けませんの」 【まだ、ようは書かず】- 紫の君の返事。
3.3.53
とて、見上(みあ)げたまへるが、何心(なにごころ)なくうつくしげなれば、うちほほ()みて、
と言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、つい微笑まれて、
見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、源氏は微笑をして言った。
3.3.54
よからねどむげに()かぬこそ()ろけれ。
(をし)へきこえむかし」
「うまくなくても、まったく書かないのは良くありません。
お教え申し上げましょうね」
「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」 【よからねど】- 以下「教へきこえむかし」まで、源氏の詞。
3.3.55
とのたまへば、うちそばみて()いたまふ()つき、(ふで)とりたまへるさまの(をさな)げなるも、らうたうのみおぼゆれば、(こころ)ながらあやしと(おぼ)
()きそこなひつ」と()ぢて(かく)したまふを、せめて()たまへば、
とおっしゃると、ちょっと横を向いてお書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子があどけないのも、かわいらしくてたまらないので、我ながら不思議だとお思いになる。
「書き損ってしまった」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、
からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、源氏は自分の心ながら不思議に思われた。
 「書きそこねたわ」
 と言って、恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。
【心ながらあやしと思す】- 主語は源氏。わが心ながら。
【書きそこなひつ】- 紫の上の詞。
3.3.56 「恨み言を言われる理由が分かりません
わたしはどのような方のゆかりなのでしょう」
かこつべき故を知らねばおぼつかな
いかなる草のゆかりなるらん
【かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな--いかなる草のゆかりなるらむ】- 紫の上の返歌。わたしには何のことだかわかりませんの意。『新大系』は「書かれて与えられている引歌から「かこつ」「ゆゑ」「知らぬ」という語を受け取って源氏の歌に素直に応じるとともに、女歌らしい切り返しの歌にもなっている。和歌作りの才能が豊であることが知られる」と評す。わたしはいった誰のゆかりの人なのだろう、という疑問は生涯もち続けるだろう。
3.3.57
と、いと(わか)けれど、()先見(さきみ)えて、ふくよかに()いたまへり。
故尼君(こあまぎみ)のにぞ()たりける。
(いま)めかしき手本習(てほんなら)はば、いとよう()いたまひてむ」と()たまふ。
と、とても幼稚だが、将来の成長が思いやられて、ふっくらとお書きになっている。
亡くなった尼君の筆跡に似ているのであった。
「当世風の手本を習ったならば、とても良くお書きになるだろう」と御覧になる。
子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、ふっくりとしたものだった。死んだ尼君の字にも似ていた。現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。 【今めかしき】- 以下「書いたまひてむ」まで、源氏の心中。
【いとよう書いたまひてむ】- 「よう」は「よく」のウ音便形。完了の助動詞「て」連用形、確述、推量の助動詞「む」終止形、推量の意。きっと上手にお書きになるだろう。
3.3.58
(ひひな)など、わざと()ども(つく)(つづ)けて、もろともに(あそ)びつつ、こよなきもの(おも)ひの(まぎ)らはしなり
お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしの相手である。
雛なども屋根のある家などもたくさんに作らせて、若紫の女王と遊ぶことは源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。 【こよなきもの思ひの紛らはしなり】- 最高の藤壺の宮の代償であるという語り手の評言。『古典セレクション』は「紫の上が藤壺の形代として実現されている」と注す。
3.3.59
かのとまりにし(ひと)びと、宮渡(みやわた)りたまひて、(たづ)ねきこえたまひけるに()こえやる(かた)なくてぞ、わびあへりける。
しばし、(ひと)()らせじ」と(きみ)ものたまひ、少納言(せうなごん)(おも)ふことなれば、せちに口固(くちかた)めやりたり。
ただ、「行方(ゆくへ)()らず、少納言(せうなごん)()(かく)しきこえたる」とのみ()こえさするに、(みや)()ふかひなう(おぼ)して、故尼君(こあまぎみ)かしこに(わた)りたまはむことを、いとものしと(おぼ)したりしことなれば、乳母(めのと)の、いとさし()ぐしたる(こころ)ばせのあまり、おいらかに(わた)さむを、便(びん)なし、などは()はで(こころ)にまかせ()てはふらかしつるなめり」と、()()(かへ)りたまひぬ。
もし、()()でたてまつらば、()げよ」とのたまふも、わづらはしく
僧都(そうづ)(おほん)もとにも、(たづ)ねきこえたまへど、あとはかなくて、あたらしかりし御容貌(おほんかたち)など、(こひ)しく(かな)しと(おぼ)す。
あの残った女房たちは、兵部卿宮がお越しになって、お尋ね申し上げなさったが、お答え申し上げるすべもなくて、困り合っているのであった。
「暫くの間、他人に聞かせてはならぬ」と源氏の君もおっしゃるし、少納言の乳母も考えていることなので、固く口止めさせていた。
ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申したことで」とばかりお答え申し上げるので、宮もしょうがないとお思いになって、「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、とても嫌だとお思いであったことなので、乳母が、ひどく出過ぎた考えから、すんなりとお移りになることを、不都合だ、などと言わないで、自分の一存で、連れ出してどこかへやってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。
「もし、消息をお聞きつけ申したら、知らせなさい」とおっしゃる言葉も、厄介で。
僧都のお所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきり分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いになる。
大納言家に残っていた女房たちは、宮がおいでになった時に御挨拶のしようがなくて困った。当分は世間へ知らせずにおこうと、源氏も言っていたし、少納言もそれと同感なのであるから、秘密にすることをくれぐれも言ってやって、少納言がどこかへ隠したように申し上げさせたのである。宮は御落胆あそばされた。尼君も宮邸へ姫君の移って行くことを非常に嫌っていたから、乳母の出すぎた考えから、正面からは拒まずにおいて、そっと勝手に姫君をつれ出してしまったのだとお思いになって、宮は泣く泣くお帰りになったのである。
 「もし居所がわかったら知らせてよこすように」
 宮のこのお言葉を女房たちは苦しい気持ちで聞いていたのである。宮は僧都の所へも捜しにおやりになったが、姫君の行くえについては何も得る所がなかった。美しかった小女王の顔をお思い出しになって宮は悲しんでおいでになった。
【尋ねきこえたまひけるに】- 謙譲の補助動詞「きこえ」は紫の君を敬った表現。
【しばし、人に知らせじ】- 前に「しばし人にも口固めて」(第三章三段)とあったのを踏まえる。
【行方も知らず、少納言が率て隠しきこえたる】- 女房たちの宮に対する返事の要旨。謙譲の補助動詞「聞こえ」連用形、完了の助動詞「たる」連体形、連体中止法。言いさして余情を残した。
【故尼君も】- 以下「率てはふらかしつるなめり」まで、兵部卿宮の心中。
【おいらかに渡さむを、便なし、などは言はで】- 「おいらかに」は「渡さむ」に係る。また「言はで」に係るとする説もある。
【心にまかせ】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心にまかせて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【もし、聞き出でたてまつらば、告げよ】- 宮の女房たちへの詞。
【わづらはしく】- 連用中止法。余情を残して言いさした文型。「わづわし」は女房と語り手の感情が一体化した表現。
3.3.60
(きた)(かた)も、母君(ははぎみ)(にく)しと(おも)ひきこえたまひける(こころ)()せて、わが(こころ)にまかせつべう(おぼ)しけるに(たが)ひぬるは、口惜(くちを)しう(おぼ)しけり。
北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げなさっていた感情も消えて、自分の思いどおりにできようとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになるのであった。
夫人はその母君をねたんでいた心も長い時間に忘れていって、自身の子として育てるのを楽しんでいたことが水泡に帰したのを残念に思った。 【わが心にまかせつべう思しけるに】- 『古典セレクション』は「ここでは、実の娘のように愛育するというよりも、紫の上の美質ゆえに、親権を行使し将来の縁組などを期待し楽しむといった気持」と注す。
3.3.61
やうやう人参(ひとまゐ)(あつま)りぬ。
御遊(おほんあそ)びがたきの童女(わらはべ)(ちご)ども、いとめづらかに(いま)めかしき(おほん)ありさまどもなれば(おも)ふことなくて(あそ)びあへり
次第に女房たちが集まって来た。
お遊び相手の童女や、幼子たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何の屈託もなくて遊び合っていた。
そのうち二条の院の西の対に女房たちがそろった。若紫のお相手の子供たちは、大納言家から来たのは若い源氏の君、東の対のはきれいな女王といっしょに遊べるのを喜んだ。 【いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば】- 尊敬語「御」があり、接尾語「ども」とあるので、源氏と紫の君をさす。
【思ふことなくて遊びあへり】- 敬語がないので、主語は「童女、児ども」。
3.3.62
(きみ)は、男君(をとこぎみ)のおはせずなどしてさうざうしき夕暮(ゆふぐれ)などばかりぞ尼君(あまぎみ)()ひきこえたまひて、うち()きなどしたまへど、(みや)をばことに(おも)()できこえたまはず。
もとより()ならひきこえたまはでならひたまへれば、(いま)はただこの(のち)(おや)いみじう(むつ)びまつはしきこえたまふ。
ものよりおはすれば、まづ()でむかひて、あはれにうち(かた)らひ、御懐(おほんふところ)()りゐて、いささか(うと)()づかしとも(おも)ひたらず。
さるかたにいみじうらうたきわざなりけり。
紫の君は、男君がおいでにならなかったりして、寂しい夕暮時などだけは、尼君をお思い出し申し上げなさって、つい涙ぐみなどなさるが、父宮は特にお思い出し申し上げなさらない。
最初からご一緒ではなく過ごして来られたので、今ではすっかりこの後の親を、たいそう馴れお親しみ申し上げていらっしゃる。
外出からお帰りになると、まっさきにお出迎えして、親しくお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったり恥ずかしいとは思っていない。
そうしたことでは、ひどくかわいらしい態度でなのあった。
若紫は源氏が留守になったりした夕方などには尼君を恋しがって泣きもしたが、父宮を思い出すふうもなかった。初めから稀々にしか見なかった父宮であったから、今は第二の父と思っている源氏にばかり馴染んでいった。外から源氏の帰って来る時は、自身がだれよりも先に出迎えてかわいいふうにいろいろな話をして、懐の中に抱かれて少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わない。こんな風変わりな交情がここにだけ見られるのである。 【君は、男君のおはせずなどして】- 「君」は紫の上をさす。『集成』は「今まで若君と呼んで来たが、ここではじめて「君」と呼ぶ。「女君」(夫人)に准じた書きぶりで、下の「男君」(夫君)と照応する」と注す。
【夕暮などばかりぞ】- 係助詞「ぞ」は「うち泣きなどしたまふ」に係るが、接続助詞「ど」が下続したために、結びの流れとなっている。
【宮をば】- 父兵部卿宮をさす。
【この後の親を】- 源氏をさす。親代り、という立場である。
【さるかたに】- そうした関係の意。『集成』は「実際の夫婦ではないが、という含み」と解し、『古典セレクション』は「無邪気な遊び相手という点で。親子という方面からみると、とする説もある」と注す。
【いみじう】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いみじく」と校訂。『新大系』は底本のまま。
3.3.63
さかしら(ごころ)あり(なに)くれとむつかしき(すぢ)になりぬれば、わが心地(ここち)もすこし(たが)ふふしも()()やと、(こころ)おかれ、(ひと)(うら)みがちに、(おも)ひのほかのこと、おのづから()()るを、いとをかしきもてあそびなり。
(むすめ)などはた、かばかりになれば、(こころ)やすくうちふるまひ、(へだ)てなきさまに()()きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、(おも)ほいためり
小賢しい智恵がつき、何かとうっとうしい関係となってしまうと、自分の気持ちと多少ぴったりしない点も出て来たのかしらと、心を置かれて、相手も嫉妬しがちになり、意外なもめ事が自然と出て来るものなのに、まことにかわいらしい遊び相手である。
自分の娘などでも、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものだろうに、この人は、とても風変わりな大切な娘であると、お思いのようである。
大人の恋人との交渉には微妙な面倒があって、こんな障害で恋までもそこねられるのではないかと我ながら不安を感じることがあったり、女のほうはまた年じゅう恨み暮らしに暮らすことになって、ほかの恋がその間に芽ばえてくることにもなる。この相手にはそんな恐れは少しもない。ただ美しい心の慰めであるばかりであった。娘というものも、これほど大きくなれば父親はこんなにも接近して世話ができず、夜も同じ寝室にはいることは許されないわけであるから、こんなおもしろい間柄というものはないと源氏は思っているらしいのである。 【さかしら心あり】- 『古典セレクション』は「「さかしら心」以下、源氏の心内に即した叙述。二行後の「おのづから出で来るを」までは、世間の男女関係一般についての感想であり、それと対比的に紫の上の美質をとらえている。「さかしら心」は、小賢しい心。嫉妬心などをさす」と注す。
【むつかしき筋】- 夫婦関係が長くなりうっとうしく思われる関係。
【女など】- 自分の実の娘でもの意。前に「後の親」とあったのを受ける。
【心やすく】- 大島本は、「心やすく」以下の改丁から書体が藤原俊成ふうのものに変わる。親本の書体を参考に書きとどめたものか、とされる。
【これは】- 源氏からみた紫の上。
【思ほいためり】- 御物本は「おほいたり」。横山本、榊原家本、池田本、三条西家本は書陵部本は「おほいためり」。肖柏本は大島本と同文。河内本は「おほしためり」とある。『集成』『古典セレクション』は「おぼいためり」と本文を改める。『新大系』は底本のまま。主語は源氏。「ためり」の「た」は完了の助動詞「たる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形。推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。語り手が源氏と紫の上の側近くで見て推測しているニュアンスである。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/11/2010(ver.2-2)
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(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Latest Updated 4/26/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経
2003年8月14日
Last updated 3/28/2009(ver.2-2)
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