設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第六帖 末摘花 光る源氏の十八歳春正月十六日頃から十九歳春正月八日頃までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 末摘花の物語 |
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第一段 亡き夕顔追慕 |
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1.1.1 | どんなに思ってもなお飽き足りなかった夕顔の露のように先立たれた時の悲しみを、年月を経てもお忘れにならず、いずれもいずれも気の置ける方ばかりで、気取って思慮深さを競い合っているのに対して、人なつこく気を許していたかわいらしさに、二人となく恋しくお思い出しなさる。 |
源氏の君の夕顔を失った悲しみは、月がたち年が変わっても忘れることができなかった。左大臣家にいる夫人も、六条の |
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1.1.2 | 何とかして、大層な評判はなく、とてもかわいらしげな女性で、気の置けないようなのを、見つけたいものだと、性懲りもなく思い続けていらっしゃるので、少しでも風流人らしく評判されるあたりには、漏れなくお耳を留めにならないことはないのに、それではと、お考え立たれるほどの人には、ちょっと手紙をおやりになるらしいが、お靡き申さずよそよそしく振る舞う人は、めったにいないらしいのには、まったく見飽きたことだ。 |
どうかしてたいそうな身分のない女で、 |
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1.1.3 | つれなう |
すげなく強情な人は、いいようのないほど情愛に欠けた真面目一方など、大して人情の機微を知らないようで、そのくせ最後までそれを貫き通せず、すっかり曲げて、いかにも平凡な男におさまったりなどする人もいるので、中途でやめておしまいになる人も多いのであった。 |
ある場合条件どおりなのがあっても、それは頭に欠陥のあるのとか、 |
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1.1.4 | かの おほかた、 |
あの空蝉を、何かの折節には、妬ましくお思い出しになる。 荻の葉も、適当な機会がある時は、気をお引きなさる時もあるのだろう。 燈火に照らされてしどけなかった姿は、もう一度そうして見たいものだとお思いになる。 総じて、すっかりお忘れになることは、できないご性分なのであった。 |
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第二段 故常陸宮の姫君の噂 |
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1.2.1 | いといたう |
左衛門の乳母といって、大弍の次に大切に思っていらっしゃる者の娘で、大輔の命婦といって、内裏に仕えている者は、皇族の血筋を引く兵部の大輔という人の娘であった。 とても大層な色好みの若女房であったのを、君も召し使ったりなどなさる。 母親は、筑前守と再婚して、赴任していたので、父君の家を里として通っている。 |
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1.2.2 | 故常陸親王が晩年に儲けて、大層大切にお育てなさったおん姫君が、心細く遺されて暮らしているのを何かの折に、お話申し上げたところ、気の毒なことだと、お心に留めてお尋ねなさる。 |
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1.2.3 | 「気立てや器量など、詳しくは存じません。 控え目で、人と交際していらっしゃらないので、何か用のあった宵などに、物を隔ててお話しております。 琴を親しい話相手と思っています」と申し上げると、 |
「どんな性質でいらっしゃるとか |
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1.2.4 | 「三つの友として、もう一つは不向きだろう」と言って、「わたしに聞かせよ。 父親王が、その方面でとても造詣が深くていらしたので、並大抵の手ではあるまい、と思う」とおっしゃると、 |
「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」こんな |
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1.2.5 | 「そのようにお聞きあそばすほどのことではございませんでしょう」 |
「そんなふうに |
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1.2.6 | と言うが、お心惹かれるようにわざと申し上げるので、 |
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1.2.7 | 「ひどくもったいぶるね。 このごろの朧月夜にこっそり行こう。 退出せよ」 |
「思わせぶりをしないでもいいじゃないか。このごろは |
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1.2.8 | とのたまへば、わづらはしと |
とおっしゃるので、面倒なと思うが、内裏でものんびりとした春の所在ない折に退出した。 |
源氏が熱心に言うので、大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、御所も御用のひまな時であったから、春の |
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1.2.9 | 父親の大輔の君は他に住んでいるのであった。 ここには時々通って来るのであった。 命婦は、継母の家には住まず、姫君の家と懇意にして、ここには来るのであった。 |
父の大輔は宮邸には住んでいないのである。その継母の家へ出入りすることをきらって、命婦は祖父の宮家へ帰るのである。 |
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第三段 新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く |
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1.3.1 | のたまひしもしるく、 |
おっしゃったとおりに、十六夜の月が美しい晩にいらっしゃった。 |
源氏は言っていたように |
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1.3.2 | 「とても、困りましたことですわ。 楽の音が冴え渡って聞こえる夜でもございませんようなので」と申し上げるが、 |
「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」 |
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1.3.3 | 「もっと、あちらに行って、たった一声でも、お勧め申せ。 聞かないで帰るようなのが、癪だろうから」 |
「まあいいから御殿へ行って、ただ一声でいいからお |
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1.3.4 | とおっしゃるので、くつろいだ部屋でお待ちいただいて、気がかりでもったいないと思うが、寝殿に参上したところ、まだ格子を上げたままで、梅の香の素晴らしいのを眺めていらっしゃる。 ちょうど良い折だと思って、 |
と |
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1.3.5 | 「お琴の音は、どんなに聞き優ることでございましょうと、思わずにはいられません今夜の風情に、心惹かれまして。 気ぜわしくお伺いして、お聞かせ頂けないのが残念でございます」と言うと、 |
「琴の声が聞かせていただけましたらと思うような夜分でございますから、部屋を出てまいりました。私はこちらへ寄せていただいていましても、いつも時間が少なくて、伺わせていただく間のないのが残念でなりません」と言うと、 |
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1.3.6 | 「分かる人がいるというのですね。 宮中にお出入りしている人が聞くほどでも」 |
「あなたのような批評家がいては手が出せない。御所に出ている人などに聞いてもらえる芸なものですか」 |
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1.3.7 | と言って、取り寄せるので、人ごとながら、どのようにお聞きになるだろうかと、どきどきする。 |
こう言いながらも、すぐに女王が琴を持って来させるのを見ると、命婦がかえってはっとした。氏の聞いていることを思うからである。 |
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1.3.8 | かすかに掻き鳴らしなさるのが、趣あるように聞こえる。 特に上手といったほどでもないが、楽器の音色が他とは違って格式高い物なので、聞きにくいともお思いにならない。 |
女王はほのかな |
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1.3.9 | 「いといたう かやうの |
「とてもひどく一面に荒れはた寂しい邸に、これほどの女性が、古めかしく、格式ばって、大切にお育てしていたのであろう面影もすっかりなくなって、どれほど物思いの限りを尽くしていらっしゃることだろう。 このような所にこそ、昔物語にもしみじみとした話がよくあったものだ」などと連想して、言い寄ってみようかしら、とお思いになるが、唐突だとお思いになるであろうかと、気がひけて、躊躇なさる。 |
この |
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1.3.10 | 命婦は、よく気の利く者で、たくさんお聞かせ申すまい、と思ったので、 |
命婦は才気のある女であったから、名手の域に遠い人の音楽を長く源氏に聞かせておくことは女王の損になると思った。 |
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1.3.11 | 「曇りがちのようでございます。 お客が来ることになっておりました、嫌っているようにも受け取られては。 そのうち、 ゆっくりと。御格子を下ろし |
「雲が出て月が見えないがちの晩でございますわね。今夜私のほうへ訪問してくださるお約束の方がございましたから、私がおりませんとわざと避けたようにも当たりますから、またゆるりと聞かせていただきます。お格子をおろして行きましょう」 |
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1.3.12 | とて、いたうもそそのかさで |
と言って、あまりお勧めしないで帰って来たので、 |
命婦は琴を長く |
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1.3.13 | 「中途半端な所で終わってしまったね。 十分聞き分けられる間もなくて、残念に」 |
「あれだけでは聞かせてもらいがいもない。どの程度の名手なのかわからなくてつまらない」 |
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1.3.14 | とのたまふけしき、をかしと |
とおっしゃる様子は、ご関心をお持ちである。 |
源氏は女王に好感を持つらしく見えた。 |
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1.3.15 | 「同じことなら、もっと近い所で立ち聞きさせよ」 |
「できるなら近いお座敷のほうへ案内して行ってくれて、よそながらでも女王さんの |
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1.3.16 | とおっしゃるが、「もっと聞きたいと思うところで」と思うので、 |
と言った。命婦は近づかせないで、よりよい想像をさせておきたかった。 |
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1.3.17 | 「さあ、いかがなものでしょうか、とてもひっそりとした様子に思い沈んで、気の毒そうでいらっしゃるようなので、案じられまして」 |
「それはだめでございますよ。お気の毒なお暮らしをして、めいりこんでいらっしゃる方に、男の方を御紹介することなどはできません」 |
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1.3.18 | と言うと、「なるほど、それももっともだ。 急に自分も相手も親しくなるような身分の人は、その程度の者なのだ」などと、お気の毒に思われるご身分のお方なので、 |
と命婦の言うのが道理であるように源氏も思った。男女が思いがけなく会合して語り合うというような階級にははいらない、ともかくも貴女なんであるからと思ったのである。 |
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1.3.19 | 「やはり、気持ちをそれとなく伝えてくれよ」と、言い含めなさる。 |
「しかし、将来は交際ができるように私の話をしておいてくれ」 こう命婦に頼んでから、 |
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1.3.20 | 他に約束なさった所があるのだろうか、とてもこっそりとお帰りになる。 |
源氏はまた今夜をほかに約束した人があるのか帰って行こうとした。 |
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1.3.21 | 「お上が、き真面目でいらっしゃると、お困りあそばさしていらっしゃるのが、おかしく存じられる時々がございます。 このようなお忍び姿を、どうして御覧になれましょう」 |
「あまりにまじめ過ぎるからと陛下がよく困るようにおっしゃっていらっしゃいますのが、私にはおかしくてならないことがおりおりございます。こんな |
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1.3.22 | と |
と申し上げると、引き返して来て、ちょっと微笑んで、 |
と命婦が言うと、源氏は二足三足帰って来て、笑いながら言う。 |
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1.3.23 | 「他人が言うように、欠点を言い立てなさるな。 これを好色な振る舞いと言ったら、どこかの女の有様は、弁解できないだろう」 |
「何を言うのだね。品行方正な人間でも言うように。これを |
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1.3.24 | とおっしゃるので、「あまりに好色めいているとお思いになって、時々このようにおっしゃるのを、恥ずかしい」と思って、何とも言わない。 |
多情な女だと源氏が決めていて、おりおりこんなことを面と向かって言われるのを命婦は恥ずかしく思って何とも言わなかった。 |
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1.3.25 | 「 |
寝殿の方に、姫君の様子が聞けようかとお思いになって、静かにお立ち下がりになる。 透垣がわずかに折れ残っている物蔭に、お立ち添いになると、以前から立っている男がいるのであった。 「誰だろう。 懸想している好色人がいたのだなあ」とお思いになって、蔭に寄って隠れなさると、頭中将なのであった。 |
女暮らしの家の座敷の物音を聞きたいように思って源氏は静かに庭へ出たのである。大部分は朽ちてしまったあとの少し残った |
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1.3.26 | この あやしき |
この夕方、内裏から一緒に退出なさったが、そのまま大殿にも寄らず、二条の院でもなく、別の方角に行ったのを、どこへ行くのだろうと、好奇心が湧いて、自分も行く所はあるが、後を付けて窺うのであった。 粗末な馬で、狩衣姿の身軽な恰好で来たので、お気付きにならないが、予想と違って、あのような別の建物にお入りになったので、合点が行かずにいた時に、琴の音に耳をとられて立っていたが、帰りにはお出になるだろうかと、心待ちしているのであった。 |
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1.3.27 | 君は、誰ともお分かりにならず、自分と知られまいと、抜き足に通ろうとなさると、急に近寄って来て、 |
源氏はまだだれであるかに気がつかないで、顔を見られまいとして抜き足をして庭を離れようとする時にその男が近づいて来て言った。 |
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1.3.28 | 「置いてきぼりあそばされた悔しさに、お見送り申し上げたのですよ。 |
「私をお |
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1.3.29 | ご一緒に宮中を退出しましたのに 行く先を晦ましてしまわれる十六夜の月ですね」 |
もろともに大内山は 入る方見せぬいざよひの月」 |
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1.3.30 | と恨まれるのが癪だが、この君だとお分かりになると、少しおかしくなった。 |
さも秘密を見現わしたように得意になって言うのが腹だたしかったが、源氏は頭中将であったことに安心もされ、おかしくなりもした。 |
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1.3.31 | 「 |
「人が驚くではないか」と憎らしがりながら、 |
「そんな失敬なことをする者はあなたのほかにありませんよ」憎らしがりながらまた言った。 |
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1.3.32 | 「どの里も遍く照らす月は空に見えても その月が隠れる山まで尋ねる人はいませんよ」 |
「里分かぬかげを見れども行く月の いるさの山を |
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1.3.33 | 「このように後を付け廻したら、どうあそばされますか」とお尋ねなさる。 |
こんなふうに私が始終あなたについて歩いたらお困りになるでしょう、あなたはね」 |
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1.3.34 | 「本当は、このようなお忍び歩きには、随身によって埒も開こうというものです。 置いてきぼりあそばさないのがよいでしょう。 身をやつしてのお忍び歩きには、軽率なことも出て来ましょう」 |
「しかし、恋の成功はよい随身をつれて行くか行かないかで決まることもあるでしょう。これからはごいっしょにおつれください。お一人歩きは危険ですよ」 |
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1.3.35 | と、反対にご忠告申し上げる。 このようにしかと見つけられたのを、悔しくお思いになるが、あの撫子は見つけ出せないのを、大きな手柄だと、ご内心お思い出しになる。 |
頭中将はこんなことを言った。頭中将に得意がられていることを源氏は残念にも思ったが、あの |
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第四段 頭中将とともに左大臣邸へ行く |
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1.4.1 | おのおの |
お二方とも約束した女の所にも、照れくさくて、別れて行くこともおできになれず、一台の車に乗って、月の風情ある雲に隠れた道中を、笛を合奏して大殿邸にお着きになった。 |
源氏にも頭中将にも第二の行く先は決まっていたが、 |
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1.4.2 | つれなう、 いと |
先払いなどおさせになさらず、こっそりと入って、人目につかない渡殿にお直衣を持って来させて、お召し替えになる。 何食わぬ顔で、今来たようなふうをして、お笛を吹き興じて合っていらっしゃると、大臣が、いつものようにお聞き逃さず、高麗笛をお取り出しになって来た。 大変に上手でいらっしゃるので、大層興趣深くお吹きになる。 お琴を取り寄せて、簾の内でも、この方面に堪能な女房たちにお弾かせになる。 |
前駆に声も立てさせずに、そっとはいって、人の来ない廊の部屋で |
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1.4.3 | 中務の君、特に琵琶はよく弾くが、頭の君が思いを寄せていたのを振り切って、ただこのたまにかけてくださる情愛の慕わしさを、お断り申し上げられないでいると、自然と人の知るところとなって、大宮などもけしからぬことだとお思いになっているので、何となく憂鬱で、その場に居ずらい気持ちがして、おもしろくなさそうに寄り伏している。 まったくお目にかかれない所に、暇をもらって行ってしまうのも、やはり心細く思い悩んでいる。 |
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1.4.4 | 君たちは、先程の七絃琴の音をお思い出しになって、見すぼらしかった邸宅の様子なども、一風変わって興趣あると思い続け、「もし仮に、とても美しくかわいい女が、寂しく年月を送っているような時、結ばれて、ひどくいじらしくなったら、世間の評判になるほどなのは、自分ながら体裁の悪いことだろう」などとまで、中将は思うのであった。 この君がこのように懸想しあるいていらっしゃるのを、「とても、あのままで、お済ましになれようか」と、小憎らしく心配するのであった。 |
楽音の中にいながら二人の貴公子はあの荒れ邸の琴の音を思い出していた。ひどくなった家もおもしろいもののようにばかり思われて、空想がさまざまに伸びていく。 |
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1.4.5 | その いづれも さやうなる |
その後、こちらからもあちらからも、恋文などおやりになるようだ。 どちらへもお返事がなく、気になっていらいらするので、「あまりにもひどいではないか。 あのような生活をしている人は、物の情趣を解する風情や、ちょっとした木や草、空模様につけても、かこつけたりなどして、気立てが自然と推量される折々もあるようなのが、かわいらしいというものであろうに、重々しいといっても、とてもこうあまりに引っ込み思案なのは、おもしろくなく、よろしくない」と、中将は、君以上にやきもきするのであった。 いつものように、お隔て申し上げなさらない性格から、 |
それからのち二人の貴公子が |
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1.4.6 | 「これこれしかじかのお返事は御覧になりますか。 試しにちょっと手紙を出してみたが、中途半端で、終わってしまった」 |
「常陸の宮の返事が来ますか、私もちょっとした手紙をやったのだけれど何にも言って来ない。侮辱された形ですね」 |
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1.4.7 | と、残念がるので、「やっぱりそうか、懸想文を贈ったのだな」と、つい微笑まれて、 |
自分の想像したとおりだ、頭中将はもう手紙を送っているのだと思うと源氏はおかしかった。 |
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1.4.8 | 「さあ、しいて見たいとも思わないからか、見ることもない」 |
「返事を格別見たいと思わない女だからですか、来たか来なかったかよく覚えていませんよ」 |
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1.4.9 | と、 |
と、お返事なさるのを、「分け隔てしたな」と思うと、まことに悔しい。 |
源氏は中将をじらす気なのである。返事の来ないことは同じなのである。中将は、そこへ行きこちらへは来ないのだと |
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1.4.10 | したり |
君は、必ずしも深く思い込んでいるのではないが、このようにつれないのを、興醒めにお思いになったが、このようにこの中将がしきりに言い寄っているのを、「言葉数多く懸想文を贈った者の方に靡くだろう。 得意顔して、最初の関係を振ったような恰好をされたら、まことおもしろくなかろう」とお思いになって、命婦に真剣に相談なさる。 |
源氏はたいした執心を持つのでない女の冷淡な態度に |
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1.4.11 | 「おぼつかなく、もて さりとも、 |
「はっきりせずに、よそよそしいご様子なのが、まことにたまらない。 浮気心とお疑いなのだろう。 いくら何でも、すぐ変わる心は持ちあわせていないのに。 相手の気持ちがゆったりとしたところがなくて、心外なことばかりあるので、自然とわたしの方の落度のようにもなってしまいそうだ。 気長に、親兄弟などのお世話をしたり恨んだりする者もなく、気兼ねのいらない人は、かえってかわいらしかろうに」とおっしゃると、 |
「いくら手紙をやっても冷淡なんだ。私がただ一時的な |
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1.4.12 | 「さあ、おっしゃるように興趣あるお立ち寄り所には、とてもどうかしらと、お相応しくなく見えます。 ひたすら恥ずかしがって、内気な点では、世にも珍しいくらいのお方です」 |
「いいえ、そんな、あなた様が十分にお愛しになるようなお相手にあの方はなられそうもない気がします。非常に内気で、おとなしい点はちょっと珍らしいほどの方ですが」 |
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1.4.13 | と、見た様子をお話し申し上げる。 「気が利いていて、才覚だったところはないようだ。 とても子供のようにおっとりしているのが、かわいいものだ」とお忘れにならず、お頼みになる。 |
命婦は自分の知っているだけのことを源氏に話した。「貴婦人らしい |
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1.4.14 | 瘧病みをお患いになったり、秘密の恋愛事件があったりして、お心にゆとりのないような状態で、春夏が過ぎた。 |
その後源氏は |
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第五段 秋八月二十日過ぎ常陸宮の姫君と逢う |
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1.5.1 | 秋のころ、静かにお思い続けになって、あの砧の音も耳障りであったのまでが、自然に恋しくお思い出されるにつけて、常陸宮邸には度々お手紙を差し上げなさるが、相変わらず一向にお返事がないばかりなので、世間知らずで、おもしろくなく、負けてはなるものかという意地まで加わって、命婦をご催促なさる。 |
秋になって、夕顔の五条の家で聞いた |
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1.5.2 | 「どういうことか。 いったいこのようなことは、今までにない」 |
「どんなふうに思っているのだろう。私はまだこんな態度を取り続ける女に出逢ったことはないよ」 |
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1.5.3 | と、いとものしと |
と、とても不愉快に思っておっしゃるので、お気の毒に思って、 |
不快そうに源氏の言うのを聞いて命婦も気の毒がった。 |
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1.5.4 | 「かけ離れて、不釣り合いなご縁だとも、申し上げたことはありません。 ただ、万事につけて内気な性格が強すぎて、お返事なさらないのだろうと存じます」と申し上げると、 |
「私は格別この御縁はよろしくございませんとも言っておりませんよ。ただあまり内気過ぎる方で男の方との交渉に手が出ないのでしょうと、お返事の来ないことを私はそう解釈しております」 |
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1.5.5 | 「それが世間知らずというものだ。 分別のつけられない年頃や、親がかりで自分では身を処せられない間は、もっともなことだが、何事もじっくりお考えになられるのだろう、と思うからだ。 どことなく、所在なく心細くばかり思われるのを、同じような気持ちでお返事下さったら、願いが叶った気がしよう。 何やかやと、色めいたことではなくて、あの荒れた簀子に佇んでみたいのだ。 とても嫌な理解できない思いがするから、あの方のお許しがなくても、うまく計らってくれ。 気がせいて、けしからぬ振る舞いは、決してせぬ」 |
「それがまちがっているじゃないか。とても年が若いとか、また親がいて自分の意志では何もできないというような人たちこそ、それがもっともだとは言えるが、あんな一人ぼっちの心細い生活をしている人というものは、異性の友だちを作って、それから優しい慰めを言われたり、自分のことも人に聞かせたりするのがよいことだと思うがね。私はもう |
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1.5.6 | など、 |
などと、ご相談なさる。 |
などと源氏は言うのであった。 |
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1.5.7 | やはり世間一般の女性の様子を、一通りのこととして聞き集め、お耳を留めなさる癖がついていらっしゃるので、もの寂しい夜の席などで、ちょっとした折に、このような女性がと申し上げたことに、このように殊更におっしゃり続けるので、「何となく気が重く、女君のご様子も、恋愛の経験や、風流らしくもないのに、かえって手引したことによって、きっと気の毒なことになりはしないか」と思ったが、君がこのように本気になっておっしゃるので、「聞き入れないのも、いかにも変わり者のようだろう。 父親王が生きていらしたころでさえ、時代遅れの所だと言って、ご訪問申し上げる人もなかったのだが、まして、今となっては浅茅生を分けて訪ねて来る人もまったく絶えているのに」。 |
女の |
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1.5.8 | このように世にも珍しいお方から、時々お手紙が届くのを、なま女房どもも笑顔をつくって、「やはりお返事をなさいませ」と、お勧め申し上げるが、あきれるくらい内気なご性格で、全然御覧になろうともなさらないのであった。 |
その家へ光源氏の手紙が来たのであるから、女房らは一陽来復の夢を作って、女王に返事を書くことも勧めたが、世間のあらゆる内気の人の中の最も引っ込み思案の女王は、手紙に語られる源氏の心に触れてみる気も何もなかったのである。 |
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1.5.9 | また、さるべきにて、 |
命婦は、「それでは、適当な機会に、物越しにお話申し上げなさって、お気に召さなかったら、そのまま終わってしまってよし。 また、ご縁があって、一時的にでもお通いになるとしても、誰もお咎めなさるはずの方もいない」などと、色事にかけては軽率な性分でふと考えて、父君にも、このようなことなど、話さなかったのであった。 |
命婦はそんなに源氏の望むことなら、自分が手引きして物越しにお逢わせしよう、お気に入らなければそれきりにすればいいし、また縁があって情人関係になっても、それを干渉して止める人は宮家にないわけであるなどと、命婦自身が恋愛を軽いものとして考えつけている若い心に思って、女王の兄にあたる自身の父にも話しておこうとはしなかった。 |
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1.5.10 | 「いとよき |
八月二十日過ぎ、夜の更けるまで待ち遠しい月の出の遅さに、星の光ばかりさやかに照らし、松の梢を吹く風の音も心細くて、昔のことをお話し出しなさって、お泣きになったりなどなさる。 「ちょうど良い機会だ」と思って、ご案内を差し上げたのだろうか、いつものようにお忍びでいらっしゃった。 |
八月の二十日過ぎである。八、九時にもまだ月が出ずに星だけが白く見える夜、古い |
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1.5.11 | 月がようやく出て、荒れた垣根の状態を気味悪く眺めていらっしゃると、琴を勧められて、かすかにお弾きになるのは、悪くはない。 「もう少し、親しみやすい、今風の感じを加えたいものだ」と、蓮っ葉な性分から、じれったく思っていた。 人目のない邸なので、安心してお入りになる。 命婦をお呼ばせになる。 今初めて、 |
その時分になって |
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1.5.12 | 「いとかたはらいたきわざかな。 しかしかこそ、おはしましたなれ。 いかが なみなみのたはやすき |
「とても困りましたわ。 これこれということで、お越しあそばしたそうですわ。 いつも、このようにお恨み申していらっしゃったが、一存ではまいらぬ旨ばかり、お断り申しておりますので、『自身でお話をおつけ申し上げよう』と、かねておっしゃっていたのです。 どのようにお返事申し上げましょうか。 並大抵の軽いお出ましではありませんので、困ったことで。 物越しにでも、おっしゃるところを、お聞きあそばしませ」 |
「いらっしったお客様って、それは源氏の君なんですよ。始終御交際をする紹介役をするようにってやかましく言っていらっしゃるのですが、そんなことは私にだめでございますってお断わりばかりしておりますの、そしたら自分で直接お話しに行くってよくおっしゃるのです。お帰しはできませんわね。ぶしつけをなさるような方なら何ですが、そんな方じゃございません。物越しでお話をしておあげになることだけを許してあげてくださいましね」 |
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1.5.13 | と |
と言うと、とても恥ずかしい、と思って、 |
と言うと女王は非常に恥ずかしがって、 |
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1.5.14 | 「人とお話する仕方などは知らないのに」 |
「私はお話のしかたも知らないのだから」 |
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1.5.15 | と言って、奥の方へいざってお入りになる態度は、とてもうぶな様子である。 微笑んで、 |
と言いながら部屋の奥のほうへ |
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1.5.16 | 「いと |
「とても、子供じみていらっしゃいますのが、気がかりですわ。 ご身分の高い方も、ご両親様が生きていらっして、手を掛けてお世話申していらっしゃる間なら、子供っぽくいらっしゃるのも結構ですが、このような心細いお暮らし向きで、相変わらず世間を知らずに引っ込み思案でいらっしゃるのは、よろしうございません」とお教え申し上げる。 |
「あまりに子供らしくいらっしゃいます。どんな貴婦人といいましても、親が十分に保護していてくださる間だけは子供らしくしていてよろしくても、こんな寂しいお暮らしをしていらっしゃりながら、あまりあなたのように |
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1.5.17 | さすがに、 |
何と言っても、人の言うことには強く拒まないご性質なので、 |
人の言うことにそむかれない内気な性質の女王は、 |
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1.5.18 | 「お返事申さずに、ただ聞いていよ、というのであれば。 格子など閉めてお会いするならいいでしょう」とおっしゃる。 |
「返辞をしないでただ聞いてだけいてもいいというのなら、格子でもおろしてここにいていい」と言った。 |
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1.5.19 | 「簀子などでは失礼でございましょう。 強引で、軽薄なお振る舞いは、間違っても」 |
「縁側におすわらせすることなどは失礼でございます。無理なことは決してなさいませんでしょう」 |
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1.5.20 | など、いとよく |
などと、うまく言い含めて、二間の端にある障子を、自分で固く錠鎖して、お座蒲団を敷いて整える。 |
体裁よく言って、次の室との間の |
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1.5.21 | いとつつましげに よろしき |
とても恥ずかしくお思いになっているが、このような方に応対する心得なども、まったくご存じなかったので、命婦がこのように言うのを、そういうものなのであろうと思って任せていらっしゃる。 乳母のような老女などは、部屋に入って横になってうつらうつらしている時分である。 若い女房、二、三人いるのは、世間で評判高いお姿を、見たいものだとお思い申し上げて、期待して緊張し合っている。 結構なご衣装にお召し替え申し、身繕い申し上げると、ご本人は、何の頓着もなくいらっしゃる。 |
源氏は少し恥ずかしい気がした。人としてはじめて |
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1.5.22 | 男は、まことこの上ないお姿を、お忍びで心づかいしていらっしゃるご様子、何とも優美で、「風流を解する人にこそ見せたいが、見栄えもしない邸で、ああ、お気の毒な」と、命婦は思うが、ただおっとりしていらっしゃるのを、「安心で、出過ぎたところはお見せ申さるまい」と思うのであった。 「自分がいつも責められ申していた責任逃れに、気の毒な姫の物思いが生じてきはしまいか」などと、不安に思っている。 |
男はもとよりの |
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1.5.23 | 「わりなのわざや」と、うち |
君は、相手のご身分を推量なさると、「しゃれかえった当世風の風流がりやよりは、この上なく奥ゆかしい」と思い続けていたところ、たいそう勧められて、いざり寄っていらっしゃる様子、もの静かで、えびの薫香がとてもやさしく薫り出して、おっとりとしてしているので、「やはり思ったとおりであった」とお思いになる。 長年恋い慕っている胸の中など、言葉巧みにおっしゃり続けるが、なおさら身近な所でのお返事はまったくない。 「どうにも困ったことだ」と、つい嘆息なさる。 |
源氏は相手の身柄を尊敬している心から |
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1.5.24 | 「何度あなたの沈黙に負けたことでしょう ものを言うなとおっしゃらないことを頼みとして |
「いくそ 物な |
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1.5.25 | 嫌なら嫌とおっしゃってくださいまし。 玉だすきでは苦しい」 |
言いきってくださいませんか。私の恋を受けてくださるのか、受けてくださらないかを」 |
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1.5.26 | とおっしゃる。 女君の御乳母子で、侍従といって、才気走った若い女房は、「とてもじれったくて、見ていられない」と思って、お側によって、お返事申し上げる。 |
女王の乳母の娘で侍従という気さくな若い女房が、見かねて、女王のそばへ寄って女王らしくして言った。 |
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1.5.27 | 「鐘をついて論議を終わりにするように 何も言うなとはさすがに言いかねます(ただお答えしにくいのが、 |
鐘つきてとぢめんことはさすがにて 答へまうきぞかつはあやなき |
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1.5.28 | とても若々しい声で、格別重々しくないのを、人伝てではないように装って申し上げると、「ご身分の割には馴れ馴れしいな」とお聞きになるが、 |
若々しい声で、重々しくものの言えない人が代人でないようにして言ったので、 |
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1.5.29 | 「珍しいことなのが、かえって言葉に窮しますよ。 |
「こちらが何とも言えなくなります、 |
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1.5.30 | 何もおっしゃらないのは口に出して言う以上なのだとは知っていますが、 やはりずっと黙っていらっしゃるのは辛いものですよ |
押しこめたるは苦しかりけり」 |
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1.5.31 | 何やかやと、とりとめのないことであるが、関心を引くようにも、まじめなようにもおっしゃるが、何の反応もない。 |
いろいろと、それは実質のあることではなくても、誘惑的にもまじめにも源氏は語り続けたが、あの歌きりほかの返辞はなかった、 |
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1.5.32 | 「まことにこんなに言うにも、態度が変わっていて、思う人が別にいらっしゃるのだろうか」と、癪になって、そっと押し開けて中に入っておしまいになった。 |
こんな態度を男にとるのは特別な考えをもっている人なんだろうかと思うと、源氏は自身が軽侮されているような |
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1.5.33 | 命婦、「まあ、ひどい。 油断させていらっしゃって」と、気の毒なので、知らない顔をして、自分の部屋の方へ行ってしまった。 先程の若い女房連中、言うまでもない、世に例のない美しいお姿の評判の高さに、お咎め申し上げず、大げさに嘆くこともせず、ただ、思いも寄らず急なことで、何のお心構えもないのを、案じるのであった。 |
命婦はうかうかと油断をさせられたことで女王を気の毒に思うと、そこにもおられなくて、そしらぬふうをして自身の部屋のほうへ帰った。侍従などという若い女房は光源氏ということに好意を持っていて、主人をかばうことにもたいして力が出なかったのである。こんなふうに何の心の用意もなくて結婚してしまう女王に同情しているばかりであった。 |
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1.5.34 | ご本人は、まったく無我夢中で、恥ずかしく身の竦むような思いの他は何も考えられないので、「最初はこのようなのがかわいいのだ。まだ世間ずれしていない人で、大切に育てられているのが」と、大目に見られる一方で、合点がゆかず、どことなく気の毒な感じに思われるご様子である。 どのようなところにお心が惹かれるのだろうか、つい溜息をつかれて、夜もまだ深いうちにお出になった。 |
女王はただ |
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1.5.35 | 命婦は、「どうなったのだろう」と、目を覚まして、横になって聞き耳を立てていたが、「知らない顔していよう」と考えて、「お見送りを」と、指図もしない。 君も、そっと目立たぬようにお帰りになったのであった。 |
命婦はどうなったかと一夜じゅう心配で眠れなくて、この時の物音も知っていたが、黙っているほうがよいと思って、「お送りいたしましょう」と |
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第六段 その後、訪問なく秋が過ぎる |
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1.6.1 | 二条の院にお帰りになって、横におなりになっても、「やはり思うような女性に巡り合うことは難しいものだ」と、お思い続けになって、軽々しくないご身分のほどを、気の毒にお思いになるのであった。 あれこれと思い悩んでいらっしゃるところに、頭中将がいらして、 |
二条の院へ帰って、源氏は |
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1.6.2 | 「ずいぶんな朝寝ですね。 きっと理由があるのだろうと、存じられますが」 |
「たいへんな朝寝なんですね。なんだかわけがありそうだ」 |
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1.6.3 | と |
と言うと、起き上がりなさって、 |
と言われて源氏は起き上がった。 |
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1.6.4 | 「気楽な独り寝のため、寝過ごしてしまった。 内裏からか」 |
「気楽な |
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1.6.5 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
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1.6.6 | 「ええ。 退出して来たところです。 朱雀院への行幸は、今日、楽人や、舞人が決定される旨、昨晩承りましたので、大臣にもお伝え申そうと思って、退出して来たのです。 すぐに帰参しなければなりません」 |
「そうです。まだ |
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1.6.7 | と、いそがしげなれば、 |
と、急いでいるようなので、 |
頭中将は忙しそうである。 |
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1.6.8 | 「それでは、ご一緒に」 |
「じゃあいっしょに行きましょう」 |
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1.6.9 | と言って、お粥や、強飯を召し上がって、客人にも差し上げなさって、お車を連ねたが、一台に相乗りなさって、 |
こう言って、源氏は |
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1.6.10 | 「まだ、とても眠そうだ」 |
あなたは眠そうだ |
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1.6.11 | と、とがめ |
と咎め咎めして、 |
などと中将は言って、 |
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1.6.12 | 「お隠しになっていることがたくさんあるのでしょう」 |
「私に隠すような秘密をあなたはたくさん持っていそうだ」 |
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1.6.13 | とぞ、 |
と、お恨み申し上げなさる。 |
とも恨んでいた。 |
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1.6.14 | 事柄が多く取り決められる日なので、一日中宮中においでになった。 |
その日御所ではいろんな決定事項が多くて源氏も終日宮中で暮らした。 |
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1.6.15 | あちらには、せめて後朝の文だけでもと、お気の毒にお思い出しになって、夕方にお出しになった。 雨が降り出して、面倒な上に、雨宿りしようとは、とてもなれなかったのであろうか。 あちらでは、後朝の文の来る時刻も過ぎて、命婦も、「とてもお気の毒なご様子だ」と、情けなく思うのであった。 ご本人は、お心の中で恥ずかしくお思いになって、今朝のお文が暮れてしまってから来たのも、かえって、非礼ともお気づきにならないのであった。 |
新郎はその翌朝に早く手紙を送り、第二夜からの訪問を忠実に続けることが一般の礼儀であるから、自身で出かけられないまでも、せめて手紙を送ってやりたいと源氏は思っていたが、 |
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1.6.16 | 「夕霧が晴れる気配をまだ見ないうちに さらに気持ちを滅入らせる宵の雨まで降ることよ |
夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬに いぶせさ添ふる |
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1.6.17 | 雲の晴れ間を待つ間は、何とじれったいことでしょう」 |
この晴れ間をどんなに私は待ち遠しく思うことでしょう。 |
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1.6.18 | とあり。 おはしますまじき |
とある。 いらっしゃらないらしいご様子を、女房たちは失望して悲しく思うが、 |
と源氏の手紙にはあった。来そうもない様子に女房たちは悲観した。 |
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1.6.19 | 「やはり、お返事は差し上げあそばしませ」 |
返事だけはぜひお書きになるように |
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1.6.20 | と、お勧めしあうが、ますますお思い乱れていらっしゃる時で、型通りにも返歌がおできになれないので、「夜が更けてしまいます」と言って、侍従が、いつものようにお教え申し上げる。 |
と勧めても、まだ昨夜から頭を混乱させている女王は、形式的に言えばいいこんな時の返歌も作れない。夜が |
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1.6.21 | 「雨雲の晴れない夜の月を待っている人を思いやってください わたしと同じ気持ちで眺めているのでないにしても」 |
晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ 同じ心にながめせずとも |
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1.6.22 | 口々に責められて、紫色の紙で、古くなったので灰の残った古めいた紙に、筆跡は何といっても文字がはっきりと書かれた、一時代前の書法で、天地を揃えてお書きになっている。 見る張り合いもなくお置きになる。 |
書くことだけは自身でなければならないと皆から言われて、紫色の紙であるが、古いので灰色がかったのへ、字はさすがに力のある字で書いた。中古の書風である。一所も散らしては書かず上下そろえて書かれてあった。失望して源氏は手紙を手から捨てた。 |
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1.6.23 | どのように思っているだろうか、と想像するにつけても、気が落ち着かない。 |
今夜自分の行かないことで女はさぞ |
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1.6.24 | 「このようなことを、後悔されるなどと言うのであろうか。 そうかといってどうすることもできない。 自分は、それはそれとしてともかくも、気長に最後までお世話しよう」と、お思いになるお気持ちを知らないので、あちらではひどく嘆くのであった。 |
けれども今さらしかたのないことである、いつまでも捨てずに愛してやろうと、源氏は結論としてこう思ったのであるが、それを知らない |
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1.6.25 | 大臣が、夜になって退出なさるのに、伴われなさって、大殿にいらっしゃった。 行幸の事をおもしろいとお思いになって、ご子息達が集まって、お話なさったり、それぞれ舞いをお習いになったりするのを、そのころの日課として日が過ぎて行く。 |
夜になってから退出する左大臣に伴われて源氏はその家へ行った。行幸の日を楽しみにして、若い |
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1.6.26 | いろいろな楽器の音が、いつもよりもやかましくて、お互いに競争し合って、いつもの合奏とは違って、大篳篥、尺八の笛の音などが大きな音を何度も吹き上げて、太鼓までを高欄の側にころがし寄せて、自ら打ち鳴らして、演奏していらっしゃる。 |
左大臣の子息たちも、平生の楽器のほかの |
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1.6.27 | お暇もないような状態で、切に恋しくお思いになる所だけには、暇を盗んでお出掛けになったが、あの辺りには、すっかり御無沙汰で、秋も暮れてしまった。 相変わらず頼りない状態で月日が過ぎて行く。 |
こんなことで源氏も毎日 |
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第七段 冬の雪の激しく降る日に訪問 |
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1.7.1 | 行幸が近くなって、試楽などで騒いでいるころ、命婦は参内していた。 |
それでいよいよ行幸の日が近づいて来たわけで、試楽とか何とか大騒ぎするころに |
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1.7.2 | 「どうであるか」などと、お尋ねになって、気の毒だとはお思いになっていた。 様子を申し上げて、 |
「どうしているだろう」源氏は不幸な相手をあわれむ心を顔に見せていた。 |
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1.7.3 | 「とてもこのように、お見限りのお気持ちは、側でお仕えしている者たちまでが、お気の毒で」 |
「あまりに御冷淡です。その方でなくても見ているものがこれではたまりません」 |
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1.7.4 | などと、今にも泣き出しそうに思っている。 「奥ゆかしく思っているところで止めておこうとしたのを、台無しにしてしまったのを、思いやりがないとこの人は思っているだろう」とまでお思いになる。 ご本人が、何もおっしゃらないで、思い沈んでいらっしゃるだろう有様、ご想像なさるにつけても、お気の毒なので、 |
泣き出しそうにまでなっていた。悪い感じも源氏にとめさせないで、きれいに結末をつけようと願っていたこの女の意志も尊重しなかったことで、どんなに恨んでいるだろうとさえ源氏は思った。またあの人自身は例の無口なままで物思いを続けていることであろうと想像されてかわいそうであった。 |
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1.7.5 | 「忙しい時だよ。 やむをえない」と、嘆息なさって、「人情というものを少しも理解してないような気性を、懲らしめようと思っているのだよ」 |
「とても忙しいのだよ。恨むのは無理だ」 |
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1.7.6 | と、にこりなさっているのが、若々しく美しそうなので、自分もつい微笑まれる気がして、「困った、人に恨まれなさるお年頃だ。 相手の気持ちを察することが足りなくて、ご自分のお気持ち次第というのも、もっともだ」と思う。 |
こう言って源氏は微笑を見せた。若い美しいこの源氏の顔を見ていると、命婦も自身までが |
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1.7.7 | この |
この行幸のご準備の時期を過ぎてから、時々お越しになるのであった。 |
この行幸準備の用が少なくなってから時々源氏は常陸の宮へ通った。 |
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1.7.8 | あの紫のゆかり、手に入れなさってからは、そのかわいがりを一心になさって、六条辺りにさえ、一段と遠のきなさるらしいので、ましてや荒れた邸は、気の毒と思う気持ちは絶えずありながらも、億劫になるのはしかたのないことであったと、大げさな恥ずかしがりやの正体を見てやろうというお気持ちも、特別なくて過ぎて行くのを、又一方では、思い返して、「よく見れば良いところも現れて来はしまいか。 手だ触った感触でははっきりしないので、妙に、腑に落ちない点があるのだろうか。 見てみたいものだ」とお思いになるが、あからさまに見るのも気が引ける。 気を許している宵時に、静かにお入りになって、格子の間から御覧になったのであった。 |
そのうち若紫を二条の院へ迎えたのであったから、源氏は小女王を愛することに没頭していて、六条の貴女に逢うことも少なくなっていた。人の所へ通って行くことは始終心にかけながらもおっくうにばかり思えた。常陸の女王のまだ顔も見せない深い |
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1.7.9 | けれども、 ご本人の姿はお見えになるはずもない。几帳など、ひどく破れてはいたが、昔ながらに置き場所を変えず、動かしたりなど乱れてないので、よく見え なくて、女房たち四、五人座っている。お膳、青磁らしい食器は舶来物だが、みっともなく古ぼけて、お食事もこれといった料理もなく貧弱なのを |
けれど姫君はそんな所から見えるものでもなかった。 |
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1.7.10 | 隅の間の方に、とても寒そうな女房が、白い着物で譬えようもなく煤けた上に、汚らしい褶を纏っている腰つき、いかにも不体裁である。 それでも、櫛を前下がりに挿している額つきは、内教坊、内侍所辺りに、このような連中がいたことよと、おかしい。 夢にも、宮家でお側にお仕えしているとはご存知なかった。 |
皆寒そうであった。白い服の何ともいえないほど |
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1.7.11 | 「ああ、何とも寒い年ですね。 長生きすると、このような辛い目にも遭うのですね」 |
「まあ寒い年。長生きをしているとこんな冬にも |
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1.7.12 | とて、うち |
と、言って泣く者もいる。 |
そう言って泣く者もある。 |
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1.7.13 | 「故宮様が生きていらしたころを、どうして辛いと思ったのでしょう。 このように頼りない状態でも生きて行けるものなのですね」 |
「宮様がおいでになった時代に、なぜ私は心細いお |
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1.7.14 | とて、 |
と言って、飛び上がりそうにぶるぶる震えている者もいる。 |
その女は両 |
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1.7.15 | さまざまに |
あれこれと体裁の悪いことを、愚痴こぼし合っているのをお聞きになるのも、気が咎めるので、退いて、ちょうど今お越しになったようにして、お叩きになさる。 |
生活についての |
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1.7.16 | 「それ、それ」などと言って燈火の向きを変え、格子を外してお入れ申し上げる。 |
「さあ、さあ」などと言って、 |
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1.7.17 | 侍従は、斎院にお勤めする若い女房なので、最近はいないのであった。 ますます奇妙で野暮ったい者ばかりで、勝手の違った感じがする。 |
侍従は一方で |
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1.7.18 | ますます、辛いと言っていた雪が、空を閉ざして激しく降って来た。 空模様は険しく、風が吹き荒れて、大殿油が消えてしまったのを点し直す人もいない。 あの、魔物に襲われた時を自然とお思い出しになられて、荒れた様子は劣らないようだが、邸の狭い感じや、人気が少しあるなどで安心していたが、ぞっとするように怖く、寝つかれそうにない夜の有様である。 |
先刻老人たちの |
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1.7.19 | 趣がありしみじみと胸を打つものがあり、普通とは違って、心に印象深く残るはずの風情なのに、ひどく引っ込み思案ですげないので、何の張り合いもないのを、残念にお思いになる。 |
こんなことはかえって女への愛を深くさせるものなのであるが、心を |
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第八段 翌朝、姫君の醜貌を見る |
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1.8.1 | やっと夜が明けた気配なので、格子をお手づから上げなさって、前の前栽の雪を御覧になる。 踏みしめた跡もなく、広々と荒れわたって、ひどく寂しそうなので、振り捨てて帰って行くのも気の毒なので、 |
やっと夜が明けて行きそうであったから、源氏は自身で格子を上げて、近い庭の雪の |
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1.8.2 | 「風情のある空を御覧なさい。 いつまでも打ち解けて下さらないお心が、困ります」 |
「夜明けのおもしろい空の色でもいっしょにおながめなさい。いつまでもよそよそしくしていらっしゃるのが苦しくてならない」 |
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1.8.3 | と、お恨み申し上げなさる。 まだほの暗いが、雪の光にますます美しく若々しくお見えになるのを、年老いた女房どもは、喜色満面に拝し上げる。 |
まだ空はほの暗いのであるが、積もった雪の光で常よりも源氏の顔は若々しく美しく見えた。老いた女房たちは目の楽しみを与えられて幸福であった。 |
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1.8.4 | 「早くお出であそばしませ。 いけませんわ。 素直なのが」 |
「さあ早くお出なさいまし、そんなにしていらっしゃるのはいけません。素直になさるのがいいのでございますよ」 |
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1.8.5 | などとお教え申し上げると、何と言っても、人の申すことをお拒みになれないご性質なので、何やかやと身繕いして、いざり出でなさった。 |
などと注意をすると、この極端に内気な人にも、人の言うことは何でもそむけないところがあって、姿を繕いながら |
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1.8.6 | 見ないようにして、外の方を御覧になっていらっしゃるが、横目は尋常でない。 「どんなであろうか、馴れ親しんで見たときに、少しでも良いところを発見できれば嬉しかろうが」と、お思いになるのも、身勝手なお考えというものであるよ。 |
源氏はその方は見ないようにして雪をながめるふうはしながらも横目は使わないのでもない。どうだろう、この人から美しい所を発見することができたらうれしかろうと源氏の思うのは無理な望みである。 |
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1.8.7 | まず第一に、座高が高くて、胴長にお見えなので、「やはりそうであったか」と、失望した。 引き続いて、ああみっともないと見えるのは、鼻なのであった。 ふと目がとまる。 普賢菩薩の乗物と思われる。 あきれて高く長くて、先の方がすこし垂れ下がって色づいていること、特に異様である。 顔色は、雪も恥じるほど白くまっ青で、額の具合がとても広いうえに、それでも下ぶくれの容貌は、おおよそ驚く程の面長なのであろう。 痩せ細っていらっしゃること、気の毒なくらい骨ばって、肩の骨など痛々しそうに着物の上から透けて見える。 「どうしてすっかり見てしまったのだろう」と思う一方で、異様な恰好をしているので、そうはいっても、ついつい目が行っておしまいになる。 |
すわった背中の線の長く伸びていることが第一に目へ映った。はっとした。その次に並みはずれなものは鼻だった。注意がそれに引かれる。 |
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1.8.8 | 頭の恰好、髪の垂れ具合は、美しく素晴らしいとお思い申していた人々にも、少しも引けを取らず、袿の裾にたくさんあって引きずっている部分は、一尺ほど余っているだろうと見える。 着ていらっしゃる物まで言い立てるのも、口が悪いようだが、昔物語にも、人のお召し物についてはまっ先に述べているようだ。 |
頭の形と、髪のかかりぐあいだけは、平生美人だと思っている人にもあまり劣っていないようで、 |
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1.8.9 | 聴し色のひどく古びて色褪せた一襲に、すっかり黒ずんだ袿を重ねて、上着には黒貂の皮衣、とてもつやつやとして香を焚きしめたのを着ていらっしゃる。 昔風の由緒ある御装束であるが、やはり若い女性のお召し物としては、似つかわしくなく仰々しいことが、まことに目立つ。 しかし、なるほど、この皮衣がなくては、さぞ寒いことだろう、と見えるお顔色なのを、お気の毒とご覧になる。 |
桃色の変色してしまったのを重ねた上に、何色かの |
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1.8.10 | いとほしくあはれにて、いとど |
何もおっしゃれず、自分までが口が利けなくなった気持ちがなさるが、いつもの沈黙を開かせようと、あれこれとお話かけ申し上げなさるが、ひどく恥じらって、口を覆っていらっしゃるのまでが、野暮ったく古風に、大げさで、儀式官が練り歩く時の臂つきに似て、それでもやはりちょっと微笑んでいらっしゃる表情、中途半端で落ち着かない。 お気の毒でかわいそうなので、ますます急いでお出になる。 |
何ともものが言えない。相手と同じように無言の人に自身までがなった気がしたが、この人が初めからものを言わなかったわけも明らかにしようとして何かと尋ねかけた。 |
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1.8.11 | 「頼りになる人がいないご境遇ですから、縁を結んだわたしには、心を隔てず打ち解けて下さいましたら、本望な気がします。 打ち解けて下さらないご態度なので、情けなくて」などと、姫君のせいにして、 |
「どなたもお世話をする人のないあなたと知って結婚した私には何も御遠慮なんかなさらないで、必要なものがあったら言ってくださると私は満足しますよ。私を信じてくださらないから恨めしいのですよ」などと、早く出て行く口実をさえ作って、 |
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1.8.12 | 「朝日がさしている軒のつららは解けましたのに どうして氷は解けないでいるのでしょう」 |
朝日さす軒のたるひは解けながら などかつららの結ぼほるらん |
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1.8.13 | とおっしゃるが、ただ「うふふっ」とちょっと笑って、とても容易に返歌も詠めそうにないのもお気の毒なので、お出になった。 |
と言ってみても、「むむ」と口の中で笑っただけで、返歌の出そうにない様子が気の毒なので、源氏はそこを出て行ってしまった。 |
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1.8.14 | お車を寄せてある中門が、とてもひどく傾いていて、夜目にこそ、それとはっきり分かっていながら何かと目立たないことが多かったが、とてもお気の毒に寂しく荒廃しているなかで、松の雪だけが暖かそうに降り積もっている、山里のような感じがして、物哀れに思われるが、「あの人たちが言っていた荒れた宿とは、このような所だったのだろう。 なるほど、気の毒でかわいらしい女性をここに囲っておいて、気がかりで恋しいと思いたいものだ。 大それた恋は、そのことで気が紛れるだろう」と、「理想的な荒れた宿に不似合いなご器量は、取柄がない」と思う一方で、「自分以外の人は、なおさら我慢できようか。 わたしがこのように通うようになったのは、故親王が心配に思って結び付けた霊の導きによるようである」とお思いになる。 |
中門の車寄せの所が曲がってよろよろになっていた。夜と朝とは荒廃の度が違って見えるものである、どこもかしこも目に見える物はみじめでたまらない姿ばかりであるのに、松の木へだけは暖かそうに雪が積もっていた。 |
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1.8.15 | 橘の木が埋もれているのを、御随身を呼んで払わせなさる。 羨ましそうに、松の木が独りで起き返って、ささっとこぼれる雪も、「名に立つ末の」と見えるのなどを、「さほど深くなくとも、多少分かってくれる人がいたらなあ」と御覧になる。 |
うずめられている |
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1.8.16 | お車が出るはずの門は、まだ開けてなかったので、鍵の番人を探し出すしたところ、老人でとてもひどく年とった者が出て来た。 その娘だろうか、孫であろうか、どちらともつかない大きさの女が、着物は雪に映えて黒くくすみ、寒がっている様子、たいそうで、奇妙な物に火をわずかに入れて、袖で覆うようにして持っていた。 老人が、中門を開けられないので、近寄って手伝うのが、いかにも不体裁である。 お供の人が、近寄って開けた。 |
車の通れる門はまだ |
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1.8.17 | 「老人の白髪頭に積もった雪を見ると その人以上に、 |
ふりにける 劣らずぬらす朝の袖かな |
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1.8.18 | 『 |
『幼い者は着る着物もなく』」 |
と歌い、また、「 |
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1.8.19 | と口ずさみなさっても、鼻の色に現れて、とても寒いと見えたおん面影が、ふと思い出されて、微笑まれなさる。 「頭中将に、これを見せた時には、どのような譬えを言うだろう。いつも探りに来ているので、やがて見つけられるだろう」と、しかたなくお思いになる。 |
と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の |
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1.8.20 | 世間並の、平凡な顔立ちならば、忘れてしまってもよいのだが、はっきりと御覧になった後は、かえってひどく気の毒で、暮らし向きの事に、常にお心をかけておやりになる。 |
女王が普通の |
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1.8.21 | かやうのまめやかごとも |
黒貂の皮衣ではない、絹、綾、綿など、老女房たちが着るための衣類、あの老人のための物まで、召使の上下をお考えに入れて差し上げなさる。 このような暮らし向きのことを世話されても恥ずかしがらないのを、気安く、「そのような方面の後見人としてお世話しよう」とお考えになって、一風変わった、普通ではしないところまで立ち入ったお世話もなさるのであった。 |
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1.8.22 | 「かの げに |
「あの空蝉が、気を許していた宵の横顔は、かなりひどかった容貌ではあるが、身のもてなしに隠されて、悪くはなかった。 劣る身分の人であろうか。 なるほど身分によらないものであった。 気立てがやさしくて、いまいましかったが、根負けしてしまったなあ」と、何かの折ふしにはお思い出しになられる。 |
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第九段 歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる |
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1.9.1 | 年も暮れた。 内裏の宿直所にいらっしゃると、大輔の命婦が参上した。 お櫛梳きなどの折には、色恋めいたことはなく、気安いとはいえ、やはりそれでも冗談などをおっしゃって、召し使っていらっしゃるので、お呼びのない時にも、申し上げるべき事がある時には、参上するのであった。 |
その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の |
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1.9.2 | 「妙な事がございますが、申し上げずにいるのもいけないようなので、思慮に困りまして」 |
「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」 |
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1.9.3 | と、ほほ |
と、微笑みながら全部を申し上げないのを、 |
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1.9.4 | 「どのような事だ。 わたしには隠すこともあるまいと、思うが」とおっしゃると、 |
「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」 |
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1.9.5 | 「どういたしまして。 自分自身の困った事ならば、恐れ多くとも、まっ先に。 これは、とても申し上げにくくて」 |
「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」 |
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1.9.6 | と、いたう |
と、ひどく口ごもっているので、 |
なお言おうとしないのを、 |
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1.9.7 | 「 |
「例によって、様子ぶっているな」とお憎みになる。 |
源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。 |
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1.9.8 | 「あちらの宮からございましたお手紙で」と言って、取り出した。 |
「常陸の宮から参ったのでございます」こう言って命婦は手紙を出した。 |
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1.9.9 | 「なおいっそう、 |
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」 |
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1.9.10 | と言って、お取りになるにつけても、どきりとする。 |
こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。 |
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1.9.11 | 陸奥紙の厚ぼったい紙に、薫香だけは深くたきしめてある。 とてもよく書き上げてある。 和歌も、 |
もう古くて厚ぼったくなった |
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1.9.12 | 「あなたの冷たい心がつらいので わたしの袂は涙でこんなにただもう濡れております」 |
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1.9.13 | 合点がゆかず首を傾けていらっしゃると、上包みに、衣装箱の重そうで古めかしいのを置いて、押し出した。 |
何のことかと思っていると、おおげさな包みの |
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1.9.14 | 「これを、どうして、見苦しいと存ぜずにいられましょう。 けれども、元日のご衣装にと言って、わざわざございましたようなを、無愛想にはお返しできません。 勝手にしまい込んで置きますのも、姫君のお気持ちに背きましょうから、御覧に入れた上で」と申し上げると、 |
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお |
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1.9.15 | 「しまい込んでしまったら、つらいことだったろうよ。 袖を抱いて乾かしてくれる人もいないわたしには、 |
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」 |
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1.9.16 | とのたまひて、ことにもの 「さても、あさましの これこそは また、 |
とおっしゃって、他には何ともおっしゃれない。 「それにしても、 何とまあ、あきれた詠みぶりであ ることか。これがご自身の精一 杯のようだ。侍従が直すべきところだろう。他に、手を取って教える先生はいないのだろ う」と、何とも言いようなくお思いになる。精 |
とは言ったが、もう |
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1.9.17 | 「まことに恐れ多い歌とは、きっとこのようなのを言うのであろうよ」 |
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」 |
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1.9.18 | と、ほほ |
と、苦笑しながら御覧になるのを、命婦、赤面して拝する。 |
と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は |
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1.9.19 | 流行色だが、我慢できないほどの艶の無い古めいた直衣で、裏表同じく濃く染めてあり、いかにも平凡な感じで、端々が見えている。 「あきれた」とお思いになると、この手紙を広げながら、端の方にいたずら書きなさるのを、横から見ると、 |
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1.9.20 | 「格別親しみを感じる花でもないのに どうしてこの末摘花を手にすることになったのだろう |
なつかしき色ともなしに何にこの |
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1.9.21 | 色の濃い「はな」だと思っていたのだが」 |
色濃き花と見しかども、とも読まれた。 |
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1.9.22 | などと、お書き汚しなさる。 紅花の非難を、やはりわけがあるのだろうと、思い合わされる折々の、月の光で見た容貌などを、気の毒に思う一方で、またおかしくも思った。 |
花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦は思い出して、源氏のいたずら書きをひどいと思いながらもしまいにはおかしくなった。 |
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1.9.23 | 「紅色に一度染めた衣は色が薄くても どうぞ悪い評判をお立てなさることさえなければ |
「くれなゐのひとはな ひたすら朽たす名をし立てずば |
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1.9.24 | お気の毒なこと」 |
その我慢も人生の勤めでございますよ」 |
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1.9.25 | と、とてももの馴れたように独り言をいうのを、上手ではないが、「せめてこの程度に通り一遍にでもできたならば」と、返す返すも残念である。 身分が高い方だけに気の毒なので、名前に傷がつくのは何といってもおいたわしい。 女房たちが参ったので、 |
理解があるらしくこんなことを言っている命婦もたいした女ではないが、せめてこれだけの才分でもあの人にあればよかったと源氏は残念な気がした。身分が身分である、自分から捨てられたというような気の毒な名は立てさせたくないと思うのが源氏の真意だった。ここへ伺候して来る人の足音がしたので、 |
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1.9.26 | 「隠すとしようよ。 このようなことは、 |
「これを隠そうかね。男はこんな |
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1.9.27 | と、つい呻きなさる。 「どうして、御覧に入れてしまったのだろうか。 自分までが思慮のないように」と、とても恥ずかしくて、静かに下がった。 |
源氏はいまいましそうに言った。なぜお目にかけたろう、自分までが浅薄な人間に思われるだけだったと恥ずかしくなり命婦はそっと去ってしまった。 |
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1.9.28 | 翌日、出仕していると、台盤所にお立ち寄りになって、 |
翌日命婦が清涼殿に出ていると、その |
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1.9.29 | 「そらよ。 昨日の返事だ。 妙に心づかいされてならないよ」 |
「さあ返事だよ。どうも晴れがましくて堅くなってしまったよ」 |
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1.9.30 | とて、 |
と言って、お投げ入れになった。 女房たち、何事だろうかと、見たがる。 |
と手紙を投げた。おおぜいいた女官たちは源氏の手紙の内容をいろいろに想像した。 |
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1.9.31 | 「ちょうど紅梅の色のように、三笠の山の少女は捨ておいて」 |
「たたらめの花のごと、 |
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1.9.32 | と、 |
と、口ずさんでお出になったのを、命婦は「とてもおかしい」と思う。 事情を知らない女房たちは、 |
という歌詞を歌いながら源氏は行ってしまった。また赤い花の歌であると思うと、命婦はおかしくなって笑っていた。理由を知らない女房らは口々に、 |
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1.9.33 | 「どうして、独り笑いなさって」と、口々に非難しあっている。 |
「なぜひとり笑いをしていらっしゃるの」と言った。 |
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1.9.34 | 「何でもありません。 寒い霜の朝に、掻練り好きの鼻の色がお目に止まったのでしょうよ。 ぶつぶつとお歌いになるのが、 |
「いいえ寒い霜の朝にね、『たたらめの花のごと |
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1.9.35 | 「あまりなお言葉ですこと。 ここには赤鼻の人はいないようですのに」 |
「わざわざあんな歌をお歌いになるほど赤い鼻の人もここにはいないでしょう。 |
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1.9.36 | 「左近の命婦や、肥後の采女が交じっているでしょうか」 |
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1.9.37 | など、 |
などと、合点がゆかず、言い合っている。 |
などと、その人たちは源氏の |
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1.9.38 | お返事を差し上げたところ、宮邸では、女房たちが集まって、感心して見るのであった。 |
命婦が持たせてよこした源氏の返書を、 |
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1.9.39 | 「逢わない夜が多いのに間を隔てる衣とは ますます重ねて見なさいということですか」 |
重ねていとど身も |
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1.9.40 | 白い紙に、さりげなくお書きになっているのは、かえって趣きがある。 |
ただ白い紙へ |
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1.9.41 | 大晦日の日、夕方に、あの御衣装箱に「御料」と書いて、人が献上した御衣装一具、葡萄染めの織物の御衣装、他に山吹襲か何襲か、色さまざまに見えて、命婦が差し上げた。 「先日差し上げた衣装の色合いを良くないと思われたのだろうか」と思い当たるが、「あれだって、紅色の重々しい色だわ。 よもや見劣りはしますまい」と、老女房たちは判断する。 |
三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い |
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1.9.42 | 「お歌も、こちらからのは、筋が通っていて、手抜かりはありませんでした」 |
「お歌だって、こちらのは意味が強く徹底しておできになっていましたよ。 |
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1.9.43 | 「 |
「ご返歌は、ただ面白みがあるばかりです」 |
御返歌は技巧が勝ち過ぎてますね」 |
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1.9.44 | など、 |
などと、口々に言い合っている。 姫君も、並大抵のわざでなく詠み出したもとなので、手控えに書き付けて置かれたのであった。 |
これもその連中の言うことである。 |
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第十段 正月七日夜常陸宮邸に泊まる |
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1.10.1 | 正月の数日も過ぎて、今年、男踏歌のある予定なので、例によって、家々で音楽の練習に大騷ぎなさっているので、何かと騒々しいが、寂しい邸が気の毒にお思いやらずにはいられっしゃれないので、七日の日の節会が終わって、夜になって、御前から退出なさったが、御宿直所にそのままお泊まりになったように見せて、夜の更けるのを待って、お出かけになった。 |
元三日が過ぎてまた今年は |
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1.10.2 | いつもの様子よりは、感じが活気づいており、世間並みに見えた。 君も、少しもの柔らかな感じを身につけていらっしゃる。 「どうだろうか、もし去年までと違っていたら」と、自然と思い続けられる。 |
これまでに変わってこの家が普通の家らしくなっていた。女王の姿も少し女らしいところができたように思われた。すっかり見違えるほどの人にできればどんなに犠牲の払いがいがあるであろうなどとも源氏は思っていた。 |
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1.10.3 | 日が昇るころに、わざとゆっくりしてから、お帰りになる。 東の妻戸、押し開けてあるので、向かいの渡殿の廊が、屋根もなく壊れているので、日の脚が、近くまで射し込んで、雪が少し積もった反射で、とてもはっきりと奥まで見える。 |
日の出るころまでもゆるりと翌朝はとどまっていたのである。東側の妻戸をあけると、そこから向こうへ続いた廊がこわれてしまっているので、すぐ戸口から日がはいってきた。少しばかり積もっていた雪の光も混じって室内の物が皆よく見えた。 |
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1.10.4 | お直衣などをお召しになるのを物蔭から見て、少しいざり出て、お側に臥していらっしゃる頭の恰好、髪の掛かった様子、とても見事である。 「成長なさったのを見ることができたら」と自然とお思いになって、格子を引き上げなさった。 |
源氏が |
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1.10.5 | いとほしかりしもの わりなう さすがに、 |
気の毒に思った苦い経験から、全部はお上げにならないで、脇息を寄せて、ちょっとかけて、鬢の乱れているのをお繕いなさる。 めっぽう古めかしい鏡台で、唐の櫛匣、掻上げの箱などを、取り出してきた。 何と言っても、夫のお道具までちらほらとあるのを、風流でおもしろいと御覧になる。 |
かつてこの人を残らず見てしまった雪の夜明けに後悔されたことも思い出して、ずっと上へは格子を押し上げずに、 |
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1.10.6 | 女の御装束、「今日は世間並みになっている」と見えるのは、先日の衣装箱の中身を、そのまま着ていたからであった。 そうともご存知なく、しゃれた模様のある目立つ上着だけを、妙なとお思いになるのであった。 |
末摘花が現代人風になったと見えるのは三十日に贈られた衣箱の中の物がすべてそのまま用いられているからであるとは源氏の気づかないところであった。よい模様であると思った |
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1.10.7 | 「せめて今年は、お声を少しはお聞かせ下さい。 待たれる鴬はさしおいても、お気持ちの改まるのが、待ち遠しいのです」と、おっしゃると、 |
「春になったのですからね。今日は声も少しお聞かせなさいよ、 |
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1.10.8 | 「さへづる |
「囀る春は」 |
「さへづる春は」( |
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1.10.9 | と、からうしてわななかし |
と、ようやくのことで、震え声に言い出した。 |
とだけをやっと小声で言った。 |
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1.10.10 | 「そうよ。 年を取った甲斐があったよ」と、お微笑みなさって、「夢かと思います」 |
「ありがとう。二年越しにやっと報いられた」と笑って、「忘れては夢かとぞ思ふ」 |
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1.10.11 | と、うち |
と、口ずさんでお帰りになるのを、見送って物に添い臥していらっしゃる。 口を覆っている横顔から、やはり、あの「末摘花」が、とても鮮やかに突き出している。 「みっともない代物だ」とお思いになる。 |
という古歌を口にしながら帰って行く源氏を見送るが、口を |
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第二章 若紫の物語 |
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第一段 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる |
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2.1.1 | 「 かく |
二条の院にお帰りになると、紫の君、とてもかわいらしい幼な娘で、「紅色でもこうも慕わしいものもあるものだ」と見える着物の上に、無紋の桜襲の細長、しなやかに着こなして、あどけない様子でいらっしゃる姿、たいそうかわいらしい。 古風な祖母君のお躾のままで、お歯黒もまだであったのを、お化粧をさせなさったので、眉がくっきりとなっているのも、かわいらしく美しい。 「自ら求めて、どうして、こうもうっとうしい事にかかずらっているのだろう。 こんなにかわいい人とも一緒にいないで」と、お思いになりながら、例によって、一緒にお人形遊びをなさる。 |
二条の院へ帰って源氏の見た、半分だけ大人のような姿の若紫がかわいかった。 |
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2.1.2 | よろづにをかしうすさび わが |
絵などを描いて、色をお付けになる。 いろいろと美しくお描き散らしになるのであった。 自分もお描き加えになる。 髪のとても長い女性をお描きになって、鼻に紅を付けて御覧になると、絵に描いても見るのも嫌な感じがした。 ご自分の姿が鏡台に映っているのが、たいそう美しいのを御覧になって、自分で紅鼻に色づけして、赤く染めて御覧になると、これほど美しい顔でさえ、このように赤い鼻が付いているようなのは当然醜いにちがいないのであった。 姫君、見て、ひどくお笑いになる。 |
紫の君は絵をかいて彩色したりもしていた。何をしても美しい性質がそれにあふれて見えるようである。源氏もいっしょに絵をかいた。髪の長い女をかいて、鼻に紅をつけて見た。絵でもそんなのは醜い。源氏はまた鏡に写る美しい自身の顔を見ながら、筆で鼻を赤く塗ってみると、どんな |
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2.1.3 | 「わたしが、もしこのように不具になってしまったら、どうですか」と、おっしゃると、 |
「私がこんな不具者になったらどうだろう」と言うと、 |
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2.1.4 | 「うたてこそあらめ」 |
「嫌ですわ」 |
「いやでしょうね」 |
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2.1.5 | と言って、そのまま染み付かないかと、心配していらっしゃる。 うそ拭いをして、 |
と言って、しみ込んでしまわないかと紫の君は心配していた。源氏は |
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2.1.6 | 「少しも、白くならないぞ。 つまらないいたずらをしたものよ。 帝にはどんなにお叱りになられることだろう」 |
「どうしても白くならない。ばかなことをしましたね。陛下はどうおっしゃるだろう」 |
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2.1.7 | と、とても真剣におっしゃるのを、本気で気の毒にお思いになって、近寄ってお拭いになると、 |
まじめな顔をして言うと、かわいそうでならないように同情して、そばへ寄って |
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2.1.8 | 「平中のように墨付けなさるな。 赤いのはまだ我慢できましょうよ」 |
「 |
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2.1.9 | と、ふざけていらっしゃる様子、とても睦まじい兄妹とお見えである。 |
こんなことをしてふざけている二人は若々しく美しい。 |
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2.1.10 | 日がとてもうららかで、もうさっそく一面に霞んで見える梢などは、花の待ち遠しい中でも、梅は蕾みもふくらみ、咲きかかっているのが、特に目につく。 階隠のもとの紅梅、とても早く咲く花なので、もう色づいていた。 |
初春らしく |
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2.1.11 | 「紅の花はわけもなく嫌な感じがする 梅の立ち枝に咲いた花は慕わしく思われるが |
くれなゐの花ぞあやなく 梅の |
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2.1.12 | いでや」 |
いやはや」 |
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2.1.13 | と、あいなくうちうめかれたまふ。 |
と、不本意に溜息をお吐かれになる。 |
そんなことをだれが予期しようぞと源氏は |
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2.1.14 | このような人たちの将来は、どうなったことだろうか。 |
末摘花、若紫、こんな人たちはそれからどうなったか。 |
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