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第二十七帖 篝火

光る源氏の太政大臣時代三十六歳の初秋の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語


第一段 近江君の世間の噂

1.1.1
このごろ、()(ひと)言種(ことうさ)に、(うち)大殿(おほいどの)今姫君(いまひめぎみ)」と、ことに()れつつ()()らすを、源氏(げんじ)大臣聞(おとどき)こしめして、
近頃、世間の人の噂に、「内の大殿の今姫君は」と、何かにつけては言い触らすのを、源氏の大臣がお聞きあそばして、
このごろ、世間では内大臣の新令嬢という言葉を何かのことにつけては言うのを源氏の大臣は聞いて、
1.1.2
ともあれ、かくもあれ人見(ひとみ)るまじくて()もりゐたらむ女子(をんなご)を、なほざりのかことにてもさばかりにものめかし()でて、かく、(ひと)()せ、()(つた)へらるるこそ、心得(こころえ)ぬことなれ。
いと際々(きはぎは)しうものしたまふあまりに、(ふか)(こころ)をも(たづ)ねずもて()でて、(こころ)にもかなはねば、かくはしたなきなるべし。
よろづのこと、もてなしからにこそ、なだらかなるものなめれ」
「何はともあれ、人目につくはずもなく家に籠もっていたような女の子を、少々の口実はあったにせよ、あれほど仰々しく引き取った上で、このように、女房として人前に出して、噂されたりするのは納得できないことだ。
たいそう物事にけじめをつけすぎなさるあまりに、深い事情も調べずに、お気に入らないとなると、このような体裁の悪い扱いになるのだろう。
何事も、やり方一つで、穏やかにすむものなのだ」
「ともかくも深窓に置かれる娘を、最初は大騒ぎもして迎えておきながら、今では世間へ笑いの材料に呈供しているような大臣の気持ちが理解できない。自尊心の強い性質から、ほかで育った娘の出来のよしあしも考えずに呼び寄せたあとで、気に入らない不愉快さを、そうした侮辱的扱いで紛らしているのであろう。実質はともかくも周囲の人が愛でつくろえば世間体をよくすることもできるものなのだけれど」
1.1.3
と、いとほしがりたまふ。
とお気の毒がりなさる。
と言って愛されない令嬢に同情していた。
1.1.4
かかるにつけても、げによくこそと(おや)()こえながらも(とし)ごろの御心(みこころ)()りきこえず、()れたてまつらましに()ぢがましきことやあらまし」と、(たい)姫君思(ひめぎみおぼ)()るを、右近(うこん)もいとよく()こえ()らせけり。
このような噂につけても、「ほんとうによくこちらに引き取られてものだ、親と申し上げながらも、長年のお気持ちを存じ上げずに、お側に参っていたら、恥ずかしい思いをしただろうに」と、対の姫君はお分りになるが、右近もとてもよくお申し聞かせていた。
そんなことも聞いて玉鬘(たまかずら)は親であってもどんな性格であるとも知らずに接近して行っては恥ずかしい目にあうことが自分にないとも思われないと感じた。右近もそれを強めたような意見を告げた。
1.1.5
(にく)御心(みこころ)こそ()ひたれどさりとて、御心(みこころ)のままに()したちてなどもてなしたまはず、いとど(ふか)御心(みこころ)のみまさりたまへば、やうやうなつかしううちとけきこえたまふ
困ったお気持ちがおありであったが、そうかといって、お気持ちの赴くままに無理押しなさらず、ますます深い愛情ばかりがお増しになる一方なので、だんだんとやさしく打ち解け申し上げなさる。
迷惑な恋心は持たれているが、そうかといって無理をしいようともせず愛情はますます深く感ぜられる源氏であったから、ようやく玉鬘も不安なしに親しむことができるようになった。

第二段 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう

1.2.1
(あき)になりぬ。
初風涼(はつかぜすず)しく()()でて、背子(せこ)(ころも)もうらさびしき心地(ここち)したまふに(しの)びかねつつ、いとしばしば(わた)りたまひて、おはしまし()らし、御琴(おほんこと)なども(なら)はしきこえたまふ。
秋になった。
初風が涼しく吹き出して、ものさびしい気持ちがなさるので、堪えかねては、たいそうしきりにお渡りになって、一日中おいでになって、お琴などをお教え申し上げなさる。
秋にもなった。風が涼しく吹いて身にしむ思いのそそられる時であるから、恋しい玉鬘の所へ源氏は始終来て、一日をそこで暮らすようなことがあった。琴を教えたりもしていた。
1.2.2
(いつか)六日(むゆか)夕月夜(ゆふづくよ)()()りてすこし雲隠(くもがく)るるけしき、(おぎ)(おと)もやうやうあはれなるほどになりにけり。
御琴(おほんこと)(まくら)にて、もろともに()()したまへり。
かかる(たぐ)ひあらむやと、うち(なげ)きがちにて夜更(よふ)かしたまふも、(ひと)(とが)めたてまつらむことを(おぼ)せば、(わた)りたまひなむとて、御前(おまへ)篝火(かがりび)のすこし()えがたなるを、御供(おほんとも)なる右近(うこん)大夫(たいふ)()して、(とも)しつけさせたまふ。
五、六日の夕月夜はすぐに沈んで、少し雲に隠れた様子、荻の葉音もだんだんしみじみと感じられるころになった。
お琴を枕にして、一緒に横になっていらっしゃる。
このような例があろうかと、溜息をもらしながら夜更かしなさるのも、女房が変だと思い申すだろうことをお思いになって、お渡りになろうとして、御前の篝火が少し消えかかっているのを、お供の右近の大夫を召して、点灯させなさる。
五、六日ごろの夕月は早く落ちてしまって、涼しい色の曇った空のもとでは(おぎ)の葉が哀れに鳴っていた。琴を(まくら)にして源氏と玉鬘とは並んで仮寝(かりね)をしていた。こんなみじめな境地はないであろうと源氏は歎息(たんそく)をしながら夜ふかしをしていたが、人が怪しむことをはばかって帰って行こうとして、前の庭の(かがり)が少し消えかかっているのを、ついて来ていた右近衛(うこんえ)(じょう)に命じてさらに燃やさせた。
1.2.3
いと(すず)しげなる遣水(やりみづ)のほとりに、けしきことに(ひろ)ごり()したる(まゆみ)()(した)に、打松(うちまつ)おどろおどろしからぬほどに()きてさし退(しりぞ)きて(とも)したれば、御前(おまへ)(かた)いと(すず)しくをかしきほどなる(ひかり)に、(をんな)(おほん)さま()るにかひあり。
御髪(みぐし)()あたりなど、いと(ひや)やかにあてはかなる心地(ここち)して、うちとけぬさまにものをつつましと(おぼ)したるけしき、いとらうたげなり。
(かへ)()(おぼ)しやすらふ。
たいそう涼しそうな遣水のほとりに、格別風情ありげに枝を広げている檀の木の下に、松の割木を目立たない程度に積んで、少し下がって篝火を焚いているので、御前の方は、たいそう涼しくちょうどよい程度の明るさで、女のお姿は見れば見るほど美しい。
お髪の手あたり具合など、とてもひんやりと気品のある感じがして、身を固くして恥ずかしがっていらっしゃる様子、たいそうかわいらしい。
帰りづらくぐずぐずしていらっしゃる。
涼しい流れの所におもしろい形で広がった(まゆみ)の木の下に美しい篝は燃え始めたのである。座敷のほうへはちょうど涼しいほどの明りがさして、女の美しさが浮き出して見えた。髪の手ざわりの冷たいことなども(えん)な気がして、恥ずかしそうにしている様子が可憐(かれん)であった源氏は立ち去る気になれないのである。
1.2.4
()えず(ひと)さぶらひて(とも)しつけよ。
(なつ)(つき)なきほどは、(には)(ひかり)なき、いとものむつかしく、おぼつかなしや」
「しじゅう誰かいて、篝火を焚いていよ。
夏の月のないころは、庭に光がないと、何か気味が悪く、心もとないから」
「始終こちらを見まわって篝を絶やさぬようにするがいい。暑いころ、月のない間は庭に光のないのは気味の悪いものだからね」
1.2.5
とのたまふ。
とおっしゃる。
と右近の丞に言っていた。
1.2.6 「篝火とともに立ち上る恋の煙は
永遠に消えることのないわたしの思いなのです
「篝火に立ち添ふ恋の煙こそ
世には絶えせぬ(ほのほ)なりけれ
1.2.7
いつまでとかや
ふすぶるならでも、(くる)しき下燃(したも)えなりけり」
いつまで待てとおっしゃるのですか。
くすぶる火ではないが、苦しい思いでいるのです」
いつまでもこの状態でいなければならないのでしょう、苦しい下燃えというものですよ」
1.2.8
()こえたまふ。
女君(をんなぎみ)あやしのありさまや」と(おぼ)すに、
と申し上げなさる。
女君は、「奇妙な仲だわ」とお思いになると、
玉鬘にはこう言った。女はまた奇怪なことがささやかれると思って、
1.2.9 「果てしない空に消して下さいませ
篝火とともに立ち上る煙とおっしゃるならば
行方(ゆくへ)なき空に()ちてよかがり火の
たよりにたぐふ煙とならば
1.2.10
(ひと)のあやしと(おも)ひはべらむこと」
人が変だと思うことでございますわ」
人が不思議に思います」
1.2.11
とわびたまへば、くはや」とて、()でたまふに、(ひんがし)(たい)(かた)に、おもしろき(ふえ)()(さう)()きあはせたり。
とお困りになるので、「さあて」と言って、お出になると、東の対の方に美しい笛の音が、箏と合奏していた。
と言った。源氏は困ったように見えた。「さあ帰りますよ」源氏が御簾(みす)から出る時に、東の対のほうに上手(じょうず)な笛が十三(げん)の琴に合わせて鳴っているのが聞こえた。それは始終中将といっしょに遊んでいる公達(きんだち)のすさびであった。
1.2.12
中将(ちゅうじゃう)(れい)のあたり(はな)れぬどち(あそ)ぶにぞあなる。
頭中将(とうのちゅうじゃう)にこそあなれ。
いとわざとも()きなる()かな」
「中将が、いつものように一緒にいる仲間たちと合奏しているようだ。
頭中将であろう。
たいそう見事に吹く笛の音色だなあ」
(とうの)中将に違いない。上手な笛の音だ」
1.2.13
とて、()ちとまりたまふ。
と言って、お立ち止まりなさる。
こう言って源氏はそのままとどまってしまったのである。

第三段 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏

1.3.1
御消息(おほんせうそこ)こなたになむいと影涼(かげすず)しき篝火(かがりび)に、とどめられてものする」
お便りに、「こちらに、たいそう涼しい火影の篝火に、引き止められています」
東の対へ人をやって、「今こちらにいます。篝の明りの涼しいのに引き止められてです」
1.3.2
とのたまへれば、うち()れて三人参(みたりまゐ)りたまへり
とおっしゃったので、連れだって三人参上なさった。
と言わせると三人の公達がこちらへ来た。
1.3.3
(かぜ)音秋(おとあき)になりけりと、()こえつる(ふえ)()に、(しの)ばれでなむ」
「風の音は秋になったと、聞こえる笛の音色に、我慢ができなくてね」
「風の音秋になりにけりと聞こえる笛が私をそそのかした」
1.3.4
とて、御琴(おほんこと)ひき()でて、なつかしきほどに()きたまふ。
源中将(げんのちゅうじゃう)盤渉調(ばんしきでう)」にいとおもしろく()きたり。
頭中将(とうのちゅうじゃう)(こころ)づかひして()だし()てがたうす。
(おそ)し」とあれば、弁少将(べんのせうしゃう)拍子打(ひゃうしう)()でて、(しの)びやかに(うた)(こゑ)鈴虫(すずむし)にまがひたり。
二返(ふたかへ)りばかり(うた)はせたまひて御琴(おほんこと)中将(ちゅうじゃう)(ゆづ)らせたまひつ
げに、かの父大臣(ちちおとど)御爪音(おほんつまおと)に、をさをさ(おと)らず、はなやかにおもしろし。
と言って、お琴を取り出して、やさしい感じにお弾きになる。
源中将は、「盤渉調」にたいそう美しく吹いた。
頭中将は、気をつかって歌いにくそうにしている。
「遅い」というので、弁少将が、拍子を打って、静かに歌う声は、鈴虫かと思うほどである。
二度ほど歌わせなさって、お琴は中将にお譲りあそばした。
まことに、あの父大臣のお弾きになる音色に、少しも劣らず、派手で素晴らしい。
琴を中から出させてなつかしいふうに源氏は()いた。源中将は盤渉調(ばんしきちょう)に笛を吹いた。頭中将は晴れがましがって合奏の中へはいろうとしないのを見て、「おそいね」と源氏は促した。弟の(べん)の少将が拍子を打ち出して、低音に歌い始めた声が鈴虫の音のようであった。二度繰り返して歌わせたあとで、源氏は和琴(わごん)を頭中将へ譲った。名手である父の大臣にもあまり劣らず中将は巧妙に弾いた。
1.3.5
御簾(みす)のうちに(もの)音聞(ねき)()(ひと)ものしたまふらむかし。
今宵(こよひ)は、(さかづき)など(こころ)してを
(さか)()ぎたる(ひと)は、()()きのついでに、(しの)ばぬこともこそ
「御簾の中に、音楽の分かる人がいらっしゃるようだ。
今晩は、杯なども気をつかわれよ。
盛りを過ぎた者は、酔泣きする折に、言わなくともよいことまで言ってしまうかもしれない」
「御簾の中に琴の音をよく聞き分ける人がいるはずなのです。今夜は私への杯はあまりささないようにしてほしい。青春を失った者は酔い泣きといっしょに過去の追憶が多くなって取り乱すことになるだろうから」
1.3.6 とおっしゃると、姫君もまことにしみじみとお聞きになる。
と源氏の言うのを姫君も身に()んで聞いた。
1.3.7
()えせぬ(なか)御契(おほんちぎ)り、おろかなるまじきものなればにやこの(きみ)たちを人知(ひとし)れず()にも(みみ)にもとどめたまへど、かけてさだに(おも)()らずこの中将(ちゅうじゃう)は、(こころ)(かぎ)()くして、(おも)(すぢ)にぞ、かかるついでにも、(しの)()つまじき心地(ここち)すれど、さまよくもてなして、をさをさ(こころ)とけても()きわたさず
切っても切れないご姉弟の関係は、並々ならぬものだからであろうか、この君たちを人に分からないように目にも耳にも止めていらっしゃるが、よもやそんなことは思いも寄らず、この中将は、心のありったけを尽くして、思慕のことで、このような機会にも、抑えきれない気がするが、見苦しくないように振る舞って、少しも気を許して琴を弾き続けることができない。
兄弟の縁のあるこの人たちに特別の注意が払われているのであるが、頭中将も、弁の少将も、そんなことは夢にも知らなんだ。中将は堪えがたい恋を音楽に託して思うぞんぶんに琴をかき鳴らしたい心を静かにおさえて、控え目な()き方をしていた。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 12/6/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
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ローマ字版 Last updated 12/9/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
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挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 9/4/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)
2003年7月28日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2008年3月22日

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