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第五十二帖 蜻蛉

薫君の大納言時代二十七歳三月末頃から秋頃までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転


第一段 宇治の浮舟失踪

1.1.1 あちらでは、女房たちが、いらっしゃらないのを探して大騷ぎするが、その効がない。
物語の姫君が、誰かに盗まれたような朝のようなので、詳しくは話し続けない。
京から、先日の使者が帰れなくなってしまったので、気がかりに思って、再び使者をよこした。
宇治の山荘では浮舟(うきふね)の姫君の姿のなくなったことに驚き、いろいろと捜し求めるのに努めたが、何のかいもなかった。小説の中の姫君が人に盗まれた翌朝のようであって、このいたましい騒ぎはくわしく書くことができない。京からの前日の使いが泊まって帰らなかったため、母夫人は不安がってまた次の使いをよこした。
1.1.2 「まだ、鶏が鳴く時刻に、出立させなさった」
まだ鶏の鳴いているころに出立たせた
1.1.3
使(つかひ)()ふに、いかに()こえむと、乳母(めのと)よりはじめて、あわて(まど)ふこと(かぎ)りなし。
(おも)ひやる(かた)なくて、ただ(さわ)()へるを、かの心知(こころし)れるどちなむ、いみじくものを(おも)ひたまへりしさまを(おも)()づるに、()()げたまへるか」とは(おも)()りける。
と使者が言うと、どのように申し上げようと、乳母をはじめとして、あわてふためることこの上ない。
推量しても見当がつかず、ただ大騷ぎし合っているのを、あの事情を知っている者どうしは、ひどく物思いなさっていた様子を思い出すと、「身を投げなさったのか」と思い寄るのであった。
と言っている使いにどうこの始末を書いて帰したものであろうと、乳母(めのと)をはじめとして女房たちは頭を混乱させていた。何のわけでどうなったかと推理してゆくことができずに、ただ騒いでいる時、浮舟の秘密に関与していた右近(うこん)と侍従だけには最近の姫君の悲しみよう、煩悶(はんもん)のしようの並み並みでなかったことから、川へ身を投げたという想像がつくのであった。
1.1.4 泣きながらこの手紙を開くと、
泣く泣く夫人の送ってきた手紙をあけて見ると、
1.1.5
いとおぼつかなさにまどろまれはべらぬけにや、今宵(こよひ)(ゆめ)にだにうちとけても()えず。
(もの)(おそ)はれつつ、心地(ここち)(れい)ならずうたてはべるを。
なほいと(おそ)ろしくものへ(わた)らせたまはむことは(ちか)くなれど、そのほどここに(むか)へたてまつりてむ。
今日(けふ)雨降(あめふ)りはべりぬべければ」
「とても気がかりなので、眠れませんでしたせいでしょうか、今夜は夢でさえゆっくりと見えません。
悪夢にうなされうなされして、気分も普段と違って悪うございますよ。
やはりとても恐ろしく、あちらにお移りになる日は近くなったが、その前後に、こちらにお迎え申しましょう。
今日は雨が降りそうでございますので」
あまりにあなたが心配で安眠のできないせいでしょうか、今夜は夢の中であなたを見ることすらよくできないのです。眠ったかと思うと何かに襲われて苦しむのです。そんなことで気分もよろしくなくて困ります。移転される日の近くなったことは知っていますが、それまでの間をこの家へあなたを来させていたく思います。今日は雨になりそうですからだめでしょうが。
1.1.6
などあり。
昨夜(よべ)御返(おほんかへ)りをも()けて()右近(うこん)いみじう()く。
などとある。
昨夜のお返事を開いて見て、右近はひどく泣く。
と書かれてあった。昨夜浮舟の書いた返事もあけて読みながら右近は非常に泣いた。
1.1.7
さればよ
心細(こころぼそ)きことは()こえたまひけり
(われ)に、などかいささかのたまふことのなかりけむ。
(をさな)かりしほどよりつゆ心置(こころお)かれたてまつることなく、(ちり)ばかり(へだ)てなくてならひたるに、(いま)(かぎ)りの(みち)にしも、(われ)(おく)らかし、けしきをだに()せたまはざりけるがつらきこと」
「そうであったか。
心細いことを申し上げなさっていたのだ。
わたしに、どうして少しもおしゃってくださらなかったのだろう。
幼かった時から、少しも分け隔て申し上げることもなく、塵ほども隠しだてすることなくやって来たのに、最期の別れ路の時に、わたしを後に残して、そのそぶりさえお見せにならなかったのがつらいことだ」
こんな覚悟をしておいでになったので心細いようなことをお言いになったのである、小さい時から少しの隔てもなく親しみ合った主従ではないか、隠し事は(ちり)ほどもなかった間柄ではないか、それだのに最後に自分をおうとみになり自殺の()ぶりもお見せにならなかったのは恨めしい
1.1.8
(おも)ふに、足摺(あしず)りといふことをして()くさま、(わか)()どものやうなり。
いみじく(おぼ)したる()けしきは()たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、(おぼ)()らむものとは()えざりつる(ひと)御心(みこころ)ざまを、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。
と思うと、足摺りということをして泣く有様は、若い子供のようである。
ひどくお悩みのご様子は、ずっと拝見して来たが、まったく、このように普通の人と違って大それたこと、お思いつくとは見えなかった方のお気持ちを、「やはり、どうなさったことか」と分からず悲しい。
と思うと、泣いても泣いても足らず足摺(あしず)りということをしてもだえているのが子供のようであった。悲しんでいたことにはよく気はついていたのであるが、自殺などという恐ろしいことの決行できる方とは見えず、優しい柔らかい心の持ち主だったではないかと、まだ事実を事実として信じることができずにただ悲しいばかりの右近であった。
1.1.9
乳母(めのと)は、なかなかものもおぼえで、ただ、「いかさまにせむ。
いかさまにせむ」とぞ()はれける
乳母は、かえって何も分からなくなって、ただ、「どうしよう。
どうしよう」と言うだけであった。
乳母はかえってはげしい驚きのために放心して、「どうすればいいだろう、どうすれば」とばかり言っているのである。

第二段 匂宮から宇治へ使者派遣

1.2.1
(みや)にも、いと(れい)ならぬけしきありし御返(おほんかへ)いかに(おも)ふならむ
(われ)を、さすがにあひ(おも)ひたるさまながら、あだなる(こころ)なりとのみ、(ふか)(うたが)ひたれば、(ほか)()(かく)れむとにやあらむ」と(おぼ)(さわ)御使(おほんつかひ)あり。
宮にも、まことにいつもと違った様子であったお返事に、「どのように思っているのだろう。
わたしを、そうはいっても愛している様子でいながら、浮気な心だとばかり、深く疑っていたので、他へ身を隠したのであろうか」とお慌てになって、お使者がある。
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮も普通でない気配(けはい)のある返事をお読みになったため、どんなふうな気になっているのであろう、自分を愛していることは確かであるが、移り気であると自分の言われていることに疑いを持っていたから、大将の手へ行くのではなくどこともなく行くえをくらまそうとするのではあるまいか、と不安でならずお思いになって使いをお出しになった。
1.2.2
ある(かぎ)()(まど)ふほどに()て、御文(おほんふみ)もえたてまつらず。
居合わせた者たちが泣き騒いでいるところに来て、お手紙も差し上げられない。
使いが来てみると家の中は女の泣き叫ぶ声に満ちていてお手紙を受け取ろうとする者もない。
1.2.3 「どうしたことか」
どうしたことか
1.2.4
下衆女(げすをんな)()へば、
と下衆女に尋ねると、
(しも)の女中に聞くと、
1.2.5
(うへ)の、今宵(こよひ)にはかに()せたまひにければ、ものもおぼえたまはず
(たの)もしき(ひと)おはしまさぬ(をり)なれば、さぶらひたまふ(ひと)びとはただものに()たりてなむ(まど)ひたまふ
「ご主人様が、今夜、急にお亡くなりになったので、何もかも分からなくいらっしゃいます。
頼りになる方もいらっしゃらない時なので、お仕えなさっている方々は、ただ物に突き当たっておろおろなさっています」
「姫君が昨晩にわかにお(かく)れになりましたので、女房がたはだれも気を失ったようになっていらっしゃるのですよ。御用をお取り次ぎしましてもだめでしょう」
1.2.6
()ふ。
(こころ)(ふか)()らぬ(をのこ)にて、(くは)しう()はで(まゐ)りぬ。
と言う。
事情を深く知らない男なので、詳しくは尋ねないで帰参した。
と言った。何の事情も知らぬ男であったから、くわしく聞くこともせずに帰ってまいった。
1.2.7 「こうこうでした」と申し上げさせたところ、夢のように思われて、
そして山荘の出来事を取り次ぎによっておしらせしたのであった。宮は夢とよりお思われにならない。
1.2.8
いとあやし
いたくわづらふとも()かず。
()ごろ、(なや)ましとのみありしかど、昨日(きのふ)(かへ)(ごと)はさりげもなくて、(つね)よりもをかしげなりしものを」
「まことに変だ。
ひどく患っていたとも聞いてない。
日頃、気分が悪いとばかりあったが、昨日の返事は変わったこともなくて、いつものよりも興趣があったものを」
ひどく病をしているというふうでもなく、いつも気分がすぐれぬとは書いてあったが、昨日(きのう)の返事にはそれも書かず、平生のものよりも情の見えることを言って来たではないかと不思議にばかりお思われになって、
1.2.9
と、(おぼ)しやる(かた)なければ、
と、ご想像もおつきにならないので、

1.2.10
時方(ときかた)()きてけしき()たしかなること()()け」
「時方、行って様子を見て、はっきりとしたことを尋ね出せ」
時方(ときかた)に自身で宇治へ行き確かなことを調べて来るように
1.2.11
とのたまへば、
とおっしゃると、
お命じになった。
1.2.12
かの大将殿(だいしゃうどの)いかなることか、()きたまふことはべりけむ、宿直(とのゐ)する(もの)おろかなり、など(いまし)(おほ)せらるるとて、下人(しもびと)まかり()づるをも、()とがめ()ひはべるなれば、ことづくることなくて、時方(ときかた)まかりたらむを、ものの()こえはべらば、(おぼ)()はすることなどやはべらむ。
さて、にはかに(ひと)()せたまへらむ(ところ)は、(ろん)なう(さわ)がしう、(ひと)しげくはべらむを」と()こゆ。
「あの大将殿は、どのようなことか、お聞きになっていることがございましたのでしょう、宿直をする者が怠慢である、などと訓戒なさったと言って、下人が退出するのさえ、注意して調べると言いますので、口実もなくて、時方が参ったのを、事が漏れたりしましたら、お気づきになることがございましょう。
そうして、急に人のお亡くなりになった所は、言うまでもなく騒がしく、人目が多くございましょうから」と申し上げる。
「あの大将のお耳にどんなことがはいったのですか、宿直(とのい)をする者が忠実に役を勤めないというお(しか)りがあったとかで、私の侍が使いにまいったり、帰ったりいたしますのさえ、見つけますと調べ立てるようなことをする者らがあるそうなのですから、口実なしに私が行きまして、それが大将さんへ知れますとあなた様の御迷惑になることが起こるのではございませんでしょうか。そしてまた人が急病でお死にになった所などというものはおおぜいの人が集まってもいるでしょうから」
1.2.13
さりとてはいとおぼつかなくてやあらむ。
なほ、とかくさるべきさまに(かま)へて、(れい)の、心知(こころし)れる侍従(じじう)などに()ひて、いかなることをかく()ふぞ、案内(あない)せよ。
下衆(げす)はひがことも()ふなり」
「そうかといって、まことに気がかりなままでいられようか。
やはり、何か適当に計らって、いつものように、事情を知っている侍従などに会って、どうしたわけでこのように言うのか、と尋ねよ。
下衆も間違ったことを言うものだ」
「だからといって、訳のわからぬままにしておけるものではない。何とか口実を作って行って、こちらの味方になっている侍従などに()って、真相を確かめて来てくれ。どんなことをこういうふうに言っているかをね。下人というものはよくまちがったことを聞いて来たりするものだから」
1.2.14
とのたまへば、いとほしき()けしきもかたじけなくて、(ゆふ)方行(かたゆ)く。
とおっしゃるので、お気の毒なご様子も恐れ多くて、夕方に行く。
こう仰せられる宮の御様子においたましいところの見えるのももったいなくて時方はその夕方から宇治へ出かけた。

第三段 時方、宇治に到着

1.3.1
かやすき(ひと)()()()きぬ。
雨少(あめすこ)()()みたれど、わりなき(みち)にやつれて、下衆(げす)のさまにて()たれば、人多(ひとおほ)()(さわ)ぎて、
身分の軽い者は、すぐに行き着いた。
雨が少し降り止んだが、難儀な山道を身を簡略にして、下衆の恰好で来たところ、人が大勢立ち騒いで、
この人たちが急いで行けば早く行き着くこともできるのであった。少し降っていた雨はやんだが泥濘(ぬかるみ)(みち)につかれていたし、はじめから侍風に装っていたのであるし、目だつこともなく門をはいることのできた山荘の中は混雑していた。
1.3.2 「今夜、このままご葬送申し上げるのです」
今夜のうちにお葬儀をしてしまうのである
1.3.3
など()ふを()心地(ここち)も、あさましくおぼゆ。
右近(うこん)消息(せうそこ)したれども、()はず、
などと言うのを聞く気分も、驚き呆れて思われる。
右近に案内を乞うたが、会うことはできない。
などと皆の言っているのを聞いて時方はひどく驚かされた。右近に面会を求めたが逢えない。
1.3.4
ただ(いま)ものおぼえず
()()がらむ心地(ここち)もせでなむ。
さるは、今宵(こよひ)ばかりこそ、かくも()()りたまはめ()こえぬこと」
「ただ今は、何も分かりません。
起き上がる気持ちもしません。
それにしても、今夜を最後に、このようにお立ち寄りになるのでしょうが、お話しできませんことが」
「何が何やらわからぬふうになっていまして、起き上がる力もないのです。夜分おそくにでもなりましたらおいでくださいませ。お目にかかれませんのは残念でございます」
1.3.5
()はせたり。
と言わせた。
と取り次ぎをもって言わせた。
1.3.6
さりとてかくおぼつかなくては、いかが(かへ)(まゐ)りはべらむ。
今一所(いまひとところ)だに」
「そうは言っても、このようにはっきり分かりませんでは、どうして帰参できましょう。
せめてもうお一方にでも」
「そうではありましょうが、こちらの御事情がわからぬままでは帰りようがありません。もう一人の方にでも逢わせてください」
1.3.7
(せち)()ひたれば、侍従(じじゅう)()ひたりける。
と切に言ったので、侍従が会ったのであった。
時方がせつに言ったために侍従が出て来た。
1.3.8
いとあさまし
(おぼ)しもあへぬさまにて()せたまひにたれば、いみじと()ふにも()かず、(ゆめ)のやうにて、(たれ)(たれ)(まど)ひはべるよしを(まう)させたまへ
すこしも心地(ここち)のどめはべりてなむ、()ごろも、もの(おぼ)したりつるさま、一夜(ひとよ)いと心苦(こころぐる)しと(おも)ひきこえさせたまへりしありさまなども、()こえさせはべるべき。
この(けが)らひなど(ひと)()みはべるほど()ぐして、今一度立(いまひとたびた)()りたまへ」
「まことに呆れたことです。
ご自身も思いがけない様子でお亡くなりになったので、悲しいと言っても言い足りず、夢のようで、誰も彼もが途方に暮れています旨を申し上げてくださいませ。
少しでも気分が落ち着きましたら、日頃、物思いなさっていた様子や、先夜、ほんとうに申し訳なくお思い申し上げていらした有様などを、お聞かせ申し上げましょう。
この穢など、世間の人が忌む期間が過ぎてから、もう一度お立ち寄りくださいませ」
「とんだことになりまして、だれも想像のできませんようなふうでお()くなりになったものですから、悲しいなどと申す言葉では私どもの心持ちは出てまいりません。夢のように思いまして、だれも皆呆然(ぼうぜん)としておりますとだけ申し上げてくださいませ。少しこうしました気持ちの納りますころになれば、その前にどんなに煩悶をしておいでになりましたかと申すことや、あの宮様のおいであそばした晩に心苦しく思召(おぼしめ)した御様子などもお話し申し上げることができるかと思います。触穢(しょくえ)の期間の過ぎました時分にもう一度またお立ち寄りください」
1.3.9
()ひて、()くこといといみじ。
と言って、泣く様子はまことに大変である。
と言って侍従ははげしく泣く。

第四段 乳母、悲嘆に暮れる

1.4.1
(うち)にも()声々(こゑごゑ)のみして、乳母(めのと)なるべし
内側でも泣く声ばかりがして、乳母であろう、
奥のほうにも泣き声が幾いろにも聞こえて、乳母らしく思われる声で、
1.4.2
あが(きみ)いづ(かた)にかおはしましぬる。
(かへ)りたまへ。
むなしき(から)をだに()たてまつらぬが、かひなく(かな)しくもあるかな。
()()()たてまつりても()かずおぼえたまひいつしかかひある(おほん)さまを()たてまつらむと、朝夕(あしたゆふべ)(たの)みきこえつるにこそ、(いのち)()びはべりつれ
うち()てたまひて、かく行方(ゆくへ)()らせたまはぬこと。
「わが姫君は、どこに行かれてしまったのか。
お帰りください。
むなしい亡骸をさえ拝見しないのが、効なく悲しいことよ。
毎日拝見しても物足りなくお思い申し、早く立派なご様子を拝見しようと、朝夕にお頼み申し上げていたので、寿命も延びました。
お見捨てになって、このように行く方もお知らせにならないこと。
「お姫様どこへいらっしゃいました。帰っておいでくださいませ。御遺骸(いがい)さえ見られませんとはなんたる悲しいことでしょう。毎日毎日拝見しても飽くことのないあなた様でした。そのあなた様の御幸福におなりになるのを祈りますことで生きがいのあった私ではございませんか、それにあなた様は打ちやってお行きになりまして、どこへ行ったとも知らせてくださらない。
1.4.3
鬼神(おにがみ)も、あが(きみ)をばえ(りゃう)じたてまつらじ。
(ひと)のいみじく()しむ(ひと)をば、帝釈(たいしゃく)(かへ)したまふなり
あが(きみ)()りたてまつりたらむ、(ひと)にまれ(おに)にまれ、(かへ)したてまつれ。
()御骸(おほんから)をも()たてまつらむ」
鬼神も、わが姫君をお取り申すことはできまい。
皆がたいそう惜しむ人を、帝釈天もお返しになるという。
姫君をお取り申し上げたのは、人であれ鬼であれ、お返し申し上げてください。
御亡骸を拝見したい」
鬼神でもあなた様を取り込めてしまうことはできないはずです。人が非常に惜しむ人は帝釈天(たいしゃくてん)も返してくださるものです。お姫様を取ったのは人にもせよ鬼にもせよ返しに来てください。御遺骸だけでも見せてほしい」
1.4.4
()(つづ)くるが、心得(こころえ)ぬことども()じるを、あやしと(おも)ひて、
と言い続けるが、合点の行かないことがあるのを、変だと思って、
こう叫んでいるうちに不審な点のあるのに気のついた時方は、
1.4.5
なほ、のたまへ
もし、(ひと)(かく)しきこえたまへるか。
たしかに()こし()さむと御身(おほんみ)()はりに()だし()てさせたまへる御使(おほんつかひ)なり
(いま)は、とてもかくてもかひなきことなれど、(のち)にも()こし()()はすることのはべらむに、(たが)ふこと()じらば、(まゐ)りたらむ御使(おほんつかひ)(つみ)なるべし
「やはり、おっしゃってください。
もしや、誰かがお隠し申し上げなさったのか。
確かな事をお聞きなさろうとして、ご自身の代わりに出立させなさったお使いです。
今は、何にしても効のないことですが、後にお聞き合わせになることがございましょうが、違ったことがございましたら、聞いて参ったお使いの落度になるでしょう。
「真相を知らせてください。だれかがお隠しになったのですか。確かに知りたく思召して、御自身の代わりにおよこしになった私は使いです。今ははっきりしないままでも事は済むでしょうがあとでほんとうのことがお耳にはいった節、御報告が違っていたものでしたら使いの罪になります。
1.4.6
また、さりともと(たの)ませたまひて(きみ)たちに対面(たいめん)せよ』と(おほ)せられつる御心(みこころ)ばへも、かたじけなしとは(おぼ)されずや。
(をんな)(みち)(まど)ひたまふことは、(ひと)朝廷(みかど)にも、(ふる)(ためし)どもありけれどまたかかること、この()にはあらじ、となむ()たてまつる」
また、そのようなことはあるまいとご信頼あそばして、『あなた方にお会いせよ』と仰せになったお気持ちを、もったいないとはお思いになりませんか。
女の道に迷いなさることは、異国の朝廷にも、古い幾つもの例があったが、またこのようなことは、この世にない、と拝見しています」
まただれだれに逢えと、御好意を持つものと思召して御名ざしになったのに対しても相済まぬこととお思いになりませんか。一人の女性に傾倒される方は外国の歴史などにもありますが、宮様のあの方への御熱愛ほどのものはこの世にもう一つとはないと私は拝見しているのです」
1.4.7
()ふに、げに、いとあはれなる御使(おほんつかひ)にこそあれ。
(かく)すとすとも、かくて(れい)ならぬことのさまおのづから()こえなむ」と(おも)ひて、
と言うので、「おっしゃるとおり、まことに恐れ多いお使いだ。
隠そうとしても、こうして珍しい事件の様子は、自然とお耳に入ろう」と思って、
と言った。道理なことで、この場合の宮の御感情はさもこそと恐察される、隠しても姫君の普通の死でない(うわさ)は立つことであろうから、今申し上げておくほうがよいと侍従は思い、
1.4.8
などか、いささかにても(ひと)(かく)いたてまつりたまふらむ、(おも)()るべきことあらむには、かくしもある(かぎ)(まど)ひはべらむ。
()ごろ、いといみじくものを(おぼ)()るめりしかば、かの殿(との)わづらはしげに、ほのめかし()こえたまふことなどもありき。
「どうして、少しでも、誰かがお隠し申し上げなさったのだろう、と思い寄るようなことがあったら、こんなにも皆が泣き騒ぐことがございましょうか。
日頃、とてもひどく物を思いつめているようでしたので、あの殿が、厄介なことに、ちらっとおっしゃってくることなどもありました。
「だれかがお隠ししたかという疑いも起こることでしたなら、こんなふうに家じゅうの人が悲しみにおぼれることもないでしょう。お悲しみになってめいったふうになっていらっしゃいましたころに、殿様のほうから少しめんどうなふうの仰せがあったのです。
1.4.9
御母(おほんはは)にものしたまふ(ひと)も、かくののしる乳母(めのと)なども、(はじ)めより()りそめたりし(かた)(わた)りたまはむ、となむいそぎ()ちて、この(おほん)ことをば人知(ひとし)れぬさまにのみ、かたじけなくあはれと(おも)ひきこえさせたまへりしに、御心乱(みこころみだ)れけるなるべし
あさましう、(こころ)()()くなしたまへるやうなればかく(こころ)(まど)ひにひがひがしく()(つづ)けらるるなめり
お母上でいらっしゃる方も、このように大騷ぎする乳母なども、初めから知り合った方のほうにお引っ越しなさろう、と準備し出して、宮とのご関係を、誰にも知られない状態にばかり、恐れ多くもったいないとお思い申し上げていらっしゃいましたので、お気持ちも乱れたのでしょう。
驚き呆れますが、ご自分から身をお亡くしになったようなので、このように心の迷いに、愚痴っぽく言い続けてしまうのでしょう」
お母様である方も、あのわめいております乳母なども初めからの方へ迎えられておいでになりますことの用意に夢中でしたし、宮様のお志に感激しておいでになりました姫君の思召しはまた別でしたから、それでお(つむり)が混乱してしまったのでしょう、思いも寄らぬことになりまして心身ともに失っておしまいになったので、あの乳母のようなむちゃな叫びもされるのですよ」
1.4.10
と、さすがに、まほならずほのめかす。
心得(こころえ)がたくおぼえて
と、そうはいっても、ありのままにではなく暗示する。
合点が行かず思われて、
さすがに正面から言おうとはせずにほのめかしていることのあるのを内記も知った。
1.4.11
さらば、のどかに(まゐ)らむ。
()ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。
(いま)(おほん)みづからもおはしましなむ」
「それでは、落ち着いてから参りましょう。
立ちながら話しますのも、まことに簡略なようです。
いずれ、宮ご自身でもお出でになりましょう」
「それではまたお静かになってから改めて伺いましょう。立ちながらの話にしてはあまりに失礼なことになります。そのうち宮様御自身でもおいでになることになりましょう」
1.4.12
()へば、
と言うと、

1.4.13
あな、かたじけな
(いま)さら、(ひと)()りきこえさせむも、()(おほん)ためは、なかなかめでたき御宿世見(おほんすくせみ)ゆべきことなれど、(しの)びたまひしことなれば、また()らさせたまはで、()ませたまはむなむ、御心(みこころ)ざしにはべるべき」
「まあ、恐れ多い。
今さら、人がお知り申すのも、亡きお方のためには、かえって名誉なご運勢と見えることですが、お隠しになっていた事なので、またお漏らしあそばさないで、終わりなさることが、お気持ちに従うことでしょう」
「もったいない、それはいけません。今になりましていっさいの秘密の暴露してしまいますことは、お()くなりになりました方のためにあるいは光栄なことかも存じませんが、十分隠したく思召したことですから、秘密は秘密のままにしてお置きくださいますほうが御好志になります」
1.4.14
ここには、かく()づかず()せたまへるよしを、(ひと)()かせじと、よろづに(まぎ)らはすを、自然(じねん)にことどものけしきもこそ()ゆれ」と(おも)へば、かくそそのかしやりつ。
こちらでは、このように異常な形でお亡くなりになった旨を、人に聞かせまいと、いろいろと紛らわしているが、「自然と事件の子細も分かってしまうのでは」と思うと、このように勧めて帰らせた。
などと侍従は言い、姫君の最後が普通の死でないことをほかへ()らすまいとしていても、自然に事実は事実として人が悟ってしまうことであろうと思い、こんな会談を長くしていることも避けねばならぬと思う心から時方を促して去らしめた。

第五段 浮舟の母、宇治に到着

1.5.1
(あめ)のいみじかりつる(まぎ)れに、母君(ははぎみ)(わた)りたまへり。
さらに()はむ(かた)もなく、
雨がひどく降ったのに隠れて、母君もお越しになった。
まったく何とも言いようなく、
雨の降る最中に常陸(ひたち)夫人が来た。
1.5.2
()(まへ)()くなしたらむ(かな)しさは、いみじうとも、()(つね)にて、たぐひあることなり。
これは、いかにしつることぞ」
「目の前で亡くなった悲しさは、どんなに悲しくあっても、世の中の常で、いくらでもあることだ。
これは、いったいどうしたことか」
遺骸があっての死は悲しいといっても無常の世にいては、どれほど愛していた人でもある時は甘んじて受けなければならぬのが人生の(おきて)であるが、これは何と思いあきらめてよいことか
1.5.3
(まど)ふ。
かかることどもの(まぎ)れありて、いみじうもの(おも)ひたまふらむとも()らねば、()()げたまへらむとも(おも)ひも()らず、
とうろうろする。
このような込み入った事件があって、ひどく物思いなさっていたとは知らないので、身を投げなさったとは思いも寄らず、
と悲しがった。苦しい恋の結末をそうしてつけたことなどは想像のできぬことで、身を投げたなどとは思い寄ることもできず、
1.5.4
(おに)()ひつらむ
(きつね)めくものや()りもて()ぬらむ。
いと昔物語(むかしものがたり)のあやしきもののことのたとひにか、さやうなることも()ふなりし」
「鬼が喰ったのか。
狐のような魔物が連れさらったのか。
まことに昔物語の妙な事件の例にか、そのような事も言っていた」
鬼が食ってしまったか、(きつね)というようなものが取って行ったのであろうか、昔の怪奇な小説にはそんなこともあるが
1.5.5
(おも)()づ。
と思い出す。
と夫人は思うのであった。
1.5.6
さてはかの(おそ)ろしと(おも)ひきこゆるあたりに(こころ)など()しき御乳母(おほんめのと)やうの(もの)や、かう(むか)へたまふべしと()きて、めざましがりて、たばかりたる(ひと)もやあらむ
「それとも、あの恐ろしいとお思い申し上げる方の所で、意地悪な乳母のような者が、このようにお迎えになる予定と聞いて、目障りに思って、誘拐を企んだ人でもあろうか」
また常に恐れている大将の正妻の宮の周囲に性質の悪い乳母というような者がいて、(かおる)が浮舟をここへ隠して置いてあることを知り、だまして人につれ出させるようなことがあったのではあるまいか
1.5.7
と、下衆(げす)などを(うたが)ひ、
と、下衆などを疑って、
と、召使いに疑いをかけて、
1.5.8 「新参者で、気心の知れない者はいないか」
「近ごろ来た女房で気心の知れなかったのがいましたか」
1.5.9 と尋ねるが、
と問うた。
1.5.10
いと世離(よばな)れたりとてありならはぬ(ひと)は、ここにてはかなきこともえせず、(いま)とく(まゐ)らむ()ひてなむ(みな)、そのいそぐべきものどもなど()()しつつ、(かへ)()ではべりにし
「とても世間離れした所だといって、住み馴れない新参者は、こちらではちょっとしたこともできず、又すぐに参上しましょう、と言っては、皆、その引っ越しの準備の物などを持っては、京に帰ってしまいました」
「そんなのはあまりにこちらが寂しいと申していやがりまして、辛抱(しんぼう)もできませんで、京へお移りになればすぐにまいりますというような挨拶(あいさつ)をしまして、仕事などだけを引き受けて持って帰ったりしまして、現在ここにいるのはございません」
1.5.11
とて、もとよりある(ひと)だに、(かた)へはなくて、いと人少(ひとずく)ななる(をり)になむありける。
と言って、元からいる女房でさえ、半分はいなくなって、まことに人数少ないときであった。
答えはこうであった。もとからいた女房も実家へ行っていたりして人数は少ない時だったのである。

第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む

1.6.1
侍従(じじゅう)などこそ、()ごろの()けしき(おも)()で、()(うしな)ひてばや」など、()()りたまひし折々(をりをり)のありさま、()()きたまへる(ふみ)をも()るに、()(かげ)」と()きすさびたまへるものの、(すずり)(した)にありけるを()つけて、(かは)(かた)()やりつつ、(ひび)きののしる(みづ)(おと)()くにも、(うと)ましく(かな)しと(おも)ひつつ、
侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと、泣き入っていらした時々の様子、書き置きなさった手紙を見ると、「亡くなった後形に」と書き散らしていらっしゃったものが、硯の下にあったのを見つけて、川の方角を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
侍従などはそれまでの姫君の煩悶を知っていて、死んでしまいたいと言って泣き入っていたことを思い、書いておいたものを読んで「なきかげに」という歌も(すずり)の下にあったのを見つけては、騒がしい響きを立てる宇治川が姫君を()んでしまったかと、恐ろしいものとしてそのほうが見られるのであった。
1.6.2
さて、()せたまひけむ(ひと)とかく()(さわ)ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる(かた)になりたまひにけむ、(おぼ)(うたが)はむも、いとほしきこと」
「こうして、お亡くなりになった方を、あれこれと噂し合って、どなたもどなたも、どのようなふうにお亡くなりになったのか、とお疑いになるのも、お気の毒なこと」
ともかくも死んでおしまいになった人が、どこへだれに誘拐(ゆうかい)されて行っているかというように疑われているのは気の毒なことである
1.6.3 と相談し合って、
と右近と話し合い、
1.6.4
(しの)びたる(こと)とても御心(みこころ)より()こりてありしことならず。
(おや)にて、()(のち)()きたまへりとも、いとやさしきほどならぬをありのままに()こえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへかたがた(おも)(まど)ひたまふさまは、すこし(あき)らめさせたてまつらむ。
()くなりたまへる(ひと)とても、(から)()きてもて(あつか)ふこそ()(つね)なれ、()づかぬけしきにて()ごろも()ば、さらに(かく)れあらじ。
なほ、()こえて(いま)()()こえをだにつくろはむ」
「秘密の事とは言っても、ご自身から引き起こした事ではない。
母親の身として、後に聞き合わせなさったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのを、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わって、あれこれ思い迷っていらっしゃる様子は、少しは合点の行くようにして上げよう。
お亡くなりになった方としても、亡骸を安置し弔うのが、世間一般であるが、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠しおおせないだろう。
やはり、申し上げて、今は世間の噂だけでも取り繕いましょう」
あの秘密の関係も自発的に招いた過失ではないのであるから、親である人に死後に知られても姫君として多く恥じるところもないのであると言い、ありのままに話して、五里霧中に迷っているような心境をだけでも救いたいと夫人を思い、また故人も遺骸を始末するのが世の常の営みなのであるから、そのまま空で悲しんでばかりいることをしていては日が重なるにしたがい秘密は早く世の中へ知られてしまうことでもある、その体裁も相談して作るほうがよい、
1.6.5
(かた)らひて(しの)びてありしさまを()こゆるに、()(ひと)()()り、()ひやらず、()心地(ここち)(まど)ひつつ、さは、このいと(あら)ましと(おも)(かは)に、(なが)()せたまひにけり」と(おも)ふに、いとど(われ)()()りぬべき心地(ここち)して、
と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も正気を失って、言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分も落ち込んでしまいそうな気がして、
どうしても真実を母夫人に知らす必要があるとして、ひそかに兵部卿の宮との関係、そののち大将に秘密を悟られて姫君が煩悶した話をするのであったが、語る人も魂が消えるようになり、聞く人もさらに予期せぬ悲哀の落ち重なってきたふためきをどうすることもできないふうであった。それではこの荒い川へ身を投げて死んだのかと思うと、母の夫人は自身もそこへはいってしまいたい気を覚えた。
1.6.6
おはしましにけむ(かた)(たづ)ねて、(から)をだにはかばかしくをさめむ」
「流れて行かれた方角を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」
流れて行ったほうを捜させて遺骸だけでも丁寧に納めたい
1.6.7
とのたまへど、
とおっしゃるが、
と夫人は言いだしたが、
1.6.8
さらに(なに)のかひはべらじ
行方(ゆくへ)()らぬ大海(おほうみ)(はら)にこそおはしましにけめ。
さるものから、(ひと)()(つた)へむことは、いと()きにくし」
「全然何の効もありません。
行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。
それなのに、人が言い伝えることは、とても聞きにくい」
もう大海へ押し流されたに違いない、効果は収めることができずに人の噂だけが高くなることははばからなければならぬことを二人は忠告した。
1.6.9
()こゆれば、とざまかくざまに(おも)ふに、(むね)のせきのぼる心地(ここち)して、いかにもいかにもすべき(かた)もおぼえたまはぬを、この(ひと)びと二人(ふたり)して車寄(くるまよ)せさせて御座(おまし)ども、気近(けぢか)使(つか)ひたまひし御調度(みてうど)ども、(みな)ながら()()きたまへる御衾(おほんふすま)などやうのものを()()れて、乳母子(めのとご)大徳(だいとく)それが叔父(をぢ)阿闍梨(あざり)その弟子(でし)(むつ)ましきなど、もとより()りたる老法師(おいほふし)など、御忌(おほんいみ)()もるべき(かぎ)りして(ひと)()くなりたるけはひにまねびて、()だし()つるを乳母(めのと)母君(ははぎみ)は、いといみじくゆゆしと()しまろぶ。
と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるが、この女房たち二人で、車を寄せさせて、ご座所や、身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳や、その叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて、出立させたのを、乳母や、母君は、まことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。
どうすればよいかと思うと胸がせき上がってくる気のする常陸夫人は、どうと定めることもできずに(ぼう)としているのを二人がたすけて、車を寄せさせて姫君の常に()していた敷き物、身近に置いた手道具、もぬけになっていた夜具などを入れ、乳母の子の僧と、それの叔父(おじ)にあたる阿闍梨(あじゃり)、そのまた親しい弟子(でし)、もとから心安い老僧などで忌中を(こも)ろうとして来ていた人たちなどだけに真実のことを知らせ遺骸のあってする葬式のように繕わせて出す時、乳母は悲しがって泣き(まろ)んだ。

第七段 侍従ら真相を隠す

1.7.1
大夫(たいふ)内舎人(うどねり)など、(おど)しきこえし(もの)どもも(まゐ)りて、
大夫や、内舎人など、脅迫申し上げた者どもが参って、
宇治の五位、その(しゅうと)内舎人(うちとねり)などという以前に(おど)しに来た人たちが来て、
1.7.2
御葬送(おほんさうそう)(こと)殿(との)(こと)のよしも(まう)させたまひて、日定(ひさだ)められ、いかめしうこそ(つか)うまつらめ」
「ご葬送の事は、殿に事情を申し上げさせなさって、日程を決められて、厳かにお勤め申し上げるのがよいでしょう」
「お葬式のことは殿様と御相談なすってから、日どりもきめてりっぱになさるのがよろしいでしょう」
1.7.3
など()ひけれど、
などと言ったが、
などと言っていたが、
1.7.4
ことさら今宵過(こよひす)ぐすまじ。
いと(しの)びてと(おも)ふやうあればなむ
「特別に、今夜のうちに行いたいのです。
たいそうこっそりにと思っているところがありますので」
「どうしても今夜のうちにしたい理由(わけ)があるのです、目だたぬようにと思う理由もあるのです」
1.7.5
とて、この(くるま)を、()かひの(やま)(まへ)なる(はら)にやりて、(ひと)(ちか)うも()せず、この案内知(あないし)りたる法師(ほふし)(かぎ)りして()かす。
いとはかなくて、(けぶり)()てぬ。
田舎人(ゐなかびと)どもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、言忌(ことい)みなど(ふか)くするものなりければ、
と言って、この車を、向かいの山の前の野原に行かせて、人も近くに寄せず、この事情を知っている法師たちだけで火葬させる。
まことにあっけなくて、煙は消えた。
田舎者どもは、かえって、このようなことを仰々しくして、言忌などを深くするものだったので、
と言い、その車を川向かいの山の前の原へやり、人も近くは寄せずに、真実のことを知らせてある僧たちだけを立ち合わせて焼いてしまった。火は長くも燃えていなかった。田舎(いなか)の人はこうした作法はかえって都人より大事にするもので、そしてこの場合の縁起を言ったりすることもうるさいほどにするものであったから、
1.7.6
いとあやしう
(れい)作法(さほふ)などあることども()らず下衆下衆(げすげす)しく、あへなくてせられぬることかな」
「まことに変なこと。
きまりの作法などが、あることもなさらずに、いかにも下衆のように、あっけなくなさったことよ」
大家の夫人の葬儀とも思われぬ貧弱な式であったと(そし)る人があったり、
1.7.7 と非難すると、

1.7.8
(かた)へおはする(ひと)ことさらにかくなむ、(きゃう)(ひと)したまふ」
「兄弟などのいらっしゃる方は、わざとこのように、京の方はなさる」
また側室であった人の場合はこんなふうにして済まされるのが京の風俗であるなど
1.7.9
などぞ、さまざまになむやすからず()ひける。
などと、いろいろと感心しないことを言うのであった。
と言ったり、いずれにもせようれしくない取り沙汰(ざた)を人はした。
1.7.10
かかる(ひと)どもの()(おも)ふことだに(つつ)ましきを、まして、ものの()こえ(かく)れなき()(なか)に、大将殿(だいしゃうどの)わたりに、(から)もなく()せたまひにけり、()かせたまはばかならず(おも)ほし(うたが)ふこともあらむを、(みや)はた、(おな)御仲(おほんなか)らひにてさる(ひと)のおはしおはせず、しばしこそ(しの)ぶとも(おぼ)さめ、つひには(かく)れあらじ。
「このような者どもが言ったり思ったりするだけでも憚れるのに、それ以上に、噂が漏れて広がる世の中では、大将殿あたりで、亡骸もなくお亡くなりになった、とお聞きになったら、きっとお疑いになることがあろうが、宮もまた、親しいお間柄であるから、そのような人がいらっしゃるかいらっしゃらないかは、しばらくの間は隠していると疑っても、いつかは明らかになるであろう。
そうした階級の人がどう思ったかということさえもつつましいこの場合に、大将が遺骸も残さず死んだと聞いては必ずどこかへ失踪(しっそう)をしてしまったことと疑うであろうし、親族関係の濃い宮様のほうへその話の伝わってゆかぬはずもない、
1.7.11
また、(さだ)めて(みや)をしも(うたが)ひきこえたまはじ。
いかなる(ひと)()(かく)しけむなどぞ、(おぼ)()せむかし。
()きたまひての御宿世(おほんすくせ)は、いと気高(けだか)くおはせし(ひと)げに()(かげ)いみじきことをや(うたが)はれたまはむ」
また一方、
きっと宮だけをお疑い申し上げることはなさらないだろう。どのような人が連れ
て行って隠したのだろうなどと、お考え寄りになるだろう。生きていらした間のご運勢は、とても高くいらした方が、なるほど亡く
その時に宮がお隠しになったと大将は思うまい、どんな人が隠しているかと思い想像もされるに違いない、生きていた間は高い貴人たちに愛される運命を持った人が、死後に醜い疑いをかけられるのはもってのほかである
1.7.12
(おも)へば、ここの(うち)なる下人(しもびと)どもにも、今朝(けさ)のあわたたしかりつる(まど)ひに、けしきも見聞(みき)きつるには(くち)かため、案内知(あないし)らぬには()かせじ」などぞたばかりける。
と思うと、この家にいる下人どもにも、今朝の慌ただしかった騒動に、「その様子を見たり聞いたりした者には口止めをし、事情を知らない者には聞かせまい」などとごまかしたのであった。
と女房らは思い、山荘の中の下人たちにも今朝(けさ)姫君の姿の見えなかった騒ぎに、思わずも実相を悟らせることになった者らへは口堅めを厳重にし、知らなかったのにはあくまでも普通の死であったように取り繕うことに侍従と右近は骨を折った。
1.7.13
ながらへては(たれ)にも、(しづ)やかに、ありしさまをも()こえてむ。
ただ(いま)は、(かな)しさ()めぬべきことふと人伝(ひとづ)てに()こし()さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし」
「年月が経ったら、どちらにも、静かに、生前のご様子を申し上げよう。
ただ今は、悲しみも覚めるようなことを、ふと人伝てにお聞きなさると、やはりとてもお気の毒なことになるであろう」
時間がたったのちには浮舟の姫君が死を決意するまでの経過を宮へも大将へもお話しすることができようが、今は興ざめさせるような死に方を人の口から次へ次へと聞こえることは故人のために気の毒である
1.7.14
と、この人二人(ひとふたり)(ふか)(こころ)鬼添(おにそ)ひたれば、もて(かく)しける。
と、この人ら二人は、深く良心が咎めるので、隠すのであった。
と思い、この二人が自身らの責任を感じる心から深く隠すことに努めた。

第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮


第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す

2.1.1
大将殿(だいしゃうどの)は、入道(にふだう)(みや)(なや)みたまひければ、石山(いしやま)()もりたまひて、(さわ)ぎたまふころなりけり。
さて、いとどかしこをおぼつかなう(おぼ)しけれど、はかばかしう、さなむ」と()(ひと)はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使(おほんつかひ)のなきを人目(ひとめ)心憂(こころう)しと(おも)ふに御荘(みさう)(ひと)なむ(まゐ)りて「しかしか」と(まう)させければ、あさましき心地(ここち)したまひて、御使(おほんつかひ)そのまたの()まだつとめて(まゐ)りたり。
大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので、石山寺に参籠なさって、おとりこみの最中であった。
そうして、ますますあちらを気がかりにお思いになったが、はっきりと、「こうだ」と言う人がいなかったので、このような大変な事件にも、まっさきにご使者がないのを、世間体もつらいと思うが、御荘園の者が参上して、「これこれしかじかです」とご報告申し上げさせたので、驚き呆れた気がなさって、ご使者が、その翌日のまだ早朝に参上した。
この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠(さんろう)をあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。京よりもまだ遠くにいて宇治のことが気がかりでならぬ薫でもあったが、はかばかしく消息をする人もなかったために、葬儀にも大将家の使いの立ち合わなかったのは山荘の人々の情けなく思うところであったが、荘園の人が石山へ行ってはじめて姫君の死は薫へ報じられたのであった。使いはその翌日の早朝に宇治へ来た。
2.1.2
いみじきことは()くままにみづからもすべきに、かく(なや)みたまふ(おほん)ことにより(つつし)みて、かかる(ところ)()(かぎ)りて()もりたればなむ。
昨夜(よべ)のことはなどか、ここに消息(せうそこ)して、()()べてもさることはするものを、いと(かろ)らかなるさまにて、(いそ)ぎせられにける。
とてもかくても、(おな)()ふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山賤(やまがつ)(そし)りをさへ()ふなむ、ここのためもからき」
「ご一大事は、聞くなりすぐに自分が駆けつけるべきところ、このようにご病気でいらっしゃる御事のために、身を清めて、このような所に日数を決めて参籠しておりますので。
昨夜の事は、どうして、こちらに連絡して、日を延期してでもそういうことはするべきものを、たいそう簡略な様子で、急いでなさったのか。
どのようにしたところで、同じく言っても始まらないことだが、最後の葬儀さえ、山賤の非難を受けるのが、わたしにとってもつらい」
非常なことの起こったしらせを受け、すぐにも自分で行くべきですが、母宮の御病気のために日数をきめて(こも)っているために、それも実行ができません、昨夜にもう葬送を行なったということですが、なぜそれは私へ相談をしませんでしたか、そして日を延べることが普通ではありませんか。しかも簡単に儀式をしてしまったと聞いて残念に思います。どうしてもこうしても同じことですが、一人の人間の最後の式ですから、田舎(いなか)の人たちの(そし)りを受けたりすることになっては、自分のためにも迷惑です。
2.1.3
など、かの(むつ)ましき大蔵大輔(おほくらのたいふ)してのたまへり。
御使(おほんつかひ)()たるにつけても、いとどいみじきに、()こえむ(かた)なきことどもなれば、ただ(なみだ)におぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。
などと、あの信任厚い大蔵大輔を使者としておっしゃった。
お使いが来たことにつけても、ますます悲しいので、何とも申し上げようのないことなので、ただ涙にくれているだけを口実にして、はっきりともお答え申し上げずに終わった。
と、あの親しく思っている大蔵大輔(たゆう)を使いにして言わせたのであった。使いの来たことでまた悲しみが新しくなったし、答える言葉も何と言ってよいかわからぬ時であってみれば、人々は泣くのを挨拶(あいさつ)に代えて何とも申し出すことはできなかった。

第二段 薫の後悔

2.2.1
殿(との)は、なほ、いとあへなくいみじと()きたまふにも、
殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも、
薫は思いがけぬ愛人の死に落胆をして、
2.2.2
心憂(こころう)かりける(ところ)かな
(おに)などや()むらむ。
などて、(いま)までさる(ところ)()ゑたりつらむ。
(おも)はずなる(すぢ)(まぎ)れあるやうなりしも、かく(はな)()きたるに、(こころ)やすくて、(ひと)()(をか)したまふなりけむかし
「何という嫌な土地であろう。
鬼などが住んでいるのだろうか。
どうして、今までそのような所に置いておいたのだろう。
思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」
情けない場所である、幽鬼などが住んでいてそうした災厄(さいやく)をしばしば起こすのでなかろうか、それと気もつかずにどうして長く宇治などへ置いていたのだろう、不快な関係がほかに結ばれたらしいことなども、ああした不用心な所へ住ませておいたために(すき)をうかがわせることになったに違いない、
2.2.3
(おも)ふにも、わがたゆく()づかぬ(こころ)のみ(くや)しく、御胸痛(おほんむねいた)くおぼえたまふ。
(なや)ませたまふあたりにかかること(おぼ)(みだ)るるもうたてあれば、(きゃう)におはしぬ
と思うにつけても、自分の迂闊で世間離れした心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。
お患いあそばしているところで、このような事件でご困惑なさるのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
と思われるのも皆自分の非常識に原因したことであると胸が痛くなるほどにも悔まれた。御病気で専念に仏へ祈っておいでになる母宮のおそばでこんな煩悶(はんもん)をしているのはよろしくないと思い薫は京の(やしき)へ帰った。
2.2.4
(みや)御方(おほんかた)にも(わた)りたまはず、
宮の御方にもお渡りにならず、
夫人の宮のところへは行かずに、
2.2.5
ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことを(ちか)()きつれば(こころ)(みだ)れはべるほども()()ましうて」
「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」
「たいしたことではないのですが、身辺に不幸が起こったものですから、しばらく落ち着きますまで、縁起の悪いことにもなりますから謹慎していようと思います」
2.2.6
など()こえたまひて()きせずはかなくいみじき()(なげ)きたまふ。
ありしさま容貌(かたち)いと愛敬(あいぎゃう)づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく(こひ)しく(かな)しければ、
などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。
生前の容姿、まことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
などと御挨拶をしておいて、一人で人生の深い悲しみを味わっていた。浮舟(うきふね)の容姿の愛嬌(あいきょう)があって、美しかったことなどを思い出すと、非常に恋しくなり、悲しくなる薫は、
2.2.7
うつつの()にはなどかくしも(おも)()れずのどかにて()ぐしけむ。
ただ(いま)は、さらに(おも)(しづ)めむ(かた)なきままに、(くや)しきことの数知(かずし)らず。
かかることの(すぢ)につけていみじうものすべき宿世(すくせ)なりけり。
さま(こと)(こころ)ざしたりし()の、(おも)ひの(ほか)に、かく(れい)(ひと)にてながらふるを、(ほとけ)などの(にく)しと()たまふにや。
(ひと)(こころ)()こさせむとて、(ほとけ)のしたまふ方便(はうべん)は、慈悲(じひ)をも(かく)して、かやうにこそはあなれ」
「現世には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。
今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れない。
このような方面の事につけて、ひどく物思いをする運命なのだ。
世人と異なって道心を身上とした人生なのに、思いの外に、このように普通の人のように生き永らえているのを、仏などが憎いと御覧になるのではなかろうか。
人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」
その人の生きていた時には、それをそうと認めようとはせずに、たびたび逢いに行こうともせず、寂しい思いばかりをさせて来たのであろうと思う後悔があとからあとからわいてくる。恋愛について物思いの絶えない宿命をになっている自分である、信仰生活を志していながら俗から離れずにいるのを仏が憎んでおいでになるのであろうか、悟らせようとしての方便には未来の慈悲を隠してこんな残酷な目も仏はお見せになるものであると、
2.2.8
(おも)(つづ)けたまひつつ、(おこな)ひをのみしたまふ。
と思い続けなさりながら、勤行ばかりをなさる。
思い続けて仏勤めをばかりしていた。

第三段 匂宮悲しみに籠もる

2.3.1
かの(みや)はたまして、()三日(さんにち)はものもおぼえたまはず、うつし(ごころ)もなきさまにて、いかなる(おほん)もののけならむ」など(さわ)ぐにやうやう涙尽(なみだつ)くしたまひて、(おぼ)(しづ)まるにしもぞありしさまは(こひ)しういみじく(おも)()でられたまひける。
(ひと)にはただ御病(おほんやまひ)(おも)きさまをのみ()せて、かくすぞろなるいやめのけしき()らせじ」と、かしこくもて(かく)すと(おぼ)しけれど、おのづからいとしるかりければ、
あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まって、生前のご様子が恋しく悲しく思い出されなさるのであった。
周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、「このような無性に涙顔でいる様子を知らせまい」と、気強く隠そうとお思いになったが、自然とはっきりしていたので、
浮舟をお失いになった兵部卿の宮は、まして二、三日は失心したようになっておいでになったため、どうした物怪(もののけ)()いたかと周囲の人たちが騒いでいるうちに、ようやく涙が流れ尽くしてお心が静まってきたと同時に、生きていた日の浮舟が恋しくばかりお思い出されになるのであった。他人には重く病気をしているふうを見せて、()き恋人を思う悲歎に沈んでいることは知らせないでいるのであると、御自身では思召したが、自然御様子にそれが現われるものであるから、
2.3.2
いかなることにかく(おぼ)(まど)ひ、御命(おほんいのち)(あや)ふきまで(しづ)みたまふらむ」
「どのような事にこんなにご困惑なさり、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」
どんなことにお出逢いになって、こんなに命もあぶないまでに悲しんでおいでになるのであろう
2.3.3
と、()(ひと)もありければ、かの殿(との)にもいとよくこの()けしきを()きたまふに、さればよ
なほ、よその文通(ふみかよ)はしのみにはあらぬなりけり。
()たまひてはかならず(おぼ)しぬべかりし(ひと)ぞかし
ながらへましかばただなるよりぞわがためにをこなることも()()なまし」と(おぼ)すになむ、()がるる(むね)もすこし()むる心地(ここち)したまひける
と、言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、「そうであったか。
やはり、単なる文通だけではなかったのだ。
御覧になっては、きっとそのように熱中なさるはずの女である。
もし生きていたら、他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。
という人もあるために、大将もそれを知り、故人とは自分の想像したような関係を作っておいでになったらしい、手紙をおやりになったりするだけのことではないのであった、宮が御覧になれば必ず深い愛着をお覚えになるはずの人であった、生きていたならば自分は裏切られた男としての醜名を取らなければならないのであったと、こう思うようになってからは少し故人へのあこがれがさめた気のする薫であった。

第四段 薫、匂宮を訪問

2.4.1
(みや)御訪(おほんとぶ)らひに日々(ひび)(まゐ)りたまはぬ(ひと)なく、()(さわ)ぎとなれるころ、ことことしき(きは)ならぬ(おも)ひに()もりゐて(まゐ)らざらむもひがみたるべし」と(おぼ)して(まゐ)りたまふ。
宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
兵部卿の宮の御病気見舞いに伺候せぬ人もなく、世間の騒ぎにもなっている場合であるのに、たいした喪というわけでもないのに、自分がお見舞いにならないのも僻見をいだいているように見られることであろうからと思い、薫は二条の院へ伺った。
2.4.2
そのころ、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)()こゆるも()せたまひにければ、御叔父(おほんをぢ)(ぶく)にて薄鈍(うすにび)なるも、(こころ)のうちにあはれに(おも)ひよそへられてつきづきしく()ゆ。
すこし面痩(おもや)せて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。
(ひと)びとまかり()でてしめやかなる夕暮(ゆふぐれ)なり。
そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。
少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。
お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
この時分に式部卿(しきぶきょう)の宮と言われておいでになった親王もお(かく)れになったので、薫は父方の叔父(おじ)の喪に薄鈍(うすにび)色の喪服を着けているのも、心の中では亡き愛人への志にもなる似合わしいことであると思っていた。顔は少し()せていよいよ(えん)に見えた。お見舞い客が皆去ったあとの静かな夕方であった。
2.4.3
(みや)()(しづ)みてはなき御心地(みここち)なれば、(うと)(ひと)にこそ()ひたまはね、御簾(みす)(うち)にも例入(れいい)りたまふ(ひと)には対面(たいめん)したまはずもあらず。
()えたまはむもあいなくつつまし。
()たまふにつけてもいとど(なみだ)のまづせきがたさを(おぼ)せど、(おも)(しづ)めて、
宮は、臥せって沈んでばかりいられないお気持ちなので、疎遠な客にはお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方には、お会いなさらないことできもない。
顔をお見せになるのも何となく気がひける。
お会いなさるにつけても、ますます涙が止めがたいのをお思いになるが、冷静になって、
宮は御病気らしくお見えにはなっても、ただお気持ちが重く沈んでしかたがないという御状態にすぎないのであったから、うとうとしい人とは御面会にならぬが、お居間の中へ平生はお通しになる御親交のある人たちとはお逢いになるのであったから、薫を御引見になったが、その人の顔を御覧になると理由もなく恥ずかしくお思われになり、心弱くなっておいでになるのが隠しきれぬような涙になって出るのをきまり悪く思召しながらも、よく心持ちをお(おさ)えになり、
2.4.4
おどろおどろしき心地(ここち)にもはべらぬを、皆人(みなひと)(つつし)むべき(やまひ)のさまなり、のみものすれば、内裏(うち)にも(みや)にも(おぼ)(さわ)ぐがいと(くる)しく、げに、()(なか)(つね)なきをも心細(こころぼそ)(おも)ひはべる」
「大した病気ではございませんが、誰もが、用心しなければならない病状だ、とばかり言うので、帝におかれても母宮におかれても、御心配なさるのがとてもつらくて、なるほど、世の中の無常を、心細く思っております」
「たいした病気ではありませんが、だれもが悪くなってゆく兆候のある容体だと言って騒ぐものですから、お(かみ)中宮(ちゅうぐう)様も御心配あそばされるのが苦しく思われてね。それにつけてもまた人生の心細さが感ぜられてなりませんよ」
2.4.5
とのたまひて、おし(のご)(まぎ)らはしたまふと(おぼ)(なみだ)の、やがてとどこほらずふり()つれば、いとはしたなけれど、かならずしもいかでか心得(こころえ)む。
ただめめしく心弱(こころよわ)きとや()ゆらむ」と(おぼ)すも、さりや。
ただこのことをのみ(おぼ)すなりけり。
いつよりなりけむ。
(われ)をいかにをかしと、もの(わら)ひしたまふ心地(ここち)に、(つき)ごろ(おぼ)しわたりつらむ」
とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、「必ずしもどうして気がつこうか。
ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、「そうであったのか。
ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。
いつから始まったのだろうか。
自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらしたのだろう」
こうお言いになり、ちょっと(そで)で押すほどに(ぬぐ)うてお済ませになるつもりでおありになった涙が、どうしたかとめどもなく流れ落ちるのを、見苦しいと思召すのであるが、浮舟のために泣くとは大将に気のつくはずもなかろう、ただ人生にめめしく執着をしていると見えるだけであろうと、薫の心中を御推測のできぬ宮は思っておいでになった。やはり恋人の死ばかりを悲しんでおいでになるのであった、いつごろからあった事実なのであろう、自分を滑稽(こっけい)な男と長い間笑っておいでになったのであろう
2.4.6
(おも)ふに、この(きみ)は、(かな)しさは(わす)れたまへるを、
と思うと、この君は、悲しみはお忘れになったが、
と思い、薫は悲しみもそれで忘れることができているのを宮は御覧になり、
2.4.7
こよなくもおろかなるかな。
ものの(せち)におぼゆる(とき)は、いとかからぬことにつけてだに空飛(そらと)(とり)()(わた)るにももよほされてこそ(かな)しけれ。
わがかくすぞろに心弱(こころよわ)きにつけても、もし心得(こころえ)たらむに、さ()ふばかり、もののあはれも()らぬ(ひと)にもあらず
()(なか)(つね)なきこと()しみて(おも)へる(ひと)しもつれなき
「何とまあ、薄情な方であろうか。
物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても、涙が催されて悲しいのだ。
わたしがこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知っても、それほど人の悲しみを分からない人ではない。
世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」
死んだ愛人に対して非常に冷淡なものである、ものの痛切に悲しい時には全然関係のないことにさえ涙が誘われ、空を鳴いて通る鳥の声にも哀傷の思いは催されるはずではないか、自分が何の悲しみによって病んでいるかを知ったなら、同情から平気には見ておられぬ人なのであるが、人生の無常を深く悟り澄ました人はこんなに冷静なふうでいられるのであろう
2.4.8
と、うらやましくも(こころ)にくくも(おぼ)さるるものから、真木柱(まきばしら)はあはれなり
これに()かひたらむさまも(おぼ)しやるに、形見(かたみ)ぞかし」ともうちまもりたまふ。
と、羨ましくも立派だともお思いなさる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。
この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見ではないか」と、じっと見つめていらっしゃる。
とうらやましく、御自身の及びがたさをお覚えになるのであるが、「我妹子(わぎもこ)が来ては寄り添ふ真木柱(まきばしら)そも(むつ)まじやゆかりと思へば」という歌のように、あの人を愛した男であるとお思いになるとこの人にさえ愛のお持たれになる兵部卿(ひょうぶきょう)の宮であった。この人とある日は向かい合っていたのかとお思いになると、形見であるというように薫の顔がお見守られになった。

第五段 薫、匂宮と語り合う

2.5.1
やうやう()物語聞(ものがたりき)こえたまふに、いと()めてしもはあらじ」と(おぼ)して
だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
いろいろな世間話を申しているうちに、絶対に浮舟のことは言いださぬという態度はお取りしたくないと思い、
2.5.2
(むかし)より、(こころ)()めてしばしも()こえさせぬこと(のこ)しはべる(かぎ)りは、いといぶせくのみ(おも)ひたまへられしを、(いま)は、なかなか上臈(じゃうらふ)なりにてはべり。
まして、御暇(おほんいとま)なき(おほん)ありさまにて(こころ)のどかにおはします(をり)もはべらねば、宿直(とのゐ)などに、そのこととなくてはえさぶらはずそこはかとなくて()ぐしはべるをなむ
「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今は、かえって身分も高くなりました。
わたくし以上に、お暇もないご様子で、のんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも、特に用事がなくては伺候することもできず、何となく過ごしておりました。
「私は昔からどんなこともあなた様に申し上げないで、自分だけで思っているのがとても苦しいのではございますが、今では知らぬまに私のような者も大官になっておりますし、ましてあなた様はいろいろとお忙しい身の上でお閑暇(ひま)などはありますまいと存じまして、宿直(とのい)などをいつでも申し上げて話を聞いていただくようなこともできませず日を過ごしておりましたが、こんなことをひとつお聞きください。
2.5.3
(むかし)御覧(ごらん)ぜし山里(やまざと)に、はかなくて()せはべりにし(ひと)の、(おな)じゆかりなる(ひと)おぼえぬ(ところ)にはべりと()きつけはべりて、時々(ときどき)さて()つべくや、(おも)ひたまへしに、あいなく(ひと)(そし)りもはべりぬべかりし(をり)なりしかばこのあやしき(ところ)()きてはべりしを、をさをさまかりて()ることもなく、また、かれも、なにがし一人(ひとり)をあひ(たの)(こころ)もことになくてやありけむ、とは()たまひつれどやむごとなくものものしき(すぢ)(おも)ひたまへばこそあらめ、()るにはたことなる(とが)もはべらずなどして、(こころ)やすくらうたしと(おも)ひたまへつる(ひと)の、いとはかなくて()くなりはべりにける。
なべて()のありさまを(おも)ひたまへ(つづ)けはべるに、(かな)しくなむ
()こし()すやうもはべらむかし」
昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の、同じ姉妹に当たる人が、意外な所に住んでいると聞きつけまして、時々逢いもしようか、と存じておりましたが、不都合にも世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、女も、わたくし一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうか、と拝見しましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには、格別の落度もございませんのに、気楽でかわいらしいと存じておりました女が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。
すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことだ。
お聞き及びのこともございましょう」
昔も御承知のあの山里に若死にをしました恋人と同じ血統(ちすじ)の人が意外な所に一人いると聞きまして、昔の人の形見にときどき顔を見て慰めにしようと思ったのですが、ちょうど私といたしましては、そんなことをしては、世間からわけもなく悪く批評をされる時だったものですから、昔の寂しい山里へつれて行ってあったのでございます。そして始終は(たず)ねて行ってやることもない間柄になっていましたし、その人も私一人にたよる心もなかったように見えましたが、唯一の妻としては、そうした不純な心のあることは捨ておけないことですが、愛人としておくぶんには許されなくはないものですから、可憐(かれん)に見ておりましたが突然()くなったのでございます。人生の悲哀がまたしみじみと味わわれまして、寂しい思いをしております。もうそのことはお耳にもどちらからかはいっておりますでしょう」
2.5.4
とて、(いま)()きたまふ。
と言って、今初めてお泣きになる。
と言って、この時になって泣き出した。
2.5.5
これも、「いとかうは()えたてまつらじ。
をこなり」と(おも)ひつれど、こぼれそめてはいと()めがたし。
けしきのいささか(みだ)(がほ)なるをあやしく、いとほし」と(おぼ)せどつれなくて、
この方も、
「まこと涙顔はお見せ申すまい。馬鹿らしい」と思ったが、い
ったん流れ出しては止めがたい。態度がやや取り乱しているようなので、「いつもと違っている、気の毒だ」と
(かおる)としてもこれほど悲しむふうはお見せすまいと自戒していたのであったが、こぼれ始めてはとどめがたい涙になった。その様子に別な意味もあるふうなのを宮もお悟りになり、気の毒に思召したが、素知らぬふうをあそばした。
2.5.6
いとあはれなることにこそ
昨日(きのふ)ほのかに()きはべりき。
いかにとも()こゆべく(おも)ひはべりながらわざと(ひと)()かせたまはぬこと、()きはべりしかばなむ」
「まことにお気の毒なことを。
昨日ちらっと聞きました。
どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」
「御愁傷をお察しします。そのことは昨日ちょっと聞いたのでした。御弔問をしたく思いましたが、秘密にしておありになるのだとも聞いたものですから」
2.5.7
と、つれなくのたまへど、いと()へがたければ言少(ことずく)なにておはします。
と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので、言葉少なくいらっしゃる。
言葉少なにこうお言いになった。長く言うに堪えがたいお気持ちになっておいでになったのである。
2.5.8
さる(かた)にても御覧(ごらん)ぜさせばや、(おも)ひたまへりし(ひと)になむ
おのづからさもやはべりけむ、(みや)にも(まゐ)(かよ)ふべきゆゑはべりしかば」
「適当なお方としてお目にかけたい、と存じておりました女でした。
自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」
「お目にかけましたら興味をお覚えになりますだけの価値のある女性でしたが、それは私の思いますだけでなくあなたの奥様のほうの縁故のある人でしたから、もう顔など知っておいでになったかもしれません」
2.5.9
など、すこしづつけしきばみて、
などと、少しずつ当てこすって、
などと少しほのめかして薫は、
2.5.10
御心地例(みここちれい)ならぬほどはすぞろなる()のこと()こし()()御耳(おほんみみ)おどろくも、あいなきことになむ。
よく(つつし)ませおはしませ」
「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになって、驚きなさるのも、つまらないことです。
どうぞ大事になさってください」
「御病気中はうるさい世の中のことなどをお耳に入れましては御安静をお妨げすることになってもよろしくございません。よく御養生をなさいまし」
2.5.11
など、()こえ()きて、()でたまひぬ。
などと、申し上げ置いて、お帰りになった。
と申して辞し去った。

第六段 人は非情の者に非ず

2.6.1
いみじくも(おぼ)したりつるかな
いとはかなかりけれど、さすがに(たか)(ひと)宿世(すくせ)なりけり
当時(たうじ)(みかど)(きさき)の、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王(みこ)顔容貌(かほかたち)よりはじめて、ただ(いま)()にはたぐひおはせざめり。
()たまふ(ひと)とてもなのめならず、さまざまにつけて、(かぎ)りなき(ひと)をおきて、これに御心(みこころ)()くし、()人立(ひとた)(さわ)ぎて、修法(すほふ)読経(どきゃう)(まつり)(はらへ)と、道々(みちみち)(さわ)ぐは、この(ひと)(おぼ)すゆかりの、御心地(みここち)のあやまりにこそはありけれ。
「ひどくご執心であったな。
まことにあっけなかったが、やはりよい運勢の女であった。
今上の帝や、后が、あれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだ。
寵愛なさる夫人でも、並一通りでなく、それぞれにつけて、この上ない方をさしおいて、この女にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いと、それぞれ専門に騒ぐのは、この女に執着したための、ご病気であったのだ。
非常に悲しがっておいでになった、故人を哀れな存在とは見たが、現在の帝王と(きさき)があれほど御大切にあそばされる皇子で、御容貌(ようぼう)といい、学才と申して今の世に並ぶ人もない方で、すぐれた夫人たちをお持ちになりながら、あの人に心をお傾け尽くしになり、修法、読経(どきょう)、祭り、(はらい)とその道々で御恢復(かいふく)のことに騒ぎ立っているのも、ただあの人の死の悲しみによってのことではないか、
2.6.2
(われ)も、かばかりの()にて、(とき)(みかど)御女(おほんむすめ)()ちたてまつりながら、この(ひと)のらうたくおぼゆる(かた)は、(おと)りやはしつる
まして、(いま)はとおぼゆるには、(こころ)をのどめむ(かた)なくもあるかな。
さるは、をこなり、かからじ
自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女がいじらしく思えたのは、宮に負けていようか。
それ以上に、今は亡き人かと思うと、心の静めようがない。
とはいえ、愚かしいことだ。そうはすまい」
自分も今日の身になっていて、(みかど)御女(おんむすめ)を妻にしながら、可憐(かれん)なあの人を思ったことは第一の妻に劣らなかったではないか、まして死んでしまった今の悲しみはどうしようもないほどに思われる、見苦しい、こんなふうにはほかから見られまい
2.6.3
(おも)(しの)ぶれど、さまざまに(おも)(みだ)れて、
と我慢するが、いろいろと思い乱れて、
と忍んでいるのであるがと薫は思い乱れながら
2.6.4 「人は木や石ではないので、
人非木石皆有情(ひとほくせきにあらずみなうじやう)不如不逢傾城色(しかずけいせいのいろにあはざるに)
2.6.5
と、うち()じて()したまへり。
と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。
と口ずさんで寝室にはいった。
2.6.6
(のち)のしたためなどもいとはかなくしてけるを、(みや)にもいかが()きたまふらむ」と、いとほしくあへなく、(はは)のなほなほしくて、兄弟(はらから)あるはなどさやうの(ひと)()ふことあんなるを(おも)ひて、こと()ぐなりけむかし」など、(こころ)づきなく(おぼ)す。
後の葬送なども、まことに簡略にしてしまったのを、「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒で張り合いがないので、「母が普通の身分で、兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にするのであったろう」などと、気にくわなくお思いになる。
葬儀なども簡単に済ませたことを宮も飽き足らず思召したことであろうと哀れに思われて、母の身分がよろしくなくて、異父の弟などが幾人も立ち合ってなどとあとに言われることを避けて急いでしたのであろうがと不愉快に薫は思った。
2.6.7
おぼつかなさも(かぎ)りなきを、ありけむさまもみづから()かまほしと(おぼ)せど、長籠(ながご)もりしたまはむも便(びん)なし
()きと()きて()(かへ)らむも心苦(こころぐる)し」など、(おぼ)しわづらふ。
気がかりさも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、「長い忌籠もりなさるのも不都合である。
行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい」などと、ご思案なさる。
くわしい様子も聞かないでいることも物足らず思われ、自身で宇治へ行ってみたいと思うのであるが、喪の家へそのまま忌の明けるまで(こも)っているのも自分としてははばかられる、行くだけ行ってすぐに帰るのも心苦しいことであると思いもだえていた。

第三章 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う


第一段 四月、薫と匂宮、和歌を贈答

3.1.1
(つき)たちて今日(けふ)(わた)らまし」と(おぼ)()でたまふ()夕暮(ゆふぐれ)いとものあはれなり。
御前近(おまへちか)(たちばな)()のなつかしきにほととぎすの二声(ふたこゑ)ばかり()きて(わた)る。
宿(やど)(かよ)はば」と(ひと)りごちたまふも()かねば、(きた)(みや)ここに(わた)りたまふ()なりければ(たちばな)()らせて()こえたまふ。
月が変わって、「今日が引き取る日であったのに」と思い出しなさった夕暮、まことにもの悲しい。
御前近くの橘の香がやさしい感じのところに、ほととぎすが二声ほど鳴いて飛んで行く。
「亡くなった人の所に行くなら」と独り言をおっしゃっても物足りないので、北の宮邸に、そこにお渡りになる日であったので、橘を折らせて申し上げなさる。
月が変わって、今日は宇治へ行ってみようと薫の思う日の夕方の気持ちはまた寂しく、(たちばな)の香もいろいろな連想(れんそう)を起こさせてなつかしい時に、杜鵑(ほととぎす)が二声ほど鳴いて通った。「()き人の宿に通はばほととぎすかけて()にのみなくと告げなん」などと古歌を口にしたままではまだ物足らず思われ、二条の院へ兵部卿の宮の来ておいでになる日であったから、橘の枝を折らせて、歌をつけて差し上げた。
3.1.2 「忍び音にほととぎすが鳴いていますが、
あなた様も泣いていらっしゃいましょうかい
忍び()や君も泣くらんかひもなき
しでのたをさに心通はば
3.1.3
(みや)は、女君(をんなぎみ)(おほん)さまのいとよく()たるを、あはれと(おぼ)して二所(ふたところなが)めたまふ(をり)なりけり。
けしきある(ふみ)かな」と()たまひて
宮は、女君のご様子がとてもよく似ているのを、しみじみとお思いになって、お二方で物思いに耽っていらっしゃるところであった。
「意味のありそうな手紙だ」と御覧になって、
宮は中の君の顔の浮舟によく似たのに心を慰めて、二人で庭をながめておいでになる時であった。言外に意味のあるような歌であると宮は御覧になり、
3.1.4 「橘が薫っているところは、
ほととぎすよ気をつけて
橘の(にほ)ふあたりはほととぎす
心してこそ鳴くべかりけれ
3.1.5
わづらはし」
迷惑なことを」
なんだかかかりあいのあるようなことが言われますね。
3.1.6
()きたまふ。
とお書きになる。
とお返事をあそばした。
3.1.7
女君(をんなぎみ)このことのけしきは皆見知(みなみし)りたまひてけり。
あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけて心深(こころふか)きなかに、我一人(われひとり)もの(おも)()らねば(いま)までながらふるにや。
それもいつまで」と心細(こころぼそ)(おぼ)す。
(みや)も、(かく)れなきものから、(へだ)てたまふもいと心苦(こころぐる)しければ、ありしさまなど、すこしはとり(なほ)しつつ(かた)りきこえたまふ。
女君は、この事件の経緯は、みなご存知なのであった。
「しみじみと言いようもないほどあっけなかった、あれこれにつけて感慨深い中で、自分一人が物思いを知らないので、今まで生き永らえていたのであろうか。
それもいつまで続くやら」と心細くお思いになる。
宮も、隠すことのできないものから、分け隔てなさるのもとてもお気の毒なので、生前の様子などを、少し取り繕いながらお話し申し上げなさる。
宮と浮舟の姫君の関係もまたその人の死も何に基因するかも今は皆わかってしまった中の君は、姉の女王(にょおう)も妹の姫君も物思いがもとで皆若死にをしたあとに、自分だけが残っているのは感情の(にぶ)い質であるからであろうか、それといってもいつまでも生きていられることかと心細く思った。宮も隠してお置きになっても、いずれは知れてしまうことであるのに、隔てを置いたままでいるのは苦しいことであると思召して、浮舟との関係を少しは取り繕って夫人へお話しになった。
3.1.8 「隠していらっしゃったのがつらかった」
「だれであるのかをあなたがどこまでも隠そうとしたのが恨めしかったために反発(はんぱつ)的にそんなことにまで進んでしまったのですよ」
3.1.9
など、()きみ(わら)ひみ()こえたまふにも、異人(ことびと)よりは(むつ)ましくあはれなり
ことことしくうるはしくて(れい)ならぬ(おほん)ことのさまもおどろき(まど)ひたまふ(ところ)にては御訪(おほんとぶ)らひの(ひと)しげく、父大臣(ちちおとど)(せうと)(きみ)たち(ひま)なきも、いとうるさきに、ここはいと(こころ)やすくてなつかしくぞ(おぼ)されける。
などと、泣いたり笑ったりしながら申し上げなさるにつけても、他の人よりは親しみを感じ胸を打つ。
大げさに格式ばって、ご病気の件でも、大騒ぎをなさる所では、お見舞い客が多くて、父大臣や、兄の公達がひっきりなしなのも、とてもうるさいが、ここはたいそう気楽で、慕わしい感じにお思いなさるのであった。
など、泣きも笑いもしながらお語りになる相手が、恋人の姉であることにお慰みになるところも多かった。形式が簡単でなく、ちょっとお身体(からだ)の悪いことのあっても騒ぎがはなはだしくなり、見舞いに集まる人も多く、父の大臣、その息子(むすこ)たちと絶え間なしに病床に付き添っているようなところと変わり、二条の院においでになることは気楽でなつかしい気分を十分お得になられることであったのである。

第二段 匂宮、右近を迎えに時方派遣

3.2.1
いと(ゆめ)のやうにのみなほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、(れい)(ひと)びと()して、右近(うこん)(むか)へに(つか)はす
母君(ははぎみ)さらにこの(みづ)(おと)けはひを()くに、(われ)もまろび()りぬべく、(かな)しく心憂(こころう)きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて(かへ)りたまひにけり。
まことに夢のようにばかり、やはり、「どうして、とても急なことであったのか」とばかり気が晴れないので、いつもの人びとを召して、右近を迎えにやる。
母君も、まったくこの川の音や感じを聞くと、自分もころがり込んでしまいそうで、悲しく嫌なことが休まる間もないので、とても侘しくてお帰りになったのであった。
浮舟の死んだことはまだ夢のようにばかりお思われになり、どうして急にそうなったかという不審がお解けにならぬため、例の内記たちをお召しになり、右近を呼びにおつかわしになった。母の常陸夫人も宇治川の音を聞くと自身も引き入れられるような悲しみが続くために困って京へ帰って行った。
3.2.2
念仏(ねんぶつ)(そう)どもを(たの)もしき(もの)にていとかすかなるに()()たればことことしく、にはかに()ちめぐりし宿直人(とのゐびと)どもも、()とがめず。
あやにくに(かぎ)りのたびしも()れたてまつらずなりにしよ」と、(おも)()づるもいとほし。
念仏の僧どもを頼りとする人として、たいそうひっそりとしているところにやって来たので、厳重に、急に警戒していた宿直人どもも、見咎めない。
「皮肉にも、最期の折にお入れ申し上げることができずに終わってしまったことよ」と、思い出すのもおいたわしい。
念仏の役を勤める僧だけが頼もしい人のようなかすかな家と見えたが、内記がはいって行っても、人が来るとすぐに外を見まわりに来るような宿直(とのい)の侍もない。今はこうであるのに、あの最後の時にだけはこんな者たちが妨げて宮をお入れしなかったと時方(ときかた)らは思い出して悲しんだ。
3.2.3
さるまじきことを(おも)ほし()がるること」と、見苦(みぐる)しく()たてまつれど、ここに()ては、おはしましし()()なのありさま、(いだ)かれたてまつりたまひて(ふね)()りたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどを(おも)()づるに、心強(こころづよ)(ひと)なくあはれなり。
右近会(うこんあ)ひて、いみじう()くもことわりなり。
「とんでもないことをご執着なさったことよ」と、見苦しく拝見したが、こちらに来ては、お越しになった夜々の有様や、お抱かれなさって、舟にお乗りになった感じが、上品でかわいらしかったことなどを思い出すと、気丈な人などもなくしみじみとなる。
右近が会って、ひどく泣くのも道理である。
それほどまでに悲しみにお(おぼ)れにならずともよいではないかと、常は非難がましく宮をお思いしている人たちであるが、ここへ来て見ると、あの無理をして通っておいでになったあの場合、その場合が思い出され、宮にお抱かれして船に乗った方の美しかったことなどを思い出すと、だれも心強くなっておられる者はなくなって皆泣いていた。右近が出て来て非常に泣くのももっともなことと思われた。
3.2.4 「このようにおっしゃるので、お使いに来ました」
宮がこういう思召しで迎えのために自分らをおつかわしになった
3.2.5
()へば、
と言うと、
ということを語ると、
3.2.6
(いま)さらに(ひと)もあやしと()(おも)はむも(つつ)ましく、(まゐ)りても、はかばかしく()こし()(あき)らむばかりもの()こえさすべき心地(ここち)もしはべらず。
この御忌果(おほんいみは)てて、あからさまにもなむ(ひと)()ひなさむも、すこし()つかはしかりぬべきほどになしてこそ、(こころ)より(ほか)(いのち)はべらば、いささか(おも)(しづ)まらむ(をり)になむ、(おほ)(ごと)なくとも(まゐ)りて、げにいと(ゆめ)のやうなりしことどもも、(かた)りきこえまほしき
「今さら、皆が変だと言い思うのも気がひけまして、参上しても、はきはきとご納得の行くようには、何か申し上げられそうな気がしません。
このご忌中が終わって、ちょっとどこそこにと人に言っても、少しふさわしいころになってから、思いの他に生きていましたら、少し気持ちが静まったような時に、ご命令がなくても参上して、おっしゃるようにとても夢のようだった事柄を、お話し申し上げとう存じます」
今になって他の女房たちからも怪しいことと言われ、思われするであろうことが苦しく考えられて、「まいりましてもよくおわかりいただきますほどな細かなお話がまだできます自信がございません。お四十九日が済みましたあとで、ちょっと外へまいると申すような体裁を作りましても不自然でないころになりました時、私はもう生きても居られない気はいたしますものの、まだ生き延びておられましたなら、お召しがございませんでも伺いまして、ほんとうに夢のようでございました悲しいお話も申し上げたいと思います」
3.2.7
()ひて、今日(けふ)(うご)くべくもあらず。
と言って、今日は動きそうにもない。
と言い、今は動きそうにもない。

第三段 時方、侍従と語る

3.3.1 大夫も泣いて、
内記も泣いて、
3.3.2
さらに、この御仲(おほんなか)こと、こまかに()りきこえさせはべらず。
(もの)(こころし)りはべらずながら、たぐひなき御心(みこころ)ざしを()たてまつりはべりしかば、(きみ)たちをも(なに)かは(いそ)ぎてしも()こえ(うけたまは)らむ。
つひには(つか)うまつるべきあたりにこそ、(おも)ひたまへしを、()ふかひなく(かな)しき(おほん)こと(のち)は、(わたくし)御心(みこころ)ざしも、なかなか(ふか)さまさりてなむ」
「まったく、お二方の事は、詳しくは存じ上げません。
物の道理もわきまえていませんが、無類のご寵愛を拝見しましたので、あなた方を、どうして急いでお近づき申し上げよう。
いずれはお仕えなさるはずの方だ、と存じていましたが、何とも言いようもなく悲しいお事の後は、わたし個人としても、かえって悲しみの深さがまさりまして」
「私は何も細かい御関係のことまでは知らないのですし、事情もわかりませんが、宮様がどんなに深い愛をお持ちになりましたかということだけは存じ上げていたものですから、あなたがたとも急いで御懇意にならずとも、しまいには御主人としてお仕えする方についておいでになる方と思いまして呑気(のんき)にして来たのですが、お(かく)れになってはじめてあなたがたにもいろいろと御心配をお掛けしたことが相済まぬ、あなた様はよくお尽くしくださいましたと感謝の念でいっぱいに心がなりました」
3.3.3
(かた)らふ。
と懇切に言う。
などと言っていた。
3.3.4
わざと御車(みくるま)など(おぼ)しめぐらして(たてまつ)れたまへるを、(むな)しくては、いといとほしうなむ。
今一所(いまひとところ)にても(まゐ)りたまへ」
「わざわざお車などをお考えめぐらされて、差し向けなさったのを、空っぽで帰るのは、まことにお気の毒です。
もうお一方でも参上なさい」
「車も宮御自身でお指図(さしず)になってお持たせになったのですから、あき車をまた引かせては帰れません。もう一人の方でも来てくださいませんか」
3.3.5
()へば、侍従(じじゅう)君呼(きみよ)()でて、
と言うので、侍従の君を呼び出して、
と内記が言うので、右近は侍従を呼び、
3.3.6 「それでは、参上なさい」
「あなたが伺ってください、私の代わりに」
3.3.7
()へば、
と言うと、
と言った。
3.3.8
まして何事(なにごと)をかは()こえさせむ。
さても、なほ、この御忌(おほんいみ)のほどにはいかでか。
()ませたまはぬか」
「あなた以上に何を申し上げることができましょう。
それにしても、
やはり、このご忌中の間にはどうして
「あなたでさえもお話を申し上げる自信が持てないのに、私にどうしてそれができましょう。それにしましても忌中の者がお(やしき)へまいったりすることは縁起の悪いことではございませんか」
3.3.9
()へば、
と言うと、

3.3.10
(なや)ませたまふ御響(おほんひび)きにさまざまの御慎(おほんつつし)みどもはべめれど、()みあへさせたまふまじき()けしきになむ。
また、かく(ふか)御契(おほんちぎ)りにては、()もらせたまひてもこそおはしまさめ。
(のこ)りの()いくばくならず。
なほ一所参(ひとところまゐ)りたまへ」
「ご病気で大騒ぎをして、いろいろなお慎みがございますようですが、忌明けをお待ち切れになれないようなご様子です。
また、このように深いご宿縁では、忌籠もりあそばすのでいらっしゃいましょう。
忌明けまでの日も幾日でもない。
やはりお一方参上なさい」
「御病気のためにいろいろなふうに御謹慎をなさらねばならなくなっていらっしゃいますが、そんなこともかまっておいでになれない御様子なのです。また考えてみますと、あれほどお愛しになった方のためには宮様御自身が忌におこもりになってもよろしいわけなのですからね、もう忌の残りが幾日もあるのではないのですから、ぜひお一人だけは来てください」
3.3.11
()むれば、侍従(じじゅう)ぞ、ありし(おほん)さまもいと(こひ)しう(おも)ひきこゆるに、いかならむ()にかは()たてまつらむ、かかる(をり)」と(おも)ひなして(まゐ)りける。
と責めるので、侍従が、以前のご様子もとても恋しく思い出し申し上げるので、「いつの世にかお目にかかることができようか、この機会に」と思って参上するのであった。
内記がこう責めるので、侍従も宮の御様子をおなつかしく思い出している心から、もう一度お目にかかりうる機会などというものはありえないことであるから、こうした時にでもと願うようになり、まいることにした。

第四段 侍従、京の匂宮邸へ

3.4.1
(くろ)(きぬ)ども()て、()きつくろひたる容貌(かたち)もいときよげなり。
()は、ただ今我(いまわれ)より(うへ)なる(ひと)なきにうちたゆみて(いろ)()へざりければ、薄色(うすいろ)なるを()たせて(まゐ)
黒い衣装類を着て、化粧をした容貌もとても美しそうである。
裳は、今後は自分より目上の人はいないとうっかりして、色も染め変えなかったので、薄い紫色のを持たせて参上する。
黒い服ながら引き繕って着た姿はきれいであった。()は現在では主人のいない家であったから喪の色のも作らなかったため、淡紫(うすむらさき)のを持たせて車に乗った。
3.4.2
おはせましかばこの(みち)にぞ(しの)びて()でたまはまし
人知(ひとし)れず心寄(こころよ)せきこえしものを」など(おも)ふにもあはれなり。
(みち)すがら()()くなむ()ける。
「生きていらっしゃったら、この道を人目を忍んでお出になるはずだったのに。
人知れずお心寄せ申し上げていたのに」などと思うにつけ悲しい。
道中泣きながらやって来た。
姫君がおいでになったなら、宮にこうして迎えられておいでになったであろう、自分はその時にお付きして行こうと心にきめていたのであったがと思い出すのは悲しかった。途中をずっと泣きながら侍従は二条の院へまいった。
3.4.3
(みや)は、この人参(ひとまゐ)れり、()こし()すもあはれなり。
女君(をんなぎみ)にはあまりうたてあれば、()こえたまはず。
寝殿(しんでん)におはしまして、渡殿(わたどの)()ろしたまへり
ありけむさまなど(くは)しう()はせたまふに、()ごろ(おぼ)(なげ)きしさま、その夜泣(よな)きたまひしさま、
宮は、この人が参った、とお耳にあそばすにつけてもお胸が迫る。
女君には、あまりに憚れるので、申し上げなさらない。
寝殿にお出でになって、渡殿に降ろさせなさった。
生前の様子などを詳しくお尋ねあそばすと、日頃お嘆きになっていた様子や、その夜にお泣きになった様子を、
兵部卿の宮は侍従の来たしらせをお受けになっても身にしむようにお思われになった。夫人へは恥ずかしくてお話しにはならなかったのである。宮は寝殿のほうへおいでになり、そこの廊のほうへ車を着けさせて侍従を()ろさせになった。浮舟(うきふね)のことをくわしく聞こうとあそばすと、そのずっと前から煩悶(はんもん)をし続けていたこと、その前夜にひどく泣いたことなどを言い、
3.4.4
あやしきまで言少(ことずく)なに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじと(おぼ)すことをも、(ひと)にうち()でたまふことは(かた)く、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひ()くこともはべらず。
(ゆめ)にも、かく心強(こころづよ)きさまに(おぼ)しかくらむとは、(おも)ひたまへずなむはべりし」
「不思議なまでに言葉少なく、ぼんやりとばかりしていらっしゃって、大変だとお思いになることも、他人にお話しになることはめったになく、遠慮ばかりなさったせいでしょうか、言い残しなさることもございません。
夢にも、このような心強いことをお覚悟だったとは、存じませんでした」
「怪しいほどお口数の少ない方で、内気でいらっしゃいましたから、遺言らしいことは何もなさいませんでした。夢にも自殺などという強いことのおできになるとは思われませんでした」
3.4.5
など、(くは)しう()こゆれば、ましていといみじう、さるべきにてもともかくもあらましよりも、いかばかりものを(おも)()ちて、さる(みづ)(おぼ)れけむ」と(おぼ)しやるに、これを()つけて()きとめたらましかば」と、()きかへる心地(ここち)したまへど、かひなし。
などと、詳しく申し上げると、ひとしお実に悲しく思われて、「前世からの因縁で、病死などすることなどよりも、どんなに覚悟なさって、そのような川の中に溺死したのだろう」とお思いやりなさると、「その場を見つけてお止めできたら」と、煮えかえる気持ちがなさるが、どうしようもない。
などと侍従が話すことによって、宮はいっそうお悲しみが深くなり、命数が尽きて死んだということよりも、どんなに物思いを多くして恐ろしい川へなど身を投げたのであろうと御想像あそばすのが苦しく、その時に見つけることができてとどめえたならばと、沸きかえるような心持ちにおなりになるのであるが、今ではすべてむなしいことであった。
3.4.6
御文(おほんふみ)()(うしな)ひたまひしなどに、などて()()てはべらざりけむ」
「お手紙をお焼き捨てになったことなどに、どうして不審に思わなかったのでございましょう」
「あのお手紙を始末してお焼きになりました時に、なぜ私らの頭が働かなかったのでございましょう」
3.4.7
など、夜一夜語(よひとよかた)らひたまふに、()こえ()かす。
かの巻数(かんず)()きつけたまへりし母君(ははぎみ)(かへ)(ごと)などを()こゆ。
などと、一晩中お聞きなさるので、お話し申し上げて夜が明ける。
あの巻数にお書きつけになった、母君の返事などを申し上げる。
と侍従は言ったりして、夜の明けるまで語っても語り足りないというふうであった。寺からもらった経巻へ書いて母君の返事にした歌のことなどもお話しした。

第五段 侍従、宇治へ帰る

3.5.1
(なに)ばかりのものとも御覧(ごらん)ぜざりし(ひと)(むつ)ましくあはれに(おぼ)さるれば、
何程の者ともお考えでなかった侍従も、親しくしみじみと思われなさるので、
侍従などは何とも宮の思っておいでにならなかった女であったが、哀れに思召すために、
3.5.2 「わたしの側にいなさい。
あちらにも縁がないではない」
「自分の所にいるがよい。あちらにいる奥さんもあの人には他人でなかったのだから」
3.5.3
とのたまへば、
とおっしゃると、
と仰せられたが、
3.5.4
さて、さぶらはむにつけても、もののみ(かな)しからむを(おも)ひたまへれば、(いま)この御果(おほんは)てなど()ぐして」
「そのようにして、お仕えしますにつけても、何となく悲しく存じられますので、もう暫くこの御忌みなどを済ませましてから」
「そうしてお仕えさせていただきましては何も何も悲しいことになりましょう。ともかくもお忌を済ませましてから、どうとも身の振り方を考えます」
3.5.5
()こゆ。
またも(まゐ)」など、この(ひと)をさへ、()かず(おぼ)す。
と申し上げる。
「再び参るように」などと、この人までも、別れがたくお思いになる。
侍従はこう申し上げた。「また来るがいい」こんな人とすらも別れるのを悲しく宮は思召した。
3.5.6
暁帰(あかつきかへ)るにかの御料(ごれう)とてまうけさせたまひける(くし)筥一具(はこひとよろひ)衣筥一具(ころもばこひとよろひ)贈物(おくりもの)にせさせたまふ
さまざまにせさせたまふことは(おほ)かりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこの(ひと)(おほ)せたるほどなりけり。
早朝に帰る時に、あの方の御料にと思って準備なさっていた櫛の箱一具、衣箱一具を、贈物にお遣わしになる。
いろいろとお整えさせになったことは多かったが、仰々しくなってしまいそうなので、ただ、この人に与えるのに相応な程度であった。
浮舟のために作らせておありになった(くし)の箱一具、衣裳(いしょう)箱一つを宮は贈り物にあそばした。その人のためにお設けになった物は多かったのであるが、これはただ内記に託しておこしらえになっただけのものであった。
3.5.7
なに(ごころ)もなく(まゐ)りて、かかることどものあるを、(ひと)はいかが()む。
すずろにむつかしきわざかな」
「何も考えなく参上して、このようなことがあったのを、女房はどのように見るだろうか。
何となく厄介なことだわ」
突然山荘を出て来て、こうした(いただ)き物をして帰っては他の人々が何と思うであろう、
3.5.8
(おも)ひわぶれど、いかがは()こえ(かへ)さむ。
と困るが、どうして辞退申し上げられよう。
少し困ったことであると侍従は思ったのであるが、御辞退のできることでもなかった。
3.5.9
右近(うこん)二人(ふたり)(しの)びて()つつ、つれづれなるままに、こまかに(いま)めかしうし(あつ)めたることどもを()ても、いみじう()く。
装束(さうぞく)もいとうるはしうし(あつ)めたるものどもなれば、
右近と二人で、こっそりと見ながら、所在ないままに、精巧で今風に仕立ててあるのを見ても、ひどく泣く。
装束もたいそう立派に仕立て上げられたものばかりなので、
宇治へ帰った侍従は右近と二人でひそかに櫛の箱と衣箱の衣裳をつれづれなままにこまごまと見た。はなやかな錦繍(きんしゅう)の服と精巧な作の箱、その中の小箱を見ながらも二人は非常に泣いた。
3.5.10 「このような服喪期間中なので、これをどう隠したものか」
喪にこもっている自分たちはこれをどう隠しておればいいかということにも苦心を要した。
3.5.11
など、もてわづらひける。
などと、困るのであった。
薫も思い余って宇治へ行くことにした。

第四章 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む


第一段 薫、宇治を訪問

4.1.1
大将殿(だいしゃうどの)も、なほ、いとおぼつかなきに、(おぼ)(あま)りておはしたり。
(みち)のほどより、(むかし)(こと)どもかき(あつ)めつつ、
大将殿も、同じように、まことに不審でしょうがないので、思い余りなさってお出でになった。
道中から、昔の事を一つ一つ思い出して、
途中からもう昔のことがいろいろと胸へ集まってきて、
4.1.2
いかなる(ちぎ)りにてこの父親王(ちちみこ)(おほん)もとに()そめけむ。
かかる(おも)ひかけぬ()てまで(おも)ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ(おも)ふよ。
いと(たふと)くおはせしあたりに、(ほとけ)をしるべにて、(のち)()をのみ(ちぎ)りしに、(こころ)きたなき(すゑ)(たが)ひめに、(おも)()らするなめり」
「どのような縁で、この父親王のお側に来初めたのだろう。
このように思いもかけなかった人の最期まで世話をし、この一族のことにつけては、物思いばかりすることよ。
たいそう尊くおいでになった所で、仏のお導きによって、来世ばかりを祈願していたのに、心汚い末路の思惑違いによって、世の無常を思い知らせるようだ」
どんな因縁で八の宮の所へ自分は行き始めたのであろう、二人の女王に失恋をして、父宮から子とも認められなかった人にまで縁が生じ、この一家との結ばれによって物思いばかりを自分はし続ける、尊い悟りをお持ちになった方へ仏の導きで近づき、未来の世界での交わりを約していながら、女王に心を引かれ始めて、信仰をよそにした報いを受けるのであろう
4.1.3
とぞおぼゆる。
右近召(うこんめ)()でて、
と思われなさる。
右近を召し出して、
と、こんなことも思われた。大将は右近を前に呼んで話そうとしたが、悲しみが先に立ちはかばかしい質問もできない。
4.1.4
ありけむさまもはかばかしう()かず、なほ、()きせずあさましう、はかなければ、(いみ)(のこ)りもすくなくなりぬ。
()ぐして、(おも)ひつれど、(しづ)めあへずものしつるなり。
いかなる心地(ここち)にてか、はかなくなりたまひにし」
「生前の様子もはっきりとは聞かず、やはり、尽きせず呆れて、あっけないので、忌中期間も少なくなった。
過ぎてから、と思っていたが、抑えきれずにやって来たのです。
どのような気持ちで、お亡くなりになったのですか」
「もう忌の残りの日も少なくなったのだから済んでからと思ったが、どうしても待ちきれないものがあって来た。どんな病状でにわかにあの方は死ぬようになられたか」
4.1.5
()ひたまふに、尼君(あまぎみ)などもけしきは()てければ、つひに()きあはせたまはむを、なかなか(かく)しても、こと(たが)ひて()こえむに、そこなはれぬべし。
あやしきことの(すぢ)にこそ虚言(そらごと)(おも)ひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなる()けしきにさし()かひきこえては、かねて、と()はむ、かく()はむと、まうけし言葉(ことば)をも(わす)れ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもを()こえつ。
とお尋ねなさると、「尼君なども、経緯は知ってしまったので、結局はお聞き合わせになるであろうから、なまじ隠しだてしても、話がくいちがって聞かれるのも、具合の悪いことになろう。
変な話には、嘘を考えて何度も言ってきたが、このような真面目な態度のお前に対座申し上げては、前もって、ああ言おう、こう言おうと、用意していた言葉も忘れ、困ること」と思われたので、生前の様子のあれこれを申し上げた。
と問われ、右近は弁の尼なども姫君の遺骸のなくなっていたことは()どっているのであるから、隠してもしまいには薫の耳にはいることに違いない、かえってことを(おお)おうとして誤解を招くことになっては姫君が気の毒である、あの不始末を処理するためにはいろいろな(うそ)も言われたのであるが、このまじめな人に対しては、今までも()った時にはこうも弁解しああも言ってと考えていたことは皆忘れてしまい、嘘は恐ろしくなり真実の話をした。

第二段 薫、真相を聞きただす

4.2.1
あさましう、(おぼ)しかけぬ(すぢ)なるに(もの)もとばかりのたまはず。
驚き呆れて、思いもかけなかったことなので、一言も暫くの間はおっしゃれない。
これは薫の想像にものぼらなかったことであったから、驚きのためにしばらくはものも言われなかった。
4.2.2
さらにあらじとおぼゆるかな。
なべての(ひと)(おも)()ふことをも、こよなく言少(ことずく)なに、おほどかなりし(ひと)は、いかでかさるおどろおどろしきことは(おも)()つべきぞ。
いかなるさまにこの(ひと)びと、もてなして()ふにか
「難とも信じがたいと思われることだ。
普通誰でもが思ったり言ったりすることも、この上なく言葉少なく、おっとりしていた人が、どうしてそのような恐ろしいことを思い立ったのだろう。
どのような様子のために、この人びとは、取り繕って言うのであろうか」
それを真実とは信じがたい、普通の人が煩悶(はんもん)をしたり、悲しんだりする場合にも多くは口に言わずおおようにしていた人にどうしてそんな恐ろしいことが思い立たれるか、そのほかの事実を自分へこう取り繕って言うのではなかろうか
4.2.3
御心(みこころ)(みだ)れまさりたまへど、(みや)(おぼ)(なげ)きたるけしき、いとしるし、(こと)のありさまもしかつれなしづくりたらむけはひは、おのづから()えぬべきを、かくおはしましたるにつけても(かな)しくいみじきことを、上下(かみしも)人集(ひとつど)ひて()(さわ)ぐを」と、()きたまへば、
とお気持ちもいっそう困惑なさるが、「宮もお嘆きになっていた様子、まことにはっきりしていたし、事の成り行きも、そんなそ知らぬふりを装った態度は、自然と分かってしまうものだから、このようにお出でになったにつけても、悲しくてやりきれないことを、身分の上下の人が皆集まって泣き騒いでいるのだから」と、お聞きになると、
と、いっそう心の乱れてゆくのを覚える薫であったが、しかしあの人をお隠しになったようでもなく宮が悲しんでおいでになったことは著しいことであったし、この家の様子も、死が作り事であれば自然に気配(けはい)が違っているはずであるのに、自分の来たのを見ると人は上から下まで集まって来て泣き騒いでいるではないかと考え、
4.2.4
御供(おほんとも)()して()せたる(ひと)やある。
なほ、ありけむさまをたしかに()へ。
(われ)をおろかに(おも)ひて(そむ)きたまふことは、よもあらじとなむ(おも)ふ。
いかやうなる、たちまちに、()()らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。
(われ)なむえ(しん)ずまじき」
「お供をしていなくなった人はいないか。
さらに、その時の状況をはっきり言いなさい。
わたしを薄情だと思ってお裏切になることは、決してないと思う。
どのような、急に、わけの分からないことがあってか、そのようなことをなさったのだろう。
わたしは信じることができない」
「奥さんといっしょに行ってしまった人があるか、もっと詳細にその時のことを言ってくれ。私に誠意がないからほかへ行ってしまう気にあの人がなったとは思われない。何もなくてにわかにそんなことができるか、私は信じることができない」
4.2.5
とのたまへば、いとどしくさればよ」とわづらはしくて、
とおっしゃるので、「一段として、心配していたとおりであったよ」と厄介なことに思って、
と言った。予期した詰問であると右近は恐れた。
4.2.6
おのづから()こし()しけむ
もとより(おぼ)すさまならで()()でたまへりし(ひと)の、世離(よばな)れたる御住(おほんす)まひの(のち)は、いつとなくものをのみ(おぼ)すめりしかど、たまさかにもかく(わた)りおはしますを、()ちきこえさせたまふに、もとよりの御身(おほんみ)(なげ)きをさへ(なぐさ)めたまひつつ、(こころ)のどかなるさまにて、時々(ときどき)()たてまつらせたまふべきやうにはいつしかとのみ、(こと)()でてはのたまはねど、(おぼ)しわたるめりしを、その御本意(おほんほい)かなふべきさまに(うけたまは)ることどもはべりしに、かくてさぶらふ(ひと)どもも、うれしきことに(おも)ひたまへいそぎ、かの筑波山(つくばやま)からうして(こころ)ゆきたるけしきにて、(わた)らせたまはむことをいとなみ(おも)ひたまへしに、心得(こころえ)御消息(おほんせうそこ)はべりけるにこの宿直仕(とのゐつか)うまつる(もの)どもも、女房(にょうばう)たちらうがはしかなり、など、(いまし)(おほ)せらるることなど(まう)して、ものの心得(こころえ)荒々(あらあら)しきは田舎人(ゐなかびと)どものあやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、その(のち)(ひさ)しう御消息(おほんせうそこ)などもはべらざりしに心憂(こころう)()なりとのみ、いはけなかりしほどより(おも)()るを、人数(ひとかず)にいかで()なさむとのみ、よろづに(おも)(あつか)ひたまふ母君(ははぎみ)の、なかなかなることの、人笑(ひとわら)はれになりてはいかに(おも)(なげ)かむ、などおもむけてなむ(つね)(なげ)きたまひし。
「自然とお耳に入っておりましょう。
初めから不如意な境遇でお育ちになりました方で、人里離れたお住まいで暮らした後は、いつとなく物思いばかりをなさっていたようでしたが、たまにこのようにお越しになりますのを、お待ち申し上げなさることで、もともとのお身の上の不幸までをお慰めになりながら、のんびりとした状態で、時々お逢い申し上げなされるように、早く早くとばかり、言葉に出してはおっしゃいませんが、ずっとお思いでいらしたらしいのを、そのご念願が叶うように承ったことがございましたのに、こうしてお仕えする者どもも、嬉しいことと存じて準備致し、あの筑波山の母君も、やっとのことで念願が叶ったような様子で、お移りになることをご準備なさっていたのに、納得できないお手紙がございましたので、ここの宿直などに仕える者どもも、女房たちがふしだらなようだ、などと、厳しくご命令なさったことなどを申して、物の情理をわきまえない荒々しいのは田舎者どもの、間違いでもあったかのように取り扱い申すことがございましたが、その後、長らくお手紙などもございませんでしたので、情けない身の上だとばかり、幼かった時から思い知っていたが、何とか一人前にしようとばかり、いろいろとお世話なさっていた母君が、なまじその事によって、世間の物笑いになったら、どんなに嘆くだろう、などと悪いほうに考えて、いつも嘆いていらっしゃいました。
「もうおわかりになっていらっしゃいましたでしょうが、宮様の姫君としてお育てられになったのではございませんでしたから、心でいろいろ御苦労をなされた方でございます。それが寂しいお住まいをなさることになりましてからはいつからともなく物思いをなさいますことになりましたのですが、たまさかにもせよあなた様がおいでになります時のお喜びで過去の不幸も御自身でお慰めになりながらも始終お逢いあそばすことのできますような日の出現を、口に出してはおっしゃいませんでしたが始終そればかり待っておいでになったふうでございました。ようやくそのお望みのかないます御様子と私どもにもうかがえますことがございまして、うれしく存じて御用意にかかっておりまして、常陸守(ひたちのかみ)の奥様もやっとお喜びになることができた御様子でお仕度(したく)のことなどをあちらからもいろいろとお世話をしていらっしゃいましたころになりまして、姫君には御合点のゆかぬような御消息がございましたそうで、それと同時に宿直(とのい)をいたしている侍たちが女房の中に品行の修まらぬ者があるとか京のお(やしき)で申されたとか言いだしまして、ものの理解のない田舎(いなか)の人が無遠慮なことをよく言ってまいったりすることになりますし、あなた様から久しくおたよりもございませんことなどから、自分は薄命なものだと小さい時から知っていたのを、人並みの幸福を得させようと心を砕いておいでになる母君が、また今になって自分が世間の笑われものになったりしては、どんなに力を落とすだろうと、こんなお心持ちをそれとなく私どもへ始終言ってお歎きになりました。
4.2.7
その(すぢ)よりほかに何事(なにごと)をかと、(おも)ひたまへ()るに、()へはべらずなむ。
(おに)などの(かく)しきこゆとも、いささか(のこ)(ところ)もはべるなるものを
その方面より他に、何があろうかと、考えめぐらして見ますに、思い当たることはございません。
鬼などがお隠し申したとしても、少しは残るものがございますと聞いておりますものを」
それ以外に何があるかと考えましても、何も思い当たることはございません。鬼が隠すことがありましても片端くらいは残すでしょうのに」
4.2.8
とて、()くさまもいみじければ、「いかなることにか」と(まぎ)れつる御心(みこころ)()せてせきあへたまはず。
と言って、泣く様子もたいそうなので、「どのようなことでか」とお疑いになっていた気持ちも消えて、お涙が抑えがたい。
と言って右近の泣く様子は、見ていても堪えられなくなるほどのものであったから、宮との例の恋愛の事実は無根でないらしいと悟った時から少し紛れていた薫の悲しみがよみがえり、せきあえぬふうにこの人も泣いた。

第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る

4.3.1
(われ)(こころ)()をもまかせず顕証(けんしょう)なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと(おも)(をり)も、今近(いまちか)くて(ひと)心置(こころお)くまじく、()やすきさまにもてなして、()末長(すゑなが)くを、(おも)ひのどめつつ()ぐしつるを、おろかに()なしたまひつらむこそなかなか()くる(かた)ありけるとおぼゆれ。
「わたしは思いどおりに振る舞うこともできず、何事も目立ってしまう身分であるから、気がかりだと思う時にも、いずれ近くに迎えて、何の不満足もなく、世間体もよく持てなして、将来末長く添い遂げよう、とはやる心を抑えながら過ごして来たが、冷淡だとおとりになったのは、かえって他に分ける心がおありだったのだろう、と思われます。
「自分の身が自分の思っているとおりにはできず、晴れがましい身の上になってしまったのだから、逢って慰めたいという心の起こる時も、そのうち近くへ呼び寄せ、家の妻にも不安を覚えさせないようにしてから、長い将来を幸福にしたいと、自分をおさえてきたのを、誠意がなかったように思われたのも、かえってあの人に二心があったからではないかという気がされる。
4.3.2
(いま)は、かくだに()はじと(おも)へど、また(ひと)()かばこそあらめ。
(みや)(おほん)ことよ。
いつよりありそめけむ。
さやうなるにつけてや、いとかたはに(ひと)(こころ)(まど)はしたまふ(みや)なれば、(つね)にあひ()たてまつらぬ(なげ)きに、()をも(うしな)ひたまへる、となむ(おも)ふ。
なほ、()へ。
(われ)には、さらにな(かく)しそ」
今さら、こんなことは言うまいと思うが、他に人が聞いているのならともかくだが。
宮のお事ですよ。
いつから始まったのでしょうか。
そのようなことが原因でか、まことに不都合にも、女の心を迷わしなさる宮だから、いつもお逢いできない嘆きで、身をなきものにされたのか、と思う。
ぜひ、言え。
わたしには、少しも隠すな」
もうそんなことは言わずにおこうと思ったが、だれも聞いていないのだから事実を私に聞かせてくれ、それは兵部卿(ひょうぶきょう)の宮様のことだ。いつごろからのことだったのか、恋愛の技術には長じておいでになる方だから、女の心をよくお引きつけになって、始終お逢いできぬ歎きがこうさせておしまいになり、命もなくしたのではないかと思う。隠さずに真実を言ってくれ。自分に少しの欺瞞(ぎまん)もないことを言ってほしい」
4.3.3 とおっしゃると、「確かな事をお聞きになっているのだ」と、とても困ってしまって、
(かおる)の言うのを聞いて、確かなことを皆知っておしまいになったようである、この方もお気の毒であるし、故人もおかわいそうであると右近は思った。
4.3.4
いと心憂(こころう)きことを()こし()しけるにこそははべるなれ。
右近(うこん)もさぶらはぬ(をり)ははべらぬものを」
「まことに情けないことをお聞きになったようでございます。
右近めもお側に伺候していません折はございませんでしたものを」
「情けないことをお聞きあそばしたものでございますね。右近がおそばにおらぬ時といってはございませんでしたのに」
4.3.5
(なが)めやすらひて、
と物思いにふけりためらって、
と言い、右近はしばらく黙っていたが、
4.3.6 「自然とお聞き及びになったことでございましょう。
この宮の上のお所に、こっそりとお行きになったとき、呆れたことに思いがけない間に、お入りになって来ましたが、たいそう手厳しいことを申し上げまして、お出になりました。
その事に恐がりなさって、あの見苦しうございました隠れ家にお移りになったのです。
「そんなこともお聞きになっていらっしゃいましょうが、お姉様の二条の院の奥様の所へ行っておいでになりました時、思いがけずそのお部屋(へや)へ宮様がお見えになったことがあるのでございますが、失礼なことも皆でいろいろ申し上げましてお立ち去りを願ったのでございました。実はそれを恐ろしいことに思召して、あの三条の仮屋(かりや)のような所にしばらくお住いになったのでございます。
4.3.7
その(のち)(おと)にも()こえじ、(おぼ)してやみにしを、いかでか()かせたまひけむ。
ただ、この如月(きさらぎ)ばかりより(おとづ)れきこえたまふべし
御文(おほんふみ)は、いとたびたびはべりしかど御覧(ごらん)()るることもはべらざりき。
いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、右近(うこん)など()こえさせしかば、一度二度(ひとたびふたたび)()こえさせたまひけむ。
それより(ほか)のことは()たまへず
その後は、噂としてでも知られまい、とお思いになって終わったのを、どうしてお耳にあそばしたのでしょうか。
ちょうど、この二月頃から、お便りを頂戴するようになりましたのでしょう。
お手紙は、とても頻繁にございましたようですが、御覧になることもございませんでした。
まことに恐れ多く、失礼な事になりましょうと、右近めなどが申し上げましたので、一度か二度はお返事申し上げましたでしょうか。
それ以外の事は存じません」
それからは決してお在処(ありか)をお知らせしますまいと警戒をいたしておりましたのに、どういたしましたことか今年(ことし)の二月ごろからおたよりがまいるようになりました。お手紙はたびたびまいったのですが、丁寧にお頼みになることもございませんでしたのを、もったいないことで、そうしてお置きになりますことはかえって悪い結果を生みますと私などがお勧めいたしましたので、一度か二度はお返事をあそばしたことがあったようでございます。それ以外のことは何もございません」
4.3.8
()こえさす。
と申し上げる。
こう言った。
4.3.9
かうぞ()はむかし
しひて()はむもいとほしく」て、つくづくとうち(なが)めつつ、
「このように言うに決まっていることなのだ。
無理に問い質すのも気の毒だから」と、つくづくと物思いに耽りながら、
そう言うべきことである、しいてそれ以上を聞くのもこの人がかわいそうであると薫は思い、じっとひと所をながめながら、
4.3.10
(みや)をめづらしくあはれと(おも)ひきこえても、わが(かた)をさすがにおろかに(おも)はざりけるほどに、いと(あき)らむるところなくはかなげなりし(こころ)にて、この(みづ)(ちか)きをたよりにて、(おも)()るなりけむかし。
わがここにさし(はな)()ゑざらましかばいみじく()()()とも、いかでか、かならず(ふか)(たに)をも(もと)()でまし
「宮をめったにないいとしい方と思い申し上げても、自分のほうをやはりいい加減には思っていなかったために、どうしたらよいか分からなくなって、頼りない考えで、この川に近いのを手だてにして、思いついたのであろう。
自分がここに放って置かなかったら、たいそうつらい生活であっても、どうして、必ず深い谷を探して身投げをしなかっただろうに」
宮をお愛ししたのであろうが、自分をもおろそかには思えなかったらしい、迷い迷って死におもむいたのであろう、自分がこうした寂しい場所へさえ置かなんだならば、世の中の波にもまれることはあっても、自殺までもすることはなかったであろうと思うと、
4.3.11
と、「いみじう()(みづ)(ちぎ)りかな」と、この(かは)(うと)ましう(おぼ)さるること、いと(ふか)し。
(とし)ごろ、あはれと(おも)ひそめたりし(かた)にて(あら)山路(やまぢ)()(かへ)りしも、(いま)は、また心憂(こころう)くて、この(さと)()をだに()くまじき心地(ここち)したまふ。
と、「ひどく嫌な川の名の縁であるよ」と、この川が疎ましく思われなさること、甚だしい。
長年、恋しいと思われなさっていた所で、荒々しい山路を行き来したのも、今では、また情けなくて、この里の名を聞くのさえ耐えがたい気がなさる。
この川のあったがために悲しい結末を見ることになったのであると、宇治の流れを憎く思う薫であった。恋しい人の縁で荒い山路(やまみち)往復(ゆきかえり)することを何とも思わなかった薫は、この時になって宇治という名を聞くことさえいやであるように思った。

第四段 薫、宇治の過去を追懐す

4.4.1
(みや)(うへ)のたまひ(はじ)めし、人形(ひとかた)とつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わが(あやま)ちに(うしな)ひつる(ひと)なり」と(おも)ひもてゆくには、(はは)のなほ(かろ)びたるほどにて、(のち)後見(うしろみ)いとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と(こころ)ゆかず(おも)ひつるを、(くは)しう()きたまふになむ、
「宮の上が、おっしゃり始めた、人形と名付けたのまでが不吉で、ただ、自分の過失によって亡くした人である」と考え続けて行くと、「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と合点が行かず思っていたが、詳しくお聞きになると、
宮の夫人があの姫君のことを初めに戯れて人型(ひとがた)と名づけて言ったのも、川へ流れてゆく前兆を作ったものであったかと思うと、何にもせよ自分の軽率さから死なせたという責任も感じられた。母の現在の身分が身分であったから、葬式なども簡単にしてしまったのであろうと不快に思ったこともくわしく聞いたことによって、そうした想像をしたことが気の毒になり、
4.4.2
いかに(おも)ふらむ
さばかりの(ひと)()にては、いとめでたかりし(ひと)を、(しの)びたることはかならずしもえ()らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ(おも)ふなるらむかし」
「どのように思っているだろう。
あの程度の身分の子としては、まことに結構であった人を、秘密の事は必ずしも知らないで、自分との縁でどのようなことがあったのであろう、と思っているであろう」
母としてはどんなに悲しがっていることであろう、あの身分の母の子としてはりっぱ過ぎた姫君であったのを、陰のことは知らずに自分との縁により、姫君が煩悶をしたこともあったとして悲しんでいることかもしれぬ
4.4.3
など、よろづにいとほしく(おぼ)す。
(けが)らひといふことはあるまじけれど、御供(おほんとも)人目(ひとめ)もあれば(のぼ)りたまはで御車(みくるま)(しぢ)()して、妻戸(つまど)(まへ)にぞゐたまひけるも、見苦(みぐる)しければ、いと(しげ)()(した)に、(こけ)御座(おまし)にて、とばかり()たまへり。
(いま)ここを()()むことも心憂(こころう)かるべし」とのみ、()めぐらしたまひて、
などと、いろいろとお気の毒にお思いになる。
穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるので、お上がりにならず、お車の榻を召して、妻戸の前で座っていたのも、見苦しいので、たいそう茂った樹の下で、苔をお敷物として、暫くお座りになった。
「今ではここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
などと同情がされるのであった。(けが)れというものはこの家にないはずであるが、供の人たちへの手前もあって家の上へは上がらず車の(しじ)という台を腰掛けにして妻戸の前で今まで薫は右近と語っていたのである。これを長く続けているのも見苦しく思われて茂った木の下の(こけ)の上を座にしてしばらく休んでいた。もう山荘に来てみることも心を悲しくするばかりであろうから、今後来ることはないであろうと思い、その辺を見まわして、
4.4.4 「わたしもまた、
嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら
われもまたうきふるさとをあれはてば
たれ宿り木の(かげ)をしのばん
4.4.5
阿闍梨(あじゃり)(いま)律師(りし)なりけり
()して、この法事(ほふじ)のことおきてさせたまふ。
念仏僧(ねんぶつそう)数添(かずそ)へなどせさせたまふ。
(つみ)いと(ふか)かなるわざ」と(おぼ)せば、(かろ)むべきことをぞすべき、七日七日(なぬかなぬか)経仏供養(きゃうほとけくやう)ずべきよしなど、こまかにのたまひて、いと(くら)うなりぬるに(かへ)りたまふも、あらましかば、今宵帰(こよひかへ)らましやは」とのみなむ。
阿闍梨は、今では律師になっていた。
呼び寄せて、この法事の事をお命じ置きになる。
念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。
「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、その軽くなることをするように、七日七日ごとにお経や仏を供養するようになど、こまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのも、「もしも生きていたら、今夜のうちに帰ろうか」とばかりである。
こんな歌を口ずさんだ。以前の阿闍梨(あじゃり)も今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟(うきふね)の法事のことを大将は指図(さしず)していた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。自殺者の罪の重いことを考えてその滅罪の方法も大将はとりたい、七日七日に経巻と仏像の供養をすることなども言い置いて、暗くなったのに帰って行く時、あの人がいたならば今夜は帰ることでないのであると悲しかった。
4.4.6
尼君(あまぎみ)消息(せうそこ)せさせたまへれど、
尼君にも挨拶をおさせになったが、
尼君の所へ人をやったが、
4.4.7
いともいともゆゆしき()をのみ(おも)ひたまへ(しづ)みて、いとどものも(おも)ひたまへられず、ほれはべりてなむ、うつぶし()してはべる」
「とてもとても不吉な身だとばかり存じられ沈み込んで、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」
「私と申すものが凶事のしるしのように思われまして、心をめいらせておりますこのごろは、以前よりもいっそうぼけてしまいまして、うつ伏しに(やす)んだままでおります」
4.4.8
()こえて、()()ねば、しひても()()りたまはず。
と申し上げて、出て来ないので、無理してはお立ち寄りにならない。
と言い、話しに出てこなかったので、しいて逢おうとは言わなかった。
4.4.9
(みち)すがら、とく(むか)()りたまはずなりにけること(くや)しう、(みづ)(おと)()こゆる(かぎ)りは、(こころ)のみ(さわ)ぎたまひて、(から)をだに(たづ)ねず、あさましくてもやみぬるかな。
いかなるさまにて、いづれの(そこ)のうつせに()じりけむ」など、やる(かた)なく(おぼ)す。
道中、早くお迎えしなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間は、心も落ち着きなさらず、「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったなあ。
どのような状態で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。
(みち)すがら薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことの後悔ばかりを覚えて、水の音の聞こえてくる間は心が騒いでしかたがなかった。遺骸だけでも捜してやることをしなかったと残念でならないのであった。どんなふうになってどこの海の底の貝殻(かいがら)に混じってしまったかと思うと遣瀬(やるせ)なく悲しいのであった。

第五段 薫、浮舟の母に手紙す

4.5.1
かの母君(ははぎみ)は、(きゃう)子産(こう)むべき(むすめ)のことにより、(つつし)(さわ)げば(れい)(いへ)にも()かず、すずろなる旅居(たびゐ)のみして(おも)(なぐさ)(をり)もなきに、「また、これもいかならむ」と(おも)へど、(たひ)らかに()みてけり。
ゆゆしければ、()らず、(のこ)りの(ひと)びとの(うへ)おぼえず、ほれ(まど)ひて()ぐすに、大将殿(だいしゃうどの)より御使忍(おほんつかひしの)びてあり。
ものおぼえぬ心地(ここち)にも、いとうれしくあはれなり。
あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって、穢れを騒ぐので、いつものわが家にも行かず、心ならずも旅寝ばかり続けて、思い慰む時もないので、「また、この娘もどうなるのだろうか」と心配するが、無事に出産したのであった。
穢れているので、立ち寄ることもできず、残りの家族のことも考えられず、茫然として過ごしていると、大将殿からお使いがこっそりと来た。
何も考えられない気持ちにも、たいそう嬉しく感動した。
常陸夫人は京に産をする娘のあるために潔斎潔斎ときびしく言われる家へははいれないで、他のところにいて悲しみの休む(ひま)もないのである、その娘もまたどうなることかと不安だったがそれは安産した。(けが)れがあってはこれも見に行くことができないのである、そのほかの子供たちのことも皆忘れたようになり、茫然(ぼうぜん)としている時に右大将からそっと使いが来て手紙をもらった。ぼけている心にもそれはうれしかったが、また悲しくもなった。
4.5.2
あさましきことはまづ()こえむと(おも)ひたまへしを、(こころ)ものどまらず、()もくらき心地(ここち)して、まいていかなる(やみ)にか(まど)はれたまふらむとそのほどを()ぐしつるに、はかなくて()ごろも()にけることをなむ。
()(つね)なさも、いとど(おも)ひのどめむ(かた)なくのみはべるを、(おも)ひの(ほか)にもながらへば、()ぎにし名残(なごり)とはかならずさるべきことにも(たづ)ねたまへ」
「あまりの出来事に、さっそくお見舞い申そうと存じてましたが、気持ちも落ち着かず、目も涙に暮れた心地がして、それ以上にどんなにか心が闇に暮れていらっしゃるだろうかと、暫く待っていましたうちに、あっという間に幾日もたってしまったこと。
世の中の無常も、ますます呑気に構えていられない気がしますが、案外に生き永らえましたら、亡くなった方の縁者として、きっと何かの時には声をかけてください」
思いがけぬ不幸にあい、まずあなたに悲しみを訴えたいと思ったのですが、心が落ち着かず、また涙に目も暗くなる気がして実行はできませんでした。ましてあなたはどんなに悲しんでおいでになることだろう。涙に沈んでおいでになることだろうと思いますと、手紙をあげてもお読みにはなれまいと遠慮も申しているうちに日がずんずんとたちました。人生の常なさがことごとに形となってわれらをおびやかします。この悲しみにも堪える力の許されて、私が生きていましたなら、故人の縁のあった者として何かのことは御相談もしてください。
4.5.3
など、こまかに()きたまひて、御使(おほんつかひ)には、かの大蔵大輔(おほくらのちふ)をぞ(たま)へりける。
などと、こまごまとお書きになって、お使いには、あの大蔵大輔を差し向けなさった。
などとこまやかな心で書かれたものだった。使いにはあの大蔵大輔(たゆう)が来たのである。
4.5.4
(こころ)のどかによろづを(おも)ひつつ、(とし)ごろにさへなりにけるほどかならずしも(こころ)ざしあるやうには()たまはざりけむ。
されど、(いま)より(のち)(なに)ごとにつけても、かならず(わす)れきこえじ。
また、さやうにを人知(ひとし)れず(おも)()きたまへ。
(をさな)(ひと)どももあなるを、朝廷(おほやけ)(つか)うまつらむにも、かならず後見思(うしろみおも)ふべくなむ」
「悠長に万事を構えて、幾年もたってしまったので、必ずしも誠意があるようには御覧にならなかったでしょう。
けれども、今から後は、何事につけても、必ずお忘れ申し上げまい。
また、そのように内々にお思いおきください。
幼いお子様もいると聞いていますが、朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」
「すべてを気長に考えていたものですから、かなり月日はたっていても、必ずしも私を誠意のある婿とは思ってくださらなかったでしょう。しかし今は何につけてもあなたの御一家のことは念頭に置いて忘れますまい。またそのように内々信じてくだすって、お力になるものと思っていてください。小さい息子(むすこ)さんたちもあるそうですが、仕官をおさせになる場合には必ず後援をするつもりで私はいます」
4.5.5
など、言葉(ことば)にものたまへり。
などと、口頭でもおっしゃった。
と、言葉でも伝えさせた。

第六段 浮舟の母からの返書

4.6.1
いたくしも()むまじき(けが)らひなれば(ふか)うしも()れはべらず」など()ひなして、せめて()()ゑたり。
御返(おほんかへ)()()()く。
たいそう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、「大して穢れに触れていません」などと言って、強いて招じ入れた。
お返事は、泣きながら書く。
ひどく忌む性質の穢れでもないからと言って、夫人はしいて大輔を座敷へ招じた。そして返事を泣く泣く書いていた。
4.6.2
いみじきことに()なれはべらぬ(いのち)を、心憂(こころう)(おも)うたまへ(なげ)きはべるに、かかる(おほ)言見(ごとみ)はべるべかりけるにや、となむ。
「大変な悲しみにも死ぬことができません命を、情けなく存じ嘆いておりますが、このような仰せ言を拝見するためだったのでしょうか、と思います。
悲しい思いをいたしますだけでは死なれませぬ命を歎いております私へ、もったいないおいたわりの言葉などのいただけますとは夢想もいたしませんでした。
4.6.3
(とし)ごろは、心細(こころぼそ)きありさまを()たまへながら、それは(かず)ならぬ()のおこたりに(おも)ひたまへなしつつ、かたじけなき御一言(おほんひとこと)()末長(すゑなが)(たの)みきこえはべりしにいふかひなく()たまへ()てては、(さと)(ちぎ)りもいと心憂(こころう)(かな)しくなむ。
長年、心細い様子を拝見しながら、それは一人前でない身のつたなさのせいであると存じましたが、恐れ多いお言葉を、将来末長くご信頼申し上げておりましたが、何とも言いようのない事になってしまって、里の名の縁もまことに情けなく悲しうございます。
故人がおりました間、心細い様子は見ておりながら、それは私自身の無力からであると存じまして、ただおそれ多い行く末かけてのあたたかいお言葉一つを頼みにいたしておりましたが、死なせましてあとではあの地との因縁が悲しくばかり思われてなりません。
4.6.4
さまざまにうれしき(おほ)(ごと)命延(いのちの)びはべりて、(いま)しばしながらへはべらば、なほ、(たの)みきこえはべるべきにこそ、(おも)ひたまふるにつけても、()(まへ)(なみだ)にくれて()こえさせやらずなむ」
いろいろと嬉しい仰せ言を戴き、寿命も延びまして、もう暫く長生きしましたら、やはり、お頼り申し上げますこと、と存じますにつけても、目の前が涙に暮れまして、何事も申し上げ切れません」
いろいろと将来のことでうれしい仰せを賜わりましたことで、命の延びることにもなりまして、今しばらく生きてまいれますことになりましたら、その息子たちのことであなた様のお力におすがり申し上げる日もあろうと思いますにつけましても、あの人の亡くなってありませぬ現在の悲しみに目も涙で暗くなるばかりでございまして、感謝の思いも書き尽くすことができませんのをお許しください。
4.6.5
など()きたり。
御使(おほんつかひ)に、なべての(ろく)などは見苦(みぐる)しきほどなり。
()かぬ心地(ここち)もすべければ、かの(きみ)たてまつらむと(こころ)ざして()たりける、よき班犀(はんさい)(おび)太刀(たち)のをかしきなど(ふくろ)()れて、(くるま)()るほど、
などと書いた。
お使いに、普通の禄では見苦しいときである。
不満足な気もするにちがいないので、あの君に差し上げようと用意して持っていた、立派な斑犀の帯や、太刀の素晴らしいのなどを、袋に入れて、車に乗る時に、
などと書いた。使いへの贈り物に普通の品を出すべき場合ではないし、またそれだけでは不満足な感じをあとでみずから覚えさせられることであろうからと思い、貴重品として将来は故人の姫君に与えようと考えていた高級な斑犀(はんさい)石帯(せきたい)とすぐれた太刀(たち)などを袋に入れ、車へ使いが乗る時いっしょに積ませた。
4.6.6 「これは故人のお志です」
「これは故人の志でございます」
4.6.7 と言って、贈らせた。
と言わせて贈ったのであった。
4.6.8
殿(との)御覧(ごらん)ぜさすれば、
殿に御覧に入れると、
帰った使いは贈られた品を大将に見せると、
4.6.9 「今さらしなくてもよいことをしたものだな」
「よけいなことをするものだね」
4.6.10
とのたまふ。
言葉(ことば)には
とおっしゃる。
口上には、
と薫は言った。使いの伝えた言葉は、
4.6.11
みづから()ひはべりたうびていみじく()()くよろづのことのたまひて、(をさな)(もの)どものことまで(おほ)せられたるが、いともかしこきに、また(かず)ならぬほどは、なかなかいと()づかしう(ひと)(なに)ゆゑなどは()らせはべらであやしきさまどもを皆参(みなまゐ)らせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」
「ご自身がお会いくださって、ひどく泣きながらいろいろなことをおっしゃって、幼い子のことまでご心配になったのが、まこともったいなくて、また一人前でもない身分の者にとっては、かえってまことに恥ずかしく、誰にもどのような関係でなどとは知らせませんで、不出来な子供たちをも皆参上させまして、お仕えさせましょう、と言っておりました」
「奥さんが自身でお逢いになりまして、非常に悲しい御様子で、泣く泣くいろいろの話をなさいました。若い息子たちのことまでも御親切におっしゃっていただきましたことはもったいないことで、うれしく存じますが、しかしながらまたあまりに恐縮な当方の身分でございますから、人には何のためにとは絶対に知らせぬようにいたしまして、できのよろしい子供たちだけを皆お(やしき)へ差し上げることにしましょうということでした」
4.6.12
()こゆ。
と申し上げる。

4.6.13
げに、ことなることなきゆかり(むつ)にぞあるべけれど、(みかど)にも、さばかりの(ひと)(むすめ)たてまつらずやはある
それに、さるべきにて、(とき)めかし(おぼ)さむは(ひと)(そし)るべきことかは
ただ(うど)はた、あやしき(をんな)()()りにたるなどを()ちゐるたぐひ(おほ)かり。
「なるほど、見栄えのしない親戚付き合いのようだが、帝にも、その程度の身分の人の娘を差し上げなかったことがあろうか。
それに、前世からの因縁で、寵愛なさるのを、人が非難することであろうか。
臣下では、また、卑しい女や、いったん結婚した女などをもっている例は多かった。
その言葉どおりに奇妙な親戚(しんせき)関係と人には見られることであろうが、宮中へそうした地方官が娘を差し上げないこともないのであるし、また素質がよくて帝王がそれをお愛しになることになってもお(そし)りする者はないはずである、人臣である人たちはまして世間から無視されている階級の家の娘を妻にしている類も多いのである、
4.6.14
かの(かみ)(むすめ)なりけりと、(ひと)()ひなさむにも、わがもてなしの、それに(けが)るべくありそめたらばこそあらめ、一人(ひとり)()をいたづらになして(おも)ふらむ(おや)(こころ)に、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、(おも)()るばかり、用意(ようい)はかならず()すべきこと」と(おぼ)す。
あの介の娘であったと、人が取り沙汰しても、自分の取り扱いが、そのことで汚点とされるような形で始まったのならともかく、一人の子を亡くして悲しんでいる親の気持ちを、やはり娘の縁で面目を施すことができた、と分かる程度に、配慮は必ずしてやろう」とお思いになる。
常陸守(ひたちのかみ)の娘であったと人が言っても自分の恋愛の径路が悪いものであれば指弾もされようが、そんなことではないのであるからはばかる必要もない、一人の大事な娘を不幸に死なせた母親を、その子ののこした縁故から一家に名誉の及ぶことで慰めるほどの好意はぜひとも自分の見せてやらねばならないのが道であると薫は思った。

第七段 常陸介、浮舟の死を悼む

4.7.1
かしこには常陸守(ひたちのかみ)()ちながら()(をり)しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立(はらだ)つ。
(とし)ごろ、いづくになむおはするなどありのままにも()らせざりければ、はかなきさまにておはすらむ」と(おも)()ひけるを、(きゃう)になど(むか)へたまひて(のち)面目(めんぼく)ありて、など()らせむ」と(おも)ひけるほどに、かかれば、(いま)(かく)さむもあいなくて、ありしさま()()(かた)る。
あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで、「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。
長年、どこそこにいらっしゃるなどと、事実を知らせなかったので、「見すぼらしい有様でおいでになろう」と思い言ってもいたが、「京などにお迎えになった後は、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になってしまったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。
母の隠れ家へは常陸守が来て立ちながら話すのであったが、娘に出産のあったおりもおりにだれかの触穢(しょくえ)を言い立てて引きこもっていることなどで腹だたしいふうに言っていた。去年の夏以来姫君がどこにいるかをありのままには夫人の言ってなかった常陸守であったから、寂しい生活をしていることであろうと思いもし、言いもしていたのを大将に京へ迎え入れられたあとで、名誉な結婚をしたと知らせようとも夫人が思っていたうちに浮舟は死んでしまったのであったから、隠しておくのもむだなことであると夫人は思い、薫と結婚をして宇治に住まわせられていたこと、そして病んで死んだ話を泣く泣く語るのであった。
4.7.2
大将殿(だいしゃうどの)御文(おほんふみ)もとり()でて()すれば、よき(ひと)かしこくして、(ひな)び、ものめでする(ひと)にておどろき(おく)して、うち(かへ)しうち(かへ)し、
大将殿のお手紙も取り出して見せると、貴人を崇めて、田舎者で、何事にも感心する人なので、びっくりして気後れして、繰り返し繰り返し、
薫からもらった手紙も出して見せると、貴人を崇拝する田舎(いなか)風な性質になっている守は驚きもし(おく)しもしながら繰り返し繰り返し薫の手紙を読んでいる。
4.7.3
いとめでたき御幸(おほんさいは)ひを()てて()せたまひにける(ひと)かな。
おのれも殿人(とのびと)にて、(まゐ)(つか)うまつれども、(ちか)()使(つか)ふこともなくいと気高(けだか)(おも)はする殿(との)なり
(わか)(もの)どものこと(おほ)せられたるは、(たの)もしきことになむ」
「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だなあ。
自分も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿である。
幼い子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」
「幸福で名誉な地位を得ていて死んだ方だ。自分も大将の家人(けにん)の数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高(けだか)い殿様なのだ。息子たちのことを言ってくだすったのは非常にあれらのために頼もしいことだ」
4.7.4
など、(よろこ)ぶを()るにも「まして、おはせましかば」と(おも)ふに、()しまろびて()かる。
などと、喜ぶのを見るにつけても、「それ以上に、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。
こう言って喜ぶのを見ても、まして姫君が大将夫人として生きていたならばと思わないではいられない夫人は、()しまろんで泣いていた。
4.7.5
(かみ)(いま)なむうち()きける。
さるは、おはせし()にはなかなか、かかるたぐひの(ひと)しも、(たづ)ねたまふべきにしもあらずかし
わが(あやま)ちにて(うしな)ひつるもいとほし。
(なぐさ)めむ」と(おぼ)すよりなむ、(ひと)(そし)り、ねむごろに(たづ)ねじ」と(おぼ)しける。
介も今になって泣くのであった。
その反面、生きていらした時には、かえって、このような類の人を、お尋ねになるようなことはなかってたのだ。
「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。
慰めよう」とお思いになったため、「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。
守もこの時になってはじめて泣いた。しかしながら浮舟が生きているとすれば、かえって異父弟の世話を引き受けようなどと薫はしなかったことであろうと思われる。自身の過失から常陸夫人の愛女を死なせたのがかわいそうで、せめて慰めを与えることだけはしたいと思う心から、他の(そし)りがあろうとも深く気にとめまいという気になっているのである。

第八段 浮舟四十九日忌の法事

4.8.1
四十九日(しじふくにち)のわざなどせさせたまふにも、いかなりけむことにかは」と(おぼ)せば、とてもかくても罪得(つみう)まじきことなれば、いと(しの)びて、かの律師(りし)(てら)にてせさせたまひける。
六十僧(ろくじふそう)布施(ふせ)など、(おほ)きにおきてられたり。
母君(ははぎみ)()ゐて、(こと)ども()へたり。
四十九日の法事などもおさせになるにつけても、「いったいどういうことになったのか」とお思いになるので、いずれにしても罪になることではないから、たいそうこっそりと、あの律師の寺でおさせになった。
六十人の僧のお布施など、大がかりに仰せつけになっていた。
母君も来ていて、お布施を加えた。
薫は四十九日の法事の用意をさせながらも実際はどうあの人はなったのであろう、まだ一点の疑いは残されていると思うのであるが、仏への供養をすることは人の生死にかかわらず罪になることではないからと思い、ひそかに宇治の律師の寺で行なわせることにしているのであった。六十人の僧に出す布施の用意もいかめしく薫はさせた。母夫人も法会には来ていて、式をはなやかにする寄進などをした。
4.8.2
(みや)よりは右近(うこん)がもとに、白銀(しろかね)(つぼ)黄金入(こがねい)れて(たま)へり。
人見(ひとみ)とがむばかり(おほ)きなるわざは、えしたまはず、右近(うこん)(こころ)ざしにてしたりければ、心知(こころし)らぬ(ひと)は、「いかで、かくなむ」など()ひける。
殿(との)(ひと)ども(むつ)ましき(かぎ)りあまた(たま)へり。
宮からは、右近のもとに、白銀の壷に黄金を入れて賜った。
人が見咎めるほどの大げさな法事は、おできになれず、右近の志として催したので、事情を知らない人は、「どうして、このような」などと言った。
殿の家来どもで、気心の知れた者ばかり大勢お遣わしになった。
兵部卿の宮からは右近の手もとへ銀の(つぼ)へ黄金の貨幣を詰めたのをお送りになった。人目に立つほどの派手(はで)なことはあそばせなかったのである。ただ右近が志として供物にしたのを、事情を知らぬ人たちはどうしてそんなことをしたかと不思議がった。薫のほうからは家司(けいし)の中でも親しく思われる人たちを幾人もよこしてあった。
4.8.3
あやしく
(おと)もせざりつる(ひと)()てを、かく(あつか)はせたまふ。
()れならむ」
「不思議なこと。
噂にも聞かなかった方の法事を、こんなに立派にあそばす。
いったい誰であろう」
在世中はだれもその存在を知らなんだ夫人の法事を、薫がこんなにまで丁寧に営むことによって、どんな婦人であったのか
4.8.4
と、(いま)おどろく(ひと)のみ(おほ)かるに、常陸守来(ひたちのかみき)て、主人(あるじ)がり()なむ、あやしと(ひと)びと()ける。
少将(せうしゃう)子産(こう)ませていかめしきことせさせむとまどひ、(いへ)(うち)になきものはすくなく、唐土新羅(もろこししらぎ)(かざ)りをもしつべきに、(かぎ)りあれば、いとあやしかりけり。
この御法事(おほんほふじ)の、(しの)びたるやうに(おぼ)したれどけはひこよなきを()るに、()きたらましかばわが()(なら)ぶべくもあらぬ(ひと)御宿世(おほんすくせ)なりけり」と(おも)ふ。
と、今になって驚く人ばかりが多かったが、常陸介が来て、主人顔でいるので、変だと人びとは見るのだった。
少将が子を産ませて、盛大なお祝いをさせようと大騷ぎし、邸の中にない物は少なく、唐土や新羅の装飾をもしたいのだが、限界があるので、まことにお粗末な有様であった。
この御法事が、人目に立たないようにとお思いであったが、感じが格別であるのを見ると、「もし生きていたらどんなにかと、わが身に比肩できない方のご運勢であったなあ」と思う。
と驚いて思ってみる人たちも多かったが、常陸守が来ていて、はばかりもなく法会(ほうえ)の主人顔に事を扱っているのをいぶかしくだれも見た。少将の子の生まれたあとの祝いを、どんなに派手に行なおうかと腐心して、家の中にない物は少なく、支那(しな)、朝鮮の珍奇な織り物などをどうしてどう使おうと(おご)った考えを持っていた守ではあったが、それは趣味の洗練されない人のことであるから、美しい結果は上がらなかった。それに比べてこの法会の場内の荘厳をきわめたものになっているのを見て、生きていたならば、自分らと同等の階級に置かれる運命の人でなかったのであったと守は悟った。
4.8.5 宮の上も、誦経をなさり、七僧への饗応の事もおさせになった。
今になって、「このような人を持っていらしたのだ」と、帝までがお耳にあそばして、並々ならず大切に思っていた人を、宮にご遠慮申して隠していらしたのを、お気の毒にとお思いになった。
兵部卿の宮の夫人も誦経(ずきょう)の寄付をし、七僧への供膳(きょうぜん)の物を贈った。今になって隠れた妻のあったことを(みかど)もお聞きになり、そうした人を深く愛していたのであろうが、女二(にょに)(みや)への遠慮から宇治などへ隠しておいたのであろう、そして死なせたのは気の毒であると思召した。
4.8.6 二人のお方のご心中は、いつまでも悲しく、あいにくな横恋慕の最中に亡くなってしまっては、ひどく悲しいが、浮気なお心は、慰められるかなどと、他の女に言い寄りなさることもだんだんとあるのだった。
浮舟の死のために若い二人の貴人の心の中はいつまでも悲しくて、正しくない情炎の盛んに立ちのぼっていたころにそのことがあったため、ことに宮のお歎きは非常なものであったが、元来が多情な御性質であったから、慰めになるかと恋の遊戯もお試みになるようなこともようやくあるようになった。
4.8.7
かの殿(との)かくとりもちて、(なに)やかやと(おぼ)して、(のこ)りの(ひと)(はぐく)ませたまひても、なほ、いふかひなきことを、(わす)れがたく(おぼ)
あの殿は、このようにお心にかけて、何やかやとご心配なさって、残った人をお世話なさっても、やはり、言って効のないことを、忘れがたくお思いになる。
薫は故人ののこした身内の者の世話などを熱心にしてやりながらも、恋しさを忘られなく思っていた。

第五章 薫の物語 明石中宮の女宮たち


第一段 薫と小宰相の君の関係

5.1.1
(きさき)(みや)の、御軽服(おほんきゃうぶく)のほどはなほかくておはしますに、()(みや)なむ式部卿(しきぶきゃう)になりたまひにける
重々(おもおも)しうて、(つね)にしも(まゐ)りたまはず
この(みや)さうざうしくものあはれなるままに、一品(いっぽん)(みや)御方(おほんかた)(なぐさ)(どころ)にしたまふ。
よき(ひと)容貌(かたち)をもえまほに()たまはぬ、(のこ)(おほ)かり。
后の宮が、御軽服の間は、やはり里下がりしていらっしゃるうちに、二の宮が式部卿におなりになった。
重々しくなって、常には参上なさらない。
この宮は、もの寂しくて何となく悲しい気分のまま、一品の宮のお側を慰め所としていらっしゃる。
器量の良い女房の顔で、まだよく御覧にならない者が、多く残っていた。
中宮(ちゅうぐう)もまだそのまま叔父(おじ)の宮の喪のために六条院においでになるのであったが、二の宮はそのあいた式部卿にお移りになった。お身柄が一段重々しくおなりになったために、始終母宮の所へおいでになることもできぬことになったが、兵部卿(ひょうぶきょう)の宮は寂しく悲しいままによくおいでになっては姉君の一品(いっぽん)の宮の御殿を慰め所にあそばした。すぐれた美貌(びぼう)であらせられる姫宮をよく御覧になれぬことを物足らぬことにしておいでになるのであった。
5.1.2
大将殿(だいしゃうどの)の、からうして、いと(しの)びて(かた)らはせたまふ小宰相(こさいしゃう)(きみ)といふ(ひと)容貌(かたち)などもきよげなり、(こころ)ばせある(かた)(ひと)(おぼ)されたり。
(おな)(こと)()きならす、爪音(つまおと)撥音(ばちおと)も、(ひと)にはまさり、(ふみ)()き、ものうち()ひたるも、よしあるふしをなむ()へたりける。
大将殿が、やっとのことで、たいそうこっそりと親しくなさっている小宰相の君という女房で、器量なども美しげで、気立ての良い人とお思いであった。
同じ琴をかき鳴らす、その爪音や、撥の音が、誰にもまさって、手紙を書き、何か言うのも、風流な事が加わっているのだった。
右大将が多数の女房の中で深い交際をしている小宰相(こさいしょう)という人は容貌(ようぼう)などもきれいであった。価値の高い女として中宮も愛しておいでになった。琴の爪音(つまおと)琵琶(びわ)撥音(ばちおと)も人よりはすぐれていて、手紙を書いてもまた人と話しをしても洗練されたところの見える人であった。
5.1.3
この(みや)(とし)ごろ、いといたきものにしたまひて、(れい)の、()(やぶ)りたまへどなどか、さしもめづらしげなくはあらむ」と、心強(こころづよ)くねたきさまなるを、まめ(びと)すこし(ひと)よりことなり」と(おぼ)すになむありける。
かくもの(おぼ)したるも見知(みし)りければ(しの)びあまりて()こえたり。
この宮も、長年、とても関心を寄せていらっしゃって、いつものように、悪口おっしゃるが、「どうして、そのようにありふれた女でいようか」と、気強くて従わないのを、真面目人間は、「少しは他の女と違っている」とお思いなのであった。
このように物思いに沈んでいらっしゃるのを知っていたので、思い余って差し上げた。
兵部卿の宮も長くこの人に恋を持っておいでになるのであって、例の上手(じょうず)に説き伏せようとお試みになるのであるが、誘惑をされてだれも陥るような御関係を作りたくないと強い態度を変えないのを、(かおる)はおもしろい人であると思って好意が持たれるのである。このごろの薫が物思いにとらわれているのも知っていて、黙っていることができぬ気もして手紙を書いて送った。
5.1.4 「お悲しみを知る心は誰にも負けませんが
一人前でもない身では遠慮して消え入らんばかりに過ごしております
哀れ知る心は人におくれねど
数ならぬ身に消えつつぞ()
5.1.5 亡くなった方と入れ替れるものでたら」
私が代わって死んでおあげすればよかったように思われます。
5.1.6
と、ゆゑある(かみ)()きたり。
ものあはれなる夕暮(ゆふぐれ)しめやかなるほどを、いとよく()(はか)りて()ひたるも、(にく)からず。
と、由緒ある紙に書いてあった。
何となくしみじみとした夕暮で、しんみりした時に、まことによく推察して言って来たのも、気が利いている。
と感じのよい色の紙に書かれてあった。身にしむような夕方時のしめっぽい気持ちをよく察して(たず)ねの(ふみ)を送った心持ちを薫は感謝せずにはおられなかった。
5.1.7 「無常の世を長年見続けて来たわが身でさえ
人が見咎めるまで嘆いてはいないつもりでしたが
つれなしとここら世を見るうき身だに
人の知るまで歎きやはする
5.1.8
このよろこびあはれなりし(をり)からも、いとどなむ」
このお見舞いのお礼には、悲しい折柄、ひとしお嬉しかった」
これを返歌にした。答礼のつもりで、「寂しい時の御慰問のお手紙はことにありがたく思われました」
5.1.9
など()ひに()()りたまへり。
いと()づかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、人柄(ひとがら)もやむごとなきに、いとものはかなき()まひなりかし
(つぼね)などいひて、(せば)くほどなき遣戸口(やりどぐち)()りゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれどさすがにあまり卑下(ひげ)してもあらで、いとよきほどにものなども()こゆ。
などと言いに立ち寄りなさった。
たいそう気恥ずかしくなるほど堂々として、普段はこのようにはお立ち寄りなさらず、人柄もご立派なのに、たいそうささやかな住まいである。
局などと言って、狭く何程もない遣戸口に寄っていらっしゃるのは、体裁悪く思われるが、そうは言ってもむやみに卑下することもなく、とても良い具合にお話など申し上げる。
と言いに小宰相の家を薫は(たず)ねて行った。貴人らしい重々しさが十分に備わり、こんなふうに中宮の女房の自宅へなど、今までは一度も行ったことのない薫が訪ねて来た所としては貧弱な(やしき)であった。(つぼね)などと言われる狭い短い板の間の戸口に寄って薫の()しているのを片腹痛いことに思う小宰相であったが、さすがにあまりに卑下もせず感じのよいほどに話し相手をした。
5.1.10
()(ひと)よりもこれは(こころ)にくきけ()ひてもあるかな。
などて、かく()()ちけむ
さるものにて、(われ)()いたらましものを
「亡き人よりも、この人は奥ゆかしい感じが加わっているな。
どうして、このように出仕したのだろう。
そのような人として、わたしも側に置いたらよかったものを」
失った人よりもこの人のほうに才識のひらめきがあるではないか、なぜ女房などに出たのであろう、自分の妻の一人として持っていてもよかった人であったのに
5.1.11
(おぼ)す。
人知(ひとし)れぬ(すぢ)は、かけても()せたまはず。
とお思いになる。
密やかな心の内は、少しもお見せにならない。
と薫は思っていた。しかしながら友情以上に進んでいこうとするふうを少しも薫は見せていなかった。

第二段 六条院の法華八講

5.2.1
(はちす)(はな)(さか)りに御八講(みはかう)せらる
六条(ろくでう)(ゐん)(おほん)ため、(むらさき)(うへ)など、皆思(みなおぼ)()けつつ、御経仏(おほんきゃうほとけ)など供養(くやう)ぜさせたまひて、いかめしく、(たふと)くなむありける。
五巻(ごかん)()などは、いみじき見物(みもの)なりければ、こなたかなた、女房(にょうばう)につきて(まゐ)りて物見(ものみ)人多(ひとおほ)かりけり。
蓮の花の盛りに、法華八講が催される。
六条院の御ため、紫の上のなどと、皆それぞれに日をお分けになって、お経や仏などを供養あそばして、荘厳に、立派に催された。
五巻目の日などは、大変な見物だったので、あちらこちら、女房の縁故をたどって、見物に来る人が多かった。
(はす)の花の盛りのころに中宮は法華(ほけ)経の八講を行なわせられた。六条院のため、紫夫人のため、などと、故人になられた尊親のために経巻や仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会(ほうえ)であった。第五巻の講ぜられる日などは御陪観する価値の十分にあるものであったから、あちらこちらの女の手蔓(てづる)を頼んで参入して拝見する人も多かった。
5.2.2
五日(いつか)といふ朝座(あさざ)()てて御堂(みだう)(かざ)()りさけ、(おほん)しつらひ(あらた)むるに、(きた)(ひさし)も、障子(さうじ)ども(はな)ちたりしかば、皆入(みない)()ちてつくろふほど、西(にし)渡殿(わたどの)姫宮(ひめみや)おはしましけり。
もの()(こう)じて女房(にょうばう)もおのおの(つぼね)にありつつ、御前(おまへ)はいと人少(ひとずく)ななる夕暮(ゆふぐれ)に、大将殿(だいしゃうどの)直衣着替(なほしきか)へて、今日(けふ)まかづる(そう)(なか)に、かならずのたまふべきことあるにより、釣殿(つりどの)(かた)におはしたるに、(みな)まかでぬれば(いけ)(かた)(すず)みたまひて、人少(ひとずく)ななるに、かくいふ宰相(さいしゃう)(きみ)などかりそめに几帳(きちゃう)などばかり()てて、うちやすむ上局(うへつぼね)にしたり。
五日という朝座で終わって、御堂の飾りを取り外し、お部屋の飾りつけを改めるので、北の廂も、襖障子なども外してあったので、皆が入り込んで整えている間、西の渡殿に姫宮はいらっしゃった。
お経を聞き疲れて、女房たちもそれぞれの局にいて、御前はたいそう人少なな夕暮に、大将殿は、直衣に着替えて、今日退出する僧の中に、是非にお話なさらなければならない事があったので、釣殿の方にいらっしゃったが、皆が退出してしまったので、池の方で涼みなさって、人も少ないので、さきほどの小宰相の君などが、仮に几帳などを立てて、ちょっと休むための上局にしていた。
五日めの朝の講座が終わって仏前の飾りが取り払われ、室内の装飾を改めるために、北側の座敷などへも皆人がはいって、旧態にかえそうとする騒ぎのために、西の廊の座敷のほうへ一品の姫宮は行っておいでになった。日々の多くの講義に聞き疲れて女房たちも皆部屋(へや)へ上がっていて、お居間に侍している者の少ない夕方に、薫の大将は衣服を改めて、今日退出する僧の一人に必ず言っておく用で釣殿(つりどの)のほうへ行ってみたが、もう僧たちは退散したあとで、だれもいなかったから、池の見えるほうへ行ってしばらく休息したあとで、人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳(きちょう)などでして休息所のできているのはここらであろうか、
5.2.3
ここにやあらむ、(ひと)(きぬ)(おと)」と(おぼ)して、馬道(めだう)(かた)障子(さうじ)(ほそ)()きたるより、やをら()たまへば、(れい)さやうの(ひと)のゐたるけはひには()ず、()()れしくしつらひたれば、なかなか、几帳(きちゃう)どもの()(ちが)へたるあはひより見通(みとほ)されて、あらはなり。
「ここであろうか、衣ずれの音がする」とお思いになって、馬道の方の襖障子が細く開いているところから、そっと御覧になると、いつもそのような女房がいる感じと違って、広々と整頓されているので、かえって、几帳などがいくつもはすに立ててあって見通されて、丸見えである。
人の衣擦(きぬず)れの音がすると思い、内廊下の襖子(からかみ)の細くあいた所から、静かに中をのぞいて見ると、平生女房級の人の部屋(へや)になっている時などとは違い、晴れ晴れしく室内の装飾ができていて、幾つも立ち違いに置かれた几帳はかえって、その間から向こうが見通されてあらわなのであった。
5.2.4
()をものの(ふた)()きて()るとて、もて(さわ)(ひと)びと、大人三人(おとなみたり)ばかり、(わらは)()たり。
唐衣(からぎぬ)汗衫(かざみ)()ず、(みな)うちとけたれば、御前(おまへ)とは()たまはぬに、(しろ)薄物(うすもの)御衣着替(おほんぞきか)へたまへる(ひと)の、()()()ちながら、かく(あらそ)ふを、すこし()みたまへる御顔(おほんかほ)()はむ(かた)なくうつくしげなり。
氷を何かの蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる女房たち、大人三人ほどと、童女とがいた。
唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けていたので、御前とはお思いでないが、白い薄物のお召物を着ていらっしゃる人で、手に氷を持ちながら、このように騒いでいるのを、少しほほ笑んでいらっしゃるお顔、何とも言いようもなくかわいらしげである。
氷を何かの(ふた)の上に置いて、それを割ろうとする人が大騒ぎしている。大人(おとな)の女房が三人ほど、それと童女がいた。大人は唐衣(からぎぬ)、童女は(かざみ)も上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの御座所になっているものとも見えないのに、白い(うすもの)を着て、手の上に氷の小さい一切れを置き、騒いでいる人たちを少し微笑をしながらながめておいでになる方のお顔が、言葉では言い現わせぬほどにお美しかった。
5.2.5
いと(あつ)さの()へがたき()なれば、こちたき御髪(みぐし)の、(くる)しう(おぼ)さるるにやあらむすこしこなたに(なび)かして()かれたるほど、たとへむものなし。
ここらよき(ひと)見集(みあつ)むれど、()るべくもあらざりけり」とおぼゆ。
御前(おまへ)なる(ひと)は、まことに(つち)などの心地(ここち)ぞするを(おも)(しづ)めて()れば、()なる生絹(すずし)単衣(ひとへ)薄色(うすいろ)なる裳着(もき)たる(ひと)の、(あふぎ)うち使(つか)ひたるなど、用意(ようい)あらむはや」と、ふと()えて、
ひどく暑さの堪えがたい日なので、うるさい御髪が、暑苦しくお思いなされるのであろうか、少しこちら側に靡かして引いている様子、何物にも譬えようがない。
「大勢美しい女性を見て来たが、似ている人は誰もいないなあ」と思われる。
御前の女房は、まこと土人形のような気がするのを、冷静になって見ていると、黄色い生絹の単衣に薄紫色の裳を着ている女で、扇をちょっと使っているところなど、「いかにも嗜みがあるなあ」と、ふと見えて、
非常に暑い日であったから、多いお(ぐし)を苦しく思召すのか肩からこちら側へ少し寄せて斜めになびかせておいでになる美しさはたとえるものもないお姿であった。多くの美人を今まで見てきたが、それらに比べられようとは思われない高貴な美であった。御前にいる人は皆土のような顔をしたものばかりであるとも思われるのであったが、気を静めて見ると、黄の涼絹(すずし)単衣(ひとえ)淡紫(うすむらさき)()をつけて扇を使っている人などは少し気品があり、女らしく思われたが、
5.2.6
なかなかもの(あつか)ひに、いと(くる)しげなり。
ただ、さながら()たまへかし」
「かえって、氷を扱うのに、とても暑苦しそうです。
ただ、そのままで御覧なさい」
そうした人にとって氷は取り扱いにくそうに見えた。「そのままにして、御覧だけなさいましよ」
5.2.7
とて、(わら)ひたるまみ、愛敬(あいぎゃう)づきたり。
声聞(こゑき)くにぞ、この(こころ)ざしの(ひと)とは()りぬる。
と言って、にっこりしている目もと、愛嬌がある。
声を聞くと、この目指している女と分かった。
朋輩(ほうばい)に言って笑った声に愛嬌(あいきょう)があった。声を聞いた時に薫は、はじめてその人が友人の小宰相であることを知った。

第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ

5.3.1
心強(こころづよ)()りて、()ごとに()たり。
(かしら)にうち()き、(むね)にさし()てなど、さま()しうする(ひと)もあるべし
異人(ことびと)は、(かみ)につつみて、御前(おまへ)にもかくて(まゐ)らせたれど、いとうつくしき御手(みて)をさしやりたまひて(のご)はせたまふ
無理して割って、それぞれの手に持っていた。
頭の上に置いたり、胸に当てたりなど、体裁の悪い恰好をする女もいるのであろう。
他の人は、紙に包んで、御前にもこのようにして差し上げたが、とてもかわいらしいお手を差し出しなさって、拭わせなさる。
とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつの(かたまり)を持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙で()をおぬぐいになった。
5.3.2 「いえ、持てません。
雫が嫌です」
「もう私は持たない、(しずく)がめんどうだから」
5.3.3
とのたまふ御声(おほんこゑ)いとほのかに()くも、(かぎ)りもなくうれし
まだいと(ちひ)さくおはしまししほどに、(われ)も、ものの(こころ)()らで()たてまつりし(とき)めでたの稚児(ちご)(おほん)さまや、()たてまつりし。
その(のち)たえてこの(おほん)けはひをだに()かざりつるものを、いかなる神仏(かみほとけ)の、かかる折見(をりみ)せたまへるならむ
(れい)の、やすからずもの(おも)はせむとするにやあらむ
とおっしゃるお声、とてもかすかに聞くのも、この上なく嬉しい。
「まだとても幼くいらしたときに、わたしも、何も分からず拝見したとき、何とかわいらしい姫宮か、と拝見した。
その後は、まったく姫宮のご様子をさえ聞かなかったが、どのような神仏が、このような機会をお見せになったのであろうか。
いつもの、心安からず物思いをさせようとするのであろうか」
と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見(すきみ)がもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうか
5.3.4
と、かつは静心(しづこころ)なくて、まもり()ちたるほどに、こなたの(たい)北面(きたおもて)()みける下臈女房(げらふにょうばう)の、この障子(さうじ)は、とみのことにて、()けながら()りにけるを(おも)()でて、(ひと)もこそ()つけて(さわ)がるれ」と(おも)ひければ、(まど)()る。
と、一方では落ち着かず、じっと見つめて佇んでいると、こちらの対の北面に住んでいた下臈の女房が、この襖障子は、急ぎの用事で、開けたままで下りて来たのを思い出して、「人が見つけて騒いだら大変だ」と思ったので、あわてて入って来る。
とも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子(からかみ)は急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれては(しか)られることであろうとあわてて帰って来た。
5.3.5
この直衣姿(なほしすがた)()つくるに、(たれ)ならむ」と心騷(こころさわ)ぎて、おのがさま()えむことも()らず、簀子(すのこ)よりただ()()れば、ふと()()りて()れとも()えじ。
()()きしきやうなり」と(おも)ひて(かく)れたまひぬ。
この直衣姿を見つけて、「誰だろう」とびっくりして、自分の姿を見られることも構わず、簀子からずんずんやって来たので、ふと立ち去って、「誰とも知られまい。
好色なようだ」と思って隠れなさった。
襖子に寄り添った直衣(のうし)姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。
5.3.6
この御許(おもと)は、
この女房は、
その女房は
5.3.7
いみじきわざかな
御几帳(みきちゃう)をさへあらはに()きなしてけるよ。
(みぎ)大殿(おほとの)(きみ)たちならむ。
(うと)(ひと)はた、ここまで()べきにもあらず。
ものの()こえあらば()れか障子(さうじ)()けたりしと、かならず()()なむ
単衣(ひとへ)(はかま)も、生絹(すずし)なめりと()えつる(ひと)御姿(おほんすがた)なれば、(ひと)()きつけたまはぬならむかし
「大変なことだわ。
御几帳までを丸見えにしていたことだわ。
右の大殿の公達であろうかしら。
疎遠な方は、また、ここまでは来るはずがない。
何かの噂が立ったら、誰が襖障子を開けていたのだろうかと、きっと出て来るだろう。
単衣も袴も、生絹のように見えた方のお姿なので、誰もお気づきになることができなかっただろう」
たいへんなことになった、自分はお几帳(きちょう)なども外から見えるほどの(すき)をあけて来たではないか、左大臣家の公達(きんだち)なのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣(ひとえ)(はかま)涼絹(すずし)であったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろう
5.3.8
(おも)(こう)じてをり。
と困りきっていた。
と苦しんでいた。
5.3.9
かの(ひと)、「やうやう(ひじり)なりし(こころ)を、ひとふし(たが)へそめてさまざまなるもの(おも)(ひと)ともなるかな。
そのかみ()(そむ)きなましかば(いま)(ふか)(やま)()()てて、かく(こころみだ)れましやは」など(おぼ)(つづ)くるも、やすからず。
などて、(とし)ごろ()たてまつらばやと(おも)ひつらむ。
なかなか(くる)しう、かひなかるべきわざにこそ」と(おも)ふ。
あの方は、「だんだんと聖になって来た心を、一度踏み外して、さまざまに物思いを重ねる人となってしまったなあ。
その昔に出家遁世してしまったら、今は深い山奥に住みついて、このような心を乱すことはないものを」などとお思い続けるにつけても、落ち着かない。
「どうして、長年、お顔を拝見したものだと思っていたのであろう。
かえって苦しいだけで、何にもならないことであるのに」と思う。
薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩(ぼんのう)を作り始め、またこれからは一品(いっぽん)(みや)のために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十(はたち)のころに出家をしていたなら、今ごろは深い山の生活にも()れてしまい、こうした乱れ心をいだくことはなかったであろうと思い続けられるのも苦しかった。なぜあの方を長い間見たいと願った自分なのであろう、何のかいがあろう、苦しいもだえを得るだけであったのにと思った。

第四段 薫と女二宮との夫婦仲

5.4.1
つとめて、()きたまへる女宮(をんなみや)御容貌(おほんかたち)いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」と()えながら、さらに()たまはずこそありけれ。
あさましきまであてにえも()はざりし(おほん)さまかな
かたへは(おも)ひなしか、(をり)からか」と(おぼ)して、
翌朝、起きなさった女宮の御器量が、「とても美しくいらっしゃるようなのは、この宮よりもきっとまさっていらっしゃるだろうか」と思いながらも、「まったく似ていらっしゃらない。
驚くほど上品で、何とも言えないほどのご様子だなあ。
一つには気のせいか、時節柄か」とお思いになって、
翌朝起きた薫は夫人の女二の宮の美しいお姿をながめて、必ずしもこれ以上の御美貌(びぼう)であったのではあるまいと心を満ち足りたようにしいてしながら、また、少しも似ておいでにならない、超人間的にまであの方は気品よくはなやかで、言いようもない美しさであった。あるいは思いなしかもしれぬ、その場合がことさらに人の美を輝かせるものだったかもしれぬと薫は思い、
5.4.2
いと(あつ)しや
これより(うす)御衣奉(おほんぞたてまつ)れ。
(をんな)は、(れい)ならぬ物着(ものき)たるこそ、時々(ときどき)につけてをかしけれ」とて、あなたに(まゐ)りて大弐(だいに)薄物(うすもの)単衣(ひとへ)御衣(おほんぞ)()ひて(まゐ)れと()へ」
「ひどく暑いね。
これより薄いお召し物になさいませ。
女性は、変わった物を着ているのが、その時々につけ趣があるものです」と言って、「あちらに参上して、大弍に、薄物の単衣のお召し物を、縫って差し上げよと申せ」
「非常に暑い。もっと薄いお召し物を宮様にお着せ申せ。女は平生と違った服装をしていることなどのあるのが美しい感じを与えるものだからね。あちらへ行って大弐(だいに)に、薄物の単衣(ひとえ)を縫って来るように命じるがいい」
5.4.3
とのたまふ。
御前(おまへ)なる(ひと)は、「この御容貌(おほんかたち)のいみじき(さか)りにおはしますを、もてはやしきこえたまふ」とをかしう(おも)へり。
とおっしゃる。
御前の女房は、「宮のご器量がたいそう女盛りでいらっしゃるのを、さらに引き立てようとなさる」とおもしろく思っていた。
と言いだした。侍している女房たちは宮のお美しさにより多く異彩の添うのを楽しんでの言葉ととって喜んでいた。
5.4.4
(れい)の、念誦(ねんず)したまふわが御方(おほんかた)におはしましなどして、(ひる)(かたわた)りたまへればのたまひつる御衣(おほんぞ)御几帳(みきちゃう)にうち()けたり。
いつものように、念誦をなさるご自分のお部屋にいらっしゃったりなどして、昼頃にお渡りになると、お命じになっていたお召し物が、御几帳に懸けてあった。
いつものように一人で念誦(ねんず)をする(へや)のほうへ薫は行っていて、昼ごろに来てみると、命じておいた夫人の宮のお服が縫い上がって几帳(きちょう)にかけられてあった。
5.4.5
なぞ、こは(たてまつ)らぬ。
人多(ひとおほ)()(とき)なむ、()きたる物着(ものき)るは、ばうぞくにおぼゆる。
ただ(いま)はあへはべりなむ」
「どうして、これをお召しにならないのか。
人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。
今は構わないでしょう」
「どうしてこれをお着にならぬのですか、人がたくさん見ている時に(はだ)の透く物を着るのは他をないがしろにすることにもあたりますが、今ならいいでしょう」
5.4.6
とて、()づから()(たてまつ)りたまふ。
御袴(おほんはかま)昨日(きのふ)(おな)(くれなゐ)なり。
御髪(みぐし)(おほ)さ、(すそ)などは(おと)りたまはねどなほさまざまなるにや()るべくもあらず。
氷召(ひめ)して、(ひと)びとに()らせたまふ。
()りて(ひと)(たてまつ)りなどしたまふ、(こころ)のうちもをかし。
と言って、ご自身でお着せなさる。
御袴も昨日のと同じ紅色である。
御髪の多さや、裾などは負けないが、やはりそれぞれの美しさなのか、似るはずもない。
氷を召して、女房たちに割らせなさる。
取って一つ差し上げなどなさる、心の中もおもしろい。
と薫は言って、手ずからお着せしていた。宮のお(はかま)も昨日の方と同じ紅であった。お(ぐし)の多さ、その(すそ)のすばらしさなどは劣ってもお見えにならぬのであるが、美にも幾つの級があるものか女二の宮が昨日の方に似ておいでになったとは思われなかった。氷を取り寄せて女房たちに薫は割らせ、その一塊(ひとかたまり)を取って宮にお持たせしたりしながら心では自身の稚態がおかしかった。
5.4.7
()()きて、(こひ)しき人見(ひとみ)(ひと)なくやはありける。
ましてこれは、(なぐさ)めむに()げなからぬ(おほん)ほどぞかし(おも)へど昨日(きのふ)かやうにて、我混(われま)じりゐ(こころ)にまかせて()たてまつらましかば」とおぼゆるに、(こころ)にもあらずうち(なげ)かれぬ。
「絵に描いて、恋しい人を見る人は、いないだろうか。
ましてこの宮は、気持ちを慰めるのに似つかわしからぬご姉妹であると思うが、昨日あのようにして、自分があの中に混じっていて、心ゆくまで拝することができたなら」と思うと、われ知らずのうちに溜息が漏れてしまった。
絵に()いて恋人の代わりにながめる人もないのではない、ましてこれは代わりとして見るのにかけ離れた人ではないはずであると思うのであるが、昨日こんなにしてあの中に自分もいっしょに混じっていて、満足のできるほどあの方をながめることができたのであったならと思うと、心ともなく歎息の声が発せられた。
5.4.8 「一品の宮に、お手紙は差し上げなさいましたか」
「一品の宮さんへお手紙をおあげになることがありますか」
5.4.9
()こえたまへば、
とお尋ね申し上げなさると、

5.4.10
内裏(うち)にありし(とき)主上(うへ)の、さのたまひしかば()こえしかど、(ひさ)しうさもあらず」
「内裏にいたとき、主上が、そのようにおっしゃったので差し上げましたが、長いことそういたしてません」
「御所にいましたころ、お(かみ)がそうおっしゃったものですから、差し上げたこともありましたけれど、ずいぶん長く御交渉はなくなっています」
5.4.11
とのたまふ。
とおっしゃる。

5.4.12
ただ(うど)ならせたまひにたりとて、かれよりも()こえさせたまはぬにこそは、心憂(こころう)かなれ。
(いま)大宮(おほみや)御前(おまへ)にて、(うら)みきこえさせたまふ(けい)せむ」
「臣下におなりあそばしたといって、あちらからお便りを下さらないのは、情けないことです。
今、大宮の御前に、お恨み申されています、と申し上げよう」
「人臣の妻におなりになったからといって、あちらからお手紙をくださらなくなったのでしょうが、悲観させられますね。そのうち私から中宮へあなたが恨んでおいでになると申し上げよう」
5.4.13
とのたまふ。
とおっしゃる。
と薫は言う。
5.4.14 「どうしてお恨み申していましょう。
嫌ですわ」
「そんなこと、お恨みなど私はしているものでございますか。いやでございます」
5.4.15
とのたまへば、
とおっしゃるので、

5.4.16
下衆(げす)になりにたりとて(おぼ)()とすなめり、()れば、おどろかしきこえぬとこそは()こえめ」
「身分が低くなったからといって、軽んじていらっしゃるようだ、と思われるので、お便りも差し上げないのです、と申し上げましょう」
「身分が悪くなったからといって軽蔑(けいべつ)をなさるらしいから、こちらからは御遠慮して消息を差し上げないとそんなふうに言いましょう」
5.4.17
とのたまふ。
とおっしゃる。


第五段 薫、明石中宮に対面

5.5.1
その()()らして、またの(あした)大宮(おほみや)(まゐ)りたまふ。
(れい)の、(みや)おはしけり。
丁子(ちゃうじ)(ふか)()めたる薄物(うすもの)単衣(ひとへ)こまやかなる直衣(なほし)()たまへる、いとこのましげなる(をんな)御身(おほんみ)なりのめでたかりしにも(おと)らず、(しろ)くきよらにて、なほありしよりは面痩(おもや)せたまへる、いと()るかひあり。
その日は過ごして、翌朝に大宮に参上なさる。
いつものように、宮もいらっしゃった。
丁子色に深く染めた薄物の単衣を、濃い縹色の直衣の下に召していらっしゃったのは、たいそう好感がもてる女宮のお姿が素晴らしかったのにも負けず、白く清らかで、やはり以前よりは面痩せなさっているのは、とても見栄えがする。
こんなことを言ってその日は暮らし、翌日になって大将は中宮の御殿へまいった。例の兵部卿(ひょうぶきょう)の宮も来ておいでになった。丁子(ちょうじ)の香と色の()んだ(うすもの)の上に、濃い直衣(のうし)を着ておいでになる感じは美しかった。一品(いっぽん)(みや)のお姿にも劣らず、白く清らかな皮膚の色で、以前より少しお()せになったのがなおさらお美しく見せた。
5.5.2
おぼえたまへりと()るにも、まづ(こひ)しきをいとあるまじきこと、(しづ)むるぞ、ただなりしよりは(くる)しき
()をいと(おほ)()たせて(まゐ)りたまへりける、女房(にょうばう)して、あなたに(まゐ)らせたまひて、(わた)らせたまひぬ
似ていらっしゃると見るにつけても、まっさきに恋しいのを、まことにけしからぬこと、と抑えるのは、拝見しなかった時よりもつらい。
絵をとてもたくさん持たせて参上なさったが、女房を介して、あちらに差し上げなさって、ご自分もお渡りになった。
女宮によく似ておいでになるということから、またおさえている恋しさがわき上がるのを、あるまじいことであると思い、静めようとするのもあの日の前には知らぬ苦しみであった。兵部卿の宮は絵をたくさんに持って来ておいでになったが、そのうちの幾つかを女房に姫宮のほうへ持たせておあげになり、御自身もあちらへおいでになった。
5.5.3
大将(だいしゃう)(ちか)(まゐ)()りたまひて、御八講(みはかう)(たふと)くはべりしこと、いにしへの(おほん)こと、すこし()こえつつ、(のこ)りたる絵見(ゑみ)たまふついでに、
大将も近くに参り寄りなさって、御八講が立派であったことや、昔の御事を少し申し上げながら、残っている絵を御覧になる折に、
薫は后の宮のお近くへ寄って行き、御八講の尊かったことを言い、六条院のことも少しお話し申し上げながら、残った絵を拝見している時に、
5.5.4
この(さと)ものしたまふ皇女(みこ)の、(くも)上離(うへはな)れて、(おも)()したまへるこそ、いとほしう()たまふれ。
姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)より、御消息(おほんせうそこ)もはべらぬを、かく品定(しなさだ)まりたまへるに、(おぼ)()てさせたまへるやうに(おも)ひて、(こころ)ゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの時々(ときどき)ものせさせたまはなむ
なにがしがおろして()てまからむ。はた、()るかひもはべらじかし」
「わたしの里にいらっしゃるこ皇女が、宮中から離れて、思い沈んでいらっしゃるのが、お気の毒に拝されます。
姫宮の御方から、お便りもございませんのを、このように身分が決定なさったので、お見捨てあそばされたように思って、気の晴れない様子ばかりしておりますが、こうした物を、時々お見せ下さいませ。
わたしが直接持って参りますのも、また、張り合いのないものです」
「私の所に来ておいでになります宮さんが、宮廷から離れて屈託した気持ちになっておられますのをお気の毒だと見ております。一品の宮様のお消息などをいただけませんことを人妻に(くだ)ったことで愛をお捨てになったように思って楽しまないふうなのでございますが、こういたしたものなどをときどき見せてあげてくだすってはいかがでしょう。私がその使いはいたします。私どものほうのも持ってまいります」
5.5.5 と申し上げなさると、
と中宮へ申し上げると、
5.5.6
あやしく。
などてか()てきこえたまはむ。
内裏(うち)にては、(ちか)かりしにつきて、時々(ときどき)()こえたまふめりしを所々(ところどころ)になりたまひし(をり)に、とだえたまへるにこそあらめ。
(いま)そそのかしきこえむ。
それよりもなどかは
「変なこと。
どうしてお見捨て申し上げなさいましょう。
内裏では、近かったことにつけて、時々手紙のやりとりをなさったようですが、別々におなりになった時から、滞りがちになったのでしょう。
これから、お促し申し上げましょう。
そちらからもどうして差し上げなさらないのですか」
「まあそんなことで御交際をおやめになるものですか。同じ御所の中におられたころは、近いものですからときどき手紙が通ったのでしょうが、遠く離れ離れにおなりになった時からお手紙が途絶え始めて、そのままになったことなのでしょう。そのうち私からお勧めしてお書きになるようにしますよ。そちらからだってお手紙をお送りになればいいのにね」
5.5.7
()こえたまふ。
と申し上げなさる。
と、宮は仰せられた。
5.5.8
かれよりはいかでかは。
もとより(かず)まへさせたまはざらむをも、かく(した)しくてさぶらふべきゆかりに()せて、(おぼ)()(かず)まへさせたまはむをこそうれしくははべるべけれ。
まして、さも()こえ()れたまひにけむを、今捨(います)てさせたまはむは、からきことにはべり」
「あちらからは、どうしてできましょうか。
もともとお心に懸けていただけなかったとしても、こうして親しく伺候します縁にことよせて、お心を懸けてくださいましたら、嬉しいことでございます。
それ以上に、そのように親しくなさっていたのを、今お見捨てになるのは、つらいことでございます」
「そちらからは出過ぎたように思われておできにならないのでしょう。初めから御交渉のなかった方にいたしましても、私と宮様がたとの縁の続きに愛しておあげくださることになるのがうれしい成り行きなのですが、まして以前から御交際のあった間柄でおありになるのですから、私の所へ来られましたあとでお捨てになるのは、あの宮さんにとっておかわいそうなことです」
5.5.9 と申し上げなさるのを、「好色心があるのか」とは思いよりなさらなかった。
などと申しているのを、恋が言わせることと中宮はお悟りにならなかった。
5.5.10
()()でて、一夜(ひとよ)(こころ)ざしの(ひと)()はむ。
ありし渡殿(わたどの)(なぐさ)めに()むかし」と(おぼ)して、御前(おまへ)(あゆ)(わた)りて、西(にし)ざまにおはするを、御簾(みす)(うち)(ひと)(こころ)ことに用意(ようい)す。
げに、いと(さま)よく(かぎ)りなきもてなしにて、渡殿(わたどの)(かた)は、(ひだり)大殿(おほとの)(きみ)たちなど()て、物言(ものい)ふけはひすれば、妻戸(つまど)(まへ)()たまひて、
お立ちになって、「先夜のお目当ての女に会おう。
先日の渡殿も慰めに見よう」とお思いになって、御前を渡って、西の方角にいらっしゃるのを、御簾の内側の女房は特に緊張する。
なるほど、たいそう風采よく、この上ない身のこなしで、渡殿の方では、左の大殿の公達などが座っていて、何か言っている様子がするので、妻戸の前にお座りになって、
薫は中宮のお居間を辞して、先夜の好意のある女友人にも逢おう、あの思い出の廊の座敷を心の慰めに見て行こうと思い、縁側伝いに西に向いて歩いて行った。御簾(みす)の中にいる女房たちはそれだけのことにすら心づかいのされる薫の大将であった。渡殿(わたどの)のほうには左大臣の息子らがいて、女房たちと話し合っている様子であったから、この人は妻戸のところにすわって、
5.5.11
おほかたには(まゐ)りながら、この御方(おほんかた)見参(げんざん)()ることの、(かた)くはべれば、いとおぼえなく、(おきな)()てにたる心地(ここち)しはべるを、(いま)よりは、(おも)()こしはべりてなむ。
ありつかず(わか)(ひと)どもぞ(おも)ふらむかし」
「よく参上はいたしますが、こちらの御方にはお目にかかることも、めったにございませんので、いつのまにか、老人めいた気持ちでございますが、今からは、と気を奮い起こしまして。
不似合いな振る舞いだと、若い人たちは思うでしょう」
「始終この院へはまいっている私ですが、こちらの宮様の御殿へ伺うことができないでいますと、自然老人めいた気持ちになるようになったのですが、これからはそうしていまいと決心してまいったのですよ。()れない人間の恰好(かっこう)滑稽(こっけい)なものに若い人たちからは見られることでしょう」
5.5.12
と、(をひ)(きみ)たち(かた)()やりたまふ。
と、甥の公達の方を御覧になる。
(おい)の公子たちのほうを見ながらこう言っていた。
5.5.13
(いま)よりならはせたまふこそ、げに(わか)くならせたまふならめ」
「今からお馴染みになられたら、なるほど若返りなされるでしょう」
「ただ今からお習いになりましたなら新鮮なお若さが拝見されることでしょう」
5.5.14
など、はかなきことを()(ひと)びとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしき御方(おほんかた)のありさまにぞある。
そのこととなけれど、()(なか)物語(ものがたり)などしつつ、しめやかに、(れい)よりは()たまへり。
などと、とりとめもないことを言う女房たちの様子も、不思議と優雅で、風情のあるこちらの御方のご様子である。
特に用事ということはないが、世間話などをしながら、しんみりと、いつもよりは長居なさった。
などと戯れて言う女房らからも怪しいまでの高雅な感じの受け取られるのであった。何をおもな話題にするというのでもなく、世間話を平生よりもしんみりと話し込んで(かおる)はいた。

第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く

5.6.1
姫宮(ひめみや)は、あなたに(わた)らせたまひにけり。
大宮(おほみや)
姫宮は、あちらにお渡りあそばした。
大宮が、
姫宮は中宮(ちゅうぐう)の御殿のほうへおいでになった。后の宮が、
5.6.2 「大将がそちらに参ったが」
「大将があちらへ行きましたか」
5.6.3
()ひたまふ。
御供(おほんとも)(まゐ)りたる大納言(だいなごん)(きみ)
とお尋ねになる。
お供して参った大納言の君が、
とお尋ねになると、一品の宮のお供をしてこちらへ来た大納言の君が、
5.6.4
小宰相(こさいしゃう)(きみ)もののたまはむとにこそは、はべめりつれ」
「小宰相の君に、何かおっしゃろうとのことで、ございましょう」
「小宰相に話があると言っていらっしゃいました」
5.6.5 と申し上げると、
と申した。
5.6.6
(れい)まめ(びと)さすがに(ひと)(こころ)とどめて物語(ものがたり)するこそ、心地(ここち)おくれたらむ(ひと)(くる)しけれ。
(こころ)のほども()ゆらむかし。
小宰相(こさいしゃう)などは、いとうしろやすし」
「いつもの、真面目人間が、やはり女性に心を止めて話をするのは、気のきかない人でしたら困ります。
心の底も見透かされるでしょう。
小宰相などは、とても安心です」
「まじめな人であって、さすがに女の友だちにも心の()かれるところがあってむだ話もして行きたいのだろうがね。才能のない人が相手をしては恥ずかしい。女の価値がすぐ見破られるからね。小宰相ならまず安心だけれど」
5.6.7
とのたまひて、御姉弟(おほんはらから)なれどこの(きみ)をば、なほ()づかしく、(ひと)用意(ようい)なくて()えざらむかし」と(おぼ)いたり。
とおっしゃって、ご姉弟であるが、この君を、やはり恥ずかしく思い、「女房たちも不注意に応対しないでほしい」とお思いになっていた。
こんなことをお言いになる宮は、御弟なのであるが、薫に周囲を観察されることを恥ずかしく思召し、女房らも飽き足らず思われるところを見せぬようにしてほしいと思召すのである。
5.6.8
(ひと)よりは心寄(こころよ)せたまひて(つぼね)などに()()りたまふべし。
物語(ものがたり)こまやかにしたまひて、夜更(よふ)けて()でたまふ折々(をりをり)もはべれど、(れい)目馴(めな)れたる(すぢ)にははべらぬにや。
(みや)こそ、いと(なさ)けなくおはしますと(おも)ひて(おほん)いらへをだに()こえずはべるめれ。
かたじけなきこと」
「どの女房よりも心をお寄せになって、局などにお立ち寄りなさるのでしょう。
お話を親密になさって、夜が更けてお帰りになる時々もございましたが、普通のありふれた色恋沙汰ではないのでしょうか。
宮を、とても情けないお方と思って、お返事さえ差し上げないようでございます。
恐れ多いこと」
「あの人をだれよりも御ひいきになさいまして、部屋のほうへも寄ってお行きになることがよくあるようでございます。しんみりとお話をしておいでになることもございまして夜がふけてお帰りになることはありましても恋愛関係と申すようなことはなさそうに思われます。あの人兵部卿の宮様の御性情には反感を持っておりまして、お返辞すらよくいたさないようでございますのはもったいないことでございます」
5.6.9
()ひて(わら)へば、(みや)(わら)はせたまひて、
と言って笑うと、宮もにっこりあそばして、
と言い、大納言の君が笑うと、中宮もお笑いになって、
5.6.10
いと見苦(みぐる)しき(おほん)さまを(おも)()るこそをかしけれ。
いかで、かかる御癖(おほんくせ)やめたてまつらむ。
()づかしや、この(ひと)びとも」
「ひどく見苦しいご様子を、知っているのがおもしろい。
何とかして、
あのようなお癖を止めさせ申したいもの
「あの宮の多情な本質が直感できるのだからいいね。どうしてあの方の悪癖を直させたらいいだろう、恥ずかしいと私は思う。だれも皆そう思っているだろうね」
5.6.11
とのたまふ。
とおっしゃる。
こうお語りになった。

第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る

5.7.1
いとあやしきことをこそ()きはべりしか。
この大将(だいしゃう)()くなしたまひてし(ひと)(みや)御二条(おほんにでう)(きた)(かた)(おほん)おとうとなりけり。
異腹(ことばら)なるべし。
常陸(ひたち)(さき)(かみ)なにがしが()叔母(をば)とも(はは)とも()ひはべるなるは、いかなるにか。
その女君(をんなぎみ)に、(みや)こそ、いと(しの)びておはしましけれ。
「とても不思議な事を聞きました。
この大将殿が亡くしなさった人は、宮の二条の北の方のお妹君でした。
異腹なのでしょう。
常陸の前の介の何某の妻は、叔母とも母とも言っていますのは、どういうものでしょうか。
その女君に、宮が、まことにこっそりとお通いになりました。
「妙な話を私は聞いたのでございます。あの大将さんのお(なく)しになりました人は兵部卿の宮様の二条の院の奥様のお妹さんだったそうでございます。前常陸守の妻はその方の叔母(おば)であるとも、母であるとも申しますのはどういう理由(わけ)であるのかよく存じません。
5.7.2
大将殿(だいしゃうどの)()きつけたまひたりけむ。
にはかに(むか)へたまはむとて、(まも)目添(めそ)へなど、ことことしくしたまひけるほどに、(みや)も、いと(しの)びておはしましながら、()らせたまはず、あやしきさまに、御馬(おほんむま)ながら()たせたまひつつぞ、(かへ)らせたまひける。
大将殿がお聞きつけになったのでしょうか。
急遽お迎えなさろうとして、番人を増やしなどして、厳重になさっているところに、宮も、とてもこっそりとお通いになりながら、お入りになることができず、粗末な姿で、お馬に乗って立ったまま、お帰りになりました。
その大将の愛人の所へそっと兵部卿の宮様も通ってお行きになったということでございまして、大将さんがそれをお聞きになりましたのか、にわかに宇治から京へ迎えようとなすって、監視の人などをきびしくお付けになりましたころに、宮様はまたおいでになったのでございますが、家の中へおはいりになることができませんで、危険なことでございますが、お馬のままで外に立っておいでになり、それなり帰っておしまいになったということでございまして、
5.7.3
(をんな)も、(みや)(おも)ひきこえさせけるにやにはかに()()せにけるを、身投(みな)げたるなめりとてこそ、乳母(めのと)などやうの(ひと)どもは、()(まど)ひはべりけれ」
女も、宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に消えてしまいましたが、身投げしたようだと言って、乳母などの女房は、泣き暮れておりました」
女も宮様をお慕いしていたのでしょうか、にわかに行くえがわからなくなりましたのを、川へ身を投げたのであろうと、乳母(うば)というような者が泣き騒いで言っていたそうでございます」
5.7.4
()こゆ。
(みや)も、「いとあさまし」と(おぼ)して、
と申し上げる。
大宮も、「まことに呆れたことだ」とお思いになって、
大納言の君はこんな話を申し上げた。中宮がお驚きになったことは言うまでもない。
5.7.5
()れか、さることは()ふとよ。
いとほしく心憂(こころう)きことかな。
さばかりめづらかならむことは、おのづから()こえありぬべきを。
大将(だいしゃう)もさやうには()はで、()(なか)のはかなくいみじきこと、かく宇治(うぢ)(みや)(ぞう)の、命短(いのちみじか)かりけることをこそ、いみじう(かな)しと(おも)ひてのたまひしか
「誰が、そのようなことを言うのですか。
お気の毒な情けないことですね。
それほど珍しい事は、自然と噂になろうものを。
大将もそのようには言わないで、世の中のはかなく無常なこと、このような宇治の宮の一族の短命であったことを、ひどく悲しんでおっしゃっていたが」
「だれがまあそんな噂話(うわさばなし)をしていたの、ほんとうにかわいそうな話ではないか。そんな出来事はすぐ噂になるものだのに、そうでもなし、また大将もそんなふうには話さずに、人生の悲哀を強調して話すだけで、また宇治の宮さんの一族が皆短命で死ぬのは悲しいことだとは言っていたけれども」
5.7.6
とのたまふ。
とおっしゃる。

5.7.7
いさや、下衆(げす)たしかならぬことをも()ひはべるものを、(おも)ひはべれど、かしこにはべりける下童(しもわらは)の、ただこのころ、宰相(さいしゃう)(さと)()でまうできて、たしかなるやうにこそ()ひはべりけれ。
かくあやしうて()せたまへること、(ひと)()かせじ。
おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじく(かく)しけることどもとて
さて、(くは)しくは()かせたてまつらぬにやありけむ」
「さあ、下衆は、確かでないことも申すものを、と思いますが、あちらに仕えておりました下童が、つい最近、小宰相の君の実家に出て参って、確かなことのように言いました。
このように不思議に亡くなったことは、誰にも聞かせまい。
大げさで、気味の悪い話だからといって、ひどく隠していたこととか。
そうして、詳しくはお聞かせ申し上げなかったのでしょう」
「ほんとうでございますか、どうでございますか、しもざまの者は確かでないこともほんとうらしく話にいたすものですが、その宇治の山荘におりました下童(しもわらわ)がついこのごろ宰相の実家のほうへ来まして、確かなことのように申していたそうでございます。そうした死に方をなさいましたことを世間へ知らすまい、自殺などという思いきったことをした人だと言わすまいと皆が隠すことに骨を折ったそうでございます。それで大将さんもくわしいお話をあそばさなかったのではないでしょうか」
5.7.8
()こゆれば、
と申し上げると、

5.7.9
さらに、かかることまたまねぶな、()はせよ。
かかる(すぢ)に、御身(おほんみ)をももてそこなひ、(ひと)(かる)(こころ)づきなきものに(おも)はれぬべきなめり
「まったく、このような話は、二度と他人には話さないように、と言わせなさい。
このような色恋沙汰で、お身の上を過ち、世人に軽々しく顰蹙をおかいになることになりましょう」
「その話をまたほかへ行ってするなと宰相からお言わせよ。そうした問題で宮は自身をだいなしにしておしまいになることにもなり、世間からも軽蔑(けいべつ)されることにおなりになるだろう」
5.7.10
といみじう(おぼ)いたり。
とたいそうご心配になった。
こうお言いになって、中宮は非常に御心配をあそばす御様子であった。

第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い


第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙

6.1.1
その(のち)姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)より()(みや)御消息(おほんせうそこ)ありけり。
御手(おほんて)などの、いみじううつくしげなるを()るにも、いとうれしくかくてこそ、とく()るべかりけれ」と(おぼ)す。
その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった。
ご筆跡などが、たいそうかわいらしそうなのを見るにつけ、実に嬉しく、「こうしてこそ、もっと早く見るべきであった」とお思いになる。
それからまもなく一品の宮から女二の宮へお手紙が来た。御手跡のおみごとであるのを見ることのできたことが薫にはうれしくて、期待にはずれないごりっぱさである、もっと早くこれが拝見できる方法を講ずべきであったなどと思った。
6.1.2
あまたをかしき()ども(おほ)く、大宮(おほみや)たてまつらせたまへり
大将殿(だいしゃうどの)うちまさりてをかしきども(あつ)めて、(まゐ)らせたまふ。
芹川(せりかは)大将(だいしゃう)遠君(とほぎみ)の、女一(をんないち)宮思(みやおも)ひかけたる(あき)夕暮(ゆふぐれ)(おも)ひわびて()でて()きたる(かた)をかしう()きたるを、いとよく(おも)()せらるかし。
かばかり(おぼ)(なび)(ひと)のあらましかば」と(おも)()口惜(くちを)しき。
たくさんの趣のある絵をたくさん、大宮も差し上げあそばした。
大将殿は、それ以上に趣のある絵を集めて、差し上げなさる。
芹川の大将が遠君の、女一の宮に懸想をしている秋の夕暮に、思いあまって出かけて行った絵が、趣深く描けているのを、とてもよくわが身に思い当たるのである。
「あれほどまで思い靡いてくださる方があったら」と思うわが身が残念である。
多くの美しい絵などを中宮からもお送りになった。お礼として薫からもそれにまさった絵を集めて差し上げることにした。小説の芹川(せりかわ)の大将が女一の宮を恋して秋の日の夕方に思い()びて家から出て行くところを()いた絵はよく自身の心持ちが写されているように思われる薫であった。その人のように成功すべき恋でないのが残念であった。
6.1.3 「荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も
夕方には特に身にしみて感じられる」
(をぎ)の葉に露吹き結ぶ秋風も
夕べぞわきて身にはしみにける
6.1.4
()きても()へまほしく(おぼ)せど、
と書き添えたく思うが、
と書き添えたい気がするのであるが、
6.1.5
さやうなるつゆばかりのけしきにても()りたらば、いとわづらはしげなる()なれば、はかなきことも、えほのめかし()づまじ。
かくよろづに(なに)やかやと、ものを(おも)ひの()ては、(むかし)(ひと)ものしたまはましかば、いかにもいかにも(ほか)ざまに心分(こころわ)けましや
「そのようなのを少しの様子にでも漏らしたら、とてもやっかいそうな世の中であるから、ちょっとしたことも、ちらっと出すことができない。
このようにいろいろと何やかやと、憂愁を重ねた果てに思うことは、亡き大君が生きていらっしゃったら、どうして他の女に心を傾けたりしようか。
そうしたことは()ぶりにも知れたならばどんなことの言われるかしれぬ世の中であるからと、思うことすらも()らしがたい恋に心を悩ませ、はては宇治の大姫君さえ生きていてくれたならば、その人を妻とすることができていたのであれば、どんな人を見ても心の動揺することなどはなかったはずである。
6.1.6
(とき)(みかど)御女(おほんむすめ)(たま)ふとも、()たてまつらざらまし
また、さ(おも)(ひと)ありと()こし()しながらはかかることもなからましを、なほ心憂(こころう)く、わが心乱(こころみだ)りたまひける橋姫(はしひめ)かな
今上の帝の内親王を賜うといっても、頂戴はしなかったろうに。
また、そのように思う女がいるとお耳にあそばしながら、このようなことはなかったろうが、やはり情けなく、わたしの心を乱しなさった宇治の橋姫だなあ」
現代の帝王の御女(おんむすめ)を賜わるといっても、自分はお受けをしなかったはずである、また自分がそれほど愛している妻があるとわかっておいでになって姫宮をお(とつ)がせになることもなかろう、何といっても自分の心の混乱し始めたのは宇治の橋姫のせいである
6.1.7
(おも)ひあまりては、また(みや)(うへ)とりかかりて、(こひ)しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで(くや)しき。
これに(おも)ひわびて、さしつぎにはあさましくて()せにし(ひと)いと心幼(こころをさな)く、とどこほるところなかりける軽々(かろがろ)しさをば(おも)ひながら、さすがにいみじとものを、(おも)()りけむほどわがけしき(れい)ならずと(こころ)(おに)(なげ)(しづ)みてゐたりけむありさまを、()きたまひしも(おも)()でられつつ
と思い余って、また宮の上に執着して、恋しく切なく、どうにもしようがないのを、馬鹿らしく思うまで悔しい。
この方に思い悩んで、その次には、呆れた恰好で亡くなった人が、とても思慮浅く、思いとどまるところのなかった軽率さを思いながら、やはり大変なことになったと、思いつめていたほどを、わたしの態度がいつもと違っていると、良心の呵責に苛まれて嘆き沈んでいた様子を、お聞きになったことも思い出されて、
と、こんなことを思ってゆくうちに薫の心はまた二条の院の女王の上に走って、恋しくも恨めしくもなり、取り返されぬ昔を愚かしいまでに残念に思った。もうどうすることもできないことなのであると、それを心に片づけたあとでは、また自殺をしてしまった浮舟(うきふね)が、思想的に幼稚でよこしまな情熱に()ってたちまち動かされていった軽率さを認めながらも、さすがに煩悶を多くしていたこと、そのころに自分の気持ちの変わったことで、自責の念から歎きに沈んでいた様子を宇治で聞いて知ったことも思い出され、
6.1.8
(おも)りかなる(かた)ならでただ(こころ)やすくらうたき(かた)らひ(びと)にてあらせむ、(おも)ひしには、いとらうたかりし(ひと)を。
(おも)ひもていけば(みや)をも(おも)ひきこえじ。
(をんな)をも()しと(おも)はじ。
ただわがありさまの()づかぬおこたりぞ」
「重々しい方としての扱いでなく、ただ気安くかわいらしい愛人としておこう、と思ったわりには、実にかわいらしい人であったよ。
思い続けると、宮をお恨み申すまい。
女をもひどいと思うまい。
ただわが人生が世間ずれしていない失敗なのだ」
妻というような厳粛な意味の相手ではなく、心安く可憐(かれん)な愛人としておきたいと思うのにはふさわしくかわいい女性であったと考えられ、もう宮に不快の念を持つまい、女をも恨むまい、ただ自分の非常識から若い愛人をああした場所へ置き放しにしていたのがあやまちの原因だったのである
6.1.9
など、(なが)()りたまふ時々多(ときどきおほ)かり。
などと、物思いに耽りなさる時々が多かった。
と、こんなふうに物思いの末にはあきらめをつけることにもなった。

第二段 侍従、明石中宮に出仕す

6.2.1
(こころ)のどかに、さまよくおはする(ひと)だにかかる(すぢ)には、()(くる)しきことおのづから()じるを、(みや)は、まして(なぐさ)めかねつつかの形見(かたみ)()かぬ(かな)しさをものたまひ()づべき(ひと)さへなきを、(たい)御方(おほんかた)ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、(ふか)くも見馴(みな)れたまはざりけるうちつけの(むつ)びなれば、いと(ふか)くしも、いかでかはあらむ
また、(おぼ)すままに、(こひ)しや、いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従(じじゅう)をぞ(れい)の、(むか)へさせたまひける。
悠長で、自制心が強くいらっしゃる人でさえ、このような方面には、身も苦しいことが自然と出て来るのを、宮は、彼以上に慰めかねながら、あの形見として、尽きない悲しみをおっしゃる相手さえいないが、対の御方だけは、「かわいそうに」などとおっしゃるが、深く親しんでいらっしゃらなかった、短い交際であったので、とても深くはどうしてお思いになろうか。
また、お気持ちのままに、「恋しい、悲しい」などとおっしゃるのは、気がひけるので、あちらにいた侍従を、例によって、迎えさせなさった。
静かな落ち着いた薫さえこんなふうに恋愛については身体(からだ)にもさわるほどな苦しみも時には味わうのであるから、まして浮舟をお失いになった兵部卿の宮は心を慰めかねておいでになって、その人の形見の人として悲しみを語り合う人さえもおありでなく、対の夫人だけは哀れな人であったと言ってくれはするものの、姉妹(きょうだい)として交わっていた期間はわずかなことであったから、深い悲しみは覚えているはずもない、また宮としては思召すままに恋しい悲しいとお言いになることも、夫人に向かってのことであるからお心のとがめられることであるために、あの山荘の侍従をお呼び寄せになった。
6.2.2
皆人(みなひと)どもは()()りて、乳母(めのと)とこの人二人(ひとふたり)なむ、()()きて(おぼ)したりしも(わす)れがたくて、侍従(じじゅう)はよそ(びと)なれどなほ(かた)らひてあり()るに、()づかぬ(かは)(おと)も、うれしき()もやある、(たの)みしほどこそ(なぐさ)めけれ、心憂(こころう)くいみじくもの(おそ)ろしくのみおぼえて、(きゃう)になむあやしき(ところ)に、このころ()てゐたりける、(たづ)ねたまひて
皆女房たちは散り散りになって、乳母とこの人ら二人は、特別に目をかけてくださったのも忘れることができず、侍従は身内外の女房であるが、やはり話相手として暮らしていたが、どこにもないような川の音も、何か嬉しいこともあろうか、と期待していたうちは慰められたが、気持ち悪く大変に恐ろしくばかり思われて、京で、みすぼらしい所に、最近来ていたのを、捜し出しなさって、
女房たちは皆ちりぢりに去ってしまったあとに、乳母(めのと)と右近、侍従だけは故人が最も親しんだ人たちであったから、喪の家から離れず、一方は親子であって、侍従は関係のない間柄ではあるが、いっしょに山荘へ残って暮らしていたのであったが、荒々しい川音を聞くのも、そのうち京の(やしき)へ姫君の迎えられて行く日を楽しみにして辛抱(しんぼう)されたものの、情けなく、気味悪くばかり思われて、京のちょっとした知り合いの家へこのごろは侍従だけが移って来ていた。宮がお捜させになって
6.2.3 「こうして仕えていなさい」
このまま二条の院の女房になるように
6.2.4
とのたまへば御心(みこころ)はさるものにて(ひと)びとの()はむことも、さる(すぢ)のこと()じりぬるあたりは()きにくきこともあらむ」と(おも)へば、うけひききこえず。
(きさい)(みや)(まゐ)らむ」となむおもむけたれば、
とおっしゃるが、「お心はお心としてありがたいが、女房たちが噂するのも、そのような方面のことが絡んでいるところでは、聞きにくいこともあろう」と思うと、お引き受け申さない。
「后の宮にお仕えしたい」と希望したので、
と仰せになるのであったが、夫人はともかくも、他の女房たちから浮舟の姫君と宮とのあるまじい情交の起こっていたことで何かと非難がましいことを言われるであろうことが思われお受けをしなかった。中宮の女房になってお仕えしたいとそれとなく内記に言ってもらうと、
6.2.5
いとよかなり
さて人知(ひとし)れず(おぼ)使(つか)はむ」
「とても結構なことだ。
それでは内々に目をかけてやろう」
「それはよい。そして自分が陰で勤めよくなるようにしてやろう」
6.2.6
とのたまはせけり。
心細(こころぼそ)くよるべなきも(なぐさ)むやとて、()るたより(もと)(まゐ)りぬ
きたなげなくてよろしき下臈(げらふ)なり」と(ゆる)して、(ひと)もそしらず。
大将殿(だいしゃうどの)(つね)(まゐ)りたまふを、()るたびごとに、もののみあはれなり。
「いとやむごとなきものの姫君(ひめぎみ)のみ、(まゐ)(つど)ひたる(みや)」と(ひと)()ふを、やうやう()とどめて()れど、()たてまつりし(ひと)()たるはなかりけり」と(おも)ひありく。
とおっしゃるのだった。
心細く頼りとするところのないのも慰むことがあろうかと、縁故を求めて出仕した。
「小ざっぱりとしたまあまあの下臈だ」と認めて、誰も非難しない。
大将殿もいつも参上なさるのを、見るたびごとに、何となくしみじみとする。
「とても高貴な大家の姫君ばかりが、大勢いらっしゃる宮邸だ」と女房が言うのを、だんだん目をとめて見るが、「やはりお仕えしていた方に似た美しい姫君はいないものだ」と思っている。
と言う宮のお返辞であった。侍従は姫君を失った心細さも慰むかと思い、手蔓(てづる)を求めて目的の宮仕えをする身になった。見た目のきれいな下級女房であると人も認めて、侍従は悪くも言われていなかった。大将もよくまいるのを(かげ)で見るたびに昔が思われる物哀れな心になった。貴族の姫君たちだけのお仕えしている場所だと聞いていて、そうした上の女房たちの顔をこのごろ皆見知るようになってから考えても、浮舟の姫君ほどの美貌の人はないようであった。

第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う

6.3.1 今年の春お亡くなりになった式部卿宮の御娘を、継母の北の方が、特にかわいがらないで、その兄の右馬頭で人柄も格別なところもないのが、心を寄せているのを、不憫だとも思わずに縁づけている、とお耳にあそばしたことがあって、
今年の春お(かく)れになった式部卿(しきぶきょう)の宮の姫君を、継母(ままはは)の夫人が愛しないで、自身の兄の右馬頭(うまのかみ)で平凡な男が恋をしているのに、姫君をかわいそうとも思わずに与えようとしていることを中宮へある人から申し上げると、
6.3.2
いとほしう
父宮(ちちみや)のいみじくかしづきたまひける女君(をんなぎみ)を、いたづらなるやうにもてなさむこと」
「お気の毒に。
父宮がたいそう大切になさっていた女君を、つまらないものにしてしまおうとは」
「気の毒な、宮様がたいへん大事になすった女王(にょおう)さんを、そんな(すた)り者にしてしまおうとするなどとは」
6.3.3 などと仰せになったので、ひどく心細くばかり思い嘆いていらっしゃる有様で、
(あわれ)んで仰せられた。
 「たよりない心細い思いをしているあなたに
6.3.4 「やさしく、このようにおっしゃってくださるものを」
そうしたあたたかい同情を寄せてくださるのだから、中宮へお仕えしたら」
6.3.5
など、御兄(おほんせうと)侍従(じじゅう)()ひて、このころ(むか)()らせたまひてけり
姫宮(ひめみや)御具(おほんぐ)にていとこよなからぬ(おほん)ほどの(ひと)なれば、やむごとなく(こころ)ことにてさぶらひたまふ。
(かぎ)りあれば、(みや)(きみ)などうち()ひて、()ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける
などと、ご兄妹の侍従も言って、最近迎え取らせなさった。
姫宮のお相手として、まことに最適のご身分の方なので、高い身分の方として特別の扱いで伺候なさる。
決まりがあるので、宮の君などと呼ばれて、裳くらいはお付けになるのが、ひどくおいたわしいことであった。
と、兄の侍従も宮仕えを勧めた女王を、このごろ中宮は手もとへ侍女にお迎えになった。女一(にょいち)(みや)のお相手として置くのによい貴女(きじょ)と思召して、特別な御待遇を賜わって侍しているのであったが、お仕えする身であるかぎり、やはり宮の君などと言われ、唐衣(からぎぬ)までは着ぬが()だけはつけて勤めているのは哀れなことであった。
6.3.6
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)この(きみ)ばかりや(こひ)しき(ひと)(おも)ひよそへつべきさましたらむ。
父親王(ちちみこ)兄弟(はらから)ぞかし」など、(れい)御心(みこころ)は、(ひと)()ひたまふにつけても、(ひと)ゆかしき御癖(おほんくせ)やまでいつしかと御心(みこころ)かけたまひてけり。
兵部卿宮は、「この宮くらいは、恋しい人に思いよそえられる様子をしていようか。
父親王は兄弟であった」などと、例のお心は、故人を恋い慕いなさるにつけても、女を見たがる癖がやまず、早く見たいとお心にかけていらした。
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮は、この人だけは恋しい故人に似た顔をしているであろう。式部卿の宮と八の宮は御兄弟なのであるからなどと、例の多情なお心は、昔の人の恋しいために、新たな好奇心もお起こしになることがやまず、いつとなく宮の君を恋の対象としてお考えになるようになった。
6.3.7
大将(だいしゃう)もどかしきまでもあるわざかな。
昨日今日(きのふけふ)といふばかり、春宮(とうぐう)にやなど(おぼ)し、(われ)にもけしきばませたまひきかし
かくはかなき()(おとろ)へを()るには、(みづ)(そこ)()(しづ)めてももどかしからぬわざにこそ」など(おも)ひつつ、(ひと)よりは心寄(こころよ)せきこえたまへり
大将は、「非難がましいことを言いたくなることだ。
昨日今日という間に、春宮に差し上げようかなどとお思いになり、わたしにもそのようなご様子をほのめかされたのだ。
このように無常な世の中の衰退を見ると、川の底に身を沈めても、非難されないことだ」などと思いながら、誰よりも同情をお寄せ申し上げなさった。
人生は味気ないとこの女王についても薫は思うのであった。まだ昨今というほどのことではないか、東宮の後宮へお入れになろうと父宮がお思いになり、自分へも(めと)らせようとされた姫君である、栄えた人のたちまち衰えてゆくのを見ては、水へはいってしまった人はそれを見ぬだけ賢明であったかもしれぬなどと薫は思い、他の女房に対するよりもこの女王に好意を寄せていた。
6.3.8
この(ゐん)におはしますをば内裏(うち)よりも(ひろ)くおもしろく()みよきものにして、(つね)にしもさぶらはぬどもも(みな)うちとけ()みつつ、はるばると(おほ)かる(たい)ども、(らう)渡殿(わたどの)()ちたり。
この院にいらっしゃるのを、内裏よりも広く興趣あって住みよい所として、いつもは伺候していない女房どもも、みな気を許して住みながら、広々とたくさんある対の屋や、渡廊や、渡殿などにいっぱいいる。
六条院に中宮(ちゅうぐう)のおいでになることは、宮中のお住居(すまい)よりも広く住みよくだれも思い、時々まいるだけで始終は侍していぬ人までも皆上がって来ていて、はるばると多く続いた対、廊、渡殿の座敷は女房で満ちていた。
6.3.9
左大臣殿(さだいじんどの)(むかし)(おほん)けはひにも(おと)らず、すべて(かぎ)りもなく(いとな)(つか)うまつりたまふ
いかめしうなりたる御族(おほんぞう)なれば、なかなかいにしへよりも、(いま)めかしきことはまさりてさへなむありける。
左大臣殿は、昔のご様子にも負けず、すべてこの上もなくお世話申し上げていらっしゃる。
盛んになったご一族なので、かえって昔以上に、華やかな点ではまさるのであった。
左大臣は父君の院の御在世当時にも劣らず中宮のためにあらゆる物をととのえて奉仕していた。末広がりになった一族であったから、かえって昔よりも六条院のはなやかさはまさってさえ見えた。
6.3.10
この(みや)(れい)御心(みこころ)ならば(つき)ごろのほどに、いかなる()きごとどもを()でたまはましこよなく(しづ)まりたまひて、人目(ひとめ)に「すこし()(なほ)りたまふかな」と()ゆるをこのころぞまた(みや)(きみ)に、本性現(ほんじゃうあら)はれて、かかづらひありきたまひける。
この宮は、いつものお心ならば、幾月かの間に、どのような好色事でもなさっていたところが、すっかり落ち着きなさって、傍目には「少しは大人びてお直りになったなあ」と見えるが、最近は再び、宮の君に、ご本性を現して、まつわりつきなさるのであった。
兵部卿の宮が今までのようなふうでおありになれば、この集まった女性の中のある人々とこの幾月かのうちにはどんな問題を起こしておいでになるかもしれないのであるが、すっかりと冷静におなりになり、人から見れば少し性質がお変わりになったかと思われたのであるが、近ごろになってまた宮の君にお心を()かれ、御本性どおりにつきまとっておいでになった。

第四段 侍従、薫と匂宮を覗く

6.4.1 涼しくなったといって、后宮は、内裏に帰参なさろうとするので、
秋冷の日になって中宮は宮中へ帰ろうとあそばされるのであったが、
6.4.2 「秋の盛りは、紅葉の季節を見ないというのは」
秋の盛りの紅葉(もみじ)の季にここで逢えないのは
6.4.3
など、(わか)(ひと)びとは口惜(くちを)しがりて、皆参(みなまゐ)(つど)ひたるころなり。
(みづ)()(つき)をめでて、御遊(おほんあそ)()えず、(つね)よりも(いま)めかしければ、この(みや)かかる(すぢ)いとこよなくもてはやしたまふ。
朝夕目馴(あさゆふめな)れても、なほ今見(いまみ)初花(はつはな)のさましたまへるに大将(だいしゃう)(きみ)は、いとさしも()()ちなどしたまはぬほどにて、()づかしう(こころ)ゆるびなきものに、皆思(みなおも)ひたり。
などと、若い女房たちは残念がって、みな参集している時である。
池水に親しみ月を賞美して、管弦の遊びがひっきりなしに催され、いつもより華やかなので、この宮は、このような方面では実にこの上なく賞賛されなさる。
朝夕に見慣れていても、やはり今初めて見た初花のようなお姿でしていらっしゃるが、大将の君は、あまりそれほど入り込んだりなさらないので、こちらが恥ずかしくなるような気のおける方だと、みな思っていた。
残り惜しいことであると若い女房たちは言い、だれも皆実家にいず、このごろは六条院にまいっていた。水を愛し、月の景色(けしき)を喜んで音楽の催しなども常にあった。兵部卿の宮は常よりもはなやかな六条院を愛して、この空気の中心のようになっておいでになるのである。朝夕にお顔を見ていながらも、いつも今咲きそめた花に()う気のされる兵部卿の宮であった。薫はそれほど入り立っていないのであるために、若い中宮の女房たちは、この人が来れば緊張してしまうのであった。
6.4.4
(れい)の、二所参(ふたところまゐ)りたまひて御前(おまへ)におはするほどに、かの侍従(じじゅう)ものより(のぞ)きたてまつるに、
いつもの、お二方が参上なさって、御前にいらっしゃる間に、あの侍従は、物蔭から覗いて拝すると、
ちょうどこの二人の若い貴人の同時に中宮のお居間に来合わせている時であったが、宇治にいた侍従は物蔭からのぞいて、
6.4.5 「どちらの方なりとも縁付いて、幸運な運勢に思えたご様子で、この世に生きておいでだったらなあ。
あきれるほどあっけなく情けなかったお心であったよ」
どちらにもせよこのりっぱな方々の一人に愛されて生きておいでになればよかった。恵まれておいでになった幸運をわれから捨てておしまいになった姫君である
6.4.6
など、(ひと)には、そのわたりのことかけて()(がほ)にも()はぬことなれば、心一(こころひと)つに()かず(むね)いたく(おも)ふ。
(みや)内裏(うち)御物語(おほんものがたり)など、こまやかに()こえさせたまへばいま一所(ひとところ)()()でたまふ。
()つけられたてまつらじ
しばし、御果(おほんは)てをも()ぐさず心浅(こころあさ)()えたてまつらじ」と(おも)へば、(かく)れぬ。
などと、他人には、あの辺のことは少しも知っている顔をして言わないことなので、自分一人で尽きせず胸を痛めている。
宮は、内裏のお話など、こまごまとお話申し上げあそばすので、もうお一方はお立ちになる。
「見つけられ申すまい。
もう暫くの間は、ご一周忌も待たないで薄情な人だ、と思われ申すまい」と思うって、隠れた。
と思い、他の人には宇治の山荘のこと、薫の愛人であった姫君のことなどは知ったふうには言ってないことであったから心一つに残念がっていた。兵部卿の宮が御所のお話などを細かく母宮へしかかっておいでにもなったため、薫がお居間を出て行こうとするのを見、自分を見つけさすまい、一年の忌の来るのも済まさずに宇治を去ったのは故人へ情のないことであるとは思われたくないと思い、侍従はすぐに隠れてしまった。

第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う

6.5.1
(ひんがし)渡殿(わたどの)に、()きあひたる戸口(とぐち)に、(ひと)びとあまたゐて、物語(ものがたり)などする(ところ)におはして
東の渡殿に、開いている戸口に、女房たちが大勢いて、話などをひっそりとしている所にいらして、
東の廊の座敷のあいた戸口に女房たちがおおぜいいてひそひそと話などをしている所へ薫は行き、
6.5.2
なにがしをぞ女房(にょうばう)(むつ)ましと(おぼ)すべき。
(をんな)だにかく(こころ)やすくはよもあらじかし
さすがにさるべからむこと(をし)へきこえぬべくもあり。
やうやう見知(みし)りたまふべかめれば、いとなむうれしき」
「わたしをこそ、女房は親しみやすくお思いになるべきではありませんか。
女でさえこのように気のおけない人はいません。
それでもためになることを、教えて上げられることもあります。
だんだんとお分かりになりそうですから、とても嬉しいです」
「私をあなたがたは親しい者として見てくださるでしょうか、女にだって私ほど安心してつきあえるものではありませんよ。それでも男ですから、あなたがたのまだ聞いていない新しい話も時にはお聞かせすることができるのですよ。おいおい私の存在価値がわかっていただけるだろうという自信がそれでもできましたからうれしく思っています」
6.5.3
とのたまへば、いといらへにくくのみ(おも)(なか)に、(べん)御許(おもと)とて、()れたる大人(おとな)
とおっしゃるので、とても答えにくくばかり思っている中で、弁のおもとといって、物馴れている年配の女房が、
こんな戯れを言いかけた。だれも晴れがましく思い、返辞をしにくく思っている中に、弁の君という少し年輩の女が、
6.5.4
そも(むつ)ましく(おも)ひきこゆべきゆゑなき(ひと)の、()ぢきこえはべらぬにや
ものはさこそはなかなかはべるめれ。
かならずそのゆゑ(たづ)ねて、うちとけ御覧(ごらん)ぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無(おもな)くつくりそめてける()()はさざらむもかたはらいたくてなむ」
「そのようにも親しくすべき理由のない者こそ、気兼ねなく振る舞えるのではないでしょうか。
物事はかえってそのようなものです。
必ずしもその理由を知ったうえで、くつろいでお話申し上げるというのでもございませんが、あれほど厚かましさが身についているわたしが引き受けないのも、見ていられませんで」
「お親しみくださる縁故のない者がかえって私のように恥じて引っ込んでいないことになります。ものは皆合理的にばかりなってゆくものではございませんですね。だれの家のだれの子でございますからと申しておつきあいを願うわけのものでもありませんけれど、羞恥(しゅうち)心を取り忘れたようにお相手に出ました者はそれだけの御挨拶(あいさつ)をいたしておきませんではと存じますから」
6.5.5
()こゆれば、
と申し上げると、
と言った。
6.5.6
()づべきゆゑあらじ、(おも)(さだ)めたまひてけるこそ、口惜(くちを)しけれ」
「恥じる理由はあるまい、とお決めになっていらっしゃるのが、残念なことです」
「羞恥心も何も用のない相手だと私の見られましたのは残念ですね」
6.5.7
など、のたまひつつ()れば、唐衣(からぎぬ)()ぎすべし()しやり、うちとけて手習(てならひ)しけるなるべし(すずり)(ふた)()ゑて、(こころ)もとなき(はな)末手折(すゑたを)りて(もてあそ)びけり、()ゆ。
かたへは几帳(きちゃう)のあるにすべり(かく)れ、あるはうち(そむ)き、()()けたる()(かた)に、(まぎ)らはしつつゐたる、(かしら)つきどもも、をかしと()わたしたまひて、(すずり)ひき()せて、
などと、おっしゃりながら見ると、唐衣は脱いで押しやって、くつろいで手習いをしていたのであろう、硯の蓋の上に置いて、頼りなさそうな花の枝先を手折って、弄んでいた、と見える。
ある者は几帳のある所にすべり隠れ、またある者は背を向けて、押し開けてある妻戸の方に、隠れながら座っている、その頭の恰好を、興趣あると一回り御覧になって、硯を引き寄せて、
こんなことを(かおる)は言いながら(へや)の中を見ると、唐衣(からぎぬ)は肩からはずして横へ押しやり、くつろいだふうになって手習いなどを今までしていた人たちらしい。(すずり)(ふた)に短く摘んだ草花などが置かれてあるのはこの人らがもてあそんだものらしい。ある人は几帳の立ててある後ろへ隠れ、ある人は向こうを向き、ある者は押しあけられてある戸に姿の隠れるようにしてすわっているので、頭の形だけが美しく見えた。すべて感じよく思って薫は硯を引き寄せ、
6.5.8 「女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも
露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか
女郎花(をみなへし)乱るる野べにまじるとも
露のあだ名をわれにかけめや
6.5.9 どなたも気を許してくださらないので」
こう書いて、「安心していらっしゃればいいのに」
6.5.10
と、ただこの障子(さうじ)うしろしたる(ひと)()せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、
と、ちょうどこの襖障子の後向きしていた女房にお見せになると、身動きもせずに、落ち着いて、すぐさま、
と言い、すぐ近くの襖子(からかみ)のほうを向いている人に見せると、相手は身動きもせず、しかもおおように早く、
6.5.11 「花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが
女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません」
花といへば名こそあだなれをみなへし
なべての露に乱れやはする
6.5.12
()きたる()ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、(たれ)ならむ、()たまふ。
今参(いまま)(のぼ)りける(みち)に、(ふた)げられてとどこほりゐたるなるべし()ゆ。
(べん)御許(おもと)は、
と書いた筆跡は、ほんの一首ながら、風情があって、だいたいに無難なので、誰なのだろう、とお思いになる。
今参上した途中で、道をふさがれてとどまっていた者らしい、と思う。
弁のおもとは、
と書いた。手跡は、少ない文字であるが気品の見える感じよいものであるのを、薫は何という女房であろうと思って見ていた。今から中宮のお居間へこの戸口を通って行こうとして、薫の来たために出るにも出られずなった人らしく思われた。弁の君は、
6.5.13 「まことにはっきりした老人めいたお言葉、憎うございます」と言って、
「わざと老人じみたことをお言いになっては反感が起こるものですよ」と言い、
6.5.14 「旅寝してひとつ試みて御覧なさい
女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか
「旅寝してなほ試みよをみなへし
盛りの色に移り移らず
6.5.15 そうして後に、お決め申し上げましょう」
そのあとであなたをどんな性質で、お堅いともそうでないとも、きめましょう」
6.5.16
()へば、
と言うので、
とも言う。
6.5.17 「お宿をお貸しくださるなら、
一夜は泊まってみましょうそこらの花に
宿貸さば一夜は寝なんおほかたの
花に移らぬ心なりとも
6.5.18
とあれば、
とあるので、
薫が言ったのである。
6.5.19
(なに)()づかしめさせたまふ。
おほかたの野辺(のべ)のさかしらをこそ()こえさすれ」
「どうして、恥をおかかせなさいます。
普通にいう野辺のしゃれを申し上げただけです」
「私を侮辱あそばすのでございますね。自分のことではございませんよ。一般的に抗議を申し上げただけでございます」
6.5.20
()ふ。
はかなきことをただすこしのたまふも、(ひと)(のこ)()かまほしくのみ(おも)ひきこえたり
と言う。
とりとめのないことをほんのちょっとおっしゃっても、女房はその続きを聞きたくばかりお思い申し上げていた。
と弁は言う。こんなふうに戯れ言も薫は長くは言っていないらしく見えるのを若い女房たちは飽き足らず思っていた。
6.5.21
(こころ)なし
道開(みちあ)けはべりなむよ。
()きても、かの(おほん)もの()ぢのゆゑかならずありぬべき(をり)にぞあめる」
「うっかりしていました。
道を開けますよ。
特に意識して、あちらで恥ずかしがっていらやる理由が、きっとありそうな折ですから」
「思いやりのないことをしましたね。あなたの道をあけましょう。とりわけて私に顔をお見せにならない態度には理由のあることでしょう」
6.5.22
とて、()()でたまへば、おしなべてかく(のこ)りなからむ、(おも)ひやりたまふこそ心憂(こころう)けれ」と(おも)へる(ひと)もあり。
と言って、お立ちになると、「だいたいこのような奥ゆかしいところがないだろう、とご想像なさるもがつらい」と思っている女房もいた。
と言い、薫の立って行くのを見て、だれもが弁のようにはしゃぐ者のように思われぬかと気にする人もあった。

第六段 薫、断腸の秋の思い

6.6.1
(ひんがし)高欄(かうらん)()しかかりて、夕影(ゆふかげ)になるままに、(はな)紐解(ひもと)御前(おまへ)(くさ)むらを()わたしたまふ。
もののみあはれなるに、(なか)()いて腸断(はらわたた)ゆるは(あき)(てん)」といふことを、いと(しの)びやかに()じつつゐたまへり。
ありつる(きぬ)(おと)なひ、しるきけはひして母屋(もや)御障子(みさうじ)より(とほ)りて、あなたに()るなり
(みや)(あゆ)みおはして、
東の高欄に寄り掛かって、夕日の影るにつれて、花が咲き乱れている御前の叢をお眺めやりになる。
何となくしみじみと思われて、「中んづく腸の断ち切れる思いがするのは秋の空だ」という詩句を、たいそう密やかに朗誦しながら座っていらっしゃった。
先程の衣ずれの音が、はっきり聞こえる感じがして、母屋の襖障子から通ってあちらに入って行くようである。
宮が歩いていらして、
東の高欄によりかかって、(くさむら)の中に夕明りを待って咲きそめる花のある植え込みを薫はながめていた。何も皆身にしむように思われる薫は、「就中断腸是秋天(なかんづくはらわたをたつはこれあきのてん)」と低い声で口ずさんでいた。先刻の人らしい衣擦(きぬず)れの音がして、中央の(へや)から抜けてあちらへ行った。兵部卿の宮がそこへ歩いておいでになって、
6.6.2 「こちらからあちらへ参ったのは誰か」
「ここから今あちらへ行ったのはだれか」
6.6.3
()ひたまへば、
とお尋ねになると、
と他の者に尋ねておいでになった。
6.6.4 「あちらの御方の中将の君です」
一品(いっぽん)(みや)様のほうの中将さんでございます」
6.6.5 と申し上げるのである。
と答える声も御簾(みす)の中でした。
6.6.6
なほ、あやしのわざや
()れにかと、かりそめにもうち(おも)(ひと)に、やがてかくゆかしげなく()こゆる()ざしよ」と、いとほしくこの(みや)には皆目馴(みなめな)れてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜(くちを)し。
「やはり、けしからぬ振る舞いだ。
誰だろうかと、ちょっとでも関心を持った人に、そのままこのように遠慮なく名前を教えてしまうとは」と、気の毒で、この宮に、皆が馴れ馴れしくお思い申し上げているようなのも残念だ。
おもしろくないことである、だれであろうとかりそめにもせよ好奇心の起こった人が、すぐにだれそれであると名ざしをして聞かれるではないか、とその女がかわいそうに思われ、また兵部卿の宮には皆よくお()れしていて、隠すところもなくなっているのがなんとなくうらやましい気もする薫であった。
6.6.7
おりたちてあながちなる(おほん)もてなしに(をんな)はさもこそ()けたてまつらめ。
わが、さも口惜(くちを)しう、この(おほん)ゆかりには、ねたく心憂(こころう)くのみあるかな。
いかで、このわたりにも、めづらしからむ(ひと)の、(れい)心入(こころい)れて(さわ)ぎたまはむを(かた)らひ()りてわが(おも)ひしやうにやすからずとだにも(おも)はせたてまつらむ。
まことに(こころ)ばせあらむ(ひと)は、わが(かた)にぞ()るべきや
されど(かた)いものかな。
(ひと)(こころ)は」
「無遠慮につっこんだお振る舞いに、女はきっとお負け申してしまおう。
わたしは、まことに残念なことに、こちらのご一族には、悔しくも残念なことばかりだ。
何とかして、ここの女房の中にでも、珍しいような女で、例によって熱心に夢中になっていらっしゃる女を口説き落として、自分が経験したように、穏やかならぬ気持ちを思わせ申し上げたい。
ほんとうに物事の分かる女なら、わたしの方に寄って来るはずだ。
けれども難しいことだな。
人の心というものは」
自由に接近してお行きになることができ、上手(じょうず)な技巧で誘惑をあそばされては女も負けることになるのであろう、自分にはそんなことができず、こちらの人たちとは、縁の遠いうとうとしいものになっているのが残念である。侍している人の中で、どうかして近ごろ兵部卿の宮がはげしく恋をしておいでになる人を自分のものにして、あの時に自分が苦しんだような思いを宮にもお味わわせしたい。聡明な女であれば自分のほうを愛するはずであるとは思われるが、こちらの考えどおりな心を持っているかどうかは頼みになるものでない
6.6.8
(おも)ふにつけて、(たい)御方(おほんかた)かの(おほん)ありさまをばふさはしからぬものに(おも)ひきこえて、いと便(びん)なき(むつ)びになりゆくがおほかたのおぼえをば、(くる)しと(おも)ひながら、なほさし(はな)ちがたきものに(おぼ)()りたるぞありがたくあはれなりける。
と思うにつけても、対の御方の、あのお振る舞いを、身分にふさわしくないものとお思い申し上げて、まことに不都合な関係になって行くのが、その世間の評判をつらいと思いながらも、やはりすげなくはできない者とお分かりになってくださるのは、世にもまれな胸をうつことである。
と思われるにつけても、二条の院の女王が、宮のああした御放縦な恋愛生活を飽き足らず見て、自分の愛を頼むようになり、それを恋にまでなってはならぬ、世間の批評がうるさいと思いながら友情だけはいつも捨てぬのは珍しく聡明な態度で、自分としてはうれしいかぎりである、
6.6.9
さやうなる(こころ)ばせある(ひと)ここらの(なか)あらむや。
()りたちて(ふか)()ねば()らぬぞかし
寝覚(ねざめ)がちにつれづれなるを、すこしは()きもならはばや」
「そのような気立ての方は、大勢の中にいようか。
立ち入って深くは知らないので分からないことだ。
寝覚めがちに所在ないのを、少しは好色も習ってみたいものだ」
そんなすぐれた女性はこのおおぜいの若い女房たちの中に一人でもあるであろうか、深く接近して見ぬせいかないように思われる、物思いに寝ざめがちな慰めに恋愛の遊戯も少し習いたい
6.6.10
など(おも)ふに、(いま)はなほつきなし
などと思うが、今はやはりふさわしくない。
と思うが、もう今は似合わしくないと薫は思った。

第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答

6.7.1
(れい)の、西(にし)渡殿(わたどの)ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし
姫宮(ひめみや)(よる)はあなたに(わた)らせたまひければ(ひと)びと月見(つきみ)るとてこの渡殿(わたどの)にうちとけて物語(ものがたり)するほどなりけり。
(さう)(こと)いとなつかしう()きすさむ爪音(つまおと)をかしう()こゆ。
(おも)ひかけぬに()りおはして
例によって、西の渡殿を、先日に真似て、わざわざいらっしゃったのも変なことだ。
姫宮は、夜はあちらにお渡りあそばしたので、女房たちが月を見ようとして、この渡殿でくつろいで話をしているところであった。
箏の琴がたいそうやさしく弾いている爪音が、興趣深く聞こえる。
思いがけないところにお寄りになって、
例の氷を割られた日の西の渡殿へ、その日のようにふらふらと薫が来てしまったのも不思議であった。姫宮は夜だけ母宮の御殿のほうへおいでになるため、もうお留守になっていて、女房たちだけで月を見ると言い、渡殿に打ち解けて集まっていた。十三(げん)の琴を懐しい()()くのが聞こえた。人々の思いもよらぬこんな時に薫が出て来て、
6.7.2 「どうして、このように人を焦らすようにお弾きになるのですか」
「なぜ人を懊悩(おうのう)させるように琴など鳴らしていらっしゃるのですか。(遊仙窟(いうせんくつ)耳聞猶気絶(みみにきくもなほきたえんとす)眼見若為憐(めにみていかばかりおもしろからん))」
6.7.3
とのたまふに、(みな)おどろかるべけれどすこし()げたる(すだれ)うち()ろしなどもせず、()()がりて、
とおっしゃると、皆驚いたにちがいないが、少し巻き上げた簾を下ろしなどもせず、起き上がって、
こう言うのに驚いたはずであるが、少し上げた御簾(みす)をおろしなどもせず、一人は身を起こして、
6.7.4 「似ている兄様が、ございましょうか」
崔季珪(さいきけい)のようなお兄様がいらっしゃるかしら」
6.7.5
といらふる(こゑ)中将(ちうじゃう)御許(おもと)とか()ひつるなりけり。
と答える声は、中将のおもととか言った人であった。
と言う。その声は中将の君といわれていた女であった。
6.7.6 「わたしこそが、御母方の叔父ですよ」
「私は宮様の母方の叔父(おじ)なのですよ。(遊仙窟。容貌似舅潘安仁外甥(かんばせはをぢはんあんじんににたりぐわいせいなればなり)気調如兄崔季珪小妹(きざしはあにさいきけいのごとしいもうとなればなり))」
6.7.7
と、はかなきことをのたまひて、
と、戯れをおっしゃって、
こんな冗談(じょうだん)を言ったあとで、
6.7.8
(れい)の、あなたにおはしますべかめりな。
(なに)わざをか、この御里住(おほんさとず)みのほどにせさせたまふ」
「いつものように、あちらにいらっしゃるようですね。
どのようなことを、この里下がりのご生活の中でなさっておいでですか」
「いつものように中宮様のほうへ行っておしまいになったのでしょうね、宮様はお里住まいの間は何をしていらっしゃるのですか」
6.7.9 などと、つまらないことをお尋ねになる。
思わずこんな問いを薫は発することになった。
6.7.10
いづくにても何事(なにごと)をかは。
ただ、かやうにてこそは()ぐさせたまふめれ」
「どちらにいらしても、同じことです。
ただ、このような事をしてお過ごしでいらっしゃるようです」
「どこにいらっしゃいましても、別にこれという変わったことはあそばしません。ただいつもこんなふうでお暮らしになっていらっしゃるばかり」
6.7.11
()ふに、をかしの御身(おほんみ)のほどや(おも)ふに、すずろなる(なげ)きの、うち(わす)れてしつるも、あやしと(おも)()(ひと)もこそ」と(まぎ)らはしに、さし()でたる和琴(わごん)を、たださながら()()らしたまふ。
(りち)調(しら)べは、あやしく(をり)にあふと()(こゑ)なれば()きにくくもあらねど、()()てたまはぬを、なかなかなりと、心入(こころい)れたる(ひと)は、()えかへり(おも)ふ。
と言うと、「結構なご身分の方だ、と思うと、わけもない溜息を、うっかりしてしまったのも、変だと思い寄る人があっては」と紛らわすために、差し出した和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。
律の調べは、不思議と季節に合うと聞こえる音なので、聞き憎くもないが、最後までお弾きにならないのを、かえって気がもめると、熱心な人は、死ぬほど残念がる。
聞いていて美しいお身の上であると思うことで知らず知らず歎息の声の()れて出たのを、怪しむ人があるかもしれぬと思う紛らわしに、女房たちが前へ出した和琴(わごん)を、調子もそのままでかき鳴らす薫であった。律の調べは秋の季によく合うと言われるものであったから、気も入れて弾かぬ琴の音であるが、みずから感じの悪いものとは思われぬものの、長くも弾いていなかったのを、熱心に聞きいっていた人たちはかえって残り多さも出て苦しんだ。
6.7.12
わが母宮(ははみや)(おと)りたまふべき(ひと)かは。
后腹(きさいばら)()こゆばかりの(へだ)てこそあれ帝々(みかどみかど)(おぼ)しかしづきたるさま、異事(ことごと)ならざりけるを。
なほ、この(おほん)あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。
明石(あかし)(うら)(こころ)にくかりける(ところ)かな」など(おも)(つづ)くることどもに、わが宿世(すくせ)いとやむごとなしかし。
まして、(なら)べて()ちたてまつらば」(おも)ふぞ、いと(かた)きや
「わたしの母宮もひけをおとりになる方だろうか。
后腹と申し上げる程度の相違だが、それぞれの父帝が大切になさる様子に、違いはないのだ。
がやはり、こちらのご様子は、たいそう格別な感じがするのが不思議なことだ。
明石の浦は奥ゆかしい所だ」などと思い続けることの中で、「自分の宿世は、とてもこの上ないものであった。
その上に、並べて頂戴したら」と思うのは、とても難しいことだ。
自分の母宮もこの姫宮に劣る御身分ではない、ただ后腹というわずかな違いがあっただけで朱雀(すざく)院の(みかど)の御待遇も、当帝の一品(いっぽん)の宮を尊重あそばすのに変わりはなかったにもかかわらず、この宮をめぐる雰囲気(ふんいき)とそれとに違ったもののあるのは不思議である。明石(あかし)の女のもたらしたものはことごとく高華なものであったとこんなことを思う続きに薫は運命が自分を置いた所はすぐれた所であるに違いない、まして女二の宮とともに一品の宮までも妻に得ていたならばどれほど輝かしい運命であったであろうと思ったのは無理なことと言わねばならない。

第八段 薫、宮の君を訪ねる

6.8.1
(みや)(きみ)この西(にし)(たい)にぞ御方(おほんかた)したりける
(わか)(ひと)びとのけはひあまたして、(つき)めであへり。
宮の君は、こちらの西の対にお部屋を持っていた。
若い女房たちが大勢いる様子で、月を賞美していた。
宮の君はここの西の対の一所を自室に賜わって住んでいた。若い女房たちが何人もいる気配(けはい)がそこにして皆月夜の庭の景色(けしき)を見ていた。
6.8.2 「まあ、お気の毒に、こちらも同じ皇族の方であるのに」
そうであったあの人も浮舟らと同じ桐壺(きりつぼ)(みかど)の御孫であった
6.8.3
(おも)()できこえて、親王(みこ)の、昔心寄(むかしこころよ)せたまひしものを」と()ひなして、そなたへおはしぬ。
(わらは)の、をかしき宿直姿(とのゐすがた)にて、()三人出(さんにんい)でて(あり)きなどしけり。
()つけて()るさまどもかかやかし。
これぞ()(つね)(おも)
とお思い出し申し上げて、「父親王が、生前に好意をお寄せになっていたものを」と口実にして、そちらにお出でになった。
童女が、かわいらしい宿直姿で、二、三人出て来てあちこち歩いたりしていた。
見つけて入る様子なども、恥ずかしそうだ。
これが世間普通のことだと思う。
と薫は思い出して、「式部卿の宮様に私を愛していただいたものなのだから」と独言(ひとりごと)を言いその座敷の前へ行ってみた。美しい姿の童女が略服になって、二、三人縁側へ出ていたが、薫を見て晴れがましいというように中へ隠れてしまった。これが普通の所の情景であると今見て来た廊の座敷と比べて薫は思った。
6.8.4
南面(みなみおもて)(すみ)()()りてうち(こわ)づくりたまへば、すこしおとなびたる人出(ひとい)()たり。
南面の隅の間に近寄って、ちょっと咳払いをなさると、少し大人めいた女房が出て来た。
南の(すみ)の間のそばで(せき)払いをすると、少し年のいったような女房が出て来た。
6.8.5
人知(ひとし)れぬ心寄(こころよ)せなど()こえさせはべれば、なかなか、皆人聞(みなひとき)こえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。
まめやかになむ、(こと)より(ほか)(もと)められはべる
「人知れず好意をお寄せ申しておりますので、かえって、誰もが言い古るしてきたような言葉が、馴れない感じで、真似をしているようでございます。
真面目に、言葉以外の表現を探さずにおられません」
「人知れず好意を持っている者ですなどと申せば、それはだれも言うことだとお聞きになるでしょうし、またそうした若い人たちの口真似(まね)をすることも私にはできません。それよりも言葉でない実質的な御用に立つことはないかと捜しております」
6.8.6
とのたまへば、(きみ)にも()(つた)へずさかしだちて、
とおっしゃると、宮の君にも言い伝えず、利口ぶって、
と言うと、その女は女王にも取り次がず、賢がって、
6.8.7
いと(おも)ほしかけざりし(おほん)ありさまにつけても、故宮(こみや)(おも)ひきこえさせたまへりしことなど、(おも)ひたまへ()でられてなむ
かくのみ、折々聞(をりをりき)こえさせたまふなり
御後言(おほんしりうごと)をも、よろこびきこえたまふめる
「まことに思いもかけなかったご境遇につけても、故父宮がお考え申し上げていらっしゃった事などが、思い出されましてなりません。
このように、折々にふれて申し上げてくださるという。
蔭ながらのお言葉も、お礼申し上げていらっしゃるようです」
「思いがけぬお身の上におなりあそばしましたことにつきましても、宮様がどんなにいろいろなお望みを姫君の将来にかけておいでになりましたかと思われまして、悲しゅうございます。いつも御親切に仰せくださいまして、お宮仕えにおいでになりました御非難のお言葉なども、ごもっともだと女王(にょおう)様は言っておいでになることでございますよ」
6.8.8
()ふ。
と言う。
こんなことを言う。

第九段 薫、宇治の三姉妹の運命を思う

6.9.1 「世間並の扱いのようで、失礼ではないか」と気が進まないので、
並み並みの家の娘などのように聞こえることもはばからず言う女であるといやな気のした薫は、
6.9.2
もとより(おぼ)()つまじき(すぢ)よりも(いま)はまして、さるべきことにつけても、(おも)ほし(たづ)ねむなむうれしかるべき。
疎々(うとうと)しう人伝(ひとづ)てなどにてもてなさせたまはば、えこそ
「もともと見捨てられない間柄としてよりも、今はそれ以上に、何か必要なことにつけても、お声をかけてくださったら嬉しく存じます。
よそよそしく人を介してなどでしたら、とてもお伺いできません」
「もとから血族であるためというようなことでなしに、好意を持つ男として、何かの御用をお命じくだすったらうれしいだろうと思います。うとうとしくお取り次ぎでお話などをしてくださるだけでは私も尽くしたいことがお尽くしできない」
6.9.3
とのたまふに、「げに」と、(おも)(さわ)ぎて、(きみ)をひきゆるがすめれば、
とおっしゃるので、「おっしゃるとおりだ」と、あわてて気づいて、宮の君を揺さぶるらしいので、
と言った。そうであったというふうに女房たちは思い、姫君を引き動かすばかりにしたはずであったから、
6.9.4
(まつ)(むかし)のとのみ(なが)めらるるにも、もとよりなどのたまふ(すぢ)は、まめやかに(たの)もしうこそは」
「松も昔の知る人もいないとばかりに、つい物思いに沈んでしまいますにつけても、もとからの縁などとおっしゃる事は、ほんとうに頼もしく存じられます」
「松も昔の(たれをかも知る人にせん高砂(たかさご)の)と申すような孤立のたよりなさの思われます私を、血族の者とお認めくださいましておっしゃってくださいますあなたは頼もしい方に思われます」
6.9.5
人伝(ひとづ)てともなく()ひなしたまへる(こゑ)いと(わか)やかに愛敬(あいぎゃう)づき、やさしきところ()ひたり。
ただなべてのかかる住処(すみか)(ひと)(おも)はばいとをかしかるべきを、ただ(いあま)は、いかでかばかりも、(ひと)声聞(こゑき)かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。
容貌(かたち)もいとなまめかしからむかし」と、()まほしきけはひのしたるを、この(ひと)また(れい)の、かの御心(みこころみだ)るべきつまなめると、をかしうも、ありがたの()」と(おも)ひゐたまへり。
と、人を介してというのでなくおっしゃる声、まことに若々しく愛嬌があって、やさしい感じが具わっていた。
「ただ普通のこのような局住まいをする人と思へば、とても趣があるにちがいないが、ただ今では、どうしてほんのわずかでも、人に声を聞かせてよいという立場に馴れておしまいになったのだろう」と、何となく気になる。
「容貌などもとても優美であろう」と、見たい感じがしているが、「この人は、また例によって、あの方のお心を掻き乱す種になるにちがいなかろうと、興味深くもあり、めったにいないものだ」とも思っていらっしゃった。
取り次ぎの者に言うというふうにでもなしに、こういう声は若々しく愛嬌(あいきょう)があって優しい味があった。ただの女房としてであればよい感じに受け取れたであろうが、今の身になっては、すぐに人に逢ってこれだけの言葉もみずから発しなければならぬものと思うようになったかと考えるとこの人を飽き足らぬものに薫は思われた。容貌(ようぼう)も必ず(えん)な人であろうと思い、見たい心も覚えたが、この人がまた宮のお心を乱す原因になることであろうと思われ、絶対の信用の持てない人は相手にしたくない気にもなった。
6.9.6
これこそは(かぎ)りなき(ひと)のかしづき()ほしたてたまへる姫君(ひめぎみ)
また、かばかりぞ(おほ)くはあるべき。
あやしかりけることは、さる(ひじり)(おほん)あたりに(やま)のふところより()()たる(ひと)びとの、かたほなるはなかりけるこそ。
この、はかなしや、軽々(かろがろ)しや、など(おも)ひなす(ひと)かやうのうち()るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」
「この方こそは、貴いご身分の父宮が大切にお世話して成人させなさった姫君だ。
また、この程度の女なら他にもそう多くいよう。
不思議であったことは、あの聖の近辺に、宇治の山里に育った姫君たちで、難のある方はいなかったことだ。
この、頼りないな、軽率だな、などと思われる女も、このようにちょっと会った感じでは、たいそう風情があったものだ」
この人こそは最上の家庭に生まれ、大事がられて育った、典型的な姫君というのに不足のない人で、他に幾人(いくたり)もない身の上だったのであるが、自分として頼もしい女性と思われぬのはどうしたことであろう、僧のような父宮に育てられ、都を離れた山里で大人(おとな)になった人が姉女王にもせよ中の君にもせよ、皆完全な貴女(きじょ)になっていたではないか、このはかない性情の人、軽々しい人と今の心からは軽侮の念で見られる人も、こうしたわずかな接触で覚えさせた感じは悪いものでなかった、と薫は八の宮の姫君たちのことばかりがなつかしまれるのであった。
6.9.7
と、何事(なにごと)につけても、ただかの(ひと)つゆかりをぞ(おも)()でたまひける。
あやしう、つらかりける(ちぎ)りどもをつくづくと(おも)(つづ)(なが)めたまふ夕暮(ゆふぐれ)蜻蛉(かげろふ)のものはかなげに()びちがふを
と、何事につけても、ただあのご一族の方をお思い出しなさるのであった。
不思議と、またつらい縁であった一つ一つを、つくづくと思い出し物思いにふけっていらっしゃる夕暮に、蜻蛉が頼りなさそうに飛び交っているのを、
宇治の姫君たちとはどれもこれも恨めしい結果に終わったのであったとつくづくと思い続けていた夕方に、はかない姿でかげろう蜻蛉(とんぼ)の飛びちがうのを見て、
6.9.8 「そこにいると見ても、
手には取ることのできない見えたと思うとまた行く方
ありと見て手にはとられず見ればまた
行くへもしらず消えしかげろふ
6.9.9 あるのか、ないのか」
「あはれともうしともいはじかげろふのあるかなきかに消ゆる世なれば」
6.9.10 と、例によって、独り言をおっしゃった、とか。
と例のように独言(ひとりごと)を言っていた。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 8/29/2011(ver.2-2)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)
2004年8月20日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年10月12日

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