第三十五帖 若菜下

光る源氏の准太上天皇時代四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語

注釈番号
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注釈

第一章 柏木の物語 女三の宮の結婚後


第一段 六条院の競射

1.1.1 注釈1 【ことわりとは思へども】 主語は柏木。小侍従の返事をさす。「若菜上」巻末の小侍従の手紙の文面を直接受けた語り出し。『集成』は「「思へども」と敬語を使わないのは、「思ふ」とともに、柏木に密着した書き方」と注す。
1.1.2 注釈2 【うれたくも言へるかな】 以下「世ありなむや」まで、柏木の心中。
1.1.2 注釈3 【かかる人伝てならで】 「いかにしてかく思ふてふことをだに人づてならで君に語らむ」(後撰集恋五、九六一、藤原敦忠)。
1.1.2 注釈4 【のたまひ聞こゆる】 「のたまひ」の主語は女三の宮、「聞こゆる」の主語は柏木。
1.1.3 注釈5 【なまゆがむ心や添ひにたらむ】 疑問の係助詞「や」、推量の助動詞「む」は、語り手の言辞。
1.1.4 注釈6 【晦日の日は】 三月晦日。六条院の競射。
1.1.4 注釈7 【そのあたりの花の色をも見てや慰む】 柏木の心中。
1.1.5 注釈8 【殿上の賭弓】 「賭弓」そのものは正月十八日に弓場殿で帝出御のもとに競射が催される。「殿上の賭弓」はそれに準じて殿上人が行う競射。二月三月に催されることが多い。
1.1.5 注釈9 【三月はた御忌月なれば】 冷泉帝の母后藤壺の忌月。
1.1.5 注釈10 【かかるまとゐあるべしと】 「まとゐ」は「円居」と「的射」の掛詞的表現。
1.1.5 注釈11 【左右の大将、さる御仲らひにて】 左大将鬚黒と右大将夕霧である。
1.1.5 注釈12 【小弓とのたまひしかど】 「若菜上」(第十三章四段)の源氏の言葉に見える。
1.1.5 注釈13 【歩弓】 「歩弓」は「馬弓(騎射)」の対語。十七日の射礼、十八日の賭弓なども歩射である。
1.1.6 注釈14 【前後の心、こまどりに方分きて】 左方の先に射る者、右方の後に射る者と、奇数偶数の二組に分けること。
1.1.6 注釈15 【今日にとぢむる霞のけしきも】 今日が三月晦日で春の終わりの日であることをいう。惜春の情景。
1.1.6 注釈16 【花の蔭いとど立つことやすからで】 「今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは」(古今集春下、一三四、躬恒)。
1.1.7 注釈17 【艶なる賭物ども】 以下「こそ挑ませめ」まで、源氏の詞。
1.1.7 注釈18 【柳の葉を百度当てつべき舎人どもの】 『史記』周本紀の楚の養由基の故事。
1.1.8 注釈19 【心知れる御目には】 夕霧をさす。
1.1.9 注釈20 【なほ、いとけしき異なり。わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ】 夕霧の心中。『集成』は「やっかいなことがもちあがる二人の仲なのだろうか」。『完訳』は「面倒なことがもちあがってくるのではなかろうか」と訳す。
1.1.10 注釈21 【さる仲らひ】 従兄弟同士という意。
1.1.10 注釈22 【もの思はしくうち紛るることあらむを】 推量の助動詞「む」仮定の意。『集成』は「思い悩んでそれに屈託するようなことがあるのを」。『完訳』は「物思いがちに心を奪われるようなことがあろうものなら」と訳す。
1.1.11 注釈23 【みづからも】 柏木をさす。
1.1.12 注釈24 【かかる心はあるべきものか】 以下「おほけなきこと」まで、柏木の心中。
1.1.14 注釈25 【かのありし猫をだに】 以下「慰めにもなつけむ」まで、柏木の心中。

第二段 柏木、女三の宮の猫を預る

1.2.1 注釈26 【女御の御方に参りて】 柏木、妹の弘徽殿女御のもとに参上。弘徽殿女御の慎み深い態度、女三の宮の軽率さが比較される。
1.2.1 注釈27 【いと奥深く、心恥づかしき御もてなしにて】 弘徽殿女御の態度。女三の宮と対照的。
1.2.1 注釈28 【かかる御仲らひにだに】 兄妹の関係をいう。
1.2.1 注釈29 【ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし】 柏木の心中。女三の宮を垣間見たことを想起する。
1.2.1 注釈30 【浅くも思ひなされず】 女三の宮の振る舞いを。
1.2.2 注釈31 【春宮に参りたまひて】 柏木、東宮のもとに参上し、女三の宮の猫を預かる。
1.2.2 注釈32 【論なう通ひたまへるところあらむかし】 柏木の心中。東宮と女三の宮が兄妹ゆえに似ているだろうと注意深く見る。
1.2.2 注釈33 【あてになまめかしくおはします】 東宮の器量。上文に「匂ひやかになどはあらぬ御容貌」。輝くほどの美しさではないが、東宮という心なしか、上品で優雅でいらっしゃる。参考、源氏の器量、「匂ひやかにきよら」(若菜上)とある。
1.2.4 注釈34 【六条の院の姫宮の御方に】 以下「見たまふべし」まで、柏木の詞。
1.2.4 注釈35 【猫こそ】 明融臨模本は「ねこそ」とある。大島本は「ねここそ」とある。文末は「をかしうはべしか」と已然形であるから「こそ」が適切。『集成』『完本』は大島本や諸本に従って「猫こそ」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)通り。
1.2.5 注釈36 【わざとらうたく】 明融臨模本と大島本は「わさとらうたく」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「猫わざとらうたく」と「猫」を補訂する。
1.2.6 注釈37 【唐猫の】 からねこの-以下「ものになむはべる」まで、柏木の詞。
1.2.8 注釈38 【聞こし召しおきて】 主語は東宮。以下、後日の話になる。
1.2.8 注釈39 【桐壺の御方】 明石女御をさす。
1.2.8 注釈40 【聞こえさせたまひければ】 『集成』は「その猫をご所望になったので」と訳す。
1.2.8 注釈41 【参らせたまへり】 女三の宮方から東宮に猫を差し上げなさった、の意。
1.2.8 注釈42 【げに、いとうつくしげなる猫なりけり】 東宮方の人々の詞。「げに」は柏木の言葉に納得する気持ちの表出。
1.2.8 注釈43 【人びと興ずるを】 『完訳』は「人々がおもしろがっているところへ」と訳す。
1.2.8 注釈44 【尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて】 『集成』は「あの猫を手に入れたいとお思いだったと、(その時の)東宮のお顔色を見て取った上で」。『完訳』は「東宮があの猫をもらい受けようとおぼしめしだった、と察していたので」と訳す。このあたり、時間が前後して語られている。
1.2.9 注釈45 【御琴など教へきこえ】 柏木は東宮に弦楽器を教授している。太政大臣家は特に和琴の名手である。
1.2.10 注釈46 【御猫ども】 以下「この見し人は」まで、柏木の詞。猫を「見し人」と喩えて言っている。『集成』は「女三の宮の身代わりというほどの気持が「人」と言わせている」と注す。
1.2.12 注釈47 【げに、をかしきさましたりけり】 以下「劣らずかし」まで、東宮の詞。猫の様子。
1.2.14 注釈48 【これは、さるわきまへ心も】 以下「魂はべらむかし」まで、柏木の詞。「これは」は猫一般をさす。
1.2.14 注釈49 【まさるどもさぶらふめるを】 以下「預からむ」まで、柏木の詞。「まさるども」はこの猫より勝れている猫ども、の意。
1.2.15 注釈50 【かつはおぼゆるに】 明融臨模本は「かつはおほゆるに」とある。大島本は「かつハおほゆるつゐに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おぼゆ。つひに」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のまま「おぼゆる。つひに」とする。
1.2.15 注釈51 【これを尋ね取りて】 柏木、猫を手に入れて女三の宮を偲ぶ。
1.2.16 注釈52 【ねう、ねう】 猫の鳴き声。擬音語。柏木は「寝よう、寝よう」の意に解す。
1.2.16 注釈53 【うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる】 『集成』は「いやに積極的だなと、苦笑が浮ぶ」。『完訳』は「いやに心のはやるやつよ、と苦笑せずにはいられない」と訳す。
1.2.17 注釈54 【恋ひわぶる人のかたみと手ならせば--なれよ何とて鳴く音なるらむ】 柏木の独詠歌。
1.2.18 注釈55 【これも昔の契りにや】 歌の後の独り言。「これ」は猫との縁をさす。
1.2.20 注釈56 【あやしく、にはかなる猫の】 以下「御心かな」まで、御達の詞。

第三段 柏木、真木柱姫君には無関心

1.3.1 注釈57 【左大将殿の北の方は】 玉鬘の近況、旧に変わらず夕霧と親しく交際。
1.3.1 注釈58 【心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて】 玉鬘についていう。
1.3.1 注釈59 【疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに】 『集成』は「よそよそしくてとても近づきがたく取り澄ましていられるのが心外なので」と訳す。
1.3.2 注釈60 【男君、今はまして】 鬚黒大将、娘の真木柱の姫君のことを恋しく思う。
1.3.2 注釈61 【並びなくもてかしづききこえたまふ】 鬚黒は玉鬘を。
1.3.2 注釈62 【かの真木柱の姫君を】 「真木柱の姫君」の呼称は、巻名にもとづくものか。当時、十二、三歳であったから、現在十六、七歳になっている。
1.3.2 注釈63 【祖父宮など】 式部卿宮。
1.3.3 注釈64 【この君をだに、人笑へならぬさまにて見む】 式部卿宮の詞。「見む」は立派な婿を迎えてやりたい、の意。
1.3.5 注釈65 【内裏にも、この宮の御心寄せ、いとこよなくて】 式部卿宮は冷泉帝の母藤壺の兄すなわち伯父にあたり、その娘が王女御として入内もしているという関係。
1.3.5 注釈66 【心苦しきものに思ひきこえたまへり】 冷泉帝が式部卿宮を。『集成』は「心にかけて大切なお方とお思い申し上げていられる」。『完訳』は「お気づかい申しておいであそばす」と訳す。
1.3.5 注釈67 【この院、大殿にさしつぎたてまつりては】 式部卿宮は、源氏、太政大臣家に次ぐ、第三の権勢家。「澪標」巻以来変わらない地位を確保。鬚黒左大将より上格。
1.3.6 注釈68 【さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば】 『集成』は「東宮の伯父として、国家の柱石ともおなりになるはずの有力者でいられるから」と訳す。
1.3.6 注釈69 【などてかは軽くはあらむ】 「などてかは--む」反語表現。語り手の言辞。
1.3.6 注釈70 【聞こえ出づる人びと】 真木柱の姫君に求婚する人々。
1.3.6 注釈71 【思しも定めず】 主語は式部卿宮。真木柱の姫君の親権者は祖父式部卿宮。
1.3.6 注釈72 【さも、けしきばまば】 真木柱の姫君への求婚の意向。
1.3.6 注釈73 【猫には思ひ落としたてまつるにや】 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「以下、前の話題とここの話題とをつないでの諧謔気味の草子地」。『完訳』は「語り手の皮肉めいた評言」と注す。
1.3.7 注釈74 【もて消ちたまへるを】 『集成』は「廃人同様のありさまでいられるのを」。『完訳』は「世間と没交渉になっている意」「世間のことは意にも介しておられないのを」と注す。
1.3.7 注釈75 【口惜しきものに思して】 主語は真木柱の姫君。
1.3.7 注釈76 【今めきたる御心ざまにぞものしたまひける】 主語は真木柱の姫君。継母を慕うあたりが今風といわれるゆえん。

第四段 真木柱、兵部卿宮と結婚

1.4.1 注釈77 【兵部卿宮、なほ一所のみおはして】 蛍兵部卿宮は北の方を亡くして以後、独身生活。
1.4.1 注釈78 【御心につきて思しけることどもは、皆違ひて】 玉鬘や女三の宮を望んだことをさす。
1.4.1 注釈79 【さてのみやはあまえて過ぐすべき】 蛍兵部卿宮の心中。「あまえて」について、『集成』は「こんなふうにのんびり構えてばかりもいられない」。『完訳』は「こんなふうにいい気になってばかりもいられまい」と訳す。
1.4.2 注釈80 【何かは】 以下「品なきわざなり」まで、式部卿宮の詞。娘の結婚相手の第一は帝、次いで親王だ、という考え。実際、宮の中の君は王女御として入内。大君は臣下の鬚黒大将の北の方となったが、離縁となった。
1.4.2 注釈81 【ただ人の、すくよかに、なほなほしきをのみ】 鬚黒の性格が思い合わされる表現。
1.4.4 注釈82 【いと二なくかしづききこえたまふ】 式部卿宮家が蛍兵部卿宮を婿として。
1.4.6 注釈83 【さまざまもの嘆かしき】 以下「心苦しき」まで、式部卿宮の詞。
1.4.6 注釈84 【物懲りしぬべけれど】 式部卿宮の大君は鬚黒と離縁、中の君は入内はしたものの立后が叶わなかった。
1.4.6 注釈85 【わがことに従はず】 鬚黒の意見に式部卿宮が従わない、の意。

第五段 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活

1.5.1 注釈86 【昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む】 蛍兵部卿宮の心中。故北の方は、右大臣の三の君、太政大臣の北の方(四の君)や六の君(朧月夜尚侍)の姉。「花宴」に「帥宮の北の方、頭中将のすさめぬ四の君などこそよしと聞きしか」(第一章二段)とあるのが初出。「胡蝶」に「年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり独り住みにてわびたまへば」(第一章三段)とあった。「面影の人」を求めるのはこの物語の通貫したテーマ。
1.5.1 注釈87 【悪しくはあらねど、さま変はりてぞものしたまひける】 蛍兵部卿宮の感想。『集成』は「きれいな人ではあるが、全然感じの違うお方だった」。『完訳』は「ご器量がわるいというわけではないのだけれど、まるで感じがちがっていらっしゃる」と訳す。
1.5.1 注釈88 【口惜しくやありけむ】 語り手の挿入句。蛍兵部卿宮の心中を忖度。
1.5.2 注釈89 【いと心づきなきわざかな】 式部卿宮の心中。蛍宮の態度に立腹。
1.5.2 注釈90 【口惜しく憂き世」と、思ひ果てたまふ】 『集成』は「ままならぬ、情けないこの世だと、すっかり悲観しておしまいになる」「自分も髭黒との結婚に破れ、娘もまた、という気持」。『完訳』は「残念な情けない縁組であったと、すっかり気落ちしていらっしゃる」「母君は女の幸不幸は母親次第と考えて娘を引き取っただけに落胆が大きい」と注す。
1.5.3 注釈91 【さればよ。いたく色めきたまへる親王を】 鬚黒大将の心中。蛍宮の好色風流好みの性格に対する批判。
1.5.3 注釈92 【はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや】 語り手の挿入句。鬚黒大将の心中を忖度。
1.5.4 注釈93 【近く聞きたまふには】 継母としての立場から身近に聞くの意。
1.5.4 注釈94 【さやうなる世の中を】 以下「思し見たまはまし」まで、玉鬘の心中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。蛍宮と結婚しなくてよかったという感想。「こなたかなた」は源氏と太政大臣をさす。
1.5.5 注釈95 【そのかみも、気近く見聞こえむとは】 以下「聞き落としたまひけむ」まで、玉鬘の心中。
1.5.5 注釈96 【かかるあたりにて、聞きたまはむことも、心づかひせらるべく】 玉鬘の心中。夫婦の語らいの中で、蛍宮が継娘の真木柱から玉鬘の噂を聞く、の意。
1.5.6 注釈97 【これよりも、さるべきことは】 玉鬘方をさす。継母としての配慮。
1.5.6 注釈98 【大北の方といふさがな者ぞ】 式部卿宮の北の方。『集成』は「かつて継娘に当る紫の上の不幸を小気味よがったり(須磨)、玉鬘と髭黒の結婚について源氏をあしざまにののしったりした(真木柱)。そこにも「この大北の方ぞ、さがな者なりける」(真木柱)とあり、札付きといった扱い」と注す。この物語では、かつての右大臣の娘弘徽殿の大后とこの式部卿の北の方がつねに悪役といった感じ。
1.5.7 注釈99 【親王たちは】 以下「思ふべけれ」まで、大北の方の詞。『集成』は「親王には政治的な権力がなく、婿取りしても世俗的な家の繁栄は望めないので、こうした愚痴にもなる」と注す。
1.5.8 注釈100 【いと聞きならはぬことかな】 以下「なかりしものを」まで、蛍兵部卿宮の心中。末尾は地の文に続く。
1.5.9 注釈101 【昔を恋ひきこえたまひつつ】 亡くなった北の方をさす。

第二章 光る源氏の物語 住吉参詣


第一段 冷泉帝の退位

2.1.1 注釈102 【はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝、御位に即かせたまひて、十八年にならせたまひぬ】 その後四年を経て、冷泉帝は譲位する。冷泉帝は十一歳で即位(澪標)。したがって現在二十八歳。源氏は四十六歳。つまり、源氏四十二歳から四十五歳までの四年間の空白がある。
2.1.2 注釈103 【嗣の君とならせたまふべき御子】 以下「過ぎまほしくなむ」まで、冷泉帝の詞。次の帝となるべき男皇子もいない寂しさを嘆く。
2.1.2 注釈104 【世の中はかなくおぼゆるを】 『完訳』は「この寿命もいつまで続くのか頼りなく思われてならないので」と訳す。
2.1.2 注釈105 【のどかに過ぎまほしくなむ】 明融臨模本と大島本は「すきまほしく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「過ぐさまほしく」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
2.1.3 注釈106 【飽かず盛りの御世を、かく逃れたまふこと】 世の中の人の詞。冷泉帝の御譲位を惜しむ。
2.1.3 注釈107 【春宮もおとなびさせたまひにたれば】 東宮は二十歳。朱雀院の皇子、母承香殿女御で左大将鬚黒の妹。三歳で立坊(澪標)、十三歳で元服(梅枝)、源氏の娘明石女御が入内(藤裏葉)、第一皇子誕生(若菜上)。
2.1.3 注釈108 【世の中の政事など、ことに変はるけぢめもなかりけり】 冷泉帝から今上帝へ御世替わりがあったが、格別政治や政界の人事に大きな異動がなかったことをいう。
2.1.4 注釈109 【太政大臣、致仕の表たてまつりて】 太政大臣が致仕し、鬚黒が右大臣となる。
2.1.5 注釈110 【世の中の常なきにより】 以下「何か惜しからむ」まで、太政大臣の詞。
2.1.5 注釈111 【冠を挂けむ】 逢萌字子康 北海都昌人也 (中略) 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東(後漢書-逢萌伝)(text35.html 出典4 から転載)
2.1.6 注釈112 【と思しのたまひて】 明融臨模本と大島本は「おほしの給て」とある。『完本』は諸本に従って「思しのたまふ」と校訂する。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。
2.1.6 注釈113 【女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで、亡せたまひにければ】 東宮の母承香殿女御はこれまでに死去。はじめてここに語られる。
2.1.6 注釈114 【限りある御位を得たまへれど】 皇太后の位を追贈されたことをいう。
2.1.7 注釈115 【六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ】 明石女御の第一皇子が皇太子となる。今年六歳。
2.1.7 注釈116 【いよいよあらまほしき御仲らひなり】 鬚黒右大臣と夕霧大納言の関係をいう。
2.1.8 注釈117 【冷泉院】 初めての呼称。退位後、冷泉院を院の御所としたことがわかる。またこの帝の呼称にもなる。
2.1.8 注釈118 【御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す】 源氏は、冷泉院に御継嗣のいないことを心中に残念に思う。
2.1.8 注釈119 【同じ筋なれど】 冷泉院と東宮をさす。
2.1.8 注釈120 【思ひ悩ましき御ことならで】 明融臨模本は「御事ならて」とある。大島本は「御事なくて」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「御事なうて」と校訂する。
2.1.8 注釈121 【過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世】 接続助詞「て」逆接の意。『完訳』は「世間に知られずにすんだが、そのかわり帝のお血筋を」と訳す。
2.1.8 注釈122 【口惜しくさうざうしく思せど】 源氏の心中。間接的叙述。
2.1.9 注釈123 【春宮の女御は、御子たちあまた数添ひたまひて】 明石女御は帝の寵愛が厚く御子たちも大勢いる。「春宮の女御」は東宮の母女御の意。帝の女御は複数いる。東宮の母女御は一人。そのほうが重々しい呼称。
2.1.9 注釈124 【源氏の、うち続き后にゐたまふべきことを】 藤壺(先帝の四宮)、秋好(故前坊の姫、源氏の養女)をさす。「源氏」は皇族の意で使われている。
2.1.9 注釈125 【冷泉院の后は】 秋好中宮。
2.1.9 注釈126 【ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる】 秋好中宮は、立后がかなり強引で無理になったものだ、と思っている。
2.1.10 注釈127 【院の帝】 冷泉院の日常。上皇を「院の帝」と呼称する。

第二段 六条院の女方の動静

2.2.1 注釈128 【姫宮の御ことは、帝、御心とどめて】 女三の宮をさす。
2.2.1 注釈129 【年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひて】 女三の宮降嫁後、五年を経ている。「麗はしく睦び交はす」とは外見的な振る舞いをいうのであろう。『集成』は「源氏とのお間柄はまことにしっくりと仲むつまじくいらして」。『完訳』は「院の殿と対の上とのご夫婦仲はまったく毛筋ほどの乱れもなく、お互いに仲睦まじくお過しになって」と訳す。
2.2.1 注釈130 【いささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから】 紫の上の源氏から心の乖離が語られる。
2.2.2 注釈131 【今は、かうおほぞうの住まひならで】 以下「思し許してよ」まで、紫の上の詞。出家の希望を述べる。『完訳』は「このような通り一遍の暮しでなく」「ありふれた物思いがちな愛人なみの生活」と注す。
2.2.2 注釈132 【この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり】 紫の上、三十六歳。後文の翌年の記事に「今年は三十七にぞなりたまふ」(第六章二段)とある。
2.2.3 注釈133 【まめやかに聞こえたまふ折々あるを】 紫の上は出家の希望を真剣に度々源氏に願っている。
2.2.4 注釈134 【あるまじく、つらき御ことなり】 以下「ともかくも思しなれ」まで、源氏の詞。紫の上の出家の希望を阻止する。出家後の紫の身の上が心配、自分の出家後に出家するのがよい、という。
2.2.4 注釈135 【とまりてさうざうしくおぼえたまひ】 主語は紫の上。源氏が出家した場合を想定した発言。
2.2.4 注釈136 【ある世に変はらむ御ありさまの】 『集成』は「今までとは打って変ったお暮しが」。『完訳』は「わたしといっしょの時と比べてどんなに変ったお身の上になろうかと」と訳す。
2.2.6 注釈137 【御方は隠れがの】 明石御方をさす。

第三段 源氏、住吉に参詣

2.3.1 注釈138 【住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて】 源氏、住吉詣でを思い立つ。
2.3.2 注釈139 【長き世の祈りを加へたる願ども】 『集成』は「明石の上の将来を祈願した上に、その度に遠い行く末まで(姫君や東宮のこと)祈って立てた数多くの願は」。『完訳』は「子々孫々の繁栄をという祈りの添えてある願文は」と訳す。
2.3.3 注釈140 【いかでさる山伏の】 以下「思ひよりけむ」まで、源氏の感想。
2.3.3 注釈141 【さるべきにて】 以下「行なひ人にやありけむ」まで、源氏の感想。
2.3.3 注釈142 【昔の世の行なひ人】 『集成』は「遠い昔のすぐれた修行僧」。『完訳』は「前の世の行者」と訳す。
2.3.4 注釈143 【浦伝ひの】 「浦伝ひ」は歌語。源氏の和歌にも詠まれる(明石)。
2.3.4 注釈144 【皆果たし尽くしたまへれども】 「澪標」巻の住吉詣での段に語られている。
2.3.4 注釈145 【具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ】 「きこえさせ」謙譲の補助動詞。紫の上に対する敬意。「きこゆ」より一段と深い敬意。「たまひ」尊敬の補助動詞。源氏の動作に対する敬意。「させ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語。
2.3.4 注釈146 【限りありければ】 いくら簡略にするといっても院としての格式があるので、という意。

第四段 住吉参詣の一行

2.4.1 注釈147 【舞人は、衛府の次将ども】 六衛府(左右近衛府・左右兵衛府・左右衛門府)の次官たち。東遊の舞人は十人である。
2.4.2 注釈148 【陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人びとの】 石清水の臨時の祭(三月中または下の午の日)、賀茂の臨時の祭(十一月下の酉の日)に東遊を奏する楽人(陪従)は、いずれも十二人(四位、五位、六位から各四人ずつ出る)。
2.4.2 注釈149 【加はりたる二人】 加陪従といい、臨時に加えた楽人。
2.4.3 注釈150 【小舎人童】 「小舎人 コドネリ」(禁中方名目抄)。近衛の中将・少将が召し連れる少年。
2.4.5 注釈151 【尼君をば】 以下「詣でさせむ」まで、源氏の詞。
2.4.5 注釈152 【人めかしくて】 『集成』は「家族の一人として」。『完訳』は「女御の祖母君らしく立派に仕立てて」と訳す。
2.4.7 注釈153 【このたびは、かくおほかたの】 以下「世の中を待ち出でたらば」まで、明石御方の詞。
2.4.7 注釈154 【思ふやうならむ世の中を】 東宮の即位をいう。
2.4.8 注釈155 【匂ひたまふ御身ども】 紫の上、明石の女御、明石の君をさす。

第五段 住吉社頭の東遊び

2.5.1 注釈156 【十月中の十日】 源氏一行、十月二十日に住吉参詣する。
2.5.1 注釈157 【神の斎垣に】 明融臨模本に合点と付箋「ちはやふる神のいかきにはふくすも秋にはあへすもみちしにけり」(古今集秋下、二六二、紀貫之)とある。
2.5.1 注釈158 【松の下紅葉】 『集成』は「松の下葉の紅葉。「下紅葉」は歌語」と注す。『完訳』は「下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな」(拾遺集恋三、八四四、読人しらず)を指摘。
2.5.1 注釈159 【音にのみ秋を聞かぬ顔】 明融臨模本は合点と付箋「もみちせぬときはの山は吹風のをとにや秋をきゝわたるらん」(古今集秋下、二五一、紀淑望)とある。『集成』は「音だけでなく、色にも秋を知らぬ顔である、の意」。『完訳』は「風の音にだけそれを聞くとは限らない秋の風情である」と注す。
2.5.1 注釈160 【ことことしき高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく】 仰々しい高麗や唐土の楽より日本の東遊のほうが耳馴れて「なつかしくおもしろ」いという。「桐壺」巻の楊貴妃と桐壺更衣の容貌を比較した文章が想起される。
2.5.1 注釈161 【御琴】 明融臨模本は「しみゝ(ゝ$御)こと(こと=琴)に」とある。すなわち「御琴」とする。大島本は「こと」とある。『集成』は底本(明融臨模本)の訂正に従う。『完本』は諸本に従って「琴」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
2.5.2 注釈162 【山藍に摺れる竹の節は】 東遊の舞人の衣裳。山藍で摺った竹の葉も紋様の衣裳を着る。
2.5.2 注釈163 【插頭の色々は】 明融臨模本と大島本は「かさしの」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「插頭の花の」と「花の」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
2.5.3 注釈164 【求子】 あはれ ちはやぶる 賀茂の社の 姫小松 あはれ 姫小松 よろづ世経とも 色はかは あはれ 色は変はらじ(求子)(text35.html 出典7 から転載)
2.5.3 注釈165 【匂ひもなく黒き袍に】 四位以上の黒の袍。平安中期の服飾の色を反映する。
2.5.3 注釈166 【蘇芳襲の、葡萄染の袖を】 『完訳』は「蘇芳襲や葡萄染の袖を」と訳す。 【蘇芳襲の】-『集成』は「蘇芳襲」と校訂。河内本と別本が「の」ナシ。

第六段 源氏、往時を回想

2.6.1 注釈167 【大殿】 源氏をいう。
2.6.1 注釈168 【思し出でられ】 「られ」自発の助動詞。下文にも「思さるるに」と自発の助動詞が使用されている。
2.6.1 注釈169 【うち乱れ語りたまふべき人も】 『集成』は「遠慮なく」。『完訳』は「打ち解けてお話し合いになれそうな人も」。推量の助動詞「べし」可能・適当の両意。
2.6.2 注釈170 【二の車に】 第二番目の車の意。明石御方と尼君が乗っている車。
2.6.3 注釈171 【誰れかまた心を知りて住吉の--神代を経たる松にこと問ふ】 源氏の贈歌。「神代を経る」は遠い昔の意。「松」は尼君をさす。
2.6.4 注釈172 【女御の君のおはせしありさまなど】 『集成』は「姫君が明石でお暮しだった様子」。『完訳』は「女御の君が御腹に宿っておられた様子などを」と訳す。
2.6.4 注釈173 【思ひ出づるも】 主語は尼君。
2.6.4 注釈174 【世を背きたまひし人も恋しく】 明石入道をさす。主語は尼君。入道が深い山に入ってから五年の歳月がたつ。
2.6.4 注釈175 【言忌して】 『集成』は「言葉を選んで」。『完訳』は「言葉を慎んで」と訳す。
2.6.5 注釈176 【住の江をいけるかひある渚とは--年経る尼も今日や知るらむ】 尼君の返歌。「貝」と「効」、「尼」と「海人」の掛詞。
2.6.7 注釈177 【昔こそまづ忘られね住吉の--神のしるしを見るにつけても】 尼君の独詠歌。

第七段 終夜、神楽を奏す

2.7.1 注釈178 【二十日の月はるかに澄みて】 十月二十日の月。月の出は午後十時ころ。
2.7.1 注釈179 【そぞろ寒く、おもしろさも】 『完訳』は「寒気をおぼえるすばらしさなので」と訳す。
2.7.2 注釈180 【御門より外の物見、をさをさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば】 当時の高貴な女性がめったに外出しないこと、また都以外の地にも行かないことをいう。「御門」は「みかど」と読む。
2.7.3 注釈181 【住の江の松に夜深く置く霜は--神の掛けたる木綿鬘かも】 紫の上の和歌。住吉の神の神慮をうたう。「住の江」は歌語。「霜」を「木綿鬘」に見立てる。
2.7.4 注釈182 【篁の朝臣の、「比良の山さへ」と言ひける】 小野篁(八〇二~八五二)。漢詩と和歌両面にすぐれた平安前期の文人。「ひもろぎは神の心にうけつらし比良の山さへゆふかづらせり」(河海抄所引、出典未詳)。なお『河海抄』は「文時卿歌也」と注記する。『花鳥余情』は「名違へか」ともいう。作者紫式部の記憶違いかまた別伝があったか。
2.7.4 注釈183 【祭の心うけたまふしるしにや】 紫の上の心中。『完訳』は「この霜景色も神が奉納の志をお受けになった証であろうかと」と訳す。
2.7.5 注釈184 【神人の手に取りもたる榊葉に--木綿かけ添ふる深き夜の霜】 明石女御の紫の上の和歌への唱和歌。「神」「木綿」「霜」を詠み込む。
2.7.6 注釈185 【中務の君】 紫の上づきの女房。もと左大臣家の葵の上の女房だが、源氏の召人でもあった(帚木・末摘花)。主人葵の上の死後、源氏の女房となり二条院に移り、須磨退去にあたり紫の上の女房となる(須磨)。
2.7.7 注釈186 【祝子が木綿うちまがひ置く霜は--げにいちじるき神のしるしか】 中務君の紫の上の和歌への唱和歌。「木綿」「霜」「神」を詠み込む。
2.7.8 注釈187 【次々数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ】 以下「うるさくてなむ」まで、語り手の言辞。『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「省筆をことわる草子地。一行中の女房の語る言葉をそのまま伝える体」。『完訳』は「語り手の、数多く詠まれた和歌を省筆する弁」と注す。
2.7.8 注釈188 【松の千歳より離れて、今めかしきことなければ】 『集成』は「「松の千歳」といった決り文句以外に目新しい趣向の歌もないので」と注す。

第八段 明石一族の幸い

2.8.1 注釈189 【ほのぼのと明けゆくに】 翌朝を迎える霜の白さ鮮明。
2.8.1 注釈190 【本末もたどたどしきまで】 神楽を歌う本方と末方とが混乱するほどまでの意。
2.8.1 注釈191 【万歳、万歳】 神楽「千歳法」の歌詞の一部。((本方)千歳 千歳 千歳や 千年の 千歳や (末方)万歳 万歳 万歳や 万代の 万歳や (本方)なほ千歳 (末方)なほ万歳(神楽歌-千歳法):text35.html 出典7 から転載)
2.8.1 注釈192 【榊葉を取り返しつつ】 『完訳』は「神楽は舞人が榊葉を持ち去ると終るが、終りそうで終らない」と注す。
2.8.1 注釈193 【思ひやるぞいとどしきや】 『湖月抄』は「地」(草子地の意)と指摘。語り手の詠嘆と讃辞。
2.8.2 注釈194 【千夜を一夜になさまほしき夜の】 明融臨模本、合点と付箋「秋の夜のちよを一夜になせりともこと葉のこりて鳥やなきなん」(伊勢物語)がある。『源氏釈』が初指摘(ただし、第一句「あきのよの」、第五句「とりやなきてん」)。『岷江入楚』は「私不用之」と注す。
2.8.3 注釈195 【松原に、はるばると立て続けたる御車どもの】 翌朝の明るくなってからの松原の景色。
2.8.3 注釈196 【袍の色々けぢめおきて】 袍衣の色。令制では、一位深紫、二位・三位浅紫、四位深緋、五位浅緋、六位深緑、七位浅緑、八位深縹、初位浅縹。ただし、一条天皇のころから、四位以上は黒袍。前に「匂ひもなく黒き袍に」(第二章五段)とあった。この住吉詣でには四位以上は黒袍で供奉していた。
2.8.3 注釈197 【をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ】 五位以下の者が食膳を準備している様子。
2.8.4 注釈198 【浅香の折敷に、青鈍の表折りて】 尼君は出家者なので、浅香の折敷に青鈍色の絹を折り畳んで敷いた上に精進料理が特別に用意された。
2.8.5 注釈199 【言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば】 『一葉抄』は「作者語也」と指摘。『集成』は「以上、省筆をことわる草子地」と注す。語り手の省筆と盛大さをいう言辞。
2.8.6 注釈200 【かかる御ありさまをも】 『集成』は「尼君や明石の上の心中を察して書いたもの」。『完訳』は「「見苦しくや」まで、明石の君の心情に即して入道を語る」と注す。
2.8.6 注釈201 【難きことなりかし】 『一葉抄』は「記者語也」と指摘。『全集』は「このあたり、地の文ながら、「--飽かざりける」「難きことなりかし」「まじらはしくも見苦しくや」と、異なる視点から入道を捉えなおしている点に注意」と注す。明石の君と語り手が一体化した表現。
2.8.6 注釈202 【世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり】 『細流抄』は「草子地也」と指摘。語り手の主観的推量。
2.8.6 注釈203 【近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ、賽は乞ひける】 近江君は双六が好き。「常夏」巻にもその場面が語られていた。

第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画


第一段 女三の宮と紫の上

3.1.1 注釈204 【入道の帝は】 朱雀院をさす。
3.1.1 注釈205 【春秋の行幸】 今上帝の父朱雀院への朝覲行幸をさす。
3.1.1 注釈206 【この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ】 朱雀院は源氏を「おほかたの御後見」と考え、帝に「うちうちの御心寄せあるべく」依頼している。
3.1.1 注釈207 【二品になりたまひて、御封などまさる】 女三の宮、二品になる。「禄令」によれば、親王は、一品は八百戸、二品は六百戸、三品は四百戸、四品は三百戸で、内親王はその半分とされる。すなわち、女三の宮の二品内親王は三百戸の御封。
3.1.2 注釈208 【かく年月に添へて】 紫の上の寂寥、女三の宮のはなやかさと対比されて語られる。『完訳』は「紫の上の心中に即す。直接、間接話法が混じる」と注す。
3.1.2 注釈209 【かたがたにまさりたまふ御おぼえに】 主語は女三の宮。『集成』は「何かにつけて盛んになられる〔女三の宮の〕ご声望に」。『完訳』は「六条院の他の御方々より盛んになられる女宮のご声望であるにつけても」と訳す。
3.1.3 注釈210 【わが身はただ】 以下「心と背きにしがな」まで、紫の上の心中。
3.1.4 注釈211 【さかしきやうにや思さむ】 紫の上の心中。源氏の気持ちを忖度。
3.1.4 注釈212 【内裏の帝さへ】 副助詞「さへ」添加の意。『完訳』は「朱雀院はもちろん帝までが」と注す。
3.1.4 注釈213 【おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて】 主語は源氏。「れ」受身の助動詞。帝に女三の宮を疎略に扱っていると聞かれる、それが帝に申し訳ない、の意。
3.1.4 注釈214 【渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく】 源氏の女三の宮のもとに通うことが紫の上の場合と同等になる。
3.1.5 注釈215 【さるべきこと、ことわりとは思ひながら】 紫の上は、やがて源氏の愛情も女三の宮のほうに傾斜していくことを予測していた。
3.1.5 注釈216 【さればよ】 かねて懸念していたとおり。
3.1.5 注釈217 【春宮の御さしつぎの女一の宮を】 養女の明石女御が産んだ春宮のすぐ下の妹。孫娘として愛育する。
3.1.5 注釈218 【その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける】 紫の上も源氏の「夜離れ」を経験するようになる。愛孫の世話に所在なさを紛らわす。『蜻蛉日記』の作者が晩年養女を迎えて所在なさを紛らしたのに類似。
3.1.5 注釈219 【いづれも分かず】 明石女御が産んだ御子。春宮、三の宮(匂宮)、女一の宮を差別せず。

第二段 花散里と玉鬘

3.2.1 注釈220 【夏の御方は】 夏の御方すなわち花散里も養子夕霧大将の典侍腹の孫を引き取って世話をする。
3.2.1 注釈221 【少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて】 源氏の子の少ないこと。しかし、その子の孫は数多くできたことをいう。
3.2.1 注釈222 【こなたかなたいと多く】 夕霧方と明石姫君方とをさす。
3.2.1 注釈223 【今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける】 主語は源氏。源氏も晩年の所在なさを「御孫扱ひ」で過す。
3.2.2 注釈224 【右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりも】 鬚黒右大臣兼左大将。今上帝の外戚。
3.2.2 注釈225 【北の方もおとなび果てて】 玉鬘は鬚黒の北の方、二児の母親としてすっかり落ち着いた年齢と地位にある。現在三十二歳。
3.2.2 注釈226 【昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや】 語り手の挿入句。源氏の心中を忖度。
3.2.2 注釈227 【渡りまうでたまふ】 明融臨模本と大島本は「まうて給」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「まうでたまひつつ」と校訂する。
3.2.3 注釈228 【姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします】 六条院の源氏、紫の上、花散里らの「御孫扱ひ」、そこに出入りする玉鬘のすっかり落ち着いた年齢。そうした中で、女三の宮のみが変わらず若く幼いままでいる。二十一、二歳になっている。柏木との密通事件の伏線。
3.2.3 注釈229 【いと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ】 『集成』は「大層心にかけて」「〔源氏は〕大事にお世話申し上げていられる」。『完訳』は「まことにいじらしくお思いになり、まるで幼い御娘でもあるかのように、たいせつにお世話申しあげていらっしゃる」と訳す。

第三段 朱雀院の五十の賀の計画

3.3.2 注釈230 【今はむげに世近くなりぬる心地して】 以下「渡りたまふべく」まで、朱雀院から女三の宮への手紙。ただし、文末の引用句がなく、地の文に流れる。
3.3.2 注釈231 【残りもこそすれ】 懸念の語法。恨みが残ったら大変だ。
3.3.4 注釈232 【げに、さるべきことなり】 以下「心苦しきこと」まで、源氏の詞。「げに」は朱雀院の手紙を受ける。
3.3.6 注釈233 【ついでなく、すさまじきさまにてやは】 以下「御覧ぜさせたまふべき」まで、源氏の心中。「やは」係助詞、反語表現。
3.3.8 注釈234 【このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや】 源氏の心中。「足りたまはむ年」とは、朱雀院が来年ちょうど五十歳に達する年という意。
3.3.8 注釈235 【人の御心しつらひども入りつつ】 六条院のご夫人方の意見をさす。
3.3.8 注釈236 【思しめぐらす】 明融臨模本は「めくらす(す+に)」とある。すなわち「に」を補入する。大島本は「おほしめくらす」とある。『集成』『完本』は底本の訂正以前本文と諸本に従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
3.3.9 注釈237 【まだ小さき七つより上のは】 夕霧は自分の七歳以上の子を童殿上させる。
3.3.10 注釈238 【心ことなるべきを定めて】 『集成』は「目立ちそうな者たちを」。『完訳』は「格別な芸を見せてくれそうなのを選定して」と訳す。

第四段 女三の宮に琴を伝授

3.4.1 注釈239 【院にもひき別れ】 「ひき別れ」には琴の縁で「弾き」を響かす。
3.4.1 注釈240 【たまひしかば】 明融臨模本と大島本は「給ひしかは」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「たまひにしかば」と「に」を補訂する。
3.4.2 注釈241 【参りたまはむついでに】 以下「弾き取りたまひつらむ」まで、朱雀院の詞。
3.4.2 注釈242 【さりとも琴ばかりは】 女三の宮、源氏に嫁して六年。『集成』は「琴の名手である源氏に嫁してもう七年にもなるのだから、といった気持がある」。『完訳』は「女宮の琴の巧拙に、源氏の情愛の厚薄を判断しようとする」と注す。
3.4.3 注釈243 【しりうごとに聞こえたまひけるを】 『完訳』は「朱雀院の言辞には、言辞の情愛の薄さが思われている」と注す。
3.4.4 注釈244 【げに、さりとも】 以下「参り来て聞かばや」まで、帝の詞。「げに」について、『集成』は「これも、源氏の膝下にあるのだからという気持」。『完訳』は「院の「さりとも--」を肯定的に受けとめ、今は名手源氏の指導を得て上達していよう、とする」と注す。
3.4.4 注釈245 【院の御前にて】 朱雀院の御前をさす。
3.4.6 注釈246 【年ごろさりぬべきついでごとには】 以下「いとはしたなかるべきことにも」まで、源氏の心中。適当な機会に源氏が女三の宮に琴の琴を教えたということがここに初めて語られている。
3.4.6 注釈247 【まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを】 『集成』は「院のお耳にご満足がゆくほどの深味のある曲はとても弾けないのに」。『完訳』は「まだ父院がお喜びあそばすほどの味わい深い技量にはほど遠いのだから」と訳す。
3.4.8 注釈248 【調べことなる手】 『集成』は「珍しい旋律の曲」。『完訳』は「特別に調べの変った曲」と注す。
3.4.8 注釈249 【おもしろき大曲どもの】 『完訳』は「帖を曲の単位として、一帖だけのものを小曲、数帖を中曲、十数帖を大曲と称すという」と注す。
3.4.8 注釈250 【空の寒さぬるさをととのへ出でて】 琴(七絃琴)の音色に気候の温暖を調節させる霊妙な力があるという思想。『花鳥余情』所引「琴書」に見える。
3.4.9 注釈251 【昼は、いと人しげく】 以下「心もしめたてまつるべき」まで、源氏の詞。

第五段 明石女御、懐妊して里下り

3.5.1 注釈252 【女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ】 この物語では、琴(きん)の琴は皇族の楽器と規定している。和琴は藤原氏が名手となっている。また琵琶は皇族圏の人々、源典侍、明石君、宇治大君等が名手、となっている。
3.5.2 注釈253 【御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば】 明石女御、妊娠五月になる。『集成』は「すでに女御の手許を離れている東宮と女一の宮は除いた、二の宮と三の宮であろう。前に「御子たちあまた数添ひたまひて」(若菜下)とあった」。『完訳』は「一皇子一皇女がいる」と注す。
3.5.2 注釈254 【神事などにことづけておはしますなりけり】 『集成』は「十一月から十二月の初旬にかけて神事が多い」と注す。『拾芥抄』に「凡そ宮女の懐妊せる者は、散斎の前に、退出すべし。月の事有る者は、祭日の前に、宿廬に退下すべし、殿に上るを得ず。其の三月・九月は、潔斎の前に、預り宮外に退出すべし」(触穢部)とある。明石女御は妊娠五月。散斎(祭に先立ち七日間の身体上の潔斎をすること)の前に、退出した。
3.5.2 注釈255 【十一日】 十二月十一日に宮中では神今食の神事がある。明石女御の退出はそれに先立つ七日前の、十二月初めに宮中退出となろう。
3.5.2 注釈256 【などて我に伝へたまはざりけむ】 明石女御の心中。源氏は女三の宮に琴の琴を教えたのに、どうして自分には伝授してくれないのか。
3.5.3 注釈257 【冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば】 源氏の性向。冬の夜の月を賞美する心は、「朝顔」巻(第三章二段)に語られていた。
3.5.3 注釈258 【おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ】 冬の夜の雪景色を背景にした管弦の遊び。
3.5.4 注釈259 【対などにはいそがしく】 紫の上は六条院全体をとりしきる立場にある。衣配りなど正月の準備に余念がない。
3.5.5 注釈260 【春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ】 紫の上の詞。
3.5.6 注釈261 【年返りぬ】 源氏四十七歳。源氏の夫人方、紫の上三十七歳、女三の宮二十一、二歳、明石御方三十八歳。源氏の子、夕霧大納言兼右大将二十六歳、明石女御十九歳。その他の人々、皇族方、一の院(朱雀院)五十歳、新院(冷泉院)二十九歳、今上帝二十一歳、東宮七歳。一般臣下、柏木中納言兼衛門督三十一、二歳、鬚黒右大臣兼左大将四十二、三歳。

第六段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定

3.6.1 注釈262 【院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことども】 朱雀院の御五十賀は子にあたる今上帝がまず初めに祝う。
3.6.1 注釈263 【こちたきに】 明融臨模本と大島本は「こちたきに」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「いとこちたきに」と「いと」を補訂する。
3.6.1 注釈264 【二月十余日と定めたまひて】 源氏から兄朱雀院への御五十祝賀は二月十余日と定めるが、次々といろいろな支障が生じて遅れていく。
3.6.2 注釈265 【この対に、常にゆかしくする】 以下「をさをさあらじ」まで、源氏の詞。『完訳』は「「この対」は紫の上。女宮のもとにいながら身近な呼び方をする」と注す。
3.6.2 注釈266 【かの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ】 箏は明石女御、琵琶を明石御方、紫の上には和琴、そして女三の宮が琴の琴で女楽を演奏する。
3.6.3 注釈267 【世にあるものの師といふ限り】 以下、源氏の音楽学習の体験と自信のほどを披瀝する。
3.6.4 注釈268 【琴はた、まして、さらに、まねぶ人なくなりにたりとか】 紫式部の時代には、琴の琴(七絃琴)の奏法は絶えてしまっていた。
3.6.4 注釈269 【この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ】 この世にあなたしかいない、という。
3.6.5 注釈270 【かくゆるしたまふほどになりにける】 女三の宮の心中。『完訳』は「ご自分の技量もこれほどお認めくださるまで上達したのか」と訳す。
3.6.6 注釈271 【なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して】 『集成』は「まだ、とても幼げで。十分に女らしくなっていないさま」。『完訳』は「相変わらず成熟したところがなく幼げな感じで」と訳す。人として大人になっていない意。
3.6.7 注釈272 【院にも】 以下「見えたてまつりたまへ」まで、源氏の詞。
3.6.7 注釈273 【年経ぬるを】 女三の宮は十四、五歳で六条院に降嫁したから、父朱雀院とは七年ぶりの対面になる。
3.6.9 注釈274 【げに、かかる御後見なくては】 以下「隠れなからまし」まで、女三の宮付きの女房の感想。

第四章 光る源氏の物語 六条院の女楽


第一段 六条院の女楽

4.1.1 注釈275 【正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく】 正月二十日ほどの季節描写。六条院春の御殿の庭先の様子。「をかしき空」「風温し」「梅(白梅)の盛り」花の木の蕾」「霞みわたる」、新年正月二十日ころとしては標準的季節描写。
4.1.2 注釈276 【月たたば、御いそぎ近く】 以下「試みたまへ」まで、源氏の紫の上への詞。来月になったら、朱雀院五十賀の準備でなにかと忙しくなるから、その前にという配慮。
4.1.3 注釈277 【寝殿に渡したてまつりたまふ】 紫の上を女三の宮のいる寝殿へ。紫の上に対する丁重な敬語表現。
4.1.4 注釈278 【選りとどめさせたまひて】 「させ」使役の助動詞。下の「さぶらはせたまふ」の「せ」も同じく使役の助動詞。
4.1.5 注釈279 【赤色に桜の汗衫、薄色の織物の衵、浮紋の表の袴、紅の擣ちたる、さま】 紫の上方の童女の衣裳。『完訳』は「赤色の表着に桜襲の汗衫、薄紫色の織物の衵、浮模様の表袴、それは紅の艶出しをしたもので」と訳す。
4.1.5 注釈280 【女御の御方にも】 明石女御方の描写に移る。
4.1.6 注釈281 【童は、青色に蘇芳の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じさまに調へたり】 『完訳』は「女童は、青色の表着に蘇芳襲の汗衫、唐の綾織の表袴、衵は山吹色の唐の綺を、同じようにおそろいで着ている」と訳す。
4.1.7 注釈282 【青丹に柳の汗衫、葡萄染の衵など】 『完訳』は「青丹の表着に、柳襲の汗衫、葡萄染の衵など」と訳す。

第二段 孫君たちと夕霧を召す

4.2.3 注釈283 【箏の御琴は】 以下「頼み強からず」まで、源氏の詞。
4.2.4 注釈284 【笑ひたまひて】 苦笑に近い笑い。
4.2.5 注釈285 【大将、こなたに】 源氏の詞。
4.2.7 注釈286 【女御は】 以下「乱るるところもや」まで、源氏の心中。初め地の文と融合した叙述、やがて心中文として明確化。
4.2.7 注釈287 【和琴こそ】 係助詞「こそ」は「たどりぬべけれ」に係る。
4.2.7 注釈288 【春の琴の音は、皆掻き合はするものなるを】 『集成』は「春の琴(絃楽器)の音色は、総じて合奏して聞くものと決っているものだが、の意に解されるが、古来不審とされている。河内本「さるものと琴の音は」」と注す。
4.2.8 注釈289 【なまいとほしく思す】 『集成』は「何となく気がかりに」。『完訳』は「いささか心苦しくお思いになる」と訳す。

第三段 夕霧、箏を調絃す

4.3.1 注釈290 【あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて】 夕霧の化粧した姿。すっきりした御直衣に香をたきしめる。特に袖に深く香をたきしめる。身動きのたびにもっとも香が発しやすい所だからである。
4.3.2 注釈291 【ゆゑあるたそかれ時の空に、花は去年の古雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲き乱れたり】 正月二十日ころ、夕暮時に、白梅が雪かと見間違えられるほに満開に咲いている様子。
4.3.2 注釈292 【鴬誘ふ】 明融臨模本、合点と付箋「花のかを風のたよりにたくへてそ鴬さそふしるへにはやる」(古今集春上、一三、紀友則)。『源氏釈』に初指摘、諸注指摘する。
4.3.3 注釈293 【軽々しきやうなれど】 以下「人の入るべきやうはなきを」まで、源氏の詞。
4.3.4 注釈294 【用意多くめやすくて】 『集成』は「いかにもたしなみ深く、非の打ち所のない所作で」。『完訳』は「心づかいも行き届いていかにも好ましく」と訳す。
4.3.4 注釈295 【壱越調」の声に発の緒を立てて】 「壱越調」は雅楽の六調子の一つ。「発の緒」は箏の琴の調絃で、調子の基準音にする絃。
4.3.5 注釈296 【なほ、掻き合はせばかりは、手一つ、すさまじからでこそ】 源氏の詞。『集成』は「興を殺がなぬように。お愛想までに、掻き合せくらいは一曲弾いてみなさい、というほどの意」と注す。
4.3.7 注釈297 【さらに、今日の御遊びの】 以下「おぼえずはべりける」まで、夕霧の詞。言葉では遠慮しながら、態度はもったいぶった様子。
4.3.8 注釈298 【けしきばみたまふ】 『集成』は「勿体ぶったご挨拶をなさる」と訳す。
4.3.9 注釈299 【さもあることなれど】 以下「名こそ惜しけれ」まで、源氏の詞。夕霧をからかう。
4.3.10 注釈300 【笑ひたまふ】 冗談の後の笑い。
4.3.11 注釈301 【宿直姿ども】 宮中で宿直するときに直衣を着るので、いま夜でもあるので、こう表現したもの。

第四段 女四人による合奏

4.4.1 注釈302 【御琴どもの調べども調ひ果てて】 以下、女楽が始まる。
4.4.1 注釈303 【神さびたる手づかひ、澄み果てておもしろく聞こゆ】 明石御方の琵琶。住吉の神の縁で「神さびたる」と表現。『集成』は「由緒ある古風な撥さばきが、澄みきった音色で」。『完訳』は「年功を積んだ神々しいまでの弾きようが、音色も澄みとおるようなみごとさでおもしろく聞こえる」と訳す。
4.4.2 注釈304 【なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音の、めづらしく今めきて】 紫の上の和琴。「なつかし」「今めかし」は紫の上の人柄を特徴づける語句。
4.4.2 注釈305 【大和琴にもかかる手ありけり】 源氏の感想。紫の上の和琴に感嘆。
4.4.3 注釈306 【ものの隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ】 明石女御の箏の琴。「うつくしげ」「なまめかし」」は女御の可憐な人柄を表す語句。『完訳』は「他の楽器の合間合間に、おぼつかなく聞こえてくる性質の音色なので」と訳す。
4.4.4 注釈307 【琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず】 女三の宮の琴の琴。その音色に人柄が反映されてない。あるとすれば、「若し」の未熟という人柄。未熟な技量だが、練習中なので、あぶなげなかった。
4.4.4 注釈308 【優になりにける御琴の音かな】 夕霧の感想。
4.4.4 注釈309 【唱歌したまふ】 旋律を譜で歌うこと。
4.4.4 注釈310 【昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ添ひて聞こゆ】 源氏の声、昔以上に美しくかつ堂々とした感じも加わって聞こえる。
4.4.4 注釈311 【大将も、声いとすぐれたまへる人にて】 夕霧も声のすぐれた人。他に柏木の弟紅梅大納言が上手と言われている(賢木)。

第五段 女四人を花に喩える

4.5.1 注釈312 【月心もとなきころなれば】 後に「臥待の月」とある。
4.5.2 注釈313 【小さくうつくしげにて、ただ御衣のみある心地す】 女三の宮の小柄を強調した表現。
4.5.2 注釈314 【匂ひやかなる方は後れて、ただいとあてやかにをかしく】 女三の宮は美しさよりも気品高貴さが特徴。『集成』は「つややかな美しさといった点は劣るが、気品があって美しく」。『完訳』は「つやつやした美しさという点は劣るが、ただまことに気品があって美しく」と訳す。
4.5.2 注釈315 【二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかに枝垂りはじめたらむ心地して、鴬の羽風にも乱れぬべく、あえかに見えたまふ】 女三の宮を植物に喩える。『紫式部日記』に小少将の君を描写したのと類似の文章がある。『河海抄』は「白雪の花繁くして空しく地を撲つ緑糸の条弱くして鴬に勝へず」(白氏文集、巻第六十四、楊柳枝詞八首の第三首)と「鴬の羽風になびく青柳の乱れてものを思ふころかな」(具平親王集)を指摘。
4.5.3 注釈316 【柳の糸のさましたり】 女三の宮の髪の様子。「青柳」の縁で「柳の糸」という。歌語。
4.5.4 注釈317 【これこそは、限りなき人の御ありさまなめれ】 語り手の視点。女三の宮についていう。
4.5.4 注釈318 【同じやうなる御なまめき姿の、今すこし匂ひ加はりて】 明石女御は「なまめき姿」という点では女三の宮と同じだが、女三の宮のもってない「匂ひ」がこちらにはすこしある、という。
4.5.4 注釈319 【よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき、朝ぼらけの心地ぞしたまへる】 明石女御を藤の花に喩える。「野分」巻にも明石女御を藤の花に喩えた描写がある。
4.5.5 注釈320 【いとふくらかなるほどに】 明石女御、妊娠五月となっている。
4.5.5 注釈321 【ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息は例のほどなれば、およびたる心地して】 明石女御の姿態。小柄な点では女三の宮と同じ。女三の宮は着物の中に埋まっているという感じで描写、明石女御は脇息に背伸びして寄り掛かっているという描写。
4.5.5 注釈322 【ことさらに小さく作らばや】 語り手の感想、挿入。
4.5.5 注釈323 【いとあはれげにおはしける】 『集成』は「とても可憐にお見えになるのだった」。『完訳』は「いかにも痛々しいご様子であった」と訳す。
4.5.6 注釈324 【紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらときよらにて、火影の御姿、世になくうつくしげなるに】 明石女御の衣裳。紅梅襲。
4.5.6 注釈325 【紫の上は、葡萄染にやあらむ】 語り手の挿入句。上の「なるに」の接続助詞「に」で続ける。『完訳』は「「灯影の御姿」の無類の美貌が共通するとして、紫の上に転ずる」と注す。
4.5.6 注釈326 【あたりに匂ひ満ちたる心地して】 女三の宮や明石女御にはない紫の上の美質。『集成』は「あたり一面照り映えるほどの美しさで」。『完訳』は「あたり一面につややかな美しさがあふれているような風情」と注す。
4.5.6 注釈327 【花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ】 紫の上を桜に喩える。「野分」巻では樺桜に喩えられた。『完訳』は「他に比べようのない桜に喩えてもなお不足。最高の賛辞」と注す。
4.5.7 注釈328 【かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず】 語り手の主観を交えた挿入句。明石御方についての描写。
4.5.7 注釈329 【もてなしなどけしきばみ恥づかしく】 『集成』は「身ごなしなどしゃれていて風格があり」。『完訳』は「物腰など気がきいていて、こちらが恥じ入りたいくらいだし」と訳す。
4.5.8 注釈330 【柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて】 明石御方の衣裳。柳襲。薄い織物の裳を付ける。『完訳』は「裳の着用は女房の格。それをさりげなく着て「ことさら卑下」するのが、彼女の一貫した処世態度」と注す。「にやあらむ」は語り手の推測陰挿入句。
4.5.9 注釈331 【五月待つ花橘】 「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集夏、一三九、読人しらず)による表現。

第六段 夕霧の感想

4.6.1 注釈332 【うちとけぬ御けはひどもを】 『集成』は「たしなみ深い婦人たちのご様子を」。『完訳』は「とりつくろっていらっしゃるご様子を」と訳す。
4.6.2 注釈333 【宮をば、今すこしの宿世】 以下「のたまはせけるを」まで、夕霧の心中。
4.6.2 注釈334 【及ばましかば】 「ましかば」--「見たてまつらまし」反実仮想の構文。
4.6.2 注釈335 【すこし心やすき方に見えたまふ御けはひに】 夕霧の見た女三の宮。『集成』は「組しやすいようにお見えになる女三の宮のご様子に」。『完訳』は「多少気のおけない性分の方とお見受けされるご様子だから」と訳す。
4.6.2 注釈336 【あなづりきこゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり】 夕霧の女三宮に対する態度、関心。語り手が評す。
4.6.3 注釈337 【この御方をば、何ごとも】 夕霧の紫の上に対する態度、関心。
4.6.3 注釈338 【いかでか、ただおほかたに、心寄せあるさまをも見えたてまつらむ】 夕霧の心中。紫の上に対する気持ち。 【おほかたに】-『集成』は「家族の一員として」。『完訳』は「ほんの一通りの意味で」と訳す。
4.6.3 注釈339 【心地などは】 明融臨模本と大島本は「心ちなとは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心などは」と「ち」を削除する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。

第五章 光る源氏の物語 源氏の音楽論


第一段 音楽の春秋論

5.1.1 注釈340 【夜更けゆくけはひ】 夜更けて、源氏、夕霧と音楽論をかわす。
5.1.1 注釈341 【臥待の月はつかにさし出でたる】 十九日の月。
5.1.2 注釈342 【心もとなしや】 以下「心地すかし」まで、源氏の詞。春秋優劣論。秋の音楽がまさるという。
5.1.4 注釈343 【秋の夜の】 以下「ことにはべりけれ」まで、夕霧の詞。春がまさるという。
5.1.4 注釈344 【なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき、花の露も】 秋の情緒のわざとらしさやことさららしさに対して否定的。
5.1.5 注釈345 【春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に】 『完訳』は「忘れがたい紫の上の印象「春の曙の霞の間より--」(野分)に酷似。彼女への思慕を秘めて、春の夢幻的な情趣を高く評価」と注す。「秋の夜の隈なき月影」よりも「春の空のたどたどしき霞の間より朧なる月影を賞美する。「末摘花」巻の源氏、常陸宮邸訪問の場面参照。
5.1.5 注釈346 【澄みのぼり果てずなむ】 『集成』は「笛の音なども、秋は、しゃれた感じに高く澄みきって聞えるということがございません」。『完訳』は「秋は笛の音なども、澄みのぼるというところまではまいりません」。
5.1.6 注釈347 【女は春をあはれぶと】 明融臨模本、合点あり。巻末の奥入に「伊行/毛詩云/女ハ感陽気春思男々感陰気秋思」(毛詩、国風、七月、鄭箋)とある。しかし、『源氏釈』には指摘なし。
5.1.6 注釈348 【なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ】 夕霧の春がまさるとする結論。「なつかし」「ととのふ」という情趣を推奨。
5.1.8 注釈349 【いな、この定めよ】 以下「さもありかし」まで、源氏の詞。『集成』は「夕霧が今夕の催しにかこつけて春をよしとするのに対して、やや留保をつける口調」と注す。
5.1.8 注釈350 【律をば次のものにしたるは】 『集成』は「呂は中国から伝来した雅楽の旋法、律は日本固有の俗楽の旋法に基づくものなので、呂の方を重く見たのである。『河海抄』は「呂は春のしらべ、律は秋のしらべといふ歟」という」。『完訳』は「春を推称する夕霧に納得。律は秋の、呂は春の調べ。日本古来の催馬楽などでは呂を重視」と注す。
5.1.10 注釈351 【いかに。ただ今】 以下「いかにぞ」まで、源氏の詞。当代の名手の評判。
5.1.11 注釈352 【年ごろかく埋れて過ぐすに】 源氏が准太上天皇の待遇を受けたのは八年前の秋。その前後から六条院に引き籠もりがちの生活になっている。
5.1.11 注釈353 【人の才、はかなくとりすることども】 『集成』は「婦人たちの才芸はもとより、さしたることもない取りはからいも」と訳す。
5.1.11 注釈354 【所なる】 「なる」断定の助動詞、連体形中止。余意余情を残す表現。
5.1.13 注釈355 【それをなむ】 以下「はべりつれ」まで、夕霧の詞。
5.1.15 注釈356 【和琴は、かの大臣ばかりこそ】 係助詞「こそ」は「ものしたまへ」已然形に係る逆接用法。
5.1.15 注釈357 【いとかしこく整ひてこそ】 紫の上の和琴についていう。
5.1.17 注釈358 【いと、さことことしき際には】 以下「取りなさるるかな」まで源氏の詞。紫の上を自分の弟子として謙辞。
5.1.19 注釈359 【げに、けしうはあらぬ】 以下「優りにたるをや」まで、源氏の詞。『集成』は「諧謔の語」と注す。
5.1.19 注釈360 【さいへど、物のけはひ異なるべし】 『集成』は「やはり(わたしの側にいるお蔭で)どことなく違うところがあるはずだ」と訳す。
5.1.20 注釈361 【せめて我かしこにかこちなしたまへば】 『集成』は「強引に何もかも自分の手柄のように自慢なさるので」。『完訳』は「しいてご自分のお仕込みででもあるかのように仰せになるので」と訳す。 【我かしこ】-『集成』は「われがしこ」と濁音に読む。

第二段 琴の論

5.2.1 注釈362 【よろづのこと】 以下「いとあはれになむ」まで、源氏の詞。琴の琴論。
5.2.1 注釈363 【おぼえつつ】 副助詞「つつ」、動作・思考の繰り返し。思われ思われしてくるもので、のニュアンス。
5.2.1 注釈364 【たどり深き人】 奥義を極めた人の意。
5.2.1 注釈365 【ありぬべきを】 「ぬべし」連語。接続助詞「を」逆接の機能。「ぬ」完了の助動詞、確述の意と推量の助動詞「べし」当然の意。確かにそうあってもよいのだが。
5.2.2 注釈366 【天地をなびかし】 琴の琴の効用を説く。帝王の楽器である理由が分かる。以下の文体は対句じたての四六駢儷文に倣った表現。『花鳥余情』は「楽書云、琴は天地を動かし、鬼神を感ぜしむ」(原漢文)と「琴書」を指摘。また『詩経』にも「天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きはなし」とある。『古今和歌集』序には「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」と和歌の効用を説く。
5.2.3 注釈367 【この国に弾き伝ふる初めつ方】 以下『宇津保物語』「俊蔭」巻を念頭においた叙述。
5.2.4 注釈368 【かく限りなきものにて】 『集成』は「この上もない楽器なので」。『完訳』は「このように琴は際限もなく霊力をそなえた楽器であるだけに」と訳す。
5.2.4 注釈369 【片端にかはあらむ】 反語表現に近い語気。『集成』は「その昔の一端も伝わっていようか」。『完訳』は「どこにその昔の秘法の一端でも伝わっているというのだろう」と訳す。
5.2.4 注釈370 【思ひかなはぬたぐひ】 『集成』は「立身が叶わなかったといった者」。『完訳』は「不如意な身の上となった例」と訳す。
5.2.6 注釈371 【などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ】 『集成』は「(しかし)どうして、それほどまでせずとも、やはり、なにとかこの琴の奏法に通暁するに足りる一端だけでも、心得ておかずにいられようか」。『完訳』は「とはいえ、一通りでも、やはらこの道をわきまえる糸口ぐらいは、どうして心得ておかずにいられましょう」と訳す。
5.2.6 注釈372 【多かるを】 接続助詞「を」順接。前の「いはむや」と呼応する文脈。『集成』は「多いのだが」。『完訳』は「たくさんあるものですから」と訳す。
5.2.6 注釈373 【心に入りし盛りには】 以下、源氏がいかに広く七絃琴の楽譜を調査して奏法を習得したかの経験談。
5.2.6 注釈374 【当たるべくもあらじをや】 『集成』は「かないそうもないことだろうね」。『完訳』は「追いつきそうにもありませんね」と訳す。
5.2.8 注釈375 【この御子たちの御中に】 以下「見えたまふを」まで、源氏の詞。「この」は明石女御をさす。
5.2.8 注釈376 【三の宮】 明融臨模本には「三(三=二)宮」とある。すなわち「三」の右傍らに「二」という一筆が見える。大島本は「二(二=三イ、三イ#)宮」とある。すなわち、「二」の傍らに「三イ」と異本表記するが、後にそれを摺り消す。河内本は「三宮」、別本は「二宮」。『集成』は「三の宮」と整定し、「明融本、河内本に「三の宮」。後の匂宮である。これが原形であろう。青表紙本に「二の宮」とするものが多いが、拠りがたい」と注す。『完本』は諸本に従って「二の宮」と校訂する。『新大系』は底本の本行本文に従って「二宮」とする。『完訳』は「二の宮」と校訂し、「後の式部卿宮。「三の宮」(後の匂宮)とする伝本もある」と注す。

第三段 源氏、葛城を謡う

5.3.1 注釈377 【葛城」遊びたまふ】 明融臨模本、合点あり。催馬楽、呂「葛城」「葛城の 寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや 榎の葉井に 白玉沈くや 真白玉沈くや おおしとど おしとど しかしては 国ぞ栄えむや 我家らぞ 富せむや おおしとど としとんど おおしとんど としとんど」。子孫繁栄を寿ぐ歌謡。
5.3.2 注釈378 【月やうやうさし上るままに】 臥待ちの月、十九日の月である。
5.3.2 注釈379 【花の色香ももてはやされて】 梅の花。「御前の梅も盛りに」(第四章一段)とあった。
5.3.2 注釈380 【この御手づかひは】 紫の上の手さばきをさす。
5.3.2 注釈381 【愛敬づきて】 明融臨模本と大島本は「あい行つきて」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「愛敬づき」と「て」を削除する。
5.3.3 注釈382 【琴は、五個の調べ】 『新大系』は「琴は胡笳の調べ」と整定。『河海抄』は「掻手片垂水宇瓶蒼海波雁鳴調」を指摘。奏者は女三の宮。
5.3.3 注釈383 【五、六の発剌】 明融臨模本は「五六のはち」とある。大島本は「五六のハち(ち=らイ、らイ#)」とある。すなわち、「はち」の右傍らに「はらイ」と異本表記するが、後にそれを削除する。『集成』は「青表紙本は「五六のはち」とあるが、河内本の中に「五六のはら」とするものがあり、それが正しいであろう。「はらとは溌剌とかく。七徽の七分あたりにて六の絃を按へて、五六を右手の人中名の三指にて内へ一声に弾ずるを撥と云ふ。外へ弾ずるを剌と云。つめて云へば発剌(はら)なり」(『玉堂雑記』)」と注して、「五六のはら」と校訂する。『新大系』は本文「はち」のままだが、脚注に「「はち」は誤りか。河内本「五六のはら」。「はら」は、「発剌(はつらつ)」がつまったもので、五絃六絃を三指をもって内へ弾じ外へ弾じて一声の如くする奏法という(山田孝雄)」と注す。『完本』は「五六の撥」のままとする。
5.3.3 注釈384 【いとおもしろく澄まして弾きたまふ】 主語は女三の宮。

第四段 女楽終了、禄を賜う

5.4.1 注釈385 【この君達の】 鬚黒の三男や夕霧の長男をさす。
5.4.2 注釈386 【ねぶたくなりにたらむに】 以下「心なきわざなりや」まで、源氏の詞。
5.4.2 注釈387 【心なきわざなりや】 『集成』は「気のつかぬことをしたものだ」。『完訳』は「どうもわたしはいい気になっていたのだね」と訳す。
5.4.3 注釈388 【笙の笛吹く君に】 鬚黒の三男。
5.4.3 注釈389 【横笛の君には】 夕霧の長男。
5.4.3 注釈390 【こなたより】 紫の上方からの意。
5.4.3 注釈391 【宮の御方より】 女三の宮からの意。
5.4.4 注釈392 【あやしや。物の師をこそ、まづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり】 源氏の詞。冗談にいう。 【ものめかしたまはめ】-『集成』は「お引き立てになって頂きたいものだ」。『完訳』は「大事に扱っていただきたいものです」と訳す。
5.4.5 注釈393 【うち笑ひたまひて取りたまふ】 主語は源氏。
5.4.5 注釈394 【御子の持ちたまへる笛を取りて】 横笛である。
5.4.5 注釈395 【いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ】 夕霧やその子も含めて源氏の奏法を受け継いですばらしいことをいう。『完訳』は「以下、源氏の心中に即す叙述。女君たちの巧技が自分の伝授によると再確認し、わが優れた才能を思う。前の対話での、伝授されがたいとする慨嘆ともひびきあう」と注す。
5.4.5 注釈396 【思し知られける】 「られ」自発の助動詞。思わずにはいられない、というニュアンス。

第五段 夕霧、わが妻を比較して思う

5.5.1 注釈397 【道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も】 夕霧、紫の上の箏の琴の音色を忘れ難く思い出す。
5.5.2 注釈398 【わが北の方は】 雲居雁。
5.5.2 注釈399 【別れたてまつりたまひにしかば】 『完訳』は「大宮の御もとからお離れ申しあげなさったので」。父内大臣によって雲居雁は大宮の三条宮邸から自邸の方に引き取られた。
5.5.2 注釈400 【ゆるるかにも弾き取りたまはで】 『集成』は「ゆっくり伝授をお受けになることもなくて」。『完訳』は「十分に稽古をお積みにならなかったものだから」と訳す。
5.5.2 注釈401 【男君】 『完訳』は「前の「大将」とは異なり、家庭内の夫婦関係を強調した呼称」と注す。

第六章 紫の上の物語 出家願望と発病


第一段 源氏、紫の上と語る

6.1.1 注釈402 【対へ渡りたまひぬ】 源氏は東の対へ帰った。
6.1.2 注釈403 【宮の御琴の音は】 以下「いかが聞きたまひし」まで、源氏の詞。
6.1.4 注釈404 【初めつ方】 以下「きこえたまはむには」まで、紫の上の詞。
6.1.4 注釈405 【いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには】 「いかでかは」反語表現。『集成』は「どうしてご上達なさらないことがありましょう、こんなにかかりきりでお教え申し上げなさったのですから」。『完訳』は「それもそのはずでございましょう、ほかに何もなさらずこうしてかかりきりで教えておあげになるのですから」と訳す。
6.1.6 注釈406 【さかし】 以下「思ひ起こしてなむ」まで、源氏の詞。
6.1.6 注釈407 【手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし】 『集成』は「手を取らんばかりの教授ぶりで、なかなかしっかりした師匠だというべきでしょう」。『完訳』は「いちいち手を取るようにして、わたしは頼りがいのある師匠というものです」と訳す。
6.1.8 注釈408 【昔、世づかぬほどを】 以下「うれしくこそありしか」まで、源氏の詞。
6.1.8 注釈409 【面目ありて】 自分にとって面目であったという意。

第二段 紫の上、三十七歳の厄年

6.2.1 注釈410 【宮たちの御扱ひ】 明石女御腹の御子の世話。
6.2.1 注釈411 【取りもちてしたまふさま】 『集成』は「自分から買って出てなさる様子も」。『完訳』は「とりしきっていらっしゃるが」と訳す。
6.2.1 注釈412 【例もあなるをと】 「なる」伝聞推定の助動詞。
6.2.1 注釈413 【ゆゆしきまで思ひきこえたまふ】 源氏の心中を地の文で叙述。不安・不吉を心中に呼び込み、実際それが以後の物語展開に実現していくという表現構造。
6.2.2 注釈414 【たぐひあらじとのみ】 『集成』は「二人とないお方だと心底から」と訳す。副助詞「のみ」強調のニュアンス。
6.2.2 注釈415 【今年は三十七にぞなりたまふ】 女の重厄の年。藤壺も三十七で崩御。『集成』は「源氏十八歳の若紫の巻で、紫の上は「十ばかりにやあらむと見えて」とあった。源氏は今四十七歳。多少の齟齬があると見るよりも大体符合するとすべきであろう。厄年にしたのは作者の意図である」。『完訳』は「源氏との年齢差を八歳と見るかぎり、紫の上の年齢は三十九歳のはず。作者の意識的過誤か」と注す。
6.2.3 注釈416 【さるべき御祈りなど】 以下「かしこかりし人を」まで、源氏の詞。
6.2.3 注釈417 【大きなることども】 大がかりな仏事。厄除けの祈祷。
6.2.3 注釈418 【おのづからせさせてむ】 「させ」使役の助動詞。「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、意志。『集成』は「当然私の方でさせよう」。『完訳』は「たまにはわたしにさせてください」と訳す。
6.2.3 注釈419 【故僧都のものしたまはず】 北山の僧都。紫の上の祖母の兄。

第三段 源氏、半生を語る

6.3.1 注釈420 【みづからは、幼くより】 以下「さりともとなむ思ふ」まで、源氏の詞。生涯を述懐し、紫の上への愛情を語る。
6.3.1 注釈421 【たぐひ少なくなむありける】 以上、現世において無類の栄耀栄華を極めたことをいう。
6.3.1 注釈422 【されど、また】 反転して、以下に無類の憂愁を体験したともいう。
6.3.2 注釈423 【まづは、思ふ人にさまざま後れ】 源氏は三歳の時には母桐壺更衣に、六歳の時には祖母に、二十三歳で父桐壺院に先立たれた。
6.3.2 注釈424 【残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く】 『集成』は「具体的には明らかではないが、次の言葉から、藤壺や六条の御息所など、悔恨にみちた青春時代を回想しての感慨と思われる」。『完訳』は「現実世界への不満。その具体内容が次の「あぢきなく--」に語られるが、冷泉帝の皇統の断絶した無念さもひびいていよう」と注す。
6.3.2 注釈425 【あぢきなくさるまじきことにつけても】 『集成』は「我ながら不本意な感心しないことにかかわったにつけても」。『完訳』は「道にはずれた大それたことにかかわったにつけても」「藤壺への恋情ゆえの物思い」と注す。
6.3.2 注釈426 【それに代へてや、思ひしほどよりは】 『完訳』は「憂愁ゆえに存命しうる。絵合にも見られる考え方」と注す。
6.3.3 注釈427 【かの一節の別れ】 源氏の須磨明石への流離をさす。
6.3.4 注釈428 【人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを】 『集成』は「人と帝寵をきそう気持が絶えないのも楽なことではありませんが」。『完訳』は「主上のお情けを他人と争い合う気持の絶えないのも不安なものですから」と訳す。
6.3.4 注釈429 【親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる】 「窓の内」は「長恨歌」の「養在深窓人未識」にもとづく表現。接尾語「ながら」は、さながら、同然の意。
6.3.4 注釈430 【そのかた】 明融臨模本と大島本は「そのかた」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「ほの方は」と「は」を補訂する。
6.3.5 注釈431 【さりともとなむ思ふ】 『集成』は「それでも、そのことはよくわきまえておいでのことと私は安心しています」。『完訳』は「いくらなんでも分ってくださると思いますが」と訳す。
6.3.7 注釈432 【のたまふやうに】 以下「祈りなりける」まで、紫の上の詞。
6.3.7 注釈433 【さはみづからの祈りなりける】 『集成』は「それでは、それが私のためのお祈祷になって今まで生き永らえているのかもしれません」「源氏が「それにかへてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らる」と言ったのにすがった形で、女三の宮降嫁後の苦衷を訴える」と注す。『完訳』は「それが自分自身のための祈りのようになっているのでした」と訳す。
6.3.9 注釈434 【まめやかには】 以下「御許しあらば」まで、紫の上の詞。出家を再度願う。
6.3.9 注釈435 【さきざきも聞こゆること】 「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ」(第三章二段))の出家の意志をさす。
6.3.11 注釈436 【それはしも、あるまじきことになむ】 以下「心のほどを見果てたまへ」まで、源氏の詞。紫の上の出家の再度の願いを拒絶、制止する。
6.3.12 注釈437 【とのみ聞こえたまふを】 副助詞「のみ」限定と強調のニュアンス。と同じことばかり、というニュアンス。
6.3.12 注釈438 【例のことと心やましくて】 『集成』「(出家の願いを聞き届けて下さらない)いつもの口実だと、つらく思って」。『完訳』は「上は、いつもと同じおっしゃりようだと、まったくやりばのないお気持になられて」と訳す。

第四段 源氏、関わった女方を語る

6.4.1 注釈439 【多くはあらねど】 以下「悔しきことも多くなむ」まで、源氏の詞。源氏の女性観。過去の女性について語る。
6.4.2 注釈440 【大将の母君を】 葵の上をさす。源氏の詞中での呼称。以下、葵の上評。
6.4.2 注釈441 【幼かりしほどに見そめて】 源氏は十二歳で元服、その日の夜に葵の上と結婚。
6.4.2 注釈442 【いとほしく悔しくもあれ】 「こそ」の係結び、已然形。『集成』は句点で「お気の毒にも残念にも思われます」。『完訳』は読点で逆接用法の「おいたわしく悔やまれもするのですけれど」と訳す。
6.4.3 注釈443 【うるはしく重りかにて】 『完訳』は「深窓の麗人という印象である」と注す。「麗し」という語句は、きちんとしすぎていてよそよそしく好感がもたれない、というニュアンス。女三の宮降嫁後の紫の上の態度に「うるはし」という表現が使われているのは、注意すべき。
6.4.3 注釈444 【すこしさかしとやいふべかりけむ】 『集成』は「どちらかというと頭のよすぎる人だったであろうと」。『完訳』は「少し立派すぎたとでもいうべきだったでしょうか」と訳す。
6.4.4 注釈445 【中宮の御母御息所なむ】 六条御息所。源氏の詞中での呼称。以下、六条御息所評。
6.4.4 注釈446 【怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか】 「られ」受身の助動詞。源氏が御息所から怨まれたのはつらいことであった、の意。
6.4.6 注釈447 【身のあはあはしくなりぬる嘆きを】 『集成』は「ご身分にふさわしからぬ身の上になられた嘆きを」。『完訳』は「ご身分を傷つけてしまったことが嘆かわしいと」と訳す。
6.4.6 注釈448 【さるべき御契りとはいひながら】 后という高い地位になるご宿縁とはいっても。
6.4.8 注釈449 【内裏の御方の御後見は】 以下「ところこそあれ」まで、源氏の詞。源氏の詞中での明石御方の呼称。以下明石御方評。
6.4.10 注釈450 【異人は見ねば知らぬを】 以下「思ひてなむ」まで、紫の上の詞。
6.4.10 注釈451 【まほならねど】 『集成』は「はっきりとではありませんが」。『完訳』は「あらたまってではありませんが」と訳す。
6.4.12 注釈452 【さばかりめざましと】 以下「真心なるあまりぞかし」まで、地の文と源氏の心中が融合した表現。
6.4.13 注釈453 【君こそは、さすがに】 以下「こそものしたまへ」まで、源氏の詞。
6.4.13 注釈454 【よく二筋に心づかひはしたまひけれ】 『完訳』は「状況に応じて心の使い分けをする聰明さをいう」と注す。
6.4.13 注釈455 【いとけしきこそものしたまへ】 『集成』は「とても余人に代えがたい感心なお人柄です」と訳し、「「けしきあり」はひとかどの風情があるというほどの意」と注す。『完訳』は「まことにご機嫌ななめなところをお見せにはなりますけれど」と訳し、「嫉妬なさるところもあるが、と戯れた」と注す。
6.4.15 注釈456 【宮に、いとよく】 以下「喜び聞こえむ」まで、源氏の詞。
6.4.17 注釈457 【今は、暇許してうち休ませたまへかし】 以下「たまひにたり」まで、源氏の詞。女三の宮が源氏に暇を許して琴の教授を休ませる、の意。「せ」使役の助動詞。
6.4.17 注釈458 【物の師は心ゆかせてこそ】 『集成』は「師匠というものは、(ご褒美を下さって)喜ばせないといけないものです」。『完訳』は「師匠を楽にさせてこそ弟子というものです」と訳す。

第五段 紫の上、発病す

6.5.1 注釈459 【人びとに物語など読ませて聞きたまふ】 当時の物語の観賞法を窺わせる。女房が物語を読みあげて姫君が耳で聞くというかたち。国宝『源氏物語絵巻』「東屋」第一段の図、参照。
6.5.2 注釈460 【かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも】 「あぢきなくもあるかな」まで、紫の上の心中。「昔語り」の性格について、『集成』は「こうして世間によくある話としていろいろ物語っているたくさんの昔話でも」。『完訳』は「このように世間にありがちな話としていろいろと書いてある昔の数々の物語にも」と訳す。いずれにしても短編物語集的性格であろう。
6.5.2 注釈461 【寄る方ありてこそあめれ】 【寄る方ありてこそ】-明融臨模本、合点。付箋「よるかたもありといふなり(る)ありそ海にたつ白なみのおなし所に」(出典未詳)。前田家本『源氏釈』は「よるかたもありといふなるありそ海のたつ白浪もおなし心よ」(出典未詳)を指摘。定家自筆本『奥入』は「よる方もありといふなるありそうみの(に)たつしらなみのおなし所に」(出典未詳)と、第四五句に異同ある和歌を指摘。『異本紫明抄』『紫明抄』『河海抄』は『奥入』所引系の和歌、『休聞抄』『孟津抄』は『源氏釈』所引系の和歌を指摘する。現行の注釈書では『河海抄』指摘の「大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありといふものを」(伊勢物語四十七段)を指摘する。 【こそあめれ】-係結び、逆接用法。
6.5.2 注釈462 【あやしく、浮きても過ぐしつるありさまかな】 以下、紫の上の述懐。『集成』は「ずっと源氏の正式な北の方としてではなく過してきたこと。それゆえ、今は北の方として女三の宮がいる」と注す。
6.5.2 注釈463 【げに、のたまひつるやうに】 源氏の言葉「そのかた人にすぐれたりける宿世とは思し知るや」(第六章三段)を受ける。
6.5.2 注釈464 【人より異なる宿世もありける身ながら】 『完訳』は「ここでも栄華と憂愁の半生とするが、宿命観が濃厚」と注す。
6.5.4 注釈465 【御消息聞こえさせむ】 女房の詞。源氏に知らせよう、の意。
6.5.6 注釈466 【いと便ないこと】 紫の上、制止の詞。今女三の宮と一緒にいるところに知らせを遣るのは不都合である、というニュアンスで断る。
6.5.7 注釈467 【御身もぬるみて】 人知れぬ我が思ひに逢はぬ間は身にさへぬるみて思ほゆるかな(小町集-四九)(text35.html 出典18から転載)

第六段 朱雀院の五十賀、延期される

6.6.2 注釈468 【かく悩ましくてなむ】 紫の上方の女房の詞。
6.6.3 注釈469 【そなたより聞こえたまへるに】 明石女御方から源氏のもとへ、の意。
6.6.4 注釈470 【いかなる御心地ぞ】 源氏の詞。
6.6.6 注釈471 【御粥などこなたに】 朝粥、源氏の朝食をいう。
6.6.6 注釈472 【はかなき御くだものを】 紫の上への軽い食事。『集成』は「果物、木の実、菓子などの軽い食事。ここは果物であろう」。『完訳』「お菓子」と注す。
6.6.7 注釈473 【いかならむと思し騒ぎて】 主語は源氏。
6.6.8 注釈474 【けぢめあらば】 明融臨模本と大島本は「あらは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あるは」と校訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
6.6.8 注釈475 【御賀の響きも静まりぬ】 最初正月に予定、次いで二月十余日に延期、それも中止になりそうとなる。

第七段 紫の上、二条院に転地療養

6.7.1 注釈476 【同じさまにて、二月も過ぎぬ】 紫の上の病状、回復に向かうことなく二月が過ぎる。朱雀院の御賀も再び延期となる。
6.7.1 注釈477 【院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり】 六条院の人々の様子をいう。
6.7.2 注釈478 【この人亡せたまはば】 以下「御本意遂げたまひてむ」まで、夕霧の心中。
6.7.3 注釈479 【取り分きて】 『完訳』は「大将ご自身もとくにお命じになって」と訳す。
6.7.4 注釈480 【聞こゆることを、さも心憂く】 紫の上の詞。かねて申し上げている出家の願いを聞き届けてくれず、辛いという意。
6.7.5 注釈481 【とのみ恨みきこえたまへど】 副助詞「のみ」限定と強調のニュアンスを添える。紫の上は出家を遂げられない恨みだけを言う。
6.7.5 注釈482 【限りありて別れ果てたまはむよりも】 『完訳』は「以下、源氏の心中に即した地の文」と注す。
6.7.5 注釈483 【目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては】 出家することは夫婦関係を絶つこと。いわゆる家庭内離婚の形になる。夫が先に出家した例として、明石入道夫妻の関係。妻が先に出家した例として、光源氏女三の宮の夫婦関係。その意味が違ってくる。男にとっては棄てられた関係になる。
6.7.6 注釈484 【昔より、みづからぞ】 以下「捨てたまはむとや思す」まで、源氏の詞。
6.7.7 注釈485 【とのみ、惜しみきこえたまふに】 副助詞「のみ」限定と強調のニュアンスを添える。棄てられる側に立った源氏のエゴが剥き出し。
6.7.7 注釈486 【思し惑ひつつ】 接続助詞「つつ」は、同じ動作の繰り返し。
6.7.7 注釈487 【女どちおはして】 尊敬語「おはす」があるので六条院の女君たちをさす。接続助詞「て」弱い逆接用法。
6.7.7 注釈488 【人ひとりの御けはひなりけり】 「人ひとり」は紫の上をさす。『集成』は「(六条の院のはなやかさも)紫の上お一人がいられたせいであったのだと見える」と訳す。

第八段 明石女御、看護のため里下り

6.8.2 注釈489 【ただにもおはしまさで】 以下「参りたまひね」まで、紫の上の詞。「ただにもおはしまさで」の主語は明石姫君。身重の身体を案じる。接続助詞「で」原因理由の意で続くニュアンス。
6.8.3 注釈490 【若宮の、いとうつくしうておはしますを】 諸説ある。『集成』は「「三の宮」であろう」。『完訳』は「二の宮か。または紫の上の養育する女一の宮か」。『新大系』は「紫上の養育する女一宮か、源氏が音楽の才能を期待した二宮(あるいは三宮)か」と注す。
6.8.4 注釈491 【おとなびたまはむを】 以下「忘れたまひなむかし」まで、紫の上の詞。
6.8.6 注釈492 【ゆゆしく、かくな思しそ】 以下「多かりける」まで、源氏の詞。 【かくな思しそ】-副詞「な」--終助詞「そ」禁止の構文。
6.8.6 注釈493 【おきて広きうつはものには】 『河海抄』は「小にして焉(これ)を取れば小さく福(さいはひ)を得。大にして焉を取れば大いに福を得」(孝経、至徳要道篇の注)と指摘する。
6.8.7 注釈494 【この御心ばせのありがたく】 紫の上の性質をさす。
6.8.7 注釈495 【罪軽きさまを申し明らめさせたまふ】 前世での罪障が軽いことを、詳しく神や仏に言明申し上げて悪病を取り除いてもらうという趣旨。
6.8.8 注釈496 【思し惑へる御けはひを】 源氏の態度をさす。
6.8.8 注釈497 【月日を経たまへば】 『集成』は「月日を経たまへば」、已然形+接続助詞「ば」、順接の確定条件。『完訳』『新大系』は「月日を経たまふは」、連体形+係助詞「は」、間に「の」が省略された形。強調のニュアンスを添える。

第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語


第一段 柏木、女二の宮と結婚

7.1.1 注釈498 【まことや】 話題を転じて、以前に途中のままになっていた物語を語り起こす発語。『完訳』は「話題を呼び返す語り口」と注す。
7.1.1 注釈499 【この宮の御姉の二の宮】 女三の宮の姉宮、女二の宮。落葉宮と呼ばれる人。
7.1.1 注釈500 【下臈の更衣】 一条御息所をさす。
7.1.2 注釈501 【もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ】 挿入句。係助詞「こそ」--「深かりけれ」已然形、読点。逆接用法。
7.1.2 注釈502 【慰めがたき姨捨にて】 『源氏釈』と明融臨模本、付箋「わか心なくさめかねつさらしなやをはすて山にてる月をみて」(古今集雑上、八七八、読人しらず)を指摘。
7.1.3 注釈503 【その乳母の姉ぞ、かの督の君の御乳母なりければ】 女三の宮の乳母と柏木の乳母は姉妹。女三の宮の乳母子は柏木の乳母の姪。
7.1.3 注釈504 【いときよらになむおはします】 『集成』は「はじめは乳母が柏木に向って語る直接話法のような書き方で、すぐ間接話法に転じる」。『完訳』は「「--おはします」は、次の「帝の--たまふ」と並列。美貌とともに、帝最愛の姫宮である点に注意。その恋慕は彼の権勢志向に始まる」と注す。

第二段 柏木、小侍従を語らう

7.2.1 注釈505 【かくて、院も離れおはしますほど】 紫の上が病気療養のため二条院におり、源氏もそちらにいっているという意。
7.2.2 注釈506 【昔より】 以下「おぼゆるわざなりけれ」まで、柏木の詞。
7.2.2 注釈507 【聞こし召させて】 「聞く」の「聞こし召す」最高敬語。主語は女三の宮。
7.2.2 注釈508 【頼もしきに】 接続助詞「に」逆接。
7.2.3 注釈509 【院の上だに】 朱雀院をいう。柏木の会話中での呼称。「すこし悔い思したる」に係る。
7.2.3 注釈510 【かくあまたにかけかけしく】 『集成』は「以下、ある人の朱雀院への報告」と注す。源氏の態度についていう。
7.2.3 注釈511 【人に圧されたまふやう】 女三の宮のことをいう。
7.2.3 注釈512 【過ぐしたまふなり】 「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なり」。
7.2.3 注釈513 【人の奏しける】 朱雀院への奏上。
7.2.4 注釈514 【同じくは、ただ人の】 以下「定むべかりけれ」まで、朱雀院の詞引用。
7.2.4 注釈515 【女二の宮の】 以下「ものしたまふなること」まで、朱雀院の詞引用。「たまふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なり」の連体形。
7.2.6 注釈516 【げに、同じ御筋とは尋ねきこえしかど】 同じお血筋の姉妹だが違う人だという。母方の身分の違い(下臈の更衣腹)に基づくのである。
7.2.6 注釈517 【それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ】 『完訳』は「女二の宮と女三の宮では、実際には姉妹とも思われぬ、の気持」と注す。
7.2.8 注釈518 【いで、あな、おほけな】 以下「御心ならむ」まで、小侍従の詞。
7.2.10 注釈519 【さこそはありけれ】 以下「あらましかば」まで、柏木の詞。
7.2.10 注釈520 【宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさま】 『集成』は「女三の宮との結婚を、恐れ多いことながら若輩の私がお望み申し上げた次第は。「及ぶ」は、手を届かせる。柏木としては、背伸びして望んだというほどの気持がある」と注す。
7.2.10 注釈521 【院にも内裏にも】 朱雀院と今上帝。
7.2.10 注釈522 【などてかは、さてもさぶらはざらまし】 朱雀院の詞を間接的引用。反語表現。
7.2.10 注釈523 【御いたはりあらましかば】 朱雀院の柏木への恩顧。反実仮想の構文。
7.2.12 注釈524 【いと難き御ことなりや】 以下「深くなりたまへれ」まで、小侍従の詞。
7.2.12 注釈525 【かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに】 明融臨模本と大島本は「きこえ給に」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「たまはんに」と校訂する。源氏が言葉に出して熱心に求婚したと、小侍従はいう。
7.2.12 注釈526 【御身のおぼえとや思されし】 係助詞「や」--過去の助動詞「し」連体形、疑問の意だが、裏に反語的意をこめる。
7.2.12 注釈527 【御衣の色も深くなりたまへれ】 中納言は従三位相当官。袍の色は浅紫。
7.2.14 注釈528 【今はよし】 以下「思ひ離れてはべり」まで、柏木の詞。
7.2.14 注釈529 【この心のうちに】 明融臨模本は「このころ」とある。大島本は「このころ(ころ$<朱墨>心<墨>)」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のまますなわち、朱筆と墨筆で「ころ」をミセケチにして「心」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「この心」と校訂する。『新大系』はミセケチ訂正に従う。
7.2.16 注釈530 【これよりおほけなき心は】 以下「参りつらむ」まで、小侍従の詞。反語表現。

第三段 小侍従、手引きを承諾

7.3.1 注釈531 【いで、あな、聞きにく】 以下「なのたまひそよ」まで、柏木の詞。
7.3.1 注釈532 【世はいと定めなきものを】 「世」は男女の縁。男と女の縁というのは定めない、という思想。
7.3.1 注釈533 【あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは】 反語表現。『集成』は「わけがあって男と情けをかわされるようなお方がないわけでもあるまい」と訳す。
7.3.2 注釈534 【ひとしからぬ際の御方々に】 六条院の夫人方。
7.3.2 注釈535 【世の中はいと常なき】 明融臨模本、朱合点、付箋「恋しなはたか名はたゝし世中のつねなき物といひはなすとも」(古今集恋二、六〇三、深養父)。『源氏釈」が初指摘(第二句「誰が名か惜しき」)。『岷江入楚」は「私此引うたに及ばず」と注す。
7.3.4 注釈536 【人に落とされたまへる】 以下「御落としめ言になむ」まで、小侍従の詞。
7.3.4 注釈537 【改めたまふべきにやははべらむ】 反語表現。
7.3.6 注釈538 【まことは】 以下「罪あるわざかは」まで、柏木の詞。
7.3.6 注釈539 【数にもあらずあやしきなれ姿を】 柏木の謙辞。『源氏釈』は「これを見よ人もすさめぬ恋すとて音を泣く虫のなれる姿を」(後撰集恋三、七九四、源重光朝臣)を指摘(第二句「人もとがめぬ」)。『岷江入楚』は「君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ恋する人のなれる姿を」(住吉物語)を指摘。「なれ姿」は歌語的表現。
7.3.6 注釈540 【御身のやつれ】 『集成』は「「やつれ」は、身を落すというほどの意」。『完訳』は「宮の御身の疵になるまいの意」と注す。
7.3.6 注釈541 【神仏】 仏神(大・横・池) 「柏木」にも明融臨模本と大島本とでは語順を逆にする例がある。
7.3.7 注釈542 【誓言をしつつ】 副助詞「つつ」同じ動作も繰り返し。
7.3.7 注釈543 【しばしこそ、いとあるまじきことに言ひ返しけれ】 挿入句。係結び「こそ」--「けれ」逆接用法。
7.3.8 注釈544 【もし、さりぬべき】 以下「見つけはべらむ」まで、小侍従の詞。柏木の願いを聞きいれ、手引することを約束する。

第四段 小侍従、柏木を導き入れる

7.4.1 注釈545 【極じて】 明融臨模本は「功」と傍書。『集成』『新大系』は「極じて」。『完訳』は「困じて」と宛てる。
7.4.1 注釈546 【消息しおこせたり】 主語は小侍従。
7.4.2 注釈547 【気近く】 『集成』は「このあたり、柏木の気持を、その心事に即して書いているので、敬語がない」。『完訳』は「柏木の心情に即した文脈ながら、語り手が、恋ゆえの想外の事態の出来を想像」と注す。
7.4.3 注釈548 【聞こえ知らせては】 「は」について、『集成』は係助詞「は」、「自分の気持もお話し申し上げたら」。『完訳』は接続助詞「ば」仮定条件の意、「この意中をもお打ち明け申し上げたならば」と訳す。
7.4.5 注釈549 【四月十余日ばかりのことなり。御禊明日とて】 賀茂祭(四月中酉の日)の前の御禊、吉日を選んで行う。
7.4.5 注釈550 【斎院にたてまつりたまふ女房十二人】 女三の宮方から賀茂祭の奉仕のために女房を十二人差し出した。後文から上臈の女房と推量される。
7.4.5 注釈551 【ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など】 祭の奉仕には関係ない中臈の女房や若い女房そして童女ら、祭見物する側の人たち。
7.4.6 注釈552 【按察使の君も、時々通ふ源中将、責めて呼び出ださせければ】 女三の宮の側近の女房に通ってくる源中将。源中将は系図不詳の人だが、若い中将といえば、出世コースにある人。
7.4.6 注釈553 【下りたる間に】 局に下がっている間に。
7.4.6 注釈554 【さまでもあるべきことなりやは】 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「小侍従の軽率さを批判する草子地」「そんな所にまで引き入れてよいものだろうか」。『完訳』は「小侍従への語り手の評言」「じっさいそんなことまですべきだったのだろうか」と注す。

第五段 柏木、女三の宮をかき抱く

7.5.1 注釈555 【うちかしこまりたるけしき見せて】 柏木の態度。
7.5.1 注釈556 【床の下に抱き下ろしたてまつるに】 御帳台の浜床の下に。『河海抄』によれば、浜床の高さは三尺という。また『類聚雑要抄』には一尺あるいは九寸の例が見えるという。
7.5.1 注釈557 【せめて見上げたまへれば】 『集成』は「見上げ」。『完訳』は「見開け」と宛てる。
7.5.2 注釈558 【あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや】 語り手の挿入句。『完訳』は「宮の、柏木への反応に即した叙述。「聞こゆる」の主語は柏木」と注す。
7.5.3 注釈559 【数ならねど】 以下「心もさらにはべるまじ」まで、柏木の詞。
7.5.3 注釈560 【思うたまへられずなむ】 「たまへ」謙譲の補助動詞、未然形。「られ」自発の助動詞、未然形。「ず」打消の助動詞、終止形。「なむ」係助詞、下に「ある」などの語句が省略されて、強調と余意のニュアンス。--と存ぜずにはいられない、の意。
7.5.4 注釈561 【止みはべなましかば】 明融臨模本は「はへなましかは」とある。大島本は「侍なましかハ」とある。『集成』は底本のままとする。『新大系』は明融臨模本の読みに従う。『完本』は諸本に従って「はべりなましかば」と校訂する。反実仮想の構文。「過ぎぬべかりけるを」に係る。
7.5.4 注釈562 【なかなか、漏らしきこえさせて】 主語は柏木。女三の宮への求婚を願い申し上げたことをいう。「きこえさす」は「きこゆ」よりも一段と敬意の深い謙譲語。
7.5.4 注釈563 【院にも聞こし召されにしを】 朱雀院も承知していたことをいう。「聞こし召す」は「聞く」の最高敬語。
7.5.4 注釈564 【のたまはせざりけるに】 「のたまはす」は「言ふ」の最高敬語。
7.5.4 注釈565 【身の数ならぬひときはに】 身分が源氏より劣っていたことをいう。
7.5.4 注釈566 【動かしはべりにし心なむ】 『集成』は「無念に思うようになりました気持が」。『完訳』は「その口惜しさを静めることのできません一念が」と訳す。
7.5.6 注釈567 【いとことわりなれど】 以下「たまはりてまかでなむ」まで、柏木の詞。女三の宮を安心させ脅し懇願する。
7.5.6 注釈568 【心もこそつきはべれ】 「もこそ」係助詞の連語。--しては大変だ、という懸念の構文。

第六段 柏木、猫の夢を見る

7.6.1 注釈569 【なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひ】 女三の宮の感じ。「なつかし」「らうたげなり」は桐壺更衣にも「なつかしうらうたげなりしを思し出づるにも」(桐壺)とあった。「やはやは」が女三の宮の特徴。
7.6.2 注釈570 【いづちもいづちも】 「跡絶えて止みなばや」まで、柏木の思念。『伊勢物語』六段、『大和物語』百五十四段、百五十五段に男が女を盗み出すという同じ発想の物語がある。『更級日記』にも、そのような話への憧れが書かれている。
7.6.3 注釈571 【ただいささかまどろむともなき夢に】 情交の最中の夢。『集成』は「この前後、宮との間に密通のことがあったことを暗示する」。『完訳』は「情交の象徴的表現」と注す。
7.6.3 注釈572 【この手馴らしし猫の】 以下、夢の中の描写。柏木が夢の中で不思議に思いながら見た夢という描写。『細流抄』は「懐妊の事也」。『岷江入楚』は「獣を夢みるは懐胎の相なり」と指摘する。当時の俗信。
7.6.3 注釈573 【何しに奉りつらむと思ふほどに】 夢の中の自分の行動をどうしてそういうことをするのだろうと、不審不思議に思いながらその夢を見ている。
7.6.3 注釈574 【いかに見えつるならむ】 夢から覚めて後の柏木の反省。
7.6.4 注釈575 【思しおぼほるるを】 「を」接続助詞。『集成』は「悲しみに沈んでいられるのに」。『完訳』は「正気もなくいらっしゃるが」と訳す。
7.6.5 注釈576 【なほ、かく】 以下「おぼえはべる」まで、柏木の詞。引用句なし。
7.6.7 注釈577 【げに、さはたありけむよ】 女三の宮の心中。
7.6.8 注釈578 【契り心憂き御身なりけり】 『一葉抄』は「双紙の詞也」と指摘。『全集』は「柏木のいう「のがれぬ御宿世」関係づけて、女三の宮のありようを評した草子地」。『集成』は「女三の宮の気持を、地の文で代弁した筆致」と注す。
7.6.8 注釈579 【院にも、今はいかでかは見えたてまつらむ】 女三の宮の心中。反語表現。
7.6.8 注釈580 【人の御涙をさへ拭ふ袖は】 副助詞「さへ」添加の意。自分の涙を拭う上に宮の涙までを拭う袖は、の意。

第七段 きぬぎぬの別れ

7.7.1 注釈581 【なかなかなり】 語り手の評言。『集成』は「柏木の気持を述べたもの」。『完訳』は「前の語り手の想像「なかなか思ひ乱ることもまさるべきことまでは思ひもよらず」どおり、逆の事態に陥った」と注す。
7.7.2 注釈582 【いかがはしはべるべき】 以下「御声を聞かせたまへ」まで、柏木の詞。宮の「あはれ」の一言を所望。
7.7.2 注釈583 【ありがたきを】 接続助詞「を」弱い順接の意。間投助詞「を」の詠嘆のニュアンスも添う。
7.7.4 注釈584 【果て果ては】 以下「かかるやうはあらじ」まで、柏木の詞。末摘花の無口が想起される。
7.7.6 注釈585 【さらば不用なめり】 以下「捨てはべりなまし」まで、柏木の詞。明融臨模本「不用」の傍書がある。『集成』は「あなたの気持を得ることはできないのですね、という気持」と注す。
7.7.6 注釈586 【身をいたづらに】 明融臨模本、朱合点あり。『河海抄』は「夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり」(古今集恋一、五四四、読人しらず)を引く。しかし『岷江入楚』が「不及此歌」と批判して、現行の注釈書では引歌として指摘されない。
7.7.6 注釈587 【それに代へつるにても捨てはべりなまし】 反実仮想の構文。『集成』は「その代りということで命を捨てても何の惜しいこともありません」。『完訳』は「そのお情けとひきかえに命を捨ててしまうこともできましょうに」と訳す。
7.7.7 注釈588 【かき抱きて出づるに】 柏木が女三の宮を抱いて御帳台の浜床の下から端の方へ出る。
7.7.7 注釈589 【果てはいかにしつるぞ】 宮の心中。
7.7.8 注釈590 【隅の間の屏風をひき広げて】 寝殿の西側の西南の隅の柱と柱の間に屏風を広げる。人目を避けるため。
7.7.8 注釈591 【戸を押し開けたれば】 寝殿の西南の隅の妻戸。外の光で宮の顔をみるため。
7.7.8 注釈592 【まだ明けぐれのほどなるべし】 語り手の挿入句。
7.7.9 注釈593 【かう、いとつらき御心に】 以下「あはれとだにのたまはせよ」まで、柏木の詞。
7.7.10 注釈594 【いとめづらかなり】 女三の宮の心中。『集成』は「何ということを言う人かと」。『完訳』は「なんと無体なことをと」と訳す。
7.7.12 注釈595 【あはれなる夢語りも】 以下「思し合はすることもはべりなむ」まで、柏木の詞。猫の夢をさす。
7.7.12 注釈596 【今思し合はすることもはべりなむ】 懐妊の事実となって知られよう、という意。「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、推量。きっと--するだろう、という気持ちを込めたニュアンス。
7.7.13 注釈597 【秋の空よりも心尽くしなり】 「木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり」(古今集秋上、一八四、読人しらず)を踏まえる。『集成』は「柏木の心事を述べたもの」と注す。
7.7.14 注釈598 【起きてゆく空も知られぬ明けぐれに--いづくの露のかかる袖なり】 柏木の贈歌。「起き」と「置き」の掛詞。「置く」と「露」は縁語。「露」は涙を象徴。「空も知られぬ」と「いづくの露」が響き合う。
7.7.16 注釈599 【明けぐれの空に憂き身は消えななむ--夢なりけりと見てもやむべく】 女三の宮の返歌。「あけぐれ」「空」の語句を受け、また「露」「置く」の語句を「夢」「消え」と返す。『完訳』は「「夢」は柏木のいう夢ともひびくが、源氏・藤壺の密会の贈答歌(若紫)にも発想が類似」と注す。
7.7.17 注釈600 【出でぬる魂】 飽かざりし袖の中にや入りにけむ我が魂のなき心地する(古今集雑下-九九二 陸奥)(text35.html 出典23から転載)

第八段 柏木と女三の宮の罪の恐れ

7.8.1 注釈601 【女宮の御もとにも参うでたまはで、大殿へぞ忍びておはしぬる】 柏木の正室女二の宮邸へは行かず、父の大殿邸にこっそりと帰る。
7.8.1 注釈602 【夢のさだかに合はむ】 むばたまの闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(古今集恋三-六四七 読人知らず)(text35.html 出典24から転載)
7.8.2 注釈603 【さてもいみじき】 以下「まばゆくなりぬれ」まで、柏木の心中。罪におののく。
7.8.2 注釈604 【世にあらむことこそ、まばゆくなりぬれ】 『集成』は「胸を張ってこの世に生きてゆくこともできなくなってしまった」。『完訳』は「まともな顔をしてこの世に生きてはいられなくなった」と訳す。
7.8.3 注釈605 【女の御ためは】 明融臨模本は「ためは」とある。大島本は「御ためは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ためは」と「御」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。以下、柏木に即した叙述。途中から徐々に間接的叙述から直接的叙述、柏木の心中文的表現になり再び間接的叙述に戻る。
7.8.4 注釈606 【帝の御妻をも取り過ちて】 このあたりから柏木の心中文的様相をおびてくる。
7.8.4 注釈607 【かばかりおぼえむことゆゑは】 「おぼゆ」の内容について、『集成』は「これほど不埒なと思われることのためなら」。『完訳』は「今の自分のように苦しい思いを味わわせられるのだったら」と訳す。
7.8.4 注釈608 【おぼゆまじ】 主体は柏木。打消推量の助動詞「まじ」意志の打消は、柏木自身のもの。
7.8.4 注釈609 【恥づかしくおぼゆ】 柏木の心中を地の文に韜晦させた表現。
7.8.5 注釈610 【いと口惜しき身なりけり】 女三の宮の心中。
7.8.5 注釈611 【と、みづから思し知るべし】 語り手の挿入句。宮の心中を推測。
7.8.6 注釈612 【悩ましげになむ】 源氏のもとに伝えられた使者の詞。
7.8.6 注釈613 【いみじく御心を尽くしたまふ御事】 紫の上の看病をさす。
7.8.6 注釈614 【渡りたまへり】 二条院から六条院へ。
7.8.7 注釈615 【かの御心地のさま】 紫の上の病状をさす。
7.8.8 注釈616 【今はのとぢめにもこそあれ】 以下「見直したまひてむ」まで、源氏の詞。「もこそあれ」係結び。懸念の意。
7.8.9 注釈617 【いとほしく心苦しく思されて】 「れ」自発の助動詞。下文の「おぼさる」の「る」も同じ。『集成』は「申しわけなくつらく」。『完訳』は「宮はおいたわしくも申し訳なくもお思いになって」と訳す。

第九段 柏木と女二の宮の夫婦仲

7.9.1 注釈618 【督の君は、まして】 柏木。「まして」は女三の宮に比較してそれ以上にの意。
7.9.2 注釈619 【わが方に離れゐて】 自分の部屋をさす。柏木は宮の居間とは別に自分用の部屋があり、そこにばかりいることをいう。
7.9.3 注釈620 【悔しくぞ摘み犯しける葵草--神の許せるかざしならぬに】 柏木の独詠歌。柏木、女三の宮との密通を罪と自覚する。「摘み犯す」と「罪犯す」。「葵」と「逢ふ日」の掛詞。『集成』は「あのお方に無理無体にお逢いするという大それたあやまちを犯して、くやまれることだ、神様が大目に見て下さる--世間に許される--挿頭(葵草)ではないのに」と訳す。
7.9.6 注釈621 【女宮も】 柏木の正室女二の宮をさす。
7.9.6 注釈622 【恥づかしくめざましきに、もの思はしくぞ思されける】 妻として夫に疎んじられ、また皇女として誇りを傷つけられた思い。
7.9.7 注釈623 【さすがにあてに】 『完訳』は「「さすがに--なほ--」と感情の起伏に注意」と注す。
7.9.7 注釈624 【同じくは】 以下「宿世よ」まで、柏木の心中。
7.9.8 注釈625 【もろかづら落葉を何に拾ひけむ--名は睦ましきかざしなれども】 柏木の独詠歌。「もろかづら」は葵と桂の挿頭、「かざし」は姉妹、女三の宮と二の宮の姉妹をいう。
7.9.9 注釈626 【書きすさびゐたる、いとなめげなるしりう言なりかし】 『一葉抄』は「双紙詞」と指摘。『集成』は「女二の宮をずいぶん馬鹿にした陰口というものだ。皇女に対して斟酌を加える意味合いもある草子地」。『完訳』は「柏木の蔑視を、語り手が評す」と注す。

第八章 紫の上の物語 死と蘇生


第一段 紫の上、絶命す

8.1.2 注釈627 【絶え入りたまひぬ】 紫の上の絶命を伝える使者の詞。
8.1.4 注釈628 【日ごろは、いささか隙見え】 以下「かくおはします」まで、女房の詞。
8.1.5 注釈629 【さるべき限りこそまかでね】 係助詞「こそ」--打消助動詞「ね」已然形、逆接用法。読点で下文に続く。
8.1.5 注釈630 【思し果つる】 明融臨模本と大島本は「はへる」とある。『集成』『完本』『新大系』は諸本に従って「はつる」と校訂する。
8.1.6 注釈631 【さりとも、もののけの】 以下「な騒ぎそ」まで、源氏の詞。
8.1.8 注釈632 【限りある御命にて】 以下「止めたてまつりたまへ」まで、僧侶の詞。
8.1.8 注釈633 【不動尊の御本の誓ひ】 『河海抄』は『大般若経』の「定業亦能転」の『不動義軌』を引いて「又正報尽者、能延六月住」を注す。「その日数」とは六ケ月をさす。
8.1.10 注釈634 【ただ、今一度】 以下「悔しく悲しきを」まで、源氏の心中。または独り言。
8.1.11 注釈635 【見たてまつる心地ども】 女房たちの心地。
8.1.11 注釈636 【ただ推し量るべし】 『完訳』は「語り手の言辞」と注す。
8.1.11 注釈637 【仏も見たてまつりたまふにや】 「にや」は語り手の判断推測の言辞。『完訳』は「以下の物の怪出現の理由を語り手が推測」と注す。
8.1.11 注釈638 【思し騒がる】 「る」自発の助動詞。冷静ではいらっしゃれない。

第二段 六条御息所の死霊出現

8.2.2 注釈639 【人は皆去りね】 以下「思ひつるものを」まで、物の怪の詞。
8.2.2 注釈640 【同じくは思し知らせむと思ひつれど】 源氏に。「思し知らせむ」という敬語表現。『集成』は「どうせ取り憑いたのなら、思い知らせてさし上げようと思いましたが」「紫の上を絶息させたこと」。『完訳』は「どうせなら殿にこの私のつらさをお知りいただこうと思ったのだけれど」と訳す。
8.2.2 注釈641 【命も堪ふまじく、身を砕き】 源氏の紫の上を看病する態度。
8.2.2 注釈642 【今こそ、かくいみじき身を受けたれ】 成仏できずに魔界にさまよっていることをいう。
8.2.2 注釈643 【いにしへの心の残りて】 生前の心。『集成』は「昔の愛執の思いが残っているので」。『完訳』は「人間の世を生きた昔の心が残っていればこそ」「人間界にあった時の心。源氏への愛執をさす。それが残っているので、成仏できない」と注す。
8.2.3 注釈644 【昔見たまひしもののけ】 「葵」巻の六条御息所の生霊出現をさす。
8.2.4 注釈645 【まことにその人か】 以下「いささかにても信ずべき」まで、源氏の詞。「その人」は六条御息所をいう。
8.2.4 注釈646 【たぶれたる】 明融臨模本は「た(た+は)ふれたる」とある。すなわち「は」を補入するが、後人の筆蹟である。大島本は「たふれたる」とある。『集成』『完本』は底本(明融臨模本)の本行本文に従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。『和名抄』に「狂、太布流。俗云、毛乃久流比」。『名義抄』に「誑、タブロカス」とある。
8.2.6 注釈647 【わが身こそあらぬさまなれそれながら--そらおぼれする君は君なり】 六条御息所の死霊の歌。
8.2.7 注釈648 【いとつらし、いとつらし】 死霊の詞。『完訳』は「「つらし」は相手を恨む意。現身の御息所にはなかった発想。情念のむき出しになった物の怪のゆえんか」と注す。
8.2.8 注釈649 【疎ましく、心憂ければ】 『集成』は「いやらしく情けないので」。『完訳』は「無気味にも厭わしいので」と訳す。
8.2.9 注釈650 【中宮の御事にても】 以下「ことになむありける」まで、六条御息所の死霊の詞。
8.2.9 注釈651 【みづからつらしと思ひきこえし心の執なむ、止まるものなりける】 わが子の身の上よりも愛人としての源氏のほうに愛執の念がのこった、という。女として母であることよりも妻であることに執着した。
8.2.10 注釈652 【人より落として思し捨てしよりも】 正妻の葵の上より低く扱われたことをいう。
8.2.10 注釈653 【思ふどちの御物語のついでに】 女楽の後に源氏が紫の上に六条御息所のことを語ったことをさす。
8.2.10 注釈654 【心善からず憎かりしありさまを】 御息所自身の性格や振る舞いをいう。
8.2.10 注釈655 【かく所狭きなり】 『集成』は「こんな大変なことになったのです」「魔界に身を堕した悪霊なので、ほんのちょっとした心のゆらぎでも、紫の上の大病の原因になった、と言う」と注す。
8.2.11 注釈656 【この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど】 紫の上をさす。御息所は紫の上に対しては恨み心はもたないという。
8.2.11 注釈657 【守り強く、いと御あたり遠き心地して】 源氏をさす。源氏の神仏の加護が厚く物の怪として近寄りがたいことをいう。
8.2.13 注釈658 【御罪軽むべからむ】 明融臨模本は「かるむ」とある。大島本は「かろむ」とある。『集成』『新大系』はそれぞれ底本(明融臨模本・大島本)のまま『かるむ」「かろむ」とする。『完本』は諸本に従って」かろむ」とす校訂する。
8.2.13 注釈659 【いと悔しきことになむありける】 斎宮となって仏道から離れた生活をしていたことを悔やまれることだ、という。当時の仏教思想の篤さを暗示する。

第三段 紫の上、死去の噂流れる

8.3.1 注釈660 【今日の帰さ見に】 賀茂祭の翌日の上賀茂の神館に一泊した斎王の紫野に帰る行列を見るために、の意。
8.3.2 注釈661 【いといみじき】 以下「雨はそほ降るなりけり」まで、上達部の詞。
8.3.2 注釈662 【そほ降る】 『万葉集』に「曾保零」。『日葡辞書補遺』に「ソヲフル」とある。しかし『易林本節用集』には「微降雨ソボフルアメ添雨ソボフルアメ」とある。古くは第二音節は清音であったらしいといわれる。
8.3.4 注釈663 【かく足らひぬる人は】 以下「御おぼえを」まで、上達部の詞。前に「いとかく具しぬる人は世に久しからぬ例もあるを」(第六章二段)「取り集め足らひたることはまことにたぐひあらじ」(同)とあった。盈虚思想である。「絵合」巻末の源氏の嵯峨野の御堂建立もそうした思想に基づく造営であった。
8.3.4 注釈664 【何を桜に】 明融臨模本、合点と付箋「まてといふにちらてしとまる物ならはなにを桜に思まさまし」(古今集春下、七〇、読人しらず)がある。『源氏釈』が初指摘。
8.3.4 注釈665 【今こそ、二品の宮は、もとの御おぼえ現はれたまはめ】 紫の上が亡くなって、これで正妻としての本来のご身分に相応しい寵愛を得るであろう、という意。
8.3.6 注釈666 【昨日暮らしがたかりしを】 明融臨模本と大島本は「くらしかたかりし」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「いと暮らしがたかりし」と「いと」を補訂する。昨日の賀茂祭の行列には苦しくて見物する気にもなれなかったことをいう。
8.3.6 注釈667 【かく言ひあへるを聞くにも】 紫の上絶命の噂を。主語は柏木。
8.3.7 注釈668 【何か憂き世に】 明融臨模本、合点と付箋「のこりなくちるそめてたきさくら花有てよのなかはてのうけれは」(古今集春下、七一、読人しらず)とある。『源氏釈』が初指摘。ただし初句「なごりなく」とある。文句が合わない。現行の注釈書では「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき」(伊勢物語)を指摘。
8.3.9 注釈669 【人の御消息も】 明融臨模本と大島本は「人の」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「人々の」と校訂する。
8.3.10 注釈670 【いかに、いかに】 以下「参りつる」まで、柏木の詞。
8.3.12 注釈671 【いと重くなりて】 以下「心苦しきことにこそ」まで、夕霧の詞。紫の上の病状について説明する。
8.3.13 注釈672 【衛門督、わがあやしき心ならひにや】 語り手が柏木の心中を推測した挿入句。『集成』は「自分のまともでない恋心からであろうか」「源氏を裏切って及ばぬ恋に身をやつす自分の心事からおしはかって、夕霧も継母の紫の上に恋情を抱いているのかと疑う」。『完訳』は「衛門督は、自分のけしからぬ気持に照らして人の心をも推し量るのか」「柏木はわが体験を根拠に、夕霧の異様な悲嘆ぶりに、彼も継母の紫の上に懸想心を抱いているかと直感する」と注す。
8.3.13 注釈673 【この君の】 以下「心しめたまへるかな」まで、柏木の心中。
8.3.13 注釈674 【継母の御ことを】 明融臨模本と大島本は「まゝはゝの御こと越」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「御事に」と校訂する。
8.3.15 注釈675 【重き病者の】 以下「聞こゆべき」まで、源氏の詞。
8.3.16 注釈676 【心のうちぞ腹ぎたなかりける】 『岷江入楚』は「草子地なり」と指摘。『集成』は「その心中は、立派とは癒えないものだ」「なにも知らない源氏に対して、露顕を恐れる柏木の心中を批判した趣の草子地」。『完訳』は「心中うしろめたいからなのであった」「柏木のうしろめたい秘め事への、語り手の評言」と注す。

第四段 紫の上、蘇生後に五戒を受く

8.4.2 注釈677 【うつし人にてだに、むくつけかりし人の】 以下、源氏の六条御息所についての述懐。
8.4.2 注釈678 【世変はり、妖しきもののさまになりたまへらむを】 『集成』は「魔道に堕ちて恐ろしい姿になっていられるであろうことを」。『完訳』は「生を変えて恐ろしい異形の姿になっていらっしゃるのを」と訳す。
8.4.2 注釈679 【言ひもてゆけば、女の身は、皆同じ罪深きもとゐぞかし】 源氏の心中思惟。
8.4.2 注釈680 【世の中】 特に男女関係をさす。
8.4.3 注釈681 【御髪下ろしてむ】 紫の上の願い。完了の助動詞「て」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」意志の意、強い意志を表す。
8.4.3 注釈682 【忌むことの力もや】 源氏の思念。
8.4.3 注釈683 【五戒】 殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の戒律。在家の信者の守るべき戒律。
8.4.3 注釈684 【添ひゐて】 明融臨模本と大島本は「そひゐて」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「添ひゐたまひて」と「たまひ」を補訂する。
8.4.4 注釈685 【いかなるわざをして】 以下「とどめたてまつらむ」まで、源氏の心中。

第五段 紫の上、小康を得る

8.5.1 注釈686 【五月などは、まして】 五月雨の時期である。病人にはますますつらい季節である。
8.5.2 注釈687 【日ごとに法華経一部づつ供養ぜさせたまふ】 『法華経』二十八品を毎日一部(一品)ずつを写経させて、六条御息所の成仏のため供養させること。
8.5.2 注釈688 【さらにこのもののけ去り果てず】 副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」にかかる。『完訳』は「すっかり離れ去るというのでもない」と訳す。
8.5.3 注釈689 【なきやうなる御心地にも】 紫の上の思慮。以下、重い病状にありながら源氏を案じる紫の上のけなげな態度が語られる。
8.5.3 注釈690 【かかる御けしき】 源氏のやつれた表情。
8.5.4 注釈691 【世の中に亡くなりなむも】 以下「思ひ隈なかるべければ」まで、紫の上の思念。引用句はなく、地の文に続く。
8.5.4 注釈692 【空しく見なされたてまつらむが】 「れ」受身の助動詞。源氏から見られる、の意。『集成』は「はかなくなった自分の姿をお目にかけるのは」。『完訳』は「むなしく命の果てる姿をお目にかけてしまうことになっては」と訳す。
8.5.5 注釈693 【六月になりてぞ、時々御頭もたげたまひける】 六月は最も暑くつらい時期。その時に枕から頭を上げたとは、逆接的にけなげな姿を彷彿させるものである。

第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見


第一段 女三の宮懐妊す

9.1.1 注釈694 【立ちぬる月より、物きこし召さで】 『集成』は「月が改まってこのかた」「柏木に逢ったのは四月であるから五月になってから」と注す。悪阻の症状が現れる。
9.1.2 注釈695 【かの人は】 柏木をさす。
9.1.2 注釈696 【夢のやうに見たてまつりけれど】 『完訳』は「夢路を通うような思いで宮にお逢い申していたのであったが」「密会は一度ならず繰り返された」と注す。
9.1.2 注釈697 【宮、尽きせずわりなきことに】 明融臨模本と大島本は「宮」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「宮は」と「は」を補訂する。
9.1.2 注釈698 【院をいみじく懼ぢきこえたまへる御心に】 主語は女三の宮。「院」は源氏の六条院。異常な夫婦関係である。
9.1.2 注釈699 【ありさまも人のほども】 以下、女三の宮の心情に即した叙述。
9.1.2 注釈700 【あはれなる御宿世にぞありける】 軽蔑し愛情もないままに、その人の子を妊娠してしまった女三の宮の境涯をいう。『完訳』は「不運だったとする語り手の評」と注す。
9.1.3 注釈701 【見たてまつりとがめて】 宮の懐妊に気がついて、の意。
9.1.3 注釈702 【たまさかになるを】 明融臨模本は「たまさかになる越」とある。大島本は「たまさかなる越」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまさかなるを」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「たまさかなるを」とする。
9.1.4 注釈703 【かく悩みたまふ】 宮が懐妊のため苦しんでいるということ。
9.1.4 注釈704 【女君は】 紫の上をいう。
9.1.4 注釈705 【色は真青に白くうつくしげに、透きたるやうに見ゆる御肌つきなど、世になくらうたげなり】 紫の上の病気のための青白さはかえって可憐でかわいらしい美と映る。『集成』は「この上なく痛々しい美しさに見える」。『完訳』は「世にまたとないくらい可憐なご様子である」と訳す。

第二段 源氏、紫の上と和歌を唱和す

9.2.2 注釈706 【かれ見たまへ】 以下「涼しげなるかな」まで、源氏の詞。
9.2.4 注釈707 【かくて見たてまつるこそ】 以下「ありしはや」まで、源氏の詞。
9.2.6 注釈708 【消え止まるほどやは経べきたまさかに--蓮の露のかかるばかりを】 紫の上の詠歌。「消え」と「露」と「かかる」は縁語。「玉」と「露」も縁語。「たまさかに」に「玉」の音を響かす。「かかる」は「かくある」の縮と掛詞。わが命のはかなさを露の消え残る間に喩えて詠む。
9.2.8 注釈709 【契り置かむこの世ならでも蓮葉に--玉ゐる露の心隔つな】 源氏の返歌。紫の上の「蓮」「玉」「露」の語句を用いる。「消え止まる」の語句を「契り置かむ」と切り返す。この世のみならず来世までの永遠の愛を誓う。
9.2.9 注釈710 【目に近きに心を惑はしつる】 紫の上の病気をさす。
9.2.9 注釈711 【かかる雲間にさへやは絶え籠もらむ】 源氏の心中。「雲間」は天候状態と紫の上の小康状態を譬喩的にさす。

第三段 源氏、女三の宮を見舞う

9.3.1 注釈712 【物など聞こえたまふ】 主語は源氏。
9.3.1 注釈713 【日ごろの積もりを】 以下「つらしと思しける」まで、源氏の心中。
9.3.2 注釈714 【例のさまならぬ御心地になむ】 女房の詞。妊娠のことをいう。
9.3.4 注釈715 【あやしく。ほど経てめづらしき御ことにも】 源氏の詞。「あるかな」などの語句を言いさした形。「めづらしき御事」は妊娠をさす。無感動の発言。「とばかりのたまひて」という、無表情の振る舞い。
9.3.6 注釈716 【年ごろ経ぬる人びとだに】 以下「御ことにもや」まで、源氏の心中。女三の宮が源氏に降嫁して七年たつ。「人びと」は、源氏の妻たちをさす。
9.3.6 注釈717 【さることなきを】 妊娠をさす。
9.3.6 注釈718 【不定なる御事にもや」--と思せば】 「もや」連語、係助詞「も」+係助詞「や」疑問の意。危ぶむ気持ちを表す。下に「ある」連体形を省略した形。女三の宮の懐妊に期待や関心もない。
9.3.8 注釈719 【いかに、いかに】 源氏の心中。紫の上を気づかう。
9.3.9 注釈720 【いつの間に】 以下「世をも見るかな」まで、女房の詞。
9.3.9 注釈721 【いでや、やすからぬ世をも見るかな】 女三の宮方を心配する言葉。『集成』は「「なんと、姫様のお身の上が心配なこと」。『完訳』は「いやもう、こちらとの御仲もそう油断してはいらせませぬ」と訳す。
9.3.10 注釈722 【若君】 女三の宮をいう。『完訳』は「宮の、幼稚さをこめた呼称」と注す。
9.3.11 注釈723 【対にあからさまに渡りたまへるほどに】 主語は源氏。東の対へ。
9.3.12 注釈724 【むつかしきもの見するこそ】 以下「いとど悪しきに」まで、女三の宮の詞。柏木からの手紙を見たいとは思わない、という。
9.3.14 注釈725 【なほ、ただ】 以下「はべるぞや」まで、小侍従の詞。
9.3.16 注釈726 【いとど胸つぶるるに】 主語は女三の宮。

第四段 源氏、女三の宮と和歌を唱和す

9.4.2 注釈727 【ここには】 以下「見直したまひてむ」まで、源氏の詞。女三の宮への暇乞いの挨拶。
9.4.2 注釈728 【まだいとただよはしげなりしを】 紫の上の容態をいう。
9.4.3 注釈729 【例は、なまいはけなき戯れ言なども】 主語は女三の宮。
9.4.3 注釈730 【ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ】 主語は源氏。「世」は源氏との夫婦仲をいう。『集成』は「(事情を知らぬ源氏は)ただ、夫にいつも側にいてもらえないのを恨めしく思っていられるのだと、お思いになる」と訳す。
9.4.4 注釈731 【ひぐらしのはなやかに鳴くに】 『完訳』は「秋の景物。夕暮時に鳴く。ここは夏の終りの夕べである」と注す。
9.4.5 注釈732 【さらば、道たどたどしからぬほどに】 源氏の詞。「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む」(古今六帖一、三七一、夕闇)をの語句を引いた言葉。
9.4.7 注釈733 【月待ちて、とも言ふなるものを】 女三の宮の詞。源氏の言葉中の引歌の文句を踏まえて応える。「なる」伝聞推定の助動詞。明融臨模本、合点、付箋「夕くれはみちたとたとし月待てかへれわかせこそのまにもみむ」とある。
9.4.8 注釈734 【憎からずかし】 『集成』は「いかにも愛くるしい」「無下にことわりもならぬ源氏の気持を、草子地が代弁する」と注す。
9.4.8 注釈735 【その間にも、とや思す】 源氏の心中。女三の宮の気持を忖度する。
9.4.9 注釈736 【夕露に袖濡らせとやひぐらしの--鳴くを聞く聞く起きて行くらむ】 女三の宮から源氏への贈歌。「露」は涙の象徴。「起きて」は「露」との縁語「置きて」を響かす。『集成』は「夕方は尋ねて来て下さるはずの時ですのに、の余意があろう」。『完訳』は「蜩が鳴き露が置く夕べは男が女を尋ね来る時。それなのに立ち去るのだとして、源氏を恨む歌」と注す。係助詞「や」--「行くらむ」連体形は、反語の意を含んだ疑問、恨み言の余意余情がある。
9.4.11 注釈737 【あな、苦しや】 源氏の心中。
9.4.13 注釈738 【待つ里もいかが聞くらむ方がたに--心騒がすひぐらしの声】 源氏から女三の宮への返歌。「ひぐらし」の語句を受けて返す。「来めやとは思ふものからひぐらしの鳴く夕暮は立ち待たれつつ」(古今集恋五、七七二、読人しらず)を踏まえる。

第五段 源氏、柏木の手紙を発見

9.5.2 注釈739 【昨夜のかはほりを落として、これは風ぬるくこそありけれ】 源氏の独言。「かはほり」は夏扇。「これ」は桧扇をさす。
9.5.3 注釈740 【浅緑の薄様なる文の、押し巻きたる】 柏木から女三の宮への恋文。浅緑色の薄様の紙を巻紙につくろう。
9.5.3 注釈741 【ことさらめきたる書きざまなり】 『集成』は「気取った」。『完訳』は「わざとらしく意味ありげな書きぶりである」と訳す。
9.5.3 注釈742 【紛るべき方なく、その人の手なりけり】 源氏の心中。「その人」は柏木をさす。
9.5.4 注釈743 【見たまふ文にこそは】 明融臨模本と大島本は「見給ふみ」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「なほ見たまふ文」と「なほ」を補訂する。主語は源氏。女房たちの心中を叙述。
9.5.5 注釈744 【いで、さりとも】 以下「隠いたまひてむ」まで、小侍従の心中。
9.5.5 注釈745 【さることはありなむや】 反語表現。
9.5.8 注釈746 【あな、いはけな】 以下「見つけたらましかば」まで、源氏の心中。
9.5.10 注釈747 【さればよ】 以下「とは見るかし」まで、源氏の心中。

第六段 小侍従、女三の宮を責める

9.6.1 注釈748 【出でたまひぬれば】 主語は源氏。源氏が帰った後の場面。
9.6.2 注釈749 【昨日の物は】 以下「似てはべりつれ」まで、小侍従の詞。
9.6.3 注釈750 【いとほしきものから、「いふかひなの御さまや】 小侍従の心中を間接的に叙述する。気の毒に思う一方で、あきれた思いをする。
9.6.4 注釈751 【いづくにかは】 以下「思うたまへし」まで、小侍従の詞。
9.6.6 注釈752 【いさ、とよ】 以下「忘れにけり」まで、女三の宮の詞。「いさとよ」について、『集成』は「自信なげに応ずる言葉」と注す。
9.6.6 注釈753 【置きあへで】 明融臨模本は「えをきあか(か=へ)ら(ら=無イ)て」とある。すなわち異本には「えをきあへて」とあるとする。大島本は「えおきあからて」とある。『集成』は底本(明融臨模本)の訂正に従う。『完本』は底本の(明融臨模本)の訂正以前本文従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
9.6.7 注釈754 【いづくのかはあらむ】 反語表現。語り手の口吻がまじった表現。
9.6.8 注釈755 【あな、いみじ】 以下「いとほしくはべるべきこと」まで、小侍従の詞。
9.6.8 注釈756 【ほどだに経ず】 『完訳』は「あっけない露顕の気持」と注す。
9.6.8 注釈757 【すべて、いはけなき御ありさまにて】 小侍従、女三の宮の性格をなじる、非難の言葉。
9.6.8 注釈758 【人にも見えさせたまひければ】 六年前に六条院での蹴鞠の折に柏木に姿を見られたことをいう。
9.6.9 注釈759 【心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり】 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「小侍従は女三の宮と乳母子という親しい間柄でもある。以下、草子地」と注す。
9.6.10 注釈760 【かく悩ましくせさせたまふを】 以下「心を入れたまへること」まで、女房の詞。源氏への非難。
9.6.10 注釈761 【今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに】 紫の上の看病をさす。

第七段 源氏、手紙を読み返す

9.7.1 注釈762 【さぶらふ人びとの中に】 以下「書きたるか」まで、源氏の心中。
9.7.1 注釈763 【言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり】 『完訳』は「その言葉づかいは美しくととのったあやがあって、当の本人としか考えられぬふしぶしがある」と訳す。
9.7.2 注釈764 【年を経て】 以下「難きわざなりけり」まで、柏木の手紙を見た源氏の感想。係助詞「や」反語表現。はっきり書くべきでない、という。『集成』は「以下、その手紙の内容の概略」と注す。『新大系』も「以下、柏木の文面の大体」と注す。『完本』は地の文として処理。『集成』『完本』『新大系』は「いとかくさやかには」以下を源氏の心中文(心内、感想)とする。
9.7.2 注釈765 【あたら人の】 柏木をさす。あれほどにすぐれた人が、という評価と失望。
9.7.2 注釈766 【落ち散ることもこそと】 連語「もこそ」懸念の気持ち。
9.7.2 注釈767 【思ひしかば、昔、かやうに】 過去の助動詞「しか」自己の体験。以下、自分の過去の体験を振り返る。
9.7.3 注釈768 【かの人の心をさへ】 柏木をさす。副助詞「さへ」添加は女三の宮に加えてのニュアンス。

第八段 源氏、妻の密通を思う

9.8.1 注釈769 【さても、この人をば】 以下「見たてまつらむよ」まで、源氏の心中。今後の女三の宮の処遇について悩む。
9.8.1 注釈770 【めづらしきさまの御心地も、かかることの紛れにてなりけり】 源氏は、女三の宮の懐妊も柏木との過ちによって起こったことなのだ、と理解する。
9.8.3 注釈771 【なほざりのすさびと】 以下「たぐひあらじ」まで、源氏の心中。
9.8.3 注釈772 【おほけなき人の心にもありけるかな】 源氏の柏木に対する非難の思い。
9.8.4 注釈773 【帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど】 『河海抄』は在原業平と五条后や二条后の例、花山院女御と藤原実資や藤原道信、源頼定と三条院麗景殿女御や一条院承香殿女御との例を指摘。光源氏自身、桐壺帝の藤壺女御と過ちを犯している。
9.8.4 注釈774 【宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ】 女性が入内することも男性が官僚として仕えることも共に「宮仕え」といった。帝との結婚も「宮仕え」なのであった。「同じ君に馴れ仕うまつるほどに」という状況は、桐壺帝の下での源氏と藤壺女御との関係によく似ている。 【さるべき方につけても】-異性間の愛情問題をさす。
9.8.5 注釈775 【おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに】 『集成』は「重大な、はっきりした不始末が人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けるというこもあろうから」。『完訳』は「格別の不始末であることがはっきり人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けていくことにもなろうから」と訳す。
9.8.6 注釈776 【かくばかり、またなきさまに】 以下、自分の女三の宮の扱いについていう。
9.8.6 注釈777 【うちうちの心ざし引く方よりも】 紫の上をさす。その人よりも。
9.8.6 注釈778 【思ひはぐくまむ人をおきて】 自分光源氏をさす。
9.8.8 注釈779 【帝と聞こゆれど】 以下「おぼえぬものを」まで、源氏の心中。
9.8.8 注釈780 【ただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに】 後宮の女御更衣たちの宮仕えの心境について忖度する。
9.8.8 注釈781 【ねぎ言になびき】 「ねぎごとをさのみ聞きけむ社こそ果てはなげきの森となるらめ」(古今集俳諧歌、一〇五五、讃岐)。
9.8.8 注釈782 【寄る方ありや】 『集成』は「まだ許せるところがある」。『完訳』は「同情の余地があるというもの」と訳す。人情の自然な発露から出た行為というものは尊重する。
9.8.10 注釈783 【故院の上も、かく御心には】 以下「あるまじき過ちなりけれ」まで、源氏の心中。自分と藤壺との過ちを思い出し、帝の心境を忖度し、我が行為を深く反省する。
9.8.11 注釈784 【恋の山路】 明明融臨模本、合点あり、付箋に「いかはかり恋の山路のしけゝれはいりといりぬる人まとふらん」(古今六帖四、一九七四)とある。

第十章 光る源氏の物語 密通露見後


第一段 紫の上、女三の宮を気づかう

10.1.1 注釈785 【人やりならず】 以下「思ひやりきこえたまふにや」まで、紫の上の心中。源氏が「心くるしう思ひやる」対象は女三の宮。
10.1.2 注釈786 【心地はよろしく】 以下「いとほしけれ」まで、紫の上の詞。
10.1.2 注釈787 【とく渡りたまひにしこそ】 源氏が六条院から二条院へ戻ってきたこと。
10.1.4 注釈788 【さかし。例ならず】 以下「いとほしきぞや」まで、源氏の詞。
10.1.4 注釈789 【こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや】 朱雀院と今上帝をさす。
10.1.6 注釈790 【内裏の聞こし召さむよりも】 以下「いと苦しくなむ」まで、紫の上の詞。
10.1.6 注釈791 【我は思し咎めずとも】 「我」は女三の宮をさす。
10.1.8 注釈792 【げに、あながちに】 以下「心地ぞしける」まで、源氏の詞。
10.1.8 注釈793 【思ひめぐらさるるを】 主語は紫の上。思慮深く行き届いた心づかいをいう。
10.1.8 注釈794 【これはただ】 「これは」、私はの意。一人称代名詞。
10.1.9 注釈795 【ほほ笑みてのたまひ紛らはす】 苦笑して問題の本質には触れない。『集成』は「苦笑して本心には触れずにおしまいになる」。『完訳』は「苦笑して言い紛らわしていらっしゃる」「密通への複雑な思念を隠す気持」と注す。
10.1.10 注釈796 【もろともに】 以下「心のどかにを」まで、源氏の詞。「帰りてを」の「を」は、間投助詞、詠嘆の気持。
10.1.12 注釈797 【ここには、しばし】 以下「慰みなむほどにを」まで、紫の上の詞。

第二段 柏木と女三の宮、密通露見におののく

10.2.1 注釈798 【わが御おこたりうち混ぜてかくなりぬる】 明融臨模本は「なりぬる」とある。大島本は「かくなりぬる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かくなりぬる」と「かく」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。女三の宮の心中。
10.2.1 注釈799 【院も聞こし召しつけて、いかに思し召さむ】 女三の宮の心中。父の朱雀院に知られたらどう思うだろうと心配する。
10.2.1 注釈800 【世の中つつましくなむ】 係助詞「なむ」で下文を省略。強調と余意余情。『集成』は「世間に顔向けできない思いでいられる」。『完訳』は「身の置き所もない心地でいらっしゃる」と訳す。
10.2.2 注釈801 【かの人も】 柏木をさす。
10.2.3 注釈802 【いつのほどに】 以下「漏り出づるやうもや」まで、柏木の心中。
10.2.4 注釈803 【ましてさばかり】 以下「見たまひてけむ」あたりまで、柏木の心中。ただし引用句はなく、地の文に融合。
10.2.4 注釈804 【見たまひてけむ】 完了の助動詞「つ」連用形、確述。過去推量の助動詞「けむ」。御覧になってしまったのだろう、の意。
10.2.4 注釈805 【恥づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに】 柏木の心中と地の文が融合した叙述。『完訳』は「心中叙述が、心情語を重畳させた地の文に転換」と注す。
10.2.4 注釈806 【朝夕、涼みもなきころ】 明融臨模本、合点と付箋「夏のひのあさゆふすゝみある物をなとにか恋のひまなかるらん」(出典未詳)とある。『源氏釈』に初指摘。
10.2.5 注釈807 【年ごろ、まめごとにも】 以下「ことのいみじさ」まで、柏木の心中。
10.2.5 注釈808 【人よりはこまかに思しとどめたる御けしきの】 明融臨模本と大島本は「こまかに」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「こまやかに」と「や」を補訂する。源氏が柏木を厚遇。
10.2.5 注釈809 【いかでかは目をも見合はせたてまつらむ】 反語表現。
10.2.5 注釈810 【かの御心にも】 源氏をさす。
10.2.6 注釈811 【さして重き罪には当たるべきならねど、身のいたづらになりぬる心地すれば】 姦通罪に相当するが、柏木はそのこと以上に身の破滅、源氏から睨まれ疎んぜられることを恐れる。
10.2.6 注釈812 【さればよ」と、かつはわが心も、いとつらくおぼゆ】 『集成』は「やはり思わぬことではなかったと」「この前後、地の文に柏木への敬語を欠き、その真理に密着した筆致」と注す。
10.2.7 注釈813 【いでや、しづやかに】 以下「見えきかし」まで、柏木の心中。女三の宮の人柄や嗜みを冷静に回顧する。
10.2.8 注釈814 【しひてこのことを】 以下「たてまつらまほしきにやあらむ」まで、語り手の言辞。『一葉抄』は「双紙の詞也」と指摘。『集成』は「以下、草子地。手の平をかえしたような宮の欠点のあげつらいを、軽く揶揄するような筆致」。『完訳』は「柏木は恋の情念を払うべく、強いて宮の欠点をあげつらうのだとする、語り手の揶揄的な評言」と注す。

第三段 源氏、女三の宮の幼さを非難

10.3.1 注釈815 【良きやうとても】 以下「いみじきことにもあるかな」まで、柏木の心中。宮の境遇への同情。
10.3.3 注釈816 【かく思ひ放ちたまふにつけては】 主語は源氏。源氏が女三の宮を。
10.3.3 注釈817 【あやにくに、憂きに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば】 源氏の「あやにく」な性癖。「紛れ」「ぬ」打消の助動詞。『集成』は「あいにくなことに、情けない思いだけではごまかされない、宮恋しさの思いが、せつないまでにこみ上げるので」。『完訳』は「あいにくなことに、厭わしく思う気持だけからはとりつくろえぬ恋しさをどうすることもならず」と訳す。
10.3.3 注釈818 【胸いたくいとほしく思さる】 源氏の女三の宮に対する気持ち。
10.3.4 注釈819 【ありしに変らず、なかなか労しくやむごとなくもてなしきこゆるさまを】 源氏の女三の宮に対する態度やもてなしは以前以上の丁重さが加わる。
10.3.4 注釈820 【気近くうち語らひきこえたまふさまは、いとこよなく御心隔たりて】 その反面、二人だけとなると気持ちの隔たりが消しがたい。気持ちと行動が別々な源氏の矛盾した行動。「あやにく」な性格の具体的現れ。
10.3.4 注釈821 【この御心のうちしもぞ苦しかりける】 語り手の批評。『休聞抄』は『双也」と指摘。『完訳』は「宮もお心の中にはいっそうつらくお感じになるのであった」「宮の心。表向きの世話だけで物思いがちな源氏に、隔意を痛感」と注す。耳から文章を聞いて、どちらに主点が置かれて語られているかによって「御心」が決定しよう。
10.3.5 注釈822 【みづからいとわりなく思したるさまも、心幼し】 語り手の女三の宮批評。
10.3.6 注釈823 【いとかくおはするけぞかし】 以下「頼もしげなきわざなり」まで、源氏の心中。
10.3.8 注釈824 【女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ】 以下「し出づるなりけり」まで、源氏の心中。転じて明石の女御を心配する。
10.3.8 注釈825 【女は、かうはるけどころなくなよびたるを】 女の弱点。

第四段 源氏、玉鬘の賢さを思う

10.4.1 注釈826 【右の大臣の北の方の】 以下「もてなしてしわざなり」まで、源氏の心中。転じて玉鬘のことを思い出す。
10.4.1 注釈827 【憎き心】 けしからぬ好色心。
10.4.1 注釈828 【なだらかにつれなくもてなして過ぐし】 源氏をうまく拒み続けた玉鬘の態度。
10.4.1 注釈829 【ことさらに許されたるありさまにしなして】 『集成』は「わざわざ、源氏や実の父内大臣に許されての結婚というように事を運んで」と訳す。
10.4.1 注釈830 【わが心と罪あるにはなさずなりにしなど】 玉鬘は鬚黒大将との結婚をいっさい自分の方には落度がなかったようにした身の処し方を立派であったと、改めて感心する。
10.4.2 注釈831 【心もてありしこととも】 自分の方から望んでおこなったの意。結婚における女性の態度は主体的よりも受動的な身の処し方をよしとした。
10.4.2 注釈832 【すこし軽々しき思ひ加はりなまし】 反実仮想の構文。玉鬘には軽々しいという非難がいっさいなかった。

第五段 朧月夜、出家す

10.5.2 注釈833 【つひに御本意のことしたまひてけり】 朧月夜尚侍が出家したという話。
10.5.3 注釈834 【海人の世をよそに聞かめや須磨の浦に--藻塩垂れしも誰れならなくに】 源氏から朧月夜尚侍への贈歌。出家を聞いて贈る。「尼」に「海人」を掛ける。
10.5.4 注釈835 【さまざまなる世の】 以下「あはれになむ」まで、和歌に続けた源氏の文。
10.5.6 注釈836 【この御妨げにかかづらひて】 源氏が朧月夜尚侍の出家を引き止めること。
10.5.6 注釈837 【かたがたに思し出でらる】 『集成』は「つらかったことといい、また深いかかわりといい、それぞれ昔のことが思い出される」と訳す。
10.5.8 注釈838 【常なき世とは】 以下「いかがは」まで、朧月夜尚侍の源氏への返書。
10.5.9 注釈839 【海人舟にいかがは思ひおくれけむ--明石の浦にいさりせし君】 朧月夜尚侍の源氏への返歌。「海人の世」「須磨の浦」の語句を受けて「海人舟」「明石の浦」と返す。「あま」に「尼」と「海人」を掛ける。「いさり」は漁りの意だが、裏に明石君との結婚をこめるか。『完訳』は「流離の真意は明石の君との邂逅にあったと切り返す」と注す。
10.5.10 注釈840 【回向には、あまねきかどにても、いかがは】 『集成』は「「あまねきかど」は「普門」をそのまま和らげたもの。「是の観世音菩薩の自在の業、普門示現の神通力を聞かむ者は、当に知るべし、是の人は功徳少なからじ」(『法華経』観世音菩薩普門品第二十五)」と注す。

第六段 源氏、朧月夜と朝顔を語る

10.6.2 注釈841 【いといたくこそ】 以下「助けられぬるを」まで、源氏の詞。
10.6.2 注釈842 【よそながらの睦び交はしつべき人は、斎院とこの君とこそは】 『集成』は「さっぱりとした親しい付合いをすることのできる人は」。『完訳』は「離れていても親しくお付合いのできる人としては」と訳す。
10.6.2 注釈843 【かくみな背き果てて、斎院はた、いみじうつとめて】 朝顔斎院の出家はここに初めて語られる。
10.6.2 注釈844 【たまひにたなり】 「に」完了の助動詞。「た(る)」完了の助動詞、存続の意。「なり」伝聞推定の助動詞。
10.6.3 注釈845 【かの人の御なずらひに】 朝顔斎院をさす。
10.6.5 注釈846 【若宮を、心して】 明石女御所生の女一の宮をさす。
10.6.5 注釈847 【かく暇なき交らひをしたまへば】 帝の寵愛が厚く、里下がりもままならぬ状況をさす。
10.6.5 注釈848 【点つかるまじくて】 欠点や後ろ指をさされるようなことなく。
10.6.5 注釈849 【とざまかうざまの後見まうくるただ人は】 『完訳』は「それぞれに相応の夫をもつ普通の女であれば」と訳す。
10.6.7 注釈850 【はかばかしきさまの】 以下「いかならむ」まで、紫の上の詞。
10.6.7 注釈851 【いかならむ】 『集成』は「どうなりますことやら。いつまでお世話できるか心もとないと、余命をあやぶむ」と注す。
10.6.9 注釈852 【尚侍の君に】 以下「心ばへ見せてを」まで、源氏の詞。
10.6.9 注釈853 【それせさせたまへ】 源氏、紫の上に朧月夜尚侍の袈裟を作ることを依頼する。
10.6.9 注釈854 【六条の東の君にものしつけむ】 花散里に申し付けよう。花散里が裁縫にたけた女性であることは「少女」巻に語られている。
10.6.11 注釈855 【作物所の人召して】 蔵人所に属し、宮中の調度類や細工物を作製する役所。その人たちに作製を私的に依頼する。

第十一章 朱雀院の物語 五十賀の延引


第一段 女二の宮、院の五十の賀を祝う

11.1.1 注釈856 【かくて、山の帝の御賀も延びて】 朱雀院の五十賀。「山の帝」の呼称は初見。源氏主催の御賀は、最初、二月二十余日の予定だったが、紫の上の発病によって延期になっていた。『集成』は、女三の宮主催の御賀という。源氏主催といっても、女三の宮の夫としての主催である。
11.1.1 注釈857 【八月は大将の御忌月にて】 夕霧大将の母葵の上は八月に逝去。賀宴には近衛府の楽人が演奏するので、その長官である夕霧が取り仕切るのは不都合だという。
11.1.1 注釈858 【九月は、院の大后の崩れたまひにし月なれば】 弘徽殿大后の御忌月。
11.1.1 注釈859 【姫宮いたく悩みたまへば】 女三の宮、妊娠七月になる。
11.1.2 注釈860 【衛門督の御預かりの宮なむ】 朱雀院の女二の宮、通称、落葉宮。「御預かりの宮」という呼称表現が注目される。『集成』は「衛門督が、正室としてお世話申し上げている女二の宮」。『完訳』は「衛門督がお迎えしている女二の宮が」と訳す。
11.1.2 注釈861 【その月には参りたまひける】 十月に、朱雀院の御所に御賀に参上した、という意。
11.1.3 注釈862 【思し嘆くにやあらむ】 係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」。語り手の推測の気持ちをを介在させた挿入句。
11.1.3 注釈863 【月多く重なりたまふままに】 懐妊の月数をさす。
11.1.3 注釈864 【院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ】 係助詞「こそ」「あれ」已然形、係結び、逆接で下文に続く。
11.1.3 注釈865 【御祈りなど、今年は紛れ多くて過ぐしたまふ】 紫の上、女三の宮の病気平癒のための御祈祷。何かととりこみ事が多い、という意。

第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙

11.2.1 注釈866 【御山にも聞こし召して】 朱雀院が女三の宮懐妊の事をお聞きになって、の意。
11.2.1 注釈867 【をさをさなきやうに、人の奏しければ】 源氏は紫の上の病気もほぼ平癒したにもかかわらず、六条院にはほとんどもどらず、二条院にとどまったままでいる。
11.2.1 注釈868 【いかなるにかと御胸つぶれて】 朱雀院の心中。懐妊してめでたいというのに、夫婦別居しているとは、いかなる事情があってか、という気持ちだろう。
11.2.1 注釈869 【世の中も今さらに恨めしく思して】 「世の中」は夫婦の仲。係助詞「も」強調のニュアンスを添える。「今さらに」とは出家した身でという気持ち。
11.2.2 注釈870 【対の方のわづらひけるころは】 以下「聞こゆかし」まで、朱雀院の心中。途中に語り手の朱雀院に対する敬意が混入する。『集成』は「以下、朱雀院の心中」「「聞こしめしてだに」は、語り手の敬意の表れたものと見る」と注す。
11.2.2 注釈871 【そののち、直りがたく】 『完訳』は、以下を朱雀院の心中とする。
11.2.2 注釈872 【そのころほひ、便なきことや出で来たりけむ】 「そのころほひ」は妊娠のきっかけをさそう。
11.2.2 注釈873 【みづから知りたまふことならねど】 宮御自身関知しないことでも、の意。
11.2.2 注釈874 【いかなることかありけむ】 『集成』は「どんな失態があったのだろう」。『完訳』は「何かがあったのだろうか」と訳す。
11.2.3 注釈875 【こまやかなること思し捨ててし世なれど】 「こまやかなること」について、『集成』は「肉親の情愛などは」、『完訳』は「俗世のわずらわしいことは」と訳す。
11.2.4 注釈876 【そのこととなくて】 以下「おくれたるわざになむ」まで、朱雀院から女三の宮への手紙。
11.2.4 注釈877 【あはれなりける】 『集成』は「気がかりなことです」。『完訳』は「悲しいことです」。『新大系』はさびしいことであった」と訳す。
11.2.4 注釈878 【思ひやらるるは、いかが】 『完訳』は「現世への未練が残るのはどうしたことか。自分自身の心を疑う」と注す。
11.2.4 注釈879 【恨めしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ】 皇女の身の処し方についての教訓。「帚木」巻の夫婦処世術と比較。『集成』は「いい加減なことで、心得顔にちらつかすのは、はしたないことです」と訳す。
11.2.6 注釈880 【かかるうちうちのあさましきをば】 以下「思すらむことを」まで、源氏の心中。「うちうちのあさましきこと」は女三の宮の不始末をさす。そうした自分の娘の不始末は朱雀院は知らないで、の意。
11.2.6 注釈881 【わがおこたりに、本意なくのみ聞き思すらむことを】 源氏の愛情の薄い原因ばかりに思っていることだろう、の意。「を」終助詞、詠嘆。
11.2.7 注釈882 【この御返りをば、いかが聞こえたまふ】 以下「誰が聞こえたるにかあらむ」まで、源氏の詞。
11.2.7 注釈883 【まろこそいと苦しけれ】 『完訳』は「私こそ、じつにつらい。不義ゆえの不快さをこめていう」と注す。
11.2.7 注釈884 【思はずに思ひきこゆることありとも】 柏木との不義ををさす。
11.2.8 注釈885 【とのたまふに、恥ぢらひて背きたまへる】 柏木との過失を暗に言われて恥じる。源氏のいじわるな態度である。
11.2.8 注釈886 【いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いとどあてにをかし】 深刻な局面も唯美的関心に移り、この場面は切り上げられる。

第三段 源氏、女三の宮を諭す

11.3.1 注釈887 【いと幼き御心ばへを】 以下「罪いと恐ろしからむ」まで、源氏の詞。この冒頭の「幼し」「うしろめたがる」などの発言は女三の宮の幼さを面と向かってののしっているにも等しいきつい表現。
11.3.1 注釈888 【よろづになむ】 言いさした形。下に、心配でならない、また同様な過ちを犯すかもしれないのが気がかりだ、という意をこめる、余意・含みのある表現。
11.3.1 注釈889 【ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ】 源氏の薄情に見える態度の原因をいう。以下、柏木との密通が原因であることを暗にいう。
11.3.2 注釈890 【いたり少なく、ただ、人の聞こえなす方にのみ】 女三の宮には思慮分別がないと、面と向かっていう。罵倒するに等しい発言。
11.3.2 注釈891 【ただおろかに浅きとのみ思し】 源氏の態度をさしていう。
11.3.2 注釈892 【今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも】 源氏の老齢をさしていう。『集成』は「以下、自分の薄情を怨んで、若い柏木と通じたと、暗に怨んで言う」。『完訳』は「自らを老醜と自嘲し、以下に、柏木と通じた宮を暗に非難」と注す。
11.3.2 注釈893 【かたがたに口惜しくもうれたくもおぼゆるを】 「ただ愚かに浅き」と「こよなくさだ過ぎたる」とをさしていう。
11.3.2 注釈894 【院のおはしまさむほどは、なほ心収めて】 主語は女三の宮。しかし、この部分だけでは、源氏にもとれる。朱雀院が生きていらっしゃるうちは、自分は我慢して、となるが、かなりきつい表現。後文にいって女三の宮が主語と判明。どちらともとれるような両義性のある表現をしたものか。
11.3.3 注釈895 【たどり薄かるべき女方にだに、皆思ひ後れつつ】 光源氏の女性蔑視の思想は当時の社会一般の風潮か。
11.3.3 注釈896 【今はと捨てたまひけむ】 主語は朱雀院。
11.3.3 注釈897 【ひき続き争ひきこゆるやうにて】 朱雀院の出家に引き続いて、先を争うようにして、の意。
11.3.3 注釈898 【同じさまに見捨てたてまつらむことの】 出家して女三の宮を捨てる意。
11.3.3 注釈899 【あへなく思されむに】 主語は朱雀院。
11.3.3 注釈900 【つつみてなむ】 主語は源氏。係助詞「なむ」の下に、出家しないでいるの意が含まれる。
11.3.4 注釈901 【みづからの世だにのどけくはと見おきつべし】 自分が生きている間だけは無事でいればと考えておいけばよいだろう、その先のことまでは考えない、の意。
11.3.5 注釈902 【院の御世の残り久しくもおはせじ】 朱雀院の御寿命もそう長くはないだろう、の意。
11.3.5 注釈903 【御名の】 明融臨模本は「御な(な+の)」とある。すなわち「の」を補入する。大島本は「御な」とある。『集成』『完本』は諸本に従って底本の訂正以前本文に従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。
11.3.5 注釈904 【この世はいとやすし。ことにもあらず】 『集成』は「この現世については、何の気にかけることもありません。どうということもないのです」「現世だけのことなら、問題はない、の意」。『完訳』は「この世は、じっさいどうというものでもない、別段のこともないのです」と訳す。世間虚仮、この世は仮の世であるとする現世観。
11.3.6 注釈905 【まほにそのこととは明かしたまはねど】 『完訳』は「密通事件。しかしそれを暗に語り、宮を責めていることになる」と注す。
11.3.6 注釈906 【涙のみ落ちつつ、我にもあらず】 主語は女三の宮。
11.3.6 注釈907 【我もうち泣きたまひて】 源氏、自嘲の涙。
11.3.7 注釈908 【人の上にても】 以下「御心添ふらむ」まで、源氏の詞。『集成』は「若い柏木に対するねたみの気持が言わせる言葉」。『完訳』は「自分に無関係な他人事でも、いらいらした思いで聞いていた老人のおせっかい、それを自分が言うようになったとは。いやな老人と自嘲する物言いの底に、若い柏木や宮への嫉妬と憎悪がくすぶる」と注す。光源氏の老醜。紫式部の老いに対する思想感懐。
11.3.7 注釈909 【御心添ふらむ】 女三の宮の心をさす。源氏を嫌な老人と思う心が増すことであろう、の意。
11.3.9 注釈910 【かのこまかなりし返事は、いとかくしもつつまず通はしたまふらむかし】 源氏の心中、間接的叙述。源氏の嫉妬と憎悪の気持ち。
11.3.9 注釈911 【いと憎ければ、よろづのあはれも冷めぬべけれど】 源氏の憎悪の心中が語り手によって浮き彫りにされて語られている。

第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引

11.4.1 注釈912 【この月かくて過ぎぬ】 十月が過ぎた。
11.4.1 注釈913 【二の宮の御勢ひ殊にて】 女二の宮の落葉宮の参賀が舅の太政大臣のきもいりで盛大に催されたことをさす。
11.4.1 注釈914 【古めかしき御身ざまにて】 『集成』は「子を身篭られたお身体で」と訳す。『完訳』「懐妊八か月の様態をいうか」と注す。
11.4.1 注釈915 【憚りある心地しけり】 『集成』は「源氏の気持を敬語抜きで直接書いたもの」と注す。
11.4.2 注釈916 【霜月はみづからの忌月なり】 以下「つくろひたまへ」まで、源氏の詞。桐壺院の崩御の月。「賢木」巻に語られている。
11.4.3 注釈917 【いとらうたしと、さすがに見たてまつりたまふ】 源氏は女三の宮に対して、嫉妬と憎悪の気持ちもあるが一方で憐愍の情もないではない、という意。
11.4.4 注釈918 【何ざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには】 源氏は柏木を何につけ風雅な趣の催し事には必ず相談相手にしてきた。今後の朱雀院の五十賀宴などは当然相談されると世間の人も思っている。
11.4.4 注釈919 【見むにつけても、いとどほれぼれしきかた恥づかしく】 『集成』は「いよいよ自分の間抜けさ加減を相手の目にさらすようで、気がひけるし」「女三の宮とのことを知っていながら、源氏としては素知らぬふりをしなくてはならぬからである」。『完訳』は「宮の前への対話で繰り返された老醜の自嘲と照応。ここは妻を奪われた老人のぶざまさをいう」と注す。
11.4.5 注釈920 【例ならず悩みわたりて】 主語は柏木。
11.4.5 注釈921 【院にはた】 明融臨模本は「院に(に+ハ)」とある。すなわち「は」を補入する。大島本は「院に」とある。『集成』『完本』は底本(明融臨模本)の訂正以前本文と諸本に従う。『新大系』は底本(大島本)のままとする。六条院では六条院で、やはり紫の上、女三の宮と病人続出続きで、の意。
11.4.5 注釈922 【あるやうあることなるべし】 以下「忍ばぬにやありけむ」まで、夕霧の心中。六年前の蹴鞠の日の柏木が女三の宮を垣間見て、以来執心していたことを思う。
11.4.5 注釈923 【わがけしきとりしことには】 「わが」は夕霧をいう。自分(夕霧)が気づいたこと、六年前の蹴鞠の日のこと。挿入句。

第五段 源氏、柏木を六条院に召す

11.5.1 注釈924 【この試楽によりてぞ】 明融臨模本は「よりそ(そ=て)」とある。すなわち「そ」の右傍に「て」を傍書する。大島本は「より(り+て<墨>、$<朱>)そ」とある。すなわち本行本文「よりそ」に「て」を補入しのち抹消している。『集成』『完本』は底本(明融臨模本)の訂正以前本文と諸本に従う。『新大系』も底本(大島本)の訂正以前本文に従う。
11.5.1 注釈925 【このたびの御子は、また男にて】 『集成』は「前に見えた「三の宮」に次ぐ方である」。『完訳』は「女楽のころ懐妊五か月。第三皇子(後の匂宮)か、その兄の二の宮か」。『新大系』は「「二の宮」の次の皇子」と注す。
11.5.1 注釈926 【うれしく思されける】 主語は紫の上。大病を克服して生き延び、孫を見ることができた喜び。
11.5.1 注釈927 【右大臣殿の北の方も渡りたまへり】 玉鬘。右大臣鬚黒の北の方の地位におさまっている。
11.5.2 注釈928 【かの御方は、御前の物は見たまはず】 花散里は春の御殿においての源氏御前の試楽は見ない、の意。
11.5.4 注釈929 【心苦しく思して】 源氏の、柏木への憐愍の情。
11.5.5 注釈930 【などか返さひ申されける】 以下「助け参りたまへ」まで、致仕太政大臣の詞。柏木に六条院に参るよう勧める。
11.5.6 注釈931 【苦しと思ふ思ふ参りぬ】 尊敬語なしの直接的表現。不気味な事件の展開を暗示。

第六段 源氏、柏木と対面す

11.6.1 注釈932 【例の気近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾下ろしておはします】 前者の「御簾」は簀子と廂の間とを仕切る御簾、後者の「御簾」は廂の間と母屋を仕切る御簾である。柏木は廂の間、源氏は母屋の御簾の中にいる。光の関係で、柏木の表情は源氏から見えるが、母屋の中の源氏の表情は柏木から見えない。
11.6.1 注釈933 【げに、いといたく痩せ痩せに青みて】 以下、源氏の目に映った柏木の姿。源氏の目と地の文とが融合した叙述。
11.6.1 注釈934 【いと用意あり顔にしづめたるさまぞことなるを】 『集成』は「いかにもたしなみありげに、もの静かに振舞うところが、人にすぐれて目立つのだが」。『完訳』は「じっさいたしなみも深そうに落ち着いているところが余人とちがうのであるが」と訳す。
11.6.1 注釈935 【などかは皇女たちの御かたはらに】 以下「いと罪許しがたけれ」まで、源氏の心中。『集成』は「柏木は現に女二の宮を正室としているが、源氏の念頭には女三の宮のことがある」と注す。
11.6.1 注釈936 【ただことのさまの】 密通事件をさす。
11.6.1 注釈937 【いと罪許しがたけれ】 『集成』は「柏木が自分の恩顧を忘れて正室を犯し、女三の宮も源氏の配慮を考慮しない点を、許しがたく思う」。『完訳』は「宮も柏木も自分(源氏)を無視した。その無分別を「罪」とする」と注す。
11.6.2 注釈938 【そのこととなくて】 以下「恨みも捨ててける」まで、源氏の詞。
11.6.2 注釈939 【法事仕うまつりたまふべくありしを】 出家者である朱雀院の五十賀が仏事で催されるので「法事」という。
11.6.2 注釈940 【え思ひのごとくしあへで】 明融臨模本と大島本は「ことく」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「ごとくも」と「も」を補訂する。
11.6.3 注釈941 【いといと恥づかしきに】 主語は柏木。
11.6.3 注釈942 【とみに聞こえず】 明融臨模本は「きこえす」とある。大島本は「えきこえす」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「え聞こえず」と「え」を補訂する。

第七段 柏木と御賀について打ち合わせる

11.7.1 注釈943 【月ごろ、かたがた】 以下「まさりてはべるべき」まで、柏木の返事。
11.7.2 注釈944 【院の御齢足りたまふ年なり】 朱雀院のお年齢がちょうど五十にお達しになる年である、の意。
11.7.2 注釈945 【申されしを】 「申す」は「言ふ」の謙譲語。「れ」尊敬の助動詞。「し」過去の助動詞、連体形。父の致仕大臣が自分(柏木)に申されたという敬語表現。
11.7.2 注釈946 【冠を掛け、車を惜しまず捨ててし身にて】 明融臨模本、合点あり、『奥入』に「掛冠」と「懸車」の故事を『蒙求』から引用する。以下「御覧ぜられよ」まで、致仕大臣の言葉を引用。
11.7.2 注釈947 【下臈なりとも】 柏木をさす。
11.7.2 注釈948 【申さるることの】 前の「申されし」と同じ語法。『集成』は「相手の源氏に斟酌しての言葉遣い」と注す。
11.7.3 注釈949 【今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして】 朱雀院の出家生活をいう。
11.7.3 注釈950 【静かなる御物語の深き御願ひ】 朱雀院と女三の宮との親子の親密な語らいを願っている院の希望をいう。
11.7.4 注釈951 【いかめしく聞きし御賀の事を】 女二の宮主催、致仕大臣後援の朱雀院五十賀をさす。
11.7.5 注釈952 【ただかくなむ】 以下「いと口惜しきものなり」まで、源氏の詞。
11.7.5 注釈953 【さればよと】 やはりこれでよかった、の意。
11.7.6 注釈954 【さこそ思し捨てたるやうなれ】 柏木の詞を受ける。朱雀院の出家生活をさしていう。
11.7.7 注釈955 【いとなつかしくのたまひつくるを】 『完訳』は「源氏の親しい言葉づかいが、かえって無気味さを感じさせる」と注す。
11.7.8 注釈956 【東の御殿にて】 六条院丑寅の町。花散里の御殿。
11.7.8 注釈957 【尽くしたまへるに】 接続助詞「に」添加の意。『完訳』は「夕霧が念入りに整えていたうえに、柏木が細かな趣向を加える」と注す。
11.7.8 注釈958 【げにこの道は、いと深き人にぞものしたまふめる】 『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。語り手の納得の言辞。副詞「げに」。推量の助動詞「めり」主観的推量のニュアンス。

第十二章 柏木の物語 源氏から睨まれる


第一段 御賀の試楽の当日

12.1.1 注釈959 【かの御賀の日は、赤き白橡に、葡萄染の下襲を着るべし】 御賀の当日の衣裳と試楽の日の衣裳とを異にする。
12.1.1 注釈960 【楽所にて】 明融臨模本と大島本は「かく所にて」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「楽所にして」と「し」を補訂する。
12.1.1 注釈961 【春のとなり近く】 明融臨模本、合点と付箋に「冬なから春のとなりのちかけれは中かきよりそ花はちりく(け)る」(古今集誹諧歌、一〇二一、清原深養父)とある。
12.1.1 注釈962 【梅のけしき見るかひありて】 「匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながめむ」(好忠集、二六)。
12.1.2 注釈963 【式部卿宮、右大臣ばかりさぶらひたまひて】 紫の上の父宮と鬚黒右大臣。いずれも源氏の身内。
12.1.2 注釈964 【御饗応など、気近きほどに仕うまつりなしたり】 『完訳』は「ご馳走などはそう仰々しくはなくお出ししてある」と訳す。
12.1.3 注釈965 【兵部卿宮の孫王の君たち二人は】 蛍兵部卿宮の子二人。「孫王」は帝の孫の意。
12.1.4 注釈966 【兵衛督といひし、今は源中納言】 式部卿宮の御子の兵衛督、真木柱姫君と兄妹。「藤袴」「梅枝」に登場。臣籍降下して源氏となっている。
12.1.5 注釈967 【いとうつくしき御孫の君たちの】 源氏は孫たちの瑞々しく可愛らしい舞姿に自らの老いが自覚されていく。
12.1.5 注釈968 【いづれをもいとらうたしと思す】 源氏の感想。
12.1.5 注釈969 【老いたまへる上達部たちは、皆涙落としたまふ】 右大臣以下の老人の上達部たち。
12.1.5 注釈970 【式部卿宮も、御孫を】 孫の源中納言を思う。この中の最年長者か。
12.1.5 注釈971 【御鼻の色づくまでしほたれたまふ】 『完訳』は「老いの涙を戯画化。次の源氏の酔泣きに効果的に続けていく」と注す。

第二段 源氏、柏木に皮肉を言う

12.2.2 注釈972 【過ぐる齢に添へて】 以下「え逃れぬわざなり」まで、源氏の詞。『完訳』は「自分を老醜の人とする。これまで女三の宮を前に繰り返し言われてきた。この自嘲の言葉が相手への痛烈な皮肉に転ずる」と注す。
12.2.2 注釈973 【衛門督、心とどめてほほ笑まるる】 『完訳』は「柏木が嘲笑するはずのないのを知りながら、自分の老いを蔑視しているとして、皮肉る」と注す。
12.2.2 注釈974 【いと心恥づかしや】 『集成』は「全く気のひけることです」。『完訳』は「なんともきまりがわるいことですよ」と訳す。
12.2.2 注釈975 【さかさまに行かぬ年月よ】 「さかさまに年もゆかなむとりもあへず過ぐる齢やともに返ると」(古今集雑上、八九六、読人しらず)。
12.2.3 注釈976 【空酔ひをしつつかくのたまふ】 源氏の態度。『完訳』は「酔いを装って本心を吐露する」と注す。
12.2.3 注釈977 【けしきばかりにて紛らはすを、御覧じ咎めて、持たせながらたびたび強ひたまへば】 源氏が柏木に。『完訳』は「柏木の酔ったふりを許さない。源氏の鋭くきびしい凝視は持続」と注す。
12.2.3 注釈978 【なべての人に似ずをかし】 柏木の態度を優雅な振る舞いとしてこの場を語り収める。
12.2.5 注釈979 【例の、いとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを】 以下「ありけるかな」まで、柏木の心中。
12.2.5 注釈980 【つつましとものを思ひつるに】 『集成』は「何か頭の上がらぬ臆した思いだったので」。『完訳』は「何か気が咎めていたために」と訳す。
12.2.6 注釈981 【みづから思ひ知らる】 「る」自発の助動詞。『集成』は「敬語抜きで、柏木の思いに密着した書き方」と注す。
12.2.7 注釈982 【よそよそにていとおぼつかなしとて】 別々に住んでいたのでは気掛かりでならない、の意。太政大臣の長男である柏木は妻の落葉宮邸に住む。婿入り婚の生活をしている。
12.2.7 注釈983 【殿に渡したてまつりたまふを】 柏木を実家に引き取って看護しようとする。
12.2.7 注釈984 【またいと心苦し】 夫婦の仲を引き裂かれる思い。

第三段 柏木、女二の宮邸を出る

12.3.1 注釈985 【ことなくて過ぐす月日は】 明融臨模本は「すくすへきひ(ひ=比)は」とある。大島本は「すくすへきひ比ハ」とある。その他の青表紙本は「すくすへき日は」(横池)「すくす月(月$へき)日(日+ころ)は」(榊)「すくへき日は」(陽)「すくすへき比は」(肖)「すくへき比は」(三)とある。『集成』は「へ」を「つ」の誤写と見て「過ぐす月日は」と整定する。『完本』は底本(明融臨模本)の訂正と肖柏本に従って「過ぐすべき頃は」と整定する。『新大系』は底本(大島本)や榊原家本に従って「過ぐすべき日比は」と整定する。以下「かたじけなきをいみじ」まで、柏木の心中に即した叙述。『集成』は「何事もなく過して来た今までは、のんきに当てにならない先のことを当てにして」「いつかは女二の宮と愛情を交わす仲になるだろうと思って、の意」と注す。
12.3.1 注釈986 【今はと別れたてまつるべき門出にやと】 「かりそめの行きかひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりけり」(古今集哀傷、八六二、在原滋春)。
12.3.1 注釈987 【いみじと思ふ】 敬語抜きの表現。心中文と地の文が融合し、柏木の心中に密着した表現となっている。
12.3.1 注釈988 【母御息所も】 女二の宮の母一条御息所。
12.3.2 注釈989 【世のこととして】 以下「かくて試みたまへ」まで、母御息所の詞。夫婦仲を割いてまで子息を迎え取ろうという大臣夫妻の処置を非難し、柏木にここで養生するよう依頼する。
12.3.2 注釈990 【心尽くしなるべきことを】 娘の女二の宮が心配でたまらないだろうからと言う。
12.3.4 注釈991 【ことわりや】 以下「思ひたまへらるる」まで、柏木の詞。
12.3.4 注釈992 【数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに】 『集成』は「臣下として朱雀院の皇女を頂戴したからには、それ相応の義務がある、という意」と注す。
12.3.5 注釈993 【また母北の方、うしろめたく思して】 自己中心的な母親像。右大臣家四の君としての敵役的性格。
12.3.6 注釈994 【などか、まづ見えむとは】 以下「おぼつかなきこと」まで、母北の方の催促の詞。
12.3.7 注釈995 【また、いとことわりなり】 明融臨模本は「ことわり」とある。大島本は「ことハりなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことわりなり」と「なり」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。母親が子の身の上を案じるというのも、もっともなことである、という意。
12.3.8 注釈996 【人より先なりけるけぢめにや】 以下「思ひはべりけること」まで、柏木の詞。
12.3.8 注釈997 【罪深く、いぶせかるべし】 『完訳』は「親に先立つ最悪の不孝。しかも親の立ち会わぬ子の臨終はいっそう罪深い。柏木は死ぬために親もとに帰ろうとしている」と注す。
12.3.9 注釈998 【今はと頼みなく聞かせたまはば】 柏木の臨終をさす。
12.3.9 注釈999 【あやしくたゆくおろかなる本性にて】 柏木、みずからの性格を反省。『集成』は「どうしたわけか、気がつかない、なおざりな性分で」。『完訳』は「なぜか意気地もなく思慮も足りない私の性分でして」「密通事件への自戒もこもる」と注す。
12.3.9 注釈1000 【おろかに思さるること】 妻の女二の宮に対する疎略な待遇、謙遜した言葉。
12.3.10 注釈1001 【泣く泣く渡りたまひぬ】 柏木、父太政大臣邸に移る。

第四段 柏木の病、さらに重くなる

12.4.1 注釈1002 【よろづに騷ぎたまふ】 加持祈祷などのための大騒ぎ。
12.4.1 注釈1003 【参らざりけるに】 接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
12.4.1 注釈1004 【ただ、やうやうものに引き入るるやうに見えたまふ】 明融臨模本と大島本は「やうに」とある。『集成』『新大系』は底本(明融臨模本・大島本)のままとする。『完本』は諸本に従って「やうにぞ」と「ぞ」を補訂する。『集成』は「次第に何かに引き入れられるように、弱っていかれる」。『完訳』は「ただ、だんだんと何かに引き込まれていくようにお見えになるばかりである」「冥界に引き込まれていくような感じ。しだいに衰弱していく」と注す。
12.4.2 注釈1005 【御心のみ惑ふ】 副助詞「のみ」強調のニュアンスを添える。『集成』は「いよいよ深まるご両親の悲しみは、気も狂わんばかりである」と訳す。
12.4.3 注釈1006 【父大臣にも聞こえたまふ】 係助詞「も」同類の意。柏木はもちろん父大臣にも、の意。
12.4.3 注釈1007 【大将は、ましていとよき御仲なれば】 副詞「まして」は、源氏と柏木との関係以上に、のニュアンス。
12.4.3 注釈1008 【ものしたまひつつ】 副助詞「つつ」は、同じ動作の繰り返し。たびたびお見舞いに伺っては、のニュアンス。
12.4.4 注釈1009 【御賀は、二十五日になりにけり】 前に「十二月になりにけり十余日と定めて」(第十一章五段)とあった。「なりにけり」には、その予定がさらに延びてしまったというニュアンスがこめられている。
12.4.4 注釈1010 【かかる時のやむごとなき上達部の】 『集成』は「当世の下にも置かれぬ」。『完訳』は「こういうときにぜひご列席にならねばならない大事な上達部が」と訳す。
12.4.4 注釈1011 【次々に滞りつることだにあるを】 副助詞「だに」打消や反語の表現をともなった文脈の中で、例外的・逆接的な事態であることを強調するニュアンス。『集成』は「御賀が次々延引になったことだけでも不都合なことであるのに」。『完訳』は「これまで次々と延引を重ねたことだけでも申し訳のないことなのに」と訳す。
12.4.4 注釈1012 【いかでかは思し止まらむ】 語り手が、源氏の心中を忖度した表現。
12.4.4 注釈1013 【いとほしく思ひきこえさせたまふ】 主語は源氏。
12.4.5 注釈1014 【例の、五十寺の御誦経】 五十賀にちなむ五十寺での御誦経。
12.4.5 注釈1015 【摩訶毘盧遮那の】 『集成』は「こうした中断の形で擱筆したとするのが古来の通説であるが、この帖の終りの一葉が何らかの事情で失われた可能性もあろう。次の柏木の巻の末尾にも同じような状況がある」と注す。
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