設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
薫 | かおる | 薫る中将 宰相中将 源中将 宮の若君 |
十四歳から二十歳 |
匂宮 | におうのみや | 匂ふ兵部卿 兵部卿宮 当代の三の宮 |
今上帝の第三親王 |
夕霧 | ゆうぎり | 右大臣 右の大殿 大殿 大臣 大将 |
源氏の長男 |
明石の中宮 | あかしのちゅうぐう | 后の宮 今后 |
今上帝の后 |
今上帝 | きんじょうてい | 当代 帝 内裏 |
朱雀院の御子 |
女三の宮 | おんなさんのみや | 入道の宮 二品の宮 母宮 |
薫の母 |
第四十一帖 幻 光る源氏の准太上天皇時代五十二歳春から十二月までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語 |
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第一段 紫の上のいない春を迎える |
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1.1.1 | 春の光を御覧になるにつけても、ますます涙にくれ心も乱れるようにばかりで、お心ひとつは、悲しみが改まりようもないので、外には、例年のように人びとが年賀に参ったりするが、ご気分のすぐれないように振る舞いなさって、御簾の内にばかりいらっしゃる。 兵部卿宮がお越しになったので、ほんの内々のお部屋でお会いなさろうとして、その旨お伝え申し上げなさる。 |
春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、 |
【春の光を見たまふにつけても】- 主語は源氏。源氏五十二歳の春。『河海抄』は「いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる」(後撰集春上、一九、躬恒)を指摘。『細流抄』は「百千鳥囀る春はものごとに改まれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。『評釈』『集成』でも指摘。 【例のやうに人びと参りたまひなどすれど】- 『集成』は「妻の服喪は三ケ月で、旧年中に源氏の喪は明けている」と注す。 【御消息聞こえたまふ】- 主語は源氏。 |
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1.1.2 | 「わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに どうして春が訪ねて来たのでしょう」 |
わが宿は花もてはやす人もなし 何にか春の |
【わが宿は花もてはやす人もなし--何にか春のたづね来つらむ】- 源氏の詠歌。「花もてはやす人」は紫の上をさす。「春」は蛍兵部卿宮を喩える。「の」は主格を表す格助詞。『奥入』は「何にきく色染めかへし匂ふらむ花もてはやす君も来なくに」(後撰集秋下、四〇〇、読人しらず)を指摘。 |
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1.1.3 | 宮、ちょっと涙ぐみなさって、 |
宮は涙ぐんでおしまいになって、 |
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1.1.4 | 「梅の香を求めて来たかいもなく ありきたりの花見とおっしゃるのですか」 |
香をとめて来つるかひなくおほかたの 花の |
【香をとめて来つるかひなくおほかたの--花のたよりと言ひやなすべき】- 蛍兵部卿宮の返歌。「花」「来」の語句を用いて返す。『源注拾遺』は「年をへて花の便りにこと問はばいとどあだなる名をや立ちなむ」(後撰集春中、七八、兼覧王)「訪はるるもあだにはあれどこの春は花の便りぞうれしかりける」(古今六帖五、道のたより)「あぢきなく花の便りに訪はるれば我さへあだになりぬべらなり」(古今六帖五、道のたより、躬恒)「をさなくぞ春のみ訪ふと思ひける花の便りに見ゆるなりけり」(重之集)を指摘。 |
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1.1.5 | 紅梅の下に歩いていらっしゃったご様子が、大変優しくお似合いなので、この方以外に賞美する人もいないのではないか、とお見えになる。 花はわずかに咲きかけて、風情あるころの美しさである。 管弦のお遊びもなく、いつもの年と違ったことが多かった。 |
と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御 |
【紅梅の下に歩み出でたまへる御さまの】- 蛍兵部卿宮をさす。『集成』は「六条の院南の待ちの前栽であろう」。『完訳』は「この巻の舞台は、全体が六条院か二条院か不明。一説には、前半が二条院、後半が六条院とも」と注す。 【これより他に見はやすべき人なくや、と】- 『河海抄』は「山高み人もすさめぬ桜花いたくなわびそ我見はやさむ」(古今集春上、五〇、読人しらず)を指摘。 |
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1.1.6 | 女房なども、長年仕えて来た者は、墨染の色の濃いのを着て、悲しみも慰めがたく、いつまでも諦めきれずにお慕い申し上げるが、全然、ご夫人方にもお渡りにならない。 それをいつも目の前に拝するのを慰めとして、親しくお仕えしていた今まで、本気でお心をかけてということはなかったけれど、時々は見放さないようにお思いになっていた女房たちも、かえって、このような寂しいお独り寝になってからは、ごくあっさりとお扱いになって、夜の御宿直などにも、この人あの人と大勢を、ご座所から引き離し引き離しして、伺候させなさる。 |
女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なお |
【こまやかにて着つつ】- 接続助詞「つつ」反復継続の意。多数の人が同じ喪服を着ている意。 【悲しさも改めがたく】- 『河海抄』は「百千鳥囀る春はものごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。 【絶えて、御方々にも渡りたまはず】- 主語は源氏。この文は挿入句。『完訳』は「亡き紫の上への執着から、明石の君・花散里などを相手にする気になれない。このころ源氏は六条院にいるか」と注す。 【紛れなく見たてまつるを慰めにて】- 主語は女房たち。 【馴れ仕うまつれる】- 大島本は「なれつかうまつれる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「馴れ仕えうまつる」と校訂し、句点で文を結ぶ。『新大系』は底本のままとし、読点で文を続ける。 【年ごろ、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人びと】- 敬語表現は源氏に対して。『集成』は「源氏の寵を受けていた女房たち。後出の中納言の君、中将の君など」。『完訳』は「いわゆる召人。情交関係のある女房」と注す。 【なかなか】- 『完訳』は「「いとおほぞうに--」にかかる。紫の上亡き今、女房らと交わってもよさそうなのだが、かえって」と注す。 【引きさけつつ】- 接続助詞「つつ」反復継続の意。多数の人々に同じ動作をさせる。 |
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第二段 雪の朝帰りの思い出 |
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1.2.1 | つれづれなるままに、いにしへの |
所在ないままに、昔の思い出話などをなさる時々もある。 昔の好色心の名残もなく仏道一途のお心が深くなってゆくにつけても、長続きしそうもなかった恋愛事につけても、ひと頃、何やら恨めしそうであった様子が、時々お見えになったことなどをお思い出しになると、 |
次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、 |
【名残なき御聖心の深くなりゆくにつけても】- 『集成』は「かつての好き心の名残もないご道心が」。『完訳』は「かつての好色心の名残もなく仏道一途のお気持が深くなってゆくにつけても」と訳す。 【さしもあり果つまじかりけることにつけつつ】- 『集成』は「大したこになるはずもなかったあれこれの恋愛事件につけて。朝顔の斎院とのことなど」と注す。 【中ごろ、もの恨めしう思したるけしきの】- 紫の上の態度表情をさす。 |
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1.2.2 | 「などて、 なに |
「どうして、一時の戯れであるにせよ、また真実おいたわしかったことにつけても、あのような心をお見せ申したのだろう。 どのようなことにもよく練られたお方であったので、自分の心底もとてもよくご存知でありながら、心底お恨みになることはなかったが、それぞれ一通りは、どのようになるのだろう」 |
なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、 |
【などて、戯れにても】- 以下「いかならむとすらむ」まで、源氏の心中。「戯れ」は一時の浮気沙汰。 【まめやかに心苦しきこと】- 『集成』は「女三の宮を迎えたことをさしていよう」と注す。 【さやうなる心を】- 紫の上以外の女性に心を移したこと。 【なに事も】- 大島本は「なに事も」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「何ごとにも」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【人の深き心もいとよう見知りたまひながら】- 『集成』は「自分(源氏)の本当の気持も、大層よく分ってはいらっしゃるものの」。『完訳』は「紫の上は、源氏の恋の心底を、よく察知していたとする」と注す。 |
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1.2.3 | とご心配なさっていたのを、わずかであってもお心をお乱しなさったことが、おいたわしく悔やまれなさる様子は、胸一つに収めきれないような気がなさる。 その当時の事情を知っていて、今でもお側近くに仕えている女房たちは、ぽつりぽつりと口に出して申す者もいる。 |
と院は回顧あそばされて、そうした そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。 |
【と思したりしを】- 大島本は「とおほしたりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「と思したりしに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 【心を知り】- 大島本は「心越しり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心をも知り」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.2.4 | 入道の宮がご降嫁なさった当初、その当座は、顔色にも全然お出しにならなかったが、何かにつけて、情けないことよと、思っていらっしゃった様子がお気の毒であった中でも、雪が降った早朝に室外にたたずんで、自分の身も冷えきったように思われて、空模様がすごかった時に、とてもやさしくおっとりとしていらっしゃる一方で、袖がたいそう泣き濡れていらっしゃったのを引き隠し、無理して紛らわしていらっしゃった時のたしなみの深さなどを、一晩中、「夢であっても、もう一度いつになたら会えるだろうか」と、自然とお思い続けられる。 |
入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、 |
【入道の宮の渡りはじめたまへりしほど】- 女三の宮の降嫁。『集成』は「女房が少しずつ語り出した口調を写した文章から、次第に、源氏自身の回想に移る」と注す。 【雪降りたりし暁に】- 女三の宮の降嫁の三日目の夜明け方の出来事。 【用意などを】- 格助詞「を」目的格を表す。ここまで、回想の内容。 【夜もすがら、「夢にても、またはいかならむ世にか」と】- 「夢にても」以下、源氏の心中。現在から未来への願望。 |
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1.2.5 | 夜明けに、折も折、曹司に下りる女房であろう、 |
夜明けに |
【曹司に下るる女房なるべし】- 「なるべし」は語り手の推測。『集成』は「夜の宿直を終って退出するのである」と注す。 |
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1.2.6 | 「ひどく積もった雪ですこと」 |
「まあずいぶん降った雪」 |
【いみじうも積もりにける雪かな】- 女房の詞。 |
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1.2.7 | と |
と言う声をお聞きつけになって、ちょうどその時の気がするが、側にいらっしゃらない寂しさも、言いようもなく悲しい。 |
と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は |
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1.2.8 | 「つらいこの世からは姿を消してしまいたいと思いながらも 心外にもまだ月日を送っていることだ」 |
うき世にはゆき消えなんと思ひつつ 思ひのほかになほぞ |
【憂き世には雪消えなむと思ひつつ--思ひの外になほぞほどふる】- 源氏の独詠歌。「行き消え」と「雪消え」、「経る」と「降る」の掛詞。「消え」と「降る」は「雪」の縁語。『異本紫明抄』は「憂き世には行き隠れなでかき曇りふるは思ひのほかにもあるかな」(拾遺集雑上、五〇四、清原元輔)を指摘。『集成』も引歌として指摘する。『一葉抄』は「世の中のうけくにあらぬ奥山の木の葉にふれる雪やけなまし」(古今集雑下、九五四、読人しらず)を指摘。 |
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第三段 中納言の君らを相手に述懐 |
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1.3.1 | いつもの、気の紛らわしには、御手水をお使いになって勤行をなさる。 埋もれている炭火をかき起こして、御火桶を差し上げる。 中納言の君、中将の君などは、御前近くでお話申し上げる。 |
こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて |
【行ひしたまふ】- 大島本は「をこなひし給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「行ひたまふ」と「し」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.3.2 | 「独り寝がいつもより寂しかった夜であったよ。 このように独り住みでも殊勝に過ごせた世なのに、つまらなく俗世にかかわって来たことよ」 |
「 |
【独り寝常よりも】- 以下「かかづらひけるかな」まで、源氏の詞。 |
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1.3.3 | と、うちながめたまふ。 「 |
と、物思いに沈みこみなさる。 「自分までが出家したら、この女房たちが、ますます嘆き悲しむだろうことが、いじらしくかわいそうだろう」などと思って、見渡しなさる。 ひっそりと勤行をしながら、経などを読んでいらっしゃるお声を、並一通り聞く時でさえ涙がとまらないのに、まして今は、袖のしがらみも止めかねるほど悲しくて、朝晩拝し上げる女房たちの気持ちは、限りなく悲しくお思い申し上げる。 |
とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに |
【我さへうち捨てては】- 以下「いとほしかるべき」まで、源氏の心中を地の文に叙述。副助詞「さへ」添加の意。紫の上が亡くなったうえに、という含み。 【袖のしがらみせきあへぬまで】- 『異本紫明抄』は「飛鳥川心のうちに流るれば底のしがらみいつかよどまむ」(後撰集恋六、一〇一四、読人しらず)を指摘。『源注拾遺』は「涙川落つる水上早ければせきぞかねつる袖のしがらみ」(拾遺集恋四、八七六、紀貫之)を指摘。現行の注釈書でも引歌として指摘する。 【明け暮れ見たてまつる人びと】- 源氏を明け暮れ拝し上げる女房たち。 |
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1.3.4 | 「この それをしひて いとはかなしかし。 |
「現世の果報という点では、物足りなく思うことは、全然なく、高い身分には生まれたが、また誰よりも格別に、残念な運命であったなあ、と思うことがしょっちゅうだ。 世の中のはかなくつらさを悟らせるべく、仏などがそういう運命をお授けになった身の上なのだろう。 それを無理して知らない顔をして生き永らえて来たので、このように人生の終焉近くに、大変な悲しみの極みにあったのだから、宿世のつたなさも、自分の限界もすっかり残らず見届けてしまった、その安心感から、今は全然心残りもなくなったが、あの人この人、こうして、以前から親しくなった女房たちが、今を限りに別れ別れになってしまうことが、もう一段と心が乱れるに違いないだろう。 まことにはかないことだ。 諦めの悪い心だな」 |
「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来た |
【この世につけては】- 以下「心のほどかな」まで、源氏の述懐。女房を前にして語る。 【飽かず思ふべきこと、をさをさあるまじう】- 『完訳』は「以下の、不足のない高貴の身と生まれながらも誰より格別に不本意な運命の人生であったとの述懐は、若菜下・御法の、栄華も憂愁も比類のない人生、の述懐の繰返し」と注す。 【口惜しき契りにもありけるかな】- 光る源氏の「口惜しき契り」という言葉の背後にある実態が何をさしてそう言うのか、実は、よく分かっていない。 【いみじきことのとぢめを見つるに】- 『集成』は「悲しみの極みを味わったことで」。『完訳』は「痛ましい結末を抱き取らされてしまったのだから」と訳す。 【宿世のほども、みづからの心の際も】- 『集成』は「自分の運勢のつたなさも、私自身の器量のほども」。『完訳』は「わたしの宿運のつたなさや器量の限度も」。「ほど」と「際」は、人生のどうにもならぬ運命的限界とわずか何とか自由になる自分自身の器量力量の限界をさす。 【残りなく見果てて】- 人生をすっかり見届けてしまった意。 【今なむ露のほだしなくなりにたるを】- 『源氏物語事典』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。 【今はとて】- 『集成』は「私の出家で」と訳す。 【悪ろかりける心のほどかな】- 『完訳』は「あきらめのわるいわが根性よ」と注す。 |
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1.3.5 | とて、 さて、うち |
と言って、お涙を拭い隠しなさるが、ごまかしきれず、そのままこぼれるお涙を、拝する女房たちは、それ以上に止めようもない。 そうして、お見捨てられ申すだろうことのつらさを、それぞれ口に出したく思うが、そのように申すことはできず、涙に咽んでしまった。 |
とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。 |
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1.3.6 | こうしてばかり嘆き明かしていらっしゃる早朝、物思いに沈んで暮らしていらっしゃる夕暮などの、ひっそりとした折々には、あの並々にはお思いでなかった女房たちを、お側近くにお召しになって、あのような話などをなさる。 |
そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることの |
【おしなべてには思したらざりし人びとを】- 主語は源氏。「人びと」は前出の中納言の君や中将の君。 |
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1.3.7 | 中将の君といって伺候する女房は、まだ小さい時からお側近くに置いていらっしゃったのだが、ごく人目に隠れては何度かお見過ごしになれなかったことがあったのであろうか、まことに心苦しいことに思って、親しみ申し上げなかったのに、このようにお亡くなりになってから後は、色めいた相手としてではなく、他の女房よりもかわいい女房だと心をかけていらっしゃった人としても、あの方の形見の人として、しみじみとお思いになっていらっしゃった。 気立てや器量なども難がなくて、うない松に思える感じが、何でもなかっただろうよりは、気が利いているとお思いになる。 |
中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の |
【いと忍びつつ見たまひ過ぐさずやありけむ】- 挿入句。語り手の推測を交えて語る。『休聞抄』は「双」と指摘。『完訳』は「源氏が内々に情をかけたこと」と注す。 【いとかたはらいたきことに思ひて、馴れきこえざりけるを】- 大島本は「なれきこえ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「馴れもきこえ」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。『集成』は「紫の上に申し訳ないからである」と注す。 【その方にはあらず】- 色めいた相手としてではなく。 【人よりもらうたきものに】- 大島本は「人よりも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人よりことに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 【心とどめたまへりし方ざまにも】- 大島本は「心とゝめ給へりしかたさまにも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心とどめ思したりしものをと思し出づるにつけて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 【筋につけてぞ、あはれに思ほしける】- 大島本は「すちにつけてそあはれにおもほしける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「筋をぞあはれと思したる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 【うなゐ松におぼえたるけはひ】- 『完訳』は「これから生長する小松。『河海抄』などは、墓に植えた松で、中将の君を亡き紫の上の形見の意に解す。情をかけた召人だけに、いよいよ故人の形見と思われる」と注す。 【ただならましよりは、らうらうじと思ほす】- 『集成』は「何でもなかったであろう場合よりは、気が利いているとおぼしめす。かつて情けをかけた女房だけに、ひとしお紫の上の形見と思われる、という意か」と注す。 |
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第四段 源氏、面会謝絶して独居 |
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1.4.1 | 疎遠な人の前にはまったくお見えにならない。 上達部なども、親しいご兄弟の宮たちなど、いつも参上なさったが、お会いなさることはめったにない。 |
親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終お |
【疎き人にはさらに見えたまはず】- 「外人(うときひと)には見えじ見えば笑ひもこそ応(す)れ」(白氏文集、上陽白髪人)。 【むつましき】- 大島本は「むつましき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「睦ましきまた」と「また」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.4.2 | 「 |
「人に会う時だけは、しっかりと落ち着いて冷静にいようと思っても、幾月も茫然としている身の有様、愚かな間違い事があったりして、晩年が他人から迷惑がられるのでは、死後の評判までが嫌なことであろう。 惚けて人前に出ないらしい、と言われるようなことも、同じことだが、やはり噂を聞いて想像することの不十分さよりも、見苦しいことが目に入るのは、この上なく格段にばからしいことだ」 |
人と |
【人に向かはむほどばかりは】- 以下「際まさりてをこなり」まで、源氏の心中。 【末の世の人にもて悩まれむ、後の名さへ】- 「末の世の」の後出の格助詞「の」は主格を表す。わが晩年が、の意。『集成』は「老いの果てに若い人々に迷惑がられるのでは、死後の評判も」。『完訳』は「こうした老いの果てになってから人に困られることになったという評判を」と注す。 |
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1.4.3 | と かく、 |
とお思いになると、大将の君などに対してでさえ、御簾を隔ててお会いになるのであった。 このように、人柄が変わりなさったようだと、人が噂するにちがいない時期だけでもじっと心を静めていなければと、我慢して過ごしていらっしゃる一方で、憂き世をお捨てになりきれない。 ご夫人方にまれにちょっとお顔出しなさるにつけても、まっさきに止めどなく涙ばかりが一層こぼれるので、まことに具合が悪くて、どの方にも御無沙汰がちにお過ごしになる。 |
とお思いになって、大将などにも |
【かく、心変りしたまへるやうに】- 『集成』は「紫の上を喪った悲しみのために、理性を失って、出家したのだと言われまいとする用意」と注す。 【背きやりたまはず】- 大島本は「そむきやり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「え背きやり」と副詞「え」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【まづいとせきがたき涙の雨のみ降りまされば】- 『異本紫明抄』は「墨染の君が袂はくもなれや絶えず涙の雨とのみ降る」(古今集哀傷、八四三、壬生忠岑)を指摘。 |
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1.4.4 | 后の宮は、内裏にお帰りあそばして、三の宮を、寂しさのお慰めとしてお置きあそばしていらっしゃるのであった。 |
【后の宮は、内裏に参らせたまひて】- 明石中宮。「参らせたまひて」最高敬語表現。接続助詞「て」弱い逆接のニュアンス。係助詞「は」は取り立てて強調するニュアンス。明石中宮は宮中に帰参したが、匂宮は留まって、という文脈。 【三の宮をぞ、さうざうしき御慰めには、おはしまさせたまひける】- 『集成』は「次の匂宮の言葉からすれば、二条の院のことと見なくてはならないが、あえて六条の院のこととしたのであろう」。『完訳』は「ここは二条院か」と注す。 |
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1.4.5 | 「お祖母様がおっしゃったから」 |
「お |
【婆ののたまひしかば】- 匂宮の詞。『完訳』は「紫の上が匂宮に、二条院西の対の紅梅を大事にせよと遺言」と注す。「御法」巻(第一章六段)に語られている。 |
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1.4.6 | と言って、対の前の紅梅は、特別大事にお世話なさっているのも、とてもしみじみと拝見なさる。 |
とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに |
【対の御前の紅梅は、いと取り分きて後見ありきたまふを】- 大島本は「紅梅ハいと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「紅梅」と「はいと」を削除する。『新大系』は底本のままとする。二条院西の対の前の紅梅。主語は匂宮。 【いとあはれと見たてまつりたまふ】- 主語は源氏。 |
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1.4.7 | 二月になると、梅の木々が花盛りになったのも、まだ蕾なのも、梢が美しく一面に霞んでいるところに、あの御形見の紅梅に、鴬が陽気に鳴き出したので、立ち出て御覧になる。 |
二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、 |
【如月になれば】- 季節は仲春二月に移る。 【盛りなるも】- 大島本は「さかりなるも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「盛りになるも」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【御形見の紅梅に、鴬のはなやかに鳴き出でたれば】- 梅(紅梅)に鴬という取り合わせ。『河海抄』は「吾妹子が植ゑし梅の樹見るごとに心むせつつ涙し流る」(万葉集巻三、大伴旅人)「見るごとに袖ぞ濡れぬる亡き人の形見に見よと植ゑし花かは」(古今六帖四、悲しみ)を指摘。 【立ち出でて御覧ず】- 主語は源氏。 |
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1.4.8 | 「植えて眺めた花の主人もいない宿に 知らない顔をして来て鳴いている鴬よ」 |
植ゑて見し花の 知らず顔にて来居る鶯 |
【植ゑて見し花のあるじもなき宿に--知らず顔にて来ゐる鴬】- 源氏の独詠歌。『河海抄』は「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春を忘るな」(拾遺集雑春、一〇〇六、菅原道真)「梅が枝に来ゐる鴬春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」(古今集春上、五、読人しらず)を指摘。『集成』は「季節は変らず廻りくるのに対し、人事の変りやすさを嘆く気持」。『完訳』は「「花のあるじ」は紫の上。変らざる自然に対し、人の生命のはかなさを嘆く歌。「鴬」に、紫の上を喪った自身の孤独を形象」と注す。 |
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1.4.9 | と、うそぶき |
と、口ずさみながらお歩きなさる。 |
春の空を仰いで |
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第五段 春深まりゆく寂しさ |
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1.5.1 | 春が深くなって行くにつれて、御前の様子は、昔と変わらないのを、花を賞美なさるのではないが、心は落ち着かず、何事につけても胸が痛く思わずにはいらっしゃれないので、だいたいこの世を離れたように、鳥の声も聞こえない山奥ばかりが、ますます恋しくなって行かれる。 |
春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。 |
【春深くなりゆくままに、御前のありさま】- 『細流抄』は「これより六条院のことなり」。『完訳』は「三月に入る。以下、六条院か」と注す。 【鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ】- 『異本紫明抄』は「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ」(古今集恋一、五三五、読人しらず)を指摘。現行の注釈書でも指摘。 |
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1.5.2 | 山吹などが、気持ちよさそうに咲き乱れているのも、思わず涙の露に濡れているかとばかり見えておしまいになる。 他の花は、一重が散って、八重に咲く桜花が盛りを過ぎて、樺桜は開いて、藤は後れて色づいたりするらしいのを、その遅咲き早咲きの花の性質をよく理解して、いろいろと植えてお置きになったので、花の時期を忘れず匂い満ちているので、若宮は、 |
山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて |
【他の花は、一重散りて】- 『休聞抄』は「見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし」(古今集春上、六八、伊勢)。『河海抄』は「浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな」(拾遺集春、四〇、読人しらず)。『真淵新釈』は「雨降れば色さりやすき花桜薄き心を我が思はなくに」(貫之集)を指摘。『集成』は「(六条の院南の町の)よそでは」と注す。 【八重咲く花桜】- 「花桜」は歌語。 【色づきなどこそはすめるを】- 推量の助動詞「めり」は語り手の観察に立っての叙述。 |
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1.5.3 | 「わたしの桜は咲いた。 何とかいつまでも散らすまい。 木の回りに帳を立てて、帷子を上げなかったら、風も近寄って来まい」 |
「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに |
【まろが桜は咲きにけり】- 以下「風もえ吹き寄らじ」まで、匂宮の詞。 |
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1.5.4 | と、かしこう |
と、よいことを考えた、と思っておっしゃる顔がとてもかわいらしいので、ふとほほ笑まれなさった。 |
たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。 |
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1.5.5 | 「大空を覆うほどの袖を求めた人よりは、とてもよいことをお思いつきになった」などと、この宮だけをお遊び相手とお思い申してしていらっしゃる。 |
「 |
【覆ふばかりの袖求めけむ人よりは】- 以下「思し寄りたまへりしかし」まで、源氏の心中。『源氏釈』は「大空におほふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)を指摘。現行の注釈書でも指摘する。 【思し寄りたまへりしかし】- 大島本は「給へりしかし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりかし」と「し」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.5.6 | 「あなたとお親しみ申していられるのも残り少なくなりましたよ。 寿命というものは、もう暫くこの世に留まっていても、お会いすることはあるまい」 |
「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」 |
【君に馴れきこえむことも】- 以下「えあらじかし」まで、源氏の詞。「君」は匂宮をさす。やがて出家すべきことを言う。 |
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1.5.7 | とて、 |
とおっしゃって、いつものように、涙ぐみなさると、とても嫌だとお思いになって、 |
とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、 |
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1.5.8 | 「お祖母様がおっしゃったことを、縁起でもなくおっしゃいます」 |
「お |
【婆ののたまひしことを、まがまがしうのたまふ】- 匂宮の返事。 |
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1.5.9 | とて、 |
と言って、伏目になって、お召し物の袖をもてあそびなどしながら、紛らしていらっしゃる。 |
と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。 |
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1.5.10 | みづからの |
隅の間の高欄に寄りかかって、御前の庭を、また御簾の中をも、見渡して物思いに沈んでいらっしゃる。 女房なども、あの御形見の喪服の色を変えない者もおり、通常の色合いの者も、綾などは派手なのではない。 ご自身のお直衣も、色は普通の物であるが、特別に質素にして、無紋をお召しになっていた。 お部屋飾りなどもたいそう簡略に省いて、寂しく何となく頼りなさそうにひっそりとしているので、 |
欄干の |
【隅の間の高欄におしかかりて、御前の庭をも】- 『集成』は「源氏のさま。六条の院南の町の東の対(源氏と紫の上の居所)の隅の簀子にいる体。西南の隅であろう」と注す。 【ことさらやつして】- 大島本は「ことさら」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことさらに」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【寂しく心細げに】- 大島本は「心ほそけに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの心細げに」と「もの」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.5.11 | 「いよいよ出家するとなるとすっかり荒れ果ててしまうのだろうか |
今はとて |
【今はとて荒らしや果てむ亡き人の--心とどめし春の垣根を】- 源氏の独詠歌。『完訳』は「「今はとて」は、いよいよ出家となれば、の気持。紫の上の丹精した春の庭がやがて荒廃するだろう、と嘆く歌」と注す。 |
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1.5.12 | 亡き人が心をこめて作った春の庭も」 |
心とどめし春の |
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1.5.13 | 自分ながら悲しく思われなさる。 |
とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。 |
【悲しう思さるる】- 大島本は「おほさるゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思さる」と「る」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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第六段 女三の宮の方に出かける |
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1.6.1 | とても所在ないので、入道の宮のお部屋にお越しになると、若宮も女房に抱かれておいでになっていて、こちらの若君と走り回って遊び、花を惜しみなさるお気持ちは深くなく、とても幼い。 |
【入道の宮の御方に】- 南の町の寝殿、女三の宮の居所。 【若宮も人に抱かれておはしまして】- 匂宮。 【こなたの若君と】- 薫。 【花惜しみたまふ心ばへども深からず、いといはけなし】- 語り手の評言。接尾語「ども」複数を表す。大人たちの憂愁に満ちた世界と違った幼く無邪気で活発な二人の子供たちを点描。『河海抄』は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし」(古今集春上、五二、藤原良房)を指摘。 |
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1.6.2 | 宮は、仏の御前で、お経を読んでいらっしゃるのであった。 何ほども深くお悟りになった御道心ではなかったが、この現世に対して恨みに思ってお気持ちの乱れることはおありでなく、のんびりとしたお暮らしのまま、気を散らさずに勤行なさって、仏道一筋にこの世を思い離れていらっしゃるのも、まことに羨ましく、「このような思慮深くない女の御志にさえ後れを取ったこと」と残念に思われなさる。 |
尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御 |
【何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかども】- 大島本は「あらさりしかとも」とある。『集成』『完本』は「あらざりしかど」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『首書或抄』は「源氏の心也又物語地歟」と指摘。『集成』は「以下、女三の宮を見ての源氏の感懐」と注す。 【一方に】- 大島本は「ひとかたに」とある。『完本』は「一(ひと)つ方(かた)に」と「つ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。 【かくあさへたまへる】- 大島本は「かくあまへ給へる」とある。すなわち字母「万」と「左」の似た字体から生じた異文である。『集成』『完本』は諸本に従って「あさへたる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.6.3 | 閼伽の花が、夕日に映えてとても美しく見えるので、 |
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1.6.4 | 「 |
「春に心を寄せた人もいなくなって、花の色も殺風景なばかりに見られるが、仏のお飾りとして見るべきであった」とおっしゃって、「対の前の山吹は、やはりめったに見られない花の様子ですね。 房の大きいことですね。 上品に咲こうなどとは考えていない花なのでしょうか、はなやかでにぎやかな面では、とても美しい花です。 植えた人のいない春とも知らないで、いつもの年より美しさを増しているのには、しみじみとした思いがしますね」 |
「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」とお言いになった院は、また、「対の前の |
【春に心寄せたりし人なくて】- 以下「見るべかりけれ」まで、源氏の詞。 【対の前の山吹こそ】- 以下「あはれにはべれ」まで、源氏の詞。紫の上が住んでいた東の対の前の山吹の花。 【品高くなどはおきてざりける花にやあらむ】- 『完訳』は「上品に咲こうなどとは考えなかった花なのだろうか。擬人表現」と注す。 【植ゑし人なき春とも知らず顔にて】- 『異本紫明抄』は「植ゑて見し主なき宿の桜花色ばかりこそ昔なりけれ」(出典未詳)。『河海抄』は「色も香も昔のこさに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき」(古今集哀傷、八五一、紀貫之)を指摘。 |
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1.6.5 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 お返事に、 |
と仰せられた。宮はお返辞に、 |
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1.6.6 | 「 |
「谷には春も無縁です」 |
「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るもの |
【谷には春も】- 女三の宮の返事。『源氏釈』は「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし」(古今集雑下、九六七、清原深養父)を指摘。『集成』は「世を捨てた尼の身にとっては、人の世の悲しみも喜びも無縁であるという気持で言ったもの。女三の宮としては、卑下のつもりであろう」と注す。 |
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1.6.7 | と、 |
と、何気なく申し上げなさるのを、「他に言いようもあろうに、不愉快な」とお思いなさるにつけても、「まずは、このようなちょっとしたことにおいては、これこれのことではそうではなくあってほしい、と思うことに、反したことはついぞなかったな」と、幼かった時からのご様子を、「いったい、何の不足があったろうか」とお思い出しになると、まず、あの時この時の、才気があり行き届いていて、奥ゆかしく情味豊かな人柄、態度、言葉づかいばかりが自然と思い出されなさると、いつもの涙もろさのこととて、ついこぼれ出すのもとてもつらい。 |
とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを |
【ことしもこそあれ、心憂く】- 源氏の心中。『集成』は「折から、庭前の花を見るにつけても、紫の上を偲び、悲嘆にくれる源氏にとって、「もの思ひもなし」という結句に続く返事は、いかにも思いやりなく響くのである」と注す。 【まづ、かやうのはかなきことにつけては】- 以下「なくてもやみにしかな」まで、源氏の心中。紫の上と比較する。 【そのことのさらでもありなむかし】- 『細流抄』は「今はただそよその事と思ひ出でて忘るばかりの憂きこともがな」(後拾遺集哀傷、五七三、和泉式部)を指摘。 【いで、何ごとぞやありし】- 反語表現。『集成』は「一体何の不足なことがあったろうか」と訳す。 【思し出づるには】- 大島本は「おほしいつるには」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思し出づるに」と「は」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 【匂ひ多かりし心ざま】- 『集成』は「奥ゆかしく情味豊かな人柄」。『完訳』は「奥ゆかしい魅力をたたえたお人柄」と訳す。 【例の涙もろさは】- 大島本は「涙もろさ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「涙のもろさ」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【いと苦し】- 語り手の評言。 |
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第七段 明石の御方に立ち寄る |
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1.7.1 | 夕暮の霞がたちこめて、趣のあるころなので、そのまま明石の御方にお渡りになった。 久しくお立ち寄りにならなかったので、思いも寄らない時だったので、ちょっと驚きはするが、体裁よく奥ゆかしく振る舞って、「やはり他の人より優れている」と御覧になるにつけては、またこのようにではなく、「あの方は格別に、教養や趣味もお振る舞いになっていた」と、ついお比べになられると、面影に浮かんで恋しく、悲しさばかりがつのるので、「どのようにして慰めたらよい心か」と、とても比較がつらくて、こちらでは、のんびりと昔話などをなさる。 |
夕方の |
【なほこそ人にはまさりたれ】- 源氏の明石御方に対する感想。 【またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそ】- 大島本は「かうさまにハあらてかれハさまことにこそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かうざまにはあらでこそ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。「かれは」以下「もてなしたまへりしか」まで、源氏の心中。紫の上を思い比べる。 【ゆゑよしをも】- 『集成』は「たしなみのほども趣味の深さをも」。『完訳』は「そのお人柄やたしなみのほどを」と訳す。 【思し比べらるるにも】- 大島本は「おほしくらへらるゝにも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思しくらべらるるに」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 【いかにして慰むべき心ぞ」と、いと比べ苦し】- 大島本は「くらへくるしう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「くらべ苦し」と「う」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『源氏物語引歌』は「世の中はくらべ苦しくなりにけり長く短く思ふ筋なし」(出典未詳)を指摘。 【こなたにては】- 六条院の戌亥の町、明石の御方のもと。 |
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1.7.2 | 「 |
「女をいとしいと思いつめるのは、実に悪いはずのことだと、昔から知っていながら、すべてどのような事柄にも、現世に執着が残らないようにと、配慮して来たが、普通の世間から見て、むなしく零落してしまいそうだったころなど、あれやこれやと思案したが、命をも自分から捨ててしまおうと、野山の果てにさすらえさせても、格別に差支えなく思うほどになったが、晩年に、最期が近くなった身の上で、持たなくてよい係累に多くかかずらって、今まで過ごしてきたが、意志が弱くて、愚かしいことよ」 |
「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が近づくころになって、いろいろな係累をふやすことになったために、今まで出家も遂げることができないでいるのが自分で歯がゆくてならない」 |
【人をあはれと心とどめむは】- 以下「もどかしきこと」まで、源氏の詞。 【この世に執とまるべきことなく】- 大島本は「事なく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなくと」と「と」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど】- 須磨明石流離のころをさす。 【命をもみづから捨てつべく、野山の末にはふらかさむに】- 『河海抄』は「身は捨てつ心をだにもはふらさじつひにはいかなると知るべく」(古今集雑体、一〇六四、藤原興風)を指摘。 【捨てつべく】-連語「つべし」強い意志を表す。 【あるまじくなむ】- 係助詞「なむ」は係結びの流れ。 【末の世に、今は限りのほど近き身にてしも】- 『完訳』は「「しも」に注意。晩年の、最期の時になって、かえって俗世の絆に深く関り今日に至ったとする」と注す。 【あるまじきほだし多うかかづらひて】- 『源氏物語事典』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそ絆なりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。 【心弱うも、もどかしきこと】- 大島本は「心よハうももとかしきことなと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心弱うもどかしきこと」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『完訳』は「出家の初志を貫きえなかった気弱さとして自らを非難」と注す。 |
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1.7.3 | などと、それと名指して一人の悲しみばかりにはおっしゃらないが、お胸の内はさぞかしとお気の毒なので、おいたわしく拝して、 |
などと院はお言いになって、夫人と死別したばかりの悲しみでないように言っておいでになるが、明石の心には院の御内心は何によって苦しんでおいでになるかはよくわかっていて、道理なことであるとおいたわしく思った。 |
【さして一つ筋の悲しさにのみは】- 紫の上の死去をさす。それと名指ししての意。 【いとほしう見たてまつりて】- 主語は明石御方。 |
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1.7.4 | 「おほかたの さやうにあさへたることは、かへりて |
「世間一般の目からは、さほど惜しくなさそうな人でさえ、心の中の執着、自然と多くございますものですが、ましてどうしてやすやすとお思い捨てになることができましょうか。 そのような浅はかな出家は、かえって軽はずみなと非難されることも出てきて、なまじ出家しないほうがよいでしょうが、ご決心が、つきかねるようでいらっしゃるほうが、結局は澄みきった御境地に、至られましょうと、想像されます。 |
「他人から見まして、この世に未練の残るわけもないような人も、その人自身には捨てられない |
【おほかたの人目に】- 以下「うれしくもはべるべけれ」まで、明石御方の詞。 【多うはべるなるを】- 大島本は「おほう侍(侍+な<朱>)るを」とある。すなわち朱筆で「な」を補訂する。『集成』『完本』『新大系』は底本の補訂と諸本に従って「はべなるを」と整定する。 【いかでかは】- 「思し捨てむ」に係る。反語表現。 【あさへたることは、かへりて】- 『集成』は「(たやすく出家するような)浅はかなことは」。『完訳』「深い道心に基づかない出家」と注す。 【思したつほど、鈍きやうにはべらむや、つひに澄み果てさせたまふ方、深うはべらむ】- すらすらと出家するよりも迷いに迷った末の出家のほうが悟りの境地に達しやすいだろう、という意見。 【思ひやられはべりてこそ】- 係助詞「こそ」結びの省略、下に「あれ」などの語句が省略。強調と余意余情効果が出る。 |
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1.7.5 | いにしへの それはなほ なほ、しばし |
昔の例などをお聞きいたしますにつけても、心が動揺したり、思いのままにならないことがあって、世を厭うきっかけになったとか。 それはやはりよくないことと申します。 やはり、もう暫くごゆっくりあそばして、宮たちなどがご成人あそばして、ほんとうにゆるぎない地位を拝見あそばされるまでは、変わったことがございませんのが、安心で嬉しうもございましょう」 |
昔の例を承りましても、突然心の傷つけられますような悲しみにあいますとか、大きな失望をいたしましたとか申すような時に |
【いにしへの例などを】- 『花鳥余情』は花山院が弘徽殿女御藤原為光の女の死に際して俄に出家したが、後に俗世に再び執着した事例を引く。 【宮たちなどもおとなびさせたまひて】- 大島本は「をとなひさせ給て」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おとなびさせたまひ」と「て」を削除する。『新大系』は底本のままとする。明石中宮腹の皇子皇女たち。 【まことに動きなかるべき御ありさまに】- 『集成』は「本当にゆるぎないご身分と、お見極め申し上げなさるまでは。東宮(第一皇子)の即位のことなどをさす」と注す。 |
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1.7.6 | などと、とても思慮深く申し上げた様子、本当に申し分がない。 |
などとまじめに言っている明石に院は好感をお持ちになることができた。 |
【いとめやすし】- 『評釈』は「明石の御方の理知的な聰明な性格が、源氏の出家への歩みを説明する役割を与えているのである。その役割のはたしぶりを作者は、「いとめやすし」と賞めるのだ」と注す。 |
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第八段 明石の御方に悲しみを語る |
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1.8.1 | 「そこまで思慮深くためらい過ぎては、浅薄な出家にも劣ろう」 |
「そんなになるまで待っていることが思慮深いのだったら、それよりもあさはかなほうがましなようだね」 |
【さまで思ひのどめむ】- 以下「劣りぬべけれ」まで、源氏の詞。『集成』は「結局いつまでたっても出家を遂げられぬことを恐れる」と注す。 |
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1.8.2 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、昔から悲しい思いをし続けてきたことなどを話し出される中で、 |
などとお言いになって、昔から悲しいことに多くあっておいでになった話もあそばされた。 |
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1.8.3 | 「 それは、おほかたの |
「故后の宮が御崩御なさった春が、花の美しさを見ても、本当に、花に心があったならばと思われました。 そのわけは、世間一般につけて、誰が見ても素晴らしかったご様子を、幼い時から拝見し続けてきたので、そういうご臨終の悲しさも、誰より格別に思われたのです。 |
「昔、中宮がお |
【故后の宮の】- 以下「なむありける」まで、源氏の詞。藤壺の宮をさす。 【花の色を見ても、まことに心あらばと】- 『源氏釈』は「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今集哀傷、八三二、上野峯雄)を指摘。 【幼くより見たてまつりしみて】- 源氏の継母。元服以前にはその御簾の中に入ることも許された。 |
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1.8.4 | みづから すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしき |
自分が特別に愛情をもったための、悲しみとは限らないものです。 長年連れ添った人に先立たれて、諦めようもなく忘れられないのも、ただこのような夫婦仲の悲しさだけではありません。 幼い時から育て上げた様子や、一緒に年老いた晩年に先立たれて、自分の身の上も相手の身の上も、次々と思い出が浮かんでくる悲しさが、堪えられないのです。 すべて、心を打つ感動も、意味あることも、風流な面も、広く思い出すところの、あれこれが多く加わっていくのが、悲しみを深めるものなのでした」 |
恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは別なものだと思う。長く |
【みづから取り分く心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり】- 『集成』は「自分が特別深い愛情を持っているから、特に無常の悲しみが深いとも限らぬようです。藤壺の死をこれほどまで悲しむことについての弁解」。『完訳』は「心にしみる哀感というものは、自分がその人にとりわけ深く思いを寄せているからとはかぎらないのです」と注す。 【年経ぬる人に】- 紫の上。 【幼きほどより生ほしたてしありさま】- 藤壺の場合の「幼くより見奉りしみて」と同じ。共に過ごしてきた長い歳月の重みがある。 【堪へがたきになむ】- 係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。 【思ひめぐらす方、方々添ふことの】- 大島本は「おもひめくらす方かた/\そふ事」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひめぐらす方々」と「方」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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1.8.5 | などと、夜が更けるまで、昔や今のお話で、こ「うして明かしてもよい夜だ」とお思いになりながらも、お帰りになるのを、女も物悲しく思うことであろう。 ご自身でも、「不思議なふうになってしまった心だな」と、思わずにはいらっしゃれない。 |
などと、夜がふけるまで、昔をも今をも話しておいでになって、このまま明石夫人のところで泊まっていってもよい夜であるがとはお思いになりながら院のお帰りになるのを見て、明石夫人は |
【かくても明かしつべき夜を】- 源氏の心中。 【女もものあはれに思ふべし】- 大島本は「おもふへし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おぼゆべし」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。『岷江入楚』所引「箋」(三光院)は「草子地也」と指摘。 【あやしうもなりにける心のほどかな】- 源氏の心中。『完訳』は「源氏も、明石の君のもとに泊ろうともしないわが心を見つめる」と注す。 |
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1.8.6 | お帰りになっても、またいつものご勤行で、夜半になってから、昼のご座所に、ほんのかりそめに横におなりになる。 翌朝、お手紙を差し上げなさるに、 |
お帰りになるとまた仏勤めをあそばして夜中ごろに昼のお居間で |
【さてもまた、例の御行ひに】- 『集成』は「お帰りになってもまた、いつものように仏前のお勤めをなさり」と注す。 【夜中になりてぞ、昼の御座に、いとかりそめに寄り臥したまふ】- 寝所でないところでの仮眠であることを強調。 |
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1.8.7 | 「泣きながら帰ってきたことです、 この仮の世はどこもかしこも永遠の住まい |
泣く泣くも帰りにしかな仮の世は いづくもつひのとこよならぬに |
【なくなくも帰りにしかな仮の世は--いづこもつひの常世ならぬに】- 源氏から明石への贈歌。「鳴く」「泣く」、「雁」「仮」の掛詞。「常」に「床」を響かせる。「雁」と「常世」は縁語。『河海抄』は「おきもゐぬ我が常世こそ悲しけれ春帰りにし雁も鳴くなり」(後拾遺集秋上、二七四、赤染衛門)。『大系』は「白露の消えにし人の秋待つと常世の雁も鳴きて飛びけり」(斎宮集)を指摘。『集成』は「雁は、北の常世の国(不老不死の仙境)から渡ってくると考えられていた。三月、帰雁の季節に寄せて詠む」。『完訳』は「北(常世)に帰る「雁」に源氏自身を見立て、「常世」に「床」をひびかせ、永遠にと願った紫の上との共寝も終った、と嘆く歌」と注す。 |
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1.8.8 | 昨夜のご様子は恨めしげに思ったが、とてもこんなに、まるで違った方のように茫然としていらしたご様子がお気の毒なので、自分のことは忘れて、つい涙ぐまれなさる。 |
という歌であった。 |
【昨夜の御ありさまは】- 『完訳』は「以下、明石の君に即した行文」と注す。 |
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1.8.9 | 「雁がいた苗代水がなくなってからは そこに映っていた花の影さえ見ることができません」 |
かりがゐし苗代水の絶えしより うつりし花の影をだに見ず |
【雁がゐし苗代水の絶えしより--映りし花の影をだに見ず】- 明石御方の返歌。「雁」の語句を受けて詠み返す。『河海抄』は「何方も露路と聞かば尋ねまし列離れけむ雁の行方を」(紫式部集)。『花鳥余情』は「秋の夜に雁かも鳴きて渡るなり我が思ふ人の言づてやせし」(後撰集秋下、三五七、紀貫之)を指摘。「苗代水」は紫の上を、「花」源氏を喩える。紫の上の死後、源氏の訪れがないことをいう。 |
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1.8.10 | いつ見ても相変わらず味わいのある書きぶりを見るにつけても、何となく目障りなとお思いであったが、晩年には、お互いに心を交わし合う仲となって、安心な相手としては信頼できるよう、互いに思い合いなさりながら、またそうかといってまるきり許し合うのではなく、奥ゆかしく振る舞っていらしたお心遣いを、「他人はそこまで知らなかったであろう」などと、お思い出しになる。 |
いつも変わらぬ明石の返歌の美しい字を御覧になっても、この人を無礼な |
【なまめざましきものに】- 以下「見知らざりきかし」まで、源氏の心中。 【思したりしを】- 主語は紫の上。 |
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1.8.11 | たまらなく寂しい時には、このようにただ一通りに、お顔をお見せになることもある。 昔のご様子とはすっかり変わってしまったのであろう。 |
お寂しくてならぬ時にだけは明石夫人のその場合のような簡単な訪問を夫人たちの所へあそばされる院でおありになった。 |
【昔の御ありさまには、名残なくなりにたるべし】- 語り手の推量。 |
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第二章 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語 |
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第一段 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす |
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2.1.1 | 夏の御方から、お衣更のご装束を差し上げなさるとあって、 |
夏の |
【夏の御方より、御衣更の御装束たてまつりたまふとて】- 季節は衣更の季節、夏に移る。 |
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2.1.2 | 「夏の衣に着替えた今日だけは 昔の思いも思い出しませんでしょうか」 |
夏ごろもたちかへてける今日ばかり 古き思ひもすすみやはする |
【夏衣裁ち替へてける今日ばかり--古き思ひもすすみやはせぬ】- 花散里から源氏への贈歌。「古き思ひ」について、『集成』は花散里自身とし、『完訳』は紫の上の思い出とする。 |
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2.1.3 | お返事、 |
この歌が添えられてあった。お返事、 |
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2.1.4 | 「羽衣のように薄い着物に変わる今日からは はかない世の中がますます悲しく思われます」 |
羽衣のうすきにかはる今日よりは |
【羽衣の薄きに変はる今日よりは--空蝉の世ぞいとど悲しき】- 源氏の返歌。「衣」の語句を受けて返す。「薄き」「空蝉」は「羽衣」の縁語。「うつせみの」は「世」に係る枕詞。無常の世を嘆く。 |
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2.1.5 | 賀茂祭の日、とても所在ないので、「今日は見物しようとして、女房たちは気持ちよさそうだろう」と思って、御社の様子などをご想像なさる。 |
【祭の日】- 四月中の酉の日の賀茂の祭(葵祭)の日。 【今日は物見るとて、人びと心地よげならむかし】- 源氏の心中。 |
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2.1.6 | 「女房などは、どんなに手持ち無沙汰だろう。 そっと里下がりして見て来なさい」などとおしゃる。 |
「女房たちは皆寂しいだろう、実家のほうへ行って、そこから見物に出ればいい」などとも言っておいでになった。 |
【女房など、いかにさうざうしからむ。里に忍びて出でて見よかし】- 源氏の詞。 |
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2.1.7 | 中将の君が、東表の間でうたた寝しているのを、歩いていらっしゃって御覧になると、とても小柄で美しい様子で起き上がった。 顔の表情は明るくて、美しい顔をちょっと隠して、少しほつれた髪のかかっている具合など、見事である。 紅の黄色味を帯びた袴に、萱草色の単衣、たいそう濃い鈍色の袿に黒い表着など、きちんとではなく重着して、裳や、唐衣も脱いでいたが、あれこれ着掛けなどするが、葵を側に置いてあったのを側によってお取りになって、 |
中将の君が東の座敷でうたた寝しているそばへ院が寄ってお行きになると、美しい小柄な中将の君は起き上がった。赤くなっている顔を恥じて隠しているが、少し癖づいてふくれた髪の横に見えるのがはなやかに見えた。紅の黄がちな色の |
【中将の君】- 源氏の召人。 【をかしげなり】- 大島本は「おかしけなり」とある。『完本』は諸本に従って「いとをかしげなり」と「いと」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。 【寄りて取りたまひて】- 大島本は「よりてとり給て」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とりたまひて」と「よりて」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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2.1.8 | 「何と言ったかね。 この名前を忘れてしまった」とおっしゃると、 |
「何という草だったかね。名も忘れてしまったよ」とお言いになると、 |
【いかにとかや。この名こそ忘れにけれ】- 源氏の詞。「葵」に「逢ふ日」を掛けていう。『集成』は「お前に逢うことも忘れてしまった、の意をこめる」と注す。 |
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2.1.9 | 「いかにもよるべの水も古くなって水草が生えていましょう 今日の插頭の名前さえ忘れておしまいになるとは」 |
さもこそは寄るべの水に 今日のかざしよ名さへ忘るる |
【さもこそはよるべの水に水草ゐめ--今日のかざしよ名さへ忘るる】- 中将の君から源氏への贈歌。「よるべの水」は神に供える水。神霊のやどる水。「寄る辺」を掛ける。わたしに見向きもなさらないのはしかたのないこと、の意。『原中最秘抄』は「よるべなみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき」(古今集恋三、六一九、読人しらず)。『孟津抄』は「いなりにもいはると聞きしなき事をけふはただすの神にまかする」(和泉式部集)。『河海抄』は「なにごとと知らぬ人には木綿だすき何かただすの神にかくらん」(和泉式部集)。『異本紫明抄』は「神かけてきみはあらがふたれかさはよるべにたまる水といひける」(和泉式部集)。『河海抄』は「さもこそはよるべの水に影絶えめかけしあふひを忘るべしやは」(出典未詳)「神さびの枝にたまる雨水のみくさゐるまでいもを見ぬかも」(出典未詳)を指摘。 |
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2.1.10 | と、 げにと、いとほしくて、 |
と、恥じらいながら申し上げる。 なるほどと、 |
と恥じらいながら中将は言った。そうであったと哀れにお思いになって、 |
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2.1.11 | 「だいたいは執着を捨ててしまったこの世ではあるが この葵はやはり摘んでしまいそうだ」 |
おほかたは思ひ捨ててし世なれども あふひはなほやつみおかすべき |
【おほかたは思ひ捨ててし世なれども--葵はなほや摘みをかすべき】- 源氏の返歌。「葵」は中将の君を喩える。「摘み」「罪」の掛詞。「葵」「罪」「犯す」は神事に関する縁語。 |
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2.1.12 | などと、一人だけはお思い捨てにならない様子である。 |
こんなこともお言いになり、なおこの人にだけは |
【など、一人ばかりをば思し放たぬけしきなり】- 大島本は「ひとりはかりをハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「一人ばかりは」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。『湖月抄』は「ち」と注す。語り手の批評とみてよい。 |
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第二段 五月雨の夜、夕霧来訪 |
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2.2.1 | 五月雨の時は、ますます物思いに沈んでお暮らしになるより他のことなく、物寂しいところに、十日過ぎの月が明るくさし出た雲間が珍しいので、大将の君が御前に伺候なさっている。 |
【五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、さうざうしきに、十余日の月はなやかにさし出でたる雲間の】- 五月十日過ぎ。およそ一月が経過。「さうざうしきに」の「に」格助詞、時間を表す。所在ないところに、の意。 |
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2.2.2 | 花橘が、月光にたいそうくっきりと見える薫りも、その追い風がやさしい感じなので、花橘にほととぎすの千年も馴れ親しんでいる声を聞かせて欲しい、と待っているうちに、急にたち出た村雲の様子が、まったくあいにくなことで、とてもざあざあ降ってくる雨に加わって、さっと吹く風に燈籠も吹き消して、空も暗い感じがするので、「窓を打つ声」などと、珍しくもない古詩を口ずさみなさるのも、折からか、妻の家に聞かせてやりたいようなお声である。 |
花 |
【花橘】- 『集成』は「橘の花。歌語。五月の景物とされた」と注す。 【千代を馴らせる声も】- 『源氏釈』は「色変へぬ花橘に時鳥千代をならせる声聞こゆなり」(後撰集夏、一八六、読人しらず)を指摘。 【いとおどろおどろしう】- 大島本は「いとおとろ/\しう」とある。『集成』『完本』は諸本に従ってそれぞれ「おどろおどろしく」「おどろおどろしう」と「いと」を削除して整定する。『新大系』は底本のままとする。 【窓を打つ声」など】- 『奥入』は「秋夜長夜長無眠天不明耿々残燈背壁影蕭々暗夜雨打窓声」(白氏文集、上陽白髪人・和漢朗詠集、秋夜)を指摘。 【妹が垣根におとなはせまほしき御声なり】- 『異本紫明抄』は「一人して聞くは悲しきほととぎす妹が垣根におとなはせばや」(出典未詳)と指摘。『評釈』は「夕霧の心中であるが、夕霧は、源氏の求道生活に紫の上の影を見ている。それは作者の心でもあり、読者の心でもある」と注す。 |
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2.2.3 | 「 |
「独り住みは、格別に変わったことはないが、妙に物寂しい感じがする。 深い山住みをするにも、こうして身を馴らすのは、この上なく心が澄みきることであった」などとおっしゃって、「女房よ、こちらに、お菓子などを差し上げよ。 男たちを召し寄せるのも大げさな感じである」などとおっしゃる。 |
「独身生活というものは、私一人が経験しているものでもないが、怪しいほど寂しいものだ。山へはいってしまう前にこうして習慣をつけておくことは非常によいことだと思う」などと院はお言いになって、「女房たち、ここへ菓子でも出すがよい。男たちに命じるほどのことでもないから」などとも気をつけておいでになった。 |
【独り住みは】- 以下「わざなり」まで、源氏の詞。 【女房、ここに、くだものなど参らせよ】- 以下「ほどなり」まで、源氏の詞。「参らせよ」は夕霧を意識した敬語の使いかた。 |
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2.2.4 | 「ほのかに ましてことわりぞかし」と、 |
心中には、ただ空を眺めていらっしゃるご様子が、どこまでもおいたわしいので、「こんなにまでお忘れになれないのでは、ご勤行にもお心をお澄しになることも難しいのでないか」と、拝見なさる。 「かすかに見た御面影でさえ忘れ難い。 まして無理もないことだ」と、思っていらっしゃった。 |
夕霧は空をおながめになる院の寂しい御表情を見ていて、こんなふうにいつまでもいつまでも故人を悲しんでおいでになっては、出家をされても透徹した信仰におはいりになることはむずかしくはないかと思っていた。ほのかな |
【心には、ただ空を眺めたまふ】- 以下「ことかたくや」まで、夕霧の源氏を見ての感想。「心には」は源氏の心中には、の意。『休聞抄』は「大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとに眺めらるらむ」(古今集恋四、七四三、酒井人真)を指摘。 【ほのかに見し御面影だに忘れがたし。ましてことわりぞかし】- 夕霧の心中。 |
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第三段 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ |
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2.3.1 | 「昨日今日と思っておりましたうちに、ご一周忌もだんだん近くなってまいりました。 どのようにあそばすお積もりでいらっしゃいましょうか」 |
「昨日か今日のことのように思っておりますうちに御一周忌にももう近づいてまいります。御法事はどんなふうにあそばすおつもりでございますか」 |
【昨日今日と】- 以下「思しめすらむ」まで、夕霧の詞。 |
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2.3.2 | と |
とお尋ね申し上げなさると、 |
と大将が言うと、 |
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2.3.3 | 「何ほども、世間並み以上のことをしようとは思わない。 あの望んでおかれた極楽の曼陀羅など、今回は供養しよう。 経などもたくさんあったが、某僧都が、すべてその事情を詳しく聞きおいたそうだから、それに加えてしなければならない事柄も、あの僧都が言うことに従って催そう」などとおっしゃる。 |
「何も普通と違ったことをしようと思っていない。女王が作らせたままになっている極楽の |
【何ばかり、世の常ならぬ】- 以下「ものすべき」まで、源氏の返事。 【かはものせむ】- 反語表現。 |
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2.3.4 | 「このようなことは、ご生前から特別にお考え置きになっていたことは、来世のため安心なことですが、この世にはかりそめのご縁であったとお思いなりますのは、お形見と言えるようにお残し申されるお子様さえいらっしゃなかったのが、残念なことでございます」 |
「御自身の御法要についてのことまでもお |
【かやうのこと】- 以下「口惜しうはべれ」まで、夕霧の詞。 【見たまふには】- 『集成』は「今生では、縁薄くて短いご生涯でいらっしゃったと思いますにつけては。鈴木朖の『玉小櫛補遺』に言うように「見たまふるには」とありたいところ」と注する。『完訳』は「本文のままでは源氏が主語。「見たまふるには」と謙譲語の誤りとして、夕霧と解すべきか」と注す。『新大系』は「底本「み給」の「み」は「見」の変体仮名だから「見え給ふ」とも読めるか」と注している。諸本異同ナシ。よって、源氏として解す。 【口惜しうはべれ】- 大島本は「くちおしう侍れ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりけれ」と過去助動詞「けり」の付いた形に校訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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2.3.5 | と |
と申し上げなさると、 |
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2.3.6 | 「それは、縁浅からず、寿命の長い人びとでも、そのようなことはだいたいが少なかった。 自分自身の拙さなのだ。 そなたこそ、家門を広げなさい」などとおっしゃる。 |
「しかし子は早く死なずに現存している妻のほうにも少なかったのだからね。私自身が子は少なくしか持てない宿命だったのだろう。あなたによって子孫を広げてもらえばいい」などと院はお言いになるのであって、 |
【それは、仮ならず】- 大島本は「それはかりならす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かりそめならず」と「そめ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。以下「門は広げたまはめ」まで、源氏の詞。『完訳』は「紫の上以外の女君にも子供が少なく、わが宿世のつたなさを悔やむ気持」と注す。 |
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2.3.7 | どのような事につけても、堪えきれないお心の弱さが恥ずかしくて、過ぎ去ったことをたいして口にお出しにならないが、待っていた時鳥がかすかにちょっと鳴いたのも、「どのようにして知ってか」と、聞く人は落ち着かない。 |
何につけても忍びがたい悲しみの外へ誘い出されることをお恐れになり、故人のこともあまりお話しにならぬうちに、「いにしへのこと語らへば |
【何ごとにつけても】- 『完訳』は「以下、源氏の所懐」と注す。 【御心弱さのつつましくて】- 『集成』は「お心の弱さが恥ずかしくて」。『完訳』は「お心弱さをひけめにお感じになるので」と訳す。 【山ほととぎす】- 大島本は「山ほとゝきす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ほととぎす」と「山」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 【いかに知りてか」と】- 『源氏釈』は「いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする」(古今六帖五、物語)を指摘。 【聞く人ただならず】- 『完訳』は「源氏のこと」と注す。敬語抜きの客観的叙述。 |
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2.3.8 | 「亡き人を偲ぶ今宵の村雨に 濡れて来たのか、 |
【亡き人を偲ぶる宵の村雨に--濡れてや来つる山ほととぎす】- 源氏の詠歌。『完訳』は「前の引歌(「いかに知りてか」)をとらえ返す発想。ほととぎすは現世と冥土を往来する鳥。それを濡らす「むら雨」に、故人を思う源氏の涙を象徴」と注す。『評釈』は「大空は恋しき人の形見かはもの思ふごとに眺めらるらむ」(古今集恋四、七四三、酒井人真)を指摘。 |
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2.3.9 | とて、いとど |
と言って、ますます空を眺めなさる。 大将、 |
前よりもいっそう悲しいまなざしで空を院はおながめになった。夕霧は、 |
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2.3.10 | 「時鳥よ、 あなたに言伝てしたい古里の橘 |
古さとの花 |
【ほととぎす君につてなむふるさとの--花橘は今ぞ盛りと】- 夕霧の唱和歌。「君」は紫の上をさす。『休聞抄』は「亡き人の宿に通はばほととぎすかけてねにのみ鳴くと告げなむ」(古今集哀傷、八五五、読人しらず)。『源氏物語事典』は「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集夏、一三九、読人しらず)を指摘。 |
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2.3.11 | 女房なども、たくさん詠んだが、省略した。 大将の君は、そのままお泊まりになる。 寂しいお独り寝がおいたわしいので、時々このように伺候なさるが、生きていらっしゃった当時は、とても近づきにくかったご座所の近辺に、たいして遠く離れていないことなどにつけても、思い出される事柄が多かった。 |
と歌った。この時に女房たちもそれぞれ歌を |
【女房など、多く言ひ集めたれど、とどめつ】- 『細流抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「例の作者の省筆の技法」と注す。 【大将の君は、やがて御宿直にさぶらひたまふ】- 夕霧はそのまま六条院の源氏のもとに宿直伺候する。 【おはせし世は】- 紫の上の在世中は。 【ことも多かり】- 大島本は「こともおほかり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことども」と「ど」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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第四段 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ |
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2.4.1 | いと ひぐらしの |
たいそう暑いころ、涼しい所で物思いに耽っていらっしゃる折、池の蓮の花が盛りなのを御覧になると、「なんと多い涙か」などと、何より先に思い出されるので、茫然として、つくねんとしていらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。 蜩の声がにぎやかなので、御前の撫子が夕日に映えた様子を、独りだけで御覧になるのは、本当に甲斐のないことであった。 |
暑いころに涼しい |
【いと暑きころ】- 『集成』は「盛夏。旧暦六月である」と注す。梅雨が明けて暑い日々となる。 【いかに多かる」など】- 『源氏釈』は「悲しさぞまさりにまさる人の身にいかに多かる涙なるらむ」(古今六帖四、悲しび、伊勢)を指摘。 【ひぐらしの声はなやかなるに、御前の撫子の夕映えを】- 『異本紫明抄』は「我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影の大和撫子」(古今集秋上、二四四、素性法師)。『大系』は「ひぐらしの鳴く夕暮ぞ憂かりけるいつもつきせぬ思ひなれども」(藤原長能集)を指摘。 |
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2.4.2 | 「することもなく涙とともに日を送っている夏の日を わたしのせいみたいに鳴いている蜩の声だ」 |
つれづれとわが泣き暮らす夏の日を かごとがましき虫の声かな |
【つれづれとわが泣き暮らす夏の日を--かことがましき虫の声かな】- 源氏の独詠歌。 |
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2.4.3 | 螢がとても数多く飛び交っているのも、「夕べの殿に螢が飛んで」と、いつもの、古い詩もこうした方面にばかり口馴れていらっしゃった。 |
【夕殿に蛍飛んで」と】- 『源氏釈』は「夕殿に蛍飛んで思ひ悄然たり」(白氏文集・長恨歌、和漢朗詠集)を指摘。 |
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2.4.4 | 「夜になったことを知って光る螢を見ても悲しいのは 昼夜となく燃える亡き人を恋うる思いであった」 |
夜を知る蛍を見ても悲しきは 時ぞともなき思ひなりけり |
【夜を知る蛍を見ても悲しきは--時ぞともなき思ひなりけり】- 源氏の独詠歌。『河海抄』は「蒹葭水暗うして蛍夜を知る楊柳風高うして雁秋を送る」(和漢朗詠集、蛍、許渾)を指摘。 |
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第三章 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語 |
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第一段 紫の上の一周忌法要 |
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3.1.1 | 七月七日も、いつもと変わったことが多く、管弦のお遊びなどもなさらず、何もせずに一日中物思いに耽ってお過ごしになって、星合の空を見る人もいない。 まだ夜は深く、独りお起きになって、妻戸を押し開けなさると、前栽の露がとてもびっしょりと置いて、渡殿の戸から通して見渡されるので、お出になって、 |
七月七日も例年に変わった |
【七月七日も】- 季節は初秋に移る。七夕の節句。詩歌を作り管弦の遊びをするのが習わし。 【星逢ひ】- 大島本「星逢」と表記。牽牛星と織姫星とが逢うこと。 【前栽の露いとしげく】- 『河海抄』は「置くつゆを別れし君と思ひつつ朝な朝なぞ悲しかりける」(古今六帖一、露)を指摘。 |
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3.1.2 | 「七夕の逢瀬は雲の上の別世界のことと見て その後朝の別れの庭の露に悲しみの涙を添えることよ」 |
七夕の 別れの庭の露ぞ置き添ふ |
【七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て--別れの庭に露ぞおきそふ】- 源氏の独詠歌。『完訳』は「「わかれの庭」は、二星の別れる明け方の庭。紫の上との死別を思い、八日未明の庭に落涙する意」と注す。 |
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3.1.3 | 風の音までがたまらないものになってゆくころ、御法事の準備で、上旬ころは気が紛れるようである。 「今まで生きて来た月日よ」とお思いになるにつけても、あきれる思いで暮らしていらっしゃる。 |
こう口ずさんでおいでになった。秋風らしい風の吹き始めるころからは法事の |
【風の音さへただならず】- 『河海抄』は「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下風」(藤原義孝集、和漢朗詠集上、二二九)を指摘。 【ついたちころは】- 八月の上旬ころ。 【今まで経にける月日よ」と思す】- 『源氏釈』は「人の身もならはし物をいままでにかくてもへぬる物にそ有りける」(出典未詳)。『源注拾遺』は「人の身もならはしものを逢はずしていざ試みむ恋ひや死ぬると」(古今集恋一、五一八、読人しらず)「身を憂しと思ふにに消えぬものなればかくても経ぬる世にこそありけれ」(古今集恋五、八〇六、読人しらず)を指摘。 |
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3.1.4 | 御命日には、上下の人びとがみな精進して、あの曼陀羅などを、今日ご供養あそばす。 いつもの宵のご勤行に、御手水を差し上げる中将の君の扇に、 |
命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、 |
【供養ぜさせたまふ】- 「サ変動詞が直接付くときは、「くやうず」と濁って読まれる習慣があるが、根拠は確かでない」(例解古語辞典)。 【御手水など】- 大島本は「御てうつなと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御手水」と「など」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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3.1.5 | 「ご主人様を慕う涙は際限もないものですが 今日は何の果ての日と言うのでしょう」 |
君恋ふる涙ははてもなきものを 今日をば何のはてといふらん |
【君恋ふる涙は際もなきものを--今日をば何の果てといふらむ】- 中将の君の詠歌。「君」は故紫の上。「果て」は一周忌をさす。『異本紫明抄』は「我が身には悲しきことのつきせねば昨日を果てと思はざりけり」(後拾遺集哀傷、江侍従)を指摘。 |
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3.1.6 | と |
と書きつけてあるのを、手に取って御覧になって、 |
と書かれてあったのを、手に取ってお読みになってから、院がまたその横へ、 |
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3.1.7 | 「人を恋い慕うわが余命も少なくなったが 残り多い涙であることよ」 |
人恋ふるわが身も末になりゆけど 残り多かる涙なりけり |
【人恋ふるわが身も末になりゆけど--残り多かる涙なりけり】- 源氏の中将の君への返歌。「恋ふる」「涙」をそのまま用い、「君」は「人」、「果て」は「残り」と言い換えて返す。 |
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3.1.8 | と、 |
と、書き加えなさる。 |
とお書き添えになった。 |
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3.1.9 | 九月になって、九日、綿被いした菊を御覧になって、 |
九月になり |
【九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて】- 季節は晩秋九月に推移。九日、重陽の節句を迎える。 |
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3.1.10 | 「一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も 今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ」 |
もろともにおきゐし菊の朝露も ひとり |
【もろともにおきゐし菊の白露も--一人袂にかかる秋かな】- 大島本は「しら露」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「朝露」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。源氏の独詠歌。「置き」「起き」の掛詞。「露」は「涙」を暗示する。『奥入』は「明くるまで起きゐる菊の白露は仮の世を思ふ涙なるべし」(古今六帖一)。『孟津抄』は「もろともに起きゐし秋の露ばかりかからむものと思ひかけきや」(後撰集哀傷、一四〇九、玄上朝臣女)を指摘。 |
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第二段 源氏、出家を決意 |
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3.2.1 | 神無月には、一般に時雨がちなころとて、ますます物思いに沈みなさって、夕暮の空の様子にも、何ともいえない心細さゆえ、「いつも時雨は降ったが」と独り口ずさんでいらっしゃる。 雲居を渡ってゆく雁の翼も、羨ましく見つめられなさる。 |
十月は |
【神無月には、おほかたも時雨がちなるころ】- 大島本は「神無月にハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「神無月は」と「に」を削除する。『新大系』は底本のままとする。季節は初冬、十月の時雨の多い頃に推移する。 【夕暮の空のけしきも】- 大島本は「空のけしきも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「空のけしきにも」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【降りしかど」と】- 『源氏釈』は「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひづる折はなかりき」(出典未詳)。『大系』は「神無月いつも時雨は悲しきを子恋ひの森はいかが見るらむ」(為頼集)を指摘。 【雲居を渡る雁の翼も、うらやましくまぼられたまふ】- 大島本は「まほられ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「まもられ」と整定する。『新大系』は底本のままとする。『異本紫明抄』は「天の原わきて鳴くなる雁がねは故郷訪ね帰るなるべし」(能宣集)を指摘。 |
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3.2.2 | 「大空を飛びゆく幻術士よ、 夢の中にさえ現れない亡き人の魂の行く |
大空を通ふまぼろし夢にだに 見えこぬ |
【大空をかよふ幻夢にだに--見えこぬ魂の行方たづねよ】- 源氏の独詠歌。 |
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3.2.3 | どのような事につけても、気の紛れることのないばかりで、月日につれて悲しく思わずにはいらっしゃれない。 |
何によっても慰められぬ月日がたっていくにしたがい、院のお悲しみは深くばかりになった。 |
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3.2.4 | 五節などといって、世の中がどことなくはなやかに浮き立っているころ、大将殿のご子息たち、童殿上なさって参上なさった。 同じくらいの年齢で、二人とてもかわいらしい姿である。 御叔父の頭中将や、蔵人少将などは、小忌衣で、青摺の姿がさっぱりして感じよくて、みな引き続いて、お世話しながら一緒に参上なさる。 何の物思いもなさそうな様子を御覧になると、昔、心ときめくことのあった五節の折、何といってもお思い出されるであろう。 |
【五節などいひて、世の中そこはかとなく今めかしげなるころ】- 季節は十一月中旬へと推移。 【童殿上したまへる率て参りたまへり】- 大島本は「し給へるいて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「したまひて」と「いて」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 【御叔父の頭中将、蔵人少将など】- 雲居雁の兄弟たち。 【小忌にて、青摺の姿ども】- 小忌衣の青摺の衣裳姿。 【いにしへ、あやしかりし日蔭の折、さすがに思し出でらるべし】- 語り手の源氏の心中を推測した叙述。筑紫の五節舞姫に逢ったことは「花散里」「須磨」「明石」「少女」の諸巻に回想されている。 |
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3.2.5 | 「宮人が豊明の節会に夢中になっている今日 わたしは日の光も知らないで暮らしてしまったな」 |
宮人は 日かげも知らで暮らしつるかな |
【宮人は豊明といそぐ今日--日影も知らで暮らしつるかな】- 大島本は「とよのあかりと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「豊明に」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。源氏の独詠歌。「日光(ひかげ)」と「日蔭の蔓」の掛詞。『完訳』は「華麗な儀に入り込めぬ孤独を詠む」。 |
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3.2.6 | 「 やうやうさるべきことども、 |
「今年をこうしてひっそりと過ごして来たので、これまで」と、ご出家なさるべき時を近々にご予定なさるにつけ、しみじみとした悲しみ、尽きない。 だんだんとしかるべき事柄を、ご心中にお思い続けなさって、伺候する女房たちにも、身分身分に応じて、お形見分けなど、大げさに、これを最後とはなさらないが、近く伺候する女房たちは、ご出家の本願をお遂げになる様子だと拝見するにつれて、年が暮れてゆくのも心細く、悲しい気持ちは限りがない。 |
今年をこんなふうに隠忍してお通しになった院は、もう次の春になれば出家を実現させてよいわけであるとその用意を少しずつ始めようとされるのであったが、物哀れなお気持ちばかりがされた。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて物を与えておいでになるのであった。目だつほどに今日までの御生活に区切りをつけるようなことにはしてお見せにならないのであるが、近くお仕えする人たちには、院が出家の実行を期しておいでになることがうかがえて、今年の終わってしまうことを非常に心細くだれも思った。 |
【今年をばかくて忍び過ぐしつれば、今は」と、世を去りたまふべきほど近く思しまうくるに】- 『集成』は「今年一年をこうして出家を我慢して過したので、もういよいよ俗世をお捨てになる時期が近づいたとお心積りなさるにつけ」。『完訳』「傷心に堪えて一歳を過した。出家を留保してきたことをさす」「今年一年間はこうして悲しみをこらえて過してきたのだから、いよいよ俗世をお捨てになる時期が近づいたことを覚悟なさるにつけても」と注す。いずれも地の文に解すが、「今年をば」から「今は」は源氏の心中文、源氏の思惟過程であろう。「世を去り給ふべきほど近く思しまうくるに」は地の文。「近く思しまうくる」は「近くに思しまうくる」の意であろう。 |
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第三段 源氏、手紙を焼く |
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3.3.1 | 後に残っては見苦しいような女の人からのお手紙は、破っては惜しい、とお思いになってか、少しずつ残していらっしゃったのを、何かの機会に御覧になって、破り捨てさせなさるなどすると、あの須磨にいたころ、あちらこちらから差し上げさせなさったものもある中で、あの方のご筆跡の手紙は、特別に一つに結んであったのであった。 |
人の目については不都合であるとお思いになった古い恋愛関係の手紙類をなお破るのは惜しい気があそばされたのか、だれのも少しずつ残してお置きになったのを、何かの時にお見つけになり破らせなどして、また改めて始末をしにおかかりになったのであるが、 |
【かたはなるべき人の御文ども、破れば惜し、と】- 『異本紫明抄』は「破れば惜し破らねば人に見えぬべし泣くなくもなほ返すまされり」(後撰集雑二、一一四四、元良親王)を指摘。 【たてまつれたまひける】- 大島本は「たてまつれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「奉り」と校訂する『新大系』は底本のままとする。 【かの御手なるは】- 紫の上の筆跡。手紙。 |
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3.3.2 | みづからしおきたまひけることなれど、「 |
ご自身でなさっておいたことだが、「遠い昔のことになった」とお思いになるが、たった今書いたような墨跡などが、「なるほど千年の形見にできそうだが、見ることもなくなってしまうものよ」とお思いになると、何にもならないので、気心の知れた女房、二、三人ほどに、御前で破らせなさる。 |
御自身がしてお置きになったのであるが、古い昔のことであったと前の世のことのようにお思われになりながらも、中をあけてお読みになると、今書かれたもののように、夫人の墨の跡が生き生きとしていた。これは永久に形見として見るによいものであると |
【久しうなりける世のこと】- 大島本は「なりける」とある。『集成』『完本』は底本に従って「なりにける」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【千年の形見にしつべかりけるを】- 『異本紫明抄』は「書きつくる跡は千歳もありぬべし忘れず偲ぶ人やなからむ」(出典未詳)「かひなしと思ひなけちそ水茎の跡ぞ千歳の形見ともなる」(古今六帖五、文)を指摘。後者の和歌が引歌として指摘されている。 【見ずなりぬべきよ」と思せば、かひなくて】- 『集成』は「(出家すれば)こういうものを見ることもなくなうであろうよ、とお思いになると、残しておくかいもなくて」と訳す。 |
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3.3.3 | いと、かからぬほどのことにてだに、 |
ほんとうに、このようなことでなくさえ、亡くなった人の筆跡と思うと胸が痛くなるのに、ましてますます涙にくれて、どれがどれとも見分けられないほど、流れ出るお涙の跡が文字の上を流れるのを、女房もあまりに意気地がないと拝見するにちがいないのが、見ていられなく体裁悪いので、手紙を押しやりなさって、 |
こんな場合でなくても、 |
【御涙の水茎に流れ添ふを】- 『河海抄』は「黄壌なんぞ我を知らん白頭にして徒に君を憶ふ唯だ老年の涙を将つて一たび故人の文に灑ぐ」(白氏文集巻第五十一・和漢朗詠集、懐旧)を指摘。 |
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3.3.4 | 「死出の山を越えてしまった人を恋い慕って行こうとして その跡を見ながらもやはり悲しみにくれまどうことだ」 |
死出の山越えにし人を慕ふとて 跡を見つつもなほまどふかな |
【死出の山越えにし人を慕ふとて--跡を見つつもなほ惑ふかな】- 源氏の独詠歌。『河海抄』は「死出の山ふもとを見てぞ帰りにしつらき人よりまづ越えじとも」(古今集恋五、七八九、兵衛)「死出の山越えて来つらむ時鳥恋しき人の上語らなむ」(拾遺集哀傷、一三〇七、伊勢)「いにしへの跡を見つつも惑ひしを今行く末をいかにせよとぞ」(宇津保物語、菊の宴)を指摘。 |
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3.3.5 | さぶらふ この いとうたて、 |
伺候する女房たちも、まともには広げられないが、その筆跡とわずかに分かるので、心動かされることも並々でない。 この世にありながらそう遠くでなかったお別れの間中を、ひどく悲しいとお思いのままお書きになった和歌、なるほどその時よりも堪えがたい悲しみは、慰めようもない。 まことに情けなく、もう一段とお心まどいも、女々しく体裁悪くなってしまいそうなので、よくも御覧にならず、心をこめてお書きになっている側に、 |
と仰せられた。女房たちも御遠慮がされてくわしく読むことはできないのであったが、端々の文字の少しずつわかっていくだけさえも非常に悲しかった。同じ世にいて、近い所に別れ別れになっている悲しみを、実感のままに書かれてある故人の文章が、その当時以上に今のお心を打つのは道理なことである。こんなにめめしく悲しんで自分は見苦しいとお思いになって、よくもお読みにならないで長く書かれた女王の手紙の横に、 |
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3.3.6 | 「かき集めて見るのも甲斐がない、 この手紙も本人と同じく雲居の煙と |
かきつめて見るもかひなし 同じ雲井の煙とをなれ |
【かきつめて見るもかひなし藻塩草--同じ雲居の煙とをなれ】- 源氏の独詠歌。「藻塩草」は手紙を譬喩する。「煙」と縁語。 |
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3.3.7 | と書きつけて、みなお焼かせになる。 |
とお書きになって、それも皆焼かせておしまいになった。 |
【皆焼かせたまふ】- 大島本は「やかせ給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「焼かせたまひつ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 |
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第四段 源氏、出家の準備 |
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3.4.1 | 「御仏名も、今年限りだ」とお思いになればであろうか、例年よりも格別に、錫杖の声々などがしみじみと思われなさる。 行く末長い将来を請い願うのも、仏が何とお聞きになろうかと、耳が痛い。 |
仏名の僧を迎える行事も今年きりのことであるとお思いになると、僧の |
【御仏名も、今年ばかりにこそは】- 源氏の心中。十二月十九日から三日間行われる。年もいよいよ押し詰まった。 【思せばにや】- 係助詞「や」疑問の意。語り手の源氏心中の推測を挿入。 【かたはらいたし】- 『完訳』は「出家を志す身に対して、長寿を祈願することになるから」と注す。語り手の批評の語句。 |
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3.4.2 | 雪がたいそう降って、たくさん積もった。 導師が退出するのを、御前にお召しになって、盃など、平常の作法よりも格別になさって、特に禄などを下賜なさる。 長年久しく参上し、朝廷にもお仕えして、よくご存知になられている御導師が、頭はだんだん白髪に変わって伺候しているのも、しみじみとお思われなさる。 いつもの、親王たち、上達部などが、大勢参上なさった。 |
雪が大降りになって厚く積もった。帰ろうとする導師を院は御前へお呼びになって、杯を賜わったりすることなども普通の仏名式の日以上の手厚いおねぎらいであった。 |
【頭はやうやう色変はりてさぶらふも】- 『岷江入楚』は「香火一炉燈一盞白頭にしては夜仏名経を礼す」(白氏文集巻六十八・和漢朗詠集、仏名)を指摘。 |
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3.4.3 | 梅の花が、わずかにほころびはじめて雪に引き立てられているのが、美しいので、音楽のお遊びなどもあるはずなのだが、やはり今年までは、楽の音にもむせび泣きしてしまいそうな気がなさるので、折に合うものを、口ずさむ程度におさせなさる。 |
梅の花の少し花らしく顔を上げ出したのが、雪の中にきわだって美しく見える日であったから、音楽の遊びもあってしかるべきなのであるが、本年中はなお |
【梅の花の、わづかにけしきばみはじめて雪にもてはやされたるほど】- 大島本は「けしきはミハしめて雪にもてはやされたるほと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「気色ばみはじめて」と「雪にもてはやされたるほと」を削除する。『新大系』は底本のままとする。雪の降りかかった梅の蕾が綻び始める。 |
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3.4.4 | そう言えば、導師にお盃を賜る時に、 |
導師へ院が杯をおさしになった時のお歌は、 |
【まことや】- 『一葉抄』は「双紙詞」と指摘。 |
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3.4.5 | 「春までの命もあるかどうか分からないから 雪の中に色づいた紅梅を今日は插頭にしよう」 |
春までの命も知らず雪のうちに 色づく梅を今日かざしてん |
【春までの命も知らず雪のうちに--色づく梅を今日かざしてむ】- 源氏の詠歌。『源注拾遺』は「雪深き山路に何にかへるらむ春待つ花のかげにとまらで」(拾遺集冬、二五九、能宣)を指摘。 |
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3.4.6 | お返事は、 |
というのであって、お返し、 |
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3.4.7 | 「千代の春を見るべくあなたの長寿を祈りおきましたが わが身は降る雪とともに年ふりました」 |
千代の春見るべきものと祈りおきて わが身ぞ雪とともにふりぬる |
【千世の春見るべき花と祈りおきて--わが身ぞ雪とともにふりぬる】- 導師の返歌。源氏を「花」と見立て、その長命を祈る。「降り」「古り」の掛詞。 |
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3.4.8 | 人々も数多く詠みおいたが、省略した。 |
参会者の作も多かったが省いておく。 |
【人びと多く詠みおきたれど、もらしつ】- 『紹巴抄』は「双也」と指摘。語り手の省筆の弁。 |
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3.4.9 | この日、初めて人前にお出になった。 ご器量、昔のご威光にもまた一段と増して、素晴らしく見事にお見えになるのを、この年とった老齢の僧は、無性に涙を抑えられないのであった。 |
院の御 |
【その日ぞ、出でたまへる】- 大島本は「いてたまへる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出でゐたまへる」と「ゐ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。この仏名の日に、源氏は、紫の上薨去以来初めて人前に姿を現した。『一葉抄』は「双紙の詞也」と指摘。 |
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3.4.10 | 年が暮れてしまったとお思いになるにつけ、心細いので、若宮が、 |
今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、 |
【若宮の】- 匂宮。 |
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3.4.11 | 「追儺をするのに、高い音を立てるには、どうしたらよいでしょう」 |
「 |
【儺やらはむに】- 以下「何わざをせさせむ」まで、匂宮の詞。追儺は大晦日の行事。源氏の退場と引き替えに若々しく無邪気な匂宮を点描。 |
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3.4.12 | と、 |
と言って、走り回っていらっしゃるのも、「かわいいご様子を見なくなることだ」と、何につけ堪えがたい。 |
などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。 |
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3.4.13 | 「物思いしながら過ごし月日のたつのも知らない間に 今年も自分の寿命も今日が最後になったか」 |
物 年もわが世も今日や尽きぬる |
【もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに--年もわが世も今日や尽きぬる】- 源氏、物語中の最後の詠歌。辞世の歌。『河海抄」は「もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに今年は今日に果てぬかと聞く」(後撰集冬、三〇七、藤原敦忠)を指摘。 |
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3.4.14 | 元日の日のことを、「例年より格別に」と、お命じあそばす。 親王方、大臣への御引出物や、人々への禄などを、またとなくご用意なさって、とあった。 |
元日の参賀の客のためにことにはなやかな |
【朔日のほどのこと、「常よりことなるべく】- 源氏の詞。間接話法であろう。 【何となう思しまうけて、とぞ】- 大島本は「なにとなう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「二なく」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。『集成』は「作者が聞いた話を、読者に語り伝えるという形式の語」、『新大系』は「筆記する者が伝聞内容を読者に伝える、という趣向の物語の締めくくり」と注す。 |
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