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Last updated 11/22/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)

  

初音

光る源氏の太政大臣時代三十六歳の新春正月の物語

 [主要登場人物]

 光る源氏<ひかるげんじ>
呼称---大臣の君・大臣・殿、三十六歳
 夕霧<ゆうぎり>
呼称---殿の中将の君・中将の君・中将、光る源氏の長男
 紫の上<むらさきのうえ>
呼称---上、源氏の正妻
 玉鬘<たまかづら>
呼称---西の対の姫君、内大臣の娘
 内大臣<ないだいじん>
呼称---内の大臣
 花散里<はなちるさと>
呼称---花散里
 明石の御方<あかしのおほんかた>
呼称---明石の御方・北のおとど
 末摘花<すえつむはな>
呼称---常陸宮の御方の娘
 冷泉帝<れいぜいてい>
呼称---内裏

第一章 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち

  1. 春の御殿の紫の上の周辺---年立ちかへる朝の空のけしき
  2. 明石姫君、実母と和歌を贈答---姫君の御方に渡りたまへれば
  3. 夏の御殿の花散里を訪問---夏の御住まひを見たまへば
  4. 続いて玉鬘を訪問---まだいたくも住み馴れたまはぬ
  5. 冬の御殿の明石御方に泊まる---暮れ方になるほどに、明石の御方に
  6. 六条院の正月二日の臨時客---今日は、臨時客のことに紛らはしてぞ
第二章 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語
  1. 二条東院の末摘花を訪問---かうののしる馬車の音を
  2. 続いて空蝉を訪問---空蝉の尼衣にも、さしのぞきたまへり
第三章 光る源氏の物語 男踏歌
  1. 男踏歌、六条院に回り来る---今年は男踏歌あり
  2. 源氏、踏歌の後宴を計画す---夜明け果てぬれば

【出典】
【校訂】

 

第一章 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち

 [第一段 春の御殿の紫の上の周辺]

 年立ちかへるの空のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根うちだに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いとど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたまへる御方々のありさままねびたてむも言の葉足るまじくなむ。

 春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、やすらかに住みなしたまへり。さぶらふ人びとも、若やかにすぐれたるは、姫君の御方にと選りたまひて、すこし大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束ありさまよりはじめて、めやすくてつけて、ここかしこに群れゐつつ、歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、千年の蔭しるき年のうちの祝ひ事どもして、そぼれあへるに、大臣の君さしのぞきたまへれば、懐手ひきなほしつつ、「いとはしたなきわざかな」と、わびあへり。

 「いとしたたかなるみづからの祝ひ事どもかな皆おのおの思ふことの道々あらむかし。すこし聞かせよや。われことぶきせむ」

 とうち笑ひたまへる御ありさまを年のはじめの栄えに見たてまつる。われはと思ひあがれる中将の君ぞ、

 「『かねてぞ見ゆるなどこそ、鏡の影にも語らひはんべりつれ。私の祈りは、何ばかりのことをか」

 など聞こゆ。

 朝のほどは人びと参り混みて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、御方々の参座したまはむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じたまふ御影こそ、げに見るかひあめれ。

 「今朝、この人びとの戯れ交はしつる、いとうらやましく見えつるを、上にはわれ見せたてまつらむ」

 とて、乱れたる事どもすこしうち混ぜつつ、祝ひきこえたまふ。

 「薄氷解けぬる池の鏡には
  世に曇りなき影ぞ並べる」

 げに、めでたき御あはひどもなり。

 「曇りなき池の鏡によろづ代を
  すむべき影ぞしるく見えける」

 何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞こえ交はしたまふ。今日は子の日なりけり。げに、千年の春をかけてはむに、ことわりなる日なり。

 [第二段 明石姫君、実母と和歌を贈答]

 姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。えならぬ五葉の枝に移る鴬も、思ふ心あらむかし。

 「年月を松にひかれてる人に
  今日鴬の初音聞かせよ
 『音せぬ里の

 と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。

 「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」

 とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「罪得がましう、心苦し」と思す。

 「ひき別れ年は経れども鴬の
  巣立ちし松の根を忘れめや」

 幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。

 [第三段 夏の御殿の花散里を訪問]

 夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなくて、あてやかに住みたるけはひ見えわたる。
 年月に添へて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲なり。今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。いと睦ましくありがたからむ妹背の契りばかり、聞こえはしたまふ。御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。

 「縹は、げに、にほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらぬと、葡萄鬘してぞつくろひたまふべき。我ならざらむ人は、見醒めしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ。心軽き人の列にて、われに背きたまひなましかば」など、御対面の折々は、まづ、「わが心の長きも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり」

 と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞こえたまひて、西の対へ渡りたまひぬ。

 [第四段 続いて玉鬘を訪問]

 まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童女の姿なまめかしく、人影あまたして、御しつらひ、あるべき限りなれど、こまやかなる御調度は、いとしも調へたまはぬを、さる方にものきよげに住みなしたまへり。

 正身も、あなをかしげと、ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、髪の裾すこし細りて、さはらかにかかれるしも、いとものきよげに、ここかしこいとけざやかなるさましたまへるを、「かくて見ざらましかば」と思すにつけても、えしも見過ぐしたまふまじ。

 かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、いとをかし。

 「年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、本意かなひぬるを、つつみなくもてなしたまひて、あなたなどにも渡りたまへかし。いはけなき初琴習ふ人もあめるを、もろともに聞きならしたまへ。うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」

 と聞こえたまへば、

 「のたまはせむままにこそは」

 と聞こえたまふ。さもあることぞかし。

 [第五段 冬の御殿の明石御方に泊まる]

 暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。近き渡殿の戸押し開くるより、御簾のうちの追風なまめかしく吹き匂はして、ものよりことに気高く思さる。正身は見えず。いづらと見まはしたまふに、硯のあたりにぎははしく、草子どもなど取り散らしたるなど取りつつ見たまふ。唐の東京錦のことことしき端さしたる茵に、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、侍従をゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いと艶なり。手習どもの乱れうちとけたるも、筋変はり、ゆゑある書きざまなり。ことことしう草がちなどにされかず、めやすく書きすましたり。

 小松の御返りを、めづらしと見けるままに、あはれなる事ども書きまぜて、

 「めづらしや花のねぐらに木づたひて
  谷の古巣を訪へる
 声待ち出でる」

 なども、
 「咲ける岡辺に家しあれば
 など、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。

 筆さし濡らして書きすさみたまふほどに、ゐざり出でて、さすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを、「なほ、人よりはことなり」と思す。白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、「新しき年の御騒がれもや」と、つつましけれど、こなたに泊りたまひぬ。「なほ、おぼえことなりかし」と、方々に心おきて思す。

 南の御殿には、ましてめざましがる人びとあり。まだ曙のほどに渡りたまひぬ。かうしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、名残もただならず、あはれに思ふ。
 待ちとりたまへるはた、なまやけしと思すべかめる心のうち、量られたまひて、

 「あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで」

 と、御けしきとりたまふもをかしく見ゆ。ことなる御いらへもなければ、わづらはしくて、そら寝をしつつ、日高く御殿籠もり起きたり。

 [第六段 六条院の正月二日の臨時客]

 今日は、臨時客ことに紛らはしてぞ、面隠したまふ。上達部、親王たちなど、例の、残りなく参りたまへり。御遊びありて、引出物、禄など、二なし。そこら集ひたまへるが、我も劣らじともてなしたまへるなかにも、すこしなずらひなるだにも見えたまはぬものかな。とり放ちては、いと有職多くものしたまふころなれど、御前にては気圧されたまふも、悪しかし。何の数ならぬ下部どもなどだに、この院に参る日は、心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部などは、思ふ心などのしたまひて、すずろに心懸想したまひつつ、常の年よりもことなり。

 花の香誘ふ夕風のどやかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれは誰れ時なるに、物の調べどもおもしろく、「この殿うち出でたる拍子、いとはなやかなり。大臣も時々声うち添へたまへる「さき草」の末つ方、いとなつかしくめでたく聞こゆ。何ごとも、さしいらへしたまふ御光にはやされて、色をも音をも増すけぢめ、ことになむ分かれける。

 

第二章 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語

 [第一段 二条東院の末摘花を訪問]

 かうののしる馬車の音を、もの隔ててきたまふ御方々は、蓮の中の世界に、まだ開けざらむ心地もかくやと、心やましげなり。まして、東の院に離れたまへる御方々は、年月に添へて、つれづれの数のみまされど、「世の憂きめ見えぬ山路に思ひなずらへて、つれなき人の御心をば、何とかは見たてまつりとがめむ、その他の心もとなく寂しきことはたなければ、行なひの方の人は、その紛れなく勤め、仮名のよろづの草子の学問、心に入れたまはむ人は、また願ひに従ひ、ものまめやかにはかばかしきおきてにも、ただ心の願ひに従ひたる住まひなり。騒がしき日ごろぐして渡りたまへり。

 常陸宮の御方は、人のほどあれば、心苦しく思して、人目の飾りばかりは、いとよくもてなしきこえたまふ。いにしへ、盛りと見えし御若髪も、年ごろに衰ひゆき、まして、滝の淀み恥づかしげる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向かひたまはず。

 柳は、げにこそすさまじかりけれと見ゆるも、着なしたまへる人からなるべし。光もなく黒き掻練の、さゐさゐしく張りたる一襲、さる織物の袿着たまへる、いと寒げに心苦し。襲のどは、いかにしなしたるにかあらむ。

 御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじうなやかなるに、御心にもあらずうち嘆かれたまひて、ことさらに御几帳引きつくろひ隔てたまふ。なかなか、女はさしも思したらず、今は、かくあはれに長き御心のほどを、おだしきものにうちとけ頼みきこえたまへる御さま、あはれなり。

 かかる方にも、おしなべての人ならず、いとほしく悲しき人の御さまに思せば、あはれに、我だにこそはと、御心とどめたまへるも、ありがたきぞかし。御声なども、いと寒げに、うちわななきつつ語らひきこえたまふ。見わづらひたまひて、

 「御衣どもの事ど、後見きこゆる人ははべりや。かく心やすき御住まひは、ただいとうちとけたるさまに、含みなえたるこそよけれ。うはべばかりつくろひたる御よそひは、あいなくなむ」

 と聞こえたまへば、こちごちしくさすがに笑ひたまひて、

 「醍醐の阿闍梨の君の御あつかひしはべるとて、衣どももえ縫ひはべらでなむ。皮衣をさへ取られにし後、寒くはべる」

 と聞こえたまふは、いと鼻赤き御兄なりけり。心うつくしといひながら、あまりうちとけ過ぎたりと思せど、ここにては、いとまめにきすくの人にておはす。

 「皮衣はいとよし。山伏の蓑代衣に譲りたまひてあへなむ。さて、このいたはりなき白妙の衣は、七重にも、などか重ねまはざらむ。さるべき々は、うち忘れたらむこともおどろかしたまへかし。もとよりおれおれしく、たゆき心のおこたりに。まして方々の紛らはしき競ひにも、おのづからなむ」

 とのたまひて、向かひの院の御倉開けさせたまひて、絹、綾などたてまつらせたまふ。

 荒れたる所もなけれど、住みたまはぬ所のけはひは静かにて、御前の木立ばかりぞいとおもしろく、紅梅の咲き出でたる匂ひなど、見はやす人もなきを見わたしたまひて、

 「ふるさとの春の梢に訪ね来て
  世の常ならぬ花を見るかな」

 と独りごちたまへど、聞き知りたまはざりけむかし。

 [第二段 続いて空蝉を訪問]

 空蝉の尼衣にも、さしのぞきたまへり。うけばりたるさまにはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所得させたてまつりて、行なひ勤めけるさまあはれに見えて、仏の御飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしう、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。
 青鈍の几帳、心ばへをかしきに、いたくゐ隠れて、袖口ばかりぞ色ことなるしもなつかしければ、涙ぐみたまひて、

 「『松が浦島をはるかに思ひてぞやみぬべかりける。昔より心憂かりける御契りかな。さすがにかばかりの御睦び、絶ゆまじかりけるよ」

 などのたまふ。尼君も、ものあはれなるけはひにて、

 「かかる方に頼みきこえさするしもなむ、浅くはあらず思ひたまへ知られはべりる」

 と聞こゆ。

 「つらき折々重ねて、心惑はしたまひし世の報いなどを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。思し知るや。かくいと素直にもあらぬものをと、思ひ合はせたまふこともあらじやはとなむ思ふ」

 と

たまふ。「かのあさましかりし世の古事を聞き置きたまへるなめり」と、恥づかしく、

 「かかるありさまを御覧じ果てらるるよりほかの報いは、いづくにかはべらむ」

 とて、まことにうち泣きぬ。いにしへよりももの深く恥づかしげさまさりて、かくもて離れたること、と思すしも、見放ちがたく思さるれど、はかなきことをのたまひかくべくもあらず、おほかたの昔今の物語をしたまひて、「かばかりの言ふかひだにあれかし」と、あなたを見やりたまふ。

 かやうにても、御蔭に隠れたる人びと多かり。皆さしのぞきわたしたまひて、

 「おぼつかなき日数つもる折々あれど、心のうちはおこたらずなむ。ただ限りある道の別れみこそうしろめたけれ。『命を知らぬ

 など、なつかしくのたまふ。いづれをも、ほどほどにつけてあはれと思したり。我はと思しあがりぬべき御身のほどなれど、さしもことことしくもてなしたまはず、所につけ、人のほどにつけつつ、さまざまあまねくつかしくおはしませば、ただかばかりの御心にかかりてなむ、多くの人びと年を経ける。

 

第三章 光る源氏の物語 男踏歌

 [第一段 男踏歌、六条院に回り来る]

 今年は男踏歌あり。内裏より朱雀院に参りて、次にこの院に参る。道のほど遠くなどして、夜明け方になりにけり。月の曇りなく澄みまさりて、薄雪すこし降れる庭のえならぬに、殿上人なども、物の上手多かるころほひにて、笛の音もいとおもしろう吹き立てて、この御前はことに心づかひしたり。御方々物見に渡りたまふべく、かねて御消息どもありければ、左右の対、渡殿などに、御局しつつおはさす。

 西の対の姫君は、寝殿の南の御方に渡りたまひて、こなたの姫君に御対面ありけり。上も一所におはしませば、御几帳ばかり隔てて聞こえたまふ。

 朱雀院の后の御方などめぐりけるほどに、夜もやうやう明けゆけば、水駅にてこと削がせたまふべきを、例あることより、ほかにさまことに加へて、いみじくもてはやさせたまふ。

 影すさまじき暁月夜に、雪はやうやう降り積む。松風木高く吹きおろし、ものすさまじくもありぬべきほどに、青色のなえばめるに、白襲の色あひ、何の飾りかは見ゆる。
 插頭の綿は、何の匂ひもなきものなれど、所からにやおもしろく、心ゆき、命延ぶるほどなり。
 殿の中将の君、内の大殿の君達ぞ、ことにすぐれてめやすくはなやかなる。

 ほのぼのと明けゆくに、雪やや散りて、そぞろ寒きに、「竹河謡ひて、かよれる姿、なつかしき声々の、絵にもきとどめがたからむこそ口惜しけれ。

 御方々、いづれもいづれも劣らぬ袖口ども、こぼれ出でたるこちたさ、物の色あひなども、曙の空に、春の錦ち出でにける霞のうちと見えわたさる。あやしく心のうちゆく見物にぞありける。

 さるは、高巾子離れるさま、寿詞の乱りがはしき、をこめきたることを、ことことしくとりなしたる、なかなか何ばかりのおもしろかるべき拍子もこえぬものを。例の、綿かづきわたりてまかでぬ。

 [第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す]

 夜明け果てぬれば、御方々帰りわたりたまひぬ大臣の君、すこし御殿籠もりて、日高く起きたまへり。

 「中将の声は、弁少将にをさをさ劣らざめるは。あやしう有職ども生ひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は、まことにかしこき方やすぐれたることも多かりけむ、情けだちたる筋は、このころの人にえしもまさらざりけむかし。中将などをば、すくすくしき朝廷人にしなしてむとなむ思ひおきてし、みづからのいとあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかども、なほ下にはほの好きたる筋の心をこそとどむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかり」

 など、いとうつくしと思したり。「万春楽」と、御口ずさみにのたまひて、

 「人びとのこなたに集ひたまへるついでに、いかで物の音こころみてしがな。私の後宴すべし」

 とのたまひて、御琴どもの、うるはしき袋どもして秘めおかせたまへる、皆引き出でて、おし拭ひ、ゆるべる緒、調へさせたまひなどす。御方々、心づかひいたくしつつ、心懸想尽くしたまふらむかし。

 【出典】
出典1 あらたまの年立ち返る朝より待たるるものは鴬の声(拾遺集春-五 素性法師)(戻)
出典2 野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ(拾遺集春-一九 紀貫之)(戻)
出典3 万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば(古今集賀-三五六 素性法師)(戻)
出典4 近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(古今集神遊歌-一〇八六 大伴黒主)(戻)
出典5 千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代を経む(拾遺集春-二四 大中臣能宣)(戻)
出典6 松の上に鳴く鴬の声をこそは初音の日とはいふべかりけれ(拾遺集春-二二 宮内)(戻)
出典7 今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなし(源氏釈所引、出典未詳)(戻)
出典8 梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鴬の声(古今六帖六-四三八五)(戻)
出典9 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)山風の花の香誘ふ麓には春の霞ぞほだしなりける(後撰集春中-七三 藤原興風)(戻)
出典10 この殿は もべも むべも富みけり 三枝の あはれ 三枝の はれ 三つ葉 四つ葉の中に 殿造りせりや 殿造りせりや(催馬楽-この殿は)(戻)
出典11 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)
出典12 落ちたぎつ滝の水上年積もり老いにけらしな黒き筋なし(古今集雑上-九二八 壬生忠岑)(戻)
出典13 浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな(拾遺集春-四〇 読人しらず)(戻)
出典14 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり(後撰集雑一-一〇九三 素性法師)(戻)
出典15 限りある別れのみこそ悲しけれ誰も命を空に知らねば(異本紫明抄所引、出典未詳)(戻)
出典16 長らへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身に添はりつつ(信明集-五〇)(戻)
出典17 竹河の 橋の詰めなるや 橋の詰めなるや 花園に はれ 我をば放てや 我をば放てや 少女伴へて(催馬楽-竹河)(戻)
出典18 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集春上-五六 素性法師)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 御方々のありさま--御かた/\の御まへの(御まへの/$)ありさまとも(とも/$)(戻)
校訂2 めやすく--(/+めやすく)(戻)
校訂3 どもかな--とも(も/+かな)(戻)
校訂4 御ありさまを--御(御/+あり<朱>)さま(ま/+を<朱>)(戻)
校訂5 聞こえ--き(き/+こえ)(戻)
校訂6 追風--上(上/$追<朱>)風(戻)
校訂7 侍従を--侍従(従/+を<朱>)(戻)
校訂8 などに--なと(と/+に<朱>)(戻)
校訂9 され--さえ(え/$れ<朱>)(戻)
校訂10 あはれなる--あはれ(れ/+な)る(戻)
校訂11 訪へる--とつ(つ/$へ<朱>)る(戻)
校訂12 出で--て(て/$出<朱>)(戻)
校訂13 なま--なさ(さ/$ま<朱>)(戻)
校訂14 臨時客--りひ(ひ/$む<朱>)しかく(戻)
校訂15 など--なとの(の/$<朱>)(戻)
校訂16 隔てて--へたて(て/+て)(戻)
校訂17 日ごろ--日かす(かす/$ころ<朱>)(戻)
校訂18 衣--うちき(うちき/$きぬ)(戻)
校訂19 御衣どもの事--御そ(そ/+と<朱>)もの(の/+事<朱>)(戻)
校訂20 重ね--*かね(戻)
校訂21 さるべき--さ(さ/+る)へき(戻)
校訂22 経--(/+経<朱>)(戻)
校訂23 御睦び--(/+御<朱>)むつひ(戻)
校訂24 はべり--(/+侍<朱>)(戻)
校訂25 なむ思ふ」と--なむ?(?/#)おもふたのむと(たのむと/$と<朱>)(戻)
校訂26 あまねく--(/+あ)まねく(戻)
校訂27 絵にも--ゑに(に/+も<朱>)(戻)
校訂28 うち--なか(なか/$うち)(戻)
校訂29 高巾子--かうこむ(む/#)し(戻)
校訂30 離れ--はなれ一本かうかしのいともよはなれ(一本かうかしのいともよはなれ/$<朱>)(戻)
校訂31 拍子も--ひやうしに(に/$<朱>)も(戻)
校訂32 帰りわたりたまひぬ--え(え/$<朱>)かへり(り/+わたり<朱>)給はす(はす/$ひぬ<朱>)(戻)
校訂33 うるさか--うるせ(せ/$さ<朱>)か(戻)
校訂34 心懸想--心(心/+けさう)(戻)

源氏物語の世界ヘ
ローマ字版
現代語訳
注釈
大島本
自筆本奥入