設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第二十一帖 乙女 光る源氏の太政大臣時代三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 朝顔姫君の物語 藤壺代償の恋の諦め |
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第一段 故藤壺の一周忌明ける |
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1.1.1 | 年が変わって、宮の御一周忌も過ぎたので、世の人々の喪服が平常に戻って、衣更のころなどもはなやかであるが、それ以上に賀茂祭のころは、おおよその空模様も気分がよいのに、前斎院は所在なげに物思いに耽っていらっしゃるが、庭先の桂の木の下を吹く風、慕わしく感じられるにつけても、若い女房たちは思い出されることが多いところに、大殿から、 |
春になって女院の御一周年が過ぎ、官人が喪服を脱いだのに続いて四月の更衣期になったから、はなやかな空気の満ち渡った初夏であったが、前斎院はなお寂しくつれづれな日を送っておいでになった。庭の |
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1.1.2 | 「御禊の日は、どのようにのんびりとお過ごしになりましたか」 |
源氏から、神の |
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1.1.3 | と、 |
と、お見舞い申し上げなさった。 |
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1.1.4 | 「 |
「今日は、 |
今日こんなことを思いました。 |
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1.1.5 | 思いもかけませんでした 再びあなたが禊をなさろうとは」 |
かけきやは川瀬の波もたちかへり |
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1.1.6 | 紫色の紙、立て文にきちんとして、藤の花におつけになっていた。 季節柄、感動をおぼえて、お返事がある。 |
紫の紙に書いた正しい |
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1.1.7 | 「喪服を着たのはつい昨日のことと思っておりましたのに もう今日はそれを脱ぐ禊をするとは、 |
藤衣きしは |
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1.1.8 | はかなく」 |
はかなくて」 |
はかないものと思われます。 |
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1.1.9 | とだけあるのを、例によって、お目を凝らして御覧になっていらっしゃる。 |
とだけ書かれてある手紙を、例のように源氏は熱心にながめていた。 |
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1.1.10 | 喪服をお脱ぎになるころにも、宣旨のもとに、置き所もないほど、お心づかいの品々が届けられたのを、院は見苦しいこととお思いになりお口になさるが、 |
斎院が父宮の喪の済んでお服直しをされる時も、源氏からたいした贈り物が来た。 |
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1.1.11 | 「意味ありげな、色めかしいお手紙ならば、何とか申し上げてご辞退するのですが、長年、表向きの折々のお見舞いなどはお馴れ申し上げになっていて、とても真面目な内容なので、どのように言い紛らわしてお断り申したらよいだろうか」 |
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1.1.12 | と、困っているようである。 |
女房たちは困っていた。 |
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第二段 源氏、朝顔姫君を諦める |
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1.2.1 | 女五の宮の御方にも、このように機会を逃さずお見舞い申し上げるので、とても感心して、 |
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1.2.2 | 「この君が、昨日今日までは子供と思っていましたのに、このように成人されて、お見舞いくださるとは。 容貌のとても美しいのに加えて、気立てまでが人並み以上にすぐれていらっしゃいます」 |
「源氏の君というと、いつも美しい少年が思われるのだけれど、こんなに大人らしい親切を見せてくださる。顔がきれいな上に心までも並みの人に違ってでき上がっているのだね」 |
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1.2.3 | と、ほめきこえたまふを、 |
と、お褒め申し上げるのを、若い女房たちは苦笑申し上げる。 |
とおほめになるのを、若い女房らは笑っていた。 |
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1.2.4 | こちらの方にもお目にかかりなさる時には、 |
西の女王とお逢いになる時には、 |
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1.2.5 | 「この |
「この大臣が、このように心をこめてお手紙を差し上げなさるようですが、どうしてか、今に始まった軽いお気持ちではありません。 亡くなられた宮も、その関係が違ってしまわれて、お世話申し上げることができなくなったとお嘆きになっては、考えていたことを無理にお断りになったことだなどと、おっしゃっては、後悔していらっしゃったことがよくありました。 |
「源氏の大臣から熱心に結婚が申し込まれていらっしゃるのだったら、いいじゃありませんかね、今はじめての話ではなし、ずっと以前からのことなのですからね、お |
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1.2.6 | されど、 |
けれども、故大殿の姫君がいらっしゃった間は、三の宮がお気になさるのが気の毒さに、あれこれと言葉を添えることもなかったのです。 今では、そのれっきとした奥方でいらした方まで、お亡くなりになってしまったので、ほんとに、どうしてご意向どおりになられたとしても悪くはあるまいと思われますにつけても、昔に戻ってこのように熱心におっしゃていただけるのも、そうなるはずであったのだろうと存じます」 |
けれどもね、宮様がそうお思い立ちになったころは左大臣家の奥さんがいられたのですからね、そうしては三の宮がお気の毒だと思召して第二の結婚をこちらでおさせにはなりにくかったのですよ。あなたと |
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1.2.7 | など、いと |
などと、いかにも古風に申し上げなさるのを、気にそまぬとお思いになって、 |
などと古めかしい御勧告をあそばすのを、女王は苦笑して聞いておいでになった。 |
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1.2.8 | 「亡き父宮からも、そのように強情な者と思われてまいりましたが、今さらに、改めて結婚しようというのも、ひどくおかしなことでございます」 |
「お父様からもそんな |
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1.2.9 | と申し上げなさって、気恥ずかしくなるようなきっぱりとしたご様子なので、無理にもお勧め申し上げることもできない。 |
こんなふうに思いもよらぬように言っておいでになったから、宮もしまいにはお勧めにならなかった。 |
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1.2.10 | 宮家に仕える人たちも、上下の女房たち、皆が心をお寄せ申していたので、縁談事を不安にばかりお思いになるが、かの当のご自身は、心のありったけを傾けて、愛情をお見せ申して、相手のお気持ちが揺らぐのをじっと待っていらっしゃるが、そのように無理してまで、お心を傷つけようなどとは、お考えにならないのであろう。 |
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第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語 |
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第一段 子息夕霧の元服と教育論 |
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2.1.1 | 大殿腹の若君のご元服のこと、ご準備をなさるが、二条院でとお考えになるが、大宮がとても見たがっていっらしゃったのもごもっともに気の毒なので、やはりそのままあちらの殿で式を挙げさせ申し上げなさる。 |
故太政大臣家で生まれた源氏の若君の元服の式を上げる用意がされていて、源氏は二条の院で行なわせたく思うのであったが、祖母の宮が御覧になりたく思召すのがもっともで、そうしたことはお気の毒に思われて、やはり今までお育てになった宮の御殿でその式をした。 |
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2.1.2 | 右大将をはじめとして、御伯父の殿方は、みな上達部で高貴なご信望厚い方々ばかりでいらっしゃるので、主人方でも、我も我もとしかるべき事柄は、競い合ってそれぞれがお仕え申し上げなさる。 だいたい世間でも大騒ぎをして、大変な準備のしようである。 |
右大将を始め |
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2.1.3 | 四位につけようとお思いになり、世間の人々もきっとそうであろうと思っていたが、 |
初めから四位にしようと源氏は思ってもいたことであったし、世間もそう見ていたが、 |
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2.1.4 | 「まだたいそう若いのに、自分の思いのままになる世だからといって、そのように急に位につけるのは、かえって月並なことだ」 |
まだきわめて小さい子を、何事も自分の意志のとおりになる時代にそんな取り計らいをするのは、俗人のすることであるという気がしてきたので、 |
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2.1.5 | と |
とお止めになった。 |
源氏は長男に四位を与えることはやめて、 |
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2.1.6 | 浅葱の服で殿上の間にお戻りになるのを、大宮は、ご不満でとんでもないこととお思いになったのは、無理もなく、お気の毒なことであった。 |
六位の |
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2.1.7 | ご対面なさって、このことをお話し申し上げなさると、 |
源氏は宮に御面会をしてその問題でお話をした。 |
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2.1.8 | 「ただ |
「今のうちは、このように無理をしてまで、まだ若年なので大人扱いする必要はございませんが、考えていることがございまして、大学の道に暫くの間勉強させようという希望がございますゆえ、もう二、三年間を無駄に過ごしたと思って、いずれ朝廷にもお仕え申せるようになりましたら、そのうちに、一人前になりましょう。 |
「ただ今わざわざ低い位に置いてみる必要もないようですが、私は考えていることがございまして、大学の課程を踏ませようと思うのでございます。ここ二、三年をまだ元服以前とみなしていてよかろうと存じます。朝廷の御用の勤まる人間になりますれば自然に出世はして行くことと存じます。 |
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2.1.9 | みづからは、 ただ、かしこき |
自分は、宮中に成長致しまして、世の中の様子を存じませんで、昼夜、御帝の前に伺候致して、ほんのちょっと学問を習いました。 ただ、畏れ多くも直接に教えていただきましたのさえ、どのようなことも広い知識を知らないうちは、詩文を勉強するにも、琴や笛の調べにしても、音色が十分でなく、及ばないところが多いものでございました。 |
私は宮中に育ちまして、世間知らずに御前で教養されたものでございますから、陛下おみずから師になってくだすったのですが、やはり刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも |
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2.1.10 | はかなき |
つまらない親に、賢い子が勝るという話は、とても難しいことでございますので、まして、次々と子孫に伝わっていき、離れてゆく先は、とても不安に思えますので、決めましたことでございます。 |
つまらぬ親にまさった子は自然に任せておきましてはできようのないことかと思います。まして孫以下になりましたなら、どうなるかと不安に思われてなりませんことから、そう計らうのでございます。 |
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2.1.11 | 高貴な家の子弟として、官位爵位が心にかない、世の中の栄華におごる癖がついてしまいますと、学問などで苦労するようなことは、とても縁遠いことのように思うようです。 遊び事や音楽ばかりを好んで、思いのままの官爵に昇ってしまうと、時勢に従う世の人が、内心ではばかにしながら、追従し、機嫌をとりながら従っているうちは、自然とひとかどの人物らしく立派なようですが、時勢が移り、頼む人に先立たれて、運勢が衰えた末には、人に軽んじらればかにされて、取り柄とするところがないものでございます。 |
貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことがありましても、家に権勢のあります間は、心で |
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2.1.12 | なほ、 さしあたりては、 ただ |
やはり、学問を基礎にしてこそ、政治家としての心の働きが世間に認められるところもしっかりしたものでございましょう。 当分の間は、不安なようでございますが、将来の世の重鎮となるべき心構えを学んだならば、わたしが亡くなった後も、安心できようと存じてです。 ただ今のところは、ぱっとしなくても、このように育てていきましたら、貧乏な大学生だといって、ばかにして笑う者もけっしてありますまいと存じます」 |
やはり学問が第一でございます。 |
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2.1.13 | など、 |
などと、わけをお話し申し上げになると、ほっと吐息をおつきになって、 |
と源氏が言うのを、聞いておいでになった宮は |
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2.1.14 | 「げに、かくも この |
「なるほど、そこまでお考えになって当然でしたことを。 ここの大将なども、あまりに例に外れたご処置だと、不審がっておりましたようですが、この子供心にも、とても残念がって、大将や、左衛門督の子どもなどを、自分よりは身分が下だと見くびっていたのさえ、皆それぞれ位が上がり上がりし、一人前になったのに、浅葱をとてもつらいと思っていられるので、気の毒なのでございます」 |
「ごもっともなお話だと思いますがね、右大将などもあまりに変わったお好みだと不審がりますし、子供もね、残念なようで、大将や |
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2.1.15 | と |
と申し上げなさると、ちょっとお笑いになって、 |
とお言いになる。 |
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2.1.16 | 「たいそう一人前になって不平を申しているようですね。 ほんとうにたわいないことよ。 あの年頃ではね」 |
「大人らしく父を恨んでいるのでございますね。どうでしょう、こんな小さい人が」 |
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2.1.17 | とて、いとうつくしと |
と言って、とてもかわいいとお思いであった。 |
源氏はかわいくてならぬと思うふうで子を見ていた。 |
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2.1.18 | 「学問などをして、もう少し物の道理がわかったならば、そんな恨みは自然となくなってしまうでしょう」 |
「学問などをいたしまして、ものの理解のできるようになりましたら、その恨みも自然になくなってまいるでしょう」 |
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2.1.19 | と |
とお申し上げになる。 |
と言っていた。 |
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第二段 大学寮入学の準備 |
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2.2.1 | 字をつける儀式は、東の院でなさる。 東の対を準備なさった。 上達部、殿上人、めったにないことで見たいものだと思って、我も我もと参集なさった。 博士たちもかえって気後れしてしまいそうである。 |
若君の師から |
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2.2.2 | 「遠慮することなく、慣例のとおりに従って、手加減せずに、厳格に行いなさい」 |
「遠慮をせずに |
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2.2.3 | と |
とお命じになると、無理に平静をよそおって、他人の家から調達した衣装類が、身につかず、不恰好な姿などにもかまいなく、表情、声づかいが、もっともらしくしては、席について並んでいる作法をはじめとして、見たこともない様子である。 |
と源氏から言われたので、しいて冷静な態度を見せて、借り物の |
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2.2.4 | さるは、もの |
若い君達は、我慢しきれず笑ってしまった。 一方では、笑ったりなどしないような、年もいった落ち着いた人だけをと、選び出して、お酌などもおさせになるが、いつもと違った席なので、右大将や、民部卿などが、一所懸命に杯をお持ちになっているのを、あきれるばかり文句を言い言い叱りつける。 |
若い役人などは笑いがおさえられないふうである。しかもこれは笑いやすいふうではない、落ち着いた人が |
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2.2.5 | 「おおよそ、宴席の相伴役は、はなはだ不作法でござる。 これほど著名な誰それを知らなくて、朝廷にはお仕えしている。 はなはだばかである」 |
「御接待役が多すぎてよろしくない。あなたがたは今日の学界における私を知らずに朝廷へお仕えになりますか。まちがったことじゃ」 |
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2.2.6 | など |
などと言うと、人々がみな堪えきれず笑ってしまったので、再び、 |
などと言うのを聞いてたまらず笑い出す人があると、 |
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2.2.7 | 「うるさい。 お静かに。 はなはだ不作法である。 退席していただきましょう」 |
「鳴りが高い、おやめなさい。はなはだ礼に欠けた方だ、座をお |
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2.2.8 | など、おどし |
などと、脅して言うのも、まことにおかしい。 |
などと |
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2.2.9 | 見慣れていらっしゃらない方々は、珍しく興味深いことと思い、この大学寮ご出身の上達部などは、得意顔に微笑みながら、このような道をご愛好されて、大学に入学させなさったのが結構なことだと、ますますこのうえなく敬服申し上げていらっしゃった。 |
大学出身の高官たちは得意そうに微笑をして、源氏の教育方針のよいことに敬服したふうを見せているのであった。ちょっと彼らの目の前で話をしても博士らは |
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2.2.10 | 少し私語を言っても制止する。 無礼な態度であると言っても叱る。 騒がしく叱っている博士たちの顔が、夜に入ってからは、かえって一段と明るくなった燈火の中で、滑稽じみて貧相で、不体裁な様子などが、何から何まで、なるほど実に普通でなく、変わった様子であった。 |
無礼だと言って何でもないこともとがめる。やかましく勝手気ままなことを言い放っている学者たちの顔は、夜になって |
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2.2.11 | 大臣は、 |
源氏は、 |
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2.2.12 | 「とてもだらしなく、頑固な者なので、やかましく叱られてまごつくだろう」 |
「自分のような規律に |
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2.2.13 | とのたまひて、 |
とおっしゃって、御簾の内に隠れて御覧になっていたのであった。 |
と言って、 |
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2.2.14 | 用意された席が足りなくて、帰ろうとする大学寮の学生たちがいるのをお聞きになって、釣殿の方にお呼び止めになって、特別に賜物をなさった。 |
式場の席が足りないために、あとから来て帰って行こうとする大学生のあるのを聞いて、源氏はその人々を別に |
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第三段 響宴と詩作の会 |
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2.3.1 | 式が終わって退出する博士、文人たちをお召しになって、また再び詩文をお作らせになる。 上達部や、殿上人も、その方面に堪能な人ばかりは、みなお残らせになる。 博士たちは、律詩、普通の人は、大臣をはじめとして、絶句をお作りになる。 興趣ある題の文字を選んで、文章博士が奉る。 夏の短いころの夜なので、すっかり明けて披講される。 左中弁が、講師をお勤めした。 容貌もたいそうきれいで、声の調子も堂々として、荘厳な感じに読み上げたところは、たいそう趣がある。 世の信望が格別高い学者なのであった。 |
式が終わって退出しようとする博士と詩人をまた源氏はとどめて詩を作ることにした。高官や殿上役人もそのほうの才のある人は皆残したのである。博士たちは律の詩、源氏その他の人は絶句を作るのであった。おもしろい題を |
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2.3.2 | かかる |
このような高貴な家柄にお生まれになって、この世の栄華をひたすら楽しまれてよいお身の上でありながら、窓の螢を友とし、枝の雪にお親しみになる学問への熱心さを、思いつく限りの故事をたとえに引いて、それぞれが作り集めた句がそれぞれに素晴らしく、「唐土にも持って行って伝えたいほどの世の名詩である」と、当時世間では褒めたたえるのであった。 |
こうした大貴族の家に生まれて、栄華に戯れてもいるはずの人が |
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2.3.3 | 大臣のお作は言うまでもない。 親らしい情愛のこもった点までも素晴らしかったので、涙を流して朗誦しもてはやしたが、女の身では知らないことを口にするのは生意気だと言われそうなので、嫌なので書き止めなかった。 |
源氏のはむろん傑作であった。子を思う親の情がよく現われているといって、列席者は皆涙をこぼしながら |
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第四段 夕霧の勉学生活 |
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2.4.1 | うち |
引き続いて、入学の礼ということをおさせになって、そのまま、この院の中にお部屋を設けて、本当に造詣の深い先生にお預け申されて、学問をおさせ申し上げなさった。 |
それに続いてまた入学の式もあった。東の院の中に若君の勉強部屋が設けられて、まじめな学者を一人つけて源氏は学ばせた。 |
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2.4.2 | 大宮のところにも、めったにお出かけにならない。 昼夜かわいがりなさって、いつまでも子供のようにばかりお扱い申していらっしゃるので、あちらでは、勉強もおできになれまいと考えて、静かな場所にお閉じこめ申し上げなさったのであった。 |
若君は大宮の所へもあまり行かないのであった。夜も昼もおかわいがりにばかりなって、いつまでも幼児であるように宮はお扱いになるのであったから、そこでは勉学ができないであろうと源氏が認めて、学問所を別にして若君を入れたわけである。 |
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2.4.3 | 「一月に三日ぐらいは参りなさい」 |
月に三度だけは大宮を御訪問申してよい |
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2.4.4 | とぞ、 |
と、お許し申し上げなさのであった。 |
と源氏は定めた。 |
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2.4.5 | つと |
じっとお籠もりになって、気持ちの晴れないまま、殿を、 |
じっと学問所にこもってばかりいる苦しさに、 |
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2.4.6 | 「ひどい方でいらっしゃるなあ。 こんなに苦しまなくても、高い地位に上り、世間に重んじられる人もいるではないか」 |
若君は父君を恨めしく思った。ひどい、こんなに苦しまないでも出世をして世の中に重んぜられる人がないわけはなかろうと考えるのであるが、 |
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2.4.7 | と |
とお恨み申し上げなさるが、いったい性格が、真面目で、浮ついたところがなくていらっしゃるので、よく我慢して、 |
一体がまじめな性格であって、 |
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2.4.8 | 「何とかして必要な漢籍類を早く読み終えて、官途にもついて、出世しよう」 |
どうかして早く読まねばならぬ本だけは皆読んで、人並みに社会へ出て立身の道を進みたい |
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2.4.9 | と思って、わずか四、五か月のうちに、『史記』などという書物、読み了えておしまいになった。 |
と一所懸命になったから、四、五か月のうちに史記などという書物は読んでしまった。 |
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第五段 大学寮試験の予備試験 |
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2.5.1 | 今では寮試を受けさせようとなさって、まずご自分の前で試験をさせなさる。 |
もう大学の試験を受けさせてもよいと源氏は思って、その前に自身の前で一度学力をためすことにした。 |
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2.5.2 | いつものとおり、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかり招いて、先生の大内記を呼んで、『史記』の難しい巻々を、寮試を受けるのに、博士が反問しそうなところどころを取り出して、ひととおりお読ませ申し上げなさると、不明な箇所もなく、諸説にわたって読み解かれるさまは、爪印もつかず、あきれるほどよくできるので、 |
例の |
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2.5.3 | 「お生まれが違っていらっしゃるのだ」 |
人々は若君に学問をする天分の豊かに備わっていることを喜んだ。 |
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2.5.4 | と、 |
と、皆が皆、涙を流しなさる。 大将は、誰にもまして、 |
伯父の大将はまして感動して、 |
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2.5.5 | 「亡くなった大臣が生きていらっしゃったら」 |
「父の大臣が生きていられたら」 |
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2.5.6 | と、 |
と、口に出されて、 お泣きになる。殿も、我慢がお |
と言って泣いていた。源氏も冷静なふうを作ろうとはしなかった。 |
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2.5.7 | 「他人のことで、愚かで見苦しいと見聞きしておりましたが、子が大きくなっていく一方で、親が代わって愚かになっていくことは、たいした年齢ではありませんが、世の中とはこうしたものなのだなあ」 |
「世間の親が愛におぼれて、子に対しては正当な判断もできなくなっているなどと私は見たこともありますが、自分のことになってみると、それは子が大人になっただけ親はぼけていくのでやむをえないことだと解釈ができます。私などはまだたいした年ではないがやはりそうなりますね」 |
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2.5.8 | などとおっしゃって、涙をお拭いになるのを見る先生の気持ち、嬉しく面目をほどこしたと思った。 |
などと言いながら涙をふいているのを見る若君の教師はうれしかった。名誉なことになったと思っているのである。 |
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2.5.9 | 大将が、杯をおさしになると、たいそう酔っぱらっている顔つきは、とても痩せ細っている。 |
大将が杯をさすともう深く酔いながら |
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2.5.10 | 大変な変わり者で、学問のわりには登用されず、顧みられなくて貧乏でいたのであったが、お目に止まるところがあって、このように特別に召し出したのであった。 |
変人と見られている男で、学問相当な地位も得られず、後援者もなく貧しかったこの人を、源氏は見るところがあってわが子の教師に招いたのである。 |
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2.5.11 | 身に余るほどのご愛顧を頂戴して、この若君のおかげで、急に生まれ変わったようになったと思うと、今にまして将来は、並ぶ者もない声望を得るであろうよ。 |
たちまちに源氏の |
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第六段 試験の当日 |
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2.6.1 | おほかた |
大学寮に参上なさる日は、寮の門前に、上達部のお車が数知れないくらい集まっていた。 おおよそ世間にこれを見ないで残っている人はあるまいと思われたが、この上なく大切に扱われて、労られながら入ってこられる冠者の君のご様子、なるほど、このような生活には耐えられないくらい上品でかわいらしい感じである。 |
大学へ若君が寮試を受けに行く日は、寮門に顕官の車が無数に止まった。あらゆる廷臣が今日はここへ来ることかと思われる列席者の |
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2.6.2 | 例によって、賤しい者たちが集まって来ている席の末に座るのをつらいとお思いになるのは、もっともなことである。 |
例の貧乏学生の多い席末の座につかねばならないことで、若君が迷惑そうな顔をしているのももっともに思われた。 |
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2.6.3 | ここにてもまた、おろしののしる |
ここでも同様に、大声で叱る者がいて、目障りであるが、少しも気後れせずに最後までお読みになった。 |
ここでもまた |
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2.6.4 | 昔が思い出される大学の盛んな時代なので、上中下の人は、我も我もと、この道を志望し集まってくるので、ますます、世の中に、学問があり有能な人が多くなったのであった。 擬文章生などとかいう試験をはじめとして、すらすらと合格なさったので、ひたすら学問に心を入れて、先生も弟子も、いっそうお励みになる。 |
昔学問の盛んだった時代にも劣らず大学の栄えるころで、上中下の各階級から学生が出ていたから、いよいよ学問と見識の備わった人が輩出するばかりであった。 |
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2.6.5 | 殿でも、作文の会を頻繁に催し、博士、文人たちも得意である。 すべてどのようなことにつけても、それぞれの道に努める人の才能が発揮される時代なのだった。 |
源氏の家でも始終詩会が催されなどして、 |
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第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語 |
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第一段 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任 |
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3.1.1 | そろそろ、 |
皇后が |
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3.1.2 | 「斎宮の女御こそは、母宮も、自分の変わりのお世話役とおっしゃっていましたから」 |
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3.1.3 | と、大臣もご遺志にかこつけて主張なさる。 皇族出身から引き続き后にお立ちになることを、世間の人は賛成申し上げない。 |
自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の |
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3.1.4 | 「弘徽殿の女御が、まず誰より先に入内なさったのもどうだらろうか」 |
そうした人たちは |
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3.1.5 | など、うちうちに、こなたかなたに |
などと、内々に、こちら側あちら側につく人々は、心配申し上げている。 |
双方に味方が現われて、だれもどうなることかと不安がっていた。 |
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3.1.6 | 兵部卿宮と申し上げた方は、今では式部卿になって、この御世となってからはいっそうご信任厚い方でいらっしゃる、その姫も、かねての望みがかなって入内なさっていた。 同様に、王の女御として伺候していらっしゃるので、 |
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3.1.7 | 「同じ皇族出身なら、御母方として親しくいらっしゃる方をこそ、母后のいらっしゃらない代わりのお世話役として相応しいだろう」 |
他人でない濃い御親戚関係もあることであって、母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、 |
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3.1.8 | と理由をつけて、ふさわしかるべく、それぞれ競争なさったが、やはり梅壷が立后なさった。 ご幸福が、うって変わってすぐれていらっしゃることを、世間の人は驚き申し上げる。 |
そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局 |
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3.1.9 | 大臣は、太政大臣にお上がりになって、大将は、内大臣におなりになった。 天下の政治をお執りになるようにお譲り申し上げなさる。 性格は、まっすぐで、威儀も正しくて、心づかいなどもしっかりしていらっしゃる。 学問をとり立てて熱心になさったので、韻塞ぎにはお負けになったが、政治では立派である。 |
源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。学問を深くした人であるから |
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3.1.10 | わかむどほり |
いく人もの妻妾にお子たちが十余人、いずれも大きく成長していらっしゃるが、次から次と立派になられて、負けず劣らず栄えているご一族である。 女の子は、弘徽殿の女御ともう一人いらっしゃるのであった。 皇族出身を母親として、高貴なお血筋では劣らないのであるが、その母君は、按察大納言の北の方となって、現在の夫との間に子どもの数が多くなって、「それらの子どもと一緒に継父に委ねるのは、まことに不都合なことだ」と思って、お引き離させなさって、大宮にお預け申していらっしゃるのであった。 女御よりはずっと軽くお思い申し上げていらっしゃったが、性格や、器量など、とてもかわいらしくいらっしゃるのであった。 |
幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、大人になって役人になっているのは次々に昇進するばかりであったが、女は女御のほかに一人よりない。それは親王家の姫君から生まれた人で、尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、その母君が今は |
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第二段 夕霧と雲居雁の幼恋 |
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3.2.1 | 冠者の君は、同じ所でご成長なさったが、それぞれが十歳を過ぎてから後は、住む部屋を別にして、 |
そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、 |
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3.2.2 | 「親しい縁者ですが、男の子には気を許すものではありません」 |
どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、 |
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3.2.3 | と、 |
と、父大臣が訓戒なさって、離れて暮らすようになっていたが、子供心に慕わしく思うことなきにしもあらずなので、ちょっとした折々の花や紅葉につけても、また雛遊びのご機嫌とりにつけても、熱心にくっついてまわって、真心をお見せ申されるので、深い情愛を交わし合いなさって、きっぱりと今でも恥ずかしがりなさらない。 |
大臣は娘を |
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3.2.4 | お世話役たちも、 |
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3.2.5 | 「何の、子どもどうしのことなので、長年親しくしていらっしゃったお間柄を、急に引き離して、どうしてきまり悪い思いをさせることができようか」 |
この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、にわかに厳格に二人の間を隔てることはできない |
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3.2.6 | と思っていると、女君は何の考えもなくいらっしゃるが、男君は、あんなにも子どものように見えても、だいそれたどんな仲だったのであろうか、離れ離れになってからは、逢えないことを気が気でなく思うのである。 |
と大目に見ていたが、姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、いつの間にか情人の関係にまで |
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3.2.7 | まだ |
まだ未熟ながら将来の思われるかわいらしい筆跡で、書き交わしなさった手紙が、不用意さから、自然と落としているときもあるのを、姫君の女房たちは、うすうす知っている者もいたのだが、「どうして、こんな関係である」と、どなたに申し上げられようか。 知っていながら隠しているのであろう。 |
まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、そこらに落ち散らされてもあるのを、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、そんなことは人に訴えてよいことでもないから、だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。 |
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第三段 内大臣、大宮邸に参上 |
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3.3.1 | あちらとこちらの新任の大饗の宴が終わって、朝廷の御用もなく、のんびりとしていたころ、時雨がさあっと降って、荻の上風もしみじみと感じられる夕暮に、大宮のお部屋に、内大臣が参上なさって、姫君をそこへお呼びになって、お琴などをお弾かせなさる。 大宮は、何事も上手でいらっしゃるので、それらをみなお教えになる。 |
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3.3.2 | 「琵琶は、女性が弾くには見にくいようだが、いかにも達者な感じがするものです。 今の世に、正しく弾き伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。 何々親王、何々の源氏とか」 |
「 |
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3.3.3 | など |
などとお数えになって、 |
などと大臣は数えたあとで、 |
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3.3.4 | 「女性の中では、太政大臣が山里に隠しおいていらっしゃる人が、たいそう上手だと聞いております。 音楽の名人の血筋ではありますが、子孫の代になって、田舎生活を長年していた人が、どうしてそのように上手に弾けたのでしょう。 あの大臣が、ことの他上手な人だと思っておっしゃったことがありました。 他の芸とは違って、音楽の才能はやはり広くいろんな人と合奏をし、あれこれの楽器に調べを合わせてこそ、立派になるものですが、独りで学んで、上手になったというのは珍しいことです」 |
「女では太政大臣が |
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3.3.5 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、大宮にお促し申し上げになると、 |
こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをお |
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3.3.6 | 「柱を押さえることが久しぶりになってしまいました」 |
「もう |
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3.3.7 | とのたまへど、おもしろう |
とおっしゃったが、美しくお弾きになる。 |
とお言いになりながらも、宮は上手に琴をお弾きになった。 |
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3.3.8 | 「 |
「ご幸運な上に、さらにやはり不思議なほど立派な方なのですね。 お年をとられた今までに、お持ちでなかった女の子をお生み申されて、側に置いてみすぼらしくするでなく、れっきとしたお方にお預けした考えは、申し分のない人だと聞いております」 |
「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、すぐれた |
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3.3.9 | など、かつ |
などと、一方ではお話し申し上げなさる。 |
こんな話を大宮はあそばした。 |
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第四段 弘徽殿女御の失意 |
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3.4.1 | 「女性はただ心がけによって、世間から重んじられるものでございますね」 |
「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」 |
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3.4.2 | など、 |
などと、他人の身の上についてお話し出されて、 |
などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、それが自家の不幸な話に移っていった。 |
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3.4.3 | 「弘徽殿の女御を、悪くはなく、どんなことでも他人には負けまいと存じておりましたが、思いがけない人に負けてしまった運命に、この世は案に相違したものだと存じました。 せめてこの姫君だけは、何とか思うようにしたいものです。 東宮の御元服は、もうすぐのことになったと、ひそかに期待していたのですが、あのような幸福者から生まれたお后候補者が、また後から追いついてきました。 入内なさったら、まして対抗できる人はいないのではないでしょうか」 |
「私は女御を完全でなくても、どんなことも人より劣るような娘には育て上げなかったつもりなんですが、意外な人に負ける運命を持っていたのですね。人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、心中ではその希望を持っていたのですが、今のお話の |
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3.4.4 | とうち |
とお嘆きになると、 |
大臣が歎息するのを宮は御覧になって、 |
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3.4.5 | 「どうして、そのようなことがありましょうか。 この家にもそのような人がいないで終わってしまうようなことはあるまいと、亡くなった大臣が思っていらっしゃって、女御の御ことも、熱心に奔走なさったのでしたが。 生きていらっしゃったならば、このように筋道の通らぬこともなかったでしょうに」 |
「必ずしもそうとは言われませんよ。この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。そのおつもりで |
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3.4.6 | などと、あの一件では、太政大臣を恨めしくお思い申し上げていらっしゃった。 |
この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。 |
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3.4.7 | 姫君のご様子が、とても子どもっぽくかわいらしくて、箏のお琴をお弾きになっていらっしゃるが、お髪の下り端、髪の具合などが、上品で艶々としてしているのをじっと見ていらっしゃると、恥ずかしく思って、少し横をお向きになった横顔、その恰好がかわいらしげで、取由の手つきが、非常にじょうずに作った人形のような感じがするので、大宮もこの上なくかわいいと思っていらっしゃった。 調子合わせのための小曲などを軽くお弾きになって、押しやりなさった。 |
姫君がこぢんまりとした美しいふうで、十三 |
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第五段 夕霧、内大臣と対面 |
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3.5.1 | 内大臣は、和琴を引き寄せなさって、律調のかえって今風なのを、その方面の名人がうちとけてお弾きになっているのは、たいそう興趣がある。 御前のお庭の木の葉がほろほろと落ちきって、老女房たちが、あちらこちらの御几帳の後に、集まって聞いていた。 |
内大臣は |
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3.5.2 | 「 |
「風の力がおよそ弱い」 |
「 |
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3.5.3 | と、うち |
と、朗誦なさって、 |
と |
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3.5.4 | 「琴のせいではないが、不思議としみじみとした夕べですね。 もっと、弾きましょうよ」 |
「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。もう少しお弾きになりませんか」 |
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3.5.5 | とおっしゃって、「秋風楽」に調子を整えて、唱歌なさる声、とても素晴らしいので、みなそれぞれに、内大臣をも見事であるとお思い申し上げになっていらっしゃると、それをいっそう喜ばせようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。 |
と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。宮はこの座の人は |
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3.5.6 | 「こちらに」とおっしゃって、御几帳を隔ててお入れ申し上げになった。 |
「こちらへ」と宮はお言いになって、お居間の中の几帳を隔てた席へ若君は通された。 |
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3.5.7 | 「をさをさ などかく、この |
「あまりお目にかかれませんね。 どうしてこう、このご学問に打ち込んでいらっしゃるのでしょう。 学問が身分以上になるのもよくないことだと、大臣もご存知のはずですが、こうもお命じ申し上げなさるのは、考える子細もあるのだろうと存じますが、こんなに籠もってばかりいらっしゃるのは、お気の毒でございます」 |
「あなたにはあまり逢いませんね。なぜそんなにむきになって学問ばかりをおさせになるのだろう。あまり学問のできすぎることは不幸を招くことだと大臣も御体験なすったことなのだけれど、あなたをまたそうおしつけになるのだね、わけのあることでしょうが、ただそんなふうに閉じ込められていてあなたがかわいそうでならない」 |
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3.5.8 | と |
と申し上げなさって、 |
と内大臣は言った。 |
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3.5.9 | 「時々は、別のことをなさい。 笛の音色にも昔の聖賢の教えは、伝わっているものです」 |
「時々は違ったこともしてごらんなさい。笛だって古い歴史を持った音楽で、いいものなのですよ」 |
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3.5.10 | とて、 |
とおっしゃって、 |
内大臣はこう言いながら笛を若君へ渡した。 |
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3.5.11 | いと |
たいそう若々しく美しい音色を吹いて、大変に興がわいたので、お琴はしばらく弾きやめて、大臣が、拍子をおおげさではなく軽くお打ちになって、 |
若々しく朗らかな |
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3.5.12 | 「萩の花で摺った」 |
「 |
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3.5.13 | などとお歌いになる。 |
(衣がへせんや、わが衣は野原 |
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3.5.14 | 「大殿も、このような管弦の遊びにご熱心で、忙しいご政務からはお逃げになるのでした。 なるほど、つまらない人生ですから、満足のゆくことをして、過ごしたいものでございますね」 |
「太政大臣も音楽などという芸術がお好きで、政治のほうのことからお |
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3.5.15 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、お杯をお勧めなさっているうちに、暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、どなたもお召し上がりになる。 |
と言いながら |
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3.5.16 | 姫君はあちらの部屋に引き取らせなさった。 つとめて二人の間を遠ざけなさって、「お琴の音だけもお聞かせしないように」と、今ではすっかりお引き離し申していらっしゃるのを、 |
姫君はもうあちらへ帰してしまったのである。しいて二人を隔てて、琴の音すらも若君に聞かせまいとする内大臣の態度を、大宮の古女房たちはささやき合って、 |
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3.5.17 | 「お気の毒なことが起こりそうなお仲だ」 |
「こんなことで近いうちに悲劇の起こる気がします」 |
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3.5.18 | と、 |
と、お側近くお仕え申している大宮づきの年輩の女房たちは、ひそひそ話しているのであった。 |
とも言っていた。 |
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第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く |
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3.6.1 | 内大臣はお帰りになったふうにして、こっそりと女房を相手なさろうと座をお立ちになったのだが、そっと身を細めてお帰りになる途中で、このようなひそひそ話をしているので、妙にお思いになって、お耳をとめなさると、ご自分の噂をしている。 |
大臣は帰って行くふうだけを見せて、情人である女の部屋にはいっていたが、そっとからだを細くして廊下を出て行く間に、少年たちの恋を問題にして語る女房たちの部屋があった。不思議に思って立ち止まって聞くと、それは自身が批評されているのであった。 |
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3.6.2 | 「えらそうにしていらっしゃるが、人の親ですよ。 いずれ、ばかばかしく後悔することが起こるでしょう」 |
「賢がっていらっしゃっても甘いのが親ですね。とんだことが知らぬ間に起こっているのですがね。 |
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3.6.3 | 「子を知っているのは親だというのは、嘘のようですね」 |
子を知るは親にしかずなどというのは |
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3.6.4 | などぞ、つきしろふ。 |
などと、こそこそと噂し合う。 |
などこそこそと言っていた。 |
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3.6.5 | 「あきれたことだ。 やはりそうであったのか。 思いよらないことではなかったが、子供だと思って油断しているうちに。 世の中は何といやなものであるな」 |
情けない、自分の恐れていたことが事実になった。打っちゃって置いたのではないが、子供だから油断をしたのだ。人生は悲しいものであると大臣は思った。 |
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3.6.6 | と、けしきをつぶつぶと |
と、ことの子細をつぶさに了解なさったが、音も立てずにお出になった。 |
すべてを大臣は明らかに悟ったのであるが、そっとそのまま出てしまった。 |
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3.6.7 | 前駆の先を払う声が盛んに聞こえるので、 |
前駆がたてる人払いの声のぎょうさんなのに、はじめて女房たちはこの時間までも大臣がここに留まっていたことを知ったのである。 |
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3.6.8 | 「殿は、今お帰りあそばしたのだわ」 |
「殿様は今お帰りになるではありませんか。 |
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3.6.9 | 「いづれの |
「どこに隠れていらっしゃったのかしら」 |
どこの |
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3.6.10 | 「 |
「今でもこんな浮気をなさるとは」 |
あのお年になって |
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3.6.11 | と ささめき |
と言い合っている。 ひそひそ話をした女房たちは、 |
と女房らは言っていた。内証話をしていた人たちは困っていた。 |
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3.6.12 | 「とても香ばしい匂いがしてきたのは、冠者の君がいらっしゃるのだとばかり思っていましたわ」 |
「あの時非常にいいにおいが私らのそばを通ったと思いましたがね、若君がお通りになるのだとばかり思っていましたよ。 |
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3.6.13 | 「あな、むくつけや。 しりう わづらはしき |
「まあ、いやだわ。 陰口をお聞きになったかしら。 厄介なご気性だから」 |
まあこわい、悪口がお耳にはいらなかったでしょうか。意地悪をなさらないとも限りませんね」 |
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3.6.14 | と、わびあへり。 |
と、皆困り合っていた。 |
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3.6.15 | 殿は、道中お考えになることに、 |
内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。 |
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3.6.16 | 「まったく問題にならない悪いことではないが、ありふれた親戚どうしの結婚で、世間の人もきっとそう取り沙汰するに違いないことだ。 大臣が、強引に女御を抑えなさっているのも癪なのに、ひょっとして、この姫君が相手に勝てることがあろうかも知れないと思っていたが、くやしいことだ」 |
非常に悪いことではないが、 |
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3.6.17 | とお思いになる。 殿どうしのお仲は、普通のことでは昔も今もたいそう仲よくいらっしゃりながら、このような方面では、競争申されたこともお思い出しになって、おもしろくないので、寝覚めがちに夜をお明かしになる。 |
ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。源氏と大臣との交情は |
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3.6.18 | 「大宮だって、そのような様子は御存じであろうに、たいへんにかわいがっていらっしゃるお孫たちなので、好きなようにさせていらっしゃるのだろう」 |
大宮も様子を悟っておいでになるであろうが、非常におかわいくお思いになる孫であるから勝手なことをさせて、見ぬ顔をしておいでになるのであろう |
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3.6.19 | と、女房たちが言っていた様子を、いまいましいとお思いになると、お心が穏やかでなくなって、少し男らしく事をはっきりさせたがるご気性にとっては、抑えがたい。 |
と女房たちの言っていた点で、大臣は大宮を恨めしがっていた。腹がたつとそれを内におさえることのできない性質で大臣はあった。 |
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第四章 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語 |
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第一段 内大臣、母大宮の養育を恨む |
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4.1.1 | しきりに |
二日ほどして、参上なさった。 頻繁に参上なさる時は、大宮もとてもご満足され、嬉しく思っておいであった。 尼削ぎの御髪に手入れをなさって、きちんとした小袿などをお召し添えになって、わが子ながら気づまりなほど立派なお方なので、直接顔を合わせずにお会いなさる。 |
二日ほどしてまた内大臣は大宮を御訪問した。こんなふうにしきりに出て来る時は宮の御 |
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4.1.2 | 大臣は御機嫌が悪くて、 |
内大臣は不機嫌な顔をしていた。 |
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4.1.3 | 「こちらにお伺いするのも体裁悪く、女房たちがどのように見ていますかと、気がひけてしまいます。 たいした者ではありませんが、世に生きていますうちは、常にお目にかからせていただき、ご心配をかけることのないようにと存じております。 |
「こちらへ上がっておりましても私は恥ずかしい気がいたしまして、女房たちはどう批評をしていることだろうかと心が置かれます。つまらない私ですが、生きておりますうちは始終伺って、物足りない思いをおさせせず、 |
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4.1.4 | 不心得者のことで、お恨み申さずにはいられないようなことが起こってまいりましたが、こんなにはお恨み申すまいと一方では存じながらも、やはり抑えがたく存じられまして」 |
私もその点で満足を得たいと思ったのですが、不良な娘のためにあなた様をお恨めしく思わずにいられませんようなことができてまいりました。そんなに真剣にお恨みすべきでないと、自分ながらも心をおさえようとするのでございますが、それができませんで」 |
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4.1.5 | と、 |
と、涙をお拭いなさるので、大宮は、お化粧なさっていた顔色も変わって、お目を大きく見張られた。 |
大臣が涙を押しぬぐうのを御覧になって、お化粧あそばした宮のお顔の色が変わった。涙のために |
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4.1.6 | 「どうしたことで、こんな年寄を、お恨みなさるのでしょうか」 |
「どんなことがあって、この年になってからあなたに恨まれたりするのだろう」 |
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4.1.7 | と |
と申し上げなさるのも、今さらながらお気の毒であるが、 |
と宮の仰せられるのを聞くと、さすがにお気の毒な気のする大臣であったが続いて言った。 |
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4.1.8 | 「 |
「ご信頼申していたお方に、幼い子どもをお預け申して、自分ではかえって幼い時から何のお世話も致さずに、まずは身近にいた姫君の、宮仕えなどが思うようにいかないのを、心配しながら奔走しいしい、それでもこの姫君を一人前にしてくださるものと信頼しておりましたのに、意外なことがございましたので、とても残念です。 |
「御信頼しているものですから、子供をお預けしまして、親である私はかえって何の世話もいたしませんで、手もとに置きました娘の |
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4.1.9 | まことに さし ゆかりむつび、ねぢけがましきさまにて、 |
ほんとうに天下に並ぶ者のない優れた方のようですが、近しい者どうしが結婚するのは、人の外聞も浅薄な感じが、たいした身分でもないものどうしの縁組でさえ考えますのに、あちらの方のためにも、たいそう不体裁なことです。 他人で、豪勢な初めての関係の家で、派手に大切にされるのこそ、よいものです。 縁者どうしの、馴れ合いの結婚なので、大臣も不快にお思いになることがあるでしょう。 |
源氏の大臣は天下の第一人者といわれるりっぱな方ではありますがほとんど家の中どうしのような者のいっしょになりますことは、人に聞こえましても軽率に思われることです。低い身分の人たちの中でも、そんなことは世間へはばかってさせないものです。それはあの人のためにもよいことでは決してありません。全然離れた家へはなやかに婿として迎えられることがどれだけ幸福だかしれません。 |
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4.1.10 | それはそれとしても、これこれしかじかですと、わたしにお知らせくださって、特別なお扱いをして、少し世間でも関心を寄せるような趣向を取り入れたいものです。 若い者どうしの思いのままに放って置かれたのが、心外に思われるのです」 |
それにしましてもそのことを私へお知らせくださいましたら、私はまた計らいようがあるというものです。ある形式を踏ませて、少しは人聞きをよくしてやることもできたでしょうが、あなた様が、ただ年若な者のする放縦な行動そのままにお捨て置きになりましたことを私は |
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4.1.11 | と申し上げなさると、夢にも御存知なかったことなので、驚きあきれなさって、 |
くわしく大臣が言うことによって、はじめて真相をお悟りになった宮は、夢にもお思いにならないことであったから、あきれておしまいになった。 |
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4.1.12 | 「なるほど、そうおっしゃるのもごもっともなことですが、ぜんぜんこの二人の気持ちを存じませんでした。 なるほど、とても残念なことは、こちらこそあなた以上に嘆きたいくらいです。 子どもたちと一緒にわたしを非難なさるのは、恨めしいことです。 |
「あなたがそうお言いになるのはもっともだけれど、私はまったく二人の孫が何を思って、何をしているかを知りませんでした。私こそ残念でなりませんのに、同じように罪を私が負わせられるとは恨めしいことです。 |
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4.1.13 | お世話致してから、特別にかわいく思いまして、あなたがお気づきにならないことも、立派にしてやろうと、内々に考えていたのでしたよ。 まだ年端もゆかないうちに、親心の盲目から、急いで結婚させようとは考えもしないことです。 |
私は手もとへ来た時から、特別にかわいくて、あなたがそれほどにしようとお思いにならないほど大事にして、私はあの人に女の最高の幸福を受けうる価値もつけようとしてました。一方の孫を |
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4.1.14 | それにしても、 誰がそのようなことを申したのでしょう。つまらぬ世間の噂を取り上げて、容赦なくおっしゃるのも、つまらないことで、根も葉もない噂で、姫君の |
それにしても、だれがあなたにそんなことを言ったのでしょう。人の中傷かもしれぬことで、腹をお立てになったりなさることはよくないし、ないことで娘の名に傷をつけてしまうことにもなりますよ」 |
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4.1.15 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
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4.1.16 | 「どうして、根も葉もないことでございましょうか。 仕えている女房たちも、陰ではみな笑っているようですのに、とても悔しく、面白くなく存じられるのですよ」 |
「何のないことだものですか。女房たちも批難して、 |
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4.1.17 | とて、 |
とおっしゃって、お立ちになった。 |
と言って大臣は立って行った。 |
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4.1.18 | 事情を知っている女房どうしは、実におかわいそうに思う。 先夜の陰口を叩いた女房たちは、それ以上に気も動転して、「どうしてあのような内緒話をしたのだろう」と、一同後悔し合っていた。 |
幼い恋を知っている人たちは、この破局に立ち至った少年少女に同情していた。先夜の内証話をした人たちは逆上もしてしまいそうになって、どうしてあんな秘密を話題にしたのであろうと後悔に苦しんでいた。 |
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第二段 内大臣、乳母らを非難する |
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4.2.1 | 姫君は、何もご存知でなくていらっしゃるのを、お覗きになると、とてもかわいらしいご様子なのを、しみじみと拝見なさる。 |
姫君は何も知らずにいた。のぞいた居間に |
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4.2.2 | 「若いと言っても、無分別でいらっしゃったのを知らないで、ほんとうにこうまで一人前にと思っていた自分こそ、もっとあさはかであったよ」 |
「いくら年が行かないからといって、あまりに幼稚な心を持っているあなただとは知らないで、われわれの娘としての人並みの未来を私はいろいろに考えていたのだ。あなたよりも私のほうが |
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4.2.3 | とて、 |
とおっしゃって、御乳母たちをお責めになるが、お返事の申しようもない。 |
と大臣は言って、それから |
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4.2.4 | 「このようなことは、この上ない帝の大切な内親王も、いつの間にか過ちを起こす例は、昔物語にもあるようですが、二人の気持ちを知って仲立ちする人が、隙を窺ってするのでしょう」 |
「こんなことでは大事な内親王様がたにもあやまちのあることを昔の小説などで読みましたが、それは御信頼を裏切るおそばの者があって、男の方のお手引きをするとか、また思いがけない |
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4.2.5 | 「これは、 |
「この二人は、朝夕ご一緒に長年過ごしていらっしゃったので、どうして、お小さい二人を、大宮様のお扱いをさし越えてお引き離し申すことができましょうと、安心して過ごして参りましたが、一昨年ごろからは、はっきり二人を隔てるお扱いに変わりましたようなので、若い人と言っても、人目をごまかして、どういうものにか、ませた真似をする人もいらっしゃるようですが、けっして色めいたところもなくいらっしゃるようなので、ちっとも思いもかけませんでした」 |
こちらのことは何年も始終ごいっしょに遊んでおいでになった間なんですもの。お小さくはいらっしゃるし宮様が寛大にお扱いになる以上にわれわれがお制しすることはできないとそのままに見ておりましたけれど、それも一昨年ごろからははっきりと日常のことが御区別できましたし、またあの方が同じ若い人といってもだらしのない不良なふうなどは少しもない方なのでしたから、まったく油断をいたしましたわね」 |
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4.2.6 | と、おのがどち |
と、お互いに嘆く。 |
などと自分たち仲間で |
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4.2.7 | 「よし、しばし、かかること そこたちは、さりとも、いとかかれとしも、 |
「よし、暫くの間、このことは人に言うまい。 隠しきれないことだが、よく注意して、せめて事実無根だともみ消しなさい。 今からは自分の所に引き取ろう。 大宮のお扱いが恨めしい。 お前たちは、いくらなんでも、こうなって欲しいとは思わなかっただろう」 |
「で、このことはしばらく秘密にしておこう。評判はどんなにしていても立つものだが、せめてあなたたちは、事実でないと否定をすることに骨を折るがいい。そのうち私の |
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4.2.8 | とおっしゃるので、「困ったこととではあるが、嬉しいことをおっしゃる」と思って、 |
と大臣が言うと、乳母たちは、大宮のそう取られておいでになることをお気の毒に思いながらも、また自家のあかりが立ててもらえたようにうれしく思った。 |
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4.2.9 | 「まあ、とんでもありません。 按察大納言殿のお耳に入ることをも考えますと、立派な人ではあっても、臣下の人であっては、何を結構なことと考えて望んだり致しましょう」 |
「さようでございますとも、大納言家への聞こえということも私たちは思っているのでございますもの、どんなに人柄がごりっぱでも、ただの御縁におつきになることなどを私たちは希望申し上げるわけはございません」 |
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4.2.10 | と |
と申し上げる。 |
と言う。 |
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4.2.11 | 姫君は、とても子供っぽいご様子で、いろいろとお申し上げなさっても、何もお分かりでないので、お泣きになって、 |
姫君はまったく無邪気で、どう戒めても、 |
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4.2.12 | 「どうしたら、傷ものにおなりにならずにすむ道ができようか」 |
「どういうふうに体裁を繕えばいいか、この人を |
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4.2.13 | と、こっそりと頼れる乳母たちとご相談なさって、大宮だけをお恨み申し上げなさる。 |
大臣は二、三人と密議するのであった。この人たちは大宮の態度がよろしくなかったことばかりを言い合った。 |
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第三段 大宮、内大臣を恨む |
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4.3.1 | 大宮は、とてもかわいいとお思いになる二人の中でも、男君へのご愛情がまさっていらっしゃるのであろうか、このような気持ちがあったのも、かわいらしくお思いになられるが、情愛なく、ひどいことのようにお考えになっておっしゃったのを、 |
大宮はこの不祥事を二人の孫のために悲しんでおいでになったが、その中でも若君のほうをお愛しになる心が強かったのか、もうそんなに大人びた恋愛などのできるようになったかとかわいくお思われにならないでもなかった。 |
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4.3.2 | 「などかさしもあるべき。 もとよりいたう とりはづして、ただ これより |
「どうしてそんなに悪いことがあろうか。 もともと深くおかわいがりになることもなくて、こんなにまで大事にしようともお考えにならなかったのに、わたしがこのように世話してきたからこそ、春宮へのご入内のこともお考えになったのに。 思いどおりにゆかないで、臣下と結ばれるならば、この男君以外にまさった人がいるだろうか。 器量や、態度をはじめとして、同等の人がいるだろうか。 この姫君以上の身分の姫君が相応しいと思うのに」 |
もってのほかのように言った内大臣の言葉を肯定あそばすこともできない。必ずしもそうであるまい、たいした愛情のなかった子供を、自分がたいせつに育ててやるようになったため、東宮の後宮というような志望も父親が持つことになったのである。それが実現できなくて、普通の結婚をしなければならない運命になれば、源氏の長男以上のすぐれた婿があるものではない。 |
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4.3.3 | と、ご自分の愛情が男君の方に傾くせいからであろうか、内大臣を恨めしくお思い申し上げなさる。 もしもお心の中をお見せ申したら、どんなにかお恨み申し上げになることであろうか。 |
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第四段 大宮、夕霧に忠告 |
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4.4.1 | このように騷がれているとも知らないで、冠者の君が参上なさった。 先夜も人目が多くて、思っていることもお申し上げになることができずに終わってしまったので、いつもよりもしみじみと思われなさったので、夕方いらっしゃったのであろう。 |
自身のことでこんな騒ぎのあることも知らずに源氏の若君が来た。一昨夜は人が多くいて、恋人を見ることのできなかったことから、恋しくなって夕方から出かけて来たものであるらしい。 |
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4.4.2 | 大宮は、いつもは何はさておき、微笑んでお待ち申し上げていらっしゃるのに、まじめなお顔つきでお話など申し上げなさる時に、 |
平生大宮はこの子をお迎えになると非常におうれしそうなお顔をあそばしておよろこびになるのであるが、今日はまじめなふうでお話をあそばしたあとで、 |
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4.4.3 | 「 ゆかしげなきことをしも かうも |
「あなたのお事で、内大臣殿がお恨みになっていらっしゃったので、とてもお気の毒です。 人に感心されないことにご執心なさって、わたしに心配かけさせることがつらいのです。 こんなことはお耳に入れまいと思いますが、そのようなこともご存知なくてはと思いまして」 |
「あなたのことで内大臣が来て、私までも恨めしそうに言ってましたから気の毒でしたよ。よくないことをあなたは始めて、そのために人が不幸になるではありませんか。私はこんなふうに言いたくはないのだけれど、そういうことのあったのを、あなたが知らないでいてはと思ってね」 |
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4.4.4 | と |
と申し上げなさると、心配していた方面のことなので、すぐに気がついた。 顔が赤くなって、 |
とお言いになった。少年の良心にとがめられていることであったから、すぐに問題の真相がわかった。若君は顔を赤くして、 |
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4.4.5 | 「どのようなことでしょうか。 静かな所に籠もりまして以来、何かにつけて人と交際する機会もないので、お恨みになることはございますまいと存じておりますが」 |
「なんでしょう。静かな所へ引きこもりましてからは、だれとも何の交渉もないのですから、 |
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4.4.6 | とて、いと |
と言って、とても恥ずかしがっている様子を、かわいくも気の毒に思って、 |
と言って |
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4.4.7 | 「よろしい。 せめて今からはご注意なさい」 |
「まあいいから、これから気をおつけなさいね」 |
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4.4.8 | とばかりにて、 |
とだけおっしゃって、他の話にしておしまいになった。 |
とだけお言いになって、あとはほかへ話を移しておしまいになった。 |
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第五章 夕霧の物語 幼恋の物語 |
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第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶 |
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5.1.1 | 「いとど いと |
「今後いっそうお手紙などを交わすことは難しいだろう」と考えると、とても嘆かわしく、食事を差し上げても、少しも召し上がらず、お寝みになってしまったふうにしているが、心も落ち着かず、人が寝静まったころに、中障子を引いてみたが、いつもは特に錠など下ろしていないのに、固く錠さして、女房の声も聞こえない。 実に心細く思われて、障子に寄りかかっていらっしゃると、女君も目を覚まして、風の音が竹に待ち迎えられて、さらさらと音を立てると、雁が鳴きながら飛んで行く声が、かすかに聞こえるので、子供心にも、あれこれとお思い乱れるのであろうか、 |
これからは手紙の往復もいっそう困難になることであろうと思うと、若君の心は暗くなっていった。 |
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5.1.2 | 「雲居の雁もわたしのようなのかしら」 |
「雲井の雁もわがごとや」(霧深き雲井の雁もわがごとや晴れもせず物の悲しかるらん) |
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5.1.3 | と、 |
と、独り言をおっしゃる様子、若々しくかわいらしい。 |
と口ずさんでいた。その様子が少女らしくきわめて |
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5.1.4 | いみじう |
とてももどかしくてならないので、 |
若君の不安さはつのって、 |
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5.1.5 | 「ここを、お開け下さい。 小侍従はおりますか」 |
「ここをあけてください、小侍従はいませんか」 |
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5.1.6 | とのたまへど、 |
とおっしゃるが、返事がない。 乳母子だったのである。 独り言をお聞きになったのも恥ずかしくて、わけなく顔を衾の中にお入れなさったが、恋心は知らないでもないとは憎いことよ。 乳母たちが近くに臥せっていて、起きていることに気づかれるのもつらいので、お互いに音を立てない。 |
と言った。あちらには何とも答える者がない。小侍徒は姫君の |
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5.1.7 | 「真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に さらに悲しく吹き加わる荻の上を吹く風よ」 |
さ夜中に友よびわたる雁がねに うたて吹きそふ |
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5.1.8 | 「身にしみて感じられることだ」と思い続けて、大宮の御前に帰って嘆きがちでいらっしゃるのも、「お目覚めになってお聞きになろうか」と憚られて、もじもじしながら臥せった。 |
身にしむものであると若君は思いながら宮のお居間のほうへ帰ったが、 |
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5.1.9 | むやみに何となく恥ずかしい気がして、ご自分のお部屋に早く出て、お手紙をお書きになったが、小侍従にも会うことがおできになれず、あの姫君の方にも行くことがおできになれず、たまらない思いでいらっしゃる。 |
若君はわけもなく恥ずかしくて、早く起きて自身の居間のほうへ行き、手紙を書いたが、二人の味方である小侍従にも逢うことができず、姫君の座敷のほうへ行くこともようせずに |
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5.1.10 | 女は女でまた、騒がれなさったことばかり恥ずかしくて、「自分の身はどうなるのだろう、世間の人はどのように思うだろう」とも深くお考えにならず、美しくかわいらしくて、ちょっと噂していることにも、嫌な話だとお突き放しになることもないのであった。 |
女のほうも父親にしかられたり、皆から問題にされたりしたことだけが恥ずかしくて、自分がどうなるとも、あの人がどうなっていくとも深くは考えていない。美しく二人が寄り添って、愛の話をすることが悪いこと、醜いこととは思えなかった。そうした場合がなつかしかった。 |
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5.1.11 | また、かう おとなびたる |
また、このように騒がれねばならないことともお思いでなかったのを、御後見人たちがひどく注意するので、文通をすることもおできになれない。 大人であったら、しかるべき機会を作るであろうが、男君も、まだ少々頼りない年頃なので、ただたいそう残念だとばかり思っている。 |
こんなに皆に騒がれることが至当なこととは思われないのであるが、乳母などからひどい |
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第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる |
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5.2.1 | 内大臣は、あれ以来参上なさらず、大宮をひどいとお思い申していらっしゃる。 北の方には、このようなことがあったとは、そぶりにもお見せ申されず、ただ何かにつけて、とても不機嫌なご様子で、 |
内大臣はそれきりお |
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5.2.2 | 「 さすがに、 |
「中宮が格別に威儀を整えて参内なさったのに対して、わが女御が将来を悲嘆していらっしゃるのが、気の毒に胸が痛いので、里に退出おさせ申して、気楽に休ませて上げましょう。 立后しなかったとはいえ、主上のお側にずっと伺候なさって、昼夜おいでのようですから、仕えている女房たちも気楽になれず、苦しがってばかりいるようですから」 |
「中宮がはなやかな儀式で立后後の宮中入りをなすったこの際に、 |
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5.2.3 | とおっしゃって、急に里にご退出させ申し上げなさる。 お許しは難しかったが、無理をおっしゃって、主上はしぶしぶでおありであったのを、むりやりお迎えなさる。 |
こう夫人に語っている大臣はにわかに女御退出のお暇を |
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5.2.4 | 「所在なくていらっしゃるでしょうから、姫君を迎えて、一緒に遊びなどなさい。 大宮にお預け申しているのは、安心なのですが、たいそう小賢しくませた人が一緒なので、自然と親しくなるのも、困った年頃になったので」 |
「退屈でしょうから、あちらの姫君を呼んでいっしょに遊ぶことなどなさい。宮にお預けしておくことは安心なようではあるが、年の寄った女房があちらには多すぎるから、同化されて若い人の慎み深さがなくなってはと、もうそんなことも考えなければならない年ごろになっていますから」 |
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5.2.5 | と |
とお申し上げなさって、急にお引き取りになさる。 |
こんなことを言って、にわかに雲井の雁を迎えることにした。 |
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5.2.6 | 大宮は、とても気落ちなさって、 |
大宮は力をお落としになって、 |
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5.2.7 | 「一人いらした女の子がお亡くなりになって以来、とても寂しく心細かったのが、うれしいことにこの姫君を得て、生きている間中お世話できる相手と思って、朝な夕なに、老後の憂さつらさの慰めにしようと思っていましたが、心外にも心隔てを置いてお思いになるのも、つらく思われます」 |
「たった一人あった女の子が |
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5.2.8 | などとお申し上げなさると、恐縮して、 |
とお言いになると、大臣はかしこまって言った。 |
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5.2.9 | 「心中に不満に存じられますことは、そのように存じられますと申し上げただけでございます。 深く隔意もってお思い申し上げることはどうしていたしましょう。 |
「 |
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5.2.10 | 宮中に仕えております姫君が、ご寵愛が恨めしい様子で、最近退出おりますが、とても所在なく沈んでおりますので、気の毒に存じますので、一緒に遊びなどをして慰めようと存じまして、ほんの一時引き取るのでございます」と言って、「お育てくださり、一人前にしてくださったのを、けっしていいかげんにはお思い申しておりません」 |
御所におります娘が、いろいろと朗らかでないふうでこの節 また、 「今日までの御養育の御恩は決して忘れさせません」 |
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5.2.11 | と申し上げなさると、このようにお思いたちになった以上は、引き止めようとなさっても、お考え直されるご性質ではないので、大変に残念にお思いになって、 |
とも言った。こう決めたことはとどめても思い返す性質でないことを御承知の宮はただ残念に思召すばかりであった。 |
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5.2.12 | 「 とかく また、さもこそあらめ、 かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」 |
「人の心とは嫌なものです。 あれこれにつけ幼い子どもたちも、わたしに隠し事をして嫌なことですよ。 また一方で、子どもとはそのようなものでしょうが、内大臣が、思慮分別がおありになりながら、わたしを恨んで、このように連れて行っておしまいになるとは。 あちらでは、ここよりも安心なことはあるまいに」 |
「人というものは、どんなに愛するものでもこちらをそれほどには思ってはくれないものだね。若い二人がそうではないか、私に隠して大事件を起こしてしまったではないか。それはそれでも大臣はりっぱなでき上がった人でいながら私を恨んで、こんなふうにして姫君をつれて行ってしまう。あちらへ行ってここにいる以上の平和な日があるものとは思われないよ」 |
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5.2.13 | と、うち |
と、泣きながらおっしゃる。 |
お泣きになりながら、こう女房たちに宮は言っておいでになった。 |
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第三段 夕霧、大宮邸に参上 |
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5.3.1 | ちょうど折しも冠者の君が参上なさった。 「もしやちょっとした隙でもありやしないか」と、最近は頻繁にお顔を出しになられるのであった。 内大臣のお車があるので、気がとがめて具合悪いので、こっそり隠れて、ご自分のお部屋にお入りになった。 |
ちょうどそこへ若君が来た。少しの |
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5.3.2 | 内大臣の若公達の、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などと言った人々も、皆ここには参集なさったが、御簾の内に入ることはお許しにならない。 |
内大臣の息子たちである |
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5.3.3 | 左兵衛督、権中納言なども、異腹の兄弟であるが、故大殿のご待遇によって、今でも参上して御用を承ることが親密なので、その子どもたちもそれぞれ参上なさるが、この冠者の君に似た美しい人はいないように見える。 |
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5.3.4 | 大宮のご愛情も、この上なくお思いであったが、ただこの姫君を、身近にかわいい者とお思いになってお世話なさって、いつもお側にお置きになって、かわいがっていらっしゃったのに、このようにしてお引き移りになるのが、とても寂しいこととお思いになる。 |
宮のお愛しになることも比類のない御孫であったが、そのほかには雲井の雁だけがお手もとで育てられてきて深い御愛情の注がれている御孫であったのに、突然こうして去ってしまうことになって、お寂しくなることを宮は |
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5.3.5 | 内大臣殿は、 |
大臣は、 |
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5.3.6 | 「今の間に、内裏に参上しまして、夕方に迎えに参りましょう」 |
「ちょっと御所へ参りまして、夕方に迎えに来ようと思います」 |
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5.3.7 | とて、 |
と言って、お出になった。 |
と言って出て行った。 |
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5.3.8 | 「いふかひなきことを、なだらかに |
「今さら言っても始まらないことだが、穏便に言いなして、二人の仲を許してやろうか」とお思いになるが、やはりとても面白くないので、「ご身分がもう少し一人前になったら、不満足な地位でないと見做して、その時に、愛情が深いか浅いかの状態も見極めて、許すにしても、改まった結婚という形式を踏んで婿として迎えよう。 厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、見苦しいことをしよう。 大宮も、まさかむやみにお諌めになることはあるまい」 |
事実に潤色を加えて結婚をさせてもよいとは大臣の心にも思われたのであるが、やはり残念な気持ちが勝って、ともかくも相当な官歴ができたころ、娘への愛の深さ浅さをも見て、許すにしても形式を整えた結婚をさせたい、厳重に監督しても、そこが男の家でもある所に置いては、若いどうしは放縦なことをするに違いない。宮もしいて制しようとはあそばさないであろうから |
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5.3.9 | とお思いになると、弘徽殿女御が寂しがっているのにかこつけて、こちらにもあちらにも穏やかに話して、お連れになるのであった。 |
とこう思って、 |
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第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬 |
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5.4.1 | 大宮のお手紙で、 |
宮は雲井の雁へ手紙をお書きになった。 |
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5.4.2 | 「内大臣は、お恨みでしょうが、あなたは、こうはなってもわたしの気持ちはわかっていただけるでしょう。 いらっしゃってお顔をお見せください」 |
大臣は私を恨んでいるかしりませんが、あなたは、私がどんなにあなたを愛しているかを知っているでしょう。こちらへ逢いに来てください。 |
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5.4.3 | と かたなりに |
と差し上げなさると、とても美しく装束を整えていらっしゃった。 十四歳でいらっしゃった。 まだ十分に大人にはお見えでないが、とてもおっとりとしていらして、しとやかで、美しい姿態をしていらっしゃった。 |
宮のお言葉に従って、きれいに着かざった姫君が出て来た。年は十四なのである。まだ大人にはなりきってはいないが、子供らしくおとなしい美しさのある人である。 |
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5.4.4 | 「かたはらさけたてまつらず、 |
「いままでお側をお離し申さず、明け暮れの話相手とお思い申していたのに、とても寂しいことですね。 残り少ない晩年に、あなたのご将来を見届けることができないことは、寿命と思いますが、今のうちから見捨ててお移りになる先が、どこかしらと思うと、とても不憫でなりません」 |
「始終あなたをそばに置いて見ることが、私のなくてならぬ慰めだったのだけれど、行ってしまっては寂しくなることでしょう。私は年寄りだから、あなたの |
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5.4.5 | と言ってお泣きになる。 姫君は、恥ずかしいこととお思いになると、顔もお上げにならず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。 男君の御乳母の、宰相の君が出て来て、 |
と言って宮はお泣きになるのであった。雲井の雁は祖母の宮のお |
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5.4.6 | 「同じご主人様とお頼り申しておりましたが、残念にもこのようにお移りあそばすとは。 内大臣殿は別にお考えになるところがおありでも、そのようにお思いあそばしますな」 |
「若様とごいっしょの御主人様だとただ今まで思っておりましたのに行っておしまいになるなどとは残念なことでございます。殿様がほかの方と御結婚をおさせになろうとあそばしましても、お従いにならぬようにあそばせ」 |
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5.4.7 | など、ささめき |
などと、ひそひそと申し上げると、いっそう恥ずかしくお思いになって、何ともおっしゃらない。 |
などと小声で言うと、いよいよ恥ずかしく思って、 |
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5.4.8 | 「いえもう、 厄介なことは申し上げなさいますな。人の運命はそれぞれで、と |
「そんな |
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5.4.9 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
と宮がお言いになる。 |
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5.4.10 | 「いえいえ、 一人前でないとお侮り申していらっしゃるのでしょう。今はそうですが、わたくしどもの若君が人にお劣り申していらっしゃる |
「でも殿様は貧弱だと |
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5.4.11 | と、なま |
と、癪にさわるのにまかせて言う。 |
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5.4.12 | 冠者の君は、物陰に入って御覧になると、人が見咎めるのも、何でもない時は苦しいだけであったが、とても心細くて、涙を拭いながらいらっしゃる様子を、御乳母が、とても気の毒に見て、大宮にいろいろとご相談申し上げて、夕暮の人の出入りに紛れて、対面させなさった。 |
若君は |
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5.4.13 | かたみにもの |
お互いに何となく恥ずかしく胸がどきどきして、何も言わないでお泣きになる。 |
きまり悪さと恥ずかしさで二人はものも言わずに泣き入った。 |
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5.4.14 | 「内大臣のお気持ちがとてもつらいので、ままよ、いっそ諦めようと思いますが、恋しくいらっしゃてたまらないです。 どうして、少しお逢いできそうな折々があったころは、離れて過ごしていたのでしょう」 |
「 |
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5.4.15 | とのたまふさまも、いと |
とおっしゃる様子も、たいそう若々しく痛々しげなので、 |
と言う男の様子には、若々しくてそして心を打つものがある。 |
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5.4.16 | 「わたしも、 |
「私も苦しいでしょう、きっと」 |
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5.4.17 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
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5.4.18 | 「恋しいと思ってくださるでしょうか」 |
「恋しいだろうとお思いになる」 |
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5.4.19 | とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、 |
とおっしゃると、ちょっとうなずきなさる様子も、幼い感じである。 |
と男が言うと、雲井の雁が幼いふうにうなずく。 |
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第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む |
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5.5.1 | 御殿油をお点けし、内大臣が宮中から退出なさって来た様子で、ものものしく大声を上げて先払いする声に、女房たちが、 |
座敷には |
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5.5.2 | 「そそや」 |
「それそれ、 |
「さあ、さあ」 |
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5.5.3 | などと慌てるので、とても恐ろしくお思いになって震えていらっしゃる。 そんなにやかましく言われるなら言われても構わないと、一途な心で、姫君をお放し申されない。 姫君の乳母が参ってお捜し申して、その様子を見て、 |
と騒ぎ出すと、雲井の雁は恐ろしがってふるえ出す。男はもうどうでもよいという気になって、姫君を帰そうとしないのである。姫君の |
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5.5.4 | 「まあ、いやだわ。 なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」 |
何といういまわしいことであろう、やはり宮はお知りにならなかったのではなかったか |
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5.5.5 | と |
と思うと、実に恨めしくなって、 |
と思うと、乳母は恨めしくてならなかった。 |
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5.5.6 | 「何とも、 情けないことですわ。内大臣殿がおっしゃることは、申すまでもなく、大納言殿にもどのようにお聞き になることでしょう。結構な方であっても、初婚の相手が六位 |
「ほんとうにまあ悲しい。殿様が腹をおたてになって、どんなことをお言い出しになるかしれないばかしか、大納言家でもこれをお聞きになったらどうお思いになることだろう。貴公子でおありになっても、最初の殿様が |
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5.5.7 | と、つぶやくもほの ただこの |
と、つぶやいているのがかすかに聞こえる。 ちょうどこの屏風のすぐ背後に捜しに来て、嘆くのであった。 |
こう言う声も聞こえるのであった。すぐ二人のいる |
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5.5.8 | 男君は、「自分のことを位がないと軽蔑しているのだ」とお思いになると、こんな二人の仲がたまらなくなって、愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。 |
若君は自分の位の低いことを言って侮辱しているのであると思うと、急に人生がいやなものに思われてきて、恋も少しさめる気がした。 |
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5.5.9 | 「かれ |
「あれをお聞きなさい。 |
「そらあんなことを言っている。 |
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5.5.10 | 真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを 浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか |
くれなゐの涙に深き 浅緑とやいひしをるべき |
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5.5.11 | 恥ずかしい」 |
恥ずかしくてならない」 |
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5.5.12 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と言うと、 |
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5.5.13 | 「色々とわが身の不運が思い知らされますのは どのような因縁の二人なのでしょう」 |
いろいろに身のうきほどの知らるるは いかに染めける中の衣ぞ |
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5.5.14 | と、言い終わらないうちに、殿がお入りになっていらしたので、しかたなくお戻りになった。 |
と雲井の雁が言ったか言わぬに、もう大臣が家の中にはいって来たので、そのまま雲井の雁は立ち上がった。 |
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5.5.15 | 男君は、後に残された気持ちも、とても体裁が悪く、胸が一杯になって、ご自分のお部屋で横におなりになった。 |
取り残された見苦しさも恥ずかしくて、悲しみに胸をふさがらせながら、若君は自身の居間へはいって、そこで寝つこうとしていた。 |
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5.5.16 | お車は三輌ほどで、ひっそりと急いでお出になる様子を聞くのも、落ち着かないので、大宮の御前から「いらっしゃい」とあるが、寝ている様子をして身動きもなさらない。 |
三台ほどの車に分乗して姫君の一行は |
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5.5.17 | 涙ばかりが止まらないので、嘆きながら夜を明かして、霜がたいそう白いころに急いでお帰りになる。 泣き腫らした目許も、人に見られるのが恥ずかしいので、大宮もまた、お召しになって放さないだろうから、気楽な所でと思って、急いでお帰りになったのであった。 |
涙だけがまだ止まらずに一睡もしないで暁になった。霜の白いころに若君は急いで出かけて行った。泣き |
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5.5.18 | その道中は、誰のせいからでなく、心細く思い続けると、空の様子までもたいそう曇って、まだ暗いのであった。 |
車の中でも若君はしみじみと破れた恋の悲しみを感じるのであったが、空模様もひどく曇って、まだ暗い寂しい夜明けであった。 |
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5.5.19 | 「霜や氷が嫌に張り詰めた明け方の 空を真暗にして降る涙の雨だなあ」 |
霜氷うたて結べる明けぐれの 空かきくらし降る涙かな |
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第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋 |
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第一段 惟光の娘、五節舞姫となる |
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6.1.1 | 大殿の所では、今年、五節の舞姫を差し上げなさる。 何ほどといったご用意ではないが、童女の装束など、日が近くなったといって、急いでおさせになる。 |
今年源氏は |
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6.1.2 | 東の院では、参内の夜の付人の装束を準備させなさる。 殿におかれては、全般的な事柄を、中宮からも、童女や、下仕えの人々のご料などを、並大抵でないものを差し上げなさった。 |
東の院の |
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6.1.3 | 昨年は、五節などは停止になっていたが、もの寂しかった思いを加えて、殿上人の気分も、例年よりもはなやかに思うにちがいない年なので、家々が競って、たいそう立派に善美の限りを尽くして用意をなさるとの噂である。 |
去年は |
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6.1.4 | 按察大納言、左衛門督と、殿上人の五節としては、良清が、今では近江守で左中弁を兼官しているのが、差し上げるのだった。 皆残させなさって、宮仕えするようにとの、仰せ言が特にあった年なので、娘をそれぞれ差し上げなさる。 |
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6.1.5 | 大殿の舞姫は、惟光朝臣が、摂津守で左京大夫を兼官しているその娘の、器量などもたいそう美しいという評判があるのをお召しになる。 つらいことと思ったが、 |
今年の舞い姫はそのまま続いて女官に採用されることになっていたから、愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。源氏は自身から出す舞い姫に、摂津守兼左京大夫である |
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6.1.6 | 「按察大納言が、異腹の娘を差し上げられるというのに、朝臣が大切なまな娘を差し出すのは、何の恥ずかしいことがあろうか」 |
「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、君の大事な娘を出したっても恥ではない」 |
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6.1.7 | と |
とお責めになるので、困って、いっそのこと宮仕えをそのままさせようと考えていた。 |
と責められて、困ってしまった惟光は、女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、主命に従うことにしたのである。 |
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6.1.8 | 舞の稽古などは、里邸で十分に仕上げて、介添役など、親しく身近に添うべき女房などは、丹念に選んで、その日の夕方大殿に参上させた。 |
舞の |
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6.1.9 | 大殿邸でも、それぞれのご婦人方の童女や、下仕えの優れている者をと、お比べになり、選び出される者たちの気分は、身分相応につけて、たいそう誇らしげである。 |
なお童女幾人、 |
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6.1.10 | 主上のお前に召されて御覧になられる前稽古に、殿のお前を通らせてみようとお決めになる。 誰一人落第する者もいないくらいに、それぞれ素晴らしい童女の姿態や、器量にお困りになって、 |
陛下が |
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6.1.11 | 「もう一人分の舞姫の介添役を、こちらから差し上げたいものだな」 |
「もう一人分の付き添いの童女を私のほうから出そうかね」 |
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6.1.12 | など ただもてなし |
などと言ってお笑いになる。 わずかに態度や心構えの違いによって選ばれたのであった。 |
などと笑っていた。結局身の取りなしのよさと、品のよい落ち着きのある者が採られることになった。 |
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第二段 夕霧、五節舞姫を恋慕 |
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6.2.1 | 大学の君は、ただ胸が一杯で、食事なども見たくなく、ひどくふさぎこんで、漢籍も読まないで物思いに沈んで横になっていらっしゃったが、気分も紛れようかと外出して、人目に立たないようにお歩きになる。 |
大学生の若君は失恋の悲しみに胸が閉じられて、何にも興味が持てないほど心がめいって、書物も読む気のしないほどの気分がいくぶん慰められるかもしれぬと、五節の夜は二条の院に行っていた。 |
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6.2.2 | さま、 |
姿態、器量は立派で美しくて、落ち着いて優美でいらっしゃるので、若い女房などは、とても素晴らしいと拝見している。 |
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6.2.3 | 対の上の御方には、御簾のお前近くに出ることさえお近寄らせにならない。 ご自分のお心の性癖から、どのようにお考えになったのであろうか、他人行儀なお扱いなので、女房なども疎遠なのだが、今日は舞姫の混雑に紛れて、入り込んで来られたのであろう。 |
夫人のいるほうでは |
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6.2.4 | 舞姫を大切に下ろして、妻戸の間に屏風などを立てて、臨時の設備なので、そっと近寄ってお覗きになると、苦しそうに物に寄り臥していた。 |
車で着いた舞い姫をおろして、妻戸の所の座敷に、 |
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6.2.5 | ただ、かの |
ちょうど、あの姫君と同じくらいに見えて、もう少し背丈がすらっとしていて、姿つきなどが一段と風情があって、美しい点では勝ってさえ見える。 暗いので、詳しくは見えないが、全体の感じがたいそうよく似ている様子なので、心が移るというのではないが、気持ちを抑えかねて、裾を引いてさらさらと音を立てさせなさると、何か分からず、変だと思っていると、 |
ちょうど |
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6.2.6 | 「天にいらっしゃる豊岡姫に仕える宮人も わたしのものと思う気持ちを忘れないでください |
「 わが志すしめを忘るな |
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6.2.7 | 瑞垣のずっと昔から思い染めてきましたのですから」 |
『みづがきの』(久しき世より思ひ |
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6.2.8 | とおっしゃるのは、あまりにも唐突というものである。 |
と言ったが、 |
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6.2.9 | 若々しく美しい声であるが、誰とも分からず、薄気味悪く思っていたところへ、化粧し直そうとして、騒いでいる女房たちが、近くにやって来て騒がしくなったので、とても残念な気がして、お立ち去りになった。 |
若々しく美しい声をしているが、だれであるかを舞い姫は考え当てることもできない。気味悪く思っている時に、顔の化粧を直しに、騒がしく世話役の女が幾人も来たために、若君は残念に思いながらその部屋を立ち去った。 |
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第三段 宮中における五節の儀 |
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6.3.1 | きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。 |
浅葱の服が嫌なので、宮中に参内することもせず、億劫がっていらっしゃるのを、五節だからというので、直衣なども特別の衣服の色を許されて参内なさる。 いかにも幼げで美しい方であるが、お年のわりに大人っぽくて、しゃれてお歩きになる。 帝をはじめ参らせて、大切になさる様子は並大抵でなく、世にも珍しいくらいのご寵愛である。 |
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6.3.2 | げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ |
五節の参内する儀式は、いずれ劣らず、それぞれがこの上なく立派になさっているが、「舞姫の器量は、大殿と大納言のとは素晴らしい」という大評判である。 なるほど、とてもきれいであるが、おっとりとして可憐なさまは、やはり大殿のには、かないそうもなかった。 |
五節の舞い姫がそろって御所へはいる儀式には、どの舞い姫も盛装を凝らしていたが、美しい点では源氏のと、大納言の舞い姫がすぐれていると若い役人たちはほめた。実際二人ともきれいであったが、ゆったりとした美しさはやはり源氏の舞い姫がすぐれていて、大納言のほうのは及ばなかったようである。 |
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6.3.3 | どことなくきれいな感じの当世風で、誰の娘だか分からないよう飾り立てた姿態などが、めったにないくらい美しいのを、このように褒められるようである。 例年の舞姫よりは、皆少しずつ大人びていて、なるほど特別な年である。 |
きれいで、現代的で、五節の舞い姫などというもののようでないつくりにした感じよさがこうほめられるわけであった。例年の舞い姫よりも少し大きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。 |
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6.3.4 | 大殿が宮中に参内なさって御覧になると、昔お目をとどめなさった少女の姿をお思い出しになる。 辰の日の暮方に手紙をやる。 その内容はご想像ください。 |
源氏も参内して陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に |
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6.3.5 | 「少女だったあなたも神さびたことでしょう 天の羽衣を着て舞った昔の友も長い年月を経たので」 |
ふるき世の友よはひ経ぬれば |
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6.3.6 | 歳月の流れを数えて、ふとお思い出しになられたままの感慨を、堪えることができずに差し上げたのが、胸をときめかせるのも、はかないことであるよ。 |
五節は今日までの年月の長さを思って、物哀れになった心持ちを源氏が昔の自分に書いて告げただけのことである、これだけのことを喜びにしなければならない自分であるということをはかなんだ。 |
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6.3.7 | 「五節のことを言いますと、 昔のことが今日のことのよう |
かけて言はば今日のこととぞ思ほゆる 日かげの霜の袖にとけしも |
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6.3.8 | 青摺りの紙をよく間に合わせて、誰の筆跡だか分からないように書いた、濃く、また薄く、草体を多く交えているのも、あの身分にしてはおもしろいと御覧になる。 |
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6.3.9 | 冠者の君も、少女に目が止まるにつけても、ひそかに思いをかけてあちこちなさるが、側近くにさえ寄せず、たいそう無愛想な態度をしているので、もの恥ずかしい年頃の身では、心に嘆くばかりであった。 器量はそれは、とても心に焼きついて、つれない人に逢えない慰めにでも、手に入れたいものだと思う。 |
若君も特に目だった美しい自家の五節を舞の庭に見て、逢ってものを言う機会を作りたく、楽屋のあたりへ行ってみるのであったが、近い所へ人も寄せないような警戒ぶりであったから、 |
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第四段 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す |
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6.4.1 | やがて |
そのまま皆宮中に残させなさって、宮仕えするようにとの御内意があったが、この場は退出させて、近江守の娘は辛崎の祓い、津守のは難波で祓いをと、競って退出した。 大納言も改めて出仕させたい旨を奏上させる。 左衛門督は、資格のない者を差し上げて、お咎めがあったが、それも残させなさる。 |
五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、 |
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6.4.2 | 津守は、「典侍が空いているので」と申し上げさせたので、「そのように労をねぎらってやろうか」と大殿もお考えになっていたのを、あの冠者の君はお聞きになって、とても残念だと思う。 |
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6.4.3 | 「自分の年齢や、位などが、このように問題でないならば、願い出てみたいのだが。 思っているということさえ知られないで終わってしまうことよ」 |
自分がこんな少年でなく、六位級に置かれているのでなければ、女官などにはさせないで、父の大臣に |
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6.4.4 | と、特別強く執心しているのではないが、あの姫君のことに加えて涙がこぼれる時々がある。 |
恋しく思う心だけも知らせずに終わるのかと、たいした思いではなかったが、雲井の雁を思って流す涙といっしょに、そのほうの涙のこぼれることもあった。 |
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6.4.5 | 兄弟で童殿上する者が、つねにこの君に参上してお仕えしているのを、いつもよりも親しくご相談なさって、 |
五節の弟で若君にも丁寧に臣礼を取ってくる惟光の子に、ある日逢った若君は平生以上に親しく話してやったあとで言った。 |
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6.4.6 | 「五節はいつ宮中に参内なさるのか」 |
「五節はいつ御所へはいるの」 |
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6.4.7 | と |
とお尋ねになる。 |
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6.4.8 | 「今年と聞いております」 |
「今年のうちだということです」 |
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6.4.9 | と |
と申し上げる。 |
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6.4.10 | 「顔がたいそうよかったので、無性に恋しい気がする。 おまえがいつも見ているのが羨ましいが、もう一度見せてくれないか」 |
「顔がよかったから私はあの人が好きになった。君は姉さんだから毎日見られるだろうからうらやましいのだが、私にももう一度見せてくれないか」 |
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6.4.11 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
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6.4.12 | 「どうしてそのようなことができましょうか。 思うように会えないのでございます。 男兄弟だといって、近くに寄せませんので、まして、あなた様にはどうしてお会わせ申すことができましょうか」 |
「そんなこと、私だってよく顔なんか見ることはできませんよ。男の兄弟だからって、あまりそばへ寄せてくれませんのですもの、それだのにあなたなどにお見せすることなど、だめですね」 |
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6.4.13 | と |
と申し上げる。 |
と言う。 |
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6.4.14 | 「さらば、 |
「それでは、せめて手紙だけでも」 |
「じゃあ手紙でも持って行ってくれ」 |
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6.4.15 | といってお与えになった。 「以前からこのようなことはするなと親が言われていたものを」と困ったが、無理やりにお与えになるので、気の毒に思って持って行った。 |
と言って、若君は |
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6.4.16 | 年齢よりは、ませていたのであろうか、興味をもって見るのであった。 緑色の薄様に、好感の持てる色を重ねて、筆跡はまだとても子供っぽいが、将来性が窺えて、たいそう立派に、 |
五節は年よりもませていたのか、若君の手紙をうれしく思った。緑色の |
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6.4.17 | 「日の光にはっきりとおわかりになったでしょう あなたが天の羽衣も翻して舞う姿に思いをかけたわたしのことを」 |
日かげにもしるかりけめや 天の羽袖にかけし心は |
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6.4.18 | 二人で見ているところに、父殿がひょいとやって来た。 恐くなってどうしていいか分からず、隠すこともできない。 |
姉と弟がこの手紙をいっしょに読んでいる所へ思いがけなく父の惟光大人が出て来た。隠してしまうこともまた恐ろしくてできぬ若い |
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6.4.19 | 「なぞの |
「何の手紙だ」 |
「それは、だれの手紙」 |
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6.4.20 | とて |
と言って取ったので、顔を赤らめていた。 |
父が手に取るのを見て、姉も弟も赤くなってしまった。 |
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6.4.21 | 「けしからぬことをした」 |
「よくない使いをしたね」 |
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6.4.22 | と |
と叱ると、男の子が逃げて行くのを、呼び寄せて、 |
としかられて、逃げて行こうとする子を呼んで、 |
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6.4.23 | 「 |
「誰からだ」 |
「だれから頼まれた」 |
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6.4.24 | と |
と尋ねると、 |
と惟光が言った。 |
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6.4.25 | 「大殿の冠者の君が、これこれしかじかとおっしゃってお与えになったのです」 |
「殿様の若君がぜひっておっしゃるものだから」 |
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6.4.26 | と |
と言うと、すっかり笑顔になって、 |
と答えるのを聞くと、惟光は今まで怒っていた人のようでもなく、 |
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6.4.27 | 「何ともかわいらしい若君のおたわむれだ。 おまえたちは、同じ年齢だが、お話にならないくらい頼りないことよ」 |
「何というかわいいいたずらだろう。おまえなどは同い年でまだまったくの子供じゃないか」 |
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6.4.28 | など |
などと褒めて、母君にも見せる。 |
とほめた。妻にもその手紙を見せるのであった。 |
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6.4.29 | 「この |
「大殿の公達が、すこしでも一人前にお考えになってくださるならば、宮仕えよりは、差し上げようものを。 大殿のご配慮を見ると、一度見初めた女性を、お忘れにならないのがたいそう頼もしい。 明石の入道の例になるだろうか」 |
「こうした貴公子に愛してもらえば、ただの女官のお勤めをさせるより私はそのほうへ上げてしまいたいくらいだ。殿様の御性格を見ると恋愛関係をお作りになった以上、御自身のほうから相手をお捨てになることは絶対にないようだ。私も |
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6.4.30 | など |
などと言うが、皆は準備にとりかかっていた。 |
などと惟光は言っていたが、子供たちは皆立って行ってしまった。 |
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第五段 花散里、夕霧の母代となる |
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6.5.1 | あの若君は、手紙をやることさえおできになれず、一段と恋い焦がれる方のことが心にかかって、月日がたつにつれて、無性に恋しい面影に再び会えないのではないかとばかり思っている。 大宮のお側へも、何となく気乗りがせず参上なさらない。 いらっしゃったお部屋や長年一所に遊んだ所ばかりが、ますます思い出されるので、里邸までが疎ましくお思いになられて、籠もっていらっしゃった。 |
若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。二つの恋をしているが、一つの重いほうのことばかりが心にかかって、時間がたてばたつほど恋しくなって、目の前を去らない面影の主に、もう一度逢うということもできぬかとばかり |
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6.5.2 | 大殿は、東院の西の対の御方に、お預け申し上げていらっしゃったのであった。 |
源氏は同じ東の院の |
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6.5.3 | 「大宮のご寿命も大したことがないので、お亡くなりになった後も、このように子供の時から親しんで、お世話してください」 |
「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。お |
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6.5.4 | と |
と申し上げなさると、ただおっしゃっるとおりになさるご性質なので、親しくかわいがって上げなさる。 |
と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。 |
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6.5.5 | ちらっとなどお顔を拝見しても、 |
若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。 |
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6.5.6 | 「器量はさほどすぐれていないな。 このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」などと、「自分は、無性に、つらい人のご器量を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。 気立てがこのように柔和な方をこそ愛し合いたいものだ」 |
よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう、こうした優しい性質の婦人と夫婦になりえたら幸福であろうと、こんなことを若君は思ったが、 |
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6.5.7 | と また、 |
と思う。 また一方で、 |
しかし |
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6.5.8 | 「向かい合っていて見ていられないようなのも気の毒な感じだ。 こうして長年連れ添っていらっしゃったが、父上が、そのようなご器量を、承知なさったうえで、浜木綿ほどの隔てを置き置きして、何やかやとなさって見ないようにしていらっしゃるらしいのも、もっともなことだ」 |
あまりに美しくない顔の妻は向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、こんなに長い関係になっていながら、 |
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6.5.9 | と考える心の中は、大したほどである。 |
そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。 |
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6.5.10 | 大宮の器量は格別でいらっしゃるが、まだたいそう美しくいらっしゃり、こちらでもあちらでも、女性は器量のよいものとばかり目馴れていらっしゃるが、もともとさほどでなかったご器量が、少し盛りが過ぎた感じがして、痩せてみ髪が少なくなっているのなどが、このように難をつけたくなるのであった。 |
大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、そのほかどこでこの人の見るのも相当な容貌が集められている女房たちであったから、女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、若い時から美しい人でなかった花散里が、女の盛りも過ぎて衰えた顔は、 |
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第六段 歳末、夕霧の衣装を準備 |
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6.6.1 | 年の暮には、正月のご装束などを、大宮はただこの冠君の君の一人だけの事を、余念なく準備なさる。 いく組も、たいそう立派に仕立てなさったのを見るのも、億劫にばかり思われるので、 |
年末には正月の |
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6.6.2 | 「元旦などには、特に参内すまいと存じておりますのに、どうしてこのようにご準備なさるのでしょうか」 |
「元旦だって、私は必ずしも参内するものでないのに、何のためにこんなに用意をなさるのですか」 |
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6.6.3 | と |
と申し上げなさると、 |
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6.6.4 | 「どうして、そのようなことがあってよいでしょうか。 年をとってすっかり気落ちした人のようなことをおっしゃいますね」 |
「そんなことがあるものですか。廃人の年寄りのようなことを言う」 |
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6.6.5 | とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
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6.6.6 | 「年はとっていませんが、何もしたくない気がしますよ」 |
「年寄りではありませんが廃人の無力が自分に感じられる」 |
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6.6.7 | と |
と独り言をいって、涙ぐんでいらっしゃる。 |
若君は |
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6.6.8 | 「あの姫君のことを思っているのだろう」と、とても気の毒になって、大宮も泣き顔になってしまわれた。 |
失恋を悲しんでいるのであろうと、哀れに御覧になって宮も寂しいお顔をあそばされた。 |
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6.6.9 | 「男は、取るに足りない身分の人でさえ、気位を高く持つものです。 あまり沈んで、こうしていてはなりません。 どうして、こんなにくよくよ思い詰めることがありましょうか。 縁起でもありません」 |
「男性というものは、どんな低い身分の人だって、心持ちだけは高く持つものです。あまりめいったそうしたふうは見せないようになさいよ。あなたがそんなに思い込むほどの価値のあるものはないではないか」 |
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6.6.10 | とおっしゃるが、 |
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6.6.11 | 「 もの |
「そんなことはありません。 六位などと人が軽蔑するようなので、少しの間だとは存じておりますが、参内するのも億劫なのです。 故祖父大臣が生きていらっしゃったならば、冗談にも、人からは軽蔑されることはなかったでございましょうに。 何の遠慮もいらない実の親でいらしゃいますが、たいそう他人行儀に遠ざけるようになさいますので、いらっしゃる所にも、気安くお目通りもかないません。 東の院にお出での時だけ、お側近く上がります。 対の御方だけは、やさしくしてくださいますが、母親が生きていらっしゃいましたら、何も思い悩まなくてよかったものを」 |
「それは別にないのですが、六位だと人が |
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6.6.12 | とて、 |
と言って、涙が落ちるのを隠していらっしゃる様子、たいそう気の毒なので、大宮は、ますますほろほろとお泣きになって、 |
涙の流れるのを紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。 |
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6.6.13 | 「 |
「母親に先立たれた人は、身分の高いにつけ低いにつけて、そのように気の毒なことなのですが、自然とそれぞれの前世からの宿縁で、成人してしまえば、誰も軽蔑する者はいなくなるものですから、思い詰めないでいらっしゃい。 亡くなった太政大臣がせめてもう少しだけ長生きをしてくれればよかったのに。 絶大な庇護者としては、同じようにご信頼申し上げてはいますが、思いどおりに行かないことが多いですね。 内大臣の性質も、普通の人とは違って立派だと世間の人も褒めて言うようですが、昔と違う事ばかりが多くなって行くので、長生きも恨めしい上に、生い先の長いあなたにまで、このようなちょっとしたことにせよ、身の上を悲観していらっしゃるので、とてもいろいろと恨めしいこの世です」 |
「母を |
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6.6.14 | とて、 |
と言って、泣いていらっしゃる。 |
と宮は泣いておいでになった。 |
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第七章 光る源氏の物語 六条院造営 |
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第一段 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸 |
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7.1.1 | 元旦にも、大殿は御参賀なさらないので、のんびりとしていっらしゃる。 良房の大臣と申し上げた方の、昔の例に倣って、白馬を牽き、節会の日は、宮中の儀式を模して、昔の例よりもいろいろな事を加えて、盛大なご様子である。 |
元日も源氏は外出の要がなかったから |
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7.1.2 | とく |
二月の二十日余りに、朱雀院に行幸がある。 花盛りはまだのころであるが、三月は故藤壷の宮の御忌月である。 早く咲いた桜の花の色もたいそう美しいので、院におかれてもお心配りし特にお手入れあそばして、行幸に供奉なさる上達部や親王たちをはじめとして、十分にご用意なさっていた。 |
二月二十幾日に |
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7.1.3 | お供の人々は皆、青色の袍に、桜襲をお召しになる。 帝は、赤色の御衣をお召しあそばされた。 お召しがあって、太政大臣が参上なさる。 同じ赤色を着ていらっしゃるので、ますますそっくりで輝くばかりにお美しく見違えるほどとお見えになる。 人々の装束や、振る舞いも、いつもと違っている。 院も、たいそうおきれいにお年とともに御立派になられて、御様子や態度が、以前にもまして優雅におなりあそばしていた。 |
その人たちは皆青色の下に |
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7.1.4 | 今日は、専門の文人もお呼びにならず、ただ漢詩を作る才能の高いという評判のある学生十人をお呼びになる。 式部省の試験の題になぞらえて、勅題を賜る。 大殿のご長男の試験をお受けなさるようである。 臆しがちな者たちは、ぼおっとしてしまって、繋いでない舟に乗って、池に一人一人漕ぎ出して、実に途方に暮れているようである。 |
今日は専門の詩人はお招きにならないで、詩才の認められる大学生十人を召したのである。これを |
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7.1.5 | 日がだんだんと傾いてきて、音楽の舟が幾隻も漕ぎ廻って、調子を整える時に、山風の響きがおもしろく吹き合わせているので、冠者の君は、 |
夕方近くなって、音楽者を載せた船が池を往来して、楽音を山風に混ぜて吹き立てている時、若君は |
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7.1.6 | 「こんなにつらい修業をしなくても皆と一緒に音楽を楽しめたりできるはずのものを」 |
こんなに苦しい道を進まないでも自分の才分を発揮させる道はあるであろうが |
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7.1.7 | と、 |
と、世の中を恨めしく思っていらっしゃった。 |
と恨めしく思った。 |
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7.1.8 | 「春鴬囀」を舞うときに、昔の花の宴の時をお思い出しになって、院の帝が、 |
「 |
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7.1.9 | 「また、さばかりのこと |
「もう一度、 |
「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」 |
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7.1.10 | とのたまはするにつけて、その |
と仰せられるにつけても、その当時のことがしみじみと次々とお思い出されなさる。 舞い終わるころに、太政大臣が、院にお杯を差し上げなさる。 |
と源氏へ仰せられたが、源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛 |
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7.1.11 | 「鴬の囀る声は昔のままですが 馴れ親しんだあの頃とはすっかり時勢が変わってしまいました」 |
むつれし花のかげぞ変はれる |
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7.1.12 | 院の上は、 |
院は、 |
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7.1.13 | 「宮中から遠く離れた仙洞御所にも 春が来たと鴬の声が聞こえてきます」 |
九重を 春と告げくる鶯の声 |
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7.1.14 | 帥宮と申し上げた方は、今では兵部卿となって、今上帝にお杯を差し上げなさる。 |
とお答えになった。 |
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7.1.15 | 「昔の音色そのままの笛の音に さらに鴬の囀る声までもちっとも変わっていません」 |
いにしへを吹き伝へたる笛竹に |
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7.1.16 | あざやかに |
巧みにその場をおとりなしなさった、心づかいは特に立派である。 杯をお取りあそばして、 |
この歌を奏上した宮の御様子がことにりっぱであった。帝は杯をお取りになって、 |
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7.1.17 | 「鴬が昔を慕って木から木へと飛び移って囀っていますのは 今の木の花の色が悪くなっているからでしょうか」 |
鶯の昔を恋ひて |
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7.1.18 | と仰せになる御様子、この上なく奥ゆかしくいらっしゃる。 このお杯事は、お身内だけのことなので、多数の方には杯が回らなかったのであろうか、または書き洩らしたのであろうか。 |
と仰せになるのが重々しく |
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7.1.19 | せめきこえたまふ。 さるいみじき 「 |
楽所が遠くてはっきり聞こえないので、御前にお琴をお召しになる。 兵部卿宮は、琵琶。 内大臣は和琴。 箏のお琴は、院のお前に差し上げて、琴の琴は、例によって太政大臣が頂戴なさる。 お勧め申し上げなさる。 このような素晴らしい方たちによる優れた演奏で、秘術を尽くした楽の音色は、何ともたとえようがない。 唱歌の殿上人が多数伺候している。 「安名尊」を演奏して、次に「桜人」。 月が朧ろにさし出して美しいころに、中島のあたりにあちこちに篝火をいくつも灯して、この御遊は終わった。 |
奏楽所が遠くて、細かい楽音が聞き分けられないために、楽器が御前へ召された。兵部卿の宮が |
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第二段 弘徽殿大后を見舞う |
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7.2.1 | 夜は更けてしまったが、このような機会に、太后宮のいらっしゃる方を、避けてお伺い申し上げなさらないのも、思いやりがないので、帰りにお立ち寄りになる。 大臣もご一緒に伺候なさる。 |
夜ふけになったのであるが、この機会に皇太后を御訪問あそばさないことも冷淡なことであると |
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7.2.2 | 大后宮はお待ち喜びになって、ご面会なさる。 とてもたいそうお年を召されたご様子にも、故宮をお思い出し申されて、「こんなに長生きされる方もいらっしゃるものを」と、残念にお思いになる。 |
太后は非常に喜んでお迎えになった。もう非常に老いておいでになるのを、御覧になっても帝は御母宮をお思い出しになって、こんな長生きをされる方もあるのにと残念に思召された。 |
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7.2.3 | 「今ではこのように年を取って、すべての事柄を忘れてしまっておりましたが、まことに畏れ多くもお越し戴きましたので、改めて昔の御代のことが思い出されます」 |
「もう老人になってしまいまして、私などはすべての過去を忘れてしまっておりますのに、もったいない御訪問をいただきましたことから、昔の |
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7.2.4 | と、うち |
と、お泣きになる。 |
と太后は泣いておいでになった。 |
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7.2.5 | 「頼りになるはずの人々に先立たれて後、春になった気分も知らないでいましたが、今日初めて心慰めることができました。 時々はお伺い致します」 |
「御両親が早くお |
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7.2.6 | と |
と御挨拶申し上げあそばす。 太政大臣もしかるべくご挨拶なさって、 |
と陛下は仰せられ、源氏も御 |
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7.2.7 | 「また改めてお伺い致しましょう」 |
「また別の日に伺候いたしまして」 |
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7.2.8 | と のどやかならで |
と、申し上げなさる。 ゆっくりなさらずにお帰りあそばすご威勢につけても、大后は、やはりお胸が静まらず、 |
還幸の |
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7.2.9 | 「どのように思い出していられるのだろう。 結局、政権をお執りになるというご運勢は、押しつぶせなかったのだ」 |
どんな |
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7.2.10 | と、いにしへを |
と昔を後悔なさる。 |
とお悟りにもなった。 |
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7.2.11 | 尚侍の君も、ゆったりした気分でお思い出しになると、しみじと感慨無量な事が多かった。 今でも適当な機会に、何かの伝で密かに便りを差し上げなさることがあるのであろう。 |
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7.2.12 | 大后は朝廷に奏上なさることのある時々に、御下賜された年官や年爵、何かにつけながら、ご意向に添わない時には、「長生きをしてこんな酷い目に遭うとは」と、もう一度昔の御代に取り戻したく、いろいろとご機嫌悪がっているのであった。 |
太后は政治に御 |
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7.2.13 | 年を取っていかれるにつれて、意地の悪さも加わって、院ももてあまして、例えようもなくお思い申し上げていらっしゃるのだった。 |
年を取っておいでになるにしたがって、強い御気質がますます強くなって院もお困りになるふうであった。 |
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7.2.14 | さて、大学の君は、その日の漢詩を見事にお作りになって、進士におなりになった。 長い年月修業した優れた者たちをお選びになったが、及第した人は、わずかに三人だけであった。 |
源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。 |
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7.2.15 | かの |
秋の司召に、五位に叙されて、侍従におなりになった。 あの人のことを、忘れる時はないが、内大臣が熱心に監視申していらっしゃるのも恨めしいので、無理をしてまでもお目にかかることはなさらない。 ただお手紙だけを適当な機会に差し上げて、お互いに気の毒なお仲である。 |
そして若君は秋の |
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第三段 源氏、六条院造営を企図す |
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7.3.1 | 大殿は、静かなお住まいを、同じことなら広く立派にして、あちこちに別居して気がかりな山里人などをも、集め住まわせようとのお考えで、六条京極の辺りに、中宮の御旧居の近辺を、四町をいっぱいにお造りになる。 |
源氏は静かな生活のできる家を、なるべく広くおもしろく作って、別れ別れにいる、たとえば |
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7.3.2 | 式部卿宮が、明年五十歳におなりになる御賀のことを、対の上がお考えなので、大臣も、「なるほど、見過ごすわけにはいかない」とお思いになって、「そのようなご準備も、同じことなら新しい邸で」と、用意させなさる。 |
式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、紫夫人はその賀宴をしたいと思って |
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7.3.3 | 年が改まってからは、昨年以上にこのご準備の事、御精進落としの事、楽人、舞人の選定などを、熱心に準備させなさる。 経、仏像、法事の日の装束、禄などを、対の上はご準備なさるのだった。 |
春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。 |
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7.3.4 | 東の院で、分担してご準備なさることがある。 ご間柄は、いままで以上にとても優美にお手紙のやりとりをなさって、お過ごしになっているのであった。 |
東の院でも仕事を分担して助けていた。 |
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7.3.5 | 世間中が大騒ぎしているご準備なので、式部卿宮のお耳にも入って、 |
世間までがこのために騒ぐように見える大仕掛けな賀宴のことを式部卿の宮もお聞きになった。 |
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7.3.6 | 「長年の間、世間に対しては広大なお心であるが、わたくしどもには理不尽にも冷たくて、何かにつけて辱め、宮人に対してもお心配りがなく、嫌なことばかり多かったのだが、恨めしいと思うことがあったのだろう」 |
これまではだれのためにも慈父のような広い心を持つ源氏であるが御自身と御自身の周囲の者にだけは冷酷な態度を取り続けられておいでになるのを、源氏の立場になってみれば、恨めしいことが過去にあったのであろう |
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7.3.7 | と、いとほしくもからくも |
と、お気の毒にもまたつらくもお思いであったが、このように数多くの女性関係の中で、特別のご寵愛があって、まことに奥ゆかしく結構な方として、大切にされていらっしゃるご運命を、自分の家までは及んで来ないが、名誉にお思いになると、また、 |
と、その時代の源氏夫婦を今さら気の毒にもお思いになり、こうした現状を苦しがっておいでになったが、源氏の幾人もある |
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7.3.8 | 「このように世間の評判となるまで、大騒ぎしてご準備なさるのは、思いがけない晩年の慶事だ」 |
源氏の勢力のもとでかつてない善美を尽くした準備が調えられているということをお知りになったのであるから、思いがけぬ老後の光栄を受ける |
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7.3.9 | と、お喜びになるのを、北の方は、「おもしろくなく、不愉快だ」とばかりお思いであった。 王女御の、ご入内の折などにも、大臣のご配慮がなかったようなのを、ますます恨めしいと思い込んでいらっしゃるのであろう。 |
と感激しておいでになるが、宮の夫人は不快に思っていた。 |
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第四段 秋八月に六条院完成 |
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7.4.1 | もとありける |
八月に、六条院が完成してお引っ越しなさる。 未申の町は中宮の御旧邸なので、そのままお住まいになる予定である。 辰巳は、殿のいらっしゃる予定の区画である。 丑寅は、東の院にいらっしゃる対の御方、戌亥の区画は、明石の御方とお考えになって造営なさった。 もとからあった池や山を、不都合な所にあるものは造り変えて、水の情緒や、山の風情を改めて、いろいろと、それぞれの御方々のご希望どおりにお造りになった。 |
八月に六条院の造営が終わって、二条の院から源氏は移転することになった。南西は中宮の旧邸のあった所であるから、そこは宮のお |
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7.4.2 | 東南の町は、山を高く築き、春の花の木を、無数に植えて、池の様子も趣深く優れていて、お庭先の前栽には、五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などといった、春の楽しみをことさらには植えないで、秋の前栽を、ひとむらずつ混ぜてあった。 |
南の東は山が高くて、春の花の木が無数に植えられてあった。池がことに自然にできていて、近い植え込みの所には、 |
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7.4.3 | 中宮の御町は、もとからある山に、紅葉の色の濃い植木を幾本も植えて、泉の水を清らかに遠くまで流して、遣水の音がきわだつように岩を立て加え、滝を落として、秋の野を広々と作ってあるが、折柄ちょうどその季節で、盛んに咲き乱れていた。 嵯峨の大堰あたりの野山も、見るかげもなく圧倒された今年の秋である。 |
中宮のお |
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7.4.4 | 北東の町は、涼しそうな泉があって、夏の木蔭を主としていた。 庭先の前栽には、呉竹があり、下風が涼しく吹くようにし、木高い森のような木は奥深く趣があって、山里めいて、卯花の垣根を特別に造りめぐらして、昔を思い出させる花橘、撫子、薔薇、くたになどといった花や、草々を植えて、春秋の木や草を、その中に混ぜていた。 東面は、割いて馬場殿を造って、埒を結って、五月の御遊の場所として、水のほとりに菖蒲を植え茂らせて、その向かい側に御厩舎を造って、またとない素晴らしい馬を何頭も繋がせていらっしゃった。 |
北の東は涼しい泉があって、ここは夏の庭になっていた。座敷の前の庭には |
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7.4.5 | 西北の町は、北面は築地で区切って、御倉町である。 隔ての垣として松の木をたくさん植えて、雪を鑑賞するのに都合よくしてある。 冬の初めの朝、霜が結ぶように菊の籬、得意げに紅葉する柞の原、ほとんど名も知らない深山木などの、木深く茂っているのを移植してあった。 |
北西の町は北側にずっと倉が並んでいるが、隔ての |
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第五段 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる |
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7.5.1 | 彼岸のころにお引っ越しになる。 一度にとお決めあそばしたが、仰々しいようだといって、中宮は少しお延ばしになる。 いつものようにおとなしく気取らない花散里は、その夜、一緒にお引っ越しなさる。 |
秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、 |
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7.5.2 | こちたきほどにはあらず、 |
春のお庭は、今の秋の季節には合わないが、とても見事である。 お車十五台、御前駆は四位五位の人々が多く、六位の殿上人などは、特別な人だけをお選びあそばしていた。 仰々しくはなく、世間の非難があってはと簡略になさっていたので、どのような点につけても大仰に威勢を張ることはない。 |
春の |
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7.5.3 | もうお一方のご様子も、大して劣らないようになさって、侍従の君が付き添って、そちらはお世話なさっているので、なるほどこういうこともあるのであったと見受けられた。 |
もう一人の夫人の前駆その他もあまり落とさなかった。長男の侍従がその夫人の子になっているのであるからもっともなことであると見えた。 |
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7.5.4 | 女房たちの曹司町も、それぞれに細かく当ててあったのが、他の何よりも素晴らしく思われるのであった。 |
女房たちの部屋の配置、こまごまと分けて部屋数の多くできていることなどが新邸の建築のすぐれた点である。 |
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7.5.5 | この |
五、六日過ぎて、中宮が御退出あそばす。 その御様子はそれは、簡略とはいっても、まことに大層なものである。 御幸運の素晴らしいことは申すまでもなく、お人柄が奥ゆかしく重々しくいらっしゃるので、世間から重んじられていらっしゃることは、格別でおいであそばした。 |
五、六日して中宮が御所から退出しておいでになった。その儀式はさすがにまた |
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7.5.6 | この |
この町々の間の仕切りには、塀や廊などを、あちらとこちらとが行き来できるように作って、お互いに親しく風雅な間柄にお造りになってあった。 |
この四つに分かれた |
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第六段 九月、中宮と紫の上和歌を贈答 |
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7.6.1 | 九月になると、紅葉があちこちに色づいて、中宮のお庭先は何ともいえないほど素晴らしい。 風がさっと吹いた夕暮に、御箱の蓋に、色とりどりの花や紅葉をとり混ぜて、こちらに差し上げになさった。 |
九月にはもう |
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7.6.2 | うるはしき さる |
大柄な童女が、濃い紫の袙に、紫苑の織物を重ねて、赤朽葉の羅の汗衫、とてももの馴れた感じで、廊や、渡殿の反橋を渡って参上する。 格式高い礼儀作法であるが、童女の容姿の美しいのを捨てがたくてお選びになったのであった。 そのようなお所に伺候し馴れていたので、立居振舞、姿つき、他家の童女とは違って、好感がもてて風情がある。 お手紙には、 |
やや大柄な童女が |
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7.6.3 | 「お好みで春をお待ちのお庭では、 せめてわたしの方の紅葉を風のたより |
心から春待つ園はわが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ |
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7.6.4 | 若い女房たちが、お使いを歓待する様子は風雅である。 |
というのであった。若い女房たちはお使いをもてはやしていた。 |
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7.6.5 | お返事には、この御箱の蓋に苔を敷き、巌などの感じを出して、五葉の松の枝に、 |
こちらからはその箱の蓋へ、下に |
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7.6.6 | 「風に散ってしまう紅葉は心軽いものです、 春の変わらない色をこの岩にどっしりと根をはった松の常磐の緑を御覧にな |
風に散る紅葉は軽し春の色を 岩根の松にかけてこそ見め |
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7.6.7 | この岩根の松も、よく見ると、素晴らしい造り物なのであった。 このようにとっさに思いつきなさった趣向のよさを、感心して御覧あそばす。 御前に伺候している女房たちも褒め合っていた。 大臣は、 |
という夫人の歌であった。よく見ればこの岩は作り物であった。すぐにこうした趣向のできる夫人の才に源氏は敬服していた。女房たちも皆おもしろがっているのである。 |
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7.6.8 | 「この紅葉のお手紙は、何とも憎らしいですね。 春の花盛りに、このお返事は差し上げなさい。 この季節に紅葉を貶すのは、龍田姫がどう思うかということもあるので、ここは一歩退いて、花を楯にとって、強いことも言ったらよいでしょう」 |
「紅葉の贈り物は秋の御自慢なのだから、春の花盛りにこれに対することは言っておあげなさい。このごろ紅葉を悪口することは |
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7.6.9 | と申し上げなさるのも、とても若々しくどこまでも素晴らしいお姿で魅力にあふれていらっしゃる上に、いっそう理想的なお邸で、お手紙のやりとりをなさる。 |
こんなふうにいつまでも若い心の衰えない源氏夫婦が同じ六条院の人として中宮と風流な戯れをし合っているのである。 |
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7.6.10 | 大堰の御方は、「このように御方々のお引っ越しが終わってから、人数にも入らない者は、いつか分からないようにこっそりと移ろう」とお考えになって、神無月にお引っ越しになるのであった。 お部屋の飾りや、お引っ越しの次第は他の方々に劣らないようにして、お移し申し上げなさる。 姫君のご将来をお考えになると、万事についての作法も、ひどく差をつけず、たいそう重々しくお扱いなさった。 |
大井の夫人は他の夫人のわたましがすっかり済んだあとで、価値のない自分などはそっと引き移ってしまいたいと思っていて、十月に六条院へ来たのであった。 |
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