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第十帖 賢木

光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語


第一段 六条御息所、伊勢下向を決意

1.1.1
斎宮(さいぐう)御下(おほんくだ)り、(ちか)うなりゆくままに御息所(みやすんどころ)もの心細(こころぼそ)(おも)ほす。
やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし大殿(おほいどの)(きみ)()せたまひて(のち)さりともと世人(よひと)()こえあつかひ、(みや)のうちにも(こころ)ときめきせしを、その(のち)しも、かき()え、あさましき(おほん)もてなし()たまふに、まことに()しと(おぼ)すことこそありけめと、()()てたまひぬれば、よろづのあはれを(おぼ)()てて、ひたみちに()()ちたまふ
斎宮の御下向、近づくなるにつれて、御息所、何となく心細くいらっしゃる。
重々しくけむたいご本妻だと思っていらした大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。
斎宮(さいぐう)の伊勢へ下向(げこう)される日が近づけば近づくほど御息所(みやすどころ)は心細くなるのであった。左大臣家の源氏の夫人がなくなったあとでは、世間も今度は源氏と御息所が公然と夫婦になるものと(うわさ)していたことであるし、六条の(やしき)の人々もそうした喜びを予期して興奮していたものであるが、現われてきたことは全然反対で、以前にまさって源氏は冷淡な態度を取り出したのである。これだけの反感を源氏に持たれるようなことが夫人の病中にあったことも、もはや疑う余地もないことであると御息所の心のうちでは思っていた。苦痛を忍んで御息所は伊勢行きを断行することにした。
1.1.2
親添(おやそ)ひて(くだ)りたまふ(れい)も、ことになけれどいと見放(みはな)ちがたき(おほん)ありさまなるにことつけて、()()()(はな)れむ」と(おぼ)すに、大将(だいしゃう)(きみ)さすがに(いま)はとかけ(はな)れたまひなむも、口惜(くちを)しく(おぼ)されて、御消息(おほんせうそこ)ばかりはあはれなるさまにて、たびたび(かよ)ふ。
対面(たいめん)したまはむことをば、(いま)さらにあるまじきことと、女君(をんなぎみ)(おぼ)す。
(ひと)(こころ)づきなしと、(おも)()きたまふこともあらむに、(われ)は、(いま)すこし(おも)(みだ)るることのまさるべきを、あいなし」と、心強(こころづよ)(おぼ)すなるべし
母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになると、大将の君、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々交わす。
お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。
「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。
斎宮に母君がついて行くような例はあまりないことでもあったが、年少でおありになるということに託して、御息所はきれいに恋から離れてしまおうとしているのであるが、源氏はさすがに冷静ではいられなかった。いよいよ御息所に行ってしまわれることは残念で、手紙だけは愛をこめてたびたび送っていた。情人として()うようなことは思いもよらないようにもう今の御息所は思っていた。自分に逢っても恨めしく思った記憶のまだ消えない源氏は冷静にも別れうるであろうが、その人をより多く愛している弱味のある自分は心を乱さないではいられないであろう、逢うことはこの上にいっそう苦痛を加えるだけであると思って、御息所はしいて冷ややかになっているのである。
1.1.3
もとの殿(との)には、あからさまに(わた)りたまふ折々(をりをり)あれどいたう(しの)びたまへば、大将殿(だいしゃうどの)()りたまはず。
たはやすく御心(みこころ)にまかせて、()うでたまふべき(おほん)すみかにはたあらねばおぼつかなくて月日(つきひ)(へだ)たりぬるに(ゐん)(うへ)おどろおどろしき御悩(おほんなや)みにはあらで、(れい)ならず、時々悩(ときどきなや)ませたまへば、いとど御心(みこころ)(いとま)なけれど、つらき(もの)(おも)()てたまひなむも、いとほしく、人聞(ひとぎ)(なさ)けなくや」と(おぼ)(おこ)して、()(みや)()うでたまふ。
里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿、お知りになることができない。
簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。
野の宮から六条の(やしき)へそっと帰って行っていることもあるのであるが、源氏はそれを知らなかった。野の宮といえば情人として男の通ってよい場所でもないから、二人のためには相見る時のない月日がたった。院が御大病というのでなしに、時々発作的に悪くおなりになるようなことがあったりして、源氏はいよいよ心の余裕の少ない身になっていたが、恨んでいるままに終わることは女のためにかわいそうであったし、人が聞いて肯定しないことでもあろうからと思って、源氏は御息所を野の宮へ訪問することにした。

第二段 野の宮訪問と暁の別れ

1.2.1
九月七日(ながつきなぬか)ばかりなれば、「むげに今日明日(けふあす)」と(おぼ)すに、女方(をんながた)(こころ)あわたたしけれど、()ちながら」と、たびたび御消息(おほんせうそこ)ありければ、いでや」とは(おぼ)しわづらひながら、いとあまり()もれいたきを、物越(ものごし)ばかりの対面(たいめん)」と、人知(ひとし)れず()ちきこえたまひけり
九月七日ころなので、「まったく今日明日だ」とお思いになると、女の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。
九月七日であったから、もう斎宮の出発の日は迫っているのである。女のほうも今はあわただしくてそうしていられないと言って来ていたが、たびたび手紙が行くので、最後の会見をすることなどはどうだろうと躊躇(ちゅうちょ)しながらも、物越しで逢うだけにとめておけばいいであろうと決めて、心のうちでは昔の恋人の来訪を待っていた。
1.2.2
(はる)けき野辺(のべ)()()りたまふより、いとものあはれなり。
(あき)(はな)みな(おとろ)へつつ、浅茅(あさぢ)(はら)()()れなる(むし)()松風(まつかぜ)すごく()きあはせて、そのこととも()()かれぬほどに、(もの)()ども()()()こえたる、いと(えん)なり
広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。
秋の花、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風、身にしみて音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来る、まことに優艶である。
町を離れて広い野に出た時から、源氏は身にしむものを覚えた。もう秋草の花は皆衰えてしまって、かれがれに鳴く虫の声と松風の音が混じり合い、その中をよく耳を澄まさないでは聞かれないほどの楽音が野の宮のほうから流れて来るのであった。(えん)な趣である。
1.2.3
むつましき御前(ごぜん)十余人(じふよにん)ばかり、御随身(みずいじん)ことことしき姿(すがた)ならで、いたう(しの)びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意(おほんようい)いとめでたく()えたまへば、御供(おほんとも)なる()(もの)ども、(ところ)からさへ()にしみて(おも)へり。
御心(みこころ)にも、「などて、(いま)まで()ちならさざりつらむ」と、()ぎぬる(かた)(くや)しう(おぼ)さる。
気心の知れた御前駆の者、十余人ほど、御随身、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていられるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者など、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。
ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々、後悔せずにはいらっしゃれない。
前駆をさせるのに(むつま)じい者を選んだ十幾人と随身とをあまり目だたせないようにして伴った微行(しのび)の姿ではあるが、ことさらにきれいに装うて来た源氏がこの野を行くことを風流好きな供の青年はおもしろがっていた。源氏の心にも、なぜ今までに幾度もこの感じのよい野中の(みち)を訪問に出なかったのであろうとくやしかった。
1.2.4
ものはかなげなる小柴垣(こしばがき)大垣(おほがき)にて、板屋(いたや)どもあたりあたりいとかりそめなり
黒木(くろき)鳥居(とりゐ)どもさすがに神々(かうがう)しう()わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司(かんづかさ)(もの)ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどち、(もの)うち()ひたるけはひなども、(ほか)にはさま()はりて()ゆ。
火焼屋(ひたきや)かすかに(ひか)りて、人気(ひとけ)すくなく、しめじめとして、ここにもの(おも)はしき(ひと)の、月日(つきひ)(へだ)てたまへらむほどを(おぼ)しやるに、いといみじうあはれに心苦(こころぐる)し。
ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。
黒木の鳥居どもは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官どもが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。
火焼屋、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいる人が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。
野の宮は簡単な小柴垣(こしばがき)を大垣にして連ねた質素な構えである。丸木の鳥居などはさすがに神々(こうごう)しくて、なんとなく神の奉仕者以外の者を恥ずかしく思わせた。神官らしい男たちがあちらこちらに何人かずついて、(せき)をしたり、立ち話をしたりしている様子なども、ほかの場所に見られぬ光景であった。(かがり)火を()いた番所がかすかに浮いて見えて、全体に人少なな湿っぽい空気の感ぜられる、こんな所に物思いのある人が幾月も暮らし続けていたのかと思うと、源氏は恋人がいたましくてならなかった。
1.2.5
(きた)(たい)のさるべき(ところ)()(かく)れたまひて、御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふに、(あそ)びはみなやめて、(こころ)にくきけはひ、あまた()こゆ。
北の対の適当な場所に立ち隠れなさって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配、たくさん聞こえる。
北の対の下の目だたない所に立って案内を申し入れると音楽の声はやんでしまって、若い何人もの女の衣摺(きぬず)れらしい音が聞こえた。
1.2.6
(なに)くれの(ひと)づての御消息(おほんせうそこ)ばかりにて、みづからは対面(たいめん)したまふべきさまにもあらねば、「いとものし」と(おぼ)して、
何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
取り次ぎの女があとではまた変わって出て来たりしても、自身で逢おうとしないらしいのを源氏は飽き足らず思った。
1.2.7
かうやうの(あり)きも(いま)はつきなきほどになりにてはべるを、(おも)ほし()らば、かう注連(しめ)のほかにはもてなしたまはで。
いぶせうはべることをも、あきらめはべりにしがな」
「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。
胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」
「恋しい方を(たず)ねて参るようなことも感情にまかせてできた私の時代はもう過ぎてしまいまして、どんなに世間をはばかって来ているかしれませんような私に、同情してくださいますなら、こんなよそよそしいお扱いはなさらないで、逢ってくだすってお話ししたくてならないことも聞いてくださいませんか」
1.2.8
と、まめやかに()こえたまへば、(ひと)びと
と、真面目に申し上げなさると、女房たち、
とまじめに源氏が頼むと女房たちも、
1.2.9 「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」
「おっしゃることのほうがごもっともでございます。
1.2.10
()ちわづらはせたまふに、いとほしう」
「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」
お気の毒なふうにいつまでもお立たせしておきましては済みません」
1.2.11
など、あつかひきこゆれば、いさや。
ここの人目(ひとめ)見苦(みぐる)しう、かの(おぼ)さむことも若々(わかわか)しう、()でゐむが、(いま)さらにつつましきこと」と(おぼ)すに、いともの()けれど、(なさ)けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち(なげ)き、やすらひて、ゐざり()でたまへる(おほん)けはひ、いと(こころ)にくし。
などと、お取りなし申すので、「さてどうしたものか。
ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子、まことに奥ゆかしい。
ととりなす。どうすればよいかと御息所は迷った。潔斎所(けっさいじょ)についている神官たちにどんな想像をされるかしれないことであるし、心弱く面会を承諾することによって、またも源氏の軽蔑(けいべつ)を買うのではないかと躊躇(ちゅうちょ)はされても、どこまでも冷淡にはできない感情に負けて、歎息(たんそく)()らしながら座敷の端のほうへ膝行(いざっ)てくる御息所の様子には(えん)な品のよさがあった。源氏は、
1.2.12 「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」
「お縁側だけは許していただけるでしょうか」
1.2.13
とて、(のぼ)りゐたまへり。
と言って、上がっておすわりになった。
と言って、上に上がっていた。
1.2.14
はなやかにさし()でたる夕月夜(ゆふづくよ)うち()()ひたまへるさま、(にほ)ひに()るものなくめでたし。
(つき)ごろのつもりを、つきづきしう()こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、(さかき)をいささか()りて()たまへりけるを、()()れて、
明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子、美しさに、似るものがなく素晴らしい。
幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらしたのを、差し入れて、
長い時日を中にした会合に、無情でなかった言いわけを散文的に言うのもきまりが悪くて、(さかき)の枝を少し折って手に持っていたのを、源氏は御簾(みす)の下から入れて、
1.2.15 「変わらない心に導かれて、禁制の垣根も越えて参ったのです。
何とも薄情な」
「私の心の常磐(ときわ)な色に自信を持って、恐れのある場所へもお(たず)ねして来たのですが、あなたは冷たくお扱いになる」
1.2.16
()こえたまへば、
と申し上げなさると、
と言った。
1.2.17 「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに
どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう」
神垣(かみがき)はしるしの(すぎ)もなきものを
いかにまがへて折れる榊ぞ
1.2.18
()こえたまへば、
と申し上げなさると、
御息所はこう答えたのである。
1.2.19 「少女子がいる辺りだと思うと
榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです」
少女子(おとめご)があたりと思へば榊葉の
()をなつかしみとめてこそ折れ
1.2.20
おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾(みす)ばかりはひき()て、長押(なげし)におしかかりてゐたまへり。
周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被って、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。
と源氏は言ったのであった。潔斎所の空気に威圧されながらも御簾の中へ上半身だけは入れて長押(なげし)に源氏はよりかかっているのである。
1.2.21
(こころ)にまかせて()たてまつりつべく、(ひと)(した)ひざまに(おぼ)したりつる年月(としつき)は、のどかなりつる御心(みこころ)おごりに、さしも(おぼ)されざりき
思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっていらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。
御息所が完全に源氏のものであって、しかも情熱の度は源氏よりも高かった時代に、源氏は慢心していた形でこの人の真価を認めようとはしなかった。
1.2.22
また、(こころ)のうちに、いかにぞや、(きず)ありて」、(おも)ひきこえたまひにし(のち)はた、あはれもさめつつ、かく御仲(おほんなか)(へだ)たりぬるを、めづらしき御対面(おほんたいめん)(むかし)おぼえたるに、「あはれ」と、(おぼ)(みだ)るること(かぎ)りなし。
()(かた)()(さき)(おぼ)(つづ)けられて、心弱(こころよわ)()きたまひぬ。
また一方、心の中に、「いかがなものか、欠点があって」と、お思い申してから後、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、「ああ」と、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。
今までのこと、将来のこと、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。
またいやな事件も起こって来た時からは、自身の心ながらも恋を成るにまかせてあった。それが昔のようにして語ってみると、にわかに大きな力が源氏をとらえて御息所のほうへ引き寄せるのを源氏は感ぜずにいられなかった。自分はこの人が好きであったのだという認識の上に立ってみると、二人の昔も恋しくなり、別れたのちの寂しさも痛切に考えられて、源氏は泣き出してしまったのである。
1.2.23
(をんな)は、さしも()えじと(おぼ)しつつむめれど(しの)びたまはぬ()けしきを、いよいよ心苦(こころぐる)しう、なほ(おぼ)しとまるべきさまにぞ、()こえたまふめる
女は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。
女は感情をあくまでもおさえていようとしながらも、堪えられないように涙を流しているのを見るといよいよ源氏は心苦しくなって、伊勢行きを思いとどまらせようとするのに身を入れて話していた。
1.2.24
(つき)()りぬるにやあはれなる(そら)(なが)めつつ、(うら)みきこえたまふに、ここら(おも)(あつ)めたまへるつらさも()えぬべし
やうやう、(いま)は」と、(おも)(はな)れたまへるに、さればよ」と、なかなか心動(こころうご)きて(おぼ)(みだ)る。
月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。
だんだんと、「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。
もう月が落ちたのか、寂しい色に変わっている空をながめながら、自身の真実の認められないことで(なげ)く源氏を見ては、御息所の積もり積もった恨めしさも消えていくことであろうと見えた。ようやくあきらめができた今になって、また動揺することになってはならない危険な会見を避けていたのであるが、予感したとおりに御息所の心はかき乱されてしまった。
1.2.25
殿上(てんじゃう)若君達(わかきんだち)などうち()れて、とかく()わづらふなる(には)のたたずまひも、げに(えん)なるかたに、うけばりたるありさまなり。
(おも)ほし(のこ)すことなき御仲(おほんなか)らひに、()こえ()はしたまふことども、まねびやらむかたなし
殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。
物のあわれの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容、そのまま筆に写すことはできない。
若い殿上役人が始終二、三人連れで来てはここの文学的な空気に浸っていくのを喜びにしているという、この構えの中のながめは源氏の目にも確かに(えん)なものに見えた。あるだけの恋の物思いを双方で味わったこの二人のかわした会話は写しにくい。
1.2.26
やうやう()けゆく(そら)のけしきことさらに(つく)()でたらむやうなり。
だんだんと明けて行く空の風情、特別に作り出したかのようである。
ようやく白んできた空がそこにあるということもわざとこしらえた背景のようである。
1.2.27 「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが
今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」
暁の別れはいつも露けきを
こは世にしらぬ秋の空かな
1.2.28
()でがてに、御手(おほんて)をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。
帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられる、たいそう優しい。
と歌った源氏は、帰ろうとしてまた女の手をとらえてしばらく去りえないふうであった。
1.2.29
(かぜ)いと(ひや)やかに()きて、松虫(まつむし)()きからしたる(こゑ)も、折知(をりし)(がほ)なるを、さして(おも)ふことなきだに、()()ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑(みこころまど)ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや
風、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。
冷ややかに九月の風が吹いて、鳴きからした松虫の声の聞こえるのもこの恋人たちの寂しい別れの伴奏のようである。何でもない人にも身にしむ思いを与えるこうした晩秋の夜明けにいて、あまりに悲しみ過ぎたこの人たちはかえって実感をよい歌にすることができなかったと見える。
1.2.30 「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」
大方(おほかた)の秋の別れも悲しきに
鳴く()な添へそ野辺(のべ)の松虫
1.2.31
(くや)しきこと(おほ)かれどかひなければ、()()(そら)もはしたなうて、()でたまふ。
(みち)のほどいと(つゆ)けし
悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。
道程はまことに露っぽい。
御息所(みやすどころ)の作である。この人を永久につなぐことのできた糸は、自分の過失で切れてしまったと悔やみながらも、明るくなっていくのを恐れて源氏は去った。そして二条の院へ着くまで絶えず涙がこぼれた。
1.2.32
(をんな)も、心強(こころづよ)からず、名残(なごり)あはれにて(なが)めたまふ。
ほの()たてまつりたまへる月影(つきかげ)御容貌(おほんかたち)なほとまれる(にほ)ひなど、(わか)(ひと)びとは()にしめて、あやまちもしつべく、めできこゆ。
女も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。
ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿、まだ残っている匂いなど、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。
女も冷静でありえなかった。別れたのちの物思いを抱いて弱々しく秋の朝に対していた。ほのかに月の光に見た源氏の姿をなお幻に御息所は見ているのである。源氏の衣服から散ったにおい、そんなものは若い女房たちを忌垣(いがき)の中で狂気にまでするのではないかと思われるほど今朝(けさ)もほめそやしていた。
1.2.33
「いかばかりの(みち)にてか、かかる(おほん)ありさまを見捨(みす)てては、(わか)れきこえむ」
「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」
「どんないい所へだって、あの大将さんをお見上げすることのできない国へは行く気がしませんわね」
1.2.34 と、わけもなく涙ぐみ合っていた。
こんなことを言う女房は皆涙ぐんでいた。

第三段 伊勢下向の日決定

1.3.1
御文(おほんふみ)(つね)よりもこまやかなるは(おぼ)しなびくばかりなれど、またうち(かへ)し、(さだ)めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。
後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。
この日源氏から来た手紙は情がことにこまやかに出ていて、御息所に旅を断念させるに足る力もあったが、官庁への通知も済んだ今になって変更のできることでもなかった。
1.3.2
(をとこ)は、さしも(おぼ)さぬことをだに(なさ)けのためにはよく()(つづ)けたまふべかめればまして、おしなべての(つら)には(おも)ひきこえたまはざりし御仲(おほんなか)の、かくて(そむ)きたまひなむとするを、口惜(くちを)しうもいとほしうも、(おぼ)(なや)むべし。
男は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げていられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。
男はそれほど思っていないことでも恋の手紙には感情を誇張して書くものであるが、今の源氏の場合は、ただの恋人とは決して思っていなかった御息所が、愛の清算をしてしまったふうに遠国へ行こうとするのであるから、残念にも思われ、気の毒であるとも反省しての煩悶(はんもん)のかなりひどい実感で書いた手紙であるから、女へそれが響いていったものに違いない。
1.3.3
(たび)御装束(おほんさうぞく)よりはじめ、(ひと)びとのまで、(なに)くれの御調度(みてうど)など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、(なに)とも(おぼ)されず。
あはあはしう心憂(こころう)()をのみ(なが)して、あさましき()のありさまを、(いま)はじめたらむやうに、ほど(ちか)くなるままに、()()(なげ)きたまふ。
旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、何ともお思いにならない。
軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。
御息所の旅中の衣服から、女房たちのまで、そのほかの旅の用具もりっぱな物をそろえた餞別(せんべつ)が源氏から贈られて来ても、御息所はうれしいなどと思うだけの余裕も心になかった。(うわさ)に歌われるような恋をして、最後には捨てられたということを、今度始まったことのように口惜(くちお)しく悲しくばかり思われるのであった。
1.3.4
斎宮(さいぐう)は、(わか)御心地(みここち)不定(ふぢゃう)なりつる御出(おほんい)()ちの、かく(さだ)まりゆくを、うれし、とのみ(おぼ)したり。
世人(よひと)(れい)なきことと、もどきもあはれがりも、さまざまに()こゆべし
(なに)ごとも、(ひと)にもどきあつかはれぬ(きは)はやすげなり。
なかなか()()()でぬる(ひと)(おほん)あたりは、所狭(ところせ)きこと(おほ)くなむ
斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立が、このように決まってゆくのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。
世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。
何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。
かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。
お若い斎宮は、いつのことともしれなかった出発の日の決まったことを喜んでおいでになった。世間では、母君がついて行くことが異例であると批難したり、ある者はまた御息所の強い母性愛に同情したりしていた。御息所が平凡な人であったら、決してこうではなかったことと思われる。傑出した人の行動は目に立ちやすくて気の毒である。

第四段 斎宮、宮中へ向かう

1.4.1
十六日(じふろくにち)桂川(かつらがは)にて御祓(おほんはら)へしたまふ
(つね)儀式(ぎしき)にまさりて、長奉送使(ちゃうぶそうし)など、さらぬ上達部(かんだちめ)も、やむごとなく、おぼえあるを()らせたまへり
(ゐん)御心寄(みこころよ)せもあればなるべし
()でたまふほどに、大将殿(だいしゃうどの)より(れい)()きせぬことども()こえたまへり。
「かけまくもかしこき御前(おまへ)にて」と、木綿(ゆふ)につけて、
十六日、桂川でお祓いをなさる。
慣例の儀式より立派で、長奉送使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びさせた。
院のお心遣いもあってのことであろう。
お出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。
「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、
十六日に桂川で斎宮の御禊(みそぎ)の式があった。常例以上はなやかにそれらの式も行なわれたのである。長奉送使(ちょうぶそうし)、その他官庁から参列させる高官も勢名のある人たちばかりを選んであった。院が御後援者でいらせられるからである。出立の日に源氏から別離の情に堪えがたい心を書いた手紙が来た。ほかにまた(いつき)の宮のお前へといって、斎布(ゆふ)につけたものもあった。
1.4.2 「雷神でさえも、
いかずちの神でさえ恋人の中を裂くものではないと言います。
1.4.3 大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば
尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい
八洲(やしま)もる国つ御神(みかみ)もこころあらば
飽かぬ別れの中をことわれ
1.4.4
(おも)うたまふるに、()かぬ心地(ここち)しはべるかな」
どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」
どう考えましても神慮がわかりませんから、私は満足できません。
1.4.5
とあり。
いとさわがしきほどなれど、御返(おほんかへ)りあり。
(みや)(おほん)をば、女別当(にょべたう)して()かせたまへり。
とある。
とても取り混んでいる時だが、お返事がある。
斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。
と書かれてあった。取り込んでいたが返事をした。宮のお歌を女別当(にょべっとう)が代筆したものであった。
1.4.6 「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば
あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」
国つ神空にことわる中ならば
なほざりごとを()づやたださん
1.4.7
大将(だいしゃう)は、(おほん)ありさまゆかしうて、内裏(うち)にも(まゐ)らまほしく(おぼ)せど、うち()てられて見送(みおく)らむも、人悪(ひとわ)ろき心地(ここち)したまへば、(おぼ)しとまりて、つれづれに(なが)めゐたまへり。
大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。
源氏は最後に宮中である式を見たくも思ったが、捨てて行かれる男が見送りに出るというきまり悪さを思って家にいた。
1.4.8
(みや)御返(おほんかへ)りのおとなおとなしきを、ほほ()みて()ゐたまへり。
御年(おほんとし)のほどよりは、をかしうもおはすべきかな」と、ただならず。
かうやうに(れい)(たが)へるわづらはしさに、かならず(こころ)かかる御癖(おほんくせ)にていとよう()たてまつりつべかりしいはけなき(おほん)ほどを、()ずなりぬるこそねたけれ。
()中定(なかさだ)めなければ対面(たいめん)するやうもありなむかし」など(おぼ)す。
斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。
「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。
このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。
世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。
源氏は斎宮の大人(おとな)びた返歌を微笑しながらながめていた。年齢以上によい貴女(きじょ)になっておられる気がすると思うと胸が鳴った。恋をすべきでない人に好奇心の動くのが源氏の習癖で、顔を見ようとすれば、よくそれもできた斎宮の幼少時代をそのままで終わったことが残念である。けれども運命はどうなっていくものか予知されないのが人生であるから、またよりよくその人を見ることのできる日を自分は待っているかもしれないのであるとも源氏は思った。

第五段 斎宮、伊勢へ向かう

1.5.1
(こころ)にくくよしある(おほん)けはひなれば、物見車多(ものみぐるまおほ)かる()なり。
(さる)(とき)内裏(うち)(まゐ)りたまふ。
奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。
申の時に宮中に参内なさる。
見識の高い、美しい貴婦人であると名高い存在になっている御息所の添った斎宮の出発の列をながめようとして物見車(ものみぐるま)が多く出ている日であった。
1.5.2
御息所(みやすんどころ)御輿(みこし)()りたまへるにつけても、父大臣(ちちおとど)(かぎ)りなき(すぢ)(おぼ)(こころざ)して、いつきたてまつりたまひしありさま、()はりて、(すゑ)()内裏(うち)()たまふにも、もののみ()きせず、あはれに(おぼ)さる。
十六(じふろく)にて故宮(こみや)(まゐ)りたまひて、二十(にじふ)にて(おく)れたてまつりたまふ。
三十(さんじふ)にてぞ、今日(けふ)また九重(ここのへ)()たまひける
御息所、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。
十六で故宮に入内なさって、二十で先立たれ申される。
三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。
斎宮は午後四時に宮中へおはいりになった。宮の輿(こし)に同乗しながら御息所は、父の大臣が未来の(きさき)に擬して東宮の後宮に備えた自分を、どんなにはなやかに取り扱ったことであったか、不幸な運命のはてに、后の輿でない輿へわずかに陪乗して自分は宮廷を見るのであると思うと感慨が無量であった。十六で皇太子の()になって、二十で寡婦になり、三十で今日また内裏(だいり)へはいったのである。
1.5.3 「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
心の底では悲しく思われてならない」
そのかみを今日(けふ)はかけじと思へども
心のうちに物ぞ悲しき
1.5.4
斎宮(さいぐう)は、十四(じふし)にぞなりたまひける。
いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで()えたまふを、(みかど)御心動(みこころうご)きて、(わか)れの(くし)たてまつりたまふほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。
斎宮は、十四におなりであった。
とてもかわいらしういらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばした。
御息所の歌である。斎宮は十四でおありになった。きれいな方である上に、錦繍(きんしゅう)に包まれておいでになったから、この世界の女人(にょにん)とも見えないほどお美しかった。斎王の美に御心(みこころ)を打たれながら、別れの御櫛(みぐし)を髪に()してお与えになる時、(みかど)は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで悄然(しょうぜん)としておしまいになった。
1.5.5
()でたまふを()ちたてまつるとて、八省(はしゃう)()(つづ)けたる出車(いだしぐるま)どもの袖口(そでぐち)(いろ)あひも、目馴(めな)れぬさまに、(こころ)にくきけしきなれば、殿上人(てんじゃうびと)どもも、(わたくし)(わか)()しむ(おほ)かり。
お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に立ち続けていた女房の車から、袖口、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。
式の終わるのを八省院(はっしょういん)の前に待っている斎宮の女房たちの乗った車から見える(そで)の色の美しさも今度は特に目を引いた。若い殿上役人が寄って行って、個人個人の別れを惜しんでいた。
1.5.6
(くら)()でたまひて、二条(にでう)より洞院(とうゐん)大路(おほぢ)()れたまふほど、二条(にでう)(ゐん)(まへ)なれば大将(だいしゃう)(きみ)いとあはれに(おぼ)されて、(さかき)にさして、
暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、
暗くなってから行列は動いて、二条から洞院(とういん)大路(おおじ)を折れる所に二条の院はあるのであったから、源氏は身にしむ思いをしながら、(さかき)に歌を()して送った。
1.5.7 「わたしを捨てて今日は旅立って行かれるが鈴鹿川を
渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」
ふりすてて今日は行くとも鈴鹿(すずか)
八十瀬(やそせ)の波に袖は濡れじや
1.5.8
()こえたまへれど、いと(くら)う、ものさわがしきほどなれば、またの()(せき)のあなたよりぞ、御返(おほんかへ)しある
とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。
その時はもう暗くもあったし、あわただしくもあったので、翌日逢坂山(おうさかやま)の向こうから御息所の返事は来たのである。
1.5.9 「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず
伊勢までたれか思ひおこせん
1.5.10
ことそぎて()きたまへるしも、御手(おほんて)いとよしよししくなまめきたるに、あはれなるけをすこし()へたまへらましかば」と(おぼ)す。
言葉少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありだったらば」とお思いになる。
簡単に書かれてあるが、貴人らしさのある巧妙な字であった。優しさを少し加えたら最上の字になるであろうと源氏は思った。
1.5.11
(きり)いたう()りて、ただならぬ(あさ)ぼらけに、うち(なが)めて(ひと)りごちおはす。
霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。
霧が濃くかかっていて、身にしむ秋の夜明けの空をながめて、源氏は、
1.5.12 「あの行った方角を眺めていよう、
今年の秋は逢うという逢坂山を霧よ隠さな
行くかたをながめもやらんこの秋は
逢坂山を霧な隔てそ
1.5.13
西(にし)(たい)にも(わた)りたまはで、(ひと)やりならず、もの(さび)しげに(なが)()らしたまふ。
まして、(たび)(そら)は、いかに御心尽(みこころづ)くしなること(おほ)かりけむ
西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。
ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。
こんな歌を口ずさんでいた。西の対へも行かずに終日物思いをして源氏は暮らした。旅人になった御息所はまして堪えがたい悲しみを味わっていたことであろう。

第二章 光る源氏の物語 父桐壺帝の崩御


第一段 十月、桐壺院、重体となる

2.1.1
(ゐん)御悩(おほんなや)み、神無月(かんなづき)になりては、いと(おも)くおはします
()(なか)()しみきこえぬ(ひと)なし。
内裏(うち)にも、(おぼ)(なげ)きて行幸(ぎゃうがう)あり。
(よわ)御心地(みここち)にも、春宮(とうぐう)御事(おほんこと)を、(かへ)(がへ)()こえさせたまひて、(つぎ)には大将(だいしゃう)(おほん)こと、
院の御病気、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。
世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。
帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。
御衰弱の御容態ながら、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、
院の御病気は十月にはいってから御重体になった。この君をお惜しみしていないものはない。(みかど)も御心配のあまりに行幸あそばされた。御衰弱あそばされた院は東宮のことを返す返す帝へお頼みになった。次いで源氏に及んだ。
2.1.2
はべりつる()()はらず、大小(だいせう)のことを(へだ)てず、(なに)ごとも御後見(おほんうしろみ)(おぼ)
(よはひ)のほどよりは、()をまつりごたむにも、をさをさ(はばか)りあるまじうなむ、()たまふる。
かならず()(なか)たもつべき(さう)ある(ひと)なり
さるによりて、わづらはしさに、親王(みこ)にもなさず、ただ(うど)にて、朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)をせさせむと、(おも)ひたまへしなり。
その心違(こころたが)へさせたまふな」
「在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。
年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と、拝見している。
必ず天下を治める相のある人である。
それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと、思ったのである。
その心づもりにお背きあそばすな」
「私が生きていた時と同じように、大事も小事も彼を御相談相手になさい。年は若くても国家の政治をとるのに十分資格が備わっていると私は認める。一国を支配する骨相を持っている人です。だから私は彼がその点で逆に誤解を受けることがあってはならないとも思って、親王にしないで人臣の列に入れておいた。将来大臣として国務を任せようとしたのです。()くなったあとでも私のこの言葉を尊重してください」
2.1.3
と、あはれなる御遺言(おほんゆいごん)ども(おほ)かりけれど、(をんな)のまねぶべきことにしあらねば、この片端(かたはし)だにかたはらいたし
と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の書くべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。
(さき)(みかど)、今の君主の御父として御希望を述べられた御遺言も多かったが、女である筆者は気がひけて書き写すことができない。
2.1.4
(みかど)も、いと(かな)しと(おぼ)して、さらに(たが)へきこえさすまじきよしを、(かへ)(がへ)()こえさせたまふ
御容貌(おほんかたち)も、いときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく(たの)もしく()たてまつらせたまふ。
(かぎ)りあれば、(いそ)(かへ)らせたまふにもなかなかなること(おほ)くなむ。
帝も、大層悲しいとお思いになって、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばす。
御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、嬉しく頼もしくお見上げあそばす。
きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。
帝もこれが最後の御会見に院のお言いになることを悲しいふうで聞いておいでになったが、御遺言を(たが)えぬということを繰り返してお誓いになった。風采(ふうさい)もごりっぱで、以前よりもいっそうお美しくお見えになる帝に院は御満足をお感じになり、頼もしさもお覚えになるのであった。高貴な御身でいらせられるのであるから、感情のままに父帝のもとにとどまっておいでになることはできない。その日のうちに還幸されたのであるから、お二方のお心は、お逢いになったあとに長く悲しみが残った。
2.1.5
春宮(とうぐう)も、一度(ひとたび)にと(おぼ)()しけれどものさわがしきにより、()()へて、(わた)らせたまへり。
御年(おほんとし)のほどよりは、大人(おとな)びうつくしき(おほん)さまにて、(こひ)しと(おも)ひきこえさせたまひけるつもりに、何心(なにごころ)もなくうれしと(おぼ)()たてまつりたまふ()けしき、いとあはれなり。
春宮も御一緒にとお思いあそばしたが、大層な騷ぎになるので、日を改めて、行啓なさった。
お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたあげくなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子、まことにいじらしい。
東宮も同時に行啓(ぎょうけい)になるはずであったがたいそうになることを思召(おぼしめ)して別の日に院のお見舞いをあそばされた。御年齢以上に大人らしくなっておいでになる愛らしい御様子で、しばらくぶりでお逢いになる喜びが勝って、今の場合も深くおわかりにならず、無邪気にうれしそうにして院の前へおいでになったのも哀れであった。
2.1.6
中宮(ちゅうぐう)は、(なみだ)(しづ)みたまへるを、()たてまつらせたまふも、さまざま御心乱(みこころみだ)れて(おぼ)()さる。
よろづのことを()こえ()らせたまへどいとものはかなき(おほん)ほどなればうしろめたく(かな)しと()たてまつらせたまふ。
中宮は、涙に沈んでいらっしゃるのを、お見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。
いろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。
その横で中宮(ちゅうぐう)が泣いておいでになるのであるから、院のお心はさまざまにお悲しいのである。種々と御教訓をお残しになるのであるが、幼齢の東宮にこれがわかるかどうかと疑っておいでになる御心(みこころ)からそこに寂しさと悲しさがかもされていった。
2.1.7
大将(だいしゃう)にも、朝廷(おほやけ)(つか)うまつりたまふべき御心(みこころ)づかひ、この(みや)御後見(おほんうしろみ)したまふべきことを、(かへ)(がへ)すのたまはす。
大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。
源氏にも朝家(ちょうけ)の政治に携わる上に心得ていねばならぬことをお教えになり、東宮をお(たす)けせよということを繰り返し繰り返し仰せられた。
2.1.8
夜更(よふ)けてぞ(かへ)らせたまふ。
(のこ)(ひと)なく(つか)うまつりてののしるさま、行幸(ぎゃうがう)(おと)るけぢめなし。
()かぬほどにて(かへ)らせたまふを、いみじう(おぼ)()す。
夜が更けてからお帰りあそばす。
残る人なく陪従して大騷ぎする様子、行幸に劣るところがない。
満足し切れないところでお帰りおそばすのを、たいそう残念にお思いあそばす。
夜がふけてから東宮はお帰りになった。還啓に供奉(ぐぶ)する公卿(こうけい)の多さは行幸にも劣らぬものだった。御秘蔵子の東宮のお帰りになったのちの院の御心は最もお悲しかった。

第二段 十一月一日、桐壺院、崩御

2.2.1
大后(おほきさき)も、(まゐ)りたまはむとするを中宮(ちゅうぐう)のかく()ひおはするに、御心置(みこころお)かれて、(おぼ)しやすらふほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、(かく)れさせたまひぬ。
(あし)(そら)に、(おも)(まど)人多(ひとおほ)かり。
大后も、お見舞いに参ろうと思っているが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるために、おこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、たいしてお苦しみにもならないで、お隠れあそばした。
浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。
皇太后もおいでになるはずであったが、中宮がずっと院に添っておいでになる点が御不満で、躊躇(ちゅうちょ)あそばされたうちに院は崩御(ほうぎょ)になった。御仁慈の深い君にお別れしてどんなに多数の人が悲しんだかしれない。
2.2.2 お位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若ういらっしゃるし、祖父右大臣、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部、殿上人は、皆不安に思って嘆く。
院の御位(みくらい)にお変わりあそばしただけで、政治はすべて思召しどおりに行なわれていたのであるから、今の帝はまだお若くて外戚の大臣が人格者でもなかったから、その人に政権を握られる日になれば、どんな世の中が現出するであろうと官吏たちは悲観しているのである。
2.2.3
中宮(ちゅうぐう)大将殿(だいしゃうどの)などは、ましてすぐれて、ものも(おぼ)しわかれず、後々(のちのち)(おほん)わざなど、(けう)(つか)うまつりたまふさまも、そこらの親王(みこ)たちの御中(おほんなか)にすぐれたまへるを、ことわりながら、いとあはれに、世人(よひと)()たてまつる。
(ふぢ)御衣(おほんぞ)にやつれたまへるにつけても、(かぎ)りなくきよらに心苦(こころぐる)しげなり。
去年(こぞ)今年(ことし)とうち(つづ)き、かかることを()たまふに、()もいとあぢきなう(おぼ)さるれど、かかるついでにも、まづ(おぼ)()たるることはあれど、また、さまざまの(おほん)ほだし(おほ)かり
中宮、大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。
喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。
去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会にも、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。
院が最もお愛しになった中宮や源氏の君はまして悲しみの中におぼれておいでになった。崩御後の御仏事なども多くの御遺子たちの中で源氏は目だって誠意のある弔い方をした。それが道理ではあるが源氏の孝心に同情する人が多かった。喪服姿の源氏がまた限りもなく清く見えた。去年今年と続いて不幸にあっていることについても源氏の心は厭世(えんせい)的に傾いて、この機会に僧になろうかとも思うのであったが、いろいろな(ほだし)を持っている源氏にそれは実現のできる事ではなかった。
2.2.4
御四十九日(おほんなななぬか)までは女御(にょうご)御息所(みやすんどころ)たち、みな、(ゐん)(つど)ひたまへりつるを、()ぎぬれば、()()りにまかでたまふ。
師走(しはす)二十日(はつか)なれば、おほかたの()(なか)とぢむる(そら)のけしきにつけても、まして()るる()なき、中宮(ちゅうぐう)御心(みこころ)のうちなり
大后(おほきさき)御心(みこころ)()りたまへれば、(こころ)にまかせたまへらむ()の、はしたなく()()からむを(おぼ)すよりも、()れきこえたまへる(とし)ごろの(おほん)ありさまを、(おも)()できこえたまはぬ(とき)()なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々(ほかほか)へと()でたまふほどに、(かな)しきこと(かぎ)りなし。
御四十九日までは、女御、御息所たち、皆、院に集まっていらっしゃったが、過ぎたので、散り散りにご退出なさる。
十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない、中宮のお心の中である。
大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。
四十九日までは女御(にょご)更衣(こうい)たちが皆院の御所にこもっていたが、その日が過ぎると散り散りに別な実家へ帰って行かねばならなかった。これは十月二十日のことである。この時節の寂しい空の色を見てはだれも世がこれで終わっていくのではないかと心細くなるころである。中宮は最も悲しんでおいでになる。皇太后の性格をよく知っておいでになって、その方の意志で動く当代において、今後はどんなつらい取り扱いを受けねばならぬかというお心細さよりも、またない院の御愛情に包まれてお過ごしになった過去をお忍びになる悲しみのほうが大きかった。しかも永久に院の御所で人々とお暮らしになることはできずに、皆帰って行かねばならぬことも宮のお心を寂しくしていた。
2.2.5
(みや)は、三条(さんでう)(みや)(わた)りたまふ
御迎(おほんむか)へに兵部卿宮参(ひゃうぶきゃうのみやまゐ)りたまへり。
(ゆき)うち()り、(かぜ)はげしうて、(ゐん)(うち)やうやう人目(ひとめ)かれゆきて、しめやかなるに大将殿(だいしゃうどの)こなたに(まゐ)りたまひて、(ふる)御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふ。
御前(おまへ)五葉(ごえふ)(ゆき)にしをれて、下葉枯(したばか)れたるを()たまひて親王(みこ)
宮は、三条の宮にお渡りになる。
お迎えに兵部卿宮が参上なさった。
雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中、だんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿、こちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。
お庭先の五葉の松が、雪に萎れて、下葉が枯れているのを御覧になって、親王、
中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の兵部卿(ひょうぶきょう)の宮がおいでになった。はげしい風の中に雪も混じって散る日である。すでに古御所(ふるごしょ)になろうとする人少なさが感ぜられて静かな時に、源氏の大将が中宮の御殿へ来て院の御在世中の話を宮としていた。前の庭の五葉が雪にしおれて下葉の枯れたのを見て、
2.2.6 「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか
下葉が散り行く今年の暮ですね」
(かげ)ひろみ頼みし松や枯れにけん
下葉散り行く年の(くれ)かな
2.2.7
(なに)ばかりのことにもあらぬに(をり)から、ものあはれにて、大将(だいしゃう)御袖(おほんそで)いたう()れぬ。
(いけ)(ひま)なう(こほ)れるに、
何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖、ひどく濡れた。
池が隙間なく凍っていたので、
宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、
2.2.8 「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが
長年見慣れた影を見られないのが悲しい」
さえわたる池の鏡のさやけさに
見なれし影を見ぬぞ悲しき
2.2.9 と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。
王命婦、
と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては幼稚である。王命婦(おうみょうぶ)
2.2.10 「年が暮れて岩井の水も凍りついて
見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」
年暮れて岩井の水も氷とぢ
見し人影のあせも行くかな
2.2.11 その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことか。
そのほかの女房の作は省略する。
2.2.12
(わた)らせたまふ儀式(ぎしき)()はらねど、(おも)ひなしにあはれにて、(ふる)(みや)は、かへりて旅心地(たびごこち)したまふにも御里住(おほんさとず)()えたる年月(としつき)のほど、(おぼ)しめぐらさるべし。
お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、ふる里の宮は、かえって旅の宿のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さ、あれこれと回想されて来るのだろう。
中宮の供奉(ぐぶ)を多数の高官がしたことなどは院の御在世時代と少しも変わっていなかったが、宮のお心持ちは寂しくて、お帰りになった御実家がかえって他家であるように思召されることによっても、近年はお許しがなくて御実家住まいがほとんどなかったことがおしのばれになった。

第三段 諒闇の新年となる

2.3.1
(とし)かへりぬれど()中今(なかいま)めかしきことなく(しづ)かなり。
まして大将殿(だいしゃうどの)は、もの()くて()もりゐたまへり。
除目(ぢもく)のころなど、(ゐん)御時(おほんとき)をばさらにもいはず、(とし)ごろ(おと)るけぢめなくて、御門(みかど)のわたり、(ところ)なく()()みたりし(むま)(くるま)うすらぎて、宿直物(とのゐもの)(ふくろ)をさをさ()えず、(した)しき家司(けいし)どもばかり、ことに(いそ)ぐことなげにてあるを()たまふにも、(いま)よりは、かくこそは」と(おも)ひやられて、ものすさまじくなむ。
年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。
まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。
除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、悪く変わることなくて、御門の周辺、隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司どもばかりが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。
年が変わっても諒闇(りょうあん)の春は寂しかった。源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。一月の官吏の更任期などには、院の御代(みよ)はいうまでもないがその後もなお同じように二条の院の門は訪客の馬と車でうずまったのだったのに、今年は目に見えてそうした来訪者の数が少なくなった。宿直(とのい)をしに来る人たちの夜具類を入れた袋もあまり見かけなくなった。親しい家司(けいし)たちだけが暢気(のんき)に事務を取っているのを見ても、主人である源氏は、自家の勢力の消長と人々の信頼が比例するものであることが思われておもしろくなかった。
2.3.2
御匣殿(みくしげどの)は、二月(きさらぎ)に、尚侍(ないしのかみ)になりたまひぬ
(ゐん)御思(おほんおも)ひにやがて(あま)になりたまへる、()はりなりけり。
やむごとなくもてなし(ひと)がらもいとよくおはすれば、あまた(まゐ)(あつま)りたまふなかにも、すぐれて(とき)めきたまふ。
(きさき)は、(さと)がちにおはしまいて、(まゐ)りたまふ(とき)御局(みつぼね)には梅壺(むめつぼ)をしたれば、弘徽殿(こうきでん)には尚侍(かん)君住(きみす)みたまふ。
登花殿(とうかでん)(むも)れたりつるに、()()れしうなりて、女房(にょうばう)なども数知(かずし)らず(つど)(まゐ)りて、(いま)めかしう(はな)やぎたまへど、御心(みこころ)のうちは、(おも)ひのほかなりしことどもを(わす)れがたく(なげ)きたまふ
いと(しの)びて(かよ)はしたまふことは、なほ(おな)じさまなるべし
ものの()こえもあらばいかならむ」と(おぼ)しながら、(れい)御癖(おほんくせ)なれば、(いま)しも御心(みこころ)ざしまさるべかめり
御匣殿は、二月に、尚侍におなりになった。
院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の、替わりであった。
高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。
后は、里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には、梅壷を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。
登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、思いがけなかった事を忘れられず嘆いていらっしゃる。
ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。
「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。
右大臣家の六の君は二月に尚侍(ないしのかみ)になった。院の崩御によって(さきの)尚侍が尼になったからである。大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌(びぼう)も美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家においでになることが多くて、(まれ)に参内になる時は梅壺(うめつぼ)の御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿(こきでん)が尚侍の曹司(ぞうし)になっていた。隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手(はで)後宮(こうきゅう)生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに盛んになった。
2.3.3
(ゐん)のおはしましつる()こそ(はばか)りたまひつれ、(きさき)御心(みこころ)いちはやくて、かたがた(おぼ)しつめたることどもの(むく)いせむ(おぼ)すべかめり
ことにふれて、はしたなきことのみ()()れば、かかるべきこととは(おぼ)ししかど、見知(みし)りたまはぬ()()さに、()ちまふべくも(おぼ)されず。
院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。
何かにつけて、体裁の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。
院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に(むく)いるのはこれからであると(はげ)しい気質の太后は思っておいでになった。源氏に対して何かの場合に意を得ないことを政府がする、それが次第に多くなっていくのを見て、源氏は予期していたことではあっても、過去に経験しなかった不快さを始終味わうのに堪えがたくなって、人との交際もあまりしないのであった。
2.3.4 左の大殿も、面白くない気がなさって、特に内裏にも参内なさらない。
故姫君を、避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。
大臣の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の在世中は思い通りでいられたが、御世が替わって、得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。
左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。()くなった令嬢へ東宮のお話があったにもかかわらず源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。右大臣との仲は初めからよくなかった上に、左大臣は前代にいくぶん専横的にも政治を切り盛りしたのであったから、当帝の外戚として右大臣が得意になっているのに対しては喜ばないのは道理である。
2.3.5
大将(だいしゃう)は、ありしに()はらず(わた)(かよ)ひたまひてさぶらひし(ひと)びとをも、なかなかにこまかに(おぼ)しおきて、若君(わかぎみ)をかしづき(おも)ひきこえたまへること(かぎ)りなければ、あはれにありがたき御心(みこころ)と、いとどいたつききこえたまふことども、(おな)じさまなり
(かぎ)りなき(おほん)おぼえの、あまりもの(さわ)がしきまで、(いとま)なげに()えたまひしを(かよ)ひたまひし所々(ところどころ)も、かたがたに()えたまふことどもあり、軽々(かるがる)しき御忍(おほんしの)びありきも、あいなう(おぼ)しなりて、ことにしたまはねば、いとのどやかに、(いま)しもあらまほしき(おほん)ありさまなり
大将は、在世中と変わらずお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されること、この上ないので、しみじみとありがたいお心だと、ますます大切にお世話申し上げなさる事ども、同様である。
この上ないご寵愛で、あまりにもうるさいまでに、お暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きも、つまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりと、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。
源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を(たず)ねて行き故夫人の女房たちを愛護してやることを忘れなかった。非常に若君を源氏の愛することにも大臣家の人たちは感激していて、そのためにまたいっそう小公子は大切がられた。過去の源氏の君は社会的に見てあまりに幸福過ぎた、見ていて目まぐるしい気がするほどであったが、このごろは通っていた恋人たちとも双方の事情から関係が絶えてしまったのも多かったし、それ以下の軽い関係の恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、もうきまりの悪さを感じる源氏であったから、余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人(あるじ)になっていた。
2.3.6
西(にし)(たい)姫君(ひめぎみ)御幸(おほんさいは)ひを、世人(よひと)もめできこゆ
少納言(せうなごん)なども、人知(ひとし)れず、故尼上(こあまうへ)御祈(おほんいの)りのしるし」と()たてまつる。
父親王(ちちみこ)(おも)ふさまに()こえ()はしたまふ
嫡腹(むかひばら)の、(かぎ)りなくと(おぼ)すは、はかばかしうもえあらぬに、ねたげなること(おほ)くて、継母(ままはは)(きた)(かた)は、やすからず(おぼ)すべし。
物語(ものがたり)にことさらに(つく)()でたるやうなる(おほん)ありさまなり
西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお喜び申し上げる。
少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。
父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。
正妻腹の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方は、きっと面白くなくお思いであろう。
物語にわざと作り出したようなご様子である。
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮の王女の幸福であることを言ってだれも祝った。少納言なども心のうちでは、この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が仏に通じたのであろうと思っていた。父の親王も朗らかに二条の院に出入りしておいでになった。夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方にたいした幸運もなくて、ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、継母にあたる夫人は嫉妬(しっと)を感じていた。紫夫人は小説にある継娘(ままこ)の幸運のようなものを実際に得ていたのである。
2.3.7
斎院(さいゐん)は、御服(おほんぶく)にて()りゐたまひにしかば朝顔(あさがほ)姫君(ひめぎみ)は、()はりにゐたまひにき
賀茂(かも)のいつきには、孫王(そんわう)のゐたまふ(れい)(おほ)くもあらざりけれど、さるべき女御子(をんなみこ)やおはせざりけむ
大将(だいしゃう)(きみ)年月経(としつきふ)れど、なほ御心離(みこころはな)れたまはざりつるを、かう(すぢ)ことになりたまひぬれば、口惜(くちを)しくと(おぼ)す。
中将(ちゅうじゃう)におとづれたまふことも(おな)じことにて、御文(おほんふみ)などは()えざるべし。
(むかし)()はる(おほん)ありさまなどをば、ことに(なに)とも(おぼ)したらずかやうのはかなしごとどもを、(まぎ)るることなきままに、こなたかなたと(おぼ)(なや)めり
斎院は、御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。
賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例、多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。
大将の君は、幾歳月を経ても、依然としてお忘れになれなかったのを、このように方面がちがっておしまいになったので、残念にとお思いになる。
中将にお便りをおやりになることも、以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。
以前と変わったご様子などを、特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。
加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、そのかわりに式部卿(しきぶきょう)の宮の朝顔の姫君が職をお継ぎになることになった。伊勢へ女王が斎宮になって行かれたことはあっても、加茂の斎院はたいてい内親王の方がお勤めになるものであったが、相当した女御腹(にょごばら)の宮様がおいでにならなかったか、この卜定(ぼくじょう)があったのである。源氏は今もこの女王に恋を持っているのであるが、結婚も不可能な神聖な職にお決まりになった事を残念に思った。女房の中将は今もよく源氏の用を勤めたから、手紙などは始終やっているのである。当代における自身の不遇などは何とも思わずに、源氏は恋を(なげ)いていた、斎院と尚侍(ないしのかみ)のために。

第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる

2.4.1 帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后、祖父大臣、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治も、お心通りに行かないようである。
帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなくて、朝政に御不満足が多かったのである。
2.4.2
わづらはしさのみまされど、尚侍(かん)(きみ)は、人知(ひとし)れぬ御心(みこころ)(かよ)へば、わりなくてと、おぼつかなくはあらず
五壇(ごだん)御修法(みしゅほふ)(はじ)めにて、(つつ)しみおはします(ひま)をうかがひて、(れい)の、(ゆめ)のやうに()こえたまふ。
かの、(むかし)おぼえたる細殿(ほそどの)(つぼね)中納言(ちゅうなごん)(きみ)(まぎ)らはして()れたてまつる。
人目(ひとめ)もしげきころなれば、(つね)よりも端近(はしぢか)なる、そら(おそ)ろしうおぼゆ
厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君は、密かにお心を通わしているので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。
五壇の御修法の初日で、お慎しみあそばす隙間を狙って、いつものように、夢のようにお逢い申し上げる。
あの、昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。
人目の多いころなので、いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない。
昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は(ふみ)によって絶えず恋をささやく源氏を持っていて幸福感がないでもなかった。
 宮中で行なわせられた五壇の御修法(みずほう)のために帝が御謹慎をしておいでになるころ、源氏は夢のように尚侍へ近づいた。昔の弘徽殿の細殿(ほそどの)の小室へ中納言の君が導いたのである。御修法のために御所へ出入りする人の多い時に、こうした会合が、自分の手で行なわれることを中納言の君は恐ろしく思った。
2.4.3
朝夕(あさゆふ)()たてまつる(ひと)だに、()かぬ(おほん)さまなればまして、めづらしきほどにのみある御対面(おほんたいめん)の、いかでかはおろかならむ。
(をんな)(おほん)さまも、げにぞめでたき御盛(おほんさか)りなる
(おも)りかなるかたは、いかがあらむをかしうなまめき(わか)びたる心地(ここち)して、()まほしき(おほん)けはひなり。
朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子なので、まして、まれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。
女のご様子も、なるほど素晴しいお盛りである。
重々しいという点では、どうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして、好ましいご様子である。
朝夕に見て見飽かぬ源氏と(まれ)に見るのを得た尚侍の喜びが想像される。女も今が青春の盛りの姿と見えた。貴女(きじょ)らしい端厳さなどは欠けていたかもしれぬが、美しくて、(えん)で、若々しくて男の心を十分に()く力があった。
2.4.4
ほどなく()()くにや、とおぼゆるに、ただここにしも、
間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、
もうつい夜が明けていくのではないかと思われる頃、すぐ下の庭で、
2.4.5 「宿直申しの者、ここにおります」
宿直(とのい)をいたしております」
2.4.6 と、声を上げて申告するようである。
「自分以外にも、
この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩
が教えてよこしたのだろう」と、
と高い声で近衛(このえ)の下士が言った。中少将のだれかがこの辺の女房の(つぼね)へ来て寝ているのを知って、意地悪な男が教えてわざわざ挨拶(あいさつ)をさせによこしたに違いないと源氏は聞いていた。御所の庭の所々をこう言ってまわるのは感じのいいものであるがうるさくもあった。
2.4.7
ここかしこ(たづ)ねありきて、
あちこちと探し歩いて、
また庭のあなたこなたで
2.4.8 「寅一刻」
(とら)一つ」(午前四時)
2.4.9
(まう)すなり
女君(をんなぎみ)
と申しているようだ。
女君、
と報じて歩いている。
2.4.10 「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ
夜が明けると教えてくれる声につけましても」
心からかたがた(そで)()らすかな
明くと教ふる声につけても
2.4.11
とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし
とおっしゃる様子、いじらしくて、まことに魅力的である。
尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。
2.4.12 「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか
胸の思いの晴れる間もないのに」
(なげ)きつつ我が世はかくて過ぐせとや
胸のあくべき時ぞともなく
2.4.13
静心(しづごころ)なくて、()でたまひぬ。
慌ただしい思いで、お出になった。
落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。
2.4.14 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で、振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿の兄君の藤少将が、藤壷から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったなあ。
きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。
まだ朝に遠い暁月夜で、霧が一面に降っている中を簡単な狩衣(かりぎぬ)姿で歩いて行く源氏は美しかった。この時に承香殿(じょうきょうでん)女御(にょご)の兄である頭中将(とうのちゅうじょう)が、藤壺(ふじつぼ)の御殿から出て、月光の(かげ)になっている立蔀(たてじとみ)の前に立っていたのを、不幸にも源氏は知らずに来た。批難の声はその人たちの口から起こってくるであろうから。
2.4.15
かやうのことにつけても、もて(はな)れつれなき(ひと)御心(みこころ)かつはめでたしと(おも)ひきこえたまふものから、わが(こころ)()くかたにては、なほつらう心憂(こころう)し、とおぼえたまふ折多(をりおほ)かり。
このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、と思われなさる時が多い。
源氏は尚侍とまた新しく作ることのできた関係によっても、(すき)をまったくお見せにならない中宮(ちゅうぐう)をごりっぱであると認めながらも、恋する心に恨めしくも悲しくも思うことが多かった。

第三章 藤壺の物語 塗籠事件


第一段 源氏、再び藤壺に迫る

3.1.1
内裏(うち)(まゐ)りたまはむことは、うひうひしく、所狭(ところせ)(おぼ)しなりて春宮(とうぐう)()たてまつりたまはぬを、おぼつかなく(おも)ほえたまふ。
また、(たの)もしき(ひと)もものしたまはねば、ただこの大将(だいしゃう)(きみ)をぞ、よろづに(たの)みきこえたまへるに、なほ、この(にく)御心(みこころ)のやまぬにともすれば御胸(おほんむね)をつぶしたまひつつ、いささかもけしきを御覧(ごらん)()らずなりにしを(おも)ふだにいと(おそ)ろしきに、(いま)さらにまた、さる(こと)()こえありて、わが()はさるものにて、春宮(とうぐう)(おほん)ためにかならずよからぬこと()()なむ、(おぼ)すに、いと(おそ)ろしければ、御祈(おほんいの)りをさへせさせてこのこと(おも)ひやませたてまつらむと、(おぼ)しいたらぬことなく(のが)れたまふを、いかなる(をり)にかありけむ、あさましうて(ちか)づき(まゐ)りたまへり。
心深(こころふか)くたばかりたまひけむことを、()(ひと)なかりければ、(ゆめ)のやうにぞありける。
内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。
また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。
慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。
御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにお(かく)れになったことでも、宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、今さらまた悪名(あくみょう)の立つことになっては、自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、宮は御心配になって、源氏の恋を仏力(ぶつりき)で止めようと、ひそかに祈祷(きとう)までもさせてできる限りのことを尽くして源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。
3.1.2
まねぶべきやうなく()こえ(つづ)けたまへど、(みや)いとこよなくもて(はな)れきこえたまひて、()()ては、御胸(おほんむね)をいたう(なや)みたまへば、(ちか)うさぶらひつる命婦(みゃうぶ)(べん)などぞあさましう()たてまつりあつかふ。
(をとこ)()し、つらし、(おも)ひきこえたまふこと、(かぎ)りなきに、()方行(かたゆ)(さき)かきくらす心地(ここち)してうつし心失(ごころう)せにければ、()()てにけれど、()でたまはずなりぬ。
筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁などは、驚きあきれてご介抱申し上げる。
男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならないままになってしまった。
源氏が御心(みこころ)を動かそうとしたのは偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。命婦(みょうぶ)とか(べん)とか秘密に(あずか)っている女房が驚いていろいろな世話をする。源氏は宮が恨めしくてならない上に、この世が真暗(まっくら)になった気になって呆然(ぼうぜん)として朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。
3.1.3
御悩(おほんなや)みにおどろきて、(ひと)びと(ちか)(まゐ)りて、しげうまがへば、(われ)にもあらで、塗籠(ぬりごめ)()()れられておはす。
御衣(おほんぞ)ども(かく)()たる(ひと)心地(ここち)ども、いとむつかし。
(みや)は、ものをいとわびし、(おぼ)しけるに、御気上(おほんけあ)がりて、なほ(なや)ましうせさせたまふ。
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)大夫(だいぶ)など(まゐ)りて、
ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。
お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。
宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。
兵部卿宮、大夫などが参上して、
御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が頻繁(ひんぱん)に往来することにもなって、源氏は無意識に塗籠(ぬりごめ)(屋内の蔵)の中へ押し入れられてしまった。源氏の上着などをそっと持って来た女房も(おそろ)しがっていた。宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに逆上(のぼせ)をお覚えになって、翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。兄君の兵部卿の宮とか中宮大夫などが参殿し、
3.1.4
僧召(そうめ)せ」
「僧を呼べ」
祈りの僧を迎えよう
3.1.5
など(さわ)ぐを、大将(だいしゃう)いとわびしう()きおはす。
からうして、()れゆくほどにぞおこたりたまへる。
などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。
やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。
などと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。
3.1.6
かく()もりゐたまへらむとは(おぼ)しもかけず(ひと)びとも、また御心惑(みこころまど)はさじとて、かくなむとも(まう)さぬなるべし
(ひる)御座(おまし)にゐざり()でておはします。
よろしう(おぼ)さるるなめりとて、(みや)もまかでたまひなどして御前人少(おまへひとずく)なになりぬ。
(れい)もけ(ぢか)くならさせたまふ人少(ひとすく)なければここかしこの(もの)のうしろなどにぞさぶらふ。
命婦(みゃうぶ)(きみ)などは、
このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。
昼の御座にいざり出ていらっしゃる。
ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。
いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。
命婦の君などは、
源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御恢復(かいふく)になったものらしいと言って、兵部卿の宮もお帰りになり、お居間の人数が少なくなった。平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、そうした人たちだけが、そこここの几帳(きちょう)の後ろや襖子(からかみ)(かげ)などに侍していた。命婦などは、
3.1.7 「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。
今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」
「どう工夫(くふう)して大将さんをそっと出してお帰ししましょう。またそばへおいでになると今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、宮様がお気の毒ですよ」
3.1.8 などと、ひそひそとささやきもてあましている。
などとささやいていた。
3.1.9
(きみ)は、塗籠(ぬりごめ)()(ほそ)めに()きたるを、やをらおし()けて、御屏風(みびゃうぶ)のはさまに(つた)()りたまひぬ。
めづらしくうれしきにも涙落(なみだお)ちて()たてまつりたまふ。
君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。
珍しく嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。
源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、屏風(びょうぶ)と壁の間を伝って宮のお近くへ出て来た。ご存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
3.1.10 「やはり、とても苦しい。
死んでしまうのかしら」
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
3.1.11 と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。
お果物だけでも、といって差し上げた。
箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。
世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。
髪の生え際、頭の恰好、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。
ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。
とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常に(えん)である。これだけでも召し上がるようにと思って、女房たちが持って来たお菓子の台がある、そのほかにも箱の(ふた)などに感じよく調理された物が積まれてあるが、宮はそれらにお気がないようなふうで、物思いの多い様子をして静かに一所をながめておいでになるのがお美しかった。髪の質、頭の形、髪のかかりぎわなどの美しさは西の対の姫君とそっくりであった。よく似たことなどを近ごろは初めほど感ぜずにいた源氏は、今さらのように驚くべく酷似した二女性であると思って、苦しい片恋のやり場所を自分は持っているのだという気が少しした。
3.1.12
気高(けだか)()づかしげなるさまなどもさらに異人(ことびと)とも(おも)()きがたきを、なほ、(かぎ)りなく(むかし)より(おも)ひしめきこえてし(こころ)(おも)ひなしにやさまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな」と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑(こころまど)ひして、やをら御帳(みちゃう)のうちにかかづらひ()りて御衣(おほんぞ)(つま)()きならしたまふ
けはひしるく、さと(にほ)ひたるに、あさましうむくつけう(おぼ)されて、やがてひれ()したまへり。
()だに()きたまへかし」と(こころ)やましうつらうて()()せたまへるに、御衣(おほんぞ)をすべし()きて、ゐざりのきたまふに、(こころ)にもあらず、御髪(みぐし)()()へられたりければいと心憂(こころう)く、宿世(すくせ)のほど、(おぼ)()られて、いみじ、と(おぼ)したり。
気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。
気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。
「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。
高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物の(つま)先を手で引いた。源氏の服の薫香(くんこう)()がさっと立って、宮は様子をお悟りになった。驚きと恐れに宮は前へひれ伏しておしまいになったのである。せめて見返ってもいただけないのかと、源氏は飽き足らずも思い、恨めしくも思って、お(すそ)を手に持って引き寄せようとした。宮は上着を源氏の手にとめて、御自身は外のほうへお退()きになろうとしたが、宮のお(ぐし)はお召し物とともに男の手がおさえていた。宮は悲しくてお自身の薄倖(はっこう)であることをお思いになるのであったが、非常にいたわしい御様子に見えた。
3.1.13
(をとこ)も、ここら()をもてしづめたまふ御心(みこころ)みな(みだ)れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを()()(うら)みきこえたまへど、まことに(こころ)づきなし(おぼ)して、いらへも()こえたまはず。
ただ、
男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。
わずかに、
源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒(てんとう)させたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ、
3.1.14 「気分が、とてもすぐれませんので。
このようでない時であったら、申し上げましょう」
「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」
3.1.15
とのたまへど、()きせぬ御心(みこころ)のほどを()(つづ)けたまふ。
とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。
とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。
3.1.16
さすがに、いみじと()きたまふふしもまじるらむ
あらざりしことにはあらねど、(あらた)めていと口惜(くちを)しう(おぼ)さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ(のが)れて、今宵(こよひ)()()く。
そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。
以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。
さすがに身に()んでお思われになることも混じっていたに違いない。以前になかったことではないが、またも罪を重ねることは堪えがたいことであると思召(おぼしめ)す宮は、柔らかい、なつかしいふうは失わずに、しかも迫る源氏を強く避けておいでになる。ただこんなふうで今夜も明けていく。
3.1.17
せめて(したが)ひきこえざらむもかたじけなく、心恥(こころは)づかしき(おほん)けはひなれば、
しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、
この上で力で勝つことはなすに忍びない清い気高(けだか)さの備わった方であったから、源氏は、
3.1.18 「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」
「私はこれだけで満足します。せめて今夜ほどに接近するのをお許しくだすって、今後も時々は私の心を聞いてくださいますなら、私はそれ以上の無礼をしようとは思いません」
3.1.19 などと、ご安心申し上げなさるのだろう。
ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。
こんなふうに言って油断をおさせしようとした。今後の場合のために。こうした深刻な関係でなくても、これに類したあぶない逢瀬(おうせ)を作る恋人たちは別れが苦しいものであるから、まして源氏にここは離れがたい。
3.1.20
()()つれば、二人(ふたり)していみじきことどもを()こえ(みや)は、(なか)ばは()きやうなる()けしきの心苦(こころぐる)しければ、
明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、
夜が明けてしまったので王命婦と弁とが源氏の退去をいろいろに言って頼んだ。宮様は半ば死んだようになっておいでになるのである。
3.1.21 「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」
「恥知らずの男がまだ生きているかとお思われしたくありませんから、私はもうそのうち死ぬでしょう。そしたらまた死んだ魂がこの世に執着を持つことで罰せられるのでしょう」
3.1.22
など()こえたまふも、むくつけきまで(おぼ)()れり
などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。
恐ろしい気がするほど源氏は真剣になっていた。
3.1.23 「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
「逢ふことの(かた)きを今日に限らずば
なほ幾世をか(なげ)きつつ経ん
3.1.24 御往生の妨げにもなっては」
どうなってもこうなっても私はあなたにつきまとっているのですよ」
3.1.25
()こえたまへば、さすがに、うち(なげ)きたまひて、
と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、
宮は吐息(といき)をおつきになって、
3.1.26 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」
長き世の恨みを人に残しても
かつは心をあだとしらなん
3.1.27
はかなく()ひなさせたまへるさまの、()ふよしなき心地(ここち)すれど、(ひと)(おぼ)さむところも、わが(おほん)ためも(くる)しければ、(われ)にもあらで、()でたまひぬ。
わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。
とお言いになった。源氏の言葉をわざと軽く受けたようにしておいでになる御様子の優美さに源氏は心を()かれながらも宮の御軽蔑(けいべつ)を受けるのも苦しく、わがためにも自重しなければならないことを思って帰った。

第二段 藤壺、出家を決意

3.2.1
いづこを(おもて)にてかは、またも()えたてまつらむ
いとほしと(おぼ)()るばかり」と(おぼ)して、御文(おほんふみ)()こえたまはず。
うち()えて、内裏(うち)春宮(とうぐう)にも(まゐ)りたまはず、()もりおはして()()し、いみじかりける(ひと)御心(みこころ)かな」と、人悪(ひとわ)ろく(こひ)しう(かな)しきに、心魂(こころだましひ)()せにけるにや(なや)ましうさへ(おぼ)さる。
もの心細(こころぼそ)く、なぞや、()()れば()さこそまされ」と、(おぼ)()つにはこの女君(をんなぎみ)のいとらうたげにてあはれにうち(たの)みきこえたまへるを、()()てむこと、いとかたし
「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。
気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。
すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もっていらして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。
何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。
あれほど冷酷に扱われた自分はもうその方に顔もお見せしたくない。同情をお感じになるまでは沈黙をしているばかりであると源氏は思って、それ以来宮へお手紙を書かないでいた。ずっともう御所へも東宮へも出ずに引きこもっていて、夜も昼も冷たいお心だとばかり恨みながらも、自分の今の態度を裏切るように恋しさがつのった。魂もどこかへ行っているようで、病気にさえかかったらしく感ぜられた。心細くて人間的な生活を捨てないからますます悲しみが多いのである、自分などは僧房の人になるべきであると、こんな決心をしようとする時にいつも思われるのは若い夫人のことであった。優しく自分だけを頼みにして生きている妻を捨てえようとは思われないのであった。
3.2.2
(みや)も、その名残(なごり)(れい)にもおはしまさず。
かうことさらめきて()もりゐ、おとづれたまはぬを、命婦(みゃうぶ)などはいとほしがりきこゆ。
(みや)も、春宮(とうぐう)(おほん)ためを(おぼ)すには、御心置(みこころお)きたまはむこと、いとほしく()をあぢきなきものに(おも)ひなりたまはば、ひたみちに(おぼ)()つこともや」と、さすがに(くる)しう(おぼ)さるべし
宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。
こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。
宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。
宮のお心も非常に動揺したのである。源氏はその時きり引きこもって手紙も送って来ないことで命婦などは気の毒がった。宮も東宮のためには源氏に好意を持たせておかねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。
3.2.3
かかること()えずはいとどしき()に、()()さへ()()でなむ。
大后(おほきさき)の、あるまじきことにのたまふなる(くらゐ)をも()りなむ」と、やうやう(おぼ)しなる。
(ゐん)(おぼ)しのたまはせしさまの、なのめならざりしを(おぼ)()づるにも、よろづのこと、ありしにもあらず()はりゆく()にこそあめれ。
戚夫人(せきふじん)()けむ()のやうにはあらずとも、かならず、人笑(ひとわら)へなることは、ありぬべき()にこそあめれ」など、()(うと)ましく、()ぐしがたう(おぼ)さるれば、(そむ)きなむことを(おぼ)()るに、春宮(とうぐう)()たてまつらで面変(おもが)はりせむこと、あはれに(おぼ)さるれば、(しの)びやかにて(まゐ)りたまへり。
「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。
大后が、けしからんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。
故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。
戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。
そうといってああしたことが始終あっては(きず)を捜し出すことの好きな世間はどんな(うわさ)を作るかが想像される。自分が尼になって、皇太后に不快がられている后の位から退いてしまおうと、こうこのごろになって宮はお思いになるようになった。院が自分のためにどれだけ重い御遺言をあそばされたかを考えると何ごとも当代にそれが実行されていないことが思われる。漢の初期の(せき)夫人が呂后(りょこう)(さいな)まれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑(ちょうしょう)を負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。これを転機にして尼の生活にはいるのがいちばんよいことであるとお考えになったが、東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことはおかわいそうなことであるとお思いになって、目だたぬ形式で御所へおはいりになった。
3.2.4
大将(だいしゃう)(きみ)は、さらぬことだに、(おぼ)()らぬことなく(つか)うまつりたまふを、御心地悩(みここちなや)ましきにことつけて、御送(おほんおく)りにも(まゐ)りたまはず。
おほかたの(おほん)とぶらひは、(おな)じやうなれど、むげに、(おぼ)()しにける」と、心知(こころし)るどちはいとほしがりきこゆ。
大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。
一通りのお世話は、いつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。
源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表する(なら)わしであったが、病気に(たく)して供奉(ぐぶ)もしなかった。贈り物その他は常に変わらないが、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
3.2.5
(みや)は、いみじううつくしうおとなびたまひてめづらしううれし(おぼ)して、むつれきこえたまふを、かなし()たてまつりたまふにも、(おぼ)()(すぢ)はいとかたけれど、内裏(うち)わたりを()たまふにつけても、()のありさま、あはれにはかなく、(うつ)()はることのみ(おほ)かり。
宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。
東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。
3.2.6
大后(おほきさき)御心(みこころ)もいとわづらはしくて、かく()()りたまふにも、はしたなく、(こと)()れて(くる)しければ、(みや)(おほん)ためにも(あや)ふくゆゆしう、よろづにつけて(おも)ほし(みだ)れて、
大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
太后の復讐心(ふくしゅうしん)に燃えておいでになることも面倒(めんどう)であったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶(はんもん)をあそばすのであった。
3.2.7
御覧(ごらん)ぜで、(ひさ)しからむほどに容貌(かたち)(こと)ざまにてうたてげに()はりてはべらば、いかが(おぼ)さるべき」
「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」
「長くお目にかからないでいる()に、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
3.2.8
()こえたまへば、御顔(おほんかほ)うちまもりたまひて、
とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
3.2.9 「式部のようになの。
どうして、そのようにはおなりになりましょう」
「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
3.2.10
と、()みてのたまふ。
いふかひなくあはれにて
と、笑っておっしゃる。
何とも言いようがなくいじらしいので、
とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
3.2.11
それは、()いてはべれば(みにく)きぞ
さはあらで、(かみ)はそれよりも(みじか)くて(くろ)(きぬ)などを()て、夜居(よゐ)(そう)のやうになりはべらむとすれば、()たてまつらむことも、いとど(ひさ)しかるべきぞ」
「あの人は、
年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間
「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、夜居(よい)のお坊様のように私はなろうと思うのですから、今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」
3.2.12
とて()きたまへば、まめだちて、
と言ってお泣きになると、真剣になって、
宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、
3.2.13 「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」
「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」
3.2.14
とて、(なみだ)()つれば、()づかしと(おぼ)して、さすがに(そむ)きたまへる、御髪(みぐし)はゆらゆらときよらにて、まみのなつかしげに(にほ)ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔(おほんかほ)()ぎすべたまへり
御歯(おほんは)のすこし()ちて、(くち)内黒(うちくろ)みて、()みたまへる(かを)りうつくしきは、(をんな)にて()たてまつらまほしうきよらなり
いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂(こころう)けれ」と、(たま)(きず)(おぼ)さるるも、()のわづらはしさの、空恐(そらおそ)ろしうおぼえたまふなりけり
と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。
御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。
「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。
とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするお(ぐし)がきれいで、お目つきの美しいことなど、御成長あそばすにしたがってただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口に()みをお見せになる美しさは、女の顔にしてみたいほどである。こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉の(きず)であると、中宮がお思いになるのも、取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。

第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠


第一段 秋、雲林院に参籠

4.1.1 大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「情けないほど冷たいお心のほどを、時々は、お悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く、所在なく思われなさるので、秋の野も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。
源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。
4.1.2
故母御息所(こははみやすんどころ)御兄(おほんせうと)律師(りし)()もりたまへる(ばう)にて、法文(ほふもん)など()み、(おこ)なひせむ」と(おぼ)して、()三日(さんにち)おはするに、あはれなること(おほ)かり。
「故母御息所のご兄妹の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日いらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。
源氏の母君の桐壺(きりつぼ)御息所(みやすどころ)の兄君の律師(りっし)がいる寺へ行って、経を読んだり、仏勤めもしようとして、二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。
4.1.3
紅葉(もみぢ)やうやう(いろ)づきわたりて、(あき)()のいとなまめきたるなど()たまひて、故里(ふるさと)(わす)れぬべく(おぼ)さる。
法師(ほふし)ばらの、(ざえ)ある(かぎ)()()でて、論議(ろんぎ)せさせて()こしめさせたまふ。
(ところ)からに、いとど()(なか)(つね)なさを(おぼ)()かしてもなほ、「()(ひと)しもぞ」と、(おぼ)()でらるるおし()(がた)月影(つきかげ)法師(ほふし)ばらの閼伽(あか)たてまつるとて、からからと()らしつつ、(きく)(はな)()(うす)紅葉(もみぢ)など、()()らしたるも、はかなげなれど
紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。
法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。
場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、「つれない人こそ、恋しく思われる」と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、
木立ちは紅葉(もみじ)をし始めて、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、その中でなお源氏は恨めしい人に最も心を()かれている自分を発見した。朝に近い月光のもとで、僧たちが閼伽(あか)を仏に供える仕度(したく)をするのに、からからと音をさせながら、菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。
4.1.4
このかたのいとなみはこの()もつれづれならず、(のち)()はた、(たの)もしげなり。
さも、あぢきなき()をもて(なや)むかな
「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。
それに引き比べ、
こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないか
4.1.5
など、(おぼ)(つづ)けたまふ。
律師(りし)の、いと(たふと)(こゑ)にて、
などと、お思い続けなさる。
律師が、とても尊い声で、
などと源氏は思っていた。律師が尊い声で
4.1.6 「念仏衆生摂取不捨」
念仏衆生(ねんぶつしゆじやう)摂取不捨(せつしゆふしや)
4.1.7 と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。
と唱えて勤行(ごんぎょう)をしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王(にょおう)が気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。
4.1.8
(れい)ならぬ日数(ひかず)も、おぼつかなくのみ(おぼ)さるれば、御文(おほんふみ)ばかりぞ、しげう()こえたまふめる
いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。
幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
4.1.9
()(はな)れぬべしやと、(こころ)みはべる(みち)なれどつれづれも(なぐさ)めがたう、心細(こころぼそ)さまさりてなむ。
()きさしたることありて、やすらひはべるほど、いかに
「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。
途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
出家ができるかどうかと試みているのですが、寺の生活は寂しくて、心細さがつのるばかりです。もう少しいて法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、あなたはどうしていますか。
4.1.10
など、陸奥紙(みちのくにがみ)にうちとけ()きたまへるさへぞ、めでたき。
などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。
などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。
4.1.11 「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので
まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、
あさぢふの露の宿りに君を置きて
四方(よも)(あらし)ぞしづ心なき
4.1.12
など、こまやかなるに、女君(をんなぎみ)もうち()きたまひぬ。
御返(おほんかへ)し、(しろ)色紙(しきし)
などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。
お返事は、白い色紙に、
という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い式紙(しきし)に、
4.1.13 「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に
糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」
風吹けば()づぞ乱るる色かはる
浅茅(あさぢ)が露にかかるささがに
4.1.14
とのみありて御手(おほんて)はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、(ひと)りごちて、うつくしとほほ()みたまふ。
とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。
とだけ書かれてあった。「字はますますよくなるようだ」と独言(ひとりごと)を言って、微笑しながらながめていた。
4.1.15
(つね)()()はしたまへばわが御手(おほんて)にいとよく()て、(いま)すこしなまめかしう、(をんな)しきところ()()へたまへり。
(なに)ごとにつけても、けしうはあらず()ほし()てたりかし」と(おも)ほす。
いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。
「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。
始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少し(えん)な女らしいところが添っていた。どの点からいっても自分は教育に成功したと源氏は思っているのである。

第二段 朝顔斎院と和歌を贈答

4.2.1 吹き通う風も近い距離なので、斎院にも差し上げなさった。
中将の君に、
斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、
4.2.2
かく、(たび)(そら)になむもの(おも)ひにあくがれにけるを、(おぼ)()るにもあらじかし」
「このように、旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」
物思いがつのって、とうとう家を離れ、こんな所に宿泊していますことも、だれのためであるかとはだれもご存じのないことでしょう。
4.2.3
など、(うら)みたまひて、御前(おまへ)には、
などと、恨み言を述べて、御前には、
などと恨みが述べてあった。当の斎院には、
4.2.4 「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど
その昔の秋のころのことが思い出されます
かけまくも(かしこ)けれどもそのかみの
秋思ほゆる木綿襷(ゆふだすき)かな
4.2.5
(むかし)(いま)(おも)ひたまふるもかひなく、とり(かへ)されむもののやうに
昔の仲を今に、と存じます甲斐もなく、取り返せるもののようにも」
昔を今にしたいと思いましてもしかたのないことですね。自分の意志で取り返しうるもののように。
4.2.6 と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、(さかき)木綿(ゆう)をかけ神々(こうごう)しくした枝につけて送ったのである。
4.2.7
御返(おほんかへ)り、中将(ちゅうじゃう)
お返事、中将、
中将の返事は、
4.2.8
(まぎ)るることなくて()(かた)のことを(おも)ひたまへ()づるつれづれのままには、(おも)ひやりきこえさすること(おほ)くはべれど、かひなくのみなむ」
「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げること、多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」
同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を聯想(れんそう)することもたくさんございます。しかしここでは何も現在へは続いて来ていないのでございます、別世界なのですから。
4.2.9
と、すこし(こころ)とどめて(おほ)かり。
御前(おまへ)のは、木綿(ゆふ)片端(かたはし)に、
と、少し丹念に多く書かれていた。
御前の歌は、木綿の片端に、
まだいろいろと書かれてあった。女王のは木綿(ゆう)(はし)に、
4.2.10 「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか
心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは
そのかみやいかがはありし木綿襷(ゆふだすき)
心にかけて忍ぶらんゆゑ
4.2.11 近い世には」

4.2.12
とぞある。
とある。
とだけ書いてあった。
4.2.13 「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、草書きなど美しくなったものだ。
ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで、恐ろしいことよ。
斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。
4.2.14 「ああ、このころであったよ。
野宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。
是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質だことよ。
源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は暢気(のんき)にしていて、今さら後悔の涙を無限に流しているのである。
4.2.15
(ゐん)も、かくなべてならぬ御心(みこころ)ばへを見知(みし)りきこえたまへれば、たまさかなる御返(おほんかへ)りなどは、えしももて(はな)れきこえたまふまじかめり
すこしあいなきことなりかし
齋院も、このような一通りでないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。
少し困ったことである。
斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。
4.2.16
六十巻(ろくじふかん)といふ(ふみ)()みたまひおぼつかなきところどころ()かせなどしておはしますを、山寺(やまでら)には、いみじき光行(ひかりおこ)なひ()だしたてまつれり」と、(ほとけ)御面目(おほんめんぼく)あり」と、あやしの法師(ほふし)ばらまでよろこびあへり。
しめやかにて、()(なか)(おも)ほしつづくるに、(かへ)らむことももの()かりぬべけれど、人一人(ひとひとり)(おほん)こと(おぼ)しやるがほだしなれば(ひさ)しうもえおはしまさで、(てら)にも御誦経(みずきゃう)いかめしうせさせたまふ
あるべき(かぎ)り、上下(かみしも)(そう)ども、そのわたりの山賤(やまがつ)まで物賜(ものた)び、(たふと)きことの(かぎ)りを()くして()でたまふ。
()たてまつり(おく)るとて、このもかのもにあやしきしはふるひどもも(あつま)りてゐて、(なみだ)()としつつ()たてまつる。
(くろ)御車(みくるま)のうちにて、(ふぢ)御袂(おほんたもと)にやつれたまへればことに()えたまはねど、ほのかなる(おほん)ありさまを、()になく(おも)ひきこゆべかめり。
六十巻という経文、お読みになり、不明な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、「山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申した」と、「仏の御面目が立つことだ」と、賎しい法師連中までが喜び合っていた。
静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。
伺候しているすべての、身分の上下を問わない僧ども、その周辺の山賎にまで、物を下賜され、あらゆる功徳を施して、お出になる。
お見送り申そうとして、あちらこちらに、賎しい柴掻き人連中が集まっていて、涙を落としながら拝し上げる。
黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子を、またとなく素晴らしい人とお思い申し上げているようである。
天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって仏力(ぶつりき)でこの人が寺へつかわされたもののように思って、法師の名誉であると、下級の輩までも喜んでいた。静かな寺の朝夕に人生を観じては帰ることがどんなにいやなことに思われたかしれないのであるが、紫の女王一人が捨てがたい(ほだし)になって、長く滞留せずに帰ろうとする源氏は、その前に盛んな誦経(ずきょう)を行なった。あるだけの法師はむろん、その辺の下層民にも物を多く施した。帰って行く時には、寺の前の広場のそこここにそうした人たちが集まって、涙を流しながら見送っていた。諒闇(りょうあん)中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌(びぼう)に心の()かれない人もなかった。

第三段 源氏、二条院に帰邸

4.3.1
女君(をんなぎみ)は、()ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地(ここち)して、いといたうしづまりたまひて、()(なか)いかがあらむと(おも)へるけしきの、心苦(こころぐる)しうあはれにおぼえたまへば、あいなき(こころ)のさまざま(みだ)るるやしるからむ、色変(いろか)はる」とありしもらうたうおぼえて、(つね)よりことに(かた)らひきこえたまふ。
女君は、この数日間に、いっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらして、男君との仲が今後どうなって行くのだろうと思っている様子が、いじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、「色変わる」とあったのも、かわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。
夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐(かれん)であった。幾人かの人を思う幾つかの煩悶(はんもん)は外へ出て、この人の目につくほどのことがあったのであろう、「色変はる」というような歌を()んできたのではないかと哀れに思って、源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。
4.3.2
(やま)づとに()たせたまへりし紅葉(もみぢ)御前(おまへ)のに御覧(ごらん)(くら)ぶれば、ことに()めましける(つゆ)(こころ)見過(みす)ぐしがたう、おぼつかなさも、人悪(ひとわ)るきまでおぼえたまへばただおほかたにて(みや)(まゐ)らせたまふ。
命婦(みゃうぶ)のもとに、
山の土産にお持たせになった紅葉、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の心やりも、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通の贈り物として、宮に差し上げなさる。
命婦のもとに、
山から折って帰った紅葉(もみじ)は庭のに比べるとすぐれて(あか)くきれいであったから、それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、ただ何でもない贈り物として、御所においでになる中宮(ちゅうぐう)の所へ持たせてやった。手紙は命婦(みょうぶ)へ書いたのであった。
4.3.3
()らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、(みや)(あひだ)(こと)おぼつかなくなりはべりにければ、静心(しづごころ)なく(おも)ひたまへながら、(おこな)ひもつとめむなど、(おも)()ちはべりし日数(ひかず)を、(こころ)ならずやとてなむ、()ごろになりはべりにける。
紅葉(もみぢ)は、一人見(ひとりみ)はべるに、錦暗(にしきくら)(おも)ひたまふればなむ。
(をり)よくて御覧(ごらん)ぜさせたまへ」
「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、東宮との間の事、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと、計画しておりました日数を、不本意なことになってはと、何日にもなってしまいました。
紅葉は、独りで見ていますと、せっかくの美しさも残念に思われましたので。
よい折に御覧下さいませ」
珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、両宮様いずれへも御無沙汰(ごぶさた)しておりますので、その際にも上がってみたかったのですが、しばらく宗教的な勉強をしようとその前から思い立っていまして、日どりなどを決めていたものですから失礼いたしました。紅葉(もみじ)は私一人で見ていましては、錦を暗い所へ置いておく気がしてなりませんから持たせてあげます。よろしい機会に宮様のお目にかけてください。
4.3.4
などあり。
などとある。
と言うのである。
4.3.5
げに、いみじき(えだ)どもなれば、御目(おほんめ)とまるに(れい)の、いささかなるものありけり。
(ひと)びと()たてまつるに、御顔(おほんかほ)(いろ)(うつ)ろひて、
なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものように、ちょっとした文が結んであるのだった。
女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、
実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、
4.3.6
なほ、かかる(こころ)()えたまはぬこそ、いと(うと)ましけれ。
あたら(おも)ひやり(ふか)うものしたまふ(ひと)の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混(をりをりま)ぜたまふを、(ひと)もあやしと()るらむかし」
「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。
惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなく、このようなこと、時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」
まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いない
4.3.7
と、(こころ)づきなく(おぼ)されて、(かめ)()させて、(ひさし)(はしら)のもとにおしやらせたまひつ。
と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。
と反感をお覚えになって、(かめ)()させて、(ひさし)()の柱の所へ出しておしまいになった。

第四段 朱雀帝と対面

4.4.1
おほかたのことども、(みや)御事(おほんこと)()れたることなどをば、うち(たの)めるさまに、すくよかなる御返(おほんかへ)りばかり()こえたまへるを、さも(こころ)かしこく、()きせずも」と、(うら)めしうは()たまへど、(なに)ごとも後見(うしろみ)きこえならひたまひにたれば、(ひと)あやしと、()とがめもこそすれ」と(おぼ)して、まかでたまふべき()(まゐ)りたまへり
一般の事柄で、宮の御事に関することなどは、頼りにしている様子に、素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ馴れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、退出なさる予定の日に、参内なさった。
ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも理智(りち)だけをお見せになると源氏は恨んでいた。東宮のお世話はことごとく源氏がしていて、それを今度に限って冷淡なふうにしてみせては人が怪しがるであろうと思って、源氏は中宮が御所をお出になる日に行った。
4.4.2
まづ、内裏(うち)御方(おほんかた)(まゐ)りたまへればのどやかにおはしますほどにて、昔今(むかしいま)御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふ。
御容貌(おほんかたち)も、(ゐん)にいとよう()たてまつりたまひて、(いま)すこしなまめかしき気添(けそ)ひて、なつかしうなごやかにぞおはします
かたみにあはれと()たてまつりたまふ。
まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。
御容貌も、院にとてもよくお似申していらして、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。
お互いに懐かしく思ってお会いなさる。
まず(みかど)のほうへ伺ったのである。帝はちょうどお閑暇(ひま)で、源氏を相手に昔の話、今の話をいろいろとあそばされた。帝の御容貌は院によく似ておいでになって、それへ(えん)な分子がいくぶん加わった、なつかしみと柔らかさに満ちた方でましますのである。帝も源氏と同じように、源氏によって院のことをお思い出しになった。
4.4.3 尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、
尚侍(ないしのかみ)との関係がまだ絶えていないことも帝のお耳にはいっていたし、御自身でお気づきになることもないのではなかったが、
4.4.4
(なに)かは(いま)はじめたることならばこそあらめ
さも心交(こころか)はさむに、()げなかるまじき(ひと)のあはひなりかし」
「どうして、今に始まったことならばともかく、前から続いていたことなのだ。
そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」
それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと思召(おぼしめ)して、恋愛をするのに最もふさわしい二人であるから、
4.4.5 と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。
やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。
4.4.6
よろづの御物語(おほんものがたり)(ふみ)(みち)のおぼつかなく(おぼ)さるることどもなど、()はせたまひてまた、()()きしき歌語(うたがた)りなども、かたみに()こえ()はさせたまふついでにかの斎宮(さいぐう)(くだ)りたまひし()のこと、容貌(かたち)のをかしくおはせしなど、(かた)らせたまふに、(われ)もうちとけて、()(みや)のあはれなりし(あけぼの)も、みな()こえ()でたまひてけり
いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点など、お尋ねあそばして、また、色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のこと、ご容貌が美しくおいであそばしたことなど、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。
詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮の(あけぼの)の別れの身にしんだことなども皆お話しした。
4.4.7 二十日の月、だんだん差し昇ってきて、風情ある時分なので、
二十日(はつか)の月がようやく照り出して、夜の趣がおもしろくなってきたころ、帝は、
4.4.8 「管弦の御遊なども、してみたい折だね」
「音楽が聞いてみたいような晩だ」
4.4.9
とのたまはす。
と仰せになる。
と仰せられた。
4.4.10
中宮(ちゅうぐう)の、今宵(こよひ)まかでたまふなるとぶらひにものしはべらむ。
(ゐん)ののたまはせおくことはべりしかば。
また、後見仕(うしろみつか)うまつる(ひと)もはべらざめるに。
春宮(とうぐう)(おほん)ゆかり、いとほしう(おも)ひたまへられはべりて」
「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。
院の御遺言あそばしたことがございましたので。
他に、
御後見申し上げる人もございませんようなの
「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」
4.4.11 とお断り申し上げになる。
と源氏は奏上した。
4.4.12
春宮(とうぐう)をば、(いま)皇子(みこ)になしてなど、のたまはせ()きしかばとりわきて(こころ)ざしものすれど、ことにさしわきたるさまにも、(なに)ごとをかはとてこそ。
(とし)のほどよりも、御手(おほんて)などのわざとかしこうこそものしたまふべけれ。
(なに)ごとにも、はかばかしからぬみづからの面起(おもてお)こしになむ」
「東宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。
お年の割に、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。
何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」
「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」
4.4.13
と、のたまはすれば、
と、仰せになるので、

4.4.14
おほかたしたまふわざなど、いとさとく大人(おとな)びたるさまにものしたまへど、まだ、いと(かた)なりに」
「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」
「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」
4.4.15 などと、その御様子も申し上げなさって、退出なさる時に、大宮のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って、今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、大将が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、
源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の息子(むすこ)(とう)(べん)という、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御(にょご)のいる麗景殿(れいげいでん)に行く途中で源氏を見かけて、
4.4.16 「白虹が日を貫いた。
太子は、
白虹(はくこう)日を貫けり、太子()ぢたり」
4.4.17
と、いとゆるるかにうち(じゅ)じたるを、大将(だいしゃう)いとまばゆしと()きたまへど、(とが)むべきことかは
(きさき)()けしきは、いと(おそ)ろしう、わづらはしげにのみ()こゆるを、かう(した)しき(ひと)びとも、けしきだち()ふべかめることどももあるにわづらはしう(おぼ)されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。
と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将、まことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てできることであろうか。
后の御機嫌は、ひどく恐ろしく、厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。
と漢書の太子丹が刺客を秦王(しんのう)に放った時、その天象(てんしょう)を見て不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま素知らぬふうで行ってしまったのであった。

第五段 藤壺に挨拶

4.5.1 「御前に伺候して、今まで、夜を更かしてしまいました」
「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」
4.5.2
と、()こえたまふ。
と、ご挨拶申し上げなさる。
と源氏は中宮に挨拶(あいさつ)をした。
4.5.3
(つき)のはなやかなるに、(むかし)、かうやうなる(をり)御遊(おほんあそ)びせさせたまひて、(いま)めかしうもてなさせたまひし」など、(おぼ)()づるに(おな)御垣(みかき)(うち)ながら、()はれること(おほ)(かな)し。
月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。
明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が御位(みくらい)においでになったころ、こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって自分をお喜ばせになったことなどと昔の思い出がお心に浮かんで、ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。
4.5.4 「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか
雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」
九重(ここのへ)に霧や隔つる雲の上の
月をはるかに思ひやるかな
4.5.5
と、命婦(みゃうぶ)して、()こえ(つた)へたまふ。
ほどなければ、(おほん)けはひも、ほのかなれど、なつかしう()こゆるに、つらさも(わす)られて、まづ(なみだ)()つる。
と、命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。
それほど離れた距離ではないので、御様子も、かすかではあるが、慕わしく聞こえるので、辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。
これを命婦(みょうぶ)から源氏へお伝えさせになった。宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞こえてくると、源氏は恨めしさも忘れてまず涙が落ちた。
4.5.6 「月の光は昔の秋と変わりませんのに
隔てる霧のあるのがつらく思われるのです
「月影は見し世の秋に変はらねど
隔つる霧のつらくもあるかな
4.5.7
(かすみ)(ひと)とか、(むかし)もはべりけることにや」
霞も仲を隔てるとか、昔もあったことでございましょうか」
(かすみ)が花を隔てる作用にも人の心が現われるとか昔の歌にもあったようでございます」
4.5.8
など()こえたまふ。
などと、申し上げなさる。
などと源氏は言った。
4.5.9
(みや)は、春宮(とうぐう)()かず(おも)ひきこえたまひて、よろづのことを()こえさせたまへど、(ふか)うも(おぼ)()れたらぬをいとうしろめたく(おも)ひきこえたまふ。
(れい)は、いととく大殿籠(おほとのご)もるを、()でたまふまでは()きたらむ」と(おぼ)すなるべし
(うら)めしげに(おぼ)したれど、さすがに、(した)ひきこえたまはぬを、いとあはれと、()たてまつりたまふ。
宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、あらゆる事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。
いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。
残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。
中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くお(やす)みになるのであるが、宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。御自身を残して母宮の行っておしまいになることがお恨めしいようであるが、さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが御親心には哀れであるに違いなかった。

第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答

4.6.1
大将(だいしゃう)(とう)(べん)()じつることを(おも)ふに御心(みこころ)(おに)に、()(なか)わづらはしうおぼえたまひて、尚侍(かん)(きみ)にも(おとづ)れきこえたまはで、(ひさ)しうなりにけり。
大将、頭の弁が朗誦したことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。
源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。
4.6.2 初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、
時雨(しぐれ)が降りはじめたころ、どう思ったか尚侍のほうから、
4.6.3 「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに
長い月日が経ってしまいました」
木枯(こがら)しの吹くにつけつつ待ちし()
おぼつかなさの(ころ)も経にけり
4.6.4
()こえたまへり
(をり)もあはれに、あながちに(しの)()きたまへらむ御心(みこころ)ばへも、(にく)からねば、御使(おほんつかひ)とどめさせて(から)(かみ)ども()れさせたまへる御厨子開(みづしあ)けさせたまひて、なべてならぬを()()でつつ、(ふで)なども(こころ)ことにひきつくろひたまへるけしき、(えん)なるを、御前(おまへ)なる(ひと)びと、()ればかりならむ」とつきしろふ
と差し上げなさった。
時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちも、いじらしいので、お使いを留めさせて、唐の紙をお入れあそばしている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子、優美なので、御前の女房たちは、「どなたのであろう」と、互いにつっ突き合っている。
こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、唐紙(からかみ)のはいった置き(だな)の戸をあけて紙を選び出したり、筆を気にしたりして源氏が書いている返事はただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。相手はだれくらいだろうと(ひじ)や目で語っていた。
4.6.5
()こえさせてもかひなきもの()りにこそ、むげにくづほれにけれ。
()のみもの()きほどに
「お便り差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。
自分だけが情けなく思われていたところに、
どんなに苦しい心を申し上げてもお返事がないので、そのかいのないのに私の心はすっかりめいり込んでいたのです。
4.6.6 お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを
ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか
あひ見ずて忍ぶる頃の涙をも
なべての秋のしぐれとや見る
4.6.7
(こころ)(かよ)ふならば、いかに(なが)めの(そら)もの(わす)れしはべらむ」
心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」
心が通うものでしたなら、通っても来るものでしたなら、空も寂しい色とばかりは見えないでしょう。
4.6.8 などと、つい情のこもった手紙になってしまった。
などと情熱のある文字が(つら)ねられた。
4.6.9
かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ(おほ)かめれど(なさ)けなからずうち(かへ)りごちたまひて、御心(みこころ)には(ふか)()まざるべし
このようにお便りを差し上げる人々は多いようであるが、無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深くしみこまないのであろう。
こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。

第五章 藤壺の物語 法華八講主催と出家


第一段 十一月一日、故桐壺院の御国忌

5.1.1 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。
中宮は院の御一周忌をお営みになったのに続いてまたあとに法華経(ほけきょう)の八講を催されるはずでいろいろと準備をしておいでになった。
5.1.2
霜月(しもつき)朔日(ついたち)ごろ、御国忌(みこき)なるに、(ゆき)いたう()りたり
大将殿(だいしゃうどの)より(みや)()こえたまふ。
霜月の上旬、御国忌の日に、雪がたいそう降った。
大将殿から宮にお便り差し上げなさる。
十一月の初めの御命日に雪がひどく降った。源氏から中宮へ歌が送られた。
5.1.3 「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、
雪はふってもその人にまた行きめぐり逢える時はいつと期
別れにし今日(けふ)は来れども見し人に
行き()ふほどをいつと頼まん
5.1.4
いづこにも、今日(けふ)はもの(がな)しう(おぼ)さるるほどにて、御返(おほんかへ)りあり。
どちらも、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。
中宮のためにもお悲しい日で、すぐにお返事があった。
5.1.5 「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが
一周忌の今日は、
ながらふるほどは()けれど行きめぐり
今日はその世に逢ふ心地(ここち)して
5.1.6
ことにつくろひてもあらぬ御書(おほんか)きざまなれど、あてに気高(けだか)きは(おも)ひなしなるべし
筋変(すぢか)はり(いま)めかしうはあらねど、(ひと)にはことに()かせたまへり
今日(けふ)は、この(おほん)ことも(おも)()ちてあはれなる(ゆき)(しづく)()()(おこな)ひたまふ。
格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは思い入れであろう。
書風が独特で当世風というのではないが、他の人には優れてお書きあそばしている。
今日は、宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。
巧みに書こうともしてない字が雅趣に富んだ気高(けだか)いものに見えるのも源氏の思いなしであろう。特色のある派手(はで)な字というのではないが決して平凡ではないのである。今日だけは恋も忘れて終日御父の院のために雪の中で仏勤めをして源氏は暮らしたのである。

第二段 十二月十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家す

5.2.1
十二月十余日(しはすのとをよか)ばかり、中宮(ちゅうぐう)御八講(みはかう)なり
いみじう(たふと)し。
日々(ひび)供養(くやう)ぜさせたまふ御経(みきゃう)よりはじめ、(たま)(ぢく)()表紙(へうし)帙簀(ぢす)(かざ)りも、()になきさまにととのへさせたまへり。
さらぬことのきよらだに、()(つね)ならずおはしませば、ましてことわりなり。
(ほとけ)御飾(おほんかざ)り、花机(はなづくえ)のおほひなどまで、まことの極楽思(ごくらくおも)ひやらる。
十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である。
たいそう荘厳である。
毎日供養なさる御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。
普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、まして言うまでもない。
仏像のお飾り、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。
十二月の十幾日に中宮の御八講があった。非常に崇厳(すうごん)な仏事であった。五日の間どの日にも仏前へ新たにささげられる経は、宝玉の軸に(うすもの)の絹の表紙の物ばかりで、外包みの装飾などもきわめて精巧なものであった。日常の品にも美しい好みをお忘れにならない方であるから、まして御仏(みほとけ)のためにあそばされたことが人目を驚かすほどの物であったことはもっともなことである。仏像の装飾、花机(はなづくえ)(おお)いなどの華美さに極楽世界もたやすく想像することができた。
5.2.2
(はじ)めの()先帝(せんだい)御料(ごれう)
(つぎ)()は、母后(ははきさき)(おほん)ため。
またの()は、(ゐん)御料(ごれう)
五巻(ごかん)()なれば、上達部(かんだちめ)なども、()のつつましさをえしも(はばか)りたまはで、いとあまた(まゐ)りたまへり。
今日(けふ)講師(かうじ)は、(こころ)ことに()らせたまへれば、(たきぎ)こる」ほどよりうちはじめ、(おな)じう()(こと)()も、いみじう(たふと)し。
親王(みこ)たちも、さまざまの捧物(ほうもち)ささげてめぐりたまふに、大将殿(だいしゃうどの)御用意(おほんようい)など、なほ()るものなし
(つね)におなじことのやうなれど、()たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかがはせむ
第一日は、先帝の御ため。
第二日は、母后の御ため。
次の日は、故院の御ため。
第五巻目の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおれず、おおぜい参上なさった。
今日の講師は、特に厳選あそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。
親王たちも、さまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなど、やはり他に似るものがない。
いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。
初めの日は中宮の父帝の御菩提(ぼだい)のため、次の日は母后のため、三日目は院の御菩提のためであって、これは法華経の第五巻の講義のある日であったから、高官たちも現在の宮廷派の人々に斟酌(しんしゃく)をしていず数多く列席した。今日の講師にはことに尊い僧が選ばれていて「法華経はいかにして得し(たきぎ)こり菜摘み水()み仕へてぞ得し」という歌の唱えられるころからは特に感動させられることが多かった。仏前に親王方もさまざまの(ささ)げ物を持っておいでになったが、源氏の姿が最も優美に見えた。筆者はいつも同じ言葉を繰り返しているようであるが、見るたびに美しさが新しく感ぜられる人なのであるからしかたがないのである。
5.2.3
()ての()わが(おほん)ことを結願(けちがん)にて、()(そむ)きたまふよし、(ほとけ)(まう)させたまふに皆人(みなひと)びと(おどろ)きたまひぬ。
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)大将(だいしゃう)御心(みこころ)(うご)きて、あさましと(おぼ)
最終日は、御自身のことを結願として、出家なさる旨、仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。
兵部卿宮、大将がお気も動転して、驚きあきれなさる。
最終の日は中宮御自身が御仏に結合を誓わせられるための供養になっていて、御自身の御出家のことがこの儀式の場で仏前へ報告されて、だれもだれも意外の感に打たれた。兵部卿(ひょうぶきょう)の宮のお心も、源氏の大将の心もあわてた。驚きの度をどの言葉が言い現わしえようとも思えない。
5.2.4
親王(みこ)は、なかばのほどに()ちて、()りたまひぬ。
心強(こころづよ)(おぼ)()つさまのたまひて、()つるほどに、(やま)座主(ざすめ)して、()むこと()けたまふべきよし、のたまはす。
御伯父(おほんをぢ)横川(よかは)僧都(そうづ)(ちか)(まゐ)りたまひて、御髪下(みぐしお)ろしたまふほどに(みや)(うち)ゆすりて、ゆゆしう()きみちたり。
(なに)となき()(おとろ)へたる(ひと)だに、(いま)はと()(そむ)くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての()けしきにも()だしたまはざりつることなれば、親王(みこ)もいみじう()きたまふ。
親王は、儀式の最中に座を立って、お入りになった。
御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに、山の座主を召して、戒をお受けになる旨、仰せになる。
御伯父の横川の僧都、お近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。
たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして、前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。
宮は式の半ばで席をお立ちになって簾中(れんちゅう)へおはいりになった。中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山(えいざん)座主(ざす)をお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父(おじ)君にあたる横川(よかわ)僧都(そうず)が帳中に参ってお(ぐし)をお切りする時に人々の啼泣(ていきゅう)の声が宮をうずめた。平凡な老人でさえいよいよ出家するのを見ては悲しいものである。まして何の予告もあそばさずにたちまちに脱履の実行をなされたのであるから、兵部卿の宮も非常にお悲しみになった。
5.2.5
(まゐ)りたまへる(ひと)びとも、おほかたのことのさまも、あはれに(たふと)ければみな、袖濡(そでぬ)らしてぞ(かへ)りたまひける。
参集なさった方々も、大方の成り行きも、しみじみ尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。
参列していた人々も同情の禁ぜられない中宮のお立場と、この寂しい結末の場を拝して泣く者が多かった。
5.2.6
故院(こゐん)御子(みこ)たちは(むかし)(おほん)ありさまを(おぼ)()づるに、いとど、あはれに(かな)しう(おぼ)されて、みな、とぶらひきこえたまふ。
大将(だいしゃう)は、()ちとまりたまひて()こえ()でたまふべきかたもなく、()れまどひて(おぼ)さるれど、などか、さしも」と、人見(ひとみ)たてまつるべければ、親王(みこ)など()でたまひぬる(のち)にぞ、御前(おまへ)(まゐ)りたまへる。
故院の皇子たちは、在世中の御様子をお思い出しになると、ますます、しみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの詞をお掛け申し上げなさる。
大将は、お残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。
院の皇子方は、父帝がどれほど御愛寵(あいちょう)なされたお(きさき)であったかを、現状のお気の毒さに比べて考えては皆暗然としておいでになった。方々(かたがた)は慰問の御挨拶(あいさつ)をなされたのであるが、源氏は最後に残って、驚きと悲しみに言葉も心も失った気もしたが、人目が考えられ、やっと気を引き立てるようにしてお居間へ行った。
5.2.7
やうやう人静(ひとしづ)まりて、女房(にょうばう)ども、(はな)うちかみつつ、所々(ところどころ)()れゐたり。
(つき)(くま)なきに、(ゆき)(ひか)りあひたる(には)のありさまも、(むかし)のこと(おも)ひやらるるにいと()へがたう(おぼ)さるれどいとよう(おぼ)(しづ)めて、
だんだんと人の気配が静かになって、女房連中、鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっていた。
月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、
落ち着かれずに人々がうろうろしたことや、すすり泣きの声もひとまずやんで、女房は涙をふきながらあなたこなたにかたまっていた。明るい月が空にあって、雪の光と照り合っている庭をながめても、院の御在世中のことが目に浮かんできて堪えがたい気のするのを源氏はおさえて、
5.2.8 「どのように御決意あそばして、このように急な」
「何が御動機になりまして、こんなに突然な御出家をあそばしたのですか」
5.2.9
()こえたまふ。
とお尋ね申し上げになる。
と挨拶を取り次いでもらった。
5.2.10 「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」
「これはただ今考えついたことではなかったのですが、昨年の悲しみがありました時、すぐにそういたしましては人騒がせにもなりますし、それでまた私自身も取り乱しなどしてはと思いまして」
5.2.11
など、(れい)の、命婦(みゃうぶ)して()こえたまふ。
などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。
例の命婦(みょうぶ)がお言葉を伝えたのである。
5.2.12
御簾(みす)のうちのけはひ、そこら(つど)ひさぶらふ(ひと)(きぬ)(おと)なひ、しめやかに()()ひなしてうち()じろきつつ、(かな)しげさの(なぐさ)めがたげに()()こゆるけしき、ことわりに、いみじと()きたまふ。
御簾の中の様子、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音、わざとひっそりと気をつけて、振る舞い身じろぎながら、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子、もっともなことで、悲しいと、お聞きになる。
源氏は御簾(みす)の中のあらゆる様子を想像して悲しんだ。おおぜいの女の衣摺(きぬず)れなどから、身もだえしながら悲しみをおさえているのがわかるのであった。
5.2.13
(かぜ)はげしう()きふぶきて御簾(みす)のうちの(にほ)ひ、いともの(ふか)黒方(くろぼう)にしみて、名香(みゃうがう)(けぶり)もほのかなり。
大将(だいしゃう)御匂(おほんにほ)ひさへ(かを)りあひ、めでたく、極楽思(ごくらくおも)ひやらるる()のさまなり。
風、激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。
大将の御匂いまで薫り合って、素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。
風がはげしく吹いて、御簾の中の薫香(くんこう)の落ち着いた黒方香(くろぼうこう)の煙も仏前の名香のにおいもほのかに()れてくるのである。源氏の衣服の香もそれに混じって極楽が思われる夜であった。
5.2.14
春宮(とうぐう)御使(おほんつかひ)(まゐ)れり。
のたまひしさま(おも)()できこえさせたまふにぞ、御心強(みこころづよ)さも()へがたくて、御返(おほんかへ)りも()こえさせやらせたまはねば、大将(だいしゃう)ぞ、言加(ことく)はへ()こえたまひける。
春宮からの御使者も参上した。
仰せになった時のこと、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が、言葉をお添えになったのであった。
東宮のお使いも来た。お別れの前に東宮のお言いになった言葉などが宮のお心にまた新しくよみがえってくることによって、冷静であろうとあそばすお気持ちも乱れて、お返事の御挨拶を完全にお与えにならないので、源氏がお言葉を補った。
5.2.15
(たれ)(たれ)も、ある(かぎ)心収(こころをさ)まらぬほどなれば、(おぼ)すことどもも、えうち()でたまはず。
どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事なども、おっしゃれない。
だれもだれも常識を失っているといってもよいほど悲しみに心を乱しているおりからであるから、不用意に秘密のうかがわれる恐れのある言葉などは発せられないと源氏は思った。
5.2.16 「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても
なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか
「月のすむ雲井をかけてしたふとも
このよの(やみ)になほや惑はん
5.2.17
(おも)ひたまへらるるこそかひなく。
(おぼ)()たせたまへる(うら)めしさは、(かぎ)りなう
と存じられますのが、どうにもならないことで。
出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」
私にはそう思えますが、御出家のおできになったお心持ちには敬服いたされます」
5.2.18
とばかり()こえたまひて、(ひと)びと(ちか)うさぶらへば、さまざま(みだ)るる(こころ)のうちをだに、()こえあらはしたまはず、いぶせし。
とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。
とだけ言って、お居間に女房たちも多い様子であったから源氏は捨てられた男の悲痛な心持ちを簡単な言葉にして告げることもできなかった。
5.2.19 「世間一般の嫌なことからは離れたが、
子どもへの煩悩はいつになったらすっかり離れ切ること
大方(おほかた)()きにつけては(いと)へども
いつかこの世を(そむ)きはつべき
5.2.20 一方では、
りっぱな信仰を持つようにはいつなれますやら」
5.2.21
など、かたへは御使(おほんつかひ)(こころ)しらひなるべし
あはれのみ()きせねば、胸苦(むねくる)しうてまかでたまひぬ。
などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。
悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。
宮の御挨拶は東宮へのお返事を兼ねたお心らしかった。悲しみに堪えないで源氏は退出した。

第三段 後に残された源氏

5.3.1
殿(との)にても、わが御方(おほんかた)一人(ひとり)うち()したまひて御目(おほんめ)もあはず、()中厭(なかいと)はしう(おぼ)さるるにも、春宮(とうぐう)(おほん)ことのみぞ心苦(こころぐる)しき。
お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。
二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、自身の居間のほうに一人()しをしたが眠りうるわけもない。ますます人生が悲しく思われて自身も僧になろうという心の起こってくるのを、そうしては東宮がおかわいそうであると思い返しもした。
5.3.2
母宮(ははみや)をだに朝廷(おほやけ)がたざまにと、(おぼ)しおきしを()()さに()へず、かくなりたまひにたれば、もとの御位(みくらゐ)にてもえおはせじ。
(われ)さへ()たてまつり()てては」など、(おぼ)()かすこと(かぎ)りなし。
「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、お考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。
自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすこと、一再でない。
せめて母宮だけを最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、その地位も好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。尼におなりになっては(きさき)としての御待遇をお受けになることもおできにならないであろうし、その上自分までが東宮のお力になれぬことになってはならないと源氏は思うのである。夜通しこのことを考え抜いて
5.3.3
(いま)は、かかるかたざまの御調度(みてうど)どもをこそは」と(おぼ)せば、(とし)(うち)にと、(いそ)がせたまふ。
命婦(みゃうぶ)(きみ)御供(おほんとも)になりにければ、それも心深(こころふか)うとぶらひたまふ。
(くは)しう()(つづ)けむに、ことことしきさまなれば、()らしてけるなめり
さるは、かうやうの(をり)こそ、をかしき(うた)など()()るやうもあれ、さうざうしや
「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。
命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。
詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。
実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。
最後に源氏は中宮のために尼僧用のお調度、お衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、年内にすべての物を調えたいと急いだ。王命婦(おうみょうぶ)もお供をして尼になったのである。この人へも源氏は尼用の品々を贈った。こんな場合にりっぱな詩歌(しいか)ができてよいわけであるから、宮の女房の歌などが当時の詳しい記事とともに見いだせないのを筆者は残念に思う。
5.3.4
(まゐ)りたまふも、(いま)はつつましさ(うす)らぎて(おほん)みづから()こえたまふ(をり)もありけり。
(おも)ひしめてしことは、さらに御心(みこころ)(はな)れねど、まして、あるまじきことなりかし。
参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。
ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。
源氏が三条の宮邸を御訪問することも気楽にできるようになり、宮のほうでも御自身でお話をあそばすこともあるようになった。少年の日から思い続けた源氏の恋は御出家によって解消されはしなかったが、これ以上に御接近することは源氏として、今日考えるべきことでなかったのである。

第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々


第一段 諒闇明けの新年を迎える

6.1.1
(とし)()はりぬれば内裏(うち)わたりはなやかに、内宴(ないえん)踏歌(たふか)など()きたまふも、もののみあはれにて、御行(おほんおこ)なひしめやかにしたまひつつ、(のち)()のことをのみ(おぼ)すに、(たの)もしく、むつかしかりしこと、(はな)れて(おも)ほさる。
(つね)御念誦堂(おほんねんずだう)をば、さるものにて、ことに()てられたる御堂(みだう)の、西(にし)(たい)(みなみ)にあたりて、すこし(はな)れたるに(わた)らせたまひて、とりわきたる御行(おほんおこ)なひせさせたまふ。
年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などとお聞きになっても、何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、御勤行をひっそりとなさりながら、来世のことばかりをお考えになると、末頼もしく、厄介に思われたこと、遠い昔の事に思われる。
いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に建立された御堂の、西の対の南に当たって、少し離れた所にお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。
春になった。御所では内宴とか、踏歌(とうか)とか続いてはなやかなことばかりが行なわれていたが中宮は人生の悲哀ばかりを感じておいでになって、後世(ごせ)のための仏勤めに励んでおいでになると、頼もしい力もおのずから授けられつつある気もあそばされたし、源氏の情火から(のが)れえられたことにもお(よろこ)びがあった。お居間に隣った念誦(ねんず)の室のほかに、新しく建築された御堂(みどう)が西の対の前を少し離れた所にあってそこではまた尼僧らしい厳重な勤めをあそばされた。
6.1.2
大将(だいしゃう)(まゐ)りたまへり。
(あらた)まるしるしもなく、(みや)(うち)のどかに、人目(ひとめ)まれにて、宮司(みやづかさ)どもの(した)しきばかり、うちうなだれて、()なしにやあらむ()しいたげに(おも)へり。
大将、参賀に上がった。
新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけ、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。
源氏が伺候した。正月であっても来訪者は(まれ)で、お付き役人の幾人だけが寂しい恰好(かっこう)をして、力のないふうに事務を取っていた。
6.1.3
白馬(あをむま)ばかりぞ、なほ()()へぬものにて、女房(にょうばう)などの()ける
所狭(ところせ)(まゐ)(つど)ひたまひし上達部(かんだちめ)など(みち)()きつつひき()ぎて、()かひの大殿(おほいどの)(つど)ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに(おぼ)さるるに、千人(せんにん)にも()へつべき(おほん)さまにて、(ふか)うたづね(まゐ)りたまへるを()るに、あいなく(なみだ)ぐまる。
白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。
所狭しと参賀に参集なさった上達部など、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの大殿に参集なさるのを、こういうものであるが、しみじみと感じられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、無性に涙がこぼれる。
白馬(あおうま)節会(せちえ)であったから、これだけはこの宮へも引かれて来て、女房たちが見物したのである。高官が幾人となく伺候していたようなことはもう過去の事実になって、それらの人々は宮邸を素通りして、向かい側の現太政大臣邸へ集まって行くのも、当然といえば当然であるが、寂しさに似た感じを宮もお覚えになった。そんな所へ千人の高官にあたるような姿で源氏がわざわざ参賀に来たのを御覧になった時は、わけもなく宮は落涙をあそばした。
6.1.4
客人(まらうと)も、いとものあはれなるけしきに、うち()まはしたまひて、とみに(もの)ものたまはず。
さま()はれる御住(おほんす)まひに、御簾(みす)(はし)御几帳(みきちゃう)青鈍(あをにび)にて、隙々(ひまひま)よりほの()えたる薄鈍(うすにび)梔子(くちなし)袖口(そでぐち)など、なかなかなまめかしう、(おく)ゆかしう(おも)ひやられたまふ。
()けわたる(いけ)薄氷(うすごほり)(きし)(やなぎ)のけしきばかりは、(とき)(わす)れぬ」など、さまざま(なが)められたまひて、むべも(こころ)ある」と(しの)びやかにうち()じたまへる、またなうなまめかし。
客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。
様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。
「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、「なるほど情趣を解する」と、ひっそりと朗唱なさっている、またとなく優美である。
源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、しばらくの間はものが言えなかった。純然たる尼君のお住居(すまい)になって、御簾(みす)(ふち)の色も几帳(きちょう)(にび)色であった。そんな物の間から見えるのも女房たちの淡鈍(うすにび)色の服、黄色な下襲(したがさね)袖口(そでぐち)などであったが、かえって(えん)に上品に見えないこともなかった。解けてきた池の薄氷にも、芽をだしそめた柳にも自然の春だけが見えて、いろいろに源氏の心をいたましくした。「音に聞く松が浦島(うらしま)今日ぞ見るうべ心ある海人(あま)は住みけり」という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。
6.1.5 「物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと
何より先に涙に暮れてしまいます」
ながめかる海人の住処(すみか)と見るからに
まづしほたるる松が浦島
6.1.6
()こえたまへば、奥深(おくふか)うもあらず、みな(ほとけ)(ゆづ)りきこえたまへる御座所(おましどころ)なれば、すこしけ(ぢか)心地(ここち)して、
と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
と源氏は言った。今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、お居間は端のほうへ変えられたお住居(すまい)であったから、宮の御座と源氏自身の座の近さが覚えられて、
6.1.7 「昔の俤さえないこのような所に
立ち寄ってくださるとは珍しいですね」
ありし世の名残(なご)りだになき浦島に
立ちよる波のめづらしきかな
6.1.8
とのたまふも、ほの()こゆれば、(しの)ぶれど、(なみだ)ほろほろとこぼれたまひぬ。
()(おも)()ましたる尼君(あまぎみ)たちの()るらむも、はしたなければ、言少(ことずく)なにて()でたまひぬ。
とおっしゃるのが、微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。
世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも、体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
と取り次ぎの女房へお教えになるお声もほのかに聞こえるのであった。源氏の涙がほろほろとこぼれた。今では人生を悟りきった尼になっている女房たちにこれを見られるのが恥ずかしくて、長くはいずに源氏は退出した。
6.1.9
さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」
「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」
「ますますごりっぱにお見えになる。
6.1.10
(こころ)もとなきところなく()(さか)え、(とき)にあひたまひし(とき)は、さる(ひと)つものにて(なに)につけてか()(おぼ)()らむと、()(はか)られたまひしを
「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」
あらゆる幸福を御自分のものにしていらっしゃったころは、ただ天下の第一の人であるだけで、それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、ごりっぱでもおきれいでも、正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。
6.1.11
(いま)はいといたう(おぼ)ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしきさへ()はせたまへるは、あいなう心苦(こころぐる)しうもあるかな」
「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」
御幸福ばかりでなくおなりになって、深味がおできになりましたね。しかしお気の毒なことですよ」
6.1.12
など、()いしらへる(ひと)びと、うち()きつつ、めできこゆ。
(みや)(おぼ)()づること(おほ)かり。
などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、お褒め申し上げる。
宮も、
などと老いた女房が泣きながらほめていた。中宮もお心にいろいろな場合の過去の源氏の面影を思っておいでになった。

第二段 源氏一派の人々の不遇

6.2.1
司召(つかさめし)のころこの(みや)(ひと)は、(たま)はるべき(つかさ)()ず、おほかたの道理(だうり)にても、(みや)御賜(おほんたま)はりにても、かならずあるべき加階(かかい)などをだにせずなどして、(なげ)くたぐひいと(おほ)かり。
かくても、いつしかと御位(おほんくらゐ)()り、御封(みふ)などの()まるべきにもあらぬを、ことつけて()はること(おほ)かり。
(みな)かねて(おぼ)()ててし()なれど、宮人(みやびと)どもも、よりどころなげに(かな)しと(おも)へるけしきどもにつけてぞ、御心動(みこころうご)折々(をりをり)あれど、わが()をなきになしても、春宮(とうぐう)御代(みよ)をたひらかにおはしまさば」とのみ(おぼ)しつつ、御行(おほんおこ)なひたゆみなくつとめさせたまふ。
司召のころ、この宮の人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、宮の御年官でも、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。
このように出家しても、直ちにお位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。
すべて既にお捨てになった世の中であるが、宮に仕えている人々も、頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行に余念なくお勤めあそばす。
春期の官吏の除目(じもく)の際にも、この宮付きになっている人たちは当然得ねばならぬ官も得られず、宮に付与されてある権利で推薦あそばされた人々の位階の陞叙(しょうじょ)もそのままに捨て置かれて、不幸を悲しむ人が多かった。尼におなりになったことで后の御位(みくらい)は消滅して、それとともに給封もなくなるべきであると法文を解釈して、その口実をつけて政府の御待遇が変わってきた。宮は予期しておいでになったことで、何の執着もそれに対して持っておいでにならなかったが、お付きの役人たちにたより所を失った悲しいふうの見える時などはお心にいささかの動揺をお感じにならないこともなかった。しかも自分は犠牲になっても東宮の御即位に支障を起こさないように祈るべきであると、宮はどんな時にもお考えになっては専心に仏勤めをあそばされた。
6.2.2
人知(ひとし)れず(あや)ふくゆゆしう(おも)ひきこえさせたまふことしあれば、(われ)にその(つみ)(かろ)めて、(ゆる)したまへ」と、(ほとけ)(ねん)じきこえたまふに、よろづを(なぐさ)めたまふ。
人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしにその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。
お心の中に人知れぬ恐怖と不安があって、御自身の信仰によって、その罪の東宮に及ばないことを期しておいでになった。そうしてみずから慰められておいでになったのである。
6.2.3
大将(だいしゃう)も、しか()たてまつりたまひて、ことわりに(おぼ)す。
この殿(との)(ひと)どもも、また(おな)じきさまに、からきことのみあれば、()(なか)はしたなく(おぼ)されて()もりおはす。
大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。
こちらの殿の人々も、また同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、退き籠もっていらっしゃる。
源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、ごもっともであると感じていた。一方では家司(けいし)として源氏に属している官吏も除目(じもく)の結果を見れば不幸であった。不面目な気がして源氏は家にばかり引きこもっていた。
6.2.4
(ひだり)大臣(おとど)も、公私(おほやけわたくし)ひき()へたる()のありさまに、もの()(おぼ)して、致仕(ちじ)(へう)たてまつりたまふを、(みかど)は、故院(こゐん)のやむごとなく(おも)御後見(おほんうしろみ)(おぼ)して、(なが)()のかため()こえ()きたまひし御遺言(おほんゆいごん)(おぼ)()すに、()てがたきものに(おも)ひきこえたまへるにかひなきことと、たびたび(もち)ゐさせたまはねど、せめて(かへ)さひ(まう)したまひて、()もりゐたまひぬ。
左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を上表なさるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、退き籠もっておしまいになった。
左大臣も公人として、また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して致仕の表を奉った。帝は院が非常に御信用あそばして、国家の柱石は彼であると御遺言あそばしたことを思召(おぼしめ)すと、辞表を御採用になることができなくて、たびたびお返しになったが、大臣のほうではまた何度も繰り返して、辞意を奏上して、そしてそのまま出仕をしないのであったから、
6.2.5
(いま)は、いとど一族(ひとぞう)のみ(かへ)(がへ)(さか)えたまふこと、(かぎ)りなし。
()(おも)しとものしたまへる大臣(おとど)の、かく()()がれたまへば、朝廷(おほやけ)心細(こころぼそ)(おぼ)され、()(ひと)も、(こころ)ある(かぎ)りは(なげ)きけり。
今では、ますます一族だけが、いやが上にもお栄えになること、この上ない。
世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も、良識のある人は皆嘆くのであった。
太政大臣一族だけが栄えに栄えていた。国家の重鎮である大臣が引きこもってしまったので、帝も心細く思召されるし、世間の人たちも(なげ)いていた。
6.2.6
御子(みこ)どもは、いづれともなく(ひと)がらめやすく()(もち)ゐられて、心地(ここち)よげにものしたまひしを、こよなう(しづ)まりて、三位中将(さんゐのちゅうじゃう)なども、()(おも)(しづ)めるさま、こよなし。
かの()(きみ)をも、なほ、かれがれにうち(かよ)つつ、めざましうもてなされたれば心解(こころと)けたる御婿(おほんむこ)のうちにも()れたまはず。
(おも)()れとにやこのたびの司召(つかさめし)にも()れぬれどいとしも(おも)()れず。
ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子、格別である。
あの四の君との仲も、相変わらず、間遠にお通いになっては、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。
思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。
左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、皆順当に官位も上りつつあったが、もうその時代は過ぎ去ってしまった。三位(さんみ)中将などもこうした世の中に気をめいらせていた。太政大臣の四女の所へ途絶えがちに通いは通っているが、誠意のない婿であるということに反感を持たれていて、思い知れというように今度の除目にはこの人も現官のままで置かれた。この人はそんなことは眼中に置いていなかった。
6.2.7
大将殿(だいしゃうどの)かう(しづ)かにておはするに、()ははかなきものと()えぬるを、ましてことわり(おぼ)しなして、(つね)(まゐ)(かよ)ひたまひつつ、学問(がくもん)をも(あそ)びをももろともにしたまふ。
大将殿、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。
源氏の君さえも不遇の(なげ)きがある時代であるのだから、まして自分などはこう取り扱わるべきであるとあきらめていて、始終源氏の所へ来て、学問も遊び事もいっしょにしていた。
6.2.8
いにしへも、もの(ぐる)ほしきまで、(いど)みきこえたまひしを(おぼ)()でて、かたみに(いま)もはかなきことにつけつつ、さすがに(いど)みたまへり。
昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。
青年時代の二人の間に強い競争心のあったことを思い出して、今でも遊び事の時などに、一方のすることをそれ以上に出ようとして一方が力を入れるというようなことがままあった。
6.2.9
春秋(はるあき)御読経(みどきゃう)をばさるものにて、臨時(りんじ)にも、さまざま(たふと)(こと)どもをせさせたまひなどして、また、いたづらに(いとま)ありげなる博士(はかせ)ども()(あつ)めて、文作(ふみつく)り、韻塞(ゐんふた)ぎなどやうのすさびわざどもをもしなど、(こころ)をやりて、宮仕(みやづか)へをもをさをさしたまはず、御心(みこころ)にまかせてうち(あそ)びておはするを、()(なか)には、わづらはしきことどもやうやう()()づる(ひと)びとあるべし
春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。
春秋の読経(どきょう)の会以外にもいろいろと宗教に関した会を開いたり、現代にいれられないでいる博士(はかせ)や学者を集めて詩を作ったり、(いん)ふたぎをしたりして、官吏の職務を閑却した生活をこの二人がしているという点で、これを問題にしようとしている人もあるようである。

第三段 韻塞ぎに無聊を送る

6.3.1
(なつ)(あめ)のどかに()りて、つれづれなるころ中将(ちゅうじゃう)さるべき(しふ)どもあまた()たせて(まゐ)りたまへり。
殿(との)にも、文殿開(ふどのあ)けさせたまひて、まだ(ひら)かぬ御厨子(みづし)どもの、めづらしき古集(こしふ)のゆゑなからぬ、すこし()()でさせたまひてその(みち)(ひと)びとわざとはあらねどあまた()したり。
殿上人(てんじゃうびと)大学(だいがく)のも、いと(おほ)(つど)ひて、左右(ひだりみぎ)こまどりに(かたわ)かせたまへり
賭物(かけもの)どもなど、いと()なくて、(いど)みあへり。
夏の雨、静かに降って、所在ないころ、中将、適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。
殿でも、文殿を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々、特別にというのではないが、おおぜい呼んであった。
殿上人も大学の人も、とてもおおぜい集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。
賭物なども、又となく素晴らしい物で、競争し合った。
夏の雨がいつやむともなく降ってだれもつれづれを感じるころである、三位中将はいろいろな詩集を持って二条の院へ遊びに来た。源氏も自家の図書室の中の、平生使わない(たな)の本の中から珍しい詩集を()り出して来て、詩人たちを目だつようにはせずに、しかもおおぜい呼んで左右に人を分けて、よい賭物(かけもの)を出して韻ふたぎに勝負をつけようとした。
6.3.2
(ふた)ぎもて()くままに(かた)(ゐん)文字(もじ)どもいと(おほ)くて、おぼえある博士(はかせ)どもなどの(まど)ふところどころを、時々(ときどき)うちのたまふさま、いとこよなき御才(おほんざえ)のほどなり。
韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、時々口にされる様子、実に深い学殖である。
隠した韻字をあてはめていくうちに、むずかしい字がたくさん出てきて、経験の多い博士(はかせ)なども困った顔をする場合に、時々源氏が注意を与えることがよくあてはまるのである。非常な博識であった。
6.3.3 「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」
「どうしてこんなに何もかもがおできになるのだろう。
6.3.4 「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」
やはり前生(ぜんしょう)の因に特別なもののある方に違いない」
6.3.5
と、めできこゆ。
つひに、右負(みぎま)けにけり
と、お褒め申し上げる。
最後には、
などと学者たちがほめていた。とうとう右のほうが負けになった。
6.3.6
二日(ふつか)ばかりありて、中将負(ちゅうじゃうま)けわざしたまへり。
ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠(ひわりご)ども、賭物(かけもの)などさまざまにて、今日(けふ)(れい)(ひと)びと、(おほ)()して、(ふみ)など(つく)らせたまふ。
二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。
大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々、おおぜい招いて、漢詩文などをお作らせになる。
それから二日ほどして三位中将が負けぶるまいをした。たいそうにはしないで雅趣のある檜破子(ひわりご)弁当が出て、勝ち方に出す賭物(かけもの)も多く持参したのである。今日も文士が多く招待されていて皆席上で詩を作った。
6.3.7 階のもとの薔薇、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。
階前の薔薇(ばら)の花が少し咲きかけた初夏の庭のながめには濃厚な春秋の色彩以上のものがあった。自然な気分の多い楽しい会であった。
6.3.8
中将(ちゅうじゃう)御子(みこ)の、今年初(ことしはじ)めて殿上(てんじゃう)する()つ、(ここの)つばかりにて、(こゑ)いとおもしろく(しゃう)笛吹(ふえふ)きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ
()君腹(きみばら)二郎(じらう)なりけり。
()(ひと)(おも)へる()(おも)くて、おぼえことにかしづけり
(こころ)ばへもかどかどしう、容貌(かたち)もをかしくて、御遊(おほんあそ)びのすこし(みだ)れゆくほどに、高砂(たかさご)」を()だして(うた)ふ、いとうつくし。
大将(だいしゃう)(きみ)御衣脱(おほんぞぬ)ぎてかづけたまふ。
中将のご子息で、今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。
四の君腹の二郎君であった。
世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。
気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。
大将の君、お召物を脱いでお与えになる。
中将の子で今年から御所の侍童に出る八、九歳の少年でおもしろく(しょう)の笛を吹いたりする子を源氏はかわいがっていた。これは四の君が生んだ次男である。よい背景を持っていて世間から大事に扱われている子であった。才があって顔も美しいのである。主客が酔いを催したころにこの子が「高砂(たかさご)」を歌い出した。非常に愛らしい。(「高砂の尾上(をのへ)に立てる白玉椿(しらたまつばき)、それもがと、ましもがと、今朝(けさ)咲いたる初花に()はましものを云々(うんぬん)」という歌詞である)源氏は服を一枚脱いで与えた。
6.3.9
(れい)よりは、うち(みだ)れたまへる御顔(おほんかほ)(にほ)ひ、()るものなく()ゆ。
薄物(うすもの)直衣(なほし)単衣(ひとへ)()たまへるに、()きたまへる(はだ)つき、ましていみじう()ゆるを、年老(としお)いたる博士(はかせ)どもなど、(とほ)()たてまつりて、涙落(なみだおと)しつつゐたり。
()はましものを、小百合(さゆり)ばの」と(うた)ふとぢめに、中将(ちゅうじゃう)御土器参(おほんかはらけまゐ)りたまふ
いつもよりは、お乱れになったお顔の色つや、他に似るものがなく見える。
羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙落としながら座っていた。
「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将、お杯を差し上げなさる。
平生よりも打ち解けたふうの源氏はことさらにまた美しいのであった。着ている直衣(のうし)単衣(ひとえ)も薄物であったから、きれいな(はだ)の色が透いて見えた。老いた博士たちは遠くからながめて源氏の美に涙を流していた。「逢はましものを小百合葉(さゆりば)の」という高砂の歌の終わりのところになって、中将は杯を源氏に勧めた。
6.3.10 「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に
劣らないお美しさのわが君でございます」
それもがと今朝(けさ)開けたる初花に
劣らぬ君がにほひをぞ見る
6.3.11 苦笑して、お受けになる。
と乾杯の辞を述べた。源氏は微笑をしながら杯を取った。
6.3.12 「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
萎れてしまったらしい、
「時ならで今朝咲く花は夏の雨に
(しを)れにけらし(にほ)ふほどなく
6.3.13 すっかり衰えてしまったものを」
すっかり衰えてしまったのに」
6.3.14 と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に杯をお進めになる。
あとはもう酔ってしまったふうをして源氏が飲もうとしない酒を中将は許すまいとしてしいていた。
6.3.15 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌、数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。
すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。
ご自身でも、たいそう自負されて、
席上でできた詩歌の数は多かったが、こんな時のまじめでない態度の作をたくさん(つら)ねておくことのむだであることを貫之(つらゆき)も警告しているのであるからここには書かないでおく。歌も詩も源氏の君を讃美(さんび)したものが多かった。源氏自身もよい気持ちになって、
6.3.16 「文王の子、武王の弟」
「文王の子武王の弟」
6.3.17
と、うち()じたまへる御名(おほんな)のりさへぞ、げに、めでたき。
成王(せいわう)(なに)」とか、のたまはむとすらむ。
そればかりや、また(こころ)もとなからむ
と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。
「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。
それだけは、また自信がないであろうよ。
と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の伯父(おじ)というのであるが、これは源氏が明瞭(めいりょう)に言いえないはずである。
6.3.18
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(つね)(わた)りたまひつつ、御遊(おほんあそ)びなども、をかしうおはする(みや)なれば、(いま)めかしき御遊(おほんあそ)びどもなり
兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども、嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮も始終二条の院へおいでになって、音楽に趣味を持つ方であったから、よくいっしょにそんな遊びをされるのであった。

第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見


第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される

7.1.1
そのころ、尚侍(かん)(きみ)まかでたまへり
瘧病(わらはやみ)(ひさ)しう(なや)みたまひて、まじなひなども(こころ)やすくせむとてなりけり。
修法(すほふ)など(はじ)めて、おこたりたまひぬれば、(たれ)(たれ)も、うれしう(おぼ)すに、(れい)めづらしき(ひま)なるをと、()こえ()はしたまひて、わりなきさまにて、()()対面(たいめん)したまふ
そのころ、尚侍の君が退出なさっていた。
瘧病に長く患いなさって、加持祈祷なども気楽に行おうとしてであった。
修法など始めて、お治りになったので、どなたもどなたも、喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。
その時分に尚侍(ないしのかみ)が御所から自邸へ退出した。前から瘧病(わらわやみ)にかかっていたので、禁厭(まじない)などの宮中でできない療法も実家で試みようとしてであった。修法(しゅほう)などもさせて尚侍の病の全快したことで家族は皆喜んでいた。こんなころである、得がたい機会であると恋人たちはしめし合わせて、無理な方法を講じて毎夜源氏は逢いに行った。
7.1.2
いと(さか)りに、にぎははしきけはひしたまへる(ひと)の、すこしうち(なや)みて、()()せになりたまへるほど、いとをかしげなり。
まことに女盛りで、豊かで派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところ、実に魅力的である。
若い盛りのはなやかな容貌(ようぼう)を持った人の病で少し()せたあとの顔は非常に美しいものであった。
7.1.3
(きさい)(みや)一所(ひとところ)におはするころなれば、けはひいと(おそ)ろしけれど、かかることしもまさる御癖(おほんくせ)なればいと(しの)びて、たび(かさ)なりゆけばけしき()(ひと)びともあるべかめれどわづらはしうて、(みや)には、さなむと(けい)せず
后宮も同じ邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと、度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、宮には、そうとは申し上げない。
皇太后も同じ(やしき)に住んでおいでになるころであったから恐ろしいことなのであるが、こんなことのあればあるほどその恋がおもしろくなる源氏は忍んで行く夜を多く重ねることになったのである。こんなにまでなっては気がつく人もあったであろうが、太后に訴えようとはだれもしなかった。
7.1.4
大臣(おとど)はた(おも)ひかけたまはぬに、(あめ)にはかにおどろおどろしう()りて、(かみ)いたう()りさわぐ(あかつき)に、殿(との)君達(きんだち)宮司(みやづかさ)など()ちさわぎて、こなたかなたの人目(ひとめ)しげく、女房(にょうばう)どもも()ぢまどひて、(ちか)(つど)(まゐ)るに、いとわりなく、()でたまはむ(かた)なくて、()()てぬ。
大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、后宮職の官人たちなど立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房どももおろおろ恐がって、近くに参集していたので、まことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり明けてしまった。
大臣もむろん知らなかった。雨がにわかに大降りになって、雷鳴が急にはげしく起こってきたある夜明けに、公子たちや太后付きの役人などが騒いであなたこなたと走り歩きもするし、そのほか平生この時間に出ていない人もその辺に出ている様子がうかがわれたし、
7.1.5
御帳(みちゃう)のめぐりにも、(ひと)びとしげく()みゐたれば、いと(むね)つぶらはしく(おぼ)さる。
心知(こころし)りの人二人(ひとふたり)ばかり(こころ)(まど)はす。
御帳台のまわりにも、女房たちがおおぜい並び伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。
事情を知っている女房二人ほど、どうしたらよいか分からないでいる。
また女房たちも恐ろしがって帳台の近くへ寄って来ているし、源氏は帰って行くにも行かれぬことになって、どうすればよいかと惑った。秘密に携わっている二人ほどの女房が困りきっていた。
7.1.6
神鳴(かみな)()み、(あめ)すこしを()みぬるほどに、大臣(おとどわた)りたまひて、まづ、(みや)御方(おほんかた)におはしけるを、村雨(むらさめ)のまぎれにて()りたまはぬに(かろ)らかにふとはひ()りたまひて、御簾引(みすひ)()げたまふままに、
雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が渡っていらして、まず最初、宮のお部屋にいらしたが、村雨の音に紛れてご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、
雷鳴がやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が出て来て、最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを、ちょうどまた雨がさっと音を立てて降り出していたので、源氏も尚侍も気がつかなかった。大臣は軽輩がするように突然座敷の御簾(みす)を上げて顔を出した。
7.1.7
いかにぞ
いとうたてありつる()のさまに、(おも)ひやりきこえながら、(まゐ)()でなむ。
中将(ちゅうじゃう)(みや)(すけ)などさぶらひつや」
「いががですか。
とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。
中将、宮の亮などは、お側にいましたか」
「どうだね、とてもこわい晩だったから、こちらのことを心配していたが出て来られなかった。中将や宮の(すけ)は来ていたかね」
7.1.8
など、のたまふけはひの、舌疾(したど)にあはつけきを、大将(だいしゃう)は、もののまぎれにも、(ひだり)大臣(おとど)(おほん)ありさま、ふと(おぼ)(くら)べられて、たとしへなうぞ、ほほ()まれたまふ。
げに、()()ててものたまへかしな
などと、おっしゃる様子が、早口で軽率なのを、大将は、危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。
なるほど、すっかり入ってからおっしゃればよいものを。
などという様子が、早口で大臣らしい落ち着きも何もない。源氏は発見されたくないということに気をつかいながらも、この大臣を左大臣に比べて思ってみるとおかしくてならなかった。せめて座敷の中へはいってからものを言えばよかったのである。
7.1.9
尚侍(かん)(きみ)いとわびしう(おぼ)されて、やをらゐざり()でたまふに、(おもて)のいたう(あか)みたるを、なほ(なや)ましう(おぼ)さるるにや」と()たまひて
尚侍の君、とてもやりきれなくお思いになって、静かにいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、
尚侍は困りながらいざり出て来たが、顔の赤くなっているのを大臣はまだ病気がまったく()くはなっていないのかと見た。熱があるのであろうと心配したのである。
7.1.10
など、()けしきの(れい)ならぬ。
もののけなどのむつかしきを、修法(すほふの)べさすべかりけり
「どうして、まだお顔色がいつもと違うのか。
物の怪などがしつこいから、修法を続けさせるべきだった」
「なぜあなたはこんな顔色をしているのだろう。しつこい物怪(もののけ)だからね。修法(しゅほう)をもう少しさせておけばよかった」
7.1.11
とのたまふに、薄二藍(うすふたあゐ)なる(おび)の、御衣(おほんぞ)にまつはれて()()でられたるを()つけたまひて、あやしと(おぼ)すに、また、畳紙(たたむがみ)手習(てなら)ひなどしたる、御几帳(みきちゃう)のもとに()ちたり
「これはいかなる(もの)どもぞ」と、御心(みこころ)おどろかれて
とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌など書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。
「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、
こう言っている時に、(うす)納戸(なんど)色の男の帯が尚侍の着物にまといついてきているのを大臣は見つけた。不思議なことであると思っていると、また男の懐中紙(ふところがみ)にむだ書きのしてあるものが几帳(きちょう)の前に散らかっているのも目にとまった。なんという恐ろしいことが起こっているのだろうと大臣は驚いた。
7.1.12
かれは、()れがぞ
けしき(こと)なるもののさまかな。
たまへ。
それ()りて()がぞと()はべらむ」
「あれは、誰のものか。
見慣れない物だね。
見せてください。
それを手に取って誰のものか調べよう」
「それはだれが書いたものですか、変なものじゃないか。ください。だれの字であるかを私は調べる」
7.1.13
とのたまふにぞ、うち見返(みかへ)りて(われ)()つけたまへる。
(まぎ)らはすべきかたもなければ、いかがは(いら)へきこえたまはむ。
(われ)にもあらでおはするを()ながらも()づかしと(おぼ)すらむかし」と、さばかりの(ひと)は、(おぼ)(はばか)るべきぞかし。
されど、いと(きふ)に、のどめたるところおはせぬ大臣(おとど)の、(おぼ)しもまはさずなりて畳紙(たたうがみ)()りたまふままに、几帳(きちゃう)より見入(みい)れたまへるに、いといたうなよびて、(つつ)ましからず()()したる(をとこ)もあり
(いま)ぞ、やをら(かほ)ひき(かく)してとかう(まぎ)らはす。
あさましう、めざましう(こころ)やましけれど直面(ひたおもて)には、いかでか(あら)はしたまはむ
()もくるる心地(ここち)すれば、この畳紙(たたむがみ)()りて、寝殿(しんでん)(わた)りたまひぬ。
とおっしゃるので、振り返ってみて、ご自分でもお見つけになった。
ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げよう。
呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。
しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣で、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男もいる。
今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。
あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。
目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。
と言われて振り返った尚侍は自身もそれを見つけた。もう紛らわす(すべ)はないのである。返事のできることでもないのである。尚侍が失心したようになっているのであるから、大臣ほどの貴人であれば、娘が恥に堪えぬ気がするであろうという上品な遠慮がなければならないのであるが、そんな思いやりもなく、気短な、落ち着きのない大臣は、自身で紙を手で拾った時に几帳の(すき)から、なよなよとした姿で、罪を犯している者らしく隠れようともせず、のんびりと横になっている男も見た。大臣に見られてはじめて顔を夜着の中に隠して紛らわすようにした。大臣は驚愕(きょうがく)した。無礼(ぶれい)だと思った。くやしくてならないが、さすがにその場で面と向かって怒りを投げつけることはできなかったのである。目もくらむような気がして歌の書かれた紙を持って寝殿へ行ってしまった。
7.1.14
尚侍(かん)(きみ)は、(われ)かの心地(ここち)して、()ぬべく(おぼ)さる。
大将殿(だいしゃうどの)も、いとほしう、つひに(よう)なき()()ひのつもりて、(ひと)のもどきを()はむとすること」と(おぼ)せど、女君(おんなぎみ)心苦(こころぐる)しき()けしきを、とかく(なぐさ)めきこえたまふ。
尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。
大将殿も、「困ったことになった、とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。
尚侍は気が遠くなっていくようで、死ぬほどに心配した。源氏も恋人がかわいそうで、不良な行為によって、ついに恐るべき糺弾(きゅうだん)を受ける運命がまわって来たと悲しみながらもその心持ちを隠して尚侍をいろいろに言って慰めた。

第二段 右大臣、源氏追放を画策する

7.2.1
大臣(おとど)は、(おも)ひのままに()めたるところおはせぬ本性(ほんじゃう)に、いとど()いの(おほん)ひがみさへ()ひたまふに、これは(なに)ごとにかはとどこほりたまはむ
ゆくゆくと、(みや)にも(うれ)へきこえたまふ。
大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことのできない性格の上に、ますます老寄の僻みまでお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか。
ずけずけと、宮にも訴え申し上げなさる。
大臣は思っていることを残らず外へ出してしまわねば我慢のできないような性質である上に老いの(ひが)みも添って、ある点は斟酌(しんしゃく)して言わないほうがよいなどという遠慮もなしに雄弁に、源氏と尚侍の不都合を太后に訴えるのであった。
7.2.2
かうかうのことなむはべる。
この畳紙(たたむがみ)は、右大将(うだいしゃう)御手(みて)なり。
(むかし)も、心宥(こころゆる)されでありそめにけることなれど、人柄(ひとがら)によろづの(つみ)(ゆる)して、さても()むと、()ひはべりし(をり)は、(こころ)もとどめず、めざましげにもてなされにしかば、やすからず(おも)ひたまへしかど、さるべきにこそはとて()(けが)れたりとも、(おぼ)()つまじきを(たの)みにて、かく本意(ほい)のごとくたてまつりながら、なほ、その(はばか)りありて、うけばりたる女御(にょうご)なども()はせたまはぬをだに()かず口惜(くちを)しう(おも)ひたまふるに、また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂(こころう)くなむ(おも)ひなりはべりぬる。
「これこれしかじかのことがございました。
この懐紙は、右大将のご筆跡である。
以前にも、許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろ我慢して、それでは婿殿にしようかと、言いました時は、心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、お見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり差し上げながら、やはり、その遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再び、このような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。
まず目撃した事実を述べた。
 「この畳紙の字は右大将の字です。以前にも彼女は大将の誘惑にかかって情人関係が結ばれていたのですが、人物に敬意を表して私は不服も言わずに結婚もさせようと言っていたのです。その時にはいっこうに気がないふうを見せられて、私は残念でならなかったのですが、これも因縁であろうと我慢して、寛容な陛下はまた私への情誼(じょうぎ)で過去の罪はお許しくださるであろうとお願いして、最初の目的どおりに宮中へ入れましても、あの関係がありましたために公然と女御(にょご)にはしていただけないことででも、私は始終寂しく思っているのです。それにまたこんな罪を犯すではありませんか、私は悲しくてなりません。
7.2.3
(をとこ)(れい)とはいひながら大将(だいしゃう)もいとけしからぬ御心(みこころ)なりけり。
斎院(さいゐん)をもなほ()こえ(をか)しつつ(しの)びに御文通(おほんふみかよ)はしなどして、けしきあることなど、(ひと)(かた)りはべりしをも、()のためのみにもあらず、()がためもよかるまじきことなれば、よもさる(おも)ひやりなきわざ、()でられじとなむ、(とき)有職(いうそく)(あめ)(した)をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将(だいしゃう)御心(みこころ)を、(うたが)ひはべらざりつる」
男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。
斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことは、し出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子、格別のようなので、大将のお心を、疑ってもみなかった」
男は皆そうであるとはいうものの大将もけしからん方です。神聖な斎院に恋文を送っておられるというようなことを言う者もありましたが、私は信じることはできませんでした。そんなことをすれば世の中全体が神罰をこうむるとともに、自分自身もそのままではいられないことはわかっていられるだろうと思いますし、学問知識で天下をなびかしておいでになる方はまさかと思って疑いませんでした」
7.2.4
などのたまふに、(みや)は、いとどしき御心(みこころ)なれば、いとものしき()けしきにて、
などとおっしゃると、宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、
聞いておいでになった太后の源氏をお憎みになることは大臣の比ではなかったから、非常なお腹だちがお顔の色に現われてきた。
7.2.5
(みかど)()こゆれど(むかし)より皆人思(みなひとおも)()としきこえて、致仕(ちじ)大臣(おとど)またなくかしづく(ひと)(むすめ)(このかみ)(ばう)にておはするにはたてまつらで、(おとうと)源氏(げんじ)にて、いときなきが元服(げんぷく)副臥(そひぶし)にとり()き、また、この(きみ)をも宮仕(みやづか)へにと(こころ)ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、()れも()れもあやしとやは(おぼ)したりし
(みな)、かの御方(みかた)にこそ御心寄(みこころよ)せはべるめりしを、その本意違(ほいたが)ふさまにてこそは、かくてもさぶらひたまふめれどいとほしさに、いかでさる(かた)にても(ひと)(おと)らぬさまにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし(ひと)()るところもあり、などこそは(おも)ひはべりつれど、(しの)びて()(こころ)()(かた)なびきたまふにこそははべらめ。
斎院(さいゐん)(おほん)ことは、ましてさもあらむ
(なに)ごとにつけても、朝廷(おほやけ)御方(おほんかた)にうしろやすからず()ゆるは春宮(とうぐう)御世(みよ)心寄(こころよ)(こと)なる(ひと)なれば、ことわりになむあめる」
「帝と申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で東宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟で源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、また、この君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。
皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。
斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。
どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、東宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」
「陛下は陛下であっても昔から皆に軽蔑(けいべつ)されていらっしゃる。致仕の大臣も大事がっていた娘を、兄君で、また太子でおありになる方にお上げしようとはしなかった。その娘は弟で、貧弱な源氏で、しかも年のゆかない人に(めあわ)せるために取っておいたのです。またあの人も東宮の後宮(こうきゅう)に決まっていた人ではありませんか。それだのに誘惑してしまってそれをその時両親だってだれだって悪いことだと言った人がありますか。皆大将をひいきにして、結婚をさせたがっておいでになった。不本意なふうで陛下にお上げなすったじゃありませんか。私は妹をかわいそうだと思って、ほかの女御(にょご)たちに引けを取らせまい、後宮の第一の名誉を取らせてやろう、そうすれば薄情な人への復讐(ふくしゅう)ができるのだと、こんな気で私は骨を折っていたのですが、好きな人の言うとおりになっているほうがあの人にはよいと見える。斎院を誘惑しようとかかっていることなどはむろんあるべきことですよ。何事によらず当代を(のろ)ってかかる人なのです。それは東宮の御代(みよ)が一日も早く来るようにと願っている人としては当然のことでしょう」
7.2.6
と、すくすくしうのたまひ(つづ)くるに、さすがにいとほしうなど、()こえつることぞ」と、(おぼ)さるれば
と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、
きつい調子で、だれのこともぐんぐん悪くお言いになるのを、聞いていて大臣は、ののしられている者のほうがかわいそうになった。なぜお話ししたろうと後悔した。
7.2.7
さはれ、しばし、このこと()らしはべらじ。
内裏(うち)にも(そう)せさせたまふな
かくのごと、(つみ)はべりとも、(おぼ)()つまじきを(たの)みにて、あまえてはべるなるべし
うちうちに(せい)しのたまはむに()きはべらずはその(つみ)に、ただみづから()たりはべらむ」
「まあ仕方ない、暫くの間、この話を漏らすまい。
帝にも奏上あそばすな。
このように、罪がありましても、お捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。
内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」
「でもこのことは当分秘密にしていただきましょう。陛下にも申し上げないでください。どんなことがあっても許してくださるだろうと、あれは陛下の御愛情に甘えているだけだと思う。私がいましめてやって、それでもあれが聞きません時は私が責任を負います」
7.2.8
など、()こえ(なほ)したまへど、ことに()けしきも(なほ)らず
などと、お取りなし申されるが、別にご機嫌も直らない。
などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御機嫌(きげん)は直りもせず、源氏に対する憎悪(ぞうお)の減じることもなかった。
7.2.9
かく、一所(ひとところ)おはして(ひま)もなきに、つつむところなくさて()ものせらるらむはことさらに(かろ)(ろう)ぜらるるにこそは」と(おぼ)しなすに、いとどいみじうめざましく、このついでにさるべきことども(かま)()でむに、よきたよりなり」と、(おぼ)しめぐらすべし
「このように、同じ邸にいらして隙間もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。
皇太后である自分もいっしょに住んでいる邸内に来て不謹慎きわまることをするのも、自分をいっそう侮辱して見せたい心なのであろうとお思いになると、残念だというお心持ちがつのるばかりで、これを動機にして源氏の排斥を企てようともお思いになった。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/20/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
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ローマ字版 Last updated 9/6/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
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挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 5/20/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
小林繁雄(青空文庫)
2003年7月13日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年10月30日

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