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第四十帖 御法

光る源氏の准太上天皇時代五十一歳三月から八月までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語


第一段 紫の上、出家を願うが許されず

1.1.1
(むらさき)(うへ)いたうわづらひたまひし御心地(みここち)(のち)いと(あつ)しくなりたまひて、そこはかとなく(なや)みわたりたまふこと(ひさ)しくなりぬ。
紫の上、ひどくお患いになったご病気の後、とても衰弱がひどくおなりになって、どこそこがお悪いというのでなくご気分がすぐれない状態が長くなった。
紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終(わずら)っていた。
1.1.2
いとおどろおどろしうはあらねど、年月重(としつきかさ)なれば、(たの)もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、(ゐん)(おも)ほし(なげ)くこと、(かぎ)りなし
しばしにても(おく)れきこえたまはむことをば、いみじかるべく(おぼ)し、みづからの御心地(みここち)にはこの()()かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身(おほんみ)なれば、あながちにかけとどめまほしき御命(おほんいのち)とも(おぼ)されぬを(とし)ごろの御契(おほんちぎ)りかけ(はな)(おも)(なげ)かせたてまつらむことのみぞ人知(ひとし)れぬ御心(みこころ)のうちにも、ものあはれに(おぼ)されける
(のち)()のためにと、(たふと)きことどもを(おほ)くせさせたまひつつ、いかでなほ本意(ほい)あるさまになりてしばしもかかづらはむ(いのち)のほどは(おこな)ひを(まぎ)れなく」と、たゆみなく(おぼ)しのたまへど、さらに(ゆる)しきこえたまはず
たいして重病ではないが、年月が重なるので、頼りなさそうに、ますます衰弱をお増しになったのを、院がご心痛になること、この上ない。
少しの間でも先立たれ申されることは、堪えがたくお思いになり、ご自身のお気持ちは、この世に何の不足なこともなく、気がかりな子供たちさえおいででないお身の上なので、無理に生き残っていたいお命ともお思いなされないのだが、長年のご夫婦の縁を別れ、ご悲嘆申させるだろうことだけが、人知れず心の中でも、何となく悲しく思われなさるのであった。
来世のためにと、尊い仏事を数多くなさりながら、「何とかしてやはり出家の本願を遂げて、暫くの間でも生きている命の限りは、勤行を一途に行いたい」と、いつもお思いになりお願いなさるが、まったくお許し申し上げなさらない。
たいした悪い容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。しばらくでもこの人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なのであるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどんなに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであった。未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。
1.1.3
さるは、わが御心(みこころ)にも、しか(おぼ)しそめたる(すぢ)なればかくねむごろに(おも)ひたまへるついでにもよほされて、(おな)(みち)にも()りなむ(おぼ)せど一度(ひとたび)(いへ)()でたまひなば(かり)にもこの()(かへり)みむとは(おぼ)しおきてず、(のち)()には、(おな)(はちす)()をも()けむと、(ちぎ)()はしきこえたまひて、(たの)みをかけたまふ御仲(おほんなか)なれど、ここながら(つと)めたまはむほどは、(おな)(やま)なりとも、(みね)(へだ)てて、あひ()たてまつらぬ()()かけ(はな)れなむことをのみ(おぼ)しまうけたるにかくいと(たの)もしげなきさまに(なや)(あつ)いたまへばいと心苦(こころぐる)しき(おほん)ありさまを、(いま)はと()(はな)れむきざみには()てがたく、なかなか、山水(やまみづ)()処濁(かにご)りぬべく(おぼ)しとどこほるほどに、ただうちあさへたる、(おも)ひのままの道心起(だうしんお)こす(ひと)びとには、こよなう(おく)れたまひぬべかめり
そうは言うものの、ご自分のお気持ちにも、そのようにご決心なさっていることなので、このように熱心に思っていらっしゃる機会に促されて、一緒に出家生活に入ろうとお思いになるが、一度、出家をなさったらば、仮にもこの世の事を顧みようとはお思いにならず、来世では、一つの蓮の座を分け合おうと、お約束申し上げなさって、頼りにしていらっしゃるご夫婦仲であるが、この世のままで勤行なさる間は、同じ奥山であっても、峰を隔てて、お互いに顔を会わせない住まいで離れて生活することばかりをお考えになっていたので、このようにとても頼りない状態で病が篤くなってゆかれるので、とてもお気の毒なご様子を、いよいよ出家しようという時機には捨てることができず、かえって、山水の清い生活も濁ってしまいそうで、ぐずぐずしていらっしゃるうちに、ほんの浅い考えで、思うまま出家心を起こす人々に比べて、すっかり後れを取っておしまいになりそうである。
それは院御自身にも出家は希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もいっしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの蓮華(れんげ)の上に安住しようと約束しておいでになる御夫婦であっても、この世での出家後の生活は全然区別を立てたものにせねばならぬという御本意から、こうして病弱な身体(からだ)になってしまった夫人と、離れておしまいになることは気がかりで、悟道にはいった新生活も内から破れていくことを院は恐れて躊躇(ちゅうちょ)をしておいでになるのである。結局は深い考えもなく簡単に出家してしまう人よりも、道にはいることが遅れるわけである。
1.1.4
御許(おほんゆる)しなくて心一(こころひと)つに(おぼ)()たむも、さま()しく本意(ほい)なきやうなれば、このことによりてぞ女君(おんなぎみ)(うら)めしく(おも)ひきこえたまひける。
わが御身(おほんみ)をも、罪軽(つみかろ)かるまじきにやとうしろめたく(おぼ)されけり。
お許しがなくて、一存でご決心なさるのも、体裁が悪く不本意のようなので、この一事によって、女君は、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。
ご自身でも、罪障が浅くない身の上ゆえかと、気がかりに思わずにはいらっしゃれないのであった。
院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしまうことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。

第二段 二条院の法華経供養

1.2.1
(とし)ごろ、(わたくし)御願(おほんがん)にて()かせたてまつりたまひける『法華経(ほけきゃう)千部(せんぶ)いそぎて供養(くやう)じたまふ。
わが御殿(おほんとの)(おぼ)二条院(にでうのゐん)にてぞしたまひける。
七僧(しちそう)法服(ほふぶく)など品々賜(しなじなたま)はす。
(もの)(いろ)()()よりはじめて、きよらなること、(かぎ)りなし。
おほかた(なに)ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。
ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。
七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。
法服の染色や、仕立て方をはじめとして、美しいこと、この上ない。
だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。
以前から自身の(がん)果たしのために書かせてあった千部の法華(ほけ)経の供養を夫人はこの際することとした。自邸のような気のする二条の院でこの催しをすることにした。七僧の法服をはじめとして、以下の僧へ等差をつけて纏頭(てんとう)にする僧服類をことに精撰して夫人は作らせてあった。そのほかのすべてのことにも費用を惜しまぬ行き届いた仏事の準備ができているのである。
1.2.2
ことことしきさまにも()こえたまはざりければ(くは)しきことどもも()らせたまはざりけるに(をんな)(おほん)おきてにてはいたり(ふか)く、(ほとけ)(みち)にさへ(かよ)ひたまひける御心(みこころ)のほどなどを、(ゐん)はいと(かぎ)りなしと()たてまつりたまひて、ただおほかたの(おほん)しつらひ、(なに)かのことばかりをなむ、(いとな)ませたまひける
楽人(がくにん)舞人(まひびと)などのことは、大将(だいしゃう)(きみ)()()きて(つか)うまつりたまふ。
大層な催しには致されなかったので、詳細な事柄はお教えなさらなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ大体のお飾り、何やかのことだけを、お世話なさるのであった。
楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。
内輪(うちわ)事のように言っていたので、院はみずから計画に参加あそばさなかったが、女の催しでこれほど手落ちなく事の運ばれることは珍しいほどに万事のととのったのをお知りになって、仏道のほうにも深い理解のあることで夫人をうれしく思召した院は、御自身の手ではただ来賓を饗応(きょうおう)する座敷の装飾その他のことだけをおさせになった。音楽舞曲のほうのことは左大将が好意で世話をした。
1.2.3
内裏(うち)春宮(とうぐう)(きさい)(みや)たちをはじめたてまつりて、御方々(おほんかたがた)ここかしこに御誦経(みずきゃう)捧物(ほうもち)などばかりのことをうちしたまふだに所狭(ところせ)きに、まして、そのころ、この(おほん)いそぎを(つか)うまつらぬ(ところ)なければ、いとこちたきことどもあり
いつのほどにいとかくいろいろ(おぼ)しまうけけむ。
げに、石上(いそ)世々経(かみのよよへ)たる御願(おほんがん)にや」とぞ()えたる。
帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえ所狭しなのに、それ以上に、その当時は、このご準備のご用をお務めしない人がないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。
「いつのまに、とてもこのようにいろいろとご用意なさったのであろう。
なるほど、古い昔からの御願であろうか」と見えた。
宮中、東宮、院の(きさき)の宮、中宮(ちゅうぐう)をはじめとして、法事へ諸家からの誦経(ずきょう)の寄進、(ささ)げ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会(ほうえ)に志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから、華麗な仏会の式場が現出したわけである。いつの間にこの大部の経巻等を夫人が仕度(したく)したかと参列者は皆驚いた。長い年月を使った夫人の志に敬服したのである。
1.2.4 花散里と申し上げた御方、明石などもお越しになった。
東南の妻戸を開けていらっしゃる。
寝殿の西の塗籠であった。
北の廂に、御方々のお席は、襖障子だけを仕切って設えてあった。
花散里(はなちるさと)夫人、明石(あかし)夫人なども来会した。南と東の戸をあけて夫人は聴聞の席にした。それは寝殿の西の内蔵(うちぐら)であった。北側の部屋(へや)に各夫人の席を襖子(からかみ)だけの隔てで設けてあった。

第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答

1.3.1 三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども、うららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が、身近に想像されて、格別である。
信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。
薪こる行道の声も、大勢集い響き、あたりをゆるがすが、声が中断して静かになった時でさえしみじみ寂しく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、最近になっては、何につけても、心細くばかりお感じになられる。
明石の御方に、三の宮を使いにして、申し上げなさる。
三月の十日であったから花の真盛(まっさか)りである。天気もうららかで暖かい日なので、快くて御仏(みほとけ)のおいでになる世界に近い感じもすることから、あさはかな人たちすらも思わず信仰にはいる機縁を得そうであった。(たきぎ)こる(法華(ほけ)経はいかにして得し薪こり菜摘み水()みかくしてぞ得し)歌を同音に人々が唱える声の終わって、今までと反対に式場の静まりかえる気分は物哀れなものであるが、まして病になっている夫人の心は寂しくてならなかった。明石夫人の所へ女王(にょおう)は三の宮にお持たせして次の歌を贈った。
1.3.2 「惜しくもないこの身ですが、
これを最後として薪の尽きることを思うと
惜しからぬこの身ながらも限りとて
(たきぎ)尽きなんことの悲しさ
1.3.3 お返事は、心細い歌意のことは、後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。
夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から(そし)られることであろうと思って、明石はそれに触れなかった。
1.3.4 「仏道へのお思いは今日を初めの日として
この世で願う仏法のために千年も祈り続けられることでしょう」
薪こる思ひは今日を初めにて
この世に願ふ(のり)ぞはるけき
1.3.5
()もすがら、(たふと)きことにうち()はせたる(つづみ)(こゑ)()えずおもしろし。
ほのぼのと()けゆく(あさ)ぼらけ、(かすみ)()より()えたる(はな)色々(いろいろ)なほ(はる)(こころ)とまりぬべく(にほ)ひわたりて、百千鳥(ももちどり)のさへづりも(ふえ)()(おと)らぬ心地(ここち)して、もののあはれもおもしろさも(のこ)らぬほどに、陵王(りゃうわう)()手急(てきふ)になるほど(すゑ)(かた)(がく)はなやかににぎははしく()こゆるに、皆人(みなびと)()ぎかけたるものの色々(いろいろ)なども、もののをりからにをかしうのみ()ゆ。
一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音、鳴り続けておもしろい。
ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、なおも春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも、笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった感じで、陵王の舞が急の調べにさしかかった最後のほうの楽、はなやかに賑やかに聞こえるので、一座の人々が脱いで掛けていた衣装のさまざまな色なども、折からの情景に美しく見える。
経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけの(もや)の間にはいろいろの花の木がなお女王の心を春に()きとどめようと絢爛(けんらん)の美を競っていたし春の小鳥のさえずりも笛の声に劣らぬ気がして、身にしむこともおもしろさもきわまるかと思われるころに、「陵王(りょうおう)」が舞われて、殿上の貴紳たちが舞い人へ肩から脱いで与える纏頭(てんとう)の衣服の色彩などもこの朝はただ美しくばかり思われた。
1.3.6 親王たち、上達部の中でも、音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。
身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにも、余命少ないと身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しく思われなさる。
親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。

第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答

1.4.1
昨日(きのふ)(れい)ならず()きゐたまへりし名残(なごり)にやいと(くる)しうして()したまへり。
(とし)ごろ、かかるものの(をり)ごとに、(まゐ)(つど)(あそ)びたまふ(ひと)びとの御容貌(おほんかたち)ありさまの、おのがじし(ざえ)ども、琴笛(ことふえ)()をも、今日(けふ)見聞(みき)きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ(おぼ)さるればさしも()とまるまじき(ひと)(かほ)どもも、あはれに()えわたされたまふ
昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。
長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。
昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの容貌(ようぼう)風采(ふうさい)にも、その芸にも()うことが今日で終わるのかというようなことばかりが思われる夫人であったから、平生は注意の払われない顔も目にとまって、少しのことにも物哀れな気持ちが誘われて来賓席を夫人は見渡しているのであった。
1.4.2
まして、夏冬(なつふゆ)(とき)につけたる(あそ)(たはぶ)れにも、なま(いど)ましき(した)(こころ)は、おのづから()ちまじりもすらめどさすがに(なさ)けを()はしたまふ方々(かたがた)()れも(ひさ)しくとまるべき()にはあらざなれど、まづ我一人行方知(われひとりゆくへし)らずなりなむを(おぼ)(つづ)くる、いみじうあはれなり。
それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。
まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。
1.4.3
こと()てて、おのがじし(かへ)りたまひなむとするも、(とほ)(わか)れめきて()しまる
花散里(はなちるさと)御方(おほんかた)に、
法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。
花散里の御方に、
宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散里夫人の所へ、
1.4.4 「これが最後と思われます法会ですが、
頼もしく思われます生々世々にかけてと結
絶えぬべき御法(みのり)ながらぞ頼まるる
世々にと結ぶ中の契りを
1.4.5
御返(おほんかへ)り、
お返事は、
と書いて紫の女王は送った。
1.4.6 「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう
普通の人には残り少ない命とて、
結びおく契りは絶えじおほかたの
残り少なき御法なりとも
1.4.7
やがて、このついでに、不断(ふだん)読経(どきゃう)懺法(せんぼふ)など、たゆみなく(たふと)きことどもせさせたまふ。
御修法(みすほふ)は、ことなるしるしも()えでほども()ぬれば(れい)のことになりて、うちはへさるべき所々(ところどころ)寺々(てらでら)にてぞせさせたまひける。
引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。
御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。
これは返事である。供養に続いて不断の読経(どきょう)懺法(せんぼう)などもこの二条の院で院はおさせになるのであった。祈祷(きとう)は常におさせになっていたが、たいした効果も見えないために、わざわざ遠い寺々などでさせることにもお計らいになった。

第五段 紫の上、明石中宮と対面

1.5.1
(なつ)になりては、(れい)(あつし)さにさへいとど()()りたまひぬべき折々多(をりをりおほ)かり。
そのことと、おどろおどろしからぬ御心地(みここち)なれどただいと(よわ)きさまになりたまへば、むつかしげに所狭(ところせ)(なや)みたまふこともなし
さぶらふ(ひと)びとも、いかにおはしまさむとするにか、(おも)ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう(かな)しき(おほん)ありさまと()たてまつる。
夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失っておしまいになりそうな時々が多かった。
どこといって、特に苦しんだりなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになったので、いかにも病人めいてたいそうにお悩みになることもない。
伺候している女房たちも、この先どうおなりになるのだろうか、と思うにつけても、もう目の前がまっくらになって、もったいなくも悲しいご様子と拝する。
夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のものであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろうかという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。
1.5.2
かくのみおはすれば、中宮(ちゅうぐう)この(ゐん)にまかでさせたまふ
(ひんがし)(たい)におはしますべければ、こなたにはた()ちきこえたまふ
儀式(ぎしき)など、(れい)(かは)らねど、この()のありさまを見果(みは)てずなりぬるなどのみ(おぼ)せば、よろづにつけてものあはれなり。
名対面(なだいめん)()きたまふにもその(ひと)かの(ひと)など、(みみ)とどめて()かれたまふ。
上達部(かんだちめ)など、いと(おほ)(つか)うまつりたまへり。
こうした状態ばかりでいらっしゃるので、中宮が、この二条院に御退出あそばされる。
東の対に御滞在あそばす予定なので、こちらでお待ち申し上げていらっしゃる。
儀式など、いつもと変わらないが、この世の作法もこれが見納めだろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。
名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。
上達部なども大勢供奉なさっていた。
こんなふうであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東の(たい)にお住みになるはずであったから、いったんこの西の対へおはいりになることにより、お迎えの儀式なども定例どおりにしていながらも、この宮のますますお栄えになる未来の日までを見ずに終わるかというように夫人は悲しんだ。お供をして来た役人たちの姓名の披露(ひろう)される時にも、だれがいる、かれも来ていると、女王は深く耳にとまる気がした。高官たちも多数に来ていたのである。
1.5.3
(ひさ)しき御対面(おほんたいめん)のとだえを、めづらしく(おぼ)して御物語(おほんものがたり)こまやかに()こえたまふ。
院入(ゐんい)りたまひて、
久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。
院がお入りになって、
しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでになった。院がはいっておいでになったが、
1.5.4
今宵(こよひ)巣離(すばな)れたる心地(ここち)して、無徳(むとく)なりや。
まかりて(やす)みはべらむ」
「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですね。
退出して寝るとしよう」
「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」
1.5.5
とて、(わた)りたまひぬ。
()きゐたまへるを、いとうれしと(おぼ)したるもいとはかなきほどの御慰(おほんなぐさ)めなり。
と言って、お帰りになってしまった。
起きていらっしゃるのを、嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
と言って、他の(へや)へ行っておしまいになった。起きていた夫人の姿を御覧になったことがおうれしそうであったが、それはしいてよいように見てみずから慰めておいでになるのにすぎないのである。
1.5.6
方々(かたがた)におはしましてはあなたに(わた)らせたまはむもかたじけなし。
(まゐ)らむこと、はたわりなくなりにてはべれば」
「別々のお部屋にいらっしゃったのでは、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。
お伺いすること、それもできにくくなってしまいましたので」
「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまたあちらへ上がることはもうできなくなっていますから」
1.5.7
とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石(あかし)御方(おほんかた)(わた)りたまひて、心深(こころぶか)げにしづまりたる御物語(おほんものがたり)ども()こえ()はしたまふ。
と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。
と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることになった。明石(あかし)夫人もこちらへ来てしんみりとした会話が日々かわされた。

第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉

1.6.1
(うへ)は、御心(みこころ)のうちに(おぼ)しめぐらすこと(おほ)かれど、さかしげに、()からむ(のち)などのたまひ()づることもなし
ただなべての()(つね)なきありさまを、おほどかに言少(ことすく)ななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、(こと)()でたらむよりもあはれに、もの心細(こころぼそ)()けしきは、しるう()えける。
(みや)たちを()たてまつりたまうても
紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。
ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。
宮たちを拝見なさっても、
女王の心の中では頼みたく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに心細い気持ちでいるかを思わせた。女王(にょうおう)は孫である宮たちを見ても、
1.6.2
おのおのの御行(おほんゆ)(すゑ)ゆかしく(おも)ひきこえけるこそ、かくはかなかりける()()しむ(こころ)のまじりけるにや」
「それぞれのご将来を、見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」
「あなたがたがどうおなりになるだろうと、将来が見たいような気がしましたのも、私のようにつまらない者でいながら、知らず知らず命を惜しんでいたわけでしょうか」
1.6.3
とて、(なみだ)ぐみたまへる御顔(おほんかほ)(にほ)ひ、いみじうをかしげなり。
などかうのみ(おぼ)したらむ」と(おぼ)すに、中宮(ちゅうぐう)うち()きたまひぬ。
ゆゆしげになどは()こえなしたまはずもののついでなどにぞ、(とし)ごろ(つか)うまつり()れたる(ひと)びとの、ことなるよるべなういとほしげなる、この(ひと)かの(ひと)
と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の美しさ、素晴らしく見事である。
「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は、思わずお泣きになってしまった。
縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな、この人、あの人を、
こんなことを言って涙ぐむその顔が非常に美しかった。なぜそんなふうにばかり感ぜられるのであろうとお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言のようにはせず話の中などで時々、「長く私に仕えてくれました人たちの中で、たいした身寄りのないようなかわいそうなだれだれなどを、
1.6.4 「私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」
私がいなくなりましたあとで、あなたから気をつけてやってください」
1.6.5
などばかり()こえたまひける。
御読経(みどきゃう)などによりてぞ(れい)のわが御方(おほんかた)(わた)りたまふ。
などとだけ申し上げなさるのであった。
御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
などというほどにしか死後のことは言わないのである。病室で読経(どきよう)の始められる日になってから中宮は東の対へお移りになった。
1.6.6
(さん)(みや)は、あまたの御中(おほんなか)に、いとをかしげにて(あり)きたまふを、御心地(みここち)(ひま)には、(まへ)()ゑたてまつりたまひて、(ひと)()かぬ()に、
三の宮は、大勢の皇子たちの中で、とてもかわいらしくお歩きになるのを、ご気分の好い間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
三の宮は幾人もの宮様がたの中にことに愛らしいお姿でそばへ遊びにおいでになるのを、病苦の薄らいだ時などに女王は前へおすわらせして、女房たちの聞いていないのを見ると、
1.6.7 「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」
「私がいなくなりましたら、あなたは思い出してくださるでしょうね」
1.6.8
()こえたまへば、
とお尋ね申し上げなさると、
などと言うのであったが、宮は、
1.6.9
いと(こひ)しかりなむ
まろは、内裏(うち)(うへ)よりも(みや)よりも(ばば)をこそまさりて(おも)ひきこゆれば、おはせずは、心地(ここち)むつかしかりなむ」
「きっととても恋しいことでしょう。
わたしは、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなくなったら、機嫌が悪くなりますよ」
「恋しいでしょう。私は御所の陛下よりも中宮様よりもお祖母(ばあ)様が好きなんだ。いらっしゃらなくなったら私は悲しいでしょうよ」
1.6.10
とて、()おしすりて(まぎ)らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ()みながら(なみだ)()ちぬ。
と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子、いじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
とお言いになって、目をこすって涙を紛らしておいでになる宮のお姿のおかわいいために、夫人は微笑をして見ているのであったが、目からは涙がこぼれた。
1.6.11
大人(おとな)になりたまひなばここに()みたまひて、この(たい)(まへ)なる紅梅(こうばい)(さくら)とは(はな)折々(をりをり)に、(こころ)とどめてもて(あそ)びたまへ。
さるべからむ(をり)は、(ほとけ)にもたてまつりたまへ
「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には、大切にご鑑賞なさい。
何かの折には、仏前にもお供えください」
「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね」
1.6.12
()こえたまへば、うちうなづきて、御顔(おほんかほ)をまもりて、(なみだ)()つべかめれば、()ちておはしぬ。
()()きて()ほしたてまつりたまへればこの(みや)姫宮(ひめみや)とをぞ()さしきこえたまはむこと、口惜(くちを)しくあはれに(おぼ)されける。
と申し上げなさると、こっくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので、立って行っておしまいになった。
特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。
と言うと、宮はおうなずきになりながら、夫人の顔を見守っておいでになったが、涙が落ちそうになったので、立ってお行きになった。手もとでお育てしたために夫人はこの宮と姫君にお別れすることをことに悲しく思っていた。

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀


第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける

2.1.1 ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると、何かにつけ悪くなることがある。
といっても、身にしみるほどに思われなさる秋風ではないが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。
ようやく秋が来て京の中も涼しくなると、紫夫人の病気も少し快くなったようには見えるのであるが、どうかするとまたもとのような容体にかえるのであった。まだ身にしむほどの秋風が吹くのではないが、しめっぽく曇る心をばかり持って夫人は日を送った。
2.1.2
中宮(ちゅうぐう)は、(まゐ)りたまひなむとするを、(いま)しばしは御覧(ごらん)ぜよとも、()こえまほしう(おぼ)せどもさかしきやうにもあり、内裏(うち)御使(おほんつかひ)(ひま)なきもわづらはしければ、さも()こえたまはぬに、あなたにも(わた)りたまはねば、(みや)(わた)りたまひける
中宮は、宮中に参内なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるが、差し出がましいような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも厄介なので、そのようにはお申し上げなさらず、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しなさった。
中宮(ちゅうぐう)は御所へおはいりにならず、もう少しここにおいでになるほうがよいことになるでしょうと女王はお言いしたいのであるが、死期を予感しているように賢がって聞こえぬかと恥ずかしく思われもしたし、御所からの御催促の御使(みつか)いのひっきりなしに来ることに御遠慮がされもして、おとどめすることも申さないでいるうちに、夫人がもう東の対へ出て来ることができないために、宮のほうからそちらへ行こうと中宮が仰せられた。
2.1.3
かたはらいたけれど、げに()たてまつらぬもかひなしとて、こなたに(おほん)しつらひをことにせさせたまふ。
こよなう()(ほそ)りたまへれどかくてこそあてになまめかしきことの(かぎ)りなさもまさりてめでたかりけれ」と()(かた)あまり(にほ)(おほ)く、あざあざとおはせし(さか)りは、なかなかこの()(はな)(かを)りにもよそへられたまひしを、(かぎ)りもなくらうたげにをかしげなる(おほん)さまにて、いとかりそめに()(おも)ひたまへるけしき、()るものなく心苦(こころぐる)しくすずろにもの(がな)し。
恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには張り合いがないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。
「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、こうしても、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段と素晴らしく見事である」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子、他に似るものもなくおいたわしく、何となく物悲しい。
失礼であると思い心苦しく思いながらも、お目にかからないでいることも悲しくて、西の対へ宮のお居間を設けさせて、夫人はなつかしい宮をお迎えしたのであった。夫人は非常に()せてしまったが、かえってこれが上品で、最も(えん)な姿になったように思われた。これまであまりにはなやかであった盛りの時は、花などに比べて見られたものであるが、今は限りもない美の域に達して比較するものはもう地上になかった。その人が人生をはかなく、心細く思っている様子は、見るものの心をまでなんとなく悲しいものにさせた。

第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す

2.2.1
(かぜ)すごく()()でたる夕暮(ゆふぐれ)に、前栽見(せんさいみ)たまふとて、脇息(けふそく)()りゐたまへるを、院渡(ゐんわた)りて()たてまつりたまひて、
風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、
風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人は起きて脇息(きょうそく)によりかかっているのを、おりからおいでになった院が御覧になって、
2.2.2
今日(けふ)は、いとよく()きゐたまふめるは
この御前(おまへ)にては、こよなく御心(みこころ)もはればれしげなめりかし」
「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。
この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」
「今日はそんなに起きていられるのですね。宮がおいでになる時にだけ気分が晴れやかになるようですね」
2.2.3
()こえたまふ。
かばかりの(ひま)あるをも、いとうれしと(おも)ひきこえたまへる()けしきを()たまふも、心苦(こころぐる)しくつひに、いかに(おぼ)(さわ)がむ」と(おも)ふに、あはれなれば、
と申し上げなさる。
この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、
とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院のお気持ちが、夫人には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろうと思うと物哀れになって、
2.2.4 「起きていると見えますのも暫くの間のこと
ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です」
おくと見るほどぞはかなきともすれば
風に乱るる(はぎ)の上露
2.2.5
げにぞ()れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる(をり)さへ(しの)びがたきを、見出(みい)だしたまひても、
なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、
と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べたのであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、
2.2.6 「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に
せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」
ややもせば消えを争ふ露の世に
(おく)れ先きだつ(ほど)へずもがな
2.2.7
とて、御涙(おほんなみだ)(はら)ひあへたまはず。
(みや)
と言って、お涙もお拭いになることができない。
中宮、
とお言いになる院は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮は、
2.2.8 「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を
誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」
秋風にしばし留まらぬ露の世を
たれか草葉の上とのみ見ん
2.2.9
()こえ()はしたまふ御容貌(おほんかたち)ども、あらまほしく、()るかひあるにつけてもかくて千年(ちとせ)()ぐすわざもがな」と(おぼ)さるれど、(こころ)にかなはぬことなれば、かけとめむ(かた)なきぞ(かな)しかりける。
と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。
とお告げになるのであった。美貌(びぼう)の二女性が最も親しい家族として一堂に会することが快心のことであるにつけても、こうして千年を過ごす方法はないかと院はお思われになるのであったが、命は何の力でもとどめがたいものであるのは悲しい事実である。
2.2.10
(いま)(わた)らせたまひね
(みだ)心地(ごこち)いと(くる)しくなりはべりぬ。
いふかひなくなりにけるほどと()ひながら、いとなめげにはべりや」
「もうお帰りなさいませ。
気分がひどく悪くなりました。
お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」
「もうあちらへおいでなさいね。私は気分が悪くなってまいりました。病中と申してもあまり失礼ですから」
2.2.11
とて、御几帳引(みきちゃうひ)()せて()したまへるさまの、(つね)よりもいと(たの)もしげなく()えたまへば、
と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、
といって、女王は几帳(きちょう)を引き寄せて横になるのであったが、平生に()えて心細い様子であるために、
2.2.12
「いかに(おぼ)さるるにか」
「どうあそばしましたか」
どんな気持ちがするのか
2.2.13
とて、(みや)は、御手(おほんて)をとらへたてまつりて、()()()たてまつりたまふに、まことに()えゆく(つゆ)心地(ここち)して(かぎ)りに()えたまへば、御誦経(みずきゃう)使(つか)ひども、(かず)()らず()(さわ)ぎたり。
(さき)ざきも、かくて()()でたまふ(をり)にならひたまひて(おほん)もののけと(うたが)ひたまひて、夜一夜(よひとよ)さまざまのことをし()くさせたまへどかひもなく、()()つるほどに()()てたまひぬ
とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。
以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかと疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。
と不安に思召(おぼしめ)して、宮は手をおとらえになって泣く泣く母君を見ておいでになったが、あの最後の歌の露が消えてゆくように終焉(しゅうえん)の迫ってきたことが明らかになったので、誦経(ずきょう)の使いが寺々へ数も知らずつかわされ、院内は騒ぎ立った。以前も一度こんなふうになった夫人が蘇生(そせい)した例のあることによって、物怪(もののけ)のすることかと院はお疑いになって、夜通しさまざまのことを試みさせられたが、かいもなくて翌朝の未明にまったくこと切れてしまった。

第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る

2.3.1
(みや)も、(かへ)りたまはでかくて()たてまつりたまへるを、(かぎ)りなく(おぼ)
()れも()れも、ことわりの(わか)れにて、たぐひあることとも(おぼ)されず、めづらかにいみじく、()けぐれの(ゆめ)(まど)ひたまふほど、さらなりや
中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。
どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。
宮もお居間にお帰りにならぬままで臨終に立ち会えたことを、うれしくも悲しくも思召した。御良人(ごりょうじん)御娘(みむすめ)も、これを人生の常としてだれも経験していることとはお思いになれないで、言語に絶した悲しみ方をしておいでになるのである。
2.3.2
さかしき(ひと)おはせざりけり
さぶらふ女房(にょうばう)なども、ある(かぎ)り、さらにものおぼえたるなし。
(ゐん)は、まして(おぼ)(しづ)めむ(かた)なければ、大将(だいしゃう)君近(きみちか)(まゐ)りたまへるを、御几帳(みきちゃう)のもとに()()せたてまつりたまひて、
しっかりとした人はいらっしゃらなかった。
伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。
院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、
二条の院の中は絶望して心を取り乱した人ばかりになった。院はお心の静めようもないふうで、大将を几帳のそばへお呼び寄せになって、
2.3.3
かく(いま)(かぎ)りのさまなめるを(とし)ごろの本意(ほい)ありて(おも)ひつることかかるきざみに、その(おも)(たが)へてやみなむがいといとほしき
御加持(おほんかぢ)にさぶらふ大徳(だいとこ)たち、読経(どきゃう)(そう)なども、皆声(みなこゑ)やめて()でぬなるを、さりとも、()ちとまりてものすべきもあらむ。
この()にはむなしき心地(ここち)するを、(ほとけ)(おほん)しるし、(いま)はかの(くら)(みち)のとぶらひにだに(たの)(まを)すべきを、(かしら)おろすべきよしものしたまへ。
さるべき(そう)()れかとまりたる」
「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。
御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。
この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。
適当な僧で、誰が残っているか」
「もうだめになったことは確かなようだ。長く希望していた出家のことをこの際に遂げさせてやらないのは惨酷なように思われるが、加持に来ていた僧たちも読経(どきょう)の僧たちも皆することをやめて帰ったとしても、少しは残っているのもあろうから、この世の利益はもう必要がなくなった今では冥土(めいど)のお手引きに仏をお願いすることにして、髪を切って尼にすることをそのだれかにさせてくれ。相当な僧ではだれが残っているか」
2.3.4
などのたまふ()けしき、心強(こころづよ)(おぼ)しなすべかめれど御顔(おほんかほ)(いろ)もあらぬさまに、いみじく()へかね、御涙(おほんなみだ)のとまらぬを、ことわりに(かな)しく()たてまつりたまふ
などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。
こうお言いになる御様子にも、自制しておいでになるのであろうが、御血色もまったくないようで、涙がとまらず流れているお顔を、ごもっともなことであると大将は悲しく見た。
2.3.5
(おほん)もののけなどのこれも、(ひと)御心乱(みこころみだ)らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ
さらば、とてもかくても御本意(おほんほい)のことは、よろしきことにはべなり。
一日一夜忌(いちにちいちやい)むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ
まことにいふかひなくなり()てさせたまひて、(のち)御髪(みぐし)ばかりをやつさせたまひても、(こと)なるかの()御光(おほんひかり)ともならせたまはざらむものから、()(まへ)(かな)しびのみまさるやうにていかがはべるべからむ」
「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。
それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。
一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。
本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」
「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りましたことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報いられるでしょうが、しかしもうまったくお()くなりになったのでございましたら、死後のお(ぐし)の形を変えますだけのことがあの世の光にはならないでしょう。そして()で見る遺族たちの悲しみだけが増大することになるだけのことでございますから、私はいかがかと存じます」
2.3.6
(まを)したまひて、御忌(おほんいみ)()もりさぶらふべき(こころ)ざしありてまかでぬ(そう)その(ひと)かの(ひと)など()して、さるべきことども、この(きみ)(おこ)なひたまふ。
と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。
と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。

第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る

2.4.1
(とし)ごろ、(なに)やかやとおほけなき(こころ)はなかりしかど、「いかならむ()に、ありしばかりも()たてまつらむ。
ほのかにも御声(おほんこゑ)をだに()かぬこと」など、(こころ)にも(はな)れず(おも)ひわたりつるものを、(こゑ)はつひに()かせたまはずなりぬるにこそはあめれむなしき御骸(おほんから)にても、今一度見(いまひとたびみ)たてまつらむの(こころ)ざしかなふべき(をり)は、ただ(いま)よりほかにいかでかあらむ」と(おも)ふに、つつみもあへず()かれて、女房(にょうばう)の、ある(かぎ)(さわ)(まど)ふを、
長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが、「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。
かすかにお声さえ聞かなかったことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、「声はとうとうお聞かせなさらないで終わったようだが、むなしい御亡骸なりとも、もう一度拝見したい気持ちが叶えられる折は、ただ今の時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできずつい泣けて、女房たちで、側に伺候する人たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、
今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの野分(のわき)の夕べに隙見(すきみ)を遂げた程度にでも、また美しい継母が見られるのであろう、声すらも聞かれぬ運命で自分は終わるのであろうかというあこがれだけは念頭から去らなかったものであるが、声だけは永遠に聞かせてもらえない宿命であったとしても、遺骸(いがい)になった人にせよもう一度見る機会は今この時以外にあるわけもないと夕霧は思うと、声も立てて泣かれてしまうのであった。あるだけの女房は皆泣き騒いでいるのを、
2.4.2 「静かに。暫く」
「少し静かに、しばらく静かに」
2.4.3
と、しづめ(がほ)にて、御几帳(みきちゃう)(かたびら)を、もののたまふ(まぎ)れに、()()げて()たまへば、ほのぼのと()けゆく(ひかり)もおぼつかなければ、大殿油(おほとなぶら)(ちか)くかかげて()たてまつりたまふに()かずうつくしげに、めでたうきよらに()ゆる御顔(おほんかほ)のあたらしさに、この(きみ)のかくのぞきたまふを()()るも、あながちに(かく)さむの御心(みこころ)(おぼ)されぬなめり
と制止するふりして、御几帳の帷子を、何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので、大殿油を近くにかかげて拝見なさると、どこまでもかわいらしげに、立派で美しく見えるお顔のもったいなさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、無理に隠そうとのお気持ちも起こらないようである。
と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、()を近くへ寄せてうかがうと、麗人の女王(にょうおう)は遺骸になってなお美しくきれいで、その顔を大将がのぞいていても隠そうとする心はもう残っていなかった。院は、
2.4.4
かく(なに)ごともまだ(かは)らぬけしきながら、(かぎ)りのさまはしるかりけるこそ」
「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期の様子ははっきりしているのです」
「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」
2.4.5
とて、御袖(おほんそで)(かほ)におしあてたまへるほど、大将(だいしゃう)(きみ)も、(なみだ)にくれて、()()えたまはぬを、しひてしぼり()けて()たてまつるに、なかなか()かず(かな)しきことたぐひなきに、まことに心惑(こころまど)ひもしぬべし
御髪(みぐし)のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて(つゆ)ばかり(みだ)れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ(かぎ)りなき。
と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も、涙にくれて、目も見えなさらないのを、無理に涙を絞り出すように目を開いて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなく、本当に心もかき乱れてしまいそうである。
御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様子、ふさふさと美しくて、一筋も乱れた様子はなく、つやつやと美しそうな様子、この上ない。
こうお言いになって、(そで)で顔をおさえておいでになるのを見ては、大将もしきりに涙がこぼれて、目も見えないのを、しいて引きあけて、遺骸をながめることをしたがかえって悲しみは増してくるばかりで、気も失うのではないかと夕霧はみずから思った。横にむぞうさになびけた髪が豊かで、清らかで、少しのもつれもなくつやつやとして美しい。
2.4.6
()のいと()かきに御色(おほんいろ)はいと(しろ)(ひか)るやうにて、とかくうち(まぎ)らはすこと、ありしうつつの(おほん)もてなしよりも、いふかひなきさまにて何心(なにごころ)なくて()したまへる(おほん)ありさまの()かぬ(ところ)なしと()はむもさらなりや
なのめにだにあらず、たぐひなきを()たてまつるに、()()(たましひ)の、やがてこの御骸(おほんから)にとまらなむ」と(おも)ほゆるも、わりなきことなりや
灯火がたいそう明るいので、お顔色はとても白く光るようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった、生前のご様子よりも、今さら嘆いても嘆くかいのない、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのも、ことさらめいたことである。
並一通りの美しさどころか、類のない美しさを拝見すると、「死に入ろうとする魂がそのままこの御亡骸に止まっていてほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。
明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、(おのれ)をあやぶむことも、他を疑うこともない純粋なふうで寝ている美女の魅力は大きかった。少々の欠点があってもなお夕霧の心は恍惚(こうこつ)としていたであろうが、見れば見るほど故人の美貌(びぼう)の完全であることが認識されるばかりであったから、この自分を離れてしまうような気持ちのする心はそのままこの遺骸にとどまってしまうのではないかというような奇妙なことも夕霧は思った。

第五段 紫の上の葬儀

2.5.1
(つか)うまつり()れたる女房(にょうばう)などの、ものおぼゆるもなければ、(ゐん)(なに)ごとも(おぼ)しわかれず(おぼ)さるる御心地(みここち)を、あながちに(しづ)めたまひて、(かぎ)りの(おほん)ことどもしたまふ。
いにしへも、(かな)しと(おぼ)すこともあまた()たまひし御身(おほんみ)なれどいとかうおり()ちてはまだ()りたまはざりけることを、すべて()方行(かたゆ)(さき)たぐひなき心地(ここち)したまふ。
お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので、院が、何事もお分かりにならないように思われなさるお気持ちを、無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。
昔も、悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でもってお指図なさることはご経験なさらなかったことなので、すべて過去にも未来にも、またとない気がなさる。
長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそばされたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであった。
2.5.2
やがて、その()とかく(をさ)めたてまつる
(かぎ)りありけることなれば、(から)()つつもえ()ぐしたまふまじかりけるぞ心憂(こころう)()(なか)なりける。
はるばると(ひろ)()(ところ)もなく()()みて、(かぎ)りなくいかめしき作法(さほふ)なれど、いとはかなき(けぶり)にて、はかなく(のぼ)りたまひぬるも、(れい)のことなれど、あへなくいみじ
そのまま、その当日に、あれこれしてご葬儀をお営み申し上げる。
所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが、情けない人の世なのであった。
広々とした広い野原に、いっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳めしい葬儀であるが、まことにあっけない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるが、あっけなく何とも悲しい。
紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として葬送せねばならぬのが人生の悲しい(おきて)であった。はるばると広い野にあいた場所がないほどにも葬送の人の集まったいかめしい儀式であったが、送られた人ははかない煙になって間もなく立ち(のぼ)ってしまった。当然のことではあるがこれをも人々は悲しんだ。
2.5.3 地に足が付かない感じで、人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も、「あれほど威厳のあるお方が」と、わけも分からない下衆まで泣かない者はいなかった。
ご葬送の女房は、それ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに、手を焼くのであった。
空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおいでになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はなかった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に彷徨(ほうこう)しているような気持ちになっていて、車から(ころ)び落ちそうに見えるのを従者たちは扱いかねていた。
2.5.4 昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことをお思い出しになっても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。
昔、大将の母君の(あおい)夫人の葬送の夜明けのことを院は思い出しておいでになったが、その時はなお月の形が明瞭(めいりょう)に見えた御記憶があった。今は心も目も暗闇(くらやみ)のうちのような気のあそばされる院でおありになった。
2.5.5
十四日(じふよ)(ちにう)せたまひて、これは十五日(じふごにち)(あかつき)なりけり
()はいとはなやかにさし()がりて、野辺(のべ)(つゆ)(かく)れたる(くま)なくて、()中思(なかおぼ)(つづ)くるにいとど(いと)はしくいみじければ、(おく)るとても、幾世(いくよ)かは()べき
かかる(かな)しさの(まぎ)れに(むかし)よりの御本意(おほんほい)()げてまほしく」(おも)ほせど、心弱(こころよわ)(のち)のそしりを(おぼ)せば、「このほどを()ぐさむ」としたまふに、(むね)のせきあぐるぞ()へがたかりける。
十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。
日はたいそう明るくさし昇って、野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をお思い続けなさると、ますます厭わしく悲しいので、「先立たれたとて、何年生きられようか。
このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたく」お思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、「この時期を過ごしてから」とお思いなさるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。
女王は十四日に薨去(こうきょ)したのであって、これは十五日の夜明けのことである。はなやかな日が上って、野原一面に置き渡した露がすみずみまできらめく所をお通りになりながら、院はいっそうこの時人生というものをいとわしく悲しく思召して、残った自分の命といっても、もう長くは保ちえられるものではないであろうから、こうした苦しみを見る時に、昔からの希望であった出家も遂げたいとしきりにお思われになるのであったが、気の弱さを史上に残すことが顧慮されて、当分はこのままで忍ぶほかはないと御決心はあそばされても、なお胸の悲しみはせき上がってくるのであった。

第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち


第一段 源氏の悲嘆と弔問客

3.1.1
大将(だいしゃう)(きみ)も、御忌(おほんいみ)()もりたまひてあからさまにもまかでたまはず、()()(ちか)くさぶらひて、心苦(こころぐる)しくいみじき()けしきを、ことわりに(かな)しく()たてまつりたまひて、よろづに(なぐさ)めきこえたまふ。
大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも退出なさらず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子を、もっともなことだと悲しく拝し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御悲歎(ひたん)をもっともなことであると御同情をして見ながら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。
3.1.2
風野分(かぜのわき)だちて()夕暮(ゆふぐれ)に、(むかし)のこと(おぼ)()でてほのかに()たてまつりしものを」と(こひ)しくおぼえたまふに、また「(かぎ)りのほどの(ゆめ)心地(ここち)せし」など、人知(ひとし)れず(おも)(つづ)けたまふに、()へがたく(かな)しければ、人目(ひとめ)にはさしも()えじ、つつみて、
野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また「最期の時が夢のような気がした」など、心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、
風が野分(のわき)ふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれまいとする紛らわしには、
3.1.3 「阿彌陀仏、阿彌陀仏」
阿弥陀仏(あみだぶつ)、阿弥陀仏
3.1.4 と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
と唱えて数珠(じゅず)の緒を繰ることをした。涙の玉も混ぜてである。
3.1.5 「昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても
御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする」
いにしへの秋の夕べの恋しきに
今はと見えし明け()れの夢
3.1.6
ぞ、名残(なごり)さへ()かりける。
やむごとなき(そう)どもさぶらはせたまひて、(さだ)まりたる念仏(ねんぶつ)をばさるものにて、法華経(ほけきゃう)など()ぜさせたまふ
かたがたいとあはれなり
のが、その名残までがつらいのであった。
尊い僧たちを伺候させなさって、決められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。
あれこれとまた実に悲しい。
この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの(おり)を大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを集めて忌籠(いみごも)りの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華(ほけ)経をも院がお読ませになっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。
3.1.7 寝ても起きても、涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。
昔からご自身の様子をお思い続けると、
寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、
3.1.8
(かがみ)()ゆる(かげ)をはじめて(ひと)には(こと)なりける()ながら、いはけなきほどより、(かな)しく(つね)なき()(おも)()るべく、(ほとけ)などのすすめたまひける()を、心強(こころづよ)()ぐして、つひに()方行(かたゆ)(さき)(ためし)あらじとおぼゆる(かな)しさを()つるかな。
(いま)は、この()にうしろめたきこと(のこ)らずなりぬ
ひたみちに(おこな)ひにおもむきなむに、(さは)(どころ)あるまじきを、いとかく(をさ)めむ(かた)なき心惑(こころまど)ひにては、(ねが)はむ(みち)にも()りがたくや
「鏡に映る姿をはじめとして、普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から、悲しく無常なわが人生を悟るべく、仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。
今はもう、この世に気がかりなこともなくなった。
ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない惑乱状態では、願っている仏の道に入れないないのでは」
鏡に写る容貌(ようぼう)をはじめとして恵まれた人物として世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるようなことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏の(うなが)すのをしいて知らぬふうに世の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思われぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持っている間は、仏の道にもはいることは不可能であろう
3.1.9
と、ややましきを、
と気が咎めるので、
とみずからおあやぶまれになる院は、
3.1.10 「この悲しみを少し和らげて、忘れさせてください」
の心持ちを少しゆるやかにされたい
3.1.11
と、阿弥陀仏(あみだぶつ)(ねん)じたてまつりたまふ。
と、阿彌陀仏をお念じ申し上げなさる。
と阿弥陀仏を念じておいでになった。

第二段 帝,致仕大臣の弔問

3.2.1
所々(ところどころ)(おほん)とぶらひ内裏(うち)をはじめたてまつりて、(れい)作法(さほふ)ばかりにはあらず、いとしげく()こえたまふ。
(おぼ)しめしたる(こころ)のほどにはさらに(なに)ごとも()にも(みみ)にもとまらず(こころ)にかかりたまふこと、あるまじけれど、(ひと)にほけほけしきさまに()えじ
(いま)さらにわが()(すゑ)に、かたくなしく心弱(こころよわ)(まど)ひにて、()(なか)をなむ(そむ)きにける」と、(なが)れとどまらむ()(おぼ)しつつむになむ、()(こころ)にまかせぬ(なげ)きをさへうち()へたまひける。
あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの作法だけでなく、たいそう数多く申し上げなさる。
ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、心に掛りなさること、ないはずであるが、「人から惚けた様子に見られまい。
今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑乱から出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお考えになるので、思うに任せない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。
忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から()けられてよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかっておいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲しみに添った一つの悲しみになった。
3.2.2
致仕(ちじ)大臣(おとど)あはれをも折過(をりす)ぐしたまはぬ御心(みこころ)にて、かく()にたぐひなくものしたまふ(ひと)はかなく()せたまひぬることを、口惜(くちを)しくあはれに(おぼ)して、いとしばしば()ひきこえたまふ。
致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらした方が、はかなくお亡くなりになったことを、残念に悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。
太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。
3.2.3 「昔、大将の御母堂がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても何となく悲しくて、
昔大将の母君が()くなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時の悲しみもまた心の中に()き出してくるのであったが、
3.2.4 「あの時の、あの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったな。
死に後れたり先立ったりしても、
その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、(おく)れるということもたいした差のない時間のことではないか
3.2.5
など、しめやかなる夕暮(ゆふぐれ)にながめたまふ。
(そら)のけしきもただならねば、御子(おほんこ)蔵人少将(くらうどのせうしゃう)してたてまつりたまふ。
あはれなることなど、こまやかに()こえたまひて、(はし)に、
などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。
空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。
しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、
などと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子(むすこ)蔵人(くろうど)少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、
3.2.6 「昔の秋までが今のような気がして
涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています」
(いにし)への秋さへ今のここちして
()れにし(そで)に露ぞ置き添ふ
3.2.7
御返(おほんかへ)し、
お返事、
という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。
3.2.8 「涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです
だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです」
露けさは昔今とも思ほえず
おほかた秋の世こそつらけれ
3.2.9
もののみ(かな)しき御心(みこころ)のままならば、()ちとりたまひては、心弱(こころよわ)くもと、()とどめたまひつべき大臣(おとど)御心(みこころ)ざまなれば、めやすきほどにと、
何事も悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しと、見咎めなさるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、
悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、
3.2.10
たびたびのなほざりならぬ(おほん)とぶらひの(かさ)なりぬること」
「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」
たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、
3.2.11
(よろこ)びきこえたまふ。
とお礼申し上げなさる。
(よろこ)びの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。
3.2.12
薄墨(うすずみ)」とのたまひしよりは、(いま)すこしこまやかにてたてまつれり。
()(なか)(さいは)ひありめでたき(ひと)あいなうおほかたの()(そね)まれ、よきにつけても、(こころ)(かぎ)りおごりて、(ひと)のため(くる)しき(ひと)もあるを、あやしきまで、すずろなる(ひと)にも()けられ、はかなくし()でたまふことも、(なに)ごとにつけても、()にほめられ、(こころ)にくく、(をり)ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし(ひと)御心(みこころ)ばへなりかし。
「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっていらっしゃった。
世の中に幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけ、この上なくおごり高ぶって、他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで、無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、どのようなことでも、世間から誉められ、奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。
薄墨色を着ると(あおい)夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを着て悲しみを示された。どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬(しっと)を受けることがあるものであるし、またその人自身にも驕慢(きょうまん)な心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰(かつごう)され、ほめられる唯一の(きず)のない(たま)のような存在であり、
3.2.13
さしもあるまじきおほよその(ひと)さへそのころは、(かぜ)音虫(おとむし)(こゑ)につけつつ、涙落(なみだお)とさぬはなし。
まして、ほのかにも()たてまつりし(ひと)の、(おも)(なぐさ)むべき()なし。
(とし)ごろ(むつ)ましく(つか)うまつり()れつる(ひと)びと、しばしも(のこ)れる(いのち)(うら)めしきことを(なげ)きつつ、(あま)になり、この()のほかの山住(やまず)みなどに(おも)()つもありけり。
さほど縁のなさそうな世間一般の人でさえ、その当時は、風の音、虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。
まして、ちょっとでも拝した人では、悲しみの晴れる時がない。
長年親しくお仕え馴れてきた人々、寿命が少しでも生き残っている命が、恨めしいことを嘆き嘆き、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。
善良な貴女(きじょ)であったのであるから、たいした関係のない世間一般の人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人たちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もとに使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人に(おく)れて生き残っている命を恨めしいと思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎(いなか)住居(すまい)を移そうとする者もあった。

第三段 秋好中宮の弔問

3.3.1
冷泉院(れいぜいゐん)(きさい)(みや)よりも、あはれなる御消息絶(おほんせうそこた)えず、()きせぬことども()こえたまひて、
冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、
冷泉(れいぜい)院の(きさき)の宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、
3.3.2 「枯れ果てた野辺を嫌ってか、
亡くなられたお方は秋をお好きになら
枯れはつる野べをうしとや()き人の
秋に心をとどめざりけん
3.3.3 今になって理由が分かりました」
はじめてわかった気もいたします。
3.3.4
とありけるを、ものおぼえぬ御心(みこころ)にも、うち(かへ)し、()きがたく()たまふ。
いふかひあり、をかしからむ(かた)(なぐさ)めには、この(みや)ばかりこそおはしけれ」と、いささかのもの(まぎ)るるやうに(おぼ)(つづ)くるにも、(なみだ)のこぼるるを、(そで)(いとま)なく、()きやりたまはず。
とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。
「話相手になれる風情ある歌のやりとりをして気を慰める人としては、この中宮だけがいらっしゃった」と、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けても、涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、返歌をなかなかお書きになれない。
とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。
3.3.5 「煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい
わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました」
(のぼ)りにし雲井ながらも返り見よ
われ飽きはてぬ常ならぬ世に
3.3.6
おし(つつ)みたまひてもとばかり、うち(なが)めておはす。
お包みになっても、そのまま茫然と、物思いに耽っていらっしゃる。
お返事をお書き()えになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。
3.3.7
すくよかにも(おぼ)されず、われながら、ことのほかにほれぼれしく(おぼ)()らるること(おほ)かる、(まぎ)らはしに、女方(をんながた)にぞおはします
しっかりとしたお心もなく、自分ながら、ことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために、女房のほうにいらっしゃる。
お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。
3.3.8
(ほとけ)御前(おまへ)(ひと)しげからずもてなして、のどやかに(おこ)なひたまふ。
千年(ちとせ)をももろともにと(おぼ)ししかど(かぎ)りある(わか)れぞいと口惜(くちを)しきわざなりける。
(いま)は、(はちす)(つゆ)異事(ことごと)(まぎ)るまじく、(のち)()をと、ひたみちに(おぼ)()つことたゆみなし。
されど、人聞(ひとぎ)きを(はばか)りたまふなむ、あぢきなかりける
仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。
千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れが実に残念なことであった。
今は、極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ち、揺ぎもない。
けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。
仏像をお()えになった前に少数の女房だけを(はべ)らせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召(おぼしめ)した最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世(とんせい)の人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇(ちゅうちょ)しておいでになるのはよくないことかもしれない。
3.3.9
(おほん)わざのことどもはかばかしくのたまひおきつることどもなかりければ、大将(だいしゃう)(きみ)なむ、とりもちて(つか)うまつりたまひける。
今日(けふ)やとのみ、わが()(こころ)づかひせられたまふ折多(をりおほ)かるを、はかなくて、()もりにけるも(ゆめ)心地(ここち)のみす。
中宮(ちゅうぐう)なども(おぼ)(わす)るる(とき)()なく、()ひきこえたまふ。
御法要の事も、はっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が、万事引き受けてお営みなさるのであった。
今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか、月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。
中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。
夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図(さしず)をしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の(いみ)の明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮(ちゅうぐう)なども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
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ローマ字版 Last updated 8/16/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
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挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 2/12/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)
2003年10月6日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年7月20日

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