設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第三十七帖 横笛 光る源氏の准太上天皇時代四十九歳春から秋までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 光る源氏の物語 薫の成長 |
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第一段 柏木一周忌の法要 |
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1.1.1 | 故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを、いつまでも残念なことに、恋い偲びなさる方々が多かった。 六条院におかれても、特別の関係がなくてさえ、世間に人望のある人が亡くなるのは、惜しみなさるご性分なので、なおさらのこと、この人は、朝夕に親しくいつも参上しいしい、誰よりもお心を掛けていらしたので、どうにもけしからぬと、お思い出しなさることはありながら、哀悼の気持ちは強く、何かにつけてお思い出しになる。 |
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1.1.2 | ご一周忌にも、誦経などを、特別おさせになる。 何事も知らない顔の幼い子のご様子を御覧になるにつけても、何といってもやはり不憫でならないので、内中密かに、また志立てられて、黄金百両を別にお布施あそばすのであった。 父大臣は、事情も知らないで恐縮してお礼を申し上げさせなさる。 |
四十九日の法事の際にも御厚志の見える |
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1.1.3 | かの |
大将の君も、供養をたくさんなさり、ご自身も熱心に法要のお世話をなさる。 あの一条宮に対しても、一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる。 兄弟の君たちよりも優れたお気持ちのほどを、とてもこんなにまでとはお思い申さなかったと、大臣、母上もお喜び申し上げなさる。 亡くなった後にも、世間の評判の高くていらっしゃったことが分かるので、ひどく残念がり、いつまでも恋い焦がれること、限りがない。 |
兄弟以上の親切を故人のために尽くす大将を大臣も夫人も、これほどまでの志があるとは思わなかったと喜んでいた。故人の持っていた勢力が法事の際にはなやかに現われたことなどからも両親はまた |
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第二段 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る |
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1.2.1 | 山の帝は、二の宮も、このように人に笑われるような境遇になって物思いに沈んでいらっしゃるといい、入道の宮も、現世の普通の人らしい幸せは、一切捨てておしまいになったので、どちらも物足りなくお思いなさるが、総じてこの世の事を悩むまい、と我慢なさる。 御勤行をなさる時にも、「同じ道をお勤めになっているのだろう」などとお思いやりになって、このように尼になられてから後は、ちょっとしたことにつけても、絶えずお便りを差し上げなさる。 |
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1.2.2 | お寺近くの林に生え出した筍、その近辺の山で掘った山芋などが、山里の生活では風情があるものなので、差し上げようとなさって、お手紙を情愛こまやかにお書きになった端に、 |
御寺に近い林から抜いた竹の子と、その辺の山で掘られた |
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1.2.3 | 「春の野山は、霞がかかってはっきりしませんが、深い心をこめて掘り出させたものでございます。 |
春の野山は |
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1.2.4 | この世を捨ててお入りになった道はわたしより遅くとも 同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい |
世を別れ入りなん道は 同じところを君も尋ねよ |
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1.2.5 | とても難しい事ですよ」 |
それを成就させるためには、より多く仏の |
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1.2.6 | とお便り申し上げなさったのを、涙ぐんで御覧になっているところに、大殿の君がお越しになった。 いつもと違って、御前近くに櫑子がいくつもあるので、「何だろう、おかしいな」と御覧になると、院からのお手紙なのであった。 御覧になると、とても胸の詰まる思いがする。 |
法皇のお手紙を涙ぐみながら宮が読んでおいでになる所へ院がおいでになった。宮が平生に違って寂しそうに手紙を読んでおいでになり、漆器の |
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1.2.7 | 「わが命も今日か、明日かの心地がするのに、思うままにお会いすることができないのが辛いことです」 |
もう今日か明日かのように老衰をしていながら、逢うことが困難なのを飽き足らず思う |
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1.2.8 | など、こまやかに この「 |
などと、情愛こまやかにお書きあそばしていらっしゃった。 この「同じ極楽浄土」へ御一緒にとのお歌を、特別に趣があるものではない、僧侶らしい言葉遣いであるが、「いかにも、そのようにお思いのことだろう。 自分までが疎略にお世話しているというふうをお目に入れ申して、ますます御心配あそばされることになろうことを、おいたわしい」とお思いになる。 |
というような章もある。この同じ所へ来るようにとのお言葉は何でもない僧もよく言うことであるが、この作者は御実感そのままであろうとお思いになると、法皇はそのとおりに思召すであろう、寄託を受けた自分が不誠実者になったことでもお気づかわしさが倍加されておいでになるであろうのがおいたわしいと院はお思いになった。 |
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1.2.9 | お返事は恥ずかしげにお書きになって、お使いの者には、青鈍の綾を一襲をお与えなさる。 書き変えなさった紙が、御几帳の端からちらっと見えるのを、取って御覧になると、ご筆跡はとても頼りない感じで、 |
宮はつつましやかにお返事をお書きになって、お使いへは |
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1.2.10 | 「こんな辛い世の中とは違う所に住みたくて わたしも父上と同じ山寺に入りとうございます」 |
うき世にはあらぬところのゆかしくて |
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1.2.11 | 「ご心配なさっているご様子なのに、ここと違う住み処を求めていらっしゃる、まことに嫌な、辛いことです」 |
とある。「あなたを御心配していらっしゃる所へ、あらぬ山路へはいりたいようなことを言っておあげになっては悪いではありませんか」 |
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1.2.12 | と |
と申し上げなさる。 |
こう院はお言いになるのであった。 |
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1.2.13 | 今では、まともにお顔をお合わせ申されず、とても美しくかわいらしいお額髪、お顔の美しさ、まるで子供のようにお見えになって、たいそういじらしいのを拝見なさるにつけては、「どうして、このようになってしまったことか」と、罪悪感をお感じになるので、御几帳だけを隔てて、また一方でたいそう隔たった感じで、他人行儀にならない程度に、お扱い申し上げていらっしゃるのだった。 |
出家後は前にいても顔をなるべく見られぬようにと宮はしておいでになった。美しい額の髪、きれいな顔つきも、全く子供のように見えて非常に |
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第三段 若君、竹の子を噛る |
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1.3.1 | 若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが、起きて這い出しなさって、お袖を引っ張りまとわりついていらっしゃる様子、とてもかわいらしい。 |
若君は |
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1.3.2 | 白い羅に、唐の小紋の紅梅のお召し物の裾、とても長くだらしなく引きずられて、お身体がすっかりあらわに見えて、後ろの方だけが着ていらっしゃる恰好は、幼児の常であるが、とてもかわいらしく色白ですんなりとして、柳の木を削って作ったようである。 |
白い |
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1.3.3 | 頭は露草で特別に染めたような感じがして、口もとはかわいらしく艶々として、目もとがおっとりと、気がひけるほど美しいのなどは、やはりとてもよく思い出さずにはいられないが、 |
頭は露草の |
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1.3.4 | 「かれは、いとかやうに |
「あの人は、とてもこのようにきわだった美しさはなかったが、どうしてこんなに美しいのだろう。 母宮にもお似申さず、今から気品があり立派で、格別にお見えになる様子などは、自分が鏡に映った姿にも似てはいないこともないな」というお気持ちになる。 |
彼はこれほどまでにすぐれた |
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1.3.5 | やっとよちよち歩きをなさる程である。 この筍が櫑子に、何であるのか分からず近寄って来て、やたらにとり散らかして、食いかじったりなどなさるので、 |
立っても二足三足踏み出すほどになっているのである。この竹の子の置かれた |
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1.3.6 | 「まあ、お行儀の悪い。 いけません。 あれを片づけなさい。 食べ物に目がなくていらっしゃると、口の悪い女房が言うといけない」 |
「行儀が悪いね。いけない。あれをどちらへか隠させるといい。食い物に目をつけると言って、口の悪い女房は黙っていませんよ」 |
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1.3.7 | とて、 かき |
と言って、お笑いになる。 お抱き寄せになって、 |
とお笑いになる。若君を御自身の |
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1.3.8 | 「この |
「若君の目もとは普通と違うな。 小さい時の子を、多く見ていないからだろうか、これくらいの時は、ただあどけないものとばかり思っていたが、今からとても格別すぐれているのが、厄介なことだ。 女宮がいらっしゃるようなところに、このような人が生まれて来て、厄介なことが、どちらにとっても起こるだろうな。 |
「この子の |
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1.3.9 | ああ、この人たちが育って行く先までは、見届けることができようか。 花の盛りにめぐり逢うことは、寿命あってのことだ」 |
しかし皆のその遠い将来は私の見ることのできないものなのだ。『花の盛りはありなめど』(逢ひ見んことは命なりけり)だね」 |
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1.3.10 | と、うちまもりきこえたまふ。 |
と言って、じっとお見つめ申していらっしゃる。 |
こうお言いになって若君の顔を見守っておいでになった。 |
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1.3.11 | 「何とまあ、 |
「縁起のよろしくございませんことを、まあ」 |
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1.3.12 | と、 |
と、女房たちは申し上げる。 |
と女房たちは言っていた。 |
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1.3.13 | 歯の生えかけたところに噛み当てようとして、筍をしっかりと握り持って、よだれをたらたらと垂らしてお齧りになっているので、 |
若君は歯茎から出始めてむずがゆい気のする歯で物が |
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1.3.14 | 「いとねぢけたる |
「変わった色好みだな」とおっしゃって、 |
「変わった風流男だね」と院は |
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1.3.15 | 「いやなことは忘れられないがこの子は かわいくて捨て難く思われることだ」 |
子は捨てがたき物にぞありける |
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1.3.16 | と、 |
と、引き離して連れて来て、お話しかけになるが、にこにことしていて、何とも分からず、とてもそそくさと、這い下りて動き回っていらっしゃる。 |
こんなことをお言いかけになるが、若君は笑っているだけで何のことであるとも知らない。そそくさと院のお |
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1.3.17 | 月日が経つにつれて、この君がかわいらしく不吉なまでに美しく成長なさっていくので、本当に、あの嫌なことが、すべて忘れられてしまいそうである。 |
月日に添って顔のかわいくなっていくこの人に院は愛をお感じになって、過去の不祥事など忘れておしまいになりそうである。 |
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1.3.18 | 「この人がお生まれになるためのご縁で、あの思いがけない事件も起こったのだろう。 逃れられない宿命だったのだ」 |
この愛すべき子を自分が得る因縁の過程として意外なことも起こったのであろう。すべて前生の約束事なのであろうと |
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1.3.19 | と、少しはお考えが改まる。 ご自身の運命にもやはり不満のところが多かった。 |
ことに少しの慰めが見いだされた。自分の宿命というものも必ずしも完全なものではなかった。 |
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1.3.20 | 「大勢集っていらっしゃるご夫人方の中でも、この宮だけは、不足に思うところもなく、宮ご自身のご様子も、物足りないと思うところもなくていらっしゃるはずなのに、このように思いもかけない尼姿で拝見するとは」 |
幾人かの |
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1.3.21 | とお思いになるにつけて、過去の二人の過ちを許し難く、今も無念に思われるのであった。 |
とお思いになると、今もなお誘惑にたやすく負けておしまいになった宮がお恨めしかった。 |
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第二章 夕霧の物語 柏木遺愛の笛 |
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第一段 夕霧、一条宮邸を訪問 |
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2.1.1 | 大将の君は、あの臨終の際に言い遺した一言を、心ひそかに思い出し思い出ししては、「どういうことであったのか」と、とてもお尋ね申し上げたく、お顔色も伺いたいのだが、うすうす思い当たられる節もあるので、かえって口に出して申し上げるのも具合が悪くて、「どのような機会に、この事の詳しい事情をはっきりさせ、また、あの人の思いつめていた様子をお耳に入れようか」と、思い続けていらっしゃる。 |
大将は |
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2.1.2 | うちとけ、しめやかに、 |
秋の夕方の心寂しいころに、一条の宮をどうしていられるかとご心配申し上げなさって、お越しになった。 くつろいで、ひっそりとお琴などを弾いていらっしゃったところなのであろう。 奥へ片づけることもできず、そのままその南の廂間にお入れ申し上げなさった。 端の方にいた人たちが、いざって入って行く様子がはっきり分かって、衣ずれの音や、あたりに漂う香の匂いも薫り高く、奥ゆかしい感じである。 |
物哀れな気のする夕方に大将は一条の宮をお |
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2.1.3 | わが うち |
いつものように、御息所がお相手なさって、昔話をあれこれと交わし合いなさる。 ご自分の御殿は、明け暮れ人が大勢出入りして、もの騒がしく、幼い子供たちが、大勢寄って騒々しくしていらっしゃるのにお馴れになっているので、とても静かで心寂しい感じがする。 ちょっと手入れも行き届いてない感じがするが、上品に気高くお暮らしになって、前栽の花々、虫の音のたくさん聞こえる野原のように咲き乱れている夕映えを、見渡しなさる。 |
いつもの |
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第二段 柏木遺愛の琴を弾く |
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2.2.1 | 和琴をお引き寄せになると、律の調子に調えられていて、とてもよく弾きこんであるのが、人の移り香がしみこんでいて、心惹かれる感じがする。 |
そこに出たままになっていた |
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2.2.2 | 「このようなところに、慎みのない好き心のある人は、心を抑えることができなくて、見苦しい振る舞いにでも出て、あってはならない評判を立てるものだ」 |
こんな趣味の美しい女 |
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2.2.3 | など、 |
などと、思い続けながら、お弾きになる。 |
とこんなことも心に思いながら大将は和琴を弾いていた。 |
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2.2.4 | 故君がいつもお弾きになっていた琴であった。 風情のある曲目を一つ二つ、少しお弾きになって、 |
これは柏木が生前よく弾いていた楽器である。ある曲のおもしろい一節だけを弾いたあとで、大将は、 |
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2.2.5 | 「ああ、まことにめったにない素晴らしい音色をお弾きになったものだがな。 このお琴にも故人の名残が籠もっておりましょう。 お聞かせ願いたいものだ」 |
「ことに和琴は名手というべき人でしたがね。忘れがたいあの人の芸術の妙味は宮様へお伝わりしているでしょうから、私はそれを承りたいのですが」 |
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2.2.6 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と言うと、 |
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2.2.7 | 「 |
「主人が亡くなりまして後より、昔の子供遊びの時の記憶さえ、思い出しなさらなくなってしまったようです。 院の御前で、女宮たちがそれぞれ得意なお琴を、お試し申されました時にも、このような方面は、しっかりしていらっしゃると、ご判定申されなさったようでしたが、今は別人のようにぼんやりなさって、物思いに沈んでいらっしゃるようなので、悲しい思いを催す種というように拝見しております」 |
「あの不幸のございましてからは、全くこうしたことに無関心におなりあそばしまして、お小さいころのお |
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2.2.8 | と |
とお答え申し上げなさると、 |
と御息所は言う。 |
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2.2.9 | 「まことにごもっともなお気持ちです。 せめて終わりがあれば」 |
「ごもっともなことですよ。『恋しさの限りだにある世なりせば』(つらきをしひて歎かざらまし)」 |
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2.2.10 | と、うち |
と、物思いに沈んで、琴は押しやりなさったので、 |
大将は |
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2.2.11 | 「あの琴を、やはりそういうことなら、音色の中に伝わることもあろうかと、聞いて分かるように弾いて下さい。 何やら気も晴れずに物思いに沈み込んでいる耳だけでも、せめてさっぱりさせましょう」 |
「楽器に故人の音がついているかどうかが、私どもにわかりますほどお弾きになって見てくださいませ。みじめにめいっておりますわれわれの耳だけでも助けてくださいませ」 |
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2.2.12 | と |
と申し上げなさるので、 |
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2.2.13 | 「ご夫婦の仲に伝わる琴の音色は、特別でございましょう。 それを伺いたいと申し上げているのです」 |
「私よりも御縁の深い方のあそばすものにこそ故人の芸術のうかがわれるものがあるでしょうから、ぜひ宮様のを承りたい」 |
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2.2.14 | とおっしゃって、御簾の側近くに和琴を押し寄せなさるが、すぐにはお引き受けなさるはずもないことなので、無理にお願いなさらない。 |
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第三段 夕霧、想夫恋を弾く |
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2.3.1 | 月が出て雲もない空に、羽をうち交わして飛ぶ雁も、列を離れないのを、羨ましくお聞きになっているのであろう。 風が肌寒く感じられ、何となく寂しさに心動かされて、箏の琴をたいそうかすかにお弾きになっているのも、深みのある音色なので、ますます心を引きつけられてしまって、かえって物足りない思いがするので、琵琶を取り寄せて、とても優しい音色に「想夫恋」をお弾きになる。 |
月が上ってきた。秋の澄んだ空を幾つかの |
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2.3.2 | 「お気持ちを察してのようなのは、恐縮ですが、この曲目なら、何かおっしゃって下さるかと思いまして」 |
「自信のあるものらしく見えますのが恥ずかしゅうございますが、この曲だけはごいっしょにあそばしてくだすってよい理由のあるものですから」 |
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2.3.3 | とて、 |
とおっしゃって、しきりに御簾の中に向かって催促申し上げなさるが、和琴を所望された以上に、気が引けるお相手なので、宮はただ悲しいとばかりお思い続けていらっしゃるので、 |
と大将は |
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2.3.4 | 「言葉に出しておっしゃらないのも、 おっしゃる以上に深 |
ことに 人に恥ぢたる |
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2.3.5 | と申し上げなさると、わずかに終わりの方を少しお弾きになる。 |
と大将が言った時、宮はただ想夫恋の末のほうだけを合わせてお弾きになった。 |
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2.3.6 | 「趣深い秋の夜の情趣はぞんじておりますが、 靡き顔に琴をお弾き申したでしょうか |
深き夜の哀ればかりは聞きわけど ことよりほかにえやは言ひける |
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2.3.7 | もっと聞いていたいほどであるが、そのおっとりした音色によって、昔の人が心をこめて弾き伝えてきた、同じ調子の曲目といっても、しみじみとまたぞっとする感じで、ほんの少し弾いてお止めになったので、恨めしいほどに思われるが、 |
ともお言いになるのであった。非常におもしろいお |
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2.3.8 | 「 またことさらに |
「物好きな心を、いろいろな琴を弾いてお目に掛けてしまいました。 秋の夜に遅くまでおりますのも、故人の咎めがあろうかとご遠慮致して、退出致さねばなりません。 また改めて失礼のないよう気をつけてお伺い致そうと思いますが、このお琴の調子を変えずにお待ち下さいませんか。 とかく思いもよらぬことが起こる世の中ですから、気掛かりでなりません」 |
「風流狂じみましたことをいろいろお目にかけてしまいました。秋の夜を無限におじゃまいたしておりましては故人からとがめられる気もいたしますから、もうお |
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2.3.9 | など、まほにはあらねど、うち |
などと、あらわにではないが、心の内をほのめかしてお帰りになる。 |
などと言って、正面から恋を告げようとはしないのであるが、におわせるほどには言葉に盛って大将は帰ろうとした。 |
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第四段 御息所、夕霧に横笛を贈る |
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2.4.1 | 「今夜の風流なお振る舞いについては、誰もがお許し申すはずのことでございます。 これということもない昔話にばかり紛らわせなさって、寿命が延びるまでお聞かせ下さらなかったのが、とても残念です」 |
「今夜の御風流は非難いたす者もございませんでしょう。昔の日の話をお補いくださいます程度にしかお聞かせくださいませんでしたのが残り多く思われてなりません」 |
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2.4.2 | とて、 |
と言って、御贈り物に笛を添えて差し上げなさる。 |
と言い、御息所は大将への贈り物へ笛を添えて出した。 |
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2.4.3 | 「この笛には、実に古い由緒もあるように聞いておりましたが、このような蓬生の宿に埋もれているのは残念に存じまして、御前駆の負けないほどにお吹き下さる音色を、ここからでもお伺いしたく存じます」 |
「この笛のほうは古い伝統のあるものと伺っておりました。こんな女 |
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2.4.4 | と |
と申し上げなさると、 |
と御息所は言った。 |
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2.4.5 | 「似つかわしくない随身でございましょう」 |
「つたない私がいただいてまいることは似合わしくないことでしょう」 |
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2.4.6 | とて、 |
とおっしゃって、御覧になると、この笛もなるほど肌身離さず愛玩しては、 |
こう言いながら大将は手に取って見た。これも始終柏木が使っていて、 |
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2.4.7 | 「自分でも、まったくこの笛の音のあらん限りは、吹きこなせない。 大事にしてくれる人に何とか伝えたいものだ」 |
自分もこの笛を生かせるほどには吹けない。自分の愛する人に与えたい |
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2.4.8 | と、をりをり |
と、柏木が時々愚痴をこぼしていらっしゃったのをお思い出しなさると、さらに悲しみが胸に迫って、試みに吹いてみる。 盤渉調の半分ばかりでお止めになって、 |
とこんなことを柏木の言うのも聞いたことのある大将であったから、故人の琴に対した時よりもさらに多くの感情が動いた。試みに大将は吹いてみるのであったが、 |
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2.4.9 | 「故人を偲んで和琴を独り弾きましたのは、下手でも何とか聞いて戴けました。 この笛はとても分不相応です」 |
「故人を忍んで琴を弾きましたことはとにかく、これは晴れがましいまばゆい気がいたされます」 |
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2.4.10 | とて、 |
と言って、お出になるので、 |
こう |
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2.4.11 | 「涙にくれていますこの荒れた家に昔の 秋と変わらない笛の音を聞かせて戴きました」 |
露しげき 秋に変はらぬ虫の声かな |
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2.4.12 | と、 |
と、内側から申し上げなさった。 |
と御息所が言いかけた。 |
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2.4.13 | 「横笛の音色は特別昔と変わりませんが 亡くなった人を悼む泣き声は尽きません」 |
横笛の調べはことに変はらぬを むなしくなりし |
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2.4.14 | 出て行きかねていらっしゃると、夜もたいそう更けてしまった。 |
返歌をしてもまだ去りがたくて大将がためらっているうち深更になった。 |
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第五段 帰宅して、故人を想う |
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2.5.1 | 殿にお帰りになると、格子などを下ろさせて、皆お寝みになっていた。 |
自宅に帰ってみると、もう格子などは皆おろされてだれも寝てしまっていた。 |
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2.5.2 | 「この宮にご執心申されて、あのようにご熱心でいらっしゃるのだ」 |
一条の宮に恋をして親切がった訪問を常にするというようなことを、 |
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2.5.3 | などと、誰かがご報告したので、このように夜更けまで外出なさるのも憎らしくて、お入りになったのも知っていながら、眠ったふりをしていらっしゃるのであろう。 |
夫人へ言う者があったために、今夜のようにほかで夜ふかしをされるのが不愉快でならない夫人は、 |
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2.5.4 | 「いい人とわたしと一緒に入るあの山の」 |
「 |
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2.5.5 | と、 |
と、声はとても美しく独り歌って、 |
と美しい声で歌いながらはいって来た大将は、 |
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2.5.6 | 「これは、またどうして、こう固く鍵を閉めているのだ。 何とまあ、 うっとうしいことよ。今夜の月を見ない |
「どうしてこんなに早く戸を皆しめてしまったのだろう。引っ込み思案な人ばかりなのだね。こんな月夜の |
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2.5.7 | と、不満げにおっしゃる。 格子を上げさせなさって、御簾を巻き上げなどなさって、端近くに横におなりになった。 |
と |
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2.5.8 | 「このように素晴らしい月なのに、気楽に夢を見ている人が、あるものですか。 少しお出になりなさい。 何と嫌な」 |
「こんなよい晩に眠ってしまう人があるものですか。少し出ていらっしゃい。つまらないじゃありませんか」 |
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2.5.9 | などと申し上げなさるが、面白くない気がして、知らぬ顔をなさっている。 |
などと夫人へ言うのであるが、おもしろく思っていない夫人は何とも言わないのである。 |
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2.5.10 | 若君たちが、あどけなく寝惚けている様子などが、あちらこちらにして、女房も混み合って寝ている、とてもにぎやかな感じがするので、さきほどの所の様子が、思い比べられて、多く違っている。 この笛をちょっとお吹きになりながら、 |
子供が寝おびれて何か言っている声があちこちにして、女房もその辺の |
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2.5.11 | 「どのように、わたしが立ち去った後でも、物思いに耽っていらっしゃることだろう。 お琴の合奏は、調子を変えずなさっていらっしゃるのだろう。 御息所も、和琴の名手であった」 |
自分の去ったあとの御母子がどんなに寂しく月明の景色をながめておられるだろう、自分の弾いた楽器も宮の合わせてくだすったものもそのままで二人の女性にもてあそばれているであろう、御息所も和琴が |
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2.5.12 | など、 |
などと、思いをはせて臥せっていらっしゃった。 |
などと思いやりながら寝ているのである。 |
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2.5.13 | 「どうして、故君は、ただ表向きの気配りは、大切にお扱い申し上げていながら、大して深い愛情はなかったのだろう」 |
どうしてあんなにりっぱな宮様を |
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2.5.14 | と、それにつけても、いといぶかしうおぼゆ。 |
と、考えるにつけても、大変いぶかしく思わずにはいらっしゃれない。 |
と大将は不思議に思われてならない。 |
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2.5.15 | 「実際会って見て器量がよくないとなると、たいそうお気の毒なことだな。 世間一般の話でも、最高に素晴らしいという評判の人は、きっとそんなこともあるものだ」 |
お顔を見て美しく想像したのと違ったところがあっては不幸な結果をもたらすことにもなろう、ほかのことでも空想をし過ぎたことには必然的に幻滅が起こるものである |
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2.5.16 | などと思うにつけ、ご自分の夫婦仲が、その気持ちを顔に出して相手を疑うこともなくて、仲睦まじくなった歳月のほどを数えると、しみじみと感慨深く、とてもこう我が強くなって勝手に振る舞うようにおなりになったのも、無理もないことと思われなさった。 |
など思いながらも、大将は自身たち夫婦の仲を考えて、なんらの |
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第六段 夢に柏木現れ出る |
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2.6.1 | 少し寝入りなさった夢に、あの衛門督が、まるで生前の袿姿で、側に座って、この笛を取って見ている。 夢の中にも、故人が、厄介にも、この笛の音を求めて来たのだ、と思っていると、 |
少し寝入ったかと思うと故人の衛門督がいつか病室で見た時の |
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2.6.2 | 「この笛の音に吹き寄る風は同じことなら わたしの子孫に伝えて欲しいものだ |
「笛竹に吹きよる風のごとならば 末の世長き |
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2.6.3 | その伝えたい人は違うのだった」 |
私はもっとほかに望んだことがあったのです」 |
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2.6.4 | と言うので、尋ねようと思った時に、若君が寝おびえて泣きなさるお声に、目が覚めておしまいになった。 |
と柏木は言うのである。望みということをよく聞いておこうとするうちに、若君が寝おびれて泣く声に目がさめた。 |
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2.6.5 | この若君がひどく泣きなさって、乳を吐いたりなさるので、乳母も起き騷ぎ、母上も御殿油を近くに取り寄せさせなさって、額髪を耳に挟んで、せわしげに世話して、抱いていらっしゃった。 とてもよく太って、ふっくらとした美しい胸を開けて、乳などをお含ませになる。 子供もとてもかわいらしくいらっしゃる若君なので、色白で美しく見えるが、お乳はまったく出ないのを、気休めにあやしていらっしゃる。 |
この子が長く泣いて乳を吐いたりなどするので、 |
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2.6.6 | 男君も側にお寄りになって、「どうしたのだ」などとおっしゃる。 魔除の撤米をし米を散らかしなどして、とり騒いでいるので、夢の情趣もどこかへ行ってしまうことであろう。 |
大将もそのそばへ来て、「どう」などと言っていた。夜の魔を追い散らすために米なども |
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2.6.7 | 「苦しそうに見えますわ。 若い人のような恰好でうろつきなさって、夜更けのお月見に、格子なども上げなさったので、例の物の怪が入って来たのでしょう」 |
「この子は病気になったらしい。はなやかな方に夢中になっていらっしって、おそくなってから月をながめたりなさるって格子をあけさせたりなさるものだから、また |
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2.6.8 | など、いと |
などと、とても若く美しい顔をして、恨み言をおっしゃるので、にっこりして、 |
と若々しい顔をした夫人が恨むと、 |
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2.6.9 | 「妙な、物の怪の案内とは。 わたしが格子を上げなかったら、道がなくて、おっしゃる通り入って来られなかったでしょう。 大勢の子持ちの母親におなりになるにつれて、思慮深く立派なことをおっしゃるようにおなりになった」 |
「変にこじつけて私の罪にするのですね。私が格子を上げさせなかったらなるほど物怪ははいる道がなかったろうね。おおぜいの人のお母様になったあなただから、たいした考え方ができるようになったものだ」 |
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2.6.10 | と言って、ちらりと御覧になる目つきが、たいそう気後れするほど立派なので、それ以上は何ともおっしゃらず、 |
こう言っても妻をながめる大将の美しい目つきはさすがに恥ずかしがって、続けて恨みも言わずに、 |
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2.6.11 | 「さあ、もうお止めなさいまし。 みっともない恰好ですから」 |
「あちらへいらっしゃい。人が見ます。見苦しい」 |
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2.6.12 | とて、 まことに、この |
と言って、明るい灯火を、さすがに恥ずかしがっていらっしゃる様子も憎くない。 ほんとうに、この若君は苦しがって、一晩中泣きむずかって夜をお明かしになった。 |
とだけ言った。明るい |
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第三章 夕霧の物語 匂宮と薫 |
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第一段 夕霧、六条院を訪問 |
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3.1.1 | 大将の君も、夢を思い出しなさると、 |
大将は夢を思うと贈られた横笛ももてあまされる気がした。 |
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3.1.2 | 「この いかが この かかればこそは、 |
「この笛は厄介なものだな。 故人が執着していた笛の、行くべき所ではなかったのだ。 女方から伝わっても意味のなことだ。 どのように思ったことだろう。 この世に、物の数にも入らない些事も、あの臨終の際に、一心に恨めしく思ったり、または愛情を持ったりしては、無明長夜の闇に迷うということだ。 そうだからこそ、どのようなことにも執着は持つまいと思うのだ」 |
故人の強い愛着の |
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3.1.3 | などと、お考え続けなさって、愛宕で誦経をおさせになる。 また、故人が帰依していた寺にもおさせになって、 |
のであると、こんなことを思って大納言のために |
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3.1.4 | 「この笛を、わざわざ御息所が特別の遺品として、譲り下さったのを、すぐにお寺に納めるのも、供養になるとは言うものの、あまりにあっけなさぎよう」 |
この笛を歴史的価値のある物として、好意で自分へ贈った人に対しては、それがどんな尊いことであっても寺へ納めたりしてしまうことも不本意なことである |
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3.1.5 | と |
と思って、六条院に参上なさった。 |
と思って、大将は六条院へ参った。 |
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3.1.6 | 女御の御方にいらっしゃる時なのであった。 三の宮は、三歳ほどで、親王の中でもかわいらしくいらっしゃるのを、こちらではまた特別に引き取ってお住ませなさっているのであった。 走っておいでになって、 |
その時院は姫君の |
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3.1.7 | 「大将よ、宮をお抱き申して、あちらへ連れていらっしゃい」 |
「大将さん、私を抱いてあちらの御殿へつれて行ってちょうだい」 |
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3.1.8 | と、自分に敬語をつけて、とても甘えておっしゃるので、ほほ笑んで、 |
うやうやしい態度で、そしてお小さい方らしくお言いになると、大将は笑って、 |
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3.1.9 | 「いらっしゃい。 どうして御簾の前を行けましょうか。 たいそう無作法でしょう」 |
「いらっしゃいませ。けれど女王様のお |
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3.1.10 | とて、 |
と言って、お抱き申してお座りになると、 |
こう言いながらすわった |
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3.1.11 | 「誰も見ていません。 わたしが、顔を隠そう。 さあさあ」 |
「だれも見ないよ。いいよ。私顔を隠して行くから」 |
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3.1.12 | とて、 |
と言って、お袖で顔をお隠しになるので、とてもかわいらしいので、お連れ申し上げなさる。 |
宮が |
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第二段 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う |
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3.2.1 | こちら方にも、二の宮が、若君とご一緒になって遊んでいらっしゃるのを、かわいがっておいであそばすのであった。 隅の間の所にお下ろし申し上げなさるのを、二の宮が見つけなさって、 |
こちらの御殿のほうでも院が宮の若君と二の宮がいっしょに遊んでおいでになるのをかわいく思ってながめておいでになるのであった。かどのお座敷の前で三の宮をお |
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3.2.2 | 「わたしも大将に抱かれたい」 |
「私も大将に抱いていただくのだ」 |
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3.2.3 | とのたまふを、 |
とおっしゃるのを、三の宮は、 |
とお言いになると、三の宮が、 |
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3.2.4 | 「あが |
「わたしの大将なのだから」 |
「いけない、私の大将だもの」 |
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3.2.5 | とて、 |
と言って、お放しにならない。 院も御覧になって、 |
と言って |
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3.2.6 | 「まことにお行儀の悪いお二方ですね。 朝廷のお身近の警護の人を、自分の随身にしようと争いなさるとは。 三の宮が、特にいじわるでいらっしゃいます。 いつも兄宮に負けまいとなさる」 |
「お行儀のないことですよ。お |
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3.2.7 | と、 |
と、おたしなめ申して仲裁なさる。 大将も笑って、 |
とお |
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3.2.8 | 「二の宮は、すっかりお兄様らしく弟君に譲って上げるお気持ちが十分におありのようです。 お年のわりには、こわいほどご立派にお見えになります」 |
「二の宮様はずいぶんお兄様らしくて、お小さい方によくお譲りになったり、思いやりのあることをなさいます。大人でも恥ずかしくなるほどでございます」 |
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3.2.9 | などと申し上げなさる。 ほほ笑んで、どちらもとてもかわいらしいとお思い申し上げあそばしていらっしゃった。 |
こんなことを言っていた。院は微笑を顔にお浮かべになって、お |
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3.2.10 | 「見苦しく失礼なお席だ。 あちらへ」 |
「 |
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3.2.11 | とて、 |
とおっしゃって、お渡りになろうとすると、宮たちがまとわりついて、まったくお離れにならない。 宮の若君は、宮たちとご同列に扱うべきではないと、ご心中にはお考えになるが、かえってそのお気持ちを、母宮が、心にとがめて気を回されることだろうと、これもまたご性分で、お気の毒に思われなさるので、とても大切にお扱い申し上げなさる。 |
とお言いになって、立とうとあそばされるのであるが、宮たちがまつわってお離れにならない。宮の若君は宮たちと同じに扱うべきでないとお心の中では |
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第三段 夕霧、薫をしみじみと見る |
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3.3.1 | 大将は、この若君を「まだよく見ていないな」とお思いになって、御簾の間からお顔をお出しになったところを、花の枝が枯れて落ちているのを取って、お見せ申して、お呼びなさると、走っていらっしゃった。 |
大将はこの若君をまだよく今までに顔を見なかったと思って、 |
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3.3.2 | なま |
二藍の直衣だけを着て、たいそう色白で光輝いてつやつやとかわいらしいこと、親王たちよりもいっそうきめこまかに整っていらっしゃって、まるまると太りおきれいである。 何となくそう思って見るせいか、目つきなど、この子は少しきつく才走った様子は衛門督以上だが、目尻の切れが美しく輝いている様子など、とてもよく似ていらっしゃった。 |
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3.3.3 | 口もとが、特別にはなやかな感じがして、ほほ笑んでいるところなどは、「自分がふとそう思ったせいなのか、大殿はきっとお気づきであろう」と、ますますご心中が知りたい。 |
美しい口もとの笑う時にことさらはなやかに見えることなどは自分の心に潜在するものがそう思わせるのかもしらぬが、院のお目には必ずお思い合わせになることがあろうと考えられるほど似ていると、大将は異母弟を見ながらも、いよいよ院が柏木に対してどう思っておいでになるかを早く知りたくなった。 |
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3.3.4 | 宮たちは、親王だと思うせいから気高くもみえるものの、世間普通のかわいらしい子供とお見えになるのだが、この君は、とても上品な一方で、特別に美しい様子なので、ご比較申し上げながら、 |
宮がたは自然に |
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3.3.5 | 「何と、 かわいそうな。もし自分の疑いが本当なら、父大臣が、あれほどすっかり気落ち |
何ものにも優越した美の備わっているのを、大将は比べて思いながら、哀れなことである、自分の推測が真実であれば柏木の父の大臣は故人を切に思う心から、 |
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3.3.6 | 『子供だと名乗って出て来る人さえいないことよ。 形見と思って世話する者でもせめて遺してくれ』 |
柏木の子供であると名のって来る者の出て来ないことに失望して、それだけの形見をすら不幸な親に残してくれなかった |
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3.3.7 | と、泣き焦がれていらしたのに、お知らせ申し上げないのも罪なことではないか」などと思うが、「いや、どうしてそんなことがありえよう」 |
と言って泣きこがれているのであるから、知らせないでいるのは罪作りなことになろうと考えられて来るうちにまた、そんなことはありうることではないと否定もされる。 |
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3.3.8 | と、やはり納得がゆかず、推測のしようもない。 気立てまでが優しくおとなしくて、じゃれていらっしゃるので、とてもかわいらしく思われる。 |
ますます不可解な問題であると大将は思った。性質もなつかしく優しい子で、大将に |
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第四段 夕霧、源氏と対話す |
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3.4.1 | あはれなる |
対へお渡りになったので、のんびりとお話など申し上げていらっしゃるうちに、日も暮れかかって来た。 昨夜、あの一条宮邸に参った時に、おいでになっていたご様子などを申し上げなさったところ、ほほ笑んで聞いていらっしゃる。 気の毒な故人の話、関係のある話の節々には、あいずちなどを打ちなさって、 |
院が対のほうへおいでになったのでお供をして行って大将がお話をかわしているうちに日も暮れかかってきた。昨夜一条の宮をお |
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3.4.2 | 「あの想夫恋を弾いた気持ちは、なるほど、昔の風流の例として引き合いに出してもよさそうなところであるが、女は、やはり、男が心を動かす程度の風流があっても、いい加減なことでは表わすべきではないことだと、考えさせられることが多いな。 |
「想夫恋を少しお合わせになったということなどは非常におもしろくて文学的ではあるが、しかし自分の意見として言えば女は異性を知らず知らず興奮させるような結果までを考慮してどこまでも避けねばならぬことだと思うがね、 |
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3.4.3 | 故人への情誼を忘れず、このように末長い好意を、先方も知られたとならば、同じことなら、きれいな気持ちで、あれこれとかかわり合って、面白くない間違いを起こさないのが、どちらにとっても奥ゆかしく、世間体も穏やかなことであろうと思う」 |
故人への |
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3.4.4 | とおっしゃるので、「そのとおりだ。 他人へのお説教だけはしっかりしたものだが、このような好色の道はどうかな」と、拝見なさる。 |
と院はお言いになった。大将は心に、このお言葉は承服されない、人をお教えになるのには賢いことを仰せられても、御自身がこの場合に処して御冷静でありうるであろうかと思っていた。 |
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3.4.5 | 「何の間違いがございましょう。 やはり、無常の世の同情から世話をするようになりました方々に、当座だけのいたわりで終わったら、かえって世間にありふれた疑いを受けましょうと思ってです。 |
「あやまちなどの起こりようはありません。人生の無常に直面されたかたがたを宗教的な気持ちで慰めて差し上げる義務があるように思いましてお |
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3.4.6 | 想夫恋は、ご自分の方から弾き出しなさったのなら、非難されることにもなりましょうが、ことのついでに、ちょっとお弾きになったのは、あの時にふさわしい感じがして、興趣がございました。 |
想夫恋をお |
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3.4.7 | おほかたなつかしうめやすき |
何事も、人次第、事柄次第の事でございましょう。 年齢なども、だんだんと、若々しいお振る舞いが相応しいお年頃ではいらっしゃいませんし、また、冗談を言って、好色がましい態度を見せることに、馴れておりませんので、お気を許されるでしょうか。 大体が優しく無難なお方のご様子でいらっしゃいました」 |
どんなこともその女性次第だと思います。御年齢などもきらきらとする若さを少し越えていらっしゃいます方が、好色漢のような態度をお見せするはずもない私に、親しい友情が生じまして、私の願ったことが聞いていただけたというようなことは恥ずかしいこととは思われません。御観察申し上げるところでは非常に女らしい優しい御性質のようです」 |
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3.4.8 | などと申し上げなさっているうちに、ちょうどよい機会を作り出して、少し近くに寄りなさって、あの夢のお話を申し上げなさると、すぐにはお返事をなさらずに、お聞きあそばして、お気づきあそばすことがある。 |
こんな話をしていた大将は、かねて願っている機会が到来したように思い、少し院のお座へ近づいて |
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第五段 笛を源氏に預ける |
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3.5.1 | 「その かれは それを |
「その笛は、わたしが預からねばならない理由がある物だ。 それは陽成院の御笛だ。 それを故式部卿宮が大事になさっていたが、あの衛門督は、子供の時から大変上手に笛を吹いたのに感心して、故式部卿宮が萩の宴を催された日、贈り物にお与えになったものだ。 女の考えで深い由緒もよく知らず、そのように与えたのだろう」 |
「その笛は私の所へ置いておく因縁があるものなのだよ。昔は |
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3.5.2 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、 |
院はこうお言いになるのであった。 |
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3.5.3 | 「子孫に伝えたいということは、また他に誰と間違えようか。 そのように考えたのだろう」などとお考えになって、「この君も思慮深い人なので、気づくこともあろうな」とお思いになる。 |
御心中ではまず手もとへ置こう、死後にもとの持ち主の譲らせたい人は分明であると |
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3.5.4 | そのご表情を見ていると、ますます遠慮されて、すぐにはお話し申し上げなされないが、せめてお聞かせ申そうとの思いがあるので、ちょうど今この機会に思い出したように、はっきり分からないふりをして、 |
すべてを察しになった院のお顔色を見てはいっそう大将は打ち出しにくくなるのであるが、ぜひ伺ってみたい気持ちがあって、ただこの瞬間に心へ浮かんできたというようにして、思い出し思い出し申すように言う、 |
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3.5.5 | 「 |
「臨終となった折にも、お見舞いに参上いたしましたところ、亡くなった後の事を遺言されました中に、これこれしかじかと、深く恐縮申している旨を、繰り返し言いましたので、どのようなことでしょうか、今に至までその理由が分かりませんので、気に掛かっているのでございます」 |
「もう衛門督が |
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3.5.6 | と、いとたどたどしげに |
と、いかにも腑に落ちないように申し上げなさるので、 |
自分が感じたように |
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3.5.7 | 「さればよ」 |
「やはり知っているのだな」 |
大将はあの秘密の |
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3.5.8 | と |
とお思いになるが、どうして、そのような事柄をお口にすべきではないので、暫くは分からないふりをして、 |
と院はお悟りになったのであるが、くわしくお語りになるべきことでもないので、しばらくは突然いぶかしい話を聞くというような御表情を見せておいでになったあとで、 |
|||||||||||||||||||||
3.5.9 | 「そのような、人に恨まれるような事は、いつしただろうかと、自分自身でも思い出す事ができないな。 それはそれとして、そのうちゆっくり、あの夢の事は考えがついてからお話し申そう。 夜には夢の話はしないものだとか、女房たちが言い伝えているようだ」 |
「そんなに死んで行く時にまで人の気にかけるようなことはいつ自分が言ったりしたりしたのだろう。私にもわからない、思い出せないよ。いずれ静かな時を見て君の夢に関する細かな説明はしてあげよう。夢の話を夜はしてならないものだとか、迷信だろうが女の人などは言うものだよ」 |
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3.5.10 | とおっしゃって、ろくにお返事もないので、お耳に入れてしまったことを、どのように考えていらっしゃるのかと、きまり悪くお思いであった、とか。 |
と院は言っておいでになって、あの不思議な問題にはあまり触れようとあそばさないのを見て、大将は自分の言い出したということがお気に入らないのではないかと、きまり悪く思ったのである。 |
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